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丸廉法器研究班(先ずは錫杖伝)

1650:2005/07/13(水) 17:01:25
>>1646 【Syami様】
良く勉強されており、なんだか山伏問答をしておるように感じます。
御宗も九条錫杖経を唱えておられるようで、驚きました。
分かれたかのようになっている禅と密教の融合は新しい発見ですし、嬉しいことです。
九字法の種類はいかがでしょうか、これを聞いてはいけませんね、失言でした。

Syami様の指摘される意味は分かります。衣躰については天台・真言・修験宗
・里修験(山伏)で、歴史もあり少しづつ違いがありました。
例えば「不動の智剣(護摩剣)」などは真言では「柴打ち」とは言いません、
写真を見ましたが、あのように長い剣ではありません。
現在は所持しての行者はいません。持っていても狩猟ナイフです。
峰も天台系は順峰・真言系は逆峰が一般的なのですが、別に仲違いしている訳
ではありません。密教僧侶、神道禰宜、各流祈祷師もまた修験をします、
解釈の異なる場合もありますが、修験は宗派にとらわれずに一様に同じく
「講」をなして、行する良さがあります。たまたま密教の影響が強く、
仏教の言葉を多く使います。Syami様ご一同様も、今では誰でも参加できる派もある
ようですから、「講」に申し入れて修験されると何か発見があるかと思います。

説明が悪く色々と混乱させていますが、六角について、錫杖を「六波羅蜜」、
金剛杖を「六道受苦衆生(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の輪廻迷夢からの覚醒」
としてまとめてはいかがでしょうか?
これに十二入処いおける、六内処(眼・耳・鼻・舌・身・意)清浄により、
六外処(色・声・香・味・触・法)を現じ、六識の分別に至り、
六方(東・西・南・北・天・地とし、父母・師・夫婦・友人・沙門・雇人を重ねる)
を礼拝さしむ。とすると遂に分からなくなります。

富士の八角はおっしゃる通りですが、富士講は歴史的に浅く、修験の対象とは言い難い
ものがあります。我々の言うところの「二利円満」の二利というのは
自利、利他と言うことで、利他によって自利が完成でき、自利を完成しようと
思えば利他を忘れることができないという、人間の生き方のなかにある表裏関係を
言葉で示そうとしていますから、少し意味合いが違うかも知れません。

入峯道などでは、錫杖が危険になることもありますから、金剛杖の方が実用に
なります。合図などには手錫杖で充分です。武器としての杖については説明が
出来ませんが、古来からの聖の鹿杖と思ってくだされば良いと思います。
斗薮に際しての金剛杖を簡単にすると
①金剛杖-三度以上入峰した度衆先達の持つ杖
②円形桧杖-正先達が持つ杖
③新客(入峰五度未満)の加工しない担杖としての杖。
となります。是ぐらいで如何でしょう?

>金剛・胎蔵で塔婆の形は変わってくるのでしょうか?
 他に知りませんが、身長に合わせる意味は、
 持ち手の行者自身が「金胎不二の塔婆」となるを表す説もあります。

>その時演じた行者の方は「気合術」と仰っておいででした。
 「験力に法あって、術無く、修法によって徳を験す。」

>私達の修行会は昔は「布薩会」と言っていました。
>また修行自体を「菩薩行」とも言っていました。
 不勉強で申し訳ありません。修験道も菩薩行です。

>「羯磨」・・・見た目は手裏剣ですけどね?
 初めて投げてみましたが、当たると痛いと思いました。
 刃があれば大変なことになりますね。
 独鈷など投げ方があれば教えてください。
 私の記憶では胸の前、九字切りと同じでは無かったかと思います。
 独鈷杵の種も記憶に自信が無くなって来ています。

吉野と熊野を結ぶ大峯奥駈道は両峰分けから、北側を金剛界、南側を胎蔵界と
考えます。金剛界の拳印である金拳と胎蔵界の拳印である胎拳は、金拳・胎拳
ともに「拳−こぶし」です。禅の合間に法具を武器に拳法を修行される、
「心と仏具」が一体となって「法器拳者」となられることを祈願いたしております。
また長すぎました、いい加減最後に致します。


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