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日本男児と徴兵検査  M検・徴兵検査場の羞恥

35名無しさん:2020/07/23(木) 14:04:26 ID:DK9oyGfI
身体検査が終ると、全員工場の大浴場で入浴の作法を学ぶ。これは養成工担当の守衛が指導した。
 海軍下士官上りの守衛は最初から六尺褌一つになり、自分も浴場へ入り入浴作法を教える。先ず養成工達の頭を手拭でしっかり鉢巻きさせ、かかり湯をさせた上で浴槽へ入らせる。もちろん浴槽内で手拭を使うことは禁止である。養成工同士の背中の流し合いやシャワーのかかり方までこのとき習うのである。陰部を手拭で隠したり手で押えたりすることは厳禁である。そのためか入社当初、陰部露出を恥しがっていた養成工達も二ヶ月ぐらいたつと、浴場内を全開で堂々と歩き廻るようになり、包皮をむいて洗うようなことも平気になっていた。中には仲間同士くらべ合い、番付を作って回覧する者も出て、教職員会議の話題となった程である。

 養成工は全員工場附属の独身寮生活である。四人一室のベッド生活である。甲種、乙種を適当に取混ぜた部屋割りとした。
 舎監は姫路刑務所出身の看守上がりの中年者であった。独身寮では万事が軍隊あるいは刑務所式の号令である。毎朝の点呼では姿勢矯正が最大のポイントであった。起床後、廊下に整列し点呼を受けるが態度や姿勢が悪いと舎監の手にした竹刀が飛ぶのである。時にはズボンを脱がせて尻を叩くので、浴場では尻に青い筋が何条もついている養成工を見たものである。

 寮生活で最も重い罪は窃盗である。終戦後間もない頃で物資不足は深刻であり、工場内で物品や金銭の盗難が頻発していた。
 三回目の給料日の当日、恐れていた盗難事件が起った。場所は養成工寮、金額は現金三千円であった。当時の三千円は大金である。
 さっそく寮生全員が集められ、厳重な身体検査と所持品検査が実施されたが金は出てこない。結局凝わしい人物を全員で投票させることにしたところ、票はある特定の少年に集中した。この少年は西尾といい模範少年として中学校から推薦のあった子であった。西尾少年は舎監室へ呼ばれ私も立会人として入室した。
 舎監が激しく尋問するが、もちろん西尾は否認する。窃盗を認めれば会社を辞めなければならないことは誰でも知っているので本人も必死で知らぬ、存ぜぬの一点ばりである。
 業を煮やした刑務所看守出身の舎監は、「身体に聞いてみようか。」とすて台詞を残して部屋を出ていった。暫くして戻ってきたときは、木槌を持っていた。
 怪談な顔の私を見てニヤリと笑った舎監は、やおら本人の上着を脱がせ、シャツ、パンツもとり全裸にした。さらに両手を後に廻し縛りあげた。その上で陰茎を掴んで机の上に出させ、恐怖で縮んでいる陰茎の根元を左手で押えると、右手で木槌を握り亀頭めがけて振りおろした。ギャツと悲鳴をあげた西尾少年は二度、三度と打撃を受けると、最後には泣き出し、「すみません。借りただけてす。勘忍して下さい」というと、その場にヘタヘタと倒れてしまった。暫く寮で謹慎させることにしたが、数日後、労務課長の断が下り、荷物をまとめて淋しく工場を去っていったのであった。

 養成工は毎朝寮から工場まで学生服姿で列を組み出勤し、工場に着くとすぐに作業服に着替える。養成工の作業服の下着はインキンが寮に蔓延するのを防止するため越中褌と指定されていた。だから、更衣室では下半身裸になる。毎日、朝晩2回、陰部を露出する事になる訳である。下半身裸といえば検便もそうであった。私の在職中、二度ばかり寮で赤痢患者が発生したが、その都度、養成工全員缶詰めとなって保健所の検便を受けた。四っ這いのまま、裸の尻に検便棒を突込まれるのである。これも海軍式の検便検査である。この検査に興奮する少年もいて鉛筆を使っての検便遊びが流行し、後には年長の養成工が年少の後輩の肛門を掘るような事件が起った。


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