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◆理工駿河台旧1号館を復活させたい
1
:
理工OB
:2011/07/15(金) 15:57:51
理工学部はもとより日本大学及び御茶ノ水のシンボルであった
今は無き理工学部駿河台旧1号館を懐かしみ振り返り
できれば全国のどこかで復活できませんか
http://www.h6.dion.ne.jp/~nu1gokan/1gokan-hajime.html
http://pub.ne.jp/lot49/?entry_id=3558544
2
:
名無しさん
:2011/07/15(金) 16:02:39
新1号館の建築
新1号館は、72年にわたり理工学部の歴史を刻んだ旧1号館の建築の設計思想を継承するとともに、一方では大きな変容が意図されています。
旧1号館は学校の象徴性や威厳を強調することなく、技術者養成の〈実験学校〉として、その時代の技術を結集し、虚飾を廃し、実用的で将来何にでも転用可能な設計思想のもとに建てられたといわれています。
新1号館はその思想を継承し、技術の結集によってその時代性を表象し、意匠的には簡潔で、将来の変化にフレキシブルに適応できる建築をめざしています。
一方、旧1号館はネオゴシックという様式で建てられ、重厚でどちらかというと閉鎖的なファサードでしたが、新1号館はこれとは正反対に、ガラスカーテンウォールによる透明性の高い開放的なファサードをもつ建築へと変容を図っています。
http://www.arch.cst.nihon-u.ac.jp/bldgno1/bldgno1.html
3
:
名無しさん
:2011/07/15(金) 16:06:30
ここ、神田は駿河台にぃ、毅然と聳え立つはぁ、我が日本大学でぇあーるうー。(日大節より)
JR中央線お茶の水駅から歩いて2〜3分の所にありました。大きな通りに面していなかったので、知らない方も多いでしょう。
「日本のカルチェラタン」と呼ばれた、神田駿河台(お茶の水)の一角を占める、そんな建物(校舎)でした。
この理工1号館のある十字路の東側の2つのブロックはかつて中央大学のキャンパスで、往時は同じくらいの高さの校舎が立ち並ぶ、「校舎の町並み」を形作っていました。
現在中央大学は八王子に移転し、その跡地には三井生命のバカでかいビルが建っています。
近年、明治大学の記念館が壊され、この界隈では最後まで頑張っていた日大理工1号館まで無くなってしまったのはさみしい限り。
でも中央大学みたいに郊外へ移転しなくて良かった。お茶の水はいつまでも「学生の街」であって欲しいからです。
(明大が記念館を壊して高層ビルおっ建てたのには批判的な向きもいらっしゃるようですが、郊外移転しなかっただけでも大英断だと思いますよ。)
この1号館は平成7〜8年頃に空調設備の大規模な更新をやったばかりだったので、当分の間はそのまま壊さずに使うつもりなんだなと思っていたら、ボーリング調査が始まっていやな予感、そして解体・新築が決定してしまいました。
建物のデザインはゴシック基調(一階正面入り口や地下階の窓の尖頭アーチ、付け柱など)、コーナー部のゆるい曲線は表現派風? 内装は階段の手すりに装飾がみられました。
外壁の茶色のタイルは、昭和40年代の学生闘争後の修復時に貼られたものらしく、そのせいか、タイル貼りの古い建物の中では珍しく緑の剥落防止ネットをかぶっていませんでした。
東側の屋上は学生の休憩スペースとして、ベンチや自販機が置いてありました。この屋上に上がったことがありますが、目の前に高いビルが建ちあがっているので、あんまり解放感がありませんでした(笑)。
http://www007.upp.so-net.ne.jp/haikeiroku/rikou1.html
4
:
名無しさん
:2011/07/16(土) 09:10:51
狭隘な土地に老朽化した建物
あんなものを残しても百害あって一利無し
5
:
名無しさん
:2011/07/16(土) 10:50:36
>>4
この大学には伝統ある校舎建築物を残しておこうという
意思はないのか
大学に対する愛着や帰属意識の欠如がこのような結果を生み出してしまうのか
カザルスホールしかりか
6
:
名無しさん
:2011/07/16(土) 11:08:22
東大キャンパス内には7件の登録文化財があります。
登録文化財は都道府県ごとに番号がつくのですが、東京都の第1号が安田講堂です。
これは新聞等でも話題になりましたのでご承知の方も多いかもしれません。文化庁は第1号を何にするかを気にしていました。
各県の第1号はそれなりのものにしよう、話題性があるものにしようということで安田講堂を選んだのだと思います。ただ逆効果もありました。
あれぐらい立派じゃないと登録文化財にならないのかと誤解された面があったようです。
また正門も横にある守衛所とともに登録文化財になっております。
また正門から安田講堂に向かうと両側に2棟ずつ建物があるのですが、これも登録文化財です。
その正門から安田講堂を結ぶ道のそのちょうど真ん中に交差点があります。
その交差点で左右を見ますと、それぞれのつきあたりに建物があります。
その十字形が東大のキャンパスのメインのコンセプトになっています。
その十字形の右手、正門から入って進んでいって安田講堂を正面にみての右手のつきあたりが図書館です。
左手のつきあたりが今は建築と土木が入っている工学部1号館の建物です。
この工学部1号館が登録文化財になっております。
図書館は、年々図書が増え続けており今後図書館をどうするのかが流動的なので、まだ登録文化財になっておりません。
東大の将来的な構想の中では、どの建物を残していくのか、残す場合も全体で残していくのか、それともファサードだけ残していくのかが分類されております。
今言いました軸に関しては、正門、安田講堂、それから法文1号館と2号館は完全に守っていこうという考えです。
また十字形に面した建物は少なくとも外観は守っていこうという考え方をとっております。
http://www.gakugei-pub.jp/kanren/rekisi/semi04/02-1.htm
7
:
名無しさん
:2011/07/16(土) 11:17:17
オイオイ、居酒屋和民の建物にしてはモッタイナイ?
西神田? 法学部経済学部の近くではないの
日大で購入してはどう?
ttp://silentbox.web.fc2.com/kensugakkan/1.html
8
:
名無しさん
:2011/07/16(土) 11:24:22
>>7
経営破綻した研数学館が末期に手を出した街金の手に渡っている土地建物に
手を出すバカがどこにいる?
>>5
東大のように土地が有り余っていればそれも出来るだろう
駿河台のあの狭隘な土地で老朽化した校舎をそのまま残せるわけが無い
移設?その金がどこにある?
あと、カザルスホールは建物の名前じゃなくって施設の名前
御茶ノ水スクエアA館内にある音楽ホールがカザルスホール
で、あそこを残すとあの土地が有効に活用出来ない
判るだろうが
9
:
名無しさん
:2011/07/16(土) 11:41:49
東京千代田区駿河台の「文化学院」の保存要望書を4月3日に提出しました。
駿河台の「文化学院」は1937年(昭和に12年)に 竣工した、設計した西村伊作の代表的な建築です。
DOCOMOMO Japanから4月3日保存要望書を提出しました。
建て替えのお知らせ標識が設置されており、着工予定は平成18年7月、設計者は(株)坂倉建築研究所と記載されています。
既に現在引越しが始まっています。
http://www.docomomojapan.com/news_sozai/youbou_bunkagakuin.pdf
10
:
名無しさん
:2011/07/16(土) 11:48:36
前川国男の「学習院大学・ピラミッド校舎」建て替えに、卒業生らが保存要望書を提出
前川国男の設計で1960年に竣工した「学習院大学ピラミッド校舎群」が取り壊されることが明らかになり、同大学の卒業生や建築専門家らで構成する「学習院大学ピラミッド校舎群の保存活用を願う会」が12月14日、福井憲彦学長に保存活用要望書を提出した。
ピラミッド校舎群は、東京・目白の学習院大学キャンパスのほぼ中央にある。「ピラミッド校舎」あるいは「ピラ校」の愛称で呼ばれる「中央校舎」を取り囲むように、北側と南東側に2棟の前川設計による校舎が残る(竣工時は東側にも前川が設計した校舎があった)。
大学はホームページ上で11月21日、「大学中央教室位置に平成20年(08年)夏着工予定で大学中央教育研究棟(仮称)建築計画を予定しております。この建築計画に先立ち、中央教室の取壊しを平成20年1月〜3月頃の予定で計画を進めています」と発表した。
築後47年が経過し、防水工事、耐震工事、照明・空調整備に多額の費用がかかること、内部構造が授業に不向きであることなどがピラミッド校舎解体の理由という。
解体を知った卒業生や建築史家らが急きょ「保存活用を願う会」を結成。賛同者のコメントを集めるとともに、保存活用要望書をまとめ、学長に手渡した。
会の代表を務める松隈洋氏(京都工芸繊維大学准教授、元前川国男建築設計事務所所員)は、「京都会館(1960年)や東京文化会館(1961年)とほぼ同時期にできたことから、日本ではそれらの高い評価の陰に隠れることになってしまったものの、海外の建築雑誌では大きく取り上げられた。
広場を囲む群造形の手法は、その後の前川の方法論の基になったもので、前川国男の歴史を考える上でも重要な意味を持つ」と話す。
また、同大学の卒業生で、会の副代表を務める末永航・広島女学院大学教授は「僕らが学生のころには、学園祭の後にピラ校の壁に男子学生が駆け上がっては池に落ちる、という光景が毎年繰り返されていたことを思い出す。
思い出は人それぞれだが、卒業生にとって記憶に残る校舎であることは間違いない」と話す。
同大学広報は、「1月12日、13日に行われる見学会で建て替え計画の説明を予定している」と話している。
http://trystero.exblog.jp/6794907
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