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架空戦記系ネタの書き込み その117

49 yukikaze:2020/06/27(土) 13:34:13 HOST:p343111-ipngn200407kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
10月15日:「クロマイト作戦」マッカーサー、オランダ沿岸部に上陸作戦を敢行することで、オランダ解放を達成することを提案。
     上陸用機材と気象上の問題で早くても翌年になることが見込まれたことで、亡命オランダ政府が難色。
11月6日:「ヴァイタリティ作戦」イギリス軍、アントワープ北部を完全制圧。
11月7日:アメリカ大統領選挙で民主党のコーデル・ハル当選。
11月10日:「グレネード作戦」アメリカ陸軍第20爆撃軍。蒋介石の籠もる重慶に最大級の爆撃。地中貫通爆弾「ファットマン」
     (史実トールボーイ)を初めて実戦に使用。蒋介石を含む中華民国政府首脳部全滅。
11月13日:「激号作戦」日本陸海軍爆撃隊による西安大空襲。超重爆『富岳』実戦に参加。火災旋風が起きるよう計算された爆撃
     であり、西安に戦力を移動していた毛沢東率いる共産党首脳部は、蘭州に行っていた林彪を除いて全滅。
11月15日:新疆派軍閥、中華民国からの離脱を宣言し、ソ連の庇護下に入ることを懇請。
11月17日:馬家軍、自らの権益が脅かされることを恐れ、新疆派軍閥との抗争を開始する。
11月20日:成都に逃げていた孫科、蒋介石を始めとする上層部の全滅を認める。四川派、貴州派、湖南派と言った地方軍閥は次々と
     離反。中華民国政府崩壊。中華戦線は事実上消滅。
11月21日:ソ連政府「民族自決」を掲げて、新疆派軍閥への介入を決定。なお、ソ連は軍閥に任せるつもりはさらさらなく、
     新疆ウイグル自治区、青海、甘粛、寧夏回族自治区を領土とする「東トルキスタン共和国」建国を決定済。
12月16日:「バルジの戦い」共産ドイツ最後の賭けと言われる大規模攻勢。
12月19日:「バストーニュの戦い」栗林忠道中将率いる第23師団による防衛戦。
12月26日:バストーニュ解囲。解囲に参加した部隊が日系人部隊であったため、両国において美談となる。

1945年
1月16日:連合国によるバルジ包囲網完成。共産ドイツ司令部の硬直した指導により、バルジ内のドイツ軍の脱出は不能。
1月20日:共産ドイツ政府、オランダ、デンマークの残存部隊の撤収を命じるとともに、ソ連に大規模な援軍を懇請。
1月28日:イギリス軍、オランダへの進軍開始。
2月15日:アムステルダム解放。オランダ王室、国土復帰を宣言。
2月22日:連合国軍、ソ連とドイツの国境に、大規模な軍が展開していることを確認。ソ連政府に確認するもソ連政府は黙殺。
3月1日:イギリス軍、オランダを完全解放するも、ルール工業地帯にソ連軍が展開していることを受けて進撃停止。
3月3日:日米英政府、合同でソ連に対し、軍駐留の意図を説明するように要請。ソ連政府黙殺。
3月5日:共産ドイツ政府、改めて連合国との徹底抗戦を宣言。
3月7日:「バグラチオン作戦」発動。在ドイツソ連軍一斉に蜂起。ドイツ主要都市はソ連軍の制圧下に。
3月8日:ソ連国境から東欧諸国に対してソ連軍侵攻開始。同日、ドイツとオーストリアで共産政府樹立。
3月9日:イギリス軍とのトラブルで、ギリシャ方面軍に左遷されていたパットン大将、独断でブルガリアへの侵攻開始。
     アイゼンハワーは激怒するが、マッカーサーが追認し、援軍を送るよう指示。
3月15日:アメリカ軍、ノルウェーとデンマークに対し、上陸作戦敢行。抵抗は全くなく一週間後に全土制圧。
3月16日:ルーマニア国王ミハイ1世、パットンに対して単身会談し降伏を宣言。パットンは快諾し、更に進撃。
3月22日:ベッサラビア、ブコヴィナを制圧したソ連軍とパットンの睨みあい。双方、戦闘を起こすには問題を生じており、
     状況は膠着状態に。
3月29日:ハンガリー、ポーランド、チェコスロバキアで、共産政府樹立。
4月3日:ソ連軍、スロベキアとセルビアを制圧し、共産政府樹立。イタリア軍、フィウメ防衛を名目にクロアチアに
     進駐するとともに、秘密裏にソ連との間で手打ちを行う。(ボスニア・ヘルツェゴビナでのソ連への譲歩)
4月5日:ロンドン会議。連合国主要国による戦争の継続か否かを決める会議。戦争継続を訴えるイギリスやフランス
     ポーランドであるが、日米への更なる負担を前提とするものであったため、日米両政府の反発を招く。




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