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中学生バトルロワイアル part6

602POISON ◆j1I31zelYA:2015/11/15(日) 00:41:29 ID:JAKGsiC20
「要するに、七原秋也の命が助かったのは、全くのイレギュラーだったということじゃ。
 そして、その推測される原因は――」

ムルムルは視線だけ会場の監視へと向けながらも、上着の中から一冊の綴りファイルを取り出して、隣の席にいるムルムルに渡した。
回し読みしろ、という意味らしい。

表紙には黒いインクで『Dream Ranker』と題字がされている。


◆  ◆  ◆


空間移動(テレポート)という能力は、『その世界』でもとりわけサンプルに乏しい素材だった。
なぜなら能力の伸びしろが少なく、レベル5に至れる可能性なんてまず無いだろうし、そんな発展性のない能力者に付き合うほど、学園都市の研究者は暇を持て余してはいないから
――なんてことは、ぜんぜん全く無い。
学生の中には、そのような流言飛語に惑わされて『見放された』と感じる者もいるけれど、もっと根本的な理由がある。
まず、絶対数が少ない。希少だから、どうしても実例の不足が否めない。
強度0から5までの格差はあれど学生230万人が全て『能力』をもっている学園都市の中でも、たった58人しかいない。
それでも複雑な計算を要求される能力なので、58人の平均レベルは他の能力者と比してもたいそう高いことは明るい要素だろう。
よって、『空間移動(テレポート)』は学園都市の中でもむしろ研究を推奨されている分野だった。
できればもう少し絶対数が増えてほしいという危機感もあって、時おり『研究者には助成金を出します』というテコ入れが行われたりもする。
学生からすれば、そういう広告を見て「ああ、空間移動系(テレポート)の研究をしたがる人って少ないんだな。確かに、便利な能力だけど『それだけ』っぽいもんね。パシリに向いてるし」と思い込み、移動能力者(テレポーター)を軽んじる者もいる。
今回の殺し合いで選出された白井黒子にも、まるで中間管理職でも見るような眼で見られた経験がそれなりにある。
しかし、単純に能力の強度だとか、伸びしろのこと話をするならば、決して『それだけ』の能力ではない。
学園都市でもっとも強い力を持つ『移動能力者』ならば、『レベル5』判定を受けてもおかしくいほどの応用性もある。
その能力者ならば総重量4トンを超える多量の荷物を、数百メートルも離れた地点へと一度に運ぶこともできる。世の中のためにも、たいそう役に立つものだ。

しかし、ただ物を移動させるだけなら、念動力(サイコキネシス)や空力使い(エアロハンド)でも同じことができる。
『空間移動(テレポート)』が他の能力よりも特異にあたるのは、むしろ『十一次元の世界を使って、ヒトやモノをやりとりしている』ことだった。
念動力も空力もそれ以外の電気も火力も読心も、そして予知能力も、多くの能力は三次元の世界で動いていることだ。
人によっては『十一次元なんてすごく計算が難しそう』と言うし、人によっては『ただの量子力学だ』と言うし、総じて研究者は『また調べ尽くされていない学問だ』という認識で一致する。
研究者の視点からすれば、決して顧みられなかったことは無い。むしろ、どちらかと言えばその逆だった。

だから、サンプルの絶対数は少ない。
しかし、研究資料としては、特に近年になってからは、そこそこの数が揃っている。

603POISON ◆j1I31zelYA:2015/11/15(日) 00:43:00 ID:JAKGsiC20
特に、『アカシック・レコード』を通じて世界で起こっているあらゆる出来事をのぞき見できる者達ならば、『学園都市』の『書庫(バンク)』には記されていない事例さえも集めることができる。
それをいいことに、ムルムルたちも『ゲーム』の開催前にはずいぶんと大東亜の研究者から依頼されて『事例集め』をやらされた。

そんな研究資料の中から、『空間移動(テレポート)』と『予知』で検索をかければ、ほどなくしてその一冊はヒットした。

「しかし『空間移動(テレポート)を使ったから予知を覆せた』というのがよく分からんのじゃ。
それができるなら、今までだって白井黒子には『The rader』を破れたはずではないのか?」
「……結局、順を追って説明するハメになるのか」

回し読みを終えたムルムルから追及されて、寝そべりトウモロコシを食みながら監視を再開していたムルムルは、しぶしぶと口を開いた。

「たとえば、日常の中でも『数時間後にとつぜん車が突っ込んできて死ぬ』とか、そんな『DEAD END』のヤツがおるじゃろ?」
「「「「「「「うむ」」」」」」」と耳を傾ける、全員分の相槌が返ってくる。

もちろん、その未来を予測できたとして『今日は別の道から行こう』と行動したぐらいでは簡単に未来は変わらない。
『DEAD END』とは回避不能の死亡予告、これが大原則だ。
未来日記を持たない一般人がどうあがいても、『事故に巻き込まれて死んでしまう』という因果律のレールが、そこには厳然と存在する。

「この時、『事故が発生する未来』へとことを運んでいる因果律は、基本的に『三次元』の枠組みで起こっていることになる」

たとえば、トラックの運転手がハードスケジュールでの勤務を強いられていて寝不足でぼんやりしている。
たとえば、運転していた大型車両のブレーキの効きが悪くなっている。
そんな流れとどこかしらで巡り合い、違う道を選んで歩いたとしても、別の暴走車両によって事故に遭う結果は変えられない。
そういった事象が生まれるのはすべて、人類が生きている現実の世界――つまり、三次元の枠組みで起こることだ。
未来予知と結果とのメカニズムは、『学園都市』の世界でもほとんど解明が進んでいない。

「しかし、空間移動(テレポート)の十一次元がどういうものか説明すると長くなるので省略するが――とにかく、人間がふだん暮らしている次元よりも上位の次元の枠組みを使って移動することになるのじゃ」

つまり、空間移動能力者(テレポーター)は、『逃げ場のない三次元の結末』に干渉できる。

その言葉を聴いた他のムルムルたちはいっせいに何か言いたそうな顔をしたが、当のムルムルは無視して説明を言い終えてしまうことにした。

「つまり、『The rader』の未来日記でも、七原秋也が『空間移動(テレポート)』に目覚めた結果として引き起こす事象にまでは、計算が及んでいなかったということじゃ。
 じゃから、七原秋也が脱出を成功させた後になってから未来が変わった。
 それが『HOLON』にとっても理解不能だったようでの。『七原秋也が死を回避する未来』が存在しないはずなのに、七原秋也が生きている、という矛盾が処理しきれずに、フリーズを起こしてしまったらしい。
 もちろん『HOLON』は3台で運用しているから1台が止まったところでゲームには支障なかったのじゃ。しかしスーパーコンピュータが処理しきれずにフリーズを起こすなんてことがそうあっていいはずも無いからの、そのせいで、大人たちがああも慌てて、わしも呼び出されておったというわけなのじゃ」

604POISON ◆j1I31zelYA:2015/11/15(日) 00:44:35 ID:JAKGsiC20

なるほどなるほどと、ムルムルたちがようやくの納得を得てうんうんと頷いた。
しかし、即座に次の疑問を呈したムルムルもいる。

「しかし、それなら七原秋也が今後どんどん未来を変え放題になるのではないか?
 そもそも白井黒子(テレポーター)を参加させるのは危険だったということにもなるぞ?」
「それは違うのじゃ。なぜなら、さっき言ったたとえは全て『人間がふだん暮らす世界で未来予測をした場合』に限ってのことなのじゃ。
 あいにくと、この世界はただの『三次元の世界』ではないのじゃ。なぜなら、10種類もの因果律の異なる世界から、参加者が集められておるからじゃ」

支給された『未来日記』が予測する範囲には、『並行世界からやって来た者』の未来さえも含まれる。
51人の中学生は、誰しもそれぞれの世界でたどるはずだった運命を無理やり捻じ曲げられて、様々な世界の法則が混在した会場で未来を予知されている。
『世界樹の設計図(ツリーダイヤグラム)』による観測の補助もあって、『The rader』で観測される未来には、あらゆる次元を超えた全ての参加者が補足されている。
――その中に、十一次元という枠組みで能力を使う者がいたとしても。

「空間移動能力者(テレポーター)が1人いたところで、予知の想定内だったはずなのじゃ。
 原因は『同調(シンクロ)』を果たしたことで、より大規模にこれが使われてしまったことじゃな。
11次元×11次元で121次元……というほど漫画みたいな答えにはならんのじゃが、多数の移動能力者(テレポーター)が次元を使って移動するとなると、『The rader』でも追いきれなかったそうなのじゃ」

もし、あのホテル崩壊の現場で『あの場にいた誰か1人』が空間移動(テレポート)を使っただけだったならば。
七原秋也か、菊地全員か。そのどちらかが救い出されずに死亡していた公算が大きかった。
あの場で使われた空間移動の強度(レベル)では、一度に運ぶことができるのは二人か多くとも三人だろう。
元から助からない傷を負っていた植木耕助と、白井黒子。
そうではない七原秋也と、菊地善人。
まったく視界が効かない暗闇の中で、七原と菊地の二人ともを、空間移動(テレポート)に必要な『接触』をクリアして連れ出せなければ、次の放送で呼ばれる名前が1人増えていたことなる。
だとすれば、本来の因果律に定められていた未来は『そこまで』だった。

「つまり、空間移動(テレポート)による予知崩しはあれ一回きりのことじゃから、ゲームはこれまで通りに続けることになるのじゃな?」
「そういうことになる。『空白の才』にせよ1人が持っているだけでは同じことはできぬから、再現性は低い出来事のようじゃし。
……坂持たちは万が一に備えて、いったん沖木島――大東亜側の連絡支部に引っ込むことにしたようじゃが」

ポイ、と食べ終わったトウモロコシの芯を、空席に置かれていたごみ箱に放り投げた。

605POISON ◆j1I31zelYA:2015/11/15(日) 00:45:25 ID:JAKGsiC20
「それで済ませるのか? 七原が生き残ったせいで『誰かを優勝させる方向に因果律を操れるかどうか』という試みに支障が出るかもしれんのではないか?」

隣席にいたムルムルが眉を寄せて懸念を示した。
モロコシを捨てたムルムルは、しれっとした顔をしている。

「現段階では、様子見しかできんのじゃ。どっちみち、七原秋也も『ALL DEAD END』までに死亡することは揺らいでおらんからの」
「そうなのか?」

何を今さら、とムルムルが酷薄そうに笑った。
感情の無い生き物が持つ、喜色はあっても気色のない、形だけの笑みだった。

「ああ、次の放送までに呼ばれる人数が一人減ったが、『ALL DEAD END』に到達する時間は少しも動いておらんからの。
これまでにも死亡する人間の内訳は変わったかもしれんが、死亡するペースは変動しておらんかったじゃろ」

確かに、と隣席のムルムルは、同じ笑みを作った。

あるいは、七原秋也でさえも次の放送を迎えるまでに死亡する可能性はある。
次の放送で呼ばれる人間が一人減っただけで、七原秋也がこのまま生き延びるとも限らないのだから。

これまでにも、『The rader』の予知を絶対基準として、主催者側の手元にある『孫日記』を使ったゲームの経過予測は行われてきた。
それらは会場で支給されている未来日記と同様に何度か『DEAD END』予測を覆してきたけれど、決して殺し合いを減速させるものではなかった。

『Day:the third quarter of the first day

式波・アスカ・ラングレーは、吉川ちなつに撲殺される。

御坂美琴は、初春飾利に焼殺される。

菊池善人は、神埼麗美に射殺される。

遠山金太郎は、天野雪輝に刺殺される。』

吉川ちなつが、式波・アスカ・ラングレーを庇って死んだ。
御坂美琴は、初春飾利の起こした爆発が死因となった。
神崎麗美は、菊地善人を庇って死んだ。
遠山金太郎は、天野雪輝を庇って死んだ。

だから大人たちも、ムルムルたちも、過程が変わった程度では焦らない。
『ALL DEAD END』への到達予定時間は――まだ変わっていない。


◇   ◇   ◇

606POISON ◆j1I31zelYA:2015/11/15(日) 00:46:34 ID:JAKGsiC20
右手には、『無差別日記』の携帯電話を持つ。
左手の指先には、首輪が触れている。

思考することは、一つだ。

『無差別日記の予知が変わるかどうかを見てから、首輪をちぎって無理やり外そうとする』

タイム・パラドックスの観点で言えばどうなるのかは分からないが、これで解答欄を先に見てから答えを記入するようなことが期待できる。
もし首輪を外すことに成功するならば、菊地の無差別日記には『七原が首輪を外すことに成功した』という予知が出ることになる。
もし首輪を外すことに失敗して爆発すれば――こちらの可能性の方がはるかに高いのだが――『七原が首輪を爆発させて死亡する』という予知が表示されるか、あるいは何も変わらない画面のままになっているだろう。
七原だって、本当に死んでしまうなら外そうとするはずがないのだから、『何も変わらない=失敗を予想して首輪を外そうとしなかった』だと解釈して、失敗だと見なしていい。

もとより、失敗するだろう前提の実験だった。
肝心の実験はこの後に行うつもりだった。
同じ方法で、『空間移動(テレポート)を使って生者の首輪を外そうとした場合』を確かめるための実験だった。

もしも本当に首輪を外せてしまったとしても、その後で七原が主催者側に目をつけられて首輪以外の方法で処分されにかかるリスクもあったわけだが、
少なくとも『空間移動(テレポート)で首輪を取り除くこと自体は可能である』と確認できれば、それだけでも収穫にはなるはずだった。

だから。
その予知が白く四角いメモ帳の上に浮かび上がった時には、己の目を疑った。

『七原が、無理やりに首輪を外そうとしたけれど首輪は爆発しなかった。
 七原が驚きの声を上げた。』

もちろん、そう日記に記されていても、本当に外そうとしてみる気にはなれなかったので、すぐに無差別日記は元の白紙に書き変わってしまったが。
驚きの声だけは、無差別日記に警告されたことで、どうにか飲み込んだ。


◇   ◇   ◇

607POISON ◆j1I31zelYA:2015/11/15(日) 00:47:59 ID:JAKGsiC20


驚愕の事実を、すぐに菊池に教えて作戦会議に移行しよう、というわけにもいかなかった。

どこかで見ているであろう主催者の目に止まらないように伝えるのが難しそうだったこともあるし、すぐに別の作業も待ち構えていたからだ。

菊地と話している間に、命令をして海洋研究所へと向かわせていた『犬』が帰ってきた。
白井黒子たちが戦っている間も、どうにかディパックの中で生き残っていたしぶとい犬だった。
命令したとおりに、海洋研究所から、竜宮レナたちのディパックをくわえて戻ってきた。
放送が終わった後ですぐに白井黒子の元へと駆けつけたために、そのまま研究所へと置いてきてしまったものだった。

ありがとよ、と犬の頭をなでて、ディパックの中身を芝生に広げる。
思えば、ホテルで赤座あかりや白井黒子と知り合った頃からの、唯一の生き残りだった。
言葉を何も発さないマスクをつけた犬が、まだこの場でしっぽを振っているというだけのことに、自分でも驚くほど安堵した。

ひとまず犬の荷物と白井たちのディパックからは、必要だと思った武器などを集めて、残りを菊地にも渡す。
「分けようぜ」と言うと、菊地は意外そうな顔をした。

「荷物をここで分け合うってことは……一緒に行動するのか?」
「バラバラに動く理由もないだろ?」
「俺たち、さっきお互いに『気に入らねぇ』とか言い合いしたばっかりのはずなんだが……」

七原としては、それはもう喧嘩をした時に何となく消化したつもりになっていたことだったので、改めて指摘されると妙に悔しかった。

「だからって、一緒にやっていけるかどうかは別問題だろ。
俺も一人になろうとしたことはあったんだけど、どうしても一人にさせてもらえなくてな。
……だから、折れた。一人になれないうちは、誰かと歩いてもいいかと思ったんだ」

そう言うと、菊地もそれ以上は聞いて来なかった。
しばらくして、こう暗唱した。

「“夢かもしれない。でも僕は一人じゃない。いつか君も手を繋いでくれるかい。その時世界は一つになるだろう”ってか」

驚いた。
驚きの度合いで言えば、『四月演説』をべらべらと朗読された時よりも大きかったぐらいだ。
とても親しんでいた、懐かしい言葉だったのだから。

「レノンを知ってるのか?」
「ジョン・レノンも知らない奴の方が珍しいだろ――ああそうか、世界が違うんだったな。
俺たちの世界でもジョン・レノンな有名なロックスターだよ。ディランも、ルー・リードも、スプリングスティーンも実在する」

言われてみれば、納得できることだった。
彼らの世界にもアメリカ合衆国は存在するのだから、ロック歌手が存在していてもおかしくない。
そんな発想も何もなく、白井黒子にロックの歌詞を説いていた己のことが、おかしくて微笑した。

608POISON ◆j1I31zelYA:2015/11/15(日) 00:49:10 ID:JAKGsiC20
七原秋也に、もうロックは歌えないと思っていた。
人と人は手をつなげるかもしれないが、それで世界が一つになるなんて夢が有り得ないことを知ってしまった。
『ウェンディ、二人一緒なら悲しみを抱えても生きていけるだろう』――七原にとってのウェンディだった中川典子は、とっくに死んでしまった。

でも、ロックという音楽は、ただ理想を歌い上げるだけの音楽じゃなかった。

―――leeps in the sand.
 Yes, 'n' how many times must the cannon balls fly,Before they're forever banned.
 The answer, my friend, is blowin' in the wind,The answer is blowin' in th―――
―――(殺戮が無益だと知るために、どれほど多くの人が死なねばならないのか。 答えなんざ風に吹かれて、誰にも掴めない)―――

自分たちの問題をきちんと歌った音楽で、それを上手く伝えるためのメロディとビートがあった。
ままならない現実社会だとか、無力な自分を嘆くことだとか、世間から見たら正しくない自分に対する精一杯の強がりだとかも、歌っていた。

自分がロックだと思ったら、それがロックだ。

七原秋也は、そういうロックを好きになったはずだった。
七原はロック(理想)を歌えなくなった。
でも、ロック(理想家)は、七原秋也を『間違っている』と弾いてなんかいなかった。
いつだって、どの世界でも、ただそこにあった。プラスのエネルギーをこめて、唄われていた。

「ロックが好きなのか」と菊地が尋ねた。
「愛してるよ」と七原は答えた。

歌えるかどうかはともかく、素直にそう言えた。

そうか、と菊地は頷いて、七原の手から無差別日記の携帯電話を受け取る。
そのまま荷物を確認してディパックへと移す作業を始めた。

お互いの口元には、タバコがくわえられていた。
七原の持っていたタバコを、菊地へとわけたものだった。
タバコの煙が、二条、夜空にのぼっていった。

609POISON ◆j1I31zelYA:2015/11/15(日) 00:50:44 ID:JAKGsiC20
菊地が荷物の整理をする傍らで、七原は己の日記を使ってメモ帳にさっきの『発見』を書き込んでいった。
何が首輪の機能停止に繋がったのかを確認するために、殺し合いの中で己が選択してきた行動も全て書き込んでいく。
『七原が気づいていること』が極力ばれないように、タオルを被って監視の死角を作ったまま書き込んでいった。

菊地も『何をやっているんだろう』という視線は向けてきたけれど、七原なりに意図があって何かをしているのだろうと判断してくれたのか、何も言わなかった。
最悪、七原が死んでしまったとしても菊地ならば『七原が携帯に何かを書き込んでいた』と考察を発見してくれるだろう。
一方で菊地の方からは、さっきの情報交換では抜けていた部分――主にこれまで出会った知り合いの情報――を説明してくれた。
何もしていないと嘆いていたくせに何人もの人間とラインを作っていたんじゃないか、と七原は評価した。

「なるほどね。そうなると、杉浦さんの他にも接触しておきたいのは、天野雪輝、越前リョーマ、綾波レイ――それに合流できたとすれば、秋瀬或の一団だな。
 特に天野雪輝が『神様』の関係者だっていうのは気になる。
 一方で、確定の危険人物はバロウ・エシャロット。浦飯常磐は菊地の問題として、あとは秋瀬或を殺そうとしてたっていう我妻由乃もそうだな」
「我妻由乃もかよ。そいつはいちおう、天野雪輝の――仮にも協力者の、恋人なんだが」

植木耕助が『天野雪輝』を気にかけていた経緯もあってか、菊地は遠慮がちに口をはさんだ。

「そりゃあ状況は見て判断するさ。情報を持ってるかもしれない相手だしな。
『殺す』ってのはあくまで、我妻由乃が自分の意志で殺し合いに乗ってて、交渉の余地が無い時……たとえば天野雪輝も含めた全員皆殺しのつもりだったりした時だな。
天野雪輝からは恨まれるかもしれないが――さっきの戦いと同じように、いざとなったら俺が殺す側にまわるつもりだ。
それに、個人的な事情を言わせてもらえれば、許せないしな。切原赤也の時みたいに、理由があって『狂った』わけじゃない。最初から殺し合いに乗る気満々だった上に、主催者と繋がってるかもしれない中学生、ってのは。
お前が浦飯やバロウって連中を憎んでるのと似たようなものさ」

これだけは、『救える限りは救う』とか『ハッピーエンド(理想)を目指す』という命題とは別問題だ。

「俺にとっちゃ、同じだから――この殺し合いを開いたクソったれの『神様』とやらと、同類になるんだからな」

己が生き残るためでもなく、この状況に絶望して狂ったからでもなく、ただ『殺し合いに賛同して』殺し合いに乗った連中。
宣誓した。
宣戦布告をした。
たとえ、誰も彼もが『そいつ』を許しても、手を差し伸べても。
七原秋也だけは許さないし、伸ばさない。未来永劫に、憎み続ける。
『こんな不条理を敷いた者が許されてしまう世界』なんて、認めない。
クラスメイトが。川田章吾が。中川典子が。赤座あかりが。竜宮レナが。船見結衣が。白井黒子が。
彼らを失わせる『理不尽』そのものが肯定されるなんて、認めないと決めた。

610POISON ◆j1I31zelYA:2015/11/15(日) 00:52:38 ID:JAKGsiC20
菊地は、肯定も否定もしなかった。
菊地自身が手を汚す側に回ると宣言した手前、否定できないのかと七原は思った。
しかし、菊地は荷物を探す手も止めて、硬直していた。

「おい」

そう言った声が、震えていた。

その手に握られていたのは、切原赤也と、白井黒子の遺体から回収された携帯電話だった。
その携帯電話は、点滅を繰り返していた。
メールの受信があることを示す、点滅だった。


◆   ◆   ◆


白井黒子も、切原赤也も、放送の後にメールを読まなかったことは責められないだろう。
切原赤也は、仕留めそこねた標的がいた海洋研究所を目指すことばかりを考えていたはずだし、
白井黒子が慕っていた『御坂美琴』の名前が放送で呼ばれたことを、七原は知っている。

ただ、その受信されていた『天使メール』が菊地善人にとっては、最も欲しがっていたメールだったことが痛手だっただけだ。

「すぐにデパートに行くぞ」

七原はメールを読み終わるなり、そう言った。
「え……」と菊地は携帯を持ってしゃがんだまま、呆けた顔をしている。
その反応の遅さに、七原は苛立った。

「なに呑気な顔してんだよ。生きてる可能性が少しでもあるなら駆けつけるだろ。お前がさっき守りたいって言ったのは嘘か」
「いや……じゃなくて、」

すごく何か言いたそうに口をぱくぱくさせること数秒、菊地は立ち上がった。

「お前も普通に熱いこと言えるのかって驚いた。あと、俺の台詞取るな、俺より先に立つな」
「最後のは理不尽だろ! ……それに俺の空間移動(テレポート)を使った方が圧倒的に速いからだよ」

それに俺は元から熱い男だと、言うべきか迷ってやめた。
今回の殺し合いでは、ずっと冷たい側にいたことは事実だし、
誰かさんたちの影響かもしれない、と考えるのは癪だったから。

611POISON ◆j1I31zelYA:2015/11/15(日) 00:53:55 ID:JAKGsiC20
「俺も跳ばしてもらえるのか?」
「たしか白井は、130キロまでなら大丈夫だとか言ってたしいけるだろ。
さっきの喧嘩で跳び方には慣れたしな」

七原の体重は58キログラム。
菊地の体重は分からないが……見たところ体格は七原とそう違わないから、70キロを超えるということはないだろう。

「しっかり捕まってろよ。重くて疲れたら放り出すけどな」
「そっちこそ、いざとなったら戦ってもらうから覚悟しとけよ。なんせお前、菊地様の後輩でも中学生でもないんだからな」

同い年の中学生と、非中学生の二人。
肩を掴まれながらの歩みは、やがて駆け足となり、そして跳躍(テレポート)へと切り替わる。
加速していく。周囲の景色が飛んでいく。
おそらく時速百キロをゆうに超える世界だ。
仮に一秒で80メートル移動するとすれば、最高時速はいくらだろう。
80かける60かける60だから……とっさに暗算はできないが少なくとも250キロを超えることは間違いない。

一人ではない速さで、守りたいものの元へと跳ぶ。

自分らしい速度で。我儘を貫くために。
我が、儘に。

【C-6 ホテル近辺/一日目・夜中】

612POISON ◆j1I31zelYA:2015/11/15(日) 00:56:00 ID:JAKGsiC20
【菊地善人@GTO】
[状態]:『悪役』
[装備]: ニューナンブM60@GTO、デリンジャー@バトルロワイアル、越前リョーマのラケット@テニスの王子様、無差別日記@未来日記
[道具]:基本支給品一式×6、ヴァージニア・スリム・メンソール@バトルロワイアル 、図書館の書籍数冊(大東亜共和国の書籍含む) 、カップラーメン一箱(残り17個)@現実 、997万円、ミラクルんコスプレセット@ゆるゆり、草刈り鎌@バトルロワイアル、
クロスボウガン@現実、矢筒(19本)@現実、火山高夫の防弾耐爆スーツと三角帽@未来日記 、メ○コンのコンタクトレンズ+目薬セット(目薬残量4回分)@テニスの王子様 、売店で見つくろった物品@現地調達(※詳細は任せます)、
携帯電話(逃亡日記は解除)、催涙弾×1@現実、死出の羽衣(使用可能)@幽遊白書、バールのようなもの、弓矢@バトル・ロワイアル、矢×数本
遠山金太郎のラケット@テニスの王子様、よっちゃんが入っていた着ぐるみ@うえきの法則、目印留@幽☆遊☆白書、乾汁セットB@テニスの王子様、真田弦一郎の帽子、銛@現地調達、穴掘り用シャベル@テニスの王子様
基本行動方針:皆に『未来』を、『先輩』として恨まれようとも敵を排除する
1:一刻も早くデパートに向かい、杉浦を救ける
2:常磐達を許すつもりも信じる気もない。
3:落ち着いたら、綾波に碇シンジのことを教える。
[備考]
※植木耕助から能力者バトルについて大まかに教わりました。
※未来日記の契約ができるようになりました。

【七原秋也@バトルロワイアル】
[状態]:頬に傷 、『ワイルドセブン』であり『大能力者(レベル4)』
[装備]:スモークグレネード×1、レミントンM31RS@バトルロワイアル、グロック29(残弾5)、空白の才(『同調(シンクロ)』の才)@うえきの法則
[道具]:基本支給品一式×5(携帯電話に、首輪に関する考察とこれまでの行動のメモあり) 、二人引き鋸@現実、園崎詩音の首輪、首輪に関する考察メモ 、タバコ@現地調達、月島狩人の犬@未来日記、第六十八プログラム報告書@バトルロワイアル、ワルサーP99(残弾11)、裏浦島の釣り竿@幽☆遊☆白書、眠れる果実@うえきの法則、、ノートパソコン@現地調達
基本行動方針:このプログラムを終わらせる。
1:一刻も早くデパートに向かう。
2:走り続けられる限りは、誰かとともに走る
3:バロウ・エシャロットや我妻由乃といった殺し合いに賛同する人間は殺す。
4:プログラムを終わらせるまでは、絶対に死ねない。
[備考]
白井黒子、切原赤也と『同調(シンクロ)』したことで、彼らから『何か』を受け取りました。



[全体備考]一日目・夜中(ホテルが崩壊した時間)に、秋瀬或の『The rader』が書き変わります。次の放送で呼ばれる人物が一人減ります。

ーーーー

以上で投下を終了します

613名無しさん:2015/11/15(日) 09:55:16 ID:BjvQNaR60
投下乙です
取り急ぎ月報失礼します


話数(前期比) 生存者(前期比) 生存率(前期比)
106話(+2) 14/51(-1) 27.5(-1.9)

614名無しさん:2015/11/20(金) 16:36:00 ID:.hRW6p5s0
投下乙〜!
ムルムル達はALL DEAD ENDまでの過程に狂いはないと余裕ぶってるが、実際その中身が重要なんじゃないかなあ
ムルムル側の予知ではみんなマーダーとして誰かを殺したように描かれてるけど、現実では故意じゃなかったり庇って死んでる人が多いしね
人が脱落するタイミングに狂いがなくても、残った人に対主催が多いなら少しずつでも因果律に狂いが生じてきそうにも思える
一方で、七原達もアスカ達も今一番輝いてるからフッとその灯りが消えてしまいそうで怖くもあるな…

615名無しさん:2016/01/16(土) 00:00:59 ID:PqBzR7Mg0
集計者様いつも乙です
月報失礼します


話数(前期比) 生存者(前期比) 生存率(前期比)
106話(+0) 14/51(-0) 27.5(-0.0)

616<削除>:<削除>
<削除>

617名無しさん:2016/08/17(水) 21:56:41 ID:d7rNxI5w0
糸冬

618 ◆7VvSZc3DiQ:2016/11/03(木) 22:51:22 ID:ju7RNNqk0
投下します
予約スレにも書きましたが、投下時間が長くなってしまいそうなので、ひとまず前編を投下し、期限内に後編の投下を予定しています

619 ◆7VvSZc3DiQ:2016/11/03(木) 22:52:09 ID:ju7RNNqk0

私はずっと、何かになりたかったんだと思う。伏し目がちな自分とは全然違う、周囲の注目と期待を浴びて、どんな壁も一気に飛び越えてしまうような、誰かに。
それは、御坂美琴だった。あるいは、白井黒子だった。彼女たちが持つ能力が、理想を叶える力が、羨ましかった。
だけど私は彼女たちとは違う。私は、私にしかなることができない。そんな当たり前のことに気付くまでに、取り返しのつかないことをたくさんしてしまった。
これから行おうとしていることが、それらの罪に対する贖罪になるだなんて思ってはいない。私はこれから、罪を背負って生き続けなければならない。
だからこれは、最初の一歩。風紀委員(ジャッジメント)という肩書きや低能力者(レベル1)という評価を全て取り払って、最後に残った初春飾利という無力な少女が踏み出す、第一歩だ。

瞳を閉じて、深く、とても深く息を吸う。自分の身体を確かめるために。自分の存在を感じるために。
スプリンクラーからまき散らされた水はそこら中を水浸しにするだけじゃ物足りなかったのか、小さな分子の集合になって空気の中に溶け込んでいる。
じっとりと湿っていて冷たくて、どこか重いその空気を一息に吸った。怯えながら走り回って、たくさんの汗を流しているうちに渇いてしまった喉が、少しだけ潤う。
肺の奥まで飛び込んできた空気。そこから酸素を取り込んで、熱が生まれる。胸の奥で生まれた熱が全身を巡って、力になっていく。
拳を握った。濡れそぼって冷たくなっていた指先は、もう温かい。手のひらの熱は、行き場を探している。
水の怪物から逃げ出すときには恐怖に震えていた足で、地面を踏む。今度は逃げ出すためではなく、真っ直ぐ向かうために。
大丈夫。私の身体は、もう震えていない。

ゆっくりと目を開くと、夜のとばりに包まれた薄暗い世界が、視界に広がった。視界の端で、緊急用の誘導灯が青白く光っている。放水を止めたスプリンクラーから、ぴちょんぴちょんと滴が垂れている。
フードコートに設置されていたテーブルと椅子は、水の怪物が暴れ回ったせいでパステルピンクとライムグリーンの残骸の集合体になっていた。
見える。見えている。私には今、世界がはっきりと見えている。視界と世界を狭めていた恐怖や混乱は、もう何処かへ消え去ってしまっていた。
一緒に、消えてしまったものあるけれど。けっして短くないあいだ少女の中心に在った正義は、この世界の無法や不条理に晒されて見失ってしまったけれども。
それで私が、空っぽになったわけじゃない。殉じていた法がなくなろうとも、信じていた正義を失おうとも、残ってくれたものがある。

この世界で見つけた自分だけの現実と、昔からずっと抱き続けていた小さな想い。
それを貫き通すための、黴臭い古鉄のような意思。
身体の奥、心の底。初春飾利の核心にこびりついて剥がれないそれが在る限り、私は闘える。

「――私は貴方を、救います。貴方が何を言おうと。何を思おうと。それが私のやりたいことですから。絶対に譲れないことですから」

620 ◆7VvSZc3DiQ:2016/11/03(木) 22:53:11 ID:ju7RNNqk0
初春は、自分に言い聞かせるように決意の言葉を口にする。
もしもここが騒がしい都会の片隅だったならば、誰にも届かないまま消えていたような、けっして大きくはない声。
だけどここでは、それで十分だった。小さいけれど感情と意思が込められた初春の声は、届けるべき相手に確かに届いた。
――その相手が初春の言葉をどう捉えるのかは、また別の問題なのだけれど。

初春と相対する少年は、身を包むカナリアイエローのレインコートの下で、身体を震わせていた。
初春の言葉によって揺さぶられた感情が、彼の身体を迸っている。それは怒り。そして憎悪だ。
御手洗清志は初春飾利の言葉を受け入れない。否定する。醜悪な人間の業など、認めてやるものかと拒絶する。

「さっきから五月蠅いんだよ……僕がどう思おうと関係ないだって? やりたいことをやるだって? だったら僕も、お前に同じことをしてやるよ!
 お前が何をしようとしているかなんて関係ない! 僕はお前たちを殺して、他のヤツらも全員殺して、人間という人間を全て殺し尽くしてやる!
 止められるなら止めてみろ! 救いたいなら救ってみせろ! どうせそんなことできやしないんだ、人間はそういう風にできてるんだからなァ!
 ……来いよ、偽善者。お前が自分勝手に押し付けている理想ってやつが、まったく現実に即していないただの幻想だってことを教えてやるよ。

 ――その理想<げんそう>ごと、殺してやる」

御手洗は、己に支給された鉄矢を握りしめた。鏃が御手洗の手のひらに突き刺さり、裂かれた皮膚から血液が流れ出るのを感じる。
共に感じるのは、鋭い痛み。これまでにも領域(テリトリー)の能力を使うたびに御手洗が感じてきた痛みだった。
さらに強く、鉄矢を握る。握りしめた拳の隙間から真っ赤な血がこぼれ落ちて床の水たまりを赤く染めた。
そして御手洗の膨れ上がる憎悪に呼応するように水たまりから巨大な手が生まれ、続いて腕が、肩が、胴体が形成される。
御手洗の能力は、己が血が混入した液体を意のままに操る能力だ。巨人、あるいは獣の形を取る自らのしもべを、御手洗は「水兵(シーマン)」と名付けた。
水兵の中こそ御手洗の領域――いわば、彼にとっての「自分だけの現実」。醜悪な現実を塗りつぶすための、ただ一つの武器。

御手洗のそばで、彼の数倍の巨躯を持つ水の怪物が唸りをあげる。
先ほどまで使役していた水兵をも大きく上回る巨体。ちょうど人間と異形の中間に位置するような造形をした水兵だった。
だが、これでもまだ足りないと、御手洗は矢を握る手に力を込める。より強く。より深く。刻まれた傷から、水兵の力の源になる血液が流れ出る。
御手洗の手からしたたる血液が床に落ち、二体目、三体目の水兵が続けて生み出された。

621 ◆7VvSZc3DiQ:2016/11/03(木) 22:54:10 ID:ju7RNNqk0
血色を失い青白くなった腕をだらりと上げて、御手洗は初春を指さした。腕が、重い。血を流しすぎている。
脳に回る血液も足りていないのか、いつもより思考が鈍い。ただでさえ光が足りなくて薄暗い視界が、さらに霞んでいた。
だが、逆に好都合だと御手洗は口の端を歪めた。余計なことを考える必要が無い。余計なものを見る必要も無い。
人間<てき>を殺し尽くす。ただそれだけできればいい。アイツを殺せ、と水兵に命令を下した。

巨体に似合わぬ俊敏な動きで、水兵は初春に接近する。水兵の内部は御手洗の絶対領域だ。
もしも水兵に捕まり、その中に取り込まれてしまえば、そこから脱出することは不可能である。
――しかし、何事にも、例外というものがある。
本来ならば御手洗清志が進んでいたはずの未来において、桑原和真が次元を切り裂く能力に覚醒し、水兵と外部を隔てる領域の壁を突破して脱出を果たしたように。
本来ならば「低能力者<レベル1>」のまま一生を過ごしていたはずの初春飾利もまた、この世界の現実に打ちのめされることで、水兵の天敵といえる能力に目覚めていた。

近づく水兵に向かって、初春は右の手のひらをかざす。重要なのは、確信だ。自分の力は世界を塗り替えられると、妄信ともいえる確信を持つことだ。
初春はこの世界で、たくさんのものを失った。それは肩書きだった。それは信念だった。それは正義だった。それは親友だった。
奪われ続けて、ようやくここまでたどり着いた。奪われなければたどり着けない場所だった。
世界は優しいだけじゃない。くそったれ、と柄にもなく汚い言葉で罵りたくなるくらいに、許せないことばかりがあった。
だからこそ、思うのだ。
自分ばかりが奪われ続けるのは不公平だ。自分だって、世界にちょっとばかりの仕返しをしたっていいじゃないか。
我が儘に、あるがままに、自分を世界にぶつけてしまおう。それこそ、世界を自分の思うがままに塗り替えてしまうくらいの強さで。

「こういうのも、開き直りっていうんですかね、式波さん」

呟きとともに、自然と笑みがこぼれた。世界を塗り替えるだなんて大それたことは、今までの初春では考えたとしても実行はしなかっただろう。
臆病で、気弱で、鈍くさくて、そんな自分が世界を変えるだなんてできるはずがないと決めつけていた。それが初春の限界だった。
だけど、今ならば――!

初春の右手が、迫り来る水兵の拳を受け止めた。水兵の剛腕によって振るわれた打撃は、初春の小柄な肉体では到底受け止めきれないはずだった。
だが、打ち勝ったのは初春のほうだった。初春を吹き飛ばすはずだった水兵の腕は、肘から先が霧散し消滅していた。
これこそが、初春が見つけた自分だけの現実。彼女が世界を塗り替えるための能力。
『定温保存<サーマルハンド>』――物質の温度、ひいては物質の分子運動を操作する初春の能力は、御手洗の領域に干渉し得る強度にまで成長したのだ。

しかし――初春の顔から、笑みが消える。先ほどまでの水兵ならば、初春の手のひらが触れた瞬間に全身が霧散していたはずだ。
だが今回の水兵は、肘から上はまだ残したまま。残るもう片方の腕で、さらなる追撃を繰り出してくる。初春は、左の手のひらで水兵の追撃を迎え撃つ。
手のひらが水兵に触れる瞬間に超高速の演算を実行。目視で予測していた数値に次々と修正を加え、実際のそれに近づけていく。
水兵を構成する水分子の運動を制御。初春を襲う衝撃そのものは、初春の能力では打ち消すことができない。故に、衝撃と真逆の方向へ分子運動を加速させ相殺を狙う。
それと同時に水兵の内部状態を書き換え、爆散と蒸発を命令。初春の計算通りにいけば、これで水兵を無力化できるはず――!

622 ◆7VvSZc3DiQ:2016/11/03(木) 22:55:34 ID:ju7RNNqk0
「これで……どうですかっ!?」

しかし、初春の叫びも虚しく。一瞬にして消し去るはずだった水兵は、両腕を無くしながらも未だ屹立していた。
驚愕と混乱を表情に浮かべながら、初春は自分の計算通りに水兵を消滅させることができなかった理由を探し始める。
最初に考えたのは、自分の能力が想定していたよりも低出力だったのではないか、ということだった。
初春は元々、学園都市における序列では最下層に位置する低能力者<レベル1>の一人にすぎない。
劇的な進化を果たしたといえども、せいぜい強能力者<レベル3>といったところだろう。
まして覚醒を果たしたばかりでは能力が不安定であるのかもしれない。しかし――初春側だけの問題ではないと、彼女は直感していた。

「カザリ、後ろ! ボーッとしてんじゃないわよ!」

御手洗の操る水兵によって重傷を負い、未だ動けず二人の戦いを見守ることしかできなかった式波・アスカ・ラングレーの怒号が、初春の思索を強制的に途切れさせた。
危機的な状況であると知っても、それを確認する余裕はなかった。後ろに振り返ると同時に、両手を突き出す。だが、間に合わない。
いつの間にか初春の後方へ回り込んでいた二体目の水兵の一撃が、初春を吹き飛ばした。

「ぐ、うぅっ!」

骨まで軋むような痛みが、初春の全身を苛んだ。ごろごろと床を転がって、フードコートに設置されていたテーブルの足に背中をしこたま打ち付けて、ようやく止まる。
痛みを我慢して起き上がろうとしたが、折れたテーブルのささくれが初春のセーラー服の襟に引っかかって、そのまま転んでしまう。
早く立ち上がらなければいけないと頭では考えていても、身体のほうが言うことを聞いてくれなかった。全身からSOS信号が出されている。
水兵の攻撃が正確に初春を狙っていたために、急所だけは守った『定温保存』によって威力を軽減することはできた。
衝撃の完全相殺には間に合わず、防御をした上でなお水兵の重い打撃は初春の身体を吹き飛ばすに十分だったわけだが。

容易く御手洗の水兵を霧散させていた初春の『定温保存』が不発に終わったのは、ひとえに御手洗の執念の賜物だった。
水兵にとって天敵ともいえる初春の能力だが、かの『幻想殺し』のように御手洗の領域そのものを無効化していたわけではない。
分子運動操作に特化した能力によって御手洗の領域を上書きするように水兵を操り、瞬時に爆散・蒸発させていただけに過ぎないのだ。
いわば、能力の強度差をもって強引に打ち負かしていただけ。しかも手のひらで直接触れなければ発動できず、一瞬で操作できる液体の量にも限界がある。

対する御手洗の能力は、彼の血液を媒介に液体を操るものだ。そして混入された血液が多ければ多いほど、使役される水兵はより巨大に、より強靱に、より精密に行動するしもべとなる。
御手洗は、初春飾利を殺害するというただ一点の目標のために、多くの血を流した。御手洗の血を吸い肥大化した水兵は、初春の干渉に対する抵抗力を高めていたわけだ。
結果として、初春の『定温保存』による水兵への干渉は一瞬で水兵を消滅させるほど絶対的なものにはならず、片腕を吹き飛ばす程度のものになってしまっていた。

――あるいは、初春飾利が戦闘技術に長け、経験も豊富な少女だったならば、結果は違っていたのかもしれない。
いくら初春と御手洗の能力差が縮まっていたとはいえ、優位に立っていたのは依然として初春のままだったのだから。
だが、初春は予想外の事態に慌て、二体目の水兵による不意打ちを回避することができなかった。それが彼女にとっての、どうしようもない現実だった。

623 ◆7VvSZc3DiQ:2016/11/03(木) 22:56:56 ID:ju7RNNqk0
「ハッ、いいザマだな。どうだ、これで分かっただろう? お前のいう『救い』なんて、ただの幻なんだよ」

御手洗が歯を剥き出しにして、フロア中に響き渡る大きな声で笑い始める。大量の血を失ったことで青ざめながらも、その表情は喜びに歪んでいた。
床に転がったまま立ち上がることすらままならない初春の姿は、御手洗の目にはとても無様なものに見えた。
大言壮語を吐いた少女は、口にした言葉を何一つ実現させることができずに地に這いつくばっている。溜飲が下がるとは、まさにこのことをいうのだろう。

「苦しいか? 苦しいだろうなぁ! 僕が憎いか? 憎くないはずがないよなぁ!
 それでいいんだよ。人間なんてそんなものなんだよ。ただ生きているだけで他の生物を苦しめて、自分勝手に欲を満たそうとする薄汚いけだものさ!
 なぁ。顔を上げてみろよ。いつまで俯いてるつもりだ? さっきまでの威勢の良い啖呵はどうした? お前が貫きたい意地ってのは、そんな簡単に折れるような薄っぺらいものなのかよ!」

最後には、絶叫になっていた。御手洗はぺろりと唇を舐める。血を失うということは水分を失うということと同義だ。唇はかさかさに乾いて、割れていた。
霧のような空気をいくら吸っても喉の渇きは満たされなかった。身体の芯まで焼き尽くすような憎悪の炎は、言葉を吐けば吐くほどに勢いを増していった。

「おい。なんとか言ってみろよ。――この、人殺し」

ふらつきながら懸命に立ち上がろうともがいていた少女に向かって、御手洗は吐き捨てる。御手洗の言葉を聞いた初春は、身体をびくりと震わせた。
動揺を隠せない初春の様子を見た御手洗はほくそ笑み、そのまま次々と言葉を重ねていく。その言葉には重みがあった。呪いと言い換えてもいい。
御手洗と初春という、本来なら交わることがなかったはずの二人を結ぶ共通項。それは、黒の章という人間のありとあらゆる暗黒を、罪を撮影した映像。

「人を殺しておいて、よくもそんな綺麗事が言えたもんだな。お前の両手は、もう血と罪に染まってる。そんな手で誰かを救おうだなんて笑わせるぜ。
 お前もあのビデオの中で笑っていた屑どもと同じさ。外面だけはいかにも善人のふりをしておいて、その中身はあいつらのように膿んでやがる。
 お前は、本当は誰かを救いたいんじゃない――救われたいんだ! お前は悪くない、悪いのはこんな殺し合いをやらせる人間のほうだって言ってもらいたいだけだろう!
 ――甘えてるんだよ。あのビデオを見て、それでもなお自分のことを省みようともせず、犯した罪を自分勝手な理屈で責任転嫁して、赦されようだなんて思うなよ!
 思い出してみろよ。お前が殺してきた人間の、最期ってやつをな。きっとそいつらも、あのビデオの中の被害者と同じ表情を浮かべていただろうさ」

御手洗の糾弾に対して、初春は反射的に反論をしようとした。そんなことはない。御坂美琴は最期まで常盤台のエースの名に恥じない姿を初春に見せてくれた。
初春がこちら側に戻ってこれたのだって、美琴が自らの命を懸けて初春を救ってくれたからだった。彼女はきっと、絶望になんか屈しないまま、逝った。
吉川ちなつもそうだった。アスカから聞いたちなつという人物は、この殺し合いに順応できるようなタイプの人間ではなかった。
きっと、かつての初春以上に殺し合いに怯え、恐怖していたはずだ。その彼女だって、殺し合いに抗ってみせた。アスカを救ってみせた。
美琴は死に際に、最弱だって最強に勝てるくらい人間は強いんだと言ってくれた。ちなつはきっと、美琴の言葉通りの強さをアスカに見せてくれた。
そんな彼女たちの死を侮辱するような御手洗の言葉は、絶対に許せない。そう思って、反論をしようとして――だけど初春の口は、うまく言葉を紡いでくれなかった。

「桑原、さん……」

624 ◆7VvSZc3DiQ:2016/11/03(木) 22:57:59 ID:ju7RNNqk0
代わりに口をついたのは、初春がこの場所に来て初めて出会った人物の名前だった。桑原和真と名乗った、とても未成年には見えない老け顔の少年の名だ。
初春が初めて彼を見たとき、やけに慣れた手つきでホームセンターの品物を根こそぎバッグに詰め込もうとしていたことを思い出す。
強面でガサツで、非常事態なら多少の犯罪行為だって大目に見てもらえるだろうという適当な倫理観を持っていて、けっして善人だといえるような人物ではなかったけれど。
不安を隠せなかった初春にかけてくれた彼の言葉の端々には、いかつい外見には似合わない優しさが見え隠れしていた。勘違いされやすいだろうけれど、根は悪人じゃないだろうなと感じていた。

「桑原? もしかして、桑原和真のことか? ……そうか、お前が桑原を殺したのか」
「っ……!」

そうだ。初春飾利は、桑原和真を殺した。それも、もっとも苦痛に満ちた死に方の一つと言われる焼死によって。
初春に支給された火炎放射器から発射された炎は、一瞬で桑原の頭部にまとわりついた。彼がごろごろと転がって火を消そうとしても、炎の勢いは衰えることがなかった。
やがて激しく暴れ回っていた桑原の身体はびくんびくんと痙攣をし始めて、最後に一度だけ大きく跳ねて、それっきり動かなくなった。
炎に反応して作動したスプリンクラーがわずかに残っていた火を消し止めて、真っ黒になった桑原の頭部が露わになった。そこには、何の表情も浮かんではいなかった。

初春はあの陰惨な光景を忘れることができない。映像だけではない。肉が焦げるあの臭いも、耳をつんざくような桑原の叫びも、何一つとして忘れ去ることなどできやしなかった。
いや、忘れてはいけない。初春飾利は桑原和真を殺したという罪と共に、あの光景も一生背負っていかなければならないのだから。

「あなたは……桑原さんのお知り合いだったんですか?」

だから、訊かなければならない。もしも目の前の少年が桑原和真の知り合いだったとしたら、初春は彼に謝らなければならない。
今にも機能停止しそうな身体を奮い立たせて、初春は立ち上がった。痛い。痛すぎる。もしかしたら骨の一本や二本は折れているかもしれない。
だけど、寝転んだままでいるわけにはいかなかった。痛みを懸命に堪えながら、初春は毅然とした視線を御手洗へ向け、自らの罪を告白する。

「あなたの言うとおりです。――私が、桑原さんを殺しました」
「……お前が思っているとおり、僕は桑原のことをよく知っている」

初春の告白を聞いた御手洗は、やっぱりな、と吐き捨てた。その視線に込められていたのは軽蔑。
御手洗の目に射竦められたように感じて、初春は身体を強張らせた。続けなければいけないはずの言葉が浮かんでこなくなった。
初春がいくら言葉を重ねたところで、桑原和真を殺したという事実は覆らない。桑原和真が生き返るわけでもない。かえって御手洗の神経を逆撫でするだけかもしれない。
それでも、御手洗が桑原のことをよく知る人物であったというならば。言わなければならない言葉がある。

「……すみません。ごめんなさい。……こんな言葉じゃ足りないことは分かってます。でも――」
「謝る必要なんかないさ」

しかし、必死に紡ごうとした初春の言葉は、御手洗の声によって制止されることになった。
薄明かりに照らされた御手洗の表情に浮かんでいたのは、冷ややかで酷薄な笑みだった。

「アイツは、僕の標的(ターゲット)だった。お前が殺さなくても、いずれ僕が殺していただろうな。だから今は、あえてこう言わせてもらおうか。
 ――『ありがとう』。僕の手間を省いてくれて。この世界から人間を一人減らしてくれて。
 アイツを殺した気分はどうだった? やっぱりお前も、あのビデオに映ってたヤツらみたいに笑いながら桑原を殺したのか? なぁ?」

御手洗から初春へ贈られたのは、感謝。そして追及の言葉だった。

625 ◆7VvSZc3DiQ:2016/11/03(木) 22:58:51 ID:ju7RNNqk0
「いったいどうやってアイツを殺したんだ? 醜悪な中身を隠すように無害な振りをして、外面だけ取り繕ってアイツに近づいたのか?
 あぁ、そういえばアイツは女には滅法弱いって調査結果も出てたっけなぁ。その貧相な身体で桑原を誑かして、鼻の下を伸ばしたところで殺したのかもなぁ!
 違うか? 文句があるなら言ってみろよ! お前がいくら否定しようと、誤魔化そうと、人を殺したっていう事実は変わらないけどな!!」

御手洗は己自身の言葉に激昂し、熱くなり、汗を撒き散らかしながら喉が枯れんばかりに叫んだ。初春は何の反論もできず、ただ俯いた。
だが――御手洗の言葉を遮るように、声が、水浸しのフードコートに響いた。それは、これまでずっと二人の対決を見守っていた少女の声だった。

「アンタ、バカぁ?」

式波・アスカ・ラングレー。御手洗の操る水兵に取り込まれ、酸欠により戦闘不能に陥っていた少女が、遂に立ち上がる。

「――さて、アンタたちが長々とおしゃべりしてくれてたおかげでようやく動けるようになったわけだけど」
「おいおい、起きて早々に人をバカ呼ばわりかよ。死にかけの身体で苦し紛れの抵抗でもするつもりか? 黙って寝ていれば、苦しまずに殺してやったのにな」
「ハッ、冗談! 誰がアンタなんかに殺されるもんですか。それに、バカって言ったのはアンタに対してじゃないわ」

アスカは御手洗から視線を切ると、初春を指さしながら彼女に向かってもう一度「バカ」と呟いた。
「アンタに言ってんのよ、カザリ。このバーカ」
「式波さん……」
「ほらもう、そこですぐ黙ろうとする! すーぐ自分が悪いんだっていうような顔をする! それもうやめなさいって言ったでしょうが!」
「は、はい! すみません……」
「だから謝るなっちゅーの!」

眉間に思い切り皺を寄せ、苛々とした様子を隠そうともしないアスカは、苦々しい顔をしながらこぼした。
「答え、見つけたんじゃなかったの? それともアンタの答えは、あんななよなよした男にちょっとつつかれたくらいで見えなくなっちゃうような、曖昧なものだったワケ?」
「――違います!」

アスカの言葉を聞いた初春は、咄嗟に反論する。
アスカはあの階段で、こう訊いた。この世界に、この空の下に、この地面の上に、人の間に、正義はあるのだろうか、と。
それは気丈に振る舞うアスカが見せた、ほんの少しの弱音のようなものだったんだと、初春は思った。
だから即答できなかった。初春の中ではその答えは自明で、初春は自分自身の中にも、世界の理の中にも、確かな正義が存在していると考えていたけれど。
それはきっと、アスカが求める正義とは違う正義だったからだ。世界の命運を背負わされる14歳の少女が求める正義は、初春が考えるそれとは、きっと違っていた。
だから、それでも正義になりたいのかというアスカの問いにも、答えることができなかった。

「だったら、もう一回言ってみなさいよ。――アンタは、何になりたいの? みんなを守る法の番人? 悪の怪人から地球を守る正義のヒーロー?」
「私が……私が、本当になりたいのは――!」

626 ◆7VvSZc3DiQ:2016/11/03(木) 22:59:45 ID:ju7RNNqk0
なりたかったものは、沢山あった。それこそアスカが言う法の番人は風紀委員として皆を律する白井黒子そのもので、正義のヒーローとは御坂美琴を表現するのにもっとも相応しい単語で。
初春が彼女たちに抱いていた憧憬は、けっして嘘偽りではなかった。彼女たちのように強くなれればと、そう思って初春なりに努力を重ねてきた。
けれど、初春は弱かった。能力の開発は進まず、基礎体力でも到底追いつけない。それでも彼女たちは初春に優しくしてくれた。友達だと、言ってくれた。
それでいいと思っていた。強さを彼女たちに任せて、弱さを初春が預かって、せめて彼女たちの支えになれれば、それでいいと。
だけど今は、それだけでは足りない。

「私は、強くなんかないです。だからきっと、英雄にも主人公にもなれない」

そっと瞳を閉じて、胸に手を当てる。御坂美琴や白井黒子の顔が脳裏に浮かんで、すぐ消えた。初春は彼女たちのような強い人には、きっとなれない。
代わりに浮かんできたのは、親友の――佐天涙子の向日葵のような笑顔だった。いつも隣にいてくれた、初春にとって一番大切な友人。
彼女の優しさに、初春はいつも救われてきた。彼女がいてくれたからこそ、背中を押してくれたからこそ、初春は後ろを振り返ることなく正義を信じることができた。

「私は――いつも誰かのそばにいてあげられる、やさしい人になりたい。法の番人でも主人公でもない、ただの初春飾利として誰かの隣に立ってあげたい。
 その人の悲しみも弱さも、全部受け止められるように、なりたいんですっ!」

眉間から力を抜いたアスカが、小さく笑った。お人好しの考えだ、と初春の言葉を受け止めながらも、その笑みに嘲りの意味は込められてはいなかった。
やりたいことをやれる限りやってみせる。以前のアスカなら、努力の足りない甘ったれた考えだと一刀両断にしていただろう。
だがアスカは、訓練も経験も積んでいない一般人の吉川ちなつに救われてしまった。だったらそれを否定するわけにはいかない。

「アンタは十分優しいわよ。こっちが辟易するくらいにね。だけどマジメすぎ。だからあんなヤツの言うことまでいちいち真に受けちゃって反論もできなくなるワケ。
 ま、日本人は本当の議論ってものを知らないからしょうがないか。だから――アンタがゆっくり考える時間を、あたしが作ってあげるわ」

アスカは支給品の特殊警棒を強く握りしめながら、御手洗を睨みつける。
――今の自分では御手洗に勝つことはできないと、アスカは理解していた。あくまで一般常識の範囲に収まる能力しか持たないアスカでは、御手洗の操る水兵に対抗することは難しい。
勝つためには互いの手の内を隠したまま駆け引きに持ち込み不利を跳ね返すしかなかったが、今となっては不可能な話だ。今のアスカにできるのは、せいぜい時間稼ぎ程度だろう。
本当のことを言えば、立ち上がるだけで精一杯だった。一度酸欠状態になった脳は、まだ完全には回復していない。ぐわんぐわんと視界は歪み、鈍痛が全身を苛んでいる。
それでも――意地があった。アスカの生来の気性が、このまま何もせずに初春任せにすることをよしとしなかった。立ち上がれるなら、歩けるはずだ。歩けるなら、闘えるはずだ。

「リターンマッチよ、ワカメ頭」
「――来いよ、アバズレ女。今度こそ叩き潰してやる」

627 ◆7VvSZc3DiQ:2016/11/03(木) 23:00:29 ID:ju7RNNqk0
御手洗の周囲を囲むように、三体の水兵が音もなく出現した。そのうちの一体は御手洗を守るように彼の前に鎮座し、残る二体はアスカに狙いをつけ、拳を振り上げながら迫り来る!
アスカが取れる手段は、回避の一択だ。もしも水兵の指一本でもアスカの身体を掠めれば、そのまま水兵の内部に捕らえられてしまう。

「……チッ! やっぱり厄介ね!」

にゅるりと伸びた水兵の腕をなんとか回避するアスカ。不定形の存在である水兵は、そのリーチも動きも自由自在だ。人間を相手にするように回避していてはいずれ捕まってしまう。
故に、アスカは水兵から大きく距離を取るような回避を選択せねばならなかった。当然、御手洗との距離も縮めることはできず。

「どうした!? 逃げ回ってるだけじゃ僕には勝てないぜ!!」

御手洗の挑発に青筋を立てながら、アスカは状況を再確認する。
まず、アスカの第一目的は何なのか。アスカが最低限こなさなければならないのは、初春が回復するまでの時間稼ぎだ。
アスカが見る限り、初春が能力を十全に発揮できれば御手洗の水兵はほぼ無力化できる。経験豊富なアスカが初春をサポートしながら二対一の状況を作り出すことができれば、こちらの有利は確定的だろう。
――そしてそのことは、御手洗も気付いているはずだ。そうなる前にアスカか初春のどちらかを戦闘不能にしてしまえば、能力差を数の有利で覆しうる御手洗が勝利に大きく近づくことになる。
勝負の鍵は、初春が戦線に復帰するまでの時間をアスカが稼げるかどうかにかかっている。

「ったく、まさかこのあたしが前座だなんてね。まぁいいわ。――こっちはね、アンタにも言いたいことがたくさんあるんだから!」

アスカが現在所持している武器は特殊警棒とナイフの二種類。あとは壊れた拳銃に即席のスリングショット。遠距離から御手洗を攻撃できる武器はない。
ならば戦闘によって御手洗を打ち負かすのはほぼ不可能と言っていい。だったら――今のアスカが取れる最善手は、舌戦で御手洗の動揺を誘うこと。
そして、そういった打算を抜きにしても。アスカは御手洗に対して、思うところがあった。言いたいことがあった。

「あたしはカザリみたいに優しくないからはっきり言わせてもらうわ。――人間舐めるのもいい加減にしなさいよ、このクソガキッ!
 自分だけが不幸で可哀相で、自分だけが人間の真実を知ってるだなんて勘違いして、無茶苦茶なこと言って他人を巻き込もうだなんて――ふざけんじゃないっての!!」

一気呵成に吐きだした。そうだ。アスカは最初から、気にくわなかった。御手洗が否定した『人間』とは――アスカたちエヴァンゲリオンパイロットが、命を賭して守ろうとしていた存在だ。
アスカだって人間がそんなに素晴らしい生き物だなんて思ってはいない。それこそ御手洗が言うように、自分たちの繁栄のために他の生物を蔑ろにして環境を汚しているという側面だってある。
だが、だからといって――すべてを否定されれば、腹が立つ。そんなもののために命を懸けているお前は大馬鹿者だと蔑まされているような気にもなる。

「お前は、あのビデオを見ていないからそういうことが言えるんだよッ!」
「ええ、そうかもしれないわね! でもあたしなら、アンタみたいに捻くれてねじ曲がったりなんかしないわ!」
「どうしてそんなことが言える! 何も知らない、お前がッ!」

確かにアスカは御手洗と初春が見たという黒の章というビデオの内容を、二人からの伝聞という形でしか知らない。
二人の精神を狂わせたというその映像は、御手洗の言葉通りならば筆舌に尽くしがたいほどの酸鼻を極めたものに違いない。
それこそ、アスカが今までに見たことがないような地獄絵図が、そこには広がっているのだろう。
だが、それを言うならば。アスカだって、御手洗が知らない世界を知っている。

「……何も知らないのは、アンタのほうよ」

628 ◆7VvSZc3DiQ:2016/11/03(木) 23:01:48 ID:ju7RNNqk0
エヴァンゲリオンパイロットでなければ知り得なかったはずの世界。そこには多くの思惑と策謀と暗躍があった。世界を揺るがす秘密があった。
各々の目的のために動く大人たちの行いに子どもたちは振り回され、傷つけられた。それはけっして、「優しい世界」だなんて言えないものだった。
その中でアスカは、辛酸を舐めながら生き抜いてきたのだ。自分の価値を守るために。己の意味を見つけるために。

「不幸自慢なんて趣味じゃないからやらないけどね。あたしが生きてきた世界だって、アンタには想像もつかない世界だったってことよ!
 あたしはそこで、強くなきゃいけなかった! 弱さなんて誰にも見せられなかった! 他の誰でもなく、あたしが、あたしであるためにッ!
 だから――自分の弱さを正当化するために他人を言い訳の道具にして、ガキの癇癪を叫び散らすばっかりのアンタみたいなヤツに、あたしは、負けらんないのよ!」

アスカが否定したのは、御手洗の弱さだった。いや、正確に言えば、弱さを理由に身勝手な正義を振りかざして自らの矮小さを誤魔化そうとする、その在り方だった。
弱さを他者に見せないように隠すでもなく、それも己の一部なのだと受入れることもせず。弱くて何も持っていない自分は、虐げられる自分は悪ではなく正義の側にいるのだと主張して。
それが甘えでなくて、なんだというのだ。認めない。受け入れない。初春飾利ならばそんな御手洗清志さえも救済の対象としたかもしれないが、式波・アスカ・ラングレーは違う。
御手洗が己を改めるつもりがないのならば、アスカの全身全霊をもって御手洗清志という存在を否定する。それが、アスカの中に残るプライドが出した答えだった。

「五月蠅い……五月蠅い五月蠅い五月蠅いッ!」

御手洗の怒号と共に、水兵が再び動き始める。水兵が掴んだのは、フードコートに散らばる無数の椅子。
二体の水兵がそれぞれアスカと初春に狙いをつけ、椅子を力任せに投擲する。

「――カザリっ! 避けなさい!」

初春の能力が無効化できるのは、あくまで御手洗の領域能力のみ。水兵の投擲によってもたらされる物理的ダメージに対して、初春は無力だ。
水兵が投げつけた椅子が初春の小柄な身体にぶつかる寸前、初春は身体をよじってすんでのところで回避。
転がる初春のもとへ駆けつけたアスカが、初春の手を握り物陰へと強引に引っ張り込んだ。そのまま姿勢を低くして、御手洗から隠れるように場所を変えていく。
水兵を操るには御手洗の目視が必要だということはわかっている。暗闇に紛れてしまえば、ある程度の時間稼ぎにはなるだろう。

「カザリ、大丈夫?」
「ええ、どうにか。式波さんこそ、傷のほうは……」
「このぐらいなら、まぁなんとかね。多少の無茶は承知の上よ。とにかく今は、アンタがあたしたちの生命線なんだからしっかり自覚すること! 分かった?」
「……はい!」

続いてアスカは、初春に彼女の能力について詳細を尋ねた。初春にとっても急激に成長・進化した『定温保存』については未知数の部分も多かったが、ここまでの経験と己の感覚から得た情報をアスカと共有する。
基本的には「手のひらで触れた物体の温度を操作する」能力であり、「温度変化に必要な分子操作を応用することで水流のベクトルを変化させる」こともできる。
しかし御手洗のように水を自由自在に操作するほどの応用力はなく、せいぜい一方向に向かって液体を爆散させるのが関の山。それだって攻撃手段に使えるほどの強度にはならない。

629 ◆7VvSZc3DiQ:2016/11/03(木) 23:02:56 ID:ju7RNNqk0
「向こうだってそのことには薄々気付いてるでしょうね。だから怪物に直接殴らせず、椅子や机を武器代わりにし始めたってところかしら」
「最初に私が怪物を消し飛ばしたときに比べて、抵抗力も上がってる気がします。時間をかければ無力化は可能だと思いますが……」
「気付いてる? ……多分、アイツが能力を使うには……」

アスカが何を訊こうとしているのか察して、初春は頷いた。御手洗の能力の条件についてだろう。
御手洗との戦いの中で、彼が明らかに不自然な――本来ならば必要が無いはずの行動を取っているのを何度か目にした。
彼は自分の身体を傷つけ、その血を水に垂らしていた。おそらく御手洗の能力は、己の血を媒介に水を操る能力なのだとアスカと初春は推測する。

「これはあくまで予想ですが、血が能力の源なら、注ぎ込む血液の量を増やせば能力の強度も上がると考えるのがセオリーです」
「だからカザリの能力も効きにくくなったし、怪物自体の大きさやパワーも上がってるってわけね」
「ですが、それだけ彼は――」

二人が移動しながら小声で会話を続ける間にも、御手洗は当てずっぽうに水兵を暴れさせ、フードコート内のすべてを壊さんという勢いで破壊を続けていた。
人間に対する呪詛を撒き散らかしながら破壊の限りを尽くしている御手洗の相貌は――蒼白に染まっている。
領域の過度の行使による体力の消耗、水兵を操るための多量の出血。その両方が少年から生を奪い、死に近づけている。

「カザリ。例のビデオとかいうのを見たっていうアンタに訊くわ。――アイツは、自分が死ぬことになろうとも、人間を殺そうとすると思う?」

アスカの質問に対して、初春は咄嗟に答えを返すことができなかった。それに答えようとすれば、自分の記憶を遡ることになる。思い出したくない殺人の記憶を辿ることになる。
これが初春の傷を抉るような質問だということに、アスカは気付いているだろうか? 初春が顔を上げると、真っ直ぐにこちらを見つめてくるアスカと、視線が交錯した。
アスカの瞳の中に、出会ったばかりのころのような高圧的なそれは、なかった。初春が頑なに正義を謳っていたときに見下すような目を向けてきたアスカは、ここにはもういない。

ようやく認められたような気がした。そして、同時に気付く。初春を信頼してくれているからこそ、アスカは初春に訊いたのだと。
だから、初春も答えなければならない。桑原を殺したときのことを、ちなつを殺したときのことを、美琴を殺したときのことを思い出して。
黒の章という悪意に呑まれ、人間という種をこの世界からなくしてしまおうと彷徨い歩いていた、あのときに考えていたことを。

「……きっと。きっと、あの人も――自分が死ぬことになろうとも、その行いを止めようとはしないでしょう。
 だって、彼が殺そうとしている『人間』には、彼自身も含まれているから。自分が死ぬことすら、彼にとっては贖罪の一つなんです」

はぁ、とアスカは大きなため息をついた。理解ができないわと呟きながら、かぶりを振る。

「あたしはね、人類を守るために戦ってたの。だからあたしは強くなきゃいけなかった」

薄闇の中、アスカの握る拳に力が込められたのが、初春にも分かった。アスカの手は、震えていた。

630 ◆7VvSZc3DiQ:2016/11/03(木) 23:04:27 ID:ju7RNNqk0
「世界のため。人類のため。みんなのため。そんなことを言われながらあたしは戦ったけど、それは全部、自分のための戦いだった」

強く在るということが、アスカの存在理由だった。強く、優秀でなければアスカを求める人間はいなくなってしまう。強くなければ生きる理由がなくなってしまう。
強迫観念に似た歪な価値観に支配され、アスカは己の価値を磨き上げ、周囲に誇示することに執着するようになっていった。

「バカシンジでもエコヒイキでもダメなの。あたしが使徒を倒さなくちゃ、誰もあたしのことを認めてくれないの。
 ……自分が死ぬことになろうとも人類を守れって言ってくる大人たちの顔、アンタは見たことある?」

そう言って、アスカは力無く笑った。そしてアスカの言葉を聞いた初春の中では――なにかが、ぱちんとはまった。
御手洗とアスカは、「自分が死ぬことになろうとも人類を殺すと決めた少年」と「自分が死ぬことになろうとも人類を守れと命令された少女」だった。
或いは、「自分の弱さを認められず世界を壊そうとした少年」と「世界に認められるために自分の弱さを殺した少女」だった。
まるで正反対のようで――その実、根本は同じだ。発露の方向が違っていただけで、始まりは同じだ。
震えるアスカの手を、初春はそっと握った。初春の手が触れる瞬間、予期せぬ接触に驚いたアスカの手がびくんと跳ねた。

「いっ……いきなり何すんのよ!?」
「すみません、つい……! でも、」

でも、という逆接の後ろに続く言葉を初春は探した。今自分が言うべき言葉は、いったいなんだろう。いくらか頭の中で考えて、しかしどれもしっくり来なくて。
「式波さんの手……冷たいですね」
水使いと対峙し、ずぶ濡れになったアスカの手に触れた感想を、そのまま言うことになった。
「……ヘンタイ」
返ってきたのは、ジト目だった。

「ち、違うんですよ!? いや、違わないというか……確かに急に触っちゃったのは私が悪いとは思うんですけど……」
「……別に、イヤって言ってるわけじゃないわよ」

初春の手が振り払われることはなかった。許容してくれたんだと解釈して、初春は少し嬉しく思う。
初春が握る手に力を込めると、アスカもまた握り返してくれた。初春の手のひらの熱が、少しずつアスカの手に移っていく。

「式波さん。こんな話を知ってますか? ……手が冷たい人はですね、心が暖かいそうですよ」
「知ってるわ。でも、非科学的にもほどがあることわざじゃない」
「ええ、科学的根拠なんてまったくありません。でも、素敵だなって思いませんか? それとですね、私が好きなのは、その逆の言葉はないところなんです」
「手が暖かかったら、心が冷たいって話は……確かに聞かないわね」
「ね? 初めてそれに気付いたとき、あぁ、なんだかいいなぁって思ったんです」

勝手に人のことを心が暖かいと認定するのも乱暴な話だけれど、心が冷たいだなんて決めつけることもないのは、とてもいいことだと思う。うん、いいことだ。

「式波さんも、優しい人ですよね。私、知ってます」
「はぁ? なによ、ちょっと一緒にいたくらいであたしのこと分かったつもりになるなんて――」
「優しくないところも知ってますよ。両方合わせたら、もしかしたら優しくないところのほうが多いかもしれませんね」
「……ちょっとアンタ、あたしのことバカにしてんの?」
「いいえ、違います。尊敬してるんです」

631 ◆7VvSZc3DiQ:2016/11/03(木) 23:05:47 ID:ju7RNNqk0
思えば、アスカがいてくれたからこそ、初春は自分を閉じ込めていた固い殻を破り、自分だけの現実を見つけることができた。
罪の重さに潰れそうになる初春を支えてくれたから、ここまで自分の足で歩いてくることができた。
アスカは、優しい人とは言えないかもしれない。優しさ以上に厳しさがあって、周囲の妥協を許そうとしない。
だけどそれもまた、隣の誰かを奮い立たせるやり方の一つではあった。実際に、初春はアスカに救われたのだから。

「今までありがとうございました。――今度は、私の番です」
「……言葉は、見つかった?」

御手洗を説得するための言葉。それは見つかったのかと、アスカは問う。
生半可な言葉では、人間は害悪なのだと断じ、自らの命すら投げ出す覚悟を決めた御手洗には届かない。
アスカの問いに対して、初春は、小さく首を振った。だがそれは、肯定を表す頷きではなく、否定を示す横の振り。

「せっかく式波さんに時間をもらえたのに、私はまだ言葉を見つけられません。でも、やり方は思いつきました」

そう言って、初春は微笑んだ。
あぁ、とアスカは感嘆する。自分のことを無力だと卑下して、あれだけ固執していた正義を投げ捨てて、なのにこれだけ美しい笑みを浮かべられるのだから――初春飾利が、弱い人間なはずがなかった。

「――初めて私達が出会ったときのことを、覚えていますか? きっとあのとき、こうやって私たちが手を握り合う未来なんて、想像もできなかったと思うんです。
 でも今、私たちは一緒にいる。考えは違っても、思いは違っても、傍にいて、隣にいて、互いを支え合うことだってできる。
 だからきっと、彼とだって、同じことができるはずなんです。私はそう信じてるんです。信じたいんです。それが幻想なんかじゃないって、証明したいんです。
 ゆっくりと時間をかけて、たくさんの話をしましょう。一つの言葉で彼の心を動かすことができないなら、十でも百でも、千でも万でも、たくさんの言葉を届けましょう。
 ――そのための時間を、私たちで作りましょう。式波さん、ごめんなさい。もう少しだけ、あなたの力を貸してください」

繋いだ手から、初春の熱が伝わってくる。本気の熱だ。アスカの視線と初春の視線が、交わった。
こちらをじっと見つめてくる初春の瞳に、混じり気はなかった。この殺し合いの舞台で幾度も叩きのめされて、剥がされて、それでも残った純粋な感情。
単純で、だからこそ綺麗で。周りの人間すべてに疑念を向けて、ただひたすらに自分のために生きてきたアスカですら、思わず信じてしまう慈愛が、そこに在ったから。
――アスカは、素直に自分の負けを認めた。

「ま、発破かけたのもあたしだし。ここまで来たら最後まで付き合うわ」
「……ありがとうございます!」
「さ、それじゃさっさとすませるわよ。このままじゃ、あたしたちが止める前にアイツが死んじゃうわ」

632 ◆7VvSZc3DiQ:2016/11/03(木) 23:06:49 ID:ju7RNNqk0
暴走と言ってもいい御手洗の破壊活動は、未だ翳りを見せることなく続いていた。彼が滾らせた憎悪の炎は、自身の生命まで燃やし尽くさんと暴れ狂っている。
相貌は蒼白という表現でも生温いほどに豹変し、生気の一切を欠いた土気色になっていた。美少年と形容されていたはずの整った目鼻立ちも今では憤怒に歪んでいる。
このままだと彼の命の灯火はそう遠くないうちに燃え尽きてしまうということは、誰の目にも明らかだった。彼を救うために残された時間は、あまりにも短い。

「時間がない。最短距離で突っ走って、最速でアイツを止める――アンタの能力が鍵よ、カザリ」

アスカの声に、初春はこくりと頷いた。二人が御手洗のもとへ辿り着けるかどうか。すべてはそこに懸かっている。
今の衰弱しきった御手洗が相手ならば、アスカと初春の二人が力を合わせれば彼を拘束してしまうことは難しくないはずだ。
問題は、道中に立ちふさがる水兵たち。常識外の膂力を誇る水兵に対抗できるのは、初春の『定温保存(サーマルハンド)』のみ。

「あたしが前に出て囮と盾になる。あのバケモノたちへのトドメはアンタに任せるわ」
「……お願いです。無理だけは、しないでください」
「あぁ――それはちょっと、無理なお願いね」

アスカは、初春と繋がっていた手を振り払うように離した。狼狽する初春を後目に、緑色の非常灯に照らし出される御手洗の所在を確かめる。
そしてアスカは、初春のほうを見ることなく呟いた。

「だってもう、お”願い”は先約があるもの。チナツとミコト――あの二人の”願い”で、あたしはもういっぱいってワケ。
 二人の”願い”通りに、絶対にアンタをあそこまで届けてみせる――それがあたしのプライドだから」

だから――次の瞬間、アスカは駆け出した。

「おりゃあああああああああっ!!」

アスカの叫びに反応した御手洗が、視線を向けると同時に水兵を仕向けた。総計四体の怪物が一斉にアスカを目指し向かってくる。
しかし水兵が目の前まで近づこうとも、アスカの速度は緩まない。御手洗に向かって、一直線に、ただひたすらに走る。
いち早くアスカの元へ辿り着いた水兵の腕を、身を捩りながら回避。不自然な体勢に捻れたことで、先ほどの戦闘で負った怪我がぶり返す。
身を引き裂くような鋭い痛みと熱を感じながらも、アスカは歯を食いしばり、呻き声を噛み殺し、更に加速した。
アスカに脇をすり抜けられた水兵は振り返り、再び腕を伸ばし――しかしその腕は、アスカを捉える寸前で霧散する。

「――式波さん!! 後ろは任せてください!」

水兵がアスカを捉えるよりも先に、初春の右手が御手洗の領域を塗り替え水兵を消し飛ばしたのだ。
初春の声を聞いて、アスカは頬を緩めた。アスカの後ろをついてくるだけだった雛鳥が、任せてくださいときたもんだ。
だが、今の初春になら背中を任せられる。そう思い、アスカは更に一歩を踏み込んだ。

633 ◆7VvSZc3DiQ:2016/11/03(木) 23:08:05 ID:ju7RNNqk0
以上で前編の投下を終了します
予約期限内に後編の投下をしますので、少々お待ち下さい

634名無しさん:2016/11/05(土) 03:59:01 ID:FKUv6rro0
熱いです、美しいです
後半期待してます

635名無しさん:2016/11/15(火) 00:43:53 ID:NRa082JI0
お久しぶりです
月報失礼します


話数(前期比) 生存者(前期比) 生存率(前期比)
107話(+1) 14/51(-0) 27.5(-0.0)

636名無しさん:2017/08/02(水) 20:10:45 ID:XtsQGu/A0
糸冬

637名無しさん:2017/11/07(火) 17:07:50 ID:avuANzwY0
丸一年はもうおわたくさい

638 ◆7VvSZc3DiQ:2019/05/06(月) 02:39:10 ID:c.bgJDYw0
長らく企画の進行をストップさせていたこと、誠に申し訳ございません。
ひとえに私の怠惰が理由であり、他の住人の方たちに対していくら謝罪の言葉を述べても足りないことは重々承知しております。
恥を重ねる形になってしまいますが、>>619-632の後編を書き上げましたので投下させてください。
よろしくお願いします。

639 ◆7VvSZc3DiQ:2019/05/06(月) 02:40:53 ID:c.bgJDYw0
続く二体目、三体目の水兵も、アスカと初春は難なく撃破していく。己の操る下僕が次々と突破されていくさまを見た御手洗は、憤怒と憎悪に顔を歪ませた。
御手洗は四体の同時操作のために分散していた思考リソースを、残る最後の一体に集中させる。今から新たな水兵を生み出している時間的、体力的な余裕はなかった。
多量の失血の影響か、意識はどんどん朧気になっていく。こちらに向かってくる二人の少女の姿さえ焦点が合わず、輪郭はぼやけてしまっていた。

そんな状態であるにもかかわらず、御手洗は迸る殺意を抑えることなく、満身創痍の身体を無理矢理に奮い立たせて、アスカと初春の二人を睨みつける。
御手洗とは決して相容れない主義を正義と主張し、自分たちの行いこそが正しいのだと言い張る彼女たちは、御手洗にとって不条理な世界の象徴そのものだった。
――だからこそ、絶対に負けられなかった。負ければ、何の意味も無くなってしまう。御手洗清志という存在の全てを、否定されることになる。
失血によってどんどん擦り減らされていく御手洗の思考は、強迫観念に似た妄執と、それに由来する殺意に満たされていく。

だが、それでも。御手洗がいくら感情を滾らせようとも。彼の感覚の鈍化は止められない。
「くそっ……! くそっ、くそっ、くそったれぇ!」
手放しかけた意識を悪態で繋ぎ止めても、それは応急処置にすらならないその場しのぎ。出血とともに失われた感覚は戻らず、御手洗の視覚は闇に沈んだままだ。
いくら水兵に己の血を注ぎ込み強化していたとしても、標的を満足に捉えられないまま闇雲に振るった拳が空を切るばかりでは何の意味もない。

「なんでだよ……! 僕は、正しいのに……間違ってるのはあいつらのほうなのに……!」

――御手洗にとっての『正しさ』が、世界のそれと決定的に違ってしまったのはいつのことだったろうか。
規範でならなければならないはずの教師が、何食わぬ顔で嘘をついたのを見たときだろうか。
それとも、いじめられていたクラスメイトをみんなが見て見ぬふりをしていたことに気づいたときだろうか。
或いは、いじめの新たな標的にされ、真冬の男子トイレで頭から冷水をかけられていた、あのときかもしれない。

『正しさ』はみんなを守るためのものだと信じていた。『正しさ』は悪に負けることなく、最後には必ず勝つものだと信じていた。
けれど現実には、正義の味方ぶってクラス内のいじめを止めようとした御手洗は新たなターゲットになり、いじめという悪はさらに加速した。

『ほらほら御手洗クゥ〜ン? お名前のとおり、みんなのトイレを綺麗にしましょうねぇ〜?』

――分かるか? みんなの前で無理やり便器に顔を突っ込まれ、黒ずんだ汚物を舐めさせられる人間の気持ちが。
少しの汚れを見るだけで拒否反応が出るようになってしまうほどの傷を心に刻まれた人間が、何を考えたのか。

「お前たちが言っているそれは……もう僕が捨てたものだ! そんなもの、僕を守ってはくれなかった! だから捨てたんだ!
 なのに……なのに! どうして今さら、そんなものを僕に突きつけようとするんだよ!!」

御手洗の悲痛な叫びが、広々としたフードコート内で反響した。同時に、御手洗が操る最後の水兵がその巨体を震わせる。
この水兵が御手洗にとっての最終防衛線。これを突破されれば御手洗を守るものは何一つ無くなってしまう。
御手洗は更なる力を求めて、鏃を握りしめようとした。だが、返ってくる感触はない。握力はとうに失われて、流れる血も残ってはいなかった。

残された力だけで、少女たちを殺すことができるだろうか。今の御手洗にはそれを考える余裕すらなかった。
御手洗の中に残った、ただ一つの執念が、人間を殺さなければならないという盲信が、彼を衝き動かす。
もう何も見えてはいなかった。視界は真っ暗で、どこを向けばいいのかも分からなくて、何があるのかすら不明瞭になっていた。
世界と御手洗を繋ぐラインがぶつんぶつんと途切れていく。自己とそれ以外が断絶され、孤立する。

640 ◆7VvSZc3DiQ:2019/05/06(月) 02:42:01 ID:c.bgJDYw0
それでもなお、御手洗は足掻こうとして――彼にとっての「自分だけの現実」である領域(テリトリー)を展開した。
テリトリー。自分の場所。世界から爪弾きにされた少年が、それでもなお自分の居場所を見つけようとして、手に入れた能力。
それを御手洗は、ただ振り回した。まるで癇癪を起こした子どものように。
そんな攻撃が、当たるはずがなかった。水兵の拳は何も捉えられず、ただ御手洗の生命をいたずらに消費するだけに終わるはずだった。

だが、もう一つの領域(テリトリー)が。「自分だけの現実」が。御手洗の存在そのものを受け止めるように――

「――私はいま、此処にいます。此処まで、来たんです。貴方の傍まで、手が届くところまで。貴方の手を、掴むために!」

水兵と初春の交錯は、一瞬だった。その一瞬の間に、水兵の腕は爆散する。初春が願う現実が、御手洗の思う現実を塗り潰したのだ。
本来ならば、起こるはずがない交錯だった。水兵はまるで見当違いの場所を殴りつけていたし、初春とアスカがその横をすり抜けて真っすぐ御手洗のほうへ向かえば、それで決着していたはずだった。
だが初春は、自ら水兵の正面へと回り込み、それを受け止めた。何故そんなことをしたのか、理由は初春自身にも分からなかった。
ただ、考えるよりも先に、身体が動いたのだ。頭ではなく心が、そうしたいと願ったのだ。そうしなければならないと、叫んだのだ。
御手洗に勝つためではなく、倒すためではなく、戦うためではなく。
守るために、救うために――初春は、此処に来たのだから!

「私は――貴方の全てを受け止めて、その上で救ってみせる! それが私の、救う覚悟なんです!」
「うるっ……さいんだよぉぉぉぉぉぉ!!」

御手洗の怒号と共に、水兵は残った腕で転がる椅子を拾い直す。先の接触で、少女たちの大まかな位置は分かった。
水兵の巨体が、大きく振りかぶる。近接戦では初春に分がある。ならば近づかれる前に仕留めるだけだと水兵が投擲した椅子が、一直線に初春へと飛来する!
響くのは甲高い衝撃音。そして――水兵によって椅子が投げられたその先には。同じく椅子を握り、投擲された椅子を叩き落としたアスカの姿があった。
強引に弾き落とした反動でじんじんと痺れる手に舌打ちをしながら、アスカは初春へと言葉を投げる。

「行きなさい、カザリ! あんたが信じたもののために! あんたの願いのために!」
「――はいっ!」

頷いて、初春は走り出した。アスカは黙ってそれを見守る。それは、ほんの少し前に見た光景に似ていた。
アスカが初春と綾乃の二人を御手洗から逃したときのそれだ。あのときの初春は、逃げることしかできなかった。
だが今は、逃げるためではなく、救うために走っている。後ろではなく、前へ。過去ではなく、未来へ。
行き先を見失っていた雛鳥が、ようやく飛び立ったのだ。

「……ミコト。あんたの”願い”、ちゃんと叶えたわよ」

走る初春を目掛けて、水兵が第二射を放とうとする。振りかぶった水兵の腕から放たれた瞬間――アスカが投げつけた椅子と、空中で衝突する。

「ま、自分で言いだした手前、仕方ないか。時間稼ぎなんて性に合わないんだけど、今日だけは特別ね」

勝つ必要はない。初春が御手洗のところまで辿り着けば、自動運転ではなく遠隔操作である水兵は動きを止めるはず。たった十数秒の足止めがアスカの勝利条件。
しかしそれさえも難しいほどに、アスカもまた限界が近づいていた。水兵との連戦は容赦なくアスカの体力を奪い、受けたダメージも殆ど回復していない。
それでもアスカは、膝を折ることなく立ち上がる。それがアスカのプライドだった。初春と同じようにぼろぼろになるまで傷つきながら、最後まで残った核心だった。
水兵がゆらりとアスカのほうを向く。アスカはぎゅっと、得物を握りしめた。

641 ◆7VvSZc3DiQ:2019/05/06(月) 02:42:44 ID:c.bgJDYw0
 ◇

手を伸ばせば届きそうなほどに、二人の距離は近づいていた。初春が手を差し伸べる。だが御手洗は、その手を、初春がもたらす救いを振り払った。
初春の言葉は、御手洗にとって悪魔のささやきだった。自分が――人間が犯してきた罪を赦され、幸せになる。それはあまりにも甘美な誘惑だった。
それはかつて御手洗が信じていた『正しさ』に、限りなく近い。正しく、美しく、誰もが幸せになるハッピーエンドだ。これ以上はない、最高の、理想の結末――

だからこそ。御手洗はその理想を、幻想だと断じた。

理想はあくまでも理想だ。現実はそんなに甘くはないんだ。罪を投げ捨てて幸せになるんだなんて烏滸がましいことが許されるはずがないんだ。
ヒトは、犯した罪に対して罰を受けなければならない。いくら罰を受けても償いきれないほどの罪を、人間は積み重ねてきたのだから。
御手洗は人間が犯してきた罪の数々を、黒の章に収められた映像という形で目の当たりにした。あれを見てもなお人間の存在を許容するなど、御手洗には到底出来ることではなかった。
御手洗にとって初春の言葉は全てが薄っぺらい虚飾だらけの戯言。初春の救いを肯定すれば、彼が今まで行ってきた全てを否定することになる。
かつて御手洗を襲った、人間の奥深くに棲む悪意こそがどうしようもなく現実で。自分を助けてくれなかった救いは幻に過ぎないのだと、御手洗は叫ぶ。

「幻想なんだよ! そんなもの、救いなんかじゃない! その手を取って救われるのは僕じゃない! お前なんだ! お前が罪から目を背けるために、僕を利用しようとしているだけだ!
 ――もう僕は選んだんだ! 人間という存在を、この世界から消し去ってしまうことを! お前が言う救いなんて、この世界にはないんだから!」


「……それは、違いますよ」


御手洗の叫びを聞いてなお、初春はそう言い切る。

「私は、救われたんです。だから此処にいるんです。私を救ってくれた人たちのことを――否定なんてさせません! 幻想だなんて、言わせません!」

初春の手を引いてくれた人たちが、初春の背中を押してくれた人たちが、初春の隣を歩いてくれた人たちがいた。
忘れられない人たちの存在を、忘れてはいけない人たちの思いを、初春は背負っている。だから何度でも、幾ら振り払われようとも、初春は手を伸ばす。
故に、両者の意見は平行線。交わることのない意思が、ただぶつかり合うのみ。

「だったらお前は、人間は罰を受ける必要なんかないと思ってるのかよ! あれだけの罪を重ねてきた人間たちがのうのうと生きるのを、見過ごせるのかよ!」
「私だって、罪をそのまま見過ごしていいだなんて思いません! でも……っ! 貴方がやろうとしていることは、私がしようとしていたことは、罪無き人に罰を与える行為です。
 きっとそれは、間違っている。私は貴方の間違いを見逃すわけにはいかないんです。私もそうやって、間違えてしまった人間だから!」

初春は自分と御手洗を重ねていた。夥しい悪意に飲み込まれ、正しさを、正義を見失ってしまった初春と御手洗は、よく似ている。
だからこそ分かることがある。見えてくることがある。伝えられることがある。

「貴方の質問に、答えてませんでしたよね。――桑原さんを殺してしまったとき、私が何を考えていたのか。何を感じていたのか。
 ……そこには、何もなかった。人を殺したのに、何もなかったんです。真っ暗で、真っ黒で――ただひたすらに、『無』だった。
 私は貴方に、同じ思いをさせたくない。だから私は何度だって、貴方を救うために、この手を伸ばします!」

642 ◆7VvSZc3DiQ:2019/05/06(月) 02:43:26 ID:c.bgJDYw0
初春は愚直に手を伸ばす。御手洗がこの手を握ってくれるまで、決して諦めないと誓う。

――きっと。初春が御手洗を救うには、何もかも足りない。

もっと言葉を識っていれば、すぐにでも彼を止められただろう。
もっと力があれば、御手洗がここまで傷つく前に救えただろう。
もっと時間があったなら、足りないものもいつか補えただろう。

だが今の初春は、何も持ってはいなかった。
初春の手からこぼれていった、すくいきれなかった多くのもののことを、彼女は思う。
自分の手の中は、空っぽになってしまったけれど。だからこそ握れる。何も残っていない手のひらなら、何だって掴める。

――――そして。伸ばされた右手が、ついに届く。

世界を憎んだ少年と、世界に救われた少女。二人が生きる世界は、本来は決して交わることがなかった世界だ。
だが、今この瞬間。幾多の悲劇と奇跡を経て、二人の世界は交錯する。
初春の手のひらの熱が、御手洗へと伝播していく。

「やめろ……! 僕に……僕に、触れるなぁぁぁぁ!」

御手洗は初春の手を振り払おうと、必死に身を捩った。
だが多量の失血により、御手洗の膂力は初春の細腕に抗うことすら不可能なほどに弱まっている。
握ったダーツを苦し紛れに振り回すも容易く取り押さえられ、そのまま押し倒される格好となる御手洗。

「……私は、」

初春の呟きが、御手洗の耳朶を打った。細い声だ。
先ほどまでの叫びとは違う、この距離でなければ届かない静かな声。
優しさと慈しみで構成されたその声は、御手洗の頑なな抵抗をするりとかわし、彼の中に溶けていく。

「貴方に伝えたいことが、沢山あるんです。訊きたいことも、沢山あるんです。
 私を救ってくれた人たちのことを、貴方に教えたい。貴方を縛って離さないもののことを、私は知りたい。
 それはきっと、とても時間がかかることだから――だから私に、貴方の時間をくれませんか?」

――聞くな。聞くんじゃない。
御手洗は、目を閉じて初春の声を無視しようと試みる。
だがいくら目を閉じても、耳はふさげない。少女が握る手からは、温もりが伝わってくる。
かき乱される。御手洗を今まで苦しめていたもの――しかし、彼が心の奥底では求めていたもの。
初春はそれを、御手洗に与えようとしている。彼が切り捨ててきたものを拾い集めて、手渡してくる。

「違う……! 僕は、お前とは違うんだ!」
「同じです。同じ、人間です。同じところも沢山あって、違うところも勿論あって、でも同じように、生きている。
 だから――貴方だって、きっと変われます。私が変われたように。沢山の人に変えてもらったように――貴方も、変われるんです」

初春の言葉を聞いた御手洗は、多量の失血により霞んでいく一方の朦朧とした意識の中で、己の道程を思い出していく。
己の中に在った正しさを見失い、自暴自棄になっていた御手洗に新たな目的と力を与えた人物――御手洗清志という少年の本質を変えてしまった男。
それが、仙水忍だった。

643 ◆7VvSZc3DiQ:2019/05/06(月) 02:44:25 ID:c.bgJDYw0
仙水は言った。人間は存在そのものが悪であり、罰を受けるべきなのだと――その生命をもって、罪を償わなければいけないのだと。
これはその証拠だと、黒の章と呼ばれる映像を見た。その中で繰り広げられていた光景は、御手洗のそれまでの価値観を覆すに十分だった。
同時期に得た『領域(テリトリー)』という名の能力はそのための力なのだと教えられ、仙水に言われるがままに人間という種を抹殺するための準備を進めてきた。
その矢先、この殺し合いに巻き込まれ――やはり人間は、罪と業を背負った存在なのだと痛感した。

そして――確かに。初春飾利が言うように、それまで御手洗清志が接してきた『人間』の中にはいなかったのかもしれない。
御手洗清志という『人間』を、そのまま受け入れ、愛してくれる『人間』が。
不意に御手洗の身体から力が抜ける。張り詰めていた緊張が解け、これまで拒絶し続けてきた初春の言葉がすんなりと耳に届く。

仙水は僕を同志だと受け入れたけれど、受け入れたのは御手洗清志という一個人じゃなくて「仙水の思想に賛同する人間」だった。
仙水が僕に与えたのは使命と役割だけで、僕が本当に求めていたもの――救われたいという心は、否定した。

だけど、僕は――いつだって償いの機会を、救われる機会を待ち続けていた。
眠るたびに夢を見る。あのビデオの中で泣き叫んでいた人たちが、僕を見つめてくる。
彼らを傷つけ、殺したのは僕じゃない。そう分かっていても、毎晩うなされるたびにまるで僕がやったことのように、心を苛まれる。
もう嫌だった。すべてを終わりにしてしまいたかった。

だから、己が傷つくことを恐れずに御手洗を受け入れようとした少女の姿に、救いを見てしまったのかもしれない。
それは心の奥底で御手洗が求めていた存在だったから。できるならば彼自身もまた、そういう者になりたいと、願っていたから。

御手洗は、ようやく気付く。少女の言葉は、既に御手洗を変え始めていたということに。

「そうか……僕も、変われる……いや、もう変わり始めてたんだ……」

御手洗がこぼした呟きに、初春は答える。

「そうですよ。私達は弱い人間ですけれど――変われるくらいの強さは、持ってるんですから」

そう言って微笑んだ初春の目尻には、涙が浮かんでいた。御手洗はそっと手を伸ばして、その涙に触れる。
それは誰のために流された涙なのか。御手洗のため? 初春自身のため? 恐らくは、その両方のために流された涙は、まだ温もりを保っていて。
ありがとう、と御手洗は呟いた。僕のために涙を流してくれる少女がいたから、僕は自分が変わったことに気付いた。

そして――御手洗は、握りしめていた鏃を、己の首元へと深々と突き刺した。

644 ◆7VvSZc3DiQ:2019/05/06(月) 02:45:00 ID:c.bgJDYw0
「えっ……!?」

初春が咄嗟に御手洗の腕を抑えるも、既に傷口は深く。鮮やかな赤が、その首からは流れ出ていた。
御手洗は笑う。とても穏やかに。
大事な存在の名前を、己を変えてくれた少女の名を、御手洗は言祝ぐように口にする――

「だから僕は――光子を、僕を救ってくれたあの人を――守らなきゃ――」

相馬光子という少女が、御手洗にとっての救いだった。初春飾利と対面する、ずっと以前から――御手洗は彼女に救われていた。
血を失い、死の淵に立ってようやく気付く。御手洗の中で、人間の罪や業など、優先順位は二の次になってしまっていた。
この世界がどうなろうと、人間がどうなろうと、それよりもただ、光子だけが御手洗にとっては重要で。

彼女がけっして綺麗な存在ではないということは最初から知っていた。
いや、或いは御手洗がこれまでに出会ってきた人間の中で、彼女が一番汚れていたかもしれない。
自分だって、仙水だって、おそらくは初春も式波も、相馬光子ほど犠牲者の側にいた人間ではない。
相馬光子は彼女を取り巻く世界から虐げられ、誰よりも黒く汚れていった。
だがそれでもなお美しく咲く孤高の花は――御手洗にとっての希望となった。

もう身体は動かない。立ち上がることすらままならないだろう。こんな状態では、光子と再会しても彼女を守るどころか足手まといになるだけだ。
だったら、自分がすべきことは、彼女が最後の一人になる確率を少しでも上げること。せめて目の前の少女を殺し、逝く。
その一心で、御手洗は首筋から流れ出る最後の生命の残滓を用いて、水兵を生み出す。
視界は闇に染まったままだ。何も見えないまま、残る力の全てを懸けて、ただ闇雲に振り回す。
それが何かに当たった手応えを感じて――御手洗の意識は、ぷつんと途絶えた。

645 ◆7VvSZc3DiQ:2019/05/06(月) 02:45:52 ID:c.bgJDYw0
 ◇

「――式波さん!」
「……生きてるわよ、なんとかね」

御手洗が放った一撃は、確かに初春を捉えていた。
だが、衝撃の瞬間――初春をかばうようにアスカが割り込み、一瞬だけ生まれた間隙を縫うように初春は『定温保存』を発動し、水兵の一撃を緩和させた。
勿論アスカ、初春ともに少なからずダメージを受けることにはなったが、両者ともに生命に関わるほどの傷を負ったわけではない。
戦闘の結果だけを見れば――御手洗は瀕死となり戦闘続行は不可能。初春とアスカはボロボロながらも生存と、その明暗ははっきりと分かれた。
初春とアスカは――勝ったのだ。

しかし初春は――呆然と座り込んだままだった。そこには勝利の余韻など欠片もなく、ただただ悲壮感と疲労感だけが、あった。
初春は元々、勝利など求めてはいなかった。初春が目指したのは、自分を逃がすために独り死地に残ったアスカを守り、自分の合わせ鏡のような存在である御手洗を救うこと。
だが――

「式波さん……私は、私は……っ! 彼を、救えなかった……!」

初春のやり方が、間違っていたのだろうか。或いは最初から上手くいく方法なんかなくて、ただ無駄に傷ついただけなのだろうか。
御手洗を救おうとしたこと自体が、初春のただの自己満足に終わってしまったということなのだろうか。

「……悪いけどね、カザリ。あたしはアンタが欲しがってる答えなんか、持ってないわ」

アスカもまた、全身を地に投げ出したまま答えた。
度重なる連戦と負傷で、アスカの身体ももう限界を迎えようとしている。

「でも、アンタの答えは、ちゃんと覚えてる」

「アンタは、こう言ってたわよ。アンタは、ヒーローじゃない。英雄でもない。主人公にもなれない」

でも。

「ただ、誰かのそばにいてあげられる、そんなやさしい人間になりたい――」

アスカは、御手洗を指さし、こう言った。
「アイツ――死ぬわよ」

御手洗は意識も朦朧としたまま、ピクリとも動かない。浅い呼吸の間隔はどんどん遠くなっていき、今にも止まってしまいそうだった。
もはや、指一本動かす力さえ残っていないだろう。今の初春とアスカに、御手洗を助けるための手段はない。御手洗の死は、確定していると言い切っていい。

「――このままアイツを死なせることが、アンタが望んだこと?」
「…………違い、ます……!」

震える足を必死に押さえつけながら、初春は立ち上がった。一歩ずつ、御手洗へと近づいていく。
救いは――そこに、ないのかもしれない。本当に、ただの自己満足のまま終わってしまうのかもしれない。
それでも、と初春は独りごちた。
ここで膝を折るのならば。ここで立ち上がらないのならば。最後に残った、ちっぽけなプライドすら捨ててしまうなら。
初春飾利のこれまでを、否定することになる。
彼女が関わってきた多くの人たちと、受け取ってきた多くの思いを、無かったことにしてしまう。

646 ◆7VvSZc3DiQ:2019/05/06(月) 02:46:23 ID:c.bgJDYw0
御手洗のもとへと辿り着く。ここまで来てもなお、初春は自分がどうすればいいのか、分からなかった。
何が出来るのだろう。どんな言葉が紡げるのだろう。何も分からないまま、初春は御手洗に寄り添った。

――声が、聞こえた。か細い声だ。今にも消えてしまいそうな声だ。

「みつ、こ……寒い、よ……」

――きっと、今。御手洗の傍にいるべき人間は、初春飾利ではないのだろう。彼に救いを与えられる人間は、相馬光子なのだろう。
それが分かっていても、なお。なお。

初春は、語る言葉を持たない。語ればそれは、初春飾利の言葉になってしまう。それはきっと、今の御手洗が欲しいものではない。
最後まで、伝えられる言葉を見つけられなかった。時間すらも、作れなかった。
だから、ただ――御手洗の手を、握りしめた。

最初に感じたのは冷たさだった。およそ人のものとは思えないほどに冷え切った、白い手だった。
血の気を失ったその手は、しかし、柔らかかった。そして、小さかった。小柄な初春の手と比べてもさほど変わらない。
思う。彼もきっと――自分の命よりも大事なもののために、戦っていたのだと。

ぎゅっと、強く握る。ぽろぽろとこぼれる涙が、二人の手の上に落ちていく。

「みつ、こ……?」

御手洗の呟きに対して、初春は沈黙を貫いた。彼の最後に傍にいる人間が、自分であると悟られることがないように。
せめて彼が、少しでも幸せな――救いを得てほしいと、強く願う。

「……あたたかいよ、みつこ……」

現実は、辛くて、冷たくて、悲しい。だから初春は、そんな現実を塗り替えようと――『自分だけの現実』を使う。
だが、この能力には世界を塗り替える力なんて存在しない。できるのは、せいぜい――握った手を、温めるくらいのことだ。
ただそれくらいのことしかできない無力さに、初春は泣いた。でも、最後にそれができたことにも、泣いた。

御手洗の手から、温もりが消えてしまうまで。
初春はずっと、彼の手を握り続けていた。


【御手洗清志@幽遊白書 死亡】

【残り13人】

647 ◆7VvSZc3DiQ:2019/05/06(月) 02:47:10 ID:c.bgJDYw0
【F-5/デパート/一日目 夜中】

【初春飾利@とある科学の超電磁砲】
[状態]:打撲 疲労(大) 『定温保存<サーマルハンド>』レベル3 全身ずぶ濡れ
[装備]:交換日記(初春飾利の携帯)@未来日記、交換日記(桑原和真の携帯)@未来日記、小さな核晶@未来日記?、宝の地図@その他、使えそうなもの@現地調達
[道具]:秋瀬或からの書置き@現地調達、吉川ちなつのディパック
基本行動方針:生きて、償う
1:みんなを守る。
2:辛くても、前を向く。
3:白井さんに、会いたい。
[備考]
初春飾利の携帯と桑原和真の携帯を交換日記にし、二つの未来日記の所有者となりました。
そのため自分の予知が携帯に表示されています(桑原和真の携帯は杉浦綾乃が所有しています)。
交換日記のどちらかが破壊されるとどうなるかは後の書き手さんにお任せします。
ロベルト、御手洗、佐野に関する簡単な情報を聞きました。御手洗、佐野に関する簡単な情報を聞きました。
アスカ・ラングレー、杉浦綾乃とアドレス交換をしました。

※『定温保存<サーマルハンド>』レベル3:掌で触れたもの限定で、ある程度の温度操作(≒分子運動操作)をすることが出来る。温度設定は事前に演算処理をしておけば瞬間的な発動が可能。
                     効果範囲は極めて狭く、発動座標は左右の掌を起点にすることしか出来ないうえ、対象の体積にも大きく左右される。
                     触れている手を離れると効果は即座に解除され、物理現象を無視して元の温度へ戻る。
                     温度に対する耐性は、能力発動時のみ得る事ができる。
                     温度設定の振り幅や演算処理速度、これが限定的な火事場の馬鹿力なのかは後続書き手にお任せします。

【式波・アスカ・ラングレー@エヴァンゲリオン新劇場版】
[状態]:左腕に亀裂骨折(処置済み) 腹部にダメージ 疲労(極大) 全身ずぶ濡れ
[装備]:ナイフ数本@現実、青酸カリ付き特殊警棒(青酸カリは残り少量)@バトルロワイアル、使えそうなもの@現地調達
   『天使メール』に関するメモ@GTO、トランシーバー(片方)@現実、ブローニング・ハイパワー(残弾0、損壊)、スリングショット&小石のつまった袋@テニスの王子様
[道具]:基本支給品一式×4、フレンダのツールナイフとテープ式導火線@とある科学の超電磁砲
風紀委員の救急箱@とある科学の超電磁砲、釘バット@GTO、スタンガン、ゲームセンターのコイン×10@現地調達
基本行動方針:エヴァンゲリオンパイロットとして、どんな手を使っても生還する。
1:体力の限界。
2:スタンスは変わらないけど、救けられた借りは返す。
3:ミツコに襲われているであろうアヤノの安否が気になる

[備考]
※参戦時期は、第7使徒との交戦以降、海洋研究施設に社会見学に行くより以前。
※杉浦綾乃、初春飾利とアドレス交換をしました。


※御手洗の所持品が亡骸のそばにあります。
(基本支給品一式、ブーメラン@バトルロワイアル、ラムレーズンのアイス@ゆるゆり、鉄矢20本@とある科学の超電磁砲、水(ポリタンク3個分)@現地調達)

648 ◆7VvSZc3DiQ:2019/05/06(月) 02:52:04 ID:c.bgJDYw0
以上で投下終了となります。
タイトルは「ストレンジカメレオン」になります。

重ね重ね、私の不徳の致すところにより企画進行を妨げてしまったことをお詫びいたします。
誠に申し訳ございませんでした。

649名無しさん:2019/05/06(月) 22:54:23 ID:qc9AcsFQ0
投下乙です
キルスコアは出せなくても初期からマーダーとして戦い続けた御手洗もこれで退場だと思うと感慨深いですね。
遅すぎたけど伸ばした手は確かに繋がって、最期は救われた。
血に塗れた現実と向き合った正義の物語の最後に相応しい話でした。


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