レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。
架空戦記系ネタの書き込み その122
-
野村直邦。
史実では遣独潜水艦作戦でドイツから帰還時に鹿児島弁を使用することで連合国軍からの追撃を防いだことで知られる人物である。
しかし、この世界では転生により、その生涯は大きく変わることとなる。
戦後夢幻会ネタ ham世界線 野村直邦という男 前編
彼が転生したのは松島の海軍兵学校35期生33名が犠牲になった爆沈事故であった。
この事故の時、野村は偶然にも大山巌の長男、大山高を助けた。
大山が生存したこと、さらに転生者として暗躍していくことで、野村は史実から外れたルートを進んで行くことになる。
練習航海を終えた野村は史実通り水雷畑を進み、途中で潜水畑に転向。
潜水艦について研究する傍ら、航空機や空母にも造詣を深めた。
史実通りの昇進と異動を進んできた彼は1933年に事を起こす。
この年、野村は2月から「加賀」の艦長を務めていた。
史実で「加賀」は10月20日から一段式空母に改装することが決まっている。
その改装計画に際し、ある提案をした。
斜行甲板。
後世、アングルドデッキと呼ばれるものである。
空母というのは、いつの時代も着艦が困難である。
そのような中でやり直しができることは大きな利点であった。
発着艦同時は不可能だろうが、着艦をやり直しができれば、着艦に失敗して制動索に当たる心配も無くなる。
「加賀」は当時の日本海軍でも最大の空母であるため、飛行甲板には充分導入できる余地はあった。
しかし、当時の第一航空戦隊司令官の及川古志郎少将は、学者肌で長い物には巻かれて流されやすく、野村の考えに理解を示さなかった。
そこで野村は、10月に新しく一航戦司令官となった山本五十六少将に斜行甲板のアイデアを話した。
及川と違い、新しいものに飛びつきやすく、自身も着艦失敗した機に飛びついて止めようとしたエピソードもある山本は、野村の考えに大いに興味を示した。
山本の賛同を得た野村は、山本と共に艦政本部長の杉政人中将や総務部長の豊田貞次郎少将に話を通した。
杉も豊田も「ドック入りが今月に迫っている」として難色を示したが、野村は「加賀の幅ならば、線を引き方次第で充分可能である」と反論。
それでも「前例が無い」と豊田が反対するが、
「加賀では世界でも例のない煙突を導入すると聞くし、赤城では艦橋にも同じく世界に前例のないものを取り入れるとか。ならば前例のない甲板を導入しても問題はないのではありませんか?」
という野村の一言に負けて、提案を認めることとなった。
|
|
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板