したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |
レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。

日本大陸を考察・ネタスレ その150

341825:2019/03/20(水) 18:36:53 HOST:om126208188125.22.openmobile.ne.jp
さらに制圧作戦を開始した朝鮮半島南部では清国軍と朝鮮軍に食料などの物資を奪われ、家や田畑を焼かれた人々が進攻してきた日米軍に食料を求めると言う事態が多発する。こういった事態は占領地域が広がるほど増え、半島の脆弱なインフラも合わさり日米軍の補給に大きな負担を掛けることになる。これにより、南部での進攻スピードは急速に鈍化、最終的には史実朝鮮戦争での釜山橋頭堡程度領域の占領で進攻は停止、さらに、この領域に朝鮮難民が殺到することになり、治安が劇的に悪化するなど、この領域の占領も大きな負担になってしまう。されど外聞もあることからこの地域からの撤兵はできず、日米軍は清国の計画通りに物資と時間、兵力をここで無駄に浪費してしまう。

さらに第13海兵混成旅団はこれ以上の漢城の占領は無意味として仁川に撤兵してしまう。これによって日米の戦争計画は完全に破綻、計画の練り直しを行う必要が出てきた。

幸いな事に清国軍および朝鮮軍は平壌に結集して動こうとなかったため、時間はある程度はあったのだ。こうして、戦争は早くも膠着してしまう。

こういった状況で日本軍は当初の作戦計画を断念する。これを受けた連合軍司令官 戸澤 栄一郎(トザワ エイイチロウ)海軍大将は日米連合軍の圧倒的な海軍力を活かして難民が多くいる地帯を迂回、東西から平壌を挟撃すると言う作戦方針を打ち立てる。

この方針を受け、連合軍司令部では「スレッジハンマー作戦」が発案される。同作戦は航空偵察の結果、守備兵力が少ない事が判明した元山に1個海軍海兵隊陸戦師団を上陸させ、橋頭堡を確保、その後、敵軍の目がこの元山に向いているうちに南浦に海軍陸戦師団を強襲上陸させ、この2個師団で平壌を攻略すると言う極めて野心的な作戦であった。

現状で朝鮮に展開している師団以上の部隊は全て陸軍所属であり、上陸戦に長けている海軍海兵隊の師団はその全てが今作戦に参加可能であり、また、強襲上陸用の新兵器である九三式揚陸艇(※1)の配備が進んでいたのも連合軍司令部が今作戦を立案できた理由の1つであった。

7月3日、戸澤海軍大将は「スレッジハンマー作戦」の準備を命令する。作戦開始予定日は9月3日であり、上陸部隊は済州島に待機している海軍第3陸戦師団および舞鶴を拠点としている海軍第6陸戦師団の2個師団とされた。

当然ながらこの作戦、特に南浦への上陸は東京から強い懸念を抱かれることになる。日本軍軍上層部からは「いくらなんでも平壌から近すぎる」と批判の声や「南浦には満足な港湾設備がなく補給が続かない」と言う上がり、政府の一部も難色を示し始めるなど、一時間は作戦の練り直しも考えられたが、海軍大臣であった榎本 武揚の後押しもあり、この案は7月25日に内閣総理大臣 大久保利通からも承認される。

本作戦の実施にあたり、黄海の確固たる制海権が必要不可欠と連合軍司令部は判断していた。そして、確実に制海権を握るために日本海軍は北洋艦隊を旅順から引きずり出し、これを撃滅せんとする。しかし、清国北洋艦隊提督丁汝昌は勝ち目のない戦闘は避け、艦隊保全を第一としていた。それゆえどれだけ日本海軍に挑発されようとも、それに乗らずに旅順に籠り続ける。




掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板