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Fate/clockwork atheism 針音仮想都市〈東京〉Part3

374トリックホリック ◆EjiuDHH6qo:2025/05/20(火) 23:06:00 ID:VcFvccHg0
 なのにどういう訳だか、"当たらない"。
 降り注ぐ矢のどれ一つ、その稚拙な足取りを捉えられない。
 それだけならば矢避けの加護にでも助けられているのだと邪推も出来よう。
 だが、矢の着弾に伴い生じる衝撃波。
 冥界の蝙蝠を次々と蹴散らした破壊の力場。
 これさえ回避しているのは、一体全体どういう訳か。
 雨霰のように押し寄せては吹き荒ぶ致命の矢。
 二本の腕で成されているとは思えない超高密度の弾幕の中には人独り分の隙間も見て取れない。
 だとしてもハリーの動きに淀みはなかった。
 完璧な回避を積み重ねながら、一瞬の隙を見てバック宙で致死圏を抜ける。
 こうなれば後は只逃げるだけ、退くだけ。
 万事それで罷り通るかに思われたが…、
“困ったな、ちょっと強すぎる”
 どうも逃げられそうにない。
 と言うより、逃がしてくれそうにない。
 逃げを専門とする者だからこそ解る。
 スカディの双眸と放つ殺気は、相手を地の果てまででも追い掛けてやると告げていた。
 それに――理由はもう一つ。
“視線を感じる。散漫と見られている内は解らなかったけど、監視装置の類かな。
 此処を退いて風夏を回収した所で、これがある限り当分は追跡されてしまう……か。どうにも分が悪いね”
 ハリーの推測は当たっている。
 正確には監視装置ではなく、目だ。
 嘗てスカディが傲慢な神々から奪い返し、天へと奉じさせた父スィアチの両目。
 ハリーが考える通りの監視索敵機能と、獲物の急所を暴く統制装置の役目を一手に担う第一宝具である。
 言うなれば一度見つかった時点で既に駄目。
 彼らはもう、スィアチに目を凝らされてしまった。
 手品の小細工等、巨人の天眼は児戯のように見破ってみせるだろう。
 如何に箱から抜けるのが上手くても、抜け出した先で捕まってしまえば元も子もない。
 "前回"気の向くままに全方位を苛つかせ続けた酔狂者の奇術師。
 女神スカディというサーヴァントは、まさしく彼らを捕らえる上での一つの答えだった。
 そして。
「ご覧よ、今夜は星がよく見える。狩りをするにも酒を飲むにも、澄んだ星空の下が一番と決まってる」
 天の眼で逃げ道を押さえたその上で。
 女神スカディは、悠々と狩りを遂行する。
 手足に鎖を巻き付けたまま、それを物ともせずに進軍し続ける巨女。
 その体躯が一歩毎に大きくなって見えるのは果たして気の所為だろうか。
 いいや違う。実際に大きくなっている。
 彼女に追われる獲物の認識の中では、確かにそうなっている。
「今宵はきっと良い夜になる。長い事狩人やってるとね、狩場に立っただけで何となく解るのさ」

375トリックホリック ◆EjiuDHH6qo:2025/05/20(火) 23:06:30 ID:VcFvccHg0
 ハリーは考えた。
 はて、今は何月だったか。
 答えは五月。春が終わり初夏が来て、俄に暖かくなり出す頃。
 なのに今、彼の背筋は真冬の雪原に立たされたように冷え切っていた。
 生体機能としてではなく、魂の内側から這い上がって来るような凍え。
 曰く人は、この耐え難い悪寒を戦慄と呼ぶ。
「その証拠に、早速こうして上物と巡り会えたんだ。嬉しくて、ちょっと景気付けがしたくなった」
 不敵であるべきマジシャンの心胆をさえ寒からしめる圧倒的な破滅の気配。
 ハリーの認識上では、スカディの背丈は倍を超えて三倍、四倍以上にまで至っている。
 荒唐無稽な程の巨大化は、つまりそれだけ彼(えもの)が迫る狩人を畏れている事の証左。幻像だ。
「アタシはね、アツいのが好きだよ」
 冬司る雪靴の女神。
 でありながら、彼女は込み上げるその熱を歓迎する。
 北欧に神は数あれど、彼女程熱のままに生きた者は居ない。
 関わった全ての神にトラウマを刻み込んだ圧倒的暴力。
 神代を終わらせた"白い巨人"にも通ずる物のある、絶対の進軍者だ。
「で、そんなアタシは今まさにアツくなってる。この意味が解るかい、子猫ちゃん」
「…さっぱりだね。答えを聞かせてくれるかい?」
「今度はアンタが地獄(ヘルヘイム)を見るって事さ」
 嘗ては怒り。
 されど今は高揚の儘に。
「天に坐す父上様よ、今日もアタシに教えておくれ。
 体が熱くて堪らないんだ。こいつをアタシは、何処の誰に向けたらいい?」
 天の星が娘の求めに応える。
「――"お前か"」
 スィアチの娘は幾つになっても気儘なじゃじゃ馬。
 故に一度火が点いたなら、彼女を止められる者は三千世界の何処にも無し。
 狩人の眼光が改めて、逃げる子猫の姿を認めた。
「――『夜天輝く巨人の瞳(スリング・スィアチ)』ッ!」
 かくて恐怖は顕現する。
 全ての獲物にとっての悪夢。
 只一匹の猫を射殺す為に、赫怒の巨人が立ち上がった。

376トリックホリック ◆EjiuDHH6qo:2025/05/20(火) 23:07:05 ID:VcFvccHg0


 拙い、と思った。
 心底から死を感じた。
 幾度の死を経験し、其処からも逃げ遂せた男が狼狽さえした。
 シーシュポスの鎖が嘗てない勢いで放出される。
 それは猛る巨人を今度こそ縛り無力化するべく迸り、女神の肌へと触れたが。
「邪魔だ」
 次の瞬間、悲鳴のような音色を奏でて崩壊した。
 これを皮切りに、今まで辛うじてスカディを束縛出来ていた鎖達も一箇所また一箇所と砕け散っていく。
 純粋な怪力の前に敗北する冥界の獄(タルタロス)。
 ハリー・フーディーニを襲う悪夢の本当の始まりはこの時だったと言っていい。
「なんて、出鱈目な……ッ」
 スカディは特別な行動などしていない。
 只歩いているだけだ。
 人が偶にする気分転換の散歩。
 それのスケールを巨人サイズに拡張しただけ。
 なのにその一歩一歩が、ハリーが打つ全ての仕掛けを粉砕する。
 地獄の辛苦が踏み潰され。
 冥府の生物が小蠅でも払うように撲殺される。
 この世の全てに有無を言わせない歩みは宛ら、凹凸な地面を均すよう。
「逃げてもいいよ。逃がさないけどね」
 女神スカディの第一宝具――『夜天輝く巨人の瞳』。
 索敵と統制を一挙に兼ねる、天に昇った父親の双眸。
 但し其処には"平時は"という補足を付記するべきだ。
 有事。娘の昂りが頂点に達したその時、天の双眼は姿そのままに形を変える。
「猫如きがこのアタシに首輪付けようとしやがったんだ。罰としてその耳引きちぎって、暖炉で干し肉にでもしてやるよ」
 サーヴァントの十八番。
 生前成した逸話の再現。
 スカディの場合は、神々を震え上がらせた激怒の進撃。
 見る者全てに格別の恐怖と戦慄を。
 そして進撃する巨人には格段の情熱を。
 共に約束しながら成し遂げる至高の狩り。
 種も仕掛けも介在する余地のない、何処までも純粋な"強さ"という理不尽が具現する。
「さぁ行くよ。何時もみたいに避けてみな」
 地で惑う猫を見下ろす、父神の双眸。
 口角を好戦の形に吊り上げながら、娘神は矢を番える。
 装填された矢の数は、あろう事かたったの一本きり。
 取るに足らない。
 気を張る必要もない。
 先のような弾幕射撃ならいざ知らず、単発の矢などたとえ光速だろうが軽々避けられる。
 ハリーの経験はそう告げている。
 だがその生存本能は、けたたましいまでの警鐘をあげて迫る危機に叫喚していた。

377トリックホリック ◆EjiuDHH6qo:2025/05/20(火) 23:07:38 ID:VcFvccHg0


“駄目だ、これは”
 マジシャンの誇りを目の前の現実が超えて来る。
“これを放たせてはいけない”
 九度の生涯の中で、間違いなく一番であろう緊張。
“放たせてしまったら、その時ぼくは”
 神の恐ろしさを九生の先で初めて知る。
 靴底で地を蹴り、逃避の為に全神経を研ぎ澄ます。
“ぼくは――逃げ切れるのか?”
 絶望にしか聞こえない自問。
 が、こんな時でも魂の病痾は抜けないらしい。
 少なくともスカディにはそれが解った。
 ハリーの浮かべた顔を見てしまったから、この状況でつい吹き出してしまう。
「何だいアンタ。さっきまで悟ったみたいな澄まし顔してた癖に」
 感情に乏しい幼顔。
 見ようによっては老人のようにも見える諦観と辟易の相。
 その口元が、期待するように緩んでいるのを。
 確かに、スカディは見た。
「死が迫って来た途端――随分と楽しそうじゃないのさ」
 刹那、破滅が解き放たれる。
 『夜天輝く巨人の瞳』の真髄は只この一瞬に。
 感情とはこの世で最も強大なエネルギーで。
 それを素に進撃した巨人が放つ一矢は、まさに究極と言っていい破壊を秘める。
 敵の霊核に向けて放たれるその矢に"技"はない。
 スカディの技量を考えれば稚拙も良い所の射撃だが。
 されど其処には、先のとは比べ物にならない程純然たる感情が宿っている。
 殺意。必ず殺すという強い意思。
 一念鬼神に通ずと人は言うが、ならば神がそれに倣った結果起こる事象は尋常の域には到底収まらない。
 敢えて全ての"技"を排して衝動の儘打ち込むからこそ、巨人の激昂は遍く敵を捻じ伏せるのだ。
 無駄多く、技なく、理屈なく。
 故にこの世の何事よりも絶対的。
 あらゆる利口を贅肉として削ぎ落とすからこそ、この矢は狩猟の真理に届く。
 理屈で常識を騙すが生業の奇術師からすれば、その在り方はまさに対極。
 そして、天敵。
「――――!」
 ハリーが何かを叫んだ。
 言葉だったかもしれないし、断末魔だったかもしれない。 
 何にせよその朧気な音が女神の耳に届く事はなかった。
 矢が着弾し、隕石でも落ちたのかと見紛うような衝撃と轟音を響かせたからだ。
 粉塵が巻き上げられ、大地が無惨に捲れ上がった"爆心地"の姿が晒される。
「ふう。景気付けとしちゃこんなもんかね」
 風に揺れる髪を片手で抑えながらスカディは漸く弓を下ろした。
「アギリから聞いちゃいたが、まさか主従揃って此処までの逃げ上手とは。
 とはいえ相手が悪かったね。アタシは狩人だ……逃げる獲物は追わずに居られない性分なのさ」
 巧みな逃げ、窮地からの脱出。
 それを見せ付けられる程に狩人の性は昂る。
 どれだけ弾を使っても必ず躱し、煽るように躍って見せる獣。
 狩りを生業にする者にとっては極上以外の何物でもない。
 その点やはり、スカディはハリー・フーディーニにとって天敵だったのだ。
 彼が見せる全ての逃げ、全ての技は彼女の興を掻き立てる肴になってしまう。
 彼はスカディの逆鱗に触れた。
 怒りとは違う形で、雪靴の女神の真髄を呼び起こしてしまった。
 ハリーの落ち度は其処だけ。
 詰まる所は相手が悪かった、悪過ぎた。
 脱出を極め尽くしたからこそ待ち受けていた彼専用の地獄の門。
 哀れな子猫は露と散り、最早肉片も残っていないだろう。
「…耳で燻製でも拵えようと思ったんだけどねぇ。昂ると加減出来ないのは悪い癖だな」
 スカディは己の短腹に苦笑しながら、一応検分くらいはしておくかと足を前に出した。

378トリックホリック ◆EjiuDHH6qo:2025/05/20(火) 23:08:40 ID:VcFvccHg0


「――うお」
 その矢先。
 頬を掠める弾丸の熱に、女神は声を漏らした。
「……、」
 伝い落ちるルビー色の雫。
 擬似的な地獄巡りの中でさえ流れなかったスカディの血。
 それが今、たかが一発の銃弾によって流された事実。
 彼女自身でさえ信じ難いと思う流血を指で掬いながら。
 スカディは土煙の向こうに立つ痩せぎすの影を見つめていた。
「こんなのばっかりか、はこっちのセリフだよ。今日は妙な英霊によく会うもんだ」
 猫耳の少年、ではなく。
 軍服姿の老人が立っている。
 右手には煙の昇る突撃銃。
「なぁお爺ちゃん。アンタからさっきのガキと同じ匂いがするんだが、アンタらどういう関係だい?」
 スラッグ弾の薬莢を排出しながら、彼は辟易の表情でスカディを見た。
「――ヴァルハラか?」
「はい?」
「ヴァルハラの手の者だな貴様。ヴェラチュールの小僧め、そんなにも吾輩にしてやられた事が悔しいか」
「いや、あの…。話聞いてる? もしもーし」
「惚けおってこの吾輩の目は騙せんぞ。ワルキューレでは手が足りぬと踏んで巨人族に声を掛けるとはな。
 良い度胸だ、ならば何度でも袖にしてやろう。吾輩はエインヘリヤルになぞ決して戻らん」
「……」
「貴様らと来たら口を開けば吾輩を英雄だ何だと褒めそやすがな、第四次大戦で吾輩が立てた武勲は全て敵前逃亡の副産物だ。
 殺し殺されの戦場が嫌で逃げ回り続けて、漸く床の上で死ねたと思えばあのような地獄に案内された吾輩の身にもなってみろ。
 帰らぬぞ、戻らぬぞ。石に齧り付いてでも断固として拒否するぞ。解ったら疾く荷物を纏めて帰れ小娘。吾輩は忙しいのだ」
「ダメだボケてるわこの爺ちゃん」
 支離滅裂な言動にスカディは眉間を押さえる。
 全く以って不可解な状況だった。
 消えた猫耳のサーヴァント。
 それと入れ替わりで現れた、この痴呆の入った軍服老人。
 されどスカディの佇まいに油断は皆無だ。
 たとえ姿が変わろうと狩人の鼻は誤魔化せない。
 先程指摘した通り、"猫耳"と"老人"は完全に同じ匂いを放っていた。
 つまり同一人物の可能性が非常に高い。
 だが逆に言えば其処以外は何もかも違う。
 骨格は勿論の事、霊基も恐らく全くの別物だ。
 極めつけに今しがたの発言。
 老人の発言は一から十まで支離滅裂だったが、中でも群を抜いて奇妙な単語が一つ混ざっているのを、スカディは聞き逃さなかった。
「第四次ってのは、"世界大戦"の話かな」
 令和六年五月三日現在。
 世界大戦は二度しか行われていない。
「だとすりゃアンタ――いつの時代の英霊なんだい?」
 スカディの問いに老人は答えなかった。
 返答の代わりに、その突撃銃を静かに向ける。
 シーシュポスの鎖やミクトランの蝙蝠に比べれば実にありふれた武装だ。
 だがこの時スカディは、"彼ら"との戦いが始まってから随一の重圧を感じていた。
「吾輩は行かねばならんのだ。吾輩の代で…たかだか五生でフーディーニを終わらせる訳には行かぬ」
 向けられた黒い銃口。
 それが冥府まで続くトンネルのように見える。
 死だ。死が其処にはある。
 死の国の門が口を開けて誘っている。
「それを邪魔立てするというなら、吾輩は……」
 気付けばスカディは笑っていた。
 笑わずにいられるものかと誰にともなく言い訳する。
「――神であろうと殺してくれるぞ」
 猫を追い回して入った暗い森の奥に、怪物が居た。
 猫を狩るのも乙ではあるが、やはり強い獲物程唆らせてくれる物はない。
「いいね。やろうか」
 弓を番える。
 怪物は怯えない。
 老いさらばえた鹿のように震える両足で大地を踏み締め。
 時が止まったようにミクロ単位のブレもない右手でショットガンを構える。
「アンタ、名前は?」
「…神聖アーリア主義第三帝国陸軍所属……"ハリー・フーディーニ"………」
 怪物戦線、継続。
 九生は棺に戻り、代わりに起こされたのは最も人を殺めた狂乱の老兵。
 心神喪失の逃亡者。
 ――第五生のハリー・フーディーニ。

    ◆ ◆ ◆

379トリックホリック ◆EjiuDHH6qo:2025/05/20(火) 23:09:17 ID:VcFvccHg0

 一方その頃。
 もう片方の戦線も、勿論地獄の有様を呈していた。
 炎が舞う。
 爆発力さえ伴って弾けた紅蓮が少女の周りを囲い込む。
 起爆剤を必要とせずに急燃焼を起こすそれがどれ程熱いのか等考えるまでもない。
 一度でもこれに巻かれればヒトは決して生存出来ないだろう。
 呼吸しただけで気道が焼け爛れる本物の焦熱地獄だ。
 そんな嚇炎に包まれた少女が炭になるまで焼き尽くされる未来は最早確実。
 そう見越されたが、然し。
 炎の渦からタキシード姿の少女がくるりと躍り出る。
 肌は愚か気取り尽くした衣服まで僅か程も焼けていない。
 そこまではいい。そういう事もあるだろう。
 だが煤さえ被っていないのは一体如何なる道理か。
 解らないし、解ろうという気も起きない。
 それが赤坂亜切の素直な感情だった。
 ひと度戦い始めれば狂気の儘に燃え盛るが性の葬儀屋の顔は酷く冷めている。
 退屈な映画でも見るような顔で少女のダンスを見つめていた。
 其処にあるのは呆れと苛立ち。
 相変わらずの目障りさを存分に発揮する怨敵も然る事ながら、未だにこの不愉快な生物一匹に手を拱いてしまう自分への不満もあった。
 そんなアギリの心理を見抜いたように脱出王、三生のフーディーニは言う。
「アギリは相変わらずだね。舞台ってのはもっとワクワクしながら楽しむもんだよ?」
「相変わらずは君の方だろオカマ野郎。どうせなら玉じゃなくて頭去勢して来いよ」
「やだ下品。ほらあれやってもいいんだよ? お姉ちゃん力がー、妹力がーってお得意の奴」
 ひらひら手を振って脱出王が言う。
 次の瞬間、山越風夏の五体は爆炎の中に消えた。
 攻撃の意思決定から現象の発生まで一秒を遠く下回る。
 アギリは荒れ狂う炎の中に躊躇なく自ら飛び込んだ。
 そうして、大火事の中で当たり前のように無傷で寛ぐマジシャンへ右手を伸ばす。
「糞に姉も妹もあるかよ」
「く、糞ぉッ!? 流石に言われた事ない悪口なんだけど!」
「あぁそう知らないようなら教えてやるよ。君の事好きな人間なんてこの世に一人も居ないからな」
 魔眼の破損はアギリを真の魔人に変えた。
 今の彼は己が肉体を火元にして燃え盛る炎の化身である。
 であればこうして接近戦に持ち込む事も当然可能。
 寧ろ対脱出王に限れば魔眼が壊れてくれた事は僥倖ですらあった。
 見てから燃やすという葬儀屋のスタイルでは脱出王に猶予を与えてしまう。
 視認し、収斂させ、発火を起こす。
 不可能を可能にする驚異の奇術師にしてみれば欠伸が出る程長大なタイムラグだ。
 その点今のアギリは工程の一と二をすっ飛ばして即発火に持ち込む事が出来る。
 更に言うなら、このムカつくマジシャンを直接自分の手で触れて燃やせる点もアギリ的には高ポイントだった。

380トリックホリック ◆EjiuDHH6qo:2025/05/20(火) 23:10:11 ID:VcFvccHg0
「はーあ。ジャックといい君といい、皆私にも心が有るって事をもうちょっと気にして欲しいね」
 とはいえ、それでも彼女に当てるのは至難を極める。
 原理等そもそも存在するのかさえ怪しい究極の脱出術は、こと避けるという事に限ればどんな宝具より高性能だ。
 実際アギリは今、ほぼ顔を突き合わせるような間合いまで近付いて燃え続けているが、炎も振るう手足も彼女に掠りさえしていない。
 死んで姿が変わっても脱出王の特性は健在。
 いや、それどころか前以上に冴え渡っていると言って良かった。
“アーチャーの方も手こずってるな。前回のシャストルじゃないが、やっぱり碌でもない奴には相応の糞が寄り付くらしい”
 その言葉がブーメランになっている自覚は勿論アギリにはない。
 我も人、彼も人。狂人達はそんな高尚な倫理とは全く無縁だ。
「だけどアギリってさ、捻くれてる風に見えて実は結構素直だよね」
「…何が言いたい?」
「あれ、解らない? 現にほら、割と簡単に私と一対一になってくれたじゃないか」
 不快感に眉間が歪む。
 気付いたからだ。
 狂人同士の1on1というこの状況は、他でもない脱出王の意図で組まれた物であると。
「あの場で話すには君のサーヴァントが邪魔でね。全くえらいの呼んでくれたもんだよ、見た所彼女、私の天敵だろ?」
「どうだかね」
「ランサーも草葉の陰で泣いてるよ。あんなに健気に君を人の道に引き戻そうと頑張ってたのに」
「そうだね、確かにあいつには気の毒な事をしたかもな。それで? 遺言は終わったかい、脱出王」
 火力上昇。
 巨大な火球と見紛う程の規模でアギリが殺意を燃やす。
「終わってないし遺言じゃないよ。折角会えたんだから、君にも教えてあげようと思ったんだ」
「教わる? ハッ、言うに事欠いて僕が君にか」
 電柱やガードレールを溶かしながら炸裂した嚇炎の中から変わらず響く声。
 アギリはその言い草に嘲笑を返すが、次の言葉を聞けば押し黙るしかなかった。
「祓葉が来るよ」
「…――おい」
 燃え上がるような殺意とは違う。
 低く凍て付いた静謐の殺意が迸る。
「君如きが気安くあの子の名前を口にするなよ。引き裂いて黒焼きにするぞ」
「嘘じゃないよ」
 煽りだとすれば話題が悪過ぎた。
 彼らの前でその名前を出す事は自殺行為にも等しい。
 然し。
 "脱出王"山越風夏もまた、彼と同じくその名に憑かれた狂人である。
「君達だって、何か察したからわざわざ新宿に来たんだろう?
 それとも何か突き止めたとか。例えば"半グレ組織の抗争"とかね」
 その読みは当たっていた。
 アギリは嘗ての職業柄、ある程度裏社会の人脈を有している。
 デュラハンと刀凶聯合…残忍で知られる二つの組織が揉めている話を仕入れるのは難しくなかった。
 デュラハンは兎も角刀凶についてはその残忍さも然る事ながら、明らかに一介の半グレ組織が持てる筈のない重武装を所有していると聞く。
 恐らく其処にはサーヴァントの介在がある。
 であれば両組織の抗争は勢力争いの皮を被った英霊同士の戦いである可能性が高いと踏み、様子見も兼ねて遥々新宿まで足を運んだ訳だ。
「祓葉の性格は君も知ってるだろう。祭りの匂いに釣られない訳がない」

381トリックホリック ◆EjiuDHH6qo:2025/05/20(火) 23:11:02 ID:VcFvccHg0
「君もお祭りの当事者って訳か、脱出王」
「御明察。私はデュラハンなんだけどね、刀凶さんちじゃあのノクトがケツモチをやってるらしい」
「そりゃまた莫迦な奴らだな。好んで時限爆弾を傍に置きたがるなんて」
「それは私も同感。でも悪国君のサーヴァントは凄いし酷いよ。私も全貌を知ってる訳じゃないが、奴は恐らく黙示録の赤騎士だ。レッドライダーって奴だね。六本木が核爆弾で吹っ飛んだのは聞いてるだろ?」
 とはいえ流石に聖杯戦争絡みの情報は流通して来ない。
 風夏が世間話感覚で言った悪国のサーヴァントの話も、アギリは初耳だった。
 …これが本当なら確かにとんでもなくでかい祭りになる。
 それこそ、神を呼ぶにはこれ以上ない規模の祭りに。
「君等だけかい? 交ざるのは」
「イリスとミロクは解らないけど、ジャックは多分来ると思うよ。他に質問は?」
 はじまりの六人の過半数が集う戦争。
 前回の規模にも劣らない大惨事となるだろう。
 ともすれば超えて来る可能性だって十分にある。
 少なくとも翌朝、この新宿の町並みが原型を留めている可能性は非常に低い。
 それがアギリの見立てだった。
「いいよ、十分だ。そういう事なら僕も出る。というか出ない理由がない」
「だよね。君ならそう言ってくれると思ってたよ」
「君等クズ共に先を越されちゃ堪らない。お姉(妹)ちゃんの家族として、しっかり一番槍を切らせて貰わないとな」
 言うアギリの声色にはあからさまな喜悦が混ざっている。
 祓葉が来る、祓葉に会える。
 それは彼にとって生き別れた家族との再会を意味する。
 少なくとも彼の中でだけは、誰が何と言おうとそうなのだ。
「情報料は私達を見逃してくれるだけでいいよ。一応は仲間だからね、デュラハンに顔出しくらいはしておきたいんだ」
「心配しなくても今の話聞いてこれ以上君にかかずらおうって気は起きないよ。時間の無駄だ」
「助かる助かる。私も貴重な令呪を開演前に減らすのは嫌だったからさ」
 アギリはあんなに燃え盛ってた炎をあっさり引っ込めた。
 彼の感情が、もう脱出王に対し昂ぶっていない事の証だ。
 祓葉という念願を前にして、他の事に割ける情熱等ない。
 今は目前の怨敵を殺すよりも、早くスカディと合流して祭りの始まりに備えたい気で一杯だった。
 相変わらず傷一つ、煤汚れ一つない風夏はアギリに手を振って踵を返す。
「またねアギリ。生き延びられたら、今の祓葉と遊んだ感想を聞かせてよ」
「考えとくよ。さよなら、ハリー・フーディーニ」
 その背中に躊躇なく右手を向けて。
 刹那、嚇炎の火炎放射を吐き掛ける。
 惜しみなく火力を注ぎ込んでの一撃は、二人の対峙する路地を埋め尽くす勢いで広がっていった。
 軈て炎が晴れた時。其処にもう少女の姿はない。
 代わりに四隅が焦げた白紙が一枚、ひらひらと舞ってアギリの手元にやって来る。

『P.S.
 君は必ず立ち去る私の背中を撃つだろう(然しそれは決して当たらないだろう)! :)』

 …読んだ瞬間に握り潰した事は言うまでもない。
 次は何が何でも絶対殺そうと心に誓った。

    ◆ ◆ ◆

382トリックホリック ◆EjiuDHH6qo:2025/05/20(火) 23:11:36 ID:VcFvccHg0

 巨人の矢が空爆のように降り注ぐ。
 その中を老人は虚ろな足取りで進む。
 当然のように矢は当たらない。
 回避の意思すら見て取れないのに、全てが空を切る。
 業を煮やしたスカディが突撃した。
 スキー板を振り翳してのインファイト。
 彼女のクラスはアーチャーだが、射手が接近戦を不得手とするなんて常識も巨人の身体能力は容易く捻じ伏せる。
 セイバーやランサーのクラスと比較しても引けを取らないだろうパワーとスピード。
 剛柔併せ持つ壮烈の暴風。
「ヴェラチュールの牝犬め、喧しいぞ」
 老人が舌打ちをした。
 足を止め、ショットガンを構える。
 ダン!! という鋭い破裂音。
 放たれたスラッグ弾は針の穴を通すようにスカディの暴乱の網目を掻い潜り、彼女の喉笛に駆けていく。
「牝犬って……まぁ間違いじゃないか。奴さんもよく嘆いてたしな、とんだケダモノを娶っちまったって」
 懐かしむように言いながら、スカディは迫る凶弾を首を横に倒して回避。
 たかが弾丸を避ける等凡そ彼女らしからぬ行動だが、それだけ老人の技巧が油断ならない物であるという事だ。
 次弾を装填する隙を与えまいと至近距離から矢を放つ。
 三射同時の拡散射撃を受けて、老人は漸く逃げ以外の行動を取った。
 シーシュポスの鎖。
 ハリー・フーディーニの最も愛用するそれを引き出し、撓らせて展開し即席の盾に用いたのだ。
「…冥界の鎖に番犬、仏教徒の地獄、南米の冥府、おまけにボケてるとはいえヴァルハラがどうこうって言動。
 全く呆れたもんだ。本当に死の国から抜け出してくる奴があるかよ」
 脱出王の真名はハリー・フーディーニ。
 異常な生存能力を有する傾奇者の魔人。
 其処まではアギリから聞いていたが、正直に言って想像を超えた奇天烈ぶりだった。
 死の国から脱出しただけでは飽き足らず、輪廻転生を重ねて歴史に名を刻み続ける怪人。
 未来の英霊という時点で特級のイレギュラーだというのに、自分自身の転生体を呼び出す等聞いた事もない。
 素直に感心さえしているスカディだったが老人は意に介する事もなく。
 何を思ったか鎖を蝸牛のヤドのように渦巻かせ、しかもそれを何層にも重ね出していた。
 譫言のように何か呟きながら。
 重ね造った鎖渦に銃口を合わせ、引き金を引く。
 ボケも極まった無駄撃ちだ。
 最初はスカディでさえそう思った。
 然し次の瞬間、彼女は心からの驚愕に目を見開く事になった。
「――ッ! おいおい嘘だろう……!?」
 放たれたスラッグ弾。
 それが、鎖の渦をすり抜けていく。
 超常的な現象等何も起きていない。
 折り重なった鎖の層の中で唯一向こう側へ通じている空洞。
 鎖の丸環で繋がった"孔"に弾丸を通しただけだ。
 孔の中を通っていく中で弾は研磨され、削られ、鋭く鋭く変形する。

383トリックホリック ◆EjiuDHH6qo:2025/05/20(火) 23:12:17 ID:VcFvccHg0
 要は――研いでいるのだ。
 弾を研ぎ、より殺傷能力に長けた魔弾に至らせようとしている!
“癪だが、防ぐしかないね…!”
 直撃すれば霊核まで貫通されかねない。
 そう直感したスカディは屈辱さえ覚えながら防御に出た。
 スキー板を構えて、自分のお株を奪う近距離射撃に対応する。
 僅かという表現では足りない程短い猶予。
 その中で彼女は出来る最善を尽くしたが……。
「――ッチ。やるじゃないのさ」
 板面には風穴。
 穴の向こうには血の色が見える。
 穿った場所は脇腹だ。
 蛇杖堂の天蠍との交戦で受けた不覚。
 今も癒えないままの傷口に銃創を追加して穿り返した。
 口から溢れた一筋の血を拭いながら、スカディは全力でスキー板を薙ぎ払う。
 老人はたたらを踏むような動きで後ろに下がって避けた。
 痴呆症特有の虚ろな目付きを泳がせながらも次弾を装填する動作には一切の無駄がない。
 五生のフーディーニは職業軍人。
 九生の中で最も、そのマジックを攻撃へ転用して生きた異端の脱出王。
 彼の魂もまた脱出を希求し続けているが、彼はその為に流血を生む事を躊躇しない。
 "果て"の猫が窮地で彼の棺を開けたのはそういう訳だ。
 最も適役のハリーを出して命を繋ぎつつ、迫る死からの脱出の望みを懸けた。
「猫に伝えときな。ちょっと見直したってね」
 スカディは言うなり板を背負ってしまう。
 これ以上の交戦意思がない事を物語る行動だった。
「アンタらの逃げ足を攻め落としてみたい気はあるが、何やら獲物の群れが来るらしい。
 少々惜しいが此処はお預けにしておくよ。そら、何処にでも逃げなボケ老人」
「………………」
 シッシッ、と手で払う動作をすると。
 老人は虚ろな目と足取りのまま、空に溶けるように霊体化した。


「やれやれ、今日は取り逃がしてばっかりだね。本番は此処からみたいだし、まぁ良いけどさ」
 不満も露わに眉を顰めてスカディは言う。
 アギリからの念話は既に伝わっていた。
 直に町が揺れる。
 血湧き肉躍り獲物群れなす、火祭りの時がやって来る。
 つまり夜の本番という訳だ。
 三度に渡って相手を取り逃している現状は腹立たしかったが、この情報に免じて良しとする。
「――退屈だったら承知しないよ。解ってんだろうねぇ、アギリ」
 狩りを続けよう。
 肉を射抜こう。
 命を屠ろう。
 猫も獣も人間も、神や化生さえ全てが彼女の獲物。
 その手に弓と矢が握られている限り、この世の誰も雪山の摂理からは逃れられない。

384トリックホリック ◆EjiuDHH6qo:2025/05/20(火) 23:13:19 ID:VcFvccHg0
【新宿区・信濃町/一日目・夜間】

【赤坂亜切】
[状態]:疲労(中)、魔力消費(中)、左手に肉腫が侵食(進行停止済、動作に支障あり)
[令呪]:残り三画
[装備]:『嚇炎の魔眼』
[道具]:魔眼殺しの眼鏡(模造品)
[所持金]:潤沢。殺し屋として働いた報酬がほぼ手つかずで残っている。
[思考・状況]
基本方針:優勝する。お姉(妹)ちゃんを手に入れる。
0:新宿の戦いに介入し、お姉(妹)ちゃんを待つ。
1:適当に参加者を間引きながらお姉(妹)ちゃんを探す。
2:日中はある程度力を抑え、夜間に本格的な狩りを実行する。
3:他の〈はじまりの六人〉を警戒しつつ、情報を集める。
4:〈蛇〉ねえ。
5:〈恒星の資格者〉? 寝言は寝て言えよ。
6:脱出王は次に会ったら必ず殺す。希彦に情報を流してやるか考え中
[備考]
※彼の所持する魔眼殺しの眼鏡は質の低い模造品であり、力を抑えるに十全な代物ではありません。
※香篤井希彦の連絡先を入手しました。

【アーチャー(スカディ)】
[状態]:脇腹負傷(自分でちぎった+銃創が貫通)、蛇毒による激痛(行動に支障なし)
[装備]:イチイの大弓、スキー板。
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:狩りを楽しむ。
0:夜の本番が来る。ワクワクするねぇ。
1:日中はある程度力を抑え、夜間に本格的な狩りを実行する。
2:マキナはかわいいね。生きて再会できたら、また話そうじゃないか。
3:ランサー(アンタレス)は――もっと育ったら遭いに行こうか。
4:変な英霊の多い聖杯戦争だこと。
[備考]
※ランサー(ギルタブリル/天蠍アンタレス)の宝具を受けました。
 強引に取り除きましたが、どの程度効いたかと彼女の真名に気付いたかどうかはおまかせします。


【山越風夏(ハリー・フーディーニ)】
[状態]:健康、うきうき&はりきり
[令呪]:残り三画
[装備]:舞台衣装(レオタード)
[道具]:マジシャン道具
[所持金]:潤沢(使い切れない程のマジシャンとしての収入)
[思考・状況]
基本方針:聖杯戦争を楽しく盛り上げた上で〈脱出〉を成功させる
0:〈デュラハン〉の所に顔を出す。
1:他の主従に接触して聖杯戦争を加速させる。
2:世界に孔穿つ手段の模索。脱出させてあげる相手は、追々探ろう。人選は凝りたいね。
3:悪国征蹂郎のサーヴァントが排除されるまで〈デュラハン〉に加担。ただし指示は聞かないよ。
4:うんうん、いい感じに育ってるね。たのしみたのしみ!
5:レミュリンの選択と能力の芽生えに期待。
6:祓葉が相変わらずで何より。そうでなくっちゃね、ふふふ。
7:決戦では刀凶に嫌がらせしつつ脱出者の候補探しをしたい。
[備考]
準備の時間さえあれば、人払いの結界と同等の効果を、魔力を一切使わずに発揮できます。

〈世界の敵〉に目覚めました。この都市から人を脱出させる手段を探しています。

蛇杖堂寂句から赤坂亜切・楪依里朱について彼が知る限りの情報を受け取りました。

【ライダー(ハリー・フーディーニ)】
[状態]:第五生のハリーと入れ替わり中
 五生→健康
 九生→疲労(大)
[装備]:九つの棺
[道具]:
[所持金]:潤沢(ハリーのものはハリーのもの、そうでしょう?)
[思考・状況]
基本方針:山越風夏の助手をしつつ、彼女の行先を観察する。
1:他の主従に接触して聖杯戦争を加速させる。
2:神寂祓葉は凄まじい。……なるほど、彼女(ぼく)がああなるわけだ。
[備考]
準備の時間さえあれば、人払いの結界と同等の効果を、魔力を一切使わずに発揮できます。

宝具『棺からの脱出』を使って第五生のハリー・フーディーニと入れ替わりました。
・神聖アーリア主義第三帝国陸軍所属。第四次世界大戦を生き延びて大往生した老人。
・スラッグ弾専用のショットガンを使う。戦闘能力が高い。
・ヴァルハラの神々に追われている妄想を常に抱いており話が通じない。

385 ◆EjiuDHH6qo:2025/05/20(火) 23:13:38 ID:VcFvccHg0
投下終了です

386 ◆EjiuDHH6qo:2025/05/25(日) 15:07:01 ID:nFrTlvJQ0
アンジェリカ・アルロニカ&アーチャー、ホムンクルス36号&アサシン、輪堂天梨&アヴェンジャー予約します

387 ◆0pIloi6gg.:2025/05/26(月) 22:59:53 ID:QX2HSDzY0
投下します。

388しんでしまったあとのことなんて ◆0pIloi6gg.:2025/05/26(月) 23:00:23 ID:QX2HSDzY0



『――――初めまして、ノクト・サムスタンプ。悪名高き〈夜の虎〉よ』

 電話の向こうの声は、開口一番そう言った。
 一瞬の驚き。だがすぐに、去来した納得がそれを塗り潰す。
 自分が唯一落とせなかった芸能事務所。
 そこに這う、得体の知れない気配――その主が平凡という方がかえって不気味だ。

「そういうアンタは綿貫さんかい? 光栄だな、天下のしらすエンターテインメントの代表取締役殿に認知されてるとは。俺もでかくなったもんだ」

 情報が追えないだけなら予想の範囲内。
 むしろ当たりを引いたと言ってもいい。
 少なくともそこには介入を察知し、拒める誰かがいる。それが分かったなら後は本格的に仕事の時間と洒落込むだけだから。

 だが。
 
『見くびってもらっては困るな、君が東京に入った情報は随分前から感知していたよ。
 私は君に比べれば非才の身だがね、情報網だけは良いものを持っているんだ』

 引き出した情報がことごとく、人を小馬鹿にしたように歪曲されていたとなれば話は別だ。
 自分の人形と使い魔を壊し、狂わせ、挑発じみた返しを送り付けてくる何者か。
 謀略戦は臨むところだ。その分野でなら時計塔のロードや上級死徒にだって引けを取らない自信がある。
 にもかかわらずノクトが二の足を踏んだ理由は、強いて言うなら"本能的な警戒"。

『例えば、君が"二周目"であることも既に知っている。
 君の手管は厄介だからな。いずれこっちから会いに行こうと思っていたので、正直手間が省けたよ』

 臆病は美徳だ。
 力のない人間が鉄火場を渡り歩く上で、これ以上の才能はない。

 それがまた、こうして証明される。
 得体の知れない怪物は当然のようにすべてを知っていた。
 自分の名はおろか、この聖杯戦争における立ち位置までも。
 であれば恐らく彼は、その情報が値千金の価値を持つことも分かっているのだろう。
 そして無論。都市の中核たる、あの白い少女のことも。

『それで? 何用かな、はじまりの狂人。
 君のことだ、私にこうして進んで関わろうとすることのリスクは承知しているね。
 それとも幻想種(おとくいさま)の庇護が利く今ならば……と思ったかな? 夜の女王は寛大らしい。家名に泥を塗った魔術使いの野良犬にさえ、変わらぬ寵愛を下さるとは』
「ハッ、あの化け物どもにそんなお優しい心なんざあるかよ。
 大事なのは契約を正しく履行することだ。それさえ抜かりなくこなしてりゃ、別に文句は言われないさ」

 所詮電話越し。
 されど、一瞬の油断も許されはしない。
 
 怪物と関わる時はいつだって緊張するが、今感じているのは完全にそれと同じだった。
 ノクトは現時点でもう既に、通話の向こうの相手を同じ人間と思うことをやめている。 
 可能なら取引(ディール)でさえ関わりたくはない相手。
 だからこそ彼は慎重を期し、機会を先延ばしにし続けてきた。
 そんな男が、決戦を控えた今このタイミングで、わざわざ破滅と隣り合わせの勝負に臨んだ理由。

 ――――ノクト・サムスタンプは、『夜の女王』と契約を結んでいる。

「で、用件か。
 そうだな、その前にひとつ無駄話に付き合って貰ってもいいかい」

 夜を見通す力。
 夜に溶け込む力。
 夜に鋭く動く力。
 これら三種を統合し、『夜に親しむ力』と呼称する。

 現在時刻は二十二時を回っている。
 夜は深まり、陽光の兆しなぞとうにない。
 であれば、それは。


「率直な疑問なんだが――――アンタ本当に、綿貫齋木なんて人間か?」


 夜の虎、非情の数式。
 そう呼ばれた傭兵の、独壇場(キリングフィールド)である。



◇◇

389しんでしまったあとのことなんて ◆0pIloi6gg.:2025/05/26(月) 23:01:26 ID:QX2HSDzY0



 激烈なまでの存在感を放って、老人はレミュリンの眼前に座っていた。
 長い白髪が目についたが、逆に言えばそれ以外に老いぼれらしい部分はひとつもない。
 灰一色のスーツとコート越しにも分かる、鍛え抜いたラガーマンを思わす筋骨隆々の肉体。
 この男を前にして衰えの二文字を想起する者がいるとしたら、それは其奴の眼が衰えているのだと言わざるを得まい。

 ――おじいちゃんって言ってなかったっけ……?

 それが、彼を見たレミュリンがいの一番に抱いた感想だった。
 絵里の話では相当な高齢ということだったが、目の前で話す男はどう見ても五十〜六十代にしか見えない。
 白髪さえなければ"老人"と言われても疑問符が付くかもしれない。そのくらい、強壮なバイタリティに溢れた男であった。

 大規模な戦闘が行われたばかりの港区を横断するのは心配だったが、あの後は幸い何事もなく目的地まで辿り着くことができた。
 レミュリン・ウェルブレイシス・スタールの現在地は蛇杖堂記念病院。
 〈蝗害〉の襲撃を受けたことで、夜も深まった今でさえ医師や看護師が忙しなく動き回っている。
 そんな状況でも、受付で一言『ジャック院長の親戚です』と伝えると慌てた様子ですぐに通してもらえた。
 今、レミュリンがいるのは記念病院の院長室。
 客人用の座椅子に座らされて、少女は〈はじまり〉を知る暴君と対面していた。

「スタール夫妻の忘れ形見か。随分と貧相なナリだが、困窮でもしているのか?」
「……えっ」

 名乗る前から言い当てられて、思わずびっくりしてしまう。
 名前のことではない。"スタール夫妻の忘れ形見"と、寂句は言ったのだ。
 つまり彼は自分が家族を失い、ひとり残された身の上であるのまで知っているということになる。
 咄嗟に絵里の方を見るが、彼女も戸惑ったような顔をしていた。

「絵里さん、受付でそこまで言ってた……?」
「言ってません言ってません! 流石に私とレミーちゃんの名前くらいは伝えましたけど、それ以上は――」
「何をコソコソやっている。私の下へ乗り込んでくる胆力があるのなら、せめて虚勢くらい張り通してみせろ。まったく……」

 ひそひそと相談し合うふたりに、寂句は呆れたように溜息を吐く。
 彼はレミュリンから視線を移し、絵里の方を見た。

「……どいつもこいつも、実に見下げた無能どもだ。忙しい中わざわざ時間を割いてやった厚遇に精々感謝するのだな」
「は、はい……! えと、それについては本当にありがたいと思ってます……っ」

 傲慢さを隠そうともしない、威圧感たっぷりの物言い。
 レミュリンは思わず気圧されて、ぺこぺこ頭を下げた。
 相手が年長者とはいえ、本来なら初対面で無能呼ばわりされたことに怒るべき場面なのだろうが、レミュリンにその度胸はなかった。
 寂句の言葉と、彼が絵里に向けた視線の意味を真に理解することないまま、恐縮した様子で寂句に遜る。

390しんでしまったあとのことなんて ◆0pIloi6gg.:2025/05/26(月) 23:02:01 ID:QX2HSDzY0

(レミュリン)
(……大丈夫。ちょっと緊張してるけど、頑張るよ)
(そっか、ならいい。
 いざとなれば俺がこの身に代えても君達を守ってやる。
 大船に乗ったつもりで、聞きたいこと全部どーんとぶち撒けちまいな)
(うん、ランサー。……ありがとね、頼りにしてる)

 レミュリンも必死だ。何せ相手はやっとの思いで掴んだ情報源。赤坂亜切の人となりを知る人物なのだ。
 それを除いてもこの男はただの老人ではない。あの白神と共に〈はじまりの聖杯戦争〉を囲んだ、始原の六人。そのひとり。
 不興を買って蹴り出されるならまだ穏当。最悪、この場で戦闘に発展する可能性すら優にあり得る相手。
 そうなれば自分ひとりの不利益じゃ済まない。善意で此処まで付き合ってくれた絵里の身にまで危険が及びかねない。
 だから兎にも角にも、目の前のいかにも気難しそうな老人を刺激しないことに全力を注ぐ。
 そんなレミュリンの健気な姿をつまらなそうに見つめ、寂句はふんと鼻を鳴らした。

「それで、あの……」
「いい。時間の無駄だ」
「――えっ、いや」
「スタールの遺児が遥々訪ねてきた時点で想像は付く。
 大方、燃やされた家族の仇について聞きたいというところだろう?
 さっきも言ったが、私は多忙なのだ。貴様の糞にもならん身の上話に付き合う気はない」

 想定していた段取りが崩壊する。
 レミュリンは、蛇杖堂寂句という男の聡明を侮っていた。
 いや、この場合に限っては――博識を、と言うべきだろうか。

「根拠なく私に辿り着いたとは考え難い。
 葬儀屋・赤坂亜切――その名前はもう探り当てているな?」
「……は、はい。そうです、ドクター・ジャクク」
「相手の善意に期待して敵陣に乗り込むなど無能の極みだが……運が良かったな。
 私はこれから大きな仕事を控えている。その前に無益な争いで消耗する気はない」

 蛇杖堂寂句もまた狂人である。それは先に述べた通り。
 が、彼は件のアギリや、レミュリンが数時間前に会敵した"蝗害の魔女"に比べれば幾らか理性的だ。
 寂句の狂気はただひとつの太陽にのみ向けられていて、彼ら特有の宿痾を刺激しない限りは多少話が通じる。
 暴君との戦闘という最悪の展開を避けられたことは、レミュリン達にとって間違いなく幸運だったと言えるだろう。

「して貴様、奴の何を知りたいというのだ?」

 胸を撫で下ろしかけるが、無論、まだ安心するような局面ではない。
 本題は此処からなのだ。幾つかの幸運と寂句の寛大に助けられてようやくスタートラインに立てた形。
 気を緩めるな。頭を回し続けろ。自分に言い聞かせながら――レミュリンは、口を開いた。

391しんでしまったあとのことなんて ◆0pIloi6gg.:2025/05/26(月) 23:04:25 ID:QX2HSDzY0

「ドクター・ジャクク。あなたは、アギリ・アカサカとしのぎを削ったって聞いてる」
「……、……」
「あなたの口から、彼の話を聞きたい。内容は何でもいいけど、できるだけ多く」
「見かけによらず贅沢な童だ。あんな異常者の人となりなど、知ったところで毒にしかならんというのにな」

 贅沢にもなる。この機を逃すわけには絶対にいかないのだから。
 聖杯戦争はこうしている今も進んでいる。港区で起きたようなことが、今後自分達の身に降りかからない保証はどこにもない。
 すべての出会いが一期一会。ひとつでも疎かにすれば家族の仇に対面することも、あの日の真相を知ることもできないまま終わってしまうかもしれない。
 その最悪を避けるためなら、レミュリンはどれだけだって欲張る気だった。
 まして今目の前にいるのはかの葬儀屋と命を懸けて殺し合い、彼を深く理解しているだろう男である。
 そして寂句は、いじらしい少女の願いを受けて――

「赤坂亜切。元・職業暗殺者。通称は葬儀屋。魔術師としては非才の部類だが、凶悪な魔眼を有する発火能力者(パイロキネシスト)」
「………っ」
「元は強烈な眼光束を用いて標的を直接発火させる代物だったが、既に奴の魔眼は故障している。
 以前ほどの必殺性はないものの、代わりに攻撃範囲と奴自身の戦闘能力に大幅な向上が見られた。
 人格もまた然り。完全に破綻している。神寂祓葉という女については知っているな? 奴は其奴の虜だ。もし顔を合わせる機会があったなら、その話題は徹底的に避けるべきだな。家族の後を追いたいのなら止めはしないが」
「……、……」
「――メモを取らなくていいのか? 後で聞き返しても私は答えんぞ、無能が。そこまで面倒を見る義理はない」
「あっ。あ、はい……! ちょ、ちょっと待ってくださいね……あれ、うあ、どこにしまったっけ、わたし……!」

 矢継ぎ早。立て板に水。
 そう呼ぶに相応しい速度で捲し立てられる情報の洪水に、レミュリンは完全に圧倒されてしまっていた。
 あたふたと慌ててメモ帳(此処に来る道中コンビニで調達)を取り出し、急ぎ乱れた筆致で聞いた内容を記録していく。

「レミーちゃん、書記はわたしがやっときますから。今は先生とのお話に集中してください」
「……ごめんなさい。お願いしてもいいですか、絵里さん」
「もちろん! ……あっ、でもわたし字汚いので……、読みにくかったらごめんなさいね?」

 見かねた絵里が進言してくれたので、レミュリンはお言葉に甘えて彼女に記録を任せることにした。
 寂句はそんなふたりの様子を、心底馬鹿馬鹿しいものを見るような目で見つめている。
 レミュリンが「……失礼しました。続けてください」と言うと、彼はもう一度溜息をついてから、話を再開。

「現在のサーヴァントは真名『スカディ』。北欧神話に綴られた狩猟女神だ。
 戦闘能力も脅威だが……スカディには、父スィアチの両眼を天に奉じさせた逸話が存在する。
 先ほどの交戦では看破できなかったが、天からの射撃宝具か――ないしは地上監視宝具のようなものを所持していても不思議ではないな」

 それは既に聞いていた情報ではあったが、物言いが可怪しい。
 何故雪村鉄志が実際に会敵して得た情報を、この男がもう知っているのか?

「現在、って――戦ったんですか。今の、彼と」
「痛み分けに終わったがな。これが証拠だ」

 灰色のコートの袖口を捲り上げる、寂句。
 曝された右腕には、無残な火傷が痛ましく残っていた。

 思わずレミュリンは息を呑む。
 まだ蛇杖堂寂句という男と対面して数分しか経過していないが、それでも彼が類稀な才覚を有した人間であることは伝わった。
 そんな寂句でさえもが、これほどの手傷を負わされる相手。
 自分がどこかで家族の仇、葬儀屋と呼ばれた魔人を甘く見ていたことを思い知らされる。

392しんでしまったあとのことなんて ◆0pIloi6gg.:2025/05/26(月) 23:05:16 ID:QX2HSDzY0

「額面上の情報はこんなところだろう。他に聞きたいことは?」
「……ドクター・ジャククの眼から見て、アギリ・アカサカはどんな人間だった?」
「先も述べた通り、破綻者だ。異常者とも言い換えられるが、まあ大意は変わらん。
 あの男は既に救いようなく捩れ果てている。付ける薬がないとはまさにあのことだ。
 もし有意義な対話など期待しているのなら諦めろ。奴にそれを求めることは、獣相手に議論を吹っ掛けるようなものだからな」

 ――狂人。そんな言葉が、改めて脳裏をよぎる。

 同時にレミュリンは、もうひとつ思い知った。
 家族の仇、赤坂亜切。
 彼と実際に対峙したその時、"話ができる"とそう思い込んでいた浅はかな認識。
 それがどうしようもなく幼稚な希望的観測だったことを、寂句の言葉を受け痛感した。

「前回の奴は、どちらかと言えば虚無的な側面の目立つ男だったのだがな。
 祓葉に出会ったのが運の尽きだ。その正気はすべて、白光の前に焼き尽くされて消えたらしい。
 奴の中に人間味のようなものが一欠片残っていたとして、それを引き出せるのは事の当人以外にはあり得まい。
 少なくとも貴様でないのは確かだろう。レミュリン・ウェルブレイシス・スタール」
「そう……、……ですか」

 虚無感と喪失感。
 ふたつのむなしさが、心の中を満たす。
 そんなレミュリンのことなど一顧だにせず、寂句は話を結んだ。

「話は終わりだ。これ以上、私が奴について知っていることはない」
「分かった……ありがとう。忙しい中、わざわざお話をしてくれて」
「用が済んだならさっさと帰れ。私の気が変わらない内にな」

 想像していたよりもずっとあっさり終わったが、聞きたいことはすべて聞けた。
 赤坂亜切の情報と、その人となり。
 寂句が語るそれには、レミュリンを納得させるだけの説得力があった。

「奴へコンタクトを取る手段はないか、などとは聞くなよ。
 私とあの男は互いに不倶戴天。穏当な関係など万にひとつもあり得ん間柄だ」

 アギリのもとまで辿り着く足がかりを貰えないかという期待を先読みしたように寂句が釘を刺す。
 こうなると、これ以上この場所に長居する理由はなかった。
 の、だが――

「……あの、ドクター・ジャクク」
「まだ何かあるのか?」

 もうひとつ、レミュリンには聞きたいことがあった。
 赤坂亜切の話とは違う。此処に来て、彼と対面してから込み上げた疑問だ。
 しかし今聞かねばならないと、それこそこの機を逃してはならないと、自分の魂はそう叫んでいる。
 だからこそレミュリンは、わずかな逡巡の後に口を開いた。
 聞きたい欲求。そしてそれと相反する、"聞けば取り返しのつかないことになる"という奇妙な予感のせめぎ合いが生み出した一瞬(せつな)。
 知りたい気持ちが、不穏に勝った。

「あなたは……わたしの家族のことを、知ってるの?」

 受付で絵里が言ったのは、レミュリン・ウェルブレイシス・スタールという名前だけだ。
 なのに寂句は、自分のことを"スタール夫妻の忘れ形見"と呼んだ。

393しんでしまったあとのことなんて ◆0pIloi6gg.:2025/05/26(月) 23:05:47 ID:QX2HSDzY0
 その一握の不可解に今更ながら問いを投げる。
 それを受けた寂句は、はじめてわずかに黙った。

 そして。

「スタールは名門だ。歴史も長く、その道では有力者の一角に数えられる。
 私の分野とは異なるが、……古い知り合いにうんざりするほど絡まれたことがあってな。その兼ね合いで少し調べた」

 男は、話し始める。
 ある女から聞いた、ある家の話を。


「知りたいのか」

 
 言われて、レミュリンは予感の意味を理解する。

 これは、自分にとってのパンドラの箱だ。

 頭じゃ分かっているのに見ないふりをしてきたこと。
 だって思い出は、綺麗なままの方が嬉しいから。
 あの日消えてしまった家族の笑顔を、せめて記憶の中でだけは美しいままにしておきたかったから。
 けれどそれは、真実を求める姿勢とは真逆の逃避行動だ。
 夢を見続けるか。現実に目を向けるか。
 レミュリンが選んだのは、後者だった。

「……うん。教えて、ドクター・ジャクク」

 斯くして閉じられ、伏せられ、燃やされたアルバムは開かれる。
 灰になったスタールの魔術師達が思い描いた理想(ユメ)の片鱗。
 ある一条の光を通じ、暴君と呼ばれる男の知るところとなった誰かの悲願。
 
 ――――時を超える炎を求めた人々の、愚かな憧憬。



◇◇

394しんでしまったあとのことなんて ◆0pIloi6gg.:2025/05/26(月) 23:06:15 ID:QX2HSDzY0



 冴え渡る頭脳が、記憶の海に溶けた断片的情報を直ちに整理し繋ぎ合わせていく。
 "夜に鋭く動く力"とは、何も肉体的なものだけを指すのではない。
 脳を動かす――つまり、思考速度の向上にも極めて大きな影響を与える。

 平時でさえ誰もに警戒を強いる策謀家が。
 半ば人智を超えた域まで強化された頭脳を携えて、闇に紛れながらやって来るのだ。
 夜のノクトはまさしく鬼人。その推理は名探偵のようにバラバラのピースをかき集め、怪物の輪郭を暴き立てる。

「スタールという家名を知ってるか」
『さて。どうだったかな』

 "綿貫齋木"の答えを無視して、ノクトは続ける。
 その口はいつにもまして淀みなく動く。

「アンタも知るように、俺は前回の聖杯戦争に列席した経験者なわけだが――参戦にあたり、もちろん競合相手のことはひと通り調べたんだ。
 中でもひときわ警戒していたのがある殺し屋の男。葬儀屋・赤坂亜切」

 危険度で言えば蛇杖堂や、大勢力を擁するガーンドレッド家も大概だったが。
 カタログスペックで見た場合、やはり赤坂亜切は群を抜いて恐ろしい存在だった。
 何しろ原則、一度見られればそれで終わりなのだ。
 警戒を怠ってうっかり遭遇でもしてしまったら目も当てられない。
 故にノクトは、徹底的に調査を重ねた。
 彼の出自、手口、後ろ盾。そして、過去に行った"仕事"の実績までもを。

「こいつがまた実にタチの悪い仕事人でよ、調べれば調べるほど戦慄したよ。
 相手の身体そのものを火種にして燃やしちまうから、後には一切証拠が残らないんだと。
 手口が手口だから野郎の犯行だってこと自体は分かるんだけどな、じゃあ何故それが派遣されたのかって経緯に関しては、状況証拠から推測するしかないんだ。依頼する側からすりゃ、こんなに都合のいいことはねえよな」

 ――そこで見つけた。

「スタール家暗殺事件。魔術師の夫婦と、その後を継ぐ筈だった長女。生き残ったのは当日不在だった次女ひとり。
 俺がそいつらの件を記憶に残してたのは、この事件だけ、どうやっても納得の行く"推測"が立てられなかったからだ」

 証拠が残らないと言っても、被害者の人間関係や背景情報を漁れば推測だけは立てられる。
 実際、ノクトが漁った事件の被害者たちは、概ね何かキナ臭い背景や目に見えて分かる恨みを抱えていた。
 過去の恨み、権力闘争。そうした諸々の理由のもと、灰と化したのだろうケースがほとんどな中で。
 スタール家の事件は異質だった。調べれば調べるほど、突き止めれば突き止めるほど、ホワイダニットがぼやけていく。

「調べる中、日本のヤクザ者の名前が出てきたときは流石に頭を抱えたよ。
 しかもそいつが、暗殺者養成組織の経営をシノギにしてたって話まで出てくるじゃないか。
 もう情報の大渋滞って感じだった。何もかもがチグハグで線が通らない。こうなると、俺みたいな人間は弱くてな」

 推理を深めていけば、そこに浮かび上がるべきはヒトガタのシルエットである筈。
 なのにどんどんその輪郭が歪んでいく。腕がない。足がない。身体が長い。奇妙な流線型を描いている。
 何か、いる。そう思った。情報という藪の中に隠れ潜んだ、得体の知れない何者かの存在を、確かにノクトは幻視した。

395しんでしまったあとのことなんて ◆0pIloi6gg.:2025/05/26(月) 23:06:56 ID:QX2HSDzY0

「結局匙を投げたよ。別に探偵の真似事がしたいわけじゃねえからな。
 世の中いろんな奴がいるもんだって折り合いを付けて、それで終わりだ。
 けどアンタの会社に人形を送って、得体の知れない現象に直面した時、何故かあの時のことを鮮明に思い出した」
『何を言うかと思えば……とんだこじつけだな。策謀を究めるのは結構だが、考えすぎるのは身体に毒だよ』
「ジェームズ・アルトライズ・スタール」

 通話越しにも分かる、意味の違う沈黙が流れた。
 ノクトが牙を剥き出す。
 獲物を見つけた虎のような、そんな顔だった。

「どうした? 俺はただ、話の続きをしようとしただけだぜ」
『……、……』
「まあいい。引き続き無駄話に付き合ってくれよ」

 まるで、チェスの名人が勝利を確信して手を重ねるように。
 ノクトの言葉が、顔も知らない誰かの足取りを克明に暴き出していく。

「ウェルブレイシスの名を冠してない辺り、殺されたスタール夫妻とは遠縁だったんだろうな。
 残された次女の後見人を買って出て、あれこれ支援してやってたらしい。泣かせる話だよ」
『それで?』
「しかしジェームズ氏の脛には傷がある。
 というか疑惑だな。こいつは冬木の聖杯戦争が終結した後、かの地に入った魔術師のひとりなんだが。
 その折に調査を笠に着て、触媒に使われたとある物体を盗み出したんじゃないか……って疑惑だよ」

 冬木の聖杯戦争。
 過去の運命。まだ白い神が生まれていない時代に起こった、第五次の戦い。
 未だに全貌は明らかにされてはいないものの、"あった"こと自体は魔術を齧った者ならば誰もが知っていると言っていい。
 
「御三家の一角が死蔵してた、"この世で最初に脱皮した蛇の抜け殻の化石"。
 これを盗み出したって疑惑がジェームズ氏にはあった、らしい。俺もツテを辿って聞いた話だから、真偽の程は断言できないけどな」
『匙を投げたのではなかったかな?』
「おいおい、出すカードの順番を選ぶのは当然だろ?
 此処までは、スタール家暗殺の黒幕を突き止める道中で調べ終えてたよ。
 そして順番を選んだ甲斐はあったみたいだな。声のトーンが少し、ほんの少しだけど変わってるぜ。綿貫さん」

 後ろ暗い疑惑の付きまとう男は、スタールの末席を汚していて。
 ウェルブレイシスの名を冠する本家筋の血族は、ひとりを残して抹消された。
 不穏と猥雑を極めた混沌が、嚇炎の中に消えた魔術師達の周りに集約されている。
 これが推理小説の告発劇なら落第点。
 されども。ノクトは探偵ではなく、傭兵だ。
 かの"魔術師殺し"にさえ通ずるもののある――非情の数式。

 その証拠に、彼が抱いている確信の材料はかき集めた証拠だけでは終わらない。
 夜のノクトは魔人。暗闇に潜んで躍動する虎柄の獣。

「アンタ今、誰かと一緒にいるな?」

 彼を単なる策謀家と侮った者の末路は、常に共通している。

396しんでしまったあとのことなんて ◆0pIloi6gg.:2025/05/26(月) 23:07:56 ID:QX2HSDzY0

「電話口から環境音が一切聞こえない。
 完全なる無音だ。あらゆる音の消えた凪の中で、アンタの声だけが響いてる。
 サーヴァントと念話してる時に近いな。頭の中に直接声だけが流れ込んでくるあの感じ。
 防音室の中にいるとか興醒めな言い訳するのは止してくれよ? 怪物にも怪物なりに、プライドのひとつふたつはあるだろう」

 夜に親しむ――夜を聞き分ける。
 超強化されたノクトの聴力ならば、通話越しに相手の遥か後方で行われた会話の内容を聞き分けることさえ造作もない。
 その彼が太鼓判を押す"完全なる無音"。
 綿貫齋木を名乗る得体の知れない男の声だけが聞こえ続ける空間。
 言うまでもなく、これは異常なことだった。衣擦れや家鳴りの音すら聞こえない場所など、仮にノクトの言うような防音室を用意したって簡単には実現できないだろう。

 何らかの異常な手段を使って、この通話は発信されている。
 では何故、そうする必要があるのか。
 如何に情報痛とはいえ、ノクト・サムスタンプが夜の女王から得る恩恵の仔細まで把握しているわけでもあるまいに、何故そうまで徹底することを選んだのか?

 夜の虎は、こう考えた。
 内容はもちろん、誰かと話しているという事実すら知られたくない"同行者"。
 そんな他者と、この綿貫某は――そう名乗るナニカは共に行動している。恐らくは"綿貫齋木"ではない顔と名前で。
 
「……ま。ひと通り格好つけてはみたが、流石にそれが誰かまでは分からねえから安心しな。
 挨拶としてはこのくらいでいいか? これだけやってみせれば、アンタに俺の価値って奴は示せたと思うんだが」

 ひとしきり推理を披露し終えたところで、ノクトはあっけらかんと笑ってみせた。
 実際、確証が持てているのは此処までだ。
 これ以上は情報が不足しすぎている。推測を通り越して、ただの山勘で物を言うことになる。
 だから、その続きは言わなかった。


 ――――アンタ、今、スタールの忘れ形見と一緒にいるんじゃないか?


 その言葉は伏せた。
 策謀で戦うのなら、一番避けるべきは憶測で空回りすることだ。
 今開示できる限りの手札で価値を示し、不敵ぶった相手の輪郭を可能な限りで暴き立てる。
 そこまでやって、ノクトにとってはようやく"ご挨拶"。
 鬼が出るか、蛇が出るか。それとも仏か。
 ノクトの鼓膜を揺らしたのは、実に愉快げな笑い声であった。

『うん、やられたね。そこまで優秀だとは思わなかったよ、ノクト・サムスタンプ』

 声色が違う。
 比喩ではなく、本当に別人の声が流れてきた。
 強化された聴力が、完全に違う人間の声紋であるという分析結果を叩き出す。
 ノクトの推測は正しい。綿貫齋木。そんな人間、最初からこの世のどこにもいない。

『偽りの名で欺いた非礼を詫びよう。
 綿貫齋木は世を忍ぶ仮の名、そのひとつ。
 "僕"の本当の名前は――――』

 さあ、来たぞ。
 てめえの顔(ツラ)を見せてみろ。
 ノクトは、夜の隣人たる彼はほくそ笑み。
 
 続く言葉を待って、そして……


『――――神寂縁という。姪と仲良くしてくれてありがとうね、ノクト君』


 描いていた算段も、悪巧みも。
 その何もかもが、ただ一言で粉々に消し飛ばされた。



◇◇

397しんでしまったあとのことなんて ◆0pIloi6gg.:2025/05/26(月) 23:08:55 ID:QX2HSDzY0



「根源への到達。それはすべての魔術師にとっての悲願であり、誰もが到達する絶望のカタチだ」

 蛇杖堂寂句は言う。
 レミュリンは、静かにそれを聞く。

「その道程はあまりに長く、遠い。蓄えた知識も極めた魔術も、描いた未来のヴィジョンさえも、多くは子々孫々に託して果てることになる。
 よしんば当代で成し遂げられる好機を得たとして、歓喜のままに進んだ先には抑止力という最大最凶の障壁が待ち受ける。
 それでも魔術師という生き物は、そう成った時点で彼方の根源を目指さずにはいられない。愚かだが、そういう習性なのだ」

 講義(じゅぎょう)のようだと、レミュリンは思った。
 熟練の講師を思わせるほど堂に入った語り口、佇まい。

「聖杯戦争の現在の様式を確立した冬木の戦いもまた、初志はそこにあったとされている。
 目指す手段は文字通り千差万別。正誤はさておき、家の数だけアプローチの手段があると言っても大袈裟ではない。
 そしてその中には、この世において最も普遍なる森羅(げんしょう)――"時間"に目を付けた者がいた」

 なまじそうであるからこそ、これから語られるのが自分の家の話であることをともすれば忘れそうになる。

「ある魔術師を例に挙げよう。
 その男は、自らの固有結界の内側で流れる時間を操作することに長けた魔術師だった。
 彼はそこから発想を飛躍させる。己が魔術の要領を転用し、時間を無限に加速させようと目論んだ。
 そうすれば理論上は、宇宙の終焉すら生きたまま観測することができる。これを以って根源へ到達できるのだと、男は信じた」 

 話のスケールに、頭がくらくらしてくる。
 亡き姉は、こんなものと向き合いながら暮らしていたのか。
 そう考えると頭が下がる。ただの生まれた順番が、ふたりをこうまで隔てていたのかと、そう思った。

「だが無能は無能を呼ぶ。
 男は欺瞞で表舞台を追われ、舞台の端でつまらない死を遂げた。培った魔術と理論は遺失し、今はその思想が遺るのみだ。
 されど時を手段に据えたのは彼だけではない。彼と似て非なるものながら、根本的には同一の考え方で、根源へ迫ろうとした者がいた」
「――――それが」
「そう。貴様の両親だ、レミュリン・ウェルブレイシス・スタール。
 私が推測するに、貴様の親が目指した到達手段は『燃焼時計』。生まれた燃え滓の量で時間を観測するやり方だ」

 衛宮矩賢は失敗した。
 彼の研究は遺失したが、志を同じくする者は残っていた。
 そのひとりもとい一家こそ、スタール家。
 そしてレミュリンとその姉ジュリンを設け、十数年後に灰と消えた夫婦である。

398しんでしまったあとのことなんて ◆0pIloi6gg.:2025/05/26(月) 23:09:37 ID:QX2HSDzY0

「炎と、それを燃焼させる触媒を用いることでの時間加速。
 衛宮のように停滞までは得手としない代わりに、火力と加速を両立させる優れた魔術であったと聞いている」

 もちろん、レミュリンはそれを知らなかった。
 だって彼女は"次女"だ。
 魔術とは関係のない世界で、安穏と育ってきた。
 なまじ姉が優秀だったから、スペアとして調整されることもなく済んだ。
 そこにあったのが徹頭徹尾ただの合理だったのか、それとも親の情というやつだったのか、それを知る術はもはやない。

「が、アプローチの手法はやはり衛宮に限りなく近い。
 奴の理想を正当に後継できる者は魔術界広しと言えども、まさしくスタールの魔術師だけであったろうな。
 私に言わせれば疑義の余地は多分にあるが……、赤坂の介入さえなければ正否を占う時は間近だったものと推察できる」

 心臓の鼓動が、やけに大きく聞こえる。
 この先を聞いてはならない。
 本能がそう告げているのが分かった。

「体内時計という言葉は知っているな?」

 ……どくん。どくん。
 判断を急かすような鼓動。
 それでも、頷く。
 頷くしかない。
 
「ヒトの体内にも時計はある。衛宮矩賢が着眼したのがこれだ。
 正確性に悖るのは難点だが、それは外的処置で幾らでも穴埋めが利く」

 どくん――。
 ひときわ激しい鼓動に、胸が鈍く痛んだ。

「されど計測に燃焼を用いるからには、時を記録するための燃え滓が必要だ。
 しかしこれについては容易い。ヒトは命ある限り無限に成長し、無限に考え、無限に行動する生物である。
 無論、定命の生物である時点で真の意味で無限とはとても言えないが――今ある細胞のすべて、成長過程で新たに生まれる細胞のすべて。その他体内で生じる信号を始めとしたあらゆる要素を有意数として数えるのならば、それはもはや事実上の無限数だ。
 要素ひとつを一秒とするならば、延命に延命を重ねて限界寿命まで生きるのを前提とするならば、記録される数値(びょうすう)は宇宙の終焉にも届き得るだろう」

 今すぐにでもこの場を逃げ出せと、内なる己が言っている。

「改良や軌道修正はあったろうが、この思想自体は私の調べた限り、スタールの初代から連綿と受け継がれてきたものだ。
 すなわち初代(ウェルブレイシス)。私が貴様の家について知ったのは他人伝手だが、この名に関しては別でな。
 学ある魔術師ならば誰もが一度は耳にし、思いを馳せたことのあるだろう先駆者。そして歴史に残る、偉大なる"失敗例"」

 ――生家に飾られていた肖像画を、レミュリンは思い出していた。
 優しげな微笑を浮かべた、どこか自分や姉に似た面影のご先祖様。
 父が、母が、いつも言っていた。この人は偉大なお方なのだと。
 だから魔術について無知な身でも、なんとなく、ときどき絵に向かってお辞儀したりなんかしていたっけ。

399しんでしまったあとのことなんて ◆0pIloi6gg.:2025/05/26(月) 23:11:10 ID:QX2HSDzY0

「ウェルブレイシスの落ち度は、生まれる時代を間違えたことだ。
 人体を燃焼時計とするには素体の念入りな調整と改良が要る。
 魔術的処置はもちろん、無能どもが忌み嫌う科学の粋にも助力を得なければならない境地だ。
 が、彼女の時代にそれはなく――魔術を極めるために科学を頼るという発想からして今以上に日陰のそれだった」
「……、……」
「よって当然の如くに彼女は失敗した。
 記録の手段を用立てることにこそ成功したものの、観測に堪える自我を維持する点で仕損じたのだ。
 観測者がなければただの寿命の長い時計。永遠に等しい歳月を背負って廃人化した白痴の人形。
 斯くしてウェルブレイシスの叡智と理想は、徒花として失墜した」

 されどその理想は、悠久の歳月を経て現代の子孫まで受け継がれていた。
 更には、彼女の冒した失敗も。
 
「此処からは更に推測の割合が増えるが」

 レミュリンは知らないことだが、スタール家の魔術刻印は既に衰退期に入っていた。
 魔術師にとって回路の質とは命。ひとたびこれが毀損されれば、比喩でなく地位すら失うアキレス腱だ。
 
 故に当代のスタールは焦っていた。
 せめて娘の代で結実させなければ、ウェルブレイシスの悲願は遠からず水泡に帰す。
 大義を失い、歴史を失うこと。歴史ある家であればあるほど、その現実に耐えられない。
 過熱した使命感はアクセルを踏み込ませる。たとえレールの先が、人道を逸した領域に繋がっていると分かっていても。

「貴様の両親は、自分達が生きている間に初代超越を成し遂げんと目論んでいたのだろう。
 燃焼時計理論の肝は寿命だ。後で調整を加えるとはいえ、素体は若ければ若いほどいい。
 よって恐らくは次代。一番上の跡継ぎを素体に使い、根源へ挑もうとしたのだろうな」
「――え」

 次代。一番上の、跡継ぎ。
 頭の中のアルバムがぱらぱらと開く。
 笑顔、怒り顔、呆れ顔。今でも昨日のことのように思い出せる、"家族"と過ごした日々の記憶。
 いつも優しくて、だけどたまに厳しくて、更に時々年相応な。
 姉の顔を、レミュリンは想起した。聞きたくない。聞いてはいけない。この先は、もう。

「具体的な手段までは流石に専門外だが……初代の失敗と、以後数百年に渡る研究成果。
 衛宮矩賢のアプローチ法。時を経て加速(ねんしょう)に特化させた魔術形態。
 後は若く優秀な素体さえあれば、成否はともかく"挑む"ラインまでは辿り着けたと看做せなくもない。
 最上の"時計"をもってして観測を始め、残された者達で調整と延命を重ねながら終焉観測を続けさせる。
 まあそんなところだろうよ。門外漢の私が此処まで推測できるという時点で、上手く行ったかどうかは非常に怪しいと言わざるを得んが」

 ジュリン・ウェルブレイシス・スタールは、いつもレミュリンにとって理想の姉だった。
 父と母も、厳しくも優しく、姉と区別することなく愛情を注いで育ててくれた。
 記憶の中の家族写真。あんなにも色鮮やかに輝いていたそれが、途端にセピアを通り越して白黒に褪せていくのがわかった。

400しんでしまったあとのことなんて ◆0pIloi6gg.:2025/05/26(月) 23:12:36 ID:QX2HSDzY0

 息がうまくできなくて、思わず胸元をぐっと押さえる。
 はぁ、はぁ、と痛ましい呼吸を繰り返すレミュリンを、眼前の医者はただ冷ややかに見つめていた。

 魔術師も人である。
 しかし彼らは人のまま、大切なものを切り捨てることができる。
 そこに矛盾は存在しない。彼らはいつだって一貫している。それが、魔術師という人種の生態/原罪なのだ。

「私は貴様の家に興味などない。
 が、所見だけは告げてやろう――――いや、それすら最早不要か。
 凡才ではあっても地頭には恵まれているようだな。そう、"その通りだ"」

 初代ウェルブレイシス。
 時の彼方を夢に求めた偉大な先人。
 最初に生まれた『燃焼時計』。

 そして、彼女の理想と失敗を学んで大義を目指した当代のスタール。
 初代の優れた部分は継承し、逆に劣っていた部分は改良を加える。
 目指すのは新たなる時計。今度こそ陥穽のない、生きながらに時の最果てを観測できる至高の完成品。
 若く、才覚に溢れ、それでいて使命に殉ずる気高い志を秘めた素体。

 たとえ自分を待ち受ける未来が、ひどく緩慢で終わりのない、報われる保証もない無間地獄だとしても。
 それを誉れと、生まれた意味だと受け入れてくれる、そんな――


「レミュリン・ウェルブレイシス・スタール。真に家族を想うなら、貴様は赤坂亜切に感謝するべきだ。
 奴が現れたからこそ、貴様の姉は人間として死ぬことができたのだから」


 ――決して救われることのない"誰か"が、スタール家には必要だったのだ。


 気付けばレミュリンは口に手を当て、部屋の外に走り出していた。
 込み上げてくるものに耐えられなかった。
 溢れてくるそれを、手のひらで必死に堰き止めながら。
 走り去る彼女の背中を、苦々しげに歯噛みした英雄が追っていく。
 
「……あちゃあ。レミーちゃん、大丈夫かな」

 絵里は眉をハの字にしながら、開け放たれたままの扉を見つめて言う。
 サーヴァントなき状況で、悪名高き〈はじまりの六人〉の中でも最強と称される男の前に取り残された形。
 如何に寂句が戦闘の意思を見せていないとはいえ非常に危険な状況だったが、絵里に怯えた様子はなかった。

401しんでしまったあとのことなんて ◆0pIloi6gg.:2025/05/26(月) 23:13:29 ID:QX2HSDzY0

「あなたも、もうちょっと言葉を選んで伝えてあげてくださいよ。
 あの子、優しい子なんですから。あんなマシンガントークでいろいろ教えられたらパンクしちゃうでしょ」
「知りたいと願ったのはアレ自身だろう。私はそれに応えただけだ。
 肝は据わっているようだが、メッキが剥げれば所詮年相応の無能だな。話はまだ途中だったというのに」

 蛇杖堂の姓を持つふたりだけが、院長室に残された。
 片や恐るべき〈畏怖〉の狂人。無限の叡智を蓄えた、神をも恐れぬ暴君。
 そしてもう片方は、彼の支配を嫌って市井に逃され、それでも宿命から逃げ切れなかった非業の娘。

「次代の末路については概ね推測通りだろうが、不可解な点は残る。
 まず第一に、勝算の脆弱さだ」
「あれ。さっきスタートラインには立ててるって言ってませんでした?」
「根源を目指す者として最低限の基準は満たせているというだけだ。
 根源があの程度で辿り着けるほど近郊にあったなら、今頃とうに真理は解明されているだろうよ。
 抑止力への対策も明らかに不十分。端的に言って、記念受験のようなものと看做さざるを得ん」

 辛辣な指摘だったが、蛇杖堂寂句は傲慢ではあっても、根拠のない罵倒をする男ではない。
 彼の言葉は事実、的を射ている。
 スタール夫妻の勝算が寂句の推測通りだとすると、それはあまりに稚拙な挑戦だ。
 迫るタイムリミットを前に狂ったのだと安易な解釈に逃げることもできるだろうが、もしそうでないとするならば?

「思うに、外部からは推測もできんような隠し玉を抱えていたのだろう。
 スタール夫妻の切り札はそれで、真の勝算はそこにあったとするのが妥当だ」
「なるほど。
 それこそ、供給を必要とすることなく永遠にエネルギーを生み続ける炉心とか?」
「そうだな、案外答えはそんなところかもしれん。
 興味はないがな。考察したところで当事者も器も今や物言わぬ灰になって墓の下だ。不毛に尽きる」
「あはは、それもそうですね」
「続いて第二だが。何故、葬儀屋がスタール家に差し向けられたのか、だ」

 寂句は言う。
 絵里は聞く。
 女の顔には、それこそ親戚のお爺ちゃんの昔話を聞くみたいな人懐っこい笑みが浮いていた。

「此処だけは、どう考えても線と線が繋がらん。
 スタールの秘策を知り、欲しがった何某かが差し向けた可能性はあるが」
「じゃあそれがすべてなんじゃないですか?
 あ、じゃあこんなのは? アリマゴ島の悲劇を受けた協会は、実は時間系の魔術師に警戒を強めててー、みたいな」
「無能め、協会があんなキナ臭い男になど頼るかよ。
 まあ、現状で考察するにはあまりにも論拠が足りなすぎる。
 現状では秘儀の強奪を狙った同業者の差し金とするのが妥当ではあるだろうな」
「あらら。先生らしくないですね、それじゃ今までの話って無駄だったんじゃないです?」
「再三言っているように、私個人はこの話に特段の興味などない。
 だが、多少の好奇心が生まれたことは否定せん。
 せっかくの機会だ。大仕事の前の暇潰しがてらに、ひとつ謎解きに興じてみるのもいいかと思ってな」

 寂句の眼光が、鋭く研ぎ澄まされる。
 絵里は変わらず微笑みながら相対していて、そこにはわずかな怯みも見て取れない。

「――――なあ、〈少女喰い〉よ。孤児の涙は旨かったか?」

 一見すると脈絡のない問いかけ。
 されど絵里は、蛇杖堂の末席を汚す女は。
 そういうカタチを選んだ怪物は、見惚れるほど可憐に微笑んだ。

「ええ。とっても」



◇◇

402しんでしまったあとのことなんて ◆0pIloi6gg.:2025/05/26(月) 23:14:28 ID:QX2HSDzY0



 ――こいつは、何を言っているんだ?

 ノクト・サムスタンプは、柄にもなく忘我の境に立っていた。
 彼を愚鈍と罵るのは間違いだ。嗤うなら彼ではなく、その身を蝕んだ狂気を嗤うべき。
 彼は、彼らは、決してその言葉を聞き流せない。正しくはその名前を、無視できない。
 怪物の見本市、〈はじまりの六人〉。彼らが共通して抱える唯一の欠陥が此処に表出する。

『綿貫齋木。山本帝一。ジェームズ・アルトライズ・スタール。
 お察しの通り、すべて僕だよ。
 見抜いたのは君で二人目だ。ちなみに一人目は、蛇杖堂のご老体』

 神寂縁。
 神寂。
 "彼女"のことを、これは姪と呼んだ。
 
『強いて指摘するなら、少し情報が古いかな。
 ちょうど君達が東京で乱痴気騒ぎしている頃、ジェームズは死体になってテムズ川に浮かんだよ。
 遠坂からくすねたあの抜け殻の話を突っつかれたくなかったものでね。何せアレ、もうとっくに取り込んじゃったからさ』

 考えてみればそれは当然のこと。
 あの白神も一応は人の子として生まれ落ちたのだから、同じ血を宿す親類は必ずこの世のどこかに存在している。
 なのに今突き付けられるまで、欠片もそのことを想定できていなかった。
 神寂祓葉に同胞がいるなどと。自分達六人が出会う前の彼女を知る誰かが存在することを。
 ノクトほどの知恵者が、一度たりとも想像すらしなかった事実。
 これはどんな罵倒よりも痛烈に、夜の虎を打ち据えた。
 奇しくも今日の昼間、蛇杖堂寂句が"その名"を聞いただけで動転した声をあげたように。

『じゃあ用件を聞こうか。同盟? 交渉? 取引? よい返事を約束はできないが、聞くだけは聞いてあげるよ』

 動揺はすぐに落ち着き。
 やがて、失笑に変わった。
 己の体たらく、決して拭えぬ宿痾を負った事実に自嘲が止まらない。
 小賢しさだけが取り柄の落伍者から、その美点さえ取ったら何が残るのだと嗤った。

 されど――すぐに切り替える。
 そうしてノクトは、不定形の蛇に向き合った。

「じき、新宿で大きな戦いがある。俺はそこに参ずるつもりなんだが、その後のことを考えていてな」
『港区も大変なことになっちゃったしなぁ。いよいよお祭りだね、楽しそうで実によろしい。それで?』
「ドクター・ジャックのことは知ってるんだろ?
 じゃあ説明は省くが、俺はあの爺さんほど楽観的にはなれない。祓葉をこんな序盤で討てるなんて夢想、とてもじゃないが出来ねえんだわ」
『ふむ』
「新宿の戦いが落ち着いた後、俺は本格的に対祓葉を見据えて動き出すつもりだ。
 ついてはその時計算に加えられる要素がひとつでも欲しい。 
 ……縁さんよ、アンタはもう今の祓葉(アレ)と遭ったのかい?」

403しんでしまったあとのことなんて ◆0pIloi6gg.:2025/05/26(月) 23:15:08 ID:QX2HSDzY0

 問い掛け。
 答えは、すぐに返った。

『ああ。遭ったよ』
「なら話が早い。凄まじいだろ? あいつ」
『まったくもって同感だ。少なくとも現状じゃ、まともにやってたら誰も勝てないだろうね』
「だからこそ、使えるものはひとつでも多く確保しておきたい。必要なら一筆書くぜ」
『ははは、面白いジョークだな。サムスタンプの名前を聞いて契約に同意する人間はいないだろう』
「だろ。俺も最近乗ってくれる奴がマジでいなくて困ってるから、まあ自虐ネタみたいなもんと思ってくれ」

 ははは。
 はははは。
 乾いた、一ミリの親愛も窺えない笑い声が木霊する。
 片や無音の中に。片や雑踏の中に。

『いいだろう。実際僕も、あの娘のことは何か考えないといけない頃だと思っていたのでね』

 声が止むと同時に。
 蛇の、囀りが響く。

『新宿の大戦、実に結構だ。今のところ馳せ参じる気はないが、それはそれとして興味深い。
 ついてはノクト君。かの地で、君の同胞――〈はじまりの六人〉をひとり落としてはくれないかな』

 次はノクトが、沈黙を返す番だった。
 その言葉は、伊達や酔狂で口にしていいものではない。
 少なくとも、現人神が誕生したあの聖杯戦争を知る者以外は。
 決して軽々しく口にするべきではない、それほどの値打ちと重さを持つ言葉。
 
『ご老体に啖呵を切られてしまってね。
 なんでも、君等の権利を奪わなければ、僕は同じ高さには上がれないのだとか。
 僕は統べるのは好きだが、誰かに統べられるのはとても嫌いなんだ。
 よってこのルールは速やかに崩したい。僕も僕で頑張るが、君が手伝ってくれるのならそれはとっても嬉しい』

 彼は黒幕(フィクサー)。
 邪魔なものがあれば退けるが、それは何も、彼自ら行うとは限らない。
 これの真髄は暗躍者。圧倒的に肥大化させた力をその身に蓄えながら、ただの一度もヴェールを脱いだことがないのがその証拠。
 
「そいつは俺も臨むところだが……足元見られたもんだな」
『確かにいささかアンフェアな取引なのは否めないか。
 そうだ、じゃあこうしよう。君が見事に成し遂げたら、その時はこちらから一筆したためる』
「……へえ」
『無論内容の精査は必要に応じて行うが、多少はこちらも譲歩しよう。
 これをどう受け取るかは君次第だがね』

 ノクト・サムスタンプには、狙っているものがある。
 それは道具だ。それは兵器だ。
 刀凶聯合の王が抱える戦略兵器(レッドライダー)。
 血染めの騎士。黙示録の赤。いつか来る神戦に備えて抱えたいもうひとつの武器。
 その過程で、狂人のひとりを落とすのは彼にとっては既定路線。
 神寂縁との取引があろうがなかろうが、やるべきことは何も変わらない。
 だというのに追加で、そこにひとつ旨味が転がってきた。
 人界の魔王との契約。神を撃ち落とす矢、神を焼き払う炎、そして神を貪り喰う悪。

「分かった。戦況が落ち着き次第、追って連絡入れるよ」

 吐いた唾、飲むんじゃねえぞ――。
 嗤うノクトに、蛇もまた。

『そっちこそ。くれぐれも僕の期待を裏切らないように頼むよ、ノクト君』

 傲慢を隠そうともせずにそう言って、通話が切れた。
 ……蛇杖堂絵里(カムサビエニシ)がスタール家の忘れ形見と共に蛇杖堂記念病院を訪れる、数十分前の攻防であった。



◇◇

404しんでしまったあとのことなんて ◆0pIloi6gg.:2025/05/26(月) 23:15:53 ID:QX2HSDzY0



「貴様には失望したよ。いや、元より期待もしていなかったが。
 やはり貴様は無能以前の、単なる下等な畜生らしい。
 "権利"をもぎ取ってこいと命じた筈だがな、まさか趣味にうつつを抜かして遊んでいるとは思わなかった」
「んー……まあそう言われると返す言葉もないんですけど。
 だってしょうがないじゃないですか、あなた達調べれば調べるほど中身スカスカの燃え滓なんですもん。
 一応ウチのアーチャーには捜索を続けさせてますよ? でもこっちもモチベの維持に苦労するっていうか」

 蛇杖堂の魔術師は、この世界ではすべて東京を退去している。
 その事実に対する当て付けのように選ばれた番外の顔。
 魔術師の運命から放逐された、善良で幸の薄い娘。
 すなわち蛇杖堂絵里。レミュリンは知らない。そんな人間、この世のどこにも存在しないことを。

「ていうかわたしのレミーちゃんをあんまりいじめないでくださいよ。
 そりゃ曇らせれば曇らせるほど出汁の出る子なのは分かりますけど、何事にも段階ってものがあってですね。
 今は成功体験を積ませながら、少しずつ育てていく段階なのに。いきなり全部ネタバラシしちゃうなんてエンタメが分かってなさすぎです」
「知るか、気色の悪い。貴様に比べればあの娘の方が幾分マシだ。少なくとも会話を交わす意義がある」
「可愛いですよね、あの子。いじらしいっていうか、初々しいっていうか」

 蛇杖堂絵里など存在しない。
 その顔(ガワ)は、ある男の亡き娘が持っていた可能性である。

「――知らんと言ったぞ、神寂縁。まったく救えないことだ。神寂の血はどこまでも呪われているらしい」
 
 殺し、貪り、取り込んだ魂を自在に被る異形の怪物。
 起源覚醒者の成れの果て。死徒に非ずして、それに限りなく近く。
 ともすれば上回り得る、暗黒と欲望のフィクサー。
 闇の大蛇。支配の蛇。この都市において最も尊く、最も忌まわしい姓を冠する生き物。

 真名、神寂縁。
 最大の悪意。今も尚世界を蝕み続ける、命ある呪いである。

「ひどい言い草ですね、まったく」

 絵里のロールを崩そうとはせずに、美女の顔で蛇の悪意を覗かせる。
 レミュリンと彼女の英霊が戻って来ていないことは常時確認済み。
 不遜としたたかさを共存させた姿は、まさに傲慢。
 畏怖の狂人の同類と呼ぶべき、傍若無人の性がそこには宿っている。

405しんでしまったあとのことなんて ◆0pIloi6gg.:2025/05/26(月) 23:16:33 ID:QX2HSDzY0

「むしろわたしは、あなたのことをちょっと見直したんですけどね。
 さっき燃え滓と言いましたけど、正確には生焼けの焼死体って表現が正しいのかな。
 ふふ、うふふ。実にいじらしいことじゃないですか。ジャック先生?」
「何が言いたい」
「いえ、そのね。ずいぶんとお優しいことだと思って。
 如何に自分には関係がなく、ともすれば競合相手の狂人を追い詰める種にもなることとはいえ――悩める女の子にわざわざ懇切丁寧、この世の残酷さを教えてあげるなんて。天上天下唯我独尊を地で行く蛇杖堂の御大も、若い子にはついつい甘くなっちゃうのかな」

 ええ、ええ。
 わかってますよ。
 違いますよね。

 絵里は言う。
 蛇は、言う。

「アレは義理でしょ。あなたなりの、此処にはいない"誰か"への」

 寂句は、答えない。
 答えぬまま、静かに眼前の異物を見据えていた。
 現世への異物。社会への異物。太陽とは似て非なる藪底の怪異。
 これは聡い。これは敏い。特に、付け入る隙を見出すことには。

「いやね? 実はわたし、ずぅっと首をひねってたんです。
 それこそ線と線が繋がらない。あなたがどうして、アンジェリカ・アルロニカを助けたのか」

 それは、この女(おとこ)が知らぬ話だ。
 あの狂騒病棟に、蛇の姿は確かになかった。
 あったら寂句が気付かないわけがない。

 だが、絵里は当然のようにその話を口にした。
 寂句も、いちいち動じたりなどしない。
 この怪物を相手にそうすることの無意味さを、既に知っているからだ。

「ようやく分かりました。分かった上で、微笑ましく聞き届けさせてもらいましたよ。
 スタールは燃焼。アルロニカは電磁。どちらも衛宮矩賢亡き後、時間制御の両翼と呼ばれた家々です。
 わたしはこの都市でスタールの遺児に出会ったけれど、あなたはアルロニカの遺児に出会っていた。
 そしてわたしと違って――あなたにとってアルロニカは、そもそもまったくの他人ではなかった。違います?」

 女の顔で蛇は笑う。
 ちろりと口元から覗かせた舌は蠱惑的(セクシー)ですらあって。
 誘うような色気とは裏腹に、どうしようもないほどの破滅を予感させる。
 唆されて林檎を齧ったアダムとイヴがそう堕ちていったように。
 奈落の爬虫類は、藪の王は、いつだって人の弱みに敏感だ。

406しんでしまったあとのことなんて ◆0pIloi6gg.:2025/05/26(月) 23:17:21 ID:QX2HSDzY0

「わたしね、運命っていうのは本当にあると思うんですよ。
 それは引力のようなもので、誰の意思とも無関係にただそこにある無形の渦潮」
「倒錯の果てに詩人気取りか。つくづく見るに堪えん生き物だな、貴様は」
「哀れ志半ばで夭折したアルロニカの雷光。
 魂を灼くとまでは言わずとも、あなたはそこに何かを見たのでしょう、ジャック先生。
 わたしが思うにその体験は、先生があの子――祓葉ちゃんに敗れた理由にどこかで通じておられるのでは?」

 そして燃え尽きたあなたのもとに、過去が引き寄せられてきた。
 雷光の継嗣。彼女の旧友の忘れ形見。
 時を操らんとした魔術師達の落とし子が、次々と現れ始めた。

 蛇は語る。
 嗤うように。

「ぜんぶ推測ですけどね。
 でもその顔を見るに、そんなに的外れなこと言ったわけでもないのかな」

 ゆっくりと椅子を立ち上がった〈蛇〉。
 その言を聞き終えた寂句は、静かに口角を歪めた。

「抜かせ。あの聖杯戦争に列席することもできなかった半端者が、何を芯を食ったつもりになっているのだ」

 蛇杖堂寂句は稀代の鉄人。
 文武併せ持ち、清濁を併せ呑み、そうして君臨する霊峰めいた壁だ。
 故に暴君。彼の君臨は死を超えて尚盤石であり、今もその存在は誰もの脅威であり続けている。
 すべてが合理で構築された彼の内界にただひとつ残ったブラックボックス。
 何故、蛇杖堂寂句は神寂祓葉を救ってしまったのか?
 それは大義のためにあらゆる無駄を削ぎ落とした男が向き合うべき最後の命題なのかもしれない。

 だが。だとしても。

「説法など貴様には似合わんだろうよ、化け物。
 おまえはこの都市で最も、ある意味では祓葉よりもヒトからかけ離れた存在だ」

 ――ヒトですらあれなかった"怪物"の言葉に心を動かされるほど、蛇杖堂の暴君は若くない。

「あなたからお墨付きをいただけるなんて光栄ですね。
 わたしも自覚はしてますよ。自分にひたすら正直に生きてる内に、気付けばこんな風になっちゃいまして」
「――ク。なんだ、光栄と言ったのか?
 流石は化け物だな。称賛と罵倒の区別も付かんらしい」

 寂句の言葉に、女の顔をした蛇は微笑んだままだ。
 が、その表情に微かな疑問の色が滲んだのを寂句は見逃さなかった。
 恐らく、本当に何を言われているのか分からないのだろう。
 化け物にとって、自分がヒトではないと言われることは賛辞以外の何物でもないから。
 自分の診断が正しいことを確信して、人間の医者は成れ果ての怪物を心から憐れんだ。

407しんでしまったあとのことなんて ◆0pIloi6gg.:2025/05/26(月) 23:17:58 ID:QX2HSDzY0

「貴様は自分を何か途方もなく高尚な存在とでも信じているのだろうが、医者としては同情のひとつもしたい気分だよ。
 なあ、かつて神寂縁という人間だった名無しの化け物。
 私に言わせれば、貴様はとても憐れな生き物だ」
「……? 驚きましたね。負け惜しみです? それ」
「自分でも似合わない台詞だと思うがな、今の私はそれなりに機嫌がいい。
 よってレミュリン・ウェルブレイシス・スタールにしてやったように、貴様にも講釈を聞かせてやろう」

 レミュリンとそのサーヴァントが去った今。
 この部屋には、二体の怪物がいた。
 比喩表現上の怪物と、正真正銘の怪物。
 奇しくも共に"蛇"の字を冠した、恐るべき者達が。

「今まで正常だった人間の性格が突如として変化することは、特別珍しい事例でもない。
 統合失調症に代表される精神疾患。アルツハイマー病や脳腫瘍などの進行性脳疾患。
 他には頭部外傷の後遺症としての高次脳機能障害などが挙げられるな」

 人体の仕組みは複雑怪奇。されどその分、わずかな理由でバグが生じる脆さを内包している。
 特に脳。そこに不測の事態が起きた場合、時に人は元あったカタチをたやすく失う。
 穏やかな人間が暴力的に。活発な人間が無気力に。その人の美点を食らいながら、それは無慈悲に誰かの日常を破壊する。

「この世に存在するあらゆる物事は、"起源"という正體を必ず持っている。
 人間も例外ではないが、九割九分の人間にとっては単なる生き様の指向性以上の意味を持たない。
 しかし時折、これを拗らせる者が現れる。起源覚醒者。つまり貴様のような存在だよ、神寂縁」

 医学上の問題ならば、それは悲劇と呼ぶべきだ。
 だが、科学の領分を超えたところで生じる同種の現象は、もはやその域では収まらない。
 魂の裡から呼び起こされた原初の衝動。
 起源を覚醒させた人間は超人へ至るが、代償として精神までもがヒトの構造からかけ離れていく。

「誰もが起源を抱えている以上、これはもはや人間を構成する要素のひとつとするべきだろう。
 であればそれが原因で生じる異変を、医学に通じた者としてなんと呼ぶか? そう、"病気"だ」
「……ほう」
「伝わったかな、神寂縁。
 医師として診断を下そう。貴様は病人だ。
 不運にも不治の病に罹ってしまい、誰にも救われることなく自己を失った憐れな人格荒廃者だ。
 ヒトを超えた超越者ではない。ヒトであり続けることすらできなかった、ただのみすぼらしい怪物だよ」

 斯くして、診断は下る。
 超越者の自負を一刀の下に切り捨てる医学的所見。
 ぱち、ぱち、ぱち、と。拍手の音色が響いた。

「面白い。実に興味深い内容でした。
 悪魔とか異常者とか呼ばれたことはあるけど、流石に病人扱いされたのは初めてだなぁ」

 〈支配の蛇〉は感想を口にする。
 どこか他人事のように、その性を微塵も揺らがせることなく。
 語る一方で、愉悦の眼光をもって寂句を見据えている。
 先ほどまでよりも一段、蛇は暴君に対する認識を引き上げた。

「ま、心の隅に留めておきますよ。
 祓葉ちゃんに挑むんでしょう? 頑張ってくださいね、応援してますから」

 この怪物に評価されることの意味を理解しながら、それでも寂句は怯まず不敵な顔でこれに応える。

「貴様に言われるまでもない。
 そして為すべきことを為し、それでもまだ私の命が残っていたならば……次は貴様だ、化け物。今そう決めた」

 神に挑み、あるべき場所に還すこと。
 それが寂句の至上命題だ。
 そのためなら命さえ賭ける覚悟だし、成し遂げた先に自分の命が残らなくても構わないと覚悟している。
 されどもしもこの身に未来が残ったなら、貴様は殺す。寂句は、神と同じ姓を持つ忌まわしき生物にそう告げた。

「憐憫を以って、その心臓に白木の杭を突き刺してやろう。
 せいぜい今の内に欲を満たしておけ。私は最期の晩餐を許すほど寛大ではないのでな」
「ふふ、それはいい。楽しみにしてますよ」

 蛇は殺意を受け入れて、艶やかに舌を出した。
 受けて立とうと、同等以上の不敵が示される。
 これは、この世で最も救い難きモノ。
 星座の対極、奈落の怪物。

「その時は"僕"としてお相手しましょう。――――ではご武運を、人間・蛇杖堂寂句」

 都市最悪の醜穢はそう言い残し、素知らぬ顔で、レミュリンを追って院長室を出ていった。

408しんでしまったあとのことなんて ◆0pIloi6gg.:2025/05/26(月) 23:18:30 ID:QX2HSDzY0




「……、よかったのですか。マスター・ジャック」

 蛇の退室を見届けて、天蠍・アンタレスが霊体化を解く。
 その顔は相変わらず表情の起伏に乏しいが、微かに苦々しく見える。
 彼女の言わんとすることは、寂句なら当然分かる。
 無理もない。あの怪物は蠢く害虫のようなもの。他者を不快にさせることにかけて、神寂縁は随一と言っていい生命体だ。
 抑止の派遣した機構(システム)からさえそういう情緒を引き出してのける辺り、やはり蛇は怪物なのだろう。

「要らん気を回すな。あれしきの戯言で腹を立てるほど、私が餓鬼に見えるか?」
「いえ……、……ですが」
「それに、……クク。存外に有意義な会話だった。
 義理。義理か。この私にそんな概念を見出したのは生涯で奴が初めてだ。
 化け物と語らうというのも悪くないな。率直に言って、知見が広まった気分だよ」

 一方で寂句は、上機嫌さえ滲ませていた。
 アンタレスにはその理由が分からない。
 彼女でなくとも、誰であろうと理解できなかったに違いない。
 何しろ他でもない寂句自身さえ、それは蛇の嘲りを聞くまで視界に収めてさえいない観念だったのだから。

「私は祓葉へ挑む。これは確定事項だ。誰にも譲らんし、何があろうと此処を揺るがすつもりはない」

 そこが、ノクト・サムスタンプと蛇杖堂寂句の最大の差異。
 ノクトもまた祓葉に強く懸想しているが、寂句のそれは性質が違う。
 彼は祓葉を畏れている。畏れるが故に、祓葉天送に懸ける情念は狂気の域に達して余りある。
 
 ノクトならば、まだ祓葉には挑まない。
 だが寂句は挑む。
 彼は、神寂祓葉という恐るべき超越者が地上に存在している事実に耐えられないから。
 誰が無謀と謗ろうと、道を阻む何かに出会おうと、何人たりとも蛇杖堂寂句の足を止めるには能わぬ。
 そう、そしてそれ故に。

「暫く話しかけるな。少し、思索を深めたい」

 畏怖の狂人は此処で、取り零したピースを拾い上げる行程に着手した。
 数理の如き合理性で突き進んできた彼がその生涯に残す唯一の謎。
 星を葬れる絶好の好機に、自らの手でそれを投げ捨てた最低最悪の愚行の意味。
 これを解明することこそが、来たる大祓の時に対する一番の備えになると確信したからだ。

「――――失点をそのままにしておくのは、我慢ならん質でな」

 己はきっと、大きな陥穽を抱えている。
 その確信を胸に抱き、賢者は聖戦を前にして思索を開始した。
 何故自分はあの日、あの時、あの星空の下で――――神寂祓葉を殺せなかったのか?



◇◇

409しんでしまったあとのことなんて ◆0pIloi6gg.:2025/05/26(月) 23:19:07 ID:QX2HSDzY0



 魔術師とは、冷酷な生き物だと。
 そう聞かされたことは確かにあった。
 
 レミュリンは魔術師の子であるが、しかし彼女はそれとほぼ一切関わりを持つことなく育った。
 だから、聞いても今ひとつ現実感を持てなかった。
 しかしそれもついさっきまでの話だ。
 かけがえのない思い出はすべて、無情な現実というインクでべとべとに汚されてしまった。
 恐らくもう二度と、元の色合いに戻ることはない。
 便器に胃の中のものを全部ぶち撒けながら、レミュリン・ウェルブレイシス・スタールは初めて選んだ道を後悔した。

 自分からすべてを奪ったあの日、炎の日。
 葬儀屋・赤坂亜切による殺戮の日。
 あれさえなければと思った回数は両手の数じゃとても利かない。
 けれど。彼の凶行があろうがなかろうが、欠点は絶対に生まれていたという。
 根源への到達というまったくピンと来ない"大事なこと"のために、姉の笑顔は失われることが決まっていたのだと。
 97点か99点か。違いは、それだけ。

 汚れた口元を洗うこともしないまま、よろよろおぼつかない足取りで廊下へ出ると。
 ルーと絵里のふたりが、心配そうな顔をして待っていた。
 絵里が駆け寄ってくる。背中を擦りながら、ハンカチで口を拭ってくれた。
 ありがとうございます、と呟いて、自分でもびっくりする。
 自分のものとは思えないほど枯れきった、生気のない声だったからだ。

 ふたりが何か語りかけてくれている。
 優しい言葉なのだろうと、思う。
 けれど、それに応える余力がない。
 言葉がうまく入ってこないし、出てきてもくれない。
 
(レミュリン)

 頭の中に響く声は、彼女がいちばん信頼する相棒のもの。
 彼を父のようだと思ったことは、正直なところ何度もあった。
 失ってしまったものと重ねて見るなんて彼にも本当の父にも失礼だと思っていたけれど、今はそれとは違う意味で、自己嫌悪の念に囚われる。

(ごめん……ごめん、ランサー、わたし、わたし、は……っ)

 ――自分がいかに、見たいものしか見ていなかったのかを知ってしまった。
 
 スタール家の光の部分。
 楽しくて優しい団欒だけを見て。
 その裏にある悲劇を、何も見てこなかった。
 だから無知のままに、彼と亡き父を重ねていたのだ。

410しんでしまったあとのことなんて ◆0pIloi6gg.:2025/05/26(月) 23:19:26 ID:QX2HSDzY0
 なんて弱いのだろう、私は。
 込み上げる嫌悪はまたしても吐き気を伴った。
 しかしそんなレミュリンを、ルーは優しく慰めるでもなく、かと言って厳しく糺すわけでもなく。

(少し、話をしようか)

 共に星を見上げながら語らうような、どこか望郷に似た感傷を漂わす声色で、そう言った。

(俺の話だ。まあ、昔話だな)

 導く者。それが此度のルー・マク・エスリン。
 彼は英雄である。そして本来、神でもある。
 光の象徴、長い腕の太陽神。
 されど。たとえ神であろうとも、闇を持たないモノはこの世に存在しない。

 そうしてルーは、紐解くように語り始めた。
 失墜した赤紫(マゼンタ)の子に、闇の中を照らす標をもたらすように。



◇◇



 問。
 ジュリン・ウェルブレイシス・スタールは何故、〈古びた懐中時計〉を持っていたのか?


 ――無回答。欠点1。



◇◇

411しんでしまったあとのことなんて ◆0pIloi6gg.:2025/05/26(月) 23:19:52 ID:QX2HSDzY0
【港区・蛇杖堂記念病院/一日目・夜間】

【蛇杖堂寂句】
[状態]:疲労(小)、魔力消費(小)、右腕に大火傷
[令呪]:残り2画
[装備]:コート姿
[道具]:各種の治療薬、治癒魔術のための触媒(潤沢)、「偽りの霊薬」1本。
[所持金]:潤沢
[思考・状況]
基本方針:他全ての参加者を蹴散らし、神寂祓葉と決着をつける。
0:――時は定まった。であれば備えるのみ。
1:神寂縁は"怪物"。祓葉の天送を為してまだこの身に命があったなら、次はこの血を絶やす。
2:当面は不適切な参加者を順次排除していく。
3:病院は陣地としては使えない。放棄がベターだろうが、さて。
4:〈恒星の資格者〉は生まれ得ない。
5:運命の引力、か……クク。
[備考]
神寂縁、高浜公示、静寂暁美、根室清、水池魅鳥が同一人物であることを知りました。
神寂縁との間に、蛇杖堂一族のホットラインが結ばれています。
蛇杖堂記念病院はその結界を失い、建造物は半壊状態にあります。また病院関係者に多数の死傷者が発生しています。

蛇杖堂の一族(のNPC)は、本来であればちょっとした規模の兵隊として機能するだけの能力がありますが。
敵に悪用される可能性を嫌った寂句によって、ほぼ全て東京都内から(=この舞台から)退去させられています。
屋敷にいるのは事情を知らない一般人の使用人や警備担当者のみ。
病院にいるのは事情を知らない一般人の医療従事者のみです。
事実上、蛇杖堂の一族に連なるNPCは、今後この聖杯戦争に関与してきません。

アンジェリカの母親(オリヴィア・アルロニカ)について、どのような関係があったかは後続に任せます。
→かつてオリヴィアが来日した際、尋ねてきた彼女と問答を交わしたことがあるようです。詳細は後続に任せます。
→オリヴィアからスタール家の研究に関して軽く聞いたことがあるようです。核心までは知らず、レミュリンに語った内容は寂句の推測を多分に含んでいます。

赤坂亜切のアーチャー(スカディ)の真名を看破しました。

【ランサー(ギルタブリル/天蠍アンタレス)】
[状態]:疲労(中)、全身にダメージ(中)、消沈と現状への葛藤
[装備]:赤い槍
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:神寂祓葉を刺してヒトより上の段階に放逐する。
0:大義の時は近い。
1:蛇杖堂寂句に従う。
2:ヒマがあれば人間社会についての好奇心を満たす。
3:スカディへの畏怖と衝撃。
4:霊衣改変のコツを教わる約束をした筈なのですが……言い出せる空気でもなかったので仕方ないですが……ですが……(ふて腐れ)

412しんでしまったあとのことなんて ◆0pIloi6gg.:2025/05/26(月) 23:20:21 ID:QX2HSDzY0
【レミュリン・ウェルブレイシス・スタール】
[状態]:疲労(小)、全身にダメージ(小)、精神的ショック(大)
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:6万円程度(5月分の生活費)
[思考・状況]
基本方針:――進む。わたしの知りたい、答えのもとへ。
0:わたし、は。
1:胸を張ってランサーの隣に立てる、魔術師になりたい。
2:ジャクク・ジャジョードーの情報を手に入れ、アギリ・アカサカと接触する。
3:神父さまの言葉に従おう。
[備考]
※自分の両親と姉の仇が赤坂亜切であること、彼がマスターとして聖杯戦争に参加していることを知りました。
※ルーン魔術の加護により物理・魔術攻撃への耐久力が上がっています。
またルーンを介することで指先から魔力を弾丸として放てますが、威力はそれほど高くないです。
※炎を操る術『赤紫燈(インボルク)』を体得しました。規模や応用の詳細、またどの程度制御できるのかは後のリレーにお任せします。
※アギリ以外の〈はじまりの六人〉に関する情報をイリスから与えられました。
※〈はじまりの聖杯戦争〉についての考察を高乃河二から聞きました。
※アギリがサーヴァントとして神霊スカディを従えているという情報を得ました。
※高乃河二、琴峯ナシロの連絡先を得ました。

※右腕にスタール家の魔術刻印のごく一部が継承されています(火傷痕のような文様)。
※刻印を通して姉の記憶の一部を観ています。

※高乃河二達へ神寂祓葉との一件についての連絡を送ったと思われます。
※蛇杖堂寂句からスタール家に関する情報と推測を聞かされました。
 寂句の推測も混ざっているため、必ずしもこれがすべて真実だとは限りません。

【ランサー(ルー・マク・エスリン)】
[状態]:疲労(小)、魔力消費(小)、右腕に痺れ
[装備]:常勝の四秘宝・槍、ゲイ・アッサル、アラドヴァル
[道具]:緑のマント、ヒーロー風スーツ
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:英雄として、彼女の傍に立つ。
0:レミュリンと、話をする。
1:レミュリンをヒーローとして支える。共に戦う道を進む。
2:神寂祓葉についてはいずれだな。今は考えても仕方ねえ。
3:今更だが、馬鹿じゃねえのか今回の聖杯戦争?
[備考]
予選期間の一ヵ月の間に、3組の主従と交戦し、いずれも傷ひとつ負わずに圧勝し撃退しています。
レミュリンは交戦があった事実そのものを知らず、気づいていません。
ライダー(ハリー・フーディーニ)から、その3組がいずれも脱落したことを知らされました。
→上記の情報はレミュリンに共有されました。

413しんでしまったあとのことなんて ◆0pIloi6gg.:2025/05/26(月) 23:20:49 ID:QX2HSDzY0
【神寂縁】
[状態]:健康、ややテンション高め、『蛇杖堂絵里』へ変化
[令呪]:残り3画
[装備]:様々(偽る身分による)
[道具]:様々(偽る身分による)
[所持金]:潤沢
[思考・状況]
基本方針:この聖杯戦争を堪能する。
1:レミーはかわいいね。
2:蛇杖堂寂句とはゆるい協力関係を維持しつつ、いずれ必ず始末する。その時はどうやら近そうだ。
3:蝗害を追う集団のことは、一旦アーチャーに任せる。
4:楪依里朱に対する興味を失いつつある。しかし捕食のチャンスは伺っている。
5:祓葉は素晴らしい。いずれ必ず腹に収める。彼女には、その価値がある。
6:ノクト・サムスタンプの戦果に期待。衛星を落とすのは、何も僕自身の手でなくても構わないだろう?
[備考]
※奪った身分を演じる際、無意識のうちに、認識阻害の魔術に近い能力を行使していることが確認されました。
 とはいえ本来であれは察知も対策も困難です。

※神寂縁の化けの皮として、個人輸入代行業者、サーペントトレード有限会社社長・水池魅鳥(みずち・みどり)が追加されました。
 裏社会ではカネ次第で銃器や麻薬、魔術関連の品々などなんでも用意する調達屋として知られています。

※楪依里朱について基本的な情報(名前、顔写真、高校名、住所等)を入手しました。
 蛇杖堂寂句との間には、蛇杖堂一族に属する静寂暁美として、緊急連絡が可能なホットラインが結ばれています。

※赤坂亜切の存在を知ったため、広域指定暴力団烈帛會理事長『山本帝一』の顔を予選段階で捨てています。
 山本帝一は赤坂亜切に依頼を行ったことがあるようです。
  →赤坂亜切に『スタール一家』の殺害を依頼したようです。

※神寂縁の化けの皮として、マスター・蛇杖堂絵里(じゃじょうどう・えり)が追加されました。
 雪村鉄志の娘・絵里の魂を用いており、外見は雪村絵里が成人した頃の姿かたちです。
 設定:偶然〈古びた懐中時計〉を手にし、この都市に迷い込んだ非業の人。二十歳。
    幸は薄く、しかし人並みの善性を忘れない。特定の願いよりも自分と、できるだけ多くの命の生存を選ぶ。
    懐中時計により開花した魔術は……身体強化。四肢を柔軟に撓らせ、それそのものを武器として戦う。
    蛇杖堂家の子であるが、その宿命を嫌った両親により市井に逃され、そのまま育った。ぜんぶ嘘ですけど。

→蛇杖堂絵里としての立ち回り方針は以下の通り。
 ・蝗害を追う集団に潜入し楪依里朱に行き着くならそれの捕食。
  →これについては一旦アーチャーに任せる方針のようですが、詳細な指示は後続の書き手にお任せします。
 ・救済機構に行き着くならそれの破壊。
 ・更に隙があれば集団内の捕食対象(現在はレミュリン・ウェルブレイシス・スタールと琴峯ナシロ)を飲み込む。

※蛇の体内は異界化しています。彼はそこに数多の通信端末を呑み込み、体内で操作しつつ都度生成した疑似声帯を用いて通話することで『どこにでもいる』状態を成立させているようです。
 この方法で発した声、および体内の音声は外に漏れません。

※神寂縁の化けの皮として、レミュリンの遠縁の親戚であるジェームズ・アルトライズ・スタールが追加されました。
 元の世界で夫妻と姉の死後、後見人を買って出た魔術師です。既に死亡済み。
 神寂縁はこの顔を使い、第五次聖杯戦争終結後の冬木市は遠坂家から『この世で最初に脱皮した蛇の抜け殻の化石』を盗み、取り込んでいます。

414しんでしまったあとのことなんて ◆0pIloi6gg.:2025/05/26(月) 23:21:21 ID:QX2HSDzY0
【???/一日目・夜間】

【ノクト・サムスタンプ】
[状態]:健康、恋
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:莫大。少なくとも生活に困ることはない
[思考・状況]
基本方針:聖杯を取り、祓葉を我が物とする
0:悪魔との契約、か。笑えねえな。
1:当面はサーヴァントなしの状態で、危険を避けつつ暗躍する。
2:ロミオは煌星満天とそのキャスターに預ける。
3:とりあえず突撃レポート、行ってみようか?
4:当面の課題として蛇杖堂寂句をうまく利用しつつ、その背中を撃つ手段を模索する。
5:煌星満天の能力の成長に期待。うまく行けば蛇杖堂寂句や神寂祓葉を出し抜ける可能性がある。
6:満天の悪魔化の詳細が分からない以上、急成長を促すのは危険と判断。まっとうなやり方でサポートするのが今は一番利口、か。
[備考]
 東京中に使い魔を放っている他、一般人を契約魔術と暗示で無意識の協力者として独自の情報ネットワークを形成しています。

 東京中のテレビ局のトップ陣を支配下に置いています。主に報道関係を支配しつつあります。
 煌星満天&ファウストの主従と協力体制を築き、ロミオを貸し出しました。

 前回の聖杯戦争で従えていたアサシンは、『継代のハサン』でした。
 今回ミロクの所で召喚された継代のハサンには、前回の記憶は残っていないようです。

 蛇杖堂寂句から赤坂亜切・楪依里朱について彼が知る限りの情報を受け取りました。

415 ◆0pIloi6gg.:2025/05/26(月) 23:21:38 ID:QX2HSDzY0
投下終了です。

416 ◆l8lgec7vPQ:2025/05/30(金) 04:25:30 ID:6kUGLvpA0
投下します

417PARADE ◆l8lgec7vPQ:2025/05/30(金) 04:32:32 ID:6kUGLvpA0

 撒き散らされた鉄の礫が肉を穿つ。
 吹き上がった爆熱の風が骨を弾く。
 吐き出された暴力の波が人を呑む。

 乱れた映像を映す画面(スクリーン)の内側で、破壊の旋風が吹き荒れている。
 銃撃、爆撃、その他、非人道的な兵器諸々が振るう暴力のオンパレードが、人間と建物とを一緒くたに薙ぎ倒す。
 栄えた繁華街の中心にて、ばら撒かれていく鉄火の飛沫。
 BGMもなく、兵器が奏でる甲高いSEだけを背景に、文明が壊されていく様をただ記録したような映像。
 六本木という一つの街を滅ぼした、それは戦争の記録だった。

 千代田区、北部。
 新宿区との境界縁辺に位置する雑居ビルの一室。

 対立組織デュラハンとの決戦を前に。
 中央区のアジトから移動してきた悪国征蹂郎は、剥き出しのコンクリートに背を預けて座ったまま、その映像を観ていた。

 無感動に、垂れ流される破壊の記録を俯瞰している。
 どれだけの血が流れようが、どれだけの理不尽な殺戮が繰り返されようが。
 彼にとっては日常の景色であったが故、眉一つ動かすことはない。
 そして、それを日常としていた者は、ここにもう一人。

「……アグニさんのライダーは原則として、マスターからの魔力補給を必要としないのですね」

 隣に慎ましく座る少女、アルマナ・ラフィーはそう、ポツリと呟いた。

「どうして……そう思った?」

 征蹂郎は平時の低いトーンのまま言葉を返す。
 しかし視線は一瞬、スクリーンから外れ、少女の表情を横目に見た。

「戦闘規模に対し、アグニさんの負担が軽すぎるからです」

 対して少女は画面を見つめたまま、一切視線を動かすことなく会話を続ける。
 成人であっても、まともな感性であれば目を覆いたくなるであろう凄惨な戦争の記録を、少女は平然と直視する。
 征蹂郎と同じように、無表情のまま眺めている。

 その周辺には、色とりどりのお菓子が無造作に転がっていた。
 女児受けの良さそうな、沢山のチョコレート、キャンディー、ガム、ラムネ、エトセトラ。
 集結する聯合のメンバー達が、挨拶ついでに次々と置いていったモノだった。

「軽い負担……このザマで……か?」
「その様で、です」

 映像を見せるにあたっての心配など、やはり杞憂だったのだろうか、と。
 なんら臆することなく殺戮映像を見つめ続ける少女を認め、征蹂郎も正面に視線を戻す。

「アルマナには、アグニさんの魔力保有量が大体分かります。ので、分かります。
 サーヴァントがこの規模で破壊活動を継続し、かつその荷重がすべてマスターにかけられた場合。
 アグニさんの魔力量では、とても生命活動が維持できません」
「ふむ、そうなのか……?」

 聞き返した声に、すぐに返答は返されない。
 代わりに、ポソポソ、と。うるち米の塊が砕ける音がしばし。
 少女は小さな口でかじっていた煎餅をこくんと飲み込んでから、同じトーンで続きを話す。

「……はい。なのに、一時的な不調程度のフィードバックで済んでいる。
 つまり、サーヴァント自身が魔力を蓄える、或いは外部環境から収集するスキルを有していると推測します」
「おそらく正解だ。キミは凄いな……。オレは魔術ってものをよく知らないから……なんというか、参考になる」

 故郷を血に染めた戦争も、その要因の一つであった征蹂郎についても、何も思うことはないと。
 運命に責任や罪悪を感じること、そういった感性を無駄であるとさえ、アルマナは言い切った。

 かつて少女の全てを奪った戦争の情景を、こうして再見しても、何一つ揺らがない冷然とした在り方。
 心を守るため、前に進むため、生きていくため、少女が身につけた一種の強さ。
 いや、そう在らねば、生きていくことすら出来なかったという、自然に作られた心のカタチ。

「レッドライダーのスキルは……戦場から糧を啜る。
 加えて他人の頭にも影響を及ぼす、らしい。先に謝罪しておく。こいつがもし、キミを不快にさせていたら……すまないと思う」
「…………不可解ですね」
「…………?」

 少女の在り方を悲しいと、憐れむような感性を、征蹂郎は持っていない。
 彼にとっても、戦争によって形つくられる精神性は、なんら特別なものではなかったから。

「……いえ、別に、アルマナはいいのですが」
「どういう意味だ?」

 だから、そこにあるのはきっと、ほんの少しの共感だった。

418PARADE ◆l8lgec7vPQ:2025/05/30(金) 04:35:10 ID:6kUGLvpA0

「……私の推測をあっさり認められたので。それに聞いていない情報まで口にされた。
 アルマナとアグニさんは、あくまで一時的な協力関係であって、本質的には敵同士です。
 一方的に情報を渡されても、こちらに返せる対価がありません」

 少女は変わらず、揺れぬまま、画面から目を逸らさぬままに滔々と話す。
 控えめに、征蹂郎の価値観に疑問を表明する。

「それもそうだ……オレの不注意だな。やはり、キミの言葉は参考になる」

 そこで漸く、ぴく、と。アルマナはほんの一瞬だけ、表情を動かした。
 視線を向けることなく、少女の疑念が伝わってくる。
 目の前の男が迂闊でもなければ、一般的な感性に甘んじているわけでもないと、知っているからこそ。
 未来の敵にあっさりと情報を与える言動を、不可解であると述べているのだ。

「……対価なんて考えなくていい。一時的だとしても、連携のために必要な情報だと思ったから話した。
 キミだって、この程度のこと……オレがバラさなくても気づいていたのだろう」
「それは……そうですが……」

 未だ、疑念を向けてくる少女の鋭さに、征蹂郎は観念したように肩をすくめて言った。

「……正直なところ……キミに対しては少し、口が軽くなるというか……あまり敵視しにくい節があるようだ」
「というと?」
「キミを、あまり他人だと思えない」

 自分の居場所を失った者。
 いつか、征蹂郎が経験した陥穽。

 この街で再会したその時。
 目の前の少女は今、その只中にいると分かったから。
 
「言葉の意味がわかりません。アルマナとアグニさんは他人です。そして、いずれ聖杯を巡って対立する関係性です」
「そうだな……キミが正しい。だからこれも、きっとキミの言う"不自由"なんだろう」

 感じなくてもいい感情。必要のない感性。
 それらに囚われる様を指して、少女は不自由と評した。
 征蹂郎はその見方を認め、受け入れている。

「……」
「……」

 会話は途切れ、再び沈黙が場を支配する。
 無機質な部屋の中、無機質な二人は見続ける。
 戦争を知る男と少女は、目の前の凄惨を眺め続ける。

 最後まで、揺らがぬまま。
 そう、思われた。
 変化があったのは、その光が何度か瞬いた時だった。

『――私はね、神寂祓葉! 神さまが寂しがって祓う葉っぱって書いて――』

 征蹂郎は改めて直視する。
 映像の中で華々しく駆け回る少女。
 先の戦闘で、戦争の概念と正面からぶつかり、あまつさえ打ち払って見せた、極光。

 光の剣。不滅の肉体。際限のない運動機能。
 男は思考する。戦いの歯車として研ぎ澄ました、冷たい戦闘理論をもって考察する。
 どうすれば、アレを殺せるのか。

 首を飛ばす。肉体を粉微塵にする。敢えて殺さず運動機能だけを奪う。
 全て、レッドライダーが試し、失敗に終わった。

 現状、方法は見えていない。
 核爆弾を薙ぎ払う程の存在を、単純な暴力で下すことは不可能に思えた。
 一方で、彼は確信してもいた。この聖杯戦争に置いて、彼女を無視して勝ち残ることは出来ない。

「……キミは……どう思う?」 

 よって、いま隣にいる少女に、意見を求めようとして。

「…………ぅ……」
「……?」

 彼はその異変に気付いた。

「……ぅ……ぁ……」

 ぽろりと、少女の指から煎餅の欠片が零れ落ち、床に転がる。
 小さな手が自らの胸元を掴み、苦しげに震えている。
 俯いた表情こそ読めないが、その額には発汗が見られた。
 戦争の情景を見ても表情一つ変えなかった少女が、〈喚戦〉の影響すら己の精神防御で遮断していた少女が、明らかに動揺している。

「大丈夫か?」
「いえ……なんでも……ありま……せん……」

 征蹂郎にとっては、アルマナのそんな姿を見たのは初めての事ではない。
 今日、東京で再会した時、最初に征蹂郎の姿を見たときも、少女は酷くうろたえていた。

 しかし、その時と同じように、徐々に肩の震えが収まり、凪いだ表情を取り戻していく。
 少女の心の防壁は強固なモノだ。
 揺らぐことは滅多になく、たとえ崩れたとしても、すぐさま硬直を取り戻してみせる。

「キミは彼女を見て……何を感じた?」
 
 少しずつ呼吸を整えていくアルマナへと、征蹂郎はあえて問うた。

「何も……ただ……」 
「ただ?」
「戸を、叩かれているようだ……と」

419PARADE ◆l8lgec7vPQ:2025/05/30(金) 04:40:54 ID:6kUGLvpA0

 何かを感じる前に、きつく閉ざす。何故なら、開かれてしまえば手遅れだから。
〈喚戦〉が鳴り響く不協和音だとするならば、それはもっと強引で、暴力的な原理であろう。
 誰もが、それと無関係ではいられない。心の戸口に直接触れてくる、運命の光に。

「情報の共有、ありがとうございました」

 表面上はすっかり平時の無表情を取り戻したアルマナが、にわかに立ち上がる。
 正面のスクリーンは既に黒一色。気づけば、戦争記録の再生は終わっていた。

「……アルマナは、そろそろ行動を開始します」
「もう、そんな時間なのか……」
「はい。事前の取り決め通り、日付が変わる前に戻ります。
 戻らなかった場合は、取り決め通りに動いてください」
「本当に……一人で大丈夫なのか?」
「はい。単独行動だからこそ、可能な役割なので」

 ゆっくりと傍を離れ、出口に向かって歩いていくアルマナへと、征蹂郎は少しだけ迷うように視線を送り。
 また目を逸らして、黒いスクリーンに向き直る。そして結局、

「キミは……」

 小さく声を発した。
 その声は、平時の彼の低いトーンをより細くした、とても小さなもので。

 ぱたん、と。
 閉まるドアの音にかき消される。

「……」

 溜息をついて、傍らに残された煎餅の袋を拾い上げる。
 刻限まで、あと数時間。

 少しくらい、何か腹に入れておくかと考えたとき。

「なんでしょうか?」

 顔を上げれば、ドアの前に、まだ少女は立っていた。

「行ったんじゃなかったのか」
「はい。出ようとしましたが、声をかけられましたので」
「そうか、すまないな……引き止めてしまって」
「いえ……ただ、手短にお願いします。役割がありますので」
「そうしよう」
 
 姿勢を正し、もう一度、異国の少女に向き直る。

「キミは……どこを目指しているのだろう」
「質問が抽象的すぎて、意図がわかりません」

 そうだろうなと思う。
 征蹂郎自身、何が聞きたいのか、いまいち分かっていなかった。

「さっき言ったように、オレは、キミにどこか通じるものを感じている。
 その一方で、決定的に違う部分もあるように思う」

 手短にすると言っておきながら申し訳ないな、と自嘲して。
 けれど、言葉を重ねることで、なんとなく問いの本質が見えてきた。

420PARADE ◆l8lgec7vPQ:2025/05/30(金) 04:41:15 ID:6kUGLvpA0

 
「オレの目的地はここだ。ここから揺らぐことはない。
 キミの王には塵の山だと言われてしまったが」

 刀凶聯合。凶暴な半グレ組織も、最初は社会の爪弾き者共の集まりでしかなかった。
 少しずつ規模を拡大し、曲がりなりにも秩序ある組織となり。
 彼が頭に就いたのは、単なる成り行きであり、偶然であり、しかし運命でもあった。
  
「たとえ塵の山でも、オレは既に此処の王だ。
 それを自覚させてくれたのも、キミの王さまだったな」

 聖杯への願いなど、己には無いと思っていた。
 降りかかる火の粉を払えばいいと。だが違った。彼は勝ち残らねばならない。
 敗北は許されない。戦い抜いて、居場所を守らねばならない、王である限り。

「キミの目はずっと……どこか、遠くを見ている」

 対して、アルマナは此処でないどこかを目指している。
 征蹂郎は、少女に己と近しいモノを感じ取りながらも、決定的な違いを見ている。
 その正体を知ることで、間接的に、大事な何かを知ることが出来る予感があったから。

「アルマナは……ただ……」

 そして返された少女の答えは、意外なほど彼の胸に落ちた。

「……生まれた場所に、戻りたいのです」

 あの戦争を思い出す。
 一つの村落が戦火に焚べられた日のことを。

「望郷か……それが、キミの選ぶ、辿り着きたい"居場所"なのか?」
「わかりません……王さまは、愚かで無意味な願いだと」
「そうだろうか……オレにとっては……少しだけ羨ましく思える」
「なぜ……?」
「それはオレにとって……今や持ち得ない願いだからだ」

 故郷、始まりの場所。
 自らの意思で選ぶ、自らの居場所。
 帰り道を忘れてしまった征蹂郎には、既に王となってしまった者には、許されぬ望み。

 国を守る者、旅に出ること叶わぬ。
 この先、自らの選択を悔いることはきっとない。
 塵の山で王を名乗ったことに、後悔などあろうはずもない。
 けれど同時に、少女の歩む悲しき旅路を、征蹂郎はこう評する。

「キミは、自由だな」

 放物線を描いて放られた赤茶色の塊。

「もう少しくらい、腹に入れておいた方が良い」

 アルマナが両手で受けたそれは、包装された醤油煎餅だった。

「……道中、気を付けて」

「はい……行ってまいります」








421PARADE ◆l8lgec7vPQ:2025/05/30(金) 04:42:06 ID:6kUGLvpA0

「あっれえ〜。お嬢じゃん」

 部屋を出たアルマナ・ラフィーの視界に、プリンヘアーの青年が映り込む。
 数人の仲間を引き連れ、廊下に立つ彼は中央区のアジトでもよく見た顔で、征蹂郎の周囲でいつも賑やかに騒いでいる印象だった。
 所謂取り巻き、聯合のメンバー、即ちNPC、作られた存在、本物に非ず、しかして同位と言えるほどの再現性。
 いくつかの情報が思考を走り、特になにを思うこともなく、アルマナは彼らの横をすり抜ける。

「嬢、お出かけ? 征蹂郎クンに差し入れもってきたんだけどさぁ〜」
「アグニさんは、まだ中にいらっしゃいます」
「おっけ、せんきゅ」

 聯合に同行する異国の少女を、半グレの若者達は意外にもあっさりと受け入れていた。
 征蹂郎(正確にはライダー)が近頃使い始めた手品(まじゅつ)を、精巧に使える客人(ゲスト)。

 などという荒唐無稽な肩書を飲み込み、誰が言い始めたのかふざけ半分にお嬢お嬢と親しげに呼ぶ始末だった。
 それは彼らの知能が低いというよりも、アルマナの暗示にあっさりと騙されたというよりも、ただ、征蹂郎が『そうだ』と言ったから受け入れるという。
 ボスに対する絶対的な信頼の現れに見えた。

「んで、嬢はどこ行くん?」
「新宿区の偵察です」
「そっかあ、気ぃ付けてな。デュラハンのクソ共に捕まんなよ〜?」

 賑やかな声に、アルマナは答えることなく、テクテクと廊下を進んでいく。
 しかし彼らの言葉は、更にその背中を追って届いた。

「お嬢は征蹂郎クンを手伝ってくれるんだろ? 期待してるぜ、俺達」

 廊下の突き当り、引き戸の窓を開く。
 吹き抜ける夜風を浴びながら、窓枠を掴み身体を引き上げ、アルミのサッシに足をかけ。
 あっさりと、段差を超えるような気軽さで、アルマナは雑居ビルの八階から夜の空に身を踊らせた。

「うおおおおお! すっげ、オイ見たか今の!? やっぱ征蹂郎クンの言ってたことマジだったん―――」

 背後で沸き立つ粗野な歓声が、あっという間に遠くなっていく。
 隣のビルの屋上に着地したアルマナは、その勢いのままに駆け出した。
 たったったっと一定のリズムで回転する脚の動き、不安定なコンクリート足場をものともせず。

 小柄な体躯からは考えられない速さで直進する少女は、あっという間に屋上の端にたどり着き。
 そして勿論、一切の躊躇なく、蹴上を踏み越え跳躍した。
 
「――――」

 口内で数節の詠唱を諳んじる。
 吹き抜けるビル風が少女の身体を押し流し、11歳の少女が挑むには些か無理のある幅跳びを成功に導く。
 質素なワンピースをはためかせながら、更に隣の建造物に飛び移ったアルマナは依然として無表情。
 当然のごとく、ビルからビルへと、軽やかなパルクールを継続する。

 少女にとってすればこの程度の動作、かつて兄弟や友人たちと興じた追いかけっこよりも容易い。
 東京の摩天楼など、故郷の群峰に比べればなだらかなものだった。

 アルマナ・ラフィーは山育ちの魔術師である。
 その村落はかつて、小国の山岳部にひっそりと隠れるように、自然に溶け込むように存在していた。

 機械文明を極限まで断ち切り、外界と関わらず、当たり前のように魔術と共に在る生活環境。
 現代魔術における、秘匿の概念から開放さた世界。
 近年、廃村跡地を調査した魔術師に『局所的に再現された神代』とまで評されし化石文明である。
 つまり彼らが扱っていた魔術の在り方は、現代の者達とは一線を画する。

422PARADE ◆l8lgec7vPQ:2025/05/30(金) 04:42:42 ID:6kUGLvpA0

 アルマナは軽やかに夜の空を闊歩する。
 驚くべきは、そのスピードに加えて、ハイレベルの隠形を同時並行で実践していることだった。
 スパルトイの従者を付けられているとはいえ、この局面に至っても単独行動を続けるマスター。
 アルマナの仕える尊大なる王は、そのぐらいできて当然と考えているが。
 彼女のレベルで幅広い魔術を実践運用できる者は、現代魔術師にもそう多くないだろう。

「――――警戒、10時方向」

 霊体化状態のスパルトイを統制し、意識を精鋭化させていく。
 千代田区のアジトからノンストップで走り続けた少女の動きが止まった。

 たった今、神田川を超えた。
 つまり、新宿区に侵入したのだ。

 視線、風の流れ、精霊の気配を探り、安全と危険を見通し、再び行動を開始する。
 このまま可能な限り新宿区の中心まで浸透する。しかして補足されることなく時間内に引き上げる。
 迫る決戦を前にした偵察行動。
 敵の配置情報を収集し、聯合側に持ち帰り、戦いを優位に進めるための。

 アルマナの潜入は聯合との役割分担の結果であると同時に、アルマナ自身の戦術的判断でもあった。
 これは彼女にしか出来ない任務である。

 敵に関する情報収集は既にノクト・サムスタンプの辣腕が発揮されている。
 マスターの名前と数時間前の時点における拠点情報など、それらは破格であるものの、あくまで戦略面における情報であった。
 最新の陣地構成や戦力配置など、戦術面の情報はどうしてもこのタイミングでリスクを承知で確認したい。
 加えて直近では、新宿区においてノクトの使い魔(しかい)が急激に数を減らしていた。
 ノクトを知る手合、おそらく脱出王と思しき存在の入れ知恵と思われる。


 結果として、おそらく敵に多くの情報が伝わっておらず、サーヴァントを伴わないため気配が希薄であり、単独で動ける。
 そういった条件を満たすアルマナが、最も適任と判断されたのだ。
 しかし実のところ、何よりもっとも大きな理由は別にある。
 ノクト・サムスタンプからもたらされた情報だけを鵜呑みにして動く事への警戒心。
 この点は、アルマナ・ラフィーと悪国征蹂郎の二者の間で共有されていた。

(……敵の配置が変わってる)

 1時間前に消息を経ったという新宿区東側の使い魔が齎した敵の拠点。
 アルマナの予想通り、状況は更新されていた。
 敵陣地いくつかは既に破棄されており、いくつか新たな要所と思われる場所を確認できた。

 敵も間抜けの集まりではない。
 直前になって戦力配置を変更する程度の戦術は練ってくる。
 あまつさえ、道中には偵察を警戒して張り巡らされた網を確認することができた。
 簡単に気付けるような生半可な偽装ではない。むしろ嗅ぎ取り、回避したアルマナの嗅覚こそ凄まじい。

(都市の中心を囲むように、3つ以上の施設に常駐する精霊の気配……。
 この短時間で急激な堅牢化。
 ……ダミー、キャスタークラスの陣地作成、あるいは侵入者を誘い込む罠?)

 新宿に入って以降、既に敵陣の内側である。  
 アルマナは無表情のまま、しかして最大限の警戒でもって、張られた網をすり抜ける。

 そうして、暫くの間、少女は新宿のビルの上を駆け回り。
 暫定的な拠点の一つと目されるライブハウスの数キロ手前にて、漸く足を止めた。

(――――)

 少女はここが潮時と判断する。
 ある程度は敵の配置情報を掴むことが出来た。
 幾つかは偽装であろうし、敵サーヴァントやマスターの情報を拾うことまでは出来ていない。
 しかし、変更された拠点の大まかな位置や、勢力の規模感など。
 これらの情報を持ち帰るだけでも大きな収穫である。
 念には念を、行きとは別ルートで撤退を開始したアルマナは、しかしまたしても足を止めた。

(……これは……視線?)

 見られている。アルマナの感覚がそう告げていた。
 周囲のどこにも人の気配はない。
 消音透過魔術の併用で自身の気配も最小限に留めてきた。
 偽装は未だ完璧であり、下方からパルクールを見られるヘマも踏んでいないはず。
 にも関わらず、アルマナには確信があった。

 恐ろしい何か、巨大な何かの視界に入ってしまっている。
 視線の発生源は―――

「………そら」

 地の光、街のネオンではなく、天上の星々から。
 デュラハンのサーヴァントか。あるいは全く関係なく、アルマナと同じく新宿に侵入した第三者か、
 どちらにせよ、その何かはアルマナを見ている。アクションがないのは、今は他のことに意識を寄せているから、と考えるのが自然だった。
 逆に言えば、他のことがなければ、それの関心はアルマナを対象とする可能性がある。
 そらに煌々と輝く星の光が、やけに重苦しく感じた。

423PARADE ◆l8lgec7vPQ:2025/05/30(金) 04:43:14 ID:6kUGLvpA0

 隣の屋上に飛び移る跳躍の角度を斜め下に変え、開かれた窓から屋内に侵入する。
 剥き出しの屋上を行く限り、あの目線からは逃れられない。
 回り道にはなるが安全第一で屋内を、窓から窓へ、建造物の内側を通って新宿を脱出する計画だったが。

「……………」

 撤退を開始してから3つ目の建造物に侵入したとき、その異常は現れた。
 アルマナは今、暗い廊下の先を見ている。

 侵入した建造物は、どうやら総合病院であるようだった。
 既に消灯時間が過ぎていたのか、窓から身を滑り込ませた廊下は光量に乏しく薄暗い。
 不鮮明な視界。しかし違和感は顕在化していた。施設に入ってから、まるで人の気配がない。

 確信を得たのは廊下の角を曲がった時だった。
 薄っすらと血の匂いが鼻につく。
 廊下や壁のいたるところに僅かな血痕が飛散している。
 アルマナの進む廊下の先、先回りするように床に血の線が真っ直ぐ続いている。
 
「……………なにか、いる」

 その雰囲気からして、空からの視線の主ではない。
 全く別の、湿り気のあるベッタリとした気配が肌に纏わりつく。

 ゆっくりと歩を進め、施設の東端に至る。
 あとは目の前の窓から外へ脱出するだけでよかった。
 なのに足元の血痕は丁寧に、窓横の部屋へと続いていて。

「……………」

 細い指が傍らのドアノブにかかる。

 きぃきぃきぃと甲高い音をたてて開くドア。
 吹き抜ける空気の中に、乾いた血の匂い。
 
 薄暗い室内。そこは、六人程度の患者が入れる大部屋だった。
 入院患者たちが横たわっている筈のベッドは全てカラで、代わりに部屋の真ん中に奇妙なオブジェがある。
 ぶよぶよとした赤茶色の塊、硬直した肉の集合体。
 積み上がる死体で作ったモニュメント。そうとしか言い表せない、非現実的な光景だった。
 
 屍をツギハギにした墓標は酷く不安定で、周囲に添えられた萎れた花々が気色の悪い鮮やかさをまぶしている。
 オブジェの周りにはサルかチンパンジーのような毛むくじゃらの原始人が数人集まり、皆一様に手を組んで祈っていた。

 ―――ごぽ。

 それは儀式であったのか。
 花は枯れながら散り、オブジェはぐずぐずと崩れ落ちる。
 積み上がった5つの死体が溶け合わさり、消えた後に現れた1体の人影。
 新たな原人が緩慢に立ち上がり、取り囲む赤茶色の波は新たな仲間の誕生を歓迎する。

 悪夢のような光景から漸く我に返ったアルマナは、大部屋のドアを閉め、身体の向きを変えて窓枠に手を添える。
 そのまま身体を持ち上げ、介護施設から離脱しようとした、その直前。

「はは…………おまえ……まだ、さびしいのか……?」

 背後、廊下の闇の向こう。
 這いずるように追ってきた掠れ声が、アルマナの肩を掴んでいた。






424PARADE ◆l8lgec7vPQ:2025/05/30(金) 04:43:50 ID:6kUGLvpA0

 覚明ゲンジはそれを運命だと思った。

「おれはさ……もう、さびしくは、ないんだ」

 周鳳狩魔に出会ったこと。
 華村悠灯に出会ったこと。
 神寂祓葉に出会ったこと。

 そしていま、目の前の異国の少女に再び出会えたこと。
 今日最後の狩り場となった病院で、偶然巡り合ったこと。
 全て、定められていたのだと。

「みんなが、おれに期待してくれたから。おれも、期待したいと思えたから」

 少女にしてみれば、意味不明な言葉の羅列を垂れ流している自覚がある。
 それでも別によかった。伝わらなくても良かった。少なくとも、ゲンジには伝わっていたのだから。

 褐色の少女の、揺れ動く小さな<矢印>が。
 少女の感情の、まだ生きている証が。
 押しつぶしたように小さな文字で、「さびしい」と、自覚なく今も発する心が届いている。

 こいつは昨日までのおれだ、と彼は思った。
 かわいそうだと、救ってやりたいと。
 
 だって少女は訴え続けている。
 声の出し方を忘れても、感情の作り方を忘却に沈めても、心だけは偽れない。
 ゲンジだけは、その小さな声を読む事が出来るから。

「……期待」

 少女は噛み砕くように、その単語を反芻する。
 期待、期待、と。
 何度も、何度も、舌の上で苦いものを味わうように。

「どうして……そんなモノを欲するのですか?」

 問いはどこに向けられていたのか。
 小さな身体から伸びる感情の矢印はゲンジを逸れ、どこにも届かず墜落する。

「不毛で……余分で……無意味です。
 そんなモノを抱くから雨に打たれて、手の動きが鈍って、痛みが足を止めて……辛くなるのに」 

 まるで虚空に向かって喋っているようだった。
 互いに、致命的に、ズレたやり取りの行き着く果ては、チグハグな喜劇めいていて。

「でも、そんなモノがなければ……おまえはいま、ここにいないだろ」

 醜い男の粘ついた言葉に、少女の瞳が僅かに揺らぐ。

「おれもそうだったんだ。おれにはもう、意味なんて、どこにもないと。でも、違った」

 期待なんて、希望なんて、己からは絶えて久しいと。
 だけど、ここで見つけた真実がある。
 たくさん殺してみて、少し分かったことがある。 

「おれは、おれの『楽しみ』のために、この悪意(かんじょう)を、使えたんだ」

 そうしてみたら、不思議とさびしくなくなった。

「おれは、おやじのようには生きられない……さびしさを埋めるために、他人のために……生きられない。
 だけど、おれは、おれに期待をくれるみんなのために、おれ自身の期待ために、頑張ることが出来ると分かった」

 期待を持たぬものが、希望を手にせぬものが、この場所に居るはずがない。
 聖杯戦争、唯一つの希望を勝ち取るための生存競争。
 あるいは唯一つの希望を、握りしめる白き少女から簒奪するという冒涜。

 ならば目の前に居る少女もまた、その筈だ。
 自覚があろうと無かろうと、細い期待を捨てきれていない。
 その前提だけは、心を見るまでもなく分かるのだ。

「おれはいくよ」

 白き少女のいる舞台(ステージ)へ。
 極光の望む遊び場へ。

 己が卑小で汚れた存在であろうと、与えられた役割が醜く愚かなものであったとしても。
 それを期待する誰かがいてくれるから、何より自分自身が期待しているから。

「なあ、おまえは……どうする?」

 ゲンジが腕を振り上げるのと、少女が足を持ち上げるのとは、全くの同時だった。
 廊下の左右、両サイドの扉が吹き飛び、大量の原人が殺到する。
 少女の踏みしめた足元、翻るワンピースの影から3体のスパルトイが出現する。

425PARADE ◆l8lgec7vPQ:2025/05/30(金) 04:45:10 ID:6kUGLvpA0

 衝突は一瞬だった。
 スパルトイの振るう剣尖が閃き、原人の腕が数本、千切れ飛んで廊下の天井を掠めて落ちる。
 急速に刃毀れした剣が後方に弾け飛ぶ。
 壁ごと粉砕された窓枠をくぐり、褐色の少女はバックステップで屋外の空中に飛び出した。

 下方から突風が吹き、少女の身体を巻き上げる。
 その周囲には様々な色の光弾が現れ、身体の周りを旋回し始めた。
 
 ほんの少しの間、ゲンジと空中に浮かんだ少女の視線が交錯する。
 アルマナの指令によって拡散し、殺到する光弾の嵐。
 機関銃のように連射された魔力の弾丸は強烈な光を伴い、ゲンジの視界を覆い尽くした。

「…………」

 ゆっくりと、ゲンジは目の前に翳した手を下ろす。
 放たれた光弾の全てが、彼の身体に届く前に霧散していた。
 サーヴァント、ネアンデルタール人のスキル、〈霊長の成り損ない〉。
 魔力すら人の文明と捉えかき消す、滅びた者の抵抗力。
 ゲンジの傍らに控えた原人が仕事を終え、霊体化によって姿を消した。

「逃げたのか……」

 目前、廊下の端の壁には、ぽっかりと開いた大穴だけが残されている。
 異国の少女も、スパルトイの姿も、既にない。
 隣の建造物に飛び移ったのだろう。

 吹き抜ける外気にさらわれるように、原人達も姿を消し、異質な空気が薄れていく。
 歓楽街の雑踏、車のクラクション、音響式信号機が奏でる間の抜けたサウンド。
 急激に押し寄せる現実感に、ゲンジは乾いた表情を浮かべていた。

 崩落した壁から、目前に広がる新宿の夜景に目を凝らす。
 遠いビルの向こう、小さな少女が妖精のように、夜の街を舞う幻想が見えた気がした。

 耳に届く喧騒に首を動かす。
 何らかの野外イベントでもあるのだろうか、ハロウィンでもないのに街には人がごった返していた。
 彼らが見つめる先、その頭上あるものを認めて、なるほどと彼は独りごちる。

 そうして、ゲンジもまた帰路に着くことにした。
 あの少女と再び会えたことに、少しの高揚を抱えたまま。
 もう少しだけ、話したかったけれど、まあいいだろう、と思う。
 多分どうせ、また近いうちに会えるだろうから。

 新宿、夜の街、雑踏の中を醜い少年が歩いている。 
 不意に、すれ違う誰かが彼の肩にぶつかり、舌打ちとともにその顔を覗き込む。
 不均衡な顔貌を見、侮蔑も露に表情を歪めながら悪態をついて去っていく。

「クソ、気持ちわりぃな。どこ見てんだサル野郎」

 いまも、多くの者が覚明ゲンジを見下げ、嫌悪する。
 しかし少年はもう、そこに何の痛みも感じていない。
 むしろどこか滑稽で、哀れみすら覚えていた。

「…………は」

 雑踏の中、不気味に笑い始めた少年を、通行人が怪訝な目で見ながら通り過ぎていく。
 新宿駅東口交差点。
 聳え立つ摩天楼、四方のビルの壁に埋め込まれた大型のビジョンが、華やかな広告を大音量で拡散している。
 そこに、かつてゲンジが憧れた2つの偶像が映っていた。

『――最強VS最凶!! 対決イベント遂に実現!!
 輪堂天梨VS煌星満天!!』

 近々行われるという対決、という形式での対談イベント、そのプロモーション映像。
 綺羅びやかな二人の少女が、ビジョンの中で向かい合っている。

 軽い懐かしさと共に思い出す。
 煌星満天は無名な頃の泥臭く、這いずるような生き方が推せたのに。
 ここ最近のメディアの持ち上げ方に、どこか冷めてしまった。
 それが解釈違いという感情によるものだと、ゲンジが知ったのはごく最近のこと。

426PARADE ◆l8lgec7vPQ:2025/05/30(金) 04:45:28 ID:6kUGLvpA0

 そして、もうひとり。
 輪堂天梨、彼女に関しては、少し苦い思い出があった。
 あのスキャンダルの前、まだ彼女が、名実ともに誰からも愛される完璧なアイドルだった頃。
 ゲンジが彼女のグッズを集めていたことを、同じファンのクラスメイトに見られたとき。
 クラスメイトの彼女への感情までもが、嫌悪に変わったこと。

 ゲンジは思い出す。たしか、あの頃は自分を責めていた。
 おれが好きにならなければ、彼女まで嫌われずに済んだのにと。
 おれなんかが感情を向けたから、彼女に呪いをかけてしまったのだと。
 
 だが、今は違う。
 呪いを抱えていたのは、自分だけじゃないと思えた。
 それを証明するように、今、雑踏の人々から伸び上がる歪な〈矢印〉の束が見える。

 ―――嫌悪、嫌悪、嫌悪、嫌悪、嫌悪。

 映像を目にした人々の胸元から、夥しい数の矢印(あくい)が、広告の中の輪堂天梨に向かって伸びていくのが見える。
 何故、いつの間に、大衆の中でこれ程の悪感情が渦を巻き、それが一人の少女に集中していったのかは分からない。
 ひょっとすると、それは街に縛られた彼らの防衛本能。
 作られた生命でありながら、確かな感情を持たされた人々の、ある種の逃避先なのかもしれなかった。

 聖杯戦争の脅威は、仮初の東京に生きる人々の肉体だけでなく、精神をも蝕み続けている。
 蝗害は渦巻き、日夜不審な殺人事件が多発し、遂には大量破壊兵器まで使用され、無数の命が犠牲になった。
 それでも彼らは、この街から逃げることが出来ない。

 聖杯戦争の表面、日常を回すために配置された彼ら。
 舞台のエキストラであろうとも、舞台から逃げることなど、その本能が許さない。
 そんな中で、確かな感情を与えられてしまった彼らが、無意識にはけ口を求め続けていたとしたら。
 日に日に肥大化する不安と憎しみ、行き場のないそれらの向かう先として、彼らは分かりやすい社会の悪(てき)を欲していた。
 すると輪堂天梨は、この上ない偶像だったのかもしれない。

 暴走する処罰感情。膨れ上がる恐怖と狂気。
 ここまで巨大化した悪意と害意は最早、歯止めが効かない。
 いずれ濁流となって溢れ出すだろう。
 その帰結を、大衆の感情を視認できるゲンジは知っていた。

 結局、人間は悪とされるものを敵視する。
 少年の外見と、偶像の内面。
 醜きもの、美しきもの、別け隔てなく、その呪いからは逃れられない。
 箱庭に閉ざされ、尋常でないストレスに晒され続けた人々は、今や呪いを撒き散らすだけの存在に変貌しかけている。

「気持ちわりぃのは、おまえらだろ」

 ゲンジはずっと思ってきたことがある。
 老いて、心身の機能を失って。
 人がプラス感情を受発信出来なくなったとき、自然と死ねる世界になればいいと。
 あるいはそれが、聖杯に託す願いになり得るとすら。

 であれば、今、すれ違う模造品ども。
 NPC、作られた生命、世界を構築するためのパーツたち。
 呪いを撒き散らす餓鬼の群れに変貌していく彼らに関しては、老いも知能も身障も関係ない。
 全てにおいてプラスの要件を満たさない。なんて無意味な存在なのだろうと彼は思う。

 少女のおもちゃ箱は自壊していく。
 いずれ世界とともに消え去ることが決定している人形たち。
 少女が望むステージを賑やかす、社会機能を回すための舞台装置。
 張り付けられた者達の無意味な肉体と精神の活動、悪意の発露。

「…………はは」

 そのマイナスが、今や100を超えるプラスの意味となって、原人の葬列に加わっている。
 これはゲンジにしか出来なかったことだ。
 彼に与えられた役割であり、意味であり、運命だと思った。
 もしも、この街の全部を、原人に変えてしまえたら、それはどれほどのプラスになるのだろう。

「…………はははは」

 ずっと前から、脳裏に浮かぶ光景がある。
 無人の街を、赤い毛むくじゃらの原人がゆっくりと列をなし、厳かに死にゆく星の葬儀を執り行う。

「…………ははは、はははははは」

 想像するとなんだか愉快で、自然と口元が綻ぶのが分かった。




427PARADE ◆l8lgec7vPQ:2025/05/30(金) 04:47:23 ID:6kUGLvpA0

 新宿区・歌舞伎町、雑居ビルの屋上にて。
 シッティング・ブルの眉間に深い皺が刻み込まれた。
 賢者は東の方角を凝望した後、瞑想するかのようにゆっくりと瞳を閉じる。

「キャスター?」

 自身のサーヴァントが見せた僅かな反応に、傍らに立つ華村悠灯は小さく声を上げる。
 少女には具体的なことは分からないが、何かが起こったことは伝わった。

 先の一瞬、キャスターが見つめた方向に向き直る。
 東京の夜空と街明かり、路地を歩く僅かな人影、視界に特に変わった者は映らない。
 しかし、従者は言い切った。

「敵だ」

 端的に、その単語を口にした。

「……!」

 悠灯の身体にも緊張が走る。新宿区に敵が来た。
 東の方角に、どれだけ目を凝らしても、悠灯の視界には何も見えない。

 予告されていた聯合の襲撃時間にはまだ少し早い筈だ。
 それでも賢者が言うのであれば真実なのだろう。

「まだ構える必要はない。おそらく偵察だ。
 加えて、既に私の霊獣が警戒を固めている。これ以上の勝手は許さん」

 その言葉に悠灯は少しだけ緊張を解くも、キャスターの空気は硬いままだ。

「想定通りの動き。だが、想定よりも手練れだ。
 これまで散見された使い魔による探りではない。
 さりとて、領域に干渉された形跡もない……」

 鳥の霊獣が数体、東から飛んできて、キャスターの肩に止まる。

「数カ所の陣地、張っていた網を的確に避けて浸透した形跡がある。
 霊獣に対する知識、自然と調和する魔術に対し、極めて深い造詣を備えていたとしか思えない。
 とても、この時代の魔術師とは思えぬ」

 刀凶聯合、魔術の傭兵。
 確認されてきたどのタイプのやり方とも一致しない。
 つまり、これまで極端に情報が少なかった3人目の敵(マスター)である可能性が高い。

「逃げたな……どうやら引き際も心得ているようだ」
 
 キャスターが閉じていた目を開く。
 どうやら今すぐに戦闘に発展する様子はないようだった。
 悠灯もようやく緊張を解き、敵が居たと思しき方角から視線を外す。

「大丈夫なのか?」
「首尾で言えば五分、だな。
 ある程度の情報は抜かれたが、こちらも敵マスターの情報を得られた」

 いよいよ目前に控えたデュラハンと刀凶聯合の対決。
 その形式は非常に分かりやすい。
 デュラハンがディフェンス。刀凶聯合がオフェンス。
 言い換えれば、チャレンジャーは刀凶聯合の側となる。

428PARADE ◆l8lgec7vPQ:2025/05/30(金) 04:47:58 ID:6kUGLvpA0

 襲撃の予告があった時点で予見された状況でもあった。
 つまり率直に言えば、分はデュラハンの側にある。
 基本的には地盤を固められるディフェンスの側が、圧倒的に有利であるからだ。
 加えて、デュラハンは陣地形成を可能とするキャスターを引き込んでいる。
 これは圧倒的な差と言っていい。

「おそらく敵にとっても、これが最後の小手調べになったろう」

 一方で、攻め側の刀凶聯合も侮れない。
 不均衡を埋め合わせる策やワイルドカードの一つや二つ、準備していることだろう。
 その点で言えば、この偵察行為も、非常に有効であったとキャスターは認めている。

 守り側が最早、配置を変えることが不可能なタイミング。
 つまり戦闘開始直前での偵察。それもリスクを承知でのマスター単独潜入による情報収集。
 失敗すれば最悪マスターの死、とんでもない損害を被る恐れすら飲み込んで、実践した胆力は確かな結果を出している。
 陣地を形成していたのがシッティング・ブルでなければ、より大きな成果を上げていた可能性が高い。

「……そっか」

 悠灯は小さく溜息をつき、軽く伸びをしながら呟いた。

「もう……始まっちまうんだな」
「ああ、もはや時はない」

 対決の時は目前に。
 二人にとっての正念場が迫っている。

 生への執着と、死への諦観。
 白の少女が差し伸べた手に、どのような答えを返すのか。
 先は未だ、見えない。悠灯にも賢者にも。
 けれど共に、同じ場所へと、立ち向かうことだけは決めたから。

「まずはここを生き延びる。じゃなきゃ始まらない。
 なにも決められないまま終わっちまう。それは、やっぱり嫌だ」

 階段に向かって歩き始めた悠灯を、賢者は静かな眼差しで見つめ続け。
 そして不意に、その目を鋭く南の空へ向けた。

「……悠灯」
「……なんだ?」
「南方から、別の気配が侵入した。同時に、天上から巨大な目線が落ちている」

 キャスターの像が解け、霊体に変わりながら、声だけが屋上に響く。

「忘れるな。敵は正面だけではない……」
「ああ、肝に銘じとく」

429PARADE ◆l8lgec7vPQ:2025/05/30(金) 04:48:44 ID:6kUGLvpA0

 鉄の音を鳴らしながら、悠灯は階段を降りていく。
 休憩は終わりだ。
 いよいよ、デュラハンは最後の備えに取り掛かる。

 そうして、ライブハウスの入口まで戻ってきた時だった。
 悠灯は背後に、自分以外の足音を聞いた。

 不意に鼻につく血の匂い。
 無意識に拳を握りしめ、警戒と共に振り返る。

「――――っ!」
「あ……ごめん、おれだよ」

 そこに、覚明ゲンジが立っていた。
 ちょうど彼も、周鳳狩魔の考案した『ツアー』から帰ってきたらしい。
 ずんぐりとした体型が、ライブハウスの外灯によって、ぼんやりと照らされている。

「驚かすつもりじゃなかった」
「…………」

 悠灯はすぐに言葉を発する事ができなかった。
 不意に背後に立たれたから、という理由ではない。
 
 彼を視界に入れた瞬間に、鼻腔を突き抜けた凄まじい死臭。
 そして否応なく脳裏を過った生理的嫌悪感への戸惑いに、しばし硬直してしまったのだ。

「あ、ああ、いや、……アタシもちょっとぼーっとして」

 なんとか言葉を繋ぎつつ。
 しかし、何やってんだと、顔を覆ってしまう。
 取り繕った所で無意味なのだ。
 悠灯はゲンジの能力を知っている。

 彼は完全でなくても心が読める。
 つまり今、悠灯が感じてしまった全ては筒抜けになっている筈だ。

「ごめん、ゲンジ。アタシ……つい」
「いいんだ、当たり前のことだから」

 初めて会ったときも、ライブハウスで話した時も、こんな直感的な嫌悪は抱かなかった。
 個性的な顔も、体型も、少なくとも悠灯にとっては、それだけで忌避するものではなかった筈なのに。

 ゲンジが先ほどまで何をしていたのかも、狩魔から聞いている。
 けれど、どの理由もしっくりこない。
 先程感じた嫌悪は、そういう事実情報だけによるモノではないように思えた。

 だからこそ悠灯は困惑する。
 己は今、彼の何を忌避したのだろう。

「当たり前なんだ。おれをそう思うのは。
 だから悠灯さんが、そんな顔しなくていい」

 だっておれは、醜いんだから、と少年は笑う。

「それに加えて今は臭いだろ。だから、そう思うほうが、自然なんだ」

 表情は言葉と裏腹に晴れやかで、吹っ切れたような清々しさを湛えている。
 それはもしかすると、己の汚濁を受け入れた者にのみ、許された境地であったのか。

「悠灯さんの準備は終わったのか?」
「……ああ」
「なら、いい。おれもおれの準備を終わらせてきた。
 シャワー、浴びてくるよ。そのくらいの時間は残ってるよな」

 立ち尽くす悠灯の脇をすり抜けて、ゲンジはライブハウスに戻っていく。
 
「……ゲンジ」

 弾かれたように振り向いた悠灯が彼を呼び止める。
 扉の前で歩みが止まる。
 振り返らぬままの背に、少女はかける言葉をもたない。

「……いや、やっぱり、なんでもないよ」

 そのまま、ドアノブに手をかけ。
 去っていくかに見えたゲンジが、しかし首だけで悠灯を振り返った。

430PARADE ◆l8lgec7vPQ:2025/05/30(金) 04:49:08 ID:6kUGLvpA0

 ぼさぼさに伸びた太眉の下、細く垂れ下がった目が少女を見ている。
 その視界に、どのような感情(やじるし)を受け取ったのか。
 彼は薄っすらと微笑んで言った。

「"生きる意味"について、考えたことは何度かある」

 それは単なる当て推量か。

「おれにとっては無意味な時間だった。
 始まりから間違っていたのに、過程や終わり方に悩むなんて贅沢だろう」

 言葉が奇跡的に噛み合っただけの偶然なのか。

「おれが欲しかったのはきっと……こんなおれが、"生まれてきちまった意味"なんだ」

 ひょっとすると感情だけでなく。
 本当に心を読まれたのかも知れないと、悠灯は思った。

「でも、それすら無価値だったと、今はわかるよ」

 生まれるに値しない命とは、どんなカタチをしているのだろう。
 醜悪な見た目をしているのか、邪悪な魂を抱えているのか。
 あるいは、

「おれにとって必要だったのは、"意味"じゃなかった」
 
 その両方を備えているのか。

「生まれた意味、理由なんて、結局おれには最初から、与えられてなかったとして。
 それでも、"目的"なら見つけられたから」

 死臭に塗れた少年は、黄色い歯を剥き出しにして破顔する。

「ありがとう、悠灯さん。
 あんたはやっぱり、悪い人じゃないよ。少なくとも、おれにとっては」
「…………そっか」
「後でまた、タバコ一本くれよ。今なら……美味く感じられる気がするんだ」
「構わねえよ……じゃあ、そろそろ行こうぜ」

 悠灯もゲンジもそれ以上の会話はなく。
 共に、ライブハウスに入っていく。
 中で待つ周凰狩魔の元へ向かうために。

 そうして鉄製の扉を開き、外と内、その境界を超えるとき。
 悠灯は微かに聞いたのだった。

 どこか遠くから押し寄せる。
 紅い、潮騒の音を。
 



 


431PARADE ◆l8lgec7vPQ:2025/05/30(金) 04:51:21 ID:6kUGLvpA0

 その男は疲れていた。

 今日、彼がそこに居たのは激務に軋む全身を労るためであり。
 溜まりに溜まったストレスを解消するためであり。
 たまたまチケットが安かったからであり。
 つまるところ、偶然だった。

 ライブハウスから一歩外に出ると、涼しい夜風が彼の全身を撫でるように包みこんだ。
 この一瞬、心ゆくまで音楽に浸った後の開放感と、一抹の切なさを感じるときを、男は気に入っている。
 彼は自宅の方角へと足を向け。
 
 そしてたったいますれ違った二人組、入れ替わりでライブハウスに入っていった男女を、自然と目で追っていた。
 大した理由はない。ただ、妙だなと彼は思った。
 
 頭頂がプリンになっている金髪の少女。
 北京原人のように不細工な、毛深い少年。
 やさぐれた見た目に加え、こんな時間からライブハウスに来る時点で、典型的な不良たち。

 注意するべきだろうか。警察や学校に通報するべきか。
 なんて、彼の大人としての責任感がほんの少し鎌首をもたげ。
 しかし、まあ、面倒事はいいか、とすぐに萎える。
 今日はもう、疲れてしまったのだ。男は何も見なかったことにして、結局黙って帰路につく。

 ただ、やはり少しの疑問は残った。
 ライブハウスはもう、閉店時間の筈なのに、あの子どもたちは何をしに来たのだろう。  

 男は賑やかな新宿の街を歩きながら、今日の出来事を振り返る。
 いつもに増して、最悪な1日だった。
 
 始業時間よりも早く働き始めるのはいつもの事で、残業代が出ないのもいつもの事だ。
 朝から殺人事件のニュースが飛び込んできて、昼から千代田区で爆発事故の連絡があって、夕方にはイナゴの群れが病院一棟を食い散らかしたらしい。
 そういった怪事件の報告が挙がる度に、彼は取材のために駆けずり回っていたが、その程度は最近ではよくあること。

 しかし、そこから先はいつも通りでは済まなかった。
 渋谷で発生した大規模災害は未だに発生した死者の数を特定できていない。
 そして、こちらは報道管制が敷かれているが、港区で大量破壊兵器が使用されたらしい。
 
 狂っている。
 彼は端的にそう思う。
 東京の街は、この世界はおかしくなってしまった。

 既に学校を初めとした公共施設はいくつか運営を停止している。
 このままでは、飲食店やインフラだって営業停止に追い込まれかねない。
 政府は外出禁止令の発令を真剣に検討しているとの噂だ。
 それは困る。そうなってしまえば、遂に仕事が出来なくなってしまう。

 いや、待て、と男は己の思考に異議を唱える。
 そもそも何故、政府は未だに外出禁止令を出していないのだろう。
 いやいや、もはや、そういう段階ですらないように感じる。

 この東京(くに)はどうしようもなく壊れ初めている。
 閣僚共に少しでも冷静に考える機能が残っているなら。
 社会機能を■■てでも、とっくに■京から民■を■■させてしかるべき―――

「――――あれ?」

 気づけば、男は見知らぬ路地に入り込んでいた。
 益体もない思考を止め、もと来た道を引き返し、大通りへと戻って来る。
 そうしている間に、先ほどまで何を考えていたのか、霞が掛かったように思い出せなくなった。

「……ああ、仕事のことだっけ。そうだ、明日の仕事だ」
 
 男には悩みがあった。
 彼は記者として20年のキャリアを積んでいるが、こんなことは初めてだった。

「どうすっかなあ……」

 記事のタイトルが決まらない。
 大手ニュースサイトの管理とライターを兼務している彼は、明日の朝一番にアップする記事をカタチにしなければならなかった。
 所謂ワンオペ、雑な仕事の割り振り。ブラック企業によくある破綻した采配である。

「しかし、いくらなんでも色んな事件(こと)が起き過ぎてる」 

 ネタは在りすぎるくらいある。
 だからこそ難しい。何を書いてもどこか陳腐でしっくりこない。
 この街で起こる殺人事件も、死亡事故も、全部、今や彼には在り来りに思えてきた。
 不幸な人は幾らでもいるのだ。不幸を広めてもしょうがない。見せかけの希望も必要ない。

432PARADE ◆l8lgec7vPQ:2025/05/30(金) 04:52:13 ID:6kUGLvpA0

 欲しいのは目に見える敵だ。
 どうして世界(まち)がこんなことになってしまったのか。大衆がそれを問いただすべき敵だ。
 後手に回り続ける行政機関への批判は書き尽くした。
 時事ネタなら渋谷の一件か、政府の隠蔽や無能さを改めて書き綴るか。

 敵といえば、芸能ゴシップならば、やはりここ最近は輪堂天梨の叩き記事の受けが良い。
 有名な男性アイドルを何人もアテンドさせた。グループのメンバーに陰湿なイジメを繰り返した。
 マネージャーはパワハラによって精神を病み、退職に追い込まれた。等々、紙面の上で、今や彼女は世紀の悪女である。
 映画監督に枕営業をしていた、という噂を元に書いた回は、凄まじい反響が得られたものだった。

 男にとって、噂が真実かどうかはどうでもよかった。ただ人々の恐怖やストレス、狂気を受け止める器があれば、どちらでもよかった。
 興味深いのは、ここまで激しく燃えて尚、彼女が何故か燃え尽きず、メディアに出続けていること。
 結果として出演し続けるからこそ、中傷はエスカレートし続ける。燃え尽きないからこそ、火の勢いは止まらない。
 バグのような挙動で無限のエネルギーを生み出すように、天使の名を冠するアイドルは燃えながら飛び続けている。
 まるで、永遠に続く焦熱地獄に落とされたように。

 ――ああ、そうだ、いっそ、厄ネタ同士を組み合わせて陰謀論的な記事でも作ってみるのもいい。

「い……てぇ……」

 目まぐるしく事が起こりすぎて、男は思考を纏める事ができていない。
 加えて、夕方頃からずっと続く頭痛と耳鳴り。蓄積されたストレスを解消すべく。
 仕事を抜けて行った趣味のライブ鑑賞によって、少しは気が晴れたと思っていたのに。

「あーくそ、まただ」

 こめかみの辺りから金属の擦れるような音が聞こえ始めている。
 彼は知らぬ。人々を攻撃的に変えているモノは、恐怖やストレスだけではない。

 ―――■え、■え、■え。

 誰かが、ずっと呼びかけてくる。
 耳を塞いでも、どこまで逃げても、声は追いかけてくる。

 ―――■え、■え、■え。

「うるせえなあ……なんなんだよずっとぉ……」 

 頭を抑えながら、男はフラフラと夜の街を歩いている。

 ―――■え、■え、■え。

 陰謀論、悪くない着眼点に思えた。
 そういえば、蝗害被害に関するルポ記事も安定した閲覧数を稼いでいる。
 一体何故、あんな恐ろしい災害が発生し続けるのか。
 戦慄するほどの理不尽。今や、この都市にとって悪の代名詞になっている。
 加えて、ちょうど先程、気になる情報が入ってきたのだ。

 ―――■え、■え、■え。

「……っ、ぐああ……い……てぇ……」
「おい」
「ちょっと、あんた」
「しっかりしろよ、気分悪いのか?」

 交差点の中心で、男は頭を抱えながら蹲る。蹲りながら考え続けている。
 駆け寄ってくる通行人が煩わしい。
 いまやっとアイデアが降ってきたところなのだから、邪魔をしないでほしかった。

 ―――■え。

「……うぅぅぅぅ!」 
「おい、大丈夫か? おい!」

 蝗害の発生地点では、必ずと言っていいほど、怪しげな十代の少女が目撃されているらしい。
 怪物を操る黒幕。怪物の正体とも噂される。
 しかしその証言は奇妙なことにまるで統一性がなく。

 曰く、モノトーンのコーデで統一された少女だった。
 曰く、マゼンタの炎を操る外国人の少女だった。
 曰く、修道服を来た短髪の少女だった。
 曰く、アイドルの輪堂天梨だった。
 曰く、アイドルの煌星満天だった。

 少女ということ以外、まるでバラバラで荒唐無稽だ。
 だったら、それはもう、少女だったら誰でも良いということにならないか。
 幸い数多の目撃証言の中に、その名は含まれている。

 そう、例えば、いまこの都市で最も嫌悪されている偶像が、災害の原因かもしれない。
 なんてストーリーは、どれほど大衆の心を捉え――――

「ぐ……あああ……ああああああ……っ!」
「誰かっ! 救急車を呼んでくれ!」

 ―――■え。

「人が倒れて……」
「う………だ」
「え?」

 ―――戦え。

433PARADE ◆l8lgec7vPQ:2025/05/30(金) 04:53:09 ID:6kUGLvpA0

「うるせえ邪魔だ、っつてんだよ!!」

 咆哮と共に、彼は偶然最も近くにいた者の顔面を、思い切り殴りつけた。
 一片の躊躇なく振り切られた拳は相手の頬骨を砕き。
 鮮血が飛び散る。 

 路上に転がった身体、開けっ放しの口から数本の歯が飛び出し、砂利の上を転がった。
 拳から血を流しながら、男は倒れた者の上に馬乗りになって、容赦のない殴打を続ける。

「なにしてんだあんた! やめろって!」

 周囲の者達が悲鳴を上げ、繁華街にどよめきが広がっていくが、彼はまるで気にならない。
 むしろ、意識はとてもクリアになっていた。
 脳みそに直接、清涼剤を直接ぶち込んだような清々しさ。
 鬱陶しい何かをぶん殴るほどに、耳鳴りが収まり、頭が冴えていく。

「て……めえ! いい加減に!」

 誰かに突き飛ばされ、路端にいた別の誰かにぶつかる。
 邪魔だったので、ぶつかったそれに思い切り膝蹴りを入れた。
 蹴られた誰かは隣りにいた誰かを巻き込んで倒れ、頭から血を流して喚きながら、見当違いの誰かに殴りかかる。
 
 倒れていた男がおもむろに起き上がり、狂乱しながら近くにいた無関係な誰かに掴みかかっている。
 その様子を眺めていると、後ろから頭を殴られたので、振り返ってそこに居た誰かに飛び掛かる。

「痛え! なんで俺が殴られなきゃいけねえんだよ!」
「はあ!? あんたが先に手ぇだしたんでしょ」
「俺じゃねえアイツが……」
「テメエら纏めて邪魔くせえ!」
「いったい何なんだよ!」
「おい、そんなもん仕舞えって! 冗談じゃすまな―――」

 小競り合いが乱闘になり、乱闘が暴動に近づいていく。
 混乱が広がっていく。 
 もう既に誰が誰を殴っているのかも分からない。

「あ……ぁ……何が起こった……?」
「車が……車が突っ込んで……!」
「お、おまえら警官だろ……なんでそんな、冗談やめろよ、まさか本気で撃―――」

 今や誰も彼もが支配されていた。
 その内側から猛る声に。


 ―――戦エ、戦エ、戦エ。


 既に誰も、最初の諍いがどんなカタチだったか憶えていないだろう。
 それは引き金を退いた彼も同じ。

 誰とも分からない頭に噛みつきながら、男は足元に違和感を覚える。
 下を見ると、紅い液体に足が踝まで浸かっていた。
 
 ふと、疑問に思う。
 どうして繁華街の交差点に、汚れた水が流れているのだろう。
 神田川が氾濫したのだろうか。雨も降っていないのに。
 
 首を傾げているうちに顔を殴られ、路上に仰向けに倒れる。
 飛沫が上がったけれど、別に冷たくもなかった。
 数度、瞬きをしてみると、紅い液体はもうどこにも見えない。

 周囲には、未だに殴り合う人々の雄叫びが轟いている。
 幻覚を見ていたのだろうか、と。
 彼は口元から滴る血を指で拭って立ち上がり、ゆらゆらと歩き出しながら思った。


 ―――オヲ――――タタカエ。


 まあ、なんにせよ。
 今日はとても、良い記事が書けそうだった。






434PARADE ◆l8lgec7vPQ:2025/05/30(金) 04:54:57 ID:6kUGLvpA0














 Tuba mirum spargens sonum, / 奇なる喇叭の音が響き。






 per sepulchra regionum, / 各地の墓所に鳴り渡るとき。






 coget omnes ante thronum. / 全ての者は寳坐の下に集められん。

















【新宿区・歌舞伎町のライブハウス/一日目・夜間】

435PARADE ◆l8lgec7vPQ:2025/05/30(金) 04:56:02 ID:6kUGLvpA0

【華村悠灯】
[状態]:動揺と葛藤
[令呪]:残り三画
[装備]:精霊の指輪(シッティング・ブルの呪術器具)
[道具]:なし
[所持金]:ささやか。現金はあまりない。
[思考・状況]
基本方針:今度こそ、ちゃんと生きたい。
1:祓葉と、また会いたい。
2:暫くは周鳳狩魔と組む。
3:ゲンジに対するちょっぴりの親近感。とりあえず、警戒心は解いた。
4:山越風夏への嫌悪と警戒。
[備考]

【キャスター(シッティング・ブル)】
[状態]:健康、迷い
[装備]:トマホーク
[道具]:弓矢、ライフル
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:救われなかった同胞達を救済する。
1:今はただ、悠灯と共に往く。
2:神寂祓葉への最大級の警戒と畏れ。アレは、我々の地上に在っていいモノではない。
3:――他でもないこの私が、そう思考するのか。堕ちたものだ。
4:復讐者(シャクシャイン)への共感と、深い哀しみ。
5:いずれ、宿縁と対峙する時が来る。
6:"哀れな人形"どもへの極めて強い警戒。
[備考]
※ジョージ・アームストロング・カスターの存在を認識しました。
※各所に“霊獣”を飛ばし、戦局を偵察させています。

【覚明ゲンジ】
[状態]:疲労(小)、血の臭い、高揚と興奮
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:3千円程度。
[思考・状況]
基本方針:できる限り、誰かのたくさんの期待に応えたい。
0:祓葉を殺す。あいつに、褒めてほしい。
1:抗争に乗じて更にネアンデルタール人の複製を行う。
2:ただし死なないようにする。こんなところで、おれはもう死ねない。
3:華村悠灯とは、できれば、仲良くやりたい。
4:この世界は病んでいる。おれもそのひとりだ。
[備考]
※アルマナ・ラフィーを目視、マスターとして認識。

【バーサーカー(ネアンデルタール人/ホモ・ネアンデルターレンシス)】
[状態]:健康(残り108体)、一部(10体前後)はライブハウスの周囲に配備中
[装備]:石器武器
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:今のところは、ゲンジに従い聖杯を求める。
0:弔いを。
[備考]
※老人ホームと数軒の住宅を襲撃しました。老人を中心に数を増やしています。

436PARADE ◆l8lgec7vPQ:2025/05/30(金) 04:56:38 ID:6kUGLvpA0

【千代田区・北部アジト/一日目・夜間】


【悪国征蹂郎】
[状態]:疲労(小)、魔力消費(中)、頭部と両腕にダメージ(応急処置済み)、覚悟と殺意
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度。カード派。
[思考・状況]
基本方針:刀凶聯合という自分の居場所を守る。
0:周鳳狩魔――お前は、お前達は、必ず殺す。
1:周鳳の話をノクトへ伝えるか、否か。
2:アルマナ、ノクトと協力してデュラハン側の4主従と戦う。
3:可能であればノクトからさらに情報を得たい。
4:ライダーの戦力確認は完了。……難儀だな、これは……。
[備考]
 異国で行った暗殺者としての最終試験の際に、アルマナ・ラフィーと遭遇しています。
 聯合がアジトにしているビルは複数あり、今いるのはそのひとつに過ぎません。
 養成所時代に、傭兵としてのノクト・サムスタンプの評判の一端を聞いています。
 六本木でのレッドライダーVS祓葉・アンジェ組について記録した映像を所持しています。

【ライダー(レッドライダー(戦争))】
[状態]:損耗(中/急速回復中)
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:その役割の通り戦場を拡大する。
1:神寂祓葉を殺す
2:ブラックライダー(シストセルカ・グレガリア)への強い警戒反応。
[備考]
※マスター・悪国征蹂郎の負担を鑑み、兵器の出力を絞って創造することが可能なようです。

※現在、新宿区にスキル〈喚戦〉の影響が拡大中です。


【アルマナ・ラフィー】
[状態]:健康
[令呪]:残り3画
[装備]:カドモスから寄託された3体のスパルトイ。
[道具]:なし
[所持金]:7千円程度(日本における両親からのお小遣い)。
[思考・状況]
基本方針:王さまの命令に従って戦う。
1:もう、足は止めない。王さまの言う通りに。
2:当面は悪国とともに共闘する。
3:傭兵(ノクト)に対して不信感。
[備考]
 覚明ゲンジを目視、マスターとして認識しています。
 故郷を襲った内戦のさなかに、悪国征蹂郎と遭遇しています。

※新宿区を偵察、情報収集を行いました。
 デュラハン側の陣形配置など、最新の情報を持ち帰っています。

437名無しさん:2025/05/30(金) 04:57:05 ID:6kUGLvpA0
投下終了です

438 ◆0pIloi6gg.:2025/06/01(日) 23:55:30 ID:EtvVHMko0
アルマナ・ラフィー
悪国征蹂郎&ライダー(レッドライダー(戦争))
華村悠灯&キャスター(シッティング・ブル)
覚明ゲンジ&バーサーカー(ネアンデルタール人/ホモ・ネアンデルターレンシス)
周鳳狩魔&バーサーカー(ゴドフロワ・ド・ブイヨン)
神寂祓葉 予約します。

439 ◆EjiuDHH6qo:2025/06/04(水) 00:17:31 ID:mcH9oP5U0
予約を破棄します。
長期の拘束申し訳ありませんでした。

440 ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:32:03 ID:D5Ika2WY0
投下します。

441TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:33:03 ID:D5Ika2WY0


 ――夜の闇が、彼らの集まった廃墟の中を無言で覆っていた。
 吹きすさぶ風が鉄骨を鳴らし、冷たく湿った空気が兵たちの肌を刺す。
 そこに集まったのは、今まさに東京裏社会の覇権を争おうとしている両翼の片割れ、デュラハンの兵隊達だ。
 電気も通っていない廃ビルの薄闇に身を潜めるようにして、それぞれが無言で与えられた武器を整えていた。
 これだけ見れば本当の開戦前夜のような凄みがある光景だが、これより死地に向かう彼らの顔には緊張と不安がにじみ出ている。

 誰もが知っていた。これから向かう抗争の相手――刀凶聯合は、自分達以上に一介の半グレ組織などではない。
 連中は狂気の塊だ。ロケットランチャー、グレネード、重機関銃。
 まるで戦場の兵器がそのまま市街地に持ち込まれたような装備で、手加減など一切見込むことのできない相手。

「……勝てるわけ、なくねえか?」

 ぽつりと誰かが言った。
 場の誰も、それを否定しなかった。
 確かにこちらも銃は与えられている。手榴弾もあればスタングレネードだってある。だが、それでも"戦える"ことと同義ではない。
 デュラハンの武装はあくまでちょっと過激なヤクザレベル。対する聯合は先に述べた通り、実際の戦地でも十二分に通用するような盤石さだ。
 自分達が弾を詰め替えている間に、対戦車を想定した超威力兵器の砲撃を見舞ってくるような連中。それを相手に拳銃とわずかな小細工で挑むなど、木の枝で戦車に立ち向かえと言われているようなものだった。

「俺達の強みなんて、せいぜい数が多いだけ。連中よりちょっと人数揃えてるだけだ。その数だって、あんな火力の前じゃ何の意味もねえだろ」

 言葉にすることで余計に不安が強くなる。
 それでも吐き出さずにはいられないほど、場の空気は重かった。
 いつ始まるか分からない抗争を前にして、どんどん胃の底が冷えていく。

 誰も彼もが、恩義や絆に命を懸けられるわけではない。
 そんな当たり前の現実を、彼らの煩悶は痛ましいほどに物語っていた。
 彼らは所詮被造物。〈この世界の神〉たる白色に創造された、仮初めの器でしかない。
 それでも彼らにしてみれば今此処にある人生が、命がすべてなのだ。
 恐怖がない筈がない。迷いがない筈がない。造物主の創造は、いっそ残酷なまでに精密だった。

 よってこれは当然の恐慌、当然の軋み。決戦を前にして、デュラハンの士気は大きく揺らいでいる。
 ともすれば今すぐにでも、逃げ出そうと言い出す者が現れても不思議ではないほど。
 事此処に至るまでそうさせていない辺り、周鳳狩魔という頭(ボス)が如何に非凡な将であるかが窺えるというものだったが――それにも限界はある。

 なんたる体たらく。悪国や聯合の兵隊が見れば、きっと失笑しただろう。
 首なしの騎士とはよく言ったものだ。これでは玉なし、意気地なしの集まりではないかと。
 ああ無情。彼らの戦いは始まる前に破綻して、見るも無様に総崩れの様相を呈する――

 ……その瀬戸際で。場の混迷を断ち切るように、"誰か"の足音が響いた。

442TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:33:38 ID:D5Ika2WY0

 規則正しく、鋭い靴音が床を打つ。
 状況にそぐわない不思議な品格を伴った響きだった。
 それは一歩ごとに空気を変え、やがて兵たちの視線を一点に引き寄せていった。

「や、どうも。うん、みんなちゃんと集まってますね。感心感心、それでこそ狩魔の集めた兵隊です」

 ――――そうして現れたのは、目が潰れるほど美しいひとりの青年であった。

 金髪。凛とした顔立ち。けれどその姿は、ただ"美しい"と表現するにはあまりに異質で、現実感すら希薄だ。
 理知的な眼差しと、誰もが自然に膝を折りそうになるほどの威厳。
 デュラハンのボス・周鳳狩魔が呼び寄せた"サーヴァント"。
 ゴドフロワ・ド・ブイヨン。組織内ではゴドーと呼ばれる、暴力の象徴のような人外がそこにいた。

 彼が姿を現した瞬間、場の空気は文字通り一変した。
 さっきまであれほど充満していた不安が、一瞬にしてどこか遠くへと押しやられていく。
 誰もが言葉を失って、呆けた面を晒しながらその存在に圧倒される。
 ゴドフロワは一歩進み、全員を静かに見渡す。もはや騒がしい話し声は一切ない。在るのはただ足音と耳鳴り、そして。

「大丈夫。恐れることなど、何もありませんよ」

 彼の放った一言が、無に戻された場の空気を、改めて根本から塗り替えた。
 語気は柔らかく、だが確固たる信念に満ちている。
 慰めでも、鼓舞でもない。ただ事実として、そこに在るものとして言葉が投げかけられた。
 ある種軽薄とも取れるほど何の飾り気もないその一言に、兵たちは不思議と息を飲んだ。

 武器の性能でも、戦術の優劣でも、ましてや将の器の大小でもない。
 そんな些事よりもっとずっと根源的な何か。
 この場に居合わせた者すべての内面を、単なる口先八丁で揺さぶる何かがそこには確かに存在していた。
 虚ろな兵隊達は誰も気付いていない。ゴドフロワがこの場に来ただけで、自分達の背筋が自然と伸びたことに。さっきまではわななき空を掴むばかりだったその拳に、わずかに、されど確かに力が込もったことに。

 ゴドフロワはその変化を認識しながら、しかしそれを指摘するでもなく。
 更にもう一歩だけ、緩慢な動作で前に出る。包み込むようなおおらかさに溢れた所作だったが、その眼は決して優しさだけを語ってはいなかった。

「いい機会だ。出撃の前に……少し話をしましょうか」



◇◇

443TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:35:51 ID:D5Ika2WY0
「そうか、覚明ゲンジが……」

 アルマナからの報告を受けて、聯合の王・悪国征蹂郎は呟いた。
 ノクト・サムスタンプを通じ、デュラハンの主要構成員の情報は既に得ている。
 中でも外見的特徴に関して言えばひときわ異質なのが、今しがたアルマナが遭遇したという"猿顔の少年"だった。
 覚明ゲンジ。北京原人に酷似した風貌を持つ醜い少年。独居老人の集団失踪が起きた団地に住まう、聖杯戦争のマスター。

『撤退時、牽制のつもりで魔術を放ちましたが……手応えはまったくありませんでした。
 というより、命中する前にかき消されてしまったような感覚です。警戒が必要かと』
「そういえばキミは……、あの"猿顔"と面識があると言っていたな……」
『面識というほどのものではないです。アグニさんと同盟を結ぶ直前、一度顔を見たというだけで――ただその点で言うと、以前の彼とさっきの彼はまったく別人だったように思います』
「……、……」

 アルマナの声に微かな動揺が滲んだのを、悪国は見逃さなかった。
 この冷静沈着な少女らしからぬ、揺れ。
 それこそ初めて出会った時に見た恐慌の片鱗らしきものが、そこには窺えた。

『迷いと……たぶん、苛立ち。
 前の彼にあったものが、さっきはまったく消えていた』

 一皮剥けた、なんて可愛らしい表現をするべきではないだろう。
 此処に来て存在感を増すのは、覚明ゲンジの居住地が集団失踪の起きた団地であるという情報だった。
 朧気に繋がっていた点と点。それを結ぶ線の色が、不気味に濃くなっていくのを感じる。
 
『もし相対することがあったら、どうか警戒を。ややもすると周鳳狩魔は、恐ろしい切り札を手に入れたのかもしれません』

 次いでアルマナは、ゲンジの連れていたサーヴァントについて語った。
 "複数の原人"。具体的に特定はできなかったものの、石器武器を携行していたと彼女は言う。
 猿顔の奇怪な少年が召喚した、原始人の群れ。
 なんとも酔狂な縁だが、アルマナの魔術を無効化したカラクリは一体どちら側にあるのか。
 悪国は静かに爪を噛む。この情報に関しては、ノクト・サムスタンプにも共有しておくべきだろう。
 今のところ新たな連絡は来ていないが、決戦の時刻が来た以上、あの信用ならない策士も動き出す筈だ。

「……とりあえず、分かった。して、どうする。一度こっちに戻るのか……?」
『存在を認識されてしまった以上、アルマナ単騎での作戦行動は危険と判断しました。
 今はチヨダ区に戻ってきています。状況を見て、このまま戻るか別所に向かうか決めようかと』
「分かった……。何かあれば、追って連絡する……くれぐれも気をつけて、行動してくれ……」
『……アグニさんに言われるまでもありませんが、ありがとうございます。そうします』

 そこで通話が切れ、悪国も端末を置く。
 短時間の偵察だったが、やはりアルマナは驚くほど優秀だった。
 敵陣の大まかな配置に、覚明ゲンジという要注意人物の話まで持ち帰ってくれたのだ。
 加えてキャスタークラスの陣地が形成されていたこと、精霊を活用した独自のセキュリティ体制を確立していたこと。
 元が魔術師でない悪国だ。理解しかねて聞き返す場面もあったが、その甲斐あって現状への理解度は相当に向上した。
 開戦前の成果としては上々だろう。であれば後は、実際に事を始めるだけだ。

 レッドライダーが加減のできるサーヴァントであったことは僥倖だった。
 見敵鏖殺、二言はないが、何事にも事の順序というものがある。
 デュラハンは烏合の衆だが、頭である周鳳狩魔と彼の集めた英霊達は脅威だ。
 切るカードと必要な出力を誤れば、いつどこで地獄に落ちるか分からない。

 エナジードリンクの残りを飲み干して、悪国は窓越しに戦場の方角を見た。
 覚悟は決めた。後戻りなどできないし、する気もない。
 時刻は午前零時。刻限の到来と同時に、刀凶の将は宣言する。

「――――さあ、開戦だ」

 同時に身体を襲う強烈な緊張感と熱感。
 脳が沸騰したように熱くなって、巡る血流が隅から隅まで煮え滾る激情に置換されていく。
 魔術回路に漲るのは炎。地を焦がし、空を焼く、人類の原罪が悪国の内界へ共有される。
 
 我らは刀凶聯合。
 流血で繋がれた絆の聯隊。
 この絆、この縁を裂く者あるなら神であろうと許さない。
 首なしの騎士何するものぞ。おまえたちは、超えてはならない一線(レッドライン)を超えた。


 ――独り残らず皆殺しにしてやる。塵塚の王・悪国征蹂郎の宣誓を合図にして、黙示録の第二楽章は開戦する。



◇◇

444TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:37:30 ID:D5Ika2WY0



 夜の新宿に、異変は静かに、だが確実に満ち始めていた。

 タワー群の狭間に流れる風が重く淀み、ビルの壁面を撫でる音が、まるで獣の呻きのように変わる。
 街灯のひとつがふと赤く染まり、そして瞬時に爆ぜた。赤――それは血の色でも、警告の色でもない。
 これはただ、世界そのものを塗り替える破滅の兆し。

 まず現れたのは水だった。

 アスファルトの隙間から、コンクリートの割れ目から、天から地へ、逆巻くように溢れ出る液体。
 水と呼んだが決して広義の水ではない。飲用などできる筈もない血塗られた汚水だ。
 赤く粘性を帯び、見た目は血そのものでありながら、それ以上に嗅覚が拒絶する何か。
 染み出したそれは川となり、やがて道を覆い、気づけば一帯を赤い海へと変えていく。

 ぬめりとした音が、産声のように響く。
 その中心より、"それ"は姿を現した。


 紅蓮の戦士。赤き騎士。
 ――レッドライダー。
 黙示録の赤、その顕現である。


 それは生物ではなく、兵器でもなかった。
 騎士の姿を取ってはいるが、騎士というハリボテを模って顕れたモノと呼んだ方が正確だろう。
 赤く燃える二足が地を踏みしめ、どろどろと溶解しながら人型を保つ。あらゆる理屈と矛盾したその影が、理性なき眼光を街へと向ける。
 そこには言葉も意志もない。ただ存在ひとつでヨハネの預言を体現する。

 すなわち戦争と死を齎す者。
 黙示録の第二の印。
 人類のドゥームズデイ、その一形態。

 赤騎士の進軍を合図にしたかのように、街の灯りがひとつ、またひとつと消えていく。
 信号は赤のまま固まり、もう永遠に他の色を示すことはない。
 逃げ惑う人間の姿さえここにはなかった。
 なぜならこれの到来が起こってしまった時点で、特別な理屈を持たない伽藍の人形達はほぼ全員が赤の狂気に染められ、理性を飛ばしてしまったからだ。
 であれば後は争い惑うばかり。たとえ手足がもげようとも、もう彼らは闘志の奴隷として生きるより他にない。

 地を覆った赤水に仄暗く写る無明のビル群が、騎士の歩みにより生まれた波紋によって、まるで異界の塔のように歪む。
 破滅の気配は羊水を踏みしめるような音を供に、新宿の夜を侵食していく。

 そして。

 高層ビルの彼方にひとり、それを見つめる男がいた。

445TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:38:31 ID:D5Ika2WY0

 粗末な衣を纏い、頭に羽飾りを差した老戦士。
 彼は【赤】の凶兆を目の当たりにしながらも微動だにしない。
 しないまま、彼は静かに呟いた。

「――来たか」

 シッティング・ブル。
 アメリカ先住民、スー族の大戦士。守護者にして呪術師(シャーマン)。
 時代も場所も超えて彼は再び、憎み忌み嫌う戦争の世界へと立つ。
 ぬるついた風が彼の頬を撫でる。赤き騎士は、依然彼の存在を認識さえしないまま足を進める。

 赤き戦禍は、歩みを止めない。
 無言にして無機質、だが止まることなき黙示の機構。
 その躯体より滲み出す赤い水は、地を染め、建物の基礎を蝕み、都市の輪郭を現在進行形で塗り替えていた。

 騎士は黙して語らぬ。
 強いて言うならば、これの歩みそのものが"大いなる意思"だ。
 火種を撒き、命を刈り、土地を焦がす。
 人が作りしすべての文明と倫理観を、まるで最初からそれが「こうなるべくして在った」と示すみたいに踏み潰す。

 ――だがその時。ガイアの設計したこの終末に異を唱えるべく大地が揺れた。

 低く、重く、腹の底を揺るがすような震動。
 レッドライダーの前方、朽ちた街路の先に無数の黒い線が走る。
 土とアスファルトの狭間を踏みしめ、角を掲げ、巨体を揺らしながら、それらは姿を現した。

 無数の黒い巨体……バッファローの群れである。
 額には神聖なる紋章が淡く輝き、その眼はいずれも野生を超越した神秘の光を宿していた。
 これは喚ばれたものだ。乞い願われ、それに応じたものだ。
 霊獣。そう呼ばれる、大自然の神秘が具象した存在。
 彼らの声を聞き、意思を通わせ。
 混沌と大義が相克する戦場に招き寄せた者とは、すなわちシッティング・ブル。

 彼の意志が、闘志が、或いは絶望が。
 アスファルトを蹴り砕きながら走る一頭一頭の筋肉に確と宿っている。

「厄災を薙げ。大いなる神秘の触覚、我らが同胞(とも)よ」

 静かなる号令をもって、獣達の突撃は始まった。
 シッティング・ブルは自然と親しみながら育ち、そのように生きた者。
 この大戦士の頼みに応えない精霊など、彼らの土地には一匹もいない。

 バッファローたちが地を裂くように走る。その進撃はもはや津波に等しかった。
 一頭につき十トンを超える巨体が突進し、疾走の余波だけで停められている車を跳ね飛ばし、建物の外壁を崩し、街路樹を塵に変える。
 赤騎士を見据える無数の瞳は群れの"意思"として、交信者たるシッティング・ブルのそれを共有していた。

446TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:39:41 ID:D5Ika2WY0

 対するレッドライダー。
 彼はやはり一歩たりとも退かない。ただ黙して、立ち尽くす。
 だがこれを無防備と呼ぶのはあまりに迂闊だ。

 迫る神秘の津波を前にして、赤騎士の躰が変形した。
 肉の中から、銃口が伸びる。
 赤い体表(みなも)の下、肩から、肘から、腰から、背から――まるで皮膚を割って生える花咲き癌のように、無数の砲身が蠢いた。
 ライフル、機銃、ロケットポッド。現代兵器の坩堝が、生物の枠を超えて"発芽"していく。

 次の瞬間、それらが一斉に火を噴いた。
 爆音。閃光。弾丸と爆裂。
 砕ける空気はそれそのものが灼熱で、仮に吸うものがいれば刹那にして気道を焼き尽くされたに違いない。

 夜の街に、地獄のオーケストラが鳴り響く。
 弾丸は雨となって降り注ぎ、ロケット弾が群れの中心を爆風で撫でる。
 霊獣とてこうしてまろび出た以上は肉製の器。
 砲火と衝撃波の洗礼に血飛沫が上がり、直撃などしようものなら自慢の巨体すら容易く消し飛ぶのは避けられない。

 しかし、それでも自然の化身達は止まらなかった。
 炎に焼かれながら仲間の死体を踏み越え、それでも尚、彼らは走った。彼らは単に"命令"で動いているのではない。
 赤騎士討つべし。
 これは確かに神聖な者の御使いであるが、故にこの世にあってはならぬものだと、霊獣達は同じ認識を共有していた。そこには無論、シッティング・ブルという戦士の気持ちも含まれている。

 されど。

 それすらも――届かない。

 銃火は止まぬ。レッドライダーの体躯は変質を続け、装備された兵器はキャパシティを無視して増殖し続ける。
 身体ひとつで扱える火力の限界点が、目に見える形で悪い冗談のように更新されて止まらない。

 バッファローはやがて、すべて倒れた。
 吹き飛ばされ、焼かれ、撃ち貫かれ。
 最後の一頭がその巨体を地に沈めるまで、彼らは一度も怯まず、不退転のまま戦い抜いたが――当の赤騎士が依然健在であるという事実は、彼らの勇猛な生き様に冷や水を浴びせるが如き冷淡さでそこにある。
 
 沈黙が戻る。
 やはりそこに、騎士は立っている。

 ――赤き滅び(レッドライダー)。
 煤を纏い、血の霧を浴び、なお一歩も退かぬ姿。そこにあるのは勝利でも優越でもない。
 あるのは大義。ただそれだけ。預言の成就というプログラムで動く騎士に陥穽はなく、よって誰にもこれは倒せない。

 底知れぬ黙示の影。その姿を遠くから見据え、シッティング・ブルは息を整えた。
 第一陣は惨憺たるものに終わったが、それでも大自然の戦士は敗北を認めぬ。
 戦いはまだ始まってさえいない。これはただの第一波であって、それ以上でも以下でもないのだから。

 男は静かに目を閉じ、風の声を聴く。地の鼓動に耳を澄まし、次なる霊獣の気配を手繰る。
 赤き戦車は、次の進撃のために体内で砲弾を生成し始める。

 死の匂いが、爆炎と硝煙の余燼の中に広がっていく。
 バッファローの群れは既に沈黙し、焼けただれた大地には、赤い霧と焦げた毛皮の臭いが漂っている。
 赤く泥濘んだ肉体に幾百もの銃口を孕み、兵器達の集団墓地めいた姿になりながら、赤騎士が進軍を再開する。

447TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:40:23 ID:D5Ika2WY0

 その時――今度は空が裂けた。

 一閃。
 黒き夜を、銀の刃のような光が走る。

 鷹だ。

 いや、これもまた鷹のカタチを取った大地そのもの。
 本来ならば肉体をもたぬ精霊の具現。風を裂き、空を斬る使者。シッティング・ブルが呼び寄せた、鋭利なる粛清の翼。
 鷹の霊獣は、騎士の暴虐に踏み潰されたすべての命を代弁するが如く翔び――しかし鳴かない。
 射殺す眼光を尖らせながら、双翼で空気を斬る快音だけで雄弁にその意思を告げる。

 赤い巨影に銀の線が一筋、閃光のごとく走った。
 レッドライダーの巨躯が、真横から両断される。
 断面から赤い水が吹き上がり、血で虹の弧を描いた。
 膝をつき、崩れる黙示録の騎士。硬質でも軟質でもない不定形の身体が飛び散るように砕け、黒い血管のような中身が地に晒される。

 もちろん、これで終わるなどあり得ない。

「悍ましいな」

 沈黙の中、異音が響く。
 泡立つ音だ。切断面から滲み出た赤い水が、腐敗と再生を同時に孕んだ奇怪な動きで蠢き始める。
 溶けるでもなく、再構築するでもなく、ただあるべき姿に戻ろうとする原初(ガイア)の意志。
 傷口らしき裂け目が閉じる。輪郭が接続され、これらの隙間が塞がっていく。
 皮膚のように柔らかく、水のように淡く、そして鋼のように硬い物質が……泡の中から蛆のように蠢き、かつての姿を再生させる。

 赤い霧の中から、レッドライダーが立ち上がった。

 まるで今この瞬間に生まれ落ちたかのように、静かに。だが有無を言わさぬほど荘厳に。
 その無貌の頭部が、空を見上げる。
 鷹は旋回しながら戻っていく――交信者のもとへ。
 軌道の先、遥か彼方。ビルの残骸の陰に立つ、羽飾りを風になびかせ佇む戦士の影。

 赤騎士の貌が、その方向へと僅かに傾いた。
 そして見た。確かに捉えた。敵を。獲物を。


「見ツケタ ゾ」


 黙示の影は、ついに己が標的を認識した。

448TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:41:06 ID:D5Ika2WY0

 視線に熱が籠もった瞬間、戦場は再び脈動を取り戻す。
 レッドライダーの赤黒い身体がわずかに蠢く。
 のっぺりとした頭部に刻まれた眼窩を思わす二孔が、遥か彼方、ビル群の彼方に佇むシッティング・ブルを確かに捕捉していた。
 その刹那。彼の身体に巣くう"兵器の胎"が集団越冬する足の多い蟲のようにひしめき始める。
 泡立つ体表の隙間、肩口、脇腹、脊髄の延長線……あらゆる場所から微細な機構が浮かび上がる。
 それは虫の翅を思わせる金属の羽であり、赤黒く光る機関部であり、鋼鉄の小さな外骨格(パーツ)だった。

 すなわち――無数の超小型戦闘機である。
 宿主の体内から湧き出す寄生虫のように、それらは赤い霧を引いて空へ舞い上がる。
 レッドライダーは兵器を生む赤い沼。いわば活動する空母のようなものだ。

 一斉に旋回、俯角をとり、敵影へと降下開始。
 街路は瞬時に新たな形の地獄に染まった。
 爆撃、銃撃、ミサイル砲撃。空から降り注ぐそれらの攻撃はいつかの戦火をなぞるが如し。
 命死せよと猛る雷火に隙はなく、これに標的と看做された者が生き延びられる確率は真実皆無。

「いつの時代も同じだな。何も変わらん」

 が――そのさだめにさえ否を唱えるが如く。
 地が唸った。風が舞った。
 草木なきコンクリートジャングルの只中に、"大地"の気配が漲った。

「厭なものだ。戦争というのは」

 現れたのは、バッファローに続く精霊の獣たち。
 まず、ビル群の外壁を足場にしながら跳躍し疾走するコヨーテが四方から機影へと跳びかかった。鋼の外殻をものともせず、神秘の牙で喉元を喰い破る。
 かと思えば路地裏から這い出たグリズリーが咆哮し、爆裂で以って十を超える小型戦闘機を撃墜。
 先ほど赤騎士を両断した鷹が旋空飛行で制空権を奪い、霊的な風のうねりで科学の小鳥達を撹拌して粉砕する。
 霊獣たちはシャーマンの呼び声に応じ、厄災討つべしと各々の意思を示し続けていた。

 彼らに号令を下すシッティング・ブル。その目は、静かに冷たい。
 戦場の混沌の中心で呼吸し、彼は全てを視ていた。
 両手には、祈りと戦いの象徴――トマホーク。
 白銀の刃を握り、もうひとつ息を吸う。

 次の瞬間、厳しい顔の男が目を見開いた。
 吹き抜けたのは一陣の風だった。身のこなしは驚くほどに軽やかで、地と空と霊とを纏って一直線にレッドライダーと相対する。
 赤騎士もまた、迎え撃つ。戦場を彩る爆裂の中、彼の躰はすでに新たな兵器形態へと変質を始めていた。
 腹部から突き出した重機関砲の砲身が、空気を揺らす重圧を発しながら殺意を充填していく。

「シィィッ――――!」

 しかし間に合わない。
 シッティング・ブルのトマホークが、騎士の行動を待たずして振るわれた。
 風すら裂く一撃。レッドライダーの頭蓋が、トマホークの一閃に触れるなり風船さながら弾け飛ぶ。
 有機とも無機ともつかない不定形の構造が千切れ、赤い雫が鮮血のように空を舞う。
 霊的な理論と肉体的な習熟の融合が、黙示の影をもう一度、こうして確かに斬殺した。

449TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:42:30 ID:D5Ika2WY0

 彼は呪術師だが、同時に戦士でもある。
 宿敵であるジョージ・アームストロング・カスターさえそれは認めるところ。
 であれば当然、釣瓶撃ちが能の機械なぞに遅れを取る道理はない。

 ――もし相手が通常規格の英霊だったなら、此処で戦いは決着していただろう。
 断面からまたしても、赤い泡が膨れ出す。破損という概念がそもそも存在しないかのように、赤騎士は再生を開始する。
 復元の最中、レッドライダーの喉笛を引き裂いて、ぬらりと新たなメタルが出現した。
 突き出たのは巨大な砲身。対戦車砲――否それ以上の、文明ごと吹き飛ばす迫撃兵器。

 発射。
 爆音。閃光。衝撃。

 世界が今一度、白に塗り潰された。

 灰と炎が風に舞い、吹き飛んだ瓦礫が空を覆う。
 射線上に存在したビルは敢えなく倒壊し、黒煙が巻き上がる。

 ……長い残響の後、白煙の中に影が立った。
 揺らぐ煙を裂いて、シッティング・ブルの姿が現れる。
 無傷。その身に焦げ跡ひとつなく、彼はただ静かに立っていた。
 深い、聡明なる視線を湛えて健在を保っている。


「――狩魔に聞いた通りだな」

 濃煙の向こう、未だ熱を帯びて荒ぶ暴風を切るようにして囁かれた声。
 シッティング・ブルはその淡々とした語調の中に、しかし微かな畏れを隠さなかった。

 これが赤騎士。黙示の化身。血の潮を呼び、街を塗り潰す者。
 終末装置の名に恥じぬ破壊力を携えながら、定められた刻限を待たずして顕現した【戦争】。
 そんな無慈悲なる異教の滅びに、まったく無感でいられるほどシッティング・ブルは怪物ではない。

 目の前の風景は、現実とは思えぬほどに逸脱していた。
 騎士の身体が蠢くたび、現実を破却するような光と音の奔流が吹き出してくる。
 現にこうしている今も、騎士の体内という兵器庫から次々と現れる銃眼が、まるで神経節のように彼を見据えていた。

450TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:43:18 ID:D5Ika2WY0


 またも空が裂かれる。
 ただし今度は、レッドライダーの手によって。

 銃撃。秒間千発を遥かに超えるそれはもはや弾幕などではない。死の嵐そのものだった。

 頭上に羽ばたく鷹の翼が空を裂き、風を呼ぶ。
 純白の風が荒れ狂う銃弾の流れを逸らし、局所的な乱気流を発生させて弾道を狂わせる。
 幾千の銃弾が空を食い破るたびに、時に打ち払い、時に逸らし、受け流し、シッティング・ブルは己が存在を譲らない。

 大いなる神秘――ワカン・タンカ。
 大自然の理。精霊の声。それと深く親しんだ者のみが知覚できる、世界を形作る見えざる秩序。
 その恩寵を最も強く感じ取り、第六の感覚として手繰れるのがこの男だった。

 神秘に接続した六感が、霊視の眼を開かせる。
 レッドライダーの弾道、動作予測、魔力の震動を、一瞬先に読み解く。
 その上で、彼は撃つ。シッティング・ブルの手には、彼にとって負の象徴(トラウマ)でもある得物……ライフル銃が握られていた。


 見えない風の隙間を縫って、銃口が一閃。
 放たれた銃弾が、まっすぐに赤騎士へと飛ぶ。
 だがレッドライダーもまた、既に機構を展開し次弾を放っていた。

 空中で激突する、ふたつの魔弾。

 弾丸同士の相殺など常識では有り得ぬ。
 しかし現実としてそれは起こった。
 生み出されるのは壮絶な衝撃波。空気が鳴り、ビルのガラスが崩れ、地面さえ撓む。

 それでも尚、騎士の肉体は変化を止めなかった。
 次々と異なる武装を身に宿し、対人地雷、火炎放射器、迫撃砲――一瞬ごとに戦術を変化させる。
 赤い水をごぼごぼと吐き出し、撒き散らし、飛び散らせながら今ある戦場への最適化を繰り返す"黙示録の騎士"。
 一方、神秘との結びつきと持ち前の戦闘勘を活かして、防戦一方ながらも驚異的な食い下がりを見せるシッティング・ブル。
 彼は第一陣の防衛線として出陣する前、悠灯達共々、狩魔から港区の出来事と眼前の騎士の性質について伝え聞いていた。
 情報の出どころは言うまでもなく山越風夏だろう。あの奇術師はシッティング・ブルをしてまったく正體の読めない怪人だったが、だからこそ彼女が提供する話には常識では考えられないほどの価値がある。

 これが――"人を滅ぼすもの"。
 周鳳狩魔が語った、"災厄そのもの"。

 その事実を、シッティング・ブルは魂で受け止めていた。
 彼は動じぬ瞳で、次の一手を選ぶ。
 淡々と、粛々と。国も大陸も違えど、同じ大地の上で生きた人間として。大いなる神秘の代弁者として。

 ――逃げる。それがこの瞬間、最適にして唯一の選択と判断した。

451TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:44:17 ID:D5Ika2WY0

 霊獣を通じて分析した経路を辿り、シッティング・ブルは街並みを縫うようにして退いていた。
 撤退とは敗走ではない。次なる布陣を整えるための戦術的転進だ。
 恥じることなどどこにもないし、それを気にする誇りなどとうに膿んでいる。

 その背後に、【赤】が迫る。

 粘つく赤い水を滴らせながら進む姿は、まさしく滅びの預言そのものだ。
 尚も食い下がる霊獣どもを物理的に吹き散らしながら、兵器群が甲高い金属音とともに姿を見せる。
 対人、対戦車、対要塞――あらゆる規格に適応した兵装の群れが、シッティング・ブルを八つ裂きにするべくその銃口を向けている。

 コヨーテが足元を駆け、グリズリーが朋友(とも)の背を預かる。
 鷹と鷲が夜風を裂いて舞い、地を這う蛇は弾幕をすり抜けながら敵影の一挙一動を探り続けている。
 強靭な突進力を持つバッファローの群れが深夜の街通りを埋め尽くし、霊気と共に突進しては騎士の進軍をわずかでも押し留めるべく粉骨砕身の働きを為す。


 ――――開戦(ドゥームズデイ・カム)。


 銃砲、ミサイル、火炎放射器にマスタードガス。
 兵器達が咆哮を上げる。あらゆるカタチの破壊が、旧時代の神秘を薙ぎ払おうと迫る。
 しかし霊獣たちもまた、ただの幻ではない。
 コヨーテは跳ねるように弾丸を避け、隙を突いて脚部を狙う。グリズリーが負傷などものともせずに咆哮とともに迫り、兵器の砲身を殴り砕く。
 勢いのままに赤騎士へ剛撃を叩き込んだが、嘲笑うように赤い水が弾けた。
 血ではない。破壊と再生を繰り返す、呪いの血糊だ。飛沫はすぐにまた形を整え、神を冒涜するかのような姿の騎士が復元される。

 霊獣は力強い。だが彼らも無限に呼び出せるわけではない。
 少しずつ、されど確実に、シッティング・ブルは詰み始めていた。
 有限と無限。如何に役者が優秀なれど、比べ合うには相性が悪すぎる。

 赤騎士の腹が、ヤドリバエに食い破られたバッタの腹のように惨たらしく裂けた。
 そこから解き放たれるのは、大型トラックほどもある巨大なミサイルだった。
 超音速、超高推力。英霊規格に強化されたそれは、同族に向けるにしても明らかな過剰火力だ。
 火力で言うなら、対城宝具の域へ優に到達していよう。


 ――熱。

 ――衝撃。

 ――そして音。


 夜を包むはずの静寂が、一瞬で跡形もなく消し飛んだ。
 着弾点を中心に街並みは音を立てて砕け、風景そのものが蒸発したかのような光景が広がる。
 硝煙と火霧。超常と兵器の狭間で何もかもが均され、生命の残る余地はそこにない。
 やがて、霧が晴れる。

452TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:44:59 ID:D5Ika2WY0


 そこに――――立っているものがいた。

 レッドライダーは空洞の目を向ける。
 焦点を結ばぬ無形の赤い眼窩が、やがて一つの影を捕らえる。

 いたのは、シッティング・ブル……ではなかった。
 焼け焦げたアスファルトの上、風の中、そこに立っていたのは。


 北京原人に似た顔をした、ひどく醜い少年だった。


 みすぼらしい少年だった。
 全身は煤け、髪は荒れ、眼光はどんな野獣よりも昏い。
 だが何より不気味なのは、やはりその顔貌だろう。
 滑らかさを欠いた骨格。過剰に発達した眉弓と、粗雑に削り出したような面構え。
 それはヒトではありながら、現行の人類とは似つかない醜さを湛えていた。


 レッドライダーは静かに腕を上げた。
 赤い躰から咲き誇るように生える機銃群は、いずれも戦場で血を吸い、骨を穿った人類の叡智の結晶だ。
 高速回転する銃身はただちに熱を帯び、殺意を伝えるべく標的に照準を合わせる。
 対象はひとり。眼前の"原人"である。


「滅ビヨ。コレゾ預言ノ成就デアル」


 銃口が並ぶ。
 発射された殺意が、すべてを撃ち抜かんとする。

 ――だが、その瞬間。

 金属の軋む音が途切れた。
 機銃は回転を止め、砲身がぐらつき、まるで骨のように砕けていく。
 鋼が錆びた鉄屑に成り果て、自分が数万年前の忘れ去られた遺物だったことを思い出したかのように、その場で崩壊した。

「………………?」

 レッドライダーの口から、奇妙な音が漏れた。
 それはなにか、想定しなかった未知と直面した存在の、純粋な"驚き"だった。
 騎士の崩れる兵装を、少年はまじまじと見つめる。

 その顔が、歪んだ。
 にたぁ、と、笑った。

 酷く、醜く。
 人相の美醜を除いても決してヒトの枠組みには収まらないだろう、異様な、汚濁のような笑み。
 ヒトの顔と呼ぶには余りにも原始的で、卑屈で、反知性主義の結実めいたアルカイックスマイル。


 そんな悍ましい顔をして――――覚明ゲンジはそこに立っていた。



◇◇

453TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:45:42 ID:D5Ika2WY0



 周鳳狩魔の予測は的中していた。
 悪国征蹂郎は、必ず初手からレッドライダーを戦線に投入してくる。
 六本木を短時間で焦土に変え、情報を信じるなら大量破壊兵器に匹敵する武装も所持しているサーヴァント。
 そんなカードを温存しておく理由は、まったくと言っていいほど思いつかない。
 耐えて耐えて土壇場で秘密兵器を出すよりも、最初から開帳して敵の戦力を削りながら恐怖を与えた方が理に適っているからだ。
 それで自分達(デュラハン)が戦意喪失とまでは行かずとも、士気減退して総崩れになってくれれば儲けもの。
 大袈裟でも何でもなく、初手の戦果だけで勝敗を決せる可能性すらある。

 そして悪国の性格上、奴は叶うなら自軍の戦力を失いたくない筈。
 何せ末端の構成員ひとり惨殺された程度で怒り心頭になって、こんな決戦を持ちかけてくるほど身内への義憤に溢れた男なのだ。
 最小限の犠牲を理想としているのは間違いない。なればこそ、レッドライダーを動かしてくるのは確実視された。
 よって狩魔は防衛線としてキャスター・シッティングブルを配置。
 進撃する赤騎士を押し止めつつ、その強さが実際にどの程度のものか見極めるという択を取った。

 更に、狩魔が的中させた読みはもうひとつある。
 レッドライダーを投入はしても、六本木で用いたような規格外の火力までは抜いて来ないだろうという憶測だ。
 サーヴァントとはそれこそ兵器のようなもので、よほどの例外でもない限りエネルギー……魔力抜きでは動かせない。
 普通に戦わせるだけならいざ知らず、宝具の開帳など大掛かりなことをやれば、やらかした無茶に合うだけの出費を求められる。
 都市の一区画を文字通りの焦土に変えられるような力を用いておいて、まさか負担がゼロだなんて話はなかろう。

 恐らく、悪国征蹂郎にとって六本木の一件は試運転。
 自分の英霊が実際どの程度やれるのか確かめるために、あえて動かしたのだろうと狩魔は思っている。
 であれば悪国は既に、レッドライダーを無計画に動かせばどうなるのかを知っている筈。
 是が非でも自分達に勝ちたいあの男が、いきなり余力を全部吐き切らせる無茶はすまい。
 初手の削りの重要性は先に述べた通りだが、臆さず仕掛けるのと後先考えないのとではワケが違う。
 そして実際、今回聯合の赤色が繰り出した兵器は今のところ"たかだか"ビルを吹き飛ばす程度。
 十分すぎるほど破格ではあるものの、せいぜい並の対城宝具の域を出ない破壊力だ。これなら勝負は成立する。

「……やっぱ凄いっすね、狩魔サンは。全部読み通りじゃないですか」

 現在の戦場から遠く離れた、デュラハンのフロント企業が複数入った雑居ビルの屋上で。
 隣に立ち、双眼鏡で戦場の様子を見つめる華村悠灯に言われ、狩魔は煙草片手に呟いた。

「此処までは前提みたいなもんだ。こんなところでコケてたら勝てる抗争も勝てねえよ」

 狩魔は戦いに矜持(プライド)を持ち込まない。
 すべては殺すか殺されるかであって、自負だの流儀だのは等しく動きを縛る邪魔な枷。
 重要なのは主観ではなく客観的事実。人間は簡単に嘘を吐くが、データはいつでも正直者だ。
 故に彼は、ごく当たり前の事実として理解していた――額面だけを見るなら、劣勢なのはこちらであると。

「あの不死身野郎もそうだが……聞く限り、聯合の協力者は相当な切れ者らしい。
 お前もアレの変人ぶりは知ってんだろ? そんな変態が大真面目に警戒を促すような野郎が、何企んでんだか、悪国の顧問をやってるんだ。安心できる理由がない」

454TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:46:31 ID:D5Ika2WY0

 悪国側も、六本木でやったような真似はそうそうできない。
 それに加えてこちらには秘密兵器がある。ともすれば、レッドライダーに比肩し得る鬼札だ。
 想定以上の仕上がりを見せてくれた彼らの活躍次第では、戦力面の格差はかなり縮められるかもしれない。
 が、だとしてもまだ問題は残っている。
 〈はじまりの六人〉のひとり。都市の根幹に通じる者。極悪なる虎の存在だ。

「ノクト・サムスタンプ――でしたっけ」
「お、よく覚えてんじゃねえか。俺はファーストネームしか覚えてなかったよ」
「え」
「外人の名前覚えんの苦手なんだわ。サムスって言われても、スマブラのアイツしか思い浮かばねえもん」
「……狩魔サンスマブラなんてやんの? 今日イチの驚きなんすけど」
「やるよ。持ちキャラはカービィな。カフェの抽選落ちまくって本気で落ち込んだわ」

 狩魔は戦術家ではあるが、策士ではない。
 彼自身それを自覚している。
 草野球のエースとプロ野球の四番では話も格も違う。
 故に敵方の頭脳――ノクト・サムスタンプが本格介入し始めるまでは前座だと狩魔は踏んでいた。

 とはいえだ。
 前座とはいえ戦争は戦争。
 そこで魅せる結果に意味がない筈もなく。

「それより始まるぞ。しっかり見とけよ、悠灯」

 狩魔は隣の少女へ、兄のようにそう促す。
 これから起こることをよく見ておけと。
 告げて、自分が開花させた/破壊した少年の躍る舞台を指差すのだ。

「ちゃんと見てねえと、いざって時に殺せねえぞ」

 聯合の秘密兵器がレッドライダーならば。
 デュラハンのそれは、間違いなく"彼"だ。
 最初に邂逅した時から、狩魔は彼がそう成ることを確信していた。
 だから育てた。迷いに答えを与え、燻っていた黒い衝動にガソリンを注いでやった。
 すべての過程は、今この時のために。
 これより戦場、新宿の街で――〈神殺し〉が産声をあげる。



◇◇◇

455TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:47:25 ID:D5Ika2WY0



 街が静寂を取り戻したかに見えた刹那、今度はそれが異様な重さを帯びていく。

 ビルの崩れた瓦礫の隙間。
 排気ガスで煤けた下水道の入口。
 看板の裏、信号機の上、路地裏の陰影――都市のあらゆる裂け目から、それらは静かに現れ始めた。
 足音すらなく、あたかも元々そこにいた生物であるかのように。
 無数の人影。だが、それはいずれも現代の人類ではなかった。
 逞しく盛り上がった胸郭、短く頑強な四肢、隆起した眉と平たく押し潰された鼻梁。
 岩肌の彫像のような肉体に、原始の呼気が宿る。毛皮に包まれた肩から伸びる手には、それぞれ石器が握られていた。
 加工の痕跡すら素人目に見ても粗雑な、殴打という本能の延長にある道具が。

 ――ネアンデルタール人。ホモ・ネアンデルターレンシス。
 歴史から消えた筈の原始の申し子達が街のあらゆる裂け目から這い出し、【赤】の支配する戦場に大挙する。
 歓声も叫びもあげることなくただ静かに、しかし確かな殺意を孕んで。赤騎士の前に、太古の軍勢が出現した。

 その群れに守られたゲンジの姿は、まさしく理性の光を拒む異端そのものだった。

 瓦礫の街にひとり立ち、肩を揺らして笑うその顔。
 醜悪に歪んだ口元から覗くのは、まばらで黄ばんだ歯。
 汚れに染まり、研磨の行き届いていないことが一目で分かるそれは、まるで清潔が支配する今の時代そのものを嘲笑うようだ。
 原初の暴威を統べるのは、少年の皮を被った異形。
 太古の影を侍らせて立つその姿には、神秘でも怪物でもない、ただ純然たる"拒絶"があった。文明そのものへの、原始的とも呼べる拒絶が。

「――――愚カシイ」

 レッドライダーの発する言葉に、微かな憤りが覗いた気がした。
 これは人類を滅ぼす者。預言のままに、然るべき役目を果たす機構。
 空洞の眼窩に、確かに瞳と呼ぶべき螺旋を描いて。
 赤き騎士が見つめるのはゲンジではなく、その従僕たる原人達だった。

 主神(ガイア)の怒りを体現する被造物が滅ぼすのは増長しきった霊長とその文明である。
 にも関わらず、今目の前に立ち塞がっている奴らは何か。
 彼らは旧い時代の遺物達だ。慎ましくも雄々しく、罪業とは無縁の営みを送っていた弱き者達。
 
 ネアンデルタール人の信仰は原始的で敬虔だが、これはヒトの敬虔さに報いない。
 何故なら、黙示録の騎士とは装置であって、聖者などではないからだ。
 慈悲という報いではなく、ただ応報のみを届けるからこその終末装置(アポカリプス)。
 あるべき預言の時を歪める"過去の人"達に不興を示しながら、騎士は体表を泡立たせる。

 〈この世界の神〉とすら互角以上の戦いを成り立たせる、人類史という武器庫の開門だ。
 無論、石器などを頼みの綱にしている原人どもに対処できる火力ではない。
 核兵器など用いずとも、機関銃のフルオート射撃だけで彼らを鏖殺するには十分すぎるほど事足りる。
 だが――

456TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:48:09 ID:D5Ika2WY0


「はは、は……どうしたよ、おい。随分不細工だなぁ……?」


 先ほどの出来事を再生(リピート)するかのように、再度の不条理が赤騎士の暴虐を挫いた。
 自らの身体を槍衾に変えて生み出した機銃、短銃、砲口のすべてが刹那にして錆び付く。
 それどころか不出来な石器のようにひび割れ、ぱらぱらと粉塵を零しながらひび割れていく。
 弾丸は発射すらされない。引き金を引く音だけが虚しく、かちゃ、かちゃ、と連続していた。

「無駄、だよ」

 そして次の瞬間、レッドライダーの頭蓋に穴が空いた。
 ネアンデルタール人の投石が直撃し、脳漿さながらに赤い血糊を飛び散らせる。
 "過去"の原人が、"未来"にやって来る終末へ否を唱えた。
 もはや冒涜にも等しいだろう偉業を見届けながら、覚明ゲンジは悍ましい顔で破顔する。

「おまえじゃ、おれたちには、勝てやしない」

 『霊長のなり損ない』。
 サーヴァント・ネアンデルタール人が持つスキルだ。
 その効力は、あらゆる文明と創造行為の否定である。

 中期旧石器時代を基準とし、強引に設定を合わせる原始人の呪い。
 銃や砲など"かれら"の時代には存在しないのだから、であればすべては無価値な棒や粗雑な石細工に置き換わるのが道理。
 レッドライダーがどれほど凶悪な兵器を識っていて、なおかつそれを取り出すことができたとしても、ネアンデルタール人の存在はそのすべてを片っ端から無為にしていく。
 周鳳狩魔の推測した通り、レッドライダーは此処へ投入されるにあたって、六本木で用いたような過剰火力の使用を制限されていた。
 だが仮にその事情がなかったとしても展開は同じだったろう。核兵器。衛星兵器。摩訶不思議な機械兵器や生物兵器。いずれも"彼ら"の時代には存在しない。
 原初の戦争とは石と棒による比べ合い。そこには街を消し飛ばす大火力はおろか、音速で敵を穿つ弾丸さえ介在する余地がない。

 ――もっとも実際は、ゲンジが思っているほど単純ではなかった。

 ネアンデルタール人の呪いにはいくつかの例外がある。
 高ランクの神性、カリスマ。文明の発展に関わるスキル。
 これらを持つ者は原始の世界に対抗でき、そしてレッドライダーは最後の条件を満たせる英霊だ。
 『星の開拓者』。戦争こそ人類を最も進歩させた営み。その擬人化たる赤騎士がこの号を持たない理由はない。

 であれば原人の世界観はただちに否定され、未来文明の暴力に蹂躙されて散るのが道理。
 なのに何故赤騎士は不細工な創造を強いられ、足を止めているのか。
 彼はあくまでも人類史の集大成、集積された情報を再生するレコードのようなものであり、実のところそこに一切の創造性はなかった。
 自動拳銃を開発したのはサミュエル・コルト。ダイナマイトを発明したのはアルフレッド・ノーベル。
 原子爆弾開発を主導したのはJ・ロバート・オッペンハイマー……赤騎士は名だたる才人達の"成果"を引き出し、自らの宝具として行使する。
 想像を絶する芸当であることは言うまでもなく、故に赤騎士が持つ『星の開拓者』のランクはEX。規格外を意味する外れ値だ。

 されどその一点が、中期旧石器時代(ネアンデルターレンシス)の呪いが滲み入る隙になった。

 あくまで機構であるレッドライダーは言うなれば一体の、途方もなく巨大な機械のようなもの。
 戦争を呼び出し、取り出し、使う神の機構(システム)。これ自体が『霊長のなり損ない』の効果対象であると、石世界の呪いは言っている。
 だからこそ起きた番狂わせ。霊長のなり損ない達が布く法則と赤騎士の戦場は、今まさにせめぎ合いの渦中にあった。

「殺せ――――バーサーカー」

 ゲンジの宣告と共に、ネアンデルタール人の群れが影の波となって襲い掛かる。

457TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:48:54 ID:D5Ika2WY0
 棍棒、槍、投擲武器に槌。多種多様な武器はしかしそのすべてが石。
 鉄ですらない旧時代の遺物達だが、今まさに塗り潰されつつある【赤】を相手取るならこれでも十分。

「■■■■■■■■――――!!」

 原人達は皆狂暴な野猿のように猛り狂っている。
 彼らの単純な脳構造はレッドライダーの〈喚戦〉の影響を実に受けやすかったが、それもこの状況ではむしろプラスに働いていた。
 いわば狂化の二重がけ。一体一体では貧弱なステータスを喚起された戦意で底上げし、目の前の獲物を狩り殺すドーピングに変える。
 恐れはない。ひとりなら怖くても、ふたりなら怖くない。それでもまだ怖いならもっと大勢になろう。
 みんなで挑めば、何が相手でも怖くない――"いちかけるご は いち(One over Five)"。束ねられた矢の強さを、原人達は誰より知っているから。

 
 更に――


 原人達の突撃を彩るように、指笛の音が響く。
 瞬間、現れたのはまたしても獣の群れだった。
 シッティング・ブルの霊獣。鷹が、鷲が、バッファローが、コヨーテが、次々と現れては原人達をその背に乗せていく。

 彼らは霊獣、人類が繁栄する遥か以前からこの地球に在る"大いなる神秘"のひとかけら。
 ある意味では原人達以上に野生の存在だから、彼らに触れようと知能も強さもわずかほどさえ劣化しない。
 仮に呪いの全解放……ネアンデルタール人の第二宝具が展開されたとしても、霊獣達は何の問題もなく"零"の大戦に適応するだろう。
 野生の原人と、大自然の神秘。周鳳狩魔の仕込んだ防衛線は、恐ろしいほどの相性を実現しながら獰猛な侵略者を獲物に変えていた。

(これほどか)

 シッティング・ブル自身もまた鷲の背に騎乗しながら、彼は戦慄にも近い感情を覚えていた。
 狩魔の辣腕に対してではない。今、自分が轡を並べて戦っている原人達。彼らを従える、醜い顔の少年へ向ける畏怖の念だった。

(恐ろしい。強い者、狡猾な者、許し難い者……様々な戦士を見てきたが、これほどまでに――)

 ――これほどまでに不気味な者を見たのは、初めてのことだ。
 人の形に、猿に似た顔。卑屈さの滲む言動は小動物のようでさえあるが。
 今やそんな特徴すら、内に眠る悍ましいナニカを誤魔化すための擬態に思える。
 羽に目玉模様を浮かべた巨大な蛾。草花に溶け込んで獲物を待つ蟷螂。
 いや、もっと下だ。もっとずっと下、人が営みを築く大地の更に下の下の下の下の……

「…………奈落の、虫」

 遥か奈落の底で口を開け、美しいものの墜落を待つ蟻地獄。
 シッティング・ブルは、覚明ゲンジをそういうものだと認識した。
 周鳳狩魔が見出し、開花させた破滅の可能性。

 思うところがないではなかったが、義だの情だのを戦争に持ち込む段階は過ぎている。
 すべては己が理想、悲願を成就させるため。
 壊れた心の内から滲出する液体を泥の接着剤で塞ぎながら、大戦士もまた【赤】を討つべく空を翔けた。



◇◇

458TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:49:42 ID:D5Ika2WY0



「本当にどこまでもブッ壊れられる奴ってのがたまにいるんだ」

 周鳳狩魔は、煙草の二本目に着火しながらそう言った。
 今まさにレッドライダーが猛攻を激化させているところだというのに、そこに焦りは微塵も窺えない。
 かわいがっている後輩に訓示するような口調と、声色だった。

「ゲンジはそれだよ。今こそ俺の指揮下にいるが、いずれ手の付けられない怪物になる」

 覚明ゲンジは狩魔に懐いている。
 路傍の捨て犬だった彼を拾い上げたのは、他でもない狩魔だ。
 この男に拾われて、ゲンジは初めて居場所を手に入れた。
 だから今もああして、恩人である狩魔のために粉骨砕身戦っているのだ。
 なのに当の飼い主は、自分を慕う彼のことをこうして冷淡に語る。
 別人のようだと悠灯は思った。事あるごとに後輩を気にかけ、助けてくれる面倒見のいい先輩というイメージと、今の狩魔の姿がどうしても似つかない。

「卑屈なツラして、心の中じゃずっと牙を研いでるんだ。今までも、これからもな。あいつに首輪を付けることは誰にもできない」
「……、……」
「だからお前も、命ある内に考えとけ。あのバケモノをどう殺すのか、どうやって切り捨てるのか。じゃないといつか、お前もあいつに喰われるぞ」
「……そんな言い方、なくないですか。今あいつ、狩魔サンのために戦ってるんすよ」

 悠灯は眉を顰めて抗議する。
 最初は得体の知れない、不気味な奴だと思っていた。
 初対面でいきなり仕掛けてきた、いけ好かない野郎だとも。
 でも言葉を交わし心を通わせたことで、いつの間にか彼に対してもそれなりの仲間意識が生まれていたらしい。
 信頼する先輩の口から、そんな彼を厄介者のように呼ぶ言葉は聞きたくなかった。
 だが狩魔は悠灯の方を見ることもなく、わずかな沈黙を挟んでから続ける。

「ゲンジだけじゃねえよ。俺だってそうだぞ」
「……、」
「俺達は今こそ同じチームでやってるが、それは決して永遠じゃない。
 お前が俺のために命を捧げて、最後まで仕えるってんなら別だけどな」

 忘れてはならない。
 これは、抗争である以前に聖杯戦争なのだ。
 生き残りの椅子はひとつ。願いを叶える権利もひとつ。
 その過程で築く関係性は一時のつながりに過ぎず、いつかは必ず決裂という形で終わりを迎える。
 それこそ、命を賭して/願いを諦めてでも相手に尽くす気概を持った異常者でもない限りは。

「お前らは可愛い後輩だ。だから面倒も見るし、困ってれば助けてもやる。
 でも俺の命とお前らの命が天秤にかけられたなら、俺は迷わず自分を選んでお前らを殺せる」

 曰く、指先と感情を切り離して行動できるのは、稀なる才能であるという。
 周鳳狩魔は、それができる人間だった。
 だから彼は誰でも殺せるし、どんな非道にも顔色を変えず手を染められる。
 彼に殺せない人間は存在しない。たとえ付き合いの長い悠灯が相手だったとしても、取るに足らない敵ひとりと同じ感覚で殺すことができる。

「お前、永くねえんだろ」

459TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:50:17 ID:D5Ika2WY0
「おたくのバーサーカーから聞いたんですか」
「多少な。でもツラ見てれば分かるよ。先のある人間の眼じゃねえ」

 ――『君に限って言えば、多少急いだ方がいいかもしれない』。
 ――『保ってあと数日ってところだろう。君の終わりは、きっと糸が切れるように訪れる』。
 ――『今のままではいけないよ、悠灯。明日に辿り着きたくば、君はいち早く"何者か"にならなきゃいけない』。

 〈脱出王〉の言葉が脳裏にリフレインする。
 この言葉を思い出すと、いつも胸が苦しくなった。

 身体のことを知られているということは、つまり祓葉と交わしたやり取りも筒抜けなのだろう。
 こんな状況だというのに、それはなんとも言えず気恥ずかしいものがあった。
 取る手は決めた。後悔はしていない、筈だ。とりあえず、今のところは。
 狩魔は、あえてそこについて言及することはしなかった。
 面倒見がいいが踏み込みすぎない。彼のこういう部分も、野良犬だった自分が心を許せた理由なのかもしれない。

 そう、華村悠灯もまた野良犬だ。
 都会の隅に打ち捨てられた、孤独と怒りを抱えて生きる獣(ジャンク)。
 ゲンジと悠灯が違うのは、彼は悠灯を置いて、さっさと何者かになってしまったこと。
 たとえそれが悍ましい怪物のようなカタチであろうとも……ゲンジは今幸せなんだろうなと、悠灯は思う。

「狩魔サン。アタシね」

 とくん、とくん。
 慣れ親しんだ心臓の鼓動が、日に日に小さくなっている気がするのは錯覚だろうか。
 最近は息切れもしやすくなってきた、気がする。
 終わりは近い。山越に言われるまでもなく、死神の気配はずっとどこかで感じてた。
 ただ、それを見ないようにしていただけで。

「死にたくないんすよ。笑っちまいますよね」

 悠灯は言った。
 
「ずっと探してた。生きることは無駄だって確かめたくて」

 生きるに値しない、その烙印を求めていた。
 けれど待ち望んでいた答えはそこにはなくて。
 あったのは真逆の渇望。現実になった終わりがようやく、ゴミの中に隠された本当の心に気付かせてくれた。
 
「荒れて、暴れて。気付いた時にはにっちもさっちも行かなくなってて」

 〈脱出王〉曰く、自分は何者でもないのだという。
 こんなに願ってもまだ、この舞台で価値を示すには足りないというのか。
 気の遠くなる話だった。でも、噴飯ものの侮辱に今じゃ心の底から納得が行く。
 あの白い少女と比べたら、自分などさぞかしちっぽけなガラクタだろう。
 それでも生きている。生きていく。死にたくないから。生きるしかない。

 ――覚明ゲンジは、生きる"目的"を見つけた。
 ――じゃあ、自分(アタシ)は?

460TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:51:22 ID:D5Ika2WY0

「こんなところに流れてきても、まだ下向いてる」

 は、と笑った悠灯に。
 狩魔は紫煙を燻らせながら、口を開く。

「いくつだっけ? お前」
「……十七」
「ならそんなもんじゃねえの? 十七なんてケツの青いガキだろ。命がどうとか考える歳じゃねえんだから」
「――狩魔サンって、結構デリカシーないトコありますよね」
「なんだよ。女扱いされたいタマには見えねえぞ」
「ほら、そういうとこ。まあそれは事実ですけど」

 既に戦争は始まっている。
 だというのに、それを微塵も感じさせないやり取りだった。
 傍から見ればガラの悪い先輩と、ワルにかぶれた学生という構図にしか見えないだろう。
 
 悠灯はなんだか可笑しくなってしまった。
 この人のことは、信用している。
 でも、"いい人"だと思ったことは一度もない。
 彼の身体からはいつも暴力の匂いがしていたし。
 さっきだって、いつかお前も殺すと殺害予告をされたようなものだ。
 だろうな、と思った。
 なのにそんな相手のことを、今もまったく嫌いになれない。
 此処にゲンジがいないことが、なんだか無性に惜しく感じた。

「ま……、俺の言ったこと、心の片隅にでも置いとけ。説教は趣味じゃねえからな、二度は言わねえよ」

 言いながら、狩魔はスマートフォンを取り出した。
 来ている通知は一件。メッセージングアプリの通知だった。普通のものより機密性が高く、裏社会の住人からは重宝されている。

「そういや、さっきは言わなかったけどな」

 首のない騎士の団長が、画面に指を躍らせる。

「――――俺も死にたくはねえんだよ。だから敵は、その都度キッチリ潰すことにしてんだ」

461TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:52:00 ID:D5Ika2WY0





 『 作戦開始だ。皆殺せ、ゴドー 』




.

462TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:53:04 ID:D5Ika2WY0
◇◇



 風の音が微かに止んだ。
 男たちはただ黙って、今の今まで弱音を吐いていたことを誤魔化すのも忘れ前に立つ異邦の騎士を見上げていた。
 ゴドフロワ・ド・ブイヨン。歴史の彼方より召喚されし、聖地を制圧せんと剣を掲げた十字軍の先達。
 その背筋は凛と伸び、金髪は月光を帯びるように輝いていた。
 狩魔の付き人。デュラハン最強の暴力装置。物言いも振る舞いも気安いが、どこか得体の知れない迫力のある男。

 彼はしばし、これから率いる兵士達の顔を見渡した。
 怯え、緊張し、それでも歯を食いしばっている者。
 叱責を恐れるように、弱々しく視線を泳がせている者。
 撤退を進言したいが度胸はなく、口をまごまごさせている者。
 ゴドフロワは、彼ら一人一人の瞳へ静かに視線を落とし、やがて穏やかな声で語り始めた。

「この戦いに、意味はあるのか――そう思っている者もいるでしょう。
 暴力に暴力を重ねて、血で血を洗う果てに、残るのは自分達の死体かもしれない。
 そんな戦いに命を懸けて何になる。今すぐにでも退き、すべて忘れて元の暮らしに戻るべきなのではないか……」

 語調は柔らかかったが、その言葉はひとつひとつが石のように重く、故に鋭く聴衆の胸を打った。さながら咎を暴く聖者の説法のように。
 ゴドフロワが更に一歩、皆の前に進み出る。

「実はね、私も最初は恐れたものです。
 初めての出撃の前夜は震えが止まらなかった。食事はおろか、水さえ喉を通らず何度も吐き出しましたよ。
 思わず私は己に問いました。剣を振るう意味を。なぜ戦わねばならぬのか。神は何を望まれているのか……」

 彼の眼差しは遠い戦場を見ていた。
 聖地への進軍。砂と血と祈りが混ざり合った、いつかの記憶。
 しかしすぐに彼の視線は現在に戻り、鋭く兵たちを見据えた。

「答えはひとつではありません。何故なら正義とは多面である。
 殉ずる教えの解釈にさえ人は割れるのですから、そこを確定させるなどできる筈もない。
 でも唯一確かだったのは――何かを護り、勝利するためには、己自身が率先して立たねばならぬということ」

 風が吹き抜ける中、ゴドフロワの声は力を帯び始める。
 誰もが息を呑み、静かに耳を傾けた。

「ここに集ったあなた方は、ただの無頼者ではない。
 弱き者を脅すだけの徒党ではない、少なくとも今は。
 己の信じるもののために立ち上がる、素敵な資格を持つ者たちだ」

 その言葉に、何人かの眼差しが揺れた。

「私がここに来たのは、力を貸すためではありません。導くためでもまたない。理由はひとつ、あなた方と共に戦うためだ」

 彼は胸に手を当て、重々しく誓いを立てるように声を続ける。

「今宵私はこの剣を、あなた方の誇りのために振るいましょう。
 臆することはない。私はこの身を以て、地獄の底に至るまであなた方の盾となろう」

 その瞬間、空気が変わった。
 たった一言で、たった一人で、ゴドフロワは此処に充満していた不安と恐怖を一蹴したのだ。

463TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:53:43 ID:D5Ika2WY0

「敵は凶暴で残虐だ。悪魔の如く獰猛で、異教徒の如く強大だ。
 それは疑いない。だが理なき力とは脆いもの。互いの大義の差はすぐに、必ずや目に見える形で顕れましょう」

 男たちの目の色が次第に変わっていく。
 怯えの色が引き、代わりに心の奥に潜んでいた何かが、ゆっくりと姿を現していく。
 闘争心。原初の野生。狩魔やゴドフロワが、"狂気"と呼んで重用するもの。

「見せてやるのです。力とは奪うためでなく、誇りを守るためにあるのだと。そして人の誇りとは、恐怖を前にしても消え去らぬのだと」

 彼の声は今や、空間の全体に響き渡るほどに強くなっていた。
 誰もが背筋を伸ばし、拳に力を込め、無言で頷く。
 恐慌を顔に浮かべていた、どこにでもいるありふれた"人間"達が。
 首のない――恐怖を知らない、"騎士(デュラハン)"へ変わっていく。
 その様を見ながら、ゴドフロワ・ド・ブイヨンは、見惚れるような微笑(かお)をした。

「神は願われる。私ではなく、私達が信じた正義を。故にこれから、あなた方の手で掴み取れ。私の剣はその先陣となりましょう」

 応、応、応、応!!
 誰かが叫んだ。呼応するように、聖戦を前に猛る聲が広がって反響する。
 恐怖が拭い去られてまっさらになった場を次に支配するのは、喚起された戦意だった。
 刀凶の蛮人何する者ぞ。討ちてし止まん、討ちてし止まん。殺せ、殺せ、皆殺せ。
 我らはデュラハン、首のない騎士。東京の覇権は我らと周鳳狩魔にこそ相応しい。
 此処は騎士の王国。それを不法に占拠し、王を気取る冒涜者がいるというのなら。
 殺せ、殺せ、奪え、奪え。抗争だ、戦争だ。奴らのすべてを奪い取れ。奴らのすべてを踏み躙れ。

 この旗の下に、あまねく敵を抹殺するのだ。

「さあ、共に参りましょう」

 工場跡に一斉に鳴り響く、装填の音。
 先ほどまでの鬱屈が嘘のように、誰もが迷いなく銃を取り、構えを定めていた。
 金の髪を風になびかせ、ゴドフロワ・ド・ブイヨンはゆっくりと歩を進めた。
 彼の背に、幾十もの命が続いていく。

「――――開戦です。皆で元気に、野蛮な異教徒を滅ぼしましょう」

464TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:54:14 ID:D5Ika2WY0

 

 ゴドフロワ・ド・ブイヨンは、カリスマのスキルを持たない。
 十字軍を率いた聖戦士ではあれど、そこに歴代の英雄達のような類稀なる求心力はなかった。
 彼にあったのは、ただ血湧き肉躍らせる狂気(つよさ)。
 大義の奴隷として粛々と、時に揚々と、為すべきことを為す。
 必要ならばなんでもできる。男も女も、母の腕に抱かれた幼子も、誰でも殺す。
 その圧倒的な狂気は、時に伝播する。ただでさえ戦場とは生死の狭間、誰もが殺意と恐怖の間で揺られる空間なのだ。
 そんな非日常の只中において――ゴドフロワという狂戦士(バーサーカー)は、恐ろしくも美しい花であった。

 彼は魅力ではなく、狂気で他人を沸き立たせる。
 何よりたちが悪いのは、彼自身もそれを自覚していることだ。

 何かを護り、勝利するためには、己自身が率先して立たねばならぬ。

 そんなこと、ゴドフロワは微塵も考えていない。
 考えたこともない。彼はいつだって、必要なだけバルブを開いてきただけだ。
 そうやって狂気という水を、これまた必要な分だけ引き出せばいい。
 ヒトはどこまでも目的のために残酷になれるのだから、これを利用しない手はないとゴドフロワは思っている。
 死地に向かう恐怖に慄き、"正しい選択"をしようとする若人を死の未来に誘導することもそれの一環だ。
 十字軍を指揮して虐殺を働き、聖地制圧を成し遂げた偉大なる聖墳墓守護者にとって、泰平の世を生きる悪ぶった子供を操るなど造作もない。
 狂気の列車の運転手として先陣を切り、ゴドフロワは首のない騎士達の王として夜を駆ける。



◇◇

465TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:54:54 ID:D5Ika2WY0



 夜の帳が下り切り、張り詰めた空気が満たす千代田区はその一角。
 アジトとは違う、あるビルの屋上に刀凶聯合の兵隊たちは屯していた。
 リーダー格の一人が缶ビールを放り投げると、薄暗い空を割って金属音が響く。

「……おい、あれ見ろ」

 哨戒に立っていたひとりが、路傍の向こうから歩いてくる人影を指差した。
 黒ずんだ路面を蹴って、荒っぽい足取りで進む彼らは、武装と風体からして――言うまでもなく。
 刀凶聯合の不倶戴天。皆殺しを誓った敵。デュラハンの外道どもに他ならなかった。
 良くも悪くも聯合らしい、緩く撓んだ雰囲気が一気に緊張とそれ以上の殺気に染め上げられる。

「飛んで火に入る夏のナントカだな。へへ、丁度いいじゃねえか」
「夏の牛だよ、馬鹿。征蹂郎クンに報告入れろ。返事あり次第即撃つぞ」
「はぁ? 何ヌルいこと言ってんだよテメェ。仲間の仇だぜ。ンな悠長なこと言ってねぇでよぉ――」

 ニヤリ、と。

「"こいつ"でぶち殺しちまえば早いだろうがぁッ!」

 牙を剥き出して笑うなり、聯合の一人が肩に担いだロケットランチャーのトリガーを引いた。
 照準の先は言わずもがなだ。赤騎士の力で生み出された"戦争"の狂気(凶器)を、一瞬の躊躇いもなく仇の隊列へと打ち込む。
 轟音。一拍置いて白煙が上がり、着弾と同時に地響きが起こる。突然の凶行に呆れたように、彼の隣の男が言った。

「うっしゃ、命中ゥ! 見ろよ、初めてにしちゃ筋良くね!?」
「馬鹿。先走りやがって、後で征蹂郎クンに詰められても知らねえぞ」
「その時はその時さ。……へへ、これであいつらバラバラになったろ。拷問とか陰険な真似するより、俺らはこういうド派手が性に合うよな」

 デュラハンが非道なら、刀凶聯合はひたすらに獰猛だ。
 彼らは暴れる。時も場合も考えないし、後先なんて知ったことではない。
 "ムカついたから殺す"という狂った理屈が、彼らの中では大真面目に正道になるのだ。
 限られたごく狭い家族(コミュニティ)の中で、煮詰め濃縮された暴力性。
 ひとたび解放の大義名分が与えられれば、もはや聯合の進撃を止めることは誰にも出来ない。
 そんな事実を物語るように、ロケット弾の着弾した地点からは炎と煙が上がり続けていたが……

「――あ? 何だ、ありゃ……」

 続く言葉は、一瞬前までの高揚を忘れたかのような困惑だった。
 爆煙の向こうから、何かが近付いてくる。いや、迫ってくる。

「お、おい――おいおいおいおい、ッ……!?」

 最初は靄か幻かと思った。
 爆炎に照らされ、歪んで見えるだけの視覚の錯覚だと信じたがった。
 だってそうだろう。こんなものはあり得ない。ロケットランチャーを撃ち込まれて生きていることとか、そんな以前の話だ。
 夜闇を切り裂いて、空中を足場のように踏み締めながら自分達の方へ迫ってくるモノがいる。
 今日び怪談話でも聞かないような荒唐無稽を前にして、どれだけ蛮族を気取っても、結局のところただの人間でしかない刀凶の兵隊達はあまりに無力だった。

 光の騎士。首(こじん)のない頭部。身の丈、動き、鎧の継ぎ目までも全て同一。
 漆塗りの闇を晴らすほど眩いのに、その光はあまりに暖かみに乏しかった。
 白熱灯の輝きに心を照らされる人間はいないだろう。これは、これらは、ひとえにそういうものと無条件に理解させる。
 無機質な光輝。誰かを照らし癒やすのではなく、ただ己が厭う闇を消し去るためだけに存在するヒカリ――

「ぁ、あ……駄目だ――――逃げるぞ、お前らッ!!」

 誰かが叫んだ。けれど、もう遅かった。
 光の騎士が、高低差など無視して聯合の蛮人達のもとへと到達する。
 手には長剣。体と同じく黄金の光で編まれたそれが、須臾の猶予もなく振り抜かれる。
 次の瞬間。さっきまで高笑いしながら戦勝を誇っていた射手の肉体が、斜め一直線に割断された。

 残された者達は叫び声さえあげられない。
 恐怖に、ただ喉が凍りついていた。
 それでも彼らもまた兵士。悪国征蹂郎という頭に共鳴した、赤き衝動に生きる者。
 なんとか自失の鎖を引きちぎり、裏返った声で必死に吠える。
 
「撃て! 撃て撃て撃てぇッ!!」

 半ば咄嗟に引き金を引き、構えていたマシンガンが火を噴く。
 しかし弾丸は、騎士達の光体をすり抜けて彼方へ消えていく。
 決死の反撃は、そもそも届きさえしなかった。

 ――騎士たちは微動だにせず、寸分たがわぬ足並みで迫るのみ。
 一切の感情がない。一切の意思がない。ただ、統一された大義だけがそこにある。
 故にこの後起こったことは、戦いと呼ぶにも値しないごく退屈なものだった。
 単なる処理であり、虐殺だ。後に残ったのは壊れた人形みたいに千切れ、圧し切られた残骸(パーツ)の群れだけである。

466TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:55:45 ID:D5Ika2WY0

 

「『同胞よ、我が旗の下に行進せよ(アドヴォカトゥス・サンクティ・セプルクリ)』」


 亜音速で迫るロケット弾を一刀のもとに斬り伏せたことを誇りもせず、ゴドフロワ・ド・ブイヨンは小さく呟いた。
 彼が呼び出した光の騎士。彼らは、聖地エルサレムの制圧を果たした第一回十字軍の再現体だ。
 ゴドフロワの意思と大義だけに従い、それ以外一切の余分を持たない効率化された虐殺者達。
 デュラハンの展開に合わせてゴドフロワの光剣は群れを成し、無力な兵隊をデコイにしながら迎撃に出てきた聯合兵を殺戮していく。

「狩魔のノリに合わせて言いましょうか。知恵者の真似など無駄ですよ、あなた達の拠点(ヤサ)は割れている」

 悪国征蹂郎は、現在千代田区にいる。
 "協力者"によりもたらされた情報(タレコミ)が、最速のカウンターを成り立たせた。
 先に火蓋を切ったのは聯合の方だが、そうでなくてもデュラハンは同じやり方で仕掛けただろう。

 新宿での決戦? 守るわけがないだろう阿呆が。
 デュラハンには誇りだなんて鬱陶しい重りは皆無。
 勝つために、取るべき手段を粛々と重ねるだけだ。
 そう示すように、ゴドフロワと首無しの十字軍は千代田で聖戦を開始していた。

「あなた方は絆で戦う。家族を愛し、それを害するものを決して許さない。
 素晴らしいことです。野蛮な異教徒の集団とはいえ、そこだけは正当に評価しましょう」

 聯合は強い絆で繋がっている。
 それこそ、ひとりの犠牲で全体が怒りに震えるくらいに。
 ゴドフロワをして見事と、素晴らしいと評する美しい家族愛。
 だがそれは。こと誇りなき戦いの場にあっては、これ以上ない弱点になる。

「さあ大変だ、あなたの家族が殺された。早く仇討ちに来ないと逃げられてしまいますよ」

 デュラハンも狩魔のカリスマで成り立つ組織だが、聯合のそれは次元が違う。
 血縁ではなく流血で結ばれた絆。故に凄まじい爆発力を持つが、その分"喪った"時の痛みは自分達の比でないほど大きい。
 悪国征蹂郎は千代田区にいる。なら、そこに聯合の兵力の大多数がいるのは自明。
 これを殺し、死体を餌に次を呼び寄せて殺し、まず聯合の兵隊を毟り取る。
 過程上で悪国が出てきたならそれも良し。短期決戦は臨むところなのは、先刻のシッティング・ブルとの会話の通りである。

 これはそのための進軍だ。
 白騎士は――悪魔のような顔で、笑った。



◇◇

467TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:56:38 ID:D5Ika2WY0



 地と空の両方で仕掛ける徹底的な集団戦。
 原始的だが、故にそこには無駄がない。
 喚戦する病魔さえ戦意高揚に活用しながら、大地の戦士達は騎士狩りに挑む。
 武器を封じられ、数の暴力で嬲られる状況は言うまでもなく絶望的なものだ。
 ヨハネの預言が崩れる。ヒトを滅ぼすガイアの騎士は、他ならぬヒトの手によって滅ぼされ、超克される。


「――弱イ」


 その安易な確信を、地獄から響くような声が短く切って捨てた。
 次の瞬間、何体かの原人の頭部が爆裂するように消し飛んだ。
 それだけではない。鷹の翼が千切れ、グリズリーが風穴を開けられて崩れ落ちる。
 目を瞠るシッティング・ブル。彼は誰よりも早く、この現象の正体に気付いた。

「投石か……!」

 銃は封じられ砲は石細工に堕した。
 ああだが、だからなんだというのか。
 原初の戦争を求めるならば応えてやろう。
 騎士(われ)にはそれができる。

 レッドライダーの全身から、音速を軽く超える速度で石が射出されている。
 戦争を司る騎士が、要求された時代設定に合わせ出した結果だ。
 彼が持つ規格外のスペックに物を言わせて放てば、ただの石でさえ対戦車砲並みの威力を持つ。
 
 【赤】の戦場に嵐が吹く。
 石の嵐だ。最高効率で示される、石器時代戦争(ストーンウォーズ)の最適解。
 だがそれだけに留まらず、赤騎士は右腕に無骨な刃を出現させる。
 黒曜石の塊だった。これを騎士は、膂力に任せて虚空へ一振り。
 空気抵抗を砥石に用いて凹凸を削ぎ落とし、瞬時に大剣の形に成形された黒曜を片手に、突撃してきた原人の打撃を受け止めれば。
 鍔迫り合った格好のまま足を前に出し、得物ごと圧し切ってその胴体を両断する。
 バターのように滑らかな切り口で切断された原人の血飛沫を自らの赤色に溶かし込みながら、レッドライダーは静かに健在を誇示していた。

「はは…………バケモノ、だな」

 思わず呟いた覚明ゲンジが、尚も嗤っているのは何故だろう。
 恐怖も不安も、最初からそこにはなかった。
 
「そうで、なくっちゃ」

 吹き荒ぶ石の砲火が掠めただけで即死するようなか弱い命。
 なのにゲンジは、この状況を愉しむかのように破顔し続ける。
 喜びよりも悲しみの方が圧倒的に多い、幸薄い十六年だった。
 その幸福の最高値が、今まさに激烈な勢いで塗り替えられている。
 過剰分泌されたアドレナリンで鼻血さえ垂らしながら、ゲンジは呪いの指揮者として預言を犯す。

 片や燦然たる滅び。
 片や暗澹たる滅び。
 君臨する者と引きずり下ろす者。
 ふたつの滅びは共に健在で、故に戦争は終わらない。

「滅ぼして、やるよ……!」

 ゲンジの呪詛が、轟音の中でも確かに響いて。
 そして――

468TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:57:22 ID:D5Ika2WY0



「――――――――――――――――」



 三者三様の戦慄が、荒れる戦場を駆け抜けた。

 最初に気付いたのは、スー族の大戦士だった。
 いや、正確には彼に応えた霊獣達だ。
 赤騎士の暴威を前にしても、微塵も怖じ気付くことなく奮戦し続けていた野生の住人達が怯えている。
 シッティング・ブルはそれを見て、そして肌を伝う寒気を受けて理解した。
 何が起きたのかを。いったい何が、この新宿に踏み入ってきたのかを。

 原人達が、ネアンデルタール人が震えていた。
 本能がもたらす怖気であった。彼らは信仰を持たないが、原野に生きるが故に大いなるものの気配には敏感である。
 彼らの主たる少年も、それを見て口角を震わせた。
 ただし震えの意味が違う。前者が畏れによる震えなら、こちらは間違いなく歓喜の呼び水としての震えだった。

 そしてレッドライダーは、沈黙していた。
 動きを止め、原人の攻撃で乱れた輪郭を修復することも忘れて佇む。
 彼の本質は無機。ガイアの怒りを体現するべく造られた、預言の使徒。
 故にこの挙動は不可解だった。精密なコンピューターが、内部に紛れた一粒の砂によって予期せぬ動作をするように。
 そんなありふれた誤作動(バグ)のように固まって――【赤】の騎士は、まず口を作った。
 彫りのないのっぺりとした顔に浮かび上がったひとつの裂け目。それが開き、声を発する。


「――――来タカ、フツハ」


 そう、来てしまった。
 この都市における最大の光。
 "彼女"にとって戦いとは祭り。
 そして祭りとは、これを惹き付ける誘蛾灯。
 
 赤騎士の進撃。
 白騎士の蛮行。
 それぞれのきっかけを経て、新宿の決戦は拓かれた。

 されど。
 されど。

 都市の真実を知る者ならば、誰もが解っている筈だ。
 あまねく前提。あまねく事情。あまねく要素。
 そのすべてを台無しにできる"個人"が、この地平には存在している。
 事の精微を保てるのは、彼女に見つかっていない間だけ。
 もし見つかってしまえばその瞬間、すべては白き混沌の中に堕す。

 よって此処からが、此処からこそが、本当の決戦の始まりと言えた。
 悪国征蹂郎が始め、周鳳狩魔が応えて幕開けた新宿英霊大戦。
 今この瞬間を以ってそれが、更に制御不能の領域へと加速度的に沈降していく。

 神が来る。
 彼女が来る。
 神寂れたる混沌の子が、やって来る。



◇◇

469TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:58:08 ID:D5Ika2WY0



 白い何かが、歩いていた。
 口笛響かせながら、高揚を隠そうともせず肩を揺らして。
 るんるんと、テーマパークにでも来たみたいに足を踏み入れる。
 それが持つ意味など、もたらす影響のでかさなど、まるで理解せぬままに。
 光の剣を片手に携えて、無垢の化身のような娘は新宿へ入った。

 何故? 楽しそうな気配がしたから。
 これは遊びの気配を見逃さない。
 楽しいことをしているのなら、私も混ぜてと無邪気に申し出て首を突っ込む。
 あの頃のままだ。神の資格を持った幼子が、世界さえ滅ぼせる力を片手にひたすら歩く。

 彼女が、侵入(はい)ってしまった。
 新宿に白き神が顕れた。
 この時点ですべての定石がひっくり返る。
 あまねく状況はリセットされ、石と棒の戦いが始まるのだ。

 ――そしてこの瞬間、〈はじまり〉の残骸達もまた、己の星を認識する。

 彼らは狂人。
 彼らは焼死体。
 焼け爛れたまま起き上がり、熱のままにそれを見つめる。
 誰にもその律動を止められない。台本の破棄された舞台は、無軌道(アドリブ)のままに混沌へ堕する。


 此処は針音聖杯戦争。
 そしてこれはその歴史に刻まれる、第一の大破局。


「――――へへ。私も交ぜてよ、みんなで遊ぼう!」


 午前0時15分34秒。
 神寂祓葉、新宿区に現着す。

 投げられた賽が、砕け散った。
 


◇◇

470TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:59:04 ID:D5Ika2WY0
【新宿区・南部/二日目・未明】


【ライダー(レッドライダー(戦争))】
[状態]:損耗(中/急速回復中)、出力制限中
[装備]:黒曜石の大剣
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:その役割の通り戦場を拡大する。
0:来タカ、偽リノ白。
1:神寂祓葉を殺す
2:ブラックライダー(シストセルカ・グレガリア)への強い警戒反応。
[備考]
※マスター・悪国征蹂郎の負担を鑑み、兵器の出力を絞って創造することが可能なようです。
※『星の開拓者』を持ちますが、例外的にバーサーカー(ネアンデルタール人)のスキル『霊長のなり損ない』の影響を受けるようです。

※現在、新宿区にスキル〈喚戦〉の影響が拡大中です。

【キャスター(シッティング・ブル)】
[状態]:疲労(小)、迷い、畏怖
[装備]:トマホーク
[道具]:弓矢、ライフル
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:救われなかった同胞達を救済する。
0:来たか。"孔"よ。
1:今はただ、悠灯と共に往く。
2:神寂祓葉への最大級の警戒と畏れ。アレは、我々の地上に在っていいモノではない。
3:――他でもないこの私が、そう思考するのか。堕ちたものだ。
4:復讐者(シャクシャイン)への共感と、深い哀しみ。
5:いずれ、宿縁と対峙する時が来る。
6:"哀れな人形"どもへの極めて強い警戒。
[備考]
※ジョージ・アームストロング・カスターの存在を認識しました。
※各所に“霊獣”を飛ばし、戦局を偵察させています。

【覚明ゲンジ】
[状態]:疲労(小)、血の臭い、高揚と興奮
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:3千円程度。
[思考・状況]
基本方針:できる限り、誰かのたくさんの期待に応えたい。
0:祓葉を殺す。あいつに、褒めてほしい。
1:抗争に乗じて更にネアンデルタール人の複製を行う。
2:ただし死なないようにする。こんなところで、おれはもう死ねない。
3:華村悠灯とは、できれば、仲良くやりたい。
4:この世界は病んでいる。おれもそのひとりだ。
[備考]
※アルマナ・ラフィーを目視、マスターとして認識。

【バーサーカー(ネアンデルタール人/ホモ・ネアンデルターレンシス)】
[状態]:健康(残り104体/現在も新宿区内で増殖作業を進めている)、一部(10体前後)はライブハウスの周囲に配備中、〈喚戦〉、畏怖
[装備]:石器武器
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:今のところは、ゲンジに従い聖杯を求める。
0:弔いを。
[備考]
※老人ホームと数軒の住宅を襲撃しました。老人を中心に数を増やしています。

471TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 22:59:39 ID:D5Ika2WY0
【新宿区・歌舞伎町 デュラハン傘下のビルの屋上/二日目・未明】


【華村悠灯】
[状態]:動揺と葛藤、魔力消費(中)
[令呪]:残り三画
[装備]:精霊の指輪(シッティング・ブルの呪術器具)
[道具]:なし
[所持金]:ささやか。現金はあまりない。
[思考・状況]
基本方針:今度こそ、ちゃんと生きたい。
0:身の振り方……か。
1:祓葉と、また会いたい。
2:暫くは周鳳狩魔と組む。
3:ゲンジに対するちょっぴりの親近感。とりあえず、警戒心は解いた。
4:山越風夏への嫌悪と警戒。
[備考]

【周鳳狩魔】
[状態]:健康
[令呪]:残り3画
[装備]:拳銃(故障中)
[道具]:なし
[所持金]:20万程度。現金派。
[思考・状況]
基本方針:聖杯戦争を勝ち残る。
0:皆殺しだ。
1:ゲンジへ対祓葉のカードとして期待。当分は様子を見つつ、決戦へ向け調整する。
2:悠灯。お前も腹括れよ。
3:特に脅威となる主従に対抗するべく組織を形成する。
4:山越に関しては良くも悪くも期待せず信用しない。アレに対してはそれが一番だからな。
5:死にたくはない。俺は俺のためなら、誰でも殺せる。
[備考]


【千代田区・北部アジト/二日目・未明】

【悪国征蹂郎】
[状態]:疲労(小)、魔力消費(中)、頭部と両腕にダメージ(応急処置済み)、覚悟と殺意
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度。カード派。
[思考・状況]
基本方針:刀凶聯合という自分の居場所を守る。
0:皆殺しだ。
1:周鳳の話をノクトへ伝えるか、否か。
2:アルマナ、ノクトと協力してデュラハン側の4主従と戦う。
3:可能であればノクトからさらに情報を得たい。
4:ライダーの戦力確認は完了。……難儀だな、これは……。
[備考]
 異国で行った暗殺者としての最終試験の際に、アルマナ・ラフィーと遭遇しています。
 聯合がアジトにしているビルは複数あり、今いるのはそのひとつに過ぎません。
 養成所時代に、傭兵としてのノクト・サムスタンプの評判の一端を聞いています。
 六本木でのレッドライダーVS祓葉・アンジェ組について記録した映像を所持しています。
 アルマナから偵察の結果と、現在の覚明ゲンジについて聞きました。

472TOKYO 卍 REVENGERS――(開戦) ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 23:01:10 ID:D5Ika2WY0
【千代田区・路上/二日目・未明】

【アルマナ・ラフィー】
[状態]:健康
[令呪]:残り3画
[装備]:カドモスから寄託された3体のスパルトイ。
[道具]:なし
[所持金]:7千円程度(日本における両親からのお小遣い)。
[思考・状況]
基本方針:王さまの命令に従って戦う。
0:さて、これから……
1:もう、足は止めない。王さまの言う通りに。
2:当面は悪国とともに共闘する。
3:傭兵(ノクト)に対して不信感。
[備考]
 覚明ゲンジを目視、マスターとして認識しています。
 故郷を襲った内戦のさなかに、悪国征蹂郎と遭遇しています。

 バーサーカー(ゴドフロワ・ド・ブイヨン)らの千代田区侵入を感知しているかはおまかせします。

※新宿区を偵察、情報収集を行いました。
 デュラハン側の陣形配置など、最新の情報を持ち帰っています。


【千代田区・西部/二日目・未明】

【バーサーカー(ゴドフロワ・ド・ブイヨン)】
[状態]:健康、『同胞よ、我が旗の下に行進せよ』展開中
[装備]:『主よ、我が無道を赦し給え』
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:狩魔と共に聖杯戦争を勝ち残る。
0:さあ、慣れた趣向と行きましょうか。
1:神寂祓葉への最大級の警戒と、必ずや討たねばならないという強い使命感。
2:レッドライダーの気配に対する警戒。
3:聯合を末端から削る。同胞が大切なのですね、実に分かりやすい。
[備考]
※デュラハンの構成員を連れて千代田区に入り、彼らを餌におびき出した聯合構成員を殺戮しています。


【新宿区・???(他区との境界線近く)/二日目・未明】

【神寂祓葉】
[状態]:健康、超わくわく
[令呪]:残り三画(永久機関の効果により、使っても令呪が消費されない)
[装備]:『時計じかけの方舟機構(パーペチュアルモーションマシン)』
[道具]:
[所持金]:一般的な女子高生の手持ち程度
[思考・状況]
基本方針:みんなで楽しく聖杯戦争!
0:やろうか!
1:結局希彦さんのことどうしよう……わー!
2:もう少し夜になるまでは休憩。お話タイムに当てたい(祓葉はバカなので、夜の基準は彼女以外の誰にもわかりません。)
3:悠灯はどうするんだろ。できれば力になってあげたいけど。
4:風夏の舞台は楽しみだけど、私なんかにそんな縛られなくてもいいのにね。
5:もうひとりのハリー(ライダー)かわいかったな……ヨハンと並べて抱き枕にしたいな……うへへ……
6:アンジェ先輩! また会おうね〜!!
7:レミュリンはいい子だったしまた遊びたい。けど……あのランサー! 勝ち逃げはずるいんじゃないかなあ!?
[備考]
二日目の朝、香篤井希彦と再び会う約束をしました。

新宿区に到着しました。どの辺りに出たかは後の話におまかせします。

473 ◆0pIloi6gg.:2025/06/10(火) 23:01:32 ID:D5Ika2WY0
投下終了です。


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