レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。
うにゅほとの生活3
-
うにゅほと過ごす毎日を日記形式で綴っていきます
-
2020年8月11日(火)
「××」
「はーい」
座椅子に腰掛けていたうにゅほが、四つん這いでこちらへ寄ってくる。
その頭を軽く撫で、
「ちょっと、俺のこと褒めてみて」
「ほめるの?」
「ああ」
「えらい」
「どう偉い?」
「しごと、まいにちして、えらい」
「大抵の人は毎日してると思うけど……」
「わたし、してない」
「××は毎日家事してるだろ。それって、ちゃんと仕事だと思うぞ」
「わたし、えらい?」
「偉い偉い」
「うへー……」
うにゅほが、てれりと笑う。
「逆、逆。俺を褒めるの」
「あ、そか」
気を取り直して、
「◯◯、すごい」
「どう凄い?」
「いろんなことしってて、あたまよくて、すごい」
「そうかなあ」
「わたし、しらないこと、なんでもしってる」
「なんでもではないけど……」
「すごいよ」
「××が教えてくれることだって、けっこうあるだろ」
「そかな」
「俺、テレビ見ないからさ。ニュースとか、コロナのこととか、いつも教えてくれるじゃん」
「テレビでやってただけだし……」
「何で知ったかは関係ないだろ。俺だって、本とインターネットの受け売りだよ」
「そう、なのかな」
「ああ」
「わたし、すごい?」
「凄い凄い」
「うへー……」
うにゅほが、てれりと笑う。
「逆、逆。俺を褒めるんだろ」
「◯◯、わざとやってる」
「バレたか」
「ばれた」
「途中から乗ってくれてたしな」
俺を褒めさせて、その後に切り返し、最終的にうにゅほを持ち上げる作戦である。
「◯◯、やさしい」
そう言って、うにゅほが微笑む。
その笑顔にどきりとしてしまったのは、夏のせいだろうか。
-
2020年8月12日(水)
「──ふう」
ペプシゼロのペットボトルが詰まったダンボール箱を後部座席に積み込み、一息つく。
「あっちー……」
シャツの内側が、染み出た汗でしっとりしている。
「きょう、ほんと、あついねえ……」
「今年いちばんじゃないかな」
「そうかも……」
暑い。
暑いったら暑い。
昨夜も大概熱帯夜だったが、今日はそれ以上かもしれない。
「こう暑いと、普段と違うことがしたくなるな」
「ちがうこと?」
「なんか、こう、特別な感じがするからさ」
「いいね!」
うにゅほが笑顔で頷く。
「なにする?」
周囲を見渡す。
「そうは言っても、スーパーだからなあ……」
何があるわけでもない。
「あ」
うにゅほが、スーパーの出入口を指差す。
「たからくじ」
そこに、宝くじ売り場があった。
「あんなところに売り場あったんだな。新しくできたのかな」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「ずっとあったよ?」
「マジ?」
「まじ」
完全に意識の埒外だったらしい。
宝くじとか、さして興味もないからなあ。
「じゃあ、ためしに買ってみるか。サマージャンボ売ってた気がするし」
「うん」
こうして、俺たちは、生まれて初めて宝くじを購入した。
「あたるかな」
「当たらないと思うぞ」
「でも、あたったらいいねえ」
「お金あったら、できること一気に増えるからな。当たるもんなら当たってほしいけど」
でも、無理だろうなあ。
なかば諦念と共に、抽選日を待つのだった。
-
2020年8月13日(木)
「◯◯、きょう、なにたべたい?」
「そうだなあ……」
昨日から、両親が旅行へ出掛けている。
帰宅は明日の予定だ。
そのため、我が家の台所事情は、すべてうにゅほに一任されている。
「肉かな」
「にく」
「ほら、最近暑いし……」
「なににく?」
「牛か豚」
「とりは?」
「嫌いじゃないけど……」
「じゃあ、とんかつにする?」
「いいな!」
「にく、かってこないとね」
「買い物行こうか」
「うん!」
昨日も立ち寄ったスーパーへと赴き、今日と明日の食材を買い込んでいく。
「さけるチーズ買っていい?」
「いいよ」
「ベルキューブは?」
「いいよ?」
「ベビーチーズ……」
「◯◯、チーズすきだねえ」
「好き」
「わたしにきかなくても、かっていいのに……」
「そうなんだけどさ」
なんとなく許可を取ってしまう。
「帰ったら、なんか手伝うよ」
「いいのに」
「邪魔?」
「じゃまじゃないよ、うれしい」
「なら、手伝おう」
「ありがと!」
うにゅほが、はにかみながら微笑む。
ふたりで作ったとんかつは、弟の舌をも唸らせる出来映えだった。
また一緒に料理をしたいものだ。
-
2020年8月14日(金)
夕刻、両親が旅行から帰宅した。
「ほら、おみやげあるよ」
母親が取り出したのは、昆布パイと書かれた包みだった。
「昆布パイ」
「こんぶパイ……」
「どこ行ってたんだっけ」
「利尻と礼文」
利尻島、礼文島。
日本最北の街である稚内市の西に位置する島だ。
昆布漁の盛んな島で、利尻昆布と言えば聞き覚えのある読者諸兄も多いだろう。
「それで昆布パイか。安直だなあ」
「おいしいのかな」
「昆布の風味はしないと思う。賭けてもいい」
うにゅほが小首をかしげる。
「なんで?」
「特産物を粉末にして生地に練り込んで◯◯パイだの◯◯クッキーだのにするのはこの手のおみやげの常套手段だからな」
「文句言うなら食べなくていいけど?」
「食べる食べる」
母親に奪われかけた個包装の昆布パイを開封する。
見た目はただの楕円形のパイだ。
──さくっ
案の定、食べてもただの楕円形のパイだった。
思った通り、昆布の風味は影も形を出てこない。
「××も食べるか?」
食べかけのパイを差し出す。
「うん」
小さな口が、パイをさくりと咀嚼する。
「パイだねえ……」
「パイだろ」
感想は他にない。
「どれ」
母親が、さらに小さくなったパイを口に運ぶ。
「……パイだわ」
「うん」
「ね」
不味くはないが、美味しくもない。
なんなら源氏パイを食べたい味だ。
おみやげに文句をつけながら、なんだかんだと食べ進めてしまう俺だった。
-
2020年8月15日(土)
「──……う」
ベッドの上で、ゆっくりと上体を起こす。
「あ、おきた」
「めっちゃ口渇いてる……」
「みず、のむ?」
「飲む」
「はーい」
うにゅほが、冷えた水の入ったペットボトルを冷蔵庫から取り出す。
「のんで」
「ありがとな」
水を飲む。
冷水が口内を潤し、喉の奥、胃まで流れ込んでいくのがわかる。
「ふー……」
「あたまとか、いたくない?」
「大丈夫」
「のみすぎだよ……」
「あんなに飲むつもり、なかったんだけどな」
自分の意思で飲んだというより、飲まされたと表現したほうが正しい。
「お客さん、帰った?」
「まだいる……」
嫌そうな顔のうにゅほに、思わず吹き出しそうになる。
「……下りたら、また飲まされるな」
「うん」
「まさか泊まりじゃないよな」
「ちがうとおもう」
「ならいいけど……」
「……はやくかえったらいいのに」
珍しく辛辣である。
まあ、ワインをガンガンに飲まされて、倒れるように横になった俺を見れば、仕方のないことかもしれないけれど。
「普段は九時には帰るんだけどなあ」
壁掛け時計を見ると、時刻は午後九時半を回っている。
「でも、まさか帰れって言うわけにも行かないしな」
「ぶぶづけだしたい」
「あー」
京都の、なんでも遠回しに言う文化は、こういった事情から発展したものなのかもしれない。
十時になって、客はようやく帰っていった。
うにゅほが、せいせいした顔をしていたのが、すこし面白かった。
-
以上、八年九ヶ月め 前半でした
引き続き、後半をお楽しみください
-
2020年8月16日(日)
事情は省くが、家族全員でiPhone11に機種変する運びとなった。
「めんどくさい……」
バックアップも、復元も、なんでもかんでも俺の仕事だ。
五人分、しかも、母親と弟のiPadまでとなると、それなりの手間になる。
正直、給料が欲しいくらいだ。
「……ごめんね、◯◯」
ばつの悪そうな顔をしながら、うにゅほが俺に謝る。
「ああ、いや」
うにゅほに当たるつもりはなかった。
「俺と××のぶんだけなら、ぜんぜん問題ないんだけどさ」
「わたし、いいよ?」
「いいことないだろ」
「でーた、そんなにはいってないもん」
「ゲームとかしてるじゃん」
「そんなにしてないし……」
「……あー」
どう言えばいいだろうか。
「ひとり、せいぜい一時間かそこらで終わるんだ」
「うん……」
「俺が、××のために、その程度の時間を割けない人間だと思う?」
「おもわないけど……」
「××のためなら、百時間だって頑張るよ。だから、たったの一時間くらい、やらせてほしい」
「──…………」
ぎゅ。
うにゅほが俺に抱き着く。
「うへー……」
よし、なんとかなった。
「まあ、めんどくさいはめんどくさいんだよな。特にiPad。緊急性が低いんだから自分でやれと言いたい」
「◯◯、あたらしくしなかったんだもんね」
「する理由ないし……」
まったく困っていないし、不満もない。
「……こういうときに全部やってあげるから、誰も覚えないんだろうなあ」
「うん……」
「××、やってみるか? やり方教えるからさ」
「いいの?」
「いいよ」
「じゃ、やってみたいな」
うにゅほは偉いなあ。
家族に爪の垢を煎じて飲ませたいくらいである。
まあ、うにゅほの爪に垢なんて溜まっていないけども。
-
2020年8月17日(月)
「パイナップルの日」
「ぱいなっぷるのひ……」
数秒の思案ののち、うにゅほの頭上に"!"が浮かぶ。
「ぱいなっぷるのひだ!」
「パイナップルの日以外の何物でもないよな」
「すっきりパターン」
「では、パイナップルの日ということなので、本日はパイナップルのことを考えていきたいと思います」
「はーい」
「××、パイナップルは好き?」
「すき」
「そうかそうか」
「◯◯は?」
「俺は普通かなあ……」
「そか」
「──…………」
「──……」
「話題、続かないな」
「うん……」
パイナップルの何について語り合えと言うのだろう。
「あ、そうだ」
「?」
「パイナップルって、どうやって生るか知ってる?」
「うーと、ぱいなっぷるのきーに、はえる」
「どんな木?」
「ふつうのき……?」
よくある勘違いだ。
「ぶー」
「どんなふうにはえるの?」
「想像してほしい」
「うん」
「先の尖った葉っぱが中央から放射状に生えた草むらがあるとする」
「うん」
「その中心からまっすぐ上に茎が伸びていて」
「うん?」
「その茎の頂点に、パイナップルが普通に置いてある感じ」
「──…………」
うにゅほの頭上に"?"が浮かぶ。
「説明が難しいな。写真見れば一発なんだけど」
「みたい!」
Googleで画像検索を行う。
「ほら」
「!」
うにゅほが目をまるくする。
「え、これ、ぱいなっぷる……」
「パイナップル」
「へん!」
「俺も、子供のころは、普通の木に普通に生ってるって思ってた」
「なかま」
「パイナップル畑の写真とか、すごいぞ」
「おお……」
なんだかんだでパイナップルの日を楽しむ俺たちなのだった。
パイナップル食べてないけど。
-
2020年8月18日(火)
買ったばかりの活動量計で、睡眠の記録が取れなくなってしまった。
「こわれた?」
「初期不良くさいな」
「しょきふりょう……」
うにゅほが、左手首の活動量計を外す。
「わたしの、つかっていいよ?」
「××のは××のだろ。初期不良なら交換してもらえるから、気にしない」
「そか」
安心したように、活動量計を着け直す。
気に入ってくれてはいるらしい。
「じゃ、ヨドバシに連絡入れるか」
「うん」
問い合わせ先を検索し、新しくなったiPhoneで電話を掛ける。
ツー、ツー、ツー
「……繋がらないな」
「はなしちゅうかな」
「五分くらい待つか」
「うん」
ツー、ツー、ツー
「まだ繋がらない」
「じゅっぷんくらいまつ?」
「仕方ない」
ツー、ツー、ツー
「だー!」
何度電話を掛けても、一向に繋がらない。
「連絡方法他にないのか……」
メールフォームなどもあるにはあるが、あまり評判はよろしくない。
数分検索して、
「コールバックサービスってのがあるみたい」
「なあに?」
「希望日時を指定して、オペレータから電話をしてくれるんだって」
「べんり」
「これなら大丈夫そうだな」
ほっと胸を撫で下ろしながら、コールバックサービスのページを開く。
電話番号、メールアドレスなどを入力し、希望日時の選択を行おうとしたときのことだ。
「……あれ?」
「どしたの?」
「チェックボックスがない」
「?」
「簡単に言うと、どの日時も選べない」
「なんで?」
「わからない。日時の指定なしでも行けるのかな」
進むボタンを押す。
赤枠赤字で"日時を入力してください"と表示される。
「──…………」
「──……」
「ダメだ、ヨドバシは」
「うん……」
注文すれば、届くのは早い。
店舗へ行けば、サービスも良い。
だが、ヨドバシドットコムのサポートだけは、本当にダメだ。
その後、二十回ほど電話を掛けて、ようやくサポートセンターに繋がった。
無闇に疲れた。
-
2020年8月19日(水)
「あさね、テレビみたんだけどね」
「うん?」
「きょう、ことしいちばんのあつさ、だって」
「あー……」
時刻は午前十時。
既に暑い。
温湿度計を覗き込むと、30℃をすこし回っていた。
「あれする?」
「どれ?」
「エアコンきんし」
「お、やるか」
真夏のいちばん暑い日、一日だけエアコンを禁止する。
そんな話を戯れにしたことを思い出した。※1
「じゃ、ルールを決めよう」
「ルール」
「水はちゃんと飲む」
「ねっちゅうしょう、なるもんね」
「扇風機は仲良く当たる」
「うん」
「最後に、本当にヤバそうだったらエアコンつける」
「そだね……」
遊びはあくまで遊び。
それで体調を崩しては、元も子もない。
「では、スタートだ」
「おー!」
と言っても、何をするでもない。
普段通りに過ごすだけだ。
「はちーねえ……」
「そうだな……」
正午を迎え、昼食をとり、自室へ戻ると、32℃になっていた。
「うわ」
「せんぷうき、ふたりであたろ」
「ああ……」
普段であれば、ここでうにゅほを膝に乗せていちゃつくところだが、暑さがわりと冗談になっていない。
木製の丸椅子をパソコンチェアの隣に据えて、ふたりで風に当たる。
「けっこうきついな……」
「みずのむ?」
「飲む」
水分補給だけは絶対に欠かさない。
「……33℃になったら、エアコンつけよう」
「うん……」
31℃少々で、暑いな、暑いね、と笑顔で言い合う予定だったのだが、今日の暑さはガチである。
午後二時を迎え、室温は見事に33℃を記録した。
エアコンの冷気が部屋を満たし、文明の素晴らしさに溜め息をつく。
「××、膝乗る?」
「のる!」
ある程度涼しくなければ、くっつくこともできない。
ちょうどいい暑さのときに、またやろう。
※1 2020年6月10日(水)参照
-
2020年8月20日(木)
「十二時から二時のあいだくらいに、新しい活動量計届くって」
「しょきふりょうのやつ、どうするの?」
「宅配業者に渡せばいいみたい」
「そなんだ」
「誰か来たら俺が対応するから、××は出なくていいよ」
「はーい」
午後二時──
「こないねー」
「仕方ないよ。時間指定は、ずれることもあるから、気長に待とう」
「うん」
午後四時──
「……こないね」
「何かあったのかな。連絡あってもよさそうなもんだけど」
午後六時──
「来ない」
「どしたのかな」
「発送されてんのかな……」
午後八時──
「……問い合わせ先、案の定繋がらないし。もう五十回くらい掛け直してるぞ」
「よどばし、だめだ……」
「本当だよ……」
そんな会話をしていると、PCにメールが届いた。
「──…………」
メールを開き、思わず天井を仰ぎ見る。
「どしたの?」
「交換商品出荷のご連絡、だって」
「いま……?」
「どうして、届くって約束した日に出荷するんだよ。約束の時間に家を出るようなもんだぞ……」
「よどばし、だめだ」
「ダメだ」
「すきだったのにな……」
がっかりした様子のうにゅほに、慌ててヨドバシを擁護する。
「店舗は好きだけどな。サービスいいし、駐車もできるし」
「うん……」
「無理に嫌いになることないよ。ヨドバシドットコムを利用するのはやめにして、今後は店舗に直接行こう」
「うん」
客にここまで言わせないでほしい。
本当は、こんな愚痴っぽいこと、日記にしたくないのだけど。
-
2020年8月21日(金)
「はあ……」
小さく溜め息をこぼす。
「◯◯?」
これ見よがしに発したわけではないが、うにゅほが鋭く反応する。
「どしたの?」
「ああ、いや……」
逡巡ののち、答える。
「昇進、嫌だなって」
「あー……」
2020年9月1日をもって、俺は昇進する。
たしかに給料は上がる。
だが、仕事も増える。
何より、
「出勤するのが嫌だ……」
そう、在宅のみの仕事ではなくなるのだ。
在宅仕事は変わらずあるため、出勤後はいったん自宅へ戻るのだが、夕刻にはまた職場へ赴かなければならない。
「めんどくさいオブザイヤー……」
「しゅっきん、しないとだめなの?」
「ダメなの」
「どうしても?」
「どうしても」
「うー……」
うにゅほが唸る。
俺も唸りたい。
「前向きに、給料が上がるのを喜ぶべきなのはわかってるんだけどさ」
「でも、むずかしいよ」
「まあなあ……」
給料自体に不満はなかったわけだし。
「でも、老後のことを考えると、貯蓄が多いに越したことはないし」
「そだけど……」
「なんとか前向きに捉えてみるよ。ありがとな」
うにゅほの頭を、ぽんぽんと撫でる。
「まあ、そのうち慣れるだろ……」
「ぐちとか、いってね?」
「うん」
優しい子だ。
この子のためなら頑張ろうと思えるのだった。
-
2020年8月22日(土)
「……?」
部屋の隅に白い棒が落ちていた。
「なんだこれ」
拾い上げる。
不思議な感触だ。
「金属──じゃ、ないな」
「どしたの?」
うにゅほが手元を覗き込む。
「なんか落ちてた」
「なんだろ」
「××もわからない?」
「うん……」
うにゅほがわからないのでは、俺もわからない。
つん、つん。
うにゅほが、白い棒をつつく。
「ちょっとつめたい」
「そうなんだよ」
この白い棒は、不思議と冷たいのだ。
「てつじゃないね」
「見た目もそうだし、中に入ってそうな感じもしない」
「なんだろ……」
「セラミックじゃないかな」
「せらみっく」
「なんて言うのかな。焼き物?」
「やきもの……」
「茶碗とか、そっち系」
「あー」
うにゅほが、うんうんと頷き、小首をかしげる。
「なんでせらみっくがおちてるの?」
「わからん……」
本当にわからん。
「仮説一、誰かが置いた」
「だれ……?」
「誰だろう」
「ないとおもう」
「俺もそう思う」
置くとしたら家族の誰かしかいないし、そうなると動機がわからない。
「仮説二、こっちは有力だぞ」
「どんなの?」
「何かの部品だった」
「あー」
「何かの一部が取れて落ちたんなら、納得行くだろ」
「ありうる」
「ただ、何の一部だったんだろうな……」
「さあー……」
落ちていた場所の周辺を見る。
それらしいものはない。
結局すべては謎のまま、白い棒だけが残されたのだった。
どうしよう、これ。
-
2020年8月23日(日)
「──…………」
起床し、顔を洗い、歯を磨く。
そして、モンダミンを口に含み、三十秒間口内をすすぐ。
ひどい味だが、慣れれば慣れるものだ。
「もんだみんしてる」
洗口液を洗面台に吐き出し、
「××も、すこしは慣れたか?」
「すこしは……」
毎日ではないが、たまに使っているのを見掛ける。
「でも、じゅうびょうしかできない」
「短い……」
「ぴりぴりするの」
「わかるけどさ」
「しないより、いいよね」
「まあな」
効果は薄くとも、やらないよりはましに違いない。
「でも、十秒我慢できるなら、二十秒行けないか?」
「ばい……」
「倍と考えるからよくない。たった十秒追加するだけと考えよう」
「ものはいいようとおもう」
知恵をつけおって。
「ほら、やってみ」
「うん……」
うにゅほが、洗口液をキャップに注ぎ、口に含む。
「ふむ゙ー……!」
言語化しにくいうめきを上げながら、恐る恐る口をすすいでいく。
「ごー、ろーく、しーち、はーち」
「……〜!」
「きゅー、じゅー、じゅー……いち、じゅー〜……に、じゅー〜…………さん」
「ふぶ!」
ぺ。
洗口液を吐き出し、水でうがいをして、うにゅほがこちらへ向き直る。
「のばすのずるい!」
「ごめんごめん」
「もー……」
「でも、二十秒くらい行ったんじゃないかな」
「ほんと?」
「たぶん」
「たぶんかー……」
たぶんじゃなー、と続けて、ふたりで自室に戻る。
次は低刺激のものをと思いつつ、なかなか減らないモンダミンなのだった。
-
2020年8月24日(月)
「ただいまー」
「おかえり!」
友人と食事をとり、午後十時過ぎに帰宅した。
「きょう、はやかったねえ」
「飲みじゃなかったしな。飲んだけど」
「どのくらいのんだの?」
「梅酒ソーダ五杯くらい」
「たくさんのんだねえ」
「そうでもないよ」
「そなの?」
「そうなの」
「でも、いえでのむとき、ごほんのんだらよってるよ」
「家飲みと外飲みは違うんだよなあ……」
「そなの?」
「そうなの」
何故違うのかは、よくわからないが。
「××、ソルティライチ飲む?」
「のむ」
ローソンで購入したソルティライチのペットボトルを消毒用アルコールで消毒し、うにゅほに手渡す。
「あれ、あいてない」
「消毒してから開けないと、コロナが怖いからさ」
「あー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
そして、小首をかしげた。
「なんでかったの?」
「おみやげ」
「おみやげ」
「嘘。五千円札崩すのに買ったんだよ」
「うそだった……」
「お菓子とかのがよかったかな」
「ううん」
うにゅほが首を横に振る。
「これがいい」
「××、好きだったっけ」
「ふつう」
「普通か」
「はんぶんあげるね」
「ありがとう。うがいと手洗い、ちゃんとしたから」
「うん」
生ぬるいソルティライチは、それなりの味がした。
-
2020年8月25日(火)
風呂上がりのことだ。
「××、メンソレータム塗って」
「はーい」
あせもが、二週間経っても治らない。
いまだに痒いままだ。
「なおんないねえ……」
「痒くてどうしても掻いちゃうから、そのせいかな」
「そのせいとおもう……」
「だよなあ……」
わかっている。
わかってはいるが、痒いのだ。
「メンソレータムで痒み止めてるだけじゃダメだな。あせもの薬塗らないと」
「ひふかいく?」
「明日、ドラッグストア行こう。遅きに失した感もあるけど……」
「わかった」
「明日晴れたら、海も見に行こうか」
「いく!」
うにゅほの目が、きらきらと輝く。
「やくそく、おぼえててくれたんだ……」※1
「当たり前だろ」
ずっと機会を窺っていたのだ。
「でも、どこ行こうかな。砂浜とかがいい?」
「すなかー……」
「じゃあ、新港。釣り客いるけど」
「あんましひといないとこがいい」
「うーん……」
わがまま娘め。
「いっそ、小樽行くとか」
「おたる!」
「人は多そうだけど、行く途中で海見えるし、ちょっとした観光もできるし」
「おたるいきたい……」
「よし、決まりだな」
「うん!」
「明日、晴れたらいいな」
「はれてほしい……」
天気予報では晴れとなっているが、台風が西のほうを通っているらしいから、すこし心配だ。
晴れますように。
※1 2020年7月26日(日)参照
-
2020年8月26日(水)
「──ほら、××。そろそろ海が見えるぞ」
国道5号線を西進するうち、木々の隙間から紺碧の海が覗き始める。
「わあー!」
うにゅほが、運転席側まで身を乗り出した。
「危ないって」
「あ、ごめんなさい……」
「どっかでいったん停めるか」
「うん」
適当にUターンし、景色の特段良い場所で車を停める。
「うみだー……」
「綺麗だな」
「うん」
「沖縄の海みたいに明るい青じゃないけど、これはこれで悪くない」
「あ、ヨットだ」
「本当だ」
「うごいてる」
「そりゃ動くだろ、ヨットなんだから」
「すごいねえ」
「乗ってみたい?」
うにゅほの顔が素に戻り、
「え、いい……」
「──…………」
乗りたくはないらしい。
「前、母さんが、豪華客船乗ってきたじゃん」
「うん、たのしかったって」
「ああいう旅行って憧れたりしないの?」
「ふね?」
「うん」
「ふね、こわい……」
「飛行機より怖くないと思うけど」
「だって、まわりぜんぶうみなんだよ。こわい」
「そうかな……」
「ひこうきのが、のってみたい」
「いや、飛行機は空飛ぶんだぞ」
「ひこうきだもん」
「故障したら船より危ないって。一瞬だぞ」
「ふねもあぶないよ。たいたにっく」
「フェリー航路に氷山なんてないだろ」
「ひこうきのじこ、こうつうじこよりかくりつひくいって」
「まあ、そうなんだけど……」
謎の言い合いが始まったが、これはこれで楽しい。
その結果、
「──家がいちばんだな!」
「うん」
落ち着くところに落ち着いてしまった。
「そろそろ小樽行くか」
「いく!」
小樽では、大して何をするでもなく、普通にルタオでお土産を買って帰ってきた。
色内通りフロマージュ、美味しいです。
-
2020年8月27日(木)
視界の端を、小さな黒いものが横切った。
目で追うと、ふわふわと不規則な動きで好き勝手に飛び回っている。
コバエだ。
殺虫剤を吹き掛ければ一発なのだが、取りに行くまでに見失うだろう。
そっと手を伸ばし、風圧で吹き飛ばさないよう細心の注意を払いながら、コバエを掌中に収める。
ギュウギュウと念入りに潰したあと、手を開いた。
「……いない」
わかっていた。
予想はついていた。
俺の周囲をひらひらと舞うコバエが憎らしい。
「なんか、今年って、コバエ多くないか?」
「おおい……」
「俺たちの部屋で見ることなんて、滅多になかったもんな」
「うん」
「どこかで繁殖してるとか」
「そうなのかな……」
しかし、俺たちの部屋に生ゴミはない。
うにゅほが片付けてくれるから、部屋は清潔そのものだ。
それに、室内で繁殖していれば、いくらなんでも気付くだろう。
「やっぱり、どこかから入ってきてる説が有力かな」
「まど?」
「窓かもしれないし、他の部屋かもしれない」
「うーん……」
「怪しいのは台所だな。台所、コバエいる?」
「たまにいる」
「台所から、流れ流れて俺たちの部屋に来てるのかな」
「でも、ちょっととおいきーする……」
「たしかに」
自室に二、三匹も迷い込むのなら、もっと家中で見掛けそうなものだ。
「でも、部屋で増えてるとは思えないんだよな……」
「うん……」
どこから来て、どこへ行くのか。
謎である。
秋は目の前だし、すぐにいなくなるのが不幸中の幸いだ。
-
2020年8月28日(金)
「寒い……」
震えながら起床する。
「エアコン効きすぎじゃない?」
「そかな」
「寝冷えしそう」
「そと、すーごいあついよ」
「暑いとは聞いてるなあ。何度くらい?」
「うーとね。さいこうきおん、さんじゅうさんどだって」
「そりゃ暑い……」
半端ではない。
「だから、設定温度低めにしてたのか」
「うん。まけないようにって」
「なるほど……」
だが、それで風邪を引いては本末転倒だ。
「一時間くらいエアコン止めて、設定高めでつけ直そうか。ちょっと寒い」
「まどあける?」
「開けとこう」
「わかった」
エアコンを止め、窓を開ける。
──むわっ。
熱気が全身を包む。
冷えた体にちょうどいい。
「おー……」
「あつくない?」
「暑いな」
「てーだして」
「はい」
うにゅほが、俺の手を両手で包み込む。
「ほんとだ、つめたい」
「エアコン、ベッドの真上にあるからなあ……」
「……ごめんね。へやのおんどのことしか、かんがえてなかった」
「謝ることないって」
苦笑し、うにゅほの頭をぽんぽんと撫でる。
「しかし、本当に暑いなあ……」
「ひざし、すーごいよ」
「夏の終わりを感じる」
「そだね……」
センチメンタルな気分で窓の外を眺めていると、
「……汗ばんできた」
あっと言う間に室温が上がり始めた。
「一時間保たないわ、これ。設定温度一度上げて、つけ直そう」
「うん」
「ちょっとトイレ行ってくる」
「いってらっしゃい」
自室を出ると、熱く蒸し上がった空気が全身に絡みついた。
一瞬で汗腺が開くのがわかる。
「──…………」
うにゅほは正しかった。
俺がわがままだったのだ。
手早く用を済ませ、自室に戻ると、エアコンの設定温度を元に戻した。
これくらいしなければ、この暑さには対抗できない。
暑さと戦い続けた一日だった。
-
2020年8月29日(土)
風呂上がりのことだ。
「××、軟膏塗って」
「はーい」
うにゅほが、三日前に購入したあせもに効く軟膏を指に取り、俺の膝裏に擦り込む。
「まだかゆい?」
「だいぶましになった気がする」
「みためね、なおってるよ」
「マジか」
「あかくないし、ぶつぶつないし、きれい」
「へえー……」
さすが、あせも用の薬である。
「オロナインもメンソレータムもいい薬だけど、効能にない症状には効かないんだな。当たり前だけど」
「おろないん、なんでもきくっておもってた……」
そのオロナイン万能説はどこから来たんだ。
「しかし、あせもがこんなに長引くとは思わなかったなあ」
「そだねえ」
「二、三日で治るとばかり……」
「かくから」
「痒いんだもん」
「かゆいのしかたないけど……」
「起きてるときは我慢できても、寝てるときはどうしようもないし」
「そうかも……」
「──…………」
うにゅほのことが、すこし心配になる。
「……俺が言うのもなんだけど、××、ちょっと誤魔化されやすいぞ」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「痒いのは仕方ないけど、掻いちゃダメだろ」
「でも、ねてるとき、どうしようもないし……」
「いくらでも対策可能だろ。腰回りのきついズボンを穿いて寝るとか、薄手の手袋をするとか」
「あー」
「要は、爪で掻くのを防止すればいいんだ。俺の言葉は怠惰の言い訳だよ」
「そなんだ……」
「いやほんと、当人が言えたことじゃないんだけどさ……」
言ってて恥ずかしくなってきた。
「ごまかされやすかったら、だめ?」
「ダメっていうか、危ないだろ。詐欺とかに遭うかも」
「◯◯、わたしに、さぎするの?」
「俺はしないけど」
「じゃあ、いいかなあ……」
うにゅほが微笑む。
「◯◯、まもってくれるから」
「──…………」
それは、ずるい。
そんなことを言われたら、守らざるを得ない。
「この野郎」
「むい」
うにゅほのほっぺたを、むにむにと伸ばす。
何があっても彼女を守ろうと、決意を新たにするのだった。
-
2020年8月30日(日)
「──……?」
耳を澄ます。
遠くで何がが鳴っている。
それも、断続的な音だ。
「なんか鳴ってる」
「なんか?」
「ほら」
うにゅほが口をつぐむ。
「なってる……」
「なんだろ、これ。外だよな」
「そととおもう」
「窓開けてみるか」
「うん」
立ち上がり、窓を開ける。
──ビー! ビー! ビー!
「あー……」
聞き覚えのある音だ。
「あ、これかー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「××、なんの音かわかったのか?」
「うん」
得意げに胸を張る。
「教えて教えて」
「うふー」
自分はすぐにわかったが、俺はまだ気付いていない。
滅多にないことだからか、妙に嬉しそうだ。
仕方がない、気付いていないふりをしておこう。
「あれね、くるまぬすまれないように、ならすやつだよ」
「あー」
うんうんと頷いてみせる。
わざとらしくなかっただろうか。
「じゃあ、誰かが車を盗もうとしたのかな」
「そうかも……」
「まあ、誤動作もよくあるし、そうとは限らないかな。このへん治安いいし」
「どろぼうじゃなかったらいいね」
「そうだな」
そうこうしているうちに、セキュリティアラームの音がぴたりと止んだ。
「とまった」
「止まったな」
原因はわからないが、しばらくのあいだは戸締まりに気を払おうと思った。
-
2020年8月31日(月)
うにゅほが、ぽつりと呟いた。
「……しょうしん、あしたからだね」
「──…………」
「しごと、ふえるね」
「××」
うにゅほの両肩に手を置く。
「……?」
「今日は野菜の日だぞ」
「やさいのひ……」
「8月31日で、野菜の日だ」
「そだね」
「夕飯は野菜炒めかな」
「ちがうけど……」
「何の予定?」
「カレー」
「そっか、楽しみだな」
「──…………」
「──……」
「しょうしん」
「あー、聞こえなーい!」
両耳を塞ぎ、その場にしゃがみ込む。
「今日は野菜の日! 明日はキウイの日!」
「◯◯……」
うにゅほが、俺の頭を撫でる。
「つかれてるのかな……」
「疲れてるかもしれない……」
「しょうしん、したくない?」
「したくない」
「そっか……」
俺の頭を抱き締め、うにゅほが口を開く。
「ごめんね。わたし、なにもできない」
「──…………」
「わたしもがんばるから。かじとか、がんばるから」
「──…………」
「だから、◯◯も、がんばって……」
「──…………」
なかば冗談で嫌がってみせたのだが、引くに引けなくなってしまった。
「……ありがとう、××。元気出てきたよ」
「カレー、おいしいのつくるからね」
「うん、楽しみだ」
そう言って、離れる。
「明日から頑張るからな。上がった給料で何か食べに行こう」
「うん!」
給与明細を楽しみに、まずは一ヶ月乗り切ろう。
-
以上、八年九ヶ月め 後半でした
引き続き、うにゅほとの生活をお楽しみください
-
2020年9月1日(火)
9月1日より、昇進した。
給与は上がるが、仕事も増え、責任も大きくなる。
ずっとヒラでいたかったが、こればかりは仕方がない。
「はー……」
溜め息と共に帰宅する。
「──おかえり!」
玄関の開閉音を聞きつけたか、うにゅほが駆け下りてくる。
「ただいま、××」
「どうだった……?」
「思ってたよりは大変じゃないかな。面倒は面倒だけど」
「そか……」
在宅ワークの身に通勤の義務が発生した時点で面倒極まりないが、会社での仕事はそう多くない。
大半の仕事は今まで通りだ。
純粋に通勤仕事が増えただけとも言えるが、業務内容が大きく変わらないのはありがたい。
「まあ、これで給料が増えるんなら、そう悪くないかも」
「いくらふえるの?」
「耳貸して」
「うん」
うにゅほの耳に、そっと息を吹き掛けた。
「ひぅ!」
うにゅほが仰け反る。
「なにー……」
「ごめん、つい出来心で。ほら、もっかい耳貸して」
「……もうしない?」
「もうしない」
再び近付いてきたうにゅほに、そっと耳打ちをする。
具体的な額は、ここでは明かさない。
「ほー……」
うにゅほが目をまるくする。
「けっこうあがる……」
「だろ」
「ちょきん、たくさんできるね」
「欲しいものも買えるし」
「なにほしいの?」
「今は、特にないかなあ。××は?」
「わたしもとくに……」
いまいち物欲のないふたりである。
「まあ、老後に備えるのは大切だから」
「そだね」
欲しいものができたときのために、お金は貯めておけばいい。
あればあるだけ困らない。
慎ましく生きていこう。
-
2020年9月2日(水)
「うーしょ、と」
うにゅほが、一抱えほどもあるダンボール箱を自室へと運び込む。
「なんかとどいたー」
「重くなかったか? 大きい荷物なら、呼べばよかったのに」
「そんなおもくなかったから、だいじょぶ」
「そっか」
「これ、なんだろ」
「覚えはある。まあ、開けてみるか」
「うん」
ダンボール箱を開封する。
中には、個包装された食品が三十パック。
「サラダチキン?」
「サラダチキン」
「セブンイレブンのとちがう……」
「いろんな味があるやつ、試しに買ってみたんだ」
「へえー」
がさごそと、うにゅほが適当なパックを手に取る。
「とりめし、だって」
「コーンポタージュもあるぞ」
「やきそば!」
「ペペロンチーノ味ってどんなだ……」
「おいしそう」
「ひとつ、試しに食べてみたいけど──」
冷凍便で届いたため、そのすべてがガチガチに凍りついている。
「うーと」
うにゅほが、付属の紙を読み上げる。
「れいぞうこで、しぜんかいとうしてください、だって」
「だよなあ……」
無闇に解凍すると、味が落ちる。
そういうものだ。
「しゃーない。冷蔵庫に入れて、しばらく放置しようか」
「うん」
三十パックのサラダチキンを、自室の冷蔵庫に入れる。
冷蔵庫での解凍は時間が掛かるもので、十時間経ってもまだまだ凍りついたままだ。
今日はもう夕飯を食べてしまったし、サラダチキンの味見は明日に回すことにしよう。
まずは何味を試そうかな。
うにゅほに選んでもらおうか。
-
2020年9月3日(木)
「──お、溶けてる溶けてる」
冷蔵庫で解凍されたサラダチキン。
そのすべてが、本来の柔らかさを取り戻していた。
「一日ひとつずつ食べていきたいと思うんだけど、一日目はどれがいい?」
「わたし、えらんでいいの?」
「ああ。半分こするつもりだしな」
「うへー……」
微笑みながら、うにゅほが冷蔵庫を覗き込む。
「きになってたのね、いろいろあるの」
「どれとか?」
「うーとね、コーンポタージュと、とりめし。あとペペロンチーノ」
「あー」
思わず頷く。
「想像できないもんな」
「あじは、そのあじなんだとおもうけど……」
ただ、それがサラダチキンのフレーバーとなると、話は別だ。
「◯◯、どれきになる?」
「その中だと、鶏めしかなあ。チキンだから鶏なのは間違いないんだけど、サラダチキンとは程遠い調理法だし」
「とりめし、たべてみる?」
「食べてみるか」
「うん」
鶏めし味のサラダチキンの包装を開き、匂いを嗅ぐ。
「……鶏めしだ」
「とりめし」
「嗅いでみ」
「うん」
すんすん。
「とりめしだ!」
「思った以上に鶏めしだぞ、これは」
「たべてみて」
「うん」
サラダチキンの端を囓る。
鶏めしが口内で香り、コリコリとした食感が歯を楽しませる。
「ゴボウ入ってる……」
「すごい」
「ほら、食べてみ」
「うん」
うにゅほが、遠慮がちに、サラダチキンを口にする。
「とりめしだ……!」
「再現度すごいな」
「おいしい」
「明日はコーンポタージュ試してみるか」
「うん!」
一日の楽しみがひとつ増えた。
我ながら安上がりである。
-
2020年9月4日(金)
夕食後、自室に戻ったときのことだ。
「あっつ……」
襟元をパタパタと開閉し、内側に空気を送り込む。
「なんか、俺たちの部屋だけ暑くない?」
「あつい……」
俺の真似をしてか、無意識か、うにゅほも襟元をパタパタさせる。
「いまなんど……?」
「えーと」
温湿度計を覗き込む。
「31℃」
「なんで?」
「知らんがな」
「くがつはいったのにねえ……」
「残暑ってやつかな」
「でも、うちのへやだけだよ」
「日当たりの問題だろうな」
南東と南西に窓のある俺たちの部屋は、日中、常に陽射しに晒される。
その輻射熱が夜まで残っているのだろう。
「おひるのほうが、すずしかったきーする」
「風あったからな」
「かぜ、やんじゃったもんね」
「窓開けてても、ぜんぜん空気入ってこないよ……」
「エアコンつける?」
「つけよう」
「はーい」
ぴ。
自室のエアコンが稼働を始める。
「ふぶふぃー……」
エアコンの真下で冷風を受け止めながら、うにゅほが頬を緩ませる。
「結局、今年も、エアコンに頼りきりだったな」
「エアコンなかったら、しんじゃうかも」
「死にはしなくとも、軽い熱中症にはなってたかもしれない」
「あつかったもんね……」
「リフォーム前とか、よくエアコンなしで凌いでたと思うよ……」
「どうしてたっけ」
「たしか、薄着で、ひっつくみたいに、扇風機の風に当たってた気がする」
「──…………」
ぴと。
うにゅほが俺に身を寄せる。
「こんなかんじ?」
「いや、こんな感じ」
そう言って、うにゅほをぎゅっと抱き締める。
「うへー……」
結局のところ、磁石のように、互いにくっつきたがるのが俺たちである。
エアコンの有無は関係ないのかもしれない。
-
2020年9月5日(土)
「──…………」
ふらふらと起床し、顔を洗う。
眠い。
眠いが、さすがにこれ以上は寝ていられまい。
顔を拭き、自室に戻る。
「おはよー」
「……おはよう」
「ねてたねえ」
「寝てた。休みの日、ほんと眠い……」
寝溜めに意味はないと聞くが、寝溜めをするつもりは毛頭なく、ただ眠いから寝ているだけだ。
「あさ、ちょっとおきてたよね」
「八時くらいに、いったんな」
「いま、さんじ」
「三時だな……」
「なんじかんねたのかな」
うにゅほが、俺の左手首の活動量計に視線を向ける。
「見てみるか」
「うん」
スマホを取り出し、Fitbitのアプリを起動する。
「……9時間35分寝てる」
「ねてる!」
「めちゃくちゃ寝てるじゃん……」
「きのうは?」
「えーと、6時間14分か。平日はだいたいこんなもんかな」
「いってんごばいねてる」
「××はどのくらい寝てるんだ?」
「うーとね」
うにゅほがスマホを取り出し、アプリを起動する。
「ごじかんにじゅうにふん、ねてる」
「昨日は?」
「きのうは、しちじかんごふん……」
「あれ?」
記憶を探る。
「一昨日、一時くらいまで起きてなかったか?」
うにゅほの起床時間は、常に早朝六時。
普通に考えれば五時間、寝入るまでの時間を考えると四時間台でも不思議ではない。
「えと……」
うにゅほが、恥ずかしそうに口を開く。
「おひるねしたの……」
「そうだったんだ」
「……うへー」
「なんで照れるの」
「なんとなく……」
「朝早いんだし、昼寝くらいしたっていいだろ」
「そうなんだけど……」
それでも、恥ずかしいものは恥ずかしいらしい。
女心は複雑だ。
-
2020年9月6日(日)
「妹の日」
「いもうとのひ……」
「妹の日だぞ」
「さんかげつきざみなんだっけ」
「その通り」
弟の日は、3月6日。
兄の日は、6月6日。
妹の日は、9月6日。
姉の日は、12月6日。
理由こそはっきりしないものの、三ヶ月ごとに兄弟姉妹の日があることは確かだ。
「──と、いうわけで」
「はい」
「お兄ちゃんって呼んでみて」
「おにいちゃん?」
「うっ」
心臓にダメージが入る。
「……もっかい呼んでみて」
「おにいちゃん……」
「妹よ!」
「わ」
思わずうにゅほを抱き寄せる。
「よし、なんでも買ってやるぞ!」
「どしたの?」
「思わず……」
妹の魔力にやられてしまった。
「おにいちゃんって、よんだら、うれしい?」
「どうだろう」
「うれしくないの?」
「単に、いつもと違う呼び方が新鮮ってだけかもしれない」
「いつもとちがうよびかた……」
数秒ほど思案し、うにゅほが口を開く。
「……あなた?」
「ウッ!!」
心臓に大ダメージが入る。
「そ、それはダメだ。破壊力が」
「そか……」
「こう、幼馴染っぽく、ちゃん付けで呼んでみて」
「◯◯ちゃん?」
「あ、ちょっといい……」
「そなんだ……」
よくわからんという顔をするうにゅほに付き合ってもらって、いろいろな呼び方を検証する。
「◯◯さん」
「お」
「◯◯くん」
「いいぞ」
「◯◯っち?」
「……いまいちだな」
しかし、結局のところ、普段通りがいちばんという結論に至るのだった。
そんなものだろう。
-
2020年9月7日(月)
「ぐえー……」
だるい。
あまりにも、だるい。
仕事の合間に横になっているが、回復が追いつかない。
「だいじょぶ……?」
うにゅほが、俺の額に手を乗せる。
「ねつないとおもうけど、いちおうたいおんはかるね」
ぴ。
うにゅほが、一ヶ月ほど前に両親が購入した非接触式の体温計を俺の額にかざす。
「さんじゅうろくてん、ろくど」
「だろうな……」
風邪と似てはいるが、違う。
熱っぽさはないし、喉も痛くない。
風邪の諸症状からだるさだけを抽出して静脈注射されたような感覚だ。
「ねれるうち、ねとこ。むりしたらだめだよ」
「そうする……」
切りの良いところまで終わらせた仕事を背に、自室へ戻る。
「もしかして、あれかなあ……」
「どれ?」
「たいふう」
「……あー」
台風9号は西に大きく逸れ、既に温帯低気圧となっている。
だが、その影響が消え去ったわけではない。
「気圧、かもなあ……」
「うん……」
気圧の変化にすこぶる弱い俺である。
「できること、ないかな……」
「──…………」
気圧差からは逃げられない。
ただただ堪え忍ぶのみだ。
だが、してほしいことはある。
「……ちょっと、手握っててくれないかな」
「ん」
うにゅほが俺の左手を取る。
「これでいい?」
「ありがとう……」
手を握る。
根治は不可能だし、対症療法ですらない。
だが、それだけで、心がすっと軽くなる。
「ねるまでにぎってるね」
「……うん」
うにゅほがつらいときには、手を握ってあげよう。
普段から気に掛けているけれど、改めてそう思うのだった。
-
2020年9月8日(火)
ペットボトルに汲んで冷やしておいた水を、自室の冷蔵庫から取り出す。
「んー……」
ぺたぺたとペットボトルに触れたのち、うにゅほに差し出した。
「××、これ触ってみて」
「?」
うにゅほがペットボトルを受け取る。
「あれ……」
そして、そのまま頬に当てた。
「なんか、冷えてないよな」
「みず、いついれたの?」
「昨日かな」
「おかしいね」
「なんか、あれっぽい」
うにゅほが小首をかしげる。
「どれ?」
「前の冷蔵庫も、たまに冷えなくなったじゃん」
「あー」
「あれって、たしか、霜がついてたからなんだよな」
「でも、このれいぞうこ、しもつかないやつ……」
「そのはずだけど……」
冷凍機能はないから、霜はつかない──はずだ。
「百聞は一見に如かず。調べてみよう」
「うん」
冷蔵庫を開き、中を覗き見る。
「おわ!」
「すごい……」
冷蔵庫の奥に霜がついていた。
それも、ごっそり。
「角度の関係で見えなかったんだ……」
床置きの小型冷蔵庫の奥なんて、覗き込まない限りは見えないものだ。
「しも、つかないやつなのに」
「ついたもんは仕方ないよ。なんとかしないと」
「しもとり、する?」
「──…………」
今日は、ちょっとめんどい。
もう夜だし。
「明日にしよう」
「はーい」
ちゃんとやるんだぞ、明日の俺。
明後日に回さないように。
-
2020年9月9日(水)
昨日の俺に釘を刺されたので、冷蔵庫の霜取りをちゃんと行うことにした。
まず、コンセントを抜く。
冷蔵庫の中身をいったん取り出し、その前に雑巾を複数枚重ねて置く。
「こんなもんか」
「これでだいじょぶ……?」
うにゅほが、不安そうに俺を見上げる。
「バケツとか、いらない?」
「前の冷蔵庫のときは、霜が上に固まってたから、バケツが使えたけど……」
冷蔵庫を覗き込み、奥を指差す。
「今回は、全部奥に貼り付いてるだろ。バケツ入れても意味ないよ」
「そだね……」
「霜を解かして、雑巾で受けて、ある程度吸ったら取り替える。これが現実的かな」
「ぞうきん、こまめにしないとね」
「そうだな」
霜の大きさから見て、こまめに交換しなければ水害が起こるだろう。
二階で床上浸水だなんて、縁起でもない。
「じゃ、しばらくほっとくか」
「うん」
冷蔵庫の扉を開けたまま、日常生活を送る。
だが、その平穏な日常は、
「──つめた!」
という、うにゅほの声で唐突に終わりを告げた。
「どした?」
「みず、こっちきてる!」
足を座椅子に引っ込め、うにゅほが床を示す。
そこにあったものは、水溜まり。
それ以外に呼びようのないものだった。
「さっき雑巾確認したぞ……」
開けてから二時間は経っている。
解けて流れてもおかしくないが、雑巾ぶんの猶予があるはずだ。
冷蔵庫の前に重ね置かれた雑巾に触れる。
だが、濡れていない。
「……どこから漏れた?」
わからない。
わからないが、由々しき事態であることはわかる。
「とりあえず、拭こう。まずはそれからだ」
「うん……」
拭きに拭いた結果、ある仮説へと辿り着いた。
「……これ、下から漏れてないか?」
「そうかも……」
どういう経路を辿ったのかはわからないが、前から出ていない以上、下からとなる。
「漏電が怖いなあ」
いくらコンセントを抜いてあるとは言え、電化製品であることに変わりはない。
「仕方ない。ありったけの雑巾、冷蔵庫の下に突っ込もう」
「わかった!」
かなりの時間と労力をかけて、なんとか霜取りに成功した。
霜のつかないタイプの冷蔵庫だと思ってたんだけどなあ。
-
2020年9月10日(木)
新しいクレジットカードが届いた。
「ほら、これ」
「?」
以前までのクレジットカードと新しいクレジットカードを比べて、うにゅほが小首をかしげる。
「そっくり……」
「まあ、デザインは似てるよな」
「なにちがうの?」
「古いほうは、ゴールドポイントカード。ヨドバシが発行してるクレジットカードだ。ブランドはVISA」
「びざ」
「新しいほうは、オリコカード・ザ・ポイント。発行元はオリエントコーポレーションで、ブランドはMastercard」
「ますたーかーど」
うにゅほが、再び小首をかしげる。
「……なにちがうの?」
「まあ、用途としては何も変わらないんだけど……」
「だよね」
「ゴールドポイントカードは、どんな用途に使っても、1%のゴールドポイントが還元される」
「よどばしのポイント?」
「そう。十万円使ったとすれば、千円がヨドバシで使えるポイントになるわけだ」
「べんり」
「便利だけど、こないだの一件でヨドバシに嫌気が差したからな……」※1
「あー……」
ヨドバシドットコムのサポートは、本当にひどい。
「あたらしいほう、なんかもらえるの?」
「1%のポイントがもらえる。入会後半年間に限っては、2%」
「なんのポイント?」
「オリコポイントっていって、Amazonギフト券とかiTunesカードと交換できる。実質的に金券だな」
「どっちのがいいのかな」
「ゴールドポイントはヨドバシでしか使えないから、オリコポイントのほうが使い道は多い」
「あたらしいのが、いいんだね」
「何もかもすべて上回ってるわけじゃないけど、こっちをメインにしようかって」
「どっちでもいいけど、むだづかいだめだよ?」
「はーい」
昇進して給料が上がったとは言え、べつに高給取りというわけではない。
地道に貯金して行かねば。
※1 2020年8月18日(火)参照
-
2020年9月11日(金)
「そだ。◯◯、あせものとこみして」
「あ、うん」
作務衣の下衣の裾をたくし上げ、膝の裏をさらけ出す。
「なおってる、かな。もうかゆくない?」
「痒くないよ」
「あせものくすり、すごいねえ」
「一週間経たずして、だからな」
「せんようは、すごい」
「××も痒いとこないか? 最近暑かったけど……」
「うと」
全身に視線を巡らせたあと、うにゅほがシャツの袖をちらりとめくる。
「わきの、ここ、かゆいかも」
「ほう」
僅かに覗くうにゅほの腋を、まじまじと観察する。
「……ちょっと赤いな」
「あせもかな」
「あせもってほどじゃないけど、いちおう塗っておくか?」
あせも用の軟膏を手に取る。
「──…………」
じ。
うにゅほがジト目でこちらを見やる。
「……くすぐんない?」
「信用ないなあ」
「しんようあるけど、くすぐるきーする」
「──…………」
にやり。
「ぜったいくすぐる!」
「まあまあ」
「うー……」
「ほら、めくってて」
「うん……」
軟膏を指に取る。
そして、ぺとりとうにゅほの腋に触れた。
「うふ」
優しく、優しく、くすぐったくないように、患部に軟膏を塗り込んでいく。
「ひー……」
「ほら、くすぐってないだろ?」
うにゅほが、気まずそうに視線を逸らす。
「……ごめんなさい」
「いや、××が何も言わなかったら絶対くすぐってたけど」
「もー!」
「はい、塗り終わった」
「ありがと」
「……自分で塗ればよかったのに」
俺の言葉に、うにゅほが微笑む。
「◯◯にぬってほしいし……」
「くすぐられても?」
「うん」
「じゃあ、今度はくすぐるな」
「だめー!」
可愛いなあ、この子は。
-
2020年9月12日(土)
「××さん」
「はい?」
「今日は何の日でしょー……か!」
「うーと」
うにゅほがカレンダーに視線を向ける。
「くー、いー、にー、きゅー、いち……」
「ヒント、今してること」
「?」
しばし小首をかしげ、
「──あ、クイズのひ!」
「正解!」
「だからクイズけいしきだったんだ」
「第二問!」
「!」
「9月12日はクイズの日──ですが、他には何の日でしょうか。次の三択からお答えください」
「うん!」
「A、宇宙の日」
「うちゅうのひ……」
「B、水路記念日」
「すいろ」
「C、マラソンの日」
「マラソン……」
「回答者、答えを」
「し、しー……」
「シシー」
「C!」
「──…………」
「──……」
徐々に顔を近付けていき、
「……正解!」
「やた!」
「というか、全部正解」
「えー……」
こつん。
「た」
頭突きされた。
「では、第三問」
「ててん」
「俺がいちばん好きな、さけるチーズの味は──」
「ガーリック!」
「早い」
「ガーリックだけにこかうもん」
「よく見てるなあ」
「うへー」
「次は××が出してもいいんだぞ」
「うと、ちょっとかんがえる……」
「ああ」
思いついてはクイズを出し、考えては答える。
今日は、そんなことを繰り返していた。
-
2020年9月13日(日)
「そう言えばさ」
「?」
iPadで動画を見ていたうにゅほが、顔を上げる。
「冷蔵庫の霜取ったじゃん」
「うん」
「頑張ったよな」
「がんばった」
「霜、もうつき始めてる」
「!」
うにゅほが目をまるくする。
「冷蔵庫の奥、触ってみ」
「うん……」
冷蔵庫を開いたうにゅほが、その細腕を奥まで差し込む。
ざりっ。
「あ」
「霜ってこのペースでつくんだな。気付かなかっただけで」
「とる?」
「この量なら、へらか何かで簡単にこそげ落とせると思うけど、正直きりがないよ」
「そだね……」
「給料上がったし、ツードア式の冷蔵庫でも買う?」
「でも、このれいぞうこ、いちねんしかつかってないし……」
「弟が、冷蔵庫欲しいって言ってたからさ」
「いってた」
「これは、あいつにあげてさ。新しいの買うのもいいんじゃないかな」
「──…………」
「××は反対?」
「……ん」
軽く頷いたあと、言葉を選ぶようにうにゅほが答える。
「ふたりでえらんだのだし……」
「あー」
そこを気にしていたのか。
「ほんと、霜さえつかなければな」
「うん……」
「冷凍庫ついてないのに、どうして霜がつくんだろう」
「うーん……」
考えてわかるものなのだろうか。
「まあ、もうすこし様子見てみるか。霜のつき具合を確かめたい」
「うん」
霜取りは本当に面倒だ。
漏電の可能性を考えれば、危険ですらある。
悩ましい。
-
2020年9月14日(月)
「うーん……」
スマホに視線を落としながら、小さく唸る。
「睡眠の質って、どうやったら上がるんだ?」
「かつどうりょうけい?」
「ああ」
「どれどれ」
うにゅほがスマホを覗き込む。
「すいみんスコア、ごじゅうよん……」
睡眠スコアとは、睡眠の質を百点満点で表したものだ。
54点は、かなり低い。
「××は?」
「うーと、わたしはね」
うにゅほが、自分のスマホを拾い上げ、活動量計のアプリを開く。
「きょうは、はちじゅうろく」
「高い……」
「すごい?」
「すごい」
「うへー」
「いいなあ……」
「なにちがうんだろうね」
俺とうにゅほの、詳細な睡眠レポートを比較する。
「まず、××は途中であんまり起きてないな」
「◯◯、なんかいもおきてる」
「寝付きは思ったほど悪くないんだけど……」
「あいますくしてるのにね」
「耳栓もしたほうがいいのかな」
「まえしてたよね」
「してたけど……」
「?」
「異物感で、逆にスコアが下がる気がする」
「あー……」
「リフォームでリビングが一階になったから、生活音がうるさくて起きるってこともなくなったしな」
「むずかしい」
「××、よく寝るコツってないの?」
「こつ」
「コツ」
「めーとじて、ねたら、ゆめちょっとみて、そしたらあさ……」
「──…………」
「……ごめん、わかんない」
「いや、そりゃわかんないよな」
コツがあったとして、実践できるかも怪しいし。
一朝一夕でどうにかなるのであれば、睡眠障害なんてこの世にはないのだ。
「寝る前にストレッチでもするかな」
「うん」
だが、睡眠の質の可視化ができるのは良いことだ。
少しずつでも改善できればいいのだが。
-
2020年9月15日(火)
「……なーんか、微妙に足ひねった気がする」
「いたいの?」
「痛いような、痛くないような……」
「どっち?」
「マジで微妙でさ」
「うーん?」
うにゅほが小首をかしげる。
「××、ちょっと手貸して」
「はい」
差し出されたうにゅほの手を取り、親指と人差し指のあいだをもにもにする。
「痛い?」
「いたくない」
「じゃ、これくらいは?」
すこしだけ力を込める。
「いたきもちい」
「そのくらい」
「きもちいの?」
「気持ちよくはない。痛みだけ、このくらい」
「ふうん……」
「ぜんぜん深刻じゃないし、歩いてるときもさして気にならないんだけど、たまに"あ、痛いかも?"ってなる」
「ほんとにびみょうだ」
「微妙なんだよ……」
「しっぷはる?」
「貼って悪くなることはないだろうし、貼ろうかな」
「とってくるね」
うにゅほが腰を上げ、階下へと軽やかに駆けていく。
しばしして、
「とってきたよ!」
「貼ってくれー」
「はーい」
右足を差し出す。
「どこらへん?」
「んー……」
足首をぐねぐねと動かし、
「ちょっと、甲側なのかな」
「このへん?」
「そうそう」
「はるね」
「ああ」
うにゅほが、ロキソニンテープをぺたりとし、馴染ませるように撫でる。
「なおりますように」
「ありがとな」
「いいえー」
もったいないほど良い子なのだった。
-
以上、八年十ヶ月め 前半でした
引き続き、後半をお楽しみください
-
2020年9月16日(水)
夕刻、仮眠から目を覚ますと、手が異常に熱かった。
「××、握手しようか」
「?」
不思議そうな顔をしながら、うにゅほがこちらへ手を伸ばす。
「はい」
ぎゅ。
「◯◯、てーあつい……」
「熱いんだよ」
「ねつある?」
「どうだろ」
「おでこかしてね」
握手をしたまま、反対側の手で俺の額に触れる。
「んー……」
「どう?」
「あつくない、かな」
「熱はないのかな」
「たぶん」
握手を崩し、そのまま指と指を絡める。
「××の手、冷たくて気持ちいい」
「そかな」
「熱くて嫌じゃない?」
「いやじゃないよ」
「そっか」
もう片方の手も同じように繋ぎ、額と額をこつんと合わせる。
「どしたの?」
「いや、したかっただけ」
「そか」
「漫画とかで額と額を合わせて熱を測るのあるけど、実際やってもよくわかんないな」
「てーのほうが、はかりやすい」
「嬉し恥ずかし感があるけど、結局は実用性だな」
「うれしはずかしなの?」
「嬉し恥ずかしじゃない?」
「ちょっと、うれしはずかし……」
「だろ」
「じゃあ、こんど、おでこではかるね」
「お願いします」
「わたしのも、おでこではかってね」
「たぶん、それやったあとに手で測って、そのあと体温計で測るけどな」
「うん」
二度手間三度手間ではあるが、それが嬉しい。
次に風邪を引くのが楽しみになるのだった。
-
2020年9月17日(木)
「はー……」
職場から一時帰宅し、一息つく。
「おつかれさま。なにかのむ?」
「お茶あったっけ」
「おちゃあるよ」
「じゃ、お茶で」
「わかった」
うにゅほが、階下から、烏龍茶を汲んできてくれる。
「はい、どうぞ」
「ありがとな」
「うん」
烏龍茶を飲みながら、右手の中指を観察する。
「どしたの?」
「あ、いや」
言おうか言うまいか迷って、結局話すことにした。
「職場で指挟んだんだよ」
「!」
うにゅほが慌てて俺の手を取る。
「どこ?」
「中指の、爪のところ」
「んー……」
あらゆる角度から観察し、
「よかった。けが、してないね」
「爪を押すと、ちょっと痛む程度だな」
「いたいの?」
「少しだけ」
「だいじょぶ……?」
「色も変わってないし、爪の形もおかしくないし、大丈夫だろ。挟んだときは痛かったけど」
「きーつけてね?」
「はい……」
詳細は書かないが、我ながら間抜けな挟み方だった。
気を付けねば。
「しっぷ、はる?」
「痛むの爪の下だから、意味ないと思うんだよな」
「たしかに……」
「デコピンしようとしない限りは痛くないから。そんなに心配しなくていいよ」
「しばらくでこぴんしたらだめだよ」
「しないって」
苦笑する。
相変わらず、心配性が過ぎる。
心配してほしいから話した俺も俺だけれど。
-
2020年9月18日(金)
「──四連休だ!」
「いえー!」
うにゅほとハイタッチを交わす。
「しごとふえて、おつかれだもんね。ゆっくりやすもうね」
「それはそうなんだけど……」
せっかくの連休だ。
何かしたい気もする。
「××は、したいことないのか?」
「わたし?」
「ああ」
「うと……」
しばしの思案ののち、うにゅほが答える。
「しょうしんしてから、せわしないから、◯◯とゆっくりしたい……」
「──…………」
うにゅほを抱き締め、膝の上へと招く。
「わ」
「四連休は、もう始まっているんだぜ」
「……うへー」
「お望み通り、ゆっくりしようか」
「うん」
「××、最近、なんの動画見てるんだ?」
「うと、なんか、きゅーきゅーいうゲームのプレイどうがみてる」
「……きゅーきゅー?」
「うん」
「ごめん、さすがに情報が足りない。なんて検索してるんだ?」
「けんさく?」
うにゅほが小首をかしげる。
「けんさく、したことない……」
「あー」
YouTubeって、おすすめ動画をはしごするだけで十分楽しめるものな。
「なんかね、あすれちっくで、おちたらだめなやつ」
「……Fall Guys?」
「それかも」
「じゃ、一緒にそれ見るか」
「うん!」
YouTubeを開いたあと、うにゅほの腰に両手を回し、マウス操作を任せる。
久方振りに、ゆっくりと、うにゅほとの時間を楽しむのだった。
-
2020年9月19日(土)
「××」
「?」
「じゃーん、けーん」
「しょ!」
即座に反応し、うにゅほがパーを出す。
さすがである。
だが、
「俺の勝ちだ!」
チョキをチョキチョキ動かしながら、意味もなく勝ち誇る。
「まけたー」
「やったぜ」
「ひまなの?」
「わりと」
「なんかする?」
「何しようか」
「じゃんけんでなんかするやつ、しよう」
「曖昧だな……」
「じゃんけんでかったほう、ルールきめる」
「お、いいぞ」
互いに構え、
「じゃーん、けーん」
「ほ!」
俺は、グー。
うにゅほは、パー。
「かった!」
「負けた」
「じゃ、ルールきめるね」
「いいぞ」
「うとねー」
思案ののち、うにゅほが口を開く。
「まけたほうが、あいをささやく!」
「愛を」
「うん」
「いいだろう、乗った」
「よーし」
互いに構え、
「じゃんけん、ほっ!」
「しょ!」
俺は、グー。
うにゅほは、チョキ。
「勝った」
「まけたー……」
「さ、愛を囁いてもらおうか」
「うん」
うにゅほが深呼吸をし、両頬をぴたぴたと叩いたあと、意を決したように口を開く。
「うと……」
「──…………」
「あ、あ──」
「──…………」
「あいしてるよ……」
「俺もだよ」
「!」
うにゅほの顔が、真っ赤に染まる。
「さ、じゃんけんで次のルール決めようぜ」
「……うん」
小一時間ほど、うにゅほとじゃんけんをして遊んだ。
うにゅほの機嫌が良かったのは、気のせいではあるまい。
言葉にするのは大切なのだと思った。
-
2020年9月20日(日)
「……こう、絶妙に暑いな」
「むすねえ」
「窓開けたいけど……」
窓へと視線を向ける。
雨粒が、ぱたぱたと窓ガラスを濡らしている。
「ぴったり南風なんだよな。どっちの窓開けても雨入る」
「ね」
室温は29℃。
耐えられないほどではないが、気になる程度には暑い。
「扇風機つけるか」
「うん」
「首振る?」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「なんで?」
「なんでって……」
首を振らせないと、互いに風が行き届かないからとしか。
そう思っていると、
「うしょ」
うにゅほが扇風機の電源を入れたあと、俺の膝に腰掛けた。
「ね」
「なるほど……」
首振り機能がいらないわけだ。
うにゅほを膝に乗せたからと言って、必ずしも同じものを見たり、同じことをするわけではない。
俺は、ニコ動でRTA動画を見ながらFGOの周回を。
うにゅほは、デスクに積んだジャンプのバックナンバーを読みふけっていた。
「そういえばさ」
「ん」
「チェンソーマン買っちゃった」
「かったの?」
「うん」
「かったんだ……」
「××、読んでないもんな」
「なんか、こわい」
「グロいしな」
「うん」
「俺、好きなんだよな……」
「そなんだ」
大した内容のない話を、思いついたようにする。
こんな時間のことを、幸せと呼ぶのかもしれない。
-
2020年9月21日(月)
「今日、世界平和の日なんだって」
「そなんだ」
「俺たちも、今日くらいは、無益な争いをやめて、手に手を取って生活しようじゃないか」
うにゅほが、くすりと笑う。
「あらそってないよ」
「××が気付いていないだけで、争ってるんだよ」
「そなの?」
「今だって、目にも留まらぬ速度で戦い続けてるんだ。××の意識が追いついてないだけなのだ」
「うそだー」
「ほんとほんと。俺、嘘つかない。実際安心」
「じゃあ、なんのしょうぶしてるの?」
「──…………」
しばし思案し、
「……じゃんけん?」
「ぎもんけい……」
「じゃんけん」
「めーそらした」
わかりやすいのかな、俺。
「どっちかってるの?」
「引き分け」
「なんせんしてるの?」
「百万戦」
子供か。
「そんだけしたら、ひきわけなんないきーする……」
「なるぞ」
「なるの?」
「なる。むしろ、対戦すればするほど確率は収束する。無限回やった場合、必ず引き分けだ」
「へえー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「べんきょうになる」
「極限は高校数学だったはずだから、××は知らなくて当然かな」
「うん、しらない」
「ところで、仏典に現れる具体的な数詞として最大のものは?」
「ふかせつふかせつてん?」
「よく覚えてたな……」
このあたりの雑学は俺の影響である。
いつ教えたかは覚えていないが、どこかで得意げに巨大数の解説でもしたのだろう。
「ぐらはむすうもおぼえてるよ」
「偉い偉い」
「うへー……」
うちのお姫さまは、吸収が早いようだ。
余計なことまで覚えなければいいのだけど。
-
2020年9月22日(火)
「あー……」
ごろん、ごろん。
ベッドの上で、幾度も寝返りを打つ。
連休が終わろうとしていた。
「──……はあ」
口を開けば溜め息ばかり。
「あと三日ほど、追加で祝日にしてくれないかな」
「むりとおもう……」
俺のくだらない願望に真面目に答えてくれるのだから、うにゅほは素直である。
「連休が終わることに耐えられなくて」
「つかれたのかな」
「昇進したばっかりだしな」
慣れない仕事はメンタルが削られる。
気疲れというやつだ。
「数億、ポンと手に入らないかな」
「むりとおもう……」
素直だなあ。
「わからないぞ。道で見知らぬお婆さんを助けたら、それが身寄りのない大富豪かもしれない」
「ないとおもうなあ」
「その確率にすがるくらいなら、宝くじでも買ったほうがまだ現実的だよな」
「ね」
「買わないけどな」
「うん」
外れたし。※1
「ヘリコプターから大金がバラ撒かれるかもしれない」
「ないよ……」
「似たようなことはあったけどな」
「あったの?」
「名古屋のテレビ塔から紙幣をバラ撒いた人がいたはず」
「あったんだ……」
うにゅほが目をまるくする。
「でも、みんなひろうから、あんまりだね」
「たしかに」
目の前にまとめて降ってきてくれればいいのだが、そこまで来ると願望ではなく妄想である。
「明日からも頑張るかー……」
小さく伸びをする。
「がんばって」
その一言で、三日は戦えるのだった。
※1 2020年8月12日(水)参照
-
2020年9月23日(水)
給与振込の関係で、新しくゆうちょ銀行に口座を作ってきた。
「××って、銀行口座持ってるんだっけ」
「もってるよ」
「ゆうちょ?」
「ゆうちょ」
「じゃ、××はゆうちょの先輩だな」
「うへー」
「通帳、箱に入れてるのか?」
「うん」
箱とは、俺が勝手に"うにゅ箱"と呼んでいるチェック柄のケースのことである。
出会ったころから使っているこのケースには、うにゅほの大切なものがまとめられている。
さすがに勝手に開けることはしないため、通帳が入っていることも知らなかった。
「みる?」
「いや……」
なんか、それもなあ。
管理しているみたいで、気が引ける。
「みない?」
「……見てほしいの?」
「ちょっと」
「じゃあ見るけど」
「はーい」
興味がないと言えば嘘になる。
「はい、どうぞ」
うにゅほが箱から取り出した預金通帳を受け取り、おもむろに開く。
「……え、マジで」
思わず目がまるくなってしまった。
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「いや、思ったより入ってて……」
「そかな」
「大台乗ってんじゃん」
「つかわないもん」
「──…………」
うにゅほが我が家に来てから、もうすぐ九年。
九年間、お小遣いやお年玉を貯め続ければ、大台に乗るのも不思議ではないのだろうか。
「貯めるのもいいけど、使ったっていいんだからな」
「うん」
頷きはすれども、使う気はなさそうだ。
俺が払うのが当たり前になっているし、たまには奢ってもらうのもいいのかもしれない。
-
2020年9月24日(木)
「世界ゴリラの日らしい」
「せかいゴリラのひ」
「だからなんだってこともないけど……」
「そだね」
「でも、語感は面白いよな。世界ゴリラの日」
「せかいゴリラ」
「世界ゴリラ」
「すーごいおおきいゴリラかも」
「ああ、地球ネコみたいな」
「ちきゅうネコ?」
「あれ、聞かせたことなかったっけ」
「きいたらわすれないことばなきーする」
「たしかに」
膝に乗せたうにゅほを抱くようにして、キーボードを叩く。
「随分前に、おかあさんといっしょで流れた曲だった気がする」
「ゆーちゅーぶ、なんでもあるねえ」
「なんでもは言い過ぎだけどな」
うにゅほにイヤホンを片方渡し、地球ネコの動画を再生する。
「──…………」
うにゅほは真面目なので、見るとなったら口を挟まずちゃんと見る。
視聴後、
「……こどもむけ?」
「子供向け」
「すごいうた」
「平沢進だからなあ……」
我ながら、ものすごい説得力だ。
「でも、このうたすき」
「わかる」
「ひらさわすすむってひとなんだ」
「他にも聞いてみるか?」
「うん」
そのまま、おすすめに出てきた白虎野の娘を再生する。
「ほー……」
「好き?」
「すき」
「じゃ、他にも聞いてみるか」
「うん」
次カラオケ行ったとき、うにゅほが平沢進を歌い始めたら面白いなあ。
-
2020年9月25日(金)
台所へ赴くと、うにゅほが唐揚げを揚げているところだった。
「唐揚げか」
「うん」
「ひとついい?」
「はい、あーん。あついよ」
「あー」
菜箸に挟まれた唐揚げに食いつく。
「はふ」
熱い。
口の中で唐揚げを転がし、熱さに慣れたところで噛み締める。
脂と肉汁が溢れ出し、口内が幸せで満ちた。
「おいしい?」
「うん、美味い。さすが××だな」
「うへー……」
新婚夫婦のようなやり取りをしていると、ふと、うにゅほが心配そうな口調で言った。
「◯◯、くちあけると、かっくんいうよね。たまにきこえる」
「かっくん?」
試しに口を開いてみる。
カクッ。
「あー……」
あまりに慣れ過ぎて、気にも留めていなかった。
「顎関節症な」
「がくかんせつしょう」
「噛み合わせが悪いみたい」
「そなんだ」
「俺の場合、口開けたときに音がするだけだから、心配しなくていいよ」
「いいのかな……」
「痛みはないし」
「びょういん、いかないの?」
「これ以上、通院先を増やしてられないよ……」
「そか……」
何年もこの状態なのだ。
悪化も好転もしていない以上、わざわざ治療する動機はない。
「いたくなったら、いってね」
「痛くなったらな」
病院へ通いやすい職種とは言え、限度がある。
優先順位をつけるしかないのだ。
もし三つの願いが叶うなら、一枠は健康のために空けておきたい。
いささか爺臭い気もするが、健康は大切である。
いやマジで。
-
2020年9月26日(土)
今日も今日とてiPadでYouTubeを見ているうにゅほに、インタビューを試みた。
「××さん」
「はい?」
「今、よろしいですか?」
「よろしいです」
そう言って、うにゅほがイヤホンを外す。
「何をごらんになっているのでしょうか」
「うと、いまはね、いきもののやつみてた」
「生き物のやつ」
「すてらーかいぎゅう」
「ステラーカイギュウって、絶滅動物だっけ」
「しってた」
「人懐っこくて警戒心が薄かったから、乱獲されたんだよな」
「あとね、やさしかったんだって」
「優しい?」
「うん。なかまをしばっておいたら、たすけにくるの」
「……あー」
「でね、たすけにきたのを、ころすんだって……」
「ひどい話だ」
「うん……」
「人間が乱獲したせいで絶滅した動物って、けっこういるからな」
「りょこうばととか」
「そうそう」
「どーどーどりとか」
「詳しいな……」
「そういうのみてたの」
「面白そうだな。あとでチャンネル教えて」
「うん」
「では、インタビューの続きです」
「インタビューだったの」
「YouTubeをよく見ているのは存じ上げておりますが、ブラウジング等はされているのでしょうか」
「ぶらうじんぐ?」
「狭義の意味でのインターネットというか、ブラウザを使ってブログなりなんなり見てるのかなって」
「みてないよ」
「そっか」
よし、と小さくガッツポーズをする。
少なくとも、十八歳未満閲覧禁止の教育に悪いサイトなどは見ていないということだ。
まあ、YouTubeにも変な動画はあるから、安心はできないけれど。
「おかしな動画を開いたら、すぐ消すように」
「はーい」
うにゅほに悪影響がないよう、ある程度は管理していく所存である。
-
2020年9月27日(日)
「──◯◯、◯◯!」
「ん……」
昼寝をしていたところ、うにゅほに揺り起こされた。
「……どした?」
嫌な予感がする。
うにゅほが俺を起こすのは、余程のことがあったときだ。
だが、その予感はすぐに覆された。
「うらのおばさん、れいぞうこくれるって!」
「冷蔵庫……」
「つーどあのやつ!」
「マジか」
思わず身を起こす。
「ツードア式なら、さすがに霜もつかないだろ」
「うん!」
「今の冷蔵庫は(弟)にあげればいいし……」
「ほしいっていってたもんね」
そこまで言って、ふと不安がよぎる。
「……でも、あんまり大きいと置けないぞ。さすがに」
「だいじょぶ」
うにゅほが小さく胸を張る。
「みてきた!」
「マジか」
「ちょっとね、いまのより、おっきいくらい。あと、あたらしかった」
「なら問題ないか」
「うん」
「お礼言って、もらってこよう。父さん連れて」
「てつだう」
「運ぶのは俺と父さんで大丈夫だよ。扉とか開けてくれるか」
「わかった!」
自室の冷蔵庫を弟の部屋へ移してから、新しい冷蔵庫を運び込む。
うにゅほの言う通り、大きさに難はない。
隣の小箪笥を移動する必要もなさそうだった。
「──よし」
設置を終え、ふたりで冷蔵庫を眺める。
「いわかんないね」
「色同じだしな」
「せー、ちょっとたかいかな」
「でも、冷凍庫のぶん、入る量は減ったっぽい」
「そんなにたくさんいれないし……」
俺たちが冷蔵庫に求めるものは、そう多くない。
1.5リットルのペットボトルが冷やせて、霜がつかなければいいのだ。
この冷蔵庫は、俺たちの希望を満たせそうだった。
「かわずにすんで、よかったね」
「ほんとな」
出費が少ないに越したことはない。
ありがたく使わせていただこう。
-
2020年9月28日(月)
「ただいまー」
玄関の扉をくぐると、
「おかえり!」
うにゅほが既に玄関で待っていた。
「わざわざ待ってなくていいのに……」
と、口では言うが、本当は嬉しい。
「しゃこのおとしたら、げんかんきてるだ──」
唐突に、うにゅほの目が見開かれる。
「ち!」
「うん?」
うにゅほが俺の右手を取る。
「ちーでてる……!」
「あー」
そうだった。
「会社で引っ掛けたんだよ。もう血は止まってるはずだけど」
慌ててティッシュで拭ったので、親指全体にうっすら血糊が付着している。
「しょうどく、しょうどく!」
「頼んだ」
大丈夫だとは思うが、悪ければ化膿、最悪の場合破傷風に感染する可能性もある。
小さな傷とは言え、油断はならないのだ。
「──はい、おわり」
ぺたりと絆創膏を貼ってもらい、治療が終わる。
「きーつけてね」
「はい」
「……ほんとにきーつけてね?」
「わかってるって」
そこまで軽率ではないつもりだ。
だが、怪我とは、ふとしたことで容易に負ってしまうものでもある。
「××も気を付けろよ。たまに母さんと土いじりとかするだろ」
「あぶないこと、あんまないよ?」
「土とか錆びた釘って、破傷風菌っていう怖いのがいるからな。もし怪我したら、すぐに消毒するように」
「はしょうふう……」
「超怖い病気」
「そんなに」
脅かし過ぎもよくないので、このくらいにしておこう。
間違っても「震える舌」なんかを見せてはいけない。
いずれにしても、気を付けて日々を過ごしていこう。
-
2020年9月29日(火)
「なんか、急に寒くなったな……」
「うん……」
九月も終わりだ。
当然は当然なのだが、今月それなりに暖かかったぶん唐突感がある。
「新しい作務衣買おうかな。あったかいやつ」
「そうしましょう」
「××も、厚手のパジャマ出さないとな」
「んー……」
うにゅほが、悩むように首をかしげる。
「いまだすと、あついきーする。ねるとき」
「あー」
部屋で普通に過ごすぶんには、厚手のパジャマが良い。
だが、そこに布団が重なると、暑い。
そういうことだろう。
「半纏は?」
「はんてん、まだあつい……」
「だよな」
「エアコンほどじゃないし」
「ストーブには早すぎる」
「むずかしい……」
「だから、この時期って、風邪引きやすいんだな」
「うん」
「××も気を付けて」
「◯◯も……」
季節の変わり目の半端な時期こそ、風邪に気を付けるべきだろう。
真冬のいちばん寒い時期などは、元より身構えているため、体調を崩すことは案外多くなかったりするものだ。
「結局、あれだな」
「うん」
「人肌だな」
「うん」
膝を、ぽんぽんと叩く。
うにゅほが、俺の膝に腰掛ける。
「うへー」
膝と胸が、ぽっと暖かくなる。
「……ただ、足は冷たいな」
「うん……」
なんでも、完璧ということはないのである。
-
2020年9月30日(水)
帰宅し、うにゅほに茶封筒を渡す。
「はい、給与明細」
「おー」
うにゅほが、ぺこりと一礼する。
「おつかれさまでした」
「確認しようか」
「うん」
昇進して一ヶ月、いろいろなことがあった。
その集大成が、この茶封筒に収められているのだ。
感慨深いものがある。
「──…………」
うにゅほが茶封筒を開き、給与明細を取り出す。
「ちゃんとふえてる……」
「よかった」
増えていて当然なのだが、やはり最初は緊張するものだ。
「◯◯、みてなかったの?」
「見るなら、××と一緒に見ようと思って」
「……そか」
ちょっと嬉しそうだ。
「しかし、増えたぶんどうしようかな。冷蔵庫は買う必要なくなったし」
「むりにつかわなくても」
「それはそうなんだけど……」
初任給の気分でぱーっと使いたくなるのが人情というものだ。
だが、使い道は思い浮かばない。
あるいは当然かもしれない。
何かが欲しい、何かがしたいから、お金を使うのだ。
お金を使いたいから何かを買う、何かをするでは、手段と目的が入れ替わってしまっている。
ままあることだが、それは避けたい。
「……うーん」
思案ののち、ようやく腹を決める。
「今回は貯金するか……」
「それがいいよ」
お金を使うのは、欲しいもの、したいことを思いついてからでも遅くない。
と言うか、無駄遣いをしていたら、大切な場面で足りなくなることすら考えられる。
「まあ、貯めるのも楽しいしな」
「うん」
今後も頑張って働こう。
いつかのために。
-
以上、八年十ヶ月め 後半でした
引き続き、うにゅほとの生活をお楽しみください
-
2020年10月1日(木)
「今日、眼鏡の日なんだってさ」
「めがねのひ……」
僅かに小首をかしげたあと、うにゅほが呟く。
「じゅー、とお、いー、いち、めがね、めがね……」
「あ、語呂合わせじゃなくて」
「ちがうんだ」
「さすがに無理がある」
「そだね……」
「語呂合わせじゃないけど、気は利いてるぞ」
スマホのメモアプリを開き、"1001"と打ち込む。
「せんいち?」
「10月1日で、1001だな」
「うん」
「1を眼鏡のつる、0をレンズに見立てる」
「──…………」
「眼鏡に見えないか?」
「みえない……」
「見えないか……」
"0"を"◯"に置き換える。
「これならどうだ」
「あー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「いいたいことはわかる」
「そんなわけで、眼鏡の日なんだってさ」
「へえー」
眼鏡を外し、うにゅほに差し出す。
「掛けてみる?」
「うん」
うにゅほが眼鏡を受け取り、掛ける。
「う」
くらり、とうにゅほの首がかしぐ。
「くらくらするう……」
「──…………」
いざやってみて、気付く。
「……眼鏡がないから、眼鏡掛けた××の顔が見えない」
「まえのめがねにする?」
「そうしよう」
眼鏡を掛けたうにゅほは、すこし知的に見えた。
ふと思い出す。
以前、伊達眼鏡にハマって、よく掛けていた時期があったっけ。
「にあう?」
「似合う似合う」
「うへー……」
「でも、視力は大切にしような。悪くなってからじゃ遅いから」
「うん」
似合うは似合うが、眼鏡がないほうが可愛い。
そちらも本音なのだった。
-
2020年10月2日(金)
さけるチーズを裂きながら、言う。
「最近、とうがらし味もいいかなって思うようになったんだ」
「からいのに?」
「うん」
「ガーリックあじは?」
「ガーリックが一番」
「でしょ」
「でも、とうがらし味は二番かな」
うにゅほが目をまるくする。
「そんなに……」
「そんなに」
「◯◯、からいのすきだっけ」
「辛いのは普通かな」
「だよね」
「とうがらし味は、辛いから好きってわけじゃないんだ」
「そなの?」
「辛いのはあくまでアクセントとして、なんだかミルク感とコクが他のさけるチーズより濃い気がして」
「んー……」
「食べてみるか?」
「からくない?」
「そりゃ、ちょっとは辛いけど」
「たべてみる……」
「はい」
とうがらし味のさけるチーズを適当に裂いて、うにゅほの眼前に差し出す。
「あーん」
「あー」
ぱく。
「どうだ?」
「……ちょっとからい」
「ちょっとな」
「あじは、おいしい」
「だろ?」
「でも、プレーンとあんましかわんないきーする」
「そうかなあ」
「わかんないけど……」
「そう言えば、最近プレーン買ってないな」
「そだね」
「今度買って、食べ比べてみるか」
「うん」
ちなみに、一番微妙な味はバター醤油味であると、見解が一致している。
味こそ悪くないのだが、噛むとなんだかキュムキュム鳴るからだ。
あれ、なんなんだろう。
-
2020年10月3日(土)
うにゅほがカレンダーを覗き込む。
「きょう、とうさんのひ?」
「父の日、別にあるからなあ」
「じゃ、とうさんのひ」
文字に起こすと同じだが、アクセントが違う。
最初は"父さんの日"で、次は恐らく"倒産の日"だろう。
「そういう縁起悪いのは記念日にしないと思うけど」
そう思いつつも、検索してみる。
「あ、登山の日だって」
「あー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「そっちか」
「そっちでした」
「おしい」
登山の日の説明を、なんとなく読み上げる。
「登山の日。日本アルパイン・ガイド協会の、重野──これなんて読むんだ」
「どれ?」
上体を傾け、うにゅほがディスプレイを覗き込めるようにする。
「しげの、たー……」
しばし思考停止し、
「……なんてよむの?」
「さあ……」
日本アルパイン・ガイド協会、重野 太肚二。
「素直に読めば、"たとじ"かなあ」
「まんなかのじ、とってよむの?」
「音読みはな。訓読みだと、"はら"」
「ふとっぱら、かも」
「それだと、"二"が浮くな」
「ふとっぱらに……」
「一号がいそう」
検索し、読み方を調べてみた。
「たつじ、だって」
「たつじ」
「肚って、"つ"とは読まないんだけどな……」
「へんなの」
「まあ、キラキラネームなんてあるから、今更ではあるけど」
「きらきらねーむ」
「七音って書いて、"どれみ"とか」
「あ、かわいい」
「そうかなあ……」
あまり語ることはしないけれど、一発で読めない名前だと一生を通じて苦労しそうだと思うのだった。
-
2020年10月4日(日)
「──…………」
右肩をぐりぐりと回す。
「……んー?」
「どしたの?」
「なんか、右肩が痛い」
「どこ?」
うにゅほが俺の右肩を揉む。
「ここ?」
「いや、まだ下。肩甲骨の上くらい」
「けんこうこつのうえ……」
ぐい、ぐい。
うにゅほの親指が、肩に食い込む。
「あ、そこだ」
「ここ、せなか……」
「ギリ肩じゃない?」
「かたと、せなかの、あいだくらい」
「そこが微妙に痛いんだよな」
「どのくらい?」
「我慢はできるけど、気になるくらい」
「うっとうしいかんじ」
「そうそう」
「いつからいたいの?」
「たぶん、起きたときから……?」
「ねちがえたのかな」
「寝違えたのかも」
「どうしたらいいかな。しっぷはる?」
「お願いできる?」
「うん」
シャツを脱ぎ、うにゅほに背中を向ける。
「はるよー」
「うん」
「ぺたし」
謎の擬音と共に、ロキソニンテープが貼られる。
「あ、たわんじゃった……」
「いいよ、少しくらい」
「ごめんね」
「いいってば。ありがとな」
「うん」
「風呂から上がったら、また貼ってほしい」
「こんどはきれいにはるね」
綺麗だろうが、たわんでいようが、効能が確かならばさほど気にもならないのだが。
変なところで完璧主義なうにゅほである。
-
2020年10月5日(月)
「あめだー……」
雨粒が窓ガラスを叩く。
雨音が心地良い。
「今週、わりと愚図つくみたいだな」
「そなんだ」
「明日が雨、明後日が晴れ、明明後日がまた雨」
「たいふうくるって」
「北海道には届かないと思うけど、気圧がな……」
「うん……」
どうにも気圧の変動に弱い体である。
「きあつでぐあいわるいって、どんなかんじなの?」
「そうだなあ」
しばし思案を巡らせ、答える。
「重力が1.5倍になって、さらに睡眠薬を盛られた感じ……?」
途端、うにゅほが心配顔になる。
「……だいじょぶなの?」
「大丈夫と言えば、大丈夫。悪化して別の病気になることはないから」
「そうかもだけど……」
「台風が近くなって、俺がベッドから出てこなくなったら、察して」
「うん……」
ぽん、とうにゅほの頭を撫でる。
「ごめんな、いつも心配かけて」
「──…………」
「でも、気圧はまだましだよ。動けないし、眠いだけで、苦しくはないから」
「……そなの?」
「これが風邪なり咳なりになると、体力奪われるからな。つらい」
「わかる」
「気圧は避けようがないから、仕方がない。でも、風邪やコロナには気を付けないとな」
「ほんとね……」
「でも、コロナのおかげで──って言うと変だけど、インフルエンザの患者がめちゃくちゃ減ったらしいぞ」
「あ、テレビでみた。すーごいへったって」
「いいことなんだか、なんなんだか」
「いいことだよ」
「……まあ、いいことだな」
トータルで見ると、どうかわからないが。
「外出時には、マスク。帰宅したら、手洗いうがい。徹底しような」
「うん」
ただでさえ病弱なのだ。
これ以上、うにゅほに心配を掛けないようにしよう。
-
2020年10月6日(火)
ぽつ、ぽつ。
愚図つく空から、断続的に雨粒が降り注ぐ。
「きょうもあめ」
「雨は好き?」
「ふつう」
「好きな天気は?」
「はれ!」
「俺も」
「おんなじだ」
「晴れの日は、たいていの人が好きだと思うけどな」
「じゃ、おんなじのさがそう」
「同じの?」
「すきなたべものとか」
「カレー」
「カレーすき」
「同じだな」
「でも、カレーきらいなひといない……」
「いるとは思うけど、少ないな」
「すきなパン」
「甘いのかな」
「わたしも、あまいのすき」
「しょっぱいのは?」
「しょっぱいのもすき」
「同じは同じだけど、狭い範囲で重ならないな……」
「じゃあ、すきなおすし」
「大トロ」
「ほたて……」
「合わない」
「うー」
あ、機嫌悪くなってきた。
「じゃあ、こうしよう」
「?」
「好きな人」
「◯◯」
うにゅほが即答する。
「××」
俺も即答する。
「……うへえー」
うにゅほが、両手でほっぺたを包み、くねくねする。
機嫌が戻ったらしい。
「同じじゃなかったな」
「おなじじゃなくても、いい……」
「ならよかった」
こういうとこ、ちょろい。
でも可愛い。
-
2020年10月7日(水)
「さむみを感じる……」
「かんじる」
「寒くない?」
「はだざむい……」
「十月だしな……」
露出した腕を撫でさする。
「さすがに半袖は、もうつらいか」
「それはそう……」
「だよな」
作務衣の上を羽織る。
「××も、そろそろあれを出す時期じゃないか?」
うにゅほが小首をかしげる。
「あれ?」
「あれ」
「どれ?」
「ほら、厚手のネグリジェ。何枚かあるだろ」
「あー」
うんうんと頷く。
「あれ、あったかいし、らくですき」
「冬の××と言えば、あれだよな」
海外の子供みたいで可愛いのだ。
「最初に買ったとき、サイズが大きすぎて、オバQみたいになってたよな」
「(弟)にすーごい笑われた……」
「あれ、もう捨てたの?」
「うーとね、すそ、ぼろぼろになっちゃったから」
「あー……」
あれだけ長ければ、そうなるだろう。
「何度も裾踏んでたし、転びそうで怖かった記憶があるなあ」
「なんかいか、ころんだきーする……」
「サイズ違いのやつ買えばよかったのに」
「でも、◯◯、かわいいって」
「……言っただろうな」
無責任に。
「可愛いより、安全。これで行こう」
「えー……」
不満げである。
「じゃあ、可愛くて安全」
「それなら」
納得してくれたようだ。
ちょっとくらい危なくても可愛さを求めるあたり、うにゅほも女の子なのだなあ。
-
2020年10月8日(木)
Amazonで注文してあった新しい作務衣が届いた。
「おー……」
うにゅほが作務衣を袋から取り出す。
「くるめおり、だって」
「いい生地じゃん。よさそう」
「きてみて!」
「はいはい」
古い作務衣を脱ぎ捨て、新しい作務衣に袖を通す。
「あ、着心地いいな」
「ほんと?」
「サイズもぴったりだし、これはいいや」
姿見の前に立ち、両腕を左右に伸ばす。
袖の長さもちょうどいい。
「にあう、にあう」
「ならよかった」
「いっちゃくしかかってないの?」
「値段もそれなりにするからな。もし合えば、色違いのを買うつもりだったんだよ」
「なにいろかう?」
「どうしようかな……」
Amazonの注文履歴から、当該ページを開く。
「今回買ったのがネイビーで、残りはグリーンとブラウン」
「あ、グリーンいいいろかも」
「わりといいよな」
かすれた青緑といった様相で、たいへん良い色合いである。
「ブラウンも、わるくないけど……」
「グリーンには劣るかな」
「うん」
「ネイビーとグリーン、色が近いから悩んでたけど、××がお気に入りならグリーンにするか」
「そうしましょう」
喜々として注文を行う。
「でも、ちょっとおたかいね。はっせんきゅうひゃくえん」
「安物買いの銭失い。安いのはすぐ生地が破れたりするものだからな」
「あ、そだ」
名案という顔で、うにゅほがこちらを覗き込む。
「これ、かってあげる」
「××が?」
「うん」
「いや、誕生日でも──」
そこまで言って、ふと思う。
お金を使う機会を奪うのは、よくないのではないか。
使いたいと言うのだから、そうさせてあげるのが正しい行いではないだろうか。
「……じゃあ、買ってもらおうかな」
「うん!」
うにゅほの嬉しそうな顔を見て、俺の判断が間違っていなかったことを確信する。
お金を使う快感というのは、たしかにある。
要は、使い過ぎなければいいのだ。
金銭感覚のしっかりしたうにゅほだから、さして心配もしていないけれど。
-
2020年10月9日(金)
「週、末、だー!」
「わ」
うにゅほを抱き締め、持ち上げる。
そのまま、足が浮き上がって家具にぶつからないよう慎重に回転し、下ろす。
「週末だ!」
「しゅうまつだー!」
「週末と言えば!」
「いえば?」
「寝る」
「かみん?」
「じゃぱん、がばめん、ふぉるもさ、ううろんち、わんかぷ、てんせんす、かみんかみん」
「……?」
「気にしないで。一万人に一人もわからないネタだから」
「そなんだ」
気にするなと言えば、気にしない。
うにゅほは素直である。
「三十分くらい仮眠しようかなって」
「いっしょにねていい?」
「いいけど……」
「うへー」
俺のベッドにダイブしたうにゅほが、自分の隣をぽんぽんと叩いた。
眼鏡を外し、うにゅほの隣に潜り込む。
「はい、あいますく」
「ありがとう」
「つけてあげるね」
「いや──」
受け取ろうとするのだが、問答無用で着けられる。
「──…………」
なんだろう。
今日のうにゅほは、母性に溢れている。
「はい、ねましょうね」
ぎゅ。
顔が、それなりにふくよかな胸に包まれる。
良い香りがする。
「いいこ、いいこ」
実の親にだってされた覚えのない可愛がられ方をしながら、そのまま意識が溶けていく。
たった三十分の仮眠であったにも関わらず、三時間寝たような気分だった。
睡眠の質をよくする鍵は、うにゅほにあったのかもしれない。
-
2020年10月10日(土)
「──10月10日か。昔は体育の日だったんだけどな」
「じゅうがつとおかだっけ」
「今は第二月曜日になったから」
「あー」
「あと、名前が変わってスポーツの日になった」
「……あれ?」
うにゅほが小首をかしげる。
「しちがつくらいに、あったきーする」
「東京オリンピック関連で、七月にずらしたんだよ」
「そなんだ」
「だから、今年は十月に祝日がない」
うにゅほがカレンダーに視線を向ける。
「ほんとだ……」
「ずらすんじゃなくて、増やしてくれればよかったのに」
「ほんとだね」
怨嗟の声も届きはしない。
「ただ、今日は語呂合わせもいっぱいあるみたいだぞ」
「あてる!」
「どうぞ」
「──…………」
しばし思案し、うにゅほが口を開く。
「ととで、おとうさんのひ……?」
思わず苦笑する。
「だから、父の日は別にあるって」
「そだった……」
「でも、そんな感じ」
「──…………」
再び思案し、
「せん、とおで、せんとうのひ……」
「正解」
「やた!」
「他にも、スポーツ振興くじのtotoの日とか、トートバッグの日とか」
「とと、はあってたんだ」
「Tenと十で、転倒防止の日とか、お好み焼きをジュージュー焼くからお好み焼きの日ってのもある」
「おこのみやきいがいも、じゅーじゅーなるとおもう……」
「それは、うん」
記念日界ではよくあることだ。
「萌えの日、なんてのもあるぞ」
「もえ?」
「漢字で十月十日を組み合わせると、"萌"の字になるから」
「あー!」
うにゅほが、うんうん頷く。
「きれい」
「すっきりパターンだな」
「うん、すっきりパターン」
うにゅほ的に高得点だったらしい。
このように、上手いこと言った感じの記念日が増えてくれないものか。
-
2020年10月11日(日)
昼過ぎに起床し、朝食を求めて階下へ向かう。
「あ、おはよー」
リビングでテレビを眺めていたうにゅほが、俺に向かって微笑んだ。
「おはよ。何見てんの?」
「なんかニュースのやつ」
特にこだわりがあって見ているわけではないらしい。
「父さんと母さんは?」
「きょう、ゴルフだって」
「あー」
そんなこと言ってたっけ。
台所へ向かうと、食パンが半斤置いてあった。
「……?」
だが、やけにサイズが小さい。
普通の食パンより、二回りほど細い。
袋から一枚取り出し、よく見てみると、薄い黄色をしていることに気付く。
高級な食パンなのだろうか。
そういうこともあるだろうと、コップに牛乳を注ぎ、食パンを口に運ぶ。
「──あっま!」
高級な食パンの自然な甘み、ではない。
明らかに砂糖の甘さだ。
「××、この食パン甘いんだけど……」
「?」
うにゅほがこちらへやってくる。
「××は食べた?」
「たべてない……」
「食べてみ」
「うん」
うにゅほの口に食パンを運ぶ。
あむ。
「……あまい」
「甘いよな」
「これ、しょくパン……?」
「ええと……」
食パンの袋を確認する。
小さなラベルには、
「……角食風カステラ」
と、書かれていた。
「これ、カステラなの」
「そうみたい」
「こんなカステラ、あるんだ」
「俺も初めて食べた……」
なるほど、カステラと言われればカステラの味だ。
食パンだと思って食べたから異常に甘く感じたが、これはこれで美味しい。
「なんか、マーガリン塗って焼きたくなるな」
「やく?」
「いや、普通のパンより脆いし、上手く塗れないと思う」
「そだね……」
マーガリンまみれのぼそぼそが散乱する未来しか見えない。
二枚ほど食べて満足し、うにゅほと一緒に自室へ戻った。
二度寝した。
-
2020年10月12日(月)
「◯◯」
PCに向かって作業していると、うにゅほが俺の顔を覗き込んだ。
「どした」
「わかんないことばあって」
「なに?」
「みかじめりょう」
「みかじめ料……」
何故そんな言葉を。
「えーと、暴力団とかに払うお金、かな」
「ぼうりょくだん……」
「お店を出店するときに、その地域の暴力団が回収しに来るんだ。みかじめ料を払えば見逃してやる、払わなければ知らないぞって」
「いいの……?」
「ダメ」
「だよね」
「一種の恐喝だよな。払わないと嫌がらせするってんだから」
「けいさつは?」
「地域によるんじゃないかな。警察の立場が弱い場所もあるし」
「こわいね……」
「怖いけど、お店を出す予定ないからな?」
「そだけど」
うにゅほの頭をぽんぽんと撫で、ふと思う。
「……みかじめってなんだろ」
「なんだろ」
「調べてみるか」
「うん」
調べてみた。
「──みかじめは、管理、監督、取り締まりって意味の言葉らしい」
「とりしまられるほう……」
「それは、うん」
その通りではある。
「元々は、用心棒をしてやるから金を寄越せって感じだったみたい」
「へえー」
「今となっては別に用心棒を雇いたいくらいだから、皮肉な言葉だよな」
「じんじゃとかにはらうおかねだとおもってたのに……」
「響き的に?」
「うん」
わからないではない。
みかじめ料、できれば一生関わり合いになりたくないものである。
-
2020年10月13日(火)
目の前を羽虫が横切った。
蚊だろうか。
この時期に珍しいと思いながら、両手で羽虫を叩き潰す。
「……?」
死なない。
蚊にしては、随分と頑丈だ。
改めてよく見てみると、
「──羽アリだ」
「えっ」
うにゅほが目をまるくする。
「あり、いたの……?」
「××、最近窓開けた?」
「あけてない……」
「──…………」
「──……」
では、この羽アリはどこから侵入したのだろう。
俺たちには、覚えがある。
リフォーム以前、どこかから溢れるように自室に現われたアリの群れ。
もし同じルートを辿ったのであれば──
「……◯◯ぃ」
うにゅほが、不安げに、俺の肩に手を乗せる。
「大丈夫──だと、思う」
「ほんと?」
「去年にも、羽アリが部屋に迷い込んできたことあったろ」※1
「……あった」
「あのときも大丈夫だったし、何より、アリはこれから冬眠の時期だ。冬場に活動するアリはいない」
「うん……」
「ルートがあるのは確かだけど、たまたま迷い込んできただけだよ」
「……そか」
うにゅほが、安心したように微笑む。
「──…………」
そうは言ったが、確証はない。
人にとっては密閉空間でも、アリからすれば隙間だらけだ。
道しるべフェロモンでルートを確立されてしまえば、全面戦争の始まりである。
生ゴミやお菓子のカスは放置するべからず。
読者諸兄も気を付けてほしい。
※1 2019年8月6日(火)参照
-
2020年10月14日(水)
「──…………」
うにゅほがそわそわしている。
具体的に何かをしているわけではないのだが、雰囲気でわかる。
俺くらいになると、理由までわかる。
「××」
「?」
「明日が楽しみで仕方ないんだろ」
「!」
明日は、うにゅほの誕生日だ。
俺たちが出会ってから九年目の記念日でもある。
「もちろん、誕生日プレゼントは既に買ってあります」
「なんだろ……」
「それは明日のお楽しみ」
「……うへー」
たいへん嬉しそうで、たいへん可愛い。
「どこか食べに行きたいとか、あるの?」
「うと」
しばし思案したのち、うにゅほが答える。
「ケーキたべたい……」
「ケーキは不二家で予約してあるぞ」
「やた!」
「特になければ、いつものステーキハウスになるけど」
「うん、いいよ」
「了解」
行きつけのステーキハウスは、平日であれば予約の必要もない。
並ぶことはまずないだろう。
「──ところで、話は変わるんだけどさ」
「?」
「今って、六時五十分だっけ……」
「いま、しちじ──」
うにゅほが、壁掛け時計を見上げる。
「……ろくじごじゅっぷんだ」
「違うよな」
「ちがうきーする……」
うにゅほがスマホを取り出し、時刻を確認する。
「しちじじゅっぷんだもん」
「やっぱりか」
よく見れば、秒針がやっとこさ動いている。
電池切れだ。
「電波時計欲しいなあ……」
「かう?」
「そのうち」
そのうちそのうちと思い続けて、もう数年経っている気がする。
我ながら、さっさと買ってしまえばいいのに。
-
2020年10月15日(木)
「ふひー……」
ぽん、ぽん。
うにゅほが、自分のおなかを撫でる。
「おなかいっぱい……」
「随分食べたなあ」
「うん」
今日は、うにゅほの誕生日。
いつものステーキハウスでたらふく肉を食べたのだった。
「えい」
おなかを軽く押す。
「ふぐ」
あ、苦しいときの声だ。
「おさないでー……」
「ごめんごめん」
「もー」
「(弟)からのプレゼントは、なんかお菓子の詰め合わせだったよな」
「うん。なんか、かわいいの」
「父さん母さんからのは?」
「うと、こすめせっとだって」
「化粧品か」
「たぶん……」
「たぶんて」
まあ、うにゅほは普段からノーメイクだしなあ。
「では、俺からのプレゼントを」
「わ!」
待ってましたとばかりに、うにゅほが姿勢を正す。
ベッドの裏から包みを取り出し、
「誕生日おめでとう!」
と言って、うにゅほに手渡した。
「あけていい?」
「開けてくれ」
「はーい!」
うにゅほが、がさごそと包みを開く。
「ふくだ」
「服だよ」
「もこもこしてる」
「その通り。ジェラピケのイヌモコルームウェアだ!」
「みみついてる、かわいい……」
「そうだろう、そうだろう」
いつかうにゅほにジェラピケを着せるのが俺の野望だったのだ。
「きていい?」
「着てくれ」
「はーい!」
いったん自室を出て、うにゅほの着替えを待つ。
しばしして、
「いいよー」
「ああ」
わくわくしながら自室へ戻ると、可愛い生き物がいた。
犬耳パーカーをかぶり、
「わん!」
と鳴く、もこもこした生き物だ。
「かわ……!」
鼻血が出そう。
「うへー、かわいい……」
「可愛い。買ってよかった……」
うにゅほへのプレゼントと言うより俺への御褒美だが、構うまい。
これで毎日眼福である。
-
以上、八年十一ヶ月め 前半でした
引き続き、後半をお楽しみください
-
2020年10月16日(金)
「──さっむ」
自室で両手を擦り合わせる。
「急に寒くなったな」
「じゅうがつだもんね」
「爪先とか、めっちゃ冷たい」
「わたし、あったかい」
うにゅほが、可愛らしい耳のついたイヌモコソックスを見せびらかす。
「それ、ほんと可愛いな」
「うへー……」
靴下嫌いのうにゅほが、自らの意思で靴下を履いてくれている。
可愛いとは、偉大だ。
「◯◯も、くつしたはく?」
「悩むな……」
履いたほうが暖かい。
それはわかっている。
だが、あの窮屈な感じが、あまり好きではないのだ。
結局のところ、俺も靴下嫌いなのだった。
「……ストーブつけるか」
「ことし、はやいね」
「エアコンだと力不足な感じしない?」
「する……」
「灯油、入ってたかな」
ファンヒーターの蓋を開き、灯油タンクを持ち上げる。
指先に重みを感じる。
「うん、入ってる。たぶん満タン」
「おー」
「では、ストーブくん。今シーズン最初の仕事だ」
ぴ。
ファンヒーターの電源を入れると、数秒ののち、運転が開始された。
「ことしもがんばってね、ストーブくん」
うにゅほがファンヒーターを撫でると、心なしか、排気音が激しくなった気がした。
「◯◯、もこもこしたい?」
「もこもこしたい」
「じゃ、もこもこしてね」
そう言って、イヌモコルームウェアを着たうにゅほが膝に腰掛ける。
「いつもより五割増しで抱き心地がいいなあ……」
「でしょ」
得意げなうにゅほも可愛いのだった。
-
2020年10月17日(土)
「──…………」
頭がぼーっとしている。
やはり、休日は眠い。
ここ数週間、土日は寝てばかりいる気がする。
「ごめんな、どこへも行けなくて……」
「わたし、いえすきだし」
「でもな……」
「しょうしんしたばっかで、つかれてるもん。やすんでやすんで」
「──…………」
いいのかなあ。
よくない気がする。
でも、うにゅほが無理を望むはずもない。
「……寝るか」
「うん、おやすみ」
ベッドへ戻り、スマホでタイマーをセットする。
「三十分で起きるよ」
「かみんだ」
「寝過ぎても腰痛くなるし」
「うん、かみんなさい」
「仮眠なさい……」
「あいさつ」
「なんじゃそら」
苦笑しつつも目を閉じる。
す、と意識が落ちていく。
睡眠の質こそ良くはないが、睡眠導入に問題がないのはありがたい。
胡乱な夢のようなものを見て、アラームと共に目を覚ます。
「あ、おきた」
「おはよう……」
「おはよ」
ふらふらしながらパソコンチェアに腰掛ける。
「もうねむくない?」
「まだ眠い……」
「まだねむいかー」
「でも、さすがにこれ以上はな。寝過ぎでまた眠くなるループに入りそう」
「じゃ、なにかしよう」
「何か?」
「かいものとか」
「……やっぱ、出掛けたかった?」
うにゅほが首を横に振る。
「アイスたべたいなって」
「コンビニか」
「うん」
「じゃ、コンビニ行こう」
「いこ」
コンビニでスーパーカップをふたつ購入し、帰宅する。
暖かい部屋でアイスを食べていると、眠気が失せていくのを感じた。
やはり、休日は、多少無理を押してでも出掛けるべきかもしれない。
-
2020年10月18日(日)
「今日は、木造住宅の日らしい」
「もくぞうじゅうたくのひ……」
「今日は、どちらかと言えばすっきりパターンかな」
「おー」
「当ててみ」
「とー、じゅう、は、ぱ、はち、せんじゅうはち──」
しばし口の中で数字を転がし、
「……わかんない」
「今回、単純な語呂合わせじゃないしな」
「うまいパターン?」
「うまいパターン」
すっきりパターン、むりあるパターン、おうどうパターンに次ぐ、第四のパターンが現われた。
だが、正直なところ、すっきりパターンとの差別化が図れていない気がする。
なんだっていいけど。
「こたえ、こたえ」
「了解」
苦笑し、解答を明かす。
「まず、木造住宅の住は、十月の十」
「あ、そこかー」
「そこでした」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「じゅうはちは?」
「木造住宅の、木。木という漢字を分解してみよう」
「あ!」
うにゅほが即答する。
「き、じゅうとはちでできてる」
「その通り」
「うまいパターン……」
「まさしく、うまいパターン」
「いろんなパターンあるねえ」
「そうだな」
主にうにゅほが増やしているだけのような気がするが、突っ込むのも野暮だろう。
果たして、今後、第五のパターンは生まれるのか。
乞うご期待。
-
2020年10月19日(月)
今日は、久方ぶりの歩き仕事だった。
「つー……」
帰宅早々、ベッドに倒れ込む。
「おつかれさま」
うにゅほが優しく腰を揉んでくれる。
ありがたい。
「きょう、なんキロあるいたの?」
「何キロだろ……」
スマホを取り出し、活動量計のアプリを開く。
「──うわ、15km歩いてる」
「じゅうごキロ!」
「歩数は二万歩」
「にまんぽ……」
うにゅほが目をまるくする。
「まあ、ゆっくりとは言え六時間も歩けばな」
「あし、しっぷはる?」
「足は足なんだけど、右の足首に貼ってほしいな」
「?」
「挫いちゃって」
「!」
うにゅほの顔が、途端に曇る。
「いつくじいたの?」
「たしか、半分くらいで」
「……じゃあ、くじいたのに、いちまんぽあるいたの」
「まあ、うん……」
「ばか!」
うにゅほに馬鹿なんて、久し振りに言われた。
新鮮だ。
「あし、おかしくするでしょ!」
「いや、最初は痛くなくて──」
言い訳しようとしたのだが、
「──…………」
心配と怒りがない交ぜとなったうにゅほの表情を見て、途中でやめた。
「ごめん」
「あした、あるいちゃだめだよ」
「なるべく……」
「だめだよ」
「……最低限にします」
「はい」
問答のあと、湿布と包帯を巻いてもらった。
痛みが治まらないようなら、病院も視野に入れておこう。
-
2020年10月20日(火)
「あつ、いつつつ……」
昨日痛めた右足に体重をかけないよう、階段を下っていく。
「……つー」
普段の倍の時間を費やして階下へと辿り着くと、先に下りていたうにゅほが心配そうに口を開いた。
「だいじょぶ……?」
「あんまり大丈夫じゃないかも」
「びょういん」
「……うん、明日行く」
「きょういったらよかったのに……」
「言葉もない」
一日安静にしていれば、すこしは良くなるだろう。
それは、甘い見通しだったようだ。
「ほね、おれてないかな」
「さすがに大丈夫だと思うけど……」
「◯◯のだいじょぶ、しんじられないからね」
「はい……」
俺の"大丈夫"の信用は、地に落ちてしまったらしい。
無理もない。
「折れてたら困るなあ……」
「あし、どんなふうにいためたの?」
「道の端の見えにくいところに20cmくらいのへこみがあって、そこに足を取られたんだよ」
「ころんだの?」
「転んでない。ちょっとよろけただけ」
「ほねおれるかんじ、しないね」
「実際、痛み始めるまで、まさかそれで挫いたなんて思わなくてさ」
「あー……」
「大丈夫って判断するのも仕方ないだろ」
「そうかも……」
俺の"大丈夫"の信用が、すこしずつ浮上してきた。
「あしたこそ、びょういんだからね」
「はい……」
「いっしょにいくからね」
「わかった」
保護者同伴のようでいささか気恥ずかしいが、自業自得だ。仕方あるまい。
軽傷であることを祈る。
-
2020年10月21日(水)
整形外科からの帰途、車内でうにゅほがほっと息をつく。
「ほね、なんともなくて、よかったねえ……」
「ほんとな」
大事にならずに済んだのもそうだが、たかだか20cmの段差に足を取られて骨折とか虚弱の極みだし、そういう意味でも安心した。
「あと、しっぷはって、あんせいにするだけだね」
「うん、そうするよ」
「すなお」
「普段は素直じゃない?」
「すなおだけど、すなおじゃない」
夢だけど夢じゃなかった、みたいなこと言い出した。
「◯◯、じぶんがけがしたとき、すぐだいじょぶっていう」
「まあ、うん……」
言う。
「だいじょぶじゃないとき、あるかもだから、じぶんではんだんしたらだめだよ」
「はい……」
うにゅほに心配をかけたくない気持ちと、大したことありませんようにという願望が混じり合った結果である。
前者は理由として真っ当だが、後者は言い訳のしようがない。
「気を付けます」
「よろしい」
「××も、怪我したときは強がっちゃダメだぞ」
「つよがんないよ」
「本当かなあ……」
「ほんとだよ」
まあ、あんまり強がるイメージはないかもしれない。
生理のときも、素直に甘えるし。
「単に、俺が素直じゃないだけか」
「でも、すなおなとき、すなお」
「どんなとき?」
「なにかしてっていったら、すぐしてくれるし……」
「普通だと思うけど……」
「いいの」
「××は、俺に甘いなあ」
「◯◯も、わたしにあまいよ」
「互いに甘々だな」
「うん、あまあま」
割れ鍋に綴じ蓋、なのかもしれない。
-
2020年10月22日(木)
終業後、PCの前でくつろいでいたところ、うにゅほが自室を覗き込んだ。
「◯◯」
「どした」
「きんちょーる、ある?」
「あー」
本棚の前へとチェアを滑らせ、キンチョールの缶を手に取る。
軽く振り、虚空に噴射すると、特有の臭気が周囲に漂った。
「うん、大丈夫」
うにゅほにキンチョールを渡し、尋ねる。
「何が出たんだ?」
「はえ」
「ハエ……」
妙だ、と思った。
何故なら、ほんの数時間前、リビングを飛び回っていたハエを叩き潰したからだ。
「また出たのか」
「うん、さんびきめ……」
「マジか」
「まじ」
「どこかで発生してるのかな……」
「やだなあ……」
家の中で、虫が産卵し、さらには成長している。
その想像は、生理的嫌悪感を促すに十分過ぎた。
「まあ、ほら。窓か扉を開けたとき、一斉に入ってきたのかもしれないし」
「そうかもだけど……」
「あのハエ、そこそこ大きかったろ」
「たしか」
「なら、うちじゃないよ。あんなに大きく育つほど生ゴミ放置してないだろ」
「うん」
「どこかから入ってきたんだと思うよ」
「そか……」
俺の言葉に、うにゅほがほっと息を吐く。
「いまいるの、ころしたら、あんしんかな」
「だと思う」
「ころしてくるね」
そう言って、うにゅほがキンチョールを構える。
案外、様になっている。
「頑張って」
「はーい」
結局、仕留め損なったらしく、ハエの行方はわからないままだ。
どうか卵を産みませんように。
-
2020年10月23日(金)
「──うん、すこしずつ良くなってる」
階段の上り下りは、既に苦ではない。
長時間の歩き仕事に耐え得るかどうか定かではないが、日常生活において支障はあるまい。
「よかったー……」
うにゅほが、ほっと息を吐く。
「心配かけてごめんな」
「いいよ。けが、しかたないもん」
優しい。
「でも、むりしたらだめ。こっちはしかたなくないよ」
「はい……」
厳しい。
厳しいが、やはり優しい。
「来週、また、歩き仕事があるんだけど……」
「──…………」
うにゅほが半眼でこちらを見やる。
「俺だって安静にしたいけど、仕事だから」
「うん……」
「なるべく何日かに分けて、無理はしないようにするからさ」
「かわってもらえないの……?」
「人手が足りない」
「そか……」
しばし視線をさまよわせたのち、うにゅほがひとつ溜め息をつく。
「……むりしないでね?」
「無理はしない。約束する」
「なら、うん」
しぶしぶといった様子で、うにゅほが頷いてみせる。
「ありがとう」
「しかたないもん……」
仕事をして生計を立てている以上、ある程度の無理は強いられる。
動かしがたい事実だ。
「どにち、あんせいにしないとだめだよ」
「うん。家で休んでるよ」
「へやにいてね」
「なるべく」
「した、おりちゃだめ」
「ごはんは……」
「わたし、もってくるね」
「それはさすがに──」
やり過ぎじゃないか、と言おうとして、うにゅほがいたずらっ子の笑みを浮かべていることに気が付いた。
「じょうだん」
「本気かと思った……」
「うへー」
冗談なんて、珍しい。
この笑顔を歪ませないように、全力で足を治そうと心に誓うのだった。
-
2020年10月24日(土)
風呂から上がり、自室へ戻る。
「しっぷはるよー」
「うん」
「すわってね」
チェアに腰掛け、うにゅほに右足を差し出す。
ぐい、ぐい。
うにゅほの親指が、足の裏を圧迫する。
「いたい?」
「痛くない。と言うか、押しても痛くないのは最初からだって」
「いちおう」
心配性だなあ。
「ねつ、なくなったね」
「そう?」
「けがしたひ、ねつもってた」
「そうなんだ……」
初耳である。
自分で患部に触れる前にうにゅほに湿布を貼ってもらったから、気付くタイミングがなかったのだ。
「あさって、あるきしごと?」
「雨が降らなければ」
「あめふってほしい……」
「降ったところで、晴れたら行くけど……」
「いちにち、あんせいにできる」
「あー……」
なるほど。
「ほんとはさらいしゅうがいいけど、しごとだから」
「そのぶん、今日と明日は全力で安静にするよ」
「ぜんりょくで」
「何もしない勢いで」
「じゃあ、ベッドからおりたらだめね」
「トイレも行けないんですが……」
「しびん」
「勘弁してください」
「それくらい、あんせいにしててね」
「わかった」
痛みは、もう、ほとんどない。
だが、治りかけが肝心だ。
明日は、どこへも行かず、安静に徹しよう。
それが、心配をかけてしまったうにゅほに対する誠意というものだ。
-
2020年10月25日(日)
「──…………」
むくり。
起床し、スマホで時刻を確認する。
午後四時半。
「マジか……」
眠りに眠り果ててしまった。
今日は安静にするとうにゅほと約束していたから、構わないと言えば構わないのだが、やはり損をした気分にはなる。
「おきた?」
自室の書斎側から、うにゅほがこちらを覗き込む。
「おはよう……」
「おはよ」
「暗い」
「よじはんだもん……」
「四時半でも、もうだいぶ暗いんだな」
「ふゆ、ちかいもんね」
「冬か……」
寒いのは、まだいい。
雪のことを考えると、憂鬱になる。
「あし、どう?」
「ん」
布団から足を出し、足の裏を軽く揉む。
「特には。明日の歩き仕事、大丈夫そうかな」
「そか」
「無理はしないよ」
「うん、しんじてる」
「──…………」
信じてる。
その言葉は、重く受け止めねばなるまい。
うにゅほの頬に手を添えて、言う。
「心配かけて、ごめんな」
「うん」
うにゅほが、俺の手に頬擦りをする。
足をひねっただけなのに、不治の病にでもかかったような気分だ。
「──……あふ」
あくびが漏れる。
「ねむいの?」
「寝過ぎて眠い。起きるわ」
「うん」
図らずも短くなってしまった休日を、ぼんやりと過ごしたのだった。
-
2020年10月26日(月)
雨が降っていた。
「……こりゃ、今日の歩き仕事はダメだな」
「やた」
うにゅほが嬉しそうに言葉を漏らす。
「仕事自体がなくなるわけじゃないからな?」
「わかってるよー」
一日遅れれば、一日安静にできる。
完治に一歩近付くということだ。
だが、
「あんまり遅くなると、今度は寒くなるんだよな……」
「あー……」
「今の時期、どんどん気温が下がるからさ。さっさと済ませたいって気持ちもあるんだ」
「──…………」
うにゅほが表情を曇らせる。
「ごめんなさい……」
「どうして謝る」
「わたし、そこまでかんがえてなかった」
「いや、そもそも××が降らせたわけじゃないし……」
「そだけど」
ぽん、とうにゅほの頭を撫でる。
「それに、俺を心配して言ってくれたんだろ。感謝こそすれ、責めるなんてあり得ない」
「……うん」
「寒くなったら一枚羽織ればいいんだしな」
むしろ、一枚羽織ればいいだけのことを殊更言ってうにゅほの罪悪感を煽ってしまい、申し訳ないくらいである。
「もうすぐ冬か……」
「うん、ふゆ」
「相変わらず、秋は短いな」
「みじかいね……」
「過ごしやすいし、四ヶ月くらいあればいいのに」
「くー、じゅう、じゅういち、じゅうに?」
「そうなる」
「クリスマスもあきなんだ……」
「……なんか変だな」
「さんかげつにする?」
「三ヶ月にしよう」
「でも、なつみじかくなるかも……」
「難しいな……」
何故か神様目線で会話する俺たちなのだった。
-
2020年10月27日(火)
今日の歩き仕事は、再び雨で順延となった。
「あー……」
チェアの上で、大きく伸びをする。
「あめだねえ……」
「足の痛みもないし、さっさと済ませたいんだけどな」
「かんちしたかな」
「たぶん」
「あした、あしもときーつけてね?」
「うん、気を付けるよ」
これでまた足を挫きでもしたら、自分で自分に呆れてしまうだろう。
歩くことすらままならないのか、と。
「……マジで気を付けよう」
そう、口の中で呟いた。
互いに互いの時間を過ごすこと、しばし。
ふと、唐突に脳裏をよぎった単語があった。
"メテオラ"。
「──…………」
なんだっけ。
漫画かゲームの、魔法の名前だった気がする。
何の単語か気になって、検索をかける。
「……メテオラ修道院?」
メテオラとは、ギリシア北西部・セサリア地方北端の奇岩群と、その上に建設された修道院共同体、いわゆるメテオラ修道院群の総称である。
簡単に言えば、とんでもなく辺鄙な崖の上に建てられた修道院だ。
そう言えば、世界遺産に登録されていたっけ。
「なにみてるの?」
「ああ。世界遺産のメテオラ修道院なんだけど……」
「わ、すーごいとこにたてものある」
「俗世との関わりを断つために、わざわざこんなところに建てたんだってさ」
「へえー」
「──って、それはどうでもいいんだ」
「どうでもいいの?」
「××、メテオラって聞いて何を思い浮かべる?」
「うと」
数秒思案し、うにゅほが答える。
「ワールドトリガー」
「あ」
それだ。
炸裂弾と書いてメテオラと読むやつだ。
「ありがとう、すっきりした」
「そか」
本当に大したことではないのだが、こんなとき一人でないことに感謝する。
いつまでも答えが出なかったら、もどかしいもの。
-
2020年10月28日(水)
「ふいー……」
帰宅し、ベッドに倒れ込む。
「おつかれさま!」
「うん、ありがとう」
今日は快晴。
雨天順延だった歩き仕事を、ようやく終えることができた。
「あし、いたくない?」
「痛くないよ。ちゃんと完治してたみたい」
「よかったー」
うにゅほが、ほにゃりと微笑む。
「きょう、なんぽあるいたの?」
「えーと」
スマホを取り出し、活動量計のアプリを開く。
「こないだより少ないよ。一万三千歩だって」
「じゅうぶんあるいてるきーする……」
「距離は10km」
「じゅうぶんあるいてる!」
「でも、今日で終わりだから」
「うん」
うにゅほが、俺の足に手を触れる。
「あしもむね」
「ああ」
ぐに、ぐに、ぐに。
ふくらはぎが心地良い感触に包まれる。
「きもち?」
「うん、気持ちいい……」
ぐに、ぐに、ぐに。
「もうすこし強くしてもいいかな」
「うと」
うにゅほが、言いにくそうに答える。
「あし、ふとくて、ちからはいんない……」
「あー……」
俺の足は、太い。
うにゅほの手は、小さい。
そういうことである。
「太くてすいません……」
「あやまることないけど……」
そのまま、しばし、うにゅほのマッサージを受け続けた。
すこし足が軽くなった気がした。
-
2020年10月29日(木)
モンダミンが切れたので、ドラッグストアへと赴いた。
「別の買ってみようかなあ……」
「べつの?」
「リステリンの紫とか」
うにゅほが小首をかしげる。
「どうちがうの?」
「モンダミンは洗口液で、リステリンの紫は液体歯磨き」
「えきたいはみがき……」
「歯を磨いたあとに使うか、歯を磨く前に使うか。その差だな」
「みがくまえにつかうの」
「要は、歯磨き粉の代わりなんだよ」
「あー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「はみがきこじゃなくて、はみがきえきなんだ」
「だから、液体歯磨き」
「なるほど……」
「ノンアルコールの低刺激タイプ、試してみよう」
「うん」
リステリン トータルケアゼロプラスを購入し、帰宅する。
「よし、さっそく使ってみるか」
リステリンを開封し、キャップに注いで口に含む。
「──…………」
三十秒ほど口内をすすぎ、洗面台に吐き出した。
「ぴりぴりする……?」
「いや」
歯ブラシを片手に、うにゅほにリステリンを渡す。
「低刺激だからかな。美味しくはないけど、耐えられないほど不味くはない」
「ほんと?」
がしがしと歯を磨きながら、頷く。
「じゃ、ためしてみる……」
うにゅほが、キャップにリステリンを注ぎ、恐る恐る口に含む。
「──…………」
小首をかしげながら、口をすすぐ。
モンダミンでは十秒しか耐えられなかったうにゅほが、しっかり三十秒ほど口を動かし、
「ぺ」
と、薄紫色の液体を吐き出した。
「はい、歯ブラシ」
「ありがと」
「味はどうだった?」
「おいしくないけど、まずくもないね」
「毎日使えそう?」
「うん」
うへーと微笑み、歯ブラシをくわえる。
リステリン トータルケアゼロプラス、しばらく使ってみよう。
-
2020年10月30日(金)
「そう言えば、明日はハロウィンだっけ」
「とりっく、おあ、とりーと!」
「明日だってば」
「わかってるよー」
うにゅほが苦笑する。
「こども、くるかな。おかしかってきたほう、いい?」
「毎年来てたっけ……?」
「きてないけど、くるかもしれないし」
「この御時世だから、来ないと思うけど」
「くるかもだし……」
「来てほしいの?」
「ううん」
うにゅほが首を横に振る。
「もしきたとき、こまるから……」
「普通に謝るとか、そもそも出ないとか」
「そしたら、いたずらされちゃうよ」
「風習としてはそうだけど……」
「くるまに、なまたまご、ぶつけられちゃう」
「……あー」
たしか、本場はそうなんだっけ。
「日本では、ないだろ。したら警察沙汰だ」
「そだけど……」
うにゅほは心配性である。
「でも、なげられたら、おとうさんおこるよ」
「怒るだろうなあ……」
「ね?」
「でも、うちの車って、車庫に入ってるじゃん」
「げんかんになげられるかもしれない」
「どんだけ近所の子供を信用してないんだ……」
「そういうわけじゃないけど」
「渋谷のハロウィン、今年はどうなるんだろうな」
「なまたまご?」
「生卵から離れよう」
「ばーちゃるしぶや、だって」
「ああ、ニュースでやってたな」
現実の渋谷を模したバーチャル空間で、自宅から一歩も出ずに散策したりイベントに参加したりできるものだ。
コロナ禍においても馬鹿騒ぎできる場として用意されたものらしい。
「でも、本物の渋谷にも人は集まると思う」
「あつまるかな……」
「鬼滅のコスプレした若者、百や二百じゃきかないと思う」
「それは、うん」
明日の渋谷の様子が目に見えるようだった。
読者諸兄は、ちゃんと三密を避けていこう。
-
2020年10月31日(土)
のんびりと過ごした土曜日の夜、ふと思い出したことがあった。
「そうだ、ハロウィンだ」
「とりっく、おあ、とりーとだね」
「今日は合ってる」
「きのうもわかってたの!」
「ごめんごめん」
「もー」
「結局、子供は来たのかな」
「きてないとおもう」
「お菓子、必要なかったな」
いちおう、チョコレートくらいは準備しておいたのだが。
「チョコ、たべる?」
「食べる食べる」
お徳用のチョコレートを口に運びながら、疑問を口にする。
「渋谷、結局どうだったんだろう」
「きになるね」
キーボードを叩き、調べる。
「──ハロウィン自粛ムード、仮装はまばら、だって」
「まばらだったんだ」
「意外だな」
「えらい」
絶対に混雑すると思っていたのだが、良い方向へ予想が外れたようだ。
「あ、でも、大阪の道頓堀は、仮装でごった返してたんだって」
「おおさか……」
「やっぱ、鬼滅が多かったって」
「ころなをめっさないとだめなのに……」
「まったくだ」
その手に持った日輪刀で、ウイルスを切ってはくれまいか。
「あ、そだ」
「うん?」
「とりっく、おあ、とりーとって、いって?」
「トリックオアトリート」
「はい、あーん」
そう言って、うにゅほが、チョコレートを俺の口元へ差し出した。
「あー」
それを口で受け取ると、
「うへー」
うにゅほが、嬉しそうに微笑んだ。
ハロウィンなんて、この程度でも、十分楽しめるのだ。
-
以上、八年十一ヶ月め 後半でした
引き続き、うにゅほとの生活をお楽しみください
-
2020年11月1日(日)
キーボードが薄汚れてきたため、綺麗に掃除することにした。
キープラー片手にキートップをすぽんすぽん引き抜いていると、
「あ、そうじするの?」
「だいぶ汚くなってきたからな」
「わたしもぬきたいな」
「いいけど」
どうにも気持ち良さそうな作業に見えるらしい。
「やり方、わかるか?」
「うん、おぼえてる」
うにゅほが、キープラーの針金を、キートップの角に引っ掛ける。
「ん!」
と引っ張るが、外れない。
「ぬけない……」
「そうそう壊れないから、もっと力込めていいぞ」
「わかった」
うにゅほが、再度力を込める。
やがて、Mキーがすぽんと抜けた。
「ぬけたー!」
「コツ掴んだか?」
「うん」
「じゃ、悪いけど引き抜いててくれないか。俺はキートップ拭いてるから」
「わかりました!」
仕事を与えられたのが嬉しいのか、うにゅほがやる気満々で取り掛かる。
うにゅほが引き抜いたキートップを、流れ作業で拭き清めていく。
やがて、
「──これ、とっていいもの?」
と、うにゅほがキーボードを指差した。
覗き込むと、その指は、スペースキーを指し示していた。
「キープラー、引っ掛からない?」
「すっごくむりしたら……」
「無理していいよ。××が思ってるより丈夫だから」
「うん……」
「まごまごしてると、俺が抜いちゃうぞ」
「──…………」
うにゅほが、残念そうな顔をする。
「嘘だよ。でかいの引き抜くの、なんかわくわくするもんな」
「うん!」
図星だったらしい。
「じゃ、キープラーを限界まで広げて──」
うにゅほが、指示通りに、キープラーをスペースキーの角と角とに引っ掛ける。
「えい!」
す……、ぽん!
「ぬけた!」
少々引っ掛かったが、無事に取れた。
「おめでとう」
「うへー」
「拭くのも手伝ってくれるか」
「うん!」
うにゅほのお手伝いによって、キーボード掃除はたいへん捗ったのであった。
-
2020年11月2日(月)
「──……?」
LINEに珍しく通知が来ていた。
開くと、
「ヤマトだ」
「やまと?」
「クロネコヤマト」
「くろねこやまとと、らいんこうかんしたの?」
「した覚えないけど……」
ないけど、来るのだ。
「登録した記憶もないのに、荷物のお届け予定のお知らせが届くんだよな」
「え、こわい……」
「うん、ちょっと怖い」
どこから個人情報が漏れ出しているのだろう。
「しらべたほうがいいきーする……」
「……そうだな」
以前から気になってはいたし。
適当に検索すると、ヤマト運輸のFAQにそれらしい質問を見つけることができた。
"友だち登録していないのに、ヤマト運輸LINE公式アカウントから荷物のお届け予定が届きました。なぜですか"
このFAQによれば、
「LINEアプリに登録してる電話番号情報と、荷物の送り状に書かれてる電話番号情報を照合して送ってるらしい」
「へえー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「そういうの、いいんだ」
「いいみたい。よくわからないけど」
おかしな形で個人情報が流出したわけではないが、どこか腑に落ちない感じもする。
「便利は便利だけど、なんか素直に喜べない……」
「わかるきーする」
「通知を切れば来なくなるんだけど、そういう問題じゃないんだよな。上手く言葉にできないけど」
「うん……」
なんとなく、もやっとする。
だが、それは、俺が古い人間だからなのかもしれない。
恐らく、今の十代は、この違和感を理解できないだろう。
妙なところで年齢を感じるのだった。
-
2020年11月3日(火)
今日は祝日、お休みである。
「……今日、何の日だっけ?」
「うと」
うにゅほがカレンダーを覗き込む。
「あ、まだじゅうがつ」
「めくっといて」
「はーい」
カレンダーをめくり、改めて確認する。
「ぶんかのひ、だって」
「文化の日……」
記憶を探る。
「……そんな日、あったっけ?」
「あったよー」
「地味じゃない?」
「じみとはおもう」
「地味でもなんでも、祝日は嬉しいけどさ」
「だね」
「……他にも忘れてる祝日あるのかな」
「しらべてみる?」
「ああ」
"国民の祝日"で検索し、Wikipediaを開く。
「元日」
「がんじつ、しゅくじつなの?」
「いちおうな」
「へえー」
「成人の日は、わかるだろ」
「わかる」
「建国記念の日」
「いつかわかんないけど、あったのはわかる……」
「2月11日だって」
「へえー」
うんうんと頷く。
「天皇誕生日。令和になったから、2月23日にずれたな」
「うん、わかる」
「春分の日、秋分の日」
「だいたいわかる」
「……なんで、夏至と冬至は祝日じゃないんだろうな」
「さあー……」
「昭和の日──昭和の日? そんなのあったっけ」
「あったよー」
「……あ、元みどりの日なのか」
「そなの?」
「あれ、みどりの日はみどりの日で別にある。どういうこっちゃ」
「うーん」
「こどもの日は、わかる」
「わかる」
「海の日はわかるし、山の日は最近新設されたんだよな」
「たしか」
「敬老の日はわかるし、体育の日がスポーツの日に名前変わったのも覚えてる」
「ことしだけ、ずらしたんだよね」
「東京オリンピック、開催できそうにないけどな」
「うん……」
「で、十一月の文化の日と勤労感謝の日で、国民の祝日はおしまい」
「あれ、じゅうにがつは?」
「令和になって天皇誕生日が変わったから、祝日はないよ」
「あ、そか」
「改めて調べてみると、文化の日と昭和の日の記憶が曖昧だったな……」
うにゅほが小さく胸を張る。
「わたし、おぼえてた」
「すごいすごい」
「うへー」
2007年に新設された昭和の日はともかく、生まれたときからあった文化の日を覚えていなかったのは、少々情けない。
こうして日記にしたためたからには、覚えられるだろうか。
来年も同じこと言ってたりして。
-
2020年11月4日(水)
初雪が降った。
「あき、みじかかったね」
「夏を九月の半ばまでとすると、秋は一ヶ月半だからな」
「みじかい……」
「長い長い冬の始まりだ」
「ゆきかきしないと」
ふんす。
鼻息荒く、うにゅほが言った。
「今年もまた、賽の河原で石積みか……」
「うんどうになるよ」
「単純に運動するだけなら、リングフィットでいいじゃん」
「リングフィット、さいきんしてない」
「──…………」
痛いところを突かれた。
「やらないとなあ……」
「ねー」
「習慣づけると楽なんだけど、習慣づくまでが大変なんだよな」
「にっきとか?」
「そうそう」
「にっき、かいたりかかなかったりになっちゃう……」
うにゅほは、スマホで日記を書いている。
「ちゃんと続いてるんだ」
「いちおう……」
「偉い偉い」
頭を撫でる。
「でも、だんだんみじかくなってきて……」
「見ていい?」
「いいよ」
うにゅほが自分のスマホを取り出し、日記を開く。
11月3日
文化の日だった
「──…………」
カレンダー?
日付を遡る。
11月2日
荷物届いた
サラダチキンたくさん
冷蔵庫になんとかはいった
「……前、もっと書いてなかったっけ」
「かいてた……」
「書くことなくなっちゃったか」
「◯◯、すごいね。まいにちあんなにかくんだもん」
「そこは慣れかな」
うにゅほとの生活も、そろそろ九年だ。
十年目が見えてきた。
随分と年を取ったなあ。
-
2020年11月5日(木)
「ただいまー」
「おかえり!」
帰宅し、自室の壁掛け時計を見上げると、午後五時過ぎを指し示していた。
「……?」
スマホを取り出し、時刻を確認する。
午後五時四十分。
「とけいね、ずれてるの」
「電池、換えたばかりなのに」
「うん……」
「壊れたかな」
「そうかも」
「──…………」
思案し、
「よし、電波時計を買おう」
「!」
「欲しい欲しいと思って何年も経ってるし、いい機会だ」
「でんぱどけいって、ずれないやつだよね」
「ずれない──というか、正しい時刻に自動で補正されるって言い方が正しいかな」
「へえー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「よどばし、いく?」
「うーん……」
行きたいのは山々なのだが、仕事が増えて余裕がない。
「ネット通販にするか……」
「おつかれ?」
「うん」
「じゃ、そうしましょう」
「ごめんな」
「あやまることないのに」
うにゅほが苦笑する。
「……ポイントあるし、ヨドバシドットコムにしようか」
「だめなとこ……」
「でも、ポイントあるし」
俺も、うにゅほも、ヨドバシドットコムのサポートに良い印象を持っていない。
だが、ヨドバシであれば、ポイントだけで購入できてしまうのだ。
「まあ、それはいいとして──」
"電波時計 壁掛け"で検索をかけると、516件ヒットした。
「たくさんあるけど、どれがいい?」
「すごいある……」
「××が決めていいよ」
「わたしが?」
「うん」
普段は俺がすぐに決めてしまうから、たまにはいいだろう。
「うと……」
「急がなくていいよ。ゆっくり決めてくれれば」
「うん、わかった」
うにゅほのスマホを借り受け、ヨドバシドットコムのページを開く。
「いいの、えらぶね」
「××のセンスの見せどころだな」
「プレッシャー……」
さて、うにゅほはどんな時計を選ぶのか。
期待しつつ、本日の日記を終える。
-
2020年11月6日(金)
「◯◯……」
「ん?」
うにゅほが、スマホを手に、緊張の面持ちで立っている。
「どした」
「あの、とけい……」
「ああ、決まったのか」
「うん」
「どれ?」
「うと……」
そっと、スマホを差し出す。
「これ、ほしい……」
そこに表示されていたのは、アイボリーの四角い掛け時計だった。
シンプルなデザインで、どこにでも合いそうだ。
「お、センスいいな」
「……ほんと?」
「俺はそう思うよ」
「うへー……」
うにゅほが、てれりと笑みを浮かべる。
「あ、ひとついいか?」
「なに?」
「"これ欲しい"って、もっかい言って」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「××って、あんまり物を欲しがらないからさ。たまにはねだられたくて」
「いいけど……」
よくわからない、という顔をしながら、うにゅほが口を開く。
「これ、ほしい……」
「もう一度」
「これ、ほしい」
「あと一回」
「これ、ほしいなー」
「よし、なんでも買ってやるぞ!」
「◯◯、たまに、そのモードになるよね」
「××を甘やかしたいんだよ……」
「あまやかされてるきーする……」
「それ以上に健気だから、釣り合いが取れない」
「そかな」
「そうだよ」
これからも、隙を見ては、うにゅほを甘やかしていきたい所存である。
-
2020年11月7日(土)
「××さん」
「はい?」
「今日は何の日でしょー……、か!」
「なんのひしりーずだ」
うにゅほが、カレンダーに目を向け、今日の日付を確かめる。
「じゅういちがつ、なのか」
「11月7日」
「……いいなのひ?」
「惜しい」
「おしいんだ……」
「"いい"までは合ってる」
「じゅういちがつ、ぜんぶそれ」
「たしかに……」
十一月の語呂合わせは、九分九厘、"いい◯◯の日"だ。
作りやすいんだろうな。
「うーとね」
しばし思案し、うにゅほが答える。
「いいなべのひ、とか……」
「お!」
「せいかい?」
「正解は、"い(1)い(1)もつな(7)べ"の語呂合わせで、もつ鍋の日でした」
「──…………」
うにゅほが、見たこともないような複雑な表情を浮かべる。
「もつ、どこからでてきたの……」
「さあー……」
「それいいなら、なになべでもいいとおもう」
「キムチ鍋でも、坦々ごま鍋でもいいよな」
「もやもやパターン……」
また新しいパターンが出てきた。
だが、気持ちはわかる。
「すっきりパターン、ないの?」
「普通に鍋の日でもあるよ」
「えー……」
「でも、こっちは語呂合わせじゃないんだよ」
「ちがうの?」
「11月7日が、立冬になる年が多いから、だって」
「いいなべのひ、じゃないんだ……」
「微妙にもやっとするよな」
「もやっとする」
「それが、大人になるということさ」
「てきとういってる」
バレた。
でも、理解されているようで、それもまた嬉しいのだった。
-
2020年11月8日(日)
荷物が届いた。
うにゅほが、そわそわしながらダンボールを開封していく。
「とけいかな……」
「たぶん」
恐らく、二日前に注文した壁掛け時計だろう。
うにゅほが選んだものだ。
いささか過剰包装気味の箱を開くと、
「わ」
アイボリーの四角い掛け時計が現れた。
「けっこうおっきい……」
「近くで見ればそんなもんだよ」
うにゅほが、壁掛け時計を手に取る。
「……いいね」
「そうだな」
「いいよね?」
「ああ、いいと思う。掛けてみようか」
「うん!」
三十分前の時を刻む壁掛け時計を外し、新しい電波時計を設置する。
「おー……」
うにゅほが、感嘆の声を上げる。
「いいね……」
「うん」
「……いいよね?」
「壁の色に馴染んでるし、質感も壁紙に似てる。気に入りました」
「うへー……」
てれりと笑う。
「時計ひとつ変わるだけで、部屋の雰囲気がぐっと変わる気がする」
「わかる」
もっとも、住んでいる当人にしかわからない程度の微妙な差異に過ぎないのだろうけど。
電波時計を設置してしばし、
「──…………」
ちら。
時折、用もないのに電波時計を見てしまう。
「なんか、つい見ちゃうな」
「みちゃう」
「いいな、この時計」
「いいよね……」
お気に入りの時計になりそうである。
-
2020年11月9日(月)
──遠雷。
空が輝き、轟音が響く。
雷を伴った雪のことを、雷雪と称する。
珍しい気象現象だ。
「ひ」
うにゅほが俺の腕を抱く。
無理もない。
吹雪で家は軋み、遠くでは雷が鳴り響いているのだ。
片方だけなら慣れたものだが、その両方ともなると、キャパシティが限界を超えるらしい。
「抱き着いてないで、膝に座るか?」
「すわる……」
うにゅほを膝に乗せ、その矮躯を抱き締める。
「ふいー……」
「すこしは落ち着いたか?」
「うん」
「雷雪なんて、久し振りだな」
「らいせつ……」
「雷を伴った雪のこと」
「めずらしいきーする」
「滅多にないよ」
「だよね」
日記を確認すると、八年ほど前に一度だけ記述があった。
希有な現象であることは確かだ。
「──しかし、冷え込んだよなあ」
「うん……」
外はもう雪景色。
たったの一日で、完全に冬である。
「初雪は根付かないから一時的なものだろうけど、本格的に冬が来たって感じがするよな」
「ほんとだね」
「今日の日記、なんて書くんだ?」
「うと、ゆきふったことと、かみなりなったことと、さむくなったこと、かく」
「書くことたくさんだな」
「うん」
「怖くて俺に抱き着いてたことは書かないのか?」
「……かかない」
「書けばいいのに」
「ちょっとはずかしい……」
可愛いので、抱き締める腕に力を込める。
「まだ怖い?」
うにゅほが首を横に振る。
「こわくないよ」
「よかった」
うにゅほにとって、俺は、恐怖を和らげるに足る存在なのだ。
どこか誇らしい気持ちになるのだった。
-
2020年11月10日(火)
本日の日記を書くため、キーボードに向かう。
「──……?」
手が動かない。
「あれー……」
「どしたの?」
「書くこと忘れちゃった」
「わすれちゃったの……」
「今日、何あったっけ」
「うと」
うにゅほが、小首をかしげ、思案する。
「あさおきたら、◯◯、もうおきてた」
「起きてたというか、ぜんぜん眠れなかったんだよな……」
「ねないでかいしゃいったの……」
「一時間くらいは横になったけど」
「それ、ねたっていわない」
「はい……」
「でも、ねれないの、しかたないし……」
「あんだけ目が冴えて眠れないの、久し振りだったよ」
「ねむり、あさいけど、ねるのはやいのにね」
「お茶飲み過ぎたかな……」
「そうかも」
健康のため、ペプシをやめてお茶を飲むようにしたのだが、こんなところで弊害が出るとは思わなかった。
「かえってきて、かみんとって、しごとしたよね」
「したした」
「なんかあったっけ……」
「荷物が来たくらい?」
「あ、にもつきたね」
「(弟)のな」
「なんだったんだろ」
「漫画だろ、たぶん」
「そか」
「夕方にまた出勤して、退勤して、帰ってきたのが六時過ぎかな」
「にかいもいくの、たいへん……」
「ずっと会社で仕事してる人たちのほうが大変だと思う」
「それは、うん」
「××も寂しがるしな」
「それも、うん……」
「で、夕飯食べて、風呂入って、だらだらしたらこんな時間だろ」
「そだね」
「なーんか書くこと決めてたと思うんだけど……」
「わすれちゃった」
「忘れちゃった」
「そのままかいたら?」
「そのまま書くか……」
そのまま書いた日記がこちらになります。
このくらいゆるいほうが、日記は続けられるのである。
-
2020年11月11日(水)
「あけてー」
「?」
廊下からの声に自室の扉を開くと、うにゅほが冬用の羽毛布団を抱えて立っていた。
「ありがと」
「夏布団じゃ限界だったもんな……」
「さむい」
「手伝うよ」
「じゃあ、なつぶとん、カバーとってね」
「わかった」
二人ぶんの夏布団からカバーを外していく。
ずれ防止用の紐を外すのが面倒だが、なければないで困るものだ。
「これ、洗濯に出してくるよ」
「はーい」
階下へ降り、脱衣所の洗濯カゴに布団カバーを丸めて入れる。
自室へ戻ると、うにゅほが、新しい布団カバーに上半身を潜り込ませていた。
ずれ防止紐を結んでいるらしい。
「──…………」
小さなおしりが揺れている。
俺は、気付かれないようゆっくり近付くと、
──ぺぺぺぺぺぺん!
「わ!」
うにゅほのおしりを、痛くない程度に、両手で連打した。
「なんでおしりたたく……」
「いや、なんか可愛かったから」
「──…………」
数秒の沈黙ののち、
「かわいいっていったら、なんでもごまかされるわけじゃないよ……?」
誤魔化されかけていた気もするが。
「ごめんごめん」
「いいけど」
「いいんだ」
──ぺぺぺぺぺぺん!
「わ!」
「いいって言うから」
「そういういいじゃないよー……」
「ははは」
「もう、じゃましないでね」
「はーい」
冬用の羽毛布団は分厚くて、いかにも暖かそうだった。
寝るのがちょっと楽しみである。
-
2020年11月12日(木)
「ふひー……」
帰宅し、ベッドに倒れ込む。
「おつかれ?」
「お疲れ……」
今日は一日、外仕事だった。
歩き仕事のようにわかりやすく疲れるわけではないが、それでも普段よりは疲弊する。
出勤するようになったとは言え、基本は在宅ワーカー。
体力があろうはずもない。
「……ちょっと寝る」
「ふく、きがえたほういいよ」
「めんどい」
「うと……」
うにゅほが困っているのが気配でわかる。
「……仕方ない」
ふらふらと立ち上がり、作務衣に着替える。
「ごめんね、つかれてるのに……」
「いや、××が俺のために言ってくれたのわかるから」
事実として、普段着よりも作務衣のほうが楽だ。
休むのであれば、着替えたほうがいい。
「──うん、こっちのほうがいいや」
改めて、ベッドに倒れ込む。
「ありがとうな、××」
「ふくでねたら、ごわごわするから」
わかる。
「でも、着替えたおかげで眠気が取れたかも」
「う」
うにゅほが固まる。
「さしでがましいことをもうしまして……」
「どこでそんな言葉を」
「……ごめんね」
「いや、謝ることないけど」
「うと、ひざまくらとかしたら、ねれる……?」
何か勘違いしている。
眠気があったから横になりたかっただけであって、別に寝たかったわけではないのだ。
眠気が取れたのなら、それはそれでいい。
だが、それを口にしても、うにゅほは納得しないだろう。
数秒ほど思案し、
「じゃあ、抱きまくらになって」
「……いいの?」
「なりなさい」
「はい」
うにゅほを胸に抱き、羽毛布団に潜る。
「あったかー……」
「羽毛布団に加えて、湯たんぽまでいる。暑いくらいかも」
「あつかったらいってね」
「体温調節できる?」
「ふとん、ばさばさする」
「……できるかな、それ」
抱き締めてるのに。
「ま、いいや。おやすみ」
「おやすみなさい」
そのまま一時間ほど仮眠を取り、起きたころにはお互い汗だくだった。
同衾には早かったかもしれない。
|
|
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板