1962–1964
1962年7月12日、マーキー・クラブ(英語版)にて「ザ・ローリン・ストーンズ The Rollin' Stones」として最初のギグを行った[23]。ラインナップはミック、キース、ブライアン、ピアノにイアン、ベースにディック、ドラマーはミック・エイヴォリー(後にキンクスに加入)であった。ブライアンとイアンはシカゴ・ブルースを演奏したがったが、ミックとキースが好むチャック・ベリーやボ・ディドリーの演奏にも同意した[24]。ビル・ワイマンは1962年12月に加入し、チャーリー・ワッツは翌月の1963年1月に説得されて加入、バンドのリズム体が確定した[16][25]。ビルがメンバーに引き込まれた理由が、「当時、大出力のベースアンプを所有していたから」という、ジョーク交じりの他メンバーのインタビューもあった。当時のマネージャーであったジョルジオ・ゴメルスキー(英語版)は、クロウダディ・クラブに日曜日の午後のステージを固定した。ゴメルスキーはクロウダディ・クラブが「ブルースの国際的なルネッサンス」の引き金となったと語った。マージー・ビーツ・ブームの到来と共に、ゴメルスキーはクロウダディでのショーを「スウィンギン・ロンドン(英語版)」の到来の有力な側面と記した[26]。
ビートルズのパブリシストであったアンドリュー・ルーグ・オールダムがバンドのマネージャーに就任したが、彼は19歳とバンドのメンバーより若く、エージェントのライセンスを取得するのが不可能であった。従って、アンドリューの母が息子に代わってサインをし、オールダムとベテランのブッキング・エージェントであるエリック・イーストンの間の協力関係が築かれた[27][28][29][30]。ゴメルスキーはバンドとの契約書を交わしておらず、オールダムがマネージャーになることは相談されなかった[31]。オールダムはバンド名の綴りを "The Rollin' Stones" から "The Rolling Stones" へ変え、リチャーズの姓も「もっとポップに見えるから」と「リチャード」と変えさせた[32][33]。スチュワートはオールダムの構想に合わず、ワイマンによれば「かわいくてやせっぽちの長髪の少年は1963年5月にメンバーから外されロードマネージャーとなり、1985年に死ぬまでバンドのピアニストを担当した。」[34][35]とのことであった。
アメリカ版『アウト・オブ・アワ・ヘッズ』(1965年7月)もチャートNo.1となる。同作には7曲のオリジナル(ジャガー・リチャーズ名義が3曲、ナンカー・フェルジ名義が4曲)収録された[69]。ストーンズの世界的No.1となった2番目の曲「一人ぼっちの世界 (Get Off of My Cloud)」は1965年秋にリリースされ[18]、続いてアメリカで『ディッセンバーズ・チルドレン』がリリースされた[63]。
1966年9月の「マザー・イン・シャドウ(Have You Seen Your Mother, Baby, Standing in the Shadow?)」(イギリス5位;アメリカ9位)はいくつかの点で注目に値した。ストーンズの曲で初めてブラスセクションを取り入れ、ジャケット裏の写真は女装したメンバーの物であった。また、ピーター・ホワイトヘッドによって初のプロモーションフィルムが作られた。
1967年1月、『ビトウィーン・ザ・バトンズ』(イギリス3位;アメリカ2位)がリリースされる。本作はアンドリュー・オールダムがプロデューサーとして関わった最後のアルバムであった(バンドマネージャーとしての役割は1965年にアラン・クレインに引き継がれていた)。アメリカ版では両A面シングルの「夜をぶっとばせ(Let's Spend the Night Together) c/w ルビー・チューズデイ」が収録され、アメリカでは1位、イギリスでは3位となった。バンドはニューヨークで「エド・サリヴァン・ショー」に出演、「夜をぶっとばせ」を演奏したが、歌詞を「let's spend some time together」に変えるよう要請された[16][70]。
1967年の前半、ミック、キース、ブライアンは気晴らしで始めた麻薬に対して「ニュース・オブ・ザ・ワールド」紙が「Pop Stars and Drugs: Facts That Will Shock You」と題した3部構成の記事を発表した後、当局による摘発を受ける。記事ではザ・フーのピート・タウンゼントやクリームのジンジャー・ベイカーらが参加し、ムーディー・ブルースが主催したLSDパーティについて述べ、トップスター達が薬物を使用していることを暴露した。最初の記事ではドノヴァンがターゲットにされ(すぐ後に摘発され罰金刑を受ける)、第2回(2月5日発行)でストーンズがターゲットにされた[71]。