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音楽スレ(2023〜 「名盤500」準拠)

9korou:2023/03/07(火) 12:22:50
482 ヴィヴァルディ「協奏曲集”調和の霊感”」

これは、(何と!)ユンク氏でもナクソスでも、ほぼアップされていなかった。
断片的にしか試聴できないということなので
(ついに)試聴不可能→ナシという結論。

結構有名な曲集なのに
無料では聴けないというのもあるわけだ。

10korou:2023/03/08(水) 10:47:56
481 ヴュータン「ヴァイオリン協奏曲第5番」

初めて聴く曲である。
レコ芸の推薦は、ハイフェッツ、チョン・キョンファ、パールマンの3択。
ユンク氏サイトにはハイフェッツの演奏がアップされている(なぜか”ハイフェッツ”の文言がないが)。
さすがに一片の隙もない演奏で、どういう曲なのかが初めてでもよく分かる感じだ。

続けて、ナクソスでパールマンを聴く。
いきなりバレンボイム指揮のパリ管が良い音を出す。ハイフェッツのバックのサージェントは
こうしてみると随分微温的だったことが分かる。
パールマンの音色も、いつもどおり十二分に暖かく、ハイフェッツとは随分と違う。
こういう甘いメロディ、ハーモニーの曲には、このパールマンの音色がよく似合う。

そして、チョンの演奏。期待十分だったのだが、思ったほど刺激的でなく常識的な音だ。
イマイチよく分からない。このタイプの演奏であれば、ハイフェッツの右に出るものは居ないはず。

よって、この3者では、この曲に関してはパールマンが自分の嗜好に一番合う。

(ベスト盤)パールマン(Vn)、バレンボイム&パリ管

11korou:2023/03/09(木) 12:22:45
472 ヴェルディ「歌劇序曲集」

ロッシーニとは違って、ヴェルディの場合は序曲だけでなく歌劇全編が今現在に至るまで頻繁に上映されるので
こうした「序曲集」というものにそれほどの意味があるとは思われず
どういう向き合い方で鑑賞していいのか戸惑いも覚える。
本編はもう鑑賞する気はないのでなおさらだ。

レコ芸ではカラヤン、トスカニーニ、シノーポリで3択。
ただし、ユンク氏サイトには、そもそも「歌劇序曲集」そのものがなく
ナクソスでも、カラヤン、トスカニーニのこうした序曲の演奏は、数えるほどしかない。
となると、残るはシノーポリで、これは序曲集としてアップされている。
他に、モランディの指揮による演奏も多くアップされていて、これはいかにも手堅い演奏。
また、ゲルギエフの棒も見事で、1曲しかないのが残念。

ということで、シノーポリの演奏をチェック。
まだ30代の若さでここまでVPOを統率できていることに感心。
音質も良く、演奏は活気にあふれていて聴き応えする。スピーカー試聴に向いている。
ベスト演奏はこれで決まり(今回はちょっとしか聴いていないが、もし聴くとしたらこの演奏というニュアンスで)

(ベスト盤)シノーポリ&VPO

12korou:2023/03/10(金) 13:32:21
471 ヴォーン・ウィリアムズ「グリーンスリーヴスによる幻想曲」

初めて聴く曲だが、主に流れるメロディは既知のグリーンスリーヴスの旋律なので聴きやすい。
5分にも満たない短い曲なので、どの演奏がベストかなどということは考えなくても良さそうだが
あえて選ぶとしたら
ナクソスで聴けるボールト指揮ロンドン響の演奏が
いつのまにか漂ってくる哀愁に満ちていて印象深い。
ユンク氏サイトでのボールト(これはウィーン国立歌劇場管)の演奏も
ほぼ同じ感触で、オケの微妙なあ”英国っぽさ”だけの差くらいか。

(ベスト盤)ボールト&ロンドン響

13korou:2023/03/11(土) 13:33:49
470 チャイコフスキー「偉大な芸術家の想い出」

初めて聴いたが、哀愁に満ちたメロディがいつまでも続く稀有な曲だった。
良い演奏で聴けば絶対に飽きない名曲だと確信。

珍しくユンク氏サイトでは皆無だったので、ナクソスで聴く。
まずアルゲリッチのピアノによるトリオで聴いてみたが
最初の3分で、これは個性的な演奏だろうけれど
この曲には合わないと直感する。
続いて、アシュケナージ、パールマン、ハレルのトリオによる演奏を聴く。
これは、レコ芸推薦第2位で、第1位のスーク・トリオがナクソスにないので
実質、レコ芸推薦で聴ける最上の演奏となるのだが
アシュケナージ、パールマンについては、この曲にピッタリだ。
チェロのハレルについては知らないのだが、別に不満はなく
この演奏で聴くこの曲は、実に美しく、かつ心に響いた。

なぜかハルくんのサイトでは、アシュケナージのトリオによる演奏が紹介されておらず
コーガン、ギレリス、ロストロポーヴィッチのトリオの演奏が圧倒的に優れていて
それなのに廃盤扱いなので、そのことを憤慨されていた。
ハルくんのサイトでは、ハルくんが宇野功芳氏と直接会話した際に
アルゲリッチの演奏について「個性強すぎで曲に合わない」という点で話が一致したと書いてあり
宇野氏と顔見知りだったのかという驚きも。
それはともかく、コーガンのトリオの演奏はレコ芸推薦第3位でもあり
ナクソスにもあったので、明日はこれを聴いてみることにする(通して45分程度なので、なかなか大変。でも名曲)

14korou:2023/03/13(月) 21:28:43
470 チャイコフスキー「偉大な芸術家の想い出」(その2)

コーガン、ロストロポーヴィチ、ギレリスという
それこそ「偉大な芸術家」によるピアノ三重奏を聴いてみた。
確かに期待に違えぬ名演であることに違いない。
特にギレリスのピアノの感度の鋭さには驚かされる。
コーガンとロストロポーヴィチも
そのピアノの鋭さに十二分に反応していて
名人芸を聴かせてくれる。

さて、上記アシュケナージ等の演奏と比べてどうなのかというと
ここは、やはりアシュケナージのほうに軍配を挙げざるを得ないだろう。
これは曲調と演奏家の個性の相性の問題であり
ベートーヴェンとかブラームスであれば
コーガン等の演奏のほうが白熱した精神美の点で感銘大だが
チャイコフスキーの美しいメロディを堪能するとすれば
アシュケナージ、パールマン、ハレルの愉しく明るい音色のほうが
曲想に合っているし、長い曲でもあるのでより疲れないという点も推薦盤に値するところだ。

(ベスト盤)コーガン(Vn)、ハレル(Vc)、アシュケナージ(p)

15korou:2023/03/14(火) 10:17:27
469 チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」①

まず、ハルくん推薦のコーガンの弓で聴く。バックはシルヴェストリ&パリ音楽院管。
技巧的に全く問題ないところは、同門のハイフエッツ同様で
なおかつ、このシルヴェストリ盤では、ハイフエッツにはない深い情感も感じられる。
ロシア的情緒を湛えたオーソドックスな演奏として
万人向けの見事な演奏と言えるだろう。

ただし、まだオイストラフを聴いていないので何とも言えない。
数日前に聴いたオイストラフはいまいちだったのだが・・・

それともう少しここで立ち止まり
いろいろ聴いてみる予定。

16korou:2023/03/14(火) 10:59:13
469 チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」②

ハルくん絶賛のオイストラフ(Vn)、ロジェストヴェンスキー&ソビエト国立放送響を聴く。
数日前聴いたオイストラフは何だったのか?今聴いても立派で良い演奏だ。
かつて聴いた際のいろいろな記憶すら蘇ってくる。

ライブ盤ということで、オイストラフの熱量は凄まじい。
それでいて、どこにも乱れはなく、どこかに冷静な視点も感じられる。
ロジェストヴェンスキーも、この曲はお手のものといった感じで
いかにもロシアのオケという音色が響き渡る。

こうなると、コーガンとオイストラフの優劣はつけ難い。
今現在の自分の好みで言えば、コーガンのほうになるのだが
曲が曲だけに、オイストラフの魅力も捨てがたい。
こうしてみると、ハイフエッツは技巧が勝り過ぎで、質的に一歩落ちるかもしれない。

まだまだ聴いてみる。

17korou:2023/03/15(水) 11:06:37
469 チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」③

チョン・キョンファ(Vn)、プレヴィン&ロンドン響で聴く。
今まで彼女のヴァイオリンをきちんと聴いたことがなかったが
今回聴いてみて、その美しい楷書風の表現に魅せられた。
このスタイルで、さらに生々しい感情が直に伝わるライブを実際に耳にしたなら
宇野功芳氏ならずとも絶賛せざるを得ないだろうと想像できる。
ただし、どうしてもスタジオ録音の場合、そこまでのリアル感は出せないので
そうなると基本型である楷書風の丁寧さが目立ってくるわけだ。
これはこれで見事なもので十分に一聴に値するのだが
名盤の多いチャイコフスキーのVn協のなかで
断然他を圧倒する推薦盤になり得るかどうかといえば
難しいだろう。
この演奏を推薦盤とする人が居ても不思議はないが
そこまでの評価はしていない人のほうが多いだろう。
かといって、聴くに値しないかといえば
絶対にそんなことはない。
もはや推薦盤を決めるという行為の愚かさだけが残るわけである。

さて、もはや無意味な推薦盤チョイスとなったわけだが
後、ハルくんの推薦するレーピン、諏訪内晶子を聴いてみようか。

18korou:2023/03/16(木) 11:13:02
469 チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」④

レーピンの演奏で聴いてみた。
確かによく歌う弾きっぷりで好ましいし、その上に本格的な骨格も感じられるので
まさにオイストラフの美点そのままに、さらに繊細さまで付け加えた感じで素晴らしい。
これが厳しい造型まで要求される難曲であれば
ひょっとしたらオイストラフの武骨さのほうが勝るのかもしれないが
少なくともこの曲に関してはレーピンの繊細さのほうが
より曲の本質に近いと思えた。
さらに、ハルくんの指摘通り、ゲルギエフのライブらしい豪快なドライブ感がたまらない。
これこそロシア音楽だと拍手を送りたくなる。
推薦盤はこれかもしれない。

ここでイヤホン試聴での推薦盤だったフェラスの演奏を再聴。
スピーカー試聴で聴いても見事なものだ。
多分、未知の曲を聴く場合は、カラヤンの演出力とフェラスのオーソドックスなスタイルが
一番力になるだろう。
既知のこの曲でも、部分的にはBPOの合奏力に陶酔させられるし
フェラスの演奏に不満な点は一切ない。
後はロシア的かどうかだけで、こればかりはどうしようもない。

今のところ、レーピンの演奏を推薦盤とする。
諏訪内晶子を聴いて最後にしようか。いい加減先へ進まないと。

19korou:2023/03/17(金) 14:36:34
469 チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」⑤

諏訪内晶子を聴く前に、ちょっとずついろいろ聴いてみた。
フランチェスカッティの底抜けに明るい音色は特筆もの。
曲調には合わないが、もはや合う合わないを超越した個性を感じてしまう。
これは聴きもの。

諏訪内晶子の演奏は微温的で、聴くべきとしたら、そのニュアンスの豊富さかもしれない。
全体として、良いところとイマイチなところが混在していて
集中して聴き続けた場合、不満が残る。
アシュケナージのサポートは、いかにも優等生的で
音楽を味わう上で大きな支障はないが
個性というものが全く感じられない。

ということで、前回からの結論は変わらない。

(ベスト盤)レーピン(Vn)、ゲルギエフ&キーロフ管

20korou:2023/03/18(土) 16:22:43
468 チャイコフスキー「ピアノ協奏曲」①

前回推薦盤のアルゲリッチ(p)、コンドラシン&バイエルン放送響の演奏を
念のためもう一度聴いてみた。
スピーカーで聴くと、アルゲリッチの演奏の生命線かもしれないピアノタッチの微妙な息遣いが
今一つ感じられなくなり魅力が半減することが分かる。
そうなると、全体に線の細い演奏に聴こえてきて
チャイコフスキーの演奏でもともと求められている土臭さとか
あるいはロシアの大地感といったものが欲しくなってきて
オケがバイエルンということさえ残念に思えてくる。
イヤホンでじっくり聴くと、アルゲリッチの奔放な演奏スタイルが
それに合致しているように思えたのだが
これは意外だ。
それと、余計なことだが、物足りなさを覚えてしまうと
第3楽章冒頭でのミスタッチの多さまで気になってしまう。

21korou:2023/03/18(土) 16:30:36
468 チャイコフスキー「ピアノ協奏曲」②

ハルくんのお薦めに従い
ホロヴィッツ(p)、セル&NYPの演奏を聴く。
通常であれば、トスカニーニとの組み合わせになるところだが
音質の点でセルとの組み合わせを推薦しているハルくんのHP。
やはり、セルにはこの天才ピアニストに対する遠慮がみられ
あまりにも微温的なサポートに終始していて
それがホロヴィッツの戦闘的なスタイルと噛み合わない。
ホロヴィッツが独りでソロ曲のように音楽を組み立てているのだが
もともとソロ曲ではないので、結果、個性の空回りといった印象を受ける。

次回は、トスカニーニ盤との比較を試みてみよう。
あまり変わりがないようであれば
ホロヴィッツ自身の問題かもしれないが。

22korou:2023/03/25(土) 16:03:46
468 チャイコフスキー「ピアノ協奏曲」③

ルービンシュタイン(p)、ラインスドルフ&ボストン響で聴く。
出だしの音質の悪さに驚いたものの、次第に音質は安定していった(出だしだけどうして?コメント欄に音質の良さという記述あり、不思議)
演奏は、玄人好みというか、演奏効果の大きい部分はあっさりと弾いて、地味な箇所になると実に丁寧に弾いている。
音楽的に美しいというか、実に正しい演奏なのだが、この曲の場合、いかにも損な演奏。
聴いていて心地よいのだが、正直言って眠気に誘われる。
推薦盤とするには大人し過ぎるだろう。
模範とすべき演奏だが、それ以上には評価できない。

23korou:2023/03/26(日) 14:11:19
468 チャイコフスキー「ピアノ協奏曲」④

ホロヴィッツ(p)、トスカニーニ&NBC響の演奏で聴く。
セル盤との比較で言えば、さすがにここではトスカニーニが主導権を握っていて
滅茶苦茶速いテンポも指揮者の解釈によるものだろう。
そしてホロヴィッツは、そのテンポもものともせず、いつもの通りバリバリと弾きまくっている印象。
素晴らしいのは、第2楽章の中間部で
あれほど超特急のスピードで弾きながら
強弱、メリハリ、緩急が天才的で
他のピアニストでは聴いたこともない独自の世界を
この第2楽章では聴かせてくれるのである。
しかし、そうはいっても、やはりこれは音楽というより曲芸のようでもあり
それはスピーカー試聴でよりその印象を濃くする(イヤホンだと、ただただ圧倒されてしまい、何が何だか分からない印象になる)。
音楽の深みが皆無に聞こえるのだが
トスカニーニもホロヴィッツも、真骨頂はそんなところにあるのではないし
これは、アメリカで音楽家として生きていくための
仕方ない妥協の演奏なのだろう(ワルターでさえ生きていくために自身の音楽性を変貌させていったのだから)。
このコンビでは、もう少し後の時期に再度録音すれば
(トスカニーニのブラームス「第3」のような)心境を語るがごとき演奏が
聴けたかもしれなかったが、残念。

24korou:2023/03/26(日) 15:06:16
468 チャイコフスキー「ピアノ協奏曲」⑤

ハルくん推薦のガヴリーロフの演奏も聴いてみた(サポートはムーティ&フィルハーモニア管。ハルくん推薦はアシュケナージだが)。
ムーティは全体に大人しめの演奏で、
その静かな佇まいの上に、
技巧抜群のガヴリーロフが悠々とかつ硬質なピアノ音を響き渡らせるという趣き。
全体に音楽が止まっているような印象。
ホロヴィッツやアルゲリッチのような超個性が自在に弾きまくるのも
あまりに音楽が動きすぎて曲のイメージと違うのだが
それとは正反対の残念さである。
ブラームスなどはこのスタイルがバッチリなのだが。

アシュケナージ(p)、マゼール&ロンドン響も聴く。
すでに耳が飽和状態だが、それでもアシュケナージが珍しく抑揚たっぷりに弾いているのが分かる。
マゼールも、それに合わせるように、珍しくニュアンスいっぱいにオケをリードしてサポートしており
ピアノとオケの一体感は、他のどの演奏よりも強いかもしれない。
ただし、元々は安定感が身上の両者だけに
聴き終わってみると、最初の印象はどこへやら、悪く言えば退屈な演奏ということになる。
どこも悪くないのだが、かといって際立った美点も感じられない演奏。

25korou:2023/04/13(木) 17:03:35
468 チャイコフスキー「ピアノ協奏曲」⑥

マツーエフ(p)、ゲルギエフ&マリインスキー劇場管で聴く。
抑揚たっぷりなオケと、それに寄り添うようにピアノも表情豊か。
ただし、何か枠の中に収まったような既視感が強く
特別な演奏と感じられない。

難しい・・・この曲のベスト盤にたどり着くことはできるのだろうか?
ちょっと飛ばしてみて、再びトライする方法もある・・・

26korou:2023/04/25(火) 17:46:02
468 チャイコフスキー「ピアノ協奏曲」⑦

アルゲリッチ、ホロヴィッツ(2種)、リヒテル、ルービンシュタイン、ガヴリーロフ、マツーエフと聴いてきて
これは難しいと思い始めて、これはもう推薦盤は無理かと聴く意欲も減退、聴く頻度も落ちていたのだが
最後に名盤が見つかった。

ボゴレリッチ(p)、アバド&ロンドン響

ボゴレリッチ全盛期の演奏になるだろう。リアルタイムでこのピアニストの演奏は聴いている。
その記憶に合致する見事な弾きっぷり、個性豊かな演奏だった。
チャイコフスキーは、やはりこのくらい個性的でなければならない。
聴いた後にずっと記憶が残るくらいの演奏でないといけないと思う。
ずっとイヤホンで聴いていて、ふとこれは物凄い演奏なのではと思い始め
第2楽章以下はスピーカーでも聴いてみた。
ダイナミックレンジが広く採ってあって、ピアニッシモの部分までちゃんと聴けるようにボリュームを調整すると
フォルティッシモではかなりの音量になってしまい、スピーカーで聴くには結構問題も残るが
演奏の個性としては、アルゲリッチを上回り、なおかつこの曲にふさわしい良い意味での「下品さ」に満ちていた。
アバドの指揮も最上の部類で、これだけ見事にサポートされたら、好き嫌いのレベルを超えて賞賛せざるを得ない。
やっと推薦盤が見つかった!

次回からは「眠りの森の美女」に突入。

27korou:2023/05/01(月) 11:35:32
467 チャイコフスキー「眠りの森の美女」

イヤホン試聴ではアンセルメに初めて納得して推薦盤とした。
今回、やや耳の具合が改善したので、30分ほどイヤホンでも聴いてみた(現時点では30分が限界のよう)。
宇野功芳氏のルール無視?の採点により浮かび上がってレコ芸1位になっていたボニングという指揮者の演奏と
アンセルメ、そしてカラヤンのVPO盤、BPO盤などを続けざまに聴いた。

ボニングとナショナル・フィル(英国の録音専用オケ。フィルハーモニア管のようなもの)の演奏は
確かに素晴らしい。今まで知らなかったのが残念に思えるほどだ。
ボニングはオペラを得意とするスペシャリストらしく、バレエ音楽の指揮でも定評があるらしい。
確かに、何気ないフレーズにも隅々にまで表情が行き渡っていて
(特に視覚情報がないバレエ音楽としても)実に愉しく聴くことができる。
それに比べると、アンセルメの演奏は理詰めの極致で、それでいて全然無機的でなく、すんなりと聴けるのが不思議。
印象としては、どちらも視覚抜きの音楽なのに全然飽きずに聴けるという点で共通しているが
アンセルメのほうが軽快でサラッとしていて、ボニングはもっと中身が詰まっていてニュアンスも多彩である。
その時の気分でどちらを選ぶかという究極の選択になるわけで、優劣などないのだが
自分自身としては多分ボニングのほうを多く聴くだろうと予測できるので
今回、イヤホン推薦盤も含めてボニングとしたい。
なお、カラヤンの演奏に関しては、カラヤン独自の音響観に基づいたものなので
BPO盤に関してはチャイコフスキーの音楽がどこにも見当たらず不適当だと判断したが
VPO盤については、その音響観とVPOの卓越した巧さが噛み合っていて
他のどの演奏とも比較できない独特の魅力を感じた。
特にチャイコフスキーということに拘らず、普通に美しいメロディを堪能したいという場合
このカラヤン&VPO盤も一聴に値する名盤だろう。

(ベスト盤)ボニング&ナショナル・フィル

28korou:2023/05/01(月) 11:47:29
(注釈)
①上記ボニング盤は、スピーカー試聴でも満足できる内容だった。イヤホン試聴のことしか書いていなかったが、その後、スピーカー試聴も
 試みて最高の演奏であることを確認済み。
②次は「白鳥の湖」になるが、チャイコフスキーのバレエ音楽について、イヤホン試聴時には全部(組曲)としてエクセル表を埋めていった
 ものの、正確には「くるみ割り人形」が(全曲、抜粋、組曲)で、「白鳥の湖」と「眠りの森の美女」が(全曲、抜粋)なので、そのように
 元のエクセルの表を訂正した。ボニングの演奏が(全曲」)で聴いても飽きずに最後まで聴けることが確認できたせいでもある。それから
 おそらく「くるみ割り人形」のみ(組曲)が正式に作られているのだろう(現時点は未確認)。

29korou:2023/05/15(月) 12:44:50
466 チャイコフスキー「白鳥の湖」

ナクソスで一番多く再生されている抜粋盤として、ヨゼフ・レヴァイン盤、そして前回のイヤホン視聴での推薦盤であるフィストゥラーリ盤。
それからレコ芸で抜粋盤の一番であるカラヤン盤、それから全曲ではあるがボニング盤というところを聴いてみた(全曲盤の一番である
ロジェストヴェンスキー盤は未聴)

レヴァインは、あのレヴァイン(ジェームズ)ではなく未知の指揮者だが、演奏は思ったほど個性がない平凡な出来に思えた。
それに比べるとフィストゥラーリの指揮は颯爽としていて聴いていて心地よい。
ただし、その直後にカラヤン&BPO盤を聴くと、録音技術のせいなのか、オケの実力の違いを感じてしまう。フィストゥラーリのAC管も
一流のはずなのだが、全く迫力が違う。ただし、カラヤンの解釈はクセが強く、なぜそこで弱音なのかというような疑問も感じてしまう。
そしてボニング。全曲盤だが見事な出来映え。どうしてこんなにすんなり聴けてしまうのか不思議なのだが、とにかく一気に聴けてしまう。
フィストゥラーリも捨て難いが、ここは全曲盤のボニングを採る。

(ベスト盤) ボニング&ナショナル・フィル

30korou:2023/05/19(金) 11:40:07
465 チャイコフスキー「くるみ割り人形」

ナクソスだとブレハノフという指揮者が一番聴かれていることになっているが
アップされた年代が古いだけのことなのか、演奏に目立った特徴はない。
というか、曲に馴染みがあり過ぎて、演奏の良し悪しが分からなくなったので
標準の演奏としてアンセルメを聴いてみた。
確かに、曲の急所でスムーズに音楽をつないでいて、上手い演奏であることは判る。
しかし、前回の推薦盤、プレヴィン&ロンドン響を聴いてみると
これはオケの技量の差というべきか、はるかに聴きやすいのである。
プレヴィンの指揮は、どこをどうやっているのかも定かでないが
味わいの良い演奏という志鳥さんの寸評が頷ける好演だ。

ここでボニングを聴く。
このバレエ音楽でもボニングの棒は見事で
このメロディにこういう聴きどころがあったのかと新しい発見も多く
聴いていて飽きない。
やはり、これもボニングということになるだろう。
プレヴィンもオススメなのだが
ボニングにはさらに個性の輝きが感じられるのである。

(推薦盤)ボニング&ナショナル・フィル(全曲、抜粋共)

31korou:2023/05/21(日) 16:38:51
464 チャイコフスキー「ロメオとジュリエット」

割りと有名な曲なのに、通して聴くのはほぼ初めて。
まず、こういう場合には有効なカラヤンの演奏からスタート。
1982年盤なので、壮年期のカラヤンとは異なる渋めの演出のように思えたが
確かに物語の筋がありありと分かる演奏。
とはいえ、原曲の饒舌さを魅力に変えた演奏とは言い難く
カラヤンにしては珍しく曲の魅力を最大限に伝えていないようにも思う。

続いてロストロポーヴィッチの演奏を聴くつもりが
ロジェストヴェンスキーの演奏を聴いてしまった。
カラヤンよりは曲への愛情、共感が深いように思われ
出だしから曲の饒舌さが退屈さにはならず、心地よく聴こえるのが長所。
ただし、それ以上の良さは見出せなかった。
曲が曲なので、この両者で言えば、ロジェストヴェンスキーのほうを採る。

もう少し聴かねば。

32korou:2023/05/22(月) 12:32:31
464 チャイコフスキー「ロメオとジュリエット」

オーマンディ&フィラデルフィア管の演奏を聴く。
出だしは想像以上に聴きやすく、おやっと思わせたが
全部聴き終わってみると、何も残らない、ただ流麗なだけの演奏。
曲が曲だけに、そういう演奏でも全然ダメと言い切れないのだが
推薦盤にはならない。

続けて、今度はナクソスで
その前任者たるストコフスキーの古い録音(1928年)を聴く(オケは同じ)。
これは想像以上に素晴らしかった。
やはりこういう大時代的なロマンティックさだけが魅力の楽曲だと
こういう大袈裟な感じで、でも一定の抑揚も利いたスタイルが
見事にフィットするのだろうか。
古い録音なのでダイナミックレンジが狭く
ある意味、スピーカー視聴であればこの演奏がベストと思える。
(なお、これも、よくよく確かめれば、レコ芸での宇野功芳氏の推薦がメンゲルベルクなのにストコフスキーだと思い込んで聴いていたことが判明。
 そのメンゲルベルクはナクソスにもアップされていなかった。でもこのストコフスキーの演奏は抜群。レコ芸でノミネートにもないのが不思議!)

今回は、最後にロストロポーヴィチ&ロンドン響(レコ芸3位)を聴いてみた。
あまり期待していなかったのだが、この演奏には本当に驚かされ感動した。
細部に至るまで感情のこもった演奏で、こうした小品、それも饒舌すぎてその割には内容の乏しい管弦楽曲であるのに
ここまでオケに細かく指示を与え、まるで小交響曲であるかのような壮大な音楽に仕立て上げたロストロポーヴィチの手腕は凄い。
あとシャイーの演奏を聴いて推薦盤を決定する予定だが、今のところ推薦盤の最右翼だ。

33korou:2023/05/23(火) 10:22:15
464 チャイコフスキー「ロメオとジュリエット」

シャイー&クリーヴランド管の演奏を聴いている。
驚くほど手際の良い演奏で、どこも滞ることなくスムーズに音楽が流れ
しかもオケの上手さも信じ難いほどで
これは万人向けの超一流の演奏と言える。
この曲に思い入れがさほどない、というかチャイコフスキーがそれほど好きでない人でも
この演奏なら納得するに違いない。

とはいえ、チャイコフスキー好きの自分としては
この演奏を認めつつも
やはりロストロポーヴィチの演奏に軍配を上げざるを得ないわけだ。
これはシャイーとクリーヴランドのオケが為し得た名演には申し訳ないけれど
ロストロポーヴィチの演奏があまりに凄すぎるわけで
チャイコフスキーの音楽をより深く共感した上での演奏なので
こればかりはどうしようもない。
正確には、スピーカー視聴ならストコフスキー、イヤホン試聴なら(チャイコフスキー好き)ロストロポーヴィチ(そうでもない)シャイー
ということになるだろう。
でもどれか1つと言われれば、やはりロストロ!

(推薦盤)ロストロポーヴィチ&ロンドン響

34korou:2023/05/24(水) 16:53:24
463 チャイコフスキー「弦楽セレナード」

出だしが重厚で暗い雰囲気なので、進んでは聴きたくない音楽の一つだが
とりあえずスピーカー試聴でいろいろ聴いてみた。
古い録音で、宇野功芳氏推薦のメンゲルベルクを聴いてはみたものの
こればかりは弦楽器の響きが薄すぎて堪能できない。
定評のあるムラヴィンスキーも同様で、イヤホン試聴でずっと聴いた場合は良いのかもしれないが
スピーカー試聴ではムリである。
そこで、イヤホン試聴の推薦盤であるカラヤンの指揮で聴いてみた。
これは無難でオーソドックスだが、途中から眠たくなってしまうのは如何ともし難いところで
原曲が単調なのだから仕方ない。

やはりロシアゆかりの指揮者でないとダメなのかと思い
ナクソスで視聴回数の多いフェドセーエフの指揮で聴いてみる。
これが、なかなかよろしいのである。
ロストロポーヴィチの指揮がないので、視聴回数でフェドセーエフにしてみたのだが
意外な拾い物。
最後にスヴェトラーノフ盤も試聴。悪くはないがフェドセーエフ盤の出来には及ばない。
イヤホン試聴でもカラヤンよりはずっと良いので
ここはイヤホン、スピーカー試聴ともに、フェドセーエフ盤を推薦盤としよう(オケは聞き馴染みがないのだが・・・)

(推薦盤)フェドセーエフ指揮 チャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラ

35korou:2023/05/25(木) 16:02:36
462 チャイコフスキー「交響曲第6番”悲愴”」

名曲ではあるが、退屈な部分も意外と多いので、名演奏は驚くほど少ない。
世評高いムラヴィンスキー盤も、この欠点を免れていないことを、今回も再確認した。
カラヤンは当然退屈な演奏になっている。やはりこのあたりをクリアしないと、チャイコフスキー指揮者とは言えない。
カラヤンは決してチャイコフスキーが得意ではないだろう。
以上、カラヤンのVPO、BPO盤、ムラヴィンスキー盤を聴いて、そんなことを思った。

宇野功芳氏は、アーベントロート盤を推薦している。
さっそく聴いてみたが、確かに旧時代の解釈ながら、上記のものと比べてはるかに好ましい演奏になっている。
それでも退屈な箇所はいくつかあって、さすがにこの曲は難しい、
レコ芸でマルティノン&VPOを推薦している人が居て、半信半疑で聴いてみたところ
意外なまでに上手くいっているのには驚いた。
何よりもVPOの集中力が凄まじく、そこまでオケを導いたマルティノンの力量について
再認識させられた。
退屈な箇所は数少なく残っているが、そこも他の部分の緊張に満ちた表現で補えていて
特に問題なく聴こえるのは奇跡に近い。
終楽章のみイヤホンで聴いたが、実際のところ、作曲者チャイコフスキー自身の「悲しみ」は
それほど伝わってこないのだが、それでいいのだと思う。
この曲も第4番、第5番と同じく、チャイコフスキー独特の気まぐれ、不統一感に満ちていて
決して整然と「死を想う絶望感」などで統一されたイメージの曲ではないのだ、そんなことを
マルティノンの演奏は教えてくれる。
これは自分にとっては大発見だ。
さて、これ以上の演奏はあるのか、というより、この新しいイメージでピンとくる演奏を探すことになるのだろうか?

36korou:2023/05/27(土) 17:01:45
462 チャイコフスキー「交響曲第6番”悲愴”」

昨日、今日と、ゲルギエフの指揮でこの曲を聴いている。
昨日の時点では気がつかなかったが、ゲルギエフはこの曲を4、5回にわたって録音しているようで
昨日はマリインスキー劇場管で聴いたが、他にもVPOなどがあって、比較試聴が大変だ。
とはいえ、ハルくんのサイトでは、このマリインスキー盤が最高との評価なので
それを中心に聴き進めてみた。
スピーカー試聴では、さすがに弱音、無音の部分がキツいのだが
イヤホン試聴にしてみると、第一楽章の出来が本当に素晴らしい。
これだけ間をとって無音の部分に集中力を増した演奏なので
スピーカー試聴で苦しいのはやむを得ない(その点では、マルティノン盤がスピーカー試聴のベストでも構わないだろう)
第二楽章、第三楽章は案外あっさりと流していて、第一楽章とは大違いである。
ところが終楽章に至って再び尋常でない集中力でオケをリード、昨日スピーカー試聴ではやや速すぎると思われたテンポの部分も
イヤホンでじっくり聴くと納得のテンポで了解できた。
とにかく両端楽章の出来が最高だ。ライブ盤なので、どうしても全部が全部物凄い集中力で通すのは難しく
真ん中の楽章は普通に流して、とにかく曲の本質に迫る演出に徹したのだろうと思われる。
これより優れた第二・第三楽章の演奏は記憶にあるのだが
その演奏ではここまでの両端楽章の出来栄えではなかった。
今のところ、スピーカー試聴のベスト盤と言える(ムラヴィンスキー盤から変更だ)。
マルティノン盤をもう1回スピーカー試聴し、ゲルギエフの他の演奏もスピーカー試聴する必要があるだろう。
後、スヴェトラーノフも聴けるのかな、ナクソスで。

37korou:2023/06/07(水) 11:16:44
462 チャイコフスキー「交響曲第6番”悲愴”」
(訂正・↑の記載 下から3行目)「スピーカー試聴のベスト盤」は、「イヤホン試聴のベスト盤」の誤り。

フリッチャイの演奏を聴いていたのに、記載するのを忘れていた。
ナクソスには、定評のある1959年盤がアップされていて
ユンク氏サイトには何故かその演奏がアップされていない代わりに
1953年録音のBPOとの演奏がアップされている。

今回、その2種類のフリッチャイと、さらにマルティノン、ムラヴィンスキーも含めて再試聴してみた。
ムラヴィンスキーは、やはりロシア臭の無い、まさにオケの機能を最大限に発揮させる方向での名演となっているわけで
素晴らしいのだが、今の自分の好みでないことも事実。
フリッチャイの1959年盤(BPO)とマルティノンの1958年盤(VPO)は好対照で
フリッチャイ盤は、いかにも「悲愴」らしい仄暗さが十分に響きから伝わってくる名演。
それに対し、マルティノン盤には、そうした仄暗さはないものの、他の演奏では味わえない純音楽的な美しさがあって
どちらも絶品と言える。
(注・同じ純音楽的名演でも、ムラヴィンスキーの場合はオケの機能美であり、マルティノンは曲そのものの音楽美ということになる)

もっとも、どちらの演奏(フリッチャイ<59>、マルティノン)もあまりに中身が濃すぎて
この曲の粗雑さ、不統一さからすると、立派すぎる演奏と言える。
その点でフリッチャイの1953年盤は、この指揮者の若き日の情熱と、本来備えている音楽の読み取りの深さが
実に見事にブレンドされていて、しかも、多少古めの録音も相俟って、弱音部も結構ハッキリと聴こえるのである。
これこそ、スピーカー試聴の決定盤ではないかと思う。
42分程度の演奏時間というのも、この曲の演奏としてはベストに近い。

38korou:2023/06/07(水) 11:22:24
462 チャイコフスキー「交響曲第6番”悲愴”」(まとめ)

(スピーカー試聴)ベスト盤  フリッチャイ&BPO(1953年録音)<ユンク氏サイト>
  ※前回はムラヴィンスキー盤だったが今回の試聴で変更

(イヤホン試聴)ベスト盤   ゲルギエフ&マリインスキー劇場管

この2種の演奏なら「悲愴」も重たくなく聴けそうだ。
次からは「第5番」だ。

39korou:2023/06/08(木) 16:48:37
461 チャイコフスキー「交響曲第5番」

まず、ユンク氏サイトで、いろいろ聴いてみた。
1960年代半ばまでの演奏を集めたサイトでは、ロシア風演奏など(ムラヴィンスキーを除いて)無いわけで
その点で、演奏の感銘度の点でイマイチな印象は否めない。
クリップス、モントゥー、マタチッチと聴いたが
これだけの巨匠クラスでも、この曲との相性は最悪に近く
それぞれ聴きどころがあるはずなのだが、そして実際さすがと思わせるところもあるのだが
全体として聴けば聴くほど飽きてしまうという予想もできない結果に終わる。

そのなかで、クレンペラーだけは、全く独自の歩みで、しかも信じ難いほど堂々としていて、ユニーク極まりない。
こういうのは比較試聴では圧倒的に有利である。
前回の試聴でも、この演奏には注目せざるを得ず、推薦盤としたが
今回は、もう少し情報を蓄えてきたので、とりあえず現時点では保留としたい。

今、フリッチャイの1949年盤を聴いているが
弱音のあまり音が把握し辛い第1楽章冒頭の部分が、古いモノラル録音ということで、クリアに聴こえるのが有難い。
とはいえ、さすがに弦楽器の音が痩せて聴こえる部分もあり、これも保留かな。
クレンペラーと並ぶ「非ロシア」的名演ではあるけれど(スピーカー試聴として。イヤホン試聴でこの録音状態だと不満かもしれない)

40korou:2023/06/08(木) 17:10:02
461 チャイコフスキー「交響曲第5番」(↑の続き)

今、フリッチャイ&BPOの演奏の大半を聴き終わったが(第3楽章だけ未聴)、
これも基本的には同じ組み合わせの「悲愴」と同じテイストで
この不安定な情緒の音楽家が創造した不安定な曲想を
見事なまでに、いかにも不安定な音楽として再現し尽くしている。
わずか30才そこそこの指揮者が、この名門オケと組んでここまでの表現にまで至ること自体奇跡なのだが
残念なことに、この曲は誰が演奏しても「不安定」なので、そこから抜け出した稀有な演奏を聴きたいわけで
その意味で、安定し切った曲想の「悲愴」の場合とは違って
この不安定さは名演のレベルに達し得ないわけだ。

その点で、クレンペラーは、どこをどうしたのか凡人には分からないのだが
とにかく安定していて、その点でのみ驚かされる。
その「安定」が結局どの地点に着地しているのか、イマイチ不明なのがもどかしいのだが
図式化して言えば、この両指揮者は、それぞれに個性を発揮しているものの
今の自分の嗜好から言えば
フリッチャイは求めるところとは正反対に行き着いていて
クレンペラーは、少なくとも方向性において正しい向きに進んでいるということになる。

やはりロシア風演奏に頼るしかないか。
ロシア風というだけで、すでに「安定」の方向にあるわけだから。

41korou:2023/06/09(金) 11:30:16
461 チャイコフスキー「交響曲第5番」

ナクソスで、ゲルギエフ&マリインスキー劇場管の演奏を聴く。
いきなり本命盤を聴いてみたわけだ。
出だしの、普通なら何ともない、ある意味聴き飽きた序奏の部分から、感動してしまうという驚きの体験!
この序奏がこれほど意味深く響く演奏は、いまだかつて聴いたことがなかった。
そして、本編に入ってからも、たっぷりと情感を込めつつ、それでいて
全然だれない、まさに緊張感のなかでの弛緩する悦びをずっと維持しながら
ラストの大団円ともいえる強奏に突入、この最後の行進曲のようなリズムで盛り上げていく部分が
これほど哀しみに満ちた強奏に聴こえたことも、かつてない体験だった。
これほど優れた、圧倒的な第1楽章は、かつて聴いたことがなかった。
全く別の曲のように思えるのである。
予想もしていないことだが、交響曲第4番の狂気に満ちた哀しみとでもいうべき唯一無二のニュアンスが
ここでも再現されているのである。
第4番と第5番に共通するところがある、しかも表面的なそれではなく、もっと深い情感の部分でのそれがあるということは
今の今まで気づくことはなかったのだが、ゲルギエフのこの演奏は、その奇跡を提示したのである。

ただし、これほど深い感情体験となると、そう長くは維持できない。
もはや演奏がどうのこうのという話ではなく、聴く側の集中力の持続がどうかという問題になってくる。
さすがに第4楽章のあたりになると、一体どういう演奏なのか、もはや耳が把握できなくなってきていた。
この第4楽章だけを抜き取って聴いたらどう聴こえるのか、また試してみたい気もするが、そこまでの時間を費やせるか?
それよりも同じゲルギエフのVPO盤を先に聴いてみたいと思う。

はぁ、疲れた、驚いた、ビックリした。こんなのは久々の体験。まあ、一言でいって凄い!

42korou:2023/06/20(火) 17:19:42
461 チャイコフスキー「交響曲第5番」④

ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの1982年ライブ盤を聴く。
ライブなので、個々の楽器のバランスが妙な箇所が出てくるが、鑑賞において大きな支障はない。
出だしはそれほどでもないが、第1楽章の第2主題のあたりから俄然緊張感が高まり始めて
そこから後は帝王ムラヴィンスキーの気迫に圧倒される演奏となる。
とはいえ、指揮者の気迫と楽譜に忠実な演奏だけでどうにかなる音楽でもないので
素晴らしいのだが、何度も聴く気にはなれない演奏と言える。
古いステレオ時代のスタジオ録音との比較は面白いかもしれないが
そこまで食指を伸ばす気にはなれない。

やはり保留にしておいたクレンペラーか、と三度目の正直として聴く。
クレンペラーは、表面的な小技は何一つせず、じっくりと音楽が熟していくのを待っているかのよう。
さすがに大指揮者だ。
いろいろ聴いてもキリがないので
スピーカー視聴はこれに決定としよう。

(まとめ)
(スピーカー試聴)ベスト盤  クレンペラー&フィルハーモニア管<ユンク氏サイト>
(イヤホン試聴)ベスト盤   ゲルギエフ&マリインスキー劇場管
  ※前回までのムラヴィンスキー盤から変更、クレンペラー盤もイヤホン視聴ベストからスピーカー視聴ベストに移動。

43korou:2023/06/22(木) 16:20:28
460 チャイコフスキー「交響曲第4番」

クーベリック&バイエルン放送響(1969年ライブ)の演奏をナクソスで聴く。
ハルくんの推薦どおり、見事な演奏だった。
録音もメリハリ十分で、指揮者、オケの気迫が十分に伝わってくる。
この曲の演奏の評価では、ロシア風であるかどうかが大抵の場合気になるはずだが
この演奏に限っては全然問題ないように思える。
クーベリックにはスラブの血も入っているらしく
バイエルンのオケも純ドイツ風にしかできないオケではないので
こういう演奏が可能なのだろう。
弱音部も意外とよく聴こえ、スピーカー視聴には向いている。
今のところ、推薦候補として十分である。

44korou:2023/06/29(木) 17:50:28
460 チャイコフスキー「交響曲第4番」②

ムラヴィンスキー、ロジェストヴェンスキー、スヴェトラーノフ、ゲルギエフとロシア系指揮者の錚々たるメンバーを連続視聴してみたが
いずれも録音がイマイチ、かつ曲想の自由さに反した冷静な解釈が邪魔をしている。
これに比べると、上記クーベリックの演奏の気迫の素晴らしさが実感できる(再度聴いて再確認)。

さらに「聴き比べ」サイトにより、ショルティとストコフスキーをチョイス。
ショルティは予想通りで、オケの上手さが光るが、それ以上のものは当然何もなく、これならムラヴィンスキーで良い。
ストコフスキーは、確かに独創性抜群。スコアを改変して見事な迫力を生み出している。
たまに聴く「第4」ならこれが一番かもしれない。

イヤホン試聴も確認。
この曲もゲルギエフで決まりと思いきや、この「第4」に関してはシャープさが足りない。
ここもクーベリックがベスト。

(スピーカー試聴)&(イヤホン試聴)ベスト盤   クーベリック&バイエルン放送響
  ※イヤホン試聴を前回までのムラヴィンスキー盤から変更

おっと、ザンデルリンク&レニングラード・フィルも推薦盤だったようだ。すっかり忘れていた。
試聴すると、これも断然素晴らしい。おっと困った、そうなるとムラヴィンスキーも?いや、これも試聴してみると
ザンデルリンクが創り上げた音楽とは種類が違う孤高の音楽となっている。素晴らしいのだが、今の自分の好みとは違うのだ。
ザンデルリンクは残しておこう。クーベリックはムラヴィンスキーとの変更。
そして、(注)としてムラヴィンスキー、ストコフスキーを記すのが妥当。
ややこしくなったので次の書き込みで結論を記す。

45korou:2023/06/29(木) 17:57:24
460 チャイコフスキー「交響曲第4番」③(結論)


(スピーカー試聴)ベスト盤  クーベリック&バイエルン放送響<ナクソス>
(イヤホン試聴)ベスト盤   クーベリック&バイエルン放送響<ナクソス>、ザンデルリンク&レニングラード・フィル(ユンク氏)
               (注)ムラヴィンスキー(音質面で絶対にユンク氏)、ストコフスキー(ナ)も同格の名演

46korou:2023/07/01(土) 16:30:20
459 タルティーニ「ヴァイオリン・ソナタ ト短調 ”悪魔のトリル”」

初めて聴く曲だ。
まず、クライスラー編曲によるピアノ伴奏版で
名演と言われるグリュミオーの演奏で聴いてみた。
第1楽章のメロディアスな部分は心地よいが、第2楽章などの速いパッセージでは物足りなさというか
特に感銘を受ける部分が皆無で退屈してしまう。
次に、原典版の名演と言われるメルクスを探してみたが、ナクソスにも無いので断念。
次に、原典版に準拠しつつ楽器は現代のものを使用したアモイヤルの演奏で聴いてみた。
これは、いかにも18世紀の音楽らしい雰囲気に満ちていて
演奏としては水準程度だと思われるが、グリュミオー盤よりは退屈しない。
絶対推薦というレベルではないのだが、この曲を次々にいろいろな演奏で聴いてみたいとは思わないので
今回はこれで満足することにしておこう。

(推薦盤)アモイヤル(Vn)、モーゼス(Vc)、ファリーナ(chem)

47korou:2023/07/03(月) 17:02:10
458 ストラヴィンスキー「バレエ音楽”ペトルーシュカ”」

前回推薦盤のブーレーズ&クリーヴランド管の演奏と
ナクソスで一番再生回数の多いヤンソンス&バイエルン放送響の演奏を聴く。
(この曲については著作権の関係でユンク氏サイトではアップされていない)

ブーレーズの指揮は隙がなく安定している。
具体的に不満な点は一つも見当たらない。
それに対して、ヤンソンスの指揮は
どこをどうやってこういう音楽を創り出しているのか
見当がつかないが
とにかく聴いていて楽しい。
一つ一つの情景がすぐに思い浮かんでくるようなリアルさと
この音楽が生まれ出てきた必然性すら感じられる素晴らしさだ。

あとラトルの再聴とか、レコ芸推薦のドラティ、アバド、ハルくん推薦のC・デイヴィスなど聴いてみるが
今のところはヤンソンス(ブーレーズも全然悪くないが)

48korou:2023/07/04(火) 15:35:52
458 ストラヴィンスキー「バレエ音楽”ペトルーシュカ”」②
まず、コリン・デイヴィスの指揮で聴く。
ブーレーズと同様、純音楽的に毅然としていて非の打ちどころがないが
やはりヤンソンスのセンスある演出が忘れがたい。
ラトルの指揮も同じで、純音楽的にハイレベルで、さらにさらりとした柔らかさもあるのだが
その柔らかさの底が透けてみえるような感じもある。
ドラティ盤については、レコ芸で絶賛されたデトロイト響のものがナクソスには無くて
ミネアポリス響との演奏がアップされていたが
さすがにオケの質が違い過ぎて比較にもならない。
アバドの指揮は、最初は堅苦しく感じたが、途中から伸びやかなイメージの部分も出てきて
さすがの出来栄え。
それでも、その直後にヤンソンス盤を聴くと
愉しさという点でやはりアバド盤の歌心を上回る「何か」が感じられる。
ということで
イヤホン、スピーカー両方で、ヤンソンスの指揮をベストとしたい。

(ベスト盤)<イヤホン、スピーカー共>マリス・ヤンソンス&バイエルン放送響

49korou:2023/07/17(月) 16:02:57
457 ストラヴィンスキー「バレエ音楽”火の鳥”」①

イヤホン試聴でないと弱音が聞き取れない音楽だ。
まずゲルギエフ&キーロフ管で1910年版(一番長い版)を聴いてみた(ハルくんの推薦)。
バレエの映像がなくても、今何が表現されているのかが手に取るようにわかる。
素晴らしい快演だ。
バレエの伴奏音楽で、多数ある版のなかでも長いバージョンだけに
こういう演奏は貴重だろう。
とりあえず、イヤホン試聴としては最上の部類に属する。

50korou:2023/07/20(木) 17:27:40
457 ストラヴィンスキー「バレエ音楽”火の鳥”」②

よくよく考えてみると
今自分が聴きたい「火の鳥」は”1919年組曲版”なのだから
まずそのベスト盤を探るべきだろう。
前回の試聴でもそういう結果になっていた。
ナクソスで検索すると、やたら1910年版の演奏がヒットして
組曲版の演奏は少ない。
そんななかでアバドが断然人気があるのだが
アバドらしい独特の間が随所に感じられ
ある意味聴いていて集中できない、音楽そのものに入り込めない感じがする。
一方、マリス・ヤンソンスの指揮による演奏だと
そういう邪魔なものは何もなく、音楽がストレートに伝わってくるのだが
何かが足りない。贅沢な注文なのだが・・・
ジュリーニ&シカゴ響を聴いて、最初はアバドと同じく指揮者の個性ばかり感じていたのだが
聴き込んでいくうちに、ジュリーニ独特の集中力、緊張感がじわじわと伝わってきて
もはや指揮者の個性といったものを超えて、音楽そのものの美しさにたどり着くのである。
ある意味、美しすぎて、マーラーの交響曲を聴いているかのような別の意味での錯覚にも陥るのだが
そして、それは自分が聴きたい「火の鳥」とは微妙に違うのだが
これはこれで、また別の意味で自分が聴きたい「火の鳥」なのだと思わざるを得なかった。
今のところ、これが組曲ベスト盤なのだが
前回推薦のバーンスタインの指揮と比較検討する作業が残っている。
次回は比較試聴してみよう。

51korou:2023/07/21(金) 11:48:19
457 ストラヴィンスキー「バレエ音楽”火の鳥”」③

バーンスタイン&イスラエル・フィルの演奏で聴く。
ジュリーニの指揮と同様、あたかもマーラーの演奏のような響きが感じられるが
ジュリーニの場合は集中力、緊張力だったのに対し
バーンスタインについては、とにかく圧倒的な共感力、(どこまでも彼自身の主観に基づく)表現力が伝わってくる。
どんな細部にも、この音楽はこうだという主張が明確に施されていて
その個性を好まない人には、あまりにもロマン主義的、主観的な演奏だと評価しない向きもあるだろう。
自分のようにバーンスタインの指揮に魅せられている人間には
この種のロマン主義的解釈が、かつてこの音楽にハマった時の懐かしい感情を喚起させられることもあって
そうそう、これこれ、ということになるのである、
ジュリーニの創り出す音楽も素晴らしいが
強いて言えば、その場限りの充実感に止まり、聴いた後の感動は刹那的なのかもしれない
(それでもその感動は圧倒的。素晴らしいことに変わりはない)。
このバーンスタインの「火の鳥」には
聴いているうちにあの懐かしい感情が鮮烈に湧き起こり
聴いた後にも、その鮮烈さがずっと心に刻まれるようで
その点で、ジュリーニの名演をも上回る優れた演奏のように思われた。

ドラティ、ブーレーズなどの名演はすべて1910年版なので
1919年組曲版としては、以上の結果
やはりバーンスタインを推薦盤と決定。

(推薦盤・1919年組曲版)バーンスタイン&イスラエル・フィル

52korou:2023/07/22(土) 16:46:09
456 ストラヴィンスキー「バレエ音楽”春の祭典”」①

まず、世評高いドラティ&デトロイト響の演奏から。
なかなかナクソスでヒットしなかったが
「春の祭典」にはアップされていて待望のドラティ。
しかし、ストラヴィンスキーの三大バレエ音楽は
職人指揮者ドラティの手に余る多彩なニュアンスを持つ。
細かいところにどこにも欠点はないのだが
かといって全体として何かのニュアンスが漂うということでもない。
致命的なのは、この音楽には必須と思われる
底から湧き上がるような躍動感が感じられないことだ。
オケは名演となるべく最低条件を十分満たしている。
指揮者も個性を十二分に発揮している。
それでも名演とならないのが、指揮者と曲目の相性というべきか。

続いて、かつてよく聴いた名演の一つ、コリン・デイヴィス&AC管の演奏を聴いた。
こちらは底から揺れ動くようなしっかりとしたパワーに満ちていて
聴いていて安心できる。
ただし、随所に退屈な箇所も見られ
今となっては完璧な演奏とは言い難い。
名曲だけにハードルは結構高く感じられる。

53korou:2023/07/31(月) 10:46:40
456 ストラヴィンスキー「バレエ音楽”春の祭典”」②

①以降、ラトル、カラヤン、ブーレーズ、マルケヴィッチ、ヤンソンス、ゲルギエフ、ドラティ(旧盤)、バーンスタインなど
数多く聴いてみた。
しかし、前回試聴でベストだったメータ&ロス・フィルを上回るものはなかった。
詳しく聴いてしまうと、決定盤が分からなくなるという”比較試聴の迷子”に陥ったようだ。

上記の内、ドラティの旧盤(ミネアポリス響)だけは甚だユニークで
どこまでも荒々しく、ドラティらしい個性に満ちているのだが
ずっと聴き続けると、ベスト盤とは言い難い面もあるように思え
なかなか評価が難しく感じた。
(試しに、今スピーカー試聴をしてみたのだが、ドラティに限らず「春の祭典」自体、
 弱音部が意外と聴き辛く、スピーカー試聴には向いていないようだ)

ただし、ナクソスが提供している「春の祭典」は
個別のテーマに音源が分断されていて
そもそもが聴くにくくなっているのだが
このドラティ(ミネアポリス響)の演奏だけは
第一部と第二部に大きく分かれているだけで何の問題もなくアップされているので
その点では貴重である。

(ベスト盤)メータ&ロサンゼルス・フィル  <参考>途切れなく聴きたい場合→ドラティ&ミネアポリス響

54korou:2023/07/31(月) 10:51:49
方針変更 ⇒⇒ スピーカー試聴については任意にチョイスすることにする(思ったよりもスピーカー試聴に向いていない曲が多いので)
        (その上で)
        ①前回選曲済みの曲については、さらに比較試聴する
        ②前回選曲外の曲(ベスト500にはあってベスト300には無い曲、かつ歌曲・歌劇以外)については、前回同様の選曲を
         行う。

55korou:2023/08/05(土) 17:00:07
452 リヒャルト・シュトラウス 交響詩「ドン・ファン」

どの演奏で聴いても、いかにも楽想が皮相な気がして好きになれない曲だったのだが
クレンペラーの指揮で聴いて
このような曲でもこれほどの深みのある音楽になるのかと
本当に驚かされた。
他の演奏と次元が違う。比較のしようがないほど違う。
(ただし、スピーカー試聴だと、セルの指揮のほうが聴きやすい。スピーカー試聴の場合
 細かいニュアンスまで聴き取れないので、好調なときのセルの指揮だと、他の指揮者を
 圧倒する出来栄えに聴こえるようだ)

(ベスト盤)クレンペラー&ニュー・フィルハーモニア管<ナクソス>
       ※スピーカー試聴だとセル&クリーヴランド管<ユンク氏>

なお、フルトヴェングラー&VPOの演奏は
ニュアンスの深さにおいて他の演奏を凌駕しているが
そもそもがそんなに深い音楽ではないので
かえって違和感を抱く。
その点、クレンペラーは、曲想の意味を深く掘り下げるというより
シンプルに美しい響き、意味深い響きを醸し出すことで
この曲の深さを表現しているので
違和感がない結果となっているように思うのである。

56korou:2023/08/10(木) 16:16:55
451 リヒャルト・シュトラウス 交響詩「ドン・キホーテ」

ここ数日、いろいろな演奏で聴いてみたのだが
しっくりとくるものがない。というより
曲そのものがいかにも表面的で劇画チックというか
滑稽な主人公たちをそのまま描いているので
どうも感情移入できない。
強いていえば、カラヤン&BPO、ロストロポーヴィチほかの演奏が
雄弁でダイナミックな魅力を感じさせられるが
あえて推薦盤とするほどでもない。
無理に推薦盤にするよりは
ここは曲そのものへの低評価でいいのでは
と思うようになった。
よって
(推薦盤)ナシ

なお、前回試聴の結果もカラヤン&BPOなので
そこはフルニエでもロストロポーヴィチでも大丈夫だと思うので
あえて修正も変更もせず、そのままとする。

57korou:2023/08/10(木) 16:46:09
450 リヒャルト・シュトラウス 交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」①

まずフルトヴェングラー&VPOで聴く(最初のほうだけだが)。
この曲は、R・シュトラウスの交響詩としては以前から聴いていた唯一のものだし
フルヴェンの演奏こそ耳に馴染んでいるのだが
さすがに、今となっては絶対推薦盤とはし難い。
演奏のどこにも不満はないのだが、やはり曲の皮相さに対してあまりに深みのありすぎる表現だし
この曲の最大の魅力であるオーケストラレーションの妙も
モノラル録音では十分に味わえないわけである。

その点、続けて聴いたセル&クリーヴランド管の演奏は
演奏そのものも溌溂としていて秀逸だし
録音は1957年とは思えない鮮度があって
十分にオケの音そのものの魅力、愉しさを満喫できる。
これは間違いなく、スピーカー試聴の決定盤だ。

あとはクレンペラー、カラヤンを比較試聴して
イヤホン試聴の決定盤を決めたい。

58korou:2023/08/11(金) 12:05:48
450 リヒャルト・シュトラウス 交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」②

クレンペラー&ニュー・フィルハーモニア管で聴く。
期待十分だったが、さらにそれを上回る素晴らしい演奏だった。
もはやこの類の曲は甘美な響きで旋律などを堪能するというより
この年齢になると、しっかりとした世界観で様々な様相を照らすかのように表現する演奏を
求めていることを、改めて知らされたような体験だった。
皮相で内容空疎に聴こえがちなこの類の音楽ですら
確かな世界観と正確無比な表現への意志があれば
これほど深い内容の演奏になるのだということを
クレンペラーに教えてもらったような気がする。
文句なしにイヤホン試聴での推薦盤であり
ひょっとしたらスピーカー試聴でもいいのかもしれないが
やはりここはセルの演奏の明快さを採ることにする。

(ベスト盤)クレンペラー&ニュー・フィルハーモニア管<ナクソス>
       ※スピーカー試聴だとセル&クリーヴランド管<ユンク氏>

59korou:2023/08/14(月) 13:53:05
449 リヒャルト・シュトラウス 交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」

シューリヒト、ドゥダメル、ケンペ、カラヤン、小沢征爾あたりを聴いたが
どれもピンとくるものがなかった。
ベーム&BPOの演奏は、なんとか聴き続けることができる真摯な演奏だが
かといって愉しく聴けるわけでもない。
また、ヤンソンス&バイエルン放送響の演奏は
繊細かつ大胆に表現されていて好感が持てるが
こうなると、もはや曲自体が自分の嗜好と合わないことを認めざるを得ない。

「ドン・キホーテ」と共通する点は
あまりに長すぎることである。
皮相な曲想を40分近く聴き続けることは苦痛に近い。
「ドン・キホーテ」よりはマシな点は
少しだけ内省的な曲想になっていることで
その点でベームの指揮は
前回暫定的に推薦盤にしたカラヤンのものよりも優れているように思えた。
よって、今回は推薦盤ナシとするが
前回の暫定決定は取り消し、カラヤンからベームに変更することとする。

60korou:2023/08/14(月) 13:55:48
(↑書き忘れ)
「ツァラ・・・」については
セルとクレンペラーの指揮によるものが
ナクソスまで探してもなかったのが大きい。
どちらかがあれば、曲想から考えて推薦盤になった可能性が
高いと思われた。

61korou:2023/08/15(火) 14:33:30
448 リヒャルト・シュトラウス 交響詩「死と変容」

「ドン・ファン」とほぼ同時に創作され、「ドン・ファン」よりは遥かに内省的な内容、曲想でまとめられているので
交響詩というよりも、普通にソナタ形式で書かれた管弦楽作品として聴くことができる。
ただし、後半部分が冗長で、どんな指揮で聴いても後半は退屈してしまう、

管弦楽作品として、とにかく美しい響きを達成できているのは
当然というべきか、カラヤン&BPOの演奏である。
前半、特に最初の数分の各奏者の見事な音響には
それだけで感情を揺さぶられるほとである。
しかし、そこを過ぎると、R・シュトラウスらしい曲想の浅さを克服できないまま
冗長な後半に突入してしまい、聴き終わった後には何も残らない空しさが残るだけだ。

フルトヴェングラーは、それと真反対で
彫りの深い表現、有機的な響きで
曲の奥底の部分まで聴く者を引っ張っていく。
しかし、やはりこの手法は、他の交響詩同様、R・シュトラウスの曲ではムリなのであって
結局、力んだだけムダな演奏という印象が残る。

結局、セルとクレンペラーが妥当な解釈ということになる(ベームも好ましいのだがあまりに重たい)。
どちらも名演なのだが、やはりクレンペラーの巧まずして聴かせる演奏がよりベストだろう。
(なお「ツァラ」も「死と変容」も弱音部分がスピーカー視聴では聴き辛いので、それについては該当なし)

(ベスト盤)クレンペラー&ニュー・フィルハーモニア管

62korou:2023/08/24(木) 17:09:20
446 R・シュトラウス アルプス交響曲
447 R・シュトラウス 交響詩「英雄の生涯」

どちらも現在の自分の嗜好に合わないので、新たに推薦盤を選ぶ作業は放棄。
どちらも大したことない曲のように思えるのだが、300選にも選ばれているのを再確認。
どちらも”カラヤン&BPO”を推薦盤にしているが、もちろん前回も積極的な意志で選んではいない。

今回の試聴で
「英雄の生涯」は、オーマンディ&フィラデルフィア管
「アルプス交響曲」は、ケンペ&ドレスデン国立管
の演奏が、録音・演奏とも秀逸だったことを確認しているので(と同時にカラヤンの演奏よりは好ましい)
300選のほうの記載を変更しておくことにして、次の曲に移る。

(なお、「アルプス交響曲」については、ユンク氏サイトでいえば、シューリヒト&シュトゥットガルト放送交響楽団の演奏が
 冗長でなく秀逸。上記オーマンディとともにユンク氏サイト内での推薦盤ということになるが、やはりケンペ指揮のほうが
 最新ステレオ録音なので、全体の推薦盤としてはケンペにせざるを得ない)

63korou:2023/08/25(金) 15:34:40
444 J・シュトラウス「ワルツ、ポルカ集」

この曲に関しては
クリップス、ワルター、ライナーがそれぞれ十分に個性を出していて
その反面、定番中の定番クレメンス・クラウスについては音質が不十分で味わいようがなく
またボスコフスキーも、どこも悪くないのに聴く気が起こらない不思議な演奏という評価となった。

スピーカー視聴では、やはり前回推薦盤のワルターが聴きやすい。
イヤホン試聴だとクリップス指揮のエレガントさが際立つが、
意外と音量差があるので
スピーカー視聴だと弱音部が聞き取りにくい。
ライナーの指揮は1960年盤のほうだが、とにかくオケの豊かさに聞き惚れる。
ただし、ワルターの懐かしさとかクリップスのエレガントさのような
この曲に必須のニュアンスにはたどり着けない。

ワルター、クリップスレベルの名演でも
どの曲についても最後まで聴き通すことは困難だった。
自分の嗜好と合わない、というのが結論になる。
あえて前回推薦のワルターは修正せず、そのまま残して
この曲については終わりとする。

64korou:2023/08/27(日) 20:26:21
443 スメタナ 弦楽四重奏曲第1番ホ短調「わが生涯より」

初めて聴く曲だが、真摯で真面目な曲でスメタナらしい。
あまり演奏評が見当たらず、ほとんどがスメタナQの演奏推しだったので
まずそれを聴いたが、悪くはないもののピンと来ず。

かつての記憶と印象で
アマデウスQの演奏が良いのではないかと思い試聴。
これはピンと来た!
出谷啓氏によると「昔風の演奏が好きな人には恰好の1枚」とあったが
確かに、第一バイオリンが全員を引っ張るスタイル、そしてそのスタイルたるや昔風のロマンティックなものとなれば
”昔風の演奏”ということになるのか。
まあ、知らない曲となれば、困ったときのカラヤン、ならぬ、困ったときのアマデウスQ
ということになろうか。

(推薦盤)アマデウスQ

65korou:2023/08/29(火) 15:52:36
442 スメタナ 交響詩「わが祖国」

どの演奏で聴いても、「モルダウ」以外は聴きばえがしない。
逆に「モルダウ」だと、フリッチャイ&BPOのような感動を呼ぶ名演にも出会う。

結局、今の自分の感覚として
耳に新しい曲をいろいろ聴いて”見聞を広める”よりも
耳に馴染んだ曲について、つい最近に選定した「推薦盤」が
本当に今でもベストワンなのかを確かめたほうが
合っているということなのだろう。

耳に負担のかかる行為でもあるし。

ということで、このスレは一時休止ということにして
新スレを立ち上げることに決定。


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