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日本男児と徴兵検査  M検・徴兵検査場の羞恥

1名無しさん:2019/07/28(日) 09:15:59 ID:DK9oyGfI
日本男児と生まれたからには貴賤上下の区別なく、その年末に満0歳になるものは
その年の夏ごろに徴兵検査をうけなければならなかった。
そこには婦人会や、うら若き処女会の女たちの見学も許された。
素っ裸にして行われる徴兵検査、そのなかでもハイライトはMとよぶ性器・肛門検査だった。
徴兵検査場で繰り広げられる羞恥の検査風景

2名無しさん:2019/07/28(日) 11:25:01 ID:DK9oyGfI
「兵隊になる最初の徴兵検査は単なる肉体検査というだけではなく、兵隊(兵隊は自分の意志で動いてはならない)となるための儀式でもあり、「しゃばっけ」を抜き、兵隊であることを肉体に叩き込む場でもあったという。
 毎日新聞社刊『写真昭和三十年史』には、大勢のそれこそ一糸まとわぬ壮丁(国民徴用)が一列に並ばされている後ろ姿の写真がある。並んだ裸の尻は壮観である。
「しゃばっけ」とは、羞恥心に代表される。二十歳といえば、まだ隠したい最中である。命令一下、さまざまなポーズをとらされる壮丁の羞恥は、M検において最高潮に達する。

3名無しさん:2019/07/28(日) 11:30:02 ID:DK9oyGfI
なにしろ親にも見せないところを何の容赦もなくむんずとつかまれて、数回しぼるようにしごかれたあげく、むきあげられるのだという。
 露出している者もさらに冠状溝までむきあげられるというから、包茎の者には大変なことだろう。ちなみに徴兵検査では六割がまだ包茎だったという。少年のように堅く包まれていて、日本男児のシンボルたるそれを羞恥に縮ませている者には、「活を入れる」と称し、意地悪な検査官なら、むかないかわりに、先端の敏感な部分を刺激して、「ホラ、ホラ、まだだめだ。まだ先が出てこんぞ!」とやる。意志に反して立つと「勘違いしていい気になるな!」と、なぐられる。
 そんな羞恥に、あとの者は「もうすぐ自分もあのようにされるのか」と思うと、気が気ではないという。
 なお、徴兵検査は婦人会が見学に来たそうで、羞恥にからだがほてるという。また地方によっては、最初から最後まで、身長も体重もすべてフリチンのブラブラで行なったということであり、『絵とき日本陸軍』(三恵書房)には、広い講堂の中で全裸で体重測定を受ける者や、次の順番を待つ者など、羞恥の検査場風景の絵も出ている。なお岩波文庫50『戦争と日本人』が復刻された。この中に徴兵検査の写真があり、全裸で並んだ壮丁の一人だけ前向きで、性器まで見えるということで、知る人ぞ知る伝説的な貴重な写真であるので、ぜひ見られたい。
 とにかく丸裸にされた壮丁は、自分のからだが自分のものでないことを知ることになる。そこにぶら下がっているモノでさえ「男子のシンボル」、つまりお国のものであって、婦人会の前でも隠せないということになる。
 日本男児と生まれたからには、何人もこの検査場に臨み、しゃばっけを抜かれたうえ兵営に入ったのだ。」
 


宮崎清隆著「青春監獄―初年兵日記」(東京ライフ社1955)
日華事変当時、軍都長岡における徴兵検査風景・・

澁谷知美著「立身出世と下半身」(洛北出版)では、M検について120ページにわたって、調査した内容を論考しています。また、薔薇族に掲載された笹岡作治の文章も引用されています。ご存じだと思いますが、コメントさせていただきました。

4名無しさん:2019/07/28(日) 11:35:09 ID:DK9oyGfI
>>3

とにかく丸裸にされた壮丁は、自分のからだが自分のものでないことを知ることになる。そこにぶら下がっているモノでさえ「男子のシンボル」ではなく、「日本男児のシンボル」つまりお国のものであって、婦人会や未婚の処女会(おとめ会)の前でも隠せないということになる。
 日本男児と生まれたからには、何人もこの検査場に臨み、しゃばっけを抜かれたうえ兵営に入ったのだ。」

5名無しさん:2019/08/22(木) 17:37:55 ID:DK9oyGfI
徴兵検査は出身地の和歌山県の小学校講堂で受けた。強制的に性器を人前に曝し、いじくられるという恥ずかしく、惨めで、切ない体験を今は懐かしく思い出すのである。
 徴兵検査会場には徴兵医官だけでなく、看護婦、軍人、市役所兵事掛の役人、さらには国防婦人会も手伝いに来ており大勢の人がいた。
 私が受けた和歌山の会場では越中褌着用であったが、地方によっては最初から最後まで、身長も体重もすべて全裸で行う場合もあったようで、東京の検査場で受けた同僚によると、集合するとすぐに全裸にされたそうである。褌も取り上げられた壮丁達は大勢の軍人や主婦たちまでもが見守る中で終日、全裸のまま検査を受けたと聞いた。

《ここで注意を要するのは こう云う〝男が全裸になる〟徴兵検査の場に、国防婦人会‥と云うような 年配の婦人会の連中が、お手伝いと称して 一日中‥検査場をウロウロしていたことである。当時‥壮丁の男が兵役に取られた銃後を 在郷軍人と婦人会で守ろう‥と云うのが大義名分であった。婦人会には 白い割烹着に名襷を斜めに掛けた国防婦人会と、草色の上っ張りに同じく名襷を掛けた愛国婦人会があり、おかみさん気質の国防婦人会と 奥様風の愛国婦人会が勢力争いをしていた。》

6名無しさん:2019/08/22(木) 17:44:02 ID:DK9oyGfI
私が受けた徴兵検査である。その日、小学校は休日だった。受付をすませ廊下で越中褌一枚の裸体となり徴兵検査場である講堂へ入る。正面の壇上には50代くらいのカイゼル髭の立派な徴兵検査官が座って全体を見渡していた。
 入り口から運動能力検査、体力検査、身長・体重・胸囲・座高・視力というように、順序よくその場が設定されており、最後の場所に「M検場」があった。そこはかつて私が小学生の時覗き見した場所だった。

 私ははじめの方だったから順調にゆけば早く終わるはずだったが、視力検査で引っ掛かり最後まで待たされたので「M検場」に到達した時は、すでに陽は西へ傾き、M検を受ける壮丁だけが残っていた。「M検場」は他の受検者から見えないように衝立で囲み隔離され窓は暗幕で隠されていた。工場で性器触診を受けた時は丸見えだったが、ここでは中が見えないので救われた気持ちになったが、一人づつ壮丁が衝立の中へ消えてゆき、順番が繰り上がってゆく間、衝立の中で何が行われているかを色々と想像させて、逆に見えないことに不安を感じ切なかった。

7名無しさん:2019/08/22(木) 17:48:21 ID:DK9oyGfI
どんな格好で剥かれるのだろう? 工場の時と同じなのだろうか? 勃起してきたらどうしよう? 検査医官はどんな人なのだろう? などと衝立の中の妄想に胸は高鳴り、褌の中では陰茎が疼きに悲鳴をあげて何度も勃起を繰り返した。
 いよいよ私の番がやって来た。早鐘のように心音がドクッドクッと打つのが聞こえる。そっと褌の上から陰茎に触れてみる。どうやら膨れてはいるが勃ってはいない事に安心する。その時、慌ただしく衝立の中から医官と看護婦が壮丁を中に残したまま出て来ると講堂の外へ消えた。前の壮丁の淋病が露顕したようであった。

 しばらくして医官が帰って来て「中へ入れ」と私を呼んだ。看護婦は前の壮丁の淋病処置に手を取られているのだろう、中にはいなかった。医官は書類を一覧すると椅子に股を拡げて座った。髭を生やした威厳のある老医であった。
 私は指定された床の足型の位置に立った。足型の幅は50センチほど開いていた。
「褌の前を外せ!」の声に越中褌の前垂れを尻の方へ引き抜いた。

8名無しさん:2019/08/22(木) 17:53:56 ID:DK9oyGfI
 「両手を後ろに組んで、腰を前に突き出す。もっと……もっと……。」促されるままに徐々に腰を医官の鼻先へ突き出すと医官は左手で陰嚢を握り包み、右手で陰茎を握り包皮を剥いて完全に亀頭を露出させると強く握り直し、陰茎全体を亀頭の方へ皮が突っ張るほどもみ上げた。
陰茎がちぎれるほど強く引っ張るのでかなり痛い。生温い掌が陰茎を締めて亀頭の方へ絞ってゆく。この動作を三度繰り返され、カリ首を強く締め付けられると、陰茎は敏感に反応を示し、奥底から感応してはならない疼きが沸き出し、半勃起の弾力ある状態になってしまった。勃起しては困ると他のことを懸命に考える。

 しかし医官の掌は容赦なく前より一層強く握り締めて極めてゆっくり亀頭の方へ数回絞りあげる。痛いほどの快感がビンビンと頭に伝わってきてどんなことも考えられない。
じっと切なく、残酷なしごきに耐えた。医官は尿道口の膿の有無を見定めようと亀頭をひねると親指と人差し指で鈴口を開いた。その瞬間、先走り液がプクッと飛び出した。待機中でも幾度となく出そうで危惧していた事が医官の前で起こった。
 陰茎が固くなってゆくのを感じた。もう、どうしようもない。医官が鼠蹊部軽侮の辺りを圧するために両手を離すと陰茎は意思とは関係なくズキン、ズキンと大きく波打ちながら急速に天に向かって勃起していった。恥ずかしさに生きている心地がしなかった。

 医官は見馴れた様子で別に気にとめる風もなく、陰茎を腹の方へ押しつけ睾丸を片方づつ丁寧に握り固さを検査している。私は放心したように彼の掌の動きを無感覚に見詰めていた。それほど陰茎勃起はショックだったのである。
「後ろを向いて……床に掌をついて……」四つん這いになり医官の眼前に尻を高く差し上げた。「もっと高く……」両手で強く肛門を開き、金属棒のようなものを押し込んでぐっと拡げたような感じがした。
冷やりとして痛かったが、同時に快感とも違う痺れるような妙な感覚が陰茎を走った。ふと、自分の股間を見ると先走り液が粘い糸を引いて垂れ下がっていた。

9名無しさん:2019/08/22(木) 17:56:30 ID:DK9oyGfI
陰茎は完全勃起に近いくらい大きく膨らんでいた。顔が真っ赤に火照っているのが分かった。「竿も睾丸もよく発育している。よい道具である。大事にせい。」と言って尻を叩かれた。 向き直ると医官は、天を突いて勃ちきっている陰茎を引き下げ、握手でもするように握って前後に動かした。恥ずかしさと照れくささに私は頭を掻いた。まさしくその姿は小学校六年生の時、盗み見したこの場所で頭を掻いていたあの筋肉隆々たる壮丁の姿と同じであった。逃げるようにして出口に向かい急いで越中褌の前垂れで隠したが、興奮した陰茎は怒張したまま収縮せず前垂れを突き上げていた。

 横から越中褌の中が丸見えで、衝立の外へ出ようにも出られず困ってしまった。すでに次の壮丁が入って来て医官の前に立っている。困っている私に気が付いた医官が側に寄って来て褌の前を外し、いきなり睾丸をピシリとはじいた。
屈み込むほどの激痛だったが、その瞬間陰茎は力を失っていた。心得た処置であった。出口で次の壮丁の陰部を見ると、すでに包茎の陰茎が水平近くまで持ち上がっていた。包皮が半剥けになり虚空に息づいていた。直立不動の姿勢で、間近で腰掛けている医官に陰茎を突きつけ、恥ずかしい扱きが始まるのを待っていた。◇

10名無しさん:2019/08/22(木) 18:00:53 ID:DK9oyGfI
老兵(自分の‥の意味)の徴兵検査の日でした。
 神戸連隊区司令官《少将》をお迎えして、小学校の講堂で施行されました。
 丸坊主丸裸、僅か20センチ角の綿布に紐をつけて腰に結び付けて前を隠しただけで、いろいろの動作をするのです。
 大日本帝国国防婦人会と称する団体から大勢の見学者がきておりました。
 初めのうちは恥ずかしくて身の竦む思いでしたが、すぐになれました。
 年配の女性もいましたが大半は若い女性でした。
 老兵の受験番号は15番でした。各種検査が終わり最後に、司令官の前に進み出て、各自の番号と名前を大声で名乗るのです。

 これに対して司令官は、甲種合格から、第1乙種、第二乙種、第三乙種、丙種、戊種の六段階の成績を言い渡されるわけです。老兵までの14人中には一人も甲種合格者は居りませんでした。老生が進み出て《15番 田邊○》と大きな声で名乗ると、司令官も大きな声で、《田邊○甲種合格》といってくださいました。すると見学の婦人団体の中から、ホーッというどよめきの声が上がりました。どうゆう意味のどよめきかいまだにわかりません。其の時の老兵の心境は面はゆい誇らしい、何か一言では言えない複雑な気持ちでした。
 当時の老生の体格は身長 162.5センチ、体重 52.5kgでした。半年後の入隊時には163 センチ 53kgでした。

11名無しさん:2019/08/22(木) 18:07:43 ID:DK9oyGfI
結局、国防婦人会のオバちゃんやオカンも軍部に利用されてたんやね。
徴兵検査の若者が女性の前でもフリチンで堂々としてられるための胆力を付けるためのデコイいうか?
モデルと言うか?
そういう意味では本籍地で検査は行なわれたろうから、幼なじみの初恋の女性、今は嫁いでよその男の妻になっている彼女に見られることもあったわけだ。そんな場合は辛かったろうな、
そんな彼女の前で四つん這いにさせられて、勃起してしまったら、死にたいくらい辛いだろうな。
彼女の方は幼なじみの◯◯君のエレクトした竿を見て(うちのひとのより逞しいわあ、、)

12名無しさん:2019/08/22(木) 19:28:39 ID:DK9oyGfI
少年自衛官
昭和30年に「少年自衛官制度」(自衛隊生徒)が発足した、これは15歳〜217歳までの男子で、中学三年生が受験する。ここでは性器・肛門検査(M検]が課されていた。本当に脱いでしまわないといけない。

ある本に昭和37年の「少年自
衛官の身体検査」の写真があった。何の検査だか部屋の前で
白いパンツ一枚の受験生が並んでいる。
それを全部脱いだ全裸の受験生の姿を想い描いた。

また40年代の「アサヒジャーナル」には、少年自衛官が手足を伸ばして4つんばい姿で肛門検査を受けているところを衝立の陰から移したカラー写真がのっていた。

13名無しさん:2019/08/23(金) 14:29:22 ID:DK9oyGfI

宮崎清隆 著 「青春監獄 : 初年兵日記」東京ライフ社1955

14名無しさん:2019/09/07(土) 22:37:47 ID:DK9oyGfI
昭和20年まで、この国に生を受けた男子は、20歳になると貴賎上下の別なく、本籍地で徴兵検査を受ける事が義務だった。
 徴兵検査では、通称M検と呼び、頭のてっぺんから性器肛門まで男の全てを徹底的に検査したという。兵隊は自分の意思で動いてはならない、徴兵検査はそれを直接体に叩き込む場でもあったようです。 
 徴兵検査には、婦人会(既婚)や処女会(未婚)の女の見学があった。徴兵検査場で花婿を探す者もあったという。徴兵検査礼状には「フンドシ着用のこと」となっていてフンドシ一枚でてきぱきとうごくのだが、普通、M検はついたての中でやったそうだ。昔はよく体操の時、体操着を忘れるとフリチンでさせたりした事もあったそうだが、どこの世界にも間抜けなヤツはいるもので、100人200人となると必ず一人や二人はいるもの。特に都会でサラリーマン生活をしていて、フンドシなど付けた事がなくパンツをはいて来た物は、ビンタを食らった上、フンドシ姿も気恥ずかしいだろうに可愛そうにその場でパンツを取らされ、そのまま最初から
フリチンのブラブラの素っ裸で検査場に出ていかなければならなかったという。勿論隠したり女々しいことは許されない。
 本籍地の同級生や、同級の女が見ていてもその前でフンドシ一枚すらつけない露もない姿で朝から終わりまで地獄の羞恥の一日。強制露出の一日。また九州やその他の地区では、全員最初から素っ裸で行われたという。都会暮らしのインテリでも、たとえば九州出身者は、地もとの九州の小学校の講堂とかでうける。徴兵検査令状には「ふんどし着用のこと」とは書いてなく、忘れるても心配ない。全員、全てが検査場に着くと、着ている物は全て脱ぎ生まれたままの姿になるからである。朝顔の蕾でも、ずる剥けでも、大きくても小さくても、毛深くても、色が白くても黒くても素っ裸で隠さずてきぱきと行動しなければならない。

15名無しさん:2019/09/07(土) 22:42:06 ID:DK9oyGfI
身長・体重は勿論M検さえ全裸、ついたてもない広々とした講堂の中で、様々な羞恥が繰り広げられる。
 当時20歳の身長は5尺5寸といわれ、165センチ台、今の中学生でもそのくらい。M検では6割が包茎だったという。性器検査は、徴兵検査のハイライト。まず陰嚢をぐいと掴みぐりぐりした上で、親指人差し指で、指を丸めるようにして陰茎の根元を掴み下に向けて絞るように強くしごくようにも揉みしだく、その上で包皮を剥く。剥くといっても環状溝があらわになるまで完全に剥くので生易しいことではない。たとえ、ずる剥けの性器でも、さらに引きつるほど剥き上げる、朝顔の蕾では大変なこと。
 しかし、剥くのよりもっと大変な目にあうこともある。徴兵検査場では、その雰囲気からして、とても立つような雰囲気ではないという。最初から裸で女がいたら、とても恥ずかしく立たないで縮みあがってしまうだろう。これから恥ずかしい事の順番を待つ者もたまらない。包茎の一物を縮こませ、毛の中に隠れてしまうくらい羞恥にどうしようもないという者もいる。嫌らしい検査官は剥く代りに先端の皮や少し顔を出している亀頭を指でさする。そして、敏感なところをいじめられようやく起ちあがった頃、もじもじして逃れようとするのを、「どうした、まだまだ、まだだめだ・・まだ頭が出てこんではないか。もっと先が出てこんと検査できんぞ…」とやる。勿論出そうになっても手で押さえて隠したり抵抗は許されない。次の順番を待つ同じように縮こませている者も、次は自分も同じ目にと思うとたまらなくなってくる、そして早く女があっちへ行ってくれないかなと祈る。

16名無しさん:2020/02/16(日) 12:44:36 ID:DK9oyGfI
>>12
少年自衛官
昭和30年に「少年自衛官制度」(自衛隊生徒)が発足した、これは満15歳〜17歳までの男子で、中学三年生が受験する。
ここでは性器・肛門検査(M検)が課されていた。本当に)全部脱いでしまわないといけない。

17名無しさん:2020/02/16(日) 12:53:42 ID:DK9oyGfI
少年自衛官

自衛隊で曹クラスの補充のため,15歳以上,17歳未満の中学卒業生を採用し,所定の教育を行なった自衛隊員。陸上自衛隊では少年工科学校,航空自衛隊では航空教育隊生徒隊,海上自衛隊では第1術科学校で,4年の基礎教育を行い任官させる。


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