1967年5月10日、ミック、キースとフレーザーはレッドランドでの一件に関連して逮捕される。同日ブライアンの自宅が警察によって捜査され、大麻所持の容疑でブライアンも逮捕された[16]。メンバー5人の内3人が麻薬容疑で逮捕され、ミックとキースは6月末に起訴された。6月29日、ミックはアンフェタミン錠剤4錠の所持容疑で3ヶ月の禁固刑を宣告された。キースは自宅の敷地内で大麻の喫煙を許したことで懲役1年の有罪判決を受けた[77][78]。ミックとキースはその時点で投獄されたが、翌日には上訴を保留して保釈された[79]。タイムズ紙は「牛刀を以て鶏を割くのは誰だ? -Who breaks a butterfly on a wheel?-」と題したウィリアム・リーズ=モッグによる擁護記事を掲載した。記事はミックが「純粋に匿名の若者」よりもマイナーな最初の犯罪ではるかに厳しい扱いを受けていたことを指摘している[80]。
上告の判決を待っている間、バンドはファンが示す忠誠心への感謝の気持ちとして、ニューシングル「この世界に愛を(We Love You)」を録音した。それは刑務所のドアが閉まる音で始まり、プロモーションフィルムにはオスカー・ワイルドの裁判の暗示が含まれていた[81]。7月31日に控訴裁判所はキースの判決を覆し、ミックの判決は条件付き釈放に至った[82]。ブライアンの裁判は1967年11月に行われた。最初の求刑を控訴した後の12月にブライアンは1000ポンドの罰金を科せられ、3年間の保護観察と専門的な治療を受けるよう命じられた[83]。
バンドは1968年前半の数ヶ月間、次のアルバムの素材に取り組んだ。このセッションから5月にシングルとして「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」がリリースされた。この曲とアルバム『ベガーズ・バンケット』(イギリス3位;アメリカ5位)は、カントリーソングとブルースからインスパイアされた曲を網羅し、バンドのルーツへの回帰を示し、プロデューサーのジミー・ミラーとのコラボレーションの始まりとなった。本作には「ストリート・ファイティング・マン」(1968年5月の政治的な騒乱に影響を受けた)と「悪魔を憐れむ歌(Sympathy for the Devil)」も収められた[87][88]。「悪魔を憐れむ歌」は、「歌詞が神を冒涜している」という宗教団体からの抗議が起こり、このアルバムが大量に燃やされるという事件があった。この曲のレコーディング風景は、ジャン=リュック・ゴダール監督による音楽映画『ワン・プラス・ワン』として記録されている。
『ベガーズ・バンケット』はリリース直後、好意的に評価された。キースはこの頃からリズムパート(しばしばカポと一緒に)にオープン・チューニングを使い始めた。1968年にはオープンEまたはオープンDチューニングが最も顕著だった。1969年になるとしばしば5弦のオープンGチューニング(6弦は取り外した)を使うようになり、1969年のシングル「ホンキー・トンク・ウィメン」、 「ブラウン・シュガー」(『スティッキー・フィンガーズ』1971年)、 「ダイスを転がせ(Tumbling Dice)」(カポIV)、「ハッピー」(カポIV)(『メインストリートのならず者(Exile on Main St.)』1972年)、「スタート・ミー・アップ」(『刺青の男(Tattoo You)』1981年)などで聴かれるようになった[89]。
また、次回作の『レット・イット・ブリード』(1969年12月)からの未発表曲「ミッドナイト・ランブラー」「むなしき愛(Love in Vain)」および『メインストリートのならず者』(1972年5月)からの「ギブ・ミー・ア・ドリンク」も演奏された。このコンサートはリリースされたばかりの「ホンキー・トンク・ウィメン」の初演でもあった。ブラックヒル・エンタープライズのステージ・マネージャー、サム・カトラーは彼らを「世界最大のロックンロール・バンド[97][96]」として紹介した。カトラーはその後ストーンズのロードマネージャーとなり、69年アメリカツアーでは前述の紹介を繰り返した[98][99]。
その他には「無情の世界(You Can't Always Get What You Want)」(ロンドン・バッハ合唱団はコーラスで参加したが、他の収録曲の内容から「恐れ」たためクレジットの削除を要求した。しかしその後この要求を撤回した。)、「ミッドナイト・ランブラー」、ロバート・ジョンソンのカヴァーである「むなしき愛」が含まれた。ブライアンとテイラーはそれぞれ2曲に参加している。
ストーンズはアメリカツアーの直後、サンフランシスコから東に約50マイル離れたオルタモント・スピードウェイで行われたオルタモント・フリーコンサートに出演。このコンサートはストーンズからのクリスマスプレゼントとして入場無料で企画されたものであったが、20万人から50万人の観客が殺到したこと[101]に加え設営の準備不足から大混乱に陥った。警備に雇われた暴走族ヘルズ・エンジェルスが、観客の黒人青年メレディス・ハンターが武器を持っていたとして彼を刺殺するという、いわゆる「オルタモントの悲劇」も起こった[102]。ツアーの一部とオルタモント・コンサートの様子はメイスルズ兄弟の手によって『ギミー・シェルター』に収められた。また、海賊版が広く出回るようになったため(本ツアーの様子は「Live'r Than You'll Ever Be」としてリリースされた)、その対応として『ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト(イギリス1位;アメリカ6位)』が1970年にリリースされた。評論家のレスター・バングスは史上最高のライブアルバムと評している[103]。
この年の大晦日には60年代のヒット曲を特集したBBC製作の番組「Pop Go The Sixties」に出演し、ストーンズは「ギミー・シェルター」を演奏している。
1972年11月、バンドはジャマイカのキングストンでセッションを始める。『山羊の頭のスープ(Goats Head Soup)』(イギリス1位;アメリカ1位)は1973年にリリースされた。シングル「悲しみのアンジー(Angie)」は世界的なヒットとなり商業的には成功したが、生ぬるく容認された最初のアルバムであった[108]。本作のセッションでは数多くのアウトテイクが生じ、例えば「友を待つ(Waiting on a Friend)」の初期バージョンも録音されていた。同曲は8年後に『刺青の男』で発表された。
2002年、バンドは結成40周年を記念した2枚組のベスト・アルバム『フォーティ・リックス』(イギリス2位; アメリカ2位)をリリースした。同作には新曲4曲が収録され、世界中で700万枚以上を売り上げた。同年、Q誌の「死ぬ前に見るべき50のバンド」の一つに選出された[144]。また、2002年から2003年にかけてフォーティ・リックス・ツアーが行われ、人々は死ぬ前に見るチャンスが与えられた。このツアーは小劇場やアリーナ、スタジアムでのコンサートが行われた。カナダのトロントでは「to help the city」と掲げたコンサートがモルソン・カナディアン・ロックス・フォー・トロントで行われ、SARSの流行で打撃を受けた都市に対する支援となった。バンドがトロントでコンサートを行ったのはスティール・ホイールズ・ツアーのリハーサル以来であった。コンサートは約49万人が動員された。
ブレット・モーガン監督のドキュメンタリー 『クロスファイア・ハリケーン』は、2012年10月に公開された。約50時間におよぶインタビューが行われ、その中には元メンバーのビル・ワイマンやミック・テイラーへのものも含まれた[177]。これは1988年に結成25周年を記念して作られた『25x5』以来のドキュメンタリーとなる[178]。11月12日には新しいコンピレーション・アルバム『GRRR!』がリリースされた。このアルバムは4つの異なったフォーマットでリリースされ、新曲が2曲収められる。「Doom And Gloom 」「One Last Shot」の2曲はパリのウィリアム・テル・スタジオで8月の数週間で録音された[179]。アルバムは世界中で200万枚以上の売り上げを記録した[180]。ノオミ・ラパスをフィーチャーした「Doom and Gloom」のミュージックビデオは11月20日にリリースされた[181]。
2012年11月、ストーンズはロンドンのO2アリーナで50 & カウンティング...ツアーを開始し、同日のステージにはジェフ・ベックが参加した[182]。02での2日目のショーでは、エリック・クラプトンとフローレンス・ウェルチがステージに参加した[183]。アメリカでのショーは12月8日にニューヨーク州ブルックリン区のバークレイズ・センターで始められた[183]。2012年最後のショーは12月13日と15日にニュージャージー州ニューアークのプルデンシャル・センターで行われた。2日目のショーにはブルース・スプリングスティーンとザ・ブラック・キーズが加わった[183][184]。彼らはまた、12月12日に行われたハリケーン・サンディのチャリティ・コンサート「12-12-12: A Concert For Sandy Relief」で2曲を演奏した[185]。
ローリング・ストーンズは、2020年4月18日に開催された Together at Home のオンラインおよびオンスクリーンコンサートのヘッドラインアクトの一組として出演した。これは新型コロナウイルス感染症の流行に際して世界保健機関を支援するためにGlobal Citizenが主催したバーチャルコンサートであった[223]。4月23日、ミックはFacebookページを通じて、新しいローリング・ストーンズのシングル「リヴィング・イン・ア・ゴーストタウン」のリリース(同日午後5時BST)を発表した。この曲は2019年にロンドンとロサンゼルスで録音され、メンバーがそれぞれ単独で完成させたものである。(一部のマテリアルは新型コロナウィルス感染症の流行によるロックダウンの前にスタジオで録音されていた。)バンドはこの曲について「私たちが住んでいる時代を通して思考は共鳴するだろう」とし、そして2012年以来のオリジナル曲であった[224]。この曲はドイツのシングルチャートで1位を獲得し、ストーンズにとって52年ぶりのトップとなった。また、ストーンズはトップを獲得した最も古いアーティストとなった[225]。
英国版EP
『ザ・ローリング・ストーンズ』 - The Rolling Stones (1964年1月17日) UK #13
『ファイヴ・バイ・ファイヴ』 - Five by Five (1964年8月14日) UK #7
『ガット・ライヴ・イフ・ユー・ウォント・イット!』 - Got Live If You Want It! (1965年6月11日) UK #7
1964年 - 1967年
英国版オリジナル・アルバム
『ザ・ローリング・ストーンズ』 - The Rolling Stones (Decca LK-4605) (1964年4月16日) UK #1
『ザ・ローリング・ストーンズ No.2』 - The Rolling Stones No. 2 (Decca LK-4661) (1965年1月16日) UK #1
『アウト・オブ・アワ・ヘッズ』 - Out of Our Heads (Decca SKL-4733(stereo) LK-4722(mono)) (1965年9月24日) UK #2
『アフターマス』 - Aftermath (Decca SKL-4786(stereo) LK-4786(mono)) (1966年4月15日) UK #1
『ビッグ・ヒッツ (ハイ・タイド・アンド・グリーン・グラス)』 - Big Hits (High Tide and Green Grass) (Decca TXS-101(stereo) TXL-101(mono)) (1966年11月18日) UK #4
『ビトウィーン・ザ・バトンズ』 - Between the Buttons (Decca SKL-4852(stereo) LK-4852(mono)) (1967年1月20日) UK #3
米国版オリジナル・アルバム
『イングランズ・ニューエスト・ヒット・メーカーズ』 - England's Newest Hit Makers (1964年5月30日) US #11
『12×5』 - 12 X 5 (1964年10月17日) US #3
『ザ・ローリング・ストーンズ・ナウ!』 - The Rolling Stones, Now! (1965年2月22日) US #5
『アウト・オブ・アワ・ヘッズ』 - Out of Our Heads (1965年7月26日) US #1
『ディッセンバーズ・チルドレン』 - December's Children (And Everybody's) (1965年11月22日) US #4
『ビッグ・ヒッツ (ハイ・タイド・アンド・グリーン・グラス)』 - Big Hits (High Tide and Green Grass) (1966年3月28日) US #3
『アフターマス』 - Aftermath (1966年6月20日) US #2
『ガット・ライヴ・イフ・ユー・ウォント・イット!』 - Got Live If You Want It!(1966年11月28日) US #6
『ビトウィーン・ザ・バトンズ』 - Between the Buttons (1967年2月6日) US #2
『フラワーズ』 - Flowers (Decca LL-3509(stereo) PS-509(mono)) (1967年7月15日) US #3
アブコ・レコード
『ホット・ロックス』 - Hot Rocks 1964–1971 (1971年12月20日) UK #3; US #4
『モア・ホット・ロックス』 - More Hot Rocks (Big Hits & Fazed Cookies) (1972年12月11日) US #9
『メタモーフォシス』 - Metamorphosis (The Rolling Stones album) (1975年6月6日) UK #45; US #8
『シングル・コレクション:ザ・ロンドン・イヤーズ』 - Singles Collection: The London Years (1989年8月15日) US #91
『ロックンロール・サーカス』 - The Rolling Stones Rock and Roll Circus (1996年10月14日) US #92
『シングルズ 1963-1965』 - Singles 1963–1965 (2004年4月26日)
『シングルズ 1965-1967』 - Singles 1965–1967 (2004年7月12日)
『シングルズ 1968-1971』 - Singles 1968–1971 (2005年2月28日)
Nicky Hopkins, Ry Cooder, Mick Jagger, Bill Wyman and Charlie Watts
『ジャミング・ウィズ・エドワード』 - Jamming with Edward! (1972年1月7日) US #33
映像作品
『ワン・プラス・ワン』 - One Plus One (VHS / DVD / Blu-ray)
『ロックンロール・サーカス』 - Rock And Roll Circus (VHS / LD / DVD)
『ハイドパーク・コンサート』 - The Stones In The Park (VHS / DVD / Blu-ray)
『ギミー・シェルター』 - Gimmie Shelter (VHS / DVD)
『コックサッカー・ブルース』 - Cocksucker Blues
『ビデオ・リワインド』 - Video Rewind (VHS)
『レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー』 - Let's Spend The Night Together (VHS / LD / DVD / Blu-ray)
『アット・ザ・マックス〜スティール・ホイールズ・ツアー90』 - Rolling Stones Live at the Max (VHS / DVD / Blu-ray)
『ヴードゥー・ラウンジ・ワールド・ツアー94』 - Rolling Stones Voodoo Lounge (VHS)
『ワールド・ツアー94〜95『ヴードゥー・ラウンジ』イン・ジャパン』 - The Rolling Stones World Tour 94/95 Voodoo Lounge In Japan (VHS / LD)
『Rolling '63〜'89』 - 25x5 The Continuing Adventures of the Rolling Stones (VHS / LD)
『ザ・ローリング・ストーンズ ブリッジズ・トゥ・バビロン・ツアー』 - The Rolling Stones Bridges To Babylon - 1998 (VHS / DVD)
『フォー・フリックス』 - The Rolling Stones Four Flicks (DVD)
『ザ・ビッゲスト・バン』 - The Rolling Stones THE BIGGEST BANG (DVD / Blu-ray)
『シャイン・ア・ライト』 - SHINE A LIGHT (DVD / Blu-ray)
『ストーンズ・イン・エグザイル〜「メイン・ストリートのならず者」の真実』 - Stones in Exile (DVD / Blu-ray)
『レディース・アンド・ジェントルメン』 - Ladies & Gentlemen (DVD / Blu-ray)
『サム・ガールズ・ライヴ・イン・テキサス '78』 - Some Girls: Live in Texas 78 (DVD / Blu-ray)
『チャーリー・イズ・マイ・ダーリン』 - Charlie Is My Darling - Ireland 1965 (DVD / Blu-ray)
『ザ・ローリング・ストーンズ 1963―1969』 - THE ROLLING STONES 1963-1969 (DVD)
『クロスファイアー・ハリケーン』 - Crossfire Hurricane (DVD / Blu-ray)
『“スウィート・サマー・サン" ストーンズ・ライヴ・イン・ロンドン・ハイド・パーク 2013』(DVD / Blu-ray)
『ストーンズ〜ハンプトン・コロシアム〜ライヴ・イン 1981』(DVD / Blu-ray)
『ストーンズ〜L.A. フォーラム〜ライヴ・イン 1975』(DVD / Blu-ray)