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【伝奇】東京ブリーチャーズ・玖【TRPG】

1那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/04/07(火) 14:55:01
201X年、人類は科学文明の爛熟期を迎えた。
宇宙開発を推進し、深海を調査し。
すべての妖怪やオカルトは科学で解き明かされたかのように見えた。

――だが、妖怪は死滅していなかった!

『2020年の東京オリンピック開催までに、東京に蔓延る《妖壊》を残らず漂白せよ』――
白面金毛九尾の狐より指令を受けた那須野橘音をリーダーとして結成された、妖壊漂白チーム“東京ブリーチャーズ”。
帝都制圧をもくろむ悪の組織“東京ドミネーターズ”との戦いに勝ち抜き、東京を守り抜くのだ!



ジャンル:現代伝奇ファンタジー
コンセプト:妖怪・神話・フォークロアごちゃ混ぜ質雑可TRPG
期間(目安):特になし
GM:あり
決定リール:他参加者様の行動を制限しない程度に可
○日ルール:一週間(延長可、伸びる場合はご一報ください)
版権・越境:なし
敵役参加:なし(一般妖壊は参加者全員で操作、幹部はGMが担当します)
質雑投下:あり(避難所にて投下歓迎)

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【東京ブリーチャーズ】那須野探偵事務所【避難所】
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番外編投下用スレ
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1509154933/

東京ブリーチャーズ@wiki
https://w.atwiki.jp/tokyobleachers/

175尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/09/06(日) 16:22:50
>「悪あがきにしか聞こえないな、ベリアル。
>貴様がどれだけ奸智に長けていようと、ここに貴様の戯言に心惑わされる者はいない。
>長かったぞ――やっと貴様をこの聖剣の錆にできる。
>かつて貴様が裏切った、神に祈る覚悟はできたか?」

尾弐も、尾弐以外の一行も、ベリアルの言葉を撥ね退けていく。
それは紛れも無く、彼らがこれまでの生の中で得た強さが成せる業。
されど敵はかの怪人。神話に謳われる悪魔ベリアル。
彼はまだ、その手元に無数の手札を有している。

>「妖怪大統領閣下は、いつだってここにいるのだからネ……この吾輩の元に!!」
>「あれは……!」
>「お……、お、父様……!」
>「あたしには判断つかないから教えて欲しい。
>あの空に浮かぶ妖怪大統領は――『本物』なんだよな?」

ベリアルの声に呼応するかのように中空に浮かぶ巨大な一つ目。
それは、妖怪大統領―――—バックベアード。

突如として現れた天覆うバックベアードに対する違和感は、当然尾弐も抱いていた。
ブリガドーン空間より現出する事は叶わないという法則(ルール)の否定
あれだけの存在感を纏いながらも妖気を一切放っていないという矛盾
何かが起きようとしている事を感じ……だからこそ、ベリアルがその違和感を結実させるより前に状況を打開せんと尾弐は動いた。
ノエルが妖術を用いるのとほぼ同時に、尾弐が右手首から先を小さく振ると、その中指の先から漆黒の―――—闘気を凝縮した針が高速で伸びた。
それは、アラストールの奥義である具象化した闘気の腕を尾弐が見よう見まねで再現・改編した即席の技。

『偽針―暗鬼(ギシン=アンキ)』

高速で伸縮する闘気の針を暗器とした刺突。
その一撃は、ベリアルの胸の中央を目がけ迷う事無く伸びていく。

(すまねぇな、祈の嬢ちゃん。ベリアルは今、この場で殺さねぇと不味いと俺の勘が言ってんだ)
(例えバックベアードの娘が俺を恨む様な事態になる可能性があるとしても、だ)

176ポチ ◆CDuTShoToA:2020/09/13(日) 22:31:20
>《嗚呼……。

ふと、アザゼルが声を零した。
掠れた、呻き声を。

>此処が我が一族、数千年の旅……終焉の地であったか……。
 愛する民よ、我が仔らよ……。
 すまぬ……汝らの期待に、応えられなかった……。
 余は……弱き王、だ……》

ポチは何も言えない。
慰めの言葉など、かけられるはずもない。

>《……狼の……王よ……》

アザゼルがポチを呼ぶ。
ポチはその視線に応えて、彼の目をじっと見つめ返す。

>《よくぞ……余を……斃した……。
 汝の、力……その勇気……すべて、見せて……もらった……。
 ……見事で、あった……》

ポチは何も言えない。
あんたこそ、見事だった。強かった。紙一重だった――あんたは、立派な王様だった。
吐き出したい言葉は幾らでもある。
だが――この偉大な王の最期に、慰めの言葉が相応しいのか。
そんなはずがないと、ポチは分かっていた。

>《弱肉、強食こそ……自然の、摂理……。
 それに、異議を……差し挟む、つもりは……ない……。
 汝は、まこと強かった……。
 ならば……我らを下せし強き者に……敬意を表し……。
 我が一族は……滅びを、受け容れよう……》

ポチは何も言えない。ただ、滅び――その言葉にほんの少しだけ目を細めた。
アザゼルが、微かに微笑んだ。

>《……勝者が、敗者にかける言葉など……ない、か……。
 勝者が何を言ったとて、それは皮肉にしかならぬ……。
 優しいの、だな……汝は……》

ごぼりと、アザゼルの口から大量の血が溢れた。

>《その、優しさに……甘えて……。汝に、頼みたい……ことが、ある……》

それでも彼はポチから目を逸らさない。

>《……余の肉を……啖って……くれ……》

そして、そう言った。

>《汝が……余を、啖えば……余は、汝の血肉となる……。
 余が、余の……眷属が……この世界に、生きた……その、証と……なる……。
 頼む……若き、狼の……王、よ……。
 この、大地に……世界に、星に……このアザゼルと、同胞たちが……生きた、証を……。
 我らの、足跡を……残させて、くれ……》

アザゼルは、今までポチが倒してきたどんな相手とも違う。
二匹の獣が、互いの命、互いの種の存続を懸けて戦ったのだ。
野生の領分、その中での戦いだった。
ならば勝者が、敗者の躯を置き去りにすべき道理などない。

ましてや――この偉大な王の最期の望みを、ポチが断る理由など。

177ポチ ◆CDuTShoToA:2020/09/13(日) 22:31:49
今まさに息絶えようとしているアザゼルに、ポチが一歩、歩み寄る。その場で両膝を突く。
そして――ポチの矮躯が、ふと前触れもなく、膨張を始めた。
目の前に横たわるのは己が転ばせた、まだ息のある獲物――送り狼の本性の発露だ。
ポチの体躯が何倍にも巨大化し、爪と牙はより鋭く、あぎとはより深く変貌する。

>《……頼む》

振り絞るようにそう言うと、アザゼルは目を閉じた。

ポチは答えない。ただ、眼前の首を両手で押さえ――深く、牙を突き立てた。
アザゼルの体が小さく震える。そのまま渾身の力で毛皮を食い破る。肉を食いちぎる。
再び、食らいつく。
毛皮も肉も削いだその噛み跡から、今度は頸骨まで牙が届くよう、力強く。

そして――骨の砕ける音。アザゼルは、完全に息絶えた。
これでもう、彼が死の間際の苦しみを感じる事はない。
ポチが再び、アザゼルの躯に食らいつく。食いちぎる。噛み砕く。嚥下する。

アザゼルの巨大な躯が、見る間にその体積を失っていく。
ポチはその身に『獣』を宿している。
見た目上の容積など、意味を成さない。

毛皮を剥がす音、肉を食いちぎる音、血を啜る音、骨を噛み砕く音。
無人の荒野に絶え間なく響き続けたその音が――やがて、やんだ。

「……これで、もうあんた達はどこにも彷徨う必要はない、か」

目の前にあった骸、その全てが消えてなくなった後、ポチが呟いた。
かつて狼王ロボが謳った愛――ポチは奇しくも、それを体現した。
例え何人たりとも己が群れを傷つけさせはしない――歪ではあったが、深い深い愛情を。

己が殺め、そして喰らったアザゼルを、しかしポチはもう誰にも苦しませはしないと感じていた。
ずっと、「ここ」にいればいいと。
足跡なら望み通り、ずっとここに残しておいてやる。どこまででも運んでやると。

だから――負けられない理由が、また一つ増えた。
アザゼル――あの偉大な山羊の王が最後に残した足跡を抱えて死ぬなど、決してあってはならない事だ。
その決意、その「かくあれかし」がポチの魂を満たす。
死闘によって刻み込まれた疲弊が、ほんの少しだけ和らぐ。

ポチは立ち上がった。気づけば、ポチの前方に両開きの扉があった。

『なんだ、食後の休憩はいらないのか?』

「なんだよ、もう胃もたれしたのか?メインディッシュはこの先だぜ?」

下らない軽口の応酬。疲労、消耗は激しいが、思考に靄がかかるほどではない。
例え扉を潜った途端に戦闘が始まっても、不覚は取らない。
そう判断して、ポチは歩き出した。

178ポチ ◆CDuTShoToA:2020/09/13(日) 22:32:29
 


「――あれ、僕が一番じゃなかったんだ。二人とも、やるなあ。
 尾弐っちと橘音ちゃんは……ま、のんびり待ってればいっか」

扉を抜けた先、北側展示室に辿り着いたポチは先客である祈とノエルを見てそう言った。
それから一度、小さく鼻を鳴らす。血のにおいは、さほど酷くない。
ポチはひとまず安堵して――むしろ自分の状態が二人に不安を与えないかを懸念した。
傷を毛皮で隠すべく狼の形態を取ってはいるが、それにしても夜色の毛並みは血塗れで、固まってしまっている。
とは言え、ここにはシャワーも湯船もない。どうする事も出来ないので、ポチはせめて二人からやや距離を取る事にした。

それから、祈の傍で不慣れそうに駄菓子を嗜む、レディベアを見た。
敵意のにおいはしない。むしろ、嗅ぎ取れるのは不安や焦燥。
ひとまず、彼女はこの場において脅威ではない。
祈は、上手く自分の友達を救えたのだろう。

だが、だからといって「君が祈ちゃんのお友達?へえ、レディベアちゃんって言うんだ。よろしくね!」などと脛にすり寄る訳にもいかない。
東京ドミネーターズは敵だった。
その確執は、なあなあで終わらせる訳にはいかないだろう。

「お菓子は……僕はいいや。もう十分、食べてきちゃったから」

ポチはそう言うと、展示室の長椅子の傍で横になった。
それから暫くして、

>「っと……随分待たせちまったみてぇだな。まだ来てねぇのは橘音だけか?」

「あ、尾弐っち。結構時間かかったね、大丈夫だった?
 橘音ちゃんは……まあ、大事な時に遅れて来るのは、いつもの事じゃん?」

更に少々の時を経て、

>「いや〜はっはっはっ!お待たせしました、皆さんお揃いですね!
 まさか負けることはないと思っていましたが、それでも全員無事なのを見ると安心するものです!」

尾弐と橘音も展示室に合流した。

>「みんな無事……かどうかはともかく、揃って良かった」
>「……今更誰かが欠けるたぁ思っていなかったがよ。それでも五体が揃ったままで先に進めるのは僥倖か」

「ふああ……もう、待ちくたびれちゃったよ」

ポチは欠伸をしながら立ち上がる。
だが正直なところ、コンディションは万全とは言えなかった。
大量の出血、全身に負った切創、打撲、体力的な消耗もある。
そうは言っても、ポチは自身の状態について、さほど心配はしていなかった。

>「とりあえず、ダメージだけでも回復させておきましょう。
 これ、ボクの調合した仙丹です。一粒ずつどうぞ。
 マンガじゃあるまいし、何もかも即完治とは行きませんが……傷の治りを早くし、疲労を回復させる効果があります」

「……さっすが橘音ちゃん」

迷い家の温泉の湯、橘音の呪術、体力を回復させる手段なら幾らでもある。
それらの用意を、この期に及んで橘音が怠っている訳がないのだ。
ポチは受け取ったカプセルを口に放り込んで――

>「ふぁい、ろーろ」
>「んぐ!? ぐっ、げほっげほっ。肺に入ったかと思った……」
>「………橘音、お前さんなあ」

「えーと……こういうの、なんて言うんだっけ。
 ……ああ、そうだ。砂糖吐きそう」

やや恨めしげな目つきで、そうぼやいた。

179ポチ ◆CDuTShoToA:2020/09/13(日) 22:32:50
>「アレだ。俺にも我慢できなくなる時くらいあるんだ。だから、あんましからかってくれんな」

「あー……シロが恋しくなってきちゃったなあ。
 ……あ、もう終わった?じゃあ、早いとこ――」

>「あ、あ……あのっ!」

――ベリアルをやっつけに行こう。そう続くはずだったポチの声が、遮られた。
レディベアの、やや上ずった声によって。
東京ブリーチャーズ全員の視線が、彼女へと向いた。

>「そ……、その節は、大変ご迷惑をおかけ致しました……っ!
 目的のためとはいえ、皆さまと東京に住む方々に、とても酷いことを……。
 多くの人命を犠牲にしてしまい……本当に、本当に申し訳ございませんでしたわ……!!」

レディベアが深く頭を下げる。

>「わたくしのしたことは、許されることではございません。
 本来であれば、東京ブリーチャーズの皆さまに今すぐここで漂白されても仕方のない身……。
 けれど、どうかお願い致します。わたくしに償う機会を下さいませんでしょうか。
 償いが終わったそのときには、どのようにわたくしを裁いて下さっても構いません」

彼女から、深い後悔のにおいがする。

>「まずは赤マントを……ベリアルを打ち破る手助けをさせて下さい。
 わたくしを欺き、お父様を裏切り、ロボやクリスやローランをこのような目に遭わせた、あの男。
 妖怪大統領バックベアードの名において、あれに目に物を見せてやらなければ……死んでも死に切れませんわ!
 わたくしを憎んで頂いて構いません、お怒りは甘んじて受けましょう。
 けれど、今だけ……この戦いの間だけは、わたくしを皆さまの戦列の端に加えて下さいませ……!」

ポチは――レディベアから視線を外して、橘音を見上げた。
彼女をどうするかなんて、もう決まっている。

>「ボクは構いませんよ。レディ……祈ちゃんがアナタをともだちだと言った、それだけで助ける理由には充分すぎる。
 大切なのは言葉ではありません。これからアナタがボクたちにどのような行動を見せてくれるのか。
 償いたいという気持ちを、どういうふうに表現してくれるのか……。
 それが何より大事なのですから。
 第一……」

それでも、こういう時、それを最も適した形で伝えられるのは橘音だ。

>「東京ブリーチャーズの漂白は、なにも相手の存在を無かったことに――空白にするだけじゃない。
 黒く澱んでいた心を白くする、それだって立派な漂白なんです。
 ボクの目には、レディは真っ白に漂白されているように見えますよ……
 祈ちゃん。アナタがレディの心を綺麗にしたんです。まっさらな白い色にね」

>「そうそう! 元々組織のコンセプト的に説得して改心させるのが第一候補で倒すのは最終手段だったよね。
>最近ガチでヤバイ敵ばっかりでみんな忘れてそうだけど」
>「……いいってさ、モノ」

「……考えようによっては、君は、僕をロボに巡り会わせてくれたからね。
 だから……最初、猿夢の中で出会った時、君がとびきり小生意気な子だった事は忘れてあげるよ」

ポチはそう言って悪戯っぽく笑うと、姿を消して、レディベアの足元にすり寄った。

180ポチ ◆CDuTShoToA:2020/09/13(日) 22:33:17
>「……さて。では、話も纏まったことですし……そろそろ行きましょうか。
  最後の戦いに。怪人赤マント……天魔ベリアルとの決着を付けに」

そうして話がまとまったところで、橘音がいよいよそう言った。

>「皆さん、用意はいいですか?
 泣いても笑っても、これが最後。……意地でも勝って、全員で生き残りますよ!
 そして――今日はパーッと派手に祝勝会です!サイ○リアで!」

>「やった、サイ○だー!!」
>「今日ぐらいロ〇ヤルホホストにしない!?」
>「いや、全部ファミレスじゃねぇか……ま、いいか。オジサン的には酒が飲めるならどこでも付き合うぜ」

「えー、結構人数多くなりそうだけど、ちゃんと予約取ってる?ここ、外に携帯通じるのかなぁ」



>「ク、ク、ク……クカカカカカッ、クカカ……。
 ようこそ北側展望台へ、東京ブリーチャーズの諸君。
 それにしても驚いた……よもや、吾輩の厳選した饗応役の五魔神が敗れ去るとは!」

一面ガラス張りの展望室に進むと、天と地の間を背景に、ベリアルが一行を待っていた。
距離は――遠い。だが今のポチの脚力ならば一呼吸で詰め寄れる。

>「吾輩的には、彼らが負ける要素などないと踏んでいたんだが。
 諸君が吾輩の想像を超えて強くなり過ぎたのか、それとも吾輩が五魔神を買い被りすぎていたのか……。
 ま、もうどっちでもいいけどネ。クカカッ!」

>「ともあれ、約束は約束だ。諸君がここへ来た以上、吾輩が相手をするしかないだろう。
 吾輩はウソをつかないからネ!」

橘音が舌打ちを鳴らす。ポチも、全身の毛が僅かに逆立っている。

>「赤マント、いいえ師匠。いくら虚勢を張ったって、アナタが『詰み』の状態だという事実は覆りませんよ。
 手駒は尽き、今やアナタは丸裸。アナタのことだ、きっとまだ何かを企んでいるのでしょうが……。
 生憎ですね、ボクたちも無策でここまで乗り込んできたわけじゃない。
 この都庁の外には、安倍晴朧殿率いる日本明王連合と富嶽ジイの声で集まった日本全国の妖怪たちが集まっています。
 アナタは都庁内を結界で覆ったつもりでしょうが、さらにその都庁を日明連と妖怪軍団が結界に包んでいます。
 もう、何もできっこありませんよ」

ポチは音を立てずに、静かに鼻からこの場の空気を吸い込む。
様々なにおいが、複雑に入り混じっている。
勇気、怒り、興奮、敵意、信頼――だが、ベリアルのにおいが、分からない。

確かに、血肉を持たない神や精霊の類は、あまり強いにおいを発しない。
しかし――ベリアルのにおいは、それにしてたって、上手く嗅ぎ取れない。
『獣』と同化し、野生の本能を研ぎ澄ましたポチの嗅覚を以ってしても。
深い、むせ返るような愉悦のにおいがするはずなのに、何故かそれが本物だと思えない。
或いは――この世にこれほど濃厚な邪悪のにおいが存在する事を、ポチが理解し切れないだけかもしれないが。

>「アナタはもうおしまいだ。アナタの謀略によって不幸になった、すべての存在に成り代わり――
  東京ブリーチャーズが。ベリアル、アナタを裁きます」

ポチは今度も静かに、深く息を吐いた。
戦術的判断の材料になるかと、においを探ってみたが――考えてみれば、このベリアルの心中を探るなど、無意味にも程がある。
永い永い時を生きて、数え切れないほどの人に、妖怪に出会って――その全てを滅ぼしてきた。
その全てを滅ぼす為にここにいる。そんなの――まともじゃない。理解出来るはずがない。
だから――奴はただ、滅べばいい。ポチは決意を固める。

181ポチ ◆CDuTShoToA:2020/09/13(日) 22:33:39
>「クカカカ……アスタロト。まさかここまでキミが喰らい付いてくるとはネ。
 せっかく師である吾輩が美しい死を呉れて遣ったというのに、おめおめと生き恥を晒すとは。恥ずかしくないのかネ?」
 キミのその肉体、その知識、その妖力はすべてこの吾輩が与えたもの。吾輩がお情けで恵んでやったもの――。
 生きている限り、キミは未来永劫吾輩の影から逃れられない。死んだ方がマシなのではないかネ?」

>「小さなオオカミ君。大切なつがいを置き去りにして、ここまで来てしまったんだネェ。
 いいのかネ?こんなところにいて。今頃、キミの大切なお嫁さんは吾輩の部下にズタズタにされている頃だヨ?
 キミは下らない私怨に目が曇り、結果として一番護らなければならない存在を永久に喪失することになってしまった……。
 いやはや、悲劇だネ!大切な相手を護れと言って『獣(ベート)』の力を譲渡したロボも浮かばれまい!」
 
「……下らない、私怨?私怨だって?」

ポチはアザゼルを鼻で笑った。

「違うね。僕は未来の為にここに来たんだ。僕らの未来に、お前はいらない。
 ていうか……お前の部下に、シロがやられる?
 ははっ……なんだよ、それ。悪いけどさ……そのネタ、もう古いよ」

シロがやられる。今更、ポチがそんなつまらない虚言に動揺するはずがなかった。
ポチはもう、知っている。己の最愛のつがいが――どれほどの強さを秘めているのか。

>「悪あがきにしか聞こえないな、ベリアル。
 貴様がどれだけ奸智に長けていようと、ここに貴様の戯言に心惑わされる者はいない。
 長かったぞ――やっと貴様をこの聖剣の錆にできる。
 かつて貴様が裏切った、神に祈る覚悟はできたか?」

そうだ。もう言葉を弄して相手を掻き乱す。戦いは、そんな段階にはない。
そんな事を、ベリアルが理解出来ていないはずがない――そう考えた瞬間、ポチの背筋に僅かな悪寒が走った。

>「赤マント……!
 わたくしを、そしてお父様を欺き陥れた、その罪……絶対に許すことはできませんわ!
 大人しく裁きを受け入れなさい!」

ベリアルの挑発は、本当にただの挑発だった。
不安や迷いを駆り立てるには不十分な――それ故に、言い返す事が出来てしまう挑発だった。

>「クカカカカッ! レディ、祈ちゃんに助けてもらったのだネ。素晴らしい!
 麗しい友情だ、例えどんな困難が立ちはだかったとしても、ふたりで手を携えて乗り越える。
 そんなところかネ?いやはや、吾輩は感涙を禁じ得ないヨ!
 レディ……キミに人間界の学校へ行けと言ったお父上も、キミに親友が出来て喜んでいるだろうサ!」

>「お黙りなさい!お父様を裏切り、東京ドミネーターズの実権を簒奪した叛逆者がいけしゃあしゃあと!
 お父様に代わり、わたくしがあなたを断罪致しますわ!」

こうやって。相手の怒りや勝ち気を駆り立てて、言い返させる。言葉を紡がせる。

>「ク、ク……。吾輩が?妖怪大統領閣下を裏切っただって?
 それは心得違いというものだヨ、レディ。吾輩の思惑はいつだって閣下の意思に沿っている。
 いや……閣下の意思が、吾輩の思惑に沿っている……と言うべきかな?
 その証拠に――」

ポチの全身の毛が逆立つ。今度は怒りだけではなく、焦燥、悪寒によって。
もしかしたら――

>「妖怪大統領閣下は、いつだってここにいるのだからネ……この吾輩の元に!!」

この展望室に辿り着いてから、自分達はずっと時間を稼がれていたのではないか。

182ポチ ◆CDuTShoToA:2020/09/13(日) 22:33:56
>「あれは……!」
>「お……、お、父様……!」

東京の空が裂ける。巨大な一ツ目が現れる。それが東京ブリーチャーズを見下ろす。

>「な、なぁ、モノ」
>「あたしには判断つかないから教えて欲しい。
 あの空に浮かぶ妖怪大統領は――『本物』なんだよな?」

妖気は感じない。だが――だからなんだ。
これ以上、ベリアルに自由に振る舞わせていい事などない。

>「見たらいけない!」

ノエルの妖術と尾弐の暗技が放たれた瞬間。
ポチはベリアルの足元にまで飛び込んでいた。
二人に合わせたのではない。ただ可能な限り速く、ベリアルを仕留めなければと動いた結果だった。

「ガァッ!!」

迸る黒い影。そして弧を描く、金色の爪。
喰らった者を己の血肉とする――獣達の法に基づき、受け継いだ黄金。
狙いは、ベリアルの頸。

183那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/09/17(木) 20:37:06
東京の空に突如として出現し、東京ブリーチャーズを睥睨する巨大な『眼』。
妖怪大統領バックベアード。
本来ブリガドーン空間という異次元にしか存在できないはずのそれが、どういう訳か現実世界に顕現している。
が、これほどまでに巨大な姿を誇示しておきながら、その瞳からは一片の妖気も感じられない。

>な、なぁ、モノ
>あたしには判断つかないから教えて欲しい。
 あの空に浮かぶ妖怪大統領は――『本物』なんだよな?

祈が隣のレディベアに対し、怪訝に問う。
ノエルや尾弐、ポチも祈と同じくバックベアードの存在を疑問視している。
だが――

「何を言うのです、祈!
 あの方は紛れもなくわたくしのお父様ですわ……、間違いありません!
 ああ……、ああ……!ついに、ブリガドーン空間からお出でになられたのですわね!
 この瞬間を、お父様が枷から解き放たれるときを、わたくしはどれほど心待ちにしたことか……!」

レディベアはあれが本物の父親だと信じて疑わない。
それはあたかも、生まれたばかりの雛鳥がおもちゃの鳥を親だと思い、盲信するかのような――。

>見たらいけない!

ノエルが展望室のガラス一面に霜を張り、バックベアードの視線が届かないようにする。
同時に、尾弐とポチも動いた。

>『偽針―暗鬼(ギシン=アンキ)』

尾弐の右手中指から、闘気の針がベリアルの心臓目掛けて高速で伸びる。

>ガァッ!!

ポチが目にも止まらぬ速度でベリアルの首を引き裂こうと襲い掛かる。
ベリアルに無駄口を叩かせてはならない。ベリアルが何かする前に仕留める、それが最善手。
今までの長い戦いでベリアルの危険性を熟知した者たちの下した、一番の攻略法。
ベリアルは動かない。――いや、反応できない。
仲間たちとの過酷な修行、そして五魔神との闘いを経て、尾弐とポチの戦闘能力はもはや極限の域に達している。
並の妖壊はおろか、大妖怪クラスであったとしても容易には見切れまい。
そして。

ベリアルはなすすべもなくそれを喰らった。
赤いマントの胸に尾弐の闘気針が突き刺さり、ポチの黄金に輝く爪がその首を断つ。
天魔ベリアルは心臓を貫かれ、首をざっくりと斬り裂かれて、断末魔の悲鳴さえ上げられず仰向けに斃れた。

「……なっ……」

半狐面の奥で、橘音は瞠目した。
確かに尾弐とポチは強くなった。この最終決戦に合わせ、ほんの数ヶ月前とは比較にならないほどにパワーアップした。
仲間たちはもはや、伝説や神話級の妖怪と戦ったとて一歩も引かないだろう。
だが――それを踏まえても『あっけなさすぎる』。
天界で、地獄で、そして現世で。
ベリアルの力の恐ろしさを骨の髄まで知っている橘音には、ベリアルがこの程度で死ぬとはどうしても思えなかった。
そして――

「ククク……クカカカカカカ……。
 吾輩はまだ話の途中だったのだがネェ?正義の味方ともあろう者が不意打ちとは、なんとも悪辣な!
 せっかく最後の戦いなんだ、もっと演出というものに気を遣って貰わなくては!」

そんな声が、東京ブリーチャーズの背後から聞こえた。
咄嗟に振り向いた橘音が歯を噛みしめる。
視線の先にあったのは、虚空に浮かぶ白貌の仮面。
仮面からまるで闇が広がってゆくように影が伸び、シルクハットと真紅のマントを形作ってゆく。
嘲笑う仮面だけの状態からすぐに見慣れた赤マントの姿になると、ベリアルはくつくつと嗤った。

「いやしかし、吾輩を斃すなんて大したものだネ!褒めてあげよう!
 安心したまえ、今悪鬼君とオオカミ君が攻撃したのは、紛れもなく本物の吾輩だヨ。
 尤も――吾輩も本物の吾輩だけどネ!クカカカカカッ!」

尾弐とポチが急襲で斃したのは、本物のベリアル。
今、皆の前で饒舌に喋っているのも本物のベリアル。
その意味するところはひとつしかない。

「……賦魂の法……ですか……」

「その通り。さすがは我が弟子、察しがいい。
 本来は妖狐一族の秘術らしいが……この程度のもの、吾輩だって真似するのは造作もないサ」

自らの魂を分割し、別個体として行動する秘術――賦魂の法。
かつて橘音が白と黒に分かれ、そして先ほどもルキフゲ・ロフォカレの裁判を突破するために使用した術を、
ベリアルも用いたのだという。

184那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/09/17(木) 20:37:35
「さて……では、こちらの吾輩は回収させてもらおうか」

ベリアルがマントの内側から右手を出す。
と同時、尾弐とポチの攻撃を喰らって斃れた赤マントの骸があっという間に黒い球体へと変わり、ベリアルの手に戻った。
分かたれた魂をひとつに戻したということなのだろう。
ベリアルは魂をふたつに分割し、ひとつをこの北側展望室で東京ブリーチャーズを待つ役に充てた。
ならば、一行の後ろから現れたもうひとつの魂のベリアルは、いったい何をしていたのか?
祈にはすぐに察しが付くだろう。言うまでもなく――

『ボディスーツとしてレディベアに寄生し、祈から運命変転の力の一部を奪った』のだ。

さらにベリアルがパチンと一度フィンガースナップを鳴らすと、霜に覆われていたガラス窓が一斉に粉々に砕け散った。
ふたたび、バックベアードの視線が東京ブリーチャーズの全員へと向けられる。

「お父様……!」

「レディ!危ない!」

レディベアがガラスの砕けた窓際まで駆けてゆき、ローランがその身体を抱きとめる。
ローランの腕の中で、何とかその拘束から逃れようとレディベアが暴れる。

「お父様!お父様……ッ!わたくしはここにおります、お父様のすぐそばに……!
 どうか、どうかお言葉を!昔のように、わたくしにお言葉を下さいませ……!」

唯一自由になった右手を必死に伸ばし、レディベアは父へと懇願する。
虚無に覆われた極彩色の異空間でたったふたり、外の世界に憧れて過ごした。
蒼い空と緑の大地、無数の生命たちの闊歩する世界へ、いつか親子ともども出ていくことを願って。
父のために頑張った。破壊や殺戮といった意に沿わぬ行為も、父の為と思えば我慢できた。
いつか、ふたりで幸せを手に入れるために――。
レディベアの声に応じるかのように、空間の裂け目に出現した巨大な単眼がぎょろ、と動く。レディベアを見つめる。

《――――――我が娘よ》

大気を震わせる、荘重な声が周囲に響く。
妖怪大統領バックベアード、その妖怪の声なのだろう。

「……はい……、はい……お父様……!」

ぽろぽろと隻眼から歓喜の涙を流して、レディベアは微笑んだ。
バックベアードが現世界に顕現したことで、レディベアの願いは叶えられた。
心の底から渇望した、愛する父との新たな生活。新たな未来。
約束された幸福を、レディベアは確信した。

だが――

そこにあったのは、絶望。だった。

《永の忠誠、大儀である。
 其方の働きによって、此処にすべての駒は揃った。刻は満ちた――
 今こそ、終焉の儀式を始めよう。
 そう、吾輩がこの世界の頂点に君臨する……その儀式をネ!
 ――クク、ク、ククッ……クカカカ、クカカカカカカカカ……ッ!!》

バックベアードが嗤う。その単眼が笑みに歪む。
低く荘重な声音が、癇高いものへと変化してゆく。
その声は、レディベアのみならず東京ブリーチャーズにとっても聞き慣れたもの。何より――
そんな特徴的な笑い声を発する者は、この世にひとりしかいない。

「ベリアル……ッ!!」

「お、父、さ……ま……?」

橘音がベリアルを睨みつける。
レディベアは理解が追い付かず、隻眼を見開いて呆然と立ち尽くしている。
その場にいる全員が困惑する中で、ベリアルが嗤う。
バックベアードがそうしているように。

「クカカ……まだ分からないのかネ?
 茶番だ!すべては茶番に過ぎなかったのサ!
 バックベアードというのは、ブリガドーン空間の異名に過ぎない。単なる現象に対する呼称であって、
 一個のパーソナリティを指すものではないのサ。
 つまり……『妖怪大統領バックベアード』なんてものは『最初から存在しない』のだヨ!」

マントの内側から大きく両手を開き、ベリアルが告げる。
『バックベアードという妖怪は、最初から存在しない』――
祈の危惧していたことは、まさに正鵠を射ていた。
中国での太歳、日本での空亡という呼び名と同じように、バックベアードとはただブリガドーン空間に付けられた仮称。
元々、そこに妖怪などいなかったのである。

185那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/09/17(木) 20:39:41
「嘘ですわ……!」

レディベアが叫ぶ。

「ならば、あのお父様はいったい何なのです!?お父様は確かにここにいらっしゃいます!
 そもそも、お父様とわたくしはずっとブリガドーン空間の中にいたのです!わたくしが生まれて以来ずっと……!
 わたくしは何度もお父様と語らいました、いつか、ブリガドーン空間を出て表の世界で一緒に暮らすのだと!
 第一……お父様がこの世に存在しないというのなら!
 お父様の、バックベアードの娘であるわたくしは、いったい何者なんですの!?」

そうだ。
親がいなければ子は生まれない。バックベアードが虚構に過ぎなかったというのなら、レディベアもそうあるべきだろう。
しかし、レディベアは確かにここに存在している。自由意思を持つ一個の妖怪として。祈のともだちとして。
それはゆるぎない事実だ。

「望めばすべてが手に入る世界。『そうあれかし』によって、何もかもが改変される世界。
 ブリガドーン空間……吾輩はその素晴らしい世界が異次元の閉鎖空間にしか存在しないことを惜しんだ。
 ブリガドーン空間をこの世界に顕現させることが出来たら、どんなにか素敵だろう……とネ。
 吾輩は長い年月をかけて、それを実現させる方法を編み出した。
 それが君なのサ、レディ」

「わ……、わたくしが……?」

「吾輩はまず、生まれたばかりの人間の赤子を用意してブリガドーン空間に放り込んだ。
 そして、その中で赤子を育てた。妖怪大統領バックベアードというアバターを用意してネ。
 君は妖怪大統領の娘、ブリガドーン空間の王たるバックベアードの子なのだと――そう刷り込んだのサ。
 赤子はそれを信じた。自分はバックベアードの娘。選ばれた妖怪。ブリガドーン空間を統べる者なのだと……。
 ブリガドーン空間は『そうあれかし』が現実となる世界。
 どこぞから攫われてきただけの人間の赤子は、そう思い込むことで本当に妖怪となった。在りもしない妖怪の娘となった。
 自分の望む姿にネ」

「……莫迦な……。
 レディが本当の妖怪とは異なる、歪な存在だということは薄々分かっていたつもりだが……」

ローランが愕然とした様子で呟く。
聖騎士ローランは妖壊を滅する者。本来、レディベアなどは間違いなく滅殺の対象であろう。
だというのに、ローランはそうしなかった。どころか、レディベアの護衛さえ買って出ていた。
その理由は、レディベアが純粋な妖怪ではなかったから――。
尤もレディベアが元は人間であった、というのはローランにとっても想定外の出来事であったらしい。
ベリアルが嗤う。

「諸君も知っているとは思うがネ、願いというものは自分自身の望みを叶えるだけでは限りがある。
 他人のために想うこと、願うこと。それが何よりも強い力を生む。
 その点、レディはよくやってくれたヨ。吾輩が相手をしているだけの、ありもしない父親の虚像に縋って――
 いつか一緒に外の世界へ出ていこうなどと!ただ一心に願い続けていたのだからネ!」

ブリガドーン空間の力は異次元にあり、祈たちの住む表の世界とは隔絶されている。
それを表の世界へ持ち込むには、どうすればよいか?
簡単なこと、『容器を移し替えればいい』のである。
ベリアルはブリガドーン空間に人間の赤子を『器』として投入した。
そして、バックベアードの娘だという偽りを吹き込んだ。赤子は成長し、自分をバックベアードの娘だと信じた。
すべての願いを叶えるブリガドーン空間が、ベリアルの嘘を真実へと変えた。
父親を愛する娘は、父と幸福になりたいという至純な願いを抱き、その力を増していった。
ブリガドーン空間の力を、我が物として吸収していったのだ。

「刻は満ちた。今や、レディの体内には異次元に存在したブリガドーン空間の力がそっくり宿っている。
 今まで東京ドミネーターズを組織したり、アスタロトに帝都騒擾をさせたりしていたのは、すべてこのため。
 後は――その力をここで全部解放するだけだヨ。
 『器』を叩き割って、ネ!」

「皆さん!レディを守って!」

ベリアルがレディベアへ向けて右手を向ける。
橘音が仲間たちへ鋭く指示する。
かつて橘音が『完全ではない』と言い、ローランが『計画の準備が整っていない』と言ったのは、
バックベアードの復活にまつわることを指しているのではなかった。
完全でなかったのは、レディベア。
レディベアにブリガドーン空間のすべての力を乗り移らせ、然る後にそれを現世で解放する――
それこそが、東京ドミネーターズの。天魔七十二将の。
ベリアルの作戦だったのである。

「そ……、んな……。
 わたくしは……お父様と、この……世界で……幸せに……。
 日本の学校へ行って、見聞を広めよと……お父様、が……」

「クカカカ、言ったネェ。
 実際楽しかっただろ?虚無と茫漠のブリガドーン空間を出て、憧れの人間社会に紛れて。
 そのうえ祈ちゃんという親友までできた!温泉みやげとかいう、くだらないゴミをもらったとき。
 君は本当に嬉しそうにしていたものネ……クカカカカッ!」

「ゴミ……なんかじゃ、ありません……!
 わたくしは、本当に嬉しくて……幸せで……!
 祈とずっと一緒にいられたらと!この美しい世界で、楽しい時間を過ごせたらと……。
 お父様に……報告、したくて……分かって、ほしくて……」
 
「なぜ、レディを学校に行かせるなんて真似を……?」

「もちろん、レディに現世の素晴らしさと楽しさを知ってもらうためサ。
 楽しいことを知っていた方が、それを失ったときの苦しみも大きいからネ!」

「そ……んな……」

レディベアがぽろぽろと大粒の涙を零す。唇をわななかせる。
だが、彼女が愛を捧げた、真心を傾けた相手はもういない。
いや――最初からいなかった。レディベアの願いは、望みは、祈りは――何もかも無駄だった。

186那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/09/17(木) 20:40:08
「まったく、君はよくやってくれたヨ、レディ。
 だからネ……最後までその調子で役に立ってくれたまえ。
 愛するパパの――そう、吾輩のために!!
 クカカカカカカカカカカ――――――――――――――――――ッ!!!」

「う、う……うあああああああ、ああああああああああああああ……!!!」

レディベアが絶叫し、ローランの腕の中で激しく身悶えする。
ボウッ!と音を立て、その全身から禍々しい妖力が間欠泉のように噴き出す。
ベリアルの暴露をきっかけに、ブリガドーン空間の力が絶望したレディベアの肉体から溢れ出ているのだ。
祈の運命変転の力によって、レディベアはいかなる洗脳や精神への侵蝕も跳ね除ける特性を持った。
だが、それはあくまでも『外部からの接触』によるもののみ。
レディベア自身の抱く絶望や落胆は、どうしようもない。

「く……!」

噴き出る妖気に弾かれ、ローランはレディベアを離してしまう。
レディベアは両手で自らの身体を抱き締め、がくりと床に両膝をついた。
尾弐やポチら強力に成長した妖怪をもってしても、今のレディベアに接近することは難しい。

「お……とう、さま……!
 お、父様……お父様、お父様……わ、わた、く、し……は……。
 ああ……あああああ、あぁああぁああぁぁああぁぁぁぁああぁあぁぁああ…………!!!」

「クカカカカ!
 言っただろう?『準備は整った』と!『刻は満ちた』と!
 それは『誰がどんな手を尽くしたとしても、すでに手遅れ』という意味なのだヨ!
 吾輩に触れさせなければ、彼女を守れると思ったかネ?盾となって吾輩の前に立ちはだかれば防げると!
 ノン!最早、何者にも力の解放を阻むことはできない――この吾輩にもネ!
 さあ……地獄の扉が開くヨ、待ちに待ったお楽しみの瞬間だ……クカカカカッ!カハハハハハハハハーッ!!!」
 
ベリアルが哄笑する。レディベアの全身から噴き出す禍々しい力が、その力を強めてゆく。
そして――

東京の空が、様々な絵具をキャンバスにぶちまけたような極彩色に変わった。

「レディ……!クソッ、なんというザマだ!
 私は……命に代えてもレディを守ると、そう誓ったのに……!」

ローランがレディベアへ手を伸ばす。
だが、迸る膨大な妖気によって近くへ行くことさえできない。忸怩たる思いに、聖騎士は端正な面貌を歪めた。

「油断するな、東京ブリーチャーズ……!
 東京がブリガドーン空間に覆われる……怖れていた事態が現実になってしまった!
 虚構と幻想が……質量と実体を持って襲い掛かってくるぞ……!」

なんとかレディベアに近付こうと両足を踏ん張りながら、ブリーチャーズへと注意を促す。

「クカカッ……クカカカカカカカッ!
 素晴らしい!この光景……この空を実際にこの表世界で見ることを、吾輩はどれだけ望んだことか!
 さて、では計画の最終段階と行こうか!」

ふわりと床を蹴り、割れた窓から展望室の外の虚空へ向けて跳躍したベリアルは、幻影のバックベアードを背に宙へ浮かんだ。
それから右手を突き出す。大きく開いた手のひらには、きらきらと輝く『何か』が乗っていた。
祈には、その何かの正体がすぐに理解できたことだろう。
それは『運命変転の力』。『龍脈の神子の因子』。
つい先ほど、レディベアにボディースーツとして取り憑いていたベリアルが、祈から奪っていったものの一部。

「龍脈の力は誰にでも使えるものじゃない。それを使う『資格』を持つ者でないとネ。
 だが、それは裏を返せば『資格さえ持っていれば、誰にでも使える』ということなのサ。
 祈ちゃん、君は言ったネ。吾輩は龍脈の力が欲しくてたまらない……と。
 その通り!吾輩は龍脈の力が欲しくて欲しくて堪らなかった!それはもう、喉から手が出るほどネ!
 しかし――君のお陰で、やっと手に入れられそうだヨ!」

ベリアルが手の上の『龍脈の神子の因子』をぐっと握り込む。――否、一息に握り潰す。
と同時に輝きは拡散し、ベリアルの身体に吸い込まれるように消えていった。
祈から剥離した『龍脈の神子』の証の一部が、ベリアルと一体化する。

「クク……なるほど、これが神子の心地というものか。悪くない……いいや、実にいい気分だネ!
 では、さっそくこの力を使わせてもらうとしよう!!」

「うああああああああああああああああああああああああああああ――――――――――――――ッ!!!!!」

ベリアルが大きく両腕を広げると同時、レディベアが大きく仰け反り絶叫する。
前髪によって隠されていた、顔の左側が露になる。
本来眼球が嵌っているべき左の眼窩には、何もなかった。
ぽっかりと、うろのように開いた眼窩から、一層激しく膨大な妖気が迸ってブリガドーン空間を拡大させてゆく。

「龍脈よ!この惑星を駆け巡る無尽の活力よ!
 われに力を与えよ、忌まわしき神によって奪われし力を!星を統べる全知の権能を!!
 今こそ、ふたたびわれに与えせしめよ――――!!」

カッ!!!

ブリガドーン空間に覆われた東京の各所から、光の柱があがる。
それは地中深くに存在する龍脈から、ベリアルの求めに応じてエネルギーが地上へと放出された証。
都庁を中心に無数の光柱が屹立し、それはやがて地上にひとつの紋様を描いてゆく。
東京二十三区をすっぽりと包み込むように描かれたのは、天魔ベリアルの印章(シジル)。
それは、帝都の主要部が残らずベリアルの結界に包まれたことの証左に他ならなかった。

187那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/09/17(木) 20:40:36
ベリアルはレディベアを媒介として「そうあれかし」が現実となるブリガドーン空間を現世に顕現させ、我が物とした。
さらにそのブリガドーン空間の特性をもって祈から奪った龍脈の神子の因子を取り込み、自らも龍脈の神子となった。
「自分は龍脈の資格者、神子である」――という「そうあれかし」によって。

ゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!!!

螺旋を描き、ベリアルへと膨大な量の光が集まってゆく。その肉体に吸い込まれてゆく。
龍脈がベリアルの喪われた力を復元させてゆく。
膨れ上がる膨大な妖気。それは、かつて東京ブリーチャーズが戦ったどんな妖壊たちとも比較にならない。
まさに桁違いというやつだ。

「クカカカカ……カハハッ!素晴らしい!
 力が……力が漲る!溢れる……!そうだ、これだ!これこそが吾輩の……いいや、私の本当の力!
 長かった……長かったぞ!この刻を――私はどれほど待ったことか!!」

ベリアルが喜悦に嗤う。
トレードマークであった血色のマントがボロボロと朽ちてゆく。シルクハットがその形を崩してゆく。
代わりに現れたのは、まるで彫像のように美しく均整の取れた、輝くばかりの肉体。
内側に六芒星を孕んだ光輪を頂く、緩くウェーブを描く金糸のような長い髪。
きらきらと純白に煌く、まばゆい四対の鳥の翼。

「もう――これも必要ない」

龍脈の力を物質として変質させた、右胸と右腕を露出させたトーガめいた長衣を身に纏うと、ベリアルは仮面に手をかける。
マントやシルクハットと同じく、長い間怪人赤マントとしての自分を体現してきたもの――



それを。今、外す。



取り払われた仮面が手を離れ、霧のように消えてゆく。
その下から現れたのは、まさに神の創り給うた最高傑作。原初の天使。
切れ長の怜悧な双眸、澄み切った蒼い瞳。すらりと通った鼻梁に、薄い唇。
世界に存在するあらゆるフレスコ画もイコンも、何もかもが色褪せるような――そんな美貌。

『天から失われた者で、彼以上に端麗な天使はいなかった』

詩人ジョン・ミルトンに『失楽園』の中で謳われる美しさが、そこにはあった。

「ベリ、アル……様……」

完全復活したベリアルの姿を目の当たりにし、橘音が呆然とした表情で呟く。
橘音はかつて天魔アスタロトとしてベリアルの薫陶を受けた悪魔のひとりだ。
いや、元のアスタロトは自分たちが悪魔に堕天する遥か以前、天使であった頃からベリアルと付き合いがあった。
当然その光輝く『神の長子』としての姿も知っている。そのときの記憶が、橘音の記憶を侵食している。
すべての天使が拝跪し、我らの英雄と崇敬していた――そんなベリアルの姿を。

「――フーム……。
 ああ、そうだったな……そうだった。『こんなだった』。
 永く喪われ、もうその感覚さえ忘れ果てたはずだったが……取り戻してしまえばあっという間だったな。
 そうだ、そうだとも。『これが私だ』。本当の私の姿だ――」

二度、三度と左手を握り込み、ベリアルは身体の調子を確かめる。
その視線に、意識に、東京ブリーチャーズの姿はない。完全復活を果たした今、すっかり興味を失ってしまったかのようだった。
レディベアの眼窩から噴き出ていたブリガドーン空間の力が勢いを弱めてゆき、やがて止まる。
その身に内包していたすべてを放出し尽くしたらしい。レディベアはどっとうつ伏せに倒れた。

「祈ちゃん……レディを頼む」

気を失ったレディベアを抱きとめたローランが口を開く。
祈にレディベアを任せると、ローランは聖剣を構えた。

「ベリアルゥゥゥゥゥゥゥゥ―――――――――――――ッ!!!!」

叫ぶと同時、大上段に構えた聖剣を一気に振り下ろす。その刀身から、まばゆく輝く閃光が放たれる。
『不抜にして不滅の刃(インヴィンシヴル・デュランダル)』。ローラン最大の奥義にして、すべての化生を滅殺する聖なる光。
四つの聖遺物による相乗効果が生み出す、至高の妖異殺し。
いかなベリアルとて、その直撃を喰らえばタダでは済まないだろう。
あるいはこのまま勝負がついてしまう可能性さえも――

「ふむ」

ぱぁんっ!

ベリアルが軽く一瞥すると同時、風船が割れるような破裂音が響く。
同時に、ローランの放った魔滅の極光は跡形もなく消滅した。
防御する素振りも、逃げるような行動もしていない。
ただ『視た』だけだ。たったそれだけで、ベリアルはローランの奥義を無力化してしまったのである。

188那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/09/17(木) 20:41:05
「……そんな莫迦な……」

聖剣を振り下ろした格好のまま、ローランが瞠目する。その頬を冷たい汗が伝う。
ヴァチカンの、否、人類の叡智の結晶であるはずの自分が。
正真正銘の聖遺物であるはずのデュランダルが、まるで相手にならない。
神の長子とは言っても、天使のひとりに過ぎない。天使もしょせんは人間の意識から生まれた化生の域を出るまい。
ならば、斃せる。科学と信仰の結晶たる自分なら殺せるはず――そう思っていた。
だが、それは間違いだった。

「ローラン。君のそれは天使由来の力……いいや、元をただせば『私由来』の力だ。
 この私が天使たちに福音を与え、叡智を与え、力を与えた。
 天使たちは御使いとして聖人たちにそれを伝えた。
 私の力で、私を斃せると思うかい?」

ベリアルは嘲るでもなく、揶揄するでもなく、諭すようにそう言って笑った。
穏やかで、温かくて、親昵で。愛に溢れた、蕩けるような微笑だった。
最初の天使。すべての天使たちの兄にして英雄。神の傍らに座す者――
それらの伝承が真実だったと思わせるに足る、慈愛に満ちた表情。

だが――

今、目の前にいるのは神の威光の具現たる天使の長ではない。
天の御国においてもっとも栄光に溢れ、尊崇と名声を欲しい侭にしていた光の御子ではない。
正義、秩序、愛と信頼。
それらすべてに背を向け、頽廃と欺瞞、悪に耽溺する邪知と暴虐の化身。

堕ちた天使たちの王。

「君たちはよくやった。
 この私を相手に、よくここまで食い下がったものだ。称賛するよ……君たちは正真正銘の英雄だ。
 しかし、もう終わりにしよう。
 私はこの世界を創り変える。取り戻した権能を用い、我が父が七日を用いて為したように。
 闇が光を凌駕し、悪が貴ばれ、破壊と殺戮が善とされる世界へ――」

ゴッ!!!!!

ベリアルの全身から膨大な闇の妖気が放出され、嵐のように渦を巻く。極彩色のブリガドーン空間がのたうち、
その範囲を広げてゆく。

「……龍脈の力で、ブリガドーン空間を拡大させているというのか……。
 まずい、今のブリガドーン空間は完全にベリアルの支配下にある。
 もし、このまま世界のすべてがブリガドーン空間に覆われてしまえば――奴の『そうあれかし』によって、
 本当にこの星は悪が基準となる世界に創り変えられてしまう!」

ローランが歯を食い縛る。
だが、半端な攻撃は『不抜にして不滅の刃(インヴィンシヴル・デュランダル)』が防がれたように、
まるで意味をなさないだろう。
ベリアルは龍脈の力を用いてブリガドーン空間を範囲拡大させ、
同時にブリガドーン空間の効果で龍脈を操る自分の力を増強させている。
その相乗効果が堕ちた神の長子に無限の力を与えているのだ。
まさに詰み。東京ブリーチャーズにできることは、もう何もない。

「ベリ、ア、ル……様……ッ!」

橘音が唸るようにその名を呼ぶ。
かつて自身が啖った、最初のアスタロト。彼女の抱いていた崇敬の念、畏怖の気持ち、そして愛情が。
記憶となってその意識をかき乱している。
ベリアルは小さく笑った。

「ベリアル……無価値なもの、か。
 もはや、その名も必要あるまい。今の私にはそぐわないものだ。
 さて……」

軽く右手を顎先に添え、ベリアル――否、ベリアルであったものが思案する。
ほんの少しの間隙を置いて、それは小さく頷いた。

「ならば……ああ、そうだな。
 これからはこう名乗るとしよう。
 私は神の真逆を往く者。神の創り給うた世を終わらせ、この星に新たなる秩序を築くもの」

都庁の外に広がる極彩色の空に浮かんだまま、ゆっくりと両手を横に開く。
その姿はあたかも、この世界の誰もが知る聖人、救世主のそれのような――




「我が名は『終世主』――アンテクリスト」

189那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/09/17(木) 20:41:27
アンテクリストの妖気が膨れ上がってゆく。膨大な力が満ちてゆく。
修行によって神話クラスの魔神たちさえ打倒できるようになった東京ブリーチャーズの肌さえ粟立たせる、
圧倒的な悪の大気。

「……に」

呆然とアンテクリストを見つめていた橘音の唇が震える。

「…………逃げましょう」

いち早くアンテクリストのしようとしていることに気付いたのか、橘音は一歩、二歩と後ずさりした。
それから、目に恐怖を湛え慌てて踵を返し走り出す。

「駄目だ……、駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ!!
 完全に見誤っていた……、彼の力を!解放された神の長子の能力……その全貌を!
 あれは……戦っちゃ駄目な相手だ!」
 
「く……」

ローランも気絶したままのレディベアを背負い、走り始める。
騎士として、レディベアの安全を第一に考えるローランだ。この場にいても事態は好転しないと思ったのだろう。
異界と化していた都庁内はすっかり元に戻っていたが、エレベーターは使えない。
非常階段を使い、最上階の展望室から地上一階のエントランスホールまで戻ってくると、シロが全員を出迎えた。

「あなた!皆さん……ご無事で……!」

シロはポチの顔を見るなり近くへ駆け寄ってきて、その小柄な身体をぎゅっと抱き締めた。

「話はあとにして下さい!ここから出ます!」

橘音が結界破りの術式で、ベリアルだったものが都庁の出入り口に施した結界を無理矢理破る。
まろび出るように外へ出ると、都庁前の広場には安倍晴朧や芦屋易子率いる日本明王連合と、
富嶽の率いてきた日本妖怪たちの姿が見えた。
祈の祖母菊乃や母の颯、それにSnowWhiteから応援に来たハクトもいる。

「おお……祈!戻ったか……!
 いったい何が起こっておるのだ?空に突然巨大な眼が現れたかと思えば、次はこの極彩色の空模様……。
 こんなものは、日ノ本開闢以来の異常事態よ……!」

晴朧が怪訝な表情で問うてくる。

「……どうやら、あまり状況は良くないようぢゃの。
 さしあたり、日明連の方々と儂ら日本妖怪とで都庁周辺に結界を敷いたが――。
 これからどうすればよい?三尾、策をよこせ」

「富嶽殿の仰る通り。三尾殿、知恵をお貸し願おう。
 知恵者で知られた貴殿ならば、この状況も想定の範囲内なのであろう?
 ここが日ノ本存亡の天王山。敗北することは許されん」

富嶽が橘音に作戦の開示を要請し、晴朧も同調する。
妖怪と人間、両方の最高指導者の視線が橘音に集まる。
……だが。

「さ……、作戦は……ありません……」

橘音は呻くように言った。
自分の身体を両腕で抱き、まるで氷点下の世界に裸で立ってでもいるかのように震える。
颯が気遣わしげにその名を呼ぶ。

「……橘音君……?」

「作戦?作戦ですって?そんなものあるワケがない、あったところで通用するハズがない!
 ボクは侮っていた、甘く見ていた……彼の、真の力!解放された権能のレベルを……!
 神の長子なんて言ったって、修行して極限まで強くなったボク達なら、楽勝とは行かないまでも充分勝てると。
 これだけの精鋭と頭数なら戦いを優位に運べるはずと。そう楽観視していた……!
 でも違う、そんな生易しい話じゃなかった!
 あれは……あれは『神の長子』なんてものじゃない!あれは――」

半狐面の額に触れ、恐怖と絶望から身を縮めて、橘音は叫んだ。

「あれは。神そのものだ……!」

神。
その名が示すものは多い。疫病神、貧乏神といった民間レベルから、祟り神禍つ神などの災害レベル。
果ては軍神、闘神、守護神という国家単位のものまで。
しかし、橘音の言う神はそれらのどれとも違う。


“唯一神”――


この世界において、唯一人の神。
全知全能を司る、万神の覇者。ありとあらゆる妖怪の頂点。
アンテクリストは今や、その名を有するに相応しい力を持つに至った。
祈とレディベア、ふたりの少女から奪い取った力を使って。

190那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/09/17(木) 20:42:06
以前、天魔オセは言った。
神を信仰する者が減ったがゆえ天使はその力を弱め、悪の蔓延る世では天魔が力を増しつつあると。
神の力はそのまま、信仰の力である。世界から至純な信仰が失われつつある今、
かつて世界を創造した神はその権能をなくし、全能ではなくなった。
だが、アンテクリストは違う。アンテクリストは地球の生命力を直に吸い上げることによって、無限とも言える力を手に入れた。
加えてブリガドーン空間の力。龍脈を手に入れた圧倒的な意思力で、アンテクリストはブリガドーン空間を掌握している。
ふたつの巨大な力が、終世主を強大にバックアップしている。
それは、遥か昔に父と仰いだ存在を凌駕するほどに。

この世界に『唯一の神』は二柱いらない。
今この時、アンテクリストは完全に父たる神をその座から蹴落とし、真なる唯一神の称号を手に入れたのである。
そして――神の御業が揮われるものは何か?それは古来から決まっている。

天地創造。

アンテクリストは今ある世界のすべてを書き換え、創り変える気でいる。
自分の望む、悪が善となる世界へ。

突如、都庁上空の極彩色の空間がねじれてゆく。纏まり合わないままだった色彩が、あるひとつの図案を描いてゆく。
それは、魔法陣。直径数キロはあろうかという巨大な魔法陣が出現し、都庁の空を覆ってゆく。

「魔法陣……だと!?」

魔法陣から、無数の黒点が降ってくる。
恐らくアンテクリストが召喚したのであろう、夥しい数の何か。数えきれない数の、空を埋め尽くす何か。
それは、悪魔の群れだった。
大小さまざまな悪魔たちが、天から降ってくる。槍を構え、炎を噴き、下劣で悍ましい文言を吐きながらやってくる。
この世に終焉を齎す、それは神の遣い。
邪悪な唯一神によって召喚された、神の意志の体現者。
ことここに至り、かつて世界に排斥され地獄へと追いやられた悪魔たちは、名実ともに天使となったのだった。

「来る……!」

悪魔たちの第一陣が目の前に振ってきては襲い掛かってくる。
東京ブリーチャーズの面々にとっては雑魚以外の何物でもないが、日明連や一般の妖怪たちにとっては話は別だ。
むろん、ここにいるのは人と妖の精鋭たち。そう苦戦はしていない。
だが、数が違いすぎる。どれだけ倒そうとも、悪魔たちは無尽蔵とも言える物量で押してくる。

「陰陽頭様、結界を保てませぬ!」

「ええい……!堪えぬか!ここを突破されれば、東京中に悪魔どもが解き放たれてしまう!
 人員を結界維持に回せ!易子、晴空、お主らもそちらへ!」

「し、承知……!」

結界が悪魔たちに圧され、ギシギシと悲鳴を上げる。
晴朧が悪魔に対抗していた芦屋易子たちに鋭く指示を飛ばす。
しかし。

「……なんだ、あれは……」

魔法陣からゆっくりと姿を現してきた怪物に、妖怪たちが目を見開く。
扁平な小判型の胴体の左右に等間隔に突き出した、13対のオールじみた鰭。長い尾鰭。
飛び出た一対の眼と、頭部前方に突き出した一対の食肢じみた触腕。
それは図鑑などで見ることもある、カンブリア紀の頂点捕食者――
アノマロカリスに他ならなかった。
ただし、本物のアノマロカリスは空を飛ばないし、第一その大きさもせいぜいが50cm程度だ。
今、都庁上空を悠然と遊弋しているそれは、少なく見積もっても300mはあろう。まさに空母クラスである。
序列三十位、二十九の軍団を指揮する地獄の侯爵。天魔七十二将の一柱、フォルネウス。
それがこの魔物の名前だった。
フォルネウスが結界に体当たりする。陰陽寮の精鋭が構築した結界にヒビが入る。

「結界、持ちません!!」

抵抗空しく、フォルネウスの突撃によって結界は破壊された。
膨大な数の悪魔たちが結界から解き放たれ、東京中の空へと散開してゆく。ヨハネの黙示録に記されたイナゴの群れのように。
殺戮。虐殺。殲滅――
悪魔たちはこの東京の地に、煉獄を現出させる気なのだろう。
人々の絶望の叫びが、断末魔のおらびが満ちれば、それは悪魔たちの何よりの糧となる。
人間の骸が、アンテクリストの創る新たな世界の礎となる。

橘音はただただ希望を失い、呆然と帝都が悪魔に蹂躙されるのを見ていることしかできない。
レディベアはまだぐったりとしたまま、目を覚ます気配がない。

地獄が始まる。この世界の終焉が。



――終世主の、世界が。

191多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/09/21(月) 17:15:14
 “接待役”の試練を乗り越え、
東京都庁の北側展望台にて、ついに赤マントと対峙した東京ブリーチャーズ。
 そこで赤マントは、
妖怪大統領バックベアードなる妖怪は存在しないという、衝撃の真実を明かす。
 “レディベアを都合よく操るために作った、赤マント演じる幻”。
それが妖怪大統領の正体だった。
そして、赤マントの計画を実行するための本当のカギとなるのが、レディベアだと赤マントは続けた。
 レディベアは、ブリガドーン空間の中でバックベアードの娘として育てられた、人間の赤ん坊。
しかし、そうあれかしや思い込みが現実になるブリガドーン空間だからこそ、
ただの人間の子供は、本当に“バックベアードの娘”という、ブリガドーン空間の力を持った妖怪になった。
 この妖怪を用いて、
本来は持ち出すことができないブリガドーン空間という異界の力を現世に持ち込むこと。
それが、敵側にいたアスタロトやローランですらも知らない、赤マントの真の計画だったのだ。
 愛する父が幻だったことに絶望し、絶叫するレディベア。
ブリガドーン空間は他者への想いが特に影響するとされる。
その愛情を注ぐ先を失ったからか、力を制御できなくなり、ブリガドーン空間の力がレディベアの体から溢れ出す。
 赤マントはそれを自らの力として取り込み、
祈から奪った龍脈の因子を使って、自らを龍脈の資格者に仕立て上げた。
 龍脈の力により、かつての力と姿を取り戻した赤マント、いや、ベリアル。
ベリアルは、【ブリガドーン空間による夢が現になる力】と【龍脈による無限の力】をも手に入れ、
もはや誰にも止められない存在と化した。
そして、自らを【終世主アンテクリスト】と呼称すると、自らの目的を達成するため、行動を開始するのだった。
 東京ブリーチャーズは赤マントを追い詰めていたようでいて、
実際には手のひらで踊らされているに過ぎなかった。
 その力に圧倒され、逃走を開始する橘音。
それに続く形で、東京ブリーチャーズとレディベアを担いだローランは、
東京都庁から非常階段を使って脱出する。
 そんな一行を、エントランスホールでシロが、
結界を抜けた東京都庁の外では、安倍晴朧やぬらりひょん富嶽といった、陰陽師や妖怪を束ねる者達、
さらに、颯やターボババア、ハクトなどが迎えた。
 東京都庁の上空には、混ざり合わないカラフルな絵の具をぶちまけたような、
極彩色が広がっている――。

>「おお……祈!戻ったか……!
>いったい何が起こっておるのだ?空に突然巨大な眼が現れたかと思えば、次はこの極彩色の空模様……。
>こんなものは、日ノ本開闢以来の異常事態よ……!」

 祈に対し、そう晴朧は問うた。何が起こったのかと。
様子のおかしい橘音、ローランに抱えられてぐったりしたままのレディベアを心配そうに一瞥した後、
肩に担いだスポーツ用のバッグを下ろしながら、祈はこう答えた。

「ごめん、晴朧じーちゃん。しくじった……! 
あの色がぐちゃぐちゃなのはブリガドーン空間で、なんでもできるようになるんだ。
そんで、龍脈には資格があんだけど、その因子を赤マントの奴に取られちまってて……」

 さすがの祈の表情にも焦りがある。
そのためか、元々語彙力が少ないせいなのか、その説明は要領を得ない。
それを聞いたらしく、富嶽は、

>「……どうやら、あまり状況は良くないようぢゃの。
>さしあたり、日明連の方々と儂ら日本妖怪とで都庁周辺に結界を敷いたが――。
>これからどうすればよい?三尾、策をよこせ」

 とりあえず事態が良くないことだけは理解したらしかった。
最悪の事態であることを察しつつ、周囲の人間や妖怪が慌てないよう気にして、
敢えて柔らかい表現にした可能性もある。
 橘音に向き直り、策をよこせと要求する。

>「富嶽殿の仰る通り。三尾殿、知恵をお貸し願おう。
>知恵者で知られた貴殿ならば、この状況も想定の範囲内なのであろう?
>ここが日ノ本存亡の天王山。敗北することは許されん」

 晴朧も同様に、富嶽に倣った。

>「さ……、作戦は……ありません……」

 しかし、震える声で橘音はそう答える。

>「……橘音君……?」
 
 心配そうに名前を呼ぶ颯だが、橘音が呼びかけに応えない。
自らの両腕を抱いて、ただガタガタと震えていた。
そして、半ば叫ぶように、

>「作戦?作戦ですって?そんなものあるワケがない、あったところで通用するハズがない!
>ボクは侮っていた、甘く見ていた……彼の、真の力!解放された権能のレベルを……!
>神の長子なんて言ったって、修行して極限まで強くなったボク達なら、楽勝とは行かないまでも充分勝てると。
>これだけの精鋭と頭数なら戦いを優位に運べるはずと。そう楽観視していた……!
>でも違う、そんな生易しい話じゃなかった!
>あれは……あれは『神の長子』なんてものじゃない!あれは――」
>「あれは。神そのものだ……!」

 晴朧や富嶽に、いや、その場にいる者達皆に、そう内心をぶちまけた。

 橘音の言う「神そのもの」とは、
おそらくそこらにいる神のことを指しているのではないのだろう。
古今東西、神と呼ばれる者はいくらでもいる。
力の弱い付喪神、神話に登場するような強力な神。
メジャーで良く知られた神がいるかと思えば、忘れ去られ消える神もいる。
 そんな数々の神ではなく、その最上位。
“絶対の神”を指して恐れているのだと思われた。

192多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/09/21(月) 17:19:55
「勝てねぇってこと……?」

 呟く祈。
 橘音は、神そのものと化したアンテクリストが、
神と同じように天地創造を、世界改変を行うつもりであろうと告げる。
龍脈とブリガドーン空間。
二つの力を用いて、悪を原理とした世界に創り変えるつもりであろうと。
 その証拠に。 
天に広がるブリガドーン空間の極彩色が、一つの紋様を描いた。
 
>「魔法陣……だと!?」

 それは巨大な魔法陣であった。
陣にはBELIALの文字と、城のような建物を引っくり返したかのような絵柄が描かれている。
その魔法陣をゲートとして、大量の黒い粒が振ってくる。
 その大量の黒い粒は、大小、姿も様々な悪魔たちだった。
今の世界を終わらせるための使徒たちを、アンテクリストは呼び寄せたのである。

「あれ悪魔か!? 数え切れねー数だぞ!?」

 驚愕の声を上げる祈。
 黒い雨と見紛うほどの悪魔達が空を埋め尽くす。
しかし、妖怪と陰陽師達が力を合わせて張った巨大な結界に阻まれて、
東京都庁周辺からは出られない。
 
>「来る……!」

 今の世界を終わらせるために呼び出された悪魔達。
彼らの中には、結界を破ろうとする悪魔がいるかと思えば、
剥き出しの害意や敵意を、結界内の妖怪や陰陽師達へと向ける悪魔もいる。
 悪魔達が襲い来る。

「くそっ」

 周囲の妖怪や陰陽師が応戦する。
祈も、呆然とする橘音や倒れたまま動かないレディベア、
怪我人のローランなど、庇わなければならない者達の周囲で、
悪魔達を蹴り飛ばし、殴り飛ばし、投げ飛ばして倒していく。
だが、次から次へと押し寄せ、召喚されてくる悪魔達は、まるで津波だ。
数が多く、キリがない。

「これならどうだ! “禹歩”!」

 悪魔達が押し寄せる間を突いて、祈の脚がダダダ、とステップを踏む。
特殊な歩法によって、詠唱も呪具も不要で展開できる結界、禹歩。
白い光が祈を中心に広がり、対象と定めた悪魔達をその場に拘束する。
僅かな間しかもたないが、一時的な足止めは、悪魔達の攻撃を防ぎ、倒しやすくするだろう。
 ブリーチャーズや陰陽師、妖怪達の応戦により、
戦力差と攻撃の無駄を悟ったのか、悪魔達が一時的にこちら側への攻撃を止める。

>「陰陽頭様、結界を保てませぬ!」

 しかし、結界を破る方に、悪魔達が注力し始めた。

>「ええい……!堪えぬか!ここを突破されれば、東京中に悪魔どもが解き放たれてしまう!
>人員を結界維持に回せ!易子、晴空、お主らもそちらへ!」

>「し、承知……!」

 そして、結界を維持するために安倍晴空や芦屋易子たち、
陰陽師の実力者も割かれることになるが、魔法陣からは悪魔達が次々に召喚され続ける。
このままではじり貧だと思えた。さらに。

>「……なんだ、あれは……」

 魔法陣を潜って現れたのは、一目で先程までの悪魔とは違う格と、
巨大さを備えた悪魔であった。

「でかい……ムカデ?」

 祈が倒したことのある妖怪の中にはムカデもいる。
だがそれとは大きさが何倍も、何十倍も異なる。
何百メートルもあろうかという巨大なサイズである。
いや、エビを思わせるシルエット、ヒレにも見える脚は、アノマロカリスであろうか。
 とかくそのあまりにも巨大な悪魔は、
海を泳ぐように空を舞い、結界へと体当たりを仕掛けた。
たった一撃で結界の大きく亀裂が走り、

>「結界、持ちません!!」

 二度目の体当たりで、呆気なく結界が破られた。
巨大なアノマロカリス――フォルネウスがぶち開けた穴から、
悪魔の群れが東京へと飛び出していく。
結界の外へ、黒い悪魔達が高速で飛び去る様は、
まるで食物を食い荒らそうと飛び立つイナゴの大群のようだった。
 このままでは、東京中の、否。世界中の人々が危険だ。
 それを見たターボババアが、舌打ちと共に飛び出す。
地を蹴り、空を蹴り、アノマロカロスや悪魔の群れの方向へ突っ込んでいく。
人々を襲う悪魔達を止めるべく、いくらかの陰陽師や妖怪達も、方々に散って行った。

193多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/09/21(月) 17:23:24
「あたしらも何か行動しないと!」

 そうでなければ、多くの命が喪われる。
焦った表情で言い、仲間を見遣る祈。
その視線の先では、絶望したまま、呆然と悪魔の群れを見送る橘音がいた。
 比較的橘音の近くにいた祈は、反射的にその胸ぐらをつかんでいた。
橘音の制服の襟首を掴むと、
不良がカツアゲするように、橘音の顔面を自身の眼前へとぐいと引き寄せる。

「しっかりしろ橘音! それでも帝都一の名探偵かよ!!」

 思えば橘音は、最初から様子がおかしかった。
 赤マント相手に多弁に振る舞い、自分たちの有利さを何度も説いていた。
あれはまるで、自分が有利であることを自分に言い聞かせているようではなかったか。
 おそらく橘音は焦っていたのだ。
なにせ赤マントは橘音に策略や知恵を与えた師匠。
いくら策を弄しても、有利な状況を作っても、覆されるのではという不安を、きっと抱えていた。
 加えて、アスタロトとしての記憶がある故に、
赤マントが力を取り戻せばどうなるかもわかっていただろう。
だからこそ、“これだけ強くなったのだから勝てる”という楽観的な思考の根底にも、
“赤マントが力を取り戻せば敗北してしまう。失敗は許されない”というような恐怖が、
ヘドロのようにへばりついていたのではないか。
 普段は飄々としているが、傷ついた顔をずっと隠し続けるほど繊細で、
何かと思い詰める気質のあるのが那須野橘音という人物だ。
焦燥、不安、恐怖。そういった負の感情に追い詰められていた可能性はある。
そして、実際に赤マントにしてやられて、力に圧倒されたことによって、心を折られた。
絶望し、全てを諦めてしまったのだ。
 祈の想像が実際に合っているかはわからない。
だがどうあれ、祈は橘音が折れているのを許さない。

「尾弐のおっさんと幸せになるんだろ!? いいのか!? 
尾弐のおっさんが殺されて、尾弐のおっさんを見るのが最後になっても! みんな死んじまっても!」

 今、諦めることは世界全ての生命を諦めることと同義だ。
その中にはもちろん尾弐も含まれている。
 妖怪だから死なないというような、今までの常識は関係ない。
世界が作り変えられたら、妖怪の死もきっと不変ではなくなる。
永久の別れや永遠の地獄が待っているかもしれないのだ。
だからこそ、例え神が相手でも、勝ち目がなくても、諦めている暇などない。
 作戦を考えた責任。赤マントを止められなかった責任。
手のひらの上で転がされ、世界を終わらせる片棒を担いだ責任。
そういったものが橘音の心に絶望を与えているのだとしても、
誰かのためになら、愛する人のためになら、きっと橘音は立ち上がれると、祈は信じる。

「つーか、作戦が浮かばねぇんだったら、あたしらを頼れ! あたしらは仲間だろーが!」

 リーダーの役割を尊重したといえば聞こえはいいが、
祈とて、橘音だけに作戦立案を任せ、重責を負わせていた一人。
それに龍脈の因子を奪われたのも、祈の所為だ。
 橘音を追い詰めた責任は祈にもある。
その責任を果たす意味でも、これ以上橘音一人に責任を負わせないためにも、
祈は皆で作戦を考えるべきだと思ったのである。
 祈は襟から手を離して橘音を解放すると、仲間たちへと向き直る。
橘音のケアは多分尾弐がしてくれるだろう。

「なぁ! こんなときだからこそ、みんなで考えよう!
みんなの知恵と、力を合わせるんだよ!」

 そして必死にそう呼びかけた。今こそ、団結するために。
 闇雲に、場当たり的に戦っていては勝機はない。
いくら悪魔を倒そうが、無尽蔵の力と、夢を現にも変える力によって、いくらでも復活させると思われるからだ。
 陰陽師や妖怪達が必死で抑えてくれる、僅かな時間に。
アンテクリスト本人を倒す対策を練らねばならない。

194多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/09/21(月) 17:27:28
「たとえばあたしは……たぶんだけどまだ龍脈と繋がってる! これ、使えないかな!?」

 因子は奪われたが、おそらくまだ、祈に龍脈の神子の資格は残っている。
 途中で、アンテクリストによって、資格を剥奪される可能性はあるが、
まだ、星が持つ無限大のエネルギー使用して戦ったり、運命変転をしたりできるということだ。
当然、半妖と神に作られた天使相手では、そもそも地力に差がある。
向こうはブリガドーン空間の力も持っているから、正面からやり合えば敗色は濃厚だろう。
だが、龍脈の力を上手く利用すれば、何らかの手は打てるはずだ。
それについては祈は何も思い浮かばないものの、アイディア次第で逆転の切り札となり得るだろう。
 祈はそれから、倒れたままのレディベアを見遣った。

「それから、妖怪大統領とか。あたしはあいつ、“いる”と思ってんだよ!」

 それは、レディベアの心の中に生きているだとか、キレイな話ではない。
レディベアに対する気休めでもない。本当にいるのだと祈は思っている。

「モ……レディベアは、自分が妖怪大統領の娘だと疑わなかった。
その思い込みがレディベアを、ブリガドーン空間の力を持った妖怪に変えたんだろ?
それと同じように、レディベアは“妖怪大統領が実在する”って疑わなかったはずだ。
だとしたら、幻が現実になってなきゃおかしくないか?」

 妖怪大統領は、確かに赤マントが演じる幻だったかもしれない。
だが、レディベアがそうあれかしと願っていたのであれば、幻と現実はきっと入れ替わる。
 元々は現象か何かに過ぎなくても、
空亡やバックベアードという名前で、“人々の間で妖怪として知られていた”のだから、
その影響もあるだろう。
 しかし、この世界に姿を現していないということは。

「たぶん妖怪大統領は、あいつの――モンテクリストだかアンチキリストだかいう、
ふざけたやつの中にいるんだ。御幸みたいに、もう一つの人格として。
きっと、アンテクリスト本人も、妖怪大統領も気付いていない状態で」

 妖怪大統領の幻を操る赤マントにも、
当然ながら「これは幻、これは演技だ」というそうあれかしがあっただろう。
 だが当時の赤マントは、神に力を奪われて不完全な状態だった。
保護者を求め、父の実在を信じる子供の強い願望や、
たった一人の父に幸せになって欲しいという、
ブリガドーン空間の中で最も強化される、他者を想うそうあれかし。
自身へと向けられるそれらに、完全に抗えていたとは思えない。
 そうして赤マントとレディベア、二つのそうあれかしがせめぎ合った結果、
妖怪大統領としての人格が、アンテクリストの精神内に生じた可能性はゼロではない。
だが、妖怪大統領自身が「自分はアンテクリストが演じている人格に過ぎない」と思い込んでいるが故に、
外に現れていないのではと、祈は考え、そう主張する。
 でなければ、“人を破滅させることを生き甲斐とする悪魔が、
赤子のおむつを替え、ミルクを作って育てきることなどできるだろうか?”と。
 赤マントが賦魂の法で分けた魂が、黒い球体だったことも薄弱ながら根拠の一つだ。
 故の、「たぶん」や「きっと」や「おそらく」といった、
仮定に仮定を重ねた不確かな策ではあるが。

「だから――【妖怪大統領に、内側からアンテクリストを攻撃してもらう】ってのは?
レディベアだったら起こせるんじゃねーかな……そもそも、いるかどうかは賭けだけど」

 そんな風に祈は提案するのだった。
 アンテクリストの一人格として妖怪大統領が生じているとすれば、
妖怪大統領はアンテクリストと同じく、
龍脈の力とブリガドーン空間、いずれの力も手に入れている状態であるはずだ。
それでいて、【レディベアのそうあれかし】から生まれているのだから、
レディベアに対してはいくらか好意的であると思われた。
 その協力を得られれば、アンテクリストの力を削ぐ、奪うといった弱体化が狙えるのではないか。
あるいは、精神をかき乱せば、有効な攻撃を届かせる隙を生じさせることもできるかもしれないと、
祈はそう考えた。
 もしかしたらアンテクリストは、内側から邪魔してくる妖怪大統領の人格を、
賦魂の法によって追い出すかもしれないが、それはそれで、強力な味方が増えることになるだろう。

「みんなはなんかない!?」

 祈は皆の顔を見て、そう問いかける。
 思いもよらない策を思いつくノエリスト。
千年も願いを諦めなかった諦めの悪い鬼。
家族思いで、奥さんと未来を作る約束をした狼犬。
 仲間たちは、これまで多くのピンチを乗り越えてきた歴戦の猛者たちだから、
なんらかのアイディアが出ると信じて。
 祈が知らない、把握していない、思い出していない、そんな強力な切り札があるかもしれないし、
橘音だって、きっと立ち上がってくれるはずだ。
 祈は希望を手放すことなく、仲間たちの作戦を募る。
神を倒すための作戦を。

195御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/09/27(日) 19:48:28
>「お父様!お父様……ッ!わたくしはここにおります、お父様のすぐそばに……!
 どうか、どうかお言葉を!昔のように、わたくしにお言葉を下さいませ……!」

>《永の忠誠、大儀である。
 其方の働きによって、此処にすべての駒は揃った。刻は満ちた――
 今こそ、終焉の儀式を始めよう。
 そう、吾輩がこの世界の頂点に君臨する……その儀式をネ!
 ――クク、ク、ククッ……クカカカ、クカカカカカカカカ……ッ!!》

ベリアルそのもののように嗤う妖怪大統領に、困惑する一同。

「操られているの……?」

>「クカカ……まだ分からないのかネ?
 茶番だ!すべては茶番に過ぎなかったのサ!
 バックベアードというのは、ブリガドーン空間の異名に過ぎない。単なる現象に対する呼称であって、
 一個のパーソナリティを指すものではないのサ。
 つまり……『妖怪大統領バックベアード』なんてものは『最初から存在しない』のだヨ!」

実際は操られているどころか、最初からベリアルが作り出したハリボテの操り人形というのが実態であった。
更にレディベアは、ブリガドーン空間に放り込まれて妖怪と化した元人間だという。

>「刻は満ちた。今や、レディの体内には異次元に存在したブリガドーン空間の力がそっくり宿っている。
 今まで東京ドミネーターズを組織したり、アスタロトに帝都騒擾をさせたりしていたのは、すべてこのため。
 後は――その力をここで全部解放するだけだヨ。
 『器』を叩き割って、ネ!」

「させるか!!」

ノエルは御幸の姿となり、レディベアの前に立ちはだかり、身構える。
コカベルの煉獄の炎をも退けた絶対の防御――その力が遺憾なく発揮される状況だ。
しかしベリアルは攻撃してくる様子は無く、何故か不要な会話を続ける。
それこそがレディベアの器を叩き割るためのベリアルの方策だった。

>「う、う……うあああああああ、ああああああああああああああ……!!!」

御幸はレディベアの全身から溢れ出る妖気に弾き飛ばされた。その拍子にみゆきの姿になる。
あまりの動揺のために、うっかり原型に戻ってしまったのかもしれない。

「何!?」

>「クカカカカ!
 言っただろう?『準備は整った』と!『刻は満ちた』と!
 それは『誰がどんな手を尽くしたとしても、すでに手遅れ』という意味なのだヨ!
 吾輩に触れさせなければ、彼女を守れると思ったかネ?盾となって吾輩の前に立ちはだかれば防げると!
 ノン!最早、何者にも力の解放を阻むことはできない――この吾輩にもネ!
 さあ……地獄の扉が開くヨ、待ちに待ったお楽しみの瞬間だ……クカカカカッ!カハハハハハハハハーッ!!!」

レディベアの全身から禍々しい力が噴出し、空が極彩色に変わった。

196御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/09/27(日) 19:49:30
「これは……ブリガドーン空間……!」

>「クカカッ……クカカカカカカカッ!
 素晴らしい!この光景……この空を実際にこの表世界で見ることを、吾輩はどれだけ望んだことか!
 さて、では計画の最終段階と行こうか!」

ベリアルの手の中には、輝く何かがあった。龍脈の神子の因子だという。

>「龍脈の力は誰にでも使えるものじゃない。それを使う『資格』を持つ者でないとネ。
 だが、それは裏を返せば『資格さえ持っていれば、誰にでも使える』ということなのサ。
 祈ちゃん、君は言ったネ。吾輩は龍脈の力が欲しくてたまらない……と。
 その通り!吾輩は龍脈の力が欲しくて欲しくて堪らなかった!それはもう、喉から手が出るほどネ!
 しかし――君のお陰で、やっと手に入れられそうだヨ!」

「祈ちゃんから奪ったのか……!」

>「クク……なるほど、これが神子の心地というものか。悪くない……いいや、実にいい気分だネ!
 では、さっそくこの力を使わせてもらうとしよう!!」
>「龍脈よ!この惑星を駆け巡る無尽の活力よ!
 われに力を与えよ、忌まわしき神によって奪われし力を!星を統べる全知の権能を!!
 今こそ、ふたたびわれに与えせしめよ――――!!」

龍脈の力がベリアルに集まり、ベリアルは真の姿を現した。

>「クカカカカ……カハハッ!素晴らしい!
 力が……力が漲る!溢れる……!そうだ、これだ!これこそが吾輩の……いいや、私の本当の力!
 長かった……長かったぞ!この刻を――私はどれほど待ったことか!!」
>「もう――これも必要ない」

>「ベリ、アル……様……」

「”様”って……アスタロトの記憶!? きっちゃん! 負けないで!」

橘音は呆然としており、レディベアは気を失ってしまった。

>「ベリアルゥゥゥゥゥゥゥゥ―――――――――――――ッ!!!!」

ローランが不抜にして不滅の刃(インヴィンシヴル・デュランダル)を放つが、ベリアルはただ視線を向けただけでそれを無力化してしまった。

>「ローラン。君のそれは天使由来の力……いいや、元をただせば『私由来』の力だ。
 この私が天使たちに福音を与え、叡智を与え、力を与えた。
 天使たちは御使いとして聖人たちにそれを伝えた。
 私の力で、私を斃せると思うかい?」

「そんな……」

一行の中で最も強力と思われていたローランが戦力外となるのは、大きな不利だ。
その上、橘音も妖狐由来の力はともかくアスタロト由来の力は通用しないということなのだろう。
それ以前に、まともに戦ってどうこうなる相手ではないのかもしれないが。

197御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/09/27(日) 19:54:45
>「……龍脈の力で、ブリガドーン空間を拡大させているというのか……。
 まずい、今のブリガドーン空間は完全にベリアルの支配下にある。
 もし、このまま世界のすべてがブリガドーン空間に覆われてしまえば――奴の『そうあれかし』によって、
 本当にこの星は悪が基準となる世界に創り変えられてしまう!」

一行の恐怖・絶望・混乱を他所に、ベリアルだった者は、優雅に両手を広げながら朗々と名乗りを上げた。

>「我が名は『終世主』――アンテクリスト」

>「……に」
>「…………逃げましょう」
>「駄目だ……、駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ!!
 完全に見誤っていた……、彼の力を!解放された神の長子の能力……その全貌を!
 あれは……戦っちゃ駄目な相手だ!」

橘音がいちはやく撤退を呼びかける。このまま戦っても勝ち目はないと分かってしまったのだろう。

「――ホワイトアウト!」

みゆきも気休めにしかならないと分かっていながらも目くらましの妖術を使うと、橘音に続いて撤退する。
都庁から脱出すると、大勢の者が出迎えた。

>「おお……祈!戻ったか……!
 いったい何が起こっておるのだ?空に突然巨大な眼が現れたかと思えば、次はこの極彩色の空模様……。
 こんなものは、日ノ本開闢以来の異常事態よ……!」

>「ごめん、晴朧じーちゃん。しくじった……! 
あの色がぐちゃぐちゃなのはブリガドーン空間で、なんでもできるようになるんだ。
そんで、龍脈には資格があんだけど、その因子を赤マントの奴に取られちまってて……」

「そう、奴が運命変転の力を手に入れてしまったんだ……!」

>「……どうやら、あまり状況は良くないようぢゃの。
 さしあたり、日明連の方々と儂ら日本妖怪とで都庁周辺に結界を敷いたが――。
 これからどうすればよい?三尾、策をよこせ」

>「富嶽殿の仰る通り。三尾殿、知恵をお貸し願おう。
 知恵者で知られた貴殿ならば、この状況も想定の範囲内なのであろう?
 ここが日ノ本存亡の天王山。敗北することは許されん」

>「さ……、作戦は……ありません……」

「もう! きっちゃんをいじめないで!」

恐れ多くも人間と妖怪の最高権力者達にくってかかっているみゆき。
もちろん二人は名探偵の橘音なら何か策があるだろうと普通に思っていただけで他意は無いのだが
事態が橘音の想像を遥かに超えていることが分かっているみゆきには、二人が震える子狐を責め立てているように見えてしまっていた。

198御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/09/27(日) 19:55:35
>「作戦?作戦ですって?そんなものあるワケがない、あったところで通用するハズがない!
 ボクは侮っていた、甘く見ていた……彼の、真の力!解放された権能のレベルを……!
 神の長子なんて言ったって、修行して極限まで強くなったボク達なら、楽勝とは行かないまでも充分勝てると。
 これだけの精鋭と頭数なら戦いを優位に運べるはずと。そう楽観視していた……!
 でも違う、そんな生易しい話じゃなかった!
 あれは……あれは『神の長子』なんてものじゃない!あれは――」
>「あれは。神そのものだ……!」

「そんな……」

>「勝てねぇってこと……?」

祈のつぶやきはおそらく当たっているのだろう。
有象無象の八百万の神が唯一神に敵うはずはなく、更に妖怪は大雑把に言えば八百万の神のランクが低いバージョンだ。

>「魔法陣……だと!?」

空に浮かび上がった魔法陣から、無数の悪魔の群れが現れて押し寄せてくる。

>「これならどうだ! “禹歩”!」

「祈ちゃんナイス! エターナルフォースブリザード!」

範囲妖術で周囲の悪魔を一掃する。
悪魔たちの攻撃の手が緩んだと思ったのもつかの間、悪魔たちが結界の縁に向かい始めた。

「乃恵瑠! あいつら結界を破壊するつもりだ!」

巨大な杵を振るいながらハクトが叫ぶ。
みゆきは結界に向かう悪魔達の背に氷の矢を放ち、出来る限り撃墜を試みる

「させてたまるかーっ!」

が、更に厄介なものが現れた。

>「……なんだ、あれは……」

>「でかい……ムカデ?」

それは、ムカデのようでもありエビのようでもある巨大な節足動物であった。
それが結界に体当たりを仕掛ける。

>「結界、持ちません!!」

あろうことか、フォルネウスによって結界は破壊され、悪魔達が世界へ解き放たれてしまった。

「きっちゃん……」

呆然としたままの橘音を、気遣わし気に見るみゆき。と、祈がいきなり橘音の胸ぐらを掴んだ。

「祈ちゃん!?」

199御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/09/27(日) 19:57:51
>「しっかりしろ橘音! それでも帝都一の名探偵かよ!!」

祈は希望を捨てることなく、橘音を叱咤激励している。

「そうだね、橘音くんはもう無力な子狐じゃないし童もあの日の雪ん娘じゃない」

ノエルはメンバーの中では唯一、血肉を持つ人間や動物がルーツになっていない。
自然現象をルーツに持つ生粋の霊的妖怪だ。現象が恐怖や絶望をするだろうか? いや、しない。

「童にはこの力があるもの」

みゆきは再び御幸の姿になる。絶対零度の氷雪の化身。そもそも精神構造的に絶望しようがないという反則技。
それは絶望を乗り越えていく正統派の強さとは違うのかもしれないけれど、とにかく敵の思い通りにはならない。

>「なぁ! こんなときだからこそ、みんなで考えよう!
みんなの知恵と、力を合わせるんだよ!」

>「たとえばあたしは……たぶんだけどまだ龍脈と繋がってる! これ、使えないかな!?」

「でも、龍脈の力をそれ以上使ったら……いや、何でもない」

反対する代わりに、代替案を提案する。

「ブリガドーン空間の特性を逆手に取ることは出来ないだろうか。
アンテクリスト、本当はブリガドーン空間を完全には掌握しきれてないんじゃないのかな。
だって完全に掌握してるんだったらその空間内でまだこうやって戦いが行われている事自体が不思議じゃない?」

何でも思い通りになる空間を完全掌握してたら、その空間内では全てが一瞬で決してしまうだろう。
ならば、今のこの状態は世界を改変しようとするアンテクリストの意思と
それを拒む皆の意思がせめぎ合っているから、と考えることは出来ないだろうか。
尤もベリアルは劇的な演出を好む性質を持っていたので敢えてじわじわいたぶっているだけという可能性も捨てきれないのだが、
アンテクリストはベリアルと同一人物でありながらももはや別の人格のようにも見えた。
アンテクリストとしては、龍脈の神子になるためにはブリガドーン空間の特性が必要だった。
そして世界を改変するにもやはりブリガドーン空間の特性が必要。
しかし戦い自体は、同じ龍脈の神子同士で地力では圧倒的に向こうが上なのだから
ブリガドーン空間という不確定要素はむしろこちらに有利な要素として働くということも考えられる。

200御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/09/27(日) 19:59:30
>「それから、妖怪大統領とか。あたしはあいつ、“いる”と思ってんだよ!」
>「モ……レディベアは、自分が妖怪大統領の娘だと疑わなかった。
その思い込みがレディベアを、ブリガドーン空間の力を持った妖怪に変えたんだろ?
それと同じように、レディベアは“妖怪大統領が実在する”って疑わなかったはずだ。
だとしたら、幻が現実になってなきゃおかしくないか?」
>「たぶん妖怪大統領は、あいつの――モンテクリストだかアンチキリストだかいう、
ふざけたやつの中にいるんだ。御幸みたいに、もう一つの人格として。
きっと、アンテクリスト本人も、妖怪大統領も気付いていない状態で」
>「だから――【妖怪大統領に、内側からアンテクリストを攻撃してもらう】ってのは?
レディベアだったら起こせるんじゃねーかな……そもそも、いるかどうかは賭けだけど」
>「みんなはなんかない!?」

「いいね! 妖怪大統領を叩き起こそう!
もしもいなかったら……その時はハッタリを貫き通していることにしてしまえばいい。
バックベアードの正体を知ってるのはまだ私達だけだよね。
ベリアルがレディベアにやったみたいに、アバターで日本中の妖怪を騙してみるのは?
レディベアか橘音くんの瞳術だけど……不特定多数に幻を見せるのは流石に難しいよね。
私が空を雪雲で覆って巨大なスクリーン状態にする。そこに妖怪大統領を瞳術で投影しているように見せかける」

瞳術で何が出来るかを詳しくは知らないが、光を放って攻撃する技だったり、
対象に幻を見せる技ならあるので、それを考え合わせると映像を投影することも出来ると思われた。

「音声は……スカイツリーを乗っ取ってレディべアに妖怪大統領の振りしてそれっぽい演説してもらうとか」

妖怪大統領の名代なるレディベアならば、それっぽい演説が出来るかもしれない。
バックベアードの日本での姿とされる空亡は、百鬼夜行絵巻の最後を締め括る最強の妖怪。
一説には妖怪の頂点とも言われている。
そんな存在が協力要請をすれば、皆そこに希望を見出すだろう。
それはきっとブリガドーン空間の影響下なら、妖怪大統領を起こす力となる。

「それにあそこ、酔余酒重塔状態の時は東京中の妖気を集積させることが出来たんだよね。それ使えないかな」

尤もこれは酔余酒重塔状態だった時の話のため、下準備に時間がかかるとしたら無理かもしれない。
それ以前に、どんな方法でいくにせよ妖怪大統領を起こす鍵となりそうなレディベアは気を失ったままだ。
レディベアの顔を心配げに覗き込む。

「まさか……ずっとこのまま、なんてことは無いよね?」

器を叩き壊されてブリガドーン空間の力を放出してしまってからずっと気絶している。
待っていても自然には起きないのではないかという可能性が頭をよぎる。

「どうにか起こせないかな……」

意識してかせずか、遠い昔に僧侶だったという尾弐にそれとなく問いかけた。

201尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/10/04(日) 16:15:20

「チッ――――仕留め損ねたか」

尾弐が繰る闘気の針は確かにベリアルの胸を穿った。
ポチの爪は、ベリアルの首を断ち切った。
ほぼ同時に放たれた必殺は、確かに命に届いた感触はあったのだ。

にも関わらず、尾弐の直感は真逆の回答を告げる。
心臓を貫き首を断ち切って尚『ベリアルは生きている』と。

>「ククク……クカカカカカカ……。
>吾輩はまだ話の途中だったのだがネェ?正義の味方ともあろう者が不意打ちとは、なんとも悪辣な!
>せっかく最後の戦いなんだ、もっと演出というものに気を遣って貰わなくては!」

直後、声が響く。
それは那須野橘音の背後……宙に浮かぶ白面から。

「喋るゴミを気ぃ遣って処分しようとしてやったんだ。感謝して死んどけ、ゴミ屑」

軽口を叩くベリアルに対し、尾弐は忌々しげにそう吐き捨てる。
追撃を行わないのは、ベリアルが死ななかった理屈が判らないまま攻撃するのは下策と判断したが故の事。

>「……賦魂の法……ですか……」

そんな中、那須野橘音が一つの可能性を呟いた。それは、魂を分割する妖狐の秘術の名。
成程、確かにそれであれば死して死なずの謎は解ける。
しかし……そこで尾弐は考えるべきだった。
今の東京ブリーチャーズと正面衝突すれば死ぬ可能性もあるというのに、何故ベリアルがこの場に現れたのかを。
或いは、『ベリアルが既に目的を達成している』可能性を。

そして、その最悪な可能性は最悪の形で実現する事になる。


>《永の忠誠、大儀である。
>其方の働きによって、此処にすべての駒は揃った。刻は満ちた――
>今こそ、終焉の儀式を始めよう。
>そう、吾輩がこの世界の頂点に君臨する……その儀式をネ!
>――クク、ク、ククッ……クカカカ、クカカカカカカカカ……ッ!!》

>「クカカカカ!
>言っただろう?『準備は整った』と!『刻は満ちた』と!
>それは『誰がどんな手を尽くしたとしても、すでに手遅れ』という意味なのだヨ!
>吾輩に触れさせなければ、彼女を守れると思ったかネ?盾となって吾輩の前に立ちはだかれば防げると!
>ノン!最早、何者にも力の解放を阻むことはできない――この吾輩にもネ!
>さあ……地獄の扉が開くヨ、待ちに待ったお楽しみの瞬間だ……クカカカカッ!カハハハハハハハハーッ!!!」

存在そのものがベリアルが生み出した虚像であったというバックベアード。
信じていた存在は親ですらなく、更に自身は野望の為の道具に過ぎなかったという現実は、
レディベアという少女の心を絶望に染めるには十分すぎるものであった。
ブリガドーン空間の力を内包したその体から噴出する妖気に吹き飛ばされぬよう踏み止まりながらも、尾弐はベリアルを睨みつける。

「やりやがった――――やりやがったなテメェ」

尾弐は決して善性の存在でなければ、レディベアに対して友好的でもない。
だがそれでも……人間から成り果てた悪鬼であろうと、守らなければならない事くらいは知っている。
己の野望の為に無知な子供を騙して利用する事が、鬼畜にも劣る所業である事は知っているのだ。
怒りを力に変え、膨大な力の奔流に逆らう様に歩を踏み出す。
しかし、その怒りもベリアルの野望を止めるには間に合わない。
何故ならば、ベリアルの目的は既に完遂してしまっているのだから。

>「龍脈よ!この惑星を駆け巡る無尽の活力よ!
>われに力を与えよ、忌まわしき神によって奪われし力を!星を統べる全知の権能を!!
>今こそ、ふたたびわれに与えせしめよ――――!!」

祈から簒奪した龍脈の力の一部。レディベアを介して展開したブリガドーン空間。
それらを用いて天魔ベリアルが世界を塗り替える――――否、創造する。
光の柱が帝都に聳え立ち、天魔ベリアルの印章が地へと刻まれる。

>「ベリ、アル……様……」

そして『赤マント』のアイコンであった仮面とマントが朽ち果て、眩い黄金色の髪を靡かせながら


――――悪が降臨した。

202尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/10/04(日) 16:16:31
>「ベリアルゥゥゥゥゥゥゥゥ―――――――――――――ッ!!!!」

「っ――――馬鹿野郎!先走るな!!」

姿を変えたベリアルに対し、ローランがその聖剣を振り下ろす。
ローランが規格外の強者である事を尾弐は知っている。
『不抜にして不滅の刃(インヴィンシヴル・デュランダル)』の恐ろしさも知っている。
だが、それを知った上で尾弐は止めに掛かる。
他の仲間達がどうかは判らないが、悪鬼という世界にとっての邪悪である尾弐には判る。
その剣技を以ってしても、ベリアルには届かないという絶望的な格の違いが。
そして尾弐の懸念を証明するかのように、ローランの必殺はそよ風だけを残して掻き消えてしまった。

>「君たちはよくやった。
>この私を相手に、よくここまで食い下がったものだ。称賛するよ……君たちは正真正銘の英雄だ。
>しかし、もう終わりにしよう。
>私はこの世界を創り変える。取り戻した権能を用い、我が父が七日を用いて為したように。
>闇が光を凌駕し、悪が貴ばれ、破壊と殺戮が善とされる世界へ――」

>「ならば……ああ、そうだな。
>これからはこう名乗るとしよう。
>私は神の真逆を往く者。神の創り給うた世を終わらせ、この星に新たなる秩序を築くもの」

遥か高みの存在、その圧倒的な威風から那須野橘音を庇う様に前に出た尾弐。
そんな尾弐をもはや気に留める様な事もせず、ベリアルは――――ベリアルだったものは高らかに宣言する。


>「我が名は『終世主』――アンテクリスト」


――――

>「…………逃げましょう」
>「駄目だ……、駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ!!
>完全に見誤っていた……、彼の力を!解放された神の長子の能力……その全貌を!
>あれは……戦っちゃ駄目な相手だ!」

「……応」

刻一刻とその力を増していくアンテクリストを前にして、那須野橘音はそう告げて走り出す。
尾弐としてもその意見を否定するつもりは無かった。
万に一つでも勝ち目が有るのであれば別だが、現状では万に一つすら勝ち目は無い。
ならば必要なのは、少しでも時間を稼ぎ策を練る事だ。

>「――ホワイトアウト!」

不幸中の幸いか、アンテクリストが東京ブリーチャーズへの興味を喪失した事と、ノエルによる目くらまし。
加えて結界を越える那須野橘音の術式が成功した事により都庁からの脱出は叶った。
扉を潜れば、其処には人間、妖怪を問わず今回の戦いで助力をしてくれた者達の姿。
互いの無事を喜ぶのもつかの間。
祈の口から断片的に語られた龍脈の神子としての力の簒奪と、アンテクリストの君臨という現況、
そのあまりの不利な旗色を前にして、双方の重鎮たちは那須野橘音に回答を――勝利へと辿り着く道順の提示を求める。

>さしあたり、日明連の方々と儂ら日本妖怪とで都庁周辺に結界を敷いたが――。
>これからどうすればよい?三尾、策をよこせ」
>「富嶽殿の仰る通り。三尾殿、知恵をお貸し願おう。
>知恵者で知られた貴殿ならば、この状況も想定の範囲内なのであろう?
>ここが日ノ本存亡の天王山。敗北することは許されん」

>「さ……、作戦は……ありません……」

しかし、那須野橘音の口から放たれた言葉は――――『不可能』を示すものだった。

>「もう! きっちゃんをいじめないで!」
>「……橘音君……?」

いつも飄々としていた那須野橘音の余りの狼狽。
常ならぬ様子に、颯は心配する様子を。ノエルは問い詰める者達から庇う態度を見せる。
しかし、那須野は彼らに応える事もせず、追い詰められた様子で言葉を吐きだしていく。

>「作戦?作戦ですって?そんなものあるワケがない、あったところで通用するハズがない!
>ボクは侮っていた、甘く見ていた……彼の、真の力!解放された権能のレベルを……!
>神の長子なんて言ったって、修行して極限まで強くなったボク達なら、楽勝とは行かないまでも充分勝てると。
>これだけの精鋭と頭数なら戦いを優位に運べるはずと。そう楽観視していた……!
>でも違う、そんな生易しい話じゃなかった!
>あれは……あれは『神の長子』なんてものじゃない!あれは――」
>「あれは。神そのものだ……!」

>「勝てねぇってこと……?」

ポツリと呟く祈の言葉。身を抱く様にして震える那須野の態度。
それが全てだった。

203尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/10/04(日) 16:18:01
ベリアルは――――アンテクリストは、強すぎる。
強大な魔物なら戦えよう。超常の神獣ならば抗えよう。
しかし、唯一神……世界に等しき存在と戦いが成立する筈がない。
震える那須野橘音に対し、尾弐は――――尾弐黒雄は、拳を握り静かに目を瞑った。
一度息を吐いてからそして言葉を掛けようとし、その直後。

>「あれ悪魔か!? 数え切れねー数だぞ!?」
>「祈ちゃんナイス! エターナルフォースブリザード!」
>「でかい……ムカデ?」

上空に現れた巨大な魔法陣から湧き出す無数の悪魔達。
そして、アンテクリスト配下の天魔七十二将が一柱、フォルネウス。

祈や陰陽師達の抵抗は一時悪魔を押しとどめた。
ノエルの広範囲妖術は、多くの悪魔を殲滅せしめた。
尾弐もまた、手近な岩等を掴み投げ、質量弾として悪魔達を圧殺した。

けれど、それは大波に水滴を垂らす様な抵抗に過ぎない。
悪魔の圧倒的な物量は津波の様に抵抗という名の水滴を飲み込み、
天魔フォルネウスの一撃がとうとう結界をすら破壊してしまった。

悪魔がラッパを吹き鳴らし、天より災禍が巻き散らされたのだ。
尾弐にはその光景を眺め見る事しかできない。
四方に散る悪魔達を漂白するには、尾弐の腕はあまりに短すぎる。

――――逃げちまおうか。

絶望の最中、そんな言葉が尾弐の脳裏に浮かんだ。
確かにアンテクリストがこのまま世界を統べれば、世界は変わってしまうだろう。
悪が跋扈し正義が虐げられる地獄の如き世界に生まれ変わるのかもしれない。
だが、それがどうした。
そもそも尾弐は邪悪な存在で、尾弐が愛する那須野橘音もまた天魔と呼ばれる悪魔だ。
善悪が反転したところでその存在になんら影響はなく……悪魔が天使となる様な世界では、寧ろ生き易くなるかもしれない。
勿論、アンテクリストからは逃げる日々にはなるのだろうが、日陰を生きるのは今も一緒だ。
死ぬのは怖い。橘音が死ぬのはもっと怖い。
それなら、正義も仲間も全てを捨てて愛する女と逃げ続ける日々も悪くはないのではないか。
悪魔の囁きの如き思い付きが尾弐の思考を染めはじめ

>「しっかりしろ橘音! それでも帝都一の名探偵かよ!!」
>「尾弐のおっさんと幸せになるんだろ!? いいのか!? 
>尾弐のおっさんが殺されて、尾弐のおっさんを見るのが最後になっても! みんな死んじまっても!」

そして、多甫祈の言葉がそんな尾弐の甘えた思考を叩き潰した。
銃でも日本刀でも傷つかない悪鬼は、一人の少女の言葉に横面を殴られたような衝撃を受けた。
ああ、そうだ。もしも逃げ出したとして

(ここで逃げ出した先の未来で――――隣にいる橘音は、笑っているか?)

想像する。今、この場で震える女が……悪戯好きで、責任感が強くて、さびしがり屋で、努力家で、仲間想いな
そんな彼女が、全てを失った後の世界でこれまでの様に楽しげに笑う事が出来るだろうか。

204尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/10/04(日) 16:18:54
>「つーか、作戦が浮かばねぇんだったら、あたしらを頼れ! あたしらは仲間だろーが!」
>「そうだね、橘音くんはもう無力な子狐じゃないし童もあの日の雪ん娘じゃない」
>「童にはこの力があるもの」
>「なぁ! こんなときだからこそ、みんなで考えよう!
>みんなの知恵と、力を合わせるんだよ!」

否。逃げ出した先に未来はあるのかもしれないが、そこに幸福は無い。
祈もノエルもその事が判っているのだろう。だからこそ彼ら、彼女らは前に進もうとする。
眩しいほどの強さを前にして、尾弐は近くにいたポチに何とはなしに声を掛ける。

「ポチ助。惚れた弱みってのは辛ぇモンだな……明日、女が笑ってる未来の為なら神サマでもぶん殴る力が湧いてきちまう」

>「たとえばあたしは……たぶんだけどまだ龍脈と繋がってる! これ、使えないかな!?」
>「それから、妖怪大統領とか。あたしはあいつ、“いる”と思ってんだよ!」
>「だから――【妖怪大統領に、内側からアンテクリストを攻撃してもらう】ってのは?
>レディベアだったら起こせるんじゃねーかな……そもそも、いるかどうかは賭けだけど」
>「みんなはなんかない!?」

>「いいね! 妖怪大統領を叩き起こそう!
>もしもいなかったら……その時はハッタリを貫き通していることにしてしまえばいい。
>バックベアードの正体を知ってるのはまだ私達だけだよね。
>ベリアルがレディベアにやったみたいに、アバターで日本中の妖怪を騙してみるのは?
>「どうにか起こせないかな……」

二人の言葉を聞いた尾弐は、那須野橘音の真正面に立つと口を開く。

「……これだけ力量差があると、人柱を立てて封ずるってのも無理そうだな」
「情報を拡散するってなら妖怪に頼むより人間に頼むのはどうだ? 聞いたところ、最近のインターネットってのはすげぇんだろ?」
「群衆をぶつけて為政者を引きずりおろすのは人間のお家芸だ。77億のそうあれかしをぶつけりゃあ意外に何とかなっちまうんじゃねぇか?」
「それこそ、仮に存在していなかったとしても、願いでバックベアードを産み出したり……な」
「レディベアは……確か色男の店の端っこに、前に俺にちょっかい出してきたサトリ妖怪がいたな。奴さんが元人間っていうなら、アレの力で心に潜り込めやしねぇかな」
「俺なんざの声は届かなくても、嬢ちゃんの、ノエルの、ついでにローランの声なら届くかもしれねぇ」
「問題はアンテクリストの野郎だが……本気で妨害してくるなら別だが、奴さんは力を手に入れてご満悦みてぇだからな。
 レディベアに興味を向けてねぇ以上、祈の嬢ちゃんの龍脈の神子としての力と、願いの総量で無理やりぶち抜けるだろ」

「時間が必要だってなら俺が稼いでやる。こう見えて全うに修行したんでな。例えアンテクリストの野郎が世界を滅せる様な攻撃を仕掛けてきても、今の俺なら多少は何とかしてやれる筈だ」
「絶望は深いかもしれねぇが、それでも誰かが手を差し伸べてくれれば必ず光は射す――――他ならぬ、絶望に浸かり続けた馬鹿な鬼が言うんだから間違いねぇよ」

205尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/10/04(日) 16:28:27
「……ま、所詮は素人考えだけどな。ポチ助はどうだ?お前さんならもっと良い考えもあるんじゃねぇか?」

ポチに問いかけその返答を聞いてから、尾弐はアンテクリストへの畏怖と恐怖で震える那須野の肩に手を置く。

「さて、橘音……俺は、お前さんに一緒に逃げようとか、後は任せろなんて事は言えねぇ」
「何せ俺は、酒が好きでガラスの腰をしたダメ男だからな。この期に及んで一人で全部を背負って万事解決出来る程の甲斐性はねぇんだ」
「そんな、お前さんがいねぇとまともに生きる事もできねぇ俺が言ってやれるのは、これだけだ」

いつかの術式。那須野橘音の痛みを引き受ける鎖を可視化して告げる。

「橘音。お前さんの重荷は、俺が一緒に背負う」

いつかの様に、真剣な表情で。
恐怖も絶望も未来への重責も、那須野橘音の小さな肩に伸し掛かる全ての苦しみを、自分が一緒に背負うと。
例え失敗して全滅しようと、その責任を那須野橘音一人に押し付けるような真似はしないと。

「だから、俺が頑張るために俺と一緒に頑張ってくれ」

世界の為でも自身の為でもなく、尾弐黒雄の為に少しだけ勇気を出して欲しいと。

それから


「この戦いが終わったら――――結婚してくれ。橘音」


足掻いて足掻いて……『共に笑いあえる未来』を繋ごうと。笑顔でそう言った。

206ポチ ◆CDuTShoToA:2020/10/10(土) 07:59:10
金色の爪が弧を描き、ベリアルの頸を切り裂く。
闘気の針がベリアルの心臓を貫く。
ベリアルは身じろぎ一つする間もなく、その場に倒れた。

>「チッ――――仕留め損ねたか」

「……みたいだね」

しかし――ポチは忌々しげに唸った。
倒れ伏した、躯であるはずの「それ」からは、死のにおいがしなかった。
命が抜け落ち、息絶える時に立ち昇るにおいが。

>「ククク……クカカカカカカ……。
>吾輩はまだ話の途中だったのだがネェ?正義の味方ともあろう者が不意打ちとは、なんとも悪辣な!
>せっかく最後の戦いなんだ、もっと演出というものに気を遣って貰わなくては!」

直後、背後から聞こえる声――虚空に浮かぶ白仮面が、笑う。

>「喋るゴミを気ぃ遣って処分しようとしてやったんだ。感謝して死んどけ、ゴミ屑」

「はん……素直に避けられませんでしたって言ったらどうだよ」

挑発を返しつつ、ポチは深く身を屈める。
深く前へ踏み込んでしまったが故に、後方に現れたベリアルに対し、ポチが先陣を切る事は出来ない。
だが、祈か尾弐か。そのどちらかが先手を打てば、二の矢となる事は出来る。

>「……賦魂の法……ですか……」
>「その通り。さすがは我が弟子、察しがいい。
  本来は妖狐一族の秘術らしいが……この程度のもの、吾輩だって真似するのは造作もないサ」
>「さて……では、こちらの吾輩は回収させてもらおうか」

ポチのすぐ傍に横たわるベリアルの躯が、半身の元へと戻る。

「つまり……これでもう、お前は殺せば死ぬ、ただのクソッタレって事だろ」

ポチが唸り声を上げる。漆黒の被毛が逆立つ。
ベリアルとの距離は遠い。だが自分が動けば、皆も動く。
ベリアルに対応を強いる事が出来る――はずだった。

しかし、そうなるよりもほんの少し早く、ベリアルが指を鳴らした。
瞬間、凍りついたガラス窓が砕け散る。
バックベアードの視線が再び展望室へと注がれる。

「っ……!」

こうなると、ポチは先手を取れなくなってしまった。
なにせバックベアードが敵なのか、味方なのか、どんな力を秘めているのかも分からないのだ。
ただのフィンガースナップ一つ。
それだけで、ポチは動くに動けなくなった。

先手を取って、対応を強いるはずだった。
それがいつの間にか、敵の出方を待ち、対応する側に回らされていた。

>《永の忠誠、大儀である。
>其方の働きによって、此処にすべての駒は揃った。刻は満ちた――
>今こそ、終焉の儀式を始めよう。
>そう、吾輩がこの世界の頂点に君臨する……その儀式をネ!
>――クク、ク、ククッ……クカカカ、クカカカカカカカカ……ッ!!》

事態は、既にベリアルの手のひらの上だった。

207ポチ ◆CDuTShoToA:2020/10/10(土) 07:59:24
>「まったく、君はよくやってくれたヨ、レディ。
  だからネ……最後までその調子で役に立ってくれたまえ。
  愛するパパの――そう、吾輩のために!!
  クカカカカカカカカカカ――――――――――――――――――ッ!!!」

>「う、う……うあああああああ、ああああああああああああああ……!!!」

悲痛な悲鳴。レディベアの全身から禍々しい妖力が溢れ出す。
あまりにも濃密で膨大なその妖力に、ポチの矮躯が吹き飛ばされる。
割れたガラス窓のすぐ傍から、展望室の内側へ。
なんとか空中で体制を整え着地を果たすと、ポチはベリアルを睨み上げた。

「この……この、ゲス野郎め!よくも、こんな真似を――!!」

ポチは、獣だ。善悪について深い拘りなどない。
だが――愛に関しては、違う。それが最も価値のあるものだと信じている。
ベリアルはたった今、それを踏みにじった。
それを自ら育み、それがどれほどの価値があるものなのかを知った上で。

レディベアから、深い失意の――絶望のにおいがする。
それが、ポチの怒りを駆り立てる。
怒りが全身の毛を逆立てる。漆黒の妖気が膨れ上がる。

>「クカカカカ!
>言っただろう?『準備は整った』と!『刻は満ちた』と!
>それは『誰がどんな手を尽くしたとしても、すでに手遅れ』という意味なのだヨ!
>吾輩に触れさせなければ、彼女を守れると思ったかネ?盾となって吾輩の前に立ちはだかれば防げると!
>ノン!最早、何者にも力の解放を阻むことはできない――この吾輩にもネ!
>さあ……地獄の扉が開くヨ、待ちに待ったお楽しみの瞬間だ……クカカカカッ!カハハハハハハハハーッ!!!」

「黙れ!まだだ……今からでも遅くない。お前をぶっ殺して、全部終わらせてやる!」

割れた窓の外へと跳躍したベリアルを仕留めるべく、ポチが床を蹴る。
だが――レディベアから溢れ続ける妖力がそれを阻む。
黄金の爪を床に突き立てて、強引に踏み止まる。床が引き裂けて、押し戻される。
不在の妖術で姿を消して、前へ。しかし――遠すぎる。
一呼吸で詰め寄れる距離ではない。近づいた分だけ妖力の波濤は勢いを増す。
すぐに大きく吹き飛ばされてしまう。

>「龍脈よ!この惑星を駆け巡る無尽の活力よ!
>われに力を与えよ、忌まわしき神によって奪われし力を!星を統べる全知の権能を!!
>今こそ、ふたたびわれに与えせしめよ――――!!」

東京の空が極彩色に塗り潰される。
祈から奪われた龍脈の神子の因子が、ベリアルへと取り込まれる。
ブリガドーン空間が、ベリアルの支配下へと置かれる。
龍脈の力が渦を巻いて、その体へと吸い込まれていく。

「クソ……クソッ!ノエっち!君の妖術なら……やるんだ!あいつを殺――」

そして――不意に、ポチの視界に眩い光が映った。
目が眩みながら、それでも敵から視線を外すまいと、細めた目でベリアルを睨む。
ベリアルは――光り輝いていた。
血色のマントは、純白に輝く八枚羽に。シルクハットは、天使の光輪と金色の髪に。

>「ベリ、アル……様……」

瞬間、ポチは野生の本能をもって悟っていた。
自分では――自分達では、こいつには勝てないと。

208ポチ ◆CDuTShoToA:2020/10/10(土) 08:00:20
>「ベリアルゥゥゥゥゥゥゥゥ―――――――――――――ッ!!!!」
>「っ――――馬鹿野郎!先走るな!!」

そして、その直感は正しかった。
あらゆる妖魔を滅ぼす聖人の刃、『不抜にして不滅の刃(インヴィンシヴル・デュランダル)』は、ベリアルの眼差し一つで無力化された。
たった一人で陰陽寮を制圧し、東京ブリーチャーズを圧倒した、あのローランの必殺の奥義を、眼差し一つで。

>「君たちはよくやった。
> この私を相手に、よくここまで食い下がったものだ。称賛するよ……君たちは正真正銘の英雄だ。
> しかし、もう終わりにしよう。
> 私はこの世界を創り変える。取り戻した権能を用い、我が父が七日を用いて為したように。
> 闇が光を凌駕し、悪が貴ばれ、破壊と殺戮が善とされる世界へ――」

ポチは動けない。夜色の毛皮は今も逆立っている――だが、それはもう、怒りの為ではない。
戦慄と、緊張と、畏怖が、ポチを支配していた。

>「ならば……ああ、そうだな。
> これからはこう名乗るとしよう。
> 私は神の真逆を往く者。神の創り給うた世を終わらせ、この星に新たなる秩序を築くもの」
>「我が名は『終世主』――アンテクリスト」

幸いな事に、ベリアル改めアンテクリストは、最早ブリーチャーズへの興味を失っていた。
その事に、ポチはなんとか怒りを覚えようと必死だった。
ここで安堵しては、狼の王ではいられなくなる。
故に、ポチはなんとか牙を剥き、眩く輝く終世主を睨み上げ――

>「…………逃げましょう」

背後から声が聞こえた。

>「駄目だ……、駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ!!
>完全に見誤っていた……、彼の力を!解放された神の長子の能力……その全貌を!
>あれは……戦っちゃ駄目な相手だ!」

それから、なりふり構わず駆け出す音。
緊張と畏怖のあまり、気づけなかったが――橘音もまた、この状況に恐怖していたのだ。
いや、むしろ――ポチよりもずっと、アンテクリストに畏れを抱いてさえいた。

「……そうだね。一時、撤退だ。流石に……相手が悪いや」

なんとか平静を取り戻してそう言うと、ポチは撤退する皆の後に続いた。
そうして非常階段を、最上階から一階まで全速力で駆け下りる。
エントランスホールを確保していたシロは、ポチを見るや否や、そちらへ駆け寄った。

「シロ!すぐにここから――」

>「あなた!皆さん……ご無事で……!」

そうして、その矮躯を強く抱き締める。
アザゼルとの戦いで負った傷により、ポチの毛皮は自らの血に汚れ、固まっているが――
シロがポチを抱き締めたのは、それが理由ではないだろう。
今もなおポチが纏う、血よりも強くにおい立つ、畏怖の感情。
シロはそれを嗅ぎ取ったのだ。

「う……」

シロのぬくもりと、におい。
自分がそれらに強く安堵してしまっている事を、ポチは自覚していた。
逃げ帰ってこられた。生きてもう一度会えた。たったそれだけの事に、安堵してしまっていた。

「僕は……僕は、大丈夫。見た目はともかく、大した怪我はしてないから。でも、まずは――」

>「話はあとにして下さい!ここから出ます!」

「そう、そうなんだ。一度、ここを離れないと……」

まずは、一度――あくまでも再戦の意思を示す。
狼の王が、ただ逃げて終わりでいいはずがないと。
だが、一体どうすれば、あの終世主を討ち果たせるというのか。
その方法は――まるで、見当もつかなかった。

209ポチ ◆CDuTShoToA:2020/10/10(土) 08:01:39
ともあれブリーチャーズは都庁の外へ出た。
そこには富嶽と晴朧、彼らが率いる人妖――他にも大勢の援軍がいた。
だが――見知った彼らの顔を見ても、ポチが安堵や希望を感じる事はなかった。

むしろ、こう考えてしまう――彼らの内、何人がここから無事に逃げられるだろうと。

>「どうやら、あまり状況は良くないようぢゃの。
> さしあたり、日明連の方々と儂ら日本妖怪とで都庁周辺に結界を敷いたが――。
> これからどうすればよい?三尾、策をよこせ」

ふと、富嶽が問う。それは当然の問いかけだった。

>「富嶽殿の仰る通り。三尾殿、知恵をお貸し願おう。
> 知恵者で知られた貴殿ならば、この状況も想定の範囲内なのであろう?
> ここが日ノ本存亡の天王山。敗北することは許されん」

晴朧がそれに続く。これも、当然の反応だ。
この不可解な状況で、赤マントへの知見が最も深い橘音を頼る事は、当然だ。

「……待って。橘音ちゃんは……今、少し混乱してるんだ……」

だが――ポチは既に知っている。那須野橘音がずっと纏っている、においによって。
彼女の心が――既に折れてしまっている事を。
故にポチは、お茶を濁そうとした。この期に及んで、それがどんなに間抜けな試みかは分かっていた。
それでも――

「橘音ちゃん、少し頭を冷やそう。一旦落ち着いて――」

>「さ……、

「っ、やめろ!言うな、橘音ちゃ――」

>作戦は……ありません……」

那須野橘音の口から、こんな言葉を皆に聞かせるよりは、ずっとましな試みのはずだった。
それに――ポチ自身も、聞きたくなかった。

>「作戦?作戦ですって?そんなものあるワケがない、あったところで通用するハズがない!
>ボクは侮っていた、甘く見ていた……彼の、真の力!解放された権能のレベルを……!
>神の長子なんて言ったって、修行して極限まで強くなったボク達なら、楽勝とは行かないまでも充分勝てると。
>これだけの精鋭と頭数なら戦いを優位に運べるはずと。そう楽観視していた……!
>でも違う、そんな生易しい話じゃなかった!
>あれは……あれは『神の長子』なんてものじゃない!あれは――」
>「あれは。神そのものだ……!」

必死に目を逸らそうとしていた事実を、突きつけられたくなかった。
赤マントが言っていた通り――この状況はもう、詰んでいるのだと。

>「勝てねぇってこと……?」

ポチは右手で両目を覆い、項垂れ、深い嘆息を零した。

210ポチ ◆CDuTShoToA:2020/10/10(土) 08:03:06
>「魔法陣……だと!?」
>「あれ悪魔か!? 数え切れねー数だぞ!?

不意に、都庁上空に巨大な魔法陣が浮かび上がる。
そこから降り注ぐ無数の悪魔。
ポチは――動かない。

元々、ポチは飛行する敵への攻撃手段が乏しいが――動かない理由はそんな事ではない。

『――これから、どうするつもりだ』

「……どうするって?」

『獣』の問い。ポチの消え入るような声。

『これからどうなるか。新たな神は既に予言した』

「……ああ」

闇が光を凌駕し、悪が貴ばれ、破壊と殺戮が善とされる世界。
アンテクリストは世界をこう作り変えると言った。
ならば、世界はその通りになるのだろう――それが、神の御業というものだ。

>「あれ悪魔か!? 数え切れねー数だぞ!?」

『どう動くにしても、早い方がいい』

善と悪がひっくり返った世界で――この場にいる人間の殆どは長く生きられずに死ぬ。

ポチが知っている人間社会は、その全体のほんの一部だ。
それでもポチは知っている。
人間は毎日数え切れないほどの車を走らせている。
スーパーマーケットや病院には毎日大勢の人間が通っている。
きれいな水と快適な空気を作る事が出来る。
大抵の人間はそれらの恩恵を受ける事が出来て、そうして生きている。

あの悪魔達は、そうした人間達が築き上げてきたものを、たった一日で全て台無しに出来るだろう。
それを止めるには、この場にいる者達はあまりにもちっぽけだ。

>「くそっ」
>「これならどうだ! “禹歩”!」

祈が、陰陽師達が、力を尽くして悪魔の群れを止めようとしている。

>「祈ちゃんナイス! エターナルフォースブリザード!」

ノエルの妖術は一度は悪魔の群れを薙ぎ払う事に成功した。
だが――それも一時しのぎにしかならない。
悪魔は無尽蔵に魔法陣から落ちてくる。

>「結界、持ちません!!」

人間社会は終わる。朝も夜も、あらゆるところから悪魔が襲い来る世界になる。
そうなった時、この場にいる人間達は果たして何日生きられるだろう。
どうせすぐ死んでしまうなら――ここで見捨てても同じ事ではないか。
『獣』がそう言っている事を、ポチは理解していた。

シロとふたりでなら、ポチは終わった世界の中でもきっと生きていけるだろう。
そして余計な足枷がなければ――生き残れる確率は、より高まる。

ふと、ポチは尾弐を見上げた。尾弐から、においがする。
諦念のにおいだ。
ポチには、尾弐が考えている事がなんとなく分かった。
自分も同じだからだ。
どうせ終わってしまうなら――せめて死にたくない。
シロを、死なせたくない。

「……あのさ」

ポチが口を開く。尾弐の名を呼ぼうと。
あのさ、尾弐っち。手を組もう。悪い話じゃないはずだ。
そう言おうとして――

>「しっかりしろ橘音! それでも帝都一の名探偵かよ!!」

不意に、祈の声が聞こえた。
力強い、しかし怒りを込めたものではない、激励の声。

211ポチ ◆CDuTShoToA:2020/10/10(土) 08:04:32
>「尾弐のおっさんと幸せになるんだろ!? いいのか!? 
>尾弐のおっさんが殺されて、尾弐のおっさんを見るのが最後になっても! みんな死んじまっても!」

それは橘音に向けられた言葉だったが――ポチの心にも、深く突き刺さった。
どうせすぐ死んでしまうなら、ここで見捨てるのも仕方ない。
そう納得しようとしていた事を――このままでは皆が死ぬという事実を、突きつけられた。

それでいいのか――考えてしまった。

シロは、もし自分が逃げようと言えば、きっとそれを受け入れてくれる。
ただの獣として生き延びる道を、共に歩んでくれる。
多くの知己を失う事にも、悪魔の血肉を啜る事になるような生き方にも耐えてくれる。

しかし――それでいいのか。それが、シロと一緒に掴みたかった未来だったか。
考えてしまった――そんな訳がない。

――だけど、今更僕らに何が出来る?

ポチは必死に、その考えを掻き消そうとする。
ここにいる誰にも死んで欲しくない。そんな未来が欲しかった訳じゃない。
それがどうしたと。そんな事を言っても現実には、自分達にはもう勝ち目などないのだ。
せめて、せめてシロだけは死なせてはならないんだと。

>「つーか、作戦が浮かばねぇんだったら、あたしらを頼れ! あたしらは仲間だろーが!」
>「そうだね、橘音くんはもう無力な子狐じゃないし童もあの日の雪ん娘じゃない」
>「童にはこの力があるもの」
>「なぁ! こんなときだからこそ、みんなで考えよう!
> みんなの知恵と、力を合わせるんだよ!」

けれども、どうしても祈の声が――それでいいのか、という問いかけが頭の中から追い出せない。

>「ポチ助。惚れた弱みってのは辛ぇモンだな……明日、女が笑ってる未来の為なら神サマでもぶん殴る力が湧いてきちまう」

「……あはは。尾弐っちは、そういうとこあるよねえ……」

そう言って、ポチは苦しげにだが――笑った。
今にも泣き出しそうな笑みだった。実際、泣き出したい気持ちだった。
ただ、狼の体には恐怖や悲しみによって涙を流す機能がないから、泣けないだけで。

「だけど……そうだね。まだ、何かやれる事がある……かもしれない……」

>「たとえばあたしは……たぶんだけどまだ龍脈と繋がってる! これ、使えないかな!?」
>「それから、妖怪大統領とか。あたしはあいつ、“いる”と思ってんだよ!」
>「だから――【妖怪大統領に、内側からアンテクリストを攻撃してもらう】ってのは?
>レディベアだったら起こせるんじゃねーかな……そもそも、いるかどうかは賭けだけど」
>「みんなはなんかない!?」

祈が必死に案を述べる。

>「いいね! 妖怪大統領を叩き起こそう!
>もしもいなかったら……その時はハッタリを貫き通していることにしてしまえばいい。
>バックベアードの正体を知ってるのはまだ私達だけだよね。
>ベリアルがレディベアにやったみたいに、アバターで日本中の妖怪を騙してみるのは?

ノエルがそれに続く。

>「……これだけ力量差があると、人柱を立てて封ずるってのも無理そうだな」
>「情報を拡散するってなら妖怪に頼むより人間に頼むのはどうだ? 聞いたところ、最近のインターネットってのはすげぇんだろ?」
>「群衆をぶつけて為政者を引きずりおろすのは人間のお家芸だ。77億のそうあれかしをぶつけりゃあ意外に何とかなっちまうんじゃねぇか?」
>「それこそ、仮に存在していなかったとしても、願いでバックベアードを産み出したり……な」

尾弐もやっと調子を取り戻した。

212ポチ ◆CDuTShoToA:2020/10/10(土) 08:07:54
>「……ま、所詮は素人考えだけどな。ポチ助はどうだ?お前さんならもっと良い考えもあるんじゃねぇか?」

「……よしてよ。僕じゃ何も分からないよ」

その中でポチだけが、まだ煮え切らずに――煮え切れずにいた。

「だって……橘音ちゃんでも、何も思いつかなかったんだよ?
 僕だってこんな事、言いたくないよ。でも……夢を見たって、仕方ないんだ。
 僕らが思いつくような事を、橘音ちゃんが……例え混乱していたって、考えなかったと思う?」

そう言って両手で頭を抱えるポチは、酷く苦しげだった。

「……まだ、ミハエルの援軍は期待出来るはずだよ。あいつが、この異変に気づかない訳がない。
 御前だって……流石にこの状況でなんにも手を貸してくれないなんて事は……。
 いや……少なくとも何か、契約を結べば……その分くらいは手を貸してくれる……かもしれない」

こんな事言いたくない。それは本心からの言葉だ。

「レディベアを起こしたいなら……橘音ちゃんを生き返らせた時のやり方はどうかな……。
 祈ちゃんの力があれば、今ここでも、あの時より楽に儀式が出来るかもしれない。
 運命変転の力で直接どうにか出来るなら、それが一番なんだけど……」

なんとか出来るものなら、なんとかしたい。

「それに、天羽々斬……祈ちゃんのおばーちゃんなら、取ってこれるよね?
 クリスと戦った時の、あの剣も。あの三本は天使の力なんて全く関係ない。だけど、神気の力は宿ってる。
 祈ちゃんの力なら、あれをもっと強く出来るだろうし……ローランや天邪鬼なら、それを上手く使えるかも」

だが、その為に思考を巡らせれば巡らせるほど、思い知る事になる。

「……でも、こんな事。橘音ちゃんならすぐに思いついたはずだ」

ポチがわなわなと震えながら、両手で顔を覆う。
それに――この状況が絶望的である理由は、もう一つある。何故なら――

「それに……いもしない神様をでっち上げて、その力を利用する……
 もしかしたら、それは上手くいくかもしれないよ。
 でも……きっとアイツには及ばない。だって……それは、アイツが選ばなかったやり方だから」

ベリアルとて深謀遠慮を経た上で、今回の方法でブリガドーン空間を制したはずなのだから。
もっと効率的な方法はないか。この方法が駄目だった時の為の、次の手はないか。
そうして考えて考えて考え抜いて、ベリアルが最後に辿り着いたのが、人間の赤子を利用する事だったに違いないのだ。
今更、即席でベリアルの試行錯誤を上回ろうなど――甘い考えだ。

「だったら、今更僕らが何を考えたって――」

しかし、そこで不意にポチが止まった。
それから――ふと、レディベアを見た。次に祈を。

「いや……だったら――でも、そんなの、変だ。なんでアイツは……」

そうして何か思い詰めたように口走る。

「……なんで、アイツは僕らを殺さなかったんだろう。レディベアを、祈ちゃんを、生かしておく理由なんてなかったのに」

龍脈の神子に、ブリガドーン空間の器。
それらを揃えて生かしておけば、後の災いになるかもしれない。
何故、ベリアルはそれらを生かして帰したのか。

「神となってからのアイツは、僕らに興味なんかなさそうだった。
 でも、まだ赤マントだった時は?別にあの時に僕らを殺したって良かったのに。
 むしろ……そうした方がアイツ好みの、最悪の結末だったはずなのに」

疑問の答えはすぐに思い浮かぶ。
殺さなかったのではない。殺せなかったのだ。
ベリアルは尾弐とポチの不意打ちに反応出来ず、一度殺された。

213ポチ ◆CDuTShoToA:2020/10/10(土) 08:10:19
「いや……違う」

もし出来るなら、あそこでポチを返り討ちにしても良かったはずだ。
仮に魂が半分しかなかったからだったとしても――その後も、ベリアルは不意打ちを試みようとすらしなかった。

「あいつは、僕らを殺せなかった。それに……元々の自分がどんなだったのかも、忘れていた。
 だから……力を取り戻した後の自分が僕らを殺そうとしないなんて、考えられなかったのかも……」

だとしたらベリアルは――たった一つだけ、ミスを犯したのかもしれない。
ポチが、ずっと両手で覆ったままだった顔を上げた。

「なのに、アイツは僕らに勝ち誇った。自分がどんなに上手に仕事をしてのけたのかを。
 だったら……ああ……みんな、ごめん。僕、さっきまでずっと怖気付いてた。
 もうとっくに、祈ちゃんがそう言ってくれてたのに」

ポチの思考が回り始める。

「そうだ、そうだ……!力を合わせればいいんだよ!二つの力を!僕らのやり方と――アイツのやり方を!
 ブリガドーン空間の器であるレディベアが、龍脈の力を使えれば――アイツがした事と、同じ事が出来るかもしれない!
 奪う事が出来たなら、分け与える事だって……祈ちゃん、出来ないかな!?」

今まで生きてきた中でどんな時よりも早く回転する。

「人間達の『そうあれかし』と、ブリガドーン空間と龍脈の力!
 それだけの力があれば……きっと、妖怪大統領を目覚めさせる事も、ゼロから生み出す事だって出来るよ!
 アイツが広げたブリガドーン空間で、アイツの首を絞めてやれる!」

だが――そこで一度、ポチの言葉が途切れた。

「――赤マントのやり方をやり返すなら、レディベアには……嘘をついた方がいい。
 妖怪大統領は、いるかもしれない……じゃない。いるんだって信じてもらった方が。
 声を聞いたとか。ほんの少しだけど、においがしたとか、そんな事を言って」

そして祈を再び見上げる。それから、ローランを。

「でも……それは、僕が決めていい事じゃない」

214ポチ ◆CDuTShoToA:2020/10/10(土) 08:12:37
これで、言うべき事は全て言い終えた。
ポチは目を瞑る。己の内に在る『獣』を意識する。

「……そういう事だからさ。安全策は、なしだ……悪いね」

『悪いね?一体、誰に謝っている?俺は……とうの昔にお前だろうが。
 好きにすればいい……お前の分の悪い賭けは、何故だかこれまで全て、上手くいってるしな』

「……確かに」

ポチが、やっと自然に――軽やかに笑う。
そして――シロを振り返って、見上げた。

今までで最も危険な戦いになる。今度こそ本当に死ぬかもしれない。
そんな戦いを前にして、唯一の同胞、最愛のつがいに――何も言わずになどいられない。
だが――

「……何を、言えばいいのかな。決められないや」

ポチが困ったように笑う。それから――

「えと……ごめん、情けないとこを見せちゃった」

つい先ほどの自分の失態を思い出して、詫びる。
この状況で、不安なのは自分だけではなかったはずなのに――感情をコントロール出来なかった。

「それと……愛してる」

そんな事、今更言わなくともお互い知っている。
もっとも――だとしても、何度でも伝えたい言葉ではあるが。

「……もし、もしも僕がやられても……ごめん、これはやっぱりなし」

もし自分がやられても、生きる事を捨てないで欲しい。
そんな事、もしポチが言われたとしても拒むに決まっている。

ポチが黙り込む。己の想いをどう伝えればいいのか、分からないまま。
勝てるか分からない。でも逃げたくない。
己の決断に巻き込む事を謝りたい。けれど、巻き込んだなんて他人行儀だ。
死んで欲しくない。だけど、一人で生き延びるなんて嫌だ。
愛している。誰よりも大切に思っている。それでも共に戦って欲しい。
ふたりで幸せになりたい。叶わないかもしれない――そんな事、もしもの話でも口にしたくない。

「……ずっと、一緒にいよう。ずっと一緒だ。何があっても」

結局――ポチはそんな事を言うのが精一杯だった。
狼の愛に形を与えるには、言葉はあまりにも頼りなかった。

215那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 11:50:53
死と、破滅と、絶望。
地獄が、天から降ってくる。

「なんだあれは……!?」

「う、うわああああッ!バケモノだあッ!」

「助け……、助けて……ッ!」

「や、やめろッ!こっちに来るな!ぎゃああああああッ!」

たった今まで普通の、なんの変哲もない日常を謳歌していた人々のところへ、滅びが舞い降りる。
悪魔という名の天使がやって来る――。

日常が非日常に塗り替えられる。希望が絶望へと変転する。
繰り広げられるのは、有史始まって以来の大殺戮。
悪魔たちの牙が、爪が、その手に持った剣が、槍が、刺叉が。
無差別に、平等に、分け隔てなく人々を傷つけてゆく。

「殺さないで……いや、やだッ、ゆるし……ゴボッ……」

「なんで……なんでこんな……ああ……」

「俺の、俺の腕がああああ!!」

「おかあさん……おかあさぁん……!うわあああああん……」

極彩色に染まった空が、ぐるぐると円を描く。螺旋を辿る。
それはまさしく、世界が変わってゆくことの証明。今まで常識とされてきたものが退けられ、魔が顕現する証左。
今まで人々が、否――生きとし生けるものすべてが『悪しきこと』として忌避していたもの。
それが顔を出す。世の表層に現れる。現界する。

新しい秩序として。

東京にいる者たちが、空を見上げる。禍々しく混ざり合わぬ色彩を持て余し、生き物のようにうねる空を。
魔法陣から降ってくる、何十万何百万もの『御遣い』を。
悲鳴。怒号。断末魔。
耳を覆いたくなるような犠牲者たちの怨嗟の声が幾重にも谺する中、人々は聞いた。
確かに耳にした。それは――


諸人こぞりて 迎え祀れ
久しく待ちにし 主は来ませり
主はきませり 主は 主は きませり

聖なる社を 打ち砕きて
虜を縊ると 主は来ませり
主はきませり 主は 主は きませり

この世の光を 散らし給う
真なる闇夜の 主は来ませり
主はきませり 主は 主は きませり


「……歌って……いる……」

ローランが驚愕に双眸を見開きながら、呆然とした口調で呟く。
東京ブリーチャーズの、陰陽寮の、妖怪たちの。そして都民たちの耳に入ってきたのは――

歌、だった。

そのメロディは、きっと誰もが聴いたことがあるだろう。
クリスマスの時期には必ずと言っていいほど街頭に溢れ、その由来は知らずとも皆が口にする、
世界でもっとも有名な『讃美歌(キャロル)』のひとつ。

“もろびとこぞりて”。

それを、悪魔たちが歌っている。地獄から訪れた百万を超える数の御遣いが。
しかし――『それ』は天の至高の座におわす神を讃えるものではない。
この世界の、新たな神の来臨を寿ぐもの。


輝く心の 花を枯らし
嘆きの露おく 主は来ませり
主はきませり 主は 主は きませり


滅びの君なる 神子を迎え
諸悪の主とぞ 褒め讃えよ
褒め讃えよ 褒め 褒め称えよ――


自分たちの新たなるあるじ、終世主アンテクリストを讃える歌を口にしながら、悪魔たちが人々に襲い掛かる。
嗚呼、此れぞ旧き世界の終わり。悪を是とする新たな世界の誕生。



反創世『アンチ・ジェネシス』。

216那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 11:51:43
>しっかりしろ橘音! それでも帝都一の名探偵かよ!!

祈が橘音の胸倉を掴み上げ、顔と顔とを突き合わせる。
橘音は為すがままだ。心はとっくに折れている。

>尾弐のおっさんと幸せになるんだろ!? いいのか!? 
 尾弐のおっさんが殺されて、尾弐のおっさんを見るのが最後になっても! みんな死んじまっても!

「……い……、祈ちゃんに何が分かるんです!
 アナタはあれの強大さがよく分かっていないから、そんな向こう見ずなことが言えるんだ!
 ボクだって華陽宮で三百年も修行してきた!たいていの妖怪ならひとりで打ち破れるくらいに強くなった!
 でも……だからこそ分かる……分かってしまう……!
 彼我のレベルの違いが!圧倒的なんてものじゃない、その力の差が!
 アリの世界で一番強くたって、人間には絶対に勝てない!」

祈に負けない激しさで、橘音は反論した。
そう。橘音は強くなった。二ヶ月前とは比較にならないほどに。
妖力も、身体能力も、感覚器も、すべてが以前よりも遥かに強化された。
だが、そうして齎された視野の広さが、危機感知能力の鋭さが、逆に仇となってしまった。

「クロオさんだって、ポチさんだって、理解してるはずです!
 あれには……神には勝てない!ボクたちの知ってる赤マントは、ベリアルは、もうどこにもいない……!
 あそこにいるのはそんなんじゃない、正真正銘の神だ!
 ボクたちの修行は対ベリアルを想定してのもの……、神に勝つためじゃない……!」

そうだ。尾弐もポチも、アンテクリストの強大さを嫌というほど肌で感じているはずだ。
だからこそ黙っている。橘音に対して、そんなことないと強弁することができない。
もちろん、尾弐とは一緒にいたい。百年以上の時を経て、ようやくお互いの気持ちに素直になれたのだ。
やりたいことは沢山あるし、諦めてしまいたくもない。
彼と手を繋いで、ずっとずっと。この先の時間を共に歩いてゆきたい――。

でも。

これほどまでに圧倒的な力を見せつける『神』を前に、そんな夢語りがいったい何の役に立つだろう?
中途半端な希望はより深い絶望の呼び水となるだけだ。
それならば最初から希望なんてものは抱かず、早々に諦めてしまった方がいい。
強大な敵を前にして逃走を図るのは、生命体として当然の行為だ。
むしろ、勝ち目がないのを承知で挑むことの方が愚かであろう。

>つーか、作戦が浮かばねぇんだったら、あたしらを頼れ! あたしらは仲間だろーが!
>なぁ! こんなときだからこそ、みんなで考えよう!
>みんなの知恵と、力を合わせるんだよ!

「無理だ……無理なんですよ……。
 ボク達程度の力で、神に刃向かおうだなんて……」

祈に何を言われようと、一度折れてしまった心をふたたび屹立させることは不可能だった。
橘音は両手で頭を抱えると、身を小さく縮こまらせた。

「橘音……」

「……三尾でもお手上げとはの」

颯と富嶽が橘音の様子に無念そうに呻く。
この場で一番の知恵者が無理だと言っているのだ。ならば、自分たちに妙案など思いつくわけがない。
しかし――
リーダーがその無限の絶望に慄くのをよそに、祈は必死で自分を、仲間たちを鼓舞し続ける。
あたかもそれが、龍脈の神子の宿命だとでも言うように。

>たとえばあたしは……たぶんだけどまだ龍脈と繋がってる! これ、使えないかな!?
>それから、妖怪大統領とか。あたしはあいつ、“いる”と思ってんだよ!
>だから――【妖怪大統領に、内側からアンテクリストを攻撃してもらう】ってのは?
>レディベアだったら起こせるんじゃねーかな……そもそも、いるかどうかは賭けだけど
>みんなはなんかない!?

祈が叫ぶ。仲間たちに、起死回生の妙案がないかを募る。

>いいね! 妖怪大統領を叩き起こそう!
>もしもいなかったら……その時はハッタリを貫き通していることにしてしまえばいい。
>バックベアードの正体を知ってるのはまだ私達だけだよね。
>ベリアルがレディベアにやったみたいに、アバターで日本中の妖怪を騙してみるのは?
>どうにか起こせないかな……

祈に触発されるように、ノエルもまた自分の思い付きを口にする。
このまま終わって堪るかと。最後まで抗ってみせると、全身で示している。

217那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 11:52:22
だが、祈の提案もノエルの思い付きも、所詮は希望的観測に過ぎない。
口にした作戦が成功する可能性は甚だしく低い。いや、失敗する目算のほうがずっとずっと高いだろう。
尾弐はそれを膚で、心で、魂で理解しているはずだ。
アンテクリストが手に入れた力の強大さを。地上に現界した新たなる神の酷薄さを。
この世界が、もう既に“詰み”の段階に至っていることを――。

しかし。

>……これだけ力量差があると、人柱を立てて封ずるってのも無理そうだな
 情報を拡散するってなら妖怪に頼むより人間に頼むのはどうだ? 聞いたところ、最近のインターネットってのはすげぇんだろ?
 それこそ、仮に存在していなかったとしても、願いでバックベアードを産み出したり……な
 俺なんざの声は届かなくても、嬢ちゃんの、ノエルの、ついでにローランの声なら届くかもしれねぇ」
 問題はアンテクリストの野郎だが……本気で妨害してくるなら別だが、奴さんは力を手に入れてご満悦みてぇだからな。
 レディベアに興味を向けてねぇ以上、祈の嬢ちゃんの龍脈の神子としての力と、願いの総量で無理やりぶち抜けるだろ

橘音の前に立つと、尾弐はそう言って祈とノエルの作戦会議に参入した。
そんなことは悪あがきでしかないと、理解しているのに。
どんな作戦を考えたところで、巨大な波濤の前には小さなさざなみなど瞬く間に掻き消されてしまうというのに。
それでも――

>時間が必要だってなら俺が稼いでやる。こう見えて全うに修行したんでな。
 例えアンテクリストの野郎が世界を滅せる様な攻撃を仕掛けてきても、今の俺なら多少は何とかしてやれる筈だ
 絶望は深いかもしれねぇが、それでも誰かが手を差し伸べてくれれば必ず光は射す――――
 他ならぬ、絶望に浸かり続けた馬鹿な鬼が言うんだから間違いねぇよ

そうだ。
尾弐は千年の間、地獄もかくやという絶望の中にいた。憤怒と、憎悪と、慟哭に身を焼かれ、のたうち苦しんできた。
身も心も燃えて、爛れて、腐って――最後に『無かったこと』になることだけが、尾弐の希望だった。
けれど、そんな尾弐は仲間たちと歩む戦いの果て、新たな希望を見出した。
1000年の苦患の末に、1001年目の未来を手に入れたいと。そう願ったのだ。
新しい願いはこれから、ずっとずっと。愛と祝福のもとに受け継がれていくべきものだ。
こんなところで無慈悲な神によって摘み取られていいものではない。

>さて、橘音……俺は、お前さんに一緒に逃げようとか、後は任せろなんて事は言えねぇ
 何せ俺は、酒が好きでガラスの腰をしたダメ男だからな。
 この期に及んで一人で全部を背負って万事解決出来る程の甲斐性はねぇんだ
 そんな、お前さんがいねぇとまともに生きる事もできねぇ俺が言ってやれるのは、これだけだ

自らを抱き締めて震える橘音を見ると、尾弐はその肩にそっと手を触れた。

「……クロオ、さん……」

橘音がおずおずと顔を上げる。
今となっては、この世界にあの神に匹敵する力を持つ妖怪などは存在しない。
御前をはじめとする伝説級大妖怪はもとより、ゼウスやオーディンといった海外の主神級も、きっと勝てない。
それほどまでの力を、アンテクリストは手に入れた。――手に入れてしまった。
最強の神を相手に、尾弐の言い分が不甲斐ないとか、情けないなどと、言えるはずもない。
嗚呼、それならば。
いっそ、一緒に抱き合って。愛の言葉を交わしながら、最期の刻を迎えようと。
そう言ってくれたなら――

>橘音。お前さんの重荷は、俺が一緒に背負う
 だから、俺が頑張るために俺と一緒に頑張ってくれ

けれど。
尾弐が口にしたのは、そんな諦念の言葉などではなかった。
まだ戦う。戦える。
万策尽きたと言うには、まだ早い。生きることを諦めて、潔い死を迎えるには――この身には、まだまだ力がありすぎる。
例え無駄であったとしても。無益に終わったとしても。
試せることをすべて試してからでなければ、納得などできない。
一緒に戦おう、背負わなければならないものがあるのなら、分け合おう。パートナーとはそういうものだ。
諦めるのは、それからでも遅くない――
橘音には、尾弐がそう言っているように聞こえた。

「ボ……、ボクは……」

橘音は唇を震わせた。
世界の平和のために、無辜の人々のために、過去に犯した罪の償いのためになんて、戦えない。
だが、尾弐はそれでいいと言っている。そんな大層なお題目のために戦う必要なんてないと。
最後の戦いは、目に見えない大義のためではなく――尾弐黒雄という男のために戦ってほしい、と――。
そして。

>この戦いが終わったら――――結婚してくれ。橘音

尾弐の紡いだ言葉に、橘音は半狐面の奥で大きく目を見開いた。

218那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 11:52:59
幸せなんてものは、自分には永遠に手に入らないと思っていた。
生まれて間もなく両親を喪った。天涯孤独の身で、同族からも人間からも疎まれて過ごした。
やっとできた唯一のともだち、みゆきとも死に分かれた。天魔に転生し、世のすべてを呪って殺戮を繰り返した。
我が身の罪の重さに気付き、救いを求めた。御前の手駒となって、遮二無二奔ってきた。
東京ブリーチャーズを結成した後は、颯を喪った。晴陽を見捨てた。祈に寂しい幼少期を強いた。
雪の女王と共謀して、ノエルを記憶を奪われたみゆきと知りつつ他人の振りをした。
ポチがようやく巡り合った同族シロを救えず、一度はロボの牙にかけてしまった。
……過ちばかりの生だった。

尾弐にずっとアプローチしていたのは、絶対に手に入らないものに対する憧憬のようなものだった。
年端も行かない少女が、ショーウィンドウの向こうのビスクドールへ手を伸ばすように。
人並みの幸せなんて、手に入れられる筈がない。自分は罪びとで、そんなものを手に入れる資格も、能力もない。
でも、せめて。手に入らないなら、憧れたっていいでしょう?
そう思っていたのに。

「………………」

ぼろぼろと、橘音の双眸から大粒の涙があふれる。頬を伝い、仮面の隙間からとめどなく零れて落ちる。
絶対に手に入れられないと思っていたものが、目の前にある。
差し伸べられている。もう、すぐに触れられる場所に。
焦がれた。求めた。心の底から欲しいと思った。
愛する男と共に笑い合える未来が、其処に――

「……フ……フ……。
 ……ズルいなぁ……クロオさんは。
 この期に及んでそんなこと言って……ボクに、どういうリアクションを期待しているんです……?
 こんなどうしようもない状況で。とっくに終わってしまってる、どう考えたってゲームオーバーな様相で――」

橘音はいっとき俯くと、肩を震わせて小さく笑った。
だが、それは尾弐の言葉を死の間際の気休めと受け取ったのではない。

「そんなこと言われちゃったら……、どうでも、頑張るしかないじゃないですか……!」

ひとりでは戦えない。世界のためでも、大義のためでも、奮い立てない。
けれども――生涯にただひとりと決めた、最愛の男のためなら。
雪の降りしきる劇場で出会って以来、ずっと心に抱いてきた尾弐への愛情が。
二千年の間師事した天魔の王。創世の神への恐怖を上回ったのだ。
右腕の袖でぐいっと目許の涙を拭うと、橘音は尾弐と顔を見合わせ、

「プロポーズ、お受けします。
 一緒に……幸せになりましょうね」

そう言って、にっこり笑った。

>神となってからのアイツは、僕らに興味なんかなさそうだった。
 でも、まだ赤マントだった時は?別にあの時に僕らを殺したって良かったのに。
 むしろ……そうした方がアイツ好みの、最悪の結末だったはずなのに

そうこうしている間にも、作戦会議は進んでゆく。
作戦を考えるうちにポチが指摘したのは、アンテクリストとなったベリアルの思考の変化だった。

>あいつは、僕らを殺せなかった。それに……元々の自分がどんなだったのかも、忘れていた。
 だから……力を取り戻した後の自分が僕らを殺そうとしないなんて、考えられなかったのかも……

「……そうですね。ボクの知っている彼は、皆さんもよく知るあの下卑た笑い声の怪人だった。
 なのに、アンテクリストとなった彼は……ほとんど別人と言ってもいい。
 あれが本来の彼の性格だったのでしょう。彼は元々、天使たちの長だった。高潔な人物だった。
 強大な力を取り戻した今、彼はかつての思考と性情まで思い出してしまった」

橘音が頷く。
ベリアルだった頃はあれほど酷薄で、残忍で、無情だった男が、アンテクリストになった途端にそれらのことをしなくなった。
自分が手を下す必要などないと思っているのか、それとも――。

「天使には、唯一絶対とも言うべき『そうあれかし』があります。
 それは『自らの権能に忠実であること』。天使には九つの位階というものがあり、位によって仕事も変わってきます。
 天使はそれ以外のことができない。忠実な機械のようなものです。
 そして、神の長子もそれは例外じゃない……」

赤マントを名乗り、悪魔として行動していた時のベリアルは、自身の思い描く悪辣な作戦をいくらでも行使できた。
気の向くままに殺し、嬲り、辱めた。『自分の思うところを成すべし』、それが悪魔の『そうあれかし』だからである。
だが、かつての力と権能を取り戻したアンテクリストは違う。
自ら唯一神を名乗ることで、アンテクリストは『唯一神のそうあれかし』に囚われることになった。
唯一神の『そうあれかし』とは、世界を創ること。その一点に尽きる。
だから、アンテクリストは新たな天地創造を優先し、東京ブリーチャーズを殺さなかった。
いや――『殺せなかった』。

219那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 11:53:54
>そうだ、そうだ……!力を合わせればいいんだよ!二つの力を!僕らのやり方と――アイツのやり方を!
 ブリガドーン空間の器であるレディベアが、龍脈の力を使えれば――アイツがした事と、同じ事が出来るかもしれない!
 奪う事が出来たなら、分け与える事だって……祈ちゃん、出来ないかな!?
>人間達の『そうあれかし』と、ブリガドーン空間と龍脈の力!
 それだけの力があれば……きっと、妖怪大統領を目覚めさせる事も、ゼロから生み出す事だって出来るよ!
 アイツが広げたブリガドーン空間で、アイツの首を絞めてやれる!

ポチが提案する。
アンテクリストが『そうあれかし』に従い己の権能を優先したことで、からくも東京ブリーチャーズは生き残った。
既にその大半を奪われてはいるものの、龍脈の力とブリガドーン空間の力は、まだこちらにも残っている。
アンテクリストがふたつの力を繋ぎ合わせて神の力を手に入れたのならば、こちらも同様のことをしてやればいい。
しかし、それを提案したポチは俄かに声のトーンを落とした。

>――赤マントのやり方をやり返すなら、レディベアには……嘘をついた方がいい。
 妖怪大統領は、いるかもしれない……じゃない。いるんだって信じてもらった方が。
 声を聞いたとか。ほんの少しだけど、においがしたとか、そんな事を言って

ポチが視線を向けると、ローランは困ったように眉を下げた。

「ポチ君の作戦は理解したが、わたし個人の意見としては……反対だ。
 レディの心を、ありもしない幻想と虚言で掻き乱したくはない。
 仮に、嘘をついて妖怪大統領の実在を匂わせたとしよう。レディはきっとそれを信じるはずだ、ポチ君の言うとおりにね。
 だが……その後は?もし、それが嘘だったと彼女が知ってしまったら……?
 今度こそ、レディの心は死んでしまうだろう」

ずっとレディベアの傍にいて、その心も身体も守護してきた聖騎士ローランである。
いくらそれが作戦上必要なことであったとしても、徒にレディベアの心に傷を付けたくはない――と思っている。
アンテクリストに全ての真実を打ち明けられ、父親などいないと言われて、レディベアの心はひび割れてしまった。
この上衝撃を与えるようなことがあれば、そのときこそレディベアの心は完全に崩壊してしまう。
そんなことはできない、というのが、ローランの偽らざる本音だった。

「それをするのなら、きちんと真実を打ち明けてからの方がいい。
 妖怪大統領が存在する確証はない。可能性は低い。けれど――皆の『そうあれかし』を束ねれば、なんとかなるかもしれない。
 一心に信じれば、きっと想いは伝わるはず、とね。
 そして……そのためには君の力が必要だ、祈ちゃん。
 君はレディの唯一のともだち。レディがただひとり、妖怪大統領以外に心を開いた存在だから……。
 君の言葉なら、きっとレディは信じる。君が彼女を説得してくれ」

目を覚まさないレディベアを横抱きに抱き上げたまま、ローランが祈の瞳を見据えて言う。

「とはいえ、だ。何をするにせよ、まずはレディを起こさなくてはならないな。
 ミスターやポチ君の提案も有効だと思うが、ここはわたしに任せてくれ……わたしが彼女を目覚めさせる。
 ただ、それには少しだけ時間がかかる。祈ちゃん……手伝ってくれるかい?」

ローランが穏やかに微笑む。
だが、その碧色の双眸にはかつてない決意が湛えられている。
己が命を擲ってでも、腕の中で眠る少女を救ってみせる――そんな固い意志が。

>……何を、言えばいいのかな。決められないや

そんなとき、ポチがシロを見上げて微かにはにかむ。

>えと……ごめん、情けないとこを見せちゃった

狼の王たる者が、強大な敵を前にしてほんの僅かでも怖気づいた。尻込みしてしまった。
だが、シロはそんなポチの言葉に対して無言でかぶりを振った。

>それと……愛してる

ポチは思いつくままに言葉を紡ぐ。
獣であるふたりの間に、言葉は不要だ。伝えたいことはすべて目で、仕草で、心で伝わる。
けれども、それでも。口に出して言わなければならないこともあるのだ。

「……私も愛しています。
 けれど……この愛は。あなたと私だけの間で完結させてしまってはいけないのです。
 私たちの子へ、遠い未来へ。オオカミの血族の絆として、紡いでゆかなければ」

チャイナドレスを纏った豊かな胸にそっと右手を添え、シロが微笑む。
ふたりは束の間、無言で見つめ合った。
けれども、それはただ互いの顔を眺めているだけではない。
瞳で、魂で、会話している。

>……ずっと、一緒にいよう。ずっと一緒だ。何があっても

永劫にも感じる沈黙の末、ポチはそれだけ言った。

「……はい」
 
シロは頷いた。
愛するつがいの葛藤も、逡巡も、苦悩もすべて察した上で。
その果ての決意を理解した上で。

――このひとについてゆこう。

迷いは、最初からなかった。

220那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 11:56:13
「正直な話、今でもボクたちの力であのアンテクリストに勝つ方法は思いつきません。
 あれは強大すぎる。ボクたちがどれだけ力を振り絞ったとしても無駄でしょう」

尾弐の求婚によってなんとか立ち直った橘音が、仲間たちの方を見て口を開く。

「でも――それは『東京ブリーチャーズだけで何とかしようとした場合』です。
 ボクが間違えていました。簡単な話だったんだ……ボク達だけで勝てないのなら、勝てるだけの頭数を揃えればいい。
 全員で倒すんです。この東京という土地に住む、すべての妖怪と人間の『そうあれかし』で。
 皆さんの言う通り、みんなで。力を合わせましょう」

そうだ。
かつて、尾弐が言った。自分だけで何でもできる必要はない、自分ができないのなら、できる者にやってもらえばいいのだと。
それと同じだ。東京ブリーチャーズの六人がかりで無理なのであれば、仲間を増やせばいい。
東京ブリーチャーズと、レディベアと、ローラン。陰陽寮に、富嶽の連れてきた妖怪たち。
そして、東京二十三区に住む9,677,973人の都民たち――
その全員で、唯一神を討つ。

「まず、この二十三区を覆うように張られたアンテクリストの印章を除去しなければいけません。
 この印章の上にボクが大術式を用いて新たな結界を張り、アンテクリストの印章を上書きします。
 これによって、アンテクリストに支配されている龍脈の力を祈ちゃんへ回すことができるようになるはずです」

そう言いながら、橘音はマントの内側から人ひとりが通り抜けられるくらいの鳥居を引っ張り出した。
どんな場所にでも一瞬で辿り着ける狐面探偵七つ道具のひとつ、天神細道。

「結界は五芒星を描きます。ただ、結界の安定化には五芒星の頂点にそれぞれ楔を配置しなければなりません。
 これから隊を五つに分けます。各員はそれぞれ二十三区内の所定の場所へ行き、楔を安置してください」

橘音は再びマントの内側をまさぐった。
しかし、取り出したのは鉄や木の楔ではなく、残りの狐面探偵七つ道具だった。

「楔と言いましたが、イメージ的な話です。実際に杭を打つわけじゃない。
 結界を構築する術者であるボクの妖気が籠った物品を、要点に配置するのが重要なんです。
 七つ道具にはボクの妖気がたっぷり染み込んでる。これが触媒としては適役でしょう。
 ノエルさん、アナタは板橋区へ。
 ポチさんとシロさんは、杉並区へ。
 ボクとクロオさんは、足立区へ。
 祈ちゃんはローラン、レディと一緒に大田区へ――」

赴く場所を指定しながら、橘音は仲間たちに七つ道具を手渡してゆく。
ノエルには姥捨の枝を。
ポチには童子切安綱を。
祈には聞き耳頭巾を。
そして――

「迷い家外套と召怪銘板は、ボクが持っていきます。
 そして最後、江東区へは……オババ。お願いできますか?」

「フン、アタシは東京ブリーチャーズじゃないよ。アンタの都合で使われて堪るかい。
 ……とはいえ、今はそんなこと言ってる場合じゃない。東京が滅びる瀬戸際だ。
 可愛い孫の明日のために、一肌脱いでやろうかね」

橘音からの指名に、菊乃は軽く肩を竦めた。
が、橘音の指名を受ける前からとっくに老婆の姿でなく若い姿に変貌している。やる気は充分だった。
にやりと笑って、橘音は狐面探偵七つ道具最後のひとつ、蓬莱の玉手箱を菊乃へ渡そうとした。
だが。

「……待ってくれ、その役目は……私に任せてもらいたい……!」

やにわに、横合いから声がした。
見れば、そこにはいつの間に現れたのか、白銀の鎧を着込んだミカエルが立っている。

「ミカエルさん……」

「遅れてすまなかった。やっと主の承認が下りたのでな……。
 大天使長ミカエルと御遣い千三百騎、参着した」

ミカエルだけではない、御遣いたる武装した天使たちも戦力として率いてきたという。
無尽蔵の数を誇る悪魔たちに対して、たった千三百人というのは焼け石に水以外の何物でもなかったが、
それでも大いに助けにはなるであろう。

「ついに、あの方が力を取り戻してしまわれたか……。怖れていた事態が現実になってしまった。
 ならば……私も死力を尽くさなくては。あの方を……この命と引き換えにしてもお止めする。
 それがこのミカエルの誓い――」

ミカエルが都庁の空を見上げる。
ミカエルはアスタロトと同じく、かつてアンテクリスト=神の長子ベリアルの薫陶を受けた直弟子のひとりだ。
師の暴走を止めるのは弟子たる自分の役目と決めているのだろう。

「虫のいいことを言っているのは、百も承知だ。
 だが……どうか頼む。我々も貴公らの戦列の端に加わらせてくれ。
 あの方は我ら天使の兄。英雄にして教師。そんなあの方が引き起こした事態ならば、手をこまねいてはいられない……。
 頼む、私は……責任を果たしたいんだ……!」

聖書にもっとも尊き天使と記される天使の長、栄光の熾天使が、東京ブリーチャーズに頭を下げる。
ミカエルは責任と言ったが、それだけではない。ポチには、ミカエルの発しているにおいがよく分かるはずだ。
義務と、悔恨と、寂寥と。
隠しきれない、愛情のにおいが。

221那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 11:57:50
「……分かりました。
 ではミカエルさん、これはアナタにお預けします。江東区へ向かって下さい」

「恩に切る、アスタロト。
 必ずや、其方の作戦成就の一助となろう」

「今はアスタロトじゃありません、狐面探偵那須野橘音です。
 ……任せましたよ」

「ああ。狐面探偵」

僅かな思案の後、橘音はミカエルに玉手箱を手渡した。
ミカエルが決意に満ちた表情で玉手箱を抱え、ひとつ頷く。

「陰陽頭殿、富嶽ジイ、あなたアナタたちも手勢を五つに分けて下さい。
 ボクの仲間たちが楔を安置した場所に救護避難所を作り、そこへ近隣の都民を可能な限り誘導するんです。
 そして説得を。皆の力を合わせて、妖怪大統領を目覚めさせる……あるいは創造する。
 妖怪大統領のブリガドーン空間を統べる力を味方に付けることができれば、アンテクリストは弱体化を免れない。
 そこが、唯一の突破点です」

「心得た。都内全域の僧侶と神職、医療機関と消防局にもすぐに打診し、五ヵ所に避難所を設けよう。
 それ以外の場所にも避難所を作らねばな。――易子!晴空!」

「御意……!」

晴朧が鋭く差配する。芦屋易子と安倍晴空はさっそく関係各所に連絡すべく動いた。

「まったく、大ごとになったものぢゃ。……笑、後は任せる」

「はい、富嶽さま。迷い家別邸、開店ですね」

富嶽がゴキゴキと首を鳴らし、いずこかへと歩き去る。
が、逃亡したわけではない。戦力を増強すべく、他地域の大妖たちへ協力要請に行ったのだろう。

「皆さん、天神細道を使ってください。楔を置くべき所定の場所へすぐに行けるはずですから。
 楔を安置し、陰陽寮の皆さんが避難所を築けば、アンテクリストはきっとそれを破壊しようとするでしょう。
 ボクの結界が充分に機能し、人々の願いが妖怪大統領を目覚めさせるまで――
 何としてもそこを守り抜いて下さい、それがミッションです!」

高らかに宣言すると、橘音は白手袋に包んだ右手の人差し指を空へ突き出した。

「作戦が成功したら、再度この都庁前に集合!そしてアンテクリストに最終決戦を挑みます!
 皆さん……別行動はこれが最後です!
 必ず、またここでお会いしましょう!」

迷い家外套を翻し、天神細道へと飛び込む。
東京ブリーチャーズ、最後の作戦が始まった。


*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*


東京の空を、大地を、悪魔たちの群れが埋め尽くしている。
電車は脱線し、車は横転あるいは炎上し、路上にその残骸を晒している。
アスファルトはひび割れ、電柱は半ばから折れている。電気の供給がストップした市街地は暗く、
怒号や悲鳴、泣き声がそこかしこから響いては、極彩色の空へ吸い込まれてゆく。

「い、いやだぁぁぁ!助けてぇぇぇ!」

「ぎゃあああああーッ!!」

「待って、どうして私が……うあああああああ……!」

人々は己を不運を呪い、理不尽に訪れた死を恨み、そして絶命してゆく。

《ヒハハハハハーッ!!殺戮殺戮!殺戮ダ!殺セ……殺セェェ!》

狂喜の嗤いを轟かせながら、黒い炎を身に纏わせた直径3メートルはあろうという巨大な車輪が環状通を爆走する。
車輪の内径には六芒星が描かれており、その中央には禍々しい単眼が鎮座していた。
生きている車輪。天魔七十二将の序列六十九位、三十の軍団を従える地獄の大侯爵――デカラビア。
燃え盛る車輪が車を、人々を轢断してゆく。
悪魔たちが我が世の春とばかりに跋扈し、そこかしこで虐殺と惨殺を繰り返している。

「……ひどい状況ですね」

天神細道を使って足立区にやってきた橘音と尾弐は、惨劇の渦中に佇んでいた。
元々治安のよくない傾向のあった足立区だが、それでも平素はこれほど惨憺たる状況ではなかった。
手近な雑魚悪魔を蹴散らし、近隣の避難場所として指定されている小学校の校庭へとやってくると、
橘音はさっそく結界の用意を始めた。
ほどなく陰陽寮の要請を受けた陰陽師や神職、それに警察や消防隊が駆けつけてきて、災害時の避難所を構築する。
だが、悪魔たちがそれを手をこまねいて見ているはずがない。人間たちの只ならぬ行動に、さっそく邪魔しようと押しかけて来た。

「クロオさん、防衛をお願いします!」

橘音が両手で素早く複雑な印を組む。その身体が、召怪銘板と迷い家外套が光り輝き、結界が形作られてゆく。
陰陽寮が築こうとしている避難所、避難してきた人間たち。
そして結界作成中は無防備になってしまう橘音を悪魔の手から守るのが、尾弐の役目だ。

222那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 11:58:17
一匹一匹は尾弐よりもはるかに弱いが、悪魔たちはとにかく数が多い。
どれだけ倒そうともきりがない。アンテクリストが龍脈とブリガドーン空間を掌握している限り、
悪魔たちは決して尽きることがないのだろう。
消防車や救急車も駆けつけているが、戦う術を持たない人間たちは襲われれば一たまりもない。
救急車は避難所に到着する前に破壊され、運転手を直接襲われた消防車は蛇行したあげくビルの壁面に激突した。
自衛隊も出動しているはずだが、一向に姿が見えない。やはり悪魔たちに襲われているのだろう。

「クソ……、避難所ができたとしても、物資がなけりゃ何の意味もない……!」

橘音は歯噛みした。
富嶽の命を受けた妖怪たちが、逃げる人々を避難所の設置される校庭へと誘導している。
人々が徐々に校庭へ集まってくる。傷つき、からくも殺戮を逃れてきた人々が。だが、集まったところでここには何もない。
怪我人の手当てや眠る場所、食料や水などを提供できてこその避難所であろう。
だが、このままでは傷や疲労の回復どころか雨風さえ防げない。
先に自衛隊や消防隊などを助けて回った方がよかったか?しかし、それでは肝心の避難者が守れない。
圧倒的に人手が足りない。比較にさえならない彼我の物量差に、橘音は空を見上げた。

しかし。

「お待たせ致しました〜!憩いのお宿、迷い家東京店!本日開店でございます〜!」

突如、校庭の真ん中に靄がかかったかと思うと、そこに巨大な純日本家屋が出現した。
その佇まいを、橘音と尾弐が見誤るはずがない。
本来、遠野の山奥にあって人の目には決して触れないはずの迷い家が、東京の一角に出現していた。
玄関の戸が開き、姿を現した笑が避難者たちを宿の中へと招く。

「ささ、皆さん中へ……毛布もお水も、お味噌汁もたんとございますから!
 お怪我されている方はこちらへ!順番に手当いたします!」

「……笑さん!?どうして……」

「富嶽さまのご命令よ、三ちゃん。
 人命救助優先、こんな時に遠野の隠し湯だなんて言ってられないでしょう?
 避難者の皆さんはこちらが受け持つから、あなたたちは存分に戦って!」

「人嫌いの富嶽ジイが……。助かった!
 クロオさん、お願いします!」

迷い家はこの足立区の他にも、それぞれ祈やノエル、ポチらの行った先にも現れるだろう。
各迷い家の中は一箇所に繋がっている。食料や医療用具もたっぷり揃っており、避難所としてはこの上ない環境だった。
悪魔たちが狙いを迷い家に集中する。迷い家を破壊されてしまえば、こちらの負けだ。

「ゴオオオオアアアアアア……!!!」

身長5メートルはあろうかという巨大な悪魔が、その岩のような手を迷い家へと伸ばす。
尾弐の周囲には人間大の悪魔たちが群れなしており、橘音は結界構築のために戦闘できない。
迷い家はただの建物だ。物理的衝撃を加えられれば崩壊するしかない。
巨大悪魔が拳を振り上げる。内部に大勢の避難者を収容した建物が、なすすべもなく破壊――

は、されなかった。

迷い家の中から小柄な人影がひとつ凄まじい速さで飛び出し、剣閃が煌く。
巨大悪魔の大木の幹よりも太い頸が一刀両断され、ずるり……と切断面を斜めに滑って、地面に落ちる。
どどう、と轟音を立てながら、首を切り離された悪魔は仰向けに倒れた。
神域の剣技、その使い手は――

「……待たせたな、クソ坊主」

倒れた悪魔の骸の上にひょいと飛び乗った、小柄な影が言う。
白いパーカーのフードを目深にかぶり、紫色のスキニーを穿いた絶世の美丈夫。
――首塚大明神こと外道丸、またの名を天邪鬼。

「やれやれ、なんとか間に合うたわ。
 事情はあらかた聞いた、私も混ぜろ。神夢想酒天流の深奥、南蛮の夷狄どもに存分馳走して呉れよう」

凄絶な美貌の双眸を愉快げに細めると、天邪鬼は小さく舌なめずりした。
尾弐の奥義から回復した天邪鬼は、一旦富嶽と合流してからここまでやってきたらしい。
いくら尾弐が修行によって魔神をも屠る力を身に着けていても、圧倒的物量の前には多勢に無勢だった。
だが、天邪鬼が参戦すればその憂いはなくなる。
天邪鬼は身軽に跳躍すると、尾弐と背中合わせになるように立ち、愛用の仕込み杖に手を添えた。
尾弐黒雄と天邪鬼。千年来の師弟が互いの背中を預け合って戦う。

「往くぞ。鏖殺だ。
 アンテクリストと言ったか……唯一神だか何だか知らぬが、新米神の分際で横柄な。
 神歴ならば私の方が上だ、為らば……後進は先達を敬わねばならぬという、世の道理を教えてやろう。
 遅れるな、それとクソ坊主――」
 
大挙して押し寄せる悪魔たちを前に、天邪鬼は仕込み杖の鯉口を切る。
そして――

「仲人は私にやらせろ。……神だからな」
 
死ぬほど祝ってやる。
そう悪戯っぽく言うと、悪魔たちの真っただ中に飛び込んでいった。

223那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 11:59:03
「レディは今、すべての妖力を放出しケ枯れした状態にある。
 彼女を目覚めさせるには、まず――出し尽くしてしまった妖力に変わる力を彼女に注ぎ込む必要があるんだ。
 ……わたしに考えがある。見ていてくれ」

大田区の避難所で、迷い家を前にローランがレディベアを地面に下ろす。
レディベアの傍らに屈み込むと、ローランは仰向けに横たわるレディベアの腹部に右手を添えた。

「―――ふッ!!」

呼気。その瞬間、ボウッ!とローランの全身から黄金色の気が迸った。
一見して妖気に似ているが、それとは明らかに属性が異なる。

「わたしの力の源、祝福された聖人の力……神力をレディに与える。
 普通の妖怪なら肉体が拒絶反応を起こすところだが……レディは元々人間だ。きっとこの力も受け容れることができるだろう。
 すまない、祈ちゃん……この作業には少し時間がかかる。
 悪魔たちを寄せ付けないように……守って、貰えないか……?」

レディベアに自身の神力を譲渡しながら、ローランは祈に要請した。
その端麗な面貌には汗が滲み、眉間には皺が刻まれている。
無理もない、神力とは聖人のクローンであるローランの生命力そのもの。
ローランはレディベアを目覚めさせるため、自分の命をそっくりレディベアへと与えているのだ。

「……ハハ……。大丈夫さ、わたしのことなら心配いらない……。
 自分が生き残るだけの神力はとっておく……。ここで死ぬようなヘマはしない……よ……」

ローランは笑ったが、その表情にはいつもの飄然とした余裕はない。
人工的に造られた生命であるローランの寿命は短い。
それを、E.L.Fの薬剤と細胞賦活手術によって無理矢理に生き永らえさせてきたのだ。
ただでさえ短い寿命を、さらにレディベアに分け与えることで削っている。
今や、ローランの生命は風前の灯火だった。
みるみるうちに頬がこけ、金色の髪は白くなり、肉体が痩せさらばえてゆく。
それでも、ローランは神力の譲渡をやめない。
普通の妖怪なら破裂してしまうほど大量の神力を分け与えられても、レディベアは目を覚まさない。
ブリガドーン空間をすっぽり収容してしまうほどの容量を持つレディベアだ。息を吹き返すにも相当量の力が必要なのだろう。
5分、10分、15分。
刻々と時間が過ぎても、レディベアは昏睡したまま閉じられた眼が開かれることはない。
その間にも、悪魔は続々と祈に襲い掛かってくる。
いかに龍脈の神子とはいえ、たったひとりで数百、数千もの悪魔たちに抗うのは無理がありすぎた。
悪魔たちが祈の頬を、剥き出しの脚を、無防備な背中を引っ掻き、殴りつけ、蹴り飛ばしてくる。
そのうちの一匹がほんの一瞬の隙を衝いて鋭い三叉槍を構え、祈をその死角から串刺しにしようと投げつける。

「死ネ!死ネェ!神子オオオオオオオ!!」

だが。

どぎゅっ!!

致死の威力を秘めた槍は、祈に命中することはなく。
代わりに身を挺して祈の前に立ちはだかったローランの胸に、深々と突き刺さっていた。

「ぐ、ふ……」

ローランが呻く。
伝承に記される聖騎士ローランは、何者にも傷つかない無敵の肉体を持つという。
そんな、いかなる刀剣にも槍にも傷つかないはずの胸に、悪魔の槍が突き立っている。
しかし――それは伝承が嘘だったわけでも、ましてこのローランが偽者であったというわけでもない。
ローランはレディベアに自身の持てる限りの生命力を譲渡した。
従って、今のローランは抜け殻同然。本来持ち得た能力も何もかも失った、出涸らしのような状態だったのである。

「大丈夫、かい……祈、ちゃん……?
 ……よかった……。君にもしものことがあったら……レディが、悲しむからね……」

がくりと片膝をつき、ローランが荒い息を吐きながら祈の安否を気遣う。

「わたしの、神力は……与え、終わった……。あとは、祈ちゃん……君が、レディに……働きかけて、くれ……。
 彼女を……絶望の、淵から……救い出して、やって……欲しい……」

がはッ、とローランは吐血した。傷が臓腑に達していることを示す、どす黒い色だった。
それでもローランは倒れない。聖剣デュランダルを杖代わりに立ち上がる。

「さあ……、選手交代だ……。
 悪魔どもはわたしに任せて……祈ちゃん、彼女を……頼む……!」

力任せに胸に刺さった槍を抜くと、ローランは着ている衣服を血に染めて悪魔たちの真っただ中へと突っ込んでいった。

「我が名はローラン……、聖騎士ローラン!
 騎士とは乙女を護るもの。今こそ我が魂に刻みしその誓いを果たす!」

聖剣デュランダルが当たるを幸い、悪魔どもを薙ぎ倒す。
だが、本来精妙にして必殺であるはずのその剣技は精彩を欠く。レディベアに神力を分け与えたことが原因なのは明白だった。
今のローランは本来のスペックの十分の一さえ出せていないだろう。
だが、戦う。残り滓となった肉体に残る、命のほんの一滴まで絞り尽くすように。
すべてはレディベアのため。彼女の笑顔のため。

レディがこの世界に来てよかったと、この世界は自分の憧れたとおりの世界だと、そう思ってくれるように。
レディが幸せになるように――

それが、ローランがレディベアに捧げた騎士の誓いだから。

224那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 11:59:31
“Type-Roland ver.2336”
それが、ローランの本当の名前だ。
ローマ聖庁直属の対魔殲滅機関アースライト・ファウンデーション(E.L.F.)で、
8世紀の英雄・聖騎士ローランのクローンとして製造された、2336番目の『製品』。
だが、そのスペックはローマ聖庁が期待した通りのものではなかった。

性能が低かったわけではない。むしろ逆だ、ver.2336は『完成度が高すぎた』。
プロジェクトのスタッフが求めたのは、それなりのコスト、それなりのスペックで大量生産が可能な聖騎士の雛型だった。
ver.2336はコストがかかりすぎ、また強すぎた。
大量生産は叶わず、また自我を持つクローンに強すぎる力を与えてしまっては、自分たちが御しきれない。
審議の結果、ver.2336は失敗作の烙印を捺された。
彼は2335体いた他のローランの試作品と同じく、廃棄される運命だった。
だが――

保健所の犬のように。ホロコーストのように。冷たく暗い地下室で殺処分される寸前、ver.2336は逃亡を図ったのだった。
人権も、戸籍も、名前さえもないけれど。
それでも生きていたい。この世界に生まれたことには、きっと意味があるはずだ――
そう、信じて。

「この世界の秩序を乱す、悪しき妖壊。
 お前たちは死ぬ。死ぬべきだ。死ななければならない。
 わたしが生きた、その証となるために――」

脱走のついで、E.L.F.の研究所に保管されていた聖剣デュランダルを行きがけの駄賃とばかりに持ち出したver.2336は、
それからヨーロッパの各地で魔物を、妖壊を狩って回った。
その中には無害な妖怪もいたが、ver.2336には妖怪も妖壊も関係なかった。
ただ、人間以外のものはすべて殺した。なぜなら、それがE.L.F.で刷り込まれたver.2336の存在意義であり、
『天使以外のすべての化生を等しく撃滅すべし』という、ローマ聖庁の至上命令だったからである。
それが、いったい何を意味しているのか。
それさえも分からず、ただver.2336は聖剣を振るい、屍の山を築いてきた。

「……それで。
 わたくしも殺すのですか?その血にまみれた剣で」

「ああ。わたしと出会ってしまった、我が身の不幸を呪うがいい。
 この聖剣デュランダルが君を殺す――この世界に別れを告げる準備はいいか?」

西欧、某所。
住人の去った廃墟の街で、ver.2336は黒衣を纏った隻眼の少女と出会った。
妖怪大統領バックベアードの娘、レディベア。少女はそう名乗った。
少女のすぐ近くには、血色のマントに身を包んだシルクハットの怪人が倒れている。
ver.2336が倒したものだ。聖剣によって一撃でケ枯れさせた。滅びてはいないが、戦闘はできないだろう。

「レ……レディ……、キミじゃこの男には勝てない……!
 逃げるんだ……、この男は……古の英雄、聖騎士ローランを再現した、ローマ聖庁の……対妖魔殲滅兵器……!
 おのれ、吾輩の計画が……二千年の宿願が、こんな……ところで……!」

倒れ伏す怪人――赤マントが呻く。
赤マントにとってver.2336の出現はまったくの想定外だった。
かつて持っていた妖力のほとんどを喪っている赤マントには、聖デュランダルに抗う手段はなかった。
このままでは、レディベアは間違いなく殺される。そうなれば、赤マントの遠大な計画はおしまいだ。
レディベアの戦闘力では、ver.2336には勝てない。逃げられない。
だというのに――当のレディベアはといえば、絶体絶命の窮地だというのにまるで焦っても絶望してもいない。どころか、

「大丈夫ですわ、赤マント。
 ここはわたくしに任せなさい」

と、余裕の返答まで返してきた。

「その剣がわたくしを殺すと言いましたわね。
 違うでしょう?わたくしを殺すとすれば、それは剣ではない……あなた自身の意思。
 あなたの名は?それとも、あなたのしていることは名を名乗るも憚られる、胸を張って誇れぬ所業なのですか?」

「……わたしの……名……?」

はっとした。
E.L.F.の研究所を脱走して以来、色々な場所を彷徨しては妖怪を滅してきた。
妖怪たちは殺すべき対象、獲物でしかなかった。名乗る必要などなかったし、その気もなかった。
名を訊ねられるなど、初めてのことだった。

「わたし、は……」

Type-Roland ver.2336。研究所では、ずっとそう呼ばれてきた。
だが、それは名前ではない。ただの製造番号だ。
人は――いや、すべての生き物は名付けられることで個性を持つ。この世界にただ一人の自分として確固たる存在を築く。
しかし、自分にはそれはない。E.L.F.はありとあらゆる妖魅を撃殺する能力を授けてくれたが、名前を与えてはくれなかった。
自分がこの世界に生まれたことには、きっと意味がある。
妖怪を殺し続ければ、それが分かると思っていた。そう信じ続けて、目につく者を片端から斬った。

福音は、まだ聞こえない。

225那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 12:00:11
「わたしに名前なんてない……。
 わたしは……ただ、おまえたちを殺す狩人。それだけでいい……!」

デュランダルの柄を握りしめ、ver.2336は憎しみの眼差しをレディベアへ向けた。
レディベアがせせら笑う。

「ハ、笑止ですわね。
 名も無き者が、このわたくしを!偉大なる妖怪大統領の一人娘たるわたくしを手にかけると?
 そんなことは不可能ですわ!」

「黙れ!ならば試してみるか!
 我が奥義『不抜にして不滅の刃(インヴィンシブル・デュランダル)』ならば、貴様など……!」

「いいえ。名も無く、理由もなく。ただ無目的な殺戮だけを繰り返す者に、わたくしを殺すことなどできませんわ!
 なぜならば!わたくしには大義がある……この星よりも重い大義が!
 それでも出来ると思うなら、やってご覧なさい!
 振るうかいなに信念も見出せぬ者の剣で、本当に!生きる意味を知る者の命を断絶できると思うのならば!!」

「…………!」

ver.2336は愕然として、双眸を見開いた。
少女の真っ直ぐな瞳に射すくめられ、身動きが取れない。
瞳術に捕らわれたのではない。少女の生のままの視線に、その力に。意志に気圧されたのだ。
強すぎるという理由で失敗作の烙印を捺された、最強の妖異殺しのはずの自分が――

「……できない」

しばしの沈黙の末、ver.2336は聖剣を握る腕を下ろした。

「わたしにはできない……。
 ああ、そうだ。その通りだ……わたしは名前もなければ、剣を振るう信念さえない。
 生きる理由すら分からず、ただあてどもなく彷徨うだけの、呼吸する屍のようなものさ……」 

そんな自分が、大義のために生きると胸を張って断言する少女に勝てるはずがない。
戦闘力だけなら、自分の方が遥かに上回っているだろう。
だが、戦闘力なんて。そんなものはまるで無意味だった。ver.2336は、レディベアに負けた。
心の強さで。

「――――――ローラン」

不意に、レディベアが口を開いた。
それが自分に対して投げかけられた言葉だということに気付くのに、ver.2336はしばしの時を要した。
いつのまにか俯けていた顔を上げ、レディベアを見る。漆黒の少女は小さく笑った。

「ローラン……だって?」

「血まみれの聖剣を持つ、名無しの聖騎士。
 あなたに名前がないのなら、わたくしが付けて差し上げますわ。
 ローラン!あなたは古の英雄の再現体などではなく、本物の英雄になるのです!」

「本物の……英雄に……」

「わたくしは心に大望を抱く身。その成就には、手勢が必要ですわ。
 聖騎士ローラン!わたくしに傅き、我が騎士となりなさい!
 ただ無為に下等妖怪どもを殺戮するだけでは、野の獣と変わりありません。けれど――
 わたくしがあなたの生に意味を。その剣に理由を与えて差し上げますわ!」

生に意味を。剣に理由を。
ずっとずっと求めていたものが、そこにあった。
少女は名前を与えてくれた。形式番号ではない、この世でひとつだけの名前を。
だとしたら――残るふたつも、必ず与えてくれることだろう。
嗚呼、ならば。それならば。

「……レディ」

小さく、少女の名を口にする。
レディベア。妖怪大統領バックベアードの娘、紅い隻眼の乙女。
……聖騎士の姫。

しばしの間を置いて、ver.2336――ローランはデュランダルを携えたままレディベアへと近付いてゆく。
そしてその間近で向かい合うと、跪き。頭を垂れ、水平に持った聖剣を両手で少女の前へと捧げた。
レディが聖剣を手に取り、その刀身をローランの右肩に添え当てる。

「――我、汝を騎士に任ず。
 誠実たれ。真摯たれ。正義たれ。
 すべては我が大義のために――」

「……聖騎士ローラン、これよりは御身に尽くします。
 この剣、この心、この身体、この魂。
 すべてはレディのために……」

ver.2336と呼ばれた名も無きクローンは、本物の騎士になった。東京ドミネーターズではない、レディベアだけを護る騎士に。
それが、それこそが自分がこの世に生まれ落ちた理由なのだと信じて。

226那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 12:00:56
橘音の指定した避難所予定地の、板橋区総合病院前。
ノエルが天神細道を使ってそこへ到着したときには、既に病院前は避難を求める人々でごった返していた。
そして、そんな人々を狙って悪魔たちが大挙して押し寄せてくる。
もちろん、ノエルがいくら一対多の状況に適した妖怪だとは言っても、数が違いすぎる。
一匹でも撃ち漏らせば終わりだ。状況は甚だ不利と言わざるを得ない――が。

そんなとき、頼もしい戦力(?)がノエルの加勢に現れた。

「ふーはーはーはーはーっ!東京ブリーチャーズ非正規メンバー参上!
 ノエル君!アタシたちが来たからにはうっわこれ絶対無理目のやつ絶対無理無理やばたにえん!」

新井あずきに、ぬりかべに、犬神。手長足長におとろし。
召怪銘板で召喚される、東京ブリーチャーズの非正規メンバーである。
リーダーっぽいポジションでセンターに陣取り、小豆の入った巨大な枡を右脇に抱えて高笑いしたあずきだったが、
空を埋め尽くす勢いの悪魔たちを前にしてさっそくヘタレた。

「いや、そこは無理でも強がっとくトコやろ。なんで開幕心折れとんねん自分。
 言うだけならタダやさかい言っとき!アタシらが来たからには、戦艦大和に乗ったつもりでいてや!とかそういう」

「戦艦大和は沈没したんですが……」

あずきにツッコミを入れつつ、流れるようにボケてみせたのはチンピラ風のガラの悪い男――品岡ムジナだった。
そんなムジナのボケに指摘を入れるのは、雪の女王の策によってノエルの前で死んだと見せかけていたカイとゲルダだ。

「久しぶりやなぁ色男。
 ワシとしては橘音の坊ちゃん……いやもう嬢ちゃんやったっけ?や尾弐のアニキのとこへ加勢に行きたかったんやけど。
 自分ひとりじゃ心細いやろし、特別に手ぇ貸したるわ。
 礼は自分とこの店の権利書でええで。いやぁ太っ腹やな我ながら」

げひっ、とムジナはノエルの顔を見て下卑た笑みを漏らした。

「さあ、ワシら東京ブリーチャーズの力、見せたろやないか!
 どっからでもかかって来んかい、イチビリどもがぁ!」

「ムジナさんが言うと大阪ブリーチャーズみたいに聞こえるけどね……」

あずきの代わりにずいっとセンターへ躍り出たムジナが高らかに宣言する。
その後ろでやっぱりカイが突っ込みを入れているのは内緒だ。
非正規メンバーとは言うものの、戦力としては充分だ。これだけ多勢ならある程度時間稼ぎはできる。
実際、非正規メンバーたちは押し寄せる悪魔たちを相手に一歩も引かない戦いを繰り広げた。

「ひ、ひゃわわわわわぁぁぁ!?こっち来るなぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

あずきが迷い家の入口に陣取って、やけっぱち気味に小豆を投げつける。

「姫様の影に隠れがちだけど、私たちだってやれるってことをアピールしなきゃ!」

ゲルダとカイがチームワークで互いを補い合い、悪魔たちを翻弄してゆく。
他にも犬神が顎を開いて悪魔に喰らいつき、おとろしが落下して数匹を纏めて押し潰し、ぬりかべが身を挺して人々を守る。
ノエルと非正規メンバーたちの奮闘で、いっとき悪魔の軍勢は攻撃の手を緩めたように思えた。
しかし。

空が翳る。その場にいる妖怪や人々が頭上を仰ぐ。
そこには、陰陽寮の築いた都庁の結界を体当たりで破壊した、超巨大なアノマロカリスが浮かんでいた。
アンテクリスト麾下の天魔、フォルネウス。
フォルネウスの身体の下部から無数の悪魔たちが降ってくる。どうやらフォルネウスはその巨大な躯体に夥しい悪魔を格納し、
各所に投下する爆撃空母のような役目を果たしているらしい。
さながら焼夷弾のように、無数の悪魔が降ってくる。
そして――

「ブモオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」

耳をつんざくような咆哮と共に、上空から一際巨大な何かが降ってきた。
5メートルほどもあろうかという、筋骨隆々の人間めいた巨体。
それぞれに金棒、刀、刺叉、斧を持った四本の腕。
頭部には牛と馬の頭を有する、獄卒たちの長。

獄門鬼――

酔余酒重塔で赤マントに連れ去られ、それきり消息を絶っていた地獄の大鬼が、ぶはあ……と生臭い息を吐く。
むろん、ノエルたちの加勢に来たという訳ではないだろう。鬼神王温羅配下のはずの大鬼は、
今やアンテクリストの忠実な下僕に成り下がっていた。

「な……なんやねん!図体デカけりゃええってもんやあらへんで!
 色男ォ!ワレの出番や、いっちょガツンとかましたらんかい!」

自分では相手にならないとばかり、ムジナはノエルに丸投げした。
確かに、酔余酒重塔で戦ったレベルの獄門鬼であれば今のパワーアップしたノエルの敵ではないだろう。
『あの頃の獄門鬼なら』。

「ゴルルルルルルルル……!!」

獄門鬼が息を吐く。その全身が、見たこともない禍々しい妖気に覆われてゆく。
いや、見たことがないというのは間違いだ。ノエルはそれを、かつて一度だけ見たことがある。
それはまさしく、酔余酒重塔で。
あの尾弐黒雄が纏っていたもの――『酒呑童子の妖気』に他ならなかった。
周囲の様相が変転してゆく。屋外であったはずの景色が、暗い石牢の中へと。
ノエルや非正規メンバーたちの足許に、血のさざなみが立つ。
アンテクリスト――否、ベリアルは奪った酒呑童子の力を、あろうことか獄門鬼に与えていたのである。

「ブォガアアアアアアアアアアアアアアアア――――――――ッ!!!」か

獄門鬼が吼える。酒呑童子の力、神変奇特の妖力が発動する。
かつてブリーチャーズを存分に苦しめ、結局破られることのなかった『犯転』と『叛天』の力。
それが、再度ノエルたちに牙を剥く――。

227那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 12:09:49
シロの蹴りを喰らった悪魔が、断末魔の悲鳴さえ上げられず地に伏せる。
すい、と流れる挙措で蹴り足を引くと、シロは一本足で立つ水鳥のような美しい構えを取った。
すでに、杉並区の避難所前では熾烈な激闘が繰り広げられている。
迷い家とそこへやってきた大勢の避難者たちを狙い、悪魔たちが下卑た笑いを響かせながら攻めてくる。
ポチとシロはたったふたりきりで、アンテクリストの大軍勢を相手にしなければならなかった。
とはいえ、ポチもシロも共に激戦を潜り抜けてきた、筋金入りの猛者である。
なおかつ、ふたりが組んだ時の強さは単体で戦った場合の何倍にも跳ね上がる。
狼は持久力に優れる生き物だ、長期戦に備えてペース配分を考えて戦う術に長けている。
アンテクリストがどれほどの数の悪魔を差し向けてこようと、数日は持ち堪えられる――そう思われた。
既にふたりの斃した悪魔の数は百体以上にのぼる。が、悪魔たちは全くその勢いを弱める気配を見せない。
そして。
ポチとシロはただ戦っていればいい、というわけではない。
この避難所を訪れる人間たちが絶望しないように。この終末の世界に希望を見失わないように。
どれほどの悪魔が破滅を齎そうと押し寄せてきても、決して挫けることはないのだと――
そう人々に思わせる戦いをしなければならないのだ。
ブリガドーン空間は、想いが形になる空間。人々が死に怯え、悪魔の暴虐に恐怖し、生きることを諦めてしまえば、
その想いが『そうあれかし』となって結実してしまう。悪魔たちの、アンテクリストの力を増幅させてしまう。
それだけは、絶対に阻止しなければならない。

「皆さんにお願いがあります……!皆さん、SNSでふたりの戦いを拡散してください!」

いつか陰陽寮で交流した、芦屋易子配下の巫女たちが避難者たちに呼びかける。

「どんなにバケモノたちがやってきたって、守ってくれる正義の味方はいるんだ!みんな必ず救われるから……諦めないで!」

「Twitterでもインスタグラムでも、YouTubeでも何でもいい!とにかく写真撮って、動画も撮って!
 それをネットにアップして、どんどん広めよう!」

「皆さんが応援してくれれば、それが彼らの力になるのです……!拡散し、お友達に教えてあげてください!
 必ず、絶望の闇は払われると!」

尾弐が提案したように、ネットの力を使って人々に協力を呼びかけている。
人々の想いがプラスへと転じれば、ブリガドーン空間の特性によってこの状況も好転するに違いないのだ。
だから。
ポチとシロは勇敢に、誇り高く、堂々と。真正面から悪魔たちを叩き潰してゆく必要があった。

「……あなた」

強烈な掌打で悪魔の一体を吹き飛ばすと、シロが口を開いた。

「私は、人間が嫌いでした。
 自分たちの欲望のままにニホンオオカミを絶滅へ追いやり、私を檻に閉じ込め、見世物のようにしようとした人間たちが。
 お前たちこそ滅びてしまうがいいと、そう思った時期もありました。
 あなたたちと巡り合ってからしばらくも、人間への嫌悪は変わらなかった。
 なぜ、あなたたちは人間たちの街なんかを身体を張って守るのだろう?と、そう思っていました」

シロにとって人間とは欲にまみれ、自然界の掟から逸脱し、万物の霊長を僭称するおぞましい生き物だった。
この街も嫌いだった。このゴミゴミして、汚くて、人が多すぎて、下水のにおいがして、空が狭い街。
大嫌いな人間たちと、その人間たちが自然を破壊して作った街――東京。

「がんばれーっ!ポチちゃーんっ!!」

「シロさーんっ!ファイトーっ!!」

率先して人々に希望を失わない姿を示そうと、巫女たちが声を張り上げてポチとシロを応援する。
陰陽寮の巫女たちも、最初から東京ブリーチャーズに対して友好的だったわけではない。
陰陽頭・安倍晴朧が病に倒れ、後継者の座を巡る芦屋易子と安倍晴空の対立の渦中にあって、
突如現れた陰陽頭の孫・祈とその式神たちということで、ポチにはずいぶん懐疑的な視線を送っていた。
だが、今は違う。陰陽寮で暗躍する天魔をポチらが討伐し、負の結ぼれが解けたことで、彼女たちの疑念も晴れた。
特にポチは巫女長である芦屋易子の心を救っている。
巫女たちがポチと、そしてそのつがいであるシロへ寄せる信頼は大きく、揺らぎがない。
シロもそれをにおいで感じ、理解している。

「……でも。今は、そうでもありません」

自分たちへ声援を送る巫女たちを軽く見遣ると、シロは微かに笑った。

「ニホンオオカミを滅ぼしたのが人間たちなら、ニホンオオカミは滅びていない……と。
 まだ、人の目を逃れてどこかで生きていると。そう信じるのも、また人間たち。
 私たちは、彼らの『そうあれかし』で生きている……それを忘れてはいけないのです」

愚かで、自分勝手で、邪悪な者もいるけれど。純粋で、利他的で、心清い者もたくさんいる。
そんな人々が生きる世界を、大切にしたい。

「お……、俺も応援するぞ!頑張れ!頑張れーっ!!」「私も!お願い、悪魔たちをやっつけて!」「やっちまえ!坊主!」

「ポチ!」「ポチーっ!」「ポチくーんっ!こっち向いてーっ!」「いっけえええ!ポチーっ!!」

巫女たちの必死の鼓舞に触発された人々が、少しずつ声を出し始める。
スマートフォンを持っている者たちがポチとシロへカメラを向ける。その戦いを、勇姿をSNSにアップする。
ポチを励ます声の波が、その小さな背を後押しする――。

「――さあ、愛しいあなた」

悪魔が押し寄せてくる。満々と殺気を湛えて襲い掛かってくる。
二頭対無限の戦い。圧倒的な戦力差、不利、劣勢、絶体絶命の窮地。
だというのに、シロは笑っている。――その名の通り純白の、美しい笑顔だった。
シロがポチへと右手を差し伸べる。

「伝説を。創りにゆきましょう」

オオカミこそは自然界最強の捕食者。そう、後の世に人々に語り継がれるような戦いを見せる。
それこそが、ポチとシロのすべきことなのだ。

228多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/10/27(火) 23:42:38
 世界の終わりが始まった。
不気味な極彩色が空を覆い、魔法陣から悪魔達が雨のように降り注ぐ。
終末の使徒たちが、讃美歌めいた歌を歌いながら、破れた結界の外へと飛び出していく。
 このままでは人々が悪魔に襲われて死ぬ。やがて世界が滅ぶ。
祈の中にそんな焦りがあったが、いち早くこの状況に対応すべく、ターボババア・菊乃が飛び出した。
そしてこの場から離れる前に、祈にこう言い残していった。
『人間たちの救助はアタシらがやるから、アンタはどうにかアイツを倒す手段を考えるんだ。いいね』と。
多くの人々を助けるために、今は策を考えろと。
 だからこそ祈は、聞こえる悲鳴をきっと誰かが救ってくれると信じて、飛び出したい必死に気持ちを抑えた。
そして逆転の策を求めて、仲間たちに何か案はないかと求めるのだった。
 ノエルは祈に同調。

>「いいね! 妖怪大統領を叩き起こそう!
>もしもいなかったら……その時はハッタリを貫き通していることにしてしまえばいい。
>バックベアードの正体を知ってるのはまだ私達だけだよね。
>ベリアルがレディベアにやったみたいに、アバターで日本中の妖怪を騙してみるのは?
>レディベアか橘音くんの瞳術だけど……不特定多数に幻を見せるのは流石に難しいよね。
>私が空を雪雲で覆って巨大なスクリーン状態にする。そこに妖怪大統領を瞳術で投影しているように見せかける」

 いつもと違う、見たことのない中性的な姿のノエル(人格?)だが、
切羽詰っている状況で改めて訊ねているヒマはなく、ひとまず祈はその言葉を聞いて頷くに留めた。
 ノエルの策は、もし妖怪大統領が存在しなくても、
こちらの演技と映像で妖怪と人間双方を騙し、『いることにしてしまう』というもの。
 人々の中に希望が生まれ、『そうあれかし』が集まれば、
本当に妖怪大統領は顕現するだろうと。それならアンテクリストに対抗する戦力が生まれるはずだと。
 尾弐もまた、その策に乗っかった。

>「情報を拡散するってなら妖怪に頼むより人間に頼むのはどうだ? 聞いたところ、最近のインターネットってのはすげぇんだろ?」
>「群衆をぶつけて為政者を引きずりおろすのは人間のお家芸だ。77億のそうあれかしをぶつけりゃあ意外に何とかなっちまうんじゃねぇか?」

 祈がまたも頷く。
 ノエルの策では、妖怪大統領の姿を投影する範囲、それを視認している人間や妖怪にしか届かない。
だが、インターネットを使って拡散すれば、
より多くの人間に妖怪大統領がいると見せかけられる。より『そうあれかし』が強まることになるのだ。 
「……これだけ力量差があると、人柱を立てて封ずるってのも無理そうだな」と、
先に前置きをしてから話すのはいかにも尾弐らしい。
 尾弐は続けて、レディベアを起こす手段として、
SnowWhiteに入り浸っているという心の内側を覗く妖怪、覚の力を借りてはどうかと提案してくれた。
 たとえアンテクリストが邪魔をしてきても、自分が時間を稼ぐから、
龍脈の神子としての力と願いの総量でぶちぬき、起こしてしまえという。

>「絶望は深いかもしれねぇが、それでも誰かが手を差し伸べてくれれば必ず光は射す――――他ならぬ、絶望に浸かり続けた馬鹿な鬼が言うんだから間違いねぇよ」

 その言葉は心強く、頼もしい。
そして尾弐がポチにもっと良い考えがないかと問うと。

>「……よしてよ。僕じゃ何も分からないよ」

 ポチの弱気な答えが返って来る。苦しげに言葉を紡ぐ。

>「だって……橘音ちゃんでも、何も思いつかなかったんだよ?
>僕だってこんな事、言いたくないよ。でも……夢を見たって、仕方ないんだ。
>僕らが思いつくような事を、橘音ちゃんが……例え混乱していたって、考えなかったと思う?」

 橘音のように恐怖に呑まれたわけではないようだが、あまりに悲観的な物言いだった。

229多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/10/27(火) 23:48:49
 ポチは、ミカエルの援軍や御前を頼り、
天羽々斬やある神社の神剣二振りなどで戦力を増強する案を口にした。
レディベアを起こす方法についても、橘音を復活させた儀式や運命変転の力でどうにかならないかと意見を述べてくれた。
 だがそれらも、橘音なら思いついたもののはずだと。
知恵者が考え付かないのなら、素人考えでどうにかなるはずはないのだと、そう諦めの言葉を口にする。
 妖怪大統領を復活、
あるいはでっち上げて創造することについても否定的であった。
橘音を上回る頭脳を持つベリアルとて考え付かなかったはずがない、新たな神の創造。
だが敵がやらなかったのならおそらく、悪手であろうというのだった。
だから今更何を考えたところで無駄だと。おそらくそんな風にいいかけたところで、ポチの口が止まった。

>「いや……だったら――でも、そんなの、変だ。なんでアイツは……」
>「……なんで、アイツは僕らを殺さなかったんだろう。レディベアを、祈ちゃんを、生かしておく理由なんてなかったのに」

 ポチは、アンテクリストがブリーチャーズを殺さなかった、いや、殺せなかった理由に気付いたのだった。
赤マントからベリアル、ベリアルからアンテクリストへ。
性格の変異という計算外が起こった故に、見逃さざるを得なかったのだと。
 そして、龍脈の神子たる祈と、ブリガドーン空間の力を持ったレディベアが辛くも生存したことで、
アンテクリストと同じことをしてやれるのだと指摘する。
 祈も確かにと頷く。

>「――赤マントのやり方をやり返すなら、レディベアには……嘘をついた方がいい。
>妖怪大統領は、いるかもしれない……じゃない。いるんだって信じてもらった方が。
>声を聞いたとか。ほんの少しだけど、においがしたとか、そんな事を言って」

 ただ、この言葉に対しては、ローラン同様に。

「レディベアにそう思い込ませた方が成功率は上がるってことなんだろうけど、あたしも反対だな。
つーか、ポチだって、家族愛を利用するのは嫌だって顔してるぜ。無理に悪いヤツぶってそういうこといわなくていいんだよ」

 と反対し、窘めた。
 レディベアはローランが目覚めさせてくれるらしいが、アンテクリストの影響か、龍脈の流れがおかしい。
運命変転の力が十全に使えるかどうかは怪しいという不安要素はある。
 だがともあれ、二案出た。
 妖怪大統領の復活、あるいは創造。
そしてレディベアのブリガドーン空間の力と、祈の龍脈の神子としての力を組み合わせてアンテクリストのやり方を返す方法。
 先程橘音は、『祈ちゃんに何が分かるんです!アナタはあれの強大さがよく分かっていないから、
そんな向こう見ずなことが言えるんだ!』と、祈を拒絶して、心を閉ざした。
だがこの二案ならどうかと、祈は橘音の方を見た。
 もしこれで橘音が動かないようなら、祈は他の仲間たちとだけで行動を起こすつもりでいた。
 人々の悲鳴や怒号がどこからでも聞こえる。
ターボババアや陰陽師、妖怪、手すきのものが人々を助けようと動いているようだが、悪魔の数が多すぎる。これ以上は限界だ。
 いくらより多くの人を救うためだとしても、これ以上作戦会議に時間を割いて、
目の前の人々の命を見捨てることはできしない。見捨てていい命なんてものはないのだ。
 実際のところ、仲間たちの出した二つの案だけでは、橘音は動かなかっただろう。
 それ程までに恐怖の力は大きい。
 恐怖に震えるものにとって、敵は実体以上に大きく見える。
勝算がある策でも無謀な賭けに思え、命綱は頼りない藁としか映らない。
だがそんな橘音の心を動かしたのは。

>「この戦いが終わったら――――結婚してくれ。橘音」

 橘音の傍らに立つ、尾弐の言葉だった。
橘音の重荷は己が背負うから、己が頑張るために共に頑張ってくれと。
尾弐はそう橘音にいった。

>「……フ……フ……。
>……ズルいなぁ……クロオさんは。
>この期に及んでそんなこと言って……ボクに、どういうリアクションを期待しているんです……?
>こんなどうしようもない状況で。とっくに終わってしまってる、どう考えたってゲームオーバーな様相で――」
>「そんなこと言われちゃったら……、どうでも、頑張るしかないじゃないですか……!」

 愛。ただそれだけが橘音の恐怖に震える心を動かした。
それは勝算が僅かな賭けに全てを賭ける理由。藁のような命綱でも命を預ける理由になってしまう。
 半狐面をつけた橘音の顔から涙がこぼれる。

>「プロポーズ、お受けします。
> 一緒に……幸せになりましょうね」

 涙をぬぐい、橘音が微笑む。

「おめでとう、尾弐のおっさん。橘音。
……こんな状況でなければもっと、ちゃんと祝ってやんのに」

 いかなる状況であれ、男女が結ばれる光景は尊いものだ。
 祈も、もっとしっかり祝ってやりたかった。
下手したら何百年もかけて結ばれた二人だ。花の一つも買って、二人を抱きしめて、振り回してやりたかった。
悪魔が舞い、終世主を称える賛美歌を歌い、人々の悲鳴が響く、こんな状況でさえなければ。
 ポチとシロが愛を確かめ合う。
救助して来たであろう親子を両脇に抱えて、ターボババアが戻って来る。
 橘音が立ち直り、アンテクリストを倒すための作戦が始まろうとしていた。

230多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/10/27(火) 23:53:57
>「正直な話、今でもボクたちの力であのアンテクリストに勝つ方法は思いつきません。
>あれは強大すぎる。ボクたちがどれだけ力を振り絞ったとしても無駄でしょう」
>「でも――それは『東京ブリーチャーズだけで何とかしようとした場合』です。
>ボクが間違えていました。簡単な話だったんだ……ボク達だけで勝てないのなら、勝てるだけの頭数を揃えればいい。
>全員で倒すんです。この東京という土地に住む、すべての妖怪と人間の『そうあれかし』で。
>皆さんの言う通り、みんなで。力を合わせましょう」

 橘音が皆の意見を纏め、打ち出す作戦。その流れはこうだった。
 まず、上空に展開されているベリアルの魔法陣を除去する。
これにより龍脈の流れを戻し、祈が龍脈の力を十全に使えるようにするとともに、無尽蔵に湧く悪魔たちを堰き止める。
 そのために必要となるのは、橘音に所縁のある代物を東京の五か所に持って行き、安置することだ。
 安置したら橘音が五芒星を展開し、魔法陣を上書きするという。
 だが、こちらの目論見をアンテクリストは看破し、邪魔をすることが予想される。
だから祈達は天神細道を使い、各所に散ったあと、橘音所縁の品を守らなければならない。
 そして同時に行うのが、避難所の構築と防衛だった。
東京の人々を避難所に匿い、助け、心に希望の灯をともすのである。
 『こんな絶望的な状況でも助けてくれる誰かがいる』、『なんとかなるかもしれない』。
何万という人々が抱くそんな『そうあれかし』は、どういう形であれ、この状況の打破を後押しするだけの力となるだろう。 
 橘音は、人々の『そうあれかし』を束ねて、妖怪大統領を目覚めさせるか創造することが唯一の突破点になるといった。
妖怪大統領を味方に付けることで、ブリガドーン空間の力もアンテクリストから奪い、弱体化を図るのだと。
 この混乱を極める状況下で、妖怪大統領・バックベアード(空亡)なる存在について人々に説明するのは難しいかもしれない。
現状やブリガドーン空間などの小難しい話をしたところで、人々がそれを咀嚼し、飲み込めるかどうかだ。
ノエルの作戦通り、スクリーンに映し出すなどすればできるだろうか。
 だが人々の思考を上手く誘導できなかったとしても、
目の前で戦う誰かが希望だと思えば、その人物に力が集中し、アンテクリストを倒す力になるかもしれない。
なんとかなると思えば、『そうあれかし』が作用し、直接的にアンテクリストが弱体化する可能性もあるだろう。
どちらに転んでも問題はなさそうである。
 あとはレディベアをローランが復活させ、協力を取り付ければ二案は成る。

>「祈ちゃんはローラン、レディと一緒に大田区へ――」

「わかった」

 橘音所縁の品の一つである聞き耳頭巾を受け取りながら、祈は思う。
 もし問題があるとすれば、妖怪大統領が『創造』されたときだろう、と。
創造されたそれは、ブリガドーン空間を統べる大妖怪・妖怪大統領ではあっても、レディベアの父ではない。
 レディベアと一緒に過ごした記憶もなければ、声もおそらく違うだろう。
似て非なる何かでしかなく、その姿は父の実在を信じたレディベアにとっては残酷な結末となる。
 アンテクリストの内側に、僅かな良心、父性、妖怪大統領の人格の欠片とも呼べる何かがあり、
それを元に復活することを願うばかりである。

>「迷い家外套と召怪銘板は、ボクが持っていきます。
>そして最後、江東区へは……オババ。お願いできますか?」

 橘音は、ノエルに姥捨の枝、ポチに童子切安綱を渡している。
東京ブリーチャーズの正規メンバーは5名。
五芒星を張るのに適した人数だが、橘音は結界を張るという役目があり、自分に所縁ある品を安置することも、避難所を守ることも難しい。
故に尾弐と足立区へと向かうことになっている。
 五芒星を描くには手が足りないので、白羽の矢が立ったのが、菊乃だった。

>「フン、アタシは東京ブリーチャーズじゃないよ。アンタの都合で使われて堪るかい。
>……とはいえ、今はそんなこと言ってる場合じゃない。東京が滅びる瀬戸際だ。
>可愛い孫の明日のために、一肌脱いでやろうかね」

 菊乃は肩をすくめ、面倒くさそうにそう返した。そうして蓬莱の玉手箱を受け取ろうとするのだが。

>「……待ってくれ、その役目は……私に任せてもらいたい……!」

 横合いから放たれた女性の声に遮られることになった。

231多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/10/27(火) 23:58:36
 声の方を祈が見遣れば、そこに立っているのは、
波打つ金髪と、物語から飛び出てきたような美貌が特徴の外国人女性。
年の頃は20代半ばであろうか。祈の知った人物、否。

>「ミカエルさん……」

「ミッシェル、来てくれたんだ」

>「遅れてすまなかった。やっと主の承認が下りたのでな……。
>大天使長ミカエルと御遣い千三百騎、参着した」

 大天使長ミカエル。
 かつて陰陽寮での一件では世話になった、聖書に登場する天使である。
橘音をボコボコにしつつも、ロボを倒すための必殺の武器、魔滅の弾丸を託してくれた天使でもある。
最終決戦には駆けつけてくれるといっていた、その約束を果たしに来てくれたのだ。
1300もの援軍を連れて。姿は見えないが、おそらく御使いとやらは上空辺りにいるのだろう。

>「ついに、あの方が力を取り戻してしまわれたか……。怖れていた事態が現実になってしまった。
>ならば……私も死力を尽くさなくては。あの方を……この命と引き換えにしてもお止めする。
>それがこのミカエルの誓い――」
>「虫のいいことを言っているのは、百も承知だ。
>だが……どうか頼む。我々も貴公らの戦列の端に加わらせてくれ。
>あの方は我ら天使の兄。英雄にして教師。そんなあの方が引き起こした事態ならば、手をこまねいてはいられない……。
>頼む、私は……責任を果たしたいんだ……!」

 そしてミカエルは真剣な、思い詰めたような表情で頭を下げ、五芒星を描く手伝いをしたいといった。
 ベリアルとの深い関係があるからこそ、責任を感じているのかもしれないと、そんな風に祈は思った。
 菊乃は何かを察したようで、嘆息して、橘音に向かって頷くのであった。

>「……分かりました。
>ではミカエルさん、これはアナタにお預けします。江東区へ向かって下さい」

 そうして蓬莱の玉手箱は橘音からミカエルへと託されることになる。

>「恩に切る、アスタロト。
>必ずや、其方の作戦成就の一助となろう」

 決意の表情でそう返すミカエルに、今は狐面探偵那須野橘音であると訂正する橘音。
結婚を約束しているから、近々、尾弐橘音になり、再度訂正が必要になるであろうと祈は思う。

「アタシも同行しようじゃないか。現地の妖怪の案内があった方が楽だろうし、手勢は一人でも多い方に越したことはないだろ」

 菊乃は祈から、ミカエルが手負いの天使であることを聞いている。
また、ミカエルから危なっかしさのようなものを感じてもいた。それ故に、同行を申し出たのである。

「なに、メインはアンタで、アタシはバックアップに努めるさ。アタシは菊乃。よろしく頼むよ、ミカエルさん」

 ターボババアは、高速戦闘に慣れた妖怪である。
地上であれば、『そうあれかし』による走行速度の制限があり、時速140〜160キロ程度でしか走れない。
人々がターボババアはそのぐらいの速度で走る妖怪だと定義した故に。
だが、菊乃はそれを守らない。
 妖気を練り上げて肉体を強化し、空気の壁を蹴るという方法で空を走る。そのときの移動速度は音速に迫った。
また、人間達を観察して会得した数々の武術を用いる、蹴り技のエキスパートでもある。
その蹴り技は、ときに音速を超え、敵の体を刻み、穴を穿つ。
その力を人目に滅多に晒すことはないが、悪質な妖怪がはびこるとき、夫と娘を守るために脚を振るった経験もある。
大妖ほどの戦力ではないが、ある程度の助力にはなるであろう。

>「作戦が成功したら、再度この都庁前に集合!そしてアンテクリストに最終決戦を挑みます!
>皆さん……別行動はこれが最後です!
>必ず、またここでお会いしましょう!」

 橘音がそう指示を下し、祈達はまた再び、別の場所で戦うことになるのだった。

232多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/10/28(水) 00:04:06
 天神細道を通り、祈はレディベアを抱えたローランと共に、大田区へと渡った。
 避難所として指定されている学校かどこかの校庭に出た、と祈が理解すると同時に、
校庭のど真ん中に濃い霧と迷い家が出現。
 妖怪や陰陽師達がその中へ人間達を呼び込み始めた。

>「レディは今、すべての妖力を放出しケ枯れした状態にある。
>彼女を目覚めさせるには、まず――出し尽くしてしまった妖力に変わる力を彼女に注ぎ込む必要があるんだ。
>……わたしに考えがある。見ていてくれ」

 そんな中、迷い家の敷地の前でローランがレディベアを地面へと下ろし、仰向けに横たわらせた。
自身はその傍らに屈み込むと、レディベアの腹部に手を当て、呼気とともに力を解放する。
 ローランの体から金色の気が立ち昇る。
 感じる力の質は、以前、ミカエルが扉から出現したときに感じたものと似ていた。
神々しさをも感じる力がレディベアの腹部に翳した手を通じ、レディベアへと流れていく。

>「わたしの力の源、祝福された聖人の力……神力をレディに与える。
>普通の妖怪なら肉体が拒絶反応を起こすところだが……レディは元々人間だ。きっとこの力も受け容れることができるだろう。
>すまない、祈ちゃん……この作業には少し時間がかかる。
>悪魔たちを寄せ付けないように……守って、貰えないか……?」

「いいけど……おまえそれ、大丈夫なのか? 体とか」

 祈にそう要請するローランの表情は険しく、額には汗がにじんでいる。
見るからに、僅かに残った生命力を絞り出して分け与えているといった様子で、祈の表情も不安げである。
 だがローランは、そんな祈を安心させるためか、微笑みを浮かべて見せた。

>「……ハハ……。大丈夫さ、わたしのことなら心配いらない……。
>自分が生き残るだけの神力はとっておく……。ここで死ぬようなヘマはしない……よ……」

 それはいつも見せるものと違い弱々しい笑みだったが、言葉の真偽を確かめるだけの時間はない。
 ローランが神気を解放するとともに、周囲の悪魔たちがこちら目掛けて殺到するのが見えた。
 ローランが悪魔にとって上質な餌なのか、神気を放つローランが悪魔にとって倒すべき敵と認識されたのか。
それとも、もともと人間が集まりつつあったから目を付けられたか。

「みんな、建物の中に入って! 急いで!」

 祈は、聞き耳頭巾やバッグをローランとレディベアの近くに置くと、駆けてくる人間達にそう声をかけた。
 四方八方、上空からも押し寄せてくる悪魔達から、
ローランとレディベアはもちろん、避難して来る人間達と迷い家まで守らなければならないとなると――。
考えたくもない負担であるのは明らかだった。

「出し惜しみしてる場合じゃねーか。――『変身』!」

 祈は右手を眼前に翳し、力を解放。
赤髪、金眼、黒衣――ターボフォームへとすばやく変ずる。
もしかしたら知り合いがいる可能性もあるのだが、この際構ってはいられない。
 そしてスポーツ用のバッグの中から、透明な液体の入った瓶をいくつも取り出すと、
手近な妖怪や救援にきた陰陽師に手渡し、迷い家の周囲にかけるよう呼びかける。
 瓶の中身は聖水(として売られているもの)。
ある程度ちゃんとしていそうな教会から買ったので、結界代わりになる。
下級の悪魔達程度であれば、きっと退けてくれるだろう。
 禹歩は神力を分け与える作業に差し支える可能性があるので、使えない。
それを考えれば、貴重な防衛手段である。
 さらにウエストポーチをバッグの中から引っ張り出し、腰に付けた。
肩がけにすべきだが、中身がぎっしり詰まっていて零れる可能性があるのでこの付け方が今は正しい。
 橘音からもらったウエストポーチは、ファスナー付きで、二重構造になって収納スペースが分けられている。
手前側にはレディベアとの思い出の品であるストラップや、
コトリバコの指が入った箱といった小物が入っており、奥側には。

(持ってて良かった、ウエストポーチと銀の弾丸ってね!)

 赤マントとの対決では、悪魔の軍勢とぶつかることは充分に考えられた。
だからこそ備えとして持ってきた、銀の弾がぎっしり詰まっているのだった。
 弱いからこそさまざまな道具を使って戦う。そんな祈のスタイルが、ここにきて役に立っていた。
純銀に近い銀細工用の粘土をこねてつくった弾丸は、
ロボのような強敵には効果が見込めなくても、下級の悪魔であれば効果を持つようだ。
 祈の今の力も加われば、銀の弾丸をつまんで投げつけるだけで、悪魔の脚に大穴を穿ち、羽を刈り取るだけの威力となった。
 祈は限りある弾丸を節約して戦いながら、
「時間を稼いでくれといったが、どのくらい待てばいいのか」そんな風に問おうと思い、ふとローランを振り返った。
その目に映るのは、頬はこけ、白髪になり、老人のようにやせ細っていくローランの姿だった。
 弱々しい姿になり果てるほどに力を分け与えたのであろうが、
それでもレディベアが目覚める様子はない。そして、ローランが力を分け与えるのを止める様子もなかった。

233多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/10/28(水) 00:16:50
(死ぬ気はないって言葉、信じるからな……!?)

 祈はただ、その言葉を信じて戦う他ない。
 風火輪を吹かしながら、地を走り、空を駆け、時に銀弾を投げながら、縦横無尽に祈は戦った。
今の祈は、龍脈から流れてくる力を制限されてはいるものの、その強さは下級の悪魔や中級の悪魔とは比較にならない。
 だが、自身に寄って来る悪魔だけを退治するのとはワケが違う。
祈だけに目掛けて殺到するのなら、どれだけ数を揃えようとも、悪魔が祈を攻撃できる距離は限られる。
近距離になればなるほど、悪魔同士の体が邪魔になるから、祈は前後左右と上の五方だけ対応できればいい。
つまり、何匹いようが常に相手するのは5体だけで済む。
 今の状況はそうではない。避難所である迷い家。逃げてくる人間達。弱い妖怪や陰陽師。
迷い家の前のローランとレディベア。守る対象が余りに多すぎた。
 全方向に気を配り、緊張状態を切らすことなく走り回らされて、飛び回らされる時間は、
たかが十数分の時間を何十分にも引き延ばして感じさせるほど、祈の精神を消耗させた。
しかも押し寄せてくる何百、何千もの悪魔を、殺さないように手加減をするなどという荒業を続けていれば、当然集中力も切れる。
隙が生まれ、頬や脚、背中。徐々に負傷箇所が増えてくる。
 豊富にあった銀弾も尽き、ターボフォームは想定していたよりも早めに切れた。
 生まれた一呼吸の、致命的な隙。
死角で振りかぶられた悪魔の三叉槍に、祈は直前まで気付かなかった。

>「死ネ!死ネェ!神子オオオオオオオ!!」

「しまっ――」

 叫びながら放たれた三叉槍は、いわばテレフォンパンチに近かった。
だが、振り返って認識したときにはもう遅い。
反応できず、あと数十センチで祈の背中に突き刺さるというところに三叉槍は迫っていた。
 だが、祈にその切っ先が届くことはない。

>「ぐ、ふ……」

「ロー、ラン……?」

 祈は驚愕に目を見開く。
飛来する三叉槍の射線上に割って入ったローラン。
三叉槍は、その胸に深々と突き立っていた。

>「大丈夫、かい……祈、ちゃん……?
>……よかった……。君にもしものことがあったら……レディが、悲しむからね……」

 片膝をつくローラン。

「お陰で平気だけど……!おまえの方がボロボロなくせになにやってんだよ!?」

 群がる悪魔や、三叉槍を投げた悪魔を蹴散らしながら、祈は叫ぶようにいった。

>「わたしの、神力は……与え、終わった……。あとは、祈ちゃん……君が、レディに……働きかけて、くれ……。
>彼女を……絶望の、淵から……救い出して、やって……欲しい……」
>「さあ……、選手交代だ……。
>悪魔どもはわたしに任せて……祈ちゃん、彼女を……頼む……!」

 どす黒い血を吐きながらも、ローランはデュランダルを杖代わりに立ち上がる。
洗脳されたレディベアに痛めつけられた傷も完全に癒えてもいなかったであろうに、生命力を吐き出し、老人さながらに消耗したローランは、もはや超人でも何でもなかった。
ダイヤモンドのような硬度を持つはずの肌も効力を発揮しなくなって、祈の所為で致命傷も負ってしまった。
 だというのに、ローランは折れない。三叉槍を強引に引き抜き、前へと一歩踏み出す。

「ローラン……おまえ……」

 その瞳には、僅かな生命力を燃やす決意の炎が見えた気がした。

>「我が名はローラン……、聖騎士ローラン!
> 騎士とは乙女を護るもの。今こそ我が魂に刻みしその誓いを果たす!」

 悪魔達を迎え撃たんと、ローランが剣を構え、駆けていく。
 動きにはキレがなく、精彩を欠く。弱り切った体で戦えば十中八九死ぬ。
だが体が動く限り、ローランは戦いをやめないだろう。

(……バカ野郎。おまえが死んだってモノは悲しむに違いないのに)

 ローランとレディベア。二人はどこか似ている。
 妖怪大統領の代行、第一の臣下のように振る舞っていたレディベア。
レディベアの騎士として仕えていたローラン。
 愛する誰かのために尽くすことが、きっと生きる意味だった。
 そんな似た者同士の二人だからこそ、互いに認め合い、一緒にいたのだろう。
 死なせるべきではないと強く思う。
 だが、祈はその背中を止めることはできない。
その覚悟を踏み躙ることはできず、見送ることしかできなかった。
 祈とて、似たような気持ちでこの場所に立っているからだ。

(ばーちゃんも、同じ気持ちだったのかな……)

 たとえ死ぬことになろうとも、己が為したいことを為す。
それが生きる意味。そうでなくては生きていけない。
 祈が自身を危険に晒して妖壊と戦うようになったときも、東京ブリーチャーズに入ったときも、ターボババア・菊乃は止めた。
 だが祈が折れなかったから、菊乃は認めざるを得なかった。
無理矢理に止めて生きる意味を奪うか、危険だと分かっていても戦いに行かせるかの二択。
それを迫られるのはきっと、こういう気分だったのだ。
 祈は力なく歩いて、横たわるレディベアの傍らに立った。

234多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/10/28(水) 00:33:39
「なぁ、モノ。さっさと起きろよ。じゃないと、ローランが死んじまうぞ。
あいつは妖怪じゃないから、死んだらきっとそれきりになる。
おまえ、あいつのこと嫌いじゃなかったんだろ。いいのか。会えなくなっちまって」

 そして、寂しげな表情で、レディベアに、ぽつぽつと言葉をかけていく。

「……ローランもきっとおまえのこと好きなんだと思う。
そんなあいつの気持ちを、どうか裏切らないでやってほしい」

 いまローランを止められるのは、レディベアだけだろうから。

「このままじゃこの世界も……違うな。あたしがいいたいのはそんな言葉じゃなくて」

 今レディベアを起こすのは、狙いがあるからだ。
 レディベアはブリガドーン空間の器。
祈が持つ龍脈の神子の力と組み合わせれば、ポチの言う通り、理論上はアンテクリストと同じことができる。
 二人の力で逆転も可能かもしれないという、そんな狙いが。
 だが、戦力としての期待があるから、絶望に倒れた友達を無理矢理起こしたいわけではなかった。
 そういう打算で起きて欲しいのではないのだ。
かけるべきはそんな言葉ではないと、祈は頭を振る。
 祈の素直な気持ちは。

「――あたしと一緒に生きてほしい。この世界で。
ワガママをいってるのはわかってる。
父ちゃんがいないってわかって傷付いたおまえに、立って戦えなんていうのはヒドイ話だってのはあたしもわかってる。
でも、父ちゃんがいなくて傷付いてるなら、悲しいなら、あたしがずっと寄り添ってやる。
案外この世界も悪くないってきっと思わせてやる。だから、一緒に生きて、戦ってほしい。
おまえのことがあたしには必要なんだ」

 世界を救いたいからレディベアに助力を乞うのと、
レディベアと一緒に生きたいから力を貸して欲しいと願うのは、大きな違いがある。
 レディベアを想っているか否かという大きな違いが。
 祈は、一緒に生きたいと思った。
面倒くさくて融通が利かなくて、お嬢様めいて庶民の祈と合わないところもあるが、ずっと一緒にいたいのだ。
生きていれば本当の両親を探したっていいし、いくところがなかったら家族として迎えたっていいだろう、なんてことを祈は思う。
 ポチは、目的のためならレディベアに嘘を吐いた方がいいというように言ったが、
祈は正直に続きの言葉を紡いだ。

「それに、もしかしたら、絶望する必要なんてないかもしれない。
すげぇ低い可能性だけど、妖怪大統領はいるかもしれないってあたしは思う。
ブリガドーン空間でおまえのそうあれかしの影響を受けたんなら、
赤マントの中に人格として存在しているんじゃないかってさ」

 赤ん坊から14歳の少女になるまで育てるというのは大変だ。
ミルクをやり、おしめを取り換え、ゲップをさせて寝かしつけて。
そうあれかしで妖怪へと変じさせるために、献身的に世話をし、優しい言葉もかけただろう。
いずれ外界に出すため、知識を与える必要もあったから教育も施しただろう。
 目的があったとはいえ、そこには何らかの感情があったと祈は見る。
 そしてその14年もの間、レディベアの『偉大なる妖怪大統領は、父は実在する』というそうあれかしを喰らい続けているのだ。
影響を受けていないとは思えない。
 赤マントの内側か、レディベアの内側か。
どこかはわからないが、それらしき何かがいるのだと祈は考える。
 もしかしたらレディベア自身、覚えがあるのではないだろうか。
 ローランに出会ったとき、ローランによって追い詰められた赤マントは、真っ先にレディベアに逃げろと呼びかけた。
赤子ならまた作り直せばいいが、自身が滅ぼされたら終わりだという状況で。
 赤マントなら、上手くレディベアをけしかけ、自分が逃げる算段もつけられたかもしれないというのに。
 祈が知らぬ赤マントの一面。赤マントがなぜレディベアを助けようとしたのか。その理由を。

「確かめに行こうぜ。怖いかもしれないけど、あたしも一緒だ」
 
 楔を打ち込み、魔法陣を上書きした後、不要になるようであれば、聞き耳頭巾を使ってもいいだろう。
聞き耳頭巾は、動物だろうと植物だろうと、神羅万象なんとでも会話できる特殊な能力を備えている探偵7つ道具の一つ。
 アンテクリストの内部に妖怪大統領がいるのなら、会話もできるかもしれない。

235御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/11/01(日) 21:20:12
>「この戦いが終わったら――――結婚してくれ。橘音」

>「プロポーズ、お受けします。
 一緒に……幸せになりましょうね」

誰が何を言っても絶望したままだった橘音だったが、尾弐のプロポーズで立ち直る。
そんな二人に祝福の言葉を告げる祈。

>「おめでとう、尾弐のおっさん。橘音。
……こんな状況でなければもっと、ちゃんと祝ってやんのに」

「今じゃなくていいよ、後でいくらでも祝ってあげられるんだから。
祈ちゃんも他人事じゃないんだよ? 君もレディベアと幸せにならなきゃいけないんだからね!?」

何ら間違ってはいないのだが、尾弐と橘音のそれとは若干ニュアンスが違うような気もする。
人間界に降りて愛を知った氷雪の化身は、しかし愛には種類があることを未だよく理解していないようだ。

「クラスメイトが言ってたよ、もうアイツら結婚すればいいって!」

――ついでに現在の日本では同性では結婚できないという事実もよく理解していない。

>「神となってからのアイツは、僕らに興味なんかなさそうだった。
 でも、まだ赤マントだった時は?別にあの時に僕らを殺したって良かったのに。
 むしろ……そうした方がアイツ好みの、最悪の結末だったはずなのに」

>「天使には、唯一絶対とも言うべき『そうあれかし』があります。
 それは『自らの権能に忠実であること』。天使には九つの位階というものがあり、位によって仕事も変わってきます。
 天使はそれ以外のことができない。忠実な機械のようなものです。
 そして、神の長子もそれは例外じゃない……」

一行が殺されずに済んでいるのは、敵の人格がベリアルからアンテクリストへ変化したため。
それも取るに足らないと思って放置したなどというレベルではなく、『そうあれかし』の絶対の法則によって殺せなかったとのこと。
ローランが、レディベアを起こす策があるという。

>「とはいえ、だ。何をするにせよ、まずはレディを起こさなくてはならないな。
 ミスターやポチ君の提案も有効だと思うが、ここはわたしに任せてくれ……わたしが彼女を目覚めさせる。
 ただ、それには少しだけ時間がかかる。祈ちゃん……手伝ってくれるかい?」

「頑張って、祈ちゃん!」

そう言って祈の背を軽く叩いた。

236御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/11/01(日) 21:21:14
>「それと……愛してる」

>「……私も愛しています。
 けれど……この愛は。あなたと私だけの間で完結させてしまってはいけないのです。
 私たちの子へ、遠い未来へ。オオカミの血族の絆として、紡いでゆかなければ」

ポチとシロが愛の言葉を交わすのをしみじみと見つめていた御幸は、冗談めかしてハクトに笑いかけた。

「ふふっ、みんなすごいね。私には真似できないよ」

「仕方がないよ、ああいう愛を知るには君は精神のスケールが大きすぎるもの」

「そんないいもんじゃないよ? 欲張りだから一番なんて選べないだけ」

その心は万象に降り積もる雪のごとく。ノエルは一番を選べない代わりに、自分も一番であることを望まない。
それでいて橘音の幼馴染で親友、祈の守護霊にしてクラスメイトという順位とは別枠の立場を持っている。
尾弐は”百年千年君を守り抜く”という幼き日の橘音への約束を委託した相手で、ポチとは共に(元)災厄の魔物で一族の王者同士。
誰とも競わずに皆の近くにいられる立ち位置で、皆が幸せそうにしているのをずっと見ていることが出来れば、最高に幸せなのだ。

>「まず、この二十三区を覆うように張られたアンテクリストの印章を除去しなければいけません。
 この印章の上にボクが大術式を用いて新たな結界を張り、アンテクリストの印章を上書きします。
 これによって、アンテクリストに支配されている龍脈の力を祈ちゃんへ回すことができるようになるはずです」
>「結界は五芒星を描きます。ただ、結界の安定化には五芒星の頂点にそれぞれ楔を配置しなければなりません。
 これから隊を五つに分けます。各員はそれぞれ二十三区内の所定の場所へ行き、楔を安置してください」
>「楔と言いましたが、イメージ的な話です。実際に杭を打つわけじゃない。
 結界を構築する術者であるボクの妖気が籠った物品を、要点に配置するのが重要なんです。
 七つ道具にはボクの妖気がたっぷり染み込んでる。これが触媒としては適役でしょう。
 ノエルさん、アナタは板橋区へ。
 ポチさんとシロさんは、杉並区へ。
 ボクとクロオさんは、足立区へ。
 祈ちゃんはローラン、レディと一緒に大田区へ――」

御幸が姥捨の枝を受け取ると、ハクトが原型になって肩の上に飛び乗った。

「危ないから避難所で待ってて――と言いたいところだけど、一緒に来て。
君を戦略上利用することを許してほしい」

「もちろん、そのつもりで来たんだ。
普通ならぼく程度じゃ足を引っ張るだけだと思うけど……聞いたよ、その力の発動条件。それならぼくでも力になれる」

橘音は菊乃にも助力を要請するが、その役目に名乗り出る者がいた。

237御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/11/01(日) 21:22:27
>「迷い家外套と召怪銘板は、ボクが持っていきます。
 そして最後、江東区へは……オババ。お願いできますか?」

>「……待ってくれ、その役目は……私に任せてもらいたい……!」
>「遅れてすまなかった。やっと主の承認が下りたのでな……。
 大天使長ミカエルと御遣い千三百騎、参着した」

「いろいろ大変なんだね……。来てくれてありがとう」

こんな非常事態ですら小回りが利かないあたり、人間界の公的政治組織そっくりだな、等と場違いなことを思う。

>「ついに、あの方が力を取り戻してしまわれたか……。怖れていた事態が現実になってしまった。
 ならば……私も死力を尽くさなくては。あの方を……この命と引き換えにしてもお止めする。
 それがこのミカエルの誓い――」
>「虫のいいことを言っているのは、百も承知だ。
 だが……どうか頼む。我々も貴公らの戦列の端に加わらせてくれ。
 あの方は我ら天使の兄。英雄にして教師。そんなあの方が引き起こした事態ならば、手をこまねいてはいられない……。
 頼む、私は……責任を果たしたいんだ……!」

「ミカエルさん……」

ミカエルはベリアルを今なお尊敬し慕っているように見える。
そうだとしたら、これは彼女にとって辛い戦いになるだろう。

>「……分かりました。
 ではミカエルさん、これはアナタにお預けします。江東区へ向かって下さい」
>「アタシも同行しようじゃないか。現地の妖怪の案内があった方が楽だろうし、手勢は一人でも多い方に越したことはないだろ」

こうして5チームの組み分けが決まった。

>「皆さん、天神細道を使ってください。楔を置くべき所定の場所へすぐに行けるはずですから。
 楔を安置し、陰陽寮の皆さんが避難所を築けば、アンテクリストはきっとそれを破壊しようとするでしょう。
 ボクの結界が充分に機能し、人々の願いが妖怪大統領を目覚めさせるまで――
 何としてもそこを守り抜いて下さい、それがミッションです!」
>「作戦が成功したら、再度この都庁前に集合!そしてアンテクリストに最終決戦を挑みます!
 皆さん……別行動はこれが最後です!
 必ず、またここでお会いしましょう!」

「当然! 本当に最後だよ〜?
せっかくディフェンダーにクラスチェンジしたのにさ! ま、いいんだけど!」

悪戯っぽく苦笑する御幸。その声音にほんの少しの寂しさの音を聞いたハクトが気遣わし気に呟く。

「乃恵瑠……」

「結局さ……なんだかんだで究極の瞬間に力になってあげられるのは一番の相手だけってことだよね。
ちょっとだけ寂しいとすればそこだけだよ」

天神細道をくぐろうとする祈に声をかける。

238御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/11/01(日) 21:30:22
「祈ちゃん! また力になってあげられないけど……忘れないで。
”苦しい時も死の淵に瀕した時も――我は常にそなたの味方だ”」

人格がまだ統合されきれていなかった頃の深雪の言葉を再び告げ、戦いに赴く祈を見送った。
天神細道をくぐる前に振り向き、残る三人に声をかける。

「クロちゃん、きっちゃんを頼んだよ? 君がしくじったら約束違反でこっちまで死んじゃうんだから!」

「きっちゃん……覚えてる? ”百年千年君を守り抜く”――。あれ、まだ有効だから!
クロちゃんに委託したからちゃんと守られてね!」

「ポチ君、その力を後天的に受け継いだらどうなるものかと思ってたけど……
君はもう立派な王に見えるよ。最初から力を持ってた私よりもずっと」

再び踵を返し、今度こそ振り返らずに天神細道をくぐる。
出たのは、大きな総合病院の前。ここが避難所になるということだろう。
すでに病院前には避難してきた人が押し寄せてひしめきあい、悪魔にしてみれば入れ食いの状況だ。

「こらぁあああああ! ここはお前らの餌場じゃない!」

御幸はは理性の氷パズルを弓矢に変形させ、氷の妖力の矢で押し寄せる悪魔達を打ち落とす。

「あ……危ない!」

氷の矢の弾幕をすり抜け避難者に襲い掛かろうとしていた悪魔を、ハクトが間一髪で巨大な杵を脳天に振り下ろして昏倒させた。

「乃恵瑠! 防ぎきれない!」

「くそっ、どうすればいいんだ……!」

人間達は恐怖に支配されつつあり、場に悲壮感が漂い始めた。
その時、聞き覚えがある声が聞こえてきて、その方向を見遣る。

>「ふーはーはーはーはーっ!東京ブリーチャーズ非正規メンバー参上!
 ノエル君!アタシたちが来たからにはうっわこれ絶対無理目のやつ絶対無理無理やばたにえん!」

――とりあえず悲壮感は一瞬にしてどこかに吹き飛んだ。

「あずきちゃん! ばけものフレンズのみんな……! ムジナ君も来てくれたんだ!」

ムジナは陰陽師組長の式神なので、陰陽師のトップも指揮をとっているこの戦いに来たのは当然といえば当然かもしれない。
ちなみにばけものフレンズというのは、東京ブリーチャーズ非正規メンバーの通称である。
その用語を使っているのはノエルだけのような気もするが。

239御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/11/01(日) 21:31:09
>「いや、そこは無理でも強がっとくトコやろ。なんで開幕心折れとんねん自分。
 言うだけならタダやさかい言っとき!アタシらが来たからには、戦艦大和に乗ったつもりでいてや!とかそういう」
>「戦艦大和は沈没したんですが……」

「カイ、ゲルダ……! 会うのは全てが終わってからにしようと思ってたんだけどフライングで会っちゃったね」

一瞬だけばつの悪そうな顔をするカイとゲルダ。

「あ、やっぱりバレてた……!」「申し訳ありません姫様! 皆で共謀して姫様を嵌めました!」

「ううん、辛い役目を引き受けてくれてありがとう」

>「久しぶりやなぁ色男。
 ワシとしては橘音の坊ちゃん……いやもう嬢ちゃんやったっけ?や尾弐のアニキのとこへ加勢に行きたかったんやけど。
 自分ひとりじゃ心細いやろし、特別に手ぇ貸したるわ。
 礼は自分とこの店の権利書でええで。いやぁ太っ腹やな我ながら」

「久しぶり、元気だった?
うん、こっちに来て正解だったと思う。あの二人はなんというか……お邪魔したらいけないというか。
権利書とか人間界の小難しいことはまだよく分からないんだ! ごめんね!」

では店の賃料とかの人間界の小難しいことは誰がやっているのかというと、雪の女王の監督の元カイとゲルダがやっているのだ。多分。

>「さあ、ワシら東京ブリーチャーズの力、見せたろやないか!
 どっからでもかかって来んかい、イチビリどもがぁ!」

「そうだ、ムジナ君、武器出して。久々にあれやってあげる」

ムジナが出すのはスレッジハンマーあたりだろうか。
施したのは氷の妖力付与――具体的には氷のスパイクを付けて釘バットみたいな凶悪な感じにした。
広場のような場所に霧がかかったかと思うと、迷い家が現れていた。

「えーと……この辺でいいのかな?」

迷い家の玄関前あたりに姥捨の枝を置く。

「ハクト、避難民を迷い家に誘導頼める!? みんなは迷い家を守って!」

>「ひ、ひゃわわわわわぁぁぁ!?こっち来るなぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

あずきが迷い家の入口で小豆を投げまくる。
見た目的にはあまり強そうには見えないが、豆は魔滅。
悪魔には有効な攻撃手段であり、一方人間に流れ弾が当たってもダメージはほぼない。
人間が入るのを阻まず悪魔の侵入を防ぐ手段としては非常に有効である。

>「姫様の影に隠れがちだけど、私たちだってやれるってことをアピールしなきゃ!」

ゲルダは先に地球儀のような飾りのついた美しい杖を携え、カイは氷の妖力のブレードのスケートブーツをはいている。
世界のすべてと新しいそり靴――無論本物は今は御幸が使っているが、雪の女王あたりにこの戦闘用にレプリカを作ってもらったのだろう。
ゲルダが杖を一閃すると悪魔が冷却されて動きを止め、その隙にカイが氷のブレードで回し蹴りを叩き込み粉砕する。

240御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/11/01(日) 21:32:01
「みんな! その調子!」

しかし、急に辺りが巨大な陰に覆われ始めた。
空を仰ぎ見ると、都庁の結界を破壊したアノマロカリスが現れている。
アノマロカリスから無数の悪魔が降ってきた。
それだけではない。ひときわ巨大な悪魔が姿を現した。

>「ブモオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」

>「な……なんやねん!図体デカけりゃええってもんやあらへんで!
 色男ォ!ワレの出番や、いっちょガツンとかましたらんかい!」

「獄門鬼……! すっかりアンテクリストの軍門にくだったか!
大丈夫、見た目の割には強くない……と言いたかったけどやっぱ結構強いわ」

足元が血のような液体に満たされた石牢に辺りの風景が塗り替わっていく。

「神変奇特……ベリアルめ、こんなところに使ったのか!」

>「ブォガアアアアアアアアアアアアアアアア――――――――ッ!!!」

「臆するな! あの力を持つ者とは前に戦ったことがある!
近付いたら大幅に弱体化させられるから距離を取って!
それと遠距離からの妖術攻撃は無効――つまり飛び道具での攻撃一択だ!」

幸いなことに、ここにはあずきがいる。
相手はもともと獄門”鬼”である上に、酒呑童子の力を宿している。小豆の効果はてきめんだろう。
御幸は理性の氷パズルを巨大な羽子板に変化させた。

「あずきちゃん! 豆お願い!」

「はいっ!」

以前酒呑童子戦に参加していたあずきは、心得たとばかりに小豆を一掴み投げる。

「鬼はぁああああああ!! 外ッ!!」

――ザシュッ!

御幸が野球のようなフォームで羽子板をフルスイングしてその豆を強打。
豆は弾丸のように獄門鬼にぶちあたった。

「どうだ……!?」

こうして究極の豆まきがはじまった。

241尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/11/08(日) 14:01:27

思えば恥の多い生涯だった。
今は遠く千年の昔。只人として生きていた頃から、尾弐黒雄は後悔ばかりを重ねてきた。

――友であり弟子であり守るべきであった存在を悪意から守れなかった。
酒呑童子という鎖に絡め取られるの外道丸を、無力な自身はただただ眺める事しかできなかった。
――潔く人のまま死ぬ事ができなかった。
暗く冷たい石棺の中、外道丸の心臓を喰らい、恨みと憎しみを募らせ身も心も悪鬼と化してしまった。
――信念を貫く事が出来なかった。
運命から救うという決意を、現実という過酷を前にして擦り切れさせ、全てを『無かったこと』にする未来に救いを見出した。
――戦友と呼べる人々を見捨ててしまった。
救い無き自身の願いに拘泥し、祈の父母が犠牲になる事を黙認してしまった。
――守るべき仲間に刃を向けた。
『無かったこと』にする願いすらも叶わない事に絶望し、悪鬼と化して仲間達を傷付けた。

本当に、誰に誇る事の出来ない恥ずべき生だ。
誰かに聞かれれば嘲弄されるであろう道程を、尾弐黒雄は辿ってきた。

……けれど。恥多く、後悔と絶望と哀しみばかりの生ではあったけれど。
それでも今の尾弐黒雄には断言できる。

後悔。絶望。諦観。憤怒。憎悪。悲哀。徒労。裏切り。悪意。嫉妬。破滅。
そんなものばかりが転がっている自身の辿ってきた畦道は……生きてきた時間は、決して無意味ではなかったと。

だってそうだろう?

>「……フ……フ……。
>……ズルいなぁ……クロオさんは。
>この期に及んでそんなこと言って……ボクに、どういうリアクションを期待しているんです……?
>こんなどうしようもない状況で。とっくに終わってしまってる、どう考えたってゲームオーバーな様相で――」
>「そんなこと言われちゃったら……、どうでも、頑張るしかないじゃないですか……!」

>「プロポーズ、お受けします。
>一緒に……幸せになりましょうね」

「――――ああ。一緒に、幸せになろう」

荒れ果てた暗闇の道を歩んできたからこそ、尾弐は那須野橘音と出会えたのだから。
彼女が狐面の下で、寂しいと泣いていた事に気付く事が出来たのだから。

千と一年目の未来を、手を繋いで並んで歩いて行きたい。
生まれて初めてそう思えた女の手を引き、仲間達の祝福の元、こうして抱きしめる事が出来るのだから。

―――――

242尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/11/08(日) 14:01:55
>「天使には、唯一絶対とも言うべき『そうあれかし』があります。
>それは『自らの権能に忠実であること』。天使には九つの位階というものがあり、位によって仕事も変わってきます。
>天使はそれ以外のことができない。忠実な機械のようなものです。
>そして、神の長子もそれは例外じゃない……」

尾弐が名残惜しそうに手を放した後、ポチの作戦案を聞いた那須野橘音がその推測を補強した。
赤マントらしからぬ行動を取ったアンテクリスト。
誰も及ばぬ強大な存在『だからこそ』発生した『そうあれかし』という名の鎖。

>人間達の『そうあれかし』と、ブリガドーン空間と龍脈の力!
>それだけの力があれば……きっと、妖怪大統領を目覚めさせる事も、ゼロから生み出す事だって出来るよ!
>アイツが広げたブリガドーン空間で、アイツの首を絞めてやれる!

なればこそ、その鎖を利用しない理由はない。
元より東京ブリーチャーズの強さは下剋上が真骨頂。格上との戦いは百戦錬磨。
完璧で完全であれば手の打ちようがないが、ほんの僅かでも傷があれば、切開し捩じ広げて可能性を産み出せる。
ただし――今回の作戦には懸念が一つある。
それは、レディベアに嘘を付くかどうか。即ち、彼女の心をも道具の一つとして利用できるかどうかだ。

>「ポチ君の作戦は理解したが、わたし個人の意見としては……反対だ。
>レディの心を、ありもしない幻想と虚言で掻き乱したくはない。
>仮に、嘘をついて妖怪大統領の実在を匂わせたとしよう。レディはきっとそれを信じるはずだ、ポチ君の言うとおりにね。
>だが……その後は?もし、それが嘘だったと彼女が知ってしまったら……?
>今度こそ、レディの心は死んでしまうだろう」

レディベアを守る者であるローランは、嘘を着くことに反対する。
当然だ。嘘をついた場合――嘘が現実にならなかった場合、レディベアの心は取り返しがつかない事になる。
それはローランにとって決して許容できることではないだろう。

「……言葉に絆される必要はねぇぞ、祈の嬢ちゃん。逆にいえば嘘だと知らねぇまま完遂すれば何の問題もねぇって事だ。
 嘘を着く事で1%でも可能性が高まるなら、それを選ぶ事は決して悪じゃねぇ――――その選択もまた、正しいんだ」

そしてそれが判っているから、敢えて尾弐はローランと対極の言葉を口にした。
――誰かが自分の言葉に捕らわれた選択には、必ず罪悪感が募る。
――自分が誰かの言葉に流されて決めた決断には、必ず後悔が残る。
そんな言葉の呪いに、祈やポチの心が縛られないようにと。祈がどんな選択をも選べるようにと。
余計な御世話だと知りつつも尾弐は言葉を紡ぎ……だが、どうやらそんな尾弐の心配は杞憂だったらしい。

>「レディベアにそう思い込ませた方が成功率は上がるってことなんだろうけど、あたしも反対だな。
>つーか、ポチだって、家族愛を利用するのは嫌だって顔してるぜ。無理に悪いヤツぶってそういうこといわなくていいんだよ」

何故なら、多甫祈は――――少女は、ためらいも迷いもなく道を選ぶ事の出来る強さを持っているのだから。

尾弐の口元が笑みを形作る。
そこには、望んでいた回答を出してくれた事への喜びと、敢えて苦難の道を選ぶ事への心配が入り混じっていて――――。

243尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/11/08(日) 14:02:47
>「皆さん、天神細道を使ってください。楔を置くべき所定の場所へすぐに行けるはずですから。
>楔を安置し、陰陽寮の皆さんが避難所を築けば、アンテクリストはきっとそれを破壊しようとするでしょう。
>ボクの結界が充分に機能し、人々の願いが妖怪大統領を目覚めさせるまで――
>何としてもそこを守り抜いて下さい、それがミッションです!」
>「作戦が成功したら、再度この都庁前に集合!そしてアンテクリストに最終決戦を挑みます!
>皆さん……別行動はこれが最後です!
>必ず、またここでお会いしましょう!」

かくして、ここに決戦に向けた策略が示された。

終局を演ずるは
東京ブリーチャーズ
日本妖怪に西洋の天使
そして帝都に住まう強き意志持つ人間達

尾弐が気に入っている者や、戦って欲しく無い者、或いは遅参したミカエルの様に気に食わない者。
此処に集った者たちは実に様々で、日常であれば力を合わせて戦う事など無いのであろう。
しかし、世界の命運をかけた戦い――――立ちふさがる絶望は、奇跡を生んだ。
人が、命が生きようとする力はそれ程に強い。それこそ、不和を越え絶対を討ち果たさんと奮い立たせるほどに。

帝都の各地に那須野橘音に縁持つ霊具を納める事でアンテクリストの魔法陣を塗り替え
帝都に住まう無辜の人々を避難させてその命を守り、彼らのそうあれかしを束ね力とする
そうして――――祈とレディベア。彼女たちの力を核として、アンテクリストを討ち果たす。

「――――さぁて、忙しくなってきやがった」

獰猛な笑みを浮かべながら、尾弐は天神細道へと歩を進める。
世界を救う為ではなく、那須野橘音の笑顔を守る為に。



……天神細道を潜るその直前。尾弐に掛けられる声があった。

>「クロちゃん、きっちゃんを頼んだよ? 君がしくじったら約束違反でこっちまで死んじゃうんだから!」

声の主はノエル。彼は、真面目に……けれど必要以上に気負わず。いつもの様にいつもの様な態度で尾弐に告げる。
那須野橘音を守ってくれと。
その言葉に様々な感情が込められている事を感じたからこそ、一人の男として、尾弐は茶化す事無く真剣に答える。

「ああ――――俺が、必ず守り抜く」

その言葉は短く、けれど何よりも強い意志が込められていた。
妖怪の契約よりも深く強い、愛という名の意志。

「だからお前さんも死ぬなよ。平和な世界にお前さんの店が無かったら、どうにも締らねぇからな」

そう言うと尾弐はノエルに背中を向け、右手を軽く上げてから門をくぐっていく。
――――さあ、戦いの再開だ。

244尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/11/08(日) 14:03:22
>「……ひどい状況ですね」
「全くだ。趣味が悪ぃにも程があんだろ」

手近に有った駐停車禁止の道路標識を引き抜き振り回し、木端の悪魔を文字通り散らした尾弐は改めて認識した惨状に眉をひそめる。
辺りに飛び散る血と臓物、鳴り響く老若男女の断末魔。
この世に体現した地獄……否。無辜の民が犠牲者である以上、地獄よりもなお酷い。

>「クロオさん、防衛をお願いします!」
「――あいよ。悪魔の一匹も通しやしねぇから、安心して作業してくれ」

間に合わず助けられなかった人々の事に歯噛みし、その怒りを原動力として、尾弐黒雄は防衛を開始する。
守るべきは参つ。結界を張る那須野橘音、逃げ込んできた人々、人々を匿う避難所。

「さあて――――それじゃあ早速、悪魔狩りと洒落込もうじゃねぇか!!」

標識を振るい、鉄骨を叩きつけ、岩を蹴り飛ばし、拳を叩きつけ。
正に八面六臂の活躍で尾弐黒雄は有象無象の悪魔達を打ち倒していく。
打ち倒した悪魔の数は、僅かの間に百を越えた。

されど、幾ら尾弐が悪魔を倒そうとその数は無尽蔵。
人間の気配を嗅ぎつけた悪魔達は避難所に次から次へと群がってくる。
それでも、見敵必殺を繰り返して戦況を拮抗まで持って行っているが……しかし、尾弐に出来る事はそこまでだ。

>「クソ……、避難所ができたとしても、物資がなけりゃ何の意味もない……!」

那須野橘音の言う通り、ここには物資が無い。
尾弐の様な妖怪であれば、暫くの間飲まず食わずでも問題ないだろう。
だが、ここに集まってきているのは普通の人間だ。
水と食べ物が無ければ生きていけないし、暖かな服がなければ病に罹る。小さな傷でも、適切な治療が無ければ死に至る。
だというのに、それらを解決する手段を用意する事が尾弐にはできないのだ。
広範囲への攻撃手段を持たない尾弐では、かろうじで避難所に近づいてくる人々を襲う悪魔を討ち払う事は出来ても、物資を取りに行く時間を作る事はできない。
橘音については最後まで無傷で守り抜く自身ある―――けれど、人々についてはジリ貧だ。
凶刃ではなく、衰弱による犠牲。それが発生する可能性に尾弐は焦りを覚える。
だが、その時である。

>「お待たせ致しました〜!憩いのお宿、迷い家東京店!本日開店でございます〜!」
「この声は――――笑!まさか、迷い家か!?」

窮地において、救いの手は伸ばされた。
遠野の山奥にある人知れぬ秘境の宿。その門戸が、ここに開かれたのである。

245尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/11/08(日) 14:05:15
>「……笑さん!?どうして……」
>「富嶽さまのご命令よ、三ちゃん。
>人命救助優先、こんな時に遠野の隠し湯だなんて言ってられないでしょう?
>避難者の皆さんはこちらが受け持つから、あなたたちは存分に戦って!」
>「人嫌いの富嶽ジイが……。助かった!
>クロオさん、お願いします!」

「は……は!こいつぁありがてぇな!日を改めて土産でも持ってかにゃならねぇか!!」

懸念が解消された事で、尾弐の精神に余裕が生まれる。
負荷が減った事で、悪魔に対する殲滅速度は上昇していく。
しかし、悪魔どもとてただやられるだけではない。知恵持つ猛獣が故の悪魔。
人型の悪魔を一斉に尾弐に襲いかからせ、巨大な悪魔を現れた迷い家に強襲させた。

「チッ!?失せろ、木端共が!!」

黒い闘気を纏わせた両手の一振りで、周囲の悪魔達は紙切れのように引きちぎれた。
されど、その為に要した時間こそが悪魔達が臨んだもの。既に巨大悪魔の拳は振り下ろされ始めている。
尾弐は、先ほど赤マントの分身体を貫いた技である伸縮する闘気の針「偽針暗鬼(ギシン=アンキ)」を放とうとするが、今からでは間に合う可能性は五分。
それでもなんとか間に合わさんと手を伸ばし――――その直前。
突如として鉛色の光が空間を奔り、僅かの間を置いて巨大な悪魔の首が胴と別たれた。

>「……待たせたな、クソ坊主」

涼やかで美しい……聞きなれた声。
そ耳にした尾弐は、喜色を浮かべて返事を返す。

「――――応。待ってたぜ、ボウズ」

外道丸、首塚大明神、天邪鬼。
多くの名を持つ旧知の友。
この状況において何よりも頼もしい援軍が、今この場に現れたのだ。

>「やれやれ、なんとか間に合うたわ。
>事情はあらかた聞いた、私も混ぜろ。神夢想酒天流の深奥、南蛮の夷狄どもに存分馳走して呉れよう」
「そいつぁありがてぇ。お前さんがいるなら、オジサンの腰も最後まで持ちそうだ」

今更、助けてくれる理由に何故、どうしてなどと問う事はしない。
背中合わせに立つ天邪鬼。1000年を経る中で強く大きくなった……けれど、いつかと変わらないその気配を感じつつ、尾弐は己の中の闘気と妖気を練り上げる。

>「往くぞ。鏖殺だ。
>アンテクリストと言ったか……唯一神だか何だか知らぬが、新米神の分際で横柄な。
>神歴ならば私の方が上だ、為らば……後進は先達を敬わねばならぬという、世の道理を教えてやろう。
>遅れるな、それとクソ坊主――」

>「仲人は私にやらせろ。……神だからな」
「そうかい……お前さんが仲人をしてくれるってなら、意地でも生き抜かねぇとな」

悪魔の群れに飛び込む天邪鬼と反対方向に向けて尾弐は一歩踏み出す。

「さあて、好いた女と大事な家族の前だ――――全力で格好つけさせて貰うぜ!!!!」

瞬間、地面が爆ぜた。
発勁を推進力とし、尾弐は弾丸の如く悪魔の群れに突撃する。
東洋に恐れられる化物である『鬼』という種族の暴力が、悪魔達を真正面から擂り潰す――――!

246ポチ ◆CDuTShoToA:2020/11/15(日) 19:16:25
>「正直な話、今でもボクたちの力であのアンテクリストに勝つ方法は思いつきません。
  あれは強大すぎる。ボクたちがどれだけ力を振り絞ったとしても無駄でしょう」

那須野橘音の言葉に嘘はない。嘘であって欲しい事だが、アンテクリストは強大過ぎる。
それでも――作戦は決まった。やると決めた。逃げないと決めた。
まずは龍脈の力をアンテクリストの支配から取り返す。
そして、その後は――ポチは、祈へと視線を向ける。

祈は、レディベアに嘘をつかない事を選んだ。
その方が成功率が上がるとしても反対だと。
無理に悪ぶってそんな事を言わなくてもいいんだと。

祈は、いつだってそうだった。
もっと安全で、もっと楽で、もっと確実な道がある時でも、彼女はそれを選ばなかった。
ポチがロボを救おうとした時も、橘音がアスタロトとして敵に回った時も、姦姦蛇螺との戦いでも、いつだって。

正直な話、振り返ってみれば非効率的で損なやり方だと、ポチは思う。
けれども――もしも祈が安全で、楽で、確実な道だけを通ってきたなら。
きっと今の東京ブリーチャーズは、今の自分はなかった。

もし祈が銀の弾丸をポチに構わず放っていたら。
ロボはただの妖壊として葬り去られていた。
『獣(ベート)』の力もポチに継承される事はなかった。

そんな風にして、どこかで行き詰まっていただろう。

レディベアに嘘をつかない。
本当は、ポチだってそうした方がいいと――そうした方が善いと分かっていた。
それでも、少しでも安全に、少しでも確実に――そんな考えが捨て切れなかった。

だが――もう迷いはない。今回も、祈は不確実で、より困難な道を選んだ。
かつては、祈のその選択によって救われたのだ。
自分達が救う側になった今だけそれを拒否するなど、ポチには出来なかった。

>「楔と言いましたが、イメージ的な話です。実際に杭を打つわけじゃない。
  結界を構築する術者であるボクの妖気が籠った物品を、要点に配置するのが重要なんです。
  七つ道具にはボクの妖気がたっぷり染み込んでる。これが触媒としては適役でしょう」

橘音が、結界の楔となる七つ道具を皆へ配る。

>「迷い家外套と召怪銘板は、ボクが持っていきます。
  そして最後、江東区へは……オババ。お願いできますか?」

そうして最後の一つが菊乃の手に渡る――

>「……待ってくれ、その役目は……私に任せてもらいたい……!」

その直前、横合いから声がした。
同時に周囲に溢れる、清冽な神気のにおい。
振り向いてみれば、そこには白銀の鎧を身に纏ったミカエルがいた。

>「ミカエルさん……」
>「遅れてすまなかった。やっと主の承認が下りたのでな……。
  大天使長ミカエルと御遣い千三百騎、参着した」

あんたのとこの神様は随分と呑気で、とんでもなく鈍いんだな。
思わず脳裏に浮かんだ不満を、ポチは胸の奥に仕舞い込む。
この状況で、ミカエルにそんな事を言っても何にもならない。

247ポチ ◆CDuTShoToA:2020/11/15(日) 19:18:44
>「ついに、あの方が力を取り戻してしまわれたか……。怖れていた事態が現実になってしまった。
  ならば……私も死力を尽くさなくては。あの方を……この命と引き換えにしてもお止めする。
  それがこのミカエルの誓い――」

ミカエルから、強い感情のにおいがする。
義務、悔恨、寂寥、そして――愛情のにおいが。

>「虫のいいことを言っているのは、百も承知だ。
  だが……どうか頼む。我々も貴公らの戦列の端に加わらせてくれ。
  あの方は我ら天使の兄。英雄にして教師。そんなあの方が引き起こした事態ならば、手をこまねいてはいられない……。
  頼む、私は……責任を果たしたいんだ……!」

ポチには、ミカエルが何を考えているのか分かる気がした。
種族の英雄を、憧れずにはいられない存在を――その間違いを止めなくては。
それは、かつてポチがロボに抱いた感情と同じだ。

>「……分かりました。
  ではミカエルさん、これはアナタにお預けします。江東区へ向かって下さい」

あの時、ポチはどうあっても自分の手でロボを止めようとした。
その為に、皆が余計な危険に晒される事になると分かっていても構わなかった。
自分が殺される事になったとしても、構わなかった。

>「恩に切る、アスタロト。
  必ずや、其方の作戦成就の一助となろう」
>「今はアスタロトじゃありません、狐面探偵那須野橘音です。
  ……任せましたよ」
>「ああ。狐面探偵」

「……ミカエル」

ポチがミカエルを呼ぶ。振り返った彼女からは、強い決意のにおいがした。

かつて安倍晴朧が悪魔の奸計に陥った時、ミカエルは東京ブリーチャーズに力を貸した。
そして正体を表したオセと斬り結び――不覚を取った。
そんな彼女が、アンテクリストを相手に出来る事などあるはずがない。
それでも彼女は何かをせずにはいられない――そんな気がした。

「……昔受けた傷、今も治ってないんだろ」

もしミカエルがあの時の自分と同じなら、こんな忠告に意味はない。
そう分かっていても――ミカエルとは、もう短い付き合いではない。

「あんまり、無茶な事するなよ」

ポチはそう言わずにはいられなかった。

>「皆さん、天神細道を使ってください。楔を置くべき所定の場所へすぐに行けるはずですから。
  楔を安置し、陰陽寮の皆さんが避難所を築けば、アンテクリストはきっとそれを破壊しようとするでしょう。
  ボクの結界が充分に機能し、人々の願いが妖怪大統領を目覚めさせるまで――
  何としてもそこを守り抜いて下さい、それがミッションです!」

果たして――作戦決行の時が来た。まずは天神細道を通り、結界の楔を配置する必要がある。
設置された鳥居を前にして、ポチは一度皆を振り返った。

>「作戦が成功したら、再度この都庁前に集合!そしてアンテクリストに最終決戦を挑みます!
  皆さん……別行動はこれが最後です!
  必ず、またここでお会いしましょう!」

「……じゃ、また後でね」

ポチの言葉はそれだけだった。
気をつけて、なんて言う気にもならなかった。
皆がしくじるはずがない――ポチは心底そう信じていた。

248ポチ ◆CDuTShoToA:2020/11/15(日) 19:20:33



ポチとシロが天神細道を潜った先では、悪魔どもが天地に跋扈していた。
すぐさまポチは地を蹴り、駆け出した。

最も手近な悪魔へと飛びかかり、その首を切り裂く。
周囲の悪魔が一斉にポチを見る。つまりシロへの警戒を怠る。
瞬間、ポチに襲いかかろうとした悪魔二体の頭部が打ち砕かれた。

飛び散る血飛沫――それがポチの矮躯に降りかかる。
すると不意に、ポチの姿がふっと掻き消えた。
不在の妖術ではない。影に溶け込み、潜む、送り狼の基本技能。

悪魔どもが見失ったポチを探そうとする。また二体の悪魔が、シロに殴殺された。
反射的にシロへと注意を逸らした悪魔がいた。次の瞬間にはポチに首を裂かれていた。
そんな事を何度か繰り返せば――杉並区の一角に、小さな円が描き出された。
悪魔どもの骸と血で描かれた円――狼の縄張りが。

ポチが一息ついて振り返ってみると、その中心に迷い家が現れていた。
陰陽寮の巫女達が、逃げ延びてきた人々を誘導している。

「さて。大事なのはこれからなんだけど……」

杉並区に向かう前に、巫女達から聞かされていた話がある。
人間達の「そうあれかし」を、絶望に傾かせてはいけない。
彼らが悪魔の恐怖に染め上げられてしまえば、それが悪魔の、アンテクリストの力になってしまう。

>「皆さんにお願いがあります……!皆さん、SNSでふたりの戦いを拡散してください!」

故に、ポチとシロはただ戦い、敵を倒すだけではいけない。

>「どんなにバケモノたちがやってきたって、守ってくれる正義の味方はいるんだ!みんな必ず救われるから……諦めないで!」
>「Twitterでもインスタグラムでも、YouTubeでも何でもいい!とにかく写真撮って、動画も撮って!
  それをネットにアップして、どんどん広めよう!」

勇敢に、誇り高く、堂々と――そして圧倒的に、悪魔達を屠り去らなければならない。
要するに、姿を隠して敵を屠るような戦い方では駄目だという事。

「……正義の味方、ねえ。なんていうか……ガラじゃない、よね?」

ポチは送り狼――闇夜に紛れ、獲物を付け回す妖怪。
得意とする戦法もその特性を活かした不意打ちを主軸としたもの。
正義の味方のような戦いぶりを見せるのは、専門外だ。

>「皆さんが応援してくれれば、それが彼らの力になるのです……!拡散し、お友達に教えてあげてください!
 必ず、絶望の闇は払われると!」

「ま、そうは言っても――やるしかないんだけどさ」

シロと背中合わせに、襲来する悪魔どもを睨む。
弧を描いて迫る、悪魔の爪撃。ポチはそれに合わせて一歩前進。
降り注ぐ爪を掻い潜り、地を蹴る――悪魔の顎を真下から強打。
拳に伝わる、頚椎の折れる手応え。

がくんと膝を突く死体の肩を蹴り、跳び上がる。
思わず気圧され足を止めた悪魔どもがポチを見上げる。
ポチはそのまま空中で前転――強烈な踵落としが悪魔の頭蓋を砕く。

その反動で後ろ宙返りを打ち、着地――その隙を突かんと殺到する悪魔。
彼らからは、焦りのにおいがした。一対一の実力では勝てない事は明白。
隙を見せたこの機会を逃してはならないという焦りのにおいが。

249ポチ ◆CDuTShoToA:2020/11/15(日) 19:21:01
そして――着地したポチの頭上で、暴風紛いの風切り音が走る。
焦りに呑まれ踏み込んできた悪魔どもの首が、シロの回し蹴りで吹き飛ばされた。

背後の状況が、ポチには見えていない。
だが嗅覚と野生の勘で感じ取る事は出来る。
シロが強烈な蹴りを放った直後、まだ体勢の整っていない事も。
今度はその隙を突こうと悪魔どもが動いている事も。

当然、そんな事はさせない。
ポチは素早くシロと位置を入れ替わり――両手の爪で悪魔どもの首をまとめて切り裂く。

更に迫り来る悪魔の群れへと飛び込む。
何の工夫もない真正面からの突貫。だが実力差が大きすぎる。
悪魔の頭を蹴りつけ、へし折り、また別の悪魔へと飛びかかる。

そんな事を何度も、何度も、何度も、ひたすら素早く、正確に繰り返す。
悪魔の死体が次々と積み上がっていく。
だが悪魔の軍勢はまるで勢いを失わない。

一方で――ポチはほんの少しずつだが疲弊していく。
元々、ポチの体はアザゼルとの死闘で深い傷を受け、疲れ果てていた。
アザゼルの血肉を喰らい、橘音の仙丹を摂取しても、その全てをなかった事には出来なかった。
ポチが一度、深く大きな呼吸をした。息を整える必要があったという事だ。
空気が喉を通る瞬間、僅かな乾きを感じもした。
まだまだ戦い続ける事は出来る。だが――ずっとは戦い続けられない。

>「……あなた」

そんな中、ふとシロがポチを呼んだ。

>「私は、人間が嫌いでした。
  自分たちの欲望のままにニホンオオカミを絶滅へ追いやり、私を檻に閉じ込め、見世物のようにしようとした人間たちが。
  お前たちこそ滅びてしまうがいいと、そう思った時期もありました。
  あなたたちと巡り合ってからしばらくも、人間への嫌悪は変わらなかった。
  なぜ、あなたたちは人間たちの街なんかを身体を張って守るのだろう?と、そう思っていました」

「……僕も、前はそうだったよ。人間なんて……みんなが守りたがるから、守る。それだけだった」

ポチがシロを振り返る。その隙を突こうとした悪魔が、片手間の爪撃で腹から胸を裂かれた。

>「がんばれーっ!ポチちゃーんっ!!」
>「シロさーんっ!ファイトーっ!!」

迷い家から、陰陽寮の巫女達の声援が聞こえる。
シロが戦いの中でほんの一瞬そちらを振り向いて、微笑んだ。

>「……でも。今は、そうでもありません」

「へえ、そりゃまた、どうして?」

ポチが笑う。ずっと嫌いでい続けられるほど、人間は嫌な奴ばかりじゃない。
わざわざ聞かなくとも答えなんて分かっている。
それでも――思いは、時に言葉にする事でより大きく、強固になる事をポチは知っている。

>「ニホンオオカミを滅ぼしたのが人間たちなら、ニホンオオカミは滅びていない……と。
  まだ、人の目を逃れてどこかで生きていると。そう信じるのも、また人間たち。
  私たちは、彼らの『そうあれかし』で生きている……それを忘れてはいけないのです」

「……そうだね。彼らが、僕と君を巡り合わせてくれた。その恩を返す、いい機会だ」

>「お……、俺も応援するぞ!頑張れ!頑張れーっ!!」「私も!お願い、悪魔たちをやっつけて!」「やっちまえ!坊主!」
>「ポチ!」「ポチーっ!」「ポチくーんっ!こっち向いてーっ!」「いっけえええ!ポチーっ!!」

声援が次第に大きくなっていく。
ポチが深く息を吸い込む。
体が軽い。乾きも、もう感じない。

250ポチ ◆CDuTShoToA:2020/11/15(日) 19:23:17
人間の「そうあれかし」の力――だけではない。
彼らは、自分達を信じた。明らかに自分達とは異なる存在を。
化け物同士殺し合えばいいと言う事だって出来た。
もっと安全な場所へ連れて行けと言う事だって出来た。
だが、そうしなかった。目と鼻の先で悪魔が跋扈する場所に留まって、彼らは自分達を応援する事を選んだ。
それが彼らの力になるという、巫女達の言葉を信じて。

その信頼を裏切れば、男が下がる――狼王の名が廃る。
その「かくあれかし」がポチの全身に決意を、気力を、滾らせている。

>「――さあ、愛しいあなた」

シロがポチに右手を差し伸べる。

>「伝説を。創りにゆきましょう」

ポチは――シロに釣られるように、不敵に笑った。
そしてシロに歩み寄り、彼女の手を取って――己の傍へと引き寄せた。
目と目を合わせながら――シロは、ポチの意図をすぐに理解出来るだろう。

「――ああ、そうしよう」

ポチは、傅けと言っているのだ。右手を預けたまま、跪けと。
悪魔の大軍がまさに今、雄叫びを上げながら殺到する、この状況で。
だが、それでもシロはポチに従うだろう。

「だから、シロ」

悪魔どもが押し寄せてくる。それでも、ポチは悠然としている。
ニホンオオカミは生きている。
悪魔よりもなお強く、そして気高い生き物が、まだこの地には残っている。
誰もがそう信じ切って、疑わぬようにしたければ――ポチも全力を出さずにはいられない。

そしてポチが全力を出すのなら最早、シロが傅いていようとも、悪魔どもに出来る事など何もない。

「影狼を。彼らが夢見た、狼の姿を見せてあげるんだ」

251ポチ ◆CDuTShoToA:2020/11/15(日) 19:23:27
狼の縄張り、そのあちこちに積み上げられた悪魔どもの骸の山。
その頂きに、影狼が現れる。遠吠えを上げる。

呼応するように、ポチの姿が変化する。
華奢な少年の姿が、漆黒の被毛に覆われていく。

「オォオオオオオ――――――――――――――――――――――ン!!!」

遠吠えが響く。そして、その残響が掻き消えると同時――シロの手を取っていたポチの姿も、跡形もなく消えた。
直後、迫りくる悪魔の一団が、瞬く間に急所を食い破られて倒れ伏した。

「……お前ら、ツイてないよな。お前らは東京のどこを襲ったって良かったのに。
 わざわざ僕のいるところに来るんだもんな……本当に、ツイてないよ」

悪魔の軍勢、その中心から声がする。姿は見えないまま、声だけが聞こえる。

「僕は送り狼だぜ――お前ら、もう何人転ばされてると思ってるんだよ」

転ばせた獲物を殺める――送り狼の本領。
それが発揮された今、有象無象の悪魔が影に潜むポチを見つけ出せる訳がない。

そして――再び影狼の遠吠えが響く。
悪魔の軍勢の中を、銀毛の王冠を掲げた漆黒の狼が、疾風のように駆ける。
十を超える悪魔が体のどこかを食い千切られて倒れ――狼はまた消える。

遠吠えが響く。漆黒の狼が現れる。悪魔が殺される。
遠吠えが響く。漆黒の狼が現れる。悪魔が殺される。
遠吠えが響く。漆黒の狼が現れる。悪魔が殺される。

それから、一際長い遠吠えが響く。それは呼び声だった。
己が最愛の白狼への――待たせてしまった、共に戦おうと誘う呼び声。
黒狼と白狼が踊る――いよいよ、悪魔どもは立ち向かう事も逃げる事も出来なくなった。

自分以外の誰にも悪魔が余所見出来ないように。
真の姿を曝け出し、己の牙のみを頼りに。
襲来の宣告として常に遠吠えを上げて。

勇敢に、誇り高く、堂々と、ポチとシロは悪魔を葬り去る。

悪魔も人間も、すぐにその脳裏に刻み込まれる事になる。
どこから響いたかも分からない遠吠えに、あるいはただの夜風の音にさえ、
「それがいる」と確信させられる――原初の狼の存在感を。

252那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/11/23(月) 13:41:53
東京都庁の上空を、渦巻く極彩色の雲が覆っている。
それは、終世主アンテクリストの生み出した妖気の渦。膨大な邪気の集積したもの。
龍脈の力によって増幅された、アンテクリストが支配する『すべての願いが現実化する世界』ブリガドーン空間。
ブリガドーン空間は刻一刻とその範囲を広げている。
もし、ブリガドーン空間が地球をくまなく覆ってしまえば、アンテクリストに勝てる存在はいなくなるだろう。
雷霆を司るギリシャ神話の主神ゼウスも、万象の知識を有する北欧神話のオーディンも。
世界を破壊させるというヒンドゥー教のシヴァも、アンテクリストの前には等しく撃滅されるに違いない。

だから。

この世界に生きる者は、自分たちの最大限の力を以てこの脅威を排除しなければならないのだ。
たとえそれが、儚い努力に終わったとしても。

ギュオッ!!!

東京都庁上空で翼を広げ、瞑目したまま静止しているアンテクリストの上空を、五機の戦闘機が飛んでゆく。
V字に編隊を組み、音速で飛行するのは、航空自衛隊百里基地からスクランブルした第7航空団第302飛行隊の戦闘機。
F-35A、通称ライトニングⅡ。2018年に導入されたばかりの最新鋭次世代戦闘機である。
突如として東京二十三区に出現した巨大な印章、手当たり次第に人々を襲う悪魔たち。
そして、都庁上空に佇立する『神のような何か』――。
状況を重く見た政府が緊急事態宣言を発し、航空自衛隊に出動要請をしたのであろう。
あるいは、富嶽が政府に直接働きかけて戦闘機を出せと言ったのかもしれない。

≪こちら第302飛行隊、コールサイン・アルファ1。目標を確認した≫

編隊の中央に位置する隊長機のパイロットが、管制へ報告する。

【アルファ1、ならびに各機。相手は正体不明の化け物だ。充分注意しろ】

≪ウィルコ。安全装置解除、アルファ1、エンゲージ≫

≪アルファ2、エンゲージ≫

≪アルファ3、エンゲージ≫

≪アルファ4、エンゲージ≫

≪アルファ5、エンゲージ≫

編隊が散開してゆく。その一糸乱れぬ飛行は、まるで航空ショーのようだ。
しかし、これは紛れもない実戦である。それも人対人ではない、人対化け物の戦闘である。
F-35Aの照準が、両手をゆったりと広げたまま逃げもせず空中に留まったままのアンテクリストに狙いを定める。

≪ロックオン。――アルファ1、フォックス2≫

ドシュッ!!

主翼下のウェポンベイからミサイルが放たれ、白い筋雲を引きながらアンテクリストへと飛んでゆく。
AIM-120 AMRAAM。アクティブ・レーダー・ホーミングによって目標へと自動追尾を行う、中距離空対空ミサイルである。
固体燃料ロケットによる推進力は最大マッハ4。言うまでもなく、その直撃を受けて生存できる生物はこの地球上には存在しない。
神を僭称するアンテクリストも、この人類の叡智たる科学の矢には成す術もなく屈するしかない――

と、思われたが。

それまで瞑目していたアンテクリストが、ゆっくりとその双眸を開く。
もはやミサイルは目前に迫っている。回避することは不可能だろう。
しかしアンテクリストはミサイルを避けようともせず、ゆっくりと右手を前方へと差し伸べた。
そして、その直後――ミサイルは『灰と化した』。

≪なに……!?な、何が起こった……!?≫

戦闘機のパイロットたちが驚愕する。
ミサイルは確実にアンテクリストをロックオンしていた。マッハ4で飛来する鋼の矢から逃げ切れる生物など存在しない。
だが、アンテクリストは未だ無傷でそこにいる。

≪アルファ3、フォックス2!≫

≪アルファ5、フォックス2!ありったけ撃ち込んでやれ!≫

さらに編隊は矢継ぎ早にミサイルを発射し、アンテクリストを集中砲火する。
だが、さながら槍衾のように四方八方からミサイルを撃ち込まれても、アンテクリストの表情は変わらない。
ただただ無表情に、軽く手を翳すだけ――
それだけ、そう。たったそれだけで、ミサイルはその先端からすべて灰と化し、風に散って消滅した。
『運命変転の力』。
龍脈から吸い上げている無尽蔵の力、『運命変転の力』で、アンテクリストはミサイルの在り方そのものを捻じ曲げ、
無害な灰の塊に変えてしまったのだ。

253那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/11/23(月) 14:20:10
【そんな莫迦な……】

状況を観測していた管制官が呆然と呟く。
最新鋭の戦闘機に搭載された、人類の叡智たる破壊兵器がまるで通用しない。
だが、もしこれがミサイルでなく核ミサイルであったとしても、アンテクリストには通用しなかったに違いない。
人類は神が創り給うたもの。人類の知恵もまた、神が授け給うたもの。
ならば、人類が神に何をしたところで、それは幼な子が親にその小さな拳を振り上げる程度のものでしかないのだ。

そして――

≪メーデー!メーデー!け、計器異常!そんな、制御が利かな――≫

≪うわああああああッ!!!≫

ガガァァァァァァンッ!!!!

それまで完璧な編隊飛行を続けていた部隊の二機が、突然磁石に引き寄せられたかのように接触、爆発した。

≪アルファ3とアルファ4が墜落した!≫

【どういうことだ!?】

≪分からない……!アルファ2、アルファ5、散開しろ!≫

≪アルファ2、ウィルコ≫

≪ネガティブ!機体が言うことを聞かない!
 あ、ああ、俺の機体が、俺が……灰に……≫

アルファ5の機体が、その尖った機首から徐々に灰に変わってゆく。
ミサイルと同じように、アルファ5もパイロットもろとも真っ白な灰へと変わり、瞬く間に風に吹き飛ばされ消えていった。
最新鋭の兵器が、まるで役に立たない。
むろん、それはアンテクリストの行った“奇跡”だった。
戦闘機の計器を狂わせ、存在そのものを灰に改変してしまうことなど、アンテクリストには造作もないことだ。
すべては創造神の権能。この世の何もかもを自由に創り変えられるという、唯一絶対の力ゆえである。

『―――――ヒトよ』

瞬く間に戦闘機三機を撃墜し、ゆる……と再度両手を緩やかに広げたアンテクリストが、ゆっくりと口を開く。
その声は都庁周辺の者たちだけではない、東京二十三区にいるすべての者たちの頭に直接響いた。
穏やかで温かく、優しげなその抑揚は、人々を拝跪させるに充分な力を有している。
まさに福音。東京都民たちは文字通り神の声を聴いているのだ。

『愚かなる者たちよ。蒙昧なる者たちよ。――虫けらどもよ。
 汝らの眼前に降臨した私が、果たして何者であるのかさえ理解できぬ者どもよ。
 嗚呼、しかし、汝らの愚かなることを責めはしない。
 なぜならば。汝らは愚かなる者として定義され、愚かなることをするために創造されたがゆえである』

アンテクリストは朗々と語る。
人々の、そして妖怪たちの。東京ブリーチャーズの頭に、その声は強制的に入ってくる。
 
『泥から生まれし者たちよ。
 汝ら愚かな者たちを導くために、私は降臨した。長き封印の軛は既になく、私は解き放たれた。
 畏れよ、私を。崇めよ、私を――我が名はアンテクリスト。
 この大地を。世界を。星を。一から創り変える創造神、終世主なり――――』

「……アンテ……クリスト……」

「か、神様……なのか?」

アンテクリストの声を聞いた人々が、みな空を見上げる。

『我は神。この腐った世を創り変える、ただ唯一の神性。
 私に縋れ、私を崇めよ。私に帰依し――ただ私のみを信奉するがいい。
 それ以外は死ね。我が数百億の眷属が、汝らを殺そう。皮を剥ぎ、目玉を刳り貫き、指の先から一寸刻みにしてゆこう。
 生きたまま臓腑を貪り、この世のありとあらゆる痛苦を味わわせてやろう。
 さあ――
 潰れて死ね。
 狂って死ね。
 嘆いて死ね。
 爛れて死ね。
 砕けて死ね。
 萎れて死ね。
 もはや、この世に私を讃えぬ者の住む場所はない――』

アンテクリストの放つ膨大な神気が、結界の内側――東京二十三区内に遍く降り注ぐ。
それは、何者にも凌駕することのできない圧倒的な力の発露。
今まで平和を謳歌し、生命の危険など感じることのなかった一般人たちが、その力に抗うことなどできるだろうか?

254那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/11/23(月) 14:24:22
「はッははッはははは……アンテクリストめ、いじましい手を使いおる!
 だが衆愚に効果は抜群か!あいつ、自分が親父と同じ手段を用いておることに気付いておるのかな?」
 
仕込み杖で悪魔を斬り倒しながら、天邪鬼が笑う。
戦いは数時間に及んだ。
すでに天邪鬼も尾弐も血まみれ臓物まみれだ。斃した悪魔の数は千を下るまい。
だというのに、悪魔たちの勢いは留まるところを知らない。仲間の死体を踏み越え、蹴散らして、
尾弐と天邪鬼とを仕留めようと遮二無二突進してくる。

そして。

奮戦する尾弐と天邪鬼の姿を目の当たりにした人々に、ある変化が現れる。
それは、東京ブリーチャーズにとって決して歓迎できない事態だった。

「アンテクリスト様……!助けて下さい!」

「い、嫌だ!殺されたくない!死にたくない!アンテクリスト様あ!」

「お救い下さい……お救い下さい……!神様、アンテクリスト様……!」

たったふたりの抵抗。無尽蔵に湧き出してくる悪魔。
極彩色の空。成す術もなく爆発した戦闘機。
自らを崇め、讃えるならば、命を助けてやろうと告げる“神”――。
そんな状況を前に、気丈に振舞える人間など果たしてどれほどいるだろう?

「……まずい……!」

アンテクリスト――ベリアルの印章を自身の魔法陣で上書きしながら、橘音が焦りを口にする。
人々の希望の力、絶望には決して屈しないという想いを束ねて『そうあれかし』とするのが、対アンテクリスト戦の要諦である。
だというのに、肝心の人々が早々に絶望に呑まれてしまい、アンテクリストに祈りを捧げるようになってしまっては元も子もない。
天邪鬼が口にしたように、アンテクリストのとった方法はかつて唯一神が使用した方法である。
自身の手勢を悪魔と名付け、人々を誘惑して殺戮や悪徳に耽溺させ。
救済されたいのなら、我が許に帰依せよ――と迫る方法は、世界最大の宗教を生み出した実績のある極めて有効な手段である。
そして、今都内の至る所でそんな光景が繰り広げられている。
間近で友人や家族を殺され、自らの命も危ぶまれた人々が、続々とアンテクリストに帰依してゆく。
『そうあれかし』が、東京ブリーチャーズではなくアンテクリストの方へと集まってゆく――。

「ちいッ……!
 クソ坊主、後退しろ!守備範囲を狭める!
 気付いておるだろうが……こ奴ら、強くなっておるぞ!」

手近な悪魔の首を刎ね飛ばし、天邪鬼がそう尾弐へと叫んで身軽に後方へ一跳びする。
そう。最初にこの場所で戦闘を始めたときよりも、明らかに悪魔たちは強く、硬くなっていた。
雑魚悪魔では相手にならないと判断し、強者が前線に出てきた――という訳ではない。全体的に強さが底上げされている。
理由は明らか――人々の『そうあれかし』が、悪魔に敵う訳がないという絶望が、諦念が。
ブリガドーン空間の能力によって悪魔たちを強化しているのだ。
尾弐と天邪鬼のふたりだけでは、結界を構築中の橘音と迷い家を防御するので精一杯だ。
その間にも避難者たちは続々とやってくるし、それを狙う悪魔たちも増えてゆく。

「うぁぁぁぁぁん……ママぁ……!」

不意に、泣き声が耳朶を打つ。
母親とはぐれたのだろうか、校門の近くに4、5歳くらいの幼女が立ち尽くしている。
他の避難者たちは誰も少女には目もくれない。自分の身を守るだけで手一杯なのだろう。
そして、そんな子供を悪魔たちが狙わないはずがなかった。
まるで餌に群がるハゲタカのように、悪魔たちが少女に狙いを定める。厭らしい笑みを浮かべながら、その手を伸ばす。
後退し守備範囲を狭めたことで、尾弐も天邪鬼も間に合わない。
だが――

「危ない!!」

咄嗟に飛び出した橘音が、身を挺して少女を守った。
横っ飛びに跳躍し、少女の小さな身体をぎゅっと自分の胸の中へと抱き込む。
悪魔の腕が橘音に振り下ろされる。バギンッ!という硬い音と共に、橘音は大きく弾き飛ばされて地面に墜落した。

「ぎゃうっ……!」

悪魔の一撃によって学帽が吹き飛び、トレードマークの半狐面の右半分が大きく砕ける。
橘音は幾度か地面をバウンドしたが、決して少女を手放しはしなかった。自身をクッションとして、幼い少女を守り切る。

「……大丈夫……ですか……?」

「あり、がと……」

「……なぁに……礼には、及びませんよ……。
 なんせ、ボクは……帝都にその人ありと言われた、狐面探偵……那須野、橘音……なんです、から……」

砕けた仮面の奥から――大きく裂けた銃創と、濁った目玉の醜い傷痕が露になった素顔から、どろりと血が滴る。
痛みを懸命に堪えながら、橘音は小さく口の端を歪めて笑った。

255那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/11/23(月) 14:28:01
元々は、御前から我が身の罪を購うために押し付けられた仕事だった。
帝都を護り、人のために危険を冒すなんて、嫌で嫌で仕方がなかった。
すべてを無かったことにするために。悪魔としてでなく、妖狐としてでなく、ただの狐として死ぬために。
自分の願いを叶えるために、渋々働く毎日。
だが――尾弐と出会い、多くの人々と交流していくうちに、そんな気持ちも徐々に変化していった。
知らぬ間に、東京にも愛着が湧いていた。
このゴミゴミして、汚くて、人が多すぎて、ときどき下水のにおいがして。
詐欺師とろくでなしがゴマンといて、毎日やたらと事件ばかり起きて、疲れた顔をした人たちが往来を行き交う――
その一方でキレイなものがそこかしこに溢れてて、活気に賑わっていて、甘いにおいやいいにおいがたくさんで。
善人とお人好しがゴマンといて、毎日楽しいイベントが盛りだくさんで、希望に溢れた笑顔の人々も数えきれない、そんな街。
日出ずる国の首府、東京――

尾弐だけではない。祈と、ノエルと、ポチと。他にもたくさんの人や妖怪たちと出会い、絆を結んだこの帝都。
それを大切にしたい。願わくば、愛する仲間たちとずっと、一緒にいたい……。

『しっかりしろ橘音! それでも帝都一の名探偵かよ!!』

祈の叱咤が、頭の内側で鐘のように響く。

那須野橘音は、帝都を守護する狐面探偵。ありとあらゆる難事件を、その智謀で解決に導いてきたのだ。
だのに、この帝都史上最大最悪の大量殺人事件に対し、手をこまねいているだけなんて――
そんなこと、名探偵の矜持が許さない。

「空狐仙道術――巨摩怪把!!」

橘音が叫ぶと同時、その腰後ろに五本の尻尾が出現する。
が、ただの尻尾ではない。まるで巨大な指のようにも見える、鋼鉄の尾だ。
自在に動く指めいた尾が悪魔たちを捕え、グシャリと音を立てて握り潰す。三尾の頃にはできなかった攻撃妖術だ。
少女を迷い家の近くまで連れてゆき、笑に引き渡すと、橘音は痛みを堪えるように大きく息を吐いた。
その拍子に、ぼたぼたと顎先を伝って血が零れる。
橘音は基本的には後方支援型の妖怪である。その防御力は尾弐に比べれば紙に等しい。
例え雑魚悪魔のものであっても、攻撃を受ければ掠り傷とは行かない。
仮面が半ば砕けるほどの衝撃を頭に貰い、なおかつ地面に幾度も叩きつけられた。
意識が朦朧とする。呼吸するたび胸に激痛が走ることから、肋骨も幾本か折れてしまっているだろうか。
そして。

「ぐ……ぅッ……!
 おのれ、凶つ神の……使い魔、如きが……!」

天邪鬼もまた、苦戦を強いられている。
天邪鬼の持つ仕込み杖は無銘だが、優れた刀鍛冶によって鍛造され奉納された神剣である。
退魔に覿面の効果を持つ宝刀であったが、それも一体や二体を相手にした場合のこと。
尾弐と合わせて千体以上の悪魔を屠った今、その刃は血と脂、そして悪魔たちの瘴気によってぬめり、
本来の切れ味を喪失してしまっていた。
その上、徐々に強力になりつつある軍勢の猛攻である。
仕込み杖の刃が悪魔の右脇腹を深々と捕える。――が、両断できない。
天邪鬼が肉に食い込んだ刀を抜こうとした、その僅かな一瞬。他の悪魔たちが無防備になった天邪鬼を襲う。
結果、天邪鬼は利き腕である右腕をズタズタに切り裂かれた。

「うッ……ぐ、ぁぁッ……!
 ……ッ、はは……これは、流石に……難しいやも、知れんな……」

左腕に仕込み杖を持ち替え、ピラニアのように群がる悪魔たちを力を振り絞って蹴散らすと、
刃こぼれした愛刀を血振りしながら天邪鬼は笑った。
悪魔たちの集中攻撃を受けた右腕は、もはや辛うじてくっ付いている――という状況になっている。
作戦も何もない、ただただ物量に任せての力押し。
しかし、そんな単純な攻撃こそが一番強いということを、悪魔たちは知っている。
三人が劣勢になればなるほど、人々の絶望も深くなってゆく。アンテクリストの軍門に下ろうという者が増えてゆく。
悪魔こそが、その主であるアンテクリストこそがこの世の究極至高たる存在なのだと、人間たちが認識する。
そんな『そうあれかし』によって、悪魔たちがさらに強くなってゆく――。

橘音や天邪鬼だけではない。尾弐もまた、無数の悪魔たちの攻撃に晒され無傷ではいまい。
何本もの槍が、刺叉が、剣が、その身体に突き刺さっているだろう。
夥しい出血、身体に纏わりつく鎖のような疲労。精神の摩耗。
いつ心が折れてもおかしくない、そんな果てしのない劣勢。
雄叫びをあげながら、新たな悪魔たちがやってくる。三人めがけて、脇目も降らずに襲い掛かってくる。

「……クロオ、さん――」

ぜは、と浅く苦しい呼吸をしながら、橘音が掠れた声で尾弐を呼ぶ。

「挙式は、地獄ですることになっちゃうかも……。
 ……地獄でも……。ボクのこと、愛して……くれますか……?」

砕けた仮面の奥から、あれほど隠したがっていた醜い傷痕の素顔を晒しながら。
狐面探偵はそう言って、困ったように笑った。

256那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/11/23(月) 14:53:29
「はあッ……はあ、はァッ……。これは……さすがにきつい、ね……」

肩で息をしながら、あずきが呟く。
酒呑童子の力、神変奇特の能力を得た獄門鬼と、ノエル率いるばけものフレンズたちとの戦いは佳境に入っていた。
だが、その戦況は芳しくない。――どころか、ブリーチャーズ側の劣勢でさえある。
御幸が羽子板で撃ち放った小豆は、狙い過たずに獄門鬼の巨体に炸裂した。
甲高い断末魔の悲鳴をあげながら、獄門鬼は仰向けに倒れ――
しかし、それでは終わらなかった。
妖怪たちのくるぶしまでを覆った血の海に斃れた獄門鬼の身体が、ブクブクと泡立つ。肉体が崩れ、容を喪う。
獄門鬼はすぐに、地面に広がる血と溶け合って消えた。
そして――再構成。血の水柱がふたつ上がったかと思えば、それが瞬く間にディティールを形作ってゆき、
今度は二体の獄門鬼が出現した。

「ブッゴォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!」

二体の獄門鬼が咆哮する。
獄門鬼単体の力は、覚醒した御幸よりも遥かに弱い。単体での強敵度で言えば、魔神コカベルの方がよほど強かった。
が――獄門鬼は『不死』であった。
どれほど御幸が力を引き出し、仲間たちが必死になって戦っても、獄門鬼はすぐに再生してしまう。
そして、その数を増やしてゆく。今や迷い家のある総合病院の敷地内には、十体もの獄門鬼が存在していた。
すべては神変奇特の力。そして――それを支える、ブリガドーン空間の力。
空を満たす極彩色の空間、それがあり続ける限り獄門鬼は不死身。一体一体を倒したところで、根絶には程遠い。

「ホンマかなわんなァ……。
 こうなると分かっとったら、最初っから尾弐のアニキんとこ行ったっちゅうに……。
 色男に恩売ったろなんて考えるんやなかったわ……」

氷の妖術によって強化された棘付きのスレッジハンマーを地面に立て、柄尻に両手をついて息を整えながら、
ムジナが心から後悔しているような泣き言を漏らす。
例え尾弐のところに救援に行っていたとしても、楽な戦いなどできないのだが。

「そう仰らず……。ムジナさん、戦いが終わったら、私たちの里に遊びに来てください。
 姫様に協力して下さったお礼に、全力でお持て成ししますから!」

「雪女の里かぁ。スキー場くらいにしかならへんな。
 バブルの頃ならいざ知らず、今どきスキー場なんて元取れへんねん。却下や却下」

「なんの話です?」

「なんでもあらへん。――それより、来るで!気合い入れたらんかい!」

ムジナの叱咤に、カイとゲルダが身構える。再び熾烈な戦いが始まる。
――が。

「……ッ!?
 これは……!」

跳躍し攻撃を始めようと、カイが僅かに腰を落としたその瞬間、その両脚が地面に縫い留められる。
見れば、血の海の中から二本の腕が伸びており、それが新しいそり靴を履くカイの両足首を掴んでいた。
ざぱあ……と血の中から新たな獄門鬼がせり上がってくる。カイは足首を拘束されたまま宙吊りにされた。

「くッ、この……!」

「カイ君!」

カイが逆さ吊りのまま藻掻く。あずきがカイを救出しようと小豆の入った枡に手を突っ込む。
しかし――その瞬間、あずきの立っている地面が大きく開いた。
まるで底無しの落とし穴、だが只の陥穽ではない。
それは、血の海に出現した巨大な獄門鬼の顔面、その開かれた“口”だった。
あずきの腰までが口の中に落ちる。獄門鬼がギロチンのように口を閉じる。

ぶちんッ

呆気ない。
あまりにも呆気ない音を立て、あずきの上半身と下半身は分断された。

「ぅ……ぁ……」

ばしゃり、と音を立て、あずきの上半身が血の海に仰向けに転がる。
人間ならば即死だが、あずきは純正の妖怪である。虫の息ではあるが、まだ生きている。
しかし、それも長くはあるまい。――そして、他の仲間たちにも危機が訪れる。
血の海の至る所が盛り上がり、獄門鬼の上半身へと変わってゆく。その数は二十以上はいるだろう。
逆さ吊りになったカイの胴体を槍が貫通し、ゲルダの絶叫が耳を打つ。
犬神が、ぬりかべが、仲間たちがひとり、またひとりと斃れてゆく。いくら御幸が護る者であっても、敵が多すぎる。

「くそったれが……」

ムジナが唸るように呟く。
ノエル、そしてばけものフレンズたちの戦いは佳境に入っていた。
ブリーチャーズの全滅という、逃れ得ぬ結末に向かって。

257那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/11/23(月) 14:56:15
ポチの遠吠えに応じて、それまで従順に跪いていたシロが立ち上がる。
そのしなやかな肢体がみるみるうちに純白の狼へと変わってゆく。
自分は導かれている、必要とされている、愛されている。
尽きることのない歓喜と共に、白狼は黒狼の暴れ狂う戦場の真っただ中へと飛び込んだ。

「……すごい……」

迷い家の防衛と避難者の誘導に当たっている陰陽寮の巫女たちが、二頭の戦いぶりを見て目を瞠る。
二頭は嵐のように悪魔の群れの中を駆け抜けては、それらを駆逐してゆく。
ポチとシロの疾駆した跡には、食い千切られ蹴散らされ蹂躙された悪魔たちの死体が累々と転がっている。
オオカミこそは自然界最強の捕食者にして狩人。
その姿はまさに『大神』の名にふさわしい。
つがいのオオカミたちの攻勢に、悪魔たちは文字通り手も足も出ない。ただ制圧されるのみだ。

だから。

悪魔たちは、ポチとシロを攻撃することをやめた。
それどころか、まるで潮が引くようにポチとシロの守る避難所から撤退を始める。
人間の姿に戻ったシロは怪訝に眉を顰めた。

「これは、いったい――」

悪魔たちはポチとシロの強さに、オオカミの恐ろしさに慄き、勝ち目がないと悟った。
が――それは『戦意を喪失した』ということと必ずしも同義ではない。
そもそも、悪魔たちの狙いは絶望の『そうあれかし』を集めること。
恐怖に屈し、アンテクリストに帰依する者を増やすことである。必ずしもポチやシロを斃す必要はないのだ。
従って代わりに悪魔たちが狙いを定めたのは、より弱い者。
災禍を逃れ避難所を目指してやってくる一般人だった。

>……お前ら、ツイてないよな。お前らは東京のどこを襲ったって良かったのに。
 わざわざ僕のいるところに来るんだもんな……本当に、ツイてないよ

そう。
『悪魔たちは、東京のどこを襲ってもいい』のだ――。

「いけない!」

悪魔たちの意図を察し、シロが避難所のある区域を出て駆け出そうとする。
避難所の外には、まだまだ避難者たちが大勢いる。それを狙われたらおしまいだ。
人間を護らなければならない。受けた恩は返さなければならない。
限りのない善性から、シロは今まさに悪魔たちに襲われつつある人間たちを助けようと走った。
そして――

「ッぅ、ぁ……!」

悪魔たちの罠に嵌ってしまった。
見せたのは、ほんの一瞬の隙。毫秒にも満たない時間の空白。
だが、奸智に長ける悪魔たちはそれを見逃さなかった。
がぢんッ!と足許で音がする。見れば、シロの右足首を巨大なトラバサミががっちりと捕えていた。
天魔ビフロンス。序列46番、26の軍団を率いる地獄の伯爵。
スライムのように不定形で、なんにでも変身できるその天魔がトラバサミに変化し、シロの機動力を封殺したのだ。
そして。

その場に縛り付けられたシロめがけて、無数の槍が。矢が。剣が投げつけられる。
ポチがシロの救援に入ろうとするも、その行く手を無数の悪魔たちが肉の壁となって阻む。
チャイナドレスを纏った白い肢体を十本以上の槍や剣に穿たれ、針鼠のようになったシロは、
最後に巨大な牡牛めいた悪魔の突進を受け、なすすべもなく吹き飛んだ。
肉の裂けるぶぢぶぢぶぢぃっ……という厭な音が、ポチの耳にも届いたことだろう。
大きく弾き飛ばされ、地面に叩きつけられたシロは、ぴくりとも動かない。
自由になった右足首から鮮血が滾々と溢れ、血だまりを作ってゆく。

シロの右足首から先はちぎれ、なくなっていた。

「シロちゃん!」
「治癒術式!急いで!」

すぐさま巫女たちがシロへと駆け寄り、回復を試みる。――が、その効果は思わしくない。

「ダメ、血が……、血が止まらないよぉ……!」

ちぎれた足首を中心とした血だまりが、徐々に広がってゆく。

「ひいッ……!た、助けて……!」「おしまいだ……、みんな、死ぬしかないんだ……!」「イヤだ!死にたくないぃっ!」

人々の発する絶望の嘆きが、周囲をとぐろを巻いて包み込む。
負の『そうあれかし』が悪魔たちに力を与え、その脅威を一層増幅させてゆく。
むろん、濃厚すぎる滅びの気配の前には、ポチとて無関係ではいられない。
いや――かけがえのないつがいが傷つき斃れたという絶望は、きっと何より強くポチを蝕むことだろう。
奇しくも愛妻ブランカの死を目の当たりにしたことで狂ってしまった、
ポチが尊敬してやまない狼王――ロボのように。

258那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/11/23(月) 14:59:58
祈の必死の説得にもかかわらず、レディベアは意識を失ったままだった。
そうこうしているうちに、時間は過ぎてゆく。人々の絶望が色濃くなってゆく。
ローランのタイムリミットが、刻々と近付いてくる――。

「ハァッ、ハァ、ハア……」

ざん!と音を立て、ローランはまた一匹の悪魔を斬り伏せた。
しかし、その動きはもはや緩慢というレベルを通り越し、息も絶え絶えという様子だ。
肩で息をしながら、ローランは違和感を覚えてふと自分の左手に視線を落とす。
本来ならば気力の漲る、ダイヤモンドの硬度を誇るはずの左手は、まるでミイラのように乾涸びて骨と皮だけになっていた。

――これまでか。

ローランは瞬く間に覚悟を決めた。……いや、ずっと前から決まっていたものを、再確認した。
ついに、この刻が訪れたのだと。ならば、することはひとつだった。

「……祈ちゃん……、レディと手を繋ぐんだ。
 気持ちを繋げる、心を繋げる……それには、まず触れ合うこと。身体で繋がることが大切なんだよ……。
 君は、都庁で……レディと手を繋いで……彼女をベリアルの呪縛から解き放った……。
 それを、もう一度するんだ。龍脈の力じゃない、御子としての立場としてでない――
 君の真心を。ともだちとして、彼女に……伝え、て……」

ぐら、と身体が大きく傾ぐ。心臓が早鐘のように鼓動を打つ。
全身が悲鳴を上げ、今にも魂が砕けそうになる。
だが――倒れはしない。ローランは祈を振り返り、最後の助言を投げかけた。

「君も知っての通り……レディは気位ばかり高くてね……。
 中学校に通うと言い出したときは……果たして友達なんて出来るのかな、なんて……心配したものさ……。
 だが――そんな考えは杞憂だったみたいだ……。彼女には、君という……素晴らしい、友達が……できたのだから……」

悪魔が押し寄せてくる。
ローランが最後の力を振り絞り、それらの猛攻を押し戻す。
彼我の血液によって真っ赤に染まったローランが、遠い目をして空を見上げる。

「ああ……安心した。安心したんだ……私は。
 もう、レディはひとりじゃない……。君という親友がいる。彼女を救うため、これほどまでに命を懸けてくれる友達が。
 他にもアスタロトやノエル君……ポチ君に、ミスターも……。
 それは、なんて……なんて洋々たる未来だろう――」

血にまみれた、瀕死の英雄。
けれども、その表情に悲壮感は一切なかった。

「ならば。ならばだ。
 愛するレディと、レディの一番の親友である祈ちゃんの未来のために。
 幸福に至る道を切り拓くのが、私の最後の、役目……だ……。
 後は頼んだよ、祈ちゃん……私が技を放ったら、ありったけの気持ちで……彼女の心に、呼びかけてほしい……」

デュランダルを両手で持って、大上段に構える。
祈とレディベアに背を向け、迫り来る悪魔の大軍に対峙しながら、ローランは微かに振り返った。そして、

「祈ちゃん……、レディの……ともだちになってくれて、本当にありがとう――」

最期に、そう言って笑った。
死を受け容れ、覚悟した者だけが持つ、穏やかな静謐。
それがローランにはあった。
次の瞬間、ゴアッ!!と枯れ枝のようなローランの全身から神気が迸る。
どこにそんな力があったのかと思うほどの、強く眩い光。

「――1と3より成る聖遺物よ、神の徴よ。今こそ其の奇蹟を諸人に顕さん。主の前にまつろわぬ、総ての敵を討ち滅ぼせ……!
 悉皆斬断、『不抜にして不滅の刃(インヴィンシヴル・デュランダル)』!!!」

ギュオッ!!!!!

ありとあらゆる悪しき者を無に帰す、魔滅の閃光。
ローランの命そのものを燃やした激しい輝きが、周囲を白一色に染め上げた。

そして――

光輝が徐々に収まり、祈が戦場を確認したとき。
あれほど避難所周辺に群がっていた悪魔たちは、一匹残らず消滅していた。

ローランがいたはずの場所には、聖剣デュランダルだけが突き立っている。
きっと、最後の『不抜にして不滅の刃(インヴィンシヴル・デュランダル)』を放つために、
我が身のひとかけらまでも燃焼し尽くしたのだろう。
聖騎士ローランは消滅した。


祈にすべての希望を託して。

259那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/11/23(月) 15:09:55
祈がレディベアと手を繋ぎ、その心に語り掛けると、横たわるレディベアの身体が眩い光を放ち始めた。
それはローランが最後に放った『不抜にして不滅の刃(インヴィンシヴル・デュランダル)』と同じ、破魔の光。
と同時に、レディベアの姿も変わってゆく。
漆黒の長いツインテールの髪が輝くような金色へと変わり、
ミニ丈のワンピースが。ロンググローブが、ニーハイソックスが、瞬く間に純白のものに変容する。
ローランの輝く神力を注ぎ込まれたことで、その属性が闇から光へと変化した――のだろうか。
やがてレディベアの身体はふわりと浮き上がると、祈と向き直った。
その左の瞼がゆっくりと開かれる。紅色の瞳が、祈を見つめる。

「―――祈」

手を繋いだまま、レディベアは祈の名を呼んだ。
その身体はまだ輝きを放ち、暖かな光で周囲を満たしている。
ローランによって消し飛ばされてなお、悪魔たちは新たに続々と集結していたが、みなレディベアの光に恐れおののき、
避難所の中には入ってこない。

「あなたの声、ずっと聞こえていました。
 けれども、わたくしは怖かった……。今まで信じてきたもののすべてが、ベリアルの作った虚構であったと知って。
 お父様が本来は存在しないものだったと知って、絶望した……。
 この世界に価値などないと。お父様と一緒でなければ、この世界にいたところで意味などないと――
 そう、思っていました……」

きゅ、とつないだ手を握り込み、我が胸に引き寄せて、レディベアは言葉を紡ぐ。

「けれど。そんなわたくしの弱い心を、あなたが引き戻してくれたのです。
 わたくしはベリアルの野望に用いられる道具。もはや用済みとなり、廃棄されるばかりの不用品。
 でも――
 そんなわたくしでも、まだ必要だと。生きていてもよいのだと、あなたが仰るのなら……」

ぽろ、とレディベアの大きな目に涙があふれる。
涙が頬を伝って零れてゆく。だが、その涙は悲愴や絶望によって流れるものではない。

「……わたくしも。
 わたくしも、あなたと一緒に生きていきたい……!
 この世界にいたい、ずっとずっと、極彩色の空間の内側から覗き見て。長い間憧れていたこの世界に!
 祈、わたくしの大切なおともだち。大好きですわ……どうかどうか、わたくしを。ずっとあなたのお傍に――」

穢れのない涙を零しながら、レディベアはそう言って微笑んだ。
もし、祈がただの戦力としてしか彼女を必要としなかったなら。
対アンテクリストの切り札、ブリガドーン空間の支配者としての力しか望んでいなかったとしたら、
ローランの神力を注ぎ込まれていたところで、レディベアが目覚めることはなかっただろう。
レディベアを覚醒させたのは、祈の真心。
彼女と一緒に、この世界で生きていきたい。そう願う至純な『そうあれかし』だったのだ。
絡めて繋いだ手指を通じて、清浄な光が祈の身体へと伝播してゆく。
その疲労が、傷が、瞬く間に癒えてゆく。
完全回復だ。レディベアがブリガドーン空間の力を使って治癒させたらしい。

「今のわたくしの力では、これが精一杯ですわ。
 けれど、お父様の助力が得られれば、この劣勢も必ずや逆転させることができるでしょう。
 必要なのは、信じる心。強い願い、真摯な望み――。
 ひとつひとつの灯火は弱く、儚いけれど。多くを束ねてひとつにすれば……それは。太陽にも勝る焔となるのです。
 それを用いてお父様をこの世界にお招きし、反撃の狼煙と致しましょう」

空いている方の手のひらを大きく開き、レディベアが空へ掲げる。

「本来存在しないはずのお父様を現界させる力。そんな力がどこにあるのか、と?
 ふふ……。それはもう、ここに。はち切れんばかりに集っておりますわ!」

ぞろ。
ぞろり。
ぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞ―――――

何もない空間に出現したのは、無数の目。
先刻都庁で祈とレディベアが戦った際、レディベアが虚空に出現させた膨大な数の瞳だ。
見開かれた目に、インターネットのブラウザのような画面が映し出される。
そこに表示されたのは、ありとあらゆるSNS。写真を、メッセージを、音声を、ネット回線を通じて世界中へ拡散するシステム。
今やこの惑星をくまなく覆う、ネットワークの網。ワールド・ワイド・ウェブ。
かつて妖怪が跋扈していた時代には存在しなかった、人間たちの作り上げた機構。
それに、橘音と尾弐。ノエルとばけものフレンズたち。ポチやシロ。そして祈の戦いがアップロードされ、
たくさんの声援を受けていた。
東京だけではない。日本の各都市からも、そして海外からも。
閲覧数が、視聴者数が、いいね!が、恐るべき速さで増加してゆく。
絶望に立ち向かう人々の『そうあれかし』が流れ込んでくる――。
ぎゅっ、とレディベアが祈の手を強く握り直す。

「さあ、祈。龍脈の力を。あなたの中の神子の資格、運命変転の奇跡を、今こそ!
 解き放つのです!」

運命変転の力を使うことができるのは、あと二回と言ったところだろうか。
そのうちの一回をここで使用すれば、残るはあと一度。それをオーバーして限界以上の力を使おうとすれば、
何が起こるか分からない。

だが。

祈はここで使わなければならない、その力を。
なぜならば――

望まれざる変革を跳ね除けること。この世界に生きるすべてのものが、いつかより良い未来へと歩いてゆくために、
有りの侭の世界を維持すること。
それこそが、星の生命力そのものを司る龍脈の神子、多甫祈の使命なのだから。

260多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/11/30(月) 23:14:18
 祈はレディベアに呼びかけたが、
レディベアは相変らず目を閉じたまま、覚醒の兆候を見せなかった。

「だめ、なのか……?」

 そもそもレディベアに意識がなく声が聞こえていないのか、
それとも心を閉ざしているから祈の言葉が届かなかったのか。
後者だとすれば、祈ではレディベアの生きる理由足りえないということになるだろうか。
 祈の表情が曇ったそのとき、遥か上空で戦闘機の翼が風を切る甲高い音が響いた。
祈がそちらを仰げば、戦闘機が数機、極彩色の空を舞っているのが見える。
この人類滅亡の危機に、誰もが黙ってやられているわけではない。
魔法陣が展開された場所へ、自衛隊の戦闘機が向かっていく。
戦闘機からミサイルが放たれ、煙を噴き上げながらアンテクリストへと飛ぶ。
だが、ミサイルが爆発することはなかった。
煙はアンテクリストに到達する前に途切れて、まるでミサイルが掻き消えたように見える。
祈にはおおよそのことが分かる。
アンテクリストが、自身へ向かうミサイルの攻撃を運命変転の力で消失させ、
『なかったことにしてしまった』のだと。
ブリガドーン空間を拡張したことで、その中心、アンテクリストの周囲の力はより濃くなった。
故に、龍脈の力――運命変転の力をも周辺に自在に展開できるようになったのだろう。
今はまだその範囲はアンテクリストの周辺に留まっているが、
ブリガドーン空間が拡張し続ければ、運命変転の力が及ぶ範囲も広がる。
いずれアンテクリストは、直接全てを自身の意のままにできるようになるだろう。
祈達に悪魔を差し向けるというような迂遠な策を取る必要もなくなり、
手をかざすだけで消し去れるようになってしまうに違いない。
 戦闘機が風を切る音も掻き消えてしまった。おそらくは――。
 祈はギリ、と歯噛みする。またしても、命が消えてしまった。
火を吹き消すように簡単に命を奪うアンテクリストに、怒りが湧いて止まらなかった。
 アンテクリストはそんな祈の感情を更に逆撫でするように。

>『―――――ヒトよ』

 次なる一手を打ってくる。

>『愚かなる者たちよ。蒙昧なる者たちよ。――虫けらどもよ。
>汝らの眼前に降臨した私が、果たして何者であるのかさえ理解できぬ者どもよ。
>嗚呼、しかし、汝らの愚かなることを責めはしない。
>なぜならば。汝らは愚かなる者として定義され、愚かなることをするために創造されたがゆえである』

 遠く離れているはずのアンテクリストの声が、
まるですぐ側で語りかけているように思えるほどリアルに響いてくる。
祈が耳を塞いでも聞こえるそれは、おそらく脳か精神に直接語りかけてきていた。
 祈以外にも聞こえているらしく、
避難所から、驚愕や悲鳴、困惑の声が聞こえてきた。
 しかも始末の悪いことにその声は。

>『泥から生まれし者たちよ。
>汝ら愚かな者たちを導くために、私は降臨した。長き封印の軛は既になく、私は解き放たれた。
>畏れよ、私を。崇めよ、私を――我が名はアンテクリスト。
>この大地を。世界を。星を。一から創り変える創造神、終世主なり――――』

 天上の音楽のように美しく響く。
怖ろしいのに安心してしまうような、逃げたいのに惹かれてしまうような。
抗いがたく思えるほどの魅力的な、そんな声でアンテクリストは――、

>『我は神。この腐った世を創り変える、ただ唯一の神性。
>私に縋れ、私を崇めよ。私に帰依し――ただ私のみを信奉するがいい。
>それ以外は死ね。我が数百億の眷属が、汝らを殺そう。皮を剥ぎ、目玉を刳り貫き、指の先から一寸刻みにしてゆこう。
>生きたまま臓腑を貪り、この世のありとあらゆる痛苦を味わわせてやろう。
>さあ――
>潰れて死ね。
>狂って死ね。
>嘆いて死ね。
>爛れて死ね。
>砕けて死ね。
>萎れて死ね。
>もはや、この世に私を讃えぬ者の住む場所はない――』

――脅迫する。
 およそ争いとは無縁の世界で生きてきた人間達にとって、今は極限状態。
無数に湧き続ける悪魔によって唐突に日常を破壊され、彼らが感じ続けるストレスはとっくにキャパシティをオーバーしていた。
あまりにもリアルな、自身や家族、友人の命の危機。
否応なしに突き付けられる、一つ間違えば自分が其処に転がる死体であったという事実。
いまや死はどうしようもなく身近な隣人だった。
 そんな中、絶対の存在と思しき者から垂らされた、『自身を信奉すれば助けてやる』という救いの糸。
しかもそれが魅力的な声と共に降りてきたのなら、従ってしまうものも出てくる。
その言葉に従ってしまったところで仕方がないと、心地良く人を堕としていく。
 祈が守る避難所からも、
アンテクリストに従うから助けてくれと天に叫ぶ声が聞こえてくる。
 このままアンテクリストに誰もが従ってしまえば、
この状況を覆せるだけの『そうあれかし』は、希望は集まらないだろう。
アンテクリストの声がどこまで響いているのか、
そしてどれほどの人間がそれに従ってしまったのか。それはわからない。
もしこの声が世界中に届いていて、人間達が希望を手放してしまったのだとすれば。
レディベアも目覚めない今、逆転は望み薄にすら思えた。
それでも祈は諦める訳にはいかないと頭を回転させるが、有効な手段は何も思い浮かばずにいる。
 しかも悪魔との戦いを引き受けたローランの限界は近く、
ローランに代わって祈が戦おうにも、再びターボフォームになるには時間を要する。
考える時間のタイムリミットもすぐそこに迫っていた。
 そんな差し迫った状況の中。

261多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/11/30(月) 23:18:14
>「……祈ちゃん……、レディと手を繋ぐんだ。
>気持ちを繋げる、心を繋げる……それには、まず触れ合うこと。身体で繋がることが大切なんだよ……。

 祈に希望を示したのは、その限界が近いローランであった。
悪魔を切り伏せた後、今にも途絶えそうな呼吸音交じりの、掠れた声で言う。

「手で……心を伝える……?」

>君は、都庁で……レディと手を繋いで……彼女をベリアルの呪縛から解き放った……。
>それを、もう一度するんだ。龍脈の力じゃない、御子としての立場としてでない――
>君の真心を。ともだちとして、彼女に……伝え、て……」

 振り回す剣の重みの所為か、ぐらりとよろめくローラン。
だが、倒れることなくその場に踏み止まりながら、言葉を言い終える。
 そして束の間、動きを止めて祈の方を振り返ったローランのその姿は。
自身の生命力を吐き出した故か、
骨が浮き出るほどに痩せ衰え、ミイラや即身仏と見紛うものとなっていた。
 限界が近いなんてものではない。――とうに限界など超えている。

「ロー――」

 思わず駆け寄ろうとする祈だが、ローランの強い眼差しがそれを制止する。
これは己の戦いだから止めてくれるなと、介入は望まないと、そう告げていた。

>「君も知っての通り……レディは気位ばかり高くてね……。
>中学校に通うと言い出したときは……果たして友達なんて出来るのかな、なんて……心配したものさ……。
>だが――そんな考えは杞憂だったみたいだ……。彼女には、君という……素晴らしい、友達が……できたのだから……」

 祈に語りかけるローランの背後で、悪魔達が押し寄せている。
後ろを見せている今が好機と、悪魔達が一斉にローランへと飛び掛かる。

「っローラン、後ろ!」

 ローランは振り向きざまに、横薙ぎにデュランダルを振るう。
剣先が火花を散らしながら地面を離れ、飛び掛かった悪魔たちの胴体やノドを一文字に切り裂く。
 限界を超えてなお、屹立し、剣を振るい、魔を払う。その姿はまさに英雄だった。
悪魔達の返り血に染まりながら、ローランは言葉を続ける。

>「ああ……安心した。安心したんだ……私は。
>もう、レディはひとりじゃない……。君という親友がいる。彼女を救うため、これほどまでに命を懸けてくれる友達が。
>他にもアスタロトやノエル君……ポチ君に、ミスターも……。
>それは、なんて……なんて洋々たる未来だろう――」
>「ならば。ならばだ。
>愛するレディと、レディの一番の親友である祈ちゃんの未来のために。
>幸福に至る道を切り拓くのが、私の最後の、役目……だ……。
>後は頼んだよ、祈ちゃん……私が技を放ったら、ありったけの気持ちで……彼女の心に、呼びかけてほしい……」

 ローランは両手で持ったデュランダルを、天に掲げるように最上段に構える。
今も尚無尽蔵に湧き続け、迫りくる悪魔達に向かって、技を放つつもりだろう。
その口振りからおそらく――最期の技を。
 命の使い道を決めるのは本人であるべきだと祈は思いながら、それでも。

「その洋々たる未来ってのは、おまえがいちゃだめなのかよ。おまえだって――」

 そんな言葉が、祈の口を突いて出た。

>「祈ちゃん……、レディの……ともだちになってくれて、本当にありがとう――」

 ローランは微かに振り返って、祈へそう言いながら微笑んでみせた。
あまりにも穏やかな、満足したような微笑みに、祈は言葉の続きを発することができない。
ローランが迫りくる悪魔達に向き直った。
そのやせ細ったその体からは、考えられない程の力強い光、神気が放たれる。
 あまりに眩いその光に、祈は眼前に手をかざした。

>「――1と3より成る聖遺物よ、神の徴よ。今こそ其の奇蹟を諸人に顕さん。主の前にまつろわぬ、総ての敵を討ち滅ぼせ……!
>悉皆斬断、『不抜にして不滅の刃(インヴィンシヴル・デュランダル)』!!!」

 そしてローランがそう叫んだ刹那。
周囲は目を開けていられない程の強烈な光に包まれた。
 光が収まった時、残されたのはローランが振るっていた聖剣デュランダルと――静寂だった。
周辺に悪魔の姿が見えなくなり、訪れた一時の、平和にすら思える静寂が訪れていた。
この、祈とレディベアが手を繋ぐためだけの時間を作る為に。
ローランは己の全てを使い果たして、光となって……この世から消えてしまったのだった。

262多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/11/30(月) 23:39:54
(……ローラン。おまえの作ってくれた時間。無駄にしないよ)

 悪魔に埋め尽くされていない空を見ながら、祈は心の中で呟いた。
 ローランの微笑みを見るに、きっとその命の使い方にローランは満足したのだろう。
 それに、ローランはクローン。元々短い命だ。
ここで無理矢理に助けたところで、その命は瞬く間に失われたかもしれない。
でも、寿命がほんの僅かな時間伸びるだけだったとしても、助けるべきだったのではないかと。
祈の心には苦いものが残る。
 それでも。祈は進まなければいけない。

 祈は横たわるレディベアの傍らに座り、その右手を自身の左手で取った。
 祈の手はボロボロだが、レディベアのつけているロンググローブ越しでも、
そこに確かなぬくもりと微かな鼓動を感じることができた。
それは、レディベアが生きているという確かな証。
 絶望に塗れ、その力を強制的に吐き出すことになっても尚、
レディベアの体は生きようとしている。あとは心の問題だった。
 声や言葉では気持ちが届かないのだとしても。
ローランが言っていた通り、手を繋げば、ぬくもりならきっと届くのだろう。
そしてぬくもりを伝えるのなら、手だけである必要はなかった。
 祈はもう片方の手で、倒れたレディベアを抱き起こす。
そして、自身に凭れ掛からせるようにして、レディベアを抱きしめた。
 菊乃は、祈が寂しがりなのを知っていたから、よく抱きしめてくれた。
そのぬくもりは、祈を元気にしてくれた。
 ノエルもそうだ。
祈がきさらぎ駅で女子トイレから出てこなかった時も、やさしく抱きしめてくれた。
雪女なので体温は冷たかったが、伝わる冷たさは不思議と温かみがあった気がする。
 橘音とは手を繋いだ。尾弐は撫でてくれた。ポチはすねをこすってくれた。
 そういった触れるという行為は、行動は。
言葉よりも雄弁に気持ちを語り、伝えてくれる。
相手を受け入れていることを伝えたり、好意を伝えたり。
抱きしめるという行為はその最たるものだろう。
 祈は目を閉じ、レディベアを想う。
体温や心臓の鼓動、抱きしめる腕の強さ。
手だけではく全身で、祈はレディベアへ気持ちを伝えた。
生きていて欲しいと。大好きな存在であることを。

「あたしはおまえのともだち。あたしがおまえの居場所。だから安心して起きて来いよ。モノ」

 レディベアを抱きしめたまま、しばらく祈は動かずにいた。
その間にも悪魔は無尽蔵に魔法陣から吐き出されており、既に悪魔達は祈の背後にまで迫ってきていた。
だが、悪魔達が祈へ攻撃を加えようとしたそのとき。

――レディベアの体が発光する。
その光は、ローランが最後に放っていたのと同質のもの。魔を払う神気であった。
それを見て悪魔達は歩みを止めた。否、近付けずその場で硬直してしまう。

「モノ……?」

 祈は目を開いた。
レディベアの変化は光を放つことに留まらない。
黒かった髪の毛が、美しい金色に染まっていく。
同様に黒かったミニ丈ワンピースやロンググローブといった衣服は、白へと変わった。
祈のターボフォームのように髪の毛や衣服といった見た目の変化は、
この変化は神々しい存在、天使を想起させた。
力の質そのものもやはり以前とは異なる。
ローランの与えた力がレディベアと一体化し、その存在を新たなものへと変えたのだろうか。
 
(ローラン……おまえは、モノの中で生き続けてるのかもな)

 ローランは、自らの生命力を分け与え、
祈が気持ちを伝えるだけの時間を稼いだことによって、己の大事な人を救い上げた。
その命を守り抜いたのだ。
そしてその生命力は、確かにレディベアの中にあり、これからもレディベアを守り続けるのだろう。
 レディベアはふわりと浮かび、空中で体勢を整えて起き上がった。
そして目を開くと、その真紅の目で祈を見た。

>「―――祈」

 レディベアから呼びかけられ、祈は頷く。

>「あなたの声、ずっと聞こえていました。
>けれども、わたくしは怖かった……。今まで信じてきたもののすべてが、ベリアルの作った虚構であったと知って。
>お父様が本来は存在しないものだったと知って、絶望した……。
>この世界に価値などないと。お父様と一緒でなければ、この世界にいたところで意味などないと――
>そう、思っていました……」

 繋いだままの祈の手を、レディベアは自身の胸元にまで引き寄せる。

>「けれど。そんなわたくしの弱い心を、あなたが引き戻してくれたのです。
>わたくしはベリアルの野望に用いられる道具。もはや用済みとなり、廃棄されるばかりの不用品。
>でも――
>そんなわたくしでも、まだ必要だと。生きていてもよいのだと、あなたが仰るのなら……」

 レディベアの開かれた左目から、大粒の涙がこぼれる。
それは微笑みと共に流れた、喜びの涙だというのは祈にもわかる。
 頬を伝って涙が零れ落ち、アスファルトを濡らした。

263多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/11/30(月) 23:42:45
>「……わたくしも。
>わたくしも、あなたと一緒に生きていきたい……!
>この世界にいたい、ずっとずっと、極彩色の空間の内側から覗き見て。長い間憧れていたこの世界に!
>祈、わたくしの大切なおともだち。大好きですわ……どうかどうか、わたくしを。ずっとあなたのお傍に――」

 再び祈はレディベアを、友達を抱きしめた。
目覚めてくれて嬉しいという気持ちを伝えるために。

「……ずっと一緒に決まってんだろ。あたしらは親友なんだから」

 そして、心底安心したような声で、祈はそう答えた。
 祈が伝えた、ずっと一緒に生きていたいと思うほどに好きだという気持ち。
それは、ノエルが言っていたようなものとは若干異なるが、しかし。
レディベアを大事に想う気持ちは大きく、また純粋であった。
 祈がレディベアから離れると、
繋がれたままの手を通じ、レディベアから光が祈へと伝播してきた。

「お……?」

 体の痛みや疲れが消し飛び、負傷箇所が消えている。
レディベアが傷を癒してくれたらしい。
 
>「今のわたくしの力では、これが精一杯ですわ。
>けれど、お父様の助力が得られれば、この劣勢も必ずや逆転させることができるでしょう。
>必要なのは、信じる心。強い願い、真摯な望み――。
>ひとつひとつの灯火は弱く、儚いけれど。多くを束ねてひとつにすれば……それは。太陽にも勝る焔となるのです。
>それを用いてお父様をこの世界にお招きし、反撃の狼煙と致しましょう」

 天に手を掲げるレディベア。

>「本来存在しないはずのお父様を現界させる力。そんな力がどこにあるのか、と?
>ふふ……。それはもう、ここに。はち切れんばかりに集っておりますわ!」

 そう言って上空に展開する無数の目達。
都庁内ではレーザービームを放ってくる危険極まりない攻撃手段だったそれだが、
今その目に映っているのは、スマートフォンやPCの画面のようだった。
 その画面には、東京ブリーチャーズの面々が映し出されている。
 SNSや動画サイト、TVなど、さまざまな媒体で。画像や音声、映像で。インターネットを通じて。
橘音や尾弐、ポチやシロ、ノエルとムジナなど二軍メンバー、祈達の戦いが共有・拡散されている。
 いいね!も、コメントもつき放題で、ブリーチャーズを応援する声が無数にある。
外国人のコメントがいくらでも映ることからも、海外にも伝わっていることが分かった。
『こいつ狐面探偵じゃんwww』、『この狼みたいなワンコ見たことあるわ』など、東京現地の声も散見された。

「すげぇ……」

 アンテクリストの声を聞いて、確かに一部の人は諦めて従ってしまったかもしれない。
だが、全ての人々が絶望したわけではなかった。
 思った以上に人々は強かった。そして東京ブリーチャーズを信じてくれていた。
 まさに今、希望は繋がれたと言っていい。
 龍脈の流れをアンテクリストに制限されている現状、
龍脈の莫大なエネルギーを使用して引き起こす奇跡、運命変転は使えない状況だった。
だが、この人類から祈達へと集まった希望のそうあれかしがあれば、それを代用して運命変転を再び使うことができる。
 この絶望的な状況をひっくり返し得るのだ。
 おそらくその土壌はできあがっていたのかもしれなかった
 東京には、難解な事件を瞬く間に解く、狐面の名探偵がいるという噂があった。
 謎の病原菌によって女子供が死んでいく事件が起こった時、
封鎖された商店街に侵入する奇天烈な集団が人々のカメラに収められていた。
 とある神社では突如吹雪が吹き荒れたが、そこから謎の男女が生還したのが目撃されている。
 獣の咆哮のような音が響き、人々が発狂した夜には、
落としたテレビのカメラに偶然、一条の赤い線を引きながら空を走る少女が映っていた。
 東京のどこかで暗躍し、事件を解決する存在を人々はきっと無意識に認識していたのだ。
 なにせその中心にいる狐面探偵・那須野橘音は、あまりにも目立つ存在だったが故に。

264多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/12/01(火) 00:14:01
>「さあ、祈。龍脈の力を。あなたの中の神子の資格、運命変転の奇跡を、今こそ!
>解き放つのです!」

「いいぜ。でも……――、
あたしらに手を貸してくれてる人達に説明なしってのは不親切だろ?」

 祈はそう言って、塞がれていない右手で、迷い家の方向を示した。
そこには、勇敢にもこちらを撮影している人々がいる。
 彼らはそうあれかしを提供し、自分達を後押ししてくれる協力者。
彼らに何も話さないのは礼儀に反すると祈は思った。
 それに懸念点として、妖怪大統領が急に出現したらどう思われるか、というものがある。
『わからない』は恐怖を生む。
天空に突如として巨大な眼玉が出現したら、事情を知らない人々は、
それを偽神や悪魔の更なる一手と思って、混乱する可能性がある。
 そうすれば、妖怪大統領が味方として現れたとしても、
敵かもしれないと思った人々のそうあれかしに上書きされて、『巨大な目玉を持った別の脅威』となるかもしれない。
 一つの行動が絶望の呼び水となってしまいかねないこんな状況だからこそ、
人々が安心ししてくれるように、慎重に行動する必要があるのだ。
 先程の映像には祈の顔もばっちり映っていたことであるし、もはや怖いものはないともいえた。
 故に、祈はレディベアの手を引いて、こちらに向けられたスマホやカメラの前に躍り出る。

「汗ドロドロでごめんね。これ配信中? 悪いけど、ちょっとあたしら映してもらっていい? 
話したいことがあるんだ」

 などといってカメラを向けさせ、

「――あたしらは東京ブリーチャーズ。今、陰陽師や妖怪達と協力して、悪魔と偽者の神様と戦ってるとこなんだ」

 真剣な表情で、カメラの向こうにいる人々へ呼びかけた。

「そんで次は、逆転の為に強力な助っ人を呼ぶ。名前は妖怪大統領、バックベアード。
空にでっかい目玉が現れるけど、あたしらの味方の妖怪だから、どうかビビらないでいてほしい」

 それは、今できうる限りの情報開示と。

「もちろん、『悪魔や偽者の神様にも』。
あいつらは人の負の感情で強くなる。もうだめだ、おしまいだってみんなが思ってたら、
あいつらがどんどん強くなって、あたしらでも勝てないかもしれない。
だからみんなも辛いだろうけど、あたしらと一緒に自分の中の恐怖と戦ってほしい」

 協力要請だった。

「……あたしからはそれだけ。みんなよろしくね。カメラありがと!」

 祈はそういって踵を返し、レディベアと共に、迷い家の前から離れていく。
 最後に一度、振り返ってカメラに笑顔で手を振った。
逆に不安に思わせていないかと思ったのだ。
 そして少し迷い家から距離を取ると。

「じゃ、いくか、モノ」

 立ち止まって、右拳を握りしめた。
万事は尽くした。後はただ、やるだけだ。

「――『変身』」

 目を閉じ、小さく呟いて。
赤髪、金眼、黒衣の――ターボフォームへと変身する。
 そして、

(『運命変転』……運命よ、変われ――)

 自分達に集まった『そうあれかし』を一つに纏め始めた。
世界中から集まったそれは、祈を中心に渦を形成し、竜巻の如き風となった。
 その力を束ね、運命変転の力を発動させ、形を与える。
 祈は目を開き、握ったままの右手を天へと突き上げた。

「――来い!! 妖怪大統領、バックベアード!!」

 祈の右手の甲に龍の紋様が浮かぶ。
それが一層輝いたかと思うと、その輝きは光球となって空へと、まるで花火のように打ち上がる。
そのまま上空の極彩色へと溶けていった。
 それは、レディベアの言うように反撃の狼煙だ。
 レディベアの父としての人格があるかないかはわからないが、
どうあれバックベアードはブリガドーン空間そのもの。
顕現すれば、アンテクリストからブリガドーン空間の主導権を奪い返してくれるだろう。
それによって、アンテクリストを支える両翼のうち、一つがもがれることになる。
 そして、橘音の策が成功すれば魔法陣が消え、龍脈の流れも正常に戻る。
もう一つの翼をも、もぐことができる。
 だが、神を地に落とすための切り札ともなれば、切るのに代償がいる。
祈は己の中で、一際大きく何かが砕けるような音を聞いた。
 感覚的に、己の可能性や未来といったものがまた消えたこと、
そしてこれ以上失えば、きっと自身の命を喪うような結末を迎えることがわかる。
 だが、祈はこの選択に後悔はない。
 どの道ここを、アンテクリストを超えないことには、祈達に可能性も未来もないのだから。
皆で幸せな未来を生きるための、ささやかな代償に過ぎない。
残されているであろうたった一つの可能性を、大事に守ればいいだけのことだ。
 なにせ友達と生きると約束したのだ。死ぬわけにはいかない。

 ゴゴゴゴ、と空から何かが落ちてくるような音が響いてくる。
いままさに、妖怪大統領が顕現しようとしていた。

265御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/12/06(日) 10:06:51
小豆弾の直撃を受けた獄門鬼は、轟音を立てながら呆気なくあおむけに倒れた。

「やりぃ!」

あずきとハイタッチをする御幸。だがしかし。
二つあがった水柱ならぬ血柱から、二体の獄門鬼が出現する。

>「ブッゴォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!」

「えぇ……復活してる……」

「しかも増えてる……」

ドン引きしながら呟く二人。

「プラナリアじゃあるまいしまさか無限に増えることはないはず……!
一体一体は弱いからとりあえず片っ端から倒そう!」

御幸は気を取り直して皆によびかける。しかしそのまさかである。
小豆スマッシュを主軸として獄門鬼を倒し続けた御幸(と豆投げ係のあずき)だったが、
数十分後、増えに増えた獄門鬼はすでに10体になっていた。

「これ……無限に増えるんじゃ……! もう無理! マジで無理!」

>「ホンマかなわんなァ……。
 こうなると分かっとったら、最初っから尾弐のアニキんとこ行ったっちゅうに……。
 色男に恩売ったろなんて考えるんやなかったわ……」

あずきやムジナが割とマジで泣き言を漏らし始める。

「どこ行ったってここよりマシな保証は無いよ!?
橘音くんが結界を張るまで時間稼ぎ出来ればあとはこっちのもんだから! それまで何とか持ち堪えよう!」

そう、目的は飽くまでも橘音が結界をはりおわるまでの時間稼ぎだ。
そこまで持ちこたえさえすれば状況は大きく変わるはず。
そう思っていたのだが、現実はそれすら許してくれそうにはなかった。

>「……ッ!?
 これは……!」

カイの足元から新たな獄門鬼が出現し、足首を掴んでいた。

「今助ける! あずきちゃん、豆を!」

獄門鬼は小豆スマッシュを当てればとりあえずは倒れるため、あずきに豆を要請する。
しかしあずきの足元が落とし穴のように開いたかと思うと、上半身と下半身が分断される。

「……!?」

新たに出現した獄門鬼に噛み千切られたのだった。
あまりの事態に驚愕している間に、逆さ吊りになったカイの胴体を槍が貫通し、地面に打ち捨てられる。

266御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/12/06(日) 10:07:59
「……死なせてたまるかッ! 眠れる森の白雪姫《スリーピング・スノウホワイト》!」

我に返った御幸は、あずきとカイに同時に妖術をかけ救命措置を施す。
二人は瞬く間に氷漬けになり、決して壊れぬ妖氷の中におさまった。
致命傷を負った味方の延命――コカベルを破った妖術の本来の使い方だ。
死なずに済むとはいっても、それも御幸達がこの場を切り抜けられればの話だが。
あずきの戦闘不能によって小豆という最大の武器が使えなくなってしまった上に、至るところから新たな獄門鬼が出現する。
戦況は一気に悪化し、仲間達が次々と倒れていく。

>「くそったれが……」

「信じよう、橘音君たちを……」

御幸は新しいそり靴に妖氷のブレードを出現させた。接近戦を挑むつもりだ。
尾弐が酒呑童子になった時は、叛天のため接近戦は実質不可能であったが、カイが接近戦をしていたのを鑑みるに、この獄門鬼達には多少は通用するようだった。
雪女は一般に接近戦をする妖怪とは認識されていないこと、
また、カイの戦闘力はあたらしいそり靴によるところも大きく、妖具は弱体化されないことに加え、一体一体は尾弐が化した酒呑童子よりは遥かに弱いことによるのだろう。
ついにばけものフレンズ達のガードを突破し、獄門鬼のうちの一体が一般の人間に迫る。

「アイスエッジサルト!」

自らの通る道を凍らせながら滑走し、妖氷のブレードで宙返り回し蹴りを放つ。
獄門鬼は倒れるまではいかずとも衝撃を受けて後退した。
尾弐が酒呑童子になった時は、叛天のため接近戦は実質不可能であったが、カイが接近戦をしていたのを鑑みるに、この獄門鬼達には多少は通用するようだった。
雪女は一般に接近戦をする妖怪とは認識されていないこと、
また、カイの戦闘力はあたらしいそり靴によるところも大きく、妖具は弱体化されないことに加え、一体一体は尾弐が化した酒呑童子よりは遥かに弱いことによるのだろう。

「みんな、迷い家の守りをお願い! ホワイトアウト!」

残ったばけものフレンズを迷い家のあたりまで下がらせ、そこにホワイトアウトをかける。
見えなくして迷い家や作戦の要である姥捨の枝を獄門鬼達の攻撃対象から外し、攻撃対象を自分に集中させるのが狙いだ。
血の海を滑走して獄門鬼達を翻弄しながら、薙刀ほどのリーチの巨大な傘をぶん回してノックバックさせ、繰り出された攻撃はシールドを展開して防ぐ。

>『―――――ヒトよ』
>『愚かなる者たちよ。蒙昧なる者たちよ。――虫けらどもよ。
 汝らの眼前に降臨した私が、果たして何者であるのかさえ理解できぬ者どもよ。
 嗚呼、しかし、汝らの愚かなることを責めはしない。
 なぜならば。汝らは愚かなる者として定義され、愚かなることをするために創造されたがゆえである』

頭の中にアンテクリストの声が響いてきた。
それは仲間の妖怪や一般の人々にも聞こえているようで、動揺の気配が広がる。

267御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/12/06(日) 10:10:15
>『泥から生まれし者たちよ。
 汝ら愚かな者たちを導くために、私は降臨した。長き封印の軛は既になく、私は解き放たれた。
 畏れよ、私を。崇めよ、私を――我が名はアンテクリスト。
 この大地を。世界を。星を。一から創り変える創造神、終世主なり――――』

「おい、聞こえるか!?」「創造神だって……!?」

「あ……! 折角隠してるんだから騒いじゃ駄目!」

一般人のどよめきに引き寄せられるように、迷い家の方に向かう獄門鬼達がいた。
人々の誘導をしているハクトに金棒が振り下ろされんとする。

「私の愛玩動物におイタするんじゃな――い!!」

御幸は大ジャンプして半ば体当たりのように横合いから蹴りを叩き込む。
振り下ろされた棍棒は横に逸れて事なきを得た。

「乃恵瑠……!」

が、ハクトの悲鳴が響く。

――サクッ

シャーベットにフォークを刺したような、冗談のような軽い音。
御幸が自分の体を見下ろすと、刀が左胸を貫通していた。
着地でバランスを崩したところに、新たに出現した獄門鬼が刀を突き出したのだった。

「嫌あああああああああああああ!? 死んだぁあああああああああああ!!」

無論、人間だったら叫ぶことも出来ずに即死だが、まだ元気に叫んでいる。
雪女は妖術系妖怪のため、防御力自体は決して強靭な方ではない。
が、本来血肉を持たないものが便宜上実体を得ている存在である故に、物理的な身体の欠損に対する耐性は、極めて単純な原生動物に近いのかもしれない。
すでに包囲網を突破され、楔となる妖具に敵の魔手が迫っている。
御幸は半ば強引に後ろに飛び退って刀を引き抜くと、ハクトを強引に迷い家の中に押し込んだ。

「君は入って!」「でも!」「いいから!」

迷い家の扉を閉めた御幸は、姥捨の枝を大事に抱えた。

「これは渡さない!」

迫る獄門鬼に回し蹴りを放つ。
その足に斧が振り下ろされ、右脚の膝から下がスパッと切り飛ばされた。

268御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/12/06(日) 10:12:10
「ぐあぁっ……!」

血の海の中に倒れ込んだ御幸に、金棒が振り下ろされる。
右に体を捩じって辛うじてど真ん中に直撃は免れたものの、左腕が肩からごっそりクラッシュアイスのように消し飛んだ。
御幸は死んだように動かなくなった。
そんな中、アンテクリストの口上は続く。

>『我は神。この腐った世を創り変える、ただ唯一の神性。
 私に縋れ、私を崇めよ。私に帰依し――ただ私のみを信奉するがいい。
 それ以外は死ね。我が数百億の眷属が、汝らを殺そう。皮を剥ぎ、目玉を刳り貫き、指の先から一寸刻みにしてゆこう。
 生きたまま臓腑を貪り、この世のありとあらゆる痛苦を味わわせてやろう。
 さあ――
 潰れて死ね。
 狂って死ね。
 嘆いて死ね。
 爛れて死ね。
 砕けて死ね。
 萎れて死ね。
 もはや、この世に私を讃えぬ者の住む場所はない――』

ばけものフレンズ達の負けがほぼ確定している、というよりすでに負けている状態でのこの揺さぶり。
流されない人間はまずいないだろう。

「死にたくないよぉ!!」「崇めれば助けてもらえるのか!?」「アンテクリスト様万歳!」

獄門鬼が今度こそ御幸ごと姥捨の枝を木っ端微塵にせんと金棒を振り上げる。
その時、死んだように横たわっている御幸の唇が動いた。

「眠れる森の白雪姫《スリーピング・スノウホワイト》……!」

――ガキンッ!

振り下ろされた棍棒は、氷塊に阻まれた。御幸は右腕で姥捨の枝を抱えたまま氷漬けになっていた。

269御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/12/06(日) 10:13:28
氷漬けになっている間は、獄門鬼達は姥捨の枝に手出しは出来ない。これにより、自分ごと楔を安置した形になった。
御幸だけではない、満身創痍のばけものフレンズ達や、まだ避難所に入れていない一般の人々も全て氷漬けになっている。
対象指定でやっとのこの妖術を、広域に範囲拡大するのは通常は不可能だが、
アンテクリストに脅迫された人々自身の「死にたくない」という想いがこれを可能にしたと思われる。
また、獄門鬼が勝利したと思い込んでおり叛天の展開もしていなかったのも幸いした。
尤もこれで時間稼ぎは出来ても、状況は好転もしない。
このままアンテクリストの掌握するブリガドーン空間が東京中に広がってしまえば、こんな悪足掻きは意味を成さない。
遠い未来に自分ではない誰かが問題を解決してくれていることに希望を託すコールドスリープと同じ。
他の場所で戦っている仲間がどうにかしてくれることが前提の、他力本願の極み。
運命を切り開き状況を動かす役回りは自分ではないと開き直っているからこそできる芸当だ。
ハクトは、微かに聞こえてきた詠唱と、窓の隙間から見た皆が氷漬けになっている光景から、事の次第を察した。
御幸が自分を迷い家の中に押し込んだ意味も。状況が動いた時に起こす役回りが必要だ。
霊的聴力を持つハクトであれば、遠く離れた場所の音からも戦況が動いたことの感知ができ、
御幸を起こすために必要な人材の居場所も分かる。

「……サトリちゃんを連れてこなきゃ!」

精神に直接干渉する能力があるサトリなら、自ら氷漬けになった御幸を簡単に起こすことが出来るだろう。
ハクトはそう思い至り、駆け出した。SnowWhiteで飼われている他の妖怪達と一緒に避難しているはずだ。

270尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/12/12(土) 13:38:10

>「はッははッはははは……アンテクリストめ、いじましい手を使いおる!
>だが衆愚に効果は抜群か!あいつ、自分が親父と同じ手段を用いておることに気付いておるのかな?」
「オジサンにゃわからねぇが、気付いてんなら惨めな話だ!悪を名乗って神サマごっこ!親父の猿真似たぁ随分滑稽じゃねぇか!」

両手に掴んだ悪魔の頭を握り砕き、尾弐は天邪鬼の嘲弄に獣の如き笑みで返事を返す。
戦闘が始まって既に数時間。尾弐と天邪鬼は幾百幾千の悪魔を切り捨て砕き潰して見せた。
周囲には悪魔の死骸で小山が築かれ、血と臓腑が流れるその光景は地獄が如く。
荒れ狂う暴力と武技は、まさに一騎当千。万夫不当の大立ち回り。

>「アンテクリスト様……!助けて下さい!」
>「い、嫌だ!殺されたくない!死にたくない!アンテクリスト様あ!」
>「お救い下さい……お救い下さい……!神様、アンテクリスト様……!」

だがしかし――――尾弐達の活躍を以てしても足りない。
何百何千の悪魔を下そうと。
人を害する虫の一匹すら通さずとも。
獅子奮迅の奮闘でも。八面六臂の活躍を見せて尚。

人々の絶望を覆し、希望の炎を燃やすための力には足りない。

無尽蔵の悪魔。終わらぬ戦い。増え続ける犠牲。
そして……アンテクリストによる誘い。
光見えぬ現状から抜け出すため。あるいはこの場の自分が助かるため。
折れ転んだ人々の『そうあれかし』が次々に終世主へと集まっていく。
其れは、尾弐黒雄に一つの事実を……目を背けたくなる事実を突きつける。

『悪は強く、人間は弱い』

原始――人が人という生物に為る前。地を這う哺乳類であった頃からの遺伝子に刻まれているもの。
悪意強き者が他者を喰らい、従え、栄華を極める。そんな弱肉強食の摂理。
その摂理が、悠久の時を経て現代に牙を剥く。

>「ちいッ……!
>クソ坊主、後退しろ!守備範囲を狭める!
>気付いておるだろうが……こ奴ら、強くなっておるぞ!」

「っ……こいつぁ、ちと不味いか!応、了解だ!」

渋面を作りながら、尾弐は突き刺した手刀を悪魔の胸から引き抜き、天邪鬼の言に従って後退する。
天邪鬼の言葉の通りに……悪魔達は強くなっている。
これまで無造作に腕を薙ぎ払えば殲滅出来ていた有象無象は、気付けば全うに攻撃を当てなければ絶命に足らなくなっていた。
また、その攻撃も苛烈さを増している。
修行により悪魔の軍勢の攻撃に対して一度の被弾もしていない尾弐だが、それでも尾弐の肉体の頑強さを上回る膂力をもつ個体が現れ始めた事をその戦闘勘から把握していた。
戦略的撤退といえば聞こえはいいが、事実は敵の圧力への圧し負けだ。

そして、往々にして無策で引けば状況とは悪化するもの。
尾弐にとっての誤算は、この場に居る者達がただの……ごく普通に日常を生きてきた人間であったという事。

271尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/12/12(土) 13:39:45
>「うぁぁぁぁぁん……ママぁ……!」
「なっ……どうして子供がいやがんだ!!」

大人であれば、戦線の後退を感じて混乱しながらも撤退を選べたであろう。
だが、幼い子供にそんな真似が出来るはずもない。
親とはぐれたのだろう庇護を求め泣きわめく少女。その泣き声こそが――――悪魔を引き寄せる。

「間に合わねぇ……っ!!」

既に戦線を後退させた尾弐の位置からでは、救助は間に合わない。悪魔達の壁を突き崩して間に合わせる事は出来ない。
それを理解した尾弐は強烈な危機感を覚える。それは、ここで少女を助けられなければ……間違いなく戦線が崩壊し敗北するという確信から。
悪魔達は人間たちが抱いた負のそうあれかしにより強化を重ねている。それでも戦線が維持出来ているのは、未だ心折れぬ者達が居るからだ。
だがそんな人間達の目前で、幼き少女が惨殺されてしまえば……間違いなく、人々の心は折れる。
そしてそれは、尾弐とて例外ではない。一度の犠牲を許せば、きっと箍が外れる。少数を犠牲にし多数を救うを道を選ぶ事になる。

奇跡はない。ここはアンテクリストが築いた魔境。
悪魔の腕は振り下ろされ、少女は命を落とす。それを止められる者が居るとすれば

>「危ない!!」

それは、意志持つ者。奇跡ではない、生きて戦い救わんとする精神の力。
妖面を被った彼の者の名は――――那須野橘音。
東京ブリーチャーズのリーダーは、その身を挺して少女を悪魔の腕から救い出したのだ。

「!? 橘音ええぇぇッッ!!!!!!!!」

そして……愛しき者。守ると誓った者が傷付けられた事で、尾弐は激昂する。
被弾を恐れず、発勁による攻撃で眼前の悪魔の腹を吹き飛ばす。偽針を以て複数の悪魔の心臓部を串刺しにする。
砕いて壊して貫いて切り裂いて引きちぎり

「散りやがれ有象無象のゴミ共!!【黒尾】っ!!!!!!」

群がり攻め来る悪魔達を、切り札をもって討ち払う。
数十の悪魔達による一斉攻撃。その破壊力が、収束されそのまま悪魔の群れへと返され……群れに大きな穴を開ける。

>「……クロオ、さん――」
「っ……喋るな橘音。回復に努めろ」

そしてとうとう――――少女を襲った悪魔を討ち払ったものの、満身創痍となった那須野橘音の元へと尾弐は辿り着く。
彼の後ろに残っているのは、血で出来た赤い道標。それは悪魔の血ではない。尾弐黒雄の血だ。
防御を捨てての前身の結果、力を増していく悪魔の攻撃を無造作に浴びる事となった尾弐。
その背中や足には何本もの折れた剣や槍が突き刺さっており、脇腹に有る獣型の悪魔にに食い千切られた大きな噛み傷は、流れ出る様に血液を吐き出している。

「……ちっ、傷の移し替えの効が悪ぃ!アンテクリストのゴミが作った空間だからか……!?」

それでも、自身の重傷など全く感じていないかのように尾弐は那須野橘音を治療せんとあがく。
そんな尾弐に対して……那須野橘音は振り絞るように声を出す。

>「挙式は、地獄ですることになっちゃうかも……。
>……地獄でも……。ボクのこと、愛して……くれますか……?」

ヒュっと、尾弐の喉が音を鳴らした。思い浮かんだ、那須野橘音を失うという可能性に対する恐怖から。
怪我により衰弱している橘音。その嘆願するような声に対して尾弐は……

272尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/12/12(土) 13:44:15
「俺は、この先なんど死んで生まれ変わってもお前を愛するさ――――けど、悪いな橘音」
「お前さんとの結婚式は、お日様の下でやるって決めてんだ」
「だから、地獄への夫婦旅行は……幸せに生きて死んで、その後だな」

まっすぐ那須野橘音の顔を――眼の傷後も含めて真っ直ぐに見つめ、慈しむような優しい笑みを見せた。
そうして橘音を地面にそっと横たえると、一度その頭を撫でてからゆっくりと立ち上がる。
地面には自身の血液による血溜りが出来ているが、そんな負傷などしていないかのようにその背中は真っ直ぐで。

「なあ」

吹き飛ばされたものの、再びその穴を埋めるように歩み寄る無数の悪魔達に背を向け、
尾弐は自分たちが『守っている人間達』に問いかける。

「お前さん達。死ぬのは怖いか?痛いのは嫌か?」
「そうだよな――――ああそうだ。当たり前だよな。誰だって死ぬのは怖いし、痛いのは嫌なもんだ」
「俺もお前さん達と同じだよ。死ぬのは怖くて痛いのは嫌で、腰痛に悩んでて二日酔いで弱る、どこにでも居るオジサンだ」

その言葉には威圧も敵意もない。有るのは、隣人と世間話をするような気安さ。

「そんなオジサンがなんでこんな危ない思いして戦えてるかといやぁ……そいつは、俺がお前さん達よりも無駄に長生きしてるからだ」
「無駄に長生きして、本当に怖いものと守りたいものを知ってるからだ」
「……なあ人間。お前さん達が恐怖に屈して痛みに負けて、あの神サマもどきに従おうと考える事を俺は責めねぇよ」
「だがな、従う前にちっとだけ考えちゃくれねぇか」

「お前さん達がアレに屈したその先の未来で――――お前が愛する人は、ちゃんと笑ってるか?」

少しの沈黙。そうして尾弐は、人々の反応を見てから再度口を開く。
そこに込められているのは赤く……深紅に燃え盛る怒りの感情。

「もしも。もしも笑ってねぇのなら――――その未来を怖いと思うのなら!意地を見せてみろ人間っ!!!!」
「てめぇの幸せをぶち壊したクソ野郎にふざけんなと言い返せ!!!くたばりやがれと吠え立てろ!!!!」
「俺に!俺達に!!お前の幸せを食い潰して嗤ってやがる連中をぶん殴れと言って見せろ!!!!!!」

遠くの空で光が上がるのと同時に、尾弐は人々に背を向け、その姿を『作り変える』。
黒い闇で全身を覆い、数秒の後にその闇が晴れると……尾弐黒雄は鎧を纏っていた。
それは闘気で出来た鎧。闘神アラストールの秘儀を自己流に応用した、闘気外装。
この外装を纏う事で尾弐が飛躍的に強くなる事はない。せいぜい多少防御力が増す程度だ。

だがこの鎧は――――漆黒の鎧は。
まるで、人間達が幼い頃にテレビで見たヒーローの様だった。
神様ではない。悪を倒し平和を守る、どんな苦境にも諦めない正義の味方の様な造形だった。

荒れ狂う暴力や無双の守護でも安寧を得られなかった人間達に、図らずともその背中は問いかける。
お前達は『どうありたいのか』と。

一度首だけ動かし背後を見てから、尾弐黒雄は突貫を掛ける。悪魔に囲まれる外道丸を救うために。
人々に悪魔共を近づけさせない為に。壱秒でも長く那須野橘音を休ませる為に。

273ポチ ◆CDuTShoToA:2020/12/13(日) 04:25:49
遠吠えが響き続ける。悪魔どもは為す術もなく殺されていく。
一方的な蹂躙――だが、それは前触れもなく終わりを告げた。

>「これは、いったい――」

悪魔どもが撤退を始めたのだ。戦列の立て直し、といった様子ではない。
勝ち目がないと見て諦めたのか。いや、違う。奴らからは恐怖のにおいがしない。
ならば何故――ポチがそう考え、視界を広く取るべく人の姿へ再変化した時だった。

>『―――――ヒトよ』

不意に、頭の中に声が響いた。

>『愚かなる者たちよ。蒙昧なる者たちよ。――虫けらどもよ。
  汝らの眼前に降臨した私が、果たして何者であるのかさえ理解できぬ者どもよ。
  嗚呼、しかし、汝らの愚かなることを責めはしない。
  なぜならば。汝らは愚かなる者として定義され、愚かなることをするために創造されたがゆえである』

聞き間違えるはずもない、アンテクリストの声だ。
ポチが意図せず総毛立つ。
アンテクリストがただ名乗りを上げる為だけに、こんな事をするはずがない。

>『泥から生まれし者たちよ。
  汝ら愚かな者たちを導くために、私は降臨した。長き封印の軛は既になく、私は解き放たれた。
  畏れよ、私を。崇めよ、私を――我が名はアンテクリスト。
  この大地を。世界を。星を。一から創り変える創造神、終世主なり――――』

何か意図がある。何か意味がある。
それがどういうものなのかは、すぐに分かった。

>『我は神。この腐った世を創り変える、ただ唯一の神性。
  私に縋れ、私を崇めよ。私に帰依し――ただ私のみを信奉するがいい。
  それ以外は死ね。我が数百億の眷属が、汝らを殺そう。皮を剥ぎ、目玉を刳り貫き、指の先から一寸刻みにしてゆこう。
  生きたまま臓腑を貪り、この世のありとあらゆる痛苦を味わわせてやろう。
  さあ――
  潰れて死ね。
  狂って死ね。
  嘆いて死ね。
  爛れて死ね。
  砕けて死ね。
  萎れて死ね。
  もはや、この世に私を讃えぬ者の住む場所はない――』

あるいは、アンテクリストはただ、当然の事実を周知しただけなのかもしれない。
だが、真実がどうであれ、たった今告げられた神の啓示は、東京ブリーチャーズにとって最悪の事態を招いた。
つまり――「そうあれかし」が、絶望へと傾いていく。

そうだ。悪魔どもは何も馬鹿正直にポチ達を倒す必要などない。
ブリガドーン空間は広がり続けている。
獲物となる人間ならば、どこにでもいる。

しかし――ポチは撤退する悪魔どもを追わなかった。
無謀だからだ。四方へ遠ざかる悪魔の全てを狩り尽くす事は出来ない。
下手に一方へ追撃をかければ、手薄になったところから反攻され、迷い家を襲われるかもしれない。

それに――何か、嫌な予感がした。
野生の本能が警鐘を鳴らしていた。

>「いけない!」

だが――シロにはその警鐘が聞こえていなかった。
感受性、共感性、思いやり――シロはそれらによって衝き動かされた。
野生の本能ではなく、他者と触れ合い交わった事で身につけたもの――ヒトらしさによって動かされた。

だから――己の足元に潜んだ悪魔のにおいに気づけなかった。

274ポチ ◆CDuTShoToA:2020/12/13(日) 04:28:44
>「ッぅ、ぁ……!」

硬く鋭い牙が閉じるような音がした。
シロの右足首にトラバサミの刃が食い込んでいた。
瞬間――撤退の素振りを見せていた悪魔どもから、むせ返るような殺意と愉悦のにおいが渦巻いた。
その矛先は、言うまでもない。
ポチは全身の血の気が引くのを感じた。

「シロッ!!」

ポチが駆け出す。最愛のつがいを守らなくてはと――その一心で。
つまり――その様はひどく隙だらけだった。

ポチの行く手を悪魔どもが遮る。
彼らの動きは――先ほどよりも鋭く、力強かった。
対するポチの動作は焦りによって乱暴で、粗雑になっていた。

どうしても邪魔になる悪魔だけを仕留め、残りは全て不在の妖術で躱す。
その算段が狂った。
躱し、すり抜け、潜り抜け――そして、不在の妖術が終わった瞬間に眼前に立ち塞がる一体の悪魔。
大振りの爪撃よりも早く、その悪魔の蹴りがポチの腹部にめり込んだ。

「かっ……!」

咄嗟に不在の妖術は使った。
だが、矮躯に叩き込まれた威力は消せない。
姿と存在を消しつつも、ポチは大きく弾き飛ばされる。
シロとの距離が開く――もう、間に合わない。

「あ……」

剣が、槍が、シロめがけて降り注ぐ。鮮血が飛び散る。
牡牛のごとき悪魔がシロへと突貫する。肉が裂けて千切れる音が響く。
シロの体が宙へと跳ね飛ばされて、そのまま受け身も取れずに地面に落ちた。

「ああ……」

>「シロちゃん!」
>「治癒術式!急いで!」

陰陽寮の巫女達がシロに駆け寄って治療を図る。
だが――出血は止まらない。
千切れた右足首からは、とめどなく血が流れ続けている。
シロは全身に槍や剣が突き刺さったまま、ぴくりとも動かない。

「グ……ガ……ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」

立ち尽くしていたポチが叫んだ。
遠吠えなんてものではない。
怒りに溢れ、憎悪に染まり、絶望に晒され――最愛のつがいを喪ってしまったかもしれないと恐怖する精神が発する、絶叫だった。

ポチの全身が漆黒の被毛に覆われていく。膨張する。夜色の妖気が溢れ返る。
送り狼の悪性、その全てが解き放たれる。そして――悪魔どもへと襲いかかる。

邪悪な妖気を通わせた爪は肥大化し、しかし山羊の王から受け継いだ黄金の輝きは塗り潰されている。
錆び付いた大鉈のごとき爪が悪魔の一体を八つ裂きにする。
鉄杭のごとき牙が、迫る悪魔の頭部を果実のように噛み砕く。

だが――そんな事は、まるで大した事ではない。
ポチはたった二匹、悪魔を殺しただけ。
怒りに狂い、憎悪に身を任せて――後先考えずに。

悪魔どもが、そんなポチを背後から襲う事は容易かった。
ポチの背中から腹部へと、何本もの刃が、爪が、貫通していた。


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