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避難用作品投下スレ4

1管理人★:2008/08/01(金) 02:07:08 ID:???0
葉鍵ロワイアル3の作品投下スレッドです。

588のこされたもの:2009/03/05(木) 23:18:45 ID:9452gkFI0
「あなたはどうしたいの? 少し訂正するけど……私はあなたを守る。
 だけど、あなたがそうして欲しくないというのなら私は何もしない。押し付ける気はないから……」

 それは改めて突き出された選択肢だった。
 自由になった己が身への厳しい問い。夢の中で見た言葉の数々と同じ、覚悟を決める気持ちを問う選択肢だ。
 でも、もう決めちゃってるからね。自分で考えて、自分で決めたことなんだ。

「多分、あたしは君が思ってる以上の極悪人だよ。あたしのしてきたこと、知ってる?」
「知ってる」
「その上で、あたしと一緒に歩いてくれるの? そりゃ、赦されるだなんて全然思ってないけど……」
「けど、間違ったことを続けて、悲しみを撒き散らすこともしない」

 そのつもりなのだろう? と確信を含んだ目を向けられ、麻亜子は参ったなという感想を抱いた。
 もう向こう側は全て了解してくれているということか。決して赦せなくとも、それぞれのために、共に協力し合うパートナーとなることを。

「……罪を犯してきたのは、私だって同じだから。みんなを、貴明とささらを見殺しにしてしまったようなものだから」
「さーりゃんと、たかりゃんを……?」

 ぽつりと呟かれた舞の言葉に、麻亜子は思わずといった形で反応する。
 頷いた舞がひとつひとつ、これまでに起こったことを語っていく。
 疑心暗鬼の渦中にいながら誰も止められなかったこと、自分が楽になりたいがために己の命を絶とうとしていたこと……

「言い訳するつもりはない。でも、私は生きていくと決めた。
 死んでいなくなった人たちが救われるわけじゃないし、何より、私が生きたいって思ったから。
 それでどんなに辛い思いをするのだとしても」
「……そっか」

589のこされたもの:2009/03/05(木) 23:19:09 ID:9452gkFI0
 貴明とささらの結末。それを半ば見殺しにしたと自白した舞の言葉を聞いても、さほどの恨みは募らなかった。
 寧ろ羨ましくさえ思った。自分達の代わりに麻亜子を止めてくれ。そう言われるまでに信頼されていた舞の存在が。
 自分には出来ない。誰かを死後を託すことも、やってくれると信じきることも。

 同時に一抹の寂しさもあった。誰かを守り、託し、散っていった貴明の姿。
 それは自分が知っている、頼りなくて振り回されがちな少年の姿とはまるで違うものだったからだ。
 守りたかった友達は、既に自分の手に余るほど大きくなっていた……

 麻亜子は、夢の中の貴明の姿を思い返す。あの貴明も同じだった。さっぱりとしていい表情になった男の顔。
 己の中のしがらみ、これまで縛り付けていたものが緩む感触を味わいながら「あたしもそうだよ」と言葉を乗せた。

「生きたい、って思った。誰に言われるまでもなく、自分自身の気持ちで」

 無言で頷いた舞には、何の含みもない微笑だけがあった。しがらみの一つを洗い流した女の顔がそこにあった。
 胸の内がスッと軽くなる。その意味は分かりきってはいたが、すぐに理解したくはなかった。
 理解してしまうと自分らしくなくて気恥ずかしいものがあったからだった。
 代わりに麻亜子はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて舞へと抱きついた。

「ねぇねぇ、さっきさー、『私が生きたい』って言ってたけどさー、それって誰のためなのかなぁ?」
「……? まーりゃん、なに言って……か、顔、近い」
「まーなんというか、これはあたしの人生経験的による勘なんだけど、まいまい、ぶっちゃけ惚れてるっしょ往人ちんに」
「……!?」

 目をしばたかせた後、ぱくぱくと口を開閉させ顔を紅潮させる舞。
 分かりやすいなあと内心にやにやしながら麻亜子は舞の頬をぷにぷにと突く。
 ああ、やっぱ若人のほっぺたは最高やでウッシッシ。

「いやー、ビミョーに往人ちんのことを話すときに声が上ずってたからさー、胸のときめき☆を感じちゃってたのかねーとか思ってたんだけど。
 で、どーなのお嬢さん? 気にしてないことはないっしょ? ファイナルアンサー?」
「別に、私は……」
「あ、不自然に目を逸らした」
「……」
「だんまりモードかね。ならばゴッドハンドと呼ばれたまーりゃん様の指が火を吹くぞー! うりゃりゃりゃりゃさあ言えー!」
「〜〜〜〜〜〜!」

 何が起こってるかって? それはもう女の子のひ・み・つということで。
 こうして夜も更けていく……

590のこされたもの:2009/03/05(木) 23:19:42 ID:9452gkFI0
【時間:2日目午後21時00分頃】
【場所:F−3・民家】

川澄舞
【所持品:日本刀・支給品一式】
【状態:同志を探す。往人に付き従って行動。強く生きていたいと考えている。両手に多少怪我(治療済み。支障は全くない)、肩に浅い切り傷】
【その他:往人に対して強い親近感を抱いている。剣道着を着ている】
その他:舞の持ち物(支給品に携帯食が十数個追加されています。)
(武器・道具類一覧)Remington M870(残弾数4/4)、予備弾×17、スイッチ(未だ詳細不明)、トンカチ、カッターナイフ、SIG(P232)残弾数(2/7)、仕込み鉄扇、ワルサー P38(0/8)、フライパン、投げナイフ(残:2本)

朝霧麻亜子
【所持品1:デザート・イーグル .50AE(2/7)、ボウガン(34/36)、バタフライナイフ、支給品一式】
【所持品2:ささらサイズのスクール水着、芳野の支給品一式(パンと水を消費)】
【状態:鎖骨にひびが入っている可能性あり。往人・舞に同行。パヤパヤ?いいえスキンシップです】
【その他:体操服(上下のジャージ)を着ている】

→B-10

591十一時五十一分/綺麗:2009/03/06(金) 01:07:46 ID:I5wwcrkg0
 
白と黒と、そして紅とに彩られた、それは裸身である。

さら、と。
夜を焚き染めたような短髪が、風に靡いて涼やかに鳴る。

「忘れるものかよ―――」

言葉を紡いだ唇は紅を差したように鮮やかで、湛えた笑みの冷ややかさを際立たせている。

「ああ、忘れるものかよ。あの頃にみた、夢の色を」

白は、静謐。
原初の脈動を秘めながら煌めく冬の日輪の如き、それは女であった。

「私はまだ―――夢の中にいる」

来栖川綾香が、立っている。


***

592十一時五十一分/綺麗:2009/03/06(金) 01:08:28 ID:I5wwcrkg0
 
それが生きた獣であれば、傲と吼え猛る声も聞こえただろうか。
人を容易く磨り潰す石造りの牙の間からは音もなく、ただ夜の森に泥を湛えた真黒き穴のような口腔が、
綾香を威嚇するように開いている。

「私にはわからない」

裸身が跳ねる。
寸秒を以て加速の頂点に達した白い弾丸が、石造りの獣を撃つ。
両の拳による連打は一続きの音を生み、その音の余韻が消えるよりも早く次の波が来る。
躍動する左腕、堅い拳胼胝に覆われてなお優美と映る拳が引かれたときには既に右の腕、
黒く変生した鬼の拳が獣の鼻面へと突き込まれている。
嵐の如き連打にもしかし、獣の巨神像はこ揺るぎもしない。
煩げに首を揺すった、その動作一つで綾香に距離を取らせている。
陽光の下、古代の職工が丹精込めて鑿を振るい彫り上げたようなその身には、傷の一つも負っていない。

「なぜ誰もが、歩みを止めるのか」

たん、と。
音を立てて銀の湖の淵、巨神像の立ち並ぶ辺縁に素足を着いた綾香に、獣が反撃へと転じる。
襲い来るのは爪である。
自らの足元に立つ綾香を薙ぐ軌道。
迫る剛爪を横目で見た綾香が、長くしなやかな脚に力を込める。
飛び退いて躱すか。―――否。
踏み込んだ右の脚が、踵を支点として回転する。
捻りながら後傾していく上体と腕とが体躯全体を使った遠心力を生み、体幹の筋力がそれを精密に伝達する。
打ち出されるのは、閃光とすら映る一撃。
希代の身体感覚と天性の柔軟な筋肉とが作り上げた、精緻な美術―――左上段回し蹴り。
格闘家、来栖川綾香の抜き放った伝家の宝刀が、自らに数倍する巨腕を、正面から迎え撃った。
切り裂かれた風が、万雷の拍手の如く爆ぜ、散った。

593十一時五十一分/綺麗:2009/03/06(金) 01:08:55 ID:I5wwcrkg0
 
「なぜ自らが腐っていくのを、じっと眺めていられるのか」

びりびりと耳朶を震わせる爆音の余韻の中、綾香が駆ける。
質量と物理法則とを無視して弾いた巨獣の前肢は、しかし無傷である。
対する綾香もその疾走の最中、深紅の染料で刻印する裸足の足跡が、一歩ごとに薄くなっていく。
蹴りの衝撃で割れ裂けた足裏の傷が、見る間に癒えていくのだった。
仙命樹、祝福と呪詛とを等しく齎す不死の秘薬の効果である。

「何かを学んだと、何かを得たと、したり顔で膝を屈し」

天空を駆けるが如き跳躍から獣の牙を目掛けて打ち下ろされるのは踵。
撓めた身体から流れるように繰り出された綾香の脚が、落下の加速を得て剛断の鎌と化す。
弧を描く軌跡が速度の頂点で巨獣へと吸い込まれていく。
刹那、躍動する来栖川綾香の肉体に存在したのは、美という言葉の意味であった。
斬の一字をその義と銘に打たれた白刃の見る者の悉くを惑わし蕩かすが如き、魔性。
それは、人という種の持つ力の具現である。

「歳を経て磨り減って、朽ち果てたようなものたちに囲まれて、曖昧に笑いながら腐っていく」

中空、連撃の華が咲く。
朱く散るのは鮮血の飛沫。
限度を超えた酷使に爆ぜる血と肉と骨とが織り成す綾である。
弾け、千切れた肉体が、しかしその端から癒えていく。
打撃の生み出す風が周囲を満たす朱い霧を散らし、轟音は響き、衝撃が大気を震わせる。
嵐の如き連打に巨獣の頭部が徐々に押され、しかしその表面には依然として損傷が見えない。
拳と足と、全身を裂けた皮膚の桃色と鮮血の赤とで斑模様に染めながら地に降り立った綾香が、
しかし表情を変えることなく疾走を再開する。

594十一時五十一分/綺麗:2009/03/06(金) 01:09:25 ID:I5wwcrkg0
 
「なぜ安寧を許容する。なぜ鈍化を肯定する。なぜ敗北を容認する」

転瞬。
颶風の如き打撃にも耐えきるかと見えた巨獣が、大きく身を捩った。
一瞬遅れて、その頭上を閃くものがある。
蒼穹を闇に染める稲妻とでもいうべき、黒の光。
それは巨獣の隣に位置する神像、黒翼の像と対峙する水瀬名雪の放つ、黒雷である。
流れ弾か、或いは何か他の意図があったものか。
いずれ哂ったのは、来栖川綾香である。

「何にもなれず。何者でもなく、何物でもなく、何処にも辿り着けず」

その眼が見据えるのは、唯の一点。
どれほどの打撃にも殆ど身じろぎすらしなかった巨獣の像が、揺らいだ。
黒雷が掠めたのは、獣の背。
巨獣に跨る、小さな影。
あどけない、少女の神像である。

「なぜそれを、生と呼ぶ」

595十一時五十一分/綺麗:2009/03/06(金) 01:10:05 ID:I5wwcrkg0
駆けたのは、ほんの二歩。
それだけを助走として、綾香の身体が宙を舞う。
大地の軛から解き放たれたように、高く。

「ああ、ああ。こんなにも、末期の聲が満ちるなら。こんなにも、こんなにも誰もが、生きることを忘れているのなら。
 応えよう。伝えよう。この彼岸に蠢くすべてに」

高く、高く。巨獣を飛び越えるほどに、この殺戮の島を一望するほどに高く。
日輪に、艶と雅の舞うように。

「止まっていけ。腐っていけ。友であったものたち。かつて美しく在れた、愛すべきものたち」

蒼穹を裂いて流れる、それは一筋の星だった。
空を翔る来栖川綾香の、紡ぐ言葉は糾弾ではない。
それは、世界の内でほんの僅か、幾人かだけがそっと首肯する、永劫と久遠とに響き渡る凱歌。

「私は、私たちだけは、走るんだ。走っていけるんだ」

それは夢から醒めずにいられる来栖川綾香の、
ただ綺麗なものだけに満たされた空を目指して羽ばたく女の、
振り切るべき死者の群れの全部、打ち捨てるべき腐ったものたちの全部に向けた、

「―――ここじゃない、どこかへ」

訣別の、宣言だ。


***

596十一時五十一分/綺麗:2009/03/06(金) 01:10:29 ID:I5wwcrkg0
 
穿ち貫かれた少女の像がさらさらと、やがて巨獣の像が轟音と共に、崩れ、風に散っていく。
どこまでも高い蒼穹の下、崩壊と廃滅の中に、白と黒と、そして紅とに彩られて、女が一人、立っている。

来栖川綾香が、立っている。

597十一時五十一分/綺麗:2009/03/06(金) 01:10:52 ID:I5wwcrkg0
 
【時間:2日目 AM11:53】
【場所:F−5 神塚山山頂】

来栖川綾香
 【所持品:なし】
 【状態:仙命樹、ラーニング(エルクゥ、魔弾の射手)】

真・長瀬源五郎
【イルファ・シルファ・ミルファ・セリオ融合体】
【組成:オンヴィタイカヤン群体13800体相当】
【アルルゥ・フィギュアヘッド:大破】
【ベナウィ・フィギュアヘッド:健在】
【オボロ・フィギュアヘッド:損傷】
【カルラ・フィギュアヘッド:健在】
【ウルトリィ・フィギュアヘッド:健在】
【カミュ・フィギュアヘッド:健在】

→1045 ルートD-5

598メイドロボとして3:2009/03/17(火) 18:34:13 ID:Rd8zP9jw0
場を満たす空気に変化はない。
訴えるマルチの意図を、巳間良祐は理解できないでいた。
巳間は目の前の少女が溢した言葉の意味の解釈を、思いつくことができないでいた。
故に、巳間は縋るようなマルチの声を冷淡なで瞳で一瞥する。
脅しが効いていない、目の前のか弱い少女が想像していたよりもタフだったことに巳間は内心毒づいた。
一度、巳間はマルチから煮え湯を飲まされている。
その件もあり、巳間は油断は禁物だと自身に言い聞かせ、改めて気を引き締めようとする。
マルチが下手に出ているだけでこちらを隙を窺っているという可能性が、巳間の中では沸き上がっていた。
仕掛けれられた罠にかかる程無様なことはないと、巳間は慎重にマルチの出方を窺おうとする。

一方マルチは、自分の言葉に対し何のアクションも返して来ない巳間にどう接すればいいのか、ひたすら困っていた。
巳間の片手は、相変わらず彼のデイバッグに突っ込まれたままである。
いつ彼がその中から武器を取り出し、攻撃してくるか分からない。それはマルチの作られた心にも恐怖を生む。
思えば人を殺すことに躊躇のない人間相手に軽率な行動を取ってしまったと、マルチの中では今更ながらに後悔をしている部分もあった。

しかし、それでも彼が人間であることには他ならない。
マルチのような人工物ではない、生命が宿る存在だった。

だからこその行動でも、あったはずである。
メイドロボという「物」と人という「者」の間に生まれている差は、絶対だった。
その差を巳間が理解していないということを、マルチは想像だにしていなかったのである。

巳間良祐という男は、彼女、マルチを「HM−12型」というシリーズに値する試作機、「HMX−12型」であるロボットだと認識していなかった。
FARGOという閉鎖された施設の中に捕われた巳間は、現実の世界から隔離されている。
その空間は、巳間に流行という言葉を忘れさせた。
巳間は知らない。
メイドロボという名の一般家庭向け作業ロボットが、額は大きいものの庶民が触れ合うことができるレベルにまで浸透しているということを巳間は知らないのだ。
巳間はマルチの苦悩に気づいていない。
人とは違う、生物ではないという事実が与えているマルチの苦しみそのものが何なのか分からないでいた。

599メイドロボとして3:2009/03/17(火) 18:34:55 ID:Rd8zP9jw0
「自分」を知らない人間がいるなんてことを、マルチは思ってもいないのである。
根本的なところで、マルチと巳間は噛み合わないでいた。
マルチは気づかない。
そこにマルチは気づかないまま、ぎゅっと拳を握ると沈黙を守り反応を返して来ない巳間に対し、自分の身に起きた出来事を語り始めた。

マルチの独白は、彼女の感情論も中に入りなかなかに長いものになった。
その間巳間は、彼女の言葉に一切の口を挟むことなくただ静かに耳を傾けていた。
理由は簡単である。
マルチがいつ何かを仕掛けてくるかと身構え、緊張の糸を始終張っていたからだ。
だが話したいだけ話したところで、マルチは一息入れると巳間に意見を求めるように彼女もその小さな口を閉じる。
巳間の予想していた奇襲の気配は、一切なかった。

マルチは本当に、ただのお人よしであったということを巳間が理解した所で、特に何かが進展する訳ではない。
むしろ巳間自身は他人の身の上話などに興味ないのだから、彼からすればこのような余興は幾許かの時間を無駄にしたに過ぎなかった。

(……くだらない)

攻撃の意図が含まれない溜息を吐くというだけの巳間の仕草にも、マルチはびくっと首を竦める。
そんなものでさえ巳間を苛立たせるには充分な動作であることを、マルチも分かっていなかった。

「それで、何なんだ」
「え?」
「それがどうしたと、聞いてるんだ」

巳間の刺すような物言いに、マルチはただでさえ小さな肩をさらに縮こませる。
こうしてみれば本当にどこにでもいるか弱い少女に他ならないマルチの姿に、巳間は自分が何に恐れていたのかと馬鹿らしくなってきた。

「他人を、しかもここに着いてからの知人を信じた結果がそれだったというだけだ」
「で、でも皆さんそれまでは本当に仲が良かったんですっ」
「結果はもう出ている。何を言っても、そいつ等が殺し合ったことに変わりはない」

600メイドロボとして3:2009/03/17(火) 18:35:21 ID:Rd8zP9jw0
言い切る巳間に、マルチは泣きそうな形で顔を歪ませる。
しかし涙は零さず、マルチはぐっと我慢するように唇を引き締めると再び巳間に視線を合わせた。

「私には……私には何か、できたことがあったと思いますか?」
「それを今言って、何になる」
「わ、私はただ……」
「同じ言葉を繰り返させるな。だから、今更それを言って何になるんだと俺は言っている。
 起きてしまった事柄を置いたまま後悔を引き摺るだけというのは、何も進んでいないと同じことだ。違うと思うか?」

先ほどと打って変わって、巳間は饒舌になっている。
憎憎しげな言葉であるが、やっと成り立った会話を繋ごうとマルチは必死に言葉を探そうとした。
しかしマルチの演算能力では、巳間にうまい答えを返すことが出来ない。
どうするべきかと、あたふたと視線を彷徨わせるマルチの態度に巳間は苛立たしげに舌を打った。

そうして一端視線を外した巳間が次にマルチへと目を向けた時、そこには微かな色の違いが生まれていた。
場の空気が変わるが、それどころではないマルチは気づいていない
一つ小さな溜息をつくと、巳間は再び開いた。

「……お前は、死ぬ恐怖というものが分かるか?」

威圧の意味を含まない巳間の声をマルチが聞いたのは、これが初めてかもしれなかった。
驚きで目を見開いたマルチに対し、巳間は続ける。

「具体的にだ。今正に絶命するだろうという瞬間が、分かるか」
「え、えっと……」

この島で晒されることになる無数の命のことを考えれば、それは想像しない方がおかしいかもしれない。
しかし巳間が言いたいことがそのような「想像の域」ではないことが、マルチも分かったのだろう。
巳間は続ける。

601メイドロボとして3:2009/03/17(火) 18:35:40 ID:Rd8zP9jw0
「お前が俺に襲われた時のことなんて、目じゃない。今俺が、こうしてお前に……」

言葉と共に、巳間はデイバッグの中に入れていた手をそっと出した。
握られたベネリM3が視界に入り、ひっと喉を鳴らしたマルチの眉間に巳間は躊躇なく銃口を突きつけた。

「この状態より先だ。俺がトリガーを引く、その瞬間……それをお前は、どう感じる」
「……」
「俺は怖い」

巳間の告白に、マルチの唇が震える。
マルチに向けた銃の照準にずれはないものの、巳間の瞳にはどこか迷いが込められていた。

「不思議なんだ。ここに来てから、俺は焦りにばかり追い立てられている気がする。
 殺らなくては殺られる、そうしていないと落ち着かないくらいに不安定なんだ」
「えっと……」
「ゲームに乗るのを止めた途端、死神が現れる気がするんだ」
「え、はえ??」
「俺だってどうしてこんな気持ちになるのか分からないさ。
 だがそんな予感が尽きないんだ……死ぬわけ、にはいかないんだ」

生にしがみつこうとする姿勢は、誰がとってもおかしくないものである。
巳間だってそうだ。
死にたくないという一心で消えた罪悪感が、巳間に殺戮行為という残虐的な行為に対するモラルを吹き飛ばしている。
ただ巳間はそれが顕著に出てしまっているだけであり、あとは他の参加者が秘めているものと同じものを持っていた。

マルチはそんな巳間の持つ不安に対し、どう返せばよいのかやはり分からないでいた。
考える。何か最善策があるはずだと、マルチは必死に頭を働かせる。

(……しゃべりすぎたな)

602メイドロボとして3:2009/03/17(火) 18:36:20 ID:Rd8zP9jw0
あたふたと慌しい動作を繰り返すマルチを、巳間はそんな冷めた目で見つめていた。
つい感情を言葉に表してしまったが、それでも巳間はマルチに対し慈悲という感情を見出そうとはしていない。
巳間の手にしているベネリは、相変わらずマルチの眉間へと向かって伸びていた。

(愚かな奴だ)

トリガーにかけた指を少しでも動かせば、発砲された弾が少女の額を貫くだろう。
崩れた姿勢を正し、巳間は少女の命を奪う決意をした……しかし。
襲った違和感は、巳間が想像だにしないものだたった。

「……っ!」
「はう! 大丈夫ですかっ?!」

突然巳間に走り抜けた激痛は、右足の傷を拠点としていた。
……今は手当てされているものの、それまでの長時間放置してしまった結果であろう。
言うことを聞かない自身の足に、巳間の中で焦りが積もる。

「くそっ、どういうことだ!」
「あ、あの、乱暴に動かしちゃ駄目ですっ」
「触るな!」

自身に向かって伸ばされたマルチの手を、巳間は即座に払いのけた。
しかしそれで崩れたバランスは、巳間を側面に転がそうとする。

「危ないですっ」

横から精一杯という様子が一目で分かる、少女の体が巳間に押し付けられた。
巳間の体重を支えるように、非力な少女は必死な形相で巳間にしがみついている。
先ほどまで、銃を向けられていた相手に対してこれである。
必死になっているマルチの表情が目に入り、呆れが巳間の心中を満たしていく。
それは結果的に、彼の中の闘争本能を削ることになる。

603メイドロボとして3:2009/03/17(火) 18:36:40 ID:Rd8zP9jw0
「えっと、あの、私……考えました」

何とか左足に力を込め体勢を整えた巳間の落ち着いた様子を確認した上で、マルチは口を開いた。
至近距離にある巳間の目をしっかりと見据え、その状態で自分の中の結論をこのタイミングで告げる。

「私があなたを、お守りします。
 私はメイドロボですから、人様のお役に立つために存在しているのです」

一体マルチが何を伝えようとしているのか、読めない巳間はぽかんとマルチを見返すことしか出来ない。

「ですから、もう巳間さんが手を染めることはないんです」
「おい……」
「死神さんが来ても、私が巳間さんをお守りしますから……ですからっ!」

ベネリを握ったまま下ろしていた巳間の右手に、マルチの手が重ねられる。
機械である真実を語らせないその柔らかさが、巳間を包む。

「もう人を殺そうとするのを……止めていただけ、ないでしょうか」

訴えかけてくるマルチの瞳の色には、確かな意志が存在していた。
汚れを含まない純粋なそれに、巳間は困惑の色が隠せなかった。

「……お前に、何ができる」

ぽそっと。
長くもない沈黙を破った巳間が、眉間に皺を寄せ深いそうに言葉を放った。

604メイドロボとして3:2009/03/17(火) 18:37:01 ID:Rd8zP9jw0
「武器も何も持っていないお前が、俺を守るだと? 笑わせるな」
「はう……」
「殺し合いに乗った連中が押し寄せてきた時、お前は本当にそれに対処できるというのか。できないだろう」
「で、でもお守りします! 何が何でもします、私のできることでしたら、何でも……」
「だから、お前に何ができるのかを聞いている」
「はう〜」

弱々しげなマルチの言葉尻に、もう巳間は苛立ちを感じていなかった。
限界まで大きくなった疑問が、彼の胸中を占めていたからである。

「何で」
「は、はい!」
「何でそこまで、俺のためにしようとするんだ。……俺はお前達を襲った側なんだぞ」

そう。
巳間は、マルチ達を襲った人間だった。
そんな相手に対し、何故ここまで必死になれるかが巳間は不思議で仕方なかった。

「私は……誰かに必要とされないと意味のないものなんです」

過ぎる雄二の言葉、それを消し去ろうと少し頭を振った後マルチはまた話し出す。

「それがメイドロボなんです。
 今私は、メイドロボとしての自分の在り方に疑問を持ち始めました。でも。
 でも、それだけじゃ駄目なんです……それがいけないことかいいことなのか、今の私には判断ができません。
 だからせめて、いつもの私でいたいんです。本当に正しいのは何か、見極める間は」

605メイドロボとして3:2009/03/17(火) 18:38:27 ID:Rd8zP9jw0
雄二の前からマルチは逃げ出した。
あそこで狂ってしまった雄二を見放したマルチは、メイドロボという観点で見るならば許される存在ではないだろう。
それでもマルチは雄二を押さえつけることも、諭すこともできない。
メイドロボだからだ。

間違っている人間を救ってあげたいという気持ち、それをどこまで押し通して良いのかの判断がマルチにはできていない。
できない。
雄二の件で負ったマルチの傷は、彼女の感情プログラムにも如実に出てしまっている。

「私はメイドロボですから、人様のお役に立つために存在しているのです。
 お願いです……傍に、傍に置いてください」

マルチの呟きの意味。
その詳細は、やはりこの段階では巳間に伝わっていないだろう。
それでも彼が、再び銃をマルチに向けることは……なかった。

606メイドロボとして3:2009/03/17(火) 18:38:59 ID:Rd8zP9jw0
マルチ
【時間:2日目午前6時半過ぎ】
【場所:I−7・民家】
【所持品:救急箱・死神のノート・支給品一式】
【状態:巳間と対峙】

巳間良祐
【時間:2日目午前6時半過ぎ】
【場所:I−7・民家】
【所持品1:89式小銃 弾数数(22/22)と予備弾(30×2)・予備弾(30×2)・支給品一式x3(自身・草壁優季・ユンナ)】
【所持品2:スタングレネード(1/3)ベネリM3 残弾数(1/7)】
【状態:マルチと対峙・右足負傷(治療済み)】


(関連・934)(B−4ルート)


ホワイトデーすら終わってしまいましたが、バレンタインイラスト用意していました・・・。
ちょうどバレンタイン当時に散った、彼女の勇姿に捧げます。よろしければどうぞ。
ttp://www2.uploda.org/uporg2095774.zip.html
(パス:hakarowa3)

607十一時五十三分/変:2009/03/20(金) 16:39:34 ID:Yql.FpJE0
 
あの街には、いつも静かに雪が降り積もっていた。
そんな気がする。

わかっている。
そんな筈はないのだ。
春が来れば雪は融けて消えてしまう。
夏に降った雨はやがてせせらぎとなって、秋に色付いた木々の葉を乗せて流れていく。
いくら冬が長くたって、ずっと雪景色が続いている筈がない。
そんなことはわかっている。

ただ私にとって冬はあまりに長く、あまりに無慈悲で、だから子供の見る悪夢のように、
いつまでも明けない夜のように、この心をひどく責め苛む。
来ないでと泣いても、季節は待ってくれない。
秋は終わり、冬が来る。
黄金の野原は枯れ果てて、銀世界の下に隠されてしまう。
だから私にとっての冬とは、世界の終わりを告げる鐘の音だ。

あの少年は、今年の夏も来なかった。
去年も、その前も、更にその前の年も来なかった。
きっと、来年も再来年も、ずっとずっと待っていたって、来やしない。
冬は、そんな風に嘲笑って私を掻き毟る、長く暗い季節だ。

私は、世界を護れなかった。

だけど、と。
小さな小さな、声がする。
それはいつか、思い出せない時間の中のいつか、私に囁いた声だ。
きっと私の奥底の、胸を切り開いて取り出さなければ触れないような、生温かい筋肉や
ずっと同じように動き続ける肺や心臓や、そういうものに囲まれた奥にできた小さな傷の、
ほんの少しづつ血の滲む綻びの中に棲んでいる、意地の悪い顔をした蟲の声だ。
私の身体が、私に聞こえないように囁きを交わすのを、わざと触れ回る声だ。
だけど、だから、それは私の、本当の声だ。
その声が、小さく小さく谺する。

―――だけど、私が本当に護れなかったのは、何だっけ?


***

608十一時五十三分/変:2009/03/20(金) 16:39:52 ID:Yql.FpJE0
 
打撃とは、具現した力の収束である。
川澄舞の変生した黒腕が一撃の下に砕くのは、鋭く割れた石礫だった。
獣の筋力、人智を超越した力をもって加速する舞の疾走は、その相対速度において
漫然と飛ぶ石塊を恐るべき威力を秘めた凶器へと変えている。
掠れば肉を裂き骨を容易く砕くその石くれを端から砕きながら、舞が走る。

向かう先には砂塵が陣幕を張っている。
薄く黄色がかった靄の向こうには巨大な影が横たわっていた。
石造りの巨腕。
舞の眼前、聳え立つ二刀の巨神像からたった今削ぎ落とされた、それは片腕である。
飛び交う砂塵と石塊とは、その腕の落ちる際に撒き散らされたものであった。

靄を切り割るように駆け抜けた舞が、巨腕を踏み台にして跳ぶ。
一直線に神像へと跳躍するその手には退魔の白刃が握られている。
陽光を凝集したように輝く刃は、舞の身体を薄く包む白い体毛と相まって、蒼穹の下に煌く白い軌跡を描く。
迅雷の、定めに抗って天へと昇るかのような、それは光景であった。

無論、見下ろす神像とて、ただ黙って接近を許す筈もない。
片腕を落とされながら身を捩り、残る隻腕で舞を迎え撃つ姿勢。
叩き落すような縦一文字の剣閃が、舞の跳躍と軌道を交差させようと迫る。
質量差にして数千倍。
厳然たる物理法則を前に、しかし表情を変えぬ舞がそれを捻じ曲げんとするが如く、白刃に黒腕を添える。
激突は覚悟と天道との闘争であったか。しかしこの神塚山において幾度も争われ、その悉くが
天の定めし法を覆してきた闘争の、何度めかの激突はその寸前において回避された。

介入したのは黒き弾丸とも見える少女である。


***

609十一時五十三分/変:2009/03/20(金) 16:40:06 ID:Yql.FpJE0
 
鬼。
柏木楓はそう名乗った。
名乗って、私をそう呼んだ。
それは、古い記憶を呼び覚ます。
ひとつの欠片は他の欠片と繋がって、堤防から溢れる奔流のように私を押し流していく。

思い出すのは昔のこと。
あの、雪の降りしきる街に辿り着くよりも、更に昔。
ずっとずっと幼い頃、私は確かに、そう呼ばれていた。
懐かしさはない。
そこにあるのは私を囲む、嘲笑と畏怖と、侮蔑の視線だ。
冷たい視線に囲まれて、いつしか私も冷えていく。
私の中で囁く声はきっと、そういうものの冷たさに誘われて目を覚ましたのだ。
―――鬼子、鬼子、と。
私を呼ぶ声の、底冷えするような悪感情に誘われて。

ああ、いや。
ひとつ、間違えた。
懐かしさは、確かにある。
その声に誘われて思い出す光景は、ひどく懐かしい。
吐き気がするほどに、懐かしい。

私を嘲る者たちの、お母さんに石を投げる者たちの、愛おしい、もう動かない、白く濁った、
溢れる涙で赤く汚れた、湯気を上げるような、冷たい、眼。
懐かしい、屍の山の、臭い。

護りたいと思った。
護れると思った。
私には、力があった。
容易く奇跡を起こすだけの力が。

奇跡は、人を救わない。
そんな、簡単なことだけを、幼い私は、知らなかった。


***

610十一時五十三分/変:2009/03/20(金) 16:41:30 ID:Yql.FpJE0
 
天へと昇る迅雷。
振り下ろされる、裁きの鉄槌。
交差する筈の二者はしかし、ついに交わることはなかった。
瞬間、真横からの狙い澄ましたような打撃が振り下ろされる鉄槌、巨神像の刃へと叩き込まれ、
その軌道を僅かに逸らしていた。
川澄舞と隻腕の巨神像、その振るう刃の激突へと介入したのは少女である。
名を、柏木楓という。

逸らされた巨大な刃の巻き起こす豪風が全身の毛並みを激しく波打たせるのを感じながら、
舞が空を駆け上がる。
文字通りの瞬く間に迫るのは巨神像の頭部。
向こう気の強そうな青年を象った顔面である。
一刀が、閃いた。

雷鳴の如き音と共に、巨神の顔が罅割れる。
刻まれた太刀傷はその顎から右の瞼にかけてを深々と切り裂いていた。
それが人であれば、絶叫と苦悶に身を捩っただろう。
致命傷となっていたかも知れぬ。
しかし舞が斬ってのけたものは、人ではない。
石造りの像である。
身を捩ることも、苦悶に声を漏らすことも、なかった。
代わりに繰り出したのは眼前、自らに傷を与えた存在への、反撃であった。

視界に影が落ちる。
斬撃直後の無防備な一瞬、舞を直撃したのはその身に数十倍する巨大な石像の、膨大な質量である。
脇を締め顎を引き、首と腕とで保持される槍の穂先は肩口。
ショルダーチャージ。人が獣であった昔より培われた、原初の突撃。
その衝撃は見上げる程の建物が雪崩を打って倒壊してくるに等しい。
瞬間、砂粒を磨り砕くが如き擦過音が舞を貫いていた。


***

611十一時五十三分/変:2009/03/20(金) 16:41:45 ID:Yql.FpJE0
 
それは簡単なことだった。
お母さんの命を救ったように、私は奇跡を起こしてみせた。
私とお母さんとに、汚い言葉や、薄汚れたゴミや、そういうものを投げつける者たちが、
ほんの少し不幸になればいいと願う、その程度の奇跡。

果たして不幸は訪れた。
ほんの少しの不幸で人は死ぬ。
高い高い積み木の塔の、一番下のひとつを引き抜くような、ほんの少しの不幸。
音を立てて崩れていくそれは奇跡のように滑稽で、奇跡のように味気ない光景だった。

だから私はそれに何の感情も覚えずに、ただ当然のことをしたのだと、散らかした玩具を
元の箱に片付けるような、そんな少し面倒で、だけど当たり前のことをしたのだと、思っていた。
私だけが、そう思っていた。

投げつけられる石や罵り声や、そういうものは、それまでよりも増えていった。
代わりに減ったのは、笑顔だった。
何よりも大切だった、何よりも護りたかった、お母さんの笑顔。

それが消えてしまうまでは、本当に早かった。
今も忘れない。
割れた窓硝子の隙間から吹き込む風に震えながら、電気もつけずにほつれた髪を梳いていた、
冬の朝の水溜りに張った氷のように薄い微笑みが、私の見たお母さんの、最後の笑顔だった。

それきりもう、お母さんは笑わなくなった。
怒ることも、泣くことも、言葉を発することさえ、なくなった。
母は今も、生きている。
私が病から命を助けた母は今も生きていて、だけどお母さんはもう、どこにもいない。

もう、なくなってしまった。
私が、護れなかったばっかりに。

私のなくした、それが最初の、たいせつなもの。


***

612十一時五十三分/変:2009/03/20(金) 16:41:59 ID:Yql.FpJE0
 
けく、と。
ひとつ咳き込んで折れた歯を吐き出す。
ぼたりぼたりと汗に混じって落ちる血は、どこの傷から流れてきたものか。
黒く染まった左の手で梳けば、慣れぬ爪の鋭さに切れた髪がはらはらと舞う。
風に散る一房の髪は白く、斑模様に赤黒い。

川澄舞は生きていた。
人を容易く挽肉に変える一撃から彼女を守ったのは、儚く舞い散るその白い毛並みである。
恐るべき打撃の、また文字通りの刹那を以て叩きつけられた落地の一瞬、本能的に身を丸めた舞の全身を
白銀の体毛が包み込んでいた。
森の王の名を冠する凶獣の身を覆っていた絶対の加護。
舞自身も由来を知らぬその力が日輪の下、彼女の命を繋ぎ止めていた。

見上げた空には刃がある。
足を止めた舞を屠るのに絶好の位置取り。
だが、いまや一振りとなったその刀を繰る神像はその切っ先を舞へと向けようとはしない。
隻腕の神像がそれでもなお美しい軌跡を描いて振るう刃が狙うのは、黒髪の少女である。
柏木楓。
中空に透き通る足場でもあるかのように身を捻り、回転し、自在の跳躍で刃を躱すその身のこなしは
奇と怪の二文字を以て形容される。
それは既に、人の成し得る動きではない。
揺らめく陽炎の、容となって道行きを惑わすような、妖の領域。
古来、鬼は帰なりという。帰、即ち人の魂である。
果たして鬼を名乗る少女の姿は妖しく揺れる魂にも似て、その幽玄を以て万象を侵さんとするように、
時折閃く紅の爪が神像に癒えぬ傷を刻んでいく。

見上げる舞の、何かを求めるように伸ばした手は黒く分厚く罅割れて、握り、開いたその中には何も残らず、
しかしその向こうには、神の形代と刃を交える少女がいた。
遠い空だ。
手を伸ばせば届くほどに、遠い。

身の内に流れる血と肉とは、獣の臭いに満ちている。
餓え渇き、牙を向いて涎を垂らす獣の臭いだ。
劫と吼えれば、大気が恐れをなすように震え上がった。

それは力。
見失った何かに手を伸ばすための、どこかに置き忘れてきた何かを補うための、力だった。
獣と鬼とをその身に秘めて、少女が静かに力を溜める。

空を見つめる瞳には、ただ星だけが瞬いている。
日輪の下、星が、流れた。
果てしない攻防の末、遂に柏木楓を捉えた巨刀が真一文字に振り抜かれていた。

転瞬、力が弾けた。
解放。悦楽にも近い感覚と同時、全身の筋繊維が咆哮を上げる。
加速は刹那。

隻腕の神像が一刀を振り抜いた、それは攻と防の狭間。
零に等しい、空白である。


***

613十一時五十三分/変:2009/03/20(金) 16:42:09 ID:Yql.FpJE0
 
私の中にぽっかりと開いた大きな穴に詰め込まれたのは、透明でふわふわした、
軽くていがらっぽい何かだった。
それが悲しいという感情だと気付くまでに、何年かかっただろう。
そんなことを教えてくれる人は誰もいなくて、だから私は名前をつけることもできない感情に
かりかりと胸の中を掻き毟られながら生きてきた。
流れ着いた北の街の片隅の、黄金の野原で過ごした、あの夏の日まで。

それが本当に大切なものだったのか、今ではもうよく思い出せない。
もしかしたら、私は単に同情で差し伸べられた手を唯一無二のものだと錯覚しているだけなのかもしれない。
だとしても、構わなかった。
何も持たず、ただ身体の内側から血を流し続けるだけの日々を過ごしていた私にとって、
それは確かに、救いの手だったのだから。

私は、何かに縋りたかった。
それを恥じる気は、ない。


***

614十一時五十三分/変:2009/03/20(金) 16:42:19 ID:Yql.FpJE0
 
白の少女が大気を切り裂いて空へと駆ける。
風に棚引く毛並みが手にした白刃の煌きを隠すように日輪を映して輝いた。
一刀を振りきった隻腕の神像はその無防備な懐を晒している。
柏木楓の爪に抉られた傷が幾重にも重なり罅割れたその上体へと飛ぶ舞を遮るものは何もない。
返す刃は到底間に合わぬ。
銀の弧が、閃いた。

巨砲から放たれた弾の炸裂したように、隻腕の神像が爆ぜた。
無数の石礫が落ちるのは神像が背を向ける銀の平原。
ぐらりと、巨大な像がその質量を保持できずに揺らぐ。
胸の下から右の脇腹にかけてが、失われている。
残った一刀を大地に突いて身を支えた、そこへ奔る影がある。

蒼穹の下、朱い三日月が昇った。
伸びきった隻腕を、その肘から断ち切ったのは柏木楓の爪である。
己が刻んだ幾多の傷を結びつけて一文字の線と成すように、刃が疾っていた。
ずるり、と断ち割れた石腕が凄まじい轟音と土埃を立てながら地に落ちる。
苦痛も苦悶も感じぬ石像が、しかし遂にはこの間髪を入れぬ波状の斬撃に屈するように、傾いだ。

皹が拡がり、割れ砕け、石くれが雨のように降り注ぐ。
その中心では赤黒い泉が水面を揺らし、幾つもの波紋を浮かべている。
鮮血である。無論、石造りの神像から流れ出る筈もない。
巨腕より僅かに遅れて大地に降り立った、柏木楓の全身から流れ出したものである。
傷は先刻、神像の一刀に捉えられた折のものであったか。
辛うじてその肢体を隠す襤褸の下には、ぐずぐずと泡を立てる桃色の肉が見える。
鬼の血が砕かれた骨を繋ぎ、爆ぜた肉と裂けた皮とを癒そうとしていた。

人ならぬ鬼の少女を射抜くのは獣の瞳。
川澄舞が、疾走を開始する。
頷いて、柏木楓が走り出す。
血は流れている。千切れた肉は風に晒されて無惨を誇示している。
しかし、足は止まらない。

楓は知らぬ。
川澄舞が、その振るう白刃が柏木耕一を討ったのだと、柏木楓は知らぬ。
黒く染まって鬼へと変じた舞の手が、如何なる数奇を経てそこへ至ったものか、少女は知らぬ。
楓が仇を知ることは、終になかった。

白と黒の少女が、同時に地を蹴った。


***

615十一時五十三分/変:2009/03/20(金) 16:42:32 ID:Yql.FpJE0
  
大切なものは、金色に輝く何かでできている。
それはとても綺麗で、ひどく貴くて、だからいつも誰かがそれを掠め取ろうと狙っている。

私は大切なものを護ろうとして、ずっと近くでそれを見ていようと、決して離すまいとして、
そういう気持ちはきっと誰にとっても重荷で、だけど私にはそういうやり方しかできなくて。
結局また何もかもをなくしてしまうとしても、そうしていくより他に、生き方を知らなかった。

分かっている。
あの少年は、もう来ない。

あの黄金に輝く夏の日はもうやって来ない。
私は彼に私の全部を預けるように縋りつき、彼はそんな私から遠ざかるように、どこかへ行ってしまった。
それはもう終わったことで、全部が過去の出来事で、私はお母さんをなくしたように、
彼もまたなくしたという、ただそれだけのことだった。

ああ。
それはただ、それだけのことだ。
取り返しのつかない過去であるという、それだけのことだった。

何かが喪われたのは過去の出来事で。
過去は取り返しがつかなくて。
だから、なくしたものは取り返しがつかない。
永遠に。

―――それが、何だというのだ。

それでも決めたのだ。
抗うと。
認めず、抗い、勝利すると。

あり得べからざる喪失を内包する現実に。
確固として存在するという、ただそれだけのものでしかない、薄弱な過去に。
頑迷に幸福を拒む、あらゆる世の理に。

護れなかったすべてを、喪われたすべてを、それでもこの手に取り戻すのだと。
川澄舞が、そう決めたのだ。

それが、この世を形作るルールの、全部だ。


***

616十一時五十三分/変:2009/03/20(金) 16:42:57 ID:Yql.FpJE0
 
神像に最早、力はない。
両の腕を落とされ、脇を大きく抉られて、己が膨大な質量を支えることもできず、
成す術もなく傾いでいく神像に、終わりの時が訪れる。
終焉を告げる使者は地を駆ける少女の姿で現れた。

川澄舞が、跳ぶ。
その手には退魔の一刀。
柏木楓が、迫る。
紅爪が大気を裂いて、小さな音を立てた。

両者の軌跡が瞬く間に近づいていく。
十字を描く、その交差点で。
二振りの刃が、閃いた。

小さな足音が二つ降り立った直後。
二刀使いの神像であったものの首が大地に落ちて、砕けた。


***

617十一時五十三分/変:2009/03/20(金) 16:43:24 ID:Yql.FpJE0
 
思い出す。
鬼と呼ばれていた頃の力を。
あの、今はもうない、やがて取り戻されるべき黄金の野原に置いてきた力のことを。

魔物。

口をついて出た言葉は形となり、今もまだあの場所に揺蕩い続けている。
力は刃だ。
理を切り伏せ、この手にあるべきすべてを取り戻すための、私の刃だ。

今、認めよう。
今、赦そう。

あれは、嘘だ。
彼をなくすことを恐れていた私の愚かさが作り出した、妄言だ。

魔物など存在しない。
黄金の野原はなくなってしまった。
彼の帰ってくる場所は、もうどこにもない。

それを私は認めよう。
認め、捻じ伏せよう。
それがどうした、と。

川澄舞は取り戻すのだ。
喪われたすべてを。
喪われゆくすべてを。

なくすことを恐れる理由など、もうどこにもない。

迎えに行こう。
私の力を。
理を蹂躙する刃を。


 ―――ここで待ってる。夢から覚めたあなたが、いつかあたしに会いに来てくれる日を。


そう呟いて微笑んだ、あの少女の世界。
かつて私が護れなかった、黄金の麦畑に。

618十一時五十三分/変:2009/03/20(金) 16:43:34 ID:Yql.FpJE0
 

【時間:2日目 AM11:54】
【場所:F−5 神塚山山頂】

川澄舞
 【所持品:村雨、鬼の手、白虎の毛皮、魔犬の尾、ヘタレの尻子玉】
 【状態:白髪、ムティカパ、エルクゥ、軽傷治癒中】

柏木楓
 【所持品:支給品一式】
 【状態:エルクゥ、重傷治癒中(全身打撲、複雑骨折多数、出血多量、左目失明)】

真・長瀬源五郎
【イルファ・シルファ・ミルファ・セリオ融合体】
【組成:オンヴィタイカヤン群体12400体相当】
【ベナウィ・フィギュアヘッド:健在】
【オボロ・フィギュアヘッド:大破】
【カルラ・フィギュアヘッド:健在】
【ウルトリィ・フィギュアヘッド:健在】
【カミュ・フィギュアヘッド:健在】

→1045 1047 ルートD-5

619Trust you:2009/03/23(月) 01:32:33 ID:cw9JXZvc0
 災い転じて福と成す。水瀬名雪が山を降りたとき、思ったのはその諺だった。
 レーダーを失っていたお陰で思ったように人は見つからず、また雨が続いているせいで足は鈍り、下山するのに手間取った。
 しかも降りたとタイミングを合わせるかのように山中から銃声が連続して木霊し、しばらくの間続いた後に鳴り止んだ。

 恐らくは戦闘が起こり、そして決着したのだろうと名雪は考え、同時に間に合わないという確信を抱いた。
 あそこから音が聞こえたということは、自分が見つけることは可能だったはず。すれ違っていたかもしれない。
 だとするならば好機を逃したというわけだ。何人か死んだというのは予想したものの、最悪一人は生きている。
 だが過ぎたことは仕方がないと思考をすっぱりと切り替え、山の麓、平瀬村に降り立ち、散策を開始する。

 以前名雪は平瀬村に留まっていたことはあったが主に移動していたのは西部から北部にかけての範囲で、東部や南部は来たことさえない。
 同じ村にいながら未知の風景である。さてどこから調べるかと周りを見回していると目の前を真っ直ぐに疾走する二人組の女がいた。
 さっと塀の陰に隠れて動向を窺ってみたが余程急いでいるらしく、わき目も振らずにどこかへと走っていく。
 目的など知りようもない名雪だが、これは好機であった。前しか見えていないというのは、同時に視野が狭いということ。
 すなわち、尾行するにおいて格好の標的であるということだ。災い転じて福と成す。名雪は静かに追跡を開始した。

     *     *     *

 昔から、自分は誰も憎みきることが出来なかった。

 母親からその存在を抹消され、『遠野みちる』としてでしか生きられなくなったとき。
 『みちる』がいなくなってしまったと分かったとき。
 自分が誰かを犠牲にして生きているとき。

 奪った者に対して、無力な自分にさえ悲しい以上の感慨を抱かない。
 優しいといえば、そうなのかもしれない。

 けれどもそれは表層に過ぎず、その実何もかもを諦め、自分では何も変えられないと思っているだけだ。
 実際、自分に何が出来る? 人に合わせることしか出来ず、従っていさえすれば上手くいっていた。
 自分でやろうとすれば寧ろ失敗していた。

 母を説得しようとしたときもしかり、渚を慰めようと考えたときもしかり。
 母に言葉は届かず、渚には却ってこちらのわだかまりを自覚させられる始末だった。

620Trust you:2009/03/23(月) 01:32:57 ID:cw9JXZvc0
 自分で為せることなど何も有りはしない。料理が出来るのだって、勉強が出来るのだって人がそれを求めたから。
 己の意思なんてひとつもありはしない。所詮は求められたものに合わせて動く操り人形なのだ。
 それでも良かった。それで、誰かの充足を得られるのなら……

 ルーシーに合わせたのもそれが理由だ。復讐を果たし、少しでも彼女のためになるなら反対なんてしなくていい。
 間違っているなんて言える説得力なんて持ち合わせていない。
 歪みだらけで、人なんて言えるべくもない自分がどんな言葉をかけられる?
 たとえこの思いが諦めきった結果だとしても、そうすることしかできないのが遠野美凪という人形なのだから。

 しかし一方で、それでいいのかと疑問の声を持ち続けている小さな存在が根付いていた。
 『みちる』と最後の対話を交わしたときから熱を放ち続け、今も尚溶かそうとしているなにか。
 飛べない翼にも意味はあると言ったそれが求められるがままの人形の糸を断ち切ろうとしている。
 自分の足で歩いてきたじゃないかと、搦めとった糸を解こうとしている。

 この思いこそが己の『意思』なのだと、そう言っている。
 昔とは違う、様々なものを乗り越えてきた自分なら今度こそ……
 人形でいることを肯定し、諦めている『遠野みちる』と、
 ここまで生きてきた己は何だと激しく言い寄る『遠野美凪』とが交錯し、争っている。


 どうせ今度だって何も出来ないんです。無力なのを自覚しているなら、その上で誰かに従って、少しでも役立つ努力をすべきです。
 確かにこれまではそうしていれば良かった。無力だったのも認めます。ですが、それは分かろうとする意思さえなかったから。

 そんなもの、いつまで経っても持てるはずがないです。
 いや、そんなわけがありません。でなければあのひとたちの死、あの犠牲は全く意味のないものだった。そういうことになります。

 ……その程度の人間だということです。私は、道具でもいい、誰かに使われればいい。
 ……では、使われた結果、間違ったことになって、それでいいのですか? いいわけがない。

621Trust you:2009/03/23(月) 01:33:23 ID:cw9JXZvc0
 間違っているかどうかなんて私に決める権利はありません。正しいかどうかは私を使う人が決めることでしょう?
 ただの思考停止です、それは。自分が責任を負いたくなくて逃げただけ。結局は保身でしかない。

 ――それに。
 ――どうせ人のためじゃない、自分のために何かするのなら逃げるより立ち向かう方がいい。そうは思わないのですか?


 そう。
 なんだかんだ言っても自分は自分のことしか考えられない。
 心の安寧を得られるなら人に依存し、その結果人が不幸になってさえ見過ごす。己の本質はそうなのだろう。
 いくら経験を積み重ねようと変わらない部分でしかないのかもしれない。

 だがどうせ人に縋るのなら心の一切を吐き出し、負い目も感じないくらい堂々としていればいいのではないだろうか。
 人のためだなんだともっともらしい理由などつけず、自分がそうしたいから、それが望みなのだからと言い切ってやるのもいい。
 それでぶつかり合い、傷つけあうことになろうとも望んだのは自分。責任は自分にしかないし、それで終わりにするかどうかも自分。

 誰にも責任を押し付けない、ある種我侭で孤独な生き方。
 ただ責任の代わりに、喜怒哀楽を分かち合うことが出来る。
 負の部分ではなく、共有して喜び合えるものを分け合う進み方だ。
 出来るかどうか、そうする資格があるのかなんてどうでもいい。望むだけでそれができる。
 これもまた、『諦めきった結果』なのだから。

 ひとつ、諦めの悪いものがあるとするなら……依存の対象たる友を失うことなのだろう。
 いなくなってしまった『みちる』、現在も隣にいるルーシー、離れてしまった渚。
 自分には全員が必要だ。自分を満足させるために必要としている。しかしそれが悪いことでは、決してないはずだ。
 語り合えば可能性は無ではない。要は、やるかどうかだ。

622Trust you:2009/03/23(月) 01:33:51 ID:cw9JXZvc0
 今の私なら、やれる……
 そう断じて美凪は横を走るルーシーへと目をやった。
 空白の瞳、復讐を見据えながらもその先は全く見えていない瞳がある。
 純粋といって差し支えなく、迷いだといえばそれも否定は出来ないものがある。
 分からない未来に対して途方に暮れ、立ち尽くすことも恐れている女の子の顔が映っていた。

「くそ、消えてしまったか……どこが出火していたのか分からん」

 雨に濡れ始めた髪をかき上げ、天を仰ぎながら苛立たしげに漏らす。
 明るい方向を目指して走ってきたはいいものの、次第に見えなくなり始めついには見失ってしまっていた。
 周囲には森と点在する民家、申し訳程度に整備された道があるだけで街灯もなく、暗闇に閉ざされたゴーストタウンといった様子だ。
 昼間の間はまるで気にならなかったのに、夜になった途端一寸先が闇という状態。

 だからこそ自分はまた諦めたのかもしれない。見えない闇ばかりを追うのも諦めた情けない人間になってしまった。
 でも諦めたからこそ見えたものだってある。考え方ひとつで得られるものだって自分達は持っている。

「……もう、よしましょう。るーさん」

 思ったよりあっけらかんとした、澄んだ声が出ていた。
 闇だけしか見ていなかったルーシーの目が外され、美凪へと向けられた。
 その色は呆然として、思ってもみなかった言葉に戸惑っているようだった。

 私だって信じられないです、と美凪は内心に困ったように苦笑した。
 何も考えてこなったツケを支払っているだけなのかもしれない。遅きに失した。
 こんなことをしなくてもよかったはずなのに。あの時言葉が出ていれば、もっと早くに『諦めて』いれば良かったのに。
 本当に自分は馬鹿げている。そう思いながら美凪は立ち尽くしたルーシーに言葉を向けた。

「戻りましょう。もう、いいんです、もう……」

 すぐに反論の言葉が返ってくるかと思った美凪だが、ルーシーはただ顔を俯け、ウージーを所在無く握り締めていた。
 裏切られたとも、理解できないとも言えない、どうしてという疑問だけがルーシーから出てきた。

623Trust you:2009/03/23(月) 01:34:14 ID:cw9JXZvc0
「どうしてだ……? ずっと、そうだったのか……?」

 ルーシーの指す『そうだった』というものの中身は分からない。美凪は首を縦にも横にも振らなかった。
 美凪の手がルーシーの肩に置かれる。
 自分の中にある真実。それだけを伝えようと口を開く。

「済みません、本当に……でも、私達はまだ戻れます。……もっと、早く言い出せば良かったというのも分かってます。
 今さらだってことも。また手を返したってことも分かってます。……恥を忍んで言います。戻りましょう、るーさん」

 後悔と羞恥とがない交ぜになり、いっそ死ねばいいと思えるくらいの苦渋が口の中に広がる。
 けれども目は背けない。いや、もう背けられない。ここが崖っぷちの腹切り場なのだから。
 ここで友達を失ってしまうかもしれない、と美凪は思う。それだけのことをしようとしている。

 だが、構うものか。やるだけやって嫌われてしまえばいい。
 自分が依存しているという事実、それは嫌われ、絶交されようがこの先も変わりないはずなのだから。
 そのまま分かたれて終わりになってしまうかどうかも自分次第。終わりなんて終わってみなければ分からない。
 終焉の果てに満足出来れば十分だ。その時間が、ほんの一瞬のものだとしても。

「だけど……だけど! あいつは許せない! そうだろう!?」

 悲鳴にも近いルーシーの声が弾かれるようにして飛び出した。
 口元は引き攣り、澱みを含んだ瞳が見える。美凪は体を強張らせながらも、その瞳が揺れているのを見逃さなかった。
 復讐心に駆られる己を認めつつも、自分ではどうしようもないと知っている目だ。
 同時にそれは諦めきって、尚助けを求めているようなものにも思えた。
 自分だって許せるわけがない。許したくもない。

624Trust you:2009/03/23(月) 01:34:41 ID:cw9JXZvc0
「……彼女は、目の前にいるわけじゃありません。見失ってしまったのならもう探すこともないと思います。
 それともるーさん、そこまでして成し遂げたいものなんですか? それだけの価値があるのでしょうか。
 もっと価値のある、やるべきこと……それは、私もるーさんも分かっているんじゃないですか?」
「そんなこと分かっている! でも分かっているからなぎーは『殺そう』って言ってくれたんじゃないのか!?
 なんで今さらこんなことを言い出すんだ! 遅い、遅すぎるんだ……! なぎーの決意はそんなものなのか!」
「全くです。遅いだなんて、そんなものじゃない、どうしようもない馬鹿だってのは分かっています。
 でもお願いします、恥を忍んで言います。土下座だってなんだってします。だから、戻りましょう。ここから」

 恥も外聞もない、ただ止めようと言い続ける美凪の姿を捉え続けていたルーシーの鉄面皮が割れ、
 ルーシーという人間を現す苦悩の形へと変わる。馬鹿だ、と罵る声が聞こえた。

「認めない、こんなの認めたくない……! 大体戻ってどうなる。私達が変われるものか……あいつらは変わって、前へ進んでいる。
 でも私達は違う、そこまで立派になんかなれない。だから一緒になんかいられないんだぞ、分かってるだろ?」

 その通りだと美凪は内心に肯定しながらも、しかし「変われることと分かり合うことは違います」と首を横に振った。
 誰もが渚になりきれるわけがない。現に変わることを諦めてしまった自分という存在がここにある。
 変わったとして、自分は、自分達はここまでだ。遥かな高みには到底辿り着けない、屑鉄に沸いた錆のようなものでしかない。

 けれども変わったひとと変われないひとが分かり合えないはずはない。
 道は険しく、隔たりはあまりにも広すぎるが、人間なら出来ないはずはない。目を背けさえしなければ。
 飛んでいけないなら翼を作る方法はあるのだし、地道に歩いてもいい。そうする力も私達にはある。

 微笑した美凪の顔を見たルーシーは一言、「いつからだ……?」と弱々しげに吐いた。
 どうにもならないと悟ったのではなく、全身の力が抜け切って弛緩したかのような弱さだった。

「……恐らくは、るーさんと会う、少し前からです。あのときからずっと、答えは見えていたはずなんです。
 でも変われないのが分かって、ダメだと思い込むようになって……いつの間にか、目を向けようともしなくなった」
「自縛霊、か」

 薄く笑って、ルーシーは呟いた。

625Trust you:2009/03/23(月) 01:35:10 ID:cw9JXZvc0
「じゃあ、あのとき私に言ってくれた言葉は……なんだったんだ。なんで、『殺そう』なんて」
「……自分の、ためです。信じている人の言う事さえ聞いておけば自分が楽になれると思ったから。最低、ですね……」
「どうせ自分が楽になれるなら、私に誰かと分かり合って欲しいと、そう願ったから手のひらを返したのか」
「その通り、です」

 認めるたびに心が痛み、ルーシーと離れていくのを感じながらも美凪は黙ろうとはしなかった。
 たとえ己のためにという打算があるのだとしても、ルーシーは友達だ。巡り会えた大切な友人なのだ。

 しかし、これで自分は完全に嫌われただろう。所業の一切を吐き出したところで許されるわけなどない。
 懺悔以下の見苦しい独白だ。その自覚は十分にあった。
 だが続けなければならない。断固として自分勝手を貫き通さなくてはならない。
 屑鉄に沸いた錆、価値の無い人間だとしても、私は……

「渚は許せるのか。これまでしてきたこと、がんじがらめにされてきたことにどうにか出来ると思っているのか」
「すぐにどうにかできるとは思ってません。ケンカの一回だってあるかもしれません。
 だけど本当の『楽』を、豊かさを手に入れられるかもしれないなら、目を背けるわけにはいかない。
 そう、思ったまでです」

 敢えて辛辣な言葉を持ち出してきたルーシーに、美凪は包み隠さず己のエゴの在り処を伝えた。
 どこにでもいる怠惰で愚かな人間の姿には相違ない。
 けれども嘘を嘘で塗り潰し、現実に対処するためと割り切って『楽』や『豊かさ』を見失ってしまうのは辛いだけだ。

 それに狭い範囲でしか人は分かり合えないというのは、あまりにも寂し過ぎることではないのか。
 自分とルーシーだって、元を辿れば出会うはずのない他人で、今は境遇を同じくしているだけで思想や理念はまるで違う。
 分かり合えないというのなら、ルーシーとだって分かり合えなかったはずなのに。

「なぎーが踏み出そうとしているのは、先の見えない不確かな道だ。
 何があるかも分からない、ただ突き落とされるだけの道なのかもしれない。
 なぎーの今が『楽じゃない』としても、このままの方が『よりマシな不幸』かもしれない」

 自分で決めた事です。誰に流されるでもない、強制されたのでもない、自分で選んだ道。
 もう一度それを伝えようと、傲慢な意思を伝えようと美凪が口を開いたとき「だから」と続ける声が聞こえた。

626Trust you:2009/03/23(月) 01:35:51 ID:cw9JXZvc0
 ぎょっとして今一度観察してみると、澱みを振り払ったルーシーの目が苦笑の色を帯びていた。
 自分と同じ諦め切った、だがやれるだけやってみようという何も恐れぬ諦めが浮かんでいた。
 我知らず美凪は「ルーシーさん……」と口走っていた。
 これから先、そうとしか呼べぬであろうと考えていた名前を受け止めたルーシーは「よしてくれ」と言い、照れ臭く笑った。

「るーさん、だろう? 友達じゃないか、私達は」

 ですがと出かけた反論は喉を通らず、極まった感情が代わりに飛び出した。
 涙だ。声の代わりに出たのは涙だった。
 エゴを通そうとするような人間についてくる必要はないのに。
 断ち切られてもしょうがないと思っていたものなのに。

 それでも、私を友達と思ってくれているのですか……?
 友達と言われた瞬間に見えた答えはぐるぐると回る思いに流され、再び沈んでしまった。
 しかし見つけることは出来た。一回は見つける事が出来たのだ、人が分かり合うための答えを。
 凡俗でも分かち合えることの証明を。後はもう一度、探し出せばいいだけだ。

「なんだ、泣いているのか? どうしたんだ、なぎー」

627Trust you:2009/03/23(月) 01:36:17 ID:cw9JXZvc0
 視界が滲んで、ルーシーの姿が見えない。
 大丈夫と言ったはずの言葉は嗚咽にしかならず、ただ平気な顔をして泣き笑いの表情を浮かべることしか出来なかった。


 ――だから、私は気付けなかった。
 やはり自分は、どうしようもない馬鹿でしかない。その事実に。


 雨の中に響いたのは反響する銃声。
 あまりにも軽く、そして短すぎる刹那の時間。
 口の中にツンとした鉄の味が広がり、己の口内を満たしてゆく。
 溜めきれず、口から溢れさせてしまう。それでようやく、遠野美凪は気付いた。
 ああ、これは血なのだと。感じている息苦しさは身体が命の体を成さなくなっているからなのだと。


 ――だから、私には見えなかった。
 ルーシー・マリア・ミソラが警告を発していたこと。危険を知らせてくれていたことが。


 体が崩れ落ちる。
 かくんと膝が折れ、前のめりに倒れた上半身を冷たい泥が打ち付ける。
 残っていた熱の残滓も奪われ、急速に世界が閉じてゆく。

 赦されようとした、これが自分の罰なのだろうか。
 傲岸であろうとした罪の、その制裁なのだろうか。
 所詮は儚い夢、出来損ないは出来損ないのまま、分相応に生きていれば良かったのだろう。

 きっと、そうだ。それが正しいことだったのだ。生きようと欲するなら。
 しかしそれで生き長らえた命など命ではないし、本当の自分、本当の勝利など得られようはずもない。
 そう考えるが故に、自分がやることはただひとつ……己を貫き通し、自分勝手であろうとする。それだけだ。

628Trust you:2009/03/23(月) 01:36:34 ID:cw9JXZvc0
「戦ってください! 自分の望む本当の勝利、生きる価値のある命を、掴む、ためにっ!」

 全身から発する声と共に命を吹き散らし、何もかもを出し尽くした美凪はその言葉を最後に、喀血して、命を空に返した。
 ようやく、長い時間をかけて、飛べない翼が自分の足で飛び立ったのだった。

     *     *     *

 目標はあっけなく達成された。しばらく追ってもまるで気付かれるそぶりも見せない。
 しかも雨による天候の悪さが足を遅くしているらしく早さも比較的ゆっくりだ。
 だがどこまで行くにしろ、とりあえずは相手が止まるまでは尾行を続ける。無論自分が気取られていないことを確かめて、だ。

 慎重に、かつ迅速に、横並びに名雪は二人を追い続けた。目は既に機械のそれ。
 殺戮遂行の機械となり余計な要素一切を排除した、人ならざるひとの形をとって。

 名雪はそれを不幸と思わない。
 そのような言葉は既に抜け落ち、殺害の手段を並べ立てることに使われている。

 殺人を哀しいと思わない。
 理解するだけのものは全て忘れ、代わりに浮かべるのは論理的に戦闘に勝利する方法。

 生きているとも、思わない。
 動かせるなら動かす。使えるなら、使う。
 どんなコンピュータより早く。どんな審判よりも的確に。
 辿り着くべきは殺人のための己。人間の形をした、ロジックの組み立て。

 ――ならば、機械に対して相沢祐一はどう思うだろうか――

629Trust you:2009/03/23(月) 01:37:13 ID:cw9JXZvc0
 名雪の根本となっているその疑問に名雪は気付かない。永遠に気付かない。
 だから、名雪は、幸福だった。
 目標、補足。

 道の真ん中。そこで二人は止まり、何事か話し合いを始めた。時に怒声を交えながら、声を擦れさせながら。
 内容は知らない。知ったところで、名雪の脳には蓄積されない。機械には何も教えられない。

 じっくりと、確実に狙撃できるところまで移動する。
 塀にはところどころ模様になった隙間がある。狙うのは、そこからだ。
 そして狙うのは、体の大きな方。
 理由は大きい方が当てやすいから。それだけだった。

 以前に遭遇したことも、そのときの北川潤の抵抗も、何も思い出さない。
 名雪の記憶は全て消えている。

 雪。そう、真っ白い雪、全てを覆い尽くす純白に埋まるようにして。
 記憶の中心、雪で埋まったそこには、雪うさぎを持ったまま待ち続ける――幼い少女の姿があった。
 少女の顔は、凍っている。

 『しあわせ』。『しあわせ』。何がそれかも分からず、ただ感じている顔だった。
 一発、撃った。横腹から血が溢れる。命中。外人風の少女が悲鳴を上げた。銃撃を続行する。

 防弾性のある割烹着も、横腹から後ろにかけては無防備だ。上手い具合に銃撃出来る位置に、名雪は移動していた。
 続けて連射。とすんと膝を落とし、倒れる。ここからでは止めを刺せない。だが戦闘不能にはなった。
 すぐさまもう一人も戦闘不能にし、完全な勝利を達成するべきだ。
 判じてすぐに塀から飛び出した瞬間、強い意志を持った双眸が名雪を出迎えた。

「貴様ァァァァァァァァ!」

630Trust you:2009/03/23(月) 01:37:34 ID:cw9JXZvc0
 既に敵はサブマシンガンを構えていた。反撃に移るのは不可能と考え、そのまま転がるようにして再び塀の中へと移動する。
 直後背面の民家の壁が弾け、塗料と共にセメント片が飛び跳ねた。

 名雪はすぐさま己の体をチェックする。異常なし。だが敵の対応が予想より遥かに早かった。
 奇襲による優位性はなくなったと断定して、現状の装備でどうするか考える。
 銃撃戦は相手に有利だ。凄まじい連射力を誇るサブマシンガンの前では撃ち負ける。
 ジェリコの残弾から言っても自分が勝てる確率は少ない。ならば銃撃させない、接近戦が妥当かと組み立てていると、声がかかってきた。

「何故だ……何故、なぎーを殺した! 理由を言え、水瀬名雪っ!」

 自分に利をもたらす情報ではないとした名雪は何も答えない。機械は範囲外のことは出来ない。
 名雪は移動を開始する。装備は薙刀に切り替える。声をかけているということは、そちらへ意識を向けているということ。
 つまり回り込んでの襲撃が有効だ。その有効性は先の行動の一連で証明されている。

「……そうか。お前が答えるわけがないか。いい、ならそれでいい。私も戦うだけだ。憎しみがないなんて言わない。
 これは私怨だ。絶対に忘れられない、地獄を這いずる戦いだ。……でも、それだけじゃない。
 本当の勝利を掴める、生き残る価値のある命にならなきゃいけないんだ! だからこれは、乗り越えるための戦いだ!」

 塀を乗り越え、側面に回ろうとした名雪の目の前。そこに立ちはだかるかのように敵がサブマシンガンを構えていた。
 読まれていたことを自覚し、即座に飛び降りようとするが後手に回ったツケは大きい。

「なぎーからお前が不意討ちが得意なのは聞いた。二度も通用すると思うなっ!」

 大量の銃弾が塀を、背後の民家を穿ち、削り取る。
 数発が名雪の体を貫通する、が痛みに顔をしかめつつもその程度にしか名雪は感じなかった。
 痛覚が麻痺してきていた。度重なる戦闘、極限にまで二極化された意識。
 それぞれが一体となり痛みを受けると動けない、その『常識』を覆すにまで変貌していたのだ。

 殺戮遂行の機械と化した名雪は薙刀を大きく振りかぶり、袈裟懸けに切り下ろす。
 バックステップして回避しようとした敵だが、薙刀の射程は意外なほど長い。
 避けきれずサブマシンガンを持つ腕に掠り、敵はそれを手放してしまう。
 下がるときに勢いがついていたからか手から離れたサブマシンガンは低く放物線を描くように飛んでいった。

631Trust you:2009/03/23(月) 01:37:50 ID:cw9JXZvc0
 敵に接近戦用の武器は持たせない。再び薙刀を振ろうとするが、刃が地面に突き刺さっていて、一度では引き抜けなかった。
 もう一度力を入れるとあっさり抜けたが、コンマ数秒の間に敵は体勢を整えていた。
 抜いたと同時、横薙ぎに払った刃を、二本の包丁が受け止める。弾かれた間隙を縫い、敵が包丁の一本で切りかかる。
 しかし刃は届かせない。柄の部分を持ち上げ、尻尾で突く。リーチの長さが幸いし、たたらを踏んだのは向こうだった。
 一歩離れ、改めて薙刀を構える。持ち直した敵も視線を険しくし、二刀流のように包丁を構える。

「今の私にはみんながいる……!
 お前には分かるまい、この私を通して出る、みんなの意思が。
 ひとと一緒になりたいという心の意思が。
 それも分からず、こうも簡単に奪ってしまうのは、それは、それはあっちゃならないことなんだ。
 ここからいなくなれぇっ、水瀬名雪!」

 何事かを叫んだ敵が雨の中、疾走を開始し迫ってくる。
 名雪は薙刀を前面に押し出し、リーチの長さを生かして突きで刺し殺そうとする。
 しかし敵は包丁をクロスさせ、刀身で薙刀を受け止め、続いて切り払う。

 男と女ならともかく、女同士の戦いだ。
 しかも名雪は連戦の疲労と本来筋力がそこまで高くないこともあって受け止められる程度の速度にまで速さが低下していた。
 瞬時に理解した名雪は腕力だけに頼らず、遠心力も用いられる横薙ぎに薙刀を振るう。
 更に体全体を回すようにして振るため勢いは段違いだった。

 また包丁で受け止めようとした敵だったが今度は薙刀の重さと勢いに耐え切れず、包丁の一本を手放してしまう。
 しかもまともに刀身で受けたために包丁自身も限界を迎え、刃が砕けて武器の体を成さなくなる。

「くっ! まだだ、まだ終わってたまるか!」

 舌打ちしたらしい敵は何とか懐に飛び込もうと周囲を散開しつつ移動していたが踏み込むと同時に名雪が横に薙刀を振るう。
 そのため退かざるを得なくなりじりじりと名雪が押していく。
 周囲は広いため壁際や袋小路に追い詰めることは出来ないものの、精神的に追い詰めていっている。

632Trust you:2009/03/23(月) 01:38:19 ID:cw9JXZvc0
 このまま何度か攻撃を繰り返す。そうすると敵はこちらが薙刀一辺倒だとして距離を取りにかかる可能性が出てくる。
 そのときこそ、ポケットに隠してあるジェリコで止めを刺す。これが名雪が組み立てた作戦だった。

 事実敵の焦りは目に見えており、飛び込もうとする行動も迂闊な隙が見え隠れしている。
 何とか回避してはいるものの、優位なのはこちらだ。そう名雪は判断する。
 踊るように体を捻り、上段から袈裟に斬り下げる。敵は飛び退くが、着地した場所が悪かった。
 ちょうどそこはぬかるんだ地面で滑りやすくなっていた。バランスを崩し、地面にもんどりうって転ぶ。
 焦りと疲労が生み出した結果なのだろう。好機と捉えた名雪はこの隙にとジェリコを取り出し、狙いをつける。

「甘く見すぎだ! そう思い通りには……いかない!」
「!?」

 構えた瞬間、敵も合わせるかのように『取り落としたはずの』サブマシンガンを構えていた。
 誘導されたのだと察する。接近戦を狙っているのを読み、サブマシンガンが落ちているところまで戦いながらおびき寄せていた。
 しかも自分が半端に有利になるように仕向け、油断をも誘った、二段構えの戦術。

 機械だったはずの心に動揺が走り、どうするべきか躊躇してしまう。
 これまで計算ずくで、ここまで完全に裏もかかれたことのなかった名雪には咄嗟の対処が行えなかった。
 コンマ一秒の隙。その時間を敵は見逃さなかった。

「私だけに気を取られていたのが間違いだ……もっと視野を広くするんだな!」

 トリガーが引かれ、ありったけの銃弾が撃ち込まれる。
 名雪はぐらりと体を傾け、仰向けのままに地面へと倒れた。

     *     *     *

633Trust you:2009/03/23(月) 01:38:42 ID:cw9JXZvc0
 走る。走る。得意ではない走りを続ける。
 十分も経っていないのに息は上がり、胸が激しい動悸を繰り返す。
 倒れないだけマシだ。熱で動けなくなったあのときに比べればなんということはない。

 まだ知りたいことがいくらでもある。知らなければならないことがたくさんある。
 自分だけの世界に閉じこもり、完結していた昔のままではいられない。
 夢がある。皆から託された夢が自分の中にはある。その中にはもちろん、自分の夢も。
 分かり合える友達。信じあえる家族。そんな彼らと共に『希望』や『豊かさ』を組み直し、作り上げてゆく。

 何もかも変わらずにはいられない。しかし変質したとしても本質は変わらない。
 壊れてしまった玩具を、丁寧に修理していくように、外見は変わっても中身までは変わらない。
 その中にこそ、その本質でこそ人は互いに理解し、手を取り合える。

 だからわたしはわたしをありのままに伝える。今はそうしたい。
 自分からこんなことを望むのは久しぶりだ、と古河渚は己に苦笑する。

 最後に我がままを言ったのはいつだっただろうか。
 記憶の引き出しを開けてみてもどこにも見当たらない。
 自分はこれでいい、このままでいいと思い込み妥協しかしていなかったことしか思い出せない。
 終わり続ける世界の住人でしかなかったから、そんなことをする意味がないとどこかで諦めていたのかもしれない。
 だが意味はあると知った。自分でも生きていけるということを知っている。
 我がままを言えることの意味も。
 難しいことは言わない。自分は何も知らなさ過ぎるだけだ。だから知る必要がある。幸福に生きていくために。

「わたしは……強くなれていますか?」

 誰にでもなく呟く。強さへの憧れは昔からあった。
 演劇部に入りたかったのも強さに憧れていたからだ。舞台の上を演じる役者は別世界の人間で、なりきらなければならない。
 役になりきるという責任を果たし、観客も楽しませるという責任も果たす。
 集団での形を取りながらも個人個人の強さがなければ出来ない演劇の役者は、渚にとって強さの象徴のように思えた。

634Trust you:2009/03/23(月) 01:39:00 ID:cw9JXZvc0
 誰かに支えられ、また自分も誰かを支え、バランスを保つこと。そうなりたいという気持ちがあった。
 だから探し出す。支えるべき人を、支えたい人を……

 ルーシーと美凪が向かったと思われるもう一つの火災現場がどこか探してみるが、既に火は消えてしまったのか空を見ても分からない。
 見失ってしまった。このままでは追いつくどころか、辿り着きさえ出来ない。
 大体の方向は覚えているとはいえ、このままでは合流も不可能だ。
 だが立ち止まっている暇はないと足を動かし続ける。今、このときだけは足は止めてはならなかった。

「……! これは……」

 そうして再び走り始めたとき、近くから雨音とは違う、何かが弾ける音が聞こえた。
 銃声ではないかという予感が走り、渚は音に耳を傾けながら体に鞭打って走った。

 渚は気付かない。
 雨に打たれ、体力も消耗し、普段なら倒れてもおかしくないはずの体がまだまだ動くということに。

 渚は気付かない。
 雨が降り注ぐ空の一端に、光の粒が漂っているということにも。

     *     *     *

 残弾が尽きるまで撃ち続け、さらに一本マガジンを交換してなお銃口を向けてみたが水瀬名雪はぴくりとも動かない。
 勝ったのかという鈍い実感と、夜陰に降り注ぐ霧雨の冷たさが徐々に内奥の熱を冷ましてゆく。
 銃口を下ろし、長いため息をついたルーシーはふらふらと立ち上がり、ある場所へと歩き出した。

 本当の勝利、生きる価値のある命。その言葉を教えてくれた、大切な親友のいる場所へ。
 どんなことが本当の勝利で、どんなのが生きる価値のある命なのかまでは教えてくれなかった。
 唯一分かることは、復讐心に駆り立てられるだけではそこには到底辿り着けないこと。それだけだ。
 いやそれで十分だ。最初から答えの分かっている問題なんてない。

635Trust you:2009/03/23(月) 01:39:24 ID:cw9JXZvc0
 この先、自分が満たされ、真実の豊かさを手に入れたときにこそ答えは分かるものなのかもしれない。
 未だ実態は見えないが、分かるようになりたい。そう、強くルーシーは願っていた。

 雨と泥で汚れた顔を拭い、横たわる美凪の遺体を見据える。
 ひどく血を吐き散らし表情も安らかとはいい難かったが、遠野美凪という人間の生き様を克明に映し出していた。
 分かり合えるかどうかも分からない者との対話を望み、なお理解し合えると信じた人間の渇望がそこにある。

「私ひとりになったとは言わない。私にはみんながいる。この服にはうーへいの思い出がある。
 だから、なぎー。一緒に行くために、これを貰っていくぞ」

 美凪の胸元にあるネクタイに添えられている銀色の小さな十字架をそっと外し、自分の髪にヘアピンのようにつける。
 少々大きく、髪留めには向かなかったがこれでいいとルーシーは微笑む。

「本当に覚えていられるなら、物なんてきっと必要ないんだろう。だが、私は所詮憎しみも忘れられない凡俗でしかない。
 だからこうしてでしか、なぎーのことも覚えていられない。でもこれがあれば絶対忘れない。
 どんなに離れていても、どんなに時間が経っても。
 私となぎーの心はつながってる。あらゆる物理法則を超えて、ふたりはひとつだ」

 いや、春原が贈ってくれた服も同じだから『みんなはひとつだ』の方が良かったかもしれない。
 そう思ったルーシーだったが、言い直すことはしなかった。まだ胸を張って『みんな』と言えるほど自分はひとと分かり合えていない。
 だからその時に使おうと考えたのだった。

「不思議なものだな……憎んでいた、あいつを、うーへいの仇を、なぎーの仇を取ったのに……
 こうしてなぎーと出会えた奇跡を、思い出してるなんてな」

 あれほどまでに自分を支配していた憎しみ、どろりとした濁りはなりを潜めている。
 代わりに思うのは自分にもこんな親友がいたのだという事実。失ってしまった哀しみだった。
 ただ、哀しみのいくらかはやりきれない怒りへと変質していたが、
 その大半は雨と共に己を洗い流し、がんじがらめにしていた過去を溶かしていた。

636Trust you:2009/03/23(月) 01:39:44 ID:cw9JXZvc0
 人と理解し合えるなんて思ってもみなかった昔。
 河野貴明との邂逅に始まり、様々な人間と出会いながらも、人間のような心があるはずはないと冷め切っていた過去の自分。
 それが今はどこか遠くのように思え、けれども親友の死に立ち会いながら涙のひとつも出せない自分が、根本は変わっていないと自覚させる。
 そういうものなのだろう。己の本質を変えることは不可能で、変えられるのはあくまでも表層の部分でしかない。
 身分や経験など関係はなく、生まれもった自分は最後の最後までそのままだ。
 それでも、私は……

 目を閉じて、美凪に黙祷を捧げる。彼女がいなければ引き返すことを学べなかった。
 親友というものの実際を知ることもなかった。
 知ってさえこんなにも短い間しか一緒にいられなかった。
 もっともっと、美凪とは話し合いたいことがたくさんあったのに……

 寂寥感が立ち込め、ふとルーシーの胸に陰が差し込む。
 こんな別れ方でいいのか、この雨の中に美凪を置いたままにしていいのかという疑問が持ち上がる。
 時間がかかってもいい、どこかに埋葬してやった方がいいのではないかという考えがルーシーの中に浮かんだ。
 親友をこのままにしていいのかという疑問に、ルーシーが手を伸ばしかけた時――

「ダメですっ! るーさん、離れてくださいっ!」

 突如として、死体であったはずの美凪が喋ったかのように思えた。
 驚愕したものの、だがこの声は美凪のものではないと理解していた頭が、声のした方へと振り向く。

「な……にっ!?」

 そこには。
 ゆらり、ゆらりと立ち上がり、腕や腹部から出血しながらも手に拳銃を持った水瀬名雪の姿があった。
 何故だという疑問は、改めて見えた名雪の姿を見たとき瞬時に解決する。

 腹部は確かに出血しているが、量はそれほどでもない。あれだけ大量の銃弾を撃ちこんだのにも関わらず。
 その事実から導き出せる答えは一つしかない。防弾チョッキだ。
 恐らくは気絶していただけだったのだ。己の失態に悪態をつくほかなかったルーシーだったが、名雪は既に銃を向けている。

637Trust you:2009/03/23(月) 01:40:06 ID:cw9JXZvc0
 最後の気力を振り絞ったものだろう。間違いなく、全弾を使ってでも殺してくる。
 ウージーは手元にあるものの構えて照準をつけるには遅すぎる。
 これまでかと思いながらも諦めることを知らないらしい体は動き、必死に狙いをつけようとした。

「くっ、間に合わな……!」

 声を遮るように、銃声が木霊する。思わず目を閉じたルーシーだったが、痛みはどこにもなく、銃声も一発だけだった。
 目を開ける。そこには、ぐらりと体勢を崩した名雪と……その後ろで、M29を構えている古河渚の姿があった。
 あの声は……古河のものだったのか?
 どうしてここにいる、という疑問と自分を助けてくれたという事実が頭の中を満たし、陰を吹き散らし、視界をクリアにさせてくれた。

 体勢を崩した名雪の隙。もう見逃さない。今度こそ決着をつける。乗り越えるために――!
 尚も無理矢理銃を乱射してきた名雪に応じるように、ルーシーもありったけの力で引き金を絞る。
 頭部を目掛けて撃ったウージーの弾は名雪の頭にいくつもの穴をこじ開け、今度こそ彼女を絶命させた。
 何を考えていたのかも、何を目指していたのかも分からぬ、悲しき機械の女が……ゆっくりと、ぎこちなく崩れ落ちた。

「……っ」

 同時にルーシーも苦悶の声を上げ、膝をついてしまう。名雪の最後の乱射はルーシーの脇腹を掠り、確かな傷を残していた。
 それを見た渚が慌てた様子でこちらへと駆け寄ってきた。

「だ、大丈夫ですかっ」
「……問題はない。掠っただけだ。それより古河、どうして、お前はここに……」
「それは……え、えっと、その……心配になったから、です」

 勝手に離れていったのはこちらだし、放っておいてもよかったのに。思ったものの、口には出せなかった。
 代わりに自分の中に、光が差していくのを感じる。太陽みたいだな、という感想をルーシーは抱いた。
 陰を吹き散らしてくれる、決して近づけぬ存在でありながらなくてはならない存在。
 いつの間にか微笑を浮かべていたらしい自分に対して、渚も微笑を返した。ちょっとぎこちない、しかし暖かな笑みだった。

638Trust you:2009/03/23(月) 01:40:34 ID:cw9JXZvc0
「でも、わたし……間に合わせることが出来なかったみたいです……ごめんなさい、なんと言っていいのか……」

 だがすぐに表情が崩れ、骸となった美凪の方を向いた渚は、泣いていた。
 少しの自責と、たくさんの哀しみを含んだ涙だった。
 もう話すことが出来ない美凪に対して、これ以上ないほど哀しんでいた。

「もっと、話したいことがいっぱいあったのに……わたしは何も知らないのに」
「古河……お前のせいじゃない。こうなったのも私が、私達が何も分かろうとしていなかったからだ」

 寧ろ自分の方が情けない、申し訳ない気持ちで一杯だった。
 言葉の節々から、渚が自分達と関わろうとする意思、己が考えていることと同じことを思っているということが感じ取れる。
 なぎー、やっぱり、お前の言う事は正しかったのに……
 やりきれない思いが込み上げる一方、渚の分かり合おうとする意思に触れ、以前のようなわだかまりが溶けてきていることにも気付く。

 本当は誰かに認めてもらいたかっただけなのではないだろうか。
 善人になりきれない自分を「それでもいい」と受け入れて欲しかったのではないだろうか。
 身内からではなく、しこりを残した相手からの握手を。

 ちょっとしたきっかけ。完全には分かり合えずとも協力していけるきっかけが欲しかったのだ。
 そうして少しずつわだかまりを溶かし、長い年月が経って初めて……自分達を親友と認め合えるのだろう。
 憎しみに変わり、後に退けぬまま食い合う前に……美凪はとっくに分かっていたのに……

「――済まない」

 己の内にある全ての思いをその一言に集約し、ルーシーは静かに、だがはっきりとそう言った。

「ルーシーさん……いえ……」
「そういえば、警告してくれたのも古河だったのか。あのとき、るーさん、って呼ばなかったか」
「? い、いえ、ルーシーさんと、叫んだつもりでしたけど」

639Trust you:2009/03/23(月) 01:40:52 ID:cw9JXZvc0
 そうか、とルーシーは答えて、美凪の方へと向く。
 まさかな、と思いながらも、一方でそうなのだろうという確信があった。
 美凪の魂が、想いが、渚を通じて自分に呼びかけてくれた。

 私はこのままでいい、私に拘らず、るーさんはるーさんの今を生きて欲しい……そんな風に。
 他人に己を委託してでしか生きられなかったはずの美凪。それなのに、こうして最後は自分の力だけで想いを成し遂げた。
 だとするなら、やはり本質からひとは変われるのかもしれない……そんな感慨を抱かせた。
 少なくとも、その可能性は目の前にある――息を吐き出したルーシーは、ゆっくりと渚の肩に手を置いた。

「行け。どうせ奈須あたりとは別行動なんだろう? 追ってくれ。私は少し休んでから行く。ちょっと、疲れた」
「え? で、ですけど……」
「いいから行け。お前なら、きっとあいつだって助けられる。現に私がそうだった。だから、行くんだ」

 ぐいと肩を押し、渚を離れさせる。
 しばらく不安げにこちらを見ていた渚だったが、こくりと小さく、しかししっかりと頷いた。

「分かりました。必ず戻ってきます。あの、そのときには……あ、あだ名で呼んでも構いませんかっ」

 神妙な顔から出た言葉は、この場には不釣合いな、日常の欠片を含んだ言葉だった。
 思わず笑い出したくなるのを抑えつつ、ルーシーは「ああ」と応じた。

「そのときには、こっちもあだ名で呼ばせてもらうぞ。『古河』」

 恐らくは、いやきっとこれが最後の呼び名になるだろうという予感を得ながら、ルーシーは渚の返事を待った。
 はいっ、という元気のいい返事がすぐに返ってきて、今度こそ渚は駆け出した。
 気のせいだろうか、その後ろには蛍のような、小さな光の群れがついていっているように見えた。

 ルーシーは空を見上げる。雨は、少しずつ弱まっていた。
 いつか、きっとこの雨も上がり、空も晴れる。渚という太陽が共にある限り。
 銀色の十字架が同調するように、ルーシーの傍へと寄った。

640Trust you:2009/03/23(月) 01:41:54 ID:cw9JXZvc0
【時間:二日目21:00】
【場所:F-3】

古河渚
【持ち物:おにぎりなど食料品(結構減った)、支給品一式×2(秋生と佳乃のもの)、S&W M29 3/6、ロープ(少し太め)、ツールセット、救急箱】
【状態:心機一転。健康】
【目的:人と距離を取らず付き合っていく。最優先目標は宗一を手伝う事】

遠野美凪
【持ち物:包丁、予備マガジン×1(ワルサーP38)、防弾性割烹着&頭巾、支給品一式、お米券数十枚、色々書かれたメモ用紙とCD(ハッキング用)、ノートパソコン】
【状態:死亡】

ルーシー・マリア・ミソラ
【所持品:IMI マイクロUZI 残弾数(20/30)・予備カートリッジ(30発入×4)、支給品一式×2】
【状態:生き残ることを決意。髪飾りに美凪の制服の十字架をつけている】
【目的:たこ焼き友だちを探す。少々休憩を挟んだ後宗一たちと合流】 

水瀬名雪
【持ち物:薙刀、ワルサーP38アンクルモデル8/8、防弾性割烹着&頭巾、IMI ジェリコ941(残弾0/14)、青酸カリ入り青いマニキュア、支給品一式】
【状態:死亡】

【残り 18人】

→B-10

641十一時五十四分/雲が晴れてても:2009/03/27(金) 15:00:29 ID:QhWdeCLQ0
 
おぅろぅ―――、おぅろぅ―――と。
高く、低く、笛の音のような音が響いている。
砕かれた神像の残骸を、風が吹き抜けていく音だ。
それはまるで群れを見失った獣の哭き声のようで、物悲しさに水瀬名雪が口元を歪める。

駆けるその足は止まらない。
踏み出した傍から崩れ、瞬く間に小さな石の塊となって山道の斜面を転がり落ちていく大地を、
あたかも氷の上を滑るような鮮やかさで越えていく。
少女の外見からは想像もつかぬ体術、絶妙な体重移動のなせる業であった。
と、目の前の地面が、音を立てて割れる。
唐突に口を開いた断崖に、しかし名雪は驚愕の声一つ漏らすことなく跳躍。
断崖が空しくその背後に消えていく。

跳んだ名雪の、開けた視界が赤々と染め上げられる。
火球である。
人ひとりを飲み込んで余りある炎塊が空中、躱せぬ一瞬を狙い澄ましたように名雪に迫っていた。
事実、緻密な計算に基づいた頃合であったのだろう。
だが燃え盛る火に飲まれ骨まで焼き尽くされる未来を、水瀬名雪はただの指一本で回避する。
肉付きのいい指が迫る火球を指し示した、その直後には黒雷が閃いている。
名雪の背後から真っ直ぐに飛び、火球の中心を貫いて雲散させた黒雷が、蒼穹の彼方へと消えていく。
撃ち出したのは名雪の後ろに控える、大きな漆黒の置物である。
疾走や跳躍に正確に追従する、そのぎょろりと眼を剥いた蛙の置物を、称してくろいあくまという。

642十一時五十四分/雲が晴れてても:2009/03/27(金) 15:00:55 ID:QhWdeCLQ0
―――これは正しく、時間との戦いだ。

着地した名雪が冷静に分析を開始する。
敵、黒翼の神像は既に眼前。
残り時間は、と問えば間髪いれず、五分四十秒と答えが返ってくる。
時計の針と戦況とをじっと見比べる坂神蝉丸の渋面が見えるような、声なき声。
さしもの強化兵も焦りや苛立ちが隠しきれなくなってきている。
それでもまだ、前に出られない。
理由は単純だ。
この山頂に覆い被さるように拡がった巨竜の背、銀の平原。
半径数百メートルにも及ぶその銀鱗の敷き詰められた道は、いまや紅の森と化していた。
巨神像の斃れる度、巨竜の背から生える紅い槍はその数を増していく。
行く手を阻むように生え、蠢くその槍の森を越えるには、砧夕霧を抱え動きの封じられる蝉丸だけでは手が足りぬ。
先導し、突破するだけの火力。
それを蝉丸は待っている。
巨神像は既に半数が斃れていた。
残るは四体。槍、白翼、大剣、そして名雪の眼前に立つ黒翼の神像。
この内、左右の端に位置する槍と黒翼が落ちれば、戦闘は最終局面を迎える。
他の巨神像が全て沈黙している状況であれば、白翼と大剣を押さえつつ蝉丸とその先導が動き出せる。
紅い森の突破に集中させることができるのだ。

問題は、と。
黒翼の神像が放つ漆黒の光弾を、同じく日輪を侵すような黒雷で相殺した名雪が、
その手に小さな白い何かを掴み出しつつ、思考を展開する。
何もない中空から取り出したように見えたそれは、陽光を反射して煌く雪球。
否、雪で作られたそれは、小さな兎であった。
問題は突破に費やせる時間が、どれほど残せるかという一点に尽きる、と考えながら高く飛んだ名雪が、
叩き落そうと迫る黒翼の神像の一撃を躱しざま、巨大な腕に雪兎を乗せる。
兎の背にはいつの間にか小さな時計が据え付けられ、その針を動かしていた。
名雪と神像が交錯する度、雪兎の数は増えていく。

643十一時五十四分/雲が晴れてても:2009/03/27(金) 15:01:12 ID:QhWdeCLQ0
―――時間との戦い、だというのに。

優美な巨神像と季節外れの雪兎、そしてその背の小さな時計。
ひどく不釣合いな三者を結びつけた水瀬名雪という怪物が、苦笑する。
この山頂には、幾つもの声なき声が満ちている。
少女たちの、或いはかつて少女であった女たちの、声なき声。
隠す様子もなくびりびりと伝わってくるそれらは、どれ一つとして時間のことなど気にしていない。
身勝手で、視野の狭い、しかしどこまでも切実な声。
その瞳には、目の前の危機など映ってはいないのだろう。
遠い昔に水瀬名雪から剥がれ落ちていった激情が、老いさらばえた心を炙ってちりちりと焦がす。
灼かれて煙をあげた心に咽るように、名雪が口の端を上げる。
笑みに逃げたその貌が、母親のいつも浮かべていたそれとひどく似ているのだろうことには、
気付かないふりをした。

川澄舞は今も待ち続けている。
今も、そして、今回も。
漏れ伝わってくる思いと決意の強さ、その変わらぬひたむきさが、名雪には眩しい。
彼女は待ち人の名を知らない。
その存在の意味も、与えられた役割も。
恋敵、などと水を向けたところで反応が返らないのも当然だった。
それでも、だろうか。
或いは、だからこそ、だろうか。
真実を知ってなお、川澄舞は変わらずにいられるだろうか。
意地の悪い想像に含まれる妬みの色を、名雪は老いた笑顔で飲み下す。

644十一時五十四分/雲が晴れてても:2009/03/27(金) 15:01:48 ID:QhWdeCLQ0
相沢祐一。
繰り返しの果てに壊れた、機械仕掛けの神。
望まれるままに奇跡を起こす、哀れな案山子。
川澄舞が真に偶然の中で祐一と出会えたのは、もう遥か以前のことだ。
今の川澄舞が祐一と出会ったのは、単純に幼い彼女が救済を願ったからだろうと、名雪は推測する。
壊れた祐一に自由意志などありはしない。
孤独を恐れ、理解を求めた幼子の祈りに呼応して現れた幻想。
それが相沢祐一だ。
だから川澄舞は、ある意味で正しい。
祐一はもう、彼女の前には現れない。
与えられるだけの救済をはね除ける強さを、彼女が持つ限り。

それは悲しい自己矛盾だ。
彼女が祐一の帰る思い出の場所を守り続けるために強くあることこそが、祐一の降臨を阻害している。
だがそれは同時に、正しい人のあり方だ。
相沢祐一を求めるとき、人は弱く惨めで、その弱さは己を、己の周りにある世界を貶めていく。
祈りに応じて現れる祐一は愚かで浅ましい小さな世界を救い、その醜さを受け止めて歪みを増す。
存在が崩壊を内包する道化を呼び出すのは、人の醜さに他ならない。
だから、強くあろうとする少女はそれだけで正しく、美しい。
私と違って、と自嘲する名雪の手には、十数個めの時計仕掛けの雪兎がある。
カチカチと時を刻むその秒針が、間もなく頂点を指そうとしていた。

―――この島の一番高いところ、か。

ふと、青の世界で聞いた声を思い出す。
見上げれば、蒼穹には雲ひとつない。
悠久を繰り返す水瀬の知らない世界。
少女たちが、その強さのままに真実を求めるのなら。
もしかしたらその先には本当に、この世界の終わりを越える何かが見つかるのかもしれない。

ならば、と。
遠い空に目をやりながら、名雪が口元を緩める。
このどこか虚ろな戦いの終わりにも、幾許かの意味はあるのだろう。

浮かべたその微笑に、醜悪な老いの色はない。
祝福を授けるように、名雪が手の雪兎にそっと口づけする。
捧げるように手を伸ばし、伸ばした手から、白い兎が落ちた。

『―――まずは打ち破ろうか。この妄執を』

声なき声の、響き渡ると同時。
名雪の足が地を蹴り、空へとその身を投げる。
彼女が立っていたのは黒翼の神像、その肩の上である。
大地へと落ちゆく名雪が蒼穹に向けて指を伸ばし、小さく打ち鳴らした、その瞬間。
黒翼の神像の至るところに置かれた雪兎の、時計の針が一斉に零を指し示した。

白光と灼熱とが、黒翼の神像を包み融かし尽くすまでの一瞬を、待ちかねたように。
凄まじい爆音が、山頂を揺るがした。

645十一時五十四分/雲が晴れてても:2009/03/27(金) 15:02:20 ID:QhWdeCLQ0
 
【時間:2日目 AM11:55】
【場所:F−5 神塚山山頂】

水瀬名雪
 【所持品:くろいあくま】
 【状態:過去優勝者】

真・長瀬源五郎
【イルファ・シルファ・ミルファ・セリオ融合体】
【組成:オンヴィタイカヤン群体11000体相当】
【ベナウィ・フィギュアヘッド:健在】
【カルラ・フィギュアヘッド:健在】
【ウルトリィ・フィギュアヘッド:健在】
【カミュ・フィギュアヘッド:大破】

→1045 1053 ルートD-5

646十一時五十五分/いつか一緒に:2009/03/31(火) 14:16:18 ID:ZjBIZIJY0
 
それは、曙光だった。
朦々と舞い上がり、まとわりつく砂埃を払いながら真っ直ぐに見つめてくる、天沢郁未の瞳。
鹿沼葉子の目にいつだって眩しく映っていた夜明けの色が、そこにある。


***

647十一時五十五分/いつか一緒に:2009/03/31(火) 14:16:30 ID:ZjBIZIJY0
 
「冗談じゃない、って話」

掠れた声。
こみ上げる血と絡まる痰と不定期な鼓動と引き攣る横隔膜とで震える声。
炎や、地響きや、飛び交う光や稲妻や、そういうものの一切を無視して、郁未が言葉を紡ぐ。

「ああ、冗談じゃあない。これがあんたの喧嘩で、だから一人でやるっていうんなら葉子さん、それはいいさ。
 私はここで見ててやる。あんたが勝って、戻ってきて、澄ました顔でお待たせしました、って言うまで待っててあげる。
 けど、ならさ。ごめんなさい、は違うでしょ」

打ち鳴らされる鐘のように響く音は、巨神像の槍だ。
葉子と郁未とに向けて、何度も打ち下ろされている。
少女二人を容易く押し潰すはずの巨槍は、しかし見えない壁に弾かれるようにその穂先を空しく傷めていくばかりだった。
力と、技と、質量と、そのすべてが通らない。

「謝る必要なんかない。……違う、違うね。謝っちゃいけない。
 葉子さん、あんたはだから、そこで謝っちゃいけないんだ。
 私はここにいる。あなたの傍で待ってる。離れない。だから、謝るな」

不可視の壁を張り巡らせた、その中で。
外の世界の全部を遮って。
天沢郁未が、告げる。

「私はずっとここにいる。それを信じてるなら、信じてくれるなら、謝らないで。
 いつも通りの鹿沼葉子で、私に。天沢郁未に聞かせて。その声を。本当の声を」

世界を隔てて、ただ二人。


***

648十一時五十五分/いつか一緒に:2009/03/31(火) 14:18:19 ID:ZjBIZIJY0
 
言葉を、探していた。
天沢郁未に返す言葉を。
その、赤面するほどに真っ直ぐな気持ちに応える言葉を、鹿沼葉子は探していた。

色々なことが頭の中を巡っていた。
色々なものが、色々な人が、色々な記憶が、葉子の中で言葉になろうとして、
しかし結晶する寸前で、天沢郁未という熱を前に、それらは空に溶けて消えていく。

怖かった。
立ち塞がる巨大な敵は、葉子の過去が具現化したかのようで、だからそれを打倒するのは葉子自身の役割で。
違う。恐怖の根源は、そんなところにはない。
言葉と共に、欺瞞も虚飾も、熱に煽られて溶けていく。
やがて剥き出しになった恐怖は、たった一つ。
ただ、失うのが、怖かった。
過去に敗れて、過去に呑まれて、現在が失われるのが、怖かった。
鹿沼葉子の過去に天沢郁未が呑み込まれるのが怖くて、だから独りになろうとした。
ひどく陳腐で、どこまでも甘ったれた、子供のような我侭。
誰が聞いても呆れるような、天沢郁未も呆れるような、だからそれを口にした。

天沢郁未は、笑ってそれを、殴り飛ばした。
赦さずに、いてくれた。

それは、嬉しくて、悲しくて、腹立たしくて、有り難くて、微笑ましくて、気恥ずかしくて、
全部の感情を集めて心の中で弾けさせたような、ひどく騒々しい、夜明けの鐘。
飛び起きた頭は混乱の中にあって、だから葉子は考える。
考えて、考えて。

だけど言葉は、見つからない。
見つからなくて、ぐるぐると回って、結局振り出しに戻った頭が、何も考えられない葉子の頭が、
ようやく言葉を搾り出そうとする。

「ご、ごめ……」
「だから、そうじゃない」

苦笑に、遮られた。
遮って、手が伸ばされる。
手を差し出して、天沢郁未が、

「そこは、これからもよろしく……って、言うとこ」

夜明けのように、微笑んだ。


***

649十一時五十五分/いつか一緒に:2009/03/31(火) 14:19:08 ID:ZjBIZIJY0
 
それは、難問を答えに導く、たった一つの公式。
差し出された手と微笑みが、薄闇を打ち払い、冷たい夜露を煌めく珠に変えていく。

「……私、自惚れてる?」

明けていく夜の、昇る陽の眩しさと暖かさに、涙が滲む。
縋るように、その手を取った。

「……いいえ」

最初はか細く。

「いいえ、いいえ!」

やがて、雲間から射す光の、大地を照らすように。

「私は……私は、鹿沼葉子。國軍技術研究局、光学戰試挑躰にして、FARGOクラスA」

繋いだ手の温もりに、応えるような声で。

「だけど、だから私は今、天沢郁未の隣に立っている。……立てて、います。
 これからも……よろしくお願いします、郁未さん」

宣言と要請を、真っ直ぐな笑みが受諾した。

「―――よく言った!」


***

650十一時五十五分/いつか一緒に:2009/03/31(火) 14:19:24 ID:ZjBIZIJY0
 
結んだ手から、光が伸びる。
伸びた光が道となり、その先には倒すべき敵がいた。
手を繋いだまま、光の道を歩き出す。

「不可視の力は無限の力」

二つの足音が、一つに聞こえる。
駆けるでもなく、止まるでもなく。
歩み続ける、足音。

「世界を塗り替える願いの力」

行く手を遮るものは何もない。
焦燥のままに何度も突き立てられる巨槍は不可視の壁を貫けず、光の道に触れることすら叶わない。

「ならば誓いは道となり―――」

光に射抜かれるように、巨神像の顔がある。
その見上げるような顔のすぐ前で、歩みが止まった。
繋がれた手には、いつしか何かが握られている。
天への供物のように掲げられたそれは、郁未の長刀。
魅入られたように動けない巨神像の眼前で、刃がその輝きを増していく。
やがて陽光を凝集したような燦然たる光となった長刀が、振り上げられる。

「―――絆は、刃となる!」

光が、奔った。


***

651十一時五十五分/いつか一緒に:2009/03/31(火) 14:19:44 ID:ZjBIZIJY0
 
馬鹿だった。
自分はどうしようもない馬鹿だったのだと、鹿沼葉子はようやく気付く。

二つに分かれて崩れゆく巨神像を前にして、薄れゆく光の道から飛び降りて、
だけど離れない手を真ん中に、くるくると回りながら思う。

夜はもう、とうの昔に明けていた。
あの日、あの時、今はもうない教団の、あの誰もいない食堂の薄暗い片隅で。
誰にも気付かれないままに、夜明けは訪れていたのだ。

暗かったのは、ただ目を閉じていただけ。
一番鶏の鳴く声が聞こえなかったのは、ただ耳を塞いでいただけ。

離れられるはずもない。
いかに怯えようと、大切なものを飲み込む夜の闇など、もうどこにもありはしなかった。
目を開ければ、光の中にそれはあった。
笑って、いた。

だからもう、言葉を探す必要はない。
声に出す必要も、なかった。

ただそっと、繋いだ手に力を込めて。
微笑んで、想う。



―――これからも、ずっとずっと、よろしく。

652十一時五十五分/いつか一緒に:2009/03/31(火) 14:20:14 ID:ZjBIZIJY0

  
【時間:2日目 AM11:57】
【場所:F−5 神塚山山頂】

天沢郁未
 【所持品:薙刀】
 【状態:重傷・不可視の力】
鹿沼葉子
 【所持品:鉈】
 【状態:健康・光学戰試挑躰・不可視の力】

真・長瀬源五郎
【イルファ・シルファ・ミルファ・セリオ融合体】
【組成:オンヴィタイカヤン群体9700体相当】
【ベナウィ・フィギュアヘッド:大破】
【カルラ・フィギュアヘッド:健在】
【ウルトリィ・フィギュアヘッド:健在】

→1048 ルートD-5

653名無しさん:2009/04/01(水) 02:31:09 ID:.RmBvSCY0
 
 
  ―――その死には、幾つもの真実が、足りない。


「駄目! 私に近づかないで、貴明さん!」
「草壁さん……どうして、どうして君がそっち側にいるの!?」


  何もかもが間違っている。


「わたしの運の悪さ……知ってるでしょ? ……だから、」
「だからその『凶運』を、僕が『転移』する。不幸は共有されるべきだからね」
「柊……くん……」


  誰も彼もが、救われない。


「あちきが間違ってる。そんなこたー、わかってらい」
「みゅー」
「お前ぇさんも、たかりゃん達にはついてけねえってクチだねえ」
「みゅー……?」


  生き長らえて、死んでいく。


「私にはっ! 『加護』なんて力、ないのに! なのに、どうしてっ!」
「仁科、今それを告げれば、我々は決戦を前に内部から崩壊する」
「智代さんが、そういう風に仕組んで! だから敵とか、味方とか! もう沢山なんです……!」


  混沌に隠された真実が、


「みずぴー……! あたしたちは……!」
「ダメだ新城! そいつを信じるな!」
「向坂……雄二……! 夕菜さんを見捨てたくせに、あなたって人は……!」


  ここに、明かされる。


「この時間の全部が消えても……もう一度、会えるかな?」


  その道の果てで、少女の恋が、終わるまで―――


 HAKAGI ROYALE Ⅲ  ROUTE D-5  episode:0

       ―――The Way to Void―――



 近世紀公開予定、ズガン。

654最終話 希望を胸に すべてを終わらせる時…!:2009/04/01(水) 03:30:20 ID:eDCqWgH20
高槻「チクショオオオオ!くらえいくみん!新必殺高槻最高斬!」 
郁未「さあ来い高槻イイイ!私は実は何の盛り上がりもなく死ぬぞオオ!」 

(ザン) 

郁未「グアアアア!こ このザ・エロスと呼ばれる四天王のいくみんが…こんなワカメに…バ…バカなアアアア」 

(ドドドドド) 

郁未「グアアアア」 
有紀寧「いくみんがやられたようだな…」 
名雪(ゾンビ)「ククク…奴は四天王の中でも最弱…」 
椋(ゾンビ)「人間ごときに負けるとは主人公の面汚しよ…」 
その他対主催「「「「「「「「「「「「「「くらえええ!」」」」」」」」」」」」」」
 
(ズサ) 

3人「グアアアアアアア」 
高槻「やった…ついに四天王を倒したぞ…これで主催のいる高天原の扉が開かれる!!」 
サリンジャー「よく来たなヘンな称号いっぱいの男…待っていたぞ…」
 
(ギイイイイイイ) 

宗一「こ…ここが高天原だったのか…!感じる…主催の力を…」 
サリンジャー「対主催どもよ…戦う前に一つ言っておくことがある 幻想世界だか宝石だかが重要なフラグだと思っているようだが…別に関係ない」 
渚&風子「「な 何だってー!?」」 
サリンジャー「そしてシオマネキは動かなくなったので処分しておいた あとは私を倒すだけだなクックック…」
 
(ゴゴゴゴ) 

国崎「フ…上等だ…俺達も一つ言っておくことがある 何だか壮絶にキングクリムゾンしているような気がしているが、別にそんなことはなかったぜ!」 
サリンジャー「そうか」 
浩之「ウオオオいくぞオオオ!」 
サリンジャー「さあ来い!」 

対主催達の勇気が世界を救うと信じて…! ご愛読ありがとうございました! 


【HAKAGI ROYALEⅢ RoutesB-10 END?】


【状態:俺達の戦いはこれからだ!】
【目的:名無しさんだよもんさんの次回作にご期待ください!】

655End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:48:39 ID:4D5sJK1.0
「降っているな」
「降ってるの」

 きこきことペダルの音を鳴らしながら二人乗り自転車に跨いでいるのは一ノ瀬ことみと霧島聖。
 半ば無表情に、規則正しく早いスピードで進む二人の姿はどこか牧歌的であり、滑稽に映っていることだろう。
 実のところことみは周囲に人の気配がないか気を配りつつも、雨で滑らないようぎゅっとサドルを握りペダルも強すぎるほど漕いでいる。
 見た目とは裏腹にかなり緊張していて、体力もかなり使っていた。

 もちろんそんなことを聖に言えるはずもないので黙って漕ぎ続けているのだが。
 距離的にはかなり進んできたはず。ここは流石に二人乗り自転車の面目躍如と言うべきか、あっと言う間に灯台が見えてきた。
 気がする。どれくらい時間が経過してるのなんて分かりもしないし、果たしてここに目的の品があるのかなど知るわけもない。

 だがやるだけやるしかない。ここまで生きてきて何の役にも立てないまま死ぬのは嫌だ。
 妹を探索するのを後回しにしてまで自分についてきてくれた聖に対して申し訳が立たないし、
 自分を信じて協力してくれた友達に合わせる顔がない。
 所詮己にはちっぽけな勇気と、一歩踏み込むことも出来ない臆病さしか持ち合わせていない。

 きっとこれからも変わらず、変えられもしない部分なのだろう。
 だからこの勇気の残りカスを振り絞ってでもここから生きて帰る。
 それが一ノ瀬ことみの決意したことだった。

「そういえば、だ。今こんなことを聞くのは不謹慎と言うか、不躾かもしれないが」
「なに?」
「生きて帰れたら、何がしたい?」

 少し迷ったように、ゆっくりと声が吐き出された。ことみはつかの間目をしばたかせ、質問の内容を理解するのに数秒の時間を要した。
 黙っていて、相槌も返ってこないにも関わらず聖は何も言わない。じっと答えを待っていた。
 いやそう簡単に答えられるような質問じゃない。
 このような空白の時間でもなければ話題にも出せないような質問だ。今現在を生きるのに必死で、考えようもなかったことだから……

656End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:48:57 ID:4D5sJK1.0
 分からない、と散々に思案した末に、消え入るような小声でことみは言った。
 元の生活に戻れるとはとてもじゃないが思えない。
 たとえ友達と全員生きて帰れたのだとしてもここで感じた極限状態の影響など計り知れようもない。
 自分が落ち着いていられるのは聖という保護者がいること、そして殺し合いの現場には遭遇していないことがあるからだ。

 無論、死体はいくつか見た。状態も酷く内臓が見え隠れしていたものもありあまりの気色悪さから吐きそうにもなった。
 しかしこうして喉元過ぎれば気持ちの悪さはなりを潜めている。慣れと言えば、そうなのだろう。

 だから自分は、異常なのだ。異常な人間が帰って、果たして元通りの生活を送れるのだろうか。
 ベトナム戦争から帰還したアメリカ兵が戦場での過酷な体験、
 社会からのプレッシャーによりPTSDを発症し、精神を崩壊させたという事例もある。
 この状況も一種の戦争。極限に慣れた体は、果たして日常に耐えうるのだろうか……?

「まあ、難しく考えるな」

 ことみの中の疑問を読み取ったかのように、湿り気を吹き散らす聖の声が聞こえた。
 自分のことばかり考えていたが聖はどうなのだろう、とことみは考える。
 家族を失い、帰る場所が失われた聖は自分などとは比べ物にならないくらいのショックを受けているはずなのだ。
 悲しみで我を押し潰されてもおかしくはないはずなのに、どうしてこんなに強く在れるのだろうか。

 だが自分には尋ねられない。そんな度胸は、この期に及んでも持てない。
 沈黙で答えるしかなかったことみに苦笑したような風になって、聖は言葉を重ねた。

「人はそう簡単に壊れたりはしない。私にだって、まだやりたいことはある。
 それがこの一瞬、刹那的でしかなくて、何も残らないものだとしても、だ」
「……それが、先生を支えているもの?」
「そうだ。……自分で考えて、自分で決めたことだ。
 きっと後悔することになるかもしれん、がほんの少し先の未来でさえ考えられないような人間ではいたくないのでな。
 何十年も先のことじゃない。明日やりたいことでもいいし、一週間後にやりたいことでもいい。
 私は今日やりたいことをやっている。ことみ君には何かないのか? やりたいことは」

657End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:49:16 ID:4D5sJK1.0
 心の中を察したかのような聖の言葉だが、きっと推測したのではないと思う。
 医者として、人間として、空白のままの人間でいて欲しくないという願いが聖の言葉から伝わってくる。

 実際そうだという自覚はことみ自身にもある。父母に伝えられなかった言葉、朋也を待ち続けた時間。
 ぽっかりと空いた時は知識を埋めるためだけに使われ、何ひとつやりたいと思ったことをやっていない。
 膨大すぎる知識だけを持て余し、その合間すら埋めるために図書館に篭もっている日々が続いた。
 自分の意思などなく、ただ空白だけを塗り潰すために過ごしてきた時間だ。

 しかし朋也との再会を切欠に様々な人と出会い、過ごし、空白は少なくなっている。
 自発的な行動はあまりないし、大抵が誰かに引っ張られる形での行動だ。
 まだ、自分は自分から何かが出来るような人間ではないのかもしれない。

 それでも確かに……引っ張られることを選択したのは他ならない自分、だ。
 だとするならそれは、自分が望んだことなのだろうか。
 結局……それはやりたいことではないようにしか思えなかった。だが、やりたいことではなくとも、目指すべきものはあった。

「ごめんなさい、今はまだ見つけられないの……でも、でも、友達や聖先生と一緒にいたい。それだけは確かなことなの」

 そうか、と返答する声が聞こえ、つかの間の沈黙は完全な静寂へと変貌した。
 なにか思うところがあったのか。沈黙から静寂に変わる間、聖は考え事をしているように思えた。
 自分よりも大きいはずの聖の白い背中が、その瞬間だけは小さくなったように見えたのだ。

「……さて、灯台を過ぎたか。ここから先は氷川村だな。どこかに農協があればいいんだが……軽油があるかな」

 取り繕うように言葉の大きさを変えて、聖が周囲を見回す。
 長髪が揺れるのに合わせてことみも周囲を探ることにする。
 暗くなって視界が定まらない。ライトでも点ければ少しは見晴らしも良くなるのだろう。

658End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:49:33 ID:4D5sJK1.0
 だがそれは同時に自分達の居場所をアピールしてしまうことに他ならない。
 是が否でも成功させなければならない使命がある以上、極力知らない人間との接触は避けたいところだった。
 地道で時間のかかる作業だが今はこうするしかない。殺し合いに時間制限はない。

 タイムリミットがないのならば十分に活用してやるまで。しかし、逆にそのことが疑問点として頭にこびりついている。
 本当に殺し合いを推進するならばどうあっても人が人を殺さざるを得ない状況に持ち込むことが不可欠だ。
 『殺し合い』はただ単に殺せばいいのではない。あくまでも参加者が自発的に殺しに行かなければ意味がない。
 友人のため、家族のため、或いは自分の命のため。理由はどうとでもつけられる。必要なのは、踏み出させる切欠。
 けれどもこの殺し合いにはそれが決定的に不足している。穴が多すぎるのだ。

 時間制限がないということは、のらりくらりと状況を進められるということだし、
 定期放送でも呼ばれるのは死者の名前ととても信じがたいような与太話ばかり。
 とてもじゃないが本気で殺し合いをさせたいようには、ことみには思えなかったのだ。

 寧ろ反抗の余地を残してさえいる。例のカードキーもしかり、首輪にも盗聴機能しかつけていないこともしかり。
 反抗させることが狙いなのだろうか。そうだとして、反抗させるメリットは?
 殺し合いに乗った連中とぶつかることを考慮すればますます意図は読めない。
 一体、主催者が必要としているものは何なのだろうか?

 疑問しか浮かばず、結論も思い当たらない以上聖にこの話を持ち込むのはやめておいた。
 今は課題を増やしたくはない。やることは軽油の確保だ。
 顔を持ち上げ、意識を周囲へと戻す。すると外れのほうにぽつんとひとつ、古臭いながらも大きな建物が見えた。

 錆びた鉄骨がむき出しになっているそれは潰れた施設であることを想像させる。
 しかしこういうところには、得てして廃棄された資材などが打ち捨てられているものだ。
 使えるかどうかはまた別の話になるが、廃工場であるならひょっとすると火薬のひとつでもあるかもしれない。
 電気信管は流石に期待は出来ないが、行ってみる価値はある。あるかも分からない農協を探すよりは建設的なことのように思えた。

「先生。あそこにある建物、見える?」

     *     *     *

659End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:50:07 ID:4D5sJK1.0
 薄暗い室内。殆ど光も差さない一角、隅に隠れるようにして宮沢有紀寧はノートパソコンを起動させていた。
 その傍らにはコルトパイソンと首輪爆弾起動のためのスイッチが置かれ、彼女の内心の焦りを表している。
 何度も思ったことだが、所詮自分は単体で殺しあえるほど強くはない。

 だからこそこれまで他者を使い、利用し捨てることでここまで生き延びることができた。
 人とのコミュニケーションは得意だし、会話を自分のペースで進めることだって得意だ。その自負はある。
 もう一度だ。もう一度だけ、どこかに紛れられるチャンスがあれば優位な立場で最後の決戦を迎えられる。

 ロワちゃんねるを開き、残りの生存者がどうなっているか確認する。
 まだ20人強は残っているだろうと予想していた有紀寧だったが、その予測は良くも悪くも裏切られる。

(……20人を切っている、のですか)

 先程の乱戦の様子から見てこの結果が想像出来なかったわけではない、が驚きを覚えたのも事実だった。
 放送が終わったときと比べても半数近くが死亡している。場合によっては夜明けまでに決着がつくこともあり得る。
 問題は自分の正体を知られているかどうか、だ。

 戦いの様子を見てはいたものの会話の内容を聞き取れたわけではないし、
 柏木初音はともかくとして藤林椋が喋らなかった保障はない。
 柳川祐也に関しても同様だ。誰かと潰し合ってくれたのはいいが反抗的な男だ。
 こちらの情報を誰かに伝えられた可能性もある。何にしろ、自分の正体が誰にもバレていないと信じるには甘すぎる。
 さらに人数も少ないということは、早急に手駒を見つけないと己単体で戦わざるを得ないことを意味する。
 少々のリスクは犯してでもこちらから接触し、現状をどうにかしなければ危うくなる一方だ。

 そこまで考えて、額に汗を浮かべ、意識も浮つかせている自分がいるのを自覚する。明らかに焦っている。
 不安がっているのだろうか。誰もなく、孤独な我が身に心細さを感じていたとでもいうのか。
 汗を拭い、ゆっくりと息を吐き出し、有紀寧は雨の降り続く空を、欠けた屋根越しに見上げた。

660End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:50:25 ID:4D5sJK1.0
 村はずれにぽつんと佇み、取り残されるかのようにあったそこは一時でも隠れるのにうってつけの場所だった。
 未だ雨は止まず、錆びた鉄骨から滴り落ちる雫が床にも水溜りを作り上げている。
 時折奏でられる水滴の音色を聞きながら、有紀寧は初音のことを思い出す。

 もしここに初音がいればどうだっただろう。
 無用な焦りも感じず、ただ自分を信じてついてきてくれる初音に自信を得ながら次の策を考えていただろうか。
 今の自分のちっぽけさ、小ささを感じながら、やはり家族という亡霊に取り付かれているのだと痛痒たる思いを抱く。
 家族が欲しかったのか。或いは取り戻したかったのか。それともやり直したかったのか。

 いずれも無理な話だと理性は知り抜いているにも関わらず、心の奥底が求めて止まない。
 何故こんなにも切望するのだろう。家族という言葉の果てに、自分は何を得たかったのだろうか。
 今もそうだ。言葉だけを追い続け、具体的にどんなことをしたいのか、どうしたいのか、全く分からない。
 殺し合いに参加した理由、生きて帰りたいという願いでさえも目的でしかなく、その先に充足が待つわけでもない。

 死にたくないと他者に言い続けてきた自分だが、違うのかもしれない、とそう思った。
 命が惜しいわけじゃないのだろう。ただ、知りたいだけなのだ。自分が望んでいたもの、未来の形というものを。
 それまでは死ねない。死に切れない。人間として……

 は、と有紀寧は笑った。嘲りに近い笑い方だった。この年になって自分探しとは、中々笑える。
 人殺しのくせに。センチメンタルになりすぎたと思いながら、有紀寧は闇の在り処を探した。
 殺し合いの中に身を置けば全てを忘れて没頭できる。殺すことに注力できる。
 ああ、やはり……狂っているのだ。落ち着いてゆく自分に対して、有紀寧は笑った。

 パソコンを閉じて物品の整理を始める。ここまで来たからにはもういらないものもあった。
 何故かいつまでも持っていたゴルフクラブ。近接戦闘用に、と思っていたが柄が長くて使えるとは言いがたい。
 捨てるに捨てられなかったというのもあるが。その場に放置し、残ったものをデイパックに詰める。
 コルトパイソンと弾はそれぞれスカートのポケットに入れ、スイッチは手元に。

 急ごしらえだが突発的な戦闘に対する用意はできた。後はこのスイッチを使うべき相手を探すだけだ。
 デイパックを背負って立ち上がったところで、水がぱしゃりと跳ねる音が聞こえた。
 人か!? さっと資材の陰に身を隠す。
 まさかここに誰かが来るとは思わなかっただけに意外だった。まさか大人数、というわけでもあるまい。

661End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:50:43 ID:4D5sJK1.0
 唾をひとつ飲み込むと、有紀寧はなるべく音を立てないようにして移動を開始し、耳に神経を傾ける。
 少なくとも人数の把握はしておきたい。大人数なら一旦逃げざるを得ないが、一人二人なら話は別。
 隙をついてスイッチを起動させることは容易だ。ここには物陰も多い。
 資材に張り付くようにして動く有紀寧に、喜色を浮かばせた女の声が聞こえてくる。

「あったの、先生!」
「本当か? まさかこんなところにあるとは……」

 声はもうひとつ。ぱしゃぱしゃと音を立てながら足音が遠ざかっていく。どうやら二手に別れて何かを探していたらしい。
 それに、一人は聞き覚えのある声だった。確か自分の通う学校で時たま怪音のバイオリンを聞かせていると評判の生徒のものだ。
 確か名前は……一ノ瀬ことみ、だっただろうか? 残念ながらもう一人は誰かは知らない。
 だが先生と呼ばれていることから少なくともことみよりは年上で、ことみの保護者と判断した方がいい。

 なるほど賢い選択だ。この殺し合いに対してどのような姿勢なのかは知らないが、強い人物に保護してもらうのは正しい。
 ノコノコとは出て行くまい。一ノ瀬ことみだとは分かるものの保護者がいる以上迂闊に手出しは出来ない。
 上の立場にいるものは得てして警戒心も強い。こんなところにひとりで隠れているというのは確実に怪しまれる。
 これが殺し合いが始まってすぐ、というならまだしもかなり時間が経過した状態で、一人でいるというのは考えられないことだからだ。
 余程保身傾向が強い臆病者でさえも人と絶対に会いたくないかというと、そうではない。
 どんな人間でさえも孤独は心細い。現に自分だってそうだ。

(狂っているわたしが言っても、説得力はないと思いますけど、ね)

 とはいえ、理には叶っている。隠れるというのもあくまでも怖い人間に見つかりたくないという思考から。
 安全そうな人がいれば出て行き、そうでなくとも様子を窺うくらいのことはする。
 絶対な孤独を望む人間なんて、余程人生に絶望していなければ有り得ない。

 まあ、とにかく総括するなら……自分はあくまでも普通で、ここまで一人ぼっちで隠れていられるような人間ではないということ。
 それを疑われればお終いだし、何より今の自分は爆弾を抱えている。殺し合いに乗っているという爆弾が。
 だから作戦は一つ。忍び寄って、首輪爆弾を起動させる。

662End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:51:02 ID:4D5sJK1.0
 最初のターゲットは……保護者のほうだ。
 強者にくっついているということは、裏を返せば上を落としてしまえば下も無力化するということに他ならない。
 依存度が強ければ尚更、だ。
 故に待つ。二人がまた分かれるまで、どこまでも待ち続ける。ジョロウグモのように。

     *     *     *

 屋外に廃棄されていたのは古さびたトラクターだ。
 機種としては比較的新しい方なのだが、
 手荒く使われていたのか傷やパーツの欠損が目立ち、一目にも使えなくなっているのが分かる。
 もし工具があればすぐさま修理にとりかかりたい衝動に駆られたがそんなことをしている場合ではない。

 問題はこのトラクターに軽油があるかどうか、だ。空っぽであるならば徒労に終わる。
 いや寧ろそちらの方が可能性は高い。あまり期待はするまいと思いながら聖は燃料タンクのフタを開ける。
 瞬間、鼻腔がなんとも表現しがたい匂いを感じ取り僅かに意識が遠のく。
 直接匂いを嗅ぐのは失敗だったかと思いつつ、聖はペンライトでタンクの中を照らしてみる。

「……ほう」

 むせ返るような刺激臭に目まで焼かれそうな感覚を味わいながらも、聖は静かに波打っている液体を発見した。
 間違いない。燃料だ。それも結構残っている。
 内心快哉を叫びながらも、何故廃棄されたトラクターにこれだけの燃料が残っているのか、と疑問が浮かぶ。

 考えても詮無いことだ。ここが人工島である可能性が高い以上、
 施設は全て演出目的で作られたものだろうしもしくはわざとこのように配置したとも考えられる。
 可燃性の燃料に火の一つや二つくべてやればあっという間に大炎上。人を焼き殺す凶器となる。
 戦闘が原因にしろ不慮の事故にしろ、人が傷つき、死亡することを狙ったとも言える。
 推測にしか過ぎないが殺し合いという名目がある以上単なるミスや偶然とは思えない。
 怒りを滾らせながらも、しかしそういう考えが奴ら自身の破滅を招くのだと結論した聖は内奥に怒りを仕舞い込んだ。
 爆発させるときは、奴らの懐だ。

663End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:51:31 ID:4D5sJK1.0
 ペンライトを消し、後ろで待つことみの方に振り返った聖はニヤと笑った。
 その意味を瞬時に理解したらしいことみはコクコクコクと素晴らしい勢いで頷いた。
 後は燃料を取り出すだけ。ポンプの一つでも持ってくれば必要な分の量は確保できるだろう。
 いざとなれば直接タンクに穴を開けて回収してもいい、がなるべく安全確実に回収したいのが聖の本音だった。

「ふむ、後は、あれだな。ポンプを探してきてくれ。私はここに残って見張りをする。
 誰かが来たらまた対応を考えなければいけないからな」
「うん、了解なの。……ところで先生、本当に機械にも詳しかったんだ」
「言ったろう? トラクターの修理だって出来る、とな。
 まあ土地柄と家族構成の関係上、やれることは多いほうが良かったからな」

 父も母もなく、自分ひとりで佳乃を養ってこなければならなかったため必然的に様々な資格を取得することも多かった。
 生活のためということもあったが、相互扶助の側面が大きい町でもあったから色々やっていたら自然と身についたものもある。
 だが今は自分ひとりという事実が圧し掛かり、聖の体を冷たくする。

 考えてみれば自分の人生は妹ひとりのために投げ打ってきた。
 そうしなければ守れなかったという現実もあったが、そうするしかなかったという仕方なさもあった。
 医学の道を志したのも妹の原因不明の病気を治すためだし、また女の身で家計を支えるにはこれが一番だという考えから。
 自分で意思して決めたわけではなく、人を救いたいという思いから医学の道に進んだわけでもない。
 妹のため、という言葉自体は間違いなく自分の意思に他ならないが、それは当たり前のこと。家族なら当たり前のことだ。

 ……私は、夢を持てなかった。

 夢を諦めたのではなく、最初からそのようなものを持っていなかった。
 それでもいいと思っていた。妹と平和に暮らせるのなら夢なんかなくたっていい、自分のことも考えなくていいと。
 しかし、今は現実が突きつけられている。依存する先を失い、何をしたらいいのか分からないという現実が。
 これからの自分に夢が持てるのか。考えさえ放棄していた己が今さら掴めるものがあるとでもいうのか。

664End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:51:47 ID:4D5sJK1.0
 佳乃、私はどうしたらいい……? どんな顔をして生きて帰ればいいんだ?
 やりたいこと。夢。ことみでさえ分からないと言ったそれをどうやって見つけ出すのか。
 脱出が夢まぼろしではなくなってきたこと、芽が見えてきたことに聖は自分でも正体の分からない恐怖を感じた。
 今やりたいことは確かにあっても、やりきってしまえば空っぽの自分しか残らない。
 ことみに対して向けた言葉が、あまりに白々しいもののように感じられた。

『人は簡単に壊れたりしない』『少し先の未来でさえ考えられないような人間ではいたくない』

 強がりだな、と聖は己の不実に嘆息するしかなかった。
 全ては詭弁で、本当は自分こそが答えを求めていたのかもしれない。
 夢を持てない大人はどう生きればいい、と。

「……先生?」

 黙ったまま何も言わなかったからか、ことみが心配そうな声をかけてくる。
 問題ないよ、と微笑した聖は早く行ってこいという旨の言葉を出そうとしたが、それより先にことみが続けた。

「先生って、色々出来るの。どうしてそんなにいっぱい出来るのかな」
「そうでもないさ」
「そんなことないの。人を治せるだけじゃなくて機械にも詳しいし、気が利くし、それに……誰かを守れる力があるの。
 私は知識だけ。知っていても、使ったことがないの。ただ知っているだけ」

 ことみは自らが無力だと語るように表情を険しくした。
 買い被りだ、と思いながらも無下に否定することも聖はしなかった。
 彼女が言いたいのはそういうことではないというのが分かっていたからだった。

「私は、先生みたいな人になりたい」

665End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:52:06 ID:4D5sJK1.0
 ことみの言葉に、聖は何も言えなかった。いや言うべき言葉が途切れてしまった。
 憧れ、信頼している少女の瞳がそこにある。だがそれは盲目の信頼ではなく、知ろうとする信頼だった。

「先生がどんなことを考えているかなんて分からないし、完全に知ることもできないと思うの。……どれだけ物事を知っていても。
 でも先生のやってきたことを、私は尊敬してるから。誰かを助けようとしてくれる先生を尊敬してるの。
 そこに嘘があったとしても、私は先生のついた『嘘』を信じたいの」
「……ふむ」

 ことみの下した結論はそうなのだろう。何をやりたかったのかも決められなかった彼女。
 けれども今は目標を定めて、進もうとしている。
 理由が打算的であったとしても人に恥じない行為をしていることを信じて。

「なら、とりあえず医者を目指してみるといい。だが案外厳しいぞ? 昨今の医療業界は」
「そのときは師匠、宜しくお願いしますなの」

 びっ、と敬礼まがいのポーズをとり、わざとらしく口元をへの字に結ぶことみ。
 思わず苦笑が漏れた。先生の次は師匠ということらしい。不思議と悪い気はしなかった。

 ことみの見ているものは虚像だ。自分が作り上げた虚像にしか過ぎない。
 ただ、それを自分と同質に見てくれたのもことみだ。そこを目指し、導いてくれと言ったのもことみ。
 どうやら自分には夢は夢でしかないのだろうと思った聖は、意外なほどすっきりとしている胸の内を眺めて安堵していた。

 大人になりきってしまった己には仕事に明け暮れるしかない。しかしそれでいい。
 仕事を通じて何かを伝えることもできる。自己満足だって得られる。
 学校を出るときに思ったことと同じだ。未来を望む人達を導く。それが大人の役目だ。

 どうして未練たらしく、自分も救われるなどと思っていたのだろう。
 その資格を自分で手放してきたくせに、今になって望むのは虫が良すぎる。
 だから自分が掴めるのは自己満足と他人の未来だ。だがそれは見守りながら朽ちてゆける価値のあるものだ。
 救われる必要はない。救われなくとも、幸福にはなれる。そう納得できるのも人間だ。

666End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:52:25 ID:4D5sJK1.0
「うむ、宜しくお願いされよう」

 びっ、とこれまたわざとらしくことみの真似をする聖に今度はことみが苦笑した。
 仕事をさせようとするからだ。ニヤリと口元を歪めた聖を見たことみは肩をすくめて廃工場の中へと戻っていった。
 ポンプとタンクを取ってくるつもりだろう。自分は自分のすることをする。
 そう断じた聖は顔を上げ、トラクターを背にするように移動する。誰かが来るかどうか見張るだけだ。

 デイパックは背中から下ろして近くに置く。いい加減背負うのも疲れた。
 と、ふと聖は日本酒が入っていることを思い出し、迷いながらも一口だけ飲むことにした。今までの澱んだ考えを洗い流す意味も含めて。
 デイパックの中にあるそれはまだ十分な量があり、ビンの中で液体がたゆたっている。

 栓を開け、一口。久々に味わう酒の感覚が喉を潤し、心地良さが体を満たしてゆく。
 きっとそれは自分の心境の変化のせいもあるのだろうと思いながら、続きは後にしようと日本酒をポケットへと仕舞う。
 サイズ的にはそれほどでもなかった。携帯用の酒瓶なのだろう。そんなことを思いながら聖は思考を移す。
 さて、万が一戦闘になってしまったらどうするか。肉弾戦ならともかく遠距離からの銃撃などに晒されたら対応し辛い。
 でかい狙撃銃らしきものはあるがそんなものを撃てる技術は流石にないし、医者としてのプライドが許さない。

 なら半殺しにはしてもいいのかということにはなるが、治せば構わない。
 要は命があればいいのだ。……もっとも、命を蔑ろにし、奪うような輩にはまだ出会ってはいないのだが。
 人がたくさん死んでいる現状で、それはきっと不幸なのだろうなと思いながら聖はベアークローを装着する。
 できるならもう誰も死なずに脱出したいものだ……そう考えたとき。

 ぱしゃぱしゃと水音を立てて近づいてくるものがあった。
 もう戻ってきたのかと思った聖だったが、早すぎるという直感が体を動かし、音の方へと振り向かせていた。

「遅いですね」

 ぼそりと呟かれたときには、既になにかが自分の方へと向けられていた。
 しまったと思ったのも遅く、忍び寄ってきていた女は粘りつくような視線を向けてくる。
 小柄な体と綺麗に揃えられた長髪は、女の雰囲気には不釣合いなように思えた。

667End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:52:48 ID:4D5sJK1.0
 動揺しかけている頭をなんとか平常心に保ちつつ「何をした」と尋ねる。
 どうなっているのか分かっていない現状、こちらから手を出すわけにもいかない。
 女はそれを分かっているのか余裕を持った、見下すような視線を向けてくる。

「まあまあ、それよりもあなたの相方が帰って来るのを待ちませんか? その方が説明の手間が省けます」

 慇懃無礼とはまさにこのことか。穏やかで丁寧ながらも自らが場の支配者だとも言わんばかりの調子に、聖は不快感を覚える。
 また説明しないのはこちらに手を出させないためでもあるのだろう。敵は周到だ。
 厄介だなと内心に嘆息しながら構えを崩し、武器を外すと女は満足そうに頷いた。それがまた聖の心を逆撫でしたのだが。

「自己紹介くらいはいいかもしれませんね。わたしは宮沢有紀寧といいます。宜しくお願いしますね、一ノ瀬ことみさんの先生」
「盗み聞きとは良くない趣味だな。それと、私を気安く先生と呼ぶな。聖さんと呼べ。ちなみに名字は霧島だ」
「わたしは臆病なものですから、すみませんね霧島さん」

 あくまでもこちらの優位に立つように会話する有紀寧に、聖は己の迂闊さを呪う。
 内部に誰かが潜んでいるというのを全く考慮していなかった。
 村から少し離れた場所だから誰もいないと高をくくっていたのかもしれない。

 何にせよ、この女は危険だ。どうにかしてことみに連絡できればいいのだが……
 有紀寧の口ぶりからするとことみの存在は知っているものの接触はしなかったようだ。
 何故ことみではなく自分を狙ったのか。

 何らかの罠に嵌められたのは確実だが、工場内部に潜んでいたのなら入っていったことみを狙うのが筋だろう。
 とは言うものの、ことみが標的にされなくてホッとしているのも事実だ。
 大人として、保護者として、ことみを殺させるわけにはいかない。そんな仕事すら満足に出来ない大人であってたまるか。
 堅く決意を握り締め、聖は探りを入れる。

「どうして私を狙った」

668End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:53:15 ID:4D5sJK1.0
 予測の範疇で言うなら、ある程度察しはつく。自分の方が強いからだ。聖はそう考える。
 殺さない、ということはすなわち生きているという事実を人質にするようなもの。
 肉体の強弱の面で言うならことみと自分では、明らかに自分の方が上だ。ことみを人質にしたとしよう。
 その場合自分が反抗するのと、自分を人質に取ったとして、ことみが反抗する場合とではどちらが成功率が高いか。
 決まっている。強い方が単純に考えて成功率が高いはずだ。だから有紀寧は自分を人質にしたのだ。

「そうですね……まあ、あなたの方が都合がいいからということにしておきますよ」
「適当に狙ったのではないわけだ」
「言ったでしょう? わたしは臆病な人間ですと」

 言外に慎重かつ油断も隙も見せないと語る有紀寧に、聖は言葉では崩せないと確信を得る。
 我知らず舌打ちが鳴り、焦ってきていることも聖は自覚する。初めての敵がこうも狡猾な相手だとは。
 もう少しまともな相手を寄越してくれてもいいんじゃありませんか神様?

 返す言葉を失った聖は、いっそ暴れて異変を知らせてやろうかとも思ったが、
 有紀寧の片手が不自然にポケットに入っているのを見てやはりダメだ、と考えを打ち消す。
 有紀寧にとって一番避けたいのは何らかの効力があるスイッチを奪取されることだろう。
 にもかかわらず両手で保持することなく片手に持っているだけで矛先を向けようともしない。

 となればポケットの中には自分の動きを封じるものがあるのだろうと聖は予測する。
 催涙弾か、閃光弾か、唐辛子スプレーでもいい。とにかく不意討ちにもどうにかできる手段が、向こう側にはある。
 つくづく厄介だなと聖は苦渋の表情を浮かべつつも、さりとて妙案も浮かばず悪戯に時を消費するだけだった。

「先生ー! 取ってきたのー!」

 そうこうしているうちに、ことみが戻ってきてしまったらしい。
 大声を出すかと頭の中で考えた聖だが、有紀寧の冷たい視線がそれを阻んだ。
 不審な挙動を見せればまずことみを狙う。その意味を含んだ視線が工場内部に向けられ、結局口をつぐむしかなかった。
 おまけに有紀寧は工場外部の壁にもたれかかっている――つまり、ことみからは見えない位置にいるため彼女は気付きようもない。
 ことみが外に出てきた……それを見計らったかのように、有紀寧が冷笑を浮かべながらことみの横へ並んだ。

669End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:53:31 ID:4D5sJK1.0
「お疲れ様です。ですが……そこまでです」
「!?」

 突然かかってきた声に動揺し、抱えていたポンプとタンクを取り落とすことみ。
 有紀寧は努めて冷静に、かつ迅速にポケットから抜いた拳銃をことみへと突きつけていた。
 今撃つつもりがないのが分かっていても、見た瞬間聖は「やめろ!」と絶叫する。

 ちらりとこちらを一瞥した有紀寧は、ふん、と裂けるような笑みを寄越すだけだった。
 ことみの不安げな瞳が揺れ、聖の方へと向けられた。「先生……」と呟かれた声に、後悔がさざ波のように押し寄せる。
 やはり我が身など省みず、命を捨ててでも有紀寧をどうにかしておけばよかったのではないのか。
 何故自分はいつも、流されることしか出来ない……

 もう一度絶叫したくなった聖だが、それだけはするまいと断じる心が声を喉元で食い止める。
 叫び散らしてもどうにもならない。大人としての役割を果たせと鋼の意思で感情を押さえつけ、
 今度は落ち着きを取り戻した声で「やめろ」と通告する。
 聖の中にある何かを感じ取ったらしい有紀寧は僅かに眉根を寄せると、ことみから少し離れる。

「そうですね。少し乱暴過ぎました。ごめんなさいね、一ノ瀬ことみさん」
「……どうして、私の名前を」
「同じ学校の有名人じゃないですか。あ、わたしは宮沢有紀寧と申します。どうぞよろしく」

 まるで日常の中で挨拶をするように、拳銃を向けながら、にこやかに有紀寧は語る。
 いや違う。この女は日常を取り込んでいる。日常と狂気を一体化させた『普通の女学生』。そう表現するのが正しいように思えた。

「さて、と。早速ですけど一ノ瀬さんにはどんなことになっているのか説明しなければいけませんね。
 あ、霧島さんもですが、あまり動くと寿命を縮めることになりますので」

 右手に拳銃を、左手にスイッチを構えながら有紀寧は油断なく聖とことみの様子を窺っている。
 元々二対一を想定しての行動だったのだろう。だがそんなことは聖にはどうでもよかった。
 とにかくことみにだけは手を出させない。その一事だけを考える。
 聖のそんな思いなどつゆ知らず、有紀寧は話を聞く体勢に入ったと見たらしく、語りの続きを始めた。

670End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:53:48 ID:4D5sJK1.0
「まず霧島さんですが……先程押したのは首輪にある爆弾の起動スイッチです。12時間後には爆発しますね。
 赤く点滅を繰り返していると思うので、一ノ瀬さんならすぐに分かると思いますが?」
「本当か?」
「……うん。その人の言うとおり、点滅してる」

 言い慣れた調子といい、間違いなく効力はある。それに有紀寧は幾度となくこれを使用してきたということだ。
 一体何人がこの女の犠牲になったのだろうと鈍く突き上げる怒りを感じながら、「それで?」と続きを促す。

「大体わたしの言いたいことは分かると思いますが、あなた方には何人か殺してきてもらいたいんです。
 そうですね……まずは五人ほど、でしょうか」

 やはりか。薄々感じていたとはいえ、口にして出されると虫唾が走る。
 あまりに馬鹿馬鹿しすぎてため息しか出てこないほどだ。

 ああ、やはり早々に張り倒しておけばよかった。こんな馬鹿の茶番劇にことみを付き合わせることもなかっただろうに。
 殺せと命じた有紀寧の声に慄き、こちらを見たことみに対して聖は「気にするな」と微笑を浮かべた。
 こんな輩に惑わされることはない。ことみはことみのやりたいことをやればいい。
 自分はその手助けをするまでだ。思ったより落ち着いている心の内に驚きつつも聖はゆっくりと歩き出した。

「……勝手に動いていいとは言っていませんが」
「冗談もほどほどにしろ。私は医者だ。貴様ごときのために人殺しの看板を掲げてたまるか」
「一ノ瀬さんがどうなっても――」

 不快げに口を尖らせ、銃口をことみの方へ向かせかけた瞬間を狙い、聖はポケットからさっと日本酒を取り出す。
 フタを強引に開けると同時にブーメランよろしく投げられた酒瓶は、中身の液体を撒き散らしながら有紀寧へと向かった。
 正確に顔面へと投げられた酒瓶は咄嗟に身を反らした有紀寧には当たらなかったものの中身が思い切り顔面へと当たる。

「っ!?」

671End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:54:19 ID:4D5sJK1.0
 雨のせいで無色透明の液体が見えづらかったのもあり、有紀寧はモロにそれを浴びる。
 ひるんだところに聖が体当たりしてきた。圧された有紀寧と突進した聖は絡まりあうようにして地面を転がる。
 しばらくして二人の動きが止まる。有紀寧が下、聖が上をとる形で膠着していた。

「く……! あなた、命が惜しくないんですか!」

 銃口をこちらの方へ向けようとするがそうは問屋が下ろさない。聖は片手で拳銃の先を掴んでギリギリ急所から外す。
 スイッチを持つ腕もしっかり押さえる。
 とは言っても首輪が爆発したところで有紀寧にも被害が及ぶだろうから、そんなに気にしているわけではなかったのだが。

「そちらこそ観念したらどうだ。大人しく私に半殺しにされて治療を待ってみる気はないか」
「人を殺すだけの度胸もない大人が、なにをいけしゃあしゃあと……」

 先程まであった冷笑は底暗い闇を持った、蔑む嘲笑へと変わっていた。
 ただ有紀寧の瞳は何をも捉えてはいない。嗤っているのは自分さえも含めた世界の全て。
 人が人を殺すことを許容する環境、その中でしか生きられない有紀寧、そして聖たちをも無駄だと嗤っていた。

「わたしは生きて帰らなきゃいけないんです。そのためならなんだってする。なんだってしなきゃいけない。
 死んでも死に切れない理由があるんですよ。それをやれ医者だからやれ殺したくないからと曖昧な理由で濁して、
 逃げ続けているあなた達のような人がどうして生きているんですか。こんな人たちが生きているくらいなら、どうして……」

 不意に有紀寧の瞳に人間を思わせる光が差し込み、聖をハッとさせた。
 泣いているのかと思った直後、無理矢理に有紀寧が発砲し、聖の肩を貫いた。
 一瞬気を緩めてしまったせいだった。仰け反った聖を体ごと押し返し、有紀寧は拘束から逃れた。

「先生!」

 駆け寄ってきたことみに支えられながら、聖は既にこちらから離れ、無表情に銃口を向ける有紀寧の姿を仰ぎ見た。
 人間を感じさせた瞳はもう失われ、人を殺すという選択肢しか選べなくなったひとの悲しさがありありと映し出されていた。

672End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:54:35 ID:4D5sJK1.0
「やらなければやられる。弱ければ殺される。それがこの世界の掟です」
「……なら、弱いのはお前だよ」

 減らず口と受け取ったのだろう。ぴくりと指が動きかけ、ギリギリで押し留めるようにして有紀寧は息を吐いた。
 有紀寧は反論しようとしたが、その前に聖が言葉を叩きつける。そうしなければいけないという思いがあった。
 主張しなくてはならない。断固として膝を折ってはならない。餓鬼の我侭を修正してやらなければならなかった。

「君は結局この状況、この島の雰囲気に呑まれ押し潰されただけだ。
 望んでいたものはあっただろうに、もう遅いんだと諦めたつもりになって……
 子供のくせに、分かりきったような顔をして。小賢しいな、宮沢有紀寧」
「賢しくて悪いですか」

 言い返す有紀寧の語調は感情が滲み出ていた。子供と揶揄されたのが気に入らなかったのだろうか。
 有紀寧がどんなことを思っているのか知ったこっちゃない。自分と同じ立場であろうとするのが気に入らないだけだ。
 は、と聖は笑った。

「君の言葉、そっくりそのまま返すよ。どうして生きている。たくさんの人を犠牲にしてまで、それだけの価値があるのか」
「……ありますよ。そうしてわたしは生きているのですから」
「はっ、どうだろうな。君の本性を知らないまま死んでいった人もいるだろうに。
 君が未来を望めると思って殉じた人もいるはずなのに。
 そうしなきゃ生きられないと諦めた末の選択に身を任せた人間のために死んでいったとは、浮かばれんな。
 無価値だ。断言してやる。君のために死んだ人間は全員無価値だ。
 君には何もない。人間の価値を蔑ろにした君が分かったような風になって――」
「――黙れ。何も知らない癖に!」

 冷笑も蔑みも嘲笑も吹き飛ばし、怒り一色に染まった有紀寧の声と銃声が重なる。
 感情に任せて発砲された銃弾が聖の体を抉り、貫き、焼けた鉄の棒で神経を抉られる感触を味わう。
 ことみの悲鳴が耳元で弾ける。幸いにしてことみに被害はなかったようだ。

673End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:54:52 ID:4D5sJK1.0
 ならば、いい。済まないと囁き、ことみを振り払って聖は立ち上がる。
 ことみよりも、目の前の我侭な子供を優先しようとしている。会って間もない敵の方を優先している。
 顰蹙どころの話ではない。佳乃にだって大ブーイングだろう。
 でも、これが性分なんだと聖は苦笑する。情けない奴には張り手を。霧島家の方針だ。そうして強く育ってきたのだ。

「来ないで下さい。近づけば爆破します」

 苦渋を呑んだ有紀寧がスイッチを向けていた。
 明らかに聖の雰囲気に呑まれ、動揺しているのが分かった。
 何故感情を出してしまったのかという後悔さえ窺えた。

 聖はそれに対してさえ軽い苛立ちを覚える。この期に及んでまだ大人を気取ろうとする。
 若いくせに。全くいい加減にして欲しいものだと憤懣たる思いを抱きながら聖は歩く。
 懺悔させてやる。懺悔して、地を這いつくばってごめんなさいと言わせてやる。
 けれども血を垂れ流しながら進む聖に、縋るように掴む手があった。

「先生……!」

 ことみが泣きそうな表情をしていた。自分でもどうしてこんなことをしているのか分かっていないような表情だった。
 聖のやろうとしていること、決意が正しいものだと知りながらも身体が拒否してしまったのだろうか。
 有紀寧とは大違いだ。聖はことみから目を反らし、有紀寧の方を見据えながら言った。

「やりたいことをやればいい。私が言えることはそれしかない。
 目指すものを変えてもいい。望まれる道を進むのもいい。
 だが人生を腐らせるな。悪戯に思いだけを持て余すな。資格を失ってからじゃ、遅いんだ」

 我ながら説教臭いと聖は失笑する。それに説得力もない。
 けれども、自分は神様ではないのだと知っている。言葉に出してでしか思いを伝える術を持たないのを知っている。
 分かってくれ、じゃない。分からせなければいけない。努力を怠り、放棄してしまった瞬間に人間は堕ちてしまう。
 宮沢有紀寧のように。

674End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:55:08 ID:4D5sJK1.0
 掴まれた服がゆっくりと放された。その感触を聖は確かめ、再び有紀寧へと歩き出す。
 血はとめどなく流れ、時折意識が朦朧とする。存外血が足りていないらしい。
 不規則な生活を送っていたからかな、と自分でも訳のわからないことを考える。
 そんなどうでもいいことを考えられる程に頭の中が透き通っていた。或いはひどく恬淡とした顔なのだろう。

「止まりなさい。止まらないと……」
「やってみろ」

 獣の唸るような低い声に有紀寧が意識を浮かせる。刹那の恐れを聖は見逃さなかった。
 怯んだ有紀寧に対して聖が駆ける。間は僅かに数メートル。この至近距離で爆発させれば有紀寧も無事では済まない。
 聖は死ぬ気などない。それよりも有紀寧への腹立たしさが先立っていただけのことだった。
 自分も巻き込まれると気付いた有紀寧は咄嗟に拳銃を構える。

「あまりわたしを舐めないでください」

 声はゾッとするほど無味乾燥であった。
 動じていない……? 聖の疑問はすぐに解決されることになった。
 拳が有紀寧の顔面に届く寸前、至近距離から狙って発射された銃弾が霧島聖の体を断ち切った。
 聞き分けがないとは思っていたが、どうやら予想以上に人の話を聞く奴ではなかったようだ。

 悔しいな。聖の頭に浮かんだのはその一語だった。
 妹の姿、ことみの姿、出会っていった人々の姿が現れては消え、死の悲しさと恐怖を伝える。
 こんなにも死ぬ事が怖い。もう生きていくことが出来ないのがあまりにも辛すぎる。

 でも、と聖は思う。
 だから自分が死にたくないとは思わず、死のつらさを教えて回りたいと思ったことは、やはり己が大人だからだろうか。
 もうそれも出来なくなってしまったが――ああ、それが、一番辛いな。
 ことみにもうこれも教えられない。聖は初めて無念という感情を覚え……意識を暗転させていった。

     *     *     *

675End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:55:45 ID:4D5sJK1.0
 ぐらりと聖の体が傾き、くず折れる。「分からず屋め……」と呻いたのを最後に前のめりになるようにして動かなくなった。
 何が諦めたつもりになって、だ。何が無意味だ。おこがましい。大人気取りの偽善者が。
 罵詈雑言が次々と浮かんでは聖へと叩き付けられる。鬱憤晴らしをするかのように、有紀寧はさらに発砲した。

 頭蓋骨が割れ、脳漿の一部が飛び出す。罅の入った西瓜を棒で突く感覚だった。
 銃弾が尽き、コルトパイソンがカチリと弾切れの音を立てる。
 スイッチを一回分無駄にしたと有紀寧はもう一度腹を立て、残る一ノ瀬ことみの姿を探した。

「逃げましたか……」

 聖とやりとりをしている間も体を震えさせていたことから考えれば当然の結果とも言える。
 変な意地のお陰で千載一遇の好機を逃した。その上悪戯に武器弾薬を消費してしまったことを思えば優勝は遠のいたに違いない。
 そういう意味では聖は一糸報いたといってもいい。こちらからすればとんでもない損失だが。
 聖の遺体を嬲り尽くしたい気分になった有紀寧だが、こんな奴に構っている暇はないと、コルトパイソンに銃弾を再装填する。

 どうも心にはさざ波が立っている。理由は言わずもがな、聖のせいだとは分かっているもののもうどうする術も持たない。
 寧ろ何を苛立っているという疑問が渦巻き、落ち着かせようと必死になっているのが信じられない。
 聖に言われたことは確かに事実を含んだ部分もある。

 しかしその程度で動じるような人間だっただろうか、と有紀寧は脆弱になったらしい己を眺め、失望せずにはいられない。
 いや状況が若干不利に傾き、焦っているだけだ。また優位に立てばこのさざ波も収まる。
 無理矢理そう結論した有紀寧がシリンダーを戻し、また歩き出す。

「っ!? あぐっ!」

 が、転ぶ。いや転ぶ以前に発した破裂音と同時に鋭い痛みが走り、立てなくなっていた。
 地面に体を打ちつけながら、有紀寧は自分がどうなっているのか確認する。
 見ると、太腿の付け根から血が出ていた。鉛筆ほどの太さの穴も開いている。
 撃たれたのだ、と認識した瞬間、殺されるという恐怖が駆け巡り、寝ていては殺されると体を引き摺り、這うようにして逃げる。

676End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:56:03 ID:4D5sJK1.0
「……まだ、逃げるんだ」

 そんな有紀寧の後ろから、低く搾り出された声が聞こえた。

「……あなたですか」

 聞き覚えのある声に有紀寧は失笑する。相手にではない。自分に対してだった。
 言葉を交わす意味も価値もない。そう断じた有紀寧は転がってコルトパイソンを撃とうとしたが、遅かった。
 既に見切っていたらしい相手は半ば乱射気味ながらも有紀寧が撃つ前に撃ちこみ、
 肩や腕に直撃させ、有紀寧の戦闘能力の一切を奪った。

 コルトパイソンは手から零れ落ち、腕も満足に動かなくなる。
 特に鍛えているわけでもないから当たり前か、と冷めた感想を抱きながら有紀寧はまだ力の残る腕でスイッチを握り締める。
 わたしの守り神。最後まで手放すものか。強く思いながら、有紀寧は発砲した敵へと向けて言葉を放った。

「ひどい、ですね……半殺しなんて」
「……先生を……殺した、くせに」

 怒りを押し殺した声は一ノ瀬ことみのものだった。彼女は上から、有紀寧を見下ろしていた。
 動かした視線の先では長い銃を構え、半泣きの表情で、しかししっかりとした立ち振る舞いをしている。
 逃げたと思ったら、違ったというわけだ。逃げたのではなく、射程外から狙撃するために距離をとった。
 霧島聖を犠牲にして。やってくれる、と有紀寧は改めて聖を憎んだ。本当に、一矢報いてくれた。

「本当は許せない。あなたみたいなわるものを絶対に許したくない。でも、殺さないの。私は先生の弟子だから」
「……偽善者風情が……は、わたしを殺したも同じでしょうに」
「もう生きるつもりもないんだ」

677End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:56:19 ID:4D5sJK1.0
 カチン、と来た。こいつもまた、自分を見下そうとするのか。子供だと、餓鬼の我侭だと言い通して。
 わたしはこうせざるを得なかった。こうするしかなかった。
 結果的に酷いことをしてきたとはいえ、最初から望んでやったことじゃない。
 戻るためには生き延びる必要があった。生きなければならなかった。それに強い武器も手に入れた。
 だったら、悪魔の言葉にだって耳を傾けてしまうのが人間。そうではないのか。

「わたしだって死にたくないですよ。死にたくない。生きて帰りたい。そのために何だってすることの、何が悪いんですか」
「だからって、生きるためにはしょうがない、こうするしかないって、他の全部を犠牲にしてもいいの?
 ……自分でさえも。先生の言葉に怒ったってことは、図星な部分があったってことなの。
 本当はこんなことしたくなかった。したとしても、犠牲にしたくないものもあった。……あなたは分かってたはずなのに」
「……何を言うかと思えば……」

 敵対的な口調は崩さないながらも、否定しきることはできなかった。普段なら嘘を吐いてでも反論するはずなのに。
 それともことみの言うとおり、もう生きるつもりもないからなのだろうか。『また』諦めているからなのだろうか。
 分からない。ただ、自分に勝機がないのは事実だった。こんな有様で、スイッチを使おうにもその前に攻撃される。
 しかも寝たきりであるため、下手すれば自分に起動してしまいかねない。まさに八方ふさがり。チェックメイトだ。

「自分さえも諦めて、他の人もみんな犠牲にして……もうあなたには何もない。自業自得なの。ごめんなさいって言えばいいの。
 そのまま謝って、謝って、後悔し続ければいいの」
「馬鹿にしないでください、泣き虫の癖に……わたしを語るな」

 そう。もう勝てはしない。四肢を奪われ、自由さえも奪われた自分はもう優勝なんてできない。
 諦めたといえば、そうなのだろう。だが優勝は出来なくとも、この小娘に勝利する方法はある。
 諦められない。散々馬鹿にしくさって、しかも間接的に妹の初音を侮辱したこと、それが許せない。

 無意味な死。そんなことがあるはずがない。初音は自分を信じて、こちらの勝利を信じて勝ちに行ったのだ。
 自分達は勝ち残れるのだと、諦めてはいないのだと本気で信じていたことだけは否定されてはならない。
 知らず知らずのうちに口元を歪めているのに、有紀寧自身もようやく気付く。

678End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:56:38 ID:4D5sJK1.0
 ああ、つまり、そういうことなのだろう。
 わたしは、結局、家族という亡霊に縛られていた。
 追いかけていたのでもない。知ろうとしていたわけでもない。

 取り返したかっただけだ。無理だと分かっても作り上げたかったのだ。
 偽物でも、紛い物でも、幻想でもなんでもいい。家族という懐の中で温まりたかった、それだけなのだ。
 ここで必死に作ろうとして、失敗して、だから帰ろうとしていた。……死にたくないのは、そのためだった。
 何ということはない。自分は人殺しじゃない。悪魔でもない。愚直に過ぎた。そういうことだ。

 ――だから、わたしは『家族』と出会える場所に行きます。ええ、だって、一番手っ取り早い方法ですから。

 無論、きっちりと落とし前はつけておく。一銭の釣りも残さない。綺麗に支払ってやる。

「あなた、なんか……苦しんで死んでしまえばいいんです……地獄で、待ってますよ」

 これは賭けだ。一度たりとも試したことのない賭け。だがやってみる価値はある。勝ちに行くのだ。
 初音が笑っている。流石お姉ちゃん、と。
 だから信じられる。信じてくれるひとがいるから、信じられる。
 有紀寧も笑った。笑って、有紀寧は――スイッチを押した。

     *     *     *

「っ、うぐ、あうっ……!」

 呻き声が自分のものだと分かるまでに、いくらかの時間を要した。
 それと一緒に、世界の半分が真っ黒に塗り潰されているのが分かった。
 いや違う。これは目を潰されたのだと理解する。右目は開いているのに、左目が開いていないのがその証拠だ。
 鈍痛がズキズキと目の奥から襲ってくることを考えれば、完全に失明したのだろう。

679End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:57:02 ID:4D5sJK1.0
 血を流し続ける顔を手で押さえながら、ことみは首から上が消失した宮沢有紀寧の姿を見ながら先刻起こったことを思い出す。
 何の前触れもなかった。恐らくはあらかじめそうなるように方向を定めておいたのだろう。だからスイッチを押すだけで良かった。
 少しでも不審な挙動を見せれば発砲しようとは警戒していたが、甘かった。まさか自爆するとは思いも寄らなかった。
 結果として爆心地の近くにいた自分は爆風と首輪、人体の破片の直撃に遭い、体の左半分に深刻な被害を受けた。

 いくら勝機がなくなったからといって……何とも言い表しがたい、不快な気分だった。同時に、空しさもあった。
 こうまでしてやることだったのか。命を捨ててまで成し得る価値のあるものだったのか。
 最後の最後、有紀寧は笑っていた。価値を見出したのか、蔑む笑みだったのか、もはや誰も知る術はない。
 ただ、聖を知っていることみからすれば、それはやはり理解しがたいものであることは間違いなかった。
 もし、やり直そうという気持ちを少しでも見せていたら……許せなくとも助けようとは思っていたのに。

 だって先生ならそうするから。私も、人が死ぬのを見たくはなかったから。
 今となっては、もうどうしようもないが……

 有紀寧からすれば、これも傲慢なのかもしれない。所詮人は自己満足の中でしか生きられないのだと。
 しかし、それでもとことみは思う。それでも人と共に過ごし、学んでいけるのもまた人間だ。
 自分は学んだ。聖から命を腐らせるなと学んだ。

 だから医者になる。聖が目指していたもの、理想としていたものに近づくために。
 聖が言ったことを伝えていくために。それが自分の夢だ。
 引いては、それが聖の想いも腐らせないことに繋がるだろうから……

 眼球に刺さっていた首輪の破片を抜く。ずるりという音と共に小さな破片が落ちた。
 ズキリとした痛みが生じたが、これが生きているという証だ。歩いていける証拠だ。
 体を引き摺りながら、ことみは一片の諦めもなく、次のための行動を始める――爆弾の材料を集める行動を。

680End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:57:21 ID:4D5sJK1.0
【時間:2日目午後22時00分頃】
【場所:H-8 廃工場前】


一ノ瀬ことみ
【持ち物:H&K PSG−1(残り0発。6倍スコープ付き)、暗殺用十徳ナイフ、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯】
【持ち物2:要塞開錠用IDカード、武器庫用鍵、要塞見取り図、フラッシュメモリ】
【状態:左目を失明。左半身に怪我】
【目的:爆弾の材料を探す。生きて帰って医者になる。聖同様、絶対に人は殺さない】

霧島聖
【持ち物:ベアークロー、支給品一式、治療用の道具一式(保健室でいくらか補給)、乾パン、カロリーメイト数個、カメラ付き携帯電話(バッテリー十分、全施設の番号登録済み)】
【状態:死亡】

宮沢有紀寧
【所持品:コルト・パイソン(6/6)、予備弾×13、包帯、消毒液、スイッチ(0/6)、ノートパソコン、風邪薬、胃腸薬、支給品一式】
【状態:死亡】


【その他:タンクとポンプは古錆びたトラクターの近く。二人乗り用の自転車は工場の近く。ゴルフクラブ、日本酒(空)は放置。】


【残り 16人】
→B-10

681十一時五十七分/奇跡が起こるような、そんな:2009/04/13(月) 14:49:49 ID:NaKun74s0

*** 1. -180sec.


 ―――今がその時だ。

直感した瞬間、蝉丸は駆け出している。
堪えに堪えたその鬱屈を爆発させるように、撥条と化したその全身が加速していく。
大きなストライドが稼ぐのは距離。消費するのは残り僅かの時間である。

視界の端には両断された槍使いの神像が映っている。
六体目を斃したという以上に、間合いの広い槍使いの像を落とした意義は大きい。
これで蝉丸と銀鱗の中心との間を遮るものは右、大剣の神像と左に位置する白翼の神像。
そして、紅の槍の森のみである。
踏み出す一歩が、勝利と敗北とを隔てる賽の目であった。
駆け出した以上、もはや止まることは許されない。
抱きかかえた砧夕霧は腕に重く、その口から微かに漏れる歌とも祈りともつかぬ声が耳朶を震わせる。
ほろほろと流れ落ちる涙の雫が時折胸に落ちて、じんわりと生温い。
最後の希望を抱いて、癒えぬ足で蝉丸が駆ける。
響くのは爆音と吹き荒ぶ風の音、閃くは剣戟の火花。
ただ一点の隙を縫うように、蝉丸が大地を蹴った。

682十一時五十七分/奇跡が起こるような、そんな:2009/04/13(月) 14:50:22 ID:NaKun74s0

*** 2. -170sec.


「何故、諸君は抗う。如何に足掻こうと運命は変わらないというのに。
 何故、諸君は理解しようとしない。来るべき新世界を。
 私の創造する新たなる種が人を超えんとする、その意義を―――」

生み出した巨神像の内、六体までを落とされた長瀬源五郎が、その巨体を震わせて声を発する。
嘆くような声音が消えるのと同時、白翼の巨神像の手に光が宿る。
光は輝く弾となり、軽やかに振られたその優美な手から離れるや猛烈な加速で一直線に飛ぶ。
駆ける蝉丸を横合いから狙う軌道。
その身を直撃せんとする正確な狙撃に、しかし蝉丸は視線を向けようともしない。
無論、踏み出すその一歩を回避の為に動かすこともなかった。
吸い込まれるように迫る光弾を遮ったのは、一筋の剣閃である。
一瞬の後、二つに斬られた光弾が左右、遥かに離れた場所に着弾して爆ぜた。

「―――機械屋が天下国家を語るか」

絹の如き長髪が爆風に靡き、銀の波が空に流れた。
光弾を断ち割って刃毀れの一つもない白刃の銘を、麟という。
星無き夜に浮かぶ月のように立つ光岡悟とその愛刀が、続けて飛んだ光弾を真一文字に斬り捨てた。

「だが貴様の言う通り、新たな世は訪れる。それだけは認めてやろう」

神像が背の白翼を羽ばたかせると、吹き荒ぶ風がその音を変える。
きりきりと耳を劈くような高い音の中で、ただ荒れ狂っていただけの風が、
万物を切り裂く鋭い刃へと密度を上げていく。
不可視の斬撃が、飛んだ。
その先には光岡悟。蝉丸を護る堅固な砦を先に落とさんとする狙いだった。
僅かに口の端を上げた光岡が、脇構えから摺り上げるように一刀を振るう。
中空、素振りの如き一閃はしかし、凄まじい音と手応えとをもって己が狙いの違わぬことを光岡に伝えている。
風が、斬られていた。
幽かな音と気配と、そして極限まで研ぎ澄まされた勘とが揃って初めて可能となる神業である。
影花藤幻流皆伝、天賦の才と謳われた男の、それが実力であった。

「尤も……それを築くのは、九品仏閣下と我等だ。道を開けてもらおうか、犬飼の遺産」

傲岸と言い放つその瞳には、曇りなき明日が映っている。
応じるように、白翼の神像の周囲に無数の光弾が浮かび上がった。
横目で流し見た蝉丸の背中が遠く離れていくのに一つ小さく鼻を鳴らして、光岡が愛刀を正眼に構え直す。
爆ぜた光弾に炙られて焦げた臭いのする風が、銀色の長髪を揺らした。
嚆矢のように飛んだ一発を断ち割って、光岡が歩を踏み出す。
同時、光が、舞い飛んだ。
幼子が風に吹くシャボンの玉のように、無数の光弾が光岡に殺到し、そして爆ぜていく。
爆音と焦熱とを生み出す白光の嵐の中で、光岡悟が応と吼える。
吼えて、その身を刃と成す。
飛び来る光弾の悉くを斬り捨て、断ち割り、突き穿ち、射貫く、尋常ならざる剣捌き。
柄を握る拳から振るう腕、斬り下ろしかち上げ刺突し自在に変幻する体幹に、進み退り跳び駆ける脚。
最早それは人と刀とを分かつ境を越えている。
その閃光の中に煌くのは美しくも凄まじい、一振りの刃であった。
銀弧が、疾る。
機を窺い続けた蝉丸の、動くに動けぬ身を庇いながら十数分の長きを防戦に徹し、
迫る剛剣と降り注ぐ光弾とを一手に引き受けて遂に凌ぎきった恐るべき剣の冴えが、
今やすべての頚木から解き放たれ、舞い踊るが如く閃いている。
打ち続く白光の嵐の、その輝きさえ褪せるように、光岡悟は止まらない。

683十一時五十七分/奇跡が起こるような、そんな:2009/04/13(月) 14:50:38 ID:NaKun74s0

*** 3. -140sec.


風を巻いて唸る大剣が、虚しく空を切る。
山をも断たんとする破壊の権化が再び振り上げられた瞬間、それを保持する細身の腕が、爆ぜた。
長い髪を編み込んだ女を模した巨神像、大剣を使う像が、ぐらりと揺れる。
重く響く爆音の中、舞い上がる煙を割って飛び出したのは少女とも見える年頃の影。
水瀬名雪である。

「人には夢がある。遥か古代から抱き続けてきた夢だ。
 文明を築き、自らの望む通りに世界を作り変える力を得た人類の、それは義務といってもいい。
 人はいつか、ヒトを超える。種としてのヒトを捨て、より高みへと至るのだ。
 遂に捉えたその影を、ようやく届いた扉の鍵を、何故諸君は放り捨てようとする―――」

詠嘆を含んで響く声を、名雪が鼻で笑う。

「化物の特売市の真ん中で、今更何の冗談だ?
 そうやって周りが見えないから、誰からも見放される」

手にした雪兎を空中に投げると、すらりと引き締まった右脚を振り上げる。
身を捻りながら放った脚が、落ちる雪兎をミート。
完璧なフォームのボレーシュートが、可愛らしい時限式の爆弾を撃ち出した。
回転をかけられた雪兎は質量と空気抵抗に従ってその軌道を変えていく。
鋭い弧を描きながら、吸い込まれるように巨神像の懐へと潜り込む。
一瞬の後、鈍い重低音。
腹の辺りから煙を上げて傾いだと見えた巨神像が、しかし大剣を地に着くようにして耐える。
舌打ちした名雪が小さな身振りで神像を指さすのと同時、背後に影の如く控えていた黒蛙がふわりと浮かぶ。
間髪いれず撃ち出されたのは黒雷である。
音もなく一直線に伸びる、光を吸い込むような漆黒の稲妻。
至近を迸る閃きに、名雪の長い髪が靡き、舞い上がる。
真っ直ぐに射出された黒雷が直撃したのは、耐える巨神像の顔面である。
着弾の衝撃と爆風が、辺りを薙ぎ払った。

「……ほぅ」

巻き上がった砂煙が、山頂を吹き荒ぶ風に払われる。
飛来する小さな石礫を避けるように腕を翳した名雪が、僅かに瞠目した。
その眼が写していたのは、黒雷の直撃で顔面の半分に罅を入れながらもなお倒れずに大剣を構える、
巨大な女神像の姿である。
瞬間、しぶといな、と口の中で呟いた名雪と、手にした剣を大きく振りかぶる巨神像の視線が、絡まった。
石造りの無機質な瞳。
だがそこに、傷ついてなお倒れず、何かを護ろうと剣を取る者の矜持を、名雪は見た。
それは巨像に彫り描かれた英雄の、魂の一片なりと宿ったものであっただろうか。
かつて共に時の螺旋を生き抜いた者たちと同じ色の瞳に、名雪が小さく笑う。
薄暗く乾いた、埃の積もったような笑み。
貌に老いを浮かべた名雪の動きが鈍ったのは、ほんの僅かの間である。
だがその隙を巨神像は見逃さない。
山をも崩す巨刃が、名雪を目掛けて横薙ぎに振るわれた。
大気を断ち割りながら迫る破壊の刃に名雪が舌打ち一つ、表情を引き締める。
瞬きをするよりも早く状況把握と局面打開の策定。
退いての回避には間に合わない。左右は論外。道は上空。
確実に繰り出される追撃を黒雷で阻止しつつの跳躍。
そこまでを思考し、背後の蛙が回避機動に合わせて準備を始めようとした、その刹那。
黒い弾丸が、巨神像の胸を一直線に引き裂いていた。

「柏木楓か……!」

振るわれる巨刃の勢いが、緩む。
力なく流れた切っ先を難なく躱しながら見据えた名雪の視線の先には、襤褸を纏った少女の姿。
肩口で切り揃えた黒い髪に、整った白皙の美貌。
ざくりと裂けた左眼と、細い指先から伸びる深紅の爪が異彩を放っている。
果たして隆山の鬼女、柏木楓その人であった。

684十一時五十七分/奇跡が起こるような、そんな:2009/04/13(月) 14:51:28 ID:NaKun74s0

*** 4. -120sec.


「犬飼博士は堕落した。彼は所詮、世俗を捨てきれなかったのだ。
 覆製身研究の末に自らの伴侶を造り、そこに安寧を見出した。
 それは研究に対する裏切りだ。信念に対する冒涜だ。
 だが私は違う。私は、私だけは人類の未来を憂いていた―――」

残る二体の巨神像の脇を駆け抜けた蝉丸の耳朶を、不快な聲が震わせる。
地面から直接響くような聲は長瀬源五郎のものである。
駆ける蝉丸が踏み締めるのは大巨竜と化した長瀬の背であった。
頭なく顔なく口腔もない長瀬の聲は、微細に振動する巨大な身体そのものから発せられているようだった。
抑える術もなく、常軌を逸した科学者の一人語りが垂れ流されている。
耳元では抱きかかえた砧夕霧が、言葉ともつかぬ言葉を漏らしていた。
不快な聲と不可解な唄と、耳を覆いたくなるような音に挟まれて、しかし蝉丸の心は不動である。
ただ行く先に待つ目的地まで足を動かし続ける機械のように、黙々と走っていた。

「―――そして遂に到達したのだ。真理に。結論に。紛うことなき明日に。
 覆製身など愚の骨頂。いかに紛い物を増やそうと、ヒトの出来損ないでは人類を超え、
 新たな明日を築くことなど不可能だ。……だが!
 だが私なら、私と我が娘たちならば超えられるのだ、人類種の限界を!」

と、笑みをすら含んで高らかに響く長瀬の聲に誘われたように、それまで真一文字に引き結ばれていた
蝉丸の口が、静かに開く。

「欺瞞だな、長瀬」

告げた蝉丸の、踏み出す足に伝わってくる感触が変わる。
鉄張りの甲板のように硬質な響き。
巨竜の背に広がる銀色の湖。
無数の鱗に覆われた白銀の平原に、ようやくにして踏み込んだのだった。

「人を語りながら人を見下す。新たな世を語りながら其処に住まう者を見ない。
 貴様の言葉に表れるのは己の狭い了見よ」

歩を進ませじと待ち構えるのは紅く透き通った、硝子のような材質で構成された槍の如きものである。
露出した鉱石の結晶であるようにも、或いは血に染まる樹氷のようにも見えるそれが、
鋭い穂先を天に向けて無数に生えている。
夕霧を抱きかかえたまま片手で佩刀を抜き放った蝉丸が、薙ぐようにそれを振るう。
幾本かの槍が砕け散り、しかし奇怪なことに槍の欠片は中空でどろりと血飛沫の如くに丸く形を変えると、
銀色の地面に落ちて染みていく。
すると紅い染みから卵の孵るように、新たな槍が突き出してくるのだった。

「畢竟、貴様が抱くのは人類の夢などと大仰な代物ではあるまい。
 貴様は赦せぬのだ。己を認めぬ者どもが。儘ならぬ世の全てが」

身を捩って鋭い先端を避ける蝉丸の疾走が、その速度を緩める。
緩めてしかし歩を止めず、愛刀を握り込んだ。
構えは下段。
一瞬の後、蝉丸の足元から空を断って逆巻き、天へと昇るが如き一閃が奔る。
裂かれた風の断末魔か、高く儚げな音が響くと同時。
蝉丸の行く手に聳えていた槍の群れが、一斉に霧散した。
鳳の銘を打たれた一刀の、正しく焔を纏う霊鳥の遮るものを焼き尽くすが如き剣閃。
跋扈する魑魅魍魎を調伏せしめんとする、それが蝉丸の佩く刃の輝きである。

「それは思い描いた桃源郷の、己がみた夢の何故叶わぬと泣き喚く餓鬼の駄々よ。
 義無く理も無く、在るは唯、貴様の欲に過ぎぬ」

紅い樹氷の森の中、切り開かれた道を蝉丸が走る。
だが一面の血飛沫に覆われたような道がその行く手を平らかにしていたのは一瞬であった。

「……君に何が判る、戦争犯罪人の脱走兵」

憤りを露わにした聲が響くや、地響きを立てて槍が飛び出してくる。
四方を塞ぐように密集して生えた紅い槍の群れに、たたらを踏んだ蝉丸の姿が映っていた。
渋面に微かな焦燥を浮かべた蝉丸が、再び一刀を振りかざそうと構えた刹那。

『―――足を止めるな、坂神蝉丸』

685十一時五十七分/奇跡が起こるような、そんな:2009/04/13(月) 14:51:39 ID:NaKun74s0
声なき声に視線を上げようとした蝉丸の至近を、何かが駆け抜けた。
その何かに音はない。
だが僅かに遅れて爆ぜた風が、その恐るべき疾さを誇示するように蝉丸の耳朶を震わせていた。
閃いたのは照りつける陽光を吸い込むような黒い光である。

「これは、水瀬の……!」
『要らん助勢だったか? まあ、こちらは少し手が空きそうでね』

遥か後方から黒雷を放った水瀬名雪の言葉に、蝉丸が短く答える。

『感謝する』

黒雷により再び切り開かれた道へ向けて、蝉丸が疾走を再開する。
しかしその足元では既に砕け散った紅い槍が再生を始めていた。
飛び散った欠片が地面に染み渡るや、新たな穂先が芽吹いてくる。
瞬く間に塞がれゆく道を見て舌打ちした蝉丸に、

『足を止めるなと言ったろう。助勢は一人じゃない』

名雪の声が伝わると同時、蝉丸の背後で硬質な音が響いた。

『振り返るな! 走れ!』

声に押されるように駆け出した蝉丸の脇を、今度は小さな影が追い越していく。
手負いとはいえ強化兵たる蝉丸を凌ぐ加速を見せた影は、その手に刀を提げている。
背に生えるのは美しい毛並みだろうか。
鬣とも見える長い髪を靡かせて獣とも人ともつかぬ影が刃を振るうと、何ほどもない一閃に
どれだけの威力が込められていたものか、芽吹きかけていた紅い槍がまとめて砕け散った。
と、同胞を砕かれた報復のように左右から鋭い穂先が影へと迫る。
同時に迫る槍に、白い影はしかし身を躱さない。
右から伸びる一本を振り抜いた刀を戻しつつ引き斬り、空いた身を貫かんと左から迫るもう一本へは、
何と拳を振るったものである。
振るわれた拳は、白一色の身から抜いた色を集めて染め上げたが如き漆黒。
堅牢な鎧の如き皮膚に包まれた拳が、その身に傷一つ付けることを赦さず紅い槍を粉砕する。
白銀の髪が、紅い雫を振り払うように流れた。

「その力、川澄舞……か。礼を言う」

告げた蝉丸に、白い影は答えない。
ただちらりと振り向いて、一つ頷いた。
駆ける蝉丸の視界から、その身が消える。
背後で響き渡る硬質な音の連続だけが、その存在を示していた。

686十一時五十七分/奇跡が起こるような、そんな:2009/04/13(月) 14:52:05 ID:NaKun74s0

*** 5. -60sec.


既に蝉丸の行く手はその半ばを過ぎている。
残る銀の平原に生える槍の群れは、しかし健在。

「閉塞し、腐敗し、磨耗しきった末世を、だが私ならば超えられる。
 築けるのだ、新たなる秩序を、瑕疵なき世を、永遠の平穏と繁栄を。
 必滅の定めを越え、死と腐敗と衰亡の恐怖を克服し、人は今、ようやく神の呪縛から解き放たれようとしているのだ!」

響く聲に同調するように、地面が震えている。
右手から突き出てきた紅い槍を斬り割って、蝉丸が叫び返す。

「次は神を持ち出すか! それが貴様の了見だと言っている!」

砕けた紅い石の欠片が散って、一滴が蝉丸の抱いた夕霧の頬に飛ぶ。
飛んだ雫が、たらりと血の涙のように垂れ落ちた。
垂れた雫を痩せた蛞蝓のような薄い舌が嘗め取って、こくりと飲み込む。
嚥下するように喉が動いた途端、夕霧の口から漏れる唄がその声量を増した。
詞は言葉の体を成していない。
祈りの色も、最早なかった。
慟哭と呪詛と、歓喜と絶叫と、愉悦と苦痛と、およそ人に内在するありとあらゆる種類の感情を、
跳ねるように、躍るように、掴むように、掻き毟るように、それは謳っていた。

「貴様は人の子よ! 貴様の造る物たちが死を越えて新たな世を築くというのなら、
 其処に貴様の居場所などあるものか!」

空と大地とを覆い包んで響く歌声が、蝉丸の背に重い。
振り払うように叫んで歩を進める。

「……! 黙るがいい、脱走兵!」

生きるように、生き終わるように響く歌声に衝き動かされるが如く、長瀬の聲が跳ね上がる。
地響きは既に、常人であれば立つことすら儘ならぬ域に達していた。

「私は既に人機の境界を越えた、定命などとうに超越した!
 私こそが父だ、娘たちを教え導く者だ! 娘たちの在る限り、私は必要とされているのだ!」

憤りに呼応するように、地響きを割って紅い槍の群れが飛び出してくる。
その数は尋常ではない。
隙間なく敷き詰められた槍衾は天高くまで伸び、しかし先端で奇妙に捻じ曲がってその穂先を蝉丸へと向けている。
大気を押し潰すような歌声と、大地を砕く地響きと、耳を劈くような長瀬の聲に押されるように、
見渡す限りの薄く透き通った紅い槍の群れが倒れ込んでくる。
躱すことを許さぬ、それは正しく全天から降り注ぐ槍の雨であった。

「そうして言い訳を重ねて! 見捨てられるがそれほど怖いか!」

肌を刺す歌声の中、槍の雨に貫かれてその生を終えた久瀬少年の顔が浮かぶ。
彼の率いた三万の兵は既になく、成れの果てたる巨竜だけが残っていた。
打ち棄てられた者たちの、屈せず立ち抗う戦の残滓が、それだった。
廃物の山に立つ少年の意志を踏み躙るように、長瀬源五郎がそこにいた。

「認めさせようというのだ、偉業を!」
「矮小を恥じもせず……!」

降り注ぐ槍の悉くを断ち切らんと、蝉丸が一刀を構える。
腕の中の夕霧が身悶えするのを、強く抱きなおした。
叫ぶような歌声が、びりびりと耳を打つ。
極限まで研ぎ澄ませた神経が、初太刀を抜き放つ刻限を正確に捉える。
一刀、蒙きを啓かんと閃く、その刹那。

『妄想も大概―――、』
『ウザいっての―――!』

響く声、二つ。
声なき声が響き、同時に音が消えた。
否、消えたのは音ばかりではない。
蝉丸の眼前、降り注がんとする無数の紅い槍の津波を、何かが奔り抜けた。
それは光でもなく、刃でも弾でもない。風でもなければ、実態のある何かでは、なかった。
触れられぬ何か。触れられず、目に映すことも叶わない何かとしかいいようのないものが、槍の海を薙いだ。
ただ一つだけ確かなのは、その存在であった。
何となれば、その不可視不可触の何かが薙いだ紅い槍の森が、忽然と消し飛んでいたのである。
狐狸に化かされたような光景を、蝉丸の脳がようやく認識した途端、世界に音が戻ってきた。
響き渡る唄と、透き通る鉱石の槍が砕け散る硬質な音。
そして眼前、開けた道を吹き抜ける風の音である。

『精々走れよ、軍人。私らのためにさ』
『もう時間がありません。……終わらせるのでしょう?』

遥か遠く、距離を越えて声なき声が聞こえてくるよりも早く、蝉丸は駆け出している。
目指す場所、銀の平原の中心までは既に程近い。
天沢郁未と鹿沼葉子が不可視の力をもって破壊した槍の津波の残骸を踏み越えて、
蝉丸が最後の加速に入ろうとしていた。

687十一時五十七分/奇跡が起こるような、そんな:2009/04/13(月) 14:52:27 ID:NaKun74s0

*** 6. -30sec.


「誰も彼も、私一人の邪魔ばかり―――!」

長瀬源五郎の叫び散らすような聲が大気を震わせる。
蟲の羽音のように不快を催させるその聲からは、常ならず余裕と冷静さが失われていた。

「何故だ! 何故判らん! 何故認めん! 何故君たちはそうも愚かしい!
 完全なるものが、私の真の娘が、これから生まれるのだ! 真なる私の手から!
 それを奪うのか! 明日を! 私の娘たちの未来を!」

憤りを通り越し、半ば哀願に近いその言葉を聞いて、駆ける蝉丸の表情が、変わった。
浮かべたのは、紛うことなき激怒の色である。

「―――取り込んで、虐げて、何の父か!」

言い放った蝉丸の脳裏に浮かぶのは長瀬の胸に刻まれた、慟哭と絶望の貌だった。
苦痛の末の死に顔を写し取ったようなそれを、長瀬は娘と称していた。
そこに父娘の触れ合いなど存在しない。
夕霧を取り込もうとしたときの、その想いを雑音と片付けた長瀬の薄笑いに、情愛などありはしない。
否、あってはならなかった。
それを情愛と呼ぶ者を赦さずに生きてきたのが、坂神蝉丸であった。
燃え上がったのは、澄みきった怒りである。
平穏と情愛とを思うとき蠢く、自らの奥底の膿に棲む黒い蟲に刀を突き立てて、
蝉丸は憤怒の炎に刃を翳す。

「久遠の時が、私には与えられた! 至るのだ、高みに! 私は! 私の娘たちは!」

絶叫した長瀬に応えるように、残る槍の森がその姿を変えていく。
瞬く間に集まり、捩れ、縒り合わさって一つの形を取ろうとする。
最早、蝉丸の左右に、或いは背後に槍はない。
すべての槍を使い果たすかのように、そのすべてで蝉丸ただ一人を穿ち貫くように、
遂に完成したその姿は、純粋な凶器。
それは、ただ一振りの、巨大な槍である。
穂先は一つ。否、それは単に、縒り合わさった槍たちの先端が鋭く尖っているに過ぎない。
槍と呼ぶのもおこがましい、それは山をも穿つ、ただの刃であった。
数千数万の紅い槍を捻り捏ねて作り出された、巨大な刃。
それが、蝉丸と銀の平原の中心とを隔てる、最後の壁であった。

「誰も! 私を! 拒めるものか!」

死ね、という、それは意思の具現。
殺意という、凶器。
迎え撃つ蝉丸に、返す言葉はない。
ただ駆けながら、一刀を構えた。
心に燃える炎が刀身に映るように、その刃が輝きを増していく。
焔が、蝉丸の内に湧き出る膿を炙り、燃やす。
毒虫の飛ぶ密林の泥濘を、陽炎立つ砂塵の丘陵を、住む者とてない瓦礫の街を焼き尽くしていく。
それは、坂神蝉丸という男が、兵であることを越え、ただ一つの希望として戦場にはためく
古びた旗であろうとするときに燃え上がり、輝く光である。
幾多の絶望の中で埃と諦念と郷愁とに塗れた兵たちの見上げた光が、そこにあった。
光が、刃を振るう。

「永劫届かぬ迷妄を抱いて朽ち果てろ、長瀬源五郎―――!」

迸る焔が、巨槍を呑む。
光の中、砕けることも、地に落ちることも赦されず、灰となり塵となって、
紅い槍の群れが、消えていく。

後には何も、残らなかった。


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