したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |
レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。

架空戦記系ネタの書き込み その122

471yukikaze:2021/03/07(日) 17:02:41 HOST:p278014-ipngn200405kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
ようやくできたクィーン・ヴィクトリア級戦艦。
難産ってレベルじゃねえぞこれ・・・

クイーン・ヴィクトリア級戦艦

全長:330メートル
全幅:50.2メートル
喫水:11.2メートル
基準排水量:12万8000トン
満載排水量:14万5000トン
機関:海軍式三胴型重油専焼水管缶8基 パーソンズ式オール・ギヤードタービン4基4軸
出力:28万馬力
速力:28.5ノット
航続距離:18ノットで 10,000浬
乗員:約4,500名
主砲:45口径56センチ砲連装4基
武装:60口径12.7センチ単装砲16基
   ボフォース40ミリ機関砲4連装32基
   20ミリ機関砲4連装20基
装甲 舷側 600mm
    甲鈑 350mm
    主砲防盾 850mm(前盾)370mm(側盾)330mm(天蓋)
※ これらの装甲にはいずれも100mm程度の被帽破砕装甲が別途つけられている。
同型艦 『クイーン・ヴィクトリア』

(解説)
イギリス海軍が建造した最後の戦艦である。
完成当時世界最大の戦艦であり、主砲口径ともに未だに破られていない。
文字通りイギリスの象徴ともいえる戦艦であり、冷戦時代においては、ロイヤルネイビーの総旗艦を
勤め上げ、イギリス国民の誇りともいえる戦艦であった。

第一次大戦のイギリス海軍の戦艦整備計画は、日米海軍と比べると後塵を拝していた
とはいえ、当時のイギリスの状況を考えれば、やむを得ないものであった。
アメリカ海軍が『ダニエルズ・プラン』を、そしてそれに対抗して日本が『八八艦隊計画』を計画し
た時、イギリスは第一次大戦の戦費と、大戦前に整備した戦艦群の維持費で首が回らなかったのであ
る。その上、新規で戦艦群の拡張を押し通すのは、世論的に無理であった。
仮に無理を押し通した場合、良くて首都を追い出されたロシア皇帝の末路となり、下手をすれば、ド
イツのカイザーのように断頭台に送られての泥沼の内戦ルートとなるのは火を見るより明らかであった。

結果的に、イギリス海軍が新型戦艦の建造を許されるのは、1920年代の後半になってからであった。
もっとも、イギリス海軍の受難は続き、主に予算の問題で排水量を5万トン程度に抑えられてしまった
結果、インヴィンシブル級巡洋戦艦は、速力と防御力を両立するために、16インチ砲は9門であり、
聖人級戦艦は、18インチ砲を9門積めたものの、速度は25ノットに抑えられるなど、必ずしも満足でき
る艦ではなかった。

それでも、両級の完成により、イギリス海軍は、20インチ砲戦艦1隻、18インチ砲戦艦4隻、16インチ
砲戦艦8隻(フッド級は、ジュトランド海戦後の設計改正時に16インチ砲搭載艦に改正)と、抑止力と
しては十分に機能していたのも事実であった。
特に巡洋戦艦群については、全てが30ノットオーバーで行動でき、ジュトランド沖海戦での戦訓から、
防御も相応に強化された(なお、実際には『1930年代前半までの16インチ砲弾には対応できた』であり、
貫徹力の優れた新型砲弾相手では力不足であった)と見られたことから、日米海軍共に最大限の注意を
払われている。

こうした状況が打破されたのが、アメリカ海軍による事実上の東京海軍軍縮条約の破棄行動である。
これにより、東京海軍軍縮条約付属の第2次東京協定エスカレーター条項にともなって、排水量無制限
でかつ8隻の戦艦建造枠が各国に割り振られたことにより、ようやくイギリス海軍は、満足できる戦艦
群を建造することができるようになったのである。
そしてそのエスカレーター条項によって建造された艦こそ、キング・ジョージ五世級戦艦であった。

キング・ジョージ五世級戦艦を一言で言えば『聖人級で本来求められていた性能を有する艦』であった。
18インチ砲3連装砲を4基搭載し、30ノット近い速度で走る高速戦艦。
勿論、防御力についても主砲対応であり、18インチ砲搭載のアイオワ級やルイジアナ級戦艦にも十分に
対抗できると判断されていた。
同時期に建造が開始された大和型戦艦と比べると、一見して大人しい性能(とはいえ、基準排水量8万
5千トン近い大戦艦であったが)ではあったのだが、これは当時のイギリスにおいて、装甲板や主砲の
製造能力を考えれば、18インチ砲戦艦が現実的であったのと、大和型はあまりにも巨大であり、実際に
運用するには持て余しかねないという判断によるものであった。
臥薪嘗胆の末、1920年代半ばから10年以上の高度経済成長を遂げていた日本に対し、『失われた10年』
と言われたイギリス経済及び産業界の停滞のツケはやはり大きかったのである。




掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板