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避難所スレ
65
:
角笛(届かず)
◆ysja5Nyqn6
:2014/11/29(土) 23:26:30 ID:pMYEkxmw0
―――この街は……いや、この時代は、もののけはおろか、自然の気配さえも希薄なのだな。
森と共に生きた者としての、そんな感傷を懐きながら。
†
―――それから十数分後。
バス停から降車した早苗は、教会へと通じる坂道を、考え事をしながら上っていた。
今後は、バスの利用は控えた方がいい、とアーチャーは言った。
説明されたその理由と危険性は、早苗にとって思いもよらないものであった。
幻想郷に来るまでは現代社会に生きていた早苗にとって、バスと言うのはごく日常的なものだった。
時折テレビや新聞のニュースなどで事故があったというのは聞くが、それは画面や紙面の向こう側。今一つ実感の湧かないものだった。
だからなのだろう。
早苗は自分が乗っていたバスが襲われるかもしれないなどとは、全く想定していなかったのだ。
その感性は、今も変わらない。
考えてみれば当たり前のこと。テレビや映画で観た事のあるその場景は、だからこそ現実感に乏しい。
その危険性を説明された現在にあっても、バスに乗ることが危険だと、早苗には実感できていなかった。
……だが、同時に思う。
それこそが、自分とアキトとの違いなのではないか、と。
テンカ・ワアキトは、己が願いのために他者を殺すことを是としている。
それは聖杯戦争のルールにおいては、決して間違った行動ではない。
だが東風谷早苗は、己が思想のもと、他者を殺すことを否とした。
それはつまり、ある意味において聖杯戦争を否定したに等しい。
そして日常と非日常で区別するのなら、日常の裏側で行われる聖杯戦争は当然非日常に分類される。
つまり、聖杯戦争を是としたアキトは非日常の側に、否とした早苗は日常の側に立っていることになるのだ。
そして立ち位置が違えば、たとえ同じモノを見たとしても、目に見えるカタチは違う。
……いや、そもそも、
「……ああ、そうか。私はまだ、“聖杯戦争を知らない”のですね」
殺し合いを実感できていない早苗には、聖杯戦争そのものが見えていなかったのだ。
確かに早苗は、箱舟に呼びこまれ、予選を突破し、サーヴァントと契約し、聖杯戦争に関する知識を得た。
だが、言ってしまえばそれだけだ。
サーヴァントとはすなわち、聖杯戦争へと参加する“権利”であり、与えられた知識とは言い換えれば、ただのルールブックだ。
権利と知識。その二つしか得ていない彼女は、まだ聖杯戦争に真には参加していなかったのだ。
早苗はその事を、ここに至ってようやく理解した。
―――ならばどうするべきか。
早苗は、聖杯戦争が間違いであると証明するためにここに来た。
否定するだけならば簡単だ。力で己が考えを押し通し、相手の願いを押し潰せばいい。
だが早苗が望んだのは、“証明する”こと。
ただ間違っていると言い張るだけでは証明にはならない。それを、相手に認めさせなければならない。
そのためには――――
「この聖杯戦争について、もっとちゃんと知らないと」
そう口にして立ち止まる。
目の前には人影のない広場。その奥に、日に照らされた白亜の建物がある。
新都にあった廃教会とよく似た造りの神の家は、早苗からすれば異教の神を崇め奉る神殿だ。
加えて聖杯戦争を否定する彼女にとっては、ここはもはや敵地にも等しい。
……ここは地上より遠く。
天(そら)にはなお遠い、告解の惑い場―――
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