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架空戦記系ネタの書き込み その159

49新人艦長:2025/11/14(金) 18:27:49 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
 こんな感じであったがやはり日本人として日本の味に恋しくなるのが人情であった。
 そのため戦場ではあの手この手で米や日本の味を確保しようと必死だった。
 例えば金平糖や羊羹など保存が効く日本のお菓子をあの手この手で持ち込む、冷蔵庫を乗せた船に食材を乗せて送る、時には現地で集めた食材でそれっぽいものを作る。
 特に作られたのが鍋。
 何せなんでもいいからそれっぽい器に水を入れてなんでもいいから野菜と肉を放り込めばとりあえず形になる。
 欧州の冬は長く寒い、たくさんの兵士が火を囲んで食べれる事や一緒に暖を取れる、何より量を手軽に作れるので人気だった。
 何せ野菜は西洋ネギでもなんでもいいし、肉も豚でも鳥でも鹿でも猪でも牛でもいい。
 出汁もブイヨンやコンソメを入れても、ただの水炊きでも肉や野菜から勝手に出汁が出る、調理といっても実質材料を切り分け茹でるだけ、器も適当な西洋鍋からなければヘルメットをひっくり返して鍋代わり。
 多種多様な戦場鍋が作られた。

 食材の中では醤油と味噌は欧州では手に入らないのでとてつもない貴重品であった。
 昔から醤油は輸出技術があるので出征時には一人ビール瓶一本分の醤油を渡し、その後も随時送ってはいたが、それでも全然足りていない。
 味噌?無理。
 中には現地で大豆を調達して味噌と醤油を自作しようとした部隊までいた。
 そして最も兵士たちが飢えたのは米だった。

 日本人の主食は今も昔も米。
 当時はまだパン食にはあまり慣れていないため主食の米に飢えた。
 当初、欧州に駐屯した日本兵は他の英米軍と同様にパンを支給されたが、やはりそれではホームシックになり士気が下がった。
 そのため1942年12月には日本軍向けに連合軍は米を調達することを決定した。
 調達元はアメリカとエジプトである。
 米国産の米は主に後方部隊とイギリス駐屯部隊に回され、エジプト米は主に地中海方面に回された。
 その量は概ね一人週1キロが目安であった。
 日本軍の規定では一日600から800グラム前後なのでかなり少ないが、エジプト米はアラブ方面の反乱抑止のためアラブの消費を優先した、米国産は米国内の消費と日本向けの輸出米を抜いた余剰分が中心だったためである。
 1943年半ばになってやっと正式に米の支給が始まり、日本兵は戦場でも米にありつけた。
 ところが今度はその米を炊いているところをドイツ兵が見つけて狙い撃ちするという事案が頻発した。
 ここは新たに煙が出にくい炊事方法を編み出す事で解決した。
 こうして日本兵は最前線でも週一ぐらいは最低でも米にありつけるようになった。
 まあ盗む輩も多く、度々問題になったが。

 ちなみに後方部隊、特に航空部隊の方が米に飢えるという場合が実は多かったのは余談である。
 理由は英米軍と航空基地を共用した結果、食堂を共有したため食事が英米と同じというケースが多かったのだ。
 そのため上層部が米を送ってもイギリス兵やアメリカ兵は炊き方がわからず日本兵に聞いて炊く、はまだいい方でお粥にするところやライスプティング、ガンボ、ジャンバラヤにされることも。
 酷いと倉庫に放置、最悪なところでは米を闇市に転売して私服を肥やす輩までいた。

 終戦後地球の裏側の兵士に米を届ける、を目標に日本軍では新しいレーション作りが始まった。


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