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忘れられた、源氏
4
:
研究編集部
:2016/12/13(火) 12:28:24
武田信忠の子孫は確認できず、五島列島の宇久氏ともども、疑問なものです。
「信忠が家弘に改名」ということは、当時の命名法から言っても、無理な想定です。
5
:
名無しさん
:2017/04/18(火) 22:47:41
岸という姓なのですが、天保時代頃から明治期までの先祖が、山形県村山郡に在住していた侍なのですが、
その辺の場所は、岸氏発祥の場所の一つであるというような事が、
青春出版社『名字でわかるおもしろ起源(ルーツ)』丹波基二氏著などに書いてあり、
また、そこは、源義仲の末裔の岸美作守源朝臣義満が、在地領主・豪族として居た場所であると、角川書店『姓氏家系大辭典 第二巻 キ〜ト』太田亮氏監修に書いてあるのですが、
やはり、先祖は岸美作守源朝臣義満であると考えてよろしいのでしょうか。
また、清和源氏会があるようですので、源義仲末裔として入会したいのですが、入会には家系図が必要との事で、
岸美作守源朝臣義満一族は、最上義光に敗けて家臣にされており、
改易の際の破棄により、最上家家臣の家系図は特に壊滅的であるとの事なので、困っております。
客観的に見て、家系図が無くとも、源義仲の末裔であるだとか、岸美作守源朝臣義満の末裔であるだとか、清和源氏であると認識して頂けるものなのでしょうか?
6
:
名無しさん
:2017/04/19(水) 07:49:52
>>5
の追記です。
そのまえに、出口氏のご質問のご回答が、終えられてはいませんでしたのに、
迂闊にも気が付かずにスレッドをお上げしてしまいまして、申し訳なかったというお詫びを、申し上げておきます。
出羽村山郡の岸氏のルーツとされる岸美作守源朝臣義満は、柴田兼頼という在地豪族が、
土地を差し出し築城までしている事や、何百人対、最上軍5000人を前にしても、豪族や出羽山僧兵が駆け付けて加勢している事などから、
それなりの格の清和源氏であったとの確信に足る何かがあったと、
清和源氏であったには違いないのだろうなとは、考えられるかと存じます。
ですが、関東のどこかから出羽に移り住んで、それが、関東のどこからだったかは分からないだとか、
美作守というのが釈然としません。
美作は確かに領主系の交代が激しい所だったらしく、岸美作守義満が源義満の末裔というのは本当で、一時期は美作守家系であったのかなとも考えられます。
いっぽうで、美作もまた、岸氏の発祥地の一つとして、先ず挙げられる場所であり、それは山名氏流清和源氏であるとの事です。
本当に、美作に居た、源義仲の末裔というのはあり得るものなのでしょうか、
また、美作の山名氏から分かれた家系とすれば、山名氏の誰から分かれたと考えられるのでしょうか。
更に、出来れば、関東のどこから出羽に移り住んだと考えられるのか。
如何なものでしょうか。勿論、絶対的なお答えなど、求めさせて頂いてはおりません。
貴サイト様のご見解を、ご参考にさせて頂ければ宜しいのです。
7
:
研究編集部
:2018/06/04(月) 15:07:51
世に清和源氏の出と称する諸氏は多いのですが、その殆どは、系図が明らかな少数の
ものを除いて、系譜の詐称・仮冒と思われます。
源義仲流はほとんど実在しないはずで、信濃木曽の木曽氏も、実態は藤原姓を称した
別流のはずです。ましてや、他の諸国に後裔があったとは思われませんから、それぞれ
の地の実情や歴史に即した系図探索をしてはいかがでしょうか。
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