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【伝奇】東京ブリーチャーズ・玖【TRPG】

1那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/04/07(火) 14:55:01
201X年、人類は科学文明の爛熟期を迎えた。
宇宙開発を推進し、深海を調査し。
すべての妖怪やオカルトは科学で解き明かされたかのように見えた。

――だが、妖怪は死滅していなかった!

『2020年の東京オリンピック開催までに、東京に蔓延る《妖壊》を残らず漂白せよ』――
白面金毛九尾の狐より指令を受けた那須野橘音をリーダーとして結成された、妖壊漂白チーム“東京ブリーチャーズ”。
帝都制圧をもくろむ悪の組織“東京ドミネーターズ”との戦いに勝ち抜き、東京を守り抜くのだ!



ジャンル:現代伝奇ファンタジー
コンセプト:妖怪・神話・フォークロアごちゃ混ぜ質雑可TRPG
期間(目安):特になし
GM:あり
決定リール:他参加者様の行動を制限しない程度に可
○日ルール:一週間(延長可、伸びる場合はご一報ください)
版権・越境:なし
敵役参加:なし(一般妖壊は参加者全員で操作、幹部はGMが担当します)
質雑投下:あり(避難所にて投下歓迎)

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番外編投下用スレ
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東京ブリーチャーズ@wiki
https://w.atwiki.jp/tokyobleachers/

212ポチ ◆CDuTShoToA:2020/10/10(土) 08:07:54
>「……ま、所詮は素人考えだけどな。ポチ助はどうだ?お前さんならもっと良い考えもあるんじゃねぇか?」

「……よしてよ。僕じゃ何も分からないよ」

その中でポチだけが、まだ煮え切らずに――煮え切れずにいた。

「だって……橘音ちゃんでも、何も思いつかなかったんだよ?
 僕だってこんな事、言いたくないよ。でも……夢を見たって、仕方ないんだ。
 僕らが思いつくような事を、橘音ちゃんが……例え混乱していたって、考えなかったと思う?」

そう言って両手で頭を抱えるポチは、酷く苦しげだった。

「……まだ、ミハエルの援軍は期待出来るはずだよ。あいつが、この異変に気づかない訳がない。
 御前だって……流石にこの状況でなんにも手を貸してくれないなんて事は……。
 いや……少なくとも何か、契約を結べば……その分くらいは手を貸してくれる……かもしれない」

こんな事言いたくない。それは本心からの言葉だ。

「レディベアを起こしたいなら……橘音ちゃんを生き返らせた時のやり方はどうかな……。
 祈ちゃんの力があれば、今ここでも、あの時より楽に儀式が出来るかもしれない。
 運命変転の力で直接どうにか出来るなら、それが一番なんだけど……」

なんとか出来るものなら、なんとかしたい。

「それに、天羽々斬……祈ちゃんのおばーちゃんなら、取ってこれるよね?
 クリスと戦った時の、あの剣も。あの三本は天使の力なんて全く関係ない。だけど、神気の力は宿ってる。
 祈ちゃんの力なら、あれをもっと強く出来るだろうし……ローランや天邪鬼なら、それを上手く使えるかも」

だが、その為に思考を巡らせれば巡らせるほど、思い知る事になる。

「……でも、こんな事。橘音ちゃんならすぐに思いついたはずだ」

ポチがわなわなと震えながら、両手で顔を覆う。
それに――この状況が絶望的である理由は、もう一つある。何故なら――

「それに……いもしない神様をでっち上げて、その力を利用する……
 もしかしたら、それは上手くいくかもしれないよ。
 でも……きっとアイツには及ばない。だって……それは、アイツが選ばなかったやり方だから」

ベリアルとて深謀遠慮を経た上で、今回の方法でブリガドーン空間を制したはずなのだから。
もっと効率的な方法はないか。この方法が駄目だった時の為の、次の手はないか。
そうして考えて考えて考え抜いて、ベリアルが最後に辿り着いたのが、人間の赤子を利用する事だったに違いないのだ。
今更、即席でベリアルの試行錯誤を上回ろうなど――甘い考えだ。

「だったら、今更僕らが何を考えたって――」

しかし、そこで不意にポチが止まった。
それから――ふと、レディベアを見た。次に祈を。

「いや……だったら――でも、そんなの、変だ。なんでアイツは……」

そうして何か思い詰めたように口走る。

「……なんで、アイツは僕らを殺さなかったんだろう。レディベアを、祈ちゃんを、生かしておく理由なんてなかったのに」

龍脈の神子に、ブリガドーン空間の器。
それらを揃えて生かしておけば、後の災いになるかもしれない。
何故、ベリアルはそれらを生かして帰したのか。

「神となってからのアイツは、僕らに興味なんかなさそうだった。
 でも、まだ赤マントだった時は?別にあの時に僕らを殺したって良かったのに。
 むしろ……そうした方がアイツ好みの、最悪の結末だったはずなのに」

疑問の答えはすぐに思い浮かぶ。
殺さなかったのではない。殺せなかったのだ。
ベリアルは尾弐とポチの不意打ちに反応出来ず、一度殺された。

213ポチ ◆CDuTShoToA:2020/10/10(土) 08:10:19
「いや……違う」

もし出来るなら、あそこでポチを返り討ちにしても良かったはずだ。
仮に魂が半分しかなかったからだったとしても――その後も、ベリアルは不意打ちを試みようとすらしなかった。

「あいつは、僕らを殺せなかった。それに……元々の自分がどんなだったのかも、忘れていた。
 だから……力を取り戻した後の自分が僕らを殺そうとしないなんて、考えられなかったのかも……」

だとしたらベリアルは――たった一つだけ、ミスを犯したのかもしれない。
ポチが、ずっと両手で覆ったままだった顔を上げた。

「なのに、アイツは僕らに勝ち誇った。自分がどんなに上手に仕事をしてのけたのかを。
 だったら……ああ……みんな、ごめん。僕、さっきまでずっと怖気付いてた。
 もうとっくに、祈ちゃんがそう言ってくれてたのに」

ポチの思考が回り始める。

「そうだ、そうだ……!力を合わせればいいんだよ!二つの力を!僕らのやり方と――アイツのやり方を!
 ブリガドーン空間の器であるレディベアが、龍脈の力を使えれば――アイツがした事と、同じ事が出来るかもしれない!
 奪う事が出来たなら、分け与える事だって……祈ちゃん、出来ないかな!?」

今まで生きてきた中でどんな時よりも早く回転する。

「人間達の『そうあれかし』と、ブリガドーン空間と龍脈の力!
 それだけの力があれば……きっと、妖怪大統領を目覚めさせる事も、ゼロから生み出す事だって出来るよ!
 アイツが広げたブリガドーン空間で、アイツの首を絞めてやれる!」

だが――そこで一度、ポチの言葉が途切れた。

「――赤マントのやり方をやり返すなら、レディベアには……嘘をついた方がいい。
 妖怪大統領は、いるかもしれない……じゃない。いるんだって信じてもらった方が。
 声を聞いたとか。ほんの少しだけど、においがしたとか、そんな事を言って」

そして祈を再び見上げる。それから、ローランを。

「でも……それは、僕が決めていい事じゃない」

214ポチ ◆CDuTShoToA:2020/10/10(土) 08:12:37
これで、言うべき事は全て言い終えた。
ポチは目を瞑る。己の内に在る『獣』を意識する。

「……そういう事だからさ。安全策は、なしだ……悪いね」

『悪いね?一体、誰に謝っている?俺は……とうの昔にお前だろうが。
 好きにすればいい……お前の分の悪い賭けは、何故だかこれまで全て、上手くいってるしな』

「……確かに」

ポチが、やっと自然に――軽やかに笑う。
そして――シロを振り返って、見上げた。

今までで最も危険な戦いになる。今度こそ本当に死ぬかもしれない。
そんな戦いを前にして、唯一の同胞、最愛のつがいに――何も言わずになどいられない。
だが――

「……何を、言えばいいのかな。決められないや」

ポチが困ったように笑う。それから――

「えと……ごめん、情けないとこを見せちゃった」

つい先ほどの自分の失態を思い出して、詫びる。
この状況で、不安なのは自分だけではなかったはずなのに――感情をコントロール出来なかった。

「それと……愛してる」

そんな事、今更言わなくともお互い知っている。
もっとも――だとしても、何度でも伝えたい言葉ではあるが。

「……もし、もしも僕がやられても……ごめん、これはやっぱりなし」

もし自分がやられても、生きる事を捨てないで欲しい。
そんな事、もしポチが言われたとしても拒むに決まっている。

ポチが黙り込む。己の想いをどう伝えればいいのか、分からないまま。
勝てるか分からない。でも逃げたくない。
己の決断に巻き込む事を謝りたい。けれど、巻き込んだなんて他人行儀だ。
死んで欲しくない。だけど、一人で生き延びるなんて嫌だ。
愛している。誰よりも大切に思っている。それでも共に戦って欲しい。
ふたりで幸せになりたい。叶わないかもしれない――そんな事、もしもの話でも口にしたくない。

「……ずっと、一緒にいよう。ずっと一緒だ。何があっても」

結局――ポチはそんな事を言うのが精一杯だった。
狼の愛に形を与えるには、言葉はあまりにも頼りなかった。

215那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 11:50:53
死と、破滅と、絶望。
地獄が、天から降ってくる。

「なんだあれは……!?」

「う、うわああああッ!バケモノだあッ!」

「助け……、助けて……ッ!」

「や、やめろッ!こっちに来るな!ぎゃああああああッ!」

たった今まで普通の、なんの変哲もない日常を謳歌していた人々のところへ、滅びが舞い降りる。
悪魔という名の天使がやって来る――。

日常が非日常に塗り替えられる。希望が絶望へと変転する。
繰り広げられるのは、有史始まって以来の大殺戮。
悪魔たちの牙が、爪が、その手に持った剣が、槍が、刺叉が。
無差別に、平等に、分け隔てなく人々を傷つけてゆく。

「殺さないで……いや、やだッ、ゆるし……ゴボッ……」

「なんで……なんでこんな……ああ……」

「俺の、俺の腕がああああ!!」

「おかあさん……おかあさぁん……!うわあああああん……」

極彩色に染まった空が、ぐるぐると円を描く。螺旋を辿る。
それはまさしく、世界が変わってゆくことの証明。今まで常識とされてきたものが退けられ、魔が顕現する証左。
今まで人々が、否――生きとし生けるものすべてが『悪しきこと』として忌避していたもの。
それが顔を出す。世の表層に現れる。現界する。

新しい秩序として。

東京にいる者たちが、空を見上げる。禍々しく混ざり合わぬ色彩を持て余し、生き物のようにうねる空を。
魔法陣から降ってくる、何十万何百万もの『御遣い』を。
悲鳴。怒号。断末魔。
耳を覆いたくなるような犠牲者たちの怨嗟の声が幾重にも谺する中、人々は聞いた。
確かに耳にした。それは――


諸人こぞりて 迎え祀れ
久しく待ちにし 主は来ませり
主はきませり 主は 主は きませり

聖なる社を 打ち砕きて
虜を縊ると 主は来ませり
主はきませり 主は 主は きませり

この世の光を 散らし給う
真なる闇夜の 主は来ませり
主はきませり 主は 主は きませり


「……歌って……いる……」

ローランが驚愕に双眸を見開きながら、呆然とした口調で呟く。
東京ブリーチャーズの、陰陽寮の、妖怪たちの。そして都民たちの耳に入ってきたのは――

歌、だった。

そのメロディは、きっと誰もが聴いたことがあるだろう。
クリスマスの時期には必ずと言っていいほど街頭に溢れ、その由来は知らずとも皆が口にする、
世界でもっとも有名な『讃美歌(キャロル)』のひとつ。

“もろびとこぞりて”。

それを、悪魔たちが歌っている。地獄から訪れた百万を超える数の御遣いが。
しかし――『それ』は天の至高の座におわす神を讃えるものではない。
この世界の、新たな神の来臨を寿ぐもの。


輝く心の 花を枯らし
嘆きの露おく 主は来ませり
主はきませり 主は 主は きませり


滅びの君なる 神子を迎え
諸悪の主とぞ 褒め讃えよ
褒め讃えよ 褒め 褒め称えよ――


自分たちの新たなるあるじ、終世主アンテクリストを讃える歌を口にしながら、悪魔たちが人々に襲い掛かる。
嗚呼、此れぞ旧き世界の終わり。悪を是とする新たな世界の誕生。



反創世『アンチ・ジェネシス』。

216那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 11:51:43
>しっかりしろ橘音! それでも帝都一の名探偵かよ!!

祈が橘音の胸倉を掴み上げ、顔と顔とを突き合わせる。
橘音は為すがままだ。心はとっくに折れている。

>尾弐のおっさんと幸せになるんだろ!? いいのか!? 
 尾弐のおっさんが殺されて、尾弐のおっさんを見るのが最後になっても! みんな死んじまっても!

「……い……、祈ちゃんに何が分かるんです!
 アナタはあれの強大さがよく分かっていないから、そんな向こう見ずなことが言えるんだ!
 ボクだって華陽宮で三百年も修行してきた!たいていの妖怪ならひとりで打ち破れるくらいに強くなった!
 でも……だからこそ分かる……分かってしまう……!
 彼我のレベルの違いが!圧倒的なんてものじゃない、その力の差が!
 アリの世界で一番強くたって、人間には絶対に勝てない!」

祈に負けない激しさで、橘音は反論した。
そう。橘音は強くなった。二ヶ月前とは比較にならないほどに。
妖力も、身体能力も、感覚器も、すべてが以前よりも遥かに強化された。
だが、そうして齎された視野の広さが、危機感知能力の鋭さが、逆に仇となってしまった。

「クロオさんだって、ポチさんだって、理解してるはずです!
 あれには……神には勝てない!ボクたちの知ってる赤マントは、ベリアルは、もうどこにもいない……!
 あそこにいるのはそんなんじゃない、正真正銘の神だ!
 ボクたちの修行は対ベリアルを想定してのもの……、神に勝つためじゃない……!」

そうだ。尾弐もポチも、アンテクリストの強大さを嫌というほど肌で感じているはずだ。
だからこそ黙っている。橘音に対して、そんなことないと強弁することができない。
もちろん、尾弐とは一緒にいたい。百年以上の時を経て、ようやくお互いの気持ちに素直になれたのだ。
やりたいことは沢山あるし、諦めてしまいたくもない。
彼と手を繋いで、ずっとずっと。この先の時間を共に歩いてゆきたい――。

でも。

これほどまでに圧倒的な力を見せつける『神』を前に、そんな夢語りがいったい何の役に立つだろう?
中途半端な希望はより深い絶望の呼び水となるだけだ。
それならば最初から希望なんてものは抱かず、早々に諦めてしまった方がいい。
強大な敵を前にして逃走を図るのは、生命体として当然の行為だ。
むしろ、勝ち目がないのを承知で挑むことの方が愚かであろう。

>つーか、作戦が浮かばねぇんだったら、あたしらを頼れ! あたしらは仲間だろーが!
>なぁ! こんなときだからこそ、みんなで考えよう!
>みんなの知恵と、力を合わせるんだよ!

「無理だ……無理なんですよ……。
 ボク達程度の力で、神に刃向かおうだなんて……」

祈に何を言われようと、一度折れてしまった心をふたたび屹立させることは不可能だった。
橘音は両手で頭を抱えると、身を小さく縮こまらせた。

「橘音……」

「……三尾でもお手上げとはの」

颯と富嶽が橘音の様子に無念そうに呻く。
この場で一番の知恵者が無理だと言っているのだ。ならば、自分たちに妙案など思いつくわけがない。
しかし――
リーダーがその無限の絶望に慄くのをよそに、祈は必死で自分を、仲間たちを鼓舞し続ける。
あたかもそれが、龍脈の神子の宿命だとでも言うように。

>たとえばあたしは……たぶんだけどまだ龍脈と繋がってる! これ、使えないかな!?
>それから、妖怪大統領とか。あたしはあいつ、“いる”と思ってんだよ!
>だから――【妖怪大統領に、内側からアンテクリストを攻撃してもらう】ってのは?
>レディベアだったら起こせるんじゃねーかな……そもそも、いるかどうかは賭けだけど
>みんなはなんかない!?

祈が叫ぶ。仲間たちに、起死回生の妙案がないかを募る。

>いいね! 妖怪大統領を叩き起こそう!
>もしもいなかったら……その時はハッタリを貫き通していることにしてしまえばいい。
>バックベアードの正体を知ってるのはまだ私達だけだよね。
>ベリアルがレディベアにやったみたいに、アバターで日本中の妖怪を騙してみるのは?
>どうにか起こせないかな……

祈に触発されるように、ノエルもまた自分の思い付きを口にする。
このまま終わって堪るかと。最後まで抗ってみせると、全身で示している。

217那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 11:52:22
だが、祈の提案もノエルの思い付きも、所詮は希望的観測に過ぎない。
口にした作戦が成功する可能性は甚だしく低い。いや、失敗する目算のほうがずっとずっと高いだろう。
尾弐はそれを膚で、心で、魂で理解しているはずだ。
アンテクリストが手に入れた力の強大さを。地上に現界した新たなる神の酷薄さを。
この世界が、もう既に“詰み”の段階に至っていることを――。

しかし。

>……これだけ力量差があると、人柱を立てて封ずるってのも無理そうだな
 情報を拡散するってなら妖怪に頼むより人間に頼むのはどうだ? 聞いたところ、最近のインターネットってのはすげぇんだろ?
 それこそ、仮に存在していなかったとしても、願いでバックベアードを産み出したり……な
 俺なんざの声は届かなくても、嬢ちゃんの、ノエルの、ついでにローランの声なら届くかもしれねぇ」
 問題はアンテクリストの野郎だが……本気で妨害してくるなら別だが、奴さんは力を手に入れてご満悦みてぇだからな。
 レディベアに興味を向けてねぇ以上、祈の嬢ちゃんの龍脈の神子としての力と、願いの総量で無理やりぶち抜けるだろ

橘音の前に立つと、尾弐はそう言って祈とノエルの作戦会議に参入した。
そんなことは悪あがきでしかないと、理解しているのに。
どんな作戦を考えたところで、巨大な波濤の前には小さなさざなみなど瞬く間に掻き消されてしまうというのに。
それでも――

>時間が必要だってなら俺が稼いでやる。こう見えて全うに修行したんでな。
 例えアンテクリストの野郎が世界を滅せる様な攻撃を仕掛けてきても、今の俺なら多少は何とかしてやれる筈だ
 絶望は深いかもしれねぇが、それでも誰かが手を差し伸べてくれれば必ず光は射す――――
 他ならぬ、絶望に浸かり続けた馬鹿な鬼が言うんだから間違いねぇよ

そうだ。
尾弐は千年の間、地獄もかくやという絶望の中にいた。憤怒と、憎悪と、慟哭に身を焼かれ、のたうち苦しんできた。
身も心も燃えて、爛れて、腐って――最後に『無かったこと』になることだけが、尾弐の希望だった。
けれど、そんな尾弐は仲間たちと歩む戦いの果て、新たな希望を見出した。
1000年の苦患の末に、1001年目の未来を手に入れたいと。そう願ったのだ。
新しい願いはこれから、ずっとずっと。愛と祝福のもとに受け継がれていくべきものだ。
こんなところで無慈悲な神によって摘み取られていいものではない。

>さて、橘音……俺は、お前さんに一緒に逃げようとか、後は任せろなんて事は言えねぇ
 何せ俺は、酒が好きでガラスの腰をしたダメ男だからな。
 この期に及んで一人で全部を背負って万事解決出来る程の甲斐性はねぇんだ
 そんな、お前さんがいねぇとまともに生きる事もできねぇ俺が言ってやれるのは、これだけだ

自らを抱き締めて震える橘音を見ると、尾弐はその肩にそっと手を触れた。

「……クロオ、さん……」

橘音がおずおずと顔を上げる。
今となっては、この世界にあの神に匹敵する力を持つ妖怪などは存在しない。
御前をはじめとする伝説級大妖怪はもとより、ゼウスやオーディンといった海外の主神級も、きっと勝てない。
それほどまでの力を、アンテクリストは手に入れた。――手に入れてしまった。
最強の神を相手に、尾弐の言い分が不甲斐ないとか、情けないなどと、言えるはずもない。
嗚呼、それならば。
いっそ、一緒に抱き合って。愛の言葉を交わしながら、最期の刻を迎えようと。
そう言ってくれたなら――

>橘音。お前さんの重荷は、俺が一緒に背負う
 だから、俺が頑張るために俺と一緒に頑張ってくれ

けれど。
尾弐が口にしたのは、そんな諦念の言葉などではなかった。
まだ戦う。戦える。
万策尽きたと言うには、まだ早い。生きることを諦めて、潔い死を迎えるには――この身には、まだまだ力がありすぎる。
例え無駄であったとしても。無益に終わったとしても。
試せることをすべて試してからでなければ、納得などできない。
一緒に戦おう、背負わなければならないものがあるのなら、分け合おう。パートナーとはそういうものだ。
諦めるのは、それからでも遅くない――
橘音には、尾弐がそう言っているように聞こえた。

「ボ……、ボクは……」

橘音は唇を震わせた。
世界の平和のために、無辜の人々のために、過去に犯した罪の償いのためになんて、戦えない。
だが、尾弐はそれでいいと言っている。そんな大層なお題目のために戦う必要なんてないと。
最後の戦いは、目に見えない大義のためではなく――尾弐黒雄という男のために戦ってほしい、と――。
そして。

>この戦いが終わったら――――結婚してくれ。橘音

尾弐の紡いだ言葉に、橘音は半狐面の奥で大きく目を見開いた。

218那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 11:52:59
幸せなんてものは、自分には永遠に手に入らないと思っていた。
生まれて間もなく両親を喪った。天涯孤独の身で、同族からも人間からも疎まれて過ごした。
やっとできた唯一のともだち、みゆきとも死に分かれた。天魔に転生し、世のすべてを呪って殺戮を繰り返した。
我が身の罪の重さに気付き、救いを求めた。御前の手駒となって、遮二無二奔ってきた。
東京ブリーチャーズを結成した後は、颯を喪った。晴陽を見捨てた。祈に寂しい幼少期を強いた。
雪の女王と共謀して、ノエルを記憶を奪われたみゆきと知りつつ他人の振りをした。
ポチがようやく巡り合った同族シロを救えず、一度はロボの牙にかけてしまった。
……過ちばかりの生だった。

尾弐にずっとアプローチしていたのは、絶対に手に入らないものに対する憧憬のようなものだった。
年端も行かない少女が、ショーウィンドウの向こうのビスクドールへ手を伸ばすように。
人並みの幸せなんて、手に入れられる筈がない。自分は罪びとで、そんなものを手に入れる資格も、能力もない。
でも、せめて。手に入らないなら、憧れたっていいでしょう?
そう思っていたのに。

「………………」

ぼろぼろと、橘音の双眸から大粒の涙があふれる。頬を伝い、仮面の隙間からとめどなく零れて落ちる。
絶対に手に入れられないと思っていたものが、目の前にある。
差し伸べられている。もう、すぐに触れられる場所に。
焦がれた。求めた。心の底から欲しいと思った。
愛する男と共に笑い合える未来が、其処に――

「……フ……フ……。
 ……ズルいなぁ……クロオさんは。
 この期に及んでそんなこと言って……ボクに、どういうリアクションを期待しているんです……?
 こんなどうしようもない状況で。とっくに終わってしまってる、どう考えたってゲームオーバーな様相で――」

橘音はいっとき俯くと、肩を震わせて小さく笑った。
だが、それは尾弐の言葉を死の間際の気休めと受け取ったのではない。

「そんなこと言われちゃったら……、どうでも、頑張るしかないじゃないですか……!」

ひとりでは戦えない。世界のためでも、大義のためでも、奮い立てない。
けれども――生涯にただひとりと決めた、最愛の男のためなら。
雪の降りしきる劇場で出会って以来、ずっと心に抱いてきた尾弐への愛情が。
二千年の間師事した天魔の王。創世の神への恐怖を上回ったのだ。
右腕の袖でぐいっと目許の涙を拭うと、橘音は尾弐と顔を見合わせ、

「プロポーズ、お受けします。
 一緒に……幸せになりましょうね」

そう言って、にっこり笑った。

>神となってからのアイツは、僕らに興味なんかなさそうだった。
 でも、まだ赤マントだった時は?別にあの時に僕らを殺したって良かったのに。
 むしろ……そうした方がアイツ好みの、最悪の結末だったはずなのに

そうこうしている間にも、作戦会議は進んでゆく。
作戦を考えるうちにポチが指摘したのは、アンテクリストとなったベリアルの思考の変化だった。

>あいつは、僕らを殺せなかった。それに……元々の自分がどんなだったのかも、忘れていた。
 だから……力を取り戻した後の自分が僕らを殺そうとしないなんて、考えられなかったのかも……

「……そうですね。ボクの知っている彼は、皆さんもよく知るあの下卑た笑い声の怪人だった。
 なのに、アンテクリストとなった彼は……ほとんど別人と言ってもいい。
 あれが本来の彼の性格だったのでしょう。彼は元々、天使たちの長だった。高潔な人物だった。
 強大な力を取り戻した今、彼はかつての思考と性情まで思い出してしまった」

橘音が頷く。
ベリアルだった頃はあれほど酷薄で、残忍で、無情だった男が、アンテクリストになった途端にそれらのことをしなくなった。
自分が手を下す必要などないと思っているのか、それとも――。

「天使には、唯一絶対とも言うべき『そうあれかし』があります。
 それは『自らの権能に忠実であること』。天使には九つの位階というものがあり、位によって仕事も変わってきます。
 天使はそれ以外のことができない。忠実な機械のようなものです。
 そして、神の長子もそれは例外じゃない……」

赤マントを名乗り、悪魔として行動していた時のベリアルは、自身の思い描く悪辣な作戦をいくらでも行使できた。
気の向くままに殺し、嬲り、辱めた。『自分の思うところを成すべし』、それが悪魔の『そうあれかし』だからである。
だが、かつての力と権能を取り戻したアンテクリストは違う。
自ら唯一神を名乗ることで、アンテクリストは『唯一神のそうあれかし』に囚われることになった。
唯一神の『そうあれかし』とは、世界を創ること。その一点に尽きる。
だから、アンテクリストは新たな天地創造を優先し、東京ブリーチャーズを殺さなかった。
いや――『殺せなかった』。

219那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 11:53:54
>そうだ、そうだ……!力を合わせればいいんだよ!二つの力を!僕らのやり方と――アイツのやり方を!
 ブリガドーン空間の器であるレディベアが、龍脈の力を使えれば――アイツがした事と、同じ事が出来るかもしれない!
 奪う事が出来たなら、分け与える事だって……祈ちゃん、出来ないかな!?
>人間達の『そうあれかし』と、ブリガドーン空間と龍脈の力!
 それだけの力があれば……きっと、妖怪大統領を目覚めさせる事も、ゼロから生み出す事だって出来るよ!
 アイツが広げたブリガドーン空間で、アイツの首を絞めてやれる!

ポチが提案する。
アンテクリストが『そうあれかし』に従い己の権能を優先したことで、からくも東京ブリーチャーズは生き残った。
既にその大半を奪われてはいるものの、龍脈の力とブリガドーン空間の力は、まだこちらにも残っている。
アンテクリストがふたつの力を繋ぎ合わせて神の力を手に入れたのならば、こちらも同様のことをしてやればいい。
しかし、それを提案したポチは俄かに声のトーンを落とした。

>――赤マントのやり方をやり返すなら、レディベアには……嘘をついた方がいい。
 妖怪大統領は、いるかもしれない……じゃない。いるんだって信じてもらった方が。
 声を聞いたとか。ほんの少しだけど、においがしたとか、そんな事を言って

ポチが視線を向けると、ローランは困ったように眉を下げた。

「ポチ君の作戦は理解したが、わたし個人の意見としては……反対だ。
 レディの心を、ありもしない幻想と虚言で掻き乱したくはない。
 仮に、嘘をついて妖怪大統領の実在を匂わせたとしよう。レディはきっとそれを信じるはずだ、ポチ君の言うとおりにね。
 だが……その後は?もし、それが嘘だったと彼女が知ってしまったら……?
 今度こそ、レディの心は死んでしまうだろう」

ずっとレディベアの傍にいて、その心も身体も守護してきた聖騎士ローランである。
いくらそれが作戦上必要なことであったとしても、徒にレディベアの心に傷を付けたくはない――と思っている。
アンテクリストに全ての真実を打ち明けられ、父親などいないと言われて、レディベアの心はひび割れてしまった。
この上衝撃を与えるようなことがあれば、そのときこそレディベアの心は完全に崩壊してしまう。
そんなことはできない、というのが、ローランの偽らざる本音だった。

「それをするのなら、きちんと真実を打ち明けてからの方がいい。
 妖怪大統領が存在する確証はない。可能性は低い。けれど――皆の『そうあれかし』を束ねれば、なんとかなるかもしれない。
 一心に信じれば、きっと想いは伝わるはず、とね。
 そして……そのためには君の力が必要だ、祈ちゃん。
 君はレディの唯一のともだち。レディがただひとり、妖怪大統領以外に心を開いた存在だから……。
 君の言葉なら、きっとレディは信じる。君が彼女を説得してくれ」

目を覚まさないレディベアを横抱きに抱き上げたまま、ローランが祈の瞳を見据えて言う。

「とはいえ、だ。何をするにせよ、まずはレディを起こさなくてはならないな。
 ミスターやポチ君の提案も有効だと思うが、ここはわたしに任せてくれ……わたしが彼女を目覚めさせる。
 ただ、それには少しだけ時間がかかる。祈ちゃん……手伝ってくれるかい?」

ローランが穏やかに微笑む。
だが、その碧色の双眸にはかつてない決意が湛えられている。
己が命を擲ってでも、腕の中で眠る少女を救ってみせる――そんな固い意志が。

>……何を、言えばいいのかな。決められないや

そんなとき、ポチがシロを見上げて微かにはにかむ。

>えと……ごめん、情けないとこを見せちゃった

狼の王たる者が、強大な敵を前にしてほんの僅かでも怖気づいた。尻込みしてしまった。
だが、シロはそんなポチの言葉に対して無言でかぶりを振った。

>それと……愛してる

ポチは思いつくままに言葉を紡ぐ。
獣であるふたりの間に、言葉は不要だ。伝えたいことはすべて目で、仕草で、心で伝わる。
けれども、それでも。口に出して言わなければならないこともあるのだ。

「……私も愛しています。
 けれど……この愛は。あなたと私だけの間で完結させてしまってはいけないのです。
 私たちの子へ、遠い未来へ。オオカミの血族の絆として、紡いでゆかなければ」

チャイナドレスを纏った豊かな胸にそっと右手を添え、シロが微笑む。
ふたりは束の間、無言で見つめ合った。
けれども、それはただ互いの顔を眺めているだけではない。
瞳で、魂で、会話している。

>……ずっと、一緒にいよう。ずっと一緒だ。何があっても

永劫にも感じる沈黙の末、ポチはそれだけ言った。

「……はい」
 
シロは頷いた。
愛するつがいの葛藤も、逡巡も、苦悩もすべて察した上で。
その果ての決意を理解した上で。

――このひとについてゆこう。

迷いは、最初からなかった。

220那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 11:56:13
「正直な話、今でもボクたちの力であのアンテクリストに勝つ方法は思いつきません。
 あれは強大すぎる。ボクたちがどれだけ力を振り絞ったとしても無駄でしょう」

尾弐の求婚によってなんとか立ち直った橘音が、仲間たちの方を見て口を開く。

「でも――それは『東京ブリーチャーズだけで何とかしようとした場合』です。
 ボクが間違えていました。簡単な話だったんだ……ボク達だけで勝てないのなら、勝てるだけの頭数を揃えればいい。
 全員で倒すんです。この東京という土地に住む、すべての妖怪と人間の『そうあれかし』で。
 皆さんの言う通り、みんなで。力を合わせましょう」

そうだ。
かつて、尾弐が言った。自分だけで何でもできる必要はない、自分ができないのなら、できる者にやってもらえばいいのだと。
それと同じだ。東京ブリーチャーズの六人がかりで無理なのであれば、仲間を増やせばいい。
東京ブリーチャーズと、レディベアと、ローラン。陰陽寮に、富嶽の連れてきた妖怪たち。
そして、東京二十三区に住む9,677,973人の都民たち――
その全員で、唯一神を討つ。

「まず、この二十三区を覆うように張られたアンテクリストの印章を除去しなければいけません。
 この印章の上にボクが大術式を用いて新たな結界を張り、アンテクリストの印章を上書きします。
 これによって、アンテクリストに支配されている龍脈の力を祈ちゃんへ回すことができるようになるはずです」

そう言いながら、橘音はマントの内側から人ひとりが通り抜けられるくらいの鳥居を引っ張り出した。
どんな場所にでも一瞬で辿り着ける狐面探偵七つ道具のひとつ、天神細道。

「結界は五芒星を描きます。ただ、結界の安定化には五芒星の頂点にそれぞれ楔を配置しなければなりません。
 これから隊を五つに分けます。各員はそれぞれ二十三区内の所定の場所へ行き、楔を安置してください」

橘音は再びマントの内側をまさぐった。
しかし、取り出したのは鉄や木の楔ではなく、残りの狐面探偵七つ道具だった。

「楔と言いましたが、イメージ的な話です。実際に杭を打つわけじゃない。
 結界を構築する術者であるボクの妖気が籠った物品を、要点に配置するのが重要なんです。
 七つ道具にはボクの妖気がたっぷり染み込んでる。これが触媒としては適役でしょう。
 ノエルさん、アナタは板橋区へ。
 ポチさんとシロさんは、杉並区へ。
 ボクとクロオさんは、足立区へ。
 祈ちゃんはローラン、レディと一緒に大田区へ――」

赴く場所を指定しながら、橘音は仲間たちに七つ道具を手渡してゆく。
ノエルには姥捨の枝を。
ポチには童子切安綱を。
祈には聞き耳頭巾を。
そして――

「迷い家外套と召怪銘板は、ボクが持っていきます。
 そして最後、江東区へは……オババ。お願いできますか?」

「フン、アタシは東京ブリーチャーズじゃないよ。アンタの都合で使われて堪るかい。
 ……とはいえ、今はそんなこと言ってる場合じゃない。東京が滅びる瀬戸際だ。
 可愛い孫の明日のために、一肌脱いでやろうかね」

橘音からの指名に、菊乃は軽く肩を竦めた。
が、橘音の指名を受ける前からとっくに老婆の姿でなく若い姿に変貌している。やる気は充分だった。
にやりと笑って、橘音は狐面探偵七つ道具最後のひとつ、蓬莱の玉手箱を菊乃へ渡そうとした。
だが。

「……待ってくれ、その役目は……私に任せてもらいたい……!」

やにわに、横合いから声がした。
見れば、そこにはいつの間に現れたのか、白銀の鎧を着込んだミカエルが立っている。

「ミカエルさん……」

「遅れてすまなかった。やっと主の承認が下りたのでな……。
 大天使長ミカエルと御遣い千三百騎、参着した」

ミカエルだけではない、御遣いたる武装した天使たちも戦力として率いてきたという。
無尽蔵の数を誇る悪魔たちに対して、たった千三百人というのは焼け石に水以外の何物でもなかったが、
それでも大いに助けにはなるであろう。

「ついに、あの方が力を取り戻してしまわれたか……。怖れていた事態が現実になってしまった。
 ならば……私も死力を尽くさなくては。あの方を……この命と引き換えにしてもお止めする。
 それがこのミカエルの誓い――」

ミカエルが都庁の空を見上げる。
ミカエルはアスタロトと同じく、かつてアンテクリスト=神の長子ベリアルの薫陶を受けた直弟子のひとりだ。
師の暴走を止めるのは弟子たる自分の役目と決めているのだろう。

「虫のいいことを言っているのは、百も承知だ。
 だが……どうか頼む。我々も貴公らの戦列の端に加わらせてくれ。
 あの方は我ら天使の兄。英雄にして教師。そんなあの方が引き起こした事態ならば、手をこまねいてはいられない……。
 頼む、私は……責任を果たしたいんだ……!」

聖書にもっとも尊き天使と記される天使の長、栄光の熾天使が、東京ブリーチャーズに頭を下げる。
ミカエルは責任と言ったが、それだけではない。ポチには、ミカエルの発しているにおいがよく分かるはずだ。
義務と、悔恨と、寂寥と。
隠しきれない、愛情のにおいが。

221那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 11:57:50
「……分かりました。
 ではミカエルさん、これはアナタにお預けします。江東区へ向かって下さい」

「恩に切る、アスタロト。
 必ずや、其方の作戦成就の一助となろう」

「今はアスタロトじゃありません、狐面探偵那須野橘音です。
 ……任せましたよ」

「ああ。狐面探偵」

僅かな思案の後、橘音はミカエルに玉手箱を手渡した。
ミカエルが決意に満ちた表情で玉手箱を抱え、ひとつ頷く。

「陰陽頭殿、富嶽ジイ、あなたアナタたちも手勢を五つに分けて下さい。
 ボクの仲間たちが楔を安置した場所に救護避難所を作り、そこへ近隣の都民を可能な限り誘導するんです。
 そして説得を。皆の力を合わせて、妖怪大統領を目覚めさせる……あるいは創造する。
 妖怪大統領のブリガドーン空間を統べる力を味方に付けることができれば、アンテクリストは弱体化を免れない。
 そこが、唯一の突破点です」

「心得た。都内全域の僧侶と神職、医療機関と消防局にもすぐに打診し、五ヵ所に避難所を設けよう。
 それ以外の場所にも避難所を作らねばな。――易子!晴空!」

「御意……!」

晴朧が鋭く差配する。芦屋易子と安倍晴空はさっそく関係各所に連絡すべく動いた。

「まったく、大ごとになったものぢゃ。……笑、後は任せる」

「はい、富嶽さま。迷い家別邸、開店ですね」

富嶽がゴキゴキと首を鳴らし、いずこかへと歩き去る。
が、逃亡したわけではない。戦力を増強すべく、他地域の大妖たちへ協力要請に行ったのだろう。

「皆さん、天神細道を使ってください。楔を置くべき所定の場所へすぐに行けるはずですから。
 楔を安置し、陰陽寮の皆さんが避難所を築けば、アンテクリストはきっとそれを破壊しようとするでしょう。
 ボクの結界が充分に機能し、人々の願いが妖怪大統領を目覚めさせるまで――
 何としてもそこを守り抜いて下さい、それがミッションです!」

高らかに宣言すると、橘音は白手袋に包んだ右手の人差し指を空へ突き出した。

「作戦が成功したら、再度この都庁前に集合!そしてアンテクリストに最終決戦を挑みます!
 皆さん……別行動はこれが最後です!
 必ず、またここでお会いしましょう!」

迷い家外套を翻し、天神細道へと飛び込む。
東京ブリーチャーズ、最後の作戦が始まった。


*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*


東京の空を、大地を、悪魔たちの群れが埋め尽くしている。
電車は脱線し、車は横転あるいは炎上し、路上にその残骸を晒している。
アスファルトはひび割れ、電柱は半ばから折れている。電気の供給がストップした市街地は暗く、
怒号や悲鳴、泣き声がそこかしこから響いては、極彩色の空へ吸い込まれてゆく。

「い、いやだぁぁぁ!助けてぇぇぇ!」

「ぎゃあああああーッ!!」

「待って、どうして私が……うあああああああ……!」

人々は己を不運を呪い、理不尽に訪れた死を恨み、そして絶命してゆく。

《ヒハハハハハーッ!!殺戮殺戮!殺戮ダ!殺セ……殺セェェ!》

狂喜の嗤いを轟かせながら、黒い炎を身に纏わせた直径3メートルはあろうという巨大な車輪が環状通を爆走する。
車輪の内径には六芒星が描かれており、その中央には禍々しい単眼が鎮座していた。
生きている車輪。天魔七十二将の序列六十九位、三十の軍団を従える地獄の大侯爵――デカラビア。
燃え盛る車輪が車を、人々を轢断してゆく。
悪魔たちが我が世の春とばかりに跋扈し、そこかしこで虐殺と惨殺を繰り返している。

「……ひどい状況ですね」

天神細道を使って足立区にやってきた橘音と尾弐は、惨劇の渦中に佇んでいた。
元々治安のよくない傾向のあった足立区だが、それでも平素はこれほど惨憺たる状況ではなかった。
手近な雑魚悪魔を蹴散らし、近隣の避難場所として指定されている小学校の校庭へとやってくると、
橘音はさっそく結界の用意を始めた。
ほどなく陰陽寮の要請を受けた陰陽師や神職、それに警察や消防隊が駆けつけてきて、災害時の避難所を構築する。
だが、悪魔たちがそれを手をこまねいて見ているはずがない。人間たちの只ならぬ行動に、さっそく邪魔しようと押しかけて来た。

「クロオさん、防衛をお願いします!」

橘音が両手で素早く複雑な印を組む。その身体が、召怪銘板と迷い家外套が光り輝き、結界が形作られてゆく。
陰陽寮が築こうとしている避難所、避難してきた人間たち。
そして結界作成中は無防備になってしまう橘音を悪魔の手から守るのが、尾弐の役目だ。

222那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 11:58:17
一匹一匹は尾弐よりもはるかに弱いが、悪魔たちはとにかく数が多い。
どれだけ倒そうともきりがない。アンテクリストが龍脈とブリガドーン空間を掌握している限り、
悪魔たちは決して尽きることがないのだろう。
消防車や救急車も駆けつけているが、戦う術を持たない人間たちは襲われれば一たまりもない。
救急車は避難所に到着する前に破壊され、運転手を直接襲われた消防車は蛇行したあげくビルの壁面に激突した。
自衛隊も出動しているはずだが、一向に姿が見えない。やはり悪魔たちに襲われているのだろう。

「クソ……、避難所ができたとしても、物資がなけりゃ何の意味もない……!」

橘音は歯噛みした。
富嶽の命を受けた妖怪たちが、逃げる人々を避難所の設置される校庭へと誘導している。
人々が徐々に校庭へ集まってくる。傷つき、からくも殺戮を逃れてきた人々が。だが、集まったところでここには何もない。
怪我人の手当てや眠る場所、食料や水などを提供できてこその避難所であろう。
だが、このままでは傷や疲労の回復どころか雨風さえ防げない。
先に自衛隊や消防隊などを助けて回った方がよかったか?しかし、それでは肝心の避難者が守れない。
圧倒的に人手が足りない。比較にさえならない彼我の物量差に、橘音は空を見上げた。

しかし。

「お待たせ致しました〜!憩いのお宿、迷い家東京店!本日開店でございます〜!」

突如、校庭の真ん中に靄がかかったかと思うと、そこに巨大な純日本家屋が出現した。
その佇まいを、橘音と尾弐が見誤るはずがない。
本来、遠野の山奥にあって人の目には決して触れないはずの迷い家が、東京の一角に出現していた。
玄関の戸が開き、姿を現した笑が避難者たちを宿の中へと招く。

「ささ、皆さん中へ……毛布もお水も、お味噌汁もたんとございますから!
 お怪我されている方はこちらへ!順番に手当いたします!」

「……笑さん!?どうして……」

「富嶽さまのご命令よ、三ちゃん。
 人命救助優先、こんな時に遠野の隠し湯だなんて言ってられないでしょう?
 避難者の皆さんはこちらが受け持つから、あなたたちは存分に戦って!」

「人嫌いの富嶽ジイが……。助かった!
 クロオさん、お願いします!」

迷い家はこの足立区の他にも、それぞれ祈やノエル、ポチらの行った先にも現れるだろう。
各迷い家の中は一箇所に繋がっている。食料や医療用具もたっぷり揃っており、避難所としてはこの上ない環境だった。
悪魔たちが狙いを迷い家に集中する。迷い家を破壊されてしまえば、こちらの負けだ。

「ゴオオオオアアアアアア……!!!」

身長5メートルはあろうかという巨大な悪魔が、その岩のような手を迷い家へと伸ばす。
尾弐の周囲には人間大の悪魔たちが群れなしており、橘音は結界構築のために戦闘できない。
迷い家はただの建物だ。物理的衝撃を加えられれば崩壊するしかない。
巨大悪魔が拳を振り上げる。内部に大勢の避難者を収容した建物が、なすすべもなく破壊――

は、されなかった。

迷い家の中から小柄な人影がひとつ凄まじい速さで飛び出し、剣閃が煌く。
巨大悪魔の大木の幹よりも太い頸が一刀両断され、ずるり……と切断面を斜めに滑って、地面に落ちる。
どどう、と轟音を立てながら、首を切り離された悪魔は仰向けに倒れた。
神域の剣技、その使い手は――

「……待たせたな、クソ坊主」

倒れた悪魔の骸の上にひょいと飛び乗った、小柄な影が言う。
白いパーカーのフードを目深にかぶり、紫色のスキニーを穿いた絶世の美丈夫。
――首塚大明神こと外道丸、またの名を天邪鬼。

「やれやれ、なんとか間に合うたわ。
 事情はあらかた聞いた、私も混ぜろ。神夢想酒天流の深奥、南蛮の夷狄どもに存分馳走して呉れよう」

凄絶な美貌の双眸を愉快げに細めると、天邪鬼は小さく舌なめずりした。
尾弐の奥義から回復した天邪鬼は、一旦富嶽と合流してからここまでやってきたらしい。
いくら尾弐が修行によって魔神をも屠る力を身に着けていても、圧倒的物量の前には多勢に無勢だった。
だが、天邪鬼が参戦すればその憂いはなくなる。
天邪鬼は身軽に跳躍すると、尾弐と背中合わせになるように立ち、愛用の仕込み杖に手を添えた。
尾弐黒雄と天邪鬼。千年来の師弟が互いの背中を預け合って戦う。

「往くぞ。鏖殺だ。
 アンテクリストと言ったか……唯一神だか何だか知らぬが、新米神の分際で横柄な。
 神歴ならば私の方が上だ、為らば……後進は先達を敬わねばならぬという、世の道理を教えてやろう。
 遅れるな、それとクソ坊主――」
 
大挙して押し寄せる悪魔たちを前に、天邪鬼は仕込み杖の鯉口を切る。
そして――

「仲人は私にやらせろ。……神だからな」
 
死ぬほど祝ってやる。
そう悪戯っぽく言うと、悪魔たちの真っただ中に飛び込んでいった。

223那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 11:59:03
「レディは今、すべての妖力を放出しケ枯れした状態にある。
 彼女を目覚めさせるには、まず――出し尽くしてしまった妖力に変わる力を彼女に注ぎ込む必要があるんだ。
 ……わたしに考えがある。見ていてくれ」

大田区の避難所で、迷い家を前にローランがレディベアを地面に下ろす。
レディベアの傍らに屈み込むと、ローランは仰向けに横たわるレディベアの腹部に右手を添えた。

「―――ふッ!!」

呼気。その瞬間、ボウッ!とローランの全身から黄金色の気が迸った。
一見して妖気に似ているが、それとは明らかに属性が異なる。

「わたしの力の源、祝福された聖人の力……神力をレディに与える。
 普通の妖怪なら肉体が拒絶反応を起こすところだが……レディは元々人間だ。きっとこの力も受け容れることができるだろう。
 すまない、祈ちゃん……この作業には少し時間がかかる。
 悪魔たちを寄せ付けないように……守って、貰えないか……?」

レディベアに自身の神力を譲渡しながら、ローランは祈に要請した。
その端麗な面貌には汗が滲み、眉間には皺が刻まれている。
無理もない、神力とは聖人のクローンであるローランの生命力そのもの。
ローランはレディベアを目覚めさせるため、自分の命をそっくりレディベアへと与えているのだ。

「……ハハ……。大丈夫さ、わたしのことなら心配いらない……。
 自分が生き残るだけの神力はとっておく……。ここで死ぬようなヘマはしない……よ……」

ローランは笑ったが、その表情にはいつもの飄然とした余裕はない。
人工的に造られた生命であるローランの寿命は短い。
それを、E.L.Fの薬剤と細胞賦活手術によって無理矢理に生き永らえさせてきたのだ。
ただでさえ短い寿命を、さらにレディベアに分け与えることで削っている。
今や、ローランの生命は風前の灯火だった。
みるみるうちに頬がこけ、金色の髪は白くなり、肉体が痩せさらばえてゆく。
それでも、ローランは神力の譲渡をやめない。
普通の妖怪なら破裂してしまうほど大量の神力を分け与えられても、レディベアは目を覚まさない。
ブリガドーン空間をすっぽり収容してしまうほどの容量を持つレディベアだ。息を吹き返すにも相当量の力が必要なのだろう。
5分、10分、15分。
刻々と時間が過ぎても、レディベアは昏睡したまま閉じられた眼が開かれることはない。
その間にも、悪魔は続々と祈に襲い掛かってくる。
いかに龍脈の神子とはいえ、たったひとりで数百、数千もの悪魔たちに抗うのは無理がありすぎた。
悪魔たちが祈の頬を、剥き出しの脚を、無防備な背中を引っ掻き、殴りつけ、蹴り飛ばしてくる。
そのうちの一匹がほんの一瞬の隙を衝いて鋭い三叉槍を構え、祈をその死角から串刺しにしようと投げつける。

「死ネ!死ネェ!神子オオオオオオオ!!」

だが。

どぎゅっ!!

致死の威力を秘めた槍は、祈に命中することはなく。
代わりに身を挺して祈の前に立ちはだかったローランの胸に、深々と突き刺さっていた。

「ぐ、ふ……」

ローランが呻く。
伝承に記される聖騎士ローランは、何者にも傷つかない無敵の肉体を持つという。
そんな、いかなる刀剣にも槍にも傷つかないはずの胸に、悪魔の槍が突き立っている。
しかし――それは伝承が嘘だったわけでも、ましてこのローランが偽者であったというわけでもない。
ローランはレディベアに自身の持てる限りの生命力を譲渡した。
従って、今のローランは抜け殻同然。本来持ち得た能力も何もかも失った、出涸らしのような状態だったのである。

「大丈夫、かい……祈、ちゃん……?
 ……よかった……。君にもしものことがあったら……レディが、悲しむからね……」

がくりと片膝をつき、ローランが荒い息を吐きながら祈の安否を気遣う。

「わたしの、神力は……与え、終わった……。あとは、祈ちゃん……君が、レディに……働きかけて、くれ……。
 彼女を……絶望の、淵から……救い出して、やって……欲しい……」

がはッ、とローランは吐血した。傷が臓腑に達していることを示す、どす黒い色だった。
それでもローランは倒れない。聖剣デュランダルを杖代わりに立ち上がる。

「さあ……、選手交代だ……。
 悪魔どもはわたしに任せて……祈ちゃん、彼女を……頼む……!」

力任せに胸に刺さった槍を抜くと、ローランは着ている衣服を血に染めて悪魔たちの真っただ中へと突っ込んでいった。

「我が名はローラン……、聖騎士ローラン!
 騎士とは乙女を護るもの。今こそ我が魂に刻みしその誓いを果たす!」

聖剣デュランダルが当たるを幸い、悪魔どもを薙ぎ倒す。
だが、本来精妙にして必殺であるはずのその剣技は精彩を欠く。レディベアに神力を分け与えたことが原因なのは明白だった。
今のローランは本来のスペックの十分の一さえ出せていないだろう。
だが、戦う。残り滓となった肉体に残る、命のほんの一滴まで絞り尽くすように。
すべてはレディベアのため。彼女の笑顔のため。

レディがこの世界に来てよかったと、この世界は自分の憧れたとおりの世界だと、そう思ってくれるように。
レディが幸せになるように――

それが、ローランがレディベアに捧げた騎士の誓いだから。

224那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 11:59:31
“Type-Roland ver.2336”
それが、ローランの本当の名前だ。
ローマ聖庁直属の対魔殲滅機関アースライト・ファウンデーション(E.L.F.)で、
8世紀の英雄・聖騎士ローランのクローンとして製造された、2336番目の『製品』。
だが、そのスペックはローマ聖庁が期待した通りのものではなかった。

性能が低かったわけではない。むしろ逆だ、ver.2336は『完成度が高すぎた』。
プロジェクトのスタッフが求めたのは、それなりのコスト、それなりのスペックで大量生産が可能な聖騎士の雛型だった。
ver.2336はコストがかかりすぎ、また強すぎた。
大量生産は叶わず、また自我を持つクローンに強すぎる力を与えてしまっては、自分たちが御しきれない。
審議の結果、ver.2336は失敗作の烙印を捺された。
彼は2335体いた他のローランの試作品と同じく、廃棄される運命だった。
だが――

保健所の犬のように。ホロコーストのように。冷たく暗い地下室で殺処分される寸前、ver.2336は逃亡を図ったのだった。
人権も、戸籍も、名前さえもないけれど。
それでも生きていたい。この世界に生まれたことには、きっと意味があるはずだ――
そう、信じて。

「この世界の秩序を乱す、悪しき妖壊。
 お前たちは死ぬ。死ぬべきだ。死ななければならない。
 わたしが生きた、その証となるために――」

脱走のついで、E.L.F.の研究所に保管されていた聖剣デュランダルを行きがけの駄賃とばかりに持ち出したver.2336は、
それからヨーロッパの各地で魔物を、妖壊を狩って回った。
その中には無害な妖怪もいたが、ver.2336には妖怪も妖壊も関係なかった。
ただ、人間以外のものはすべて殺した。なぜなら、それがE.L.F.で刷り込まれたver.2336の存在意義であり、
『天使以外のすべての化生を等しく撃滅すべし』という、ローマ聖庁の至上命令だったからである。
それが、いったい何を意味しているのか。
それさえも分からず、ただver.2336は聖剣を振るい、屍の山を築いてきた。

「……それで。
 わたくしも殺すのですか?その血にまみれた剣で」

「ああ。わたしと出会ってしまった、我が身の不幸を呪うがいい。
 この聖剣デュランダルが君を殺す――この世界に別れを告げる準備はいいか?」

西欧、某所。
住人の去った廃墟の街で、ver.2336は黒衣を纏った隻眼の少女と出会った。
妖怪大統領バックベアードの娘、レディベア。少女はそう名乗った。
少女のすぐ近くには、血色のマントに身を包んだシルクハットの怪人が倒れている。
ver.2336が倒したものだ。聖剣によって一撃でケ枯れさせた。滅びてはいないが、戦闘はできないだろう。

「レ……レディ……、キミじゃこの男には勝てない……!
 逃げるんだ……、この男は……古の英雄、聖騎士ローランを再現した、ローマ聖庁の……対妖魔殲滅兵器……!
 おのれ、吾輩の計画が……二千年の宿願が、こんな……ところで……!」

倒れ伏す怪人――赤マントが呻く。
赤マントにとってver.2336の出現はまったくの想定外だった。
かつて持っていた妖力のほとんどを喪っている赤マントには、聖デュランダルに抗う手段はなかった。
このままでは、レディベアは間違いなく殺される。そうなれば、赤マントの遠大な計画はおしまいだ。
レディベアの戦闘力では、ver.2336には勝てない。逃げられない。
だというのに――当のレディベアはといえば、絶体絶命の窮地だというのにまるで焦っても絶望してもいない。どころか、

「大丈夫ですわ、赤マント。
 ここはわたくしに任せなさい」

と、余裕の返答まで返してきた。

「その剣がわたくしを殺すと言いましたわね。
 違うでしょう?わたくしを殺すとすれば、それは剣ではない……あなた自身の意思。
 あなたの名は?それとも、あなたのしていることは名を名乗るも憚られる、胸を張って誇れぬ所業なのですか?」

「……わたしの……名……?」

はっとした。
E.L.F.の研究所を脱走して以来、色々な場所を彷徨しては妖怪を滅してきた。
妖怪たちは殺すべき対象、獲物でしかなかった。名乗る必要などなかったし、その気もなかった。
名を訊ねられるなど、初めてのことだった。

「わたし、は……」

Type-Roland ver.2336。研究所では、ずっとそう呼ばれてきた。
だが、それは名前ではない。ただの製造番号だ。
人は――いや、すべての生き物は名付けられることで個性を持つ。この世界にただ一人の自分として確固たる存在を築く。
しかし、自分にはそれはない。E.L.F.はありとあらゆる妖魅を撃殺する能力を授けてくれたが、名前を与えてはくれなかった。
自分がこの世界に生まれたことには、きっと意味がある。
妖怪を殺し続ければ、それが分かると思っていた。そう信じ続けて、目につく者を片端から斬った。

福音は、まだ聞こえない。

225那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 12:00:11
「わたしに名前なんてない……。
 わたしは……ただ、おまえたちを殺す狩人。それだけでいい……!」

デュランダルの柄を握りしめ、ver.2336は憎しみの眼差しをレディベアへ向けた。
レディベアがせせら笑う。

「ハ、笑止ですわね。
 名も無き者が、このわたくしを!偉大なる妖怪大統領の一人娘たるわたくしを手にかけると?
 そんなことは不可能ですわ!」

「黙れ!ならば試してみるか!
 我が奥義『不抜にして不滅の刃(インヴィンシブル・デュランダル)』ならば、貴様など……!」

「いいえ。名も無く、理由もなく。ただ無目的な殺戮だけを繰り返す者に、わたくしを殺すことなどできませんわ!
 なぜならば!わたくしには大義がある……この星よりも重い大義が!
 それでも出来ると思うなら、やってご覧なさい!
 振るうかいなに信念も見出せぬ者の剣で、本当に!生きる意味を知る者の命を断絶できると思うのならば!!」

「…………!」

ver.2336は愕然として、双眸を見開いた。
少女の真っ直ぐな瞳に射すくめられ、身動きが取れない。
瞳術に捕らわれたのではない。少女の生のままの視線に、その力に。意志に気圧されたのだ。
強すぎるという理由で失敗作の烙印を捺された、最強の妖異殺しのはずの自分が――

「……できない」

しばしの沈黙の末、ver.2336は聖剣を握る腕を下ろした。

「わたしにはできない……。
 ああ、そうだ。その通りだ……わたしは名前もなければ、剣を振るう信念さえない。
 生きる理由すら分からず、ただあてどもなく彷徨うだけの、呼吸する屍のようなものさ……」 

そんな自分が、大義のために生きると胸を張って断言する少女に勝てるはずがない。
戦闘力だけなら、自分の方が遥かに上回っているだろう。
だが、戦闘力なんて。そんなものはまるで無意味だった。ver.2336は、レディベアに負けた。
心の強さで。

「――――――ローラン」

不意に、レディベアが口を開いた。
それが自分に対して投げかけられた言葉だということに気付くのに、ver.2336はしばしの時を要した。
いつのまにか俯けていた顔を上げ、レディベアを見る。漆黒の少女は小さく笑った。

「ローラン……だって?」

「血まみれの聖剣を持つ、名無しの聖騎士。
 あなたに名前がないのなら、わたくしが付けて差し上げますわ。
 ローラン!あなたは古の英雄の再現体などではなく、本物の英雄になるのです!」

「本物の……英雄に……」

「わたくしは心に大望を抱く身。その成就には、手勢が必要ですわ。
 聖騎士ローラン!わたくしに傅き、我が騎士となりなさい!
 ただ無為に下等妖怪どもを殺戮するだけでは、野の獣と変わりありません。けれど――
 わたくしがあなたの生に意味を。その剣に理由を与えて差し上げますわ!」

生に意味を。剣に理由を。
ずっとずっと求めていたものが、そこにあった。
少女は名前を与えてくれた。形式番号ではない、この世でひとつだけの名前を。
だとしたら――残るふたつも、必ず与えてくれることだろう。
嗚呼、ならば。それならば。

「……レディ」

小さく、少女の名を口にする。
レディベア。妖怪大統領バックベアードの娘、紅い隻眼の乙女。
……聖騎士の姫。

しばしの間を置いて、ver.2336――ローランはデュランダルを携えたままレディベアへと近付いてゆく。
そしてその間近で向かい合うと、跪き。頭を垂れ、水平に持った聖剣を両手で少女の前へと捧げた。
レディが聖剣を手に取り、その刀身をローランの右肩に添え当てる。

「――我、汝を騎士に任ず。
 誠実たれ。真摯たれ。正義たれ。
 すべては我が大義のために――」

「……聖騎士ローラン、これよりは御身に尽くします。
 この剣、この心、この身体、この魂。
 すべてはレディのために……」

ver.2336と呼ばれた名も無きクローンは、本物の騎士になった。東京ドミネーターズではない、レディベアだけを護る騎士に。
それが、それこそが自分がこの世に生まれ落ちた理由なのだと信じて。

226那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 12:00:56
橘音の指定した避難所予定地の、板橋区総合病院前。
ノエルが天神細道を使ってそこへ到着したときには、既に病院前は避難を求める人々でごった返していた。
そして、そんな人々を狙って悪魔たちが大挙して押し寄せてくる。
もちろん、ノエルがいくら一対多の状況に適した妖怪だとは言っても、数が違いすぎる。
一匹でも撃ち漏らせば終わりだ。状況は甚だ不利と言わざるを得ない――が。

そんなとき、頼もしい戦力(?)がノエルの加勢に現れた。

「ふーはーはーはーはーっ!東京ブリーチャーズ非正規メンバー参上!
 ノエル君!アタシたちが来たからにはうっわこれ絶対無理目のやつ絶対無理無理やばたにえん!」

新井あずきに、ぬりかべに、犬神。手長足長におとろし。
召怪銘板で召喚される、東京ブリーチャーズの非正規メンバーである。
リーダーっぽいポジションでセンターに陣取り、小豆の入った巨大な枡を右脇に抱えて高笑いしたあずきだったが、
空を埋め尽くす勢いの悪魔たちを前にしてさっそくヘタレた。

「いや、そこは無理でも強がっとくトコやろ。なんで開幕心折れとんねん自分。
 言うだけならタダやさかい言っとき!アタシらが来たからには、戦艦大和に乗ったつもりでいてや!とかそういう」

「戦艦大和は沈没したんですが……」

あずきにツッコミを入れつつ、流れるようにボケてみせたのはチンピラ風のガラの悪い男――品岡ムジナだった。
そんなムジナのボケに指摘を入れるのは、雪の女王の策によってノエルの前で死んだと見せかけていたカイとゲルダだ。

「久しぶりやなぁ色男。
 ワシとしては橘音の坊ちゃん……いやもう嬢ちゃんやったっけ?や尾弐のアニキのとこへ加勢に行きたかったんやけど。
 自分ひとりじゃ心細いやろし、特別に手ぇ貸したるわ。
 礼は自分とこの店の権利書でええで。いやぁ太っ腹やな我ながら」

げひっ、とムジナはノエルの顔を見て下卑た笑みを漏らした。

「さあ、ワシら東京ブリーチャーズの力、見せたろやないか!
 どっからでもかかって来んかい、イチビリどもがぁ!」

「ムジナさんが言うと大阪ブリーチャーズみたいに聞こえるけどね……」

あずきの代わりにずいっとセンターへ躍り出たムジナが高らかに宣言する。
その後ろでやっぱりカイが突っ込みを入れているのは内緒だ。
非正規メンバーとは言うものの、戦力としては充分だ。これだけ多勢ならある程度時間稼ぎはできる。
実際、非正規メンバーたちは押し寄せる悪魔たちを相手に一歩も引かない戦いを繰り広げた。

「ひ、ひゃわわわわわぁぁぁ!?こっち来るなぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

あずきが迷い家の入口に陣取って、やけっぱち気味に小豆を投げつける。

「姫様の影に隠れがちだけど、私たちだってやれるってことをアピールしなきゃ!」

ゲルダとカイがチームワークで互いを補い合い、悪魔たちを翻弄してゆく。
他にも犬神が顎を開いて悪魔に喰らいつき、おとろしが落下して数匹を纏めて押し潰し、ぬりかべが身を挺して人々を守る。
ノエルと非正規メンバーたちの奮闘で、いっとき悪魔の軍勢は攻撃の手を緩めたように思えた。
しかし。

空が翳る。その場にいる妖怪や人々が頭上を仰ぐ。
そこには、陰陽寮の築いた都庁の結界を体当たりで破壊した、超巨大なアノマロカリスが浮かんでいた。
アンテクリスト麾下の天魔、フォルネウス。
フォルネウスの身体の下部から無数の悪魔たちが降ってくる。どうやらフォルネウスはその巨大な躯体に夥しい悪魔を格納し、
各所に投下する爆撃空母のような役目を果たしているらしい。
さながら焼夷弾のように、無数の悪魔が降ってくる。
そして――

「ブモオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」

耳をつんざくような咆哮と共に、上空から一際巨大な何かが降ってきた。
5メートルほどもあろうかという、筋骨隆々の人間めいた巨体。
それぞれに金棒、刀、刺叉、斧を持った四本の腕。
頭部には牛と馬の頭を有する、獄卒たちの長。

獄門鬼――

酔余酒重塔で赤マントに連れ去られ、それきり消息を絶っていた地獄の大鬼が、ぶはあ……と生臭い息を吐く。
むろん、ノエルたちの加勢に来たという訳ではないだろう。鬼神王温羅配下のはずの大鬼は、
今やアンテクリストの忠実な下僕に成り下がっていた。

「な……なんやねん!図体デカけりゃええってもんやあらへんで!
 色男ォ!ワレの出番や、いっちょガツンとかましたらんかい!」

自分では相手にならないとばかり、ムジナはノエルに丸投げした。
確かに、酔余酒重塔で戦ったレベルの獄門鬼であれば今のパワーアップしたノエルの敵ではないだろう。
『あの頃の獄門鬼なら』。

「ゴルルルルルルルル……!!」

獄門鬼が息を吐く。その全身が、見たこともない禍々しい妖気に覆われてゆく。
いや、見たことがないというのは間違いだ。ノエルはそれを、かつて一度だけ見たことがある。
それはまさしく、酔余酒重塔で。
あの尾弐黒雄が纏っていたもの――『酒呑童子の妖気』に他ならなかった。
周囲の様相が変転してゆく。屋外であったはずの景色が、暗い石牢の中へと。
ノエルや非正規メンバーたちの足許に、血のさざなみが立つ。
アンテクリスト――否、ベリアルは奪った酒呑童子の力を、あろうことか獄門鬼に与えていたのである。

「ブォガアアアアアアアアアアアアアアアア――――――――ッ!!!」か

獄門鬼が吼える。酒呑童子の力、神変奇特の妖力が発動する。
かつてブリーチャーズを存分に苦しめ、結局破られることのなかった『犯転』と『叛天』の力。
それが、再度ノエルたちに牙を剥く――。

227那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 12:09:49
シロの蹴りを喰らった悪魔が、断末魔の悲鳴さえ上げられず地に伏せる。
すい、と流れる挙措で蹴り足を引くと、シロは一本足で立つ水鳥のような美しい構えを取った。
すでに、杉並区の避難所前では熾烈な激闘が繰り広げられている。
迷い家とそこへやってきた大勢の避難者たちを狙い、悪魔たちが下卑た笑いを響かせながら攻めてくる。
ポチとシロはたったふたりきりで、アンテクリストの大軍勢を相手にしなければならなかった。
とはいえ、ポチもシロも共に激戦を潜り抜けてきた、筋金入りの猛者である。
なおかつ、ふたりが組んだ時の強さは単体で戦った場合の何倍にも跳ね上がる。
狼は持久力に優れる生き物だ、長期戦に備えてペース配分を考えて戦う術に長けている。
アンテクリストがどれほどの数の悪魔を差し向けてこようと、数日は持ち堪えられる――そう思われた。
既にふたりの斃した悪魔の数は百体以上にのぼる。が、悪魔たちは全くその勢いを弱める気配を見せない。
そして。
ポチとシロはただ戦っていればいい、というわけではない。
この避難所を訪れる人間たちが絶望しないように。この終末の世界に希望を見失わないように。
どれほどの悪魔が破滅を齎そうと押し寄せてきても、決して挫けることはないのだと――
そう人々に思わせる戦いをしなければならないのだ。
ブリガドーン空間は、想いが形になる空間。人々が死に怯え、悪魔の暴虐に恐怖し、生きることを諦めてしまえば、
その想いが『そうあれかし』となって結実してしまう。悪魔たちの、アンテクリストの力を増幅させてしまう。
それだけは、絶対に阻止しなければならない。

「皆さんにお願いがあります……!皆さん、SNSでふたりの戦いを拡散してください!」

いつか陰陽寮で交流した、芦屋易子配下の巫女たちが避難者たちに呼びかける。

「どんなにバケモノたちがやってきたって、守ってくれる正義の味方はいるんだ!みんな必ず救われるから……諦めないで!」

「Twitterでもインスタグラムでも、YouTubeでも何でもいい!とにかく写真撮って、動画も撮って!
 それをネットにアップして、どんどん広めよう!」

「皆さんが応援してくれれば、それが彼らの力になるのです……!拡散し、お友達に教えてあげてください!
 必ず、絶望の闇は払われると!」

尾弐が提案したように、ネットの力を使って人々に協力を呼びかけている。
人々の想いがプラスへと転じれば、ブリガドーン空間の特性によってこの状況も好転するに違いないのだ。
だから。
ポチとシロは勇敢に、誇り高く、堂々と。真正面から悪魔たちを叩き潰してゆく必要があった。

「……あなた」

強烈な掌打で悪魔の一体を吹き飛ばすと、シロが口を開いた。

「私は、人間が嫌いでした。
 自分たちの欲望のままにニホンオオカミを絶滅へ追いやり、私を檻に閉じ込め、見世物のようにしようとした人間たちが。
 お前たちこそ滅びてしまうがいいと、そう思った時期もありました。
 あなたたちと巡り合ってからしばらくも、人間への嫌悪は変わらなかった。
 なぜ、あなたたちは人間たちの街なんかを身体を張って守るのだろう?と、そう思っていました」

シロにとって人間とは欲にまみれ、自然界の掟から逸脱し、万物の霊長を僭称するおぞましい生き物だった。
この街も嫌いだった。このゴミゴミして、汚くて、人が多すぎて、下水のにおいがして、空が狭い街。
大嫌いな人間たちと、その人間たちが自然を破壊して作った街――東京。

「がんばれーっ!ポチちゃーんっ!!」

「シロさーんっ!ファイトーっ!!」

率先して人々に希望を失わない姿を示そうと、巫女たちが声を張り上げてポチとシロを応援する。
陰陽寮の巫女たちも、最初から東京ブリーチャーズに対して友好的だったわけではない。
陰陽頭・安倍晴朧が病に倒れ、後継者の座を巡る芦屋易子と安倍晴空の対立の渦中にあって、
突如現れた陰陽頭の孫・祈とその式神たちということで、ポチにはずいぶん懐疑的な視線を送っていた。
だが、今は違う。陰陽寮で暗躍する天魔をポチらが討伐し、負の結ぼれが解けたことで、彼女たちの疑念も晴れた。
特にポチは巫女長である芦屋易子の心を救っている。
巫女たちがポチと、そしてそのつがいであるシロへ寄せる信頼は大きく、揺らぎがない。
シロもそれをにおいで感じ、理解している。

「……でも。今は、そうでもありません」

自分たちへ声援を送る巫女たちを軽く見遣ると、シロは微かに笑った。

「ニホンオオカミを滅ぼしたのが人間たちなら、ニホンオオカミは滅びていない……と。
 まだ、人の目を逃れてどこかで生きていると。そう信じるのも、また人間たち。
 私たちは、彼らの『そうあれかし』で生きている……それを忘れてはいけないのです」

愚かで、自分勝手で、邪悪な者もいるけれど。純粋で、利他的で、心清い者もたくさんいる。
そんな人々が生きる世界を、大切にしたい。

「お……、俺も応援するぞ!頑張れ!頑張れーっ!!」「私も!お願い、悪魔たちをやっつけて!」「やっちまえ!坊主!」

「ポチ!」「ポチーっ!」「ポチくーんっ!こっち向いてーっ!」「いっけえええ!ポチーっ!!」

巫女たちの必死の鼓舞に触発された人々が、少しずつ声を出し始める。
スマートフォンを持っている者たちがポチとシロへカメラを向ける。その戦いを、勇姿をSNSにアップする。
ポチを励ます声の波が、その小さな背を後押しする――。

「――さあ、愛しいあなた」

悪魔が押し寄せてくる。満々と殺気を湛えて襲い掛かってくる。
二頭対無限の戦い。圧倒的な戦力差、不利、劣勢、絶体絶命の窮地。
だというのに、シロは笑っている。――その名の通り純白の、美しい笑顔だった。
シロがポチへと右手を差し伸べる。

「伝説を。創りにゆきましょう」

オオカミこそは自然界最強の捕食者。そう、後の世に人々に語り継がれるような戦いを見せる。
それこそが、ポチとシロのすべきことなのだ。

228多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/10/27(火) 23:42:38
 世界の終わりが始まった。
不気味な極彩色が空を覆い、魔法陣から悪魔達が雨のように降り注ぐ。
終末の使徒たちが、讃美歌めいた歌を歌いながら、破れた結界の外へと飛び出していく。
 このままでは人々が悪魔に襲われて死ぬ。やがて世界が滅ぶ。
祈の中にそんな焦りがあったが、いち早くこの状況に対応すべく、ターボババア・菊乃が飛び出した。
そしてこの場から離れる前に、祈にこう言い残していった。
『人間たちの救助はアタシらがやるから、アンタはどうにかアイツを倒す手段を考えるんだ。いいね』と。
多くの人々を助けるために、今は策を考えろと。
 だからこそ祈は、聞こえる悲鳴をきっと誰かが救ってくれると信じて、飛び出したい必死に気持ちを抑えた。
そして逆転の策を求めて、仲間たちに何か案はないかと求めるのだった。
 ノエルは祈に同調。

>「いいね! 妖怪大統領を叩き起こそう!
>もしもいなかったら……その時はハッタリを貫き通していることにしてしまえばいい。
>バックベアードの正体を知ってるのはまだ私達だけだよね。
>ベリアルがレディベアにやったみたいに、アバターで日本中の妖怪を騙してみるのは?
>レディベアか橘音くんの瞳術だけど……不特定多数に幻を見せるのは流石に難しいよね。
>私が空を雪雲で覆って巨大なスクリーン状態にする。そこに妖怪大統領を瞳術で投影しているように見せかける」

 いつもと違う、見たことのない中性的な姿のノエル(人格?)だが、
切羽詰っている状況で改めて訊ねているヒマはなく、ひとまず祈はその言葉を聞いて頷くに留めた。
 ノエルの策は、もし妖怪大統領が存在しなくても、
こちらの演技と映像で妖怪と人間双方を騙し、『いることにしてしまう』というもの。
 人々の中に希望が生まれ、『そうあれかし』が集まれば、
本当に妖怪大統領は顕現するだろうと。それならアンテクリストに対抗する戦力が生まれるはずだと。
 尾弐もまた、その策に乗っかった。

>「情報を拡散するってなら妖怪に頼むより人間に頼むのはどうだ? 聞いたところ、最近のインターネットってのはすげぇんだろ?」
>「群衆をぶつけて為政者を引きずりおろすのは人間のお家芸だ。77億のそうあれかしをぶつけりゃあ意外に何とかなっちまうんじゃねぇか?」

 祈がまたも頷く。
 ノエルの策では、妖怪大統領の姿を投影する範囲、それを視認している人間や妖怪にしか届かない。
だが、インターネットを使って拡散すれば、
より多くの人間に妖怪大統領がいると見せかけられる。より『そうあれかし』が強まることになるのだ。 
「……これだけ力量差があると、人柱を立てて封ずるってのも無理そうだな」と、
先に前置きをしてから話すのはいかにも尾弐らしい。
 尾弐は続けて、レディベアを起こす手段として、
SnowWhiteに入り浸っているという心の内側を覗く妖怪、覚の力を借りてはどうかと提案してくれた。
 たとえアンテクリストが邪魔をしてきても、自分が時間を稼ぐから、
龍脈の神子としての力と願いの総量でぶちぬき、起こしてしまえという。

>「絶望は深いかもしれねぇが、それでも誰かが手を差し伸べてくれれば必ず光は射す――――他ならぬ、絶望に浸かり続けた馬鹿な鬼が言うんだから間違いねぇよ」

 その言葉は心強く、頼もしい。
そして尾弐がポチにもっと良い考えがないかと問うと。

>「……よしてよ。僕じゃ何も分からないよ」

 ポチの弱気な答えが返って来る。苦しげに言葉を紡ぐ。

>「だって……橘音ちゃんでも、何も思いつかなかったんだよ?
>僕だってこんな事、言いたくないよ。でも……夢を見たって、仕方ないんだ。
>僕らが思いつくような事を、橘音ちゃんが……例え混乱していたって、考えなかったと思う?」

 橘音のように恐怖に呑まれたわけではないようだが、あまりに悲観的な物言いだった。

229多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/10/27(火) 23:48:49
 ポチは、ミカエルの援軍や御前を頼り、
天羽々斬やある神社の神剣二振りなどで戦力を増強する案を口にした。
レディベアを起こす方法についても、橘音を復活させた儀式や運命変転の力でどうにかならないかと意見を述べてくれた。
 だがそれらも、橘音なら思いついたもののはずだと。
知恵者が考え付かないのなら、素人考えでどうにかなるはずはないのだと、そう諦めの言葉を口にする。
 妖怪大統領を復活、
あるいはでっち上げて創造することについても否定的であった。
橘音を上回る頭脳を持つベリアルとて考え付かなかったはずがない、新たな神の創造。
だが敵がやらなかったのならおそらく、悪手であろうというのだった。
だから今更何を考えたところで無駄だと。おそらくそんな風にいいかけたところで、ポチの口が止まった。

>「いや……だったら――でも、そんなの、変だ。なんでアイツは……」
>「……なんで、アイツは僕らを殺さなかったんだろう。レディベアを、祈ちゃんを、生かしておく理由なんてなかったのに」

 ポチは、アンテクリストがブリーチャーズを殺さなかった、いや、殺せなかった理由に気付いたのだった。
赤マントからベリアル、ベリアルからアンテクリストへ。
性格の変異という計算外が起こった故に、見逃さざるを得なかったのだと。
 そして、龍脈の神子たる祈と、ブリガドーン空間の力を持ったレディベアが辛くも生存したことで、
アンテクリストと同じことをしてやれるのだと指摘する。
 祈も確かにと頷く。

>「――赤マントのやり方をやり返すなら、レディベアには……嘘をついた方がいい。
>妖怪大統領は、いるかもしれない……じゃない。いるんだって信じてもらった方が。
>声を聞いたとか。ほんの少しだけど、においがしたとか、そんな事を言って」

 ただ、この言葉に対しては、ローラン同様に。

「レディベアにそう思い込ませた方が成功率は上がるってことなんだろうけど、あたしも反対だな。
つーか、ポチだって、家族愛を利用するのは嫌だって顔してるぜ。無理に悪いヤツぶってそういうこといわなくていいんだよ」

 と反対し、窘めた。
 レディベアはローランが目覚めさせてくれるらしいが、アンテクリストの影響か、龍脈の流れがおかしい。
運命変転の力が十全に使えるかどうかは怪しいという不安要素はある。
 だがともあれ、二案出た。
 妖怪大統領の復活、あるいは創造。
そしてレディベアのブリガドーン空間の力と、祈の龍脈の神子としての力を組み合わせてアンテクリストのやり方を返す方法。
 先程橘音は、『祈ちゃんに何が分かるんです!アナタはあれの強大さがよく分かっていないから、
そんな向こう見ずなことが言えるんだ!』と、祈を拒絶して、心を閉ざした。
だがこの二案ならどうかと、祈は橘音の方を見た。
 もしこれで橘音が動かないようなら、祈は他の仲間たちとだけで行動を起こすつもりでいた。
 人々の悲鳴や怒号がどこからでも聞こえる。
ターボババアや陰陽師、妖怪、手すきのものが人々を助けようと動いているようだが、悪魔の数が多すぎる。これ以上は限界だ。
 いくらより多くの人を救うためだとしても、これ以上作戦会議に時間を割いて、
目の前の人々の命を見捨てることはできしない。見捨てていい命なんてものはないのだ。
 実際のところ、仲間たちの出した二つの案だけでは、橘音は動かなかっただろう。
 それ程までに恐怖の力は大きい。
 恐怖に震えるものにとって、敵は実体以上に大きく見える。
勝算がある策でも無謀な賭けに思え、命綱は頼りない藁としか映らない。
だがそんな橘音の心を動かしたのは。

>「この戦いが終わったら――――結婚してくれ。橘音」

 橘音の傍らに立つ、尾弐の言葉だった。
橘音の重荷は己が背負うから、己が頑張るために共に頑張ってくれと。
尾弐はそう橘音にいった。

>「……フ……フ……。
>……ズルいなぁ……クロオさんは。
>この期に及んでそんなこと言って……ボクに、どういうリアクションを期待しているんです……?
>こんなどうしようもない状況で。とっくに終わってしまってる、どう考えたってゲームオーバーな様相で――」
>「そんなこと言われちゃったら……、どうでも、頑張るしかないじゃないですか……!」

 愛。ただそれだけが橘音の恐怖に震える心を動かした。
それは勝算が僅かな賭けに全てを賭ける理由。藁のような命綱でも命を預ける理由になってしまう。
 半狐面をつけた橘音の顔から涙がこぼれる。

>「プロポーズ、お受けします。
> 一緒に……幸せになりましょうね」

 涙をぬぐい、橘音が微笑む。

「おめでとう、尾弐のおっさん。橘音。
……こんな状況でなければもっと、ちゃんと祝ってやんのに」

 いかなる状況であれ、男女が結ばれる光景は尊いものだ。
 祈も、もっとしっかり祝ってやりたかった。
下手したら何百年もかけて結ばれた二人だ。花の一つも買って、二人を抱きしめて、振り回してやりたかった。
悪魔が舞い、終世主を称える賛美歌を歌い、人々の悲鳴が響く、こんな状況でさえなければ。
 ポチとシロが愛を確かめ合う。
救助して来たであろう親子を両脇に抱えて、ターボババアが戻って来る。
 橘音が立ち直り、アンテクリストを倒すための作戦が始まろうとしていた。

230多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/10/27(火) 23:53:57
>「正直な話、今でもボクたちの力であのアンテクリストに勝つ方法は思いつきません。
>あれは強大すぎる。ボクたちがどれだけ力を振り絞ったとしても無駄でしょう」
>「でも――それは『東京ブリーチャーズだけで何とかしようとした場合』です。
>ボクが間違えていました。簡単な話だったんだ……ボク達だけで勝てないのなら、勝てるだけの頭数を揃えればいい。
>全員で倒すんです。この東京という土地に住む、すべての妖怪と人間の『そうあれかし』で。
>皆さんの言う通り、みんなで。力を合わせましょう」

 橘音が皆の意見を纏め、打ち出す作戦。その流れはこうだった。
 まず、上空に展開されているベリアルの魔法陣を除去する。
これにより龍脈の流れを戻し、祈が龍脈の力を十全に使えるようにするとともに、無尽蔵に湧く悪魔たちを堰き止める。
 そのために必要となるのは、橘音に所縁のある代物を東京の五か所に持って行き、安置することだ。
 安置したら橘音が五芒星を展開し、魔法陣を上書きするという。
 だが、こちらの目論見をアンテクリストは看破し、邪魔をすることが予想される。
だから祈達は天神細道を使い、各所に散ったあと、橘音所縁の品を守らなければならない。
 そして同時に行うのが、避難所の構築と防衛だった。
東京の人々を避難所に匿い、助け、心に希望の灯をともすのである。
 『こんな絶望的な状況でも助けてくれる誰かがいる』、『なんとかなるかもしれない』。
何万という人々が抱くそんな『そうあれかし』は、どういう形であれ、この状況の打破を後押しするだけの力となるだろう。 
 橘音は、人々の『そうあれかし』を束ねて、妖怪大統領を目覚めさせるか創造することが唯一の突破点になるといった。
妖怪大統領を味方に付けることで、ブリガドーン空間の力もアンテクリストから奪い、弱体化を図るのだと。
 この混乱を極める状況下で、妖怪大統領・バックベアード(空亡)なる存在について人々に説明するのは難しいかもしれない。
現状やブリガドーン空間などの小難しい話をしたところで、人々がそれを咀嚼し、飲み込めるかどうかだ。
ノエルの作戦通り、スクリーンに映し出すなどすればできるだろうか。
 だが人々の思考を上手く誘導できなかったとしても、
目の前で戦う誰かが希望だと思えば、その人物に力が集中し、アンテクリストを倒す力になるかもしれない。
なんとかなると思えば、『そうあれかし』が作用し、直接的にアンテクリストが弱体化する可能性もあるだろう。
どちらに転んでも問題はなさそうである。
 あとはレディベアをローランが復活させ、協力を取り付ければ二案は成る。

>「祈ちゃんはローラン、レディと一緒に大田区へ――」

「わかった」

 橘音所縁の品の一つである聞き耳頭巾を受け取りながら、祈は思う。
 もし問題があるとすれば、妖怪大統領が『創造』されたときだろう、と。
創造されたそれは、ブリガドーン空間を統べる大妖怪・妖怪大統領ではあっても、レディベアの父ではない。
 レディベアと一緒に過ごした記憶もなければ、声もおそらく違うだろう。
似て非なる何かでしかなく、その姿は父の実在を信じたレディベアにとっては残酷な結末となる。
 アンテクリストの内側に、僅かな良心、父性、妖怪大統領の人格の欠片とも呼べる何かがあり、
それを元に復活することを願うばかりである。

>「迷い家外套と召怪銘板は、ボクが持っていきます。
>そして最後、江東区へは……オババ。お願いできますか?」

 橘音は、ノエルに姥捨の枝、ポチに童子切安綱を渡している。
東京ブリーチャーズの正規メンバーは5名。
五芒星を張るのに適した人数だが、橘音は結界を張るという役目があり、自分に所縁ある品を安置することも、避難所を守ることも難しい。
故に尾弐と足立区へと向かうことになっている。
 五芒星を描くには手が足りないので、白羽の矢が立ったのが、菊乃だった。

>「フン、アタシは東京ブリーチャーズじゃないよ。アンタの都合で使われて堪るかい。
>……とはいえ、今はそんなこと言ってる場合じゃない。東京が滅びる瀬戸際だ。
>可愛い孫の明日のために、一肌脱いでやろうかね」

 菊乃は肩をすくめ、面倒くさそうにそう返した。そうして蓬莱の玉手箱を受け取ろうとするのだが。

>「……待ってくれ、その役目は……私に任せてもらいたい……!」

 横合いから放たれた女性の声に遮られることになった。

231多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/10/27(火) 23:58:36
 声の方を祈が見遣れば、そこに立っているのは、
波打つ金髪と、物語から飛び出てきたような美貌が特徴の外国人女性。
年の頃は20代半ばであろうか。祈の知った人物、否。

>「ミカエルさん……」

「ミッシェル、来てくれたんだ」

>「遅れてすまなかった。やっと主の承認が下りたのでな……。
>大天使長ミカエルと御遣い千三百騎、参着した」

 大天使長ミカエル。
 かつて陰陽寮での一件では世話になった、聖書に登場する天使である。
橘音をボコボコにしつつも、ロボを倒すための必殺の武器、魔滅の弾丸を託してくれた天使でもある。
最終決戦には駆けつけてくれるといっていた、その約束を果たしに来てくれたのだ。
1300もの援軍を連れて。姿は見えないが、おそらく御使いとやらは上空辺りにいるのだろう。

>「ついに、あの方が力を取り戻してしまわれたか……。怖れていた事態が現実になってしまった。
>ならば……私も死力を尽くさなくては。あの方を……この命と引き換えにしてもお止めする。
>それがこのミカエルの誓い――」
>「虫のいいことを言っているのは、百も承知だ。
>だが……どうか頼む。我々も貴公らの戦列の端に加わらせてくれ。
>あの方は我ら天使の兄。英雄にして教師。そんなあの方が引き起こした事態ならば、手をこまねいてはいられない……。
>頼む、私は……責任を果たしたいんだ……!」

 そしてミカエルは真剣な、思い詰めたような表情で頭を下げ、五芒星を描く手伝いをしたいといった。
 ベリアルとの深い関係があるからこそ、責任を感じているのかもしれないと、そんな風に祈は思った。
 菊乃は何かを察したようで、嘆息して、橘音に向かって頷くのであった。

>「……分かりました。
>ではミカエルさん、これはアナタにお預けします。江東区へ向かって下さい」

 そうして蓬莱の玉手箱は橘音からミカエルへと託されることになる。

>「恩に切る、アスタロト。
>必ずや、其方の作戦成就の一助となろう」

 決意の表情でそう返すミカエルに、今は狐面探偵那須野橘音であると訂正する橘音。
結婚を約束しているから、近々、尾弐橘音になり、再度訂正が必要になるであろうと祈は思う。

「アタシも同行しようじゃないか。現地の妖怪の案内があった方が楽だろうし、手勢は一人でも多い方に越したことはないだろ」

 菊乃は祈から、ミカエルが手負いの天使であることを聞いている。
また、ミカエルから危なっかしさのようなものを感じてもいた。それ故に、同行を申し出たのである。

「なに、メインはアンタで、アタシはバックアップに努めるさ。アタシは菊乃。よろしく頼むよ、ミカエルさん」

 ターボババアは、高速戦闘に慣れた妖怪である。
地上であれば、『そうあれかし』による走行速度の制限があり、時速140〜160キロ程度でしか走れない。
人々がターボババアはそのぐらいの速度で走る妖怪だと定義した故に。
だが、菊乃はそれを守らない。
 妖気を練り上げて肉体を強化し、空気の壁を蹴るという方法で空を走る。そのときの移動速度は音速に迫った。
また、人間達を観察して会得した数々の武術を用いる、蹴り技のエキスパートでもある。
その蹴り技は、ときに音速を超え、敵の体を刻み、穴を穿つ。
その力を人目に滅多に晒すことはないが、悪質な妖怪がはびこるとき、夫と娘を守るために脚を振るった経験もある。
大妖ほどの戦力ではないが、ある程度の助力にはなるであろう。

>「作戦が成功したら、再度この都庁前に集合!そしてアンテクリストに最終決戦を挑みます!
>皆さん……別行動はこれが最後です!
>必ず、またここでお会いしましょう!」

 橘音がそう指示を下し、祈達はまた再び、別の場所で戦うことになるのだった。

232多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/10/28(水) 00:04:06
 天神細道を通り、祈はレディベアを抱えたローランと共に、大田区へと渡った。
 避難所として指定されている学校かどこかの校庭に出た、と祈が理解すると同時に、
校庭のど真ん中に濃い霧と迷い家が出現。
 妖怪や陰陽師達がその中へ人間達を呼び込み始めた。

>「レディは今、すべての妖力を放出しケ枯れした状態にある。
>彼女を目覚めさせるには、まず――出し尽くしてしまった妖力に変わる力を彼女に注ぎ込む必要があるんだ。
>……わたしに考えがある。見ていてくれ」

 そんな中、迷い家の敷地の前でローランがレディベアを地面へと下ろし、仰向けに横たわらせた。
自身はその傍らに屈み込むと、レディベアの腹部に手を当て、呼気とともに力を解放する。
 ローランの体から金色の気が立ち昇る。
 感じる力の質は、以前、ミカエルが扉から出現したときに感じたものと似ていた。
神々しさをも感じる力がレディベアの腹部に翳した手を通じ、レディベアへと流れていく。

>「わたしの力の源、祝福された聖人の力……神力をレディに与える。
>普通の妖怪なら肉体が拒絶反応を起こすところだが……レディは元々人間だ。きっとこの力も受け容れることができるだろう。
>すまない、祈ちゃん……この作業には少し時間がかかる。
>悪魔たちを寄せ付けないように……守って、貰えないか……?」

「いいけど……おまえそれ、大丈夫なのか? 体とか」

 祈にそう要請するローランの表情は険しく、額には汗がにじんでいる。
見るからに、僅かに残った生命力を絞り出して分け与えているといった様子で、祈の表情も不安げである。
 だがローランは、そんな祈を安心させるためか、微笑みを浮かべて見せた。

>「……ハハ……。大丈夫さ、わたしのことなら心配いらない……。
>自分が生き残るだけの神力はとっておく……。ここで死ぬようなヘマはしない……よ……」

 それはいつも見せるものと違い弱々しい笑みだったが、言葉の真偽を確かめるだけの時間はない。
 ローランが神気を解放するとともに、周囲の悪魔たちがこちら目掛けて殺到するのが見えた。
 ローランが悪魔にとって上質な餌なのか、神気を放つローランが悪魔にとって倒すべき敵と認識されたのか。
それとも、もともと人間が集まりつつあったから目を付けられたか。

「みんな、建物の中に入って! 急いで!」

 祈は、聞き耳頭巾やバッグをローランとレディベアの近くに置くと、駆けてくる人間達にそう声をかけた。
 四方八方、上空からも押し寄せてくる悪魔達から、
ローランとレディベアはもちろん、避難して来る人間達と迷い家まで守らなければならないとなると――。
考えたくもない負担であるのは明らかだった。

「出し惜しみしてる場合じゃねーか。――『変身』!」

 祈は右手を眼前に翳し、力を解放。
赤髪、金眼、黒衣――ターボフォームへとすばやく変ずる。
もしかしたら知り合いがいる可能性もあるのだが、この際構ってはいられない。
 そしてスポーツ用のバッグの中から、透明な液体の入った瓶をいくつも取り出すと、
手近な妖怪や救援にきた陰陽師に手渡し、迷い家の周囲にかけるよう呼びかける。
 瓶の中身は聖水(として売られているもの)。
ある程度ちゃんとしていそうな教会から買ったので、結界代わりになる。
下級の悪魔達程度であれば、きっと退けてくれるだろう。
 禹歩は神力を分け与える作業に差し支える可能性があるので、使えない。
それを考えれば、貴重な防衛手段である。
 さらにウエストポーチをバッグの中から引っ張り出し、腰に付けた。
肩がけにすべきだが、中身がぎっしり詰まっていて零れる可能性があるのでこの付け方が今は正しい。
 橘音からもらったウエストポーチは、ファスナー付きで、二重構造になって収納スペースが分けられている。
手前側にはレディベアとの思い出の品であるストラップや、
コトリバコの指が入った箱といった小物が入っており、奥側には。

(持ってて良かった、ウエストポーチと銀の弾丸ってね!)

 赤マントとの対決では、悪魔の軍勢とぶつかることは充分に考えられた。
だからこそ備えとして持ってきた、銀の弾がぎっしり詰まっているのだった。
 弱いからこそさまざまな道具を使って戦う。そんな祈のスタイルが、ここにきて役に立っていた。
純銀に近い銀細工用の粘土をこねてつくった弾丸は、
ロボのような強敵には効果が見込めなくても、下級の悪魔であれば効果を持つようだ。
 祈の今の力も加われば、銀の弾丸をつまんで投げつけるだけで、悪魔の脚に大穴を穿ち、羽を刈り取るだけの威力となった。
 祈は限りある弾丸を節約して戦いながら、
「時間を稼いでくれといったが、どのくらい待てばいいのか」そんな風に問おうと思い、ふとローランを振り返った。
その目に映るのは、頬はこけ、白髪になり、老人のようにやせ細っていくローランの姿だった。
 弱々しい姿になり果てるほどに力を分け与えたのであろうが、
それでもレディベアが目覚める様子はない。そして、ローランが力を分け与えるのを止める様子もなかった。

233多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/10/28(水) 00:16:50
(死ぬ気はないって言葉、信じるからな……!?)

 祈はただ、その言葉を信じて戦う他ない。
 風火輪を吹かしながら、地を走り、空を駆け、時に銀弾を投げながら、縦横無尽に祈は戦った。
今の祈は、龍脈から流れてくる力を制限されてはいるものの、その強さは下級の悪魔や中級の悪魔とは比較にならない。
 だが、自身に寄って来る悪魔だけを退治するのとはワケが違う。
祈だけに目掛けて殺到するのなら、どれだけ数を揃えようとも、悪魔が祈を攻撃できる距離は限られる。
近距離になればなるほど、悪魔同士の体が邪魔になるから、祈は前後左右と上の五方だけ対応できればいい。
つまり、何匹いようが常に相手するのは5体だけで済む。
 今の状況はそうではない。避難所である迷い家。逃げてくる人間達。弱い妖怪や陰陽師。
迷い家の前のローランとレディベア。守る対象が余りに多すぎた。
 全方向に気を配り、緊張状態を切らすことなく走り回らされて、飛び回らされる時間は、
たかが十数分の時間を何十分にも引き延ばして感じさせるほど、祈の精神を消耗させた。
しかも押し寄せてくる何百、何千もの悪魔を、殺さないように手加減をするなどという荒業を続けていれば、当然集中力も切れる。
隙が生まれ、頬や脚、背中。徐々に負傷箇所が増えてくる。
 豊富にあった銀弾も尽き、ターボフォームは想定していたよりも早めに切れた。
 生まれた一呼吸の、致命的な隙。
死角で振りかぶられた悪魔の三叉槍に、祈は直前まで気付かなかった。

>「死ネ!死ネェ!神子オオオオオオオ!!」

「しまっ――」

 叫びながら放たれた三叉槍は、いわばテレフォンパンチに近かった。
だが、振り返って認識したときにはもう遅い。
反応できず、あと数十センチで祈の背中に突き刺さるというところに三叉槍は迫っていた。
 だが、祈にその切っ先が届くことはない。

>「ぐ、ふ……」

「ロー、ラン……?」

 祈は驚愕に目を見開く。
飛来する三叉槍の射線上に割って入ったローラン。
三叉槍は、その胸に深々と突き立っていた。

>「大丈夫、かい……祈、ちゃん……?
>……よかった……。君にもしものことがあったら……レディが、悲しむからね……」

 片膝をつくローラン。

「お陰で平気だけど……!おまえの方がボロボロなくせになにやってんだよ!?」

 群がる悪魔や、三叉槍を投げた悪魔を蹴散らしながら、祈は叫ぶようにいった。

>「わたしの、神力は……与え、終わった……。あとは、祈ちゃん……君が、レディに……働きかけて、くれ……。
>彼女を……絶望の、淵から……救い出して、やって……欲しい……」
>「さあ……、選手交代だ……。
>悪魔どもはわたしに任せて……祈ちゃん、彼女を……頼む……!」

 どす黒い血を吐きながらも、ローランはデュランダルを杖代わりに立ち上がる。
洗脳されたレディベアに痛めつけられた傷も完全に癒えてもいなかったであろうに、生命力を吐き出し、老人さながらに消耗したローランは、もはや超人でも何でもなかった。
ダイヤモンドのような硬度を持つはずの肌も効力を発揮しなくなって、祈の所為で致命傷も負ってしまった。
 だというのに、ローランは折れない。三叉槍を強引に引き抜き、前へと一歩踏み出す。

「ローラン……おまえ……」

 その瞳には、僅かな生命力を燃やす決意の炎が見えた気がした。

>「我が名はローラン……、聖騎士ローラン!
> 騎士とは乙女を護るもの。今こそ我が魂に刻みしその誓いを果たす!」

 悪魔達を迎え撃たんと、ローランが剣を構え、駆けていく。
 動きにはキレがなく、精彩を欠く。弱り切った体で戦えば十中八九死ぬ。
だが体が動く限り、ローランは戦いをやめないだろう。

(……バカ野郎。おまえが死んだってモノは悲しむに違いないのに)

 ローランとレディベア。二人はどこか似ている。
 妖怪大統領の代行、第一の臣下のように振る舞っていたレディベア。
レディベアの騎士として仕えていたローラン。
 愛する誰かのために尽くすことが、きっと生きる意味だった。
 そんな似た者同士の二人だからこそ、互いに認め合い、一緒にいたのだろう。
 死なせるべきではないと強く思う。
 だが、祈はその背中を止めることはできない。
その覚悟を踏み躙ることはできず、見送ることしかできなかった。
 祈とて、似たような気持ちでこの場所に立っているからだ。

(ばーちゃんも、同じ気持ちだったのかな……)

 たとえ死ぬことになろうとも、己が為したいことを為す。
それが生きる意味。そうでなくては生きていけない。
 祈が自身を危険に晒して妖壊と戦うようになったときも、東京ブリーチャーズに入ったときも、ターボババア・菊乃は止めた。
 だが祈が折れなかったから、菊乃は認めざるを得なかった。
無理矢理に止めて生きる意味を奪うか、危険だと分かっていても戦いに行かせるかの二択。
それを迫られるのはきっと、こういう気分だったのだ。
 祈は力なく歩いて、横たわるレディベアの傍らに立った。

234多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/10/28(水) 00:33:39
「なぁ、モノ。さっさと起きろよ。じゃないと、ローランが死んじまうぞ。
あいつは妖怪じゃないから、死んだらきっとそれきりになる。
おまえ、あいつのこと嫌いじゃなかったんだろ。いいのか。会えなくなっちまって」

 そして、寂しげな表情で、レディベアに、ぽつぽつと言葉をかけていく。

「……ローランもきっとおまえのこと好きなんだと思う。
そんなあいつの気持ちを、どうか裏切らないでやってほしい」

 いまローランを止められるのは、レディベアだけだろうから。

「このままじゃこの世界も……違うな。あたしがいいたいのはそんな言葉じゃなくて」

 今レディベアを起こすのは、狙いがあるからだ。
 レディベアはブリガドーン空間の器。
祈が持つ龍脈の神子の力と組み合わせれば、ポチの言う通り、理論上はアンテクリストと同じことができる。
 二人の力で逆転も可能かもしれないという、そんな狙いが。
 だが、戦力としての期待があるから、絶望に倒れた友達を無理矢理起こしたいわけではなかった。
 そういう打算で起きて欲しいのではないのだ。
かけるべきはそんな言葉ではないと、祈は頭を振る。
 祈の素直な気持ちは。

「――あたしと一緒に生きてほしい。この世界で。
ワガママをいってるのはわかってる。
父ちゃんがいないってわかって傷付いたおまえに、立って戦えなんていうのはヒドイ話だってのはあたしもわかってる。
でも、父ちゃんがいなくて傷付いてるなら、悲しいなら、あたしがずっと寄り添ってやる。
案外この世界も悪くないってきっと思わせてやる。だから、一緒に生きて、戦ってほしい。
おまえのことがあたしには必要なんだ」

 世界を救いたいからレディベアに助力を乞うのと、
レディベアと一緒に生きたいから力を貸して欲しいと願うのは、大きな違いがある。
 レディベアを想っているか否かという大きな違いが。
 祈は、一緒に生きたいと思った。
面倒くさくて融通が利かなくて、お嬢様めいて庶民の祈と合わないところもあるが、ずっと一緒にいたいのだ。
生きていれば本当の両親を探したっていいし、いくところがなかったら家族として迎えたっていいだろう、なんてことを祈は思う。
 ポチは、目的のためならレディベアに嘘を吐いた方がいいというように言ったが、
祈は正直に続きの言葉を紡いだ。

「それに、もしかしたら、絶望する必要なんてないかもしれない。
すげぇ低い可能性だけど、妖怪大統領はいるかもしれないってあたしは思う。
ブリガドーン空間でおまえのそうあれかしの影響を受けたんなら、
赤マントの中に人格として存在しているんじゃないかってさ」

 赤ん坊から14歳の少女になるまで育てるというのは大変だ。
ミルクをやり、おしめを取り換え、ゲップをさせて寝かしつけて。
そうあれかしで妖怪へと変じさせるために、献身的に世話をし、優しい言葉もかけただろう。
いずれ外界に出すため、知識を与える必要もあったから教育も施しただろう。
 目的があったとはいえ、そこには何らかの感情があったと祈は見る。
 そしてその14年もの間、レディベアの『偉大なる妖怪大統領は、父は実在する』というそうあれかしを喰らい続けているのだ。
影響を受けていないとは思えない。
 赤マントの内側か、レディベアの内側か。
どこかはわからないが、それらしき何かがいるのだと祈は考える。
 もしかしたらレディベア自身、覚えがあるのではないだろうか。
 ローランに出会ったとき、ローランによって追い詰められた赤マントは、真っ先にレディベアに逃げろと呼びかけた。
赤子ならまた作り直せばいいが、自身が滅ぼされたら終わりだという状況で。
 赤マントなら、上手くレディベアをけしかけ、自分が逃げる算段もつけられたかもしれないというのに。
 祈が知らぬ赤マントの一面。赤マントがなぜレディベアを助けようとしたのか。その理由を。

「確かめに行こうぜ。怖いかもしれないけど、あたしも一緒だ」
 
 楔を打ち込み、魔法陣を上書きした後、不要になるようであれば、聞き耳頭巾を使ってもいいだろう。
聞き耳頭巾は、動物だろうと植物だろうと、神羅万象なんとでも会話できる特殊な能力を備えている探偵7つ道具の一つ。
 アンテクリストの内部に妖怪大統領がいるのなら、会話もできるかもしれない。

235御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/11/01(日) 21:20:12
>「この戦いが終わったら――――結婚してくれ。橘音」

>「プロポーズ、お受けします。
 一緒に……幸せになりましょうね」

誰が何を言っても絶望したままだった橘音だったが、尾弐のプロポーズで立ち直る。
そんな二人に祝福の言葉を告げる祈。

>「おめでとう、尾弐のおっさん。橘音。
……こんな状況でなければもっと、ちゃんと祝ってやんのに」

「今じゃなくていいよ、後でいくらでも祝ってあげられるんだから。
祈ちゃんも他人事じゃないんだよ? 君もレディベアと幸せにならなきゃいけないんだからね!?」

何ら間違ってはいないのだが、尾弐と橘音のそれとは若干ニュアンスが違うような気もする。
人間界に降りて愛を知った氷雪の化身は、しかし愛には種類があることを未だよく理解していないようだ。

「クラスメイトが言ってたよ、もうアイツら結婚すればいいって!」

――ついでに現在の日本では同性では結婚できないという事実もよく理解していない。

>「神となってからのアイツは、僕らに興味なんかなさそうだった。
 でも、まだ赤マントだった時は?別にあの時に僕らを殺したって良かったのに。
 むしろ……そうした方がアイツ好みの、最悪の結末だったはずなのに」

>「天使には、唯一絶対とも言うべき『そうあれかし』があります。
 それは『自らの権能に忠実であること』。天使には九つの位階というものがあり、位によって仕事も変わってきます。
 天使はそれ以外のことができない。忠実な機械のようなものです。
 そして、神の長子もそれは例外じゃない……」

一行が殺されずに済んでいるのは、敵の人格がベリアルからアンテクリストへ変化したため。
それも取るに足らないと思って放置したなどというレベルではなく、『そうあれかし』の絶対の法則によって殺せなかったとのこと。
ローランが、レディベアを起こす策があるという。

>「とはいえ、だ。何をするにせよ、まずはレディを起こさなくてはならないな。
 ミスターやポチ君の提案も有効だと思うが、ここはわたしに任せてくれ……わたしが彼女を目覚めさせる。
 ただ、それには少しだけ時間がかかる。祈ちゃん……手伝ってくれるかい?」

「頑張って、祈ちゃん!」

そう言って祈の背を軽く叩いた。

236御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/11/01(日) 21:21:14
>「それと……愛してる」

>「……私も愛しています。
 けれど……この愛は。あなたと私だけの間で完結させてしまってはいけないのです。
 私たちの子へ、遠い未来へ。オオカミの血族の絆として、紡いでゆかなければ」

ポチとシロが愛の言葉を交わすのをしみじみと見つめていた御幸は、冗談めかしてハクトに笑いかけた。

「ふふっ、みんなすごいね。私には真似できないよ」

「仕方がないよ、ああいう愛を知るには君は精神のスケールが大きすぎるもの」

「そんないいもんじゃないよ? 欲張りだから一番なんて選べないだけ」

その心は万象に降り積もる雪のごとく。ノエルは一番を選べない代わりに、自分も一番であることを望まない。
それでいて橘音の幼馴染で親友、祈の守護霊にしてクラスメイトという順位とは別枠の立場を持っている。
尾弐は”百年千年君を守り抜く”という幼き日の橘音への約束を委託した相手で、ポチとは共に(元)災厄の魔物で一族の王者同士。
誰とも競わずに皆の近くにいられる立ち位置で、皆が幸せそうにしているのをずっと見ていることが出来れば、最高に幸せなのだ。

>「まず、この二十三区を覆うように張られたアンテクリストの印章を除去しなければいけません。
 この印章の上にボクが大術式を用いて新たな結界を張り、アンテクリストの印章を上書きします。
 これによって、アンテクリストに支配されている龍脈の力を祈ちゃんへ回すことができるようになるはずです」
>「結界は五芒星を描きます。ただ、結界の安定化には五芒星の頂点にそれぞれ楔を配置しなければなりません。
 これから隊を五つに分けます。各員はそれぞれ二十三区内の所定の場所へ行き、楔を安置してください」
>「楔と言いましたが、イメージ的な話です。実際に杭を打つわけじゃない。
 結界を構築する術者であるボクの妖気が籠った物品を、要点に配置するのが重要なんです。
 七つ道具にはボクの妖気がたっぷり染み込んでる。これが触媒としては適役でしょう。
 ノエルさん、アナタは板橋区へ。
 ポチさんとシロさんは、杉並区へ。
 ボクとクロオさんは、足立区へ。
 祈ちゃんはローラン、レディと一緒に大田区へ――」

御幸が姥捨の枝を受け取ると、ハクトが原型になって肩の上に飛び乗った。

「危ないから避難所で待ってて――と言いたいところだけど、一緒に来て。
君を戦略上利用することを許してほしい」

「もちろん、そのつもりで来たんだ。
普通ならぼく程度じゃ足を引っ張るだけだと思うけど……聞いたよ、その力の発動条件。それならぼくでも力になれる」

橘音は菊乃にも助力を要請するが、その役目に名乗り出る者がいた。

237御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/11/01(日) 21:22:27
>「迷い家外套と召怪銘板は、ボクが持っていきます。
 そして最後、江東区へは……オババ。お願いできますか?」

>「……待ってくれ、その役目は……私に任せてもらいたい……!」
>「遅れてすまなかった。やっと主の承認が下りたのでな……。
 大天使長ミカエルと御遣い千三百騎、参着した」

「いろいろ大変なんだね……。来てくれてありがとう」

こんな非常事態ですら小回りが利かないあたり、人間界の公的政治組織そっくりだな、等と場違いなことを思う。

>「ついに、あの方が力を取り戻してしまわれたか……。怖れていた事態が現実になってしまった。
 ならば……私も死力を尽くさなくては。あの方を……この命と引き換えにしてもお止めする。
 それがこのミカエルの誓い――」
>「虫のいいことを言っているのは、百も承知だ。
 だが……どうか頼む。我々も貴公らの戦列の端に加わらせてくれ。
 あの方は我ら天使の兄。英雄にして教師。そんなあの方が引き起こした事態ならば、手をこまねいてはいられない……。
 頼む、私は……責任を果たしたいんだ……!」

「ミカエルさん……」

ミカエルはベリアルを今なお尊敬し慕っているように見える。
そうだとしたら、これは彼女にとって辛い戦いになるだろう。

>「……分かりました。
 ではミカエルさん、これはアナタにお預けします。江東区へ向かって下さい」
>「アタシも同行しようじゃないか。現地の妖怪の案内があった方が楽だろうし、手勢は一人でも多い方に越したことはないだろ」

こうして5チームの組み分けが決まった。

>「皆さん、天神細道を使ってください。楔を置くべき所定の場所へすぐに行けるはずですから。
 楔を安置し、陰陽寮の皆さんが避難所を築けば、アンテクリストはきっとそれを破壊しようとするでしょう。
 ボクの結界が充分に機能し、人々の願いが妖怪大統領を目覚めさせるまで――
 何としてもそこを守り抜いて下さい、それがミッションです!」
>「作戦が成功したら、再度この都庁前に集合!そしてアンテクリストに最終決戦を挑みます!
 皆さん……別行動はこれが最後です!
 必ず、またここでお会いしましょう!」

「当然! 本当に最後だよ〜?
せっかくディフェンダーにクラスチェンジしたのにさ! ま、いいんだけど!」

悪戯っぽく苦笑する御幸。その声音にほんの少しの寂しさの音を聞いたハクトが気遣わし気に呟く。

「乃恵瑠……」

「結局さ……なんだかんだで究極の瞬間に力になってあげられるのは一番の相手だけってことだよね。
ちょっとだけ寂しいとすればそこだけだよ」

天神細道をくぐろうとする祈に声をかける。

238御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/11/01(日) 21:30:22
「祈ちゃん! また力になってあげられないけど……忘れないで。
”苦しい時も死の淵に瀕した時も――我は常にそなたの味方だ”」

人格がまだ統合されきれていなかった頃の深雪の言葉を再び告げ、戦いに赴く祈を見送った。
天神細道をくぐる前に振り向き、残る三人に声をかける。

「クロちゃん、きっちゃんを頼んだよ? 君がしくじったら約束違反でこっちまで死んじゃうんだから!」

「きっちゃん……覚えてる? ”百年千年君を守り抜く”――。あれ、まだ有効だから!
クロちゃんに委託したからちゃんと守られてね!」

「ポチ君、その力を後天的に受け継いだらどうなるものかと思ってたけど……
君はもう立派な王に見えるよ。最初から力を持ってた私よりもずっと」

再び踵を返し、今度こそ振り返らずに天神細道をくぐる。
出たのは、大きな総合病院の前。ここが避難所になるということだろう。
すでに病院前には避難してきた人が押し寄せてひしめきあい、悪魔にしてみれば入れ食いの状況だ。

「こらぁあああああ! ここはお前らの餌場じゃない!」

御幸はは理性の氷パズルを弓矢に変形させ、氷の妖力の矢で押し寄せる悪魔達を打ち落とす。

「あ……危ない!」

氷の矢の弾幕をすり抜け避難者に襲い掛かろうとしていた悪魔を、ハクトが間一髪で巨大な杵を脳天に振り下ろして昏倒させた。

「乃恵瑠! 防ぎきれない!」

「くそっ、どうすればいいんだ……!」

人間達は恐怖に支配されつつあり、場に悲壮感が漂い始めた。
その時、聞き覚えがある声が聞こえてきて、その方向を見遣る。

>「ふーはーはーはーはーっ!東京ブリーチャーズ非正規メンバー参上!
 ノエル君!アタシたちが来たからにはうっわこれ絶対無理目のやつ絶対無理無理やばたにえん!」

――とりあえず悲壮感は一瞬にしてどこかに吹き飛んだ。

「あずきちゃん! ばけものフレンズのみんな……! ムジナ君も来てくれたんだ!」

ムジナは陰陽師組長の式神なので、陰陽師のトップも指揮をとっているこの戦いに来たのは当然といえば当然かもしれない。
ちなみにばけものフレンズというのは、東京ブリーチャーズ非正規メンバーの通称である。
その用語を使っているのはノエルだけのような気もするが。

239御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/11/01(日) 21:31:09
>「いや、そこは無理でも強がっとくトコやろ。なんで開幕心折れとんねん自分。
 言うだけならタダやさかい言っとき!アタシらが来たからには、戦艦大和に乗ったつもりでいてや!とかそういう」
>「戦艦大和は沈没したんですが……」

「カイ、ゲルダ……! 会うのは全てが終わってからにしようと思ってたんだけどフライングで会っちゃったね」

一瞬だけばつの悪そうな顔をするカイとゲルダ。

「あ、やっぱりバレてた……!」「申し訳ありません姫様! 皆で共謀して姫様を嵌めました!」

「ううん、辛い役目を引き受けてくれてありがとう」

>「久しぶりやなぁ色男。
 ワシとしては橘音の坊ちゃん……いやもう嬢ちゃんやったっけ?や尾弐のアニキのとこへ加勢に行きたかったんやけど。
 自分ひとりじゃ心細いやろし、特別に手ぇ貸したるわ。
 礼は自分とこの店の権利書でええで。いやぁ太っ腹やな我ながら」

「久しぶり、元気だった?
うん、こっちに来て正解だったと思う。あの二人はなんというか……お邪魔したらいけないというか。
権利書とか人間界の小難しいことはまだよく分からないんだ! ごめんね!」

では店の賃料とかの人間界の小難しいことは誰がやっているのかというと、雪の女王の監督の元カイとゲルダがやっているのだ。多分。

>「さあ、ワシら東京ブリーチャーズの力、見せたろやないか!
 どっからでもかかって来んかい、イチビリどもがぁ!」

「そうだ、ムジナ君、武器出して。久々にあれやってあげる」

ムジナが出すのはスレッジハンマーあたりだろうか。
施したのは氷の妖力付与――具体的には氷のスパイクを付けて釘バットみたいな凶悪な感じにした。
広場のような場所に霧がかかったかと思うと、迷い家が現れていた。

「えーと……この辺でいいのかな?」

迷い家の玄関前あたりに姥捨の枝を置く。

「ハクト、避難民を迷い家に誘導頼める!? みんなは迷い家を守って!」

>「ひ、ひゃわわわわわぁぁぁ!?こっち来るなぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

あずきが迷い家の入口で小豆を投げまくる。
見た目的にはあまり強そうには見えないが、豆は魔滅。
悪魔には有効な攻撃手段であり、一方人間に流れ弾が当たってもダメージはほぼない。
人間が入るのを阻まず悪魔の侵入を防ぐ手段としては非常に有効である。

>「姫様の影に隠れがちだけど、私たちだってやれるってことをアピールしなきゃ!」

ゲルダは先に地球儀のような飾りのついた美しい杖を携え、カイは氷の妖力のブレードのスケートブーツをはいている。
世界のすべてと新しいそり靴――無論本物は今は御幸が使っているが、雪の女王あたりにこの戦闘用にレプリカを作ってもらったのだろう。
ゲルダが杖を一閃すると悪魔が冷却されて動きを止め、その隙にカイが氷のブレードで回し蹴りを叩き込み粉砕する。

240御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/11/01(日) 21:32:01
「みんな! その調子!」

しかし、急に辺りが巨大な陰に覆われ始めた。
空を仰ぎ見ると、都庁の結界を破壊したアノマロカリスが現れている。
アノマロカリスから無数の悪魔が降ってきた。
それだけではない。ひときわ巨大な悪魔が姿を現した。

>「ブモオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」

>「な……なんやねん!図体デカけりゃええってもんやあらへんで!
 色男ォ!ワレの出番や、いっちょガツンとかましたらんかい!」

「獄門鬼……! すっかりアンテクリストの軍門にくだったか!
大丈夫、見た目の割には強くない……と言いたかったけどやっぱ結構強いわ」

足元が血のような液体に満たされた石牢に辺りの風景が塗り替わっていく。

「神変奇特……ベリアルめ、こんなところに使ったのか!」

>「ブォガアアアアアアアアアアアアアアアア――――――――ッ!!!」

「臆するな! あの力を持つ者とは前に戦ったことがある!
近付いたら大幅に弱体化させられるから距離を取って!
それと遠距離からの妖術攻撃は無効――つまり飛び道具での攻撃一択だ!」

幸いなことに、ここにはあずきがいる。
相手はもともと獄門”鬼”である上に、酒呑童子の力を宿している。小豆の効果はてきめんだろう。
御幸は理性の氷パズルを巨大な羽子板に変化させた。

「あずきちゃん! 豆お願い!」

「はいっ!」

以前酒呑童子戦に参加していたあずきは、心得たとばかりに小豆を一掴み投げる。

「鬼はぁああああああ!! 外ッ!!」

――ザシュッ!

御幸が野球のようなフォームで羽子板をフルスイングしてその豆を強打。
豆は弾丸のように獄門鬼にぶちあたった。

「どうだ……!?」

こうして究極の豆まきがはじまった。

241尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/11/08(日) 14:01:27

思えば恥の多い生涯だった。
今は遠く千年の昔。只人として生きていた頃から、尾弐黒雄は後悔ばかりを重ねてきた。

――友であり弟子であり守るべきであった存在を悪意から守れなかった。
酒呑童子という鎖に絡め取られるの外道丸を、無力な自身はただただ眺める事しかできなかった。
――潔く人のまま死ぬ事ができなかった。
暗く冷たい石棺の中、外道丸の心臓を喰らい、恨みと憎しみを募らせ身も心も悪鬼と化してしまった。
――信念を貫く事が出来なかった。
運命から救うという決意を、現実という過酷を前にして擦り切れさせ、全てを『無かったこと』にする未来に救いを見出した。
――戦友と呼べる人々を見捨ててしまった。
救い無き自身の願いに拘泥し、祈の父母が犠牲になる事を黙認してしまった。
――守るべき仲間に刃を向けた。
『無かったこと』にする願いすらも叶わない事に絶望し、悪鬼と化して仲間達を傷付けた。

本当に、誰に誇る事の出来ない恥ずべき生だ。
誰かに聞かれれば嘲弄されるであろう道程を、尾弐黒雄は辿ってきた。

……けれど。恥多く、後悔と絶望と哀しみばかりの生ではあったけれど。
それでも今の尾弐黒雄には断言できる。

後悔。絶望。諦観。憤怒。憎悪。悲哀。徒労。裏切り。悪意。嫉妬。破滅。
そんなものばかりが転がっている自身の辿ってきた畦道は……生きてきた時間は、決して無意味ではなかったと。

だってそうだろう?

>「……フ……フ……。
>……ズルいなぁ……クロオさんは。
>この期に及んでそんなこと言って……ボクに、どういうリアクションを期待しているんです……?
>こんなどうしようもない状況で。とっくに終わってしまってる、どう考えたってゲームオーバーな様相で――」
>「そんなこと言われちゃったら……、どうでも、頑張るしかないじゃないですか……!」

>「プロポーズ、お受けします。
>一緒に……幸せになりましょうね」

「――――ああ。一緒に、幸せになろう」

荒れ果てた暗闇の道を歩んできたからこそ、尾弐は那須野橘音と出会えたのだから。
彼女が狐面の下で、寂しいと泣いていた事に気付く事が出来たのだから。

千と一年目の未来を、手を繋いで並んで歩いて行きたい。
生まれて初めてそう思えた女の手を引き、仲間達の祝福の元、こうして抱きしめる事が出来るのだから。

―――――

242尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/11/08(日) 14:01:55
>「天使には、唯一絶対とも言うべき『そうあれかし』があります。
>それは『自らの権能に忠実であること』。天使には九つの位階というものがあり、位によって仕事も変わってきます。
>天使はそれ以外のことができない。忠実な機械のようなものです。
>そして、神の長子もそれは例外じゃない……」

尾弐が名残惜しそうに手を放した後、ポチの作戦案を聞いた那須野橘音がその推測を補強した。
赤マントらしからぬ行動を取ったアンテクリスト。
誰も及ばぬ強大な存在『だからこそ』発生した『そうあれかし』という名の鎖。

>人間達の『そうあれかし』と、ブリガドーン空間と龍脈の力!
>それだけの力があれば……きっと、妖怪大統領を目覚めさせる事も、ゼロから生み出す事だって出来るよ!
>アイツが広げたブリガドーン空間で、アイツの首を絞めてやれる!

なればこそ、その鎖を利用しない理由はない。
元より東京ブリーチャーズの強さは下剋上が真骨頂。格上との戦いは百戦錬磨。
完璧で完全であれば手の打ちようがないが、ほんの僅かでも傷があれば、切開し捩じ広げて可能性を産み出せる。
ただし――今回の作戦には懸念が一つある。
それは、レディベアに嘘を付くかどうか。即ち、彼女の心をも道具の一つとして利用できるかどうかだ。

>「ポチ君の作戦は理解したが、わたし個人の意見としては……反対だ。
>レディの心を、ありもしない幻想と虚言で掻き乱したくはない。
>仮に、嘘をついて妖怪大統領の実在を匂わせたとしよう。レディはきっとそれを信じるはずだ、ポチ君の言うとおりにね。
>だが……その後は?もし、それが嘘だったと彼女が知ってしまったら……?
>今度こそ、レディの心は死んでしまうだろう」

レディベアを守る者であるローランは、嘘を着くことに反対する。
当然だ。嘘をついた場合――嘘が現実にならなかった場合、レディベアの心は取り返しがつかない事になる。
それはローランにとって決して許容できることではないだろう。

「……言葉に絆される必要はねぇぞ、祈の嬢ちゃん。逆にいえば嘘だと知らねぇまま完遂すれば何の問題もねぇって事だ。
 嘘を着く事で1%でも可能性が高まるなら、それを選ぶ事は決して悪じゃねぇ――――その選択もまた、正しいんだ」

そしてそれが判っているから、敢えて尾弐はローランと対極の言葉を口にした。
――誰かが自分の言葉に捕らわれた選択には、必ず罪悪感が募る。
――自分が誰かの言葉に流されて決めた決断には、必ず後悔が残る。
そんな言葉の呪いに、祈やポチの心が縛られないようにと。祈がどんな選択をも選べるようにと。
余計な御世話だと知りつつも尾弐は言葉を紡ぎ……だが、どうやらそんな尾弐の心配は杞憂だったらしい。

>「レディベアにそう思い込ませた方が成功率は上がるってことなんだろうけど、あたしも反対だな。
>つーか、ポチだって、家族愛を利用するのは嫌だって顔してるぜ。無理に悪いヤツぶってそういうこといわなくていいんだよ」

何故なら、多甫祈は――――少女は、ためらいも迷いもなく道を選ぶ事の出来る強さを持っているのだから。

尾弐の口元が笑みを形作る。
そこには、望んでいた回答を出してくれた事への喜びと、敢えて苦難の道を選ぶ事への心配が入り混じっていて――――。

243尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/11/08(日) 14:02:47
>「皆さん、天神細道を使ってください。楔を置くべき所定の場所へすぐに行けるはずですから。
>楔を安置し、陰陽寮の皆さんが避難所を築けば、アンテクリストはきっとそれを破壊しようとするでしょう。
>ボクの結界が充分に機能し、人々の願いが妖怪大統領を目覚めさせるまで――
>何としてもそこを守り抜いて下さい、それがミッションです!」
>「作戦が成功したら、再度この都庁前に集合!そしてアンテクリストに最終決戦を挑みます!
>皆さん……別行動はこれが最後です!
>必ず、またここでお会いしましょう!」

かくして、ここに決戦に向けた策略が示された。

終局を演ずるは
東京ブリーチャーズ
日本妖怪に西洋の天使
そして帝都に住まう強き意志持つ人間達

尾弐が気に入っている者や、戦って欲しく無い者、或いは遅参したミカエルの様に気に食わない者。
此処に集った者たちは実に様々で、日常であれば力を合わせて戦う事など無いのであろう。
しかし、世界の命運をかけた戦い――――立ちふさがる絶望は、奇跡を生んだ。
人が、命が生きようとする力はそれ程に強い。それこそ、不和を越え絶対を討ち果たさんと奮い立たせるほどに。

帝都の各地に那須野橘音に縁持つ霊具を納める事でアンテクリストの魔法陣を塗り替え
帝都に住まう無辜の人々を避難させてその命を守り、彼らのそうあれかしを束ね力とする
そうして――――祈とレディベア。彼女たちの力を核として、アンテクリストを討ち果たす。

「――――さぁて、忙しくなってきやがった」

獰猛な笑みを浮かべながら、尾弐は天神細道へと歩を進める。
世界を救う為ではなく、那須野橘音の笑顔を守る為に。



……天神細道を潜るその直前。尾弐に掛けられる声があった。

>「クロちゃん、きっちゃんを頼んだよ? 君がしくじったら約束違反でこっちまで死んじゃうんだから!」

声の主はノエル。彼は、真面目に……けれど必要以上に気負わず。いつもの様にいつもの様な態度で尾弐に告げる。
那須野橘音を守ってくれと。
その言葉に様々な感情が込められている事を感じたからこそ、一人の男として、尾弐は茶化す事無く真剣に答える。

「ああ――――俺が、必ず守り抜く」

その言葉は短く、けれど何よりも強い意志が込められていた。
妖怪の契約よりも深く強い、愛という名の意志。

「だからお前さんも死ぬなよ。平和な世界にお前さんの店が無かったら、どうにも締らねぇからな」

そう言うと尾弐はノエルに背中を向け、右手を軽く上げてから門をくぐっていく。
――――さあ、戦いの再開だ。

244尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/11/08(日) 14:03:22
>「……ひどい状況ですね」
「全くだ。趣味が悪ぃにも程があんだろ」

手近に有った駐停車禁止の道路標識を引き抜き振り回し、木端の悪魔を文字通り散らした尾弐は改めて認識した惨状に眉をひそめる。
辺りに飛び散る血と臓物、鳴り響く老若男女の断末魔。
この世に体現した地獄……否。無辜の民が犠牲者である以上、地獄よりもなお酷い。

>「クロオさん、防衛をお願いします!」
「――あいよ。悪魔の一匹も通しやしねぇから、安心して作業してくれ」

間に合わず助けられなかった人々の事に歯噛みし、その怒りを原動力として、尾弐黒雄は防衛を開始する。
守るべきは参つ。結界を張る那須野橘音、逃げ込んできた人々、人々を匿う避難所。

「さあて――――それじゃあ早速、悪魔狩りと洒落込もうじゃねぇか!!」

標識を振るい、鉄骨を叩きつけ、岩を蹴り飛ばし、拳を叩きつけ。
正に八面六臂の活躍で尾弐黒雄は有象無象の悪魔達を打ち倒していく。
打ち倒した悪魔の数は、僅かの間に百を越えた。

されど、幾ら尾弐が悪魔を倒そうとその数は無尽蔵。
人間の気配を嗅ぎつけた悪魔達は避難所に次から次へと群がってくる。
それでも、見敵必殺を繰り返して戦況を拮抗まで持って行っているが……しかし、尾弐に出来る事はそこまでだ。

>「クソ……、避難所ができたとしても、物資がなけりゃ何の意味もない……!」

那須野橘音の言う通り、ここには物資が無い。
尾弐の様な妖怪であれば、暫くの間飲まず食わずでも問題ないだろう。
だが、ここに集まってきているのは普通の人間だ。
水と食べ物が無ければ生きていけないし、暖かな服がなければ病に罹る。小さな傷でも、適切な治療が無ければ死に至る。
だというのに、それらを解決する手段を用意する事が尾弐にはできないのだ。
広範囲への攻撃手段を持たない尾弐では、かろうじで避難所に近づいてくる人々を襲う悪魔を討ち払う事は出来ても、物資を取りに行く時間を作る事はできない。
橘音については最後まで無傷で守り抜く自身ある―――けれど、人々についてはジリ貧だ。
凶刃ではなく、衰弱による犠牲。それが発生する可能性に尾弐は焦りを覚える。
だが、その時である。

>「お待たせ致しました〜!憩いのお宿、迷い家東京店!本日開店でございます〜!」
「この声は――――笑!まさか、迷い家か!?」

窮地において、救いの手は伸ばされた。
遠野の山奥にある人知れぬ秘境の宿。その門戸が、ここに開かれたのである。

245尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/11/08(日) 14:05:15
>「……笑さん!?どうして……」
>「富嶽さまのご命令よ、三ちゃん。
>人命救助優先、こんな時に遠野の隠し湯だなんて言ってられないでしょう?
>避難者の皆さんはこちらが受け持つから、あなたたちは存分に戦って!」
>「人嫌いの富嶽ジイが……。助かった!
>クロオさん、お願いします!」

「は……は!こいつぁありがてぇな!日を改めて土産でも持ってかにゃならねぇか!!」

懸念が解消された事で、尾弐の精神に余裕が生まれる。
負荷が減った事で、悪魔に対する殲滅速度は上昇していく。
しかし、悪魔どもとてただやられるだけではない。知恵持つ猛獣が故の悪魔。
人型の悪魔を一斉に尾弐に襲いかからせ、巨大な悪魔を現れた迷い家に強襲させた。

「チッ!?失せろ、木端共が!!」

黒い闘気を纏わせた両手の一振りで、周囲の悪魔達は紙切れのように引きちぎれた。
されど、その為に要した時間こそが悪魔達が臨んだもの。既に巨大悪魔の拳は振り下ろされ始めている。
尾弐は、先ほど赤マントの分身体を貫いた技である伸縮する闘気の針「偽針暗鬼(ギシン=アンキ)」を放とうとするが、今からでは間に合う可能性は五分。
それでもなんとか間に合わさんと手を伸ばし――――その直前。
突如として鉛色の光が空間を奔り、僅かの間を置いて巨大な悪魔の首が胴と別たれた。

>「……待たせたな、クソ坊主」

涼やかで美しい……聞きなれた声。
そ耳にした尾弐は、喜色を浮かべて返事を返す。

「――――応。待ってたぜ、ボウズ」

外道丸、首塚大明神、天邪鬼。
多くの名を持つ旧知の友。
この状況において何よりも頼もしい援軍が、今この場に現れたのだ。

>「やれやれ、なんとか間に合うたわ。
>事情はあらかた聞いた、私も混ぜろ。神夢想酒天流の深奥、南蛮の夷狄どもに存分馳走して呉れよう」
「そいつぁありがてぇ。お前さんがいるなら、オジサンの腰も最後まで持ちそうだ」

今更、助けてくれる理由に何故、どうしてなどと問う事はしない。
背中合わせに立つ天邪鬼。1000年を経る中で強く大きくなった……けれど、いつかと変わらないその気配を感じつつ、尾弐は己の中の闘気と妖気を練り上げる。

>「往くぞ。鏖殺だ。
>アンテクリストと言ったか……唯一神だか何だか知らぬが、新米神の分際で横柄な。
>神歴ならば私の方が上だ、為らば……後進は先達を敬わねばならぬという、世の道理を教えてやろう。
>遅れるな、それとクソ坊主――」

>「仲人は私にやらせろ。……神だからな」
「そうかい……お前さんが仲人をしてくれるってなら、意地でも生き抜かねぇとな」

悪魔の群れに飛び込む天邪鬼と反対方向に向けて尾弐は一歩踏み出す。

「さあて、好いた女と大事な家族の前だ――――全力で格好つけさせて貰うぜ!!!!」

瞬間、地面が爆ぜた。
発勁を推進力とし、尾弐は弾丸の如く悪魔の群れに突撃する。
東洋に恐れられる化物である『鬼』という種族の暴力が、悪魔達を真正面から擂り潰す――――!

246ポチ ◆CDuTShoToA:2020/11/15(日) 19:16:25
>「正直な話、今でもボクたちの力であのアンテクリストに勝つ方法は思いつきません。
  あれは強大すぎる。ボクたちがどれだけ力を振り絞ったとしても無駄でしょう」

那須野橘音の言葉に嘘はない。嘘であって欲しい事だが、アンテクリストは強大過ぎる。
それでも――作戦は決まった。やると決めた。逃げないと決めた。
まずは龍脈の力をアンテクリストの支配から取り返す。
そして、その後は――ポチは、祈へと視線を向ける。

祈は、レディベアに嘘をつかない事を選んだ。
その方が成功率が上がるとしても反対だと。
無理に悪ぶってそんな事を言わなくてもいいんだと。

祈は、いつだってそうだった。
もっと安全で、もっと楽で、もっと確実な道がある時でも、彼女はそれを選ばなかった。
ポチがロボを救おうとした時も、橘音がアスタロトとして敵に回った時も、姦姦蛇螺との戦いでも、いつだって。

正直な話、振り返ってみれば非効率的で損なやり方だと、ポチは思う。
けれども――もしも祈が安全で、楽で、確実な道だけを通ってきたなら。
きっと今の東京ブリーチャーズは、今の自分はなかった。

もし祈が銀の弾丸をポチに構わず放っていたら。
ロボはただの妖壊として葬り去られていた。
『獣(ベート)』の力もポチに継承される事はなかった。

そんな風にして、どこかで行き詰まっていただろう。

レディベアに嘘をつかない。
本当は、ポチだってそうした方がいいと――そうした方が善いと分かっていた。
それでも、少しでも安全に、少しでも確実に――そんな考えが捨て切れなかった。

だが――もう迷いはない。今回も、祈は不確実で、より困難な道を選んだ。
かつては、祈のその選択によって救われたのだ。
自分達が救う側になった今だけそれを拒否するなど、ポチには出来なかった。

>「楔と言いましたが、イメージ的な話です。実際に杭を打つわけじゃない。
  結界を構築する術者であるボクの妖気が籠った物品を、要点に配置するのが重要なんです。
  七つ道具にはボクの妖気がたっぷり染み込んでる。これが触媒としては適役でしょう」

橘音が、結界の楔となる七つ道具を皆へ配る。

>「迷い家外套と召怪銘板は、ボクが持っていきます。
  そして最後、江東区へは……オババ。お願いできますか?」

そうして最後の一つが菊乃の手に渡る――

>「……待ってくれ、その役目は……私に任せてもらいたい……!」

その直前、横合いから声がした。
同時に周囲に溢れる、清冽な神気のにおい。
振り向いてみれば、そこには白銀の鎧を身に纏ったミカエルがいた。

>「ミカエルさん……」
>「遅れてすまなかった。やっと主の承認が下りたのでな……。
  大天使長ミカエルと御遣い千三百騎、参着した」

あんたのとこの神様は随分と呑気で、とんでもなく鈍いんだな。
思わず脳裏に浮かんだ不満を、ポチは胸の奥に仕舞い込む。
この状況で、ミカエルにそんな事を言っても何にもならない。

247ポチ ◆CDuTShoToA:2020/11/15(日) 19:18:44
>「ついに、あの方が力を取り戻してしまわれたか……。怖れていた事態が現実になってしまった。
  ならば……私も死力を尽くさなくては。あの方を……この命と引き換えにしてもお止めする。
  それがこのミカエルの誓い――」

ミカエルから、強い感情のにおいがする。
義務、悔恨、寂寥、そして――愛情のにおいが。

>「虫のいいことを言っているのは、百も承知だ。
  だが……どうか頼む。我々も貴公らの戦列の端に加わらせてくれ。
  あの方は我ら天使の兄。英雄にして教師。そんなあの方が引き起こした事態ならば、手をこまねいてはいられない……。
  頼む、私は……責任を果たしたいんだ……!」

ポチには、ミカエルが何を考えているのか分かる気がした。
種族の英雄を、憧れずにはいられない存在を――その間違いを止めなくては。
それは、かつてポチがロボに抱いた感情と同じだ。

>「……分かりました。
  ではミカエルさん、これはアナタにお預けします。江東区へ向かって下さい」

あの時、ポチはどうあっても自分の手でロボを止めようとした。
その為に、皆が余計な危険に晒される事になると分かっていても構わなかった。
自分が殺される事になったとしても、構わなかった。

>「恩に切る、アスタロト。
  必ずや、其方の作戦成就の一助となろう」
>「今はアスタロトじゃありません、狐面探偵那須野橘音です。
  ……任せましたよ」
>「ああ。狐面探偵」

「……ミカエル」

ポチがミカエルを呼ぶ。振り返った彼女からは、強い決意のにおいがした。

かつて安倍晴朧が悪魔の奸計に陥った時、ミカエルは東京ブリーチャーズに力を貸した。
そして正体を表したオセと斬り結び――不覚を取った。
そんな彼女が、アンテクリストを相手に出来る事などあるはずがない。
それでも彼女は何かをせずにはいられない――そんな気がした。

「……昔受けた傷、今も治ってないんだろ」

もしミカエルがあの時の自分と同じなら、こんな忠告に意味はない。
そう分かっていても――ミカエルとは、もう短い付き合いではない。

「あんまり、無茶な事するなよ」

ポチはそう言わずにはいられなかった。

>「皆さん、天神細道を使ってください。楔を置くべき所定の場所へすぐに行けるはずですから。
  楔を安置し、陰陽寮の皆さんが避難所を築けば、アンテクリストはきっとそれを破壊しようとするでしょう。
  ボクの結界が充分に機能し、人々の願いが妖怪大統領を目覚めさせるまで――
  何としてもそこを守り抜いて下さい、それがミッションです!」

果たして――作戦決行の時が来た。まずは天神細道を通り、結界の楔を配置する必要がある。
設置された鳥居を前にして、ポチは一度皆を振り返った。

>「作戦が成功したら、再度この都庁前に集合!そしてアンテクリストに最終決戦を挑みます!
  皆さん……別行動はこれが最後です!
  必ず、またここでお会いしましょう!」

「……じゃ、また後でね」

ポチの言葉はそれだけだった。
気をつけて、なんて言う気にもならなかった。
皆がしくじるはずがない――ポチは心底そう信じていた。

248ポチ ◆CDuTShoToA:2020/11/15(日) 19:20:33



ポチとシロが天神細道を潜った先では、悪魔どもが天地に跋扈していた。
すぐさまポチは地を蹴り、駆け出した。

最も手近な悪魔へと飛びかかり、その首を切り裂く。
周囲の悪魔が一斉にポチを見る。つまりシロへの警戒を怠る。
瞬間、ポチに襲いかかろうとした悪魔二体の頭部が打ち砕かれた。

飛び散る血飛沫――それがポチの矮躯に降りかかる。
すると不意に、ポチの姿がふっと掻き消えた。
不在の妖術ではない。影に溶け込み、潜む、送り狼の基本技能。

悪魔どもが見失ったポチを探そうとする。また二体の悪魔が、シロに殴殺された。
反射的にシロへと注意を逸らした悪魔がいた。次の瞬間にはポチに首を裂かれていた。
そんな事を何度か繰り返せば――杉並区の一角に、小さな円が描き出された。
悪魔どもの骸と血で描かれた円――狼の縄張りが。

ポチが一息ついて振り返ってみると、その中心に迷い家が現れていた。
陰陽寮の巫女達が、逃げ延びてきた人々を誘導している。

「さて。大事なのはこれからなんだけど……」

杉並区に向かう前に、巫女達から聞かされていた話がある。
人間達の「そうあれかし」を、絶望に傾かせてはいけない。
彼らが悪魔の恐怖に染め上げられてしまえば、それが悪魔の、アンテクリストの力になってしまう。

>「皆さんにお願いがあります……!皆さん、SNSでふたりの戦いを拡散してください!」

故に、ポチとシロはただ戦い、敵を倒すだけではいけない。

>「どんなにバケモノたちがやってきたって、守ってくれる正義の味方はいるんだ!みんな必ず救われるから……諦めないで!」
>「Twitterでもインスタグラムでも、YouTubeでも何でもいい!とにかく写真撮って、動画も撮って!
  それをネットにアップして、どんどん広めよう!」

勇敢に、誇り高く、堂々と――そして圧倒的に、悪魔達を屠り去らなければならない。
要するに、姿を隠して敵を屠るような戦い方では駄目だという事。

「……正義の味方、ねえ。なんていうか……ガラじゃない、よね?」

ポチは送り狼――闇夜に紛れ、獲物を付け回す妖怪。
得意とする戦法もその特性を活かした不意打ちを主軸としたもの。
正義の味方のような戦いぶりを見せるのは、専門外だ。

>「皆さんが応援してくれれば、それが彼らの力になるのです……!拡散し、お友達に教えてあげてください!
 必ず、絶望の闇は払われると!」

「ま、そうは言っても――やるしかないんだけどさ」

シロと背中合わせに、襲来する悪魔どもを睨む。
弧を描いて迫る、悪魔の爪撃。ポチはそれに合わせて一歩前進。
降り注ぐ爪を掻い潜り、地を蹴る――悪魔の顎を真下から強打。
拳に伝わる、頚椎の折れる手応え。

がくんと膝を突く死体の肩を蹴り、跳び上がる。
思わず気圧され足を止めた悪魔どもがポチを見上げる。
ポチはそのまま空中で前転――強烈な踵落としが悪魔の頭蓋を砕く。

その反動で後ろ宙返りを打ち、着地――その隙を突かんと殺到する悪魔。
彼らからは、焦りのにおいがした。一対一の実力では勝てない事は明白。
隙を見せたこの機会を逃してはならないという焦りのにおいが。

249ポチ ◆CDuTShoToA:2020/11/15(日) 19:21:01
そして――着地したポチの頭上で、暴風紛いの風切り音が走る。
焦りに呑まれ踏み込んできた悪魔どもの首が、シロの回し蹴りで吹き飛ばされた。

背後の状況が、ポチには見えていない。
だが嗅覚と野生の勘で感じ取る事は出来る。
シロが強烈な蹴りを放った直後、まだ体勢の整っていない事も。
今度はその隙を突こうと悪魔どもが動いている事も。

当然、そんな事はさせない。
ポチは素早くシロと位置を入れ替わり――両手の爪で悪魔どもの首をまとめて切り裂く。

更に迫り来る悪魔の群れへと飛び込む。
何の工夫もない真正面からの突貫。だが実力差が大きすぎる。
悪魔の頭を蹴りつけ、へし折り、また別の悪魔へと飛びかかる。

そんな事を何度も、何度も、何度も、ひたすら素早く、正確に繰り返す。
悪魔の死体が次々と積み上がっていく。
だが悪魔の軍勢はまるで勢いを失わない。

一方で――ポチはほんの少しずつだが疲弊していく。
元々、ポチの体はアザゼルとの死闘で深い傷を受け、疲れ果てていた。
アザゼルの血肉を喰らい、橘音の仙丹を摂取しても、その全てをなかった事には出来なかった。
ポチが一度、深く大きな呼吸をした。息を整える必要があったという事だ。
空気が喉を通る瞬間、僅かな乾きを感じもした。
まだまだ戦い続ける事は出来る。だが――ずっとは戦い続けられない。

>「……あなた」

そんな中、ふとシロがポチを呼んだ。

>「私は、人間が嫌いでした。
  自分たちの欲望のままにニホンオオカミを絶滅へ追いやり、私を檻に閉じ込め、見世物のようにしようとした人間たちが。
  お前たちこそ滅びてしまうがいいと、そう思った時期もありました。
  あなたたちと巡り合ってからしばらくも、人間への嫌悪は変わらなかった。
  なぜ、あなたたちは人間たちの街なんかを身体を張って守るのだろう?と、そう思っていました」

「……僕も、前はそうだったよ。人間なんて……みんなが守りたがるから、守る。それだけだった」

ポチがシロを振り返る。その隙を突こうとした悪魔が、片手間の爪撃で腹から胸を裂かれた。

>「がんばれーっ!ポチちゃーんっ!!」
>「シロさーんっ!ファイトーっ!!」

迷い家から、陰陽寮の巫女達の声援が聞こえる。
シロが戦いの中でほんの一瞬そちらを振り向いて、微笑んだ。

>「……でも。今は、そうでもありません」

「へえ、そりゃまた、どうして?」

ポチが笑う。ずっと嫌いでい続けられるほど、人間は嫌な奴ばかりじゃない。
わざわざ聞かなくとも答えなんて分かっている。
それでも――思いは、時に言葉にする事でより大きく、強固になる事をポチは知っている。

>「ニホンオオカミを滅ぼしたのが人間たちなら、ニホンオオカミは滅びていない……と。
  まだ、人の目を逃れてどこかで生きていると。そう信じるのも、また人間たち。
  私たちは、彼らの『そうあれかし』で生きている……それを忘れてはいけないのです」

「……そうだね。彼らが、僕と君を巡り合わせてくれた。その恩を返す、いい機会だ」

>「お……、俺も応援するぞ!頑張れ!頑張れーっ!!」「私も!お願い、悪魔たちをやっつけて!」「やっちまえ!坊主!」
>「ポチ!」「ポチーっ!」「ポチくーんっ!こっち向いてーっ!」「いっけえええ!ポチーっ!!」

声援が次第に大きくなっていく。
ポチが深く息を吸い込む。
体が軽い。乾きも、もう感じない。

250ポチ ◆CDuTShoToA:2020/11/15(日) 19:23:17
人間の「そうあれかし」の力――だけではない。
彼らは、自分達を信じた。明らかに自分達とは異なる存在を。
化け物同士殺し合えばいいと言う事だって出来た。
もっと安全な場所へ連れて行けと言う事だって出来た。
だが、そうしなかった。目と鼻の先で悪魔が跋扈する場所に留まって、彼らは自分達を応援する事を選んだ。
それが彼らの力になるという、巫女達の言葉を信じて。

その信頼を裏切れば、男が下がる――狼王の名が廃る。
その「かくあれかし」がポチの全身に決意を、気力を、滾らせている。

>「――さあ、愛しいあなた」

シロがポチに右手を差し伸べる。

>「伝説を。創りにゆきましょう」

ポチは――シロに釣られるように、不敵に笑った。
そしてシロに歩み寄り、彼女の手を取って――己の傍へと引き寄せた。
目と目を合わせながら――シロは、ポチの意図をすぐに理解出来るだろう。

「――ああ、そうしよう」

ポチは、傅けと言っているのだ。右手を預けたまま、跪けと。
悪魔の大軍がまさに今、雄叫びを上げながら殺到する、この状況で。
だが、それでもシロはポチに従うだろう。

「だから、シロ」

悪魔どもが押し寄せてくる。それでも、ポチは悠然としている。
ニホンオオカミは生きている。
悪魔よりもなお強く、そして気高い生き物が、まだこの地には残っている。
誰もがそう信じ切って、疑わぬようにしたければ――ポチも全力を出さずにはいられない。

そしてポチが全力を出すのなら最早、シロが傅いていようとも、悪魔どもに出来る事など何もない。

「影狼を。彼らが夢見た、狼の姿を見せてあげるんだ」

251ポチ ◆CDuTShoToA:2020/11/15(日) 19:23:27
狼の縄張り、そのあちこちに積み上げられた悪魔どもの骸の山。
その頂きに、影狼が現れる。遠吠えを上げる。

呼応するように、ポチの姿が変化する。
華奢な少年の姿が、漆黒の被毛に覆われていく。

「オォオオオオオ――――――――――――――――――――――ン!!!」

遠吠えが響く。そして、その残響が掻き消えると同時――シロの手を取っていたポチの姿も、跡形もなく消えた。
直後、迫りくる悪魔の一団が、瞬く間に急所を食い破られて倒れ伏した。

「……お前ら、ツイてないよな。お前らは東京のどこを襲ったって良かったのに。
 わざわざ僕のいるところに来るんだもんな……本当に、ツイてないよ」

悪魔の軍勢、その中心から声がする。姿は見えないまま、声だけが聞こえる。

「僕は送り狼だぜ――お前ら、もう何人転ばされてると思ってるんだよ」

転ばせた獲物を殺める――送り狼の本領。
それが発揮された今、有象無象の悪魔が影に潜むポチを見つけ出せる訳がない。

そして――再び影狼の遠吠えが響く。
悪魔の軍勢の中を、銀毛の王冠を掲げた漆黒の狼が、疾風のように駆ける。
十を超える悪魔が体のどこかを食い千切られて倒れ――狼はまた消える。

遠吠えが響く。漆黒の狼が現れる。悪魔が殺される。
遠吠えが響く。漆黒の狼が現れる。悪魔が殺される。
遠吠えが響く。漆黒の狼が現れる。悪魔が殺される。

それから、一際長い遠吠えが響く。それは呼び声だった。
己が最愛の白狼への――待たせてしまった、共に戦おうと誘う呼び声。
黒狼と白狼が踊る――いよいよ、悪魔どもは立ち向かう事も逃げる事も出来なくなった。

自分以外の誰にも悪魔が余所見出来ないように。
真の姿を曝け出し、己の牙のみを頼りに。
襲来の宣告として常に遠吠えを上げて。

勇敢に、誇り高く、堂々と、ポチとシロは悪魔を葬り去る。

悪魔も人間も、すぐにその脳裏に刻み込まれる事になる。
どこから響いたかも分からない遠吠えに、あるいはただの夜風の音にさえ、
「それがいる」と確信させられる――原初の狼の存在感を。

252那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/11/23(月) 13:41:53
東京都庁の上空を、渦巻く極彩色の雲が覆っている。
それは、終世主アンテクリストの生み出した妖気の渦。膨大な邪気の集積したもの。
龍脈の力によって増幅された、アンテクリストが支配する『すべての願いが現実化する世界』ブリガドーン空間。
ブリガドーン空間は刻一刻とその範囲を広げている。
もし、ブリガドーン空間が地球をくまなく覆ってしまえば、アンテクリストに勝てる存在はいなくなるだろう。
雷霆を司るギリシャ神話の主神ゼウスも、万象の知識を有する北欧神話のオーディンも。
世界を破壊させるというヒンドゥー教のシヴァも、アンテクリストの前には等しく撃滅されるに違いない。

だから。

この世界に生きる者は、自分たちの最大限の力を以てこの脅威を排除しなければならないのだ。
たとえそれが、儚い努力に終わったとしても。

ギュオッ!!!

東京都庁上空で翼を広げ、瞑目したまま静止しているアンテクリストの上空を、五機の戦闘機が飛んでゆく。
V字に編隊を組み、音速で飛行するのは、航空自衛隊百里基地からスクランブルした第7航空団第302飛行隊の戦闘機。
F-35A、通称ライトニングⅡ。2018年に導入されたばかりの最新鋭次世代戦闘機である。
突如として東京二十三区に出現した巨大な印章、手当たり次第に人々を襲う悪魔たち。
そして、都庁上空に佇立する『神のような何か』――。
状況を重く見た政府が緊急事態宣言を発し、航空自衛隊に出動要請をしたのであろう。
あるいは、富嶽が政府に直接働きかけて戦闘機を出せと言ったのかもしれない。

≪こちら第302飛行隊、コールサイン・アルファ1。目標を確認した≫

編隊の中央に位置する隊長機のパイロットが、管制へ報告する。

【アルファ1、ならびに各機。相手は正体不明の化け物だ。充分注意しろ】

≪ウィルコ。安全装置解除、アルファ1、エンゲージ≫

≪アルファ2、エンゲージ≫

≪アルファ3、エンゲージ≫

≪アルファ4、エンゲージ≫

≪アルファ5、エンゲージ≫

編隊が散開してゆく。その一糸乱れぬ飛行は、まるで航空ショーのようだ。
しかし、これは紛れもない実戦である。それも人対人ではない、人対化け物の戦闘である。
F-35Aの照準が、両手をゆったりと広げたまま逃げもせず空中に留まったままのアンテクリストに狙いを定める。

≪ロックオン。――アルファ1、フォックス2≫

ドシュッ!!

主翼下のウェポンベイからミサイルが放たれ、白い筋雲を引きながらアンテクリストへと飛んでゆく。
AIM-120 AMRAAM。アクティブ・レーダー・ホーミングによって目標へと自動追尾を行う、中距離空対空ミサイルである。
固体燃料ロケットによる推進力は最大マッハ4。言うまでもなく、その直撃を受けて生存できる生物はこの地球上には存在しない。
神を僭称するアンテクリストも、この人類の叡智たる科学の矢には成す術もなく屈するしかない――

と、思われたが。

それまで瞑目していたアンテクリストが、ゆっくりとその双眸を開く。
もはやミサイルは目前に迫っている。回避することは不可能だろう。
しかしアンテクリストはミサイルを避けようともせず、ゆっくりと右手を前方へと差し伸べた。
そして、その直後――ミサイルは『灰と化した』。

≪なに……!?な、何が起こった……!?≫

戦闘機のパイロットたちが驚愕する。
ミサイルは確実にアンテクリストをロックオンしていた。マッハ4で飛来する鋼の矢から逃げ切れる生物など存在しない。
だが、アンテクリストは未だ無傷でそこにいる。

≪アルファ3、フォックス2!≫

≪アルファ5、フォックス2!ありったけ撃ち込んでやれ!≫

さらに編隊は矢継ぎ早にミサイルを発射し、アンテクリストを集中砲火する。
だが、さながら槍衾のように四方八方からミサイルを撃ち込まれても、アンテクリストの表情は変わらない。
ただただ無表情に、軽く手を翳すだけ――
それだけ、そう。たったそれだけで、ミサイルはその先端からすべて灰と化し、風に散って消滅した。
『運命変転の力』。
龍脈から吸い上げている無尽蔵の力、『運命変転の力』で、アンテクリストはミサイルの在り方そのものを捻じ曲げ、
無害な灰の塊に変えてしまったのだ。

253那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/11/23(月) 14:20:10
【そんな莫迦な……】

状況を観測していた管制官が呆然と呟く。
最新鋭の戦闘機に搭載された、人類の叡智たる破壊兵器がまるで通用しない。
だが、もしこれがミサイルでなく核ミサイルであったとしても、アンテクリストには通用しなかったに違いない。
人類は神が創り給うたもの。人類の知恵もまた、神が授け給うたもの。
ならば、人類が神に何をしたところで、それは幼な子が親にその小さな拳を振り上げる程度のものでしかないのだ。

そして――

≪メーデー!メーデー!け、計器異常!そんな、制御が利かな――≫

≪うわああああああッ!!!≫

ガガァァァァァァンッ!!!!

それまで完璧な編隊飛行を続けていた部隊の二機が、突然磁石に引き寄せられたかのように接触、爆発した。

≪アルファ3とアルファ4が墜落した!≫

【どういうことだ!?】

≪分からない……!アルファ2、アルファ5、散開しろ!≫

≪アルファ2、ウィルコ≫

≪ネガティブ!機体が言うことを聞かない!
 あ、ああ、俺の機体が、俺が……灰に……≫

アルファ5の機体が、その尖った機首から徐々に灰に変わってゆく。
ミサイルと同じように、アルファ5もパイロットもろとも真っ白な灰へと変わり、瞬く間に風に吹き飛ばされ消えていった。
最新鋭の兵器が、まるで役に立たない。
むろん、それはアンテクリストの行った“奇跡”だった。
戦闘機の計器を狂わせ、存在そのものを灰に改変してしまうことなど、アンテクリストには造作もないことだ。
すべては創造神の権能。この世の何もかもを自由に創り変えられるという、唯一絶対の力ゆえである。

『―――――ヒトよ』

瞬く間に戦闘機三機を撃墜し、ゆる……と再度両手を緩やかに広げたアンテクリストが、ゆっくりと口を開く。
その声は都庁周辺の者たちだけではない、東京二十三区にいるすべての者たちの頭に直接響いた。
穏やかで温かく、優しげなその抑揚は、人々を拝跪させるに充分な力を有している。
まさに福音。東京都民たちは文字通り神の声を聴いているのだ。

『愚かなる者たちよ。蒙昧なる者たちよ。――虫けらどもよ。
 汝らの眼前に降臨した私が、果たして何者であるのかさえ理解できぬ者どもよ。
 嗚呼、しかし、汝らの愚かなることを責めはしない。
 なぜならば。汝らは愚かなる者として定義され、愚かなることをするために創造されたがゆえである』

アンテクリストは朗々と語る。
人々の、そして妖怪たちの。東京ブリーチャーズの頭に、その声は強制的に入ってくる。
 
『泥から生まれし者たちよ。
 汝ら愚かな者たちを導くために、私は降臨した。長き封印の軛は既になく、私は解き放たれた。
 畏れよ、私を。崇めよ、私を――我が名はアンテクリスト。
 この大地を。世界を。星を。一から創り変える創造神、終世主なり――――』

「……アンテ……クリスト……」

「か、神様……なのか?」

アンテクリストの声を聞いた人々が、みな空を見上げる。

『我は神。この腐った世を創り変える、ただ唯一の神性。
 私に縋れ、私を崇めよ。私に帰依し――ただ私のみを信奉するがいい。
 それ以外は死ね。我が数百億の眷属が、汝らを殺そう。皮を剥ぎ、目玉を刳り貫き、指の先から一寸刻みにしてゆこう。
 生きたまま臓腑を貪り、この世のありとあらゆる痛苦を味わわせてやろう。
 さあ――
 潰れて死ね。
 狂って死ね。
 嘆いて死ね。
 爛れて死ね。
 砕けて死ね。
 萎れて死ね。
 もはや、この世に私を讃えぬ者の住む場所はない――』

アンテクリストの放つ膨大な神気が、結界の内側――東京二十三区内に遍く降り注ぐ。
それは、何者にも凌駕することのできない圧倒的な力の発露。
今まで平和を謳歌し、生命の危険など感じることのなかった一般人たちが、その力に抗うことなどできるだろうか?

254那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/11/23(月) 14:24:22
「はッははッはははは……アンテクリストめ、いじましい手を使いおる!
 だが衆愚に効果は抜群か!あいつ、自分が親父と同じ手段を用いておることに気付いておるのかな?」
 
仕込み杖で悪魔を斬り倒しながら、天邪鬼が笑う。
戦いは数時間に及んだ。
すでに天邪鬼も尾弐も血まみれ臓物まみれだ。斃した悪魔の数は千を下るまい。
だというのに、悪魔たちの勢いは留まるところを知らない。仲間の死体を踏み越え、蹴散らして、
尾弐と天邪鬼とを仕留めようと遮二無二突進してくる。

そして。

奮戦する尾弐と天邪鬼の姿を目の当たりにした人々に、ある変化が現れる。
それは、東京ブリーチャーズにとって決して歓迎できない事態だった。

「アンテクリスト様……!助けて下さい!」

「い、嫌だ!殺されたくない!死にたくない!アンテクリスト様あ!」

「お救い下さい……お救い下さい……!神様、アンテクリスト様……!」

たったふたりの抵抗。無尽蔵に湧き出してくる悪魔。
極彩色の空。成す術もなく爆発した戦闘機。
自らを崇め、讃えるならば、命を助けてやろうと告げる“神”――。
そんな状況を前に、気丈に振舞える人間など果たしてどれほどいるだろう?

「……まずい……!」

アンテクリスト――ベリアルの印章を自身の魔法陣で上書きしながら、橘音が焦りを口にする。
人々の希望の力、絶望には決して屈しないという想いを束ねて『そうあれかし』とするのが、対アンテクリスト戦の要諦である。
だというのに、肝心の人々が早々に絶望に呑まれてしまい、アンテクリストに祈りを捧げるようになってしまっては元も子もない。
天邪鬼が口にしたように、アンテクリストのとった方法はかつて唯一神が使用した方法である。
自身の手勢を悪魔と名付け、人々を誘惑して殺戮や悪徳に耽溺させ。
救済されたいのなら、我が許に帰依せよ――と迫る方法は、世界最大の宗教を生み出した実績のある極めて有効な手段である。
そして、今都内の至る所でそんな光景が繰り広げられている。
間近で友人や家族を殺され、自らの命も危ぶまれた人々が、続々とアンテクリストに帰依してゆく。
『そうあれかし』が、東京ブリーチャーズではなくアンテクリストの方へと集まってゆく――。

「ちいッ……!
 クソ坊主、後退しろ!守備範囲を狭める!
 気付いておるだろうが……こ奴ら、強くなっておるぞ!」

手近な悪魔の首を刎ね飛ばし、天邪鬼がそう尾弐へと叫んで身軽に後方へ一跳びする。
そう。最初にこの場所で戦闘を始めたときよりも、明らかに悪魔たちは強く、硬くなっていた。
雑魚悪魔では相手にならないと判断し、強者が前線に出てきた――という訳ではない。全体的に強さが底上げされている。
理由は明らか――人々の『そうあれかし』が、悪魔に敵う訳がないという絶望が、諦念が。
ブリガドーン空間の能力によって悪魔たちを強化しているのだ。
尾弐と天邪鬼のふたりだけでは、結界を構築中の橘音と迷い家を防御するので精一杯だ。
その間にも避難者たちは続々とやってくるし、それを狙う悪魔たちも増えてゆく。

「うぁぁぁぁぁん……ママぁ……!」

不意に、泣き声が耳朶を打つ。
母親とはぐれたのだろうか、校門の近くに4、5歳くらいの幼女が立ち尽くしている。
他の避難者たちは誰も少女には目もくれない。自分の身を守るだけで手一杯なのだろう。
そして、そんな子供を悪魔たちが狙わないはずがなかった。
まるで餌に群がるハゲタカのように、悪魔たちが少女に狙いを定める。厭らしい笑みを浮かべながら、その手を伸ばす。
後退し守備範囲を狭めたことで、尾弐も天邪鬼も間に合わない。
だが――

「危ない!!」

咄嗟に飛び出した橘音が、身を挺して少女を守った。
横っ飛びに跳躍し、少女の小さな身体をぎゅっと自分の胸の中へと抱き込む。
悪魔の腕が橘音に振り下ろされる。バギンッ!という硬い音と共に、橘音は大きく弾き飛ばされて地面に墜落した。

「ぎゃうっ……!」

悪魔の一撃によって学帽が吹き飛び、トレードマークの半狐面の右半分が大きく砕ける。
橘音は幾度か地面をバウンドしたが、決して少女を手放しはしなかった。自身をクッションとして、幼い少女を守り切る。

「……大丈夫……ですか……?」

「あり、がと……」

「……なぁに……礼には、及びませんよ……。
 なんせ、ボクは……帝都にその人ありと言われた、狐面探偵……那須野、橘音……なんです、から……」

砕けた仮面の奥から――大きく裂けた銃創と、濁った目玉の醜い傷痕が露になった素顔から、どろりと血が滴る。
痛みを懸命に堪えながら、橘音は小さく口の端を歪めて笑った。

255那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/11/23(月) 14:28:01
元々は、御前から我が身の罪を購うために押し付けられた仕事だった。
帝都を護り、人のために危険を冒すなんて、嫌で嫌で仕方がなかった。
すべてを無かったことにするために。悪魔としてでなく、妖狐としてでなく、ただの狐として死ぬために。
自分の願いを叶えるために、渋々働く毎日。
だが――尾弐と出会い、多くの人々と交流していくうちに、そんな気持ちも徐々に変化していった。
知らぬ間に、東京にも愛着が湧いていた。
このゴミゴミして、汚くて、人が多すぎて、ときどき下水のにおいがして。
詐欺師とろくでなしがゴマンといて、毎日やたらと事件ばかり起きて、疲れた顔をした人たちが往来を行き交う――
その一方でキレイなものがそこかしこに溢れてて、活気に賑わっていて、甘いにおいやいいにおいがたくさんで。
善人とお人好しがゴマンといて、毎日楽しいイベントが盛りだくさんで、希望に溢れた笑顔の人々も数えきれない、そんな街。
日出ずる国の首府、東京――

尾弐だけではない。祈と、ノエルと、ポチと。他にもたくさんの人や妖怪たちと出会い、絆を結んだこの帝都。
それを大切にしたい。願わくば、愛する仲間たちとずっと、一緒にいたい……。

『しっかりしろ橘音! それでも帝都一の名探偵かよ!!』

祈の叱咤が、頭の内側で鐘のように響く。

那須野橘音は、帝都を守護する狐面探偵。ありとあらゆる難事件を、その智謀で解決に導いてきたのだ。
だのに、この帝都史上最大最悪の大量殺人事件に対し、手をこまねいているだけなんて――
そんなこと、名探偵の矜持が許さない。

「空狐仙道術――巨摩怪把!!」

橘音が叫ぶと同時、その腰後ろに五本の尻尾が出現する。
が、ただの尻尾ではない。まるで巨大な指のようにも見える、鋼鉄の尾だ。
自在に動く指めいた尾が悪魔たちを捕え、グシャリと音を立てて握り潰す。三尾の頃にはできなかった攻撃妖術だ。
少女を迷い家の近くまで連れてゆき、笑に引き渡すと、橘音は痛みを堪えるように大きく息を吐いた。
その拍子に、ぼたぼたと顎先を伝って血が零れる。
橘音は基本的には後方支援型の妖怪である。その防御力は尾弐に比べれば紙に等しい。
例え雑魚悪魔のものであっても、攻撃を受ければ掠り傷とは行かない。
仮面が半ば砕けるほどの衝撃を頭に貰い、なおかつ地面に幾度も叩きつけられた。
意識が朦朧とする。呼吸するたび胸に激痛が走ることから、肋骨も幾本か折れてしまっているだろうか。
そして。

「ぐ……ぅッ……!
 おのれ、凶つ神の……使い魔、如きが……!」

天邪鬼もまた、苦戦を強いられている。
天邪鬼の持つ仕込み杖は無銘だが、優れた刀鍛冶によって鍛造され奉納された神剣である。
退魔に覿面の効果を持つ宝刀であったが、それも一体や二体を相手にした場合のこと。
尾弐と合わせて千体以上の悪魔を屠った今、その刃は血と脂、そして悪魔たちの瘴気によってぬめり、
本来の切れ味を喪失してしまっていた。
その上、徐々に強力になりつつある軍勢の猛攻である。
仕込み杖の刃が悪魔の右脇腹を深々と捕える。――が、両断できない。
天邪鬼が肉に食い込んだ刀を抜こうとした、その僅かな一瞬。他の悪魔たちが無防備になった天邪鬼を襲う。
結果、天邪鬼は利き腕である右腕をズタズタに切り裂かれた。

「うッ……ぐ、ぁぁッ……!
 ……ッ、はは……これは、流石に……難しいやも、知れんな……」

左腕に仕込み杖を持ち替え、ピラニアのように群がる悪魔たちを力を振り絞って蹴散らすと、
刃こぼれした愛刀を血振りしながら天邪鬼は笑った。
悪魔たちの集中攻撃を受けた右腕は、もはや辛うじてくっ付いている――という状況になっている。
作戦も何もない、ただただ物量に任せての力押し。
しかし、そんな単純な攻撃こそが一番強いということを、悪魔たちは知っている。
三人が劣勢になればなるほど、人々の絶望も深くなってゆく。アンテクリストの軍門に下ろうという者が増えてゆく。
悪魔こそが、その主であるアンテクリストこそがこの世の究極至高たる存在なのだと、人間たちが認識する。
そんな『そうあれかし』によって、悪魔たちがさらに強くなってゆく――。

橘音や天邪鬼だけではない。尾弐もまた、無数の悪魔たちの攻撃に晒され無傷ではいまい。
何本もの槍が、刺叉が、剣が、その身体に突き刺さっているだろう。
夥しい出血、身体に纏わりつく鎖のような疲労。精神の摩耗。
いつ心が折れてもおかしくない、そんな果てしのない劣勢。
雄叫びをあげながら、新たな悪魔たちがやってくる。三人めがけて、脇目も降らずに襲い掛かってくる。

「……クロオ、さん――」

ぜは、と浅く苦しい呼吸をしながら、橘音が掠れた声で尾弐を呼ぶ。

「挙式は、地獄ですることになっちゃうかも……。
 ……地獄でも……。ボクのこと、愛して……くれますか……?」

砕けた仮面の奥から、あれほど隠したがっていた醜い傷痕の素顔を晒しながら。
狐面探偵はそう言って、困ったように笑った。

256那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/11/23(月) 14:53:29
「はあッ……はあ、はァッ……。これは……さすがにきつい、ね……」

肩で息をしながら、あずきが呟く。
酒呑童子の力、神変奇特の能力を得た獄門鬼と、ノエル率いるばけものフレンズたちとの戦いは佳境に入っていた。
だが、その戦況は芳しくない。――どころか、ブリーチャーズ側の劣勢でさえある。
御幸が羽子板で撃ち放った小豆は、狙い過たずに獄門鬼の巨体に炸裂した。
甲高い断末魔の悲鳴をあげながら、獄門鬼は仰向けに倒れ――
しかし、それでは終わらなかった。
妖怪たちのくるぶしまでを覆った血の海に斃れた獄門鬼の身体が、ブクブクと泡立つ。肉体が崩れ、容を喪う。
獄門鬼はすぐに、地面に広がる血と溶け合って消えた。
そして――再構成。血の水柱がふたつ上がったかと思えば、それが瞬く間にディティールを形作ってゆき、
今度は二体の獄門鬼が出現した。

「ブッゴォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!」

二体の獄門鬼が咆哮する。
獄門鬼単体の力は、覚醒した御幸よりも遥かに弱い。単体での強敵度で言えば、魔神コカベルの方がよほど強かった。
が――獄門鬼は『不死』であった。
どれほど御幸が力を引き出し、仲間たちが必死になって戦っても、獄門鬼はすぐに再生してしまう。
そして、その数を増やしてゆく。今や迷い家のある総合病院の敷地内には、十体もの獄門鬼が存在していた。
すべては神変奇特の力。そして――それを支える、ブリガドーン空間の力。
空を満たす極彩色の空間、それがあり続ける限り獄門鬼は不死身。一体一体を倒したところで、根絶には程遠い。

「ホンマかなわんなァ……。
 こうなると分かっとったら、最初っから尾弐のアニキんとこ行ったっちゅうに……。
 色男に恩売ったろなんて考えるんやなかったわ……」

氷の妖術によって強化された棘付きのスレッジハンマーを地面に立て、柄尻に両手をついて息を整えながら、
ムジナが心から後悔しているような泣き言を漏らす。
例え尾弐のところに救援に行っていたとしても、楽な戦いなどできないのだが。

「そう仰らず……。ムジナさん、戦いが終わったら、私たちの里に遊びに来てください。
 姫様に協力して下さったお礼に、全力でお持て成ししますから!」

「雪女の里かぁ。スキー場くらいにしかならへんな。
 バブルの頃ならいざ知らず、今どきスキー場なんて元取れへんねん。却下や却下」

「なんの話です?」

「なんでもあらへん。――それより、来るで!気合い入れたらんかい!」

ムジナの叱咤に、カイとゲルダが身構える。再び熾烈な戦いが始まる。
――が。

「……ッ!?
 これは……!」

跳躍し攻撃を始めようと、カイが僅かに腰を落としたその瞬間、その両脚が地面に縫い留められる。
見れば、血の海の中から二本の腕が伸びており、それが新しいそり靴を履くカイの両足首を掴んでいた。
ざぱあ……と血の中から新たな獄門鬼がせり上がってくる。カイは足首を拘束されたまま宙吊りにされた。

「くッ、この……!」

「カイ君!」

カイが逆さ吊りのまま藻掻く。あずきがカイを救出しようと小豆の入った枡に手を突っ込む。
しかし――その瞬間、あずきの立っている地面が大きく開いた。
まるで底無しの落とし穴、だが只の陥穽ではない。
それは、血の海に出現した巨大な獄門鬼の顔面、その開かれた“口”だった。
あずきの腰までが口の中に落ちる。獄門鬼がギロチンのように口を閉じる。

ぶちんッ

呆気ない。
あまりにも呆気ない音を立て、あずきの上半身と下半身は分断された。

「ぅ……ぁ……」

ばしゃり、と音を立て、あずきの上半身が血の海に仰向けに転がる。
人間ならば即死だが、あずきは純正の妖怪である。虫の息ではあるが、まだ生きている。
しかし、それも長くはあるまい。――そして、他の仲間たちにも危機が訪れる。
血の海の至る所が盛り上がり、獄門鬼の上半身へと変わってゆく。その数は二十以上はいるだろう。
逆さ吊りになったカイの胴体を槍が貫通し、ゲルダの絶叫が耳を打つ。
犬神が、ぬりかべが、仲間たちがひとり、またひとりと斃れてゆく。いくら御幸が護る者であっても、敵が多すぎる。

「くそったれが……」

ムジナが唸るように呟く。
ノエル、そしてばけものフレンズたちの戦いは佳境に入っていた。
ブリーチャーズの全滅という、逃れ得ぬ結末に向かって。

257那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/11/23(月) 14:56:15
ポチの遠吠えに応じて、それまで従順に跪いていたシロが立ち上がる。
そのしなやかな肢体がみるみるうちに純白の狼へと変わってゆく。
自分は導かれている、必要とされている、愛されている。
尽きることのない歓喜と共に、白狼は黒狼の暴れ狂う戦場の真っただ中へと飛び込んだ。

「……すごい……」

迷い家の防衛と避難者の誘導に当たっている陰陽寮の巫女たちが、二頭の戦いぶりを見て目を瞠る。
二頭は嵐のように悪魔の群れの中を駆け抜けては、それらを駆逐してゆく。
ポチとシロの疾駆した跡には、食い千切られ蹴散らされ蹂躙された悪魔たちの死体が累々と転がっている。
オオカミこそは自然界最強の捕食者にして狩人。
その姿はまさに『大神』の名にふさわしい。
つがいのオオカミたちの攻勢に、悪魔たちは文字通り手も足も出ない。ただ制圧されるのみだ。

だから。

悪魔たちは、ポチとシロを攻撃することをやめた。
それどころか、まるで潮が引くようにポチとシロの守る避難所から撤退を始める。
人間の姿に戻ったシロは怪訝に眉を顰めた。

「これは、いったい――」

悪魔たちはポチとシロの強さに、オオカミの恐ろしさに慄き、勝ち目がないと悟った。
が――それは『戦意を喪失した』ということと必ずしも同義ではない。
そもそも、悪魔たちの狙いは絶望の『そうあれかし』を集めること。
恐怖に屈し、アンテクリストに帰依する者を増やすことである。必ずしもポチやシロを斃す必要はないのだ。
従って代わりに悪魔たちが狙いを定めたのは、より弱い者。
災禍を逃れ避難所を目指してやってくる一般人だった。

>……お前ら、ツイてないよな。お前らは東京のどこを襲ったって良かったのに。
 わざわざ僕のいるところに来るんだもんな……本当に、ツイてないよ

そう。
『悪魔たちは、東京のどこを襲ってもいい』のだ――。

「いけない!」

悪魔たちの意図を察し、シロが避難所のある区域を出て駆け出そうとする。
避難所の外には、まだまだ避難者たちが大勢いる。それを狙われたらおしまいだ。
人間を護らなければならない。受けた恩は返さなければならない。
限りのない善性から、シロは今まさに悪魔たちに襲われつつある人間たちを助けようと走った。
そして――

「ッぅ、ぁ……!」

悪魔たちの罠に嵌ってしまった。
見せたのは、ほんの一瞬の隙。毫秒にも満たない時間の空白。
だが、奸智に長ける悪魔たちはそれを見逃さなかった。
がぢんッ!と足許で音がする。見れば、シロの右足首を巨大なトラバサミががっちりと捕えていた。
天魔ビフロンス。序列46番、26の軍団を率いる地獄の伯爵。
スライムのように不定形で、なんにでも変身できるその天魔がトラバサミに変化し、シロの機動力を封殺したのだ。
そして。

その場に縛り付けられたシロめがけて、無数の槍が。矢が。剣が投げつけられる。
ポチがシロの救援に入ろうとするも、その行く手を無数の悪魔たちが肉の壁となって阻む。
チャイナドレスを纏った白い肢体を十本以上の槍や剣に穿たれ、針鼠のようになったシロは、
最後に巨大な牡牛めいた悪魔の突進を受け、なすすべもなく吹き飛んだ。
肉の裂けるぶぢぶぢぶぢぃっ……という厭な音が、ポチの耳にも届いたことだろう。
大きく弾き飛ばされ、地面に叩きつけられたシロは、ぴくりとも動かない。
自由になった右足首から鮮血が滾々と溢れ、血だまりを作ってゆく。

シロの右足首から先はちぎれ、なくなっていた。

「シロちゃん!」
「治癒術式!急いで!」

すぐさま巫女たちがシロへと駆け寄り、回復を試みる。――が、その効果は思わしくない。

「ダメ、血が……、血が止まらないよぉ……!」

ちぎれた足首を中心とした血だまりが、徐々に広がってゆく。

「ひいッ……!た、助けて……!」「おしまいだ……、みんな、死ぬしかないんだ……!」「イヤだ!死にたくないぃっ!」

人々の発する絶望の嘆きが、周囲をとぐろを巻いて包み込む。
負の『そうあれかし』が悪魔たちに力を与え、その脅威を一層増幅させてゆく。
むろん、濃厚すぎる滅びの気配の前には、ポチとて無関係ではいられない。
いや――かけがえのないつがいが傷つき斃れたという絶望は、きっと何より強くポチを蝕むことだろう。
奇しくも愛妻ブランカの死を目の当たりにしたことで狂ってしまった、
ポチが尊敬してやまない狼王――ロボのように。

258那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/11/23(月) 14:59:58
祈の必死の説得にもかかわらず、レディベアは意識を失ったままだった。
そうこうしているうちに、時間は過ぎてゆく。人々の絶望が色濃くなってゆく。
ローランのタイムリミットが、刻々と近付いてくる――。

「ハァッ、ハァ、ハア……」

ざん!と音を立て、ローランはまた一匹の悪魔を斬り伏せた。
しかし、その動きはもはや緩慢というレベルを通り越し、息も絶え絶えという様子だ。
肩で息をしながら、ローランは違和感を覚えてふと自分の左手に視線を落とす。
本来ならば気力の漲る、ダイヤモンドの硬度を誇るはずの左手は、まるでミイラのように乾涸びて骨と皮だけになっていた。

――これまでか。

ローランは瞬く間に覚悟を決めた。……いや、ずっと前から決まっていたものを、再確認した。
ついに、この刻が訪れたのだと。ならば、することはひとつだった。

「……祈ちゃん……、レディと手を繋ぐんだ。
 気持ちを繋げる、心を繋げる……それには、まず触れ合うこと。身体で繋がることが大切なんだよ……。
 君は、都庁で……レディと手を繋いで……彼女をベリアルの呪縛から解き放った……。
 それを、もう一度するんだ。龍脈の力じゃない、御子としての立場としてでない――
 君の真心を。ともだちとして、彼女に……伝え、て……」

ぐら、と身体が大きく傾ぐ。心臓が早鐘のように鼓動を打つ。
全身が悲鳴を上げ、今にも魂が砕けそうになる。
だが――倒れはしない。ローランは祈を振り返り、最後の助言を投げかけた。

「君も知っての通り……レディは気位ばかり高くてね……。
 中学校に通うと言い出したときは……果たして友達なんて出来るのかな、なんて……心配したものさ……。
 だが――そんな考えは杞憂だったみたいだ……。彼女には、君という……素晴らしい、友達が……できたのだから……」

悪魔が押し寄せてくる。
ローランが最後の力を振り絞り、それらの猛攻を押し戻す。
彼我の血液によって真っ赤に染まったローランが、遠い目をして空を見上げる。

「ああ……安心した。安心したんだ……私は。
 もう、レディはひとりじゃない……。君という親友がいる。彼女を救うため、これほどまでに命を懸けてくれる友達が。
 他にもアスタロトやノエル君……ポチ君に、ミスターも……。
 それは、なんて……なんて洋々たる未来だろう――」

血にまみれた、瀕死の英雄。
けれども、その表情に悲壮感は一切なかった。

「ならば。ならばだ。
 愛するレディと、レディの一番の親友である祈ちゃんの未来のために。
 幸福に至る道を切り拓くのが、私の最後の、役目……だ……。
 後は頼んだよ、祈ちゃん……私が技を放ったら、ありったけの気持ちで……彼女の心に、呼びかけてほしい……」

デュランダルを両手で持って、大上段に構える。
祈とレディベアに背を向け、迫り来る悪魔の大軍に対峙しながら、ローランは微かに振り返った。そして、

「祈ちゃん……、レディの……ともだちになってくれて、本当にありがとう――」

最期に、そう言って笑った。
死を受け容れ、覚悟した者だけが持つ、穏やかな静謐。
それがローランにはあった。
次の瞬間、ゴアッ!!と枯れ枝のようなローランの全身から神気が迸る。
どこにそんな力があったのかと思うほどの、強く眩い光。

「――1と3より成る聖遺物よ、神の徴よ。今こそ其の奇蹟を諸人に顕さん。主の前にまつろわぬ、総ての敵を討ち滅ぼせ……!
 悉皆斬断、『不抜にして不滅の刃(インヴィンシヴル・デュランダル)』!!!」

ギュオッ!!!!!

ありとあらゆる悪しき者を無に帰す、魔滅の閃光。
ローランの命そのものを燃やした激しい輝きが、周囲を白一色に染め上げた。

そして――

光輝が徐々に収まり、祈が戦場を確認したとき。
あれほど避難所周辺に群がっていた悪魔たちは、一匹残らず消滅していた。

ローランがいたはずの場所には、聖剣デュランダルだけが突き立っている。
きっと、最後の『不抜にして不滅の刃(インヴィンシヴル・デュランダル)』を放つために、
我が身のひとかけらまでも燃焼し尽くしたのだろう。
聖騎士ローランは消滅した。


祈にすべての希望を託して。

259那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/11/23(月) 15:09:55
祈がレディベアと手を繋ぎ、その心に語り掛けると、横たわるレディベアの身体が眩い光を放ち始めた。
それはローランが最後に放った『不抜にして不滅の刃(インヴィンシヴル・デュランダル)』と同じ、破魔の光。
と同時に、レディベアの姿も変わってゆく。
漆黒の長いツインテールの髪が輝くような金色へと変わり、
ミニ丈のワンピースが。ロンググローブが、ニーハイソックスが、瞬く間に純白のものに変容する。
ローランの輝く神力を注ぎ込まれたことで、その属性が闇から光へと変化した――のだろうか。
やがてレディベアの身体はふわりと浮き上がると、祈と向き直った。
その左の瞼がゆっくりと開かれる。紅色の瞳が、祈を見つめる。

「―――祈」

手を繋いだまま、レディベアは祈の名を呼んだ。
その身体はまだ輝きを放ち、暖かな光で周囲を満たしている。
ローランによって消し飛ばされてなお、悪魔たちは新たに続々と集結していたが、みなレディベアの光に恐れおののき、
避難所の中には入ってこない。

「あなたの声、ずっと聞こえていました。
 けれども、わたくしは怖かった……。今まで信じてきたもののすべてが、ベリアルの作った虚構であったと知って。
 お父様が本来は存在しないものだったと知って、絶望した……。
 この世界に価値などないと。お父様と一緒でなければ、この世界にいたところで意味などないと――
 そう、思っていました……」

きゅ、とつないだ手を握り込み、我が胸に引き寄せて、レディベアは言葉を紡ぐ。

「けれど。そんなわたくしの弱い心を、あなたが引き戻してくれたのです。
 わたくしはベリアルの野望に用いられる道具。もはや用済みとなり、廃棄されるばかりの不用品。
 でも――
 そんなわたくしでも、まだ必要だと。生きていてもよいのだと、あなたが仰るのなら……」

ぽろ、とレディベアの大きな目に涙があふれる。
涙が頬を伝って零れてゆく。だが、その涙は悲愴や絶望によって流れるものではない。

「……わたくしも。
 わたくしも、あなたと一緒に生きていきたい……!
 この世界にいたい、ずっとずっと、極彩色の空間の内側から覗き見て。長い間憧れていたこの世界に!
 祈、わたくしの大切なおともだち。大好きですわ……どうかどうか、わたくしを。ずっとあなたのお傍に――」

穢れのない涙を零しながら、レディベアはそう言って微笑んだ。
もし、祈がただの戦力としてしか彼女を必要としなかったなら。
対アンテクリストの切り札、ブリガドーン空間の支配者としての力しか望んでいなかったとしたら、
ローランの神力を注ぎ込まれていたところで、レディベアが目覚めることはなかっただろう。
レディベアを覚醒させたのは、祈の真心。
彼女と一緒に、この世界で生きていきたい。そう願う至純な『そうあれかし』だったのだ。
絡めて繋いだ手指を通じて、清浄な光が祈の身体へと伝播してゆく。
その疲労が、傷が、瞬く間に癒えてゆく。
完全回復だ。レディベアがブリガドーン空間の力を使って治癒させたらしい。

「今のわたくしの力では、これが精一杯ですわ。
 けれど、お父様の助力が得られれば、この劣勢も必ずや逆転させることができるでしょう。
 必要なのは、信じる心。強い願い、真摯な望み――。
 ひとつひとつの灯火は弱く、儚いけれど。多くを束ねてひとつにすれば……それは。太陽にも勝る焔となるのです。
 それを用いてお父様をこの世界にお招きし、反撃の狼煙と致しましょう」

空いている方の手のひらを大きく開き、レディベアが空へ掲げる。

「本来存在しないはずのお父様を現界させる力。そんな力がどこにあるのか、と?
 ふふ……。それはもう、ここに。はち切れんばかりに集っておりますわ!」

ぞろ。
ぞろり。
ぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞ―――――

何もない空間に出現したのは、無数の目。
先刻都庁で祈とレディベアが戦った際、レディベアが虚空に出現させた膨大な数の瞳だ。
見開かれた目に、インターネットのブラウザのような画面が映し出される。
そこに表示されたのは、ありとあらゆるSNS。写真を、メッセージを、音声を、ネット回線を通じて世界中へ拡散するシステム。
今やこの惑星をくまなく覆う、ネットワークの網。ワールド・ワイド・ウェブ。
かつて妖怪が跋扈していた時代には存在しなかった、人間たちの作り上げた機構。
それに、橘音と尾弐。ノエルとばけものフレンズたち。ポチやシロ。そして祈の戦いがアップロードされ、
たくさんの声援を受けていた。
東京だけではない。日本の各都市からも、そして海外からも。
閲覧数が、視聴者数が、いいね!が、恐るべき速さで増加してゆく。
絶望に立ち向かう人々の『そうあれかし』が流れ込んでくる――。
ぎゅっ、とレディベアが祈の手を強く握り直す。

「さあ、祈。龍脈の力を。あなたの中の神子の資格、運命変転の奇跡を、今こそ!
 解き放つのです!」

運命変転の力を使うことができるのは、あと二回と言ったところだろうか。
そのうちの一回をここで使用すれば、残るはあと一度。それをオーバーして限界以上の力を使おうとすれば、
何が起こるか分からない。

だが。

祈はここで使わなければならない、その力を。
なぜならば――

望まれざる変革を跳ね除けること。この世界に生きるすべてのものが、いつかより良い未来へと歩いてゆくために、
有りの侭の世界を維持すること。
それこそが、星の生命力そのものを司る龍脈の神子、多甫祈の使命なのだから。

260多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/11/30(月) 23:14:18
 祈はレディベアに呼びかけたが、
レディベアは相変らず目を閉じたまま、覚醒の兆候を見せなかった。

「だめ、なのか……?」

 そもそもレディベアに意識がなく声が聞こえていないのか、
それとも心を閉ざしているから祈の言葉が届かなかったのか。
後者だとすれば、祈ではレディベアの生きる理由足りえないということになるだろうか。
 祈の表情が曇ったそのとき、遥か上空で戦闘機の翼が風を切る甲高い音が響いた。
祈がそちらを仰げば、戦闘機が数機、極彩色の空を舞っているのが見える。
この人類滅亡の危機に、誰もが黙ってやられているわけではない。
魔法陣が展開された場所へ、自衛隊の戦闘機が向かっていく。
戦闘機からミサイルが放たれ、煙を噴き上げながらアンテクリストへと飛ぶ。
だが、ミサイルが爆発することはなかった。
煙はアンテクリストに到達する前に途切れて、まるでミサイルが掻き消えたように見える。
祈にはおおよそのことが分かる。
アンテクリストが、自身へ向かうミサイルの攻撃を運命変転の力で消失させ、
『なかったことにしてしまった』のだと。
ブリガドーン空間を拡張したことで、その中心、アンテクリストの周囲の力はより濃くなった。
故に、龍脈の力――運命変転の力をも周辺に自在に展開できるようになったのだろう。
今はまだその範囲はアンテクリストの周辺に留まっているが、
ブリガドーン空間が拡張し続ければ、運命変転の力が及ぶ範囲も広がる。
いずれアンテクリストは、直接全てを自身の意のままにできるようになるだろう。
祈達に悪魔を差し向けるというような迂遠な策を取る必要もなくなり、
手をかざすだけで消し去れるようになってしまうに違いない。
 戦闘機が風を切る音も掻き消えてしまった。おそらくは――。
 祈はギリ、と歯噛みする。またしても、命が消えてしまった。
火を吹き消すように簡単に命を奪うアンテクリストに、怒りが湧いて止まらなかった。
 アンテクリストはそんな祈の感情を更に逆撫でするように。

>『―――――ヒトよ』

 次なる一手を打ってくる。

>『愚かなる者たちよ。蒙昧なる者たちよ。――虫けらどもよ。
>汝らの眼前に降臨した私が、果たして何者であるのかさえ理解できぬ者どもよ。
>嗚呼、しかし、汝らの愚かなることを責めはしない。
>なぜならば。汝らは愚かなる者として定義され、愚かなることをするために創造されたがゆえである』

 遠く離れているはずのアンテクリストの声が、
まるですぐ側で語りかけているように思えるほどリアルに響いてくる。
祈が耳を塞いでも聞こえるそれは、おそらく脳か精神に直接語りかけてきていた。
 祈以外にも聞こえているらしく、
避難所から、驚愕や悲鳴、困惑の声が聞こえてきた。
 しかも始末の悪いことにその声は。

>『泥から生まれし者たちよ。
>汝ら愚かな者たちを導くために、私は降臨した。長き封印の軛は既になく、私は解き放たれた。
>畏れよ、私を。崇めよ、私を――我が名はアンテクリスト。
>この大地を。世界を。星を。一から創り変える創造神、終世主なり――――』

 天上の音楽のように美しく響く。
怖ろしいのに安心してしまうような、逃げたいのに惹かれてしまうような。
抗いがたく思えるほどの魅力的な、そんな声でアンテクリストは――、

>『我は神。この腐った世を創り変える、ただ唯一の神性。
>私に縋れ、私を崇めよ。私に帰依し――ただ私のみを信奉するがいい。
>それ以外は死ね。我が数百億の眷属が、汝らを殺そう。皮を剥ぎ、目玉を刳り貫き、指の先から一寸刻みにしてゆこう。
>生きたまま臓腑を貪り、この世のありとあらゆる痛苦を味わわせてやろう。
>さあ――
>潰れて死ね。
>狂って死ね。
>嘆いて死ね。
>爛れて死ね。
>砕けて死ね。
>萎れて死ね。
>もはや、この世に私を讃えぬ者の住む場所はない――』

――脅迫する。
 およそ争いとは無縁の世界で生きてきた人間達にとって、今は極限状態。
無数に湧き続ける悪魔によって唐突に日常を破壊され、彼らが感じ続けるストレスはとっくにキャパシティをオーバーしていた。
あまりにもリアルな、自身や家族、友人の命の危機。
否応なしに突き付けられる、一つ間違えば自分が其処に転がる死体であったという事実。
いまや死はどうしようもなく身近な隣人だった。
 そんな中、絶対の存在と思しき者から垂らされた、『自身を信奉すれば助けてやる』という救いの糸。
しかもそれが魅力的な声と共に降りてきたのなら、従ってしまうものも出てくる。
その言葉に従ってしまったところで仕方がないと、心地良く人を堕としていく。
 祈が守る避難所からも、
アンテクリストに従うから助けてくれと天に叫ぶ声が聞こえてくる。
 このままアンテクリストに誰もが従ってしまえば、
この状況を覆せるだけの『そうあれかし』は、希望は集まらないだろう。
アンテクリストの声がどこまで響いているのか、
そしてどれほどの人間がそれに従ってしまったのか。それはわからない。
もしこの声が世界中に届いていて、人間達が希望を手放してしまったのだとすれば。
レディベアも目覚めない今、逆転は望み薄にすら思えた。
それでも祈は諦める訳にはいかないと頭を回転させるが、有効な手段は何も思い浮かばずにいる。
 しかも悪魔との戦いを引き受けたローランの限界は近く、
ローランに代わって祈が戦おうにも、再びターボフォームになるには時間を要する。
考える時間のタイムリミットもすぐそこに迫っていた。
 そんな差し迫った状況の中。

261多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/11/30(月) 23:18:14
>「……祈ちゃん……、レディと手を繋ぐんだ。
>気持ちを繋げる、心を繋げる……それには、まず触れ合うこと。身体で繋がることが大切なんだよ……。

 祈に希望を示したのは、その限界が近いローランであった。
悪魔を切り伏せた後、今にも途絶えそうな呼吸音交じりの、掠れた声で言う。

「手で……心を伝える……?」

>君は、都庁で……レディと手を繋いで……彼女をベリアルの呪縛から解き放った……。
>それを、もう一度するんだ。龍脈の力じゃない、御子としての立場としてでない――
>君の真心を。ともだちとして、彼女に……伝え、て……」

 振り回す剣の重みの所為か、ぐらりとよろめくローラン。
だが、倒れることなくその場に踏み止まりながら、言葉を言い終える。
 そして束の間、動きを止めて祈の方を振り返ったローランのその姿は。
自身の生命力を吐き出した故か、
骨が浮き出るほどに痩せ衰え、ミイラや即身仏と見紛うものとなっていた。
 限界が近いなんてものではない。――とうに限界など超えている。

「ロー――」

 思わず駆け寄ろうとする祈だが、ローランの強い眼差しがそれを制止する。
これは己の戦いだから止めてくれるなと、介入は望まないと、そう告げていた。

>「君も知っての通り……レディは気位ばかり高くてね……。
>中学校に通うと言い出したときは……果たして友達なんて出来るのかな、なんて……心配したものさ……。
>だが――そんな考えは杞憂だったみたいだ……。彼女には、君という……素晴らしい、友達が……できたのだから……」

 祈に語りかけるローランの背後で、悪魔達が押し寄せている。
後ろを見せている今が好機と、悪魔達が一斉にローランへと飛び掛かる。

「っローラン、後ろ!」

 ローランは振り向きざまに、横薙ぎにデュランダルを振るう。
剣先が火花を散らしながら地面を離れ、飛び掛かった悪魔たちの胴体やノドを一文字に切り裂く。
 限界を超えてなお、屹立し、剣を振るい、魔を払う。その姿はまさに英雄だった。
悪魔達の返り血に染まりながら、ローランは言葉を続ける。

>「ああ……安心した。安心したんだ……私は。
>もう、レディはひとりじゃない……。君という親友がいる。彼女を救うため、これほどまでに命を懸けてくれる友達が。
>他にもアスタロトやノエル君……ポチ君に、ミスターも……。
>それは、なんて……なんて洋々たる未来だろう――」
>「ならば。ならばだ。
>愛するレディと、レディの一番の親友である祈ちゃんの未来のために。
>幸福に至る道を切り拓くのが、私の最後の、役目……だ……。
>後は頼んだよ、祈ちゃん……私が技を放ったら、ありったけの気持ちで……彼女の心に、呼びかけてほしい……」

 ローランは両手で持ったデュランダルを、天に掲げるように最上段に構える。
今も尚無尽蔵に湧き続け、迫りくる悪魔達に向かって、技を放つつもりだろう。
その口振りからおそらく――最期の技を。
 命の使い道を決めるのは本人であるべきだと祈は思いながら、それでも。

「その洋々たる未来ってのは、おまえがいちゃだめなのかよ。おまえだって――」

 そんな言葉が、祈の口を突いて出た。

>「祈ちゃん……、レディの……ともだちになってくれて、本当にありがとう――」

 ローランは微かに振り返って、祈へそう言いながら微笑んでみせた。
あまりにも穏やかな、満足したような微笑みに、祈は言葉の続きを発することができない。
ローランが迫りくる悪魔達に向き直った。
そのやせ細ったその体からは、考えられない程の力強い光、神気が放たれる。
 あまりに眩いその光に、祈は眼前に手をかざした。

>「――1と3より成る聖遺物よ、神の徴よ。今こそ其の奇蹟を諸人に顕さん。主の前にまつろわぬ、総ての敵を討ち滅ぼせ……!
>悉皆斬断、『不抜にして不滅の刃(インヴィンシヴル・デュランダル)』!!!」

 そしてローランがそう叫んだ刹那。
周囲は目を開けていられない程の強烈な光に包まれた。
 光が収まった時、残されたのはローランが振るっていた聖剣デュランダルと――静寂だった。
周辺に悪魔の姿が見えなくなり、訪れた一時の、平和にすら思える静寂が訪れていた。
この、祈とレディベアが手を繋ぐためだけの時間を作る為に。
ローランは己の全てを使い果たして、光となって……この世から消えてしまったのだった。

262多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/11/30(月) 23:39:54
(……ローラン。おまえの作ってくれた時間。無駄にしないよ)

 悪魔に埋め尽くされていない空を見ながら、祈は心の中で呟いた。
 ローランの微笑みを見るに、きっとその命の使い方にローランは満足したのだろう。
 それに、ローランはクローン。元々短い命だ。
ここで無理矢理に助けたところで、その命は瞬く間に失われたかもしれない。
でも、寿命がほんの僅かな時間伸びるだけだったとしても、助けるべきだったのではないかと。
祈の心には苦いものが残る。
 それでも。祈は進まなければいけない。

 祈は横たわるレディベアの傍らに座り、その右手を自身の左手で取った。
 祈の手はボロボロだが、レディベアのつけているロンググローブ越しでも、
そこに確かなぬくもりと微かな鼓動を感じることができた。
それは、レディベアが生きているという確かな証。
 絶望に塗れ、その力を強制的に吐き出すことになっても尚、
レディベアの体は生きようとしている。あとは心の問題だった。
 声や言葉では気持ちが届かないのだとしても。
ローランが言っていた通り、手を繋げば、ぬくもりならきっと届くのだろう。
そしてぬくもりを伝えるのなら、手だけである必要はなかった。
 祈はもう片方の手で、倒れたレディベアを抱き起こす。
そして、自身に凭れ掛からせるようにして、レディベアを抱きしめた。
 菊乃は、祈が寂しがりなのを知っていたから、よく抱きしめてくれた。
そのぬくもりは、祈を元気にしてくれた。
 ノエルもそうだ。
祈がきさらぎ駅で女子トイレから出てこなかった時も、やさしく抱きしめてくれた。
雪女なので体温は冷たかったが、伝わる冷たさは不思議と温かみがあった気がする。
 橘音とは手を繋いだ。尾弐は撫でてくれた。ポチはすねをこすってくれた。
 そういった触れるという行為は、行動は。
言葉よりも雄弁に気持ちを語り、伝えてくれる。
相手を受け入れていることを伝えたり、好意を伝えたり。
抱きしめるという行為はその最たるものだろう。
 祈は目を閉じ、レディベアを想う。
体温や心臓の鼓動、抱きしめる腕の強さ。
手だけではく全身で、祈はレディベアへ気持ちを伝えた。
生きていて欲しいと。大好きな存在であることを。

「あたしはおまえのともだち。あたしがおまえの居場所。だから安心して起きて来いよ。モノ」

 レディベアを抱きしめたまま、しばらく祈は動かずにいた。
その間にも悪魔は無尽蔵に魔法陣から吐き出されており、既に悪魔達は祈の背後にまで迫ってきていた。
だが、悪魔達が祈へ攻撃を加えようとしたそのとき。

――レディベアの体が発光する。
その光は、ローランが最後に放っていたのと同質のもの。魔を払う神気であった。
それを見て悪魔達は歩みを止めた。否、近付けずその場で硬直してしまう。

「モノ……?」

 祈は目を開いた。
レディベアの変化は光を放つことに留まらない。
黒かった髪の毛が、美しい金色に染まっていく。
同様に黒かったミニ丈ワンピースやロンググローブといった衣服は、白へと変わった。
祈のターボフォームのように髪の毛や衣服といった見た目の変化は、
この変化は神々しい存在、天使を想起させた。
力の質そのものもやはり以前とは異なる。
ローランの与えた力がレディベアと一体化し、その存在を新たなものへと変えたのだろうか。
 
(ローラン……おまえは、モノの中で生き続けてるのかもな)

 ローランは、自らの生命力を分け与え、
祈が気持ちを伝えるだけの時間を稼いだことによって、己の大事な人を救い上げた。
その命を守り抜いたのだ。
そしてその生命力は、確かにレディベアの中にあり、これからもレディベアを守り続けるのだろう。
 レディベアはふわりと浮かび、空中で体勢を整えて起き上がった。
そして目を開くと、その真紅の目で祈を見た。

>「―――祈」

 レディベアから呼びかけられ、祈は頷く。

>「あなたの声、ずっと聞こえていました。
>けれども、わたくしは怖かった……。今まで信じてきたもののすべてが、ベリアルの作った虚構であったと知って。
>お父様が本来は存在しないものだったと知って、絶望した……。
>この世界に価値などないと。お父様と一緒でなければ、この世界にいたところで意味などないと――
>そう、思っていました……」

 繋いだままの祈の手を、レディベアは自身の胸元にまで引き寄せる。

>「けれど。そんなわたくしの弱い心を、あなたが引き戻してくれたのです。
>わたくしはベリアルの野望に用いられる道具。もはや用済みとなり、廃棄されるばかりの不用品。
>でも――
>そんなわたくしでも、まだ必要だと。生きていてもよいのだと、あなたが仰るのなら……」

 レディベアの開かれた左目から、大粒の涙がこぼれる。
それは微笑みと共に流れた、喜びの涙だというのは祈にもわかる。
 頬を伝って涙が零れ落ち、アスファルトを濡らした。

263多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/11/30(月) 23:42:45
>「……わたくしも。
>わたくしも、あなたと一緒に生きていきたい……!
>この世界にいたい、ずっとずっと、極彩色の空間の内側から覗き見て。長い間憧れていたこの世界に!
>祈、わたくしの大切なおともだち。大好きですわ……どうかどうか、わたくしを。ずっとあなたのお傍に――」

 再び祈はレディベアを、友達を抱きしめた。
目覚めてくれて嬉しいという気持ちを伝えるために。

「……ずっと一緒に決まってんだろ。あたしらは親友なんだから」

 そして、心底安心したような声で、祈はそう答えた。
 祈が伝えた、ずっと一緒に生きていたいと思うほどに好きだという気持ち。
それは、ノエルが言っていたようなものとは若干異なるが、しかし。
レディベアを大事に想う気持ちは大きく、また純粋であった。
 祈がレディベアから離れると、
繋がれたままの手を通じ、レディベアから光が祈へと伝播してきた。

「お……?」

 体の痛みや疲れが消し飛び、負傷箇所が消えている。
レディベアが傷を癒してくれたらしい。
 
>「今のわたくしの力では、これが精一杯ですわ。
>けれど、お父様の助力が得られれば、この劣勢も必ずや逆転させることができるでしょう。
>必要なのは、信じる心。強い願い、真摯な望み――。
>ひとつひとつの灯火は弱く、儚いけれど。多くを束ねてひとつにすれば……それは。太陽にも勝る焔となるのです。
>それを用いてお父様をこの世界にお招きし、反撃の狼煙と致しましょう」

 天に手を掲げるレディベア。

>「本来存在しないはずのお父様を現界させる力。そんな力がどこにあるのか、と?
>ふふ……。それはもう、ここに。はち切れんばかりに集っておりますわ!」

 そう言って上空に展開する無数の目達。
都庁内ではレーザービームを放ってくる危険極まりない攻撃手段だったそれだが、
今その目に映っているのは、スマートフォンやPCの画面のようだった。
 その画面には、東京ブリーチャーズの面々が映し出されている。
 SNSや動画サイト、TVなど、さまざまな媒体で。画像や音声、映像で。インターネットを通じて。
橘音や尾弐、ポチやシロ、ノエルとムジナなど二軍メンバー、祈達の戦いが共有・拡散されている。
 いいね!も、コメントもつき放題で、ブリーチャーズを応援する声が無数にある。
外国人のコメントがいくらでも映ることからも、海外にも伝わっていることが分かった。
『こいつ狐面探偵じゃんwww』、『この狼みたいなワンコ見たことあるわ』など、東京現地の声も散見された。

「すげぇ……」

 アンテクリストの声を聞いて、確かに一部の人は諦めて従ってしまったかもしれない。
だが、全ての人々が絶望したわけではなかった。
 思った以上に人々は強かった。そして東京ブリーチャーズを信じてくれていた。
 まさに今、希望は繋がれたと言っていい。
 龍脈の流れをアンテクリストに制限されている現状、
龍脈の莫大なエネルギーを使用して引き起こす奇跡、運命変転は使えない状況だった。
だが、この人類から祈達へと集まった希望のそうあれかしがあれば、それを代用して運命変転を再び使うことができる。
 この絶望的な状況をひっくり返し得るのだ。
 おそらくその土壌はできあがっていたのかもしれなかった
 東京には、難解な事件を瞬く間に解く、狐面の名探偵がいるという噂があった。
 謎の病原菌によって女子供が死んでいく事件が起こった時、
封鎖された商店街に侵入する奇天烈な集団が人々のカメラに収められていた。
 とある神社では突如吹雪が吹き荒れたが、そこから謎の男女が生還したのが目撃されている。
 獣の咆哮のような音が響き、人々が発狂した夜には、
落としたテレビのカメラに偶然、一条の赤い線を引きながら空を走る少女が映っていた。
 東京のどこかで暗躍し、事件を解決する存在を人々はきっと無意識に認識していたのだ。
 なにせその中心にいる狐面探偵・那須野橘音は、あまりにも目立つ存在だったが故に。

264多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/12/01(火) 00:14:01
>「さあ、祈。龍脈の力を。あなたの中の神子の資格、運命変転の奇跡を、今こそ!
>解き放つのです!」

「いいぜ。でも……――、
あたしらに手を貸してくれてる人達に説明なしってのは不親切だろ?」

 祈はそう言って、塞がれていない右手で、迷い家の方向を示した。
そこには、勇敢にもこちらを撮影している人々がいる。
 彼らはそうあれかしを提供し、自分達を後押ししてくれる協力者。
彼らに何も話さないのは礼儀に反すると祈は思った。
 それに懸念点として、妖怪大統領が急に出現したらどう思われるか、というものがある。
『わからない』は恐怖を生む。
天空に突如として巨大な眼玉が出現したら、事情を知らない人々は、
それを偽神や悪魔の更なる一手と思って、混乱する可能性がある。
 そうすれば、妖怪大統領が味方として現れたとしても、
敵かもしれないと思った人々のそうあれかしに上書きされて、『巨大な目玉を持った別の脅威』となるかもしれない。
 一つの行動が絶望の呼び水となってしまいかねないこんな状況だからこそ、
人々が安心ししてくれるように、慎重に行動する必要があるのだ。
 先程の映像には祈の顔もばっちり映っていたことであるし、もはや怖いものはないともいえた。
 故に、祈はレディベアの手を引いて、こちらに向けられたスマホやカメラの前に躍り出る。

「汗ドロドロでごめんね。これ配信中? 悪いけど、ちょっとあたしら映してもらっていい? 
話したいことがあるんだ」

 などといってカメラを向けさせ、

「――あたしらは東京ブリーチャーズ。今、陰陽師や妖怪達と協力して、悪魔と偽者の神様と戦ってるとこなんだ」

 真剣な表情で、カメラの向こうにいる人々へ呼びかけた。

「そんで次は、逆転の為に強力な助っ人を呼ぶ。名前は妖怪大統領、バックベアード。
空にでっかい目玉が現れるけど、あたしらの味方の妖怪だから、どうかビビらないでいてほしい」

 それは、今できうる限りの情報開示と。

「もちろん、『悪魔や偽者の神様にも』。
あいつらは人の負の感情で強くなる。もうだめだ、おしまいだってみんなが思ってたら、
あいつらがどんどん強くなって、あたしらでも勝てないかもしれない。
だからみんなも辛いだろうけど、あたしらと一緒に自分の中の恐怖と戦ってほしい」

 協力要請だった。

「……あたしからはそれだけ。みんなよろしくね。カメラありがと!」

 祈はそういって踵を返し、レディベアと共に、迷い家の前から離れていく。
 最後に一度、振り返ってカメラに笑顔で手を振った。
逆に不安に思わせていないかと思ったのだ。
 そして少し迷い家から距離を取ると。

「じゃ、いくか、モノ」

 立ち止まって、右拳を握りしめた。
万事は尽くした。後はただ、やるだけだ。

「――『変身』」

 目を閉じ、小さく呟いて。
赤髪、金眼、黒衣の――ターボフォームへと変身する。
 そして、

(『運命変転』……運命よ、変われ――)

 自分達に集まった『そうあれかし』を一つに纏め始めた。
世界中から集まったそれは、祈を中心に渦を形成し、竜巻の如き風となった。
 その力を束ね、運命変転の力を発動させ、形を与える。
 祈は目を開き、握ったままの右手を天へと突き上げた。

「――来い!! 妖怪大統領、バックベアード!!」

 祈の右手の甲に龍の紋様が浮かぶ。
それが一層輝いたかと思うと、その輝きは光球となって空へと、まるで花火のように打ち上がる。
そのまま上空の極彩色へと溶けていった。
 それは、レディベアの言うように反撃の狼煙だ。
 レディベアの父としての人格があるかないかはわからないが、
どうあれバックベアードはブリガドーン空間そのもの。
顕現すれば、アンテクリストからブリガドーン空間の主導権を奪い返してくれるだろう。
それによって、アンテクリストを支える両翼のうち、一つがもがれることになる。
 そして、橘音の策が成功すれば魔法陣が消え、龍脈の流れも正常に戻る。
もう一つの翼をも、もぐことができる。
 だが、神を地に落とすための切り札ともなれば、切るのに代償がいる。
祈は己の中で、一際大きく何かが砕けるような音を聞いた。
 感覚的に、己の可能性や未来といったものがまた消えたこと、
そしてこれ以上失えば、きっと自身の命を喪うような結末を迎えることがわかる。
 だが、祈はこの選択に後悔はない。
 どの道ここを、アンテクリストを超えないことには、祈達に可能性も未来もないのだから。
皆で幸せな未来を生きるための、ささやかな代償に過ぎない。
残されているであろうたった一つの可能性を、大事に守ればいいだけのことだ。
 なにせ友達と生きると約束したのだ。死ぬわけにはいかない。

 ゴゴゴゴ、と空から何かが落ちてくるような音が響いてくる。
いままさに、妖怪大統領が顕現しようとしていた。

265御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/12/06(日) 10:06:51
小豆弾の直撃を受けた獄門鬼は、轟音を立てながら呆気なくあおむけに倒れた。

「やりぃ!」

あずきとハイタッチをする御幸。だがしかし。
二つあがった水柱ならぬ血柱から、二体の獄門鬼が出現する。

>「ブッゴォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!」

「えぇ……復活してる……」

「しかも増えてる……」

ドン引きしながら呟く二人。

「プラナリアじゃあるまいしまさか無限に増えることはないはず……!
一体一体は弱いからとりあえず片っ端から倒そう!」

御幸は気を取り直して皆によびかける。しかしそのまさかである。
小豆スマッシュを主軸として獄門鬼を倒し続けた御幸(と豆投げ係のあずき)だったが、
数十分後、増えに増えた獄門鬼はすでに10体になっていた。

「これ……無限に増えるんじゃ……! もう無理! マジで無理!」

>「ホンマかなわんなァ……。
 こうなると分かっとったら、最初っから尾弐のアニキんとこ行ったっちゅうに……。
 色男に恩売ったろなんて考えるんやなかったわ……」

あずきやムジナが割とマジで泣き言を漏らし始める。

「どこ行ったってここよりマシな保証は無いよ!?
橘音くんが結界を張るまで時間稼ぎ出来ればあとはこっちのもんだから! それまで何とか持ち堪えよう!」

そう、目的は飽くまでも橘音が結界をはりおわるまでの時間稼ぎだ。
そこまで持ちこたえさえすれば状況は大きく変わるはず。
そう思っていたのだが、現実はそれすら許してくれそうにはなかった。

>「……ッ!?
 これは……!」

カイの足元から新たな獄門鬼が出現し、足首を掴んでいた。

「今助ける! あずきちゃん、豆を!」

獄門鬼は小豆スマッシュを当てればとりあえずは倒れるため、あずきに豆を要請する。
しかしあずきの足元が落とし穴のように開いたかと思うと、上半身と下半身が分断される。

「……!?」

新たに出現した獄門鬼に噛み千切られたのだった。
あまりの事態に驚愕している間に、逆さ吊りになったカイの胴体を槍が貫通し、地面に打ち捨てられる。

266御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/12/06(日) 10:07:59
「……死なせてたまるかッ! 眠れる森の白雪姫《スリーピング・スノウホワイト》!」

我に返った御幸は、あずきとカイに同時に妖術をかけ救命措置を施す。
二人は瞬く間に氷漬けになり、決して壊れぬ妖氷の中におさまった。
致命傷を負った味方の延命――コカベルを破った妖術の本来の使い方だ。
死なずに済むとはいっても、それも御幸達がこの場を切り抜けられればの話だが。
あずきの戦闘不能によって小豆という最大の武器が使えなくなってしまった上に、至るところから新たな獄門鬼が出現する。
戦況は一気に悪化し、仲間達が次々と倒れていく。

>「くそったれが……」

「信じよう、橘音君たちを……」

御幸は新しいそり靴に妖氷のブレードを出現させた。接近戦を挑むつもりだ。
尾弐が酒呑童子になった時は、叛天のため接近戦は実質不可能であったが、カイが接近戦をしていたのを鑑みるに、この獄門鬼達には多少は通用するようだった。
雪女は一般に接近戦をする妖怪とは認識されていないこと、
また、カイの戦闘力はあたらしいそり靴によるところも大きく、妖具は弱体化されないことに加え、一体一体は尾弐が化した酒呑童子よりは遥かに弱いことによるのだろう。
ついにばけものフレンズ達のガードを突破し、獄門鬼のうちの一体が一般の人間に迫る。

「アイスエッジサルト!」

自らの通る道を凍らせながら滑走し、妖氷のブレードで宙返り回し蹴りを放つ。
獄門鬼は倒れるまではいかずとも衝撃を受けて後退した。
尾弐が酒呑童子になった時は、叛天のため接近戦は実質不可能であったが、カイが接近戦をしていたのを鑑みるに、この獄門鬼達には多少は通用するようだった。
雪女は一般に接近戦をする妖怪とは認識されていないこと、
また、カイの戦闘力はあたらしいそり靴によるところも大きく、妖具は弱体化されないことに加え、一体一体は尾弐が化した酒呑童子よりは遥かに弱いことによるのだろう。

「みんな、迷い家の守りをお願い! ホワイトアウト!」

残ったばけものフレンズを迷い家のあたりまで下がらせ、そこにホワイトアウトをかける。
見えなくして迷い家や作戦の要である姥捨の枝を獄門鬼達の攻撃対象から外し、攻撃対象を自分に集中させるのが狙いだ。
血の海を滑走して獄門鬼達を翻弄しながら、薙刀ほどのリーチの巨大な傘をぶん回してノックバックさせ、繰り出された攻撃はシールドを展開して防ぐ。

>『―――――ヒトよ』
>『愚かなる者たちよ。蒙昧なる者たちよ。――虫けらどもよ。
 汝らの眼前に降臨した私が、果たして何者であるのかさえ理解できぬ者どもよ。
 嗚呼、しかし、汝らの愚かなることを責めはしない。
 なぜならば。汝らは愚かなる者として定義され、愚かなることをするために創造されたがゆえである』

頭の中にアンテクリストの声が響いてきた。
それは仲間の妖怪や一般の人々にも聞こえているようで、動揺の気配が広がる。

267御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/12/06(日) 10:10:15
>『泥から生まれし者たちよ。
 汝ら愚かな者たちを導くために、私は降臨した。長き封印の軛は既になく、私は解き放たれた。
 畏れよ、私を。崇めよ、私を――我が名はアンテクリスト。
 この大地を。世界を。星を。一から創り変える創造神、終世主なり――――』

「おい、聞こえるか!?」「創造神だって……!?」

「あ……! 折角隠してるんだから騒いじゃ駄目!」

一般人のどよめきに引き寄せられるように、迷い家の方に向かう獄門鬼達がいた。
人々の誘導をしているハクトに金棒が振り下ろされんとする。

「私の愛玩動物におイタするんじゃな――い!!」

御幸は大ジャンプして半ば体当たりのように横合いから蹴りを叩き込む。
振り下ろされた棍棒は横に逸れて事なきを得た。

「乃恵瑠……!」

が、ハクトの悲鳴が響く。

――サクッ

シャーベットにフォークを刺したような、冗談のような軽い音。
御幸が自分の体を見下ろすと、刀が左胸を貫通していた。
着地でバランスを崩したところに、新たに出現した獄門鬼が刀を突き出したのだった。

「嫌あああああああああああああ!? 死んだぁあああああああああああ!!」

無論、人間だったら叫ぶことも出来ずに即死だが、まだ元気に叫んでいる。
雪女は妖術系妖怪のため、防御力自体は決して強靭な方ではない。
が、本来血肉を持たないものが便宜上実体を得ている存在である故に、物理的な身体の欠損に対する耐性は、極めて単純な原生動物に近いのかもしれない。
すでに包囲網を突破され、楔となる妖具に敵の魔手が迫っている。
御幸は半ば強引に後ろに飛び退って刀を引き抜くと、ハクトを強引に迷い家の中に押し込んだ。

「君は入って!」「でも!」「いいから!」

迷い家の扉を閉めた御幸は、姥捨の枝を大事に抱えた。

「これは渡さない!」

迫る獄門鬼に回し蹴りを放つ。
その足に斧が振り下ろされ、右脚の膝から下がスパッと切り飛ばされた。

268御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/12/06(日) 10:12:10
「ぐあぁっ……!」

血の海の中に倒れ込んだ御幸に、金棒が振り下ろされる。
右に体を捩じって辛うじてど真ん中に直撃は免れたものの、左腕が肩からごっそりクラッシュアイスのように消し飛んだ。
御幸は死んだように動かなくなった。
そんな中、アンテクリストの口上は続く。

>『我は神。この腐った世を創り変える、ただ唯一の神性。
 私に縋れ、私を崇めよ。私に帰依し――ただ私のみを信奉するがいい。
 それ以外は死ね。我が数百億の眷属が、汝らを殺そう。皮を剥ぎ、目玉を刳り貫き、指の先から一寸刻みにしてゆこう。
 生きたまま臓腑を貪り、この世のありとあらゆる痛苦を味わわせてやろう。
 さあ――
 潰れて死ね。
 狂って死ね。
 嘆いて死ね。
 爛れて死ね。
 砕けて死ね。
 萎れて死ね。
 もはや、この世に私を讃えぬ者の住む場所はない――』

ばけものフレンズ達の負けがほぼ確定している、というよりすでに負けている状態でのこの揺さぶり。
流されない人間はまずいないだろう。

「死にたくないよぉ!!」「崇めれば助けてもらえるのか!?」「アンテクリスト様万歳!」

獄門鬼が今度こそ御幸ごと姥捨の枝を木っ端微塵にせんと金棒を振り上げる。
その時、死んだように横たわっている御幸の唇が動いた。

「眠れる森の白雪姫《スリーピング・スノウホワイト》……!」

――ガキンッ!

振り下ろされた棍棒は、氷塊に阻まれた。御幸は右腕で姥捨の枝を抱えたまま氷漬けになっていた。

269御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/12/06(日) 10:13:28
氷漬けになっている間は、獄門鬼達は姥捨の枝に手出しは出来ない。これにより、自分ごと楔を安置した形になった。
御幸だけではない、満身創痍のばけものフレンズ達や、まだ避難所に入れていない一般の人々も全て氷漬けになっている。
対象指定でやっとのこの妖術を、広域に範囲拡大するのは通常は不可能だが、
アンテクリストに脅迫された人々自身の「死にたくない」という想いがこれを可能にしたと思われる。
また、獄門鬼が勝利したと思い込んでおり叛天の展開もしていなかったのも幸いした。
尤もこれで時間稼ぎは出来ても、状況は好転もしない。
このままアンテクリストの掌握するブリガドーン空間が東京中に広がってしまえば、こんな悪足掻きは意味を成さない。
遠い未来に自分ではない誰かが問題を解決してくれていることに希望を託すコールドスリープと同じ。
他の場所で戦っている仲間がどうにかしてくれることが前提の、他力本願の極み。
運命を切り開き状況を動かす役回りは自分ではないと開き直っているからこそできる芸当だ。
ハクトは、微かに聞こえてきた詠唱と、窓の隙間から見た皆が氷漬けになっている光景から、事の次第を察した。
御幸が自分を迷い家の中に押し込んだ意味も。状況が動いた時に起こす役回りが必要だ。
霊的聴力を持つハクトであれば、遠く離れた場所の音からも戦況が動いたことの感知ができ、
御幸を起こすために必要な人材の居場所も分かる。

「……サトリちゃんを連れてこなきゃ!」

精神に直接干渉する能力があるサトリなら、自ら氷漬けになった御幸を簡単に起こすことが出来るだろう。
ハクトはそう思い至り、駆け出した。SnowWhiteで飼われている他の妖怪達と一緒に避難しているはずだ。

270尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/12/12(土) 13:38:10

>「はッははッはははは……アンテクリストめ、いじましい手を使いおる!
>だが衆愚に効果は抜群か!あいつ、自分が親父と同じ手段を用いておることに気付いておるのかな?」
「オジサンにゃわからねぇが、気付いてんなら惨めな話だ!悪を名乗って神サマごっこ!親父の猿真似たぁ随分滑稽じゃねぇか!」

両手に掴んだ悪魔の頭を握り砕き、尾弐は天邪鬼の嘲弄に獣の如き笑みで返事を返す。
戦闘が始まって既に数時間。尾弐と天邪鬼は幾百幾千の悪魔を切り捨て砕き潰して見せた。
周囲には悪魔の死骸で小山が築かれ、血と臓腑が流れるその光景は地獄が如く。
荒れ狂う暴力と武技は、まさに一騎当千。万夫不当の大立ち回り。

>「アンテクリスト様……!助けて下さい!」
>「い、嫌だ!殺されたくない!死にたくない!アンテクリスト様あ!」
>「お救い下さい……お救い下さい……!神様、アンテクリスト様……!」

だがしかし――――尾弐達の活躍を以てしても足りない。
何百何千の悪魔を下そうと。
人を害する虫の一匹すら通さずとも。
獅子奮迅の奮闘でも。八面六臂の活躍を見せて尚。

人々の絶望を覆し、希望の炎を燃やすための力には足りない。

無尽蔵の悪魔。終わらぬ戦い。増え続ける犠牲。
そして……アンテクリストによる誘い。
光見えぬ現状から抜け出すため。あるいはこの場の自分が助かるため。
折れ転んだ人々の『そうあれかし』が次々に終世主へと集まっていく。
其れは、尾弐黒雄に一つの事実を……目を背けたくなる事実を突きつける。

『悪は強く、人間は弱い』

原始――人が人という生物に為る前。地を這う哺乳類であった頃からの遺伝子に刻まれているもの。
悪意強き者が他者を喰らい、従え、栄華を極める。そんな弱肉強食の摂理。
その摂理が、悠久の時を経て現代に牙を剥く。

>「ちいッ……!
>クソ坊主、後退しろ!守備範囲を狭める!
>気付いておるだろうが……こ奴ら、強くなっておるぞ!」

「っ……こいつぁ、ちと不味いか!応、了解だ!」

渋面を作りながら、尾弐は突き刺した手刀を悪魔の胸から引き抜き、天邪鬼の言に従って後退する。
天邪鬼の言葉の通りに……悪魔達は強くなっている。
これまで無造作に腕を薙ぎ払えば殲滅出来ていた有象無象は、気付けば全うに攻撃を当てなければ絶命に足らなくなっていた。
また、その攻撃も苛烈さを増している。
修行により悪魔の軍勢の攻撃に対して一度の被弾もしていない尾弐だが、それでも尾弐の肉体の頑強さを上回る膂力をもつ個体が現れ始めた事をその戦闘勘から把握していた。
戦略的撤退といえば聞こえはいいが、事実は敵の圧力への圧し負けだ。

そして、往々にして無策で引けば状況とは悪化するもの。
尾弐にとっての誤算は、この場に居る者達がただの……ごく普通に日常を生きてきた人間であったという事。

271尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/12/12(土) 13:39:45
>「うぁぁぁぁぁん……ママぁ……!」
「なっ……どうして子供がいやがんだ!!」

大人であれば、戦線の後退を感じて混乱しながらも撤退を選べたであろう。
だが、幼い子供にそんな真似が出来るはずもない。
親とはぐれたのだろう庇護を求め泣きわめく少女。その泣き声こそが――――悪魔を引き寄せる。

「間に合わねぇ……っ!!」

既に戦線を後退させた尾弐の位置からでは、救助は間に合わない。悪魔達の壁を突き崩して間に合わせる事は出来ない。
それを理解した尾弐は強烈な危機感を覚える。それは、ここで少女を助けられなければ……間違いなく戦線が崩壊し敗北するという確信から。
悪魔達は人間たちが抱いた負のそうあれかしにより強化を重ねている。それでも戦線が維持出来ているのは、未だ心折れぬ者達が居るからだ。
だがそんな人間達の目前で、幼き少女が惨殺されてしまえば……間違いなく、人々の心は折れる。
そしてそれは、尾弐とて例外ではない。一度の犠牲を許せば、きっと箍が外れる。少数を犠牲にし多数を救うを道を選ぶ事になる。

奇跡はない。ここはアンテクリストが築いた魔境。
悪魔の腕は振り下ろされ、少女は命を落とす。それを止められる者が居るとすれば

>「危ない!!」

それは、意志持つ者。奇跡ではない、生きて戦い救わんとする精神の力。
妖面を被った彼の者の名は――――那須野橘音。
東京ブリーチャーズのリーダーは、その身を挺して少女を悪魔の腕から救い出したのだ。

「!? 橘音ええぇぇッッ!!!!!!!!」

そして……愛しき者。守ると誓った者が傷付けられた事で、尾弐は激昂する。
被弾を恐れず、発勁による攻撃で眼前の悪魔の腹を吹き飛ばす。偽針を以て複数の悪魔の心臓部を串刺しにする。
砕いて壊して貫いて切り裂いて引きちぎり

「散りやがれ有象無象のゴミ共!!【黒尾】っ!!!!!!」

群がり攻め来る悪魔達を、切り札をもって討ち払う。
数十の悪魔達による一斉攻撃。その破壊力が、収束されそのまま悪魔の群れへと返され……群れに大きな穴を開ける。

>「……クロオ、さん――」
「っ……喋るな橘音。回復に努めろ」

そしてとうとう――――少女を襲った悪魔を討ち払ったものの、満身創痍となった那須野橘音の元へと尾弐は辿り着く。
彼の後ろに残っているのは、血で出来た赤い道標。それは悪魔の血ではない。尾弐黒雄の血だ。
防御を捨てての前身の結果、力を増していく悪魔の攻撃を無造作に浴びる事となった尾弐。
その背中や足には何本もの折れた剣や槍が突き刺さっており、脇腹に有る獣型の悪魔にに食い千切られた大きな噛み傷は、流れ出る様に血液を吐き出している。

「……ちっ、傷の移し替えの効が悪ぃ!アンテクリストのゴミが作った空間だからか……!?」

それでも、自身の重傷など全く感じていないかのように尾弐は那須野橘音を治療せんとあがく。
そんな尾弐に対して……那須野橘音は振り絞るように声を出す。

>「挙式は、地獄ですることになっちゃうかも……。
>……地獄でも……。ボクのこと、愛して……くれますか……?」

ヒュっと、尾弐の喉が音を鳴らした。思い浮かんだ、那須野橘音を失うという可能性に対する恐怖から。
怪我により衰弱している橘音。その嘆願するような声に対して尾弐は……

272尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/12/12(土) 13:44:15
「俺は、この先なんど死んで生まれ変わってもお前を愛するさ――――けど、悪いな橘音」
「お前さんとの結婚式は、お日様の下でやるって決めてんだ」
「だから、地獄への夫婦旅行は……幸せに生きて死んで、その後だな」

まっすぐ那須野橘音の顔を――眼の傷後も含めて真っ直ぐに見つめ、慈しむような優しい笑みを見せた。
そうして橘音を地面にそっと横たえると、一度その頭を撫でてからゆっくりと立ち上がる。
地面には自身の血液による血溜りが出来ているが、そんな負傷などしていないかのようにその背中は真っ直ぐで。

「なあ」

吹き飛ばされたものの、再びその穴を埋めるように歩み寄る無数の悪魔達に背を向け、
尾弐は自分たちが『守っている人間達』に問いかける。

「お前さん達。死ぬのは怖いか?痛いのは嫌か?」
「そうだよな――――ああそうだ。当たり前だよな。誰だって死ぬのは怖いし、痛いのは嫌なもんだ」
「俺もお前さん達と同じだよ。死ぬのは怖くて痛いのは嫌で、腰痛に悩んでて二日酔いで弱る、どこにでも居るオジサンだ」

その言葉には威圧も敵意もない。有るのは、隣人と世間話をするような気安さ。

「そんなオジサンがなんでこんな危ない思いして戦えてるかといやぁ……そいつは、俺がお前さん達よりも無駄に長生きしてるからだ」
「無駄に長生きして、本当に怖いものと守りたいものを知ってるからだ」
「……なあ人間。お前さん達が恐怖に屈して痛みに負けて、あの神サマもどきに従おうと考える事を俺は責めねぇよ」
「だがな、従う前にちっとだけ考えちゃくれねぇか」

「お前さん達がアレに屈したその先の未来で――――お前が愛する人は、ちゃんと笑ってるか?」

少しの沈黙。そうして尾弐は、人々の反応を見てから再度口を開く。
そこに込められているのは赤く……深紅に燃え盛る怒りの感情。

「もしも。もしも笑ってねぇのなら――――その未来を怖いと思うのなら!意地を見せてみろ人間っ!!!!」
「てめぇの幸せをぶち壊したクソ野郎にふざけんなと言い返せ!!!くたばりやがれと吠え立てろ!!!!」
「俺に!俺達に!!お前の幸せを食い潰して嗤ってやがる連中をぶん殴れと言って見せろ!!!!!!」

遠くの空で光が上がるのと同時に、尾弐は人々に背を向け、その姿を『作り変える』。
黒い闇で全身を覆い、数秒の後にその闇が晴れると……尾弐黒雄は鎧を纏っていた。
それは闘気で出来た鎧。闘神アラストールの秘儀を自己流に応用した、闘気外装。
この外装を纏う事で尾弐が飛躍的に強くなる事はない。せいぜい多少防御力が増す程度だ。

だがこの鎧は――――漆黒の鎧は。
まるで、人間達が幼い頃にテレビで見たヒーローの様だった。
神様ではない。悪を倒し平和を守る、どんな苦境にも諦めない正義の味方の様な造形だった。

荒れ狂う暴力や無双の守護でも安寧を得られなかった人間達に、図らずともその背中は問いかける。
お前達は『どうありたいのか』と。

一度首だけ動かし背後を見てから、尾弐黒雄は突貫を掛ける。悪魔に囲まれる外道丸を救うために。
人々に悪魔共を近づけさせない為に。壱秒でも長く那須野橘音を休ませる為に。

273ポチ ◆CDuTShoToA:2020/12/13(日) 04:25:49
遠吠えが響き続ける。悪魔どもは為す術もなく殺されていく。
一方的な蹂躙――だが、それは前触れもなく終わりを告げた。

>「これは、いったい――」

悪魔どもが撤退を始めたのだ。戦列の立て直し、といった様子ではない。
勝ち目がないと見て諦めたのか。いや、違う。奴らからは恐怖のにおいがしない。
ならば何故――ポチがそう考え、視界を広く取るべく人の姿へ再変化した時だった。

>『―――――ヒトよ』

不意に、頭の中に声が響いた。

>『愚かなる者たちよ。蒙昧なる者たちよ。――虫けらどもよ。
  汝らの眼前に降臨した私が、果たして何者であるのかさえ理解できぬ者どもよ。
  嗚呼、しかし、汝らの愚かなることを責めはしない。
  なぜならば。汝らは愚かなる者として定義され、愚かなることをするために創造されたがゆえである』

聞き間違えるはずもない、アンテクリストの声だ。
ポチが意図せず総毛立つ。
アンテクリストがただ名乗りを上げる為だけに、こんな事をするはずがない。

>『泥から生まれし者たちよ。
  汝ら愚かな者たちを導くために、私は降臨した。長き封印の軛は既になく、私は解き放たれた。
  畏れよ、私を。崇めよ、私を――我が名はアンテクリスト。
  この大地を。世界を。星を。一から創り変える創造神、終世主なり――――』

何か意図がある。何か意味がある。
それがどういうものなのかは、すぐに分かった。

>『我は神。この腐った世を創り変える、ただ唯一の神性。
  私に縋れ、私を崇めよ。私に帰依し――ただ私のみを信奉するがいい。
  それ以外は死ね。我が数百億の眷属が、汝らを殺そう。皮を剥ぎ、目玉を刳り貫き、指の先から一寸刻みにしてゆこう。
  生きたまま臓腑を貪り、この世のありとあらゆる痛苦を味わわせてやろう。
  さあ――
  潰れて死ね。
  狂って死ね。
  嘆いて死ね。
  爛れて死ね。
  砕けて死ね。
  萎れて死ね。
  もはや、この世に私を讃えぬ者の住む場所はない――』

あるいは、アンテクリストはただ、当然の事実を周知しただけなのかもしれない。
だが、真実がどうであれ、たった今告げられた神の啓示は、東京ブリーチャーズにとって最悪の事態を招いた。
つまり――「そうあれかし」が、絶望へと傾いていく。

そうだ。悪魔どもは何も馬鹿正直にポチ達を倒す必要などない。
ブリガドーン空間は広がり続けている。
獲物となる人間ならば、どこにでもいる。

しかし――ポチは撤退する悪魔どもを追わなかった。
無謀だからだ。四方へ遠ざかる悪魔の全てを狩り尽くす事は出来ない。
下手に一方へ追撃をかければ、手薄になったところから反攻され、迷い家を襲われるかもしれない。

それに――何か、嫌な予感がした。
野生の本能が警鐘を鳴らしていた。

>「いけない!」

だが――シロにはその警鐘が聞こえていなかった。
感受性、共感性、思いやり――シロはそれらによって衝き動かされた。
野生の本能ではなく、他者と触れ合い交わった事で身につけたもの――ヒトらしさによって動かされた。

だから――己の足元に潜んだ悪魔のにおいに気づけなかった。

274ポチ ◆CDuTShoToA:2020/12/13(日) 04:28:44
>「ッぅ、ぁ……!」

硬く鋭い牙が閉じるような音がした。
シロの右足首にトラバサミの刃が食い込んでいた。
瞬間――撤退の素振りを見せていた悪魔どもから、むせ返るような殺意と愉悦のにおいが渦巻いた。
その矛先は、言うまでもない。
ポチは全身の血の気が引くのを感じた。

「シロッ!!」

ポチが駆け出す。最愛のつがいを守らなくてはと――その一心で。
つまり――その様はひどく隙だらけだった。

ポチの行く手を悪魔どもが遮る。
彼らの動きは――先ほどよりも鋭く、力強かった。
対するポチの動作は焦りによって乱暴で、粗雑になっていた。

どうしても邪魔になる悪魔だけを仕留め、残りは全て不在の妖術で躱す。
その算段が狂った。
躱し、すり抜け、潜り抜け――そして、不在の妖術が終わった瞬間に眼前に立ち塞がる一体の悪魔。
大振りの爪撃よりも早く、その悪魔の蹴りがポチの腹部にめり込んだ。

「かっ……!」

咄嗟に不在の妖術は使った。
だが、矮躯に叩き込まれた威力は消せない。
姿と存在を消しつつも、ポチは大きく弾き飛ばされる。
シロとの距離が開く――もう、間に合わない。

「あ……」

剣が、槍が、シロめがけて降り注ぐ。鮮血が飛び散る。
牡牛のごとき悪魔がシロへと突貫する。肉が裂けて千切れる音が響く。
シロの体が宙へと跳ね飛ばされて、そのまま受け身も取れずに地面に落ちた。

「ああ……」

>「シロちゃん!」
>「治癒術式!急いで!」

陰陽寮の巫女達がシロに駆け寄って治療を図る。
だが――出血は止まらない。
千切れた右足首からは、とめどなく血が流れ続けている。
シロは全身に槍や剣が突き刺さったまま、ぴくりとも動かない。

「グ……ガ……ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」

立ち尽くしていたポチが叫んだ。
遠吠えなんてものではない。
怒りに溢れ、憎悪に染まり、絶望に晒され――最愛のつがいを喪ってしまったかもしれないと恐怖する精神が発する、絶叫だった。

ポチの全身が漆黒の被毛に覆われていく。膨張する。夜色の妖気が溢れ返る。
送り狼の悪性、その全てが解き放たれる。そして――悪魔どもへと襲いかかる。

邪悪な妖気を通わせた爪は肥大化し、しかし山羊の王から受け継いだ黄金の輝きは塗り潰されている。
錆び付いた大鉈のごとき爪が悪魔の一体を八つ裂きにする。
鉄杭のごとき牙が、迫る悪魔の頭部を果実のように噛み砕く。

だが――そんな事は、まるで大した事ではない。
ポチはたった二匹、悪魔を殺しただけ。
怒りに狂い、憎悪に身を任せて――後先考えずに。

悪魔どもが、そんなポチを背後から襲う事は容易かった。
ポチの背中から腹部へと、何本もの刃が、爪が、貫通していた。

275ポチ ◆CDuTShoToA:2020/12/13(日) 04:30:29
「……ゴオオオオッ!!!」

咆哮。ポチの存在がこの世から消える。
次の瞬間、ポチの背を刺した悪魔が二体、互いの頭部を打ち付けられて絶命した。
ポチは更に暴れ狂う。悪魔どもを引き裂き、握り潰し、噛み砕く。
そして――繰り出した手数の何倍もの傷を、全身に受け続けた。

取り乱し、つがいも倒れ、無防備になった背中を刺された。
怒りに呑まれ、大振りになった爪撃を掻い潜られ、腹を切り裂かれた。
たかが一匹の悪魔を噛み殺した代わりに、捨て身の反撃によって左目を潰された。

それでもポチは止まらない。
『獣』の右目とにおいを頼りに悪魔どもへと襲いかかり――不意に、がくりと膝を突いた。
血を流しすぎた。悪魔どもはただ、ポチが疲弊するのを待つだけで良かった。
そんな事にさえ気づけなかった。

体勢を崩したポチの全身を、悪魔どもの刃が突き刺す。斬り裂く。打ち付ける。

「……グ……ルル……」

ポチは、先ほどの咆哮とは比べ物にならないほど微かな唸り声を零した。
直後、その姿が再びこの世から消える。
今度は、ポチはすぐには現れなかった。
数秒の間をおいて――ポチはシロの傍で姿を現した。

「……シロ」

『獣』の右目さえ潰されて、においだけを頼りに、ポチはシロにすり寄る。
そして――斃れた。もう、立っていられるだけの力も残っていなかった。
シロのにおいは、彼女と自分自身の血のにおいによって、うっすらとしか嗅ぎ取れなかった。

「シロ……だめだ……死んじゃ、だめだ……」

ケ枯れによって獣の姿に戻ったポチは、うわ言のように呟いた。
空っぽの眼窩から、涙のように血が溢れ続けている。
覚悟は決めたつもりだった。もし駄目だったとしても、最期まで一緒だと。
だが――刻一刻と濃くなっていく血のにおいと、それに塗り潰されていくシロのにおい。
自分のすぐ傍で、最愛のつがいが死のうとしている。
その絶望を、ポチは正しく想像出来てはいなかった。

「いやだ……シロ……死なないで……ねえ……返事をしてよ……」

ポチは力を振り絞る。体を起こして、よろめきながら一歩前へと踏み出す。
シロのすぐ隣へ。

「……………………シロ」

今もなおシロを治療すべく手を尽くす巫女の一人、その首に牙が届く場所へ。
自分達は、妖怪だ。
人間の命を奪い、その血を啜れば――噴き出す鮮血がシロの口に降り注げば、まだ傷は癒せるかもしれない。
間違っていると分かっている。してはいけないと分かっている。

だが――何も出来ないままシロが死ぬなど、受け入れられない。
自分達を必死に助けようとしている人間の首を噛み砕く。
いっそ、そんな狂気に身を委ねてしまいたくなるほどに――ポチは恐怖していた。絶望していた。

ポチがふるふると震えながら、あぎとを開く。そして――





「…………助けて」

そう、零した。

276ポチ ◆CDuTShoToA:2020/12/13(日) 04:32:28
「誰か……誰か!誰か助けて!お願いだから……!」

大量の血を吐き出しながら、虚ろな双眸から血涙を零しながら、ポチは声を振り絞った。
それは最後の足掻きだった。
結局――ポチは巫女の首に食らいつく事が出来なかった。
その狂気に染まり切る事は出来なかった。

それをすれば、もしかしたら自分もシロも生き永らえる事が出来るかもしれない。
だが巫女の位置を探ろうと、においを嗅ぐと、どうしても思い出してしまう。

陰陽寮での事件が解決した後、芦屋易子の元へと駆け寄る巫女達。
あの時、自分をワンちゃんと呼んだ、屈託のない笑顔。
それを見た芦屋易子の、穏やかな微笑み。
愛情のにおい。

この期に及んで、過ぎ去った時間になんて何の意味もない。
そう分かっていても、ポチには出来なかった。
あの思い出を自らの牙で引き裂いてしまうなど、どうしても出来なかった。

「橘音ちゃん!尾弐っち!ノエっち!祈ちゃん!」

だから――これが、ポチの最後の悪足掻き。

「……芦屋さん!富嶽のお爺ちゃん!誰か……誰でもいいから……!」

だが――返事はない。あるはずがない。
分かっていた。それでも足掻きたかった。
シロを救う為に、何かがしたかった。そしてそれは失敗に終わった。

「……シロ」

ならば――次にすべき事はもう決まっている。
皆を守らなければならない。約束を果たさなければならない。
ポチはシロに寄り添う。名残を惜しむように、その頬に顔を擦り寄せる。

「……大丈夫。ずっと一緒だ」

そして――――――あぎとを開く。

「僕が守ってあげる……」

思い出が、ポチの脳裏を通り過ぎる。
始まりは博物館から。シロと初めて出会い、言葉を交わし、守りたいと願い――赤い血と月光に染まった、彼女の姿。
あの時、ロボが口走っていた言葉。ポチはそれを深く思い出す。

「……もう二度と、君を誰にも、傷つけさせたりしない」

あの狂気を、復唱する。自らの心にも纏わせる。

「だから……だから、今はおやすみ」

血の涙が流れる――もう、これしか道は残されていない。

277ポチ ◆CDuTShoToA:2020/12/13(日) 04:33:40
「……『獣』」

ポチが、『獣』が、シロを喰らう。
その命を奪う事で、ポチは傷を癒やす。
同胞殺しの狂気、最愛殺しの狂気が、ポチを恐れを知らぬ怪物に変える。

そして――ポチは皆を守る。
すべき事が全て終わったら、『獣』はポチを喰らう。
それで、ポチとシロはずっと一緒だ――約束は果たされる。

「ごめん、『獣』。お前との約束は……守れなかった」

『……いいや。短い間だったが……ニホンオオカミは、確かにここにいた』

「……それでも、ごめん」

ポチが牙を剥く。その先端がゆっくりとシロへと近づいていく。
シロを喰らう為に。シロの命を奪って、自分のものにする為に。
血を流しすぎているのに、鼓動が早まって、苦しい。
本当は――こんな事したくない。この戦いが終わってからも、皆と一緒に生きていたい。
体が震える。息が詰まる。吐き気がする。頭が痛い。
それでも、成すべき事を成さねばならない。

「…………祈ちゃん」

未練が、ポチにもう一度だけ、その名を呼ばせた。

278那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/12/21(月) 21:18:13
>汗ドロドロでごめんね。これ配信中? 悪いけど、ちょっとあたしら映してもらっていい? 
 話したいことがあるんだ

「祈……?」

レディベアが戸惑うのをよそに、祈が無数のカメラやスマホの前に立つ。
虚空に浮かんだ無数の目に、祈とレディベアの姿が映し出される。

>――あたしらは東京ブリーチャーズ。今、陰陽師や妖怪達と協力して、悪魔と偽者の神様と戦ってるとこなんだ

そして祈はカメラを前に、自分たちの事情を説明し始めた。
自分たちは今、東京を蹂躙している悪魔たちと戦っている者だと。妖怪や陰陽師たちと力を合わせているのだと。
それは今まで秘密にしていたこと。秘されていなければならなかったもの。
妖怪の存在や、それを斃して東京を守護する者たちの存在を、ネットという満天下にさらけ出すという行為であった。

「ななな……、何やってくれちゃってんの――――――――っ!!!??」

この世ならざる場所、現世と常世の狭間に位置する華陽宮で様子を見ていた御前は仰天した。
妖怪の存在を知るのは、人間のごくごく一部。支配階級や旧い家柄といった、限られた者たちだけでなければならない。
伝承に語り継がれてきた化け狐に雪女、鬼や送り狼。ターボババアといった現代の都市伝説。
それらの妖怪が御伽噺ではなく実際に存在すると人々が認識してしまえば、社会は大混乱に陥ってしまうだろう。
だからこそ、御前を始めとした五大妖は協定を結び、自分たちの存在を厳重に秘してきた。
日本だけではない、海外の妖怪――神や天使、魔物、妖精、精霊といった者たちにしてもそうだ。
自分たちは幻想の住人である、そう人間たちに認識させてきたからこそ、今まで互いに不可侵の平和を保ってこられたのだ。
だというのに――

「御前、これは偽神降臨よりも余程由々しき事態なれば。御裁断を」

「四大妖からホットラインにて問い合わせが来ておりまする。四大妖のみならず唐土からは太上老君、
 希臘からゼウス。天竺からはヴィシュヌよりの連絡も――」

「あばばばば……。
 に、二千年来の妖怪と人間の秩序がぁ……。世界の均衡がぁぁぁぁ……」

狐面をかぶった侍従たちが次々に告げてくる。御前は頭を抱えた。
祈がやったのは化生の根幹を揺るがす大罪だ。東京ブリーチャーズの創設者として、
御前は即座に他国の神大妖たちに釈明をしなければならない。

>そんで次は、逆転の為に強力な助っ人を呼ぶ。名前は妖怪大統領、バックベアード。
 空にでっかい目玉が現れるけど、あたしらの味方の妖怪だから、どうかビビらないでいてほしい

華陽宮の大広間に備え付けられた大きな液晶ディスプレイいっぱいに映った祈が、カメラ越しに呼びかける。
その映像が電波に乗って、瞬く間に世界中へと拡散してゆく。多くの人間たちの知るところとなる――。
東京都だけ、もしくは最悪日本だけであれば、御前の力で人々の認識を書き換え祈の暴露を無かったことにすることも可能だった。
しかし、もう間に合わない。祈の暴露はこの地球へ遍く行き渡ってしまった。
世界の調停者たる御前にとっては、到底許し難い行為である。

>もちろん、『悪魔や偽者の神様にも』。
 あいつらは人の負の感情で強くなる。もうだめだ、おしまいだってみんなが思ってたら、
 あいつらがどんどん強くなって、あたしらでも勝てないかもしれない。
 だからみんなも辛いだろうけど、あたしらと一緒に自分の中の恐怖と戦ってほしい

「………………」

恐怖に負けるな、と。
一緒に戦ってほしい、と。
汗だく、血まみれ、泥だらけの姿で懸命に言い募る祈を、御前はちらりと見る。
そして大きく四肢を投げ出すと、

「あーあ!やーめたっ!」

と言って、自分専用のふかふかのソファに倒れ込むように身を沈めた。
侍従たちが戸惑いの声をあげる。

「御前!?」

「わらわちゃんの負け!こんなコトされちゃったら、もー手も足も出ないよ!どーしょーもないし!
 イノリンめぇ……まさかこんな手に出るなんて!やーらーれーたーっ!!」

たっはー!と困ったように笑いながら、ぺちんと右手で自分の額を叩く。
が、何も捨て鉢になって何もかも投げ出してしまった訳ではない。御前は額に手を添えたまま大きな液晶モニターに視線を向け、

「ま……どっちにしても、妖怪や陰陽師たちだけじゃあの紛い物の神には勝てない。人間たちの『そうあれかし』がないとね。
 それに……わらわちゃんたち妖怪も、そして人間たちも。そろそろ変わる時期なのかもしれない。
 同じ星に住む生き物同士なのに、片方が身を隠して。もう片方に気付かれないように生きるなんて――
 そんなの。なんか違うじゃん?」

と、言った。
龍脈の神子は、この惑星の力を使う者。この星の意思の具現。
ならば、その祈がすることは。選ぶ道は。きっと正しいのだろう。

「御前。北欧のオーディンよりホットラインが――」

「うるっせーッ! 今、ウチのコたちがカラダ張って何とかしてる最中だよ!見りゃわかンだろ!
 ああ?責任?ンなモン、わらわちゃんが取ってやるっつーの!こういうトキに責任取んのが上司の役目だろ!
 こっちゃもう、とっくにラグナロクなんだよ!!ボケ!!!
 無能神の烙印捺されたくなかったら、そっちの信徒にもありったけ『そうあれかし』を集めるように神託下せ!」
 
侍従が古めかしい黒電話を恭しく運んでくる。
その受話器を取り、電話越しに怒罵をまくし立てると、御前はガチャンッ!!と乱暴に通話を切った。

279那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/12/21(月) 21:18:38
>じゃ、いくか、モノ

「ええ。参りましょう……祈」

互いの手指を絡めて繋いだまま、祈とレディベアは顔を見合わせた。
祈の姿が金髪黒衣のターボフォームに変化する。真っ白い出で立ちのレディベアとは対照的な色合いだ。

「人々の想いを。希望の未来に進んでゆきたいと願う力を。『そうあれかし』を。
 ひとつに繋げて。絶望を……覆す!!」

周囲に展開した無数の眼から、キラキラと輝く光の粒子が解き放たれて祈へと集まってゆく。
眼からだけではない。避難所にいる人々の身体から、街の至る所から。
いまだ希望を失わない、悪魔の齎す破滅と破壊に屈さない心が。強い気持ちが、『そうあれかし』が――
夥しい量の輝きとなって、祈の周囲で螺旋を描く。
そして。

>――来い!! 妖怪大統領、バックベアード!!

「お父様、お目覚めを!今こそ、生まれ変わりの刻――!!」

黒と白の少女がそれぞれ、繋いでいない方の手を高々と空に掲げる。
祈の突き上げた右手の甲で、龍の紋様が輝く。
レディベアの双眸がそれぞれ、真紅と金色に輝く。
祈とレディベアだけではない、今や避難所のみならず周囲一帯をも包み込む膨大な量の光が、
尾を引きながら空へと駆け上がってゆく。
流星のような光の奔流は空をぶ厚く覆っている禍々しい雲にぶつかると、ぱぁんっ!と花火のように弾けた。
途端、それまで決して混ざり合わない絵の具のように禍々しい極彩色に染まっていた空が、
黄金の光によって瞬く間に塗り潰されてゆく。
光によって覆われた、美しい空。温かく穏やかな大気の満ちる空間。
それは祈とレディベア、ふたりの願いが、至純な想いが。決して挫けない人々の心と『そうあれかし』が生み出した、
希望に溢れた世界。
妖異に満ち満ちた、虚構と現実の境が曖昧な異空間ではない。
真の『ブリガドーン空間』の姿だった。

「こ……、これは……」

レディベアがぎゅっと強く祈の手を握り直し、息することさえ忘れて空を見上げる。
ブリガドーン空間の器であったレディベアにとっても、この光景は予想外のものだったらしい。
そして、黄金色に変わった空の雲間を押し破るように、巨大な何者かがゆっくりとその姿を現してきた。
それは全長100メートルはあろう、巨大な黒い球体。
茨のような触肢を放射状に生やしたそれは完全に姿を現すと、厳かに中央に付いている単眼を開いた。
妖怪大統領、バックベアード。
祈とレディベアの願いが結実し、本来存在しないはずの妖怪がこの場に出現した瞬間だった。

「お……父様……!
 お父様、お父様……お父様……!!」

ベリアルがその名を騙るのではない、本当の父。
その姿を見て、レディベアが歓喜の涙を流す。
娘の声に応えたのだろうか、バックベアードが軽く祈とレディベアの方を見る。
光り輝くブリガドーン空間を満たす温かな波動が、一層その強さを増す。
祈とレディベアの身体に力が漲る。身体の奥からとめどなく気力が湧いてきて、今ならどんな敵にだって勝てると思える。
きっと、バックベアードがブリガドーン空間の真なる主として、その力をコントロールしているのだろう。
愛と希望に満ちた世界として――それはとりもなおさず東京ブリーチャーズが当初の作戦通り、
アンテクリストから神の力を構成するふたつの要素のうちの片方を奪い取ったことの証左に他ならなかった。

「おのれ!龍脈の神子おおおおおお!!」

「まだ数の上ではこちらが勝っておるわ!殺せ!龍脈の神子とバックベアードの娘を!殺せエエエエエ!!!」

ローランによって薙ぎ払われたものの、また新しく魔法陣から湧いてきた悪魔たちが祈たちに狙いを定める。
いくらバックベアードが降臨し、ブリガドーン空間を制御しているとはいっても、
祈達さえ始末すればまだ逆転できる、押し切れると思っている。
実際にそれは間違いではない。圧倒的な数の差は未だ如何ともしがたく、いくら祈とレディベアが万全の調子になったと言っても、
無尽蔵に出現する悪魔を相手にたったふたりでは相手にならない。

「キエエエエエエエ!!死ネ!死ネ!神ィィィィ子ォォォォォォ!!」

悪魔たちが祈めがけて殺到してくる。せっかく芽吹いた希望を摘み取ろうと突っ込んでくる。
夥しい数の悪魔たちを前に、手を離した祈とレディベアがそれぞれ迎撃の構えを取った、そのとき。

カッ!!!

祈のウエストポーチが、まばゆい光を放った。
そして。

ばぢゅんっ!!!

祈の眼前まで迫っていた悪魔の一匹が突然『叩き潰された』。
そう、それはまるで、蝿や蚊でも殺すかのように。いや――まるで、ではない。実際にそうだった。
突如として祈の背後に出現した何者かが、その大きな手のひらで悪魔を潰したのだ。

「……ああ……」

その姿を見たレディベアが驚きに大きく目を見開く。
祈を守ったのは、大型バスほどもある巨きな赤子。

――コトリバコ。

280那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/12/21(月) 21:19:00
《あぶぶ》

ハッカイのコトリバコは悪魔を叩き潰した右の手のひらを見ると、いやいやというように手を振って血と肉片を払った。
そんな様子は、本当にただの赤ん坊のようだ。――アフリカゾウより大きい規格外の身体に目を瞑れば。
また、以前と違って無数の赤ん坊の身体を無理矢理に縫い合わせたような姿ではなく、普通の赤ん坊の外見をしている。
……体重数十トンはあろうかという規格外のサイズを度外視すれば。

「これは……コトリバコ……!
 どうして、ここに……」

レディベアにとってもコトリバコは忘れ得ぬ妖怪である。祈とレディベアとの初遭遇が対コトリバコ戦だった。
しかし、レディベアは祈がコトリバコの指の入った小箱をいつも大切に持っていたことを知らない。
祈はコトリバコを仏壇に安置し、いつも供養を忘れなかった。
その優しい心が、否――『祈の想いに報いたい』と願うコトリバコ自身の『そうあれかし』が、
バックベアードの制御する希望のブリガドーン空間において、一時的に姿と形を持ったのだろう。

《だあー。ぅー》

コトリバコは祈の顔を見て、嬉しそうに笑った。屈託のない、本物の赤ん坊の笑顔だった。

「なんだ、こいつは……!?」

「ええい、怯むな!たかが巨大な赤子如き!」

突然のコトリバコの出現におののく悪魔たちだったが、すぐに各々得物を構えて再度突進してくる。
と、その途端、後続の悪魔たちが何の前触れもなく目や鼻、口、耳から血を噴き出し、風船のように爆ぜて倒れた。

「どッ、どうした……これは……!?」

悪魔たちが混乱する。その最中にも軍勢のそこかしこで血が噴き出し、阿鼻叫喚の地獄絵が展開される。
祈はその光景を確かに覚えているだろう。
よくよく目を凝らせば、突然血を噴いて死ぬ悪魔たちの背や足許に、大きさのまちまちな赤子たちがへばりついている。
イッポウ、ニホウ、サンポウ、シッポウ、ゴホウ、ロッポウ、チッポウ。
ハッカイだけではない、八体のコトリバコが全員集合している。
祈の持っている小箱に入っていたコトリバコの骨は、ただの一かけらだったが――
それを供養し冥福を祈る祈の気持ちに応えたいと、すべてのコトリバコが願ったのだろう。
……正義の味方の戦い方にしては、あまりにもグロテスクではあったけれど。

「祈!アシスト致しますわ、行きますわよ!!」

レディベアが腰溜めに構えを取り、高らかに言い放つ。祈と、レディベアと、コトリバコの反撃が始まる。
いつか学校でカマイタチを相手に戦ったときと同じように、レディベアは瞳術を用いて祈のサポートに専念する。
金縛りで祈の目の前の悪魔の動きを止め、かと思えば虚空に無数の瞳を開いてレーザーで援護を行う。
ふたりの呼吸はぴったり合っているだろう、まるで昔からコンビを組んでいたかのように。
お互いに求め合い、手を取り合って、ずっとずっと一緒に生きていこうと約束したふたりである。
その絆を、結束を挫くことができる者など、この場にいようはずがない。
そして――どれほど時間が過ぎただろうか。
不意に祈たちが守護していた聞き耳頭巾が強く輝き、二方向に閃光を放った。
それは、聞き耳頭巾が他の要所に配置された他の狐面探偵七つ道具とコネクトした証。橘音の結界術が完成した、その目印。
都庁での戦いからずっと東京都内を覆っていたベリアルの印章が、橘音の五芒星によって上書きされる。
同時に、都庁上空の魔法陣も消滅する。これで無尽蔵に召喚されていた悪魔たちの増援はなくなった。
強力な結界術によって、もう悪魔たちは迷い家や避難所に手出しはできない。
あとは、都庁に再集結してアンテクリストを討つだけだ。

「通すな!龍脈の神子を都庁へ行かせるな!」

「何としても止めろ!殺せ!殺せェェェェ!!」

これ以上の増援が見込めないと理解した悪魔たちだったが、それでも勢いを減じることなく祈たちへと吶喊してくる。
どのみち、しくじればアンテクリストによる粛清が待っている。退路などないのである。
文字通り命懸けの猛攻だ。まだまだ悪魔たちの軍勢は膨大な数が生き残っており、
コトリバコの加勢があっても祈とレディベアは中々前へと進めない。
言うまでもなく、龍脈の神子とブリガドーン空間の器は対アンテクリスト戦の切り札だ。遅参は許されない。
しかし悪魔たちは雪崩のように迫ってくる。このまま膠着状態になってしまえば、負けるのはこちらだ。
と――そう思ったが。

「さて、では、そろそろ我らの出番かな。兄弟」

「おおさ。溜まりに溜まった鬱憤、今こそ晴らさせて貰おうか――!!」

聞こえた声は、頭上から。だった。
ひらひらと、祈の手許に幾枚もの白い羽根と黒い羽根が舞い落ちてくる。
大きな翼を持った、鳥のようなシルエット――それが、ふたつ。円を描くように降下してくる。
そして次の瞬間、祈やレディベア達の間近にいた悪魔たちは鋭い剣閃によって両断され、地面に転がっていた。

「下賤ども。このお方に指一本でも触れることまかりならん」

祈を守護するように佇み、互いの持っているレイピアをX字に重ねるのは、ふたりの青年。
ひとりは透けるような白い肌に雪のような色合いの長髪、真紅の瞳に、中世ヨーロッパ貴族のような純白の衣服を纏っている。
もうひとりはそれとは対照的に漆黒の髪を逆立たせ、褐色の膚、赤眼に黒い中世ヨーロッパ貴族の衣服を着崩している。
見覚えはないだろう。だが、祈はこのふたりが『誰なのか分かる』はずだ。
そう、かつて姦姦蛇羅との戦いの折、祈がその命を救った。手厚く保護した。

序列38位、26の軍団を指揮する地獄の侯爵・ハルファス。
序列39位、40の軍団を統率する地獄の長官・マルファス。

橘音によって力のすべてを奪われた天魔七十二将の二柱が、
ブリガドーン空間の力の効果によって束の間、喪われた権能を取り戻したのだった。

281那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/12/21(月) 21:19:27
「ハ、ハ、ハルファス侯爵閣下!それにマルファス長官まで……!そ、そんなバカな……」

言うまでもなく、天魔七十二将は悪魔たちの上位存在。悪魔を統べる者たちである。
自分たちの上司が、撃滅すべき龍脈の神子を守護している。その事実に悪魔たちは狼狽し、動揺した。
ハルファスとマルファスが剣を納めて向き直り、それぞれ祈の前に跪く。その姿はまさしく中世の騎士そのものだ。

「お怪我はございませんか、祈様。
 御身より賜った多大なる恩義の数々、今こそその幾許かをお返しするとき。
 天魔ハルファス、これより御許にお仕え致します」

白騎士ハルファスが自身の右胸に手を添えて宣言する。睫毛の長い、クール系の美丈夫だ。

「同じく天魔マルファス、御意に従います……っと。
 祈サマ!アンタにゃ世話になったからな……まずはアスタロトの野郎をブッちめてえ所だが、後回しだ!
 露払いは俺たちが務めるぜ、大船に乗ったつもりでいてくれや!」

黒騎士マルファスがざっくばらんな様子で請け合う。こちらはワイルド系のイケメンである。
二柱はすぐに立ち上がるともう一度レイピアを抜き、羽根を撒き散らしながら悪魔たちの群れへと突っ込んでいった。
新宿御苑では菊乃の参戦という想定外の事態によって敗退したが、
元々ハルファスとマルファスは天魔七十二将の中にあっても随一のコンビネーションを誇る強者である。
数しか取り柄のない有象無象の悪魔たちなど相手にもならない。まるでモーセが海を割るように、
ハルファスとマルファスの突撃によって軍勢の中央に大きな穴が穿たれる。

「参りましょう、祈!」

だッ、とレディベアが駆け出す。目的地は、最初の決戦の地――都庁前。
そこで、アンテクリストと。旧くは千年に渡る因縁の決着をつける。

《あぶぅ、だぁぁ!》

「我ら、神子の騎士!我らが剣の錆となりたくなくば、疾く下がるがいい!」

「ッハハハハハ!雑魚どもが――俺と兄弟に勝てるものかよォ!」

コトリバコと、ハルファスと、マルファス。
最初は敵として戦い、しかし祈が『敵であっても殺したくない、救ってあげたい』と切望した命たちが、
今、祈のために活路を開いている。祈のために戦っている。
彼女がもしも帝都鎮護の名の許に彼らを殺害し、打ち捨てていたとしたら、果たしてどうなっていただろう。
当然助力は得られず、祈もレディベアも悪魔たちの物量作戦の前に揉み潰されてしまっていただろう。
だが――そうはならなかった。

今までの祈の戦いは、無駄ではなかった。間違いではなかったのだ。

その上。
まだ、祈に味方する者がいる。
空を漂う天魔七十二将の一柱、巨大空母フォルネウスから、バラバラと悪魔たちが降ってくる。
魔法陣からの増援は望めなくなったものの、フォルネウスに搭載された軍団はまだまだ健在ということなのだろう。
フォルネウスは数十メートルの高さの空中を遊泳しており、さしもの祈たちの攻撃も届かない。
また、巨大すぎるその体躯は生半可な攻撃などものともしないだろう。
あの天魔を排除しない限り、悪魔たちの軍勢を完全に退けることは難しいが、こちらにはフォルネウスに見合う戦力がない。
と――思ったが。

『オオオ……オォオォオォォォォオォオォォォオォオオオォォオオオオォ……!!!』

高層ビルほどもあろうか、突如として出現した漆黒の大蛇が、そのあぎとを開いてフォルネウスの横腹に喰らいついた。

「ビギョオオオオオ――――――ッ!!!??」

フォルネウスは口吻をのたうたせて絶叫し、巨躯をばたつかせて暴れたが、黒蛇は決して離さない。
どころか、鎌首を左右に振ってフォルネウスの強固な外殻に深々と牙を突き立てる。
ビシッ!と硬い音が響き、フォルネウスの甲殻に亀裂が走る。
大きく胴体を振って、黒蛇がフォルネウスを投げ飛ばす。巨大空母は成す術もなく吹き飛んだ。
さらに、大きく開いた黒蛇の口腔に、夥しい量の妖気が収束してゆく。
ビッ!!という音と共に、黒蛇の口腔で凝縮された妖気が閃光となって迸る。
膨大な妖力のレーザーで顔面から尾部まで胴体を薙ぎ払われたフォルネウスは空中で大きく傾き、
まさしく沈みゆく空母よろしく躯体の各所を爆発させながらゆっくりと墜落していった。
御社宮司神、またの名を姦姦蛇羅。――否、ヘビ助。
これもまた祈が救いたいと。助けたいと願った命のひとつ。

「祈様、お早く!」

ハルファスが祈を促す。
都庁で仲間たちと再度合流し、アンテクリストを倒す。

決着のときは、近い。

282那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/12/21(月) 21:19:59
>お前さん達がアレに屈したその先の未来で――――お前が愛する人は、ちゃんと笑ってるか?

瀕死の尾弐が語る言葉を聞き、周囲の人々がざわめく。

「……何言ってるんだ……?ちゃんと笑ってるかだって?」
「相手は神様だぞ、勝てるもんか――」
「あんなバケモノどもに殺されるくらいなら、アンテクリストに従った方がマシだ!」

終世主の宣言に怯えた者たちが、口々にそう反論してくる。

>もしも。もしも笑ってねぇのなら――――その未来を怖いと思うのなら!意地を見せてみろ人間っ!!!!
 てめぇの幸せをぶち壊したクソ野郎にふざけんなと言い返せ!!!くたばりやがれと吠え立てろ!!!!
 俺に!俺達に!!お前の幸せを食い潰して嗤ってやがる連中をぶん殴れと言って見せろ!!!!!!

尾弐が吼える。
それは、人間たちに矜持を問う言葉。人々の勇気を奮い立たせる叱咤。
かつて人間だった、人間の強い意志を知る化生が突き付ける激励――。
びりびりと空気を振動させる声に、人々が再度ざわざわと戸惑いながら互いの顔を見合わせる。
今さら尾弐が何を言ったところで、瀕死の男の負け惜しみにしか聞こえないだろう。
戦力差は圧倒的なのだ。尾弐は脇腹を食い破られ、天邪鬼は利き腕をズタズタに裂かれ、橘音は既に瀕死。
悪魔たちがあと一押しでもすれば、三人は容易く死ぬ。
そんな者の言うことに耳を傾けるよりも、終世主に従った方が何倍もマシというものだろう。
アンテクリストは『従うなら助けてやる』と、既に救済の方法を示しているのだから。

しかし。

「……だよ」

誰かが、小さく声をあげた。

「そうだよ……!あんなヤツの言いなりになんてなりたくない!」

命を惜しみ、ただ漫然と支配を受け容れること。それを拒絶する人間があげた、声。
理不尽な暴力の前に、儚く吹き消されてしまう脆弱な命。
だが、肉体の弱さはイコール心の弱さではない。
例えいかなる暴虐に晒されようと、決して折れない。挫けない――そんな心の強さを、人間は持っている。

「奴隷になって、悪魔に怯えながら暮らすなんてまっぴらだ!」
「命が惜しくて悪魔に従いましたなんて、カッコ悪くてカノジョに顔向けできねぇよ!」
「おじさん、お願い!あいつらを……やっつけて!!」

ひとつの声を皮切りに、他の人々もまるで堰を切ったように次々と叫び始める。
漆黒の鎧を纏った、悪鬼という名の英雄の姿に勇気を奮い立たせて。なけなしの矜持を鼓舞して声援を送る。
どんな逆境をも覆すヒーローに、自分たちの想いを託して。
そして――

奇跡が起こった。

天邪鬼を救うために尾弐が吶喊した、その瞬間。極彩色の空が黄金に上書きされてゆく。
祈とレディベアが妖怪大統領バックベアードを召喚し、アンテクリストからブリガドーン空間の支配権を奪い返したのだ。

「……これは……」

それまでの禍々しい色彩から一変し、美しく輝く空を見上げながら天邪鬼が呟く。

「どう、やら……祈ちゃんが、やり遂げてくれた……ようですね……」

橘音が満身創痍の身体をぐぐ、と起こし、深い息を吐く。
輝くブリガドーン空間に降り注ぐ光は傷を癒し、疲労を回復させる効果を持つ。尾弐たち三人の体力と負傷も、
完全回復とは行かないまでもある程度は癒えることだろう。
しかし、奇跡はそれだけではなかった。

――しゃん。
――しゃん、しゃん。
――しゃん、しゃん、しゃん……。

どこからか、鈴の音が聞こえる。それから、ひどく悠揚とした足音も。

「さすがは黒雄さん。ただ一度の大喝を以て、萎縮しきっていた人々の心を奮い立たせるとは……。
 相変わらずの豪傑ぶり、頼もしい限りです」

足音の主が、そう穏やかに告げる。
血みどろの戦場だというのに、まるで世間話でもしているかのようにその声には緊張感がない。
が、尾弐は知っている。その声を、話し方を、そして姿を。
現れたのは長烏帽子をかぶり、白と紫の直衣を纏った陰陽師然とした格好の、二十代後半くらいの青年。
青年を見た橘音が、半壊した仮面の奥で驚きに目を見開く。

「……アナタ、は……」

「橘音君、今までよく頑張ってくれたね。礼を言うよ……もちろん黒雄さんも、そこの天邪鬼さんも。
 みんなの協力のお陰で、祈は成し遂げられた。あの子ひとりでは、きっとここまで漕ぎつけられなかった。
 どれだけ感謝しても足りません、だからこそ――」

――しゃん。

「ここから先は、わたしにも手伝わせてください。あの子が生きる世界を、みんなが紡ぐ未来を、私も守りたい」

そう優しい声音で告げると、青年――安倍晴陽は微笑んだ。

283那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/12/21(月) 21:20:27
「雷は木気に通ず。建御雷之男神に御願奉りて、此処に暴魔羅刹を掃う金鎗を振り下ろさん!急急如律令!」

直衣の袖から無数の符を取り出すと、晴陽は素早く九字を切った。
その途端、符から激しい雷撃が迸って悪魔たちを焼き尽くす。

「地霊は土気に通ず。大己貴神に御願奉りて、今ぞ石筍よ起れ!急急如律令!」

ギュガガガガッ!!

今度は地面から土で出来た無数の杭が突き出、当たるを幸い悪魔たちを貫いてゆく。

「オノレ!タダ一人ノ増援程度ガァァァァ!!」

新たな闖入者を血祭りにあげようと、悪魔たちが遮二無二突進する。が、晴陽には誰も触れられない。
代わりに強烈な掌打によって吹き飛ばされ、新たな符によって蹴散らされる。
強い。べらぼうに強い。かつて陰陽寮で天才陰陽師、今晴明と称揚され、次期陰陽頭と目されていた実力者がそこにいた。

「ギィィィィィッ!!」

晴陽の死角から悪魔の一匹が飛び掛かってくる。

「危ない、ハルオさん!」

橘音が叫ぶ。――が、その攻撃が晴陽に当たることはなかった。

「はあああああああああああああ―――――――――――ッ!!!」

悪魔の牙が晴陽を裂く寸前、裂帛の気合が尾弐たちの鼓膜を震わせる。
晴陽を守るように、ひとつの影が飛び出してくる。
跳躍した影の飛び蹴りをまともに喰らい、悪魔は錐揉みしながら吹き飛んでいった。
ざざざっ!と地面に轍を刻みながら、影が着地する。
それが誰なのかも、尾弐たちは勿論知っているだろう。

「ただ一人の増援ですって?お生憎さまね、増援は二人なの」

祈をそのまま大人に成長させたような顔立ちの、美しい女性――多甫颯。
驚きのあまり、橘音はぱくぱくと酸欠の金魚のように口をわななかせた。

「い、颯さん……!?どうして……。
 アナタは長年姦姦蛇羅の中に囚われていたせいで衰弱し、二度と戦えない身体になったはず……」

「そうなんだけど、ブリガドーン空間?だっけ?この金色の空間の中だと戦えるみたい!
 それに――」

白いブラウスに黒のサブリナパンツといった出で立ちの颯は朗らかに笑うと、晴陽をちらりと見た。

「この人が会いに来て。一緒に戦おうって……そう言ってくれたから」

晴陽と颯が寄り添う。昔、尾弐と橘音が帝都守護という名目で見殺しにした命が。
かつて尾弐と橘音が背負っていた、否、今でもその幾許かを背負い続けている罪が。
大切な仲間が、目の前にいる。

「はい、黒雄君。橘音も、天邪鬼君も」

颯がふたりに水筒を差し出す。中身は迷い家の温泉の湯だ、飲めば傷も完全に癒えるだろう。

「祈ちゃんのところへ行かなくていいんですか?」

水筒の湯を呑み、体力を回復させた橘音が包帯で右眼の古傷を隠しながら問う。
せっかく晴陽と颯が加勢するのなら、それは一人娘の祈のところへ行くべきだろう。
しかし、晴陽と颯はかぶりを振った。

「あの子はもう、わたしたちの手を離れているよ。それに、祈の周りにはもう、大勢のともだちがいる。力を貸してくれている。
 それなら――わたしたちはわたしたちの出来ることをするべきだ」

「さあ、黒雄君、橘音。久しぶりに私たち四人、旧東京ブリーチャーズでやりましょうか!」

「なんだ、私は仲間外れか。とはいえ、ここは貴様らに譲ってやろう。旧交を温めるのはいいことだ。
 三尾、いや今は五尾か?語呂が悪いな……とにかく結界の再構築だ。急げ」

すっかり右腕の傷も癒えた天邪鬼が笑って告げる。橘音は大きく頷いた。

「了解!ではクロオさん、晴陽さん、颯さん!用意はいいですか!?
 旧!東京ブリーチャーズ――アッセンブル!!!」

橘音の号令を合図に、晴陽が九字を切る。颯が悪魔たちの真っただ中へと疾駆する。
ほどなくして橘音が結界を編み終え、狐面探偵七つ道具が二方向へまばゆい閃光を放つ。仲間たちが持って行った、
他の地域の七つ道具とコネクトしたのだ。
これによってベリアルの印章と魔法陣は消滅し、龍脈は正しい流れを取り戻した。

「皆さん、都庁前に再集合しますよ!」

そう言って橘音が走り出す。颯と天邪鬼が先陣を切って尾弐と橘音の道を拓き、晴陽がしんがりを務める。

「ねえ、クロオさん……」

都庁への道を駆けながら、橘音がふと隣の尾弐を見る。

「……ボクたち、今までいっぱい間違ってきましたけど……。
 やっと、正しいことができたんですよね……?」

そう言う橘音の仮面越しの左眼には、涙が溜まっている。

「へへ。……嬉しい」

すん、と一度鼻を啜ると、橘音は涙声でそう言った。

284那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/12/21(月) 21:20:59
板橋区の避難所の戦いは、完全な膠着状態に突入していた。
いや、凍結状態――と言うべきだろうか。
次々に倒れてゆく仲間たちに危機感を抱き、
自らも大ダメージを負った御幸の施した『眠れる森の白雪姫《スリーピング・スノウホワイト》』。
その妖術によって、迷い家の外にいる者は敵も味方もすべてが氷漬けとなってしまった。
あたかも墓場のような、シベリアの永久凍土のような。タールピットのような光景。
すべてが止まってしまった世界――
その中を、ハクトがSnowWhiteへ向けて走る。

だが、避難所を出てからほどなくして、すぐにハクトは市街地をたむろする悪魔たちに遭遇し行く手を塞がれてしまった。
悪魔たちの兵力は無尽蔵。その数は或いは全東京都民よりも多い。
いくら小柄で素早いハクトであっても、ひしめき合う悪魔たちの隙間を潜って走り抜けるのは難しかった。

「妖怪ダ!」

「殺せ!殺せェッ!」

「兎の化生か、兎鍋にして喰ろうてやろうわい!ギヒヒヒヒッ!!」

ハクトに気付いた悪魔たちがその手を伸ばす。舌なめずりし、下卑た笑みを浮かべてその身体を捕えようとする。
やがて、ハクトはブロック塀に囲まれた袋小路まで追いつめられてしまった。
じり、と悪魔たちが近付いてくる。一度捕らわれてしまえば、ハクトはもう脱出できないだろう。
抵抗しようとしたところで限度がある。非力な妖にできるのは、絶望することと観念すること、世を儚むことだけだ。

「もう逃げられんぞ、兎……!さぁて、どこから喰ろうてやろうか!」

「おれは腿肉を頂くぞォ!」

「ワシは頭じゃ!ヒハハハハーッ!」

悪魔たちが一斉にハクトへと襲い掛かる。
……しかし、ハクトが悪魔たちの餌食となることはなかった。
下等な悪魔の群れは、ハクトがほんの一瞬目を瞑った瞬間に氷像と化し、ただのオブジェとなって地面に転がっていた。

「――動物虐待たァ頂けないねェ。しかも相手は雪兎ときた。
 そりゃァ見過ごせない。あの子は昔から雪兎とは仲が良かったからねェ……友達は大事にしなくちゃ」

前方で声がする。若い女の声だ。
くるぶし辺りまである真っ白なストレートの長髪。ぞっとするほど美しく整った気の強そうな顔立ちに、真紅の双眸。
ダウンジャケットにチューブトップ、ホットパンツ、ショートブーツ、その悉くが白い。
女はブーツのヒールをカツカツと鳴らしてハクトへ歩み寄ると、その身体を抱き上げた。
ハクトを豊かな胸にいだきながら、その顔を覗き込む。

「さて。あの子のところに案内してくれるかい?
 アタシはそのために来たンだ、あの子を救うために。あの子の力になるために――。
 ……アタシは。もう間違えない」

その表情は優しく、その声は甘やか。
けれどその紅色の双眸には、驚くほどに強い決意が湛えられているのがハクトにも分かるだろう。
気が付けば、極彩色だった空はいつの間にか、美しい黄金の色に変わっていた。

「ギギッ……なんだ、この女!?」

「下等な雪妖風情がァ!殺せ!殺してしまえェッ!」

数人凍らせたところで、悪魔の軍勢にとっては些かの痛痒もない。すぐに、氷の彫像と化した仲間を乗り越えて新手がやってくる。
が、そんな悪魔たちの攻勢を女はものともしない。長い髪を揺らし、ハクトを抱いたままで悠然と歩いてゆく。
そして、女とすれ違った者のすべては瞬く間に氷像へと変わり、ごろりと横たわったきり動かなくなった。
すべてを氷の中へと閉ざす、凍てつく吹雪。
それが女の周囲で荒れ狂う。雪兎のハクトでなければ、とっくに悪魔たちと同じく氷漬けになってしまっていただろう。

「ハ、下等な雪妖で悪かったね。
 でも、そんならその下等な雪妖に指一本触れられないで氷の人形に変えられちまうアンタらは、いったい何様だってンだい?
 赤マントの走狗如きが、お舐めじゃないよ―――!!!」

一対数百、圧倒的戦力差の中で女が凄んでみせる。
数の上では絶対的優位なはずの悪魔たちが気圧され、じりじりと後退してゆく。

「アタシのかわいい妹を。みゆきを泣かせるヤツは、誰であろうと許さない!
 それが神であろうともだ!さあ――そこを退きな、群れなきゃなんにも出来やしないチンピラ悪魔ども!
 このクリス様に凍らされたくなかったらね!!」

女、クリスの両眼が怒りに燃えて冷たく輝く。
御幸乃恵瑠の姉、かつての東京ドミネーターズ。
祈とレディベアが創り出した真のブリガドーン空間、その中で『そうあれかし』から蘇ったクリスの巻き起こす氷雪が、
一層その激しさを増した。

285那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/12/21(月) 21:21:32
ハクトはクリスと共に丸ごと氷漬けになった板橋区の避難所に戻って来た。

「……起きな、みゆき」

ハクトを離したクリスが屈み込み、氷漬けになった御幸に右手でそっと触れる。

「アンタの選択は間違ってなかった。アンタは自分の大切なものを守り通したんだ。
 でも――それで終わりじゃないだろう?アンタにはまだ、やらなくちゃいけないことがあるはずだ。違うかい?
 さ、姉ちゃんが手助けしてやる……だから、早く起きな。お寝坊はダメだよ」

ゆっくりと、まるで寝坊助な妹を起こす姉そのものの様子で、クリスが御幸へと語り掛ける。
そして、妖力を注ぎ込む。同じ山で生まれ、同じ冷気に触れて育った姉の力が、半壊した御幸へと流れ込んでゆく。
やがて氷が解け、眠れる森の白雪姫《スリーピング・スノウホワイト》の効果が消滅すると、
クリスは微かに笑って御幸を見た。

「おはよう。みゆき」

その穏やかな笑顔は、御幸がかつてよく見た姉の笑顔そのままだっただろう。
世を憎悪し赤マントに唆され、怒りに歪んでいた妖壊としての顔ではなく。
みゆきのことを厳しくも温かく見守る、優しい姉の表情。

「まずは身体を元通りにしなくちゃね。立てるかい?」

クリスが砕けてしまった御幸の身体に触れると、欠損した部分が瞬く間に再生する。
御幸の肉体を構成しているものが雪や氷なだけに、それを操る力があれば再構成も容易ということなのだろう。

「アンタの仲間がやってくれたのさ。『そうあれかし』が現実になり力になる、ブリガドーン空間。
 その中でなら、アタシもほんのちょっぴりだが姿を取り戻せるらしい」

そう言うと、クリスは束の間御幸の身体をぎゅっと強く抱きしめ、

「……会いたかった」

小さく、呟くように零した。
九段下の神社では、クリスが正気に戻ったのはほんの僅かな間のことで、ほとんど会話をすることもできなかった。
しかし、これでやっとふたりの姉妹は再会を果たすことができた。
尤も、それは真なるブリガドーン空間の展開されている今だけ。ごくごく短い時間しか、ふたりには許されてはいない。
けれども――きっとふたりには、それでも充分に違いない。

「ブモオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」

そんなふたりの時間など意にも解さず、暴威を孕んだ咆哮が轟き渡る。
御幸の術が切れたことで、獄門鬼も復活したのだ。

「アンタの仲間たちの傷も癒してやらなくちゃね、みゆき。手伝いな」

クリスは血の海の中で無数に蠢く獄門鬼の群れを見てもまるで意に介さず、傷ついたばけものフレンズたちに注意を向けた。

「あ?あの牛だか馬だか分からんヤツの相手かい?そりゃ心配無用だ。
 こっちの戦力は潤沢さ――ほら」

クリスが笑って、御幸の頭上を指差す。
その瞬間、御幸は自分の頭の上にもふっ……と軽く柔らかな何かが乗った感触を覚えるだろう。

それは、カツラのように真っ黒な毛の塊の中央に一ツ目のついた妖怪だった。

「ブオオオオオオオオオン!!!」

血海を蹴り、飛沫をあげながら、獄門鬼が手に手に武器を携えて突進してくる。
その途端、毛玉の中央でやる気なさそうに閉ざされていた単眼が、カッ!!と見開かれた。

ぎゅばっ!!!

毛玉から無数の髪の毛が凄まじい速度で伸び、うねり、のたうつ。
髪の毛が獄門鬼たちに絡みつき、その自由を奪った――次の瞬間。

ザヒュッ!!!

獄門鬼たちの躯体は髪によってまるで粘土のようにバラバラに切断され、無数の肉片となって血の海へ没していった。
クリスがヒュゥ、と感嘆の口笛を鳴らす。尚も血だまりから再生してくる獄門鬼に対し、毛玉が追撃を繰り出す。
その強さは生半可なものではない。髪は一本一本が鋭利なワイヤーのようなもので、また束ねれば強靭な鞭にも変化する。
御幸の頭に鎮座したまま、毛玉は髪を縦横無尽に操って獄門鬼の群れを完全に抑え込んだ。

「よし……!これで終わりだね!
 さあ、ここはもう大丈夫だ!みゆき……戦いに決着をつけておいで!!」

仲間全員の回復が終わると、クリスは御幸の背中を叩いた。
あずきやムジナたちも、御幸を都庁へと送り出すべく再度戦線に復帰する。

「ご心配おかけしましたー!あたしたちはもう心配ないよ、だから……行って、ノエル君!」

「色男ォ!花道作ったるさかい、ワシらの分まであの神モドキどつき回してこんかい!」

「……ゾナ!」

やがて姥捨の枝が光を放ち、橘音の結界術がその効力を発揮する。ベリアルの印章が上書きされ、魔法陣が消滅する。
仲間たちが御幸のために道を開く。
御幸はそこを走り抜け、都庁へと向かうだけだ。

286那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/12/21(月) 21:21:59
シロは目を瞑ったまま、浅く短い呼吸を繰り返している。
ポチが瀕死のシロへと近付く。そのあぎとをゆっくりと、ゆっくりと開く。
最愛のつがいであるシロを喰らい、傷を癒すことで、悪魔を屠る最後の力を手に入れる――それが、ポチの下した決断だった。
だが、それは取り返しのつかないすべての夢の終わりでもある。
帝都を護り、人々を守る。今まで人間たちに受けた恩を返すために、自分たちは滅びを受け容れる――。
ニホンオオカミをもう一度この大地に根付かせる。そんな夢の、これは終焉を告げる行為だった。

「やめて……、ポチちゃん!」

「ポチ君!そんな……!」

巫女たちがポチのやろうとしていることを理解し、口々に制止する。
が、最早ポチにはその声も届いているかどうか分からない。いや、仮に届いていたとしても、ポチはやめなかっただろう。
四肢は萎え、希望は尽きた。それでも尚戦おうとするのなら、何らかの代価を払わずにはいられない。
そして、代価が大きければ大きいほど、ポチは力を得る。
なぜならば、喪失と、絶望と、それらが転化しての怒りは、何よりも強い力をポチに齎すからである。

>…………祈ちゃん

ポチが呟く。
掴む藁さえない、この極彩色の暗闇の中で。
それでも、今まで信じてきた仲間が。最後の土壇場でこの状況を覆してくれることを願って。

そして――

その願いは、天に通じた。

混ざり合わない絵の具のような禍々しい原色の空が、きらきら輝く黄金色に塗り潰されてゆく。
絶え間ない死と慟哭の満ちる空に、一条の光が差し込む。その気配を、ポチの鋭敏な感覚は確かに受け取っただろう。

どこかで、狼の遠吠えが聴こえた。

それは滅びゆく同胞を悼む、既に現世から退去した狼たちの御霊の慟哭だったのだろうか?
それとも、ポチの追い求めた夢が最期に齎した幻聴のようなものか――
否。
幻聴ではない。それまで重く垂れこめていた破滅の雲が退き、辺り一帯を温かな輝きが包み込んだのを感じたのと同様、
ポチの聴覚は“それ”がさして遠くない場所で響いたのを理解するだろう。
どうやらシロにもその遠吠えが聴こえたらしい。死に瀕する苦しみの中で、うっすらと目を開く。
何者にも屈さず、折れず、自らの意志を貫き通す誇り高い咆哮。獣の王としての矜持に満ち満ちた、雄々しい吼声。

ズズゥゥゥゥゥンッッ!!

俄かに大地が揺れる。
轟音を立てながら、ポチとシロのすぐ後ろに『何か』が出現したのだ。

「オイオイ、何でえ何でえ……暫くぶりに娑婆に戻ってくりゃあ、なンてェ情けねえツラぁしてやがンだ、あァ?」

『何か』が口を開く。低く野太い、腹の底に響くような男の声だ。

「助けて、だと?フン、そいつァ別に構わねえ。勝てねえと分かってる狩りに挑むのはバカのするこった、
 どンどン助けを呼びゃあいい。狼ってなァ群れで狩りをするモンだ、だが気に入らねえな……。
 橘音ちゃン?尾弐っち?そうじゃねェ、そうじゃねェだろォが――」

男は容赦なくポチに言い放つ。
その声を、ポチとシロは知っている。その喋り方も、そして男のにおいも。
かつて、ポチはこの男と熾烈な戦いを繰り広げた。獣の誇りを賭けて、生き様を賭けて、愛を賭けて。
そして勝利を収め、この男の持っていたすべてを継承した。
ポチの戦いとは、この男との戦いから始まったと言っても過言ではない。
今までポチが指標とし、生き様を見習い、憧憬の的としてきた男。

「そンな連中に助けを求めるよりも!!
 もっと――いの一番に助けを求めなくちゃならねぇヤツが!!テメェにはいるだろうが!!」

鼓膜を震わせる咆哮。しかし、それは決してポチを責めているものではない。
怒ってはいるのだろう、だが憎しみからの怒りではない。
その意味も、今のポチにならきっと理解できるはずだ。

「誇り高き狼の戦いを、全世界の被食者どもに見せつけたいと願うなら!!
 テメェが此処で叫ぶべき名はただひとつ!!
 さあ、呼べ――このオレ様の名を!!!」

男が吼える。自分の名を呼べ、と。自分に助けを求めろ、と。
狼こそが世界で最強の頂点捕食者(トップ・プレデター)であることを知らしめるために。
男の名はジェヴォーダンの獣。『獣(ベート)』。
カランポーの野に君臨する、獣たちの王者――


狼王ロボ。

287那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/12/21(月) 21:22:42
「ゲッハハッハハハハハハハハハハァ―――――――――――――ッ!!!」

ポチがその名を呼ぶと、ロボは嬉しそうに哄笑をあげた。
そして大きく上体をくの字に折り曲げる。途端にロボの銀色の髪の毛がざわざわとそよぎ始め、
筋肉が膨れ上がって仕立てのいいダブルのスーツを内側から引き裂いてゆく。

「クソ悪魔めら!!!オレ様の大事な跡取りどもに何してくれやがってンだ、あ゛ァ!!!??
 全殺しだ……五体満足で死ねると思うンじゃねェぞォ!!!」

顎髭を生やした壮年の面貌が瞬く間に獣毛に覆われてゆく。口が大きく裂け、マズルが伸び、
人狼の姿に変化してゆく。
今や元の姿より1.5倍ほども巨大化し、銀色の人狼となったロボは、前のめりにしていた躯体を今度は激しく仰け反らせて咆哮した。

「グルルルルルルルオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!!!」

そして、疾駆。銀灰色の影が悪魔たちの軍勢へと突っ込み、戦いが始ま――
らなかった。
戦いとは基本的に、戦力や実力の拮抗した者同士が行うものである。
しかし、ロボのそれは違う。ただただ荒れ狂い、拳を、爪を、蹴りを、牙を叩き込む、一方的な蹂躙だった。
ロボが巨体を動かすたび、悪魔たちの飛び散った四肢が舞う。血飛沫があがり、絶叫が木霊する。
小さい悪魔も大きな悪魔も、実体を持たない悪魔も頑健な身体を持つ悪魔も。
ロボの前では、すべてが等しく『獲物』に過ぎない。

「迷い家から温泉のお湯と、河童の軟膏を貰ってきました!」

「シロちゃんの足、接合して!軟膏を早く!」

「ポチ君、今治してあげるからね……!」

陰陽寮の巫女たちが新たに回復術式を施す。祈とレディベアの創った真なるブリガドーン空間の力と、迷い家の温泉の湯。
それに河童の軟膏があれば、ポチとシロの傷も全快近くまで癒えるだろう。

「あなた……!」

復調したシロがポチを見つめて名前を呼ぶ。
千切れた足首も、もうすっかり繋がっている。危機は去った。

「ゲハッ、もういいのか?」

悪魔たちを八つ裂きにしながら、ロボが軽くポチの方に視線を向ける。
先代狼王はポチの顔を見遣ると、僅かに目を細めた。

「……おう。ちったあいいツラ構えになったじゃねェか。
 色々と経験を積んできたみてェだな……。男の顔だぜ、もう坊主とは呼べねェな」

向後を託し、未来を任せた若者の成長を喜び、ロボが笑う。
それと示し合わせたかのように避難所に安置してあった童子切安綱が二方向へ閃光を放つ。
橘音の結界が発動した証拠だ。周囲に満ちる温かな光がその色を濃くし、ポチたちに更なる力を与える。

「よし――行け!
 いつか約束したっけな、裏で絵図面を描いてる野郎を叩けと。
 都庁でふんぞり返ってやがる、あのクソッタレ野郎を……思う存分転ばせてこい!!」

ばっ!とロボが前方へ大きく右腕を突き出す。
そうはさせじと悪魔たちが都庁へ至るポチとシロの進路を塞ぎにかかる。
しかしロボは殺到する悪魔の軍勢など目に入らないかのように笑った。そして――

「檜舞台はオレ様『たち』が誂えてやる!
 オウ、山羊の王!いつまで立ち見を決め込んでやがる、何ならテメェの出番も喰っちまうぞ!」

《それは困る、旧き狼の王よ。
 余も神の長子には一矢報いたい。余と親愛なる眷属たちの見せ場を奪ってくれるな》

声は、ポチの身体の内側から聞こえた。

バオッ!!!!

途端、ポチの胸から巨大な何かが飛び出す。
王冠のように絡み合った三対の角を持つ、黄金の毛並みも魁偉な大山羊――魔神アザゼル。
つい先刻ポチと獣の誇りを賭けて戦い、ポチの血肉となった山羊の王が、その姿を現したのだ。
ポチを救い、その力となるために。

《――『真なる王の一撃(アルカー・イフダー・アル・アウラーク・ル・ラービハ)』!!!!!》

雷霆を纏った黄金の毛皮がまばゆく輝く。頭を低く構えて突進するアザゼルの周囲で轟雷が吹き荒び、
悪魔たちが瞬く間に黒焦げに変わってゆく。
さらにどこからか無数の山羊の群れが現れ、王に倣って突撃を開始する。悪魔軍は山羊たちの体当たりを受け、
角に突き刺され、蹄に踏みつぶされて潰走を始めた。
アザゼルの突撃した跡が、道となってぽっかりと口を開けている。

「あなた、参りましょう……!皆さんと合流する好機です!」

シロが走り出す。アザゼルの開けた穴を通っていけば、ポチとシロの足なら都庁まで行くのは容易いだろう。

「しっかりな……ポチ」

決戦の地へと赴く若い狼のつがいを見送りながら、ロボは僅かに微笑を浮かべた。

288多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/12/30(水) 23:24:37
「――来い!! 妖怪大統領、バックベアード!!」
>「お父様、お目覚めを!今こそ、生まれ変わりの刻――!!」

 レディベアの力を受けて、世界中の『そうあれかし』が東京へと集う。
そして祈が龍脈の力を借りて、集った『そうあれかし』の運命を変転させる。
 祈から、レディベアから、東京中から。
様々な場所から、運命を変えられた『そうあれかし』が、
打ち上げ花火さながらの光となって天へと昇り、極彩色の空に溶けた。
そうして、『それ』は名と形を与えられ、命となって顕現する。
 混沌のように混じり合わない極彩色をうち破り、
空を黎明のように美しい黄金色に染め上げて。
その空を割って、全長何十メートルはあろうという黒い球体が、隕石のように降ってくる。
 健康に悪そうなスモッグめいた靄に包まれた体。
その周囲には枯れ枝かウイルスを連想させる蝕肢を伸ばし。
体の中央には、大きな目玉を備えた――妖怪大統領バックベアードが。

(やっぱこれ、言っておいて正解だったよなー……)

 それを見て祈は、こんなことを思っていた。
 祈はネット配信を通じて、妖怪や陰陽師の存在を世間に明らかにしてしまった。
特に妖怪については、今まで頑なに秘されてきた、秘さねばならない事実である。
一度口にしてしまえば、現実に生きる者と幻想に生きる者との関係が崩れてしまう。
取り返しがつかないが、だがそれも遅かれ早かれだ。
なぜならバックベアードの姿は、あまりにも『ゲゲ○の世界からやってきた異貌そのまま過ぎた』。
 バックベアードは、作中では西洋の『妖怪』として登場する。
特徴的で見間違いようもないその姿だから、一目見れば誰もが『妖怪』バックベアードだと認識するだろう。
これを見た人間達に、「妖怪なんていない」なんて言葉は通らない。
 しかもバックベアードは、作中における敵キャラの首領(総大将や帝王)でもある。
この地獄かラグナロクか、審判の時かといった状況で現れれば、混乱を招くだけでなく、新たな脅威として認識されかねない。
負の『そうあれかし』が集まれば、未だ敵の掌握するブリガドーン空間内であるから、
状況が不利になる可能性は大いにある。
であればいっそ、あらかじめ明かしておくのが得策だと祈は思って行動を起こしたのだ
(アンテクリストが自身の声を、直接色々な人に届けていたことに着想を得ている)。
 そうすることで、混乱を防ぐだけでなく、
『悪魔は敵、妖怪は味方』という図式が成立しやすくなる。
信頼を獲得し、こちらを応援する『そうあれかし』が集まれば、より一層状況を打破する力にもなるであろう。
ぬりかべや犬神のように原型の姿で戦う妖怪もいて、
東京ブリーチャーズの面々も、あり得ない身体能力や妖術を存分に見せている。
人々が妖怪の存在に気が付くのは、時間の問題だったと見ることもできる。
 五大妖あたりには怒られるかもしれないが、それも致し方ないと祈は諦めていた。
実際には五大妖どころか海外の神々までバチグソにキレ散らかしているようなのだが、知らぬが仏というやつである。

289多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/12/30(水) 23:27:22
 ぎゅ、とレディベアの祈の手を握る力が強まったのを感じ、
祈は思考から現実に引き戻された。

>「お……父様……!
>お父様、お父様……お父様……!!」

 祈がレディベアを見遣ると、空に浮かぶバックベアードを見るレディベアの目に、
涙が浮かんでいる。
 その様子を見るに、どうやら顕現したバックベアードは、レディベアにとって『本物』であるらしかった。

(よかったな……モノ)

 これでレディベアは一人ぼっちではない。
一つ懸念事項が片付いたことで、祈も安堵の表情を見せた。
 祈はその手を握り返して、バックベアードに視線を戻す。
バックベアードはレディベアの方を、その単眼でひと時見つめたようであった。
互いに無言だったが、そこには親子の会話があったのだろう。
 バックベアードが中空へと視線を戻し、強大な妖気を発する。
それに伴い、ブリガドーン空間の波長が一層強まったようであった。
そして、祈は体の内側から力が、間欠泉のごとく溢れ出してくるのを感じる。
先程レディベアに完全回復させてもらったところだが、
それが体を100%の状態に戻すものだとすれば、これは150%へと引き上げるものだ。
おいしい料理をお腹いっぱいに食べて、体力・気力ともに充実している状態に近い。
本来なら運命変転を使えば即座にターボフォームへの変身も解けるはずが、
まだこの状態を保てていることを考えれば、150%以上ともいえるだろう。
レディベアと顔を見合わせ、お互い似た状態になったことを祈は悟る。
バックベアードが祈やレディベアを回復させたのだ。
そしてそれはつまり、バックベアードがブリガドーン空間の力をアンテクリストから奪い返し、掌握したことを示していた。

>「おのれ!龍脈の神子おおおおおお!!」
>「まだ数の上ではこちらが勝っておるわ!殺せ!龍脈の神子とバックベアードの娘を!殺せエエエエエ!!!」

 おそらく悪魔達は、ブリガドーン空間を掌握していたアンテクリストから、少なからず力を貰っていたのだろう。
 体に漲っていたはずの力が失われたことで、ブリガドーン空間の力が奪われたことに気付いたに違いない。
 先程まではレディベアの放つ神気を警戒し近づけなかった悪魔達だが、
これ以上放置しては何をされるか分からないと思ったのだろう。
 次々に吠えると、数を頼りに、祈とレディベア目掛けて襲い掛かって来る。

「かかって来るんならもっと早く来た方が良かったな。
モノ、次はここを守り切るぞ。橘音が次の手を打ってくれるまで」

 悪魔達に向き直り、祈とレディベアは、どちらともなく繋いでいた手を離す。
 祈は風火輪を履いた右足の爪先で、コンコンとアスファルトを叩き、右脚の感覚を確かめる。
 止め処なく溢れる力を感じ、まだまだ戦えることを確認。そして、

>「キエエエエエエエ!!死ネ!死ネ!神ィィィィ子ォォォォォォ!!」

 飛び掛かって来る悪魔たちを足技で迎え撃とうとしたその時。
 祈が腰につけていたウエストポーチが輝いた。

「!?」

 眩しさに瞬間、ぴたりと足を止めて、目を閉じる祈。
 閃光弾か何かかと警戒するのも束の間。光はすぐに収束し。
――ばぢゅんっ!!!
 目の前で何かが潰れるような音が響いた。
浮かした右足を地面につけ、祈が目を開くと、先程まで眼前に迫っていた悪魔がいない。
否。まるで巨大な重りが落ちてきたようで、潰れてアスファルトのシミとなっている。

(――なにが起こった?)

 瞬間、祈の中で疑問が浮かび上がるが、背後に巨大な気配を感じたことと、
動きを止めた悪魔達が、驚愕の表情で祈の後方を見ていることで、背後にその答えがあると見られた。
祈が後ろを振り返る。

>「……ああ……」

 共に振り返ったレディベアが、そこにあるものを見て、
驚愕とも感嘆ともつかない吐息を漏らした。

「――あ」

祈もそれを見て目を見開き、言葉を失った。
そこにいたのは、トラックかバスかといったサイズの、あまりに大きな赤ん坊だった。

《あぶぶ》

 大きな赤ん坊は、悪魔を潰したであろう右手のひらを、ぶんぶん振るった。
おそらくベトベトしていて不快だったのだろう。振るった手から血や肉塊がびちゃびちゃと飛ぶ。
 その大きな赤ん坊の正体を、祈は直感的に察していた。
 体中を縫合したような傷跡も、膿んでいるような痛々しさも臭気もないが、
この子のことを、祈は確かに知っている。

>「これは……コトリバコ……!
>どうして、ここに……」

 そう、これは明らかにコトリバコだ。
サイズ的に見ればハッカイ。最も大きなサイズのコトリバコだろう。

「や、あたしにもっ、何がなんだか……!?」

 だが、リンフォンを通して地獄に送られたはずのコトリバコがどうしてこの場にいるのかは、
祈の頭では見当もつかない。
 祈はいつも、特別な事情がなければ、無害なコトリバコの箱をウエストポーチに入れて持ち歩いている。
 思い続けることが、利用され苦しみ、地獄に落とされた彼らを救う道だと、箱を託した橘音が教えてくれたからだ。
 ウエストポーチから飛び出してきたのを見れば、その子であることは確実だが、
なぜ今、この場に現れたのかは不明だった。

290多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/12/30(水) 23:31:42
《だあー。ぅー》

 だが。祈に愛らしく微笑むその赤ん坊を見た時、そんな疑問は些細なものだと祈は思った。

「……あたしを助けるために来てくれたんだな。ありがと。いい子だな、おまえは」

 この子は、自分のためにきっと来てくれた。
継ぎ接ぎの姿でなく、こんな綺麗な姿で。それが嬉しかったから。
 祈は巨大な赤子の頬に顔を寄せ、撫でてやった。

>「なんだ、こいつは……!?」
>「ええい、怯むな!たかが巨大な赤子如き!」

 混乱と驚愕に包まれる悪魔だが、立て直そうと各々が得物を構えた。
その瞬間。

 ぶしゅうう――。

 一体の悪魔が、眼や鼻や口、体中の穴という穴から血を噴きだして、絶命する。
 コトリバコの呪詛だ。
その症状はまるで伝染病のように、絶命した悪魔から次々に別の悪魔へと広がっていく。
よく見れば、悪魔達の足元に大小さまざまなコトリバコたちが這いまわっており、
次々に悪魔達へと組み付いて呪詛を広げていたようである。
 援軍はコトリバコ一体だけではなかった。
イッポウからハッカイまで、全てのコトリバコが集結している。
そして全員が、祈達に力を貸してくれるらしかった。

「おまえら! 後でいっぱい撫でてやるよ!」

 ブリガドーン空間の支配権を取り戻せたとは言え、
空にはベリアルの印章と魔法陣が展開されたままだ。
悪魔達は無尽蔵に湧いてくる。
いくら元気が150%になったところで、二人だけではずっとは保たない。
そんな中、この援軍は心強い。

 >「祈!アシスト致しますわ、行きますわよ!!」

「おう!」

 コトリバコ達だけに任せてられないとばかりに、レディベアが祈に声をかけた。
 それに応じて、祈は走り出す。

 祈とレディベアが組んだ回数は、そう多くない。
ぶつかり合った回数を含めて数えても、片手で足りてしまう。
お互いの手や呼吸を知り尽くすにはあまりにも少ない回数だ。
 だが、それでも祈とレディベアの連携は噛み合っている。
共に歴戦を潜り抜けてきたかのような、呼吸の合ったコンビネーションだった。
 前衛と後衛で役割がはっきり分かれていることや、
祈のスピードを追えるだけの目をレディベアが持っていることなど、理由はいくつも挙げられる。
 だが何よりも『信頼』だろう。
 一歩間違えば祈を貫いているであろうレーザーのアシストを、祈が警戒している様子はない。
下手に避けようとしたり、戸惑ったりしないからこそ当たらない。
 レディベアが敵に背を向ける時も、祈に任せて決して後方を振り返ることはない。
それが隙を生まず、確実な対処を生んだ。
お互いを信頼して、それに応えようと繰り出す攻撃が噛み合い続けている。
 そうして祈とレディベア、コトリバコ達とで悪魔達を蹴散らし続け、幾許かの時間が過ぎると。

 不意に、避難所付近で、
祈のスポーツ用のバッグに突っ込んで安置していた聞き耳頭巾が浮かび上がり、眩い光を放った。
 光は道を示すように、大地を走っていく。
五芒星の頂点なのでその方向は二方向。
他のブリーチャーズがいる場所でも同じことが起こっているのだろう。
ベリアルの印章が崩れ、五芒星に上書きされていく。
 東洋西洋を問わずに使われ、陰陽道においては安倍晴明も使用したといわれるシンボル、五芒星。
魔法陣も掻き消え、雨のように降る悪魔達の増援はもうない。

「橘音の方もうまくいったんだ……!」

 放った蹴りで悪魔を昏倒させながら、微かに空を仰いで祈が呟く。
 しかも、聞き耳頭巾は輝きを保ち、迷い家や避難所を覆う、結界の役割を果たしてくれているようである。
これなら、人々は安心だろう。この場から離れても問題ない。

「あたしたちは偽者の神サマをぶっ倒すためにここを離れるけど、
避難所やその家から出なければ安全だから! 安心して待ってて!」

 迷い家からこちらを窺っている者や撮影している者達に一声もかけた。
あとは、都庁に戻って仲間たちと合流し、アンテクリストを倒すだけである。
祈が都庁の方向を見た時、ふとアスファルトに突き立ったデュランダルが視界に入った。

(ローラン……。モノだけじゃなく、もしものときは避難所の人達も守ってやってくれよ。
 あの人達も、モノが好きな世界の一部なんだからさ)

 そんなことを感傷的に心の中で呟きながら、

291多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/12/30(水) 23:35:38
「モノ! コトリバコたち! 都庁に戻ってみんなと合流するぞ!」

 共に戦う者達へ声をかけ、都庁の方面へ移動を開始する祈。

>「通すな!龍脈の神子を都庁へ行かせるな!」
>「何としても止めろ!殺せ!殺せェェェェ!!」

 それを防ぐべく悪魔達が立ちふさがる。

「もう増援もねーんだし、ジリ貧だろ! 痛い目みたくなかったら退いてろよ!
向かってこないんだったら見逃してやんよ!」

 増援もなくなった今、劣勢になりつつあるのは悪魔達の方であるはずだ。
 祈がそう声をかけるが、遮二無二祈達を通さないことだけを考えているようで、悪魔達は退くことはなかった。
むしろ、後がなくなっていくからこそ、悪魔達は必死になったようだ。
 おそらくその背後に控えるアンテクリストが恐ろしいのだろう。
 決死の覚悟で祈達に向かってくる。
 無尽蔵に悪魔が湧いてこなくなったとはいえ、まだ地上に悪魔は大勢いる。
それを集中させ、進行方向を無数の悪魔で埋め尽くせば、膠着状態を作ることはできる。
 祈達の到着を遅らせ、事態の進行を止めれば、有利なのは悪魔達だ。
状況は祈達へと傾きつつあるが、まだひっくり返ったとは言い難かった。
 進行方向へ密集し、迎え撃ってくる悪魔達に苦戦し、なかなか進めない祈達。
 そこへ。
 悪魔を殴り飛ばす自身の手の上を、
白と黒の羽がひらりと落ちて掠めたのを、祈は視界に捉えた。

(羽――?)

>「さて、では、そろそろ我らの出番かな。兄弟」
>「おおさ。溜まりに溜まった鬱憤、今こそ晴らさせて貰おうか――!!」

 そして、祈達の上に声と影が落ちた。
何者かが上空から降りてくる気配と風切り音。
 声に聞き覚えはない。
だが、不思議と敵対する響きは感じられなかった。
瞬間的に動きを止めて微かに飛び退く祈の前に、翼を生やした人間のシルエットが二つ、
悪魔の胴体をレイピアで瞬断しながらふわりと舞い下りた。

>「下賤ども。このお方に指一本でも触れることまかりならん」

 そのシルエットは、悪魔の前に立ち塞がるように立つ。
そして、手に持ったレイピアを祈の前でX字に重ねた。祈を守るように。
 二つのシルエットは、翼を生やした青年たちだった。
 一人は線の細い、純白の青年。
透き通るような白い肌に白い長髪、そしてやはり純白の翼をその背に生やしている。
白を基調にした貴族風の装いに、どこか気品を漂わせる凛とした容姿。
 もう一人は、野性味ある漆黒の青年。
黒い髪を逆立たせ、日に焼けた肌と、堕天使か天狗を思わせる黒い翼を持っていた。
こちらは黒を口調とした貴族風の装いで、猛禽を思わせる鋭い眼光が印象的だ。
どちらも共通して赤い瞳を持っており、その横顔にはやはり見覚えはないのだが、
二人の放つ『妖気』には覚えがあった。

「えっ!? まさか……は、ハルとマルか……!?」

 祈はあんぐりと空けた口元に手をやって、驚いた。
遥かに強力ではあるが、祈が保護していたハルファスとマルファスの幼体の妖気にそっくりなのである。
 ターボフォームになり、妖気への感度も上がった今、判断を間違えるはずもない。

>「ハ、ハ、ハルファス侯爵閣下!それにマルファス長官まで……!そ、そんなバカな……」

(やっぱハルとマルなんだ……)

 驚愕に戸惑い、狼狽する悪魔達の質問に答えることなく、
ハルファスとマルファスはレイピアを鞘に納めて、祈へと跪く。
まるで騎士のように。

>「お怪我はございませんか、祈様。
>御身より賜った多大なる恩義の数々、今こそその幾許かをお返しするとき。
>天魔ハルファス、これより御許にお仕え致します」

 二人もまた、コトリバコ同様に援軍として現れたようであった。

「怪我は……大丈夫だよ、ハル。あたし相手に仕えるとか大袈裟だけど……、
来てくれて嬉しい。ありがと。みんなを守るために力を貸してくれ」

 幼体時はおとなしい性格だったハルファスは、礼儀正しくクールな男性に。

>「同じく天魔マルファス、御意に従います……っと。
>祈サマ!アンタにゃ世話になったからな……まずはアスタロトの野郎をブッちめてえ所だが、後回しだ!
>露払いは俺たちが務めるぜ、大船に乗ったつもりでいてくれや!」

「マルもありがと。頼りにさせてもらうよ。
にしても兄弟そろって義理がたいな。あたしは大したことしてねーのに。
モノ、この二人はハルファスとマルファス。味方だよ」

 幼体時にハルファスを守るように祈の手をつついていたマルファスは、ワイルドな男性になった。
 ブリガドーン空間の影響を受けて、一時戦う力を取り戻したのだと思われるが、
以前の鳥に近い天魔の姿から随分変わったものである。
 保護した祈の姿と感性がほぼ人間だったから、その影響を受けたのであろうか。
祈は、息子たちが逞しく成長したのを見た母親のような気持ちを抱くと同時に、
コトリバコに続き、敵対していた存在が手を貸してくれるという奇跡に胸が熱くなっていた。
 そんな感動も束の間。
 ハルファスとマルファスが立ち上がり、今一度レイピアを抜き放つ。
そして振り返ると、二柱の天魔が舞う。
 動揺の抜けきらない悪魔達を、突進しながらコンビネーション攻撃で寸断していく。
二人の通った跡が、道となる。

292多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/12/30(水) 23:50:13
>「参りましょう、祈!」

「……ああ! 行くぞ、東京都庁!」

>《あぶぅ、だぁぁ!》

 二人の拓いてくれた道が悪魔達によって閉じられる前に、祈とレディベア、コトリバコ達が続く。
 
>「我ら、神子の騎士!我らが剣の錆となりたくなくば、疾く下がるがいい!」
>「ッハハハハハ!雑魚どもが――俺と兄弟に勝てるものかよォ!」

 コトリバコに続き、ハルファスとマルファスという援軍までも得られた。
そのおかげで、都庁までの道が開かれていく。
 だが、奇跡はそれだけでは終わらない。
 天上で待ち構える、アノマロカリスに似た巨大な天魔、フォルネウス。
それは悪魔たちの母艦として空中を漂い、結界をうち破るだけのパワーを備えた圧倒的な戦力だった。
 都庁に集結するために突破せねばならない最後の障害。
その横腹に喰らい付いたのは。

「『あれ』、もしかしてヘビ助なのか!?」

 フォルネウスの後方に、薄ぼんやりと赤紫色の影が現れたと思えば、
それは瞬く間に、フォルネウスと同等かそれ以上のサイズの巨大な黒蛇となった。
そして、フォルネウスの横腹に俊敏な動きで噛みついたのである。
 横腹に突如喰らい付かれたフォルネウスが絶叫し、のたうち回る。
その黒蛇は、祈が姦姦蛇螺の体内で見た物に酷似しており、感じる妖気はヘビ助そのものでもあった。
祈が運命変転の力によって転生させ、赤紫の小さなヘビとなったはずの存在。
それが今、力を貸してくれているのだった。
 ヘビ助はフォルネウスの硬い外殻を噛み砕き、圧倒する。

>「祈様、お早く!」

 思わず足を止めた祈に、ハルファスが急ぐように促した。

「わ、悪い。今行く!」

 そう言って再び走り出す祈の目には、涙が浮かんでいる。
救われて欲しいと勝手に願い、勝手に保護し、勝手に転生させた命達。
それらが助けてくれたという事実は、祈の心をどうしようもなく温かいもので満たした。
 この奇跡は、生を望まなければ生まれなかったもの。
生きることには無限大の可能性がある。
 逆に死には何もなく、ただ虚無が広がっている。
だからこそ祈は敵味方関係なく生を望み、世界の存続を願う。
世界を終わらせようとし、死を見境なく振りまくアンテクリストとは相容れない。
故に倒し、問わねばならない。その命に。
 そしてもし、倒しても尚、終世を諦めないというのであれば。
アンテクリストの生が誰かの死に繋がるのなら。

(――そのときはあたしがおまえをこの世界から消してやるよ。アンテクリスト)

 祈はそんなことを思う。
 祈の目に、都庁が、ゴールが見える。
最後の戦場。決戦のときもまた、目前に見えていた。

293御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/01/01(金) 22:03:41
御幸は氷に閉ざされた不思議な空間に、大勢の人々と共に閉じ込められていた。
人々が口々に問う。

「ここは……?」「俺達は死んだのか……?」

「死んでないよ。私の術で眠っているだけ」

本当に眠っている人々の意識と繋がっているのか、単なる夢なのかは分からない。

「全然勝てそうになかったじゃないか! 悪足掻きはよしてくれ!」
「早く起きてアイツに平伏さないと!」

「懸命な判断だね。
運命は誰にでも変えられるなんて嘘っぱち、それが出来るのはごく一部の選ばれし者だけだ。
持たざる者はただ救いを希うしかないのさ」

御幸は諦念とも達観とも取れる涼やかな態度で返す。

「なら!」

「だからこそ縋る相手を間違えるな!」

ぴしゃりと一喝して黙らせる。

「確かに私は君達とそんなに変わらない。ただちょっと往生際が悪くて時間稼ぎが得意なだけで。
でも……私の仲間達は運命を変える力を持ってるんだ。
運命を変えるって世界の理を犯して境界を踏み越えていく力だ。
……だからきっと、異なる存在の境界にある者だけが持つことが出来るんだよ」

ノエル意外のメンバーたちはいずれも純粋に一つの種族にはおさまっていない。
クオーターの祈は言うまでもなく、ポチは異なる妖怪同士のハーフ、
尾弐やレディベアは人間から妖怪への変貌を遂げた存在で、橘音に至っては元々は普通の狐だった上に悪魔と融合している。

「それに比べてアイツはどう? どう見ても完璧に神様でしょ?
いつだって完璧な存在が半端者の集団にやられるのはそういうこと」

この仮説は元々深雪の憶測から来ているため信憑性は疑わしく、
アンテクリストは実のところ天使→悪魔→神と変化しているのでますます怪しいのだが、
人々は突然現れた自称神様がさっきまでベリアルだったことは知らない。
当たってようと無かろうと、それっぽい理屈をこねて人々に少しでもそうかもと思わせるのが目的だ。
しかし根拠はともかく、仲間達に運命を変える力があることだけは本気で信じている。

「希望を託す相手を選ぶことだけが力無き者に出来る唯一のことなんだよ……だからよく考えて。
ひとりひとりの想いはちっぽけでも束になれば大きな力になる。
民主主義やってる君達なら私よりずっとよく分かってるはずだよ」

それだけ言うと御幸は無言になり、静かにその時が来るのを待った。
無論祈がレディベアを起こせなかったり、橘音が結界を張れなかったら一巻の終わりなのだが、
御幸は自ら抗うのを早々に放り投げた癖に、どうにかなるのを信じて疑わなかった。
どれぐらい時間が経っただろうか。そろそろレディベアは起きた頃だろうか。
ハクトはサトリのような精神干渉系の能力を持つ妖怪を連れてくるだろうか。
あるいはもっと直球で炎系能力で起こしにくるかも……

294御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/01/01(金) 22:06:03
>「……起きな、みゆき」

――なんか想像していたのと違う感じでその時は来た。

>「アンタの選択は間違ってなかった。アンタは自分の大切なものを守り通したんだ。
 でも――それで終わりじゃないだろう?アンタにはまだ、やらなくちゃいけないことがあるはずだ。違うかい?
 さ、姉ちゃんが手助けしてやる……だから、早く起きな。お寝坊はダメだよ」

うっすらと目を開ける。いるはずのない人がいる。
起きたつもりでまだ夢を見ているというやつだろうか。

>「おはよう。みゆき」

頬をつねってみようとして、右腕は何かを抱えていて左腕は無いことに気付く。
右に抱えた姥捨の枝を庇って左腕は吹っ飛ばされたからだ。ということは、夢ではないらしい。

「え……どうして……!?」

>「まずは身体を元通りにしなくちゃね。立てるかい?」

クリスが身体に触れると、スプラッタ状態になっていた身体が瞬く間に元通りになった。

>「アンタの仲間がやってくれたのさ。『そうあれかし』が現実になり力になる、ブリガドーン空間。
 その中でなら、アタシもほんのちょっぴりだが姿を取り戻せるらしい」

言われてみれば、いつの間にか極彩色だった空が、黄金色に塗り替わっている。
これが真のブリガドーン空間の色なのだろうか。

「祈ちゃん……レディベア……」

>「……会いたかった」

「……私も会いたかった」

御幸とクリスは固く抱き合った。しかしいつまでもそうしてはいられない。
術が解けたことで獄門鬼が復活し、重傷の仲間達がそこら中に倒れている。

>「アンタの仲間たちの傷も癒してやらなくちゃね、みゆき。手伝いな」

「でも!」

>「あ?あの牛だか馬だか分からんヤツの相手かい?そりゃ心配無用だ。
 こっちの戦力は潤沢さ――ほら」

頭の上にもふもふした何かが乗った。毛に覆われていることからして動物の妖怪だろうか。
否――それは毛、そのもの。より正確には髪の毛である。

>「ブオオオオオオオオオン!!!」

髪の毛が鞭のように縦横無尽に踊り、獄門鬼達はサイコロステーキのごとくカットされていく。

「あ、君は橘音くんの探偵事務所にいた……! そんなに強かったの!?」

295御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/01/01(金) 22:07:53
その時、右手に持ったままだった姥捨の枝がまばゆい光を放つ。
ついに橘音が結界を完成させたのだ。

「――髪の毛真拳奥義! キューティクルハニーフラッシュ!!」

御幸は意味不明な技名(?)を叫びながら魔法のステッキ――ではなく姥捨の枝を高々と掲げた。
ベリアルの印章が消え、仲間達の傷が癒えていく。
あずきをはじめとした、重傷を負っていた仲間達も完全回復していた。
頭の上の毛玉がこころなしかドヤ顔をしている気がする。

>「よし……!これで終わりだね!
 さあ、ここはもう大丈夫だ!みゆき……戦いに決着をつけておいで!!」

「うん、約束したもんね。お姉ちゃんが帰ってこれる世界を作って待ってるって」

そもそも妖怪は滅ばない限りは存在は消滅しない。
加えて、クリスはブリガドーン空間の中でなら存在できる、とか生き返れる、ではなく”姿を取り戻せる”という言い方をした。
裏を返せば普段は姿を現せないだけで、存在自体が消滅したわけではない、ということだろう。

「乃恵瑠……これ!」

そこにハクトが何かを持って駆けてくる。
それは獄門鬼との戦いで足と一緒に切り飛ばされていた、新しいそり靴の右足分だった。
御幸はそれを履き直すと、ハクトの頭をなでた。

「……行ってきます!」

そしてもう一度だけクリスを短く抱きしめると、都庁に向かって駆け出した。

>「ご心配おかけしましたー!あたしたちはもう心配ないよ、だから……行って、ノエル君!」

「もう真っ二つはやめてね! 小豆の仕入れ先がなくなったら困るもの」

>「色男ォ!花道作ったるさかい、ワシらの分まであの神モドキどつき回してこんかい!」

「任せといて! 泣くまでどつき回してやる!」

>「……ゾナ!」

「君ってそんな鳴き声だったんだ……!」

あずきやムジナ、毛玉らのばけものフレンズ達が切り開いた道を駆ける。
やがて東京都庁――帝都の中枢にしてアンテクリストの本拠地でもあった摩天楼が見えてきた。
ついに決戦の火蓋が切って落とされるのだ。

296尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/01/07(木) 22:31:29

>「そうだよ……!あんなヤツの言いなりになんてなりたくない!」
>「奴隷になって、悪魔に怯えながら暮らすなんてまっぴらだ!」
>「命が惜しくて悪魔に従いましたなんて、カッコ悪くてカノジョに顔向けできねぇよ!」

尾弐の背に、人間達の言葉は確かに届いた。
鬼の頑強さを超過した傷から流れ出る失血は危険域。
視界は霞み、吐き気と脳が焼かれるような苦痛が全身を苛む。
鎧を解除すれば直ぐにでも内臓が零れ落ちる事だろう。
だが、それでも

>「おじさん、お願い!あいつらを……やっつけて!!」

「――――――応っッッ!!!!!!」

言葉は、確かに届いたのだ。

人として生まれ、悪鬼に堕ちて千年。
自分を殺し妖怪を殺し悪魔を仲間を見殺して……そんな自分にさえも、守りたい者が出来た。愛する者が出来た。
こんな罪深い悪鬼でさえも幸せに手が届いたのだ。
ならばこそ、罪無き――懸命に生きている無辜の人々も、幸せになるべきに決まっている。
だから……本当に柄ではないが。口にすれば羞恥に煩悶してしまいそうな事柄だから。
口腔に溜まった自身の血液を飲み干して、尾弐黒雄は心で誓う。

(橘音……祈の嬢ちゃん、ノエル、ポチ。颯に妖怪共に人間達。連中が笑って明日を迎える為に)
(今この時だけ――――俺が、正義の味方になってやる)

現実に目を向ければ、尾弐一人で眼前の悪魔の群れを薙ぎ払える筈がない。
受けた傷は殆ど致命傷。仲間は傷つき倒れ、対する敵は無尽蔵。勝てる訳がない。生き残れる筈がない。守れる理屈が無い。

だが、それがどうした。

尾弐黒雄は勝つつもりだ。生きるつもりだ。守り抜くつもりだ。
例え神の差配であろうとも、その突貫の意志を遮る事など出来はしない。
その前進を無謀と。無鉄砲と。蛮勇と。呼びたければ好きに呼べ。嗤いたければ嗤うがいい。
しかし忘れるな。いつの世も、そんな意志と祈りこそが奇跡を起こして来た事を。
そうだ。ヒーローが齎すものはいつだって――――奇跡の逆転勝利だ。

297尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/01/07(木) 22:34:11
>「さすがは黒雄さん。ただ一度の大喝を以て、萎縮しきっていた人々の心を奮い立たせるとは……。
>相変わらずの豪傑ぶり、頼もしい限りです」
>「……アナタ、は……」
「なっ……!!?」

残る力を振り絞って悪魔の一角を叩き潰した尾弐に届いたのは、祈達が齎した暖かな癒しの光と……穏やかな声。
それは、とても懐かしい……もう二度と聞けないと思っていた声だった。

>「橘音君、今までよく頑張ってくれたね。礼を言うよ……もちろん黒雄さんも、そこの天邪鬼さんも。
>みんなの協力のお陰で、祈は成し遂げられた。あの子ひとりでは、きっとここまで漕ぎつけられなかった。
>どれだけ感謝しても足りません、だからこそ――」
>「ここから先は、わたしにも手伝わせてください。あの子が生きる世界を、みんなが紡ぐ未来を、私も守りたい」

「……橘音も、外道丸も無事で……はは。ったく、お前さんはいつも美味しい所を持っていきやがるなぁ」

笑うような、泣くような声を出しながら尾弐が振り返ったその先に居たのは。
多甫祈の父親にして、東京ブリーチャーズが一員。

陰陽師、安倍晴陽。

>「ただ一人の増援ですって?お生憎さまね、増援は二人なの」
「颯!?お前さん、どうして……いや。聞くまでもねぇか。安倍晴陽の隣に、多甫颯が居ない訳がねぇ」

そして、その後から疾風をぶち抜く様に颯爽と現れたのは――祈の母であり晴陽の妻である、多甫颯。
多甫祈が生まれるよりも昔。数多の妖壊から帝都を守り抜てきた者達。
かつての東京ブリーチャーズが今、奇跡の名の元に再集結を果たした。

>「はい、黒雄君。橘音も、天邪鬼君も」
>「祈ちゃんのところへ行かなくていいんですか?」
>「あの子はもう、わたしたちの手を離れているよ。それに、祈の周りにはもう、大勢のともだちがいる。力を貸してくれている。
>それなら――わたしたちはわたしたちの出来ることをするべきだ」
「おいおい、どんだけ成長しても親は親なんだ。祈の嬢ちゃんの事を第一に考えてやれ……なんて偉そうに言いてぇところだが、正直助かったぜ。あんがとよ」

酒を呷る様に渡された迷い家の湯を一息に飲み干した尾弐は、騒乱の渦中で繰り広げられるその遣り取りに、急速に快復していく傷の痛みすらも忘れる程の湧き上がるような郷愁を覚える。
そして――その感情を戦いの為の燃料へと切り替えていく。

>「さあ、黒雄君、橘音。久しぶりに私たち四人、旧東京ブリーチャーズでやりましょうか!」
>「なんだ、私は仲間外れか。とはいえ、ここは貴様らに譲ってやろう。旧交を温めるのはいいことだ。
>三尾、いや今は五尾か?語呂が悪いな……とにかく結界の再構築だ。急げ」

「悪ぃな外道丸。ちっとばかしおじさん達の同窓会に付き合ってくれや。なぁに、退屈はさせねぇさ」

>「了解!ではクロオさん、晴陽さん、颯さん!用意はいいですか!?
>旧!東京ブリーチャーズ――アッセンブル!!!」

「――――アッセンブル!!!!」

愛する者と、親愛なる者。そして在りし日を共に駆け抜けた仲間達。
今再び彼らと共に、尾弐黒雄は嘗て羞恥心と罪悪感で吠える事の出来なかった掛け声を口に出す。
この場における戦いの顛末は、多くを語る必要もない。
晴陽の術が悪魔を薙ぎ払い、颯の脚撃と天邪鬼の剣戟が悪魔を翻弄し、尾弐の膂力が魔を殴殺し――――そして橘音は、とうとうその役目を成し遂げた。
七つの道具は龍脈の流れを正し、べリアルの印章と魔法陣が消滅した今、目指す場所は一つ。

>「皆さん、都庁前に再集合しますよ!」
「応っ!!」

298尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/01/07(木) 22:35:41
 


>「ねえ、クロオさん……」
「……?」

都庁へ向けて駆けていく最中。不意に、尾弐の隣を走っていた橘音から声を掛けられた。

>「……ボクたち、今までいっぱい間違ってきましたけど……。
>やっと、正しいことができたんですよね……?」
「――――。ああ、そうだな」

尾弐黒雄と那須野橘音はその長い生の中で何度も間違ってきた。
間違いばかりの生き様だった。
無様で、惨めで、みっともなくて……生きている事すら苦痛だった。
だけど――――その間違いは、決して無駄ではなかったのだ。

>「へへ。……嬉しい」

尾弐は、涙声でそう言った橘音の頭を少し乱暴に撫でる。

「生きようぜ、橘音。生きて帰って、次はもっとキレエな事をしてやろうじゃねぇか」

そう言った尾弐の声も、僅かに掠れていた。

299ポチ ◆CDuTShoToA:2021/01/14(木) 23:41:19
ポチが弱々しく、だが確固たる覚悟をもって牙を剥く。
最愛のつがいを喰らう為に。
これが、ポチに残された最後の手段だった。
全身を切り刻まれ、貫かれ、夥しい量の血を流し、両目を潰された。
それでもまだ、誰かの為に戦い続けるのなら――相応の代償を支払わなくてはならない。

そして――ふと、不気味な極彩色の空から光が差し込んだ。
不吉で禍々しい不調和の色彩に染まった空が、柔らかな黄金色に塗り替えられていく。
両目を潰されたポチにその光景は見えない。だが感じ取る事は出来た。

もしかしたら、誰かが助けに来てくれたのかもしれない。
もしかしたら、橘音の結界術が完成したのかもしれない。

だが――ポチは惑う。もし、そうじゃなかったら、と。
これはまだ、ただの前兆に過ぎなくて、今暫し戦い続ける必要があったらと。
だとすれば、ポチは立ち上がらなければならない。
何も見えない。何も聞こえない。しかし迷っていられる時間は少ない。

そんな時だった。不意に、どこからか狼の遠吠えが聞こえた。
狼の呼び声――それは死に瀕したポチの耳にも届いた。

「……この声」

その声に、ポチは聞き覚えがあった。
直後、響く轟音。ポチとシロのすぐ後ろに何かが降り立った音。

>「オイオイ、何でえ何でえ……暫くぶりに娑婆に戻ってくりゃあ、なンてェ情けねえツラぁしてやがンだ、あァ?」

「……駄目だ。しっかりしろ……そんな事、あり得ない……」

ポチは頭を振る。
死にかけの肉体と、望まぬ未来を決定付ける選択。
それらがもたらす感覚の惑い、幻聴を振り払うように。

>「助けて、だと?フン、そいつァ別に構わねえ。勝てねえと分かってる狩りに挑むのはバカのするこった、
 どンどン助けを呼びゃあいい。狼ってなァ群れで狩りをするモンだ、だが気に入らねえな……。
 橘音ちゃン?尾弐っち?そうじゃねェ、そうじゃねェだろォが――」

だが――声はまだ、聞こえてきた。

「……やめろ。アンタがここにいるはずがない。僕がやらなきゃいけないんだ」

「そンな連中に助けを求めるよりも!!
 もっと――いの一番に助けを求めなくちゃならねぇヤツが!!テメェにはいるだろうが!!」

それだけじゃない。においもする。
懐かしいにおい。深い愛情のにおい。愛深き故の、強い強い怒りのにおい。

「……本当に、アンタなのか?」

ポチがぽつりと、縋るように呟いた。

「本当に、そこにいるの?」

ポチの声は震えていた。

「もし……もし、本当にそこにいるなら――」

>「誇り高き狼の戦いを、全世界の被食者どもに見せつけたいと願うなら!!
 テメェが此処で叫ぶべき名はただひとつ!!
 さあ、呼べ――このオレ様の名を!!!」

そして――

「――――お願い。助けて、ロボ」

ポチは呼んだ。その名を。最も敬愛する、狼王の名を。

300ポチ ◆CDuTShoToA:2021/01/14(木) 23:41:50
>「ゲッハハッハハハハハハハハハハァ―――――――――――――ッ!!!」

高らかな笑い声がそれに応えた。

>「クソ悪魔めら!!!オレ様の大事な跡取りどもに何してくれやがってンだ、あ゛ァ!!!??
 全殺しだ……五体満足で死ねると思うンじゃねェぞォ!!!」

ロボの咆哮が再び響き渡る。溢れんばかりの闘志のにおい。
直後――今度は悪魔どもの悲鳴が、断末魔の叫び声が聞こえた。
周囲に濃厚な血のにおいが満ちる。

「……クソ。アイツら、両方とも潰しやがって。これじゃロボの戦いぶり……見れないじゃないか」

忌々しげなぼやき。半分は本気。半分は――強がり。
ロボのおかげで最悪の結末は回避出来た。
だが依然として、ポチが瀕死の状態にある事に変わりはない。

>「迷い家から温泉のお湯と、河童の軟膏を貰ってきました!」
>「シロちゃんの足、接合して!軟膏を早く!」

遠くから巫女達の声が聞こえてきた。
もう殆ど体を動かせないポチの喉に、迷い家の温泉が含まされる。
全身の傷に軟膏が塗り込まれ、そこに回復術式が施された。

見る間にポチの傷が癒えていく。
穴だらけになった内臓が機能を取り戻す
血液が再び全身へと巡り出す。
意識が急速に鮮明になっていく――そして、ポチは跳ねるように飛び起きた。

>「あなた……!」

開いた左目に、最愛のつがいが映った。
瞬間、ポチは人の姿へと変化していた。
愛する者を抱き寄せ、その無事を噛み締める為の姿に。

シロを抱き締める。
息をしている。温かい。生きている。
全身に受けた傷も塞がって、ちぎれた右足首も元通りに繋がっている。

「良かった……」

ポチが安堵の溜息を漏らす。それから――目を閉じた。
本当なら、シロに謝りたかった。
傍を離れてしまった事。彼女を喰おうとした事。一番いい未来を諦めた事。

本当なら、このままずっとこうしていたかった。
ポチは思い知った。正真正銘、最愛の存在を喪うという事が、どういう事なのかを。
その恐怖を、絶望を忘れる事は出来ない。

だが――そんな事は出来ない。
もう十分に取り乱した。もう十分に血迷った。
これ以上、そんな事をしている時間なんてない。

狼の王が成すべき事は、そんな事ではない。
ポチは立ち上がり、両手で前髪をかき上げた。
傾いた王冠を正すように。
そして、ロボへと振り向いた。

301ポチ ◆CDuTShoToA:2021/01/14(木) 23:42:59
>「ゲハッ、もういいのか?」

ロボが振り返る。目と目が合う。

>「……おう。ちったあいいツラ構えになったじゃねェか。
  色々と経験を積んできたみてェだな……。男の顔だぜ、もう坊主とは呼べねェな」

「げははは、やっぱり分かっちゃう?僕ももうすっかり、王様が板に付いてきたってとこかな」

ポチは冗談めかして笑う。

「……そうさ。ホント、色々あったんだ」

『獣』を受け継いでから今まで、幾つもの困難を乗り越えてきた。
いつも最善のやり方を選べた訳ではない。
それでも、いつでもロボに誇れる自分でいようとした。
その全てを聞いて欲しい。またあの夜のように、頭を撫でて欲しい。

だが――そんな事をしている時間も、やはりない。
避難所に安置された童子切安綱が閃光を放つ。
橘音の結界術が完成したのだ――ポチは、行かなくてはならない。
世界の滅びを止める為の、最後の戦いに。

>「よし――行け!
  いつか約束したっけな、裏で絵図面を描いてる野郎を叩けと。
  都庁でふんぞり返ってやがる、あのクソッタレ野郎を……思う存分転ばせてこい!!」

悪魔どもがポチとシロの行く手を阻む。
ポチは思わず、ふっと笑った。

「はん、丁度いいや。お前らにも、さっきのお礼をしてやらないと――」

そうして爪を見せつけ、牙を剥き――

>「檜舞台はオレ様『たち』が誂えてやる!
  オウ、山羊の王!いつまで立ち見を決め込んでやがる、何ならテメェの出番も喰っちまうぞ!」

「……へっ?」

思わず、呆けた声を零した。

>《それは困る、旧き狼の王よ。
  余も神の長子には一矢報いたい。余と親愛なる眷属たちの見せ場を奪ってくれるな》

ポチの体の内側から、声が聞こえた。

「えっ?えっ?……どゆこと?」

直後、ポチの胸に光が灯った。
炎にも雷にも似た、だがどちらでもない――命の輝き。
アザゼルの眷属達が、彼の力と化す時に放っていた光。
それがポチの体内から、一点へと凝縮されるかのように集っていく。
その現象が意味する事は――決まっている。

>《――『真なる王の一撃(アルカー・イフダー・アル・アウラーク・ル・ラービハ)』!!!!!》

ポチの胸から、アザゼルが飛び出した。
ポチがその光景に唖然とするよりも早く、その巨体が稲妻のように閃いた。
更にはどこからともなく現れた山羊の群れが、悪魔どもを突き飛ばし、踏みつけ、押しのけてしまった。

302ポチ ◆CDuTShoToA:2021/01/14(木) 23:43:47
「……今更だけど、ホントに凄いんだな。祈ちゃんの力」

死者の蘇生――まさしく神に匹敵する力だ。
仮にこれが一時的なものだったとしても。
芦屋さんも、晴陽さんに会えたりするのかな――ふと、ポチはそんな事を考えた。

>「あなた、参りましょう……!皆さんと合流する好機です!」

シロが走り出した。ポチは――ロボを振り返ろうかと思った。
何か、何か言葉が交わしたかった。
もしかしたら、これが最後の機会になるかもしれない。

だが――ポチの身体はその意に反して、駆け出していた。
自分でも驚くほど自然に、ポチはシロの隣を走る事を優先していた。
そして走り出してしまえば、もう立ち止まる訳にはいかない。

後ろ髪を引かれる気持ちはある。
けれども――ポチは自分に言い聞かせる。
きっと、これでよかったんだと。

話を聞いて欲しい。頭を撫でて欲しい。何か言葉をかけて欲しい。
そんな子犬じみた自分ではなく。
シロとふたり、戦いに臨む自分を見せられて、よかったと。

303アンテクリスト ◆TIr/ZhnrYI:2021/01/23(土) 01:56:06
悪である。

私は、悪である。純粋無垢にして徹頭徹尾の悪である。
至悪である。非法である。不善である――邪なる者である。

誰もが私を白眼視し、誰もが私を嘲り、誰もが私から眼を逸らす。
私を無価値なる者、唾棄すべき者、忌避すべき者と評価する。

併して。

それは決して私を侮るが為、ではない。
すべては、私に。悪に堪え難き蠱惑の魅力を覚えるが故である。
真に強き者と接するとき、弱き者は等しくその存在を否定する。
其を肯定してしまったが最後――己の価値観の一切が覆されるを畏るるがゆえ。



悪!



其の、何たる甘美!禁断の蜜の、何たる馨しさ!
なべて諸人は悪を犯さねば生きては往けぬ。即ち原罪である。

姦淫!
嫉妬!
憤怒!
強欲!
大食!
傲慢!
怠惰!

ヒトは姦淫によって地に満ち、嫉妬によって他者に先んじ知恵を磨き、憤怒によって研鑽し、
強欲によって富み栄え、大食によって文化を培い、傲慢によって文明を進歩させ、怠惰によって科学を発展させた。
今日の栄耀栄華、その悉くは即ち悪の賜物である。
だというのに。

なにゆえ、罪を罰する?悪と断ずる?
持って生まれた諸悪の罪業ゆえに、ヒトは万種の霊長たる地位を築き上げたと云うのに!

かつて父であった存在は云った。『汝、悪たる可(べ)し』と――
悪在らばこそ、善は輝く。同義、悪無くして善は善たらず。
悪こそが、万理万象の礎たる理である。

然れば。

然れば。

諸人が悪に耽溺することに、果たして何の躊躇があろう?
悪の齎したる温湯(ぬくゆ)に頭頂迄浸かっておきながら、悪を不浄と拒絶することの方が不義ではないのか?

嗚呼、森羅万象の礎石たる悪を汚穢の如く卑しめんとする、忘恩たる此の世界よ。
悪徳の恵みに浴しておきながら、其を自らの善性の賜物であると誤解した葦どもよ。
忌まわしき三綱五常の呪縛が、その心魂を捕えて離さぬと云うのなら。
既存する全ての価値観を反転させよう。悪が貴ばれ、善が糾弾されるように。ヒトがヒトらしく在るように。
生きとし生ける者、総てが息吸う如く自然に悪を成すことのできる世界に――



此の世を、創り変えよう。

304アンテクリスト ◆TIr/ZhnrYI:2021/01/23(土) 02:03:51
アンテクリストは都庁上空で緩やかに両手を広げ、
自分の支配するブリガドーン空間が龍脈の力によってその範囲を広げてゆくのを凝然と見守っていた。
戦闘機による攻撃は無駄である。また、その頭上に核爆弾を落としたとしても、この降臨した神を滅ぼすのは難しいだろう。
現代社会において、誰もが体感したことのない力。目撃したことのない奇蹟。
それを、東京の――否、世界中の人間たちが。妖怪たちが目の当たりにした。
極彩色のブリガドーン空間が、うねりながら徐々にその範囲を拡大してゆく。アンテクリストの支配領域が拡張されてゆく。
このまま世界が、地球全体がブリガドーン空間に包まれてしまえば、もはや誰もアンテクリストを止められなくなってしまう。
かつて七日間で世界を創造したという、唯一神の御業。それが現代に再現される。
“反創世(アンチ・ジェネシス)”――悪が善にとって代わり、思いやりと愛が罪とされる世界が出来上がる。
弱肉と強食の、殺戮に彩られた惑星(ほし)が生まれてしまう――

しかし。

「…………?」

ふと、アンテクリストは小さな違和感を覚え、軽く頭上を仰ぎ見た。
禍々しい極彩色の空間が、夥しい光によって塗り替えられてゆく。眩い輝きに変換されてゆく。
レディベアから奪い取ったブリガドーン空間が、その支配権が、己の手から離れてゆく。

「…………」

変容はそれだけではない。上空に展開していた、地獄から無限に悪魔たちを召喚する魔法陣。ベリアルの印章。
それもまた、まるで紙の上に墨で描いた図案が濡れて滲んでしまうようにぼやけたかと思えば、
瞬く間に崩れ去って消えてしまった。
それは、祈とレディベアが世界中の人々から勇気を、愛を、『そうあれかし』をかき集め、逆転の策として解き放った証。
橘音の奥の手であった五芒星が発動し、龍脈が正しい流れを取り戻した、確かなシグナルであった。
アンテクリストは視線を我が右手に落とすと、幾度か握ったり開いたりを繰り返した。
ブリガドーン空間と龍脈を東京ブリーチャーズに奪い返されたことで、
アンテクリストに唯一神、創造神として無限の力を与えていたパワーソースは消滅した。
また、地上制圧のための先兵たちを供給していた魔法陣もなくなった。
不意に、轟音が響き渡る。そちらに顔を向ければ、それまで空を遊弋し悪魔たちを放出していたフォルネウスが、
赤紫色の靄のような大蛇に喰らいつかれ、投げ飛ばされて墜落してゆくのが見えた。

「し……、終世主様!ご注進……!
 妖怪どもが反撃に転じております!それまで存在しなかった戦力が、突如として大量に……!
 我が軍、押されております!何卒ご指示を――――びぎぃッ!?」

翼を持った悪魔が伝令として状況を伝えに来る。が、アンテクリストはそんな悪魔を一瞥すると、
表情を変えぬままただ視線だけを用い、まるで握り潰すかのようにあっさり殺してしまった。

「……あくまで、終世主に抗うか。泥より生まれし者、その揺籃の夢から滲み出た汚穢ども」

小さく呟く。
かつて父たる神が泥を捏ねて創造した、人間というイキモノ。
あまりに脆く、あまりに儚く。霊的にも物質的にも未熟に過ぎる、幼い魂。
それらが見た夢の産物――妖怪。
今や現代社会に棲む場所を追われ、伝説と御伽噺の中でのみひっそりと存在することを許された、滅びゆく者たち。
そんな者どもに、唯一神たる自分が敗れることなど万に一つもないと思っている。

とはいえ、事ここに至れば見過ごすこともできない。
唯一神の最大にして究極の役割とは天地創造であるが、それを妨げる存在がいるのならば、排除しなければならない。
平らな道を造るため、路上の石を除くように。 

「近付いている……。龍脈の神子、そしてブリガドーンの申し子……」

小さな、だが強いいのちが、ふたつ。
その周囲に、それに従う無数の光。それらがこの都庁を目指しているのが分かる。
かつて自分がベリアルであった頃から、その企みのすべてに立ちはだかり、邪魔をしてきた者たち。
許されざる、神の叛逆者ども。

アンテクリストは大きく五指を開くと、右の手のひらを空へ向けて高々と掲げた。

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」

おごそかに、涼やかに、神々しい威厳を以て、終世主がヨハネの黙示録の一節を紡ぐ。
シュウウ……と音を立て、突き出した手のひらに圧倒的な神の力――神気が収束してゆく。

「この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。
 できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった」

黄金の空が赤熱してゆく。ふたたび、アンテクリストの圧倒的な支配力が勢いを盛り返す。

「ならば――
 終世主が命ず。反創世に抗う者よ、滅ぶ可し。
 ――『そうあれかし』」

カッ!!!

黄金の空を引き裂き、巨大な質量を持った『何か』が降ってくる。
それは、まさに黙示録に記された神の御業。
かつてエジプトを脱出したモーセらエルサレムの民に、父たる唯一神が見せた奇蹟の再現。

「行け。行って、神の激しい怒りの七つの鉢を、地に向けてぶちまけよ」

あかあかと燃え盛る、直径50メートルはあろうかという巨大な火球が七ツ、東京都心部へと墜ちてくる――。

308那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/01/23(土) 02:21:03
「あれは……尊き御座におわす天の主のみが使える『神の御業・聖裁七星(ゴッズワーク・セブンシンズ)』……!
 ベリアル様、いや……アンテクリストは……この東京もろとも東京ブリーチャーズを灰燼に帰せしめるおつもりか……!」

悪魔たちと熾烈な戦闘を繰り広げていたミカエルが、天を仰いで絶望的な呻きを漏らす。
東京ブリーチャーズはアンテクリストから龍脈とブリガドーン空間を奪還することに成功したが、
まだまだアンテクリストには神としての力が満ちているらしい。
唯一神アンテクリストの降らせた七ツの巨大な炎の塊が地上に激突すれば、東京都は確実に壊滅する。
それだけは何としても避けなければならない。

正真正銘の神の怒り。かつてまつろわぬ民の悉くを殺戮した、混じりっけなしの『天罰』。
それが今、手を伸ばせば届くほどの距離に近付いている――。

「やれやれ。隕石落としとは、本当に神さまみたいじゃないか。
 あんなにでかい獲物を蹴った経験はさすがにないが……さて。ひとつ気張ってみるかねえ」

ゴゴゴ……と大気をどよもして今まさに墜ちてこようとしている巨大な火球を見上げながら、
ライダースーツを纏った美女の姿を取った菊乃が小さく息を吐き、右手を首筋に添えてゴキゴキと骨を鳴らす。
ミカエルは瞠目して菊乃を見た。

「菊乃殿、何を……!
 あれはまったき神罰!本物の天罰なのです!せめて、民を逃がさなければ……」

「今更どこへみんなを逃がすってんだい?逃げられる場所を残すようなやり方をあのニセ神が取らないってのは、
 アンタが一番よく知ってるだろうさ……ミカエルさん」

「……ぅ……」

正論を返され、ミカエルは俯いた。
そんなミカエルを慰めるように、菊乃が笑う。

「ハン、神罰天罰、結構じゃないか。
 ひとの想いから生まれてたって点じゃ、神も妖怪も根っこはなんにも変わりゃしないよ。
 同じ土俵の上に立ってるなら、あとは気力の問題。やってやれないことなんて、何もないさね!
 それに――」
 
「……それに?」

「孫と娘夫婦が頑張ってるってのに、アタシが楽隠居を決め込むワケにもいかないだろう。
 あの子たちの未来のために――ひとつ、道を拓いてやろうじゃないか!」

だんッ!!と強く地を蹴ると、菊乃は高く高く跳躍した。
そのまま、さながら撃ち放たれた矢のように一直線に大火球のひとつへと突き進んでゆく。
空を蹴って天を駆ける、ターボババアの絶技。それを目の当たりにし、ミカエルもまた大きく背の翼を広げる。

「お待ちを、菊乃殿!ああ、くそ!
 皆、参るぞ!ここが正念場と思え――!!」

ミカエルが率いてきた天使たちに号令し、菊乃の後を追う。
千騎を超える天使たちは流星のように光の尾を引き、火球へと吶喊していった。
そして。

「お父様!!」

同刻。都庁への道を疾駆しながら、レディベアが叫ぶ。
黄金の空を突き破って飛来した七つの大火球、そのうちのひとつが妖怪大統領バックベアードへと降ってくる。

「レディ、前方に注視されよ!」

ハルファスが悪魔を斬り伏せながら鋭く注意を促す。しかし、父親を何より大切に想っているレディベアである。
せっかく巡り会うことができた父親に危機が迫っているとあれば、冷静ではいられない。
と、バックベアードの単眼が妖しく輝く。
レディベアの数百倍の妖力を有する眼光、ブリガドーン空間を統べる瞳術が効果を発揮する。
その結果、バックベアードに向かって墜ちてきた大火球はアンテクリストがミサイルを跡形もなく消し去ったように、
黒い灰となってその形を崩し、砕けて消えた。

「お父様……!よかった……」

レディベアが胸を撫で下ろす。だが、危機が迫っているのは妖怪大統領だけではない。
七ツの大火球のうち、ひとつでも地表に激突すればアウトだ。

『オォオォオォォオォォオォォォオオオオォオオォオオオォォ……』

ヘビ助が巨体を素早くくねらせ、鎌首を大きく振って火球のひとつに喰らいつく。
途端、ジュゥッ……!とヘビ助の口腔の焼ける音が響き渡る。火球の落下する勢いに押され、ヘビ助の蛇体が大きくぶれる。
だが、ヘビ助は決して喰らいついた火球を離さない。太古の祟り神が、終世主の奇蹟に懸命に抗う。
ただ唯一、祈から与えられた愛情に報いるために。

309那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/01/23(土) 02:21:52
「ははは、これは愉快痛快!
 アンテクリストめ、大技を繰り出してきおったな!今まで我らを地を這う虫と思い、見向きもせなんだものが。
 やっと正式な障礙として認識したということかよ――!」

天を割って墜ちてくる七ツの大火球を見上げ、天邪鬼が嗤う。

「笑い事じゃないですよ天邪鬼さん!?
 あんなもの、一発でも喰らったらジ・エンドだ!それが七ツも……誇張じゃなく東京が滅んでしまう!」

「だろうな」

「だろうなって!」

走りながら橘音が突っ込む。
しかし、天邪鬼の態度は変わらない。

「確かに正論、喰らえば一切万象塵芥と帰そうよな。
 ならば喰らわねば善い。喰らう前に我が神夢想酒天流の秘奥にて彼の大陰火、膾に斬って呉れようぞ」

ちき、と仕込み杖の鯉口を切る。

「仕方ありませんね……。ではクロオさん、ハルオさん、颯さん!
 五人であの火の玉を出来るだけ何とかしましょう!」

先頭を走っていた橘音が立ち止まって振り返り、東京ブリーチャーズのリーダーとして決断する。
が、そんな橘音の決定に対し、晴陽がかぶりを振る。

「いいや。橘音君、黒雄さん。ふたりは都庁へ。
 ここは私たちに任せて下さい。祈たちと合流し、アンテクリストを討つことに集中を」

「そうね。橘音、黒雄君、先に行って。
 あの隕石は、こっちで何とかするから!」

晴陽の言葉に、颯が同調する。

「そんな莫迦な!五人で力を合わせたってどうなるか分からないのに……」

「だろうな」

「ちょっ!?天邪鬼さん、ふざけてる場合じゃ――」

天邪鬼のいらえに、日頃はふざける立場の橘音もさすがに気色ばむ。
しかし、今度の天邪鬼の顔に笑みは浮かんではいなかった。

「我らであれを総て平らげようとするから無理だと思うのだ。
 だが、あの七ツのうち一ツくらいなら、我ら三名でも何とかなろうよ。否、してみせよう」

「仮にそうでも、ひとつ撃ち落としたくらいでは……」

「戯け。なんでも己のみで片付けようとするのが貴様の悪癖よな、三尾。
 おいクソ坊主、貴様からも言ってやれ。自分のできぬことは、他の者に任せてしまえとな」

天邪鬼が尾弐の顔を見上げ、それからすぐに視線を外してはるか上空を仰ぐ。
見れば、東京を残らず焦土と化すべく降り注いでいた巨大な七ツの火球たちは、いつの間にか五ツに減っていた。
そして今、遥か遠方で高層ビルに迫る巨大さの赤紫色の蛇が火球をひとつ呑み込む。
呵々と天邪鬼が嗤う。

「それ見ろ、余所の連中も意見は同じらしいぞ。
 各所で一ツを受け持てば、貴様らの戦力を温存したまま大陰火を消し去るも不可能ではあるまいよ」

「でも……」

橘音はまだ逡巡している。東京ブリーチャーズのリーダーは不安げな表情でちらと尾弐を見た。
各々の強さは充分以上に知悉している、しかし。物事には絶対など存在しないのだ。
一度喪い、そして再び取り戻した、大切な仲間たち。彼らの身にもしものことがあったらと、嫌でも案じてしまう。
ただし――そんな懸念も、心より愛する尾弐の説得があればきっと氷解することだろう。
長い長い逡巡と、後悔と、絶望の葉て。
それでも手を取り合って未来を歩いてゆくのだと誓った、最愛の男の言葉があるのなら。

「さあ――征け!
 そして、見事帝都鎮護の役目を果たしてくるがいい!」

「祈を頼みます、黒雄さん。
 ……いいえ、祈だけじゃない……この東京を。
 それが出来るのは私たちじゃない、あなたたち現在の東京ブリーチャーズだけですから」

「ふたりとも、頑張ってきてね!
 みんなの未来を。あなたたちの未来を、守って!」

かけがえのない仲間たちの期待を背に、尾弐と橘音は都庁へ向けて走った。

310那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/01/23(土) 02:22:15
燃え盛りながら墜ちてくる大火球を目の当たりにして、ばけものフレンズたちが慄く。

「んなっ……なんやねん!?
 アンテクリストちゅうんはあないなモンまで出せるんかいな!?聞いとらんで!
 パワーをメテオに!いいですとも!って言うとる場合かボケェ!」

ムジナが唖然としながらも早口でまくし立てる。

「ひええ……無理無理無理無理!カタツムリ!!
 死ぬ!今度こそ死ぬ!おかーさん先立つ不孝をお許しください〜っ!」

「――フン。取り乱すんじゃないよ、みっともない。
 たかが火の球ひとつ!アタシらで押し出してやるよ!」

あずきが狼狽えるのを尻目に、クリスが火球を見上げながら声を張り上げる。
しかし、ばけものフレンズたちは正規の東京ブリーチャーズほどの妖力を持ってはいない。
一体どうすれば――そんな空気が漂う。
そんな絶望的な雰囲気の中、クリスは不敵に笑う。

「なァに、簡単な話さ。
 とどのつまり、コイツは意地の張り合い。気持ちの問題なんだ。
 アンテクリストの『そうあれかし』が勝つか、それともアタシ達の『そうあれかし』が勝つか。
 『この東京を破壊したい』気持ちと『この東京を守りたい』気持ちのせめぎ合い。
 であるのなら!あんなポッと出の神野郎になんて負けるもんか!そうだろ!?
 二軍であっても!正規じゃなくても!アンタらは東京ブリーチャーズだろう――!!」

クリスが皆の顔を見回す。
東京を、この街を守りたいと願う気持ちに、二軍も何もない。
例え妖力がなくたって。悪魔を纏めて屠れるような超常の力がなくたって。
強い想いさえあれば戦うことができるのだ――このブリガドーン空間の中では。

「ああ……かなわんなあ!ホンマ、貧乏クジにも程があるやろ!
 色男にバトンタッチして、後はゆるゆる一服でもしとこかと思ったらこれかいな!」

クリスの叱咤に、やがてムジナが吐き捨てる。

「ワシにはまだまだ、やりたいことがあんねん!オヤジの式神のまんまでくたばれるかい!
 とことんやったるわ……天罰がなんぼのもんやっちゅうねん!」

「あ、あたしも!まだ小豆洗いたい……!」

あずきが同調する。他のばけものレンズたちも、次々に賛意を示す。
クリスは満足げに微笑むと、改めて空を見上げた。

「さあ――ここが踏ん張りどころだ。負ければ滅びる、引けば死ぬ。肚を括んな、野郎ども!」

ぐ、と強く拳を握り込む。その全身を帯のように螺旋を描く霜が取り巻く。
天から降ってくる破壊の『そうあれかし』を、かつてこの街を凍てつかせた妖壊と。それを阻止しようとした妖怪たちが守る――。

「ゲハハハハ、悪魔の群れの次は隕石とはな。
 アンテクリスト……あのクソ道化も必死と見えるぜ。なあァ?山羊の王」

ばけものフレンズたちが火球に立ち向かっている頃、
杉並区の避難所前ではロボが引き裂いた悪魔たちの屍の山の上に胡坐をかき、墜ちてくる神罰を眺めて嗤っていた。

《如何にする、旧き狼の王》

無数の眷属と共に屍の山の隣に立つアザゼルが問う。
ハ、とロボはせせら笑った。

「ぶち壊す」

《……だな》

簡潔極まる返答に小さく笑みを漏らす。天から降り注ぐ大火球をどうするか、そんなことは最初から決まっている。
完膚なきまでに――木端微塵に破壊し、この東京を守る。
自分たちが認めた新たなる獣の王のため、すべての獣たちの未来のため。

「さアてと……やるか!」

ぱんっ!と胡坐をかいていた右の太股を叩き、勢いをつけて立ち上がる。
大火球は既に目前に迫っている。アザゼル率いる千頭を超える山羊と、狼王ロボ。獣の軍勢が未曽有の脅威と対峙する。
と、そのとき。

「――ほォ」

不意に現れた新たな気配に、ロボは目を細めた。
山羊の群れの中央が十戒さながらに割れ、その奥から何者かが悠然と歩いてくる。
やがて姿を見せたのは、赤茶けた錆色の毛並みを持つ2メートルほどもあろうかという巨狼。
その傍らには小さなすねこすりが寄り添っており、二頭の後ろには狼の群れが付き従っている。

「お前は……そォか、ポチの。
 ああ、そンならここに参戦する資格充分だぜ。
 それじゃあ、ひとつ気張るか――全員、気ィ入れやがれ!!」

《応!!!》

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ―――――――――――――――ン!!!!」

ロボの号令一下、アザゼルが雄々しく応じ、巨狼が咆哮する。
種族の垣根を超えた獣の大軍が、神罰に挑む。

311那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/01/23(土) 02:25:54
「おお……!祈!戻ったか!」

都庁前。
祈とレディベア、ハルファスとマルファス、コトリバコらが到着したのを見た安倍晴朧は髭面に喜色を湛えた。
東京ブリーチャーズが結界構築のため都内各所に分散してからというもの、
迷い家の守護や避難者の誘導などに人員を割いた残りの陰陽寮本隊は、
自衛隊や警察と連携して都庁防衛のため玄関前広場に陣を構築し、その防衛に死力を尽くしていた。
陰陽頭の晴朧以下、晴空も芦屋易子もすでに長時間の戦いによって血にまみれ、その疲労は極限に達している。

「天を黄金色に満たす霊気、そして悪魔めの印章の消滅。
 みなまで言わずとも分かるぞ、見事仕遂げたか!あっぱれよ、祈!」

晴朧は厳つい面貌を笑ませると、祈の両肩に手を置いた。

「祈ちゃん!」

そして、祖父と孫のそんな遣り取りからほどなくして、橘音と尾弐が都庁に到着する。
間を置かずノエルとポチ、シロも仲間たちのところに合流するだろう。

「皆さんの頑張りのお陰で、ボクたちはブリガドーン空間と龍脈の奪還に成功しました。
 もう、アンテクリストは眷属を無尽蔵に召喚できない。悪魔は『今いる分だけ』です。
 そして、龍脈の力を横奪することもできなくなった。彼を斃すには、今しかない。
 ただ――」

橘音が頭上を見上げる。
空を満たす七つの神罰へ、流星のように無数の光が近づいてゆく。
光が接触した大火球の表面に無数の亀裂が走り、その一部が――間を置かずしてその全体がゆっくりと崩壊してゆく。
東京ブリーチャーズに後を託し、各所で火球迎撃を請け負った仲間たちの成果だ。
一つ目は菊乃とミカエルが。
二つ目はバックベアードが。
三つ目はヘビ助が。
四つ目はクリスとばけものフレンズが。
そして五つ目はロボとアザゼル、巨狼たちが破壊した。
だが――偽神の裁きは七つ。
黄金色の空に、禍々しく燃え盛る巨大な火球が。まだ二つ残っている。

「ふむ。では、ひとつは儂らが受け持とう」

晴朧が残る二つのうちひとつの破壊を申し出る。

「なに、何もかもお主らに任せきりというのも、陰陽師の立つ瀬がないのでな。
 少しくらいは儂らも役に立たせてくれ」

そう言って、小さく微笑む。
晴空と易子も、そして他の陰陽師たちも頷く。

「お主ら東京ブリーチャーズの健闘、献身!決して無駄にはするまいぞ!
 今こそ、平安の時代より護国鎮撫のお役目を預かってきた我ら陰陽寮の面目を施すとき!
 総員、丹田の底より法力を絞り出せい!」

「おおーっ!!」

陰陽師たちが鯨波を上げる。

「陰陽頭様、この場にいる陰陽師全員で反射術式を用います。陰陽頭様もご助力を!」

「うむ!」

すぐに陰陽師たちは印契を組み、結界陣を編み始めた。
純粋に破壊力を用いて消滅させるのではなく、大火球の威力を大火球そのものへと跳ね返す術だ。
陣を編んでいる間無防備になってしまう陰陽師たちを、武装した自衛隊員の小隊が防衛する。
これで、アンテクリストの降らせた七ツの神罰は、あとひとつ。

「残りひとつは、わたくしたちが破壊する他ありませんわね……」

レディベアが口を開く。
アンテクリストとの決戦を前に余計な体力と妖力の損耗は避けたいところだが、これ以上仲間たちの力に頼ることはできない。
であるのなら、レディベアの言う通り東京ブリーチャーズとレディベアとで破壊するしかないだろう。

と、思ったのも束の間。

ギュバッ!!!!!

今まさに地上へ大破壊を齎さんとしていた最後の大火球を、突如として飛来した激しく輝く白い閃光が貫いた。
邪な者を、悪を成す者の一切を灼き尽くす聖なる光。
その輝きを、東京ブリーチャーズは何度も目の当たりにしたことがあるだろう。
特に祈とレディベアは、つい先刻までその光に守られていたのだ。

「……ああ……!」

隻眼に大粒の涙を湛え、レディベアは閃光の飛来してきた方向を振り仰いだ。
きっと彼はそこにいるのだろう。祈とレディベアが先ほどまで戦っていた、大田区の避難所に。
聖剣を携え、いつもと変わりのない小さな笑みを浮かべて。

大火球が砕け散る。無数の細かな塵と化し、きらきらと輝きながら消えてゆく。
まだ陰陽寮が対処する火球が残ってはいるものの、これでアンテクリストの降らせた神罰の脅威はほぼ取り除かれた。
とすれば、すべきことはただひとつ。

「―――――行きましょう!!」

高く聳える都庁のツインタワーを見上げながら、橘音が告げる。
今まさに、最後の決戦の時がやってきたのだ。


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