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日本大陸を考察・ネタスレ その151

387825:2019/05/15(水) 19:53:29 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
また、この戦いにおける日米連合軍の勝利は清国に1つの決断を行わせる。そう、遼東半島における日米の軍事通行権の容認である。もともと、日米は開戦前から清国に対して遼東半島における軍事通行権の容認を求めていたが、当時の清国では日米の軍事力に疑問をていする高官も多くおり、ロシアによる介入を招きかねないこの要求を明確に拒否していた。開戦後の海軍による太平洋艦隊の封殺やナホトカ戦隊の撃滅後も陸軍力への疑問は絶えずあり、その後も拒否の姿勢をとっていたが、この鴨緑江会戦での勝利が清国の行動を180度転換させ、日米連合軍への協力を取り始めていく。その一環として行われたのがこの遼東半島における軍事通行権の容認であったのだ。

これを受けた連合軍朝鮮総司令部はただちに朝鮮で待機していた第2軍(司令官 黒木為楨 陸軍大将)および第3軍(司令官 乃木 希典 陸軍大将)を大連に送り込み、遼陽に向けて北進を開始する。これと同時に第1軍をこれまで朝鮮に待機させていた第4軍(司令官 奥保鞏 陸軍大将)と第5軍(司令官 織田 信和 海軍大将)を合流させ第1軍集団を編成、遼陽に向け進軍を開始する。

ロシア軍は突然、側面から北上してきている第2軍・第3軍を迎撃するべく遼陽にいるシベリア第1軍団を迎撃に向かわせ、その援護の為に奉天に待機させていたシベリア第2軍団の派遣も決定し、即座に送り込んだ。そして、先発していた連合軍第2軍とロシア軍シベリア第1軍団が11月8日に大石橋にて衝突する。この時、大石橋にはロシア軍が陣取っており、大石橋北東の丘陵地帯に砲兵陣地を敷いて連合軍第2軍を待ち構えていた。そして、第2軍が砲の射程圏内に入るや否や猛烈な砲撃をもってこれを歓迎する。この砲撃によって第2軍は進軍の停止を余儀なくされ、一時的にではあるが砲の射程範囲外まで退却する。その後、砲撃戦を繰り広げるが、単独でのロシア軍への攻撃は危険だとして朝鮮に待機させていた航空部隊に援護を要請し、翌日の早朝に航空部隊の事前攻撃の後に再び攻撃をかける事を決定、その準備を開始し始める。

しかし、大石橋にいたシベリア第1軍団は連合軍の待避を確認するや否や、即座に撤退をしており、再攻撃を仕掛ける前の偵察によりこの攻撃は中止され、少ない犠牲で大石橋を占領する。

こうして、戦争の部隊は海上や朝鮮半島から満州へと移っていく。




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