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架空戦記系ネタの書き込み その108

1名無しさん:2019/02/23(土) 23:17:08 HOST:212.89.13.160.dy.iij4u.or.jp
このスレは単発ネタも含める関係上、スレタイトルを『中編以上のネタの書き込み【架空戦記版】』から改名いたしました。
そのため単発ネタもOKとなりました。
ですので、単発・連載・嘘予告等を問わす、ミリタリー分多めのネタは、こちらに書き込んでください。
※例:史実準拠の歴史を歩む世界への転生・介入等

憂鬱世界内でのネタ、漫画・アニメ・ファンタジー等の別世界への転生・介入等は、『ネタの書きこみ』へどうぞ。
そこから同一のネタを題材とした投稿が(個人、複数人問わず)連続する場合は『中編以上のネタの書き込み』へどうぞ。

日本大陸に関するネタは『日本大陸を考察・ネタスレ』へどうぞ。
青の軌跡やガンダム関係に関しては『【青の軌跡】ガンダム総合スレ【憂鬱ガンダム】』へどうぞ。
コードギアスと憂鬱とのクロスは『提督たちの憂鬱×コードギアス ネタSSスレ』へどうぞ。

その他個別ネタスレがあるジャンルは、個別ジャンルのネタスレへどうぞ。

ネタ内容に関係のない雑談・議論、現代の事件・政治等に関する話題は『雑談スレ』にお願いいたします。


投稿にあたってはマナーを守り、常識の範囲内でお願いいたします。
二次創作にあたってはルールのあるものもありますので(例:らいとすたっふルール2004等)そちらも参照ください。
※ 投稿にあたっては下記注意事項をよく読み、それに則りお願いする次第です。

デン氏作成「中編以上のネタの書き込み用 規則12条 -   Ver1.03」更新2015年10月30日

――このスレには注意すべき事や規則があります。以下の文をお読みになり承諾できる方のみお読み・書き込みしてください。

1.ここは中編以上のネタ用スレなので様々な話が長期に渡って飛び交う可能性があります。場合によっては個人的に好きな内容や嫌いな内容が出る事がありますので、それらを覚悟した上でお読み・書き込みをしてください。
2.ここは中編以上のネタ用スレなので「少々の議論」はともかく、「本格的過ぎる議論」や「相手の価値観を潰す議論」は絶対にしないでください。
  以前それが原因で話が失速や潰れたりしています。冷静かつ楽しく書き込みを行って下さい。
3.ここでの話題はネタスレで中編以上のネタスレへの移行が推奨された話題のみです。それ以外の話題についてはネタスレに書き込むようお願いいたします。
4.「不適切発言」や「暴言」、「高圧的な発言」はしないでください。
5.ネタSSを投稿する際は出来るだけ、前持って投稿宣言をして下さい。いきなりですと動揺や迷惑、SSの分断の元になる可能性がありますのでご協力をお願い致します。
6.ネタSSは原則何でもご自由ですが「生々し過ぎる・性的・残酷すぎる」SSは禁止です。それらを守れれば「自重しないSS」はOkです。後は七つ目を読み、警告を入れましょう。
7.ネタSSが人を選ぶ様な場合はSSの最初に警告で目立つ様に表示してください。
  また、ウィキに搭載しても良い場合は警告の時に一緒に供述してください。またこのSSに限り何か禁止、許可したい場合なども警告に一緒に供述してください。
8.他作者の二次創作関連の話は慎重に取り扱いましょう。荒れる可能性が高く、他作者のファンの皆様の機嫌を損なう可能性があります。十分気をつけましょう。
9.産業作品や他作者の二次創作関連も含め、批評などは「きちんとした理由」なしに書き込まないようにしましょう。
  元々二次創作などは炎上しやすく、些細な事でここの掲示板に多大な迷惑をかける可能性が高いです。そこら辺もよく考えた上で書き込みましょう。
10.新規SSを投稿する際には議論の混乱を避けるため2015年時点で最も議論されている戦後夢幻会世界か、そうではない全く別の作品かを明記しましょう。
11.戦後夢幻会世界についての新規SSを投稿なさる際には議論の混乱を避けるためにひゅうが様・yukikaze様のルートがベースか否か、又はお二方とは異なるルートかを明記しましょう。
12.みんなで仲良く話しましょう。

87トゥ!ヘァ!:2019/03/01(金) 19:22:31 HOST:FL1-122-133-194-220.kng.mesh.ad.jp
>>84
なるほどなぁ。南北戦争の戦訓は欧州から見ればわかりにくいところにあったのですね。

ナポレオンに関しては…まあ…その…ほとんどの国では自分の国を侵略したにっくきあん畜生扱いだったろうから…

なんかコントか!と言わんばかりに見事に戦術戦略の近現代化をスルーしていってますね…
なんでこんなにサイコロ回してるのにファンブルしているんだろうか(汗


>>85
なんで初期OSに死なば諸共プログラムなんて物騒なものがあるんだw

88名無しさん:2019/03/01(金) 19:25:12 HOST:dw49-106-188-135.m-zone.jp
硬直云々言われる日本軍だってちゃんと戦訓は学んで実践してんだよなぁ、沖縄で米軍苦戦させた陣地の元ネタはソビエトがやっていた奴だし

89名無しさん:2019/03/01(金) 19:28:58 HOST:zaq3d7d53a8.zaq.ne.jp
アメリカだけだから、戦訓学んで兵器やドクトリン改造及び実行を戦争中に完遂したのアメリカだけだから…

90トゥ!ヘァ!:2019/03/01(金) 19:29:18 HOST:FL1-122-133-194-220.kng.mesh.ad.jp
きちんと火力主義でしたしね。日中戦争でも陸軍は基本火力優位を実施してましたし。

ただ十分な火砲や弾薬揃えられる金がないからどうしてもそれ以外で補う必要があっただけで…

91トゥ!ヘァ!:2019/03/01(金) 19:31:44 HOST:FL1-122-133-194-220.kng.mesh.ad.jp
>>89
あの国はサイヤ人かってレベルで戦略や運用が戦時中に変化していきますよね。

戦術の方はそうそう変わらず手酷いダメージが続いてましたけど。

92名無しさん:2019/03/01(金) 19:39:39 HOST:p1546074-ipngn200409osakachuo.osaka.ocn.ne.jp
>>91
戦略が変化したと言うか図体に見合う規模の戦略もなかったので、壊してから作るじゃなくて上に建てるだけでよかったと言うのもありますけどね

93トゥ!ヘァ!:2019/03/01(金) 19:43:00 HOST:FL1-122-133-194-220.kng.mesh.ad.jp
>>92
なるほどなあ。新しく作るだけで良かったから速いのか。
だから既存の戦術がある戦術面では更新が遅かったのね。

94リラックス:2019/03/01(金) 19:59:24 HOST:119-228-10-186f1.hyg1.eonet.ne.jp
小規模にも小規模すぎる常設軍

戦争勃発で大規模に軍拡

戦争終了でまた小規模にも小規模すぎる常設軍にまで軍縮

このサイクルを世界大戦の頃まで繰り返していたからな

95名無しさん:2019/03/01(金) 20:39:15 HOST:i118-17-250-230.s42.a038.ap.plala.or.jp
常備軍が編成されたのも南北戦争後に以降だからなぁ
それ以前は戦争の度に州軍を纏めて連邦軍を編成する作業をやってたという

96名無しさん:2019/03/01(金) 20:58:13 HOST:KD124215169144.ppp-bb.dion.ne.jp
南北戦争では装甲艦とか潜水艦とか新兵器もあるけど地上戦は先込め銃とか黒色火薬とか一世代前の戦いと言う風に欧州が判断しても仕方がない
実際は総力戦とか国民皆兵による死傷者や経済的ダメージとか戦場以外での戦訓があったんだよな
で、欧州は経済的に結びつきが強くなったから戦争は起きないと誤った解釈をしたと

97リラックス:2019/03/01(金) 21:05:47 HOST:119-228-10-186f1.hyg1.eonet.ne.jp
1784年6月3日 の 大陸会議じゃなかったか常備軍設立は

確か南北戦争の頃にもいたはず……一万六千ほど

98トゥ!ヘァ!:2019/03/01(金) 21:08:42 HOST:FL1-122-133-194-220.kng.mesh.ad.jp
ガバガバなアメリカ常備軍…

99リラックス:2019/03/01(金) 21:27:38 HOST:119-228-10-186f1.hyg1.eonet.ne.jp
だって常設の最高階級が少将で、それ以上は必要に応じて役職に付随する特殊階級って扱いだったんだぜ

アメリカ合衆国憲法によると議会の権限として海軍に関しては創設できるが、陸軍に関しては招集(もしくは編成)する権限しかないんだぜ

第8節12項 陸軍を募集し、維持すること。ただし、この目的で使われる歳出予算は、2年を超える期間にわたってはならない。



(ちなみにアメリカの役所も単年度主義が基本なので御心配なく)

100トゥ!ヘァ!:2019/03/01(金) 21:30:22 HOST:FL1-122-133-194-220.kng.mesh.ad.jp
本当の意味で連合軍だったんだなぁ。
まるで中世の軍勢集めみたいだ…

101yukikaze:2019/03/01(金) 21:39:36 HOST:213.228.242.49.ap.seikyou.ne.jp
なお豊臣夢幻会世界の日本軍はというと・・・

(日清戦争直前まで)
旧幕府軍とか雄藩の軍の解体とかどう考えてもヤバいんで、志願兵制やな。
基本的に士族連中を優先的に近代戦の教育させて士官に、足軽小頭とかを下士官に、足軽や小者連中は兵卒。
徴兵制? 大村よ、お前はいい加減に正論吐くことと正論受け入れさせることは違うってこと覚えろや!!

(三国干渉から日露戦争)
キレたよ・・・何百年かぶりに。
徴兵制施行するわ。士官学校も増員な。ヒトラーユーゲント方式で鍛え上げろ。
これまでの士官連中で頭のいい奴は砲兵にぶち込め。砲兵の大火力は全てを解決する。

(日露戦争後)
大勝利したが被害も無視できねえ・・・。大火力ブッパしたからまだこれで済んだけど。
取りあえず徴兵制は停止して選抜徴兵制度に移行。
士官については短期現役士官制度が役に立ったんで、予備役将校訓練課程導入するわ。

(大正デモクラシー期)
選抜徴兵制度の評判わりい・・・まあ確かに不公平ではあるよなあ・・・
しゃーない、志願兵制に移行するわ。そっちの方が選挙勝てるし。

(第二次大戦期)
徴兵制復活な。流石に国難だから当然だろ。
いや・・・欧州救援なんてやる気でないのは分かるが、流石に我慢してくれ。

(冷戦時代)
国民にご褒美上げないといかんよなあ。志願兵制に戻すわな。
大体、次は長期的な戦争とかおきないだろうし、起きた場合でも島国やからなんとかなるやろ。

基本的に、国の存亡かかった時は徴兵制に移行し、それ以外は志願兵制ですね。
まあ士官の門戸は時代が進むごとに拡大していますが。

102名無しさん:2019/03/01(金) 21:44:39 HOST:124-241-072-147.pool.fctv.ne.jp
ある意味分かり易い基準ですな>国難では徴兵制施行

しかし大村益次郎、ホントに豊臣夢幻会世界では史実より遥かに全方位に喧嘩売り歩く事しか出来てませんな(溜息)
きっと死ぬその時までその言動や姿勢が1㎜足りとて改められる事は無かっただろうけど

103トゥ!ヘァ!:2019/03/01(金) 21:47:54 HOST:FL1-122-133-194-220.kng.mesh.ad.jp
わかりやすく前後しているのですね>>徴兵制と志願制

まあ国難の時はね。仕方ないね。こっちの日本なら国民の士気も高いだろうし。

104名無しさん:2019/03/01(金) 21:58:51 HOST:210-194-52-243.rev.home.ne.jp
大村は現実を理解して、折り合いつけれる性格なら確実に日本陸軍担っていただろうな

105名無しさん:2019/03/01(金) 22:09:18 HOST:i118-17-250-230.s42.a038.ap.plala.or.jp
>>99
あの頃のアメリカはまだ色々拗らせてて「将官=貴族」と拒絶反応示してたからなぁ
平時の最高階級は大佐までで将官は戦時限定にしてた時期もあるし

106名無しさん:2019/03/01(金) 22:12:03 HOST:ai126188029094.59.access-internet.ne.jp
 薬も人材も、劇薬は劇薬だからこそ意味があるので、変に効能が丸くなると逆に使い道が無くなります。

 大村のような人材は、刀に例えると拵えが着いていない裸の刀身みたいなもので……そのままでは鋭すぎて危険で、結局は持ち主も傷つけ自らも破損してしまって誰の為にもならない。

 ならば刀の拵えの如く緩衝材になって折衝できる人材が間にいれば良いのですが……世の中、なかなか出来た中和剤みたいな人がいないですからね。

107陣龍:2019/03/01(金) 22:13:23 HOST:124-241-072-147.pool.fctv.ne.jp
マタナマエヌケテタ…

でもその緩衝材と言うか刀の拵えすらも斬り捨てるのが大村益次郎と言う人間な気もします(印象論)

108名無しさん:2019/03/01(金) 22:21:29 HOST:p1546074-ipngn200409osakachuo.osaka.ocn.ne.jp
ドライアイスの剣を薄情にしたイメージだな

109名無しさん:2019/03/01(金) 22:34:15 HOST:KD182251190107.au-net.ne.jp
まあ、大村益次郎は適当な時期に切るしかないな。地位に恋々とするタイプでは無いだろうから、おとなしく辞めるだろう。
そういや史実での大村の擁護者は確か桂小五郎だったか?

110名無しさん:2019/03/01(金) 22:36:34 HOST:ai126188029094.59.access-internet.ne.jp
 故に、単に調整能力があるだけでなく、大村のような「よいお天気で」「天気に良いも悪いもありません」等と素で答えて相手が気分を害した理由も分からない人間とも信頼関係を築けるような人材……。


 人材とか本当の友達が金銀財宝よりも貴重とされるのは、貴金属や宝玉なら権力と財力があれば何時の時代、どこの国でも用意できるけれど、本当に素晴らしい人材や能力と人間性が両立している忠臣とか本当の親友とかは、お金を出しても贖えない神様が回すガチャみたいなものだと判りますな。

111yukikaze:2019/03/01(金) 22:37:22 HOST:213.228.242.49.ap.seikyou.ne.jp
>>102
とにかく「バカが嫌い」という性格と、自身への理解者には丁寧に遇する反面
一度でも敵対した人間相手には徹底的に嫌う姿勢が、彼の命取りになります。
史実だと木戸孝允という最大の理解者(庇護者)がいましたが、木戸は長州征伐での
心労が祟って病没。
高杉もまた同じ時期に燃え尽きるように死んでしまい、海外に留学し長州征伐に合わせて
帰国した吉田松陰も、期待していた弟子たちが死んだことで心が折れて腑抜け状態に。

しかも、長州征伐での大村の軍略は、軍事的な合理性に彩られていたものの、町民や
農民も含めて10万人クラスで戦病死し、国土の被害も甚大という有様でしたんで、
彼に対する嫌悪感や忌避感も強く、悪循環に陥ることに。

勝海舟の「10万人近く飢えや病気で死なせる決断して、まだ殺したりねえのかい」という
セリフが、大村に対する嫌悪感を示す最適の言葉なんですよねえ・・・

>>103
まあ三国干渉とか、半島のやらかしとかで完全に「元寇以来の国難」扱いでしたし。

>>104
普通に陸軍上層部牛耳っていたでしょうねえ。

112陣龍:2019/03/01(金) 22:48:51 HOST:124-241-072-147.pool.fctv.ne.jp
「勝つ為に死人が出るのが戦争だと言う事も分からんのか」とか「勝つ為に必要ならば幾らでも死なせてやろう、それが将帥のやるべき事だ」とか、
どれだけ周囲から敵意や害意を向けられても全く意に返さずに臆面もなくこう言う事言ってそうですな(適当)

しかも自分の最大の理解者たちを間接的に自分で殺しても居ると言う救いの無さ。どうしようもねぇな(小並感)

113名無しさん:2019/03/01(金) 23:22:50 HOST:210-194-52-243.rev.home.ne.jp
大村はロシアもしくはソビエト陸軍にいた方が良かったかもな、スターリンに粛清されるのがオチか

114New:2019/03/01(金) 23:38:45 HOST:softbank060128001160.bbtec.net
この人の場合味方の被害を減らすより被害増やしてでも敵の被害を増大させること
優先しそうだからねえ

115弥次郎:2019/03/01(金) 23:41:40 HOST:p2729046-ipngn201308tokaisakaetozai.aichi.ocn.ne.jp
ダメージレースになったら日本が先に値を上げるのは目に見えているでしょうに…
ソ連のような畑から兵士がとれる国でさえも現代でもダメージが残っているというのに

116陣龍:2019/03/01(金) 23:48:28 HOST:124-241-072-147.pool.fctv.ne.jp
多分『軍事的に最善を尽くして勝つ事』【だけ】が軍人(自身)の仕事であり、それ以外は知った事ではないor政治家や官僚の領分だ、とか、
そんな感じに考えてたんでしょうかねぇ。

117名無しさん:2019/03/01(金) 23:57:30 HOST:ai126188029094.59.access-internet.ne.jp
 志願制か……明治初めころの農村だと、一日六合の白米が食えるので徴兵は大人気で、ごく一部の誤解からの反対や富農層の反対はあったものの都市部みたいな忌避は無かったとも。

「一食で二合も白米で副食が貧弱なのは栄養のバランスが悪い。副食を充実させ、その分ご飯は減らそう」

と提案したら大反対が起ったそうですし。

118名無しさん:2019/03/02(土) 00:05:19 HOST:softbank126241253217.bbtec.net
ガチの貧農は「麦どころか稗や粟すら食えない」から、麦が混ぜられても問題はなかった。まあ米の飯のほうが美味いのは確かですが

119モントゴメリー:2019/03/02(土) 00:08:32 HOST:210-20-68-140.rev.home.ne.jp
「兵隊になって初めて肉を食べた」
って人がたくさんいたそうですからね。

120名無しさん:2019/03/02(土) 00:14:18 HOST:212.89.13.160.dy.iij4u.or.jp
漫画のめしあげの主人公も残飯から何から皆美味そうに食ってたなぁ
白米使ったかんぴょう巻が奮発したご馳走だったり本当に時代を感じる……

121トゥ!ヘァ!:2019/03/02(土) 00:17:16 HOST:FL1-122-133-194-220.kng.mesh.ad.jp
白米や肉類は当時では高級品ですからな…

122名無しさん:2019/03/02(土) 00:22:08 HOST:KD124215169144.ppp-bb.dion.ne.jp
圧力鍋や麦の新種の開発で美味い麦飯の開発か肉料理も美味いという意識改革をしないと白米信仰は無くならない
炊き込みご飯もだから当時は不人気
後はパン食の時は今と違って腹持ちが良いと食パンの耳の部分が人気だったとか今と常識が違う

123名無しさん:2019/03/02(土) 00:26:25 HOST:softbank126241253217.bbtec.net
まあ不評だろうが人気なかろうが、炊事掛はそれしか出さない(献立は主計将校と軍医が前もって決めている)からそれを食うしかないんだがね

124名無しさん:2019/03/02(土) 00:27:46 HOST:i118-17-250-230.s42.a038.ap.plala.or.jp
当時の農業に比べれば軍の訓練や演習の方がはるかに楽で
さらにご飯を腹一杯食べられて土曜半ドンで日曜は休みだからな
貧農出の人間からすれば軍隊生活は天国みたいなもんだし

125yukikaze:2019/03/02(土) 00:29:31 HOST:213.228.242.49.ap.seikyou.ne.jp
>>113
まあ一番よかったのはドイツだったでしょうなあ。

(おまけ:日本陸軍の砲兵事情)

(日清戦争時)
主力は史実三十一年式速射砲。流石に駐退復座機装備の砲の量産には間に合わず。
もっとも、清国の砲と比べると余裕で圧勝している。
日露戦争では二線級扱いであり、戦後は各国に格安で売られたりしている。

(日露戦争時)
歩兵師団用としては、史実95式野砲類似品を投入。
ロシア砲兵相手に無双を見せつけており、ロシア軍をして「あれに勝てる砲を持ってこい」
と言わしめている。
騎兵師団用としては史実41式山砲を装備。ただし、この山砲の出来が良かったせいで、歩兵部隊
からも『連隊砲として寄越せ』という声が上がり、当初31年式速射砲を連隊砲にする予定が、
砲弾の共通化を図るために(史実と違い、弾薬の共通は至上命題であった)同砲採用することに。

砲兵師団用としては、105mmカノン砲と155㎜カノン砲が主力となっている。
モチーフとしてはシュナイダーM1913とGPF 155mmカノン砲なのだが、開発速度を上げる為に
開脚式にしなかったことが祟って、前者はともかく後者は史実よりも大幅に射程が下がることに。(それでも13,000あったが)
なお、105mmと155mm榴弾砲の開発については、砲開発の為の人員が間に合わずにここでは断念される。
重砲としては、シュコダ30.5cm臼砲類似品に一点掛けして、無事に成功。旅順と奉天で戦果を挙げます。

結果的に、日本陸軍は砲兵火力で圧勝を決め込み、投資が間違いでない事を示しましたが、それ相応の散財をする羽目になりました。
お蔭で、ある意味ケチになります。

(1930年代)

いい加減近代化しないといけないという点と、日露戦争時に尉官クラスで「大火力こそパワー」という
素敵で無敵な思想を信奉する面々が上層部になったことで暴走することに。

まず歩兵師団の砲火力がフルモデルチェンジしますが、何を血迷ったか、当時の日本陸軍の選択肢はこれ。
つM114 155mm榴弾砲(砲身を幾分延長しマズルブレーキ付けるなどして射程を延長)
そう。師団砲兵を全て155mmに切り替えるという代物。そしてその理由がこれ
つ「だってロスケの師団砲兵14,000あるし。大口径弾を遠くに撃つのが正義だよね」
重量? 砲兵トラクター使えばいいじゃん。 山岳地帯? こいつ使うの満州やんけ。
なお、これの被害者は主に独仏の模様。
連隊砲については『120mm迫撃砲じゃダメ?』という意見に対し『対戦車砲と共通で良いから
なんとかして』という声の前に、日露の砲を再活用することに。まあ砲弾の備蓄あったからねえ・・・

そして砲兵師団については、まあ予想通りM59 155mmカノン砲を主力とし、それだけじゃあ
火力が足りないと、32口径203mm榴弾砲を投入することに。

可能な限り砲の種類と弾薬の種類を統一化することで(例えば155mmの榴弾砲とカノン砲の弾薬は共通)
兵站の負担を減らすようにしています。

126トゥ!ヘァ!:2019/03/02(土) 00:37:46 HOST:FL1-122-133-194-220.kng.mesh.ad.jp
日清の時に史実三十一年式速射砲相当(史実では日露の頃)…

九五式野砲は史実では1930年代…
41式山砲は史実だと1910年採用だから一番史実に近い位置の装備だろうか(日露は史実通りなら1904年勃発)

二次大戦時の155mm砲だと203mmりゅう弾砲だのは一体どこの米軍だとw

金持ちって本当にありがたいわ。

127名無しさん:2019/03/02(土) 00:46:42 HOST:KD124215169144.ppp-bb.dion.ne.jp
>>124
逆に都会の学徒出陣組には過酷だった模様でなまじ発言力が有った所為で陸軍悪役論に拍車がかかったとか

>>125
史実日本も理想ではそう思っていた(もしかしたら大村も)けど無い袖は振れぬとああなってしまったんだよね
しかしここまで大口径砲揃い(米帝様でも105ミリクラス)だと山岳砲兵は軽量な無反動砲と迫撃砲で人力搬送できる37ミリクラスは全く無い世界になりそう
そして戦車もなぜかKV-2みたいなのばかりとなる(流石に直協任務は小口径だろうけど)

128yukikaze:2019/03/02(土) 00:56:10 HOST:213.228.242.49.ap.seikyou.ne.jp
>>126
まあ逆行者の技術的ズルと、それを量産できるだけの基礎工業力と金が
あれば10年程度の前倒しはできる訳で。
95式野砲については、原理的な部分がこいつ類似というだけで、ぶっちゃけ
重量は重いわ(史実90式よりやや軽い)砲身命数は6,000発程度だわと、
どうしても限界はあります。

それでもこいつを導入したのは、射程が10,700mある分、戦間期までは何とか
性能がもてるということから。
第二次大戦時でも、ゴムタイヤつけて対戦車砲として利用するのは可能でしたし。

第二次大戦時は、もう完全に米帝様プレイやりたくての豪華ラインナップ。
こうでもしないとソ連の砲兵がアウトレンジしてきますし。
なお、このラインナップと悲惨な目にあった独仏部隊を見たソ連将校のセリフがこちら。

「ヤポンスキー何考えてんの? あいつら40年前に頭のネジが緩んだような火力戦していたけど
それがさらに悪化したの? バカなの? ブルジョワなの? え? あれ、うちの砲兵部隊への対抗策?
『ソ連の火力は舐めちゃいけないんだぞ。あいつらは何でも砲撃で耕してくる頭おかしい連中なんだぞ』
と、周囲を説教している? あいつらだけには言われたくねえわ・・・」

ちなみに、日本本国では「まだだ・・・まだ瞬間的な大火力が足りない。多連装ロケット砲の強化を」
と、狂信者の目で砲兵学校の面々が叫んでいます。

129名無しさん:2019/03/02(土) 01:00:04 HOST:p1546074-ipngn200409osakachuo.osaka.ocn.ne.jp
どう見てもソ連より日本のが火力原理主義過激派に見えるw

130トゥ!ヘァ!:2019/03/02(土) 01:02:30 HOST:FL1-122-133-194-220.kng.mesh.ad.jp
>>128
対ソ連を目的に全盛期ソ連染みたものへと突き進んでいやがる!!w

ソ連君ドン引きしてません?ww

131名無しさん:2019/03/02(土) 01:03:26 HOST:vc008.net027098049.thn.ne.jp
「戦闘は火力!」を地で行ってるなぁ、日本軍。

132yukikaze:2019/03/02(土) 01:07:08 HOST:213.228.242.49.ap.seikyou.ne.jp
>>127
豊臣世界の日本陸軍、基本的には「満州での決戦」以外興味ないので、
第二次大戦中までは山岳歩兵とかいないんですよねえ。
山岳歩兵ができるのは、ヘリ旅団導入時であり、その時はオート・メラーラ
Mod.56 105mm榴弾砲を導入しています。

戦車は基本的に37式中戦車ですんで、KV-2みたいなのはないです。(駆逐戦車もありません)
精々が203mm自走砲か155mm自走砲ですねえ。

133名無しさん:2019/03/02(土) 01:10:29 HOST:KD124215169144.ppp-bb.dion.ne.jp
最盛期の自衛隊も火力密度では似た様な物ですから>火力原理主義者
全ては米帝様が逆行者にトラウマを植え付けたのが悪い

多連装ロケットはスターリンのオルガンならぬ何という異称を相手国から名付けれるのか(オルガンなんて可愛らしい名前にならん)

134トゥ!ヘァ!:2019/03/02(土) 01:12:03 HOST:FL1-122-133-194-220.kng.mesh.ad.jp
○○の火山とか噴火って名付けられるじゃないでしょうかねw

135名無しさん:2019/03/02(土) 01:20:00 HOST:KD124215169144.ppp-bb.dion.ne.jp
阿蘇の噴火=世界が滅びる

136名無しさん:2019/03/02(土) 01:34:38 HOST:i180-63-71-180.s41.a027.ap.plala.or.jp
フジヤマヴォルケイノで良いのではw

137トゥ!ヘァ!:2019/03/02(土) 01:48:31 HOST:FL1-122-133-194-220.kng.mesh.ad.jp
それ名付けたの絶対トミーだよw

138名無しさん:2019/03/02(土) 01:50:30 HOST:vc008.net027098049.thn.ne.jp
こっちのトミーは満州でゲリコマやってんのかなぁw

139名無しさん:2019/03/02(土) 08:24:18 HOST:KD106130211059.au-net.ne.jp
トミーが満州でゲリコマやる場合って日本帝国陸軍特殊部隊が虎眼流(江戸初期に傾きもの部隊やってたし)の系譜ってことになりそう
クロススレじゃないけどGATEの伊丹、趣味理解された上でレンジャー過程行かされそうw

140名無しさん:2019/03/02(土) 09:51:06 HOST:KD106130211059.au-net.ne.jp
あ、クロスさせるとかじゃなく痛いオタ集団に放り込まれる一般オタという構図です(なお職場&辞令で逃げれない模様)

141yukikaze:2019/03/02(土) 11:13:49 HOST:213.228.242.49.ap.seikyou.ne.jp
>豊臣夢幻会世界のトミー

この人、この世界では柳生兵庫助として転生しちゃったのですが、豊臣慶秀や郡政信、あと真野さんや大野さん、十河さんのように
相性が良かったのか、幕末に越後柳生家の嫡男として転生してしまいます。
剣の腕前もさることながら、とにかく派手好きな傾奇者でもあり「兵庫助様の生まれ変わり」と、周囲から微妙な顔されることになります。
(柳生兵庫助は、家康が褒めるレベルでの軍事指揮官であり剣術の達人ですが、同時に奇矯な性格でも悪名をとどろかせている訳で)

年齢としては、秋山兄より幾分年下で、謹厳実直な秋山兄と、中二病発症者の柳生とは性格は正反対なのですが、指揮ぶりについては
全くの互角であり、秋山も「戦場ではあいつはまともだから」と、平時の奇矯ぶりには眉を顰めながらも黙認しています。
うん。そりゃ「市民との交流こそ大事」と力説したはいいけど、先祖の伝手で「大阪歌劇団」呼ぶだけに飽き足らず、中二病満載の
セリフで、自身が舞台に上がったりする(そしてこれが大ウケ。まあ剣の達人であるのは事実だから)のをみればねえ・・・

日露戦争時では、第二騎兵師団の師団長として出陣。
新任少将で師団長というのはどうよとありますが、これは騎兵部隊が旅団から師団に改編(5個中隊編成から4個中隊編成にする代わりに
連隊数を増やした)した際に、人事異動の混乱を最少に防ぐためと、柳生自身が機甲戦力の研究に関わっていたため。
要は「戦争が近いからさっさと戦力化を果たせ。あと、機甲部隊の理論を実地で検証しろ」という理由ですな。

柳生はこの期待に見事にこたえ、奉天戦では十河の切り札として編制された秋山騎兵軍団(4個騎兵師団を臨時に突破部隊として編成したもの。
沈着冷静な秋山も、この十河の命令には顔を紅潮させ、「男子一生の快事」と述べた)の先鋒としてロシア陸軍の結節点を強引に突破します。
この時柳生は「計画中の戦車があったら楽だったんだがなあ」とぼやきながら(理論的には完成していたが、砲兵トラクターの配備の方が
最優先であった)戦功をたて、そして騎兵部隊の損害が無視できないものであったことから、騎兵の有効性と限界を纏め、機甲部隊の
設立に尽力することになります。

142トゥ!ヘァ!:2019/03/02(土) 11:38:02 HOST:FL1-122-133-194-220.kng.mesh.ad.jp
流石元憂鬱冨永さん…あの奇天烈な性格で中将まで昇進しただけあるわ…

143yukikaze:2019/03/02(土) 12:12:04 HOST:213.228.242.49.ap.seikyou.ne.jp
>>142
もっとも奇矯な性格が災いして、陸軍幕僚長にはなれませんでしたし、
国防士官学校長就任は全員から反対されたりしましたがw
まあ当人も、騎兵総監が発展解消してできた機甲総監就任を花道として
大将で退任。

退任後は「歌と漫画とアニメは文化の極み」と、サブカル系の庇護者として
自由に生きたりしています。

なお、剣術界においては、越後柳生の総元締めとしてにらみを利かせると共に
江戸柳生が実質的に滅び、尾張柳生が柳生新陰流正統を名乗った時は、
「越後柳生は、兵庫助様によって別流派となった以上、柳生新陰流の正統を名乗る
つもりはないが、尾張柳生が新陰流の道統を継承していたというのは、こちらの記録にも
ないぞ。つ〜か厳長、尾張柳生の権威づけの為に嘘言ってんじゃねえぞ」と、厳長の
行動に不快感を表明し、これが尾張柳生の評価を下げることになります。
(なお、「江戸柳生が断絶したために、尾張柳生が柳生新陰流を継承します」と言えば
全く問題視しなかった模様。要は、権威づけの為のいらんフカシこいたのが気に食わんかった)

144名無しさん:2019/03/02(土) 13:37:27 HOST:ai126164077188.72.access-internet.ne.jp
 トミーの転生先は五郎衛門宗章だったような? 虎眼流を称していたような記憶が。

145yukikaze:2019/03/02(土) 13:44:53 HOST:213.228.242.49.ap.seikyou.ne.jp
>>144
ゴメン。兵庫助じゃなくて因幡介だったわ。素で間違えました。

146New:2019/03/02(土) 15:50:40 HOST:softbank060128001160.bbtec.net
>国防士官学校長就任
うん、そりゃ断固阻止するw
カブキ過ぎて何人かすでに感染してそうであるがw

147名無しさん:2019/03/02(土) 17:31:35 HOST:210-194-52-243.rev.home.ne.jp
転生者は経験があったりその後を知っているから最適解出来るわけで
転生者でもなんでもないピーポーは必死にどーすんべと頭悩ませていて試行錯誤しているわけで

時間がないからゴリ押しする夢幻会に内心「う〜ん?」って思う人もいそう
まあ結果で「あいつら言っていること本当だったなすげー」ってなるけど

148名無しさん:2019/03/02(土) 18:05:45 HOST:212.89.13.160.dy.iij4u.or.jp
2回目の転生者とかだと更に最適解を突き進んでるだろうし
未来を見通せるだの魔術を使えるだのって噂がもっと強くなりそうw

149リラックス:2019/03/02(土) 18:12:55 HOST:119-228-10-186f1.hyg1.eonet.ne.jp
何を当然なことを >>内心「う〜ん?」って思う人三十年前から科学的や実体験した人がいるようなことでも思う奴がいるのに

150名無しさん:2019/03/02(土) 21:01:39 HOST:sp49-98-128-174.msd.spmode.ne.jp
憂鬱本編だと日本人は魔術が使えるって、半分位はジョーク言われてたな

151トゥ!ヘァ!:2019/03/02(土) 21:34:50 HOST:FL1-122-133-194-220.kng.mesh.ad.jp
神様や悪魔と取引したとかねw

152名無しさん:2019/03/02(土) 22:49:18 HOST:sp49-98-128-174.msd.spmode.ne.jp
日本人をバケモンみたいに見るの止め〜やw

153トゥ!ヘァ!:2019/03/02(土) 23:23:03 HOST:FL1-122-133-194-220.kng.mesh.ad.jp
まあイギリス人は三枚舌でアメリカ人は勘違いの偽善者扱い、ロシア人は粗暴な酔っ払いと言われるようなものなんでしょう。
覇権国家になった国の人間には往々にして人でなしな二つ名が付くもんです。

日本の場合は奇術師か魔術師かな?

154名無しさん:2019/03/03(日) 01:32:14 HOST:vc008.net027098049.thn.ne.jp
豊臣夢幻会世界だと原潜の開発で難航する事もなさそう。

155名無しさん:2019/03/03(日) 13:09:18 HOST:210-194-52-243.rev.home.ne.jp
いっそ英仏も赤化して日米VS赤化ユーラシア連合…ってこのネタあったな

156名無しさん:2019/03/03(日) 13:20:07 HOST:212.89.13.160.dy.iij4u.or.jp
大陸日本だとWW2でアメリカ相手に原潜作ってるネタもあったなぁw
……でも豊臣夢幻会ルートだとその時期にそんな潜水艦が必要なさそう

157yukikaze:2019/03/03(日) 13:20:46 HOST:101.82.0.110.ap.seikyou.ne.jp
多分、これは絶対に避けては通れない案件だったと思うのですよ・・・

象徴論争

象徴論争とは、帝国憲法制定時において、天皇の権能を規定する条文に『象徴』という
文言があったことによって生じた大論争のことである。
当初は、内閣と天皇側近による考え方の総意による争いであったのだが、これに幕末以来
冷や飯状態であった旧公家や政党政治家及びマスメディアが介入することによって、事態
は豊臣内閣の倒閣運動にまで発展。
最終的には、豊臣慶秀への暗殺未遂事件にまで発展したことに、旧幕臣や豊臣系の官僚や
軍人が、天皇側近を「君側の奸」として実力行使で排除する動きが公然化することになり、
天皇と内閣との間で「機務六条」が結ばれる事によって、事態は収束に向かうことになる。

経緯

徳川家茂による大政奉還後、新政府による近代化プランは、1878年には概ねその成果を
達成するに至っていた。
最大の懸案であった廃藩置県についても、徳川家、豊臣家、島津家、前田家、伊達家
といった有力諸藩が進んで受け入れたことによって、内戦という最悪の展開は免れ
士族達の不満についても、基本的には雇用維持されたことから(但し、石高と給与の
説明には一悶着あり、政府は苦労することになる。)、大規模な騒乱へは発展しな
かった。(高知と萩での反乱は、新政府での無条件での栄達を否定されたが故の
暴発であり、全く波及しなかった。)

こうした中で、新政府が次の目標として掲げたのが、憲法制定と議会開設であった。
近代国家を形成するうえで避けては通れない案件であり、新政府がこの2点にどれだけ
注力したかというと、政権有数の実力者であった豊臣慶秀が、このプロジェクトの
最高責任者であったことからも伺える。
実際、有力諸侯の中でも『もっとも開明的』と評されていた慶秀以外、相応しい
存在は他におらず(英国や米国に留学していたもののうち、西郷は、斉彬死去後に
喪に服して郷里の鹿児島に帰り、大久保は地方行政改革で忙しく、橋本左内は司法改革
で手いっぱい、伊藤は威が足りないという状況である)、この決定に関しては、
どこからも苦情は出ることはなかった。

しかしながら、この時点で、これ以降の論争の萌芽は生じてはいた。
この時期、明治天皇の側近を中心に、天皇が統治に関わるべく天皇親政運動が本格化
することになる。
そして、明治天皇の側近として信任を得ていた元田や佐々木と言った面々は、憲法や
議会の必要性は認めつつも、それはあくまで天皇親政の為の論理形成であり、輔弼
機関でなければならないと考えていたのである。
この時期の彼らの日記を読むと、「憲法=天皇が理想的な君主となるための教訓書」
「議会=天皇の諮問機関」という認識であったことが読み取れる。
厄介なことに、元田や佐々木が天皇親政を望んだのは、自己の栄達というよりも
「儒学を基本理念とした名君による理想的な統治」が正しい姿であるという、イデオロ
ギーによるものであり、だからこそ妥協不可能な論争へと発展していくことになる。

158yukikaze:2019/03/03(日) 13:21:40 HOST:101.82.0.110.ap.seikyou.ne.jp
1883年。憲法制定委員会による帝国憲法草案が出されることになるが、この草案に対する
評価は様々であった。
まず、国会開設に先立ち憲政会を設立していた江藤新平と大隈重信は、憲法において議会
の役割が比較的大きいことに着目し、その点については評価をしたものの、更に推し進めて
完全な政党内閣制にするべきであると主張している。
幕末に出遅れてしまったが故に、新政府内での栄達に限度を感じ、下野した彼らにしてみ
れば、今回の一件はまさに鴨が葱をしょってきたようなものであった。

官界については、議会という存在に面倒さを感じながらも、やむを得ないと考えていた。
大久保や橋本、伊藤と言った海外へ留学した面々にしてみれば、民衆が政治への疎外感を
感じてしまったら、行き着く先は暴力革命でしかないのである。
「国民国家」という概念を考えた場合、民衆の代表を議会に押し込めることによって、
取りあえずのガス抜きは必要であろうと考えたのである。
そしてそれは軍も同様であった。

マスメディアは百家争鳴であった。
彼らは部数を稼ぐために政権批判を行いがちであったが、その政権の重鎮が、議会に対する
配慮を憲法で示したのである。
予想よりも開明的な内容(自由権や社会権、表現の自由すら認められていた)に対し、好意
的に評価する新聞社もあれば、とにかく政権批判だけやりたがる新聞社もあるなど、バラバラ
であった。

明確にこの草案に激怒したのが天皇側近達であった。
確かにこの憲法では、天皇を国の元首と明確に規定されていたものの、その草案を読むと、
天皇の国事行為については「内閣の助言に基づき行使される」としており、内閣を無視しての
行動が一切できない状況に置かれていた。
更に言えば、行政権や立法権の実質的な権能は内閣や議会にあることも明記されていた。
元田達にしてみれば、この草案は明らかに、天皇親政を否定する行動にほかならず、彼らは
すぐさま「天皇を傀儡にしようとする不忠の極み」とキャンペーンを張ることになる。

そしてこの元田達の動きに加わったのが、公家の岩倉具視とジャーナリストの巨頭である
福沢諭吉であった。
幕末期に全く役に立たず、結果的に埋没しきっていた中〜下級の公家達にとって、天皇親政
は自身の栄達に繋がる最後のチャンスであり、そうであるが故に今回の行動を奇貨とした
岩倉と、同じく、マスメディアの中心人物として、政界への影響力を増大させようとする
福沢とが手を組むのは必然であった。

とはいえ、彼らは元田の如く真正直に論理立てて攻め込もうとは思わなかった。
はっきり言って、大衆というものにそんなもの突きつけても「はあそうですか」で終わるの
である。
こういった場合は、とにかく何らかのキーワードを以て、その一点で押し切った方が効果が
でるのである。
後世『マスゴミ』と評されることになるやり口は、この時代でも健在であったのだが、その
中で岩倉と福沢が着目したのが『象徴』という文言であった。

実のところ、この文言そのものは、条文を読むと全く問題がない代物であった。

『天皇は国家の元首にして、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である』

要するに『国家の代表であり、日本国=天皇であり、国民統合の要よ』と言っている訳だが
彼らはこの『象徴』という部分と、前述した「国事行為は、内閣の助言に基づき行使される」
を以て、現政府は天皇を傀儡にしようとしている根拠としたのである。

牽強付会としかいいようがない根拠であり、この批判のキャンペーンを見た豊臣慶秀は「バカ
じゃないのか」と、心底呆れ、江藤や大隈ですら「いや・・・これはアカンやろ」と、眉を
潜めたのだが、岩倉や福沢にしてみれば、牽強付会でも何でも、ワンフレーズで批判ができる
のだから、それこそしつこいくらいこの件をがなり立て、そしてそのフレーズだけで判断した
粗忽者が更にがなり立て政権批判をするという流れに持っていったのである。

159yukikaze:2019/03/03(日) 13:22:59 HOST:101.82.0.110.ap.seikyou.ne.jp
特に土佐出身者で作った自由党に参加している面々は、これまでの新政府への恨みと、党勢
拡大を図って、首相官邸前に集まって騒ぎ立て、警察が逮捕すると「不当逮捕」「天皇を傀儡
にする証拠だ」と、志士気取りで暴れ、そしてそれを福沢系の新聞が好意的に記して、世間の
同情を誘うようにするというマッチポンプを行っている。
そしてこの行動を見て焦った憲政会の非主流派も同じことをするに及んで、もはや江藤や
大隈ですら手が負えない状況にまで騒ぎは拡大することになる。(事実、「バカなことをするな」
と叱りつけた江藤や大隈は、慶応義塾出身者の面々に難詰され、声望を失い、党首を解任される
ことになる。)

こうした事態に、豊臣慶秀は辛抱強く説明を行い、少なくとも元田や佐々木達天皇側近は、
慶秀の判断を私利私欲ためではなく、失政が起きた際に、皇室に累を及ぼさないための
配慮であるという点は受け入れてはいた。
だが、仮に慶秀の主張を受け入れたとしても、内閣に失政が起きた場合、それは首相を任命した
天皇の見識にも直結する問題であり、最終的な責任論は変わらないではないかという元田達の
主張との隔たりは最後まで埋まることはなかった。
そして岩倉や福沢、それに国士気取りの自由民権派崩れの面々は、そもそも聞く耳を持っておら
ず、説明は全くの無駄であり、徒労感が増すばかりであった。
遂には、憲法草案に携わっていた司法省の課長がノイローゼになって自殺し、それを「豊臣慶秀
の被害者」とキャンペーンをはるに及んで、さしもの慶秀も堪忍袋の緒が切れる寸前になっていた。

もはや事態は、いつ慶秀が政治的悪名帯びること覚悟の上で爆発するか、あるいは何もかも投げ
捨てて下野するかの二者択一にまでなったのだが、そうした中で起きたのが、自由民権派崩れ
による暗殺未遂事件であり、この男の行動を『草莽の志士の義憤』とマスメディアが報じたことで、
最後のトリガーが引かれることになる。

前述したように、国会開設と憲法制定に対し、官界や軍は消極的な賛成であった。
だが、一連の流れを受けて、官界や軍において『大衆に議会や憲法はまだ時期尚早』という声が
出るのはある意味当然であった。
岩倉や福沢は看過していたが、ワンフレーズによる批判は、確かに印象に残りやすい反面、
よほどうまく使わなければ、雑な批判に堕するのが常であった。
帝国でも有数のエリート集団である彼らにとって、国会と憲法という、国家運営においても
極めて重要な題材に対して、このような雑な議論しかできない面々と付き合わなければいけない
というのは、とてもではないが耐えられるものではなかった。

また、元田達の論理も、この時代の官界や軍では通用しなかった。
ある意味当然の話で、つい20年前までは、幕府が存続しており、天皇は将軍に政治を委任して
国を統べていたのである。
言うなれば、権威と権力が別々であった訳で、彼らにしてみれば、わざわざ権威と権力を同一
にするということは、天皇側近が権力を振るうことを目的としていると判断せざるを得なかった。
特に自殺者まで出た司法省では、元田達の事を公然と「君側の奸」と呼ぶなど、天皇側近への
反感が凄まじいことになっており、そしてそれは一歩間違えると、側近を御すことができない
として、明治天皇への不信感にまでつながりかねなかった。
実際、旧豊臣家の面々や幕臣達は、裏で糸を引いているのは明治天皇ではないかという猜疑心
すら芽生えている状況であったのだから、その懸念も故なきことではなかった。
(明治天皇の母方の祖父であり、孝明天皇から勅勘を受けた中山忠能が、この問題にしゃしゃり
出ていたことも、彼らの印象を悪くしていた。)

もはや血で血を争う政争になりかねない所まで発展しかねなかったこの問題であるが、この事態に
危機感を覚えていたのが、宮中顧問官であった三条実美であった。
幕末での行動から、政府の要職には就けなかったものの、温和な性格と進取を好む性癖、家柄の良
さなどから、宮中と内閣との間の調停役としての役割を担っていた彼であったが、そんな彼にとって、
現在の元田や岩倉の行動は、明らかに火薬庫で火遊びをしているかの如き振る舞いであった。
幕末の長州で地獄を見てきた分、三条は、宮廷内部での抗争で収まらなかった場合の危険性をよく
理解していたし、しかもその抗争に皇室を巻き込むなど絶対にあってはならないことであった。
事件発生直後に、彼が明治天皇に慶秀のもとに勅使を派遣し、ねんごろに見舞うように進言したのも
ある意味当然の帰結であったろう。

160yukikaze:2019/03/03(日) 13:23:46 HOST:101.82.0.110.ap.seikyou.ne.jp
「皇室を滅ぼしたいんか、あんたは」

岩倉家に乗り込むや否や、突然の来訪にあっけにとられる岩倉に対して、日頃の温厚さをかなぐり
捨てて、怒鳴り声を上げたあたり、三条の怒りがどれほど凄まじかったかを物語っていた。
勿論、岩倉は弁明をするのだが(特に暗殺未遂に関しては完全に岩倉はシロであった)、それも
三条の「あんたがどう思うかなんてむこうが気にするかいな。むこうにとってあんたはもう、
大将の命を狙った敵や。そしてあんたは帝までまきこませようとした。本気で怒った武家がどう
するか、後鳥羽院や御醍醐院の終わりがどうなったか知らんとは言わさんぞ」と、突きつけられ
たことで勝負はつくことになる。

その上で、三条は、明治天皇及び元田達宮中側近に対し、現状を突きつけたうえで、彼らに
選ばせることにした。

「帝。皇室丸ごと滅ぼす覚悟で政府と抗争するか、政府と融和するか、どちらかお選びください。
どちらをとっても、三条はおつきあいします。分からないことがあれば臣が説明をいたします。
ですが、選ばれるのは帝です。」

何かしら言い募ろうとする元田達を「麿が帝と話をしているのじゃ。地下人は黙っとれ」と、
一喝すると、彼は、明治天皇からの質問に答える以外は、じっと天皇の決断を待つことになる。

事件が発生してから5日後。
明治天皇の名において、「機務六条」が出されることになる。
これにより、天皇と内閣の関係を規定すると同時に、明治天皇が親政の意思を事実上放棄して、
天皇の立憲君主としての立場を受け入れることを表明したことで、『象徴』問題は急速に収束
することになる。
何しろ天皇みずからの判断によるものである。
元田達にしてみれば、天皇親政を訴えていた以上、天皇の命令に背くことはできず、この決定を
受け入れざるを得なかった。(なお、元田達は、立場としては宮中顧問官として栄典されたもの
の、政治的な発言は三条が決して許さず、学問の師としての立場以上のものではなかった。)
福沢達はなおも足掻こうとしたが、中心人物の一人である岩倉はこの時末期がんであり、三条の
叱責を受けたこともあって逼塞。
福沢に至っては、この当時、東京の人間の中で最も人気のあった勝海舟から、江戸っ子らしい
歯に衣着せぬ罵倒を浴びせられただけでなく、暗殺未遂事件において、福沢の息のかかった
新聞記者が煽ったことが判明したことから、慶応義塾の存続を認める代わりに、完全に政治の世界
から追放されることになる。
(勿論、自由民権派の活動家集団や、福沢の尻尾として働いていたマスゴミ集団も、政治的に
大打撃を受けることになり、江藤や大隈は、憲政会の立て直しに奔走することになる。)

最後に、明治天皇と豊臣慶秀の関係について述べよう。
儒教に基づいた東洋的な専制君主として教育を受けていた明治天皇は、この時期には政治的意欲に
目覚めており、機務六条は、明治天皇にとって政治的敗北に近い物であった。
そのため、明治天皇と豊臣慶秀の仲は微妙なものになっており、慶秀は、天皇に対して立憲君主制
など西洋の制度・文物を導入することが天皇の権威を損ねるものではないことを説く一方で、天皇
が閣僚の仕事ぶりに疑問や不満を抱いた時にはその意向を閣僚に伝え、時には天皇と閣僚の仲裁に
あたっている。
また、天皇の信頼する宮中側近を宮内大臣の管轄下の宮中顧問官に任じて天皇との直接的な関係を
絶ったものの、漢学者として内外の信望の厚い元田を引き続き天皇の私的顧問として遇し、他の側
近には爵位を与えて天皇と彼らの天皇への忠誠心を尊重する姿勢を示し、こうした中で、天皇も次
第に慶秀の政策や方針を受け入れるようになっている。

もっとも、明治天皇はこれ以降も、要所要所においては君主としての判断を示すことがあり、
決してお飾りの君主であった訳ではない。
そのため、両者ともにお互いに敬意を払いつつも、時には真剣に意見を戦わせるなど、決して
馴れ合う関係ではなかったと言える。

161yukikaze:2019/03/03(日) 13:47:08 HOST:101.82.0.110.ap.seikyou.ne.jp
これにて投下終了。
英国型の憲法(『君臨すれども統治せず』)を導入しようとするのなら
絶対に避けては通れない案件であります。

なおこの問題凄いめんどいのが、元田達は、本心から「天皇親政こそが正しい姿」と
信じて疑っておらず、自己の栄達目論んでいる訳ではないというのが。
何でこいつら教育者に選んだんだというのは、まあ宮中改革やっている余裕がなかった
のと、元田達の学識と私心の無さは本物だったからとしか。

史実では、東洋的専制君主制を理想とする元田達侍補と、内閣との間で
ガチの争いが起き、元田達が敗北することになるのですが、これ原因は
大久保暗殺によるもので、この時代ではそういったのがないので、憲法
制定時に爆発するだろうなと。

福沢のやらかしですが、以前も書きましたが、現代のマスコミの悪い所を
全て網羅しちゃっている(この人に匹敵するの、読売の正力じゃねえかなあ
あと、だいぶ下がってナベツネ)方ですんで、まあ自分が動きやすい環境
作るためにやるだろうなと。(明治14年の政変にも確実に関わっていますし)

岩倉については、和宮降嫁がなかったことでほとんど目立つことはなく、
幕末でも「なんか動いていたな」程度でした。
結果的に、史実のような功績もなかったことから、中下級公家として埋没していました。
まあ最後の一発逆転狙っていたところですね。何気に余命いくばくもありませんでしたし。

明治天皇と豊臣慶秀の関係は、一番近いのはヴィルヘルム1世とビスマルクの関係ですかね。
まあ慶秀はビスマルクよりも大分マイルドでしたし、人間的に嫌いあうことはありませんで
したが、馴れ合う関係でもないし、明治天皇が西郷隆盛に見せたようなものでもないですし。
どちらかというと「水魚の交わり」関係だったのは、大正天皇なんですよねえ。<慶秀

162名無しさん:2019/03/03(日) 14:26:18 HOST:KD182251195150.au-net.ne.jp
乙です。
儒教に基づいた東洋的な専制君主として教育を受けていた、ですか…………まあ、仕方無いですよねえ。
そして慶應義塾出身者は一時冬の時代を迎えるのでしょうか。本当に福沢諭吉は教育者に徹してくれていれば自他共にどれだけ良かったか。
勝海舟なんかどれだけの罵倒を福沢諭吉に叩きつけたのやら。史実にも増して亡き家茂公への思い入れが強いであろう彼にしてみれば、一橋の無責任なクソ同様の許しがたい所業でしょうし。

163名無しさん:2019/03/03(日) 14:42:21 HOST:opt-101-1-157-89.client.pikara.ne.jp
とりあえず、札に岩倉と福澤消えたな

164名無しさん:2019/03/03(日) 14:55:53 HOST:212.89.13.160.dy.iij4u.or.jp
やっぱり儒教の本は禁書しないと……(使命感

165yukikaze:2019/03/03(日) 15:11:08 HOST:101.82.0.110.ap.seikyou.ne.jp
>>162
明治天皇の教育についてはあの時期ではどうにもならんかったかと。
新政府の総意として「とにかく暗君であってはいかん」という点が最優先で
西洋教育となると、宮中からの猛反発が予想されますんで(東京に天皇連れて行く
ことで相当のゴタゴタがあった。)ある意味妥協でもありました。(新政府上層部が
親西欧で占められている訳ではないという点も重要)

天皇の役割としては、まあ今の完全な象徴天皇制というよりは、タイ王室に近いかなと。
特に『大命降下』については、第二次大戦終了前までは、官僚や軍人、枢密院議員が
首相になることもあったため、天皇の権能として残されましたし。
ここら辺は、第二次大戦終了後の改革を待たねばなりませんが。

福沢と勝についてですが、ここでも思いっきり仲が悪いです。
勝自身は、例の江戸への海上封鎖問題の責任を取って辞めて、一生在野で過ごした人ですが
この時の理由を「そりゃ大村の顔を毎日見たいと思うかい」としています。
実際には「家茂公以外に仕える気は起きねえ」なんですが、それを言うと他の幕臣達に迷惑
かけますから、敢えて個人的な理由で通していたんですが、それを福沢が正論でぶん殴り(なお
福沢は勝の真意理解していて殴っているから猶更たちが悪い)まあ酷いことに。

だからこそ、「あの中津の田舎者」と、江戸っ子らしい歯に衣きせぬ論調で徹底的に批判しまくる訳で。
江戸っ子であるが故に、東京の面々のツボを理解している訳ですから、江戸っ子にしても
こっちの場外乱闘の方が楽しい訳でして、完全に福沢はやり返されることになります。

なお、マスメディアの人間としては全く評価しませんが、教育者&経済を誰よりも理解していた人間という
点では、福沢は日本史上でも有数の傑物であったことは間違いないです。
何だかんだ言って、経済界や官界にはこれ以降も慶応出身者は排出され活躍していますし。

むしろ今回の一件で最大のとばっちり受けたのは、江藤と大隈なんですよねえ。

166トゥ!ヘァ!スマホ:2019/03/03(日) 15:16:40 HOST:FL1-122-133-194-220.kng.mesh.ad.jp
乙です

この時代からマスゴミ的な運動は変わりませんな…

福沢がこれだけ駄目なことやっても慶応の影響力は余り落ちず後に有力者出してるのは流石というべきなんでしょうかね

167名無しさん:2019/03/03(日) 15:31:54 HOST:vc008.net027098049.thn.ne.jp
空気読もうよ、福沢さんw

168ハニワ一号:2019/03/03(日) 15:35:22 HOST:124-141-195-196.rev.home.ne.jp
乙です。
君臨すれども統治せずの本場の英国とて王室がその気になれば国王が政治に介入する事はできるんですよね。
史実でもそういった事例がありましたし。

169yukikaze:2019/03/03(日) 15:42:51 HOST:101.82.0.110.ap.seikyou.ne.jp
>>164
道徳としては有用ですよ。<儒教
問題は、「個人の徳」を政治に反映させようとするために、
個人の資質にえらく左右されるという不安定な体制になりかねないことですが。
ここら辺は割と永遠の命題。

>>166
あの時代で福沢程、経済理解している人間いませんし。(財界の慶応出身者そうそうたるメンバーですぜ)
なので新政府も「政治的フィクサーにならん限り」福沢を見逃しましたし。

>>167
むしろあの人空気読みまくっているんですよねえ。史実でも放火している割には、裏で
薩長と取引していますし。
ただ、今回については、暗殺未遂という完全に想定の範囲外のことは起きるわ、しかもそれが
自身の塾生も一枚噛んでいるわと、福沢のシナリオ崩壊しちゃっていましたしねえ。

170名無しさん:2019/03/03(日) 15:48:11 HOST:dhcp70149.orihime.ne.jp
>なお福沢は勝の真意理解していて殴っているから猶更たちが悪い

うわ、最低。と同時にこの二人の仲の悪さがどれほど酷いかという事の証明でもありますね。

171名無しさん:2019/03/03(日) 15:51:20 HOST:vc008.net027098049.thn.ne.jp
>>169
中途半端に頭良くて空気読めてたって感じですかねぇ、福沢。
何というか、自爆した白川竜也と言うか。

172yukikaze:2019/03/03(日) 16:15:53 HOST:101.82.0.110.ap.seikyou.ne.jp
>>170
まあ福沢は「死んだ主君に忠節とか馬鹿か。独立維持の為なら国の為に働け」
という超現実主義者でもありますんで。(だから福沢は学校作って、人材育成して
財界や官界に送り込むことで日本の発展に役立てている)
この人、史実でも赤穂浪士や楠木正成を批判していたりするんですよねえ。

>>171
普通に優秀です。中途半端どころかガチ級で頭もいいし、落としどころも見ていた。
実際に福沢は「フィクサーとしての力」を見せつけられればそれでよかったですし、
むしろ司法省の課長が自殺する直前において、当該一件については手仕舞いにするところでした。

ある意味司法省の課長が自殺したことで、官側が完全に硬化しちゃったんですよねえ。
後知恵論で言えば、ここで非を認めて、罵声を受けながらも謝罪しとけばよかったんですが
(実際、福沢は「誰がここまでやれといったか・・・」と、最悪の事態を予想しています。)
もう福沢一人でどうこうできる問題ではなく、覚悟決めちゃった状況ですからねえ。

173名無しさん:2019/03/03(日) 16:22:43 HOST:dhcp70149.orihime.ne.jp
そして止めに豊臣慶秀暗殺未遂事件と。底かと思ったら上げ底だった訳ですね。
ですがこれで教育者に徹する事しか出来ない福澤諭吉がようやく爆誕する訳でそれだけは良かったかも。

174名無しさん:2019/03/03(日) 16:23:08 HOST:vc008.net027098049.thn.ne.jp
課長が自殺しちゃった事が福沢の目論見から外れる要因になったのかな。

175弥次郎:2019/03/03(日) 16:31:16 HOST:p2729046-ipngn201308tokaisakaetozai.aichi.ocn.ne.jp
乙でした

史実でも天皇機関説とかありましたし、こういうのは避けて通れませんね…
私心の無さとか忠誠心の強さとかなまじ本物で一途だからこそ厄介。
儒学的な考えならば徳のある人(主君)に任せればOKなんでしょうけども、
だからこそ近代国家とは相性が悪いというかなんというか。
史実でもWW2を終えてごたごたあってようやく落ち着いたものですし、ここら辺簡単にはいかないんですね。
先人たちが本当に苦労したんだと改めて認識させられます。

176名無しさん:2019/03/03(日) 16:33:22 HOST:vc008.net027098049.thn.ne.jp
私利私欲の無い狂信者ほど厄介なモンはありませんのでねぇ。
ていうか、大正天皇との関係は良好だったんだ、豊臣慶秀。

177New:2019/03/03(日) 16:40:17 HOST:softbank060128001160.bbtec.net
乙マスゴミ度でいえば1福沢=10正力=100ナベツネという感じかな
コレばかりは「システム変えても人間の教育とかどうにかしないとこうなる」
という見本になるな。まだ外国の茶々入れがないだけマシとも言えるが・・・

178yukikaze:2019/03/03(日) 17:17:46 HOST:101.82.0.110.ap.seikyou.ne.jp
>>174
この一件がポイント・オブ・ノー・リターンとなりました。
ヤバさを理解していたのは福沢を始め一握りで、大多数の人間は「戦果」
「これでまた政権批判できる」と思っていた時点で・・・

>>175
ぶっちゃけここに西郷隆盛いたら本気で収拾つかなかったと思います。

>>176
皇太子の「思ったことをすぐに言動に出す性格」について、正面から否定するのではなく
古典を用いて窘めたり、病弱であることからスケジュール調整させたりと気を使っていたことで
有栖川宮と並んで信任を得ています。(この時、唯一『元老』称号得ています。)
ちなみに、政治センスについてはお世辞にも上手いとは言えず、大正天皇の業績は儀礼的な部分が主であり
どちらかというと「気さくな天皇様」と、庶民受けしやすい印象が強いです。

>>177
海外においては「結構踏み込んでいるなあ」感が強く、君主大権の強いドイツでは「正気か!!」
扱いです。(お蔭で明治天皇が操り人形扱いされる風刺画が出回ることに)
まあドイツはこの40年後に「君主大権縛ればよかった」と、遠い眼で悔やむことになりますが。

179名無しさん:2019/03/03(日) 17:30:47 HOST:vc008.net027098049.thn.ne.jp
>>178
>「これでまた政権批判できる」と思っていた時点で・・・

なんというか実にマスゴミだな。

んで大正天皇は史実の戦後の天皇に近いのかな。

180yukikaze:2019/03/03(日) 17:53:02 HOST:101.82.0.110.ap.seikyou.ne.jp
>>179
史実よりは健康面でマシでしたけれども、良き補佐役と言っていい慶秀が
死去してからは完全に気落ちしてしまって健康状態が悪化。
昭和帝の摂政期間は5年ではなくて2年という状態でした。

なお昭和帝の政治面の師は、史実では西園寺公望でしたが、この世界での西園寺は
あまり活躍できず(基本的に公家系は幕末の影響でふるいません)、牧野伸顕が
頑張ることになります。

181菜奈氏:2019/03/03(日) 17:57:36 HOST:183-180-154-66.west.fdn.vectant.ne.jp
>>176
豊臣秀頼と徳川家光みたいな間柄だったのでしょうか?
=豊臣慶秀と大正天皇。

182名無しさん:2019/03/03(日) 18:00:15 HOST:vc008.net027098049.thn.ne.jp
>>180
史実よか早く昭和亭に譲位されたのか。

>>181
そんな関係だったのかもねぇ。

183yukikaze:2019/03/03(日) 18:57:16 HOST:101.82.0.110.ap.seikyou.ne.jp
>>182
いや、執務不能状態になったのが、史実だと1921年だけど、豊臣夢幻会世界では
1924年末という状況。
史実よりも遅かった理由は、史実のような過密スケジュールを抑えて、息抜きの
時間を与えていたからで、公務や心労の悪影響がそれなりに抑えられていたのが大きい。

ただ、1923年に豊臣慶秀が大往生したことで、頼れる相談役がいなくなり、しかも
この時期普選法運動とかで天皇の判断が必要になったケースが多く(元老がいなくなった
ことで、誰も彼もが混乱してしまい、しかも政治家が総じて小粒だったのも大きかった)
お蔭で天皇の心労が祟り、倒れることになります。

184名無しさん:2019/03/03(日) 19:01:57 HOST:vc008.net027098049.thn.ne.jp
>>183
摂政になった時期が史実より遅かったって事か。
んで慶秀さんがいなくなったんで一気に仕事が増えて心労もドンか。

185陣龍:2019/03/03(日) 19:08:46 HOST:124-241-072-147.pool.fctv.ne.jp
乙でした。橋本佐内がなんやかんやで活躍されている様で何より。ただ司法省の課長自殺の関係で、
慶秀に次いでマスゴミや福沢嫌いになってそう。ただでさえ『君側の奸』等とと公然と言われてる状態だし、
司法省

186名無しさん:2019/03/03(日) 19:43:32 HOST:101-140-174-165f1.hyg1.eonet.ne.jp
確実にしょっぴけるネタが無いかチェックする対象になってそうですな>>福沢諭吉




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