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雑談スレ 3
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〜旅立ちの朝〜
※バックナンバー
雑談スレ
〜森羅万象の欠片
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/sports/39195/1443356926/
雑談スレ 2
〜宇宙プリズムの狭間で
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/sports/39195/1452752852/
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「森田療法にしがみつく狂い」
と「森田療法」を「=(イコール)」にしてるのも ??
それって極論を言えば
「手洗いに対する強迫」と
「手洗い」を「=」にするようなもの
「手洗いを捨てれば治る!」w
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るみちゃんさ、自分が森田療法をやってきて、何が間違っていたのか知りたい感じなのかな?
自分にとって間違いだったからって、人にそれを正解として固定する事はないよね。
それで救われたって言ってる人もいるんだし。
勘違いだったとしても、これはこれで良いんじゃないかなぁ。
森田療法で治ったと言って、実際は違ったとしても、名称に拘る必要ない気がするけど。
自分が楽になったならそれで良いんじゃないかな。
同じ物からも、人それぞれに得るもの、見えてるものも違ったりするでしょ。
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森田療法を間違いってするって事は、自分の過去の経験が間違っていたってなるよね。
そうなると、今の自分も間違いってなるよね。
時間は今しかないから。
だからさ、正解も間違いもないよね。争いは、こうならないと消えない。
他人と争うってのは、自分と争う事と同じだからね。
自分の過去が間違ってたという、過去の自分と争ってる事と同じだよね。
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>私はもうとっくに治った人間だよ。
こういう拘りって、ワールドの人と同じw
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わたしの周りはさ、わたしが調子良くてもね、何の変化もないんだよ。
治ってきたでしょなんて聞こうものなら、ほとんどスルーかな。
というか無関心。
今は勝手に流れてくんだよ。
他人の承認なんか得られない環境。わたしはね。だからこんなものは捨てた。
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つまり、自分が治ったか治ってないかは、永遠に確認出来ない。ある意味で。
正常と異常の確認が出来ない。これはただの自分認識でしかないんだよ。
だから正邪がない。
自分は自分が見えてるものしか見えない。ちょっと怖い。これってね。
正解が固定化されないって事は、正解がわからないって事であり、心の拠り所ないからね。
つまり、自分は自分でしかいられないってだけかな。
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そもそも、わたしはわたしでしかないので、治る治らないという目で見られてないんだよ。
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わたしが神経症治ったとしてもね、周りもわたしもね、当たり前の現実が続いていくだけなんだよ。
既にこういう状態だしね。
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時間が止まる事ないしね、基本的に、他人に依存していなければ、それぞれに自分の価値観の中で生きられるよね。
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自分は自分だとね、他人の状態に一喜一憂しないので、永遠に今が続くだけなんだよ。
心の拠り所やはりあいを自分の外に持っていなければね、気が抜けておかしくなる事もないんじゃないかな。
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無為療法について。
無為療法はね、世間にある神経症関連の中では、多分、一番、最終の境地に近いと、わたしは思う。
わたしの感覚とかぶるところ多い。けど、微妙な違いが大きい。
基本的に雑用に生きなきゃってのはね、わたしの基本。そこから勝手に外に繋がっていくから。
周りもね、まずは家の事が出来なければって感じだしね。
とりあえずは、家の事やってくれれば良いって感じにもなってる。
うちは余裕まったくないし、雑用自体、まだあんまり出来てないけど、無理なく進んでいくにはね、順序ってのがあるって事だよ。
とにかくね、自分の中で優先させる順番ってのがあるから、まぁ良いんだよね。
あはは、、今日は本当に書き過ぎw 落ち着くと良いね。 んじゃね。
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遠くを見てても夢しか見えないからね、まずはね、目の前だけを見る雑用に生きるw
今ここも、その一つと同じw
雑用の連続で仕事に繋がってくw
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雑用と仕事の区別はなし♪
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混沌さん
今日はありがとう^^ なんとなくw
苦しいのは自分だけじゃないしね、取り残される事もないので、焦らずボチボチいこうね♪
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>相手を変えるには相手より自分が強い力を持っていないといけない。
目の前の状況が気にくわないのであれば、自分の在り方を変えれば目の前の状況は変わるんだよ。
自分を変えるしかないよ。
目の前の現実は、自分の内の意識状態が投影されたものだから、これを基本的に理解していないと、目の前の状況はなかなか変化しないんだよね。
自分の現実は自分で創造してるので、自分次第。
自分の中に、人への依存心という意識状態があると、人と争う事になるんだよ。
これがわからないとねって思うんだけどね。
とにかく、目の前の世界は、自分の意識状態がそのまま映ってるだけね。
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つまり、わたしのこちらの生活でも、人と対立にならないのはね、わたしの中に依存心がないからなんだよ。
自分が映ってるだけだからね。昔からこうなんだろうね。
環境が先にあって自分が在るわけじゃないんだよ。後先はないんだよ。今しかないから。
自分の中の歴史なんてのはただの夢。
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わたしにとっての家族とは、家族は家族だけど、これは、ある意味ではね、ただの名称なだけであり、自分の中にはね、こういった〜系というカテゴリ持ってないので、自分以外は他人は他人なんだね。
こういった状態でも、家族を家族として暮らす事は出来るんだよ。共存としてね。
依存ってのは、自分の中にカテゴリがあるので、家族と家族以外というのが自分の中に存在する事によりカテゴリが出来る。
こうなるとね、情に流される事になるので、これが依存心。わたしにはそれがないんだよね。
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つまり、距離というのも幻想なのでね、血のつながりが近いとか遠いといったものもね、関係ないんだよね。
自分は自分。
血の繋がりによって似たような性格や外見になるのもね、ただ単に、学びの共有ってだけの事。
だからね、自分が障害者をうんでしまったとしてもね、自分ばかりを責めるのは間違ってるんだよ。本来はね。
全てを個性として受け入れれられれば良いんだよね。
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>>221
(^ω^)
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>ここまで現実的に良心的に惨めさをさらした議論をする私は立派だ、ウン。
自分を守る殻を大事にしてる方が弱さに見えるけどね・・ウン
やれやれ、、
現実に生きないとね。
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依存心とは、、
自分への依存と他人への依存は同じ事。
正解や間違いに依存するって事かな。
これを心の拠り所にする事かな。
自分(正解)に依存すると、他人(間違い)に依存する事になるし、反対も同じかな。
争いはこうだよね。
正邪がなくなると比較がなくなるので依存ではないよね。
自分(正解、間違い)と他人(正解、間違い)になると、1つに重なるので寄りかかりがなくなる。
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まあいっか。じゃあね♪
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お前ホントは心理学者とかカウンセラーだろ?
残念ながら私には通用しないぞ。
混沌みたいな奴にガツンと説教してやれよ。
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『209 :みく:2016/03/05(土) 19:59:30 ID:Mgeuetf.0るみちゃんさ、自分が森田療法をやってきて、何が間違っていたのか知りたい感じなのかな?
自分にとって間違いだったからって、人にそれを正解として固定する事はないよね。
それで救われたって言ってる人もいるんだし。
(以下略)』
→ それからキミも何か『森田を擁護しないといけない』立場にあるらしいな。
ま、こんな森田から派生したスレに寄食しているんだから当然か?
上記など、いったい誰の大便してるのかな?(暴言失礼)
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自分の中にある〜系というカテゴリが、正解と間違いにわけてる。うん。多分そう。
じゃね!
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わたしは嘘は言ってない。
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ははは。了解。我ながらまた私の悪い癖が出たな。
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また一から疑いが始まるんだね。
まぁ好きに思えば良いけど。
わたしは、神経症者だって言ってるのにね。
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まぁ何度でも繰り返せば良いよ。
人の中のトラウマってそういうもの。
神経症でよく知ってるしね。
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自分が自分のカウンセラーしてきたから、そういう風に見えるのかな。
どうなんだろうね。
何も勉強した事ないしね、病院もいってない。
つまりね、神経症に生きてる自分の思考とは別に、カウンセラーみたいな思考があるんだよね。
これは自然のものだよ。
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ははっ、海大先生にケチつけるとは失礼なことをいたしました。
明日もありがたい教え、よろしくお願いいたしまする。<(_ _)>
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わたしは、世間のカウンセラーや心理学者や霊能者や瞑想やスピ関係や宗教なんかもね、全て信用してない。
自分だけだよ。
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教えるとか思ってないしね、わたしの神経症(トラウマ)と他人のトラウマが重なってるだけね。
だから、こうやって書く事自体が神経症でもあるんだよ。
わたしの神経症って、神経症それ自体が、瞑想のようなものなんだよ。
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ま、だからね、わたしの神経症と一緒に他人とは進んでいくだけね^^
わたしの神経症は、わたしにとって、平和への道しるべになってる感じなんだよね。
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そもそも、世間的に生きてるカウンセラーや心理学者みたいな人が、あんな荒らしのような事するわけないよねw
ま、わたし神経症者だけど、姪なんかの子育ての相談受けたりするんだよね。
心理的なサポートだけで、相手とは対等になってるね。
おやすみぃぃぃ
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「君子は危うきに近寄らず」
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>>243
言いたい事がわかんない。
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ああ、わかった。
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243の答え教えて、海大先生!!
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危うき(森田療法)
危うき(↑)
危うき(スピ系)
危うき(常識、世俗)
危うき(努力主義)
危うき(努力否定)
危うき(理知偏重)
危うき(理知否定)
危うき(答えは一つ)
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aさんのいうことはわかるが、
それがホントに243の答えだったのかな?
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話聞いてたらわかんなくなってきた。
るみちゃんはさ、また変な妄想してそうだよね(-"-;)
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>>239
これの事?
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「危うき」や「正しさ」は「見方、立場、バランス」「人それぞれ」なんだろうけど、
それぞれの「危うき」を嫌悪しながらそれを「否定」する形でしがみつく
何か「臭い足のにおいを
やだやだと思いつつ、嗅ぎ続ける」みたいなw
「においを消そうと頑張る」みたいな。
「『正しい』のだから『危うき』においを消せるはずだ」と。
そうして、
集団的「匂い消し」のスプレーが互いの「自己愛」という匂い倍増装置を刺激し合い、
辺りは激臭に包まれる・・
そうしてまた各自「危うき」臭いを消そうと頑張る、各自の「正しさ」という消臭スプレーで・・
臭くしたのは誰?・・
「お前(たち)」だけなのか・・
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・・て書いてみたけど
これって不思議と
「不安や強迫観念」
「精神交互作用」
の説明に似てるな・・
「集団的」な
「不安や強迫観念」
「精神交互作用」
っていう。
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・・「不問」
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・・「君主は危うきに近寄らず」
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っていう臭いスプレーでした。
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人は、みんな、個人的な幸せにしか生きてない。
全てが自己愛。
何をどう生きてもお互い様にしかなってない。
基本的に人間てのは強迫観念を持ってるもの。
-
本当に出会える出会い系ランキング
http://bit.ly/1OgYRt7
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『233 :みく:2016/03/05(土) 23:38:26 ID:Mgeuetf.0
わたしは嘘は言ってない。
235 :みく:2016/03/05(土) 23:41:03 ID:Mgeuetf.0
わたしは、神経症者だって言ってるのにね。
256 :みく:2016/03/06(日) 03:00:20 ID:AQ.9n7LEO
基本的に人間てのは強迫観念を持ってるもの。 』
→ やれやれ。
『すべての人間は神経症者で、強迫観念を持っている』から
『私も神経症者』であり
『私は嘘は言ってない』わけですな。
海さん一味の超論法はたまりませんな。
(これ推理小説で解決篇がこうだったら、
作者に石が飛んでくるだろうな)
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『君子は危うきに近寄らず』
→ これ『斉○サイト』のことでしょ?
あのサイトをみていると、斉○のあの極論と語り口が癖になってしまう。
だからあれこれ書かないと気が済まなくなってくる。
時々は大変よいことが書かれているのも困る。
目が離せなくなる。
だから貴重な時間がムダになってしまう。
偏屈で少々偏向しているが、憎めないおかしな老人なのだ、と。
でもまともな人はあまり近づかないほうがいい、と。
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それにしても斉○一味、一休さんの怒涛の投稿ラッシュを期待したが、
今の所何も動きがない様子。
私が冷や水をぶっかける投稿をして、気勢をそがれたか?
平日になると一休さんの投稿が再開されるか?
それとももうネタが尽きているのか?
でも一休さん、あの気弱で斉○盲信状態では、
一生神経症が治るとは思えないなあ。
これまでだって、森田と斉○の間をいったりきたり、
森田がダメで信じられなくなったら、斉○に移る、
そしてまた斉○が信じられなくなって、森田に移る、
さらに時々バカりんごが熱中するような他の療法を試してみたり、
この繰り返しみたいだったからなあ。
ああいうのが典型的な『森田ワールド人』の末路だよ。
『森田ワールド』内で『森田をいくら否定しても』、
それは結局『森田ワールドの中心により近づいていくだけ』
そして最後は『森田ワールドの太陽(ブラックホールというべきか?)
の引力に吸い込まれて、社会の藻屑と消える。
いやいや、こんなことがフッと直感でわかってしまう私って、
やっぱり天才だな。 フフフ(笑)。
※最後は少し『aちゃん風』にまとめてみました。
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るみちゃん
何度言えばわかるんだろう。
わたしが言ってる自分の神経症というのは、世間にある普通の強迫神経症の事だよ。
わたしは、健常者として強迫観念持ってるわけじゃなくて、るみちゃんが知ってる強迫神経症としての神経症者を生きてる。
るみちゃんはさ、わたしが普通の健常者に見えるのかな?
本当に普通の神経症者なのにね。
今日は心が張り裂けそうに苦しい。
生きるのは苦しい。
調子悪い。
心なんかどっかいっちゃえば楽なのにね。
わたしにとって生きるって、宗教どうこうや教えなんかを考えてる場合じゃないんだよね。
苦しいのでいい加減にしよ。
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おすすめ短篇小説。
いずれも暗い内容で、読者を神経症にさせる力が十分ある名作。
三島由紀夫 『海と夕焼』
・・・主人公のいるお寺と海と夕焼けの情景がありありと目に浮かんでくる美しい一篇。
『あの時海が分かれなかった不思議』、この『不思議』が何であったのか、
おそらく作者自身も答えがわかっていないまま書いていると思われる。
一言で表現しがたいまさに『不思議』な読後感。
有島武郎 『親子』
・・・こちらは青空文庫で読める。終盤の親子の対話が大迫力で圧巻。
有島が相手の立場を思いやるゆえに、何かとすぐ板挟みや自己嫌悪に
陥ってしまう性格で、後に情死(自殺)するのが頷ける内容。
この作家のことをほとんど知りもせずに『意志薄弱性格』だから
『自殺』した愚か者だ、と得々と片づける『森田』って、
頭が悪いだけでなく、じつにくだらない人物だったことは自明。
今日は投稿は基本これでおしまい。
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つづき
わたしの強迫神経症はね、混沌さんとかぶる部分も多かったりする。
本当に地獄みたいな神経症。
しょうがないけどね、るみちゃんはさ、わたしに対して苦労が見えないんだろうね。
わたし、今はね、他人に対する時だけは自分の苦しみ消えるからね。
るみちゃんがわたしを普通の神経症者に見えないと言うのは、対等に対せてきてるとも言えるのかなぁ。
けど、わたしは苦しい。
逃げ出したいくらいに苦しいけど、逃げ場なんかないからね。
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るみちゃんが、自分は神経症治ってると言い張るのと同じで、わたしは、本当に世間にある普通の強迫神経症としての神経症者を生きてると言い張るよ。
実際本当にそうだから。
天井見上げてる普通の神経症者と同じなんだよ。
本当に苦しいんだよ。
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つまり、るみちゃんの、自分は完治してるという拘りは、わたしが、自分を神経症者だと、あなたに言わざるを得ない拘りと同じ事かな。
実際本当に神経症だし、あなたは実際本当に健常者でしょ。
これまた鏡だね。
本来、神経症も健常者もないからね。
だから、るみちゃんには、わたしが神経症なのかどうなのかが曖昧に見えるのだろうね。
るみちゃんが、自分は健常者だという拘りが自分の中から消えていけば、わたしも、自分は神経症者だという拘りが必要なくなるかもね。
お互いに相互作用してるからね。
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ははは。今日の海さんの『話のツボ』がわかったよ。
『わたしは、本当に世間にある普通の強迫神経症としての
神経症者を生きてると言い張るよ。実際本当にそうだから。』
→ チミ、『るみちゃんにもしっかり、こういった部分があるんだよ』
と、チミお得意の、例の『鏡理論』で説教したいワケだね。
さすがは『掲示板の真の支配者』海さんだ。
いいたいこと、よくわかったよ。
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わたしは何も演じてない。
想うままに素直に書いてる。
現実に苦しいからそのまま書いてる。
遊びじゃない。
そこから何かを教えられるのなら、これはわたしの意図は絡んでない。
自然に生きてるだけ。
何一つ、意図を持って書いたことはない。
だからわたしは誰にも何も教えてない。
そんな必要ないから。
わたしはわたしを生きてるだけ。
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他人に対してる時だけ自分の苦しみが消えるのはね、フラッシュバックの時には人には向き合わないからだよ。
まだまだフラッシュバック多いしね、わたしは、フラッシュバックがなくなる事をもって、自分は神経症が治ったってなるからね。
つまり、無為療法の治りは、わたしにとっては治りじゃないんだよ。
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フラッシュバックについて。
わたしの場合のフラッシュバックは、さっきフラッシュバックで今違うという瞬間的なものの繰り返しで、泣いたカラスがもう笑う、みたいな状態であり、だから、さっきと今は、本当に別人のような自分なんだよ。
連続性がまったくなく、自分の中の時間が消え、瞬間的な想いに沿って生きてるだけ。
フラッシュバックは、昔の神経症状態を考えれば、とてもありがたい状態なんだよね。
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『中の人』一日中の海語り、大変だなあ。
会話してる時も出たりして。
専門職だろうか?
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わたしのフラッシュバックは、フラッシュバックの時とそうじゃない時が、ゼロ百であり、どちらも同じ事であり、どちらの状態の時もこれが全てになり、選択の余地がなくなるので、苦しみと楽(フラッシュバックとそうじゃない時)はまったく同じ事。
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悪いが私はそんなホットケー理論は受け付けないぞ。
その点世間一般の健常者の感覚を大事にしています。
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るみちゃん、付き合いきれない。
わたしは普段、言葉はほとんど必要ない。
さようなら!
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ホットケー理論が良いとは言ってない。
人それぞれだから。
だから森田も否定してない。
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治りに繋がる道は人による。
だから、森田を間違いとするのは違うでしょう。
人にはそれぞれに自分の道があり、自分は自分が信じる事が出来る事に効果を出す。
自分を洗脳するのは自分だからです。
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海さんのいうこと、でも色々示唆のある内容で面白いな。
とても37歳のニートの神経症者には思えない・・・
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生きるのはやはり苦しい、、
混沌さん、わたしも同じだよ。
自分もゴミだね。
けど、こう想うとね、わたしは、こう思う事は申し訳ない事だなぁという思いもわいてくるんだよね。
だからこそ生きてこられた気がする。
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この世に存在している強迫観念の全てを知ると?というか、神経症を極める事は、この世の人間の心の中の闇を極める事と同じ事なんだよね。
基本的に、この世は苦しみの世界だから、こうなると色々見えてくる。
自分の人生に対しての全ての自己責任を受け入れてこそわかる事があるので、一つとして他人のせいにして満足してる限りは、なかなかわからないかもしれない。
智慧というものは、自分の中に既に備わっているものなんだよね。みんなね。
他人の承認は無理だけど、精神世界がわかるのも自然な事なんだよね。
人の認識はそれぞれだけど、みんな、スピリチュアルな存在とも言える。
スピリチュアルとかいった言葉は好きじゃないけどね。
人間はどこまでいっても人間だから。
自分てのも自然なものだから、自分や他人をゴミと思うのは、自分が自分を所有してる意識がこう想わせる気がするので、これがエゴであり苦しみだから、わたしは自分を卑下してきたけど、ここに満足する事は出来なかったんだと思う。
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鳥の糞が気になって気になってしょうがない
たまに外を歩くんだけど、そこに大量の鳥の糞が落ちている時がある
その道の前の家の人たち、小さい子供も居るのに大丈夫なんだろうか?
あんな所で遊ばせて
鳥のフンの何が怖いって鳥インフルエンザが怖い
調べてみたら糞からも感染するそうだ
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僕は雪国に住んでるものだから雪解けの水に糞が混じって
それが靴を通して侵入し靴下に付着するだろうと恐れている
玄関先で靴下を脱ぎ、外の凍えるような水道で足を洗えば、安心だろうか?
しかし靴はどうする?
まさか靴をそのまま捨てるわけにもいくまい、そんなことしていたら生活出来ない
今最も罪悪感が強いのは、鳥インフルエンザを可能性をガン無視して、濡れていようがなんだろうが
汚れているであろう靴下のまま、家の中に、何事もなかったようにそこら辺に放置していることだ
暴露反応妨害法的にはこれで正解なのだろうか?
時々とんでもなく苦しくなる
海さんだったらどうする?
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>時々とんでもなく苦しくなる
というか常に胸のあたりが苦しいのはこのような罪悪感がたくさんあるからなのだろう
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まぁ、別に答えてくれなくて全然構わない
僕はあなたの言ってることは役に立たない、と昨日書き込んだわけだからね
全く厚かましい人間だと我ながら思うよ
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『今最も罪悪感が強いのは、鳥インフルエンザを可能性をガン無視して、濡れていようがなんだろうが
汚れているであろう靴下のまま、家の中に、何事もなかったようにそこら辺に放置していることだ
暴露反応妨害法的にはこれで正解なのだろうか?
時々とんでもなく苦しくなる』
→ キミ混沌くんか?
バカりんごみたいなこと心配してるんだね。
そんなことで『キミに責任がある』なんていってくる奴が悪い。
心配するな、そんなこという奴なんて滅多にいない(皆無だと思うよ)。
法律もそんなとこまで対象になってなんかいないよ。
バカりんごって、雑踏や駅の階段で、誰かにぶつかって、
その誰かがケガするのが心配で、それも神経症なんだって!
それで、解決したっていうから、どんなことかと思うと
『ぶつかってもしケガした人がいたら、その責任をキッチリとる』
と自分に言い聞かせることで解決したんだって!!
バカだよな。そんなの『お互い様』だよ。
もう少し優しくいえば『程度の問題』。
シチュエーション的に『明らかに自分に落ち度や原因がある』なら、責任をとるべきだ。
でも『明らかに相手が悪い』とか『あまりに混雑がひどくて避けられない状況』ならば、
そんなことで責任をとる必要などない。
おわかりかな?
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働かなければ食べていけないという想いも、普通に強迫観念の一つ。
こういう想いを原動力にした行動に対して葛藤を持つか持たないかで、健常者と神経症者にわかれる。
ただこれだけの事であり、選択の違いってだけ。
前提になる想いというのが苦しみでありエゴ。
前提が消えると、自分の中で、仕事と遊びの区別がなくなる。
前提になる想いがあると、人との競争に生きてしまう事になる。
これが今の世の中。
わたしには、フラッシュバックの時以外は前提はないので、今ここの全てが、というか、生きる事の全てが、仕事であり遊び。
こういう在り方だから、病気とか病気じゃないとかも、あんまり関係なかったりするのかもね。
自分てのは、今の自分が自分であり、これしかいないでしょ。
前提があるとなぜ争いになるかというと、人の自覚意識がどう想おうが、前提があると、自分の選択を自分で選択したと思えていないから、これが争いになる。
だから、自分の人生の全ての自己責任を、心から受け入れないと色々見えてこない。
わたしにとっての神経症って、選択の余地がない修業のようなもの。
選択の余地がないので、自分に酔うことが出来ない。
人の中の選択の余地という、可能性の余地がある場合に、自分に酔えるので、こうなるから思い込みが消えないので、エゴをなくす前提で瞑想をやったり、世間の修行者さんなんかは、まだまだ思い込みの世界に生きてるけれど、これにも正解も間違いもない。
けれども、世間の修行者さんなんかは思い込みの世界に生きてるからこそ、これが真実だなどと正解を固定するので、これこそが、わたしにとっては間違いと言える。
わたしの神経症は、選択の余地がない修行のようなものであり、これそのものが瞑想であり、既に答えに生きてる状態になっており、治す前提の治療には何の効果も出さない。
-
混沌くんもグルか・・・
まったくもう、いやになっちゃうよ、ワールドの連中のきれいごとには。
そんなこと一々いってたら、人間生きてられんよ。
世の中には自分のせいで人が死のうが重傷を負おうが、何とも思わない、
逆に『人が自分のかわりに不幸になったから、
自分は幸せがつかめた』って考え方する人達も大勢いるんだぜ。
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混沌さん
わたしは何も気にしてないよ。
過去を引きずらなくて良いからね。
相手もそうなれば、わたしも楽になるしね。
これも強迫観念になるかもだけど、それも自由で良いと思う。
人間なんて、完璧なものじゃないしね、わたしはね、自分が正義とも思えないから、悪魔なのかもとも想ってきた。
けど、こうも思えないんだよね。
で、まだコメント読んでる途中(^_^;)
-
今日はこれでおしまいだったな。
あまりバカ正直なこと書くのは私の悪い癖。
ソンするだけだからもうやめよう。
(それにしても、森田のキレイごとや偽善者のおバカさん達に
理解されない、またまた今日も良心的な私。トホホ・・・)
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るみちゃん
まだコメント読んでる途中だけど、また始まった?
グルって何?ふざけてる?
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ちと出かけてきまする
用事ができました
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つづき
るみちゃんは被害者意識持ちすぎかもね。
だから、競争の世界ありきの強さを持つ事は弱さと同じ事なんだよ。
これに満足できないから、妄想という病気みたいになってるのかもしれないね。
自分の状態は自分の選択だしね。
いつもいつも、グルとか何とかをマジで言ってるなら、確実に被害妄想だから。
それにね、人の強迫観念の内容をバカにするって、ホントあり得ない。
人の中の善というものが信用できないんだね。
善も悪もないけどね。
-
ホットケーの人達のいうこと、わかるんだけど、
森田ワールドの人達と同じで、
そんなの世の中じゃ通用しないんじゃないかな?
何も『ワールド』とか『ホットケー』が『理解できない』『会得できない』んじゃないの。
そういう『低脳』もいるだろうけど、私は違う。
そんなの『世の中で通用しない』『奇異に見られる』
したがってとどのつまり
『おかしな目でみられて、ソンするだけ』だから敬遠するだけ。
世の中そんなに甘いものじゃないし、立派でも正しくもないもん。
だったら、それを上回る知恵がある人は、彼らの上を行こう、
と考えるのがじつにスマート。賢い人ならみんなそうすると思うよ。
世の中、ソンする人はどこまでもソンするだけなのよ。これが。
(さあ怒れ、バカりんご)
-
おいるみか!
強迫観念の内容に、綺麗事も何もあるもんか。
神経症の苦しみ、まだまだわかってないな、お前は。
綺麗事を綺麗事と言えるその感性、綺麗事を善だと思う、お前の色眼鏡だ。
お前から見える綺麗事は、神経症者からしたら、ただの現実に過ぎない。
-
動物にとって『生存競争』が一番大事なのと同じように、
人間にとって『損得勘定』が一番大事。
これを軽視して『ワールド』だの『ホットケー』だのに熱中する奴って、
明らかに頭がおかしい。精神異常者じゃないかしら?
そんなキチガイ、人に押しつけないでもらいたいものだ。
どうせこっちがソンして泣いてると『そのほうが本当の幸せだ』なんていうんだろ?
つ・い・て・い・け・ま・せ・ん
世の中の『いい話』なんてのは、あれは強者が歴史をねつ造して自分たちを正当化するために作った話。
歴史上自分を『善人』として認めさせるにも、レッキとした『力』がいるんだよ。
キミらには難しすぎて理解できないかな?
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愚か者達と話すの、もうアホらしくなったよ。
こっちは悪いがキミらと違って用事がある。
じゃあな。
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りんごさんって、お前か?
なんで詳しいことを知ってるのかわからない。
また作り話かな。
>そんなことで『キミに責任がある』なんていってくる奴が悪い。
心配するな、そんなこという奴なんて滅多にいない(皆無だと思うよ)。
法律もそんなとこまで対象になってなんかいないよ。
他人の目(評価)がお前の基準みたいだな。
他人が見てなければ良いみたいな生き方か。
真に自分の為に生きる生き方は、責任を問われる問われないの次元の話ではない。
誰が悪いだなんだの勝ち負けの世界でもない。
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最後に海にいっておこう。
この世界、お金が一番大事なんだよ。まぎれもなく。
(何もお金に限定されない。
別に容姿とか特殊な才能とか、お金に変わる力でもいいのだよ)
HNが『真実の世界』なんてのを持ち出して
『所有する車の高低なんかでその人の価値が決まらない世界です』
なんて得々と語れるのも、
HNが『高い車を買える財力があるから』だ。
たとえば一休さんのいう『銭湯の楽しさ』を、
ホリエモンが体験して、理解することは可能だ。
自宅の風呂でなく、近くの銭湯に行けばいいのだからな。
しかし逆は成り立たない。一休さんがホリエモンの『贅沢な生活』を
体験して、理解することは絶対に不可能だ。
そのためにはそれ相応の財力がないと絶対に不可能だからな。
少しはわかる?
世の中、絶対優位に立てる立場にないと、真実の世界だの何だのいっても、
体験することも、理解することもできないわけ。
これも難しすぎたかな?
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ワールド依存はるみかだ。
こっちは、ワールドやホットケーに生きてるわけではなく、ただの神経症だ。
競争社会に生きるのは良いけど、動物と人間の違いがわからない可哀想な人。
お忙しい毎日でご苦労様です。
じゃあね。
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最後にるみかに言っておこう。
あなたはあゆちゃんと話が合うと思う。
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『可哀想な人』
→ これはあまりの惨めさゆえに宗教団体などに入った不幸な人が、
『羨ましい世間の人』に対して
『私はあなたが憎らしい。私と同じレベルの不幸にきっとさせてやる!!』
と勧誘する際の決まり文句です。
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るみか先生、そんなバカ、遠慮することないよ(^з^)-☆
この際だからもっと徹底的にやっちゃえやっちゃえ!!
・・・るみか先生、いつも歯に衣着せずに
ホントのこというから、バカには嫌われるんだよね〜
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>>279
わたしの場合はね、近所の子供の事までは介入して考えたりしないよ。
自分が関わる人やもの以外についてはね、色んな場合あるけど、基本的にはね、全てをそのままに存在させておくだけだから、そこに意識は向けない。
だから、世の為人の為などと考える生き方もしないし、こういう生き方してる人を尊敬したりもしない。
自分は自分が関わる現実だけで手いっぱい。
情報などはね、色んなところから取り入れたり、そこから色々感じたりするけどね、これは、生活に役立てたりはするけどね、自分の生活に役立てるだけだよね。
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わたしは、人に同情したりはしないし、羨ましさなんか持ってない。
羨ましいと想われてるなんて事を想えるなんて、恥ずかしい事だね。
笑っちゃうね。
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混沌さん
質問の内容に関しては今は思い浮かばないので、ちと置いといて、話違うけど、わたしの神経症について書くね。
りんごさんについてのるみかの書き込み見て思い出したんだけど、わたし昔ね、電車の中で小さい子供の頭に肘があたって、色んな想像したんだよね。
頭の中って、時間たってから問題出てきたりするしね。
こういった時はね、納得行くまで考えてた気がする。
人にもよるだろうけど、神経症って、自己責任を受け入れて生きたいという想いから出てくる病気なのかもしれないね。
これが、争いのない生き方にもなってくるしね。
わたしが言う自己責任てのは、世間が言うような責任の取り方だけの事ではないんだよ。
神経症で苦しむ事も、自分のエゴの責任をとってるとも言えるからね。
だから、神経症の自分を生きる事は、自己責任に生きてるとも言えるので、幸せというか、受け入れられる。
自分の結果を受け取る事は幸せな事だから。苦しいけどね。
つまり、自己責任を生きようと想えば、神経症の苦しみの中にも幸せが見えるようになる。
でね、電車の中での子供に関して言えばね、ただの罪悪感であり、相手を想っての想いではなかったね。
罪悪感というのは、相手よりも自分が大事だから想えるものだしね。
これに苦しむ事も、まあ、自己責任と言える事だから、わたしは、自分も含めて、誰に対しても、同情はしない。
罪悪感てのも、人によって持たない人もいるけどね。
とにかく、人と真に対等な意識で生きれるようになると、過ぎる罪悪感は消えていくよ。
全ての人は、自分の現実は自分で創造しており、他人とは、後先なく、同時進行して相互作用して現実を創造しててお互いさま。
だからね、わたしに対しても罪悪感いらないんだよ。
こういった自然の仕組みを知れば、全ての人のお互いさまもわかるし、人に罪悪感を感じさせる事もなくなってくるから罪悪感も消えてくよね。
罪悪感が消えてくとね、過去を引きずらなくてすむようになってくる。
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弟子がバカなこといってゴメンね。
あれはたぶん『一般世間の感覚ではそうなる』っていいたいんだと思うよ。
例えば、どうみてもくだらない芸能人とかでも『羨ましい存在』として世間で扱われていたら、
仕事や生活の際に、そのように合わせた価値観で世間にあわせておかないと、
円滑に仕事や生活ができない、ってあるでしょ?
海さんがどんな正しいこといっても、いっちゃ悪いが、世間では、
キミが『くだらない』といっている『金』『表面的な属性』の価値観で動いているんだ。
だからキミがキミの教えを布教すると、それを真剣に信じた人だけがソンして
余計苦しむことになる。するとその怒りの矛先はキミに向けられることになる。
世の宗教家が迫害されたのも、そういった背景があるのだろうね。
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キミからこちらへのレスがないので、その間、土曜日(昨日)のやりとりを読んだが、
混沌くん、キミの教えに納得することはないと思うがな。
森田ワールド患者の多くと同じ、
遮断の環境では納得するが、世間の実際ではそんな子供だましなど通用すまい。
フフフフフ。
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つづき
神経症の内容は書ききれないほどあるけど、昔はね、道を歩けば、落とし物をして、自分の足跡残してないだろうかとか(これは今も少しある)、自分の横を通りすがる人の全てを認識して意識してきて、意識を向けたものには、自分の中で触れた感覚も発生するし(これも現実だから)、その中で、善悪などの色んな想像もする事になり、生きた心地しなかったね。
意識の中での自分も、現実としての自分とも言えるから、わたしは、善人とも悪人とも言えない。
だから、心と身体も離れたし、拷問を受けてるような毎日だね。
今はね、余分な所には、ほとんど意識も介入しないから、余分な意識を向ける事もなくなってきてるんだよ。
意識と身体も一つになってきてる。
あと、例えばね、汚れが気になり、手を何回も洗うという神経症が、世の中にはあるけれど、わたしの場合はね、何回も洗う行為はしないんだよね。
こんな事してたら余計に気になるから。
わたしの場合はね、汚れが気になる意識というものを、自分の意識の中だけのものにして、意識が落ち着くまでは行動に移さず、行動に移す時は、出来るだけ、一つの行動は一回でやりきる生き方で、これは、意識がゼロ化された行動であり、今の上書き更新に生きてるだけなんだよ。
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『303 :みく:2016/03/06(日) 16:10:11 ID:AQ.9n7LEO混沌さん
質問の内容に関しては今は思い浮かばないので、ちと置いといて、話違うけど、わたしの神経症について書くね。
りんごさんについてのるみかの書き込み見て思い出したんだけど、わたし昔ね、電車の中で小さい子供の頭に肘があたって、色んな想像したんだよね。
頭の中って、時間たってから問題出てきたりするしね。
こういった時はね、納得行くまで考えてた気がする。
人にもよるだろうけど、神経症って、自己責任を受け入れて生きたいという想いから出てくる病気なのかもしれないね。
これが、争いのない生き方にもなってくるしね。
わたしが言う自己責任てのは、世間が言うような責任の取り方だけの事ではないんだよ。
神経症で苦しむ事も、自分のエゴの責任をとってるとも言えるからね。
だから、神経症の自分を生きる事は、自己責任に生きてるとも言えるので、幸せというか、受け入れられる。
自分の結果を受け取る事は幸せな事だから。苦しいけどね。
つまり、自己責任を生きようと想えば、神経症の苦しみの中にも幸せが見えるようになる。
でね、電車の中での子供に関して言えばね、ただの罪悪感であり、相手を想っての想いではなかったね。
罪悪感というのは、相手よりも自分が大事だから想えるものだしね。
これに苦しむ事も、まあ、自己責任と言える事だから、わたしは、自分も含めて、誰に対しても、同情はしない。
罪悪感てのも、人によって持たない人もいるけどね。
とにかく、人と真に対等な意識で生きれるようになると、過ぎる罪悪感は消えていくよ。
全ての人は、自分の現実は自分で創造しており、他人とは、後先なく、同時進行して相互作用して現実を創造しててお互いさま。
だからね、わたしに対しても罪悪感いらないんだよ。
こういった自然の仕組みを知れば、全ての人のお互いさまもわかるし、人に罪悪感を感じさせる事もなくなってくるから罪悪感も消えてくよね。
罪悪感が消えてくとね、過去を引きずらなくてすむようになってくる。 』
→ こんなこと考えてると、その子供の親に
『架空の病気をでっちあげられて』
大金をまくし取られることになりかねないよ。
大丈夫かな? お人よしを演じている海さん。
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