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Fate/clockwork atheism 針音仮想都市〈東京〉Part3

448TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:41:06 ID:D5Ika2WY0

 視線に熱が籠もった瞬間、戦場は再び脈動を取り戻す。
 レッドライダーの赤黒い身体がわずかに蠢く。
 のっぺりとした頭部に刻まれた眼窩を思わす二孔が、遥か彼方、ビル群の彼方に佇むシッティング・ブルを確かに捕捉していた。
 その刹那。彼の身体に巣くう"兵器の胎"が集団越冬する足の多い蟲のようにひしめき始める。
 泡立つ体表の隙間、肩口、脇腹、脊髄の延長線……あらゆる場所から微細な機構が浮かび上がる。
 それは虫の翅を思わせる金属の羽であり、赤黒く光る機関部であり、鋼鉄の小さな外骨格(パーツ)だった。

 すなわち――無数の超小型戦闘機である。
 宿主の体内から湧き出す寄生虫のように、それらは赤い霧を引いて空へ舞い上がる。
 レッドライダーは兵器を生む赤い沼。いわば活動する空母のようなものだ。

 一斉に旋回、俯角をとり、敵影へと降下開始。
 街路は瞬時に新たな形の地獄に染まった。
 爆撃、銃撃、ミサイル砲撃。空から降り注ぐそれらの攻撃はいつかの戦火をなぞるが如し。
 命死せよと猛る雷火に隙はなく、これに標的と看做された者が生き延びられる確率は真実皆無。

「いつの時代も同じだな。何も変わらん」

 が――そのさだめにさえ否を唱えるが如く。
 地が唸った。風が舞った。
 草木なきコンクリートジャングルの只中に、"大地"の気配が漲った。

「厭なものだ。戦争というのは」

 現れたのは、バッファローに続く精霊の獣たち。
 まず、ビル群の外壁を足場にしながら跳躍し疾走するコヨーテが四方から機影へと跳びかかった。鋼の外殻をものともせず、神秘の牙で喉元を喰い破る。
 かと思えば路地裏から這い出たグリズリーが咆哮し、爆裂で以って十を超える小型戦闘機を撃墜。
 先ほど赤騎士を両断した鷹が旋空飛行で制空権を奪い、霊的な風のうねりで科学の小鳥達を撹拌して粉砕する。
 霊獣たちはシャーマンの呼び声に応じ、厄災討つべしと各々の意思を示し続けていた。

 彼らに号令を下すシッティング・ブル。その目は、静かに冷たい。
 戦場の混沌の中心で呼吸し、彼は全てを視ていた。
 両手には、祈りと戦いの象徴――トマホーク。
 白銀の刃を握り、もうひとつ息を吸う。

 次の瞬間、厳しい顔の男が目を見開いた。
 吹き抜けたのは一陣の風だった。身のこなしは驚くほどに軽やかで、地と空と霊とを纏って一直線にレッドライダーと相対する。
 赤騎士もまた、迎え撃つ。戦場を彩る爆裂の中、彼の躰はすでに新たな兵器形態へと変質を始めていた。
 腹部から突き出した重機関砲の砲身が、空気を揺らす重圧を発しながら殺意を充填していく。

「シィィッ――――!」

 しかし間に合わない。
 シッティング・ブルのトマホークが、騎士の行動を待たずして振るわれた。
 風すら裂く一撃。レッドライダーの頭蓋が、トマホークの一閃に触れるなり風船さながら弾け飛ぶ。
 有機とも無機ともつかない不定形の構造が千切れ、赤い雫が鮮血のように空を舞う。
 霊的な理論と肉体的な習熟の融合が、黙示の影をもう一度、こうして確かに斬殺した。

449TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:42:30 ID:D5Ika2WY0

 彼は呪術師だが、同時に戦士でもある。
 宿敵であるジョージ・アームストロング・カスターさえそれは認めるところ。
 であれば当然、釣瓶撃ちが能の機械なぞに遅れを取る道理はない。

 ――もし相手が通常規格の英霊だったなら、此処で戦いは決着していただろう。
 断面からまたしても、赤い泡が膨れ出す。破損という概念がそもそも存在しないかのように、赤騎士は再生を開始する。
 復元の最中、レッドライダーの喉笛を引き裂いて、ぬらりと新たなメタルが出現した。
 突き出たのは巨大な砲身。対戦車砲――否それ以上の、文明ごと吹き飛ばす迫撃兵器。

 発射。
 爆音。閃光。衝撃。

 世界が今一度、白に塗り潰された。

 灰と炎が風に舞い、吹き飛んだ瓦礫が空を覆う。
 射線上に存在したビルは敢えなく倒壊し、黒煙が巻き上がる。

 ……長い残響の後、白煙の中に影が立った。
 揺らぐ煙を裂いて、シッティング・ブルの姿が現れる。
 無傷。その身に焦げ跡ひとつなく、彼はただ静かに立っていた。
 深い、聡明なる視線を湛えて健在を保っている。


「――狩魔に聞いた通りだな」

 濃煙の向こう、未だ熱を帯びて荒ぶ暴風を切るようにして囁かれた声。
 シッティング・ブルはその淡々とした語調の中に、しかし微かな畏れを隠さなかった。

 これが赤騎士。黙示の化身。血の潮を呼び、街を塗り潰す者。
 終末装置の名に恥じぬ破壊力を携えながら、定められた刻限を待たずして顕現した【戦争】。
 そんな無慈悲なる異教の滅びに、まったく無感でいられるほどシッティング・ブルは怪物ではない。

 目の前の風景は、現実とは思えぬほどに逸脱していた。
 騎士の身体が蠢くたび、現実を破却するような光と音の奔流が吹き出してくる。
 現にこうしている今も、騎士の体内という兵器庫から次々と現れる銃眼が、まるで神経節のように彼を見据えていた。

450TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:43:18 ID:D5Ika2WY0


 またも空が裂かれる。
 ただし今度は、レッドライダーの手によって。

 銃撃。秒間千発を遥かに超えるそれはもはや弾幕などではない。死の嵐そのものだった。

 頭上に羽ばたく鷹の翼が空を裂き、風を呼ぶ。
 純白の風が荒れ狂う銃弾の流れを逸らし、局所的な乱気流を発生させて弾道を狂わせる。
 幾千の銃弾が空を食い破るたびに、時に打ち払い、時に逸らし、受け流し、シッティング・ブルは己が存在を譲らない。

 大いなる神秘――ワカン・タンカ。
 大自然の理。精霊の声。それと深く親しんだ者のみが知覚できる、世界を形作る見えざる秩序。
 その恩寵を最も強く感じ取り、第六の感覚として手繰れるのがこの男だった。

 神秘に接続した六感が、霊視の眼を開かせる。
 レッドライダーの弾道、動作予測、魔力の震動を、一瞬先に読み解く。
 その上で、彼は撃つ。シッティング・ブルの手には、彼にとって負の象徴(トラウマ)でもある得物……ライフル銃が握られていた。


 見えない風の隙間を縫って、銃口が一閃。
 放たれた銃弾が、まっすぐに赤騎士へと飛ぶ。
 だがレッドライダーもまた、既に機構を展開し次弾を放っていた。

 空中で激突する、ふたつの魔弾。

 弾丸同士の相殺など常識では有り得ぬ。
 しかし現実としてそれは起こった。
 生み出されるのは壮絶な衝撃波。空気が鳴り、ビルのガラスが崩れ、地面さえ撓む。

 それでも尚、騎士の肉体は変化を止めなかった。
 次々と異なる武装を身に宿し、対人地雷、火炎放射器、迫撃砲――一瞬ごとに戦術を変化させる。
 赤い水をごぼごぼと吐き出し、撒き散らし、飛び散らせながら今ある戦場への最適化を繰り返す"黙示録の騎士"。
 一方、神秘との結びつきと持ち前の戦闘勘を活かして、防戦一方ながらも驚異的な食い下がりを見せるシッティング・ブル。
 彼は第一陣の防衛線として出陣する前、悠灯達共々、狩魔から港区の出来事と眼前の騎士の性質について伝え聞いていた。
 情報の出どころは言うまでもなく山越風夏だろう。あの奇術師はシッティング・ブルをしてまったく正體の読めない怪人だったが、だからこそ彼女が提供する話には常識では考えられないほどの価値がある。

 これが――"人を滅ぼすもの"。
 周鳳狩魔が語った、"災厄そのもの"。

 その事実を、シッティング・ブルは魂で受け止めていた。
 彼は動じぬ瞳で、次の一手を選ぶ。
 淡々と、粛々と。国も大陸も違えど、同じ大地の上で生きた人間として。大いなる神秘の代弁者として。

 ――逃げる。それがこの瞬間、最適にして唯一の選択と判断した。

451TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:44:17 ID:D5Ika2WY0

 霊獣を通じて分析した経路を辿り、シッティング・ブルは街並みを縫うようにして退いていた。
 撤退とは敗走ではない。次なる布陣を整えるための戦術的転進だ。
 恥じることなどどこにもないし、それを気にする誇りなどとうに膿んでいる。

 その背後に、【赤】が迫る。

 粘つく赤い水を滴らせながら進む姿は、まさしく滅びの預言そのものだ。
 尚も食い下がる霊獣どもを物理的に吹き散らしながら、兵器群が甲高い金属音とともに姿を見せる。
 対人、対戦車、対要塞――あらゆる規格に適応した兵装の群れが、シッティング・ブルを八つ裂きにするべくその銃口を向けている。

 コヨーテが足元を駆け、グリズリーが朋友(とも)の背を預かる。
 鷹と鷲が夜風を裂いて舞い、地を這う蛇は弾幕をすり抜けながら敵影の一挙一動を探り続けている。
 強靭な突進力を持つバッファローの群れが深夜の街通りを埋め尽くし、霊気と共に突進しては騎士の進軍をわずかでも押し留めるべく粉骨砕身の働きを為す。


 ――――開戦(ドゥームズデイ・カム)。


 銃砲、ミサイル、火炎放射器にマスタードガス。
 兵器達が咆哮を上げる。あらゆるカタチの破壊が、旧時代の神秘を薙ぎ払おうと迫る。
 しかし霊獣たちもまた、ただの幻ではない。
 コヨーテは跳ねるように弾丸を避け、隙を突いて脚部を狙う。グリズリーが負傷などものともせずに咆哮とともに迫り、兵器の砲身を殴り砕く。
 勢いのままに赤騎士へ剛撃を叩き込んだが、嘲笑うように赤い水が弾けた。
 血ではない。破壊と再生を繰り返す、呪いの血糊だ。飛沫はすぐにまた形を整え、神を冒涜するかのような姿の騎士が復元される。

 霊獣は力強い。だが彼らも無限に呼び出せるわけではない。
 少しずつ、されど確実に、シッティング・ブルは詰み始めていた。
 有限と無限。如何に役者が優秀なれど、比べ合うには相性が悪すぎる。

 赤騎士の腹が、ヤドリバエに食い破られたバッタの腹のように惨たらしく裂けた。
 そこから解き放たれるのは、大型トラックほどもある巨大なミサイルだった。
 超音速、超高推力。英霊規格に強化されたそれは、同族に向けるにしても明らかな過剰火力だ。
 火力で言うなら、対城宝具の域へ優に到達していよう。


 ――熱。

 ――衝撃。

 ――そして音。


 夜を包むはずの静寂が、一瞬で跡形もなく消し飛んだ。
 着弾点を中心に街並みは音を立てて砕け、風景そのものが蒸発したかのような光景が広がる。
 硝煙と火霧。超常と兵器の狭間で何もかもが均され、生命の残る余地はそこにない。
 やがて、霧が晴れる。

452TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:44:59 ID:D5Ika2WY0


 そこに――――立っているものがいた。

 レッドライダーは空洞の目を向ける。
 焦点を結ばぬ無形の赤い眼窩が、やがて一つの影を捕らえる。

 いたのは、シッティング・ブル……ではなかった。
 焼け焦げたアスファルトの上、風の中、そこに立っていたのは。


 北京原人に似た顔をした、ひどく醜い少年だった。


 みすぼらしい少年だった。
 全身は煤け、髪は荒れ、眼光はどんな野獣よりも昏い。
 だが何より不気味なのは、やはりその顔貌だろう。
 滑らかさを欠いた骨格。過剰に発達した眉弓と、粗雑に削り出したような面構え。
 それはヒトではありながら、現行の人類とは似つかない醜さを湛えていた。


 レッドライダーは静かに腕を上げた。
 赤い躰から咲き誇るように生える機銃群は、いずれも戦場で血を吸い、骨を穿った人類の叡智の結晶だ。
 高速回転する銃身はただちに熱を帯び、殺意を伝えるべく標的に照準を合わせる。
 対象はひとり。眼前の"原人"である。


「滅ビヨ。コレゾ預言ノ成就デアル」


 銃口が並ぶ。
 発射された殺意が、すべてを撃ち抜かんとする。

 ――だが、その瞬間。

 金属の軋む音が途切れた。
 機銃は回転を止め、砲身がぐらつき、まるで骨のように砕けていく。
 鋼が錆びた鉄屑に成り果て、自分が数万年前の忘れ去られた遺物だったことを思い出したかのように、その場で崩壊した。

「………………?」

 レッドライダーの口から、奇妙な音が漏れた。
 それはなにか、想定しなかった未知と直面した存在の、純粋な"驚き"だった。
 騎士の崩れる兵装を、少年はまじまじと見つめる。

 その顔が、歪んだ。
 にたぁ、と、笑った。

 酷く、醜く。
 人相の美醜を除いても決してヒトの枠組みには収まらないだろう、異様な、汚濁のような笑み。
 ヒトの顔と呼ぶには余りにも原始的で、卑屈で、反知性主義の結実めいたアルカイックスマイル。


 そんな悍ましい顔をして――――覚明ゲンジはそこに立っていた。



◇◇

453TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:45:42 ID:D5Ika2WY0



 周鳳狩魔の予測は的中していた。
 悪国征蹂郎は、必ず初手からレッドライダーを戦線に投入してくる。
 六本木を短時間で焦土に変え、情報を信じるなら大量破壊兵器に匹敵する武装も所持しているサーヴァント。
 そんなカードを温存しておく理由は、まったくと言っていいほど思いつかない。
 耐えて耐えて土壇場で秘密兵器を出すよりも、最初から開帳して敵の戦力を削りながら恐怖を与えた方が理に適っているからだ。
 それで自分達(デュラハン)が戦意喪失とまでは行かずとも、士気減退して総崩れになってくれれば儲けもの。
 大袈裟でも何でもなく、初手の戦果だけで勝敗を決せる可能性すらある。

 そして悪国の性格上、奴は叶うなら自軍の戦力を失いたくない筈。
 何せ末端の構成員ひとり惨殺された程度で怒り心頭になって、こんな決戦を持ちかけてくるほど身内への義憤に溢れた男なのだ。
 最小限の犠牲を理想としているのは間違いない。なればこそ、レッドライダーを動かしてくるのは確実視された。
 よって狩魔は防衛線としてキャスター・シッティングブルを配置。
 進撃する赤騎士を押し止めつつ、その強さが実際にどの程度のものか見極めるという択を取った。

 更に、狩魔が的中させた読みはもうひとつある。
 レッドライダーを投入はしても、六本木で用いたような規格外の火力までは抜いて来ないだろうという憶測だ。
 サーヴァントとはそれこそ兵器のようなもので、よほどの例外でもない限りエネルギー……魔力抜きでは動かせない。
 普通に戦わせるだけならいざ知らず、宝具の開帳など大掛かりなことをやれば、やらかした無茶に合うだけの出費を求められる。
 都市の一区画を文字通りの焦土に変えられるような力を用いておいて、まさか負担がゼロだなんて話はなかろう。

 恐らく、悪国征蹂郎にとって六本木の一件は試運転。
 自分の英霊が実際どの程度やれるのか確かめるために、あえて動かしたのだろうと狩魔は思っている。
 であれば悪国は既に、レッドライダーを無計画に動かせばどうなるのかを知っている筈。
 是が非でも自分達に勝ちたいあの男が、いきなり余力を全部吐き切らせる無茶はすまい。
 初手の削りの重要性は先に述べた通りだが、臆さず仕掛けるのと後先考えないのとではワケが違う。
 そして実際、今回聯合の赤色が繰り出した兵器は今のところ"たかだか"ビルを吹き飛ばす程度。
 十分すぎるほど破格ではあるものの、せいぜい並の対城宝具の域を出ない破壊力だ。これなら勝負は成立する。

「……やっぱ凄いっすね、狩魔サンは。全部読み通りじゃないですか」

 現在の戦場から遠く離れた、デュラハンのフロント企業が複数入った雑居ビルの屋上で。
 隣に立ち、双眼鏡で戦場の様子を見つめる華村悠灯に言われ、狩魔は煙草片手に呟いた。

「此処までは前提みたいなもんだ。こんなところでコケてたら勝てる抗争も勝てねえよ」

 狩魔は戦いに矜持(プライド)を持ち込まない。
 すべては殺すか殺されるかであって、自負だの流儀だのは等しく動きを縛る邪魔な枷。
 重要なのは主観ではなく客観的事実。人間は簡単に嘘を吐くが、データはいつでも正直者だ。
 故に彼は、ごく当たり前の事実として理解していた――額面だけを見るなら、劣勢なのはこちらであると。

「あの不死身野郎もそうだが……聞く限り、聯合の協力者は相当な切れ者らしい。
 お前もアレの変人ぶりは知ってんだろ? そんな変態が大真面目に警戒を促すような野郎が、何企んでんだか、悪国の顧問をやってるんだ。安心できる理由がない」

454TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:46:31 ID:D5Ika2WY0

 悪国側も、六本木でやったような真似はそうそうできない。
 それに加えてこちらには秘密兵器がある。ともすれば、レッドライダーに比肩し得る鬼札だ。
 想定以上の仕上がりを見せてくれた彼らの活躍次第では、戦力面の格差はかなり縮められるかもしれない。
 が、だとしてもまだ問題は残っている。
 〈はじまりの六人〉のひとり。都市の根幹に通じる者。極悪なる虎の存在だ。

「ノクト・サムスタンプ――でしたっけ」
「お、よく覚えてんじゃねえか。俺はファーストネームしか覚えてなかったよ」
「え」
「外人の名前覚えんの苦手なんだわ。サムスって言われても、スマブラのアイツしか思い浮かばねえもん」
「……狩魔サンスマブラなんてやんの? 今日イチの驚きなんすけど」
「やるよ。持ちキャラはカービィな。カフェの抽選落ちまくって本気で落ち込んだわ」

 狩魔は戦術家ではあるが、策士ではない。
 彼自身それを自覚している。
 草野球のエースとプロ野球の四番では話も格も違う。
 故に敵方の頭脳――ノクト・サムスタンプが本格介入し始めるまでは前座だと狩魔は踏んでいた。

 とはいえだ。
 前座とはいえ戦争は戦争。
 そこで魅せる結果に意味がない筈もなく。

「それより始まるぞ。しっかり見とけよ、悠灯」

 狩魔は隣の少女へ、兄のようにそう促す。
 これから起こることをよく見ておけと。
 告げて、自分が開花させた/破壊した少年の躍る舞台を指差すのだ。

「ちゃんと見てねえと、いざって時に殺せねえぞ」

 聯合の秘密兵器がレッドライダーならば。
 デュラハンのそれは、間違いなく"彼"だ。
 最初に邂逅した時から、狩魔は彼がそう成ることを確信していた。
 だから育てた。迷いに答えを与え、燻っていた黒い衝動にガソリンを注いでやった。
 すべての過程は、今この時のために。
 これより戦場、新宿の街で――〈神殺し〉が産声をあげる。



◇◇◇

455TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:47:25 ID:D5Ika2WY0



 街が静寂を取り戻したかに見えた刹那、今度はそれが異様な重さを帯びていく。

 ビルの崩れた瓦礫の隙間。
 排気ガスで煤けた下水道の入口。
 看板の裏、信号機の上、路地裏の陰影――都市のあらゆる裂け目から、それらは静かに現れ始めた。
 足音すらなく、あたかも元々そこにいた生物であるかのように。
 無数の人影。だが、それはいずれも現代の人類ではなかった。
 逞しく盛り上がった胸郭、短く頑強な四肢、隆起した眉と平たく押し潰された鼻梁。
 岩肌の彫像のような肉体に、原始の呼気が宿る。毛皮に包まれた肩から伸びる手には、それぞれ石器が握られていた。
 加工の痕跡すら素人目に見ても粗雑な、殴打という本能の延長にある道具が。

 ――ネアンデルタール人。ホモ・ネアンデルターレンシス。
 歴史から消えた筈の原始の申し子達が街のあらゆる裂け目から這い出し、【赤】の支配する戦場に大挙する。
 歓声も叫びもあげることなくただ静かに、しかし確かな殺意を孕んで。赤騎士の前に、太古の軍勢が出現した。

 その群れに守られたゲンジの姿は、まさしく理性の光を拒む異端そのものだった。

 瓦礫の街にひとり立ち、肩を揺らして笑うその顔。
 醜悪に歪んだ口元から覗くのは、まばらで黄ばんだ歯。
 汚れに染まり、研磨の行き届いていないことが一目で分かるそれは、まるで清潔が支配する今の時代そのものを嘲笑うようだ。
 原初の暴威を統べるのは、少年の皮を被った異形。
 太古の影を侍らせて立つその姿には、神秘でも怪物でもない、ただ純然たる"拒絶"があった。文明そのものへの、原始的とも呼べる拒絶が。

「――――愚カシイ」

 レッドライダーの発する言葉に、微かな憤りが覗いた気がした。
 これは人類を滅ぼす者。預言のままに、然るべき役目を果たす機構。
 空洞の眼窩に、確かに瞳と呼ぶべき螺旋を描いて。
 赤き騎士が見つめるのはゲンジではなく、その従僕たる原人達だった。

 主神(ガイア)の怒りを体現する被造物が滅ぼすのは増長しきった霊長とその文明である。
 にも関わらず、今目の前に立ち塞がっている奴らは何か。
 彼らは旧い時代の遺物達だ。慎ましくも雄々しく、罪業とは無縁の営みを送っていた弱き者達。
 
 ネアンデルタール人の信仰は原始的で敬虔だが、これはヒトの敬虔さに報いない。
 何故なら、黙示録の騎士とは装置であって、聖者などではないからだ。
 慈悲という報いではなく、ただ応報のみを届けるからこその終末装置(アポカリプス)。
 あるべき預言の時を歪める"過去の人"達に不興を示しながら、騎士は体表を泡立たせる。

 〈この世界の神〉とすら互角以上の戦いを成り立たせる、人類史という武器庫の開門だ。
 無論、石器などを頼みの綱にしている原人どもに対処できる火力ではない。
 核兵器など用いずとも、機関銃のフルオート射撃だけで彼らを鏖殺するには十分すぎるほど事足りる。
 だが――

456TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:48:09 ID:D5Ika2WY0


「はは、は……どうしたよ、おい。随分不細工だなぁ……?」


 先ほどの出来事を再生(リピート)するかのように、再度の不条理が赤騎士の暴虐を挫いた。
 自らの身体を槍衾に変えて生み出した機銃、短銃、砲口のすべてが刹那にして錆び付く。
 それどころか不出来な石器のようにひび割れ、ぱらぱらと粉塵を零しながらひび割れていく。
 弾丸は発射すらされない。引き金を引く音だけが虚しく、かちゃ、かちゃ、と連続していた。

「無駄、だよ」

 そして次の瞬間、レッドライダーの頭蓋に穴が空いた。
 ネアンデルタール人の投石が直撃し、脳漿さながらに赤い血糊を飛び散らせる。
 "過去"の原人が、"未来"にやって来る終末へ否を唱えた。
 もはや冒涜にも等しいだろう偉業を見届けながら、覚明ゲンジは悍ましい顔で破顔する。

「おまえじゃ、おれたちには、勝てやしない」

 『霊長のなり損ない』。
 サーヴァント・ネアンデルタール人が持つスキルだ。
 その効力は、あらゆる文明と創造行為の否定である。

 中期旧石器時代を基準とし、強引に設定を合わせる原始人の呪い。
 銃や砲など"かれら"の時代には存在しないのだから、であればすべては無価値な棒や粗雑な石細工に置き換わるのが道理。
 レッドライダーがどれほど凶悪な兵器を識っていて、なおかつそれを取り出すことができたとしても、ネアンデルタール人の存在はそのすべてを片っ端から無為にしていく。
 周鳳狩魔の推測した通り、レッドライダーは此処へ投入されるにあたって、六本木で用いたような過剰火力の使用を制限されていた。
 だが仮にその事情がなかったとしても展開は同じだったろう。核兵器。衛星兵器。摩訶不思議な機械兵器や生物兵器。いずれも"彼ら"の時代には存在しない。
 原初の戦争とは石と棒による比べ合い。そこには街を消し飛ばす大火力はおろか、音速で敵を穿つ弾丸さえ介在する余地がない。

 ――もっとも実際は、ゲンジが思っているほど単純ではなかった。

 ネアンデルタール人の呪いにはいくつかの例外がある。
 高ランクの神性、カリスマ。文明の発展に関わるスキル。
 これらを持つ者は原始の世界に対抗でき、そしてレッドライダーは最後の条件を満たせる英霊だ。
 『星の開拓者』。戦争こそ人類を最も進歩させた営み。その擬人化たる赤騎士がこの号を持たない理由はない。

 であれば原人の世界観はただちに否定され、未来文明の暴力に蹂躙されて散るのが道理。
 なのに何故赤騎士は不細工な創造を強いられ、足を止めているのか。
 彼はあくまでも人類史の集大成、集積された情報を再生するレコードのようなものであり、実のところそこに一切の創造性はなかった。
 自動拳銃を開発したのはサミュエル・コルト。ダイナマイトを発明したのはアルフレッド・ノーベル。
 原子爆弾開発を主導したのはJ・ロバート・オッペンハイマー……赤騎士は名だたる才人達の"成果"を引き出し、自らの宝具として行使する。
 想像を絶する芸当であることは言うまでもなく、故に赤騎士が持つ『星の開拓者』のランクはEX。規格外を意味する外れ値だ。

 されどその一点が、中期旧石器時代(ネアンデルターレンシス)の呪いが滲み入る隙になった。

 あくまで機構であるレッドライダーは言うなれば一体の、途方もなく巨大な機械のようなもの。
 戦争を呼び出し、取り出し、使う神の機構(システム)。これ自体が『霊長のなり損ない』の効果対象であると、石世界の呪いは言っている。
 だからこそ起きた番狂わせ。霊長のなり損ない達が布く法則と赤騎士の戦場は、今まさにせめぎ合いの渦中にあった。

「殺せ――――バーサーカー」

 ゲンジの宣告と共に、ネアンデルタール人の群れが影の波となって襲い掛かる。

457TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:48:54 ID:D5Ika2WY0
 棍棒、槍、投擲武器に槌。多種多様な武器はしかしそのすべてが石。
 鉄ですらない旧時代の遺物達だが、今まさに塗り潰されつつある【赤】を相手取るならこれでも十分。

「■■■■■■■■――――!!」

 原人達は皆狂暴な野猿のように猛り狂っている。
 彼らの単純な脳構造はレッドライダーの〈喚戦〉の影響を実に受けやすかったが、それもこの状況ではむしろプラスに働いていた。
 いわば狂化の二重がけ。一体一体では貧弱なステータスを喚起された戦意で底上げし、目の前の獲物を狩り殺すドーピングに変える。
 恐れはない。ひとりなら怖くても、ふたりなら怖くない。それでもまだ怖いならもっと大勢になろう。
 みんなで挑めば、何が相手でも怖くない――"いちかけるご は いち(One over Five)"。束ねられた矢の強さを、原人達は誰より知っているから。

 
 更に――


 原人達の突撃を彩るように、指笛の音が響く。
 瞬間、現れたのはまたしても獣の群れだった。
 シッティング・ブルの霊獣。鷹が、鷲が、バッファローが、コヨーテが、次々と現れては原人達をその背に乗せていく。

 彼らは霊獣、人類が繁栄する遥か以前からこの地球に在る"大いなる神秘"のひとかけら。
 ある意味では原人達以上に野生の存在だから、彼らに触れようと知能も強さもわずかほどさえ劣化しない。
 仮に呪いの全解放……ネアンデルタール人の第二宝具が展開されたとしても、霊獣達は何の問題もなく"零"の大戦に適応するだろう。
 野生の原人と、大自然の神秘。周鳳狩魔の仕込んだ防衛線は、恐ろしいほどの相性を実現しながら獰猛な侵略者を獲物に変えていた。

(これほどか)

 シッティング・ブル自身もまた鷲の背に騎乗しながら、彼は戦慄にも近い感情を覚えていた。
 狩魔の辣腕に対してではない。今、自分が轡を並べて戦っている原人達。彼らを従える、醜い顔の少年へ向ける畏怖の念だった。

(恐ろしい。強い者、狡猾な者、許し難い者……様々な戦士を見てきたが、これほどまでに――)

 ――これほどまでに不気味な者を見たのは、初めてのことだ。
 人の形に、猿に似た顔。卑屈さの滲む言動は小動物のようでさえあるが。
 今やそんな特徴すら、内に眠る悍ましいナニカを誤魔化すための擬態に思える。
 羽に目玉模様を浮かべた巨大な蛾。草花に溶け込んで獲物を待つ蟷螂。
 いや、もっと下だ。もっとずっと下、人が営みを築く大地の更に下の下の下の下の……

「…………奈落の、虫」

 遥か奈落の底で口を開け、美しいものの墜落を待つ蟻地獄。
 シッティング・ブルは、覚明ゲンジをそういうものだと認識した。
 周鳳狩魔が見出し、開花させた破滅の可能性。

 思うところがないではなかったが、義だの情だのを戦争に持ち込む段階は過ぎている。
 すべては己が理想、悲願を成就させるため。
 壊れた心の内から滲出する液体を泥の接着剤で塞ぎながら、大戦士もまた【赤】を討つべく空を翔けた。



◇◇

458TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:49:42 ID:D5Ika2WY0



「本当にどこまでもブッ壊れられる奴ってのがたまにいるんだ」

 周鳳狩魔は、煙草の二本目に着火しながらそう言った。
 今まさにレッドライダーが猛攻を激化させているところだというのに、そこに焦りは微塵も窺えない。
 かわいがっている後輩に訓示するような口調と、声色だった。

「ゲンジはそれだよ。今こそ俺の指揮下にいるが、いずれ手の付けられない怪物になる」

 覚明ゲンジは狩魔に懐いている。
 路傍の捨て犬だった彼を拾い上げたのは、他でもない狩魔だ。
 この男に拾われて、ゲンジは初めて居場所を手に入れた。
 だから今もああして、恩人である狩魔のために粉骨砕身戦っているのだ。
 なのに当の飼い主は、自分を慕う彼のことをこうして冷淡に語る。
 別人のようだと悠灯は思った。事あるごとに後輩を気にかけ、助けてくれる面倒見のいい先輩というイメージと、今の狩魔の姿がどうしても似つかない。

「卑屈なツラして、心の中じゃずっと牙を研いでるんだ。今までも、これからもな。あいつに首輪を付けることは誰にもできない」
「……、……」
「だからお前も、命ある内に考えとけ。あのバケモノをどう殺すのか、どうやって切り捨てるのか。じゃないといつか、お前もあいつに喰われるぞ」
「……そんな言い方、なくないですか。今あいつ、狩魔サンのために戦ってるんすよ」

 悠灯は眉を顰めて抗議する。
 最初は得体の知れない、不気味な奴だと思っていた。
 初対面でいきなり仕掛けてきた、いけ好かない野郎だとも。
 でも言葉を交わし心を通わせたことで、いつの間にか彼に対してもそれなりの仲間意識が生まれていたらしい。
 信頼する先輩の口から、そんな彼を厄介者のように呼ぶ言葉は聞きたくなかった。
 だが狩魔は悠灯の方を見ることもなく、わずかな沈黙を挟んでから続ける。

「ゲンジだけじゃねえよ。俺だってそうだぞ」
「……、」
「俺達は今こそ同じチームでやってるが、それは決して永遠じゃない。
 お前が俺のために命を捧げて、最後まで仕えるってんなら別だけどな」

 忘れてはならない。
 これは、抗争である以前に聖杯戦争なのだ。
 生き残りの椅子はひとつ。願いを叶える権利もひとつ。
 その過程で築く関係性は一時のつながりに過ぎず、いつかは必ず決裂という形で終わりを迎える。
 それこそ、命を賭して/願いを諦めてでも相手に尽くす気概を持った異常者でもない限りは。

「お前らは可愛い後輩だ。だから面倒も見るし、困ってれば助けてもやる。
 でも俺の命とお前らの命が天秤にかけられたなら、俺は迷わず自分を選んでお前らを殺せる」

 曰く、指先と感情を切り離して行動できるのは、稀なる才能であるという。
 周鳳狩魔は、それができる人間だった。
 だから彼は誰でも殺せるし、どんな非道にも顔色を変えず手を染められる。
 彼に殺せない人間は存在しない。たとえ付き合いの長い悠灯が相手だったとしても、取るに足らない敵ひとりと同じ感覚で殺すことができる。

「お前、永くねえんだろ」

459TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:50:17 ID:D5Ika2WY0
「おたくのバーサーカーから聞いたんですか」
「多少な。でもツラ見てれば分かるよ。先のある人間の眼じゃねえ」

 ――『君に限って言えば、多少急いだ方がいいかもしれない』。
 ――『保ってあと数日ってところだろう。君の終わりは、きっと糸が切れるように訪れる』。
 ――『今のままではいけないよ、悠灯。明日に辿り着きたくば、君はいち早く"何者か"にならなきゃいけない』。

 〈脱出王〉の言葉が脳裏にリフレインする。
 この言葉を思い出すと、いつも胸が苦しくなった。

 身体のことを知られているということは、つまり祓葉と交わしたやり取りも筒抜けなのだろう。
 こんな状況だというのに、それはなんとも言えず気恥ずかしいものがあった。
 取る手は決めた。後悔はしていない、筈だ。とりあえず、今のところは。
 狩魔は、あえてそこについて言及することはしなかった。
 面倒見がいいが踏み込みすぎない。彼のこういう部分も、野良犬だった自分が心を許せた理由なのかもしれない。

 そう、華村悠灯もまた野良犬だ。
 都会の隅に打ち捨てられた、孤独と怒りを抱えて生きる獣(ジャンク)。
 ゲンジと悠灯が違うのは、彼は悠灯を置いて、さっさと何者かになってしまったこと。
 たとえそれが悍ましい怪物のようなカタチであろうとも……ゲンジは今幸せなんだろうなと、悠灯は思う。

「狩魔サン。アタシね」

 とくん、とくん。
 慣れ親しんだ心臓の鼓動が、日に日に小さくなっている気がするのは錯覚だろうか。
 最近は息切れもしやすくなってきた、気がする。
 終わりは近い。山越に言われるまでもなく、死神の気配はずっとどこかで感じてた。
 ただ、それを見ないようにしていただけで。

「死にたくないんすよ。笑っちまいますよね」

 悠灯は言った。
 
「ずっと探してた。生きることは無駄だって確かめたくて」

 生きるに値しない、その烙印を求めていた。
 けれど待ち望んでいた答えはそこにはなくて。
 あったのは真逆の渇望。現実になった終わりがようやく、ゴミの中に隠された本当の心に気付かせてくれた。
 
「荒れて、暴れて。気付いた時にはにっちもさっちも行かなくなってて」

 〈脱出王〉曰く、自分は何者でもないのだという。
 こんなに願ってもまだ、この舞台で価値を示すには足りないというのか。
 気の遠くなる話だった。でも、噴飯ものの侮辱に今じゃ心の底から納得が行く。
 あの白い少女と比べたら、自分などさぞかしちっぽけなガラクタだろう。
 それでも生きている。生きていく。死にたくないから。生きるしかない。

 ――覚明ゲンジは、生きる"目的"を見つけた。
 ――じゃあ、自分(アタシ)は?

460TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:51:22 ID:D5Ika2WY0

「こんなところに流れてきても、まだ下向いてる」

 は、と笑った悠灯に。
 狩魔は紫煙を燻らせながら、口を開く。

「いくつだっけ? お前」
「……十七」
「ならそんなもんじゃねえの? 十七なんてケツの青いガキだろ。命がどうとか考える歳じゃねえんだから」
「――狩魔サンって、結構デリカシーないトコありますよね」
「なんだよ。女扱いされたいタマには見えねえぞ」
「ほら、そういうとこ。まあそれは事実ですけど」

 既に戦争は始まっている。
 だというのに、それを微塵も感じさせないやり取りだった。
 傍から見ればガラの悪い先輩と、ワルにかぶれた学生という構図にしか見えないだろう。
 
 悠灯はなんだか可笑しくなってしまった。
 この人のことは、信用している。
 でも、"いい人"だと思ったことは一度もない。
 彼の身体からはいつも暴力の匂いがしていたし。
 さっきだって、いつかお前も殺すと殺害予告をされたようなものだ。
 だろうな、と思った。
 なのにそんな相手のことを、今もまったく嫌いになれない。
 此処にゲンジがいないことが、なんだか無性に惜しく感じた。

「ま……、俺の言ったこと、心の片隅にでも置いとけ。説教は趣味じゃねえからな、二度は言わねえよ」

 言いながら、狩魔はスマートフォンを取り出した。
 来ている通知は一件。メッセージングアプリの通知だった。普通のものより機密性が高く、裏社会の住人からは重宝されている。

「そういや、さっきは言わなかったけどな」

 首のない騎士の団長が、画面に指を躍らせる。

「――――俺も死にたくはねえんだよ。だから敵は、その都度キッチリ潰すことにしてんだ」

461TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:52:00 ID:D5Ika2WY0





 『 作戦開始だ。皆殺せ、ゴドー 』




.

462TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:53:04 ID:D5Ika2WY0
◇◇



 風の音が微かに止んだ。
 男たちはただ黙って、今の今まで弱音を吐いていたことを誤魔化すのも忘れ前に立つ異邦の騎士を見上げていた。
 ゴドフロワ・ド・ブイヨン。歴史の彼方より召喚されし、聖地を制圧せんと剣を掲げた十字軍の先達。
 その背筋は凛と伸び、金髪は月光を帯びるように輝いていた。
 狩魔の付き人。デュラハン最強の暴力装置。物言いも振る舞いも気安いが、どこか得体の知れない迫力のある男。

 彼はしばし、これから率いる兵士達の顔を見渡した。
 怯え、緊張し、それでも歯を食いしばっている者。
 叱責を恐れるように、弱々しく視線を泳がせている者。
 撤退を進言したいが度胸はなく、口をまごまごさせている者。
 ゴドフロワは、彼ら一人一人の瞳へ静かに視線を落とし、やがて穏やかな声で語り始めた。

「この戦いに、意味はあるのか――そう思っている者もいるでしょう。
 暴力に暴力を重ねて、血で血を洗う果てに、残るのは自分達の死体かもしれない。
 そんな戦いに命を懸けて何になる。今すぐにでも退き、すべて忘れて元の暮らしに戻るべきなのではないか……」

 語調は柔らかかったが、その言葉はひとつひとつが石のように重く、故に鋭く聴衆の胸を打った。さながら咎を暴く聖者の説法のように。
 ゴドフロワが更に一歩、皆の前に進み出る。

「実はね、私も最初は恐れたものです。
 初めての出撃の前夜は震えが止まらなかった。食事はおろか、水さえ喉を通らず何度も吐き出しましたよ。
 思わず私は己に問いました。剣を振るう意味を。なぜ戦わねばならぬのか。神は何を望まれているのか……」

 彼の眼差しは遠い戦場を見ていた。
 聖地への進軍。砂と血と祈りが混ざり合った、いつかの記憶。
 しかしすぐに彼の視線は現在に戻り、鋭く兵たちを見据えた。

「答えはひとつではありません。何故なら正義とは多面である。
 殉ずる教えの解釈にさえ人は割れるのですから、そこを確定させるなどできる筈もない。
 でも唯一確かだったのは――何かを護り、勝利するためには、己自身が率先して立たねばならぬということ」

 風が吹き抜ける中、ゴドフロワの声は力を帯び始める。
 誰もが息を呑み、静かに耳を傾けた。

「ここに集ったあなた方は、ただの無頼者ではない。
 弱き者を脅すだけの徒党ではない、少なくとも今は。
 己の信じるもののために立ち上がる、素敵な資格を持つ者たちだ」

 その言葉に、何人かの眼差しが揺れた。

「私がここに来たのは、力を貸すためではありません。導くためでもまたない。理由はひとつ、あなた方と共に戦うためだ」

 彼は胸に手を当て、重々しく誓いを立てるように声を続ける。

「今宵私はこの剣を、あなた方の誇りのために振るいましょう。
 臆することはない。私はこの身を以て、地獄の底に至るまであなた方の盾となろう」

 その瞬間、空気が変わった。
 たった一言で、たった一人で、ゴドフロワは此処に充満していた不安と恐怖を一蹴したのだ。

463TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:53:43 ID:D5Ika2WY0

「敵は凶暴で残虐だ。悪魔の如く獰猛で、異教徒の如く強大だ。
 それは疑いない。だが理なき力とは脆いもの。互いの大義の差はすぐに、必ずや目に見える形で顕れましょう」

 男たちの目の色が次第に変わっていく。
 怯えの色が引き、代わりに心の奥に潜んでいた何かが、ゆっくりと姿を現していく。
 闘争心。原初の野生。狩魔やゴドフロワが、"狂気"と呼んで重用するもの。

「見せてやるのです。力とは奪うためでなく、誇りを守るためにあるのだと。そして人の誇りとは、恐怖を前にしても消え去らぬのだと」

 彼の声は今や、空間の全体に響き渡るほどに強くなっていた。
 誰もが背筋を伸ばし、拳に力を込め、無言で頷く。
 恐慌を顔に浮かべていた、どこにでもいるありふれた"人間"達が。
 首のない――恐怖を知らない、"騎士(デュラハン)"へ変わっていく。
 その様を見ながら、ゴドフロワ・ド・ブイヨンは、見惚れるような微笑(かお)をした。

「神は願われる。私ではなく、私達が信じた正義を。故にこれから、あなた方の手で掴み取れ。私の剣はその先陣となりましょう」

 応、応、応、応!!
 誰かが叫んだ。呼応するように、聖戦を前に猛る聲が広がって反響する。
 恐怖が拭い去られてまっさらになった場を次に支配するのは、喚起された戦意だった。
 刀凶の蛮人何する者ぞ。討ちてし止まん、討ちてし止まん。殺せ、殺せ、皆殺せ。
 我らはデュラハン、首のない騎士。東京の覇権は我らと周鳳狩魔にこそ相応しい。
 此処は騎士の王国。それを不法に占拠し、王を気取る冒涜者がいるというのなら。
 殺せ、殺せ、奪え、奪え。抗争だ、戦争だ。奴らのすべてを奪い取れ。奴らのすべてを踏み躙れ。

 この旗の下に、あまねく敵を抹殺するのだ。

「さあ、共に参りましょう」

 工場跡に一斉に鳴り響く、装填の音。
 先ほどまでの鬱屈が嘘のように、誰もが迷いなく銃を取り、構えを定めていた。
 金の髪を風になびかせ、ゴドフロワ・ド・ブイヨンはゆっくりと歩を進めた。
 彼の背に、幾十もの命が続いていく。

「――――開戦です。皆で元気に、野蛮な異教徒を滅ぼしましょう」

464TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:54:14 ID:D5Ika2WY0

 

 ゴドフロワ・ド・ブイヨンは、カリスマのスキルを持たない。
 十字軍を率いた聖戦士ではあれど、そこに歴代の英雄達のような類稀なる求心力はなかった。
 彼にあったのは、ただ血湧き肉躍らせる狂気(つよさ)。
 大義の奴隷として粛々と、時に揚々と、為すべきことを為す。
 必要ならばなんでもできる。男も女も、母の腕に抱かれた幼子も、誰でも殺す。
 その圧倒的な狂気は、時に伝播する。ただでさえ戦場とは生死の狭間、誰もが殺意と恐怖の間で揺られる空間なのだ。
 そんな非日常の只中において――ゴドフロワという狂戦士(バーサーカー)は、恐ろしくも美しい花であった。

 彼は魅力ではなく、狂気で他人を沸き立たせる。
 何よりたちが悪いのは、彼自身もそれを自覚していることだ。

 何かを護り、勝利するためには、己自身が率先して立たねばならぬ。

 そんなこと、ゴドフロワは微塵も考えていない。
 考えたこともない。彼はいつだって、必要なだけバルブを開いてきただけだ。
 そうやって狂気という水を、これまた必要な分だけ引き出せばいい。
 ヒトはどこまでも目的のために残酷になれるのだから、これを利用しない手はないとゴドフロワは思っている。
 死地に向かう恐怖に慄き、"正しい選択"をしようとする若人を死の未来に誘導することもそれの一環だ。
 十字軍を指揮して虐殺を働き、聖地制圧を成し遂げた偉大なる聖墳墓守護者にとって、泰平の世を生きる悪ぶった子供を操るなど造作もない。
 狂気の列車の運転手として先陣を切り、ゴドフロワは首のない騎士達の王として夜を駆ける。



◇◇

465TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:54:54 ID:D5Ika2WY0



 夜の帳が下り切り、張り詰めた空気が満たす千代田区はその一角。
 アジトとは違う、あるビルの屋上に刀凶聯合の兵隊たちは屯していた。
 リーダー格の一人が缶ビールを放り投げると、薄暗い空を割って金属音が響く。

「……おい、あれ見ろ」

 哨戒に立っていたひとりが、路傍の向こうから歩いてくる人影を指差した。
 黒ずんだ路面を蹴って、荒っぽい足取りで進む彼らは、武装と風体からして――言うまでもなく。
 刀凶聯合の不倶戴天。皆殺しを誓った敵。デュラハンの外道どもに他ならなかった。
 良くも悪くも聯合らしい、緩く撓んだ雰囲気が一気に緊張とそれ以上の殺気に染め上げられる。

「飛んで火に入る夏のナントカだな。へへ、丁度いいじゃねえか」
「夏の牛だよ、馬鹿。征蹂郎クンに報告入れろ。返事あり次第即撃つぞ」
「はぁ? 何ヌルいこと言ってんだよテメェ。仲間の仇だぜ。ンな悠長なこと言ってねぇでよぉ――」

 ニヤリ、と。

「"こいつ"でぶち殺しちまえば早いだろうがぁッ!」

 牙を剥き出して笑うなり、聯合の一人が肩に担いだロケットランチャーのトリガーを引いた。
 照準の先は言わずもがなだ。赤騎士の力で生み出された"戦争"の狂気(凶器)を、一瞬の躊躇いもなく仇の隊列へと打ち込む。
 轟音。一拍置いて白煙が上がり、着弾と同時に地響きが起こる。突然の凶行に呆れたように、彼の隣の男が言った。

「うっしゃ、命中ゥ! 見ろよ、初めてにしちゃ筋良くね!?」
「馬鹿。先走りやがって、後で征蹂郎クンに詰められても知らねえぞ」
「その時はその時さ。……へへ、これであいつらバラバラになったろ。拷問とか陰険な真似するより、俺らはこういうド派手が性に合うよな」

 デュラハンが非道なら、刀凶聯合はひたすらに獰猛だ。
 彼らは暴れる。時も場合も考えないし、後先なんて知ったことではない。
 "ムカついたから殺す"という狂った理屈が、彼らの中では大真面目に正道になるのだ。
 限られたごく狭い家族(コミュニティ)の中で、煮詰め濃縮された暴力性。
 ひとたび解放の大義名分が与えられれば、もはや聯合の進撃を止めることは誰にも出来ない。
 そんな事実を物語るように、ロケット弾の着弾した地点からは炎と煙が上がり続けていたが……

「――あ? 何だ、ありゃ……」

 続く言葉は、一瞬前までの高揚を忘れたかのような困惑だった。
 爆煙の向こうから、何かが近付いてくる。いや、迫ってくる。

「お、おい――おいおいおいおい、ッ……!?」

 最初は靄か幻かと思った。
 爆炎に照らされ、歪んで見えるだけの視覚の錯覚だと信じたがった。
 だってそうだろう。こんなものはあり得ない。ロケットランチャーを撃ち込まれて生きていることとか、そんな以前の話だ。
 夜闇を切り裂いて、空中を足場のように踏み締めながら自分達の方へ迫ってくるモノがいる。
 今日び怪談話でも聞かないような荒唐無稽を前にして、どれだけ蛮族を気取っても、結局のところただの人間でしかない刀凶の兵隊達はあまりに無力だった。

 光の騎士。首(こじん)のない頭部。身の丈、動き、鎧の継ぎ目までも全て同一。
 漆塗りの闇を晴らすほど眩いのに、その光はあまりに暖かみに乏しかった。
 白熱灯の輝きに心を照らされる人間はいないだろう。これは、これらは、ひとえにそういうものと無条件に理解させる。
 無機質な光輝。誰かを照らし癒やすのではなく、ただ己が厭う闇を消し去るためだけに存在するヒカリ――

「ぁ、あ……駄目だ――――逃げるぞ、お前らッ!!」

 誰かが叫んだ。けれど、もう遅かった。
 光の騎士が、高低差など無視して聯合の蛮人達のもとへと到達する。
 手には長剣。体と同じく黄金の光で編まれたそれが、須臾の猶予もなく振り抜かれる。
 次の瞬間。さっきまで高笑いしながら戦勝を誇っていた射手の肉体が、斜め一直線に割断された。

 残された者達は叫び声さえあげられない。
 恐怖に、ただ喉が凍りついていた。
 それでも彼らもまた兵士。悪国征蹂郎という頭に共鳴した、赤き衝動に生きる者。
 なんとか自失の鎖を引きちぎり、裏返った声で必死に吠える。
 
「撃て! 撃て撃て撃てぇッ!!」

 半ば咄嗟に引き金を引き、構えていたマシンガンが火を噴く。
 しかし弾丸は、騎士達の光体をすり抜けて彼方へ消えていく。
 決死の反撃は、そもそも届きさえしなかった。

 ――騎士たちは微動だにせず、寸分たがわぬ足並みで迫るのみ。
 一切の感情がない。一切の意思がない。ただ、統一された大義だけがそこにある。
 故にこの後起こったことは、戦いと呼ぶにも値しないごく退屈なものだった。
 単なる処理であり、虐殺だ。後に残ったのは壊れた人形みたいに千切れ、圧し切られた残骸(パーツ)の群れだけである。

466TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:55:45 ID:D5Ika2WY0

 

「『同胞よ、我が旗の下に行進せよ(アドヴォカトゥス・サンクティ・セプルクリ)』」


 亜音速で迫るロケット弾を一刀のもとに斬り伏せたことを誇りもせず、ゴドフロワ・ド・ブイヨンは小さく呟いた。
 彼が呼び出した光の騎士。彼らは、聖地エルサレムの制圧を果たした第一回十字軍の再現体だ。
 ゴドフロワの意思と大義だけに従い、それ以外一切の余分を持たない効率化された虐殺者達。
 デュラハンの展開に合わせてゴドフロワの光剣は群れを成し、無力な兵隊をデコイにしながら迎撃に出てきた聯合兵を殺戮していく。

「狩魔のノリに合わせて言いましょうか。知恵者の真似など無駄ですよ、あなた達の拠点(ヤサ)は割れている」

 悪国征蹂郎は、現在千代田区にいる。
 "協力者"によりもたらされた情報(タレコミ)が、最速のカウンターを成り立たせた。
 先に火蓋を切ったのは聯合の方だが、そうでなくてもデュラハンは同じやり方で仕掛けただろう。

 新宿での決戦? 守るわけがないだろう阿呆が。
 デュラハンには誇りだなんて鬱陶しい重りは皆無。
 勝つために、取るべき手段を粛々と重ねるだけだ。
 そう示すように、ゴドフロワと首無しの十字軍は千代田で聖戦を開始していた。

「あなた方は絆で戦う。家族を愛し、それを害するものを決して許さない。
 素晴らしいことです。野蛮な異教徒の集団とはいえ、そこだけは正当に評価しましょう」

 聯合は強い絆で繋がっている。
 それこそ、ひとりの犠牲で全体が怒りに震えるくらいに。
 ゴドフロワをして見事と、素晴らしいと評する美しい家族愛。
 だがそれは。こと誇りなき戦いの場にあっては、これ以上ない弱点になる。

「さあ大変だ、あなたの家族が殺された。早く仇討ちに来ないと逃げられてしまいますよ」

 デュラハンも狩魔のカリスマで成り立つ組織だが、聯合のそれは次元が違う。
 血縁ではなく流血で結ばれた絆。故に凄まじい爆発力を持つが、その分"喪った"時の痛みは自分達の比でないほど大きい。
 悪国征蹂郎は千代田区にいる。なら、そこに聯合の兵力の大多数がいるのは自明。
 これを殺し、死体を餌に次を呼び寄せて殺し、まず聯合の兵隊を毟り取る。
 過程上で悪国が出てきたならそれも良し。短期決戦は臨むところなのは、先刻のシッティング・ブルとの会話の通りである。

 これはそのための進軍だ。
 白騎士は――悪魔のような顔で、笑った。



◇◇

467TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:56:38 ID:D5Ika2WY0



 地と空の両方で仕掛ける徹底的な集団戦。
 原始的だが、故にそこには無駄がない。
 喚戦する病魔さえ戦意高揚に活用しながら、大地の戦士達は騎士狩りに挑む。
 武器を封じられ、数の暴力で嬲られる状況は言うまでもなく絶望的なものだ。
 ヨハネの預言が崩れる。ヒトを滅ぼすガイアの騎士は、他ならぬヒトの手によって滅ぼされ、超克される。


「――弱イ」


 その安易な確信を、地獄から響くような声が短く切って捨てた。
 次の瞬間、何体かの原人の頭部が爆裂するように消し飛んだ。
 それだけではない。鷹の翼が千切れ、グリズリーが風穴を開けられて崩れ落ちる。
 目を瞠るシッティング・ブル。彼は誰よりも早く、この現象の正体に気付いた。

「投石か……!」

 銃は封じられ砲は石細工に堕した。
 ああだが、だからなんだというのか。
 原初の戦争を求めるならば応えてやろう。
 騎士(われ)にはそれができる。

 レッドライダーの全身から、音速を軽く超える速度で石が射出されている。
 戦争を司る騎士が、要求された時代設定に合わせ出した結果だ。
 彼が持つ規格外のスペックに物を言わせて放てば、ただの石でさえ対戦車砲並みの威力を持つ。
 
 【赤】の戦場に嵐が吹く。
 石の嵐だ。最高効率で示される、石器時代戦争(ストーンウォーズ)の最適解。
 だがそれだけに留まらず、赤騎士は右腕に無骨な刃を出現させる。
 黒曜石の塊だった。これを騎士は、膂力に任せて虚空へ一振り。
 空気抵抗を砥石に用いて凹凸を削ぎ落とし、瞬時に大剣の形に成形された黒曜を片手に、突撃してきた原人の打撃を受け止めれば。
 鍔迫り合った格好のまま足を前に出し、得物ごと圧し切ってその胴体を両断する。
 バターのように滑らかな切り口で切断された原人の血飛沫を自らの赤色に溶かし込みながら、レッドライダーは静かに健在を誇示していた。

「はは…………バケモノ、だな」

 思わず呟いた覚明ゲンジが、尚も嗤っているのは何故だろう。
 恐怖も不安も、最初からそこにはなかった。
 
「そうで、なくっちゃ」

 吹き荒ぶ石の砲火が掠めただけで即死するようなか弱い命。
 なのにゲンジは、この状況を愉しむかのように破顔し続ける。
 喜びよりも悲しみの方が圧倒的に多い、幸薄い十六年だった。
 その幸福の最高値が、今まさに激烈な勢いで塗り替えられている。
 過剰分泌されたアドレナリンで鼻血さえ垂らしながら、ゲンジは呪いの指揮者として預言を犯す。

 片や燦然たる滅び。
 片や暗澹たる滅び。
 君臨する者と引きずり下ろす者。
 ふたつの滅びは共に健在で、故に戦争は終わらない。

「滅ぼして、やるよ……!」

 ゲンジの呪詛が、轟音の中でも確かに響いて。
 そして――

468TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:57:22 ID:D5Ika2WY0



「――――――――――――――――」



 三者三様の戦慄が、荒れる戦場を駆け抜けた。

 最初に気付いたのは、スー族の大戦士だった。
 いや、正確には彼に応えた霊獣達だ。
 赤騎士の暴威を前にしても、微塵も怖じ気付くことなく奮戦し続けていた野生の住人達が怯えている。
 シッティング・ブルはそれを見て、そして肌を伝う寒気を受けて理解した。
 何が起きたのかを。いったい何が、この新宿に踏み入ってきたのかを。

 原人達が、ネアンデルタール人が震えていた。
 本能がもたらす怖気であった。彼らは信仰を持たないが、原野に生きるが故に大いなるものの気配には敏感である。
 彼らの主たる少年も、それを見て口角を震わせた。
 ただし震えの意味が違う。前者が畏れによる震えなら、こちらは間違いなく歓喜の呼び水としての震えだった。

 そしてレッドライダーは、沈黙していた。
 動きを止め、原人の攻撃で乱れた輪郭を修復することも忘れて佇む。
 彼の本質は無機。ガイアの怒りを体現するべく造られた、預言の使徒。
 故にこの挙動は不可解だった。精密なコンピューターが、内部に紛れた一粒の砂によって予期せぬ動作をするように。
 そんなありふれた誤作動(バグ)のように固まって――【赤】の騎士は、まず口を作った。
 彫りのないのっぺりとした顔に浮かび上がったひとつの裂け目。それが開き、声を発する。


「――――来タカ、フツハ」


 そう、来てしまった。
 この都市における最大の光。
 "彼女"にとって戦いとは祭り。
 そして祭りとは、これを惹き付ける誘蛾灯。
 
 赤騎士の進撃。
 白騎士の蛮行。
 それぞれのきっかけを経て、新宿の決戦は拓かれた。

 されど。
 されど。

 都市の真実を知る者ならば、誰もが解っている筈だ。
 あまねく前提。あまねく事情。あまねく要素。
 そのすべてを台無しにできる"個人"が、この地平には存在している。
 事の精微を保てるのは、彼女に見つかっていない間だけ。
 もし見つかってしまえばその瞬間、すべては白き混沌の中に堕す。

 よって此処からが、此処からこそが、本当の決戦の始まりと言えた。
 悪国征蹂郎が始め、周鳳狩魔が応えて幕開けた新宿英霊大戦。
 今この瞬間を以ってそれが、更に制御不能の領域へと加速度的に沈降していく。

 神が来る。
 彼女が来る。
 神寂れたる混沌の子が、やって来る。



◇◇

469TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:58:08 ID:D5Ika2WY0



 白い何かが、歩いていた。
 口笛響かせながら、高揚を隠そうともせず肩を揺らして。
 るんるんと、テーマパークにでも来たみたいに足を踏み入れる。
 それが持つ意味など、もたらす影響のでかさなど、まるで理解せぬままに。
 光の剣を片手に携えて、無垢の化身のような娘は新宿へ入った。

 何故? 楽しそうな気配がしたから。
 これは遊びの気配を見逃さない。
 楽しいことをしているのなら、私も混ぜてと無邪気に申し出て首を突っ込む。
 あの頃のままだ。神の資格を持った幼子が、世界さえ滅ぼせる力を片手にひたすら歩く。

 彼女が、侵入(はい)ってしまった。
 新宿に白き神が顕れた。
 この時点ですべての定石がひっくり返る。
 あまねく状況はリセットされ、石と棒の戦いが始まるのだ。

 ――そしてこの瞬間、〈はじまり〉の残骸達もまた、己の星を認識する。

 彼らは狂人。
 彼らは焼死体。
 焼け爛れたまま起き上がり、熱のままにそれを見つめる。
 誰にもその律動を止められない。台本の破棄された舞台は、無軌道(アドリブ)のままに混沌へ堕する。


 此処は針音聖杯戦争。
 そしてこれはその歴史に刻まれる、第一の大破局。


「――――へへ。私も交ぜてよ、みんなで遊ぼう!」


 午前0時15分34秒。
 神寂祓葉、新宿区に現着す。

 投げられた賽が、砕け散った。
 


◇◇

470TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:59:04 ID:D5Ika2WY0
【新宿区・南部/二日目・未明】


【ライダー(レッドライダー(戦争))】
[状態]:損耗(中/急速回復中)、出力制限中
[装備]:黒曜石の大剣
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:その役割の通り戦場を拡大する。
0:来タカ、偽リノ白。
1:神寂祓葉を殺す
2:ブラックライダー(シストセルカ・グレガリア)への強い警戒反応。
[備考]
※マスター・悪国征蹂郎の負担を鑑み、兵器の出力を絞って創造することが可能なようです。
※『星の開拓者』を持ちますが、例外的にバーサーカー(ネアンデルタール人)のスキル『霊長のなり損ない』の影響を受けるようです。

※現在、新宿区にスキル〈喚戦〉の影響が拡大中です。

【キャスター(シッティング・ブル)】
[状態]:疲労(小)、迷い、畏怖
[装備]:トマホーク
[道具]:弓矢、ライフル
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:救われなかった同胞達を救済する。
0:来たか。"孔"よ。
1:今はただ、悠灯と共に往く。
2:神寂祓葉への最大級の警戒と畏れ。アレは、我々の地上に在っていいモノではない。
3:――他でもないこの私が、そう思考するのか。堕ちたものだ。
4:復讐者(シャクシャイン)への共感と、深い哀しみ。
5:いずれ、宿縁と対峙する時が来る。
6:"哀れな人形"どもへの極めて強い警戒。
[備考]
※ジョージ・アームストロング・カスターの存在を認識しました。
※各所に“霊獣”を飛ばし、戦局を偵察させています。

【覚明ゲンジ】
[状態]:疲労(小)、血の臭い、高揚と興奮
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:3千円程度。
[思考・状況]
基本方針:できる限り、誰かのたくさんの期待に応えたい。
0:祓葉を殺す。あいつに、褒めてほしい。
1:抗争に乗じて更にネアンデルタール人の複製を行う。
2:ただし死なないようにする。こんなところで、おれはもう死ねない。
3:華村悠灯とは、できれば、仲良くやりたい。
4:この世界は病んでいる。おれもそのひとりだ。
[備考]
※アルマナ・ラフィーを目視、マスターとして認識。

【バーサーカー(ネアンデルタール人/ホモ・ネアンデルターレンシス)】
[状態]:健康(残り104体/現在も新宿区内で増殖作業を進めている)、一部(10体前後)はライブハウスの周囲に配備中、〈喚戦〉、畏怖
[装備]:石器武器
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:今のところは、ゲンジに従い聖杯を求める。
0:弔いを。
[備考]
※老人ホームと数軒の住宅を襲撃しました。老人を中心に数を増やしています。

471TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:59:39 ID:D5Ika2WY0
【新宿区・歌舞伎町 デュラハン傘下のビルの屋上/二日目・未明】


【華村悠灯】
[状態]:動揺と葛藤、魔力消費(中)
[令呪]:残り三画
[装備]:精霊の指輪(シッティング・ブルの呪術器具)
[道具]:なし
[所持金]:ささやか。現金はあまりない。
[思考・状況]
基本方針:今度こそ、ちゃんと生きたい。
0:身の振り方……か。
1:祓葉と、また会いたい。
2:暫くは周鳳狩魔と組む。
3:ゲンジに対するちょっぴりの親近感。とりあえず、警戒心は解いた。
4:山越風夏への嫌悪と警戒。
[備考]

【周鳳狩魔】
[状態]:健康
[令呪]:残り3画
[装備]:拳銃(故障中)
[道具]:なし
[所持金]:20万程度。現金派。
[思考・状況]
基本方針:聖杯戦争を勝ち残る。
0:皆殺しだ。
1:ゲンジへ対祓葉のカードとして期待。当分は様子を見つつ、決戦へ向け調整する。
2:悠灯。お前も腹括れよ。
3:特に脅威となる主従に対抗するべく組織を形成する。
4:山越に関しては良くも悪くも期待せず信用しない。アレに対してはそれが一番だからな。
5:死にたくはない。俺は俺のためなら、誰でも殺せる。
[備考]


【千代田区・北部アジト/二日目・未明】

【悪国征蹂郎】
[状態]:疲労(小)、魔力消費(中)、頭部と両腕にダメージ(応急処置済み)、覚悟と殺意
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度。カード派。
[思考・状況]
基本方針:刀凶聯合という自分の居場所を守る。
0:皆殺しだ。
1:周鳳の話をノクトへ伝えるか、否か。
2:アルマナ、ノクトと協力してデュラハン側の4主従と戦う。
3:可能であればノクトからさらに情報を得たい。
4:ライダーの戦力確認は完了。……難儀だな、これは……。
[備考]
 異国で行った暗殺者としての最終試験の際に、アルマナ・ラフィーと遭遇しています。
 聯合がアジトにしているビルは複数あり、今いるのはそのひとつに過ぎません。
 養成所時代に、傭兵としてのノクト・サムスタンプの評判の一端を聞いています。
 六本木でのレッドライダーVS祓葉・アンジェ組について記録した映像を所持しています。
 アルマナから偵察の結果と、現在の覚明ゲンジについて聞きました。

472TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 23:01:10 ID:D5Ika2WY0
【千代田区・路上/二日目・未明】

【アルマナ・ラフィー】
[状態]:健康
[令呪]:残り3画
[装備]:カドモスから寄託された3体のスパルトイ。
[道具]:なし
[所持金]:7千円程度(日本における両親からのお小遣い)。
[思考・状況]
基本方針:王さまの命令に従って戦う。
0:さて、これから……
1:もう、足は止めない。王さまの言う通りに。
2:当面は悪国とともに共闘する。
3:傭兵(ノクト)に対して不信感。
[備考]
 覚明ゲンジを目視、マスターとして認識しています。
 故郷を襲った内戦のさなかに、悪国征蹂郎と遭遇しています。

 バーサーカー(ゴドフロワ・ド・ブイヨン)らの千代田区侵入を感知しているかはおまかせします。

※新宿区を偵察、情報収集を行いました。
 デュラハン側の陣形配置など、最新の情報を持ち帰っています。


【千代田区・西部/二日目・未明】

【バーサーカー(ゴドフロワ・ド・ブイヨン)】
[状態]:健康、『同胞よ、我が旗の下に行進せよ』展開中
[装備]:『主よ、我が無道を赦し給え』
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:狩魔と共に聖杯戦争を勝ち残る。
0:さあ、慣れた趣向と行きましょうか。
1:神寂祓葉への最大級の警戒と、必ずや討たねばならないという強い使命感。
2:レッドライダーの気配に対する警戒。
3:聯合を末端から削る。同胞が大切なのですね、実に分かりやすい。
[備考]
※デュラハンの構成員を連れて千代田区に入り、彼らを餌におびき出した聯合構成員を殺戮しています。


【新宿区・???(他区との境界線近く)/二日目・未明】

【神寂祓葉】
[状態]:健康、超わくわく
[令呪]:残り三画(永久機関の効果により、使っても令呪が消費されない)
[装備]:『時計じかけの方舟機構(パーペチュアルモーションマシン)』
[道具]:
[所持金]:一般的な女子高生の手持ち程度
[思考・状況]
基本方針:みんなで楽しく聖杯戦争!
0:やろうか!
1:結局希彦さんのことどうしよう……わー!
2:もう少し夜になるまでは休憩。お話タイムに当てたい(祓葉はバカなので、夜の基準は彼女以外の誰にもわかりません。)
3:悠灯はどうするんだろ。できれば力になってあげたいけど。
4:風夏の舞台は楽しみだけど、私なんかにそんな縛られなくてもいいのにね。
5:もうひとりのハリー(ライダー)かわいかったな……ヨハンと並べて抱き枕にしたいな……うへへ……
6:アンジェ先輩! また会おうね〜!!
7:レミュリンはいい子だったしまた遊びたい。けど……あのランサー! 勝ち逃げはずるいんじゃないかなあ!?
[備考]
二日目の朝、香篤井希彦と再び会う約束をしました。

新宿区に到着しました。どの辺りに出たかは後の話におまかせします。

473 ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 23:01:32 ID:D5Ika2WY0
投下終了です。

474 ◆di.vShnCpU:2025/06/12(木) 23:13:56 ID:PGHEpvgs0
華村悠灯
周鳳狩魔
ノクト・サムスタンプ
山越風夏(ハリー・フーディーニ)

予約します。

475 ◆0pIloi6gg.:2025/06/12(木) 23:36:11 ID:8vKl.CfA0
赤坂亜切&アーチャー(スカディ)
アンジェリカ・アルロニカ&アーチャー(天若日子)
ホムンクルス36号&アサシン(継代のハサン)
輪堂天梨&アヴェンジャー(シャクシャイン) 予約します。

476 ◆di.vShnCpU:2025/06/16(月) 00:25:50 ID:UmoXCZ7A0
投下します。

477アンデッドアンラック ◆di.vShnCpU:2025/06/16(月) 00:26:32 ID:UmoXCZ7A0


……へぇ、高浜先生の所でも、ですか。
ならいいかァ。
あっ、これ厳密には守秘義務とかに引っ掛かりそうなんで、ここだけの話でお願いしますよ。

ええ、まあ私も医者ですからね。
いわゆる『パニック値』……数字を見ただけで即座に命の心配をする必要のある患者さんは、過去に何人も見てきましたよ。

「ちょっと最近クラクラする」とだけ言ってた女の子が、極度の貧血でほとんど水みたいな血液で何故か生きてたりとか。
「最近肌が黄色っぽい気がする」って言ってた中年男性が、とっくにとんでもない肝硬変で生体肝移植に回されたりとか。
「ここんとこ階段を登ると息切れをする」と言ってたヘビースモーカーが、極度の肺気腫で肺がスカスカだったりとか。

色んなものを見てきましたよ。
助けられた人もいるし、残念ながら手遅れだった人もいます。

でも……ねえ。
やっぱりあの子が一番の驚きでしたねぇ。

当直をしていた時に運ばれて来た女の子。
たぶん軽い脳震盪だったんでしょうけどね。女の子だってのに不良たちと殴り合いのケンカをして、気を失っていて。
でも万が一ということもあるじゃないですか。一通り基本的な血液検査と、頭部と腹部のCTを撮って……

ほんと、人間って、あんな状態でも生きてられるんですねぇ。
いや、怪我の方は本当にかすり傷だったんですよ。脳内出血とかもありませんでした。

でも、CTで見えたあの無数の影と、クレアチニン、ナトリウム、カリウム、カルシウム……血液ガスもとんでもなかったし……
あれ本当は人工透析にでも回した方が良かったんですかね?
朝になるまで死んでなければ、腎臓内科の先生にコンサルテーションをお願いするつもりだったんすけどね。

とにかく本人はケロッとしてるんですよ。
とりあえず取り急ぎ検査結果を知らせても「えっ知らなかった」って。
「そんなことになってるなんて思ってもいなかった」って。
自覚症状が何一つなかったらしいんですよ。
いくら何でも、って思いましたよ。

意識戻ってからは元気いっぱいって感じで、いやまあ多少は貧血っぽい顔色なんですけどね。
流石にショックを受けてたようではあったんですけど、少し目を離した隙に、脱走されちゃいました。
たぶん病院の事務は、治療代も貰いそびれたんじゃないかなぁ。

それで実はこの話、後日談がありましてね。
すっかり忘れた頃に、ウチの病院の系列の『本院』から、連絡が来たんすよ。
いったいどこで救急で一度見ただけの患者さんのことを嗅ぎ付けたのかは分からないんですけど。

「もしその不良の女の子がまた運ばれてきたら、何を差し置いても『本院』の『名誉院長』に連絡しろ」ですって。

私がいる所は、普通のどこにでもあるような、二次救急までの総合病院ですけどねぇ。
同じ医療法人の中心になっている病院の方には、ほんと魔法でも使うのかっていうような名医の先生方が揃っているんですよ。
本院の先生なら、あの子もなんとか治せちゃったのかなァ……?

いやコレは比喩じゃないって言うか、噂では本院の方には本当にオカルトな呪術に精通している人らもいるって話です。
カウンセラーってことになってる人が部屋で魔法陣描いて呪文を唱えてたとか、怪しい水薬を飲んだ患者が急に良くなったとか。
そんな話が山のようにあるんですよね。
噂では、名誉院長は、現代医学とそういうオカルトの、双方に通じているんだとか。

なので……
ちょっと異例なあの命令も、ひょっとしたら『そっちの方』の話なのかな、って少しだけ思うんですよね。
まともな医学の領域の話ではなくって、魔法とか魔術とか、そういう世界の話。
だって、私が診たあの子。


 ギリギリで死んでないというよりも……
 呪いか何か不思議な力で、死体が動いてるって言われた方が腑に落ちるくらいの有様でしたもん。


……え、名誉院長の名前ですか?
あー高浜先生は御存知なかったですか?
あるいはウチが同じ系列って知らなかったとかですかね?

蛇杖堂ですよ。
あの有名なジャック先生。
黒じゃなくて灰色の方です。ええ。

478アンデッドアンラック ◆di.vShnCpU:2025/06/16(月) 00:27:17 ID:UmoXCZ7A0



◆◇◆◇



深夜の雑居ビルの片隅。
少し汚れの目立つ洗面台で手を洗い、女子トイレの外に出る。
薄暗いビルの廊下。切れかけているのか、蛍光灯が少しの間隔を置いて音もなく明滅する。

「ふぅ……」

いま新宿の街では、既に戦争が始まっている。
緒戦の衝突は、華村悠灯も双眼鏡越しに実際に見た。
双方の組織の一般構成員も含めれば、もう犠牲者は出ている頃合いだろう。
そんな時にもちゃんと出るものは出る自分が、少しだけ可笑しく感じられてしまう。

しかし、まあ……全くの嘘でもなかったとはいえ。
お手洗いを口実に逃げてきたようなものだった。

たぶん最初に会った時点では、覚明ゲンジは、華村悠灯と、大雑把に言って同格くらいの位置だったはずだ。
決して舐めていたつもりはないけれど、ことケンカという一点であれば悠灯の方が上だったとの自負もあった。
そのゲンジが、この短時間の間に、こうも見事に化けた。
あの周凰狩魔にあそこまで言わせるほどの存在になった。

比べても仕方のないことだと分かっている。
焦っても仕方のないことだと分かっている。
けれど、狩魔との会話が途切れてしまえば、どうしたって考えずにはいられないし……
狩魔の隣にいることに、息苦しさも覚えてしまう。

頭上で蛍光灯が明滅する。
無音の狭い廊下の中、世界の全てに見捨てられているような気分になる。

「戻らなきゃ、な……」

悠灯は視線を頭上に……フロアひとつ上の屋上にまだいるはずの周凰狩魔の方向に向ける。
この戦争において、少なくとも序盤の攻防において悠灯の役割はない。
万が一にもキャスターが想定外の危機に陥るようなら令呪を用いて呼び戻すとか、その程度の仕事しかない。
むしろ敵に各個撃破されないように、狩魔と一緒にいて互いの死角をカバーしあうのが一番の役割だ。
気まずかろうと、息苦しかろうと、戻るべきなのだ。


悠灯はそして、廊下の一端にある階段の方に歩き出そうとして…………ふと気づいた。


最初に感知したのは、妙な生暖かさだった。
首から上だけが、人肌くらいの温度に包まれている。

次に、体臭。
ほんの僅かな、ほとんど察知できないくらいの、しかし間違いなく男性の汗の匂いと、男物の香水の香り。

己の髪が擦れる微かな音も聞こえた。
誰かに触られているような、撫でられたような、ほんの小さな音。

ぼんやりと黒い影が、視界の端にやっと見えた。
あまりにも近くてぼやけて見えるが、それは服を着た人の腕のようにも思える。

最後に……それはあまりにも異常な知覚の順番だったが。
最後の最後に、やっと触覚が己の肌に触れる者の存在を伝えてきた。
首から上、頭を包み込むように、抱きしめるように、しかし決して逃がさない強さで捕捉する、誰かの手。

体温を感知してからおよそ一呼吸。
状況を理解できた時には、既に手遅れだった。

(誰かに頭を抱え込まれてる)
(いったい誰が)
(狩魔サンじゃない、キャスターじゃない、もちろんゲンジでもないしゴドーってサーファントでも)
(つまり敵)
(そういえば敵には要注意の傭兵が)
(狩魔サンがめちゃくちゃ警戒していた)
(サムスじゃない、ノクト・サムスタンプ)
(向こうも出来るならこちらを狙ってくるはず)
(でもここはキャスターが陣地を作ったから安全だって)
(まさかキャスターも気づいていない? 狩魔サンも?)
(じゃあつまり)

一秒にも満たない時間のうちに、華村悠灯の脳裏に電撃のように断片的な思考が走って……
しかし、そんなことを考えている時間すらも、無駄であり裏目であった。
無意識のうちに悲鳴を上げるべく息を吸い込む、しかし、その息を吐く間も与えられることもなく。


『君の終わりは、きっと糸が切れるように訪れる』


 ゴキッ。


華村悠灯の頸椎がへし折れる音が響いて……
生きている者にはありえない角度に首を曲げた彼女の身体は、なすすべもなく床へと崩れ落ちた。



【華村悠灯 死亡】

479アンデッドアンラック ◆di.vShnCpU:2025/06/16(月) 00:28:53 ID:UmoXCZ7A0



◆◇◆◇



崩れ落ちる少女の手元の指輪から、遅まきながらも、音もなく鷹の姿をする精霊のヴィジョンが飛び出す――
が、それは無言で立つ人影に向けて反転するよりも先に真ん中から真っ二つになって、空中に霧散する。
詠唱もなく放たれた真空の刃に、頭から突っ込んだのだ。
鷹を狙って風の刃が放たれたというよりも、鷹の飛び出す軌道を読み切って進路上に「置かれた」、そんなコンマ数秒の攻防。

鷹の姿の精霊が戦いにもならぬ戦いで消失したその後に、少女の亡骸は床に到達し、小さな音を立てた。
少女が直前に用を足していたのは、少女の尊厳にとってささやかな慰めであったろう。
無様な失禁などを伴うことなく、少女はそのまま動かなくなる。

ピクリとも動かない。呼吸のための胸の動きすらも起きない。
華村悠灯は、どうしようもなく、死亡していた。

「……こんなものか」

少女の背後には、大柄なスーツ姿の男性が立っている。
褐色の肌。顔にまで刻まれた刺青。

夜の虎。ノクト・サムスタンプ。
その本領発揮。
ただ静かに忍び寄って、徒手にて相手の首を折る。
頸椎ごと脳幹を破壊し、呼吸中枢を破壊する。単純明快にして確実な戦場の技。
アルマナが強行偵察で敵の目を引いているうちに、別方向から静かに陣地に侵入して、敵が一人になったタイミングで仕掛ける。
策そのものは極めてシンプル、しかしそれを成立させる隠密性の高さこそが異常。
『夜に溶け込む力』。
夜の女王の加護、その真骨頂。

暗い廊下で蛍光灯が明滅する。
前触れもなく銃声が鳴る。
既に気づいていたかのように、ノクトは巨体をヒョイと傾けて避ける。銃声を聞いてからでは到底間に合わないような動き。
『夜を見通す力』と『夜に鋭く動く力』の合わせ技は、それくらいの芸当は可能とする。

「……ユウヒッ!?」

嫌な予感、という程度の違和感を根拠に、階段を駆け下りてきた周凰狩魔の直観力と行動力は超人的ですらあったが。
それでも遅かった。
状況を把握するよりも先に放たれた初弾は外れて、そうしてやっと、己のチームの一員が既に息絶えていることを知覚する。
とっくに見慣れてしまった人間の死。
あの角度で手足が曲がって倒れている時点で、もう見込みなんてないと分かってしまう。

動揺を抑え込み、追悼の言葉を発する間も惜しみ、狩魔の手元の拳銃から次弾が発射される。
これも大男は簡単に避ける、が、狩魔はその結果を認識するより先に、力ある言葉を発する。

「……『曲がれ』!」

巨漢のすぐそばを通り過ぎた弾丸が、ヘアピンカーブを描いてまた戻ってくる。
元より狩魔が手にしている拳銃には尋常の弾丸は入っておらず、それどころかとっくの昔に故障している。
放たれていたのはいずれも狩魔の魔力で構築された魔弾。手にした拳銃はそのイメージを補佐するための道具。
この聖杯戦争が始まってから身に着けた、狩魔の魔術だった。

背中側から迫る弾丸を、これまた見もせずに侵入者は避けるが、さらに弾丸は狭い廊下の中でもう一度ターンをする。
きりがないと見たか、ここで褐色の巨漢は初めて口の中で呪文のようなものを唱える。

「『風よ、壁となれ』」

ドガンッ!

狭い廊下に、まるでトラックが衝突したかのような衝撃音が響き渡る……が、しかし、大男は無傷。
これには狩魔も、攻撃的な笑みを浮かべたまま、一筋の汗を垂らす。

「……マジかよ」
「なるほど、当たれば威力はあるみてぇだな。ただまあ、『真空の壁』を越えられるような種類の攻撃じゃない」

侵入者、推定名、ノクト・サムスタンプ。
ついさっきの華村悠灯とのやり取りのおかげで、辛うじて記憶に残っていた。
周凰狩魔が初期から想定し、警戒していた、規格外の特記戦力(バランスブレイカー)のひとり。
あの〈脱出王〉と同等の厄介者。

その介入は周凰狩魔も想定していた。
警戒していた。
もしも来るなら自分の首を直接取りに来るだろうとも踏んでいた。
しかし、これほど早い段階で、これほど近い距離に踏み込んできて、そして……

そして、これほどまでに実力の差があるのか。

魔術の世界ではまだ未熟、知識も技術もないのは承知の狩魔だが、実はこの魔弾の威力に限っては密かに自信を持っていた。
今日この日まで何度も試射を重ね、密かに訓練も続けている。
その気になれば自動車一台くらいは軽く吹っ飛ばせる、ミサイルランチャーじみた威力の魔弾だ。
それがこうも簡単に止められるとは――!

「アグニの坊やには悪いが、ついでだ、ココでトップの首も獲っちまうか。今から『ボーナス』の中身が楽しみだ」
「〜〜〜〜!」

480アンデッドアンラック ◆di.vShnCpU:2025/06/16(月) 00:29:34 ID:UmoXCZ7A0

ニヤリと笑う巨漢の姿に、思わず狩魔は魔弾を乱射する。
今度は最初から大きく曲げた軌道。四方八方からノクトを包み込むような攻撃。

ドガガガガッ!!

先ほどと同等の衝撃音が立て続けに響き、しかし全く意に介することなく、大男は大股でゆっくりと迫ってくる。
足止めにもなっていない。

どうする。狩魔の頭脳が高速で回転する。

この期に及んで〈脱出王〉の介入はない。
お前の担当だろうと言いたくもなるが、あの自由人にそれを言っても仕方がない。

陣地を構築しているはずのキャスターの介入もない。
流石に異常は察知しているはずだが、ひょっとしてマスターが死んでは動けないのか。

ゴドーは別行動中で攻勢に回っているはず。
そちらを途中で止めるのは惜しいが、それでもここは自分の命が最優先か。

「れ――」

そして狩魔は令呪でゴドフロワを呼ぼうとして、その判断すらも遅かったことを悟った。
ノクト・サムスタンプは既に前傾姿勢。今まさにダッシュで掴みかかってくる体勢。
令呪に載せた命令を全て発しきる前に捕獲されるのは明らかで、そして。


「……っざっけんなァ!」


甲高い少女の叫びと共に、ノクトも狩魔も、まったく予想していなかった介入が、その緊張を断ち切った。

ノクト・サムスタンプの背後から放たれた、見事な跳び回し蹴り。
側頭部にそれを食らった巨漢は狭い廊下の壁に叩きつけられ、そして……

「流石にこれは想定外だ。退くか」

蹴られたダメージ自体はほとんど無いようではあったが。
男はあっさりとそのまま、近くにあった窓をたたき割って、ビルの外の虚空に身を投げた。
あまりにも思い切りのいい、あまりにあっけない、逃走だった。
割られた窓から、一陣の風が吹き抜ける。


「……大丈夫っすか、狩魔サン?」
「いや……それはこっちの台詞だ。
 お前こそ、『それ』、どうなってる」


窓の外に警戒し、拳銃を構えたまま、狩魔は少女に問う。
頭上で蛍光灯が瞬きをする。
ありえない光景だった。
間違いなく確認したはずだった。見間違えなんかではなかったはずだった。
けれども、現に。

首を折られて死んでいたはずの、華村悠灯は、自分の足でそこに立っている。
それどころか、あの夜の虎を相手に、跳び回し蹴りまで放ってみせた。

チームのリーダの危機を救ってみせた少女は、よく分からないまま微笑んで……
その笑顔が、ガクン、と傾いた。

「わわっ、これどうなってるのっ、えっ」
「……いやほんと、どうなってんだ」

生きている人間には絶対にありえない角度に首を曲げて、あたふたと慌てる少女。
折れたままなのだ。
首の骨が折れたままで、ちょっとした拍子に本来あるべき位置からズレてしまっているのだ。
自分の両手で頭を掴んで、ああでもない、こうでもないと安定する位置を探している。

そんな状態で人間が生きている訳がない……
よしんばギリギリで絶命は免れたとしても、激痛で立ってなどいられないはず。

魔術師としてはまだ未熟、ゴドフロワから基本的な部分を断片的に聞いただけの狩魔は、なので、まだ気づいていなかった。
華村悠灯の全身を包む不穏な魔力の気配に、まだ、気づくことはできなかった。



【華村悠灯 再稼働】

481アンデッドアンラック ◆di.vShnCpU:2025/06/16(月) 00:30:47 ID:UmoXCZ7A0



◆◇◆◇



「〜〜〜〜〜ッ!! やった、『目覚め』た、間に合ったッ!!」

デュラハンのトップたちが陣取るビルから、少し離れた歌舞伎町の細い裏路地のひとつで。
あまりにも場違いな少女が、声にならない喜びを噛み締めながら飛び跳ねていた。

タキシード姿の少女である。それも舞台用に思いっきりアレンジのされた、ド派手なラメ入りのタキシード。
山越風夏。
またの名を、〈現代の脱出王〉。

狭い裏路地には動く者の気配がない。
常であれば不夜城たる歌舞伎町は、その末端にまで人が絶えることはないのだが。
この大戦争に際して、勘のいい者はとっくに逃げ出しており。
そして勘の悪いものは、とっくにレッドライダーの『喚戦』の影響下に呑まれ、無意味なケンカに夢中になっていた。
この裏路地でも何人か、早々にノックアウトされた者がひっくり返っており、勝者は次の相手を求めて大通りへと駆けだしていた。

「あの子からは『慣れ親しんだ匂い』がしていたんだよ! 私たちに似た匂い!
 死から逃げ続ける者の匂いだ! 避けようのない死をそれでも避ける者の匂いだ!
 なので『ひょっとしたら』と思っていたんだ!!」

開戦前にもう一度彼女たちと会って確認しておきたい、という願いは、炎の狂人と氷の女神の乱入でとうとう果たせなかった。
相棒たるライダーとの合流もまだ果たせていない。
けれど一番肝心な場面だけは、ギリギリで見ることができた。
向こうから察知されることもなく、盗み見ることが出来た。

「デュラハンが『賢く』判断してサーヴァントだけを前線に出すのなら、ノクトがその隙を見逃すはずがない!
 彼は間違いなく速攻で忍び寄ってマスターを殺そうとするだろう……!
 それも可能なら、最初は悠灯からだ! 狩魔も狙うだろうけれど、彼は決して順番を間違えない! 両方倒すならこの順番だ!」

一回目の聖杯戦争で散々にやりあった仲である。
魔術の傭兵、非情の数式、夜の虎。
そのやり口は嫌というほど知り尽くしている。
駒がこう配置されている、そうと分かれば、ノクト・サムスタンプが取りそうな手段は容易に想像がつく。

「華村悠灯、あの子の魔術は、たぶん『死を誤魔化す力』だ。『無理やり生にしがみつく力』だ。
 よく知らないけれど、死霊魔術って方向の才能になるのかな?
 身体強化とか、痛覚の軽減なんて、どんな魔術師でもやろうとすればやれる基本だって聞くしね」

これは一種の賭けだった。山越風夏にとっても、確証なんてない危険な賭けだった。
土壇場でも才能に目覚めず、華村悠灯がただ無為に死ぬ可能性も十分にありえた。
けれどこの、他人の命を勝手にチップにした非道極まりない賭けで、〈脱出王〉は見事に望みの賽の目を出した。

「生きている〈演者〉は、この箱庭から出られない。
 死んでしまった〈演者〉は、聖杯にリソースとして取り込まれてしまう。
 では……『どちらでもない者』は?!
 そう!
 生きてもないし死んでもいない者だけが、『ここから出られる』!!
 ひょっとすると、それと契約を結んでいるサーヴァントだって、揃って一緒に出られるかもしれない!」

最初からそのつもりでデュラハンに近づいた訳ではなかった。
そもそもその『世界の敵』としての方針だって、ついさっき思い至ったもの。
けれども、そのずっと前から、「何かに使えるかもしれない」と思って手札に入れていたカードだった。

皆の運命を加速させて、そのブレの中で新たな才能が芽生えることに期待する。
この〈脱出王〉の基本方針は、なにもレミュリン・ウェルブレイシス・スタールひとりに向けられたものではない。
例えば覚明ゲンジの急激な化け方だって、狙い澄まして放たれた〈脱出王〉の一言がきっかけなのだ。

「そしてノクトなら、一度退くと決めたら思いっきり退く! 予想外のモノを見たら一旦仕切り直す!
 あいつは何度でも似た真似を繰り返せるからね、安全なところまで下がってから次のことを考えるはずなんだ!」
「……御機嫌なようだな」
「そりゃあそうさ! 何もかもが私の思う通りに…………って、えええっ!?」

482アンデッドアンラック ◆di.vShnCpU:2025/06/16(月) 00:31:20 ID:UmoXCZ7A0

うっかりそのまま答えかけて、山越風夏は慌てて振り返った。
居るはずのない男が、そこにいた。
褐色の肌。
顔にまで及ぶ刺青。
逃げ場らしい逃げ場もない裏路地で、あまりにも近くまで接近を許してしまった相手。

ノクト・サムスタンプ。

「俺もちっとばかし機嫌が良くってな。なんでだか分かるか?」
「さ、さあ……?」
「何もかもが俺の思う通りに動いているからだよ。多少のイレギュラーと驚きはあったけどな」

ノクトは笑う。小柄な風夏を見下ろして鼻先で笑う。
遠くに逃げているはずの彼が今ここに居る意味を、答え合わせする。

「お前とは『前回』何度もやりあった仲だ。
 俺の行動がお前に読まれることは、俺にも読めていた。
 にも関わらず、あの二人のマスターは無防備に俺の手の届く位置に置かれたままだった……
 即座にピンと来たね。『ああ〈脱出王〉はこいつらを見殺しにする気だ』ってな。
 お前の企みの中身は分からなかったが、何かお前の企みに必要な犠牲なんだろう、ってな」
「た、企みって言い方はひどいなァ……!」
「そしてそうであれば、お前は自分の目でその結末を見届けることを、我慢できない。
 必ず、どこかあの場所を見ることのできる場所に現れる。
 そしてそこからの逃走ルートだって、限られる」
「…………っ」

ノクト・サムスタンプは一歩踏み出す。
山越風夏は一歩下がる。
ノクトが長々と喋っている間に、風夏はとっくに数十通りの逃走方法を検討している。
けれども逃げ切れない。逃げ切れるイメージが沸かない。
そもそもこの距離に詰められていること自体が、既に失敗である。

夜のノクト・サムスタンプは、かの〈脱出王〉にとってすらも、それほどの難敵である。

「御明察の通り、『本命』がデュラハンとの闘争だったのなら、もう少し遠くまで退いてた所だがな。
 ぶっちゃけちまうとな。
 今回の闘争における俺の『本命』は、『お前』だ。
 〈脱出王〉、お前にいまここで確実に退場願うのが、俺の一番の望みだ」

ノクトは身構える。風夏は機を伺う。
自由自在に飛び回っているように見えて、〈脱出王〉の舞台は事前の仕込みが命だ。
今回のこの場での遭遇は想定外。仕込みが全然足りていない。
現地調達で使える材料も、どれほどあることやら。

強がりでしかない笑みを浮かべて、〈脱出王〉はそれでも言った。

「では、見事達成できました暁には、拍手喝采でお応え下さい。
 今夜の演題は――『夜の虎の顎の中からの脱出』!」

半グレたちの大戦争を背景に。
太陽に目を焼かれた狂人同士の死闘が、いま、小さな路地裏から、始まる。




【新宿区・歌舞伎町 デュラハン傘下のビルの廊下/二日目・未明】

【華村悠灯】
[状態]:生命活動停止。固有の魔術が発動中。頸椎骨折。混乱中(まだ自分の身に起きたことを理解できていない)
[令呪]:残り三画
[装備]:精霊の指輪(シッティング・ブルの呪術器具)
[道具]:なし
[所持金]:ささやか。現金はあまりない。
[思考・状況]
基本方針:今度こそ、ちゃんと生きたかった……はずなんだけど。
0:混乱中。いったい何がどうなってるの?
1:祓葉と、また会いたい。
2:暫くは周鳳狩魔と組む。
3:ゲンジに対するちょっぴりの親近感。とりあえず、警戒心は解いた。
4:山越風夏への嫌悪と警戒。
5:あの刺青野郎ってば最悪!!
[備考]
神寂縁(高浜総合病院院長 高浜公示)、および蛇杖堂寂句は、それぞれある程度彼女の情報を得ているようです。

華村悠灯の肉体は、普通の意味では既に死亡しています。
ただし土壇場で己の真の魔術の才能に目覚めたことで、自分の魂を死体に留め、死体を動かしている状態です。
いわゆる「生ける屍」となります。
強いて分類するなら死霊魔術の系統の才能であり、彼女の魔術の本質は「死を誤魔化す」「生にしがみつく」ものでした。
自覚できていた痛覚鈍麻や身体強化はその副次的な効果に過ぎません。

この状態の彼女の耐久性や、魔力消費などについては、次以降の書き手にお任せします。


【周鳳狩魔】
[状態]:健康、魔力消費(小)、軽い混乱と動揺(悠灯の現状を正しく把握しきれていない)
[令呪]:残り3画
[装備]:拳銃(故障中)
[道具]:なし
[所持金]:20万程度。現金派。
[思考・状況]
基本方針:聖杯戦争を勝ち残る。
0:待て、悠灯……お前それ、どうなってる?
1:魔術の傭兵の再度の襲撃に警戒。深刻な脅威だと認めざるを得ない
2:ゲンジへ対祓葉のカードとして期待。
3:特に脅威となる主従に対抗するべく組織を形成する。
4:山越に関しては良くも悪くも期待せず信用しない。アレに対してはそれが一番だからな。
5:死にたくはない。俺は俺のためなら、誰でも殺せる。
[備考]

483アンデッドアンラック ◆di.vShnCpU:2025/06/16(月) 00:32:14 ID:UmoXCZ7A0


【新宿区・歌舞伎町 細い路地裏/二日目・未明】


【山越風夏(ハリー・フーディーニ)】
[状態]:健康、ちょっと冗談抜きで少し焦ってる
[令呪]:残り三画
[装備]:舞台衣装(レオタード)
[道具]:マジシャン道具
[所持金]:潤沢(使い切れない程のマジシャンとしての収入)
[思考・状況]
基本方針:聖杯戦争を楽しく盛り上げた上で〈脱出〉を成功させる
0:いやマジでこれどうしよう! ここからノクトをなんとかしなきゃならないの?!
1:他の主従に接触して聖杯戦争を加速させる。
2:華村悠灯がいい感じに化けた! 世界に孔を穿つための有力候補だ!
3:悪国征蹂郎のサーヴァントが排除されるまで〈デュラハン〉に加担。ただし指示は聞かないよ。
4:レミュリンの選択と能力の芽生えに期待。
5:祓葉も来てるようだからそっちも見に行きたいけど……!

[備考]
準備の時間さえあれば、人払いの結界と同等の効果を、魔力を一切使わずに発揮できます。

〈世界の敵〉に目覚めました。この都市から人を脱出させる手段を探しています。

蛇杖堂寂句から赤坂亜切・楪依里朱について彼が知る限りの情報を受け取りました。

今のこのノクトとの遭遇は、流石の彼女にとっても予想外で準備不足であるようです。


【ノクト・サムスタンプ】
[状態]:健康、恋、やる気マンマン
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:莫大。少なくとも生活に困ることはない
[思考・状況]
基本方針:聖杯を取り、祓葉を我が物とする
0:ここは絶対に逃がさねェぞ、〈脱出王〉!
1:デュラハン側のマスターたちを直接狙う。予定外のことがあれば素早く引いて何度でも仕切り直す。
2:当面はサーヴァントなしの状態で、危険を避けつつ暗躍する。
3:ロミオは煌星満天とそのキャスターに預ける。
4:当面の課題として蛇杖堂寂句をうまく利用しつつ、その背中を撃つ手段を模索する。
5:煌星満天の能力の成長に期待。うまく行けば蛇杖堂寂句や神寂祓葉を出し抜ける可能性がある。
6:満天の悪魔化の詳細が分からない以上、急成長を促すのは危険と判断。まっとうなやり方でサポートするのが今は一番利口、か。
[備考]
 東京中に使い魔を放っている他、一般人を契約魔術と暗示で無意識の協力者として独自の情報ネットワークを形成しています。

 東京中のテレビ局のトップ陣を支配下に置いています。主に報道関係を支配しつつあります。
 煌星満天&ファウストの主従と協力体制を築き、ロミオを貸し出しました。

 蛇杖堂寂句から赤坂亜切・楪依里朱について彼が知る限りの情報を受け取りました。



[備考]
この話の間、それぞれのサーヴァントが何をしていたのかは後続の書き手にお任せします。

特にキャスター(シッティング・ブル)は、華村悠灯の身に起きた異常をある程度は察知しているはずです。
(張っていた陣地や、主従を繋ぐ霊的なリンクから)

484 ◆di.vShnCpU:2025/06/16(月) 00:32:34 ID:UmoXCZ7A0
投下終了です。

485 ◆0pIloi6gg.:2025/06/22(日) 21:23:22 ID:GmQ3YvAM0
投下します。

486産火 ◆0pIloi6gg.:2025/06/22(日) 21:24:20 ID:GmQ3YvAM0


 新宿区内の、とある個室スタジオ。
 ラジオ収録を終えた輪堂天梨と愉快ななかまたちの姿はそこにあった。
 部屋の真ん中には腕を組んで仁王立ちし、眉間に皺を寄せた天梨。
 視線の先には退屈そうに胡座を掻いて欠伸するシャクシャインと、床に置かれたホムンクルス36号の姿がある。

「ふたりとも。正座」
「誰がするかよ」
『応えたいのは山々だが、機能上の問題で出来ない。許してほしい』
「うぐぐ……」

 天使がご立腹の理由は、言わずもがな先ほどのラジオ収録である。
 やれ実験のために我々を収録に同伴させろとか言い出すわ、大人しくしてるように言ったのに現場で妖刀を抜き出すわ。
 そんなカオスの極みのような状況でもしっかり仕事をやり遂げた天梨のプロ意識は大したものだが、内心は心臓が口から飛び出そうだった。
 あんなにスリリングな収録は生まれて初めてだった。今後更新されないことを切に祈っている。

「しかし、実際に有意義な成果を確認できた。
 天梨、御身の魅了はもはや我がアサシンの宝具にも匹敵する人心支配を可能としているようだ」
「……みたいだね。ふたりで好き勝手してくれたおかげで私もよ〜〜くわかったよ。あんまり嬉しくないけど」

 あわや大パニックが起きても不思議ではない状況だったが、結論から言うと無事に終わった。
 スタッフ達はホムンクルスとシャクシャインの存在を背景のように扱い、誰も彼らの言動を不自然とは認識していなかった。
 輪堂天梨の魅了魔術。同じく魅了を生業にする少女がこの都市にはもうひとりいるが、天梨のは彼女のとまったく質を異にしている。
 あちらが"支配"なら、天梨のは"色香"に近い。心を絆し、納得を勝ち取る、まさにアイドルチックな魅惑の光だ。
 悪魔・煌星満天との小競り合い以降、その輝きは格段に強まっていた。

「でもああいう人に迷惑かけるようなのはもうなし! 次はほんとに怒るんだからね!」
「小煩え女だな。まずあの箸にも棒にもかからないクソつまらんトークを聞かされた俺らに謝罪しろよ」
「はぁああぁ!? に、人気番組なんですけど! 視聴率良いって局でも評判なんですけど!!」
「ほう、あの低次元な話でそれほどの人気を。流石は我が友だ。欠点など認識もさせない輝きがあると見える」
「ほむっちさん……? 嘘だよね……?」

 じり……、とのけぞってショックを受ける天梨。
 シャクシャインは噛み殺す努力もせず、大欠伸をして気怠げな視線を隣の人造生命体へ送った。

「で? いつ来るんだよ、君の待ち人は」
『そう急くな。トラブルが起きた旨の報告は受けていない』
「あっそ。何でもいいが、時間は有限だってことだけは覚えといて欲しいもんだね」

 それはさておき――現在、天梨達がわざわざこんな場所で待機しているのには理由があった。
 アンジェリカ・アルロニカ。かねてから名前だけは聞いていた、ホムンクルス陣営の同盟相手。
 彼女達と落ち合い、会談をするためにこうして手持ち無沙汰な時間を過ごしているのだ。
 テーブルの上には此処に来る前に買った軽食が、これから来る客人達の分も並べられている。
 どうもあまりピリピリした展開にはならない相手らしいので、夕飯も兼ねつつ和やかに話せればと思って天梨が気を利かせた形だ。

487産火 ◆0pIloi6gg.:2025/06/22(日) 21:25:36 ID:GmQ3YvAM0

(どんな子なんだろ。満天ちゃんの時はばたばたしちゃったからな……私もあの子くらいしっかりしないと)

 そうは言うものの、何しろ先の会談がアレだったので、天梨は結構緊張していた。
 シャクシャインは爆弾のようなもの。いつどこでスイッチが入るか分からないし、そうなったならマスターである自分が止めないといけない。
 
(満天ちゃん、すごいよなぁ……。今なにしてるんだろ……)

 思考とは連鎖するもので、ふと自分のライバルであり、友達でもある彼女のことを考えてしまう。
 未だに彼女からの連絡は来ていない。会談の結果決まったことだ。やり取りはすべて、天梨と満天のふたりの間でのみ行うと。
 けれど恐らくそろそろだろう。街がこの有様なのだ、あまり悠長に時間を空けるわけにいかないのは天梨にも分かる。

 幸い――と言っては不謹慎だが、今日起きたあちこちの凶事によって明日のスケジュールは大幅なリスケが入っていた。
 いつ連絡が来ても、恐らく予定は合わせられる。何かといいニュースの少ない天梨にとって、彼女との戦いは現在いちばんの楽しみだった。

 次は何を見せてくれるのか。
 どうやって、度肝を抜いてくれるのか。
 魅せられたいとそう思う。
 そして、それを超えて羽ばたきたいと闘志が燃える。
 勝負事にムキになるなんていつ以来だろう。
 輪堂天梨は、戦いを楽しむにはあまりにも強すぎた。
 天使の輝きは圧倒的で、挑もうと思う者がまずいなかったから――煌星満天というライバルの出現は実のところ、本人が思っている以上に大きな刺激となっていたのだ。

「ちょっと連絡してみよっかな、仕事のことじゃなくても軽い雑談とか……、……ううん、でも迷惑になるかもしれないし。だめだめ」

 ふるふるとかぶりを振って独り言を漏らす天梨に、きょろりとホムンクルスの視線が向いた。

「やや認識を改めよう。先は凡庸と評したが、起爆剤(ふみだい)としては確かに稀なるモノのようだ」
「む。そういう言い方好きじゃないな」
「であれば詫びるが、事実だ。
 あの贋物が持つ性質は爆発。一瞬の熱量でしか光を体現できない、ダイナマイトのような在り方をしている。
 爆発は衝撃波を生み、タービュランスを引き起こす。天を舞う御身の背を押す乱気流だ」

 恒星の資格者は唯一無二。
 よって、ホムンクルスが天梨以外の器を認めることは決してない。
 だが事実として、あの"対決"を経た天使の能力は無視のできない上昇を見せていた。
 真作はひとつ。後のすべては贋作に過ぎない。それでも、贋作だからと言ってまったくの無価値ではないということか。

「御身の言葉を借りて言うなら、私はあの娘のことが嫌いだ。
 先に述べたようにこの身はその類の感情を持たないが、便宜上こう表現しよう」
「……、……」
「しかし、御身とアレの勝負とやらには興味が出た。
 いや――私は天梨、君に勝利してほしいと思っている」
「それは……、ほむっちに私が必要だから?」
「半分はそうだ。もう半分は純粋に、友たる君の飛翔を見てみたい」

 天梨としてはなんとも複雑な気分だった。
 応援されるのは嬉しいが、好き嫌いとかなく自分達の結末を見届けてほしい気持ちもある。
 ただ、この無機質な友人にそうまで言わせたことの大きさは実感できる。
 そこでふと思い立ち、天梨は前々から思っていたことをぶつけてみることにした。

488産火 ◆0pIloi6gg.:2025/06/22(日) 21:27:24 ID:GmQ3YvAM0

「ほむっちってさ」
「どうした?」
「実は結構、人間臭い性格してたりしない?」
「……私が?」

 瓶の中の赤子が、微かな怪訝を顔に浮かべる。
 それもその筈。彼は被造物(ホムンクルス)であり、しかも特に気を遣って情動を排されたガーンドレッドの飼い犬だ。
 そんな人形を捕まえて人間臭いだなんて、本来なら的外れもいいところの形容であるが。

「ご主人様に一途だったり、友達をバカにされて怒ったり。嫌いなものの話をする時はちょっと早口になったりさ。
 魔術の話はさっぱりだけど、私はほむっちのこと、あんまり無感情なタイプには思えないかも」

 天梨は魔術師ではない。
 あくまでも、針音の運命に導かれそうなっただけの新参者だ。
 だからこそ先入観なく、率直な印象だけで物を考えることができた。

「御身の言葉でなければ世迷言と流すところだが、興味深い見解だ」

 ホムンクルスはわずかな沈黙の後、そう応えた。
 
「かつて私は主に出会い、そこで決定的な変質を来している。
 私を製造した魔術師(おや)ならば構造上の破綻と看做すような陥穽だ。
 天梨が私を"ヒトのようだ"と思うのは、恐らくその延長線上に生まれたバグだろう」

 人形は狂わない。
 にもかかわらず、三六番目のホムンクルスは狂人として〈はじまり〉の衛星軌道に並んでいる。
 大いなる矛盾だ。そう考えれば、天梨の指摘もあながち的を外したものではないと思えた。

「我が主――神寂祓葉は、すべての不可能を可能にする存在。
 故に我らは狂おしく彼女に焦がれている。いつか見た奇跡を追いかけずにはいられない」
「……うーん。難しいことはよくわかんないけどさ」

 運命の日だ。
 すべてはそこから始まっている。
 ガーンドレッドの悲願が未来永劫に途絶え。
 盲目の筈のホムンクルスが、光に目覚めた。
 あらゆる運命を破壊する白き御子を前にしては、構造(スペック)の限界など瑣末な問題に過ぎない。
 話を聞いた天梨は口に指を当てた。言葉を纏めるように中空を見つめ、そして。

「今のほむっちが祓葉さんのおかげで生まれたっていうんなら、私はやっぱり嬉しいよ」

 言って、にへらと笑う。
 
「さっきも言ったけど、私友達少ないからさ。私からも祓葉さんにありがとう、だね」
「――――」

 ホムンクルスは沈黙した。
 その沈黙には、ふたつの理由があった。

489産火 ◆0pIloi6gg.:2025/06/22(日) 21:28:17 ID:GmQ3YvAM0

 ひとつは、天使の二つ名が何故付けられたのかを証明するような物言い。
 すべての始まりは神寂祓葉であって、彼女がいなければ自分がこんな血で血を洗う戦場に参戦させられることもなかったというのに。
 ただ目の前の自分と出会えたことだけを喜び、混じり気のない善意でそう表明してくる。
 はじまりの狂人達の一角であり、すべての元凶に忠を誓っている事実を隠そうともしていない自分を友と呼び、尊重してのけるその無垢さ。
 
 改めて実感する。輪堂天梨を除いて、"彼女"に追随し得る恒星の器は他にない。
 他の候補を擁立して勝ち誇る者は目が見えないのかと疑わずにはいられない。
 この純粋さ、この寛容さ。まさしく、神寂祓葉の生き写しがごとき輝きではないか。
 それでこそ我が友。私が見出し、友誼を結んだいと尊き唯一無二。主たる祓葉へいつか魅せたい、可能性の卵。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 多少の言語化できない感覚には目を瞑りながら、ホムンクルスは声にこそ出さねど喝采さえした。
 これぞ吉兆、脱出王が指摘した既知の呪いを破棄する新しい可能性なり。そう思う一方で、ではもうひとつの理由は。

「アヴェンジャー」

 ガーンドレッドの魔術師達が、製造にあたり彼に与えた解析と感知の生体機能。
 数理の悪魔さえ出し抜く神経延長は、迫る敵の気配をつぶさに見抜く。
 天使の祝福を受けてもたらされた成長は、彼の"その"機能さえもをより高く昇華させていた。
 だからこそ彼は、英霊であるシャクシャインを押しのけて真っ先にそれを認識できたのだ。

「天梨を守れ。私のことは気にするな」

 理解が遅れているのは天梨だけ。
 シャクシャインの眉が剣呑に顰められる。
 説明したいのは山々だったが、その時間はなかった。


「"来るぞ"」


 言葉が発せられたのと同時に、穏当に進むかと思われた現状が崩壊する。
 飛び出したのはシャクシャイン。彼が押しのけた天梨は、何が何だか分からぬままに対面の瓶を抱き締めて床を転がった。

 スタジオの壁が崩壊し、炎と熱気が急激に流入してくる。
 飛来したひときわ大きな炎塊は、アイヌの魔剣が両断し爆砕させた。
 復讐者の眼光が、崩れた壁の向こうを睨め付ける。
 その先で彼らを見据えるのは、嚇く揺らめく禍つの瞳。

「やあ。久しぶりじゃないか、引きこもりが直ったようだからわざわざ会いに来てやったよ」

 くつくつと、けらけらと。
 嗤いながら現れる、ダークスーツの青年。

490産火 ◆0pIloi6gg.:2025/06/22(日) 21:29:10 ID:GmQ3YvAM0

 眼鏡を外すなり露わになった糸目。その向こうから射抜く眼光は、天梨に抱かれるホムンクルスだけを見つめていた。
 自分達の初撃を防いだ復讐者すら一瞥たりともしていない。
 自信と、現実的な実力に裏打ちされた傲慢。
 それを隠そうともせずに、その男は生きとし生けるすべてを焼き焦がす炎と、巨躯の鬼女をしもべにしながら立っていた。

「保護者をわざわざ切り捨てたんだって? 驚いたな、たかが被造物が狂気もどきの感情を萌芽させたってだけで驚きなのに。
 あの子は君に自殺願望まで植え付けたのか、いやはや本当に大したもんだ。それでこそ僕のお姉(妹)ちゃんに相応しい」
「来るとは思っていたが、思いの外早かったな」

 饒舌な炎鬼に、瓶の中の小人はさしたる驚きもなく応えた。
 何故なら彼らは共に不倶戴天。必ずや討つと誓っていればこそ、相手が自身を察知して現れることに驚きなど抱く筈もない。

「サムスタンプも呆れた体たらくだったが、貴様もその例には漏れないらしい。
 天が憐れんで恵んだ魔眼を景気よく台無しにできる短慮さには恐れ入るばかりだ。見違えたな、赤坂亜切よ」
「うわ、何だよ自分の口で喋れるようになったのか?
 気持ち悪いからやめてくれよ、まるでオマエと僕が同じ生き物みたいじゃんか。ご主人様の命を聞くしか能のないカスが色気づいてんじゃねえよ、ホムンクルス」

 すなわち――〈はじまりの六人〉。
 妄信と無垢。葬儀屋と人造生命。

「問うが、わざわざ自ずから私の前に現れたのだ。死にたいという意思表示と受け取ったが、相違ないか?」
「〈脱出王〉然り、お前らみたいな根暗のクズは殺せる内になるべく早く排除しときたくてね」

 赤坂亜切。ホムンクルス36号。

「――ってわけで皆殺しだ。同じ光に灼かれたよしみだ、お姉(妹)ちゃんへの遺言くらいは聞いてやるから、諦める気になったら言ってくれ」

 情念に猛る炎と変容しゆく無機の戦争。
 時は禍時。これより戦場に変わる街の片隅で、捩れた運命は喰らい合う。



◇◇

491産火 ◆0pIloi6gg.:2025/06/22(日) 21:29:52 ID:GmQ3YvAM0



 異様な巨躯の女だった。
 ひと目見た瞬間に、シャクシャインの背筋を冷たいものが伝う。
 
 彼はアイヌの戦士。
 物心ついた頃から野山を駆け巡り、自然とそこにある神秘に親しんで成長してきた野生児だ。
 故に分かる。見てくれこそヒトの体を取っているが、本質は断じてそんなものではない。
 これは神(カムイ)だ。世界に根付いた神秘が生き物の形を取った、自然の摂理そのもの。

 だが彼らの大地に存在したものとは端的に言って格が違う。
 神秘の衰退が進行しつつあった彼の時代よりも遥か以前に誕生し、異邦の神話で猛威を奮った本物だ。
 何故こんな存在が聖杯戦争に呼び出されているのか、そこからしてシャクシャインには想像も付かない。
 命知らずにも程がある――万一にでも零落の楔が抜ければ、ともすれば現行の世界を覆うほどの事態をもたらしても不思議ではないというのに。

「ほう、なかなかの色男じゃないか。噛み癖ありそうなのが難点だがね」
「雪原の女神(ウパシカムイ)に褒めて貰えるとは光栄だね。俺も男として鼻が高いよ」

 さて、どうするか。
 シャクシャインは苛立ちながらも考える。

 間違いなくこれまでで一番の難敵だ。
 逃走は期待できず、後ろで控える魔眼の男も嫌な匂いがする。
 神と魔人。この二人を相手に、自分は足手まといを抱えながら対応しなければならない。

「――上等だ。流石にそろそろ、気兼ねなく斬れる相手が欲しかったんでね」

 獰猛に牙を剥いて、凶念にて理屈を切り捨てる。
 元より己は泣く子も黙るシャクシャイン。
 カムイも恐れぬ、悪名高きアイヌの悪童。
 イペタムを抜刀し、戦意を横溢させて受けて立つぞと宣言した。

 刹那、彼の妖刀はそれでこそだと嗤いながら斬撃を迸らせた。
 明らかに間合いの外にいる女神とそのマスターへ、距離を無視して殺到する禍津の銀閃。
 数にして数十を超える逃げ場なき殺意の鋼網を前に、やっと女神が動く。

「ははッ、景気がいいね。アギリよ、アンタも気張っとけよ?
 多少の面倒は見てやるが、手前の体たらくで死んでもアタシは責任持たないからな」
「気を張る、ね。はは。リップサービスが過ぎるんじゃないかい、アーチャー?」

 彼女の行動は単純だった。
 迫るイペタムの斬撃を、スキー板の一振りで文字通り一蹴する。
 鎧袖一触。剣戟の数だけ命を啜る筈の死剣が、ただの一撃で粉砕された。
 
 それに驚くでもなく、シャクシャインは前に出る。
 妖刀を握る手は万力の如く力を込め、その膂力を遺憾なく乗せて放つ本命の剣閃。
 技を力で補い、更に煮え滾る復讐心で異形化させた"堕ちた英雄"。
 彼の剣は理屈ではない。考えられる限り、そこから最も遠いカタチでシャクシャインという英霊は成立している。
 在るのはただ殺すこと。恨みを晴らし、思うがままに屍山血河を築くこと。
 そのためだけに偏向進化した魔剣士の剣は故に読み難く、一度でも攻勢を許せば嵐となって吹き荒れる。

 そんな彼を相手に、射撃を生業とするアーチャークラスが近接戦を挑むなど本来なら愚の骨頂。
 間合いに踏み入らせた時点で致命的と言って差し支えないのだが、しかし――

「残念だけど格が違いすぎる。赤子の手を捻るようなものだろう」

 憐れむようなアギリの台詞の通り、起きた結果は絶望的なまでに一方的だった。

492産火 ◆0pIloi6gg.:2025/06/22(日) 21:30:37 ID:GmQ3YvAM0

「うーん」

 荒れ狂うシャクシャインの剣が、一太刀たりとも通らない。
 手数でも速度でも圧倒的に劣っている筈のスカディが、手にした板を軽く振るうだけでその全撃を無為にしている。

「速さは悪くないんだが、軽いな」

 そう、あるのはただ単に力の差。
 女神の優位を成立させる理屈の正体は、彼女が持つ圧倒的な筋力にあった。
 A+ランクの筋力に加えて、巨人の外殻が持つ常軌を逸した対物理衝撃への耐性。
 この壁をシャクシャインは超えられない。如何に数と速さで勝っていても、蜂の針では象の皮膚を破れないのだ。

「まさかとは思うけど、これで全力なんて言わないよねえ」

 暫し不動のまま受け止めて、女神スカディは興醒めを滲ませて眉を動かした。
 舐め腐った物言いにシャクシャインの矜持が沸騰する。
 目に見えて斬撃のギアが上がり、ただでさえ超高速だったその剣がもはや目視不能の領域に達した。
 並の英霊であれば、自分が斬られたことにさえ気付かぬまま全身を断割されていることだろう。
 しかし相手はスカディ。アースガルドの神族達すら戦慄させ、恐怖させ、機嫌取りに奔走させた北欧きっての鬼女である。

 躍るシャクシャインの凶剣を受け止めながら、遂に女神が一歩前に出た。
 それだけで、一方的な攻撃により辛うじて保っていた均衡が崩壊の兆しを見せ始める。
 斬撃の数がただの一歩、わずかに押しに転じられただけで半減し、逆にシャクシャインが一歩後ろへ下がった。

「あんまりヌルいことやってるようなら――こっちから行っちまうよ」
「ッ……!」

 刮目せよ、女神の進撃が開闢する。
 歩数が重なるにつれ、スカディの振るうスキー板が爆風めいた衝撃で次々剣戟を蹴散らし出した。
 やっていることはシャクシャインのそれよりも更に、遥かに単純。
 ただ握った得物を薙ぎ払っているだけであり、そこには技術はおろか、殺意の類すらまともに介在していない。
 言うなれば寄ってくる鬱陶しい小虫を払うような動きで、しかし事実それだけでシャクシャインはあっさりと勢いを崩された。

 分かっていたことだが、落魄れたとはいえ神の力は伊達ではない。
 基礎性能からして違いすぎており、腹立たしいが正攻法での打倒は困難と見る。
 シャクシャインは狂おしく怒る中でも冷静に脳を回し、ならばと次の手に切り替えた。

「舐めてんじゃねえぞクソ女。輪切りにして塩漬けにでもしてやるよッ!」

 地を蹴り、加速し、場を廻るようにして縦横無尽に駆動する。
 これによって斬撃をより多角的なものに変化させ、急所狙いで必殺しようという魂胆だ。
 高速移動中の不安定な姿勢と足場では正確に剣を振るうなど困難に思えるが、そこは彼の相棒である妖刀が活きる。
 イペタムは自らの意思で敵を刻む魔剣。担い手がどんな体勢、状況にあろうとも、勝手に命を感知して迸る死剣の業に隙はない。
 
 そうして、戦場は剣の駆け回る地獄と化した。
 文字通りあらゆる角度からスカディとアギリ、二体の獲物を目掛けて凶刃が襲いかかっていく。
 眼球、首筋、蟀谷に喉笛、心臓に手足。斬られてはいけない箇所のみを徹底的に狙い澄ました貪欲の啜牙が雨となって吹き荒ぶ。
 その壮絶な光景を前に、スカディの顔にようやく微かな笑みが浮かんだ。

493産火 ◆0pIloi6gg.:2025/06/22(日) 21:31:27 ID:GmQ3YvAM0

「いいね、このくらいはしてくれなきゃ面白くない。
 ヒヤヒヤさせないでくれよ、アヴェンジャー。危うく得物要らずで終わっちまうかと思ったじゃないか」

 相変わらずスキー板で防御していた彼女が、何を思ったかその長大な盾を宙に擲つ。
 当然、無防備な姿を晒す立ち姿へとイペタムの剣戟は殺到するが――

「今日は獣によく会う。猫の次は狂犬狩りと洒落込もうか」

 次の瞬間、爆撃と見紛うような衝撃の雨霰が迫るすべてを撃滅した。
 目にも留まらぬ速さで矢を番え、放ったのだと説明して一体誰が信じられるだろう。
 少なくとも戦いを見ているしかない輪堂天梨には、とても信じられなかった。
 それほどまでに速かったし、何より、矢と呼ばれる武器が生み出す威力をあまりに逸脱していたからだ。

「そぉら、逃げろ逃げろ! アタシの喉笛を食い破るか、アンタの脳天を撃ち抜くか、根比べと行こうじゃないか!!」

 そんな矢が、惜しげもなく無尽蔵に放たれては世界を衝撃で塗り替えていく。
 もはやスタジオは原型を留めておらず、直撃を避けても無体な衝撃波がシャクシャインの全身に損耗を蓄積させる。
 チッ、と焦燥に溢れた舌打ちが響いた。根比べ自体は臨むところだが、今の彼には思う存分戦えない理由があったのだ。

「あ、アヴェンジャー……っ」
「喋るな。じっとしてろ、雑魚共」

 輪堂天梨――ホムンクルス入りの瓶を抱いて、怯えたように蹲る彼女を守らねばならない。
 スカディに相手のマスターへ配慮する優しさがあるとは思えなかったし、事実彼女の射撃は天梨の存在などお構いなしに放たれている。
 これによりシャクシャインは攻勢を維持する以上に、天梨の防衛に神経を集中させる必要があった。
 そして無論。そんな"無駄"を抱えて動く獲物は隙だらけであり、そこを見逃すスカディではない。

「ははははッ、アタシが言えたことじゃないが、サーヴァントってのは不便なもんだねぇ!
 意外とお優しいじゃないか狂犬の坊や! そんなに刺々しく荒れ狂ってても、飼い主様が傷つくのは承服しかねるのかい!!」
「よく喋る婆様だなぁッ! 今に喉笛抉り出してやるからよ、大人しく待ってろやゴミ屑がッ!!」

 辺り構わず弓を乱射する一方で、その中に狙いを定めた精密射撃を織り交ぜる。
 シャクシャインが主を守るために動く一瞬の隙を、意地悪く突くように矢が迸っていく。
 これをアイヌの狂犬は、イペタムの一振りで両断。
 そうするしかないのだったが、弓射に優れた女神を相手にそれをやった代償は大きかった。

「ッづ――」

 重い。想像を超えた衝撃に両腕の筋肉が悲鳴をあげ、ブチブチと危険な音を立てる。
 それでも意地で叩き割りはしたものの、シャクシャインがそこで見たのはアルカイックスマイルを浮かべる女神の貌だった。

 弱みを見つけた顔だ。
 どうすれば目の前の獲物を狩り落とせるか、天啓を得た禍々しい狩人の表情があった。
 本能的な怖気が走り、シャクシャインは決死の行動に出る。

「わ、っ……!?」
「掴まってろ。袖でも噛んどけ」

 天梨をホムンクルスごと抱え、そのまま再び地を蹴ったのだ。
 このまま逃げる選択肢もあったが、それは愚策と判断した。
 何故なら、屋内にいた自分達を的確に発見し襲撃してきたことへの説明が付かないままだから。

494産火 ◆0pIloi6gg.:2025/06/22(日) 21:32:19 ID:GmQ3YvAM0

「――正解だ。此処で逃走することに意味はない」
「ムカつくから喋んないでくれるかな。元を辿れば君の招いた事態だろ、クソ人形」
「貴殿の読み通り、赤坂亜切のサーヴァントは監視用の宝具を持っているらしい。
 上空彼方に不審な魔力反応が確認できる。恐らく偵察衛星のようなものだろう。
 少なくとも区内にいる限りは、奴らの追跡を逃れることは困難と見るのが賢明だ」

 ホムンクルス36号の解析能力は、輪堂天梨の魔術を受けて"成長"してからというもの明らかな高まりを見せていた。
 だから彼は気付ける。アギリのアーチャーが天に擁する、父神の双眼の存在に。
 
「……悪い冗談だな」

 馬鹿げた組み合わせにシャクシャインは苛立ちを禁じ得ない。
 強靭凶悪な狩人が、獲物の居所を探知する索敵宝具まで持ち合わせているというのだ。
 こうなるといよいよもって腹を括る必要が出てくる。
 少なくともこれまでのように、なあなあで茶を濁してどうにかできる相手ではないと判断した。

「あいつら、君を投げつけでもしたら満足するか?」
「望みは薄い。赤坂亜切は"我々"の中でも最も話の通じない殺人鬼だ」
「そうかよ。つくづくカスみたいな集団だなお前ら」

 ホムンクルスにアサシンを呼ばせたとしても、あの髑髏面では大した足しにはならないだろう。
 神との殺し合い自体は上等だが、荷物を抱えて戦うとなると話は別だ。
 非常に旗色は悪く、厳しい。そしてこの相談も、すぐに物理的な手段で断ち切られてしまう。

「作戦タイムは終わったかい?」

 スカディの剛弓が、破城鎚を遥か超える威力で閃いたからだ。
 シャクシャインは回避に専念し、身を躍らせて何とか凌ぐ。
 凌ぎつつイペタムを振るい、女神死せよと憎悪の凶刃を降り注がせた。
 だが相変わらず、成果は芳しくない。無傷で佇むスカディの姿がその証拠だ。

 弓という得物の弱点は、攻撃の合間に矢を番える動作が必ず挟まる点である。
 どんなに類稀なる使い手であっても、そこで絶対に攻撃の流れが途切れてしまう。
 されどスカディには、そんな子どもでも気付けるような弱点は存在しない。
 というより、単純に素のスペックだけで克服してしまっているのだ。
 思い切り速く番える、という子女の空想めいた所業で、実際にほぼ切れ目のない射撃体制を完成させている。

 シャクシャインが跳ねるように駆ける。
 これを時に追い、時に先回りして配置される巨人の剛射。
 天梨は目を瞑り、必死に服の袖を噛み締めて耐えていた。
 ジェットコースターの何倍も荒く激しい高速移動に相乗りしている状況だ、そうでもしないと舌を噛み切ってしまう。

(――――致し方ないな)

 忌々しげにシャクシャインは眉根を寄せ、決断する。
 瞬間、彼の戦い方が一気にその質を変えた。

495産火 ◆0pIloi6gg.:2025/06/22(日) 21:34:24 ID:GmQ3YvAM0

「ん?」

 スカディもすぐそれを見取り、声を漏らす。
 もっとも、この変化にすぐ気付ける時点で彼女の戦闘勘の鋭さは凄まじいと言えよう。

 何故なら変わったのはスタイルそのものではなく、放つ斬撃の性質だ。
 今までは剣呑そのもの、復讐者の名に相応しい殺意満点の剣戟で攻め続けていたシャクシャイン。
 しかし今、彼の剣は命を奪うよりも、相手を脅し縛るものへと姿を変えている。
 言うなれば剣の檻だ。暴れる獣から逃げ場を奪い、抑え付けて型に嵌めるやり方。スカディのお株を奪う、"狩り"の手管である。

 シャクシャインは誇りを棄てた者。堕ちた英雄、いつかの栄光の成れの果て。
 彼にとっての誉れとは殺すことであり、その過程に固執する段階はとうに過ぎた。
 だからこそ、彼が見出した活路はスカディの相手をしないこと。
 その上で、彼女もまた抱えている"足手まとい"から斬り殺して陣営を崩そうという算段だった。

「……ああ、なるほどそういうこと。まあそっちの方が確かにクレバーさね、別に否定はしないが」

 すなわち、標的はもはやスカディにあらず。
 堕ちた英雄の妖刀が狙うのはその主、赤坂亜切。
 妄信の狂人へと、怒り狂う呪われた魂が押し迫る。

 女神の矢を躱し掻い潜りながら、衝撃波の壁を蹴破って。
 いざアギリの全身を断割せんと、血啜の喰牙が襲いかかる――


「そんな浅知恵がうまく行くと本気で思ってんなら、アタシのマスターを舐め過ぎだよ」


 ――寸前で、シャクシャインの視界は一面の業火に塗り潰された。


「ッ、ぐ、ォ……!?」

 赤坂亜切は、炎を操る魔眼を遣う。
 その情報は、既に確認済みの筈だったが。

(ち――ッ、こいつは、不味い……!)

 だが火力の次元が想定を超えている。
 スタジオの壁を破って襲撃してきたあの一撃など、アギリにとっては児戯に等しいものだったのだ。
 それは彼のみならず、アギリを知る筈のホムンクルスにとっても誤算だった。

 破損した魔眼は、とうに馬鹿になっている。
 視認するだけで命を奪う必殺性も精密性も、もはやない。
 今のアギリはただ単に、己を火種として一切合切焼き尽くすだけの傍迷惑な放火魔だ。
 しかし魔眼も担い手も狂っているが故に、そこから出力される熱量はかつての彼の比でなかった。

「とくと味わえよ、ホムンクルスとその走狗ども。
 記念すべき最初の脱落者になるだろう君らには、いっとう惜しみないのをくれてやる」

 あらゆる命の生存を許さない、葬送する嚇炎の大瀑布。
 火炎でありながら激流の如く押し寄せるそれは、炎という性質も相俟って力技で押し退けるのは困難な災害だ。
 よってシャクシャインは、踵を返して退くしかない。

496産火 ◆0pIloi6gg.:2025/06/22(日) 21:34:58 ID:GmQ3YvAM0

「――よう、どこに行くんだい色男」

 しかしそんな真似をすれば、袖にされて怒り心頭な女神の殺意に追い付かれる。
 迫る炎を前にして、腕の中に要石を抱え、不自由な身で奔走するしかない憐れな狂犬の。
 
「上等だと抜かしたのはアンタだろう? なら男らしく最後まで踊ってみせてくれよ、なぁッ!」
「ごァ、がッ……!!」

 その側頭部を、スキー板の一撃が打ち据えて荷物ごと地面へ叩き落とした。
 これで今度こそ、もう完全に逃げ場はない。
 見下ろすふたり、四つの視線が、ひとつの運命の終わりを酷薄に告げる。

(畜生、が――――――)

 天梨が何かを叫んでいた。
 刹那、五体に力が漲る。
 だが間に合わない。すべては遅きに失していた。

 すべてが炎に呑まれていく。
 狂おしい熱の世界に、流されていく。
 こうして呆気なく、天使の軍勢は敗北したのだ。
 


◇◇



 息が切れていた。
 身体中が痛い。うう、と声を漏らしながらのたくるように身を捩る。
 全身から滲んだ脂汗が服と擦れて気持ちが悪い。
 這いずりながら、煤と汗で汚れた顔を拭った。
 視界が晴れる。その向こうに、誰かが立っていた。

「やあ。アヴェンジャーに感謝した方がいいよ、アイドルは顔が商売道具なんだろう?」

 声を聞いた瞬間、比喩でなく全身が総毛立つ。
 途端に焦って空を抱き、あ、あっ、と情けない声をあげた。
 我が身が可愛いからではない。腕の中に抱いていた筈の瓶が、どこかに失せてしまっていたからだ。

497産火 ◆0pIloi6gg.:2025/06/22(日) 21:35:48 ID:GmQ3YvAM0

「ほむっち……!」
「"ほむっち"? なに、君アレのことそう呼んでるの?
 笑えるなぁ。あんな根暗を捕まえて親愛を見出すなんて、もしかして君変態?
 一度でもあのへそ曲がりと絡んだら、とてもそんな気にはならないと思うんだけどなぁ」

 よれたダークスーツを着た、華奢な青年だった。
 若白髪の目立つ黒髪を熱風に遊ばせながら、糸目の底から鋭い眼差しを覗かせて天使と呼ばれた少女を見下ろしている。
 赤坂亜切。はじまりの六凶のひとりにして、ホムンクルス曰く、最も話の通じない殺人鬼。
 そんな男が今、這い蹲った輪堂天梨の前に立っていた。これほど分かりやすい"詰み"の光景が、果たして他にどれほどあるか。

「輪堂天梨。注視してはいなかったが、黙ってても聞こえてくる名前だったからよく覚えてるよ。
 いやはや、まさか天下に名高い炎上アイドル殿がガーンドレッドの人形と付き合ってるとはね。俺に言わせればすぐ股開く以上の幻滅案件だ」

 ほむっち、ほむっち――
 譫言のように呟きながら辺りを探る天梨の脇腹を、革靴の爪先が蹴り飛ばした。

「ぁ、ぐ……!」

 打ちのめされるその身体には、驚くべきことにアギリの炎による損傷がほぼない。
 煤に汚れてこそいるものの、彼の禍炎に焼かれた形跡は皆無と言ってよかった。
 理由は単純だ。炎の津波がシャクシャインを包む寸前、堕ちた英雄は己が主を文字通り投げ出した。
 彼の火の蹂躙を避け、なんとか目先の生だけは繋げた無力な娘。
 蹴りつけられた彼女の視線が、ホムンクルスに先んじて己が相棒の姿を視界に捉える。

 シャクシャインは、天梨にとって常に恐るべき存在であった。
 堕落へと囁きかける悪魔。復讐に猛り、和人を憎む疫病神。
 何度その声に心を揺らされたか、黒い炎を煽られたか分からない。
 けれど、誰も灼かない日向の天使にとっては彼もまた尊び重んじるべき隣人で。
 だからこそ……視線の先に捉えた姿には、ひゅっと息を呑むしかなかった。

「あ……ゔぇん、じゃー……っ」

 片膝を突いて、息を切らしながら、天梨の悪魔はそこにいた。
 右半身には赤く爛れた火傷の痕が痛ましく広がっている。
 銃創を作って帰ってきた時とは比にならない被弾の痕跡が、彼の逞しい身体に刻まれているのを認めた。

「心配しなくても、彼も君の友達もすぐに殺してやるさ。
 とはいえ、少しばかり興味はあってね。君、察するにホムンクルスが見出した〈恒星の資格者〉ってヤツだろう?
 いやはやまったくがっかりだよ。気に食わない連中とはいえ、まさかそこまで終わり果てた思考に至る奴がいるとは思わなかった。
 真の恒星はただひとつで次善も後進もありはしない。"彼女"を知っていながら、そんな当たり前すら分からない莫迦がいるなんて……情けなくて涙が出そうだ」

 アギリの言葉はろくに耳に入らなかった。
 痛む身体を引きずって、彼のところに這いずっていこうとする。
 その左手を、悪鬼の靴底が容赦なく踏み抜いた。

498産火 ◆0pIloi6gg.:2025/06/22(日) 21:36:44 ID:GmQ3YvAM0

「ぎ、ぃぃいいいっ……!」
「あれ、みなまで言わないと分かんない感じ? あのさ、要するにムカついてるんだよ僕」

 指が奇怪な音を立てている。
 小枝を踏み締めるような、発泡スチロールを握り砕くような。
 悶える天梨を足蹴にするアギリの顔は、恐ろしいまでに冷めていた。
 とてもではないが嚇炎と恐れられた男のそれとは思えないほどの、冷たい殺意がそこにある。

「運命っていう言葉を軽々しく使うやつは性根が卑小な屑野郎だ。
 あの日あの時あの街で、僕らは同じ奇跡に出会いそして散ったんだよ。
 言うなれば運命共同体なのさ。なのにいかがわしいまがい物に傾倒してるカスがいると来た」

 〈はじまりの六人〉とひと括りに呼んでも、彼らの信奉のかたちは多岐に渡る。
 赤坂亜切は狂信者だ。彼ほど純粋に祓葉を尊んでいる存在は他にいない。
 つまり彼こそが最右翼。他の恒星など決して許さない、地獄の獄卒だ。

「た、ぅ……け……っ」
「"たすけて"? そこは恐怖なんて感じずに、微笑んで語りかけてくるべき場面だろうがよッ。えぇ?」

 助けを乞うてしまった天梨は責められない。
 が、シャクシャインの救援は臨めない状況だった。
 スカディが目を光らせているし、令呪を使ってこれを打破しようにも、アギリの足は頼みの綱の刻印を踏み締めている。
 もし天梨が令呪を使う素振りを見せたなら、アギリは瞬時にこれを踏み砕くだろう。
 つまり、彼女は完膚なきまでに詰んでいた。
 嚇炎の悪鬼に隙はない。祓葉との再会を後に控え、最高峰に昂ぶっているアギリの脅威度は先刻の暴れぶりが可愛く見えるほどだ。

「はぁ、もういいよ君。心底興醒めだわ」

 所詮はホムンクルス、生まれぞこないの奇形児が見た白昼夢。
 みすぼらしいハリボテの神輿などこんなものだ、聖戦の前座に添える価値もなかった。
 アギリの魔眼に光が灯り始める。熱は全身に横溢し、天使に送る火葬炉を構築した。

「燃え上がるのが好きなんだろう? だったらとびきりのをくれてやる。
 僕らの光を僭称した罪、君らしく火刑で償うといい」

 まがい物の星を焼き殺したら次はホムンクルスだ。
 同じ運命に巡り会った幸運をその手で汚した罪は実に重い。
 瓶から引きずり出して、末端から少しずつ炭に変えてやろう。
 そう思いながら、いざすべてを終わらせようとして。

 そこで――

「にげ、て……アヴェン、ジャー……っ」

 アギリの眉が、微かに動いた。
 些細な違和感に気付いたように。

499産火 ◆0pIloi6gg.:2025/06/22(日) 21:37:24 ID:GmQ3YvAM0

「はや、く……。令呪を、もって、命じ――」
「させるわけないだろ」
「う、ぁ……!」

 足に力を込めて、天梨の行動を阻害する。
 既に骨のひび割れる音が明確に響き始めていた。
 だというのに、足元の娘は泣き濡れた瞳でアギリではないどこかを見ている。
 炎に灼かれて跪き、狩人の殺意に抗い続けている己が相棒だけを見つめて。

「……だめ、だよ……。こんなところで、終わったら……」

 何かよく分からないことを囀るこれに価値などない。
 早く燃やしてしまえばいい。誰より自分がそう理解している筈なのに、ああ何故。

「――――――――?」

 何故自分は、炎を出すのを渋っている?

「わたしも、あなたも……」

 この矮小な命ひとつ踏み潰すことに、何を躊躇っているのだ?

「い、やだ…………」

 死にかけの地蟲のように小さくのたくりながら、哀れな言葉が漏れる。

「しにたく、ない………終わりたく、ない………わたし、まだ…………」

 誰がどう見ても死にかけ、終わりかけの命。
 鼓動はか細く、呼吸は消え入りそうで、いっそ笑えてしまうほど。
 だというのに、存在感だけで言えば天梨は現在進行形でその最大値を上乗せし続けていた。
 膨れ上がっていく。偽りの星、燃える偶像の輝きが、臨界寸前の融合炉のように増大していくのが分かる。
 ならば尚のことすぐに殺すべきなのは明白だったが、アギリは訝るようにそれを見下ろしていて。
 
「………………なんにも、やりたいこと、できてない…………!」

 葬儀屋が晒したらしからぬ逡巡。
 それが、神話の流れ出る隙を生んだ。

「なに……?」

 アギリの口から、とうとう動揺(それ)が声になって漏れる。
 踏みしめている少女の背から、機械基盤を思わせる魔術回路が拡大した。

500産火 ◆0pIloi6gg.:2025/06/22(日) 21:38:19 ID:GmQ3YvAM0

 だが、赤坂亜切が声まであげて驚いた理由はそこではない。
 彼はそんなもの見てすらいない、目に入ってなどいない。

「馬鹿な――――あり得ないだろ、なんだこれはッ」

 アギリは天梨から足を退け、たたらを踏んで後ずさる。
 顔は驚愕に染まり、壊れたる魔眼がわなわなと揺れていた。
 信じられないものを見た、いや、"見ている"ような顔で、葬儀屋は震える口より絞り出す。

「点数が、上がっていく……! 一体、どこまで……ッ!?」

 赤坂亜切は家族に、正しくは女きょうだいというものに執着している。
 生まれる前に引き離された半身。誰を殺しても消えることのなかった喪失感。
 二十余年抱いてきた虚無感は、運命の星と出会い爆発した。
 求めるものは唯一無二の半身。アギリは常にそれに焦がれているから、運命を知った今も習性として計測を続けずにはいられない。

 すなわち、姉力と妹力。
 彼の独断と偏見を判定基準として行われる適性試験である。
 当然、輪堂天梨も女である以上強制的に試されていた。
 しかし点数は見るも無残。〈恒星の資格者〉などという分不相応な増長を見せていたことが大きな減点事由となったことは言うまでもない。
 哀れ不合格。恒星の資格なぞ、あるわけもなし。
 よって末路は焼殺以外にあり得なかったが、点数記載済みの答案用紙が光と共に書き換わり始めた。

 姉力、妹力、共に爆発的な加算を受け数値上昇。
 脳細胞が狂乱し、心臓は瞬間的な不整脈さえ引き起こす。

(見誤ったってのか、この僕が……?!)

 神寂祓葉以外に、己の半身は存在し得ない。
 そう信じながらも、何故か止められなかった姉/妹の判定作業。
 祓葉こそは至高の星で、その資格を他に持つ者などいる筈がないと断じた言葉がブーメランになって矜持を切り裂く。

 誰より激しく祓葉に盲いた彼だからこそ衝撃はひとしお。
 真実、この都市で負ったどの手傷よりも巨大な一撃となってアギリを打ち据えていた。
 
 されど、天梨はそれを一瞥すらせず。
 地に臥せったままの状態で、両手を突いて復讐者を見つめる。
 広がる羽は神秘を体現し、聖性のままに少女は祈る。
 ただし、それは――――


「あ、ゔぇん、じゃー……」


 痛い。苦しい。
 死にたくない――まだ終わりたくない、こんなところで。

501産火 ◆0pIloi6gg.:2025/06/22(日) 21:39:13 ID:GmQ3YvAM0

 それは少女にとって、生まれて初めて抱く我欲だったのかもしれない。
 輪堂天梨は一種の破綻者だ。玉石混交の人界を生きるには、彼女はあまりにも優しすぎる。
 シャクシャインという憎悪の化身を従えながら、一ヶ月に渡り変心することなく耐えられていた時点で異常なのだ。
 不幸だったのは、そんな素質を持ってる癖に、心だけは人間らしい柔らかなものを持っていたこと。
 だから誰かの助言がなければ、自分のために怒るということすらできなかった。
 自分が感じた不服を言葉にして表明することを"大きな一歩"と思えてしまうほどに内省的な少女。
 そんな彼女は本物の死に直面し、此処でまたひとつ、人として当然の感情を知ることができた。


 "死にたくない"。
 "終わりたくない"。

 
 輪堂天梨にとって、此処数ヶ月の人生は悲しみと恐怖に満ち溢れたものだったけれど。
 それでも、いいやだからこそ、今日という一日は本当に楽しかったのだ。
 だってライバルができた。対等に話し合える素敵な友達ができた。
 死んでしまったら、もう戦えない。終わってしまったら、もう話せない。

 そして――大嫌いでしょうがない自分のために、あんなボロボロになって戦う彼を救ってあげることも、もうできない。

 最初は、怖くて怖くて仕方なかった。
 事あるごとに殺せ殺せと囁いてくるのは鬱陶しかった。
 だけど、過ごしている内に分かってきた。
 その深海よりも深い憎悪の沼の底には、きっとそれよりも尚底の知れない"哀しみ"があることが。

 地獄には堕ちたくない。
 天使のままで、生きていたい。
 でも、ああでも、すべてを失ってしまうのならば。

 運命も、友も、相棒も、夢も、何もかも此処で炎の中に溶けてしまうというのなら……


「いいよ……」


 抱いた決意が、悪魔との決戦で萌芽した超然を遥かの高みに飛翔させる。
 淡く輝く回路の翼が、刹那だけ、赤色矮星を思わす極光を放つ。
 彼女は誰も灼かない光。愛されるべき光。その在り方が歪めばすなわち、光は封じられていた第三のカタチを取り戻す。

 光とは照らすもの。
 温め、癒やすもの。
 ――灼き尽くすもの。


「あなたのために、そして……」


 ううん。
 それだけじゃない。

 嘘は吐きたくなかった。
 だって今、天使(わたし)の中にあるのは思いやりだけじゃない。
 ぐるぐると渦巻いて、封じ込められてた黒色が終わりを拒む願いと共に回路へ混ざる。
 


「私のために――――――――燃やして、全部」



 告げられた言葉と共に、いざ、都市(ソドム)の定石は変転した。


「【受胎告知(First Light)】」


 聖然とした祈りが、ただひとりの相棒のために捧げられる。
 彼は剣。天使を蝕みながら、しかし同時に守る懐剣だ。
 少女が初めて、天/己の意思として彼へ捧げたその祈りは。
 光景の神聖さとは裏腹の、禍々しい災害を呼び出した。



◇◇

502産火 ◆0pIloi6gg.:2025/06/22(日) 21:39:59 ID:GmQ3YvAM0



 スカディの眼が、明確にその色を変える。
 圧倒的優位に立ち、目の前の主従を殺戮する筈だった女神が今。
 たかだか島国の片隅で生まれ落ちた狂戦士を前に、確かな危機の気配を感じていた。

「――つくづく面白い街だねぇ。どいつもこいつも驚かせてくれるじゃないか」

 膝を突いていた復讐者が、目の前で緩やかに立ち上がる。
 彼の総身からは、炎が立ち昇っていた。
 アギリのような赤く燃える紅蓮ではない。
 絞殺死体の鬱血した死に顔を思わせる、毒々しい真紫色。
 しかし近くで見ると、その表現もまた間違いだと分かる。
 様々な色の絵具を混ぜると黒に近付いていくように、数多の毒や病が混合し絡み合った結果たまさか紫色に見えているだけに過ぎない。

「死毒の炎か。しかもそれ、自分を火種に生み出してるね。
 ウチのアギリと同じ原理だが……驚きを通り越してちょっと引いちまうよ。
 如何に英霊とはいえ、人間のたかだか延長線。そんな霊基でよくその地獄に耐えられるもんだ」

 人間を殺すには過剰と言っていい死の毒。
 体内を今も駆け巡るそれが、炎となって立つ魔力に滲み出しているのだ。
 当然、扱う側は地獄と呼ぶのも生ぬるい苦痛に襲われる筈。
 
 なのに二本の足で立ち、剣を握り締める堕英雄(シャクシャイン)の姿に翳りはなく。
 その姿をスカディは惜しみなく、勇士として称賛する。

「敵ながら天晴だ。形はどうあれ好きだよ、そういう雄々しさってヤツはね」

 惜しみない喝采を送り、そして殺そう。
 刈り取ってやろうと笑う女神に対し、青年は静かだった。

「さあ来なよ、アヴェンジャー。お姫様の望み通り、存分に狂犬の勇壮を――」
「ごちゃごちゃうるせえ」

 一蹴と共に、俯いて隠れた目元から紫炎の眼光が鈍く煌めく。
 燃え盛る蝦夷の産火は、祝い事とはかけ離れた憤怒の一念に燃えていた。
 ザ、と動く足。一歩前に出るそれだけで大気が死に、彼の炎に中てられていく。

 望んだ瞬間、その筈だ。
 輪堂天梨が自らの意思で破局を望み、己に悪魔たれと希う日をずっと待ちかねていた筈だった。
 なのに何故だ、苛立ちが止まらない。
 脳の血管が比喩でなく何本も千切れているのが分かるのに、それと裏腹に思考はクールでさえあった。
 それは彼が今抱く感情が、不倶戴天の敵である和人達へ向けるのとは意味の違う怒りであることを物語っている。

503産火 ◆0pIloi6gg.:2025/06/22(日) 21:40:37 ID:GmQ3YvAM0

「俺は今、最悪に機嫌が悪いんだよ」

 ああ――認めよう。最悪の気分だ。
 待ち侘びていたご馳走に、目の前で泥をぶち撒けられたように心が淀んでいる。

 これは俺と彼女の対決だ。
 そこに割って入った無粋な異人ども。
 こいつらの手で、火は灯されてしまった。

 天使は穢されたのだ。
 願い求めた純潔から滲む破瓜の血が、今全身を駆け巡りながら己に力を与えていると考えるだけで腸が煮えくり返る。
 要らないことを吹き込んだホムンクルスにも、対抗馬気取りで意気がっている悪魔の少女にも腹は立っているが、目の前のこいつらに対するのはその比でない。
 そして何より腹が立つのは――輪堂天梨をそうさせた祈りの中に、自分への哀れみが含まれていたその事実。

 契約で繋がれたふたり。
 だからこそシャクシャインには、分かってしまった。
 天梨の背中を押した最後のきっかけは、みすぼらしく傷ついた自分の姿であると。

 彼女は和人だ。憎むべき、恥知らずどもの末裔だ。
 その中でひときわ大きく輝く、稀なる娘だった。
 殺すのではなく、穢さねばならないと思った。
 この光を失墜させることができたなら、それ即ち大和の旭日を凌辱したのと同義だ。
 天使を堕とし、聖杯を奪取して、すべての和人を鏖殺して死骸の山で哄笑しよう。
 そうすればこの胸の裡に燃える黒いなにかも、少しは安らいでくれるだろうから。

 だから囁いた。
 幾度でも悪意をぶつけ、地獄へ誘って嗤ってきた。
 天使を堕落させるのは、かつて和人(こいつら)に穢された自分の声であろうと信じて。

 そうしてようやく踏み出させた最初の一歩が、これだ。

 無様に焼かれ、痛め付けられ、地に跪いた自分の姿が。
 そんな生き恥が、これまで手がけてきたどの工程よりも強く天使の背を押した。
 念願は叶った。輪堂天梨は他の誰でもない自分の意思として、俺に命を燃やせと命じたのだ。


「――――ふざけやがって。てめえら全員、欠片も残らず焼き滅ぼしてやる」


 生涯二度目の屈辱に狂鬼の相を浮かべ、シャクシャインは炎の化身と成った。
 それこそ赤坂亜切の戦闘態勢のように、全身から紫の毒炎を立ち昇らせて。
 あらゆる負傷と疲労、痛みと理屈を無視し、雪原を汚染する猛毒の写身として立ち上がる。

504産火 ◆0pIloi6gg.:2025/06/22(日) 21:41:53 ID:GmQ3YvAM0

 泣き笑いのように祈る声を覚えている。
 いいよ。燃やして。あなたのために、私のために。
 違う。俺が望んだのは、こんな情けない運命などではない。
 死ぬほど腹が立つのに、その何倍も遣る瀬なくて。それが怒りを止めどなく膨れ上がらせていく負の無限循環。

 魔剣の刀身さえもが、死毒の業火に覆われる。
 地獄の魔神めいた姿になりながらも、彼の姿はどこまでも雄々しく勇猛だった。
 当然だ。これは善悪、害の有無で区別するべきモノに非ず。
 目の前のスカディがいい例だ。雪原の女神は矜持を持つが、しかし足元の犠牲になど気を配らない。
 醜悪であり美麗。禍々しくも雄々しく、灼熱(あつ)いのに冷たくて、悍ましいのにやけに哀しい。
 人智を超えた者はどこかで必ず矛盾を孕む。衆生を救う慈悲深い人外が、捧げられた生贄を平然と平らげるように。

 だからこそ、ヒトは彼らを畏れた。
 そしてかの北の大地では、畏怖と敬意を込めてこう呼んだのだ。

 神(カムイ)、と。

「……相分かった。君が望むなら、魅せてやろう」

 英雄・シャクシャインは裏切りの盃に倒れた。
 気高い勇姿は醜く穢され、もう戻ってくることはない。

 これは悪神だ。
 ヒトから自然の世界へと召し上げられた祟り神だ。
 神性など持たずとも、彼の在り方、その炎は彼がそうであることを力で以って証明する。

「しかと見ろ。見て、その網膜に焼き付けろ」

 ――――ああ。
 俺は、本当に美しいものを見た。

 認めよう。
 お前は、この薄汚れた大地を踏みしめる誰よりも美しい。

 ホムンクルスの言葉は、実際正しいよ。
 君はもっと怒っていいし、呪っていいだろ。
 なのになんでそうやっていつまでも笑ってられるんだ。
 〈恒星の資格者〉。奴らのノリに乗るのは癪だが、確かに言い得て妙だろうさ。
 少なくとも俺は、君以上に星らしい在り方をした人間を知らん。

 そしてだからこそ俺は、君に勝たなきゃいけない。
 そうでなくちゃ俺の魂は、決して報われないんだよ。
 故にしかと見ろ。そして焼き付けろ。
 美しい君に、ずっと魅せたかった己(オレ)の憎悪のカタチ。

「これがお前の絶望――」

 目の前の女神などどうでもいい。
 すべては塵芥。殺し排するべき虫螻の群れ。
 いつも通りだ。でもその中で、相変わらずひとりだけが眩しかったから。
 他の誰でもない宿敵(きみ)へと、俺は告げよう。

 地獄の底から、天の高みまで貫き穿つほど高らかに。
 されど思いっきり、見るに堪えず目を潰したくなるほど醜悪に。



「――――メナシクルのパコロカムイだ」



 刹那、穢れたる神は君臨した。

505産火 ◆0pIloi6gg.:2025/06/22(日) 21:42:42 ID:GmQ3YvAM0
 暴風のように吹き抜ける、死毒の炎。
 あらゆる悪念を煮詰め醸成したような高密度の呪詛が、高熱を孕んで炸裂する。

 『死せぬ怨嗟の泡影よ、千死千五百殺の落陽たれ(メナシクル・パコロカムイ)』。
 シャクシャインの第二宝具。すべての誉れを捨て、沸き立つ憎悪に身を委ねた復讐者の肖像。
 
 女神、狂人、上等だ。
 もの皆纏めて滅ぼしてやる。
 お前らすべて、この憎悪(ほのお)の薪になれと。
 撒き散らされる破滅の嚇怒と共に、天使の剣が唸りをあげた。



◇◇



「ッ、ぐぅ――――!?」

 次の瞬間、まず響いたのはスカディの驚愕の声だった。
 咄嗟に受け止めたスキー板、それどころか握る両腕さえも軋みをあげる。
 想像の数倍に達する膂力で振るわれた魔剣の斬撃が、彼女に初の後退を余儀なくさせた。

 苦渋に、引き裂くような笑みを浮かべる女神だが。
 穢れたる神(パコロカムイ)はお怒りだ。
 その間にも彼の妖刀は、目視し切れない数の後続を用立てていた。
 四方八方、百重千重。隙間なく殺到する剣戟の火花がスカディの肌を裂く。
 刹那、押し寄せる激痛は先刻受けた〈天蠍〉の毒にも何ら劣らない壮絶なものだった。

 血液を、細胞を、筋肉までもを一秒ごとに毒の塊に置換されている気分だ。
 いやそれどころか、不変である筈の神の玉体が腐り落ちていく感覚さえある。
 これが比喩で済むのは、ひとえに彼女が神霊のルーツを持つ存在だからに他ならない。

「や、る……ねぇッ!」

 スカディは反撃の矢を放ち、とうとう本気のヴェールを脱いだ。
 威力は据え置き、だが狙いの正確さと弾速が先の倍を超えている。
 先ほどまでのシャクシャインなら、為す術もなく早贄に変えられていただろう。
 だが。

「邪魔だ」

 シャクシャインはこれを、刀の一振りで叩き落とした。
 余波で生まれた炎が、イチイの矢を瞬く間に汚染された黒炭へと変えていく。
 膂力も、放つ魔力も、いいようにやられていた時の比ではない。

506産火 ◆0pIloi6gg.:2025/06/22(日) 21:43:34 ID:GmQ3YvAM0
 スカディの眼は、彼に起きている変化の正体を正確に看破する。
 気合? 根性? 違う、断じてそんな浮ついた話などであるものか。
 アイヌの堕英雄を文字通りの神に達する域まで高めあげている道理の正体。
 それを彼女が理解すると同時に、その片割れの声が上ずって響いた。



「君が、やったのか……?」

 アギリの眼には、シャクシャインのステータスが見えている。
 端的に言って別物だった。あらゆる数値が劇的に上昇し、その霊基が今や神代に出自を持つ己が女神に比肩し得る性能に達していると告げている。
 詰みを覆し、互角の状況にまで押し返した劇的なまでの逆転劇。
 なまじ"こういう光景"に覚えがあるからこそ、アギリは動揺も狼狽も隠せない。
 そう、彼だけは決して素面でなど受け流せないのだ。
 祓葉へ誰より強く懸想する彼が――そのデジャヴを無視できる道理はないから。

 対する天梨は、息を切らしたまま、朦朧とした眼差しでシャクシャインの戦いを見つめていた。
 そこに宿る感情の意味を理解できるのは彼女だけ。
 薄く涙を滲ませたままの瞳で、這い蹲ったまま、翼を広げて自らが招いたちいさな破局を観る。

「……………………ごめんね」

 意識があるのかないのかも判然としない口が零した声に、アギリは背筋の粟立つ感覚を禁じ得ない。
 悪寒。高揚。それとも別な何かか。分からないし、分かってはいけないと思った。
 理解してしまえば帰れなくなるというらしくもない後ろ向きな予感が込み上げた瞬間、葬儀屋は舌打ちと共に回路を駆動させる。

 冷静になれ、こんなまやかしに惑わされるな。
 至上の光はただひとつ。奉じるべき星もただひとつ。
 なればこそ、目の前の得体の知れない何かは塵として燃やし葬るべきに決まっている。
 そう考えるなり、アギリはすべての傲りを捨てて破損済の魔眼を輝かせた。
 刹那起動するブロークン・カラー。覚醒したとはいえシャクシャインはスカディの相手で忙しく、無力な少女を守れる余力はない。
 よって生まれたての光はそれ以上強まることなく焼き尽くされる……その予定調和に否を唱える声がもうひとつ。


「――――解析、並びに介入完了。
 もう一度言うぞ、"見違えたな"。以前の貴様ならば、私ごときに介入を許すほど愚鈍ではなかったろうに」


 己の口で紡がれた、無機質な声。
 共に、今まさに天使を焼き尽くさんとしたアギリの魔眼が誤作動を起こす。
 次の瞬間、彼を襲ったのは回路の熱暴走とそれがもたらす激痛だった。

507産火 ◆0pIloi6gg.:2025/06/22(日) 21:44:20 ID:GmQ3YvAM0

「ッづ……ぉ、ぉおッ!?」

 ホムンクルス36号は自発的に魔術を行使できない、そういう風に造られた存在だ。
 だが解析に関しては元々、生半な魔術師を凌駕する機能性を秘めていた。
 だからこそ煌星満天を見初めた正真の悪魔の嘘も見抜けたし、彼らとノクト・サムスタンプの内通も見抜くことができたのだ。

 そんなホムンクルスは既に、天使の光を浴びている。
 彼の生みの親が許す筈もない"成長"すら果たした彼の機能は、ガーンドレッドの小心を超えて拡大していた。
 解析能力。それに加え新たに得たのは、解析したモノに対して自らの思考を挟み込み、介入し掻き回す情報侵食(クラッキング)。
 ガーンドレッドのホムンクルスは無垢にして無能。前回を経験しているからこその先入観が、嚇炎の悪鬼に隙をねじ込む。

「が、ぁ……! てめえ……クソ人形……ッ!」
「貴様といいノクト・サムスタンプといい、ある意味感謝が尽きんよ。
 サムスタンプは憎悪を教えてくれたが、貴様も私に感情を教えてくれるのか。
 ああ。実に、実に胸がすく気分だ。友が宿敵を驚かせ、唸らせる光景というのは――悪くなかったぞ」

 本来、一級品の魔眼は簡単に介入などできる代物ではない。
 だが赤坂亜切の魔眼は既に壊れている。
 破綻し、崩壊し、売りだった精密性をすべて攻撃性に回した成れの果てだ。
 直接戦闘を可能にした代わりに、精彩を著しく欠いたブロークン・カラー。
 他者加害の形に最適化された宝石は、対価として拭えぬセキュリティホールを抱えた。
 だからこそホムンクルスの一矢は成ったのだ。魔眼の無力化とまでは流石に行かずとも、これで少なくとも向こう数分の間は、アギリはまともに嚇炎を遣えない。

「善因善果、悪因悪果。
 仏の教えに興味などないが、なるほどそういうこともあるらしい。
 年貢の納め時だ、赤坂亜切」

 ホムンクルスは悪意を識らぬ。
 だが、今の彼の言葉は限りなくそれに近かった。
 競い合い、殺し合った旧い敵に向けるこれ以上ない意趣返し。

「我々の勝ちだ。妄信の狂人よ、せいぜい地獄から我らの聖戦を見上げて過ごすがいい」

508産火 ◆0pIloi6gg.:2025/06/22(日) 21:45:07 ID:GmQ3YvAM0



 ――スカディとシャクシャインの激突は、早くも最高熱度に達しつつあった。
 圧倒的な性能で上を之かんとするスカディに、追い越さんばかりの勢いで喰らいつくシャクシャイン。
 放たれる弓を、振るわれる暴力を、万物万象死に絶えろと祈る死毒の炎が穢し抜くことで撃滅する。
 さしものスカディも、こうなってはもう不動を保てない。
 頻繁に位置を変え、時に前進し時に後退しながら、天使の祈りを授かって躍る穢れたる神と息の詰まるような交戦を続けていた。

 死と死、殺意と殺意の応酬。
 飛び交う一撃一撃が比喩でなく致死。成り立つ筈のない交戦を、天使の加護と復讐者の執念が可能とさせている。
 【受胎告知(First Light)】。それは一言で言うなら、彼女が既に覚えていた感光(コーレス)の強化形だ。
 与える加護の範囲を絞る代わりに、等しく照らすのとは次元の違うレベルの強化を与える。
 それが、アイヌの堕英雄が北欧の巨人女神と互角に殴り合うという異常事態を成立させる理屈の正体だった。
 
 勝って、負けないで、生きて、笑って――
 あらゆる祈りが一点に束ねられ、祝福となって突き動かす。
 何も灼かず傷つけないという、元ある天使の在り方から"一歩"踏み出した光のカタチ。
 
 恒星の熱量を有する器が放つ本気がどれほど強いかは、神寂祓葉を知る者なら誰でも理解できるだろう。
 そこに理屈はあるが、限界はない。
 言うなれば究極の理不尽だ。彼女たちは世界に散りばめられた神明の器。抑止力さえ認める、世界を如何様にでもできる素質の持ち主。
 輪堂天梨はこの時、他の候補者に先んじてその可能性を体現していた。
 パコロカムイの炎は、その猛毒は、神をも穢す熱となって巨人の暴威と真っ向から拮抗し続けている。

「熱いね、アツいねぇ――――唆らせるじゃないか、もっと猛ろよおいッ!」
「黙れ、死ね。喋るな糞が、今すぐハラワタ穿り出して踏み潰してやる」

 雪と炎。真の神性と偽神の瞋恚。
 ぶつかり合う度に景色が、背景に変わって散っていく。
 スカディは毒に、シャクシャインは暴力に冒されているが共に気になど留めない。
 
 剣と矢。
 自然を、世界の理を知るふたりが共に最短距離で殴り合う。
 地面を、周囲を、微塵に砕きながら冷気と熱気を入り混じらせる。
 片や腐敗。片や狩猟。死と生は共に相容れず、だからこそ戦況の過熱に歯止めは存在し得なかったが。

 ことこの状況に限って言うならば、その手段を持っているのはホムンクルスの側だった。


「……チ。間に合わなかったか」


 言葉とは裏腹に、どこか歓迎するように笑うスカディ。
 次の瞬間、彼女の右手は飛来した一本の矢を掴み取っていた。

「呆けてんなよアギリ。今度こそ気引き締めな」

 そう、彼女だけはこの狩りに時間制限があることを認識していたのだ。
 『夜天輝く巨人の瞳(スリング・スィアチ)』。
 広範囲の索敵機構である第一宝具を持つスカディは、最初からこの場所に向け移動してくる英霊の姿を認めていた。

509産火 ◆0pIloi6gg.:2025/06/22(日) 21:45:45 ID:GmQ3YvAM0

 それまでにシャクシャインを狩ってホムンクルスを討つ算段だったが、結果はご覧の通り。
 天梨の祈りと、これがもたらしたシャクシャインの覚醒。
 怒り狂う狂獣に手を拱いている内に、いつの間にかタイムオーバーを迎えてしまったらしい。
 時間超過の代償は嵐。遠くの方に浮いていた黒雲は、災いの風を運んでくる。

「さもないと、アンタでも余裕で死ぬぞこりゃ」

 からからと笑う声が響いた刹那。
 ビル群の隙間を縫いながら、百では利かない数の剛矢がアギリとスカディの両者に殺到した。

 苛立たしげに眼を押さえ、血涙を流すアギリが飛び退く。
 スカディが矢を放ち、彼を狙った矢雨をねじ伏せた。
 射撃の精度は彼女から見ても一級品。一撃一撃の威力なら自分には到底及ばないが、精度なら上を行くだろう。
 いやそれよりも。この矢に宿る、神核を震わせるような威圧感と荘厳さは……

「ほぉう。今度は本物か」

 神。シャクシャインのような贋物とは違う、正真正銘の高き者。
 スカディが看破するや否や、羽々矢の主は颯爽と炎の覆う戦場に参上した。

「――――おい、ホムンクルス」

 上品だが身軽そうな直衣。
 少年でも少女でも通るような、中性的で、雄々しくも美しくもある絶世の美貌。
 片手に握るは天界弓。相手がスカディだから相殺を許しただけで、余人ならば防ぐこともままならない名うての剛弓だ。
 これを持って地上に下り、かつ同族殺しの素質を持つ神など長い日本神話の中でもひとりしか居ない。

「時間も暇もない。迂遠なのは避けて、端的に答えよ。
 どういう状況だ?」

 高天原より天下りて、荒ぶる地祇の平定を仰せ遣った天津の一柱。
 天若日子――その見参である。

 しかし状況は、ひと目では理解できないほどに混沌としていた。
 待ち合わせ場所は火災現場と化しており、己の矢すら容易く凌ぐ異邦の神がいる。
 かと思えば、悍ましい毒色の火を爛々と輝かせて狂奔する見知らぬ英霊も見受けられる。
 "案内人"の指示に従って前者を狙撃したはいいが、どちらが敵か味方かも判然としない状況だった。
 問うた相手は、地面に転がって薬液の中で揺れているホムンクルス。いまいち信用ならない同盟相手。
 天若日子の問いを受け、ホムンクルス36号は注文通り、なるだけ簡潔に、それでいて不足なく回答した。

「あの巨女とダークスーツの男が敵だ。
 アンジェリカ・アルロニカに渡した資料は見ているな?
 奴は赤坂亜切。私と同じ〈はじまりの六人〉のひとりで、中でも最も凶悪な男。
 対話の余地はない。貴殿の主義を考えて助言するなら、何をおいても討つべき相手だ」
「分かった。今はそれでいい」

 神の双眸がアギリを見据える。
 チッ、と嚇炎の悪鬼が舌打ちをした。
 次の瞬間、彼を狙う矢が音さえ引きちぎって迸る。

510産火 ◆0pIloi6gg.:2025/06/22(日) 21:46:23 ID:GmQ3YvAM0

「アーチャー!」
「やれやれ、世話の焼ける餓鬼だね」

 もっとも、容易くそれをやらせるスカディではない。
 地を蹴るなり、神獣もかくやの速度で射線上に割って入り。
 スキー板の一振りで、天界弓の凶弾を粉砕した。

「お、なかなか美形じゃないか。惜しいね、もう少し大人びてたら"アリ"だったんだが」
「光栄だが、慎んでお断りしよう。操を立てた妻がいるのでな」

 互いに弓手同士。
 弓手といえば距離を取り合って、互いに技を競いながら殺し合うもの。
 しかしそんな常識は、この二柱の神の前では通用しない。

 先に仕掛けたのは天若日子。
 野猿もかくやの身のこなしで跳び、空中で矢を放ちながら微塵も精度を落とさない。
 受けて立つのはスカディ。
 剛力任せに矢を払いながら、一瞬未満の隙で彼女も矢を射り天津の神と拮抗する。
 牛若丸と弁慶の戦いをなぞるが如き、敏の究極と剛の究極のせめぎ合いであったが。
 無論――戦の美しさだの流儀だの、そんな些事を気に留める"彼"ではなかった。

「何処見てやがる糞婆。てめえの相手はこの俺だろうがぁッ!!」

 狂炎・シャクシャインは、流れ弾が身を掠めるのも厭わず堂々とふたりの間を引き裂き乱入した。
 途端に敵も味方もなく、己が肉体を起点として死毒の炎を放射状に爆裂させる。

「ッ……! おい貴様、味方ではないのか!?」
「あっはっはっは! その手の配慮を期待するのは無理筋だよ、若いの。こいつはとびっきりの狂犬なのさ!」

 敵? 味方? 知るかそんなものどうでもいい。
 殺す。燃やす。引き裂いてしまえばすべて同じだろうがと、穢れたる神は傲慢に宣言していた。
 それに、天若日子は彼が憎み恨む大和の神。
 その時点で穏当な判断は期待できない。結果、事は三つ巴の様相をさえ呈し始める。

「ああくそ、あやつらと絡むといつも面倒が待っているな!
 言っておくが加減はできん。巻き込まれて死んでも文句は言うなよ、紫の!」
「こっちの台詞だ。死にたくなけりゃ離れてろ、大和の腐れ神が」
「――ッくくく! ああ愉快だね、これでこそ座から遥々呼び出されてやった甲斐があるってもんだ!」

 大和の神が、八艘飛びよろしく躍動しながら害滅の天意を降らせ。
 蝦夷の悪神が、野生めいた直感でそれを掻い潜りつつ呪いの火剣を荒れ狂わせ。
 そして北欧の女神が、圧倒的な力だけを武器に己に迫る天地両方の瞋恚を涼しい顔で薙ぎ払う。
 まさに神話の戦い。これぞ聖杯戦争。造物主が生み出した仮想の都市にて、三柱の神が燦然と乱れ舞っていた。

511産火 ◆0pIloi6gg.:2025/06/22(日) 21:47:17 ID:GmQ3YvAM0


「はぁ……はぁ……ッ。やってくれるじゃないか、ホムンクルス……!」

 その光景を見つめながら、アギリはようやく機能の戻り始めた魔眼の血を拭う。
 よもやあんな形で一杯食わされるとは思わなかったが、あくまで一時的な不調に過ぎない。
 猫だましを食らったようなものだ。魔眼を封じられ、一般人同然に堕した時は本当に心胆が凍ったが、乗り越えてしまえば笑みを浮かべる余裕も戻ってくる。

「癪だが……認めてやるよ。
 ガーンドレッドの引きこもりが、ずいぶん油断ならない敵になったもんだ……!」

 むしろ――アギリを最も焦らせたのは、彼が見出した〈恒星の資格者〉の方だった。
 輪堂天梨。己の目の前で、"彼女"に迫るほどの劇的な可能性を魅せた美しい少女。
 天梨が翼を広げながら、天使のように祈る姿が今も瞼に焼き付いて離れない。
 敗北感さえあった。祓葉を至上と、唯一無二の半身と認めた自分が、彼女以外の誰かに魅入られかけたのだ。
 姉力、妹力、共に超絶の高得点。あんなただの片鱗でさえ、歴代第二位の成績を記録したダイヤの原石。

 もしも。
 もしもあの天使が、真にその翼を広げてしまったならば。
 それを目の当たりにした自分は、どれほどの感動と衝撃に貫かれるのか。
 考えただけで恐怖が募る。そう、赤坂亜切は恐怖していた。同時に、蛇杖堂寂句が何故自分にあんな質問を投げてきたのかを理解した。

 ――〈恒星の資格者〉について、貴様はどう考えている?
 ――貴様は、そんなモノが存在すると思うか?
 ――いや。存在し得ると思うか?

 要するにあの老人は、恐ろしかったのだろう。
 怒りさえ覚える荒唐無稽。だが、なまじ本物を知っているからこそ拭えない不安。
 "神寂祓葉という極星は何も唯一無二などではなく、あれに比肩する可能性の卵もまた存在しているのではないか"
 "ただ、目覚めていないだけで。そうなるためのきっかけに出会っていないだけで"
 ……小心と笑う気には、もはやなれなかった。
 笑えるわけがない。何故なら自分は、その実例に遭遇してしまったのだから。

「君は殺すが、少しは敬意ってやつを込めてやってもいい。
 お姉(妹)ちゃんに未知を魅せたいその気概、しかと見せてもらった」

 血涙の痕を顔に薄く残しながら、赤坂亜切は歩み始める。
 魔眼が鳴動し、再び彼の魔術回路に熱を灯す。
 さっき介入を食らったのは、やはり隙があったからだろう。
 輪堂天梨という未知を前に忘我の隙を晒してしまった、だから付け込まれた。よって同じ轍は踏まない。

 今度こそ一寸の油断もなく、完璧な葬送を執り行ってやる。
 間隙の消えた放火魔は今度こそ最大の脅威として、巻き返した筈の戦況に投下される。
 だが。

 赤坂亜切は、まだ完璧には理解していない。
 ホムンクルス36号が何故、我々の勝ちだと言ったのか。
 その答えが今、再起した悪鬼の前に示された。


「そうかい。大将にはちゃんと伝えとくよ」


 ぱぁん。
 そんな、軽い音がして。

512産火 ◆0pIloi6gg.:2025/06/22(日) 21:48:26 ID:GmQ3YvAM0

「…………なに?」

 アギリは、自分の頬に熱感が走るのを感じた。
 それだけで済んだのは、たまたまだ。運が良かっただけ。
 拭えば、そこには涙ではない血糊がべっとり貼り付いている。
 すぐに起きたことを理解して、振り返りざまに炎を放った。
 放たれた紅蓮は、ただちに下手人の全身を炎で巻く。
 悲鳴をあげながら崩れ落ちていったのは、どこにでもいるような、草臥れた顔の中年男性だった。

 なのにその手には、拳銃が握られている。
 装いも雰囲気も、とても"殺せる"側の人間とは思えないのに、持っている得物だけがひどくアンバランス。
 不可解が、鍵になって記憶の引き出しを開かせる。
 まさか――思った瞬間、アギリは怖気と共に地を蹴っていた。

 赤坂亜切は殺し屋だ。
 殺し殺されの世界に深く精通しているが故に、彼は殺気や迫る死の気配に敏感である。
 にもかかわらず掠り傷とはいえ不覚を許した理由は、そこに殺気と呼べるものが存在しなかったから。
 まったく殺気を出さずに事へ及べる人間は、それすなわち超人に等しい。
 ほいほいと産まれる存在ではない。だというのに、またも銃声が鳴った。ただし今度は、無数に。

「く、っ……!」

 殺気がない。あるべきものがない。
 人の意思というものが、此処には介在していない。
 下手人は探すまでもなかった。火事場を遠巻きに眺める野次馬達、そのすべての手に拳銃が握られている。
 そう、"すべてに"だ。主婦、サラリーマン、老人、子供……文字通り老若男女あらゆる人種が当たり前のように帯銃した上で、殺気を出さず仕掛けるという超人芸を披露しているのだ。

「――アーチャー! 退けッ!!」
「あぁ? なんだいだらしないね。こっちはせっかくイイところだってのに」
「緊急事態だ。頭なら後で下げるから、僕の援護に全力を注いでくれ……!」

 かつての東京と、今目の前にある仮想都市の景色が重なる。
 自分も、イリスも。蛇杖堂もガーンドレッドも、あのハリー・フーディーニでさえまったくの無視とはいかなかった"最悪の脅威"。
 文字通り都市ひとつを手駒とし、自分以外誰も信用できない疑心暗鬼の世界を作り出した英霊。

 よもやとは思うが、こうなってはもう否定などできなかった。
 これが出てきた以上、戦場で丸腰の姿を晒すなど自殺行為に等しい。

「……懲りずにまた地獄から這い出てきたか、ハサン・サッバーハ……!」

 〈山の翁〉。前回では、ノクト・サムスタンプの秘密兵器だった百貌の暗殺者。
 人心を操るその御業は百万都市・東京という舞台において、この上ない脅威として悪名を轟かせた。
 元凶であるノクトを含めて、前回の戦いを知る人間の中で彼を軽んじる者はいないと断言できる。
 アギリに言わせれば悪夢であった。二度とお目にかかりたくないあの暗殺者が、よりによって不倶戴天の一角であるホムンクルス36号の走狗として再び顕れているというのだから。

 主の命令に渋々従い、スカディは最前線を離れて彼の傍に戻る。
 放った矢は立ち並ぶ"人形"達をすぐさま鏖殺したが、それでも油断の余地はない。
 斯くして混沌の戦場は、一旦の小休止を迎えた。

513産火 ◆0pIloi6gg.:2025/06/22(日) 21:49:17 ID:GmQ3YvAM0


「どうした? 笑顔が曇っているぞ、赤坂亜切」
「驚かされたのは否定しないがね。勝ちを気取るにはまだ早いだろ、ホムンクルス」


 視線と視線が、交錯する。
 瓶の中の小さないのち。
 もの皆焼き尽くす炎の狂人。
 〈はじまりの六人〉が出会えばどうなるかの答え、そのすべてがここに存在している。
 焼き尽くされ、蹂躙され、死骸と瓦礫が広がる末法の一風景。
 彼らは共に殺し合うしかできない残骸なのだから、故にこうなるのは自明の理であった。

「しかしやられたよ。まさか君がここまでやるとは思わなかった」
「貴様相手に謙遜するつもりはないが、助言があった。祓葉は未知を求めていると。変わらぬ限り、おまえでは彼女の遊び相手として不足だと」
「その結果が、輪堂天梨だと?」
「そうだ。私は、本当に美しいものを見た」

 今まさに殺し合っているとは思えない、どこか気安いやり取り。

「天梨は私の友で、至らぬこの身が主君に献上する珠玉の未知だ。
 これに比べれば都市のすべて、芥に等しいと断ずる」

 だが――本人も気付いていないのだろう。
 自分の口で言葉を紡ぐ、赤子の顔に、その眉に。
 厳しく、憎らしげに皺が寄っていることに。

「貴様は私の恒星を育ててくれた。その背中を押し、一線を踏み越えさせてくれた」
「はッ、だったら礼のひとつも言ってほしいもんだけどな。そんなに殺気立って、まったくもってらしくないじゃないか」
「そうだな。だが許せ。私自身、今抱いている"これ"を言語化できていないのだ」

 天使が飛翔するなら、翼の色にこだわるつもりはない。
 それが白であれ黒であれ、星に届くならなんでもいいのだと。
 先刻自分は、確かにそう言った。
 なのにああ何故だろう。いざ実際に有意な一歩を踏み出した彼女を見た時に、途方もない悪感に身が震えたのは。

「――――赤坂亜切。私は今、無性に貴様に死んで欲しい」

 彼女と出会い、それを罵る者と再会して、憎悪を知った。
 であればこれは、やはりそう呼ぶべき感情なのか。
 分からないので、今すぐにでも教えを乞いたい気分だった。

「奥の手があるのか? 切り抜けるアテでもあるのか?
 ならば示してくれ。我が手札のすべてを以って受けて立つ。
 その上で、どうか無惨に死んでくれ。何も成さず何も残さず、何もかもを否定され消えてくれ」
「は」

 ホムンクルスの率直な殺意に、アギリは鼻を鳴らして笑う。

「いいだろう、君はずいぶん立派になった。
 そんな顔ができるなら、玉無しの評価は撤回してあげよう。
 けれど生憎だな、僕も君にはとても死んで欲しい。なのでその末路は、僕でなく君に体現してもらおうか」

 小休止が終わる。
 交錯する殺意と殺意。
 止まらない、止まる筈がない。
 むしろ静寂を挟み、息つく暇を設けたことでこの続きはより破滅的で地獄的になるのが確定していた。

「死ね。赤坂亜切」
「消え失せろ。ホムンクルス」

 世界ごと弾けるような殺意の応酬の結果として、彼らが共に抱える爆弾は起爆の時を迎えんとし、そして……

514産火 ◆0pIloi6gg.:2025/06/22(日) 21:50:20 ID:GmQ3YvAM0



 ホムンクルスが。
 アギリが。
 天若日子が。
 スカディが。
 シャクシャインが――――全員、示し合わせたわけでもないのに、目を見開いて硬直した。



「…………おい。ホムンクルス」
「ああ――――来たな」



 今の今まで互いに殺意を突きつけ合っていたふたりが、急に共感を示して頷き合う。
 その意味するところはひとつしかない。
 これまでの戦いが児戯でしかなかったと断ずるようにあっさりと、世界の色が変わった。
 混沌の七色から、秩序の一色へ。虹から白へ。ジャンルが、切り替わる。

 小休止。からの混沌開戦。そんな流れを塗り潰して、本命が来た。

 もう誰も矢を射らない、剣を握らない。
 殺意を示さず、悪罵を交わし合うこともない。
 新宿に、神話とも比喩表現とも違う、〈この世界の神〉が侵入(はい)ってきた。
 その事実の重さを、これまでの経緯を思えば不気味なほど静まり返った戦場が、無言の内に物語っているのだった。



◇◇

515産火 ◆0pIloi6gg.:2025/06/22(日) 21:51:00 ID:GmQ3YvAM0



 どこか現実感なく、その光景を見つめていた。
 瞳の光景。それは、暴力による蹂躙の合戦だった。
 迫っていた死を打破し、皆死ねよとすべてを燃やす己の相棒。
 自分の祈りが招いた結果を見て、輪堂天梨はぼうっとしていた。

 既にその背に広がった翼は縮んでいる。
 当然だ。さっきのはあくまで一瞬一線を超えただけであって、真の堕天というにはあまりに質が浅い。
 それでも、日向の天使が自分の口で、他者加害の祈りを口にした事実は大きかった。
 純潔は散ったのだ。祈りを捧げたあの瞬間、確かに輪堂天梨は赤坂亜切達の死を祈っていた。
 そのことを、誰より天梨がよく知っている。だからだろう。危険が一段落した今も、地に臥せった格好のまま覚束ない視線を揺蕩わせているのは。
 そんな彼女のもとに駆け寄り、そっと抱き起こす女の姿があった。

「……っ。ねえ、大丈夫……!?」

 抱き起こされ、支えられて、それでも礼のひとつも出てこない。
 言葉を口にするには、まだもう少し時間が必要だった。
 疲労や痛みとは無関係の朦朧を抱えて、天使は白痴めいた相を晒している。
 口の端からつぅ、と一筋の涎が垂れた。拭う余裕も、もちろんなかった。

「…………ごめん、なさい」

 代わりに漏れたのは、ひとつの言葉。
 続いて涙がぼろぼろと、とめどなく溢れてくる。

「わ、っ……!? ちょ、ちょっと……!
 怪我してるの? 痛いところある? ねえ、天梨さん……!」
「ごめん……ごめんね、ぇ……。
 ほむっち、アヴェンジャー、…………満天、ちゃん……っ」

 ぐす、ぐず、と。
 目の前の女の胸にぎゅっと縋りながら、天使と呼ばれた娘は泣いていた。
 自分自身の愚かさを、弱さを心底悔やむような。それでいて、そんな言葉では語り尽くせないような。
 天使ではない、"輪堂天梨"というひとりの人間のすべてが流れ出たような涙だった。

 少女は星だ。それでも人間だ。
 少女は人間を。それでも星だ。

 そのジレンマから、自己矛盾から、決して彼女は逃げられない。
 星となる素質を踏まえながら、他者を灼いて押し退けるのではなく思いやる道を選んだ時点で。
 彼女は永劫に続く、癒えぬ苦難を抱えることを運命づけられている。
 
 ――たすけて。

 そう求めた声に、手が差し伸べられることはなく。
 星たる天使の少女性をよそに、都市の運命は廻り続けていた。



◇◇

516産火 ◆0pIloi6gg.:2025/06/22(日) 21:51:25 ID:GmQ3YvAM0


【新宿区・個室スタジオ跡地/二日目・未明】

【輪堂天梨】
[状態]:疲労(大)、左手指・甲骨折、全身にダメージ(中)、自己嫌悪(大)、意識朦朧
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:たくさん(体質の恩恵でお仕事が順調)
[思考・状況]
基本方針:〈天使〉のままでいたい。
0:……ごめんね。
1:ほむっちのことは……うん、守らないと。
2:……私も負けないよ、満天ちゃん。
3:アヴェンジャーのことは無視できない。私は、彼のマスターなんだから。
[備考]
※以降に仕事が入っているかどうかは後のリレーにお任せします。
※魔術回路の開き方を覚え、"自身が友好的と判断する相手に人間・英霊を問わず強化を与える魔術"(【感光/応答(Call and Response)】)を行使できるようになりました。
 持続時間、今後の成長如何については後の書き手さんにお任せします。
※自分の無自覚に行使している魔術について知りました。
※煌星満天との対決を通じて能力が向上しています(程度は後続に委ねます)。
 →魅了魔術の出力が向上しています。NPC程度であれば、だいたい言うことを聞かせられるようです。
※煌星満天と個人間の同盟を結びました。対談イベントについては後続に委ねます。
※一時的な堕天に至りました。
 その産物として、対象を絞る代わりに規格外の強化を授けられる【受胎告知(First Light)】を体得しました。この魔術による強化の時間制限の有無は後続に委ねます。

【アヴェンジャー(シャクシャイン)】
[状態]:半身に火傷、疲労(大)、激しい怒り、全身に被弾(行動に支障なし)、【受胎告知】による霊基超強化
[装備]:「血啜喰牙」
[道具]:弓矢などの武装
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:死に絶えろ、“和人”ども。
0:殺す。
1:鼠どもが裏切ればすぐにでも惨殺する。……余計な真似しやがって、糞どもが。
2:憐れみは要らない。厄災として、全てを喰らい尽くす。
3:愉しもうぜ、輪堂天梨。堕ちていく時まで。
4:青き騎兵(カスター)もいずれ殺す。
5:煌星満天は機会があれば殺す。
6:このクソ人形マジで口開けば余計なことしか言わねえな……(殺してえ〜〜〜)
7:赤坂亜切とアーチャー(スカディ)は必ず殺す。欠片も残さない。
[備考]
※マスターである天梨から殺人を禁じられています。
 最後の“楽しみ”のために敢えて受け入れています。

※令呪『私の大事な人達を傷つけないで』
 現在の対象範囲:ホムンクルス36号/ミロクと煌星満天、およびその契約サーヴァント。またアヴェンジャー本人もこれの対象。
 対象が若干漠然としているために効力は完全ではないが、広すぎもしないためそれなりに重く作用している。

517産火 ◆0pIloi6gg.:2025/06/22(日) 21:52:00 ID:GmQ3YvAM0
【ホムンクルス36号/ミロク】
[状態]:疲労(中)、肉体強化、"成長"、言語化できない激しい苛立ち
[令呪]:残り二画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:なし。
[思考・状況]
基本方針:忠誠を示す。そのために動く。
0:来たか――我が主。
1:輪堂天梨を対等な友に据え、覚醒に導くことで真に主命を果たす。
2:アサシンの特性を理解。次からは、もう少し戦場を整える。
3:アンジェリカ陣営と天梨陣営の接触を図りたい。
4:……ほむっち。か。
5:煌星満天を始めとする他の恒星候補は機会を見て排除する。
6:赤坂亜切は殺す。必ず。
[備考]
※アンジェリカと同盟を組みました。
※継代のハサンが前回ノクト・サムスタンプのサーヴァント"アサシン"であったことに気付いています。
※天梨の【感光/応答】を受けたことで、わずかに肉体が成長し始めています。
 どの程度それが進むか、どんな結果を生み出すかは後の書き手さんにおまかせします。
※解析に加え、解析した物体に対する介入魔術を使用できるようになりました。
 そこまで万能なものではありませんが、油断していることを前提にするならアギリの魔眼にさえ介入を可能とするようです。


【アサシン(ハサン・サッバーハ )】
[状態]:霊基強化、令呪『ホムンクルス36号が輪堂天梨へ意図的に虚言を弄した際、速やかにこれを抹殺せよ』
[装備]:ナイフ
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:マスターに従う
0:目の前の状況への対処。俺が見てない間になんてことになってんだこいつら。
1:正面戦闘は懲り懲り。
2:戦闘にはプランと策が必要。それを理解してくれればそれでいい。
3:神寂祓葉の話は聞く価値がある。アンジェリカ陣営との会談が済み次第、次の行動へ。
4:大規模な戦の気配があるが……さて、どうするかね。
[備考]
※宝具を使用し、相当数の民間人を兵隊に変えています。

518産火 ◆0pIloi6gg.:2025/06/22(日) 21:52:33 ID:GmQ3YvAM0
【アンジェリカ・アルロニカ】
[状態]:混乱、魔力消費(中)、罪悪感、疲労(中)、祓葉への複雑な感情、〈喚戦〉(小康状態)
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:ヒーローのお面(ピンク)
[所持金]:家にはそれなりの金額があった。それなりの貯金もあるようだ。時計塔の魔術師だしね。
[思考・状況]
基本方針:勝ち残る。
0:何がなんだかわからないけど、とりあえずこの子(天梨)は助けないと。
1:なんで人間なんだよ、おまえ。
2:ホムンクルスに会う。そして、話をする。
3:あー……きついなあ、戦うって。
4:蛇杖堂寂句には二度と会いたくない。できれば名前も聞きたくない。ほんとに。
5:輪堂天梨……あんまり、いい話聞かないけど。
[備考]
ミロクと同盟を組みました。
前回の聖杯戦争のマスターの情報(神寂祓葉を除く)を手に入れました。
外見、性別を知り、何をどこまで知ったかは後続に任せます。

蛇杖堂寂句の手術により、傷は大方癒やされました。
それに際して霊薬と覚醒剤(寂句による改良版)を投与されており、とりあえず行動に支障はないようです。
アーチャー(天若日子)が監視していたので、少なくとも悪いものは入れられてません。

神寂祓葉が"こう"なる前について少しだけ聞きました。

【アーチャー(天若日子)】
[状態]:疲労(中)
[装備]:弓矢
[道具]: ヒーローのお面
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:アンジェに付き従う。
0:敵を討つ。渋々だが、ホムンクルスとその協力者に与する。
1:アサシンが気に入らない。が……うむ、奴はともかくあの赤子は避けて通れぬ相手か。
2:赤い害獣(レッドライダー)は次は確実に討つ。許さぬ。
3:神寂祓葉――難儀な生き物だな、あれは。
[備考]

519産火 ◆0pIloi6gg.:2025/06/22(日) 21:52:54 ID:GmQ3YvAM0
【赤坂亜切】
[状態]:疲労(大)、動揺、魔力消費(中)、眼球にダメージ、左手に肉腫が侵食(進行停止済、動作に支障あり)
[令呪]:残り三画
[装備]:『嚇炎の魔眼』
[道具]:魔眼殺しの眼鏡(模造品)
[所持金]:潤沢。殺し屋として働いた報酬がほぼ手つかずで残っている。
[思考・状況]
基本方針:優勝する。お姉(妹)ちゃんを手に入れる。
0:ああ、遂に来たか。
1:適当に参加者を間引きながらお姉(妹)ちゃんを探す。
2:日中はある程度力を抑え、夜間に本格的な狩りを実行する。
3:他の〈はじまりの六人〉を警戒しつつ、情報を集める。
4:〈蛇〉ねえ。
5:〈恒星の資格者〉? 寝言は寝て言えよ。
6:脱出王は次に会ったら必ず殺す。希彦に情報を流してやるか考え中
7:輪堂天梨に対して激しい動揺。なんだこのお姉(妹)ちゃん力は……?
[備考]
※彼の所持する魔眼殺しの眼鏡は質の低い模造品であり、力を抑えるに十全な代物ではありません。
※香篤井希彦の連絡先を入手しました。

【アーチャー(スカディ)】
[状態]:疲労(中)、脇腹負傷(自分でちぎった+銃創が貫通)、蛇毒による激痛(行動に支障なし)
[装備]:イチイの大弓、スキー板。
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:狩りを楽しむ。
0:ますます面白くなりそうで何よりだ。いよいよアタシも、此処の神とお目見えかな?
1:日中はある程度力を抑え、夜間に本格的な狩りを実行する。
2:マキナはかわいいね。生きて再会できたら、また話そうじゃないか。
3:ランサー(アンタレス)は――もっと育ったら遭いに行こうか。
4:変な英霊の多い聖杯戦争だこと。
[備考]
※ランサー(ギルタブリル/天蠍アンタレス)の宝具を受けました。
 強引に取り除きましたが、どの程度効いたかと彼女の真名に気付いたかどうかはおまかせします。

520 ◆0pIloi6gg.:2025/06/22(日) 21:54:12 ID:GmQ3YvAM0
投下終了です。

521 ◆0pIloi6gg.:2025/06/26(木) 01:15:17 ID:pNbo2EoE0
香篤井希彦&キャスター(吉備真備)
雪村鉄志&アルターエゴ(デウス・エクス・マキナ)
ランサー(カドモス) 予約します。

522 ◆0pIloi6gg.:2025/07/09(水) 23:58:18 ID:7KJ8azEQ0
投下します

523地図にない島 ◆0pIloi6gg.:2025/07/09(水) 23:59:59 ID:7KJ8azEQ0
 


 ザリ。と、その区に入ってしばらくしたところで老人は足を止めた。
 長い白髭の小柄な老人だった。迫力という言葉とは無縁で、強い風が吹くだけでも倒れてしまいそうなほどか弱く見える。

 そんな印象が、足を止めた瞬間にがらりと一変した。
 口にはニヤリとニヒルな笑みを浮かべ、傲岸さを隠そうともせずにぎらついた眼光を飛ばす。
 深夜の街にそんな老爺がひとり立っている絵面は妖怪、ぬらりひょんとかそういう類のものを思わせたが。
 この杉並に起きていることの全貌と、巣食っているモノの大きさを知れば、誰も彼になど注目していられなくなる筈だ。

「予想はしとったが、思った以上にエラいことになっとるのう。
 郷に入って郷に従うどころか、こっちの国を手前の郷に塗り替えよるとはな」

 陰陽師とは魔術師以上に地脈霊脈の流れ、土地の気というものに精通した人種だ。
 よってその極峰に達している彼――吉備真備には、今この街がどのように冒されているのかが手に取るように分かっていた。

 仮想とはいえ元世界のそれとほぼ違いない精度で再現された土地霊脈。
 何者かがそこに横溢している気の流れ、マナの性質を汚染して、自らの色で塗り潰している。
 公害による土壌汚染を霊的なやり方で、もっと大規模かつ深刻に行っているといえばイメージしやすいだろうか。
 少なくとも、現時点でさえもうここは"杉並区"と呼ぶべき土地ではなくなっていた。
 この領域の内側にあっては、たとえ神霊の類でさえも本来の実力差に胡座を掻くことはできないだろう。

 "侵食固有結界"。
 派手さでは王道のものに劣る分、気付かれなければ水面下で何処までも拡大していくのが悪辣だ。
 杉並の戦いで一旦の開帳を見せてくれたのは幸いだった。そうでなければ真備といえど、こうして実際足を踏み入れでもしない限り、異変を感知することさえできなかった筈だ。

「まずったのう、いつかの時点で気付くべきだったわ。これじゃ耄碌爺呼ばわりされても言い返せんわい。
 "青銅の発見者"が何を興したか、何を生み出したのか。ちょっと考えりゃあ厄ネタなことくらい想像付くじゃろうが阿呆」

 自罰する言葉とは裏腹に、真備の顔はますます愉快そうな笑みに染まっていく。
 こんこん、と中身を確認するように自分の頭を小突きながら。
 おもむろに足を振り上げ、そして靴底から振り下ろした。

 それと同時に、老人の周囲一帯を覆っていた異国の気配が風に流されたように薄れる。
 あくまで気休めだが、既にある王の国土と化した今の杉並でそれができた事実は無視できない。
 今真備が見せたのは、中国は道家に起源を持つ禹歩という技法だ。
 作法省略、我流改造済み。真備流に最適化されているので他の誰が真似しても無意味だが、彼が使う分には源流を完全に凌駕した効果をあげる。

 陰陽を調和させ邪気を祓うという神道の柏手のエッセンスを取り入れ、より簡潔かつ効果的に運用した一歩。
 しかし真備の意図は、この異界化された区を少しでもどうこうしようとか、そんな常識の物差しには収まらない。
 その証拠が、彼の前方数メートル先に生まれた、陽炎のような空間の歪み。
 そしてそこから姿を現す、白髪の老君の存在だった。

524地図にない島 ◆0pIloi6gg.:2025/07/10(木) 00:00:29 ID:kI9b2Ge20


「誘うような真似をせずともよい。どの道、こちらから向かおうと思っていたのでな」


 重ねた年嵩で言えば、恐らく真備より更に上。
 なのに生命力の壮んさでさえまるで真備に劣っていない。
 研ぎ澄まし絞り上げられた筋肉は、痩せているのではなく引き締まっていて。
 瞳に揺らぐ王気の輝きは鈍く、それでいて鋭く相対する者を射貫く。

「わはははは。そりゃあ何より、勇み足で赴いたはいいがアテがなくてですなぁ。
 わざわざ一から探すというのもかったるいんでの、無礼は承知でひとつ誘いをかけてみた次第じゃ」
「よく言うものだ。我が領土に踏み入るなり、すぐさま粗相めいた魔力を撒き散らしていただろうが」
「歳を食っても悪戯坊主は治りませんでな。
 尊い御方のお膝元と知るとどうにも、少しからかってみたくなるのですよ。まあ勘弁してやってくださいや」
「呆れた男だ。貴様の要石はさぞや苦労しているのだろうな」

 老君、老獪、青銅の国にて相対す。
 真備はらしくもなく遜った態度を示していたが、それが諧謔の一環であることは言うまでもない。
 マスターも伴わず、キャスタークラスでありながら単身敵地に乗り込む不遜。
 これに対し王が示す反応は、こちらもやはり、言うまでもなくひとつだった。


「――――それで。死にに来た、ということでよいのだな?」


 王の名は老王カドモス。
 神の眷属たる泉の竜を殺し、栄光の国を興した英雄王。
 竜殺しの槍を片手に青銅の大地を踏み締める、嘆きの益荒男。
 王は不敬を赦さない。相手が誰であれ、彼の前で不躾を働いた者の末路は決まっている。
 堕ちた天星の嘶きさえ一蹴したテーバイの王を前にし殺意を浴びながら、しかし吉備真備は不変だった。

「確かに儂の国じゃ自害も美徳。されどそりゃ、切腹に限った場合の話でしてな。
 ましてや人様の国に我が物顔で陣を張り、ここは我が国ぞとほざく異人に介錯を頼んだとあっては先祖も子孫も報われませんわい」

 どっかりとその場に胡座を掻いて、懐から一杯の酒を取り出す。
 ガラス容器に包まれたそれを、自分とカドモスの間に置いて。
 そうして陰陽師は、吹き付けた殺意など何処吹く風で言ってのけた。

「儂は死にに来たわけじゃねえが、かと言ってあんたとドンパチやりに来たわけでもねえ。
 ――なぁに、相応の土産話は用意しとります。てなワケで一献どうですかのう、王様よ」



◇◇

525地図にない島 ◆0pIloi6gg.:2025/07/10(木) 00:01:07 ID:kI9b2Ge20



 意識が、浮上する。
 泥のようにまとわりつく眠気を振り払って、雪村鉄志は目を開けた。
 気絶する前のコトがコトだ。激痛と苦悶を覚悟していたのだが、予想に反してその目覚めは清々しさすら感じさせるものだった。

「……、まき、な……?」

 正確に容態を把握できてたわけじゃないが、全身痛くない場所を探すほうが難しい有様だったのは確かだ。
 息をするだけでどろついた血が唾液に混ざり、肺は穴の空いたゴムボールみたいな音を立てていた。
 なのに今は痛みがないどころか、あのひどく重い疲労感すらほとんど完璧に消えている。
 信じがたいことだが、"清々しい朝"というやつだった。窓から見える外の景色は、明らかに深夜だったが。

「! ――ますた! 目が覚めたのですね、っ……!!」
「わぶぅっ!!」

 記憶を辿る――杉並での戦闘。
 このままリソースを注ぎ込み続ければ泥沼だと判断し、一瞬の隙を突いて逃げ出した。
 だが逃げた先で、白い、無数の機械虫達にその行く手を遮られたのだ。
 這々の体で手近な廃墟の窓をかち割り、文字通り転がり込んだのまでは覚えている。
 そこで線が切れたように力が抜けて、そして……と、思い出しが佳境に入ったところで胴体に衝撃が走った。

 ベッドに寝かされたままの鉄志の胴体に、マキナがびょーん!と飛び込んできたためだ。
 ここでおさらいしておこう。
 デウス・エクス・マキナの見た目はどこぞのベルゼブブ(偽)と然程変わらない実にミニマムなそれだが、彼女の手足は鋼鉄製の義肢だ。
 よって外見からは想像できないほどの重量がそこには宿っている。もっとデリカシーなく言おう、マキナは重いのだ。
 ロリィな体躯に搭載されたヘビィな体重が、全力の飛びつきで無防備な病人のボディに炸裂した。
 血を吐くかと思った。冗談抜きに白目を剥きかけた。三途の川の向こうで亡き妻が手を振ってるのが見えた。

「よかった、よかったです……! このまま目覚めなかったらどうしようかと、当機は、当機は、う、ぅ……!!」
「わ、悪かった! 心配かけてすまん! 謝るからとりあえずどいてくれ、こ、今度こそ死ぬ、ギブ、ギブ……!!」
「〜〜っっ! そ、そーりー。失礼しました、ますたー!!
 だ、大丈夫でしょうか……。せっかく戻った顔色が心なしかまた青く……、も、もしや、さっきの治療に不備が……!?」
「恐れおののきながらこっちを見るのやめてもらえませんか???」

 おろおろと慌てるマキナ、げほごほと咳き込む鉄志。
 が、はたと気付いた。マキナの言葉に対して、誰かの返事があったからだ。

「――――あんたが、助けてくれたのか?」
「ええ、まあ」

 声の主は、目を瞠るような美形の青年だった。
 黒い短髪は無駄なく整えられ、割れた窓ガラス越しの夜風を受けて自然に流れている。
 テレビの中から飛び出してきたかのような整った顔立ちは、人となりを知らなくても、あぁこいつモテるんだろうなと納得させるものがあった。

「そうです、ますた。この方がますたーを助けてくれたんです。
 当機も一部始終を見守っていましたが、ちょっと手を翳しただけであっという間に顔色がよくなっていって――」
「その割にすぐヤブ医者認定しようとしましたよね、今」
「そ、そそ、そんなことはありません。当機は礼節を重んじます。
 断じてそう、まずいと思って反射的に責任をなすりつけそうになっただとか、そんなことは……」
「はぁ……。スキンシップが激しいのは結構ですけど、二回目はやりませんからね絶対。僕としても、タダ働きとか趣味じゃないので」
「む……ぅ。気をつけます。ごめんなさい」
「わかればよろしい」

 漫才(やりとり)に淀みがない。どうやら自分が寝ている間に、ずいぶん色々あったようだ。
 半身を起こしてこめかみを叩きながら、鉄志は難しい顔で青年を見つめた。
 縋りついたままの格好でしゅんと萎れるマキナの頭を撫でてやりつつ、快気した探偵は口を開く。

「どういう風の吹き回しだ?」

526地図にない島 ◆0pIloi6gg.:2025/07/10(木) 00:02:01 ID:kI9b2Ge20
「……いえ、ますたー。あの方は――」
「悪い、マキナ。ちょっと黙っててくれ」

 まずは礼を言うのが筋というのは鉄志も分かっているが、この街で行われてるのは聖杯戦争だ。
 誰が何を考えてるのか分からない以上、たとえ命の恩人だからってすぐには信用できない。
 というかそもそも、敵の命を助けるような真似をするのがまず不可解だ。
 治療の際に何か埋め込まれてはいないか。命を助けてやった恩を理由に、不平等な契約を持ちかけてくる手合いではないか。
 警戒すべきことは山のようにある。鉄志の発言は人としては仁義に悖るが、マスターとしては間違いなく正解だった。

 そんな鉄志に、青年は心底うんざりした様子で前髪をくしゃりと握って言う。

「ずいぶんな言い草ですね。言っときますけど、僕が助けてなかったらあなた今頃この世にいませんでしたよ?」
「かもな。けども魔術師から施される"無償の善意"ほど不気味なものはないのも事実だ。あんたも魔術師なら分かんだろ」
「――はあぁあぁあぁ……。僕だってねぇ、助けたくて助けたわけじゃないんですよ!
 ウチのサーヴァントが、あのクソジジイがやれって言うから仕方なく! し・か・た・な・く、死にかけの中年オヤジに救いの手を差し伸べてやったんです!!」
「……お、おう。まあ落ち着いてくれ。話なら聞くからよ」

 返ってきた返答があまりにやけっぱちだったものだから、鉄志も思わず毒気を抜かれてしまう。
 がんがんと苛立ちを堪えられない様子で机を叩く姿は、否応なしに苦労人というワードを連想させた。
 詰問から宥めモードに移行した鉄志を一瞥し、青年は腕組みして、もう一度深い溜息をつく。

「大体、僕は魔術師なんかじゃありません。内輪揉めと貴族ごっこが趣味な連中と一緒にしないでください」
「……魔術師じゃない? いやでも、あんたの治療はこりゃ完璧な手腕だぞ。
 俺もそれなりに魔術師の顔見知りはいるが、これだけやれる奴なんてそういない。魔術師じゃないってんならおたく、いったい何者だ?」
「陰陽師です。まあウチも、よそ様の悪口を言えるほど高尚な業界じゃあないですけどね」

 陰陽師。そう聞いて、鉄志は素直に驚いた。
 存在自体は有名だが、言葉を選ばずに言うなら、現代の陰陽道はその規模でも実情でも大きく魔術師の後塵を拝している。
 拝み屋や占い師に毛が生えた程度の技量で小銭稼ぎをやっているのが大半で、実力のある陰陽師はそもそも滅多に前線に出てこず重鎮気取りに明け暮れている……言ってしまえば腐敗した業界だ。
 舐めていたわけではないが、まさか現代の陰陽師にこれほど腕の立つ若者がいるとは思わなかった。
 そんな鉄志のリアクションを見て多少は溜飲が下がったのか、青年は彼に名を明かす。

「僕は香篤井希彦といいます。
 ああは言いましたが、不審な真似をしたのは承知の上なので疑うならどうぞご自由に」
「香篤井……? っていうとまさかお前――希豊さんのせがれか?」
「…………え。父を知ってるんですか?」

 今度は希彦が驚く番だった。
 確かに、彼の父は香篤井希豊という。希彦のような突出した才能は持たない、現代陰陽師の例に漏れず術の行使よりも金稼ぎの方が上手な男である。
 なので希彦は内心父を軽蔑していたが、彼も彼で、まさかこんなところで肉親の名を聞くとは思わなかったのだろう。
 さっきまでの擦れた態度はどこへやら。鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする希彦に、鉄志はいくらか警戒を緩めて言った。

「仕事で何度か世話になったんだ。魔術使いはたとえ末端でもガードが固いが、近代兵器然り、常識外のアプローチってやつに弱くてな。
 俺達じゃお手上げの魔術犯罪者でも、別分野の専門家から見ると実は意外とボロを出してたりするんだと。
 は〜、懐かしいな……。元気してるか? あの人酒豪だろ、身体壊してないといいんだが」
「変わらず健康そのものですが――仕事、っていうのは?」
「あー……ま、もう守秘義務もクソもねえか。公安機動特務隊って言ってな、対魔術師用の秘密警察みたいなもんだよ」
「特務隊……、……というともしかして貴方、雪村さん?」
「お。もしかして親父さんから聞いてるか? ったく、特務隊はメンバー構成からして重要機密だってあれほど言ってたのになぁ」

 あわや一触即発の空気はどこへやら。
 予期せぬ知己(ではないが)の邂逅に、すっかり緊張は緩和されていた。

527地図にない島 ◆0pIloi6gg.:2025/07/10(木) 00:03:09 ID:kI9b2Ge20

 希彦も、特務隊の存在については知っている。というかまさに、父・希豊からオフレコとして聞かされていたのだ。
 香篤井家は室町時代から続く名門だ。魔術界の外の知恵を欲した特務隊が頼る別分野の専門家としては、なるほど最適な人選だろう。
 金さえ払えば協力してくれるし、腕はそこまででも積み重ねてきた経験と知識は活かせる。
 希彦にしてみればそういう賢しらなところが気に入らないのだったが、現代最高峰の知識を持つ"専門家"を頼って公安の人間が仕事を持ってくるという話を、酔った父はよく自慢げに語っていた。

 曰く、魔術を悪用した犯罪者を制圧するために組織された秘密警察。
 基本は魔術使い以下の味噌っかすが相手だったというが、中にはそれなりに骨のある捜査対象もいたと聞く。
 そう考えると、治療の際に覚えた疑問にもいろいろと合点が行った。
 魔術師にしては鍛えすぎている。猪口才な肉体強化(ドーピング)ではなく、弛まぬ鍛錬で培われた肉体だ。希彦はそこが不可解だった。
 術と並行して身体も鍛えるというのは、物心ついた時から才能で困ったことがない希彦にはまったく分からない考えだ。実際、酔狂な魔術師もいるものだと思った。
 しかし、彼が特務隊の一員だというのならそれも納得だ。

「父がよく言ってましたよ、特務隊には骨のある奴がいるって」
「それ腕じゃなくて酒の強さのこと言ってねえか? 俺、あの人のせいで何回二日酔いになったか分かんねえよ」
「かもしれないですね。息子としては、その爪の垢でも煎じて飲めよって感じでしたけど」
「ははは。あの人ケチだったからなぁ。口開けばカネのことしか言わねえし、報酬の釣り上げでずいぶん難儀したよ」
「うわ、マジですか? 知りたくなかったなぁそれは……」

 マキナは鉄志と希彦の顔を交互に見ていた。
 ついさっきまでふたりがいつ揉め出すかと気が気でなかったものだから、この急激な穏和ムードについていけないのだろう。
 
「ま、ますた、ますた。希彦さんとお知り合いなのですか……?」
「直接の知り合いってわけじゃないが、ちょっと色々あってな。ありがとよ、マキナ。お前が頭下げてくれたんだろ?」
「ぅ…………」

 ぽふぽふ、と頭に手を置かれて、張り詰めていたものがいよいよ限界になったらしい。
 うるうると眼を潤ませるマキナを支えているのは、彼女が胸に抱くモットーだった。
 神は笑わない、神は怒らない、神は泣かない、神は怠けない。
 父の教えを寄る辺にいじらしく耐える少女をややばつ悪そうに見つめる希彦。さしものプレイボーイも、恋愛対象外の幼女には弱い。
 ごほん、と咳払いをして、彼は鉄志に問いかけた。

「――ところで、特務隊は解散されたと聞いていましたが……」
「……色々あってな。今は俺も無職だよ、紆余曲折あってこんなきな臭い街に呼ばれちゃいるが」
「なるほど。深くは聞きませんが、公僕が魔術の世界に踏み込んだならそうなっても不思議ではないですね」
「ま、そんなとこだ。ところで希彦くんよ、お前はこの聖杯戦争でどういう立場を取ってんだ?」

 緊張は和らいだが、それでもふたりの間柄が敵同士であることに変わりはない。
 聖杯戦争とは最後の一座を争うバトル・ロワイアル。自分以外、誰であろうと手放しに信用はできないのだ。

「僕は普通に乗ってますよ。僕なりに戦う理由があってここに立ってる。
 あなたを助けたことに他意はありませんが、決して味方ってわけではないですね」

 希彦の言葉に、緩んだ空気が多少締まる。
 そう、聖杯戦争とはそういうもの。
 希彦の発言は別に特別なものではない。むしろ、特殊な立場を取っている鉄志の方がおかしいのだ。
 確かに香篤井希彦は雪村鉄志を助けたが、だからと言って彼が鉄志にとって無害な人間であるとは限らない。

528地図にない島 ◆0pIloi6gg.:2025/07/10(木) 00:04:14 ID:kI9b2Ge20

 その事実を改めて噛み締めた上で、鉄志は抱いていた疑問を口にした。

「だろうな。で、おたくのサーヴァントは何処にいるんだ?」
「…………、…………いません」
「え?」
「だーかーら! いないんですよ、今! あなたが目覚める前にひとりで出ていっちゃったんです!!」
「…………え、えぇ……?」

 英霊らしき気配がないことには、目覚めた時点から気付いていた。
 だが如何に助けた相手とはいえ、敵主従の前に自分のマスターをほっぽり出したまま席を外す英霊など普通に考えている筈がない。
 だから鉄志は、希彦のサーヴァントは気配遮断に秀でたアサシンか何かだろうと思っていたのだが……

「そういう奴なんです、僕のサーヴァントは。あなたを助けたのも、あいつが助けてやれって偉そうに命じ腐ったからですし」
「その結果命を救って貰った身で言うのもなんだが……アレだな。気苦労察するよ」
「ありがとうございます。この一ヶ月で初めてですよ、僕の苦労を分かってくれた人は」

 なんだか、思った以上に訳アリな主従らしい。
 鉄志としてはとりあえず話せそうな相手に救われたようでひと安心だったが、はてさて彼のサーヴァントはどこへ行ってしまったのか?

「いざとなったら令呪で呼び戻せ、とは言われてますけどね。
 それにしたって本当、我が下僕ながら正気とは思えないですよ。よりによって今の杉並にひとりで向かうなんて。
 戦闘向きの英霊でもない癖に、どっちが井の中の蛙なんだか……」
「――は? いや、おい待て。おたくのサーヴァント、杉並に行ったのか!?」
「そうですよ、あの杉並に行ったんです。……っと、その様子を見るに、やっぱりあなた達はあそこから逃げてきたんですね」

 杉並区。否応なしに先刻の出来事を思い出して、鉄志の顔が驚愕に染まる。
 ありえない。今あの街がどうなってるか分かった上で、ひとりで向かったというのか?
 だとしたら希彦の言う通り、本当に正気ではない。
 先ほど自分達を散々に脅かしてくれた青銅王の膝下に顔を出すなど、たとえ万全の備えを期していたとしても自殺行為だろうに。

「こりゃ驚きだな……。今日は敵も味方も、妙な奴らによく会うぜ」
「そんなボケ老人からの言伝てがひとつありましてね。
 儂が戻る前に情報交換を済ませておけ、ついでに議事録を簡潔に纏めて提出するように、だそうです。
 あの雪村さん、謝礼とか払うので一回あいつぶちのめして貰えませんか? 死なない程度にボコボコにするとかできません?」

 笑顔に青筋を立てながら言う希彦に、鉄志は改めて同情した。
 まだ顔も名前も知らない相手だが、どうやら彼は相当なキワモノを引き当ててしまったようだ。
 キワモノという点ではマキナを連れてる自分も人のことは言えないが、彼のところの"ボケ老人"に比べれば幾分マシなのは間違いあるまい。

「まあまあ、落ち着いてくれ。情報交換はウチも臨むところだ。というか、ぜひさせて貰いたい。
 ちょっといろいろあってな……同盟だの協定だの抜きにしても、いろんな人間の意見が欲しくてよ」
「その割には開口一番から棘を向けられましたけどね」
「悪かったって。職業病でな、素性の分からない相手のことはまず疑ってかかるようにしてんだ」
「冗談ですよ。ちょっとした皮肉ですから、本気にしないでください」

 窓辺のテーブル。希彦の対面の席に、鉄志が座る。
 ぴょこぴょことマキナも歩いてきて、その脇にちょんとしゃがんだ。
 サーヴァントとして自分だけ蚊帳の外というのは許せないのだろう。こういうところは実に健気だ。というか、勤勉なのだろう。

「――じゃあ始めましょうか。まず聞かせてほしいんですが、あなた達、杉並で一体何を見たんです」

 希彦の問いに、鉄志は沈黙した。
 答えるにしても、どう説明すればいいものか言葉を纏めている様子だ。
 やがてその口は開き、大袈裟でもなんでもない、"見てきた者"としての率直な感想を述べた。

「バケモノ共の乱痴気騒ぎだ。分かっちゃいたがこの聖杯戦争、どうも思った以上にきな臭え」



◇◇

529地図にない島 ◆0pIloi6gg.:2025/07/10(木) 00:04:54 ID:kI9b2Ge20



 いつの間に用意したのか、ふたり分の器を並べて、そこにカップの酒を注ぐ。
 透明な液体からは、いかんせん王との会席にはそぐわない、遠慮のない酒臭さが漂っていた。
 まずは真備がそれを手に取り、口元へ運んで慣れた調子で嚥下する。
 ごきゅごきゅと飲み干し、かぁ〜っ、と声をあげてみせる姿は傍から見ると酒飲みの老人そのものだ。

「ほれ王様、毒など入っちゃおりません。あんたもどうぞ一杯、ぐいっと」
「……、……」

 促され、カドモスもそれに続いた。
 吉備真備は間違いなく彼にとって処断すべき不敬者だが、こうも堂々踏み入られた挙げ句、差し出された酒を断れば王の恥になる。
 盃と呼ぶには無粋すぎる当代風の器を手に取り、ちび、と一口呑んだ。
 途端に眉間へ皺が寄る。苦虫を噛み潰したような顔とはまさにこのことか。

「酷い悪酒だ。味も何もあったものではない」
「これが当代風の味ですぞ、王よ。証拠にこの街の何処でも買えまする。疑うならばコンビニの一軒でも訪ねてみればよろしい」
「二口目は要らん。泥水でも呑んでいる方がマシだ」

 旨いのに……と真備がしょんぼり唇を尖らせる。
 全国のコンビニで、だいたいどこでも数百円で買える逸品である。
 真備もあれこれ酒の遍歴はある筈だが、一周回って今はこれが気に入っているらしい。
 もちろん異国の王族の口にはまったく合わなかったようだ。
 彼が王でさえなければ唾でも吐き捨てそうな勢いだった。
 今とは比べ物にならない銘酒、神酒が溢れていた時代の王族であるカドモスにしてみれば尚更、現代の"酔うための酒"という概念は理解できないのだろう。

「やれやれ。酒宴でいけずは嫌われますぞ」
「黙れ。貴様の国では宴の席でこれを出すのか?」
「今宵は天気が好いですなぁ。月見酒、月見酒っと」
「そうか。やはり貴様、死にたくて此処に来たのだな?」

 スチャ……と槍を取り出そうとするカドモス。
 どうどう、と宥める真備。
 今更言うまでもないが、事を始められて困るのは彼の方である。
 如何に真備が陰陽師の極峰のひとりであるとはいえ、敵方の陣地の内側で暴れるランサーと真っ向から喧嘩などすれば勝率は一割を下回る。
 それを分かった上でおちょくるような振る舞いをできるのが、彼の非凡な点であるのだったが――それはさておき。

「冗談ですわい。先にも言ったように、土産話を用意しておりましてな。具体的に言うと、二つほど」
「言葉は慎んで選べ。どちらが上でどちらが下かが分からぬほど蒙昧ではなかろう」
「ええ、ええ。よ〜〜く分かっておりますとも。ではさて、まずは貴殿が先ほど相見えた糞餓鬼の話から致しましょうか」

 カドモスの眉がぴくりと動いた。
 先ほどこの地に現れ、狼藉の限りを尽くした不敬者。

530地図にない島 ◆0pIloi6gg.:2025/07/10(木) 00:05:29 ID:kI9b2Ge20

「アレは所謂〈人類悪〉です。ビースト、とも言えますな」
「……ほう。何故断言出来る?」
「職業柄ですね、臭いには敏感なのですよ。
 あの餓鬼はカマトトぶっちゃおりますが、真っ当な英霊と呼ぶには少々ケモノ臭すぎる。
 七つの人類悪か、何かしらのイレギュラーで生まれた番外位。まあ、ざっとそんなところでしょうなぁ」

 人類悪――それは人類愛を謳いながら、愛する人理を滅ぼすモノ。
 救いがたき獣性に憑かれた破滅の器、一が確定すれば七まで連なると謂われる、最も忌み嫌われたる生物。
 先に己が相対した存在が"そう"であると迷いなく断言されれば、さしものカドモスも無感ではいられなかった。
 物腰こそ静かだが、目に見えて食いついてきたのを感じて、真備は口角を更に歪める。

「カラクリ細工の娘にも会いましたかな?」
「会った。四肢を鋼に置き換えた小娘だな? 正当な英霊とは言い難い、大分奇怪な存在と見たが」
「なら話が早い。アレが恐らく、本来で言うところの冠位英霊に相当する役者の一柱です。殺さなかったのは賢明でしたな」

 続いて話に出したのは、デウス・エクス・マキナ……雪村鉄志のサーヴァント。
 ここに来る前、偶然杉並から逃げ果せてきた彼女と遭遇した、なんて経緯をもちろん真備は語らない。
 さながらあまねく距離と時空を超越する千里眼で見通しているかのように、何食わぬ顔で言い当ててみせる。
 無論カドモスはすんなり騙されるほど愚昧ではなかったが、それでもその堂々たる物腰は真備という英霊の確かな価値を示す。

 怯え、震えながら何やら進言する格下と。
 堂々胸を張り、虚勢交えながらそれを匂わせもせず貫き通す格下。どちらの言が傾聴に値するかは明白だろう。

「では、神寂祓葉という娘についてはご存知で?」
「名だけなら。だがそれ以前からも、妙な気配は感じ取っていた」
「ああ、はいはい。分かりますよ、分かりますとも。
 何しろ儂も貴殿と同じようにアレの存在を感知したクチですんでの」

 何か、道理の通じないモノが居る/在る。
 そのことは、カドモスもちゃんと感じ取っていた。
 喩えるならば、いちばん近いのは恐らく地震だ。
 定期的に揺れが訪れるものの、では何処のなにが引き起こしているかを突き止めるのは何も知らない身では至難。
 カドモスがずっと抱いてきた不可解のひとつに、此処で答えが示される。

「この舞台の黒幕は人類悪の餓鬼と、その祓葉っちゅう小娘です。
 言うなれば胴元が憚りもなくイカサマをしながら、ありったけの金貨をちらつかせてるような状況でしてな。
 儂もほとほと困り果てとるのですよ。手前で主催しておきながら実際は誰に勝たせる気もない、恥も外聞もない出来レースですわ」
「ふむ。大方そんなことだろうとは思っていたが……」

 納得を抱いた上で、カドモスは自らもそこに辿り着いていたと示す。
 テーバイの王は暗愚に非ず。神の気配を察知し、その上であの明らかに度外れた玩具を駆使する英霊を見れば推理のひとつも出来上がるのは当然だ。

「――それで? 貴様はこの儂に、神殺しの手伝いでもしろと言うつもりか?」

531地図にない島 ◆0pIloi6gg.:2025/07/10(木) 00:06:05 ID:kI9b2Ge20
「そうまで直接的じゃありませんがね。まあ、頭の片隅にでも入れておいてくれりゃ万々歳って具合です。
 アレらを討たない限り何をどうやっても願いは叶わない、それどころか一寸も顧みられずに総取りされる。
 胴元が進んで横紙破りをやってるんです、せめてその話くらいは周知させておくのが、知った者の責務かと思いましてな。どうじゃ、誠実でしょう」
「よく言う。貴様の眼が語っているぞ、舌の浮くような白々しい科白を宣っていると」
「わははは、こりゃ手厳しい。猪口才な奸計は無駄のようですなぁ」

 実際、これは上手いやり方だった。
 示すのはあくまでただの事実。されどそこに、すべてが詰まっている。
 神寂祓葉とそのサーヴァントといういわば"主催陣営"が勝算を独占している以上、そこをどうにかしない限りは未来などありはしない。
 聖杯に縋ってでも叶えたい願いがあるのなら、その障害物は無視できないだろう? と。
 真備は遜りながらも示し、道を狭めているのだ。老王カドモスが選ぶべき道、討つべき敵を。

「ええ、いかにもそうですわい。儂はあんたに、あの餓鬼共を討つ助けをしてほしいと思っとる」
「それは――、貴様も聖杯に掲げる願いを持つ故か?」
「半々じゃな。半分は確かにそうですが、もう半分は純粋に先人としての最低限の責務ってやつです。
 儂はオルフィレウスにも、神寂祓葉にも"遭って"ますがな……奴らは真実、本当の意味でただの糞餓鬼ですわ。
 あんな砂利共に世界の覇権なんざ握らせたら、まずろくなことにならんのは明々白々。
 まだ学び切ってない教本を落書き塗れにされちゃ敵わんでしょう。理由としちゃこれで十分と思うんですがね」

 吉備真備は生前も死後たるイマも変わることなく探求者だ。
 だからこそ彼には、オルフィレウスの陰謀に刃向かう理由がある。
 彼はかの科学者の思惑の全貌を知らないが、だとしてもあの幼稚なふたりの陰謀に自分の愛する世界を汚されては敵わないと思っているのだ。
 汚され、歪められた世界地図を探求することにいったい何の価値があるのか。
 神の支配など不要、世界統一などますます不要――世はただあるがままに在ればいい。
 そう思うからこそ彼は粉骨砕身を惜しまない。その熱はおどけた殻の内側からでも、相対する老王へと伝わっていた。

「で、お返事は如何に? カドモス王よ」
「可能性のひとつとしては踏まえておこう。
 儂は聖杯を求めている。それを阻む謀があるのなら、この槍で打ち砕いて無に帰すのみだ」
「はっはっは、それでこそ。いやはやまったくテーバイは善き王を持った。神をも恐れぬ貴方が味方に着くというなら百人力です」

 真備の口にする言葉はすべてが皮肉だ。
 カドモスも、それを理解した上であえて今は怒らずにいる。
 これも真備の狡いところだ。牙を剥けば己の株を下げる状況というものを、一見無軌道な無作法めいた振る舞いの中で巧みに作り出している。
 カドモスは英雄王。故に格の縛りに逆らえない。それをすれば、己の国と子らすべての名誉を穢すと分かっているからだ。

「では、王の聡明を喜ばしく思いながら二つ目を。
 現在、ああまさに今頃でしょうな。新宿で大きな戦が起きている」
「見くびるな。とうに知っておるわ」
「ええ、承知で話しておりますよ。
 儂も自ら目で見て確認したわけじゃないですがの、戦いの大きさからして、祓葉もその取り巻き共も顔を出してるに違いありませんわ。
 つまりこれは最初の分水嶺。都市の真実たるモノ達が動き、殺し合う祭りになるわけです。
 どう転んでも役者の誰かしらは死ぬでしょうし、その死が後に残される我々に無関係であることはあり得ない」

 真備はそれを知っている。
 それが起こす事態も、後に残るだろう影響も把握している。
 その上で一枚噛むこともせず静観を選んでいる。
 何故か。その先にある混沌の果ての勝ちだけを狙っているからだ。

「で儂が思うに、あんたの小鳥はそっちに赴いてえっちらほっちら働いている。違いますかな?」
「――――」

 途端に強まる殺意。
 その桁は、これまでのとは一線を画する。
 ここにいるのが真備だからよかったが、そうでなければ腰を抜かすか、ともすれば即座に心臓発作を起こしていても不思議ではなかった。

532地図にない島 ◆0pIloi6gg.:2025/07/10(木) 00:06:53 ID:kI9b2Ge20

「そう怒らんで下さいな、ただのちょっとした意趣返しですよ。
 何しろ儂とウチの要石へ最初に喧嘩を売ったのはあんたらの方じゃ。
 機会があればやり返そうと思ってたんです。しかしその反応を見るに――く、くく。弁慶の泣き所ってやつだったみたいですのう、王様?」
「貴様……」
「おっと、荒事は勘弁してくださいや。今のは確かに多少他意のある物言いでしたが、あくまで本意は親切心ですからな。
 このまま捨て置けばきっと事態はあんたの想定の外に出る。そうなっては神殺しを目指す我々としても面倒なんですわ。
 後になって嘆かれるくらいなら、いっそ起き得る最悪を阻止するため御大直々に足労願った方がいいかと思い、進言させて貰ってる次第ですよ」

 吉備真備は腕の一振りで岩を砕き、神をねじ伏せる豪傑ではない。
 彼にあるのは知恵と経験。探究心の赴くままに生き、大義の中にあっても我侭を見失わなかった男だからこそ、その視野と思考範囲は実に広い。
 だからこそ、彼は当然に見抜いていた。
 青銅の兵を率いる者というファクターからテーバイの国父カドモスの名を暴き、栄光と悲劇に呪われた男という情報を糧に、王の情念にまでも推理の網を届かせる。

 かつて自分達のもとに攻め入ってきた青銅兵、それを率いていた幼い少女の存在。
 それと王のバックボーンを重ね合わせた上で行った推論の結果――老王カドモスは、か弱い小鳥を見逃せない。
 そこまで分かった上で事のすべてを俎上に載せ、不敬承知で自分に利のある話を進めていくのだ。

「儂が見るに、あんたの小鳥は長生きできないでしょう」

 先の煽りと何が違うのかと思うような物言いだが、これは知見と人心理解に基づく的確な助言だった。
 真備は老獪だ。若者のバイタリティと宿老の見識を併せ持つことが彼という英霊の最大の強み。
 晴明とも道満とも違う、真備にしか選べない道というものがその眼前には常に存在している。

「なんたって眼が曇ってる。ありゃ過去に呪われ、痛みに縛られた者の眼じゃ。
 そういう顔をして戦場に立つ者の末路は決まっとります。
 なのでやり方は任せますが、あんたなりに助けてやりなされ。あの娘っ子に死なれると、儂らも困っちまうんでの」
「なるほど。では問おう」

 だからこそ、彼が行う助言には値千金以上の価値があった。
 逆鱗に触れる物言いをされたにも関わらず、カドモスが激昂していないのがその証拠だ。
 王には人を見極める眼が不可欠。遥かテーバイの王から見ても、この老術師の慧眼は類稀なるものだった。
 されど。それも続く彼の言動次第では、ここで終わる。

「その前にひとつ付け加えておく。
 今から儂がする質問に対し、わずかでも含みのある答えを返した場合、この先貴様らとの交渉には一切応じない」

 王はたとえ不敬者であろうとも、能力を示せたならば時に寛大だ。
 しかし、不実と謀は決して赦さない。

「した時点で貴様と要石、更にそれに連なるすべての存在を敵とみなして誅戮する。例外はないと心得よ」
「……おーおー、おっかないことを仰る。そう殺気立たないで下さいや、酒の味も消えちまう」

 おどけたように言う真備だが、この時ばかりは彼も緊張を感じていた。
 この王が本気になれば、自分など吹けば飛ぶような三下でしかない。
 建国王の故郷でその怒りを買うなど、比喩でなく神罰が落ちてくるのと変わらない。
 希彦に令呪を使わせても、果たして撤退が間に合うかどうか。
 天津甕星や雪村鉄志達が味わったのとは次元の違う、竜殺しの英雄の真髄を見ることになるだろう。

「慎んでお答えしましょう。儂も命は惜しい」
「そうか。では問うが、キャスター。――貴様、儂に何をさせようと目論んでいる?」

 神殺しの片棒を担がせたいのは分かった。
 が、真備の自分に対する執着は異常に見えた。
 逆鱗の存在を分かった上でアルマナの話題を出し、あまつさえ助けてやれと進言までするくらいだ。
 そうまでしてでも、自分達に当面生き残って貰わねばならない理由とは何か。

533地図にない島 ◆0pIloi6gg.:2025/07/10(木) 00:07:35 ID:kI9b2Ge20

 放たれた問いに、真備は盃を置いて、正面から王を見据えながら言った。

「カドモス王、あんたの宝具は格別です。侵食固有結界、つまり世界を冒す御業だ。
 儂も少し探ってみたが、はっきり言って凄まじい。いや凄まじすぎる。
 今ある大地の表層を塗り替えるなんぞ、本来神霊がやる所業ですよ」
「世辞など望んでいるように見えるか?」
「話は最後まで聞くもんです、王よ。あんたの固有結界はつまるところ癌細胞なわけじゃ。
 これが普通の聖杯戦争だったら、まあ迷惑極まりない御力ですがの。
 しかし神なるモノが支配する、外道の聖杯戦争というなら話は大きく変わってくる」

 この世界は、針音の仮想都市は被造物だ。
 造物主が創造し、今も神たるオルフィレウスが俯瞰している願いの箱庭だ。
 天津甕星を飼う闇の大蛇の真名すらも、彼は当然のように知っていた。
 ここで疑問がひとつ生じる。

 ――何故オルフィレウスは、カドモスによる地脈侵食に気が付けなかったのか?
 地上の手段では監視できない、地中での事象だったから? 確かにそれもあるかもしれない。
 だが、もしもそうでなかったなら。カドモスの芸当が真の意味で、オルフィレウスの箱庭の道理を超えたものだったとしたら?

「あんたは唯一、オルフィレウスの箱庭で領土を持てる。
 神にさえ冒されず暴かれない、栄光の国を拡げることができる」

 カドモスの第三宝具『我が撒かれし肇国、青銅の七門(スパルトイ・ブロンズ・テーベ)』。
 自動拡大する領土という目に見える強さに隠れているが、真に脅威的な要素はその奥にこそ潜んでいる。
 この宝具は世界の修正力を相殺する。言うなれば、現存の法を打ち消しながら侵食し続ける国産み兵器だ。
 たとえ聖杯を戴く造物主に創世された亜空の仮想都市であろうと例外ではない。

 現杉並を始めとし、カドモスの領土はテーバイという名の独立地帯と化している。
 青銅の英雄王が実効支配する新しい地図。そこで起こること、生まれる事態は、この世界の神々達にすら易々とは見通せないのだ。
 緻密な計算のもとにプログラムされた仮想世界に紛れ込んだ青銅製のコンピュータウイルス。
 敵として相対するなら脅威だが、利用しようと考えるならそこには計り知れない値打ちが付く。
 戦に勝つために最も肝要なのは、敵に主導権を握らせないこと。あるいは一度握られたそれを奪い返すこと。

「――――神殺しの拠点として、これ以上に優れた場所はねえでしょう」

 そのための準備をする上で、東京のテーバイは実に使える。
 戦力を結集させるという意味でも、対神の備えを編むという意味でもだ。

534地図にない島 ◆0pIloi6gg.:2025/07/10(木) 00:08:19 ID:kI9b2Ge20

「さっきも言ったが、この聖杯戦争はそもそも挑む側が勝てる仕組みになっとらんのですよ。
 あんたも解らんわけではないじゃろう。神様気取りの餓鬼共をどけんことには、にっちもさっちも行かん」
「だから我が国を使わせろと? 侮られたものだ。不敵と驕りを履き違えているようだな」
「その手の禅問答に興味はねえ。あいにくこの性格は幼時分からの悪癖でしてなぁ。やりたいようにやる、生きたいように生きる以外の選択肢を知らんのですよ。儂という男は」

 だが、真備は最初からそれを目当てに杉並くんだりまでやって来たわけではない。
 最初はただの興味本位。杉並の現状を確認しつつ、異変の主の顔をひと目見れれば万々歳。
 そんな軽い見通しで足を踏み入れ、土地霊脈に起こっている異常の仔細を見抜くなりすぐこの発想を萌芽させた。
 であれば後は思いついたが吉日。王の逆鱗に触れることも、それで誅殺されるリスクも何のその。

「とはいえ、今すぐに赦してくれとは言いませんわ。
 新宿のいざこざが片付いた頃にでも、こちらから文を飛ばしましょう。その時に最終決定を下して貰えればそれで善き」
「……断ると言ったなら?」
「その時はそれ、やけ酒の一杯でも呷ってから次を考えるだけじゃ。
 博打の勝ち負けなんざ、呑んで忘れて切り替えるのが一番ですからな。わっはっはっ」

 吉備真備は、畏れは抱いても恐怖などしない。
 彼は常に生粋の探求者。振った賽の出目が悪かったなら、また次を振ればいいと考える質だ。
 希彦が彼を理解できないのも当然の話。
 その精神性は術師よりも、むしろ冒険家や科学者に向いている。

 カップの酒が消えると同時に、真備の気配が朧気に薄れ始めた。
 カドモスは一瞬槍に手を掛けたが、……結局振るいはしなかった。
 それをしても無駄だと判断したのだろう。この老人は交渉が破談になる可能性も、常に視野に入れて行動している。
 であれば空振りの苛立ちを進んで抱えにいく意味もない。

「願わくば息災でまた会いましょう、遠い異国の英雄王よ。
 次は互いの要石も同伴で、楽しく宴でもできるといいんですがの――」

 今も遠い戦地で働いている王の小鳥の幸運を祈るような言葉を残して、真備はカドモスの視界から消失した。
 後に残るのは空のカップだけ。まるで白昼夢でも見ていたかのように、不遜な陰陽師の姿は消え去っていた。

「……、ふざけた男だ」

 小さく息を吐き、カドモスは厳しく目を細める。
 ここが神の箱庭で、自分達が聖杯という林檎を餌に踊らされていることには気付いていたが、それでも王は勝負を捨てられない。
 英雄達の始祖という殻の内側に隠した悲憤の嘆き。それは今も、老いた戦士の心を苛み続けている。
 悲劇は潰えねばならない。たとえすべての栄光を無に帰してでも、流れる涙を根絶しなければならない。

 王は今も迷いの中。
 その証拠に、視線を向けた先は遥か彼方新宿の都。
 
 ――あんたの小鳥は今のままでは長生きできないでしょう。
 ――やり方は任せますが、あんたなりに助けてやりなされ。

 老人の残した言葉がぐるぐると、彼の頭の中を廻っていた。



◇◇

535地図にない島 ◆0pIloi6gg.:2025/07/10(木) 00:09:05 ID:kI9b2Ge20



「……と、いうわけなんだが……」
「……、……」
「いや、分かる。そんな顔になるのも分かるぞ。
 分かるんだが、えっと、大丈夫か?」
「――大丈夫です。ええ大丈夫なんですけど、念のため確認させてもらいますね」

 雪村鉄志の話が終わって。
 香篤井希彦は、なんだかものすごく微妙な顔をしていた。
 だが鉄志も言った通り、その反応になるのも無理はない。
 彼が語って聞かせた内容は、そのくらい荒唐無稽極まりない内容だったから。

「杉並の異変を起こしているのはギリシャ神話のカドモスで、雪村さん達はそいつに襲われて」
「ああ」
「雪村さんはマキナちゃんの宝具で変身してなんとか持ち堪えて」
「うん」
「そしたら何かやたらとやけっぱち気味な和風の美少女が飛んできて、びゅんびゅん飛び回りながら対城宝具を連射して」
「そうだな」
「やばいと思ったら突然巨大ロボに乗った謎のサーヴァントが現れて、そいつが多分この聖杯戦争の黒幕で」
「やばかった」
「で、変身した雪村さんと、実は杉並自体を巨大な自国領にしてたカドモスがふたりがかりでそれを撃退したと」
「そうなんだよ」
「……、……」
「……、……」
「――――ごめんなさい。あの、何を言ってるんですか?」
「じ、事実なんだから仕方ないだろうが! 俺だって話してて"何言ってんだろ俺"って思ってるわ!!」

 ツッコミどころが多すぎる。
 特に重要なのはカドモスの宝具と、突如乱入してきた機神兵器の二点なのだろうが、部外者の希彦からすると鉄志が変身して戦う下りからして既におかしい。
 人間を戦闘要員にして前線で戦わせるサーヴァントなど、普通に考えたらまずあり得ない話だ。
 よしんばそれが可能だとして、得られるメリットに比べてデメリットが大きすぎる。
 ちょっと魔術使いとの戦闘経験がある程度の元刑事が武装した程度で相手になれるほど、境界記録帯は脆弱な存在ではない。
 相手がアサシンやキャスターだったならまだしも、バリバリの三騎士クラスにそれをやるなど荒唐無稽以外の何物でもなかった。

「希彦さん、希彦さん。ますたーは嘘を言っていません。当機の名誉にかけて保証します」
「……いや、なんか色々あって忘れてましたけど、このマキナちゃんもなんかおかしいですよねそういえば」

 鋼鉄の四肢を持つ、なんだかサイバーチックな見た目の少女英霊。
 マスターを変身させ、共に戦うという奇抜どころではない宝具も含め、まったくと言っていいほど真名の見当がつかない。
 強いて言うなら手がかりは"マキナ"という一人称にあるのだろうが……希彦が難しい顔をした瞬間、鉄志が頭を掻きながら「あー」と切り出した。

「正直、バレてどうこうなる真名じゃねえから言っちまうがな。
 マキナの真名はデウス・エクス・マキナだ。いわゆる、"機械仕掛けの神"ってやつだよ」
「は?」
「はい。
 クラス名:アルターエゴ。機体銘:『Deus Ex Machina Mk-Ⅴ』。製造記号:『エウリピデス』。
 ますたーに紹介いただいた通り、真名を『デウス・エクス・マキナ』といいます。よろです、希彦さん」
「な、に、を、言ってるんだ貴方達はぁぁ……っ」

 助けてもらったことへの礼もあるのだろう。
 今後の円滑な関係性にも期待して、鉄志が打ち明けマキナが認めたその名は、希彦の混乱に拍車をかけた。

536地図にない島 ◆0pIloi6gg.:2025/07/10(木) 00:10:08 ID:kI9b2Ge20

「"機械仕掛けの神"ってのはアレでしょう? それこそエウリピデスが好んだっていう演出上の技法じゃないですか。
 何をどうしたらそれが英霊になるのかさっぱり分からない。イカれてるんですかこの状況で……!」
「のーぷろぐらむ。……あっ、ちがくて、のーぷろぶれむ。その反応は正しいものです。
 当機は我が父が願いを込め、全人類を幸福にすべく生み出された人造神霊ですから、厳密には正当な英霊ではありません。
 その証拠に今も当機は成長の過程上にあります。ゆくゆくは人類を救済する真の機神として羽ばたくつもりですが」
「…………わかった。わかりましたから、ちょっとだけ思考を整理する時間をください。脳がキャパオーバーを起こしてるので」

 眉間を押さえた希彦が部屋の隅っこにとぼとぼ歩いていって、俯きながら何やらぶつぶつ独り言を言い出した。
 どうなってるんだ、何もわからない、胡乱すぎる、みんな真備(アレ)とおんなじに見えてきた……漏れ聞こえてきたのはこんなところ。
 そのまま十分ほど思考整理に時間を費やすと、こころなしかげっそりした顔で希彦は戻ってきた。
 流石は天才と呼ばれる男。一時は宇宙を背景にしたあの猫みたいな顔になったものの、なんとか折り合いってやつを付けられたらしい。

「お待たせしました」
「お。思ったより早かったな」
「うるさいですよ。……まあ、納得できたかというとまったくそんなことはないんですけどね。いつまでもぴーぴーやってても始まらないので」

 もう一度深いため息をついてから、希彦は続ける。

「ウチのバカキャスターが戻ってきたら、改めていろいろ質問させてもらいます。
 とりあえず情報交換を済ませろって注文はこなせたので、僕らの付き合いの今後についてはその時で。いいですか」
「構わない。……ただその前に、急ぎでひとつ知見を伺いたいことがあるんだが」

 鉄志としても、今後の話は役者が全員揃ってから行うのがいいだろうと思っていた。
 しかし、今すぐにでも聞きたいことがひとつあった。
 自分達全体のための話ではなく、どちらかというと個人として知りたいことだ。
 ただし鉄志にとっては、ともすれば他の何よりも重たい価値を持つ命題。

「さっき話した、俺達を襲った和装のアーチャーについてだ」
「ああ、天津甕星についてですね。正直これも相当ぶっ飛んだ名前なんですが、ロボだの何だの聞かされた後じゃどうしても印象が薄れちゃいますね」
「……、天津甕星?」
「え。あれ、『神威大星・星神一過(アメノカガセオ)』って宝具名だったんですよね?
 だったらそれ以外ないでしょ。まあ普通に天香香背男の方が真名って可能性もありますが」

 希彦は、何を当然のことを言っているのかというような顔で指を立てる。
 鉄志としては灯台下暗しを突きつけられた気分だった。
 確かに考えてみれば当然の話。思わず頭を抱えたくなる、ご丁寧にもあっちから答えを明かしてくれていたなんて。

「天津神の葦原中国平定に抵抗して大暴れした、かなり武闘派の悪神ですよ。
 光の矢を放ちながら飛び回るって特徴も補強になります。
 天津甕星は星神ですからね。夜空の星が信仰を得て擬人化された神格なら、高速移動も流星の矢も"らしい"と言えます」
「――じゃあ、そいつが何か"蛇"に絡む逸話を持ってるってことはあるか?」
「蛇? 
 ……香香背男の"カガ"は確か蛇を意味する古語ですし、まあないことはない、かもしれませんが。どうしてそんなことが気になるんですか?」

 蛇の名を持つ神が、鉄志の追う〈ニシキヘビ〉について知っている。
 偶然とは思えない符号に、男は思わず拳を砕けんばかりに握りしめていた。
 こみ上げるのは焦燥。しかし、脳裏には一縷の光明が射し込んでいる。

537地図にない島 ◆0pIloi6gg.:2025/07/10(木) 00:11:21 ID:kI9b2Ge20
 これまでずっと、ただ一握の手がかりも見つけられなかった正体不明の犯罪者。
 それが現実に存在する"誰か"なのだという確信が、今の鉄志の胸の中にはあった。

「俺は〈ニシキヘビ〉という犯罪者を追ってる。そして恐らく、そいつはこの街にいるんだ」
「……それは、特務隊が解散したことと何か関係が?」
「あるかもしれないし、ないかもしれない。だが少なくとも俺は、そのクソ野郎に一人娘を奪われてる」
「この街にいるという根拠は」
「今日だけでふたり、不自然な形で家族を喪ったマスターと出会った。
 詳しくは後で話すが、どうにも偶然とは片付けにくい話でな。
 何しろ片方は武道を収めた魔術師。もう片方は聖堂教会の代行者の夫妻だ。
 後者に至ってはつまらない交通事故って形で命を落としてる。おかしな話だろ」

 思わず早口になっていたが、彼にはそれを自覚する余裕もない。
 希彦がぶつぶつ言っている十分の内に、高乃河二達からのメールを確認した。
 まだ完全に精査はできていないものの、流し見しただけでも目玉の飛び出るような内容ばかりだった。
 自分がのん気に気絶していた時間がひどく惜しい。
 その分だけ自分は出遅れた。切望した運命の結実がようやく影の先端程度見えてきたというのに、何をしているのかと自責のひとつもしたくなる。

「なるほど。痕跡を残さず人を消し、かつ社会的な根回しにも長けた弩級の犯罪者――といったところですか」
「少なくとも俺はそう睨んでる。というか、そうでなかったら説明の付かないことが多すぎてな」

 でも、僕らには関係ない話ですよねそれ。
 そう言われてしまえば終わりだったが、しかしそうはならない。
 何故なら蛇の存在はもはや単なる思考上の仮想存在ではなく、少なくとも"そういうモノがいる"ことは証明されているのだ。
 天津甕星がニシキヘビの単語に反応してくれたことは、そういう意味でもあまりに大きな分岐点だった。
 砂漠の砂をふるいにかけるような途方もない話が、現実に存在する犯罪者を追う追走劇へと変わった。
 そしてそうなれば、もうこれは鉄志達遺族だけの問題ではなくなる。

「……実在するとすれば、確かに厄介ですね。
 わかりました。そこに関しても、キャスターが戻り次第もう少し詳しく聞かせてください」

 蛇は実在する。
 少なくともNPCのような都市の背景としてではなく、魂と英霊を携えた演者(アクター)として今もどこかの藪中に潜んでいる。
 そんな厄介な敵対者の存在を、"どうでもいい"と切り捨てるなど賢明な選択とは言い難い。

 雪村鉄志が天津甕星から引き出した手がかりは、〈ニシキヘビ〉を狩りの場へ引きずり出した。
 特務隊が成し遂げられず、鉄志自身も心血枯れ果てるまで戦って、それでも叶わなかったステージ。
 これからだ。何もかもが、これからだ。血が滲むほど唇を噛んで、鉄志は自分に言い聞かせるように頷いた。



◇◇◇

538地図にない島 ◆0pIloi6gg.:2025/07/10(木) 00:12:09 ID:kI9b2Ge20
【世田谷区・ビジネスホテル(廃墟)/二日目・未明】

【雪村鉄志】
[状態]:疲労(小)
[令呪]:残り二画
[装備]:『杖』
[道具]:探偵として必要な各種小道具、ノートPC
[所持金]:社会人として考えるとあまり多くはない。良い服を買って更に減った。
[思考・状況]
基本方針:ニシキヘビを追い詰める。
0:希彦のキャスター(真備)が帰投次第、これからの話をする。
1:アーチャー(天津甕星)は、ニシキヘビについて知っている……?
2:今後はひとまず単独行動。ニシキヘビの調査と、状況への介入で聖杯戦争を進める。
3:同盟を利用し、状況の変化に介入する。
4:〈一回目〉の参加者とこの世界の成り立ちを調査する。
5:マキナとの連携を強化する。
6:高乃河二と琴峯ナシロの〈事件〉についても、余裕があれば調べておく。
7:今の内に高乃達からの連絡を見ておくか。
[備考]
※赤坂亜切から、〈はじまりの六人〉の特に『蛇杖堂寂句』、『ホムンクルス36号』、『ノクト・サムスタンプ』の情報を重点的に得ています。
※高乃河二達から連絡を受け取りました。レミュリンが彼らへ伝えた情報も中に含まれていると思われます。詳細はお任せします。
※アーチャー(天津甕星)の真名を知りました。

【アルターエゴ(デウス・エクス・マキナ)】
[状態]:疲労(中)、安堵
[装備]:スキルにより変動
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:マスターと共に聖杯戦争を戦う。
0:よかった。よかったぁ……。
1:マスターとの連携を強化する。
2:目指す神の在り方について、スカディに返すべき答えを考える。
3:信仰というものの在り方について、琴峯ナシロを観察して学習する。
4:おとうさま……
5:必要なことは実戦で学び、経験を積む。……あい・こぴー。
[備考]
※紺色のワンピース(長袖)と諸々の私服を買ってもらいました。わーい。

【香篤井希彦】
[状態]:魔力消費(中)、〈恋慕〉、頭の中がぐっちゃぐちゃ
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:式神、符、など戦闘可能な一通りの備え
[所持金]:現金で数十万円。潤沢。
[思考・状況]
基本方針:神寂祓葉の選択を待って、それ次第で自分の優勝or神寂祓葉の優勝を目指す。
0:なんだかとんでもないことになっていないか? ええい、さっさと帰ってこいあのバカキャスター!!
1:僕は僕だ。僕は、星にはならない。
2:赤坂亜切の言う通り、〈脱出王〉を捜す。
3:……少し格好は付かないけれど、もう一度神寂祓葉と会いたい。
4:神寂祓葉の返答を待つ。返答を聞くまでは死ねない。
5:――これが、聖杯戦争……?
6:〈ニシキヘビ〉なるマスターが本当に存在するのなら脅威。
[備考]
二日目の朝、神寂祓葉と再び会う約束をしました。

539地図にない島 ◆0pIloi6gg.:2025/07/10(木) 00:12:33 ID:kI9b2Ge20
【杉並区・区境近辺/二日目・未明】

【キャスター(吉備真備)】
[状態]:健康
[装備]:
[道具]:『真・刃辛内伝金烏玉兎集』
[所持金]:希彦に任せている。必要だったらお使いに出すか金をせびるのでOK。
[思考・状況]
基本方針:知識を蓄えつつ、優勝目指してのらりくらり。
0:さて、さて。面白くなってきたわい。
1:希彦については思うところあり。ただ、何をやるにも時期ってもんがあらぁな。
2:と、なると……とりあえずは明日の朝まで、何としても生き延びんとな。
3:かーっ化け物揃いで嫌になるわ。二度と会いたくないわあんな連中。儂の知らんところで野垂れ死んでくれ。
4:カドモスの陣地は対黒幕用の拠点として有用。王様の懐に期待するしかないのう。
[備考]
※〈恒星の資格者〉とは、冠位英霊の代替品として招かれた存在なのではないかという仮説を立てました。

【ランサー(カドモス)】
[状態]:全身にダメージ(小)、君臨
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:いつかの悲劇に終焉を。
0:神殺し、か。
1:令呪での招聘がない限り自ら向かうつもりはないが、アルマナに何らかの援護をする?
2:当面は悪国の主従と共闘する。
3:悪国征蹂郎のサーヴァント(ライダー(戦争))に対する最大限の警戒と嫌悪。
4:傭兵(ノクト)に対して警戒。
5:事が済めば雪村鉄志とアルターエゴ(デウス・エクス・マキナ)を処刑。
[備考]
 本体は拠点である杉並区・地下青銅洞窟に存在しています。
 →青銅空間は発生地点の杉並区地下から仮想都市東京を徐々に侵略し、現在は杉並区全域を支配下に置いています。
  放っておけば他の区にまで広がっていくでしょう。

 カドモスの宝具『我が撒かれし肇国、青銅の七門(スパルトイ・ブロンズ・テーベ)』の影響下に置かれた地域は、世界の修正力を相殺することで、運営側(オルフィレウス)からの状況の把握を免れています。

540 ◆0pIloi6gg.:2025/07/10(木) 00:13:02 ID:kI9b2Ge20
投下終了です。

541 ◆0pIloi6gg.:2025/07/11(金) 01:16:37 ID:RhzTLIIA0
アルマナ・ラフィー
蛇杖堂寂句&ランサー(ギルタブリル/天蠍アンタレス)
悪国征蹂郎&ライダー(レッドライダー(戦争))
山越風夏&ライダー(ハリー・フーディーニ)
キャスター(シッティング・ブル)
ノクト・サムスタンプ
覚明ゲンジ&バーサーカー(ネアンデルタール人/ホモ・ネアンデルターレンシス)
バーサーカー(ゴドフロワ・ド・ブイヨン) 予約します。

542 ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 22:55:58 ID:tyr1M99Y0
投下します

543TOKYO 卍 REVENGERS――(降星) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 22:58:05 ID:tyr1M99Y0



 〈脱出王〉は焦らない。
 ステージスターにとって目の前で起きるすべてはエンターテインメント。
 たとえアクシデントがあったとしても、それすら乗りこなしてウケを取ってこその大道芸人だ。
 だからこそ彼女は前回、ある意味では誰よりも厄介な存在として思い思いに跳躍し、盤面を掻き回したのだったが――

「っひぃ! わっ! ひゃあっ!?」

 そんな彼女にも、苦手な相手というものはいる。
 一言で言うと、ノリの悪い人間だ。

 こちらがどんなおちょくりで揺さぶりをかけても、そうか死ねと真顔で殴り付けてくる相手。
 その上実力も頭脳も完備、難攻不落を辞書で引いたら類例として出てきそうなエリミネーター。
 こういう連中との正面戦闘はどうにも骨が折れる。ともすれば、下手に英霊と戦うよりもよほど心と身体をすり減らしてくる。

 だから"前回"、彼女は好き放題やっているようで、徹底して二名のマスターとの無策な邂逅を避けていた。
 ひとりは蛇杖堂寂句、言わずと知れた怪物老人だ。これと戦いたがる人間はまずいないだろうし、さしもの〈脱出王〉もその例外ではない。
 とはいえ彼に関しては、触れられさえしなければある程度立ち回れる。
 純粋なスペック差が開きすぎているのでまず勝ちをもぎ取ることはできないが、少し遊んで逃げるくらいなら然程難しくない。
 先刻彼のもとを堂々と訪ねられたのはそれが理由だ。
 恐るべしは〈脱出王〉。あの蛇杖堂を相手にこんな科白が吐けるマスターは、針音都市の中でも彼女か祓葉くらいのものだろう。

 しかし一方で二人目の男。
 こちらに関しては、そうもいかない。

「相変わらずちょこまかと鬱陶しいな〈脱出王〉。今更言うまでもないだろうが、みんなお前のことは嫌いだったぜ」

 ノクト・サムスタンプ。
 関わること自体が悪手と称される極悪な策謀家だが、彼の真髄はむしろその先にある。
 夜。日が沈んで月が出れば、星空が照らす暗黒の空の下にて、彼は超人と化すのだ。

「ちょ、待っ……いや、いくら何でも容赦なさすぎだろ君ぃッ! こっちにもいろいろと、段取りとかそういうものがだね!?」
「させるわけねえだろ莫迦が。それをさせないために、わざわざこうして出てきてやったんだよ」

 夜の女王との契約。それが、ノクトを魔物に変える。
 〈はじまり〉の星々の中で条件を問わず最大値だけ比べ合うのなら、最大値は間違いなくサムスタンプ家の落伍者だった。
 死を経験し、太陽への妄執に囚われたことで急激に化けた白黒の魔女でさえ、今のノクトと関わるのは二の足を踏むだろう。
 それほどだ。それほどまでに、時を味方にした契約魔術師は圧倒的な強さを秘めている。

 地を蹴り、ひと飛びで人間の身体能力では考えられない高度まで飛び退いた〈脱出王〉に同じく一足で追いつく。
 彼女とて無抵抗ではない。すんなり逃げられないならと、相応に抵抗も試みている。
 なのにされるがままで圧倒されて見えるのは、あまりに身も蓋もない理由。
 何をしようとしても、試みた端から目の前のノクトに潰されているからだ。

544TOKYO 卍 REVENGERS――(降星) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 22:59:21 ID:tyr1M99Y0

「お前は無軌道な莫迦のように見えて狡猾だ。
 ショーを成功させる確証がある時は調子がいいが、都合悪い時には穴熊決め込んで、どれだけ探しても出てきやがらねえ」

 "夜"のノクト・サムスタンプの強さは、最優のマスターである蛇杖堂寂句さえ優に凌ぐ。
 五感、運動神経、反応速度に肉体強度――あらゆる能力値が人間の限界点を突破する。
 防戦に重きを置くなら英霊とすら張り合えるスペックを、非情の数式と称される最高峰の頭脳で駆使してくる。

「正直、性格の悪さならホムンクルス以上だよ。
 どいつも揃って俺を極悪人呼ばわりするが、真に腐ってるのはテメェだと思うぜ〈脱出王〉」

 彼は暗殺者であり、殺人鬼であり、武芸者であり、野獣である。
 夜と契った男の跳躍から逃れるのは、たとえ人類最高のマジシャンだろうと容易ではない。

 ノクトは、影を踏みしめていた。
 ビルの壁面を覆う影に、両生類のように貼り付くことで万有引力を無視している。
 その状態で初速から自動車の最高速度を超える吶喊を叩き出すため、彼の猛追は意思を持った突風と変わらない。

「だからここで殺す。ガキ共の戦争ごっこに噛む上でも、テメェみたいなのが跳び回ってるのは具合悪いんでな」

 "夜に溶け込む力"が三次元の縛りを無視し。
 "夜に鋭く動く力"が彼を魔人にする。
 そして"夜を見通す力"は、〈脱出王〉のすべてを見抜く。
 これらのすべてが、逃げの天才たる彼女が真価を発揮できていない理由だった。

「嫌われたもんだなぁ……! でも君だって知ってる筈だよ。昼だろうが夜だろうが、ハリー・フーディーニは誰にも捕まらないってね――!」

 タキシードの裾をはためかせると同時に、飛び出させたのは閃光弾。いわゆるスタングレネードだ。
 閃光は夜の闇を塗り潰す。影が消えればノクトの影踏みは無効化され、たちまち自由落下の牢獄に逆戻りする。
 現在彼らが戦っている高度は二十メートル超。ビル壁を足場に鬼ごっこを繰り広げているため、落ちれば墜落死の運命は避けられない。

 "夜に溶け込む力"さえ無効化できれば、足場のない高所は山越風夏の独壇場だ。
 けったいな力に頼らずとも風夏は垂直な壁を登れるし、何ならそこで踏み止まることもできる。
 よってこの一手は追撃を撒きつつ同時に致死の墜落を強いる、破滅的なそれとして働く筈だったが――

 結論から言うと。
 〈脱出王〉の返し札は、開帳することさえ許されなかった。

「大口叩く割にずいぶんセコい手使うじゃねえか。器が知れるな、えぇ?」
「ッ……!」

 裾から出した瞬間、ノクトが掴み取って握り潰す。
 それでも炸裂はする筈が、彼の右手に渦巻く夜色の闇が爆ぜる光を咀嚼し呑み込んでしまう。
 "夜に溶け込む力"のひとつ。ノクトは、自分の肉体の一部を夜そのものに変えることができる。
 やり過ぎれば夜に喰われ命も危ぶまれる危険な手だが、四肢の一本程度なら制御も利く。

(やばいな――分かっちゃいたけどめちゃくちゃやりにくいぞこれ。天敵って感じだ)

 しかし〈脱出王〉に舌を巻かせたのはその驚くべき芸当ではなく、昏く沈み込むノクトの双眸だった。
 "夜を見通す力"が彼に与えている力は、大まかに挙げると二種だ。
 いかなる闇をも見通す暗視。闇の中で何も見逃さない超視力。

 厄介なのは後者である。
 敵の筋肉の微細な動きまでつぶさに見取る凶眼は、あらゆる動作の"起こり"を暴き立てる。
 ヒトが肉体を持つ生き物な以上、筋肉に頼らず動くことは不可能だ。
 脳で考え、信号を伝達して筋肉を動かし、身体を駆動させる――つまり身体の前に筋肉が動作するのが人体のルールであって、ノクトはここを見ている。

545TOKYO 卍 REVENGERS――(降星) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:00:13 ID:tyr1M99Y0

 対人戦闘における、実質の未来予知だ。
 いかに〈脱出王〉が超人的な逃げ技の持ち主といえど、次どうするか常に読まれていては精彩を欠くのも避けられない。
 単に先読みされるだけなら彼女はそれを込みにした曲芸で抜けてみせるだろうが、相手は〈夜の虎〉なのだ。
 奇術師の技を暴く瞳。視た未来を確実に潰す圧倒的暴力。このふたつを併せ持つ夜のノクトは、まさしく彼女にとって天敵といえた。

「どうした。笑顔が引きつってるぜ」
「……は。言ってくれるじゃないか」

 だが――だからどうした。
 分泌されるアドレナリン、供給されるモチベーション。
 逆境は脱出の王を成長させる促進剤。故に彼女は不測を愛する。

「そうまで言われちゃ魅せないわけにはいかないね。さあさお立ち会い、ここまでおいで〈夜の虎〉!」

 事もあろうに〈脱出王〉は、足場にしていた壁を蹴飛ばした。
 するとどうなるか。先ほどノクトを追いやろうとした自由落下の世界に、彼女自身が囚われることになる。

(二十三メートルってところか。さすがの私もまともに落ちたら死ぬ高さだけど……)

 リスクはある。それでも袋小路を脱するためにはやらなきゃいけなかった。
 あのまま戦い続けていればいずれは詰め将棋、削り切られるのは確実にこちらだ。
 賭けではあるが、空中はノクトの追跡を振り切る絶好の場所。
 空に影はない。ここでなら、猛虎の影踏みを無効化できるというわけだ――そういう算段、だったのだが。

「……、……へ?」

 〈脱出王〉は一瞬、自分は幻覚でも見ているのかと疑った。
 落ちる自分と、高みのノクト。彼我の間合いがいつまで立っても広がらない。

「お、おいおいおい! 嘘だろ、そりゃ流石にデタラメすぎないか……!?」

 いやそれどころか、引き離した筈の距離が徐々に詰まり出している。
 理由は単純だ。ノクトが、追いかけてきているからである。
 我が物顔で空を踏みしめながら、逃げる〈脱出王〉に猛追しているからである。

   Wunggurr djina Walaganda,  ngarrila ngarri.
「――モンスーンの雲、天空なりしワラガンダの眷属へ乞い願う」

 夜の女王との契約が活きるのはその名の通り夜天の下。
 ならばそうでない時、ノクト・サムスタンプは無力な凡人なのか?
 違う。彼はその証拠に、もう一体の幻想種と契約を結んでいる。
 
 大気の精。
 オーストラリアの原住民族に伝わる大精霊ワンダナを原典とし、神秘の薄れた現代まで存在を繋いできた上位者だ。
 いくつかの誓約と引き換えに得たのは大気、つまり風を操る力。
 平時のノクトはこれを戦闘手段としており、今見せている空中歩行もその一環である。

546TOKYO 卍 REVENGERS――(降星) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:01:11 ID:tyr1M99Y0

「驚くほどのことかね。俺が風を操れることは知らなかったか?」
「いや……っ、知ってたけども! だけど、だからって空を歩けるとは思わないじゃん普通!?」
「空を逃げ場に使う阿呆なんてそうそういねえからな、見せる機会がなかった。
 おまけに目立つ。できるなら俺だってやりたかねえよ」

 大気に足場を構築し、空を歩く。
 が、それだけではない。
 そこには色が宿っていた。本来大気にある筈のない微細な濁りが満ちており、そこに夜の暗黒が降り注いでいる。
 
 すなわち影だ。
 空に影を作るという芸当を以って、ノクトは"夜に溶け込む力"を維持している!

「ましてやこんなもん、あちらさんに知られたら指詰めじゃ済まねえ不敬だからな。
 精霊から借り受けた風に女王の夜を溶かすなんざ、やってるこっちもぞっとしねえ」

 勝算を取り上げられた〈脱出王〉の喉が、ひゅっと音を鳴らした。
 思惑は失敗、それどころか自分だけ足場を失った格好だ。
 ノクトの手が届かない距離感を維持できている今のうちに手を打たなければ、ここですべてが終わりかねない。

「バケモノめ……!」
「こっちの科白だよ、大道芸人」

 風夏が再び袖をはためかせると、そこから無数の糸が伸びた。
 鋼線(ワイヤー)だ。目を凝らしても常人では視認不能の極細だが、数十トンの重さでも千切れない特注品である。
 彼女はこれを伸ばし、聳えるビル群の一軒に触れさせる。
 くるくると巻きつけて固定し、糸を急縮させることでその方角へと高速移動した。

 英霊顔負けのウルトラCだが、逆に言えばさっきの閃光弾と今使ったこれで仕事道具は品切れ。
 準備ができていないところにカチ込まれたものだから、余裕らしいものはまったくなかった。
 そしてこの渾身の離脱すら、ノクトにしてみれば予想可能の範疇でしかない。

「逃がすかよ。往生しろってんだ、もう十分生きただろうが」

 逃げる〈脱出王〉を追いかけて、無数の風刃が打ち込まれていく。
 掠めただけで骨まで切り裂く凶刃が、惜しみなく数十と放たれた。
 〈脱出王〉は絶妙な身のこなしから成るワイヤーアクションで、紙一重でそれを躱す。

「……ちぇっ」

 その頬から、一筋の赤色が垂れ落ちた。
 血だ。〈脱出王〉が、山越風夏が、ハリー・フーディーニが、血を流したのだ。
 手傷を与えたノクト自身、一瞬思考を空白に染められた。

547TOKYO 卍 REVENGERS――(降星) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:02:09 ID:tyr1M99Y0
 それほどまでに信じがたい事実。前回、祓葉を除き誰ひとり得られなかった戦果。

「――く、は」

 この奇術師にも赤い血が流れている、命が脈打っているという事実を。
 改めて噛み締め、ノクト・サムスタンプは嗤った。

「はぁッはッはッはッ! いいじゃねえか〈脱出王〉、初めてテメェを好きになれそうだ!」
「いたいけな少女の顔を傷物にして高笑いかい。聞きしに勝る極悪非道だね、ノクト!」
「ああすまねえな。許してくれや、あんまり愉快だったもんでな!」

 夜空に躍る、奇術師と鬼人。
 ドラマチックでさえある絵面だったが、実情はまったくそんなものではない。
 交錯する殺意と、そして因縁。
 彼らは生死を超えた、狂気という縁で繋がっている。

「安心したよ。結局テメェも、俺達と同じ――あの可憐な星に魅せられた、ひとりの人間だったわけだ」

 笑みを絶やさぬまま、ノクトが疾走する。
 それを迎え入れる〈脱出王〉の顔は、掠り傷を残しながらも不敵だった。
 彼女はこれ以外の顔を知らない。いや、舞台に立つ限りこの顔を崩してはならないと矜持に誓っている。
 
「もういいぞ、そろそろ休めよハリー・フーディーニ。後のことは俺が引き継いでやる」
「はは、やだね! 猫に九生ありて、今の私は所詮その道中。こんなところで死んだら、誰が後世の観衆諸君を驚かせるんだい!?」

 ここで〈脱出王〉が、初めて攻撃に出た。
 目的地のビル壁に着地するなり、その手で摘んだワイヤーを瞬と振るう。
 奇術師の無茶にあらゆる形で応える見えざる糸は、風を切り裂きながらノクトを射程に捉える。
 やる気になれば高層ビルを細切れにすることだってできる魔域の手品道具だ。
 いかに今の彼が超人と化していようが、これに絡め取られれば肉片と化すのは避けられない。

「娯楽なんざいつの時代も飽和してんだ。未来にテメェの居場所はねえよ、型落ちのステージスター!」
「ちっちっち、分かってないなぁ契約魔術師! ニーズは手前の腕で作るもんだろうッ!」

 銀閃が、風を裂き。
 風刃が、躍る奇術師を狙う。

 空中の攻防戦はあらゆる固定概念を無視していた。
 極限の技と無法、その二種を揃えていなければ成り立ちすらしない人外同士の激突。
 性能だけで見るなら勝っているのはノクトだが、脱出のための技を攻撃に回す屈辱を呑んだ〈脱出王〉は難攻不落だ。
 彼女は生き、逃れることに究極特化した突然変異個体。
 それが本気で生存のために行動したのなら、〈夜の虎〉と言えども攻略するのは並大抵のことではない。

「ていうか君はさぁ、なんていうんだろ、なんか女々しいんだよね!
 すましたしたり顔でべらべらくどくどと語ってるけど、ホントはイリスに負けず劣らず祓葉に灼かれ散らかしてるクセに!」

 何故、当たり前に垂直の壁に立てるのか。
 その上で秒間にして数十という精密操作を続け、夜のノクトを相手に拮抗できるのか。

「うじうじしてないで好きって言っちゃえよぉ!
 さっきミロクを喩えに出してたけど、私に言わせれば彼の方がよっぽど男らしいと思うけどなぁ!?」
「何を言われてるのかさっぱりだな」
「ほらそういうとこー! 中年男が女子高生に欲情してる時点で終わってるんだから恥なんかさっさとかき捨てとけよッ!」

 が、異常なのはノクトも同じだ。
 常人なら数秒で即死している鋼線曲芸の中で、風と肉体を寄る辺に前進を続けている。
 その甲斐あって、着実に距離は詰まっていた。

548TOKYO 卍 REVENGERS――(降星) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:03:24 ID:tyr1M99Y0
 まるで腐れ縁の友人同士のように舌戦を交わしながら、いつ首が飛んでもおかしくない激戦に身を投じるふたりの"人間"。
 ここまで手を変え品を変えの命のやり取りを続けているのに、未だ手傷らしい手傷が〈脱出王〉の掠り傷くらいしかないのも異様だ。
 〈はじまり〉の凶星達は、こうまで人間を逸しているのか。
 彼らが脅威たる理由が、その狂気だけではないことを証明するに足る論拠が、この数分間で嫌というほど示され続けてきた。

 しかし、どれほど戦況が膠着して見えても――戦いの本質は残酷なまでに明確だ。
 互いに不敵そのものの顔をしてはいたが、山越風夏は汗に塗れ、対するノクト・サムスタンプはそれを滲ませてすらいない。

「悪いな。こっちも後が詰まってんだわ」

 よって、結末はごく順当に訪れる。
 銀閃の波を風の砲弾で押し開き、強引に安全圏を作り出し。
 次の瞬間、ノクトは疾風(はやて)と化した。

「――多少分かり合えて嬉しいが、時間だから死んでくれ」

 魔力を惜しみなく注ぎ込んで、自らの背部を起点に暴風を生み出す。
 風の推進力を利用した、見敵必殺の超高速駆動(ロケットブースト)。
 ノクトの魔力量では長時間の持続は難しく、あくまで瞬間的加速の域は出なかったが――それでも、苦境の〈脱出王〉へ使う手としては十二分。

「ッ……!」

 堪らずワイヤーを引き戻すが、しかし遅い。
 落下で地上まで下り、神業の受け身で衝撃を殺し。
 迫るノクトから逃れようと試みた〈脱出王〉は、そこで鬼に追いつかれた。

 着地を完了したその時、既に目の前には〈夜の虎〉が立っており。
 殴れば鉄すら砕く魔拳が、獰猛な笑みと共に放たれていて――

「が……は、ぁッ……!!」

 それが、容赦なく少女の腹筋を打ち抜いていた。
 奔る衝撃に臓器が揺さぶられ、脳天ごと意識が撹拌される。
 紙切れのように吹き飛んだ〈脱出王〉は、路上駐車された軽自動車のボンネットに叩き付けられた。
 浮かび上がった人型の凹みが、彼女を襲った衝撃の程を物語っている。
 
「やれやれ、往生際の悪さは筋金入りだな。殺すつもりで殴ったんだが」
「ッ――は、ぁ。そりゃ、残念だったね……」

 即死には至らなかったし、致命傷もどうにか避けた。
 脱出の過程で身につけた受け身の技能。遥か上空から落下しても、それを取る余裕さえあれば墜落死せずに済む極限の神業。 
 それを目の前の拳に応用することで、山越風夏はぎりぎり、紙一重のところで生を繋いでのけたのだ。
 呆れるほどの生への執念。しかし、単に生き延びただけでは状況は好転しない。

 〈脱出王〉の声は濁っていて、痛ましい水音が混ざっていた。
 袋を破いたみたいに溢れてくる血が、奇術師の胸元をべっとり汚している。
 そのらしくない汚れた姿が、彼女の負った手傷の程を物語っているようで。

「共に運命へ狂したよしみだ。祓葉(アイツ)に伝えたい言葉があれば聞いてやる」
「はは、なんだよ。結構優しいじゃんか。
 じゃあ、そうだな……君のために準備してたのに、道半ばで死んで残念だ、って」

 喘鳴のような声を響かせながら、〈脱出王〉は口を開く。
 ノクト・サムスタンプは、誰も手折れなかった躍動の華を見下ろす。
 新宿の大勢が決着するのを待たずして、遂に六凶のひとつが墜ちる。
 誰の目から見ても明らかな破滅を前に、脱出の貴公子は笑って言った。

 ・・・・・・・・
「もし避けられたら、伝えておくれ」

549TOKYO 卍 REVENGERS――(降星) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:04:13 ID:tyr1M99Y0

 悪意に溢れた破顔を前に、ノクトは背筋を粟立たせる。
 思わず咄嗟に飛び退いたが、それがなんとか幸いした。
 ぱぁん。そんな軽い音と共に、一発の銃弾が闇の中を駆けたからだ。
 たかが銃弾。しかしノクトはその一発に、〈脱出王〉の曲芸を前にしてさえ抱くことのなかった、死のヴィジョンを見た。

 舌打ちをひとつ。
 弾丸の飛んできた方向に目を向ける。
 視線の先、路地の裏側……奈落めいた闇夜の底から、ぬらりと這い出してくる影があった。

「……ぁ……おぉ…………で…………し………………、……ぅ…………ず…………」

 痴呆老人のように、いや事実そうなのだろう、うわ言と判別のつかない声を漏らして。
 まるで脅威性を感じさせない物腰のまま躍り出たそれに、ノクトが抱いたイメージはひとつ。
 "死神"だ。死の国から這い出てきた、深い狂気に冒された怪物だ。
 彼にはそれが分かる。何故なら彼自身が、それ"そのもの"だから。

 ぎょろりと、萎びた眼球がノクトを睨んだ。
 いや、見つけた――というべきか。
 兎角この瞬間、彼はこれの逃走経路(しかい)に入ってしまったのだ。


「――――ヴァルハラか?」


 スラッグ弾のみを適正弾丸とするショットガンを抜く影は無防備。
 なのにそれが、獲物たるノクトの眼からすると一寸の隙もない狩人のものに見える。
 故にもう一度の舌打ちを禁じ得なかった。
 素直に殺せるなら万々歳。そうでなくとも、令呪の一画程度は使わせるのを最低保証として見据えていたが。

「クソペテン師が。なんてもん喚んでやがる、ゴミ屑」
「お互い様だろう。ここからが本番だよ、非情の数式」

 これは駄目だ。
 こいつを前に、人間は張り合えない。

 これは、九生の五番目。
 未来の大戦にて、数多の屍を築いた怪人物。あるいは英雄。
 神聖アーリア主義第三帝国、この時代には存在しない国。
 ナチスドイツの再来という悪夢の先陣を切った怪物射手(フラッガー)。
 心神喪失の逃亡者。
 ハリー・フーディーニ。

550TOKYO 卍 REVENGERS――(降星) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:04:52 ID:tyr1M99Y0

(プランの立て直しが要るな。
 このクソ女は是が非でもここで殺してえが、これを相手にどれほどやれる?
 最悪ロミオの野郎を呼びつけるとして、それで勝率はトントンまで持っていけるか?
 多少の無理は承知するしかないが、そこまでやって果たして〈脱出王〉の首をもぎ取れる確率は――)

 スラッグ弾を搭載したショットガンは単発銃。
 手数こそないが、それが問題にならない剣呑をノクトは感じ取っていた。
 単なる魔術師としてではなく、傭兵として世を渡り歩いたからこそ分かる、関わってはならない相手の匂い。

 だから考える。脳を全力で回転させて、ただひたすらに思索する。
 夜のノクトは肉体のみならず、脳髄も平時以上に冴え渡る。
 わずか一瞬の内に限界まで思案を深め、目の前の不測の事態に対する向き合い方(アイデア)を引き出して。
 そうしているその最中のことだった。新たに新宿中へ配備した使い魔が見取った情報が、脳裏になだれ込んできたのは。
 
「――――」

 伝えられた情報は、二度目の絶句をさせるには十分すぎるものであった。
 最悪の展開だ。あらゆる意味で、ノクトが避けたかった事態のすべてがそこに詰まっていた。
 苦渋に歪んだ面持ちで契約魔術師は瀕死の奇術師を睨み付ける。
 するとちょうど、どういう手を使ったのか彼女も"それ"を知り及んでいたようで――

「……さあ、どうする? 〈夜の虎〉」

 にたり、と。
 虫唾の走るような顔で、意趣を返すように、嗤っていた。



◇◇

551TOKYO 卍 REVENGERS――(降星) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:05:21 ID:tyr1M99Y0



 報告を聞くなり、征蹂郎は複雑な顔で動き出した。
 複雑、というのは読んだ通りの意味だ。
 怒り。動揺。狼狽。そしてそのすべてを凌駕するほどの殺意。
 それらに彩られた顔で、悪国征蹂郎は部屋を飛び出していた。
 あれこれ思考するのは後だ。今、それに時間を費やしている暇はない。
 既に事は起きているのだ。取り返しのつかない被害が、こうしている間にも重なり続けている。

『――逃げてくれ征蹂郎クン! デュラハンの野郎ども、新宿を放っぽってこっちに攻め込んできやがっ――ぁ゛……』

 そこで通話は途切れたが、何が起きたのかを察するには十分すぎた。
 同時に自分の考えの甘さを自覚し、数刻前までの己を殺したい気分になる。
 要するに、敵方の頭脳は――その悪意は、自分の遥か上を行っていたというわけだ。
 決戦の土俵になど固執せず、卑劣に非道に勝ちを狙いに来た。その結果がここ、千代田区で起こっている惨劇だった。

「……、くそ……!」

 刀凶聯合。征蹂郎にとって家族にも等しい同胞たちに持たせていたGPSの反応が、次から次に途絶えている。
 現時点で確認できるだけで五割を超える反応が消えていた。デュラハンに対し数で劣る聯合にとっては、言うまでもなく壊滅的な被害である。

 決戦の地を指定したのは征蹂郎だ。
 天下分け目の地は新宿。刻限も場所も彼が決めた。
 だが、敵手――首のない騎士団を統率する凶漢・周鳳狩魔は流儀など一顧だにもしない。
 だから何ひとつ構うことなく、聯合が居を構えていた千代田区にこうして兵を送ってきた。
 これだけならば半グレ同士の抗争における横紙破りの一例で済むが、周鳳狩魔はマスターなのだ。
 であれば当然、送り込まれる刺客は彼が呼び寄せたサーヴァント。
 境界記録帯の暴力に対し武装した人類が可能な抵抗など、大袈裟でなくそよ風にも満たない。

(そこまで卑劣なのか。そこまで恥を知らないのか――周鳳狩魔)

 食いしめた歯茎から滲み出た血が、口内に鉄錆の味を広げている。
 許さない。殺してやる。絶対に――誓う殺意はしかし目の前の現状を何ひとつ好転させない。
 そんな絶望的状況の中でも、しかし征蹂郎の判断は合理的だった。
 敵はこちらの本拠を狙ってきた。であれば、こちらも同じことをする以外に手はない。

 すなわち新宿へ向かう。
 己自身も敵地に乗り込み、正面から姑息な奴原どもを根絶やしにする。
 それが最も被害を抑止でき、かつ聯合の勝利に近づく手段だと悟ったから征蹂郎は迷わなかった。
 幸い、レッドライダーはもう新宿に投下してある。かの赤騎士と合流さえ叶えば、デュラハンなどものの敵ではない。
 昂り荒れ狂う激情を理性で押し殺しながら走る征蹂郎の前に、ちいさな影が馳せ参じた。

552TOKYO 卍 REVENGERS――(降星) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:06:21 ID:tyr1M99Y0

「――アルマナ」
「アグニさん。ご無事で何よりです」
「いや……キミの方こそ、無事で良かった。その様子を見るに……今起こっていることは理解していると思っていいか?」
「はい、把握しています。……聯合の皆さんが、アルマナにまで連絡をくれましたから」

 白髪。褐色。遥かギリシャの青銅王を従える少女、アルマナ・ラフィー。
 従者のように颯爽と参じた彼女は、迷わず征蹂郎に細腕を差し出していた。

「火急の事態と見受けます。護身は請け負うので、行き先をお伝えください」
「……新宿だ。オレはそこに向かわねばならない」
「分かりました。ではそちらへ急ぎましょう」

 幼子に手を引かれる、それは普通に考えればこの歳の男としては沽券に関わるものであったろうが。
 無論、そんな些事にいちいち眉を顰めてなどいられない。
 征蹂郎の中にあるのは、悪逆を地で行くデュラハンの総大将に対する憎悪のみ。

 既に持ち場を離れて退くようにとの指示は出してある。
 であれば後は、今度こそ己が先頭に立って怨敵打倒の鬨の声を唱える以外ない。
 その筈で、あったが――


「おや」


 進む道の前に、現れた影がひとつ。
 視認した瞬間、反射でアルマナが足を止めた。
 征蹂郎は、意識しなければ呼吸することさえできなかった。
 それほどの存在感と、そして死の予感を、立ち塞がる影は孕んでいた。

「ああ……よかった、手間が省けました。
 正直虱潰しにやるのも覚悟していたのですが、そちらから出てきていただけるとは」

 それは――白い騎士だった。
 白銀の甲冑。靡く金髪。
 男女の垣根を超越して、"美しい"の一語のみを見る者へ抱かせる顔貌。何よりも、死を直感として感じさせる災害めいた活力。

 征蹂郎は理屈なく悟る。
 これが、この男こそが、デュラハンの牙。
 己の同胞(とも)を虐殺した、忌まわしき首なし騎士の総元締めであると。
 噛み締めた奥歯が軋む。砕けんばかりにそうしたからか、歯肉からの出血が口内に鉄の味を広げた。
 
「お目にかかるのは初めてですね、聯合の王」
「お前が……」
「ええ、私はデュラハンのサーヴァント・バーサーカー。
 ゴドーと呼ばれている者ですよ。そこまでは突き止めていますでしょう?」

 今にも爆発しそうな怒りを湛えて臨む征蹂郎に対して、騎士――ゴドフロワ・ド・ブイヨンはどこまでも軽薄だった。
 絵に描いたような慇懃無礼な態度が、愛する仲間を蹂躙された王の逆鱗を逆撫でする。

553TOKYO 卍 REVENGERS――(降星) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:07:27 ID:tyr1M99Y0

「お前が…………」

 この時征蹂郎は、レッドライダーを令呪で呼び戻すことも考えていた。
 周鳳狩魔の英霊を落とせば、デュラハンの主戦力を削ぎ落とせたも同然だからだ。
 建前を除いて言うなら、自分の目の前にこの冷血漢が一秒でも存在し続けることが許せなかった。
 殺す。地獄を見せる。仲間が味わった苦しみを万倍にして叩き返さなければ気が済まない。
 沸騰した思考を冷ましてくれたのは、袖を強く引くアルマナの手。

「――アグニさん!」

 二メートルに迫る屈強な長身が、少女の細腕にたやすく動かされる。
 が、それに驚く暇はない。つい先ほどまで征蹂郎が立っていた座標を、神速で踏み込んだゴドフロワの光剣が切り裂いていた。
 煮え滾る憤激の中ですら骨身が凍る、隣り合わせの死。皮肉にもそれが、彼の頭をいくらか冷ましてくれた。

「……すまない。我を忘れかけた」
「お礼は後にしてください。一手でも誤れば、アルマナ達はここであのバーサーカーに殺されます」
「……認め難いが、そのようだな……」

 カドモスの青銅兵と一戦交えた経験など、"本物"の前では活かしようもない。
 現に征蹂郎は今、ゴドフロワの動きを断片見切ることすらできなかった。
 速すぎる。殺すというコトにかけて、眼前の怨敵は文字通り人外魔境の域にある……!

「おや、優秀な相棒(バディ)を持っているようだ。
 これなら狩りくらいにはなりそうですね。あいにく"同胞"はゴミ掃除にやっていて、ここには私だけなのですが」

 聞くな。相手にするな。揺さぶられるな。
 言い聞かせながら、征蹂郎はいつでもアルマナを庇えるように拳を構えた。
 五指には青銅兵(カドモス)戦でも用いた、レッドライダー謹製のメリケンサック。
 この程度で実力差を埋められるとは思っていないが、こんなものでもないよりはマシな筈だ。

「……ライダーを喚ぶ。令呪を更に削る羽目にはなるが……、背に腹は代えられない」
「駄目です。賢明な判断とは思えません」

 感情を抜きにしても、それ以外に目の前の窮地を乗り切る手段は思いつかない。
 マスターふたりで雁首揃えて英霊の前に立ってしまっている時点で、出し惜しみする状況でないのは明白だ。
 だがアルマナは淡々とした口調にわずかな緊張を載せて、征蹂郎の判断をぴしゃりと切り捨てた。

「これはもうアグニさん達だけの戦争ではないのです。
 あのノクト・サムスタンプのように、善からぬ輩がこの戦いに興味を示し始めている。
 であればギリギリまで出し惜しむべきでしょう。貴方のソレには、アルマナ達のとは比較にならない価値があるのですから」

 理路整然と並べられる論拠に、征蹂郎はぐっと息を呑む。

「……確かに、理屈は分かるが……、……状況が状況だ。それこそ、今が価値を示すべき場面じゃないか……?」
「問題ありません。アグニさんはただ、舌を噛まないようにだけ気をつけていてください」
「……舌……?」

 ――次に起こった事態を、悪国征蹂郎は後にこう述懐する。
 あの時自分は、生涯二度と味わえない経験をしたと。

 ひょい。
 そんな擬音が似合う軽い動作で、アルマナが征蹂郎を抱き上げた。
 物語の王子が姫にやるような、いわゆるお姫様抱っこだ。
 これにはさすがの征蹂郎も、思わず沈黙。というか絶句。
 生まれてこの方こんな扱いをされたことはないし、そもそも十歳そこらの幼女に抱えられるような体重ではない筈なのに。

「き、キミは……だな……その、もう少し……」

 しかしそんな彼の動揺をよそに、アルマナはただ騎士を見据え、淀みのない口調で宣言した。

554TOKYO 卍 REVENGERS――(降星) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:08:42 ID:tyr1M99Y0


「ここはアルマナがなんとかします。無茶をするので、失敗しても恨まないでくださいね」


 そう言って、たんと地面を蹴る。
 軽やかな動きで跳ね、電柱を蹴って更に跳躍。
 満月の下で、少女が青年を抱いて跳んでいく。
 その現実離れした絵面に、ゴドフロワもぽかんと口を開けていた。

「……、なんと。これがアレですか、若者の人間離れってやつですかね?」

 もちろん、手品の種はアルマナの会得している魔術だ。
 攻撃から治癒まで幅広い分野を修めている彼女は、当然強化魔術も高水準で身につけている。
 幼い肉体を限界まで強化して、一時的だが人外に迫る力と速度、それに耐えうる耐久性を得た。
 ゴドフロワをして敵ながら見事と思う他ないスマートな離脱手段だったが、しかしみすみす取り逃す白騎士ではない。

「面白い。付き合ってあげましょう」

 彼は何の外付けもなく、素の身体能力でアルマナの挙動をそのまま真似た。
 深夜の街を縫うようにして逃げる少女と青年、それを追うのは美しき白騎士。
 ジュブナイルと喩えるには奇天烈すぎる光景に、しかし少なくともふたり分の命が載っている。

 鬼ごっこの先手を取ったのはアルマナだったが、じきに構図が破綻するのは見えていた。
 魔術界の常識に照らせば天禀の部類に入るアルマナでさえ、サーヴァントにしてみればまさに小鳥に等しい。
 人型の戦略兵器とも称される彼らは、宝具やスキルの存在を抜きにしても十分に異常。
 同じ鬼ごっこの構図でも、両者の差は奇術師と傭兵のそれ以上に開いている。

「――――」

 アルマナはしかし焦ることなく、小さく何かを諳んじた。
 彼女の魔術は、虐殺された集落に連綿と伝わってきたいわば独自進化の賜物だ。
 詠唱ひとつ取っても、地球上のどの言語とも一致しないから文字にすら起こせない。

 征蹂郎を抱えたまま、迫るゴドフロワに向け手を伸ばす。
 そこから射出されたのは、目を焼くほど強く輝く光球の流星群だった。
 覚明ゲンジと邂逅した際に使ったよりも数段上、正真正銘本気の火力である。
 光球の性質はプラズマに似ているが、一方で雷でもあり、嵐でもあり、吹雪でもあった。
 創造した光球のすべてにそれぞれ別な色の魔力を込めることで性質をばらけさせ、敵に攻撃への適応を許さない仕組みになっている。

 対人戦では過剰と言ってもいい火力だったが、しかし相手はサーヴァント。
 現に結論を述べると、アルマナの攻撃などゴドフロワに対してはちょっと派手な目眩まし程度としか取られなかった。

555TOKYO 卍 REVENGERS――(降星) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:09:30 ID:tyr1M99Y0

「お上手です」

 駆けながら聖剣を振るい、剛力に任せて光の雨霰を破砕させていく。
 相当な熱が押し寄せている筈なのに、彼の顔には汗の一滴も流れていない。

「その年齢でよくぞここまで練り上げたものだ。
 生まれる時代が違えば、歴史に名を残す魔術師になっていたやもしれませんね」

 光熱を、雷を、嵐を、吹雪を、ゴドフロワはすべて剣一本で薙ぎ払う。
 じゃれつく子どもをあしらうように懐の深い微笑を浮かべ、微塵の労苦も窺わせずそうする姿は美しいまでに絶望的だった。

 これがサーヴァント。これが十字軍のさきがけ、狂戦士ゴドフロワ。
 彼は美しい。美しいままに、恐ろしい。アルマナの眉が震え、胸の奥がきゅっと縮み上がった。
 彼女の虐殺(トラウマ)を刺激する存在として、この白騎士は間違いなく過去最大の脅威である。

 映像で見たレッドライダーのように、無機質に戦禍を振り撒く存在ではない。
 この男はこうまで人間離れしていながら、しかしどこか月並みだった。
 アルマナや征蹂郎のような"人間"の延長線上に存在する、ヒトの心が分かる怪物。
 それを理解した上で、目的のためなら仕方ないと笑い飛ばせてしまう破綻者だ。

 ――あの集落を襲った侵掠者達のように。

「は――、ッ――ぁ――」

 呼吸がおぼつかない。
 ぐらぐらと揺れる意識、頭蓋の内側、いやもっと深いところから封じ込めたなにかが溢れてきそうだ。
 鳴りかけた歯をなんとか抑えられたのは幸いだった。仮にこの情動に身を委ねていたなら、自分はもうそれ以上戦えなかったろうから。

 攻撃の手を絶やしてはならない。
 一発でも多く撃ち込んで、一瞬でも長く敵を遅延させろ。
 令呪を使うのは最終手段。王さまに面倒をかけるわけにはいかない。

(だから、ここは……)

 わたしが、アルマナが、やるしかないのだ。
 そう思ったところで、少女は左手に小さな熱を感じた。

「……アグニさん?」

 征蹂郎は何も言わなかった。
 ただアルマナの眼を見て、小さく頷いた。
 それはまるで、揺れる心へ何事か言い聞かせるように。
 懐かしい感触だった。いつかどこかで、こんなことがあった気がする。

556TOKYO 卍 REVENGERS――(降星) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:10:15 ID:tyr1M99Y0

 きっと今よりもっと幼い日。
 眠れないとぐずる自分の手を握ってくれたのは誰だったか。
 わからない。覚えていない。思い出さないように蓋をしているから。

 そんな曖昧な記憶なのに、かけてもらった言葉だけは鮮明に覚えていて。

『――――大丈夫だ、アルマナ。ひとりじゃないぞ、みんながいる』

 蓋の隙間から溢れてきた優しい誰かの声が、アルマナから震えを吹き飛ばした。

 右手に光を集め、それを武器の形に創形する。
 一本の槍だった。投影ではなく、あくまでも光を使った粘土遊びだ。
 そういえば自分は粘土遊びの好きな子どもだった。
 あの集落では質のよい粘土がちょっと掘るだけで出てきたから、それで人形を作っては父様に焼いてもらっていたっけ。

 より大きく。より強く。どんな強者の眼からも見過ごせないほどハッタリを利かせて。
 少なからず魔力を注ぎ込んだせいで全身を張り付くような疲労感が襲っているが、無視する。
 距離は既に無視できないほど詰まっている。
 失敗は許されない――創り上げたそれを、アルマナは異教の騎士に向け超高速で撃ち放った。

「なんて顔をするのです」

 ゴドフロワは光の槍ではなく、生み出したアルマナを見て言った。
 聖者のような哀れみと、殺人鬼のような嗜虐を滲ませた、矛盾した声音だった。

「まるで傷ついた小鳥ですね。
 幼子らしく縋りついて、泣きじゃくっていればいいものを」

 アルマナの渾身の一撃に対しても、彼が見せる対応は大きく変わらない。
 光の槍と相対する光の剣――『主よ、我が無道を赦し給え(ホーリー・クロス)』の刀身が滑らかに肥大化する。

 そして激突。案の定、一瞬の拮抗すら成し遂げることはできなかった。
 槍は光という性質を保ったまま砕かれ、あっけなく虐殺の白騎士に踏み越えられる。
 最終防衛線の崩壊が彼女達に何をもたらすかは明らかで、結末は決まったかに思われた。

 しかし……

「――爆ぜて」

 アルマナの命令が、甲高い激突音に紛れて響いた。
 瞬間、今まさに砕かれた光の槍が、壮絶な大爆発を引き起こす。

 『壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)』という技法がある。
 宝具を自壊させ、その喪失と引き換えに莫大な破壊力を生むそれと、アルマナが今やった攻撃はよく似ていた。
 魔力で形成した武器という情報は罠。アルマナは最初から爆弾のつもりで放っており、ゴドフロワはまんまとこれを斬り伏せてしまったのだ。

557TOKYO 卍 REVENGERS――(降星) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:11:00 ID:tyr1M99Y0
 短慮の報いは夜の闇をかき消すような爆発。白騎士は、ほぼ中心部でこれに曝された形になる。
 人間だったなら万全に備えをした魔術師でさえ、原型を保てれば奇跡という次元の威力を持っていたが――それでも。

「なかなか効きました」

 涼やかな顔で、爆風の中から姿を現す聖墳墓守護者。
 多少の煤を被った程度で、手傷らしいものは皆無に等しい。
 ゴドフロワの肉体は、英霊基準でも異常な強度を有している。
 狂気の如き信心で補強された玉体を傷つけるには、現代の魔術師の全力程度では大いに役者不足だった。

「それで? よもや聯合の王に侍る近衛が、これで全力というわけはありませんね。
 老婆心ながら助言しますと、格上の敵を相手に出し惜しむことは禁物ですよ。
 ある筈もない未来を空想して勘定に耽るくらいなら、目の前にある現実に金庫を捧げた方がいい」

 たかがマスターでは、現代の人間如きでは、ゴドフロワ・ド・ブイヨンを倒せない。
 何故なら彼は十字軍の筆頭。多くの誇りと多くの血に濡れた行軍の第一回、それを牽引した虐殺の騎士。
 技、肉体、何より抱く狂気(オモイ)の桁が違う。

 よって、この無謀な逃亡劇に最初から勝ちの目などなかった。
 征蹂郎に令呪を使わせず切り抜けるなんて最初から不可能。
 アルマナ・ラフィーに、彼を無傷で守り抜けるだけの強さはない。
 誰の目にも分かりきっていた事実が改めて証明された瞬間だったが、一方で当の小鳥は、動じた風でもなく。

「更に飛ばします。酔わないように踏ん張ってください」

 そんな割と無茶な命令を出しながら足場を蹴飛ばし、宣言通りに急加速した。
 焼け石に水もいいところ。この程度でどうにかできる相手なら、そもそもこんな状況には陥っていないのだから。
 ゴドフロワももちろんそう思う。そう思って駆け出す。小鳥と、それに守られたゴミ山の王を摘み取るために。

 ――その行方を遮るように、飛び出した三つの気配が彼へ衝突した。

「……これはこれは。何か企んでいるのは予想していましたが」

 青銅の兵隊だ。正しく呼ぶのなら、スパルトイ。
 アルマナは征蹂郎を救援するにあたり、意図的にこれらを自分から遠ざけて隠していた。
 不意の事態への対応力が低下するリスクは承知の上で、伏せ札として使う場合の利点を考慮していたのだ。
 その甲斐あって、今老王の従者達は彼女の渾身で作った隙を縫うように、伏兵となり騎士の行方を阻んでいる。

「舐められたものだ。いかにかの青銅王の靡下といえど、私の足止めがこんなガラクタで務まると?」

 これを見て、アルマナのサーヴァントの真名に思い至れないほどゴドフロワは愚鈍ではない。
 ギリシャはテーバイ、栄光の国の王。竜殺しの英雄にして、"青銅の発見者"。
 すなわちカドモス。英霊としての格で言えば彼をも上回る難物だが、しかしたかが走狗風情でこの狂える騎士を超えることは不可能だ。
 結末は見えている。ただ、この場に限ればアルマナの作戦勝ちだった。

558TOKYO 卍 REVENGERS――(降星) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:11:32 ID:tyr1M99Y0

「とはいえ面倒には面倒だ。こうなると、煙に巻かれてしまうのは避けられませんね」

 千代田にデュラハンのサーヴァントが侵入していると察知した時点で、アルマナは意図的にスパルトイ達を散開させていた。
 その上で征蹂郎に接触。ゴドフロワがこうも早く聯合の王に辿り着くのは想定外だったが、初手でスパルトイを隠したのは正解だった。
 英霊を連れず絶望的な撤退戦に挑む少女を演じながら、乾坤一擲の一撃をあえて派手にぶちかますことにより、潜ませて追従させていた"かれら"への突撃の合図としたのである。

 傍に侍らせなかったこと、消耗を度外視した魔力の連弾。
 命がけのカモフラージュの甲斐あって、満を持しての突撃はゴドフロワをして意表を突かれる奇襲攻撃と化した。
 現にスパルトイ三体の同時攻撃を受けたゴドフロワは地面へ落とされ、アルマナ達の姿はとうに視界の彼方まで遠のいている。
 追おうにも道を阻むのは英雄王の青銅兵。大した相手ではないが、だからと言って一撃で蹴散らせるほど脆くもない。
 これらを片付けた上で改めてアルマナ達に追いつくというのは、さしものゴドフロワでもいささか難題だった。

「まあいいでしょう、本懐は雑兵狩りによる勢力の減衰だ。
 野良犬以外に寄る辺を持たない裸の王など、この先いつでも摘み取れますしね。
 仕方ない、仕方ない。では、それはそれとしまして――」

 思考を切り替える。
 逃げられたものは仕方ない、今回は相手が一枚上手だったと賞賛しよう。
 
 だが、それはそれとして。

「大義(わたし)の邪魔をする古臭い人形共は、壊しておきましょうか」

 爽やかなスマイルを浮かべながら、光の狂気は目の前の粛清対象達を見やった。
 重ねて言うが、結末は見えている。
 アルマナは命を繋ぐため、自分を守る大事な手札を手放してしまった。

 光が舞う。青銅の忠義が、これに応じる。
 刃と刃が奏でる鋭い音と、次いで重厚な何かが砕け散る音。
 暴力による暴力のための狂想曲が、暫し千代田の裏路地を揺らした。



◇◇

559TOKYO 卍 REVENGERS――(降星) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:12:39 ID:tyr1M99Y0



「――よかった、のか……?」
「よかったのかと言われると、よくはありません。後で王さまから大目玉を食らうでしょうが、甘んじて受け入れるしかないでしょう」

 スパルトイ達には足止めに全力を費やすことと、全滅だけは避けることを言い含めている。
 つまり、何体かを"持っていかれる"ことは承知の上での奇策だ。
 言うまでもなくそれは、王を連れず行動しているアルマナにとって大きな損失。
 スパルトイが全騎揃っていてもてんで足りないような魑魅魍魎が跋扈するこの東京で、彼女が捨てた手札の価値はあまりに大きかった。

 悪国征蹂郎が倒れれば、それすなわち刀凶聯合の敗北を意味する。
 今まで彼らにかけた時間も手間もすべて無駄になるのは当然として、最もまずいのは彼のサーヴァントが野放しになる事態だ。
 レッドライダー。あの戦禍の化身が要石を失い、他の誰かの手に収まる可能性。
 これこそが真の最悪だと、アルマナは港区での交戦の映像を観た時に理解した。
 アルマナに言わせれば征蹂郎はまだ穏健派のマスターだ。
 だから事はまだこの程度で済んでいるのだと、果たして彼は気付いているのか。

 規格外の戦力。魔力補給に頼らない燃費の良さ。周囲に精神汚染を撒き散らす災害性。
 本来なら一騎で聖杯戦争を終わらせかねない特記戦力だ。少し考えただけでも極悪な使い方が山程思いつく。
 
 誰もが恐れる筈だ。そして誰もが、欲する筈だ。
 赤騎士を征蹂郎以外の手に渡らせてはならない。
 そのリスクを排せるなら、スパルトイの損失など決して惜しくないと断言できる。

「……キミには、世話になりっぱなしだな」
「いえ。アグニさんの方こそ、先ほどはありがとうございました」
「……、……? 何のことだ……?」
「――――手を。握っていただきましたので」
「……ああ……。そんなことか……」

 アルマナは、こう考え始めていた。
 悪国征蹂郎は、自分の手でコントロールできる。

 彼の人生は刀凶聯合という共同体に縛られている。
 虚構の家族を居場所と信じ、そのために戦う愚かな道化(ピエロ)。
 その上、部外者である自分にまで思い入れのようなものを示し始める単純さだ。
 手綱を握るのは容易い。彼を傀儡に変えられれば、あの赤き騎兵も自分達の支配下に置ける。
 
 アルマナ・ラフィーは優秀だ。
 魔術師として必要な素養をすべて満たしており、それは精神面も例外ではない。

(ノクト・サムスタンプのような男に奪われるくらいなら、いっそアルマナが手中に収めてしまおう)

 彼が向けてくる信頼すら、道具として弄んでみせよう。
 最後に勝つために、アルマナは手段を惜しまない。惜しんではいけない。
 他人を信じることを美徳とする人がどんな末路を辿るのかは、自分が誰より知っている。

 だから、そう。
 今の言葉だって、ただの方便だ。

560TOKYO 卍 REVENGERS――(降星) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:13:42 ID:tyr1M99Y0

 まだ熱が残る左手を、きゅ、と小さく握りしめた。
 線となって消えていく夜景を横目に、少しだけ俯く。
 それから首を横に振り、降って湧きそうな何かを蹴散らした。
 
「ところでアグニさん、ひとつ進言があるのですが」
「……ああ、分かってる」

 アルマナの腕に抱かれた格好のまま、征蹂郎はスマートフォンを取り出す。
 考えていることは同じだった。こうまで状況が動いた以上、もはや四の五の言っていられない。

「ノクト・サムスタンプを問い質そう。事と次第によっては……、……もはや信用するに値しない」

 こちらの提示した条件の進捗も不明な状況だ。これ以上は信用問題である。
 ただでさえ見え透いた獅子身中の虫、外患に加え内憂にまで胃を痛めるのは御免だった。

 アルマナは無言で、それにうなずく。
 あの"傭兵"に関して、彼女は征蹂郎以上に不信を抱いている。
 レッドライダーを欲しがる意思を隠そうともしなかった時点で、信を置ける相手では断じてない。その上"王さま"のお墨付きだ。
 それに胸に秘める思惑を実行に移す上でも、征蹂郎と先約を結んでいる彼の存在は目の上の瘤でしかない。
 いざとなればそれこそ、征蹂郎をノクト排除に誘導することも視野に入れねばなるまい。

 征蹂郎が、端末を耳へと当てた。
 スピーカーモードにして貰う必要はない。そんなことせずとも、今のアルマナなら通話の一切を聞き分けられる。


『――おう、大将か。悪いな、色々立て込んでて連絡の暇がなくてよ』


 そうして響いた声は、あの時と同じ鼻持ちならないものだった。
 征蹂郎が眉根を寄せる。無理もないことだと、アルマナは内心思う。

「言い訳はいい……それよりも、状況を伝えろ」
『デュラハンのひとりを殺った。だが、こいつが予想外な隠し玉を持っててな。殺せはしたが、死ななかったってとこだ』
「……どういう、ことだ……?」
『言葉のままだよ。新手の死霊魔術か知らんが、首をへし折ったのに動きやがった。リサーチ不足だったな、弁解の余地もねえ』

 不死者(アンデッド)――。
 征蹂郎とアルマナの脳裏に、同じ少女の姿が浮かんだが。

『ああ、違う違う。安心しな、アレとは比べ物にもならねえよ』

 ノクトは、さながら思い浮かべたものを見通したようにすぐさま否定した。
 そのレスポンスの速さと、有無を言わせない語調には、この男らしからぬ私情が覗いているように思えた。

『不死なんて大層なもんじゃ断じてない。単なる手品だ。次の機会があれば、きっと問題なく殺せる』

 取るに足らない獲物に対して語るには、過剰と言っていい否定と侮蔑。
 合理の怪物めいた傭兵が垣間見せた人間性らしきものが、却って妙に不気味だった。
 踏み込んではならない禁足地の入り口を思わせる不穏な静寂が通話を通して満ちる。
 征蹂郎もそれを感じ取ったのだろう。彼は訝る声音はそのままに、話を変えた。

561TOKYO 卍 REVENGERS――(降星) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:14:25 ID:tyr1M99Y0

「周鳳狩魔のサーヴァント……"ゴドー"による、襲撃があった。被害は、……甚大だ」
『へえ、本拠襲撃か。敵さんの情報網もなかなかのもんだな』
「とぼけるな」

 征蹂郎の語気が強まる。
 無理もない。今の物言いは、仲間を何より重んじる彼にとっては決して許せないものだったから。

「お前が予測できなかった筈がない……。天秤にかけたな、オレの仲間を……」
『おいおい、ちったあ信用してくれよ。
 まあ確かに可能性のひとつじゃあったが、前もって伝えなかったのは何も陥れたいからじゃない。
 最前線(フロントライン)から厄介な戦力が退けてくれるなら、それはそれで好都合だと思っただけさ』
「――ッ」
『大将にはアルマナの嬢ちゃんが付いてる。マジでやばくなったらカドモスも出張ってくるんだろ?
 そら見ろ、リスクヘッジは万全だ。優先して潰すべき可能性とは言い難い』

 ノクト・サムスタンプは悪国征蹂郎と契約を交わしている。
 どんな理由があろうとも、刀凶聯合の仲間を意識的に犠牲にするような策は許さない。
 それを初手で破ったのかと罵ってやりたいのは山々だったが、征蹂郎はそうできなかった。
 彼も王である。一軍の将である。戦争に勝つというのがどういうことかは、分かっているつもりだ。

『薄情者と言われりゃ返す言葉もないが、別に捨て駒にしたわけじゃあねえ。
 あくまで優先順位の問題で、より勝ちに近付ける方を取っただけだ。
 嬢ちゃんがちょうどよく強行偵察に出てくれてたんでな。お陰で楽な仕事だったぜ』

 ノクトは聯合の兵士を捨て駒になどしていない。
 彼らと征蹂郎に及ぶ危険よりも、目先の勝ちを狙いに行ったというだけ。
 聯合を勝たせるための合理的な思考が、契約に悖らない範囲で冷血に傾いただけのことである。

 その結果、夜の虎は敵陣に堂々と踏み込み、暗殺を遂行できた。
 結果だけ見れば失敗でも、標的が持つ稀有な体質を暴き立てたという成果は大きい。
 これを横紙破りだと罵れば、それは征蹂郎の王としての沽券を毀損する。
 そう分かってしまったから、征蹂郎はそれ以上何も言えなかった。
 
『納得してくれたか? じゃあこっちの話をさせて貰うぜ。
 今、俺は〈脱出王〉と交戦してる。どうにも旗色が悪くなってきたが、それでも一撃重たいのを叩き込んでやった。
 化けの皮を一枚剥いでやったよ。私情を挟むのは自分でもどうかと思うがね、正直胸がスッとした』
「……、……」
『それと、アンタ新宿にライダーを投下したな?
 期待通りに暴れてみせたようだが、悪いことは言わねえ。そっちも一回退かせろ』
「――理由は」
『巡り合わせだ。厄介な奴が、よりにもよって俺達の稼ぎ頭のところに出てきたらしい』

 そこで、ノクトの声にまた感情が垣間見えた。
 ただし今度のは、さっきのような偏執的なものではない。
 もっと月並みでありふれた、そう、喩えるならば。

『蛇杖堂寂句の出陣だ。もう一度言うぞ、一度退け。あの爺さんと戦場で出会って、碌な目にあった奴を俺は知らん』

 どう扱っても角の立つ厄介な人間に対するような、辟易の念。

 ちょうど、ノクトが吐き捨てるようにそれを告げた瞬間。
 征蹂郎は身体を突き抜けるような熱に、発しようとした声を奪われた。



◇◇

562TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:15:12 ID:tyr1M99Y0



 霊獣を駆る原人の軍勢と、その中心でひとり立つ異形の騎士。
 この世の始まりとも終わりともつかない混沌の戦場は、神の到来を受けて尚変わらず続いていた。
 だが、違った点がひとつある。
 黒曜石の大剣を振り翳して戦うレッドライダーの動きが、"それ"の前と比べて目に見えて向上しているのだ。

 原人の突撃を、それを載せた隼ごと両断して。
 投石を受け止め、十倍以上の威力で投げ返し投手を粉砕。
 その間も身体を砲台代わりにして巨石を撒き散らして接敵を許さず、更に警戒すべき敵の優先順位も忘れていない。

 シッティング・ブルの呪術が、赤騎士の足元に陣を出現させる。
 底なし沼を再現して引きずり込み、動きを奪おうとするが無駄だった。
 陣が完成する前に地面ごと踏み砕いて、放たれていた矢の剛射を事もなく掴み取る。

 瞬時に、返品とばかりにそれを持ち主へ投げ返した。
 音の壁を突破して迫る矢が、鷹を駆るシッティング・ブルの眉間を狙う。
 咄嗟に身を反らして回避自体には成功したが、右の耳朶がちぎり取られた。
 霊獣の扱いに、少なくともこの場の誰より親しんでいるタタンカ・イヨタケ。
 そんな彼でさえあわや脳漿を散らす羽目になっていた事実が、"戦禍の化身"がどれほど規格外な存在であるかを物語っている。

(こうまで型に嵌めて、まだこれか――)

 ネアンデルタール人のスキルによる、作成可能武装の制限。
 原人と霊獣による数的優位まであって尚、まるで攻め落とせる気配がない。
 厄介なのはやはり不死性。原人の呪いでもそこまでを奪い去ることはできなかったようで、現にレッドライダーはシッティング・ブル達が与えたすべての傷をまったく無視して暴れ続けている。

 しかし不可解なのは、これが神寂祓葉の気配に呼応して強くなった事実だ。
 更に言うなら、あの時赤騎士は確かに"フツハ"と呼んでいた。
 自我など持っている風には見えないこの怪物が、例外的に有する他者への執着。

(先が見えん。ゲンジにまだ切り札があるなら、そろそろ使うよう打診すべき頃合いだな)

 嫌な予感しかしなかった。
 状況だけ見ればそれでもまだこちらが優勢な筈なのに、心に立ち込めた暗雲が晴れない。
 ゲンジだけではない。自分も、宝具の解放を視野に入れるべきだろう。
 それでも好転しないなら、その時は一度この戦いを捨て、異なるアプローチで敵軍を削るべきだ。
 ……と。まるで戦争屋のようなことを考えている自分に気付き、シッティング・ブルが静かに自己嫌悪に駆られたちょうどその時。

 ――身を貫くような、最悪の感覚が走った。

563TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:15:55 ID:tyr1M99Y0

「悠灯……!?」

 その意味するところはひとつ。
 周鳳狩魔と共に後方で控えている筈の華村悠灯に、何かが起きた。
 彼女の身を、命を脅かすような事態が、今まさに起こっている。

(馬鹿な……ッ)

 主要拠点および周辺には結界を張り巡らせてあるし、ゲンジの原人達だって配備されていた筈だ。
 にも関わらず、事が起きるまで侵入を悟らせることなく、襲撃をやり遂げてのけた凶手がいるというのか。
 にわかには信じ難い話だったが、悠灯の身に危険が及んだのは事実。
 生命反応は消えていない、それどころか弱まってすらいないのが不可解ではあったが――由々しき事態には違いない。

 どうする。
 悠灯が危ない。もしも侵入者が英霊、ないしその域に迫るモノであったなら狩魔でも庇い切れないだろう。
 シッティング・ブルは聯合に加担してこそいるが、彼にとって最優先すべきはもちろん悠灯の生存だ。
 自分がこの場を離れれば、霊獣に指揮を飛ばせる者も不在となる。
 未熟なゲンジと、理性なき原人達では任を果たせないだろう。
 戦線は瓦解し、聯合は切り札を失う。だが、悠灯を守ることに比べればそれが矮小な問題であるのも事実。

 葛藤。
 逡巡。
 しかし下すべき回答は分かりきっている。

 シッティング・ブルが断腸の思いでそれを選び取る、すんでのところで。
 偉大なる戦士と呼ばれた男は、その乱入者達を視認した。


「――――幸先が悪いな。いや、あるいは良いのか?」


 レッドライダーの存在は、それだけで大地を汚染する。
 この新宿南部に貼っていた結界は、既に半壊状態にあった。
 だからこそ"彼ら"はその孔をすり抜け、誰にも気取られることなくここまで辿り着けたのだろう。

 灰色のスーツに、季節外れの灰色のコートを纏った老人だった。
 長い白髪。酸いと甘いを噛み分けた者特有の鈍い眼光。
 だが老いぼれと呼ぶには、あまりに宿る生命力が暴力的すぎる。
 巨漢と呼んで差し支えない体躯に無駄はなく、年齢相応な要素はそれこそ先に挙げたものしか持っていない。

 老人は現れるなり、独り言をひとつ呟くと。
 目の前の地獄に怯むでもなく、悠々とその足を進めた。
 傲慢と、確固たる自負の滲む足取りの先。
 原人達が、石器武器を片手に敵愾心を示している。

564TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:16:58 ID:tyr1M99Y0

 無数の、理性をもぎ取られた瞳達が老人を見つめていた。
 原始的な知性のみで動く彼らは、ほぼほぼ獰猛な獣と変わらない。
 現住人類のアーキタイプのひとつ。更新世の祈り人。
 ホモ・ネアンデルターレンシスという、先人達の眼差しに囲まれて。
 老人はそれでも足を止めぬまま、その悪癖を隠そうともせず言い放った。

「邪魔だ。退け」

 それをもって、敵対の意思表示と看做したらしい。
 原人の一体が、石槍を振り翳して彼へ向かう。
 
「ああ済まん。猿に言葉は通じんか」

 原人は、一体一体の戦闘力で言えば確かに惰弱だ。
 しかしそれでもサーヴァントはサーヴァント。
 人類最高峰の格闘家を連れてきたとしても、戦ったならまず間違いなく彼らが勝つ。
 聖杯戦争について、境界記録帯について知る者であれば誰もが理解している当然の道理。
 だがこの"灰色の男"は、当たり前のようにこれを否定していた。

「赤毛と碧眼、寸胴の体格に太い手足……ホモ・ネアンデルターレンシスの特徴に一致する。
 要石はそこの醜男だな? またずいぶんと珍しい英霊を呼んだものだ」

 受け止めたのだ。
 片腕で、汗ひとつ流すことなく、原人の石槍を掴み取って封殺した。
 もちろん押し込もうとはしているが、老人が血の一滴も流さず健在なことがその奮闘の進捗を示している。

「サンプルとしては興味深いが……私は言ったぞ、邪魔だと」

 次の瞬間、原人の頭蓋が中身(ミソ)を散らしながら粉砕される。
 やったのは老人ではない。その隣にて像を結んだ、赤い甲冑の英霊の仕業だった。

「マスター・ジャック。僭越ながら忠言いたしますが、ここは危険です。迂回した方がよろしいかと」
「必要ない。念願を前にして時間を浪費しろと?
 臆病は無謀に勝るが、時と場合を見誤ればただの無能だ。私の英霊を名乗るならそのくらいは弁えておけ」

 レッドライダーのものに似通った、毒々しい赤色と。
 甲冑の背部から生えた、虫を思わせる三対六本の金属脚。
 美しい少女の見目が、それを上回る奇怪さに相殺されている。
 彼女の握る赤槍が音もなく瞬き、礼儀知らずな原人の頭を砕き散らしたのだ。

 これは、天の蠍。
 抑止力を超越した造物主と人類悪に対し、ガイアが送り込んだせめてもの刺客のひとつ。
 
 そしてそんな彼女を従える男の名こそ、蛇杖堂寂句。
 蛇杖堂記念病院、名誉院長。蛇杖堂家、現当主。
 御年九十にして未だ衰えを知らぬ妖怪。
 〈はじまりの六人〉のひとり。〈畏怖〉の狂人。かの星が生み出した闇、哀れなる衛星の一角である。

「とはいえ、確かに言いたいことは分からんでもない。
 だから"幸先が悪い"と言ったのだ。あの無能どもめ、喚んでいいモノとそうでないモノの区別も付かんのか」

565TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:17:49 ID:tyr1M99Y0

 呆れたような眼で寂句が見据えたのは、やはり戦場の中心に立つ赤騎士だった。
 寂句という異分子の出現に呼応している原人はごく一部で、残りのほとんどは騎士との交戦を続けている。

 総数数十にもなる英霊の群体と、それに力添えしている呪術師(シャーマン)の搦め手。
 そのすべてを単騎でしのぎ、ともすれば押し潰さんとしている様子は明らかに異常だ。
 それにこの領域に踏み入った以上、寂句の脳にも赤き呪い――〈喚戦〉の気配は這い寄っている。
 明らかに一介の英霊ではない。異端の中の異端、悍ましい災厄の擬人化。
 祓葉に似た不死性も垣間見えており、どう考えても籤運の範疇で済ませていい範疇を超えていた。

 しかし妙なのは、どうも本来の力を発揮しきれていない節があること。
 これほどの力を持つ存在でありながら、何故ああも原始的な攻撃手段で戦っているのか。
 違和感の正体に気付いた時、寂句は初めて表情らしいものを浮かべた。

 笑みだ。

「そうか。この猿共が、アレを抑え込んでいるのか」

 寂句の聡明は、純粋な知識量だけを指した評価ではない。
 知識などあくまで栄養素。いかに多く取り込んだとて、活かせないのでは意味がない。
 溜め込んだ智慧と九十年の経験。
 そのすべてを余さず搾り尽くして打ち出す超人的な判断力こそが、この男の最も恐ろしい点である。

「――おい、小僧。光栄に思え、貴様に恩を売ってやる」

 老人の眼球が、鷲に跨り空にいるゲンジに向けられた。
 アンタレスが新たに蹴散らした原人の肉片が吹き荒んでいるのも気にせず、寂句は言う。
 昏い高揚の中にいたゲンジも、これには流石に顔を顰める。

「………………ッ」

 だが次の瞬間、その表情は驚きと、そして動揺に彩られた。
 覚明ゲンジには、覚明ゲンジだけの視界がある。
 フィルターを切り替え、彼は彼の視点から、蛇杖堂寂句を見たのだ。
 であれば理解できない筈はない。寂句が何者で、何処を目指しているのかを。

 されど、蛇杖堂の医神はどこまでも傲慢で、他者を顧みない。
 よってゲンジには選択の余地も、対話の猶予さえ与えられはしなかった。
 猿顔の少年が口を開こうとした時には既に、主を脅かす原人の粗方を屠り終えた天蠍が、次の標的へ駆け出しているところだった。

566TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:19:02 ID:tyr1M99Y0

「なるほど。やはり、そういうことでしたか」

 何か得心行ったように呟く天蠍・アンタレス。
 彼女の槍を黒曜石の剣で受け止め、赤騎士は無言のまま彼女と相対する。

 散る火花は、共に赤色。
 アンタレスは六脚を駆使して縦横無尽、変幻自在の攻撃を加えていくが、レッドライダーは一歩も動かぬままそのすべてに対応していく。
 この一瞬の攻防を見るだけでも、突如始まった戦闘の天秤がどちらに傾いているかは明らかだ。
 アンタレスも弱くはない。軽やかな体躯と外付けパーツの利点を活かし、速度に飽かして技の限りで赤騎士を圧倒している。
 しかしそれはあくまでも、手の数に限った場合だけの話。
 赤騎士の応戦は無理なくその手数に追いつき、受け損じて負った傷もたちまち癒えてしまうのだから、彼我の戦力差は残酷なほど明確だった。

 だが、アンタレスは冷静に言う。
 彼女が寂句に迂回を勧めた理由。
 視認した瞬間からあった疑念が、矛を交えたことで確信に変わっていた。

「貴方、当機構の同郷ですね。ガイアの尖兵、……いえ。さしずめ意思表示とでも言うべきでしょうか」

 天蠍アンタレス。
 レッドライダー。
 激戦を繰り広げる両者は、共にガイアに連なる由緒を持っている。

 アンタレスは、ガイアの猛毒。

「ガイアの感情、恐らくは"怒り"。ヒトに愛想を尽かした母の意思を代弁する、四色の終末装置……」

 そしてレッドライダーは、ガイアの怒り。
 抑止力と終末装置、在り方は違えどルーツは同じだ。
 ある意味では兄妹喧嘩と言えなくもない構図。
 さりとて、たかが尖兵の一体と感情そのものでは話もまったく変わってくる。

 アンタレスの槍先がレッドライダーの喉笛を抉り、力任せに首を刎ね飛ばす。
 頭と胴を泣き別れにされても、しかしレッドライダーは止まらない。

 大剣を超高速で振り抜き、衝撃だけでアンタレスを数メートルは後退させた。
 彼女が体勢を立て直す暇もなく、蓮の種を思わせる無数の砲口が赤き身体に開く。
 次の瞬間、石を弾代わりにした砲撃の嵐が吹き荒れて彼女を狙う。

 圧倒的。すべてにおいて、ただひたすらに強すぎる。
 ガイアの仔としての格の差を示しながら、不滅の闘争は君臨を続けていた。

567TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:20:19 ID:tyr1M99Y0

「ぐ……っ、ぁ、く……!」

 小さな悲鳴を漏らし、徐々に押し切られていく天の蠍。
 彼女に六本の脚がなかったなら、この時点で無残に挽き潰されていた可能性すらあろう。
 だが、なんとか場を繋げていたとしても大勢は何ら変わらない。

 砲撃を放ちながら、大剣を握った赤騎士が距離を詰めた。
 すべてを終わらせる黒い大太刀が、原始の殺意が――妹たる蠍を押し潰さんとする。

 規格が違う。
 役者が違う。
 たかだか怪物の一匹。
 たかだか抑止の名を冠しただけの英霊。
 それでは、星の終末装置は斃せない。
 黙示録の四騎士。四色の【赤】を司るもの。
 それがレッドライダー。これが人類を終わらせる赤の騎士。

 故に倒せない。
 誰にもこれを超えられない。
 これは、未来に訪れる因果応報。最後に辻褄を合わせる存在だから。


 だから――

     
「そこだ。打て、ランサー」


 ――この天命(どく)からは逃げられない。


 アンタレスが、乾坤一擲の一撃を受け止める。
 裂帛の気合という表現を使うには無機質すぎる相手だが、受け止めただけで両腕が持っていかれそうになったのは事実だった。
 故にアンタレスは、大袈裟でなく死ぬ気で防御をこなす必要があった。
 その甲斐あってなんとか生を繋げた。激戦の中、状況を顧みず要求された主君の命令(オーダー)。
 前提条件は殺人的だったが、だからこそそれを満たせたこの瞬間が、千載一遇の好機と相成る。

「――はい。了解しました、マスター・ジャック」

 わずかな体幹のずらしで、懐へと潜り込んだ。
 歩みは速く、それ以上に狡く。
 獲物を狩る時の蠍に似た、合理と狡猾を併せ持った足取りが確定しかけた死線をすり抜けさせる。
 そうして得た一瞬の隙は、彼女が槍を振るうだけの時間としては十分過ぎた。

「その身、その霊基(うつわ)、もはや地上へ存在するに能わず」

 或いはこうなって初めて、レッドライダーは彼女を脅威たり得る存在と認識したのかもしれない。
 だが、だとすればあまりに遅すぎた。
 既に攻撃は放たれ、不滅の筈の身体は槍の目指す行き先に在る。

「然らば直ちに天へと昇り、地を見守る星となりなさい――」

 開く砲口。
 爆速と言っていい速度で動き、大剣にて迫る穂先を防がんとする両腕。
 すべて遅い。蠍の一刺しは常に神速、あらゆる驕りを認めない天の意思。
 なればこそ。蛇杖堂寂句という今宵の天に命ぜられたアンタレスがそれを遂げるのは、ごく当然の理屈と言えた。


「――『英雄よ天に昇れ(アステリズム・メーカー)』」


 突き穿ち、刺し穿つ赤槍の一突きが。
 過つことなく――、赤騎士の胸を貫いた。



◇◇

568TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:21:39 ID:tyr1M99Y0



 黙示録の【赤】。
 レッドライダー。
 それは、ガイアの怒り。
 人類に愛想を尽かした惑星が下す最後通牒の終末装置。
 戦争という原罪を司り、そこから人類が解脱できないからこそ不滅である騎兵。
 倒せない。超えられない。ヨハネの預言により、遥か遠未来まで人類は闘争を超克できないと証明されているから、誰にもこれは滅ぼせない。

 しかしそこにこそ隙がある。
 そも、黙示録の赤騎士とは遥か先の未来に顕現する存在なのだ。
 今この時代にまろび出ている時点で、これの存在は地上にとって正当ではない。
 預言を無視して地上へ顕れた終末装置。ガイアの意思にも、世界の規範にも背き跳梁するイレギュラー。

 ――であればその横紙破りを、星が差し向ける猛毒蠍(アンタレス)は見逃さない。


「ォ、オ……!? グ、オ、オオオオオオオオオオオオオ――――!!!」


 人類が飽和と腐敗を尽くした未来時代に顕現すべき赤騎士。
 預言の使徒たるこれ自体が誰より預言に叛いている事実を痛辣に指摘して、母(ガイア)は追放を断じた。
 よって毒は回る。不滅の筈の玉体(カラダ)を冒す。
 汝、地上へ存在するに能わず。直ちに天へと昇り、地を見守る星となれ。
 そう命じ導く猛毒が、レッドライダーに慟哭を余儀なくさせていた。

「オ、ノレ……! 貴様、屑星ノ一端、ガァッ……!!」

 天に昇れ、天に昇れ。もはやおまえは地上に不要である。
 増長者へ破滅を求める猛毒は、現代に非ざるべき超越者に対する特効薬。
 ただし良薬としてではなく、その存在を根絶する殺虫剤として、これの薬毒は覿面に効く。
 
「貴方はやり過ぎました。ついては、跡目は当機構が引き継ぎます。
 疾く消えてください、母様の"怒り"たる御身よ。この時代は、この運命は、貴方を必要としていない」

 原人の呪い。
 天蠍の宣告。
 二種の毒を受ければさしもの赤騎士も、もはや在るべきカタチなど保てない。

 英霊の座を通じたイレギュラーな召喚で、在るべきでない時にまろび出た戦禍の化身。
 今ここに存在していること自体が地上のルールを無視している。
 であればそんな赤騎士が、星の猛毒が働く条件を満たさない筈がなかった。

569TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:22:35 ID:tyr1M99Y0

「預言の時は未だ彼方。それまでお眠りくださいませ、お兄様」

 赤騎士の全身が、これまでとは違った様子で崩れ始める。
 例えるならそれは、風化した岩石のようだった。
 半流動体の体躯が末端から凝固して、ぱらぱらと地面に落ちていく。
 更に体表も不規則に波打っては微細な伸縮を繰り返しており、不滅を超えた想定外が起こっているのは明白。

 それでも悪あがきのように蠢きながら、赤騎士は天蠍へと踏み出した。
 黒曜石の剣も形を失い始め、もう刀身を失ったただの鈍器と化している。
 恐るべし戦争の厄災。この有様になっても己が使命に殉じ続ける姿は雄々しささえ感じさせたが……

「否、否、断ジテ否……!
 預言ノ時ハ訪レタ。我ハ、私ハ、俺ハ、僕ハ、儂ハ、アノ醜穢ヲ討チテ――」
「見苦しい」

 所詮は、消えゆくモノの悪あがきに過ぎない。
 天蠍の槍が目にも留まらぬ速度で閃き、蠢く騎士の総体を文字通り八つに引き裂いた。
 それが最後。不滅に見えた赤騎士は無残なバラバラ死体と化し、再生することなく夜風に溶けて消えていった。

 唖然。呆然。
 理性なき原人達を除き、シッティング・ブルも覚明ゲンジも、ただその光景を無言で見送ることしかできなかった。
 
 自分達が死力を尽くし、それでも打倒の糸口をついぞ見つけられなかった刀凶聯合の切り札が、こうもあっさりと消滅させられたのだ。
 この英霊は、この主従は、一体何者なのか?
 自分達の繰り広げていた戦争が児戯に思えてくるほどの圧巻を魅せたふたりはしかし、誇るでもなく冷静だった。

「殺せたか?」
「いえ、恐らくは逃げられました。
 あの者は母なる大地の"怒り"、当機構よりも抑止としての級位が上なのだと思います。
 致命傷には違いないでしょうが、即時の天昇とまではいかなかったようです」
「まあいい、十分だ。例外の存在は重大な陥穽だが、それを補うピースの目星も付いた。
 クク。たまには散歩などしてみるものだな、予期せぬ拾い物があった」

 何やら遠い先を見透かしたように言い、蛇杖堂寂句の眼差しが猿顔の少年に戻る。
 驚くべきことに、この男はもはや原人も霊獣も、牽制の意思を露わにしているシッティング・ブルさえ眼中に入れていなかった。
 彼が見ているのは原人共の主、要石。覚明ゲンジただひとりである。

「餓鬼。貴様、所属は"どちら"だ?」
「デュラハン、だけど……」
「そうか、それは何よりだ。
 同じ烏合の衆でも、ノクト・サムスタンプの手札を奪うのは要らん危険を孕むからな。
 ――助けてやった礼をして貰うぞ。貴様はこれから私と来い」
「…………おれの話、聞いてなかったのか? おれはデュラハンの一員で、周鳳狩魔の部下だ」

 ゲンジの言い分ももっともだ。
 寂句が戦場を収め、デュラハンの損害を限りなく零に近い形で収めたのは確かにまごうことなき功績。
 しかしだからと言って、陣営の切り札である原人達の手綱を握る彼を引き抜かせろというのは要求として度が過ぎている。

570TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:24:06 ID:tyr1M99Y0
 そんな当然の反論に、寂句は愚問を前にしたように鼻を鳴らした。

「勘違いしているようだが、これは要求ではなく決定だ。貴様に首を縦に振る以外の選択肢はない」

 義理も理屈も関係ない。
 己がそう決めたのだから、お前は従うしかないのだという暴君らしい傍若無人。

「それに、この会話自体が甚だしく無駄だ。
 強制的に頷かせる手段などいくらでもあるが、そんな労苦を払わずともどうせ貴様は頷く」
「……ずいぶんな、自信だな。おれの弱みでも握ってるってのか?」
「弱み? クク、確かに言い得て妙かもな。
 新参といえど、焦がれたモノを目にすることもなく横取りされるのは我慢ならんだろう」

 覚明ゲンジは、視認している人物が何かへ向けている感情を矢印として視認することができる。
 寂句が乱入してきてすぐ、彼はスイッチを切り替え目の前の老人に向かうそれを見た。
 そこには、遥か彼方へと伸びる極太の矢印があった。
 抱えているだけで理性が犯され、発狂してもおかしくないほどの圧倒的感情(グラビティ)。
 それを向けられている人間にも、逆に向けている人間にも、ゲンジは既に会っていた。

 だから分かる。本当は、既に分かっている。
 彼が一体何者で、何に灼かれた人間なのかを。
 ただ、その口から聞きたかった。
 

「私はこれから、神寂祓葉を終わらせに向かう」


 息が止まった。
 心臓が跳ねた。
 脳の奥底から、過剰なアドレナリンが溢れ出てくるのが分かる。
 ゲンジが目の前の老人の得体を察していたように、寂句もまた、ひと目見た瞬間から彼の病痾を見抜いていたのだ。

「手は揃えてあるが、相手は空前絶後の怪物だ。
 よって貴様も協力しろ。アレに灼かれた以上、後は遅いか早いかの違いでしかない。
 期待してやるから、死に物狂いで応えるがいい」

 寂句がゲンジを"新参"と呼んだのはつまりそういうこと。
 極星に灼かれ、魂を狂わされた哀れな残骸のひとつ。
 彼はもはや、〈はじまりの六人〉の同類だ。

 極星は引力を有している。
 よって衛星は、どうあっても宇宙の中心たる彼女に向かっていくしかない。
 寂句の言う通り、その時がいつ訪れるかの違いがあるだけだ。

「は、は」

 気付けばゲンジは、嗤っていた。
 狂ったように、壊れたようにそうしていた。

571TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:24:47 ID:tyr1M99Y0

 運命が自分を迎えに来たのだ。
 こちらの事情など知らず、手前勝手極まりない傲慢さで手を引いてきた。
 普通なら死神にドアを叩かれたような心地になるべきなのだろうが、ゲンジは違う。
 自分という存在が欲されている。神話の住人のような怪物達が、他でもない覚明ゲンジ(おれ)という役者の登壇を望んでいる。
 その事実が、何者にもなれず燻っていた少年にはひどく心地よかった。
 同時に納得する。この老人の言っていたことは正しい。こいつと遭った時点で、自分には拒む選択肢など残されちゃいなかったのだ。

「――――狩魔さん達のことは、裏切れない」

 ただ、そんな彼の中に唯一残った人間性がひとつ。
 彼は他の誰よりもデュラハンという組織に執着している。
 ドライな狩魔と、一時の居場所として身を置く悠灯のどちらとも違う。
 自分を見て、認め、共に語らってくれたそのふたりに対し、それこそ恩義にも似た絆を感じていた。
 狩魔は、ゲンジはいずれ自分達を食い尽くす真の怪物になると予想していたが――少なくとも今はまだその時ではないらしい。

「あんたに付いていくのは、いい。
 だけどバーサーカー達を全員連れて行くのは、ナシだ」
「選択権はないと言った筈だがな」
「なら、あんたをぶん殴ってでも作り出すよ」
「――は。無能が、出来もしないことをほざきおって」

 ゲンジはあくまでも要石。
 ネアンデルタール人達だけでも戦闘は行えるし、作戦の肝である神秘零落の呪いも使用できる。
 蛇杖堂寂句と共に神殺しの本懐を果たしに行くことと、周鳳狩魔とデュラハンを裏切らないことは両立可能だ。
 そう唱えて譲らないゲンジに対して、珍しく暴君が折れた。

「ここにいるのがすべてではないな。原人共の総数はどの程度だ」
「……百人弱だ。あんた達に殺されたぶんを含めても、まだそのくらいはいる」
「では五十体を寄越せ。それ以上は譲らん」

 ゲンジが、目線をシッティング・ブルの方へと移す。
 呪術師は既に地へ降り、ただ交渉するふたりを監視していた。
 寂句だけでなく、ゲンジのこともだ。
 半グレ同士の抗争の行く末に興味はないが、悠灯を脅かし得る可能性は摘み取る必要がある。
 もしも覚明ゲンジが自分の役割をすべて放棄し出奔するというのなら、多少強引にでもこの場から連れ去るつもりだった。

「悪いな、悠灯さんのキャスター。狩魔さん達には、あんたから伝えてくれよ」

 ゲンジ自身、不義理な真似をしているとは思う。
 それでも寂句と行くと決めた理由は、第一に裡から沸き起こる耐え難い衝動。
 そして、周鳳狩魔という男への信頼だった。

572TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:25:38 ID:tyr1M99Y0

 おれが頭を振り絞って思いつくようなことを、あの人が考えつかない筈がない。
 あの人は、おれが祓葉に傾倒してるのも知ってる。
 ならそのおれが、こうして"あいつ"に近付ける機会を得た時、どうするかなんて分かってる筈なんだ。
 きっとおれの勝手な行動なんか織り込み済みで策を作ってある。おれ如きが、あの人の計算を狂わせるなんてありえない。

 であれば何も問題はない。
 おれはおれのまま、おれのやりたいことをしよう。
 そう決めた少年に、偉大な戦士は口を開く。

「……理解ができん。
 君はその老人の言っている意味を、本当に解っているのか?」

 引き止めようとして出た言葉ではない。
 嘘偽りのない、シッティング・ブルの本心だった。

「ゲンジ。君が仰いでいるあの少女は、決して清らかなモノなどではない」

 知ったようなことを言っているのではなく、現に知っているのだ。
 シッティング・ブルは、タタンカ・イヨタケは、それを見た。
 この世界の神。天地神明の冒涜者。空に開いた孔、そこに向けて辺りすべてを吸引するブラックホール。
 恐ろしいと思った。あんなに恐ろしい神秘がこの世に存在するなどと、あの瞬間まで彼は知らなかった。

「触れれば、近付けば、身も心も灼き尽くす鏖殺の星だ。
 今の君は、蛾が燃え盛る炎に引き寄せられているようなものだ」
「……そうかもな。でも、はは、あんたにはわかんないよ。おっさん」

 ――灼かれてもないあんたじゃ、分かるわけがない。
 ――ヒトを本気で好きになるって、すごく怖いコトなんだ。

 ゲンジはそう言って、シッティング・ブルに背を向けた。
 その去り際の視線には、やはり奈落の底から覗くような禍々しいものが蟠っていて……咄嗟に、ライフルに手が伸びた。
 それは反射的な行動だったが、少年は振り向きすらせずに。

「何かあったんだろ。早く、悠灯さんのとこに戻ってやりなよ」

 朴訥とした優しさを滲ませて、言った。
 本来美徳である筈のそれが、今はひどくアンバランスなものに見える。
 土中に潜む多脚の虫が、何やら他者へ慈悲らしいものを示しているような。
 そんな生理的嫌悪感を、今のゲンジは匂いのように周囲へ放っていた。

573TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:26:08 ID:tyr1M99Y0


 ――シッティング・ブルは飛び去っていった。

 去りゆく気配を見送って、ゲンジは再び寂句の前に立つ。
 ゲンジも身長以外はそれなりに体格のいい男である筈だが、それもこのむくつけき老人の前では霞んでしまう。

「あんた……山越さんとは、ずいぶん違うんだな」
「あのような変態と一緒にするな。奴は我々から見ても異質な屑だ」

 同胞を殺された憤りからか、未だに敵愾心をむき出しているネアンデルタール人を片手で制す。
 最初の内、ゲンジと彼らを繋ぐものはわずかな仲間意識だけだった。
 それが今や令呪を用いずとも、こうしてゲンジに従うようになっている。
 同胞の仇など、原人達にしてみれば嬲り殺しにしても飽き足らない怨敵であろうに。
 その事実をゲンジは認識していたが、した上で、別にどうでもいいと思っていた。

「手筈は道中で説明する。一度しか言わんから、死ぬ気で頭に叩き込め」

 歩き出す寂句と、それに続くゲンジ。
 少年の後ろをぞろぞろと付いていく、数十人ものネアンデルタール人。
 彼らは信仰を持たない。彼らは、神の存在を知らない。
 しかしそんな彼らにも、その感情は備わっていた。

 ――――畏怖だ。

 この世には、理解の及ばない恐ろしいものがいる。
 それだけは、遠い石器時代にも共有されていた概念だった。
 


◇◇

574TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:26:48 ID:tyr1M99Y0



 ゴドフロワ・ド・ブイヨンの襲撃を振り切って、やや時間が経ち。
 征蹂郎はアルマナに抱かれるのではなく、自らの足で彼女と共に夜の街を駆けていた。

 既に両者とも、新宿区に入っている。
 敵地である以上、目立つダイナミックな移動を続ける理由はない。
 結界の内情はアルマナが分析し、なるべく安全なルートを通って潜入している形だ。
 そんな征蹂郎の顔色は悪く、額には脂汗が浮かんでいる。つい先刻感じ取った――レッドライダーの異変に起因するものだった。

 港区で試運転した時の、あの暴力的な消耗とはまた違う。
 例えるなら身体の中に他人の血が混ざり、拒絶反応を起こしているみたいな感覚だ。
 訓練を受けた屈強な肉体を持つ彼でなければ、とても活動を続行するなど不可能だろう。
 もっとも今の彼は、それどころではなかった。
 彼が気にしているのは自分の身体のことなどではなく、奇怪な状態に陥っているレッドライダーのことだ。

 新宿で交戦状態に入ったことまでは把握している。
 恐らくそこで、何かがあったのだ。
 認め難いことだが赤騎士は不覚を取り、現在ひどく不安定な状況にあると推察される。

「見たところ、契約は生きているようですが……正直、よくわからない状態ですね」

 専門家であるアルマナでさえこうなのだから、門外漢の征蹂郎に現状を分析するのは困難だった。
 無理もないことだ。レッドライダーはそもそも正当な英霊ではなく、常識もセオリーも通用しない相手。
 征蹂郎自身、己が従えるあの騎士のことなどまったく分かっていない。
 意思疎通も困難なため、ただの兵器と割り切って使ってきたが、ここに来てそのツケを払わされている気がしてならなかった。

「…………消えていないなら、それでいい」 

 だが征蹂郎の心には、臆する気持ちなど皆無。
 殺された仲間達の無念が、彼らの遺志がその背中を突き動かし続ける。

「オレはただ、勝つだけだ……。たとえここで燃え尽きるとしても、討たなきゃいけない敵がいる……」

 既にこの新宿には、刀凶聯合の構成員が自分と同様に怒り心頭で乗り込んでいる。
 神秘を宿した重火器で武装した武装集団だ。装備は拳銃がせいぜいだろうデュラハンの連中とは比べ物にならない突破力を持つ。
 結界を壊せ。雑兵を殺戮しろ。好きなようにやれ。暴れたいように暴れろ。お前達にはその権利がある。


「決着(ケリ)を着けるぞ――――周鳳狩魔」 


 そして無論――オレにも。

 必ず殺す。貴様のすべてを否定する。
 もはや待ったはない。倒されたドミノは、行くところまで行くしかないのだから。
 よってここからが戦争の本番。両軍の将が並び立ち、命を懸けて命を奪い合う地獄変。

 街は赤く、赤く彩られている。
 熱狂が波になって、都市を呑み込んでいく。

 それはまるで、厄災のように。



◇◇

575TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:27:44 ID:tyr1M99Y0



 深夜の新宿。ネオンの灯す赤が、赤で塗り潰されていた。

 交差点の中心に、その存在はあった。
 赤騎士――レッドライダー。元より異形の英霊であったが、いよいよ騎士の面影など微塵もない。
 輪郭を持たぬ半流動体。血にも似たそれは、ただ一箇所に留まることを知らず、膨れ、崩れ、滴り落ちては地面を濡らしている。
 硬質な骨のようなものが断続的に浮かび上がり、しかし定着する前に溶けて消えるのを繰り返す。

 ぐしゃ、にぢゃ、と何かを踏み潰す音。
 粘っこい足音と共に爆ぜる液体。ただでさえ静けさを失った街は、異常の中心にあるそれの発する現象によってさらに混沌を極めていた。

 赤い。
 赤すぎた。

 道路、ビルの壁面、車や家屋の屋根、信号機、歩道、ショーウィンドウ――レッドライダーの撒き散らすそれは重油のように粘り、血管のように街を犯している。
 壊れたポンプが延々と吐き出すように、あるいは決壊したダムから水が際限なく流出するように、【赤】の氾濫は止まらない。
 逃げ惑う人々がその奔流に飲まれ、悲鳴をあげて転び、水の中に沈んでいく。

「ァアァアァアアアアアァア…………!」

 レッドライダーの身体の一部が突如として激しく膨張した。
 風船のように膨れ上がったかと思えば、圧壊するように潰れて新たな奔流を生む。
 創世と滅亡の輪廻だ。
 黙示録の赤き騎士。世界が戦いを望む限り不滅の怪物。
 それが今、消えろ去れ天に昇れと求める大いなる意思に蹂躙されている。

 『英雄よ天に昇れ(アステリズム・メーカー)』。
 アンタレスの毒針は、確かにこれの霊基を貫いていた。
 現世にあってはならぬ遠未来の災厄。預言の矛盾を突き崩す一撃が、今なおレッドライダーを死へ誘い続ける病態の正体である。
 今や赤騎士はこの世すべての運命に嫌われた真の意味での孤立無援。
 言うなれば消毒液の海に垂らされた一個の細菌のようなもので、不死だろうが不滅だろうが存在を保ち続けられる道理はない。
 
 にも関わらずレッドライダーは、破滅への抵抗を続けていた。
 これは過去から現在までに起きたありとあらゆる戦争を貯蔵した武器庫のようなもの。
 個にして群、群にして個。天昇させられた端から失った箇所を別な戦争の記録で修復し、血塗られた歴史そのものを材料に自分自身を延命治療しているのだ。

 よってこうしている間にも、赤騎士の中からはどんどん武装の残数が削られている。
 病状は一秒ごとに進行していたが、一回のカウントでどれほどの貯蔵が失われているのかは騎士自身にしか分からない。
 ただひとつ確かなのは――終末の赤騎士は、もはや不滅の存在ではなくなったということ。

576TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:29:52 ID:tyr1M99Y0

 瀉血によるテセウスの船なら既に試した。
 だが無駄だ。あの毒はスカディのようにすぐ患部を切除すれば大した効き目をなさないが、一度回ってしまうと根が深い。
 レッドライダーの霊基にまで浸潤した星の強壮剤は、人類の罪業を担保に滅びを遠ざけていた星の機構(システム)を零落させた。
 戦争の厄災は討てる。人類は、戦争を根絶できるのだ。星はこの場に限りそれを望んでいる。

「――――ォ、オ――――ァ、アァ――――ギ――――グ――――」

 悲鳴とも慟哭ともつかない声をあげて、その【赤】は何を思うのか。
 これに自我はない。これに感情はなく、他者と理解し合うことも永遠にない。
 当然無念などという情も、概念ごと持ち合わせていなかった。

 あるのはひとつ。
 ガイアの怒りとしての、使命の遂行。
 ヨハネの預言をなぞって、救いの前の終末を運ぶ赤い運び屋。
 わななく四肢が、漏れ出す悲痛な声が、瞬時にして凍りつく。
 その瞬間、今まであれほどに荒れ狂っていた赤騎士が嘘のように静寂を取り戻した。


「――――理解シタ。デハ、ソノヨウニシヨウ」


 起伏のない機械音声じみた発声が、突如として何事かへの納得を独りごちる。
 依然その総体は泡立ち、膨張と萎みを繰り返していたが、それでも今のレッドライダーは過去どの瞬間よりも理知的だった。

「預言ハ成就サレネバナラナイ」

 赤い液体で構成された暴走状態の身体が、外側から無数の殻に包まれていく。
 肥大も収縮も生まれた殻の内に秘められ、圧殺され、騎士は死の概念を付与された現状に適応する。

「死ハ溢レ返ラネバナラナイ」

 まず構築されたのは鱗だった。
 全身をくまなく何層にもなって覆う真紅の鱗。
 最高峰の対戦車防壁を参考に設計、その上で材質を神話戦歴から参照した特殊鉱石(レアメタル)数種に限定。
 外側はもちろん、内側からの破裂さえ力ずくで押さえ込める特殊な構造を実現させ。

「醜穢ハ流サレネバナラナイ」

 頭部は伸長し増設され、四肢は変形の上で同じく増設。更に肩甲骨に相当する部位がせり上がった。
 尾底からぬるりと這い出した尾は、それだけで数メートルに達するほど巨大だ。
 尾が出現した頃には、レッドライダーはもはや完全に"騎士"の風体を失っていた。

「過チハ――繰リ返サレネバナラナイ」

 元あった手が脚に置換され、その上で更に左右一本ずつの脚が新設され。
 尾が薙がれれば、間に存在した街並みは容易く砕き流される。
 変態した肩甲部は皮膜を備えた巨大な両翼と化し、頭部は細長く、鰐や蛇のたぐいを思わせる形に伸長した上で七つに増えた。
 鱗に包まれ、翼と尾を備え、六本の足にそれぞれ鋭い鉤爪を備えて空を切り裂く。
 そんな赤騎士の成れの果ての体長は、二十メートルを超えている。
 異形の外見。巨大な体躯。背に備えた一対の翼と、世界を薙ぎ払う尾。そして、全身を覆う鱗。七頭に煌めく七つの王冠。

 その姿は、ああ、そう。まるで……


 ――――竜(ドラゴン)のよう。


「是非モ無シ」


 これは、赤き騎士の預言の更に先。
 七人の天使が喇叭を吹いたその後の災厄。
 地上に零落れた、ある愚かな魔王の断末魔。もしくは、古き悪しき蛇。
 燃え盛る炎のように赤く、存在そのもので神の教えを冒涜する救い難きモノ。


 ――――〈赤き竜〉と呼ばれる神敵の、似姿であった。

577TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:30:33 ID:tyr1M99Y0
◇◇










                       黙 示 録  変 調

                      A D V E N T  D R A G O N










◇◇

578TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:31:09 ID:tyr1M99Y0



「……どうなってんだ、こりゃ」

 刀凶聯合に身を置く青年が、街の惨状を見て思わず呟いた。
 その足は脛の辺りまで、赤い洪水に浸かっている。
 
 今や新宿は地獄絵図だった。
 赤、赤、赤、赤。どこを見ても一面の赤色だ。
 この色は彼らにとっては慣れ親しんだものだったが、それでもこれを見て常軌を逸していると思わないほど馬鹿ではない。
 
「征蹂郎クンの"サーヴァント"……だよな? これやってんの」
「まあ、多分そうなんじゃねえかな……。征蹂郎クンなりに考えがあんだろ、多分」

 戸惑いを隠せない様子で言葉を交わす青年達は、各々が現代日本の都心には見合わないえげつない武器を担いでいた。
 ロケットランチャー。重機関銃。火炎放射器に即死レベルの改造を施されたテーザー銃、ショットガンetc。
 しかもそれらが皆神秘を帯びており、当てられさえすれば英霊にも理論上は傷を負わせられる代物だというのだから凄まじい。
 たかが街角のゴロツキにそんな代物を与えた張本人こそが、街を変貌させた【赤】の源流。
 悪国征蹂郎が従える、ライダーのサーヴァントであることを彼らは知っている。

「つーかそれよりデュラハンだよデュラハン。お前らも聞いてんだろ、千代田で何があったのか」

 ここにいるのは皆、この世界の造物主が生み出した仮初の人形でしかない。
 それでも彼らには彼らの人生があって、守るべきものと、譲れない信念がある。
 征蹂郎が刀凶聯合を何より重んじているように、その愛すべき民である彼らも、同様に聯合の仲間達を愛していた。

 先遣隊として新宿に入っていた彼らが、千代田区で起こった殺戮の報せを受けたのがつい先刻。
 許せない。許せるものか。怨敵デュラハンはまたも俺達の一線を超えたのだ。
 皆殺しだ。ひとり残らず殺すしかない。八つ裂きにして、生まれてきたことを後悔するくらいの地獄を見せてやらなければ道理が通らない。
 そうして猛り、兜の緒を締め直し、聯合の兵隊達はデュラハンの本丸を目指していて。
 その矢先に、この異界めいた光景に遭遇した。
 明らかに征蹂郎のライダーのものであろう赤い水。それが見慣れた新宿の街並みを犯している様を、見た。

「征蹂郎クンはすげえ奴なんだ」
「ああ。マジですげえ人だよな」

 刀凶聯合の名を聞けば、半グレはおろかヤクザ者でさえ顔を顰める。場合によっては逃げ出す。
 話の通じない狂犬集団。どこの組織にも持て余された、つける薬のない馬鹿の集まり。

 かつて彼らはひとりの例外もなく、行き場のない野良犬だった。
 家庭環境の荒廃、社会への失望、人間関係の縺れ、犯してしまった罪からの逃避。
 三者三様の理由で燻っていた野良犬達が、ある風変わりな王のもとに集まって。
 そうしてできたのが刀凶聯合だ。打算ではなく、本能で惹かれ合い、出来上がった共同体。

579TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:32:00 ID:tyr1M99Y0
 故にその結束は強く。彼らはいかなる理由があろうとも、仲間の犠牲を許容できない。
 血縁ではなく流血で結ばれた絆。それが、彼らにとっていかなる現世利益にも勝る戦う意味になる。

「征蹂郎クン、悲しんでるだろうな」
「優しい人だからな、あの人。あんな仏頂面してるけどよ、いっつも俺らのこと考えてくれてんだ」
「聞いたことあんだ。征蹂郎クンはさ、泣けねえんだってよ。
 泣き方を知らねえんだってさ。だからどんなに悲しくても辛くても、ただ噛み締めるしかないんだろうな」
「はは。あの人らしいなァ」
「征蹂郎クン、クールなツラしてっけど誰より不器用だからな」

 聖杯戦争。
 肩に担いでいる兵器を総動員しても倒せるかどうか分からない、怪物と魔人の巣窟。
 デュラハンの半グレ達さえ臆病風に吹かれる修羅場に、聯合の彼らは二つ返事で身を投じた。

 命など惜しくはない。仲間のためならば。
 死など怖くはない。俺達が奉じた"王"のためならば。
 青春に似た狂信は、正體なき人形を熱を持つ戦士に変えていた。
 故に彼らは勇ましく戦う。命を惜しまず、死を恐れず、果ての果てまで突き進む。


「――そんな人を悲しませる連中、マジ殺したくね?」


 その、見方によっては美しい旅路が。
 死へのはばたきだとしても、きっと満足しながら死ねる運命が。
 【赤】い衝動の前に、醜く穢される。


「ああ。殺さなきゃダメだな」
「ブチ殺すしかねえだろ。手足全部もいでよぅ、目玉抉ってそこに小便してやろうぜ」
「物足りなくね?」
「ああ。物足りねえな」
「つーかさ、今更だけどよ。なんで俺達が悪人みたいにされてんだ?
 征蹂郎クンと出会うまで燻って、這い蹲って、そうやって生きるしかなかった俺らがさ。
 半グレとか呼ばれて、社会の裏側に押し込められて、一緒くたにされてクズ扱いされてんの、マジ許せなくね?」
「ああ。許せねえな」
「だよな。前から薄々思ってたけどよ、俺らの敵ってデュラハンだけじゃねえよな」
「ああ。全員ブチ殺さねえと気が済まねえよ」
「こいつら、俺らがどんな思いで生きてきたかも知らないでのうのうと被害者面してやがる」
「ああ。俺達や征蹂郎クンの味わってきた気持ちの、多分一ミリも分かってねえんだろうな」
「やっぱ殺さなきゃダメじゃね? こいつらも」
「ああ。殺さなくちゃダメだ」
「そうだよな」
「ああ」
「殺すか」
「殺そうぜ」
「殺しながら行けば一石二鳥だろ」
「弾が足りなくなったら、ライダーさんに貰えばいいもんな」
「じゃあやるかぁ」
「どうせやるなら競争にしようぜ」
「賛成。その方がモチベ出るわ」
「一番多く殺せた奴が勝ちな」
「やべ。俺、なんか知らんけど今メチャクチャムカついててよ。俺より多く殺されたらそいつのことも殺しちまいそうだわ」
「あー……俺もだわ。じゃあさ、俺名案浮かんだんだけどよ。殺された奴のスコアは殺した奴に足されるとかどうよ?」
「うわ、それマジ名案。そうしようぜ」
「よし、じゃあ決まりな。容赦しねえぞ俺は」
「誰に物言ってんだよ。後から泣きつくなよ? そん時はゲラゲラ笑ってやるからな」
「なら笑ってるお前らを殺すわ」
「征蹂郎クン以外は別に死んでもいいしな」
「俺らってそういうモンだろ。聯合はあの人のためにあるんだから」
「だな。あー、気楽でいいわ。じゃあ早速始めっかぁ!」

580TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:33:16 ID:tyr1M99Y0


 赤騎士は戦を喚び起こす。
 たとえ泰平の世であろうとも、一度それが顕現すればたちまち【赤】の一色に染まる。
 レッドライダーは確かに悪国征蹂郎のサーヴァントで、刀凶聯合の切り札であるが。
 かの騎士は征蹂郎もその同胞達も、あらゆる生き物を何ひとつ区別していない。
 台風に人格を見出し、進路を予測しようとする行為が無駄であるように。
 厄災たる赤騎士に区別や配慮のたぐいを期待する方が愚かなのだ。


「鏖殺(みなごろ)し!」


 【赤】はとめどなく溢れ出し、広がっていく。
 もはやその存在の終わりを以ってしか止めることはできない。
 復讐者達の雄叫びは、今や戦意に染められた狂戦士の奇声に堕した。

 皆殺しのクライ・ベイビー。
 血が広がる。戦が弾ける。神の民が愛した秩序は棄却され、黙示録の時が訪れる。


 ――――成就ノ時来タレリ。預言ハ叶イ応報ハ地ヲ覆ウ。
 ――――今コソ境界(レッドライン)ヲ超エル時。



◇◇

581TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:33:46 ID:tyr1M99Y0



【新宿区・歌舞伎町/二日目・未明】

【山越風夏(ハリー・フーディーニ)】
[状態]:疲労(大)、腹部にダメージ(大)
[令呪]:残り三画
[装備]:舞台衣装(レオタード)
[道具]:マジシャン道具
[所持金]:潤沢(使い切れない程のマジシャンとしての収入)
[思考・状況]
基本方針:聖杯戦争を楽しく盛り上げた上で〈脱出〉を成功させる
0:――さあ、お楽しみはこれからだよ、ノクト。
1:他の主従に接触して聖杯戦争を加速させる。
2:華村悠灯がいい感じに化けた! 世界に孔を穿つための有力候補だ!
3:悪国征蹂郎のサーヴァントが排除されるまで〈デュラハン〉に加担。ただし指示は聞かないよ。
4:レミュリンの選択と能力の芽生えに期待。
5:祓葉も来てるようだからそっちも見に行きたいけど……!
6:やばいなこいつちょっと強すぎる。助けて私のハリー・フーディーニ!

[備考]
準備の時間さえあれば、人払いの結界と同等の効果を、魔力を一切使わずに発揮できます。

〈世界の敵〉に目覚めました。この都市から人を脱出させる手段を探しています。

蛇杖堂寂句から赤坂亜切・楪依里朱について彼が知る限りの情報を受け取りました。

今のこのノクトとの遭遇は、流石の彼女にとっても予想外で準備不足であるようです。

【ライダー(ハリー・フーディーニ)】
[状態]:第五生のハリーと入れ替わり中
 五生→健康
 九生→疲労(大)
[装備]:九つの棺
[道具]:
[所持金]:潤沢(ハリーのものはハリーのもの、そうでしょう?)
[思考・状況]
基本方針:山越風夏の助手をしつつ、彼女の行先を観察する。
0:『――ヴァルハラか?』
1:他の主従に接触して聖杯戦争を加速させる。
2:神寂祓葉は凄まじい。……なるほど、彼女(ぼく)がああなるわけだ。
[備考]
準備の時間さえあれば、人払いの結界と同等の効果を、魔力を一切使わずに発揮できます。

宝具『棺からの脱出』を使って第五生のハリー・フーディーニと入れ替わりました。
神聖アーリア主義第三帝国陸軍所属。第四次世界大戦を生き延びて大往生した老人。
スラッグ弾専用のショットガンを使う。戦闘能力が高い。
ヴァルハラの神々に追われている妄想を常に抱いており話が通じない。

582TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:34:15 ID:tyr1M99Y0
【ノクト・サムスタンプ】
[状態]:健康、恋、やる気マンマン
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:莫大。少なくとも生活に困ることはない
[思考・状況]
基本方針:聖杯を取り、祓葉を我が物とする
0:相変わらずしぶといな〈脱出王〉。さて、此処からどうするか。
1:デュラハン側のマスターたちを直接狙う。予定外のことがあれば素早く引いて何度でも仕切り直す。
2:当面はサーヴァントなしの状態で、危険を避けつつ暗躍する。
3:ロミオは煌星満天とそのキャスターに預ける。
4:当面の課題として蛇杖堂寂句をうまく利用しつつ、その背中を撃つ手段を模索する。
5:煌星満天の能力の成長に期待。うまく行けば蛇杖堂寂句や神寂祓葉を出し抜ける可能性がある。
6:満天の悪魔化の詳細が分からない以上、急成長を促すのは危険と判断。まっとうなやり方でサポートするのが今は一番利口、か。
[備考]
 東京中に使い魔を放っている他、一般人を契約魔術と暗示で無意識の協力者として独自の情報ネットワークを形成しています。

 東京中のテレビ局のトップ陣を支配下に置いています。主に報道関係を支配しつつあります。
 煌星満天&ファウストの主従と協力体制を築き、ロミオを貸し出しました。

 蛇杖堂寂句から赤坂亜切・楪依里朱について彼が知る限りの情報を受け取りました。


【新宿区・南部/二日目・未明】

【キャスター(シッティング・ブル)】
[状態]:疲労(中)、右耳に軽傷、迷い、畏怖、動揺、霊獣に騎乗して移動中
[装備]:トマホーク
[道具]:弓矢、ライフル
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:救われなかった同胞達を救済する。
0:悠灯の元へ向かう。
1:今はただ、悠灯と共に往く。
2:神寂祓葉への最大級の警戒と畏れ。アレは、我々の地上に在っていいモノではない。
3:――他でもないこの私が、そう思考するのか。堕ちたものだ。
4:復讐者(シャクシャイン)への共感と、深い哀しみ。
5:いずれ、宿縁と対峙する時が来る。
6:"哀れな人形"どもへの極めて強い警戒。
7:覚明ゲンジ。君は、何を想っているのだ?
[備考]
※ジョージ・アームストロング・カスターの存在を認識しました。
※各所に“霊獣”を飛ばし、戦局を偵察させています。

583TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:34:50 ID:tyr1M99Y0

【覚明ゲンジ】
[状態]:疲労(中)、血の臭い、高揚と興奮
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:3千円程度。
[思考・状況]
基本方針:できる限り、誰かのたくさんの期待に応えたい。
0:……待ってろよ、祓葉。
1:祓葉を殺す。あいつに、褒めてほしい。
2:抗争に乗じて更にネアンデルタール人の複製を行う。
3:ただし死なないようにする。こんなところで、おれはもう死ねない。
4:華村悠灯とは、できれば、仲良くやりたい。
5:この世界は病んでいる。おれもそのひとりだ。
[備考]
※アルマナ・ラフィーを目視、マスターとして認識。
※蛇杖堂寂句の要求を受諾。五十体の原人を用いる予定。

【バーサーカー(ネアンデルタール人/ホモ・ネアンデルターレンシス)】
[状態]:健康(残り95体/現在も新宿区内で増殖作業を進めている)、一部(10体前後)はライブハウスの周囲に配備中、〈喚戦〉、ゲンジへの畏怖
[装備]:石器武器
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:今のところは、ゲンジに従い聖杯を求める。
0:弔いを。
[備考]
※老人ホームと数軒の住宅を襲撃しました。老人を中心に数を増やしています。

584TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:35:14 ID:tyr1M99Y0

【蛇杖堂寂句】
[状態]:右腕に大火傷(治療済み)
[令呪]:残り2画
[装備]:コート姿
[道具]:各種の治療薬、治癒魔術のための触媒(潤沢)、「偽りの霊薬」1本。
[所持金]:潤沢
[思考・状況]
基本方針:他全ての参加者を蹴散らし、神寂祓葉と決着をつける。
0:祓葉を終わらせる。
1:神寂縁は"怪物"。祓葉の天送を為してまだこの身に命があったなら、次はこの血を絶やす。
2:当面は不適切な参加者を順次排除していく。
3:病院は陣地としては使えない。放棄がベターだろうが、さて。
4:〈恒星の資格者〉は生まれ得ない。
5:運命の引力、か……クク。
6:覚明ゲンジは使える。よって、可能な限り利用する。
[備考]
神寂縁、高浜公示、静寂暁美、根室清、水池魅鳥が同一人物であることを知りました。
神寂縁との間に、蛇杖堂一族のホットラインが結ばれています。
蛇杖堂記念病院はその結界を失い、建造物は半壊状態にあります。また病院関係者に多数の死傷者が発生しています。

蛇杖堂の一族(のNPC)は、本来であればちょっとした規模の兵隊として機能するだけの能力がありますが。
敵に悪用される可能性を嫌った寂句によって、ほぼ全て東京都内から(=この舞台から)退去させられています。
屋敷にいるのは事情を知らない一般人の使用人や警備担当者のみ。
病院にいるのは事情を知らない一般人の医療従事者のみです。
事実上、蛇杖堂の一族に連なるNPCは、今後この聖杯戦争に関与してきません。

アンジェリカの母親(オリヴィア・アルロニカ)について、どのような関係があったかは後続に任せます。
→かつてオリヴィアが来日した際、尋ねてきた彼女と問答を交わしたことがあるようです。詳細は後続に任せます。
→オリヴィアからスタール家の研究に関して軽く聞いたことがあるようです。核心までは知らず、レミュリンに語った内容は寂句の推測を多分に含んでいます。

赤坂亜切のアーチャー(スカディ)の真名を看破しました。

"思索"と"失点の修正"を終えました。具体的内容については後にお任せします。

【ランサー(ギルタブリル/天蠍アンタレス)】
[状態]:疲労(小)、全身にダメージ(小)
[装備]:赤い槍
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:神寂祓葉を刺してヒトより上の段階に放逐する。
0:大義の時は近い。
1:蛇杖堂寂句に従う。
2:ヒマがあれば人間社会についての好奇心を満たす。
3:スカディへの畏怖と衝撃。
4:よもや同郷がいるとは。

585TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:35:38 ID:tyr1M99Y0
【新宿区・東部/二日目・未明】

【悪国征蹂郎】
[状態]:疲労(中)、魔力消費(中)、頭部と両腕にダメージ(応急処置済み)、覚悟と殺意
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度。カード派。
[思考・状況]
基本方針:刀凶聯合という自分の居場所を守る。
0:――ケリを着けよう、周鳳狩魔。
1:周鳳の話をノクトへ伝えるか、否か。
2:アルマナ、ノクトと協力してデュラハン側の4主従と戦う。
3:可能であればノクトからさらに情報を得たい。
4:ライダーの戦力確認は完了。……難儀だな、これは……。
5:ライダー(レッドライダー(戦争))の容態を危惧。
[備考]
 異国で行った暗殺者としての最終試験の際に、アルマナ・ラフィーと遭遇しています。
 聯合がアジトにしているビルは複数あり、今いるのはそのひとつに過ぎません。
 養成所時代に、傭兵としてのノクト・サムスタンプの評判の一端を聞いています。
 六本木でのレッドライダーVS祓葉・アンジェ組について記録した映像を所持しています。
 アルマナから偵察の結果と、現在の覚明ゲンジについて聞きました。
 千代田区内の聯合構成員に撤退命令を出しています。

【アルマナ・ラフィー】
[状態]:疲労(中)、魔力消費(中)、無自覚な動揺
[令呪]:残り3画
[装備]:カドモスから寄託された3体のスパルトイ。内二体破壊、残り一体。
[道具]:なし
[所持金]:7千円程度(日本における両親からのお小遣い)。
[思考・状況]
基本方針:王さまの命令に従って戦う。
0:アルマナはアルマナとして、勝利する。
1:もう、足は止めない。王さまの言う通りに。
2:当面は悪国とともに共闘する。
3:悪国をコントロールし、実質的にライダー(レッドライダー(戦争))を掌握したい。
4:アグニさんは利用できる存在。多少の労苦は許容できる。それだけです。…………それだけ。
5:傭兵(ノクト)に対して不信感。
[備考]
 覚明ゲンジを目視、マスターとして認識しています。
 故郷を襲った内戦のさなかに、悪国征蹂郎と遭遇しています。

※新宿区を偵察、情報収集を行いました。
 デュラハン側の陣形配置など、最新の情報を持ち帰っています。

586TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:36:10 ID:tyr1M99Y0
【新宿区・南部付近/二日目・未明】

【ライダー(レッドライダー(戦争))】
[状態]:『英雄よ天に昇れ』投与済、〈赤き竜〉
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:その役割の通り戦場を拡大する。
0:預言の成就。
1:神寂祓葉を殺す
2:ブラックライダー(シストセルカ・グレガリア)への強い警戒反応。
[備考]
※マスター・悪国征蹂郎の負担を鑑み、兵器の出力を絞って創造することが可能なようです。
※『星の開拓者』を持ちますが、例外的にバーサーカー(ネアンデルタール人)のスキル『霊長のなり損ない』の影響を受けるようです。
※ランサー(ギルタブリル/天蠍アンタレス)の宝具『英雄よ天に昇れ』を投与され、現在進行形で多大な影響を受けています。
 詳しい容態は後にお任せしますが、最低でも不死性は失われているようです。
※七つの頭と十本の角を持ち、七つの冠を被った、〈黙示録の赤き竜〉の姿に変化しています。
※現在、新宿区にスキル〈喚戦〉の影響が急速拡大中です。範囲内の人間(マスターとサーヴァント以外)は抵抗判定を行うことなく末期の喚戦状態に陥っているようです。
 部分的に赤い洪水が発生し、この洪水は徐々に範囲を拡大させています。

【千代田区・西部/二日目・未明】

【バーサーカー(ゴドフロワ・ド・ブイヨン)】
[状態]:健康、『同胞よ、我が旗の下に行進せよ』展開中
[装備]:『主よ、我が無道を赦し給え』
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:狩魔と共に聖杯戦争を勝ち残る。
0:まんまと逃げられてしまったが、はてさてどうしたものか。
1:神寂祓葉への最大級の警戒と、必ずや討たねばならないという強い使命感。
2:レッドライダーの気配に対する警戒。
3:聯合を末端から削る。同胞が大切なのですね、実に分かりやすい。
[備考]
※デュラハンの構成員を連れて千代田区に入り、彼らを餌におびき出した聯合構成員を殺戮しています。

587 ◆0pIloi6gg.:2025/07/20(日) 23:36:46 ID:tyr1M99Y0
投下終了です。

588 ◆0pIloi6gg.:2025/07/24(木) 01:15:35 ID:KcF31/9Q0
アルマナ・ラフィー
悪国征蹂郎&ライダー(レッドライダー(戦争))
華村悠灯&キャスター(シッティング・ブル)
周鳳狩魔&バーサーカー(ゴドフロワ・ド・ブイヨン) 予約します。

589 ◆0pIloi6gg.:2025/07/28(月) 00:31:21 ID:/xo8QoUQ0
投下します

590TOKYO 卍 REVENGERS――(血戦) ◆0pIloi6gg.:2025/07/28(月) 00:33:49 ID:/xo8QoUQ0



 新宿・歌舞伎町、あるライブハウス。
 新進気鋭ながら巨大な勢力とシノギを抱える半グレ組織〈デュラハン〉の息がかかっているここは、此度の決戦における事実上の拠点となっている。
 その一室、普段は特別な来客に対してのみ使っている応接室の中に、英霊シッティング・ブルの姿はあった。

 いつも通りの渋面に、普段に輪をかけて苦々しいものを滲ませながら。
 彼は、椅子に座った"彼女"の処置を行っていた。
 華村悠灯。地毛の覗いた金髪、痣だらけの身体、いかにも不良少女といった風体。
 対レッドライダー戦線を抜け出したシッティング・ブルが駆けつけた時、その姿を見て絶句した。
 人間の形をしていなかったからだ。正しくは首から上が、あらぬ角度に折れ曲がっている。

「……あ、もう動いていいか?」
「その筈だが、しばらくはあまり動かすな。私も初めて遭遇する事例だったから、どこまで処置が効いているか解らない」

 彼を襲ったのは悠灯をひとり残してしまったことへの後悔と、それ以上の激しい困惑。
 頚椎骨折という明らかな致命傷を負っているにも関わらず、悠灯は惨たらしい姿のままで平然と喋り、動いていたのだ。
 狩魔が何かをしたのかと疑った。場合によっては関係が反故になるのを覚悟で、殺そうとすら思った。
 だが他でもない悠灯自身がその憶測を否定した。曰く、ここを強襲してきた刺青の魔術師にやられたらしい。

 十分に結界を展開し、ゲンジの原人も配備した万全の警護体制をすり抜けた凶手にも懸念はあったが、まずは目先の問題だ。
 シッティング・ブルは混乱する頭をどうにか落ち着けながら、悠灯の傷の修復を始めた。
 呪術とは他者を害するだけの力ではない。
 呪(のろ)いである以前に呪(まじな)い。正しく使えば傷を癒やし、命を生かすことができる。
 彼の技量の高さもあり、幸い、悠灯の折れた首はとりあえず修復することに成功した。
 ただ依然彼女の胸は上下しておらず、体温も死体のように冷たいままだ。

 ――死んでいる。華村悠灯の肉体は、間違いなく生命活動を停止している。
 なのに何故、彼女は生きて動き、話せているのか。
 尽きぬ疑問の解を、シッティング・ブルはこの場に同席する"もうひとり"に求めることにした。

「……狩魔」

 戯言を交わしている暇はない。
 更に一切の嘘も、虚飾も許さない。
 見据える瞳には、大戦士の冷徹な側面が覗いていた。

「何があったか、詳しく説明してもらおう」

591TOKYO 卍 REVENGERS――(血戦) ◆0pIloi6gg.:2025/07/28(月) 00:34:52 ID:/xo8QoUQ0
「もちろんそのつもりなんだが……経緯はさっき話した通りだ。
 ノクト・サムスタンプ。山越の奴が言ってた、聯合側の"協力者"だろう。
 そいつがどういうわけか、あんたの結界と原人どもの警備を掻い潜って悠灯に接触した」

 こめかみに指を当てながら話す狩魔の様子には、冷静沈着な彼らしからぬ当惑が滲んでいる。
 ノクトの襲撃自体はまあ、そういうこともあるだろうと納得できないこともない。
 想定が甘かった。〈脱出王〉の忠告の重さを見誤っていた。
 魔術師でありながら、怪物の域に片足を突っ込んだ想像以上の難物だった――それで咀嚼できる。

 が、悠灯の件に関しては狩魔としてもまったく意味不明の事態であった。

「俺も、悠灯は殺られたもんだと思ったよ。
 首ってのは人間にとって最大の急所だ。そこが折れ曲がって生きてられる人間なんざこの世にはいねえ。
 だから正直ぶったまげたぜ。とはいえそのおかげで令呪を節約できたから、俺としては貸しを作っちまった形だな」
「……ノクト・サムスタンプが何かしたという可能性は?」
「ねえな。奴さんも悠灯が動き出したのを見て驚いてたよ。
 演技って可能性もあの様子じゃまずないと思う。想定外に直面した奴の顔だった」

 あの後、狩魔は悠灯を連れてすぐさまライブハウスに退いた。
 ノクトの再襲撃に備え、臨戦態勢を取った上であらゆる事態に備えた。
 狩魔としても、悠灯に対しては多少の情がある。
 シッティング・ブルが駆けつける前に彼女の容態確認を行ったのは、他でもない彼だ。

「最初に見た時もたまげたが、軽く触診してもっと驚いた。
 体温が人間のそれじゃねえ。心臓も脈も止まってるし、瞳孔も開きっぱなしだ。
 誰がどう見ても、死体だった。なのにこうやって平然と喋り続けてんだ」
「…………こんな時に言うのもなんですけど、狩魔サンはもうちょっとデリカシーを身に着けた方がいいっすよ。いやマジで」
「しゃあねェーだろ。俺だってガキの乳なんざ触りたくなかったよ」

 ジト目で見つめる悠灯に、狩魔は煙草片手に肩を竦める。
 緊急事態故踏み躙られた乙女の尊厳(そういうガラじゃないのは、悠灯がいちばん分かっている)はさておくとして、狩魔とシッティング・ブルの見解は一致していた。
 華村悠灯は死んでいる。死んでいる筈なのに、生きている。酷薄に聞こえるかもしれないが、生ける屍という他ない状態だ。

「私見を聞かせろ、キャスター。俺にも関わる話だからな、できれば正しい認識ってやつを持っておきたい」
「……君が何もしておらず、手にかけた凶手も然りだというのなら、可能性はひとつだろう」

 要するに、自分達は勘違いしていたのだ。シッティング・ブルはそう思った。
 己も、悠灯も。彼女の身体に宿っている力、ないし魔術の正體を履き違えていた。
 
「悠灯自身が持つ力。天命に逆らってでも、現世に留まろうとする魔術……」

 肉体強化。痛覚の遮断。そんなもの、ただの表層に過ぎなかったのだ。
 むしろ本質はこちら。実情を問わず、そこに命があり続けているという結果だけを希求する力。

「さしずめ――"死を誤魔化す力"とでも言ったところか」

 肉体が死ねば魂はそれを抜け出す、これを人は"死"と定義する。
 しかし悠灯の力は、その当たり前をすら拒む。
 魂の離脱に抗い、既に役目を失った肉体にそれを留め置く。
 そうやって宿主の生存を証明し続ける、そういう力だとしか考えられない。

592TOKYO 卍 REVENGERS――(血戦) ◆0pIloi6gg.:2025/07/28(月) 00:36:01 ID:/xo8QoUQ0

 死を破却するといえば聞こえはいいが、実情はまったくそんなものではなかった。
 実際に触れ、治すにあたって容態を把握したシッティング・ブルにはわかる。
 少なくとも悠灯に宿っているこの力は、神寂祓葉のようなご都合主義の不死ではない。
 
 これはあくまで誤魔化して、しがみつくだけの力だ。
 子どもの駄々、悪あがき。
 点数の悪かった答案を机の奥に隠して、当座の安寧を得ようとしているようなもの。

 その証拠に悠灯の心臓は止まったままだし、人としてあるべき体温のぬくもりも消えたままである。
 死んだ肉体を、死体のまま動かして生者を演じているだけ。
 生きたいのだろう? 死にたくないのだろう? なら叶えてやろう、ほらおまえはまだ生きている。
 傷は治らない。抜け落ちたものが戻ることもない。死者というカタチのまま、無理やり世に蔓延り続けるリビングデッド。
 噛み締めた奥歯はもはやひび割れそうだった。所構わず当たり散らしてしまいたいほどの、やりきれない気持ちが胸中に広がって消えない。

 そして、何よりそれに拍車をかけているのは。

「……悠灯。君は、本当に大丈夫なのか」
「え? ああ……まあ、大丈夫だと思うよ。
 いつも通り痛くはないし、キャスターのおかげで首も元に戻ったし」

 当事者である悠灯の、奇妙な冷静さ。
 命を奪われ、自分が生者とも死者ともつかない何かになったことを知った。
 狂乱しても責められない状況にありながら、悠灯はむしろこうなる前より落ち着いて見えた。

「それに、なんかさ。大変なコトになってるのは分かってるけど、気分はさっぱりしてるんだ」

 生きたい。生きたい。死にたくない――そう狂い哭き続けていた少女の顔に、わずかな安堵が見て取れる。
 無理からぬことだ。形はどうあれ、その恐怖は彼女の中から取り払われたのだから。
 ノクトの件がなくとも、いずれ悠灯はこの状態に辿り着いていただろう。
 脳死と心停止を超えて生き永らえる"超常"。未来を願う少女から不安を除去する、出来損ないのご都合主義。
 シッティング・ブルは、心穏やかでなどとてもいられなかった。
 これならいっそあの時祓葉の手を取り、彼女と同じ無限時計の使徒になってくれた方がよほどマシだったとすら思うほど。

「だから、アタシは大丈夫だよ。心配かけてごめんな、キャスター」

 華村悠灯は"成って"なお不死者などではない。
 誤魔化しの力が、どの程度の損傷まで補ってくれるのかも不明なままだ。
 首を切り落とされたら? 脳を破壊されたら? 全身を原型を留めないほどに粉砕されたら?
 それで死ねるならまだいい。
 どんな治癒も意味を成さないほどに肉体を壊され、それでも残った肉片に対しても、力が適用され続けてしまったら?

593TOKYO 卍 REVENGERS――(血戦) ◆0pIloi6gg.:2025/07/28(月) 00:36:51 ID:/xo8QoUQ0

 厭な可能性など、山のように思いつく。
 けれどそれを口にする勇気は、シッティング・ブルにはなかった。
 それをしてしまえば、今目の前にある不器用な微笑を惨たらしく壊してしまいそうで怖かった。
 だから何も言えない。何も言えないまま沈黙する彼に、次は狩魔から切り込む。

「心中察するが、俺からもあんたに聞きたいことがある」

 ――話題は移り変わる。
 赤騎士を迎撃するために打って出た彼らは、確かに一定の戦果をあげた。
 だが、そこまでの経緯は決して順風満帆なものではなかったようだ。
 この場にとある人物が不在である事実が、そのことを物語っている。

「ゲンジから詫びの連絡があった。
 あいつを問い質してもいいんだが、知っての通り不安定なガキだからな。ここは客観的な意見が欲しい」
「……ゲンジのバーサーカーは、君の予測通り聯合のライダーを大きく弱体化させた。
 しかしあくまで弱くしただけだ。根本の不死性を解決できないまま、我々は膠着状態に陥っていた。
 そこに現れたのが白髪の老人。おそらくは山越風夏の同類であろう、"ジャック"と呼ばれる男だ」
「その名前は聞いてるよ。蛇杖堂寂句、山越お墨付きの怪物だな」

 二本目の煙草に火を点けながら、狩魔は〈脱出王〉の話を思い出していた。
 曰く化け物。人間の常識が通じない怪物老人。ノクト・サムスタンプとは別な意味で、絶対に関わるべきではない相手。

 狩魔の口にした"怪物"という評に、シッティング・ブルさえ納得を禁じ得ない。
 英霊の彼から見ても、あの蛇杖堂寂句という男は常軌を逸していた。
 実力もそうだが、何より語る言葉に宿る力が異様だった。
 一言一句すべてに他一切をねじ伏せるような強さが宿り、明らかに歪んでいるのにその歪みも含めて法だと断ずるような、狂的な傲慢さがあった。

「我々が手を拱いていたあの厄災を、蛇杖堂寂句のサーヴァントはわずか一撃で撃退した。
 詳細までは不明だが、発言から推測するに抑止力の尖兵らしい。
 更に言うならあのライダーも、どうやら彼女の同族……この星の意思に近しい存在であるようだった」
「門外漢だが、そりゃずいぶんとけったいな話だな。よくあるのか? そういうことは」
「無論、イレギュラーだろう。兎角そうして赤騎士は撃退され、その働きを担保に蛇杖堂寂句がゲンジに同行を迫った」
「無理やり連れて行ったのか?」
「いや。同伴したのは、ゲンジの意思だ」

 ふう、と狩魔がため息を吐き出した。
 漏れた紫煙が、ゆらゆらと応接室の中に漂っている。

「思ったより早かったな」
「……想定していたのか?」
「あいつはとっくに神憑りだ。俺達にどれだけしおらしい姿を見せてても、結局いつかは手前の信仰に向かっていくと思ってた。
 できれば悪国のライダーを排除してからにしてほしかったが、起きたことにああだこうだ不満言っても仕方ねえ」

 ゲンジが祓葉に傾倒しているのを、狩魔はとうに知っていた。
 同時に、その狂気が既につける薬のない域にあることも。
 周鳳狩魔は狂気を道具として扱いこなし、物事を進めてきた人間だ。

594TOKYO 卍 REVENGERS――(血戦) ◆0pIloi6gg.:2025/07/28(月) 00:38:01 ID:/xo8QoUQ0
 だからこそ分かった。分かった上で、あえてゲンジの中のバルブを開くように仕向けた。
 山越風夏を彼と接触させたのもそれの一環。
 効果は予想以上。燻るだけだった少年は、人道倫理を踏み砕く奈落の虫へと化けてくれた。
 
「原人の動員を要求されただろ。どのくらい持ってかれた感じだ?」
「五十人。それ以上は譲らないと蛇杖堂は言っていた」
「上手いな。過半数を持っていきつつ、絶妙に譲歩を感じさせる数字だ。
 やってくれるぜ。傍若無人なようで、手前の大将のメンツは立ててやると暗に示してやがる。
 できればもう少し人数の交渉をしてほしかったが、相手が悪すぎたな。ゲンジが駆け引きできる相手じゃねえわ」

 嘆くようなことを言う一方で、狩魔にさほど動じた様子はなかった。
 覚明ゲンジが想像していた通り、彼の出奔は狩魔の想像の域を出なかったのだ。
 問題はタイミングと、持っていかれた原人の数。
 ただしそれも、決して彼の描く筋書きを破綻させるほどの不測ではない。

「ありがとな、報告助かった。
 野郎が無事で戻ってきたらヤキ入れるとして、聯合の化け物を無傷で追い払えただけでも上出来だ」

 この場合の無傷とは、人員の欠損のことを指す。
 シッティング・ブルは軽傷で戻り、ゲンジも手元は離れたが生きている。
 原始の呪いを振り撒くネアンデルタール人達ももちろん健在で、デュラハンは一方的に情報だけを勝ち取って退けた形だ。

「キャスター。残り、そうだな……十五分でどれだけ結界を補強できる?」
「聯合のライダーとの交戦に際し、霊獣達の多くを戦場へ向かわせていた。それを呼び戻せば、大体倍程度の強度には仕上げられるだろう」
「今すぐ頼む。俺もゴドーを呼び戻して備えるよ」

 聯合の赤騎士は、原人の呪いである程度まで零落させられる。
 そう分かっただけでも戦果としては十分すぎる。
 その上で蛇杖堂寂句のサーヴァントが打ち込んだ傷もあるのだ、聯合と揉めるにあたって不安点だった戦力面の格差はだいぶ埋められたと言っていい。

 五十人の損失はでかいが、残り五十人弱もいれば立て直しは十分できる。
 そも、狩魔はネアンデルタール人達に武力としての貢献をそれほど期待していない。
 あくまで利用価値は彼らが持つ"呪い"の方にあり、だからこそゲンジの在不在は問題ではなかった。
 むしろ分かりやすいアキレス腱であるゲンジが現地を離れてくれたのは見方によってはプラスでさえある。
 後輩を気にかけながら、同時に駒として冷淡に評価し、必要に応じて使う。
 それができるからこそ周鳳狩魔は不動の王なのだ。首なしの騎士団を従えて、若くして現代の裏社会に版図を広げることができたのだ。

「――なあ、キャスター。もしかして……」
「ああ」

 おずおずと問うた悠灯に、シッティング・ブルは苦い声色のまま答えた。
 マスターである狩魔が把握していることだ。サーヴァントの彼が、感知していない筈がない。
 今、この新宿で起きていること。それは、各地に散っている霊獣達の視覚を通じて解っている。
 蛇杖堂寂句の英霊から手傷を受けて撤退した赤騎士。アレの司る赤色の魔力が、異常に拡大していることも。
 その拡大と並行して、街に住まう人々があらぬ狂乱に駆られ、筆舌に尽くし難い凶行に及び出していることも――すべて、解っていた。

 更に言うなら。
 追い詰められた赤騎士が、先の戦場で見せたのとは比較もできないほどの強大なナニカに変じ、大いなる破局を齎さんとしていることも。

「案ずるな。君のことは、今度こそ私が守る」

 悠灯に、そして自らに言い聞かせるように、シッティング・ブルは言った。

「――君に喚ばれた意味を果たそう。私だけは、何があろうと君の味方(とも)だ」

 鼓動が潰え、温度の失せたマスターの肩に手を載せて。
 かつて偉大なる戦士と呼ばれた男は、決意を新たにする。
 もう迷いはしない。どれほどの過酷があろうとも、決して守るべきものを見失いなどしない。
 壊れた心を、使命感という名の糸で繋ぎ止めて。
 継ぎ接ぎの戦士は、来たる厄災と向かい合う。
 あるいはそれは、運命。戦争という人類の原罪に、居場所も尊厳もすべてを奪われた男としての宿痾。

 奇しくも、彼の宿敵たる少年将校とは真逆の顔で。
 シッティング・ブルもまた、己が恐怖の象徴と向き合うのだ。



◇◇

595TOKYO 卍 REVENGERS――(血戦) ◆0pIloi6gg.:2025/07/28(月) 00:38:44 ID:/xo8QoUQ0



「――令呪を以って命ずる。戻ってこい、ゴドー」

 三画の刻印が、ひとつその数を減らす。
 光は空気に溶けて消え、程なくして馴染みの気配が形を結んだ。

「はい、どうも。さっきぶりですね、狩魔」
「使い走りをさせて悪いな。予想通り情勢が変わったから呼び戻した」
「それが私の仕事ですから。
 君の命令通り、千代田に残っていた雑魚はなるべく殺しておきましたよ。
 ただ、悪国征蹂郎を取り逃しました。情けない話ですが、彼に付いていた幼い魔術師にしてやられまして」

 ゴドフロワ・ド・ブイヨン。
 帰投した彼の身体は多少の土埃を浴びてはいたが、傷らしいものはほとんど負っていなかった。
 アルマナ・ラフィーに加え、彼女が足止めに差し向けたカドモスの青銅兵三体を相手取った上でこの状態だ。
 しかもゴドフロワは、数の限られたスパルトイのうち二体を破壊している。
 聯合構成員の虐殺然り、短い時間ではあったものの、十分以上に仕事を果たしてきたといえるだろう。
 
「いいよいいよ。元々今回のは悪国のガキに揺さぶりをかけるのが目的だったからな。
 逆鱗が分かりやすくて助かった。今頃は怒り心頭で、こっちの庭に乗り込んできてるだろうさ」

 外は、もはや人界とは思えない有様になっている。
 空は赤く染まり、そこかしこで喧嘩の範疇を超えた殺し合いが勃発し、紛争地帯もかくやの轟音がずっとどこかから聞こえてくる始末だ。

「勝ったとして、もうこんな街には住みたくねえな。拠点移さねえと」
「悪国のライダーが消えた後も影響が残留するのかは未知数ですが、同感です。
 この地は穢れすぎている。正直に言って、呼吸するのも憚られるレベルですよ」

 禍々しい。一言で言うなら、今の新宿はそういう状態だった。
 老若男女、人種も国籍も問わず、あらゆる人間が不明な焦燥感と希死念慮に突き動かされている。
 演者の資格を免疫と呼ぶならば、それを持たない一般人達にとっては罹ると発狂するウイルスが逃げ場なく埋め尽くしているようなものだ。
 まさしく、末法の世。誰もが下劣な闘志を燃やして諍いに明け暮れる、地獄界曼荼羅の真っ只中。
 特に――かの教えの信仰者であるゴドフロワは、これが如何に致命的な事態であるかを深く理解していた。

「到来と共に、世へ戦乱を運ぶ赤き騎兵(レッドライダー)。
 黙示録が到来した以上、もう誰も引き返せはしません。
 我々はもちろん、引き金を引いた彼らもそうだ」

 赤騎士が本気で預言の成就に取り掛かり始めた時点で、もう悠長に権謀術数を楽しめる段階は終わった。
 事前の予測通り、短期決戦の様相を呈し始めたわけだ。
 狩魔がこのタイミングでゴドフロワを呼び戻したのも、それと無関係ではない。

596TOKYO 卍 REVENGERS――(血戦) ◆0pIloi6gg.:2025/07/28(月) 00:39:29 ID:/xo8QoUQ0

「よって、恐らく勝敗はここで決します。
 デュラハン(われわれ)か、聯合(かれら)か、負けた方はこの世界から消滅する。
 この国では、天下分け目のセキガハラと呼ぶのでしたっけね。兎に角、正念場というわけです」
「一ヶ月でずいぶん日本の文化に馴染んだよな、お前」
「勤勉な質でして。八百万なる無神論思想には正直未だに虫酸が走りますが、そこを除けばこの国のことは好きですよ。特に食事が素晴らしい」
「ま、勝ったらまた馴染みの鮨屋でも連れてってやるよ。悠灯もゲンジも呼んで盛大にやろうぜ。
 あいつら回らない鮨とか食ったことねえだろ。下手すりゃ腰抜かすんじゃねえか?」
「やれやれ、君の方は変わりませんね。相変わらずの世話好きぶりだ」
「歳食うとな、若い奴に高ぇ飯食わせるのが楽しみになってくンだよ。
 俺も昔は手前の金で餌付けして何がいいんだか分からなかったが、あの頃先輩方もこんな気持ちだったのかもなぁ」

 デュラハンと聯合が創った混沌が、どれだけ長く続くかは分からない。
 しかし、少なくとも彼ら二陣営の戦いは間違いなくここでひとつの区切りを迎える。
 狩魔か。征蹂郎か。どちらかの首が落ちて、どちらかの組織が東京から消えるのだ。

 そんな大一番を前にして、この凶漢達は平時と変わらぬ落ち着きを有していた。
 彼らは狂気の申し子だ。人間を怪物に変える手段の存在に気付き、それとうまく付き合う生き方を見出した冷血漢ふたり。
 彼らには恐怖も、緊張もない。いつも通り、為すべきことを為すだけだと肝を据わらせている。
 友人のように気安く語らい、当たり前みたいに戦いが終わった後のことなんか考えて。
 いつも通りの自分達のまま、迫る赤き怒りの軍勢を打ち払う。

「もう兵隊も集めてある。どいつも酷く興奮してたが、敵が聯合だってことはちゃんと判ってるらしい。
 あの様子なら駒として申し分ない。いや、むしろ正気の時よりよっぽど役に立つかもな」
「それは頼もしい。陣形の方はもう決まっているので?」
「とっくだ。これから悠灯も呼んで伝達する」
「今更ですが、君のような男がマスターでよかった。私は殺し合うのは得意でも、緻密に策を練るのはどうも苦手でして」
「どの道、狂戦士(バーサーカー)なんて肩書きの野郎に采配なんて任せらんねェよ」
「はは、それもそうだ――ところで、ついでにもうひとつ今更の話なんですが」 

 ゴドフロワは、つい先刻まで千代田にいた。
 ひとりで、ではない。彼は数十人の兵隊を従えて虐殺に臨んだ。

「聯合征伐に遣わした彼らのことはいいのですか?
 ある程度の兵は殺しましたが、それでも全員潰せたわけではありません。
 惰弱な武器しか持っていない彼らでは、怒り心頭の敵方に敵うと思えませんよ」

 ゴドフロワが令呪で帰投してしまった以上、その数十人は今も千代田区、聯合のお膝元に取り残されていることになる。
 当然宝具は解除しているし、彼らを助けてくれる存在はいない。
 拳銃と、後はせいぜいナイフの一本二本。それだけで各々、怒り狂った聯合の兵隊に対処しなければならないのだ。
 悲惨な結末になるのは見えている。ゴドフロワに問われた狩魔は、しかし平然と答えた。

「運良く帰ってこれた奴がいたら、まあ多少は詫びとくよ」

 後輩を可愛がる楽しさを説いた舌の根も乾かぬ内に、その犠牲を許容する。
 周鳳狩魔は面倒見のいい男で、恐れられながらも人望厚く、下の者のため身銭を切ることも厭わない。

 だが、彼は決して善人でもなければ、義侠の漢だなんて柄でもない。
 人並みの人情は持っている。義理も重んじるし、理屈抜きに人を助けることだってある。
 されど必要なら、自分で拾った小鳥だろうが淡々と犠牲にできる。
 何故なら世の中、どうしたってどうにもならないことはあるのだから。

 運命を呪う? 
 がむしゃらにあがく? 
 我が身を呈して、結末が見えていてもひたむきに立ち向かう?

 人をそれは無駄と呼ぶ。
 少なくとも、周鳳狩魔はそうだった。

 そういう男だからこそ――彼は、決して悪国征蹂郎と相容れない。



◇◇

597TOKYO 卍 REVENGERS――(血戦) ◆0pIloi6gg.:2025/07/28(月) 00:40:03 ID:/xo8QoUQ0
◇◇





 小羊がその七つの封印の一つを解いた時、わたしが見ていると、四つの生き物の一つが、雷のような声で「きたれ」と呼ぶのを聞いた。

 そして見ていると、見よ、白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、弓を手に持っており、また冠を与えられて、勝利の上にもなお勝利を得えようとして出かけた。

 小羊が第二の封印を解いた時、第二の生き物が「きたれ」と言うのを、わたしは聞いた。

 すると今度は、赤い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、人々が互いに殺し合うようになるために、地上から平和を奪い取ることを許され、また、大きなつるぎを与えられた。




◇◇

598TOKYO 卍 REVENGERS――(血戦) ◆0pIloi6gg.:2025/07/28(月) 00:40:42 ID:/xo8QoUQ0



 異形の竜が、空を駆けていた。
 巨体は天を衝くが如しで、それには頭が七つあった。
 全身が鋼よりなお硬い鱗に覆われ、七頭に煌めくは同数の王冠。

 燃え盛る火のように赤く、滑空の風圧だけで台風の到来に匹敵する被害が新宿を襲っている。
 だが人々はそれを意に介すでもなく、ただひたすらに各々のやるべきことへ邁進していた。
 怒号、絶叫、ヒステリックな泣き声が絶え間なく響き、時々鈍い音がする。

 人々が隣人を愛さず、互いに殺し合う世を到来させる役目を、赤い馬の騎士(レッドライダー)は担うという。
 まさに今、新宿はその通りになっていた。
 騎士の変転により異常拡大された〈喚戦〉は、現在進行形で影響範囲を広げ続けている。
 赤き呪いの射程に収まった者は戦意に呑まれ、自我、思想、渇望の類を暴力的なカタチに歪曲される。
 そうなった者が取る行動は必ずしも一律ではないが、辿る経緯に差はあれど、最後に起こる事態はひとつだった。
 我で以って我を通す、殺し合いである。

 赤騎士が自ら手を下すまでもなく、新宿は殺人事件の集団群生地と化した。
 トリック、アリバイ工作、証拠隠滅、そんなまどろっこしい真似は誰ひとりしない。
 ただ感情の赴くままに殺すのだ。ムカつくから、許せないから、殺したいから殺す。
 後先なんて誰も考えない。殺せ、殺せ、内から囁きかける声が迷える子羊達に道を示してくれる。


 ――――来たれ、眩き戦争よ、来たれ。


 大魔王サタンの写し身を更に写した〈赤き竜〉は、半グレ達の殺し合いになど欠片の興味も持っていない。
 更に言うなら聖杯戦争そのものさえ、この呪わしいモノにとってはどうでもよかった。
 
 求めるものは預言の成就、役割の遂行。常にそれだけ。
 だが、そんな機械じみた存在にも転機があった。
 白き醜穢・神寂祓葉との邂逅である。

 天蠍は騎士の不滅を破綻させたが、そうでなくても、その前からこれは壊れていた。
 悪国征蹂郎の最大の失策。それは間違いなく、試運転の場に港区を選んだことだ。
 大義に殉ずる精密機械を、この世界の神という不確定要素の化身に接触させてしまった。
 その時点で、これはもはやあるべき姿を失い始めていた。蠍の毒は最後のひと押しに過ぎない。

 自我を得た機械とは赤子のように拙く、支離滅裂なものだ。
 光を目にした蛾のように、初めて知った感情へひた走らずにはいられない。
 まるでかの神に魂を灼かれた、あの六人の魔術師のように。

599TOKYO 卍 REVENGERS――(血戦) ◆0pIloi6gg.:2025/07/28(月) 00:41:26 ID:/xo8QoUQ0

 〈赤き竜〉は、世界を滅ぼす神敵にならんとしている。
 不浄な神を玉座から蹴落として、彼女とその箱庭を焼き尽くすことで預言の成就とする。
 そしてその遂行は、もう既に始まっていた。

 異常拡大する〈喚戦〉は、たとえ新宿の全域を呑み込んだとしても止まらない。
 次は隣接する豊島区、中野区、文京区、千代田区、渋谷区、港区。
 そこも終われば次は練馬、板橋、北、荒川、台東――……と、赤騎士が存在する限り広がり続ける。
 その意味するところは何か。語るまでもない。

 
 東京という都市(セカイ)の、事実上の滅亡である。


 デュラハンと聯合の戦いは、とっくに彼らだけの問題ではなくなっていた。
 これを倒せなければ都市は死に、安息の地は消え失せる。
 今でこそ演者達は〈喚戦〉の影響を微々にしか受けていないが、全域がそう成ってしまったなら時間の問題だろう。
 そうなれば聖杯戦争の存亡をすら左右する。事はもはや、この針音都市に存在する全員の問題に昇華されているのだ。

 竜が、歌舞伎町と呼ばれる街の一点に焦点を合わせる。
 感じ取る気配、要石から伝わってくる憎悪と執念。
 数多の闘志の矢印で槍衾と化しているそこへ向け、竜の七頭があぎとを開いた。

 
 禍々しいまでに赤い魔力が、渦を巻いて収束していく。
 悪竜現象(ファヴニール)発生。
 使命を、役割を超えた願望が赤騎士の霊基を崩壊しながら歪めている。

 であればこれはもう、竜の似姿などと呼ぶべき存在ではない。
 ガイアの怒りとして造られ、ヨハネの預言に綴られ、そしてその両方を逸脱した最新の邪竜。

 赤い夜空を、その更に上を行く【赤】き光で染め上げながら。
 レッドライダーの竜の息吹(ドラゴンブレス)が、空を引き裂いた。
 
 七つの光条が絡み合い、螺旋を描いて一本に束ねられる。
 狙うのは地上。決戦の地、これに敵も味方もありはしない。
 既に陣を敷いている首なしの騎士達を平らげ、彼方への飛翔の糧にせんとして――

600TOKYO 卍 REVENGERS――(血戦) ◆0pIloi6gg.:2025/07/28(月) 00:42:50 ID:/xo8QoUQ0


 眩い黄金の光が、否を唱えるように飛び出した。

 それは、実体を持たない光の軍勢。
 信仰のために人倫を排し、虐殺と蹂躙を大義と呼んだはじまりの聖者たち。
 顔はない。背丈も武装も、個人を区別できる様子は皆無。
 指導者の意思を、その信心を、つつがなく遂行するための聖なる暴力装置ども。

 しかし、光軍の先陣を切るひとりだけが違った。
 白銀の甲冑。輝く十字剣を握り、十倍では利かない巨体に向け魁を担う騎士がいる。

 大意の剣が、竜の吐息と正面から激突する。
 次の瞬間、瞠目すべきことが起こった。
 狂戦士の一刀が、赤き破壊光を圧し切り、弾き飛ばしたのだ。

 どう見積もっても対城級の威力を秘めている筈の一撃。
 いかに攻撃力に優れたバーサーカーといえど、正面からの力比べで打ち破るなど不可能な筈。
 なのにこの白騎士は、それを事もなく成し遂げた。
 成り立つ筈のない番狂わせ。その発生を招いた理由は、ひとつ。

 本来の力が発揮できていない。
 この感覚に、赤騎士は覚えがあった。

 〈赤き竜〉とは、人類史の武器庫たるレッドライダーがアクセス可能な武装を継ぎ接ぎにして構築したいわば巨大な機械竜だ。
 今見せたブレス攻撃も、火薬や爆薬、古今東西の化学兵器に神話由来の神秘武装を溶かし込んだ合成兵器(キメラ)である。
 そこに悪竜現象を発現させ概念的竜化を果たしたことによるブーストが入り、火力は驚天動地の域に達していたが――

「うん、ちゃんと効いてますね。アテが外れたらタダじゃ済まなかったでしょうが、ゲンジには感謝しなければ」

 明らかに、用いた武装(ねんりょう)の大部分が機能を果たしていない。
 神秘殺しならぬ叡智殺し。"ある時代"より後に生まれた文明を否定する、古き者達の呪いだ。

 ホモ・ネアンデルターレンシス。
 デュラハンのジョーカーたる彼らの呪いが、再び赤騎士の戦いを大きく阻害していた。
 姿は見えないが、恐らく巧妙に隠した上で歌舞伎町一帯に配置してあるのだろう。
 彼らを全滅させない限り、その生存を脅かさんとする侵略者は否応なしに文明の叡智を剥ぎ取られる。

「それにしても」

 地に降り、白騎士――ゴドフロワ・ド・ブイヨンは嘆息した。
 改めて見上げれば、さしもの彼も気が遠くなる。
 七つの頭と冠を持った、真紅の鱗の巨竜。
 悪魔と殺し合う覚悟はしていたが、よりによってこんな大物が出てくるとは思わなかった。

「長生きはするものですね。よもや直でお目にかかる機会があろうとは」

 たとえ模倣(コピー)だとしても、ゴドフロワはこれを無視できない。
 狩魔が己にこの役目を与えた時は改めて人使いの荒さに呆れたが、彼の判断がどうあれ、これの相手は自分がせねばならなかったろう。

 非情の白騎士。鏖殺の十字軍指導者。
 いずれも正しい評価だが、それ以前にゴドフロワはひとりの信仰者なのだ。
 神の教えを知り雷に打たれたような衝撃を受けた。
 教えに親しむのは快感だった。そのために生きるのは誉れだった。
 そんな男がああ何故、この竜/神敵を見逃せるだろうか。

「使徒ヨハネが伝えし〈赤き竜〉。
 たとえ着包みだろうと、あなたのような冒涜者は見過ごせません。
 よって未熟者の出しゃばりは承知で、ここに為すべきことを為しましょう」

 針音の都市に神はいない。
 あるのは偽りの、おぞましき造物主(デミウルゴス)だけだ。
 であれば不肖この身、畏れ多くも尊き御方に代わって大義を果たそう。

 天には〈赤き竜〉。
 地には狂気の白騎士、光の十字軍、イマを呪う石の原人達。

「――死せよ神敵。我ら十字軍、ここに魔王(サタン)を誅伐する」

 新宿血戦、第一局。
 〈赤き竜(レッドライダー)〉に相対するは、ゴドフロワ・ド・ブイヨン率いる第一回十字軍。



◇◇

601TOKYO 卍 REVENGERS――(血戦) ◆0pIloi6gg.:2025/07/28(月) 00:43:41 ID:/xo8QoUQ0



「撃て! 撃て! 根絶やしにしてやれ、はぁッはァ――!!」

 刀凶聯合がデュラハンに対して持っていた強みに、武装の優位がある。

 レッドライダーに生み出させた重火器の数々。
 アサルトライフル、ロケットランチャー、火炎放射器、その他多種多様な近代兵器。
 いずれも実際の戦場、その第一線で使用されるシロモノばかりだ。
 一介の半グレが有していい範疇を超えており、あって拳銃程度がせいぜいのデュラハンではどうしても遅れを取ってしまう。

 が――そんな大前提は、覚明ゲンジのサーヴァントの存在によってあっけなく崩壊した。
 戦場を縫う網のように配備された原人達。
 狩魔の辣腕で組まれた布陣が、本来直接向けられた武器にしか作用しない筈の"呪い"をデュラハン軍を守る城壁として機能させている。

「がっ、ぐぅ……!」
「クソが……!」

 歌舞伎町に集結した聯合の兵隊達と、それを迎え撃つデュラハンの兵隊。
 衝突の天秤はむしろ、デュラハンの方に傾いていた。
 彼らは原人に敵対しない。だから銃を使えるし、その上で数の有意もある。
 放たれる弾丸が聯合の不良達を抉り、血風を散らしていく様は残酷極まりなかったが。

 では聯合が、原人を擁するデュラハンの軍勢にまったく為す術ないのかというと、それも違った。

「おいてめぇらッ! "気持ち"萎えてねえだろうな!?」
「あたぼうよ! むしろイイ気合入ったぜ、ブッ殺す!!」
「殺せ! 殺せ! 征蹂郎クンのために、死んでいった奴らのためにこいつら"全殺し"キメてやれぇッ!」

 彼らは驚くべきことに、命中した弾丸のほとんどを無視している。
 腹を抉られ、腕や足を撃たれ、どう考えても身動き取れない状態であるというのに平然と特攻する。
 痛みなど感じていないかのようだったが、そんなことはない。感じた上で一顧だにしていないだけだ。

 漲る戦意、昂り、眼前の怨敵達へ燃やす闘志。
 レッドライダーの影響をかれこれ一ヶ月、緩やかに受け続けてきた彼らは例外なく〈喚戦〉の最終段階に達していた。
 殺す、殺す。殺して勝つ。刀凶聯合に勝利を、デュラハンに破滅を、そして悪国征蹂郎に安息を。
 青く美しい流血の絆が、赤騎士の変転によって完全に決壊し、彼らを聯合の敵を駆逐するまで止まらないちいさな怪物に変えている。

 流石に脳や心臓に被弾した者は死んでいたが、逆にそうでもない限り平然と動き続ける。
 人体の可動域を無視して動き、後に押し寄せる反動や代償などまったく顧みない。
 そんな状態の聯合だから、人数差と武装差という圧倒的不利をすらねじ伏せて首なしの騎士団に食いつけているのだ。

「気色悪い奴らだ。まるで猿だな」
「害獣共はさっさと駆除して、狩魔さんに褒めてもらおうや。そしたら俺達みたいな木っ端でも昇進できるかもしれねえ」
「そうだな。せっかくこんなに身体が軽いんだ――たまには男見せるぞ、お前らッ」

 さりとて。
 〈喚戦〉に背中を押されているのは、聯合だけではない。
 敵である筈のデュラハンもまた、湧き上がる闘志に少なからず身体能力を底上げされていた。
 程度で言えば聯合に劣るものの、だとしても前述の優位を加味すれば猛る戦奴達と張り合える、そんな狂気の兵隊になれる。

602TOKYO 卍 REVENGERS――(血戦) ◆0pIloi6gg.:2025/07/28(月) 00:44:40 ID:/xo8QoUQ0

 命ない身体で、命を懸けて殺し合う。
 赤く、赤く、どこまでも【赤】く。
 互いの組織の存亡は自分達に委ねられているのだと信じて、痛ましいほど無垢に喰らい合う騎士と凶戦士。

 そんな地獄めいた戦場の一角に、その男は立っていた。

「思ってたよりゴツいな。さすがは純粋培養のヒットマン」

 デュラハンの元締め、狂気を道具と呼ぶ凶漢。
 金髪のオールバックに黒のメッシュ、両腕に刻まれた双頭の龍。
 いずれも片割れの頭のみを切り落として描かれた、彼の生き方を象徴する紋様だ。

 周凰狩魔は当然、原人の呪いを受けない立場にいる。
 彼はこの戦場の支配者。そんな男を射殺さんばかりに睥睨する青年は、長身の部類である狩魔以上に大柄だった。

「テメェの素性を洗うのにずいぶん金を使ったよ。正直痛手だったが、手間をかけた甲斐があったぜ」

 白いコートを靡かせて、巨木のように頑と立つ黒髪の青年。彼もまた凶漢。
 服の上からでも分かる分厚い体躯は、彼がどれほどの研鑽を積んできた人間かを物語っている。

「わざわざ事をデカくしてくれてありがとな、悪国征蹂郎。正直、お前に闇討ちされてたら為す術もなかった」

 とある老獪で邪悪な蛇が創った"果樹園"、そこで育てられた恐るべき"道具"。
 悪国征蹂郎という男のバックボーンはそれだ。
 日本の裏社会などよりずっと粗暴で血腥い世界から、わざわざ半グレという月並みな土俵にまで下りてきた男。
 上機嫌そうにさえ見える狩魔に反して、征蹂郎はひたすらに静かだった。鈍い鋼鉄のような威厳を孕んでそこにいた。

「――――周鳳、狩魔」

 名前を呼ぶ。満を持して、面と向かって。
 吐いた声には、万感の思いが宿っていた。
 怒り。怨み。合わせて憎悪と呼べる感情、そのすべて。
 浴びせられるそれは大の男でも腰砕けになるほどの気迫を伴っていたが、狩魔はあくまで涼しい顔だ。

「嫌われたもんだな。言っとくが、そいつは責任転嫁ってやつだぜ」

 顎を突き出して、侮蔑の念を隠そうともしない。
 顎を引いて睨め付ける征蹂郎とは、どこまでも対照的だった。

「手は差し伸べてやった。拒んだのはあくまでテメェだ。
 お前が頭下げて、俺に忠誠を誓えばこうなることはなかった。
 多少の冷水さえ我慢すれば、お前は大好きな仲間ともう暫くのんびり暮らせたんだよ」

 頭下げて、腕一本詰めて詫び入れろ。
 それでチャラにしてやる――狩魔は確かにそう伝えた。
 蹴り飛ばしたのは他でもない征蹂郎だ。
 そうして決戦は始まり、こうして血戦に至っている。

「見ろよ。お前の家族は、どいつもこいつも狂っちまった」

 聯合とデュラハン、そのどちらかが今宵でこの世から消える。
 されどこうまで事が破滅的になってしまった以上、刀凶聯合に未来はない。

603TOKYO 卍 REVENGERS――(血戦) ◆0pIloi6gg.:2025/07/28(月) 00:45:23 ID:/xo8QoUQ0

 何故なら彼らは、デュラハンと違って少数だから。
 千代田に今も留まっている仲間の数はごく少なく、大多数の兵隊をこの新宿に投じている。
 そして動員された彼らは〈喚戦〉の赤色に呑まれ、未来を度外視して闘う戦奴と成り果ててしまった。

「全部お前の失策だ。お前のつまらねえプライドと仲間意識が、こいつらを殺す。
 勝っても負けてもテメェはすべてを失い、死体の山を見ながら虚しい結末に酔うんだ。
 悲しいなぁ、悪国よ。テメェは強くはあっても、王(ヘッド)の器じゃなかったらしい」

 答え合わせのように、痛辣に指摘される瑕疵。
 
「作り物の部下に信頼されるのは楽しかったか?」

 この対峙の背景で殺し合う彼らは、敵も味方もただの人形だ。
 魂はない。命もない。それらしいものがあるだけの張りぼて、舞台装置。
 学芸会の舞台に設置された木のオブジェクトと変わらない。

「俺が壊してやった人形の姿は、そんなにもお前の心を打ったか?」

 聖杯戦争という戦いに囚われ、その先に辿り着くことは決してない仮初め未満の命もどき。

「その時点でテメェは負けてンだよ。
 いい歳して現実も見れねえガキ、図体だけは立派な情けねえボス猿。
 この地獄は全部テメェの責任だ。しっかり見て、噛み締めて、嘆き悲しみながら地獄に逝け」

 スチャ――、と。
 狩魔が、首なしの騎士団長が遂に銃を抜く。
 銃口は視界の向こう、絆以外知らないゴミ山の王へ。

 彼は〈魔弾の射手〉。断じて頭脳仕事だけが得手ではない。
 ここまで一度しか開帳する機会のなかった銃弾が、遂にヴェールを脱ごうとしている。
 征蹂郎は身じろぎひとつせず、不動のまま……揺らがぬ殺意を浮かべて狩魔を見据えていた。
 その口が、ようやく動く。

「分かっているとも」

 射殺す眼光とは裏腹に、嘲りへの回答は自罰的でさえあった。

「貴様に、言われるまでもないんだ。
 オレが一番、そんなことは……分かってる」

 見ろ、この惨状を。
 これのどこが、望んだ未来だというのか。
 結局のところ悪国征蹂郎は、殺人者としては一流でも王としては三流以下なのだ。

604TOKYO 卍 REVENGERS――(血戦) ◆0pIloi6gg.:2025/07/28(月) 00:46:04 ID:/xo8QoUQ0

 刀凶の在り方は矛盾している。
 命なき舞台装置に絆を見出し、その死を戦う理由にしてしまった。
 弔い合戦に全面戦争という形を選んだのもまた、あまりに不合理である。
 狩魔の言う通り、デュラハンを終わらせる最適解は征蹂郎単独での暗殺だった。

 機を伺い、耐え忍んで待つことになら慣れている。
 息を潜め、地を食み泥を啜ってでも闇に溶け入り。
 長い雌伏の末に見えた一瞬で、標的(ターゲット)を殴殺する。
 あの養成施設では、そういうことを教えられたのではなかったか。
 なのに征蹂郎は、周りの足手まとい達が無邪気に向けてくる信頼に応えてしまった。
 その時点できっと、結末は決まっていたのだろう。
 勝とうが負けようが、刀凶聯合は破壊される。
 狩魔の手によって。そして他でもない、悪国征蹂郎の愚かさによって。

「オレより貴様の方が……よほど、将として、そして王として、優秀だろうさ」

 あまりにも対極な、ふたりの王。
 片や合理のために絆を使い。
 片や絆のために、合理を棄てた。

 首なしの騎士を従えた、絢爛豪華な裏社会の王。
 何も持たない孤独な友を連れた、みすぼらしいゴミ山の王。

「今更泣きを入れても遅えよ。
 お前はあの時、俺の温情に従うべきだった」

 絢爛の王が、底辺の王に言う。
 その言葉には、憐れみがあった。
 描いた理想に固執して愚かに破滅した者を見る眼差しだった。
 周鳳狩魔はそういう人間を、これまで山ほど見てきた。

「それでも……」

 征蹂郎が、拳を握り、構える。
 対面して改めて分かった、狩魔という男の恐ろしさ。
 怒り狂い、下手の横好きで策謀家に挑んでしまった末路がここにある。
 
 確かに自分は愚かな男だ。
 言い訳などできないし、するつもりもない。
 悪国征蹂郎は、最初から破綻している。
 殺し殺されの世界しか知らない男が、人並みの幸せなど夢見るべきではなかったのだ。

 認めよう。おまえは強く、そして正しい。
 だが、そう、それでも……

「――――それでも、オレの家族はまだ戦ってる」

 どれほど狂おしく歪み果てても、征蹂郎の愛した家族はここで生きている。
 血まみれになりながら拳を握り、信じた王に勝利を運ぶため、戦っている。
 征蹂郎クンのため。死んでいったあいつらのため。必ず勝つぞと吠えながら、命を懸けて猛っている。

605TOKYO 卍 REVENGERS――(血戦) ◆0pIloi6gg.:2025/07/28(月) 00:46:47 ID:/xo8QoUQ0

 ならば、戦う理由などそれだけで十分だ。
 オレに生きる意味と、その楽しさを教えてくれた同胞(とも)。
 彼らからまたひとつ学ぼう、人間の生き方というものを。
 何度失敗しても、泥にまみれて這い蹲っても、歯を食い縛ってあがき続ける無様を尊ぼう。

「馬鹿な野郎だ」
「お前の言う通り、育ちは悪いんでな……」
「俺もだよ。俺も、クソみてえな家で育った純粋培養さ」

 よって本懐、依然変わらず。
 刀凶聯合は、デュラハンの王・周鳳狩魔を討ち取り仲間の無念を晴らす。
 こみ上げるこの戦意すら愛して、勝利のための燃料に用いよう。

「刀凶聯合。悪国征蹂郎」
「デュラハン。周鳳狩魔」

 いざ尋常に、などという文句は彼らには似合わない。
 正道も邪道も入り乱れ、手を尽くし合うからこその総力戦。

「皆の仇だ。滅べ、周鳳」
「やってみろよ。来いや、悪国」

 これまでのすべて、すべて、この瞬間までの前哨戦に過ぎぬ。

 面と向かっての宣戦が終わると共に、極彩色の光弾が嵐となって殺到した。
 攻撃の主は、戦場に颯爽降り立った銀髪褐色の少女。
 アルマナ・ラフィーの魔術が、色とりどりの色彩で蹂躙を開始する。

 が、やはりというべきかそれは原人の呪いに阻まれた。
 数十人のネアンデルタール人に近付いた途端、あらゆる光が途端に形を失う。
 されど、アルマナもそんなことは承知の上。
 彼女は原人の呪いがいかなるもので、何を条件に発動するのかもとうに見抜いている。

「やはり、あくまでもバーサーカー自体を守る力のようですね」

 放たれた総数のざっと八割以上が消されていたが、逆に言えば残りの二割は狙いを果たしていた。
 着弾し、原人にダメージを与え、巻き込まれたデュラハンの兵隊を爆死させる。

「これならアルマナも多少は仕事ができるでしょう。
 武運を祈ります、アグニさん。ただしあまり期待はしないでください」
「ああ、十分だ……ありがとう、アルマナ」

 本来、ネアンデルタール人のみを守る形で展開されている呪い――スキル・『霊長のなり損ない』。
 狩魔はこれを綿密に練られた陣形の要所要所に絶妙な間合いで原人を配置することで、無理やり防壁として利用している。
 カラクリは単純で、デュラハンや狩魔を狙って放った兵器や魔術の攻撃が、高確率で原人を巻き込む風にしているのだ。
 たとえ故意だろうがそうでなかろうが、原人に攻撃が及ぶと判断された時点で呪いは発動する。
 デュラハンを守る対文明・対神秘防衛圏の正体はこれだ。
 なので原人を範囲に含まないよううまく攻撃できれば、アルマナがやってみせたように文明防御の理を貫通することは可能。

 それには極めて高い攻撃精度が求められるが、アルマナ・ラフィーにとってそこはさしたる問題ではない。
 むしろ彼女が警戒しているのは原人達よりも、もっと別な存在だった。

「主役のご到着だ。あんたもそろそろ暴れろ、"キャスター"」

 狩魔の指揮に合わせて、ともすれば原人以上に絶望的な役者が顕れる。

 獣革の衣服を纏った、壮年の英霊だった。
 自然と親しみ、神秘を知覚して生きる、そういう者の装いをしていた。
 顔に貼り付けた表情は憂い。瞳には底のない虚無を飼い、戦士は出陣する。

 大戦士シッティング・ブル。
 英霊を持たずに立つ青年と少女にとって、彼こそはまさに大いなる絶望。

「魅せてみろよ悪国征蹂郎――――これが首なしの騎士団(デュラハン)だ」

 新宿血戦、第二局。
 拳握る餓狼達に相対するは、絢爛なる首なしの騎士団。



◇◇

606TOKYO 卍 REVENGERS――(血戦) ◆0pIloi6gg.:2025/07/28(月) 00:47:39 ID:/xo8QoUQ0
【新宿区・歌舞伎町 決戦場・Ⅰ/二日目・未明】

【ライダー(レッドライダー(戦争))】
[状態]:『英雄よ天に昇れ』投与済、〈赤き竜〉
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:その役割の通り戦場を拡大する。
0:預言の成就。
1:世界を〈喚戦〉で呑み干し、醜穢なるかの神を滅ぼさん。
2:ブラックライダー(シストセルカ・グレガリア)への強い警戒反応。
[備考]
※マスター・悪国征蹂郎の負担を鑑み、兵器の出力を絞って創造することが可能なようです。
※『星の開拓者』を持ちますが、例外的にバーサーカー(ネアンデルタール人)のスキル『霊長のなり損ない』の影響を受けるようです。
※ランサー(ギルタブリル/天蠍アンタレス)の宝具『英雄よ天に昇れ』を投与され、現在進行形で多大な影響を受けています。
 詳しい容態は後にお任せしますが、最低でも不死性は失われているようです。
※七つの頭と十本の角を持ち、七つの冠を被った、〈黙示録の赤き竜〉の姿に変化しています。
※現在、新宿区にスキル〈喚戦〉の影響が急速拡大中です。範囲内の人間(マスターとサーヴァント以外)は抵抗判定を行うことなく末期の喚戦状態に陥っているようです。
 部分的に赤い洪水が発生し、この洪水は徐々に範囲を拡大させています。
 〈喚戦〉は現在こそ新宿の中でのみ広がっていますが、新宿全土を汚染した場合、他の区に浸潤し広がっていくでしょう。

【バーサーカー(ゴドフロワ・ド・ブイヨン)】
[状態]:健康、『同胞よ、我が旗の下に行進せよ』展開中
[装備]:『主よ、我が無道を赦し給え』
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:狩魔と共に聖杯戦争を勝ち残る。
0:天よご覧あれ。これより我ら十字軍、〈赤き竜〉を調伏致す。
1:神寂祓葉への最大級の警戒と、必ずや討たねばならないという強い使命感。
2:レッドライダーの気配に対する警戒。
3:聯合を末端から削る。同胞が大切なのですね、実に分かりやすい。
[備考]
※デュラハンの構成員を連れて千代田区に入り、彼らを餌におびき出した聯合構成員を殺戮しました。
※バーサーカー(ネアンデルタール人)を連れています。具体的な人数はおまかせします。

607TOKYO 卍 REVENGERS――(血戦) ◆0pIloi6gg.:2025/07/28(月) 00:48:29 ID:/xo8QoUQ0
【新宿区・歌舞伎町 決戦場・Ⅱ/二日目・未明】

【悪国征蹂郎】
[状態]:疲労(中)、魔力消費(中)、頭部と両腕にダメージ(応急処置済み)、覚悟と殺意
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度。カード派。
[思考・状況]
基本方針:刀凶聯合という自分の居場所を守る。
0:周鳳を殺す
1:周鳳の話をノクトへ伝えるか、否か。
2:アルマナ、ノクトと協力してデュラハン側の4主従と戦う。
3:可能であればノクトからさらに情報を得たい。
4:ライダーの戦力確認は完了。……難儀だな、これは……。
5:ライダー(レッドライダー(戦争))の容態を危惧。
6:王としてのオレは落伍者だ。けれど、それでも、戦わない理由にはならない。
[備考]
 異国で行った暗殺者としての最終試験の際に、アルマナ・ラフィーと遭遇しています。
 聯合がアジトにしているビルは複数あり、今いるのはそのひとつに過ぎません。
 養成所時代に、傭兵としてのノクト・サムスタンプの評判の一端を聞いています。
 六本木でのレッドライダーVS祓葉・アンジェ組について記録した映像を所持しています。
 アルマナから偵察の結果と、現在の覚明ゲンジについて聞きました。
 千代田区内の聯合構成員に撤退命令を出しています。

【アルマナ・ラフィー】
[状態]:疲労(中)、魔力消費(中)、無自覚な動揺
[令呪]:残り3画
[装備]:カドモスから寄託された3体のスパルトイ。内二体破壊、残り一体。
[道具]:なし
[所持金]:7千円程度(日本における両親からのお小遣い)。
[思考・状況]
基本方針:王さまの命令に従って戦う。
0:アルマナはアルマナとして、勝利する。
1:もう、足は止めない。王さまの言う通りに。
2:当面は悪国とともに共闘する。
3:悪国をコントロールし、実質的にライダー(レッドライダー(戦争))を掌握したい。
4:アグニさんは利用できる存在。多少の労苦は許容できる。それだけです。…………それだけ。
5:傭兵(ノクト)に対して不信感。
[備考]
 覚明ゲンジを目視、マスターとして認識しています。
 故郷を襲った内戦のさなかに、悪国征蹂郎と遭遇しています。

※新宿区を偵察、情報収集を行いました。
 デュラハン側の陣形配置など、最新の情報を持ち帰っています。

608TOKYO 卍 REVENGERS――(血戦) ◆0pIloi6gg.:2025/07/28(月) 00:49:03 ID:/xo8QoUQ0
【周鳳狩魔】
[状態]:健康、魔力消費(小)
[令呪]:残り2画
[装備]:拳銃(故障中)
[道具]:なし
[所持金]:20万程度。現金派。
[思考・状況]
基本方針:聖杯戦争を勝ち残る。
0:悪国を殺す。
1:魔術の傭兵の再度の襲撃に警戒。深刻な脅威だと認めざるを得ない
2:ゲンジへ対祓葉のカードとして期待。
3:特に脅威となる主従に対抗するべく組織を形成する。
4:山越に関しては良くも悪くも期待せず信用しない。アレに対してはそれが一番だからな。
5:死にたくはない。俺は俺のためなら、誰でも殺せる。
[備考]
※バーサーカー(ネアンデルタール人)を連れています。具体的な人数はおまかせします。

【華村悠灯】
[状態]:生命活動停止。固有の魔術が発動中。頸椎骨折(修復済み)、離人感
[令呪]:残り三画
[装備]:精霊の指輪(シッティング・ブルの呪術器具)
[道具]:なし
[所持金]:ささやか。現金はあまりない。
[思考・状況]
基本方針:今度こそ、ちゃんと生きたかった……はずなんだけど。
0:……なんだろ。なんか、あんまり怖くないや。
1:祓葉と、また会いたい。
2:暫くは周鳳狩魔と組む。
3:ゲンジに対するちょっぴりの親近感。とりあえず、警戒心は解いた。
4:山越風夏への嫌悪と警戒。
5:あの刺青野郎ってば最悪!!
[備考]
神寂縁(高浜総合病院院長 高浜公示)、および蛇杖堂寂句は、それぞれある程度彼女の情報を得ているようです。

華村悠灯の肉体は、普通の意味では既に死亡しています。
ただし土壇場で己の真の魔術の才能に目覚めたことで、自分の魂を死体に留め、死体を動かしている状態です。
いわゆる「生ける屍」となります。
強いて分類するなら死霊魔術の系統の才能であり、彼女の魔術の本質は「死を誤魔化す」「生にしがみつく」ものでした。
自覚できていた痛覚鈍麻や身体強化はその副次的な効果に過ぎません。

この状態の彼女の耐久性や、魔力消費などについては、次以降の書き手にお任せします。

【キャスター(シッティング・ブル)】
[状態]:疲労(中)、右耳に軽傷、迷い、悠灯への憂い、目の前の戦場への強い諦観
[装備]:トマホーク
[道具]:弓矢、ライフル
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:救われなかった同胞達を救済する。
0:……、……。
1:悠灯よ……君は。
2:神寂祓葉への最大級の警戒と畏れ。アレは、我々の地上に在っていいモノではない。
3:――他でもないこの私が、そう思考するのか。堕ちたものだ。
4:復讐者(シャクシャイン)への共感と、深い哀しみ。
5:いずれ、宿縁と対峙する時が来る。
6:"哀れな人形"どもへの極めて強い警戒。
7:覚明ゲンジ。君は、何を想っているのだ?
[備考]
※ジョージ・アームストロング・カスターの存在を認識しました。
※各所に“霊獣”を飛ばし、戦局を偵察させています。

609 ◆0pIloi6gg.:2025/07/28(月) 00:54:37 ID:/xo8QoUQ0
投下終了です。
バーサーカー(ネアンデルタール人)が登場していますが、ゲンジのパートのことを考えると複雑になりそうなので、今回状態表は省略してあります

610 ◆di.vShnCpU:2025/07/31(木) 22:48:41 ID:ym.IC6Iw0
赤坂亜切&アーチャー(スカディ)
アンジェリカ・アルロニカ&アーチャー(天若日子)
ホムンクルス36号&アサシン(継代のハサン)
輪堂天梨&アヴェンジャー(シャクシャイン)

予約します。

611 ◆0pIloi6gg.:2025/08/01(金) 00:24:17 ID:xKCRoX520
蛇杖堂寂句&ランサー(ギルタブリル/天蠍アンタレス)
山越風夏&ライダー(ハリー・フーディーニ)
神寂祓葉&キャスター(オルフィレウス)
覚明ゲンジ&バーサーカー(ネアンデルタール人/ホモ・ネアンデルターレンシス)
ノクト・サムスタンプ 予約します。

612 ◆di.vShnCpU:2025/08/03(日) 00:57:36 ID:rqHqikmI0
投下します。

613再走者たちの憂さ晴らし ◆di.vShnCpU:2025/08/03(日) 00:58:21 ID:rqHqikmI0


かつて組んでいたランサーも、大柄な女だった。

背丈だけであれば、2回目の相棒たるスカディよりは少し低い。
しかし腕の太さや太腿の太さ。身体全体の厚み。全てがスカディを上回っていた。
女でありながら僧兵のような服に身を包み、手には長大な薙刀。
髪の生え際からは2本の角。
鬼種の血を受けて生まれながらも、ヒトとしての最期を迎えた英霊だった。

「俺は細けぇことは分からねぇ」、というのが、彼女の口癖だった。
決して愚鈍ではなく、むしろ直感力に優れた英霊だったが、どこか大雑把な所のある女だった。

「俺は細かい理屈とか苦手なんだよ」
「だから考える仕事は小僧に任せるぜ」
「小僧が言うなら俺はどんな仕事でも請け負うぞ」
「笑えよ、小僧。辛気臭い顔してんじゃねぇよ。こういう時は笑わなきゃ損だ」

最後の言葉だけは亜切を困らせたが、それ以外の部分ではおおむね相性のいいパートナーだった。
性格の面でも、能力の面でも、悪くない組み合わせだった。

豪快な見た目とは裏腹に、派手な攻撃能力を持たない英霊ではあった。
だが、その耐久力、頑健さと、防戦に回った時の粘り強さは一級品で。
そして、亜切にとってはそれでよかった。

なにしろ前回の聖杯戦争において、亜切の本命の攻撃手段は亜切自身。
嚇炎の魔眼。
見れば殺せる、必殺の熱視線。
英霊同士の戦いには最初から期待せず、ただマスター狙いの暗殺だけに勝ち筋を絞っていたのが亜切陣営だ。
亜切本人の判断ではなかったが、依頼主がそのように企図して、触媒を用意し、狙い澄ましてその英霊を召喚したのだ。

亜切が他のマスターを視認できる距離に近づくこと。
その距離で相手のサーヴァントの攻撃を防ぎきること。
うまく行かないようであれば、撤退して次のチャンスに繋げること。
それだけが求められていた性能だったから。

蛇杖堂のアーチャーが雨と降らせる爆撃のような矢を、延々と撃ち落とし続けたことがある。
〈脱出王〉のライダーが放った獣の群れを前に、一歩も引かずに耐え凌いだことがある。
ガーンドレッドのバーサーカーの暴威を前に、短時間とはいえきっちり持ちこたえたこともある。

「俺には細けぇことは分からねぇ。
 暗殺者ってのはなるほど良くないことなんだろうな。
 ただ、標的と、最低限の護身だけに留めるってアギリの方針は、俺は好きだぜ。
 みんな、気軽に派手な戦争にしちまうから。
 どうしても争いごとが止まらないってなら、泣く奴はできるだけ少ない方がいい」

善人ではあったのだろう。
だが彼女は亜切の生業を否定しなかった。
独特の、どこか突き放した死生観の持ち主であった。
無辜の民の犠牲を憂うのも、亜切の仕事を止めないのも、彼女の中では矛盾なく両立するようだった。

「笑えよ。
 どっちを向いてもろくでもない世界だからこそ、せめて笑って生きるんだ」

笑え。
しかめ面をしていないで、笑え。
その求めだけは鬱陶しかったけれども、それでも、亜切の数少ない理解者であるはずだった。

614再走者たちの憂さ晴らし ◆di.vShnCpU:2025/08/03(日) 00:58:55 ID:rqHqikmI0


だが――
聖杯戦争が進み、暗殺に失敗し、当初の想定を超えた停滞に突入した頃。
静かに歯車が、狂いだした。

「おい小僧、その気味の悪い笑い方やめろ」
「……僕は笑っていたのか」
「自覚もなかったのかよ。
 確かに俺は『笑え』って言ってたけどな、そいつは良くない笑い方だ。
 ひょっとして『あの女』のことを考えてたのか?」
「……嫉妬か?」
「違ぇよ」

実際に亜切が微かな笑みを浮かべるようになった途端、ランサーはその笑い方を嫌がった。
亜切の変化を、一方的に良くないものと断じるようになった。

「小僧のその笑い方をみると、思い出しちまうんだよ、俺の相棒を。俺の主人を。
 あいつがおかしくなっていった時のことを」
「…………」
「あいつも兄貴が生きていると知ってからおかしくなった。
 実際に会ってもっとおかしくなった。
 誰よりも自由だったはずのあいつが、変わっちまったんだ。
 アギリ、お前もそうなのか」
「……知らないな。
 それに、『彼女』は僕の兄ではない」
「そういうことじゃねぇ」

些細なケンカをすることが増えた。つまらないミスも発生するようになった。
それでもランサーは、文句を言いながらも、赤坂亜切に従い続けた。
最後の最後まで、彼女は亜切の前に立ち続けた。
そんな義理堅い英霊だった。
彼女の光剣に背中から貫かれるまで、ランサーはとうとう、亜切を見捨てず、裏切らなかった。

真名、鬼若。

一般に広く知られている、武蔵坊弁慶という名で呼ばれることを、何故か彼女は嫌っていた。
「その名前にはもっと相応しい奴がいる」と、よく分からないことを言い続けていた。

「アギリ、やっぱりてめぇは牛若に似てるよ。
 いや性格も見た目も全く似てねぇんだけどな。
 牛若の奴がおかしくなった頃と……頼朝公と会ってからの様子と、そっくりだ。
 何もかも違うのに、本当に嫌なところだけ似てやがる」

知ったことか。
それに僕だってこの胸の内に溢れる気持ちが理解できないんだ。
君が何を指して悪いことのように言っているのか、全然分からない。

「このままだとお前は、死んでも『あの女』に囚われるぞ。
 牛若が兄貴に心奪われて、ちぐはぐで歯止めの効かない『忠義の武士』とやらになったように。
 きっと牛若の奴も英霊の座にいるんだろうが、おそらくそれは頼朝公と遭った後のアイツだろう。
 生前の功績でもって座に刻まれるというのなら、きっとそうなっちまう。
 だから俺は聖杯を――いや、俺と牛若のことはどうでもいい。
 アギリ、お前もこのままだと、壊れて歪んで、取り返しがつかなくなる。
 細けぇ理屈は分からねぇが、俺には分かるんだ」

今になって思えば、それは赤坂亜切にとっての祝福に他ならなかった。
死をも超えて刻まれる狂気。死してなお忘れえぬ〈妄信〉。その保証。

あの頃の亜切にはまだ分かっていなかった。
分かったのは亜切の死の直前、ランサーが倒された後。
だから言い返せなかった。ただ黙ることしかできなかった。

牛若丸……つまり源義経については、一般常識と、鬼若の語る人物像しか知らない。
なので推測にしかならないのだが。
赤坂亜切には、奇妙な納得があった。後になってから理解ができた。

生死も不明だった兄の、生存と挙兵を知った牛若丸が、急に人が変わったようになったという話。
そりゃあそうだろう。
それまで居ないと思っていた兄弟姉妹の存在を確信できたなら……そりゃあ、人も変わるというものだ。
己の生きる前提が何もかも変わってしまうのだから。


……ねぇ、そうだろう、僕の大事な、お姉(妹)ちゃん?



 ◇ ◇

615再走者たちの憂さ晴らし ◆di.vShnCpU:2025/08/03(日) 00:59:40 ID:rqHqikmI0

その夜、深夜にも関わらずロビーに踏み込んできたその一行の姿に、夜間帯の担当だったホテルスタッフは顔を強張らせた。

一行の先頭に立って入ってきた紳士はいい。
無精髭こそ生やしているが、きちんとしたスーツに身を包んだ中年男性である。
野性的な太い眉が印象的だ。ハンパに伸びた髭も、むしろ狙い澄ましたように似合っている。

だが、その連れがどう見ても訳アリ過ぎる。

黒髪の、しかし西洋人であろう少女は、髪の色があまりにも個性的だ。
右側にだけ黄色の毛が混じるメッシュで。インナーカラーとして藍色も刺してある。
太腿剥き出しのホットパンツにブーツ姿で、どこぞの過激なバンドの熱心なファン、みたいな第一印象だ。

そんな少女に肩を預けてぐったりしているのは、もう一人の少女。
紫色のショートカットは、どこかで見たことがあるような気もするが、伏せられている顔はよく見えない。
それよりも、土に汚れたその服装の方が気になった。よくみればだらんと垂らした左手には怪我を負っているようだ。

さらにそんな少女たちの後方には、もっと目を疑うような人物がさらに2人。
ひとりは何かのコスプレなのか、神社の神職か、平安貴族かといった服装の人物。
服装からすると男性なのだろうが、顔はびっくりするほどに整っており、ともすると女性とも見間違えそうになるほど。

だが真に異様なのは、そのコスプレ和装の人物の肩の上に、ぐったりとしたもう一人の人物が担がれていることだ。
二つ折りにするかのように肩に載せられたその人物は、フロントの方には尻を向けており、顔も見えない。
どうも血や泥にまみれていて、何か派手なケンカの後といった風情だ。

「やあ、深夜に驚かせて済まないね。ちょっと事情があってね」
「な、何か御用でしょうか……」

一行の代表らしき紳士が、にこやかに声をかけてくるが、それに対する返答は少し声が震えてしまっていた。
よく見れば紳士が小脇に抱えていた。大きな荷物は……大きな瓶の中に浮いていたのは。
眠るように目を閉じる、裸の赤ん坊である。
どう見ても、ホルマリン漬けの赤子の遺体。なんでそんなものを剥き出しで持ち歩いているのか。

もちろんこんな客がこんな時間に来る、なんて予約は入っていない。
深刻なトラブルが発生する可能性を念頭に、ホテルマンはそれでも辛うじて笑顔を維持した。
客の側からは見えない、カウンターの裏側にある押しボタンに指をかけておく。
これを押せば屈強な警備員が即座に飛んでくることになっている。宿泊客を守るための当然の心得だった。

だが――そういった警戒は、紳士の次の一言で、杞憂に終わる。

「『アインス・ガーンドレッド』だ。部屋を使わせてもらう」

名乗りひとつで、ホテルマンの顔から恐怖と混乱が消える。
どこか機械的な対応に、自動的に切り替わる。

「ガーンドレッド様で御座いましたが。失礼ですが、御要望などはおありですか?」
「ミネラルウォーターを3本用意してくれ。朝は起こさなくていい。来客があっても取り次ぐな」
「了解しました。最上階にどうぞ」

知らないと符丁であることも気づけないような、そんな簡単な符丁の確認。
それだけを済ませると、ホテルマンは最高級スイートルームのキーを取り出し、紳士の前に差し出した。
それを受け取りつつ、紳士は思い出した、といった風に言葉を続ける。

「そうだ、あとこれはついでなんだが。
 救急箱とか、借りれないかな? こっちは本当にいま必要でね」



 ◇ ◇

616再走者たちの憂さ晴らし ◆di.vShnCpU:2025/08/03(日) 01:01:08 ID:rqHqikmI0

「うわ広い部屋っ! ベッドルームも複数あるのっ!? 夜景もすごっ!
 ……じゃなくって、天梨をとりあえず、手当てして……いやこれは汚れを落とすのが先かな。
 シャワーでも浴びさせるとして、着替えは……とりあえずこのバスローブでいいか。うわ、ふわふわっ!
 男性陣、覗くんじゃないぞ! それじゃ!」
「ごめん……ごめんね……」
「あんたも謝らない! 汗と汚れ流して手当したら寝るよ! もう少しだけ頑張って!」

渋谷区に建つ外資系ホテルの最上階、最高級スイートルーム。
普通に宿泊しようとしたら、一泊だけでも3ケタの一万円札が飛んでいくような部屋。
アンジェリカ・アルロニカはせわしなく驚きつつも、室内の施設と備品を一通り確認して。
未だ意識朦朧とした様子の輪堂天梨の手を引いて、バスルームへと消えた。
誰に言われずとも自然に、消耗と精神的ショックの激しい輪堂天梨の世話を、積極的に焼いていた。

後に残されたのは男たちだけ。

大きなソファの上に放り捨てられて、なお動かないのはシャクシャイン。
とん、とテーブルの真ん中に置かれた瓶は、ホムンクルス36号。
それを置いたスーツ姿の紳士は、腕の一振りで普段通りの仮面の暗殺者の装いに戻る。
その全てを呆れたように見ていたのは、天若日子。

「聞きたいことは山ほどあるが……お互い別行動していた間のことは、アンジェが行水から戻ってからにしよう。
 それで、この場所は何なのだ」
「私を創造したガーンドレッドの魔術師たちの、遺産と言うべき拠点のひとつだ」

瓶の中から声を返したのは、ホムンクルス36号。

「彼らの遺産の半分以上は私にもアクセスできないが、こういった仮の拠点をいくつも彼らは押さえていた。
 あの場所から一番近くにあり、私も符丁を知っていた場所が、このホテルだ。
 多少の魔法的な防御や隠蔽もされている。金銭的な問題も気にしなくていい」
「休めるのであれば、確かに有難いな。アヴェンジャーもこの有様だし」

天若日子は倒れ伏したまま動かない男をチラリとみる。
霊体化する余裕もなく、気絶している英霊。

「このアヴェンジャーについても教えろ。結局なんなのだこいつは」
「貴殿より後の時代の、今で言うなら北海道に相当する地域に生まれた英雄だ。
 一言で言えば、南方から勢力を広げた日本人と衝突し、手酷い裏切りを受け、復讐者の霊基にまで至った存在だ」
「……おいアサシン。
 難物なんて表現で収まるような相手ではないではないか。よりによって、よくこの私と引き合わせようと思ったな」
「俺様に言われてもな」
「幸いと言っていいのかどうか、彼は令呪にて縛られている。
 天梨が戻ってきたら、一言言質を頂いておこう。
 貴殿とアンジェリカ嬢、ともに彼女の『大切な人』だとの一言があれば、アヴェンジャーは手出しが出来ない」
「そこまでの首輪が要るような狂犬か……」

溜息とともに、先の死闘での共闘相手を見る。
頼もしくもあり、また厄介でもあった狂戦士は、今はまったくの無防備な姿を晒している。

先の戦い――炎の魔人と氷の女神との、どちらかが滅びるまで終わらないと見えた戦いは。
あっけなく、吹雪と爆炎に視界を遮られ、襲撃者側の撤退という形で終了した。
反射的に追撃しようとしたアヴェンジャーも、悪態をつきながら膝をつき、そのまま気絶して。
なし崩し的にこちら側の3陣営も、そこから南方にあったガーンドレッドの拠点、この超高級ホテルに撤退することになったのだ。

今なら分かる。
あの絶大な力を持っていた、敵の女アーチャー。
それに迫る力を発揮していた、北方の毒刃のアヴェンジャー。
何らかの強化はあったのだろうが、何のことは無い、アヴェンジャーは後先考えずに持てる力を振り絞っていただけだった。
復讐者の強い情念は、時に実力以上の出力を発揮させるが、いったん気持ちが途切れると途端に反動が来る。
英霊であれば誰でもできる、霊体化をする余裕すら残らないほどに。

617再走者たちの憂さ晴らし ◆di.vShnCpU:2025/08/03(日) 01:01:47 ID:rqHqikmI0

「まあ、赤坂亜切も似たようなものだがな。
 直接対峙して分かったが、あいつこそ、後先を考えずに己を燃やすことであの戦力を維持している。
 燃料は奴自身の魂。
 そんなものは無限ではない……今後の奴の行動次第でもあるだろうが、遠からずどこかで現界に達する。
 おそらく我々『はじまり』の六人のうちで、最も終わりに近い位置にいるのがあやつだ。
 もっとも、燃え尽きる前に潰してやろうという私の目論見も、空振りに終わったが」
「本当に迷惑な存在だな、お前たちは……あの老人もそうであったが……」
「赤坂亜切とそのライダーのお陰で我が友とそのサーヴァントは飛躍的な成長を遂げた。
 しかしどうやらどちらも消耗が激しい。
 どう楽観的に見積もっても、明日の朝までは使い物にならないだろう。
 我が主人がやる気になっているというのに、これは口惜しい」
「なあホムンクルスよ、それはどう考えても、友と呼ぶ相手に向ける思考ではないぞ……」

アーチャーは何度目になるかも知れぬ溜息をつく。
いい加減に慣れたつもりではあったが、このホムンクルス、どうも人の心というものがない。
本当にこんな連中と組んで良いものなのか。天若日子の胸にこれも何度目とも知れぬ疑念がよぎる。

と、アーチャーとホムンクルスの会話が途切れたタイミングを見計らって。
スッ、とひとりの人物が手を挙げた。

「大将、俺様からも質問ひとつ、いいか」
「なんだ、アサシン?」

それはアインス・ガーンドレッドを騙ってチェックインした後、ずっと静かに一歩引いた所にいた人物。
顔には髑髏の仮面。仮面の下半分からは無精髭の生えた顎が覗く。
継代のハサン。
彼はそして、何気ないような口調で、とんでもないことを言い出した。

「これは質問っていうか確認なんだけどな――

 俺様もまた、2回目の参戦。

 そうだな、大将?」



 ◇ ◇



しばしの沈黙。

「おい……アサシン。それはいったい。」
「――素晴らしい。
 これで最後の懸念が消失した。
 極めて低確率とはされているが、私としては無視して事を進める訳にはいかなかった」
「んあァ?
 ……ああ、なるほど、そういうことか。
 大将の性格ならその可能性も無視できねぇか」
「察しが良くて助かる。
 語れずに居たことは謝罪する。そしておそらく、全て貴殿の想像した通りだ」
「本当は、もうちっと怒ってみせようかと思っていたんだがな、
 相変わらず大将は、肝心な所でタイミングを外してくれるよ」

意味が分からずにいるアーチャーの前で、アサシンとホムンクルスの主従ふたりだけが、勝手に納得して頷き合っている。
これには温厚な天若日子も声を荒げて。

「おい、訳が分からないぞ、説明しろ」
「簡単な話だ。
 そちらのアサシンは、『前回』の英霊戦争においても召喚されていた。私とは違うマスターの下で。
 そして今回召喚されたアサシンには、その時の記憶がない。そうだな?」
「ああ。
 そして大将は、俺様に『前回』の記憶が残っていて、『前回』のマスターのために動く可能性を警戒していた。
 最も内側から裏切られる可能性を懸念していた。そうだな?」
「一般的にサーヴァントは召喚される度に記憶をリセットされるものだが、例外もいくつか報告されている。
 極めて低い確率と言われているが、何しろ今回の聖杯戦争は異例尽くしだ。何が起こってもおかしくはない」
「そもそも同じ英霊が続けて呼ばれること自体、レアケースだろうしなァ。
 そりゃ、そっちの立場なら、記憶引継ぎの可能性は警戒するわな。
 だけどさっきの俺様の不用意な質問で、大将は『それはない』と確信できた。そういうことだろう?」
「これで私の目が節穴だったのなら、私の負けだ。
 そうであればもう仕方がない。素直に寝首を掻かれるほか無いだろう」
「この大将、こういう割り切りの良さが、どうにも憎めないんだよな……」

618再走者たちの憂さ晴らし ◆di.vShnCpU:2025/08/03(日) 01:03:25 ID:rqHqikmI0

過去にあったという、1回目の聖杯戦争。
そこに呼ばれていたという、髑髏のアサシンの存在。
本人にも伏せられていたその過去が、今、この場で明かされた――ということらしい。

「違和感は最初からあったんだ。
 一応、俺様の能力は、最初に全部一通り説明したんだがな。
 聞いたばかりだってのに大将の指示は全て適切で、無茶振りと思える命令も全部ギリギリ可能なことばかりだ。
 でもなるほど、前回、敵として知っていたのであれば、納得もする」
「蛇杖堂寂句の言動もヒントにはなったろうが、最後の決め手は、赤坂亜切の一言だろう?」
「ああ。『懲りずにまた地獄から這い出てきたか』、だったっけな。あれがトドメだった」
「前回のパートナーの名前は分かるか?」

ホムンクルスからの問いに、仮面の暗殺者は少しだけ考え込む。

「そうだな。
 まだ理屈だけでは完全には絞り込めねぇんだが、しかし大将が現時点でも想像がつくはずだ、と言うのなら……
 ノクト・サムスタンプ。
 魔術の傭兵、契約魔術師にして稀代の詐欺師。
 なるほど、そんなのが俺様と組んだとしたら、そりゃあひでぇことになりそうだな」
「念のために警告しておくが。
 万が一私を見限るとしても、奴と再び組むことだけはお勧めしない。
 確かに能力面であれば驚異的な噛み合いの良さを見せるだろう。
 だが前回の聖杯戦争において、ほとんど他の主従との接点を持たなかった私にすら、貴殿の嘆きは聞こえてくる程だった」
「そこまでかよ。不穏過ぎてかえって気になっちまうな、それは。
 これも確認だが、大将も、他の『はじまり』たちも、ノクトって奴に俺様の存在がバレないよう、立ち回ってたな?
 てか、大将もそれを期待して手札を切っていたって訳だ」
「その通り」

怒涛の勢いで答え合わせが進んでいく。
全ては咀嚼しきれないアーチャーを置いてきぼりのまま、そしてホムンクルスは決定的な決断を下す。

「そして、最後の懸念が払拭されたので、私はこの手段を選ぶことができる。
 アサシン。
 『西新宿に確保しておいた戦力』を、新宿で発生しているはずの、犯罪組織同士の闘争に投入しろ。
 攻撃対象は『デュラハン』、および『刀凶聯合』。その双方の構成員。邪魔をするなら英霊たちも。
 終わった後に何も残させるな」
「ノクトとやらに、俺様の存在が察知されるのは、もういいんだな?」
「構わない。
 貴殿の能力を活かそうと思えば、いつか覚悟しなければならない事ではあった。
 ただ、貴殿のマスターが私であることは、可能ならばもう少し隠蔽しておきたい。そこは留意して欲しい」
「了解した。今すぐ指示を出す」
「……なあ、『西新宿の戦力』って、何だ?」

アサシンは早速スマートホンでどこかに連絡を取っている。
会話に取り残されたアーチャーの、至極もっともな問いに対し、瓶の中のホムンクルスは端的に答えた。

「貴殿らの主従と遭遇するよりも前に、予め仕込んでおいたものがある。
 東京の裏社会を仕切る2大勢力の衝突は予想されていたし、その双方の陣営に聖杯戦争のマスターが居ることも予測できた。
 聖杯戦争を知る者も、知らぬ者も、備えていたのだ……それを今、ここで投入する。
 どうせ、出し惜しみしていても巻き添えで損なわれるであろう戦力だ。上手く行かなくとも痛くはない」

説明をされても、それでもアーチャーには意味が分からない。
ただ、底知れぬ射程の思考に、訳も分からぬままに戦慄する。
このホムンクルスは、どこまで先を見据えていたのか……
そして、そんな迂遠で綿密な仕込みをする一方で、必要と思えばあんな捨て身の策も取れるのか!

「本当は我が友・天梨の存在を我が主人にお披露目したかったのだが、今すぐという訳にも行かなくなった。
 そもそも我が主人が新宿に来たのも、私と亜切の衝突に惹かれてではあるまい。
 現時点の我々の対決には、それだけの価値はないということだ。
 仕方ない、それは受け入れよう。
 だが。
 『我々以外』の誰かが、彼女の興味を引くということには、言いようのない不快感を感じる」
「つまりなんだ。
 大将は『八つ当たり』で不良どもの祭りを台無しにしたい、ってことか」
「そういうことになるのか。
 感情の言語化というものは難しいな」

電話を終えて会話に復帰したアサシンの言葉に、瓶の中の赤ん坊は逆さまのままで何度か頷く。
表情だけであれば相も変らぬ無表情。
しかしうっすらと開かれた蒼い眼には、かすかに感情らしきものの色が見えた。

619再走者たちの憂さ晴らし ◆di.vShnCpU:2025/08/03(日) 01:04:05 ID:rqHqikmI0

「奴らの価値を喪失させる。
 愚連隊同士の衝突という基本構図から破壊する。彼らの『天敵』をここで投入する。
 ただし、精密な操作は必要ない。
 アサシン、貴殿が出て指揮をする必要はないが、出たいというのなら止めはしない」
「ふむ。どうするかね」

仮面の暗殺者は、無精髭の生えた顎を撫でる。
だだっ広いスイートルームには、微かにシャワーの水音だけが響く。



 ◇ ◇



新宿駅と代々木駅の中間くらいの位置に、どこまでも広い緑地がある。
芝生が広がる空間もあれば、手の込んだ日本庭園が造られている一画もある。
新宿御苑。
深夜ともなれば閉鎖されており、もちろん人の気配はない。

そんな都会のポケットのような空間に、降り立った人影がふたつ。
片や、身長2メートルの巨躯を誇る、吹雪の女神。
片や、眼に狂気の炎を灯す、魔眼の暗殺者。

「ここまで来れば、まあ大丈夫だろうね。やれやれ、生きた心地がしなかった」
「らしくないじゃないか、アギリ。こっちはまだまだやれたってのに。
 そんなにあのアサシンが怖かったのかい?」
「アサシンが厄介なのは確かだがね。
 それ以上にあのホムンクルス、そのアサシンにとんでもないことを命じやがった」

赤坂亜切は弱気をからかわれても怒ることもせず、ポケットからとあるものを取り出した。
それは……先の戦いの中、継代のハサンの操り人形になっていた人々が手にしていた拳銃。
あの混乱の中、目ざとくひとつ拾ってきたもの。
亜切の懸念の、その理由。

それは最大装弾数5発の、小ぶりなリボルバー。
スミス&ウェッソン社の名銃、M360……の、国と販売先を絞った、とあるローカルモデル。
シリアルナンバーの下には、「SAKURA」との刻印が光る。

「そもそも日本で拳銃なんて手に入る場所なんて限られてるんだ。
 あの根暗め、ノクト・サムスタンプですら手を出さなかった相手に、がっつり手を出しやがった」
「でもそんなちっぽけな飛び道具、来ると分かってればアギリなら何とでもなったろう?」
「拳銃だけならね。
 ただ最悪、狙撃銃を持ったスナイパーまで出てくる可能性まで考える必要があった。
 流石にそうなったらお手上げだ……僕の考えすぎだったのかもしれないけどね」

亜切は嘆息する。
あるいはこれが「前回のランサー」と組んでいたなら、それも含めて全てを防いでくれていたのかもしれないが。
その場合、スカディの圧倒的な攻撃力も無かった訳で。
なんともままならない。

スカディはいまいち理解できないといった風のまま、それでもニヤリと獰猛な笑みを浮かべる。

「説明されても、まだよく分からないんだけどさ。
 でもアンタのことだ、ただ逃げ出したって訳じゃないんだろう?」
「当然だ。
 あそこでホムンクルスを殺しきれるなら、それでも良かったんだけどね。
 残念ながら、他にも殺したい相手が出てきてしまったよ」

あの戦場に居た全員が、見ずとも聞かずとも察知した、この箱庭の神の介入。
しかしホムンクルスだけでなく、亜切たちもまた、瞬時に理解してしまっていた。

神寂祓葉は、別に赤坂亜切とホムンクルス36号の衝突に惹かれて、新宿に来たのではない。
彼女の視線は、もっと他の所に向けられている。
おそらくは、新宿歌舞伎町あたりを中心とした、半グレ集団同士の本格抗争。

『はじまり』の六人には、まさにその事実そのものが、我慢ならない。

「腹立たしいんだよねぇ、僕たち以外の存在が、お姉(妹)ちゃんに気を掛けられてるなんて。
 なので、横から丸焼きにしてやろうと思うんだ」
「誰をどう狙うんだい?」
「どうせホムンクルスのことは、たまたま見つけたから襲っただけの、ついでの用事だったんだ。
 狙って殴るなら、騒ぎの一番の中心だ。
 事前に集めた情報によると、どちらの組織のトップも、相当な武闘派らしい。
 なら、きっと派手な大将戦が起きる。そこを叩く」

炎の魔人は嫉妬の炎を燃やす。
期せずして〈妄信〉と〈忠誠〉、ふたつの狂気が、ほとんど同じ方向の出力に至る。

半グレたちの闘争を、台無しにする。
神寂祓葉の気を引いたことを、後悔させる。
まずはそうしないことには、気が済まない。

「どっちにしようかな。
 決闘のつもりで殴りあってる所に横から乱入するか、それとも、決着がついた所を横から張り倒すか。
 まあ、そこは臨機応変って所か。
 アーチャー、君もその時は出し惜しみはなしだ。宝具くらいは使っていい」
「使うだけの相手がいるかねぇ。まあ、遠慮はしないけどね」



 ◇ ◇

620再走者たちの憂さ晴らし ◆di.vShnCpU:2025/08/03(日) 01:05:02 ID:rqHqikmI0


山手線を挟んで、歌舞伎町から西側。
東京都庁のツインタワーに通り一本挟んで隣接する形で、その建物はあった。

新宿警察署。
管轄内に世界でも最も乗降客の多い新宿駅を抱え、繁華街である歌舞伎町も半分ほどを担当している。
実に、日本でも最大の警察署である。

ただでさえ大規模な警察署の前には、さらに現在、何台もの大型車が鎮座していた。
青と白に塗られた特徴的な大型バス。側面と背面には、窓の上から頑丈そうな金網が貼られている。
機動隊……それも他の警察署からもかき集められた、応援の部隊である。
その中には、立てこもり事件などで使われることもある、狙撃手のチームも含まれている。

デュラハンと刀凶聯合。
半グレと呼ばれる、ふたつの巨大組織の正面衝突の気配は、もちろん警察も察知できていた。
NPCとはいえ、彼らは彼らなりに自らの意思で動き判断する存在である。
いずれ大混乱が起きると分かっていて、ただ座視するような警視庁ではない。
具体的な開戦の時期までは絞り切れていなかったが、いつ何が起きても介入できる備えはしていたのだ。

その備えを、継代のハサンの御業は、全て掌中に収めた。

一か所に集まっている、魔術の心得のない一般人の群れなど、かのアサシンには良いカモだった。
鴨がネギを背負って整列しているようなものだった。
その数、およそ千人。
かのハサンの催眠術は、その気になればさらに一桁上の人数まで支配下に置くことができる。
実に彼は、警察署に集っていた人員を全て支配下に置き、待機させたまま、ここまでの戦い全てを踏み越えてきたのだ。

「攻撃指令、発令!
 全隊、出動せよ! 繰り返す、全隊出動せよ!
 攻撃対象、『デュラハン』、および『刀凶聯合』! それを邪魔する者も容赦をするな!
 全ての武器の使用が無制限に許可される! 捕縛ではなく、殺害せよ!」

待機していた機動隊員たちが、次々と金網張りの人員輸送車に乗り込んでいく。
武器庫を開けさせて、警官の制式拳銃を外に持ち出すなんてことは序の口だ。

訓練を重ね武装もした、規律ある群れ。
レッドライダーの起こした混乱にも、二大組織の抗争開始にもろくに反応せず、ほとんど丸ごと温存されていた警察力。

それが今、無垢なる嫉妬に応えて、混沌の新宿に解き放たれる。
全てを台無しにするために、
全ての争いを、勝者なき結末にするために。

621再走者たちの憂さ晴らし ◆di.vShnCpU:2025/08/03(日) 01:05:30 ID:rqHqikmI0

【渋谷区・超高級ホテル 最上階スイートルーム/二日目・未明】


【輪堂天梨】
[状態]:疲労(大)、左手指・甲骨折、全身にダメージ(中)、自己嫌悪(大)、意識朦朧、シャワー中、アンジェリカのなすがまま
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:たくさん(体質の恩恵でお仕事が順調)
[思考・状況]
基本方針:〈天使〉のままでいたい。
0:ごめんね……アンジェリカさん……
1:ほむっちのことは……うん、守らないと。
2:……私も負けないよ、満天ちゃん。
3:アヴェンジャーのことは無視できない。私は、彼のマスターなんだから。
[備考]
※以降に仕事が入っているかどうかは後のリレーにお任せします。
※魔術回路の開き方を覚え、"自身が友好的と判断する相手に人間・英霊を問わず強化を与える魔術"(【感光/応答(Call and Response)】)を行使できるようになりました。
 持続時間、今後の成長如何については後の書き手さんにお任せします。
※自分の無自覚に行使している魔術について知りました。
※煌星満天との対決を通じて能力が向上しています(程度は後続に委ねます)。
 →魅了魔術の出力が向上しています。NPC程度であれば、だいたい言うことを聞かせられるようです。
※煌星満天と個人間の同盟を結びました。対談イベントについては後続に委ねます。
※一時的な堕天に至りました。
 その産物として、対象を絞る代わりに規格外の強化を授けられる【受胎告知(First Light)】を体得しました。この魔術による強化の時間制限の有無は後続に委ねます。



【アヴェンジャー(シャクシャイン)】
[状態]:半身に火傷、疲労(極大)、気絶中
[装備]:「血啜喰牙」
[道具]:弓矢などの武装
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:死に絶えろ、“和人”ども。
0:殺す。
1:憐れみは要らない。厄災として、全てを喰らい尽くす。
2:愉しもうぜ、輪堂天梨。堕ちていく時まで。
3:以下の連中は機会があれば必ず殺す:青き騎兵(カスター)、煌星満天、赤坂亜切、雪原の女神(スカディ)。また増えるかも
4:ホムンクルスも殺してぇ……

[備考]
※マスターである天梨から殺人を禁じられています。
 最後の“楽しみ”のために敢えて受け入れています。

※令呪『私の大事な人達を傷つけないで』
 現在の対象範囲:ホムンクルス36号/ミロクと煌星満天、およびその契約サーヴァント。またアヴェンジャー本人もこれの対象。
 対象が若干漠然としているために効力は完全ではないが、広すぎもしないためそれなりに重く作用している。



【ホムンクルス36号/ミロク】
[状態]:疲労(中)、肉体強化、"成長"、
[令呪]:残り二画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:忠誠を示す。そのために動く。
0:とりあえず新宿で争う連中を、全て台無しにする。ダメで元々。
1:輪堂天梨を対等な友に据え、覚醒に導くことで真に主命を果たす。
2:……ほむっち。か。
3:煌星満天を始めとする他の恒星候補は機会を見て排除する。
[備考]
※天梨の【感光/応答】を受けたことで、わずかに肉体が成長し始めています。
※解析に加え、解析した物体に対する介入魔術を使用できるようになりました。

622再走者たちの憂さ晴らし ◆di.vShnCpU:2025/08/03(日) 01:06:04 ID:rqHqikmI0


【アサシン(ハサン・サッバーハ )】
[状態]:霊基強化、令呪『ホムンクルス36号が輪堂天梨へ意図的に虚言を弄した際、速やかにこれを抹殺せよ』
[装備]:ナイフ
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:マスターに従う
0:八つ当たり、ねぇ……大将もだいぶ人間臭くなったもんだな
1:さて、新宿に行ってみるか、それともここに留まるか。
2:大将の忠告を無視する気もないが……ノクト・サムスタンプ、少し気になるな。
[備考]
※宝具を使用し、相当数の民間人を兵隊に変えています。
※OP後、本編開始前の間に、新宿警察署に集まっていた機動隊員たちを催眠下に捉えていました。
※自身が2回目の参加であること、前回のマスターがノクト・サムスタンプであることを知りました。

※この後、彼が新宿に向かって機動隊員たちを指揮するか、ホテルに留まるかは後続の書き手にお任せします。



【アンジェリカ・アルロニカ】
[状態]:魔力消費(中)、疲労(中)、シャワー中
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:ヒーローのお面(ピンク)
[所持金]:家にはそれなりの金額があった。それなりの貯金もあるようだ。時計塔の魔術師だしね。
[思考・状況]
基本方針:勝ち残る。
0:とりあえず天梨の面倒をみる。放っておけない。
1:天梨のシャワーと手当が澄んだら、ホムンクルスから色々聞き出さないと。
2:神寂祓葉に複雑な感情。
3:蛇杖堂寂句には二度と会いたくない。
[備考]
※ホムンクルス36号から、前回の聖杯戦争のマスターの情報(神寂祓葉を除く)を手に入れました。
※蛇杖堂寂句の手術を受けました。
※神寂祓葉が"こう"なる前について少しだけ聞きました。



【アーチャー(天若日子)】
[状態]:疲労(中)
[装備]:弓矢
[道具]: ヒーローのお面
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:アンジェに付き従う。
0:本当に何をどこまで考えているのだ、こやつらは。
1:アサシンもアヴェンジャーも気に入らないが、当面は上手くやるしかない。
2:赤い害獣(レッドライダー)は次は確実に討つ。許さぬ。
3:神寂祓葉――難儀な生き物だな、あれは。
[備考]
※アサシン(継代のハサン)が2回目の参戦であることを知りました。

623再走者たちの憂さ晴らし ◆di.vShnCpU:2025/08/03(日) 01:07:05 ID:rqHqikmI0


【新宿区・新宿御苑/二日目・未明】

【赤坂亜切】
[状態]:疲労(大)、魔力消費(中)、眼球にダメージ、左手に肉腫が侵食(進行停止済、動作に支障あり)
[令呪]:残り画
[装備]:『嚇炎の魔眼』、M360J「SAKURA」(残弾3発)
[道具]:魔眼殺しの眼鏡(模造品)
[所持金]:潤沢。殺し屋として働いた報酬がほぼ手つかずで残っている。
[思考・状況]
基本方針:優勝する。お姉(妹)ちゃんを手に入れる。
0:とりあえず新宿で争う連中の、大将戦を台無しにする。歌舞伎町の争いに参戦する。
1:適当に参加者を間引きながらお姉(妹)ちゃんを探す。
2:日中はある程度力を抑え、夜間に本格的な狩りを実行する。
3:他の〈はじまりの六人〉を警戒しつつ、情報を集める。
4:〈蛇〉ねえ。
5:〈恒星の資格者〉? 寝言は寝て言えよ。
6:脱出王は次に会ったら必ず殺す。希彦に情報を流してやるか考え中
[備考]
※彼の所持する魔眼殺しの眼鏡は質の低い模造品であり、力を抑えるに十全な代物ではありません。
※香篤井希彦の連絡先を入手しました。

※ホムンクルス36号の見立てによると、自身の魂を燃やす彼の炎は無限ではなく、終わりが見えているようです。
 ただしまだ本人に自覚はないようです。
 具体的にどの程度の猶予があるかは後続の書き手にお任せします。
※一回目の聖杯戦争で組んでいたランサーは、鬼若(いわゆる武蔵坊弁慶)でした。



【アーチャー(スカディ)】
[状態]:疲労(中)、脇腹負傷(自分でちぎった+銃創が貫通)、蛇毒による激痛(行動に支障なし)
[装備]:イチイの大弓、スキー板。
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:狩りを楽しむ。
0:なるほど、八つ当たりねぇ。アギリも可愛いもんだ。いいよ、付き合うよ
1:日中はある程度力を抑え、夜間に本格的な狩りを実行する。
2:マキナはかわいいね。生きて再会できたら、また話そうじゃないか。
3:ランサー(アンタレス)は――もっと育ったら遭いに行こうか。
[備考]
※ランサー(ギルタブリル/天蠍アンタレス)の宝具を受けました。
 強引に取り除きましたが、どの程度効いたかと彼女の真名に気付いたかどうかはおまかせします。


[備考]
NPCとして、千人ほどの機動隊員が、継代のハサンの催眠術の影響の下で、デュラハンと刀凶聯合を攻撃対象として放たれました。
基本的に一般構成員を狙って動きますが、英霊やその他の戦力が邪魔をするようなら攻撃対象とします。

624 ◆di.vShnCpU:2025/08/03(日) 01:07:23 ID:rqHqikmI0
投下終了です。

625 ◆0pIloi6gg.:2025/08/03(日) 23:14:50 ID:GedZXUQk0
展開的にキリがいいので、先に前編のみ投下します。

626心という名の不可解(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/03(日) 23:15:47 ID:GedZXUQk0



『いいか? ゲンジ。人間どんなに辛くても、正しく生きてりゃいつか幸せになれるんだ』

 おれのおやじは、やはり馬鹿な男だったのだと思う。
 どんなに貧しくても寂しくても、正しいことをしていればいつか必ず報われるのだと、子どもじみた説法をいつも滾々と説いていた。
 おやじにとっての"正しいこと"とは、困っている他人に手を差し伸べること。
 本来なら自分も何らかの支援を受けるべき立場なのに、自分とその息子だけ勘定から外して、文字通り一銭の得にもならない慈善事業に邁進する。
 その結果守るべき弱者に刺されて死んだというのだから世話はない。
 本当の弱者は助けたくなるような姿をしてないのだと誰かが賢しらに言ってたが、正直それは真理だと思う。おれもおやじも、あの哀れな老人達もそうだったから。

『この間、息子さん偉いですねって褒められたよ。
 あれは俺も鼻が高かったな。
 神様ってのは意地悪に見えるが、ちゃんとこうして帳尻合わせてくれるのさ』

 おやじ曰く、この世でいちばん強いのは他人の気持ちに寄り添える人間らしい。
 ちゃんちゃらおかしな話だ。寄り添った結果糞垂れのじいさんに一突きにされてたら世話ないだろう。
 それでも当時のおれは、ある種の諦観と共におやじの説法に頷いてやっていた。
 学習性無力感というやつだろう。終わりの見えない不幸は人を鈍感にさせる。あるいはせめてもの、肉親への情か。

『おまえはいい男になるぞ、ゲンジ。顔は俺に似ちまったけど、人間は見てくれより中身さ。
 そうじゃなかったら俺みたいな冴えない男が所帯持つなんてできるわけがねえからな。
 ……ま、冴えなすぎて捨てられちまったが』

 けどもう、おれを縛り付ける閉塞のしがらみは存在しない。
 おやじは死んだ。団地は壊した。おれを必要としてくれる人に出会えた。
 本当に強い人間というのは、狩魔さんのような人を言うのだ。
 力のない人間が振りまく優しさは過食嘔吐やオーバードーズと同じだ。
 一時の幸福感に耽溺して、すぐ揺り戻しの不幸で自傷する。そんな、まったく意味のない行為。

 だから要するに、おやじは死ぬべくして死んだのだろう。
 同情する気もないし、今となってはどうでもよかった。
 おれはもうあの肥溜めみたいな世界から解き放たれている。
 おかげで身体はかつてないほど軽く、臓腑の底に蟠ってた汚れが全部どこかへ行ってしまったようだ。

 そんな愚かなおやじが一度だけ、らしくないことを言ったことがあった。

『お前も年頃だ。そのうち好きな女のひとりもできるだろう』

 嫌味かと思った。道を歩いてるだけでクスクス笑って指を差されるおれに何を言ってるのか。
 息子がそうやって笑い者にされてても、顔を伏せて見て見ぬ振りするだけの冴えない男がおれのおやじだ。
 そんな男に今更芯を食ったようなことを言われても、正直どう受け取っていいのかわからない。

627心という名の不可解(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/03(日) 23:16:40 ID:GedZXUQk0

『その時はよ、なりふり構わずやってみな。
 もちろん道を外れるようなことはしちゃいけないが、恥も外聞も掻き捨てちまえ。
 そうやって情熱持って伝えれば、案外高嶺の花だって振り向いてくれるもんさ』

 確かに、おれの母親は若い時相当な美人だったらしい。
 とんでもない売れっ子のホステスで、男が次々貢物を持ってきたのだと酔った赤ら顔で語っていたのを覚えている。
 そう考えると、おやじは文字通りなりふり構わず頑張ったのだろう。
 頑張った結果の家庭がああなって、捨てられたおれ達がこうなってるのを除けば、いい話だと思った。

『母さんは気が強かったろ?
 お前にもあいつの血が流れてるんだ。お前は、俺なんかよりずっと強い男になれる筈だよ』

 自分を捨てた女の血が流れていると言われて、おれが嬉しい気持ちになると思ったのか。
 だとしたら、あの女がおやじを捨てた理由が分かった気がした。
 おやじは優しい。優しいが頭が悪くて、根っこの部分でどこか自分に酔ってる。
 だからこの時おれは、いつもの戯言の一環として軽くあしらって終わらせたのだが。

 あれはおやじが俺にかけた言葉の中で唯一の金言だったのかもしれない。
 確かにおれはおやじとは違う。おれの中にはおやじの弱さと、あの女の貪欲さが同時に存在している。
 おれは自分のために誰かを犠牲にできる。内に湧いた"欲しい"を叶えるために、すべてを踏み躙れる人間だ。
 狩魔さんがおれを見出したのは、最初からおれがそうだと気付いていた故なのかもしれない。

 ――おやじ。あんたの言う通り、おれにもその時ってやつが来たよ。

 好きな女といったら語弊があるかもしれない。
 けど、たぶんそれよりも上の感情だ。

 ――欲しいんだ。

 焦がれている。灼かれている。
 心の奥深くをじりじりと炙られて、肉汁みたいに欲望の汁が滲み出してくる。

 ――神寂祓葉に、褒めて欲しい。

 そのためなら、おれは鬼にも悪魔にもなれる。
 それはきっと、おやじがおれに望んだ未来とは違うのだろうけど。
 死人に義理立てする理由もない。
 おれはおれだ。覚明ゲンジなのだ。周鳳狩魔が認め、山越風夏が期待し、蛇杖堂寂句が重用する"猿の手"だ。

 じゃあな、おやじ。
 じゃあな、じいさん達。
 おれは行くよ。あの団地を出て、行きたいところに行く。

 ――星を、見に行くんだ。



◇◇

628心という名の不可解(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/03(日) 23:18:01 ID:GedZXUQk0



「一番槍は譲ってやる」

 光栄に思えとでも言わんばかりの不遜な口調で、ジャックは俺にそう言った。
 正直に言うと驚いた。てっきり共闘するものだと思っていたからだ。
 そんなおれの感情が伝わったのか、老人は鼻を鳴らす。

「祓葉は怪物だ。正攻法ではどうすることもできないから、必然切り札を使うことになる。
 すなわち覚明、貴様が先程話した"例の宝具"もだ」

 それを聞いて、おれはこいつの意図を理解した。
 確かにそうだ。それを前提にするのなら、おれ達は共闘など到底できない。

 バーサーカーには、第二の宝具がある。
 使ったことはなかったが、感覚として知っていた。
 あのデタラメな赤騎士にすら通用した"原人の呪い"の、更にもうひとつ先だ。
 むしろ、バーサーカー達が普段纏っている呪いは第二宝具の片鱗のようなものなのだろう。

「私は貴様らの特攻の成否を見て行動を選択する。
 共闘がありえるとすれば、バーサーカーの宝具があの小娘に通り、なおかつお前達が生き残っている場合のみだ」
「……本当に傲慢だな、あんた。
 おれを捨て駒にする魂胆を、隠そうともしてない」
「慮ってやる義理も、その必要もないのでな」

 おやじを殺した入れ墨のじいさん然り、おれはあの団地でいろんな老人を見てきた。
 性根の腐った奴、そもそも狂ってる奴。中には溌剌として元気に生きてる奴もいたが、共通してたのはどいつも弱っていたことだ。
 こればかりは責められることじゃない。
 歳を取れば弱くなる。衰えて、頭も身体もぼろぼろになっていく。この世に存在するすべての生き物の共通項だ。

 でも、このジャックというじいさんは違った。
 弱っていないどころか、今までおれが出会ったどの人間よりも生命力に溢れている。
 身体だって老人とは思えないほどゴツい。
 ラガーマンとか力士とか、そういう本職の人間を彷彿とさせるむくつけき肉体をしていた。
 こいつなら、あの入れ墨のじいさんにドスで襲われても表情ひとつ変えずボコボコにしてしまうのだろう。そもそもドスが刺さらなくても驚かない。
 医者ってなんだっけ、と思わずにはいられなかった。

「おれがあんたの星を倒しちまっても、知らないぞ。後で話が違うって駄々捏ねるのだけは、なしにしてくれよ」
「それならそれで構わんとも。
 私は極星の末路に固執しない。アレを放逐するのは己の手でなくてはならないなどと気色悪い傾倒をしているのは一部の無能共だけだ」

 こいつは、どうしてそんなに祓葉を殺したいのだろう。
 おれみたいに、あいつに評価されたいわけでもないだろうに。
 いったい何がこの怪物老人を突き動かしてるのか、おれには分からない。

「貴様は思う存分、胸を灼く狂気のままに戦えばいい。
 ただし奥の手を使う間もなく殺される無様は晒すなよ。
 死んでも構わんが、せめて役に立つ死に方をするように」
「……じゃあ教えてくれよ、お医者様。あいつと戦う時、おれはどういう風に挑むべきなんだ?」

 皮肉めいた言い方になってしまったが、実際ここの部分は智慧がほしかった。
 何しろおれは、神寂祓葉という人間の強さを正確には知らないのだ。
 とんでもない奴だってことは分かってる。でもそれだけ。そこには経験が欠如している。

629心という名の不可解(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/03(日) 23:19:00 ID:GedZXUQk0

 おれだって、瞬殺なんてしょうもない末路は御免だ。
 ジャックに媚びるつもりはないが、死ぬにしたって爪痕くらいは残したい。
 問うたおれに、ジャックは一瞬の逡巡をしてから口を開いた。
 嘲りの色はない。厳しい仏像のような迫力があった。

「先程も言ったが、正攻法では勝てん。
 強い弱いの問題ではなく、そういう風になっている」

 心底忌まわしいものについて言及するような口振りだった。
 
「神寂祓葉は、存在するだけで世界の理を狂わす劇物だ。
 だから目の前の相手より必ず強くなるし、足りない力は無から引き出して補塡してくる。
 よって考えられる有効打は件の宝具のみだが、それでも貴様のバーサーカーは多少アレと相性がいい筈だ」

 バーサーカーのスキルが否定する文明は科学技術だけじゃない。
 魔術もまたホモ・サピエンスの文明の産物だ。ネアンデルタール人達は、その存在を認めない。
 祓葉がどういう力を持っていてどのように戦うのかはもう聞いていた。
 心臓に埋め込んだ永久機関。不死の根幹。
 宝具級の神秘を持つ光の剣。神の鞭。
 光剣の正体が不詳な以上過信はできないが、うまく呪いが効いてくれれば確かにある程度張り合えそうだ。

「損害は承知で原人どもを突っ込ませ、なるべく祓葉を削ることだな。
 あの馬鹿娘は喜んで付き合ってくれる。サーヴァントそっちのけで貴様を狙う無粋もすまいよ」

 神寂祓葉は、聖杯戦争を楽しんでいる。
 だからつまるところ、彼女はノリがいいのだろう。
 おれみたいな路傍の石相手でも手抜きなく全力で、正々堂々戦ってくれるらしい。
 それはおれにとって実にありがたい話だった。
 どんなに超人ぶったって、おれ自身は人の心が向かう先を眺められるだけの凡人だ。
 祓葉が狩魔さんのように合理性で動く手合いだったなら、おれに勝ち目はなかったろう。

「そうして適度に乗らせ、奴が覚醒したタイミングで永久機関の破壊を試みろ。それが唯一の勝ち筋だ」
「は……なんだ。今度は隠すのか」

 平然と言うジャックだったが、おれもそこまで馬鹿じゃない。

 ネアンデルタール人の第二宝具でしか祓葉を倒せないのなら、初手からやればいいだけの話だ。
 おれには、バカ正直にあいつと相撲を取る理由がない。
 なのにこの老人がそう促してくるのは、つまりそういうこと。

「おれを使ってデータを取りたいんだろ、あんたは」
「無能め。貴様は餓鬼にしては多少聡いが、肝腎な部分を見落とす悪癖があるようだな」

 バーサーカー達との戦闘を通じて、"今の"祓葉を分析したい。
 おれはどこまでも、ジャックに試金石と見られている。
 そう思って指摘したのだが、灰衣の老医者は呆れたように言った。

630心という名の不可解(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/03(日) 23:19:44 ID:GedZXUQk0

「確かに祓葉は阿呆だ。しかし、奴の背後には偏屈な保護者がいる」
「……あ」
「気付いたか? 間抜け。初手での切り札の開帳は、自殺志願でもないなら絶対に控えるべきだ。
 都市の神となったオルフィレウスが本気で警戒し出したなら、勝率は限りなくゼロに近付く」

 ……言われてみればそうだ。
 祓葉は〈この世界の神〉だが、これが聖杯戦争である以上あいつだってひとりじゃない。
 原人達の無駄死にという茶番を用立ててでも苦戦を演出しなければ、最悪オルフィレウスの介入を招く。
 
 おれは顔が熱くなるのを感じた。
 北京原人似の男がそうしてる様は、さぞかし不気味だったに違いない。

「それに……貴様も新参とはいえ、奴に灼かれた燃え滓なのだろう?」

 恥じ入るおれにかけられた次の言葉には嘲りと、わずかな憐れみが覗いていた。

「勝つにしろ負けるにしろ、奴との対峙は一度きりだ。
 焦がれた神との対話で狂気を慰めるくらいは赦してやる」

 ――実際、これもジャックの言う通りだった。
 名探偵を気取ったおれだが、実のところ初手で終わらせるなんてする気はなかったのだ。

 だってそれこそあまりに無粋だろう。
 おれは祓葉と話したいし、もっとあの白い少女のことを知りたい。
 口元が歪むのを感じた。卑屈なのに欲深い、きっととても気持ち悪い顔。
 それが見えていないわけでもないだろうに、ジャックは引く様子も見せない。
 ただ足を進めていく。歩幅はおれのおやじよりも大きくて、小柄なおれは付いていくだけでやっとだ。

「欲望を満たし、そして役目を果たせ。
 私が貴様に望むことも、貴様がこれからすべきことも、それだけだ」

 ジャックは、この先に星がいることを確信してるみたいだった。
 引力というやつだろうか。だってあいつは、ブラックホールだから。

 星も、そうでない物質も、すべて引き寄せて呑み込む巨大な宇宙現象。
 コズミックホラーの主役のような存在が、おれ達のすぐそばにいる。
 なのに不思議と緊張はなかった。遠足の前日のように、胸が高鳴っているだけだ。

 なあ、おやじ。
 おれもとうとう、気になる女ができたよ。
 付き合いたいとかセックスがしたいとかそういうのじゃないけどさ。
 話したくて堪らないんだ。見て欲しくて、褒めて欲しくて仕方ないんだ。

 あんたのことは、正直好きでも嫌いでもない。今も。
 でも、やっぱり親子だからさ。
 あんたにだけは、これからおれが挑む戦いを見ててほしいな。

 だってたぶん、勝っても負けてもこれがおれの最大瞬間風速なんだ。
 覚明ゲンジが生まれてきた意味が、これからようやく実を結ぶ。
 どんなに不細工でも、悍ましい外道の所業でも、おれは全力でそれに臨むよ。
 正しく生きていればいつか報われるんだとあんたは言った。
 おれにとっては、これこそが正しい生き方だ。報われると信じて、おれは挑む。

 
 ――だから見てろ、おやじ。
 あんたの息子はこれから、神さまを殺す。



◇◇

631心という名の不可解(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/03(日) 23:20:30 ID:GedZXUQk0



 深夜二時を回った新宿。
 赤く染まる空が、死した太陽の残光のように頭上を灼いている。
 人の気配はすでに絶え、静寂に包まれた街路が、まるでこの世の終焉を告げる舞台装置のように広がる。
 
 そんな異様な光景のただ中に、ひとりの少女が立っていた。
 白。すべてを拒絶するような純白の髪が風もないのに微かに揺れ、頭頂では滑稽とも神聖とも映る曲毛が天を差す。
 さながら現世に降り立った奇跡だった。汚れを知らぬ光が、少女の輪郭を縁取っていた。

 覚明ゲンジは、それを見る。
 息ができない。心臓が止まったようだと思った。
 だが、次に浮かんだのはやはりあの黄ばんだ笑みだった。
 
 胸の奥で何かが爆ぜた。
 下半身に血液が集中するのがわかる。
 美しい。けれどこれは、性愛を向けるべき対象ではない。

 歓喜と畏怖と憎悪が渦を巻く。
 祓葉、と彼は譫言のように呟いた。
 その存在を穿ち、嘲り、堕とし尽くしたい衝動を抱えて破顔する彼をよそに。
 〈この世界の神〉は、惚れ惚れするような人懐っこい笑顔で言った。

「――――こんばんは。あなた、だあれ? 私のこと知ってるの?」

 言われて初めて、自分達の間に面識がないことを思い出した。
 ゲンジはあくまで一方的に見ただけだ。祓葉からすれば、急に現れて気色悪い笑みを浮かべた北京原人似の不審者も同然だろう。

「……ゲンジ。覚明ゲンジ。
 あんたのこと、一回だけ見かけた。それだけだよ」
「カクメイゲンジ?
 かっこいい名前だね! なんか漫画のキャラみたい」

 なんてことのない褒め言葉でさえ、悦びで頭がどうにかなりそうだった。
 ゲンジは初めて自分の名前と、先祖が名乗った苗字に感謝する。
 いつもは名前負けにしか思えなかった己が名の響きさえ、祓葉が認めてくれたというだけで、金銀財宝にも匹敵する素晴らしいものに思えた。

「私はね、祓葉。神寂祓葉。えっとね、神さまが――」
「神さまが寂しがって祓う葉っぱ……」
「わお、先回りされたのって初めてかも。
 もしかしてゲンジって相当私のオタク? アギリと仲良くなれそうだね。今度紹介してもいい?」

 ゲンジの背後の薄闇には、五十の影が得物を持って追随していた。
 脊柱を湾曲させ、石斧を手にした、獣じみた原始の群れ。
 彼らは吠えもせず、雄叫びも上げず、ただ目の前の白色に慄いていた。
 理を捻じ曲げる劇毒の神。その存在に晒されただけで、原人たちは奥底の本能を呼び覚まされる。

632心という名の不可解(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/03(日) 23:21:24 ID:GedZXUQk0

 ――これは災厄だ。
 ――ヒトの手では触れられぬモノだ。

 唸り声は喉の奥に飲み込まれ、五十体の肩が小刻みに揺れている。
 あの白は、災厄だ。信仰を知らぬ原人達でさえそのように理解する。
 であればそんな存在を前にして喜色を隠せない様子のゲンジは、やはり彼らとさえ根本から違う生き物なのだろう。

「軍団型のサーヴァントかぁ。
 珍しいね。前の時はいなかったタイプだからちょっと新鮮。クラスは?」
「……バーサーカー。見ての通り、ほとんど意思疎通はできないよ」
「おー、阿修羅の王さまみたいな感じだ。
 でもガーンドレッドさんちのとはずいぶん様子が違うね。ちゃんと躾ができててすごいや」

 ゲンジが視界を切り替える。
 祓葉からの矢印が、自分に向かって伸びていた。


 『楽しみ』。


 その感情を認識した時、大袈裟でもなんでもなく腰が抜けそうになった。
 見て欲しかった。おれはこいつから向けられる、この感情をずっと欲しがっていた。
 覚明ゲンジは感激しながら、小さく片手を挙げる。
 祓葉が期待してくれている。なら、それを裏切りたくないと思ったからだ。

「じゃ、早速やろっか。先攻は譲ってあげる」

 祓葉の右手に、光の剣が出現する。
 あれが、蛇杖堂寂句や山越風夏を終わらせた神の鞭。
 現実をねじ伏せて、道理を冒涜する、大祓の剣。

「祓葉。おれは……」

 死ぬほど怖いはずなのに、怖いことすらも嬉しかった。
 覚明ゲンジという奈落の虫が、今この瞬間に羽化を果たす。
 蛹を破り、透明な羽を持った悍ましい羽虫になって、空の彼方に向け飛び立つのだ。

 何のために? 決まっている。

「――――おれはおまえを、犯(ころ)したい」

 それが、それだけが、おれがおまえに伝えられる求愛だ。
 よって刹那、原始の住人と現代の神の闘争は始まった。

 

◇◇

633心という名の不可解(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/03(日) 23:22:06 ID:GedZXUQk0



 一体目が飛んだ。
 祓葉が踏み出した。

 風もなく、音もなく、ただ一陣の光が奔っただけだった。
 その白光が原人の頭部を撫でたのか、首から上がぽろりと落ちる。
 あまりにも綺麗に、あまりにも呆気なく魁のネアンデルタール人が死ぬ。

 右足の軌道が跳ね上がり、残光の帯を残しながらもう一体の胸板を蹴り抜いた。
 肋骨が内側から破裂するように砕けて吹き飛ぶ。
 軽い。すべてが軽い。
 少女の華奢な体から繰り出される暴威に、重力も肉も悲鳴を上げる暇がない。

 だけど、仲間の死で火が点いたらしい。
 こいつらは戦士だ。おれのバーサーカーどもは獣であり、兵であり、こいつらなりの愛と絆で結ばれた群れなのだ。
 二体が飛びかかり、石槍と石斧で祓葉の首を狙う。だが石器は空を切り、その先にいた筈の祓葉はいなくなっていた。

 違う。いなくなったんじゃない、視線の追跡を振り切る速度で動かれただけだ。
 次の刹那には別の一体が胸を裂かれ、そのまま真っ二つにされている。

 三体目の死に原人たちが憤激と鼓舞の雄叫びをあげる。
 鼻孔を鳴らし、牙を剥き、唾を撒き散らして、次々に突っ込む。
 半円を描くように展開し、包囲と乱打を同時に成立させる。
 こいつらなりの狩りの陣形なのだろう、証拠に動きに無駄がない。

「あはは! やるねえ!」

 けれど祓葉は、笑っていた。
 まるでお気に入りの遊具に囲まれた子供のように愉しげな顔で剣を振るう。

 振るわれた光剣が原人の腹を裂く。肩を穿つ。脛を断つ。
 周囲を囲まれた状況で大立ち回りをした代償に、ようやく原人の石器が祓葉を捉えた。
 石斧が、美顔の半分を叩き潰したのだ。
 飛び散る血と脳漿が、しかし次の瞬間には砂時計をひっくり返したように巻き戻っていく。

「やったな〜? もう、治るとはいえちゃんと痛いんだからね――!」

 ジャックのじいさんが言った通りだ。
 世界そのものがこいつに味方している。
 その事実と、それがもたらす絶望のでかさを、おれはようやく理解した。

 何人もの命を使って増やした原人が次から次へと薙ぎ払われていく。
 腕を落とされ、顎を吹き飛ばされ、地に伏して。
 唐竹割りにされて、爆散するように弾け飛ぶ。

634心という名の不可解(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/03(日) 23:23:03 ID:GedZXUQk0

 ――神だ。やはりこいつは、神なのだ。

 〈はじまりの六人〉は正しかった。
 こいつに触れて狂わず、畏れずにいられる方が異常者だ。
 おれももう、あいつらみたいな狂人のひとりなんだろう。
 けれど、その狂気さえ祓葉がくれたものと思えば幸福だった。
 欲望が、またひとつ膨らんだ。

 ――もっと、近くで見たい。もっと、おまえを知りたい。

 俺は叫ぶ。五十の戦士に命じる。

「殺しちまえ、バーサーカー……!
 おまえ達の仲間の仇は、そこにいるぞ……!」

 群れの統率者たるおれの言葉に応えるように、原人たちは再び祓葉に向かって吼えた。
 もう、恐怖はないようだった。便利な絆だ。ありがたい。


「――ずっと、おまえに、会いたかった」

 自分でも驚くくらい、それは恋い焦がれた女に対する声色だった。
 感動と倒錯。欲望と衝動。崇敬と憎悪。あらゆる矛盾を内包しておれの感情は奈落(こころ)の底から溢れ出る。

「おまえに、見て欲しかった。期待して、欲しかったんだ」

 おれは自分の身の程というものを理解している。
 おれが思い上がることを許さない世界で生きてきたんだから、嫌でもわかる。
 そんなおれが今、すべての慎みを捨てていた。
 むき出しの感情だけをぶつけるなんてことは、物心ついてから初めてかもしれない。

「おれを魅せてやるから、おまえを魅せてくれ」

 祈るように願い。
 願うように祈った。
 血風が頬に触れて、水滴が滴る。
 腥い肉片の香りでさえ今は恍惚の糧だった。

「ゲンジはさ、自分のことが嫌いなの?」

 高揚の絶頂の中に、冷や水のように声が響く。
 祓葉は微笑みながら殺し、そしておれを見ていた。
 おれも、原人達も、こいつはすべてを見ている。
 世界の何ひとつ見逃さない、底なしの"欲しい"がそこにある。

「見て、とか。期待して、とか。
 それって誰かにお願いするようなことじゃないよ」

 ジャックは、こいつを阿呆と言った。
 まあ、たぶん実際そうなのだろう。
 知性よりも感情。理屈よりもパッション。
 そうやって生きてきた人間であることは、このわずかな時間の邂逅でも十分に読み取れた。

635心という名の不可解(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/03(日) 23:23:42 ID:GedZXUQk0

 なのに、いいやだからこそ、拙い言葉で的確に心の奥へ切り込んでくる無法さに言葉を失う。
 仏陀やキリストと対面して話したらこんな気分になるのだろうか。
 神は知識でも理屈でもなく、生きてそこに在るだけですべてを見通す。

「いっしょに遊ぶなら、お願いされなくたって見るし期待するよ。
 楽しく遊ぶってそういうことでしょ? だからゲンジは、そんな卑屈にならなくていいと思うな」

 それに――。
 祓葉は言って、にへらと笑った。


「もう、どっちもしてるよ。
 私はもうあなたを見てるし、何を魅せてくれるのか期待してる」


 白い歯を覗かせて向ける微笑みに、おれは絶頂さえしそうになった。
 同時に自分の愚かしさに、やっぱり顔が熱くなる。
 おれは勘違いしていたのだ。拗らせた劣等感というのは、そう簡単に消えるものじゃないらしい。
 美しい極星の女神にこんな指摘をさせてしまった事実は恥ずかしく。
 でも次いでかけられた言葉は、その羞恥心の何倍も何百倍も嬉しくて……

「だから遊ぼう、全力で。私達(ふたり)だけの時間を過ごそうよ」
「ああ――そう、だな」

 おれは、差し伸べられた手に自分のを伸ばした。
 もちろん、彼我の距離的に握手するなんて不可能だけど。
 それでも確かに手は繋がれたのだとおれは信じたかった。だからそう信じた。

 であれば、もう。

 地底で鬱屈する時間は終わりだ。

 おれも、羽ばたこう。

 そこに、行こう。

「やって、やるよ……!」

 すなわち空へ。
 おまえのいる宇宙(ところ)まで。
 燃え上がるように駆けていき、この一世一代の遊びにすべて捧げてやると誓った。
 右手に熱が灯る。刻印の一画を惜しげもなく切って、おれは命じる。

「令呪を以って命ずる……!
 おまえらも楽しめ、バーサーカー!
 命の限り、魂の限り、踊り明かして笑って逝け!!」

 命令がどう通るかなんてどうでもいい。
 大事なのは、原人達が祓葉をより楽しませる存在に成ること。
 言うなれば全体バフだ。ゲームなんて家にあった時代遅れのファミコンでしかやったことないけど、おかげで日常生活からじゃ出ない発想を出せた。

636心という名の不可解(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/03(日) 23:24:26 ID:GedZXUQk0

 石器時代に娯楽はないだろう。
 そんなこいつらに、おれが娯楽を教えた。
 生存のための手段でしかない"戦い"に、それ以外の意味を付加した。

 神を畏れる感性はなくても、大いなるモノを畏れる本能はある。
 そんな石器時代の先人類達が抱く〈畏怖〉が、令呪の輝きの前に変質していく。
 畏れは楽しみに。怖れは憧憬に。おれの抱く感情をこいつらにもくれてやる。
 こっちの水は甘いぞと誘う魔の誘いに侵されたストーンワールドの猿達は、次の瞬間どいつも叫び出した。

「■■■■■■■■■■――――!!!」

 咆哮は劈く勢いで、赤い夜を揺らす。
 叫ぶ原人達には表情が生まれていた。
 口角を吊り上げ、涎を垂らし、バーサーカーの名に違わぬアルカイックスマイルを湛えて走る。

 猿に自慰を教えると、一日中快楽に狂い続けるのだと聞いたことがある。
 では、感情ではなく大義で行動する原人へ娯楽の概念を教えたら?
 結果は案の定。"同じこと"になった。
 美神に殺到する原人達はもう、仲間を殺されて抱いた憎悪すら『楽しみ』の三文字で塗り潰されている。

 いわば狂化の重ねがけ。
 果たしてその効果は、覿面だった。

「わ、っと……!? うぐぅ……!」

 見違えるほどに、一体一体の凶暴性と動きのキレが増した。
 秩序を排し我欲を覚えたからこそ、今の原人達は狂獣に等しい。
 祓葉が石の槍で槍衾になり、鈍器で頭を潰れたトマトみたく変えられていく。

 その光景を見ながら、おれはジャックの言葉を思い出していた。
 曰く神寂祓葉は、目の前の相手より必ず強くなるという。
 そんな怪物に何故、ネアンデルタール人ごときで張り合えているのか。
 こいつらはサーヴァントとしては弱い部類の筈だ。
 持ち前の呪いがあって初めて他に比肩し得る、あまりにもピーキーな性能のサーヴァント。
 なのに祓葉がこいつらごときに手を拱いている事実は、おれにある確信を抱かせていた。

「神さまでも、万能ってわけじゃないんだな……?」

 こいつはあくまで、目の前の敵より強くなるだけだ。
 つまり、上昇した能力値は次の戦いに引き継がれない。
 毎度毎度まっさらな状態から、拮抗とそこからの覚醒をやって勝利を掴み取る。
 遊びを愛するこいつらしい陥穽だと思った。そしてそれは、おれみたいな雑魚にとってこの上なくありがたい。

637心という名の不可解(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/03(日) 23:25:08 ID:GedZXUQk0

 ジャックと共闘で挑まなくてよかったと心底安堵する。
 あいつら基準で戦力を上げられていたら、ネアンデルタール人では相手にならなかったろう。
 神寂祓葉を相手取る最適解は一対一のタイマンだ。
 あの化け物みたいな医者は、とっくにそんなこと見抜いているだろうが。

「神さま? 
 あはは、やだな。そんな大層なものなんかじゃないよ。
 私は祓葉(わたし)、それ以上でもそれ以下でもない。
 ゲンジやみんなと同じ、ただの人間だよ」

 再生を完了しながら、神さまがヒトのようなことを言っている。
 
「ヒトは、おまえみたいに強くないよ」

 おれが苦笑している最中も、原人達の袋叩きは続いていた。
 こいつらの取り柄は数だ。一体一体では弱くても、単純な足し算だけでその兵力をどんどん増させていく。
 再生した端から潰す。笑いながら殴って、刺して、へし折る。
 その上で原人の呪いだ。たぶん祓葉はこれでも、いつも通りのパフォーマンスを発揮できてない。

 おれは普段の祓葉を知らないから断言はできないけど、光の剣とやらの出力がだいぶ落ちているんだと思う。
 祓葉がこの程度の奴だったなら、ジャックや山越さんが負けるとは思えないからだ。
 原人の文明否定。ジャックの言った通り、その一要素がおれの命綱になっている。

「ねえ。ゲンジって、もしかしてジャック先生といっしょにここに来た?」
「……、……黙秘、かな」
「やっぱりそうなんだ! だよねだよね、いかにもジャック先生が言いそうなことだもんそれ。
 ふふー、そっかそっかー。イリスの次は誰が来るかなと思ってたけど、ジャック先生かあ……!」

 こんなに自己評価の低いおれなのに、この時はマジで腹が立った。
 おれが目の前にいるのに、なんで他の奴の名前を言うんだと。
 怒ったその意思が、契約を伝って原人達に伝わったのかもしれない。

「わ、ぶ……! ぐ、ぅ、ぅう……!?」

 攻撃が冴え渡る。
 おれの見る前で、おれの憧憬が肉塊に返られていく。
 いい気味だ。そうだ、それでいい。
 ジャック? 山越? 全部どうでもいいだろ、今おまえと遊んでるのはおれだぞって教え込んでしまえ。
 
「あ、は……! 強いね、ゲンジ――!」

 祓葉が肉塊のままで後ろに飛び退いた。
 油断はできない、こいつは目の前の敵より必ず強くなる。
 現に飛び退くために地を蹴った衝撃だけで原人が五体ほど弾け飛んだ。
 祓葉はもうすでに、おれが出会った時より格段に強くなっている。

638心という名の不可解(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/03(日) 23:26:14 ID:GedZXUQk0

「ふぅ。ごめんね、欲張りは私の悪い癖でさ。
 目に見えるもの、頭でわかってるもの、ぜんぶ欲しくなっちゃうんだ」
「あぁ……別に、いいよ。おまえがそういう生き物なのは、おれもわかってる」

 苛ついておいてなんだけど、こいつはそうじゃなきゃ嘘だとも思ってた。
 身勝手で、自分本位で、幼気(きもち)のままに周りすべてを振り回すブラックホール。
 そこにおれは惚れたんだ。なら、ぜひそのままの無理無体をやってほしい。

 腹が立つのに嬉しいなんて初めてだ。
 ああ、ああ。おれは今、生きている。

「だから、いいさ。見ないなら、他を見るんなら――」

 原人達に意思を伝える。
 バーサーカーにどれだけおれの意向なんてものが伝わるかは分からないけど、それでも。
 おれにできる限り、生み出せる限り全力の矢印(ココロ)を、あいつらに向けて叫んだ。

「――無理やりにでも、こっち向かせてやるだけだから」
「あは! あはははっ! いいじゃんいいじゃん、それってすっごく最高だよゲンジ!!」

 意思が、群れなす原人/亡霊を強くする。
 より激しく、より苛烈に、祓葉を襲う嵐と化させる。
 今だけは、北京原人めいた自分の顔に感謝した。
 もしかしたらこの顔も、ある種の先祖返りとかそういうものなのかもしれない――でも今はどうでもいい。
 おれの声が原人を動かし、燥がせて、祓葉の視線を力ずくでこっちに向けさせる一助を成している事実に無限大の絶頂(エクスタシー)を禁じ得ない。

 祓葉は殴られ、潰され、砕かれながら笑っていた。
 ヒトの原型を失ったまま、祓葉は輝く剣を振るう。
 原人が二桁単位で消し飛んだ。光が晴れた先で、少女は元の姿を取り戻している。

「なら私も、もっとワガママになっちゃおうかな」

 にぃ、と、神の口元が歪んだ。
 好戦的。それでいて、この世の何よりも寛容。
 戦神と聖母、そのどちらでもある顔で、見惚れるほど可愛く美しく。

「――全部よこせ」

 その上で、たぶん精一杯だろう、慣れない悪人面をして。
 神は言った。すべて捧げろ、と。

「私のために、ぜんぶ出して。
 ジャック先生なら、ここで惜しんだりはしないよ」

 下手くそすぎる演技。
 けれど、それに付属した事象は伊達や酔狂で片付けるにはあまりにも奇跡(あくむ)すぎた。

639心という名の不可解(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/03(日) 23:27:07 ID:GedZXUQk0

 ――来た。
 ついに来たのだ、ジャックの言っていた覚醒が。
 今ここにあった現実が、戦況の天秤が少女の気のままに破却される。
 総体からすれば申し訳程度でも確かに効いていた原人の呪いが砕け散る音を聞いたのは、たぶん幻聴ではないだろう。

 だってその証拠に、祓葉の光剣は何倍もの寸尺に膨張していた。
 迸る熱に、おれの原人(しもべ)達が生きたまま炙り焼きにされていく。
 気が遠くなる。なんでたかがマスターの気分ひとつで、サーヴァントが焦げ肉になるんだよ。
 道理が通らない。法則が通じない。これが神寂祓葉。〈はじまりの六人〉を狂わせた、宇宙の極星。

「さあ。見て欲しいんでしょ? 魅せてくれるんでしょ?」

 来る。
 いや、もう来てる。

 目の前で現実が、理が調伏される。
 文明否定の呪いを破壊して星が瞬く。
 祓葉は笑っている。純真に、無垢に、この世の何より凶暴に。

「言われ、なくても、そのつもり、だよ……!」

 覚醒だ。
 前座(ちゃばん)は終わり、彼女だけの時間がやってくる。
 この舞台の誰ひとり、こうなった祓葉に勝つことはできない。
 そういう仕組みになっているのだと、蛇杖堂寂句は言っていた。

 そして、もうひとつ。


「全部持っていけ、バーサーカー」


 この瞬間だけが、おれにとって唯一の勝機であると。

 星が瞬き、現実が消し飛ぶ感光の一瞬。
 そこにこそ、虫螻(おれ)が神殺しを成す活路があるのだと。
 
 残りの令呪をすべて捧げる。
 どうせおれが持ってたって大した意味はない。
 原人共にできることはたかが知れてるし、温存するよりもこの一番大切な戦いに賭けるべきだと思ったから。
 令呪二画。先にくれてやった狂気深化(ブースト)の一画も含めれば、三画。
 おれの持てるすべてを注いで、おれはバーサーカー達に命令した。

 ――刹那、荒れ狂い哄笑しながら星へ突撃していた原人達の動きが、ピタリと止まって。

640心という名の不可解(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/03(日) 23:31:04 ID:GedZXUQk0


「■■s■d■■■qe■■■■r■n■■■■■■w■■a■■■qa■」


 一斉に手を合わせた。
 拝み、祈るような仕草だ。
 信仰を戴けなかったこいつらが、まるでクリスチャンみたいなことをしている。

 鼓舞だろうか。
 呪詛だろうか。
 たぶん、どっちも違うだろう。
 これは、こいつらなりの餞なのだと思った。
 
 花びらの円の中で葬儀をする時も、こいつらはこんな素振りを見せていたから。
 聖典やありがたい預言などに依らない、宗教なき世界で示す冥福の祈り。
 
「a■■sa■■a■■uer■■d■――――」

 呻きや唸り声以外聞いたこともないおれは、耳に入るノイズのような音が声であることに最初気付かなかった。
 言語としての形など到底成していない、でも確かに意味はあるのだろう、原人達の歌が聴こえる。

 輪唱は荘厳ですらあるのに、総毛立つほど恐ろしかった。
 現生人類の知らない領域が音色に合わせて広がっていくのがわかる。
 そしておれは、ホモ・サピエンスは、こいつらの世界に歓迎されていない。
 細胞のひとつひとつが悲鳴をあげて、恐怖に身を捩っている気がした。

「――■■■s■■■a■r■■iz■」

 これが、零の時代だ。
 霊長の成り損ない達が、自分達を排除した現世界に贈る逆襲劇。

 バーサーカー・ネアンデルタール人の第二宝具。
 こんなおれが唯一、美しい神を殺せるかもしれない最後の切り札。
 身の凍るような恐怖の中でそれでもおれは笑った。
 辛いときこそ笑え。そう教えてくれたのは誰だったか。

 世界から、音が消える。
 嵐の前の何とやらと呼ぶには短すぎる静寂のあと、滅びは一瞬でやってきた。


 ――――『第零次世界大戦(World War Zero)』。



◇◇

641心という名の不可解(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/03(日) 23:32:09 ID:GedZXUQk0



 零の大戦が、かつての繁栄を飲み込んでいく。
 閃光も爆音もない。ただ確実に、静かに、確定的な滅びだけが広がった。

 最初に崩れたのは高層ビルだった。
 鉄骨の網が意味を失い、コンクリートは脆弱な乾燥した泥と化す。
 滑らかな鏡面を描いていたガラス張りの外壁は薄い石塊へ変わり果て、音もなく地へと還った。
 
 次に、道路が割れた。アスファルトはただの岩屑に、橋梁は小枝のように哀れな軋みを上げて落ちた。
 信号機も標識も、文明の徴はことごとく石へと還元されていく。
 知性の積み木細工達がひとつまたひとつと砕け、砂塵に埋もれていった。

 電気も消えた。
 電線を満たしていた光は瞬く間に喪われ、灯火のない新宿は闇の奈落に沈む。
 都市そのものが、知性の火を失った夜の洞窟と化したようだった。

 高層のマンション群が石塔と化し、重みに耐えきれず次々と倒壊していく。
 そこには怒りも、悪意もない。ただ理としての否定があるだけだ。
 電光掲示板は判別不能な記号が躍った石板に変わり、自動販売機はただの穴あき岩と成り果てる。
 コンビニも銀行も白く風化した古代遺跡のような廃墟に堕ち、そうやって"現代"のテクスチャは一方的に剥奪されていった。

 名もなき旧石器時代の黄昏が、ここに甦ったのだ。
 そして次の瞬間に、おれの待ち望んでた事態がやってきた。

「――――ぁ、う?」

 胸を押さえて、祓葉の足がもつれた。
 心不全を起こしたような、いや事実その通りの姿を晒して、白い少女が目を見開いている。

「これが、おれの、全部だ」

 『第零次世界大戦(World War Zero)』。
 普段は鎧として纏うに留まる原人の呪いを周囲一帯に拡大する、侵食型の固有結界。
 ホモ・サピエンスの文明に依るすべての構造物を、強制的に零の時代まで退化させる。
 とはいえおれが無事でいられてるように、これ自体は人間に対して害を及ぼすことはない。

 でも、その身に着けてる道具については話が別だ。
 例えばそう、ペースメーカー。
 心臓の機能を補佐する"文明の利器"なんかは、容赦なく零時代の影響を受けることになるだろう。

642心という名の不可解(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/03(日) 23:32:57 ID:GedZXUQk0

 それこそがおれの勝算。
 虫螻のようなおれがこの綺麗な星に魅せられる唯一のヒカリ。
 永遠の輝きを穢し、地の底に貶める闇色の超新星だ。

「永久機関、だっけか?
 おれには正直、よくわかんないけどさ……でも、機械は機械だろ?」

 おれはたぶん今、すごく醜悪なカオをしている。
 嫌いで嫌いで堪らなかった不細工な顔面に、ありったけの悪意を貼り付けて。
 
「か、はっ、あ、ぅ――ッ」
「辛いよな、苦しいよなぁ。
 神さま専用の心臓発作だよ。人間の気持ちってやつ、久しぶりに思い出せたか?」

 さっきのお返しに、こっちも慣れてもいないマイクパフォーマンスでせめて主役の退場を盛り上げるのだ。
 だってこれは舞台。祓葉という主役のために用意された至高の演目。
 たとえバッドエンドだとしたって、見る者の心に永久残るような鮮烈さがなくちゃ嘘だろう。
 おれだって役者なんだ。演者(アクター)なんだ。
 だからせめて、おまえの始めた舞台に見合う演技をやってのけようじゃないか。

「もう十分輝いただろ。
 さあ、いっしょに堕ちよう――――奈落の底まで……!!」

 おれは原人達に、最後の突撃命令を下した。
 祓葉はとても苦しそうで、剣だって取り落としそうになっている。

 針音都市の神は、古の先人類達に殺されるのだ。
 それがおれがこの世界へ贈るエンドロール。
 バーサーカーの群れが、一斉に地を蹴って石を振り上げる。

 おれがおまえの運命だ。
 あのすごい人達が信じて、託した、〈神殺し〉の奈落の虫だ。
 魂ごと吹き飛びそうな歓喜と共に、おれは吠えた。
 祓葉の青ざめた顔が、蹌踉めく華奢な身体が、無数の猿の中に隠されていって、そして――



『――――ネガ・タイムスケール』



 どこかの誰かが、憐れむように呟いた声を、聞いた気がした。



◇◇

643心という名の不可解(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/03(日) 23:33:55 ID:GedZXUQk0



 神寂祓葉の心臓は、永久機関――『時計じかけの方舟機構(パーペチュアルモーションマシン=Mk-Ⅱ)』に置換されている。

 言うなれば不滅のコアだ。
 あらゆる破壊や汚染を跳ね除けながら、祓葉の全身に尽きることない活力を送り続ける。
 祓葉を絶対的最強たらしめる要因のひとつであることは疑いようもない。

 覚明ゲンジのサーヴァント、ホモ・ネアンデルターレンシスの第二宝具はまさしくこの不落の城壁を攻略し得るワイルドカードだった。
 いかに絶対の再生力を持つ炉心といえど、構造そのものが別質になるほど劣化させられてはひとたまりもない。
 ゲンジの言う通り、永久機関も所詮はひとつの機械なのだ。
 未来文明の最新科学技術を、石器文明の孤独が否定する。
 祓葉は空前絶後の超生物ではあるものの、生物としてはまだ人間の域に留まっている。
 心臓なくして生存できる人間は存在しない。よって『第零次世界大戦』の最大展開を受けた時点で、神寂祓葉の敗北は確定していた。

 〈はじまり〉の彼女にであれば、覚明ゲンジは勝てていただろう。
 六人の魔術師の誰もできなかった偉業を成し、熾天の冠を戴く王になれていたに違いない。

 だが。

「一時でも夢を見れてよかったな。
 端役の分際で、彼女に勝てると思い上がれたのは僥倖だろうよ。
 おまえのような男が、何かになれるわけもなかろうに」

 遥か上空に位置する"工房"の中で、時計瞳の科学者は吐き捨てた。

 前回の彼らと現在の彼らにはいくつかの違いがある。
 本格的に手のつけられない存在になった祓葉も、確かにそのひとつ。
 しかし最大の違いは彼女が出会ったはじまりの運命、オルフィレウスの変質だ。

644心という名の不可解(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/03(日) 23:34:45 ID:GedZXUQk0


 ――〈ネガ・タイムスケール〉。
 
 獣の冠を得るにあたって、科学者に萌芽した否定の権能。
 オルフィレウスは人類の不完全性を嫌悪している。
 すなわち歩み。すなわち過程。改良改善の余地を残すすべての力は、終端の獣に届かない。

 ネアンデルタール人とは、古き時代の先人類。
 彼らの血と営みは未来に繋がり、近縁であるホモ・サピエンスの未来を築く礎になった。
 なればこそ、彼らは存在そのものが現在への『過程』である。
 オルフィレウスの永久機関を蝕んだ時間逆行の呪いは、この獣の権能(ルール)に抵触する。

「奈落へはひとりで堕ちろ、下賤の猿。おまえは宇宙(ソラ)に届かない」

 つまり。
 覚明ゲンジは、祓葉へ焦がれたその瞬間から詰んでいた。

 奈落の虫は青空の先へ届かない。
 太陽を守る巨大な獣の存在が、苦節十六年の果てに見つけた存在証明を零にする。
 これが、醜い少年の結末。
 結局ゲンジは、定められたバッドエンドに向けて疾走していただけだったのだ。

 否定される〈神殺し〉の物語。
 悪役の野望は砕かれ、主役の敗北は訪れない。
 では、次にやってくるのは? ああその通り。


 燦然たる、ヒーローショーが幕開ける。



◇◇

645心という名の不可解(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/03(日) 23:35:27 ID:GedZXUQk0



 硝子が砕けるような音がした。
 街並みの劣化が止まり、細胞まで凍てつくような恐怖が鳴りを潜め出す。
 零の戦火が、消えていく。
 懐古の波を押し退けて、最小単位の文明が再興する。
 それはおれにとって、敗北を告げる鐘の音に他ならなかった。

 消えかけの蝋燭の火みたいに揺れていた光の剣が、確たる形を取り戻す。
 光剣を握りしめた白い神は、今まででいちばん楽しそうに笑っていて。
 彼女が剣を掲げた瞬間、その高揚に応えるように、闇夜をねじ伏せる輝きが膨張を始めた。

「奏でるは、星の調べ」

 もはや、いかなる呪いもこの輝きを阻めない。
 おれは絶望するのも忘れて、呆然と見つめるしかできなかった。

 蛇杖堂寂句が言っていたことの意味がわかった。
 おれは、こいつの何も知らなかったのだ。
 知った気になって、自分の尺度で勝手に推し測って勝算を見出した。
 おれごときの物差しで、星の全経なんて測れるわけもないのに。

「戯れる、星の悪戯」

 おれは何事か叫んでいた。
 殺せ、とか、かかれ、とかだったかもしれないし。
 もしかしたら、野猿のように吠えただけだったかもしれない。

 が、おれの想いはバーサーカー達に号令として伝わったようだ。
 生き残っている全員が、今度こそ神を討ち取るために駆け出していく。
 飛んで火に入る夏の虫という言葉が脳裏に浮かんだ。
 たぶんこいつらも、みんなわかっているんだろうなと思う。
 だっておれとバーサーカーは、同じ孤独を抱えた生き物だから。
 おれにわかることが、こいつらにわからない筈はないんだ。

 わかるだろ、ちょっと考えたら。
 もう、どうしようもないんだってことくらい。
 卑劣な奸計を破られた悪者が、次のシーンでどうなるかなんて、子どもでもわかることだ。

「時計の針を、廻せ――!」

 空へ掲げた光の剣が、臨界に達して爆熱を宿した。
 その一振りを、おれの憧れた神さまが振り下ろす。
 赤い夜すら白む極星の輝き。
 奈落の虫は蠢くことすら許されない。


「――――界統べたる(クロノ)、」


 ああ、これが。
 これが、太陽、か。


「勝利の剣(カリバー)――――!!!」


 こんな状況だってのに耳惚れるほど美しい声だった。
 やっぱり、おれなんかにはもったいない相手だ。
 自嘲し、笑いながら、おれは。
 人生で何百回目かの、けれどいちばん悔しい敗北を噛み締めながら、夜の終わりに呑み込まれた。



◇◇

646心という名の不可解(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/03(日) 23:36:02 ID:GedZXUQk0



 ――――おれは自分の身の程というものを理解している。おれが思い上がることを許さない世界で生きてきたんだから、嫌でもわかる。

 だけどそれは、まだどこかで自分の可能性を信じてた頃にやらかしてきたいくつもの失敗の積み重ねだ。
 おれの十六年は、挫折と失敗のカタコンベだった。
 ちいさな頃から、人よりうまく行かないこと、悲しいことが多かった。

 人なら誰にでもある心の凸凹した部分を、平らになるまでハンマーで延々ぶっ叩かれ続けるのだ。
 ようやく相応しい生き方というのを見つけたと思ったら、予期せぬところで突然ハンマーが降ってくる。
 だから正直、こうして有頂天からどん底に叩き落されるのも慣れっこだ。

 おれは、いつかのことを思い出していた。
 当時中学生だったおれは日陰者なりに、ちゃんと分を弁えた生活をしていた筈だ。
 悪目立ちさえしなければ、不細工な貧乏人でもそれなりに平穏な暮らしができる。
 たまに教室の隅から聞こえてくる陰口は聞こえないふりをすればいい。
 そんな風に慎ましく暮らしてたおれの下駄箱に、一枚のメモ紙が入っていたことがあった。

 土曜の夕方、体育館の裏まで来てほしい。
 伝えたいことがあるから――そんな文面。末尾には、同じクラスの女子の名前が書いてあった。

 色恋沙汰とは縁のないおれでも、これが所謂ラブレターの類なのだというのは分かった。
 その女子の顔は、正直好きでも嫌いでもなかったけれど、おれを求めてくれる誰かがいることが嬉しかった。
 ガキの頃からちまちま小銭を入れてきた豚の貯金箱を割った。
 ひとりで服屋に行ったのは初めてだった。おれにとっては大金と呼べる額を叩いて、店員曰く今シーズンの流行りらしい服とズボンを買った。

 そうして迎えた土曜日、約束の時間。
 体育館裏には、誰もいなかった。
 一時間待って、何かあったのではと思い携帯を取り出して、連絡先を知らないことに思い至る。

 しばらく悩んだ末に、おれは直接彼女の家を訪ねてみることにした。
 幸い、その女子とは小学校の通学路が一緒だったので、どこに住んでいるのかなんとなく分かっていたのだ。
 金がないので徒歩で数十分。家の垣根を潜ろうとしたところで、おめかしして出てきた彼女と目が合った。

 絶叫された。

 半狂乱で扉を閉められ、ドア一枚越しに「覚明」「無理」「追い帰して」「キモい」と叫んでる声が聞こえてきた。
 どうやら仲間内の悪ふざけ、罰ゲームのたぐいだったらしい。ニヤついたクラスメイトが後日教えてくれた。
 
 やっぱり涙は出なかった。
 悲しいなんて気持ちもなく、まあそうだろうなという納得だけがあった。
 勝手に舞い上がったおれが馬鹿だった。この顔しといて騙される方が悪い、それだけの話だ。
 なんでだか今、おれはそんなことを思い出していた。

647心という名の不可解(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/03(日) 23:36:51 ID:GedZXUQk0



 ……空が赤い。
 まるで血の膜がかかってるみたいだ。

 おれはそれを、仰向けになって見上げている。
 もう初夏ごろだってのにひどく寒い。
 おまけにすごく眠たくて、気を抜くと目を瞑ってしまいそうだった。

 下半身の感覚がない。
 起き上がれないのでどうなってるのか確認もできないが、視界に入る右腕は肩の手前辺りで途切れていたので、なんとなく想像はつく。
 どうやらおれは、あの光の剣から生き延びてしまったらしい。
 とはいえ未来はない。何十秒か何分か、ともかくわずかなオーバータイムが与えられただけだ。
 右腕がなく、たぶん下半身も同じで、身体は動かせず、令呪も連れてきたバーサーカーも全部使ってしまった。
 つまりこれはおれに何ももたらすことのない、苦しいだけの時間というわけだ。

「いん、が……おうほう、だな……」

 哀れな老人を自動的に葬送するシステムを願望した。
 おれ自身が、そうなった時に苦しまず済むように。

 その結果、おれはこうして苦しみに満ちた死を馳走されている。
 まあさんざん殺してきたので、文句を言う資格はないだろう。
 哀れな者も、未来ある者も、プラスの感情を残している者も。
 手当たり次第に殺して、捧げて、増やしてきた。
 おれはもう立派な殺人鬼だ。行き先はきっと地獄に違いない。
 
 そんなおれに、近付いてくる足音があった。
 霞み出してた視界が、そいつの顔が飛び込んできた瞬間にパッと晴れ渡る。
 死に行く肉体が残りの命を振り絞って、美しいものを視界に収めようと全力を尽くしているのか。
 だったらスケベもいいとこだなと、おれは無性におかしくなって、笑った。

「よかった。まだ生きてたんだね」
「よか、った……? は……どこが、だよ……」
「これも悪い癖でさ、熱くなると周りが見えなくなっちゃうの。
 もっとおしゃべりしたかったのに、つい本気出しちゃった。ごめんね」

648心という名の不可解(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/03(日) 23:37:46 ID:GedZXUQk0

 あの時、何が起きたのかはわからない。
 でも、すうっと身体の熱が引いていく感覚はあった。

 いつものやつだと、そう思った。
 見えないハンマーが降ってきて、思い上がったおれを叩いて潰す。
 おれはたぶん、今回もいつも通りに空回りしていたのだろう。
 本気で勝てると思っていたのはおれだけだ。
 そして最初から、おれに勝ち目なんて一パーセントもありゃしなかった。

 そんな当たり前のことに、あの時ようやく気付いたのだ。

「でもびっくりしちゃったよ。
 すごい宝具だったね、ほんとに心臓が止まっちゃったみたいだった」
「でも、生きてるじゃんか……」
「んー。たぶん、ヨハン――私のサーヴァントが助けてくれたんだと思う。
 あの子、ぶっきらぼうなように見えて実は結構過保護だから。
 今頃怒ってるんじゃないかな。後で私はお説教だろうね、たはは」

 困ったように笑う少女の身体には結局、傷ひとつ残っちゃいない。
 おれの戦いに意味はなかった。
 神殺しなど、絵空事、子どもの妄想に過ぎなかったんだ。

 この期に及んでも涙は出てこない。
 やっぱりおれの中のそれは、小学生時分のあの日に枯渇してしまったらしい。

 その代わりに、ただただ虚しかった。
 痛みも、死への恐怖も、こみ上げる虚しさの前ではそよ風みたいなもの。
 結局おれは、何者にもなれなかったということ。
 顔に見合うだけの道化で、笑い者。
 力を手に入れて抱いた願いは叶えられず、降って湧いた狂気に身を委ねる暴走すら完遂できない。

「ゲンジ?」

 祓葉が、小首を傾げて問うてくる。

「どうして、そんな悲しそうな顔してるの?」

 どうしてって、死にかけの人間は大体そんな顔だろう。
 ジャックも言ってたが、やっぱりこいつは阿呆らしい。
 強さはあっても知性がない。失血とは別な理由で力が抜けそうになる。

649心という名の不可解(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/03(日) 23:38:30 ID:GedZXUQk0

 なるほどあの怪物じいさんにとっちゃ天敵だろうなと、なんだか納得がいった。

「おれは……たぶん、生まれてくるべきじゃなかったんだと思う」

 最後だ。墓まで持っていくようなことでもない。
 おれはずっと、心のどこかでそう思っていた。
 五体満足、先天的疾患なし。顔の悪さはあるものの、生存に影響する瑕疵ではない。
 それでもおれは、自分は生まれぞこないの命であると思う。

「自分が、おれみたいな人間が、生きて動いて成長してる理由がわからない。
 誰からも愛されないし欲されない、他人をあっと言わせる才能も、ない。
 "欠陥品"だよ。はは……おれ自身がきっと、どんな奴より哀れだったんだ」

 人の心が半端に視認できる力なんてのを持ってしまったのも不幸だった。
 心の矢印に載せられた感情を見れることが、おれから馬鹿になるという逃げ場さえ奪っていった。
 人生は生きるに値しない。少なくともおれにとっては、心底そうだ。

 "必要でない"人間ほど、意味のない生き物はこの世にいないと思う。
 口にすれば差別的だと罵られるだろうが、他でもないおれがそうなんだから許してほしい。
 あの老人達に抱いた哀れみも、思えばどこかで同族嫌悪を含んでいたのかもしれない。

「だけど、せめて……おまえにだけは、勝ちたかった。
 でも、勝てなかった。おれは、その器じゃなかった」

 思えば、誰かに勝ちたいと本気で思ったのはきっと初めてだった。
 祓葉。美しい星。感情を吸い寄せて、すべて呑み込むブラックホール。
 性欲でもなく、つまらない劣等感でもなく、ひとりの人間としてこいつを超えることを望んだ。
 結果は、これだが。

「おれじゃ、宇宙(そこ)には、いけなかった。
 そのことが、ただ、さびしいんだ」

 吐露する言葉は、我ながらなんとも情けない泣き言だ。
 ごぷっ、と口から滝みたいな量の血が溢れてきた。
 どうやら、もうすぐ時間らしい。

 狩魔さんには悪いことをした。
 せめて、一言だけでも謝りたかったな。
 悠灯さんとは、もっと話したかった。
 少しの時間だったけど、友達と過ごしてるみたいで、悪くなかった。

650心という名の不可解(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/03(日) 23:39:47 ID:GedZXUQk0

 ひとりで死ぬのは、とてもさびしい。
 手を伸ばしたいけれど、伸ばす手がない。
 辛うじて残ってる左手も、腱が切れてるのか蠢かせるのがやっとだった。

「うーん。そんな自虐的にならなくてもいいんじゃない?」

 そんな、死にかけの虫より尚惨めなおれに。
 祓葉は、口に指を当てながら口を開く。

「私は、ゲンジを欠陥品だなんて思わないよ。
 短い時間だったけど、あなたと遊ぶのはすっごく楽しかったし」

 はは、神さまの慰めか。
 ありがたいけど、余計に惨めになるだけだ。
 伝えたかったが、もう口すらまともに動いちゃくれない。
 晴れ渡った視覚だけが、死にゆく感覚の中で唯一明瞭だった。

「ゲンジが生まれてこなかったら、今の時間はなかったわけでしょ?
 だったらやっぱり、ゲンジは生まれてくるべきだったんだよ。
 生まれてくるべきじゃない人間なんて、この世にはひとりもいないんだから」

 いい人、悪い人。
 強い人、弱い人。
 いろんな人がいるからこそ、私の世界は面白い。

 祓葉の言葉は、おやじを思い出させた。
 理屈の伴わない、耳通りがいいだけの綺麗事だ。

「私はちゃんと、あなたに魅せてもらった」

 生きていたらいつか報われるなんて幻想だ。
 力のない言葉に価値はなく、弱い者の人生はいつだって冷たい。
 なのにどうして、枯れた眼球から涙が溢れ出すのだろう。
 "それ"は捨てたとばかり思ってた。
 でもこの涙の価値は悔しさでも、やるせない悲しみでもなくて。

「あのね。さっきの、すっごく」

 赤い星空の下で、神さまがおれを見下ろしている。
 とびきりの笑顔は、咲き誇る向日葵を思わせた。
 夜空の花、舞台の花。
 ならそのこいつがくれる言葉は、世界でひとり、おれだけのカーテンコール。

「――――かっこよかったよ、ゲンジ」

651心という名の不可解(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/03(日) 23:40:52 ID:GedZXUQk0



 生きることは苦痛だった。
 終わりのない迷路を歩いてるみたいだった。

 なあおやじ、あんたもこんな気持ちだったのか?
 もっと話しとけばよかったよ。
 うんざりするほど顔突き合わせてきたあんたと、なんだか無性に話したい。

 おれにもさ、好きな女ができたんだ。
 競争相手の山ほどいる高嶺の花さ。
 馬鹿で、自分勝手で、だけど死ぬほどきれいなんだ。

 結果はダメだったけど、その代わりにおれには余る報酬をもらえたよ。
 かっこよかったんだってさ、このおれが。
 おやじ、おれさ、初めて知ったよ。
 好きな人に褒めてもらうのって、こんなに嬉しい気持ちになるんだな。

 おれのやったこと、あんたはきっと認めないだろう。
 大勢殺した。手前の願いのために、たくさんの命を踏み躙った。
 それでもさ、おれにとっては正しい道だったんだ。
 おやじには、正しく生きてれば報われるって教えられたけど。
 惚れた女にはなりふり構わず行けって教えたのもあんただろ。
 屁理屈言うなって怒られそうだけど、おれはちゃんとその通りにしたよ。

 おれはあいつらの空には届かなかった。
 でもいいんだ。不思議と無念じゃない。
 おれ達の住むどん底にだって、射し込む光があるって知れたから。

 
 ……じゃあ、おれもそろそろそっちに行くよ。

 誰だって、さびしいのは嫌だもんな。
 待たせてごめんよ。
 そっちで会ったら、また話を聞いてほしいな。
 伝えたいことが山ほどあるんだ。
 好きな女だけじゃなくてさ、頼りになる先輩もできたんだよ。
 こっちはあんたの慈善事業に散々振り回されたんだから、息子の長話にくらい付き合えよな。


 あ――――最後に、もうひとつ。


 おれ、さ。
 生まれてきて、よかったよ。


 ありがとな、おやじ。




【覚明ゲンジ 脱落】



◇◇

652心という名の不可解(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/03(日) 23:42:24 ID:GedZXUQk0



「――――クク」

 奈落の少年は、安らかな顔で息絶えた。
 原人の一掃された石造りの街並みに、響く嗄れた声がある。

 祓葉は歓喜のままに、声の方に目を向けた。
 革新的な論文でも読んだように、その手は拍手を打っている。 
 灰色のコートを、吹き抜ける夜風にはためかせ。

 真の怪物は、傲慢な笑みと共に現れた。

 〈はじまりの六人〉。
 畏怖の狂人。
 現代の医神。
 人を治す怪物。

「――――見事だ、覚明ゲンジ。その輝きは記憶してやろう」

 男の名は寂句。
 不世出の天才と呼ばれながら、見上げてはならない星に呪われた老人。

「せいぜい奈落で眠っていろ。此処からはこの私が執刀する」

 〈神殺し〉は頓挫した。
 されど舞台は目まぐるしく激動する。

「さあ、最後の手術を始めようか。神寂祓葉」
「へへ、臨むところ。おいで、ジャック先生」

 これより始まるは、不滅を解(ほろ)ぼす外科手術。

653 ◆0pIloi6gg.:2025/08/03(日) 23:43:08 ID:GedZXUQk0
以上で前編の投下を終了します。
残りも期限までには投下します

654 ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 00:58:40 ID:FWuHOWGU0
中編・後編を投下します。

655心という名の不可解(中編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 00:59:53 ID:FWuHOWGU0



 彼にとって、人の心とは不合理の塊であった。

 彼は物心ついた時から才気の片鱗を滲ませていたが、だからこそ子どもの時分から数多の"心"に曝されてきた。
 例えば嫉妬。己より優れた幼子という存在を許せず、なんとかして蹴落とそうとしてくる輩だ。
 凋落しゆく家に稀代の新星が生まれたのならどう考えても皆で一丸となって支えるのが合理的だろうに、何故かそうしない馬鹿がいる。
 そうでなくとも、純粋に疑問だから口にした指摘に顔を真っ赤にして噴飯したり、落涙して何やら情けない感情論をぶつけてきたりする。

 何故やるべきことを粛々やれないのか。
 現状の誤りを指摘されたなら速やかに改善すればいいものを、なぜ理屈の話を個人の感情の話にすり替えて無駄な時間を費やすのか。
 幼く純粋だった彼にはそれがまったく不明だったが、ある時少年は悟りに達した。

 "――――そうか。つまりこいつら、そんなにも能が無いのか"

 それが、傲慢の目覚めであった。
 この日を境に、蛇杖堂寂句は他者を無能と謗るようになる。

 わずか十三歳にして、寂句は現在の人格をほぼ完成させていた。
 自分以外の全人類は愚か者であり、慮るに値しない下等生物であると信じた。
 その生き方は多くの敵を作ったが、彼はいつも誰より優れていたので問題はなかった。
 次第に逆らう者は減り、無能呼ばわりされてでも自分に媚びへつらう人間が増えてきた。
 気色は悪いが、都合のいいことだ。
 同じ無能でも、身の程を弁えているなら使いようがある。
 そうして彼は分家筋の生まれでありながら、わずか一代にして落ち目の本家を経済面・技術面の両方で立て直した。
 本来なら時計塔に顔を出すなりして名声を上げるべきなのだろうが、好き好んで無能どもの権力闘争にかかずらう意味が分からなかったので、寂句は先代と同じ日陰者の道を行くことを選んだ。

 数多の叡智を蓄積し、それに見合った実績を積み上げながら、蛇杖堂寂句は気付けば老年に入っていた。

 表でも裏でも知られた人となった。
 知識ある者は、蛇杖堂の名を畏敬するようになった。
 若い頃の喧騒は今や遠く、家を継がせる子孫を誰にしたものかと思い悩むようになった頃。


『はじめまして。不躾な訪問ごめんなさい、ジャクク・ジャジョードー。
 正面からお願いしても絶対会ってくれないって聞いたので、勇気出してアポなしで来ちゃいました』


 ひとりの若い女が、蛇杖堂の本家を訪ねてきた。
 追い返そうとも思ったが、この手の輩は袖にしてもしつこく食い下がってくる。
 何が目的か知らないが、今ここで受け入れることで未来の時間の浪費を防ぐ方が有益かと、その時彼は思った。

656心という名の不可解(中編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:00:35 ID:FWuHOWGU0

 女は、オリヴィア・アルロニカと名乗った。
 アルロニカの名は知っている。スタール家と並び、時間制御分野の両翼と謳われる家柄だ。
 先駆者・衛宮矩賢の死後、根源到達に時間を用いようと考える魔術師達の注目は少なからずこの両家に集まっていた。

『頼る相手を間違えている。
 極東くんだりまで足を運ぶ予算と時間は、ロードの一人二人と面会するために使うべきだったな』
『先輩から助言をいただいたんです。あなたはもっと広い世界を見たほうがいいって。
 人づてにいろいろ調べている時にジャクク氏の名前を知りました。
 分家から成り上がり、一代にして本家を立て直した"暴君"のお知恵をぜひ借りたいなと』
『勤勉は富だが、使い方を間違えればただの時間の無駄でしかない。
 日本語は苦手と見えるな。仕方がないので、分かりやすく伝えてやろう』

 美しい女だった。
 少女のような活力と、熟女のような度胸を併せ持っていた。
 とはいえ色香に惑わされる歳でも柄でもない。

 愛想よく微笑むオリヴィアに寂句が伝えたのは、もはやお馴染みのあの文句。

『帰れ、無能。
 貴様のために割く時間など、私には一秒たりとも存在しない』

 これを言われた魔術師の反応は、おおよそ二分だ。
 鳩が豆鉄砲を食ったような顔をするまでは一緒。
 そこから猿のように赤くなって憤慨するか、逆に気圧されてそそくさと立ち去るか。
 が、オリヴィア・アルロニカはそのどちらでもなかった。

『加速させた思考を限界まで収斂させ、根源を観測するんです。
 でもどうにも手詰まりが否めなくて。
 そりゃ私の代で到達できるとは思ってないですが、どうせならよりよい形で遺したい』
『おい』
『構想はあります。名付けて〈電磁時計〉。
 全容も固まってないのに名前だけ付けてるなんて我ながら馬鹿みたいですけど、不思議と手応えみたいなものはあるんですよ。
 ただ次の工程に移るにあたって、三点ほどどうにも解決できない問題があって』
『何のつもりだ貴様』

 寂句の宣告を無視して、勝手にぺらぺら自分の要件を語り始めたのである。
 これには寂句も怪訝な顔をした。
 世に無能は数いれど、こんな無法で自分を丸め込もうとした人間は初めてだったからだ。

『イギリスから日本までの旅費、高かったんですよ? はいそうですかで帰るわけにはいきません』
『蹴り出すぞ』
『なら抵抗しながらでも話を聞いてもらいます。
 でも私、自慢じゃないけど防戦に回らせたらめんどくささ随一な魔術師ですよ。
 すばしっこいネズミ追いかけるのに時間を浪費するなら、素直にこのちょっぴり失礼な客人をもてなす方が合理的だと思いません?』

 意趣返しのつもりなのか、オリヴィアはいたずらっぽく舌を出して笑った。

 その日蛇杖堂寂句は、得難い経験をした。
 後にも先にも、他人の熱意に根負けしたのはあれが最初で最後だ。

 ――暴君はこうして、後に〈雷光〉と呼ばれる魔術師と出会った。



◇◇

657心という名の不可解(中編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:01:13 ID:FWuHOWGU0



 宣戦布告の完了と、戦線の開幕は同時だった。
 
 寂句の背にする空間から実体化し、赤い甲冑の英霊が疾走する。
 天の蠍(アンタレス)。蠍座の火。
 三対六本の脚で加速したその実速度は音に迫る勢いであった。
 勇猛果敢を地で行く吶喊を見せながら、しかし少女の顔には焦燥と苦渋が貼り付いている。

(よもやこれほどとは――当機構の愚鈍をお許しください、マスター・ジャック)

 覚明ゲンジとそのしもべ達を一太刀にて屠った、白い少女。
 神寂祓葉の姿を視界に収めた瞬間、アンタレスは己の現界した理由を理解した。

 こいつだ。間違いなく、この娘だ。
 己はこれを放逐するために喚ばれたのだと、魂でそう理解する。
 それほどまでの、圧倒的すぎる存在感。
 超人だなんて生易しい形容では到底足りない。
 これはもう、この時点で神の領域に達している。
 聖杯戦争を、いや星を、いいや地球を、ともせずとも世界そのものを思い通りにする力を持っている。

 天昇させなければならない。
 生み出されて以来最大の使命感が、彼女の五体を突き動かす。
 閃く槍の鋭さは、スカディやレッドライダーと戦っていた時の比ではない。
 漲る使命感が現世利益として強さを後押しする理不尽を引き起こしながら、しかしそれは何のプラス要素にもならなかった。

「わお。結構速いね、まだ目で追えるけどギリギリだぁ」
「ッ……!」

 防がれる。鍔迫り合う互いの得物。
 英霊と人間という圧倒的な違いがあるにも関わらず、それがすべてあべこべになっていた。
 押し切れない。己が槍の穂先を受け止めた光の剣を、小揺るぎすらさせることができない……!

「あのね、私いま結構アガってるんだ」

 覚明ゲンジが魅せた生き様が、初動から祓葉のギアを上げている。
 相手に応じて強さを増す特性、そして気分の高揚がそのままパフォーマンスに直結する精神性。
 激戦の熱冷めやらぬ今の祓葉は初段からトップギア。
 アンタレスの放つ剛槍の乱舞を一発余さず迎撃しているのがそれを物語っていた。

658心という名の不可解(中編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:02:06 ID:FWuHOWGU0

「あなたはどんな宝具を持ってるの? どうやって私を倒すの?
 楽しいね、楽しいね楽しいね! 全部見せてよ、出し惜しみなんか許さない!」
「――その手の倒錯に付き合うつもりはありません!」

 言われなくても、出し惜しんでいる余裕などない。
 アンタレスは多脚を駆動させ、近距離の攻防の中でさえ一秒たりとも停止しないよう心がけていた。
 神寂祓葉は個の極致。力比べで勝てる道理はないし、そこに持ち込まれればドツボに嵌る。

 よって可能な限りあらゆる角度から攻撃を加えつつ、無駄な被弾を避けるのが肝要だ。
 蛇杖堂寂句の助言のひとつ。
 祓葉は最強の生物だが、そこには繊細な技というものが一切介在しない。
 言うなれば子どものチャンバラだ。打ち合うとなれば至難だが、避けるだけならそれほど難しくはなかった。

「ひと目見て確信しました。
 貴女は存在するだけで世界を、あるべきカタチを狂わせる。
 当機構の全霊を懸けて、その穢れた神話を葬送しましょう……!」
「いいね! やってみなよ、できるものなら!」

 光を躱しながら、実現できる最速で刺突を重ねる。
 祓葉は避けない。その必要が彼女にはない。
 肉が散り、眼球を抉られても止まらず光の剣舞を撒き散らす。

 災害だ。なのに見惚れそうなほど神々しい。
 抑止の機構であるアンタレスでさえ、気を強く持っていないと魅了されてしまいそうだった。
 赤い蠍が神を葬るべく躍動し、百を超える火花を散らして踊り舞う。
 大義があるのは間違いなくアンタレスの方だというのに、端から見ると善悪すらあべこべに見えるのが皮肉だ。

 祓葉の光剣が、大きく真上に振り上げられる。
 避けるのは容易だが、すぐに意図を理解して退いた。
 その判断は正しい。渾身の唐竹割りが振るわれた瞬間、爆撃もかくやという衝撃波が彼女を中心に轟いた。

(勘がいい。実戦の中で活路を探し出す嗅覚がずば抜けている)

 敵が回避に執着しているのなら、拮抗ごとぶち壊してしまえばいい。
 実際それが適解だ。現にアンタレスは後退し、構築した戦闘体制を手放すのを余儀なくされた。
 祓葉が地面を蹴る。天蠍の移動速度に匹敵する速さで迫り、神速の一閃で破壊光を飛ばしてくる。
 原人戦では見られなかった、事実上の飛び道具だ。
 刀身の延長線上に光を飛ばして切り刻む――原人どもを一掃した対城攻撃の片鱗を引き出している。

 野性的な戦闘勘と奔放な無法が噛み合った最悪の猛獣。
 襲い来る光閃の網を掻い潜りながら、アンタレスが再び間合いを詰めた。
 刺突と斬撃が織りなす狂おしい交響曲。
 千日手を予感させる再びの拮抗。しかし今度は、天蠍がそれを破壊した。

「わ……!?」

 ここまで移動にのみ使っていた蠍の脚が突如振るわれ、鉤爪のように祓葉の肉を引き裂いたのだ。
 当然有効打になるような攻撃ではないが、不意を突けたのは事実。
 そしてこの少女は、あらゆる感情にとても素直だ。
 驚けば動きが乱れるし、ただでさえ盤石とは呼べない佇まいが総崩れになる。
 原人達との戦いを観測して、アンタレスはそれを見抜いていた。

659心という名の不可解(中編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:02:56 ID:FWuHOWGU0

 ――くるり。ひらり。

 その場で宙返りをし、空へ舞い上がる。
 そこで蠍の多脚は、あろうことか風を掴んだ。
 祓葉が力任せに暴れたことで吹き荒れた強風を利用し、洞窟の天井を這い回るように空を伝って祓葉へ迫る。

 戦闘の優位は常に上方にある。
 縦横無尽を地で行くアンタレスはその恩恵に自在に預かることができる。
 降り注いだのは、赤いゲリラ豪雨であった。
 そう見紛うほどの、赤槍による怒涛の刺突。

(覚明ゲンジがそうだったように、普通に戦ったのでは勝ち目など皆無。
 必要なのは『英雄よ天に昇れ(アステリズム・メーカー)』の投与。
 もとい、そのための前提条件を満たすこと――!)

 主から賜った策を反芻しながら、アンタレスは眼下の少女を肉塊に変えていく。
 "叩き"にされた豚肉のようにぐちゃぐちゃの塊と化すまではすぐだった。
 やはり予想通り。死なないだけで、強度自体は人間の域を出ない。
 再生する前に潰し続ければ、神寂祓葉は封殺できる。

 ひとしきり打ちのめし、原型を完全に失わせたところで、アンタレスは槍を引いた。
 勝負を決める。この状態なら、"狙い"を外すこともない。
 かつて超人を夜空へ送った一刺しを放たんとし、そこで天の蠍は、自分の想像がこれでもまだ甘かったことを思い知った。

「な……ッ」
「つ、か、ま、え、た♪」

 肉塊の中から、腕だけが伸びて赤槍を掴んでいる。
 戦慄に身が硬直した。
 そのわずか一瞬の間にも、ひしゃげ潰れた挽肉の中から神が甦ってくる。

 吐き気を催す光景だった。
 腕の次は顔が再生し、その次にはもう片方の腕。
 胴の修復が始まった時点で、アンタレスはようやく我に返る。
 槍を振るい再殺しようとするが、得物がぴくりとも動かない。

「何か、しようと、してるよね?」

 女怪のように、肉の中から上半身だけを生やした祓葉が微笑む。
 次の瞬間、アンタレスは文字通り、地に引きずり降ろされた。
 なんのことはない。ただ力任せに天から地へ、引っ張ってやっただけだ。
 アンタレスが英霊であることを考慮しなければ、微笑ましい戯れにも見えたろう。

「が、ぁッ……!」
「ゲンジのことがあるからね。我ながららしくないけど、ちょっと警戒してみようかな」

 叩き付けられただけで地面が抉れ飛ぶ。
 喀血し、腕一本で圧迫されている姿は猿に遊ばれる蠍に似ていた。

660心という名の不可解(中編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:03:27 ID:FWuHOWGU0

「ふふ」

 その間に再生は滞りなく完了し、いつしか立ち位置は逆転。
 アンタレスを押さえつけたまま、祓葉が光剣を振り翳す。
 もちろん彼女も無抵抗ではなく、六脚を振り乱し祓葉を切り裂いていたが、臓物を撒き散らしてやった程度でこれが止まるわけもない。

「かわいいね」

 告げられる死刑宣告。
 天の蠍が背負わされた任務はあまりに難題だった。

 何しろ相手は〈この世界の神〉。
 人類悪と友誼を結び、自由気ままに理を踏み砕く絶対神。
 アンタレスひとりの双肩で討ち取るには荷が勝ちすぎる。
 よって結末は予定調和、誰もの予想通り。
 神寂祓葉は勝利する。蠍は踏み潰されて、オリオンの神話は再現されない。

「――――ぶ、ぐぇっ」

 戦うのが、彼女ひとりであったならば。

「え……」
「無能が。何を呆けている?」

 横から割って入った老人の拳が、祓葉を紙切れのように吹き飛ばしていた。
 アンタレスの驚きも無理はない。
 "彼"は、自身も参戦するなんて一言も伝えていなかったから。

「光栄に思え、無能な貴様の尻拭いを務めてやる。
 この期に及んでめそめそと謝るなよ、元より貴様一人でどうにかできるとは思っていない」

 彼は時間の浪費を嫌う。
 アンタレスに参戦の旨を伝えたなら、彼女は頑として反対しただろう。
 それはサーヴァントとして当然の反応だが、暴君にとっては煩わしいタイムロスだった。
 だから介入を行うその時まであえて黙っていたのだ。
 味方をも騙して決行された不合理な奇襲攻撃は神の王手を突き崩し、敗色濃厚の盤面をリセットする。

「お前もさっさと立て、祓葉。化物が堪えたふりなぞするな、おぞましい」
「……ジャック先生、なんかちょっと変わった?」
「お前がそれを言うのか? クク、ありがとうよ極星。どうやら今回は、同じ轍を踏む心配はなさそうだ」

 彼の狂気は〈畏怖〉。誰より星を畏れているから、死ぬことなんて怖くない。
 蛇杖堂寂句は静かに拳を構え、アンタレスの横に立って、因縁の白神を見据えていた。



◇◇

661心という名の不可解(中編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:04:05 ID:FWuHOWGU0



 オリヴィアはその後も幾度となく蛇杖堂本家を訪れた。
 死ぬほど嫌そうな顔をする寂句はお構いなしに、イギリスの手土産片手に門を叩くのだ。
 頻度はまちまちだったが、大体年に一〜二度のペースだった。

『ようやく雛形ができてきました。なんだか感慨深いですね、えへへ』
『六年だぞ。私ならとうに完成させ、実用段階に持ち込んでいるところだ』
『先生と一緒にしないでくださいよ。
 自虐は好きじゃないんですけど、さすがに私と先生じゃ頭の出来が違いすぎます。
 いっそ正式に共同制作者になってくれたら助かるんですけどね? ちらっ、ちらちらっ』
『興味がない。第一、私はただ貴様の話に相槌を打っているだけだ』

 オリヴィアの厄介なところは、疑問が浮かぶとそれを掘り尽くさなければ気が済まないところだ。
 こうなるともうなんでなんでの質問攻めで、寂句はその気質を知って以降、彼女の話は作業の片手間に聞くようにしていた。
 今日も寂句は机へ向かい、オリヴィアはその背中へ、座布団に座り粗茶を啜りながら話しかけてる格好である。

『先生。今日はね、設計図を持ってきたんです』

 自動書記かと見紛う速度で筆を走らせていた寂句の手が、ぴたりと止まった。
 振り向きはせず、そのままの格好で口を開く。

『雛形が"できてきた"と聞いた筈だがな。相変わらず日本語は不得手と見える』
『まあまあ、固いこと言わないでください。
 実はまだ誰にも見せてないんです。もちろんこれからいろいろな知人に意見を求めて回る予定ですけど、やっぱり最初は先生がいいなって』

 背を向けているので顔は分からないが、さぞや鬱陶しい笑顔をしているのだろうと思った。
 手荷物をまさぐる音。鞄から、書類の束が取り出される音。
 音が止んだかと思うと、オリヴィアは立ち上がって言った。
 
『――――診て、くれますか。先生』

 数秒、音のない時間が流れる。
 それを切り裂いたのは、暴君のため息だった。
 万年筆を机に置き、されど振り向かぬまま、腕だけを後ろへやった。

『貸せ』
『……! はい!!』

 受け取った紙束は、どの頁も無数の図形と数式、彼女の研鑽と受け継いだ叡智の結晶で埋め尽くされていた。

662心という名の不可解(中編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:04:54 ID:FWuHOWGU0
 当然、内容はきわめて難解だ。
 時計塔の講師陣でさえ、読み解いて咀嚼するには相応の時間を要するだろう。者によっては、完読すらできないかもしれない。

 だが蛇杖堂寂句は、小説本でも読むようにすらすらと読み進めていく。
 その上で前の頁に戻らない。初読で理解し、噛み砕いて、嚥下していた。
 時間にして四十分ほど。落ち着かない様子のオリヴィアの視線を背中に浴びながら、寂句は束を置く。

『ど……、どうでした……?』
『設計書に希望的観測を盛り込むな、無能め。
 理論の陥穽をパッションで誤魔化してどうするのだ、貴様は出世が目的でこれをしたためたのか?』
『う』
『それと可読性にも多大に難がある。
 私だから問題なく読み解けたが、構成がとっ散らかりすぎだ。
 この有様では実際これを元に何かを成す時、間違いなくつまらんミスをやらかすぞ』
『そ、そこは、ほら。私はちゃんと要点押さえてますから。大丈夫ですよ、…………たぶん』
『ほう、"たぶん"とは具体的に何パーセント大丈夫なのだ?
 八割か九割か、それとも大きく出て九割九分九厘とでも言ってみるか?
 私に言わせればそれでも論外だが。己の手落ちで時間と資源を浪費するリスクは甘んじて飲み込むと? であれば実に大したものだが』
『――ごめんなさい。飲みません。ちゃんと直します』
『最初からそう言え。つまらん意地で私に食い下がるな、青二才が』

 辛辣。
 痛烈。
 オリヴィアががっくり肩を落としている姿が見なくても想像できる。
 
『……だが』

 そんな彼女に、寂句は鬱陶しそうに続けた。

『それ以外は概ね、よくできている』
『……!』
『初めてここに押しかけてきた時の稚拙な発想と比べ、見違えていると言っていい』

 寂句は誰に対しても辛辣だし、見下すことに憚りもない。
 が、それはプライドや慢心から来る悪癖ではなかった。
 様々な観点から評価して、自分より劣っていると看做した上で罵倒するのだ。
 逆に言えば、評価に値するものは正しく評価する。

 彼は他人を慮れない男だが、かと言って真実を隠してまで貶し倒す真似はしない。
 
『実際に根源へ到れる可能性は零に等しいだろうが、それはどこの家も同じだ。
 〈電磁時計〉は確実にアルロニカの歴史を変え、時計塔に轟く"発明"になるだろう』

 以上をもって、寂句は評価を結んだ。

663心という名の不可解(中編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:05:24 ID:FWuHOWGU0
 耳栓を買っておくべきだったなと後悔した。
 この女のことだ、さぞやうるさく喚くのだろう。
 しかしそんな予想に反してオリヴィアは静かで。

『う……ぐす、ひっく……』

 歓喜の代わりに響いてきたのは、ちいさな嗚咽だった。

『ご、ごめんなさい。
 その……気が、抜けちゃって。
 よかったぁ……よかったよぉ……』
『人の家で泣くな、煩わしい。荷物を纏めてとっとと失せろ』
『ありがとう、ございました……。
 ジャック先生のおかげで私、わたし、ここまで来れた……』

 六年、この部屋で議論を交わした。
 おかげでアルロニカ家の魔術を深く理解してしまったほどだ。
 秘密主義を是とする魔術師の世界では、それは自分の急所を晒す"無能"めいた行いだったが。
 オリヴィアはそれを承知で足繁くここに通い、理論を編み、遂にこの偏屈な暴君に太鼓判を押させたのだ。

『勘違いするな。
 貴様が私の元へ通い詰めている事は既に多くの同業者が知るところとなっている。
 にもかかわらず貴様が不出来を露呈すれば、私の名声にも傷がつくだろうが』

 追い返そうとするのが億劫になったのもあるが、三年目辺りからはそんな理由もできていた。
 不本意にも恩師になってしまった以上は、大成して貰わねば沽券に関わる。
 寂句としてはそれは正当な動機で、だからこそこうして堂々告げたのである。

 けれどオリヴィア・アルロニカは、泣き濡れた目元を拭いながら――

『……ジャック先生は怖いくらい優秀だけど、少し真面目すぎるみたいですね』

 呆れたように、それでいてとても嬉しそうに。
 そんなことを、言った。



◇◇

664心という名の不可解(中編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:05:56 ID:FWuHOWGU0



 光剣の軌跡は、既に英霊基準で見ても異常な速度に達していた。
 空を切り裂くだけでソニックブームめいた衝撃波が発生し、粉塵を舞わせ著しく視界を損ねる。
 アンタレスが前線で祓葉を相手取り、寂句は隙を見て彼女を削る――というのが彼らにとっての理想形。

 しかし案の定、祓葉はそれをさせてくれる相手ではなかった。
 まず攻撃を受け止めることができない。よって隙を見出すことも叶わない。
 神のやりたい放題を前に、天蠍と暴君は早くも圧倒的な劣勢に追いやられていた。

「ぐ、ぅっ、う……!」
「あは、ちょっと軽すぎるんじゃない?
 速いのはいいけど、ちゃんと削らないといつまで経っても終わんないよ?」
「不死身の貴女に言われても、嘲弄にしか聞こえませんね……!」

 鍔迫り合いで場を凌ぐことも不可能になって久しい。
 赤槍と光剣がぶつかれば、衝撃だけでアンタレスは吹き飛んでしまう。
 そこで毎回攻めのリズムを破壊されるため、結果として彼女の手数は大幅に目減りしていた。

「ごまかさなくてもいいのに。
 あるんでしょ? 私を殺せるかもしれない、そんな素敵なジョーカーが」

 覚明ゲンジの奮戦は見事だったが、彼の特攻は祓葉にとある気付きを与えてしまった。

 この世には、不滅を超えて迫る死が存在する。

 祓葉にとって未知とは悦びである。
 よって焦るどころか、祓葉はますますそのギアを上げていたが。
 アンタレスの分析した通り、彼女は馬鹿だが並外れた戦闘勘を持っている。
 〈神殺し〉という概念を知られたあの瞬間、寂句達のプラン遂行の難易度は途方もなく跳ね上がったと言っていい。

「教えてくれないなら、ジャック先生に直接聞いちゃお」

 健気に向かってくるアンタレスを光剣のフルスイングで跳ね飛ばし、地面を蹴る。
 向かう先は暴君・蛇杖堂寂句。
 祓葉は手加減のできる性格ではないし、そもそも彼女はそれをとても失礼なことと捉えている節があった。

 一緒に遊ぶのなら、どんな相手だろうとみんな平等。
 誰が相手でも差別せず全力で戦うからこそ楽しいのだと信じる。
 そんな神の純真は聞こえこそ立派だが、相対する者にとっては最大の絶望を意味した。
 英霊でさえ手に余る速度とパワーで迫ってくる祓葉を、人間の身で捌かなければならないのだ。
 至難なんてものではない。ほぼほぼそれは"不可能"と同義だ。

 できるわけがない――――寂句(かれ)でなければ。

「舐めるなよ小娘。たかだか一度まぐれ勝ちした程度で、格付けが済んだと思っていたか?」

 瞠目したのは、祓葉も、そしてアンタレスもだった。
 英霊の彼女でさえ対処に苦心する神の斬撃を、寂句は見てから避けたのだ。

665心という名の不可解(中編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:06:44 ID:FWuHOWGU0

 それがまぐれでないことは次の瞬間実証される。
 なにくそと振るわれる剣閃の嵐の中でさえ、蛇杖堂寂句は致命傷を躱し続けた。
 無論掠り傷なら無数に負っていたが、逆に言えばその程度。
 本気の祓葉を人間の身で相手取り、損害をそれしきで抑えることがどれほど難しいか。

「……嬉しいよ、ジャック先生。
 この前はのらりくらりと躱されちゃったけど、今日は本気で来てくれるんだね」
「これが望みというならうまくやったな。
 まんまと私は貴様の希望通り、未来を捨てる羽目になったのだから」

 祓葉は慌てるでもなく、嬉しそうに笑った。
 それに対する寂句の言葉が、その常軌を逸した挙動の種明かしだ。

「マスター・ジャック……あなたは、やはり――」
「言ったろう、私は"この先"に興味などない。
 今この時、この瞬間こそが、私の焦がれた聖戦なのだ」

 暴君は傲慢に人を治し、壊せる。
 その対象には無論、彼自身も含まれている。

「手持ちの薬剤の中から有効なものを数十種以上手当たり次第に投与した。
 おかげで地獄のような苦痛だが、不思議と気分は悪くない。やはり私も狂っているのだと実感するよ」

 明日(みらい)を度外視した極限量のドーピング。
 九十年の叡智をすべて注ぎ、人間はどこまで神に迫れるのか人体実験した。
 成果はこの通りだ。時間制限付きだが、今の寂句は英霊の域にさえ足を踏み入れている。

 代償として彼の身体には神経をやすりがけされるような激痛が絶え間なく駆け巡っていたが、暴君はそれを気にも留めない。
 痛みも時にはある種の麻薬だ。耐えられる精神力さえあるのなら、持続時間の長い気付け薬として戦闘を助けてくれる。
 
「さあ来い、祓葉。
 さあ行くぞ、ランサー。
 他の者など待ってはやらん。今此処で、我らの運命に決着をつけるのだ」

 蛇杖堂寂句は狂っている。
 合理を棄て、畏怖を纏い、そして〈はじまり(オリジン)〉を取り戻した暴君に陥穽はない。
 死をも超えて演じあげるは、至大至高の逆襲劇。



◇◇

666心という名の不可解(中編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:07:37 ID:FWuHOWGU0



 〈電磁時計〉が完成したことで、オリヴィアが蛇杖堂本家を訪ねてくる理由はなくなった。
 それでも彼女は、毎年季節の変わり目には欠かさず絵葉書を送ってきた。
 結婚した。娘が生まれた。スタール家の"先輩"と激論を交わしすぎて喧嘩になった――そんなどうでもいい文章を添えて。
 会いに行きたいが多忙でどうにもならないらしい。寂句としては、煩わしい客人が来なくなって大層清々しい気分だった。

 最後の訪問から、二桁の年数が経過したある年の春。
 オリヴィア・アルロニカは、あの頃と同じように突然訪ねてきた。

『ぜんぜん変わらないですね、ジャック先生』
『貴様は変わったな。窶れて見えるぞ』

 以前に比べ雰囲気の落ち着いた物腰と、たおやかな笑顔。
 しかし寂句は対面するなりすぐに、彼女の身に起きていることを理解した。
 病んでいる。心ではない、身体の話だ。
 不健康な痩せ方、血色の悪さ、ほんの微かに漂う死臭と腐臭の中間のような匂い。
 
 いずれも、現場で何度となく出会ってきた重病人の特徴である。
 この時点で寂句は、オリヴィアが深く冒されていると悟っていた。

『目的が診察なら正規のルートを辿れ』
『あはは。ごもっともですね。
 でも、診てもらうならやっぱり先生がよくて……』

 オリヴィアは、ぽつりぽつりと語った。

 腕を動かすと違和感を覚えるようになったのが最初だった。
 疲れだと思って放置していたら、どんどんひどくなってきた。
 友人から譲り受けた薬を服用して誤魔化すうち、次第に息切れや頭痛が増えた。
 今ではもう、全身が痛くて鎮痛剤なしでは起き上がるのもままならない。

 不定愁訴の放置は無能の証だ。
 そう吐き捨てながらも寂句は結局、オリヴィアの診療を承諾した。

 結果は――


『手遅れだ、来るのが遅すぎる。この無能が』


 手の施しようがない。
 彼をしてそう罵るしかない容態であった。

667心という名の不可解(中編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:10:22 ID:FWuHOWGU0

『恐らく骨肉腫だろう。
 全身に転移した末期状態だが、私なら素材と手段に固執しなければ治せる。
 しかし貴様のは最悪のケースだ。腫瘍が突然変異を起こし、魔術回路へ浸潤し絡みついている』

 寂句でさえ、実例を見るのは初めてだった。
 彼の知る限り、記録上数える程度しか観測されていない希少癌。
 魔力という埒外のエネルギーにあてられ、腫瘍が魔的に変異する症例。
 一般の病院はおろか、治癒に精通する魔術師でも実態に気付ける者は稀だろう。
 "なんてことのない、どこにでもある病気"と看做し、その上であまりの進行度に匙を投げる筈だ。
 しかし寂句に言わせれば、そんなありふれた病の顔をして這い寄った彼女の死病は、禍々しい呪詛の塊のようでさえあった。

『言うなれば腫瘍自体が一種の魔物と化している状態だ。
 回路の摘出を試みようが、瞬時に転移して末期多臓器不全を引き起こすだろうな。
 それ以前にその弱りきった体では手術自体に耐えられない。どうあがいても詰んでいる』

 寂句は言葉を濁さない。
 手の施しようがないなら、率直にそう伝える医者こそ優秀と彼は考える。
 そんな気質を知っていたからだろう。
 オリヴィアは泣くでも青ざめるでもなく、ほころぶように笑った。

『先生が言うならそうなんでしょうね。
 そっか、これで終わりかぁ』
『そうだな。来世があれば不養生は慎むことだ』
『ふふ。あとどのくらい生きられそうですか、私?』
『半年といったところだろう。
 奇跡が起きればもう少し伸びるかもしれんが、それでも一年は無理だ』

 人の死にいちいち胸を痛める感性は持ち得ない。
 この時点でも尚、寂句にとって"心"とは不可解な不合理の塊でしかなかった。
 あらゆる才能を自在に修めてきた男が、唯一得られなかったもの。

『ありがとうございます、先生。
 ……ううん、今まで、ありがとうございました』
『珍しいこともあるものだ。もう帰るのか』
『はい。残りの時間は少しでも、娘と一緒に過ごしてあげたいので』

 娘なら寂句にもいる。
 無論、愛情など抱いた試しはない。
 しかしオリヴィアにとっては違うようだった。
 仮に寂句が彼女の立場なら残り時間はすべて後継への引き継ぎ作業に使うだろうが、こういう辺りも彼女は"らしくない"女だと思った。

『あんまりいいお母さんをしてあげられなかったのは、ちょっとばかり心残りですけど。
 だからこそ、できる限りは取り返そうと思います』
『そうか。せいぜい励むことだ』

 最後の最後まで変わらない寂句に、それでもオリヴィアは親愛の微笑を向ける。
 思えばこれほど長い時間、この己に向き合い続けた人間は初めてだった。
 血を分けた子孫でさえ畏怖を以って臨む暴君へただひとり、何度払いのけられても食らいついてみせた女。

『……先生からは、本当に多くのことを学ばせていただきました。
 先生なくしては今の私もアルロニカの魔術もありません』

 オリヴィアもオリヴィアで、最後の最後まで恨み言のひとつもこぼさなかった。

『さようなら、ジャック先生。
 あなたは私にとって最高の恩師で、そして誰より信頼できる友人でした』

 そう言って、〈雷光〉は暴君のもとを去っていった。
 オリヴィア・アルロニカの訃報が届いたのは、それからちょうど一年後のことだった。
 彼女は奇跡を前提に告げられた刻限さえ超えてみせた。
 最後まで、ただの一度も、思い通りにならない女であった。



◇◇

668心という名の不可解(中編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:11:14 ID:FWuHOWGU0



「無意識制御(Cerebellum alter)―――」

 アンタレスが駆ける。
 祓葉が喜悦の形相で剣戟を繰り出す。
 生と死の狭間めいた状況で、蛇杖堂寂句は世界を遅滞させる。

 出陣前――寂句は小脳に作用する薬物を魔術的製法で"改悪"し服用。
 該当部位への甚大な損傷と引き換えに一時的(インスタント)な異能を創造した。
 後先のことを考えなくていいのなら、彼にとっては朝飯前の芸当である。
 ましてやこの分野。脳に鞭打ち思考を加速させる手法なら、頼んでもいないのに飽きるほど聞かされてきたのだ。

「電信速(neuro accel)―――!」

 運動を制御し、無意識を無意識のまま最適化して運用させる小脳を刺激し。
 思考と命令のプロセスを吹き飛ばし、無駄を極限まで削ぎ落とすことで加速を成す。

 まごうことなき付け焼き刃だが、現時点でさえ〈雷光〉の娘の速度を超えている。
 二倍速の世界にいる人間をシラフで圧倒できる男が同じ世界に踏み込んだなら、もう誰がこの暴君を止められるというのか。
 
「ッッ……! 速いね、先生……!」
「貴様からの賛辞ほど虚しいものはない」

 踏み込みと同時に、剣を振るう間も与えず胸骨を粉砕する。
 鉄拳一閃、常人なら即死だが無論神寂祓葉にその道理は適用されない。
 喀血しながらたたらを踏み、文字通りの返す刀で寂句を狙う。
 が、今度はそれを追いついたアンタレスの赤槍が阻んだ。

「マスター・ジャック!」
「今更狼狽えるな。
 英霊の貴様で持て余す相手だ、当然私だけで敵う筈もない。
 補ってやるから、お前も私を補ってみせろ」

 未だ葛藤はあったが、四の五の言ってられる状況ではない。
 アンタレスは頷くと、再び祓葉との絶望的な接近戦にシフトした。

 速く、重い。やはり打ち合うことは不可能と言っていい。
 多脚での高速かつ不規則な移動ができるアンタレスだからこそ、まだギリギリ対抗できている。
 並の英霊であれば武器ごと押し潰されて終いだろう。
 戦慄の中でますます大きくなっていく使命感。これを放逐できないなら、当機構(わたし)が生み出されたことに意味などない。
 大袈裟でなくアンタレスはそう考え、その切迫した焦燥が天蠍の槍をより鋭く疾く冴えさせた。

(だんだん慣れてきました。極めて凶悪な敵ですが、しかし捌けないわけではない)

 神寂祓葉は依然として全容を推し量ることもできない災害だ。
 しかしやはり、その攻撃は稚拙に尽きる。
 確かに悪夢じみた強さであるし、無策に競べ合えば確実に潰されると断言できるが、冷静に目を凝らして分析していけば生存圏を見つけ出すことは十分に可能と判断する。

669心という名の不可解(中編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:12:05 ID:FWuHOWGU0

 熟練のサーファーは天を衝くような大波であろうとボードひとつで乗りこなし、踏破する。
 それと同じで、祓葉はきわめて巨大な津波のようなものであるとアンタレスは認識していた。
 たとえ力で勝てなくとも、頭と技を駆使すれば、凌ぎ切るだけなら何とかできる。
 九割九分の臆病に、わずか一分の裂帛を織り交ぜて戦うこと。
 寂句の守護もこなさねばならないアンタレスが辿り着いた境地はそこだ。
 休みなく振り翳され続ける光の暴虐を目にも留まらぬ高速駆動でくぐり抜けながら、天の蠍は死力を尽くして神を翻弄していく。

「悪くない」
「っ……!?」

 寂句の小さな微笑と共に、祓葉の首筋に一本の注射器が突き刺さった。
 暴君が投擲したこれには、彼が調合した即効性の神経毒が含まれている。
 蛇の毒液をベースに精製し、自身の血を混ぜ込んだきわめて凶悪な代物だ。
 耐性のない人間なら一瞬で全身麻痺に陥り、三十秒と保たず死に至る上、魔力に反応して毒性が増悪するおまけ付き。

 魔獣や吸血種の類でも行動不能に追いやれる、今回の聖杯戦争に際して蛇杖堂寂句が用意していた虎の子のひとつである。
 赤坂亜切との戦闘では彼が超高熱の炎を纏う都合、相性的に使うことができなかったが、祓葉相手ならその心配もない。

「甘いよジャック先生。薬なんかで私をやっつけられるとか思ってる!?」
「思うかよ」

 もちろん、この怪物に想定通りの効き目が出るとは思っていない。
 現に祓葉は首の動脈から件の毒を流し込まれたにも関わらず、わずかによろけた程度だった。
 やはり根本から肉体性能が逸脱している。祓葉に対して使うなら、最低でも神話にルーツを持つ宝具級の強毒を持ってこなければ話にもなるまい。

 が――

「それでも、一瞬鈍る」

 "わずかによろけた程度"。
 その程度でも効いてくれれば、寂句としては上出来だ。

「無意識制御(Cerebellum alter)―――電迅速(high neulo accel)!」

 二倍速から三倍速へと更に加速して踏み込む。
 祓葉の剣が迎え撃たんとするが、ここで彼の作った一瞬が活きた。
 アンタレスの赤槍が閃き、迎撃の剣戟を放たんとする彼女の右腕を切断したのだ。

「やはり、四肢の切断は有効なようですね」
「く……! あは、やるじゃん……ッ」

 静かに御し方のレパートリーを追記するアンタレスと、頬に汗を伝わせながら口を歪める祓葉。
 後者の間合いに踏み込んだ寂句が、拳ではなく、五指を開いた掌底で祓葉の腹部を打ち据える。

670心という名の不可解(中編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:12:48 ID:FWuHOWGU0

「ぎ――が、はッ」

 骨の砕ける音、筋肉がひしゃげる音、内臓が潰れる音。
 どれも祓葉に対しては有効打にはなり得ない。
 が、重ね重ねそんなことは百も承知だ。蛇杖堂寂句の狙いはそこではない。

「捉えたぞ」
「ぇ……、ぁ、ぐ……!? ぐぶ、ご、ぉあッが……!!??」

 掌底の触れた箇所から、祓葉の身体が膨張を始めた。
 肉が盛り上がり、骨格や臓器の存在を無視して華奢な少女のシルエットを歪めていく。
 この手管は祓葉も知っていた。
 何なら食らうのも初めてではなかったが、しかしかつて受けた時とは増殖の速度が違いすぎた。

 増えるべきでない細胞を活性化させ、急速に腫瘍を発生させる蛇杖堂寂句の十八番。
 明日を捨て去るオーバードーズにより強化されたのは身体能力だけではない。
 治癒魔術の性能も異常な域に高められ、それを攻撃に転換したこの邪悪な魔術も当然のように強化の恩恵を受けていた。
 腫瘍発生速度の驚異的向上。わずか数秒の接触でありながら、既に祓葉の全身は人間のカタチを失っている。
 肉の風船めいた有様になり、四肢も腫瘍の下に隠されて、剣を握ることすら物理的に不可能な様相だ。

「これでは得意の光剣も振るえまい。
 ようやく実践の機にありつけて嬉しいぞ。実のところこうして貴様を潰すプランは、前回からずっと頭にあったのだ」
「ァ゛…………ご、ァ゛ッ……――!」

 わななく、というよりもはや"蠢く"と形容した方がいいだろう。
 か細い抵抗をする祓葉の胸に、寂句は右腕を潜行させる。
 策が通じた形だが、この拘束がそう長く続いてくれるとも思えない。
 であれば直ちに本命を遂行し、穢れた神を葬ってしまうのが先決なのは言うまでもなかった。

「――マスター・ジャックッ!」
「……チ。ああ、分かっている」

 が、アンタレスの叫びを聞くなり、寂句は目前にあった勝利を捨てて腕を引き抜く。
 
 真の意味での肉塊と化した祓葉の体内から、破滅的な量の魔力反応を感じ取ったからだ。
 名残惜しくはあったが、道理の通じぬ相手に深追いするほど無能なこともない。
 そしてその判断が正しかったことを、寂句はすぐさま思い知る。

 ――祓葉自身を起点として、純白の爆発が夜を揺らした。

 飛び散る五体、肉片。かつて命だったもの。
 まったく意味不明な状況だったが、寂句とアンタレスだけは起こった事象の意味を理解していた。

671心という名の不可解(中編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:13:30 ID:FWuHOWGU0

「なんて、出鱈目な……」
「それがこの娘だ。分かったら胸に刻んで切り替えろ」

 身動きを封じられた祓葉は、肉腫に埋もれた自分の手……つまり肉の内側に光剣を生み出したのだ。
 その上で自壊を厭わず魔力を注ぎ込み、過重状態(オーバーヒート)を引き起こさせた。
 永久機関から供給される無尽蔵の魔力でそれをやれば、暴発の規模は洒落にならない。
 自分自身を跡形もなく爆散させ、鬱陶しい肉を除去した上で、まっさらな状態で新生する。

 不滅の神が握る光の剣は凶悪な兵器であると共に、自分自身をゼロに戻すリセットボタンでもある。
 まさに出鱈目。まさに理不尽。
 幼気のままにあらゆる策を蹴破って進軍するからこその、神だ。
 
「来るぞ」

 粉塵が晴れ、爆心地に佇む白神の姿が再び晒される。
 腫瘍はおろか傷ひとつさえない玉体で、彼女は剣を握っていた。
 嬉しそうな。本当に楽しそうな笑みを浮かべて、刹那……

「界統べたる(クロノ)――――」

 その純真が、すべての敵を薙ぎ払う。

「――――勝利の剣(カリバー)!」

 魔力枯渇の概念がないということは、一切の戦略的制限が不在であることを意味する。
 つまり祓葉に奥の手などというものは存在しない。
 その場その場で状況と機嫌に合わせてぶちかまし、敵をねじ伏せる"通常攻撃"だ。

 爆裂した白光が、寂句達の優位を一瞬で奪い去った。
 原人を彼らが纏う呪いの鎧ごと一掃する、あらゆる意味で規格外の爆光閃撃。
 呑まれれば人間だろうが英霊だろうが、まず跡形も残らない。
 アンタレスが寂句を抱え、最高速度で退避する。
 
 『第零次世界大戦』の展開によって崩壊した街並みが、次は神の威光を前に蹂躙されていく。
 閃光。轟音。いやそれだけではない、祓葉は今回『界統べたる勝利の剣』を横薙ぎに放っている。
 つまり対城級の爆撃が、より広範囲を薙ぎ払う形で炸裂したのだ。

 それでもアンタレスは、死線の中でできる限り最大の働きをした。
 甲冑が灼け溶けるほどの熱を感じながら、しかし足を止めない。

「く――!」

 さながら絵面は怪獣映画。
 恐ろしい巨大怪獣が美しい少女に置き換えられただけで本質は同じだ。

672心という名の不可解(中編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:14:10 ID:FWuHOWGU0

 劣化して崩れたビルの瓦礫が蒸発し、巻き込まれた人間の生死など問うまでもなし。
 鏖殺のクロノカリバーは、地上には神がおわすのだとその厄災で以って証明する。
 祓葉の極光が解放されていた時間はせいぜい十秒前後。
 だがその時間が、アンタレスには永遠のようにすら感じられた。

「凌いだ……!」
「いや」

 網膜を灼く光が消えたところで、思わず漏らした安堵。
 されどそれを、他ならぬ守るべき主の口が否定した。

「まだだ」
「な――!?」

 アンタレスの視界が、今度は光ではなく影に覆われる。
 思わず見上げ、絶句する。
 空に祓葉がいた。赤い夜空を背に、両手で光剣を振り上げ、神が見下ろしている。

「貴女は……っ、どこまで……!」
「界統べたる(クロノ)」

 女神の口が、破滅の音を紡ぐ。
 時とは界、界とは時。
 その法則で廻る針音都市における、絶対の破壊が感光し。

「勝利の剣(カリバー)!!」

 上空から下へ、天の神から人へと、無邪気な粛清が降り注いだ。
 連発だからなのかは定かでないが、火力自体は先程よりも低い。
 しかしそれでも、直撃すれば即死を約束する神剣なのは変わらない。

「く、あ、あああああああああ――!」

 ふざけるな。
 論外だ、こんなところで殺されてなどやるものか。
 アンタレスは赤槍で神剣の一撃を受け止めたが、それだけでどこかの骨がへし折れた。
 そうでなくとも皮膚が直火焼きされているかのように熱く、霊基が阿鼻叫喚の悲鳴をあげているのが分かる。

 長くは保たない。
 悟るなり、彼女は思い切った行動に出た。

673心という名の不可解(中編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:14:51 ID:FWuHOWGU0

「申し訳ありません……落とします!」
「ああ、それでいい」

 寂句を抱えていた腕を緩め、彼を地へと放り落としたのだ。
 そうなった経緯に思うところはあるが、今の寂句はこれしきの高度からの転落では死ぬまい。
 神の爆光で消し炭にされるよりは、一か八かせめて爆心地から遠くに逃した方がいい。
 その判断は、寂句にとって期待通りのものだった。

「すごいね。ジャック先生に褒められてる人なんて、ケイローン先生以外見たことないよ」

 とはいえ無茶の代償は、アンタレス自身が払うことになる。
 
「お名前を聞かせてほしいな。後で思い出した時、名前がわからないと寂しいからさ」
「そう、ですか……! そういう理由でしたら、謹んでお断りします……!!」

 解放された祓葉の神剣を単独で、その上至近距離で相手取らねばならないという最悪の状況。
 が、アンタレスは必死の形相ながらも冷静だった。

(先程の真名解放に比べて、明らかに出力が弱い。
 さっきの規模で放たれていたなら、拮抗など許されず蒸発していた筈――ッ)

 推測でしかないが、この〈光の剣〉はエネルギー兵器のようなものなのだろう。
 無限の供給源がある時点で理不尽ではあるものの、察するにチャージ時間が要るのだと思った。
 覚明ゲンジ達を屠った一刀から街を消し飛ばした"薙ぎ払い"まで、時間にして三分も経過していない。
 この通りリチャージの速度も化け物じみているし、威力を問わないなら矢継ぎ早に連発できるのも間違いない。
 ただ、頭抜けた火力を出すためにはそれなりの充電が必要なのは恐らく確実だ。
 であれば――『界統べたる勝利の剣』を凌ぐことは、決して不可能ではない。そう賭けることにする。

 それすら的外れな勘違いだったとしたら、もはや自分に未来はない。
 一か八か、運否天賦。
 己を産んだガイアに、この時アンタレスは初めて祈った。

「つれないなぁ! じゃあいいよ、後でジャック先生に聞くからさ……!」
「ぐ、ぅうううううう、ぅ、ぁ――!」

 光が、天の蠍を失墜させる。
 水柱と見紛うような土砂の塔が噴き上がり、祓葉は悠然と地に降り立った。

「はい、まずはひとりね」

 共に戦う者にとっては、祓葉はその純真さの通りの、麗しく素敵な神さまに映る。
 だが敵として挑む側にしてみれば、彼女は白光の魔王でしかない。

674心という名の不可解(中編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:15:34 ID:FWuHOWGU0
 すべてが無茶苦茶。すべてが理不尽。
 寛容な顔をして、その実そこに一切の慈悲もない。
 きゃっきゃと騒ぎながら蟻の手足を毟る子どもが、そのまま大きくなったような生命体。

 神とは本来純粋なもの。ヒトの穢れを知らず、故に行動のすべてに嘘がない。
 そういう意味では、まさしくこれは現代の神なのだろう。
 神が地を蹴り、光の軌跡を残しながら友(てき)の元へと駆けていく。

 蛇杖堂寂句。
 一足先に地へ降り、二発目の神剣から難を逃れた傲慢な暴君。

 彼の目前に、ひと足跳びで祓葉は到達していた。
  
「そんでもって」

 いかなる加速も妨害も、この間合いでは間に合わない。
 人間の身で祓葉とわずかでもやり合えたのは奇跡と呼ぶべき奮迅だったが。
 奇跡とは、何度も起こらないからこそそう呼ばれるのだ。

「これで二人目」

 あらゆる反応を許さぬ、神速の一突きが放たれた。
 光剣は切っ先から暴君へ吸い込まれ、その胸を穿っていた。
 飛び散る血潮、溢れるか細い呻き声。
 そして、誰かの絹を裂くような悲鳴。

 笑っていたのは、ひとりだけ。



◇◇

675心という名の不可解(中編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:16:05 ID:FWuHOWGU0



 オリヴィアの葬儀にはもちろん参列しなかった。
 そも、弔いという行為に寂句はまったく興味がない。
 そこに合理的な意味を見出だせないのだ。
 無駄に長い時間と費用を使って、死んだ人間のために骨を折ることに何の意味がある。
 息子が幼くして死んだ時にすら、彼は欠片ほどもそれを弔わなかった。
 なのに今更、赤の他人のために道理をねじ曲げる意味もない。
 訃報を受け取ったその日も、寂句は筆を走らせていた。
 オリヴィアと何度も何度も語らった書斎の中で、彼はいつも通りだった。

 作業を終え、顔を上げた時。

 ふと、視界の隅に一本のガラス瓶を認めた。
 手の中に納まる程度のサイズ。
 コルクで栓をされたその中には、微かに輝く液体が収まっていた。

 『偽りの霊薬(フェイク・エリクサー)』。
 蛇杖堂家の研究成果、その最たるものだ。
 素材の厳選、精製の複雑さと難易度、精製にかかる所要時間。
 すべてが冗談のように困難で、それだけ諸々費やしてようやくこれだけの量が得られる。
 まさしく、蛇杖堂の家宝だった。
 生きてさえいるのなら、たとえ半身が吹き飛んでいても脳が飛び出ていても全快させられる究極の傷薬。
 死を破却したアスクレピオスの偉業に、人間の知恵で極限まで迫って創り出したちっぽけな奇跡。

 "ご、ごめんなさい。
  その……気が、抜けちゃって。
 よかったぁ……よかったよぉ……"

 ――もしも。

 "ありがとう、ございました……。
  ジャック先生のおかげで私、わたし、ここまで来れた……"

 ――あの時。

 "さようなら、ジャック先生。
  あなたは私にとって最高の恩師で、そして誰より信頼できる友人でした"

 ――これを使っていたなら、あの女は今も書斎(ここ)で煩く囀っていただろうか。

 蟀谷を押さえて、吐き捨てるように嘆息した。
 その一息で、降って湧いた不可解を振り払う。
 
『私の物欲も大概だな。今になって電磁時計が惜しくなったか』

 クク、と苦笑して、寂句は作業へ戻った。



◇◇

676心という名の不可解(中編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:17:12 ID:FWuHOWGU0



「――――クク」

 笑っていたのは、蛇杖堂寂句。
 心臓を貫かれ、串刺しにされたままで喉を鳴らしている。

「え……?」
「貴様の阿呆さは底なしだな、無能娘が。
 バケモノなりに情でも湧いたか? 敵を殺すと決めたなら、胸ではなく首を刎ねろよ」

 確かに心臓を破った筈なのに、何故寂句が生きている?
 疑問の答えを知る前に、祓葉はその腕を掴まれていた。
 奇しくもそれは、さっきアンタレスが彼女にされたのと同じ光景だった。

「無能どもの多くに共通する特徴だが、視野が狭い。
 せっかく情報を得ても、それを多面的な角度から考察する勤勉さを持ち合わせない。
 何を呆けている、祓葉。貴様とその相棒のことを言っているのだぞ?」
「……はは。ごめんね、知ってると思うけど私って頭悪くてさ。
 どういう意味なのか、バカにも分かるように説明してもらってもいいかな」
「貴様は私の魔術を、前回の経験で知っていた。
 加えて先程もその身で受けた。つまり、気付く機会は明確に二度あったわけだ」

 蛇杖堂寂句の有する攻撃魔術――名を〈呪詛の肉腫〉。
 かつて彼が診断した希少症例、"魔力に触れて突然変異した肉腫"を参考に開発した治癒の反転。
 手で触れ、掴んだ部位に腫瘍を発生させ、接触時間に応じて増悪させる。
 
「少しは頭を使えよ。自分自身には使えないなどとは、私は一言も言っていないぞ」

 寂句はアンタレスの機転で地に降りるなり、まず己の胸元に五指をねじ込んだ。
 その上で体内に肉腫を生成。発生させた腫瘍で押し退けることにより、心臓の位置を元ある場所からズラしていたのだ。
 いま光剣の貫いている位置に、彼の心臓など存在しない。
 それでも主要な血管が何本か焼き切られてはいたが、その程度なら寂句は瞬時に治癒できる。致命傷と呼ぶには程遠い。

「そんな、コト――思いついてもやる、普通……?!」

 もし祓葉の狙いがわずかでも狂っていたら?
 突きではなく、単純に割断されていたら?
 そんな"もしも"、寂句は微塵だって考慮していない。

「貴様が狂わせたのだろうがよ」

 なぜなら、彼もまた狂人だから。
 死など恐ろしくも何ともないし、失敗の危険など足を止める理由にならない。

 寂句の腕に力が籠もり、再び祓葉の身体に肉腫が萌芽する。
 老人の口が、ニタリと邪悪な形に歪んだ。 


「共に踊ろう、我が最愛の畏怖よ。
 ――――最高速度(トップスピード)だ」

677心という名の不可解(中編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:17:54 ID:FWuHOWGU0


 無意識制御(Cerebellum alter)―――雷光速(over neulo accel)。

 いま薪木となるエモーション。
 脳が弾け不可逆に損傷する、全身の血管と筋肉が弾けて体表から皮下組織の花が咲く。
 正真正銘の最高速度、究極の加速と共に廻る魔術回路。
 祓葉の身体は、一秒を待たずして再び原型を失った。

「っ、あ、ああああああああああああああああああああ!!??」

 肉腫は魔獣のあぎとのように彼女の体内を噛み潰していく。
 内臓は全損し、脳は圧潰。骨も筋肉もすべてが肉腫の密度に圧されて搾り滓と化す。
 それでも祓葉は死なないだろうし、じきにさっき見せた"新生"が来る。

「く、ろ、の――――」

 どんな速度で肉塊に変えても意味はない。
 神寂祓葉は、この世の誰にも殺せない。
 不滅の神。悍ましき白光。
 されど。

 ――蛇杖堂寂句は最初から、神寂祓葉を殺すことなど目指していない。

「今だ」

 彼の腕がようやく、祓葉の手を離す。
 刹那、先程の焼き直しのように、その拳が肉塊の胸部に埋まった。
 達人も裸足で逃げ出す練度で磨き上げられた、傲慢なる暴君の鉄拳。
 それが肉腫の層を貫き、そして、彼女の不死の根源へとうとう触れた。

 永久機関――『時計じかけの歯車機構』。
 〈古びた懐中時計〉そのままの形をした時計細工が体外へと押し出される。
 今度は間に合った。祓葉の新生が発動する前に、寂句は彼女の心臓を露出させることに成功した。

 結論から言うと、成功したところで意味はない。
 祓葉は永久機関の最高適合者。
 オルフィレウスの時計と彼女は魂レベルでの融合を果たしており、引き離したところで問題なく再生は続行され、時計も体内に戻っていくだろう。
 意味はない。そう、意味はないのだ。

678心という名の不可解(中編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:18:48 ID:FWuHOWGU0


「――――――撃ち抜け、ランサー!」


 増長した生命体を死以外の手段でこの世から放逐できる、そんな協力者(パートナー)でもいない限りは。


「マスター・ジャック」


 声が響く。
 ごぼりと、肺に血が溜まっていることを窺わせるものではあったが、確かにその声は戦場に響いた。
 闇を切り裂くのは、何も光だけの特権に非ず。
 

「その命令――――――受領いたしました……!」


 赤き甲冑が、それを纏った蠍が、主君に倣う最高速度で躍り出た。
 甲冑は溶け、砕け、傷だらけ。
 神剣を浴びた代償は決して安くない。
 だとしても彼女は確かにそこにいて、この赤に染まった夜の中で尚燦然と輝く紅を体現していた。

「…………かりばぁあああああああああああッ!」

 祓葉の肉体が弾ける。
 光に包まれ、寂句さえもがそれに呑まれる。
 
 だが、時計はまだ空にあった。
 肉体の爆散と、その再生の間にはわずかなれど時間がある。
 ならば成し遂げられない理由はない。
 いいや、あっても当機構がねじ伏せてみせる。

(届くか? ……いいや、届かせてみせる――!)

 アンタレスが、静謐をかなぐり捨てて駆けていた。
 赤槍と時計(しんぞう)の距離が、瞬く間に縮まっていき。
 そして……


「…………英雄よ(アステリズム)、天に昇れ(メーカー)ぁぁぁぁッ!!!」


 確かに蠍の毒針は、神の心臓に触れた。



◇◇

679心という名の不可解(中編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:19:22 ID:FWuHOWGU0



 〈はじまりの聖杯戦争〉にて、蛇杖堂寂句は台風の目のひとつだった。東京を襲ったその台風は多眼であった。

 都市を弄ぶ傭兵ノクト・サムスタンプ。
 神をも恐れぬ爆弾魔ガーンドレッド家。
 その二陣営と並んで恐れられるだけの武力を、寂句は単独にして有していた。

 ギリシャ神話に伝わる"大賢者"。
 数多の英雄を門下に有し、自身も最高位の技量を持つ最強クラスのサーヴァント。
 真名ケイローン。
 彼と寂句が組んだことで生まれたのは、ただでさえ無双の賢老だった寂句がケイローンとの議論を糧に日を追うごと強化されていくという悪夢だ。

 軍略までもを生業に加えた寂句が、星を穿つ究極の弓兵を従えるのだ。
 勝てる理由がない。そも、それと張り合える陣営が複数存在していたことがおかしい。
 もしこれが普通の聖杯戦争だったなら、間違いなく彼らの勝利で早々に決着していただろう。

『禍津の星よ、粛清は既に訪れた』

 "その時"、神寂祓葉の脅威性を正確に認識していたのはまだ全員でなかった。
 散っていった者。生き永らえ、彼女の破格さを目の当たりにしたもの。
 ケイローンは後者だった。文字通り星を穿つために、彼の宝具は開帳された。

『星と共に散るがいい――――"天蠍一射(アンタレス・スナイプ)"』

 弓からではなく、星から放たれる流星の一撃。
 瞬足の大英雄でさえ逃げ遂せることの叶わない、最速必殺の究極矢。

 当然、避けられる筈もない。
 迎撃することも無論不可能。
 祓葉は撃ち抜かれ、地に伏した。

『貴様は横槍に備えろ、アーチャー。祓葉(ヤツ)は私が摘む』
『ええ、お願いします。ですが――我が友よ、くれぐれもお気をつけて。
 祓葉……あの少女は私をして、未知と呼ぶ他ない危険な存在です。
 何が起きるかわかりません。あらゆる事態を想定してください』
『言われるまでもない。獣は死に際が最も恐ろしい』

 唯一、朋友(とも)との呼称を否定しないほど優れた英雄に背を向けて。
 寂句は、倒れ伏して動かない白い少女へ歩を進めた。

680心という名の不可解(中編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:20:16 ID:FWuHOWGU0

 思えば、その存在は最初期から認識していた。
 楪依里朱が見つけてきた、不運にも巻き込まれた少女。
 オルフィレウスの永久機関などという絵空事を寄る辺に戦う、無知で蒙昧な娘。
 だが、やはりさしたる興味はなかった。
 むしろ寂句は彼女よりも、その心臓に埋め込まれた永久機関(ペースメーカー)の方に関心を抱いていたほどだ。

 されどそれも、長い観測の末に実用に値せぬと判断した。
 であれば惜しくはないし、恐れることもない。
 完全に適合を果たせば脅威だが、こうしてそうなる前に潰すことができた。
 後はとどめを刺すだけ。それで、永久機関を宿した少女の猛威は永遠に失われる。

『無能め。だが同情するぞ、神寂祓葉。
 過ぎた力を与えられ、幼稚な万能感のままに成功体験を積み重ねてしまった哀れな娘』

 死んでいるならそれでよし。
 まだ生きているなら、念入りに踏み躙るまで。
 単なる確認作業だ。勝利はすでに確定している。

『恨むなら貴様の相棒を恨め。
 恨まぬというなら安心しろ。すぐに冥土で再会できるだろうよ』

 足を止める。
 そして見下ろす。
 そこにあるのは、倒れ臥して動かず、か細い呼吸を繰り返すばかりの少女の姿。

『……、……』

 胸元が上下している。
 わずかだが、まだ生命が身体に残っている。
 ならば終わらせてやるまで。その筈だった。
 なのにその時。もはや記憶の屑籠に放り込んだ筈の、いつかのことを思い出した。


 "はじめまして。不躾な訪問ごめんなさい、ジャクク・ジャジョードー。
 正面からアポを取ったんじゃ絶対会ってくれないって聞いたので、勇気出してアポなしで来ちゃいました"


 思い返せば、実によく似ていた。
 人懐っこくて、物怖じしない。
 無能かと思えば、妙なところで芯を食ったことを言う。
 何度振り払っても懲りずに、喧しく囀りながら寄ってくる。
 いつも笑っている。嬉しいときも、悔しいときも、悲しいときも。
 自分の死を前にしてすら、切なげに笑ってみせる。

『――――――――――――オリヴィア』

 気付けば、呟いていた。
 眠る"それ"の顔が、記憶の中にしかいない"あれ"のと重なった。

681心という名の不可解(中編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:21:20 ID:FWuHOWGU0



 初めて訪ねてきた時は正気を疑った。
 二度目は辟易した。五度を超えた辺りから風物詩になった。
 いつしか袖にするのを諦め、挑まれる対話に応じるようになっていた。
 吐露される疑問に意見を返し、その度議論を交わしてきた。
 納得いかない時はできるまでめげずに噛み付いてきた。
 実力で蹴り出すことなどいつだって可能だったのに、自分でも気付かない内に選択肢そのものが消えていた。

 蛇杖堂寂句にとって、心とは理解の及ばぬ不可解だ。
 すべてを理屈と、それを参照した合理で判断する彼には、いつだってヒトの心が分からなかった。
 なまじ自分の中にはそう呼べるものがなかったから、他者の心に阿るという道は存在しない。

 彼には心がなかった。
 有象無象の無能どもが恥ずかしげもなくひけらかす情動を、彼は知らずに生きてきた。
 例外はただの一度だけ。オリヴィア・アルロニカの死を聞いた日、書斎で『偽りの霊薬』が収まった瓶を見たその日だけ。


 ――もしも。
 ――あの時。
 ――これを使っていたなら、あの女は今も書斎(ここ)で煩く囀っていただろうか。
 ――私は。
 ――オリヴィア・アルロニカを、救えたのだろうか。


 蛇杖堂寂句は不合理を許さない。
 だからその感情を放逐し、忘れ去った。
 だが因果とは巡るもの。報せとは応えるもの。

 この時彼の目の前には、ひとつの〈未練〉が転がっていた。


.

682心という名の不可解(中編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:22:16 ID:FWuHOWGU0


『……クク』

 似ている。
 本当に、よく似ていた。

『すまんな、ケイローン。貴様が正しかった。なるほど確かに祓葉(これ)は、地上にあるべきでない怪物だ』

 失って初めて気付き。
 故に忘れた、生涯初めての"後悔"。
 それを思い出させ、すでに確定した結末をねじ曲げたこの白色が、怪物でなくて何だというのか。

 ああ、吐き気がするほど恐ろしい。
 這いずって、恥も外聞もなく逃げ出してしまいたい。
 なのに心は歓喜に震え、眼輪筋が痙攣している。

『いいだろう。今回は私の負けだ』

 気付けば手が、懐から虎の子の家宝を取り出していた。
 『偽りの霊薬』。
 そこに命が残っているならば、いかなる病みもたちまちに癒してしまう叡智の結晶。
 あの日自分が差し出せなかった、最大の〈未練〉。

『貴様はこの戦争を制するだろう。
 そうして聖杯を手にした貴様が何をするのか、私には想像がつく。
 私は甦り、貴様の舞台を彩る走狗として恥を晒し続けるのだろうな。
 まったくもって、笑い出したいほどに最悪だ。"おまえ達"は、いつも人の都合などお構いなしだ』

 コルク栓を抜き。
 中身を、目の前の瀕死体に向けて傾ける。
 淡く輝く液体が、祓葉/オリヴィアに注がれていく。

 それは自分の詰みを意味していたが、止める理性は働かなかった。
 きっとこの時、蛇杖堂寂句の魂は真に灼かれたのだろう。

『私の脳髄はいつだって合理的だ。
 未練(こ)の不具合は忘却の彼方に葬り、貴様を葬るために有用な狂気を被るのだろう。
 さしずめ、そうだな――〈畏怖〉といったところか。ちょうどいい。喜べよイリス、〈未練〉はお前に譲ってやる』

 瓶の中身が、すべて注がれた。
 白い少女の、閉ざされていた瞼が開く。
 右手に握られる、網膜を灼くように眩い〈光の剣〉。
 それが、彼の末路を端的に示していた。

『だが忘れるな。私は、決して敗けん』

 祓葉が立ち上がる。
 記憶の中の彼女と、その微笑みが重なる。

『貴様がいちばん、それを知っているだろう。
 私は誰より私の頭脳と、重ねてきた月日の値打ちを信じている』

 剣が、振り上げられた。
 死が目前にある。ケイローンであろうともはや間に合うまい。
 だが、恐れはなかった。
 あの時の彼女はこんな気持ちだったのかと、思った。

『あの世で見ておけ、愛弟子(オリヴィア)よ。貴様の師は神をも挫く男であると、遅い餞別を魅せてやる』

 そうして訪れた、最後の一瞬。
 助けてしまった少女は、後に神となる極星は、さびしそうに微笑んで――


『さようなら、ジャック先生』


 愛弟子と同じ科白を吐いて、壊れた暴君を終わらせた。



◇◇

683心という名の不可解(中編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:23:22 ID:FWuHOWGU0



 一瞬、意識が飛んでいた。
 瞼を開き、己のあまりの有様に苦笑する。

「……これでまだ生きているとはな。私も他人のことは言えんようだ」

 左の視界がない。
 それもその筈だ、寂句の左半身は完全に焼け焦げていた。
 仮に余人が見たなら、焼死体が歩いていると絶叫されても不思議ではないだろう。
 そんな有様で、寂句はなんとか生を繋いでいる。
 充填の浅い神剣ならば、平均的な英霊級の強度を持っていれば死寸前の致命傷程度で済む可能性もあるらしい。
 
 などと新たな知識を補充しながら、寂句は視界の先にその光景を捉えた。
 それは――無慈悲なる現実であり、神々しい奇跡そのものだった。

 結論から言おう。
 蛇杖堂寂句と天蠍アンタレスは、神寂祓葉を天昇させることなどできなかった。

「な、ぜ……」

 這い蹲って、アンタレスは絶望の表情でそれを見上げている。
 神は再生していた。時計は再び心臓へ収まり、世界からの放逐が始まっている気配もない。
 平時のままの微笑を携えて、神寂祓葉は天蠍の少女を見下ろしている。
 無傷。肉腫はすべて吹き飛び、血の一滴も流すことなく、再臨した神はそこにいた。

 アンタレスの問いに、祓葉は何も答えない。
 その無言が却って、彼女の神聖を引き立てて見える。
 断じて毒を食らわされた者の顔ではなかった。
 彼女の涼やかな健在が、寂句達の奮戦がすべて無駄だったことを静かに、そして無情に物語る。

「……なぜ……っ」

 鉄面皮こそが天蠍の在り方だ。
 なぜなら彼女はガイアの尖兵、粛清機構。
 そこに感情があれば贅肉となるし、だからこそ彼女はその手の余白を生まれながらに排されていた。

 そんなアンタレスの顔はしかし、今だけは無感とは程遠かった。
 失意と無力感。絶望と憤怒。交々の感情が、やるせなさでコーティングされて美顔に貼り付いている。

「なぜ、まだ、此処にいるのですか……!」
「ごめんね。私、そういうのは卒業してるんだ」

 祓葉がようやく返した答えは、しかしすべての答えだ。
 彼らの計画は、そのスタート地点からして失敗していたのだ。
 奇しくもそれは、覚明ゲンジが到達したのと同じ結論。
 最初からこの戦いに意味などなかった。
 自分達は勝手に、届きもしない星の光に焦がれて、夜空を舞う虫螻の如く踊っていただけ。

「私の勝ちだよ、ジャック先生。そしてランサー。
 遊んでくれてありがとね。ゲンジもあなた達も、とっても楽しく私を満たしてくれた。
 だから、さようなら」

 神のギロチンが静かに掲げられる。
 アンタレスはその現実を受け入れられず、気付けば槍を振るっていた。
 確定した結末を拒む、惨めで無様な幼子の駄々。
 不格好な赤槍が、この夜で最も情けなく煌めいた。



◇◇

684心という名の不可解(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:24:10 ID:FWuHOWGU0



 天蠍アンタレスの宝具、『英雄よ天に昇れ』。
 それは地上に在るべきでない存在を、その外側へ放逐する粛清宝具。
 
 彼女を召喚したのは蛇杖堂寂句だが、人選したのはこの惑星そのものだ。
 神寂祓葉は、もはや、地上にあり続けるべき存在ではない。
 ガイアの意思、抑止力の決定で以って、天の蠍は再び現世に遣わされた。
 そしてその段階から、この結末は決まっていたのだ。

「愚かしいな蛇杖堂寂句。おまえともあろう者が、まさか彼女の根源すら見誤っているとは思わなかったぞ」

 神寂祓葉は理の否定者である。
 生まれつき、抑止力の介入を受け付けない。

 抑止の邪魔を受けずに二度目の聖杯戦争を開き、やりたい放題ができている時点でそれは推察できて然るべき事柄だった。
 あらゆる魔術師が一度は抱く"抑止力からの脱却"という夢物語を、祓葉は産声をあげた瞬間から達成していた。
 止められない故に際限がない。裁かれない故に自然体のまま奇跡を起こす。
 そんな怪物を放逐するために、蛇杖堂寂句は抑止力の尖兵を起用させられてしまった。
 その上で彼自身も、これこそ祓葉天昇に必要な力であると信じてしまった。
 惑星の失策、寂句の失策、天蠍の失策。三種の失策が折り重なって、彼らは最後の最後で最大の絶望を味わう羽目になったのだ。

「おまえは間違いなく、〈はじまり〉の屑星どもの中で最も危険視すべき器だった。
 今となっては恥ずべきことだが、このボクもおまえには警戒を寄せていたよ。
 しかしすべては杞憂だった。論外だ、おまえに比べればイリスやアギリの方が余程見どころがある」

 オルフィレウスの嘲笑が、彼だけの天空工房で静かに響く。
 されど反論の余地はない。
 寂句の失態は明らかなもので、その戦いは今となっては道化以外の何物でもなかったから。

「抑止などという古き法が、最新の神たる祓葉に通じると思うな。
 英雄は天に昇らず、神は永久に地上に在り続ける。
 それが真理だ。それが新たなる法だ。弁えろ、端役どもが」

 愚かなり蛇杖堂寂句。
 愚かなり天の蠍。
 神寂祓葉は誰にも止められない至高の星だ。
 再認するまでもない絶対の答えを論拠として、深奥の獣が彼のお株を奪う傲慢な勝利宣言を謳う。

「――おまえこそ真の無能だ、ドクター・ジャック。先に地獄へ行き、無限時計楽土の完成を見るがいい」

 その声は、誰にも届くことはない。
 獣は針音都市にあって、常に隔絶されている。
 彼が自ずから舞台に干渉しない限り、誰もオルフィレウスの真意を解し得ない。

 そう、その筈だった。
 だからこれはただの偶然、単なる噛み合いに過ぎない。


『感謝するぞオルフィレウス、星の開拓者になり損なった無能の極み。貴様のおかげで、我が本懐は遂げられた』


 地を這う狂人の言葉が、奇しくも時を同じくして、天上の造物主を無能と嗤ったのは。



◇◇

685心という名の不可解(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:24:58 ID:FWuHOWGU0



 振るわれた赤槍が、祓葉の左腕をもぎ取った。
 光剣を握っている方の腕ですらなく、よってこれは確定した結末を遠ざける役目すら果たせない"空振り"だ。
 祓葉を殺すどころか、その微笑を崩すこともできない。
 なんたる無様。まだ静かに敗北を受け入れて消える方が英霊の沽券は保てただろう。
 どうせ誰も祓葉には勝てないのだから、いかにして去り際に美を魅せるかを希求した方が余程いい。
 そんな嘲笑が聞こえてきそうな光景だった。
 そうして祓葉の光剣は、哀れな天蠍の首を刈り取らんとして……

「……、……あれ?」

 その途中で、突如停止する。
 疑問符を浮かべたのは祓葉だけでなく、アンタレスも同じだった。
 悪あがきの自覚はあった。だからこそ、光剣が落ちてこず空中で止まった理由に見当がつかない。

「え? え? あれ、なんで……」

 答え合わせは、他ならぬ祓葉の肉体が示している。
 アンタレスの"悪あがき"で切り飛ばされた左腕。
 そこが、数秒の時間を経てもまだ再生していないのだ。

 いや、正確には再生自体はちゃんと行われている。
 問題はその速度だ。
 明らかに遅い。元のと比べれば、見る影もないと言っていいほど遅い。

「――まさか」

 アンタレスは知らず、呟いていた。
 思っていた形とは違う、しかしそうとしか考えられない。

「効いて、いる……?」

 『英雄よ天に昇れ』は、神寂祓葉に効いている。
 即時の天昇も、運命と偶然による間接的殺害も起こっていない。
 が、だとしても明らかな異変が祓葉の玉体を揺るがしているのは確かだった。
 祓葉は腹芸を不得手とする。そんな彼女が動揺し、狼狽にも似た反応を見せているのだ。
 白き神は嘘を吐けない。純真無垢を地で行く彼女だからこそ、超絶の難易度を超えて刻まれた不測の事態を自らの顔で認めてしまう。

「ッ――!」
「っ、わ、わわわ……!」

 次の瞬間、アンタレスは疲弊した身体に鞭打って攻撃へ転じていた。

686心という名の不可解(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:25:59 ID:FWuHOWGU0
 それに対する祓葉の迎撃は、先程までに比べあからさまに鈍い。
 元々の稚拙さが、動揺のせいでより酷い有様になっている。
 天蠍ごときの攻勢に防戦一方な時点で動かぬ証拠だ。ガードをすり抜けた穂先が彼女の頬を裂いたが、その傷もやはり、瞬時には再生しなかった。

「ちょ、待っ……な、何!? 急に、こんな……!」

 祓葉は、自分の体質を正確に自覚などしていない。
 だがそれでも、何かありえない事態が自分を見舞っていることは理解できていた。
 これまで不滅を前提として暴れてきた彼女だからこそ、そこに楔を打たれた動揺は凄まじい。
 一転攻勢と呼ぶに相応しい潮目の変化を前に、暴君はひとり破顔する。

「――ク。クク、ククク……くは、ははは、はははははははははは……!!!」

 九十年の人生の中で、かつて一度でも彼がこうも抱腹した日があったろうか。
 寂句は笑っていたし、嗤っていた。
 大義を遂げた者特有の凄まじい高揚感が彼にそうさせる。

「感謝するぞオルフィレウス、星の開拓者になり損なった無能の極み。貴様のおかげで、我が本懐は遂げられた」

 神寂祓葉は理の否定者である。
 生まれつき、抑止力の介入を受け付けない。
 故に『英雄よ天に昇れ』では、どうあっても彼女を滅ぼすことは不可能だった。
 オルフィレウスは、おまえはそんなことにすら気付いていなかったのかと嘲ったが――愚問である。

 気付いていないわけがない。
 彼は暴君、蛇杖堂寂句なのだ。

「最初から、祓葉に対し打ち込むつもりはなかった。
 その心臓、不死の根源――"おまえ"が授けた永久機関を狙い撃つつもりだったのだ」

 アンタレスが寂句に課されていた条件とはそれだ。
 祓葉ではなく、彼女の心臓/永久機関に対して『英雄よ天に昇れ』を投与する。
 祓葉は明らかに抑止力の支配下から解脱している。
 なればこそ付け入る隙はそこしかないと考え、プランを練っていた。

「だが懸念はあった。それは覚明ゲンジとおまえ達の戦闘で現実のものとなった。
 永久機関は祓葉と高度に融合しており、仮に時計だけを狙ったとして、そこに対しても祓葉の体質が適用されるのではないかという懸念だ。
 正直、もしそうであったらお手上げだったよ。しかし覚明ゲンジが、その岩壁をこじ開けてくれた」

 祓葉の体質、抑止力の否定が心臓たる永久機関にさえ及ぶのならばもはや打つ手はない。
 実際そうであったわけだが、その袋小路を破壊したのは覚明ゲンジであった。
 彼のサーヴァント、ホモ・ネアンデルターレンシスの宝具はあまねく科学を滅ぼし、且つ抑止力に依らない破滅のカタチを備えていたからだ。

「原人の宝具は、祓葉を滅ぼせるモノだった。
 だからおまえは堪らず天の高みから介入を決断したわけだ。
 獣の権能を以って原人どもの呪いを跳ね除け、祓葉を救った。いや、"救ってしまった"」

 そうして、覚明ゲンジは敗れた。
 だが彼を下すためにオルフィレウスが取った行動が、巡り巡って寂句を救う。
 不可能と確定していた手術計画が、他でもない敵の親玉のおかげで可能に変わった。
 なぜなら、人類悪たるオルフィレウスが手ずから介入してしまったから。
 祓葉の内臓のひとつと化していた永久機関に、獣の権能という形で己の色を付け足してしまったから。

「神の心臓は、獣として成立する前のおまえが埋め込んだものだ。
 そこに今のおまえの、その醜穢な獣臭が付け足された。
 最後だから種を明かしてやろう。私の助手(ランサー)の宝具は、今あるこの世にそぐわない超越者を放逐する猛毒だ」

 クク、と。
 寂句は今一度、それでいてこれまでで最も深く笑った。

687心という名の不可解(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:26:42 ID:FWuHOWGU0


「――人類悪(ビースト)がこの世に在っていい瞬間など、後にも先にも現在にも、一秒たりとて存在しない」


 人類悪の獣とは、ガイアにとっても無論のこと不倶戴天の敵である。
 よって条件は達成。祓葉の体質がある以上本来の薬効とまではいかないが、それでもオルフィレウスの介入した部分に関しては毒を回せる。
 そうして引き起こされたのが、この"機能不全"。
 不死性の零落。再生の遅滞、そして恐らくはそれだけではない。
 そのことは、アンタレスの猛攻を徹底的に防御している祓葉の姿勢が証明していた。
 彼女は幼稚で稚拙だが、野性的な戦闘勘は水準以上のものを持ち合わせている。
 分かるのだろう、己に死の概念が付与されたことを。
 かつて手放したそれが、戻ってきてしまったことを。

 再生が遅くなったのなら。
 命が肉体を離れる前に巻き戻すことが不可能なのは道理。
 つまり。


「喝采しろ覚明ゲンジ。噴飯しろオルフィレウス。我らの〈神殺し〉は此処に成った」


 神寂祓葉は、今後"即死"を防げない。
 それは絶対神の零落の証明として十分すぎる、最新最大の陥穽であった。

「はは、ははは、ははははははははは――――!!」

 暴君は、誰にもできない偉業を成したのだ。
 その狂気は畏怖。奥底に隠したのは未練。
 清濁を併せ呑み、恥を晒すことを許した傲慢の罪人は遂に神を穢した。
 響く哄笑は積年の鬱屈をすべて発散するが如し。
 たとえ死に体であろうと、彼の悦びを止められる者はどこにもない。













「ああ、本当によくやってくれたよ蛇杖堂寂句。
 俺としてもあんたが最強で異論はない。
 だから歓喜のまま、ここで死んでくれ」

 そんな老人の胸から、彼のものでも、神のものでもない腕が生えていた。
 溢れ出す鮮血、零れ落ちる喀血。
 祓葉の二の轍は踏まず、位置のずれた心臓を刺し貫いて。

 ――かつて寂句と並び最大の脅威の一角と称された、〈非情の数式(ノクト・サムスタンプ)〉がそこにいた。



◇◇

688心という名の不可解(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:27:24 ID:FWuHOWGU0



 時刻は、神寂祓葉の零落と蛇杖堂寂句の死の少し前に遡る。

 
「夢幻の如く面妖に揺れ動きおって。貴様、よもやウートガルズの王が遣わした尖兵か。
 あぁおぉ許せぬ、何故吾輩を解放せぬのだヴァルハラの愚神ヴェラチュール。
 我が奔放を許さぬならば疾く死ね神話よ、帝国の威光を貴様らに見せてやる」
「……話長ェーよ、ボケ老人が……」


 〈脱出王〉ハリー・フーディーニのサーヴァント、〈第五生〉のハリー・フーディーニ。
 彼の出現は、ノクト・サムスタンプの計画を大いに狂わせた。
 強すぎる。たかが手品師が示せる力量ではない。
 まったく強そうには見えないし、実際やっているのはスラグ弾の射出という分かりやすい攻撃だけであるというのに、ノクトは焦燥させられている。

(クソ面倒臭ぇ。逃げの技術を殺しに転用するのはいいとして、このジジイそれを究極まで極め切ってやがる)

 英霊ハリー・フーディーニは九生にて成る。
 その中でも、戦闘能力にかけて第五生の右に出る者はいない。
 理性を犠牲に、あらゆる殺人技術をスラグ弾の射撃で体現するリーサルウェポン。
 スカディを相手に一時とはいえ互角を誇った通り、彼の力量は神話の領域に到達して余りある。
 夜のノクト・サムスタンプは確かに怪物だが、それでも手に余る相手がこの痴呆英雄だった。
 
「ヘイヘイどしたのよノクト。まだ〈脱出王〉はぜんぜん健在だぜ?」
「黙ってろよおんぶに抱っこのオカマ野郎。血ィ吐きながら言われても説得力ねえぞ」

 ソレに加えて、敵陣には〈脱出王〉、狂気に冒されたハリー・フーディーニもいるのだ。
 あちらは満身創痍。それに比べれば未だノクトは無傷に等しい。
 スラグ弾の銃撃のみでしか攻めてこない手数の少なさは、敏捷性に優れる夜の彼にとっては多少やりやすい。

(とはいえ、どうしたもんかね。
 〈脱出王〉が半グレどもの戦場に直接介入できなくしただけで御の字として損切りするべきか、もう少し試行回数を増やしてみるべきか……)

 〈脱出王〉は涼しい顔をしてはいるが、苦悶が隠せていない。
 少なくとも当分の間、彼女が前線であれこれ飛び回るのは不可能と見ていいだろう。
 できるならここで排除し、彼女の死を以って均衡を壊したかったが……保護者が来てしまった以上は深追いするだけ不利になる。

689心という名の不可解(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:28:23 ID:FWuHOWGU0

(どうも、厄介なヤマに首を突っ込んじまったみてえだな……失策だ。
 悪国征蹂郎のライダーをどこかで掠め取る算段だったが、そっちも雲行きが怪しくなってきやがった)

 赤い空は、ノクト達が戦うその頭上にも例外なく広がっていた。
 これがレッドライダーによる影響なことは明らかだし、だとするなら赤騎士は既に制御不能に陥っている可能性が高い。
 港区で祓葉と戦ったと聞いた時から懸念していた事態が現実のものになった。
 狂わされた戦争の騎士は走狗の枠を超え、この世界の終末装置に化けてしまった。

(放射能の塊をぶん取ったって仕方ねえ。やれやれ、貧乏くじを引かされたと諦めるしかなさそうだな)

 いっそ〈脱出王〉打倒に全霊を尽くし、煌星満天のキャスターに嫌味言われるのを承知でロミオを呼び戻すか?

 ノクトは考える。
 彼は策士であり、それ以前に職業傭兵だ。
 少なくないリソースを費やして臨んだ以上、得るものなしで帰るのは絶対に御免だった。
 落ち武者狩りで生存者の頭数を減らすのも悪くはないが、いささか物足りないのは否めない。
 さて、どうするか。思索する鼓膜を、サイレンの音が叩いた。
 かなりの音量だ。新宿を見舞う惨事の鎮圧に警察組織が動くのは当然だったが、夜に親しんだその聴覚は単なるサイレンの音色からさえも無数の情報を読み取れる。

 ドップラー効果の影響を受け始めるまでの秒数がやたらと速い。
 時速120kmを超える速度で走っていなければおかしい計算だ。
 緊急事態とはいえ、公道を無数のパトカーがそんな速度で走るだろうか?

 何かが起きている。
 そこまで考えて、ノクトは喉に小骨がつっかえたような違和感を抱いた。

(――――妙に引っかかるな。俺は何か見落としてるか?)

 警察までもが〈喚戦〉にあてられていると考えれば、まあ想定の範囲内を出ない話だ。
 しかしノクトは理屈ではない、ある種本能的な違和感を感じていた。

「なあ、〈脱出王〉よ。これは煽りでも心理戦でもないただの疑問なんだが」
「ん。どうしたんだい、らしくもない。君が私に質問をぶつけるなんて」
「お前、なんか知ってるよな?」

 〈脱出王〉は答えなかった。
 なんのことだか、とばかりに両手をひらひらと掲げてみせる。
 その反応を見て、ノクト・サムスタンプは確信する。
 自分は何かを見落としている。気付かねばならない、知らねばならない何かを。

690心という名の不可解(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:29:05 ID:FWuHOWGU0

 漏らすはため息。
 次の瞬間、ノクトは地を蹴って大きく跳躍した。
 ただし〈脱出王〉の方に向けてではない。
 むしろ彼女に対し背中を向けて、虎は夜の彼方へと消えていく。

「あー、追わなくていいよ。どうせ追い付けないしね」

 咄嗟にショットガンを掲げた第五生に、〈脱出王〉はそう言う。

「私がこのザマな時点で分かるだろうけど、夜のノクトは只者じゃないんだ。
 正々堂々戦えばもちろん君が強いよ? けどバカみたいなスペックに嫌らしい悪意を織り交ぜてくるのが夜のあいつなわけ。
 せっかく見逃してもらえたんだし、ここは大人しく行かせてあげようよ」
「……………………」
「それに」

 実際に戦ったのは初めてだが、正直言って死を覚悟させられた。
 たぶん内臓が潰れているので、開腹して縫合する必要があるだろう。
 医術に優れているのは何生のハリーだったかと考えながら、〈脱出王〉は仇敵の去った方角を見据えにんまりと破顔した。

「どうもその方が面白そうだ。予想だにしない未知が見られるかもしれないよ、楽しみだねぇ」
「……未知……。それにその意味深長な物言い……。貴様、よもやヴァルハラの追手に取って代わられているのか? であれば度し難い。実に度し難いぞ第二生よ。フーディーニの魂の螺旋をあのような穢らわしい神族に売り渡すとは。説教をくれてやるから首を出せ。撃ち抜いてくれる」
「あーはいはい、おじいちゃんご飯はさっき食べたでしょ。
 ていうかあの、そろそろ九生の私に戻ってくれない? それか医者の私を呼んでくれると嬉しいんだけど。
 たぶんこれ肝臓かどっか潰れてるんよね、実はめちゃくちゃ死にそうなんだよ私」

 無論――。
 ノクトも、〈脱出王〉も、既に気付いている。
 この新宿に自分達の神が顕れ、恐らくもう事を始めていると。
 夜と同調しあらゆる力を底上げされているノクトならば、正確な位置を特定するのも難しくはないだろう。

 さて、彼はそこに向かい、何をするつもりなのか?
 
 考えただけで、〈脱出王〉は高揚が止まらなかった。
 自分も案外、祓葉と似た者同士なのかもしれない。
 そう思いながら糸が切れたように座り込み、だぼー……とバケツをひっくり返したみたいな量の血を吐く。
 あまりスマートな幕切れとはいかなかったが、斯くしてハリー・フーディーニは虎の巣穴から脱出を果たせたのであった。



◇◇

691心という名の不可解(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:29:53 ID:FWuHOWGU0



「悪いな、爺さん。
 正直俺は、あんたは勝手に自滅するもんだと思ってた。
 真っ先に祓葉に挑んで、何も成すことなく光剣の露と消える。
 だからそれまでせいぜい利用してやろうって腹であんたに接触し、協力関係を取り付けたんだわ」

 ぐじゅり、ぐじゅりと、突き刺した腕を回して傷口を押し広げる。
 手刀は心臓を一突きにしているので、その動きに合わせて穴の空いたそれがひしゃげた。
 蛇杖堂寂句は超人である。急所を貫いたとしても、最後まで油断するべきではない。

「あんたの狂気は読みやすかった。
 あんたは明らかに祓葉を畏れていて、だからこそ誰より先に事を起こすと分かってたよ。
 怖ろしいものを怖ろしいままにしておけるタイプじゃない。むしろ手ずから排除しなきゃ気が済まない手合いだろ、あんたは」

 ――ノクト・サムスタンプは、蛇杖堂寂句の末路を彼に接触したあの瞬間から予見していた。
 卓越した人心把握能力。暴君は並々ならぬ怪物であったが、サムスタンプの傭兵の慧眼はそれをも超える。
 
 蛇杖堂寂句は、"死へのはばたき"だ。
 狂気の実験が生んだ哀れな一匹の蛾だ。
 光に向かうしかないのは〈はじまりの六人〉共通の原罪だが、彼の狂気は最も破滅的である。
 
 誰より祓葉を畏れているからこそ、彼女に挑まずにはいられない矛盾。
 そして神寂祓葉を倒せる人間など存在しないのは自明であり、よって寂句の死は最初から確定している。
 その上で利用し、死にゆく老人から出る搾り汁を多少啜れば御の字。
 それがノクトの魂胆だったわけだが、実際起こった事態は彼の予想を遥かに超えていた。
 結局のところノクト・サムスタンプすらも、蛇杖堂寂句という男の本気を見誤っていたのだ。

「だからこそ、腰が抜けるほど驚いたよ。
 こんな真似しといてなんだが、同じ戦場で戦ったひとりとして心から敬意を示したい。
 あんたは最高の男だ、蛇杖堂寂句。暴君の傲慢は宇宙(ソラ)に届き、俺達の神を引きずり下ろした」

 彼を知る者は言動の一切を信用するなと口酸っぱく言うが、それでも今口にした科白は本心だった。
 確かにノクトは冷血漢だが、決して無感の機械ではない。
 神に挑み、地上に引きずり下ろした偉業は、卑劣な契約魔術師の心さえも揺るがした。

 彼がやったことは、世界の常識を変える行いに他ならない。
 不滅の神は打倒可能な存在となり、出来レースじみた遊戯に興じさせられていた演者達の全員に、神を超え戴冠するチャンスが生み出された。
 今この瞬間を境とし、聖杯戦争のセオリーは大きく変化する。
 祓葉は殺せる。滅ぼせる。箱庭の外に出られる可能性が、小数点以下の低確率だろうと確かに在る。
 ゼロとイチの間を隔てる距離は無限。
 蛇杖堂寂句は、その無限を切除したのだ。

 ――故にこそ、ノクト・サムスタンプが次に取るべき行動も自動的に決定された。

692心という名の不可解(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:30:41 ID:FWuHOWGU0

「けどなぁ。そうなると、あんたが生き延びる可能性が生まれちまうわけだ」

 今の寂句は、神殺しに挑んだ代償として誰が見ても半死半生の有様を晒している。
 だがこの老人に常人の基準は適用されない。
 半身を焼き焦がされた程度なら、摩訶不思議な薬や備えを用いて復活してくる可能性は十分にある。

「それは困るんだよ。俺はあんたが敗けて死ぬのを前提に盤面を組んでたんだ。
 神を落とした暴君が今後も好き勝手暴れ続けるとか、悪いが考えたくもねえ。
 よって無粋は承知で、こうして確実に殺しに来たってわけさ」

 己が狂気を乗り越えた寂句が仮に生き延びたなら、それはこれまでとは比にならない次元の脅威となる。
 彼に抱いた敬意は事実だ。蛇杖堂寂句、その生き様は永遠に記憶に残るだろう。

 されどそれはそれ、これはこれ。

 神殺しの英雄には、築いた栄誉を胸に永眠して貰う。
 罷り間違ってもその栄光を次に繋げさせなどしない。
 確実に殺す。確実に潰す。
 それにどんなに耳触りのいい言葉で取り繕っても、やはり心の奥に燃え盛るものはあるのだ。

「ありがとよ、ドクター・ジャック。よくぞ祓葉を堕としてくれた。
 そしてふざけるなよ、ドクター・ジャック。よくも祓葉を汚してくれたな」

 ふたつの感情をさらけ出すノクトの姿は、微塵の合理性もなく爛れていた。
 彼もまた狂人。祓葉という太陽に灼かれ、狂おしく歪められた衛星のひとつ。
 なればこそ、許せる筈がない。
 たとえその偉業が自分を助ける希望になるとしても、彼らは皆、自分以外の狂人が星を汚した事実を許せない。
 そういう意味でも、ノクトがこの行動を取るのは必定だった。
 蛇杖堂寂句は狂気の超克を遂げた瞬間から、〈はじまりの六人〉共通の不倶戴天の敵に成り果てた。
 いわばノクト・サムスタンプはこの場にいない彼ら彼女らの代弁者でもあるのだ。

「なんて言っても、もう聞こえてねえか」

 寂句は、もう完全に沈黙していた。
 神殺しの英雄は、背後からの凶手に倒れるというあっけない末路を辿った。
 無情ではあるが、結末としては妥当なところだろう。
 何故ならこの舞台の主役は祓葉。不滅が翳っても、その大前提は依然まったく変わっていない。

 むしろ、そういう意味では"厄介なことをしてくれた"と言えなくもなかった。
 祓葉は確かに不滅を失った。再生は全盛期に比べれば見るに堪えないほど遅くなり、頭部も心臓も"急所"に堕ちた。
 絶対不変の主役に終わりの概念が付与されてしまった。
 それが何を意味するのか、どういう事態を招くのか、ノクト・サムスタンプだけが理解している。

 頭が痛いし胃も痛い。
 起こってしまったルールの激動には、彼女を深く知る者にしか分からない地雷が混ざっている。
 知らずに踏み抜いてしまったが最期、足どころか全身跡形もなく消し飛ぶ核爆弾だ。
 故にノクトは狂気云々を度外視しても憂いを抱きつつ、屠った老人の骸から腕を引き抜こうとして――

693心という名の不可解(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:31:43 ID:FWuHOWGU0

「…………あ?」

 抜けない。
 そう気付いた刹那、彼の全身が総毛立った。
 
「ッ――まさか、てめえ……!?」

 思わず漏れた言葉には、不覚を悟ったが故の失意が滲んでいる。
 その声を受けて、もう二度と響かない筈の声が応えた。


「功を焦ったな、ノクト・サムスタンプ。
 つくづく今宵の私は運がいい。よもや最後の心残りが、自ら目の前に現れてくれるとは」


 ノクトは、確かに寂句の心臓を貫いた。
 寂句がいかに超人でも、祓葉でもないのだから心臓を破壊されて生き永らえられるわけがない。
 勝利を確信して気を緩めてしまった彼は責められないだろう。
 これは単に、蛇杖堂寂句の組んでいた想定が、策士のそれをすら上回ったその結果だ。

「実を言うとな、貴様に対しての備えではなかったのだ。
 祓葉との戦いが至難を極めることは予測できたからな……我が身を裂いて秘策を仕込んでいた」

 くつくつと笑う寂句に戦慄する時間も惜しい。
 ノクトの背を、本能から来る焦燥が強く焦がしていた。
 脳内で喧しく警鐘が鳴っている。
 致命的なミスを自覚した時特有の肝が凍てつくあの感覚が、契約魔術師の脳髄を苛んでいる……!

「『偽りの霊薬(フェイク・エリクサー)』。そうか、貴様に明かしたことはなかったな」

 蛇杖堂寂句が持つ、正真正銘真の切り札。
 死以外のあらゆる病みを棄却する、アスクレピオスの劣化再演。
 彼は此度の戦争に、一本だけそれを持ち込んでいたのだ。
 だが祓葉との戦いでさえ使われることはなく、なおかつどこかに隠している素振りもなかった。
 仮に忍ばせていたとしても、至近距離で祓葉の爆光を浴びた時点で容器が割れるか中身が蒸発するかしていた筈だ。

 ならば何故、暴君は今ここで、虎の子の存在を明かしたのか。

「私が志半ばに死亡した時のために。そしてもう二度と、同じ過ちを繰り返さぬように。私はそれを自身の心臓に縫い付けていた」

 『偽りの霊薬』は、常に寂句と一心同体だった。
 彼は己の身体をメスにて開き、霊薬を収めた試験管を心臓に縫合していた。

694心という名の不可解(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:32:43 ID:FWuHOWGU0

「所詮は贋作だ。死をも覆すというアスクレピオスの真作には届くべくもない代物。
 だが、心臓が停止し命が抜け落ちるまでのわずかな時間さえ逃さなければ蘇生は間に合う。
 ならば最初から心臓そのものに縫い付けておき、魔術的な仕掛けで心停止および損壊に合わせて自動で薬液が撒き散らされるようにすればいい」

 結論から言うと仕掛けは不要であった。
 ノクトが心臓を貫いた瞬間、試験管は割れ、中の霊薬は寂句の心臓にすぐさま触れた。

「簡単なトリックだよ、ノクト・サムスタンプ。
 興味本位の質問なのだが、今どんな気分なのだ?
 得意の知恵比べでさえ無能を晒すようでは、貴様など何の価値もなかろうになぁ」
「蛇杖堂、寂句……ッ!」

 瞬間、偽りの霊薬はただちに仕事を果たし始める。
 破られた心臓は再生し、祓葉の剣に灼かれた身体も、彼女のお株を奪う勢いの速度で元のカタチを取り戻していく。
 疲労はゼロに還り、寂句がこの時までに背負っていたすべての不調と異変が、神の奇跡に触れたみたいに治り続けて止まらない。

 寂句の手が、自らの胸を貫いたノクトの腕を掴んだ。
 その意味するところは、当然彼にも分かる。
 刺青の刻まれた精悍な貌が、一気にぶわりと青褪めた。

「貴様にはずいぶん煮え湯を飲まされた。
 今だから言うがな、私も私で、いつ寝首を掻こうかずっと思案していたのだ。
 このめでたい時に私怨を晴らす機会まで与えてくれて感謝が尽きんよ。
 ありがとう、ノクト・サムスタンプ。御礼にこの世で最も無様な死を贈ってやろう」
「ぐ、ォ――ッ、が、あああああああああッ……!!?」

 呪詛の肉腫が寂句の掌を起点に増殖し、ノクトに腕が圧潰していく激痛を届ける。
 漏れた絶叫は心からのそれだった。
 だが、目先の激痛などこの先に待つ最悪の事態に比べれば些事だ。

(やべえ……ッ、このままじゃ、呑まれる……!)

 寂句の扱う肉腫は、接触時間に応じてその版図を醜悪に拡大する代物だ。
 であればこの状況はまさに最悪。全身を腫瘍に食われて肉達磨と化して死ぬとなれば、確かにそれは最も無様な死に様であろう。
 判断を迷っている暇はなかった。
 ノクトは自由の利く左手を、肉腫に呑まれゆく右腕に向けて振り下ろす。

「づ――ッ、あ……! やって、くれるじゃねえか……! これだからッ、てめえは、嫌いなんだよ……!」
 
 片腕が寸断され、どうにか暴君の侵食から抜け出すことに成功する。
 しかし、勝ち誇った顔などできるわけがない。
 夜に親しむ力がどれほど強力でも、失った身体部位を補うような働きはしてくれないのだ。

 この序盤で片腕を"捨てさせられた"事実は言うまでもなく痛恨。
 睨み付けるノクトの前で、遂に心臓の風穴をも修復して振り返る寂句。
 トレードマークでもある灰色のコートは無残に焼け焦げていたが、逆に言えば陥穽と呼べる箇所はそれだけだ。
 肌には傷ひとつなく、厳しい顔面に貼り付けた表情にも苦悶の名残さえ見て取れない。
 万全な状態に復調し、回帰した蛇杖堂寂句が、暗殺を完遂するどころか癒えぬ欠損を負わされたノクトを笑覧していた。

「お互い、余白を抱えて戦うのは辛いなサムスタンプ。
 同情するぞ、本心だ。かく言う私も"それ"にはずいぶん困らされた」
「――は。先輩風吹かすんじゃねえよ、老害が……!」

 寂句の言う通り。
 もしもノクト・サムスタンプに一切の陥穽がなかったのなら、こんなミスは冒さなかっただろう。

 〈はじまり〉のノクトも、文字通りすべてを警戒していた。
 その上で判断を一切乱すことなく、常に最善手のみを打ち続けたのが前回の彼だ。
 だから寂句も手を焼いた。結果だけ見れば、ただの一度も寂句は彼を出し抜けなかった。

 しかし今のノクトは違う。
 彼もまた祓葉に殺され、精神をその輝きに灼かれている。
 付与された狂気は生来の聡明を無視して、気まぐれに肥大化して理性を圧迫する。
 寂句が祓葉を堕としたことへの激情。それが、狂わない筈の判断を誤らせた。
 蛇杖堂寂句が策を布いている可能性を考慮せず、功を急いた行動に踏み切らせた。
 片腕の欠損という痛恨の事態は、間違いなく狂気に背を押された結果のものだ。

「てめえは此処で殺す。名誉はくれてやるから、満足しながら地獄に堕ちろ」
「月並みだな、サムスタンプ。貴様ともあろう者が、出来もしないことを喚くとは……端的に失望を禁じ得んぞ」

 かくして、神の失墜を経て尚狂人たちは殺し合う。
 ノクト・サムスタンプ。〈渇望〉の狂人。
 蛇杖堂寂句。〈畏怖〉を超え、狂気を超絶した暴君。
 その激突が熾烈なものになるのは確実で、どちらが死ぬのも可笑しくない対戦カードなのは間違いなかったが……

695心という名の不可解(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:33:12 ID:FWuHOWGU0



(――とは言ったものの、此処までだな。どう考えても私に勝ち目はない)

 暴君はごく冷静に、この激突の結末を見据えていた。
 
 『偽りの霊薬』は、確かに彼が負ったすべての傷を癒やした。
 ただし、その中には彼が未来を度外視して施したドーピングの効能も含まれている。
 命をすり減らしやがて失わせるオーバードーズだったのだから当然だが、それを取り払われた寂句の戦力は数分前までとは比べるべくもない。
 それでも常人基準であれば、十分すぎるほど強靭である。
 しかし相手は"夜の"ノクト・サムスタンプ。最高峰の逃げ足を持つ〈脱出王〉をいいように圧倒し、やり方を選べばサーヴァント相手にすら応戦を可能とする正真正銘の魔人だ。
 相手が悪すぎる。どう頑張っても、自分に勝ち目はない。寂句の算盤は一切の誤差なくその結末を導き出す。

(クク。つくづく難儀なものだ、結末が分かっているのに本能が敗北を良しとしない)

 にも関わらず、寂句は目の前の凶手に勝ちを譲る気など欠片もなかった。
 それどころか必ず殺す、踏み躙るのだと祓葉と相対した時に何ら劣らない闘志がとめどなく沸き起こってくる。
 狂人を卒業しても尚、かつての同類へ抱く同族嫌悪の情は健在らしい。
 難儀だ。面倒だ。死に際ですら殺し合いの中に在らねばならないとは。

 だが――暴君は、嘆くということを知らない。

(さて、では戦いながら考えるとするか。
 本懐を遂げ、死を目前にした私が、この先の世界に何を遺せるのかを)

 死を前にしていようが、停滞(とま)ることなく考える。考え続ける。
 それが彼だ。それが蛇杖堂寂句だ。
 生きている限り、そこに彼の自我がある限り、蛇杖堂の暴君に停止はあり得ない。

 混沌は既に最終局面。
 だとしても尚、激動は止まらない。



◇◇

696心という名の不可解(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:33:45 ID:FWuHOWGU0



 天蠍アンタレスは、蛇杖堂寂句の"最後の策"を念話で聞かされていた。
 それはまさしく、ノクト・サムスタンプの腕が彼を貫くわずか前のことだった。
 耳を疑ったし、事此処に至るまで知らせて貰えなかったことに不甲斐なさを感じもしたが呑み込んだ。
 そんなことよりも大切な使命が、彼女を突き動かしていたからだ。
 すなわち神の葬送。己が堕とした神を、今度こそこの地上から排除する尊い大義。

「神寂、祓葉ぁぁぁッ!」
「っ、く……!」

 祓葉はやはり、自分に死の概念が戻ってきたことを自覚しているようだった。
 その証拠に、これまで事もなげに受け止めてきた些細な攻撃にさえも光剣で迎撃してくる。
 改めて実感する。目の前の現人神が、もはや不滅ではなくなったことを。
 なのに天蠍の少女は未だ余裕のない顔で、攻め続けねばならないという強迫観念に突き動かされ続けていた。

(恐ろしい。何故、一撃も通らないのです)

 明らかに動揺し、狼狽している祓葉が、しかしまったく殺せない。
 これまでひたすらに稚拙だった太刀筋が、ここに来て一気に冴えを増している。

「はぁ、はぁ……!」

 神寂祓葉の超越性を語る上で、不死も不滅もわずか一側面でしかないのだと思い知らされた。
 祓葉はもう、不死が消えた現在に緩やかながら適応し始めている。
 〈この世界の神〉を難攻不落たらしめていた絶対の不死性。
 だがそれが抜けたとしても、彼女は依然圧倒的に舞台の主役である。

 あれほど不死に頼って戦っていたにも関わらず、なくなった途端に祓葉は終わりのある器という設定に順応を開始した。
 本来人間が数十年、ともすればその一生を費やして得る研鑽を無から生み出して、即興で駆使してくるのだ。
 そのため、単純な彼我の優劣だけで見ると、先ほどよりもむしろ状況は悪化して見えていた。

 けれど付け入る隙は、少なくとも今ならあった。
 不敵に、無邪気に笑って戦っていた彼女が、今は息を切らしながらアンタレスの槍を捌いている。
 おそらくこの聖杯戦争が始まって以来初めて見せる、動揺。
 これが抜ける前に祓葉を屠れなければもはや未来はないと、アンタレスは本気でそう考えていた。

「――逃がしは、しません」

 覚明ゲンジが道を作った。
 蛇杖堂寂句がそれを切り開いた。
 現代を生きるふたりの"人間"が、各々命を呈して〈神殺し〉に挑んだのだ。

697心という名の不可解(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:34:29 ID:FWuHOWGU0

 そうして見えたこの光明を掴めずして、何がガイアの抑止力。
 初めて抱く情熱が血潮に乗って全身を巡り、アンタレスに全力以上の全力を発揮させる。
 機関銃の如く迸る刺突の雨で、祓葉の肉体を確実に抉っていく。
 まだ致命打は与えられていないが、それでも時間の問題だろうと感じる。
 脳の破壊。斬首。心臓破壊。道は三通りだ。何とかして、刺し違えてでもこの白神を即死させねばならない。

「それが当機構の遣わされた意義。
 そして我がマスター・ジャックから託された使命」

 百の刺突が九十九凌がれた。
 それでも一発は再生した腕を再び落とし、立て続けに身をねじ込んで神の腹に膝を叩き込む。

「が、っ……!」

 漏れる悲鳴の意味も、今やさっきまでとは変わっている。
 潰れた内臓だって、瞬時に再生できないとなれば足を引く要因になるだろう。
 勝てる。倒せる。その確信を前に、天の蠍は魔獣(ギルタブリル)の奮迅を実現させていた。

「ぐ、ぅあ……! ――――『界統べたる(クロノ)』、」

 だが、手負いの獣が最も恐ろしい。
 血を吐きながら後退した祓葉の剣が、再び極光を蓄えた。
 最後の解放からもう十分な時間が経過している。
 つまりこれから放たれるのは、今度こそ防ぐことなどできない全霊の神剣。

「『勝利の剣(カリバー)』――――ッ!」

 大地が張り裂け、赤い夜空をも貫く光の柱が立ち上がった。
 都市最高の火力のひとつが、このわずかな時間で幾度放たれたか。
 隻腕での解放でありながら、驚くべきことに欠片ほども威力の減衰はなかった。

 たとえ地に堕ちようとも主役は主役、神は神。
 天の蠍何するものぞ、地母神(ガイア)の圧力などとうに克服している。
 よって無用、速やかに太陽の熱で溶け落ちろ。
 そう裁定する爆光が晴れるのを待たずして、しかし神の敵は血に塗れながら飛び出した。

「な……!」
「意義も使命も、何ひとつたりとも!
 当機構は、譲るつもりはありません!」

 蠍の足を用いた超高速移動と立体起動。
 それらに加えて、祓葉をここで討つという限界を超えた意思の力。
 すべてがアンタレスの背を押した。
 必滅の神剣が撒き散らす破壊の中から標的に繋がる道筋を探り出し、遮二無二辿って好機を得る。

698心という名の不可解(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:35:19 ID:FWuHOWGU0

 驚愕する祓葉に向け、〈雷光〉の如く疾走。
 握り締めた骨が砕けるほど力を込め、赤槍を神へと放つ。
 
「――滅びの時です! 現人神・神寂祓葉!!」

 祓葉が再び、光の剣を激しく感光させる。
 連発であれば威力は落ちる。とはいえ、まともに受ければ今度こそ自分は死ぬだろう。
 それでも足を止める理由にはならない。
 赤の光条と化したアンタレスが、疾走の果てにとうとう零落した神の肉体を穿ち貫いた。

 飛び散る飛沫。
 頭の上から降り注ぐ、神の喀血。
 が――天蠍の少女が浮かべたのは、己の無力を呪う表情(かお)だった。


「……か、は。惜しかった、ね。ランサー」


 心臓を、貫けていない。
 最後の一手で、外してしまった。
 これまでの無茶で積み重なった疲労、ダメージ。
 そのすべてが、よりによってこの瞬間に牙を剥いた。
 それでも、胴をぶち抜けている時点で致命傷だ。
 しかし相手は永久機関の最高適合者、〈この世界の神〉、神寂祓葉。

「ッ……まだです、まだ――が、ぁッ!?」

 失意に手を止めるな。
 一度で駄目だったなら二度、それでも駄目なら何度でも挑み続けろ。
 そう自らを叱咤しつつ槍を抜き、後退するところで神の光剣が追いついた。
 甲冑が裂かれ、胴体から血が飛沫をあげる。
 霊核まで届いていないことは幸いだったが、この重要な局面で傷を負ってしまった事実はあまりに大きかった。

 倒れ伏しそうなところを踏み止まれたのは奇跡。
 が、そこが今度こそ本当に限界だった。
 膝から力が抜け、かくんと落ちる。
 胴に風穴を空けて見下ろす祓葉を討たねばならないのに、もう足がわずかほども動いてくれない。

「すごいよ。ゲンジも、ジャック先生も、あなたも……。私のために、本当に、ほんとうに頑張ってくれたんだね」

 空の赤色を背景に佇む少女は、こんな状況だというのに魂が蒸発するほど美しく見える。
 ありったけの尊さとありったけの悍ましさを煮詰めどろどろにして、少女の鋳型に流し込んだかのようだ。
 これを指して神と表現することすら、きっと適当ではないのだろう。
 まさしくこれは、星だ。何もかもが巨大で推し測れず、ありのまま輝くだけで生きとし生けるものすべてを灼いてしまう超巨大な惑星だ。

「忘れないよ。あなた達のことは、絶対忘れない」
「当機構は、まだ……!」
「ううん。もう終わりなんだよ、ランサー」

 祓葉が、両の腕で光剣を振り上げる。
 神々しく煌めくそれが、アンタレスには断頭台に見えた。

「こんな、ところで……」

 実際、間違った形容ではないだろう。
 神は不遜な小虫の叛逆を赦し、最高の栄誉を与えて審判を下す。
 蠍の戦いは神話として永久に記録され、幾千年の未来にまで語り継がれるのだ。

「こんな、ところで、終わったら」

 ――ふざけるな。敗北は敗北だろう、そのどこが名誉なのだ。

 抑止の機構は、予期せぬ不具合に視界を曇らされる。
 眼窩部の奥から体液が滲出していた。
 機構(システム)の少女にはあるまじき誤作動の副産物なのか、思考回路に泥のような悪感情が広がっていく。
 悔しい。感情のままに、アンタレスは握った拳で地を叩いた。

「あの人達の戦いは、一体、なんだったというのですか……!!」

 滂沱と流れる涙と、込み上げる激情で鉄面皮を崩壊させながら、少女は全身で敗北を噛み締める。

699心という名の不可解(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:36:12 ID:FWuHOWGU0



(――勝手に人の物語を終わらせるな。早合点は貴様の悪癖だと何度も言ったろうが)
(っ……?!)

 その時。
 不意に脳裏に響く、慣れ親しんだ声があった。

(ま、マスター・ジャック……!? どうか戦いを放りお逃げください。当機構は、その……)
(失敗した、だろう? フン、言われずとも分かっている。
 我々は錠前を壊しただけだ。不滅を剥ぎ取った程度で、あの小娘が簡単に斃れるものかよ)

 ノクト・サムスタンプと交戦している筈の蛇杖堂寂句。
 彼の身に起きていること、今その肉体がどうなっているのか、いずれもアンタレスは把握している。
 だからこそなおさら、祓葉に届かなかったことに絶望を禁じ得なかった。
 お逃げください、などと言いつつ、天の蠍はもう己が主の未来を分かっている。

 彼は確かに超人だが、それでも地に足のついた人間だ。
 傷を癒やし、不滅のように振る舞うことはできても。
 結局のところ、迫ってくる死そのものを破却することはできない。

 しかし当の寂句はと言えば、平時と変わらない不遜さで言葉を紡いでいた。
 ひょっとするとここで戦っている彼は影武者か何かで、本物はあの病院で今も安楽椅子に座りながらほくそ笑んでいるのはないか。
 ともすればそんな希望さえ抱きそうになる。
 無論、そのような都合のいい話などある筈もないのだったが。

(貴様も分かっているだろうが、私はじきに死ぬ。
 神殺しのついでに憎たらしい小僧に吠え面もかかせられて気分は爽快だが、流石に生身でどうにかできる相手ではないようだ)

 蛇杖堂寂句は嘘を言わない。
 いつも通り淡々とした調子で放たれた"諦め"に、アンタレスは奈落に突き落とされるような感覚を覚える。

(…………申し訳ありませんでした。当機構はあなたのサーヴァントとして、あまりにも無能だった。
 実はどこかで夢見ていたのです。神を葬る戦いがどれほど熾烈でも、あなたは傲慢な顔をして、平然と神の消えたその先の世界を生きていくのだろうと)

 『英雄よ天に昇れ』を与えられたのが、自分よりももっと優秀な存在だったなら、こうはならなかったのではないか。
 神殺しを成し遂げた上でマスターも守り、見事に使命を完遂することもできたのではないか。

(どうかいつものようにご叱責ください、マスター・ジャック。
 あなたにはその権利があり、当機構にはそれを噛み締める責任が……)
(ならば言ってやろう、この大馬鹿者が)

 吐露し、心の中で頭を垂れたアンタレスを寂句は容赦なく一蹴した。
 無能が、とは言わなかった。
 それどころかその声は、どこか上機嫌そうにさえ聞こえる。

(貴様の仕事はまだ終わっていない。
 私は死ぬが、それでもお前がその労苦から逃れることは許さん)
(それは……、どういう……?)
(解らんか? では、間抜けにも分かるように伝えてやろう)

 クク、と、暴君は笑って。

700心という名の不可解(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:36:51 ID:FWuHOWGU0

(令呪を以って我が傀儡に命ずる。
 ランサーよ、貴様は引き続き己の使命を果たし続けろ)
(っ……!?)
(令呪を以って、天の蠍へ重ねて命ずる。
 失敗は許すが、諦めは許さぬ。その霊基燃え尽きるまで、貴様は私亡き後も戦い続けろ)

 走狗の困惑を無視して、大上段からふたつの命令を刻みつけた。
 ただの命令ではなく、令呪によって刻む拒否権なき『遺命』だ。
 精根尽き果てた残骸同然の身体に灯火が宿る。
 それを認識したのか、寂句は含み笑いを漏らし続けていた。
 高揚に身を委ねているようでも、どこか自嘲しているようでもあった。

(令呪を以って、我が助手に重ねて命ずる)

 最後の輝きが。
 敗残者と化した"助手"へ、傲慢に重荷を押し付ける。
 蛇杖堂寂句は暴君だ。故に末期の瞬間でさえ、彼が他人を慮ることは決してない。


(――――神の箱庭を終わらせ、真の〈神殺し〉を成し遂げてみせよ)


 三画目の命令が刻まれた瞬間、アンタレスは死にゆく主を放り捨て、戦線を離脱していた。
 臆病風に吹かれたのではない。既に遺命を刻まれた彼女の霊基は、暴君の助手だった蠍に弱さを許さない。
 むしろ逆だ。主の命令を果たすためにこそ、アンタレスは逃げねばならなかった。
 逃げて、生き延びねばならなかった。この場に留まり、主なき身で挑み続けたところで、祓葉に勝てなどしないのだから。

(マスター・ジャック。聞こえていますか。まだ、私の声が聞こえますか)

 アンタレスの胸中を満たすのは、死にたいほどの無力感と、絶対にこのまま消えてやるものかという業火の闘志。
 当機構は生きねばならない。生きて、挑み続けねばならない。

 次こそ神を討つのだ。
 主が命を懸けても届かなかった、本当の意味での神殺し――極星の運命を破壊するのだ。
 当機構(わたし)は、そう命じられた。
 けれど、それでも。

(ありがとうございました。あなたは当機構にとって素晴らしき主であり、得難い恩師でありました)

 別れの言葉くらいは、若輩のわがままとして許してほしい。
 本来アンタレスはその手の贅肉を解する機構(もの)ではないのだが、今は自然とそれが出てきた。
 自分もまた、あの白き神と、彼女が振り撒いた狂気の器に触れてどこか狂わされてしまったのかもしれない。
 実に遺憾だ、不甲斐ない。しかしこの感情がもし狂気だというのなら、それはなんだか……悪くなかった。

(さようなら、マスター・ジャック。ヒトの身で神に報いた、厳しくて優しいあなた)

 斯くして蛇と蠍は永訣する。
 それは短くも長かったこの聖戦の、その幕引きを物語っていた。



◇◇

701心という名の不可解(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:37:32 ID:FWuHOWGU0



「――聞こえているぞ、出来損ないめ。
 つくづくお前達は、ろくに噂話もできぬらしいな」

 アンタレスの去った戦場で、蛇杖堂寂句は死体同然の有様で佇んでいた。
 夜と契りを交わした魔人と、反則技のドーピングが抜けた正真正銘生身で決闘したのだ。
 損傷の程度で言うならば、『偽りの霊薬』を用い疑似蘇生する前と大差ない。
 破れていない内臓はなく、それどころか腹に空いた穴からその残骸がこぼれ落ちている始末。

 あまりに惨たらしく、思わず目を背けたくなる惨状。
 なのにそんな状態で立つ彼の姿には、見る者を圧倒する気迫があった。
 修羅。彼をここまで破壊した魔術師は、これを内心そのように形容した。

「……唐突だな。それが遺言でいいのか、ジャック先生よ」
「気にするな、独り言だ。今更遺したい言葉などない」
「死ぬことは否定しねえんだな?
 は……なら良かったよ。俺も流石にこれ以上は割に合わん」
 
 ――冗談じゃねえ。化け物なのは知ってたが、ここまでやるかよ。

 "夜"のノクト・サムスタンプは、自他共に認める規格外の魔人である。
 〈脱出王〉ですら、持ち前の逃げ技をすべて尽くしても完全には逃げ切れなかった。
 それほどの男が息を切らし、呼吸の合間に喘鳴のような音が混ざり、片腕の欠けた有様を晒している。

 容態で言えば全身に複数の打撲、大小数箇所の骨折、それに加えて右腕欠損。
 このすべてが、目の前の老人によって負わされたものだ。
 死を覚悟した瞬間も何度もある。明日を捨て、温存を捨てた暴君の強さをノクトは嫌になるほどその身で思い知った。
 だが安堵もあった。蛇杖堂寂句を確実に排除する自分の判断は間違っていなかったと再確認する。
 少なくともこの先、自分は彼という男の存在を勘定に含めず戦うことができるのだ。
 それだけで今回負ったすべての傷と比べてもお釣りが来る。高い買い物ではあったが、大枚叩く価値は確かにあった。

「ジャック先生」

 響いた声に、ノクトは全身が総毛立つ感覚を覚える。
 巨大なオーロラを見た時のような畏怖と、それと同じだけの歓喜。
 渇望の狂気が刺激され、思わず足が縺れそうになった。
 けれどこの時ばかりは、彼の極星はノクトの方を見ておらず。
 己の灯火を走狗へ譲渡し朽ちることを選んだ、枯れゆく暴君に視線を向けていた。

「……クク。ずいぶんなザマではないか、無能め。いつまでも胡座を掻いているからそうなるのだ」
「あはは……だね。ちょっと反省しなくちゃだ」
「やろうと思えばそれが本当にできてしまうのが、貴様の最悪なところだよ――祓葉」

 長い付き合いというには短い。
 前回を含めても、二ヶ月にも満たないだろう。
 だが、暦の上の数字だけでは推し量れない深い縁がそこにはあった。

702心という名の不可解(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:38:21 ID:FWuHOWGU0

「先生、なんかちょっとスッキリしてる?」
「そのようだ。煩わしい狂気(もや)が晴れ、実に清々しい気分だとも。
 欲を言えばこれが死に際でさえなければ、酒の一献でも呷るところだったのだが」
「え。ジャック先生ってお酒飲むの? なんか意外」
「下戸に名医は務まらん。何かと機会が多いのでな。まあ、とはいえ偏食だ。具体的には日本酒しか呑まん」
「あはは、なんかぽいかも。私はほろ酔いが好きだよ」
「貴様はジュースで満足しておけ。どうせ酒の味など分からんだろう」

 命を懸けて殺し合い、生死すら超えた歪んだ因縁を育んだふたりとは思えない牧歌的な会話。
 こうしているとそれこそ、先生と教え子のように見えなくもない。

「覚明ゲンジは見事だった。我がサーヴァントは最上の仕事を果たした。
 私の認める相手など、オリヴィアとケイローン以外には現れぬものと思っていたが……世の中は広いものだ」
「すごいでしょ、私のゲーム盤は」
「確かにな。だが、必ず崩れる。貴様の遊戯は二度目で終わりだ」

 そのために、自分はあの蠍を生かして野に放ったのだから。
 マスター不在の英霊は弱体化するが、令呪を三画も使ってブーストしてやれば多少は長持ちするだろう。
 あるいはどこぞで英霊に先立たれて途方に暮れるマスターを見つけ、其奴と再契約したっていい。
 此処からは彼女自身の戦いだ。己はそれを、黄泉からのんびり鑑賞するとしよう。

「ねえ、ジャック先生」
「なんだ」
「オリヴィアさんって、どんな人だったの? あの時も言ってたよね、私を助ける前に」
「……聞いていたのか」
「えへへ。けっこう地獄耳なんだよ、私」

 つくづく鬱陶しい娘だと、寂句は辟易したように肩を竦める。
 だが、まあ、墓場まで持っていくような話でもない。

703心という名の不可解(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:38:49 ID:FWuHOWGU0

「私にはないものを持った女だった。
 有り余る才能で満足せず、常に先へ先へと、稲妻のように駆けることを望む奴だったよ。
 そういう意味では、やはり貴様に似ていたな」
「ふうん。だからジャック先生は、あの時私を助けたの?」
「我が生涯で最大の失態だが、恐らくそうなのだろう。
 しかしアレには参った。やはり人間の心というものは、不可解な不合理さに満ちている」

 妻子にも愛情など抱いた試しのない男だ。
 無論、孫や曾孫もその例外ではなかった。
 だが、自分にも世に溢れる孫に甘い顔を見せる老人と同じ素養がどこかに眠っていたのだろう。
 だからオリヴィア・アルロニカを忘れられなかった。
 星を滅ぼす絶好の機会に際して、彼女と祓葉を重ねてしまった。

 蛇杖堂寂句の敗因は、つまるところ彼が早々に理解することを諦めた、ヒトの心によるものだったのだ。

「そっか。
 あのね、先生。実は私さ、あなたにずっと言いそびれてたことがあって」
「手短に済ませろ。流石にそろそろ限界のようだ。末期の時くらいは生涯の総括に使わせろ」
「ありがと。じゃあ簡潔に、一言だけ」

 あの時寂句が"失敗"していなければ、神寂祓葉はそこで終わっていた。
 誰が聖杯を握るにせよ、この針音の箱庭も、〈はじまりの六人〉などという狂人集団が生まれることもなかった。
 傲慢な暴君が犯したたったひとつの失敗が、今この瞬間につながっている。
 
 多くの嘆きがあった。
 多くの歪みがあった。
 そしてこれからも、あらゆる命があの日討ち損ねた少女によって引き起こされていく。
 けれど、それはあくまで狂わされる側の視点であり。
 狂わせる側の極星が彼に対して抱く感情は、ひとつだけ。

「あの時助けてくれて、ありがとう」
「…………、…………は」

 一瞬、愕然とした顔をして。
 それから暴君は、呆れたように失笑した。

「やはり貴様は最悪の生き物だよ、祓葉」



◇◇

704心という名の不可解(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:39:25 ID:FWuHOWGU0



 あまりに長い歳月を生きた。
 失敗よりも成功の方が遥かに多い人生だった。
 よって、何ひとつ悔恨などありはしない。
 唯一の悔いは自らの手で濯ぎ、未来へ託せた。

 自分で言うのも何だが、大往生というやつだろう。
 十分すぎるほど、自分はこの世界に生まれた意味を果たした。

 ――いや。ひとつだけ、惜しく思うことがある。

 不合理の一言で片付け、ずっと一顧だにしなかったブラックボックス。
 心という名の不可解には、きっと自分が思っている以上の開拓の余地があった筈だ。
 もしももっと早くそれに気付けていたら、解き明かせる真理は十や二十で利かないほど多かったかもしれない。

 何せ完璧と信じたこの己にすら、ちゃんと心があったのだ。
 死後があると仮定して、どこぞに流れ着いたなら今度こそ改めてそれを探求しよう。
 手始めにまずは研究材料が欲しい。実験動物でも、先駆者でも、なんでも構わない。
 だがこれを調達するのは難儀そうだ。ともすれば同じ轍を踏むことにもなりかねないから厄介である。

 天国だの地獄だのに興味はなかったが、今になって前者がいいと思い始めた。
 さんざん研究に付き合ってやったのだから、今度はお前が私に付き合う番だろう。

 まずは家を建てよう。
 そして書斎を作ろう。
 そうすればお前はどこからともなく聞きつけて、呼んでもいないのにやって来るだろうから。

 ――安息になど浸っている暇はない。
 さあ、次だ。私はどこまでも進み続ける。
 私を破滅へ追いやった、いつかの〈雷光(おまえ)〉のように。



【蛇杖堂寂句 脱落】



◇◇

705心という名の不可解(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:39:59 ID:FWuHOWGU0



 命を失った老人の身体が、仰向けに倒れ伏した。
 ひとつの時代の終わりをすら感じさせる、威厳と気迫に溢れた死。
 〈はじまりの六人〉、狂気の衛星が遂にひとつ宇宙から消えた。

 これを以って、混沌の時代は到来するだろう。
 均衡は崩れ、天蓋は破壊されたのだ。
 神の零落すら霞むような、誰にも予測のできない世界がやってくる。
 それはきっと、〈はじまり〉を知っている彼らでさえ例外ではない。

「ノクトはどうするの?」
「俺はそこのご老人ほどクソ度胸しちゃいないんでね。流石にお前とは揉めないさ」

 ノクトが、祓葉の問いに苦笑いで応える。

「今はまだ、な。それに、俺も俺でノルマは達成できた」

 新宿の戦いは、所詮日常が崩壊するきっかけに過ぎない。
 デュラハンと刀凶聯合の戦争がどう終わったとしても、問題はその先にこそあるとノクトは踏んでいた。
 これまでどうにか辛うじて、恐らくは運営側の都合で存続していた社会機能も、もう今まで通りとはいかないだろう。
 六本木の災禍とは比較にならない。新宿決戦で流れた流血はやがて氾濫し、本物の世紀末を引き起こす洪水になる。

 問題はその時、変わり果てた世界をどう生き抜くかだ。
 そこで使えるカードの一枚を、既にノクト・サムスタンプは確保している。

 蛇杖堂とはまた違った、もっと狡猾で悪辣な大蛇。
 手痛い出費にはなったが、彼に取り入る手土産は用意できた。
 神寂縁。あの存在は、間違いなく今後巨大な嵐を引き起こす。
 ともすればレッドライダーを取り逃すことと比較しても勝り得るかもしれない、そんな災厄の祭りを。

「お前こそどうすんだ? 流石に今までほど無茶苦茶できねえだろ、縛りが付いたんだったら」
「んー、特に変えるつもりはないけど……まあでもノクトの言う通り、ここからはもうちょっと色々考えて行動しないとだよねぇ。
 いっそ前の時みたいに仲間でも作ってみようかな? ていうわけでどう? 私といっしょに聖杯戦争頑張らない?」
「遠慮しとくよ。お前といると色んな意味で心臓が保つ気がしねえ」

 だからきゃるんきゃるんした眼で見てくるな。
 眼のやり場に困るんだよこっちは。可愛い顔しやがって。

 平静を装ってはいるが、この男もまた狂人なのだ。
 それも寂句とは違い、祓葉を望む形の狂気を抱かされている。
 そんな彼にとってこの状況は、言うなれば天下一の推しアイドルとふたりきりで語らっているようなもの。
 戦闘終わりで鼓動の早い心臓はぎゅんぎゅん言ってねじれているし、こころなしか体温もえらく上がっている気がした。
 ここまであからさまに異変が起きているのに、自分がロミオと同類であるとは未だに気付く気配もない。
 誰もが忌み嫌う詐欺師ではあるが、そういう思春期の少年のようないじらしさも、ノクトは持っているのだった。

「じゃ、またな。次会う時までにせいぜい残りの頭数を減らしといてくれよ」
「うん、善処する。"みんな"に会ったらよろしく言っといてね」
「こっちはできれば会いたくねえんだよ」

 そうして契約魔術師も去れば、残されたのは白い少女ただひとり。
 物言わぬ亡骸となった旧友を一瞥し、その隣に体育座りで腰を下ろした。

「……ヨハンに怒られそうだなぁ」

 神は、終わりある存在になった。
 神の箱庭を絶対たらしめる錠前が壊された。
 よってこの先のことは、もう彼女達にすら予測しきれない。

 ――さあ、星が欠けたぞ。

 均衡は崩れ、混沌の世界がやってくるぞ。
 最後に笑うのは神なのか、ヒトなのか、それとも別なナニカか。
 戦争の時代を告げる赤い騎士の預言をなぞるように、針音の運命は新たな局面へ踏み入った。



◇◇

706心という名の不可解(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:40:42 ID:FWuHOWGU0



【新宿区・新宿/二日目・未明】

【ランサー(ギルタブリル/天蠍アンタレス)】
[状態]:移動中、疲労(極大)、胴体に裂傷、全身にダメージ(大)、甲冑破損、無念と決意、マスター不在、寂句の令呪『神の箱庭を終わらせ、真の〈神殺し〉を成し遂げてみせよ』及び令呪による一時的な強化
[装備]:赤い槍
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:神寂祓葉を刺してヒトより上の段階に放逐する。
0:マスター・ジャックの遺命を果たす。たとえこの身が擦り切れようとも。
[備考]
※マスターを喪失しました。令呪の強化を受けていますが、このままでは半日は保たないでしょう。

【ノクト・サムスタンプ】
[状態]:疲労(大)、複数の打撲傷、右腕欠損、恋
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:莫大。少なくとも生活に困ることはない
[思考・状況]
基本方針:聖杯を取り、祓葉を我が物とする
0:均衡は壊し蛇への手土産は用意した。さて、次はどうするか。
1:デュラハン側のマスターたちを直接狙う。予定外のことがあれば素早く引いて何度でも仕切り直す。
2:当面はサーヴァントなしの状態で、危険を避けつつ暗躍する。
3:ロミオは煌星満天とそのキャスターに預ける。
4:当面の課題として蛇杖堂寂句をうまく利用しつつ、その背中を撃つ手段を模索する。
5:煌星満天の能力の成長に期待。うまく行けば蛇杖堂寂句や神寂祓葉を出し抜ける可能性がある。
6:満天の悪魔化の詳細が分からない以上、急成長を促すのは危険と判断。まっとうなやり方でサポートするのが今は一番利口、か。
7:何か違和感がある。何かを見落としている。
8:相変わらず可愛いぜ(心の声)。
[備考]
 東京中に使い魔を放っている他、一般人を契約魔術と暗示で無意識の協力者として独自の情報ネットワークを形成しています。

 東京中のテレビ局のトップ陣を支配下に置いています。主に報道関係を支配しつつあります。
 煌星満天&ファウストの主従と協力体制を築き、ロミオを貸し出しました。

 蛇杖堂寂句から赤坂亜切・楪依里朱について彼が知る限りの情報を受け取りました。

【神寂祓葉】
[状態]:不死零落、軽度の動揺
[令呪]:残り三画(再生不可)
[装備]:『時計じかけの方舟機構(パーペチュアルモーションマシン)』
[道具]:
[所持金]:一般的な女子高生の手持ち程度
[思考・状況]
基本方針:みんなで楽しく聖杯戦争!
0:さようなら、ジャック先生。
1:にしても困ったなぁ。ヨハンに怒られそうだなぁ……。
2:結局希彦さんのことどうしよう……わー!
3:悠灯はどうするんだろ。できれば力になってあげたいけど。
4:風夏の舞台は楽しみだけど、私なんかにそんな縛られなくてもいいのにね。
5:もうひとりのハリー(ライダー)かわいかったな……ヨハンと並べて抱き枕にしたいな……うへへ……
6:アンジェ先輩! また会おうね〜!!
7:レミュリンはいい子だったしまた遊びたい。けど……あのランサー! 勝ち逃げはずるいんじゃないかなあ!?
[備考]
二日目の朝、香篤井希彦と再び会う約束をしました。

ランサー(ギルタブリル/天蠍アンタレス)の宝具『英雄よ天に昇れ』によって、心臓部永久機関が損傷しました。
具体的には以下の影響が出ているようです。
・再生速度の遅滞化。機能自体は健在だが、以前ほど瞬間的な再生は不可。
・不死性の弱体化。心臓破壊や頭部破壊など即死には永久機関の再生を適用できない。
・令呪の回復不可

『界統べたる勝利の剣』は連発可能ですが、間を空けずに放つと威力がある程度落ちるようです。
最低でも数十秒のリチャージがなければ本来の威力は出せません。

707心という名の不可解(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:41:18 ID:FWuHOWGU0
【新宿区・歌舞伎町/二日目・未明】

【山越風夏(ハリー・フーディーニ)】
[状態]:疲労(大)、腹部にダメージ(大)、内臓破裂
[令呪]:残り三画
[装備]:舞台衣装(レオタード)
[道具]:マジシャン道具
[所持金]:潤沢(使い切れない程のマジシャンとしての収入)
[思考・状況]
基本方針:聖杯戦争を楽しく盛り上げた上で〈脱出〉を成功させる
0:ますます面白くなること請け合い。腕が鳴るねぇ。
1:それはそうと流石にこのままじゃ死ぬので治療が必要かも。
2:他の主従に接触して聖杯戦争を加速させる。
3:華村悠灯がいい感じに化けた! 世界に孔を穿つための有力候補だ!
4:悪国征蹂郎のサーヴァントが排除されるまで〈デュラハン〉に加担。ただし指示は聞かないよ。
5:レミュリンの選択と能力の芽生えに期待。
6:祓葉も来てるようだからそっちも見に行きたいけど……!
[備考]
準備の時間さえあれば、人払いの結界と同等の効果を、魔力を一切使わずに発揮できます。

〈世界の敵〉に目覚めました。この都市から人を脱出させる手段を探しています。

蛇杖堂寂句から赤坂亜切・楪依里朱について彼が知る限りの情報を受け取りました。


【ライダー(ハリー・フーディーニ)】
[状態]:第五生のハリーと入れ替わり中
 五生→健康
 九生→疲労(大)
[装備]:九つの棺
[道具]:
[所持金]:潤沢(ハリーのものはハリーのもの、そうでしょう?)
[思考・状況]
基本方針:山越風夏の助手をしつつ、彼女の行先を観察する。
0:『――ヴァルハラか?』
1:他の主従に接触して聖杯戦争を加速させる。
2:神寂祓葉は凄まじい。……なるほど、彼女(ぼく)がああなるわけだ。
[備考]
準備の時間さえあれば、人払いの結界と同等の効果を、魔力を一切使わずに発揮できます。

宝具『棺からの脱出』を使って第五生のハリー・フーディーニと入れ替わりました。
神聖アーリア主義第三帝国陸軍所属。第四次世界大戦を生き延びて大往生した老人。
スラッグ弾専用のショットガンを使う。戦闘能力が高い。
ヴァルハラの神々に追われている妄想を常に抱いており話が通じない。

九生の中には医者のハリー・フーディーニがいるようです。


【座標不明・天空・無限時計工房/二日目・未明】

【キャスター(オルフィレウス)】
[状態]:健康
[装備]:無限時計巨人〈セラフシリーズ〉
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:本懐を遂げる。
0:???
1:セラフシリーズの改良を最優先で実行。
2:あのバカ(祓葉)のことは知らない。好きにすればいいと思う。言っても聞かないし。
3:〈救済機構〉や〈青銅領域〉を始めとする厄介な存在に対しては潰すこともやぶさかではない。
[備考]



※覚明ゲンジに同伴していたバーサーカー(ネアンデルタール人/ホモ・ネアンデルタール人)50体は全滅しました。
 マスターであるゲンジが死亡したため、再契約しなければ数時間で全個体が消滅します。
 残る個体は歌舞伎町・決戦場にいるもののみとなるため、今回状態表は記載しません。

708 ◆0pIloi6gg.:2025/08/10(日) 01:41:55 ID:FWuHOWGU0
投下終了です。


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