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日本男児と徴兵検査  M検・徴兵検査場の羞恥

33名無しさん:2020/07/23(木) 13:56:35 ID:DK9oyGfI

終戦事情 養成工へのM検
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これは昔、高齢者から聞いた本人の体験談を、パソコンに打ち込んだものです。
以下にある「私」とはその高齢の軍隊体験者の事です。
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  昭和26年3月、ある大手造船会社の本社人事部に勤務していた私は瀬戸内海に面した工場の労務課へ転勤を命ぜられた。その工場は戦時中は軍艦を造船しており、海軍の管理下にある軍需工場であった。
 一週間後、広島にある工場に着任した私は、今春4月に入社する養成工達の教育と、寮での生活指導を業務担当として命ぜられた。

 当時は終戦の混乱もようやく落ちつき、世の中は朝鮮戦争特需で好景気の活況を呈し始めていた。造船業界も戦後の永い沈滞期を脱して一挙に戦時中にも匹敵するような好況に沸いていた。
 必然的に作業員不足が起った。特に将来の現場中堅幹部育成の必要性が痛感され、この会社でも戦後初めて養成工採用を再開することとなったのである。

 この工場では戦時中、高等小学校を卒業した少年達を養成工として採用し工場内の青年学校で教育、訓練していた。
 戦後は青年学校も廃止されていたので、取り敢えず戦時中に青年学校の校舎として使われていた教習所を養成校の寮として転用し、三年間の教育を施すこととなったのである。採用試験はすでに1月に終り、33名の採用が決っていた。
養成工は甲種養成工員として高校卒業予定の13名、そして乙種養成工員としてこの春新制中学校を卒業予定の15才の少年達20名であった。

 手始めに教育計画をたてることになり、先ず4月1日の入社式と、その後の身体検査の要網を作成することにした。
 労務課のロッカーの中にある古めかしい『職工身体検査規程』を引っぱり出して読むと、なんと作業員採用時の身体検査には、性病検査の項目がありM検のやり方まで指定されていたのには、息をとめる程の驚きを覚えた。
 思わず、かつて私が国民体力検査の名の下に強制的に受検させられた性器触診や徴兵検査でされたM検を光景を思い出したのであった。『職工身体検査規程』に書いてあるM検手順はまさしくのその時の軍隊のM検であった。

 戦争当時、この造船場は軍需工場であったため、秘密保持や品質管理などいたるところを海軍による管理規定された工場であった。それだけでなく当時は、働いている工員には春秋の健康診断において海軍式の厳しいM検が行われた様である。社内の規則よりも海軍工廠の規則が総てにおいて優先されていたからである。

 終戦後この工場では新規採用を全くしていなかったので、この『職工身体検査規程』は一度も適用されず、また改訂もされなかった。そのため古めかしいとは言え、この規程は昔のまま生きており、当然、入社時の身体検査は戦時中の海軍工廠の規則どおりに行うことになるのであった。

 4月1日、講堂に紅白の幕を張り巡らし、工場長の形式的な訓示や労務課長の入社後の心得等の話があり、食堂での赤飯の昼食が終わると、午後一時から講堂内部を模様替えして身体検査を始めることとなった。
 私は率先、外科の記録係を買って出て、工場診療所の医師の横へ机を持込み座り込んだ。身体検査は身体測定から始まり、眼科、内科、血沈、外科と進むようになっていた。外科は講堂の隅を紅白の幕で囲った一画で検査した。M検もここで行われた。


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