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【伝奇】東京ブリーチャーズ・玖【TRPG】

1那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/04/07(火) 14:55:01
201X年、人類は科学文明の爛熟期を迎えた。
宇宙開発を推進し、深海を調査し。
すべての妖怪やオカルトは科学で解き明かされたかのように見えた。

――だが、妖怪は死滅していなかった!

『2020年の東京オリンピック開催までに、東京に蔓延る《妖壊》を残らず漂白せよ』――
白面金毛九尾の狐より指令を受けた那須野橘音をリーダーとして結成された、妖壊漂白チーム“東京ブリーチャーズ”。
帝都制圧をもくろむ悪の組織“東京ドミネーターズ”との戦いに勝ち抜き、東京を守り抜くのだ!



ジャンル:現代伝奇ファンタジー
コンセプト:妖怪・神話・フォークロアごちゃ混ぜ質雑可TRPG
期間(目安):特になし
GM:あり
決定リール:他参加者様の行動を制限しない程度に可
○日ルール:一週間(延長可、伸びる場合はご一報ください)
版権・越境:なし
敵役参加:なし(一般妖壊は参加者全員で操作、幹部はGMが担当します)
質雑投下:あり(避難所にて投下歓迎)

関連スレ

【伝奇】東京ブリーチャーズ・壱【TRPG】
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【東京ブリーチャーズ】那須野探偵事務所【避難所】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1512552861/

番外編投下用スレ
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1509154933/

東京ブリーチャーズ@wiki
https://w.atwiki.jp/tokyobleachers/

2那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/04/07(火) 14:55:39
謎のイケメン騎士Rこと聖騎士ローランから東京ブリーチャーズへと齎され、橘音が開示したもの。
それは、天魔の首魁とその目的に関する情報だった。
東京ドミネーターズを結成し、レディベアを操り、天魔七十二将を率い――
過去と現在においてすべての悪逆と陰謀を司るその男の名は、赤マント。怪人65575面相。


――天魔ベリアル――


かつてただひとり、天界において唯一神の傍らに座すことを許された『神の長子』。
天軍の総指揮官ミカエル、明けの明星ルシファー、那須野橘音ことアスタロト、そしてすべての天使たち……
その英雄だった男。

任務として行っていたはずの悪徳に耽溺し、唯一神によって神に準ずる権能を奪われたベリアルは、
妖怪大統領バックベアードの『想いが力に変わる場所』ブリガドーン空間を使って自らを龍脈の使用者に仕立て上げ、
龍脈の莫大な力を掌握することで復権を果たそうと画策している。
ベリアルの最終攻撃の準備が完全に整うのは、今から三ヶ月後。
東京ブリーチャーズはそれまでに天魔の巣窟と化した東京都庁に乗り込み、ベリアルを倒さなければならない。

だが、紀元前よりありとあらゆる悪徳の根源とされるベリアルを倒すには、現時点の東京ブリーチャーズはあまりにも弱すぎる。
ベリアルの最終作戦が発動するまでの間、ブリーチャーズは各々二ヶ月の期間を取って修行をすることになった。

「では――二ヶ月後。皆さん、那須野探偵事務所でお会いしましょう!」

橘音の音頭によって、東京ブリーチャーズは最終決戦へ向けての特訓をすべく一旦解散した。

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雪の女王によって雪女の里に連れてこられた祈は、祖母・菊乃、母・颯と共にいた。
しかし、各々過酷な修行を開始した他の仲間たちと違い、菊乃と颯は祈に対して特訓を課そうとはしなかった。
二日経っても、三日経っても、ふたりは特に祈を鍛えようとする気配を見せない。
やる気バージョンではない、いつもの老婆の姿の菊乃が言う。

「いいかい、祈。
 あんたがこれからやろうとしているのは、この世界でも最大級の戦いだ。
 あんたが戦おうとしている相手は、あんたが――いや、アタシたちが生まれる二千年も前から悪事を重ねてきた、
 筋金入りの悪党だ。
 そんな敵を前に今更あんたへ戦い方だの、戦闘の型だのを教えたところで、焼け石に水だろうさ。
 アンタには、戦いの訓練なんかよりもっとやらなくちゃいけないことがあるんだよ」

クォーターである祈は純正妖怪であるノエルやポチ、伝説級大妖の力を持つ橘音や尾弐といった仲間たちより身体能力で劣る。
今までは風火輪や仲間とのチームワークで何とか乗り切ってきたが、今度ばかりはそうはいくまい。
妖怪のクォーターであるというスペックの低さを肉体的な面で補填する方法は、現時点では存在しない。
といって、祈は留守番で――ということにはならない。祈にはやらなければならないことがある。
何より祈には、仲間たちとの身体能力の差を埋め合わせる強力な武器があるのだ。

「それじゃ……そろそろ、始めましょうか」

颯が告げる。
蒼白い雪の回廊を通り、菊乃と颯は祈を宮殿の奥にある部屋へと連れて行った。
祈の住むアパートの部屋くらいの広さの、この宮殿の中にあっては本当に小部屋と言えるくらいの空間だ。
そこには家具の類は何もなく、ただがらんとした空虚なスペースだけが存在している。

「そこに座りな、祈」

菊乃が何もない床を指さす。

「あんたはこれから、龍脈にアクセスするんだ。
 今までは、ほんのちょっぴり龍脈から力を借りるだけ――しかも、本当に追い詰められたときに一瞬だけ――だったものを、
 いつでもある程度引き出せるようにする。
 そうすりゃ、あんたの勝てない相手なんてこの世にいなくなるさ。
 だって、龍脈はこの地球の生命力の源。そして妖怪ってのはみんな、その生命が営む『思考』から生まれたんだから」

龍脈はこの惑星を走る血管のようなもの。
その膨大なエネルギーを直接、祈の意思で引き出すことができるようになれば――それは肉体のハンデを補って余りある武器となる。
祈に与えられた二ヶ月は、それを可能とするための時間だった。

「この修行は、あなたひとりでするのよ……祈。私たちには、残念だけれど手助けできない。
 今まで、あなたはたくさんの仲間たちに支えられてきた。いろんな人たちから力をもらってきた。
 でもね……これは、これだけは。『龍脈の神子』であるあなただけの力と意志でやらなければならないの」

心配げな面持ちで、しかし確固とした決意を湛え、颯が言う。
龍脈の神子以外の者が龍脈にアクセスすることはできない。神子以外の誰にもその方法は分からない。
だから。
この訓練は、祈がひとりで考え。祈がひとりで実行し。祈がひとりで成し遂げる以外にないのである。

3那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/04/07(火) 14:59:16
「じゃあ、アタシらは外にいるから。何かあったら呼びな。
 ……無理だけはするんじゃないよ」

菊乃と颯は扉を開くと、外へ出て行った。
パタン……と静かに扉が閉まれば、後は祈だけが部屋に残される。
と、その直後。
それまでその場所にあったはずの扉が音もなく消え、同時に手狭だった部屋の中が開ける。
祈のいる場所を中心として、広大無辺の空間が現れる――。
ただ床だけが存在する、どこまでも続く地平。
恐らく結界の一種なのだろう、外の物音も聞こえなければ、菊乃と颯の気配もない。
ここで祈は龍脈の神子としての己を顧み、龍脈にアクセスしなければならない。
アクセスする――などと言っても、その方法は分からない。誰に教えを乞うこともできない。

だが、祈は既に『知っている』。

瞑目し、自身の心に問えば。
繋がりたいと心で念じれば。

次の瞬間には、祈の心は肉体を離れ、遥か下方にある地球の核と接続することができるだろう。

祈の魂は肉体のいる空間から、真っ逆様に下へと落ちてゆく。
自由落下だ。床を通り抜け、地面をすり抜け、祈はどこまでも落ちてゆく。
そのさなかに、様々な映像が脳裏をよぎってゆく。――それは、46億年にのぼるこの惑星の歴史。
原始地球が発生し、マグマが凝固して地殻が形成され、海ができ、誕生した原生生物が進化を開始する。
類人猿が人類となり、文化を考案し、文明を築き上げる……。
その膨大な歴史が、猛烈な早送りで祈の頭の中を掠めては通り過ぎてゆく。

地球の記憶だけではない。祈自身の記憶もまた、その眼前で克明に再現される。
祖母とふたりきりで育った幼少時代。
自らの力を自覚し、都内に巣食う妖壊たちを相手に喧嘩に明け暮れ悪童と呼ばれた時代。
橘音に見出され、東京ブリーチャーズとして活動し始めた時代。

そして――

《祈、お願いですわ。もし、もしも。わたくしのことを本当に友達と思ってくれるのなら――》

《い、嫌です!わたくしはまだ、祈と一緒に……!》

《祈!……祈…………!!》

強大な敵の前に、ともだちを奪われた――あの夜。

いったい、どれほどの時間が過ぎただろうか。
雪の女王の宮殿を離れてすぐだったような気もするし、それこそ46億年の時間が経過したようにも思える。
そんな不明瞭な時間の果て、やがて祈の身体はこの星の中枢に到達した。
まるで別の世界へとやってきてしまったかのような、巨大な空間。その中を走る、おびただしい量の光の波濤。
それは、この地球という惑星の上を網の目のように縦横に走る動脈。
地球に存在するすべての生きとし生けるものの根源。生命エネルギーの出ずる場所。

“龍脈”。

祈はこの星の心臓部に達したのだ。

それまで自由落下していた祈はふわりと緩やかに停止した。
天地も上下もない、宇宙を思わせる広大な空間の中心に、まるで太陽のようにひときわ球状に輝く大きな光がある。
その周囲を、祈がここに達するまでに見てきたものと同じ記憶の螺旋が取り巻いている。
祈がその光へと近付いてゆくと、突如としてまばゆい閃光が祈を包み込んだ。
そして――

次の瞬間、祈は今までとはまるで異なる場所に佇んでいた。
錆ついた手摺。誰も来なくなって久しい、手動の改札。
切れかかって明滅する、天井の蛍光灯。
祈はその場所を知っている。そこはかつて、夢の中で訪れた場所――『きさらぎ駅』。
以前祈が訪れ、戦ったときと、そこは何ひとつ変わらない。まるで時間そのものが止まってしまってでもいるかのように。
であるのなら。それならば。

彼も、まだそこにいるのだ。



「やあ……来たね、家出少女」

4那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/04/07(火) 15:04:05
改札を隔てたホーム側に、二十代後半くらいの青年が立っている。
無造作だが小奇麗な髪型の、優しげな顔立ちの青年。
以前会ったときには駅員の格好をしていたが、今はゆったりした水色のシャツに、ベージュのチノパンといった私服姿だ。
左の手首で、銀色のバングルがキラキラと輝いている。

「いや……もう家出はしていないから、家出少女じゃないな。
 訂正しよう……よく来たね。祈」

青年はそう言うと、嬉しそうに微笑んだ。
かつて、帝都を護るために赤マントと戦い、祈や颯、尾弐と橘音の身代わりになって死んだ男。
赤マントの策略によって冥土に落とされた東京ブリーチャーズを、祈を、生者の世界へと導いた男。

祈の父――安倍晴陽。

「少し見ない間に、また大きくなったみたいだな。
 黒雄さんや橘音君に礼を言わなければ……約束を守ってくれてありがとう、とね」

晴陽の声は優しい。
陰鬱なきさらぎ駅の駅舎での再会だったが、祈へと向けるその声や眼差しには愛情が溢れている。
ただ、祈が改札を通ってホーム側へ行くことはできなかった。
ホームはゲートによって塞がれている。また祈が脚力にものを言わせて飛び越えようとしても、不思議な力で阻まれてしまうだろう。

「さて……積もる話はあるけれど、そうゆっくりしてもいられない。
 もう、外の世界では二ヶ月が経過しようとしている……君がこの場所へたどり着くのに、それだけの時間がかかったんだ。
 だから……さっそく始めよう」

それまでの柔和な表情から一変、晴陽は決然とした表情で祈を見た。

「祈。君は、何がしたい?
 この惑星のエネルギー、龍脈を用いて……何をしたいと願うんだ?」

今まで様々な者たちが議論してきたように、龍脈とは他に比肩しうる物のない莫大な力だ。
それは同じ惑星由来のエネルギーである石油や石炭、それに人類の叡智である原子力などとは比べ物にならない。
龍脈の力をほんの数パーセント、もしくはそれ以下――引き出すだけで、人の運命は容易に変転する。
祈は今までもその力によって姦姦蛇羅を救い、颯を救い、尾弐や橘音の抱えていた闇さえも払ってみせた。
これからも祈がその純粋な心を持ち続けることができるなら、きっと世の中はよくなってゆくだろう。
 
しかし、その反面で人の心は移ろいやすく、容易に悪に転ぶ。
世の中には醜いもの、汚いものが多く存在する。
祈がいつかその汚濁にまみれ、穢れて、悪に身を落とさないという保証はどこにもないのだ。
だからこそ、御前はその可能性を危惧して祈を始末しようとした。
取り返しのつかないことになる前に、原因そのものを摘み取ってしまおうと考えたのだ。

この地球の根源と繋がる、龍脈の神子。
その資格者となった瞬間から、祈には多くの枷が嵌められたのである。
力に溺れることなく、驕ることなく。ただ善性と愛に基づいた行動を貫き通すことができるのか?と――

「今まで君が戦ってきた者たちは『何らかの要因によって悪に堕ちた』者たちだった。
 だが、今度は違う。あの男赤マント――いや。天魔ベリアルは『悪たるべくして生まれた』。
 『悪は恐るべきもの。忌むべきもの。強大なもの』という『そうあれかし』なんだ。
 そんな者を前にしても、君は……信念を貫き通せるのか?」

もし、かの者と対峙したとき。決戦の瞬間を迎えたとき。
祈は『今まで仲間たちが赤マントにされたこと』を思い出し、彼を憎悪せずにいることができるだろうか?
橘音は無念の心を利用され、天魔として転生させられた。
ノエルは災厄の魔物に成り果て、大切な姉を失った。
尾弐は酒呑童子の依代として千年に渡る苦しみを味わわされ――
ポチは長年の悲願であった同胞との邂逅を踏みにじられた。
祈自身もベリアルによって目の前にいる父と死別し、母と十四年間も離れ離れになっていた。

天魔ベリアルは人の心の闇につけ込む技術においては、比喩表現抜きで世界の頂点に位置する存在である。
龍脈の神子としての資格を得、強大な力を持ったとしても、祈のメンタルは14歳の少女に過ぎない。
紀元前から人類を惑わせ、悪の道へと引きずり込み、破滅させてきたベリアルに言いくるめられ、屈する可能性だって考えられる。

また反対に、祈の心に柱の屹立するかのように一本の確固たる信念があるのなら。覚悟が存在するのなら。
それはいかなる悪の誘惑をも跳ね除ける、心の壁となるだろう。

「さあ――答えるんだ、祈。
 君はなにを望む?何を願う?
 身体が打ちのめされたとき。心が挫けそうになったとき。
 君は、なにをよすがにして立ち上がるんだ――?」

晴陽は、その覚悟を問うている。

5那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/04/07(火) 15:04:55
「乃恵瑠、あなたがこれから戦おうとしている相手は、あなたが今まで戦ってきた相手とは比較にならない強さを持っています」

ノエルと対峙した雪の女王が荘重に告げる。

「今のままでは、瞬きの間にあなたは滅ぼされるでしょう。
 あなただけではありません。聖騎士ローランに対し、束になっても勝てなかった今のあなたたちでは……。
 ですから、あなたを本気で鍛えます。おふざけはありません。
 私のスパルタを、あなたは耐えられないと思うでしょう。もうやめてしまいたいと思うかもしれません。
 ですが――
 あなたがおふざけをしていられる世の中を破壊してしまおうと。闇と絶望に覆ってしまおうと。
 そう画策している者たちは――『その向こう』にいるのです」

これからも、仲間たちと和気藹々と遣り取りがしたいのなら。
バカなことをしても、笑って許してもらえる。そんな世界にいたいのなら。
死ぬ気でやれ、と言っている。

「まずは、あなたのその素質を開花させます。
 あなたの力は、まだまだその大半が眠っている……そしてあなたはその使い方さえ分からない。
 それをすべて教えます。
 早速で悪いですが……行きますよ」

すい、と女王は右手をノエルへ突き出す。
そして次の瞬間、女王の翳した右の手のひらから猛烈な吹雪が迸った。

ゴウッ!!

それは、雪妖のノエルをして『寒さ』を感じさせるほどの、圧倒的な冷気。
見ればノエルの身体が足許から凍り付いてゆく。その場を離れなければ、ものの数分でノエルは氷の彫像と化すことだろう。

「寒いですか?寒いでしょう。
 さあ、“世界のすべて”をお使いなさい。“新しいそり靴”はただの飾りですか?
 こんな試練にも打ち勝てないようでは、都庁へ行っても殺されるのが関の山。
 ならば――いっそこの母が引導を渡すのも、また親心というものでしょう!」

ぶあっ!!!

女王の両手から迸る吹雪が勢いを増す。
吹雪は周囲の空間をも凍てつかせ、気温が急速に低下してゆく。
極低温の中では、呼吸さえもが困難になる。冷気によって呼吸器が侵食されるのである。
まして、雪の女王が生み出す妖力の冷気だ。その威力はノエルの身さえ秒単位で蝕んでゆく。
“世界のすべて”で自らの能力を増幅させ、“新しいそり靴”で冷気を回避し、女王に攻撃を叩き込まなければならない。

が。

「もちろん、接近が叶ったからといって私に易々攻撃ができるとは思わないことです」

女王はノエルの放つ冷気を微風のように受け流し、また近接攻撃に対しても氷壁を巡らせて鉄壁のガードを見せる。
普段は宮殿の奥に鎮座し、全盛期の力など見る影もなく衰えたかと思われていたが――
どうやら、日頃はその力を使う必要もないため温存していた、ということらしい。
女王はノエルを完膚なきまでに叩きのめし、気絶するまで打ち据えた。
そしてノエルが力尽きると古式ゆかしいラグビー部の特訓よろしく頭に勢いよく冷水を叩きつけて覚醒させ、また叩きのめした。
一見するとスパルタ式の特訓を通り越した、単なる虐待に見える。
そんな幾度となく死を感じさせる日々が、何昼夜も続いた。

「あなたの身体は頑丈にできています。この程度では死にません。
 死ぬと思うのは、あなたの心が弱いから。身体の強さに心の強さが追い付いていないから。
 身体と心の均衡が取れていないのです。そして……それが才能の開花を妨げている。
 ひょっとしたら手加減してもらえるかも、とか。母親なんだから優しくしてくれるだろう、とか。
 そんな甘ったれた考えは捨てなさい」

今までは何だかんだとノエルに優しかった女王だが、この特訓において気の緩みは一切ない。
すべての生物を凍結させ、命を奪い、天地をも冷気に閉ざす。
そんな酷寒の冬の化身。雪と氷の体現者である大妖の姿が、そこにはあった。

6那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/04/07(火) 15:05:17
ノエルが特訓を開始して、一ヶ月が経った。
相変わらず、ノエルは雪の女王に対してろくな反撃もできず、毎日10回は気絶してその都度頭から氷水を叩きつけられた。

気絶。覚醒。気絶。覚醒。気絶。覚醒。気絶。覚醒。気絶。覚醒。気絶。覚醒。気絶。覚醒。気絶。覚醒。

そんな毎日。
雪の女王は小さく息をついた。

「まるで進歩が見られませんね」

「お言葉ですが女王様、姫様にこの特訓方法はハードルが高すぎたのでは……?」

「今までずっとぬるま湯で過ごしてきた姫様に、普通の妖怪だって音を上げるような特訓というのは、やはり……」

カイとゲルダが口々に女王を諌める。
といって、他に強くなる方法などない。ハードルが高かろうと無茶であろうと、ノエルはこの方法で強くなるしかないのだ。

「そうですか。
 この期に及んで、まだこの子は私に憐憫を乞うているのですね。
 そして――あなたたちがそんなノエルに中途半端な希望を与えている。
 ならば。……あなたたちは不要です」

そう言うと、女王は不意にノエルの目の前でカイの左の首筋にひたり……と右手を触れさせた。

「じ……、女王様……?」

女王が触れている場所から、急速に氷が広がってはカイの肉体を侵食してゆく。

「見るのです、乃恵瑠。あなたが戦わなければ……皆『こうなる』のです」

「じょ、お……ひめさ、ま……」

ノエルの眼前で、カイは瞬く間に氷の彫像と化してしまった。
ゲルダが驚愕に目を見開く。
しかし、女王はただカイを氷漬けにしただけではなかった。

ヒュッ!!

女王の右の手刀がカイを一閃する。
氷像となったカイの胸に、小さな亀裂が走る。それはピキピキと音を立て、徐々に大きく広がって全身に伝播してゆき――
やがて。氷になったカイの身体は、あっけなくガラガラと崩れ落ちていった。
ゴト……とカイの首が地面に落ち、ゴロゴロとゆっくりノエルの足許へ転がってくる。
そして、すぐにそれにもヒビが入り――もう元が何だったのかさえ分からない、ただの氷の塊に変わった。
物言わぬ氷の破片の中に、理性の氷パズルが落ちている。
カイが修理して持っていたのだろう。

「ほら。死んだ」

女王はひらりと軽く右手を閃かせて言った。
物語にもなるほど執着した、大切な存在だったはずだが――
その最期はごくごく唐突で、簡単で、あっけないものだった。
雪の女王は雪の、冬の寒さの化身。
凍気は万物の熱を奪い、無慈悲にその命を奪う。
雪の女王はありとあらゆる雪妖、氷妖、冷気を糧とする妖怪たちの長。
その無慈悲で冷酷な手が、カイに下されたのだ。
……ノエルが不甲斐ないばかりに。

「あなたはかつて、三尾を喪ったことで我を忘れ、麓の村を滅ぼした。
 幼い身に釣り合わない莫大な妖力を用いて。不本意ですが、今必要なのはその力です。
 大切な者を喪うという事象があなたの覚醒の鍵となるのなら、私は喜んであなたの大切な者の命を奪いましょう。
 さて……次はゲルダ。あなたですね」

「……じ……、女王様……、そんな……」

女王がおもむろにゲルダの方を向く。
カイの死を悼む間もなく、ゲルダは恐怖に後ずさった。
美しい粉雪交じりの冷気が、女王の右手で躍っている。だが、その美しさに触れられた者には死が待っている。
周囲はすっかり氷の壁で囲まれている。ゲルダが逃げる場所は、どこにもない。

「姫様……、たす……」

ゲルダはノエルへ右手を伸ばしたが、その手の指先から瞬く間に凍り付いてゆく。
その全身がカイと同じ氷の彫像になるまで、時間はかからなかった。

「カイが死んだのに、あなただけ生きているというのは締まらないでしょう?
 さようなら、ゲルダ。乃恵瑠の役に立って死ぬこと、感謝しますよ」

パキィンッ……!

澄んだ音を響かせ、ゲルダもまた砕け散って床に無造作に散らばった。

7那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/04/07(火) 15:06:43
「ぅ……」

「あなたもお死になさいね、ハクト。
 恨むなら乃恵瑠を恨みなさい。いつまでも不甲斐ない乃恵瑠のために、あなたは死ぬのですよ」

最後に残ったのはハクトだ。
まったく抵抗らしい抵抗もできずに砕け散ったカイとゲルダを目の当たりにし、ハクトはその場に釘付けになった。
蛇に睨まれた蛙のように――いや、強大な妖壊と対峙した非力な小動物のように。
一歩も身動きが取れずにいる。
肩越しにノエルへと振り返ると、女王はにたあ……と日頃の気品や慈愛とはかけ離れた粘つくような笑みを浮かべて嗤った。

「……怒りましたか?ノエル?
 私は言ったはずですよ……『甘ったれた考えは捨てろ』と――
 カイとゲルダが死んだのも、これからハクトが死ぬのも、すべてすべて……あなたの不甲斐なさが招いたこと。
 あなたのせいでみんな死んでゆく。あなたが皆を死なせてゆく。
 それが嫌なら――この母を斃すことです。今すぐに!!」

ゴッ!!!

女王の全身から冷気が迸る。
凍土の世界を統べ、万物万象をあまねく滅ぼす絶対の死の導き手。
倭、唐土、天竺の三界に名を轟かせた極東の大妖、白面金毛九尾の狐に優るとも劣らない、氷雪の大妖怪――

『雪の女王(Sneedronningen)』。

「最後に、氷の神器の使い方を教えてあげましょう。
 ソレは単品で使うものではない。そもそも『三つ同時に使うことを前提として造られている』ものなのです」

いつの間にか、女王の右手には理性の氷パズルが。左手には世界のすべてが握られている。
足には新しいそり靴。三種の神器がすべて女王の手にある。
もっとも、本物ではない。女王が妖術によってオリジナルからコピーした紛い物だ。本物はノエルの許にある。

「粗悪な海賊版(ブートレグ)ですが、一度くらいは使えるでしょう。
 あなたを葬り去るのには一撃あれば充分。それで一切合切を終わらせましょう。
 こうも言いましたね?私は――『ものにならないならば、母の手で引導を渡すもよし』と――
 ならば、受けなさい。この母の最大の奥義を」

ひゅん、と世界のすべてを振り、女王はノエルを見遣った。
冗談や軽口の類ではない。使い物にならない、素質がないと見切りをつければ、女王は躊躇いなくノエルを殺すだろう。
そしてその霊気を山に還元し、新しい女王の後継者が生まれるのを待つだろう。
……今までずっと、そうしてきたように。

「我が槍の名はフィムブルヴェト。
 古くは北欧世界において『神々の黄昏(ラグナロク)』の先触れとなりし、我が極鎗を見よ!」

真の力の一端を解放した女王の発する妖気が、ノエルの全身を蝕んでゆく。
その右手には、いつの間にか世界のすべてが長柄となり理性の氷パズルが穂先に変形した巨大な槍が握られていた。
穂先を中心に雹嵐が吹き荒れる。並の雪妖なら瞬く間に氷漬けになってしまうだろう。

「生き残りたければ。これから先も、大好きな者たちと一緒にいたいのならば。
 この一撃――凌いでご覧なさい!」
 
雪の女王が一気にノエルへと間合いを詰める。
それはまさに、何もかもを滅ぼす最終戦争の勃発を連想させる先立ちの一撃。
『災厄の魔物』と呼ばれる妖怪の持つ、真なる力。
セルシウス度-217.15℃、絶対零度の槍――

「『堅き氷は霜を履むより至る(ラグナロク・アンクンフト)』!!!!」
 
ギュオッ!!!

引き絞られた弓のように凝縮された力が解放され、神速の鎗がノエルの心臓めがけて突き出される。
奥義を喰らえばノエルは死ぬだろう。現在のノエルの防御力では絶対零度は防げない。
自らの眠れる力を目覚めさせ、三種の神器の力を十全に使用して、雪の女王を斃す。
そうしなければ、すべてが絶望という名の氷壁に閉ざされる。何もかもが終わる。


極鎗がノエルの胸を刺し貫くまで、あと0.003秒。

8那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/04/07(火) 15:07:13
京都府京都市西京区大枝沓掛町、老ノ坂の峠道を外れた森の中に首塚大明神の社がある。
今、尾弐と天邪鬼のふたりは帝都東京を離れ、その古びた社の境内に佇んでいた。

「さて」

ぽんぽん、と仕込み杖で自分の肩を軽く叩きながら、天邪鬼が切り出す。

「我々の自由になる時間は限られている。だから回り道はせん。クソ坊主、貴様には最短距離で強くなってもらう。
 なに、難しい話ではない。強くなれねば死ぬ、それだけだ。ということで――
 貴様にはこれから、ざっと千回ほど死んでもらおう」

まったく自然に、さも当然であるかのように『死ね』と言ってのける。

「痛い思いをして覚える、という言葉があるが。
 それでは手ぬるい。痛みの極地は死だ、死を以て学べ。
 どうだクソ坊主、手足は動くか?呼吸はできるか?」

ふたりが修行の地として選んだこの地は、かつて源頼光によって討伐された酒呑童子――外道丸の首が棄てられた場所であり、
同時に神へと変生した首塚大明神の神社が建立された神域である。
鳥居をくぐった瞬間から、悪鬼である尾弐を聖域の清浄な気が間断なく圧迫している。
その重圧たるや生半可なものではない。尾弐はまるで重力が十倍にでもなったような感覚をおぼえるだろう。
すべてが浄化された空間において、悪鬼は息を吸うことさえも困難を伴う。
あたかも高山病のような頭の痛み、息苦しさ、眩暈――それらも絶えず尾弐を襲う。
一方で自らの祀られる空間、いわばホームグラウンドにいる天邪鬼の神力は外界の何倍にも跳ね上がる。
そんな圧倒的な彼我の環境差の中で、天邪鬼は修行をしろと言っている。

「本来ならば、この重圧に慣れるところから始めるのだが。
 そんな悠長なことをしている暇はない、ゆえ――すべて同時に進める。
 できねば死ね。まぁ、今日の所は百遍ばかりも死ねば何とかなるか」

環境に慣れ、天邪鬼の出す課題をこなし、更にはそれを上回る。
すべてを同時にこなし、クリアしなければ、たった二ヶ月間で今を遥かに凌駕する力など得られない。

「難しいことは何もない。ただ、貴様は私に勝てばいいのだ、クソ坊主。
 したが、何をやっても勝てばいいという話ではない。
 『その身に一撃も貰わず』、貴様は私に勝つのだ」

天邪鬼の提示した、修行終了のための課題。
それは、掠り傷さえないノーダメージで天邪鬼を倒す、というものだった。

「言うまでもないことだが、貴様の最大の武器はそのタフネスだ。
 貴様はその膂力と肉体の頑健さを恃みに、肉を切らせて骨を断つ――という戦法を多用するきらいがある。
 自分が傷ついたとしても、相手の方により大きなダメージを与えられればいい、というようにな。当たり勝ちとも言うか。
 始原呪術『復讐鬼』もそうであったな……頑丈な貴様が三尾の代わりにダメージを受ける。
 その方が効率がいいという訳だ、だがな――」

今までは、それでも良かった。だがこれからもそれが通じるとは限らない。

「これから貴様が戦う相手は、どんな力を持っているか分からん。
 骨を断つ間も与えられず、肉を切断されたらどうする?首を刎ねられたら?
 まず、ダメージを受けるという発想をやめろ。その身に毛筋ほどの傷さえ受けてはならん。
 傷を受ければ、そこでご破算だ。いいな」

こともなげに告げる。だが、神域の重圧の中で天邪鬼に無傷で勝利するなど、無理難題にも程があるだろう。
しかも――天邪鬼の試練はそれで終わりではなかった。

「一対一というのもつまらん。こういうことは、賑やかに行くのがいい」

すい、と天邪鬼が右手を横へと伸ばす。
その瞬間、ボゥ……と伸ばした手の先の空間が揺らぎ始める。
蜃気楼のように朧に霞む、その空間から現れたのは――無数の悪鬼たち。
かつて平安の時代、大江山に盤踞し都を絶望の極みに叩き落した『酒呑党』の郎党。
その中には尾弐の知る副頭・茨木童子、虎熊童子ら四天王の姿もある。

「九十九鬼(つくも)おる。私を入れてちょうど百鬼。
 むろん、こやつらの攻撃も受けてはならん。我ら酒呑党の百鬼夜行、心ゆくまで味わうがいい――クソ坊主。
 さあ……という訳で、だ」

ざん!と天邪鬼は一歩を踏み出すと、大きく手指を開いた右腕を突き出した。
そして嗤う。凄絶なほど美しくも禍々しいその笑み顔は神性たる首塚大明神ではなく、むしろ――

「宴を。始めようか」

天邪鬼の宣言と共に、尾弐の特訓が始まった。

9那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/04/07(火) 15:07:28
修行は苛烈を極めた。

果たして幾度の朝と夜を迎え、幾度の死を迎えただろうか。
指一本動かすことさえ難しい重圧の中、眩暈と頭痛に苛まれながら百体もの鬼の一斉攻撃を躱し続け、
その中にいる天邪鬼ひとりを狙って有効打を与え、これに勝つ。
どう考えても狂気としか思えない、到底不可能な難事であるが、尾弐はこれを成し遂げなければならないのだ。
鬼たちは尾弐を取り囲み、全方位から攻撃を仕掛けてくる。
まずは数を恃みの波状攻撃に始まり、死角を狙っての奇襲。妖術を使って遠距離から攻撃してくる者もいる。
それを凌いだとしても、鬼たちの間隙を縫って虎熊童子の金棒が頭上から降りかかる。
回避不可能な角度から金熊童子の鉄球が飛んでくる。星熊童子による防御不能の衝撃波が撃ち放たれる――
天邪鬼の斬撃が神速で繰り出される。

ほんの僅かでも負傷すれば、それで終わりだ。その都度尾弐は天邪鬼に首を刎ね飛ばされ、胴体を袈裟に両断され、
臓腑をぶちまけて死んだ。
そして、死んだと――そう思い意識がブラックアウトした次の瞬間には、何もかもが元通りになって社の境内に佇んでいる。

「本当に死ぬ訳ではない。私の術で、貴様に死んだと知覚させているのだ」

もう幾度目かの死を迎えた尾弐に対し、天邪鬼が告げる。

「しかしながら、貴様の感じる痛みや死の衝撃は紛れもない本物だ。
 このまま失敗を続ければ、貴様の意識が。魂が消耗しきり、やがては本当の死を迎えるだろう。
 その前に事を成せ。帝都を守りたいと。仲間たちとの約束を果たしたいと。
 好いた女と共に在りたいと願うのなら……」

ちゃり……と仕込み杖を微かに鳴らし、天邪鬼は構えを取った。
その途端、九十九体の鬼たちが咆哮を上げながら一気に尾弐へと殺到する。

「我らを凌駕してみせろ!
 千年に渡る悵恨の果て、貴様は未来を掴み取る選択をしたのだろう!
 貴様の望みは、そこに至る階(きざはし)は――我ら酒呑党を斃した、その先に在る!!」

鬼たちが雪崩を打って尾弐へと襲い掛かる。
巨大な五爪と化した茨木童子の摂陽国崩が、地面を抉りながら迫る。
四天王の金棒が、鉄球が、斬撃が、鉞が撃ち振るわれる。
天邪鬼が渾身の力を籠め、不可視の抜刀でもって尾弐の命を奪いに来る――。

普通の妖怪であれば、死どころか滅びまで迎えているに違いない、激烈な痛み。死の衝撃。
しかし、その耐え難い苦しみのその先に、未来が待っている。
度重なる死。斬死、圧死、凍死、焼死、轢死、死、死、死――死の連鎖。
だが、それに尾弐が打ち克ち、あらゆる艱難辛苦を乗り越えて立ち上がったときにこそ。
九死に一生の活路は拓かれるのだ。

「目で物を見るな。視界に囚われず、心で視よ!五感の全てを動員し、全天全地よりの攻撃に備えよ!
 貴様の身体に触れんとするものは、空気さえ敵と思え!」

「莫迦め!避けることに意識を割き過ぎて攻撃が疎かになっておるわ!
 攻めながら避け、避けながら攻める!どちらか一方に偏ってもならぬ、両の天秤――その均衡を崩すな!」

「今までの経験を棄てよ!敵は貴様の常識の埒外から遣って来るぞ!
 こんな攻撃はどうだ!?これは?ならばこんなのは!?さあ……凌いで見せろッ!」

天邪鬼は一切の遠慮会釈なく、尾弐に対して死の斬撃を繰り出してくる。
容赦は一切ない。天邪鬼の一撃をその身に浴びるたび、尾弐はのたうち回るような痛苦を感じるだろう。
そして死ぬだろう――意識が、魂魄が自己の死を知覚し、すべてがゼロに巻き戻る。
地獄の責め苦さえもこれ程ではあるまい、というような苦行が繰り返される。
だが、天邪鬼はそれを決してやめない。
尾弐ならば、きっとこの痛みを乗り越えて目的を達成することができるだろうと――そう、信じているから。

「どうした――クソ坊主!
 貴様が望んだ!貴様が選んだのだ、この道を!
 人間へと立ち戻り、平穏無事な人生を再び歩むことができる……その安寧を投げ捨ててな!
 ならば仕遂げてみせろ、すべて凌駕してみせろ!
 千歳(ちとせ)の生は、こんなところで無様を晒すためのものではあるまい!」

天邪鬼が尾弐を叱咤する。 
千年の絆と信頼に裏打ちされた、ふたりの戦いは永遠にも思えるほどに続いた。

10那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/04/07(火) 15:08:01
尾弐が首塚大明神の社へ来てから、そろそろ二ヶ月が経過しようとしている。
その間、尾弐はただただ死を積み重ねた。
神域の中にいる間は食事も、睡眠も、排泄もない。それら生理的欲求を何ら感じることなく、尾弐はただ特訓を続けた。
そして、死んだ。尾弐が死んだ回数は通算にして万を超えるだろう。
だが、その甲斐はあった。今や酒呑党の悪鬼たちが束になろうと、尾弐には指一本触れることができない。

「いい成果だ。上々だな。
 時間もない――ならば次の課題を以て最終工程としよう。これを凌げれば、もう特訓すべきことはない。
 神の長子だか何だか知らんが、片手で捻ってやれるだろうよ」

酒呑党の悪鬼たちを背後に控えさせながら、天邪鬼が言う。

「今までさんざん賑やかにやったが、最後は貴様と私、一対一の勝負だ。
 皆と交わす盃もいいものだが――対面で飲るサシ呑みも乙なものよ。そうだろう?」

もはや、京の都で猛威を振るった酒呑党の襲撃も尾弐にとっては微風のようなものでしかない。
だが、だからといって酒呑党がお役御免になったかと言えば、そんなことはなかった。
鬼たちがその輪郭を崩し、光の粒子に変わってゆく。
九十九匹の鬼が変じた膨大な光が、天邪鬼の肉体の中へと吸い込まれてゆく。

「貴様にとっては、思い出したくもない姿であろうが……今は我慢せよ。
 修行の締め括りには、最大の力を尽くして当たらねばならん。私の最強の姿となると……やはり。これしかないのでな」

酒呑党をその体内に取り込んだ天邪鬼の姿が変容してゆく。
元から長かった黒髪は地面に届くほどになり、白かった肌は褐色に。
額からは五本の角が生え、頬には禍々しい魔紋が浮き出ている。
その全身から、圧倒的な妖気が噴き上がる。邪悪で悍ましく、怖気をふるうような悪の気――

京の大妖、酒呑童子。

「ふー……」

天邪鬼、いやさ酒呑童子は深く息を吐くと、首筋に右手を添えてゴキゴキと鳴らした。
尾弐が継承した真の酒呑童子の力は、赤マントによって奪われ喪われてしまった。
だが、配下の邪気を取り込むことで、神性・首塚大明神から悪鬼・酒呑童子へと一時的な変転を果たすことはできるらしい。
高神とはいっても、首塚大明神は所詮マイナーな神性である。
一方で酒呑童子は日本の三妖怪にも数えられる超メジャー級妖怪だ。
妖怪は知名度が力に直結する。当然、酒呑童子の力は首塚大明神とは比べ物にならない。
その上で――酒呑童子は自分を斃せ、と尾弐に言っている。
酒呑童子が軽く周囲を見回すと、神社の境内であったはずの空間がみるみるうちに赤黒い石牢へと変わってゆく。
言うまでもなく、かつて人間であった頃の尾弐が最期を迎えたあの忌まわしい場所だ。
そればかりではなく、地面にはいつの間にかくるぶし辺りまでも浸す血だまりまでできている。

「いつか話したが……大江山に君臨していた私は頼光どもの襲来を知り、我が身の役割の終焉を悟った。
 そして戦わずして首を刎ねられた。それが何を意味するか、クソ坊主……貴様に分かるか?」

酒呑童子は悪は善の前に必ず滅びる定め、という『そうあれかし』を生み出すために討たれた。その身を犠牲にした。
そのためには、悪が善に負けるという結果だけがあればいい。戦う必要はなかったのだ。
つまり――

「私が本気で戦っておれば、あんな腐れ武者に遅れなど取るかよ――!」

にい、と酒呑童子は口の端を歪めて嗤った。

「神変奇特……『犯転』と『叛天』だったか。使わせてもらうぞ。
 死ぬ気で凌げ。死んだ気で捌け。なに、今までの訓練でくたばり慣れていよう?
 さて……往くぞ、クソ坊主。
 刮目して見よ、これが首塚大明神では到達し得ぬ……我が剣術の極点よ!
 神夢想酒天流抜刀術、天技!!」

ちき……と居合術の構えを取った酒呑童子の全身に、邪気が漲る。血霧がその身体を覆い、足元の血だまりがざざあ……と漣立つ。
今まで体感してきた万の死にも勝る、圧倒的な死の感覚が尾弐の全身に押し寄せる。

ゴッ!!

酒呑童子が不可視の神速で鬼へと肉薄してくる。
それ自体は今までの天邪鬼の抜刀術と変わらない。が、今度はその先がある。
白を黒とし、邪を正へと転じる。ありとあらゆる事象を逆しまに変質させる妖術・神変奇特。
さらにかつて尾弐が使用した対象の身体能力を減退させる『叛天』。
それらの同時使用によって尾弐の回避力、防御力、身体能力の全てを限りなくゼロに低下させ――
首を。断つ。

「鬼哭啾々――『鬼殺し』!!!!」

仕込み杖の鞘から白刃が解き放たれ、剣閃が煌く。
今まで培ったもの、捨ててきたもの、抱いてきたもの、慈しんだもの。
そのすべてを動員しなければ、この奥義は凌げない。酒呑童子には勝てない。

自分はなぜ、ここにいるのか?辛い修行の果てに、何を得ようとしているのか?
その得たものを使って、何を成し遂げたいと思っているのか――?

活路は、その答えの中にある。

11那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/04/07(火) 15:08:15
「お主ら、ちょうどいいところに帰ってきたのう。ちと使いを頼まれてくれんか」

ポチとシロが連れ立って迷い家に行くと、富嶽が開口一番そう切り出してきた。
なんでも、最近になって迷い家のある遠野の山奥に余所者の妖怪の一群が棲み付いたのだという。
来る者は拒まずで大抵のことには寛容な富嶽であったが、その妖怪たちは先住している妖怪たちを傷つけ、
勝手にテリトリーを作っては山の中でやりたい放題をしているという。

「みんな、困っているのよね……私たちも宿の食事に出す山菜を取りに行ったり、魚を釣ったりしに山へ入るから。
 うちの従業員が傷つけられると困るし……このままじゃ、お客様に満足して頂けるサービスが提供できなくなっちゃうわ」

女将の笑もいつもの笑み顔を曇らせ、右頬に手を添えながら言う。
迷い家は東北随一の隠し湯として日本中の神々に評判の宿である。
シーズンを問わず宿の中は湯治に来た神や妖怪たちで賑わっているし、その分食材も多く必要になる。
従業員の一本ダタラや山彦たちが食材を取りに山へ分け入っているのだが、このままではそれも困難になるだろう。

「ふん、送り狼が一番強かった時期の話ぢゃと?昔話なんぞしとる場合か。
 どうしても話を聞かせてほしいと言うのなら、まずは儂の依頼をこなすのが筋ぢゃろう。
 分かったらさっさと行ってこい、首尾よく仕遂げたなら厭きるほど聞かせてやろうわい」

迷い家を訪れたポチの目的に対して、富嶽は胡乱な視線を向けた。
にべもない。座敷で煙管を持ち、紫煙をくゆらせながら、富嶽はポチの要請を一蹴するとさっさと妖怪討伐に行け、と命じた。
何かをする際に対価を求めるのは、何も御前に限った話ではない。上級の妖怪になればなるほど契約に拘る。
その原則は富嶽も例外ではない。
今よりもっともっと日本に狼がたくさんいた時代。大神と言われ、神聖な生き物としてヒトの身近にあった時代。
日本妖怪きっての智慧者、富嶽からそんな時代の話を聞くのは、一仕事を終えてからになりそうだ。

「……参りましょう、あなた。
 あなたと私の二頭なら、余所者の木っ端妖怪ごとき物の数ではありません」

シロが促す。その美しい面貌には、すでに満々と闘志が湛えられている。
元々シロは酔余酒重塔の戦い以前はこの地におり、件の山のことも知悉している。
山に棲む妖怪たちとも知り合いであろう。そんな知人たちが突然現れた流れ者に傷つけられ、迷惑している。
それだけでも、シロにとっては富嶽の依頼を受けることは当然の流れだった。
いや、たとえ依頼されていなかったとしても行っただろう。

「彼らの居場所は、すぐに分かるはずよ。彼らは大きな『縄張り』を作っているから……。
 腕自慢の妖怪たちも何人もやられてるわ。決して油断しないでね」

笑が心配そうな表情でポチとシロに忠告する。

「やはり、天魔の類でしょうか?それともただの、食い詰め者の妖壊たちなのでしょうか」

旅塵を払う間もなく山へと向かうその道すがら、シロが口を開く。
赤マント率いる天魔は現在、最終作戦に向けて都庁に集結している。こんな東北の僻地で活動する理由がない。
とすれば、やはりどこかから流れて来た妖壊――と考えるのが妥当だろう。
人間と同じく、妖壊も組織だって犯罪を行う者たちばかりではない。衝動的に悪事に手を染める妖はごまんといる。
最近は天魔との戦いにかかりきりだが、東京ブリーチャーズだって元々はそういう者たちと戦うチームだったはずだ。

「あなたとふたりきりで事に当たるというのは、初めてですね。
 ……嬉しい……」

山道をのぼりながら、シロは幽かに微笑んだ。
これこそシロが求めていたこと、やりたかったこと。夢に描いていたこと。
愛する夫、狼の王と共に在り、共に困難に相対する。
そのなんと幸福なことか――

だが、これはまだ一時的なもの。これを永遠にするためには、天魔との戦いに勝ち残らなければならない。
天魔に打ち勝つために、まずはこの山に巣食う妖壊を滅す。
ともすれば愛する者の傍らにいる幸せに緩みがちになる意識に活を入れると、シロは山頂を見上げた。

しばらく山道をのぼっていると、やがて周囲に霧が立ち込め始めた。
乳白色の霧は道をのぼるごとに濃くなってゆく。

「……あなた」

シロが小さく告げる。――取り囲まれている。
どうやら、ふたりは敵の縄張りに到達したらしい。

12那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/04/07(火) 15:08:28
乳白色の霧の中に、無数の光る眼が見える。
いつの間にかポチとシロは敵の縄張りの中に入り込み、敵に知覚されてしまっていた。
ふたりを取り囲む妖気は、三十は下らない。予想外に大きな規模の一群だったようだ。
しかし、驚くべきところは敵の数ではない。
ポチとシロの視界の先、峻険な岩場の頂点に座してふたりのことを傲然と見下ろす、敵の首魁と思しき存在――

それは、狼だった。

「……そん……な……」

絶句したシロが驚愕に双眸を見開く。
その体長は2メートルはあろうか。錆色の毛並みをした、美しくも恐ろしげな姿をした巨狼。
首魁だけではない。ふたりを取り囲んでいる者たちも、みな狼たちだった。
日本ではとうに滅びたはずの、狼の群れ――それがここにいる。
ざわ……と巨狼の総毛が波立つ。身体から闘気が溢れ出す。両眼が炯々と輝く。
それを皮切りに、群れの狼たちが一気にポチとシロへ襲い掛かる。

「く……!」

狼たちの動きには一糸の乱れもない。巧みな連携で、ポチとシロの急所を狙ってくる。
鋭い牙がチャイナドレスから露になった右の太股を掠める。シロは身軽に地を蹴って後退した。
そして、高々と右手を掲げる。

「影狼!!」

シロが持つ固有の妖術、自らの妖気を十一頭の狼に変える『影狼群舞』。
この圧倒的な物量差に対抗するには、こちらも頭数を増やすしかない。三十頭あまりの相手に対し不利は否めないが、
いないよりはマシであろう。
だが。

影狼は現れなかった。

「どうして――」

自らが他ならぬこの山で修行し会得した、必殺の奥義。
それが発動しない奇怪な事態に、シロは狼狽した。
そうこうしている間にも、狼たちは一気呵成に攻めかかってくる。
狼たちは手強い。たとえ一頭であっても決してポチやシロに力負けしないし、身体能力も決してポチたちに引けを取らない。
そんな狼たちが連携を用いて攻撃してくるのだから、ポチとシロにはまるで勝ち目がなかった。
ポチが全力を用いれば、一頭を転倒させることはできる。
しかし、そうなると残りの狼たちが集中してシロを襲う。シロを守るため、ポチは折角転ばせた相手を諦めなくてはならない。
狼たちの巧みな戦術の前に、ふたりはみるみる傷ついてゆく。

「あなた……、いったん撤退を――!」

シロが退却を促す。このまま戦っていたとしても、ポチたちの勝利の目はない。
幸い、ポチとシロが撤退しても狼たちは追撃を仕掛けてはこなかった。
一方でふたりは山の中に立ち込める濃い霧に阻まれ、迷い家に戻れなくなってしまった。
沢で喉を潤し、傷の手当てをして、夜を迎える。

「……彼らは何者なのでしょうか」

夜気の寒さに身を寄せ合いながら、シロがぽつり、と呟く。
野犬の類ではない。ふたりが遭遇したのは、紛れもなく狼だった。
それも大陸のハイイロオオカミや西欧のヨーロッパオオカミではない、正真正銘のニホンオオカミ――。
ポチもそれを認識できたはずだ。においや外見ではない、種としての本能で。魂で。
あれは同族だ、と。
だが、ニホンオオカミは絶滅した。それもまた厳然たる事実である。
ニホンオオカミが絶滅したからこそ『ニホンオオカミはどこかで生きている』という『そうあれかし』が生まれ、シロが生まれた。
もしニホンオオカミが本当に生存していたとしたら、シロの存在が成り立たなくなってしまう。

「いずれにしても……彼らが山の者たちに危害を加えているということでしたら、撃退する以外にはありません。
 富嶽翁はじめ、遠野の方々には恩があります。それを返さなければ……」

シロはそう告げるが、言葉とは裏腹に戸惑っているのは明らかだった。
しかし、それでも。依頼はこなさなければならない。

ふたりはしばらくの間、山の中で狼たち討伐のための生活を始めた。

13那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/04/07(火) 15:08:42
その後もポチとシロは幾度も狼の群れに戦いを挑んだが、その都度蹴散らされた。
群れの強さは凄まじい。東京ブリーチャーズとして幾多の死闘を潜り抜け、狼王ロボから『獣(ベート)』の力を継承し、
数多の妖壊に打ち勝ってきたポチが、まるで相手にならない。
一方で狼たちは縄張りとおぼしき一定の範囲から外には出ようとせず、縄張りの中に入らない限りポチとシロの安全は確保された。
弱っている獲物を追撃し確実に仕留めるというのが、獣の狩りの大前提である。
が、狼たちは傷つき弱ったポチとシロに追い打ちをかけることはせず、ふたりの敗走をいつも黙って見送った。
戦いは長期戦にもつれ込んだ。

シロは人間の姿から本来の白狼の姿に戻り、山の獣を狩って日々を過ごした。
ライオンは群れのメスが狩りをするが、狼は群れ全体で狩りをする。
王たるポチももちろん例外ではない。むしろ、ポチが群れのリーダーとして狩りを主導しなければならない。
敵の三十頭余りの群れに対する、たったふたりの群れ。
それでも、群れは群れだ。

「今日も獲物を仕留められましたね、あなた」

横たわる大きなイノシシを前に、シロは嬉しそうにしなやかな尾を揺らしてみせた。
日の出と共に山野を駆け、獲物を狩り、日没とともに眠る。
それは獣の、狼の本来あるべき姿だ。東京ブリーチャーズとして、妖怪として過ごすうちに忘れてしまっていた野生の発露だ。
遠野の山奥で生活するうち、ふたりはそれを思い出した。
そして――その最たるものが、敵であるあの狼たちなのだということも。
かつて、この日本に狼がままだ沢山いた頃の。
狼が『大神』として、畏怖される存在であった頃の。
強大な自然の顕現であった頃の姿――
それを、ポチとシロは身に着けなければならなかった。

「もう間もなく二ヶ月……約束の刻限が近づいています。
 東京に戻る時間を考えると、恐らく次の戦いが最後のチャンスとなるでしょう。
 迷い家の皆さまのためにも、彼らをこのまま野放しにはしておけません。
 何があっても。彼らは次の戦いで倒さなければ……」

この二ヶ月間、山奥で狼らしい生活を続けたことで、ポチは忘れかけていた野生の本能を取り戻した。
シロと共同生活を続けたことで、シロとの連携もかつてとは比べ物にならないくらいに上達した。
元々魂で惹かれ合い、心で通じ合える仲ではあったが、それが今は何倍にも強固になっている。
野生の本能、そしてつがいとの絆――狼にとってもっとも大事なそれらを教えてくれたのが、いったい誰なのか。
ポチにはもう理解できたことだろう。


翌日ふたりが狼たちの縄張りに踏み入ると、さっそく群れがポチとシロを包囲した。
長である錆色の巨狼は相変わらず岩場の頂からふたりを見下ろしている。
だが、いつもとはほんの少しだけ雰囲気が異なる。ポチとシロがこの二ヶ月で得たものをすべて引き出し、
最後の挑戦のつもりで対峙すると――

巨狼は僅かに目を細めた。――笑った、ようだった。

ゴウッ!!とその全身から闘気が迸る。赤茶けた毛並みがそよぐ。
初めて対峙した日から、ずっと変わらない。
狼たちは闘気を出しこそするが、殺気を出すことは決してなかった。
もうあと一押しでポチとシロに致命傷を与えられるという場面でも、決してそれをしなかった。
狼は実戦の中で狩りを学ぶ。仲間同士、手加減抜きの戦いの中で切磋琢磨してゆく。
立ち込めた濃い霧の中で狼の群れがポチとシロにしたこと、それはまるで――

「……参ります、あなた!」

白狼の姿のシロが身構える。
ふたりの姿に、巨狼が微かに身じろぎする。群れの狼たちがゆっくりと身を引いてゆく。
今までどれだけポチとシロが襲い掛かっても、巨狼に一撃加えるどころか指一本触れることさえできなかった。
巨狼への攻撃はすべて、群れの狼たちによって防がれてしまっていたのだ。
だが――これまでずっと岩場の上からふたりの戦いを見下ろしているだけだった長が、動いた。
それは、野生生活を経て絆を強めたふたりのことを、直接戦ってやるに値する相手と認めた証左なのかもしれない。

「オオオオオオオオオオオオオオオオ―――――――――――――ンッ!!!」

巨狼が吼える。巨体に見合わぬしなやかで素早い動きで岩場から跳躍すると、あぎとを開いて一気にポチへと襲い掛かってくる。

狼と狼。
かつて滅びたものと、これからを生きるもの。
同一の、しかし対極に位置する獣たちの戦いが始まった。

14多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/04/12(日) 23:00:55
 祈の眼前には、一面の銀世界が広がっていた。
吹きつける雪と風。冷気。
その中にあって、あり得ないほど軽装の祈は、神妙な面持ちでこう呟いた。

「……マジで寒くねぇ」

 狸に化かされたか狐につままれたか。そんな表情。
 ここはとある雪山にある雪女の里。
祈だけでなくその母・颯、祖母・菊乃の二人も、どういうわけかこの雪女の里にまでやってきている。
半日ほど前までは間違いなく東京にいたのだが、雪の女王によって連れてこられたのである。

――半日ほど前。

>「では――二ヶ月後。皆さん、那須野探偵事務所でお会いしましょう!」

 橘音の一言で、ブリーチャーズは解散し、各々修行へと向かうことになった。
イケメン騎士Rや橘音によってもたらされた情報を整理した結果である。
 “赤マントが計画を実行するには三ヶ月を要する”。
そして“赤マントたちが根城としているのは東京都庁である”。
 これらの情報だけを見れば、今のうちに赤マントたち天魔を潰しておくことこそが望ましいといえた。
赤マントはバックベアードの力を利用して、自らを龍脈の資格者に仕立て上げ、
かつての力を取り戻すつもりでいるらしい。
つまり三ヶ月経ってしまえば、龍脈の力で赤マントは手の付けられない敵となってしまうと考えられるからだ。
そうなればもはや、止めるだとか止めないだとか、そんな次元の話ではなくなってしまう。
今すぐにでも殴り込み、その目論見を止めるべきである。
 だが、今の状態で攻め入っても返り討ちに合うだけなのはわかりきっていた。
 なぜなら、ノエル、尾弐、ポチ、橘音の、
この4人が束になっても勝ちきれなかった相手がイケメン騎士Rであり、
そのイケメン騎士Rでも勝てない相手が、赤マントたち天魔なのだ。
 もしイケメン騎士Rが天魔たちを一人で倒せるのなら、
単独でレディ・ベアを救い出し、赤マントの計画を阻止しているであろう。
 圧倒的な力不足を痛感したブリーチャーズは、
この三ヶ月の内の二ヶ月、最長で二ヶ月半をリミットとし、自分達の力を高めるための修行期間としたのである。
 赤マントに与する天魔達も準備に追われるのか、
おそらく大きな襲撃もないだろう、という情報も方針を固める要因となった。
 万が一の襲撃に備え、陰陽寮など各所の協力を得ながら、
この最長二ヶ月半を修行に充て、実力をつけた後に、
赤マントたちの根城である東京都庁にまで攻め入る計画となったのである。


 家に戻った祈も、他のメンバーと同様に修行の準備を進めていた。
 颯や菊乃に相談し、これからの戦いで祈に必要になるであろうものを洗い出した結果、
全員で山籠もりに行くことが決まった。
そして、そのための荷物をまとめ終えたときのことである。
 祈達の住む部屋のインターフォンが不意に鳴らされたのだった。

 ドアスコープ越しに見える、細工以上に整った美貌から、人でないことは容易に分かった。
その女性は青白い顔色をしており、雪妖ではないかと推測できる。
また、気品を備えた出で立ちに誤魔化されそうになるが、どこかノエルに似た雰囲気があった。
 そこからなんとなく想像できたが、誰か伺ってみると、
やってきたのはノエルの母であった。
 現・雪の女王でもある彼女は、雪妖たちの頂点に君臨する存在であり、
おいそれと東京にやってこられるような立場にはない。
どこかの勢力に属している訳ではない中立であるようだが、
五大妖に並ぶ実力を持つであろう彼女が移動すれば、それだけで周囲を警戒させ、注目を集めてしまうはずだ。
 そんな妖怪がわざわざ祈とその家族の前に姿を現し、何事かと家に上げてみれば、
『危険だから身を隠した方がいい』などといって、彼女の住む雪山、雪女の里へ来るように促したのだ。
 雪の女王は詳細を語らなかったが、
さすがにただならぬ理由や事情があるのだろうと祈でも察した。
 たとえば、現状では天魔達の大きな襲撃はないと予想されている。
だが東京周辺の山という天魔の目の届く範囲で修行すれば、
祈の力が高まったとき、警戒を強めた天魔が襲撃を企てる可能性が上がる……というようなこともあるのかもしれない。
 祖母が珍しく畏まって、「そのお話、ありがたくお受けいたします」と答えてしまったことや、
さらに修行地が山から雪山に変更されるだけということも手伝い、祈もそれを承諾したのであった。

15多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/04/12(日) 23:04:13
 そうして冒頭へと戻るのである。
 しんしんと降る雪は足元に分厚く積もり、時には高山ならではの風が吹く。
だがしかし、祈はいつもと大して変わらない格好をしているのに、まったく冷たさや寒さを感じていなかった。
 寒さを感じないのは、入山前に雪の女王によって施された、
“凍えないようにする何らかの術”による効果だった。
 しゃがんで雪を両手ですくってみる祈。

「ねえ、すごくない? マジで全然冷たくないんだけど!」

 祈は確かに雪を手に取っているはずだが、
まるで雪の冷気を感じず、常温の砂でも掴んでいるかのようだった。
ぎゅっと丸く握ってみるが、雪は祈の体温で溶けることもない。
互いに温度の移動がなく、触れていながら隔絶されているような感覚だった。
雪の女王の力の一端を見せつけられ、感心とも感動ともつかない気分を味わい、はしゃぐ祈である。

「ああ、さすが雪の女王様といったところか」

 その祈の後ろに立つ、ターボババア・菊乃が、手のひらに捕まえた雪を弄びながら頷く。
こちらも普段とそう変わらない服装であるのだが、まったく寒さを感じている様子はない。
 ちなみに颯は、雪の女王に用意して貰った仮の住まいにおり、置いた荷物を整理している。
身を隠すという目的があるので荷物を多めに持ち込んでおり、
ヘビ助やハルファス、マルファスなども連れてきているので、整理しておかないと大変なのだ。

「それとなくやってみせてはいるが、非常に高度な術……いや、魔法といった方が良いかもしれない。
“原理はともかくそういうもの”だと理解するしかないような、そういう代物だよ、これは」

 ただ寒さを感じないだけであれば、それは認識が阻害されているだけで、体は凍えていることになる。
だが寒さで筋肉が震えている訳でも、意識が失われていくわけでもない。
この雪山にいて尚、恒常性が保たれていることになる。
 まったく不可思議で原理不明で、そういうものとしか理解できないもの。本物の“魔法”なのだろう。

「とはいえ……おそらくこの術は、あのノエルとかいう青年が使えたとしても、
敵側に雪妖でもいなければ使い道はなさそうだね」

 菊乃がいうように、敵に雪妖や、冷気を主体に戦う天魔でもいれば、
この術はかなり有効に働くだろう。なにせ冷気を無意味なものにするのだから。
だがそれ以外の場所では、あまり役立つようには思えなかった。
 それにノエルがそういう術を使っているのを祈は見たことがないから、
今のノエルでは使えないものなのかもしれない、と祈は思う。

「ふーん……」
 
 この時、ターボババアに使い道はないと言われたこともあり、
“凍えないようにする魔法らしきもの”の戦術的価値について、祈は全く注目していなかった。
だがこの術が、祈とノエルの合体必殺技に繋がる可能性を秘めているとは、誰が予想したであろうか。

「さて。アタシはあんたの修行の準備をしてくるよ。祈。
しばらく遊んでいて構わないが、晩御飯までには雪の女王様が用意して下さった家に戻って来るんだよ」

 そういって菊乃はどこかへ歩き始める。

「ん。はーい」

 菊乃を見送った後、祈はほんのわずかな時間、雪遊びを楽しんだ。
雪玉を転がして雪だるまを作ったり、積もり積もったまっさらな雪に飛び込んでみたりしたのである。
だが、今も仲間たちは特訓をしているはずだと思い直し、すぐ自主的に特訓を始めた。
 中腰になって両腕を突きだし、両ひざや腕の上に小さな雪だるまをのせた状態を維持する、
体幹を鍛えるトレーニングや、
雪山という足場の悪い場所で滑り、風火輪の操作精度を上げるトレーニングなどをしていた。
 だが、二日経っても、三日経っても、颯や菊乃による特訓が始まる気配はなかった。

16多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/04/12(日) 23:18:35
 しかしある時。

「ねぇばーちゃん! 特訓は!?」

 耐えかねて祈がそう問うと、菊乃は嘆息してこう答えた。

>「いいかい、祈。
>あんたがこれからやろうとしているのは、この世界でも最大級の戦いだ。
>あんたが戦おうとしている相手は、あんたが――いや、アタシたちが生まれる二千年も前から悪事を重ねてきた、
>筋金入りの悪党だ。
>そんな敵を前に今更あんたへ戦い方だの、戦闘の型だのを教えたところで、焼け石に水だろうさ。
>アンタには、戦いの訓練なんかよりもっとやらなくちゃいけないことがあるんだよ」

「もっとやんなくちゃならないことってのがなんなのかわかんないけど……、
とりあえずそれやろうよ! 二ヶ月とかあっという間だって!」

 山籠もりをすると最初に言い出したのは菊乃だった。
それを聞いて祈は、山という環境を活かした特訓や、
天狗のような修行をするのだとばかり思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。
 だがなんであれ他にやれることがあるのなら早くやるべきだと急かすと、
菊乃と颯は目配せし、

>「それじゃ……そろそろ、始めましょうか」

 颯がそう言い、場所を移すことになった。
許可を得て雪の女王が住まう宮殿に入り、その奥へと進む。
 そこにあるのは、祈の住むアパートの部屋とそう変わりない広さの部屋だった。
 何も置かれていないのは、ただ家具を置いていないだけ、というわけではなさそうだった。
座禅でも組むための部屋のような、集中のために敢えて何も置いていないような。
そんな印象を祈に抱かせる。

>「そこに座りな、祈」

 部屋に入ると、部屋の中心辺りを菊乃が指差し、そういった。

>「あんたはこれから、龍脈にアクセスするんだ。
>今までは、ほんのちょっぴり龍脈から力を借りるだけ――しかも、本当に追い詰められたときに一瞬だけ――だったものを、
>いつでもある程度引き出せるようにする。
>そうすりゃ、あんたの勝てない相手なんてこの世にいなくなるさ。
>だって、龍脈はこの地球の生命力の源。そして妖怪ってのはみんな、その生命が営む『思考』から生まれたんだから」

 祈はとりあえず指差された付近で正座しながら、
説明する菊乃の言葉に耳を傾けた。
 どうやら祈は龍脈の神子とかいうものであるらしく、龍脈の力を時々引き出すことができる。
死ぬほど追い詰められた際に、偶発的にその力を借りられた。
 爆発的な妖力の上昇。身体能力の向上。
半妖の限界を遥かに超えた、破格の戦闘力を有した状態になれる。
 そして真に怖ろしいのは、その必殺の一撃にある。
祈がその状態で放った全力の一撃は、
相手の運命や理といったものをも、祈の願いに応じて捻じ曲げてしまえる。
それをいつでも引き出せるようになったなら、確かに祈に並び立つ者はいなくなるだろう。
 だが。

「そりゃそうかもだけど、アクセスったって……あたし、やり方知らないよ」

 いつも無意識で行ってきたから、祈にはやり方がわからないのだった。
答えを求めるように颯を見る祈だが、しかし、颯は首を振る。

>「この修行は、あなたひとりでするのよ……祈。私たちには、残念だけれど手助けできない。
>今まで、あなたはたくさんの仲間たちに支えられてきた。いろんな人たちから力をもらってきた。
>でもね……これは、これだけは。『龍脈の神子』であるあなただけの力と意志でやらなければならないの」
 
 そして、祈のことを案じるような表情と声音で、
祈が自分で考えて、答えを見つけ出さなければならないという。

「……わかった。あたしやってみる」

 菊乃の言うとおり、生半可な力を付けた程度では焼け石に水も同然だ。
半妖であり全体的な能力で劣る祈が、
この最終決戦を生き延びようと思うなら、
龍脈の力を使いこなすぐらいのことはできるようにならなければならない。
 祈は母を心配させまいと、口角を上げて笑って見せる。 
  
>「じゃあ、アタシらは外にいるから。何かあったら呼びな。
>……無理だけはするんじゃないよ」

 菊乃がそういって、颯と共に部屋の外へと出ていった。
そして祈を残して扉を閉めると、不思議なことに、扉が壁に同化するようにその境目が消えていき――、扉が消える。
かと思えば、壁も天井もまた消えてしまい、
室内は床がただただ世界の果てまで続く、不思議な空間へと変化した。
 「外にいるから何かあれば呼べ」というぐらいだから、
見えない扉の外からはこちらの声は聞こえているのだろうし、どこかにはいるのだろうが、菊乃や颯の気配は祈には感じられない。
 やはりこの部屋は、誰にも邪魔されず精神を研ぎ澄ますための、
精神修行か何かのために用意した、特別な部屋だったようである。
しかし、この不思議な空間もまた、雪の女王による魔法によって作り出したのであろうか。

17多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/04/12(日) 23:24:43
(つってもどうすりゃいいのか……)

 龍脈へのアクセス。
言葉にするのは簡単だが、容易にできることではない。
なにせ祈は今まで、その力を意図的に使えたことは一度もないのだから。
 とはいえ、菊乃からは正座するよう指示はあった。
それにここが精神集中に適した部屋であることを考えれば、
おそらくは瞑想がその近道であろうこととはわかる。
 祈は正座したまま目を閉じ、瞑想を始めてみた。
 そうして正座したまま10分、20分、30分。
心は静まったが、なんの動きもなく時間は過ぎていく。

(これだけじゃだめってこと……?)

 菊乃は「無理だけはするな」といった。
それは龍脈と繋がろうと思えば、菊乃が心配するようなことも起こり得ることを意味していた。
 いままではピンチのときに龍脈と繋がってきたことも考えると、
命の危険がそのトリガーとも考えられる。
それならたとえば、悟りを開いたブッダのように瞑想し、
己を死の直前まで追い込む必要があるのだろうか、と祈は思う。
 お腹が空いた状態でずっと瞑想をし続けるのは辛そうだ。早く繋がって欲しい。
そう切に願ったとき。
 祈は、僅かにだが“何かの音”が聞こえたのを感じた。
 この部屋は外界と隔てられているらしく、外の音は何も聞こえない。
静寂が場を満たしたこの場で物音が聞こえるのはおかしい。
 だというのに、足元。その遥か遥か下から、
生命の鼓動にも似た何かの音を、祈は確かに聞いた気がした。
 祈は耳を澄ます。
 そういえば祈はどこかで聞いたことがある気がする。
龍脈は山脈の尾根伝いに流れていると。
つまり菊乃が選んだ山や、雪の女王が連れてきたこの雪山は、
もしかすれば、龍脈にアクセスしやすい条件を揃えている場所だったのかもしれない。

(この下にあるのか? 龍脈が――。
……思い出せあたし。今までどんな風に龍脈と繋がってきたのか。
強い願いを持てば……? 龍脈にアクセスしたいって強く願えばいいのか?)

 祈は目を閉じたまま、右手で床に触れた。
そして龍脈にアクセスしようと試みた――その瞬間。
祈の手は床をすり抜け、祈は体勢を崩した。

「うわっ!?」

 思わず目を開けて声を上げる祈。
 さらに膝までも床にめり込み、身体が前方に倒れる。
そして顔面が床に激突するかと思ったが、顔面もまた床をすり抜ける。
そして何かに引っ張られるように下へ下へと祈は落ちていく。
 何が起きたのかと上を見やれば、自分の体がうつぶせに倒れているのがかろうじて見えた。
 つまり。

(あたし、幽体離脱して魂だけ、下に――龍脈に引き寄せられてんのか!?)

 龍脈へのアクセスに成功した、ということだろうか。
床をすり抜け、地面の中をすり抜けて、祈はただただ、下に向かって落ちていく。
 当然地中に明かりなどないから、落ち行けばそこにはただ暗闇が広がっているはずなのだが、
不思議なことに、落ちながら祈はさまざまなものを見ることになった。
 
 それは星の記憶だった。
地球が生まれてから現在に至るまでの、さまざまな記憶。地中に秘められていたそれを、祈は見ていた。
 生命が生まれ、人類が誕生し。
 生まれては死に、生まれては死に。
人や動物、草木、虫……。さまざまな命の行く末を祈は見た。
 やがて再生される星の記憶が現代にまで到達し、祈の記憶を再生し始める。
 父や母がいる家庭がうらやましくてしょうがなかった幼年期。
妖怪としての力に目覚め、人ですらないことに気付いた小学生時代。
妖壊と戦うようになり、人助けや妖怪助けをするようになった頃を超え、
橘音に東京ブリーチャーズへと誘われる頃まで時は進んだ。
 そして――。

>《祈、お願いですわ。もし、もしも。わたくしのことを本当に友達と思ってくれるのなら――》
>《い、嫌です!わたくしはまだ、祈と一緒に……!》
>《祈!……祈…………!!》

 モノを赤マントに奪われたあの夜へ。
空中に浮かぶ赤マントからモノを取り戻そうと跳躍するも、祈の手は空を切った。
 それを見た祈は拳を握り、

(モノ。必ず助け出すからな……! だからもう少しだけ待ってろよ)

 より決意を固める。
 今度こそ、その手を掴むのだと。
そうしてさまざまな記憶の再生が終わると――、祈の落下にもようやく終わりが訪れた。
 開けた広大な空間に出て、祈の魂はそこにふわりと静止する。
 ここまで星の記憶を見てきた祈には、ここがどこか理解できた。
こここそが“龍脈”なのだ、と。
 この広大な空間は地球を巡る動脈。
そしてこの空間の中心に佇む、太陽と見紛う輝きを放つ光球こそ、この星の心臓。
そこから迸る光の奔流は、大地を巡る星の血液なのだと。
その光のすさまじさ。感じる途方もない力。そしてその美しさに、祈はただ圧倒される。
光球の周囲には、祈が見てきた記憶が衛星のように巡っており、
それもまた宝玉や星々の輝きのように美しい。
 光球や衛星の美しさに引き寄せられるように、
祈の魂は太陽と見紛う輝きを放つ光球に近付いていくと、光球がより強く発光し――。

18多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/04/12(日) 23:27:35
 祈はいつの間にか、先程の空間とは違う場所に立っていた。
 何かの建物の中のようである。
龍脈はどうなったのかと祈が思い、周囲に視線を巡らせると、
そこが見たことのある場所であることに、すぐ気付いた。
 ボロボロの駅の構内だ。
 床の隅には埃が積もり、手すりは錆に塗れて、蛍光灯は明滅し、寿命は間近といったところだろう。
そして天井からつりさげられた看板には『きさらぎ駅』と書いてあった。
 かつて夢の中でやってきた場所であった。
 ということは。

>「やあ……来たね、家出少女」

 祈は心臓が跳ねた気がした。
誰より優しい男性の声音。
まるで祈がくることを見通していたように、その男の声はいう。
 祈が振り返ると、改札を隔ててホーム側に男が立っていた。

>「いや……もう家出はしていないから、家出少女じゃないな。
>訂正しよう……よく来たね。祈」

 優しい声音が、祈を迎えた。

「とう、さん……」
 
 会えるとは思っていなかった人との再会だった。
きさらぎ駅で助けて貰ったときは、思うところはありつつも、誰かはわからなかった。
だが陰陽寮での一件で、芦屋易子が生き返らせようとした男の顔を見たとき、
それが亡くなった父・安倍晴陽だったのだとはっきりわかったのである。

>「少し見ない間に、また大きくなったみたいだな。
>黒雄さんや橘音君に礼を言わなければ……約束を守ってくれてありがとう、とね」

 以前会った時、晴陽は駅員の制服を着ていたが、今は随分ラフな格好をしている。
水色のシャツに、ベージュのチノパン、左手首には銀色のバングル。
それは姦姦蛇螺を封じるため、即身仏となったときにも着ていた格好であるが、
その遺体が消滅する寸前を見ていない祈にはそれはわからない。

「父さん! あの、あたし、龍脈に――」

 祈は晴陽に言いたいことや聞きたいことがたくさんあった。
だがそれより先に、この状況の把握をしなければならないと、
自分が龍脈にアクセスした筈なのになぜかこんなところにいるのだと、
そんなことを伝えようと思い、父の元へと走った。
 だが。

――ゴンッ。

「あ"って"ぇ!? い"っった!! なんかあるここ!!」

 改札の上を飛び越え、脚力に物を言わせてホーム側に行こうとした祈を、
結界のような何かが阻んだ。
 壁のような何かにしこたま額をぶつけ、その痛みに額を押さえてうずくまる祈。
以前もそんなことがあったように思う。
 それを見て、晴陽はくすくすと笑った。

>「さて……積もる話はあるけれど、そうゆっくりしてもいられない。
>もう、外の世界では二ヶ月が経過しようとしている……君がこの場所へたどり着くのに、それだけの時間がかかったんだ。
>だから……さっそく始めよう」 

 そして優しげな表情を一変させて、晴陽はそう言った。

「もう二ヶ月……経って、え……?」

 祈が龍脈にアクセスしてから、もう二ヶ月が経ったという。
ほんの一瞬だったようにも錯覚するが、言われてみればそのぐらいの時間が経っていたようにも思う。
魂で感じる時間というのは非常にあいまいなものなのかもしれなかった。
 また、晴陽の言葉からは、祈の状況を完全に理解し、
その先へと進ませようとしているように祈には思えた。
 晴陽は生前、現代の安倍晴明とまで呼ばれていた凄腕の陰陽師だったらしい。
陰陽師といえば風水などで関わることがあるため、龍脈に詳しいだろう。
しかも祈の父であるから、その言葉を祈は信用するに違いなく。
龍脈が選んだ案内役、ということなのかもしれなかった。
 先に進むために祈は立ち上がり、晴陽の言葉を待った。

19多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/04/12(日) 23:32:17
>「祈。君は、何がしたい?
>この惑星のエネルギー、龍脈を用いて……何をしたいと願うんだ?」

(あたしが何をしたいか……?)

 祈はここに、天魔達との最終決戦に備え、力を得るためにやってきた。
だが晴陽の問いは、より深いところを問うているように祈は思えた。
 龍脈とは惑星のエネルギーそのもの。
そのエネルギーは莫大。理を捻じ曲げ、運命を変えることもできる。
おそらくこの力を最大限に使えば、この世を己の意のままに塗り替えることも可能だろう。
その力を振るえる立場にあって、祈は何を求めているのか、と。
 更に晴陽は問いかける。

>「今まで君が戦ってきた者たちは『何らかの要因によって悪に堕ちた』者たちだった。
>だが、今度は違う。あの男赤マント――いや。天魔ベリアルは『悪たるべくして生まれた』。
>『悪は恐るべきもの。忌むべきもの。強大なもの』という『そうあれかし』なんだ。
>そんな者を前にしても、君は……信念を貫き通せるのか?」

(赤マントを前にしてもあたしの信念を貫き通せるか……?)

 祈は口元に手をやって、考え込んだ。
 赤マント、ベリアルという天魔は、いうなれば悪の化身。
祈にとっては、父と母と離れ離れになった原因を作った相手である。
それだけでなく、橘音にしてもノエルにしても、尾弐にしてもポチにしても、
現ブリーチャーズ正規メンバーの全員が赤マントによって不幸な目に遭わされている。
そして、不幸にされたのはブリーチャーズだけでない。
モノやクリスといったドミネーターズ、その戦力として利用された八尺様やコトリバコもそうであるし、
その犠牲になった人々も多い。
子どもや女性、警官。様々な人が死を迎え、不幸になった。
 その赤マントが、最終決戦で何を仕掛けてくるかわからない。
卑劣な罠の前に、『心が折られることはないか』と。
神経を逆なでする言葉に我を失い、、『この惑星のエネルギーを誤った方向に使わないか』と。
晴陽は祈に、その心の強さと、保てる理由を問うているようだった。

>「さあ――答えるんだ、祈。
>君はなにを望む?何を願う?
>身体が打ちのめされたとき。心が挫けそうになったとき。
>君は、なにをよすがにして立ち上がるんだ――?」

 晴陽が改めて問う。
 祈はそれからほんの少し考えた後、口元に当てていた手を降ろし、まっすぐ晴陽を見た。
答えは決まっている。

「あたしが望むのは――、」

20多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/04/12(日) 23:53:22
「あたしが望むのは、『みんなが幸せに向かって歩いていける世界。今の世界が、明日や明後日、ずっと続いていくこと』」

 虫、草木、人々、動物……さまざまな生命が生き、幸せに向かって歩いていける可能性を持った、この世界の維持。
それが祈の望みだった。
 この世界は、誰かの幸せと誰かの不幸が同居し、ない交ぜになった不完全な世界だ。
 食う者と食われる者にわかれた、弱肉強食の世界。
原始のときから誰かの不幸の上にこの世界は成り立っている。
 貧困、紛争、病気、差別、さまざまな問題も後を絶たない。
 龍脈の力を使えば、世界のありとあらゆる問題を解決できるかもしれない。
だが世界を良くしていくのは、この世界の生きとし生きる全ての命の役目であって、祈の役目ではない。
祈は神でも何でもない。
世界を変える龍脈の力を振るえるとしても、自分一人の考えで世界を変えるのはおかしいと思っている。
そしてなにより、祈はこの世界を信じている。
だから祈は龍脈に大きなことは望まないのである。

「だから――『今の世界を守れるだけの力が欲しい』。それがあたしの願い」

 だが、この世界を乱す者がいる。
 理不尽に、己の都合だけで誰かの命を奪い、幸せを台無しにしようとするものがいる。
可能性を刈り取ろうとする者がいる。
 そんな風に、みんなが幸せに向かって歩こうとしてるその道を、塞ぐ誰かや何かがあるのなら。
それを祈は退ける。
そのための、強い力だけは必要だった。
特に、赤マントという強大な天魔を相手にするのなら。

「……龍脈の記憶を通して、昔のあたしを見たよ。
ちっちゃい頃のあたしは、父さんと母さんがいなかったことがどうしようもなく悲しかった。
だから、そんな気持ちは誰にも味わわせちゃいけないって、そう思ってたから戦ってた。
悪い妖怪をボコボコにして、人助けして、困ってる妖怪も助けたりして……でも、毎日が楽しいかっていえばそうでもなかったんだ。
けど、橘音と出会って……仲間ができて、友達ができて。母さんも戻ってきた。
悲しいことも嫌なこともあるけど、昔よりずっとあの街が、この世界が好きだって思えてる。
だから、今の世界を守りたい。
これが信念だとかそう呼べるものかはわからないけど……貫き通したいって思える、あたしの素直な気持ち」

「赤マントは、父さんがいうとおり危険なやつだと思う。
なにを仕掛けてくるかわからない。でも、あたしは何をされても絶対負けない。
あたしには戦う理由があるから。
モノを助けて、みんなと一緒に生きるために。そう思ったら、あたしはきっと立ち上がれる」

 それが祈の覚悟だった。
裏を返せば、戦う理由である友達や仲間をはく奪されれば、戦意を喪失しかねないという危うさはある。
だが、それをさせまいという強い気持ちがその心に宿っていた。
 それこそ、己がどんな代償を支払ってでも、その願いを押し通そうとすら思っている。
 龍脈の見せた記憶の中には、かつての龍脈の神子たちの最期もあった。
中には華々しく歴史に名を残した者もいたが、
積極的に龍脈の力を使った者のその最期は、例外なく悲惨なものとなった。
まるで己の命運が尽きたかのように不幸に見舞われ、滅ぶ他なくなったとでもいうように、その生涯を閉じていった。
 龍脈の力を引き出し、その力で願いを叶え続ければ、祈もあるいはそうなるのかもしれない。
だが、祈は走ることをやめようとは思っていなかった。

21御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/04/16(木) 23:41:07
乃恵瑠はあれよあれよという間に新しいそり靴をはかされ、世界の全てを持たされていた。

>「乃恵瑠、あなたがこれから戦おうとしている相手は、あなたが今まで戦ってきた相手とは比較にならない強さを持っています」

「重々存じておるつもりだ」

雪の女王に対して、神妙な面持ちで応える乃恵瑠。

>「今のままでは、瞬きの間にあなたは滅ぼされるでしょう。
 あなただけではありません。聖騎士ローランに対し、束になっても勝てなかった今のあなたたちでは……。
 ですから、あなたを本気で鍛えます。おふざけはありません」

「誰だーッ!? “姫様はおふざけばっかりやってます”なんてチクったのは!」

「「こいつです!!」」

カイとゲルダはお互いを指さしながら同時に叫んだ。
一瞬神妙にしているように見えたのは気のせいだったようだ。雪の女王は構わずに続けた。

>「私のスパルタを、あなたは耐えられないと思うでしょう。もうやめてしまいたいと思うかもしれません。
 ですが――
 あなたがおふざけをしていられる世の中を破壊してしまおうと。闇と絶望に覆ってしまおうと。
 そう画策している者たちは――『その向こう』にいるのです」

「母上……どうしたのだ? いつもみたいに黙らっしゃいって言わないのか?」

流石の乃恵瑠も女王の様子が尋常ではないことに本格的に気付く。

>「まずは、あなたのその素質を開花させます。
 あなたの力は、まだまだその大半が眠っている……そしてあなたはその使い方さえ分からない。
 それをすべて教えます。
早速で悪いですが……行きますよ」

「ちょ! 待っ!」

猛烈な吹雪に晒された乃恵瑠は、今まで感じた事の無い感覚に襲われた。
全身がガタガタ震え、世界のすべてを取り落としそうになる。

>「寒いですか?寒いでしょう。」

「嘘だ……」

雪妖、それもただの雪妖ではなく雪害の化身として生を受けた自分が凍えていることに驚きを隠せない乃恵瑠。
見れば、足元が凍り付いている。もはや震えているのが寒さによるものか恐怖によるものかも分からない。

>「さあ、“世界のすべて”をお使いなさい。“新しいそり靴”はただの飾りですか?
 こんな試練にも打ち勝てないようでは、都庁へ行っても殺されるのが関の山。
 ならば――いっそこの母が引導を渡すのも、また親心というものでしょう!」

「ずっと実力を隠していたのか……! かはっ……」

22御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/04/16(木) 23:42:33
妖具を一つ使いこなせるようになるのも簡単なことではない。
それを二つ同時に、何の練習も無しに即超スパルタ実践形式で使えという。
呼吸困難に陥りいよいよ生命の危機を感じた乃恵瑠は、無我夢中で靴底に妖力を込める。
すると、靴底に呪氷の刃が具現化した。
半ば力技で足を引っこ抜き、地面を氷上のように滑走しながら”世界のすべて”を振り下ろす。

「フリーズガトリング!!」

マシンガンを遥かに超えた氷弾の乱れ撃ち。それを女王は腕の一振りで一蹴した。

「まだまだぁ! アイスエッジサルト!」

跳躍して宙返りしつつ下段からの回し蹴りを叩きこむ。

「あれ? 意外と結構使えてる……?」「いけー! 姫様!」

意外と普通に使えていた。
女王のもとで長年過ごし、各種武器の扱いを含むあらゆる技芸を叩きこまれた経歴は満更伊達では無いようだ。
だがしかし。

>「もちろん、接近が叶ったからといって私に易々攻撃ができるとは思わないことです」

「ぎにゃぁあああああああああああああああ!?」

「あ、やっぱ駄目だった……!」

氷の壁に阻まれ、頭から真っ逆さまに地面に墜落した。
今後控えている戦いにおいては、”普通に使えている”程度では全く意味を成さないのである。

『君は器用だが、過ぎたるは及ばざるが如し……ってね!使える技は多ければ多いほどいいが、半面決め手に欠ける!』
『力を束ね、ここぞというときにすべてを注ぎ込む!そんな手段を考える必要がある!』

聖騎士ローランに言われた言葉を思い出す乃恵瑠。
これからの戦いにおいては、そこそこ優秀な能力をいくら持っていても意味が無い。
それよりはたった一つでも突出した何かがある方がまだ何とかなるかもしれない。
でも、それが何なのか皆目見当がつかないのであった。
ノエルは取る姿によっても能力値が変わる。
最も大きな妖力が使える深雪、技に長けた乃恵瑠はもちろん、
緻密な妖力の制御が出来るノエル、ダメ元でみゆきの姿も試してみたが、どの姿でも似たような結果に終わった。

「あぎゃぎゃぎゃ! 痛い痛い!」

容赦なくボコボコにされ冷水で叩き起こされる日々が続き、何十回めかに、ついにキレた。

「殺す気かぁああああああああああああ!!」

女王は動じず、相変わらず涼しすぎる顔をしている。

>「あなたの身体は頑丈にできています。この程度では死にません。
 死ぬと思うのは、あなたの心が弱いから。身体の強さに心の強さが追い付いていないから。
 身体と心の均衡が取れていないのです。そして……それが才能の開花を妨げている。
 ひょっとしたら手加減してもらえるかも、とか。母親なんだから優しくしてくれるだろう、とか。
 そんな甘ったれた考えは捨てなさい」

「……」

23御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/04/16(木) 23:44:47
災厄の魔物として望まぬ力を持って生まれたノエルは、今まで力を渇望したことがない。
むしろ、誰かを傷つけたり何かを破壊する力なんて要らないとずっと思ってきた。
あるものは仕方がないから懐柔して平和的に有効活用しようというスタンスが行き着いた結果が今だ。
でも今の女王は、破壊的だろうが呪われていようがお構い無し、問答無用で敵を薙ぎ倒す条件無しの強力な力を求めている。
状況から仕方がないと頭では理解していても、気持ちが付いていかないのであった。
そこで緊急脳内会議が招集される。

ノエル「今日の議題なんだけど」
乃恵瑠「以前の母上はもう少し教えるのが上手かったと思うが……」
深雪「我は断じて災厄の魔物には戻らぬぞ」
みゆき「もうやだよー! お姉ちゃーん!」

収拾がつかなくなる事が殆どの脳内会議が奇跡的に即時全会一致してしまった。
というわけで、女王の目を盗んで文句垂れまくるノエル。完全に駄目妖怪モードに突入していた。
尚、受けたダメージを回復するため、一日に数時間だけ休憩時間が与えられている。
(幸か不幸か雪山なのでどれだけシバかれようと数時間もあれば全回復してしまう)

「根性論とか原始時代かっつーの!
某三大宗教の開祖も苦行しても駄目って悟ってるし今の時代スパルタは効率悪いって常識じゃん!!」

「姫様、そんな事言わずに頑張りましょう! きっと女王様には深いお考えがあってのことです!」

「つーかあれだけ強いんだならもう母上が行った方がよくない?」

「それ言っちゃおしまいなやつー!」「立場上おいそれと動けないんですよきっと!」

「そんなこと分かってるよ!」

ふてくされたノエルはハクトを抱いて寝っ転がった。

「そういえば理性の氷パズルがまだ返ってこないなー。
ん? 両方使うとなると右手に剣(理性の氷パズル)、左手に杖(世界のすべて)……?」

なんとなく絵的に変な気がする。そもそも、メイン武器は剣で合っているのだろうか。
クリスを正気に戻した時も、橘音を現世に連れ戻した時も剣で戦った。今更疑うべくもないはずだ。
そこはかとないソレジャナイ感を感じるも、他にいい武器が思い当たるでもない。

「まーいっか」

考えるのをやめてしまった。そして相変わらず絶叫の展覧会のような日々が続いた。

「ぐぎゃああああああああああああああああああ!!」
「ひぎぃいいいいいいいいいいいいいいいいいい!?」
「はぐぅうううううううううううううううううう!!」
「あぁれ゛ぇええええええええええええええええ!?」
「くぁwせdrftgyふじこおおおおおおおお!!」

いつの間にか、現状打破の糸口も見つけられぬまま一か月が経っていた。
ついに女王が痺れを切らす。

24御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/04/16(木) 23:45:36
>「まるで進歩が見られませんね」

>「お言葉ですが女王様、姫様にこの特訓方法はハードルが高すぎたのでは……?」
>「今までずっとぬるま湯で過ごしてきた姫様に、普通の妖怪だって音を上げるような特訓というのは、やはり……」

慕っているけど本当に慕っているのか分からない発言をしれっとするあたり、カイとゲルダはどこまでも平常運転であった。

「君達本当に慕ってる!? でも……その揺ぎ無さに今は救われる……!」

>「そうですか。
 この期に及んで、まだこの子は私に憐憫を乞うているのですね。
 そして――あなたたちがそんなノエルに中途半端な希望を与えている。
 ならば。……あなたたちは不要です」

>「じ……、女王様……?」
>「見るのです、乃恵瑠。あなたが戦わなければ……皆『こうなる』のです」

「母上! 何を!?」

いきなりカイを氷漬けにし始めた女王に、乃恵瑠は声を荒げる。

>「じょ、お……ひめさ、ま……」

カイは乃恵瑠の目の前で、女王の手によってバラバラに砕け散った。

>「ほら。死んだ」

「あ……ぁ……」

乃恵瑠は床に落ちた理性の氷パズルを拾い上げ、それを見つめながら呆然としている。
その間に、女王の魔の手がゲルダにも迫る。

>「あなたはかつて、三尾を喪ったことで我を忘れ、麓の村を滅ぼした。
 幼い身に釣り合わない莫大な妖力を用いて。不本意ですが、今必要なのはその力です。」

「やはり……そうか……」

乃恵瑠は下を剥いて低い声で呟いた。その表情は見えない。
特訓が始まった直後から薄々気付いてはいたが、ついに明言されてしまった。

>「大切な者を喪うという事象があなたの覚醒の鍵となるのなら、私は喜んであなたの大切な者の命を奪いましょう。
 さて……次はゲルダ。あなたですね」

>「姫様……、たす……」

>「カイが死んだのに、あなただけ生きているというのは締まらないでしょう?
 さようなら、ゲルダ。乃恵瑠の役に立って死ぬこと、感謝しますよ」

乃恵瑠が抵抗する間も無く、ゲルダもまた砕け散って床に散らばった。
乃恵瑠は絶叫した。

「うあああああああああああああああああああああッ!!」

25御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/04/16(木) 23:46:20
>「あなたもお死になさいね、ハクト。
 恨むなら乃恵瑠を恨みなさい。いつまでも不甲斐ない乃恵瑠のために、あなたは死ぬのですよ」

「母上! 力を分離されている間ずっとそなたの元で技を磨いてきたのは……災厄の魔物に乗っ取られない器になるためではなかったのか!?
災厄の魔物の宿命から解き放たれた事を知った時、一緒に喜んでくれたのは嘘だったのか!?」

妖怪はどう足掻いても、その本質からは逃れられない。高位の妖怪であればあるほどそうだ。
いくら一見慈愛に満ちた母の顔をしていようとも、その本質は氷雪の大妖怪。
あの御前と同じ、大きな目的のためには犠牲を物ともしない神に近い側の存在。
状況が変われば簡単に掌を返す。相手の気持ちなんて知った事ではない。
長年乃恵瑠を手元に置いて育てたのも、全ては目的のため。そんなことは最初から分かっていたはずだ。

>「……怒りましたか?ノエル?
 私は言ったはずですよ……『甘ったれた考えは捨てろ』と――
 カイとゲルダが死んだのも、これからハクトが死ぬのも、すべてすべて……あなたの不甲斐なさが招いたこと。
 あなたのせいでみんな死んでゆく。あなたが皆を死なせてゆく。
 それが嫌なら――この母を斃すことです。今すぐに!!」

「ああ、そうだ。全て妾のせいだ――貴女を母などと勘違いした妾が愚かだった!!」

深雪の姿となったノエルの周囲で膨大な妖力が渦巻き、腰まで届く長い銀髪が揺れる。
ノエルが宿す力は、女王によって間引かれてきた雪ん娘達の記憶の集合体でもある。
女王への怒りを引き金に、災厄の魔物に立ち戻りかけていた。しかし――

『苦しい時も死の淵に瀕した時も――我は常にそなたの味方だ』

祈に誓った約束を思い出し、必死に衝動に抗う。

「母上……貴女の思い通りになってやるものか……!」

>「最後に、氷の神器の使い方を教えてあげましょう。
 ソレは単品で使うものではない。そもそも『三つ同時に使うことを前提として造られている』ものなのです」
>「粗悪な海賊版(ブートレグ)ですが、一度くらいは使えるでしょう。
 あなたを葬り去るのには一撃あれば充分。それで一切合切を終わらせましょう。
 こうも言いましたね?私は――『ものにならないならば、母の手で引導を渡すもよし』と――
 ならば、受けなさい。この母の最大の奥義を」

ノエルは思う。明らかに自分を災厄の魔物として覚醒させるための挑発だ。
女王にとってはベリアルの野望を食い止めるという大きな目的の前には、多少巻き添えで人間が死のうが些細なことなのだろう。
ならば、言葉通りに引導を渡してもらうのもまた一興かもしれない。
そうすれば一番重要な戦いで祈の味方をすることは出来ないが、少なくとも敵に回らずに済む。
……雪の女王の神に近い側に位置する本性を目の当たりにしただけでこうなのだ。
赤マントの純然たる悪意に晒されたら、制御不能の人類の敵になってしまうかもしれないから。

26御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/04/16(木) 23:47:09
>「我が槍の名はフィムブルヴェト。
 古くは北欧世界において『神々の黄昏(ラグナロク)』の先触れとなりし、我が極鎗を見よ!」

「ハクト、そなたは逃げろ……!」

>「生き残りたければ。これから先も、大好きな者たちと一緒にいたいのならば。
 この一撃――凌いでご覧なさい!」

――ごめん、最後まで悪い子で。

*:・゜。*:・゜*:・゜。*:・゜。*:・゜。*:・゜。*:・゜。*:・゜。*:・゜。*:・゜。*:・゜。*

走馬灯だろうか、それとももう死んでいるのだろうか。
気付けばノエル――みゆきは、民家の庇の下で途方にくれていた。目の前は、土砂降りの雨。
人間の村に遊びに行っていたら急に雨が降り始めてしまった状況だろうか。
そこに、傘を持ったクリスが現れた。

「あ、お姉ちゃん……! 迎えに来てくれたんだ!」

みゆきは満面の笑みでクリスに抱き付いた。

「今まで大変だったんだから! 揃いも揃って捨て身で突っ込む命知らずばっかりでさー!」

「命知らずだけで突撃させたらすぐ全滅しちまうよ」

そう言ってクリスは、傘をみゆきに手渡した。

「お姉ちゃん……?」

「お前はまだ還ったらいけない。それで冷たい雨や身を焦がす日差しからきっちゃんやみんなを守ってやりな」

*:・゜。*:・゜*:・゜。*:・゜。*:・゜。*:・゜。*:・゜。*:・゜。*:・゜。*:・゜。*:・゜。*

「今のは……夢?」

我に返ってみると、まだ女王が奥義を放とうとしているところだった。
今のは時間にすると一瞬にも満たない間の白昼夢だったようだ。

「そうか……!」

ノエルは女王を手本とするように、世界のすべてを長柄として理性の氷パズルを合体させて武器を作り上げた。

「私の武器はこれだ! 名付けて――聖槍”星の王冠《スフィアクラウン》”!!」

世界のすべてが柄、理性の氷パズルが煌めく透明な生地としたそれは――槍というよりもどう見ても傘だった。
ダイヤモンドダストのような煌めきと共に、ノエルの姿が塗り替わる。
雪の結晶のファーに裾が縁どられた透明な呪氷のローブを羽織り、新しいそり靴も少しの曇りもない氷のスケートブーツと化しているその姿は、
ノエルにも乃恵瑠にも深雪にもみゆきにもとてもよく似ていて、そのどれとも異なっていた。
少年のような純粋さと、少女のような清廉さと、雪女が本来持つ妖艶さを併せ持ち、性も年齢も一切感じさせない不思議な雰囲気を纏っている。
特殊な条件下だけで現れる、全ての人格が完全に統合された五番目の人格だろうか――
これを便宜上御幸と表記することにする。

27御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/04/16(木) 23:47:53
>「『堅き氷は霜を履むより至る(ラグナロク・アンクンフト)』!!!!」

御幸は手に持つ聖槍を体の前に突き出し、傘を開くようにシールドを展開した。

「――輝く神の前に立つ楯《シールドオブスヴェル》!!」

その氷面は、現代科学をもってしても地球上では決して作ることの出来ないとされる、完全なる球面だ。
全てを貫く絶対零度の槍と、あらゆる衝撃を逸らす氷の盾が激突する。

「皆が道を切り開く剣なら、私は皆を守る盾だ……!」

――ギャリギャリギャリギャリ!!

硬質な高音を響かせながら絶対零度の槍の先端が完全なる氷面を穿ちながら滑る。

「だあああああああああああああッ!!」

女王の一撃を逸らし切るか切らないかというタイミングで、
傘を閉じるようにすれ違いざまに新しいそり靴の加速を乗せた神速の突きを放った。
二人の立ち位置が入れ替わり、背中合わせになる。

「乃恵瑠……女王様……!」

息を呑んでただ事態の行く末を見守るハクト。一秒経ち、二秒経ち、三秒経ってもどちらも倒れなかった。
御幸の盾はギリギリのところで女王の槍を逸らし切っていた。
そして、当たれば確実に致命傷であっただろう御幸の放った突きは、しかし女王の衣を僅かに掠っただけであった。

「……わざと外しましたね?」

「出来るわけ……ないだろう!!
……ハクト、行こう。もうここには用は無い。祈ちゃんを連れて東京に帰ろう」

その後はたとえ女王が仕掛けてこようとも、御幸は防戦に徹した。
女王の槍は、彼女の言った通りに一度の奥義で砕け散っていた。最強の一撃を防ぎ切った以上、もはや防げぬ攻撃は無い。

「私が憎くはないのですか?」

「憎いに決まってる! ……だけど、貴女がいなくなったら誰が雪妖界を守るのだ?」

先刻の攻防の時、女王から確かに災厄の魔物の力を感じた。
元からそうだったのか、みゆきが災厄の魔物ではなくなったから女王がその役割を担う羽目になったのかは分からない。
後者だとしたら随分と皮肉なものだ。
どんなに足掻こうとも自然の化身たる妖怪は、人と敵対する宿命からは逃れられないのか――?
たとえそうだとしても――

「祈ちゃんに約束したんだ。何があってもずっと味方だって。
だから……期待に応えられなくてごめん。私はもう……災厄の魔物には戻らない」

御幸は女王の目を真っ直ぐに見つめて決然と告げた。

28尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/04/25(土) 21:50:43
鳥居という境界の先に在る幽世。
穢れ無く、荒ぶる魂は鎮められ、邪悪は祓われる。
まさに、神の御座す場として相応しく整えられた空間。それが神社という場が有する意義である。

そして、そんな神社の一つである首塚大明神が社。
京都の森の中に建てられたその社は、古びてはいるものの確りと手入れされており、見る者へ敬意を感じさせる『格』を有している。
勿論、神社という建造物の例に漏れず境内は清浄な空気に包まれているのだが――――その清浄な空間の中に今、一つの穢れが存在していた。

黒いスーツに、同じく黒のネクタイ。死者を弔う喪服を着こみ社の前に立つ男。
筋骨隆々たるその姿は、一見すれば人間に見えるが――この男こそが穢れの元凶。
人から転じた悪鬼。
名を尾弐黒雄。
東京ブリーチャーズに属する妖怪が一体である。

「……ったく、相変わらず神社ってのは息苦しいモンだな。見てみろ。オジサン、酒も飲んでねぇのに膝とかガタガタだぜ」

天魔ベリアルとの決戦を目前に控え、己が力を高めんが為に知己である天邪鬼を頼った尾弐は、しかし連れて来られた境内で早々に息を切らしていた。
さもありなん。かつて雪妖のクリスと対峙した時にもそうであったように、前提として悪鬼と神社との相性は最悪なのだ。
存在自体が悪で在り穢れである種族と成った尾弐は、ただ神社に存在するだけでその存在を世界から否定される。
体は鉛の様に重く感じられ、清浄な空気は息をするだけでも体を苛んで行く。
人に例えるのであれば、何の訓練もしていない一般人を世界最高峰の山の頂上に放りだしたようなものだ。
むしろ、悪鬼の身でこの環境に倒れずいるという事を賞賛すべきだろう。

>「さて」

そして、そんな満身創痍の尾弐に対し涼しげな声を投げかけるのは、この社に祀られた神にして尾弐黒雄が人であった時の家族とも呼べる存在。
天邪鬼。或いは生前の名としての外道丸。
人外の美貌を有する天邪鬼は、弱体化している尾弐とは対照的に自身のテリトリーに在る事によりその力を増大させており、纏う霊気は普段よりも色濃くなっている。

>「我々の自由になる時間は限られている。だから回り道はせん。クソ坊主、貴様には最短距離で強くなってもらう。
>なに、難しい話ではない。強くなれねば死ぬ、それだけだ。ということで――
>貴様にはこれから、ざっと千回ほど死んでもらおう」

「っは―――おいおい、随分乱暴な事言うじゃねぇか。そいつぁアレか?死ぬ気でやれば何とかなるっていう根性論的な」

その天邪鬼が開口一番に告げた修行内容だが……天分の智謀を持つ者が考え編み出したにしては、随分と物騒なものであった。

『千度死ね』

そんな常道では在り得ない方針に対し、尾弐は息を整えながらからかい混じりの返事を返そうとするが、天邪鬼は言葉を続けそれを遮る。

>「痛い思いをして覚える、という言葉があるが。
>それでは手ぬるい。痛みの極地は死だ、死を以て学べ。
>どうだクソ坊主、手足は動くか?呼吸はできるか?」

「……根性論どころか、馬鹿は死ななきゃ治らねぇって方だったか」

天邪鬼の真剣な声色から、放ったその言葉が冗談ではなく本気である事――――つまりは、天邪鬼が自身を本気で千度殺す気であると気付いた尾弐は、思わず頬を引き攣らせる。
しかし、それだけだ。明らかな無理難題を課されているというのに、尾弐の口から拒絶の言葉が発される事は無かった。

「体調に関しちゃアレだ。手足は腐ったみてぇに重いし、呼吸なんざ息止めてた方がまだ楽に感じる――――つまり、絶好調だな」

それは恐らく、尾弐が天邪鬼に抱く信頼が故。
天邪鬼……外道丸が千度死ねというのであれば、少なくともそうする必要があるのだろう。そう尾弐は考える。
故に、大人としての強がりを杖に過酷な修練を受けて立つと彼は言い切るのだ。

29尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/04/25(土) 21:51:07
>「本来ならば、この重圧に慣れるところから始めるのだが。
>そんな悠長なことをしている暇はない、ゆえ――すべて同時に進める。
>できねば死ね。まぁ、今日の所は百遍ばかりも死ねば何とかなるか」
>「難しいことは何もない。ただ、貴様は私に勝てばいいのだ、クソ坊主。
>したが、何をやっても勝てばいいという話ではない。
>『その身に一撃も貰わず』、貴様は私に勝つのだ」

そんな尾弐の虚勢を判ったうえで、天邪鬼は敢えて淡々と課題の詳細を告げていく。

曰く、受けるという強みを捨てて挑めと
曰く、僅かな傷さえも負うなと
曰く、出来ないのであれば――――死ぬと

はっきり言って、尾弐に対してそれは無理で無茶な要求だろう。
戦術というものは、一朝一夕で身に付くようなものではない。
『相手の攻撃をその身で受けて、その上で致命傷を叩き込む』。尾弐黒雄は、文字通り骨身を削りながらその術を練磨してきた。
そうであるからこそ、たとえどれだけ意識しようとも、とっさの時には尾弐の体は染みついたその法則に則って動いてしまう。
命を賭けた戦いで、刹那の判断を求められた際には、受けて反撃をすれば大丈夫だという思考へと流れてしまう。
それは癖などという生温いものではなく、ある種呪いに近い尾弐の習性だ。
これまで仲間達を守り、敵を砕き自分の命を繋いできた、とても強い呪いだ。

>「これから貴様が戦う相手は、どんな力を持っているか分からん。
>骨を断つ間も与えられず、肉を切断されたらどうする?首を刎ねられたら?
>まず、ダメージを受けるという発想をやめろ。その身に毛筋ほどの傷さえ受けてはならん。
>傷を受ければ、そこでご破算だ。いいな」

天邪鬼は、尾弐の戦い方の強さも有効性も全て知っている。
だからこそ。それを知ったうえで、それを否定する。
何故ならば、天分の才を持つ天邪鬼には尾弐の戦い方の先に未来が無い事が判ってしまうから。
それ故に、呪い(つよさ)を断ち切る為の苦難に満ちた試練を尾弐に架すのだ。
そして、天邪鬼のその想いを尾弐もまた理解している。だからこそ

>「一対一というのもつまらん。こういうことは、賑やかに行くのがいい」
「なあボウズ。随分と丁寧に説明してくれたところ悪ぃんだが、年食うと長ぇ台詞は覚えられねぇんだ」

絡みつく神気に妖気の放出で抵抗をし

>「九十九鬼(つくも)おる。私を入れてちょうど百鬼。
>むろん、こやつらの攻撃も受けてはならん。我ら酒呑党の百鬼夜行、心ゆくまで味わうがいい――クソ坊主。
>さあ……という訳で、だ」
「そもそも、此処に到れば言葉は無粋だろ。俺はお前さんを信じてる――――だから」

弱体化する肉体を意志で繋ぎ留め

>「宴を。始めようか」
「先に、酔い潰れてくれるなよ?」

獰猛な笑みを浮かべながら、尾弐黒雄は右足を前に踏み出した。


・・・

30尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/04/25(土) 21:51:48
切り裂かれた肺腑が、肋骨と言う支えを失った腹から吐き出すようにまろび出る。
行き場を失った血液は口腔と傷口からとめどなく噴き出し、外気によって赤黒く変色していく。
垂れ下がる腸を引きずりながら、それでも前に進まんと足を踏み出そうとするがその直後、世界が落下した。
それが自身の首が落とされたのだと。落ち行く首が眺め見た景色なのだと気付いたのは、側頭部に叩きつけられる衝撃を感じてから。
虫食いのように黒く染まっていく意識。
自分が消え果て、無へと還って行く喪失感。
抗おうにも、首だけでは何をする事も出来ず――――



「か、はっ……!!」

言い表せない程の吐き気と頭痛を伴いながら、尾弐は目を覚ます。
反射的に手で自身の首に触れれば、確かに首は胴体と繋がっており、流れ出る汗はその生命活動を肯定している。

死んだ。『また』死んだ。
その事に気付いた尾弐は、額の汗を拭く事もせず歯ぎしりする。
修行を初めてまだ僅か、にもかからわず尾弐黒雄は既に百度は殺されている。

斬殺、圧殺、焼殺、絞殺、刺殺、殴殺、撲殺、撃殺

百鬼の手に寄る尾弐の殺害はあらゆる手段を以って執り行われた。
その度に味わう激痛と、生命の本能にとって最大の負荷である死。
それらは真っ当な神経をしていれば到底耐え難いものであるが……しかし、尾弐が苦悩しているのは激痛や繰り返す死についてではなかった。
何故なら、それらは尾弐にとってさして問題の無い事だからだ。
尾弐黒雄は、苦痛と死に続ける事に慣れている。
かつての暗い地下室での日々は地獄であった。あの時は死こそが救いに見えていた。
矮小なその魂に相応しくない酒呑童子の力を宿していた日々は、全身が砕ける様な痛みを常に感じていた。
故に、死を何度味わおうとそれだけで心が折れるような事は無い。
尾弐の苦悩が向けられているのは別の事――――即ち、遅々として進まない修行についてであった。

痛みを恐れぬが故、虎熊童子の金棒も金熊童子の鉄球も自然体で回避する事が出来る。
死に感慨が無いが故、星熊童子と天邪鬼の斬撃も平常心のままに応じる事が出来る。
数多の鬼どもの攻撃は言わずもがな。無感情に対処する事すら可能だ。
最善で最短で機械的に。
無駄を削ぎ落して、立ち向かう事が出来てる筈……それなのに

「ぐ……っ!」

死ぬ。殺される。何度繰り返しても、進展がない。
冗談のように一定以上から先を生きる事が出来ない。
天邪鬼の告げた千度の死は一刻前に過ぎ去っているというのに、非才なる身は何も得る事が出来ていない。
尾弐の中に焦燥感が澱の様に募っていく。
それでも何かを掴まんと、尾弐は再度立ち上がり――――

>「本当に死ぬ訳ではない。私の術で、貴様に死んだと知覚させているのだ」


ふと。殺し合いが始まってから久方ぶりに、天邪鬼が声を出した。

>「しかしながら、貴様の感じる痛みや死の衝撃は紛れもない本物だ。
>このまま失敗を続ければ、貴様の意識が。魂が消耗しきり、やがては本当の死を迎えるだろう。
>その前に事を成せ。帝都を守りたいと。仲間たちとの約束を果たしたいと。
>好いた女と共に在りたいと願うのなら……」

「一体、何の話を……」

>「我らを凌駕してみせろ!
>千年に渡る悵恨の果て、貴様は未来を掴み取る選択をしたのだろう!
>貴様の望みは、そこに至る階(きざはし)は――我ら酒呑党を斃した、その先に在る!!」

その言葉に困惑しながらも尾弐は再び殺戮の嵐に身を投じる。
眼球を抉られ、脊髄を斬られ、数多と呼べる回数を殺されながら尾弐は考える。

>「目で物を見るな。視界に囚われず、心で視よ!五感の全てを動員し、全天全地よりの攻撃に備えよ!
>貴様の身体に触れんとするものは、空気さえ敵と思え!」
>「莫迦め!避けることに意識を割き過ぎて攻撃が疎かになっておるわ!
>攻めながら避け、避けながら攻める!どちらか一方に偏ってもならぬ、両の天秤――その均衡を崩すな!」
>「今までの経験を棄てよ!敵は貴様の常識の埒外から遣って来るぞ!
>こんな攻撃はどうだ!?これは?ならばこんなのは!?さあ……凌いで見せろッ!」

堰を切ったかのように天邪鬼が投げかけた……そして、今投げかけている言葉の意味を。

>「どうした――クソ坊主!
>貴様が望んだ!貴様が選んだのだ、この道を!
>人間へと立ち戻り、平穏無事な人生を再び歩むことができる……その安寧を投げ捨ててな!
>ならば仕遂げてみせろ、すべて凌駕してみせろ!
>千歳(ちとせ)の生は、こんなところで無様を晒すためのものではあるまい!」


不意に、鉄の鎖を引き擦る様な音が聞こえた。

そして、あまりにも唐突に。

尾弐黒雄は天邪鬼の一撃を回避した。
これまで確実に己が命を刈り取ってきた一撃を、死の刻限を――――超えた。

・・・

31尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/04/25(土) 21:52:58
それからの二月は瞬く間に過ぎて行った。
尾弐黒雄は相も変わらず死を積み重ね続け、その回数は遂に万を超えた。
修行を始めたばかりの頃が嘘のように尾弐の精神は消耗しており、目の下には色濃く隈が浮かんでいる。
そして、精神の傷が肉体にも影響を与えているのだろう。その体は各所がうっ血し、見ていて痛々しい程だ。
しかし。その精神の消耗と反比例するように……死を重ねる程に、尾弐の生存時間は伸びていった。

そして――――今日。
尾弐黒雄は、一個体にして万を超える死を経た悪鬼は、一撃たりとも攻撃を受けず百鬼に寄る全ての死を撥ね退けて見せた。

>「いい成果だ。上々だな。
>時間もない――ならば次の課題を以て最終工程としよう。これを凌げれば、もう特訓すべきことはない。
>神の長子だか何だか知らんが、片手で捻ってやれるだろうよ」

「そりゃあ僥倖だ……随分と手間を掛けさせちまったな」

百鬼の攻撃。その全てを凌ぎ切った尾弐に対し、天邪鬼は賞賛の言葉とともにこう告げる。
次の課題で最後であると。
その言葉を受けた尾弐の胸中に渡来するのは安堵と……ほんの僅かな寂寥感。
天邪鬼が作り出した眼前に居並ぶ九十九の鬼達。彼等の事を、尾弐は今なお嫌悪している。
だが同時に、万を超える死線を共に過ごした彼等の技量に対して、ある種の敬意も抱いていた。

>「今までさんざん賑やかにやったが、最後は貴様と私、一対一の勝負だ。
>皆と交わす盃もいいものだが――対面で飲るサシ呑みも乙なものよ。そうだろう?」

「は。生白かったボウズが、一丁前に呑み語るか」

それ故に。だからこそ。仮初とは言え鬼達との別れに感慨を抱く。
光の粒子と化して天邪鬼に吸い込まれていく彼等に対し、言葉の一つでも投げかけたくなるが……けれど結局、尾弐は何も口にする事は無かった。
言葉に出さなければ分からない事は有る。だが、言葉にすれば壊れてしまう物もまたあるのだ。

そして、尾弐の視線は天邪鬼ただ一人へと向けられる。

>「貴様にとっては、思い出したくもない姿であろうが……今は我慢せよ。
>修行の締め括りには、最大の力を尽くして当たらねばならん。私の最強の姿となると……やはり。これしかないのでな」

「……ああ、そうかい。そういう趣向か。随分とまあ、泣きたくなる真似をしてくれやがって」

九十九の鬼共を吸収し、変性していく天邪鬼。
五本角に浅黒い肌、長く伸びた黒髪に、頬に奔る紋様。
その姿を。纏う悪を具現化した様な妖気を、他ならぬ尾弐黒雄は良く知っている。

かつて京の都で恐怖を振りまいた大悪鬼。
其の心臓を自身の中に隠し、自身の存在と共に『なかった事』にしようとした、尾弐黒雄の千年の闇の象徴。

外道丸という人間の成れの果て――――酒呑童子。

>「ふー……」

酒呑童子はその強大な妖力を以って、まるで呼吸をするように容易く世界を塗り替える。
そしてその塗り替えられた景世界は――――石牢。
血と臓腑に塗り固められたこの世の地獄。
嘗て人間であった尾弐が惨めにその生涯を閉じた終わりの地。

>「いつか話したが……大江山に君臨していた私は頼光どもの襲来を知り、我が身の役割の終焉を悟った。
>そして戦わずして首を刎ねられた。それが何を意味するか、クソ坊主……貴様に分かるか?」
>「私が本気で戦っておれば、あんな腐れ武者に遅れなど取るかよ――!」

酒呑童子の力はあまりに強大だ。
かつて尾弐が変じた時は、殆ど暴走するように暴れ回ったにも関わらず、当時の東京ブリーチャーズの一行を壊滅の手前まで追い込んだ。
そして外道丸は――――本物の酒呑童子は、理性を持って嘗ての尾弐を上回る力を振るう。

背筋が粟立つ。脈動が激しくなる。喉が渇く

かつて尾弐が救えなかった外道丸の成れ果てを見せられる事も。
圧倒的なまでの酒呑童子の力と殺気にこの身を晒される事も。
自身の命を終えた場にこの身が有る事も。
そして、自身の命が失われるという事も。
それら全ては、尾弐にとって想像するだけで恐ろしかった。

32尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/04/25(土) 21:54:36
>「神変奇特……『犯転』と『叛天』だったか。使わせてもらうぞ。
>死ぬ気で凌げ。死んだ気で捌け。なに、今までの訓練でくたばり慣れていよう?
>さて……往くぞ、クソ坊主。
>刮目して見よ、これが首塚大明神では到達し得ぬ……我が剣術の極点よ!
>神夢想酒天流抜刀術、天技!!」

恐怖。恐怖だ。
尾弐黒雄は恐怖を覚えている。

痛みが恐ろしい
訪れる死が恐ろしい

天邪鬼による修行で与えられた万を超える死は、自身に架された殺戮は。
恐怖に背を向け、死に寄り添っていた男に思い出させた。

命を賭した戦いとは本来、恐ろしい事なのだと。

「……思えば、俺はお前にいつも貰いっぱなしだな、外道丸」


――――そして、その『恐怖』を取り戻す事こそが尾弐黒雄には必要だった。


恐怖を忘却する事と、恐怖を乗り越える事は違う。
痛みを恐怖するからこそ救えるものがある。
死を恐怖するからこそ立ち向かえるものがある。
恐怖するからこそ、死にたくないと思うからこそ、生命が持つ最も原初の渇望――――生きる事に命を賭す事が出来るのだ。


今、尾弐の視界には、酒呑童子の刀から伸びる無数の青い鎖が見えている。
この青い鎖は、齎される『死』を尾弐の脳が可視化した幻影だ。
経験した数多の死が、取り戻した恐怖が、本来見える筈の無い生と死の境界を尾弐に認識させたのである。
この『死』の鎖に絡め取られれば、尾弐は死ぬ。
逆を言えば、青い鎖に絡め取られる事が無ければ、たとえそれが百の鬼による攻撃であろうと、傷一つ負う事すらなく切り抜ける事が出来る。

だが……酒呑童子から伸びる青い鎖の一本は、既に尾弐の右腕に絡みついてしまっている。
『犯転』と『叛天』により回避力、防御力、身体能力、その全てを奪われ、その上、対峙する酒呑童子の剣技は至上の絶技。
つまりは、この状況はどうしても避けられぬ絶死とでも呼ぶべきものなのだろう。

なれば、諦めて首を差し出すべきなのか。
否――――断じて否である。

ここで死ねば、何も成し遂げられない。

ノエルとその従者達の馬鹿話に笑う事も
ポチとシロの仲睦まじい姿を肴に酒を飲む事も
祈が成長していく姿を、颯と共に喜ぶ事も
ムジナがその親分に使われあくせく動き回るのを見て苦笑を漏らす事も
眼前の、いつの間にか酒を飲める程に大きくなった外道丸を抱きしめ、その頭を撫でてやる事も

――――愛する女(なすのきつね)を守り、共に未来を生きることも。

それらが成し遂げられないなんて、そんな恐怖を味わうことなんて、あって堪るものか。

出し惜しむな、巡らせろ!力を、魂を、世界を、因果を!

33尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/04/25(土) 22:06:05

疾風よりもなお早く向かい来る刃に対し、反転術式により減衰した身体能力で、尾弐はゆっくりと右の掌を翳す。
青い鎖が示したとおり、刃は尾弐を絶命せんと掌に触れ―――その直後。尾弐の視界の青い鎖が、『死』を示すそれが、尾弐の意志に浸食されるように黒く染まった。

「外道丸。お前から貰った色んなものには到底足りねぇが……今、俺が渡せる全部をくれてやる!!」

打撃、発勁、始原呪術『復讐鬼』
尾弐黒雄が学んできた技術。それら全ての根幹は、力の循環だ。
自分の力を相手に、大地や己の気を物質に、痛みと苦痛を呪った者に、ただただ巡らせる。
力は要らない。速さも要らない。
必要なのは、絶死の恐怖の中からすらも生を掴み取らんとする、神域とも呼ぶべき集中力。

物理、妖気、霊気、神気―――自身を害そうと向かい来る力、その全てを己の体内で循環させ、一分も損なわずそのまま相手へと送り返す。

それは、護身の究極。カウンターの極致。
天才と呼ばれた人間の武術家ですら辿り着いた事の無いそれを、今、一匹の悪鬼が繰り出す。
大切なものを護る為の、名も無き技。力なきが故にあらゆる力に屈さぬ技。

尾弐の掌に触れた白刃に、放たれた力――――万象を両断する酒呑童子の『鬼殺し』は巡り還る。

34ポチ ◆CDuTShoToA:2020/05/05(火) 10:41:10
>「お主ら、ちょうどいいところに帰ってきたのう。ちと使いを頼まれてくれんか」

迷い家を尋ねたポチを見るなり、富嶽はそう言った。
ポチはいつぞや橘音と尾弐がそうしたように、ひどく嫌そうに顔をしかめた。

>「みんな、困っているのよね……私たちも宿の食事に出す山菜を取りに行ったり、魚を釣ったりしに山へ入るから。
  うちの従業員が傷つけられると困るし……このままじゃ、お客様に満足して頂けるサービスが提供できなくなっちゃうわ」

「あー……それは、大変だね。でも、僕らの事情もこっちほどじゃないけど大変なんだ。
 精々僕らがしくじったら、世界が滅びちゃうかも?程度の事なんだけど。だから――」

>「ふん、送り狼が一番強かった時期の話ぢゃと?昔話なんぞしとる場合か。

「……うん、まあ、そう言われると思ってたけどさぁ」

>「どうしても話を聞かせてほしいと言うのなら、まずは儂の依頼をこなすのが筋ぢゃろう。
  分かったらさっさと行ってこい、首尾よく仕遂げたなら厭きるほど聞かせてやろうわい」

>「……参りましょう、あなた。
  あなたと私の二頭なら、余所者の木っ端妖怪ごとき物の数ではありません」

「……それもそうだね」

結局、ポチは大して食い下がる事もなく富嶽の依頼を請け負った。
シロがそれを促したから、だけではない。
実際のところ、ポチは、富嶽には恩があると考えていた。
彼の依頼がなければ、あの夜、二匹の同胞と心を通わせる事は、きっと出来なかったと。
無論、それは富嶽の意図した事ではなかっただろう。
それでも、恩は恩だ。

>「彼らの居場所は、すぐに分かるはずよ。彼らは大きな『縄張り』を作っているから……。
  腕自慢の妖怪たちも何人もやられてるわ。決して油断しないでね」

「あはは、ありがとね、笑さん。でも大丈夫だよ。僕達、そこそこ強いんだ」

ポチのその発言は、慢心の吐露――という訳ではなかった。
むしろ、至極当然の言動だった。
己は『獣(ベート)』を継承し、完全同化をも成し遂げた狼の王。
そしてシロも、高位の鬼すら単独で打ちのめすほどの強者。
たかが山の一角を占拠しただけの流れ者に遅れを取るなどと、想定する方が難しい。
ともあれ――そうして二匹の狼は山へ出た。

>「やはり、天魔の類でしょうか?それともただの、食い詰め者の妖壊たちなのでしょうか」

「どうなんだろう。天魔が今更、こんな山奥に用があるのかな?
 ……ま、実際に出くわしてみれば分かるさ」

>「あなたとふたりきりで事に当たるというのは、初めてですね。
 ……嬉しい……」

「うん……さっさと終わらせなきゃいけないのが、ちょっと残念だね。
 ……そうだ、ねえ、手を貸して?グーにして……そうそう」

ポチが一度足を止めて、シロにそう言った。
そうしてシロが作った右拳に、自分のそれをこつんとぶつける。

「東京ブリーチャーズ、アッセンブル!……なんてね」

ポチが、屈託なく笑う。
正直なところ、ポチはシロに負けず劣らず、浮ついていた。
しかし――それも、山頂に近づき周囲が濃い霧に包まれるまでの事だった。
獣の直感が告げている。敵は、近いと。

35ポチ ◆CDuTShoToA:2020/05/05(火) 10:41:47
>「……あなた」

そして――その時は来た。数十の妖気がふたりを取り囲む。
ポチは、僅かにだが驚いていた。
敵の数にではない。自分達を包囲した妖怪達の、その急速かつ精密な連携に。
彼らは、まるで影のようだった。
影のように素早く、そして一瞬の遅れも、逸りもない。

「シロ、気をつけて。こいつら、かなり――」

ふと、吹き付ける突風――シロへの警句が、途絶えた。
乳白色の霧が揺らぎ、途切れ、その先に見えたもの。
それが、ポチに先ほどとは比にならない驚愕をもたらしていた。

>「……そん……な……」

錆色の毛並みを纏った、巨狼。
それが、険しい岩場の頂点から、ポチとシロを見下ろしていた。
はたと周囲を見回してみれば、ふたりを包囲する妖怪達も皆、狼だった。

それはあり得ない事だった。
狼は、ニホンオオカミは、もうずっと昔に滅びたのだ。
ここにいるポチとシロだけが、この世に残る最後のニホンオオカミ――だったはずなのだ。

敵は、変化の使い手か。それとも妖術による幻、まやかしの類か。
混乱と驚愕を振り払うべくポチは思考を巡らせるが――狼の群れは、それを許さない。
ポチが冷静さを取り戻すよりもずっと速く、襲いかかる。

>「く……!」

鋭い牙が、咄嗟の反応が遅れたポチの下腿部を削ぐ。
手傷を負わせ、機動力を奪う――狼の狩りの、最善の初手。
単なる幻覚や変化では、ない――ようやく、ポチの実感が現実に追いついた。

>「影狼!!」

シロが妖気を昂ぶらせ、叫ぶ。
『影狼群舞』――己の妖気に形を与え、狼の群れを生み出す妖術。

これで、数の不利は多少ましになる。
敵の連携に乱れが生じれば最上。
そうでなくとも影狼を壁に局所的な数的優位を取る事が出来れば、敵の数を削っていける。
ポチの思考が急速に、殆ど直感的に、戦闘の算段を組み立てていく。

>「どうして――」

だが――シロの妖術は、発動しなかった。
何故かは分からない。そして、それが何故かを考えている暇もない。
狼達はなおも波濤の如く一斉に攻め込んでくる。

「この……!」

しかし――ポチとて『獣』を継承した狼の王。
相手が何者であれ、一方的にやられてやる訳にはいかない。

怒りに牙を食い縛り、襲い来る狼の内の一体に、自分から飛びかかる。
敵はあくまで狼の姿のまま。対する自分は、変化によって得た人間同等の手足がある。
故に機先を制し――牙のみを得物とする狼の顎を腕で抱き込み、武器を封じた。

36ポチ ◆CDuTShoToA:2020/05/05(火) 10:43:11
「もらった……!」

後はそのまま力任せに首を捻じ折れば、まずは一匹、数が減らせる。
ポチはそれを間断なく実行しようとして――しかし、不意にその体が宙に浮き上がる。

「な――」

顎を抑え込んだ狼が、己の首を支点に、ポチを振り上げたのだ。
強烈な膂力と、頑強な肉体――ただの雑兵ではない。
そうしてポチはそのまま、地面へと叩きつけられ――

「――めるなッ!」

その衝撃に一切怯まず、吠えた。
抱き込んだ顎は逃さず、地面に叩きつけられた勢いのまま、捨て身投げの要領で相手を投げ返す。
『獣』から得られる膂力を余さず用いた反撃。
たかが「恐ろしく強い狼」程度が捌けるものではない。

ポチの妖気が膨れ上がる。
転ばせた獲物を殺める送り狼の習性による、爆発的な攻撃力の増大。
そして振り上げられた右の爪を――しかし、相手にとどめを刺すべく振り下ろす事は、出来なかった。

ポチが対手を転ばせた瞬間、他の狼達が一斉にシロへと猛攻を仕掛けたのだ。
そうなれば必然、ポチは獲物を諦めざるを得なくなる。
精密極まる連携――ポチもシロも、打つ手がない。
ただ手傷だけが増えていく。

>「あなた……、いったん撤退を――!」

「……なら、僕が殿だ。シロ、君が先に行け」

この深い霧の中では、そもそも同じ狼が相手では、宵闇の妖術は大した意味を成さない。
それでも、自分には『獣』の力がある。
少なくとも、深追いすれば深手を負わせる――そう、牽制しなければならない。

だが――本当に、そんな事が出来るのか。
ポチの心中には、疑心暗鬼が芽生えていた。
ポチは狼だ。ポチは狼の狩りを知っている。

故に分かってしまう。
彼らは、深手を負うほどの距離までは決して寄って来ない。
代わりに血の匂いを辿り、付かず離れずの距離から、獲物が疲弊するのをずっと待ち続けるだろう、と。

そんな狼の狩りから逃げ切る事が、本当に出来るのか。
そんなポチの懸念は――しかし、現実にはならなかった。
狼達は、ポチとシロが逃走の素振りを見せると、それ以上は追ってこなかった。

37ポチ ◆CDuTShoToA:2020/05/05(火) 10:43:28



>「……彼らは何者なのでしょうか」

夜、ねぐらもなく寒さに身を寄せ合っていると、不意にシロが呟いた。

「……狼、なんだろうね。ニホンオオカミ……僕らと同じ。
 どこかでひっそり、生きてたのかな。それとも……」

ポチは、自分の中の『獣』が何か言ってこないか、少しだけ期待していた。
だが、一体どうしてか、『獣』は先ほどから一言も声を発しない。
そしてポチも、わざわざ呼びかけてまで答えを乞うような事はしたくなかった。

>「いずれにしても……彼らが山の者たちに危害を加えているということでしたら、撃退する以外にはありません。
  富嶽翁はじめ、遠野の方々には恩があります。それを返さなければ……」

「……そうだね。放っておく訳にはいかない。それに……このまま逃げ帰る訳にも、いかない」

そうは言ったものの――狼の群れとの戦いは、その後もずっと芳しい結果にはならなかった。
彼らの連携は、ポチとシロのそれを遥かに上回っていた。
ふたりは何度も敗れ、そして見逃された。

山での暮らしが始まって数日が経つと、ポチとシロは人の姿に変化する事をやめた。
険しい山中の地形では四足の姿の方が機敏に動けるし、夜間に体温と体力を浪費する事もなくなる。

だが、それだけでは命を繋ぐ事は出来ない。
日々の糧を得なければ――つまり、狩りをしなければ。
狼の狩りは、ネコ科の生物のような、俊敏性に頼ったものではない。
持久力と、群れの組織的な動きによって獲物を追い詰めるのだ。

たったふたりでも、群れは群れ。
ポチは群れのリーダーとして、狩りを主導しなければならなかった。
獲物を追いながら、シロに指示を出す。
目で見ていては、頭で考えていては、間に合わなかった。

頼るべきは、獣の本能――これまでも、ずっと利用はしてきた。
敵の急所を探ったり、初動を読み取る為に、それを用いる事はあった。
だが、身を委ねた事はなかった。

>「今日も獲物を仕留められましたね、あなた」

シロが嬉しそうに、尾を揺らす。
ポチはそれに応じて、彼女に頬を擦り寄せた。言葉は発しなかった。
狩りの最中、ポチは野の獣がそうであるように、吠え声一つ、目線一つでシロに全てを伝える。
言葉に頼らない――自身に染み付きつつある新たな習慣に、ポチは無自覚だった。

>「もう間もなく二ヶ月……約束の刻限が近づいています。
  東京に戻る時間を考えると、恐らく次の戦いが最後のチャンスとなるでしょう。
  迷い家の皆さまのためにも、彼らをこのまま野放しにはしておけません。
  何があっても。彼らは次の戦いで倒さなければ……」

「……シロ」

シロがそう続けて、ようやく、ポチは言語というものを思い出したようだった。
だが――それも、愛するつがいの名を呼んだだけだ。
「……大丈夫だよ。君も、分かってるはずだ」

結局のところ、この二ヶ月で自分達が得たものは、言葉では言い表せないものだ。
野生の本能、つがいとの絆――ただ、そう名付ける事が出来るだけのものだ。

だからポチが紡いだ言葉は、それだけ。
後はただ、もう一度シロに頬ずりをする。
己のにおいを――そこに宿る自信を分け与える為に。
彼女のにおいを――そこから怯みが消え去り、安堵が宿るのを確かめる為に。

38ポチ ◆CDuTShoToA:2020/05/05(火) 10:44:11



そして翌日――ふたりは、再び狼達の縄張りへと足を踏み入れた。
そうすると、すぐに狼の群れがふたりを包囲する。
錆色の巨狼は岩場の頂点からそれを見下ろしている。
この二ヶ月間、何度も繰り返された光景。

ただ今回は、一つだけ違う事があった。
山肌に吹き付ける突風が、霧を引き裂く、ほんの一瞬。
巨狼は僅かに目を細めた――笑っているように見えた。

>「……参ります、あなた!」

群れの狼達が、ポチとシロから距離を取る。
包囲は解かないまま――それが如何なる意図によるものなのか、ポチはすぐに理解出来た。

>「オオオオオオオオオオオオオオオオ―――――――――――――ンッ!!!」

咆哮――錆色の巨体が、その体躯に見合わぬ鋭さで唸った。
間合いは瞬時に埋まり、太くも鋭い狼の牙が、ポチの頭部を噛み砕かんと閃く。
対するポチは――

「――シロ」

最愛のつがいの名を呼んだ。
意思の疎通は、それだけで十分だった。

シロが一歩前へと踏み出す。同時に放たれる足刀。
巨狼の噛み砕きを下から叩き上げるような軌道。
蹴撃は狙い通りに直撃し――しかし、巨狼の頭部を揺らせない。
四足獣の骨格と、巨体を満たす狩人の筋肉に、蹴りの威力が殺されたのだ。

だが――シロの表情に怯みはない。
ただ名前を呼んだだけ。
ただそれだけで、彼女は自分が何をするべきかも――ポチが何をするのかも、理解していた。

シロの足刀は巨狼の頭部を、揺るがす事こそ出来なかったが、僅かに押し上げる事は出来た。
つまり――下方向への視界を僅かに奪った。その頸部を曝け出させた。それで十分だった。

ポチは地を這うように、巨狼の懐へと潜り込んでいた。
かつて狼王の毛皮すら食い破った牙が、閃く。
その先端――眼前の首に、届かなかった。

牙が首に食い込む寸前、巨狼の右前足がポチの顔面を強かに打ち付けたのだ。
ポチは大きく殴り飛ばされて――しかし、すぐに体勢を立て直した。
打撃を受ける直前、野生の本能が視界外からの一撃を予期、自らを飛び退かせたのだ。

そうして、ポチは巨狼を睨みつける。
ただでさえポチの数倍はある巨躯が、迸る闘気によって強烈な威容を示している。

「……おかしいな」

だが――

「もう少し、怖く感じると思ったんだけどな」

ポチの表情には、僅かな微笑みと――戸惑いが、宿っていた。
眼前の巨狼と対峙しながら――ポチの意識は、己の内にて目覚めた野生の本能だけに向いていた。
より正確には――己の内にて「今もなお高まり続けている」野生の本能に。

39ポチ ◆CDuTShoToA:2020/05/05(火) 10:46:30
「……シロ。付いてきて」

ポチはそう言うと――それきり、考える事をやめた。
ただ、己の感覚に身を委ね――衝き動かされる。

獣の本能――これまでも、ずっと利用はしてきた。
敵の急所を探ったり、初動を読み取る為に、それを用いる事はあった。
だが、身を委ねた事はなかった。

ポチはその生の大半を、雑種の、未熟で、半端な、狼犬として過ごしてきた。
これまでに直面してきた殆どの状況において、ポチは力不足だった。
だから、考える事をやめられなかった。
ポチはいつだって、本能のままに振る舞って敵に勝てるほど、強くなかった。

けれども――それはもう、昔の話だ。
今や、ポチは『獣(ベート)』を継承し、完全に掌握した。
かつてとは比べ物にならないほどの力を得た。
それでも――身に染み付いた習性は、獣らしからぬ賢しらさは、抜け落ちなかった。

「どうしよう……僕、めちゃくちゃ強くなっちゃうかも」

今、ようやく――その楔が、外れようとしていた。

ポチの肢体が躍動する。爪が閃き、牙が唸る。
吠え声一つでシロを手足のように動かし、息遣い一つで彼女の手足と化す。

一心同体の猛攻を、巨狼は殴打で払い、牙を用いた威圧で退け、その強靭な肉体で跳ね除ける。
更には、反撃にすらしてみせた。

だが――それでも、ポチの攻撃全てを凌ぐ事は出来なかった。
数え切れないほどの攻防の果て――懐に潜り込んでの爪撃が、巨狼の後ろ足を僅かに切り裂く。

そのまま巨狼の背後へ回り込んだポチは――彼が己へと振り返るのを、待った。
シロも、ポチの呼吸と眼差しから、己がすべき事を理解していた。
彼女はポチの背後へと控えて、構えを解いた。

己の背後に、最愛のつがいがいる――その状況が、ポチの闘気を昂ぶらせる。
一心同体の連携ばかりが、絆の力ではない。
愛する者が己を信じ、待っている。故に守る。
その為に己を奮い立たせるのも――また、絆の力。

「……あんたは、きっと何を聞いたって答えちゃくれないんだろうね」

ポチが、巨狼を切りつけた右手を、口元へ運ぶ。
そして、その爪を濡らす鮮血を――舌先で拭い取った。
瞬間、ポチの短躯から妖気が溢れ返る。
野生の本能が、極限まで研ぎ澄まされる――狼にとって獲物の出血とは、決して逃れ得ぬ狩りの始まりなのだ。

「だから、いいや。そういうのは、富嶽のお爺ちゃんにでも聞くから」

最後に――人の姿への変化を、解く。
己の、最も頼りとなる武器を――狼の牙を、使う為に。

「僕はただ――あんたを、超えていくよ」

そして――ポチの五体が、影の如く、奔った。

40那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/05/08(金) 21:54:24
>あたしが望むのは、『みんなが幸せに向かって歩いていける世界。今の世界が、明日や明後日、ずっと続いていくこと』
>だから――『今の世界を守れるだけの力が欲しい』。それがあたしの願い

祈の決意に満ちた言葉を、晴陽は険しい表情のまま聞いた。

「君の欲するものは、君自身が世界を変えるための絶大な力ではなく――
 この世界がこのまま続いていくこと。この世に生きるすべてのものが、いつか進歩してゆくための時間……ということか。
 望みさえすれば、君は世界を制する神にも。世界を破壊する悪魔にもなれるというのに」

>……龍脈の記憶を通して、昔のあたしを見たよ。
>赤マントは、父さんがいうとおり危険なやつだと思う。
>なにを仕掛けてくるかわからない。でも、あたしは何をされても絶対負けない。
>あたしには戦う理由があるから。
>モノを助けて、みんなと一緒に生きるために。そう思ったら、あたしはきっと立ち上がれる

龍脈の神子の宿命は、祈が考えているよりももっともっと、遥かに大きく重い。
この地球という惑星の命運が、行く末が、祈一人の双肩に担われている――と言っても過言ではないのだ。
今までの龍脈の神子たちの中には、その大きすぎる役目に押しつぶされ、破滅した者も少なくない。
だが、祈はそんな宿命を背負わされてなお、自らの信念のために生きようとしている。
この星に生きるすべてのものが、等しく幸せになれるように。
晴陽はしばらく祈を凝然と見つめていたが、

「……ふふ」

しばしの静寂の後、表情を和らげると小さく笑った。

「君がそこまで決めているのなら、もう私に言うべきことは何もない。
 地球のすべての命が幸せになれるように。誰ひとり悲しむ者のないように。
 理不尽な不幸や破滅に嘆く者がなくなるように――
 祈。君はその力を使うといい。
 その気持ちを、決意を忘れない限り、龍脈は望むだけの力を君に与えてくれるだろう。
 君の決意を。言葉を。誓いを……この星は、確かに受け止めたよ」

晴陽は嬉しそうに相好を崩した。祈は龍脈とのアクセスに成功し、その力を自在に使う『権利』を手に入れたのだ。
今までの、ぎりぎりまで追いつめられての限定的な力の行使ではなく。
これからは、祈はただ願うだけで龍脈のエネルギーを引き出すことが可能になるだろう。
身体能力の爆発的な向上と、運命の変転。
その力を使えば、きっとベリアルら天魔との決戦にも勝利することができるに違いない。

「祈。『そうあれかし』とは、『そうだといいな』『そうなると素敵だな』という願いだ。
 願いによって人は進歩し、幸せを掴み取るために歩んできた……。
 そして『願い』は『祈り』に通ずる。祈、君が龍脈の神子となったのも、あるいは必然だったのかもしれないな……」

人の願い。人の祈り。それを叶えられる人間になるようにと、晴陽と颯は我が子に『祈』と名付けた。
そして、祈は今。両親が祈ったとおりに成長してここにいる。
と、ふたりのいるきさらぎ駅の風景が不意にぐにゃり、と歪む。
まるで遥か上方に引っ張られるかのように、祈の身体がふわり、と宙に浮く。

「これで試験は終わりだ。いい答えだったよ、祈。さすがは私の娘だ……君を誇りに思う。
 さ、早くお帰り。橘音君や黒雄さんたちに見せてやるといい、君の力を。
 そして……ベリアルにガツン!と食らわせて。ともだちを取り戻しておいで!」

晴陽がおどけて拳を振り下ろし、殴る真似をする。――別れのときだ。
抵抗しようとも、祈の身体はどんどん上に引っ張られてゆく。覚醒が近いのだろう。

「いいかい、祈。
 現世(うつしよ)と幽世(かくりよ)の境界は絶対だ。何者もその理を捻じ曲げることはできない。
 でもね……その境目は限りなく薄い。0.1ミリにも満たないくらいにね。
 つまり何が言いたいかというと……私はいつだって君の傍にいる。君のことを見守っている。
 君だけじゃない、颯さんのことも……それを、どうか忘れないでほしい」

歪んで溶けてゆくきさらぎ駅のホームに佇んだ晴陽は祈を見上げ、軽く手を振った。
穏やかな、温かい、愛情に溢れた微笑を浮かべて。

「……愛しているよ、祈」

遡ること十四年前、祈と颯を。東京を護るため、その身を擲って死亡した稀代の陰陽師。
東京ブリーチャーズの、かつてのメンバー。
その父の言葉を聞きながら、祈の魂魄は白い光に包まれ――

やがて、元の雪の女王の部屋の中で意識を取り戻した。

41那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/05/08(金) 21:54:51
「…………」

ハクトと共に駆け去ってゆくノエルの後姿を、雪の女王はいつまでも眺めていた。

「……よろしかったのですか?女王様……。このまま姫様を行かせて」

「姫様の眠っていた能力を引き出した、っていう点では、大成功ではあったと思いますけど……」

女王の背後にカイとゲルダが佇み、気遣わしげな様子で口々に告げる。
つい今しがた、女王の手によって粉々に破壊され殺されたはずのふたりが、どうしてこの場にいるのか?

「女王様の作戦は覿面でしたね。姫様はお優しい方……それは裏を返せば、余程のことがないと本気になれないということ。
 例えば近しい者が傷つくか死ぬかしなければ、その実力を発揮することができない。
 だから、私たちは死ななければならなかった」

「いやー、でも女王様が妖術で氷から作った人形とはいえ、自分が死ぬところとかもう見たくありませんね!」

「……苦労を掛けましたね、カイ。ゲルダ」

女王がふたりを振り返り、その労をねぎらう。
どうやら女王はあらかじめカイたちそっくりな氷の人形を用意し、それをノエルの前で破壊してみせたらしい。
妖術で本人そっくりにカモフラージュする技術は、さすが世界に名だたる大妖のひとりと言うべきか。

「でも……あれで良かったんでしょうか。
 女王様は、本当は敵に対する非情さ、冷酷さを姫様に学んでほしかったのですよね?
 災厄の魔物に立ち戻れとは言わずとも……自然の過酷さを体現する冷たさ。冬の具現である酷寒の心を発露させようと。
 なのに――」

その目論見は失敗した。
ノエルの覚醒を成功させることには成功したものの、しかし氷雪の心までも宿らせるには至らなかった。
最終決戦の場でノエルを待ち構える敵は、今までの敵とはものが違う。
ベリアル自身も、そしてベリアルに従う者たちも、これまで東京ブリーチャーズが対峙してきた者とはレベルが違うのだろう。
だが――女王は最後まで、ノエルの抱える甘さを克服させることができなかった。
それでは決戦の地で仲間たちの足を引っ張ってしまうのではないか?そうカイとゲルダは危惧している。
しかし。

「……その心配はありません」

女王は小さく微笑んだ。

「女王様……?」

「私はあの子の優しさを短所だと思っていました。冬を司る雪妖には不要のものと。
 ゆえにそれを克服させようとした。排除してしまおうと考えた。
 けれど、それは誤りでした。あの子にとって、優しさとは紛れもない長所なのでしょう。
 であるのなら……私は短所をなくすことよりも。長所を伸ばすことを考えなければならなかったのです」

槍を創り出すことを期待していた女王の予想に反して、ノエルは傘を創り出した。
傘は皆を護るもの。仲間を、大切な者を、すべてを降り注ぐ不幸という雨から遠ざけるためのもの。
彼が本当に、心からの願いによってそれを創り出したのなら――
あとは。その優しさが世界を救うことに望みをかける以外にないのだ。

「……女王様」

「肩の荷が下りました……。あの子なら、きっとやり遂げてくれることでしょう。
 私の女王という肩書も、改めて譲るときがやって来たようです……」

そう言うと、女王は身体をぐらつかせ、どっと倒れかけた。
ぴし、と小さく硬い音が鳴り、その頬に一条の亀裂が入る。

「女王様!お気を確かに……!」

「ふふ……。老いたる身で無理をするものではありませんね……。
 ずっと実力を隠していた……?まったく、あの子ときたらいつまでも見立ての甘い……。
 そんな力など……無償で出せるものでないことなど、とっくに……分かっているでしょう、に……」

カイに抱きかかえられながら、女王は小さく息をついた。
ノエルの特訓に付き合うために、相当に自身の肉体に負担をかけていたらしい。
何から何まで予定通り、とはいかなかったが、それでもノエルの強化は成った。あとは運を天に任せるだけである。

「……いってらっしゃい……ノエル……。
 あなたの勝利を……願っています、よ……」

そう呟くように零すと、雪の女王は目を閉じた。
たとえ憎まれても。疎まれようとも。
親とは、子の幸せを一心に願うもの。

42那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/05/08(金) 21:55:51
真黒い妖気を全身から迸らせ、酒呑童子が迫る。
その速度は神速。今までの斬撃も尾弐の五感を遥かに凌駕したものであったが、今回の速さは次元が違う。
神夢想酒天流抜刀術・天技『鬼殺し』。
これは今までさんざん尾弐に喰らわせてきた他の神夢想酒天流の奥義とは、根本的に異なるものである。
従来の酒天流奥義は、速度・精度・威力において人界の剣術とは比べ物にならないレベルのものではあったが、
術理そのものは人間の修めるそれと同様であった。
即ち『速度と膂力を以て鋭利な刃物で斬り裂く』という摂理である。
が、この天技と呼ばれた奥義は違う。
鬼殺しは斬撃を叩きつけるのではなく『死』という概念そのものを対象へ叩きつける。
酒呑童子の妖気を凝縮させた『死』を防ぐことはできない。無間の太刀筋を見切ること自体がそもそも不可能であるし、
受ければそこから死が伝播する。
そして――

事ここに至り、酒呑童子は幻戯による疑似死を解除していた。

二度目はない。天技・鬼殺しを初見で攻略しなければ、尾弐は本当に死ぬ。
正真正銘、酒呑童子の全力を用いた本気の一撃である。
尾弐を信頼しているがゆえ。尾弐ならば必ずこの特訓を実のあるものにしてくれると疑ることなく想っているがゆえ。
酒呑童子は躊躇いなく、尾弐を殺しに行った。

「おおおおおおおあああああああああ――――――――――――――ッ!!!」

酒呑童子が、その昔京の都を恐怖のどん底に叩き落した大妖が吼える。
『死』が尾弐に絡みつく。逃れ得ぬ断絶が尾弐へと迫る。
……が。

>外道丸。お前から貰った色んなものには到底足りねぇが……今、俺が渡せる全部をくれてやる!!

カッ!!

酒呑童子の放った白刃と、尾弐が突き出した掌とが触れる。
その瞬間酒呑童子の繰り出した『死』の衝撃は尾弐の手の中で逆流し、転換し――
それを打ち放った酒呑童子自身の生命を打ち砕いた。

「ご、は……」

酒呑童子が双眸を見開き、どす黒い血を吐き出す。
かららん、と乾いた音を立て、その手から仕込み刀が落ちる。
よろよろと一歩、二歩後退すると、酒呑童子は尾弐を見てにやりと右の口角を笑みに歪めた。

「……仕遂げた、か……。
 相手の力を、そのまま相手へと返す……なるほど、それは……この上ない反撃の方途と言えような……。
 敵が強力であればあるほど、貴様にとっては……都合が、よい……という、わけ……」

そこまで言って、もう一度血を吐く。
酒呑童子の全身の血管が浮き出、不気味に脈動している。『死』が全身を駆け巡っている証拠だ。
自身の放った『死』の概念を受けた酒呑童子は死ぬしかない。もとより必殺の奥義である、救命の方法はなかった。
しかし、それも『酒呑童子ならば』の話である。その身体から妖気が漏れ出し、長かった髪が。五本の角が。徐々に失われてゆく。
取り込んだ九十九鬼を解放し、元の首塚大明神に戻ったのである。
酒呑童子とは別の存在になってしまえば、死を無効化できる。
とはいえ、返ってきた天技の衝撃までは無かったことにはならない。天邪鬼は力尽きて背後の鳥居に身を凭れさせた。

「見事よ、クソ坊主……。かくなる大悟に至ったからには、もはや鍛錬の必要もあるまい……。
 死を忘れるのではなく、死を直視して尚それを乗り越える。そうすることで活路は得られる……。
 ゆめ、忘れるな……貴様は自身の屍を仲間に乗り越えさせ、勝利を掴ませに行くのではない……。
 貴様自身が、勝利を掴み取るために……往く……のだ……」

ずるずるとくずおれ、鳥居に背を預けて座り込む。
天邪鬼の体力は限界のようだった。

「往け、そして……貴様の願いを阻まんとするもの総てを退けてくるがいい……。
 私も同道してやりたいところだが、ハハ……さすがは我が天技よ。足腰が立たぬ。
 自らの生み出した死で苦しむなど、自家中毒もよいところ。
 帝都にはひとりで戻れ、私も……復調次第加勢に行く……少し、休ませろ……」

額に脂汗を浮かべ、意識を明滅させつつも、天邪鬼は気丈に笑った。そして、異界化を解いた鳥居の外を指さす。

「ふ、ふふ……。
 無惨無道の天邪鬼が、人助けなど笑止の至りだが……。
 少しは、役に立てた……か、な……」

最後の力を振り絞って自嘲気味に笑うと、天邪鬼は意識を手放した。気を失ったらしい。
修行は成った。あとは、帝都へ戻り仲間たちと共にベリアルの野望を挫くだけだ。
大切な者と、千年より先の未来を生きるために。

43那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/05/08(金) 21:57:22
シロと狼たちが遠巻きに見守る中、ポチと巨狼が対峙する。
群れの長同士の一騎打ちは、佳境に差し掛かっていた。
ポチが全身から妖気を溢れさせると、巨狼もまた全身から闘気を炎のように迸らせる。
共に一群を率いる者。絶対に負けるわけにはいかない。
互いの信念を。矜持を。存在を賭けた戦い。
その決着が、もうすぐ着こうとしている。

>僕はただ――あんたを、超えていくよ

「オオオオオオ――――――――――ンッ!!!」

ポチの言葉に応えるように、巨狼が咆哮する。ポチが奔るのに合わせ、あたかも重戦車のような勢いで突進してくる。
互いの影が瞬刻を経て交錯し、すれ違う。
そして――
勝利したのは、ポチだった。
かつて最強の狼・狼王ロボさえも打ち破った新たなる王者の牙が、今回もまた眼前の脅威を撃破したのだ。
どどう……と轟音を立て、巨狼が地面に倒れ伏す。
勝負はついた。戦いは終わったのだ。

「あなた……!」

決闘のゆくえを見守っていたシロがすぐにポチへと駆け寄ってくる。その姿は夫に合わせるように白狼に戻っていた。
シロはポチの身体に我が身を寄せると、つがいの顔をぺろぺろと何度も舐めた。
やがて巨狼がゆっくりと身を起こし、元いた岩場へと戻る。群れの狼たちもそれに倣い、岩場の周りに集まってゆく。
巨狼はポチとシロの二頭をほんの少しの間だけ見下ろすと、空を見上げて遠吠えをあげた。
群れの狼たちも長に追従して遠吠えを始める。束の間、霧深い山奥に狼たちの遠吠えが響く。
それはまるで歳若い狼の王、その生誕を祝福するような。
滅び去ったはずの種族に新しく生まれた、二頭のつがいを言祝ぐような。
たった二頭の群れ、その未来の幸福を祈るような――。

と同時、辺りを漂っていた霧が一層濃くなってゆく。漂う濃霧が視界を遮り、巨狼と群れの姿をぼやけさせてゆく。
その気配が急速に遠くなってゆく。
最後にもう一度、巨狼はポチを見つめた。
巨狼の眼差しは優しく威厳に溢れ、試練を成し遂げたポチをよくやったと褒めているようにも感じられる。
そして――

霧が完全に群れの姿を覆い隠す、その直前。
岩場の上で巨狼の傍に寄り添うすねこすりの姿を、ポチは見た気がした。

「おう、終わったようぢゃな。随分てこずったようぢゃが」

霧はほどなくして晴れ、ポチとシロは問題なく迷い家へ帰ることができた。
富嶽がふたりの顔を見て声をかける。

「ポチ君、シロちゃん、本当にありがとう。これで、宿も今まで通りに営業できると思うわ」

「さて……約束ぢゃったな。送り狼が一番強かった時期の話、ぢゃったか。
 話してやりたいのは山々ぢゃが、生憎と今度はお主らの方に時間があるまい。さっさと帝都へ戻れ、もっとも――」

笑と富嶽が口を開く。
しかし富嶽は途中で一旦言葉を切ると、

「……もう、儂が話してやる必要もなさそうぢゃがの」

そう言ってにんまりと人の悪い笑みを浮かべた。
ポチはこの二ヶ月をシロと、そして狼の群れと共に過ごしたことで、野生を取り戻した。本能を十全に活用できるようになった。
半身と呼ぶべきつがいのシロと、以心伝心の遣り取りもできるようになった。

――おまえはオレ様の轍を踏むなよ。
  女房を守ってやれ、手前の命が尽きる瞬間まで。くれてやったソレは――本来、そのための力だ。

かつて、狼王ロボはそう言った。
今のポチの力ならば、必ずやシロを守ることができるだろう。シロだけではない、橘音も、祈も、ノエルも、尾弐も。
ポチが今までの戦いで大切だと思った、すべてのものを。
己の全身と全霊を賭け、大切な群れを。縄張りを守るのが、狼の王。

ポチには、その資格がある。

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49那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/05/08(金) 23:39:30
修行を終え、東京に帰ってきた五人だったが、集合場所に決めていた那須野探偵事務所に橘音の姿はなかった。
待てど暮らせど、橘音は帰ってこない。
日程は今日で合っているし、場所も探偵事務所以外で間違いない。

「もしや、三尾の身に何かあったのでは……?」

人間の姿のシロが不安げに呟く。
たった二ヶ月でベリアルに対抗する力を手に入れるためには、生半可な特訓をしていたのでは意味がない。
東京ブリーチャーズのメンバーはそれぞれ、この二ヶ月間強くなるか――さもなくば死かというような過酷な訓練に耐えてきた。
五人はなんとかその試練に打ち勝ち、強大な力を手に入れたが、それは奇跡と言ってもいい確率である。
ひょっとしたら橘音は自らに課した試練に失敗し、この場へ戻って来られなくなってしまったのかもしれない。
各人の焦燥は募ってゆく。残された時間はほとんどない、予定では全員が集合し、体調が整い次第都庁へ攻め込む手筈だ。
しかし、リーダーである橘音がいないのでは都庁に攻め込むどころではない。
そんなことを考えているうちに、事務所の実用性一点張りで洒落っ気のかけらもない壁掛け時計が正午を指した。
……すると。

「いやぁ〜、皆さん!お待たせしちゃって申し訳ありませぇ〜ん!」

バタバタと事務所の外の階段で足音が聞こえたかと思うと、能天気な声と共にサングラスをかけた女性が入ってきた。
年齢は二十代の中盤〜後半くらいだろうか。ブリーチャーズの見たことのない人物である。……少なくとも外見は。
腰まである、切り揃えた艶やかな黒髪。すらりと背が高く、黒いタイトスカートスーツとロングコートに身を包んでいる。
まるでモデルか芸能人かといったような、颯爽たる姿である。
ただ、両手には紙袋をたくさんぶら下げている。カツリとハイヒールの踵を鳴らすと、女は所長専用のデスクに紙袋を置いた。

「は〜、重かった!疲れた疲れた!」

女は振り返ると、室内にいるブリーチャーズのメンバーを振り返って小さく笑った。

「ただいまです!皆さんお揃いで、その分ですと首尾よく特訓に成功したようですね!いや重畳、重畳!」

そう言ってサングラスを取る。右眼から額までを眼帯で覆っているが、紛れもなく美女と言っていい造作だ。
やっぱり一同に見覚えはなかったが、長年の相棒である尾弐と嗅覚の優れたポチは気付くだろう。
目の前にいる見知らぬ女が、那須野橘音だということに。

「あ。ボクが誰かお分かりにならない?橘音ですよ、橘音!帝都東京にその人ありと言われた、狐面探偵・那須野橘音です!
 まぁ今は狐面かぶってませんけど!やっぱり、狐面かぶってないとわかんないもんです?」

橘音はとぼけたことを言いながら笑った。
外見は勿論、声まで若干ハスキーになっている。
もっとも、メンバーの知る橘音を人間と仮定して、十年くらい経てばこんな感じになる――というような面影はないこともない。

「ざっと三百年ぶりですか!いやホントお久しぶりですねえ……。
 感慨深いです。この三百年、皆さんに会いたくて……でも我慢して修行していましたから……。
 あ、ハイこれ栃木みやげです。どうぞどうぞ」

「三百年?」

シロが怪訝な表情を浮かべる。
ブリーチャーズが修行に費やした期間は二ヶ月だ。三百年は計算が合わない。
紙袋を祈やノエルに渡しながら、橘音がああ、と声をあげる。

「御前の住まう華陽宮は、現世とは異なる場所にあります。
 当然、時間の流れも異なる……現世では二ヶ月でも、華陽宮では三百年が経過する部屋もあるんです。
 ボクはそこで修行をしていたもので。だからこんなに成長してしまいました!
 ご覧ください、これが修行の成果です!」

橘音はくるりとブリーチャーズに背を向けた。
それから少しお尻を突き出すと、途端に大きくふさふさした橘音の尻尾が出現する。
一、二、三、四……五本。
三百年の修行で、三本尾の妖狐であった橘音は五尾の妖狐へ昇格したらしい。
妖狐は妖力が高まれば高まるほど尻尾が増える。一般に尾が一本多い妖狐には一本少ない妖狐が十頭束になっても勝てない。
そして、妖狐の昇格ほど気長で悠長なものもない。通常は天然自然の氣と合一し、何千年もの時間をかけて位を上げるのである。
二百年という年月で二本の尾を増やしたというのは、驚異的なスピードと言わざるを得ない。
それだけ橘音も必死で訓練に明け暮れ、試練に打ち勝ったということなのだろう。
大切な仲間たち、そして――愛する男への想い、それだけをよすがに。
橘音は尻尾をしまって居住まいを正すと、尾弐を見た。

「ただいま、クロオさん。
 ……会いたかった」

橘音にとって、尾弐と出会ってから今までの時間よりも長い時間をひとりで修行に充てていたことになる。
心から想って。愛して。やっとその恋が成就した相手と、三百年もの間離別を余儀なくされた。
その寂しさと苦痛は想像を絶する。――が、橘音は耐え抜いた。
すべては、仲間たちと。愛する男と未来を生きたいという願いのため。
ほんの一瞬躊躇うと、橘音はゆっくり右手を伸ばして尾弐の頬に触れた。
言いたいことなら沢山ある。話したいこと。聞いて貰いたいこと。言って欲しいこと――
だが、それを今語ることはしない。それをするのは今ではない。
ふたりきりで語らうのは、すべてが終わってから。
だから――橘音はただ、いとおしげに尾弐の頬に触れ、ほんの微かに笑った。

50那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/05/08(金) 23:40:03
「さて――というわけで!ついにこの時がやって参りました!」

所長用デスクの前で、橘音が大きな声で告げる。
なお、今は仲間たちの見慣れた半狐面に古びた学帽、学ランにマントという姿に戻っている。
やっぱり、最終決戦はこの姿で挑むのが一番『らしい』だろうということらしい。
橘音は元々狐であるから、人間の姿はどうとでもなる。ノエルと一緒である。

「ローランの話では、まだベリアルたち天魔の最終計画は準備段階。
 今までは天魔たちの攻勢に対してこちらが守勢に回るという構図でしたが、今回は違います。
 こちらの方から、天魔の本拠地である都庁に乗り込む。こちらがオフェンスです。
 そして庁舎内を駆けのぼり、首魁であるベリアルを本性を現す前に倒す――速攻でケリをつけなければなりません」

東京ブリーチャーズが攻め手に回る、今回の作戦は千載一遇のチャンスである。恐らく次はない。
奇襲で天魔の本丸へ吶喊すれば、ベリアルの計画も頓挫を余儀なくされるだろう。
むろん、ベリアルもただ無防備に計画を推し進めているわけではあるまい。何せ、神話に語り継がれる陰謀家である。
だが、ベリアルが都庁にどんな防御機構を張り巡らせていようと、すべて叩き潰して進む。
二ヶ月の修行はそのためのものだった。そして、今の東京ブリーチャーズにはいかなる罠をも潜り抜ける力がある。
狙うは東京ドミネーターズの僭主、天魔ベリアルの首ひとつ。
それが成功すれば、長い戦いが終わる――もう、誰もベリアルの邪悪な目論見によって不幸にならずとも済むのだ。
ベリアルによって不幸になり、あるいは死んだ者たちも――きっと報われることだろう。

「相手は天魔ベリアル。以前も説明しましたが……『神の長子』と呼ばれた、かつての天界のNo.2です。
 ベリアルが龍脈の力を手に入れ、神に準ずる――いえ、神をも凌ぐ力を手に入れてしまったら、何もかもおしまいです。
 その前に、なんとしてもベリアルを倒さなければなりません」

仲間たち全員の顔を順に見回し、荘重に告げる。

「思えば、長い長い旅路でした。たくさんの事件があり、そのどれもが難解なものばかりだった。
 皆さんの力がなかったら、ここにいる誰かひとりでもいなければ、きっと勝てなかった。
 ボクは幸せです。ノエルさん、クロオさん、ポチさん、シロさん……そして祈ちゃん。
 あなたたちの協力で、今。東京ブリーチャーズは天魔との決着の場にまで漕ぎつけることができました。
 今のうち、お礼を言っておきます。
 ありがとう、アナタたちと一緒に戦うことができてよかった」

全員で連携し、八尺様やコトリバコを倒した。

ノエルの姉クリスに立ち向かい、狂気に侵された狼王ロボと対峙した。

黄泉の入り口に行ったこともあるし、陰陽寮では後継者問題にまつわる陰謀に巻き込まれた。

太古の祟り神姦姦蛇羅と戦ったことも、茨木童子率いる酒呑党とスカイツリーを舞台に大立ち回りを演じたこともある。

様々な戦いがあり、出会いがあり、別れがあった。
そして――ノエルは、尾弐は、ポチは、祈はこれから、すべての因果に終止符を打つべく決戦に挑む。

「……東京ブリーチャーズは、東京オリンピックの際にやってくる海外からの妖壊たちの脅威に対抗するため生まれました。
 おそらく、これが最後の戦いとなるでしょう。
 皆さん、むろん目的達成も大切ですが……死なないでください。
 ひとりとして欠けても作戦失敗です。全員で都庁に入って、全員で出てくる。
 これを忘れないでくださいね。
 では――」

橘音はにっこり笑って、仲間たちの前に右手を差し出した。
この場にいる全員で生き残り、戦いに勝ってこの場へ帰って来る――
その誓いのために。みんなで手を重ねよう、と言っている。
全員が橘音の手の上に手を重ねると、狐面探偵は高らかに言い放った。




「東京ブリーチャーズ!アッセンブル!!」

51那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/05/08(金) 23:40:25
東京都新宿区西新宿二丁目8番1号、東京都庁第一本庁舎。
帝都の行政の中枢。この世界でも有数の大都市の頭脳と言うべき場所。
北棟と南棟からなるその形状でツインタワーとも呼ばれる高さ243m、地上48階、地下3階の巨大な塔。
本来ならば都民の安寧を一手に担うはずのこの建物は、しかし今や地獄から出現した天魔たちの巣窟――
二十一世紀の万魔殿(パンデモニウム)に変貌していた。

「……ついに、ここまで……」

都庁へやってきた橘音が、第一本庁舎の威容を見上げる。
普段の東京都庁舎は一般に広く開放されており、書類を申請に来たビジネスマンや展望室目当ての家族連れなどで賑わっている。
が、今はそんな人影がまったくない。ベリアルによって結界が張られているのは明らかだった。
すでに天魔たちは東京ブリーチャーズの来訪を察知しているのだろう。
いつ天魔たちが庁舎の中から雪崩を打って押し寄せてきても不思議ではない。

「皆さん、気を引き締めて下さい。いつ、どこから何が出てきたとしてもおかしくありませんから。
 ……行きますよ!天魔の本拠地に殴り込みです!」

ごく、と唾を飲み込み、ブリーチャーズは庁舎の中へと足を踏み入れた。
と、天井が高く吹き抜けになった広大なエントランスの真ん中に、ひとつ人影があるのが見える。

「――な――」

驚きに、橘音は半狐面の奥で目を見開いた。
正面玄関からすぐのエントランス、100メートルほどの距離を置いて佇んでいたのは――


天魔七十二将の首魁。東京ブリーチャーズが倒すべき敵。

怪人赤マント――天魔ベリアル。

「クカカカカカッ!ようこそ、我ら天魔の本拠地――東京都庁へ!
 まったくローランの奴め、余計な情報を……。おかげで吾輩の計画はメチャクチャだ。
 できれば準備が整うまで大人しく待っていて欲しいんだが、どうかネ?食堂でカレーでも食べて、今日は帰っては?」

「……そんな冗談を言っていられるのも今のうちですよ、赤マント――いいや、我が師ベリアル。
 そう、アナタの計画はメチャクチャになった。そしてもう未来永劫成就しない。
 アナタこそ、今日は是が非でもお帰り頂きますよ。二度と出られない、地獄の底の底へね!」

「アスタロト。しぶとい奴だネ……完全に殺したと思ったんだが。
 いや、この場合はアスタロトでなく他のブリーチャーズ諸君がしぶとい、と言うべきかネ?
 どんな逆境にあっても希望を諦めないなんて、吾輩に言わせれば悪い夢以外の何物でもないヨ!」

クカカ、とベリアルは右手で仮面に覆われた顔に触れ、癇高い声で嗤った。
シロが身構える。隙あらばここでベリアルを倒してしまおうと思っているのだろう。
だが、目の前のベリアルは虚像である。殴りかかったところで意味はない。

「さて。吾輩が手ずから客人を持て成したいところだが、色々忙しいものでネ。
 代わりにとっておきの接待役を呼んでおいたから、彼らと存分に楽しむといヨ。
 吾輩がこれと思って抜擢した者たちだ。どの接待役も、必ずやキミたちを満足させてくれることだろうサ。
 接待役たちのいる場所へは、こちらのエレベーターを使いたまえ。
 ああ、エレベーターは一人一基だヨ。相乗りは受け付けないし、階段も使えないからネ。
 もし接待役を倒すことができれば、吾輩のいる北棟展望室にご招待しよう。
 では、またお会いできることを楽しみにしているよ!クカカカカカカッ!!」

言いたいことを一方的に言ってしまうと、ベリアルは霧のように消えていった。
非常階段と外へ続く扉はいつの間にか閉鎖されてしまっており、使用することはできない。
どちらにしても、ベリアルがいるという北棟展望室に行くにはエントランスのエレベーターを使わなければならないらしい。
おまけに、一人につき一基を使って。きっとこの建物の中も酔余酒重塔のように内部が捻じ曲がっているのだろう。
そして、そのエレベーターの行きつく先にベリアルの選出した悪魔たちが控えている――。

「どのみち、行くしかありません。この程度のことは予想の範囲内です。
 ここからは別行動で行きましょう。少なくとも――現段階でベリアルの言ったことに嘘はないはずです。
 悪魔(デヴィル)は嘘を付き、ベリアルの言うことほど信を置けないことはないですが……。
 でも、ひとつだけはっきりしていることがあります。
 それは……『ベリアルは自分の造ったギミックに忠実である』ということ」

ベリアルは稀代の弁論家、詭弁家であり、どんなに下卑た低俗な内容さえも高尚な話題のように論ずることができるという。
硬と軟、虚と実を織り交ぜての弁舌は、この世のどんな論客をも論破してしまう。
が、その一方でいわゆる論者という存在が皆そうなように、ベリアルにも無意識の癖というものがある。
それは『迂遠な策を用いずにはいられない』という点だ。
猿夢の時も、姦姦蛇羅の時も。古くはコトリバコのときもそうだった。
ベリアルほどの頭脳の持ち主であれば、もっと抗いようのない雁字搦めの手段で東京ブリーチャーズを殲滅することも出来たはずだ。
しかし、そうはしなかった。それはベリアルが人々の苦しみを、絶望を感じることを何よりの悦楽としているからに他ならない。
そして、その癖はこの最終決戦の場でも適用されている。となれば、ベリアルは嘘はついていないのだろう。
他ならぬベリアル本人からありとあらゆる策を伝授された直弟子である橘音だからこそ、それを直感的に理解した。
ならば。ここはベリアルの思惑に乗ってやるより他にない。

「それでは……皆さん。
 後ほど、北棟展望室でお会いしましょう」

そう全員に告げると、橘音は五基あるエレベーターの中央へと歩いて行った。

52多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/05/17(日) 21:52:32
>「君の欲するものは、君自身が世界を変えるための絶大な力ではなく――
>この世界がこのまま続いていくこと。この世に生きるすべてのものが、いつか進歩してゆくための時間……ということか。
>望みさえすれば、君は世界を制する神にも。世界を破壊する悪魔にもなれるというのに」

 祈の言葉を受け取った晴陽が、そう一人ごちる。
 星の記憶を辿った祈には、『世界を制する神にも世界を破壊する悪魔にもなれる』という言葉の意味が現実として理解できる。
本当にこの世界の在り方を、祈の願い一つ、心のありよう一つで変えてしまえる。
それが実感として分かっていたからだ。
誰かの不幸を排除した幸福な世界を作り上げることもできるだろう。
 だが、それでは“意味”がない。
これまでの世界は、人や妖怪や数多の生命が作り上げてきたもの。勝ち取ってきたもの。
それを祈の考え一つで塗り替えるなど、それこそ祈の考える幸せを押し付けた偽りの理想郷だ。
祈の選択が間違えていたら、それ以上の不幸が世界を覆うことにもなるだろう。
祈に頭が良ければもっと良い解答もできたのだろうが、これが祈の精一杯であったし、素直な気持ちでもあった。

>「……ふふ」

 険しい顔で祈の言葉を聞き、その言葉を咀嚼していた晴陽が、やがて表情を和らげた。
そしてこう続けた。

>「君がそこまで決めているのなら、もう私に言うべきことは何もない。
>地球のすべての命が幸せになれるように。誰ひとり悲しむ者のないように。
>理不尽な不幸や破滅に嘆く者がなくなるように――
>祈。君はその力を使うといい。
>その気持ちを、決意を忘れない限り、龍脈は望むだけの力を君に与えてくれるだろう。
>君の決意を。言葉を。誓いを……この星は、確かに受け止めたよ」

 カッ。
 瞬間、祈の右手の甲が太陽と見紛う輝きを放った。
右手の甲には龍の紋様が浮かんでいる。

「ってことは……」

 それは龍脈の力を扱う権利を得た証だった。
 祈の呟きに、龍脈が選出した案内役か代弁者か、その晴陽が頷く。
100点満点ではなくても、祈の出した答えは合格だったということだ。
これで祈が望む『身体能力の向上』や、『運命変転』といった力が手に入ったはずだ。
きっと、赤マントたちとの戦いにも、仲間と肩を並べて戦えるに違いない。
 龍の紋様はやがて光を失い、全く見えなくなった。

>「祈。『そうあれかし』とは、『そうだといいな』『そうなると素敵だな』という願いだ。
>願いによって人は進歩し、幸せを掴み取るために歩んできた……。
>そして『願い』は『祈り』に通ずる。祈、君が龍脈の神子となったのも、あるいは必然だったのかもしれないな……」

 晴陽がしみじみそう言う。

「……父さんと母さんから貰った名前、結構気に入ってるよ。
だからあたしは、この名前に恥じないように、みんなの『そうだといいな』、とか。『そうなると素敵だな』って祈りが、
理不尽に踏みつぶされたりしないように、頑張って戦うつもり。
ま、いつも褒められたことばっかりやってるわけじゃないけど……東京を守った父さんと母さんの娘だから」

 その言葉に、祈は照れた笑みを浮かべて、頬をかきながらそう返した。

「協力してくれてありがと、父さん。……あのさ、まだちょっとだけ話せたりす――」

 言葉の途中で、突如、祈が見ている世界が揺らいだ。
 眩暈に似ているが、目の前にあった見えないレンズが歪んだような、ピントが合わなくなったような、
世界が遠ざかっていくかのような。そんな感覚がある。
 祈の体が宙へ浮く。

>「これで試験は終わりだ。

「えっ、ちょっと待ってよ! あたしまだ、父さんに話したいことも聞きたいこともいっぱいあるのに! せっかくまた会えたのに!」

 何かに引き上げられるように、祈はどんどん上へと昇っていく。
 遥か上方に残した肉体が魂を呼んでいて、それに引っ張られているようだった。
歪み、ぼやけた景色の向こうで、晴陽が続ける。

53多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/05/17(日) 21:54:17
>いい答えだったよ、祈。さすがは私の娘だ……君を誇りに思う。
>さ、早くお帰り。橘音君や黒雄さんたちに見せてやるといい、君の力を。
>そして……ベリアルにガツン!と食らわせて。ともだちを取り戻しておいで!」

 晴陽は去りゆく祈に、励ましの言葉を贈ってくれた。

>「いいかい、祈。
>現世(うつしよ)と幽世(かくりよ)の境界は絶対だ。何者もその理を捻じ曲げることはできない。
>でもね……その境目は限りなく薄い。0.1ミリにも満たないくらいにね。
>つまり何が言いたいかというと……私はいつだって君の傍にいる。君のことを見守っている。
>君だけじゃない、颯さんのことも……それを、どうか忘れないでほしい」

 晴陽の言葉は、これが言葉を交わす、正真正銘最後の機会であることを示していた。
祈は空へと引き寄せられる僅かな間に、精一杯に、己の心に浮かんだ言葉を紡いだ。

「っ……あたし! あたし絶対赤マントのやつをガツンって倒してみせるから!
なんならあいつだって改心させて……モノを取り戻して見せるから! だから安心して!」

 それは口から出まかせでもなんでもない。
 祈にとっては、赤マントだってこの世界に生きるもの。
憎いと思うことはあれど、できることなら戦いたくはないし、必要性があっても殺したいとは思えない。
 悪徳に溺れている可能性が濃厚だが、
なんなら、神の長子として、
マッチポンプの役割を未だに果たそうと頑張っている可能性だってゼロではないと祈は思っている。
 龍脈の力が赤マントに渡れば、神をも超越した力を得る。
それは極東の島国だけの問題ではなく、世界中に危険が及ぶ事態のはずだが、
それを危険視せずに神側がほぼ放置していることも、そう思わせる要因となっていた。
 本当は赤マントは神を裏切っておらず、神はそれを知っていて。
赤マントがその力で暴れて、神やその使者に討伐される、そんなマッチポンプをまだ考えているのではと。
甚だおかしな推測だが、もしそうなら、運命を変えてその役目から解放しても良いのではと思っていた。

「それに忘れない! あたしはずっと父さんが見てくれてるって思って……頑張って生きていくから!
そんで……そんで…!」

>「……愛しているよ、祈」

 晴陽の優しい言葉が祈の耳朶をうち、心に届く。
 祈の心にはずっと聞きたかった言葉を聞けた嬉しさと、
それを以後二度と聞けない悲しさとが溢れて、自然と目尻に涙が浮かんだ。

「――あたしも愛してる!」

 そして祈がそう叫んだ時、視界は真っ白に塗りつぶされた。
その言葉が届いたかどうかも分からない。
眩い光に包まれて、祈には何も見えなくなってしまった。

54多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/05/17(日) 22:00:20
「――父さん!!」

 光が晴れるまで、祈は父を呼び続けた。
そして祈が手を伸ばすと。

 ゴンッ。
 何かに手がぶつかった音がした。

「……?」

 視界が暗い、と思ったら、目を閉じていたようであった。
光が眩しかったために、いつの間にか目を閉じていたのかもしれないと、祈は目を開く。
 すると、ターボババア・菊乃が顎を押さえている姿が見えた。

「アンタって子はっ……うなされてると思って顔を覗き込んだら、これかい……」

 祈の右手に微かな痛みがあった。
どうやら菊乃の顎を殴り飛ばしていたらしかった。

「あれ? ばーちゃん……ごめん」

 祈は腕を降ろし、ガバッと身を起こすと、そこはきさらぎ駅ではなかった。
 雪の女王のいる宮殿の奥。
精神を集中させるための、あの部屋に祈は戻ってきていた。
 祈は突っ伏すようにして意識を失ったはずだったが、
身体は敷布団の上に仰向けに転がされており、頭の下には枕。
掛け布団まで掛けられている状態だった。

「……アンタは2ヶ月近く寝ていたんだよ。
熊やカエルの冬眠よりもずっと深く、生きてるんだか死んでるんだか分からない仮死状態でね。
どうなるものかと心配したが……その調子なら問題なさそうだね」

 怒ったような呆れたような、そんな表情で菊乃。

「2ヶ月……」

 先程まで祈がいたきさらぎ駅では、
晴陽が「既に2ヶ月が経とうとしている」と言っていた。
それと一致する。
 こうやって自身の体が寝ていただけであることを考えると、
それがまるで夢のように思えてならないが、そうではないはずだ。
 菊乃が立ち上がり、見えない扉に手をかける。
そして振り返った。
 
「さて、颯に食事を用意させるとして、その前に聞いておかなきゃならないことがある。
アンタ、修行は”成った”んだね?」

 祈は祖母を見て、次に右手に視線を映した。
 そして握りながら願う。力を、と。
龍の紋様が右手の甲に輝き。力が渦巻く。
ほんのわずかに力を籠めただけで、並の妖怪を千切っては投げられるような、そんな力が。
 龍脈の使用者となった証は確かに祈に宿っていた。
 祈は龍脈の力を引っ込める。自在にその力を引き出せるようになっているようである。

「言うまでもなく、か。……これ程の力なら、アンタでもきっと戦えるだろう。
颯を呼んでくるからちょっと待っているんだよ」

 そういって扉を開けて出ていくターボババアは、どこか残念そうな、
複雑そうな笑みを浮かべていた。

 その後、生還と修行の成功の喜びを颯とも分かち合い、食事を食べ終えた祈。
風呂に入って(人間用の設備には風呂焚きの設備がある)、着替えるなどした後、荷物をまとめて東京に帰る……かと思いきや、
宮殿から離れた場所で、体の調子を見ながらだが、再び修行を始めることになった。
 約束の2ヶ月は近い。
すぐにでも東京に戻らねばならないところだが、
祈は修行を終えた、というよりも、力を手に入れたばかりの段階である。
 これでぶっつけ本番に天魔との戦いに挑むのは、
今まで原付で走っていた者に1000ccを超えるバイクを与えて、
練習もなしに「これでレースに出場しろ」といっているようなものだ。
いくら同じ二輪でも、出力が違えば勝手が違う。
上手く扱えないどころか、怪我をするおそれもあるのだ。
そのため、祈はここでわずかな間、龍脈の力のならし運転をギリギリまですることになったのである。

 当初はターボババアがその相手を務めていたが、
途中で修行を終えたノエルも合流することになった。
この期間、ふとしたきっかけが二人の合体必殺技を生んだかもしれない。
だが、それがどのような形で使われるかは不明である。
 修行を完全に終えた祈は、颯やターボババアと雪の女王に挨拶し(会えなかったので従者に言付けを頼んだ)、
ノエルやハクト、颯やターボババアらと一緒に東京に帰ることになった。

55多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/05/17(日) 22:03:26
 ノエルやハクト、颯や菊乃らと共に東京へ戻った祈。
戻ったのは本当にギリギリで、
数日後にはもう、東京都庁へ攻め込む予定日、という日付であった。
その間にほんの少しでも体を休めて、最終決戦への準備をせねばならない。
 そんな忙しない中、どうにか準備を終えた祈は、
決行日の前日、新宿御苑にまで足を伸ばしていた。
姦姦蛇螺の復活に荒れていた新宿御苑だが、すっかり修復され、元通りの姿になっている。
 悪いと思いつつ、祈は禁足地となっている森の中に足を踏み入れた。
周囲の木々は流石になぎ倒されたままだったが、新たに芽吹いている木々もある。
森の奥へと進めば、姦姦蛇螺が封じられていた祠があった。
そこは、晴陽が最期を遂げた場所でもある。
 晴陽の遺影(顔がほとんど映っていない)には毎日手を合わせているが、
この場所が父の亡くなった場所だと知ったのは割と最近で、
知った後にここへやってきたのは、初めてであった。
 即身仏となったその身体は、アスタロトに首を斬られた際に砂と化したとのことだ。
砂は風に運ばれ既にない。
生前纏っていた服も、ボロボロになっていたこともあり、こちらもほとんど砂やぼろきれとなって消えている。
だが、残っているものがあった。銀のバングルである。
 流石に金属までは粉々になっていないようである。
 祈は祠の前で手を合わせ、しばらく目を閉じていたが、
やがて目を開けると、銀のバングルを拾い上げ、左腕に通した。

「父さんは見守ってるのはわかってるけど、やっぱ少しでも近くに感じたいなって思ったんだ。
一緒に戦ってよ。父さん」

 母がかつて使っていた風火輪と、父が生前付けていた銀のバングル。
それぞれを持って、祈は最後の戦いに臨むつもりでいたのであった。


 そして、作戦決行日。約束の2ヶ月の朝がやってきた。
祈は起きた後、ハルファスとマルファスの幼体、そしてヘビ助にご飯をやった。
亡くなった祖父・龍蔵と、父・晴陽の遺影に手を合わせる。
さらに、寝る前と同様に、コトリバコの指やらを見て、ドミネーターズとの戦いで傷付いた人や亡くなった人、
妖怪たちの冥福などを願った。もちろん、龍脈の神子としてではなく、祈個人として。
 身を清め、いつもの格好に着替え、
菊乃と颯が作ったとっておきの朝食を食べ、その後には歯を磨く。
 風火輪と銀のバングルを磨いて、持って行く荷物の最終点検をした。
お菓子と水、金属製のバット、銀の礫、聖水(として売られていたもの)、スマホなど、一通りある。
 なんとなく晴朧に電話をして、声を聞いておき、
品岡に対しては、2ヶ月前にメールで助力を請うていたが、返事はなかったことを確認した。
 そして菊乃と颯と挨拶をかわすと、
天魔と戦うための荷物を詰めたスポーツバッグに肩に背負って、祈は出掛けた。
それはまるで最後の別れのようであった。
そうして、集合場所である那須野探偵事務所までやってきたのである。

56多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/05/17(日) 22:06:26
 那須野探偵事務所には、祈を始め、
ノエル、尾弐、ポチとシロ。既に五人が揃っている。
各々無事に修行を終えたらしく、
高次元の死線を潜り抜けてきた者特有のオーラのようなものを纏っているように、祈には思えた。
精神的、あるいは肉体的に、強さを身に付けてきたことがわかる。
 連携を取るために、どのような強さを得たのか説明をしたものもいるかもしれない。
祈の場合は、龍脈の力を意図的に使えるようになったということは伝えてある。
 事務所のソファに座ったまま、祈が呟く。

「……橘音のやつ遅いな」

 だが、橘音の姿だけがここにはない。
 2ヶ月後と言ってこの日を指定したのは橘音だったはずである。
スマホを確認してみるが、当然ながら、日付は合っている。
また、メールやアプリで連絡が来ているということもなかった。

>「もしや、三尾の身に何かあったのでは……?」

 人間の姿を取ったシロがそういって不安げな表情を浮かべる。
 
「……」

 あり得ない話ではない。たった2ヶ月で急激にパワーを身につけようとすれば、
無茶な修行の1つや2つ当然ながらやっている。
そこでミスがあれば、怪我もあり得るだろうし……あるいは死もあるかもしれない。
連絡もないところを見ると、何かしらのトラブルがあった可能性も否定できないところだ。
 とはいえ。

(橘音だしな……絶対死んでねぇ)

 なにせ“あの”橘音である。
きさらぎ駅から祈達を救うために無茶をして、封印刑に処されて。
散々心配かけたと思いきや、あっさり体を分けて脱獄してきた。 
 と思えば、今度はアスタロトという紛れもないもう一人の橘音が天魔側に寝返り、
どうすればもう一人の橘音を殺さずに説得できるものかとやきもきさせられた。
 さらにさらに、アスタロトと和解し一人に戻ったと思えば、今度は赤マントの攻撃を受け、魂ごと消滅の危機になり――。
 なんやかんや生きていたのである。
 心配したり、気を揉んだりするのはもはや慣れていたし、
祈は那須野橘音という妖怪のしぶとさに関しては、もはや疑いをもっていなかった。
そして、丁度お昼になった頃のこと。

 ガチャリ、と事務所の扉が開く。

>「いやぁ〜、皆さん!お待たせしちゃって申し訳ありませぇ〜ん!」

 そして、女性が気の抜けるような声を上げながらバタバタと入ってきた。
切りそろえた黒の長髪。黒のタイトスカートスーツとロングコート。
サングラスをかけているが、鼻梁といった顔立ちで一目で美人とわかった。
両手には無数の紙袋。すらっとした高めの身長を、ハイヒールがさらに押し上げている。
 モデルのような彼女は、ドサリと那須野橘音のデスクに紙袋を置くと、

>「は〜、重かった!疲れた疲れた!」
>「ただいまです!皆さんお揃いで、その分ですと首尾よく特訓に成功したようですね!いや重畳、重畳!」

 そんなことを宣う。
 彼女がサングラスを取り去ると大きめの眼帯が覗き、眼帯で覆われていない左目で、ブリーチャーズを見渡した。
まったく見覚えのない姿で、一瞬、祈は「依頼にしに来た人?」と口に出しそうになったが、
この空気の読まない登場の仕方や、気の抜けた喋り口には覚えがあった。

>「あ。ボクが誰かお分かりにならない?橘音ですよ、橘音!帝都東京にその人ありと言われた、狐面探偵・那須野橘音です!
>まぁ今は狐面かぶってませんけど!やっぱり、狐面かぶってないとわかんないもんです?」

57多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/05/17(日) 22:06:43
「やっぱ橘音かよ! ……急に姿変えられたら誰だってわかんねーって。
あたしだって一瞬わかんなかったし。つーかおかえり!」

 祈がソファから立ち上がって突っ込んだ。
 聞けば橘音は、ご丁寧に声まで若干変わっている。
 祈がかろうじて橘音だと理解できたのは、付き合いがそこそこ長いことと、妖怪は姿を変えるものだという認識があったからだ。
ほとんど偶然に過ぎない。普通の人間なら、親戚か姉妹辺りだと思い込んでいたであろう。

>「ざっと三百年ぶりですか!いやホントお久しぶりですねえ……。
>感慨深いです。この三百年、皆さんに会いたくて……でも我慢して修行していましたから……。
>あ、ハイこれ栃木みやげです。どうぞどうぞ」

>「三百年?」

「……2ヶ月じゃなくて?」

 シロに続き、祈もまた疑問の声を上げるが、
どうやら言い間違いではないらしい。

>「御前の住まう華陽宮は、現世とは異なる場所にあります。
>当然、時間の流れも異なる……現世では二ヶ月でも、華陽宮では三百年が経過する部屋もあるんです。
>ボクはそこで修行をしていたもので。だからこんなに成長してしまいました!
>ご覧ください、これが修行の成果です!」

 くるりと回って背中を見せる橘音。
 その尻に、5本の尻尾が出現する。

(橘音って三尾って呼ばれてたよな……尻尾増えたんだ!
たしか九尾が一番強いって話だから、300年でそれに少し近付いたってことなんだろうな……)

 妖怪知識に疎い祈では、その専門的な凄さまではわからない。
 橘音の上司である九尾の狐の強さに近付いたであろう、ということはかろうじてわかるが、
時が経つのが遅い部屋で300年間もかけて成し得たということで、おそらく凄いのだろう、というかなり浅い理解であった。
あとは『地力が上がっているので、姦姦蛇螺戦で見せたような戦い方もできるのでは?』
というようなぐらいの考えは浮かんだぐらいか。
 とはいえ、『どう強くなったのか』と聞くのは野暮というものだろう。

>「ただいま、クロオさん。
>……会いたかった」

 尻尾を仕舞った橘音が尾弐に向き直り、その頬に右手を添え、軽く撫でる。
 300年もの間、橘音は尾弐という最愛の人と会わずに過ごしてきた。
その二人の間に流れる甘い雰囲気を壊してまで、どう強くなったのかを聞くことなど、祈にはできない。
 なんなら退出して二人っきりにしてやろうと思ったのだが、
どうやら二人にはそのつもりはないらしかった。
 二人は程なくして離れて、橘音は寝室で着替えなど、東京都庁へと向かう準備を始めたのであった。

58多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/05/17(日) 22:08:02
 お昼過ぎで小腹が空いた祈は、
橘音が持ってきた栃木みやげ(おそらくダクワーズやチーズケーキなどのお菓子)を食べていた。
 そこへ。

>「さて――というわけで!ついにこの時がやって参りました!」

 いつもの姿に着替えた橘音が戻ってきて、所長用のデスクの前に立つとそう告げた。
 学ランに狐面にマント。やはりこの方がしっくりくる、と思う祈である。
この時とはもちろん、赤マントら天魔の居城、東京都庁に攻め入る時のことだ。

>「ローランの話では、まだベリアルたち天魔の最終計画は準備段階。
>今までは天魔たちの攻勢に対してこちらが守勢に回るという構図でしたが、今回は違います。
>こちらの方から、天魔の本拠地である都庁に乗り込む。こちらがオフェンスです。
>そして庁舎内を駆けのぼり、首魁であるベリアルを本性を現す前に倒す――速攻でケリをつけなければなりません」

「むこうもこっちが来るのを予想して待ってるだろうけど、関係ねー。
罠があっても、全部ぶっ潰してこーぜ」

 ソファに座ったまま、不敵に祈が言う。
 こちらが珍しくオフェンスとはいえ、
赤マント程の策略家が、こちらの襲撃を予想していないはずはない。
これまで赤マントの目論見を、完全にとはいかないまでも阻んて来たのがブリーチャーズなのだ。
それが力を付けて向かってくることぐらい、予測済みで対処済みだろう。
 そもそもブリーチャーズ以外にも、陰陽寮や日本・世界の妖怪。
実際にはそれほど期待できないらしいが、天軍の存在もある。赤マントからしてみれば、敵は四方八方にいることになる。
大事な目的を果たす前の前段階だからこそ、邪魔が入らないよう、
入念に罠を張るなど準備を整えているに違いなかった。
 だがそれを、潰せるだけの力をきっと自分達は付けてきたのだと、祈は思う。
 全員の顔を見渡す橘音に対し、祈は頷いて見せた。

>「思えば、長い長い旅路でした。たくさんの事件があり、そのどれもが難解なものばかりだった。
>皆さんの力がなかったら、ここにいる誰かひとりでもいなければ、きっと勝てなかった。
>ボクは幸せです。ノエルさん、クロオさん、ポチさん、シロさん……そして祈ちゃん。
>あなたたちの協力で、今。東京ブリーチャーズは天魔との決着の場にまで漕ぎつけることができました。
>今のうち、お礼を言っておきます。
>ありがとう、アナタたちと一緒に戦うことができてよかった」

 さまざまな事件。さまざまな戦い。

>「……東京ブリーチャーズは、東京オリンピックの際にやってくる海外からの妖壊たちの脅威に対抗するため生まれました。
>おそらく、これが最後の戦いとなるでしょう。
>皆さん、むろん目的達成も大切ですが……死なないでください。
>ひとりとして欠けても作戦失敗です。全員で都庁に入って、全員で出てくる。
>これを忘れないでくださいね。
>では――」

 それは、この最後の一戦のために。
紡いできた絆。傷付いた者や犠牲になった者達を無駄にしないために。
因縁に決着をつけるために。これからの未来を、これ以上誰にも奪わせないために。
今日この日、決着を付ける。
 橘音が仲間たちへ向けて右手を差し出した。
祈はその意味を理解し、ソファから立ち上がって、その右手の上に自身の右手を重ねる。
各々がその手の上に乗せ終えると、

「「東京ブリーチャーズ!アッセンブル!!」」

 橘音の声に、祈をはじめ、仲間達の声が重なった。

59多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/05/17(日) 22:12:58
 そうしてブリーチャーズ一行は東京都庁へと向かうこととなるが、
映画のように一瞬で場面転換、とはならないだろう。
天神細道を使い瞬時に移動する方法もあるが、
不意打ちや脱出など、多様な用途を持つ移動手段は残しておきたいはずだからだ。
おそらくそれは徒歩か車、電車での移動になるのではないだろうか。
 そして移動の際の僅かな時間、一行もずっと無言というわけではないだろう。
 なにせ、これから最後の決戦だ。
語りたいことの一つや二つあろうし、
道すがら、これからの戦いに備えて話し合いをしているということもあるかもしれない。
残っている天魔がどのような能力を持ち、どのような弱点があるか。
予想できる罠にはどのようなものがあるか。そういった情報共有もしている可能性はある。
 本当に天神細道を使っていないか、そして、そんな話があったかどうかはさておき。

 ブリーチャーズ一行は、新宿区にある東京都庁第一本庁舎までやってきた。
立派な高層ビルが二棟連なっている威容は、行政の中枢を担うに相応しいものだ。
だが、今となってはその入り口は地獄の門、否、怪物の口であろう。
 職員や来訪者で賑わっていてもおかしくないが、周辺や内部に人の姿は見えない。
結界によって人払いされて、嫌になるほど静かなのに、禍々しい妖気がその玄関口から漏れ出しているのを
祈ですらも感じ取れた。
 双頭の怪物が、ブリーチャーズがその口の中に飛び込むのを今か今かと待っているのだ。

>「皆さん、気を引き締めて下さい。いつ、どこから何が出てきたとしてもおかしくありませんから。
>……行きますよ!天魔の本拠地に殴り込みです!」

 ごくりとつばを飲み込み、緊張した面持ち(狐面で見えないのであくまで雰囲気で察した面持ちだが)の橘音。

「おう!」

 祈もまた、周囲を警戒しながら返事を返した。
 そして怪物の口の中へ、エントランスへと踏み入ると。
離れた場所に、赤い影が浮かんでいるのを見つける。

>「――な――」

 赤マントこと、ベリアルであった。
どうやら結界内に侵入したことでこちらの動きが完全にばれたようである。
あるいは、こちららに監視の目を付けていて、最初から読まれていたか。

>「クカカカカカッ!ようこそ、我ら天魔の本拠地――東京都庁へ!
>まったくローランの奴め、余計な情報を……。おかげで吾輩の計画はメチャクチャだ。
>できれば準備が整うまで大人しく待っていて欲しいんだが、どうかネ?食堂でカレーでも食べて、今日は帰っては?」

 不気味な笑いで、赤マントはブリーチャーズを迎えるのだった。
軽口を叩く赤マントに、橘音はその計画は成就しないのだと、赤マントを地獄の底へ送るのだと、そう告げる。
対し、赤マントはこう返す。

>「アスタロト。しぶとい奴だネ……完全に殺したと思ったんだが。
>いや、この場合はアスタロトでなく他のブリーチャーズ諸君がしぶとい、と言うべきかネ?
>どんな逆境にあっても希望を諦めないなんて、吾輩に言わせれば悪い夢以外の何物でもないヨ!」

 そして嗤う。余裕綽々にあざけるのが殊更不気味であった。
襲撃を受けた側だというのに焦りは全く見えない。
こちらが力を付けていることも理解しているはずだが、それに対する危惧も恐怖も感じられない。
おそらく向こうも迎え撃つ準備は万端といったところなのだろう。
 
>「さて。吾輩が手ずから客人を持て成したいところだが、色々忙しいものでネ。
>代わりにとっておきの接待役を呼んでおいたから、彼らと存分に楽しむといヨ。
>吾輩がこれと思って抜擢した者たちだ。どの接待役も、必ずやキミたちを満足させてくれることだろうサ。
>接待役たちのいる場所へは、こちらのエレベーターを使いたまえ。
>ああ、エレベーターは一人一基だヨ。相乗りは受け付けないし、階段も使えないからネ。
>もし接待役を倒すことができれば、吾輩のいる北棟展望室にご招待しよう。
>では、またお会いできることを楽しみにしているよ!クカカカカカカッ!!」

 そう一方的に言いたいことを告げると、ベリアルの虚像が消える。
エントランスの扉全てが音を立てて閉ざされ、エレベーターに乗る以外の選択肢はなくなってしまった。

60<削除>:<削除>
<削除>

61多甫 祈 ◇MJjxToab/g:2020/05/17(日) 23:03:35
>「どのみち、行くしかありません。この程度のことは予想の範囲内です。
>ここからは別行動で行きましょう。少なくとも――現段階でベリアルの言ったことに嘘はないはずです。
>悪魔(デヴィル)は嘘を付き、ベリアルの言うことほど信を置けないことはないですが……。
>でも、ひとつだけはっきりしていることがあります。
>それは……『ベリアルは自分の造ったギミックに忠実である』ということ」

 そう。東京都庁という情報の中枢を握っているのなら、
祈やノエル、橘音や尾弐といった、
人間としての戸籍を持っている者達が住んでいる場所だって容易くわかる。
 各々が油断しているところを狙って自宅を襲撃し、各個撃破してしまえばそれで良かったはずだ。
だが戦いが始まって今の今まで、赤マントはそういった直接的な行動を一切起こしてこなかった。
 計画をめちゃめちゃにし得る戦力、ブリーチャーズに対してもそうなのだ。
おそらくは『最も絶望を味わわせるにはどうしたらいいか?』だとか、『相手をより面白く痛めつける方法は?』だとか。
そんな、悪魔としての美学や矜持といったものが赤マントにはあり、それが何より優先されるのだろう。
 ギミックを用意し、そこに敵を飲み込み、心体ともども蹂躙する。
それが赤マントのやり方だ。だからきっと今回もそうなのだ。
この分断が罠だと分かっていても、踏み込まざるを得ない。

>「それでは……皆さん。
>後ほど、北棟展望室でお会いしましょう」

 橘音が、5基のエレベーターのうち、中央のものを選んで歩いて行く。
 祈もそれに続き、エレベーターに向かって歩いて行った。

(エレベーターは5個。橘音、あたし、御幸、尾弐のおっさん、ポチが乗るから、シロはお留守番ってことになっちゃうか。
でも大丈夫だよな。離れてても、二人は一緒に戦ってんだから。
……二人ほどじゃないかもだけど、それはあたしらも同じかな)

 他のブリーチャーズから見て右から2番目。
橘音が選んだものの右隣のエレベーターの前に祈は立った。
 だが祈には、言わなくてはならないことがあった。
前々から言おうと思っていて言えなかった言葉。
こんな分断前だからこそ、言っておかなければならないと、そう思った。
 祈は、振り返って言う。

「……あのさ。もしレディ・ベアを見つけたら、助けてやってくんないかな。
姦姦蛇螺と戦った後、ローランがいってた『レディ・ベアとあたしが友達』ってやつ、実はホントでさ。
あたしがここに来た目的には、あいつを助けることも入ってんだ」

『特に祈ちゃん。君があの神の胎内でどんな戦いをしたのか、わたしに知る術はないけれど――おおむね予想はできる』
『よく頑張ったね。きっとレディも喜んでいるはずさ。流石はわたくしのともだちですわ……って、ね』
 と、祈達の前で、ローランは確かにそう言っていた。
それで二人の関係は明るみに出た。
 頭のいい橘音のことだから、それ以前から分かっていたかもしれない。
敵側にいたアスタロトと融合して以後は、確実にその関係を知っていただろう。
 ポチだって、ニオイで祈の感情を嗅ぎ取ったり、
レディ・ベアの微かなにおいをかぎ分けて知っていた可能性が高い。
 ノエルだって、一緒の教室に通っていたのだから、知らないはずがなかった。
尾弐にしても、1000年を経ただけあって、勘が良く、気遣いのできる大人の男である。
裏家業に通じるから、調査ぐらいはすぐできただろう。
 全員がきっと、そういった事情を遅かれ早かれ知っていながら、
祈に問い詰めずにいてくれた。
だからこそ、それに甘えずにきちんと言葉にしてお願いしなければならないと思ったのだ。
 ドミネーターズの仮の首魁、実行犯は赤マントとはいえ、その協力者として働いたレディ・ベア。
その罪を、友達として背負うためにも。
 それに万が一知らなかった場合には、分断先で仲間がレディ・ベアやローランと出会い、
誤って敵対してしまう可能性だってあるのだ。

「レディ・ベアは今、赤マントに捕まってる。
妖怪大統領を従わせるための人質になってるんだと思う。
ローランが守ってくれてるみたいだけど、どんな扱いされてんのか、どうなってるかはあたしもわかんない」

「こんな土壇場まで、言葉にできなくてごめん。調子のいいこと言ってるのもわかってる。
でも、あたしの友達を助けて欲しい。
細かいことは後でちゃんと話すし、どれだけでも償うから。一生のお願い!」

 祈はぎゅっと目を瞑って、仲間たちに深く頭を下げる。
その肩にかけているスポーツバッグが、ガサリと音を立てて揺れた。

62御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/05/24(日) 01:47:53
修行が始まって一か月ほど経った頃、祈の帰還を待つ菊乃と颯の前に、只事ではない様子のノエルが現れた。

「菊乃さん、颯さん! 今すぐここを出よう! 雪の女王は人間の尺度では計り知れない恐ろしい奴だ!
やっぱりここはうかつに踏み込んでいい場所じゃない……もしかしたら貴方達にも危険が及ぶかもしれない!」

喧嘩でもしたのかい、と事も無げに応じる菊乃。
事情を話しそんな呑気なことを言っている場合ではないと主張するノエルに、
菊乃は大して動じるでもなく、祈は特殊な修行をしており目を覚ますまで待つ他はないと言い聞かせる。
祈を置いて帰るわけにはいかないので、待つことになった。
すると菊乃が、祈が目を覚ますまでやる事もないので修行をつけてやろうか、等と言い出した。
予想外の申し出に驚くも、確かにお互いにやる事もない。
言われてみれば女王の修行を1段階目で喧嘩して放り投げてきたような状態だ。
畑違いだからあまり意味がないのではとも思ったが、何もしないよりはいいだろうと思い有難く受けることにした。
ノエルが絶対零度の槍を防いだ、という話から、完璧な妖力制御と絶対零度に至る力を得たと分析する菊乃。
絶対零度の槍を防いだ盾もまた絶対零度、ということらしい。
絶対零度の力を用いれば、向かってくる物体の動きを実質停止に近いところまで極端に落とすことが出来るかもしれないという。
絶対零度の運動エネルギーゼロという側面に着目しているようだ。
種族特性上、動きを鈍らせてくる相手には特に警戒しなければならないのでそのような発想に至ったのだろうか。
畑違いかと思いきや、まるであらゆる類の敵と戦ってきた歴戦の猛者のようなオーラを放っていた。

「今までどんだけ激戦を潜り抜けてきたんだ……」

娘の颯ですらその全貌の真相は知らないとのこと。
早速実戦形式の修行が始まったが、その内容は、菊乃が雪玉を投げるので当たる前に落としてみよ、との雪合戦のようなほのぼのしたものだった。
ただし雪玉が飛んでくる速度は滅茶苦茶早い。
最初は雪玉に当たってばかりだったが、半月ほど経った頃――

「――アブソリュートゼロ!」

菊乃が予測した通り、飛んでくる雪玉の勢いを奪い、地面に落とせるようになった。
飛び道具による攻撃を防ぐのにはそれなりに役に立つだろう。
そんな折に、祈が目を覚ましたとの知らせを受けた。
会えるようになったら言うからそれまで待っておくようにとのこと。

「これ、敵自体にかけて動きを止めたり出来ないのかな」

というわけで、ハクトが修行相手というか実験台になった。
攻撃用ではなく専ら運動エネルギーを奪う妨害特化の技なので、ハクトが実験台になっても問題はないというわけだ。
そうなったのは、ノエルの素質が攻撃ではなく防御の方面に開花したからだろう。
結論は、一瞬動きがほぼ止まるがすぐ元に戻るという微妙な結果に終わった。
慣性で飛んでくる飛来物の場合は一瞬でも運動エネルギーを奪ってやれば地面に落ちるが、
それ自体動く物の場合はそうはいかないので当然といえば当然だ。
やがて、菊乃が祈と一緒に修行していいと呼びに来る。
祈は、一見以前と変わらぬ様子で、女王は寒さを感じない術が使えるなんて凄いな、と言っていた。
(単に寒さを感じないだけではなく根本的に冷気による悪影響を受けなくなっている)

63御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/05/24(日) 01:49:47
「そうそう、女王はチートだから原作の発動方法は取らずにナチュラルに使えるんだよね〜」

もしも原作準拠の発動方法が何かと聞かれたら「えーと、グーパンかな?」と答えて「それじゃあ過激すぎて使えないね」という話になったかもしれない。
実は姦姦蛇螺との戦いの際に、ノエル(深雪)は祈にその術をかけているのだが、
それどころではない状況だったし、その時はまだ深雪は別人格状態だったため、お互いに忘れているのだろう。
ノエルは傘のシールドを作って見せたり、祈に雪玉を投げてもらって落としてみせたりした。
本気モードになると第5人格の御幸が出てくるとか、敵の動きを一瞬だけ止められるみたいだけどあんまり役に立たなさそうとも話した。
祈はもともとスピード特化の妖怪であり、龍脈の力を得たことによってそれは更に強化されたと思われる。
祈であれば、ノエルの作り出した一瞬の隙をうまく利用することができるかもしれない。
結界術への応用というアイディアも出たが、本人は結界の維持にかかりっきりになる上に、
範囲内の味方も平等に超トロくなるから意味が無い、ということで即却下された。
結局ノエルは多甫一家のペースに飲み込まれて、当初予定していた日まで雪山で過ごした。
いよいよ東京に帰るという時になって、ハクトが血相を変えて跳んできた。

「乃恵瑠―――――ッ!!」

「何!?」

「カイとゲルダがいた……! オ、オバケだぁああああああ!!」

「そりゃ妖怪だからオバケだけど……ってええええええええええええええええ!?」

聞けば、普通に祈達に挨拶されていたという。
ひとしきり混乱した後、次第に状況が飲み込めてくる。

「ああ……そうか。そういうことか。菊乃さん……もしかして知ってた!?」

そう尋ねるも、何十年と颯や祈の親をやってるし“ババア”だから年の功でなんとなく見当が付くのさ、とぼかされた。

「女王様達に会わなくていいの?」

「いいんだ。あんな啖呵切った手前合わせる顔が無いし……。だから次に会うのは……赤マントの野望を阻止してからだ」

こうして雪の女王の三種の神器の力を手にしたノエルは、祈達と共に、ついに雪山をあとにする。

「母上、カイ、ゲルダ――いってきます」

64御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/05/24(日) 01:51:57
東京に帰ってから作戦決行日まで、数日間の猶予があった。
ノエルは以前クリスが死亡した現場である、やんごとなき神社へ訪れていた。
一般参拝客の姿もあり、数日後には世界の命運をかけた決戦が控えているとは思えないような、何事もない日常風景が広がっている。

「来てみたもののバチが当たりそう……」

「どうして?」

と肩に乗ったハクト。

「前にお姉ちゃんが英霊操って大ハッスルしたんだ……」

「そりゃあ当たるね」

「そんなぁ!」

ノエルは気を取り直して一心不乱に祈った。

「えーと、その節はうちの姉が大変失礼致しました。もう誰も死なせないから、どうか見守っていてください」

ドミネーターズに解き放たれた八尺様やコトリバコによって、たくさんの一般人の犠牲者が出た。
クリスやロボは赤マントに利用され尽くした果てに命を落とした。
十数年前の姦姦蛇螺との戦いでは祈の父の晴陽が封印のための犠牲となり、先日の姦姦蛇螺との戦いではたくさんの妖怪が散っていった。
茨木童子をはじめとする鬼達はドミネーターズの計画に組み込まれ命を散らした。
橘音の記憶の世界では、アスタロトの手により、屍の山が築かれたのを見た。
いずれもその裏には赤マントの暗躍があった。

「もうこれ以上誰かが死ぬのはたくさんだ……」

「ここって国のために犠牲になった人達を祀る神社でしょ? やっぱり来る神社間違ってない?」

「そんなことないよ。操られていたはずなのに、祈ちゃんの声、聞いてくれたから」

龍脈の神子―― 一説によると、妖怪混じりの人間だけに発現する力だという。
人一人が背負うには大きすぎる力で、歴史上で龍脈の神子であったという噂がある者には悲惨な最期を迎えている者も多い。
ノエルは、祈のことだから自らの命と引き換えに世界を救おうとするのではないか、と危惧していた。

「頑張って行かせないようにするから、祈ちゃんが万が一そっちに行こうとしたらどうか追い返してください……!」

「もし妖怪方面のあの世に行こうとしたら?」

「その時はお姉ちゃんが追い返してくれるよ」

65御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/05/24(日) 01:54:04
そして決行の日がやってきた。店には「臨時休業中」の貼り紙。
いつも通りにハクトに行ってきますと告げて、階段を降りる。
が、集合時間になっても橘音が来ず、不穏な空気が流れ始める。

>「……橘音のやつ遅いな」
>「もしや、三尾の身に何かあったのでは……?」

前にもこんなことあったな、等と思うノエル。
ロボとの決戦の日に橘音が大遅刻したので偉い目にあった。
それでも最終的にはボロ雑巾のようになりながらも帰ってきて、銀の弾丸も手に入った。
そんなことを思っていると、いきなり闖入者が現れた。

>「いやぁ〜、皆さん!お待たせしちゃって申し訳ありませぇ〜ん!」

「え、誰……?」

>「ただいまです!皆さんお揃いで、その分ですと首尾よく特訓に成功したようですね!いや重畳、重畳!」

「だから誰!? 橘音くんだけど橘音くんじゃないよ!?」

背が少し伸びているように見えるし、声もハスキーになっている。
それよりも、姿がどうにでもなる妖怪にとっては外見年齢の違いよりも全体から受けるイメージの方が重要だ。
トレードマークのお面を被っていないし、服装も今まで見てきたどの橘音とも違う。

>「あ。ボクが誰かお分かりにならない?橘音ですよ、橘音!帝都東京にその人ありと言われた、狐面探偵・那須野橘音です!
 まぁ今は狐面かぶってませんけど!やっぱり、狐面かぶってないとわかんないもんです?」

「……ああ! やっぱ橘音くんだ! そういえば髪型は一緒だね!」

見知らぬ黒髪ストレートの女性に、狐面を脳内でかぶせてみると、それは紛れもなく橘音であった。

>「やっぱ橘音かよ! ……急に姿変えられたら誰だってわかんねーって。
あたしだって一瞬わかんなかったし。つーかおかえり!」

「そんなハリウッド女優みたいな格好してどうしたの? コスプレに目覚めた?」

常識的に考えて狐面に大正時代風学生服の方が余程コスプレなのだが、慣れとは怖いものだ。

>「ざっと三百年ぶりですか!いやホントお久しぶりですねえ……。
 感慨深いです。この三百年、皆さんに会いたくて……でも我慢して修行していましたから……。
 あ、ハイこれ栃木みやげです。どうぞどうぞ」

>「三百年?」
>「……2ヶ月じゃなくて?」

シロや祈が疑問を口にする。
橘音お得意のフォックスジョークではないかと思ったが、どうやら違うらしい。

66御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/05/24(日) 01:56:09
>「御前の住まう華陽宮は、現世とは異なる場所にあります。
 当然、時間の流れも異なる……現世では二ヶ月でも、華陽宮では三百年が経過する部屋もあるんです。
 ボクはそこで修行をしていたもので。だからこんなに成長してしまいました!
 ご覧ください、これが修行の成果です!」

「橘音くん……あのモフモフのきっちゃんが一人で三百年も……!」

ノエルは橘音の三百年の孤独に思いをはせ、感極まっている……

「一本尾が増えるとモフモフ度は十倍を超えると聞いたことがある……。
三尾から五尾……ということはなんとモフモフ度百倍以上! とう!」

ように見えたのは気のせいだったようだ。
橘音の尻尾に飛びつこうとして自滅し、ズザーっと床をスライディングすることになった。

>「ただいま、クロオさん。
 ……会いたかった」

画面の外感半端ない……! と思いながらこの時ばかりは静かに二人を見守る。
祈に目配せして外に出ようとするノエルだったが、二人はすぐに離れた。
二人っきりになるのは全てが終わってから、ということらしい。

「流石橘音くん、賢明な判断だよ。決戦前にあんまり盛り上がると不吉なフラグが立っちゃうからね」

二か月で三百年分修行できる部屋の大家はあの御前だ。
家賃としてとんでもない対価を請求されてはいないだろうか……という懸念が浮かんだが、言わないでおいた。
祈達と共に栃木みやげを食べつつ、橘音の準備が終わるのを待つ。

>「さて――というわけで!ついにこの時がやって参りました!」

デフォルトの姿に戻った橘音が告げる。

「どんな格好も似合うけどやっぱりそれが落ち着く……!」

>「ローランの話では、まだベリアルたち天魔の最終計画は準備段階。
 今までは天魔たちの攻勢に対してこちらが守勢に回るという構図でしたが、今回は違います。
 こちらの方から、天魔の本拠地である都庁に乗り込む。こちらがオフェンスです。
 そして庁舎内を駆けのぼり、首魁であるベリアルを本性を現す前に倒す――速攻でケリをつけなければなりません」

>「むこうもこっちが来るのを予想して待ってるだろうけど、関係ねー。
罠があっても、全部ぶっ潰してこーぜ」

「漢解除!? 頼もしくなっちゃって……!」

漢解除とは、罠を技術的に解除するのではなく、力技でぶっこわすという漢らしい解除方法のことである。

67御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/05/24(日) 01:57:56
>「思えば、長い長い旅路でした。たくさんの事件があり、そのどれもが難解なものばかりだった。
 皆さんの力がなかったら、ここにいる誰かひとりでもいなければ、きっと勝てなかった。
 ボクは幸せです。ノエルさん、クロオさん、ポチさん、シロさん……そして祈ちゃん。
 あなたたちの協力で、今。東京ブリーチャーズは天魔との決着の場にまで漕ぎつけることができました。
 今のうち、お礼を言っておきます。
 ありがとう、アナタたちと一緒に戦うことができてよかった」

「ホントだよ〜、何気に一番危なっかしかったの橘音くんなんだからね!
でも……何があっても帰ってきてくれてありがとう」

橘音はボロ雑巾になっても、封印刑になっても、白と黒に分裂しても、挙句の果てには死んでも、最終的には帰ってきた。
だから、今回もきっと大丈夫。

>「……東京ブリーチャーズは、東京オリンピックの際にやってくる海外からの妖壊たちの脅威に対抗するため生まれました。
 おそらく、これが最後の戦いとなるでしょう。
 皆さん、むろん目的達成も大切ですが……死なないでください。
 ひとりとして欠けても作戦失敗です。全員で都庁に入って、全員で出てくる。
 これを忘れないでくださいね。
 では――」

『東京ブリーチャーズ!アッセンブル!!』

皆の声が綺麗に重なった。

68御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/05/24(日) 01:59:18
>「……ついに、ここまで……」

辿り着いた都庁は、普段はあるはずの人気が無く、異様な雰囲気が漂っていた。

「やっぱりバレてるか……」

>「皆さん、気を引き締めて下さい。いつ、どこから何が出てきたとしてもおかしくありませんから。
 ……行きますよ!天魔の本拠地に殴り込みです!」

「たのもーう! ……ってもういるの!?」

突入した一行を、早速天魔ベリアルが出迎える。これは橘音も予想外だったようで、驚いている。

>「――な――」

>「クカカカカカッ!ようこそ、我ら天魔の本拠地――東京都庁へ!
 まったくローランの奴め、余計な情報を……。おかげで吾輩の計画はメチャクチャだ。
 できれば準備が整うまで大人しく待っていて欲しいんだが、どうかネ?食堂でカレーでも食べて、今日は帰っては?」

橘音も負けじと言い返す。これは橘音にとっては、因縁の師弟対決でもある。

>「さて。吾輩が手ずから客人を持て成したいところだが、色々忙しいものでネ。
 代わりにとっておきの接待役を呼んでおいたから、彼らと存分に楽しむといヨ。
 吾輩がこれと思って抜擢した者たちだ。どの接待役も、必ずやキミたちを満足させてくれることだろうサ。
 接待役たちのいる場所へは、こちらのエレベーターを使いたまえ。
 ああ、エレベーターは一人一基だヨ。相乗りは受け付けないし、階段も使えないからネ。
 もし接待役を倒すことができれば、吾輩のいる北棟展望室にご招待しよう。
 では、またお会いできることを楽しみにしているよ!クカカカカカカッ!!」

ベリアルは霧のように消えてしまった。
この2か月、皆を守るために防御の力を磨いてきたノエルにとっては、分断は受け入れがたいことだった。

「橘音くん、アイツの言う通りにしたらいけない。明らかにこっちを分断させる罠だ……!」

>「どのみち、行くしかありません。この程度のことは予想の範囲内です。
 ここからは別行動で行きましょう。少なくとも――現段階でベリアルの言ったことに嘘はないはずです。」

「えぇっ!? 悪魔は普通の妖怪とは違って嘘をつくんじゃ……」

69御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/05/24(日) 02:01:14
>「悪魔(デヴィル)は嘘を付き、ベリアルの言うことほど信を置けないことはないですが……。
 でも、ひとつだけはっきりしていることがあります。
 それは……『ベリアルは自分の造ったギミックに忠実である』ということ」

橘音によると、ベリアルは漫画や映画になりそうな迂遠な策にこだわり、お話にならないような身も蓋も無い手段は使ってこないとのこと。
長年弟子としてその手練手管を間近で見てきた橘音が言うのだから、間違いないのだろう。
それに考えてみれば、無条件にこちらを撃破すればいいのなら、今までにいくらでもチャンスはあった。
彼の美学はいかにドラマチックに絶望を演出するかということで、悪趣味極まりないが、それこそがベリアルの弱点――こちらの勝機になり得る。

「そうか――分かった」

>「それでは……皆さん。
 後ほど、北棟展望室でお会いしましょう」

ノエルは一番右のエレベーターに向かって進んでいく。
その選択に特に深い意味はないが、なんとなく祈の隣に行ったのかもしれないし、
橘音の左隣は尾弐に空けておいた方がいいかな、となんとなく思ったのかもしれない。
そんな時、祈が唐突にカミングアウトを敢行した。

>「……あのさ。もしレディ・ベアを見つけたら、助けてやってくんないかな。
姦姦蛇螺と戦った後、ローランがいってた『レディ・ベアとあたしが友達』ってやつ、実はホントでさ。
あたしがここに来た目的には、あいつを助けることも入ってんだ」

「あはは、知ってる。モノとレディは同一人物なんだよね」

最初はそっくりさんかと思うことにしていたが、流石にローランのその言葉で同一人物だと気づいた。
といっても”二重人格”という少しズレた予想ではあったが。
ノエル自身も5重人格(?)だし、橘音も人格どころか物理的に2人に分かれたことがあるので、多重人格は割と自然な発想なのかもしれない。
尤も今では、レディベアの護衛を名乗るローランが明らかに赤マントに敵対したり、
こちらに味方したり情報を与えてくれたことから、何か事情があって赤マントの言いなりになっているのかもしれない、とも思っている。

>「レディ・ベアは今、赤マントに捕まってる。
妖怪大統領を従わせるための人質になってるんだと思う。
ローランが守ってくれてるみたいだけど、どんな扱いされてんのか、どうなってるかはあたしもわかんない」

「やっぱり……レディベアも赤マントに利用されてるんだね……!」


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