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倉工ファン Part2

1名無しさん:2020/07/18(土) 10:35:04
倉工関連、その他プロ野球、時事ネタなどをご記入ください。

397名無しさん:2021/03/21(日) 10:22:01
☆ 【記録で読むセンバツ】 52年ぶり出場の古豪・宮崎商は春初勝利ならず



今大会最長ブランクとなる52年ぶり3度目の出場の宮崎商は、193センチ・達を攻略できず、天理に1―7で敗退。
守備も4失策と乱れ、悲願の春初勝利はならなかった(夏は08年まで計5勝を記録)。
また、全国32都道府県目となる春夏通算70勝到達も、今夏以降に持ち越しとなった。


 センバツのブランク出場の上位10校は以下の通り。

 〈1〉82年 ※松山東(愛媛) 1933→2015   〈2〉72年 ※高松(香川) 1933→2005

 〈3〉70年 県和歌山商(和歌山) 1937→2007 〈4〉69年 関大第一(大阪) 1929→1998

 〈5〉68年 長野商(長野) 1932→2000    〈6〉63年 関西学院(兵庫) 1935→1998


 〈7〉60年 ※大分上野丘(大分) 1949→2009 〈8〉59年 ※膳所(滋賀) 1959→2018

 〈9〉57年 鳥取西(鳥取) 1933→1990    〈9〉57年 島田商(静岡) 1941→1998

 〈18〉52年 宮崎商(宮崎) 1969→2021    【注】※は21世紀枠で出場。 校名はブランク出場時。

398名無しさん:2021/03/21(日) 10:26:01
☆ 仙台育英・古川&伊藤完封リレーが94年ぶり珍記録

                    

仙台育英・伊藤樹投手が5回1/3を無安打の好救援。 珍しいチーム被安打1のスコア1-0完封リレーを演出した。

1-0完封リレーの被安打1は、春夏を通じ1927年夏の高松商しか記録していない。
高松商は延長12回1-0でサヨナラ勝ちした福岡中戦で、先発の井川が7回0/3を1安打、2番手水原が5回を無安打だった。


伊藤は19年夏の準々決勝(対星稜)で敗戦投手になっている。2年前の借りを返す甲子園初勝利だ。
1年夏の敗戦投手から、のちに大物になった選手は少なくない。

古くは56年王貞治(早実) 60年尾崎行雄(浪商) 78年愛甲猛(横浜) 81年渡辺久信(前橋工)らが記録。
04年前田健太(PL学園)07年菊池雄星(花巻東)は今や大リーガーになった。

399名無しさん:2021/03/21(日) 10:30:01
☆ 珍名も躍動する甲子園  天理・瀬がマルチ安打  出場校のレア名字あれこれ



全国に約340人しかいない珍しい名字を持つ天理・瀬(せ)千皓が複数安打で勝利に貢献した。
2回と7回の先頭で安打を放ち、いずれも得点に結びついた。

ダークホースと目される天理は、珍名の層も厚い。 
エース達(たつ)孝太は約830人、捕手の政所(まどころ)蒼太は約930人とバッテリーの希少度も高い。


他校に目を向けると、漢字一文字の珍名も多く、東海大相模・求(もとめ)航太郎は約170人、
大崎・調(しらべ)祐李は約850人と、なかなかレベルが高い。

上田西・飛鳥井(あすかい)洸が約680人、東播磨・宇郷(うごう)瑠希が約310人、
智弁学園・垪和(はが)拓海が約440人、明豊・和才(わさい)蒼空が約570人と健闘する中、

堂々のチャンピオン?に輝いたのが八戸西・高間舘(たかまだて)好誠。
全国でわずか30人前後しかいない「超珍名」だ。

400名無しさん:2021/03/21(日) 10:33:01
☆ 大阪桐蔭のますます度を越す選手集めにモノ申す! (小倉清一郎)



優勝候補筆頭の大阪桐蔭は、最速150キロ左腕の松浦、同154キロ右腕の関戸、強打の主将・池田らを擁し、
3度目の春夏連覇を狙える戦力が整っている。

最近気になっているのは、大阪桐蔭の有望中学生の勧誘が、急速に全国各地に広がっていることだ。
今回のベンチ入りメンバー18人中、大阪府外の出身は13人。


松浦は北海道・旭川市、関戸は長崎県・佐世保市出身で明徳義塾中から大阪桐蔭の門を叩いている。
他にも関東出身の選手が何人か入っており、まるで全国選抜といえる構成だ。

昨年のドラフトで西武に指名された仲三河は栃木市出身で、強豪・小山ボーイズから大阪桐蔭に引っ張られ、
「ついにここまで手が伸びてきたか」と関東の強豪校は震えあがった。


地元の常連校に内定した中学3年生が、後になって大阪桐蔭に進路を変更するケースも頻出しているそうだ。
たとえ「後出し」でも「全国制覇」をしたい有望中学生の憧れになっているため、こういうことが起こるのだ。

これまでの野球留学は「甲子園に行きたい」という大都市圏の中学生が地方の強豪校に流れるケースが多く、
東京などの関東の中学生が、馴染みにくいといわれる関西の高校へ進学するケースはまれだった。
大阪桐蔭だけは別格ということだ。

関戸を引き抜かれた明徳義塾は18人中16人が県外出身なのは相変わらずとはいえ、
そろそろ規制のルールを作る時期がきているのではないか。


横浜で部長を務めている頃は、私が中学生を発掘、勧誘していた。
「横浜だって全国から集めていただろう」と指摘されるかもしれないが、実は「学校名が『横浜』だから、
地元の選手6、7割。 県外出身者は3、4割まで」という渡辺監督の考えと

「県を代表して出場する甲子園に、他県の出身者ばかりで出ても学校の宣伝にはならない」という学校側の
方針があり、厳守していたのだ。

私学には経営がある。入学者やベンチ入りメンバーの人数を制限するのではなく、「県外出身者はスタメン4人まで」
など試合に出る人数を制限するのはどうか。      
                            (小倉清一郎/元横浜高校野球部部長)

401名無しさん:2021/03/21(日) 10:57:02
☆ 【昭和〜平成 スター列伝】 驚異の11打席連続出塁!!  センバツ史上別格の怪物・藤王康晴



1983年の第55回大会に登場した愛知・享栄の藤王康晴はまさに別格だった。
1回戦の高砂南戦、初回一死一、二塁の第1打席でいきなり右越え3ラン。
その後は2打席連続の二塁打、左前打、四球と4打数4安打をマークし、12―3の勝利に貢献した。

続く2回戦の泉州戦でも四球、本塁打、左前適時打、本塁打と爆発し、5―1の勝利に貢献。
準々決勝の東海大一戦で姿を消したが、初回に内野安打を放ち、大会タイとなる8打数連続安打を記録。
次の打席で四球を選び、11打席連続出塁の大会記録をマークした。


夏の全国大会出場はかなわなかったが、プロ側の高い評価に変わりはなく、中日が1位指名。
左の長距離砲としての期待は大きく、“ミスター・ドラゴンズ”高木守道がつけていた背番号1を与えられた。

地元マスコミは連日、大騒ぎで早くもスター扱い。こんな状況に、幼少期からスパルタ教育を施してきたという父は
危機感を覚え「最初から一軍に上がらなくていい。
本当の実力がつくまで、じっくり二軍で育ててもらいたい」と球団に要望した。

これを受けて、就任1年目の山内監督も「王を超える打者に育てたい。藤王打法というものを身につけるまで、
1年ぐらいかけたい」と1年目は育成に費やすことを約束した。


しかし、夏場に一軍昇格。「時期尚早」との指摘もあったというが、34試合の出場で打率3割6分1厘、
2本塁打と実力の片鱗をのぞかせた。
その後は周囲にチヤホヤされ、本人も悪い意味でその気になってしまい、グラウンド外の話題が増えていった。

90年に日本ハムにトレードされ、92年に自由契約となりそのまま引退。
プロ野球はひと握りの天才が必死に努力して一流になれる世界だ。本当にもったいない選手だった。

402名無しさん:2021/03/22(月) 16:31:03
☆ 初出場の具志川商が甲子園初勝利  8得点と圧倒  八戸西との21世紀枠対決を制した

    第93回選抜高校野球大会 第3日 第1試合  1回戦  具志川商8―3八戸西(22日・甲子園)



具志川商(沖縄)が八戸西(青森)との21世紀枠対決を制して、春夏通じて甲子園初出場で初白星を挙げた。

2回1死、比嘉の左前安打と知名の中前安打で二、三塁のチャンスを演出すると、上原が中前に2点タイムリー。
続く伊波も中前安打で続き、八戸西の守備の乱れにも乗じてこの回4点を先取した。


4回には1死一、三塁から大城がセーフティースクイズで加点。6回にも1死満塁から大城の左犠飛で突き放した。
八戸西は7回に2死走者なしから満塁のチャンスをつくると、桐山が鋭い打球をライト前へ。
2者が生還するタイムリーヒットとなった。9回も連打で得点し、意地を見せた。

ともに春夏甲子園初出場とフレッシュな戦い。 聖地からは温かい拍手が送られた。
なお2001年大会から設けられた21世紀枠同士が初戦で当たるのは、これが3度目。


13年大会1回戦の遠軽(北海道)3―0いわき海星(福島)、16年大会1回戦の釜石2―1小豆島と、
いずれも東北勢が絡んでいる。21世紀枠校の最高成績は01年の宜野座(沖縄)と09年の利府(宮城)の4強。

具志川商が初の聖地で、昨秋の九州大会で8強入りした実力をいかんなく発揮。まずは大きな第一歩を刻んだ。

403名無しさん:2021/03/22(月) 16:36:03
☆ 福岡大大濠「ドクターK」毛利が10奪三振完投  九州対決で秋の雪辱

     第93回選抜高校野球大会 第3日 第2試合 1回戦   福岡大大濠2-1大崎 (22日、甲子園)



昨秋の九州大会決勝の再現となった試合で福岡大大濠が昨秋の雪辱を果たした。
福岡大大濠は2回に松尾の2点タイムリーで先制。

昨秋の公式戦で49イニングで63個の三振を奪った福岡大大濠の「ドクターK」毛利は左腕から右打者の内角をつく直球、
スライダーがさえた。 6回に3者連続三振を奪うなど4安打1失点、10奪三振で2点を守り切った。

大崎は7回にエース坂本のタイムリーで1点を返したが、あと一歩及ばなかった。
福岡大大濠は昨秋の九州大会では1-5で敗れたが毛利は登板していなかった。


坂本は6安打2失点(自責1)で完投。 夏に向けて大きな収穫を手にした113球だった。
長崎・西海市の北西部に浮かぶ大島から甲子園に初めてやって来た公立校の大崎。
少子高齢化の悩みを抱える島の“希望の星”として、熱い応援を受ける全員が長崎県内出身の選手だ。

大島は炭鉱の町として栄え、社会人チームもあったことから野球が盛んだった。
1962年夏の西九州大会では準優勝に輝いたが、70年に閉山すると人口が減り、
多い時は1000人を超えていた生徒数が、現在は114人。 人口約5000人の島民も熱烈な応援だった。

404名無しさん:2021/03/22(月) 17:25:02
☆ 両校計21四死球 大乱戦  明豊、東播磨に延長11回サヨナラゲーム

   第93回センバツ高校野球大会 第3日 第3試合  1回戦  明豊10x―9東播磨  (22日・甲子園)



明豊(大分)が21世紀枠で出場の東播磨(兵庫)を延長11回、サヨナラで制して初戦突破した。

両校の投手陣はいずれも制球に苦しみ、塁上をにぎわす荒れた展開。
点の取り合いになったが、ともに一歩も引かず、9-9で延長に突入した。


明豊は11回、先頭の黒木が四球で出塁。米田が左前安打で一、三塁と好機を拡大し、山本が投手強襲の内野安打で無死満塁とした。
ここで痛恨の暴投。試合は決まった。

東播磨は9回表の土壇場で同点に追いついたが、あと一歩及ばず。惜しくも甲子園の初陣を飾ることはできなかった。

405名無しさん:2021/03/22(月) 17:31:02
☆ マー君と坂本は「特別な存在」 少年野球元監督が回顧  ①



野球少年がでっかくなって、再び最高峰の舞台で相まみえた。 楽天田中将大投手(32)が巨人とのオープン戦に先発。
小学生時代に兵庫・伊丹の「昆陽里(こやのさと)タイガース」でチームメートだった坂本勇人内野手(32)と対戦した。

第1打席は四球、第2打席は中飛。力のこもった攻防になった。 田中は7回を投げ1失点と完璧な内容で、
予定通り本拠地で行われる27日の日本ハム戦に向かう。 腰の状態が心配された坂本も、元気に15年目のシーズンを迎える。


「田中」と「勇人」。 8年ぶりに日本で対戦した2人は小学生時代「昆陽里タイガース」に所属し、こう呼ばれていた。
偶然にも同じユニホームへ袖を通した。 無邪気に白球とたわむれていた日々を経て、日本を代表する投打のスターになった。

当時「昆陽里」の監督を務めていた山崎理事長(75)は幼少期の2人を「特別な存在でしたわ」と振り返る。
同学年は15人ほど。 2人の個性は突出していた。


田中は何事にも地道に取り組む姿が目立った。 勉強の成績は優秀、字もきれいで丁寧。
朝9時の練習開始15分前にはグラウンドに姿を見せ、にぎわうチームメートをよそに黙々とウオーミングアップに励んだ。

居残り練習にも、決して弱音は吐かなかった。 小学6年のある日。 試合でミスをしたバント処理の反復練習のため、
捕手の防具をつけてグラウンドの隅に立った。
本塁前に転がった球を、マウンド近くにある16メートルほど先のネットの中心にあるロープに3球当てるまで投げ続ける練習。

2球目まではうまくいくが、3球目がなかなか当たらない。 むきになり、諦めない。 周囲は関係ない。
目的を達成するまで、何度も腕を振って乗り越えた。

406名無しさん:2021/03/22(月) 17:33:02
☆ 同上  ②


坂本は仲間を巻き込み、楽しみながら努力を重ねた。練習休日でもバットを持ってチームメート6、7人をグラウンドに引き連れ、
素振りに励んだ。 スイング時間は30分ほど。 残り時間は無邪気に遊ぶ姿も子どもらしかった。

投手として田中とバッテリーを組む6年生の初めまでは、遊撃が定位置。 軽快な足、グラブさばきにセンスがあふれた。
教えられなくとも、三遊間深くの打球を捕球するとノーステップで一塁手の4、5メートル先にたたきつけ、確実にアウトを奪った。
自ら考え、実行する能力にたけていた。


対照的な2人。 山崎理事長は懐かしそうに、鮮明に思い出す。 「田中くんは内に秘めて気持ちで向かっていく。
どんくさいところはあったけど、35年間監督をやって、5本の指に入る努力家やったね」。愚直に自分と向き合い、コツコツ伸びた。

坂本は「何でも1番にならないと気が治まらないタイプ。上に競争相手がおった方が伸びる。トップに立ったら抜かれんようにする」。
時には打撃練習で、自分よりも遠くへ飛ばす田中を意識し、成長への原動力としていた。


小学校卒業後から6年。 田中は北海道、坂本は青森の地から06年高校生ドラフト1巡目でプロの扉を開いた。
海の向こうで猛者としのぎを削り、8年ぶりに古巣へ戻った田中は「世界のマー君」に。
右打者では最年少で2000安打を達成し、名門の先頭を走り続ける坂本は「巨人のキャプテン」になった。


今年でプロ15年目。 チームの柱として後輩を引き上げる役割も求められる。
ルーツにある素晴らしき縁、漫画のようなサクセスストーリーに人々はひかれる。

プロでの対戦成績は通算18打数5安打、打率2割7分8厘、0本塁打。
2021年3月20日、東京ドーム。 伊丹から始まった2人のストーリーが、再びクロスし始めた。

407名無しさん:2021/03/23(火) 15:35:03
☆ 本塁打の出ないセンバツ…  9試合目まで0本  47年ぶり



今大会は9試合を消化し、本塁打がまだ出ていない。センバツで開幕9試合目までに1発は出ないのは、74年以来47年ぶり。
93年の9試合目を上回り、金属バット採用後(春は75年以降)は最も遅い1号になることが決まった。

74年の1号は開幕20試合目。豊田(日大三)が土屋(銚子商)からランニング本塁打を放ち、大会0本を阻止した。


74年より前は、60年の山口(高松商)が米子東との決勝で放った優勝決定サヨナラ弾(開幕22試合目)までさかのぼる。
今大会の1号はセンバツで令和初アーチ、2号は区切りの大会800号と連続でメモリアルになるが、今日あたり飛び出すか。

408名無しさん:2021/03/23(火) 15:50:02
☆ 市和歌山 サヨナラ勝ち   注目右腕・小園は130球4安打8奪三振完封

       第93回選抜高校野球大会 第4日 第1試合 1回戦  市和歌山1―0県岐阜商(23日 甲子園)



0―0で迎えた9回、市和歌山は1死一、二塁から亀井がセンタ―前に運び、二塁ランナーが生還。試合を決めた。

投げては、ドラフト上位候補に挙がるエースの右腕・小園が最速147キロのストレートと多彩な変化球で130球の粘投。
4安打、8奪三振、6四球で県岐阜商の強力打線を完封した。


県岐阜商は6回以外すべての回で走者を出したが、好投手・小園の前にあと1本が出なかった。

409名無しさん:2021/03/23(火) 15:55:02
☆ 智弁学園、大阪桐蔭を撃破   大阪桐蔭は初のセンバツ初戦敗退

       第93回選抜高校野球大会 第4日 第2試合 1回戦  智弁学園8―6大阪桐蔭 (23日 甲子園)



近畿大会決勝を戦った智弁学園と大阪桐蔭のV候補がいきなり激突。
智弁学園は、初回無死満塁から4番・山下の右犠飛で先制。なおも1死満塁から6番・植垣の左翼線3点適時二塁打で3点を加えた。

2点を返された6回には無死一、二塁から中前打と敵失で2点を加えると、さらに一死三塁の9番・西村の打席で暴投で加点。
1点を返された7回にも一死満塁から7番・森田の遊ゴロで再び1点を加えた。


先発したエース左腕・西村が8回を投げて終盤に6失点も、9回は小畠が抑えて逃げ切った。 

17、18年に優勝し、選抜出場3大会連続優勝がかかっていた大阪桐蔭は、4点を追う6回2死満塁で6番・花田の遊撃への
ゴロが敵失を誘い2点を返した。 

5点を追う7回にも2死二塁から2番・繁永晟の右前適時打で1点、8回にも1死、一、二塁から7番・藤原の右中間2点適時三塁打、
小谷の右前適時打で2点差としたがそこまで。


先発した今秋ドラフト候補の左腕・松浦が不安定な立ち上がりに4失点、5回から登板した右腕・関戸も6回に3点を失うなど、
2年連続12回目の出場で初の初戦敗退となった。

410名無しさん:2021/03/23(火) 17:12:02
☆ 広島新庄が延長12回サヨナラ勝ち  2投手による完封リレーで上田西を下す

   第93回選抜高校野球大会 第4日 第3試合 1回戦  広島新庄1x―0上田西  (23日・甲子園)



昨秋の中国大会を制した広島新庄が、延長12回サヨナラ勝ちで息詰まる投手戦を制した。
昨秋の公式戦チーム打率4割8厘が出場校トップの上田西(長野)を花田―秋山の継投でシャットアウトした。

広島新庄・花田、上田西・山口と両先発の好投でスコアボードに0が並ぶ好ゲーム。
上田西は再三の好機を作るが、あと一本が出ない。 8回1死二塁も広島新庄の2番手・秋山に抑えられ、ホームが奪えない。


決着がついたのは12回、広島新庄は2死から瀬尾が中前安打。
続く4番・花田が右越えへの二塁打を放ち、瀬尾が一塁からホームインした。

今大会4日連続で延長試合を記録した。過去1989、2017年に3日連続で延長戦があったが、4日連続は史上初となった。

411名無しさん:2021/03/23(火) 17:15:01
☆ 元甲子園球児が給付金200万円詐取  神戸国際大付属高出身



新型コロナウイルスの影響を受けた個人事業主らを支援する国の「持続化給付金」をだまし取ったとして、
神戸地検姫路支部は23日までに、詐欺罪で龍谷大3年の男(21)を在宅起訴した。捜査関係者への取材で分かった。

被告は神戸国際大付属高校の出身で、2017年に野球部主将として春夏連続で甲子園に出場している。
起訴状によると、被告は2020年6月、兵庫県太子町の女(46)=詐欺罪で公判中=ら複数と共謀し、
被告が学習支援業を営む個人事業主であると偽って国に給付金を申請するなどし、計200万円を詐取したとされる。


たつの市出身の被告は神戸国際大付で内野手として活躍。
17年春の選抜高校野球に続き、同年夏の全国高校野球選手権にも出場し、3回戦まで進んだ。
龍谷大でも野球部に所属し、事件に関わったとされる20年度も関西六大学リーグに出場していた。

県警捜査2課とたつの署は今年1月中旬までに被告を詐欺容疑で書類送検。地検姫路支部が2月に在宅起訴した。
3月23日に神戸地裁姫路支部で初公判があり、被告は「間違いありません」と起訴内容を認めた。

412名無しさん:2021/03/23(火) 17:22:01
☆ 工事現場監督として 街づくりの第2の人生に 全力“登板”中    仲田幸司さん



83年ドラフト3位で入団し、阪神が日本一になった85年5月12日のヤクルト戦で初勝利を完封で飾った。
88、89、93年と3度の開幕投手を務めた。
89年7月の伝統の一戦では完封勝利で、11試合連続完投勝利中だった相手エース斎藤雅樹に土をつけた。

だが、その後は厳しい人生が待っていた。 「悔いがあるとすれば、あのFA。 阪神を出るんじゃなかった」。
95年オフのロッテへのFA移籍から暗転。97年限りで引退し野球解説、ラジオのパーソナリティーなどにチャレンジしたが、
露出は次第に減り、仕事も私生活もうまくいかない時期を経験した。 


そんな時に声をかけてもらったのが掛布雅之。
「一度きりの人生。マジメに取り組め」とかつて自身のマネジャーで阪神OBの西浦が経営する建設会社を紹介された。
「中途半端なままでは、応援してくれる人、現場の人に迷惑をかける。もう逃げない」。仕事に打ち込むことを誓い、現在に至る。

応援しているのは掛布だけではない。 「マイク、元気か。メシを食おう」と昨年、連絡をくれたのが笑福亭鶴瓶だった。
仲田のノーコンぶりをトークのネタにした縁はあったが、会うのは久しぶり。

近況報告を笑顔で聞いた鶴瓶からは「マイクが関わった建物なんて危なくて入れんわ」と一流のジョークで、
日々の頑張りをねぎらわれた。「逃げずにやっていれば、誰かが見てくれる。だから、今できることを精いっぱいやるしかない」。
仲田は再び重機の動きに視線を走らせた。 


仲田 幸司: 1964年(昭39)6月16日生まれ、沖縄県出身の56歳。 興南では2年夏から3季連続甲子園出場。
92年には自己最多の14勝をマークした。 95年オフにFAでロッテ移籍したが未勝利のまま97年に現役引退。
通算335試合登板で57勝99敗4セーブ。

413名無しさん:2021/03/24(水) 15:28:01
☆ 東海大菅生「令和1号」&「センバツ通算800号」の2本のメモリアル弾

     第93回選抜高校野球大会 第5日 第1試合  東海大菅生4-3聖カタリナ学園 (24日、甲子園)



東海大菅生(東京)が2本のメモリアル弾で4度目の出場にしてセンバツ初勝利を挙げた。
二回、6番・鈴木悠平外野手(2年)が先頭で左翼ポール際に大会1号となる先制弾を放った。

開幕から13試合目での大会1号は金属バットが導入された1975年の第47回大会以降では最も遅い記録。
また令和1号となる記念の一発ともなった。

鈴木悠は「気持ち良かった。 昔から憧れていた場所で、まさかホームランが打てるなんて…。
今までの人生で一番うれしい」と満面の笑みを浮かべた昨秋の公式戦出場はなく、今大会では背番号「17」でベンチ入り。
ただ、中学通算32本塁打でパンチ力を秘めた選手だった。


続く三回1死一塁では3番・千田光一郎外野手(3年)が左翼席に2ラン。
これが選抜大会通算800号のメモリアルアーチとなり、「ベンチに戻ったら、エースの本田から
『おまえが800号だよ』と言われて、初めて知りました。

2ストライクと追い込まれていたので、コンパクトに鋭く振りぬこうと思っていたところに変化球が高めに浮いてきた。
打球の角度がすごくよかった」と振り返っていた。


聖カタリナ学園は3点を追う九回1死から7番・桜井が右前打で出塁。四球と9番・安達の左前打で満塁のチャンスを作ると、
暴投で桜井が生還。 さらに再び1死満塁とし、2番・田代の中犠飛で1点を追加したが、最後は2死満塁から
4番・川口が三ゴロに倒れ、万事休した。

414名無しさん:2021/03/24(水) 15:31:02
☆ DeNA・小池コーチの長男、東海大菅生・小池祐吏は1安打1打点デビュー



DeNA・小池外野守備走塁コーチを父に持つ、東海大菅生の小池祐吏(ゆうり、2年)は、「5番・三塁」でフル出場。
2点リードの8回に中犠飛で貴重な追加点を挙げるなど、3打数1安打1打点だった。

父は横浜高3年時の98年に、西武・松坂らとともに甲子園春夏連覇を達成。
球場に足を踏み入れた際には「ここでお父さんがやってたんだ、と思いました」。


この試合が始まるまで大会1号が出ていない状況で、前日には父との電話で「大会1号を打ってくる!」と力強く宣言。
「バリバリ狙ってたんですけど…」と頭をかいた。

8回の中犠飛はいい当たりだったものの、中堅手のグラブに収まった。「自分的にも打球はよかったんですけど、
パワーがなくて…。 ベンチに戻ってから『弱いな』『パワーないな』ってみんなに言われました」と苦笑いを浮かべた。

それでも、3回の第2打席では、左翼線に甲子園初安打をマーク。 チームも9回の猛追をしのいで逃げ切り勝ち。
4度目の出場でセンバツ初勝利を挙げた。 「ヒットも出たし、しっかり振っていけた。
切り替えて、次の試合ではホームランを打てるように調整していきます」と意気込んだ。

415名無しさん:2021/03/24(水) 15:51:01
☆ 京都国際が延長戦で聖地初勝利  聖地に韓国語校歌流れる

  第93回選抜高校野球大会 第5日 第2試合 1回戦  京都国際5-4柴田(宮城)延長10回 (24日)



春夏通じて初の甲子園出場校同士の対戦。 京都国際が接戦を制して初陣を飾った。
延長十回、四球の走者を犠打で送って1死二塁の好機を作り、3番中川が右前へ勝ち越し適時打。
さらに辻井の適時二塁打で突き放した。

六回を終えて0-2、2安打無得点に抑えられていた劣勢をはね返した。
七回、1死満塁から武田の一打はライナーで中堅へ。打球は前に突っ込んだ中堅手の手前でワンバウンド。
捕球しきれずに、ボールは外野を転々、走者一掃の三塁打となり逆転。


柴田はその裏に反撃。2死一、三塁とし、打席には初回に先制の2点適時打を放った4番・菅野。
今度は左前適時打で3-3の同点としていた。

柴田は十回、無死から沼田が二塁打で出塁。1死後、代打佐藤の左前適時打で1点差。
さらに2死二、三塁と逆転サヨナラ機を作ったが後続が倒れた。相手を上回る14安打を放ちながら4得点。
先発の谷木は10回6安打5失点。 153球の熱投も報われなかった。


京都国際は韓国系学校が前身で、2回表の攻撃前には韓国語の校歌が甲子園に響き渡り、
テレビの中継映像ではハングルと日本語訳のテロップ付きで流された。

これで今大会開幕5日連続での延長試合を記録。過去に3日連続の延長戦はあったが、さらに“記録”は伸びた。

416名無しさん:2021/03/24(水) 17:30:01
☆ 「兄の分まで」 思いつないだバット、甲子園に快音響く



「一生懸命プレーした。 大舞台で頑張れました」。
敗れた柴田の三塁手、横山隼翔(はやと)(3年)は胸を張った。

2点を追う十回。 1点を返し、なお2死一、三塁で打席が回ってきた。
ゲームセットかと思いきや、目の前の打者が敵失で出て巡ってきた同点機。
それまで3安打していた2番打者は、おろしたての銀色のバットをぎゅっと握って、右打席に向かった。


そのバットとは「SSKのスカイビート」。 芯に当たれば、キーンと甲高い音がするのが特徴だ。
2月上旬、「これで甲子園に快音を響かせてくれ」と1学年上の兄航汰さんからもらったものだ。
兄はお年玉を取り崩し、スポーツ店の店員に少し値切ってもらってプレゼントしてくれた。

カウント2ボール、1ストライクから、快音は響いた。 だが、強い打球だったが遊撃手の守備範囲。
一塁へ全力で駆けたが最後の打者になった。「兄の分も頑張ろうと思って臨んだので悔しい」。 天を仰いだ。


その様子を、航汰さんは一塁側のアルプス席から両手を握りしめながら、見つめていた。
「ずっとドキドキしていた。素晴らしい試合で、隼翔がかっこよかった。感動をありがとう、と言いたい」。
目には涙が浮かんでいた。

10年前の3月11日。2人は石巻市の小学1、2年生だった。
学校から帰った直後、海から1・5キロ離れた自宅に津波が押し寄せてきた。
陸橋に駆け上がり、5年生の姉あみさんと、きょうだいで体を寄せ合って一夜を明かした。


翌12日は兄弟で地元の野球チームに初練習に行くはずだった。
家は全壊したが、がれきをかき分けると、居間に置いていた二つのグラブが見つかった。
避難所生活を送るなか、兄とのキャッチボールが気晴らしの時間だった。

数カ月後に練習が再開してからは、2人はずっと同じチーム。柴田では「兄弟で甲子園」をめざし、
航汰さんは2年秋から主将になり、同じ内野手の隼翔はその背中を追った。

だが、新型コロナウイルスの影響で昨年は春夏の甲子園が中止に。 航汰さんは挑戦すらできずに引退した。
「震災を経験して人を助けたいと思った」と、航汰さんは消防士をめざし4月から専門学校に通う。


弟に託した夢。2人をつなぐバットだが、実は、「本当に甲子園で使ってくれるか不安だった」と打ち明ける。
選抜大会直前の広島遠征で、隼翔は違うバットで本塁打を放っていたからだ。 前夜、電話した際に言った。
「無理に俺がやったバットを使わなくていいからな。 振りやすいバットを使えよ」

だが、隼翔は最初から決めていた。 「兄の分も頑張る」。心とバットにそう誓って、
162センチの体で力強く振り抜き、右に左に3安打を放った。 そして、恥ずかしがりながらも言った。

「兄に助けてもらって、打てたんだと思う」「兄弟」で臨んだ初めての春。 勝利にはあと一歩届かなかったが、
甲子園に響いた快音は、2人の心の中で、いつまでも色あせない。

417名無しさん:2021/03/25(木) 10:26:02
☆ 常総学院、選抜初のタイブレイク制し敦賀気比下す…  6年ぶり初戦突破

            第93回選抜高校野球大会 第5日 第3試合 1回戦 常総学院9―5敦賀気比 (24日)



センバツ史上初となるタイブレークに突入した延長13回に4点を勝ち越し、9―5で競り勝った。
横浜(現DeNA)などで投手として活躍し、昨年7月に就任した島田直也監督(51)は甲子園初采配。
昨年11月に亡くなった恩師の木内幸男元監督(享年89)に白星をささげた。

天国の恩師も同じ考えだったはずだ。無死一、二塁から始まる延長13回のタイブレーク。
島田監督は打席へ向かう先頭の秋本に耳打ちした。
「バントはない。バントの構えで様子を見てバスターしろ」初球、2球目とバントの構え。


一塁手が猛チャージしてきた。そして3球目。バントの構えからバットを引いて、外角直球を強く叩いた。
バントシフトの裏をかいた一打は右前へ転がり、二塁から三輪拓未が決勝のホームへ。
「抜けてくれて素直にうれしかった。気持ちで勝てました」。先発で7回3失点のエースは、そう言って笑った。

タイブレークで表の攻撃。常識的な策は確実に走者を進める送りバントだ。でも、木内イズムを継承する島田監督は違った。
大会前にタイブレークの練習をしていなかったこともあり「ここまで来たら打って勝とう」と強攻策に出た。


それだけではない。ふがいない投球をした秋本に、バットで取り返させたことだ。
「期待以上の結果を出してくれた」と褒めた秋本の一打から打線はつながり、決定的な4得点。
選手の心を揺さぶって能力を引き出す。それこそ、木内野球の神髄だった。

名将の木内氏は昨年11月に他界。島田監督は最後に会ったときの写真を忍ばせて戦っていた。
8回にも4番・青木に送りバントさせ、続く秋本がタイムリー。9回のサヨナラのピンチは申告敬遠で満塁策を取って切り抜けた。
申告敬遠は春夏通じて甲子園初。甲子園初采配でも常識にとらわれなかった。


「思う通りに、思い切ってやれ」。昨年10月、末期の肺がんで声を出せない木内氏は教え子へのアドバイスを文書にした。
その長い文面の最初の行に書かれた教えを、島田監督は実践した。

「ミスが多かったのは怒られる。でも、チームで勝った試合には“よく頑張ったな”と言ってもらえると思う」
延長13回、3時間15分の死闘。 恩師へささぐ甲子園1勝は、確かに天国へ届けられた。

418名無しさん:2021/03/25(木) 10:30:02
☆ 記者席から見た『甲子園』 自分が投げていた阪神の本拠地とは全く違った… 【吉見一起さんセンバツ観戦記】



記者席から見た「甲子園」は、自分が投げていた阪神の本拠地とは全く違うグラウンドだった。
小さい頃、何度も通ったあの「甲子園」。鮮明に覚えているのが那覇商だ。小学生だった僕は、主将にサインをもらった。

その8年後、僕もセンバツに出場した。森岡良介がいる明徳義塾に本塁打を打たれ、スクイズをされて完敗したけど、
あの舞台に立てたことは一生の自慢だ。


当時と違うのは球数制限やタイブレーク制があること。加えて今大会は観客数や応援スタイルが制限される。
第1試合の東海大菅生の若林監督は、ドラゴンズの先輩。第3試合の常総学院の島田監督、天理の中村監督も元プロだ。

僕も学生野球の資格を回復した。母校と言わず、将来の夢がある子どもたちの引き出しを、一つでも開くサポートをしたいと思っている。
「どうすればコントロールがつきますか?」と聞かれることがある。僕がやっていた方法を教えたい。


18・44メートルではなく、13〜15メートルで投げてみる。平地でいい。捕手に座ってもらって、内外、変化球も投げてみる。
きっとストライクは取れるだろうし、感じるものが必ずあるはずだ。その感覚を体に染み込ませる。

忘れずに意識してほしいのは、右投手なら右脚でしっかりと立ち、踏み出した左脚でもしっかりと立つこと。
球数制限もある中、1人1球減らせられれば、1試合で30球は減る。高校生は野球の難しさもわかるし、伸びる時期。
楽しんで上達してもらいたい。

419名無しさん:2021/03/25(木) 10:36:02
☆ 阪神・佐藤輝の父・博信さん  大学時代の友・古賀さん偲ぶ  「やっぱり同じ人間なんだな」



1992年バルセロナ五輪柔道男子71キロ級金メダリストの古賀稔彦さんが24日午前9時9分、
がんのため川崎市内の自宅で亡くなった。53歳だった。葬儀・告別式は29日に執り行われる。時間や場所は非公表。

関係者によると、昨春に体調を崩して一時入院し、手術も受けたという。豪快な一本背負いを武器に大きな選手を投げ飛ばした
「平成の三四郎」の突然の訃報に、柔道界、スポーツ界は悲しみに暮れた。
日体大柔道部の同期で、阪神のドラフト1位・佐藤の父・博信さん(53)が故人をしのんだ。


突然の知らせを受け止めることはできなかった。 博信さんは「とにかくびっくりした。
嫁さんの朝の第一声が“古賀さんが亡くなった”って。 しばらく起き上がれなかったです。まあ、やっぱりね…。同級生やし、
いなくなると、やっぱりデカいですね、存在が」。最後に会ったのは2018年に兵庫県で開催された全国学生体重別だった。

高校時代から全国大会を制しスーパースターだった古賀さんと、「無名だった」と話す博信さんは日体大柔道部で出会った。
仙台育英高を経て東京に出てきた博信さんにとって、おぼろげだった五輪への夢を身近に感じさせてくれた存在だ。


もちろんその練習の姿は「えぐかった」と想像を絶するものだったが、畳を離れればその人間臭さにひかれた。

「柔道では全然歯が立たないですけど、日常生活で一緒に酒飲んでべろべろになったり、
ちょっとしたことで悩んでたりする姿を見るとね。 同じ釜の飯を食った人間からするとやっぱり同じ人間なんだなと。
自分らと変わらないんだなと。アホなことも言うし。 身近な人間が五輪に出ると、自分でも行けるんじゃないかと思えた」。

最終学年では古賀さんが主将、博信さんが副主将を務めた。 切磋琢磨する中で、博信さんも1988年にチェコ国際を制し、
90年には正力国際準優勝。卒業後の91年には講道館杯で優勝した。
五輪には届かなかったが“平成の三四郎”と過ごした日々は間違いなくかけがえのない時間だった。


卒業後も交流は続き、佐藤家の表札をデザインしたのは古賀さん。
20年、息子の輝明内野手が阪神からドラフト1位指名を受けた際もLINEで祝福メッセージが届いた。

酒を飲んでは博信さんを酔わせ、古賀さんは平気な顔をしていたという。「だいたい、あいつといたら間違いなく、べろべろになる。
飲ませ上手だから。いや強いんですよ、酒が。焼酎1升ぐらい平気だったね。九州人だからね」。その屈託のない笑顔をしのんだ。

420名無しさん:2021/03/25(木) 11:00:02
☆ 中京大中京 接戦制し11年ぶり初戦突破!  櫛田決勝ランニング本塁打! エース畔柳12K完封
      
            第93回選抜高校野球大会 第6日 第1試合 1回戦 中京大中京2―0専大松戸 (25日)



中京大中京は2回1死一、三塁、4回1死二塁、塁と好機をつくったがあと一本が出なかった。
それでも両軍無得点で迎えた7回2死二塁から途中出場の櫛田(くしだ)が左翼へランニング本塁打して2点を勝ち越し。

プロ注目の最速151キロ右腕、畔柳(くろやなぎ)投手(3年)が被安打6、3連続を含む12奪三振の力投で完封。


専大松戸は2回に2死三塁、5回に1死二塁、6回には2死から連打で一、三塁と得点圏に走者を進めたが無得点。
サイド右腕・深沢は緩急をつけた球を内外角に投げ分け凡打の山を築いたが、終盤につかまった。

これで中京大中京は春通算56勝。2年前に優勝した同県のライバル、東邦に抜かれが、これで再び歴代1位タイに浮上した。

421名無しさん:2021/03/25(木) 12:20:02
☆ 決勝のランニング本塁打 中京大中京・櫛田は大会直前のメンバー変更でのベンチ入り  



櫛田はチーム内の紅白戦や実戦形式の打撃練習で結果を出し、大会直前のメンバー変更でベンチ入り。6回の守備から右翼に入った。

迎えた7回の初打席。 これまで打線が苦しんでいた右横手投げの深沢の139キロ外角寄り直球を左前へ。
飛び込んだ左翼手のグラブの先を抜けた打球が左翼を転がる間に一気にホームイン。

力投していたエース・畔柳を援護し、打のヒーローになった。


これまで柵越えの本塁打は1本もなく、本塁打自体も中学時代のランニング本塁打以来。

母が作るうどんやパスタを食べて、入学後に体重を13キロも増やした努力家は「入学してからバットを振り続けてきた。
限られた1打席で結果を出したいと思っていた。素直にうれしい」と胸を張った。

422名無しさん:2021/03/25(木) 15:15:01
☆ 仙台育英 14安打13得点で8年ぶり8強! 甲子園50勝目   3番・八巻4打数4安打3得点で打線けん引

       第93回選抜高校野球大会 第6日 第2試合  2回戦 仙台育英13―5神戸国際大付 (25日)



仙台育英が春夏通じて50勝目を挙げた。 初回2死二、三塁から秋山の二遊間への2点適時内野安打で先制。
2回無死二、三塁からは松田の遊ゴロ、木村の投前スクイズで2点を追加した。

3回は4安打で3点、4回は2安打で1点を加点。6回には5四球など相手投手の乱れで4点、7回は連続短長打で1点を加えた。
投げては背番号10の右腕・松田隆之介が6回3安打1失点と好投した。


神戸国際大付は阪上が2回途中4失点で降板。 代わった投手たちも失点を重ねた。
打線は5回1死一、三塁から山里宝の遊ゴロの間に1得点。 11点を追う7回に相手守備のミスから3得点、
8回に3連打で1得点したが、大量失点が響き敗れた。

423名無しさん:2021/03/25(木) 16:01:01
☆ 仙台育英・須江監督 「頂点まで駆け上がる」  初の優勝を目指してエース温存成功



先発した松田隆之介投手(3年)が6回を3安打に抑えて1失点。8三振を奪う好投を見せた。
新型コロナウイルス感染拡大による休部期間中、自宅では父・尚之さん(46)とのキャッチボール。

高校入学以降なかなか一緒にできなかったというが、久々に実現した親子の時間で「リラックスできるし、
自分の成長をわかってもらえる」と、野球の出来ない不安の中で、心と体を整えた。


松田の力投で、初戦に先発した古川翼投手(2年)と、エースの伊藤樹投手(3年)を温存することに成功。
須江監督(37)は「頂点まで駆け上がる。ここで古川と伊藤以外のピッチャーで勝ち上がることが重要だと思っていた」と、
春夏通じて初の優勝へ力強く語った。

424名無しさん:2021/03/25(木) 16:38:01
☆ 天理 13年ぶり8強  ドラフト候補の右腕・達が最速148キロ、2安打8K完封劇 

     第93回選抜高校野球大会 第6日 第3試合  2回戦 天理4-0高崎健康福祉大高崎 (25日)



天理は初回無死一、二塁から3番・内藤の左前適時打で先制。2回2死三塁には9番・政所の中前適時打で加点した。
4回2死一、二塁には4番・瀬の左中間2点適時二塁打で突き放した。

投げてはドラフト候補の右腕・達孝太が1メートル93の長身からから投げ下ろす最速148キロの直球を武器に、
2安打8三振の完封勝利。 初戦に続いて中4日での完投となった。


健大高崎は2回2死一、二塁、5回2死一、二塁、8回1死一、二塁と得点圏に走者を進めたが、得点はならず。
2年連続5回目の出場で、初めてベスト8入りを逃した。

勝利した天理は、28日に予定されている準々決勝・第1試合で、仙台育英と対戦予定。
エース伊藤樹を温存した仙台育英に対し、2試合続けて9回を投げきった達の疲労は懸念されるところだ。

425名無しさん:2021/03/26(金) 15:31:02
☆ 父はJ1優勝、子は甲子園適時打  気がつけば野球の道へ   天理・内藤大翔(やまと)一塁手



一回無死一、二塁の絶好機に、低めの直球を思い切り振り切った。
鋭く三遊間を抜ける先制適時打となり、一塁上で「ヨッシャー」とほえた。
追い込まれていたが、強気でいられたのはある言葉が脳裏にあったからだ。1回戦で3番を任されるも、4打数無安打。

試合後、父の就行さん(53)から「どんな結果やろうと思い切っていけ」と電話がかかってきた。
Jリーグ鹿島のDFとして1996年の優勝に貢献し、今季からJ3宮崎の監督を務める父の激励。
この日に向けてひたすらバットを振った。


身近なスポーツは0歳からボールに触れていたサッカーだったが、いつの間にか、小学1年で始めたソフトボールに夢中に。
「父も周りから『なんで野球をやっているの?』って聞かれているんじゃないか」と後ろめたい時もあった。

でも、昨夏の練習試合に足を運んでくれた父から「自分で選んだ道やったら、その道で一番を取れ」と言われ楽になった。
「もっとチームに貢献できるように、人一倍声を出して取り組みたい」。父の言葉を胸に突き進む。

426名無しさん:2021/03/26(金) 15:33:02
☆ 東海大相模 接戦制し3年ぶり8強! 求&石田完封リレー

            第93回選抜高校野球大会 第7日 第1試合 2回戦 東海大相模1―0鳥取城北 (26日)



東海大相模は2回1死二塁から佐藤の三塁線を破る適時打で先制。
その後、4回、8回、9回に得点圏に走者を進めたものの、あと一本が出なかったが、
先発した2年生右腕・求が4回2安打無失点。5回からマウンドに上がったエース左腕・石田も無失点に抑えて接戦を制した。

鳥取城北は初回1死一、二塁、3回1死一、二塁、7回1死一、二塁、9回1死三塁と好機をつくったが無得点。
背番号11の右腕・山内は9回途中まで1失点と好投したが、打線の援護なく惜敗した。


阪神・平野2軍打撃コーチの甥である求は、最速140キロを計測したストレートとスライダー、カーブなどを巧みに投げ分け、
立ち上がりから安定した投球を披露。 得点圏に走者を背負った1、3回も落ち着いて後続を断ちきった。
5回に打席が回ってきたところで代打を送られ、プロ注目のエース左腕・石田が5回から登板した。


門馬監督(51)は「選手1人1人が粘り強く戦ってくれた」とナイン称えた。先発の求については「粘って4回までいってくれた。
これからまだまだだとは思いますが、大きな経験、財産にはなったと思う」と言い、エース・石田の5回からの継投には
「私自身が迷ってはいけないと、攻撃での先手ではなくて守りでも先手を打っていこうと迷いなく代えました」と振り返った。

山木監督(45)は山内の先発について「普通にいっても東海大相模相手には難しい。ただ8回まで行けると思っていなかった。
よく投げてくれた。特にフォークがよかった」と言い、「東海大相模とこういう試合ができたことは大きな自信につながる。
夏に十分につながる試合ができた」と話した。

427名無しさん:2021/03/26(金) 15:37:02
☆ 福岡大大濠 延長11回の激闘制し 4年ぶり8強!  松尾勝ち越し左越え本塁打

           第93回選抜高校野球大会 第7日 第2試合  2回戦 福岡大大濠8―4具志川商 (26日)



福岡大大濠は初回2死二塁から川上の左前適時打で先制。同点に追いつかれた直後の2回1死三塁から松尾の中前適時打で勝ち越した。
1点を追った4回1死一塁からは吉田の左中間適時二塁打で同点。 6回1死三塁から代打・福沢の右犠飛で勝ち越し。

再び同点で迎えた延長11回無死から松尾の左越え本塁打で勝ち越し、さらに1死三塁から友納が右前適時打を放つなど3点を追加した。
投げてはエース左腕・毛利が延長10回途中まで粘りの投球で4失点。代わった2年生右腕・馬場がリードを守り切った。


具志川商は初回2死から新川が左中間へソロ本塁打し同点。1点を追う3回1死一塁から大城勢武太の左中間適時二塁打で追いつき、
続く島袋の左前適時打で勝ち越した。再び1点を追った6回2死満塁から比嘉の押し出し四球で同点。

先発した背番号6の右腕・粟国は2回4安打2失点、エース右腕・新川が3回からマウンドに上がったが、延長11回に決勝点を奪われた。


今大会7度目の延長戦で、1999年、2014年に並び、早くも1大会最多タイ記録となった。

428名無しさん:2021/03/26(金) 17:05:02
☆ 明豊、2年ぶりの8強  市和歌山に競り勝つ

       第93回選抜高校野球大会 第7日 第3試合  2回戦 市和歌山1-2明豊 (26日)



大会屈指の好右腕で1回戦で県岐阜商を完封した市和歌山の小園健太はベンチスタート。
先発は右腕・米田天翼(つばさ)が起用された。

明豊は四回表、米田友が春夏通算2500本塁打となる先制ソロを放った。
六回に同点に追いつかれたが、七回2死三塁から代打の竹下(2年)が左前適時打を放ち勝ち越した。


プロ注目右腕の小園健太は1点ビハインドの五回から登板。六回裏に松川の適時打で同点に追い付いたが、
その直後に決勝点を許した。

429名無しさん:2021/03/26(金) 17:10:01
☆ 制服に着替えて帰れ・覚悟できとるんじゃろうな…  高校生自殺は「監督の叱責が原因」



岡山県立岡山操山高校(岡山市中区)で2012年7月、野球部マネジャーだった男子生徒(当時16歳)が自殺した問題で、
県などが設置した第三者委員会は26日、同校野球部の監督からの激しい叱責が自殺につながったとする報告書を公表した。

男子生徒は、11年に同校に入学し、野球部に入部。12年6月に退部したが、翌7月にマネジャーとして復帰した。
しかし復帰から3日後、岡山市内で死亡しているのが見つかった。


報告書によると、男子生徒は、野球部監督だった教諭から、選手だった頃、「おまえなんか、制服に着替えて帰れ」
などとどなられたり、マネジャー時代に「1回(野球部を)辞めたんじゃから、覚悟はできとるんじゃろうな」
などとしかりつけられたりした。

自殺直前にもグラウンドに残されて叱責を受けており、第三者委は「体罰」に該当すると認定。
こうした行為によって、生徒は自身の存在意義に対する無価値感や野球部内での孤立感を深め、自殺の原因となったと結論づけた。


この問題を巡っては、生徒の自殺直後に県教委が調査していたが、「教諭の指導と自殺の因果関係はわからない」と結論づけ、
遺族側が第三者委による原因究明を要望。18年8月から委員の弁護士や精神科医らが検証してきた。

430名無しさん:2021/03/27(土) 11:20:02
☆ 春に強い東海大相模、準々決勝は5戦全勝

             

東海大相模の1-0完封勝利は原辰徳(現巨人監督)が2年の75年春、倉敷工戦で村中秀人(現東海大甲府監督)が
完封して以来46年ぶり2度目。 今年の春もしぶとく8強入りした。

同校の春は圧倒的。 センバツ出場10度以上の学校で、現時点での通算勝率7割5分8厘(25勝8敗)は歴代2位。
トップの大阪桐蔭(7割6分5厘=26勝8敗)と1勝分しか違わない。


門馬監督は春通算8割1分(17勝4敗)と8割超え。 ここまでは大阪桐蔭・西谷監督(7割9分3厘=23勝6敗)を上回る。
筑川利希也(元ホンダ)らの00年、田中俊太(現DeNA)菅野剛士(現ロッテ)らの11年に次ぐ春3度目のVなるか。

春の準々決勝は5勝無敗と突破率10割。準々決勝の無傷連勝は東洋大姫路(4勝0敗)を上回り、すでに最多となっている。



46年前のセンバツは以前にも詳細に記入したが、倉工も優勝候補の一角だったね。
センターの落球で負けたけど、兼光君が原辰徳をきりきり舞いさせた。

431名無しさん:2021/03/27(土) 11:33:02
☆ 智弁学園5年ぶり8強  広島新庄の2枚看板攻略!逆転勝ち  奈良県勢ダブル8強は44年ぶり

       第93回選抜高校野球大会 第8日 第1試合 2回戦 智弁学園5-2広島新庄 (27日)



優勝した16年以来、5年ぶりの8強に進出した。 
奈良県勢は、77年(天理=8強、智弁学園=4強)以来44年ぶりのダブル8強入りとなった。


智弁は1点を追う3回、垪和の遊撃内野安打で同点に追いつくと、なおも一、三塁で前川が詰まりながらも
遊撃後方へしぶとく落として勝ち越し。

さらに、山下が右前適時打で続き、3連打で逆転に成功した。 4回に中陳が中犠飛で4点目を加えると、
6回にも岡島の左前適時打で5点目。着実に得点を重ねた。投げては背番号10の右腕・小畠が2失点で完投した。


広島新庄は2回2死二塁から、平田が左前適時打で先制。4点を追う8回には瀬尾の中前適時打で1点を返した。
投げては初戦に続いて先発した右腕・花田が3回に逆転を許し、4回から左腕・秋山が2番手で登板した。

432名無しさん:2021/03/27(土) 15:26:02
☆ 東海大菅生 9回劇的サヨナラで初の8強  代打・多井が決めた!

         第93回選抜高校野球大会 第8日 第2試合  2回戦  東海大菅生5x-4京都国際 (27日)



東海大菅生(東京)が5-4で京都国際を逆転サヨナラで破り、6年ぶり4回目の出場で初のベスト8入りを果たした。

東海大菅生は2回無死一、三塁で7番・小山の遊ゴロで先制。 3回1死三塁には千田の二ゴロで加点した。
2点を追う9回に小池の三ゴロで1点を返し、なおも2死満塁で代打・多井が右翼線2点適時二塁打を放ち試合を決めた。

投げては6回から登板した2番手の3年生左腕・松永が3回無失点、9回はエース左腕の本田が奮闘を見せた。


京都国際は2点を追う5回2死満塁で中川が走者一掃の左翼線適時二塁打で逆転。
なおも2死二塁に森下の左前適時打で一挙4点奪いリードしたが、2点差を守れずサヨナラ負けを喫した。

代打サヨナラ打の多井は「代打はいきなり告げられました。追い込まれてからもしっかりと振りに行くことができました。
サヨナラヒットは生まれて初めて。 打った瞬間抜けたと思いました」と喜びを語った。

433名無しさん:2021/03/27(土) 16:58:01
☆ 中京大中京 15得点豪打で11年ぶり8強  選抜単独最多57勝目  6番・加藤が4安打4打点 

             第93回選抜高校野球大会 第8日 第3試合  2回戦  中京大中京15-5常総学院 (27日)



中京大中京は2回無死二塁に櫛田の左翼線適時二塁打で先制。
3回1死二、三塁には辻の中犠飛、なおも2死二塁に加藤の左翼線適時二塁打で加点した。

4回2死満塁には原の左翼線2点適時二塁打、加藤の走者一掃の右中間適時二塁打で一気に5点を奪った。

6回1死三塁にも桑垣の三ゴロでリードを広げた。8回無死一、三塁では暴投で1点、なおも2死一、二塁から盗塁と敵失で1点を加えた。
9回にも暴投、満田の中前適時打、杉浦の右前適時打、桑垣の左犠飛で4点を奪った。


投げては先発したエース右腕・畔柳亨丞(くろやなぎきょうすけ)が149キロ直球に変化球を交えて7回を7安打1失点と好投を見せた。
「1人の1週間の総投球数を500球以内」という制約の中、110球で降板した。

常総学院は8点を追う5回1死満塁に四球の押し出しで1点を返した。 8点を追う8回1死満塁で死球押し出し、
宮原の右犠飛、伊藤の左前適時打、三輪の右前適時打で4点を返したが及ばず。 6年ぶりの8強入りはならなかった。

434名無しさん:2021/03/28(日) 11:03:00
☆ 甲子園観客席から「ラガーさん」が姿を消した! 本人が語るその真相  ①



高校野球の聖地・甲子園球場から、ラガーシャツに黄色のキャップをかぶった“あの男性”の姿が消えている。

1999年から甲子園の8号門前に寝泊まりし、バックネット裏最前列の「A段73列」に陣取って、
常にテレビの生中継に映り込んでいた通称“ラガーさん”が、今年の選抜では見当たらないのだ。

正確にはバックネット裏の最前列が「ドリームシート」となり、近畿圏の少年野球チームが無料招待されるようになった
2016年春以来、既にテレビ画面からは消えていた。だが、それ以降もラガーさんは春と夏の甲子園に毎日訪れ、
三塁側の最前列に座って観戦。


球場の外では声を掛けてくる高校野球ファンと一緒に写真を撮ったり、女子高生のサインの求めに応じていたりしていた。
著書も3冊刊行し、あたかも甲子園に棲む高校野球伝道師のような立ち居振る舞いには賛否があったが、姿が消えたとなると、
それはそれで不在の理由が知りたくなってしまう。

そこで、ラガーさんこと善養寺隆一氏(54)に連絡を入れてみた。「えー、なになに、やっぱりオレのこと、気になってた?」
電話口でいきなりのハイテンション。 相変わらずの調子で思わず言葉に詰まるが、まずは事実の確認から。


「今回は甲子園に行っていませんよ。 だってさ、コロナで大変な時期に、観戦(感染?)してもまずいでしょ。
オレもこれまでいろいろ叩かれてきたからさ。 あんな格好で甲子園に行って、万が一、テレビに映ってしまったら、
また面白おかしくネットで書かれてしまうから」

ならば目立つ格好で観戦しなければいいのでは。
「いや、オレもあの格好にはプライドがあるから。黄色い帽子と、ラガーシャツ。あなたと違って、オレにも考えがあるの!」


8号門の前に集団で寝泊まりしていた時代は、ラガーさんら常連観戦者のグループ「8号門クラブ」によるバックネット裏の席の占有が、
甲子園の“私物化”だと批判が集まり、インターネット上では彼らを排除すべく署名活動も展開された。

そうした騒動の末に、バックネット裏の席が野球少年たちに解放されたという経緯がある。

今年の選抜は新型コロナウイルスの感染対策の一環として、観衆を1日1万人に限定。観戦チケットが全席指定となるだけでなく、
バックネット裏を含む「中央指定席」が2500円から3900円に、「1・3塁指定席」が2000円から3400円に、
これまで無料だった外野も700円と例年より割高となった。

435名無しさん:2021/03/28(日) 11:06:00
☆ 同上  ②


「大会12日間すべて中央指定席を購入すると、手数料もあわせて5万円ぐらいになってしまう。べらぼうに高くなったよね。
すべてがネットでの販売で、インターネットがつながらなければ取れるものも取れない。取れたとしても、毎日、違う席になる。
それに、もし雨天順延となったら、払い戻しをして、また新しいチケットを買う必要性も出てくる。やってらんないよ」

チケットのプレミア化と値上げも、ラガーさんの足が遠のいた要因なのだろうか。

「お金はあるよ。それなりにさ。自分でも言うのもなんだけど。オレ、他に趣味がないから。仕事は両親が経営していた印刷所を
今も細々とやっていますよ」


夏の選手権大会のチケットが全席指定となった100回大会(2018年)以降、ラガーさんが野宿をすることはなくなった。

「100回大会のときに、8号門のところで野宿していて、寝ている間にチケットを盗まれてしまった。 知ってるでしょ? 
それ以来、甲子園の近くに民泊するようになりました。20年間休まず、春夏の甲子園にやってきて、いろんなことが起きながらも、
ブレーキをかけずに全試合を観戦してきた。 こうして一度、甲子園を外から見るってのもいいんじゃないかな」


選抜観戦を“辞退”したのは、新型コロナの感染拡大が最大の理由だった。

「これは人間のモラルの問題だね。人間として、コロナ禍に東京から行って、テレビにでも映ったらモラルを問われるでしょ。
野球観戦の引退はしないよ。ネットではさ、今年の甲子園にオレがいないことで、“ラガーさんが捕まった”みたいなことも書かれていた。

そんなわけないじゃない。誰かと勘違いしてんだろうね。この点はしっかり書いてほしいんだけど、野球観戦は止めたわけじゃない。
コロナさえ落ち着けば、今年の夏も足を運びますから。この点はしっかり書いてくださいね。頼みましたよ!」

「甲子園観戦をやめるわけじゃない」と繰り返し強調し、こちらに電話を切るタイミングをいっさい与えないラガーさんだった。

436名無しさん:2021/03/28(日) 11:17:00
☆ 天理・達が150キロ宣言  大会最速の畔柳に闘志



13年ぶりにセンバツ8強進出の天理は雨天中止となった28日、甲子園の室内練習場で練習を行った。
193センチの長身右腕エース、達孝太投手を擁して投打の歯車がかみ合って好調だ。

この日の仙台育英戦が29日に順延され、前回登板の25日高崎健大高崎戦で134球を投げて完封勝ちした達にとっては、
中2日が中3日に延びてコンディションを整えられそうだ。


中村監督(52)は「達は昨日の状態でも『大丈夫です』という話で今日、先発させる予定だった。
1日、順延になって恵みの雨になったのかなと思います」と話した。

主将の内山も「達自身もすごく成長している。すごく中京大中京の畔柳君を意識している。
昨日、149キロが出てすごく気にしていた。『自分を超えられた。自分が150キロを投げたい』と。すごく頼もしい。
本当に投げそうです」と明かした。27日に畔柳が149キロを計測するまで、25日に達がマークした148キロが最速だった。


27日は達の17歳の誕生日で、練習の最後のランニング前に「おめでとう」と声を掛けたという。
内山主将は「ちょっと照れている感じでした」と笑った。 好ムードで決戦へ。

仙台育英とは甲子園常連校同士の対決。 過去3戦は1勝2敗で、96年以来、25年ぶりの激突になる。

437名無しさん:2021/03/28(日) 11:35:01
☆ 仙台育英 “仮想・達”で準備OK、天理の193センチエース攻略で4強入りへ



仙台育英はこの日の第1試合で天理と対戦予定だったが、雨天中止を受けて甲子園の室内練習場で調整。
“仮想・達”で打撃練習を行い、本番に備えた。

1、2回戦といずれも2桁安打をマークして勝ち上がってきた強力打線が、好投手を迎え撃つ。
天理のエース・達投手は193センチの高身長から最速148キロの直球を投げ込む本格派右腕。


角度のある球に目を慣らすため、この日は身長185センチの中村投手に打撃投手を務めてもらうなど対策をとった。
さらに、マウンドから約2メートル手前の位置から投球してもらうことで、速球への対応も目指した。

練習を終え、須江監督は「今日の休養を経て状態のいい達くんを攻略して、チームとして強くなりたい」と闘志を燃やした。
島貫主将は「不安要素なく試合に臨むことができる。しっかりと冷静に自分たちの野球をしたい」と力を込めた。

438名無しさん:2021/03/29(月) 15:36:01
☆ 仙台育英・須江監督「失点をコントロールできなかった」 20年ぶり4強ならず

         第93回選抜高校野球大会 第9日 第1試合  準々決勝  仙台育英3―10天理 (29日)



天理が97年以来24年ぶりの4強入りを決めた。 これでセンバツ30勝目。

仙台育英は2点を追う3回無死から八巻真也が右越えソロ、さらに1死二、三塁から島貫主将の中犠飛で同点に追いついた。
しかし、2回から登板したエース右腕・伊藤が4回に守備の乱れから4失点するなど6回途中まで投げ8失点(自責点4)と崩れた。


打線も3回以降は適時打が出ずに、準優勝した01年以来の4強入りはならず。
試合後、須江監督(37)は「得点を取るより失点をうまくコントロールしたい試合でしたが、それができませんでした。

天理の打者の対応力が上でした。伊藤が早めのリリーフで流れを変えたんだけれども、その伊藤を引っ張り過ぎてしまった。
野手にミスが出た時にどう立て直すか、これが夏への課題」と話した。


選手宣誓をした主将の島貫は、東日本大震災から10年の節目の大会で準々決勝敗退が決まり、
「東北の代表として優勝したかった。 たくさんの応援をいただいていたので悔しい」と声を落とした。
「夏に向かって仕切り直してやっていきたい」と前を向いた。

遊撃の渡辺は昨秋公式戦で6試合無失策の名手だが、悔しい3失策。
「対応できなかった自分のミスというか力のなさ」と肩を落とした。「自分のエラーで負けた。申し訳ない気持ち」と詫びた。

それでも2番手でマウンドにいたエース伊藤は「普段ミスしない旭がミスして、なんかあるんじゃないかと思った。
カバーできなかったのが本当に悔しい」と渡辺をかばった。

439名無しさん:2021/03/29(月) 15:38:01
☆ 仙台育英・八巻  天理・達から「低め狙って」聖地初アーチ  大会記録迫る9打席連続出塁



2点を追う3回無死、先頭の3番・八巻真也が右越えソロを放った。
高校通算7本目、聖地初アーチは大会屈指の好投手・達が投げ込んだ低めの直球をとらえた。

「残塁が多かったので、ノーアウトでもどんな形でも出られたらと。1人でも出たら変わるかなと思った」。
大会屈指の好投手・達に対しては「高めのボールが伸びてきてフライアウトになったりする。
低め狙って打席立った」と、低めの直球を狙い撃ち。


「しっかりとらえられたので、いくかなと思ったけど、切れるか微妙なところだったので入れ!と思いました。
高めのボールを見逃すのはチームとして徹底していたので、良かった。甲子園で打てたのはうれしかった」と振り返った。

2回戦の第1打席から9打席連続出塁。83年の藤王(享栄)が樹立した連続出塁11の記録にあと2と迫り、
「出塁は意識していた 全打席どんな形でも出塁できたら後ろに良い打者いるので役割果たせたと思う。


甲子園では良い投手がいて、かなり難しかったし、守備でもミスもあったけど、何があるかわからない。
丁寧に集中してやっていくことが大事だなと思った。3試合、いい形で打席に立てたので自信になりました」と話した。

しかし20年ぶりの4強はならず。 「攻撃は残塁がかなり多かった。 チャンスで決められるようにしたい。
一つ一つのミスをなくしていけるようにしたい」と悔しさをにじませつつも、夏に向けての収穫と課題を持って球場を後にした。

440名無しさん:2021/03/29(月) 15:50:01
☆ 東海大相模 3年ぶり4強進出   胃腸炎の主将欠き手負いも一丸  2桁安打猛攻 & 石田14K完封

        第93回選抜高校野球大会 第9日 第2試合  準々決勝  東海大相模8-0福岡大大濠 (29日)



主将の大塚晏が急性胃腸炎のためベンチを外れた。 初回から3番・小島河、5番・百瀬の連続適時打で2点を先制。
2回には門馬監督の次男で、大塚に代わってゲームキャプテンを務めた門馬功が左越え2ランを放つなど一挙4点で突き放した。

投げてはエース石田隼都が3安打14奪三振で完封した。


福岡大大濠はエース毛利海大がベンチスタート。
序盤で主導権を渡す展開となり、2回途中から毛利が救援も流れを引き寄せられなかった。

441名無しさん:2021/03/29(月) 15:55:01
☆ 博多華丸が母校の福岡大大濠高校を熱烈応援  ジャンパー姿でセンバツ準々決勝観戦



お笑いコンビ「博多華丸・大吉」の博多華丸(50)が29日、ツイッターを更新。
母校である福岡大大濠高校がセンバツ高校野球大会の第2試合に登場したのに合わせ、同校のジャンパー姿を披露した。

華丸は「こっそり家で正装しました。応援してます!」とつづり、同校のチームカラーであるえんじ色のジャンパーを着用。
胸には「福大大濠」の文字が白色でプリントされている。マスクながら目をぎょろりと光らせ、気合十分の表情を見せた。


先輩の応援にフォロワーも大注目。「赤が似合うイケメンおじさん」「やっぱ、福大大濠がしっくりくる!
福岡大濠ってTVに表示されるの違和感あるんですよねー」などのツイートが相次いだ。

442名無しさん:2021/03/29(月) 16:00:40
☆ 甲子園球児支える阪神園芸の “神整備”  「思い出持ち帰って」



今回のセンバツでは、大会第3日の21日が降雨により中止となり順延されたが、この日も「試合の実施が決まれば、
1時間後には練習を始められるように準備していた」と話すのは、同社甲子園施設部長の金沢健児さん(53)だ。
運ぶ土の量や整備の順番、降水量や気温までこまめにチェックし、「体に染みついたもの」があると自信を見せる。

甲子園を知り尽くす金沢さんは「最もグラウンド状況が良いのは、実はセンバツが行われるこの時期」と明かす。
選手たちがプレーする上で最も重要なのは土の硬さだといい、それを左右するのが気温だ。


例年シーズンオフの1〜2月、土で固めた内野全面を25センチほど掘り起こし、固め直す大規模なメンテナンスを施す。
表面だけでなく内部まで「適度な硬さ」に仕上がるのが、最高気温15度を超えたあたりだからだ。

金沢さんは「球児たちが最初にできあがったばかりのグラウンドでプレーできる。
甲子園が初めての選手には分からないだろうが、春と夏でも感触の違いがある」と話す。


今大会は社員10人にアルバイトを加えた計約20人で日々の整備に臨む。1日に最大4試合を行う甲子園大会では
「どの試合も同じ」に仕上げるのが絶対条件。新型コロナウイルス感染症対策での試合後の消毒のため、
いつもより試合間隔が10分長いことで、金沢さんは「少しだけ余裕があるかな」と笑う。

整備だけでなく、選手たちへの「神対応」も光る。甲子園球児といえば、敗れたチームがグラウンドの土を集めて
持ち帰る姿が恒例だが、昨夏の甲子園交流試合から感染症防止の観点から控えるよう呼び掛けられ、
代わりに球場側が用意した土がチームに贈られる。


当初はネット上には「どうせ倉庫の土」などの声が上がったが、実際に阪神園芸が用意するのは、
全てグラウンドから集めてふるいにかけた「甲子園の土」だ。
金沢さんは「確かに土は倉庫のものと同じものだが、選手にとっては全く意味が違うはず。できることはしたい」と語る。

28日も悪天候で中止になったが、「春の嵐」が吹き荒れた後の翌日のグラウンドはいつもと変わらぬ
美しさを取り戻し、準々決勝の熱戦を迎えた。 「最高の条件でプレーして、良い思い出を持ち帰ってもらう。
そんな舞台を整えるのが私たちの仕事」と金沢さん。そんな信念のもと、日々やるべきことはこれからも変わらない。

443名無しさん:2021/03/29(月) 16:06:02
☆ 達、瀬、求… 活躍!  1文字名字の選手 



天理はエースが「達(たつ)」、4番が「瀬(せ)」。東海大相模には「求(もとめ)」がいる。

敗れはしたが、目を引いたのは初出場の大崎(長崎)で4番・捕手の「調(しらべ)」。


ちなみに過去10年の優勝チームを見てみると、2013年の浦和学院には「贄(にえ)」、
14年の龍谷大平安は「常(つね)」、16年の智弁学園には「納(おさめ)」がいた。

さて、今回の優勝チームに1文字名字の選手は残るのか?

444名無しさん:2021/03/29(月) 16:28:02
☆ 甲子園で門馬家悲願の本塁打  監督の父と初めて喜び合う   東海大相模・門馬功左翼手(3年)



門馬家の思いを乗せた打球が左翼手を超えた。 二回1死二塁。2球目の真ん中への直球を思いっきり引っ張った。
速い弾道で左翼席に到達する2ラン。「打った瞬間、角度がよかったので入ったと思った」。こ
の回一挙4得点をあげる打線に火をつける、公式戦初本塁打だった。

ダイヤモンドを1周すると、一塁側ベンチ前で拍手する父親の門馬監督と右拳を合わせた。
打って喜び合うのは、高校生活で初めてだったという。「素直にうれしかった」と少しはにかんだような表情を見せた。


父の門馬監督、4学年上の兄の大(ひろ)さん、そして2学年上の姉の花さんも野球部の卒業生という「東海大相模一家」だ。
父が率いる相模が出場すれば応援に駆けつけ、「小さい頃からずっと見ていた」というあこがれの球場で、
さらに単打と三塁打も放って3安打2打点。 ともに甲子園でプレーできなかった父、兄の分まで暴れ回った。

主将の大塚が急性胃腸炎でベンチから外れたため、主将代行を務めた。「役割は特に意識していなかった」というが、
本塁打については「つないでくれたみんなのおかげ」。 殊勲を誇るより、まず仲間への感謝が口をついて出た。

445名無しさん:2021/03/29(月) 16:50:01
☆ 明豊が2度目の4強進出  11安打6点で智弁学園に打ち勝つ…  両校無失策の好ゲーム

             第93回選抜高校野球大会 第9日 第3試合  準々決勝  明豊6-4智弁学園 (29日)


明豊は初回、先頭の幸修也が左翼ポール際へ先制ソロ。
17年センバツ決勝の藤原恭大(大阪桐蔭)以来となる1回表の先頭打者本塁打を放った。

3回には阿南の右前適時打、黒木の中越え適時二塁打でさらに2点を加えた。黒木は5回にも右前2点適時打を放ち、リードを広げた。
投げては先発の京本が4四死球と苦しみながらも踏ん張り3回無失点。 4回から2番手の太田が登板。
2点差まで詰め寄られたが、リードは許さず、7回から財原にリレーした。


守備も援護した。4点リードで迎えた6回には2点を返され、なおも2死一、三塁のピンチで智弁学園の山下が放った左翼への大飛球を、
明豊の左翼・阿南が背走しながら難しい体勢でキャッチ。 そのままフェンスに激突した。
阿南はしばらく起き上がれなかったが、ボールがおさまったグラブを掲げると場内からは万雷の拍手が送られた。

智弁学園は優勝した16年以来5年ぶり4強はならなかった。 4回まで再三の得点機を生かせず。
5回に5番・三垣が左前適時打で1点、6回に押し出し四球などで一時2点差。 8回にも1点を返して詰め寄ったが及ばなかった。
投げては先発の西村が先発も5回5失点と本来の実力を出し切れず。2番手・小畠にリレーした。

446名無しさん:2021/03/30(火) 10:50:02
☆ 中京大中京 24年ぶり4強   ドラフト候補・畔柳  疲労蓄積でも138球完封 

       第93回選抜高校野球大会 第9日 第4試合  準々決勝  中京大中京6-0東海大菅生 (29日)



4強が出そろい、明日30日の休養日を経て、31日に準決勝が行われる。
組み合わせは天理-東海大相模、明豊-中京大中京となった。

中京大中京は最速151キロのドラフト候補右腕・畔柳亨丞が5回まで無安打の好投。6回にポテン安打こそ許したが、
結局2安打に抑えて、25日の1回戦・専大松戸戦に続き今大会2度目の完封を果たした。


打線は、初回、東海大菅生先発・本田が立ち上がりが乱調な隙を逃さず3点を先制。2回にも遊ゴロの間に1点を加えた。
さらに5回には加藤の中前2点適時打で2点を追加した。

試合後、畔柳は「きょうは疲れがたまっていたが序盤に仲間が点を取ってくれて、感謝して投げることができた。
1、2回戦は力みで球が抜けていたが、きょうは良い疲労具合で力みが抜けた」と振り返った。

5回まで無安打投球が続いたが「ヒットはOKと思って投げた」。
9回には連続四球を出し「菅生は粘り強いチーム。力が入ってしまって四球になった」と反省も忘れなかった。

447名無しさん:2021/03/30(火) 10:58:02
☆ 中京大中京・畔柳が2度目の完封  準決勝の「リミット」は121球 「投げられるだけ投げ抜く」



歯を食いしばった。声も出した。中京大中京のエース畔柳亨丞は圧倒的な力で試合を締めくくりに入った。
「9回に相手に流れを持って来させないようにギアを上げた」。
3つの四球で2死満塁こそ招いたが、渾身の真っすぐで最後の打者を中飛に仕留めると、最高の笑顔に変わった。

先取点をもらった直後の初回にこの日の最速148キロを計測したが、以降は力の配分を考え緩急を意識した。
5回まで無安打投球。 球速は落としても安定感は最後まで失わなかった。 
2度目完封に要した球数は138で1、2回戦と合わせ計379球。


出場32校最後の登場で、準決勝は25日の1回戦からちょうど7日目。「1週間500球以内」の球数制限を考えれば、
継投に入る手もあったが、高橋監督は信念を持って決断を下した。

「次戦とかでなく、今日の試合に勝利を収めるには何を最優先するか」といい相手を最後まで勢いづかせないことを選択。
「将来もあるので無理なら投げさせない。500球が高校生の基準になっている。その枠内なら投げる体力はある子」。
疲労を見極め能力を信じた。


準決勝で投球可能な球数は121。 指揮官が継投を明言する中、エースは「限られた球数の中になるが、
投げられるだけ投げ抜くつもりです」と決意を口にした。
66年以来の頂点に向け、訪れた試練。 畔柳は見えない相手とも戦う。

448名無しさん:2021/03/31(水) 12:08:01
☆ “飛びすぎる金属バット”の見直しで高校野球はどう変わる?  現場指導者の見方は… 



「1週間500球以内の投球数制限」(試行期間3年)がスタートしたが、高校野球は次なる改革に向けて動きだしている。
金属バットの見直しで、反発力を低くすることで打球速度を抑える「低反発金属バット」の導入が検討されているのだ。

早ければ来春以降にも着手されるこの改革を現場はどう捉えているのか。 
現場の多くの指導者たちも反発係数の低い金属バットの「導入は間近」との認識だ。


3年生野手22人の通算本塁打が実に240発を超える健大高崎打線を指導する赤堀佳敬コーチは「金属バットの反発係数が落ちる。
実際に導入されてみてどうなのかというのはありますが、最低限の打力と細かい野球をよりやっていかないといけない。

木製バットに近い野球、大学野球のような野球ですよね。そういうことも必要になってくる。 時代とともにモノが変わり、
野球も変わる。 勉強していかないといけないと思っています」と語る。
指導者たちは異口同音に、道具の変化によって高校野球が大きく変わるとの認識を示し、準備を進めている。


ソフトバンク・王貞治球団会長(80)は「今の金属バットは肉厚が薄いんだよね。 復元力が増してそれでよく飛ぶ。
それで、どうしても技術的にはプロに入る時に矯正しないといけないから遠回りするんだ。
金属バットから木製バットに対応するのが難しくなっているよね」。

超高校級と騒がれた金の卵たちがプロ入り後に苦戦する姿は枚挙にいとまがない。
木製使用のU18国際大会などでの苦戦も続いている。道具が変わり、アプローチが変わることで、球児たちの未来も変わっていく。
野球界全体としては変革への歩みに異論は少ない。 改革を進めながら、高校野球は変わる。

449名無しさん:2021/03/31(水) 12:12:01
☆ オコエと清宮 「元甲子園のスター」に迫る “リミット”



今年でプロ6年目の23歳・楽天のオコエ瑠偉外野手、プロ4年目の21歳・日本ハムの清宮幸太郎内野手。

オコエはもうとにかく後がない。 今年2月のキャンプは二軍スタートが決まっていたが、
2月2日に左手関節の手術を受けることが球団側から発表され、キャンプ全休。復帰時期も未だ不透明のままだ。


昨季はプロ入り後初の一軍出場なしで終わり、二軍の公式戦でも27試合の出場で打率2割6分9厘、0本塁打、
5打点、3盗塁とまるでパッとしない成績にとどまった。

昨年末の契約更改後、報道陣からオコエに対するコメントを求められた石井GM兼監督は「考えが甘い。
がんばってほしいというより、そろそろ出てこないと彼自身の野球人生が苦しくなる。ここが正念場。
自己評価が高過ぎる」とバッサリ切り捨てている。


清宮も断崖絶壁だ。「和製ベーブ・ルース」もプロでは未だ鳴かず飛ばず。
今年は高卒4年目で初めて春季キャンプを「完走」したが、オープン戦は打率1割6分7厘、0本塁打と大低迷。
これには栗山監督もさすがに厳しい決断を下さないわけにはいかず、開幕二軍スタートを言い渡した。

好材料が全くない。プロ3年目の昨季は批判の嵐を浴びながらも一度の登録抹消のみで一軍帯同をほぼ許され続けたが、
96試合に出場したにもかかわらず僅か7本塁打、22打点、そして打率に至っては1割9分と散々の成績に終わった。


栗山監督は開幕直前、報道陣に清宮の打撃がバラバラで一貫性がなくなっている点を指摘しながら嘆いていた。
清宮も、そしてオコエも“お試し期間”は終わりを告げている。

両者に共通して言えるのは、いくら「若手」とはいえ残された猶予は限りなく少ないということだ。
もうプロ選手として強い危機感を自覚し、一軍で結果を残さなければいけない時である。

450名無しさん:2021/03/31(水) 15:11:01
☆ 東海大相模 10年ぶり決勝進出!  エース石田6連続含む15奪三振、3安打完封

            第93回選抜高校野球大会 第10日 第1試合  準決勝  東海大相模2―0天理 (31日)



東海大相模は初回2死二塁から柴田の左前適時打で先制。 9回2死三塁からは相手暴投で1点を加点した。
投げてはエース左腕・石田隼都は、3回1死からの6連続を含む15三振を奪って3安打完封。

石田は前半直球中心にスライダーをまじえ、後半は要所にチェンジアップも使い、122球で投げ切った。

「しっかり投げ切れたのはよかった。 真っすぐのコントロールがよかった。
三振は、気分は乗るが、アウトに変わりはない。 明日(決勝)もいけると思う」

東海大相模は、2度目の優勝を飾った2011年以来の決勝進出。


天理は、今大会初先発の左腕・仲川が粘りの投球で8回7安打1失点と好投。 9回から南沢が登板した。
打線は1点を追う6回1死三塁の好機をつくるなどしたが石田を打ち崩せなかった。 達孝太は登板機会がなかった。


中村監督(52)は試合後、達が左脇腹を負傷していたことを明かし「肘、肩はなんの問題がない。
ちょっと違和感が、ということだった。脇腹のことで止めました。脇腹は怖い。これでよかったと思います」と説明した。

達は「仙台育成戦で痛めたんですけど、試合後になんだろうと考えたときに、バント処理のときに滑ってしまった時に、
可能性として。自分はやっぱりメジャーという目標があるので、この試合だけを考えて投げることが全然できたんですけど、
そこに行くために、いま故障しても意味がないので、そこは監督と相談して決めました」と話した。

451名無しさん:2021/03/31(水) 15:26:01
☆ 中京大中京のエース畔柳にアクシデントか  白衣のドクターがベンチへ  準決勝、明豊-中京大中京 (31日)



スタンドがどよめいた。1週間500球の球数制限のせいでもないだろう。
中京大中京の畔柳投手は準決勝で投げられるのは121球ということもあり、この日はベンチスタート。

5点を奪われた4回2死一塁からリリーフで出ると、打者7人を無安打5三振と完璧に抑えた。
これに応え、チームも5回に1点、6回にも2点を返したが、なおも2死二塁で打席が回ったところで代打を送られた。


この日の投球数は31球。 残り90球を残しての不可解な降板となった。

六回、2点ビハインドの場面での交代。 畔柳の打席の直前には白衣のドクターが三塁側ベンチに向かっていた。
ベンチでは苦悶の表情を浮かべており、何らかのアクシデントがあった可能性が高い。

452名無しさん:2021/03/31(水) 15:53:39
☆ 明豊、春夏通じて初の決勝進出  中京大中京降す

            第93回選抜高校野球大会 第10日  第2試合  準決勝 明豊5―4中京大中京 (31日)



中京大中京は、球数制限の影響が懸念されるエース・畔柳の先発を回避し、背番号「10」を着けた柴田をマウンドへ。
明豊の先発マウンドには、同じく背番号「10」の左腕・太田。 両投手の好投で、3回までゼロ行進の展開となった。

試合が動いたのは4回、先頭の竹下が安打で出塁し、2つの四死球などで1死満塁とすると、塘原の犠飛で先制。
なおも一、二塁から太田、簑原、阿南の3連続適時打で、この回一挙5点を奪った。
ここで中京大中京は、畔柳をマウンドへ。得点圏に走者を背負った場面での登板だったが、これ以上の失点は阻止した。


反撃に転じたい中京大中京は5回、1死から満田が四球で出塁。盗塁で二塁に進むと、杉浦が右翼への適時打を放ち、1点を返した。
さらに6回、無死から安打と四球、犠打で二、三塁の走者を置くと、加藤の2点適時打が飛び出し、その差を2点に。
なおも2死二塁から、畔柳に代打を送るなど勝負に出たが、追加点はならなかった。

後がない中京大中京は9回裏、無死から加藤が二塁打でチャンスメイクを見せると、櫛田も安打で続いて一、三塁。
捕手からの牽制球で一塁走者が飛び出した間に1点を返したが、あと一歩及ばず。 

大分県勢の決勝進出は1967年に優勝した津久見以来、54年ぶり2度目。

453名無しさん:2021/03/31(水) 16:10:01
☆ 中京大中京の畔柳は異変感じ 自己申告で降板  「ベンチに戻ったら右腕に力が入らなくてヤバイと思った」



試合後、高橋監督(41)は畔柳の交代について「身体に力が入らない、という状態だったと本人からの申告があった」と説明。
畔柳は「三者連続三振を取った後、ベンチに戻ったら右腕に力が入らくてヤバイと思った。途中降板してしまって申し訳ない」と話した。

3戦連続で先発し、「1週間で500球」の球数制限が残り121球に迫っていた畔柳は先発を回避。
代わって先発した3年生左腕・柴田が4回に5点を失うと、イニング途中から、畔柳がリリーフでマウンドに上がった。


6回まで31球を投げて、打者7人から5奪三振の快投。だが、6回の攻撃で打席が回ってきたところで代打が送られた。
その後、医師が中京大中京の三塁側ベンチに向かっていた。今大会で410球を投げたことになる畔柳は、試合後の整列には姿を見せた。

30日の休養日はチーム練習に参加せず、宿舎でマッサージを受けるなどして静養した。
同日夜のオンライン取材では「疲れはある」と打ち明けていた。

454名無しさん:2021/04/01(木) 10:15:02
☆ 「甲子園の魔物」に襲われた…  センバツ「決勝戦」で起きた “まさかの結末”  ①



これまでにも数々の名勝負が演じられてきた決勝戦だが、頂上対決ならではの独特の雰囲気のなか、
“甲子園の魔物”とも言うべき一瞬のエアポケットが明暗を分けた例も少なくない。そんなまさかの結末をもたらした試合とは…。

浅い左飛にもかかわらず、左翼手が肩を痛めていることを知っていた三塁走者が「一か八か」で本塁に突っ込み、
思いがけないサヨナラ劇となったのが、1980年の高知商vs帝京である。


“球道くん”の異名をとる高知商の本格派右腕・中西清起に対して、変化球で打たせて取る帝京の2年生右腕・伊東昭光。
剛vs柔対決となった試合は、初回からスコアボードに19個のゼロが並ぶ投手戦となった。

そして、0対0で迎えた延長10回裏、高知商は先頭の堀川がファウルで粘り、伊東の10球目を左翼線二塁打。
送りバントで1死三塁のサヨナラ機をつくる。


直後、帝京・前田監督は、レフト・江黒の守備に一抹の不安を感じ、守備要員にキャッチボールを命じていた。
前年秋に肩を痛めた江黒は、本塁までの直接返球は難しく、左飛が上がれば、サヨナラ犠飛になるリスクがあった。
だが、主将をベンチに引っ込める決心はつきかねた。

そんな葛藤の最中、瞬間風速15メートル以上の強風がレフトから本塁方向に吹いた。
「この向かい風なら、大きな飛球が上がることはない」。遊撃手が中継してバックホームする練習も積んでいた。
そう判断し、交代を思いとどまった。


一方、高知商・谷脇監督は、前日の準決勝、丸亀商戦を見て、「左翼手の投げ方がおかしい」と異変を察知していた。
当然、三塁走者・堀川も「浅くても突っ込もう」と心に決め、次打者・小島の打球がレフトの定位置より
4、5メートル右前に飛んだにもかかわらず、本塁を狙った。

遊撃手が外野の芝生付近まで下がって中継し、必死のバックホーム。タイミングはアウトにも見えたが、判定は「セーフ!」。
捕手のタッチを回り込んでかわしながら、左手を伸ばし、巧みに本塁ベースを掃いた堀川の“技”に軍配が上がった。

「肩が普通だったら、ノーカットで楽に刺せた」と江黒は悔やんだが、最重要局面では、「普通なら自重するケース」など
あり得ないことを痛感させられた試合でもあった。

455名無しさん:2021/04/01(木) 10:17:02
☆ 同上  ②


優勝まで「あと一人」からまさかの暗転劇に泣いたのが、89年の上宮である。
決勝の東邦戦は、1対1のまま延長戦に入り、10回、上宮は主将・元木大介(元巨人)の左前安打など3安打を集中。
敵失にも乗じて、2対1と勝ち越した。

その裏、東邦の攻撃も2死無走者。ところが、ここまでコースを丹念についていた2年生エース・宮田正直(元ダイエー)が
優勝を意識して「自分がどこにいるのか、何をしているのかわからなくなった」と突然制球を乱し、
ストレートの四球と内野安打で2死一、二塁のピンチを招く。


次打者・原浩高は、初球を迷わず振り抜き、詰まりながらも中前に同点タイムリー。さらに本塁送球の間に二塁を狙った。
だが、一塁走者の高木は二塁を回ったところで立ち止まっていたため、明らかに暴走。

これを見た上宮の捕手は、高木を挟殺しようと、サード・種田仁(元中日など)に送球したが、
ここから信じられないような連続ハプニングが起きる。 それは種田の二塁送球が、やや左にそれたことから始まった。


悪送球は右前に抜けたが、ライト・岩崎己がすぐさまバックアップに入り、通常なら、走者が二、三塁で止まるケースだった。
ところが、次の瞬間、ボールは芝生の切れ目でイレギュラーバウンドして跳ねると、岩崎の頭上を飛び越し、
右翼フェンス最深部まで転がっていった。 この間に高木が歓喜の表情で逆転サヨナラのホームを踏んだ。

あまりのショックに、ショートの元木をはじめ、上宮ナインはグラウンドにうずくまり、しばらく起き上がることができなかった。
「しめた!」と思った直後に待ち受けていた落とし穴。 幸運と不運は常に隣り合わせである。

456名無しさん:2021/04/01(木) 10:20:02
☆ 同上  ③


甲子園名物・浜風のいたずらが皮肉な結果をもたらしたのが、91年の広陵vs松商学園である。
5対5で迎えた9回裏、広陵は安打と四球で1死一、二塁、下松が右翼に大飛球を放った。

松商学園のライトは、7回途中に降板し、外野守備に不慣れなエース・上田佳範(元日本ハムなど)。
しかも、これが守備に就いて初めて飛んできた打球だった。前進守備を敷いていた上田は必死に背走したが、
追いつけそうにないと見るや、捕球をあきらめて、いったん足を止めた。


ところが、直後、打球は浜風にあおられ、右から左へと押し戻されてくるではないか。
そして、慌てて差し出すグラブのわずか左に落ち、サヨナラ打となった。「あきらめずに追っていれば……」。
上田が悔いを残したのは言うまでもない。

サヨナラの打球がライトに飛んだのは、広陵にとって幸運だったが、その一方で、松商学園にも一陣の風が
幸運をもたらすはずだった。 一瞬の判断が分けた明暗…。
「幸運の女神には前髪しかない」というレオナルド・ダ・ヴィンチの言葉を象徴するような幕切れだった。

最後の最後まで何が起きるかわからない決勝戦。今年もどんなドラマが見られるか、球児たちの熱い闘いに注目したい。

457名無しさん:2021/04/01(木) 10:23:02
☆ 「自分たちの野球」 「100か0か」  決勝  “東海大相模vs明豊” 両監督の思惑



東海大相模はエース左腕・石田隼都投手がここまで4試合に登板し26回を投げ無失点、43奪三振と絶好調。
他の投手陣も序盤で力を発揮しており、大会終盤で打線も復調し投打ともに充実した試合内容をみせている。

明豊は右の京本、左の太田、右サイドの財原と個性豊かな3投手の継投で4試合で1点差が3試合と接戦をモノにしてきた。
打線もチャンスをモノにする勝負強さがあり粘りの野球をみせたいところだ。


相手ではなく自分たちの野球ができるか。門馬監督は大会序盤から言い続けてきた言葉を決勝を前に改めて確認し
「間違いなく、決勝戦は自分たちの野球だと思う。相手を感じることよりも自分たちを感じて野球ができるか。
相手の情報は入れますが、まずは自分たちが地に足をつけて野球をやることだけしか考えていない」と言い切る。

「良さは伝統だと思う。縦じまのプライドに代表されるようにOB、先輩方が作り上げてきたことが脈々と繋がっている。
そして相模が好きであるということ。ここはどの学校にも負けないと思っている。縦じまの誇りを胸に思う存分戦ってほしい」


一方、チーム初の決勝戦に駒を進めた川崎監督は「少しでも怯むと力のある学校なので今の状況に満足すると
一気に前半からやられてしまう。優勝が100、負けは0ぐらいの覚悟でいかないと勝負にならない」と語る。
新チーム発足時には“史上最弱”だったナインは“史上最強”に向けチーム一丸となって頂点を狙う。

「色んな要素が絡まないと力だけでここまで来れない。運だったり勢いだったり周りの方々の応援だったり。
色んな要素が絡まないと簡単なことでない、だからこそ最後勝って終わりたい」


東海大相模は1番・門馬功から始まる強力打線で序盤から一気に勝負を決めたいところ。
明豊は防御率0.00を誇る難攻不落のエース左腕・石田をどうやって打ち崩すかがポイントになりそうだ。

458名無しさん:2021/04/01(木) 10:26:02
☆ 東海大相模・石田 15K完封  26イニング無失点  頂点へ 「勝たないと意味ない」



九回2死。最後の打者から15個目の三振を奪うと、石田は後ろを振り返って力強く左拳を握った。
今大会初先発で完封した準々決勝・福岡大大濠戦から中1日ながら直球、変化球ともにキレ味抜群。
「しっかり投げ切れた」とスコアボードに9つのゼロを並べた。

剛柔を巧みに使い分けた。序盤は右打者に直球で内角を突き、終盤にかけて外角のチェンジアップとの緩急でほんろう。
中学1年で最初に覚えた宝刀を“切り札”に残し、三振の山を築いた。
ここまで4試合で26イニングを投げて無失点で43奪三振。驚異的な数字でマウンドに君臨する。


細身ながら、下半身がたくましくなった。年末年始に栃木へ帰省すると、毎年恒例で祖母・文子さんらが餅をふるまってくれる。
寮にも余った分を持ち帰るようになった。 「食トレの意識もあって積極的に食べているんじゃないかな」
と母・友紀子さん(45)。家族の応援が力の源だ。

頂点まであと1勝と近づいてなお、エースは気を引き締める。「勝たないと意味がない」とキッパリ。
「1週間500球」の球数制限まで192球と余裕もある。 「しっかり投げられると思います」。
“ミスターゼロ”が2011年以来3度目の優勝へ導く。

459名無しさん:2021/04/01(木) 15:07:34
☆ 東海大相模が10年ぶり3度目の優勝   石田が今大会29回1/3を無失点で優勝投手に

           第93回選抜高校野球大会 最終日  決勝  東海大相模3x―2明豊(1日)



東海大相模が明豊をサヨナラで下し、10年ぶり3度目の優勝を成し遂げた。
甲子園では春夏5度目のVとなり、横浜、東邦に並んで3位に浮上した。


決勝戦にふさわしい、両校の意地とプライドが激突する好勝負となった。明豊が初回2死三塁、黒木の左前適時打で
1点を先取すると、その裏には東海大相模が1死三塁から小島のスクイズで、すぐさま同点に追いついた。

4回には明豊が1死満塁から阿南の左犠飛で勝ち越し。
5回、東海大相模は2死二塁から求が左越えに同点二塁打を放ち、試合を振り出しに戻した。


試合が動いたのは9回裏だ。先頭の深谷が三塁へのセーフティーバントで出塁。犠打と申告敬遠、
四球で1死満塁とし、小島がサヨナラ打を放った。

エース石田は6回途中からリリーフ。 今大会29回1/3を無失点で投げ抜き、見事に優勝投手に輝いた。

460名無しさん:2021/04/01(木) 15:11:02
☆ 東海大相模・門馬監督&次男・功  センバツ初の父子鷹V、 門馬監督「粘り勝ち」



門馬敬治監督(51)は試合後「粘り勝ち」と話した。門馬監督と次男・功外野手はセンバツ初の“父子鷹V”を達成した。

これまで甲子園で父が監督、息子が選手のチームで優勝したのは1949年夏の湘南(佐々木久男監督・信也父子)と
2013年夏の前橋育英(荒井直樹監督、海斗父子)で、センバツ史上初の偉業となった。


東海大相模では、原貢監督と辰徳父子が春1度、夏3度の甲子園出場で最高成績は75年春の準優勝。

功は、決勝までの5試合すべてに1番・左翼でフル出場し、計21打数9安打、打率・429と活躍。
主将の大塚内野手が急性胃腸炎で戦列を離れた準々決勝の福岡大大濠戦以降、代理主将としてもチームをけん引した。

また、門馬監督は歴代4位タイの春夏通算4度目の優勝となり、史上17人目、歴代15位タイのの春夏通算30勝目となった。

461名無しさん:2021/04/01(木) 17:10:02
☆ 東海大相模・門馬  父子Vに「自分しか味わえないので素直にうれしい」



試合後、門馬は「今は本当にうれしい気持ち。それだけです」と言い、
父子での優勝は「自分しか味わえないので、素直にうれしい気持ちでいっぱいです。 

父と握手はしました。普段は監督として、優勝して特別な感じはしました。試合の中では選手と監督。
終わってお父さんを日本一にしたんだなと」と話した。


そして、今大会を「途中から大塚がいなくなって。 いつもは主将がまとめてくれていた。
いない分、一人一人がカバーして、まとまりができた。瑠晏の分まで日本一取れたよと伝えたいですね。
試合前に“頼むよ”とあったので“必ず日本一獲る”とLINEで伝えました。

家族に自分だけの力ではない。お兄ちゃん、お母さん、お姉ちゃんにありがとうと言いたい」と振り返り、
「昨年は凄い選手が多くて、自分たちは石田を中心にして守りから。
自分たちのやり方でここまでやってこられたのは良かった」と話した。

462名無しさん:2021/04/02(金) 15:56:01
☆ 絶対忘れません…  被災地訪問望んだ門馬監督への感謝  ①



東海大相模のセンバツ優勝を喜ぶ監督が、宮城にいる。宮城農野球部の赤井澤(あかいざわ)監督だ。
赤井澤監督は、同校が東日本大震災で甚大な津波被害を受けた翌年の2012年8月、練習試合を通じて門馬監督と出会った。

その時の感謝を今も忘れずにいる。
「試合結果は1-21のボロ負けでした。でもあの日、門馬監督にしてもらったことは絶対に忘れません」。
震災10年。優勝した東海大相模の姿をテレビで見ながら、様々な思いがこみ上げている。


宮城には、JABA日本野球連盟が主催する「東北復興野球交流試合」という大会が8月にある。
被災地の野球復興を願い、社会人、大学、高校の県内外計90チーム以上が参加している交流試合だ。

東海大相模は2012年の第2回大会に参加。 2度目のセンバツ優勝を果たした翌年夏のことだ。
対戦した赤井澤監督は「大敗」から相模の強さを学んだと言う。


「相模さんは、ウチみたいなチームを相手にベストメンバーで戦ってくれたのですが、
選手たちは打っても怒られていたし、勝っても満足していなかった。 ベースを蹴る位置や、曲がり方。
ベースランニングひとつとっても、随所にこだわりが見えた。 意識の違いを感じました」。

当時の宮城農は仮設校舎での生活。津波でグラウンドも室内練習場も失った。空き地を手作りで改修して練習を行い、
翌年夏に県ベスト8入りを果たす。「あの時、相模は本気でぶつかってきてくれた。高いレベルの野球を見せてくれた。
そのことが選手たちの刺激になり、いい結果に繋げることができました」と感謝する。

463名無しさん:2021/04/02(金) 15:58:01
☆ 同上  ②


感謝したい思い出が、もうひとつある。 練習試合のあと門馬監督がとった行動だ。

「試合後すぐ神奈川に帰る予定だったはずですが、門馬監督が『宮城農の校舎をぜひ見せてください』と言ったのです。
ここから遠いですよ、帰りが遅くなりますよと言ったのですが『それでもいい』と。
そんなことを言ってくれたのは門馬監督が初めてでした。 うれしかった…」。


赤井澤監督は津波被害に遭った旧校舎とグラウンドを案内した。
門馬監督の両親が福島出身だという話を後から聞いたときは、急に親近感がわいたという。
2015年夏の甲子園優勝の時はメールのやり取りをした。 9年経った今も交流が続いている。

「震災から10年。節目の年に相模が優勝。なにか縁を感じます。優勝のお祝いに米を贈ろうかなと思っています。
生徒が栽培し、日本一おいしい米コンテストで日本一を獲った米を食べてもらいたいですね」。


門馬監督は優勝インタビューで「2年分の春、すべての高校野球がこの甲子園に戻ってきた」と言った。
震災、コロナ禍。 国難と言えるような大変な年に東海大相模は、強い。負けない。
ひたむきにプレーし優勝した選手たちの姿は、復興から立ち上がる宮城農だけでなく、多くの人に希望を与えたはずだ。

464名無しさん:2021/04/02(金) 16:16:01
☆ 中京大中京・畔柳  410球の意味問う  球数か日程か



大会序盤のワクワク感は日を追うごとにヒヤヒヤする思いに変わった。不安が的中した。3月31日の準決勝。
中京大中京のエース畔柳亨丞投手(3年)が次打者席にいない。 医者も小走りでベンチへと消えた。

この日は先発を回避し、4回途中から救援登板していた。だが、2回1/3で緊急降板。
畔柳が「肩を作っているときから肘が重くて力が入らなかった」。無理はない。1週間で1日おきに4試合目。
すでに初戦の25日から131球、110球、138球を重ねていた。


プロ野球を18年取材してきた感覚だが、そもそも1週間で4試合は多すぎる。
屈強なプロですら先発の中4日を極力避ける。 ましてや、成長途上の高校生だ。

あるプロ野球関係者は「1カ月で投げられるようになればいいけど…」と畔柳を心配していた。
継投を活用してきた東海大相模と明豊が決勝まで勝ち上がったのも、警鐘と受け止めたい。


今大会中、監督には球数に関する質問が殺到した。初めて「1週間500球以内」の球数制限を導入。
畔柳は残り121球を投げられるはずが31球で降板。基準は目安にすぎないだろう。監督は勝ちも選手の将来も背負う。
判断の是非を問い、責任を押しつけるのは酷だ。 球数よりも、過密日程解消の思いを強くする。

大会の運営経費や甲子園本拠の阪神の公式戦日程など、懸案は承知の上だが準決勝、決勝を毎週末に行うなど、
ゆとりのある日程が実現しないものか。 大会終盤の大一番こそ、快速球のワクワク感を味わいたい。

大会本部は「『日程により不公平感が生じる』といった指摘があることは承知している」とも説明。
「エース」を死語としないためにも畔柳が投げた410球の意味を問いたい。



お気持ちはわかるが、無理な提案だね。 飛ばない金属バットか、木製バットを早く導入すべし。
そうすれば昔のようにMax120キロの投手でも十分に活躍の場がある。
今大会には多々あった交代のタイミングを考えながら試合を見るのも面白い。

打者のレベルや分析力が上がっている現代では、1人の投手に最初から最後まで頼り切っての優勝は難しいとは思うが、
木製バットなら、奇跡の優勝投手が現れるかもしれない。

465名無しさん:2021/04/03(土) 16:08:02
☆ センバツ「投高打低」くっきり  好投手多く、実力発揮  大会総括



金属バットが導入された第47回大会(1975年)以降で最も遅い開幕13試合目で本塁打が飛び出し、
第75回大会(2003年)以来18年ぶりの1桁となる9本塁打だった。
打率も前回開催の2年前より1分8厘落ち、2割3分9厘と6大会ぶりの2割3分台となり、「投高打低」が浮き彫りになった。

要因の一つに好投手が多かったことが挙げられる。東海大相模の石田、天理の達、中京大中京の畔柳、市和歌山の小園らは
注目通りの力を発揮した。


準優勝の明豊は左腕・太田に加え、京本、財原の両右腕で3本柱を形成。トーナメントを勝ち上がるには改めて複数投手の必要性を
感じさせると同時に、準々決勝で左翼手・阿南が見せた好捕など全5試合無失策の堅守も躍進を支えた。

スケジュールを立てやすくするため組み合わせ抽選会を前倒しして2月に実施。試合日まで期間が空き、相手チームの戦力などを
十分に把握できたことで1回戦を中心に接戦が相次いだ。 常総学院―敦賀気比戦では大会初のタイブレークが実施されるなど
延長試合は大会最多に並ぶ7試合を数え、サヨナラは6試合、1点差も13試合に及んだ。


昨春に1週間500球以内の投球数制限が導入されて初めての大会だったが、達と畔柳は準々決勝までをほぼ一人で投げ抜いた。
準決勝では2人とも先発を回避。 達は左脇腹に違和感があり、救援した畔柳も右腕に力が入らなくなり降板した。
投球数制限以内でも投手の障害予防に関して検討していく重要性を実感した。

466名無しさん:2021/04/03(土) 16:10:02
☆ 稲盛和夫、王貞治、佐藤可士和ら  365人の名言が1日1話学べる一冊



稲盛和夫さん、王貞治さん、羽生善治さん……。
経営者やスポーツ選手など、各界の偉人たちの“熱い”話を、1日ひとり分読むというコンセプトの本書。

「なぜひとりずつ?」と思ったのですが、試しに毎晩読んでみると不思議なことに、その日抱いたモヤモヤや負の感情が
驚くほどスッとなくなっていきました。
偉業を成し遂げた方々の経験や知見が、私の小さな悩みなど吹き飛ばし、姿勢を正してくれるのです。


「修練と勇気、あとはゴミ」(黒柳徹子)、「世の中を幸せにしようという正しい目的があって、わくわく、楽しく、
一所懸命やってれば奇跡は起こる」(実業家・竹田和平)、

「運というのは、運をつかむために自らをコントロールしている人のもとにしか来ない」(花巻東野球部監督・佐々木洋)など、
心を奮い立たせる言葉がたくさん詰まっていて、まるで宝箱のよう。


同じ経営者の言葉は私の背中を押してくれるし、まったく違う分野の方は新しい視点や考え方を与えてくれます。
一気に読んで満足してしまうより、毎日少しずつ、じわじわと自分の内面をケアしてくれる、
日めくりカレンダーのように読んでいきたい1冊です。

467名無しさん:2021/04/03(土) 16:13:02
☆ 昭和39年 巨人納会  正座の王と恋バナの長嶋   【越智正典 ネット裏】



昭和39年の巨人の納会は凄かった。
王貞治は、このとき入団6年目で本塁打王3度、打点王2度。 特にこの39年は猛打。
東京五輪で開幕がはやかった3月20日、後楽園球場での国鉄1回戦で、金田正一から右翼場外弾。

5月3日の後楽園球場での阪神戦では4打席連続4本塁打。投手を注ぎ込む阪神の投手コーチ・杉下茂も立派だった。
送り出す投手に「逃げるな。勝負せい!」。
王はこの年、55本塁打をかっとばしている。私はこの納会で王が正座をした姿をいまも折々に思い出している。


11月26日、熱海静観荘。 この年、巨人は勝てなかった。阪神が優勝していたが、翌日はゴルフコンペが組まれていた。
この日、空はいまにも泣き出しそうで、珍しく、海も荒れ熱海海岸には白い波が砕け散っていた。

開宴前、川上哲治監督が宴会場の大広間にやって来た。席次を点検した。47年の納会で、目の負傷から再起し、登板33試合、
13勝2敗の菅原勝矢の席が下座なのを見付けると上座にと、仲居さんに言って変更した川上だが、
この日、王の席が下座寄りの中ほどであったのに川上はこれでよし!と変えなかった。


挨拶、乾杯、開宴。ほどなく下座のステージでバンド演奏が始まった。カーテンが開いて東海林太郎さんがマイクに向かった。
司会者は東海林太郎さんですと紹介しなかった。
この名歌手を言葉で飾って紹介するのはかえって失礼になると思ったようだ。 いい司会だった。

王貞治が正座をしたのはそのときである。名人への畏敬である。東海林太郎さんが直立不動の姿勢で「麦と兵隊」を歌い出した。


<徐州徐州と人馬は進む> <戦友よ来て見よ、あの雲を> 歌い終わると王は畳に手をついてステージに向かって一礼した。

王貞治24歳。 王は翌朝はやく、予約していた稲取の宿に向かった。 稲取ではバットを振らなかった。海釣り。
一念不動の境を求めているようだった。


長嶋茂雄もコンペに参加しなかった。 ペナントレースがはやく終わった秋、報知新聞の五輪臨時記者になったときに、
コンパニオンの西村亜希子さんとめぐり合って婚約していた。

27日朝、記者たちに「結婚してからゆっくり亜希子に恋をするよ」と言い残して、立教の友だちが用意してくれた
いすゞ自動車の箱根山荘に向かって行った。 箱根では、朝は目の前の金時山に駆けのぼり、夕方は仙石原を走った。

夜は暖炉に薪をくべ「星の王子さま」を読んでいた。 深夜、長嶋はバットを握りしめて屋外に出る。
が、スイングはしなかった。 満天に星。 バットの構えだけを繰り返し、たしかめていた。

468名無しさん:2021/04/06(火) 12:21:01
☆ 466の本  

『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』 藤尾秀昭 監修   致知出版社 ¥2350

469名無しさん:2021/04/06(火) 12:23:01
☆ 水本ヘッド 勝利&育成求め  「積み重ね」の若手指導



じっと戦況を見つめ、ときにほほ笑む。 オリックス水本勝己ヘッドコーチ(52)は、若手の成長ぶりに目を細める。
広島で2軍監督などを歴任し昨オフにオリックスに加入。 同学年の中嶋監督を支えるポジションを任されている。

「第一印象はおとなしいチーム。 でも、キャンプに比べたら、ちょっとずつ変わろうとする姿が見えてきた。
去年の雰囲気はわからないけど、キャンプの序盤から比べるとね」とほおを上げる。


「強いチームになるには選手たちが自主的に考えて動かないといけない。その方向に持っていくのが、スタッフの仕事だから」。
選手に寄り添う指導をモットーにしている。

今季の開幕スタメンに高卒2年目の紅林、高卒3年目の太田が名を連ねるなど、若い選手が目立つ。
「素材は間違いない。 良い意味で『我』を通してほしい」と将来を見据え、期待を込める。


水本ヘッドが「ベニ! 」と愛称で呼ぶ紅林は、宮崎キャンプで猛アピールした。
ただ、オープン戦は16試合で打率1割7分6厘と調子を落とした。 「どんな選手でも絶対に『壁』を経験している。
ゲームで感じたことをどうするか。 この世界、練習した選手が勝つ」。

指導する選手の多くは20代前半。「時間がかかる。雰囲気を変えようとするのは浸透してきてる。それを手伝うだけ。
特効薬はない。 積み重ねるだけですよ」。 試合前練習では外野でキャッチボールやダッシュを行う投手陣、
内野でノックを受ける野手らに声をかけるシーンが目立つ。 「勝利&育成」を求めた、明るい声が今日も球場に響く。

470名無しさん:2021/04/06(火) 12:25:01
☆ 人の心をつくるスカウトの道  【越智正典 ネット裏】



2020年、日本一になったソフトバンクの球団会長王貞治が全幅の信頼を寄せている元二軍監督、小川一夫
(戸畑商業、内野手、1972年ドラフト5位で73年に南海に入団)の歩みはスカウトが担務で始まった。

小川一夫はいまも折々に恩師、故石川正二の娘さんの家を訪ねている。 手を合わせて感謝している。
石川正二は八幡製鉄と門司鉄道局の対抗試合、あのはなやかだった「製門戦」の門鉄の監督。


門鉄に採用した全国的にまったく無名の唐津中学の木塚忠助を鍛え、育てて、昭和23年南海へ送り出した。
木塚は7000円の契約金を貰うと駅前の闇市へ行って6000円で進駐軍のお古のグラブを買い、
自分に合うよう直して大阪へ発った。 

「飛燕三尺、拝み取り、木塚忠助、サーカスプレー」
NHK名アナウンサー、志村正順が盗塁王4回の名ショートを活写する。ファンは沸いた。


石川正二が木塚を南海へ送り出したのは、南海の監督鶴岡一人と気が合ったからである。
鶴岡は九州の若者たちでチームを固めたかった。「尚武の気象」に惚れていた。
石川正二は男と男の絆から南海の「九州探題」になる。

富士高校、本州製紙、日本軽金属の投手、巨人時代にノーヒットノーランをやってのけた渡辺秀武は
広島で現役を終えカープのスカウトになると、石川正二に驚嘆した。


「石川さんは凄いや。いつも夏の大会でも甲子園球場に一番乗り。 抜きたいと思って朝6時に行ったら
もう開門を待っている列に並んでいた。 石川さんは甲子園球場の前で野宿しているのかなあ」

08年暮れ、品川駅前のホテルで東洋大学の優勝祝賀会があった。 小川一夫も招かれた。
07年春秋、08年春、東都の最高殊勲選手、07年日米大学野球選手権の殊勲投手大場翔太を指名している。

小川は来賓控室には入らなかった。 会場のずうーと奥の廊下の隅で1時間、じいーと開会を待っていた。
美しかった。謙虚である。

471名無しさん:2021/04/06(火) 12:31:01
☆ 王貞治は言う。「一晩寝たらガラッと分からなくなるほど、バッティングは微妙でもろいもの」だと (週刊べースボール)

                                     『1972年9月25日号』。定価は100円。


王貞治が長いスランプになったのは前年1971年夏ごろからだった。 同年8年続いた打率3割が途切れ、.276に終わった。
本塁打王、打点王に輝くも30歳を越えたこともあり、年齢的限界、一本足打法はやめたほうがいい、などの声があった。

この72年もなかなか状態が上がらなかったが、8月中旬以降、成績が急上昇。再び3割、40本の“ノルマ”に向け、走り出した。
復調のきっかけの一つは寝坊だ。朝9時に起きていたのを11時にした。


「早く起きすぎるとろくなことがないんです。いろいろ雑用をやっちゃうし、考える時間というのが多すぎる。
野球選手というのは、もっと自由奔放さがあったほうがいいと思うんです。
理屈を考えだしたら、それはプレーヤーとして悲劇の始まりですね」

技術的に心掛けているのは「U字打法」という。「やってみた感じはバットを放り出す感じ、と言ったら分かりやすいかな。
要するにバットがボールをインパクトしてから、もう一つボールを押し出す、それから回る」とのことだ。


加えて強調したのは練習量。「長い、苦しいスランプだったけど、結局、その壁を破るきっかけとなったのは練習量でした。
僕が特訓をやったころ、世間では日本式の練習至上主義を笑い、休養が一番だと勧める声もあった。
確かにそれは理想に違いないけど、現場で苦しんでいるものの気持ちを考えていない。

スランプで落ち込んだ人間は弱いものですよ。何としても自分で納得いく結果を出すため、練習で何かつかもうとするしかない。
僕はそれがよかったと思う。 やれるだけやったことが僕には幸せだったと思う」


さらに現時点でスランプに苦しむ、先輩・長嶋茂雄に対しはこう語る。
「一言でいえば、自信をなくしています。 去年の僕もあんなふうに落ち込んだから、その気持ちがよく分かるんです。
あれだけの人でもバッティングが分からなくなるときがあるんですよ。

一晩寝たらガラッと分からなくなるほどバッティングは微妙でもろいものです。どんなに周りでガタガタ言ったって、
結局、頼りになるのは自分だけです。ミスターもきっと自分で切り開いて、自分で解決してみせると思っているでしょう」
少し先走るが、王はこの時期を境に円熟期に入っていく。

472名無しさん:2021/04/07(水) 12:01:02
☆ 不世出の天才投手は、なぜ野球を憎んだのか   太田俊明著  『沢村栄治  裏切られたエース』



その年の日本プロ野球で最も活躍した先発完投型投手に贈られる「沢村賞」。
同賞の由来となり、今も日本野球史に燦然と輝く沢村栄治だが、実は、彼の職業野球での全盛期は2年弱に過ぎない。

三度も徴兵された末に、1944年12月2日、27歳で東シナ海の藻屑と消えた伝説の投手の軌跡を、
自身も六大学野球で活躍した著者が丹念に描いた。


本書の帯紙に思わず目が留まった。
左足をピンと伸ばし、颯爽と振りかぶる沢村の隣に、センセーショナルなキャッチコピーが浮かぶ。

なぜ、ベーブ・ルースを三振に沈めた天才投手は、「私は野球を憎んでいます」と書き遺したのか?
その言葉は、1937年シーズンの開幕を翌日に控えた夜、栄治が父・賢二に宛てた手紙の中に記されていた。

34年の日米野球では17歳で全日本入りし、ベーブ・ルースから三振を奪うなど大リーグ選抜相手に1失点完投。
巨人軍でも3度のノーヒット・ノーランを達成し、後に「球聖」とまで謳われる沢村。
その沢村が、一体どんな経緯で野球に憎悪を抱くに至ったのか。その理由を知ろうと著者は膨大な資料に当たり、関係者を訪ねる。


六大学野球が全盛の時代にあって、職業野球(プロ野球)は誕生当初、世間の蔑視にさらされていた。
栄治も慶応大学への進学を熱望し、入学の内諾も得ていた。ところが、栄治を筆頭に7人の子どもを抱える沢村家の家計は苦しく、
栄治は中学(京都商業)を中退して職業野球に身を投じざるを得なかった。

先発、そして抑えと馬車馬のように投げまくり、給料の大半を家族に仕送りして弟たちの進学の面倒を見続けた。
ところが、いくら稼いでも親族らが無軌道に膨らませる借金に拘束され、学業に戻る夢はかなわない。


そして二度にわたる出征。戦場での手榴弾投げで肩を壊した沢村を待っていたのは、巨人軍からの非情なる解雇通告だった。
三度目の入営の日、見送りにやって来た父親に、栄治は何かに憑かれたように話し続けたという。

「お父さん、やっぱり俺は道をまちがっていたんだ。 職業野球の世界は、俺にとっては過酷でありすぎた。
一介のサラリーマンでもいい。 もっと堅実な方向へ進むべきだった」。


日本プロ野球史上最高の捕手と称される故・野村克也は、自著『私のプロ野球80年史』の冒頭で、
「沢村栄治なかりせば、私もいない」と記した。

今日の日本プロ野球の繁栄は、沢村をはじめ太平洋戦争で散った選手たちの犠牲の上に成り立っているのだ。
球春たけなわの季節、沢村ら先人たちの努力と奮闘に思いを馳せながら、プロ野球を楽しみたい。

473名無しさん:2021/04/07(水) 12:07:02
☆ 大型ルーキーぞろいの1959年組。  それはプロ野球史の転換期でもあった  【張本勲の喝!!】  ①



私は「1959年組」。もう60年以上も前のことだが、この年のルーキーたちは自分で言うのも何だが実力派ぞろいだった。
今回は彼らの話をしよう。 

1959年は昭和34年。大阪の浪商高から東映に入団した私は六番・レフトで開幕スタメンを勝ち取り、
この年、打率.275の13本塁打に57打点でパ・リーグの新人王に輝いた。


セ・リーグの新人王になったのが、中大から大洋に入った桑田武さんだった。 今の時代では考えられないが、
桑田さんは1年目にして開幕四番に座ると31本塁打を放って本塁打王に輝いた。

その年のオフには両リーグ新人王対談といった企画で、私も川崎市にある桑田さんのご自宅に足を運んだことがある。
大きな体で気持ちの優しい人だった。 いつだったか、オールスターゲームで長嶋茂雄さんをショートに追いやって
サードを守ったときには驚いたが、それほどの実力者だったということだ。
2年目には3割をクリアしてチームの初優勝にも大きく貢献。 昔の大洋ファンにとっては忘れられない選手だろう。


同じセで、桑田さんに負けず劣らずの活躍をしたルーキーが村山実さんだ。
関大から阪神に入り、1年目から54試合に登板して18勝をマーク。桑田さんが本塁打王なら、村山さんは沢村賞に最優秀防御率だ。

295回1/3を投げて1.19、奪三振は294。桑田さんとセの新人王を激しく争ったのも当然の成績だった。
「ザトペック投法」で知られ、長嶋さんとの対決は多くのプロ野球ファンを魅了した。


桑田さんは大洋を出て巨人、ヤクルトに移籍したが、村山さんは生涯阪神を貫き、監督も経験している。 
この年、セにはまだすごいルーキーがいた。 中日の江藤慎一さんだ。

江藤さんは強肩強打の捕手として熊本の日鉄二瀬という社会人野球からプロの世界に飛び込み、1年目から打率.281、15本塁打、
84打点の好成績を残した。本塁打数は桑田さんに及ばないものの、打率は上回り、打点は同じ。
同期の打者として桑田さんへのライバル意識は相当なものだったに違いない。


それにしてもプロで何年も飯を食べているベテラン選手たちに交じり、1年目からこれほどの成績を残せたのはなぜだろう。
力があったのはもちろんだが、私は生活がかかっていたからだと思う。
今のような裕福な時代ではない。 成績を挙げて少しでも稼ぎたいし、挙げないと稼げなかったからだと考える。

プロで活躍し、名を残し、大金を手にすることを選手の誰もが夢見ていた時代でもあった。今の選手にそれがないとは言わないが、
一軍に上がれなくても、故障でシーズンを棒に振っても、ある程度の収入は保証される。そこが大きな違いだと思う。

474名無しさん:2021/04/07(水) 12:10:02
☆ 同上  ②


1959年組で忘れてならない選手と言えば、早実から巨人に入った王貞治だ。
王は甲子園の選抜優勝投手だったが、球団からは投手よりも打者としての力を買われての入団だった。

やがて私と巨人の三、四番を組むことになるとは、このとき誰も想像できなかったと思うが、同じ高卒ルーキーの左打者でもあり、
その後の活躍を含め、私が1959年組の中で最も意識し、影響を受けた選手だったと言える。


高卒の同期と言えば、江藤さんと同じ中日に入団した板東英二もそうだった。板東もまた徳島商のエースとして甲子園に出場した。
小さな体ではあったがバネがあり、いい投手だった。引退後は芸能界で大成功したが、確かに当時から口が達者だったことを覚えている。

のちについたあだ名が「十姉妹(ジュウシマツ)」。背番号が14だったときもあったからぴったりだったし、どこか憎めない同期だった。
中日で言えば河村保彦も同じ年の同期だった。


書いていて気づいたが、セばかりだ。パの1959年組となれば、のちに阪急のエースとなった下手投げの足立光宏や
3年目の62年に最多勝、63年に最優秀防御率のタイトルを獲得した近鉄の久保征弘がいる。足立も久保も私と同じ1940年生まれだ。

思えば、この時期は選手の新旧交代の時期、プロ野球史の転換期だったかもしれない。

前年の58年には立大から長嶋さんが巨人に、杉浦忠さんが南海に入団。長嶋さんは本塁打王に打点王の2冠、
杉浦さんは新人ながら開幕投手を務めて27勝をマークし、ともに新人王のタイトルを獲得している。
早大からは森徹さんが中日に入って開幕四番に座り、のちに天秤棒打法で知られる明大の近藤和彦さんは大洋に入団した。


2年続きでルーキー豊作の一方で、58年には川上哲治さん、藤村富美男さん、西沢道夫さん、59年には青田昇さん、
大下弘さんといった、これまでプロ野球界を支えてきたスタープレーヤーが次々とユニフォームを脱いでいった。

新旧交代は世の常だが、この2年でプロ野球を代表する選手の顔ぶれが変わったのは否めないだろう。
当時はそんなことなど思いもせず、自分のことで精いっぱいだったが、私もその転換期の中にいたのかもしれない。
そんなことを思い出しながら、今年のルーキーたちを見ている。

475名無しさん:2021/04/07(水) 12:13:02
☆ 【内田雅也の追球】  雨を「言い訳」にしなかった阪神・西勇輝  甲子園のマウンドはべとつく米国産黒土

                         阪神6ー2巨人(7回降雨コールド)(2021年4月6日 甲子園)


甲子園球場の黒土は岡山県日本原、大分県豊後大野市三重町などの土を混ぜている。
ただし、マウンドに限り、一昨年から米国産の黒土を入れている。 輸入している商品名は「ブラックスティック」。
多くの大リーグ球場で使用されている。

投手の間で大リーグのように硬いマウンドへの要望が高まり、導入した。 投球時も土がほとんど掘れず、
下半身から指先へ力が伝わりやすい。 いわゆる地面反力を利用しやすい利点がある。

2019年2月のキャンプ地、沖縄・宜野座で見せてもらい、足で踏ませてもらい、さわらせてもらった。
ブルペンのマウンドはカチカチで、さわれば粘りけがあった。


投手たちには好評なのだが、阪神園芸・金沢健児によると「散水や雨天の時、水にぬれるとべちゃべちゃする」。
粘土質のため、べとつくのだ。大リーグでは、このブラックスティックに加え「コンディショナー」と呼ばれる粒状の赤土を
かぶせて整える。 甲子園では黒い島根県産の商品名「ヒートサンド」をまぶしている。

今季初の公式戦は雨の中行われた。試合前、午後5時ごろから降り始め、6時のプレーボールからは結構激しく降った。
マウンドは相当べとついた。 投手にはやっかいで、ボールはすべり、足もとが緩んだ。


阪神が巨人先発アンヘル・サンチェスをKOした打撃は見事だったが、多分に相手投手自滅の側面があった。
3回裏。雨にぬれ、サンチェスの集中力は切れていた。 死球と3長短打で降板に追い込んだ。

この点、阪神先発の西勇輝は集中力を切らさなかった。 ボール交換で新球をもらうと、両手でよくボールをこねた。
ステップする左足の勢いや幅を調節していたのではないだろうか。 技巧にたけた西ならば、地面反力が弱くなろうとも、
制球と配球で整えられるわけだ。 監督・矢野が感心した「引き出し」の一つである。

試合成立まで「あと1死」の5回表2死一塁、西は自らタイムをかけ、マウンドに砂を入れた。 決して焦らなかった。


明治期、国内最強を誇った旧制一高の投手、守山恒太郎(野球殿堂入り)は「ノー・コンディション」が口癖だったと
同僚の君島一郎が『日本野球創世記』(ベースボール・マガジン社)に記している。

コンディションがこうだ、ああだというような自己弁護を許さぬ、つまり「言い訳無用」の意味ととる。
こうした姿勢は近年、日本人大リーガーの野茂英雄、松井秀喜、上原浩治…らからよく耳にした。
つまり天候など自分でコントロールできないことは気にしないという強い姿勢である。


メンタルトレーナー、白石豊は著書『心を鍛える言葉』(日本放送出版協会)に記している。
物事には自分でコントロールできることと、できないことがあります。たとえば、天気、気温、観衆、審判、交通機関の乱れ
といったことは、自分でコントロールできません。 しかし、それに対する自分の反応はコントロールできるはずです。

自らに厳しい、西の心が垣間見える。 7回裏終了後、審判が降雨コールドを宣した時、まだ集中力を切らさずにいた。
本当に試合終了で勝ったとわかると、驚いたように喜んだ。 笑顔が雨に光っていた。

476名無しさん:2021/04/07(水) 16:05:03
☆ 「TVで見ていた人の隣で…」 大野雄大をガン見する福島章太  【中日・小林広報の必撮ワンポイント】



先日のナゴヤ球場の練習。ドラフト4位の福島投手がキャッチボール中の大野雄大投手をチラチラ横目で見ていました。

福島投手に聞いてみると「チラチラどころじゃなくてずっと見ています。
テレビで見ていた人の隣でキャッチボールをして不思議な感じです。 慣れないですね」と明かしてくれました。

初々しくて良いですね。 いつか1軍で競演するときが来るのを楽しみにしたいと思います。

477名無しさん:2021/04/11(日) 13:08:01
☆ 法大・三浦銀二が「ノーヒット・ワンラン」  東京6大学62年ぶりの珍記録

                                   東京6大学野球:法大2-1慶大 (10日、神宮)



ドラフト候補の三浦銀二投手(4年=福岡大大濠)が東京6大学では62年ぶり3度目という珍しい「ノーヒット・ワンラン」を達成した。

慶大相手に7回まで無安打無失点。7回裏に味方が2点を勝ち越し。
8回表に先頭打者を四球で出塁させるとその後1死三塁から内野ゴロの間に1点を失った。

9回も2四球を与え同点のピンチとなったが無安打に抑え1失点完投勝利を挙げた。

東京6大学では過去無安打無得点は24人(25度)が達成しているが、「ノーヒットワンラン」は河合貞雄(慶大=53年秋)と
石川洋三(立大=59年秋)の2人しかいない。 


プロ野球でもノーヒットに抑えながら得点を許したのは、継投を含め4度しかない珍記録。

39年5月6日阪急戦の宮口美吉―平野正太郎(南海)、同年8月3日金鯱戦の亀田忠(イーグルス)、
59年5月21日巨人戦の村山実(神)、64年5月13日南海戦の牧野伸―山本重政(近鉄)が記録。

うち、39年の南海だけが敗れ、対する阪急は史上唯一の無安打勝利(スコア2―1)となっている。

478名無しさん:2021/04/11(日) 13:13:01
☆ 星野仙一がマウンドで明かした一夜…  御大・島岡吉郎の人間力に学んだ男たち  【越智正典 ネット裏】



選手獲得自由競争時代、巨人の沢田幸夫はスカウト仲間から「台風の沢ちゃん」と呼ばれていた。
こういう日こそチャンスだと強風豪雨の最中に目指す選手の家を訪れるからである。

沢田幸夫は明治高校、明治大学、監督“御大”島岡吉郎に見込まれてマネジャー。 島岡の躾、教育は厳しい。
しかし、それは選手への愛切そのものであった。 昭和44年卒業の故星野仙一はいつも回想していた。


「大事な早明戦に負けて合宿に戻ったその晩、殴られるかな…と思っていたら、パンツ一枚で、
となりのグラウンドのマウンドで正座でした。 雨が降り出しました。 雨がやみ、空が少し明るくなったとき、
ひょいとベンチ前を見ると、御大が正座していました。 東京に出て来て初めて泣きました。
御大がいっしょに夜明かしをしてくれたんです」。

星野は岡山県水島、三菱重工の技師長だった父親正田仙蔵さんの顔を知らない(星野は母方の姓)。
おかあさんのおなかのなかで7か月のときに亡くなった。 島岡の正座は星野が初めて知る父親の味であった。


千葉敬愛高の捕手、昭和34年入学の村山忠三郎は「暮れに正月休みでみんなが田舎に帰るときの御大の訓示が忘れられません。
500円でいい。100円でもいい。おふくろに土産を買っていけ。なんでもいい。おやじさんはフスマのかげで泣いとるぞ」。
村山は卒業後、マツダの自動車の販売会社に就職。連続同社販売台数ナンバーワンになる。村山は島岡に「人間力」を学んだ。


沢田は昭和30年卒業後、マネジャーで大洋ホエールズに入団。 36年巨人に迎えられてスカウトに。
この時点で巨人には正式なスカウトは沢村栄治のキャッチャー内堀保しかいなかった。 いや、もうひとりいた。
35年秋巨人監督に就任した川上哲治が兼ヘッドスカウトになっていた。川上はここからチームづくりを始めようとしていた。

沢田は目指す選手の家を訪れたとき、料亭から取り寄せたようなご馳走が出ると、帰り道に反省していた。
「ダメだ。まだ努力が足りない」が、味噌汁とその家の漬物のごはんが出ると喜んだ。

「家族同様にしてくれた。心を開いてくれたんだ」 「台風の沢ちゃん」は「ツケモノの沢ちゃん」になる。
沢田は法政二高の柴田勲を取る。 勝負の相手は鶴岡一人南海ホークス監督だった。


四日市商業高、中日、高橋、近鉄、35年に南海に移籍の投手、伊藤四郎が驚嘆する。
「南海に来て親分(鶴岡)に頭が下がりました。 遠征に出ても、朝はやく起きて選手を探しに行くんです」

沢田は横浜の名園三渓園で毎日、何時間も鶴岡が柴田家を辞去するのを待っていた。
40年、沢田は第一回のドラフトで甲府商業の投手堀内恒夫を指名する。堀内にまっしぐらであった。

479名無しさん:2021/04/11(日) 13:52:02
☆ 「山田久志」の人生を変えた「王貞治の一打」 「打たれた瞬間、腰が抜けた」  (小林信也)  ①   



王貞治に初めて会った時、私は訊ねた。

「オールスターと日本シリーズを合わせて910本のホームランを打った中で最も印象深い一本は?」
二十数年前、NHKの「スポーツ100万倍」という番組の収録前。
プロデューサーが、「一本なんて、無理ですよねえ」、助け舟を出した。 しかし、王はその声を制してすぐ言った。

「ありますよ」 あの一本に違いない、私は悪い予感に胸をえぐられた。 王の言葉は続いた。
「昭和46年の日本シリーズ第3戦、阪急の山田投手から打った逆転サヨナラ3ランホームランです」


長嶋ファンにとってずっと心に刺さっていたあの一撃の意味を、王自身も認識していた…。
NからOへ、主役交代を意味する象徴的な出来事だった。

そして令和2年12月、私は山田久志に訊ねた。 「野球人生で大きな転機を挙げるとすれば?」
山田も即座に答えた。「昭和46年の日本シリーズ第3戦、王さんに打たれたホームランです。
腰が抜けるってああいうんでしょうね。 打たれた後、ヒザに全然力が入らない。 立とうにも立てなかった」


マウンドにうずくまったまま、王が本塁で揉みくちゃにされる光景をぼんやりと覚えている。
「どうやってベンチに帰ったのか覚えていません。後で映像を見ると西本監督が迎えに来てくれている。まったく記憶がない」

阪急ナインはみな茫然としていた。 一人だけセンターの福本豊がマウンドに駆け寄り、山田に声をかけた。
「ヤマ、帰ろ」。 福本もそれしか言えなかった。


長嶋ファンにとっては、2死一塁からチャンスをつないだ長嶋の中前打が“嫌な予感”の前触れだった。
「長嶋打った、ショート……、あ、いや、抜けました、センター前ヒットです!」

ラジオの実況はそんなふうだった。 最初は凡打を思わせ、突然、明るく転じた。
「望みをつないだ長嶋に拳を握りしめる一方で、長嶋ファンは4番王が主役になるだろう未来を予感し、複雑な冷気におののいた…。


「長嶋さんのあのセンター前ヒットも、多くの人の人生を変えた一打でした」 山田が感慨深げに言った。

「抜けるような当たりじゃなかった。 普通ならショートゴロです。 阪本さんがゴロをさばいて、そのまま二塁を踏めば終わる、
打ち取った瞬間、マウンドで私はそう思いました」。

ところが名手・阪本敏三が、いるはずの位置にいなかった。捕手・岡村のカーブのサインを見て三遊間寄りに重心を傾けたのだ。
カーブなら強振した長嶋の打球が三遊間に来るはず。ところが、天才・長嶋は泳がされながら山田のカーブを素直に弾き返した

480名無しさん:2021/04/11(日) 14:16:02
☆ 同上  ②


そして王の一打が生まれる。 「阪本さんはあれでトレードに出されました。 岡村さんも一緒にです」
山田もまた昇りかけた日本一への階段から転落した。

「あの試合に勝ったら翌日も先発の予定でした。第2戦に勝った後、西本監督から言われていたのです。
あとは全部お前で行くぞと」
一戦必勝の短期決戦、“巨人は山田を打てない”とわかれば、徹底して山田で行く、そういう時代だった。


王に打たれて山田は「変わった」と言う。

「野球に対する姿勢があの一本でね。 その後はとにかく練習をやった、走ったし、鍛えたし」
それまで32勝だった山田が、それから17年間で252もの白星を重ねた。


高校野球の投手だった私は、山田久志に特別な思い入れがある。高1の夏、アンダースローに転向した。
「週刊ベースボール」に載っていた山田と足立光宏の連続写真を切りぬいて、
それを手本にシャドーピッチングを繰り返した。

足立はすぐ沈み込むオーソドックスなアンダーハンド。
高く足を上げ、一度伸びあがってから沈む山田のフォームは画期的だった。
リズミカルで力感があり、真似をすると格段の爽快感があった。

だが、いくら真似をしても、山田のような跳ね上がるスピードボールは投げられなかった。
高校生には見抜けない大切な核心があった。
山田は腕こそ下から出していたが、「手首は立てていた」というのだ。それは、想像もできなかった。


「入団した阪急に足立さんがいたことが大きかった」 山田がしみじみと言う。
「1年目はうまくいかなくて0勝。 2年目も10勝したけど17敗、散々だった。

西本監督が“ヤマ、お前ずっと足立を見ておけよ。 そうすれば間違いない”って。
自主トレーニングにも何年か一緒について行きました。 練習から食事まで全部教わった。
でも、シンカーだけは教えてもらえなかった。 自分で開発してこそ本物になると言われてね」


数年後、試行錯誤の末に落差の大きい“山田シンカー”を生み出した。

「下からフォークボールを投げられないか、ずいぶん練習したのですが、どこに行くかわからない。
それで指の間隔をフォークより少し狭くしたらストーンと落ちた。
私のシンカーは、本当は“スプリット”なんです」。

481名無しさん:2021/04/11(日) 17:30:02
☆ 広島・野村が四回途中5失点でKO  連続先発登板“日本新” 勝利で飾れず



広島-巨人、3回戦、11日、広島・野村祐輔投手(31)が今季3度目の先発マウンドに上がった。
デビューから通算188試合の先発となり、1998年から2004年まで広島とロッテに在籍し、
通算74勝を挙げたネイサン・ミンチーの187試合を抜き、プロ野球新記録を樹立した。

3回1/3を8安打5失点。3四死球と自慢の制球力も影を潜め、節目の登板を白星で飾ることは出できなかった。



母方の実家のある福岡県北九州市で出生。 倉敷市立連島南小学校1年生の時に軟式野球を始め、6年生の時に県大会準優勝。
倉敷市立連島南中学校時代は地元の硬式少年野球チーム・倉敷ビガーズに入り、主に2番手投手として活躍。西日本大会で優勝する。

広陵から明治大学。 2011年、広島ドラフト1位。  通算77勝55敗(2020年まで)。

482名無しさん:2021/04/12(月) 15:55:01
☆ 祝 競泳五輪リレー代表に増田葵  倉敷出身、岡山勢女子57年ぶりの代表入り



日本水泳連盟は11日、競泳の東京五輪代表で未定だった女子800メートルリレーのメンバーを発表し、
倉敷市出身の増田葵(24)=菅公学生服=が初選出された。

競泳の岡山勢女子では1964年東京五輪に出場した木原光知子以来57年ぶりの代表入り。


増田は代表選考会、日本選手権の200メートル自由形で自己ベストの1分58秒86を出して3位に入った。
上位4人の合計タイムがリレーの派遣標準記録に届かないなど即時の代表決定には至らなかったが、
選考委員会の協議によって同選手権の4位までの選出が決まった。


倉敷工高、近大を経て社会人3年目の増田は、高校時代からインターハイ、国体などで表彰台に立ち、
岡山女子のエースとして活躍してきた。(増田さんは倉工ファッション技術科を平成27年3月に卒業)

岡山勢では男子400メートル個人メドレーで岡山市出身の井狩裕貴(イトマン近大)も代表を決めている。

483名無しさん:2021/04/12(月) 16:00:01
☆ 明徳義塾・馬淵史郎監督も喜びのコメント!  松山英樹(同校OB) マスターズ日本人初制覇!



日本時間4月12日(月)早朝から最終日が行われていたゴルフメジャー大会の1つ・マスターズで松山 英樹が
通算10アンダーで日本人初優勝の快挙を達成。
彼の出身校・明徳義塾のスポーツ局局長を務める野球部・馬淵監督も独占電話取材で喜びのコメントを寄せた。

「俺もTVで生中継を見ていたよ。最後はプレッシャーもあったと思うけど素晴らかったね」とまずは快挙を
手放しで喜んだ馬淵監督は、続いて松山選手の人となりにも言及。


「高校時代から人間的にも素晴らしかったし、日本に帰ってきた時も必ず明徳義塾に顔を出してくれる。
なにを話したかって? いや『世界の松山』だから、たいしたことは話してないよ」
と独特の話術も交えながら彼の隠れたエピソードにも触れた。

奇しくも9月、侍ジャパンU-18代表監督として馬淵監督が乗り込む「2021 WBSC U-18ワールドカップ」の
開催予定地もジョージア州に隣接するアメリカ・フロリダ州。
「励みにしたいね」と、名将は教え子が成し遂げた快挙を前に「世界一獲得」への誓いを新たにしていた。



マスターズにはこれまで33人の日本人選手が出場し、のべ132度目の挑戦で初めてグリーンジャケットを手にした。
初出場は1936年の第3回大会、陳清水(当時台湾籍)と戸田藤一郎で、それぞれ20位と29位だった。
初めてトップ10入りしたのは1973年、尾崎将司の8位。2001年の伊沢利光、09年の片山晋呉が4位が最高だった。

484名無しさん:2021/04/12(月) 16:03:01
☆ 仙台で2度の始球式…  星野仙一さんとの縁を忘れなかった松山英樹



4年前の1月16日、野球殿堂入りが決まった直後の星野仙一さんと食事をした。報道リリースは同日の午後5時。
同時に絶え間なくメールが届いた。右手ですしをつまみながら、左手で携帯をチェックしていると
「お、松山からだ」とつぶやき、手が止まった。

東北福祉大出身の松山英樹とは、監督就任をきっかけに縁ができた。メッセージをじっと見つめ、携帯を閉じて言った。

「松山は、バッグに『がんばろう 東北』のステッカーを貼ってプレーしている。うれしいよな。
こっちからお願いしたわけじゃないのに、自分で考えて、そういうことをしている。
立ち位置と、スポーツが持つ力を理解している。そんな若者がいて、自然にできることが、うれしいじゃないか」


大学2年の松山は、同年のマスターズに初出場。27位でローアマを獲得し、帰国後すぐ、牛乳配達の手伝いなど身の回りでできる
ボランティア活動を始めた。 「復興を成し遂げるには、若者の力が必要不可欠」と考えた球団のお願いを快諾し、
楽天が仙台で初めて行った4月29日の試合で始球式を務め、縁ができた。

星野さんは、夢を追い、人を思う青年を尊敬し、いつも応援していた。 18年の1月に膵臓がんで死去した3カ月後、
松山は故人の誘いを守る形で「がんばろう 東北デー」と銘打たれたゲームで2度目の始球式に登場。
背番号「77」のユニホームで、115キロのストレートを力強く投げ込んだ。


マスターズを制すまでにかかった10年の歳月と、東北への思いを問われた。松山は「早いのか遅いのか分かりませんが、
背中を押してくれた人たちにいい報告ができたのは、良かったと思います」と言った。
少し見開いた目と、少し動いた口元に、かみしめた万感を垣間見た。

485名無しさん:2021/04/12(月) 16:07:01
☆ 振らない“振り逃げ”、どういうこと?  まさかの珍プレーに「初めて見た」 ソフトバンク 2ー0 楽天(11日・楽天生命パーク)



6回のソフトバンクの攻撃だった。 楽天の早川隆久投手は今宮に対し、2ストライクからの3球目で140キロの真っ直ぐを投じて
見逃し三振に仕留めた。だが、このボールを捕手の太田がキャッチできずにポロリ。ボールは今宮の足元をコロコロと転がった。

今宮はここで何かを思い出したように一塁へと走り出した。 太田はボールを見失い、その場でキョロキョロ。
マウンド上の早川は慌てて三塁線を転がるボールを拾い、一塁へと送球し、今宮をアウトにした。


公認野球規則では、第3ストライクが宣告されたとき、捕手が投球を完全捕球できていなければ、一塁への進塁を試みることができる、
と定められている。 「振り逃げ」とは言われるものの、第3ストライクが空振りである必要はない。

打者が空振りした場合の「振り逃げ」は頻繁に見られるが、見逃し三振での“振らず逃げ”はなかなかお目にはかかれない。

486名無しさん:2021/04/12(月) 16:17:02
☆ ホーム踏み忘れで同点がアウトに…  珍プレーに東洋大、杉本監督 「集中力欠いた」

                    東都大学野球春季リーグ戦、立正大5-3東洋大」(12日、神宮球場)


珍しいプレーが勝敗を左右した。1点を追う東洋大は二回2死一塁で宮本が右翼への二塁打を放ち一走・小口がホームイン。
だが、プレー再開後に、立正大側が本塁の踏み忘れをアピール。

球審から東洋大ベンチへ向けてアウトが宣告され、無得点で攻守交代となった。


立正大・坂田監督はベンチ内から一塁走者がホームベースを踏んでいないのではとの声が上がっていたことを明かし、
「チームのファインプレーかな」と称えた。
いったんは逆転された中、相手のミスにつけ込んで逆転勝ち。開幕からの連敗を4で止め、今季初勝利を手にした。

一方の東洋大・杉本監督は「集中力の欠いた感じかなというゲーム展開だった」と振り返った。
三回に主将・佐々木のリーグ戦初本塁打となる3ランが飛び出しながら、3失策が失点に響く悪循環。手痛い1敗となった。

487名無しさん:2021/04/12(月) 16:20:01
☆ ワクチン2回接種の女性が感染、国内初か…   厚労省「接種後も感染対策を」



金沢市の石川県立中央病院に勤務する派遣社員の女性が、新型コロナウイルスのワクチンを2回接種した後、
ウイルスへの感染が確認されたことがわかった。 

県などによると、女性は3月13日と4月3日に医療従事者向けの優先接種を受けた。
その後、感染者の濃厚接触者として検査を受け、10日に陽性と確認された。症状はないという。 


2回の接種を終えた人の感染が国内で確認されたのは初めてとみられ、厚生労働省の担当者は
「接種で感染のリスクを低くできるが、ゼロになるわけではない。
接種後も引き続き、感染防止対策をしてほしい」としている。

488名無しさん:2021/04/12(月) 16:56:02
☆ 家事や介護に1日4時間  中高生の5%がヤングケアラー



大人の代わりに家事や介護といった家族の世話を担う子ども「ヤングケアラー」が、中学・高校生でおよそ20人に1人いることが、
厚生労働省が12日に発表した初の全国調査で明らかになった。

世話に割く時間は1日平均4時間に及び、当事者からは学校生活や将来への影響を心配する声も出ている。
調査は全国の公立中学の2年生と公立高校(全日制など)の2年生を対象に昨年12月以降に実施し、1万3777人から回答があった。


世話している家族がいると答えたのは中学2年で5・7%、高校2年(全日制)で4・1%。文部科学省の統計にあてはめると、
中学2年で約5万5千人、高校2年(全日制)で約4万2千人がヤングケアラーという計算になる。

世話の相手はきょうだいの割合が最も高く、中学2年は61・8%、高校2年で44・3%。父母は中学2年で23・5%、高校2年で29・6%だった。
世話の内容は、中学2年で相手が父母の場合、「食事の準備や掃除、洗濯など家事」(73・3%)が最も多かった。
相手がきょうだいの場合、「見守り」(68%)が最多で「家事」は37・6%、「きょうだいの世話や保育所への送迎など」も34%いた。

489名無しさん:2021/04/14(水) 16:13:02
☆ 【4月14日の話】 ライオンズ黄金期を支えた西武球場が完成…  当時の前衛的なアイデアとは  ①



1979年4月14日、埼玉県所沢市に西武球場が開場した。
西武球場の歴史は、プロ野球・埼玉西武ライオンズの歴史そのものである。
 
西武ライオンズの前身である「クラウンライターライオンズ」は、福岡県を拠点に活動していた。
しかし、チームの低迷と経営難により、当時の運営会社はチームを手放すことを決意。


そこで白羽の矢が立ったのが、社会人野球チームの設立など、球界参入に積極的だった
「西武鉄道グループ」の一角、「国土計画」だった。

買収により「西武ライオンズ」として再出発を果たしたチームの本拠地は、当時、改築中だった西武園球場に決まった。
1979年、工事終了後に名前を「西武球場」と変え、ここから西武ライオンズの歴史が始まる。


当時、西武球場の設計アドバイザーを務めたアマ野球指導者の石山建一さんが本誌の取材に応じてくれた。

「西武鉄道は、西武園球場を貸し球場にする予定だったんです。
でも、貸し球場といっても、自分のチームを持ってないとお客さんが入らないじゃないですか。

それで急遽、クラウンライターライオンズを買って、西武ライオンズを作ったわけですよ」
西武球場をつくるにあたり、お客さんにとってなにが快適かを考えたという。


「改築前の西武園球場は、センターの位置にホームベースがあったんです。
ぼくは向きを逆にしちゃおうと考えたんですね。

そうすると、内野スタンドからユネスコ村(当時所沢市にあった遊園地)とか秩父の山が見えて、
景色がよくなるんです」(石山さん)

490名無しさん:2021/04/14(水) 16:16:02
☆ 同上  ②


当時、非常に前衛的なアイデアだったのが、ネット裏のラウンジだ。
「これから、もっと多くの人たちが野球を観るようになると考えていました。
なので、食事しながら観戦できたほうがいいと思ったんです。それで出来たのが、ネット裏のラウンジです。

あの頃はどの球場にもラウンジなんてなかったんです。昼間は西武園でゴルフして、夜は奧さんと一緒に球場に来て、
食事しながらナイターを観る。そんなラウンジを作ったんですね」


当時の西武球場の魅力が伺える、こんなエピソードも。
「アメリカのオールスターチームが日米野球で来日したとき、『ワンダフルな球場だ!』
『アメリカにもこんな綺麗な球場はない』と大リーガーの選手が言っていて、嬉しかったです」(石山さん)

西武ライオンズは、1982年に初のリーグ優勝を果たすと、黄金期に突入。
1986年から、清原和博、石毛宏典、伊東勤ら強力な打撃陣に加え、工藤公康、渡辺久信、東尾修ら
盤石の投手陣のもと、9シーズンで8度のリーグ優勝と6度の日本一を達成。


常勝軍団の活躍とともに、西武球場は進化を遂げていく。
1997年には、「環境共生型球場」をコンセプトに西武球場のドーム化に着手。
2017年に「メットライフドーム」と名前が変わった。

2021年3月、およそ3年かかった改修工事が完了。
子供たちが楽しめる遊戯施設、選手と近い距離で試合を楽しめるプレミアムエキサイトシート、

12球団最多となる1000種類以上の「球場グルメ」を味わえるフードコーナーなどができ、
多くの人々に愛される球場に進化した。

491名無しさん:2021/04/14(水) 16:21:02
☆ 「監督は人見知りの元ローソン店長」 センバツ準優勝に導いた39歳のスゴい観察眼  ①



センバツ高校野球で準優勝した大分の明豊。 監督の川崎絢平さんは異色の経歴を持つ。
スポーツライターの清水岳志氏は「大卒後、スーパー店員やコンビニ店長をして人間観察力や人材を活かす能力を磨いた。
その力が今大会で存分に発揮された」という。

和歌山県に生まれ、地元の生石ボーイズ(中学)時代、チームメートが入学を希望する智辯和歌山の練習に参加した。
その付き添いで自分も参加したら、高嶋監督(当時)に見初められる。 守備が抜群に上手かったそうだ。


高1の夏はいきなりベンチ入りし、チームは全国制覇する。高2、3時も主力選手として甲子園に連続出場を果たす。
順風満帆の野球人生だったのだが…。智辯和歌山から立命館大に進んだ後、社会人野球の名門チームに入社が決まりかけていたが、
受け入れ側の都合で、話がなくなった。 ここがひとつのターニングポイントになる。

結局、和歌山のスーパーチェーン「マツゲン」に入社し、地元クラブチーム箕島球友会でプレーを続ける。
このスーパーでの経験が後の指導者人生の礎になる。


店舗では野菜担当。 市場に行って買いつけたり、マイクを握ってお買い得品をアピールしたりした。
陳列をする際、客の動線を研究し、どうやったら目に留めてもらえるかなども研究したという。
周りを見て空気を察して状況を見極めるということにつながった。

その後、同県海南市の実家に戻って、親が経営していたコンビニのローソンの店長を務めることになる。
この転職も人の上に立つための素養を磨く助けになる。


店長として何より苦労したのが「アルバイトの管理」だ。 突然、休むバイトの処遇をどうするか。
頭ごなしに叱責しては関係が気まずくなる。 気持ちよく働いてもらい信頼関係を構築するための努力を惜しまなかった。
今どきの若者との距離感のとり方やコミュニケーション術を学んだのだ。

店長を務めながら、中学生のコーチをしていると、智辯和歌山のコーチを頼まれる。
母校の恩師、高嶋監督が「中学生を見てるなら、うちでやってみいひんか」と手を差し伸べる。


そこで3年間、のちにプロへ進む岡田俊哉(現中日)、西川遥輝(現日本ハム)らを育てた。
コーチを終えてからコンビニに戻り、深夜業務もザラだったそうだ。

さらに3年後、家庭の事情もあり大分に転居。 地元シニアのコーチをしていると、
2011年、明豊で指導をしないかとの打診があり、部長を経て2012年秋、監督に就任した。

こうした野球だけではないキャリアは甲子園監督としては極めてユニークだが、店員や店長として磨いた人間観察力は
高校生たちをマネジメントするのに大いに役立った。

492名無しさん:2021/04/14(水) 16:23:02
☆ 同上  ②


今大会で打順変更や代打の采配などが的中したのも、この鋭く深い観察眼ゆえだ。
野球部監督には上から目線の指導者が多いが、川崎は硬軟織り交ぜる。
例えば、かつて同校で起きた「カードゲーム」事件がいい例だ。

ある晩、野球部寮の消灯時間をすぎても部屋でカードゲームの「UNO」をやっている選手たちがいた。
翌日、川崎はその部員らに告げる。 「だったら、今日の練習はUNOだな」 該当選手にマウンド上でUNOをさせたのだ。
大分在住で九州の高校野球を取材するスポーツライターの加来慶祐氏はたまたまその場面を目撃していた。


「監督は、好きなだけやれ、と。確か4人だったと思います。2時間ぐらいはやらせていました。
他の部員はマウンドを避けて狭い範囲で練習をしていました。

監督は、自分勝手にルールを破れば、周りにどれだけ迷惑がかかるか、ということをわからせたかったのでしょう。
この一件以来、チームに規律とまとまりができました」


川崎が教え子の選手を観察する場はグラウンドだけではない。それは、野球部寮だ。中でも川崎が重視するのが、寮長。
寮長に求めるのは、まじめで落ち着いてコツコツと努力するタイプだ。

現在の寮長は、今回のセンバツ初戦の東播磨戦で4番を打った米田友。 米田は秋まではレギュラーではなく、
背番号15の控え選手だったが、冬の間に鍛え、スタメンを勝ち取った。 市和歌山戦では貴重な先制ホームランを打った。

2019年の寮長も秋の新チームではサードコーチを任され、夏には背番号5をもらうまでに成長する選手だった。
地味な練習を積み上げた人間は最後にレギュラーを勝ち取る。
監督は努力を見届けて、チームの核としての技術能力、精神的な強さを評価するのだ。


監督は自らをこう分析している。 「人見知りでガツガツしていない、地道にコツコツと努力する」
きっと寮長にも、自分と同じようなタイプを知らずしらずのうちに求めているのかもしれない。
そうしたチーム内リーダーの存在もあり、明豊は他チーム以上の一体感がある。といっても部活や体育会的なノリではない。

実は、上下関係が緩い。チーム内で上級生から下級生へのいわゆる使い走りは厳禁だ。
「自分のことは自分でやる」が徹底されている。忘れた帽子は自分で部室に取りに戻る。飲みたいジュースは自分で買う。
訪問者は監督自らユニフォームを洗濯しているシーンに出くわすことが多々あるそうだ。

493名無しさん:2021/04/14(水) 16:26:02
☆ 同上  ③


明豊は、今回の準優勝により九州で揺ぎない地位を築いたと言えるだろう。
優秀な選手が九州だけではなく、最近は北海道からも来るようになったという。

在九州の新聞記者はこう言う。「ナンバーワンのタレントぞろいになってます。
福大大濠、創成館、神村学園辺りが積極的に選手勧誘をしますが、その学校が有力選手を訪ねても、
明豊に行きたい、と断られることが増えている」


甲子園の常連校になったこと。 川崎監督の人柄に触れたい高校生が増えているのだ。
明豊は昨秋の九州大会ベスト4。 そこからセンバツ決勝戦まで駆け上がった。

「東海大相模にしてもそうですが、秋から成長率の高かった学校が最後まで残った」と前出の記者は言う。
自分たちの立ち位置を把握し、足りない部分を的確に埋めることができる。
だからこそ、地力をつけてこられたのだ。


2017年夏の甲子園で2勝、2019年春に3勝、そして今回4勝して準優勝。
川崎監督の決勝戦後の会見で印象深かった言葉があった。

「階段は一つひとつしか上がれないんだなと。 まだ、優勝には早いと言われているのだと思います」
そして言葉をつづけた。

「あと、一つの階段を登るため、夏へ特別なことはしない。同じことの精度を上げること。継続して積み上げたい」
コツコツと重ねていく。 川崎監督の生き方そのものが、実証される日は近いはずだ。

494名無しさん:2021/04/14(水) 16:50:02
☆ スポーツアナならでは! 元プロ野球選手の評伝  「無名の開幕投手」が持つ魅力



昨年末に刊行された「無名の開幕投手 高橋ユニオンズエース・滝良彦の軌跡」(桜山社、税別2400円)は、
1950年代に活躍した元プロ野球選手の生涯を名古屋・中京テレビ放送のアナウンサー佐藤啓さん(58)が
綿密な取材でたどった異色のノンフィクションだ。

佐藤さんの母校・南山大学出身で唯一のプロ野球選手が滝良彦さんだが、その名はほとんど知られていない。
佐藤さんが雑誌で存在を知り、中日ドラゴンズや母校の関係者をたどって探し当てる過程から、滝さんが亡くなるまでの交流と、
死後の綿密な取材が一冊にまとめられている。


滝さんは1952年に毎日オリオンズに入団した技巧派右腕だった。
1954年に高橋ユニオンズで球団初年度の開幕投手を務めるなど、エースとして活躍。
高橋ユニオンズはわずか3年間だけ存続したパ・リーグの球団で、滝さんはこの間31勝を挙げたという。

佐藤さんによる滝さんの評伝は、自身の出身大学で唯一のプロ野球選手というだけでなく、プロ野球取材歴30年の
スポーツアナウンサーらしい人間的関心に満ちている。 戦後のプロ野球動乱期は、豪快なレジェンドたちがひしめいていた。

その中で、高橋ユニオンズの同僚だった佐々木信也氏が紹介文で「穏やかすぎるいい人でした」とつづっている滝さんは、
異質であったのだろう。 そんな心優しく堅実な人柄に佐藤さんが惹かれていることがよくわかる。
著者と取材対象者の“縁”が、同書の読みどころでもある。

495名無しさん:2021/04/14(水) 16:57:02
☆ 最新ルーキー事情  虎視眈々とNEXTブレークを狙う男たち (中日)



残念ながら開幕一軍入りを果たしたルーキーはゼロ。
可能性があったのは春季キャンプから唯一、一軍に参加していたドラフト6位の社会人ルーキー三好大倫だったが、
最後に息切れとなった。

日体大からドラフト2位で入団した森博人も即戦力として期待されていたが、開幕は二軍スタート。
すでに3試合に登板し、今後の活躍によっては一軍昇格もありそうだ。


注目のドライチルーキー高橋宏斗も二軍でプロデビュー。
3月27日の阪神戦(ナゴヤ)では1回も持たずに4安打3失点のホロ苦いマウンドとなり、
2度目の登板となった4月3日のソフトバンク戦(タマスタ筑後)も2回3安打2失点だった。

ドラフト4位の福島章太、5位の加藤翼は高卒投手。 登板機会は少し先になりそうだ。
3位の土田龍空は開幕からショートのポジションで躍動している。打撃向上がカギとなりそう。


特筆すべきは育成1位の近藤廉。対外試合での好投が続き、開幕からわずか5日後にして支配下登録を勝ち取った。
もしかすると今年のルーキーで一軍一番乗りは、この近藤になるかもしれない。

496名無しさん:2021/04/18(日) 11:10:02
☆ 消えた甲子園、球児を記録   早見和真さん、済美高に密着



松山市在住の小説家・早見和真さん(43)が、ノンフィクション「あの夏の正解」を刊行した。
昨夏、新型コロナウイルスの感染拡大で全国高校野球選手権大会が中止になり、
夢舞台の喪失と向き合うことになった高校球児たちに、3カ月間密着。

元球児の早見さんが自身の姿も重ねながら、球児たちの本音に迫った。「俺だったらやめるよなって思ったんですよ」
甲子園の中止が発表された昨年5月。早見さんは、甲子園出場経験のある強豪校、済美と星稜の野球部に取材を始めた。


甲子園に続かない高校野球に、やる意味はあるのか。最後の夏に自分で折り合いをつけた、その先の答えを見たいと思った。
この取材の前、早見さんもコロナ禍でスランプに陥っていた。別の連載の仕事を後回しにして、グラウンドに通うこと3カ月。
甲子園のない夏に、それぞれ野球の「楽しさ」を見いだす球児たちの姿を見た。

「最初は『早く終わんないかな』とさえ言っていた彼らが変わっていくさまを、誰よりも近くで見させてもらった。
いい3カ月だったよなって、これから10年は思い続けそう」

同時に、「何でもいいから文章を書きたい」という自分の原点の気持ちを思いだした取材でもあったという。
「何よりも大切なものを失った生徒が、どう生きたかの記録を残せた」。   新潮社刊。税込み1540円。




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