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日蓮考察

163わめ ◆TJ9qoWuqvA:2006/02/05(日) 20:23:34
 Leoさん、皆さんこんにちは。^^

 今回はLeoさんのご意見である『初期的「信」の非難も不要」』について書きたいと思います。
 私は初期的「信」(一部の慧は含むとしても)は盲信に近いように思いますし、被害者を生み出していると思いますので否定的立場です。

> 新興宗教を悪徳商法にたとえたのは法律が行き届きにくいことと新たな手口がいくらでも出てくることを示しています。

 私は仏教も含め信仰対象を問わず、初期的「信」を仏教が認めてしまっている、あるいは奨励していることが問題と考えますので、もしも仏教が明確に初期的「信」に否定的であれば初期的「信」を持たない方が増えて悪徳商法に引っ掛かりにくくなると思いますし、悪徳商法も引っ掛かる人が少なければおいしい商売となり得ないので自然消滅的に減っていくように思います。

> 法律を改正する運動をしている間に悪徳商法に引っかかるという矛盾をついたものです。

 法律を改正する運動が盛り上がれば悪徳商法はやりにくくなりますし、引っ掛かりにくくなると思います。

> >私は合理的「信」のみ認めれば(この場合免許を与える)自動車事故は減ると思います。もちろん自動車を運転される方は激減するとは思います。この場合の初期的「信」は仮免許までの段階で路上試験を禁止しなくてもよいと思います。
>
> ですので、同様に初期的「信」の非難も不要ではないかと思います。

 さて、冒頭で言ったようにこの意味がまったく不明です。ここでは初期的「信」は仮免許までとするならば免許者のように一人で車を公道で走らせることが出来ないわけです。いわば自動車学校等で合理的「信」の方に指導を受けている状態です。このように初期的「信」の方に制約を設ければよいのではと言っているわけです。非難を制約に読み替えて頂ければ分かると思いますが不要ではないと思っています。

> 現実的に宗教法人や宗教というものはよほど民事的刑事的な問題が発生しない限り規制されないです。

 だから問題だと思うのです。アメリカも宗教には寛容かと思いますが、それでも日本のようにまったくの野放し状態ではないと思います。

> たとえばLibraさんが仏教や哲学について色々ご教示して(場合によっては宗教団体の問題を示されています)くださっていますが宗教団体の運営者にとっては痛くも痒くもないという可能性は十分考えられるでしょう。
> 私がLibraさんのご教示に興味があるのは学問的なことというのも少しありますが「悪徳宗教対策」的に(も)使えるなあと思っているからです。

 私は「悪徳宗教」もそれに引っ掛かる方が沢山出るのも、仏教が初期的「信」を野放し・奨励する教義を持つことに根本的問題(一因)があるのではないかと思っております。根本的問題を生み出す仏教がその根本的問題を解決しないで現状の改善を目指すのは、犯罪集団が犯罪を平然と奨励しながら犯罪抑止を謳うのと似て矛盾を感じます。


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