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日本家系図学会・掲示板

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1 : 相模の平姓武士団の起源(1) / 2 : 伏拝松本氏について(2) / 3 : 難波吉士・五十狭茅宿禰将軍の真実の系譜(6) / 4 : 皆様にご相談です。(4) / 5 : 過去ログ消去(1) / 6 : 家系図学会様へ(1) / 7 : 吉濱様 ご検証頂ければ幸いです。(3) / 8 : 美作菅家の偽系図(1) / 9 : 母方の系図が捏造されています.(2) / 10 : 出口氏について(4) / 11 : 忘れられた、源氏(7) / 12 : クリス・ペプラー氏の件について(2) / 13 : 忘れられた、源氏(1) / 14 : 法名碑の意味について(2) / 15 : 林正三に関する問合わせ(1) / 16 : 賀陽宮恒憲王(3) / 17 : 倭氏系図の原典(出典)は何でしょうか?(5) / 18 : 近江 九里氏についてお聞きしたいです。(2) / 19 : ご指導お願いいたします。(1) / 20 : 平維盛の子、清水家について(3)
21 : お願いします(6) / 22 : 質問(3) / 23 : 教えてください。(3) / 24 : 質問(2) / 25 : 日本家系図学会掲示板開設(2)  (全部で25のスレッドがあります)

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1 相模の平姓武士団の起源 (Res:1)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 1
1直方 :2021/03/05(金) 18:39:38
宝賀寿男氏の論考相模の平姓武士団の起源はどの本に掲載されていますか。

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2 伏拝松本氏について (Res:2)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 2
1松本源四郎 :2020/10/13(火) 15:15:39
伏拝松本氏の系図及び伝承等を教えてください

2吉濱 :2020/10/21(水) 15:38:59
伏拝とは熊野ですか。先ずはご自分でその地方の歴史資料を調べてみましょう。


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3 難波吉士・五十狭茅宿禰将軍の真実の系譜 (Res:6)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 3
1籠の鳥 :2017/10/02(月) 22:41:44
そろそろ怨恨の古代人の藤原不比等なんかに何時までも騙される、難波吉士・五十狭茅宿禰将軍系譜を渡来人や新羅官位由来とする捏造の呪縛から解放されて、多氏古事記とは何か、古代史に日本の根幹に関わる重要な何があったのか、見直しませんか。以下を検索して頂きたいです。

「稲荷山鉄剣銘」が明かすワニノ臣(後の春日臣)の実像(7) 日本古代史の謎シリーズ 102 稲荷山鉄剣銘 5代タサキワケ ナミオのブログ

孝元天皇・開化天皇(古代史の復元)

鍵を握る氏族 多氏 (2011年06月02日発行) | 飛鳥昭雄研究室 - メルマ!

中大兄皇子(天智天皇)は百済皇子・翹岐、藤原鎌足は百済大佐 平・智積であることの考証―5 やすらぎ治療日記

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日本書紀・欽明天皇の段の「百済」と「新羅」は入れ替えられている | 千三百年の間、藤原氏に消されてきた伯耆国(鳥取県中西部)の真実の歴史が今よみがえる

中大兄皇子(天智天皇)は百済皇子・翹岐、藤原鎌足は百済大佐平・智積であることの考証 ...

2研究編集部 :2018/06/04(月) 15:01:50
『日本書紀』を藤原不比等が捏造したとかいう、「捏造・造作」の歴史観は、もうやめに
したほうが、研究の実が入ると思われます。
 中大兄皇子や藤原鎌足が百済人の誰それというのも同様です。
具体的な史料を基に論じたほうがよいということです。


3籠の鳥 :2020/09/14(月) 01:33:00
>>2
わざわざお返事ありがとうございます。

その専門家の学者様方の研究なのですが、『新撰姓氏録』にはっきりと「大彦命の子」と書いてあるというのに、
国語的解釈がすんなりと普通になされずに、「同祖」という言葉が書き加えられているばかりに混乱を来してしまったらしく、それを変にもじって、
系譜図を見ると違う血流の、大彦命に「拾われた捨て子」で大彦命の息子に一族に加えられた擬姓的氏族の徳彦宿禰命の血流の難波忌寸と「同祖」(同じ先祖。つまり大彦命が先祖という事)と、
『新撰姓氏録』に書き加えられているばかりに、混乱されて徳彦宿禰と血流が結び付けられ、
親子とか同一人物にされてしまい、それが「定説」的になっていたりします。

 「同祖」というのは、ごく単純に普通に国語的解釈して、「同じ血流」という事ではなくして、
「先祖が同じ大彦命である」とかいう意味でしょう普通は。片や実子、片や拾われた捨て子で愛育された子。

また、忍熊皇子が「我が君 五十狭茅宿禰よ」と、自分より目上の人に呼び掛けた言葉を「「我が君」というのはアイヌ語で弟という意味だ」と権威的な人が近年に決め付け、
「忍熊皇子の父親の天皇はアイヌが特に大嫌いで穢らわしいと思っていたのに、何度もアイヌに戦を仕掛けているのに、
そんな死に際の差し迫った時にまで、唐突に口をついてアイヌ語を使う程に自分の皇子に穢らわしいと考えているアイヌ語を教え込むだろうか?」と、
一般の人達が疑問反論を提示している有り様です。


4籠の鳥 :2020/09/14(月) 02:38:37
>>3
単純に考えて編集者は内容に意図的な影響を及ぼす事が出来ます。
 藤原不比等がそのような事をしなければならない必然性は無かったかというと、
一般に彼は自分の一族の女性の血の流れ込んだ天皇を立てて天皇家を乗っ取ろうとしていたという認識があり、
それを阻んだ一族をそれでと憎まず復讐心を持たなかった聖人君子であるという確信は持ち難いです。
 当然に藤原不比等と敵対的な人物には何らかの意図的操作が加えられた事かと推測されます。 
 その辺までご検証ご究明されればと、専門家がたとして、もっとご精進頂ければと、一般人としては期待します。

 また、「吉士」が新羅官位云々で新羅渡来朝鮮人だとかいう説も何時までもありますが、
加藤謙吉氏も「四天王寺と難波吉士」の中で、
新羅と厩戸王子との関係を強調して四天王寺は新羅系の難波吉士氏の氏寺だとする田村説を訂正し、難波吉士氏は新羅でなく加耶系の渡来人であることを指摘しています。

それと、何方も未だに指摘されていませんが、「吉志」の先祖で稲荷山鉄剣の大彦命こと意富比垝は、「イト彦」であり「意富伽羅」の男という意味ですよね。

 また、大彦命の一族、即ち「吉士」一族である崇神天皇は、「ミマキイリヒコ」といいますよね。
 「ミマキ」もまた、任那(伽羅・伽耶)の説が強く、以上のような事からも、「吉志」は伽羅(伽耶)系で、第73代武内宿禰なる武内睦泰氏も、Youtubeで崇神天皇は「ミマキイリヒコ」といって、卑弥呼の将軍的側近として「魏志倭人伝」にはっきりと書いてあると言っているように、
崇神天皇が卑弥呼王家に入り婿するにあたって大彦命らが来たという線が、
官位云々で新羅渡来朝鮮人説よりも太いように思いますが。
 いったい専門家の学者様方は何時まで「吉志」新羅渡来説を否定し去られないのでしょう。
 この説のエビデンスが今一つよく分かりません。「キシ」なら新羅の官位のみならず高麗の王の事もそう言います。
 「吉志」の先祖の波多武日子命は新羅王子の姫君を娶ったので、新羅への外交に向いていてよく新羅に行くのは当然ですが。


5籠の鳥 :2020/09/28(月) 11:12:53
>>4

波多武日子命系譜の(難波)吉士につきましては、『新撰姓氏録』に「難波忌寸(なにわきし)と同祖」とあるらしく、確かに大彦命直系血流と断じ切るのには疑問が残るとの判断に達しました。
 「難波忌寸」は大彦命に拾われ愛育されたという得彦宿禰命の子孫だからです。


6籠の鳥 :2020/09/28(月) 11:14:32
>>5

ですが、「稲荷山鉄剣」に記された一族と「武蔵国造」の兄多毛比命については、学会や研究者の方々に異存があります。
 「兄多毛比」は「エタモヒ」ではなく「兄・タケヒ(兄の方の高橋)」だと考えます。
 これは「吉備津彦命」(別名:彦五十狭芹彦命)の事かと。(弟:稚武彦命)
 武蔵国造の「五十狭茅宿禰」は、太田亨氏が「吉師」(難波吉士とは別の氏族の吉士)の先祖と述べられていますが、
系図では 仲哀天皇の妃の弟姫の父親である菊麻国造で大鹿国直の兄弟ですので、
仲哀天皇の皇子である忍熊皇子が五十狭茅宿禰の事を「我が君」と目上に対する呼び掛けをして当然ですが、
「海上五十狭茅宿禰」の父親であり、海上五十狭茅宿禰は「稚日女尊(わかひるめのみこと)」を祖神として「生田神社」で祀っております。
 この「稚日女尊」とは、どなたの事でしょう。

『伊射波神社の祭神は当初稚日女尊だけであった。』と題するWEBページに、
「4.稚日女尊(女神)
 海部氏系図によると日女尊又の名を倭迹迹日百襲媛命といい第七代孝霊天皇の皇女であり、魏志倭人伝にいう卑弥呼である。霊験あらたかな神様として知られる稚日女尊は、加布良古太明神とも称され、朝廷に捧げる贄物の一部を太明神にも奉納するいう別格の扱いを受けていました。 

 古代、安楽島の前の海では、朝廷に捧げるアワビを採る神事が行なわれていました。加布良古太明神ともいわれた女神、稚日女尊を姫小松に見立て、「この松は千年の後も栄えるでしょう。加布良古の沖の汐がひいたら、神事で採れた貝を納めに都へ行きます。加布良古の太明神に分け前を奉納してから」と歌にも詠まれています。

 稚日女尊は天照大神の妹君、分身とも云われ、第十五代応神天皇の母君である神功皇后の崇敬厚く、皇后が筑紫国から倭国に凱旋した折にも、常に御許においてお祭りされていました。    」

 迹迹日百襲媛命。この方は別名が別名:彦五十狭芹彦命と、五十狭茅宿禰と同じく「五十狭」が名前にあり、
弟が稚武彦命(弟・多毛比)であるその兄の、兄・武彦こと「兄・多毛比」である
吉備津彦命のご姉妹です。


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4 皆様にご相談です。 (Res:4)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 4
1おるた :2019/10/16(水) 17:23:45
私の苗字は下川でして、自身のルーツを調べております。しかしなかなか自分で調べてみると捗らず苦労しております。
わかったことは、私の古い先祖に浅草区浅草今戸町に住む下川伊右衛門さんがいたこと。
幕末の前橋藩に家老の下川又左衛門さんがいたこと。
明治初期の足立郡宮城村に煉瓦工場を創業した下川馬次郎さんがいたことです。
しかし、これらを関連付ける資料が探せません。
今後は、どのように調べていいのか手詰まりで困っています。
どなたか、アドバイスを頂けませんでしょうか。

2吉濱 :2019/11/10(日) 12:58:50
戸籍を遡ることから始めたらいかがでしょうか。自分の戸籍のある役所の住民課で先祖を遡りたいと伝えると遡って戸籍を取得できます。転籍している場合は転籍元の役場を教えてくれますから、そこで同様に遡れば明治時代頃までのことは分かると思います。


3名無しさん :2019/11/22(金) 15:27:15
>>2
吉濱様
ご返信ありがとうございます。
おっしゃる通り、役所で調べ見たところ下川菊次郎という先祖まで確認でき
その親が下川伊右衛門と記されておりました。
実は、日本家系協会の発行した下川一族という資料も拝見てみました。
ですが、下川伊右衛門、下川菊次郎がどのようなルーツだったのか
はっきりとした事はわかりませんでした。
私の家の家紋は、鷹の羽です。
そのことから、加藤清正の家臣であった下川又左衛門がルーツではなさそうでしたので。
足立郡宮城の下川馬次郎の親戚ではないかと思い調べてみようと思っております。

また、何かアドバイスがありましたら
よろしくお願いします。


4名無しさん :2020/05/04(月) 17:08:42
>>3


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5 過去ログ消去 (Res:1)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 5
1nishimata2215@jcom.home.ne.jp :2019/09/24(火) 12:52:42
キャッシュをクリックすると消した内容再び出るのでこちらも削除してください2件ありますのでよろしく

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6 家系図学会様へ (Res:1)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 6
1秋元 :2019/06/12(水) 15:19:42
突然で失礼します

当学会の会員でいらした早瀬晴夫先生のご逝去知りました。
謹んでお悔やみ申し上げます。

所で故先生の遺稿等の存在は当会は把握しておられるのでしょうか?
もし把握されておられるのなら是非先生の遺稿の書籍化等出来ないものでしょか?
先生の遺稿をこのまま埋もれさせるのは我が国の系図学の損失だと思います
突然勝手な事言いすみませんでした。
何卒ご尽力をお願い致たします。

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7 吉濱様 ご検証頂ければ幸いです。 (Res:3)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 7
1中村 :2019/01/12(土) 16:08:52
吉濱様
 早速ご返事頂きながら遅くなりました。実は具体的に書いたのですが長すぎて投稿ができませんでした。
そこで勝手なお願いですが、下記の「美作菅氏殿教えて下さい」に申し上げたい事を書いています。
お手数ですが是非検索頂きご検証頂ければ幸いです。

「美作官氏殿 教えて下さい」

☆前田氏 ―Wikipedia に「利家の系統が菅原姓を称するのは、系図上その出自が美作菅氏の支流原田氏だからである」とありますがこの根拠は? ご存知の方も教えて下さい。
と• 質問者によって質問が取り消された。
• 回答者によって回答が取り消された
o 個人情報を掲載した投稿
• Yahoo! JAPANによって質問が削除された。 o マルチポスト、連続投稿
o 質問趣旨や文意が不明な投稿・回答へのコメント
o 不特定多数に対する呼びかけのような投稿
o アダルトカテゴリ以外へのアダルトな内容を含む投稿
• 質問の掲載期間が過ぎ、質問が自動的に取り消された。

投稿したらすかさず次の返事がありました・

• 質問者によって質問が取り消された。
• 回答者によって回答が取り消された
o 個人情報を掲載した投稿
• Yahoo! JAPANによって質問が削除された。 o マルチポスト、連続投稿
o 質問趣旨や文意が不明な投稿・回答へのコメント
o 不特定多数に対する呼びかけのような投稿
o アダルトカテゴリ以外へのアダルトな内容を含む投稿
• 質問の掲載期間が過ぎ、質問が自動的に取り消された。

既に、「美作菅家の支流にあらず」で菅家の系図が捏造と、核心を突いたが為逃げているのです。宜しくお願い致します。

2吉濱 :2019/01/26(土) 15:30:54
前回も申し上げた通り検証などはできません。本件についてご存知の先生方があれば何らかのご返事があるかもしれないという程度です。残念ながら私は本件に関して調べたことはありませんのでわかりません。そもそも系図というのは仮冒が多く不明な点や諸説があるものです。中村様も既存の説にご納得がゆかないのであれば、ご自身で研究を進められるのがよろしいと思います。本会の会員になれば成果を学会誌に出稿することも可能です。


3中村 :2019/02/06(水) 08:07:30
吉濱様 「前回も申し上げた通り検証などはできません。」とのご返事、見落としました。申し訳ありませんでした。

    
どうかお暇なときにでも、⓵「前田氏は桓武平氏」菅家の支流にあらず 。②美作管家の支流にあらず。 のスレッドもご覧いただければ幸いです。
今後は、前田氏や、大学の歴史学の先生方との研究を進めたいと思います。
有り難うございました。


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8 美作菅家の偽系図 (Res:1)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 8
1中村 :2019/02/03(日) 17:37:20
吉濱様、早速ご返事頂き有り難うございます。※どの部分が捏造されていると思うのか、資料を添えてお示しいただくのがよいと思います。 とのご指摘、ごもっともです。
すでに、☆前田氏 ―Wikipedia に「利家の系統が菅原姓を称するのは、系図上その出自が美作菅氏の支流原田氏だからである」とありますがこの根拠は? ご存知の方も教えて下さい。とWeb Communication Board (平家物語を熱く語る!!)・・に投稿しました。

※前田氏の出自が原田氏であるのは事実ですが、原田氏は無論・前田氏も美作菅家の支流ではありません。原田氏は平忠常の五男で前田氏も平氏です。

桓武平氏・平の忠常の五男忠高(號は原田)  Wikipedia平忠常参照

「美作古城史ニ」寺坂五男著 にある稲荷山城は原田四代興方が築城です。弟の沖春日向守は前田利家の始祖です。

 ◆原田氏について、平凡社『岡山の地名』 P238、に
 ◎『西幸との境界に稲荷山城跡あり、初名は狐山で、原田氏が代々居城したという(作陽誌)原田氏は平忠常の子忠高が肥前原田に住し、原田氏を称した。保安四年忠高曾孫興方が美作に流され、翌年許されて狐山に築城。以来元和七年に死去した同書)原田の北西に大谷城跡があり、これも原田氏の分城という(久米郡誌)。三河守貞佐は備前福岡(現邑久郡長船町)の戦いで左足に傷を受け、無足の三河といわれた。その子行佐は宇喜多に属した。行佐の子忠佐は朝鮮出兵に従うが騒擾を起こして豊臣秀吉の怒りに触れ帰国した。その子は父の遺命で出家し、誕生寺の住持となり、忠佐まで十七代四百七十年間美作に勢威を振るった。 

美作菅家の偽系図ですが、「宝賀寿男氏の偽系図という説」で、海海部図の由来・成立時期も含め宝とする。日本の歴史学への信頼性を疑問に思った次第だからです。
最古の系図として国宝に指定されたたこの「海部系譜」について由来・成立時期も含め内容は疑問だらけとして偽系図と断定されています。
そこで近々、美作菅家・原田氏の系図の作成された由来・成立時期をご説明します。

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9 母方の系図が捏造されています. (Res:2)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 9
1中村 :2018/12/05(水) 17:12:46
母方の系図が捏造されているので、美作菅家殿教えて下さい。返事がいただけません。是非とも系図学会の先生方で、美作菅家殿教えて下さいを検証頂き、ご意見を聞かせて下さい。ぜひお願い致します。

2吉濱 :2018/12/21(金) 16:35:19
ご質問の内容が漠然としており、これでは先生方も返事のしようがないと思います。ご自分のお手持ちの系図がどのようになっていて、どの部分が捏造されていると思うのか、資料を添えてお示しいただくのがよいと思います。私のところに美作古城史がありますが、一致する箇所が含まれていればコピーして差し上げる程度のことはできますが、先ずはご自分で図書館などで文献をあたって疑問点を整理してみるのがよいと思います。先生方もお忙しいので検証などするのは難しく、ご質問の内容が絞られればご意見をお伺いする程度は可能だと思います。


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10 出口氏について (Res:4)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 10
1出口太郎 :2017/03/12(日) 22:36:46
三重県の出口です。私の住む三重県北勢地域は全国の中でも一番
出口の苗字が集中している三重県の中でもとりわけ多い地域で、
出口を名乗る家の家紋の多くが丸に橘です。
神奈川県に住む出口、長崎県に住む出口にも丸に橘の家があるそうです。
出口はどこが発祥なのでしょうか。また、相模の三浦一族の出口氏と関係があるといえるでしょうか。
渡会系出口氏は丸に短冊紋なので、違うのかなと思ったりします。

2出口太郎 :2017/03/12(日) 22:48:03
追記です
丹羽基二氏の「あなたも系図が作れます」によれば藤原氏の出口は丸に短冊紋とのことでした。


3出口太郎 :2017/03/13(月) 16:37:27
訂正です。丸に橘は私の住む自治体近辺です。
北勢地域の出口氏にも別紋の家は多々あります。


4研究編集部 :2018/06/04(月) 15:13:32
 三重県や鹿児島県に「出口」の地名がいくつかあり、主にこれらの地から発祥した苗字に
出口さんがいくつかの系統でおられるとのことですが、具体的に中世の名族につながるよう
な系図は、今のところ管見に入っていません。


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11 忘れられた、源氏 (Res:7)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 11
1三本一博 :2016/11/14(月) 22:52:08
高知県の四万十町に志和薬師寺があり、その棟札に御本家領家次第沙汰人
とあるが、それを、「ごほんけりょうけしだいさたにん」と読まれて誰の
ことか、わからなくなっています。別の書物には丁寧に御本尊領家次第沙
沙汰人と書かれているのに、これもまた「ごほんぞん」と読まれて誤写と
なっています。(みもとのみこと)と読めば、同じ事だとすぐ解る筈ですが。
紀州武田の御本氏が家系図に土佐に移ってと書いてます。
年代を調べても、だいたいあってますし、この時代荘園制度によってこの
土佐に来たのだろうと推測されます、苗字の由来も御本明神からくるもの
だと、推測されます、これによると御本は、三本とも書くそうです。
よその県に、ある三本(みつもと)とは、違うと思われます。
この事実は、なかなかわかってもらえないです、普通 本家〇〇家などとは
書くかもしれないが、ごんけ とは文面が おかしくはないだろうか?
ごほんぞんにあたっては、これだけ誤写する人がいるだろうか?

2研究編集部 :2016/11/30(水) 13:40:55
1 世に通行する源平藤橘などの大姓は、具体的な系図・史料で裏付けのあるものを除き、
ほとんど全てが系譜仮冒による僭称にすぎません(史実ではないと言うことです)。それが、『吾妻鏡』に記載のある姓氏でも、この事情は変わりません。

2 世の中には誤解が通用している例が多く、例えば、佐藤、斎藤、加藤、近藤など「□
藤」とつくのは藤原氏の子孫と一般に受けとられているようでますが、これはまったくの
誤りで、むしろ「□藤」というのは「本来は、藤原氏ではなかった」というのが実態とみ
られます。ただし、個別に藤原氏を称したことを否定するものではありません。
 桓武平氏の武家は、東国では常陸大掾一族と越後の城一族以外は、東国古族の末流とみ
られますし、『尊卑分脈』の武家平氏の系図の始まりの部分は、清盛への流れ以外の殆ど
では信頼性に乏しいのが大部分です。
 清和源氏は、かなり詳しい内容が『尊卑分脈』にありますが、それでも信濃源氏などに
疑問な個所があり、これに記載されない系図はまず信頼性を疑ってかかるのがよいところ
です。

3 紀伊には甲斐源氏の武田氏一族の流れという諸氏が繁衍しました。具体的には、源平
争乱期の武田太郎信義の弟に奈古九郎義行がおり、その子孫が熊野の武田氏で、中世の大
族湯川氏もその流れという系図に改変されますが、これは系譜仮冒です。
 実際には、尾張連の同族に竹田連があり、その後裔は主に紀州熊野の牟婁郡で繁衍した
もので、天平勝宝年間に竹田連大麻呂が牟婁郡栗栖郷(富田川流域か)の郷長になったの
が起源とされる。その子孫は生馬山王社を創建し、栗栖、岩淵、栢山、松本などが出た。
愛洲(会洲、愛須)は紀伊志摩伊勢などに勢力を持ち、紀伊国牟婁郡の一族に久留栖、三
本、上郷、近露、山本、湯川、武田、川、別所、上(宇恵)、幸徳、波沙、坂本、尾喜な
ど、また土佐に遷した支流から御本、武田、浜田(その末裔に田中光顕伯爵家も出す)な
どを出した、という事情があります。土佐の幸徳、坂本も、同様に熊野からの流れとみる
のが自然でしょう。
 源氏を称したのは、武田・竹田というつながりから、家格を高めるために利用されたと
みられ、源氏と言っているから、それらがすべて史実だというようには考えないほうが史
実に即したものといえましょう。


3三本一博 :2016/12/01(木) 19:28:47
武田信光の2子の武田信忠が義絶されたとあり、その子 家弘が養子になったか、
信忠が家弘に改名したようなことは、ないのでしょうか?


4研究編集部 :2016/12/13(火) 12:28:24
  武田信忠の子孫は確認できず、五島列島の宇久氏ともども、疑問なものです。
「信忠が家弘に改名」ということは、当時の命名法から言っても、無理な想定です。


5名無しさん :2017/04/18(火) 22:47:41
岸という姓なのですが、天保時代頃から明治期までの先祖が、山形県村山郡に在住していた侍なのですが、
その辺の場所は、岸氏発祥の場所の一つであるというような事が、
青春出版社『名字でわかるおもしろ起源(ルーツ)』丹波基二氏著などに書いてあり、

また、そこは、源義仲の末裔の岸美作守源朝臣義満が、在地領主・豪族として居た場所であると、角川書店『姓氏家系大辭典 第二巻 キ~ト』太田亮氏監修に書いてあるのですが、

やはり、先祖は岸美作守源朝臣義満であると考えてよろしいのでしょうか。

また、清和源氏会があるようですので、源義仲末裔として入会したいのですが、入会には家系図が必要との事で、
岸美作守源朝臣義満一族は、最上義光に敗けて家臣にされており、
改易の際の破棄により、最上家家臣の家系図は特に壊滅的であるとの事なので、困っております。

客観的に見て、家系図が無くとも、源義仲の末裔であるだとか、岸美作守源朝臣義満の末裔であるだとか、清和源氏であると認識して頂けるものなのでしょうか?


6名無しさん :2017/04/19(水) 07:49:52
>>5 の追記です。

そのまえに、出口氏のご質問のご回答が、終えられてはいませんでしたのに、
迂闊にも気が付かずにスレッドをお上げしてしまいまして、申し訳なかったというお詫びを、申し上げておきます。


出羽村山郡の岸氏のルーツとされる岸美作守源朝臣義満は、柴田兼頼という在地豪族が、
土地を差し出し築城までしている事や、何百人対、最上軍5000人を前にしても、豪族や出羽山僧兵が駆け付けて加勢している事などから、
それなりの格の清和源氏であったとの確信に足る何かがあったと、
清和源氏であったには違いないのだろうなとは、考えられるかと存じます。

ですが、関東のどこかから出羽に移り住んで、それが、関東のどこからだったかは分からないだとか、
美作守というのが釈然としません。


美作は確かに領主系の交代が激しい所だったらしく、岸美作守義満が源義満の末裔というのは本当で、一時期は美作守家系であったのかなとも考えられます。

いっぽうで、美作もまた、岸氏の発祥地の一つとして、先ず挙げられる場所であり、それは山名氏流清和源氏であるとの事です。

本当に、美作に居た、源義仲の末裔というのはあり得るものなのでしょうか、
また、美作の山名氏から分かれた家系とすれば、山名氏の誰から分かれたと考えられるのでしょうか。

更に、出来れば、関東のどこから出羽に移り住んだと考えられるのか。

如何なものでしょうか。勿論、絶対的なお答えなど、求めさせて頂いてはおりません。

貴サイト様のご見解を、ご参考にさせて頂ければ宜しいのです。


7研究編集部 :2018/06/04(月) 15:07:51
 世に清和源氏の出と称する諸氏は多いのですが、その殆どは、系図が明らかな少数の
ものを除いて、系譜の詐称・仮冒と思われます。
 源義仲流はほとんど実在しないはずで、信濃木曽の木曽氏も、実態は藤原姓を称した
別流のはずです。ましてや、他の諸国に後裔があったとは思われませんから、それぞれ
の地の実情や歴史に即した系図探索をしてはいかがでしょうか。


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12 クリス・ペプラー氏の件について (Res:2)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 12
1Tm, :2016/11/22(火) 09:03:46
11/21のTBSの番組を切欠にクリス・ペプラー氏が光秀の末裔であることが話題に上がり、こちらの会が「末裔と言って構わない」とお墨付を与えたとの報道がなされていますが、同氏を“土岐氏の末裔”であるするのは良いとして、“光秀の末裔”とするのはどうなのでしょうか?

番組にも出演された子孫氏の、ペプラー氏の祖先に当たるとされる土岐頼次の二男・頼勝が光秀の子ではないかとの推察は、長男を差し置いて彼が家を継いでいることが根拠になっているようですが、それが即、実子でなかった根拠になるものではなく憶測の域を出るものではないと存じます。

そもそも子孫氏は数代前の家系を偽証して、あたかも自身が光秀の血を継いでいる“直系の子孫”であるかの如く触れ回られている訳ですから推して知るべしかと思うのですが如何でしょうか?

2研究編集部 :2016/11/30(水) 13:04:16
 世の中に流布する系図の殆ど全ては、後世の偽作か疑問の大きいものです。
とくに先祖の出身あたりの部分は要注意で、有名人のいわゆる「落胤」的な所伝で
信頼できるのは皆無だと考えられます。関係者がどのように触れ回るのも、ある程度
自由でしょうが、それは史実ではないということです。
 こうした事情ですから、当家系図学会が誰かの家系について、お墨付きを与えるよう
なことをするはずがありません。当会の役員連中も、まったく同様だと思われます。


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13 忘れられた、源氏 (Res:1)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 13
1三本一博 :2016/11/14(月) 22:47:53
高知県の四万十町に志和薬師寺があり、その棟札に御本家領家次第沙汰人
とあるが、それを、「ごほんけりょうけしだいさたにん」と読まれて誰の
ことか、わからなくなっています。別の書物には丁寧に御本尊領家次第沙
沙汰人と書かれているのに、これもまた「ごほんぞん」と読まれて誤写と
なっています。(みもとのみこと)と読めば、同じ事だとすぐ解る筈ですが。
紀州武田の御本氏が家系図に土佐に移ってと書いてます。
年代を調べても、だいたいあってますし、この時代荘園制度によってこの
土佐に来たのだろうと推測されます、苗字の由来も御本明神からくるもの
だと、推測されます、これによると御本は、三本とも書くそうです。
よその県に、ある三本(みつもと)とは、違うと思われます。
この事実は、なかなかわかってもらえないです、普通 本家〇〇家などとは
書くかもしれないが、ごんけ とは文面が おかしくはないだろうか?
ごほんぞんにあたっては、これだけ誤写する人がいるだろうか?

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14 法名碑の意味について (Res:2)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 14
1佐藤護 :2016/01/21(木) 16:04:59
元禄十二年の法名碑で「梅雪道花禅定門」という主人と「乱窓点公禅定尼」奥さんと思しき法名碑がありました。死んだ日は元禄十二年十一月十二日で同じです。住んでいたところは宮城県本吉郡十三浜村相川です。
名前は太郎右衛門で伊達藩の本吉郡の十三浜村の十か村の肝煎りをしておりました。何か隠された出身があるような気がして少しでも意味があるとしたらその意味を理解したくお尋ねしました。
法名碑からヒントでもあれば教えていただきたいと思います。

よろしくお願いします

2門林光治 :2016/11/08(火) 14:32:13
禅定門は、日蓮宗の法名(戒名)です。百済から渡来した天智天皇の関係者の宗派は、日蓮宗から始まり、参謀職の上賀茂・下賀茂神社から日蓮宗の仏信仰と神仏合体の方向で信仰が始まる。


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15 林正三に関する問合わせ (Res:0)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 15
1林 平八郎 :2016/07/08(金) 11:50:52
林秀貞追放後、林正三は大橋家お預けとなり、のち徳川の家臣になつていますが、長男正基、次男正成、四男源助、五男五郎左衛門は、他家に仕えたようですが、三男正継の行方が分かりません。江戸期の正継の家系
を知りたいのですが、お教えください。

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16 賀陽宮恒憲王 (Res:0)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 16
1美佐於 :2014/09/30(火) 08:41:52
賀陽宮恒憲王について調べております。
お亡くなりになった後、敏子夫人が「思いで草」という冊子を出されたそうです。
しかし、この本は国立国会図書館サーチやCiNiiでは所蔵館なしという結果が出ます。
古書のサイトでも探してみましたが、見当たりませんでした。
日本家系図学会ならばお答えが頂けるかもしれないと思いご質問致します。
この書物はどこかで読めますでしょうか。
ご存知であればぜひ教えていただけますでしょうか。
何卒宜しくお願い致します。

2研究編集部 :2015/05/25(月) 20:39:27
 国会図書館及び都内の各種図書館に検索をかけましたが、検索にひっかかりません。
 おそらく、私家本で刊行されて、どこにも寄贈されていないようですので、
賀陽敏子さんの関係者にあたってみるより方法がないようです。


3明彦 :2016/04/25(月) 20:45:04
賀陽敏子様は、晩年柏市光が丘の麗澤大学と深いご関係がありましたから
そちらにご照会してみてはいかがでしょうか。


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17 倭氏系図の原典(出典)は何でしょうか? (Res:0)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 17
1名無しさん :2014/11/12(水) 12:47:29
古代有力豪族の系譜に関心がある桂川と申します。
次の事についてお尋ねします。
古代有力豪族系譜の内、私が知りたい系譜については、その出典がほぼ判明しました。
ところうが、なぜか大倭国造の倭氏のみ、その出典が判明しません。
ネットなどに出回っている椎根津彦ー志麻津見ー武速持ー邇支倍ー飯手と続くこの系譜の原典は何によるものか知りたいのです。ご存じありませんか?
お手数とは思いますが何か手がかりなりと教えて頂ければ幸いです。
よろしくお願いします。

2研究編集部 :2015/05/25(月) 20:32:40
 返事が遅くなって申し訳ありません。
 お尋ねの原典は、鈴木真年編の『百家系図稿』第21巻にあり、これを『古代氏族系譜集成』
のほうに転記されています。ごく簡単なもので、奈良時代初期の五百足で掲載は終わっています。
 この原典は、世田谷区の静嘉堂文庫に所蔵されています。


3桂川光和 :2015/09/27(日) 00:21:34
ご回答ありがとうございます。
昨年世田谷区の静嘉堂文庫に出向き『百家系図稿』第21巻を見ましたが、見落としたのかもしれませんが該当の系譜を探し出せませんでした。
機会を見て再度確認してみます。ご教授ありがとうございました。


4桂川光和 :2015/10/06(火) 20:27:50
国立国会図書館に『百家系図稿』のマイクロフイルム版が収蔵されています。
第21巻に該当系図が存在するか尋ねましたが、見当たらないとのことです。

かって静嘉堂文庫で、第21巻はもとより、百家系図稿の全巻について調べてみましたがが残念ながら見つけることが出来ませんでした。
何か他の文献という可能性はありませんか?


5研究編集部 :2015/11/10(火) 22:13:14
1 >国立国会図書館に『百家系図稿』のマイクロフイルム版が収蔵
○(株)雄松堂出版が『百家系図』をマイクロフイルム化したときに、『百家系図稿』も
 同様にしようとしたのですが、貼り込みが多く、マイクロフイルム化を断念したと聞いて
 います。従って、国会図書館に『百家系図稿』のマイクロフイルム版が収蔵されているこ
 とはないと思われます。
○『百家系図稿』の原本には、第21巻のなかにたしかに系図記載があります。
 ただ、無題で記載されており、探すのに注意を要すると思われます。

2> 何か他の文献という可能性。
○ 内容のカバー範囲は少し異なりますが、中田憲信編の『諸系譜』第2冊に
 「大和宿祢及海直」という系図があって、ここにも倭国造の系図が記載されています。
 こちらは、マイクロフィルム化されているので、利用しやすいと思われます。


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18 近江 九里氏についてお聞きしたいです。 (Res:0)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 18
1田川 :2015/01/06(火) 21:42:49
近江八幡 九里氏の出自について。姓氏家系大辞典(太田亮)によりますと、当麻真人と関係のある功力氏と関係があるように書かれておりますが、
その後九里という姓までどのようにつながっていくのかが知りたいです。
どのような本で調べていくのがよろしいでしょうか? 教えていただけますと、大変助かります。
宜しくお願い致します。

2研究編集部 :2015/05/25(月) 20:55:46
1 『姓氏家系大辞典』クノリ条には、九里刑部について、「或は云ふ功力三郎左衛門也
とも云ひ」という記事がありますが、根拠が不明です。
2 ちなみに、クヌギ氏(功力氏)は甲斐の名族で、用明天皇後裔の当麻真人姓であり、
これが近江に行ったことは管見に入っていません。なお、同大辞典には、「当麻真人榎井
十八世の孫・鴨五郎康祖の男康以・功力太郎と号す」と記載されますが、この「鴨」には
誤記があり、「鶴(都留)」が正記です。
 原典を中田憲信編の『諸系譜』第六、都留系図とする系図が、『古代氏族系譜集成』にも
掲載されていますが、康以の子の康房(功力四郎)までの記事しか見えません。


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19 ご指導お願いいたします。 (Res:1)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 19
1 名前:DAI 投稿日: 2014/08/31(日) 18:56:40
当方、富山県高岡市の上野氏について調べている者です。どしても、
富山県の上野氏については、越中国上野氏、清和源氏新田氏流上野氏
が有力と考えているのですが、この私の考えは正しいのでしょうか。
高岡市のとある町内に多く、上野さんが住んでおられます。
この上野さんと関係のある者なのですが、
どうしてもこの二系統の上野氏で、研究が止まってしまいます。
日本家系図学会の皆様のご指導を仰ぎたく、書き込み致しました。
何卒、ご指導よろしくお願いいたします。

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20 平維盛の子、清水家について (Res:3)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 20
1 名前:時計 投稿日: 2014/07/30(水) 14:34:06
諏訪の清水家について調べている者です。
近藤安太郎氏の平家伝説序章よりこちらに辿り着きました。
諏訪の清水家には平家末裔であるとの言い伝えがあります。
長年6代より先のルーツを調べているのですが、何分調べ方も
分からず1人では難しい状況です。
どなたかお力添えをいただけないでしょうか。
誠に勝手なお願いでございますが、どうぞ宜しくお願い致します。

2 名前:研究編集部 投稿日: 2014/08/01(金) 21:35:11
1 小松内大臣重盛の子の維盛が紀伊の熊野(牟婁郡)に隠れ、那智浦に入水した事情があることから、熊野の土豪には維盛の後裔と称する系譜伝承があります。維盛は、実は入水したのではなく、那智の奥の色川村に潜伏し、そこで子孫を残したが、それが色川、小松、清水などの諸氏になったといわれ、また熊野の玉置氏の娘に通じて玉置五郎盛直を生んだともいいます。

2 これら熊野の諸氏が維盛後裔であったはずがありませんが、名前に用いる通字が「盛」という一族が中世熊野にいくつかあり、それが清盛一門の通字「盛」につながりそうなことから、維盛入水にかこつけて、維盛後裔と称したものとみられます。江戸後期に紀州藩が編纂した『紀伊続風土記』にも、色川郷条などにこの伝承を記載し、維盛の長男盛広の後が小松氏とか色川氏になったとあげます。建武の頃には色川左兵衛尉盛氏は南朝に仕えて軍功があり、その娘が南朝皇族の尊義王に嫁したともいいますから、この地方の名族といえそうです。実際には、熊野古族の後裔の模様で、一に尾張氏族の水主直姓といい、清水氏は牟婁郡の熊野社家に見えますが、具体的な系図は不明です。

3 信濃の諏訪郡などに清水氏があり、『姓氏家系大辞典』では『諏訪志料』の記事をひいて、清和源氏の新宮備前守行家の後裔と伝えますから、この清水氏は熊野の所縁で前項の同族かもしれません。そのほか、全国各地に様々な系統の清水氏が同書に掲載されており、地域ごとに系譜を調べる必要があると思われます。

3 名前:時計 投稿日: 2014/08/03(日) 17:47:37
研究編集部様
ご丁寧に教えて下さいましてどうもありがとうございました。
ご教示頂きました3について調べてみようと思います。
私は歴史は詳しくないのでとても大変そうですがどうしても知りたいと
思っております。

諏訪の当清水家は平家末裔であること自体決して口外していないので、
なぜ諏訪志料に掲載されているのか分かりませんが、何らかの手がかりが
あるように思われます。

諏訪には長塚墓地と言う古くからの墓地があり、明治生まれの長老によると
諏訪湖周辺では最も古い墓だということです。
石碑の文字がもう読めなくなっている石造物群もたくさんありまして、岡谷市が
管理しています。
そちらには清水、小松と小口の家の墓ばかりが埋葬されています。

小口家は平家とは関係があるという事実が見当たらないのですが、
諏訪湖に住まわれている小口家のルーツは一体どちらから来ているのでしょうか。
平家と関連はあるのでしょうか。調べるきっかけになればと思っております。

また、平安時代以降から昭和までの諏訪郡、特に現在の岡谷、下諏訪辺りの
荘園や土地等の管理状況の変遷や年代等が分かる地図、資料をご存知でしたら
教えていただけませんでしょうか。
以前、親戚の故人より聞いた話では嘉永元年頃は庄屋?だったけれど、
諏訪湖一帯の当家の土地は国にあげた?没収された?とのことで、これも
調べるきっかけになればと思っております。

どんな些細なことでも結構ですので、どうぞ宜しくお願い致します。

時計

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