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日蓮考察

73Libra:2006/01/27(金) 04:21:55
 さて、問題はここからです。つまり、創価学会が行っているシャクブク(以
下、単に「シャクブク」と略記します)は、はたして、日蓮の折伏と同じく
「理性的批判」といえるのだろうかという点です。もし、シャクブクが「理性
的批判」といえるものであるならば、大いにやってもらいたいとわたしはおも
います。

 創価学会では、「対話」という言葉が、シャクブクと同じような意味で使わ
れることがありますが、それは以下のようなものだそうです。

  ─────────────────────────────────
  本来、「対話」とは「格闘技」なのである。武器は「言葉」。リングは万
  人普遍の「理性」。
   権威をもちこむのは「反則」。なれあいは「八百長」。沈黙は「敗北」。
  論証もなく「私は、こう思うんだ」では、観客から笑われるだけだ。

  (『聖教新聞』、「羅針盤」、2000年11月12日、8面)
  ─────────────────────────────────

 この「羅針盤」に説明されている「対話」は、たしかに「理性的批判」とい
えるだろうとおもいます。

 ということは、実際におこなわれているシャクブクが、上でいわれているよ
うな「対話」でありさえすれば、何の問題もないということになります。

 しかしながら、現実には、万人普遍の「理性」から大きく飛翔し、名誉博士
号がどうしたなどという権威をもちこみ、ときには沈黙し、ときには論証もな
く「私は、こう思うんだ」などといって観客から笑われている創価学会員がい
るということでしょう。「無限に喜劇的」[*3]というのは、まさにこういうこ
とをいうのだとおもいます。

 「理性的批判」ができるのであれば、大いにやってもらいたいとわたしはお
もいますが、それができないのであれば、無理して日蓮の真似をすべきではな
いとおもいます。伊藤先生は「おのれの非を言われぬために人の非を言わぬ腹
黒い手合いの多い末世の中にあって、人の非を言い人を厳しく批判した聖人は、
したがっておのれに対しても厳しくあった。そのことを知らずして末代の教徒
が守文の頭で真似すべき事では決してないのである。」[*4]といわれています
が、わたしもそのようにおもいます。

 シャクブクの場合、シャクブクをおこなっている当人が「観客から笑われ」
るだけではすまず、他人に深刻な精神的なダメージを与えるなどの問題を引き
起こすことがおおいにありうることを考えれば、やはり、みれいさんのアプロ
ーチは本当に鋭いなとおもいます。


  [*1] 真の知性人とは(伊藤瑞叡)
     http://page.freett.com/Libra0000/005.html

  [*2] 釈尊は輪廻転生説を否定した(小川一乗)
     http://page.freett.com/Libra0000/077.htm

  [*3] 「理解」のソクラテス的な定義(キルケゴール)
     http://page.freett.com/Libra0000/095.html

  [*4] 真の知性人とは(伊藤瑞叡)
     http://page.freett.com/Libra0000/005.html


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