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日本男児と徴兵検査  M検・徴兵検査場の羞恥

36名無しさん:2020/07/23(木) 14:04:59 ID:DK9oyGfI
さてお盆の5日間の夏期休暇が終って寮へ帰ってきた養成工達を待っていたものは職種決定のための適性検査であった。
 適性検査にはいろいろあり、握力や背筋力検査から始まって、平行棒や鉄棒、マット等を使っての運動能力検査、学科テストと多種多様であったが、圧巻はやはり身体検査、特にM検と痔、脱腸の検査である。
 戦時中、若い徴用工や養成工で性病にかかる者が実に多かったそうである。その頃はまだ赤線という公認売春があった為、寮生が夏期休暇の間に性病に罹患する事が心配された。「寮の外で夏季休暇の解放感を味った養成工がどんな悪い遊びをしてきたか分らない」、「厳重な身体検査と性病検査が必要である」、と労務課長が強く主張したため、この適性検査の時のM検は軍隊式以上のたいへん厳しくものであった。

 このときも私は進んで記録係を引受け医師の隣で逐一検査の様子を観察した。春の入社検査とは異なり外科検査場には紅白幕も衝立の囲いもなかった。
 全員が並んで待っている場所で、一斉に下着を取らせ全裸にした上で、順番に医師の前に立ち検査を受けさせた。
 まず入念に根本まで包皮をむき上げて亀頭部を診て、尿道口を指で開いて粘膜を調べる。その後、何度も陰茎を前後にしごき不審な粘液の漏出がないか、睾丸を握り痛みがないかを確認して性病検査を行った。陰茎検査が終ると四つ這いにさせて肛門を押しひろげ検査を行った。この時のM検はまさしく海軍工廠の規則どおり行われ、戦時中の徴兵検査と同じ方法であった。
 
 春のM検と違って顔を赤くしたり、小刻みに手足をふるわせて恥ずかしがる少年達はもはやいなかった。それよりも堂々と股間を突きだし、医師から執拗に何度も陰茎をしごかれるため、固く完全勃起させた少年が多く半数以上いた。M検に快感を感じ、一種の期待感をもつようになったためであったろうか
 18歳の甲種養成工に対しては尿道口に粘液が漏出するまで何度も何度も陰茎を入念にしごき、出てきた粘液を顕微鏡で見て性病検査をした。特別に丁寧な粘液検査を行ったので全員が勃起させていた。


 この頃から寮の中での養成工の自慰行為が教職員会議で問題になった。
 当時はオナニーとはいわず、自慰、手淫、自涜(じとく)等と呼ばれていたが、世間一般にも、自慰は体によくない事、体や心の発育に有害である、と考えられていた。したがって養成工達の自慰行為をなんとか押えるのも教職員の役割であった。

 たまたま夏の終わり頃、工場の作業現場で倒れる養成工が二人出た。直接の原因は高熱作業と高い温度とであったが、調べてみると前日の夜、寮で手淫をやっていたことが判った。同室の15歳と18歳の養成工が相互手淫をしていたのである。
 さっそく手淫対策が教職員会議の重要議題となった。丁度その頃、養成工の余暇指導のため、野外活動関係の書籍を集めていた私は、盆休みに神戸の実家へ帰ったとき、三宮附近の古本量で英文の米国ボーイスカウト用ハンドブックを手に入れ、読んでいたが、その中に
 「自慰は悪習であり、断固として男らしく闘わねばならない。悪習防止の訓練としては、夜寝る前に冷水を満した盥(たらい)の中に腰をつけ、足を外に出して腰部を冷やすのが有効である」
という記事があり、これにヒントを得て早速就寝前に冷水浴を実行させるよう進言した。
 この提案が採用され、寮の洗面所の前に大盥を二個備え付け、冷水を満たし、少年達を下半身裸にして腹水を使わせることとなった。足を外に出したまま股を開き、腰から下を冷水にひたす。股を大きく拡げないと、容赦なく舎監の竹刀が飛ぶのである。然し、水浴は結局永続きしなかった。秋風が吹く頃になると誰も嫌がってやらないのである。
 代って、舎監の手淫防止案が採用された。夜、養成工が寝るときはパンツ一枚の裸とし布団の上に両手を出させる。夜中に舎監が抜打ちに各部屋を巡回する。そして、朝の点呼のとき舎監がパンツに精液のシミがないかを点検するのである。同時に寮の大便所を改造し、扉の下部を30センチ程切詰め、外から用便者の臀部が覗けるようにした。このように養成工達の手淫は徹底的に管理された。


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