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倉工ファン

296名無しさん:2018/10/21(日) 12:36:29
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1989年8月17日  二回戦  「 証 明 」


旅立ちの季節は春に非ず 夏の終りの まだ表面的にはジリジリと照りつけ しかし

底にひそめた感傷や 来るべき秋と冬の厳しさを さりげなく暗示する


ちょうど今の頃 少年の第一幕に容赦なく幕が降り さて 今日までと さて 明日までと

何がどう違うか思案させるところに 旅立ちの意味がある


好投手 佐野日大・麦倉投手の 幕切れ直前の緊迫は そんなことを感じさせ

あぁ旅立つ少年がいると思った 


一回戦を完封 決勝点は自らのホームラン 無失点記録は48と伸び それだけを見ると 

何ら不足はないと思えるが おそらく 不足を感じる人があるとするなら それは 彼自身 

こんなものではないという誇りが この試合の 最終回のピッチングに さらに 

三振に打ち取った最終打者に集約された


体のキレといい 気迫といい 思い描くイメージといい 短い時間ではあったが 

満点の 自己表現と自己主張をし 第一幕を閉じた



中日までは、やって来た少年たちであるが、それ以降は、去って行く少年たちである。
たとえ、勝ち残ったとしても、やはり、去って行く少年であることのに変りない。

空の色や、雲の形や、風の流れも、ちょうど中日を境にして変化を見せ、なおさら、
この子たちは、みんな、それぞれに何かから去って行くのだと感じさせる。

一回戦では、幕切れの表情というものをそれ程感じないが、二回戦の終りからは、
どう去るべきか考えているように思える。 ほとんどが無意識だろうが、夏の甲子園には
そうさせるものがあるのである。

大仰な云い方をするようだが、九回一イニング、普通の調子で過ぎたのと、今日のように、
目が覚めたように、体内で何かが叫んだように引き締り、力を証明してみせたのでは、
将来、まるで違った甲子園になると信じるのである。


( 福井商3-2佐野日大 )



麦倉洋一・・・阪神より3位指名。 2年目に2勝、右肩を故障し手術を2回受けるが回復せず引退。
         通算2勝4敗。 2017年4月より母校の佐野日大の監督。




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