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架空戦記系ネタの書き込み その122
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そうであるが故に、決戦兵力としてかき集められた重爆撃機各種合計300機近い出撃は、勇壮とは程遠く、まる
で葬式か何かの雰囲気に近い出撃という異様な光景であり、基地司令の空虚な演説に対しても、まともに聞いて
いるものがゼロという有様であった。(基地司令達もクルーを見送らず、そそくさと司令部に逃げている。)
こうした状況であることから、爆撃機の動きも緩慢であり、整然としたコンバットボックスを組むことなど夢の
また夢であった(ただしこれは、ガソリンの供給問題から、爆撃機の大規模な訓練が制限されていたのが大きい)
のだが、彼らにとって不幸だったのは、既に日英側は、空対地及び空対艦誘導弾の実戦配備に成功しており、
この手の兵器を何とかするには「射程外で母機を撃墜する」という対応策を知っていたことであった。
後に「ニューヨーク沖の七面鳥撃ち」と呼ばれることによる、日英空母機動艦隊戦闘機部隊による一方的な虐殺
は、この時のために急遽搬入された空対空ロケット弾の運用だけでなく、42式大抵複数による航空管制や、ピケ
ット艦による爆撃機の早期発見など、完璧なまでに対応策をとられており、アメリカ側の勝利の可能性は無きに
等しいものであった。
それでも10機程度が強引に突破し、戦艦群に攻撃を仕掛けたものの、40㎜機関砲の代わりに戦時改装で導入され
た76mm自動砲で迎撃を受け、辛うじて2発が大和型とKGV級1隻に命中したものの、爆発の規模の割には損害は
警備であり、以降、これ以上の大規模攻撃が行われることはなかった。
ニューヨーク沖海戦でアメリカ海軍が事実上消滅して以降も、同機材を運用しようとする面々と、戦争終結を
見据えてやめさせようとする面々との間で対立が起き、結果、同機材は、アメリカ合衆国が一方的に停戦を宣言
するまでの間、最終的に運用開始から500発近く発射されることになる。
主に駆逐艦や輸送船が被害を受けることになるが、もはや戦争の趨勢を変えるような戦果ではなく、半ば惰性に
よって行われる愚行でしかなかった。(作戦失敗により更迭された基地司令の後任は、ロングの熱狂的な支持者
ではあったが、軍事的才能はゼロという男であった。)
停戦後、同機材は真っ先に兵器リストから抹消されることになるが、これは合衆国政府側においても、同機材が
自国の汚点とみなしていた所以であり、忘れ去りたい記憶であったことが見て取れる。
もっとも、停戦を知らされた際の、同機材のパイロット達の合衆国に対する怒りはすさまじく、基地で武装を強
奪した彼らは、基地司令や参謀、爆撃機クルーや整備兵達を虐殺してのけ、付近の陸軍部隊によって鎮圧される
3日間の間、全周波数を使って、全世界にこれまでの顛末を暴露し、世界のアメリカに対する不信と軽蔑は回復
できないところにまで焼き付けられることになる。
同機材のパイロット達に対してアメリカ合衆国政府が公式に謝罪するのは1948年であったが、遺族達の大半が、
政府から渡された勲章や弔慰金を地面に叩きつけるなど、一切の謝罪を拒絶される状況であった。
彼らパイロットを祀っているのが、主に日本や大陸であり、内戦により東西に分かれたアメリカのうち、西アメ
リカの大使などが慰霊に赴いても、未だに立ち入りが許されないなど、解決には目途が立たないところである。
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