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オリロワA番外編スレ

1名無しの囚人:2025/12/08(月) 18:18:12 ID:W5Dq9Fl20
オリロワAの番外編投下スレです。

・基本的には「本編と直接関連しない番外編・二次創作」という体裁でお願いします。
・最低限の節度ある内容が無難と思われます。
・オリロワ2014の番外編スレに倣い、トリップの使用は個々人の判断にお任せします。

56名無しの囚人:2026/01/03(土) 07:50:54 ID:KsO83Uc.0
番外編投下乙です。
誰かをシバいてはソフィアさんにシバかれるルクレ嬢、本編で書いた時も思いましたが無茶苦茶悪い人の筈なのにやっぱ何処か愉快で憎めないんですよね。
自分は荒事に向いてないと自認しつつも、当然のようにGPAの一個分隊とかを粉砕してるストロングぶりもなんか好きです。
ジャンヌとの話よろしく、たぶんボコられるけどフィジカルで強引にひっくり返すんだろうなというのが想像できますね。
フロム・ヘル殺人鬼の「本編クラスの猛者よりは落ちるけど、こいつも十分強いんだろうな……」と想像できる超力と経歴も味わい深い。

ソフィアさんも折檻を繰り返しつつも「こいつホントしょうがねえな」くらいのテンションなので、なんやかんや仲良しで微笑ましくなります。ちょっとしんのすけとみさえっぽい。
健在のシドーくんと引き離されたのは可哀想ですが、ルクレと愉快に漫才繰り広げてるので「まあこれはこれでいいんじゃないかな」みたいな生暖かい眼差しになってしまいますね。
乃木平所長もこの世界だときっと苦労してる中間管理職ポジなんだろうな……。

「異世界移住計画が存在しない世界」→「GPAが凶悪犯を戦力化して捜査官と組ませる世界」という着想には成る程と思いました。
キングの支配や自警団台頭からして各地の治安維持機能がだいぶヤバそうな世界なので、移住計画がなかったらGPAはとにかく戦力拡充に走ることには納得がありますね。
作中で語られる人材の総動員ぶりも含めて、やはりスーサイド・スクワッド的なロマンがある。トライスター→アンタレスという夏の大三角形と蠍座らしきネーミング好き。

あとルクレに嬲られてさらっと満身創痍になってたジャンヌ、あの世界ならなんか医療技術とか超人耐久力で何とか治るんだろうな……としみじみします。

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58 ◆A3H952TnBk:2026/03/29(日) 14:26:42 ID:/584PF4k0
番外編を投下します。

59番外編:野良犬と王の晩餐 ◆A3H952TnBk:2026/03/29(日) 14:27:39 ID:/584PF4k0
※もしもの世界の短編です。





 なんで俺はこんな所に居るのだろう。
 何をどう考えても場違いではないのか。
 同席する“二人の怪物”を交互に眺めながら、ハヤト=ミナセは思う。 

「それで――――」

 低く響くような言葉がゆっくりと奏でられる。
 老獪なる風格を伴った、嗄れた声だった。
 
 摩天楼の高層階。フロア一帯を埋め尽くす高級レストラン。
 上流階級が接待や会食で使う“特別個室”は、仄かなシャンデリアによって照らされている。
 真っ白なクロスに覆われた正方形のテーブルを挟んで、ハヤト達三人は向かい合うように座っていた。

「君こそが“新人類の始祖”であると」
「ええ、そうよ。“人間さん”」

 ハヤトの正面は空席――左右にそれぞれ座るのは、巨躯の老黒人と中華系の淑女。
 二人はグラスに注がれたシャンパンを片手に添えながら語り合っていた。

 老黒人は漆黒のスーツを身に纏い、巌のような体躯と皺の刻まれた顔立ちも相俟って威厳を滲ませている。
 淑女は宵闇のようなドレスを着こなし、悠然と穏やかに微笑みながらも、どこか非人間的な気迫を纏っている。

 漆黒の牧師、ルーサー・キング。
 白銀の魔神、銀鈴。
 二人の怪物が顔を合わせる中、ハヤト=ミナセも同席していた。

60番外編:野良犬と王の晩餐 ◆A3H952TnBk:2026/03/29(日) 14:28:30 ID:/584PF4k0

「私はね、選ばれし者なの。この世界を導いて、人々の上に立つ存在として生まれてきた。
 人間さん達は、そんな私が愛でるべきもの。私は“人間”がとっても好きなの」

 銀鈴はキングの威厳に何ら気押されることもなく、透き通るような声で悠々と語る。
 一種の重力すら感じる程の澄んだ眼差しに、ハヤトは畏怖にも似た感情を抱いた。

「だから、ふふっ――不思議だなあって思うわ」

 くすくすと笑う銀鈴。その好奇心は、眼前の牧師へと向けられている。

「あなた、王様になりたいのね?人間さんなのに」

 それは嘲りでも煽りでもなく、ただ純粋な感情だった。
 一世紀近くを生きた旧人類の老人が、新人類を差し置いて支配者の如く振る舞っている。
 銀鈴にとってそれは、年老いた猿が人間の真似事をしているように“奇妙なこと”だった。

「……そうだな。王様になりたいのさ」

 そんな銀鈴の超然たる風格に対して、キングはあくまで平静を保ちながら言葉を紡ぐ。

「俺は君とは違う。選ばれない者だったから、世界を牛耳ることを望んだんだ。
 地の底から伸し上がる為に、仕組みの中に自分を組み込む……俺はその術を学び続けた」
「まあ。それはそれは、とっても健気なことね」

 自らの在り方を包み隠さずに語るキングに対し、銀鈴はまるで子供を褒めるような物言いで返答する。
 そんな彼女の言動に対し、やれやれ――とキングは思わず苦笑を浮かべた。

 普段の“牧師”ならば己に対する明らかな非礼を許さないだろうと、ハヤトは理解していた。
 されど今のキングは相手を“対等の存在”と見做し、わざわざ不遜を問い詰めるような真似をしなかった。
 それは欧州の裏社会を生きる者にとって、異常事態と言わざるを得なかった。

「人間さんというモノは、不完全で欠けているから足掻こうとする。
 とっても脆弱で惨めで……だからこそ面白いし、愛おしく思うの」

 この銀鈴という女は、一体何者なのか。
 ハヤトには理解が出来なかったし、理解さえも拒むような悍ましさを放っていた。
 あらゆる悪の頂点に立つキングとはまた違う――まるでヒトの形をした“闇そのもの”に見えた。

「ところで――――」

 そんな銀鈴が、唐突にハヤトへと視線を向けた。
 その異様な瞳に覗き込まれて、思わずハヤトは身構えてしまい。


「貴方、さっきからどうして黙ってるの?」
「え」


 直球で叩き込まれた問いかけに対して、ハヤトは思わず間抜けな声を漏らしてしまった。

「お喋りしましょうよ。折角の会食でしょう?」

 神々しさを感じるような微笑みと共に、銀鈴はハヤトへと語り掛けてくる。
 ――いや、お喋りって言われても。お前らと何話せばいいんだよ。
 込み上げる緊迫と同時に、ハヤトはそんなことを思っていた。

61番外編:野良犬と王の晩餐 ◆A3H952TnBk:2026/03/29(日) 14:29:17 ID:/584PF4k0

「すまないな。こいつ……ハヤト=ミナセは、いま“社会勉強”の最中だ」
「あら、そうだったの?」
「色々あって俺が面倒を見てやることになってね。小間使いみたいなモンだが、後学のために連れてきた」
 
 何の後学だよ、と心中でハヤトはぼやく。
 窮屈なタキシードの着心地に改めて眉を顰めつつ、怪物二人の遣り取りを眺める。

「こいつがネイ・ローマンを殺れたら“王の子供達”に取り立ててやることも考えている。その為の投資さ」
「まあ、私もネイとは遊んだことがあるわ。とってもかっこいい“人間さん”だったのよ」

 ネイ・ローマン。その名が話題に出てきて、ハヤトはぴくりと眉間を震わせる。
 胸中に宿る遺恨を噛み締めながら、僅かに俯いていたが。

「で、勝てるの?」
「え……」
「貴方は勝てるの?ネイに」

 銀鈴が再び直球の質問を投げかけてきた。
 全く遠慮のない問いかけに、ハヤトは思わず呆気に取られる。
 しかし暫しの沈黙を経て、意を決するように言葉を紡いだ。

「……アイツは兄貴の仇だ。必ずその落とし前を付けると、そう誓っている。
 それが兄貴に対する俺なりのケジメ。その為に俺は、こうしてキングの下で草鞋を脱いでいる」

 ネイ・ローマンは、兄貴分であるカズマに“制裁”を加えた張本人だった。
 奴への落とし前を付けるために、ハヤトはキングの配下に甘んじているのだ。
 覚悟は出来ている。ローマンとは必ず決着を付けると誓っていた。

「ま、弱ェんだがな」
「あらまあ」
「しかも礼儀知らず」
「処さないの?」

 そんなハヤトの決意をよそに、怪物二人は至って気楽に語り合う。
 お互いに悠々と笑い合う二人を眺めて、ハヤトは何とも言えない心境になっていた。

「小間使いとしちゃあ上等だがね。ケンカの腕前はスプリング・ローズのが遥かにマシだ」
「躾をもっと厳しくしてあげたらどうかしら?痛みを伴えばハヤトの物覚えもよくなるかもしれないわ」
「今後改善の余地が見られなければ、それも検討中だ」

 まるで飼い犬の躾について話し合うかの如く、自分の命運がさらっと語られている。
 何とも言い難い居心地の悪さに表情を僅かに顰めていたハヤトだったが、銀鈴は気にせず視線を向ける。

「そう言えばハヤト。お若いけれど恋人はいるの?」
「いきなりぶっ込むな。ハヤトが困っちまうだろう」

 ――――本当にいきなりだな、オイ。
 ハヤトの心の声などいざ知らず、怪物二人は可笑しそうに遣り取りしてる。

62番外編:野良犬と王の晩餐 ◆A3H952TnBk:2026/03/29(日) 14:30:13 ID:/584PF4k0

「セレナ・ラグルスはどうなんだ?」
「まあ、まあ!お相手がいるのね?」

 キングが急にセレナの名前を出して、銀鈴が口元に手を当てて勝手に盛り上がっていた。
 やれやれ、とハヤトは迷惑そうに頭を掻いていた。

「あいつはそう言うんじゃない、家族だよ。
 なんていうか……妹って方がしっくり来る」

 キングの下に着いて以来、ハヤトはセレナとは一緒に暮らしている。
 尤もお互いに恋愛感情の類いはないし、あくまで家族としての関係だった。

「意外だったな。恋愛に興味があるとは」
「ふふ、私だって人間さんの交配には興味があるわ」

 ふうんと相槌を打つ銀鈴に対し、キングがそう言う。
 銀鈴はうっとりした様子で微笑みつつ、言葉を続ける。

「前にも適当な男女……20組ほどだったかしら。その子達を掻き集めて、皆に生殖行為をさせてみたことがあるの。
 人間さんの情愛、性愛は如何にして芽生えるのか――それを確かめる為にね」

 その瞬間、会食の場が凍りついた。
 さらりと語られた経験談。銀鈴は何気なく語っていたが、ハヤトは絶句していた。
 否、ハヤトだけではない。キングも思わず言葉を失っていた。

「……そうか……」

 そうしてキングは真顔で呟いた。
 明らかに引き気味だったが、ハヤトは敢えて突っ込まなかった。
 流石にこの時ばかりはキングへの共感を抱いていた。

 そんな気まずい沈黙に助け舟を出すように、個室へとウェイターの男性が入ってくる。
 完璧な礼儀作法で一礼して、彼は配膳台に乗せられた前菜をテーブルに置いていく。
 フォアグラのテリーヌである。上等な食器に乗せて、添えられたバケットと共に提供される。

「“もう一人の分”は暫く待ってくれ。後から来るんでな」

 そんなキングの呼びかけを聞いて、ウェイターは「畏まりました」とお辞儀する。
 ――配膳台には4人分の食事が乗せられていた。
 そのままウェイターはキング達に会釈をしつつ、個室を後にしていく。

63番外編:野良犬と王の晩餐 ◆A3H952TnBk:2026/03/29(日) 14:30:57 ID:/584PF4k0

 ハヤトは彼らの遣り取りをしばし眺めてから、ふとした疑問を投げかけた。

「そういや……」

 ハヤトの真正面の座席。
 未だ空席になっている“そこ”を見つめながら、彼は二人に問いかける。
 会食は四人。そう聞かされていたのだが、明らかに一人足りていない。
 一向に来る気配が無いので、流石にハヤトも不思議に思った。


「もう一人来るんだろ?誰なんだよ」
「ドン・エルグランド」
「ドン・エルグランド」


 キングと銀鈴の声が重なった。
 断言するように告げられた名を前にして、ハヤトは一気に真顔になる。

「あの野郎、堂々と遅刻しやがって。やっぱり海賊に常識を期待するモンじゃねえな」
「ふふ、いいじゃない。色々な人間さんが居るのは面白いわ」

 なんてこともなしに談笑するキングと銀鈴。
 当たり前のように遅刻した悪童についてあれやこれやと言いつつも、二人は何処か可笑しそうに語らっている。

 ハヤトはどうか。草臥れた様子で、げんなりとした表情を浮かべていた。
 ただでさえ手に負えない大物共を相手している時に、もう一体増えると言い渡されたのである。
 言うなればハヤトにとって、大怪獣三匹とテーブルを並べる羽目になったようなものだった。
 そんなハヤトの心労もいざ知らず、キングと銀鈴は悠々と語らっていた。

 ――――このジジイ覚えてろよ、と。
 ハヤトは心中で毒づきながら、グイッとグラスのシャンパンを飲み干す。
 そのまま酒ごとかっ食らうように、前菜を口に運んでいた。

「ハヤト=ミナセ」
「なんだよ」
「此処は上等な席だ。食事も作法を弁えろ」
「うるせえよ」
「あら無礼ね。処せば?」
「お前もうるせえよ!」




64名無しの囚人:2026/03/29(日) 14:31:32 ID:/584PF4k0
投下終了です。

65 ◆A3H952TnBk:2026/03/31(火) 21:08:23 ID:HNlJIdGg0
番外編投下します。

66番外編:ストレイ・キャッツ ◆A3H952TnBk:2026/03/31(火) 21:11:07 ID:HNlJIdGg0
※二次創作的な番外編です。





 “怪刃”――兄、レストル・ラッタンロイド。
 “怪砲”――弟、ボルクス・ラッタンロイド。

 巨大犯罪組織キングス・デイ直属の精鋭。欧州を中心に二、三十余名が名を連ねる強豪のネイティブ達――“王の子供達”の新参者である。
 共に齢17歳。双子の彼らは“ラッタンロイド兄弟”として、その悪名を知られていた。

 彼ら兄弟はバレッジ・ファミリーの息が掛かっているギャング集団を殲滅した功績により、つい先日に列席を認められた“新入り”だ。
 キングス・デイとバレッジ・ファミリーは表向きでは休戦状態ではあるのだが、仏伊の国境付近を中心に末端同士の争いは散発的に起きている――“チンピラ集団の揉め事”という暗黙の建前で。

 兄レストルの“不可視・不定形の刃を自在に操る超力”は、極めて不条理な軌道の斬撃によってあらゆる物質を切り裂く。
 弟ボルクスの“指先から超高速のエネルギー弾を射出する超力”は、その凄まじい衝撃と熱量によって巨砲に等しい破壊力を発揮する。

 仏伊国境の抗争において、ラッタンロイド兄弟はその恐るべき超力によって猛威を振るった。
 屋内や壁面の裏側――全く別々の位置に身を隠していたギャング達が、ほぼ同時に四肢を切断された。
 遠方から応援に駆けつけたギャング達が、超高速で放たれた砲撃によって肉片すら残さず消し飛ばされた。

 たった二人でギャング集団を殲滅したラッタンロイド兄弟――その脅威はキングス・デイの下部組織から高く評価された。
 やがて兄弟は下部組織からの推薦を受け、キングス・デイ幹部からのお墨付きを得て“有望株の新参”として“王の子供達”に加わったのだ。


「――――つッッまんねえなァァァァ!!!!!」


 弟ボルクスはいま、血反吐をぶち撒けながら地面に蹲っていた。
 その腹部に靴の爪先を何度も叩き込まれて、成す術もなく転がされている。

「こんなモンかよッ!!!ラッタンロイド兄弟!!!」

 そこは、豪勢なホテルを思わせる“高級娼館”のエントランス。
 数多の家具や内装が激戦によって破壊され、巻き込まれたスタッフや娼婦の死体が床に転がっている。
 ――蹲るボルクスは幾度も蹴られて、受付のカウンターにその身を叩きつけられる。

「何逃げようとしてんだよ三下かァ!!?
 お前らチンピラかよもっと楽しめよォ!!!
 拍子抜けだよホントにさァァーーーッ!!!」

 その相手は、中性的な風貌の少女だった。
 弟ボルクスを幾度も蹴り飛ばして、獰猛な笑みを浮かべながら吼えていた。

67番外編:ストレイ・キャッツ ◆A3H952TnBk:2026/03/31(火) 21:11:49 ID:HNlJIdGg0

「がっかりッ!!!させんなよッ!!!
 楽しくないじゃん!!?私がさあ!!!
 もっと粘れよなあッ!!?ねえッ!!!
 見せろよ!!!根性!!!ってヤツ!!!」

 這いずりながら必死に逃げようとする弟ボルクス。
 そんな彼の頭を右足の靴底でガッと踏みつけて、少女は荒々しく捲し立てる。

 悶え苦しむボルクスを見下ろしてから――少女は勢いよく足を振り上げる。
 伏せるボルクスへと爪先を叩き込んで、その身をボールのように蹴り飛ばしたのだ。


「キシシシシシッ――――!!!」


 その少女は、獰猛だった。
 その少女は、戦闘狂だった。
 ――――“狂犬”、内藤 四葉である。

 ただの腕試し感覚で兄弟の縄張りへと踏み込み、彼らへと襲撃を仕掛けたのだ。
 その理不尽なる暴力を行使して、四葉は兄弟を追い込んだのである。

「このッ、アマがぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!」

 蹴り飛ばされた弟ボルクスと入れ替わるように、重傷の兄レストルが四葉の視界の端から叫んだ。
 そして――――周囲一帯の壁面や床が、突如として次々に引き裂かれていく。
 不可視・不定形の刃を自由自在に操る超力。レストルは無数の鎌鼬を発生させ、四葉へと向けて殺到させたのだ。

 あらゆるものを断ち切る凶刃が、激しい勢いと共に迫る中。
 四葉はニィと笑みを浮かべて、兄レストルをその眼で捉える。
 獲物を見つけたか獣のような表情を前にして、レストルは思わず怯み――――。


「遊ぼうぜぇ。お兄ちゃん」
 

 そして、四葉の周囲に“甲冑の騎士達”が出現する。
 彼らは縦横無尽に武具を振るい、迫り来る不可視の刃を全て凌ぎ切った。
 ――――“quatre chevalier(四人の騎士)”。4体の甲冑騎士を使役する、四葉の超力である。

 自らの超力が凌がれる様を目の当たりにし、レストルが目を見開いた直後。
 瞬きの間に、その視界が影に覆われる。
 四葉が地を蹴り、一瞬で距離を詰めてきたのだ。

 その凄まじい瞬発力に対し、防御も回避も間に合わず。
 レストルの顔面に、突進する四葉の膝蹴りが叩き込まれた。




68番外編:ストレイ・キャッツ ◆A3H952TnBk:2026/03/31(火) 21:12:37 ID:HNlJIdGg0



 とあるスラムの酒場。
 埃の匂いが漂う木造の内装。仄暗い照明しか灯されていない店内は、窓から射す陽の光によって照らされている。
 店内に並べられた複数のテーブル席には、“ならず者”達が雁首を揃えて座っている。
 ある者達はポーカーでの博打に勤しみ、ある者達は犯罪自慢で盛り上がり――。
 その如何わしさも相俟って、どこか西部劇のサルーンのような雰囲気を漂わせていた。

 そんな酒場の奥のカウンター席に、一人の男が腰掛けていた。
 長い黒髪を束ねた男は誰ともつるまず、端の席で黙々と炭酸水を飲んでいる。
 男は酒の一滴も頼まず、堂々とグラスを片手に鎮座していた。

 やがて男は僅かに視線を動かし、カウンター席へと座った“もう一人の客”を見る。
 自分から見て“二席飛ばしの位置”に座っていたのは、中性的な外見の少女だった。
 カウンターに座るのは、男と少女だけだった。少女はわざわざ男と距離を取って腰掛けていた。

「コーラ、コーラ!プリーズ!」

 少女は不慣れな片言の英語を話しながら、恥ずかしげもなく身ぶり手ぶりで意思疎通を図る。
 怪訝そうな表情を浮かべるカウンター越しの店主は、いかにも嫌々そうな態度で瓶詰めのコーラを差し出した。

「オーケーオーケー!」

 親指を突き立ててグッドサイン。
 人懐っこい態度で振る舞う少女だったが、やがて端の席へと座る男へと視線を向ける。
 
「――おにーさん!久しぶりぃ!」

 少女――――内藤 四葉は、ニカッと笑った。
 先ほどまでの英語とは違い、母語の日本語で喋っている。
 片手を上げて気さくに挨拶する四葉に対し、男はやれやれと言った態度を見せる。

「相変わらず下手だな。お前の英語」
「おにーさんは上手だよね。日本語」
「どういう訳だかな」

 そう答える男はアジア系の顔立ちだったが、己が何処の国で生まれ育ったのかも覚えていなかった。
 彼は“出自の記憶”を忘却して久しい――“常に十全の精神状態を保ち続ける超力”の効果によって、過去の残滓は不要であると切り捨てられたからだ。
 今の彼は死闘に明け暮れる修羅の武人である。闘争こそが我が道であると定めた瞬間から、在りし日の記憶は無用の長物でしかなくなった。

「それと言っておくが」
「んー?」 
「“無銘”だ。今の俺はその名で通してる」
「ムメー?」

 その男は改めて、自らをそう名乗る。
 名も無き者、過去を失った男。
 故に“無銘”――彼は己をそのように規定する。

69番外編:ストレイ・キャッツ ◆A3H952TnBk:2026/03/31(火) 21:13:44 ID:HNlJIdGg0

「変なの」
「他に良い呼び名が浮かばなかったんでな」
「タローとかはどう?」
「自分の飼い犬にでも付けてやれ」

 そんな無銘に対し、四葉は相変わらず緩い態度を崩さず。
 何処か間の抜けた遣り取りを交わした後、やがて四葉がふいに話を切り出した。

「こないだラッタンロイド兄弟ぶっ潰したんだけど」
「いきなりだな。“牧師”の縄張りを荒らしたのか?」
「そゆこと。弱くは無かったけどさぁ、なんかちげーってなった。
 私に負けそうになったらビビって逃げようとしたんだよ?マジありえねーわ」

 そう言いながら四葉は、憂さ晴らしのようにコーラ瓶をくぴくぴと飲む。
 ほんの数日前、四葉は“キングス・デイ”の縄張りに踏み込んだ。
 そのまま腕試し感覚でラッタンロイド兄弟へと強襲を仕掛け、彼らを戦闘の末に殺害したのである。

「“王の子供達”、こんなんかよって感じ」
「奴らは新参者と聞いてる。獄中の“牧師”を通さずに名を連ねた連中は、幾らか質が落ちるそうだ」
「なぁんだ。あいつら狙ってがっかりだわ」

 そんな四葉の言動からは、露骨な不満が滲み出ている。
 丁度いい遊び相手を求めていた彼女にとって、かの兄弟は“期待外れ”だった。

 そもそも“王の子供達”は単純な戦闘力以上に組織への貢献や実績、あるいは超力の潜在性で選ばれる。
 彼らの実力にバラつきがあるのは当然のことだった。

「ま……つまんねーってなって、そのへんほっつき歩いてたんだけどさあ。
 そしたら“近場に変な喧嘩士がいる”って噂?聞いて?英語でよくわかんなかったけど。
 なんとなく思い当たるフシあって、探してみたら――」

 不満げな表情でぼやいていた四葉だったが、次第にニヤッとご機嫌な笑みへと変わっていく。
 そうして四葉は、無銘をビシッと指差した。

「おにーさんがいたってワケ」
「無銘だ。おにーさんはやめろ」
「むめーさん」
「間を取ったみたいな言い方だな」

 やれやれと、再び呆れたようにぼやく無銘。
 四葉とは以前も遭遇したことがある。奔放で気まぐれな野犬だった。
 久しぶりの再会ではあったが、出会った当初とまるで変わらない馴れ馴れしさである。

 そう、変わらない。
 ――――“あの時”と全く変わらないのだ。
 無銘はそのことを、確信するように悟る。


 そして、その瞬間。
 二人の会話が、唐突に断ち切られる。


 沈黙。酒場の喧騒に、呼吸が沈む。
 視線が交錯し、その眼差しが絡み合う。
 警戒。敵意。闘志――――。
 互いの瞳孔の奥底に、意思が籠る。

70番外編:ストレイ・キャッツ ◆A3H952TnBk:2026/03/31(火) 21:14:52 ID:HNlJIdGg0

 かちり、かちり、かちり。
 喧騒の間で、時計の針が静かに動く。
 かちり、かちり、かちり。
 壁に掛けられた古時計が、時を刻む。
 かちり、かちり、かちり。
 短針が進むたびに、緊迫が高まる。


「で、聞かせて貰いたいのだが――――」


 やがて無銘が、口を開いた。
 まるで火蓋を切るかのように。



「――――なぜ“二席開けて”座った?」
「そっちのが間合い取りやすいから」



 四葉が椅子から降りた、その瞬間。
 彼女の傍から姿を現すように、白銀の甲冑が躍り出た。
 長剣を振るう“ランスロット”が、鋭利な刀身で無銘の頭部をかち割るべく迫った。

 振り下ろされる長剣がその脳天を捉える寸前――無銘の姿が消え、刃は虚空を切る。
 無銘は瞬時に仰向けの姿勢となり、椅子から床へと滑り落ちるように斬撃を回避。
 そのままスライディングの状態からバネのように身体を跳ね上がらせ、二席分の間合いを瞬時に詰めた。


「やはり、そういうことだろうと思った」
「キシシシッ――話が早いねぇ、無銘さん」
 
 
 手刀の構えを取った無銘の指先が、四葉の首筋へと突きつけられる。
 ほぼ同時に、長槍と斧槍をそれぞれ構えた二体の甲冑が無銘へと切っ先を向ける。
 冷静沈着な眼差しと、獰猛なる笑み。それぞれ対照的な表情を張り付けながら、滾る闘志によって通じ合う。

 ラッタンロイド兄弟は期待外れだった。
 故に四葉は“口直しの相手”を求めていた。
 そんな矢先に、無銘がいるという噂を聞きつけた。
 極上の獲物に、食い付かない筈が無かったのだ。

 そして、二人は同時に動き出した。
 死闘の火蓋を切った――――のではない。
 突如として酒場に響き渡ったのは、銃声の嵐。
 テーブル席に座っていたならず者達が拳銃を取り出し、四葉と無銘へ向けて銃弾を次々に放ったのだ。

71番外編:ストレイ・キャッツ ◆A3H952TnBk:2026/03/31(火) 21:15:49 ID:HNlJIdGg0

 四葉は咄嗟に甲冑達を盾にし、その斬撃で銃弾の雨を弾いていく。
 無銘もすぐさま甲冑達の後方へと滑り込み、彼らを壁にして銃弾を遮る。

「無銘さーん!!うちの子たち盾にしないでよねぇ!?」
「一番手っ取り早かったんでな。おかげで助かった」

 文句を吐く四葉に対し、無銘は何てこともなしに飄々と返す。
 へハッと四葉は苦笑するような表情を浮かべつつ、銃弾を放ったならず者達へと無銘と共に視線を向ける。
 馬鹿野郎ども、俺まで蜂の巣にする気か――とカウンターの下に隠れた店主が悪態をついていた。

「無銘さんさぁ、誰かに恨まれるような覚えとかってある?」
「色々と修羅場は越えてきたんでな。恨みは買ってるかもしれんし、首に賞金くらいは懸けられてるかもしれん」
「奇遇だね。私も一緒だわ」

 恐らくは“超力による戦闘”を始めたことで、自分達が何者であるのかに気付いたのだろうと。
 四葉と無銘は互いに理解しつつ、眼前のならず者達を見据えた。

 彼らの殆どは“西部劇の荒くれ共”のように、その手に拳銃を握り締めていた。
 いかに開闢以後の新人類と言えど、大口径の火器による銃撃は十分な脅威となる。
 数多の銃口が野犬二人へと向けられる。凶暴なる殺意が、鉄の風穴を通して突きつけられる。

 されど四葉も無銘も、悠々とその場に立ち続けている。
 無数の敵意を目の当たりにしてもなお、彼らの佇まいからは余裕が滲み出ている。
 やがて二人はほんの一瞬、視線を交錯させて――互いの意思を確認した。

 
「――――潰すか」
「――――同感だ」


 二人の戦闘狂は、傲岸に笑った。
 そして、再び襲い来る弾丸を前にして。
 床を勢いよく蹴り、同時に駆け出した。




72番外編:ストレイ・キャッツ ◆A3H952TnBk:2026/03/31(火) 21:16:35 ID:HNlJIdGg0



 夕焼けの光が差す、スラムの路地裏。
 廃材や塵が転がる、場末の通り道。
 まるで町の影に溶け込むように。
 二人の戦闘狂が、悠々と走り抜けていく。

「弱っええなぁぁ〜〜〜〜!!なんなのアイツら?あんなんで犯罪自慢とかしてたのかよぅ」
「弱い犬ほどよく吠えるという奴だ。所詮は三下の集まりだったな」

 拍子抜けと言わんばかりの態度で、四葉はぶうたれていた。
 そんな四葉の隣で、無銘は淡々と同意の言葉を述べる。
 掛け合いをする二人の身体には、傷一つ刻まれていなかった。

 酒場での交戦は、もはや一方的な蹂躙に等しかった。
 甲冑騎士達が銃弾を弾きながら、四葉がならず者達を次々に叩きのめした。
 臆しながら銃を構える三下共を、無銘が柔術によって次々に沈めていった。
 場数が違う。練度が違う。悪童としての格がまるで違う。

 そうして二人は酒場の襲撃を制し、騒ぎが大きくなる前にせっせと逃げ果せたのである。
 これ以上は追っ手が来るかもしれない。雑魚どもを相手にいつまでも遊ぶのは気が乗らなかった。

「どーする?この後やり合う?」
「いや、今は気が乗らん」
「えー。やろうよぉ無銘さーん」

 二人は路地裏の道を駆けながら、そんな遣り取りを交わす。
 四葉からすれば不完全燃焼もいいところ。このまま是非とも無銘と一戦を始めたい所だったが。

「俺はそれより腹が減った。腹が減っては戦はできぬ、だろう?」

 無銘からそんなことを言われて、四葉はきょとんとした顔になる。
 それから四葉は、自分の胃袋へと問い合わせる――ぐぅぅ、と答えが返ってきた。

「ま、それも確かに」

 腹を空かせているのは同感だった。
 故に四葉は“休戦協定”を承諾。
 今は腹ごしらえを優先することにした。

「ねえ無銘さん、メシ食えるとこ知ってる?」
「生憎だが知らん。成り行き任せだ」
「いい加減だなぁ。てか何食いたい?」
「当然、肉しかないだろう」
「だよね!肉!肉!」

 気楽な遣り取りを交わしながら、野良犬達は気まぐれに駆け抜けていく。
 背負う悪徳も、彼らにとっては何処吹く風だった。
 ただ己が欲望に従い、己が渇望のままに生き続ける――最期の時まで。
 彼らは紛れもなく悪童だった。




73名無しの囚人:2026/03/31(火) 21:17:16 ID:HNlJIdGg0
投下終了です。

74 ◆8vsrNo4uC6:2026/04/15(水) 17:20:03 ID:cAx2Raqo0
番外編、投下します。

75アビス、かつての/猛毒 ◆8vsrNo4uC6:2026/04/15(水) 17:20:40 ID:cAx2Raqo0
 早朝6時半。
 囚人たちの檻が開錠される時間。
 アビス中庭の人工太陽が、灯りを少しずつ取り戻す頃。

『マジかよ……』
『酷いな』
『こうなっちまうとは』

 ある独房の入り口に、囚人、看守を問わない人の群れができていた。
 中にはオルドロス=ティガードの死体。
 全身が湿疹で覆われ、口から泡を吹き倒れていた。

 彼の傍に落ちていたジャムサンドを、検屍担当の係が調べていた。
 その場で結果が出、房の中にいた刑務官同士が目配せする。
 ジャムサンドには、彼の食事では普段抜かれているはずのアレルギー成分が入っていた。

 囚人の野次馬は、看守の制止も効かずどんどん増えていた。
 タイガーファングのボスの死。
 キングス・デイに及ばずとも、アビスの内外で脅威を振るっていたはずの組織のボス。
 ギャングの首領として策謀を巡らせていたとはいえ、本来なら今日、模範囚として出所するはずだった。

 その死は、アビス内でゴシップのネタになるには充分だった。

「………」
 ティガードの死体を見に集まってきた囚人たちの群れ。
 その中に、エネリット=サンス・ハルトナはいた。
 男の亡骸を見ながら、ポケットの中のコインを手で弄っていた。





76アビス、かつての/猛毒 ◆8vsrNo4uC6:2026/04/15(水) 17:21:15 ID:cAx2Raqo0




 ティガードが死亡する前日、エネリットは彼と会っていた。

「ティガードさん」

 昼食を終えた13時。
 囚人たちが休憩時間、各々の時間を過ごす共用広間。
 そこで一人チェスをやっていたティガードに、エネリットは声をかける。
「……あぁ、君か」
 ティガードはエネリットを見上げると、にこやかにコインを差し出すその様に肩をすくめる。 
「付き合ってくれませんか?」
「やれやれ。我が一族のコインを遊びの誘いに使うなんて、君ぐらいのものだ」
 満更でもない風を見せると、ティガードはエネリットを隣の席に座らせ、チェス盤を彼に向けた。

 かつて面会で顔を合わせた後、エネリットはコインを使いティガードに度々会うようになった。
 様々な大人の思惑が渦巻くアビスの内情を教わる事もあれば、必要なものの融通、あるいはただの遊び相手として彼に会うことも多かった。
 ティガード個人としては、一族の財産を渡したことで子供の遊びに付き合わされるのは計算外だったがーー彼自身もエネリットと接することで満更でもない思いを抱いた。
 実際、彼も肩の力を抜き付き合える友人が欲しかったのだろう。
 ティガードは、子供がやっても問題ない健全な範囲での遊びを教え、エネリットもそれに応えた。

「出所、おめでとうございます」
 駒を交互に動かし合いながら、話す。
「ありがとう。結局君をうちに雇えなかったのが、この刑務生活で一番のミスだ」
 盤面に駒を置く。
「生憎、僕はここでやりたい事があるので」
「『復讐』かい?」
エネリットの手が止まる。
「……ええ」

彼の手が止まったのはそれきりだった。
再び駒が交錯する。
「まぁ、君のやりたい事だ。否定はしないさ」

77アビス、かつての/猛毒 ◆8vsrNo4uC6:2026/04/15(水) 17:21:55 ID:cAx2Raqo0
盤面のお互いの駒が、少しずつ討ち取られていく。
ティガードは倒したエネリットの駒を墓場まで持っていく。
「だが、今はヴァイスマンがここを見張っている。アビスの構造上の問題や、システムAも脅威だがーー彼の目の届かぬことで、よからぬ事をするのは不可能に近いよ。私とその仲間も、ヴァイスマンのせいで大っぴらに動けなくなったしね」
「それでも、やりたいんです」
 エネリットのポーンの駒が進む。
「そうか、まぁ……」
 ティガードがルークの駒を動かす。
「私個人としては、前途有望な君を外に出してあげたかったがね」
「……ティガードさん」
「『復讐』、立派な目標で大いに結構。だが、これは個人的な一人の大人としての意見だがーー『復讐』だけをただ一つの人生の軸とするのは危うい。ーー君はまだ若い。仮に『復讐』を何某かの形で終えたとして、それ以外の軸も持っていた方がいい」
「ふふ。つまりティガードさんのような、チェスができる友達をもっと持てという事ですか?」
「それもある意味では合ってるが……照れちゃうなぁ」

 気づけば、エネリットのポーンが相手のキングを捉えていた。
「チェックメイトです」
 
 ティガードは目を丸く、少し遅れて笑った。
「……ははっ。チェス、上手くなったねぇ」
「あなたに鍛えられたもので」
「ギャングのボス相手に接待せず、本気で倒すとはいけない子だ」
 エネリットは目を伏せ、微笑む。
「貴方自身、接待など望んでいないはずです。本気の相手と戦うのがお好きなようだから。ーー何より、僕もあなたと競うのが凄く楽しい」
 ティガードは満更でもない風に口を緩ませた。
「さすがアビスの申し子。……人をたらすのが、本当に上手いねぇ」

78アビス、かつての◇猛毒 ◆8vsrNo4uC6:2026/04/15(水) 17:22:50 ID:cAx2Raqo0
 チェス盤を片付けた後、二人でだらだらと話した。
「ティガードさんはこの後、面会に呼ばれているんでしたっけ。誰ですか?」
「ルーサー=キングだよ。昨日、『14時に話したい事がある』と言伝をもらってね。君もキングの名前ぐらいは聞いてるだろう?」
「ええ、知っています。恐ろしい方ですよねーー大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。ちゃちゃっと片付けてやるさ」
 ティガードのウィンクに、エネリットは微笑んだ。

「ーーティガードさん。出所したら、何をしたいですか?」
「まぁ、やりたい事は色々あるがーー」
 ティガードは腕を組み、唸る。
「当面は組織の立て直しに追われるだろうなぁ。キングス・デイに一矢報いるまでに、相当忙しくなるだろう」
「やりたい事も、しばらくはできないんですか?」
「まぁそうなるだろうが、真っ先にやりたい事はーー」
 ティガードは目を細める。

「故郷の一族の墓に行って、花を供えたい」

 ふいに、彼がここではない遠くを見ているようにエネリットは思った。



「ーー一族で最後に生き残った僕だけが、それができるから」

 ティガードは、ぼやくように言った。




79アビス、かつての/猛毒 ◆8vsrNo4uC6:2026/04/15(水) 17:23:27 ID:cAx2Raqo0



 14時。

 暖色の電気が灯っているはずの特別面会室は、何故だか凍え、荒涼とした空気を帯びていた。

 ティガードが部屋に入ると、先に待っていたルーサー・キングがテーブルの向かいから穏やかに微笑んだ。
 ティガードも強張った笑みで微笑み返す。
 テーブルには、キングが用意したと思しき上等な紅茶と、粉砂糖を振った四角い揚げ菓子があった。

「呼び出しに応じてくれてありがとう、オルドロス=ティガード。そして、出所おめでとう。しがな一組織の長として、君を歓迎しよう」
「ああ。……ルーサー=キング」
「娑婆にいた頃の君のネオス、大層困ったよ。君がでかい魔獣になっちまえば、どんな鋭利で頑強な鉄もぶ厚い皮膚で立ち所に弾かれる。あれには手を焼いたさ」

 ティガードは椅子に座り、キングと向かい合った。

「この揚げ菓子は一体?」
「うちの傘下から抜け出した奴がベーカリーを開いてな。ベニエって言うんだ。目玉商品らしい」
「へぇ」
「俺の故郷とも所縁のある菓子でもあるから、紹介したかった。まぁ、自由に食ってくれ」
 ティガードは笑みで返すが、ベニエに手は出さなかった。
「先に、貴方のお話を聞かせてくれるかい?なぜ、私を呼んだのかな」
「まぁな……頼み事があるんだ」
 キングは目を細める。重たい空気が部屋を支配する。
「先んじて言っておくが、これから言うお願いを聞いてくれれば、タイガーファングの活動の邪魔はしない。
 俺達の縄張りに少々悪さをされても大目に見よう。その上での、お願いだ」
「……へぇ」

80アビス、かつての/猛毒 ◆8vsrNo4uC6:2026/04/15(水) 17:23:58 ID:cAx2Raqo0

 キングは一呼吸置き、言った。
「二、三消して欲しい奴らが、娑婆にいる。俺じゃ手を出せない奴らを、君に始末してもらいたい」

 ティガードは目を細める。
「……それは、絶対にやらなければいけない事かい?」
「強制というより、懇願だ。俺はこの通り檻に入れられていてな。中々外へ手が出せないんだ」
「君の申し出を受け入れたとして、メリットはあるのか?言っておくが、『君から我々に手は出さない』以上のものだ」
「そうだな……報酬は多く用意する。金や土地だけでない、一人ずつ消すたびに相応の物を手配しよう」
「私に頼む理由は?」
「君がこれから出所するのもある。だが、君がアビスに入れられてなお、タイガーファングは今日に至るまで組織として滞りなく活動できた。それを見越してのお願いだ」
「……そうか」
 ティガードは目を細めた。

 キングは肩をすくめる。眉の位置が変わる。
「それで、受けてくれるのかい?もし了承してくれるなら、前金として早速報酬を用意したい」
 ティガードは俯き、しばらく無言でいた。

 唐突に、ティガードが大口を開けて笑い出した。

「そうかそうか!キングさんはそれがお好みかっ。いいだろう、私の組織なら造作もないことだ。闇の帝王のお望みなら、邪魔者など始末してご覧に入れよう」

 キングは表情を変えず、身じろぎもせずただティガードを見ていた。
 彼はからからと笑っていた。
 しばらくの間、そうしていた。

81アビス、かつての/猛毒 ◆8vsrNo4uC6:2026/04/15(水) 17:24:32 ID:cAx2Raqo0

 ふいにティガードの頭だけが、ぐにゃり、と変な方向に向き、その状態でキングを見た。

「……なんて言うと、思ったか?」


 ティガードは奇妙な頭の向きで、狂気めいた眼差しでキングを見た。

「はっきり言おう。ノーだ。断じて」

 キングは表情を変えず、男の話をただ聞く。
「貴様に一族郎党を惨殺された恨みを覚えていないとでも?
 キングス・デイから略奪を受けた我が部下達も同様だ。薄汚い老いぼれが。
 神話の時代から積み上げてきた我が一族の輝きと、ぽっと出の貴様の下らない取引など、比べるに値しない」
 ティガードが異様な姿勢でキングを睨みつける様は、中世の寓話に出てくる怪物のようだった。
「ルーサー=キング。言っておくが私が出所すれば貴様はもう手が出せない。
 娑婆に出たら欧州中の部下をかき集めキングス・デイを潰してやる。
 我が優秀な構成員たちの総力を上げて、だ。お前が本物の太陽を見れる日など二度とない。
 おまえは獄中で野垂れ死んでーー」

 その時。
 ルーサー=キングが怪物めいた面持ちのティガードと目を合わせた。

 キングはゆっくりと口元を釣り上げる。
 相手に合わせたその黒目は、どこまでも深い闇を湛えていた。

「ーーッ、」

 ティガードはその眼差しを見、正気に帰る。
 多弁だったその口を咄嗟に閉じる。

82アビス、かつての/猛毒 ◆8vsrNo4uC6:2026/04/15(水) 17:25:03 ID:cAx2Raqo0

「そうかそうか」

 キングは、やれやれと言った面持ちで息を吐く。
「受けてくれないか。ーーだが、おかしいな……」
 目を細め、低い言葉で喋る。
「……何がだ」
 ふいに黙らされたティガードが、虚勢を張ろうと発した言葉はこれが精一杯だった。
 キングは口を開く。
「なぁ、お前さん。ランド=ラゴを知っているか?」

 ランド=ラゴ。
 組織の規律を乱すため手を焼いていた男。
 エネリットにより両脚を失い、医療房へ送られたきり消息が途絶えたはずだ。
「……どうしてここでラゴの名が出る?」
「あいつに義足をくれてやったら、大層喜んでくれたんだ」
 怒りと戦慄を堪えるティガードに対し、キングは肩の力を抜き話す。
「そしたらあいつ、お前さんの愚痴をペラペラと喋ってくれた。
 てめえの今の話だと、タイガーファングは組織内での結束が随分強いようだが……ラゴの話は信じられねぇな」
「貴様……」
 ティガードの怒りと戦慄の感情に、焦燥の色が混じる。
「所でお前さん、人には言えない弱みがあるんだって?信頼が厚い家来とやらにも話していない、な」
「貴様がそれを持ち出した所で、私の答えは変わらない。残念だったな、牧師。時間の浪費だ」
 ティガードは歯軋りしながらキングを睨む。
「そうか」
「私は帰らせてもらーー」
「食わないのかい?」

 黒い指がテーブルのベニエを指す。

「食ってくれないのかい?」
「……」
「ベニエ。なぁ」
「……」

 ティガードは、返事もできずに身を強張らせた。
「俺は遅めの昼飯を食べてな、腹一杯なんだ。貧乏育ちだから、無駄にしたくねぇんだよ」
 キングは楽しげな笑みを浮かべる。
「獰猛な魔獣に変化するティガード坊やは、ベニエ如きで怯むのかい?」

83アビス、かつての/猛毒 ◆8vsrNo4uC6:2026/04/15(水) 17:25:42 ID:cAx2Raqo0

 ティガードは、返事もできずに身を強張らせた。
「俺は遅めの昼飯を食べてな、腹一杯なんだ。貧乏育ちだから、無駄にしたくねぇんだよ」
 キングは楽しげな笑みを浮かべる。
「獰猛な魔獣に変化するティガード坊やは、ベニエ如きで怯むのかい?」

 ティガードは、何も言えなかった。
 アレを食べたら自分は死ぬだろう。
 食べる必要性も、どこにもない。
 無理やり突っぱねて部屋を去れば、食べずに済む。

 だが。
 そうはできなかった。

 テーブルの皿を強引に奪い、皿に乗ったベニエに齧り付く。
 粉砂糖で口が汚れるのも構わず、品のない食べ方で貪り、咀嚼する。
 キングの方に意識は向かなかった。向けたくなかった。
 飲み込む。
 荒い息を深呼吸で抑え、無理やり落ち着かせる。
 ーー身体に異常はない。

 ひどく惨めな気持ちになるのを誤魔化し、ティガードは血走った目でキングを睨む。
 キングは肩を竦め、笑いを堪えていた。 
「よかったよかった。がっつく程うめぇか」
 そして続ける。
「アレルギーフリーなんだとさ、そのベニエ。そんな物は食ったことねぇからどういうモンか半信半疑だったが……気に入ってくれたみたいでよかったぜ」
「……ふざけるな」
「あ?」

 刹那、ティガードの身が獣のように跳び上がり、キングの頬を思い切り殴りつける。
 椅子が音を立てて倒れる。
 キングの身体は宙に吹き飛び、壁際に背を打ちつけた。

 キングが頬をさすっているとティガードが接近し、キングの胸ぐらを掴んだ。
「殴る事はねぇじゃねぇか……」
「ーー驕るなよ、黒い猿が」
「なんだと?」

「おまえは仮初の猿山でボスになったように気取っている。だがそれだけだ。
 そんな物、次々とやってくる新しい猿が簡単に打ち砕く。
 おまえはそこから目を背けて無理やり流れを堰き止めているだけの老害だ。
 王を気取っていられるのはいまのうちだーー」

84アビス、かつての/猛毒 ◆8vsrNo4uC6:2026/04/15(水) 17:26:13 ID:cAx2Raqo0
 ティガードは歯茎を剥き出し、瞳孔の開き切った目でキングだけを見ていた。
「いつか必ず、おまえのプライドも、尊厳も、何もかもずたずたにずる奴が現れる。
 それまでせいぜいこの檻で余生を過ごすんだな。
 時代の流れについていけない哀れな老いぼれが」
 キングは胸ぐらを掴まれれたまま、表情を変えずティガードを見た。
「ーーそいつが、てめえだと言いたいのか?」
「まだ喋るか?次は目を狙ってやる」
「無理言うな。明日は出所の日だろう?」
「………ッッ」
「ーー侮るんじゃねぇ。てめえも所詮、檻に入ったただの猫なんだよ」
 キングは不利な立場にも関わらず乾いた笑いを上げる。
 ティガードはこれ以上何も言わなかった。
 ただキングを睨みつけ、視線を外し、歯軋りしながら俯き、何も言わず身を震わせる。
 しばらくそうしていたがーーぞんざいにキングの襟首を放り出し、立ち上がって彼に背を向けた。

 ティガードは、よろめきながらドアへ歩いてゆく。

「ティガード坊や」
 壁によりかかったままのキングが相手に呼びかける。
 ティガードは、何も言わない。
「出所、おめでとう。俺を殴った事は不問にしてやる。
 大丈夫、俺は何もしやしねぇさ。
 出所まで、好きなことをして過ごすといい」
 ティガードは相手の話を聞いていないのか、振り向かず、ドアを開けた。

「ーーあばよ」
 キングは言った。





85アビス、かつての/猛毒 ◆8vsrNo4uC6:2026/04/15(水) 17:26:43 ID:cAx2Raqo0




 夕方、共用広間でエネリットが見かけたティガードの姿は、ひどくやつれていた。
「ティガード、さ……」
 エネリットの呼びかけにティガードは応じずに通り過ぎる。
 広間の奥の廊下へ向かうその後ろ姿は、幽霊に取り憑かれた亡者のようだった。
「……ティガードさん」
 エネリットは彼を見て察した。
 ティガードもまたキングに生命を吸い取られたのだと。
 キングが収監された年数はまだ浅い。
 だが、彼に目をつけられあるいは抗った者たちは、エネリットの知る限り全てが人生を奪われた。
 殆どが幽鬼のようになった。今のティガードのように。
「……あなたも、ダメだったんですね」
 せめてその様をこれ以上見ないようにと、その場を離れようとした。
 だがその時、遠くにいたティガードの方から振り向いた。
 エネリットは怪訝な顔をする。
「……?」

 ティガードはエネリットに向け、微笑んだ。

 申し訳ないような、何か大きな失敗をしたような、なんとも言えない笑顔だった。
 しかしその根底には、エネリットへの感謝がかすかに、だが確かに存在していた。
 しばらくそうしていたティガードは、再びエネリットに背を向け、その場を去った。

「……ティガード、さん」

 エネリットはその場に取り残され、ただ立ち尽くしていた。


 エネリットが俯き、踵を返そうとした時、

86アビス、かつての/猛毒 ◆8vsrNo4uC6:2026/04/15(水) 17:27:21 ID:cAx2Raqo0

「おぉいエネリットっ!」
 唐突に聞き慣れた老婆の声がして、彼は振り向いた。
「……イリアお婆さん?」
「まったくこんな所にいたのかい!探したよっ」
 イリア婆さんが、いつもの調子でぴょこぴょこしていた。
「ごめんなさい。もう、夕飯の時間でしたね」
「そうだよまったくっ。一緒に食べる約束をしたじゃないかっ!」
 小柄なイリア婆さんに、エネリットはついていく。
「そういえば、エネリット」
「?」
「エミルも待ってるんだ。あの子は寂しがり屋だからねぇ、早く行ってあげないと」
「……そうですね」
 この時、エミルはもう亡くなっていた。
 だが、エネリットはそれを持ち出す事はせず、イリア婆さんが進むのに任せた。
「エネリット、エネリット……エネ……」
 イリア婆さんがエネリットを見る。
「……エミル?」
「……ええ。僕はエミルですよ」
エネリットは微笑んだ。








エネリットとイリアは食堂へ行く。
そういえば今日は監獄調理師のオルカンが『急用がある』と休みをとっていた。
夕飯は外の工場から外注したメニューになるだろう。
何が来るんだろうか、とエネリットは思う。

たまにある外からの料理、ジャムサンドが美味いんだよな。
ティガードも、あのジャムサンドが好きだった。
よくわからないが特別な材料を使って、アレルギーの子供でも食べられるようにしているらしい。

食堂に入ると、料理の匂いが鼻をつく。
ティガードはいなかった。
その場にいた看守に聞くと、房に料理を持ち込んだらしい。
『一人になりたい』と。
エネリットは夕方のティガードを思い出し、『そういう時もあるよな』と納得した。

今日できなかったティガードへのお祝いは、明日しよう。
だが、そんな事は永遠にできない確信もどこかであった。
踏み込んではいけない部分に土足で上がり込むほど、エネリットは遠慮を知らないわけではない。
明日どうなろうと、『そういうものだ』と割り切るしかないのだ。



エネリットは、今までそうやって生きてきたのだから。

87アビス、かつての/猛毒 ◆8vsrNo4uC6:2026/04/15(水) 17:27:54 ID:cAx2Raqo0
投下終了です

88アビス、かつての/浪漫 ◆8vsrNo4uC6:2026/04/18(土) 17:33:51 ID:4FuLs/xE0
投下します

89アビス、かつての/浪漫 ◆8vsrNo4uC6:2026/04/18(土) 17:34:30 ID:4FuLs/xE0
 図書室。
 まだ幼い頃のエネリットとエミルは、星座の図鑑を広げ見ていた。
 使い古してボロボロになった小さなその本は、エミルの父親が買ってくれたらしかった。


「星ってね、空気が澄んだ時にはすごく綺麗に見えるんだ」

「パパとママとね、星を見に日本に行ったことがあるんだ。
 そしたらすごくきれいでさ。天の川も、流れ星も見たんだよ」

「ねぇねぇエネリット」

「星って、等級っていうのがあるんだよ。
 一等星が一番明るくて、数が大きいほど見つけるのが大変なの。
 六等星を見つけられる人は、すごい目がいいんだろうね」

「出所したら、一緒に星を見に行こうね。エネリット」

「あっ……でも、その時にはどっちもおじいちゃんかぁ」




90アビス、かつての/浪漫 ◆8vsrNo4uC6:2026/04/18(土) 17:35:08 ID:4FuLs/xE0



 はにかむエミルの話を、エネリットは穏やかに聞いていた。
「エミルは博識ですね。星空博士だ」
「えへへ」

 物心つく前に監獄に入れられたエネリットは、星空の知識はあっても、実際にどういうものかはわからない。
 最近アビスに入れられ、友達となったエミルに、彼の好きな星空の事を色々教わっていた。

「エネリットは優しいから、僕の話をたくさん聞いてくれて嬉しいなぁ。ありがとうね」


 彼がまだ幼い当時、罪を犯したネイティブの子供たちがアビスに少しずつ入り始めていた。
 荒んだ環境で生きてきた彼らは血気盛んで、頻繁に暴力を振るおうとする者も多かった。
 その中で、平和な村で愛されて育ち、感性が優しいエミルはエネリットも接しやすかった。
 
 最初こそ、エミルは王族のエネリットに対し緊張していた。
 だがエミル自身の元々の人なつこさもあって、二人はいつのまにか打ち解けていた。
 エネリットより4つ上の彼は、お兄さんのような気分になって嬉しかったのもあっただろう。
 

「そういえばエネリット。今日の夕ご飯、カレーなんだって。一緒に食べよ」
「ふふ。エミルが好きなデザート、取っておきますね」
「ありがと」

 凶悪犯とは程遠いエミルが何故アビスに来たのか、エネリットは深く聞いていない。
 不幸な理由でここに来ざるを得なかった者は多くいる。
 それでも、アビスに来ればみな等しく罪を受ける囚人だ。
 今更気にする必要などない。

 エミルが図鑑を閉じるとき、取り出した栞が煌めく。
 華やかな柄が刻まれたものだった。
 エネリットが以前読んだ日本の歴史書、女性が着ていた着物の柄に近かった。
「これは?」
 エネリットは問う。
「これ?日本に行った時、ママが買ってくれたんだ」
「なるほど」
「えへへ。こればっかりはエネリットにもあげないよ」
 エミルはいたずらっぽくくすくすと笑った。

91アビス、かつての/浪漫 ◆8vsrNo4uC6:2026/04/18(土) 17:35:47 ID:4FuLs/xE0

 そんな時、後ろから、音もなく二人に黒い影が差した。
「……?」
 影に気づき、咄嗟に振り向いたのはエネリットだった。
 そこにいたのは、彼が最近仲良くなった氷月蓮だった。
 氷月は二人の背後にいた。
 その目は、エミルの栞をまっすぐ見ていた。
「どうしました?蓮さん」
「……あぁ。驚かせて悪かったね」
 怪訝に思うエネリットに、氷月は申し訳なさそうに肩をすくめる。
 その姿はいつもの穏やかで親しみやすい彼だった。
「星の話か。確かにロマンを感じるね。
 私の故郷も、夜はよく綺麗な星が見えたものだ」
「蓮さんも星がお好きなんですか!?」
 嬉しげに食いつくエミルに、氷月は困ったように笑う。
「残念ながら、君ほど星に熱心ではなかったが……
 ……そうだ。このアビスにまつわる面白い噂を教えてあげよう」
「?」
 疑問に思う少年二人に、氷月は続ける。
「アビスの中庭には人工太陽があるだろう?
 どうやらそれは夜間も動いていて、美しい星空を映すらしい。
 囚人たちは夜は屋内に移動して、それを見る事は叶わないがーー
 もし本当にそうだったら、少し夢が生まれないかい?
 閉塞的な日々の中の数少ない彩りだ」
「すごい……」
 エネリットの隣のエミルが、氷月の話に目を輝かせていた。

「あ、でも……施錠されてるから外には出れないんだよね?」
「それも含めて夢の話、ということさ。まぁ……刑務官のカードキーをなんらかの形で手に入れられたらいけるだろうが、ね……」
 それから氷月はらしくなく、美しい顔でおどけて見せた。
「ま、子供はいい子で寝ていなさい」
「ちぇっ……」
 エミルがしょんぼりする。


 氷月の話を聞いていたエネリットは、今まで出会った囚人たちから得た情報を思い出していた。
 ーーそういえば、自分より前に入れられた囚人で、スリの達人マーカス=ジョンソンという男がいたはず。
 氷月とエミルが盛り上がる横で、エネリットは脳内で彼に接触する計画を組み上げていた。




92アビス、かつての/浪漫 ◆8vsrNo4uC6:2026/04/18(土) 17:36:26 ID:4FuLs/xE0




 トイレで出会ったマーカス老人は痩せ型で、顔にひどく皺のよった黒人だった。
 禿げが進んだ白髪とぼさぼさの無精髭は、黒ドーナツに粉砂糖をまぶしたようでもあった。

 マーカスはエネリットと目を合わせた途端、三白眼をギョロリと向け威嚇してきた。

「なんだ、坊主」

「こっちに来るな。ハルトナの線香の匂いが移るだろ」

「何か言おうたって無駄だからな。俺はクソガキが大嫌いだからだ」

「さっさと帰れ」

 マーカスはそう言い捨てて、トイレの個室にずかずかと遠ざかり、大きな音を立てドアを強く閉めた。






 共用広間で、エネリットはぐったりしていた。
 囚人や看守の中で彼をよく思わない人間はいた。
 だが、自分が口を開かない内に人に拒絶されるのは初めての経験だった。

 ふと、近くを歩いていた氷月がエネリットに気づく。
「お疲れのようだね」
 いつもと違うただならぬ様子を感じたのか、エネリットの隣に座ってそっと労る。
「……オトナって、難しいですね」
「まぁ。自分のせいじゃない難しさも多くある。今は休んで、ゆっくり気持ちを切り替えるんだ」
 氷月はエネリットを慰め、売店で買ったペットボトルを差し出す。
「飴もいるかい?」
「……お願いします」

 そこにパンを大量に買い込んだイリア婆さんが通りかかり、エネリットと氷月を見つける。
「ほいほいエネリットっっ!!」
 ぴょこぴょこと動き近くへやってくる。
「……イリアお婆さん?ごめんなさい、今はちょっと……」
「しょんぼりしてどうしたんだい!あんたらしくないよっ!」
「あぁ、それは……ちょっとマーカスさんと、色々あって」
「……マーカスだって?」
 イリア婆さんがその名前を聞いた途端、一瞬だけ普段の姦しさがなりを潜める。
「……?イリアお婆さん?」
エネリットが怪訝に思った瞬間、彼女の表情はすぐにいつもの活気を取り戻す。
「あんたぁねぇ、子供がオトナの真似なんてできないんだから!!アタシに任せときなさいっ」
「え?いいですよ、そんな……」
「マーカスは気難しいやつさ。コドモがあんまり好きじゃないんだ。アタシが話を付けとくから!あんたは遊んでなさい!」
「でも……」
「大丈夫っ!大人の魅力で悩殺してやるよ」
「……はぁ」
 しわしわの顔でウィンクするイリア婆さんを、エネリットは疑り深い目で見ていた。
 隣の氷月が、ぽん、とエネリットの肩に手を置く。
「まぁ、イリアご婦人がここまで言うんだ。任せようじゃないか」
「……そう、ですね」
 エネリットはあまり期待していなかった。




93アビス、かつての/浪漫 ◆8vsrNo4uC6:2026/04/18(土) 17:37:10 ID:4FuLs/xE0




 その日の奉仕作業は少し楽しかった。
 新しく入ってきた高性能ミシンで、勉強に見せかけ色々遊んだのだ。

 エネリットは、アビス内の囚人向けの売店でクッキーを購入した所だった。
 頭を使ったので、甘いものを口に入れたかった。

 売店を離れた所だった。
 どこからか、プ、プ、とハーモニカの音が聞こえた。
 特徴のあるその響きは、イリア婆さんがよく演奏するモノだった。

「……イリアお婆さん?」
 
 エネリットは好奇心に駆られ、音の方向へ行ってみた。

 廊下の奥、奥へと進む。
 アビス内にたむろする悪どい囚人たちも、この周辺には殆どいない。
 この先は、囚人墓所室。
 獄内で亡くなった囚人たちを偲ぶ部屋。
 生者たちは気味悪がってあまり来ない場所だった。
 ハーモニカの音は、そこから聴こえている。
「……」
 墓所室にたどり着いたエネリットは、入り口から部屋の中をそっと覗いた。

 石造りの広い空間は、圧を伴う冷たい空気に満ちていた。
 その奥で、イリア婆さんは座ってハーモニカを吹いている。
 彼女一人ではなかった。
 その膝に、マーカスの老いた身体が横たわっていた。

 イリア婆さんは普段の騒がしい様子もなく、静かに、ただ淡々とハーモニカを吹く。
 拙いが、その旋律にいつもの明るさはない。
 懐かしさと、どこか悲しさを感じる。
 彼女の膝を枕にしたマーカスは、ただ何も言わずに聴いている。

 二人の側には、死者たちを悼むための簡易的な祭壇がある。
 そこには、どちらかが供えたのか白い花が置かれていた。

 イリア婆さんは目を伏せ、淡々と演奏する。
 やがて、曲が終わる。
 老人マーカスの目から、一筋の涙が溢れた。

「………」
 エネリットは、ただ見ることしかできなかった。

 ふいに、演奏を終えたイリア婆さんがエネリットに静かに顔を向ける。
 そこにいつもの明るさはなく、静謐さを湛えていた。
 エネリットはぴくりと身を震わせ、音を立てぬようにその場を立ち去った。

 いかがわしいものを見たわけではない。
 だが、見てはいけない物を見てしまったような、そんな気持ちだった。




94アビス、かつての/浪漫 ◆8vsrNo4uC6:2026/04/18(土) 17:37:58 ID:4FuLs/xE0




 翌日、エネリットは中庭のベンチに座っていた。
 他のことが手につかず、奉仕作業も失敗続きだった。
 昨日見たあの二人の様子が、頭から離れなかったのだ。

「おい、坊主」

 ふいに、自分が呼ばれと気づき顔を上げる。
 相手の顔を見て内心驚いた。
 一昨日自分を拒絶した、マーカス老人だった。

「……どうしました?」
「その、なんだ。……渡したいものがある」
 ふてぶてしい態度はそのままだったは、相手は少しばつの悪そうな顔をしていた。

 おずおずと、遠慮がちに差し出されたものを見る。
 それは二枚のカードキーだった。
「お前らの担当の刑務官から拝借してきた。その、これで……許してくれないか」
「……マーカスさん?」
「坊主。……エネリット。俺はお前がやっぱり苦手だ。だが、この前は……悪かった」
 エネリットは少しの間呆気に取られたが、昨日までの事を思い出した。
「大丈夫です。マーカスさん、ありがとうございます」
「今日限りだ。使ったら、早めに返してくれ。ーーそれと」
 マーカスは言いづらそうに、しどろもどろに言う。
「……イリアに、よろしく言っておいてくれ」







 エミルのシャワー時間は昼頃で、他の囚人たちとズレていた。
 エネリットはその時間、浴室付近を通らないようにしていた。

 以前、エネリットはシャワーから上がったエミルの姿を見たことがある。
 刑務官に補助してもらい、身体を拭くエミル。
 その背中には、無数の新しい痣があった。

 その時のエミルはエネリットに気づかなかった。
 だがそれ以来、エネリットは入浴時間はその姿を見ないようにした。





95アビス、かつての/浪漫 ◆8vsrNo4uC6:2026/04/18(土) 17:38:40 ID:4FuLs/xE0




 消灯時間も過ぎた頃、エネリットはカードキーを使って房を抜け出した。
 薄暗い廊下を音を立てず歩き、エミルのいる房を目指す。

 進む最中、通り過ぎた房の囚人たちは、各々の有り様だった。
 素直に眠る者、鬱陶しそうにエネリットを見る者、暗がりで何かをしている者。
 エネリットは、また新しく自分の知らない世界を見た気がした。


 エミルの房にたどり着くと、彼はベッドで膝を抱きうずくまっていた。
 彼はそのまま黙り込んでおり、エネリットが小さく声をかけてようやく気づいた。
「……エネリット!?」
 慌てて眼鏡を掛け直すエミルの目は、ひどい隈ができていた。

 エネリットは微笑み、カードキーを相手に見せる。
「エミル。行きましょう」
「でも、これがバレたら……」
「そこは、僕がなんとかします」
 突然のことにエミルはしどろもどろになっていたが、期待しているような笑みは消せなかった。
「エネリット。見つかっちゃったら、連帯責任だからね」
「言い出したのは僕だから、大丈夫です。エミルの事は守るから」
「そうは言ってもなぁ……あっ、ちょっと待って!」
「?」
 エミルがベッドから降り、そそくさと机に向かう。
 机の上にあった小さな星空図鑑を手に取り、
「大丈夫。もういいよ!」
「ええ……エミル」 
 エネリットが房の施錠を解いた後、エミルはうきうきを隠せずついてきた。

 二人きり、静かな屋内を歩いた。
 エミルは緊張しながら、エネリットの後ろについていった。
 左腕で、しっかりと星空図鑑を握っていた。
 図鑑に挟まれた栞がきらりと光る。
 エネリットは、エミルの右手を離さないようにした。

 中庭のドアにたどり着く。
 カードキーで施錠すると、カチ、と音がした。
 少年二人はドアを超える。
 いつも慣れ親しんだ、広い空間に出た。




96アビス、かつての/浪漫 ◆8vsrNo4uC6:2026/04/18(土) 17:39:29 ID:4FuLs/xE0




 中庭一面が、ほのかに輝いていた。

 人工太陽は月の代わりをし、限りのあるはずの天井には無数の星屑が輝いていた。
 星空はただ投影された平面的なものでなく、立体を伴い、本当にそこに輝いているようだった。

「きれい……」

 エミルが感嘆の声を漏らす。


「エネリット!すごいよ!図鑑で見たそのままだ!今は冬だから丁度それに合った星がある!見て、大三角!!」
 エミルは静かにするのも忘れ、喜びで辺りを駆け回った。
 冬の大三角。第六角。
 エミルは星空図鑑を手に、さまざまな星をエネリットに指した。

 エネリットは天を仰ぐ。
 偽物かもしれない。
 だがそれはあまりにも精巧で、初めて見たもので、少年にとっては新鮮な体験だった。

 もし星を掴めたら。
 手を上に、ゆっくり伸ばした。
 エネリットの褐色の手を、立体映像の星々が青白く照らした。
「きれいでしょ」
 いつのまにか隣にいたエミルがはにかむ。
「僕も、前よくこうしてたんだ」

「……ぐすっ」
 エミルが啜り泣き始める。
「……っっ、えぅっ……」
「エミル?」
「僕、死ぬまでアビスにいるのかな……外に出たい、やだよ……」
 うなだれるエミルに、エネリットはそっと肩を貸す。
「ぐすっ、パパ……ママ……ごめんなさい……」
 エネリットは自分に寄りかかるエミルが、そのまま泣くのに任せた。
 星々の下、しばらくの間二人はそうしていた。


「おいこらっ!!消灯時間だぞ!!」
 ふいに大人の男の声が聞こえてきて、二人は驚いてそちらを見る。
「まったく、変な時間に開錠されたと思ったら……チビ二人か。ほら、いたずら終わり!帰るぞ!」
 そこにいたのはアンドリュー=オルブライト刑務官だった。
 まだ若いが、アビスに入ってからそれなりに経験を積んでいる。
「……申し訳ありません、アンドリューさん」
 エネリットはエミルをかばうように、アンドリューの前に立った。
「ここの人工太陽が夜空も再現すると聞いて、いてもたっても居られなくなったんです。
 エミルは止めてくれましたが、僕が心配でしょうがなくついてきてくれた」
「おい、いくら聡い子でも大人を舐めてちゃーー」
「僕も見たいってエネリットに言ったんですっ!!」
「っっ」
 エネリットとアンドリューは、一斉にエミルに振り向いた。
「ぼ……僕だって悪いです。僕、またきれいな星を見たかったから……!
 僕のわがままに付き合ってくれたのはエネリットの方です。
 だから、エネリットを見逃してあげてください。お願いします!」
 しどろもどろながらエミルは話す。
 アンドリューは困惑していたが、首の後ろを掻き、
「……まったく、お前らなぁ。ーーちょっとだけだぞ」
「ありがとうございます……!」
 許され喜ぶエミルに、エネリットは内心安堵を覚えた。



97アビス、かつての/浪漫 ◆8vsrNo4uC6:2026/04/18(土) 17:40:23 ID:4FuLs/xE0




 少年二人は中庭のベンチに座り、しばらく星を見上げていた。

 そこに、一旦退出したアンドリューが戻ってくる。
「ーーほら、冷えるから。掛けとけ」
 彼は暖かいココアの乗ったお盆と、二人分の小さなブランケットを持ってきていた。

「えへへ。ありがとうございます」
「……アンドリューさん。ずいぶん、お優しいんですね」
 持ってきた物を受け取る少年たちに、アンドリューは満更でもない顔をする。
「……まぁ、な。俺自身、これを誰かに見て欲しかったのかもしれない」
「……?」
「この人工天体を作ったの、俺の親父なんだよ」

 アンドリューは自分の分のココアを一口飲んだ。

「あの人工天体はなーー日中太陽の代わりになるのはそうだが、朝と夜、春夏秋冬は勿論、
 世界中の任意の地点から見た天体の配置を本物のような立体映像で再現できる。
 アビスからのオーダーは、ただ奉仕活動で栽培する野菜の生育を滞りなくできるように、だけだったがーー
 あのじじいは空に関しては突き詰めた変態野郎でな。
 そのこだわりで、誰も必要としない部分まで精緻に作り込んだってわけさ」
「そうなんですね」
 アンドリューが鼻を鳴らす。
「どうせ見ちまったんなら目に焼き付けとけ。家族も、友人も何もかも投げ打って作った親父の遺作だ」
 少年二人は刑務官の話を聞いていた。
 特にエミルは、丸い目を更に大きくしてアンドリューをまじまじと見ていた。
「アンドリューさんは……お父さんがお嫌いだったんですか?」
「ん?どうかなぁ……」
 アンドリューは星を見上げながら、言葉を考える。
「ひっでぇ親父だったが……まぁ、今考えると、憧れてはいたのかもな」







 中庭を出て、アンドリューに先導され、なるべく音を立てないようにアビスの暗い廊下を歩く。
「楽しかったね、エネリット」
「ふふ。そうですね」
 だが、夜の冒険をやってのけた少年二人の興奮は、いまだに冷めやらなかった。
「おい、静かにしろ。俺が怒られるだろ」
 アンドリューは歩きながら注意するが、強くは言えない。

 廊下の分岐点に突き当たる。
 二人の帰る方向は別々だった。
「じゃ、俺は先にエミルを帰らせる。エネリットはここで待っていてくれ。
 ……カードキーの件、他言はしないでやるからな。感謝しろよ」
「お心遣い感謝します、アンドリューさん」
 エネリットの礼を受けたアンドリューは、顰めっ面のまま少し照れた。


「エネリット。僕に星を見せてくれてありがとう」

 去り際、エミルがエネリットに向け振り向く。

「僕たち、ずっと友達でいようね」


 とろけるような笑顔でそう言ったエミルに、エネリットは了承の笑みを返した。
「ーーええ。エミル」




98アビス、かつての/浪漫 ◆8vsrNo4uC6:2026/04/18(土) 17:41:15 ID:4FuLs/xE0




 エネリットが少しの間待っていると、アンドリューが戻ってきた。
「エミルは無事帰したよ。ーーエネリット」
「?どうしましたか?」
「まぁ、あの子のことでーーちょっとおまえに話しておきたい事がある」
 アンドリューは少し間を置き、誰もいないはずの廊下を一旦見渡してから、口を開いた。
 
「ーー『死へ至る煌めき(エリュシオン・デブリ)』。
 アビスでエミル=ハモンドの超力を検査した医師が、あの子のネオスに付けた名だ」
 アンドリューは一息つく。

「エミルはーーあの子は、ネオスの発現が少し遅れたらしい。
 7歳になってようやく得た超力は、空から小さな石ころを落とす程度だった」
「……」
 エネリットは、彼の話をじっと聞く。

「10歳の時、あの子は友達に超力が発現しない事をからかわれーー
 気づいたら友達も、家族も、街一体が焦土と化していた。
 その本当のネオスは、空から流星を落とす能力だった。
 それは幼いエミルにはコントロールができないモノだったんだ」
「……アビスに来た理由は、そう言う事だったんですね」
「エミルは、小さい頃から星空に憧れ『星を掴めるようになりたい』と強く願っていたらしい。
 それがネオスによって本当に叶ってしまった。ーーあの子は、生まれる時代を間違えたんだ」
「………」
「エネリット。……頼みがある」

アンドリューは一旦エミルの房のある方向を見、またエネリットに視線を戻す。

「まだ子供のおまえにこんな事を頼むのは酷かもしれない。
 だがどうかエミルを、できる限りでいいから気にかけてやって欲しい。
 あの子はアビスの外だろうと中だろうと、居場所のない子なんだ」

 エネリットもまたエミルが帰った方向を見、それからアンドリューに視線を戻した。

「……ええ。わかっています」








『楽しいなぁ。楽しいなぁ、エミル』

ーーたすけて。やめて。いたい。

『おまえは俺様の、最高の友達だよ。仲良くやろうや』

ーーやめて。やめて。ごめんなさい。

『なぁエミル、そういえばおまえ、ハルトナの王子様とよく一緒だよな』

ーーどうして、エネリットのことを?

『あの子を俺様にぶたせてくれよ。そうすればもうこんな事はしない。悪くはない話だろう?』

ーーいやだ。

『あぁ?』

ーーエネリットは、ダメだ。

『おまえーー自分の立場、わかってるのか?』


ーーエネリットは、おまえがどうこうできる子じゃない。

ーー僕のたったひとりの弟で、僕はエネリットのお兄ちゃんなんだ。

ーーお前があの子に何かするなら、僕はおまえに噛みついてやる。


『そうか。そうかそうか』

『じゃ、おまえは。今日からただのサンドバッグだ』





99アビス、かつての/浪漫 ◆8vsrNo4uC6:2026/04/18(土) 17:42:05 ID:4FuLs/xE0




 アビスから刑務官が出入りする通用口の近く。
 エミルの葬儀が終わったとマーガレットから伝えられ、エネリットは、彼の遺品である栞を受け取った。
「これをおまえに渡してほしい、と生前言っていたそうだ」
「渡してくれて、感謝します」
「治療中にエネリットの話をすると、大層喜んでいた」
「……そうですか」
 エネリットは栞を見下ろす。
 エミルという存在が、随分小さく、軽くなったように思えた。
 マーガレットはエネリットの肩に優しく触れた。
「辛い時は、いつでも頼っていいからな」
「……大丈夫です」
 エネリットは顔を上げ、微笑みを作った。



 マーガレットと別れた後、エネリットは栞を手に廊下を歩いていた。
 自らの房に帰るためだった。

 そんな時、死角からやってきた人物とふいにぶつかった。

「ッッ」
 強めに身体が当たり、エネリットはよろめく。
 相手を見上げると、氷月だった。

「あぁ、すまない。大丈夫かい?」
 彼は申し訳なさそうに礼をした。
「?……こちらこそ、申し訳ありません」
 らしくない氷月の行動に疑問符が付くが、気のせいと思いエネリットは謝る。
 そうしてすれ違い、また歩こうとした時ーーエネリットは、その手から栞がなくなっていることに気づいた。
 エネリットは氷月の背中に呼びかける。
「蓮さん、栞ーー」
 声をかけられた氷月が振り向く。
 
 表情は微笑みのままだった。
 だがその眼差しの奥は、少年が今まで見たことない憎悪の色を讃えていた。

「ーー、」
 エネリットは黙り、伸ばしかけていた手を戻す。

 氷月は何も言わず視線を戻し、ただ歩いて行った。
 美しい長髪を靡かせ、向こうへ遠ざかっていく。

 エネリットは、その場に立ち尽くしていた。
 

 なぜ氷月があんな目を向けたのか、それはわからない。
 だが、彼はずっと前からこの瞬間を狙っていた気がした。
 氷月自身の触れてはいけない部分に、意図しないでも触れてしまっていたのだろうか。

 エミルの栞。
 色彩豊かな日本の紋様が描かれていた。

 エネリットは知らなかった。
 かつて、憐れみと共に氷月を抱きしめた彼の母親がいた。
 その時彼女の着ていた着物の柄は、エミルの栞の紋様とほぼ同じだった。

 エネリットが氷月の真意を知ることは、永遠にない。





100アビス、かつての/浪漫 ◆8vsrNo4uC6:2026/04/18(土) 17:44:52 ID:4FuLs/xE0




 16歳になったエネリットは、今年も囚人墓所室に行った。

 冷たく、重い空気で満ちた空間に入る。
 かつてこの部屋の中にいたイリア婆さんとマーカスを思い出す。
 ハーモニカの音は、もう聞こえない。

 作業の報酬金で買った白い花束。
 誰も来ない祭壇に、そっと花を手向ける。
 世界中から犯罪者が集められるアビスは様々な宗派の人間がいる。
 悪質なカルトに利用されるのを防ぐため、祭壇はどこの宗教か特定しない簡易的なものとなっていた。

「……、……」
 エネリットは目を伏せ、黙祷する。
 エミル。イリア婆さん。ティガード。マーカス。
 外に出ることも叶わず、アビスの中で亡くなった人々。
 
 マーカス老人はイリア婆さんが亡くなった数日後、刑務官相手に暴れ死傷者を数名出した。
 その結果死刑の罪状が足され、二ヶ月後に執行された。
 彼が突然暴れた理由は、ある刑務官にイリア婆さんを侮辱されたからだと、誰かが言っていた。

「……、……」
 エネリットは黙祷を終え、顔を上げる。
 獄死した囚人たちの遺体がどこに行くのか。それはわからない。
 だが、遺体が何処にあろうとも、祈ることはしたかった。

 ふと入り口から、石畳をこつん、と踏む音がした。
 エネリットは、そちらにゆっくりと目を向ける。

 そこには囚人服でも刑務官の制服でもない、私服らしきものを着たアンドリューがいた。
「アンドリューさん?」
「……なんだよ、お前も来てたのか」
 アンドリューは気まずそうに頬をかく。その手には、青い花束があった。
「その格好……どうしたんですか?」
「アビスを退職するんだ」
 アンドリューは祭壇の前に歩み寄り、青い花束を供えた。

「理由を、聞いていいですか?」
「まぁ、昔なじみに誘われたのもあるが……
 娑婆で、エミルみたいに自分の超力に苦しむ子供を、
 アビスに来ちまう前に助けられないかって思ったんだ。
 とてつもなく高い理想なのはわかってるがーー」
「ーー夢だとしても、理想を持つことは大事です。僕はそう思います」
「……おまえ、そんな事言うやつだったか?」
「ふふ」
「……まぁいいや」
 アンドリューは頬を掻く。
「あの時お前ら二人に、親父の遺作を肯定してもらった。
 それまで俺は親父から目を背けてたけど、どこかであいつを認めたかったのかもしれない。
 この感情の名前がわかるまでだいぶ経っちまってーー
 気付けばエミルは、俺が手を出せないまま天国に行っちまった。
 ……あの子には、ひどい事をしたよ」
「……あなたとの約束が守れなくて、申し訳ありません」
「いいんだ。子供には重荷が過ぎる」

 アンドリューは顔を伏せ、黙祷する。
 エネリットは、しばらくその様を見ていた。

「じゃあ……な、エネリット」
 黙祷を終えたアンドリューは、ゆっくりとエネリットに向き直す。
「アンドリューさん。いい未来を、願っています」
「ああ。……エネリット、幸せになれよ」

 アンドリューが去り、囚人墓所室には暗澹たる空気が戻る。
 エネリットは一人、そこにいた。

「……エミル」
 エネリットは、懐から何かを取り出した。
 それは、かつてエミルが持っていた星空図鑑だった。

 手のひらサイズの、ボロボロに使い込まれた図鑑。
 だが、それはエミルにとって大切だった物で。
 エネリットはかつて一緒に中庭に行った時、『星を見せてくれたお礼に』ともらったのだ。

「ーーエミル。ありがとう」

 エネリットは顔を祭壇に上げ、かつての友に礼を言った。


 エネリットは生来の性分で、相手に深く感傷する事はない。
 だが、自分の在り方を肯定してくれる人々に対しては、それに見合った敬意は払いたかった。


 物自体は重要ではない。
 例え親しい人が亡くなっても、自分が生きて忘れなければ相手の想いを未来に繋げられる。
 彼らが遺した物は、その触媒となり得る。


 エネリットは踵を返し、部屋からゆっくりと歩き去る。

 エネリットが去り、囚人墓所室はもう誰もいない。
 ハーモニカの音もとうに消えた。
 だがその祭壇には、二つの花束が置かれていた。

101アビス、かつての/浪漫 ◆8vsrNo4uC6:2026/04/18(土) 17:45:24 ID:4FuLs/xE0
投下終了です

102名無しの囚人:2026/05/16(土) 20:02:32 ID:Oj7qrlbg0
投下します

103アビス狂狼録:2026/05/16(土) 20:03:50 ID:Oj7qrlbg0
「ほんと、アビスって色んな人が集まってて面白いわよねー」
「ねー。噂話が多くてとっても楽しいわ」

周囲をきょろきょろと覗き込むジェスチャーをするビオラと、耳に手を当てて聞き耳を立てるフィーネ。
非番の彼女たちは、ゴスロリ衣装に身を包み、アビスの中を自由に散策していた。
5km先まで視認できるビオラと、3km以内の音を正確に聞き分けられるフィーネは、
アビス内の監視役を兼ねつつ、趣味の情報収集に超力をフル活用している。
主に後者がメインだ。

「囚人もそうだけど、看守たちも個性派揃いよね」
「うんうん、特徴的な人ばっかりで飽きないわ」

どこかの因習村のような振る舞いのフォンテーヌ姉妹もかなり目立つが、
看守の中でも特に我が強く、狂犬のような男がいた。





「これでよし」

彼の名は壮馬 誠二
鏡に映る自分の姿を確認し、満足げに頷いた。
私生活の乱れは秩序の乱れの始まり――。
それを信条に、彼はいつも身なりや生活をきちんと整えるよう心がけていた。

「オラァ、家畜がぁ!!躾の時間だぁっ!!」

今日も彼は、違反を犯した囚人に容赦なく鞭を振るい、痛めつけた。
秩序と理性を何よりも重んじる彼は、無法者に対して誰よりも苛烈だった。
サドな人間性を剥き出しにし、囚人たちを頻繁に嬲るように罰していた。
誠二に痛めつけられた囚人は、全身痣だらけになってようやく解放される。
周囲からは「やり過ぎだ」と咎める声も上がっていたが

「あいつらは獣だ。口で言っても理解できねえなら、体で教えてやるしかねえんだよ」

そう言って彼は決して態度を改めなかった。
特に女性囚人に対しては容赦がなかった。
ある時、頻繁に他の囚人と喧嘩を繰り返していたスプリング・ローズを、全身血塗れになるまで鞭で打ち据えたことがあった。

「はっ……!そんなもんかよ!お前の鞭なんて全然大したことねえな!」
「……このクソガキがぁぁ!!大人に向かって舐めた口ききやがってぇ!!」

何度鞭を振るっても、ローズは笑いながら誠二を睨みつけ、挑発するのをやめなかった。
見下されていると感じた誠二の怒りは頂点に達し、再び鞭を振り上げようとしたその瞬間——
マーガレット・ステイン看守が現れ、それ以上の暴行は辛うじて阻止された。

また、ルクレツィア・ファルネーゼを痛めつけていた時も、彼女は涼しい顔で誠二を「調教師として二流、三流」と嘲り、彼を激怒させた。
その様子は複数の看守に目撃されている。

「あの時の誠二の姿はお笑いでしたわね」
「顔が真っ赤になって、タコみたいだったわ」

双子は当時の様子を思い出して、くすくすと笑い合っていた。
もし誠二がこの会話を聞いていたら、きっと雷が落ちていたことだろう。

104アビス狂狼録:2026/05/16(土) 20:05:10 ID:Oj7qrlbg0



彼がこのような性格になったのは、今から10年近く前に遡る。
厳格な父親のもとで厳しく躾けられた誠二は、怠惰を何より嫌い、常に自分を律する人間に育った。
一方で、母と妹に対しては極端に甘く、一切叱ることなく自由奔放に育てていた。
十分な自由を与えられなかった誠二の不満は、じわじわと膨らんでいった。
やがて母と妹も、口を開けば誠二に金をせびるわがままな性格になっていった。
ある日、母が大学の費用を勝手に着服しようとしたことがきっかけで、彼の怒りは爆発した。

誠二はまず、自分の家族を躾け直すことから始めた。
ここから彼は女性差別主義者へと変わっていった。
「男に躾けられることで、女は家畜から人間になれる」そう信じるようになった彼にとって、女を躾ける義務を放棄した父親も同罪だった。
結局、父親も教育対象に含められた。

誠二の暴力による恐怖政治は、家庭内から日本の刑務所へと広がっていった。
彼の内に秘められた凶暴性が具現化されたかのような超力で「家畜」と呼ぶ者たちを次々と調教していった。
暴力団の組長の息子であろうと、規律を乱す囚人には容赦しない。
半殺しになるまで痛めつけた。
ある日、囚人を躾けている最中に一人、死なせてしまった。
その経緯もあって、彼は『アビス』の看守という役割を与えられることになる。
その事件について彼はこう語った。

「ああ、それですか。あれは不幸な事故ですね。もし本当に殺す気だったら俺の鞭は刃になってるはずですよ。
大体、日本は加害者に甘すぎる。だから犯罪者が付け上がるんです」

等の発言をしており、一切反省は見られなかった。






「誠二って頻繁に女性を見下すわよね」
「私達にも酷いことしようとして、おー怖い怖い」

過去にビオラとフィーネは誠二の制服のポケットにカエルの玩具を仕込んだことがあった。
彼女達の超力で得た情報で誠二がカエル嫌いなのを知ったからである。
案の定、逆鱗に触れた双子は追い回される結果となった。

「どうやら、君達フォンテーヌ姉妹にも教育が必要な様だなぁ」
「「あわあわあわ……」」

涙目で震える姉妹に鞭を持ちながらニッコリとした笑顔で近づく誠二。
下手に怒ってるよりも恐ろしい笑顔だった。

「あの……ちょっとした悪戯なんですし、そこまでにしてあげた方が……」
「「まことお姉ちゃ〜ん!!」」
「お、お姉ちゃん……」

高峯 真が二人を庇いフォンテーヌ姉妹は真の後ろに回って隠れる。
真は年下の子にお姉ちゃん呼びされるのに弱かった。

「高峯くん。子供を躾けるのは大人の義務なんだ。分かったらさっさとどけてくれないかなぁ?」
「二人とも怯えて可哀想ですよ」
「丁寧に言っても分からない馬鹿おん「HAHAHA!!どうしたんだい君達?」

豪快に笑いながら話を遮ったのは制服の上からでも主張の激しいムキムキの肉体を誇るカーネル・アンダーソンだった。
彼は事情を聞くと、カーネルは紳士的な振る舞いでフォンテーヌ姉妹を庇い、誠二を説得しだす。

「誠二くん、ここは僕に免じて許してあげてくれないかい?」
「横槍入れないでくれませんかぁ?アンダーソン看守部長どのぉ。まぁ、貴方がそこまで言うならこっちも引きましょう」
「HAHAHA!感謝するよ!」

このように誠二の躾けの矛先は看守に向くこともあった。
ある日「お前にも甘い汁吸わせてやる」とルーサー・キングの狗になるよう勧めた看守を半殺しにした。
秩序と理性を何よりも重んじる誠二が反社に媚を売るなど、許されるはずが無く
同僚も彼の教育の犠牲となった。
なお、この時の誠二はキングス・デイを憎むあまり、ルーサーキングに対して人種差別的な言動をしたので
その件に関しての描写はカットとする。

「コンプラは守らないと駄目よねー」
「今のご時世は色々うるさいもんねー」


反社達に従う看守達も多い中、彼は絶対になびくことはない。
凶暴な狼はどんな餌をぶら下げた所で飼い慣らすことなど出来ない。
彼もまたアビスの住人なのである。

105アビス狂狼録:2026/05/16(土) 20:05:43 ID:Oj7qrlbg0
投下終了です


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