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日本大陸を考察・ネタスレ その150

1 名無しさん :2019/03/04(月) 01:16:58 HOST:ai126164077188.72.access-internet.ne.jp
日本大陸のSSや考察・ネタを書き込むスレです。
スレが荒れる事のないように喧嘩や煽り合いは厳禁です。
みんなで仲良く日本大陸世界を楽しみましょう。

尚、このスレは憂鬱本編とは無関係という事を前提としてearth氏の許可が下りています。
憂鬱本編に関係するネタを書くときは本編の設定を遵守し、細心の注意を払いましょう。
各職人様の作品や、スレで語られた内容設定の数だけ世界線が存在しており、皆それぞれ日本大陸です。
設定に関して疑問に思う処などがあれば職人様や住人の皆様に質問し、大いに議論しましょう。

投稿する作品の設定は下記の説明にある日本大陸の基本ルールを遵守していれば、どのようなネタでも自由です。
また既存のアニメーション作品、ゲーム作品等の創作物とクロスを取り扱ったネタについては
下記の日本大陸クロスネタスレご利用してください。
日本大陸の設定は日本大陸スレ及び日本大陸クロスネタスレのみの設定であり、他スレへの持ち出しは厳禁です。


【書き込みにあたっての注意】――日本大陸世界の公式想定まとめ(wikiより転載)
0――【日本大陸の民族や資源に関して】
・日本大陸の主要民族については史実同様に日本民族というほぼ単一民族で構成されているものとする。
・日本大陸は、豊富な資源に恵まれているものとする。

1――【歴史的事実に関して】
・日本大陸世界は「基本的な歴史的事実において」史実世界と共通するものとする。
・「基本的な歴史的事実」は、歴史年表に記される出来事の名称および結果である。
 その影響は日本大陸本土周辺において厳密に守られるべきであり、その外縁や海外における出来事はこの目的を達するためにある程度の改変を可とする。
・上記の「基本的な歴史的事実」以外、たとえば歴史的人物の来歴や出来事の経過については、「基本的な歴史的事実」例えば「関ヶ原の戦いにおいて徳川氏が勝利する」といった事象を妨げない限りにおいて、日本大陸世界の地理・自然・人物その他の状況を勘案した上で自由な想定を可とする。
 ただし、歴史的重要人物の生死や重要行動については慎重な想定を要する。
・日本大陸本土周辺における「基本的な歴史的事実」を達成するための想定は、自然科学的に妥当な理論および手段方法をとり、かつ社会科学的にも可能な限り妥当な想定をもって行うものとする。
・日本大陸世界における「基本的な歴史的事実」は、幕末前後から転生者たちによる干渉が大規模化し最終的に「明治維新成立」を目的にと改変を可とする。
 史実や憂鬱世界とは違った明治維新となる可能性が高いだろう。
・明治維新以後については本編同様、自由な想定を行うものとする。

2――【夢幻会に関して】
・例外を除いて転生者が転生する人物の条件は、基本的に憂鬱世界の条件と変わらないものとする。
・大陸日本の人口増大に比例するように転生者の規模も増大するものとする。
・上記の理由により再転生者だけにこだわらず、史実世界や憂鬱世界からの一回目の転生者も存在するものとする。
・最初の日本大陸ネタで転生者出現の時期があいまいな事とアヘン戦争で改革の機運が高まったという記述を根拠に憂鬱世界からの再転生者および史実・憂鬱世界からの1回目の転生者が登場し始める年代は、転生する史実の人物の明治維新以後の生存を条件として19世紀初頭からとする。
(例として天保の改革の時代に転生者が鳥居耀蔵に転生しているものとする。)
・また上記の条件に史実で他殺や自害などで死亡した人物で生きていたら明治維新まで生存できる可能性のある人物も含まれるものとする(例・井伊直弼など)。

3――【自然環境に関して】
・自然および地理的な想定は、自然科学上妥当なものとする。
・架空の生物種や架空の地理的特徴は史実世界に存在する、あるいは存在したものをもとにする。
・想定に際しては「地球史的な出来事」を勘案し、たとえば恐竜が進化した知的生命体が地球の覇者となるような大規模改変はこれを避けること。
・日本大陸本土およびその周辺環境については、「面積が10倍程度であり、『北海道・本州・四国・九州および付属諸諸島』により構成され、
 気候においては史実と大きな違いはなく、火山性の山岳地帯を有し、史実同様大規模な海流によってほどよくユーラシア大陸から隔絶されつつも繋がりは失っていない」もの、
 すなわち史実と類似したものとする。
・面積広大化に伴う各地の緯度変化などの自然科学的に避け得ない事象に関しては上記に優先する。
・以上を順守する限りにおいて、想定は自由である。

324 825 :2019/03/17(日) 18:50:51 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
>>323は削除依頼を出しましたので無視してください。

325 825 :2019/03/17(日) 20:05:02 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
改定版を上げさせていただきます。

326 825 :2019/03/17(日) 20:05:42 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
日米枢軸ルート 第六話

東京条約の締結後、清国は従来の冊封関係を見直し、朝鮮とより近代的な宗属関係の構築に動き始める。

これは従来とは違い保護の名目の下、内政への積極的な干渉と軍事的圧力を伴う事を意味していた。当時、朝鮮内で政権を担っていた事大党は清国の庇護を利用して朝鮮を統治をしており、この清国の方向転換を受け入れざるを得なかった。しかし、朝鮮の内部では度重なる清国の影響力低下から清国との関係を見直そうと言う派閥も生まれており、1884年に清仏戦争で清国の朝鮮駐留軍が半減したさいには朝鮮各地で農民の蜂起がおきるなど、朝鮮の内情は混迷を極めていた。

清国は朝鮮を安定させるために駐留兵力を増大させるなど、より朝鮮にたいする干渉を強めていく。朝鮮半島の安定化を願っている日本やイギリス、アメリカもこの清国の動きを支援していくが、これによって朝鮮の反閔氏政権派がロシアに接近すると言う事態を引き起こしてしまう。

そして1885年にイギリス・日本・アメリカの三国連合軍が朝鮮の領土であった巨文島を占領すると言う事件が発生する。この事件はアフガニスタンでのパンジェ紛争でロシアと対立していたイギリスがロシアの伸張の機先を制するために主導したものであり、当初はイギリス単独で実行し、同島をイギリスの意のままに扱うことの出来る港として確立させることで、極東におけるロシアへの備えと自国の影響力拡大をはかろうとしていた。しかし、単独での同島の占領はアジア最大の大国にして最大の反英国家である日本に与える影響がはかり知れず同計画は断念する。しかし、ここをロシアに取られると非常にまずいことから、なんとかしてこの島を自国の影響下におきたいと考えていた。

327 825 :2019/03/17(日) 20:06:27 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
そこで、イギリスは日本と共同でこの島を占領すると言う構想を立てる。これを実行できたのなら、イギリスは日本との関係を悪化させず、最小限の兵力で同島を占領する事ができる。イギリスの意のままに扱うことの出来る港として確立させることはできまいが、ロシアが同島を占領する事を防げ、自国の影響力を拡大させられ、さらにもしかしたらさらなる日英関係の改善も望めるかもしれいと言う一手であり、実行に移さない理由は存在しなかった。

とは言え、エジプトでのゴタゴタによって日本の対英不信は高く(最高ではない)、そう簡単にイギリスの提案に乗ることがないのは目に見えていた。そこでイギリスは日本ほどイギリスを敵視していないアメリカを巻き込んでしまう。

このイギリスに巨文島占領作戦への参加を打診されたアメリカは一週間の間を空けてからであるが参加を表明する。この表明を受けたイギリスは本命の日本に参加を要請する。当初はかなり渋っていた日本であったが、同島がロシアの影響下におかれるのを恐れており、さらにアメリカの説得もあったため、指揮権の独立や連合軍の指揮官は日本軍の派遣部隊司令に兼任させるなどの幾つかの要求をイギリスに飲ませ要請を受諾する。そして1885年4月15日、日本海軍装甲巡洋艦浅間を旗艦とした三国連合艦隊(※1)が同島を制圧、住民を動員させ、各種軍事施設を建設し、対馬や済州島、上海電信線を敷設する。

これを受けた清国は日英米の巨文島を占領を一定ではあるが容認する事を決定し、日英米に通達する。史実では強固に反発していた李鴻章もさすがに日英米の三国が相手となるとそうはいかなかったのだ。

328 825 :2019/03/17(日) 20:08:15 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
この事件によりイギリスは日本との一定レベルの関係改善に成功し、日本の対英不信をある程度解消させることにも成功する。

しかし、この事件によって朝鮮のロシアへの接近を加速させてしまい、同年には朝鮮政府が在漢城ロシア代理公使ウェーバーに宛てて、軍事的保護(軍艦の派遣)を求める旨の密函(秘密書簡)を送ると言う事件までおきてしまう。

この事件は報復を怖れた閔泳翊が、袁世凱に密告することで清当局の与り知るところとなり、国際問題にまで発展、清国政府は朝鮮駐留軍の増強と国境の防備を固める事を決定、ロシアは極東で大規模な戦闘がおきることを望んでおらず、ロシア外務省が密函の受領は認めたものの、高宗の要請には応じない旨を清国に約することで事態は収束に向かう。

しかし、この事件によって清国の朝鮮での影響力が無視できないレベルで低下している事が露呈され、イギリスはロシアのアジアでの影響力拡大を防ぐために日本との一定の協力関係の構築を推し進めることになる。

1893年には閔氏政権の重税政策、両班たちの間での賄賂と不正収奪の横行、そして1876年の日朝修好条規(江華島条約)をはじめとした閔氏政権の開国政策により外国資本が進出してくるなど、朝鮮の民衆の生活は苦しい状況が続き、ついに朝鮮各地で農民の蜂起が立て続けにおきる。

朝鮮は当初こそ自国での対処に成功していたが、1894年に全羅道古阜郡で東学党と呼ばれる新興宗教団体が武力蜂起すると事態は一変する。この蜂起は東学党の信者が全国で呼び掛けを行い、絶頂期には呼びかけに応じた農民で、数万の軍勢が形成され、朝鮮政府軍を各地で打ち破り、18945月末には道都全州をその支配下におくまでに成長していた。

この事態に朝鮮政府は自らの宗主国であった清国に救援を求める。この要求を受けた清国北洋通商大臣 李鴻章は皇帝の許可を受けると援軍を送り、朝鮮総督であった袁世凱に東学党鎮圧を命令する。この命令を受け、袁世凱は漢城に駐留していた兵の8割と派兵されてきた部隊を道都全州に派遣、反乱軍の鎮圧にかかった。

これにより漢城に駐留している清国軍が低下、その隙をついた朝鮮の反閔氏政権派がロシアの支援の下、漢城でクーデターを実行する。このクーデターはよく計画されたものであり、わずか1日で朝鮮政府の主要機関は制圧され、国王・閔妃もクーデター部隊に捕らわれてしまう。そして、支援していたロシアは朝鮮での邦人保護を名目に艦隊の出撃準備を開始、さらに清国との国境に軍を集めるなど介入の準備を開始する。

ロシアの影響力拡大を防ぎたい日本・アメリカ・イギリスも清国がこのクーデター騒動を早期に解決できず、ロシアが介入した場合に備えて軍の派遣などの介入の準備を進める。

こう言った事態を重く見た袁世凱は東学党の鎮圧の一時中断を決定、鎮圧に派遣していた部隊を大急ぎで漢城に戻し、クーデター軍の鎮圧に取りかかった。クーデター軍と清国軍は昌徳宮にて激突、しかし、クーデター軍は広大な昌徳宮を防衛するにはあまりに数が少なく次第に王宮の一隅に追い込まれた。このクーデター軍は良く戦ったが、最終的には降伏する。

329 825 :2019/03/17(日) 20:09:38 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
しかし、このクーデター騒動はそれだけでは終わらなかった。清国がクーデター軍と戦闘に入った前後から漢城は大混乱に陥り、商店のほとんどが清国兵や朝鮮人暴徒によって破壊・掠奪された。さらに日本人家屋への略奪や日本人集団への襲撃があいつでおき、日本軍軍人や日本人居留民への死者が数十人の規模で発生、さらに暴徒化した清国軍兵士が日本公使館を襲撃し、日本軍との銃撃戦に発展するなどの大事件までおきてしまう。

これらの日本人居留民に対する暴徒達の行動は、公使館の電報によって即座に日本本地に伝わる。さすがに仁午軍乱後の粛清で懲りていたマスコミは煽らなかったが、この時の日本には仁午軍乱の記憶が未だに濃く残っており、世論は過激に反応してしまう。

日本政府もこの件については激怒し、防衛のために済州島(※2)に駐留させていた海軍第13海兵連隊(※3)第1、第2大隊と装甲巡洋艦1隻、防護巡洋艦2隻の派遣を決定、清国にその旨の通達を行う。

当然ながら、清国はこれを北京協定違反と激しく抗議をしたが、日本はこれは協定違反では無いと主張、同様の被害を受けたイギリスやアメリカも日本の行動を支持したため、抗議以上の行動は取れなかった。

この部隊の派兵と前後して、日本は政変中に在留日本人が清国軍によって加害されたとされる日本商民殺傷事件に関する責任と公使館襲撃に関する責任の追及のために、前内閣総理大臣であった徳川慶喜を特命全権大使に任命し、交渉団を派遣清国に派遣した。

これを受けた清国は北京の玄関口である天津を交渉の舞台とし、北洋通商大臣であった李鴻章に全権を委ねて交渉にあたらせた。

こうして1894年7月7日に天津にて日清間の協議が開かれることになる。この席で徳川慶喜は漢城市街で清国軍人によって在留日本人が多数殺害・略奪されたとして清国を厳しく非難し、皇帝による謝罪と賠償金4000万円の支払い、そして関わったと思われる軍人の即時引渡し、日本主導による事件の調査を要求した。

対する清国側は、漢城における日本商民殺傷事件や公使館襲撃は暴徒化した朝鮮の軍民によって引き起こされたものであるとして清国軍の関与を否定し、日本側の要求をすべて拒否する。

当然、日本側はこの言い分に反発し、射殺した人間の装備や捕虜の証言、装備などの証拠を出すが、李鴻章はそれでも自らの言い分を変えず、交渉は開始直後から暗礁に乗り上げてしまう。

なぜこの時、李鴻章がここまで頑なに日本側に譲歩しなかったかと言うと、この時の彼の立場がこれを許さなかったからである。

この時の清国の中枢では実権を握る西太后派の勢力と自らが実権を取り戻したい光緒帝派の勢力との政争が激化しており、下手に日本に譲歩してしまうと李鴻章自身がその地位を追われかねない状況にまでなっていた。

最も、そんな事は日本とってはどうでも良く、徳川慶喜は1894年8月1日に李鴻章に最後通告を実施するも李鴻章はこれを黙殺してしまう。これを受けた日本側は交渉の中止を決断、交渉団に帰国を命じるとともに軍の動員を開始する。

一方の李鴻章はこの一連の流れによって日本との戦争は避けられないと判断し、軍の動員の許可を光緒帝に求める

清国上層部の間では、李鴻章を北洋通商大臣から解任して日本の要求を全て飲むと言う選択肢も考えられたが、西太后の強硬な反発によってこの選択肢は早々に流れてしまう。また、この際、日本との戦争で西太后派の勢力を一気に削ってしまおうと言う光緒帝派の思想も合わさり、最終的に皇帝もこれを許可する。とは言え、国境でのロシアでの睨み合いが続いていたため、北洋通商大臣の指揮下にあった軍に限って動員を許可する。

限定的とは言え光緒帝から軍の動員許可を得た李鴻章はただちに北洋艦隊所属巡洋艦の護衛の下、1個師団を朝鮮に派遣、朝鮮駐留軍の指揮下に入り、朝鮮での防備を固める事を命令する。

この動きを察知した日本側は、朝鮮在留邦人および公使館職員に日本への帰国を命令、公使館防衛にあたっていた第13海兵連隊を仁川まで下げさせ、援軍として済州島で待機していた第12海兵混成旅団および第13海兵混成旅団の各種部隊と合流させる。また動員が完了していた陸軍第8歩兵師団と海軍第3陸戦師団、海軍第2常備艦隊を済州島に送り、いつでも戦争を始められるように動き始めた。

330 825 :2019/03/17(日) 20:10:23 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
もちろん、平和への動きもなかった訳ではない。この戦争で清国が弱り、ロシアのアジアでの影響力が拡大されるのを恐れたイギリスは日清の調停に乗りだし、さらに、日本の勢力拡大を警戒していたロシアもこの動きを支援し始めた。しかし、イギリスの調停案は日本に有利すぎると清国側が拒否、ロシアもドイツとの対立からあまり派手に動けず、結局は日清の対立を緩和させることには失敗してしまう。

そして、1894年、アジアの二大大国は戦乱のへと突入していく事になる。

(※1) 日英米三カ国連合艦隊編成
日本
装甲巡洋艦×1隻
防護巡洋艦×2隻
アメリカ
防護巡洋艦×1隻
イギリス
装甲艦×1隻
装甲帯巡洋艦×1隻
砲艦×1隻


(※2) 北京協定によって日本に割譲されて以降、大規模な軍事拠点として整備されており、大規模な軍港や軍の物資貯蔵庫や基地が建設されるなど対馬と並んで日本の重要拠点とされている。

平時は第9警備艦隊(装甲巡洋艦1隻、防衛巡洋艦4隻、水雷艇駆逐艦3隻、砲艦2隻)と海軍第12海兵混成旅団、第13海兵混成旅団が駐留している。


(※3) 第13海兵混成旅団の中核を担っている部隊で、3個歩兵大隊で編成されている。交代で1個大隊が東京条約以降在朝鮮公使館の警備として朝鮮に派遣されている

331 825 :2019/03/17(日) 20:12:12 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
以上になります。

話数のミスや文章が途中で途切れているなどのミスがあったため、多少文を増やして再度上げさせていただきました。

wiki への転載はOKです

332 トゥ!ヘァ! :2019/03/17(日) 20:48:58 HOST:FL1-122-133-194-220.kng.mesh.ad.jp
改定乙です

333 New :2019/03/17(日) 21:05:24 HOST:softbank060128001160.bbtec.net
改訂乙

334 ハニワ一号 :2019/03/17(日) 22:47:45 HOST:124-141-195-196.rev.home.ne.jp
改訂乙です。
>>320
水面下でインドネシアの独立派に軍事指導や資金援助・武器弾薬の援助などの支援をしていそうですね。

335 名無しさん :2019/03/19(火) 18:40:15 HOST:pw126233228064.20.panda-world.ne.jp
改訂乙です、朝鮮のやらかしで戦争になってしまった日清の上層部は頭を抱えていそうですね!。

336 ハニワ一号 :2019/03/19(火) 23:15:42 HOST:124-141-195-196.rev.home.ne.jp
日清戦争後か日露戦争後のどちらになるかわからないが戦争後に朝鮮に対して容赦ない処分が行われるだろうな。

337 名無しさん :2019/03/20(水) 01:22:23 HOST:i118-21-185-243.s42.a038.ap.plala.or.jp
>>336
やるなら周辺情勢が一先ず安定する日露戦争後だろうね
転生者組から見れば状況的に日清戦争後に史実通りロシアとも遣り合うことになると
判断するだろうしそうなると半島に構ってる余裕は無い

338 825 :2019/03/20(水) 18:33:57 HOST:om126208188125.22.openmobile.ne.jp
日米枢軸ルート第七話が完成したので上げさせていただきます。

339 825 :2019/03/20(水) 18:34:50 HOST:om126208188125.22.openmobile.ne.jp
日米枢軸ルート 第七話

1894年6月10日、大日本帝国およびアメリカ合衆国は清国との開戦を決定し、斉州島に待機させていた第3陸戦師団第9海兵連隊を第9警備艦隊の護衛のもと朝鮮に送る。また、北洋艦隊主力を閉塞させるために第2常備艦隊を黄海に出撃させる。

そして、1894年6月12日、大日本帝国およびアメリカ合衆国は清国に対して宣戦を布告する。

日米連合軍は、まず仁川橋頭堡との補給線の安全を確保する。その後、仁川に陸軍1個師団を援軍として送りこみ漢城を攻略、仁川の安全を確立させる。これと同時に、陸軍1個師団を釜山に上陸させ、橋頭堡を確保、その後に増援としてさらに陸軍1個師団を釜山に上陸させ、陸軍2個師団を持って半島南部を制圧する。

南部の制圧が完了したら陸軍2個師団と漢城の陸軍1個師団を合流させ、計3個師団を持って朝鮮北部の平壌を攻略、その後朝鮮半島北部を制圧し、清国との講和交渉を開始、講和が結ばれればそれでよし、駄目なら旅順を落として直隷決戦を持って清国を屈服させると言う極めて堅実なものであった。

宣戦布告の同日にはその計画に則り、仁川までの安全の確保のために朝鮮軍兵士1,800人が駐留していた江華島を占領すべく砲艦〈温海〉〈伏見〉が沿岸陣地に対して砲撃を開始する。これに対して朝鮮軍は沿岸の砲台陣地より反撃をはかるが、砲の性能に圧倒的な差があり、朝鮮軍の砲弾はあたらず、一方的に撃たれ続ける。そして、砲台の沈黙を確認すると、海軍第9海兵連隊第1大隊および第2大隊が上陸、第1大隊が草芝鎮を第2大隊が徳津鎮を攻略に成功、そして、翌日には朝鮮軍が終結しつつあった広城鎮に対して攻撃を行い制圧する。また、別行動をとっていた第3大隊が永宗島に上陸、永宗城を攻略する。

この一連の戦闘で日本軍は4名の死者を出したが、朝鮮軍に対して死者370名、捕虜890名と言う大きさ損害を与え、初戦は大勝利を飾ことになる。

また、江華海峡の確保に成功したことにより、九州ー斉州島ー仁川の補給線の確立い成功し、仁川に安定した補給を行える様になった。

これによりある程度の部隊送り込めるようになった日本軍は仁川に陸軍第8歩兵師団を送りこみ、漢城の攻略を準備する。

340 825 :2019/03/20(水) 18:35:51 HOST:om126208188125.22.openmobile.ne.jp
また、陸軍第24歩兵師団が海軍第7警備艦隊の支援の下、釜山にて上陸作戦を開始、朝鮮軍の微弱な抵抗を廃し同地を占領する。その後、第24歩兵師団は釜山の防備を固め、半島南部制圧の準備を開始するなど当初は事前の計画通りに作戦が進んでいた。しかし、これ以降はそう上手くはいかなかった。


この戦争が始まった頃の清国中央はこの戦争の範囲を朝鮮半島に限定したいと考えていた。そも、清国中央にとってこの戦争事態が政争の一環でしかなく、西太后派、光緒帝派ともに清国本土で損害を出すことを嫌ったのだ。もちろん理由はそれだけではない。この時の清国は満州でロシアと睨み合っているためにそこに穴を開けたくないと言う理由も大きかった。また、本国で戦って敗北した場合に他の列強に与える影響の大きさも彼らに本土での戦闘を躊躇させた要因一つであった。

清国上層部のこういった考えに李鴻章など戦争の当事者達は反感を覚えたものの、清国の光緒帝派はこの戦争自体 李鴻章の失策でおきた戦争と考えており、内心では(挽回のチャンスを与えてやったことに感謝しろ)とい思いもあり、まともに取り合って貰えなかった。

こういった状況であった状況もあって李鴻章が取れる手は決して多くなかった。そもそも、彼に動員が許されていたのは戦艦4隻、装甲巡洋艦6隻を中核とした北洋艦隊と歩兵師団4個(約80000人)からなる北洋陸軍のみであった。これは一見すれば強大な戦力と言えなくもないが、相手は世界でも最高レベルの軍事力を有する列強であり、これではとても足りなかった。

当然、彼は更なる動員を望んでいたが、錬軍は満州でロシアと睨みあっており動かす事ができず、勇軍は万が一に備えて直隷、山東省に待機させており動かせず、両広総督の管轄地も日米連合軍による台湾からの攻撃に備えなければならず、結局は北洋軍のみで戦う事を余儀なくされる。

そんな状況で李鴻章は徹底した焦土作戦による日本軍兵站攻撃と平壌での徹底交戦により日本軍を疲弊させ、疲労が最高潮になったところを北洋陸軍主力で撃破すると言う計画を立案、日本が最後通告を行った日から平壌の要塞化と半島南部の徹底的に焦土化を実行した。

また、日本軍が漢城攻略を準備しつつあった6月21日には漢城の放棄も決定、清国軍および朝鮮軍は漢城各地の井戸に毒を投げ入れ、火を放ち、漢城を破壊し尽し難民を仁川に誘導すると平壌方面に撤退していった。さらに北部でも徹底的に焦土化を実施し、仁川方面に難民を次々と送りこんでいた。

これにより仁川での日本軍の負担が一気に増加、漢城攻略作戦は当初は第8歩兵師団を動員する予定であったが、兵站がそれを許さず第13海兵混成旅団を変わりに投入する事になってしまう(清国・朝鮮軍が撤兵したことから一個師団が過剰戦力と言う事もあった)。

341 825 :2019/03/20(水) 18:36:53 HOST:om126208188125.22.openmobile.ne.jp
さらに制圧作戦を開始した朝鮮半島南部では清国軍と朝鮮軍に食料などの物資を奪われ、家や田畑を焼かれた人々が進攻してきた日米軍に食料を求めると言う事態が多発する。こういった事態は占領地域が広がるほど増え、半島の脆弱なインフラも合わさり日米軍の補給に大きな負担を掛けることになる。これにより、南部での進攻スピードは急速に鈍化、最終的には史実朝鮮戦争での釜山橋頭堡程度領域の占領で進攻は停止、さらに、この領域に朝鮮難民が殺到することになり、治安が劇的に悪化するなど、この領域の占領も大きな負担になってしまう。されど外聞もあることからこの地域からの撤兵はできず、日米軍は清国の計画通りに物資と時間、兵力をここで無駄に浪費してしまう。

さらに第13海兵混成旅団はこれ以上の漢城の占領は無意味として仁川に撤兵してしまう。これによって日米の戦争計画は完全に破綻、計画の練り直しを行う必要が出てきた。

幸いな事に清国軍および朝鮮軍は平壌に結集して動こうとなかったため、時間はある程度はあったのだ。こうして、戦争は早くも膠着してしまう。

こういった状況で日本軍は当初の作戦計画を断念する。これを受けた連合軍司令官 戸澤 栄一郎(トザワ エイイチロウ)海軍大将は日米連合軍の圧倒的な海軍力を活かして難民が多くいる地帯を迂回、東西から平壌を挟撃すると言う作戦方針を打ち立てる。

この方針を受け、連合軍司令部では「スレッジハンマー作戦」が発案される。同作戦は航空偵察の結果、守備兵力が少ない事が判明した元山に1個海軍海兵隊陸戦師団を上陸させ、橋頭堡を確保、その後、敵軍の目がこの元山に向いているうちに南浦に海軍陸戦師団を強襲上陸させ、この2個師団で平壌を攻略すると言う極めて野心的な作戦であった。

現状で朝鮮に展開している師団以上の部隊は全て陸軍所属であり、上陸戦に長けている海軍海兵隊の師団はその全てが今作戦に参加可能であり、また、強襲上陸用の新兵器である九三式揚陸艇(※1)の配備が進んでいたのも連合軍司令部が今作戦を立案できた理由の1つであった。

7月3日、戸澤海軍大将は「スレッジハンマー作戦」の準備を命令する。作戦開始予定日は9月3日であり、上陸部隊は済州島に待機している海軍第3陸戦師団および舞鶴を拠点としている海軍第6陸戦師団の2個師団とされた。

当然ながらこの作戦、特に南浦への上陸は東京から強い懸念を抱かれることになる。日本軍軍上層部からは「いくらなんでも平壌から近すぎる」と批判の声や「南浦には満足な港湾設備がなく補給が続かない」と言う上がり、政府の一部も難色を示し始めるなど、一時間は作戦の練り直しも考えられたが、海軍大臣であった榎本 武揚の後押しもあり、この案は7月25日に内閣総理大臣 大久保利通からも承認される。

本作戦の実施にあたり、黄海の確固たる制海権が必要不可欠と連合軍司令部は判断していた。そして、確実に制海権を握るために日本海軍は北洋艦隊を旅順から引きずり出し、これを撃滅せんとする。しかし、清国北洋艦隊提督丁汝昌は勝ち目のない戦闘は避け、艦隊保全を第一としていた。それゆえどれだけ日本海軍に挑発されようとも、それに乗らずに旅順に籠り続ける。

342 825 :2019/03/20(水) 18:37:39 HOST:om126208188125.22.openmobile.ne.jp
そこで日本海軍はそれまで本土で待機していた第1常備艦隊(※2)の旅順封鎖作戦への動員、圧倒的な海上戦力で北洋艦隊を旅順から出させないことで制海権を確保する方向に方針を変更する。

また、本作戦が政府の承認を得ると、上陸地点を清国側に知られぬように大規模な欺瞞、陽動作戦が開始される。

7月26日には陸軍4個師団が本土から台湾に移動され、さらに補給のために第1常備艦隊と入れ替えで帰還していた第2常備艦隊が台湾方面に移動するなど、台湾から清国本土へ攻撃を仕掛ける素振りを見せ始める。

28日以降は飛行船を使っての航空偵察も大々的に実行、さらに、第2常備艦隊所属の巡洋戦艦2隻が福州一帯の海防施設に艦砲射撃を実施し、福州の沿岸施設に甚大な被害を与える。さらに、アメリカアジア艦隊と第1常備艦隊より抽出された戦艦2隻が劉公島にたいして砲撃実行した。

これらの行動に清国中央では日本は朝鮮ではなく本土への進攻を狙っているのではないかと言う意見が大勢を占める。これは北洋陸軍でも同様であり、彼らも日本軍は台湾からの上陸作戦を行うものと考え始めた。

こういった考えは7月30日に第2常備艦隊によって広東艦隊を撃破されると言う情報が彼らに伝わると確信に変わっていった。

こういった情報を手に入れ、清国の目が台湾に向いたのを確認すると連合軍司令部は「スレッジハンマー作戦」の発動を命令する。

この命令により日本海軍第6陸戦師団を乗せた輸送船団が舞鶴を出港、第4警備艦隊の護衛を受けつつ、元山に向かう。そして、翌日には海軍第3陸戦師団とアメリカ海兵隊第1海兵旅団が済州島を出港、アメリカアジア艦隊の護衛の下、南浦を目刺し黄海を東上する。

この時の北洋陸軍は日本軍の攻撃目標は本土だと考えていた。それでも仁川からの攻撃には警戒しており、少数の騎兵部隊が複数編成され、警戒体制をとっていた。また、日本人居留地があった元山への上陸の可能性も考えられておりこちらには600人ほどの兵力が警備部隊として駐留していた。

8月12日、元山湾に第4警備艦隊の装甲巡洋艦2隻、防護巡洋艦1隻、砲艦2隻が突入、警備部隊と一時間ほど砲撃戦を行った。

この砲撃戦では日本側の損害は皆無であり、清国軍の抵抗が沈黙するまで砲撃を実施、沈黙を確認すると第6陸戦師団第16海兵連隊を元山に上陸させる。この時、清国軍約300が反撃を行ったが、砲艦の援護もあり、一時間程で元山港の確保に成功する。

これにより残りの第6陸戦師団所属は敵の抵抗を受けることなく上陸を行え、最終的には同日中に20000人近い兵力が元山に上陸する。

この部隊は8月15日に少数の元山守備部隊を残して平壌に向け移動を開始する。

元山の陥落と新たな1個師団が元山に上陸したと言う情報は平壌に展開していた清国軍に大きな動揺を与えた。この時、平壌には30000程の兵力が駐留していたが、その内1/3が朝鮮兵と言う状況で、まともに戦っても大損害を被ると清国軍は考えていた。

朝鮮駐留清国軍司令官 葉志超 はこの事態に李鴻章に援軍を要求する。これを受けた李鴻章は予備兵力であった18000の兵力を平壌に向けて送りこむ事を決定する。しかし、連合軍の方が一手早かった。

343 825 :2019/03/20(水) 18:38:28 HOST:om126208188125.22.openmobile.ne.jp
8月16日明朝、アメリカアジア艦隊と日本第1常備艦隊の戦艦2隻の支援を受けた日米連合軍28000が南浦に対して強襲上陸を仕掛ける。この時、日米連合軍は事前の偵察などから南浦に機雷や大した上陸妨害用の障害物、防御施設がないことを知っており、事前の艦砲射撃などを行わず、いきなり上陸部隊を沖合いに展開させた。

上陸部隊の第1陣は九三式揚陸艇や九三式揚陸支援艇(※3)から編成されおり、この戦争の初期に活躍した日本海軍第3陸戦師団第9海兵連隊がこれらに乗り込んで上陸を行う。

警備についていた朝鮮軍は始めは上陸部隊に果敢に攻撃を加えたが、即座に沖合いの艦隊や近くにいた上陸支援艇から雨霰と反撃を食らい、沈黙してしまう。部隊の上陸時には朝鮮軍は散り散りに敗走しており、大した抵抗も受けず、上陸作戦は順調に進み、同日中には十分な縦深を持つ橋頭堡を確保することができた。

上陸2日目の8月17日には第3陸戦師団第9海兵連隊が平壌までの街道の制圧作戦を開始する。この時は散発的ながら朝鮮軍の抵抗があったが、それらは次々と撃破されていった。

こういった自体に平壌では籠城派と撤退派で激しい論争が勃発、撤退派の中心人物であった朝鮮駐留軍司令官 葉 志超 が籠城派によって軟禁されると言う事件もあり、この時の朝鮮駐留清国軍は完全に統率を喪失、各部隊の指揮官が独自の判断で戦うことになってしまう。

さらに、この一連の動きで清国軍は金より貴重な時間を無駄に浪費してしまい、日米連合軍が南浦に上陸してから4日後の8月20日には平壌は日米連合軍48000完全に包囲される。
そして、8月22日、司令部は包囲部隊全軍での総攻撃を決定、砲兵部隊に対して徹底した準備砲撃を命令する。

そして8月22日午前10時、日本海軍砲兵隊は平壌に対して砲撃を開始する。それはまるでこれまで、弾薬の備蓄の為に一切攻撃を行えなかった鬱憤をここで晴らさんとでも言うかのような苛烈な砲撃であった。

この時の日本軍はそれまでの航空偵察により把握した清国軍の情報より機関銃陣地などの優先砲撃目標を事前に選択しており、さらに気球を使った弾着観測と言う奇抜な戦術を持って高い命中精度でそれらを攻撃していった。

もちろん清国軍側も黙って撃たれ続けた訳ではなく反撃として日本軍に向かって砲撃をするが、これは気球からの観測によって自らの位置を確認させてしまい、更なる砲撃を招くだけであった。

一定ではあったが砲台の無力化に成功した日米連合軍は翌日の23日より本格的な攻撃を開始する。まず、牽制の為に第3陸戦師団の部隊から構成された第31混成旅団が平壌城東部正面の大同門対岸である長城里に築かれていた清国軍橋頭堡に攻撃を開始する。

また、第2から第5までの堡塁を攻略するために第6陸戦師団所属部隊が随時露営地から出立し始めた。

長城里には攻撃開始三時間前より砲兵隊が準備砲撃を行っていたものの、清国軍は依然として戦闘能力を維持しており、苦戦を余儀なくされる。しかし、海軍砲兵隊の砲撃支援あり、午前10時頃には中碑街の、さらに一時間後の11時には長城里の攻略に成功する。

第3陸戦師団主力およびアメリカ軍第1海兵旅団は7時頃には安山堡塁を陥落させ、ヨッタルマク丘を占領、同地に第3陸戦師団砲兵隊主力を展開させ、平壌市街地への砲撃を開始する。

第6陸戦師団は夜明け前より第3堡塁に対して砲撃を開始、さらに数時間後には第5、第4、第2堡塁にも砲撃を開始する。

清国軍も砲撃や銃器で反撃を行うが、日本軍は間接射撃を実行していたため砲弾が日本軍の砲兵陣地まで届かずに一方的に撃たれ続けた。しかし、歩兵には堡塁からの攻撃は脅威であることにな化わりなく、日本軍はジリジリと前進する。そして午前6時頃に日本軍は堡塁に突入を開始し、一時間ほどで各堡塁を攻略し、牡丹台に向け進行、砲兵隊も牡丹台を次の目標として砲撃を集中させた。

344 825 :2019/03/20(水) 18:47:25 HOST:om126208188125.22.openmobile.ne.jp
清国軍も反撃をしようとしたが、日本軍の砲撃は清国軍の射程圏外からのものであり一方的に撃たれ続けてしまう。そして8時頃には日本軍が牡丹台に突入、同地を陥落させる。そして、日本軍は清国軍が抵抗を続けていた乙密台に対して総力を持ってこれを攻撃した。当然、清国軍の反撃も激しく状況は膠着してしまう。

しかし、市街地への攻撃によって清国軍の士気は低下し続け、籠城派であった左宝貴の戦死を契機に清国軍は降伏を決断、午後7時には乙密台に立ててあった将旗をおろし、白旗を掲げる。また、城門その他数か所にも白旗を立て、降伏の意を示した。

これにより日米連合軍は朝鮮半島の優位を確立することに成功する事になり、清国中央では李鴻章が朝鮮陥落の責任をとらされ更迭、さらに李鴻章が中心を務めていた海防派も次々と更迭されてしまう。当然、西太后はこの流れに抵抗するも、戦争の発端がそもそも北洋陸軍の暴走であったため庇いきれなかった。

そして清国では西太后と繋がっていた海防派が失権し、光緒帝と繋がっていた塞防派が力を強めていく事になる。

(※1) 史実Xライターを基に設計製造された上陸用舟艇。

(※2)第1常備艦隊の編成は以下の通りである。

扶桑型戦艦×8隻
扶桑型戦艦×4隻
装甲巡洋艦×6隻
防護巡洋艦×8隻
駆逐艦×36隻
水雷艇×24隻

(※3)
九三式揚陸艇に装甲と武装をくわえた艦艇。上陸時の水上支援を目的に製造されている。

345 825 :2019/03/20(水) 18:48:25 HOST:om126208188125.22.openmobile.ne.jp
以上になります。
wikiへの転載はOKです。

346 New :2019/03/20(水) 20:17:55 HOST:softbank060128001160.bbtec.net
乙。圧倒的な鉄の暴風を日清戦で行うか

347 トゥ!ヘァ! :2019/03/20(水) 20:24:21 HOST:FL1-118-109-140-127.kng.mesh.ad.jp
乙です

史実と違い米国も参加して楽勝かと思えば徹底的な焦土戦術を清側が実行したため予想よりも手こずりましたね。
まあ清からしても元凶の朝鮮での焦土戦ですから躊躇うことないのでしょうけどw

まだ清との講和もなっていませんし、それは次回ですかな?

そして日米の上陸部隊に包囲された後も平壌の清朝連合?部隊は指揮系統が混乱している割にはよく持ちましたね。
やはりこの時代だと要塞化された陣地の攻略はまだまだ大変ですわ(汗

逆に言えば今後起こるであろう日露戦争のことを考えれば日米は貴重な要塞攻略のノウハウを今回手に入れたことになりますね。

そういや

348 トゥ!ヘァ! :2019/03/20(水) 20:37:45 HOST:FL1-118-109-140-127.kng.mesh.ad.jp
失礼。

そういやの先は特にありません(汗
文章書き直す時の残りです。

349 ハニワ一号 :2019/03/20(水) 20:57:30 HOST:124-141-195-196.rev.home.ne.jp
乙です。
清国の焦土作戦には苦労しましたが結局は日米側が勝利しましたね。
気になる清国焼き土下座な講和条約の内容は次回かな。
この戦争で海防派が失権し、塞防派が力を強めたという事は戦後の清は対ロシアに重点を置くことになるのかな。

350 名無しさん :2019/03/20(水) 21:48:05 HOST:p20048-ipngn601akita.akita.ocn.ne.jp
乙です。まあ、史実より力を増した日本と米国に
殴られたら流石に清が粘っても如何にも成りませんか…
後は文章が最後尾で折り返しだと少し読みにくい
感じがしました。ここら辺はまあ、個人的に感じた
事なので問題無ければ無視して下さい。

351 名無しさん :2019/03/20(水) 22:03:59 HOST:p1856144-ipngn201009tokaisakaetozai.aichi.ocn.ne.jp
乙です
(※2)第1常備艦隊の編成
扶桑型戦艦×8
扶桑型戦艦×4
・・・同じ名前の違う戦艦があるのでしょうか?_

352 825 :2019/03/20(水) 22:37:10 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
>>346
要塞化された場所にはこの手に限ります。
(なお補給担当相当なストレスがかかる模様)

>>347
>焦土戦術を清側が実行したため予想よりも手こずりましたね。

この戦争の戦訓によって、戦後の日本軍は輜重部隊をさらなる拡大と自動車化を推進することになるでしょう。

>平壌の清朝連合?部隊は指揮系統が混乱している割にはよく持ちましたね。

朝鮮軍はともかく、この時この平壌にいた部隊は間違いなく清国でも装備と練度に優れた精鋭部隊でしたので持ちこたえる事ができました。指揮系統がしっかり確立されており、さらに指揮官がそこそこ優秀であったなら、1ヶ月程なら平壌を守り抜けたでしょう。

>>349
>気になる清国焼き土下座な講和条約
史実の下関条約よりかは軽いですけど、彼らには史実の日本が味わった苦労の一部を背負ってもらいます。

>戦後の清は対ロシアに重点を置くことになるのかな。

そうなりますね。当面の間は満州の防衛に清国は注力していくことになるでしょう。

>>350
>清が粘っても如何にも成りませんか…

史実より数こそ増やしましたが、根本的な問題は解決していないので是非もないネ

>後は文章が最後尾で折り返しだと少し読みにくい感じがしました。

初めてこう言った長文を書いているので、文章に関する感想は非常にありがたいです。今後の参考にさせていただきます。

>>351
こちらのミスですね。ご指摘ありがとうございます。

正しくは
扶桑型戦艦×8隻
山城型戦艦×4隻
です

353 名無しさん :2019/03/22(金) 19:57:49 HOST:softbank126060029178.bbtec.net
乙です。 清もよく頑張ったけど、相手がガチで悪すぎましたね。

354 名無しさん :2019/03/22(金) 22:11:39 HOST:p634219-omed01.osaka.ocn.ne.jp
とりあえず半年南部を焼いて、日本側がただでさえ不毛な上にさらに焦土になった土地で消耗したところで、北部で決戦という流れ
大陸世界では中華の歴史的戦略となっていそうですね(汗

355 825 :2019/03/23(土) 21:18:29 HOST:om126211127035.13.openmobile.ne.jp
第八話を上げさせていただきます

356 825 :2019/03/23(土) 21:19:44 HOST:om126211127035.13.openmobile.ne.jp
日米枢軸ルート 第八話

平壌の陥落という報は北京にて清国の実権を握っていた西太后派に激震を持たすことになった。

この報を知った光緒帝は朝鮮の実質的な喪失の責任と言う名目で李鴻章の更迭と官職剥奪を決定、当然西太后はこれに強く反発したものの、開戦責任(李鴻章の実質的な私兵であった北洋陸軍による在日公使館襲撃が宣戦布告の理由とされている)にすら普及され、彼女でもこれ以上は庇うことが不可能であった。そして直隷州総督兼北洋通商大臣には光緒帝派に属する塞防派の人間が就任し、光緒帝派が北洋陸軍と北洋艦隊の指揮権を握る事になる。

李鴻章の失脚により宮廷内のパワーバランスは崩壊、西太后と繋がっていた海防派はそのほとんどが失脚するか光緒帝に寝返るってしまう。さらに反西太后で光緒帝派と繋がっていた要防派がその影響力を伸ばして行く。

こうして、光緒帝派が清国の実権を取り戻そうと勢力を伸ばしてゆくが、実権を握って西太后も激しく抵抗し、北京では日米連合との戦争をそっちのけで政争がより一層激しさを増してゆく事になる。

一方の日米連合軍であるが、平壌での清国軍降伏後、日本軍第3陸戦師団とアメリカ軍第1海兵旅団を平壌に入城させ、捕虜の管理および平壌での戦後処理を行う。また、第6陸戦師団は衛本先と聶士成の指揮を指揮官とした清国軍2000程が守備していた安州に対して侵攻、29日には同地を占領し、朝鮮の清国軍を全て無力化、朝鮮半島の確保に成功する。

357 825 :2019/03/23(土) 21:20:23 HOST:om126211127035.13.openmobile.ne.jp
朝鮮を確保した日米連合軍は作戦行動を一時的に停止させ、清国軍も光緒帝派の命令により本土の防衛を固め始めた為、戦争中でありながら両軍が行っているのは朝鮮と清国の国境でのにらみ合いのみで戦闘は一切生じないと言う奇妙な状況になっていた。

無論、日米連合軍と清国はただにらみ合いっていたのではない。この時、イギリスの仲介によって上海のイギリス祖界にて極秘裏に日米の外交官と光緒帝派の有力者とが会談を開き、講和条件の交渉が行われ始めていたのだ。

この時には清露の国境上にロシア軍の大軍が展開しており、露骨に火事場泥棒を狙っていることを清国も掴んでいた。その為、清国の塞防派は可及的速やかな日米との講和を締結し、清露国境の防備を固めることを望んでいた。

この考えは光緒帝派の有力者達も賛成であり、光緒帝は清国のメンツが保たれるなら日米連合に有利な条件で講和を結ぶ事を許可する。もちろん、保守派から批判が噴出するだろうので、清国が譲歩した責任を西太后派に被せるように工作させる事を命令することも忘れてはいなかった。

一方の日米連合は、清国に決定的な損害を与え、アジアでのパワーバランスを崩壊させる事を恐れており、清国朝鮮駐留軍の壊滅と朝鮮占領で漢城公使館襲撃事件の懲罰は済んだとし、講和条約の締結を考えていたのだ。

こう言った双方の思考もあり、この秘密会談は実現したのである。

358 825 :2019/03/23(土) 21:21:03 HOST:om126211127035.13.openmobile.ne.jp
この秘密会談ではまず清国側が相応の賠償金と朝鮮の宗主権の連合国側への移管、難民問題解決の為の出資を提案する。これに対して連合国側はさらに北京・沙市・湘潭・重慶・梧州・蘇州・杭州の7市の市場開放、航路拡張、各種税の引き下げ、製造業従事の許与、全朝鮮難民の引き取り、大連および旅順、威海衛の租借、海南島の割譲を要求する。

清国側はさすがにこれは横暴だとして反発、これでは清国内に反日、反米感情が燻る事になると要求の緩和を要請する。また、仲介のイギリスも要求の緩和を求めたため、日米は大連および旅順の租借要求を撤回、賠償金の減額、北京・沙市、湘潭の市場開放も撤回、賠償金支払期間を20年に延長するなどの譲歩を行った。
もちろん一歩的な譲歩ではなく、その代償として朝鮮難民と清国に移住を求める朝鮮半島の原住民を全て受け入れ、その移送にかかる費用は清国が負担すると言う条項を追加させる事で合意を行う。

この会談で講和条件が纏待ったと言う報告が双方の政府高官(清国は光緒帝派のみ)に知らされた1895年1月14日、双方は公的な講和会議を開くことを発表すると同時に香港にて休戦条約が締結される。そして、1895年1月18日、大日本帝国全権大使、アメリカ合衆国全権大使、清国全権大使は福岡にて講和会議を開催する。

この講和会議はそれから二ヶ月ほど交渉と言う名の茶番劇を繰り広げ、最終的に日米連合軍側が清国に譲歩したと言う形で先の上海秘密会談で決まっていた内容で妥結する。そして、1895年3月13日、日米清間の講和条約である福岡講和条約が調印され、戦争は終結する事になる。

この講和の内容に対する日米両国の大多数の世論は極めて肯定的なものであった。もちろん講和内容が甘いとの意見も一部の右派から出るにはでたが、この戦争が朝鮮を舞台に進行したため、清国の国内は未だに無傷であり、陸軍主力や北洋艦隊主力は無傷、清国本土の占領地は0と史実より勝利の印象が薄い為、多数派にはなりえなかったのだ。

日米連合軍が戦後すぐに戦場の情報を詳細に公開したのも民衆が福岡条約を支持した理由の1つであった。とくに清国が朝鮮で行った焦土作戦やこれによる連合軍の兵站への負担などがありありと示される事によって戦争を続けるべきと言う声も次第に縮小していった。

清国であるが、こちらもこの条約の締結は上層部からは評価される事になる。とくに賠償金2億3千万テールの支払いを20年の分割にしたことと租借要求を一部撤回させる事などの成功には西太后自身も評価せざるを得なかった。

しかし、庶民レベルではこの条約は譲歩しすぎだと言う声が各地で噴出し、国内の保守派や貧民層ではこの条約締結を主導した光緒帝ではなく反対派であった西太后を支持していくことになり、北京での光緒帝派と西太后派の政治的内戦は日米連合との戦争が終わってもその終わりは見られなかった。

359 825 :2019/03/23(土) 21:21:42 HOST:om126211127035.13.openmobile.ne.jp
その一方、軍事面では先の戦争で海防派が率先して整備した北洋艦隊が全く活躍しなかったことから塞防派が主導権を握る事に成功し、それまで各地でバラバラであった仮想敵国をロシア1国に絞らせた。その反面、朝鮮戦争では史実のように日本(とアメリカ)が有無を言わさぬ勝利を収めなかったため、軍制の改革は行われはせず、軍は塞防派が主導権を握る前と変わってはいなかった。

そして、清国は内情が安定しないまま、19世紀を終える事になる。

360 825 :2019/03/23(土) 21:29:53 HOST:om126211127035.13.openmobile.ne.jp
以上です。
wikiへの転載はOKです。

361 New :2019/03/23(土) 21:44:54 HOST:softbank060128001160.bbtec.net
乙。意外とあっさり終了したけどクマーの進軍は絶対に止まらんだろうな・・・

362 ナイ神父Mk-2 :2019/03/23(土) 21:48:23 HOST:p20048-ipngn601akita.akita.ocn.ne.jp
乙です。清は取り敢えずメンツと領土を守って終戦ですか…
ここら辺で上手く国内纏められれば或いは清国として生き残れ
そうでは有りますが

363 トゥ!ヘァ! :2019/03/23(土) 22:19:04 HOST:FL1-118-109-140-127.kng.mesh.ad.jp
乙です

戦場は朝鮮半島のみで終わり、艦隊も保全して決着ですか。
後にロシアとの戦争が待っているであろう清として有益な決着となりましたね。


そして戦場が半島だったため、この世界では日清戦争ではなく朝鮮戦争扱いですかw
第二次朝鮮戦争は起こらなそうで。

364 名無しさん :2019/03/23(土) 22:33:36 HOST:FL1-119-239-191-151.fko.mesh.ad.jp
乙です

おや? なんか雲行きが……
日露戦争の代わりに露清戦争とか起きそうに見えます

不凍港とか考えずに内陸部で侵攻されたら、日米も気安く介入は出来ないでしょう

365 弥次郎 :2019/03/23(土) 22:45:55 HOST:p2729046-ipngn201308tokaisakaetozai.aichi.ocn.ne.jp
乙です
戦争は何とか終わったけど政争は未だ終わらず…
面子は保ってはいますが、史実同様に清国に付け入るスキがあると列強が感じたかもですね

366 825 :2019/03/23(土) 22:57:47 HOST:om126211127035.13.openmobile.ne.jp
>>361
やっと朝鮮方面が落ち着いたら今度は満州方面がきな臭くなってしまった清国、はたして清国上層部が安息できる日は来るのか(ゲス顔)

>>362
史実の第二次戦争直前のフランス並荒れている内情を纏められる人間はいるのだろうか?

>>363
確かに戦力は大幅に残りましたが、史実の問題点が解決される切っ掛けを失ったので痛し痒しですね

>>364
20世紀初頭には絶好の大義名分が生まれますので、まあ、ロシアは動くでしょう

367 825 :2019/03/23(土) 23:09:31 HOST:om126211127035.13.openmobile.ne.jp
>>365
史実よりマシですが、それでも大分列強の隙を見せてはいますね。しかし、いまだに眠れる獅子と評価されていますので、表だって動くのは不凍港欲しい病にかかっているロシアくらいですね

368 蓬莱人形 :2019/03/24(日) 00:25:47 HOST:KD182251255019.au-net.ne.jp
ロシアは日本と違って三国干渉なんか通用せんやろうなあ。(悪い顔)

369 名無しさん :2019/03/24(日) 01:16:14 HOST:FL1-119-239-191-151.fko.mesh.ad.jp
ロシアは「文句あるならかかってこいや」が言い放てる国家ですもんね

370 ハニワ一号 :2019/03/24(日) 23:25:01 HOST:124-141-195-196.rev.home.ne.jp
乙です。
日露戦争の代わりに清露戦争が起こりそうな気配が・・・。
仮想敵国をロシア一国に絞る事になったとはいえ軍制の改革が行われていないのであれば清露戦争は清が負けそうですね。

371 名無しさん :2019/03/25(月) 00:41:09 HOST:softbank126060029178.bbtec.net
清露戦争が始まってボロ負けしまくった清が日米に泣きつくのが想像できそうですね!。

372 名無しさん :2019/03/25(月) 02:09:40 HOST:ntgnma121156.gnma.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
最初の要求に有った海南島の割譲がその後触れてないけどそのまま残ったのかな?
なんかそのへん触れてないから良くわからない

最終的な講和の内容のまとめ的なもんが欲しい


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