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日本大陸を考察・ネタスレ その195
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軽く解説すると、擬人化した戦艦リシュリューをあらん限りの言葉で称揚し
さらに、デン・ヘルダー(蘭)やスカパ・フロー(英)、ノーフォーク(米)そして横須賀(日)。
すなわち世界の列強海軍全てを見渡してもリシュリューに勝る艦は存在しないのだと声高に宣言しているのである。
また、敵に占領され帰ることがかなわない故郷の風景を懐かしむ心も垣間見える。
興味深いのは、FFR開闢以前の戦時中には既にリシュリューへの信仰の萌芽が見いだせることである。
この歌は前述の通り水兵たちから始まり当時のフランス海軍全体に広まった。
そして、戦後直後からFFR体制発足までの期間にフランス本土でも広く歌われるようになった。
しかし、この歌はリシュリューが神格化していくに従い徐々に歌われなくなっていく。
三世代を経る頃には、進んで歌うものは成人にはほとんどいなくなっていた。
別に封印されたわけではない。「我らが指揮官」の歩みの中で重要な地位を占める歌であるし、歴史記録映画の中では普通に流れている。
歌詞自体を知らぬフランス人はいないであろう。幼少期には皆が歌ったはずだ。
では何故か?
他国の者は「歌詞がリシュリューへの不敬に当たるから」だと予測し、フランス人たちもその説を否定しない。
しかし真相はもっと深刻でかつ単純なものである。
———「羞恥心」だ。
考えても見て欲しい。
自分の『お母さま』のことを「この美少女ほどの乙女はあるまい」と公衆の面前で歌って恥ずかしさを覚えない大人が世界にどれだけいるであろうか?
それを成せるのはあの戦争を彼女と共に戦い抜いた者たち、戦前世代の者たちのみだった。
いわばこの歌は我らが指揮官の『戦友』たちの象徴でもあるのである。
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