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日本大陸を考察・ネタスレ その150

342825:2019/03/20(水) 18:37:39 HOST:om126208188125.22.openmobile.ne.jp
そこで日本海軍はそれまで本土で待機していた第1常備艦隊(※2)の旅順封鎖作戦への動員、圧倒的な海上戦力で北洋艦隊を旅順から出させないことで制海権を確保する方向に方針を変更する。

また、本作戦が政府の承認を得ると、上陸地点を清国側に知られぬように大規模な欺瞞、陽動作戦が開始される。

7月26日には陸軍4個師団が本土から台湾に移動され、さらに補給のために第1常備艦隊と入れ替えで帰還していた第2常備艦隊が台湾方面に移動するなど、台湾から清国本土へ攻撃を仕掛ける素振りを見せ始める。

28日以降は飛行船を使っての航空偵察も大々的に実行、さらに、第2常備艦隊所属の巡洋戦艦2隻が福州一帯の海防施設に艦砲射撃を実施し、福州の沿岸施設に甚大な被害を与える。さらに、アメリカアジア艦隊と第1常備艦隊より抽出された戦艦2隻が劉公島にたいして砲撃実行した。

これらの行動に清国中央では日本は朝鮮ではなく本土への進攻を狙っているのではないかと言う意見が大勢を占める。これは北洋陸軍でも同様であり、彼らも日本軍は台湾からの上陸作戦を行うものと考え始めた。

こういった考えは7月30日に第2常備艦隊によって広東艦隊を撃破されると言う情報が彼らに伝わると確信に変わっていった。

こういった情報を手に入れ、清国の目が台湾に向いたのを確認すると連合軍司令部は「スレッジハンマー作戦」の発動を命令する。

この命令により日本海軍第6陸戦師団を乗せた輸送船団が舞鶴を出港、第4警備艦隊の護衛を受けつつ、元山に向かう。そして、翌日には海軍第3陸戦師団とアメリカ海兵隊第1海兵旅団が済州島を出港、アメリカアジア艦隊の護衛の下、南浦を目刺し黄海を東上する。

この時の北洋陸軍は日本軍の攻撃目標は本土だと考えていた。それでも仁川からの攻撃には警戒しており、少数の騎兵部隊が複数編成され、警戒体制をとっていた。また、日本人居留地があった元山への上陸の可能性も考えられておりこちらには600人ほどの兵力が警備部隊として駐留していた。

8月12日、元山湾に第4警備艦隊の装甲巡洋艦2隻、防護巡洋艦1隻、砲艦2隻が突入、警備部隊と一時間ほど砲撃戦を行った。

この砲撃戦では日本側の損害は皆無であり、清国軍の抵抗が沈黙するまで砲撃を実施、沈黙を確認すると第6陸戦師団第16海兵連隊を元山に上陸させる。この時、清国軍約300が反撃を行ったが、砲艦の援護もあり、一時間程で元山港の確保に成功する。

これにより残りの第6陸戦師団所属は敵の抵抗を受けることなく上陸を行え、最終的には同日中に20000人近い兵力が元山に上陸する。

この部隊は8月15日に少数の元山守備部隊を残して平壌に向け移動を開始する。

元山の陥落と新たな1個師団が元山に上陸したと言う情報は平壌に展開していた清国軍に大きな動揺を与えた。この時、平壌には30000程の兵力が駐留していたが、その内1/3が朝鮮兵と言う状況で、まともに戦っても大損害を被ると清国軍は考えていた。

朝鮮駐留清国軍司令官 葉志超 はこの事態に李鴻章に援軍を要求する。これを受けた李鴻章は予備兵力であった18000の兵力を平壌に向けて送りこむ事を決定する。しかし、連合軍の方が一手早かった。




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