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オリロワZ part3

253 ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:45:45 ID:U6P2q54E0
投下終了です。
期限超過に加え度重なるルール違反、大変申し訳ございませんでした。

254 ◆H3bky6/SCY:2024/06/09(日) 19:22:52 ID:mJlh4.pA0
投下乙です

>遍くデストルドー
>ラスト・エンペラー
>山折の祈り

ついに、女王との最終決戦も佳境か
全員が覚悟の決めて死力を尽くしている
ここまでの村での激戦の経験からか戦闘巧者のような動きをしておる
魔法に異能にモンスターが飛び交い、完全に日本の片田舎の光景ではない

主人亡き後の十二支たちが八面六臂の大活躍、特に白兎君はキャラクターと変わらん活躍をしておる
とは言え命を賭した特攻部隊で次々と命が散ってゆく、彼らの犠牲がなければ村人側は全滅していた場面も多いね

村の歴史に登場するのは隠山、神楽ばかりで今の村のトップ山折家の存在が謎だったけれど、ついにその由来が明かされた
と言うか、この村の異名が多すぎる、いろいろちゃんと歴史を伝えろ

何度も共闘して喧嘩別れしてきた圭介と哉太の2人
ゾンビ化した哉太を圭介が操る、最後の共闘がこんな形になろうとは
いろいろ迷走した圭ちゃんだけど、最期はみんなのリーダーとして恥じない行動だった
最後はいつものお別れ概念空間で親友同士和解できてよかったね

大田原さん、理性を失ってからも強敵だったけど、最後まで女王の傀儡のまま死んでいったのは哀れ
小田巻と天くんは切れていいよ

あれほど唯我独尊だった春姫ですら心が折れる村の歴史、村に誇りがあるからこそ真正面からダメージを受けてしまったか
その挫折からの再起は真の女王の風格だった

女王に悪辣な言動が目立つのは取り込んだ魔王の影響か
多くの犠牲は払ったけど女王もかなり力は削がれて、希望は繋がったのか?
後は願望機の顛末がどうなるのか、いよいよクライマックスか

255 ◆H3bky6/SCY:2024/06/10(月) 22:46:59 ID:lN7peP3c0
【オリロワZに関する重要なお知らせ】

お世話になっております。オリロワZ企画主の◆H3bky6/SCYで御座います。
本企画の今後の展開につきまして熟考しましたところ、後2,3話で完結可能であるという結論に至りました。
つきましては、現時点で予約を凍結し企画主による最終章の執筆にとりかかりたいと考えております。

これまで作品を投下して下さった書き手の皆様。
ここまでお付き合いいただきました読者の皆様。
ここまでだどりつけたのは皆様方のおかげです。ありがとうございました。

とは言え、まだ話の具体的な内容までは決まっておらず、ざっくりとした方向性が決まった程度ですので、実際の執筆作業に着手できる段階には至っておりません。
投下の予定については目途が立ち次第、改めてお知らせさせて頂きたいと考えております。

それでは、最後までオリロワZをよろしくお願いします。

256 ◆H3bky6/SCY:2024/06/16(日) 18:08:39 ID:pccOThqI0
お世話になっております。
オリロワZの最終回に関して、ようやくプロットが固まりましたのでこれより執筆に入っていく予定です。
執筆には現在の予約期間である3週間の期間を頂きたいと考えており。

07/08(月) 00:00:00

ごろを目途に最終回(前編)を投稿する予定です。
よろしくお願います。

257 ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:00:32 ID:3pow9O3Q0
お待たせいたしました。
これより最終回(前編)の投下を開始します。

258Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:01:37 ID:3pow9O3Q0
中部地方に発生した未曽有の大地震から丸1日が経過しようとしていた。

生物災害に端を発した山折村というひとつの小さな村をめぐる騒動は、いつの間にか世界を揺るがす事態へと発展していた。

この物語の『A(始まり)』はいつからだろう?

山折村に生物災害が発生した瞬間からか。

地球から16光年離れた超新星が爆発した瞬間か。

日本軍が『マルタ実験』により召喚(よ)んではならないものを召喚んだ瞬間か。

二柱のイヌヤマイノリが災厄として村に刻まれた瞬間か。

それとも、この隠された地を盗賊の長が占拠した瞬間からか。

あるいは、それよりももっと前。

人が人として生れ落ちた瞬間からか。

だが、始まったものはいつか必ず終わる。

それが世の理である。

永遠などこの世のどこにも存在しない。

そんなものは夢想の中にあるだけだ。

全ては『Z(終わり)』に向かって収束する。

泥の中を足掻くたび人の手は汚れ。

小さな手は藻掻くたびに何かを取りこぼす。

だが、それでも。

よりよい未来に向けて足掻き続ける事は、決して間違いではない。

人間の生は短く、短い人生の中でよりよき終わりに向かって足掻き続けるしかない。

薄汚れた人の手は、何を成すのか。

足掻き続けた人の手は、何を救うのか。

世界を救うなんて大それたことは出来ずとも。

どうか、せめて。

これまでの頑張りに見合うだけの。

素晴らしき終わりを。



259Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:02:37 ID:3pow9O3Q0
診療所の裏手に広がる草原は漆黒の闇に包まれていた。
開発の進んだ住宅街とは異なり、草原の周囲に街灯の光は一切存在しない。
安全のため大通り周辺に配置された街灯の光と、遠くの住宅街や診療所から漏れ出す明かりだけがこの周辺を照らす頼りだった。

だが、もはや住宅街に光はない。
地震により都市は機能を停止し、VHにより正常な生活を送る者などいなくなった。
世界は完全なる闇に包まれ、一歩進むことすら躊躇われるほどの暗闇が周囲に広がっていた。

しかし、地上の光が消えれば、天の光は一層輝きを増す。
見上げた夜空には無数の星が散りばめられ、まるで宝石箱をひっくり返したかのようである。
美しい星々と月の明かりだけが大地を照らし、露に濡れる草原を銀色に輝かせていた。
その光は新たなる生命の誕生を祝福しているようだった。

そんな星々に彩られた暗闇の中を一人の少女が歩いていた。
上機嫌に跳ねるような足取りで少女が大地を踏みしめる。
そのたびに、草が微かに揺れて音を立てる。
静寂に包まれた世界で響く音はそれだけであり、周囲からは動物の声一つしなかった。
まるで死んだように沈黙する村。生命の気配がこの村からは消え去っていた。

だが、彼女にとっては違う。
自らの髪をそっと撫でる冷たい風を、少女は愛でるような視線で見つめた。
空気中に漂う目に見えぬ微生物こそ彼女の同胞。

彼女こそが山折村に蔓延するウイルスの女王。
一連の騒動の全ての中心であり、全ての感染者が探し求め、全ての研究者が追い求めた存在である。

満天の星空の下、新たに生を受けた女王は草原を歩んでいた。
『空中浮遊』の術式を厄によって剥奪されたため徒歩で移動せねばならぬのが面倒だ。
細菌だった頃は風に乗ってどこまでも行けたものだが、不便なものである。

この面倒は忌々しき白兎どもによるものだ。
奴らの奸計により飛行能力だけでなく、女王の中にあった『願望機』と厄を操る『魔王の娘』の力が失われてしまった。
彼女の中に残された力は『魔王』と『女王』としての力のみである。

だが、何の問題もない。
『女王』の力は進化を重ね、第二段階へと至り『魂』を得た。
細菌は知能と魂を得て、一つの生命体として確立されたのだ。
この力一つでも、世界を革命するには十分である。

女王の目的は同族たる[HEウイルス]の繁栄。
次代に命を繋ぎ、種を繁栄させて生命圏を拡大する。
命を得た女王を突き動かすのはそんな生命として当然の本能だ。

故にこそ、女王としても世界が滅ぶのは困る。
人間がどうなろうと知ったことではないが、同胞たる細菌のために世界の滅びは回避せねばならない。

始めは研究所のやり方に乗ってやるもの悪くないと考えていた。
全人類に細菌を感染させる研究所のやり方は、[HEウイルス]の繁栄を望む女王の目的と合致していたからだ。

だが、考えが変わった。
研究所と女王の思惑は根本のところで違う。

研究所はあくまで人類を未来に発展させるために計画を実行している。
当然だが、[HEウイルス]はそのために開発した道具としてしか見ていない。

逆もまた然りである。
女王の目的は[HEウイルス]の発展であり、人類の存続ではない。
人類はあくまで細菌を感染させる乗り物として必要なだけであり、彼らの意志など必要としていない。

要するに、主導権がどちらにあるかと言う話だ。
やれやれと女王は首を振る。

260Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:03:05 ID:3pow9O3Q0
「やはり、人間はダメだな」

それはこの山折村を見れば明らかだ。
幾度ループを繰り返しても同じ、同族で恨みあい、呪いあい、殺しあう。
血塗られた村の歴史が証明している。
人間は誰も彼もが愚かしい。

細菌の間ではそのような醜い争いは起きない。
女王の下に意志は一つに統合され、完璧なる秩序が保たれる。
星の主導権は細菌が握るべきだ。

そのための女王の『Z計画』。
今の女王の力であれば研究所の思惑に乗るまでもなく、より完璧な計画を実行できる。

その手始めとして、『願望機』によって厄となった者たちを新たな『巣くうもの』として村の外へと解き放った。
対象となったのは研究所への、終里元への反意の証を示すため、59人の終里元の子供達。
彼らは新たな女王として[HEウイルス]をバラまき新たな山折村を築くだろう。

「仲良くやろうじゃないか兄弟たち」

[HEウイルス]も終里より生み出された終里の子と言えよう。
願望機が女王の手から失われようとも[HEウイルス]同士のつながりは生きている。
全ての女王に対する絶対命令権は末の娘たるこの始まりの女王の手にあり続ける。
新たな世界の支配者として女王を統べる女帝として立つ事になるだろう。

計画は35分前に実行済みだ。
終里の子を起点として、既にウイルスの拡散は始まっている。
新たな女王の周囲にいる人間は[HEウイルス]に感染しているだろう。
後はウイルスの発症を待つばかりだ。

日が変わるころには、世界は変わる。
発症してしまえば人間は細菌の支配に落ちるのだ。
今こうして女王に操られる日野珠のように。

第二段階として覚醒した女王の力ならそれができる。
今や支配下の細菌たちの発症率や覚醒段階すら自由自在だ。
与えられた正常感染率はたったの1%。この山折村以上の阿鼻叫喚が目に見えるようだ。

胸のすく思いだ。
細菌を自分の都合で生み出し、改造し、利用する。
そんな安全圏で支配者を気取る愚者たちは思い知るだろう。
この星の新たな支配者は誰なのか。

今夜を契機に世界が変わる。

全ての生命は細菌を運ぶ乗り物となるだろう。
人は細菌に支配され、人は種を存続できる。共存関係という奴だ。
ガンマ線バーストにより死滅しようとも[HEウイルス]に感染している限りその魂は女王の管理下に置かれる。
どのような形であれ人類は新たな形をもって存続できるだろう、女王の創る理想郷――『Zの世界』で。
そこには永遠がある。

子供じみた理想を夢見る少女のように。
躍るように、謡うように、生まれたばかりの女王は草原を行く。



261Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:03:26 ID:3pow9O3Q0
山折村より南西に僅かに離れた山奥に、作戦司令部は設置されていた。
周囲に存在を知らせぬよう最低限のライトで照らされた深夜の山中は、慌ただしい空気に満ちていた。
簡易テント内には無数のモニターが並び、多くのオペレーターがそれぞれの端末で状況確認を行っている。
迷彩色の防護服に身を包んだ隊員たちがせわしなく動き回る中、臨時司令である真田副長が現場の指揮を執っていた。

「状況の確認急いでください。有事の場合に備えて防護服と人材の手配を。
 他の部隊に協力を仰ぐことになっても構いません、最悪の事態に備えて動いてください」

真田は周囲の隊員に指示を出し、事実確認を急がせた。
指示を受けた隊員たちは迅速に動き出し、無線機で外部に問い合わせを続けた。
伝令役の隊員が監視モニターの状態を報告するために、足早にテント内を駆け抜ける。

対山折村生物災害臨時司令部の設置からもうじき1日が立とうとしていた。
司令部の設置直後は設備設置や状況把握で慌ただしかったが、監視網が安定してからはそれなりに落ち着いた部隊運用がなされていた。
その臨時司令部が突如として蜂の巣をつついたような大騒ぎになったのは、上空を飛ぶ女王の発言に端を発している。

監視ドローンには地上の音声を集音できるほどの性能はないが、宙を舞う日野珠の姿をした女王は上空のドローンに直接発言を記録させたのだ。
彼女の口から語られた衝撃的な告白――未来人類発展研究所所長の子を媒介とした村外への感染拡大。
これはテロ予告どころの話ではない、明確な挑発と宣戦布告だった。

「研究所の所属リストから終里所長の子息をピックアップしました。
 八王子本部に19名、静岡支部に11名、青森支部に3名、富山支部に1名、外部の関連施設・研究所に12名。計46名。
 残りの13名に関しては研究所の関連施設所属ではないようです。引き続き調査を続けております」
「了解しました。46名の現在位置と残り13名の把握を急いでください」

まずは発言の裏取りと状況確認が先決だった。
この場にはテロリストの発言を鵜呑みにする人間は一人もいないが、それを虚言だと切り捨てるバカも一人もいない。
真実である可能性と、混乱をもたらすための虚言である可能性の両方を考慮して動く必要がある。
事実であった場合、今日が世界崩壊の前夜となるのだから。

「女王の発言の裏取りを続けながら、村内で活動中のforget-me-notの支援を続けます。
 引き続きドローンで村内の監視を、3台は女王の監視につけてください」
「了解!」

頭の指示に従い、迷いなく手足たる隊員たちが動く。
無線機からは隊員同士の連絡が飛び交い、モニターには村内の状況が映し出される。
人員は慌ただしく入り乱れているが、指揮系統は乱れることなく現場の統率は取れていた。
それは臨時司令を任された真田の手腕もあるだろうが、それ以前にこれは彼らにとっての日常に過ぎない。

世界の滅びを前にしても、彼らのなすべきことに変わりはない。
なぜなら、大小はあれど世界の滅びに即することなどSSOGの通常業務だからだ。
誰一人絶望せず、さりとて楽観的でもなく、それぞれが正しい意味での適当な仕事をこなすだけだ。

世界の片隅、誰も知らぬ山奥の一角で、彼らは全力を尽くしている。
世界を救うという意思を持ったひとつの生き物のように。



262Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:04:07 ID:3pow9O3Q0
東京、八王子。未来人類発展研究所本部。
その応接室は研究所と秘密特殊部隊の首脳陣の集う重要拠点となっている。
そんな重要拠点もまた女王から受けた宣戦布告によって混乱に包まれていた。

「長谷川くぅん! 是非トもキミの体を調べさせてほしいナァ!!」
「セクハラです。博士」

と言うより老人が一人暴走していた。
老研究者は指をワキワキと動かしながらうら若き女研究者に迫り、女研究員は資料の束を盾に老研究者を押しのけていた。
下卑た笑いを見せるが、それは性欲ではなく純粋な知識欲から来たものである。

女王の掲げる、世界中にウイルスをばら撒き新たな山折村を築く計画。
その中継地点として新たな女王として選ばれたのは終里の子。
つまり、この応接室にいる女研究員――――長谷川真琴もその一人だ。

「それで? 実際の所どんな感覚だ? 真琴。何か変化はあるのか?」

問いを投げたのは上座に座る恰幅のいい男だった。
不敵な笑みを浮かべるこの男こそが所長たる終里元である。
終里の投げかけた問いに、その血を引く娘が返答する。

「今の所は何かにとりつかれたような感覚はりませんね。自覚できる範囲では、ですが。
 ただ、自覚できる変化も一つあります」
「なんだ?」
「異能が使えなくなりました」
「ほぅ」

言って、長谷川が指をさして座標を指定するが、その言葉の通り異能が発動することはなかった。
長谷川に限らず、研究所に属する終里の子らの多くは感染力を持たない[HEウイスル]の感染者である。
既に感染している以上、通常であれば新たな感染源にはなりえないはずなのだが。

「お前の感染状況はリセットされたという事だな。感染力のあるウイルスを新たに感染させるために」
「素晴らしぃネェ!! ソコまで感染状況を操れるのカ。流石はZ感染者、イヤ女王と呼ぶべきカナァ?」

研究所の長は感心したように声を漏らし、副所長は手を打って歓喜に震えていた。
相変わらずの様子の研究者たちと異なり、軍服を着た男――奥津一真はただですら厳めしい表情をさらに厳しくしながら問うた。

「つまり、長谷川さんは感染力を持つ[HEウイルス]の感染者となり、既に感染拡大は始まっている、と?」
「そのようだ。まぁ俺が感染することはないだろうが、百之助辺りはポックリ逝ってもおかしくはないかもしれんなぁ?」
「嬉しぃネェ。細菌に殺されて天寿を全うできるナラ夢のようだヨ」
「そのような事を言っている場合ですか!」

冗談めかした笑いあう老人二人を奥津が怒声で窘める。
眼に見える変化はないが、長谷川はホストとして細菌を周囲にまき散らしているのだろう。

「おっと、隊長殿はご愁傷さまだったな」
「そういう事を言っているのでもありません」

奥津は自身の感染に対して怒りを発しているのではない。
この職に就いた時から命など捨てている。

奥津が憤慨しているのは状況が全てを救えという約束を違えようとしていることだ。
山折村の村内で封じ込められていた[HEウイルス]が漏れ出し村外への被害拡大は最悪のケースだ。

263Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:04:50 ID:3pow9O3Q0
「……ご子息たちの所在は?」
「大抵は研究所か関連施設の勤めだな、支部に散り散りではあるのだが。
 だが研究職でないモノも何人かはいるな。あとは数名海外に散らばっている」
「何という事だ…………」

絶望的な状況に奥津が眉間の皺を深くさせる。
感染拡大を防ぐ壁に囲まれた山折村の様な都合のいい地形は存在しない。
一度感染が広がれば、その被害はあっという間に世界中に広まるだろう。

しかも、正常感染率の低いウイルスが、だ。
そんなことになれば宇宙線の到達を待つまでもなく、それこそ世界の終わりである。

だが、目の前に見える世界の終わりを前にしても。
研究者たちは慌てることなく、いつも通りの様子を崩さなかった。
奥津も世界崩壊の前夜には慣れているが、彼らの余裕は意味合いが違ってそうだ。

「何か具体的な方策がお有りなので?」

下手な意見であれば叩き潰す。
そう言わんばかりの圧力を込めて奥津が問う。
終里はその圧を気にした風でもなく、変わらぬ調子で足を組み替えながら答える。

「慌てるまでもない。初期発症まではしばしの時間かかる。少なくとも日が変わるまでは猶予があるだろう」

確かに山折村のケースでも地震の発生から住民の発症まではラグがあった。
そのケースを参考にするに、日付が変わるまでは発症の猶予はあるだろう。

と言っても猶予は僅か。
その上、潜伏期であるだけで既に感染拡大始まっている。
日が変わるまでに、すべてを解決せねばならない。

「そのわずかな猶予で解決できると?」
「問題はなかろう。解決するだけなら簡単な話だ」

あっさりと終里が言う。
怪訝そうな奥津の顔がおかしかったのかくくっと笑って、ここにはいない元凶へと語りかける。

自らの業が世界滅ぼそうとしている一番暗い夜明け前。
世界救済を謡う組織の長は楽しそうに口元に笑みを浮かべた。


「想定が甘いぞ我が娘。貴様は本質的な意味で理解できていない――――人の業という物を」




264Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:06:03 ID:3pow9O3Q0
秘密特殊作戦群(Secret Special Operations Group)

日本の自衛隊に存在する『存在しない部隊』である。
その部隊は表舞台に登場しない影の存在だ。
国家の安全と利益を守るため表には出せない数々の任務を遂行してきた。

隊員は厳しい訓練を経て選び抜かれたエリート中のエリートで構成されており。
高度な戦術、偵察、情報収集、暗号解読、そして白兵戦に至るまで、あらゆる状況に対応できる万能なスキルを持っている。
任務の一例として、テロリストの殲滅、要人救出、諜報活動、サイバー戦争への対応、そして国際的な極秘作戦への参加などが挙げられる。

その任務は多岐にわたるが共通している点がひとつだけある。
彼らの活動は常に極秘裏に行われ、その活躍が人々に知られることは決してないという事だ。
それでもSSOGがこれまで幾度となく日本を未曾有の危機から救ってきたのは確かな事実である。
彼らの存在は日本の安全保障における最後の砦であり、その影の努力があってこそ今日の平和が守られているのである。

誰も知られることない影の部隊。
名誉や賞賛ではなく、世界を救い続ける事こそが彼らの報酬。
どんなに困難な任務であろうとも、SSOGはその使命を果たし祖国の平和と繁栄を守り続ける。
そして、この小さな田舎町、山折村でもまたSSOGは世界の危機に立ち向かう事になっていた。

女王による宣戦布告。[HEウイルス]の感染拡大。
事態は国家存亡を超えた世界存亡に関わる未曽有の危機にまで発展していた。
これに立ち向かうは山折村に放たれた実行部隊における残された最後の兵士、乃木平天。
口こそ挟まなかったが、彼もこの状況を司令部と繋がったままの通信から聞き及んでいた。

目の前に迫る世界崩壊の危機。
己がその行く先を左右する天秤の上にいる。
1日前の天であれば間違いなく取り乱していただろう。
だが、今の天は不思議と恐怖も重圧も感じなかった。

何故なら、明日世界が滅ぼうとも、天の成すことは変わらないのだから。
ならば取り乱したところで何が変わる訳でもない。
感覚が麻痺していしまったのか、それともただの開き直りなのか。
天の精神はそういう境地に達していた。

別の問題があるのなら、それは隊長や司令部で動いている副長たちが対処するだろう。
それこそが単独ではない部隊の強み。
視野狭窄による思考放棄とは違う、高い視座より俯瞰した思考の先鋭化だ。
己のなすべきことは与えられた任務をこなすだけである。

聞き及んで話によれば女王を殺したところで感染拡大は止まらないという話だが。
それでも天のやることは変わらない。女王の暗殺。成すべきことを成すだけだ。

天は今、個人が運用できる最強の兵器を手にしている。
それは人の生み出した破壊の極致。ビル一棟を一撃で破壊する超兵器ロケットランチャー。
一発限りの限定品だが、直撃すればどのような怪物であろうとも一撃で撃破できるだろう。

災厄に魔王に女王。人外魔境と化したこの地においては十分な備えであるのだが。
ロケットランチャーは一人を殺すにはあまりも過剰火力である。人型の女王に打ち込めば恐らく肉片も残るまい。
女王の死体回収は正式な任務ではないとはいえ、今後の研究所との関係性を考えれば達成するに越したことはない努力目標である。
使いどころは慎重に考えねばならない。

いざとなれば、女王の守護者に墜ちた大田原に放つ覚悟であったが、幸か不幸かその覚悟は必要なくなった。
ドローンの映像により大田原の死亡が確認された。
天も眼前に表示される監視網からその瞬間を目撃している。

日本国最強の守護者があのような形で失われたのは悲劇だが。
天がその役割を受け継ぎ、この国を守護する。
その覚悟が今の天には備わっていた。

ひとまず、女王斬首に関しては継続。
問題はもう一つの任務だ。

265Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:06:18 ID:3pow9O3Q0
「司令部。お忙しいところ恐縮ですが。進言よろしいでしょうか?」
『問題ありません。どのような要件でしょう?』

天が司令部へと呼び掛けた。
その裏では隊員たちの慌ただしい様子が途切れることなく聞こえてくる。
その忙しさを億尾にも出さず真田は天へと対応した。

「女王斬首任務は引き続き継続中です。
 ですがもう一方の作戦に関しては、作戦目標の死亡が確認されたためプランの修正が必要であると愚考します。
 作戦を具申させていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
『伺います』

天を舞うドローンの監視網により、村の重鎮である山折家、神楽家の嫡子たちの死亡が確認された。
彼らを経由して情報を拡散する天のプランは潰えた。
別の方法を提示する必要がある。
天は司令部に対して次のプランに関しての提案を始めた。

「…………と、言う作戦なのですが、いかがでしょうか?」
『そうですね……隊長の判断を仰ぐ必要はあると思いますが、問題ないかと。
 人員を手配しておきます。すぐに動けるようポイントに待機させますので実行のタイミングはお任せします』
「感謝します」

司令部への作戦の申請は通った。
とりあえずこれで情報漏洩の保険は手配できた。
後は女王の斬首に集中するだけである。



266Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:06:51 ID:3pow9O3Q0
ズル……ズル……。

静寂の包む夜の草原に、何かを引きずるような音が響いていた。
重々しく不規則に刻まれるそれは、右半身を引きずりながら闇の中を歩く何者かの足音だった。

右足を引きずりながら、左でバランスを取るようにして前進する。
女の名は虎雄茶子。

彼女が草原を歩くたびに夜の静寂を破られ、草原にははっきりとした跡が残されていった。
右足が引きずられた跡は深く、彼女の体重がかかるたびに草が踏みつぶされる。
その足跡は、まるで彼女の苦悩が草原に刻まれているようだ。

「…………ハァ……ハァ」

右半身が麻痺したように動かない。
右足のみならず、彼女の右手は力なく垂れ下がっていた。
だが、それとは対照的にその左手にはしっかりと剣が握られていた。
それは剣士としての誇りか、それとも何かに縋りたい気持ちの表れなのか。

彼女の背後に広がるのは底の見えない闇だ。
進む先に見えるのも闇。ゆく当てなどない。全てが闇に包まれている。
愛したはずの山折村の中で、彼女は迷子のように彷徨っていた。

山折村は茶子にとっての全てだ。
彼女を救い、彼女を愛し、彼女を癒し、彼女を創り、彼女を壊した。
人間にとって古郷とはそういうモノだが、彼女の場合は度が過ぎていた。

彼女にはここしかない。
だからこそ彼女はどこにも行けない。
彼女の心は誰よりもこの山折村に捕らわれている。

ただ進まねばならぬという強迫観念に似た焦燥だけが体を動かす。
無理に進もうとして、引きずる足がもつれてバランスを崩した。
無様に倒れそうになったが、傍らの木に肩をぶつけて何とか体制を立て直す。
木に体重を預けたまま、茶子は大きく息を吐いた。

「ふぅ……ふぅ……ッ!」

呼吸を荒くしながら茶子は手にしていた刀を鞘から抜いた。
そしてその刃をろくに動かぬ右手を罰するように手首に宛がう。
日本刀でのリストカット。もちろんそれは自殺のためではない。

この不調は雪菜より体内に流し込まれた酸の血液によるものだ。
治療のためには、それを瀉血させる必要がある。

「ふぅ……………ぐっ!」

歯を食いしばり、茶子は自らの手首を切り裂いた。
手首から血がボタボタと地面に零れ、酸の混じった血液が草木を溶かす。
水たまりの様な赤が広がり、血の気が引いて行くとともに、身を溶かすような灼熱が体外へと吐き出されてゆく。

そして、ある程度瀉血が完了したのを見極めて止血を行う。
死に至らない加減は慣れたものだ。最近は落ち着てきたが精神的に不安定だった頃を思い返す。
身を焼く酸が体内を廻る感覚はなくなったが、スタボロになった血管や神経は元には戻るわけではない。
まだ右半身は麻痺したように動かないが少なくとも、これ以上悪化することないはずだ。

この騒動の始まりに銃キチに肩を撃ち抜かれた時を思い返す。
異能に対する無理解と、銃キチに対する侮りと油断があったのが敗因だ。
あの時の傷は異能で強化された包帯で回復できた。

奪われ、与えられ、また奪われる。
この痛みはまるで彼女の人生を象徴しているようだ。

彼女の人生は強者たちに、大人たちに、男たちに、ずっと食い物にされてきた。
奪われ汚され、尊厳を踏みにじられ続けてきた。
だから、もう負けぬよう、もう奪われぬよう力をつけた。

血の滲むような努力を重ね誰にも負けぬ武力を得た。
付き合いたくもない相手にも媚びて根回しをして人脈と言う力も得た。
全ては力だ。様々な力をつけたはずだったのに、この現状はどうだ?

彼女の手には何も残っていない。
何を失ったのか、それさえもわからない。
穢れない無垢で奇麗な聖少女(アリス)。
守護りたかったはずの過去の自分(リン)を失ったことすらもうよく思い出せずにいた。

267Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:08:32 ID:3pow9O3Q0
茶子の生まれは山折村ではなく、岐阜県の都市部にあるごく一般的な中流家庭だった。
少しだけ不器用で厳しい父に、穏やかで優しい母。大事な一人娘として愛情をもってすくすくと育てられた。
そんなどこにでもある幸福な家族の情景が壊れたのは、皮肉にも少女の誕生日の事だった。

6本のロウソクを立てたケーキを囲んでハッピーバースディを歌う幸せな空間は、突然押し入ってきた強盗達によって無茶苦茶に破壊された。
押し入ってきた強盗に勇敢に立ち向かった父は鉈の様な刃物によって一撃で頭部を割られ、我が子をかばった母はナイフで首を一突きされ死亡した。
目の前で母の死体を辱められながら少女は抵抗する事も出来ず、涙を流しながら恐怖と絶望に震えるしかなかった。

そして少女は両親を殺した犯人たちに拉致され『怖い家』へ売り飛ばされた。
それは朝景礼治の取り仕切る少女性愛者に向けた売春組織の前身となる組織であり、少女は『怖い家』で白く純粋で無垢な少女(アリス)として育てられた。

そこで行われた『調教』は想像を絶する過酷な物であった。
繰り返し行われる暴力と凌辱は、人としての尊厳を徹底的に破壊した。
それはそれまでごく当たり前の生活をしていた少女に耐えきれるものではなかった。
故に少女は心が死ぬ前に自ら心を殺した。殺される前に自殺した。生きて生き残るために。

大人たちの感情の機微を見極め、取り入る術を身に着けた。
大人たちに媚びるように望まれる振る舞いをして、従順な子供を演じた。
抵抗しなくなったら暴力が減った。全てを受け入れたら辛くもなくなった。

そうして信頼を勝ち取る事こそが少女の生存戦略。
どうしようもない人間への嫌悪と人心の掌握に長ける今の茶子はこの経験から来ているところが大きいだろう。
そうして2年間の奉仕と凌辱の日々を乗り切った少女は8歳の誕生日に『ご褒美』として、2年ぶりの外出を許された。

2年ぶりの外の世界への脱出。
その機会を得た少女は、調教師の一瞬の隙を突いて逃げ出した。
やせ細った足で一目散に草原を駆け、背中に感じる怒声を振り切り、追っ手たちを巻くべく深い山森へと逃げ込んだ。

胸が張り裂けそうなほど息が切れ、冷たい汗が背中を伝う。
木々の影が不気味に揺れ、彼女の周囲を囲むかのように迫ってくる。
男たちの怒声がいつまでも少女の耳にこびりつき、追手の足音が常に背後に迫ってくる錯覚に囚われる。
足元には鋭い枝や小石が転がり走るたび素足に幾つもの傷が出来る。
それでも止まれば捕まるという恐怖に追われ、何度もつまずきそうになりながらも振り返ることなく走り続けた。

どこへ行けば助かるのか、誰に助けを求めればいいのか分からないまま、野草や昆虫を食べ、泥水で喉を潤す日々が続いた。
しかし、過酷な凌辱生活を受けた少女の体力は低く、たった数日の逃亡生活で衰弱は限界を迎えようとしていた。
朦朧とした意識で気づけば山を越え野に下りていた、もはやこれまでかと意識が途切れた所で、奇跡的に土地の所有者である虎尾夫妻に拾われた。
それが虎尾茶子の始まりである。

虎尾夫妻は少女を新しい家族として温かく迎え入れた。
夫妻のみならず村の人々も傷ついた少女を村の一員として優しく受け入れてくれた。
都会の喧騒から離れた広大な自然はここに居ていいのだと少女を包み込んだ。
少しずつ立ち直った少女は八柳道場で八柳哉太や浅葱碧と共に剣術を学び、多くの友を得る。

心の壊れた少女を癒す黄金の日々。
全てを失った少女の心は、失ったものを取り戻すように山折村に心身ともに満たされて行く。
自らをあの地獄から救ってくれた山折村に少女は計り知れない感謝を抱いていた。
この感謝を返すことこそが、自分の生きる意味だと少女はそう信じてやまなかった。

だが、その想いは他ならぬ彼女の師である藤次郎によって裏切られた。
藤次郎は山折村の禁忌を秘するために、口止めの贄として茶子を木更津組のヤクザ共に捧げたのだ。
ヤクザに拉致された茶子は乱暴を受け慰み物にされ汚された。
嘗ての心的外傷を呼び起こす出来事は、少女が愛と絆で少しずつ修復していた心の器を完全に破壊した。

胸元を隠すように破れたセーラー服を握り絞めながら、赤くなった素足で濡れた草原を歩く。
赤く腫れた瞳に映るのは汚泥の様な黒い光。
雪解雨に打たれながら少女は知る。

268Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:08:54 ID:3pow9O3Q0
彼女が愛した山折村はどうしようもなく穢れていた。
茶子を凌辱するヤクザどもが軽口を滑らせた。
茶子を捕らえていた『怖い家』は山折村の外れにあることを知った。

あの日、逃げ込んだ山を越えてその先にたどり着いたと思っていた山折村(ばしょ)は楽園ではなかった。
よく考えれば当然の事だ、弱り切った子供の足で山越えなどできるはずもない。
辿り着いた楽園は元居た地獄に戻っただけだった。

美しき山折村の姿は幻想でしかなかったのだ。
この村には悪鬼羅刹が栄えており、その腐敗は村の根元に食い込むように蔓延っている。

己を壊し穢し山折村が憎い。
己を救い癒した山折村が愛おしい。
ただ恨むだけならよかった。
ただ愛せたならどれだけよかったか。
山折村への愛憎と執着、相反するその感情は茶子を焦がした。

だから、茶子は決意した。
村に蔓延る悪性、子供を食い物にする悪鬼どもを排除する。
そして何年かかっても理想の山折村を作り上げて見せる。
憎悪を消し去れば、愛だけが残るはずだ。

そんな子供じみた少女の夢。
それが虎尾茶子の人生の目標(すべて)となった。

そのために力が必要だった。
武力だけではなく、情報やコネ。全てを利用する力が。
その力を得るため研究所にも取り入った。

その気持ちは今でも変わらない。
バイオハザードを経ようとも、さらなる深い村の闇を知ろうとも。
継ぎ接ぎだらけの歪な心はもはや別の形には変えることはできない。

「…………哉くん」

縋るように少年の名を呼ぶ。
その先にある救いを求めるように、光を求めて闇の中を進んで行く。
何もかもを失った彼女に残された唯一の心の拠り所。手のひらに残った黄金の日々の一欠けら。
空っぽの心は拠り所を求めている。

男に汚され男に奪われそれでもなお男に縋る弱さ。
後付けの強さを鎧のように、刃のように纏っても。
何もなくなれば一人では立っていられない、弱い女だった。

だが、その進む先に何の確証も、何の心当たりもない。
闇の中、一人ぽつんと残される。

「…………?」

ふと、闇の中に淡い光が浮かび上がっていることに気づいた。
それは自らのポケットから放たれる光だった。

ポケットを探る。
そこから出てきたのは創から受け取った発信機だ。

見れば、何かを指し示しめすように光点が点滅している。
その光点が指し示すのはエージェント、ハヤブサⅢが持っていたという発信機の位置だ。
だが、彼女は既に死亡したと聞いている。
ならば、今この光が指し示しているのは何者なのか。

その答えを知る前に、茶子の足は光に導かれ進んでいた。
まるで誘蛾灯に惹かれる虫のように。

ズルズル。
右足を引きずったまま進む。
自身の状況すら忘れるほどに無心に進む。

「やぁ。虎尾茶子」

闇の奥から声があった。
その道すがら、中学生ほどの小さな少女に出会う。

億劫そうに顔を上げ、暗い目線を送る。
そこにあったのは同じ村で暮らす、よく知っている顔だ。
日野家の次女。日野珠だ。

だが、違う。
一目でわかった、日野珠ではない。
きっと、その中身は別の何かだ。
茶子は嫌悪と憎悪を込めた声でその名を呼ぶ。

「――――――――女王」



269Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:09:16 ID:3pow9O3Q0
少年、天原創は一人闇の中に立ち尽くす。
吹き抜ける夜の風は温く、汗のにじんだ首筋を通り抜けてゆく。
その足元には凄惨な少女の首なし死体が2つ転がっている。

花のように可憐な少女の顔は溶け落ちた。
露になった頭蓋すら溶解され、無くなった小さな首先からは肉と骨が焼ける不快な臭いを放つ白い煙を上げている。

雪のように凛とした少女は首を落とされ、胴と泣き別れた無残にも生首が地面に転がっている。
首だけになったその顔は狂気に歪んだ表情をしていた。

エージェントである創をしても思わず目をそむけたくなるような絶望が広がる。
誰が悪かったのか。
何が悪かったのか。
明確な答えなどない。

全員が悪く、全員が少しだけボタンを掛け違えた。
ただそれだけの些細なコミュニケーションエラーだった。
本来なら話合いで解決できたはずの、よくある人間同士の不和。
そんな些細なすれ違いが最悪の結果を生んでしまった。

少女たちの亡骸をこのままでは余りにも忍びない。
せめてもの供養にとその場に跪き、首のなくなったリンの体を手を合わせるように整え、雪菜の生首の瞼をそっと閉じさせる。
創にできるのはこれくらいの事しかなかった。

「……………くっ」

悔しさを吐き出すように奥歯をかみしめる。
止められたかもしれない悲劇。
それを前に脳裏に浮かぶのは、少年が全てに絶望した業火に消えゆく赤き原風景。

封じられていた記憶を思い返す。
故郷を焼き尽くした魔王の暴威。
取り戻した記憶の中には少年が『天原創』になる前の家族の記憶も含まれていた。

母が創を生んだのは母が65歳の事だった。
高齢出産などと言う次元ではない、自然出産年齢の世界記録を上回る異常な出産である。
だが、担当した産婆も周囲の人間も、その出産を誰も不自然に思わなかったという。
なにせ還暦を超えた母の外見はどう見ても30代前半、下手をすれば20代に見える若さだったからだ。

母の母、つまりは創の祖母は旧日本軍に協力する研究者の一人だった。
細菌学の権威と呼ばれる高名な研究者の助手をしており、祖母が行っていたのは『細菌による老化の抑制』研究だったらしい。

そこで行われていた『不老不死実験』で研究していた細菌に祖母は実験室で感染していた。
その時点で祖母は母を身ごもっており、未完成ながら不死の菌に感染した母体から生まれたのが創の母だ。
そんな特異な環境で生まれた母は常人の2〜3分の1という成長速度でゆっくりと育つ異様な赤子であったらしい。

終戦と『死者蘇生実験』の成功により祖母の関わっていた『マルタ実験』は解体され。
実験の関係者は降臨した神――魔王によってその大半が殺された。
『死者蘇生実験』の関係者で生き残ったのは赤子である母だけだったと聞いている。

そうして生き延びた母は不審に思われぬよう数年ごとに各地を転々とする生活をしていたらしい。
むしろ母は実験の後遺症に苦しむ被害者だったといえよう。

実験に直接携わっていたのは祖母であり、母は当時生まれたばかりの赤子である。
そんな関係者ともいえない母一人を殺すために、魔王アルシェルは『マルタ実験』の証拠隠滅と称して無関係の村ごと焼き払った。
隠れ潜むように暮らしていた母が、たまたまその時生活していただけの村だ。

証拠隠滅とは名ばかりのただの気まぐれの手慰みでしかない悪意の発散。
何故証拠を隠滅する必要があったのか、何故あのタイミングだったのか。全ては魔王の気まぐれでしかなく。
そんな魔王の気まぐれによって創は生かされ、記憶を封じられた。

燃える村。原始の記憶。吹き抜ける蒼い風。
その赤い悪夢から己を救った蒼の奇跡。
尽きるはずだった命は青葉遥によって助けられた。
その奇跡を忘れない。

270Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:09:29 ID:3pow9O3Q0
全てを失った少年は助けられたその喜びを生きる力にして立ち上がった。
誰かを助けるその存在に憧れた。
だから、その後を追うように脇目もふらず直走った。
厳しい訓練を乗り越え、その才能を認められエージェントになった。

全てを救えればいいと思う。
あの赤い日の絶望を打ち払った蒼のようになりたかった。
けれど人間の手は小さく、理想と現実のしがらみはどこまでも付きまとう。

死と絶望。
現実はどうしようもなく目の前に冷たく広がっている。
創はそれをよく知っていた。
だが、それでも。

「…………まだ終わっちゃいない」

地面を掻いて拳を握り締めた。
多くの物を取りこぼしたが、手の中に一握の砂が残っているならば。

立ち止まってなどいられない。
創はこの地で魔王との個人的な因縁を果たした。
だが、エージェントとしての天原創の役割は終わった訳じゃない。

何もかもを忘れて。
封じられていた記憶も思い出さずに、平穏に生きる道もあった。
だけど、その道を選ばなかった。

全ては自分の決断の先にある。
いつだって自分の決断が未来を創ってきた。
創はそう信じている。

立ち上がらねばならない。
この村を自分の故郷と同じにしてはならない。
そんな悲劇をなくすために、己は銃を取ったのではなかったのか。

女王の始末をつける必要がある。
村内に被害が止まる災厄は放置してもいいが、世界に被害を及ぼしかねない細菌被害は放置できない。
これは他でもない、感染者である創が片付けるべき案件だ。

スヴィアから聞いた11人の生き残り。
分断工作をされたあのマイクロバスに乗っていた創を含む7名とスヴィアを除くと、女王は残りの3名の中に居る。
すなわち候補は、山折圭介、神楽春姫、そして日野珠。
そして茶子の詰問から庇うようなスヴィアの態度から、恐らくは……。

創は心を静めるように目を閉じる。
異空間(ダンジョン)に隔離されたあの時。
出口に立っていた物憂げな少女の顔が瞼の裏に思い返される。

「……すまない哀野さん。借りていく」

創は雪菜の荷物からマチェットとマグライトを抜き取ると、女王との決戦に向けての準備を始めた。
そして首のない雪菜の体から異能により強化された包帯を剥がし右手に巻き付ける。

女王の対応策はスヴィアから聞かされた創の異能による解決案がある。
その方法は女王に死をもたらすと研究所に却下されたと言うが、逆に言えば女王の殺害を厭わなければこの右腕は切り札になりうる。

村人にとって殺しづらい相手ならば、手を汚すのは創の仕事だ。
きっとそのために創はここにいるのだから。



271Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:09:54 ID:3pow9O3Q0
乱雑に路肩に止められた一台のマイクロバス。
その中に一人の少女と一羽の兎がとどまっていた。

少女は天宝寺アニカ。探偵である。
女王によって厄溜まりに落とされた彼女は陰陽師、神楽春陽と白兎によって救い出された。
そして脱出したその先が、どういう訳かまたしてもこのマイクロバスの中だったのである。

脱出を果たしたアニカは転送されたマイクロバスから出ることなく、バスの入口近くの座席に座ったまま難しい顔をして考え込んでいた。
彼女には託された幾つものタスクが存在していた。

どこかに飛んで行った願いを叶える『願望機』。
願望機を発動させる三つ目(さいご)の『御守り』。
『神楽うさぎ』復活のカギとなる失われた彼女の『真名』。

神楽うさぎの肉体が保つ約2時間以内に、この三つを見つけなければならない。
かぐや姫もかくやと言う中々の無理難題である。

だからと言って時間がないと言ってもむやみに歩き回るような真似はしない。
下手に動くよりもまずは情報を整理して行動方針を決めるべきだろう。
彼女にとっての戦場は頭の中。足で稼ぐのは相棒の役割だ。

アニカが下手に動かないのはもう一つ事情があった。
彼女の足元には白く透明な兎がぐったりとした様子で蹲っている、
それはアニカを厄だまりから助けた、犬山うさぎこと隠山望の使い魔である。

その兎の白い体は、向こう側の景色が見える程に透明になっていた。
曰く、『神楽うさぎ』の復活のために自らの存在を捧げたことによる存在の希薄化という話である。
何もせずともあと数時間で消滅する、というのはその様子からして本当なのだろう。

同情的な視線からアニカは厳しく表情を切り替える。
その献身とこれまでの助けに思う所はあるが、今それを口にしても意味はない。
それよりも事件解決を謡う『探偵』として、重要参考人が消える前に聞いておかねばならない事が沢山ある。

「質問に答えるといったわね? Ms.Rabbit」
『…………ああ、もちろんだとも』

へたりと沈んだ長い耳が揺れる。
答えるのも億劫そうな弱弱しい態度で白兎は顔を上げた。

「カナタやMs.ハルはどうなったの?」

アニカは厄溜まりに落とされ戦線離脱してしまった。
恐ろしい戦鬼と女王と戦い続けているであろう哉太たちがどうなったのか。その安否を問う。

『……わからない。私はキミたちの様子を加護を与えた御守りを通して観測していたんだ。
 だが、願望機を使う際に御守りを消費ししまった。すまないが、私にはもう彼らの様子を観測する手段はない』

白兎は3つのお守りを通して外側の様子を観測していた。
だが、その内2つは既に願望機に捧げられて消滅している。
だから、彼らの安否を知る術は白兎からも失われていた。

「なら、御守りのlast pieceはどこにあるの?」
『……最後に宵川燐が持っていたことまでは分かっている。だが、今の私にはもうそれを追う力もない。
 悪いが、彼女の位置も安否ももうわからないんだ』

白兎の回答は分からないだらけだ。
都合のいい神様のように村人たちを助けてきた白兎は、その力の殆どを失っていた。
だからと言ってここまで散々助けてもらっておいて今更文句を言う筋合いはない。

「ならquestionを変えるわ。『神楽うさぎ』がrevivalを果たしたらどうなるの?」

白兎が自分自身の存在すら捧げて復活を果たそうとする『神楽うさぎ』とは何者なのか。
異世界における魔王と女神の娘にして、イヌヤマイノリと呼ばれたこの村の災厄の一柱。
村の歴史における神楽春陽と隠山祈の養子。各所に楔を指すように位置する重要人物。

それは知っている。
だが、彼女が蘇ったとして何がどうなると言うのか?

『彼女は魔王と女神の混血であり、本物の神様であることは説明したね?
 私は元々、彼女の母である女神の使い魔だった。娘が魔王に利用されるのを避けるため女神は娘である彼女を逃がすように私に命じこちらの世界に彼女を連れてきたのだが、まあ今はその話はおいておこう。
 女神は『運命の女神』だった。その名の通り運命を変える力を持つ。私が御守りを通して君たちに託した因果歪曲の力はそこから来ている。
 娘である彼女は運命を変える母の力と魔法を操る父の力を併せ持っている。災厄に沈むこの村の呪われた運命を変えられるのは彼女しかいない』

呪われたこの村の『運命』を解き放つ存在。
運命を変える正しく神様である。
そのためには、不完全な願いを完成させるため蘇らせるべき少女の忘れ去られた『真名』を探し出さねばならない。

272Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:10:15 ID:3pow9O3Q0
「けど、わざわざGodを介さずとも直接『願望機』に願えばよかったんじゃないの?」
『難しいだろうね。この『願望機』はそういう願いは叶えづらいんだ』
「そういう願い?」
『適材適所というやつさ。ともかく餅は餅屋。この村の『運命』を変えるのはあの子にしかできないだろう。
 災厄に沈むこの村を正常に終わらせる。厄となった者たちを開放してせめて穏やかな終りを。祈も春陽もきっとそう望んでいる。
 それこそが厄災(パンドラ)の底に眠る、最後の希望だ』

乱暴にハンマー破壊するのではなく、パズルを一つ一つ丁寧に紐解いていくように、山折村のすべてを終わらせる。
それが村を救う唯一の手段。
運命に纏わる案件であれば彼女以上の適任者はいない。
改めて白兎はそう断言する。

「OK。話は分かったわ。ともかく村を終わらせるためにtrue nameが必要なのね」

アニカはその方針に理解を示した。
超常であろうともその理屈を受け入れる。この村においてアニカはそう決めている。
だが、その願いを叶えるためには失われた彼女の本当の名を知る必要がある。

『そうだ。彼女の真名はこちらの世界に転生する際に異空間を彷徨う中で削れてしまった。
 それは彼女を先導した私も同じだ、同じ立場である私にはもはや彼女の名は思い出せない』

複数名に該当する余りにも限定的な記憶喪失。
現実的にはありえない現象だが、論理的な思考を捨てる。
概念的な喪失。そう言うルールなのだろう。

「直接は思い出せないにしても、何か覚えている事はないの?」

どれほどの名探偵であろうとノーヒントで謎が解けるはずもない。
紐づくエピソードの一つでも披露して貰えればいいヒントになるのだが。

『三文字の名前だった、という事は覚えている』

白兎は答えるが、文字数だけでは何のヒントにならない。
3文字の名前なんてそれこそ巨万とある。

「それじゃあno hintと変わらないわね……もう少し名前に込められたmessageの類は思い出せないかしら?」
『すまない。思い出せない。けれど、こちら世界の言語で意味のある言葉なのは確かなんだ』

だが、意味のある言葉と言っても候補が多すぎる。
ロクな情報が与えられないことに申し訳なさそうに白兎は長い耳をシュンと垂れ下げた。
だが、アニカは何かが引っかかったのか、僅かに考えるように口元に指をやった。

「意味のある言葉である、どうしてそう確信を持っているの? その情報のsourceは?」

白兎の言葉を掘り下げる。
はっとしたように白兎はピンと耳を立てた。

『…………待ってくれ。思い出す。そう……確か、聞いたんだ』
「to whom?」

こちらの世界の言葉について教えることが出来る人間など一人しかいない。
瞬時にたどり着いたその結論をアニカはあえて口にせず、記憶の喚起を促すために白兎に答えを出さる。

『…………のぞみ、……そうだ、望だ! 私は望からその言葉を聞いた』
「What is that word?」

その言葉とは?
急かすことなく、落ち着いた声で問う。
探し物に纏わる取っ掛かりを思い出した白兎にその核心を思いださせるために。

『異世界に転移した望が、友人であった魔王の娘の本当の名前を知ることがあった。
 その名前を聞いた望は嬉しそうにこう言ったんだ。自分たち姉妹に似た意味の名前ね、と』

私たち姉妹。つまり隠山祈と隠山望。
『祈り』と『望み』に似た意味を持つ言葉。
これは大きなヒントだ。

だが、言語など無数にある。まだまだ候補は多い。
完全に絞り込むのならばあと一押し欲しい。
そのアニカの想いを汲んだわけではないだろうが、白兎は思い出したように付け足す。

『そうだ、確かこうも言っていた。私たちの世界の最新の言葉よ、と』
「最新の言葉?」

思わぬ方向のヒントだ。
だが、よくわからないからそこ、これが解ければ大きく答えに繋がるだろう。

273Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:10:33 ID:3pow9O3Q0
情報と言う材料を得た探偵は調理場である思考の中に入り込む。
巷で流行っているような流行語を連想しても意味がない。
何故なら最新の言葉と言っても、隠山望は室町時代の人間だ。
考えるべきは室町時代の言葉だ。

だが、その当時に流行していた言葉などわかるはずもない。
細かな歴史書を読めばわかるかもしれないが、専門家でもなければそこまでの知識はないだろう。
残念ながら生き残りの中にそんな人間はいない。

分らないことを考えても意味がない。思考の方向を変える。
日本の歴史自体はアニカも学んでいる小学6年生の授業の範囲だ。
探偵業務をした上で成績も学年の1桁から落ちたことはない。

自分の知識の及ぶ範囲で、室町時代にあった歴史的な出来事を連想していく。
明徳の乱、応仁の乱、正長の土一揆、日明貿易、嘉吉の乱。

「…………日明貿易」

海外との交流。
そこに、探偵の勘が引っかかりを覚える。
確かに、海外からもたらされた言葉であれば、それは当時の人からすれば新しい言葉だろう。

だが、中国との交流は遣隋使や遣唐使の時代からあった事である、最新とは言えない。
それ以外に室町時代に起きた、海外との大きな出来事と言えば。

「Christianity」

宣教師の来航。宣教師によるキリスト教の伝来。
日本に海外の言葉――英語教育が始まったのは1808年のフェートン号事件が切っ掛けだが。
フランシスコ・ザビエルに代表される海外からの宣教師たちによってアルファベットや外国語自体はそれ以前から日本に伝わっていたはずだ。
ザビエルが日本に訪れたのは室町時代だったはずだ。生前の隠山望と時代は合う。
つまり隠山望の言う所の最新の言葉とは。

「――――外国語。XavierはSpanish人であったためSpanish語である可能性が高い」
『流石だよ。名探偵』

白兎自身も正直どうかと思うくらいに少ないヒントでここまでの結論に辿り着いた。
カタカナ読みで三文字になる『祈り』と『望み』に近い意味のスペイン語の単語。
ここまで絞れれば総当たりで正解を引けなくもないだろう。
だが、成否判定ができるものがいなければ確証が持てない。

「候補は幾つか絞れたけれど、checking answersはできるのかしら?」
『私には分からない。けれど、ランファルトの意思を受け継いでいる魔聖剣ならあるいは……』
「魔聖剣?」
『山折圭介の持っていた剣だよ。今はどうなっているのか分からないが……』

戦鬼と戦っている圭介と哉太がどうなっているのか。
今すぐにでも安否を確かめに行きたい。
それが真名の答え合わせにもなるのなら一石二鳥である。

だが、アニカは安易に行動して哉太の目の前で厄に呑まれる失態を侵した。
足手まといになるのだけはもうごめんだ。
アニカにはやるべきことがある。

「まずは『願望機』をsearchしましょう」

仮に最後の御守りを探し当て、「神楽うさぎ」の真名を言い当てても、それを捧げる『願望機』が手元になければ話にならない。
何をおいても、まずはその所在を調査すべきだ。
これに関しては推理力よりも調査力、足の勝負になる。

ぐったりとした白兎に触れる。
半透明ではあるが、すり抜けたりはしないようだ。
そっと白兎を抱えて、アニカはマイクロバスから出る。
願望機を探してアニカは動き始めた。



274Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:11:24 ID:3pow9O3Q0
街灯のない夜の草原。
その中心に少年は立っていた。
八柳哉太は風に吹かれながら、夜闇の先を見つめていた。

曖昧になっている自らの記憶を確かめる。
厄に呑まれるアニカに気を取られ、戦鬼の一撃を喰らったところまでは覚えている。
そこからどういう訳か、気づいたらこうして草原のど真ん中に立っていた。

そこからの記憶は曖昧だ。
誰かに助けられた気もする。
刃を突き立てられ血だまりに沈む春姫を見た気もする。
圭介と共に二刀をもって戦鬼と戦ったような気もする。

全てが夢うつつのようにあいまいだが。
ただ一つ、戦鬼を打ち倒した最後に、身を挺して圭介が命を救ってくれた。
それだけははっきりと覚えている。

残されたのは二振りの剣。
光を失った魔聖剣と深紅の聖刀。
曖昧な記憶に残されたこれだけが確かな物証だ。

どういう訳か使い慣れた愛刀のようにしっくりと手に馴染む。
どこか圭介と春姫の2人が力を貸してくれているように感じられた。
哉太は試すように、手にしていた二刀を振るった。

八柳新陰流は二刀にも通じる。
かつては剣鬼、沙門天二が得意としていた型だ。

中ごろで折れた長剣の刀身は一尺程度の小脇差と言った長さである。
圭介がしていたような閃光を放つような真似はできないだろうが、脇差として扱う分には問題なさそうだ。
太刀よりも短い打刀と合わせて、二刀で取りまわすには丁度いい長さである。

「よし…………っ」

戦える。
傷も完全に修復されている。
むしろ、体の調子はいいくらいだ。

確実に死を与える様な一撃を受けて、いまだこうして生きているのは異能の恩恵か。
そうだとしても、短時間でここまで完全に修復されるとは思えないが。

『―――――頑張ってね、お侍さん』

朧げな記憶の中で、誰かに送り出された気がする。
自ら血肉を分け与え、死を待つだけだった自分の命を助けてくれた誰かがいたはずだ。

哉太が今こうして生きているのは自分だけの力ではない。
誰かに命を救われ、圭介に助けられこうしている。
それを実感する。

275Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:11:36 ID:3pow9O3Q0
女王を守護する戦鬼は倒され、残る脅威は女王ただ一人。
特殊部隊の動きは気になるが、彼女をどうにかできればこのバイオハザードは解決するはずだ。
自分を助けてくれた彼らに報いるためにも女王を何とかしなければならない。

だが、それが唯一にして最大の問題だ。
女王が強力な力を持っている事も、頭の中に響く女王を守護せよという声も無視できない問題だが。
それ以上に問題なのが、女王にその身を乗っ取られた珠をどうするかと言う点だ。

正直言って哉太にできる方法などない。
だが、圭介なら絶対にあきらめなかったはずだ。
圭介にとって日野珠という少女は大切な恋人の妹であり、ずっと妹分として可愛がっていた相手だ。
あの面倒見のいいガキ大将が自分の子分を見捨てるはずがない。

何より、圭介じゃなくとも哉太だって納得できない。
殺して終りなんて安直な解決は御免蒙る。
最後にどうしようもなくなるとしても、珠の救出を最後まで諦めたくない。

殺害以外の解決策を見出す。
こういう頭脳労働は本来相棒の仕事である。
だが、アニカはここにはいない。哉太の目の前で厄に呑まれた。

生きている事は信じているが、かなりまずい状況に陥っているのは確かだろう。
まずは救援のために、アニカを探すべきだろうか?

探すというのなら、あの異空間ではぐれてしまった茶子や創たちを探すのも一つの手だ。
殺害以外の方法を模索するにしても、女王との闘争を避けられないのなら、戦力は多いに越したことはない。
あの異空間に閉じ込められ続けているのでなければ、どこかに脱出できているはずだ。

どちらを選ぶべきか。
哉太は迷うように腕を組み考え込む。
だが、根本的な問題として、どちらにしても探す当てがない。

「……ん? どうした?」

視線を落とした哉太の目先に居たのは、足元でチューチュー鳴き声を上げる山ネズミだった。
二足歩行の山ネズミは哉太名に何かを伝えるように小さな手足を起用に振り上げ何かのジェスチャーを示した。
そして、背を向けるように振り返ると夜の草原を走り出していった。
まるで異世界の研究所に閉じ込められた時のように、ついてこいと言わんばかりの動きである。

「…………やっぱ、スチュアート・リトルだよなぁ」

幾度目かになる道場の門下生たちで見に行った映画の名を呟き。
哉太は山ネズミの導きに従い、その背を追っていった。

四つ足ではなく二足歩行で懸命に走るネズミであるが、歩幅の差もあり早歩きで追いつける速度である。
むしろ、夜の草原を駆ける小さな体を見失わぬ方が心配だ。
哉太は注意深く地面を見つめその後を追った。

少年の道筋を山ネズミが導く。
それこそが、聖獣山ネズミの異能力。
十二支の始まりたるネズミは先頭を走り、相手の望む道筋に向かって導く力を持つ。

その行き着く先には、きっと会いたい人が待っている。



276Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:12:04 ID:3pow9O3Q0
怪異とは、この世ならざる存在、すなわち人々の恐怖や怨念、未練が形を成したものを指す。
古くからの伝承や物語の中で語られてきたそれらの存在は、時に人々を脅かし、時に警告や教訓を与える存在として描かれてきた。
特に、悲劇的な死や未練の強い死者の魂が、怪異として現れることが多いとされる。

閉鎖的な空間。
風水的に厄の溜まりやすい地形。
長年積み重なった多くの悲劇が生んだ呪いや怨念。
山折村という土壌は怪異を生みやすい条件がそろっていた。

そんな山折村で発生した生物災害により、多くの命が無残に失われた。
犠牲になった村人たちにも、それぞれに望む未来、叶えたい願いがあっただろう。
それが何の前触れもなく理不尽に命を奪われ、様々な怒りや苦悩があったはずだ。

その怨念や悲しみは厄となって山折村の土壌に吸い込まれてゆく。
安らぎを得ることなく彷徨い続けた亡者たちの魂は、ついに一つの形を成して現れた。

今夜、新たな怪異がその土壌から生まれた。
それはゾンビとは違う別種の怪異。

「…………救、わね……ば」

光なき世界を彷徨う小さな一つの影。
夜の草原を歩くその姿は、静寂の中で際立っていた。
彼女の足元には、霧が立ちこめ、冷たい風が吹き抜ける。
月明かりが小さな彼女の輪郭を照らし出し、その影は草むらの上を滑るように動いた。

それはスヴィア・リーデンベルクだったもの。
人間であった彼女は死した。もはや彼女は人間ではない。
死者たちの怨念により生まれ落ちた、山折村に生まれた最新の怪異だ。

彼女の意志も使命も、怪異としての在り方によって塗り替えられた。
それでもなお、怪異となっても歩みを止めない。

怪異は進む。
怪異としての役目を果たすために。

怪異は進む。
あるはずの目的に向かって。

歩み続ける彼女の魂が安らぎを得るのだろうか。
それとも、永遠に晴れることなき怨念にとらわれ続けるのだろうか。
果てしなく続くこの夜の中で、彼女の彷徨は確かに終りを目指しているように見えた。

夜の草原を歩き続けるその姿は、暗闇の中に溶けてゆくように消えて行った。

277Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:12:26 ID:3pow9O3Q0
















これは『Z(終わり)』に至る物語。
















278Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:12:54 ID:3pow9O3Q0
村外れにある草原は、まるで世界から切り離されたかのような孤独な静寂に包まれていた。
月明かりは薄雲に覆われ、淡い光が地面に落ちているが、その光もどこか陰鬱である。
風が草をささやかに揺らし、まるでここが決戦の舞台であるかのように不気味な気配が漂っていた。

薄雲が風に流れる。
月光が2人の女の姿を照らした。

成熟した女、虎尾茶子は刀を杖のように付きながら肩で息をしていた。
右半身は満足に動かず、満身創痍の状態でありながら目の前の少女に向けて冷たい瞳を向ける。
その眼光の鋭さだけはギラギラとした刃のようだ。

その視線を受けるのは小さな少女だ。
臆するでもなく貫禄すら感じさせる堂々とした態度で夜に立つ。
彼女の姿はこの荒廃した風景に不釣り合いな異質な美しさを称えていた。

彼女こそが全ての始まりにして元凶。
日野珠の身を乗っ取った細菌の女王。
[HE-028-Z]

ボロボロな茶子とは対照的に女王の顔には絶対的強者としての余裕があった。
笑みには愉悦が含まれており、目の前の相手をそもそも敵としてすら見ていない。
戦力としても存在としても、それだけの絶対的な差が彼我の間にはあった。

「――――――――女王」

茶子がその名を呼ぶ。
風が再び吹き、草がささやくように揺れた。
呼ばれた女王は楽しそうに微笑みながら大仰な態度で首をかしげる。

「おや。よく私が女王だとわかったね? キミに自己紹介した覚えはないのだけど。
 そうか、スヴィア・リーデンベルグから聞いたのかな?」

女王はそう推測する。
だが、それの推測は外れだ。

「声だよ」
「声?」
「テメェが近づいてきたとたん頭ん中響く声がデカくなったんだよ。ガンガンうるせぇくらいにな」

そう言って苛立たしそうに自身の頭部を叩く。
『女王を守護れ』と頭の中で声が鳴り響く。
小さく聞こえていたその声は女王を目の前にした今、頭が割れるほどの絶叫となっていた。

それは茶子に、いや感染者たち全ての脳内に蔓延る[HEウイルス]たちの本能の叫び。
女王と結びついた己が命を守護るためのウイルスの生存本能。
その生存本能は「個」ではなく、種が存続するためであれば自己犠牲すら厭わない「全」としての生存本能である。
この声に屈すれば、種の要たる女王を生かすためなら自身の命すら投げ打つ、忠実なる女王の眷属となるだろう。

「なるほど。今後の自己紹介の必要はなさそうだ」

月光に照らされる女王は日常会話でもするように微笑を浮かべる。
茶子は会話に応じながら隠すように半身にした右半身の状態を確かめる。
辛うじて指先の感覚が戻った、だがまだ動かせるほどではない。
もう少し、時間を稼ぎたい。

「それで、細菌王国の女王様は何がしてぇんだ?」
「私の目的は弾純なものだ。同族の繁栄さ。
 経緯がどうあれ私たち(HEウイルス)は生まれてしまった。
 生まれてしまった以上、繁栄を望むのは当然の事だろう?」
「ハッ。細菌風情が命を語るな」

茶子の挑発めいた言葉を女王は冷静に受け止める。
羽虫に噛まれたところで痛くもないのか、女王の顔には微笑が張り付いたままだ。

「誤解しないで欲しいのだが、私は人間と敵対したい訳ではない」
「敵対したいわけじゃないなら今すぐ消えろよ。テメェ死ねば終わるんだろ?」
「そう邪険にしてくれるな、君たちとはよい共生関係を築きたいと思っているんだ」
「共生関係ぃ? 細菌にとって都合がいい関係の間違いだろ?」

敵意を籠めた茶子の視線と、敵意を抱いてすらいない女王の目線がぶつかり睨み合う。

279Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:13:10 ID:3pow9O3Q0
「否定はしない。だが、巻き込まれたという意味では私も君らと同じだよ。
 研究所の都合で生み出され、身勝手な理由で利用されバラまかれこちらも迷惑してるんだ。
 だが、こうして機会を得たのだからそれを生かそうというだけさ。
 だからこそ他の正常感染者にも声をかけているのだが、残念ながら理解を得られなかったよ」
「そらそうだろ。喋るバイ菌の言葉なんざ誰が信じるってんだぁ?」

運命線の見えないアニカは例外として、覚醒直後に出会った山折圭介、神楽春姫には協力の声をかけている。
結局、誰からも信用を得られず物別れになったが。

「だが、虎尾茶子。君なら理解してくれると信じているよ。
 君と私の思想は近しいものがあると思うのだが、どうかな?」
「…………………ンだと?」

ピクリと茶子の瞼が動く。
挑発ではない。本気で言っているのが分かったからだ。
『女王を守護れ』と脳内からの声が強まる。

「……どー言う意味だそりゃ? あたしが簡単に股開くような安い女に見えるか?」
「先ほども述べた通り、私の目的は種の繁栄だ。
 だが、私たちの本質はウイルスだ、媒介となる人間がいなくなるのは困るのだよ。
 私たちの進化と繁栄のためにも山折村は維持されなければならない」

女王は山折村の滅亡など望んでいない。
むしろ共に繁栄していくことを望んでいる。
それは山折村の維持を望む茶子と同じ目的であると言えるだろう。

「君と私は山折村の繁栄を願う同士だ。共に手を取り合える、そうだろう?」
『――女王に従え』
「ッ………………………っせぇ」

頭の中に響く声が強くなる。
内側と外側の両方から勧誘の声が響く。
強制的に意思を捻じ曲げるような声に頭が割れそうになる。

「とは言え、この村は特殊部隊や同族(にんげん)同士の殺し合いで多くの被害が出た。
 もうこの村を維持することは難しかろう」

女王の視線が荒涼とした山折村を見つめた。
この地には既に抑えきれないほどの死が溢れている。
もうこの村が取り返しがつかない事は誰の目にも、それこそ細菌から見てもわかる事だ。

「だから私は我々のより多くの人間に生存領域を広げるため、新たな『女王』となる『隠山祈』をこの村の外に解き放った。新たな59の山折村を築くための感染源としてね。
 喜びたまえ、山折村は小さな世界を飛び出したッ! 例えこの村が滅ぼうとも山折村は続くぞ虎尾茶子!」

何か素晴らしい事を伝えるように、女王は高らかに語った。
茶子は頭痛を抑えるように左手で頭を押さえ、ギリッと歯噛みした。

『――――女王に命を捧げよ』
「……………るっせぇよ」

内外からの声が響く。
無理やりに自分を捻じ曲げられる感覚。
自分自身でもないのに自分自身から響く声は酷く不快だ。
封じ込めていた悲劇の光景が脳裏にフラッシュバックする。

魔性に惑わされ自分が自分でなくなる感覚。
――――思い出させるな。
愛を振りまき自分を歪められる悲劇。
――――思い出させるな。
そうだ、あの時、自分自身(リン)を失った。

『女王に従え。女王を守護れ。女王に命を捧げよ――――!』
「うるせぇ!!!!!」

あんな思いを、もう二度と味わってなるものかと、振り払うように茶子が叫ぶ。
砕ける勢いで歯を食いしばる。ブチと何かがちぎれる音がした。

「―――――ペッ」

赤い唾を吐き捨てる。
べちゃりと音を立てて吐き捨てられたのは、噛み潰した舌と頬の肉片だった。
鋭い痛みと鉄の味が口内に広がる。いい気付けだ。

280Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:13:27 ID:3pow9O3Q0
「ハッ――――薄汚ねぇバイ菌風情が……知った風な口を利くんじゃねえよ……ッッ」

失った赤い血液の代わりにどす黒い汚泥が体内を満たす。
砕けてバラバラになった自分自身を、憎悪が繋ぎとめていた。

「村の外の山折村? 新たな山折村ぁ? 世界が山折村になるぅ?
 バカなのか? 意味が分かんねぇよ、山折村は山折村だろうがッ」

刀の柄でぐりぐりとこめかみを弄りながら吐き捨てるように言う。
外の世界がどうなろうが知った事ではない。
茶子にとっての山折村はここだけだ。
彼女が育ち、彼女が愛し、彼女が憎んだ山折村はここだけだ。
他にはない。

だが女王は違う。
女王にとって山折村は、繁栄と進化のためのただの足がかりでしかない。
次の足掛かりがあるのなら、それこそこの山折村が滅んだって構わない。
その妄執の違いを生まれたばかりの女王は理解ができていなかった。

「…………あたしの山折村をこんなにしやがって、長年かけた村の洗浄計画がおじゃんじゃねぇか、どうしてくれんだ……? あぁ?」

茶子の異能『虎の心(リベンジ・ザ・タイガー)』は精神汚染を跳ね返す。
眷属化の声を発しているのは女王ではなく茶子自身の脳内にいる[HEウイルス]だ。
進化した異能はその声すらも跳ね返すことができる。
報復の先。その対象は必然、自分自身のウイルスとなる。

女王に従えという声は宿主である茶子に従えと言う声となり、[HEウイルス]を眷属化した。
女王から茶子に鞍替えした[HEウイルス]は茶子を生かすために活性化を始める。
心臓がポンプして右半身に血流が流れる。感覚が僅かながらに戻って行く。

だが、茶子自身はそんな理屈は知らない。
敵を殺せと猛るように気力が漲る。
空っぽの器に殺意が満ちる。

彼女は敵がいれば立ち上がれる。
敵がいなければ始まらない。
復讐の虎。

「――――――――ぶち殺す。今すぐ殺菌してやるよ、クソウイルス」

右に感覚が戻ったと言っても最低限動かせる程度だ。
指を動かし拳を握れても握力はほぼない、右手で刀を振るうのは難しそうだ。
右足は動く、歩行に問題はない。だが強く踏み込むのはまだ厳しい。

左手を振りかぶり、日本刀を担ぐように茶子が構えた。
問題はない。皮肉にも地を舐めた苦い経験から片腕での剣術は経験済みだ。
獰猛な獣のように身を沈め、殺意を解き放つ瞬間を今か今かと待ち望んでいる。

誰が細菌被害をまき散らしたのか、だとか。
誰が細菌を作ったのか、だとかは今はどうでもいい。
それはそれとして殺す。それだけだ。
この村に執着する茶子が、山折村を侵した細菌どもの親玉を赦す道理がない。

「まったく、愚かしい」

殺意をみなぎらせる茶子の様子を見て女王はため息をついた。
やはり人間は愚か。
女王は呆れたように頭を振ると、構えもせず涼やかな顔で茶子から視線をそらして周囲を見た。
露骨な隙。切り込むべきか一瞬の逡巡をしていた茶子の耳に遠く波のような音が聞こえた。

281Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:14:06 ID:3pow9O3Q0
「おや。やっと来たようだ」

女王の冷たい声が闇の中で囁くように響いた。
彼女の瞳には冷酷な光が宿り、その顔には不敵な笑みが浮かんでいる。
茶子は女王から視線をそらさず周囲の気配を探る。だが、その異変はすぐに分かった。

遠くからかすかに響く音が、草原の静寂を破るように耳に届いた。
最初は風の音かと思ったが、次第にその音は規則的なリズムを刻み始め、それが足音だとわかる。
茶子の心臓が鼓動を早める中、その音はますます大きく、近づいてくる。

闇の中から無数の影が現れる。
草原を覆う暗闇の中、ゾンビの群れが現れた。
それはまるで押し寄せる暗黒の波だった、人の群れが運河の様に女王と復讐の虎の間を遮った。
数え切れないほどの圧倒的な数のゾンビがゆっくりと、しかし確実に二人の間を遮るように埋め尽くしていく。

「この村の生き残りを全員かき集めた。
 隠れていた者や閉じ込められていた者も呼び寄せたからね。少し時間がかかったようだが」

ずらりとゾンビが立ち並ぶ壮観な景色を誇らしげに眺めて女王は言う。
時間稼ぎをしていたのは茶子だけではなかった。
女王もまた兵の到着を待っていたのだ。

山折圭介と神楽春姫を相手に、細菌の生存本能に任せて周囲のゾンビを掻き集めた時とは違う。
ゾンビたちは女王の明確な意思をもって、号令の下に召集された。
ここに集まったのは正真正銘、この村に残った最後の生き残りたちだ。

どこかに閉じ込められていたゾンビは力づくで扉を破壊した反動で腕が折れているようだ。
拘束を無理やり解いてきたのか、指や腕が欠けているゾンビも少なからず見受けられる。
自傷を厭わない、女王の号令にはそれだけの強制力があった。

そこには二重の意味で絶望的な意味合いが含まれていた。
これから茶子に立ちふさがるのは村の全てであるという脅威の大きさ。
そして、1000人余りの山折村の住民はもはや100余りのゾンビの群れを残すだけになっているという事実だ。

彼女の周囲を取り囲む100人余りのゾンビたちの不気味な唸り声が静寂を破る。
それを見つめる茶子の瞳には暗い炎が宿っていた。

立ち塞がるゾンビの中には茶子が知ってる顔も含まれている。
いや、むしろこの村で育った茶子からすれば知らぬ顔の方が少ない。
それらが全て女王を守護する傀儡となり、茶子の前に濁流となって立ちふさがっている。

魔王が圭介の異能を用いてゾンビを操った時を思い出す光景だ。
あの時は苦も無く対応できたが、今は状況が違う。
茶子は多少回復したとはいえ満身創痍。ゾンビの数もあの時の比ではない。

右は最低限邪魔にならないくらいの動きは出来るだろうが、基本は左のみで戦う事になるだろう。
片腕用に八柳新陰流を再構築した虎尾流をこの場で完成させるほかない。
鋭い息を吸い込み、彼女は一瞬の静寂の中で集中力を研ぎ澄ました。

夜の草原には薄い霧が漂い、月明かりが草原の一部を銀色に照らしていた。
銀の草原の中心に立つは鋭く光る刀を構える手負いの虎。
闇夜の中で、彼女の刀が月光を反射して輝きを放つ。

幸か不幸か、虎尾の両親は八柳藤次郎に切り殺されている。
もはや茶子が斬り捨てるに躊躇う相手などいない。
立ち塞がるなら全て斬るのみ。

「―――――――来いよ、ゾンビども。撫で斬りにしてやる」



282Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:14:31 ID:3pow9O3Q0
「よかった、アニカさん」
「Mr.アマハラ!?」

行動を開始した創とアニカが合流した。
謎の力によって分断されたマイクロバスに誰かが取り残された可能性を考えて動いていた創と、マイクロバスから出てきたアニカがかち合ったためである。
実際の所、アニカも分断工作で異空間に飛ばされており、そこからさらに厄溜まりを通してバスに戻るという複雑怪奇な経緯を辿っており、創の推測は外れていたのだが。
結果として首尾よく合流できたのは幸運だったと言える。

ほんの1時間程度の離別だったが、互いにその間にあまりにもいろいろなことが起き過ぎた。
切迫した事態に置かれてなおアニカと創は冷静さを保っている二人は、互いに起きた出来事を一つずつ共有していくことにした。

まず情報の共有を始めたのはアニカだった。
異空間に分断されたアニカの目の前に現れたのは一人の少女だった。

「私の前に現れたその少女は女王(queen)を名乗ったわ」
「……女王、ですか。アニカさんはその正体を知っているのですね?」

いきなり出てきた核心に、創がシリアスな声で問う。
その問いにアニカは頷きを返した。
直接女王と対峙したアニカは、それが誰であるのかその答えを知っている。

「――――――日野珠よ」

告げられる答えを聞き、創は沈痛な面持ちで目を細めた。
それは驚きではなく、真実を受け入れる覚悟の顔だ。

「Aren't you surprised? 知っていたの?」
「……いえ。ですが予測はしていました」

当たってほしくはなかったが、推測通りの答えを得てしまった。
女王細菌に乗っ取られたのは彼のクラスメイトである日野珠である。

「microbusに乗っていた私たちをdivisionしたのもその女王の仕業よ」
「虎尾さんは「イヌヤマイノリ」の仕業であると推測していましたが? 違うのですか?」
「That's not wrong either.女王は「イヌヤマイノリ」の力であるとも言っていた。
 それだけではないわ。女王はあの『魔王』の力も操っていた」

創が因縁を果たした宿敵。魔王ヤマオリ・テスカトリポカ。
この村の災厄の力のみならず、女王はその力までも取り込んでいる。
それが事実だとするならば、女王はとんでもない化け物という事になる。

「私はWhite Rabbitにsaveされて異空間からはescapeできたわ」
「白兎と言うのは、その抱えてる彼(?)の事ですか…………?」

創が半信半疑の様子でアニカに抱かれる謎の白い兎について尋ねる。
この状況で兎を後生大事に抱えている半透明な白兎に関しては気になっていたものの尋ねる機会を逸していた。

『こうして直接言葉を交わすのは初めてだね、天原創。見ての通り弱っていてね』
「…………なるほど。喋るのですね」

僅かに驚きながら、すぐさま創は受け入れる。
今更動物がしゃべる程度で驚きはしない。
それくらいにこの村では不可思議な事が起き過ぎた。

「sheは白兎。私たちの事を色々とhelpしてくれていたウサギの使い魔よ」

ウサギの使い魔と言うのは、見たまま兎の使い魔と言う意味ではなく犬山うさぎが異能で出していた使い魔という事だろう。
聞くところによると御守りを通して色々助けてくれていたのが彼女らしい。

「異空間から抜け出せたのだけど結局、すぐに女王に捕まってしまったの。
 その時、頭の中に『女王に従え』『女王に命を捧げよ』とそんなvoiceが繰り返し響いてきたわ」
「洗脳能力、のような物でしょうか……? 今は大丈夫なんですか?」
「ええ、voiceの大きさは女王との距離とproportionalするようね、今は落ち着いているわ」

女王から離れた今であれば声は軽微のようだ。
だが、これから女王との決戦に挑むのであれば気にかけておく必要がある情報だろう。

「女王に捕まった私は空中に連れていかれて、危ない所でカグラハルヒメに助けられた。
 けれど、ウサギは…………女王に罠にかけられて殺されてしまったわ」

恐るべき異能と魔法の罠によってうさぎは殺害された。
元気のない白兎がさらに沈んだように表情を曇らせる。

「それからカナタたちに女王のRiskを知らせようと……いえ、あの時の私はfearに駆られて女王から逃げていただけね。
 その途中でtrapにかけられて、different spaceに落とされたところをまたMs.Rabbitに助けられたの」

自らの不甲斐なさと醜態を思い出しアニカが自嘲するような表情を見せた。
混乱していたアニカはまんまと厄溜まりの中に落とされた。冷静さを欠いた探偵らしからぬ失態だ。
そこで神楽春陽と出会い、再び白兎に助けられ、そこで村を救う最後の方法である願望機について知らされた。

「神楽うさぎ」を完全蘇生させるための名と、最後の御守り、そして願望機の探索。
そう言った現状と一通りの経緯をアニカは説明し終えた。

283Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:14:55 ID:3pow9O3Q0
それを聞き終えた創は難しい顔をしながら、何やら考え込んでいた。
そして一つの疑問を投げかける。

「そもそも、その『願望器』と言うのは信用できる代物なのですか?
 あの魔王が作ったものだ、何か罠が仕掛けられているという事もあり得るのでは?」

願望機による死者蘇生。
自然の摂理を捻じ曲げる死者の蘇生が正しい事なのかなどと言う倫理的な是非は置いておくにしても。
魔王と因縁浅からぬ創からすれば当然の疑念と言える。

『少なくとも、効果は本物だ。それは私が保証する。
 だが製作者の属性によるものだろう。破壊に関する悪意を持った願いは叶えやすく、修復や創造に関する善意による願いは叶え辛い設定になっている』

あの『願望器』は誰かの願いに引き寄せられ、その願いを叶える魔王の在り方を形にしたものである。
当然その方向性は大本のある死と破壊を好む魔王に準じている。

「ならば、死者蘇生という願いは叶わないのでは?」

失われた死者の魂と肉体を蘇らせる。
破壊とは対極の究極の創造だ。
真逆の属性の願いを叶えられるとは思わないが。

『その通りだ。だが、因果を入れ替えその方向性を変えるのが女神の加護を持った御守りさ』

願望機は内蔵された無尽蔵の魔力を消費して願いを叶える。
そのため願いを叶える事に何か新たな代償を必要とすることはない。
だが、それは願望機本来の機能に沿う願いであった場合の話だ。

それを解決するのが、因果を捻じ曲げる力を持った御守りである。
これを消費する事で悪意に特化した願望機の方向性自体を捻じ曲げ白兎は願いを叶えてきた。

『通常の死者蘇生であればそれで叶うだろう。だが、神様の蘇生には足らなかった。
 だから世界の狭間に漂う『神楽うさぎ』本来の力も利用した。それでもなお足りない部分は私という存在を代償とした』

干支時計の使用に魔力の代わりに生命力を捧げたように、それ以上を求めるのであれば、代償を捧げる必要がある。
その代償が白兎と言う存在だ。

『彼女が蘇ればこの村の運命は変えられる。彼女こそが厄災の底に眠る、最後の希望だ』
「………………運命、ですか」

その言葉を聞いた創が何か言いたげな様子で考え込むような顔をした。
それに気づいたアニカがどうしたのかと尋ねる。

「どうしたの? Mr.アマハラ」
「いえ…………何でもありません」

創は答えを濁し話を進める。
言いたいことを飲み込んだ様子だったが、必要な事であれば話すだろうという創への信頼からアニカも追及はしなかった。

「ともかくアニカさんたちはその願望機や御守りを捜索中ということですね?」
「Yes.Mr.アマハラはMs.リンの居場所を知っていて?」
「ええ…………その辺りの経緯を含めてお話します」

お守りを持っていたと言うリンの所在を問われ。
何か言いづらそうに僅かに視線を落として、続いて創がこれまでの経緯を話しはじめた。

「僕は哀野さん、虎尾さん、リンさんと共に異世界に分断され、そこから脱出しました」

分断された異空間からの脱出。
特殊部隊から逃げてきたというスヴィアとの再会。
そして疑心暗鬼と混乱と諍いの中、リンの異能が暴走。
仲間同士で殺しあって、雪菜とリンが死亡した。
スヴィアもよくわからないモノに取り付かれどこかに消えてしまった。

後悔と絶望しか残らない悲惨な末路だった。
時折悔しそうに唇をかみしめながら、その全てを創は包み隠さず話した。
流石のアニカも何と声を掛ければいいのか分からず、周囲に沈黙が落ちた。

「…………Ms.チャコはどうしたの?」

絞り出すように、もう一人の生存者の行方を問う。

「……………わかりません。哉太くんに会いに行くとそれだけ…………当ては、なさそうでしたが」

生き残った茶子は失意の中、闇の中に消えて行った。
創は彼女を追うことが出来なかった。
哉太を探すとは言っていたが、どこに向かったのかまでは分からない。

「painful thingsを聞くようだけど、リンたちはどこで死んだの?」
「診療所の中庭辺りでした。死体は整えましたが、荷物はそのままです」
「...thank you.」

思い出すだけで辛い事を回答させたことに、アニカは申し訳なさそうに礼を述べる。
辛い話だったが、御守りの回収に目途が立ったのは大きい。

284Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:15:17 ID:3pow9O3Q0
「一人で動くのも危険だ、案内しましょう」

この状況でアニカを単独行動させるのも危険だ。
創が来た道を引き返して、アニカをリンの元まで案内しようとする。
だが、アニカはそれを断るように静かに首を振る。

「Non.Mr.アマハラ。あなたはカナタたちを助けに行ってあげて」
「いいのですか?」

護衛という役割以上に、失せ物探しにエージェントである創のスキルは大いに役に立つだろう。
だが、創は戦闘においても切り札足り得る万能のカードだ。

「ええ、これは戦えない私のJobよ」

哉太たちはあの戦鬼、ともすれば女王と戦っているかもしれない。
ならば女王と言う脅威の対抗策をここで使い潰すのはあまりにももったいない。
失せ物探しは『探偵』の仕事だ。

「了解しました。ではそちらのアニカさんにお任せします。
 こちらはこちらで対女王の解決策を進めます」

アニカは願望機による「神楽うさぎ」の蘇生と村の解体を。
創は女王の討伐による解決を。

解決に向けて別のラインを走らせるのは正しい。
片方が潰れても保険になる。

「さし当たって、女王の戦力について確認したい」
『それなら私がある程度は説明できるだろう』

女王討伐を目指す創はそう尋ねた。
その問いに、村の様子を監視していた白兎が説明を始める。

女王は157回のループによって進化を遂げた存在である。
進化を遂げた女王は条件こそ不明だが複数の村人の異能を使えるらしい。
そして珠の持つ『運命』を観る異能によって相手の運命線を読むことができる。

そしてこの地で『魔王』の力を取り込み、願望機を身に宿していた。
村の災厄である魔王の娘『イヌヤマイノリ』の力を取り込んだ。
この地における全ての力を取り込んだ正しく究極ともいえる存在だった。

だが、白兎の活躍により願望機と厄を操る『イヌヤマイノリ』の力を奪い取り。
春姫と祈の活躍によって飛行能力も奪い取れた。
戦力的には大幅に減退している。

だが、未だ戦力としては驚異的であることには違いない。
人一人にどうにかできる次元の存在ではないだろう。
ここまでの話を聞いた創は別の疑問点を口にした。

「それほどの力を手にして、結局のところ女王の目的は何なのでしょう?」
『[HEウイルス]の進化と繁栄をもたらす事だと言っていたね。他生物を媒介とするウイルスの為に人間を殺すつもりはないと』

覚醒直後の女王はそう口にしていた事を、白兎が春姫の御守りから盗み聞いていた。

「ならば、何故女王はアニカさんを執拗に狙って殺そうとしたのでしょうか?
 罠を張ってまでうさぎさんを殺害した理由は?」

生物災害の解決のため女王の殺害を目論む輩を自己防衛のため殺してしまおうという発想は理解できる。
だが、アニカとうさぎは比較的穏健派だ。少なともバスでの話し合いでそれは確認している。
最後まで感染者である珠の身を案じて平和的解決を模索するはずだ。
それを問答無用で殺そうとするのは女王の目的と行動が合わない。

直接出向いてまで執拗にアニカを狙う理由はなんだ?
罠を張ってまでうさぎを殺す理由がどこにある?

「私を狙ったのは私の運命線が見えないから、と言っていたわ」
「運命線?」
『その名の通り『運命』を見る力だ。本体である日野珠の異能だよ』

運命の女神の眷属たる白兎が答える。
創は難しい顔をしてふむと頷いた。

『望……いやうさぎを狙ったのは恐らく、私たちが原因だろう。彼女の召喚する私たちも運命は見えない存在だ。女王にとっては邪魔な存在だろう』
「つまり、自分のplanを乱しかねない不確定要素をexclusionしたかったという事ね。
 そこまでしてplanを実行したいという事かしら……?」

アニカと白兎はその線で納得を示す。
アニカは異能や魔法の存在を受け入れ、それを前提とした推理を行うよう思考を調整した。

「本当にそれだけなのでしょうか?」

だが、創はそうではない。
あえて思考を寄せずに、ありのままの疑問を呈する。

「声で感染者を洗脳ができるのならば、わざわざ危険を冒して戦う必要なんてない。
 全員の洗脳が完了するまで逃げ回っていればいい」

感染者の脳に響く眷属化の声。
そんなことができるのであればわざわざ戦う必要なんてない。

「なら、Mr.アマハラはどうthinkするの?」
「自分の計画を乱しかねない人間を始末したというのも正しいと思います。
 ですが、それだけじゃなく、単純に『戦いたかった』いや、ただ『やってみたかった』だけなのではないでしょうか?」
「――――――what?」

あまりにも非合理な結論を述べた。



285Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:17:10 ID:3pow9O3Q0
「業…………ですか?」

もう一つの最前線。研究所の一室にて。
所長である終里のつぶやきに、奥津は思わず尋ねていた。

「そう。人の業。つまりは悪意だ。
 あの娘はそれを山折の歴史を学んで識った気になってるだけだ。
 グロ画像を見て深淵を覗いたつもりになってはしゃいでる中学生(ガキ)と大差ない」
「それで、それがどう解決策に繋がると?」

終里の軽口にとりあわず、奥津は単刀直入に結論を訪ねる。
生真面目な奥津の反応に苦笑しながらも終里は答えた。

「各コミュニティの女王は判明しているのだろう? 何せ首謀者が自ら告白してくれたからな」

女王の細菌テロの対象となったのは終里の血を引く子供たち。
彼らを新しい女王として各地に山折村と同じ細菌王国を築く。
終里の縁者を傀儡とする、明確な悪意を持った嫌がらせ。
だが、終里はこれをくだらないと断ずる。

「そこが間違いだ。女王は特定できないからこそ厄介なのだ。私への嫌がらせのために自らその所在を明かすなど愚の骨頂だ。
 まあ気持ちはわかるがね。絶対的な力をもって悪意を振りかざすのは”気持ちがいい”からなぁ。
 だが、悪意をただ振りかざすだけでは、あの魔王(アルシェル)と変わらない。ただの獣の所業だ」

その未熟を楽しむようにくつくつと笑う。
こちらの方がよっぽど魔王染みて見える笑いであった。
表情を引き締め終里は続ける。

「君らも我々も見方によっては悪逆非道の極悪人だろう。多くを殺し多くの死体を積み上げてきた。
 だが、我らの翳す悪意によって世界を救う事もある。悪意と言う業を御してこその人間だ。
 悪意とは目的のために御するべきものだ。悪意が目的となってはならない。それに振り回されているようではまだまだ」

出来の悪い娘を憂うように首を振る。
だが、悪意に振り回されるだったとしても、その力は間違いなく本物だ。
核兵器のスイッチを悪の独裁者と分別もつかぬ子どものどちらに持たせるのが脅威かと言う話である。
実際の話として、女王の所業によって世界は崩壊の前夜にまで迫っている。

「具体的にどうなさるおつもりで?」
「なに、簡単な話だ。女王が判明しているのならすぐにでも全員を自害させればいい。それなら電話一本で事足りるだろう?」

笑みを崩さぬまま、親指と小指で電話の様なジェスチャーをする。
若々しい外見と何とも古い仕草にギャップを感じてしまう。

女王はバックアップとして新たに59の女王を生み出したが。
それが全員死んでしまえば、拡散は終りだ。彼女の野望もそこで潰える。
終里は大きく足を組み替えると、傍らの女性研究者に声をかける。

「なぁ真琴。世界の為に死んでくれるな?」
「必要な事であれば」

悪意の正しい使い方を見せつけるように親が子に自殺を促し、子もそれを当然のように応じる。
異様な光景であった。

長谷川には科学のためなら、人類を救うのに必要であれば命など捨てる覚悟がある。
奥津を含めて、ここにいる人間は全員、正気ではない。
己が命よりも重い何かに殉じて、その全てを捧げている。

「ですが、全員がそれに応じるとは限らない」

長谷川真琴という個人が科学に身を捧げる覚悟を持っているだけで、終里の子全員がここまで覚悟を持っているわけではないだろう。
電話越しに死ねと言われて即座に死ねる人間がどれだけいるのか。

「ま、それはそうだ。四郎の様な例もある」

我が子の醜態を思い出したのか、終里がため息を交えながら鼻で笑う。
我が子の思い出を振り返るような場違いな反応に奥津は怪訝そうに眉をひそめた。

奥津としても全員を消すという方針自体に反対はない。
身内である終里が反対していない以上、SSOGのやり方に即した方針だ。
だが全員の所在を明らかにしてそこに暗殺部隊を送り込むにしても日が変わるまででは余りにも時間が足りない。
特に、海外ともなれば人員の手配も難しい。

「他の対抗策はあるのでしょうね?」

特殊部隊の長に威圧的な声で問われ、豪放磊落な怪物は肩をすくめると飄々とした老爺へと視線を送る。

「その辺はどうなんだ、百之助」
「オヤオヤ。ソコはワタシに丸投げカイ」

そう呆れた風に染木は話を引き継いだ。
変わらぬ様子で指を組むと、奥津にではなく所長である終里に苦言を呈する。

「マァ。ワタシとしても元くんの案には反対ダネ。貴重なサンプルであるキミの子を使い潰すのは勿体ないからネェ」

菌と魔法の産物、終里元の子を生み出す。
女王となったのは、その貴重な実験サンプルだ。
研究者の立場からしても無駄に殺してしまうのは惜しい。

「では、染木博士には腹案がお在りなので?」
「――――――アァ。勿論アルとモ」

当然のようにそう言って。
テーマパークに来た子供のように、老研究者は楽し気にニヤリと笑った。



286Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:17:24 ID:3pow9O3Q0
「No way...そんなreasonで…………」

女王はただ力を試してみたかった。
創が推察した、そんな馬鹿げた理由を聞かされアニカは首を振る。

あり得ない。
そう口にしたかった、だが言われてアニカにもいくつか思い当たるところがあった。
女王はまるで自慢でもするように自分の力をアニカに語っていた。壁に話しかけるのが空しいからとも。
確かにあの様子は、子供じみた感性の現れではないのか?

目的のためなら全てを投げ出す狂気のテロリストのように、計画に全てを捧げているようには見えない。
あれだけの力があるのだ、本当にウイルスの繁栄という目的を何よりも優先しているのなら事を荒立てず確実に遂行する方法などいくらでもあったはずだ。
わざわざ事を荒立てて、多くの感染者を敵に回すような言動をする意味がない。

「本当に女王は計画を遂行するつもりがあるのか。いや遂行するつもりはあるのでしょうが。
 話を聞く限り、それを最優先として行動しているとは僕にはそうは思えない」

計画の遂行を何よりも優先する冷酷な女王。その像が間違いである。
計画を掲げ遂行しようとしているが、新しい玩具(ちから)を試したいという好奇心や、周囲に振りまく悪意を抑えられない。
そんな子供じみた人物像が創のプロファイルする女王像だ。

「新しく得た力を試してみたかった、それが動機で計画云々はむしろ後付けのように思える」

創たちを分断した異空間もそうだ。
新たに得た『魔王の娘』の力、『不思議な世界へようこそ!(イン・ワンダーランド)』を試してみたかった。
うさぎを殺した理由も、運命視と魔法の組み合わせを試してみたかった。ただそれだけの理由。
運命の見えない相手を執拗に排除しようとするのも計画の遂行と言うより、自分の思い通りに行かない相手を許せない子供の癇癪に近い。

全てが継ぎ接ぎの破綻した人間を見た直後だからだろうか。
聞き及んだ言動のちぐはぐさから、創はそう言う結論を得た。

女王に命を狙われ、その強大な力を目の当たりにしたアニカも白兎も、女王は圧倒的な存在であると無意識に刷り込まれていた。
直接対峙していない創だからこその発想である。

女王は今日生まれ、つい数時間前に得た力を前提として計画を立てている。
計画者も実行する道具も、何もかもが付け焼刃の計画だ。
完璧であるはずがない。

「付け入る隙はある、という事?」
「だからこそ怖い、という事でもあります」

下手をすれば、考えなしに世界崩壊のスイッチを押しかねない怖さがあった。
それだけの力が今の女王にはある。
ともすれば、すでにそのスイッチは押されている可能性すらあるだろう。
女王が覚醒した以上、解決を急がねばならない。

「急いだほうがよさそうだ。それでは僕は哉太さんたちを探しに行きます。アニカさんもどうかお気をつけて」
「Mr.アマハラも。次はincidentのAfter resolutionに会いましょう」



287Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:18:01 ID:3pow9O3Q0
ゾンビたちが踊る不気味な夜の下。
片田舎の草原で多くの人影が一つの生き物のように蠢いていた。

視界を埋め尽くす壁のようなゾンビの軍団に対し、挑むのはたった1人の勇者。
100のゾンビと1人の女による決戦の火蓋が降ろされようとしていた。

蠢くゾンビの一団が一斉に茶子に向かって突進を始めた。
だが、その緩慢な動きを見逃す茶子ではない。

踏み出してきた最初のゾンビが近づくよりも早く、茶子は低く身を沈め一瞬で間合いを詰めた。
茶子の左手に握られた刀が、閃光となって闇を切り裂くと、最前列のゾンビの首が空中に舞い上がって地面に転がる。
残された胴体から血飛沫が花火のように夜空に広がり彼女の綺麗な顔を汚すが、その瞳には一片の揺るぎもない。

次のゾンビが彼女に迫る。今度は右手に錆びた斧を持った大柄なゾンビ。役所の仕事で何度も顔を合わせた岡山林業の社員の一人だ。
彼女は一歩後退し、ゾンビの斧が空を切る瞬間を見計らって、素早く踊るように左に回り込む。
逆手に持ち替えた刀が斜めに振り下ろされゾンビの肩から腰まで深く切り裂かれた。
反転した茶子の背で、露になった内臓が地面に落ちる音が響く。

三体目のゾンビは、役場の同僚だった。それなりに表面上は仲良くやっていた相手だった気がする。
その顔を見ても茶子は一瞬の躊躇いもなく同僚の頭を一気に斬り飛ばした。
返り血が涙のように彼女の頬を伝う。血化粧により狂気の色は一層濃く深まってゆく。

彼女の周囲には次々とゾンビが現れ、その度に彼女の刀は鮮やかに閃く。
四体目は足を失ったゾンビで、地を這いながら彼女に近づこうとする。
彼女は冷徹にその首を一刀両断し、静かに息を吐く。

次の瞬間、背後からの気配に気付き、振り向きざまに『蠅払い』の要領で刀を横薙ぎに振るった。
五体目の小説家ゾンビと、六体目の木更津組の三下の胴体が同時に真っ二つになり、揃ったように地面に倒れ込む。

戦いの中で彼女の動きは次第に美しさを増してゆく。
まるで舞踏のように流麗に踊る茶子に一斉にゾンビが襲いかかる。

刹那、彼女の刀が一瞬の閃光となり複数のゾンビの頭部を吹き飛した。
飛んで行く首の中には隣人だった者がいる、友人だった者がいる、弁護士だった者がいる、村長だった者がいる。
六体目、七体目、八体目――もはや何体目か数えるもの億劫になりながら、茶子は一体一体確実にそして無情に村人だったモノを斬り捨てていく。

彼女の周囲に屍山血河が築かれる。
血肉が飛び散り、命だった物が辺り一面転がる。
夜空には淡い月光が差し込み、彼女の刀だけがその光を反射して輝いていた。
芸術のように美しい剣技と、斬り殺されるゾンビたちの凄惨なコントラストが闇夜に浮かび上がった。

「シィ――――――ッッ」

踏ん張りの利かぬ右足で踏み込むのではなく膝を抜く、縮地が如き体重移動で茶子が一陣の風となる。
吹き抜ける風の過程にあったゾンビたちの胴が二つに分かれ、頭部が柘榴と割かれた。

「虎雄流も様になってきたなぁ!! やっぱ実践が一番だよなぁ!!」

茶子が何かがキマってしまった見たいにハイになって叫ぶ。
体が軽い。片手剣術もノッて来た。
一人また一人と切り捨てるたびに、茶子の中で何かが剥がれて行く感覚がある。

山折村のよき隣人たちを次々と切り捨てる。
山折村の存続を願う茶子が、山折村最後の生き残りたちを殺していく矛盾。
他ならぬ藤次郎の刀で村人を切り捨ててゆく己の姿が、あれほど憎み恨んでいた八柳藤次郎と重なっていることに彼女は気付いているのだろうか?

どす黒い濁流が残留する酸の血液を押し流すようだ。
継ぎ接ぎだらけの愛という塗装が剥がれ落ちて、むき出しの本性が露わになってゆく。
殺していくたびに、その狂気は加速して、剣技は一層研ぎ澄まされてゆく。

288Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:18:19 ID:3pow9O3Q0
「――――――ハハッ」

地獄で笑う。
知らず口から笑みがこぼれた。
その笑みに愉悦の色が混じっていた。

村を愛し守護りたいという心。
村を憎み壊したいという心。
そのどちらも本物で、その矛盾こそが虎雄茶子という人間なのだ。

きっと、彼女はずっとこうしたかったのだ。
自分を汚した何もかもを壊してしまいたかった。

「哀れだな」

ゾンビで出来た運河の先。
僅かに離れた位置で愁嘆場を眺めていた女王が憐憫ともつかぬ呟きを漏らす。
己が矛盾に気づかぬまま踊る様は哀れとしか言いようがない。

「終わらせてやろう」

そう言って、慈悲をもって指揮者のように指をふるう。
瞬間、茶子の体が強い衝撃を受け吹き飛ばされた。

「ぐっ…………ぉ!?」

横合いから痛烈な一撃。
寸前で刀の腹で受けたが避けきることが出来なかった。
油断ではない。神経はいつも以上に張り詰めていた。
十把一絡げのゾンビどもとは違う、明らかに動きの質が違うゾンビが1体混じっている。

吹き飛ばされる茶子は勢いに逆らわず、巧みに体を捻って刀を振るった。
その遠心力を利用して重心を立て直すと、吹き飛ばされた先に居たゾンビを蹴り捨てそのまま反動を利用して地面に着地する。

「ごほっ……………っのぉ」

僅かに血の混じった胃液を吐いて、茶子が自らを殴り飛ばしたゾンビを睨む。
そこに居たのは正拳突きの体勢のまま固まる迷彩色の防護服だった。
防護マスクのつなぎ目には僅かな穴が開いている、そこからウイルスが侵入したのだろう。

それは、この村におけるジョーカーである特殊部隊の証。
地下研究所でゾンビとなった黒木真珠が、女王の呼び声に従い決戦の地に馳せ参じた。

異常感染した[HEウイルス]は脳の領域を圧迫し、ゾンビからは理性と思考力が失われる。
だが、血の滲むような鍛錬を積み、思考を排し反射に至るまで体に染み付いた動きはゾンビであろうとも衰えない。
思考力を奪われ全盛期には程遠い動きだが、幼少の頃から格闘術を叩きこまれた真珠の体術はこの場において十分な脅威である。

研究所の最強戦力である茶子をもってしても特殊部隊の相手は簡単ではない。
仮に万全の状態でも苦戦は免れない相手だろう。
この満身創痍の状態でどれほど戦えるか。

「上等だよ…………ッ」

手の甲で口元を拭って折れることなく闘志を燃やす。
こちらも満身創痍だが、それはゾンビである真珠も同じだ。
理性を失い本能で動いているだけだ。何よりその両足は潰れている。
痛みを無視できるゾンビだからこそ活動が出来ているだけで万全ではない。
当然、動きにも影響があるはずだ。

289Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:18:44 ID:3pow9O3Q0
「ぃ―――――――くぞッ!」

茶子は地面を蹴るのではなく、膝を抜く事で地面を滑った。
八柳新陰流『這い狼』改め――虎尾流『虎滑り』。
そのまま再低空から跳ねるように首を狙う、より攻撃的で殺すための技。

だが、降りぬいた一撃は手甲によって防がれた。
精鋭たる特殊部隊のゾンビの守りはまさしく鉄壁、想像以上に固い。

一撃を防がれ地面を這うような体勢のまま固まる茶子の顔面に向かって間髪入れず真珠が鉄拳を振り下ろす。
スイカ割りのように頭蓋を砕く一撃を茶子は転がるようにして避けた。
代わりにその一撃を受けた草原の大地が爆ぜるように弾け飛んだ。

茶子は立ち上がると同時に背後から迫るゾンビを振り向きもせず切り捨てる。
彼女の敵は真珠だけではない。周囲のゾンビも変わらず茶子を狙い続けている。
これらに気を裂きながら目の前の強敵に対処する必要がある。

僅かに開いた間合い。
茶子は片手で上段に構えると、半身の体勢から閃光の如く刃を振り下ろした。
片手上段は半身となる分両手上段より遠くの間合いへ届く。
雷より早く放たれる星こそ八柳新陰流『天雷』を片手上段に改めた虎尾流『流星』である。

だが、左手一本で振り下ろされた流星を真珠は本能のみで受け止めた。
閃光が如き鋭き一撃を空手の上段受けの動きで払いのける。
手甲と刃、金属と金属が激しくぶつかり合う音が響く。
弾けるように火花が散り、夜の闇が一瞬明るく照らされた。

反射になるまで体にしみ込んだ動き。
一撃を弾いた真珠は間髪入れず反撃に転じる。
重心を低く保ったまま、地面を削る勢いで振り上げられるアッパーカット。
手甲に包まれた一撃は顎どころかそのまま頭蓋を砕く威力があるだろう。

右足の効かない茶子はその一撃を、体をそらして間一髪で躱した。
回避から止まらずそのまま身を捻ると、回転して今度は右側から切り込んだ。
真珠は手甲で刃を受けると同時に、もう一方の拳を振り上げ相手の防御を崩さんとする。
茶子はその動きを見切り、返す刃で弾くようにしてその一撃を逸らした。

両者の攻防は激しさを増し、刃と拳が交錯する度に金属の摩擦音が夜に響く。
夜に咲く火の花が儚くも次々と散って行った。

周囲を巻き込みかねない激しい攻防が続く。
だが、理性のないゾンビはそんなことはお構いなしに茶子の背後から突撃してきた。
個よりも全を優先する習性は、巻き込まれることを恐れていない、茶子からすれば厄介なことこの上ない。

「…………こ、のッ」

茶子が背後のゾンビに対応し刃を振るう。
ゾンビを切り捨てた勢いのまま廻るようにして一息で真珠に切りかかった。
だが、ついでで斬り捨てられる程、甘い相手ではない。

真珠は刃の下を潜るようにして身を躱す。
大ぶりを外した茶子は隙を晒すことになる。

その一瞬の隙を突いて真珠の足が揺らめいた。
それは雷鳴の如き鋭さをもって放たれる上段蹴りだ。
潰れた足で蹴りはないという常識的な判断が反応を一瞬遅らせた。
鋭い蹴りが茶子の鼻先を霞めて、鼻骨が折れた鼻から大量の血が噴き出す。

「……………チィ!!」

ただですら限界を超えた状態で、鼻呼吸が封じられた。
たたらを踏み後方に逃れようとする、だが、その隙を逃さず周囲のゾンビが一斉に襲い掛かる。
濁流の様なゾンビの群れが茶子の体を一瞬で乗り込んだ。

290Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:19:10 ID:3pow9O3Q0
「くっ…………な、せッ!」

大量のゾンビに掴みかかられる。
力任せに振り払おうとするが、あまりにも多勢に無勢。
単純な力勝負ではリミッターの外れた男たちには勝てない。
乱暴につかみかかられ、爪で引っ掻かれ、歯で噛み付かれる。

「や、めろ………………ッ!!」

閃光のように脳裏をよぎる純白。
白いアリスの城。ゴツゴツとした気持ちの悪い男の手。
駆け抜けた山中。
素足で踏む雨の日のアスファルト。
男どもに拘束され、いいようにされる無力な自分。

次々と脳裏に浮かぶ心的外傷が茶子から抵抗の力を奪って行く。
あの日のように、茶子の目から光が失われ生気が抜けていった。

「ぁ……っ。離れ、ろ…………ッ!!」

抵抗の言葉を口にするが力が入らない。
もみくちゃにされ取り落した日本刀が地面に刺さる。
ゾンビどもの渦に呑まれる。
力を失い動けなくなった茶子に向かって、特殊部隊のゾンビが迫りくる。

茶子の死神。
引き絞られた正拳が茶子の胸部を撃ち抜こうとした所で、



「――――――茶子姉ぇッ!」



遠くより、声があった。
沈んでいた茶子の目が開かれる。

ずっと聞きたかった、ずっと探していた声。
茶子の視線が声の方へと向いた瞬間、赤い閃光が投げ込まれた。

真珠ゾンビは振りかぶった拳を受けに回して自らの喉元に迫った赤い刃を弾く。
投擲された赤い打刀が回転しながら宙を舞った。

その介入により得た、奇跡のような一瞬。
その声を聴いて茶子の抜けていた力が入った。

八柳新陰流は力の流れを御する合気道にも通じる剣技である。
茶子は自らを拘束していたゾンビどもを合気の要領で投げ飛ばした。

拘束を脱した茶子はすぐさま飛びあがり、弾かれ宙で回転する赤い打刀を掴んだ。
同時に、折れた剣を手にした哉太が止まることなく距離を詰めていた。

「合わせろ――――――ッ!」
「――――――――応ッ!!」

八柳哉太、最大の強み。それは状況を受け入れ対応する力。
乱入した特殊部隊との戦闘をこなし、突然現れた神獣と連携をこなす。
すなわち咄嗟の対応力だ。

哉太は駆ける。地を這う、八柳新陰流『這い狼』
茶子は落下する。天から落ちる、虎尾流『流星』

比翼による上下同時攻撃が特殊部隊のゾンビに向けて放たれる。
必殺をもって放たれた同時攻撃は寸分違わず対象に炸裂した。

だが、修練を積んだ特殊部隊の反応速度はそれすらも上回る。
上下の攻撃を手甲と鉄足によって防ぐ。

そして、それがゾンビの限界であり敗因である。

知能のないゾンビの動きは体に染み込んだ反射でしかない。
攻撃を受ければ必ず防いでしまう。

茶子は振り下ろした赤い打刀からすぐさま手を離した。
着地と同時に、取り落し地面に付き去った日本刀を掴むとそのまま独楽のように回る。
無理な体制で片手片足を封じられたゾンビは次の手に対応できない。
全身を使って刃を振るう、回転力と遠心力を籠めた一撃は防護服ごとゾンビとなった特殊部隊の体を両断した。

291Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:19:57 ID:3pow9O3Q0
全身を投げ出すように振り抜いた茶子の体と泣き別れたゾンビの上半身が同時に地面に落ちる。
そこに駆けつけた哉太が地面に落ちた聖刀を拾い上げると、二刀を構え倒れる茶子を守護るようにゾンビたちの前に立ちふさがった。

「無事か!? 茶子姉」
「哉くん……どうして」
「こいつが案内してくれたんだ」

哉太の胸ポケットから顔を出した山ネズミがハァイと手を振る。
このネズミが哉太をここまで案内してくれた。
この案内がなければ茶子は死んでいただろう。

「スチュアート・リトルかよ」
「あっ。やっぱそう思うよな」

二足歩行のネズミを見て、共に映画を見に行った小さな思い出を思い返す。
地獄の様な戦場で、その軽口に少しだけ心が軽くなる。

哉太は安心させるように茶子に笑顔を向けると、二刀を構えて周囲へと視線をやった。
その表情は一転して厳しいものに変わる。

周囲には死の河。死屍累々の地獄絵図が広がっている。
ここで行われた激戦の過酷さと共に、茶子が重ねた業の深さを物語っている。

茶子は哉太と自衛以外の無駄な殺しはしないと約束した。
確かに襲い来るゾンビを放置しては自分の身が危うい。それは確かだ。
顔見知りたちの凄惨な死体の山を見るとどうしても、思ってしまう。
果たしてこれは必要な殺しなのだろうか?

だからと言って、この状況で殺すなとは言えなかった。
茶子の行いを肯定する訳ではないが、そうしなければ死んでいたのは茶子の方だ。
哉太はその結論を保留するようにゾンビたちに向き直る。

川のように広がるゾンビたちの対岸に、一人の少女が佇んでいる。
夜闇ではっきりと姿は見えないが、恐らくあれが女王である珠だろう。
茶子の大立ち回りによってゾンビの大河は、かなりの数を減らしている。

「ここから先は俺に任せて、茶子姉は休んでいてくれ」
「いいや。そうはいかない。あたしも戦う」

心配する哉太の言葉を遮り、全身に鞭打ち立ち上がる。
茶子の体中には痛々しい爪跡や噛み傷が残っていた。
致命傷に至るような傷ではないが、哉太と違って治るわけではない。

「無理は……」
「……するでしょ。今が無理のしどころよ」

それでも休んでいる場合ではない。
女王を前にしたこの村の行く末を左右する大一番。
ここで無理をせず何時するというのか。

「――――――ふぅ」

茶子が深く息を吐く。
酸の血を瀉血させた分も合わせれば、随分と多くの血を流した。
だが、顔色は悪くない。気力も回復したためか、先ほどまでよりもいくらかいい。
精神論だけではなく、虎の心に調伏されたウイルスが全身を巡り、血を巡らせている。
動き始めた右の具合を確かめて、気合を入れる。

「…………ゾンビどもは私が相手する。哉くんは女王の所に行って。ここは私に任せて先に行け、ってやつね」

冗談めかしてそう言うが、哉太は厳しい表情でその言葉を受け止める。
目減りしたとはいえゾンビの数は未だ小隊程度の数が残っている。
状況的にそのセリフは洒落になっていない。

「いや。戦うにしても、一緒に戦った方が」
「はっきり言う。助けてもらっておいてなんだけど、ゾンビであろうとも哉くんは殺せないでしょう? それじゃあ足手まといよ」
「………………それは」

哉太は反論できなかった。
気喪杉や魔王の様な弱者を害する悪を斬る覚悟はあれど、顔見知りを斬る覚悟が哉太にはない。
実力不足かそれとも覚悟不足か今となっては定かではないが、悪逆を尽くした藤次郎相手ですら自分の手で斬るには至らなかった。

少なくとも、茶子は哉太では斬れないと思っている。
剣士としてはそれではダメだと思うと同時に、少年としてはそれでいいとも思っている。
二律背反。茶子の抱えるいつもの物。

哉太にできるのは膝を折るなり拘束するなり無力化するのがせいぜいだろう。
この数を相手にその甘さは命取りになる。

「何より、こちらの戦力が変わった以上、いつまでもあの腐れ女王が高みの見物と決め込んでるとは限らない。一人当った方がいい」

これは村の存続を望む茶子に村人たちを殺させ、最終的に数の暴力でなぶり殺しにする悪趣味な見世物だ。
哉太の介入によりその図式が崩れた以上、女王がどう動くか分からなくなった。

横やりを防ぐ意味でも、逃亡を防ぐ意味でも、戦術的に足止めは必要だ。
女王に余計な意識を裂かなくて済む分、ゾンビを相手にする茶子としてもやりやすい。

292Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:20:08 ID:3pow9O3Q0
「…………分かった」

哉太はその方針を受け入れる。
茶子の判断がこの場における最良の判断なのは疑いようがない。
先ほどの特殊部隊のような突出したゾンビがいない限りは茶子が後れを取るような事はないだろう。
女王の抑えが必要なのも納得ができる。

だが、ここを茶子に任せるという事は茶子の殺しを容認する事だ。
ゾンビとなったとはいえ相手は同じ山折村の村人だ。
自分の手を汚さないために、大切な人が手を汚すことを容認していいのか?
そんな疑問が哉太の脳裏をよぎる。

「哉くん。ちゃんと女王を殺せるわよね?」

珠と同じ顔をした相手を殺せるのか?
その迷いを見透かすように、確認するように問う。

茶子は哉太に不必要な殺しはしないとあのマイクロバスで約束をした。
逆に言えば、必要な殺しは存在するという事である。
茶子にとって立ち塞がるゾンビどもを切り殺すのは必要な事である。
女王を殺す為に。

女王の殺害はウイルスに侵された感染者にとって、引いては世界に感染拡大を防ぐために必要な殺しだ。
ここで日和るようでは話にならない。

「――――戦える。そのためにここに来たんだ」

殺すのではなく戦う、とそう答える。
誤魔化しではなく、哉太はそのために来た。

「……ま、いいわ。そっちは任せる。こっちもすぐに終わらせるから、最低限それまでは持たせて」

その回答に、完全に納得した訳ではないだろうが、ひとまずは良しとしたのか。
茶子はようやく動くようになってきた右手で刃についた脂を拭って空を切る様に刀を払う。

「それじゃあ――――行って」
「了解、背中は任せた――――!」

言って、女王に向かって哉太が駆ける。
すれ違いざまに『抜き風』で目の前に立ちふさがる最低限の相手の足元を切りつけながら、間に挟まるゾンビの包囲網を強引に突破する。
それに反応した周囲のゾンビたちが瞬時に哉太に群がるが、その背に襲い来るゾンビたちに向かって剣が舞った。
哉太は振り返らず、必ず守ってくれると信じて背後を気にせず駆け抜けてゆく。

「よぅ――――――仕切り直しだ。ゾンビども、さっきまでと同じと思うな」

ゾンビたちを切り捨てた茶子が刃に付いた血を払う。
渦巻くゾンビの中心に躍り出て、ザッザと確かめるように右足で地面を堀りながら刀を構える。

継ぎはぎだらけの心は新たに糧を得て修復される。
100人切りで磨かれた技の冴えはそのままに、愛憎が気力となって体に満ちる

思い出された心的外傷は彼女を突き動かす原動力。
殺すべきを殺さねばならない。その決意を新たにする。
受けた恥辱は必ず返す復讐の虎は殺意を漲らせる。

「次の予定が詰まってんだ――――秒で終わらせる」



293Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:21:03 ID:3pow9O3Q0
立ち塞がるゾンビの壁を越え、少年は草原を駆け抜ける。
心臓が高鳴るのは運動による影響だけではないだろう。
少年の向かう先には、一人の少女が待っている。

「やぁ。よく来たね」

何気ない様子で、待ち人が来たかのように微笑む。
哉太は足を止めると、僅かに乱れた息と鼓動を抑え、少女の前に立つ。
月明りに照らされる少女の姿は美しく、どこか神々しさすら感じられた。

「珠ちゃんを返してもらう」
「またそれか。まったく誰も彼もがこの体を気にかけるのだな」

呆れたように日野珠の姿をした[HE-028-Z]は首を振る。
彼女こそがウイルスを統べる女王。
全ての始まりにして終焉となる女。

「ゾンビをけしかけているのはアンタなのか?」
「そうなるかな」
「やめさせてくれ」
「それは難しい、虎尾茶子は私を殺そうとしているからね」

自衛のための殺し。
今、ゾンビ相手に茶子たちが行っている事と同じだ。
哉太たちがこの村で行ってきた事だって引いてはそう言う事だろう。
その行いは生物である以上、肯定されなければならない。

「お前はどうだ? 八柳哉太。お前も私を殺しに来たのか?
 それともの山折圭介ように日野珠を殺せないとでもいうつもりか?」

目の前に立つ哉太の覚悟を嘲笑うようにくつくつと笑う。
哉太は嘲笑に表情を変えることなく、真剣な表情で答える。

「確かに、お前の言う通りだ。俺は珠ちゃんを殺したくない」

大切な妹分を、出来るなら殺したくはない。
全人類が天秤にかかっている以上、比べようもないだろうが、それは嘘のつきようがない本当の気持ちだ。

「だけど、それだけじゃない」

哉太は続ける。

「俺はお前も殺したくないんだ、女王」
「…………ほぅ?」

ウイルスの活動を止める。
それを、病気を治すのと同じようなものだと考えていた。
そこに奪われる命があるだなんて、考えてすらいなかった。
感染者の命さえ救われればそれでいいと思っていた。

だが、こうして女王と直接、言葉を交わして相手が意思を持ったひとつの命だと感じられた。
だからこそ、できるのであれば平和的に終わらせたい。
多くの犠牲を出してもう手遅れだとしても、手遅れだからこそ、そうしたい。

「私を殺さずどうするというのかね?」
「お前が本当にウイルスを従える女王だってんなら、お前の力で事態を収めることもできるんじゃないのか?」

[HEウイルス]を統べる女王の力をもってすれば、事態を解決できるのではないか。
哉太の考えは、自分自身ではどうしようもない事を理解した丸投げである。
他人任せどころか、元凶である相手頼みの解決策だ。

女王が止めようがないほどの力を付けたからこそ解決できる望みが繋がる。
平和的に解決するにはこれしかないと言う理想論。
この解決策を実行するには女王が応じる必要がある

「…………そう来るか。なるほど言葉は『観えぬ』ものだな」

多くの感染者に協力を呼び掛けてきた女王だが。
まさか自分が協力を呼び掛けられる側になるとは考えてもいなかったようだ。
女王は僅かに驚いたような表情を見せ、僅かに眉をひそめながら視線を遠くにやり考え込むような仕草を見せた。

294Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:21:20 ID:3pow9O3Q0
「我が戦鬼は山折圭介を殺している。それに私も犬山うさぎも殺しているぞ? それでも私の手を取りたいと?」
「……何もかもがいいという訳じゃないさ。けれど、お前が本当に自衛のためやった事だというのなら俺はその行為をこれ以上責めるつもりはない。
 だから、お前がこちらと争う気がないのだとしたら、手遅れという事はないはずだ」

圭介やうさぎを殺した相手だ、もちろん思う所はある。
それが、悪意を持って行われた所業であれば許すことなどできるはずもない。

だが、それが生きるための行為だったのであれば戦場に罪科は問えない。
哉太は茶子の行いもそうだろう。
鉛のように重くとも、それは飲み込むべきだ。吐き出してはならない。
それが、ここから先の未来を諦める理由にはなってはならないのだから。

だからこそ、知らねばらない。
相手がどういう考えを持った人間、いや細菌か。
ともかく、言葉を交わし相手を知らねば斬ることなど哉太はできない。

「甘いな。だが気に入った」

女王は上機嫌そうに笑みを作る。
珠らしからぬ支配者の笑顔に、哉太は悲しそうに目を細めた。

「確かに、私の力をもってすれば貴様の望む結末を用意することも不可能ではない」

第二段階に至った今の女王は活殺自在だ。
[HEウイルス]に対して絶対的な命令権を持つ女王であればその活動も自在に制御できるだろう。
女王にはそれだけの権限と力を持つ。

「なら…………ッ」
「――だが、それは私の目的に反する。
 私の目的は同族たちの繁栄だ。それを自らの手で止めるなどという判断はあり得ないのだよ」

人間への被害を減らすという人間側である哉太の願いは、すなわちウイルスの感染拡大を停止して繁栄を止めるという事だ。
それは受け入れられるはずもない。

「[HEウイルス]の感染拡大は続ける。これは絶対だ。と言うより――――もう実行済みだ」
「なに………………?」

その告白に哉太の目が驚愕に見開かれる。

「村の外に新たに59の女王を生み出している。感染拡大は既に始まっているだろう。
 この流れは私が死のうが止まらない。感染の繁栄は既定事項だ」

既に村外への感染拡大始まっている。
それは感染拡大を防ぐためのこれまでの戦いが無に帰したことを意味している。

「だが、君が望むのならば条件を付けてやってもいい」

女王は言葉を続ける。
哉太を誘い、勧誘を返すように。

「全てとはいかないが、君が望む人間を正常感染者にしてやってもいい。
 人間と[HEウイルス]の共存した君ら正常感染者は我々の理想の落としどころだろう?」

[HEウイルス]の適合は感染者の体質ではなくウイルス側が選択権を持つ。
[HEウイルス]に対する命令権を持つ女王であれば、誰が正常感染者となるかの取捨選択も可能だ。
世界中の人間の生殺与奪を握る神に等しい権利、女王はその選択権を哉太に提示する。

「だめだ、そんな要求には従えない」

だが、一瞬の逡巡もなく哉太は即答する。

「何故だ?」
「俺は救う人間を選ぶような真似はできない」

人は神にはなれない。
人にできるのはその小さな手の届く範囲に手を指し伸ばす事だけだ。
命の取捨択一などやってはならない事だ。

「何より、それじゃあこの山折村で起きたことが別の場所でも起こるだけだ」

数名だけ救ったところで意味はない。
この村を襲った悲劇が各地で繰り返される。
それでは何の意味もない。

「当然だろう。それが目的なのだから。私は山折村を作りたいのさ。私と言う進化の土台を作り上げたこの山折村をね」

自らを生み出し利用した研究所への意趣返し。
世界の支配者を決める女王なりの人間への宣戦布告だ。

295Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:21:57 ID:3pow9O3Q0
哉太は悔しそうに拳を握り絞める。
女王の主張が理解できなかったわけではない。
女王の主張が理解できてしまったのだ。

女王の価値観はあくまでウイルスファースト。
ウイルスの女王としては正しい、正しいが故に人とは相いれない。

人と細菌。
互いに言葉を交わすことが出来ても価値観の違いを浮き彫りしただけだ。
得られたのは、決して分かり合えないという結論だけだ。

「分かり合えないんだな」
「そのようだな、残念だ」

哉太が刀を構える。
それを見て、女王も静かに木刀を構えた。
互いに二刀。合わせ鏡のように構える。

事ここに至ってはもはや是非もなし。
哉太は『女王』を殺す覚悟を決めた。
女王が細菌の繁栄を望むように、哉太は人の存続を願う。
互いに譲れぬ一線が衝突するのであれば、武力をもってことを成す他ない。

女王が扱うは蘇生した聖剣の魂により作り上げた二振りの聖木刀ランファルト。
木刀二刀を持つ限り使い手を剣の達人とする『林流二刀剣術』、あらゆる刃物を使い熟す『神技一刀』。
飛行の術式を剥奪され、女王は地上戦を余儀なくされたが、女王の力をもって引き出した異能の力がある。

これに対するは『八柳新陰流』。哉太の祖父八柳藤次郎を開祖とする対ヤクザを想定した実践剣術。
皆伝に至らぬ未熟の身なれど、八柳新陰流の理念に基づく実戦にて磨かれた技にて女王に対する。
手には宝聖剣の遺志を継ぐ折れた魔聖剣、そして始祖なる巫女の血により生み出された赤き聖刀神楽の二振り。

暗黒の野に静寂が落ちる。
風が凪ぎ、月が雲に隠れ、闇が世界を覆った。
互いの剣気が乾いた空気を張り詰めさせている。

風が吹き草原が波立ち、雲が流れた。
次に月が世界を照らす頃には、既に勝負は始まっていた。

先に動いたのは女王である。
足音も立てず暗黒を駆ける女王。
『暗視』による夜目を生かして、暗闇の中で先手を取った。

振るわれる聖木刀。
二つの異能を乗せた斬撃は余りも鋭く的確で速い。正しく達人の一撃である。
常人であれば暗闇の中、放たれたことに気づくことすらできずに切り捨てられていただろう。

この一撃を、哉太は事も無げに防いだ。
折れた魔聖剣で聖木刀を防ぐと同時に、哉太の右手が奔り赤い閃光が女王を襲う。
だが、女王もまた慌てることなく逆手のもう一振りの聖木刀で払いのけた。
瞬きの間に互いの攻と防が衝突する。

二刀流の利点は手数だ。
攻と防を同時で行え、戻りの隙を逆手の武器で封じられる。
絶え間なき連撃こそが二刀の真骨頂と言えるだろう。

故に必然、二刀流同士の戦いは常に攻防一体となる。
敵の攻撃を見極め防ぐ。敵の隙を見逃さず攻める。
これを隙間なく同時に繰り返す一息の余裕すらない絶え間なき剣の嵐。
一手誤った方が負ける、神経をすり減らす戦いである。

「――――――シッ!」

その打ち合いが30合を超えた所で、女王が仕掛けた。
力任せに叩きつけるように聖木刀を打ち付ける。
技で掻い潜る柔ではなく、防いだところで防御ごと持っていく剛の一撃。

二刀の欠点は軽さだ。
片手であるため両手持ちよりも一撃が軽く、肉は切れても骨は切れない。

だが、その欠点は女王には適応されない。
異能で『剛躯』により引き上げた膂力は片腕でも肉と骨を絶てる。
叩き付けた一撃は防御ごと相手を押し切るだろう。

「うぉぉぉおおおおおお!」

だが、哉太は怯まず押し返す。
哉太は『剛躯』に真正面から力で対抗する。
折れた魔聖剣は刀としては不完全な状態にあるが、内蔵された魔力は健在である。
魔聖剣は哉太を使い手として認めたのか、哉太の体に魔力は通り身体が強化されていた。

そして、押し返すように大きく刃をはじいた。
打ち合いが途切れ、間合いが僅かに開く。
一瞬の間。

296Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:22:28 ID:3pow9O3Q0
それを好機と見た女王が動く。
自ら攻防同時のリズムを崩したのだ。
防御を捨て二刀を攻撃に回す。

聖木刀を合わせるように赤い刃に叩き付ける。
狙うは武器破壊。
魔聖剣をへし折ったように、聖刀神楽を折りにかかった。

だが、哉太は武器破壊を狙ってきた相手の一撃を、柳の如き手首の返しで軽くいなした。
八柳新陰流『空蝉』。
武器破壊など互いの技量に大きな差がない限りは狙って出来るものではない。

「ほっ。やるな。山折圭介のようにはいかぬか」
「馬鹿にするな。圭ちゃんは俺より強かったよ」

圭介も八柳流の心得はあったが、達人の域まで至ってはいなかった。
様々な強敵を超えてきた今の哉太は既に達人の域を超えている。
女王がスキルで得た技量に哉太は純粋な技量によって肉薄していた。

「どこが?」
「心が」

心の強さ。
技量も力量も互角。
勝負を分けるとするならば、それは精神だろう。

哉太は乱れることなく平常心を保っている。
全てが決する決戦に至って気負いもなく、かと言って臆するでもなく戦士として理想的な精神状態を保っていた。
それはきっと、託された多くの想いがこの刃に乗っているからだろう。

対する女王も余裕を保っている。
女王はまだ底を見せていない。
女王が保っているのは哉太とはまた違う種類の遊んでいるような余裕である。
実際、世界を自在にできる女王からすればこんな勝負は遊びでしかないのだろう。

これは明確な油断であり、女王の隙である。
だが、余りに強力な女王に対して、その隙を突ける者など存在しなかった。
これまでだってそうだ。

聖魔剣を操る山折圭介。
隠山祈を身に宿した神楽春姫。
高魔力体質を持ち運命から逃れた天宝寺アニカ。
十二の神獣を操る召喚者、犬山うさぎ。

誰もが女王には届かずその命を散らした。
この山折村において女王は絶対的な強者として君臨している。

「やっぱりお前は女王だよ。戦う者じゃない――――」

だが、哉太はその事実を否定する。

細菌の世を望む女王の展望と実行力は確かに恐ろしい。
だがそれは人間と相容れぬ、人外の為政者としての恐ろしさだ。
戦闘者としては戦鬼の方がまだ恐ろしかった。

これまで女王と対峙してきた者たちは村長や巫女であり戦士ではない。
彼らに対しては優位に立ち回れたかもしれない。
だが技術や能力は取り込んだ力で補えても、生まれたばかりの女王には積み重ねた経験がない。

全力を出したうえで余裕と切り札を持つのと、全力を出さない事は違う。
女王は根本的なところでその戦闘の機微、勝負所を理解できていない。

297Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:23:57 ID:3pow9O3Q0
哉太が動く。
地を這う狼が如く疾走する、八柳新陰流『這い狼』の動き。
それを女王は『暗視』にて捉え、『林流二刀剣術』による達人の業にて対応する。
一刀にて『這い狼』を防ぎ、一刀にて地を這う相手を串刺す構えだ。

だが、地を這う哉太の動きが変わる。
僅かに疾走の軌道を変えると、身を捩じるように大地を蹴った。
それは剛力魔人、気喪杉を相手に見せた曲芸『捩り風』の動きである。

しかし、女王はその動きもしっかりと捉えていた。
逸れた軌道に合わせ『神技一刀』による聖木刀を振り下ろす。

哉太は身を捻りながらその一撃を受ける。
そこから二刀『朧蟷螂』に繋げる、それこそが曲芸『捩り風』の真骨頂。
女王もそう読み切り、一刀を防御に置いていた。

だが、哉太の動きはここからが違った。

攻撃を捨てるように、女王の斬撃を二刀によって受けとめたのだ。
二刀が敵の刃を咢が如く挟み込むと、そのまま身を捩じる哉太の体が加速する。
それは獲物に噛みついた肉を噛みちぎる肉食獣の如く。
挟み込まれた聖木刀が破壊された。

敵の刃を咢が如く挟み込み破壊する。
曲芸でしかなかった『捩り風』を奥義の域に引き上げ完成させた。
その技の銘は―――――八柳新陰流・二刀奥義『狗咬み』

それは無力化を目的とした奥義である。
殺人剣を目指した祖父である藤次郎とは違う、哉太の至った活人剣の境地。

武器破壊は技量に大きな差がない限りは狙って出来るものではない。
つまり、女王と哉太の技量には大きな差あるという事。

異能『林流二刀剣術』は達人の剣を手にできる。
だが逆に言えば、至れるのは達人の域までだ。
達人の先にある剣鬼や剣聖の域に至れば、それを凌駕する事は難しくない。

隠山祈に復活させられた際に、一度『剣聖』の域を体験したからだろう。
ゾンビとなり記憶はなくとも、体が覚えている。
その体感をなぞる様に哉太の技量は達人の域を超え、剣聖の域まで片足を踏み込んでいた。

聖木刀を破壊した哉太は女王の脇をすり抜け背後に回り込んだ。
すぐさま体勢を立て直し、女王へと振り返る。

更に一歩。間合いに踏み込む。
女王も同じく、破壊された聖木刀を投げ捨て彼方へと振り返った。

向かい来る哉太に向かって、一刀となった聖木刀を振り下ろす。
だが、『林流二刀剣術』の効果は二刀でなければ発揮されず、狙いも足運びも素人のそれ。
『神技一刀』振るう刃の鋭さはあれど女王の剣の技量は地に落ちた。

剣聖相手には届かず、振り下ろされた一刀は折れた魔聖剣に絡め取られる。
八柳新陰流『朧蟷螂』。逆手の赤い刃が女王の首を完全に捕らえた。

だが、その刃が首筋で止まる。
女王が何かした訳ではない、哉太に生じた一瞬の躊躇い。
それこそが女王の湛える余裕の源泉。その運命が女王には観えていた。

確かに哉太は『女王』を殺す覚悟を決めた。
たが、日野珠を殺す覚悟までは完全には出来ていなかった。
故にこそ、女王にとってこれは殺し合いではなくお遊びに過ぎなかった。

298Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:24:20 ID:3pow9O3Q0
「チャンバラごっこお前の勝ちだ。満足して死ね」

女王の宣告。
女王の背後に黒曜石の槍が展開される。
一息に数え切れぬほどその数は夜空に瞬く綺羅星の如く。

飛行を封じられたとはいえ、女王には『魔王』の力が残っている。
そもそも、これまでの戦いは魔法を縛って剣士の領分に付き合っていただけなのだ。
だからこそ、不利になろうと余裕があった。

女王が手を振り下ろす。
号令一下。鋭く尖った黒曜石が豪雨の如く降り注いだ。

哉太も咄嗟に身を引くが、その数と速度に圧倒され避けることができなかった。
その鋭い先端が皮膚を突き破り臓腑を穿つ。
槍は次々と哉太の体を貫き、哉太の全身が串刺しにされて行いった。

「流石だな。ここまで生き残っているだけの事はある。即死しなければ回復できると踏んだか、自分の異能をよく理解している」

哉太は全身をなげうってでも脳と心臓を守り即死だけは避けた。
痛みと血の匂いが草原を満たし、少年は絶望の中で息を整えようとした。
だが、その全身は杭に打ち付けられたように突き刺されておりピクリとも動かない。
地面に磔となり動くことすらできない哉太を標本でも見つめるような女王の冷酷な笑みが見下ろす。

「安心しろ。殺しはせん。少なくともお前はな」

言って磔になった哉太に近づく。
すると、哉太の胸ポケットが僅かに動いた。
そこから這い出てきたのは血濡れになった山ネズミだった。

「やはりな。余計な真似をしていたのはお前だったか」

忌々しそうにそう言って、女王はパチンと指を鳴らす。
現れた黒曜石の刃が山ネズミを串刺しにした。

「さて。これでもう余計な邪魔はなくなったわけだ。
 ―――――さあ、共存しようではないか八柳哉太」

地面に張り付けになった哉太の頭に女王の白く細い指先がそっと伸びる。
何をするつもりなのか、避けようのない状況でゆっくりと迫るその指を哉太は朦朧とした目で見つめていた。
だが、その指先が額に触れたところで、ピタリとその動きを止める。

女王が何かに気づいたように顔を上げる。
女王の全身にビリビリとしびれるような感覚があった。
空気が張り詰め、周囲の気温が僅かに下がったようにすら感じられる。

知っている。
これは、殺意だ。

「―――――――――殺す」

ザッと草を踏む足音。
そこに居たのは全身を真っ赤な血で染めた一匹の獣。
バケツで被ったような血濡れ姿で肉食獣の様な嘶きと共に殺意をまき散らす。
立ちふさがる100のゾンビを、愛する者、憎む者を一人の例外もなく殺しつくした。
差別なく、区別なく、平等に、皆殺しにした愛憎の虎。

「ハハッ。恐ろしいなぁ、虎尾茶子」

最強の守護者たる戦鬼は倒れ。100のゾンビは全滅した。
この村にもはや女王を守護するゾンビは1人たりとも残ってはいない。

「……哉くんから離れろ」
「いいとも」

女王はあっさりとした態度で伸ばしていた指を引き、哉太から身を放す。
そして数歩離れたところでパチンと指を鳴らした。
哉太を串刺しにしていた黒曜石の槍が塵のように風に流され消える。

余りにも簡単すぎる開放。
その態度を不審に思うが、ひとまず茶子が哉太に駆け寄る。

「大丈夫!? 哉くん!?」
「っく…………ぁ」

全身が穴だらけになった哉太が痛みに喘ぐ。
穴だらけになった全身の傷は常人であればショック死していてもおかしくはない。
だが、哉太の異能は彼を生かす。傷口は目に見えるほどの速度で回復していく。

即死でない限り生存する哉太の異能。
茶子はひとまず胸をなでおろし、改めて女王へと向き直る。

299Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:24:32 ID:3pow9O3Q0
「やってくれたなバイ菌女。殺すぞ」

哉太と違い茶子の中に甘さなど欠片も存在しない。
一片の容赦なく女王の首を切り落とすだろう。

容赦もなく情緒もなく、放たれるは地を滑る一刀『虎滑り』。
対する女王は聖木刀を構えるでも、魔法を展開するでもなく不動のまま。
達人ではない女王では反応すらできていなかった。

構える隙すら与えず首を落とす。
血で磨き抜かれた虎尾流は、それを可能とする領域まで研ぎ澄まされていた。
女王を斬首する、その確信を得た一撃はしかし。

刃の衝突する甲高い音によって防がれた。

降りぬかれた一刀を横から割り込んだ二刀が防ぐ。
弾かれた衝撃で茶子の体が後方に後退った。

「…………そんな…………」

何が起きたのか。
それを理解した茶子が恐怖で顔を引きつらせながら、いやいやをするように首を振り茶子が後退った。
絶望が立っている。

立ちふさがるのは彼女にとっての最悪の敵。
二刀を構える八柳哉太の姿があった。

立ち上がった哉太は既に全身の穴は完全に修復されていた。
異能にしても傷の治りがあまりにも速すぎる。

「さあ私を守護せよ。私の騎士」

女王は張り付けになった哉太の頭部に触れて脳内の[HEウイルス]に直接働きかけた。
女王(わたし)を守護せよと、ウイルス自身の生存本能に任せるのではなく、明確な意思をもって眷属化を加速させた。

魔王由来の力に抵抗できる『高魔力体質』を持つアニカ。
精神攻撃を跳ね返す『虎の心(リベンジ・ザ・タイガー)』を持つ茶子。
彼女たちと違って哉太の異能はそういった耐性を持たない。

女王が近接戦に付き合ったのはそういった理由もある。
眷属化を加速させるために距離を詰めたのだ。
その影響を押さえていたのが山ネズミだったのだが、それも女王に見抜かれ排除された。

女王の後押しによりその回復力は極限にまで高まっていた。
ある意味でゾンビよりもゾンビらしい不死の騎士。

思考力を奪われるゾンビ化とは違う。
変わったのは、女王を守護るという絶対意志が全てに優先される思考の方向性。

脳を破壊され理性を失ってた大田原とは違う。
元の人格を保ったまま行動原理だけが異なる八柳哉太として、女王を守護する騎士のように八柳哉太が立ち塞がる。


「女王は殺させないよ、茶子姉」




300Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:24:58 ID:3pow9O3Q0
「何だ、何がどうなってる…………っ!?」

ようやく決戦の地に辿りついた天原創が困惑の声を上げた。
駆け付けた創がそこで見た物は、積み重ねたゾンビたちの死体の山。
そして辺り一面転がる死の中心で、衝突する八柳流の龍虎の姿だった。

その光景は仲間割れにしても異様である。
正義感の強い哉太が攻め込み、過激な思考をしていた茶子が防戦一方となっている。
創の印象からして立場が逆だ。

「おや、君も来たのか天原創。役者が揃ってきたかな?」
「ッ!?」

哉太たちを静止しようとしていた創が、その声に弾かれたように向き直る。
目の前で殺し合う仲間を止めるよりも優先すべき事項が現れた。
この状況における最重要人物にして最終目標。
創が出迎えるように現れた少女の正体を告げる。

「女王――――――」
「おや、珠ちゃんとは呼んでくれないのかい?」

そう言って笑う。
太陽を含んだひまわりのようだった日野珠とは似ても似つかぬ毒を含んだスズランの笑顔で。
彼女がそうであることは情報として知っていたが、目の当たりにすると知らず拳に力が入ってしまう。

潜入に来たこの山折の地で共に机を並べ学びあったクラスメイト。
転校生である創を気にかけてくれた少女。
その少女の体がいいように使われているのは得も言われぬ不快感がある。

「彼らに何をした」

創は努めて冷静さを保ちながら、背後で刃を合わせ火花を散らす姉弟弟子について問う。

「何もしていないさ。彼が私を守護しようとしてくれているだけだよ」
「――洗脳能力」

アニカから聞いた声を響かす洗脳能力。
その指摘を受けた女王は心外だと言った風に肩を竦める。

「人聞きが悪いな、君にも聞こえているだろう? 声が。
 これは私を守護しようという彼らの自主的な善意だよ」

彼らとは哉太や創を指しているのではないのだろう。
細菌の女王らしく、正常感染者の頭の中にいる[HEウイルス]たちを個として扱っていた。
ウイルスたちは女王を守護るべく、己が感染者の行動原理を歪めている。

その言葉の通り、創の頭の中にも声が響いていた。
だが異能を無効化する右手の影響か、響く声は小さなものだ。
創の精神力であれば抗うのに問題ないだろう。

「その右手か。厄介な力だ」

言って、無造作に女王が黒曜石の槍を放つ。
下手な狙撃銃よりも貫通力を持つ殺傷兵器は、創が払うように振るった腕に触れただけで簡単に霧散した。
これは互いにとって殺し合いにも満たぬただの確認作業。
粉のようになった黒い魔力の粒子が風に流れる。

「『魔王殺し』。魔王を殺した君の力を私は最も警戒していた」

異能を否定する異能『細菌殺し』。
進化を遂げた今となっては、魔王を否定する『魔王殺し』の異能である。

世界を滅ぼす異界の『魔王』の力に対し。
あらゆる魔法を弾く高魔力体質は防御に特化していたが。
触れた細菌と魔王の力を問答無用で否定する創の異能はより攻撃的である。
細菌であり魔王の力を取り込んだ女王の天敵ともいえるだろう。

301Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:25:18 ID:3pow9O3Q0
「故に、君に相応しい相手を用意することにした――――!」

そう言って、舞台で踊る大女優のように女王は両手を広げた。

「さぁ……全ての魂よッ! 目覚めるがいいッ!!」

女王の呼び声。
それはまるで世界そのものに向けて呼びかけているかのような声であった。
その声に応えるように世界が歪み始める。

「なん、だ…………ッ!?」

思わず創が戸惑いの声を上げる、巻き起こるのはとびっきりの異変だ。
変化はこの場に留まらず、村のいたる所からからあった。
光のない夜を照らすように淡い光が村のあちこちから浮かび上がり始めたのである。

あるいは、それは巣食うものが食い散らかした病院の方向から。
あるいは、沙門天二が無双を続けた木更津事務所の周囲から。
あるいは、気喪杉禿夫が暴れまわった住宅街の一部から。
あるいは、八柳藤次郎が住民を殺しまわった古民家群の辺りから。
そして、虎尾茶子がゾンビを斬り殺した今この場所からも。

光を放つのは死体だ。
周囲にあるゾンビたちの死体で出来た運河からも、淡い光が浮かび上がっている。
グロテスクな死体の海から浮かび上がる美しき光の海。まるで地を流れる天の川のよう。
それは死霊術によって蘇りし魂、尊き命の輝きである。

――――死霊術。
『魔王』の操る死者の魂を疑似的に蘇らせる命を弄ぶ外法である。
肉体と言う枷から解き放たれた1000人の死者と、それに取り付いた[HEウイルス]たちの魂が死霊術によって一時的に蘇った。

美しさと悍ましさが入り混じる。
生命を冒涜する光が幾つもの浮かび上がり夜の地上を輝かせていた。



302Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:26:06 ID:3pow9O3Q0
「what's happening!?」

アニカは空を見上げながら、驚愕と戸惑いの声を漏らしていた。

創を見送ったアニカは願望機の探索を続けていた。
時刻はすっかり深夜に入り、彼女の進む道筋を星が照らす。
地の光がないためか、都会では考えられないほど満天の星が輝いている。
地上の地獄など忘れてしまいそうになる程の美しい空だった。

だが、それを塗りつぶすような光の束が唐突に村中に出現したのだ。
その光の奔流がどこか一点に向かって流れてゆく。
まるで地上を流れる流星群である。

アニカは異様な空を見上げる。
明らかにまともな現象ではない。
何か異常な事態が起きている。

「………………?」

だが、アニカは見上げる空に一つの違和感を覚えた。
まともなことなど一つもない、異常だらけの空に違和感を見出す。

それは輝く一等星。
流星群の中に一つだけ動かない星がある。
星が動かないのは当たり前の事だが、遥か宇宙の先にある本物の星とは違う。
何故なら、その星は流星群より低い位置にある。

なにより、あんな星をアニカは知らない。
星に詳しいわけではないが21の一等星くらいは把握している。
その中で、あんな位置にある星は存在しないはずだ。

夜空に瞬く星座はそう簡単に変わるものではない。
Z計画の発端となった超新星爆発の影響かとも思ったがそうではないだろう。
知らない星が山折村を照らしている。
その事実に全身が総毛立つ。

「―――――――Starじゃない」

失せ物探しに役立つだろうと、創に譲渡された双眼鏡で確認する。
双眼鏡のレンズ越しに、夜空を見上げた。
流星の光に紛れ見えづらくなっているその星の正体が移る。

それは、星ではない。
遥か宙に浮かぶ『願望機』だった。

女王の体から夜空に打ち上げられた願望機は地上に落下することなく夜の空に留まり地上を照らしていた。
そして綺羅星のように地上を明るく照らす一助となっていたのだ。

最大の懸念である『願望機』は発見できた。
発見できたが。

「………………どうやってcatchすればいいの?」

本物の星より近いと言えども、願い星は手の届かぬ遥か上空にありて。
小さな人の身を嘲笑うようにキラキラと輝いていた。



303Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:26:34 ID:3pow9O3Q0
「魂たちよ、集え! 女王の下に――――――!!」

女王は高らかに叫び、手を空に向けて広げる。
女王の呼び声に応じて、村のあちこちに浮かぶ光の粒が一つの大きな流れとなって集まり始めた。
魂たちはそれぞれの場所から解き放たれ、まるで誘われるように空を舞い、共鳴し合うように一つの場所へと収束していく。

次第に一つの流れとなるその光は、美しき流星群だ。
女王の掲げる手の上に星々が集まり一つの銀河を形成するかのように輝きながら、その周囲を渦巻くように回転し始めた。
まるで彼女自身が中心に位置する銀河のよう。
その光の渦は次第に速度を増し、輝きも一層増して行く。

「……ふむ。村の全員と言うには少し足りないようだ。まあいい。君をすり潰すには十分だろう」

集合した魂を見つめながら女王はごちる。
女王が操れるのは復活させた純粋なる魂。
既に厄へと落ちた魂は『イヌヤマイノリ』の力が失われたため操作はできない。
それ以外にも1割ほど足りない、別の理由でどこかに持っていかれている。

「混じり合い一つになるのだッ! 山折村の魂たちよ!」

集まり始めた魂に女王が命じる。
第二段階に至った女王は『魂を繋ぐ力』を得た。
それは魂の操作と融合を可能とする力。

魂の融合は全ての魂が混在する『Zの世界』の試運転としても有用なはずである。
何より、出来るようになったのだから試してみるべきだ。

かき集めた魂を粘土のようにこね合わせる。
個々の魂は次第にその輪郭を失い、一つの巨大な光の球体へと変貌されてる。

まるで地上に浮かぶもう一つの月のようだ。
天の光が見えなくなるほど、地の光は輝き始める。

その光は次第に凝縮され、徐々に球体から形を変え始める。
まるで光の胎盤から生れ落ちるようにそれは誕生した。

――――――巨人。

生まれたのは、そう表現するしかない周囲の山々にも負けぬ大きさの人型だった。

「なんだ……これは……?」

創の声が震えた。
目の前に立ちふさがる巨人はただの敵ではない。

『魔王』の操る『死霊術』と『女王』の操る『魂を繋ぐ力』。
その組み合わせによって村の全ての魂が融合し一つの存在となった山折村そのものと言っていい存在だ。
巨人の身体はまるで光の粒でできた彫像のように美しく、その内側には無数の魂たちが共鳴し合う光の流れが見える。
異能ではなく魂の塊である以上、創の異能を持っても打ち消すことはできないだろう。

光の巨人が一歩踏み出す。
それだけで地震のように大地が揺れた。
1000の魂を一つとした、国造りの妖怪ダイダラボッチを思わせる超物量。
その巨大な手を振り下ろすだけで、人間など一撃でミンチにできるだろう。

最大にして最強の番人。
誰がどう見ても、もはや人間にどうこうできる次元の相手ではない。
だからと言って、逃げるわけにもいかない。

創はその巨大な存在感と圧倒的を前に立ち向かう覚悟を決める。
どう立ち向かうべきか、答えを見つけなければならなかった。
その勇気をあざ笑うかのように、女王が高らかに宣言する。


「さあ―――――この村最後の戦いを始めようじゃないか」

304Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:27:09 ID:3pow9O3Q0
投下終了です。
最終回(後編)は3週間にちょっとお暇をいただきまして

8/5(月) 00:00:00

頃の投下になる予定です。
よろしくお願います。

305Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:29:48 ID:3pow9O3Q0
あと、状態票がありませんが時間帯は【真夜中】としてwikiに登録します

306 ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:00:41 ID:CAQRuEHA0
お待たせいたしました。
これより最終回(後編)の投下を開始します。

307Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:01:36 ID:CAQRuEHA0





終りの先に何があるのか。







308Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:02:15 ID:CAQRuEHA0
都会の夜はまるで無数の星々が地上に降り立ったかのように煌びやかだ。
ネオンの光がビルの壁面を彩り、車のヘッドライトが途切れることなく続く。
人々の笑い声と音楽が交じり合い、街全体が生きているかのような活気に満ちている。
高層ビルの窓辺に映る無数の灯りは、まるで星空の反映のように瞬き夜空の輝きを霞ませる。
人の手による発展は輝きを天より地に落とした。

一方、田舎の夜は全く異なる趣きを持っていた。
人々の生活音はほとんど聞こえず、周囲にはどこか安らぎのようなものが広がっている。
遠くの山々から虫の音が微かに響き、風が草木を撫でる音が静寂を際立たせる。
空気は透明なまでに澄み渡り、空には数え切れない星々が輝きながら浮かび上がっていた。
雄大な自然は宝石のような輝きを天に際立たせていた。

この山折村はその狭間に立たされている。
開発の手が入った田舎町は都市部と山間部に二分され、双方の価値観が入り交じる混沌期に突入していた。
都会と田舎。現世と異界。生と死。二つの異なる世界が交差する境界線。
それがこの山折村だ。

そして今宵の山折村はまったく異なる様相を呈していた。
夜を彩るのは星々ではなく、淡く光る死者たちの魂の奔流。
その輝きは都会の夜とも田舎の夜とも全く異なる幻想の光。
魂たちの光が大地を照らし、夜の闇を穏やかに染め上げる。

まるで過去と現在が交錯する泡沫の夢のような。
幻想的でありながら幽世の景色のようで、どこか恐ろしい光景だった。

死者たちの作り上げた幻想の夜。
村中に浮き上がった魂の奔流は、たった一人の少女の下に集まっていた。
光を集めるのは、魂を繰る細菌の女王[HE-028-Z]。
掲げた手に光は集約し、山折村を揺り籠にした光の胎盤より巨人が生まれ落ちた。

地鳴りを上げて光の巨人が起立する。
空を覆い尽くすような巨体からは影すら落ちなかった。
何故なら、この巨人こそこの世界の新たな光源。
月よりも明るい太陽を得て、夜の草原は昼よりも眩く輝き始めた。

そんな死者の光に照らされる草原に、生者が二人対峙する。
女は悲壮を、男は覚悟を、その顔に貼り付けながら、互いに構えた剣を向け合う。
互いの目に映るのは互いの姿だけ。彼らには周囲の異変などまるで目に入っていなかった。
何故なら彼らはそれどころではない。
他に目を向けている余裕などあるわけがなかった。

一刀と二刀の違いはあれど、その構えには共通した理念を感じさせる。
それもそのはず。彼らは同じ八柳流の道場で共に汗を流し、同じ技を磨いた同門なのだ。
共に神童と呼ばれた八柳流の双翼が、磨き抜いたその技術を互いに向けていた。

一瞬の閃光を散らしながら金属が衝突する。
剣をぶつけ合う互いの心に、かつての日々がよぎった。
同じ道場で汗を流した訓練の日々の中で彼らは絆を含めていった。
哉太は茶子を慕い、茶子も哉太を愛した。
友人としても姉弟弟子としても理想的な関係を築けていた。

だが、今は違う。
哉太は女王を守るため、茶子は女王を殺すためにここに立っている。
目的が相反するのなら命を懸けてぶつかり合うしかない。
この運命の夜、二人は互いに剣を向け合わざるを得なかった。

「やめてッ哉くん! あなたは女王に操られているのよ!?」
「茶子姉こそ、女王を殺そうだなんてバカな真似はやめてくれ」

互いの主張と共に幾つもの弧を描きながら剣が舞う。
金属のぶつかり合う音が楽器のように草原に響き渡る。
舞い散る火花と、刀身が白い光を跳ね返して輝きを放ち、まるでどこかのテーマパークのようだ。

姉弟子である虎尾茶子は、怯えるような瞳で剣を防ぐ。
恐れているのは自らに迫る刃ではない。
彼女の目の前に立ちふさがるのは最愛にして最悪の敵。

茶子の中に沈殿する狂おしいまでの愛と憎。
彼女は誰よりも愛情深く憎しみも深い。
憎悪をなくせば愛情だけが残る幸せな世界。
そのはずだったのに、何故か目の前で愛が牙を向いていた。

茶子は悔しげに音を立てて奥歯を噛みしめる。
道場での修行の日々、共に過ごした時間、その全てが彼女にとって宝物だった。
僅かに残った黄金の欠片がどす黒い斑点に汚されてゆく。

なぜこうなったのか。
元凶は考えるまでもない。
村を侵したウイルスの親玉――女王だ。
感染者の頭に響く卑劣な声によって哉太の意志は捻じ曲げられ、こうして望まぬ戦いに身を投じさせられている。

309Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:02:40 ID:CAQRuEHA0
「………ぁんの腐れ細菌女がぁあ! 絶対に殺してやる…………ッ!」

許し難い女王への殺意を募らせる。
今の彼女にできるのはそれくらいのものだ。
だが、忠実なる女王の騎士はそれすらも許さない。

「いくら茶子姉でも、女王への無礼は赦さない………………!」

弟弟子である八柳哉太は、主君のために姉弟子に向けて二刀を躍らせる。
眷属化。感染者は女王に従う忠実な眷属となる。
今の彼にとって女王の守護は何よりも優先される。
家族よりも、恋人よりも、大切な姉弟子よりもだ。

だからと言って哉太も辛くない訳ではない。
眷属化により女王の守護が最優先されるようになっただけで、八柳哉太としての価値観が全て失われたわけではない。
哉太からしても慕っていた姉弟子が、何よりも大切な女王を狙う不逞の輩だったのだ、思う所はある。

だが、女王への献身は全てに優先される。
己が血も肉も心も、全ては女王の物だ。
哉太は内心の葛藤を押し殺しながらも剣を振るう。
彼には大切な姉弟子を切り殺してでも女王の守護は成し遂げる覚悟がある。
それが望まぬ戦いであろうとも、攻め手を休めることはない。

覚悟を決めた哉太とは対照的に、茶子は後方に後退りながら防戦に徹していた。
茶子も自分自身が及び腰になっているのが分かる。

100人斬りを達成した剣の鬼は恐れていた。
立ち塞がる敵の強さをではない。
自らの敗北による死でもない。

恐ろしいのは自分自身。
それがどれだけ大切であろうとも。
どれだけ大事だったとしても。

きっと、茶子は殺せてしまう。

ひとたびスイッチが入れば誰であろうと斬り捨てられる
親友だろうと、恋人だろうと、恩人だろうと、一切の区別なく。
立ち塞がった100人のゾンビたちのように、何の感情もなく切り捨てられてしまうだろう。

茶子はそんな風に出来上がってしまった。
そんな風に、壊れてしまった。

自分自身がとっくの昔に壊れていることなど知っている。
これまでの人生を振り返ってみても、まともでいられる方がどうかしてるような人生だ。
そんなことは分かっている。

壊れて穢れて終わってしまった自分は間違い続けるだろうけど。
それでも大切な物や大切な人が出来たんだ。
それを守りたいと思う事すら罪なのか?
幸福を求めて、幸せになりたいと願う事すら許されないのか?

そんなはずはないと。
そうではないと、自分自身を何よりも否定したい。
それを否定するためにがむしゃらになって走り続けた人生だった。

だけど、
だからこそ、
何よりも怖い。
自分が恐ろしい。

――――こんなに大切にしている山折村だって、自分は切り捨てられてしまうのではないか?

「…………ッ!?」

金属と金属がぶつかり合う衝撃が茶子の手に伝わる。
手の痺れるような衝撃に意識が強制的に引き戻された。

茶子の体は無意識のうちに哉太の攻撃を防いでいた。
ゾンビとなった特殊部隊と同じだ、心が引けていても体が反応する。
誰よりも憎んだ藤次郎によって叩き込まれた日々の鍛錬と刀が茶子を守護っていた。
だが、それだけで何時までも逃げていられるほど甘い相手ではない。

茶子の迷いを突くように、哉太が一歩前に踏み込んだ。
一切の無駄がない滑らかな足運び。
八柳新陰流の基本を完璧に身につけた動きだ。

八柳新陰流『鹿狩り』
鹿を一撃で狩る鋭く重い斬撃を繰り出す、大きな力を込め相手の急所を狙う一撃必殺。
相手の防御を突き破る強烈な一撃を二刀同時に叩きつける。

しかし、茶子とて八柳新陰流の同門。その動きは知り尽くしていた。
事の起こりを読み切り茶子の体が反応する。

衝突する三つの刃。
剣が交わり火花が散った。
輝く草原に刹那の光が弾けて消える。

八柳新陰流『鹿狩り』の衝撃を『空蝉』にて受け流す。
過去の手合わせではこの手法で何度も防いできた。
完全な防御であったはずだった。

310Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:03:54 ID:CAQRuEHA0
「…………ッ!?」

だが、茶子の体勢が崩れる。
受け流したはずの攻撃が止まることなく降りぬかれる。
茶子の防御は完璧だったが、哉太の力がそれを凌駕した。

受け流しとは100の攻撃を0にする技術ではない。
100の攻撃を80の力を流し、受けきれる20の力に軽減する技術だ。
撃ち込まれた『鹿狩り』は『空蝉』で受け流してもなお、茶子の体勢を崩すだけの重さを持った痛烈な一撃だった。

この地で強敵との度重なる実戦を経て哉太の技前は剣聖の域にまで達した。
奥義を開眼し皆伝に至った哉太は、今や茶子に引けを取らぬ技量を持った使い手と言えるだろう。

互いの技量は互角、ならば明暗を分ける差は純粋な肉体面だ。
満身創痍の茶子に対して回復の異能により常に哉太はベストコンディションを保てる。
加えて、魔聖剣による身体強化によってフィジカルでは完全に茶子を圧倒していた。

もはや茶子にとって哉太は未熟な弟弟子ではなく、格上の相手となっていた。
逃げ腰のまま勝てる相手ではない。
このまま戦う意思を見せなければ死ぬのは茶子の方だ。

「茶子姉…………ッ!!」

体勢の崩れた茶子に向かって赤い剣が奔る。
哉太とて無抵抗の姉弟子を切り殺すのは心苦しい。
だが今の哉太は忠実なる女王の騎士、心苦しくとも剣は鈍らない。

茶子の目の前に死が迫る。
別に生きたいわけじゃない。
汚泥の底を這うような最低の人生だった。
生きること自体に大した未練などない。

だからと言って死にたいわけでもない。
茶子には成すべきことがある。死んでも成し遂げたい夢がある。
自分を救ってくれたこの村を綺麗して、自分の様な誰かを救いあげる。
それを成し遂げるまで死ぬわけには――――。

「――――私は……まだッ!!」

茶子の体が跳ねた。
崩れた体勢を立て直すのではなく、倒れ込みながら降りぬかれた聖刀の下を潜るように自ら跳んだ。
そのまま横回転をしながら、二刀の隙間を縫うように剣を跳ね上げる。
倒れ込んだ体勢で縦に跳ね上げる『蠅払い』を崩した、曲芸『逆風車』が哉太の胴に縦一文字を刻む。

「……くっ」

哉太がたたらを踏んで後方に下がった。
左の腹部から肩にかけて刻まれた傷口から血が噴き出す。
だが、その傷も強化された異能によってすぐさま塞がって行く。

「ようやくッ。まともに戦う気になったか、茶子姉ぇ!」

猛るように吠える哉太の言葉には歓喜の色が含まれていた。
望まぬ戦いであるとしても、一方的な虐殺ではなく剣士として尋常な勝負ができる。
愛する姉弟子との戦いだからこそ、二人の決着はせめてそうあるべきだ。

「ハァ……ハァ……………私は」

心臓の鼓動が聞こえる。
渇きに喉が張り付く。
眼の多くが燃え上がるように熱い。

ああ、そうだ。
目的の前に立ちふさがるのなら、茶子は、きっと。

乱れた息を整える事もせず、刀を構える。
対する哉太は一糸も乱さぬ静かな呼吸で天地に二刀を構えた。
動と静。熱と冷。炎と氷。恐らくこれが互いのベストコンディション。

示し合わせたように同時に駆け出す。
そして、互いの剣が、ぶつかり合おうとした刹那。
横で行なわれている戦闘の余波で地面が爆ぜた。



311Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:04:25 ID:CAQRuEHA0
死で輝く草原にて、八柳流とは違うもう一つの戦いが行われようとしていた。
女王の守護者は騎士である八柳哉太だけではない。
女王には最強、いや最大の護衛がいる。

不気味な静寂が漂う光の中心に起立するのは、圧倒的な威圧感を放つ巨人ダイダラボッチ。
山折村の死を凝縮して生まれた魂の集合体。
全身を輝かせる光の渦が脈動しながら表面を渦巻いていた。
それは清廉な光でありながら、神々しさよりも冥界を思わせる寒々しさを感じさせる。

巨人に対するは魔王殺し天原創。
政府の諜報組織に才覚を認められた若き天才エージェントである。

だが、そんな肩書がこの場においてどれほどの役に立つだろうか。
巨人とは比べるべくもない、悲しくなるほどのサイズ差を前にすれば天才もただ小さな少年でしかない。

しかし、まだあどけなさを残した少年の顔に浮かぶのは諦めではなかった。
その眼には勝利を諦めない強い意志が宿っており。
頭の中ではどう戦えばいいのかシミュレーションが続けられていた。

創が駆け出す。
巨人の手は創の身長よりも遥かに大きい。
振り下ろされてから動いたのでは避けようがない。
この勝負、足を止めた時点で終わりである。

眩いばかりの標的を視界の端に収めながら、斜めに遠ざかるように全速力で駆け抜ける。
殆どバック走のような体勢でありながら下手な陸上部なら追い抜けるほどの俊足である。
そんな体制で止まることなく創はスタームルガーを構えた。
ダブルアクションのレッドホークを流れるように連続で撃ち込む。

重なるように3つの銃声が響く。
3連射された44マグナム弾は全弾命中。
もっとも、これ程巨大な的であれば素人でも外しようがない。
着弾した弾丸が巨人の足の表面をわずかに弾けさせた。

だが、その傷は蠢く光の渦が脈動し、見る見るうちに修復していった。
硝煙を置き去りにしながら落胆するでもなく創は冷静に結果を分析する。
分かっていた事だが、やはり大型獣すら屠り去る大口径も豆鉄砲ほどの効果もないようだ。

やはり、切り札になりそうなのは右手に宿った異能だ。
と言うより、それ以外に効果がありそうな武器が創にはない。

振り下ろされた巨人の手に合わせて触れることはできるだろう。
だが、巨人はこの村で死した魂の集合体である。
純粋な魂は創の右手で消し去れるとは思えない。

希望的な観測をするならば、魔王の力である死霊術を打ち消すことが出来るかもしれない。
だが、失敗すればミンチどころの騒ぎではない。
いや、成功しても最悪、衝撃で創の体は潰されひき肉となるだろう。
やはり質量差がありすぎる、触れた時点でおしまいだ。

撃ち込まれた弾丸を全く意に介さず、巨人が一歩を踏み出した。
まるで山そのものが動いているかのように、それだけの動作で空気が揺れ、轟音が響く。
その一歩が地に落ちると地震のように地面を揺さぶり、草原に巨大な足跡を刻んだ。

そうして、踏み込んだ巨人は山のように巨大な拳を真上に振り上げた。
緩慢な動きに見えるが、それはサイズ差による錯覚に過ぎない。
光を帯びた拳が高速をもって振り下ろされる。

瞬間、まるで轟雷のような空気が裂ける音が鳴り響いた。

光が降り落ちる様はまさしく神の雷である。
空気の壁を打ち破りながら、巨人の拳が地面に叩きつけられた。
その一撃によって地面に衝撃波が広がり、深い亀裂と共に大地を砕いて地形を一変させる。

駆け抜ける創の俊足はその拳の範囲から既に逃れていた。
だが、それでも周囲に伝播するその余波だけで創の体が宙に吹き飛ばされる。
まるで天災のように破壊の限りを尽くす、まさに破壊の化身だ。

草原に投げ出された創は受け身を取りすぐさま立ち上がる。
そして止まれば負けだと言わんばかりに一瞬の迷いなく再び駆け出した。

だが、その顔には若干の焦りの色が浮かんでいた。
ここに来るまで、対女王の準備はしてきた。
しかし、光の巨人は白兎との戦力分析(スカウティング)では登場しなかった要素である。
創にとっても完全なる想定外だ。

312Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:04:51 ID:CAQRuEHA0
いや、想定していたところで何ができたというのか。
あまりにも規格外すぎる。
この怪獣を相手にするには戦車や戦闘機が必要だろう。

目算でも巨人の大きさは50メートル以上はある。
ちゃちなナイフや銃も通用するわけがない。
ヘラクレスでもあるまいし巨人相手に格闘戦など問題外である。
歩兵では戦いにすらならない。

ならばと、創は狙いを変える。
止まることなく駆け抜けながら再度銃を構える。
しかし、今度の銃口の先にいるのは巨人ではない――――女王だ。

直接女王を討つ。
創たちの勝利条件は女王の討伐である。
巨人を無視しても女王さえ打ち取れればそれで勝ちだ。

創は照準の先にある同級生の顔に向けて躊躇うことなく引き金を引く。
だが、放たれた弾丸は女王に届くことなく、上空から差し込まれた巨大な掌に防がれた。
巨大な指の間から見える女王の表情は、何をしようと届かないと言わんばかりの不敵な笑みを浮かべていた。

「…………ちっ」

舌を打つ。
やはり、いきなり王将は取れないようだ。
女王を討伐するにはまず光の巨人を打ち倒す必要があるようだ。
分かりきっていた事だが、珠らしからぬ顔をする女王の態度はむかついた。

「では、ここは任せる。存分に遊べ、我が僕たち」

言って、女王が踵を返して歩き始めた。
この場を立ち去ろうとする女王がどこに向かうのか。
アニカから経緯を聞いている創にはすぐに分かった。
失った願望機の回収。つまり、同じ目的で動いているアニカが危ない。

「ッ! 待てッ!」

すぐさま創がその後を追おうとするが、山のような巨体が間に立ちふさがる。

「くっ…………」

その圧力に後退を余儀なくされる。
その隙に、女王の姿は輝く草原から離れて行き、闇の中に消えていった。
それでもなお女王の後を追うとする狼藉者に巨人が手を振り上げる。

その動作は、先ほどまでとは僅かに違った。
振り上げた手はグーではなくパー。
拳ではなく広げられた掌が蠅でも潰すみたいに地面に叩きつけられる。

空気が炸裂する。
作り出された巨大なクレーターから衝撃波が輪のように広がり、砕け散った地面が波のように隆起する。
なんとか直撃を逃れた創の体は、その破壊の津波に飲み込まれた。

だが、創はその流れに逆らわなかった。
逆らうのではなく自ら流れに乗る様に、地面の隆起に合わせて跳躍した。
発射台から打ち出されるように大きく宙に吹き飛ばされながら、創は身を捻って周囲を見渡す。

砕ける大地の破片が視界を横切る。
常に視野は広く、頭だけは何があっても冷静に。
それが創の叩き込まれたエージェントの在り方だ。

圧倒的な障害を前に、戦略を練り直す必要があった。
巨人の攻撃を避けるだけではいつか疲弊して捕まってしまう。
何か突破口を探すべく、空中で鷹の眼の如く大地を見つめた。

草原にあったのは離れた位置で破壊の余波を浴びながら、それでも止まらず剣を合わせる八柳流の剣士たち。
創には光の巨人が立ちふさがり、茶子も哉太に足止めを喰らっている。
巨人と騎士に足止めを喰らい、女王の後を追えるものはいない。
状況を打開するには、これを解決する必要がある。

313Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:05:18 ID:CAQRuEHA0
「……ッ!」

創は地面を転がりながら着地して、流れるように立ち上がると同時に駆けだした。
無傷ではない、全身に隠しきれないダメージがある。
だが、止まっている場合ではない。

これまで決して逸らさなかった視線を切って、完全に巨人に背を向けて駆け出す。
巨人がその動きを追うように一歩踏み出す。
それだけで創の背後の地面が大きく揺れた。

創は巧みなボディバランスで地震の中を構わず駆け抜ける。
満員電車を全力疾走するかのように。
どこかを目指すように一心不乱に前へ。

だが、創を背後より照らす光の様子が僅かに変わった。
これは光源たる巨人の体勢が変わった事を意味している。
そこに無視してはならない不審な気配を感じとり、創は首だけを背後に返した。
その目が大きく見開かれる。

振り上げられた腕は真上ではなく、捻りを加えた斜め横に掲げられていた。
つまり、次なる一撃は振り下ろしではなく薙ぎ払い。
降りぬかれる巨人の腕は創の疾走よりも圧倒的に速いだろう。
次に腕を振り抜かれた瞬間、創は確実に終わる。

終わりを告げるように、轟と風を切る音が響いた。
一帯を薙ぎ払う巨大な腕に逃げ場などない、人間の足では回避は不可能。
押し出された塊のような風圧が、創の体に叩きつけられる。

だが、薙ぎ払われるはずだった強大な光腕は、創に触れる寸前でピタリと静止した。

その原因は創の向かう先にあった。
駆け抜ける創が向かったのは巨人の下でも、ましてや女王を追った訳でもない。
その足の向かう先には刃を交える2人の八柳流がいた。
より正確に言うならば、ダイダラボッチと同じ女王の守護者である八柳哉太がいる。

大範囲のダイダラボッチの攻撃に哉太を巻き込んで守護者同士を潰し合わせる。
それが創の目論見だろう。

だが、ダイダラボッチは木偶ではない。
同じ女王の守護者たる哉太の姿を認め、創の狙いを読んで自ら攻撃の手を止めたのだ。
創の目論見は失敗に終わった、かに見えた。

ダイダラボッチの手が止まろうと、創の動きは止まらなかった。
急停止した腕の風圧に押し出されるようにして、光る腕に照らされ輝く草原を飛ぶように駆け抜ける。
そのままの勢いで激しく剣を合わせる剣劇の渦中に突っ込んでゆく。

それはちょうど、茶子と挟み撃ちのような形になる哉太の背後を取れる位置である。
互いしか見えていない視野狭窄に陥っている八柳流の二人に視野を広く持った創が突撃した。
2対1でまずは哉太を潰す。それこそが創の真の狙いだ。

「創……………ッッ!!」

だが、哉太がこれに反応する。
2対1であろうとも対応できるのが二刀の強みだ。
鍔迫る一刀で茶子を抑えこみながら、向かい来る創へと赤い聖刀を振り下ろさんとする。
片手であろうとも、剣聖に至った哉太はその一撃を外すまい。

駆ける創に向かって斬撃を合わせる。
迫る創と哉太の斬撃が交差せんとする、その寸前。
創が哉太と鍔迫りをしている茶子に叫ぶように呼び掛けた。

「一瞬でいい! 動きを抑えてください!」
「ッ!?」

茶子が鍔迫りをしていた刀同士を突き合わせながら、絡めるように指を伸ばした。
指取りにより相手の動きを一瞬だけ制する合気技、八柳流『小鳥枝』。
哉太はすぐさま固められた指を解いて振り払うが、一瞬の隙を作るにはそれで十分。

その隙を突いて鬼ごっこやカバディのように、すれ違いざま創が素早く右手で哉太の頭部にタッチした。
攻撃にも満たぬ、ただ触れただけの軽い接触。
だが、ただそれだけで、無敵の耐久力を誇る哉太が意識を刈り取られたようにその場に膝から崩れ落ちた。

眷属化は脳内にあるウイルスの女王を守護らねば自分が死ぬという生存本能に影響されたものである。
ゾンビの一時的に意識を昏倒させたように、ウイルスの動きを一時的に停止させた。
眷属化された哉太の意識はウイルスたちと共に活動を停止した。
風圧に押されそのまま哉太の脇を駆け抜ける創が、通りすがりにガンホルスターを茶子に向かって投げ渡す。

「拘束を!」
「……ッ!」

端的な指示に反射的に反応して、受け取ったガンホルスターを使って茶子が意識を失った哉太の手足をきつく縛りあげた。
同時に、哉太の手から地面に落ちた聖刀神楽と折れた魔聖剣を回収する。

拘束を完了した茶子が大きく息を吐く。
創の機転により哉太の制圧が完了して望まぬ戦いから解放された。
安堵と先ほどまでの冷めやらぬ興奮が混じった複雑な吐息だった。

314Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:05:49 ID:CAQRuEHA0
ダイダラボッチは戸惑うようにその様子を見つめる事しかできずにいた。
象が蟻を踏み分けることなどできないように、ダイダラボッチにとって周囲を巻きこみかねないその大きさは最大の弱点だ。
哉太が周囲にいる限りダイダラボッチは攻撃を躊躇せざるを得ない。
だが、それも長くはもたないだろう。
女王を守護するためなら、同じ守護者を殺してでも構わないという決断に至るまでのわずかな猶予だ。

「茶子さんは女王を追ってください」

その猶予の間に創は茶子へと指示を出す。
茶子の中で女王への殺意は滾っている。
何より、哉太を元に戻すには女王を殺すしかない。
その機会を果たせる要求は茶子にとっても望むところだ。

「だが、どこに向かったってんだ?」
「おそらく、リンさんの所です…………!」

アニカはお守りを回収するためリンの死体がある診療所に向かったはずだ。
リンの名を聞いた茶子が胸を押さえて苦悶するように表情を歪める。

「………………何で分かる?」
「リンさんの持っていた御守りが願望機を発動させる鍵なんです。アニカさんもそれを探しています」

女王とアニカの間で願望機を廻る争奪戦が行われている。
下手をすれば、願望機とそれを発度する鍵を女王が取り戻してしまう。
その言葉だけでそこまでは理解した。

だが、それはつまりリンの下に戻ることになる。
それを考えただけで、どうした訳か茶子の体からは脂汗が滲み動悸が早くなる。
目を背けてきた事実と向き合うことを意味していた。

「急いで…………ッ!」
「くっ……ッ! 分かったよ!」

創の言葉に押し出されるように茶子が駆け出した。
状況は差し迫っている。
女王を追うべきだと言う創の意見は反論の余地はないほど正しい。
女王に願望機を渡してはならないという目的意識が茶子の足を突き動かした。

だが、その去り際、思い出したように振り返り、創へと何かを投げ渡した。
咄嗟にキャッチしたそれは創が渡した発信機だった。

「…………あたしは、その光を辿ってその途中で女王と遭遇した。後は上手くやれ」

それだけを告げて、光から遠ざかるように暗闇の中に向かって行った。
その背を最後まで見届けることなく創もその逆側に向かって駆け出す。
女王を追う茶子の支援のためにダイダラボッチを引き付ける必要がある。

「こっちだデカブツ、追ってこい!」

挑発しながら駆け出す創を追って巨人が動く。
体よく攻撃を躊躇わせる囮に使いはしたものの、出来るのなら哉太が潰されるのは創としても避けたい。
巨人の気を引くように銃弾を撃ち込みながら、哉太から離れる。

女王を追う茶子よりも女王に命じられた創の抹殺を優先したようだ。
その地鳴りを合図に巨人と少年の追いかけっこが再開された。

こうして、茶子は女王を追い、創はダイダラボッチを引きつけるべく走り去った。
誰もいなくなった草原にしばしの静寂が訪れる。

女王を追う茶子を巨人が見逃した理由。
細菌殺しを持つ創の方が女王にとって脅威であったというのもある。
だが、それ以上に理解していたからだ、茶子の相手はもう一人の守護者がする、と。

遠ざかる巨人の足踏みに揺れる草原。
既にこの場を去った2人に気づくことなどできるはずもないのだが。
この場に拘束されていたはずの哉太の姿は、いつの間にか草原から消えていた。



315Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:06:45 ID:CAQRuEHA0
アニカは一人夜空に浮かぶ星を見上げていた。
それは夜の星に思いを馳せるなどと言うロマンチックな理由ではない。
あの星こそがこの村を終わらせるための願望機、願いを叶える願い星なのだから。

この村にこれまでにない異常が起きていた。
先ほどまでアニカの周囲を流れ星のように謎の光が流れていた。
地を這う流星群は一か所に収束され、そこから数キロ離れた遠方からも目視出来る光の巨人が生れ落ちた。
この夜に浮かび上がるように光り輝く巨人は遠近感を狂わせ、すぐそばにいるような錯覚を齎す。

この村でこれ程の異変を起こせるものなど、アニカの知る限り一人しかいない――女王だ。
恐らく、哉太や創が彼女と戦っているのだ。
あの巨人はそのために産み落とされたものだろう。

一体何が起きているのか。
真実を求める探偵としての知識欲が、詳細を確かめに行きたい気持ちを沸き立たせる。

だが、対女王に関しては創に任せた。
アニカが今行うべきは願望機を回収して山折村を正しく終わらせることだ。
それこそがアニカに課せられた課題であり、最大の難題である。

アニカは標的を見上げた。
目測では測りづらいが、少なくとも100mは離れた遥か上空に願い星は浮かんでいる。
アニカの異能テレキネシスは周囲の物体を動かす能力だが、空を浮かぶ願い星はその遥か射程外だ。
仮に届いたところで、どう固定されているのか理屈が不明である以上、引き寄せられるかもわからない。

やはり何らかの飛行手段が必要だ。
飛行。と言う言葉にアニカの脳裏に浮かぶのは女王に連れていかれた高所の光景。
上空に浮かぶ願い星も飛行手段を持つ女王であれば簡単に回収可能である。

そうなっては存在を懸けて願望機を奪取した白兎の覚悟が無駄になってしまう。
この問題は後回しにできない。

この場で回収する手段を考えなければならない。
何か手段はないか。アニカは頭をフル回転させ方法を模索する。

例えば、遠方で光り輝くあの巨人であれば届くかもしれない。
あの巨人を上手くこちらに誘導してその体を登れば、あの星に手が届くだろう。

だが、あんな怪物をどう誘導するというのか?
誘導出来たところで、大人しく登り台になるとは思えない。
どう考えても現実的な方法ではない。

銃などの遠距離武器で撃ち落とす方法はどうか?
100m先にも弾丸なら十分に届く。
上手く地面に撃ち落とすことができれば回収は可能だろう。

だが、それを行うにはまず銃を探すところから始めなくてはいけないし、100m上空に当てられるような銃の腕はアニカにはない。
なにより、当たり所によっては願望機を破壊しかねない。
クリアすべき課題が多すぎる。

異能の覚醒に賭ける。
遠方のアイテムを回収するのにテレキネシスは方向性自体は合っている。
後は射程と強度。これを覚醒で補えることが出来れば回収は可能だろう。

だが、そんな簡単に覚醒できれば苦労はしない。
あるかもわからない覚醒を待つなど不確実すぎる。
方法の一つとして上げるのも烏滸がましい。

用意できる道具で考えれば、布と火種があれば簡単な熱気球くらいなら作れなくもない。
だが、願い星のものとまで届く気球を作ったとして、そこからどう回収につなげる?
紐でもつなげるにしても100m以上の長さのロープなど都合よく用意できるはずがない。

ならば、上空を飛び回るドローンを利用するというのはどうか?
この村の監視のために飛び回っているドローンの存在にはアニカも気づいている。
世界が滅ぶ瀬戸際だ、特殊部隊のとの協力が取れればドローンの利用も不可能ではない。
アームやグリッパを装備したドローンであれば、上空の願望機も回収できるだろう。

今まで出た案の中では一番現実的だが、問題も多い。
どうやって意図を特殊部隊に伝える?
ドローンを換装する時間も必要だ。
なにより、向こうが素直に従ってくれるとは限らない。
やはり実現するのは厳しい。

八方ふさがりだ。
提案と問題定義の自問自答を繰り返すが、どれだけ考えても方策は浮かんでこない。
こう結論付けざるを得ない、今のアニカに願望機を回収する手段はない。

たった一つの真実を見抜く謎解きと違い、これは答えのない問題だ。
前提条件からして不可能問題を解かされている。

だが、不可能を可能にせねばならない。
生き残りはみな女王との戦いに向かっている、助けは期待できない。
その上アニカの把握している範囲では、生き残りの中に願望機回収に有用な異能は存在ない。
これは、アニカ一人で解決しなければならない問題である。
どうする。どうすればいい?

316Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:07:09 ID:CAQRuEHA0
『……カ……アニカ……!』

何かないのか?
焦燥ばかりが加速していく。
そんな思考の海に沈んでいたアニカを、足元の白兎の声が現実に引き戻した。

『周囲を見るんだアニカ……光が』
「What....?」

白兎の言葉に首をかしげながら、その指示に従い周囲を見渡す。
確かに先ほどまで周囲は光の奔流に包まれていた。
だが、既に光は一か所に集約されており、アニカの周囲は薄暗い闇に包まれている。

いや、違う。
遥か遠方で光源となっている巨人とは違う、すぐ近くに別の光がある事にアニカは気づいた。
それは自らの背後、背負っている荷物から放たれたものである。
その光が、先ほど流れて行った光と同種のものだと気づき、アニカはすぐさま自分の荷物を漁った。

取り出した、それは砂金のように美しい一束のグラデーションのかかった金の髪だった。
金田一勝子の遺髪である。
彼女の遺髪が淡い光を帯びていた。

――――人の魂はどこに宿るのか?
歴史上、魂の存在を証明できた研究者はおらず、その答えは未だ不明である。

魂は肉体に紐づくものであるという解釈が一般的だろう。
実際に女王は死霊術によってこの村で死亡した魂を復活させた。
その多くの魂は死した肉体から、淡く輝く光となって浮き上がっていた。

だがもしあるいは、人の魂は肉体ではなく精神(おもい)に宿るとするならば。
ここより遥かに離れた草原で眠る体ではなく、彼女の魂(おもい)はこの遺髪に宿っても不思議ではないのかもしれない。

「ッ…………!?」

強い風が吹いた。
アニカの手にしていた遺髪の一部が、風に攫われる。

金の髪は巻きあがるように風に乗って夜の空に舞い上がった。
自由の翼を広げてどこまでも飛び立つ鳥のように。
渦を巻いて舞い上がる砂金の髪は、天高く浮かぶ願い星に触れた。

瞬間、力強い光があった。
死者たちの放つ淡い光ではない。
何時だって勝ち気で頼りがいのあった彼女の様な強い光が。

強い光にアニカが目を細める。
その瞬間、手の中に確かな重みを得た。
彼女が次に目を開くと、その手の中に奇跡はあった。

『奇跡はその手の中に』

空に瞬く願い星は少女の手に。
それは100メートル以内の対象の位置を入れかえる金田一勝子の異能。
遺髪に触れた願い星は、こうして少女の手の中に落ちた。

アニカの頭脳をもってしても、何が起きたのか完全に理解した訳ではない。
それでもただ一つ分かる事は、死してなお自分を助けてくれた存在があったという事だ。

死霊術によって蘇生された彼女の魂は、女王の招集に応じるでもなくこうして遺髪へと留まり続けた。
そうして今、迷える探偵少女のこれ以上ない助けとなったのだ。

思いもよらぬ助けによって最大の懸念点である願望機は回収できた。
後は診療所に向かってリンの死体から御守りの回収を行なえばアニカに託された任務は完了だ。
ようやく達成困難な難題のゴールが見えてきた。

だが、そこに足音が響いた。
アニカが咄嗟に願望機を抱きかかえるようにして目を向ける。

光を背にした闇の中から現れたのは少女の姿をした一つの影。
幾度も顔を合わせた相手だ。
その存在を見間違うはずもない。

「…………女王!」

女王。そう呼ばれるこの騒動の中心。
創や哉太たちが戦っているはずの相手が何故ここに?
そんな疑問を挟む余裕すらなく、アニカは追い込まれる。

「おや、それは願望機かな?
 私の為に取り戻してくれたんだね、ありがとう。天宝寺アニカ」
「くっ…………!!」

冷や汗をかくアニカとは対照的に。
汗一つ書くことなく悠然と女王は歩を進める。

「では、それを渡してもらおうか、天宝寺アニカ」



317Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:07:37 ID:CAQRuEHA0
「ハァ…………ハァ…………ハァ」

女王を追っていた茶子が診療所まで到達した。
逃げるように立ち去った場所へと自らの足で立ち戻ってきた。
頭痛がする。心臓が痛い。喉が渇く。
過呼吸気味なのは100人斬りとここまで走ってきた疲労だけが原因ではないだろう。

「ッ……ハァッ……ハァッハァッ……!」

診療所の中庭。
そこにアニカと女王がいるという創の予測は外れていた。
ただ、そこには茶子が目をそらしていた悲劇が広がっていた。

周囲にアニカも女王もそれらしい姿はない。
あるのは無惨な二つの首なし■■。

何よりも救いたかった過去の自分。
それを救えなかった現実を突きつけるように、冷たく現実が横たわっている。
それは最低限身なりこそ整えられているが、自分が切り殺した少女と嘗ての自分だった少女だ。

「………………ああ」

何かに気づいたような諦観した声。
それを目の当たりにして、過剰だった呼吸が徐々に落ち着いていく。
灼熱から絶対零度の沼に落ちるような不思議な感覚だった。
温度差に自分の外面が剥がれて堕ちる。

茶子はここで自分自身(リン)を失った。
その現実を認める。

力なく膝をついた。
少女の肢体に向かって震える手を合わせる。
それは祈りを捧げる聖女ようでもあり、許しを請う迷子のようでもあった。

長い祈りの末に顔を上げる。
開かれたその目は先ほどまでの熱狂した色とは違う、虚ろで冷たい色をしていた。
そっと首がなくなったリンの胸元に手をやり、自分が渡した御守りを回収する。

「そうか…………きっと……」

風が中庭の木々の間をそよぎ、葉擦れの音が呟きをかき消す。
刹那。虚ろな瞳が見開かれ、茶子は振り返るよりも早く逆手で刀を抜いて自らの背後を突いた。
赤い飛沫が飛び、鋭い刃が肉を貫く感触が手に伝わる。

背後に迫った気配に気づき、茶子はこれを貫いたのだ。
しかし、その手応えが薄いことに気づく。

彼女が貫いたのは相手の掌だった。
茶子が刀を引き抜くより早く、相手は掌を貫いたまま刀を握りしめる。
相手の指がさらに深く刀を握り込むと血が滴り落ち、地面に赤い斑点を描いていく。

ガッチリと固められた刀ごと手首を捻られる。
僅かに緩んだ彼女の手から刀が完全に抜き取られた。
新陰流の無刀取り、と呼ぶにはスマートさに欠けるごり押しである。

刀を奪われた茶子はすぐに距離を取ろうとしたが、相手の動きはさらに速かった。
相手は一歩前に踏み出し、自らの掌という鞘から刀を抜き出し、抜刀術のようにそのまま一閃する。
茶子は身を翻してその攻撃を避けると、そのまま距離を取って相手の姿を見据えた。
そこに立っていたのは、彼女が予測をしていた通りの相手だった。

「哉くん…………ッ!!」

八柳哉太。
彼女の愛する弟弟子。

だが、哉太は確かにガンベルトできつく手足を縛り上げて拘束したはずである。
そう簡単に外れるような甘い縛り方はしていない。
どうやって抜け出してここまできたのか。

その答えは、縛り付けた手足周辺の破れた着衣にあった。
女王の招集に応じたゾンビたちが自らの欠損を省みず集結したように、女王の命令にはそれだけの強制力がある。
皮や肉を削る痛みを無視できるなら、拘束から脱することは難しくない。
何より、哉太は再生の異能によりその代償を踏み倒せる。

再生の異能と女王の強制力が合わされば拘束は無意味だ。
この不死身の騎士を止めるには、もはや殺すしかない。

刃を奪い取った哉太は、多くの村人を切り殺した祖父の刀を手にした。
一瞬で回復した両手で日本刀を握りなおすと、自らの血を払う。

対する、茶子は哉太から没収した赤い聖刀神楽を構える。
回復してきたとはいえ、茶子の右手はまだ完全ではない。
それ以前に茶子は二刀向きではない。
荷物になるだけの折れた魔聖剣を哉太に回収できない遠くに投げ捨てる。

奇しくも先ほどの小競り合いとは武器交換する形になった。
異なるのは、今度は互いに一刀同士であること。
そして、逃げ腰だった茶子の姿勢が前のめりに変わっていた事だ。

勝負の開始を告げるように渾身を籠めた両手持ちの一撃を互いに打ち付けあう。
炸裂するように、大きな火花が散った。
同時に、茶子の体が後方に数歩押し出される。

318Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:07:50 ID:CAQRuEHA0
渾身の衝突は哉太が僅かに上回った。
やはり力では哉太の方が上。だが、先ほどまでのような絶対的な差はない。
魔聖剣を手放したことにより魔力による身体強化がなくなったからだろう。
差はあるが、それはあくまでコンデイションと男女の筋力差の範疇だ。

打ち合いに押し勝った哉太が更に剣を押し込む。
これに対してすぐさま体勢を立て直した茶子も負けじと剣を合わせた。

そのまま、正面からの激しい打ち合いとなる。
鋭い剣の動きが光の筋を描き、剣が風を切り裂く鋭い音が響く。
刃が交錯するたびに火花が散り、互いの技巧が火花となって空中に舞い上がった。
刀身がぶつかるたびに耳をつんざくような金属音が響き渡り、その音は遠方まで反響する。
その剣劇は踊るかのように滑らかでありながら、刃の一撃一撃には命を奪う確かな意思が込められていた。

一つのミスも許されない攻防は激しさを増して行く。
だが、力だけではなく手数の上でも徐々に哉太が茶子を上回り始めた。

哉太から繰り出されるのは無呼吸での打ち込み。
無酸素運動は体内の酸素を消費して高CO2状態を引き起こし、無理に続ければ最悪意識を失う事になる。
だが、それは今の哉太には適用されない。

二酸化炭素の蓄積は異能により回復されてゆく。
故に、その連撃には際限がない。
加速するその剣は茶子の防御を打ち崩さんとする隙間ない斬撃の豪雨となる。

凄まじい剣圧に追い詰められる茶子。
防ぎきれなかった斬撃に頬や手足の端々が切り刻まれていく。
しかし、その顔に焦りの色など微塵も浮かんでいなかった。

「フゥ――――――ッ!!」

茶子が鋭い息を吐く。
その呼吸に合わせて無呼吸連撃の刹那を縫う神域の斬撃が放たれた。
互いの斬撃は、クロスカウンターのように互いの体を切り裂き合う。

だが、浅い。
哉太の斬撃は茶子の胸元を僅かに裂くに留まり、茶子の一撃も哉太の肩口を僅かに裂いただけだ。
女王の騎士にとっては瞬きの間に回復する程度の傷である。

だが、攻撃の手を止めるにはそれで十分。
剣の雨が止んだ中を茶子は進む。
一瞬で懐にまで踏み込むと赤い打刀で喉元を突いた。

「く……………っ!?」

哉太は軸をズラすように回転して身を転じる。
そしてそのまま竜巻のように回ると、遠心力を籠めて斬撃を放った。

茶子は片手持ちにした刃で哉太の攻撃を受け流すと、同時に空いた手で彼の腕を掴んだ。
虎尾流の開発により、片手剣の扱いに長けるようになった茶子の強み。
相手の回転を後押しするように腕を引っ張り込み体勢を崩す。

そして、そのまま地面に哉太を押し倒すと、転がった哉太の顔面に向けて赤い聖刀を突き下ろした。
哉太は咄嗟に首を動かしその突きを避ける。
同時に馬乗りになろうとする茶子の腹を足裏で蹴とばして引きはがした。

即座に立ち上がった哉太の背に温い汗が伝った。
先ほどまで哉太の殺害を躊躇っていた剣から一変して、容赦や躊躇いと言う物が消えていた。
決して殺したいわけではないだろうが、少なくとも殺してもいいところまで心理的ハードルが引き下がっている。

それはいい。
哉太とて女王の為に茶子を殺す覚悟だ。
ようやく互いは対等になったと言える。

それよりも哉太の頭を困惑させるのは異様な茶子の様子だ。
茶子は激情を剣に乗せる烈火の様な剣風である。
目の前の茶子は深く水底に沈むようである。

哉太を殺す覚悟を決めた?
いや、祖父に向けていた激情のような殺意ともこれは違う。
そんな単純な殺意(もの)ではない。

長い付き合いの中でも、こんな姉弟子は見たことがない。
これが哉太に見せていなかった本当の顔なのか?

元より、無邪気な子供じみた純粋さとアリを踏み潰す子供じみた残酷さを兼ね備えた人だった。
ふとした拍子に大人びた影を帯びることはあった。臆病な攻撃性と強気な虚勢を張る人だった。
人間には誰だっていくつもの顔をもっている。多面性の一つや二つあってもおかしくはない。
だが、そこにパッチワークのような違和感を覚え始めたのはいつからだろう。

目の前の相手は、本当に自分の知る姉弟子か?
そもそも彼女の本当など、どこにあるのだろうか?

茶子の体から緊張は解かれ、脱力したように剣先が揺れる。
それは、いかなる心境の変化か。
虚ろな瞳で独り言のように呟く。

「大丈夫だよ、哉くん…………全部うまくいくから」



319Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:08:06 ID:CAQRuEHA0
「…………Why are you here?」

アニカが前に現れた女王に問いかける。
計ったようなタイミングでピンポイントに女王は現れた。
人一人見つけるのはそう簡単な話ではない。
女王はどうやってアニカを見つけたのか。

「不思議かい? なんのことはない。私は感染者の場所が分かるのさ」

全ての[HEウイルス]は女王を中心に繋がっている。
女王は第二段階に至りその繋がりを自覚的に辿れるようになった。
つまり女王は感染者の位置をある程度特定できる。

「さて、願望機を返してもらおうか」

女王がアニカの抱える願望機に向けて手を差し出す。
だが、そう言われて素直に渡すわけがない。

『…………アニカ、私を置いて逃げるんだ!』
「そういうワケには、いかないでしょッ!!」

白兎にはもはや自力で逃げる力も残っていない。
アニカは願望機と白兎を両脇に抱えて駆け出した。

「逃がさないよ」

そう来ると分かっていたように女王が『魔王』の力である魔法を操る。
放たれた炎が鞭のようにしなり、アニカの背を強かに打った。
しかし、その鞭はアニカに触れた瞬間、パチンと弾かれる。

「おっと、そうだった」

どうでもいい事だったかのように反省の弁を呟く。
高魔力体質を持つアニカに魔法は通用しない。
魔法ではアニカの足を止めることはできない。

「では、異能(こっち)だ」

その場から、女王の体が消える。
『剛躯』と魔力による身体強化で地面が爆ぜるような強烈な踏み込みを行う。

『村人よ我に捧げよ(ゾンビ・ザ・ヴィレッジクイーン)』

生存しているゾンビの異能を再現する異能。
虎尾茶子によってゾンビたちは全滅したが、死霊術によって蘇生した魂によりその効果は持続される。
あの光の巨人がいる限り女王は無敵だ。

「………………うっ」

一瞬で距離が詰まった。
背後に迫る女王が、聖木刀を構える。
二刀は哉太に破壊され達人の技量は失われた。
だが、達人の技量はなくとも、アニカの足止めなど『神技一刀』だけで十分である。

完璧な動作で振り下ろされた一刀。
素人のアニカには避ける術などない。

「……!?」

だが、直撃を受ける寸前で、アニカの体が掻き消えた。
空ぶった手応えを確かめるように女王が手元を見つめる。
振り下ろした木刀には長い金の髪が巻き付いていた。

「位置替え…………金田一勝子の異能か」

村の部外者であったためか村の一致団結には加わらなかったようだ。
女王の招集に応じないどころか、謀反まで起こすとはとんだ裏切り者である。

「ペナルティだ」

そう言って、何かを握りつぶすように女王がギュッと拳を握った。



320Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:08:31 ID:CAQRuEHA0
背後に迫る絶対の死は訪れず、走り続けるアニカの周囲の風景が変わった。
アニカは混乱しながらも足を止めずに走り続けた。
そんなアニカの周囲の風景が一度のみならず連続して変化してゆく。
その内にアニカは自身に何が起きたのかを理解する。

またしても勝子に助けられた。
風で流れた髪から髪へと行われる連続転移。
そのおかげで女王から逃れられ、かなり距離を稼げた。

その感謝を表すように手元に残った数本の遺髪を見つめる。
女王によって死霊術を解かれたのか。
髪に宿った魂の光は、もう夜に紛れて見えないほどに弱まっていた。

『オッホッホッホ!! どうやら私が手助けできるのはここまでのようですわ〜!!
 私の遺髪をツバサに届けて頂く約束に関してはお気になさらず。
 強きを挫き弱きを助ける精神こそが貴族の本懐。それを怠るようではむしろ、ツバサに怒られてしまいますわ!!
 これもノブレス・オブリージュ! そう、ノブレス・オブリージュの精神ですわ〜〜!!!
 それではごきげんようアニカさん。ごめんあそばせ、オッホッホッホッホーーーっ!!』

幻聴と呼ぶにはあまりにもテンション感が高すぎる長セリフを残して、遺髪から完全に光が消えた。
アニカは光の消えた金の髪を握り絞め、心からの感謝を告げる。

「thank you...Ms.ショウコ」

彼女のお陰で願望機は手に入れる事は出来た。
残されたノルマは、御守りの回収だけだ。

御守りの場所は分かっている。
一刻も早く御守りを回収すべくアニカは病院の中庭を目指す。
幸運にも髪の流れた風向きから、既に診療所の近くまできている。
マラソンのラストスパートのように最後の力を振り絞り、アニカは中庭にまでたどり着いた。

「what's happening......?」

そこで行われていた光景にアニカが言葉を失う。
アニカが目撃したのは2つの首なし死体を前に争う仲間の姿だった。

「stop it now!!」

白兎をその場において、慌てた様子でアニカが間に入るように二人を静止する。
だが、割って入ったアニカに向かって赤い刃が迫った。
眉間を貫かんとする一刺しを、横から刃が弾く。

茶子の突きから哉太が守った。
哉太の中で、他のモノの価値がなくなったわけではない。
ただ、女王の守護が優先順位の最上位に上がっただけであり、基本思考は哉太のままだ。
女王のためなら何であれ犠牲にする事も厭わないというだけで、大切な物は大切なまま。
アニカを守るという誓いは哉太の中で生きている。

女王に命じられたのは女王の命を狙う茶子の排除だ。
アニカはまだ女王に敵対するとは限らない。
そんな甘い希望的観測によるものだが、女王である珠を殺しきれなかった哉太のそんな甘さがアニカを救った。

「―――――庇ったな」

地の底から響くような冷たい声。
尻もちをついたアニカの背筋が凍る。
自らに向けて降りぬかれた剣よりも、その表情にゾッとした。

アニカは茶子から距離を取るように離れながら立ち上がる。
そして、哉太と共に茶子に向かって対峙する。

「…………ついにsanityを失ったのね、Ms.チャコ」
「だぁほ。女王に支配されてんのは哉くんの方だよ」

呆れたようにそう言って、見下すような瞳を向ける。
その言葉に、ぎょっとした瞳でアニカが傍らの相棒を見つめた。

「違う。俺は茶子姉が女王を殺そうとするのを止めているだけだ」
「な?」
「………………」

そら見た事かと茶子が告げる。
女王を守護せんとする言動は、アニカの頭にも響く声に屈してしまったのか。
哉太自身は自らの言動がおかしいと言う自覚がなさそうである。

「って、Ms.チャコ! だったら何で私を攻撃したの?」
「戦闘中に割って入る方が悪い」

にべもなく言い切る。
愛する弟弟子と違って、アニカを殺すのにそもそも躊躇いはない。
間合いに入ったのなら攻撃の手を止める理由がなかった。

アニカは哉太からも僅かに距離を取った。
女王の眷属と化した以上、味方とは言えない。
かと言って自分を攻撃してきかねない茶子に近づく訳にもいかず奇妙な三角を作るような位置を取った。

321Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:08:49 ID:CAQRuEHA0
「Ms.チャコはカナタをどうするつもりなの……?」
「さぁな。だが目的の前に立ちふさがるなら斬るしかねぇだろ。安心しろ、今の哉くんならそう簡単に死にゃしねぇよ」
「アニカも茶子姉を止めるのを手伝ってくれ! それともまさかアニカも女王に盾突くつもりじゃないだろうな?」

それぞれが言葉をぶつけ合い、事態が混沌としてきた。
本来味方であるべき3人だったはずなのに、誰が敵で誰が味方なのか分からない。
だが、更にそこに混沌の一駒が追加される。

「―――――おや、そろってるじゃないか」

アニカの背後より現れたその大駒こそが混沌の中心
悔しさに、あるいは殺意に、あるいは歓喜に満ちた声で現れたその名を呼ぶ。

「「「女王――――ッ!」」」

ここが戦場であるとは思えぬほど優雅な足取りで女王が姿を現す。
事実、絶対的な強者である女王にとって、ここは戦場ですらないのだろう。
自らの庭を歩く様に山折村を我が物顔で闊歩する。

勝子に与えられたアドバンテージは時間切れだ。アニカは女王に追いつかれた。
元より女王が正常感染者の位置を特定できる以上、時間の問題だっただろうが。

すぐに御守りを回収して願望機を使うつもりだった。
願いで女王をどうこうできるわけではないが、最期の願いを叶えて願望機が壊れてしまえば少なくとも女王の手に渡ることはなくなる。
そういう計算だったのだが、そこで哉太と茶子の諍いが行われているなど計算外である。

女王が満足そうな視線で3人を見つめる。
感知できる正常感染者は巨人の相手をしている天原創を覗けば、全員がここに揃っている。
その上、女王の求める願望機と御守りもまでもが揃っていた。

「では――――総取りと行こう」

言って、女王が魔力を放出した。
その背後に、鋭く尖った黒曜石の刃と、数時間前に戦鬼が破壊した診療所の瓦礫が浮かび上がる
魔法を弾く高魔力体質の対策として物理攻撃が入り交じった魔法と物理による混合攻撃。

自らの騎士たる哉太ごと、この場にいる全員を叩きつぶすつもりだろう。
哉太は多少の攻撃では死にはしないし、最悪死んだところで構わない。
魂を蘇生させ、『Zの世界』に至るだけだ。

「テメェを殺(と)ればよぉ――――ッッ!!」

だが、それよりも一手早く、茶子が動いていた。
機先を制して魔法が放たれるよりも先に女王へと襲い掛かる。
だが、振り下ろした赤い刃は、まるで読んでいたかのように展開された黒曜石の盾に防がれた。

女王は襲撃者に視線すらやらず口元だけで笑みを作る。
運命視によって茶子がそうすることなど女王にはわかっていた。

奇襲を防がれ茶子が舌を打った。
すぐさま身を引こうとするが、女王が手を振り下ろす方が早い。
それを合図に反撃の刃がガトリングのように一斉に放たれる。

「Ms.チャコ――――――!」

そこにアニカが投げ出すように身を割り込ませた。
自らの体を盾として、茶子に襲い掛かろうとした魔法の剣を霧散させる。
咄嗟の判断による利害の一致、互いが生き残るにはこれしかない。

その予想外の献身を忌々しげに歯噛みながら受け止め、茶子は同時に迫る瓦礫の射出を刃の先で後方へと受け流した。
物理を茶子が、魔法をアニカが防ぐことにより物魔の同時攻撃を凌ぐ。

「くぅ…………ッ!」

だがアニカの小さな体では完全に全てを防ぎきることはできず。
如何に茶子とて、細かな礫まで防ぎきることはできなかった。
致命傷こそないモノの、2人ともそれなりのダメージを負った。

その隙を突いて、女王の騎士が追いついた。
黒曜石の刃に貫かれて体中に穴を開け、射石による打撲と骨折を全身に受けながら、女王の危機に守護騎士は馳せ参じた。

完全に体が再生しきっていない体で、折り重なった2人の少女に向けて祖父の刀を振るう。
女王が現れアニカを攻撃した以上、もはや哉太にとってもアニカも討つべき敵である。
茶子は目の前に被さるようなアニカの背を蹴っ飛ばして離脱させると、打ち付けるようにその一撃を防ぐ。

「ち…………ッ」

だが、無理な体制ではその衝撃を殺しきれず、茶子は倒れそうになりながら後方へと下がる。
哉太がこれを追撃し、そのまま幾度目かの打ち合いを始めた。

蹴っ飛ばされたアニカはそのまま顔面から地面に倒れ込んでいだ。
鼻血を流しながら顔を上げたアニカに女王が迫る。

「貴様の悪運も終わりだな」

茶子の相手を哉太に任せ女王はアニカに標的を定めたようだ。
もはや死者の助けを得られるような奇跡は起きないだろう。
女王の相手はアニカがするしかない。

「死にたまえ、運命乖離者」



322Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:09:03 ID:CAQRuEHA0
八柳流の攻防は初戦と同じく、哉太が一方的に攻め立てる展開になっていた。
茶子は手を出すことなく防御に徹していた。
だが、それは及び腰だった初戦とは違う。
何故ならその目は、強かに何かを狙っている狩人の眼をしていた。

哉太もそれには気づいている。
だからこそ、一方的に有利な展開でも警戒は怠らない。
目の前の相手の厄介さは誰よりも知っているのだから。
哉太は油断なく相手の出方を伺いながら、反撃の隙など与えぬように激しく剣を打ち付け続ける。

茶子はアニカに対する哉太の反応から相手の弱点を見出していた。
いや、見出したというより最初から知っていた事である。
だからこそ次の一手で、茶子はその弱点を突いた。

哉太の放つ渾身の一撃に対して。
茶子は、無造作にポイと刀を投げ捨てた。

「なっ…………!?」

完全なる無防備を晒した茶子に対する一瞬の戸惑い。
女王の洗脳状態にありながらアニカを庇った。
その行動(あまさ)から、茶子は哉太に隙が残っている事を理解した。

武器を捨て自らの隙を晒す背水の陣。
このまま切り捨てられてもおかしくはない。

だが眷属化しようともその性根の甘さは変わっていない。
剣士として対等な斬り合いに躊躇いはなくとも、無抵抗な相手、ましてや愛する姉弟子を斬ることを哉太は躊躇う。
最終的に斬るとしても、消しようのない一瞬の躊躇いが生まれる。

生まれたその一瞬の躊躇いを突いて、茶子が行ったのは頭突きだった。
頭蓋骨の一番固い所で鼻頭を打った。哉太の鼻骨が折れ鼻血が噴き出す。
一瞬で再生するとしても鼻血がなくなる訳ではない、鼻呼吸を封じられた。
どれほどの再生力を持とうとも顔面に強い痛みを感じた人間の反射として、眼を閉じ涙が滲む。

驚きと痛みで相手の動きが止まる。
その隙に茶子が刀を持った哉太の右手首を掴み、そのまま腕を自分の脇に引き込みながら飛びつくように体を預ける。
そしてまるでスローモーションのような動きで空中で脚を相手の首に絡めた。
右脚が相手の首を捕らえ、左脚は相手の右腕の下を通してしっかりと固定する。

戦国の世における武士の合戦であっても、刀が使えなくなった時に最後の手段となるのは体術である。
柔術の起源となる武士の組討のように、対剣術を想定した素手格闘の心得は八柳流にも存在する。
己の中の殺意と殺したくないという気持ちの折り合わせる、刀ではなく素手での殺し合い。

飛び付きから腕ひしぎに移行して、全体重をかけて地面に背で着地する。
その全ての勢いを極めた右腕に押し付けるようにして腕をへし折る。
強力な再生力を持つ哉太にとって腕の骨折など物の数ではない。
だが、一時的に握力の緩んだ手から刀が滑り落ち、夜の静寂に転がった。

そして哉太の折れた腕が捻られると同時に三角絞めの形が完成した。
頸動脈に強烈な圧力がかかり哉太は真っ赤にした顔面に血管を浮かび上がらせる。
だが茶子の握力は完全ではない、クラッチが効かない右手を引きはがさんと口端に泡を浮かべながら哉太が足掻く。
それを断ち切るように茶子は再生を始めた折れた腕を捻り上げる。

「ッッぅがああああああああああああ!!」

獣のような咆哮を上げて、折れた腕に構わず力を籠めて動かす。
女王の命令による強制力は自傷すら厭わない。
だが、正気の麻痺したゾンビたちと違って哉太には痛みが残っている。
それでもなお、激しい抵抗を続ける。
一撃で意識を奪い取った創の異能が恋しくなる程の恐るべき精神力と耐久度だ。

「チィ…………ッッ!」

茶子は痛みでの抑制を諦め、足での頸動脈の締め付けを強めた。
哉太の意識が僅かに白み、視界が次第に狭まって行く。
だが、意識を失う前に哉太は最後の力を振り絞った。
足元に力を込め折れた腕を引き上げ、まるで木の根を引き抜くかのように茶子の体ごと持ち上げる。

体が空中に浮かび三角締めによる締め付けが一時的に解かれる。
哉太は自らの腕にしがみつく茶子の体をそのまま地面に叩きつけんとした。

だが、茶子は即座に身を捻った。
叩きつけられるよりも早く振り子のように頭を振って、体重移動で相手の体勢を崩しにかかる。
折れた片腕では人一人を持ち上げるのが限界だったのか、哉太が倒れこみそのまま2人の体は揉み合うように地面を転がった。
転がりながらも茶子は哉太の手を完全に離さず、再び足で首を締め上げ三角締めの体勢に戻る。
哉太も再び抵抗を続けた。2人の剣士のグラウンド攻防は繰り返される。



323Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:09:51 ID:CAQRuEHA0
「さあ、願望機を渡したまえ」
「……あら、渡したらmissしてくれるのかしら?」

手を差し出しながら女王がにじり寄る。
全身にかいた冷や汗を隠しながら願望機を持ったアニカがジリジリと後退った。

「まさか、運命の見えない障害は消しておかないと」
「だったら――――negotiationになってないわね!」

周囲に髪が舞った。
それを見た女王の思考に一瞬位置替えがよぎり、無意識に髪の行く末を目で追ってしまった。

だが、舞ったのは金ではなく銀。
放送局で回収され雪菜が後生大事に抱えていたスヴィアの髪だ。
雪菜の死体の近くに散らばっていた髪をテレキネシスでばらまいたのだ。

既に死霊術は解除され魂は消去されている。いずれにせよ位置替えは不可能なはずだ。
だが、先ほど一杯食わされた記憶がちらつき、一瞬の思考の隙は生み出せる。
その隙を突いてアニカはラグビーボールのように願望機を抱えて走り出す。

「おっと、どこに行こうというのかな?」
「ッッ!?」

だが、一瞬で目の前に回り込まれた。
速すぎる。根本的な運動能力が違いすぎる。
異能と魔力で強化された女王の脚力は人の域を遥かに超えていた。
女王が無造作に突き出した聖木刀がアニカの左肩を直撃する。

「っぅうあああああああああああああああああああッ!!!」

アニカが悲鳴を上げて地面を転げまわった。
左肩が脱臼した、その手に抱えていた願望機が零れ落ちる。
走っていた勢いもあってか、願望機は遠くまで転がって行った。

「やれやれ。手間をかけさせないで欲しいものだな」

面倒そうにつぶやくと、女王は倒れたアニカを無視して願望機を拾いに向かった。
左肩を外された激痛に、アニカは動くことが出来ない。
このままでは願望機が女王の手に渡る。
そうなってしまってはもはや取り返す術はない。

『……ニカ…………ッ!』

全てが霞む痛みの中で、遠くから声が聞こえる。
地面に這いつくばりながら視線を動かせば、そこには半透明の白兎が何か咥えて必死にこちらに向かって駆けている姿があった。
既に力の殆どが失われた白兎には持ち上げることすら叶わないのか、必死に地面を引き擦りながら何かを運んでいる。

『アニカ……この剣を!』

それは茶子が投げ捨てた魔聖剣だった。
茶子からすれば折れた剣でしかない価値のないもの。
だが、彼女たちにとっては今この状況を覆す唯一の手段だ。

アニカが手を伸ばす。
だが、距離は遠く届かない。
もはや白兎にはそこまで剣を運ぶ力がない。

「こ……………のっ!!」

足りない距離を異能で引き寄せる。
テレキネシスはアニカの筋力に比例する。
アニカの筋力では西洋剣を引き寄せるのに一苦労しただろうが。
刀身が折れて軽量化された魔聖剣はすぐさま引き寄せられ手元に収まる。

『その名を呼ぶんだ!』

白兎が叫ぶ。
聖剣より生まれた魔聖剣は失われた魔王の娘と同じ名を冠している。
そこに名探偵が推理した犯人を告げる。

祈り望むその先にあるもの。
すなわち。

「――――――――――デセオ!!!」

Deseo(デセオ)。
スペイン語において願い、願望。あるいは希望を意味する。
魔王に攫われた女神が産み落とした不貞の子。
絶望の中、産み落とした我が子に女神が授けた絶望の底の希望(デセオ)。

真名を解放された、その力が解放される。
折れた魔聖剣の刀身が魔力の光で覆われ一瞬で復元された。

「何だ…………?」

異変に気付き、願望機に手を伸ばしていた女王の手が止まる。
瞬時に振り返らねば不味い事が起きる、その予感に従いすぐさま振り返る。
するとそこに、白黒が入り混じった光と闇の螺旋があった。

324Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:10:18 ID:CAQRuEHA0
『…………おお』

同じく白兎もその光景を見ていた。
その奇跡のような光景を見届けて、白兎が赤い双眸から涙をこぼす。
それは悲しみによるものではなく随喜の涙だ。
その名を聞き及んだ白兎の脳裏に摩耗した記憶が思い出される。

滂沱の涙をこぼす白兎の体が透明度を増して行った。
白兎の存在は己が願いに捧げられた。
気力だけで保っていたその存在が消えてゆく。

彼女たちならきっと成し遂げるだろう。後は願いを託すのみだ。
白黒の閃光に照らされながら、白兎が満足したように消えていった。

アニカは高魔力体質と言う異能を持っていたが、それは大量の水を持つ蛇口のない貯水タンクのようなものだ。
外に出す方法が分からず体内で巡らせ防御に使う事しかできなかった。
だが、その蛇口を手に入れた。

――――デセオ。
その剣は魔と聖の二つの属性を合わせ持つ魔聖剣である。
魔聖剣に籠められた魔力とアニカの高魔力体質と言う二つの強力な魔力が合わさり二色の光となって放出される。

「――――――――はぁぁああああああっ!!」

アニカが振り下ろした刀身から白黒の極光が放たれた。
触れる物すべてを呑み込む魔力の奔流が女王の体を一瞬で飲み込む。
光の線が奔ったその過程の全てが消し飛ばされ、女王の手にしていた魔聖剣の父たる聖木刀は消し飛ばされる。

「ぅ…………くッ!?」

だが、二重魔力で身体能力が強化されていても片手では大量の魔力放出に耐え切れず、アニカが勢いに負けて後方に倒れこむ。
極光は上空に向かって逸れながら背後の診療所にまで達し、直撃を受けたその壁が跡形もなく消失する。
粉塵と瓦礫が空中に舞い上がり、辺りは視界が遮られるほどの煙に包まれた。

極光が消え、風に流れた煙が晴れる。
身を起こしたアニカが煙の晴れた先を見る。

そこにあったのは黒曜石の盾を構えた女王の姿だった。
魔力流は盾によりを防いだようだが、閃光の熱波までは防ぎきれず、女王の全身は赤く焼きただれていた。
だが、焼けた女王の皮膚が超速で再生を始める。

「……面白い。やるではないか」

再生を完了した女王は不敵に笑った。
ただの狩られるだけの兎だと思っていたアニカを、ここに来て初めて敵として認めた。
二重魔力と言う強力な力を目の当たりにしながら、女王の余裕は崩れない。

アニカの放つ白黒魔力砲は凄まじい火力だった。
アニカの体勢が崩れなければ女王とて無事では済まなかっただろう。

だが、その強力すぎる力をアニカはまだコントロールできていない。
先ほどの一撃だって茶子や哉太を巻き込まなかったのは奇跡だ。
仰向けに倒れて上空に逸れたからよかったものの、下手をすれば地面に転がる願望機すら消し飛ばしてしまった可能性もある。

それでもアニカには高魔力体質による防御もある。
生半可には攻略できない強敵となったことに変わりはない。

だが、それは『魔王』が扱う魔法の力に限った話だ。
女王にはまだ、『女王』が生み出した異能の力がある。
女王は先ほど茶子が放り投げ地面に落ちていた、聖刀神楽を拾い上げる。

生きたゾンビの異能を再現する日野光より受け継ぎし異能『村人よ我に捧げよ』。
村中全てのゾンビの魂は蘇っており、光の巨人として成立している。
対象を深く知る必要があるという条件設定も、魂で繋がる女王であれば簡単にクリア可能だ。

つまり理論上、あの光の巨人が健在である限り女王は1000を超える全ての異能を使用可能である。

「――――――では、見せてあげよう。細菌とこの村(せかい)を統べる女王の真の力を――――!」

神々しい光を背に、女王が両手を広げた。
新たな太陽たる、あの巨人こそ山折村の結晶。
外の世界にも新たな山折村を築き、細菌を進化させ魂の集合体たる光の柱を築き上げる。
生死を超えた果てにある『Zの世界』で、女王は真の支配者となるのだ。

全てを蹂躙する女王の真の力が開放される。

瞬間。

女王の背後で、太陽が弾けたような爆発が起こり、閃光が夜を白に染め上げた。

325Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:10:38 ID:CAQRuEHA0
だが、

「なっ……んだ…………ッッ!!?」

驚愕の声は女王の口から洩れた物だった。

つまり、この異変は、女王が引き起こしたものではない。
女王が戸惑いの声を上げながら、狼狽した様子で己が背後を振り返った。
そこに在ったのは、ここからでも見える光の巨人が爆散する姿だった。

あっけにとられたように口を開いた女王の顔に滲む困惑と驚愕。
遠方の煙上げる上半身を失った光の巨人と目の前のアニカを交互に睨み付け、最後に遠くに転がる願望機を見つめた

確かめるように目を細める。
光の巨人が爆散したことにより、夜に闇が戻った。
夜の闇に紛れて願望機の位置はよく見えなかった。

それで理解する。
女王の扱う異能から『暗視』が消えていた。
それだけではない、魂の集合体である光の巨人が破壊された事により全ての異能が使えなくなっている。
それは、本当にあの絶対的な光の巨人が撃破されたことを意味していた。

だが、それはあり得ない事だ。
天原創に山折村の魂の集合体であるダイダラボッチを倒す手段はない。
それが女王の見た天原創の運命だった。

あり得ない、あってはならない事が起きた。
完璧なシナリオが崩れるのは許し難い。
何が起きたのか、確認せねばならない。

苦々しく表情を歪ませながら、目の前のアニカを視線だけで呪い殺せるほどの殺意を籠めて睨み付ける。
魔聖剣デセオの力を得たアニカは簡単に倒せる相手ではなくなった。
そんなアニカを相手にしながら願望機の回収ができるような余裕も現在の女王にはない。
『魔王』の力だけでは互いに決め手を欠く千日手になるだろう。

「…………預けておく」

捨て台詞のようにそう言って、女王は走り去っていった。
アニカもそれを追う事はしなかった。

デセオを手にして圧倒的な力を得たように見えるがアニカにもそれほど余裕はない。
その力を完全に制御できているとは言い難いし、肩の外れた左手はプランと垂れ下がっている。

まずはこれを治さねばならない。
脱臼の直し方は知識としては持っている。
まさか自分で実行する羽目になるとは思わなかったが。

「…………ふぅう」

息を吐き痛みで強張る体を出来る限り脱力させる。
脱臼した肩をゆっくりと体の前に持ってきて適切な位置を探った。
そして、もう片方の手で脱臼した腕の肘を軽く持ち上げ、強化された筋力で一気に腕を引く。
ゴキンという音と共に激痛が走り、アニカの顔が歪む。

凄まじい激痛だったが肩が元に戻る感覚はした。
肩の骨にヒビが入っていているのかまだ強い痛みはあるが、指を動かすことはできる。
このまま一休みしていたい気持ちがあるが、一息つく間もない。
アニカは先ほどの魔力砲で吹き飛ばされた願望機を回収すると哉太と茶子の援護に向かった。

326Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:11:17 ID:CAQRuEHA0
剣士たちの戦いはいつの間にか寝技の戦いに持ち込まれていた。
アニカは格闘技に詳しいわけではないが、完全決まったはずの三角絞めが今にも引きはがされようとしているように見えた。
腕が折れようが頚動脈を絞められようが再生力と耐久力でごり押す、とんでもない力技だ。

「…………助けろ!」
「I know!」

援護要請にアニカは応じる。
だが、二重魔力による魔力砲は威力が高すぎる。
アニカもそれなりの修羅場は潜っているが直接戦闘、ましてや魔力を放つ剣など扱ったことがない。

アニカは完全にデセオの力をコントロールしきれていない。
出来ることは蛇口を捻って0か100の水を出すだけ。
下手をすれば茶子はおろか、再生力を持つ哉太すらも完全に消し飛ばしかねない。

アニカ自身の気質からして処理能力と精密動作に優れており、大雑把な大出力には向いてないのだ。
そういう意味ではデセオの高魔力砲とは相性がいいとは言えなかった。

だが、構わずアニカが魔聖剣デセオを両手で握り絞め、二重魔力を高めた。
アニカの力はデセオと高魔力体質だけではない。本来のアニカの異能はテレキネシスである。
大魔力の放出をコントロールできないのなら、コントロールできるようにチューニングすればいい。

アニカを扇の要にするように何重もの白と黒の細い光の線が空に奔った。

魔力戦以前に戦闘行為に不慣れなアニカでは蛇口から出る魔力量は調整できない
ならば蛇口から出る量を調整できないのなら、1000の魔力を1×1000に分割して放出する。
1の魔力ならばテレキネシスで制御できる。

並列処理ならばアニカの領分だ。
アニカは放たれた千本の魔力を異能の力で一つ一つ精密に操作していく。
幾つかの束になった魔力光が触手のようにうねる。

触手は茶子ともつれ合う哉太の手足に巻き付いてその体を拘束した。
強い再生能力を持つ哉太は多少の拘束ではトカゲのように自切しかねない。
求められるのは生かさず殺さず全身を押さえ続ける術である。

その隙に茶子が引きはがされそうだった三角絞めを完全に解いて袈裟固めの体勢に移行する。
柔道の抑え込み技と魔力の束による手足の拘束。
2人の少女による女王の守護者を完全に抑え込んだ。

「離せ……ッ! 離せぇッ!」

だが、これを受けてもなお女王の守護者たる哉太は拘束を解くべく暴れまわる。
一瞬でも気を抜けば飛び出さんばかりの暴走ぶりである。

「……ッ。いつまでやってりゃいいんだ、これッ!?」
「この事件が終わるまでよ!」



327Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:11:47 ID:CAQRuEHA0
草原から女王や茶子が去りし後。
村の意志の集合体たる光の巨人と、それに立ち向かう小さな人間の追いかけっこは続いていた。

親の交代もないタッチ一つで終わる最悪の死の鬼ごっこ。
少しでも足を緩めれば追いつかれる相手に常に全力疾走を強いられる。
それでもなお攻撃の余波は身を削り、繰り返すたび小さな人間は疲弊して行く。

逃げる創の神経も体力も限界に近い。
ここまでの激戦により積み重ねられた疲労を思えば、ここまで粘っただけでも驚異的だろう。

対して、巨人に衰えはない。
当然だろう。手を振り上げて落とすだけなのだ、大した疲れなどあるはずもなかった。
そもそも疲労などと言う概念があるかすらすら怪しい。
このまま追いかけっこを続けた所で、どうなるかは火を見るよりも明らかだ。

だが、これほどの絶望的な状況にありながら、創の目は死んではいなかった。
何故なら既に二つの希望の光は彼の手の中にあるからだ。

一つは茶子より返却された発信機だ。
何者かの存在を示すように光は点滅している。
これは目的のない疾走ではない、希望の光に向かって駆けだしていた。

そしてもう一つの光。
創は懐に手をやると、取り出した切り札のスイッチを押した。

次の瞬間、創の手元から光が剣のように鋭く伸びた。
巨人の放つ淡い光を切り裂くような強い光が一直線に巨人に向かって進んで行く。
そして、レーザービームのような白い光の先端が巨人の顔面に直撃した。

それは雪菜から回収した何の変哲もないマグライトだった。
マグライトの光を巨人の顔面にぶち当て、光を照らす。
だが、巨人はその光をまるで意に介さずそのまま進んでくる。

巨人に元より視力などない。
人間の魂の集合体である巨人は魂の元の形を再現しているだけである。
形だけが再現されているだけで五感は機能しておらず、目つぶしをしたところで意味はないのだ。

しかし、少年は怯むことなくマグライトを巨人に向けて照らし出した。
マグライトの光を剣のように振り回し、巨大な光の巨人に向かって何度も何度も振り下し続ける。

だが、光の剣は巨人に当たるたびに虚しく消え去り、何の効果もない。
少年の努力を嘲笑うかのように巨人はそのまま地ならしと共に突き進むと、祈るように両手を合わせた。
そして、合わせた両手を月にすら届きそうな勢いで上空へと振り上げる。

ダブルスレッジハンマー。
光の巨人の一撃は片腕でも地形を変えるほどの破壊力を持つ。
それが両手合わされば、どれほどの威力になるのか想像すらできない。
今回ばかりは回避したところで余波だけで小さな人間など容易く死ねるだろう。

逃げる事を諦めたのか、それとも疲労の限界か、創はその場に足を止める。
1秒後の死を前にしてもなお、創は夜空に絵を描くように光を振り回し続けた。
そんな無意味な行為を続ける少年に向かって、破壊神たる巨人から絶対の死が振り下ろされた。

だが、それよりも一瞬早く。

――――――地平線の彼方から彗星が疾駆した。

遥か遠方の草原に閃光が走り、夜を切り裂くように天を目指して昇っていく。
それは遡るように地から天に向かって流れる願い星の如く。

彗星の尾を引く赤い炎が夜空を裂き、空気を震わす轟音と共に猛烈な勢いで光の巨人へと向かって突き進む。
彗星は瞬く間に草原を駆け抜け、巨人との距離を一瞬で縮めた。
閃光が巨人の胸部に命中する。

瞬間、世界が一変した。

筆舌に尽くしがたいほどの凄まじい衝撃が世界を揺るがす。
爆発音は地響きを伴い、村全体を揺るがせた。
音を超えて広がる衝撃波は周囲の草木を根こそぎ吹き飛ばしながら大地を捲り上げてゆく。
まるで大地震が発生したかのように地面は脈動し、灼熱を含んだ空気は舞い飛ぶ草木を蒸発するように燃やし尽くしていった。

そして、偽りの月の終わりを告げるように、太陽が爆発したかのような光が夜空を染め上げる。
爆炎は暗闇を一瞬で焼き払い、周囲を白昼のように照らした。

撃ち放たれたのは一撃にて、この世の終わりの様な破壊を齎す破壊兵器。
血塗られた兵器開発の歴史の果てに生まれた、歩兵が運用できる最強の兵器――ロケットランチャー。
兵器開発の歴史とは、人がより効率的に、最大的に人を殺すために積み重ねてきた業の歴史だ。
だが、その業が世界を救う事もある。

328Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:11:57 ID:CAQRuEHA0
茶子は言っていた。
発信機の信号を追っている途中で女王と遭遇したと。
それが指し示す意味はひとつ。
茶子と女王を結ぶ直線上にハヤブサⅢの発信機を持つ人間、つまりはハヤブサⅢを殺した特殊部隊がいるという事だ。

女王を守護する光の巨人の存在は特殊部隊としても無視できないはずだ。
創は光点から狙撃可能な位置まで相手を誘導するとともに、マグライトによって観測手の役割を果たしていた。
伝えていたのは周囲の風向きと強さ、そしてその巨大さ故に遠近感が薄れてしまう巨人との正確な距離感である。

「くっ…………!?」

だが、大きな想定外が一つ。
その爆風は、巨人に挑んでいた少年にも容赦なく襲いかかった。
特殊部隊なら狙撃銃くらいの装備はあるだろうという想定の行動だったが、これは余りにも威力が高すぎる。
明らかに国際人道法に違反した破壊力である。

爆風と熱波に巻き込まれるだけで命を落としかねない。
創は匍匐体勢で目と口を守りながらなんとか爆風に堪えようとするが、あえなく小さな少年の体は吹き飛ばされ空中に舞い上がった。
暴力的な爆風に少年の身体は無力に翻弄され、地面に激しく叩きつけられた。

「っ……………ハッ………ッ!!」

もみくちゃにされながらもギリギリで受け身は取ったが、それでも衝撃で息が詰まり全身が痛みに包まれた。
熱風で全身の皮膚が火傷でもしたように赤くなり、喉の奥も僅かに焼けてしまったのか呼吸をするだけで小さく痛みが走る。
だが、それでも創は生きている。

爆風の影響が収まったのを確認して、痛みを堪えながら四つん這いの体勢で創は顔を上げた。
見上げた先、そこに在ったのは、上半身が弾け飛ぶように消滅したダイダラボッチの姿だった。

腰から下だけになった巨人は、炎煙を上げながらそのまま崩れ落ちるように倒れた。
大きな地鳴りと共に倒れた下半身が結合を失った光の粒子となって砕け散る。
そして、爆発によって天に打ち上げられた魂の破片が、無数の輝く粒子となって祝福の雨のように草原に降り注いだ。
白熱する光の残骸の一つ一つが星屑のように煌めきながら、降り注いだ大地の上で儚く光を放っていた。

その光の粒は焼き払われた草原の代わりに大地を覆い尽くし、幻想の世界を創り出した。
砕けた人間の魂で作られた星の草原。
それは、この世のものとは思えない、息を呑むほど美しい彼岸の景色だった。

「くっ………………ふぅ」

死後のような世界で眠ってしまいたい気もするが、全身が悲鳴を上がる体に鞭打ち、創は立ち上がる。
何故なら、まだ最後の戦いが待っている。

守護騎士は打倒した。
ならば、彼女はきっとここにやって来る。

待ち合わせでもするように、この美しく輝く草原でクラスメイトの少女を待った。



329Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:12:42 ID:CAQRuEHA0
「マズ、大前提としてダネ。今回発生したのはバイオハザードではナイ。女王の意思をもって行われたテロ行為であるという点だヨ。
 外部に漏れ出したのは我々の作り出したウイルスではなく、女王の先兵(ウイルス)だという事だネ」

山折村から離れた東京の研究所で、細菌学の権威たる老研究者は語り始めた。
女王が山折村から世界に向けて行ったのはバイオハザードではなく細菌テロである。
それだけ聞くと猶更まずい状況に聞こえるが、この場に居る彼らの理解は違う。

「つまりは、女王は事態を制御できるという事でしょう?」

それは奥津も考えた結論だ。
制御者がいるという事は、事態はアンコントローラブルではない。
それは捉えようによってはメリットである。
状況を制御できるのなら解決の算段も立てられる。

「ですが、女王がこちらの軍門に下ることなどありえないでしょう?」

根本的な問題はそこだ。
仮にも計画を仕掛けた敵の首魁がこちらに素直に従う訳がない。
実現不可能な方法は卓上の空論でしかなく解決策とは言えない。
ここにいる人間はそんな甘い絵空事を語るような連中ではないはずだが。

「ソウだろうネェ。ダガ重要なのハ、命令権限を持つ管理者がいるという事だヨ。コレは珍しいコトだよゥ……!
 細菌の繁殖や共生に相互作用がアル事はあっても、明確な上下関係があるなんてのはこのワタシでも聞いたことがナイ!
 何せ細菌には明確な意思がないからネ。細菌の動きは現象に伴う化学走性(ケモタキシス)でしかないのだから当然と言えル。
 ダガ、『HEウイルス』はその前提を覆す『意思』を持つウイルスだっタ。絶対的な命令関係が存在スル!!」

ゾンビたちが女王を守護るのは細菌の化学走性によるものだと考えられていた。
だが、女王の覚醒が第二段階に至った事により明確な命令系統がある事が女王の口からはっきりと語られた。
これ自体が学会を揺るがすとんでもない大発見である。

「女王の宣戦布告を信じるのであれば、感染源である[A感染者]の指定に加えて、正常感染率の調整まで行えるようですね」

女王の宣戦布告には女王の指定、正常感染率の申告が含まれていた。
感染者の指定が行われた事に関しては他ならぬこの女研究員が証明だ。
ウイルスを発する女王になったかは見た目ではわからずとも、異能の消失と言う明確な変化がある。

「素晴らしイィじゃないカ! ソレはウイルスの発症を操作できる証明に他ならナイ!
 バラ撒かれたのは細菌が生み出した細菌と言う訳ダ。イヤァ、面白いナァ、実に興味深いヨ!!」
「いきなりテンションを上げるな百之助。流石の俺も引くぞ」
「そもそも、正常感染の確率は制御出来ないものなのでは?」

それが制御できるのなら山折村のゾンビは生まれていない。
何より、研究所の導き出した正常感染率は過去の動物実験から統計的に割り出したものだ。
それでも2〜5%というブレがある。事前に言い当てられるものではない。

「イヤイヤ、ソレは昨日までの話サ。適合条件は先ほど判明しているヨ。
 詰まる所、正常と異常の判定は細菌タチの選り好みであったワケだけド。
 ウイルスと対話可能な女王であれば、正常感染率は制御できるはずだネェ」
「つまり、女王の宣言した1%は女王が明示的に設定した1%だという事ですか?」
「ふむ。そうなると一つ気になるところがあるな」

染木と奥津の話に終里が疑問を挟んだ。

「何故――――1%なのだ?
 本気で共存を望み自らの有用性を示すのなら100。本気で人間に敵意を示しただの苗床にしたいのならば0。
 それ以外になかろう。少なくとも俺なら0にする」

何故1%なのか。
女王が自分の意思で設定したのならそこには意図があるはずだ。
少なくともその設定値は終里の思想とは合わない。
この疑問に女王の姉妹たる長谷川が答える。

「山折村を再現したかったではないでしょうか。
 言動から[HE-028-Z]は山折村を自分たちの進化と繁栄の場と捉えている節があるように見受けられます」
「より良い進化のために、より過酷な地獄を。と言うことか。
 同じ環境を整えたところで同じ結果になるとは限らぬのだがな、かわいらしい発想ではないか」

その悪辣さが気に入ったのか終里は満足げに笑う。
細菌の未来のため、人間の地獄を作り上げる。
その思想はやはり人と相容れないものだ。

「ともあれ、正常感染率は奴の意図に沿った設定になっていると言うことだな」
「そのようですね」

感染者や感染率を制御できるのであれば、事態を収めることもできるだろう。

330Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:13:02 ID:CAQRuEHA0
「女王が状況をコントロールできるのはわかった。だが、奥津くんの懸念する通りだ。
 人間を自らの糧としか考えていない女王がこちらに従うことなどありえない。
 どうすると言うのだ? 考えを言え百之助」
「言ったダロウ? 命令権限を持つ管理者がいる事こそが重要なのダト。
 ソノ命令者は必ずしも女王である必要はナイ」

理屈としてはその通りだ。
だが、その制御権がこちらに渡らなければどうしようもない。
何かスイッチの様なものがあって無理やり奪い取ればいいと言う話でもないのだから。
疑問符を浮かべる3人に向かって染木は一つの問いを投げかける。

「考えてみたまエ。『HEウイルス』は何から生まれたものなのカ?」

その問いに、全員の視線が一点に集中する。
視線の集中を受けた男は楽しそうに不敵な笑みを浮かべた。

「――――――つまりは、俺か?」
「ソウ。理屈で言えば[HEウイルス]の大元である元くんは、女王よりも上位の命令権を持ってイルはずだヨ」

魂を確立した女王は魂を繋げ[HEウイルス]を支配する力を得た。
だが、その大元であり、元より人としての魂を持つ終里であればそれよりも大きな権限を持っていてもおかしくはない。
その方案を受けた奥津が口元に手をやり考え込む。

「つまり……女王の作ったネットワークにバックドアをしかけるという事ですか?」

奥津が自分なりの解釈をハッキングを行うための不正侵入口に例えて言う。
同じく研究者ではない終里はその例えになるほどと頷きを返した。

「なかなかいい例えだな奥津くん。
 その例えで言うならば、本気で自身の死後を想定するのであれば完全にリンクを切ってスタンドアローンにすべきだったな」

娘の失態を楽しむようにくつくつと笑う。
だが、すぐさま笑みを消して奥津の顔が真顔に戻る。

「とは言え、やりかたなど分らんぞ。あいにく細菌と対話などしたことなどないのでな」

出来る出来ない以前に試そうと思った事すらない。
染木と違って残念ながら終里は普段から細菌と会話しようと思うほど酔狂ではない。

「やっていただく。できないとは言わせない」

強い圧を込めて奥津が終里を詰めるように言う。
珍しく終里もこれには僅かにむぅと言葉を呑む様子を見せた。

「ナァニ。バラまかれた全ての[HEウイルス]を完全に制御しろとまではいわないサ。
 各地の女王ダケでも休眠状態にでもナルよう命じらればイイ。ヒトマズはそれで急場はしのゲル」
「そうですね。時間を気にしないのであれば後日改めてスヴィアさんの提示された処置を行えばよいかと」

0時のパニックさえ避けられれば、あとはどうとでもなるだろう。
時間制限を気にしないのであればスヴィアの提示した解決策が使える。
時間も設備も制限がなければどうとでもなる話である。

「そもそも。他の女王を制御できるのならば、山折村の女王そのものを制御すればよいのでは?」

これまでの話を聞いた奥津が一つの案を提示する。
より上位の権限を持つものが下位のウイルスを支配できるのであれば、大元である終里は女王も御せるはずだ。
それが実現可能であれば一発で全てが解決できる。

「ソレは難しいだろうネェ。今の『女王』は『魔王』の力を取り込んでいる。
 アレは1/3とは言え元くんの根源だからネエ。恐らく現時点ではソレを取り込んでいる女王の方が権限が強いダロウ」

『女王』と『魔王』の2つの権限を併せ持つ女王は『大元』である終里より権限が強い可能性が高い。
可能性だけで言えばもしかしたら制御が出来るかもしれないが、下手に触ってこちらの意図に感づかれても不味い。
こちらの意図を悟られれば、対策を取られる可能性がある。
実行するのは、事を成せると確信を得られた時だ。

331Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:13:59 ID:CAQRuEHA0
「そうなると、計画の実行に必要なのは――――」
「ああ、その通りだ。やることは変わらない」

事態は最初に掲げられた解決策に帰結する。

「話は最初に戻る訳だ――――――女王を殺せ、とな」

蓋となっている女王の排除。
自体の解決に必要な条件がそれだ。

「そちらの仕事だ、いかがかな隊長殿?」

先ほどの意趣返しのように終里が問う。
日が変わるまで1時間強。
それまでに事を成し遂げられるのか?

「――――問題ありません。現地の者が必ず成し遂げるでしょう」

ハッタリではなく世界を守護する組織の長として断言する。
48時間から大幅に時間制限は縮まったが、やることは変わらない。
彼らは秩序を守護する守護者。
世界を救うために成すべきことを必ず成し遂げるだろう。

「ソシて。女王の排除が完了した後は元くん次第というワケだネェ」
「わかっている。しかしだな。習得するにしてもどうしろと言うのだ?」
「ナァに。練習相手ならソコにいるじゃあないカ」

そういって染木がやせ細った指で差す先に居たのは、終里の血を引く娘の一人。
『巣喰うもの』が取り付いた対象である長谷川真琴だ。
女王の指定した新たな女王の一人である。
これ以上ない練習台だ。

「ですが、この場に居る長谷川博士のウイルスを制御できたとして、他のご子息たちの制御はどうするのですか?」
「問題ないサ。レポートにも書いているダロウ? ウイルスのつながりに距離は関係がナイ」

女王と子のつながりに距離は関係がない。
だからこそ、女王も世界各地にばら撒いたウイルスの命令権を維持できているのだ。
手法さえ確立できればこの応接室からでも全てを解決できる。

「ソウ言う事ダ。元くんも資金繰りばかりジャなく、タマには研究に貢献して貰わないとネェ。長谷川くんも頼んだヨ」
「了解しました。博士。ですが必要以上に近づかないでくださいね、終里所長」
「ふむ。年頃の娘にそう言われるのは意外とショックなものだな。しばし、別室で集中させてもらう。真琴も来い」

そう言って、観念したように終里が席を立つ。
長谷川も白衣を翻してそれに続いた。

「アッ。ソレ、ワタシも見学したいナァ…………!」
「お前は残れ百之助。研究者側も村の現状を確認する者が必要だろう」
「エェ…………そんナァ」

女王が死亡した場合、その影響を観測して事態を判断する人間が必要である。
それはウイルスの研究員にしかできない役割だ。
不満を漏らしながらも、納得したのか染木は席に腰を落ち着けた。
別室に向かう終里が、去り際奥津に向けて振り返る。

「では、互いに最善を尽くそうではないか。世界を救うために」



332Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:14:31 ID:CAQRuEHA0
息を切らした少女が、草原に向かって走っていた。
それは待ち合わせに遅れた少女が慌てて駆けだしているようにも見える。

だが、彼女は人ではない、人を超えた存在である。
世界を救うために作られた[HEウイルス]の女王。
彼女は人間の脚力を超えた凄まじい速度で草原を駆け抜けていた。

その表情には焦りの色が滲んでいた。
駆け抜ける中で様々な懸念が頭の中でめぐる。
何故? 何が起きた? どうしてこうなっている?

女王は常に余裕を持ち悠然としていた。
運命視を持つ女王は未来に対する不安などなかったからだ。
運命は確定された物であり、運命乖離者という僅かなノイズを取り除けば未来は彼女の望むとおりになる。
そのはずだった。

なのに、こうして汗水を垂らして女王は走っている。
女王は逃げるアニカを追う時ですら余裕を持った歩行をしていた。
戦闘時に疾走することはあっても、必死で走るなど生まれて初めての事だ。
日野光の中で幾度もループを繰り返して来たが、女王としての明確な意思が生まれ肉の体を得てから数時間しかたっていないのだからそれも当然と言える。

淡い光が花のように咲き誇る、風にそよぐ幻想の海。
生と死が入り混じった現世と幽世の狭間。
少女が輝く草原に辿りつく。

「――――やぁ、女王」

どこか穏やかな声で少年が少女を出迎える。
つい先刻とは出迎える側と出迎えられる側が入れ替わり、草原の様子は様変わりしていた。

「何をした……………………何をしたんだ天原創!?」

周囲に散らばる魂の残骸。
山折村最後にして最強、最大たる守護者の名残。
僅かに乱れた息を整え手の甲で汗をぬぐう姿はただの少女のようである。

「当ててみろよ、運命が見えているんだろう?」

突き放すような言葉に女王は押し黙った。
天原創は光の巨人に成す術なく殺される。
それが『運命』だったはずだ。

だが、起きた結果はまるで違う。
無敵であるはずの光の巨人は爆散して倒れ。
天原創はこうして女王の前に立っている。
まさか、創も運命乖離者だとでもいうのだろうか?

「どうした? 運命の女神様。いや、女王様だったか? この結果がそんなに意外だったか?
 これまで予想外はなかったのか? ここまで追い詰められている今は――――お前の予定通りなのか?」

その言葉の通り、運命視の結果は所々で外れている。
せっかく獲得した『幼神』の力を奪われ、願望機を奪われ、飛行も出来なくなった。
全ての運命が見えているというのならそんなことにはならない。
それは女王も認める。

「確かに予想外もあった。だがそれは、白兎どもの小賢しい妨害があったからだ」

その原因は因果を操る獣どもの暗躍に他ならない。
そこに運命の見えない相手の介入が加わり、運命を乱された結果だろう。

333Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:15:13 ID:CAQRuEHA0
「―――――本当にそうか?」

その結論に少年は疑問を呈する。
その言葉の意味が理解できず、女王が不思議そうに首をかしげる。
運命が乱れた原因などそれ以外に考えられるはずもない。

「……どう言う意味かな?」
「運命視。日野さんの異能を知った時から、僕にはずっと疑問があった。『運命』なんてものが本当に存在するのか」

創の抱えていた疑問。
創はアニカと白兎が運命の開放を謡ったあの時に、口にできなかった言葉を口にする。

「僕は信じちゃいないんだ。都合のいい『神様』も『運命』なんてものも」

創は運命なんて信じちゃいない。
だが、それは創個人の考えである。
創が『運命』を信じていからと言って、それを前提とした別筋の解決策を止める理由にはならないと思い、あの時は言葉を飲んだ。

「未来はいつだって白紙だ。不確定だからこそ自由なんだ。自由だからこそ無敵なんだ。
 白紙の未来をより良いものにするために、人間は頑張り続けることができるんだ。
 僕の未来は、僕自身の手で切り開いてきた、幸も不幸も僕のものだ。
 誰かの手を借りる事だって確かにあった、けれどそれは神様なんてものに決められた訳じゃないし、運命なんてものに縛られた訳じゃない。
 未来は人の善意と努力、強い意志で作り上げていくものなんだ。
 最初から決まってる『運命』なんてものを、僕は否定する」

未来を決めるのは何時だって自分自身の決断だ。
自ら未来を選び取ってエージェントになった。
だからこそ創はここにいる。
未来が運命なんてもので決まっているなどまっぴらごめんだ。

青い主張を女王はふん、と鼻で笑い飛ばす。
そんな言葉は運命を知らぬものの戯言である。運命は確固として存在する。
自らの手で選び取ったと思っている事こそが勘違いだ。
人は運命に縛られ、それを超える事など選ばれた一部の人間にしかできない。

「君個人の信条は勝手にすればいいさ。だが私には『運命』が観えている。これは如何ともしがたい事実だ」

女王の目に見える『運命』。
これこそが『運命』の存在証明だ。
だが、女王の言葉を創は一言に切り捨てる。

「確かに、お前に『何か』が見えているのは事実なんだろう。それは否定しない。
 だが、お前に見えている物は――――――本当に『運命』か?」

創は女王に指先を突きつけ。
爆弾を放り込むように、疑問を投げかける。

「当然だ。『運命』に決まっているだろう?」
「逆に聞くが、それが『運命』だと誰が決めた?」
「下らない言葉遊びだな。私の見えている物が『運命』でなければなんだと言うのか?」

女王が見えている物を別の何かに言い換えたところで何が変わる訳でもない。
多くの者たちは女王の――遡れば元となった珠の――見た『運命』通りの結末を迎えてきた。

「女王。お前はループしていると聞いた」
「その通りだ。誰から聞いたか知らないがよく知っているね」

唐突な話の転換のように思えたが、創は続ける。
何気ない当たり前の結論を告げるように。

「僕が思うに、それがお前の見ている『運命』の正体だ」
「―――――――」

334Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:16:05 ID:CAQRuEHA0
日野珠の持つ異能の根幹にあるのは、姉である日野光が157回のループで蓄積した膨大な情報集積だ。
日野光と共に157回のループを超えてきた女王ウイルスはその知識を共有しており、今回の女王である日野珠にその集積情報は引き継がれていた。

日野光の記憶を引き継いだ幼神は、この知識を生かすことが出来なかった。
それは余りにも膨大すぎる情報を瞬時にかつ適切に処理しきれなかったからである。

ループにより得た知識は山折村VHの攻略本のようなものだ。
その蓄積された知識から、どこで何が起きるかと言う未来のイベントマップと、膨大な個人情報からの行動予測を自動で解析を行い、結果を光として可視化する異能。
それが創の考える日野珠の持つ『運命視』の正体だ。

「100回以上もループすれば偶発的な出来事だろうとどこで何が起きるかなどおおよそ把握できるだろうし、特定の状況で誰がどんな行動をするかも分析ができる。
 だから、お前が見えないのは単純に、経験したループの中で一度も経験していなかった事だ」

特定の状況で人間は能力やパーソナリティに応じた行動をとるだろう。それが極限状況であればなおのことだ。
予測を裏切る限界を超えた活躍を見せる人間だって、パラメータで見ているのなら予測は不可能だろうが、ループで見ているのならそれすらもデータとして認識できる。

何度も繰り返された時間の流れの中で、偶然とされる出来事の裏にある微細なパターンや兆候だって見つけることができる。
1度だって目撃していれば偶然と見なされる出来事もまた、予測可能な未来の一部となる。

『運命』が外れるのは、ループの中で一度も起きなかった出来事が含まれていたから。
神楽春姫が運命予測から逃れていたのは、それでもなお予測不可能な突飛な行動をとる女だから。
アニカが運命予測から逃れられたのは光が収集したデータベースに存在しない高魔力体質を得たアニカと言う未知の値が入力されたから。

「下らない妄言だ。全てはお前の希望的観測だろう」

全ては創の予想に過ぎず、この場で事実であるかの証明できない。
だが、強気な言葉とは裏腹に、この瞬間。確実に女王の運命視への信頼が僅かに揺らいだ。
揺らいだ信頼を否定するように女王は首を振る。

「仮にそれが事実だとしてどうだというのだ? お前の『運命』は見えている」

天原創と言う人物が、この状況でどう行動するか。
その運命(よそく)は見えている。
運命の正体が何であれ、女王の有利は変わらない。

「言ったはずだ、それはただの高度な行動予測に過ぎない。タネは割れた。もはや無意味だ」
「ほざけ―――――ッ!」

残された女王の武器は先ほど拾い上げた聖刀のみ。
挑発に乗って明らかに冷静さを欠いた女王が刃を振り合上げ創に襲い掛かる。
その出鼻を挫く様に創がルガーの銃口を向けた。

引き金が引かれ、一発の弾丸が放たれる。
前がかりになった女王には避けられない。

だが、女王にとってそれは脅威ではない。
創が足止めの為に銃を撃つ『運命』は観えている。

魔力によって強化された女王の皮膚は対物ライフルすら弾く。
44マグナム弾が直撃した所で大した傷など付かないだろう。
女王にとっての脅威は右手だけだ。

しかし、油断はしない。
魔王に呪詛を撃ち込んだような”仕込み”がないとも限らない。
そう言った紛れを確実に防ぐべく、黒曜石の盾を展開する。

一瞬で展開された盾は三つ。
三重に重ねられた黒曜石の盾は戦車砲すら防ぐ強度を持っている。
どれほどの大口径であろうと弾丸など物の数ではない。

「――――――――な」

しかし、驚愕は刹那。
黒曜石の盾に触れた弾丸は盾をいとも容易く貫いた。
否。黒曜石の盾は貫かれたのでも砕かれたのでもない。
まるで、無効化されるように消え去ったのだ。

弾丸は一切の減速なく突き進むと、女王に直撃した。
魔力で強化された皮膚すらも突き破り、その腹部を貫く。

「ごふっ…………!! ハ、バカな…………ッ!! まさか、こ、これは……ッ!!??」

風に流れ、創の右手に巻かれた包帯がほどけてゆく。
包帯の効果により既に血は止まっているが、露になった右手からは、小指の先が欠けていた。

「――――――この手は読めたか? 女王」

これが創の用意した対女王の準備だ。
弾頭として打ち出されたのは、切り落した天原創の指先だった。

335Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:16:35 ID:CAQRuEHA0
雪菜のマチェットで自らの小指を斬り落として、それを弾丸の先端に加工した。
小指の第一関節から先とは言え、創の右手の一部である。
放たれたのは魔王の力を食い破る『魔王殺し』の弾丸だ。

異能とは、本人の人生が色濃く反映されるものである。
魔王によって人生を奪われた少年がその右手に宿した異能の本質は、魔王から派生した力を殺す『魔王殺し』。
『魔王』を否定するための異能。天原創に、魔王由来の能力は一切通用しない。
『魔王殺し』の弾丸は黒曜石の盾を無効化し、魔力の膜を突破した。

皮肉にもこの『運命』を乱したのは女王自身の存在である。
全てのループによって女王がこうして意志を持って顕現するのは初めての事だ。
157回のループにおいて女王に対するデータはどこにも存在しない。
すなわち女王に対する対策(アクション)は全て運命(よそく)の外になる。

「ぐっ………オオッッ! …………消、えるッッ! 消えていくッ!?」

腹部を抑えて女王がもがき苦しむ。
障壁ごと魔力による身体強化を打ち破った弾丸は女王の体内に深く食い込んでいた。
体内にとどまった弾丸――創の小指が、女王の内にある『魔王』の力に作用していく。
『魔王殺し』という毒が全身に巡り、『魔王』の力を消滅させてゆく。

急速に力が失われていく。
だが、その猛毒の効果はそれだけに留まらない。

[HEウイルス]は『魔王』の力によって完成した『不死の怪物』より生まれしモノ。
[HEウイルス]は由来を辿れば『魔王』へと辿りつく。
すなわち、細菌の女王すらも無力化する特効薬である。

「ぐぅあああああああああッッッッッ!!!?」

悲鳴のような絶叫を上げ、女王が自らの腹部を抉りだした。
最後に残った魔力で爪を尖らせ、弾丸を体外へと摘出したのだ。

「くぅッ…………ハァ……ハァ!!」

摘出された血に濡れた弾丸が、輝く草原に落ちる。
白く輝く花が赤に染まった。

無効化と言う毒が脳に達するまでに、なんとか切除できた。
だが、既に『魔王』の力の大半が失われ、女王は魔力すらも使えなくなってしまった。

創は首元に活性アンプルを撃ち込む。
最後の活性アンプルはここまで温存していた。
巨人との戦いは体力と戦略の勝負であり、反応速度はそれほど必要ない戦いだった。
何より女王戦を控えた状況で、副作用のあるアンプルを使う訳にはいかなかった。

創の投げ捨てた空になった瓶が地面に落ちて、転がりながら光を返した。
しかし、少年と少女は地面に転がるそんな光を見向きもせず、睨み合うように視線を交わす。

強い風が吹き抜ける。
草原に降り積もった光が浮き上がり空に舞った。
見つめ合う二人の間を、淡い光の粒が流れる。

「…………私たちはただ生きたいだけだ。共存を望んでいる」
「その言葉は誰も傷つける前に言うべきだった」

少年が一歩進む。
女王は無意志にわずかに後退した。
その一歩に何より驚いたのは女王自身だ。
故にこそ、女王としての意地がその場に足を踏みとどまらせた。

「しかたないじゃないか、私たちは殺されそうになったのだよ?
 人間様のために細菌は黙って殺されろとでも言うつもりなのかな?」
「だとしても、共存を望むのなら君が返すべきは悪意ではなく誠意であるべきだった」

殺されそうだったから殺し返した。
それが当然の反応だとしても、敵意を向けるのであれば戦うしかなくなる。
どれだけ理不尽であろうとも、そうなっては共存の道はない。

「傲慢だな。君たち人間に都合のいいように手のひらを差し出せと?」
「ああ。僕たちは傲慢で、そして臆病なんだ。お前の様に笑って人を傷つけるような輩と共存などできない」

女王は多くの人を傷つけてきた。
楽しむように笑いながら。
そんな相手と手を取り合える未来はない。
あるのは隷属と支配だけだろう。

「何を言う。笑って人を傷つける? それは君たち人間の事だろう」
「そういう人間が居るのは確かだ。だからみんな、少しでもましであろうと必死で足掻いている。
 少なくとも圭介さんも哉太さんも、君を殺そうとはしていなかったはずだ」

あの二人は宿主である珠を気にかけていた。
最後まで命を奪おうとせず解決策を模索していた。
その善意を踏みにじったのは誰だったのか。

「ああ、だから殺すことなく八柳哉太は私の忠実なる騎士にしてやったんじゃないか」
「相手の意思を捻じ曲げて、愛する人と殺し合わせてか?」
「そうだ。これ以上ない共存だろう?」
「話にならない」

精神があるだけで育っていない。
身勝手で他人を顧みれない。
自分の事しか考えられない子供の主張だ。

336Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:17:18 ID:CAQRuEHA0
「悪いが、僕は生まれたばかりのガキの我侭に付き合っていられるほど寛容(おとな)じゃないんだ」

最後まで珠を救おうとした圭介や哉太とは違う。
高校生とは違う中学生だ、大人になんてなれない。

「だから、お前を殺すぞ、女王―――――!」

意見が衝突して、相容れないなら戦争しかない
『助けたい』と『助けられる』。その線引きを見誤らない。
ここから先は、正真正銘の殺し合いだ。

創が地面を蹴りぬく、地面と共に足元の光が散った。
強化された創の異能は右手に触れる空気中のウイルスにすら反応して青白い光を放つ。
それは天を流れる流星に負けぬ。さながら地を駆ける蒼い流星。
最強のエージェントブルーバードの弟子が、光り輝く草原を駆け抜ける。

対するは少女の姿を象った女王[HE-028-Z]。
『魔王』の力が失われてようとも、細菌と魂を統べる『女王』の力は残っている。
咲き誇るように輝く周囲の光は、その全てがこの村で散った魂の残骸だ。
その中には、同胞たる[HEウイルス]たちの魂も含まれている。

全てを失った女王の最後の助けとなるのは、流行り同族たるウイルスたちだった。
周囲の光がまとわりつくように一斉に創へと襲い掛かった。

「無駄だ…………ッ!!」

だがそれを、右手を一振りして振り払う。
その動作は無造作のように見えて、まるで無駄がない。
アンプルによって活性化された動体視力が自らに降り注ぐものを的確に見極め、必要最低限の動きで撃ち落した。
人間の魂ならいざ知らず、魔王を由来とする[HEウイルス]の魂であれば創の右手で無力化できる。

しかし、右手一本で全身を襲う魂の残骸を振り払ったのだ。
走る体勢が崩れ、僅かに隙が生まれる。
その一瞬を勝機と見た女王が踏み込み、聖刀神楽を振り上げる。

女王にはもはや異能の助けはない、ただ力任せに振り下ろす。
聖刀の切れ味であれば、少女の力であっても相手の頭を真っ二つに裂けるだろう。
だが、女王が振り下ろすよりも早く、手首に強い衝撃があった。

「っ………………!?」

振り上げた聖刀の赤い刀身がどこかから放たれた弾丸により弾かれた。
反射的に衝撃の先に眼球が動き、女王の視線が移る。
そこには、銃を構える迷彩服の姿があった。

「ッッ…………特殊部隊ぃぃいいい!!!!!」

憎悪を込めた怨嗟の声。
それは、この村において唯一ウイルスに侵されていない潔白な存在。
女王が認識出ていないことすら認識できない本当の透明な男である。

女王斬首の命を帯び、驚異的な練度を誇る特殊部隊は村人たちにとって最大の脅威であった。
だが、この瞬間だけは違う。
彼らが真に世界の守護を任とする護国の守護者であるのなら。
女王を排除するという一点において、特殊部隊は最強の味方足りえる。

それが達人の動きであれば成田の様な名手でなければ捉えられなかっただろう。
だが、ただの大振りでしかない素人の棒振りなど、天でも十分に捉えられる。

厄を操る『幼神』の力は白兎によって奪われ。
同時に取り出された願いを叶える『願望機』はアニカに回収された。
彼女を守護する『ゾンビ』たちは茶子によって全滅させられ。
魂の集合体たる光の巨人は特殊部隊に撃破され『異能』は使えなくなった。
武器となる『二刀』を八柳哉太に、『一刀』をアニカとデセオに破壊された。
『運命視』すらも否定され、最後に残った『魔王』の力も天原創が消滅させた。
『聖刀』による最後の一撃すらも特殊部隊に防がれた。

「終わりだ――――――女王ッ!」

叫びと共に駆け抜ける。
もはや、女王を守護する物は何もない。

多くの人々の決死が、結実した今。

天原創の右腕が女王に――――届いた。

337Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:17:33 ID:CAQRuEHA0
「うおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおッ!!」
「ぐぅううううううあああああああああああああああああッ!!!」

二つの咆哮が夜の静寂に木霊する。
創は女王の顔面を掴んだまま止まることなく駆け抜ける。
小さな珠の体は光る草原を引きずられるように地面を這う。
足でブレーキをかけようとするが、異能も魔力もないただの少女の筋力では抗うことはできず、ただその道筋に光の胞子が浮き上がって行く。
壮絶な殺し合いとは思えぬ美しい光の線が浮かぶ。

「ぐぅぅううああああああぁぁぁっ! やめろやめろやめろやめろ、止めろッ! 手を放せぇっ!!?
 定着したウイルス(わたしたち)は宿主の生命活動にまで影響を及ぼす!!! 分るか!? 私を排除すれば、宿主であるこの娘も死ぬぞ!?」

頭部を掴まれながら必死の形相で女王が叫ぶ。
定着した[HEウイルス]を除去すれば宿主は死ぬ。
女王を排除せんとする天敵に、その残酷な真実を明かす。

「嘘じゃない……ッッ! 本当だ…………ッ! あのスヴィアも定着していたッ、分かるか……!? スヴィアを殺したのはお前だッ! 天原創ッッ!!!」

恩師を殺したのはお前だと、精神的動揺を誘う言葉を叩きつける。
だが、女王の頭部を掴む力は緩むどころか、さらに強まった。

「そうか――――――それを聞いて安心した」

握りつぶさんばかりの手の力とは対照的な、落ち着き払ったどこまでも冷めた声が聞こえた。
女王の全身に痺れるような寒気が奔った。

「つまり、この右手は――――お前を殺せるという事だな?」

その確信を得る。
女王の言葉は、他ならぬ女王自身の死を証明した。

「――――――――――――ひ」

女王の全身に味わったことのない初めての感覚が広がってゆく。
胸の奥底にある黒い淀みが全身に広がっていくような気持ち悪さ。
逃れられない何かが迫ってくるような、縋る物のない上空から落下していくような感覚。
曖昧な霧のように広がる不安感が、徐々に明確な形を取り始めた。
そうして、女王はあの時自らの足を引かせた正体を知る。

それは恐怖だった。

生まれたばかりの命である女王に、初めて芽生えた明確な「死」の恐怖である。
微生物である女王にとって、死の概念は恐れるべきものではなかった。
自らの死など恐れてはいないからこそ、種の繁栄のため自らの死の先に続く策を講じたのだ。

だが、女王は自我と魂を得た。
この山折村で絶対的な力を思う存分振るって”気持ちよく”生を謳歌した。
魂が確立されたことにより生まれた生の執着と死の恐怖。

あるいはそれは独眼熊の野生に恐怖を覚えた『イヌヤマイノリ』のように。
野生に恐怖した巣食うものの末路に似た――――自らを殺す天敵への恐怖。

「や、やめ――――――――」

「――――――終ぁりだぁぁぁぁぁぁああああああッッッッ!!!!!」

草原を駆け抜けた創の腕が振り抜かれる。
右手の中で抵抗する力が弱まり、やがて力なく垂れ下がった。

「…………………」

魂の光が宙に浮かび上がってゆく。
完全に生命活動が静止したことを確認して、創はゆっくりと指を剥がす。
宿主の命と結びついたウイルスの活動が停止する。
それは同時に、その宿主となった少女の終わりを意味していた。

その体を、そっと魂の光る草原に寝かせる。

女王は死んだ。
創が殺した。
女王を廻る騒動はこれにて終決である。

一人の少女の犠牲を持って。

【[HE-028-Z] 消滅】



338Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:17:54 ID:CAQRuEHA0
「………………ここは、どこだ?」

気づけば、[HE-028-Z]は見覚えのない闇の中にいた。
周囲は夜闇とは違う黒い靄の様なもので包まれており、足元には汚泥の様な塊が生き物のように脈動していた。
どこからともなく伸びてくる幾つもの真っ黒い赤子の手が恨みがましい様子で蠢いている。

一時的とはいえ、厄を操る幼神の力を取り込んでいたからだろう、彼女にはすぐに理解できた。
ここは山折村の災厄が集まる厄溜まり。怨念と共に死して災厄となった魂の堕ちる場所だ。
一つの生命となって山折村に生れ落ちた[HE-028-Z]もまた、この災厄の渦たる厄溜まりへと堕ちていた。

だが、ここに墜ちた魂は厄溜まりに飲み込まれて周囲に漂う厄の一つになるはずだ。
如何に女王とは言え、今となってはただの墜ちた厄の一つに過ぎない。
こうして一つの個として意識を保っているのはどういうことか?

黒い手は恐れをなしたように女王から遠ざかっていた。
それは女王を恐れての事ではなく、女王の握る赤い刃――聖刀神楽を恐れているようだった。
死の寸前、最期に手にしていたからだろう、死後の世界に持ち込んでしまったようだ。

試しに刃を振るうと、目の前の黒靄が晴れる。
どうやらこの聖刀には厄を払う力があるようだ。
厄の溜まりに厄を断つ聖刀が持ち込まれてしまった、元となった神楽と同じくとんだ常識破りである。

女王は赤い刃で黒靄を切り裂きながら進んで行く。
それはまるでヤンチャな田舎の子供が鉈で藪を切り開きながら山中を歩いているかのようだ。
やがて霧中を進む女王の耳に、川が流れるような微かな水音が聞こえてきた。

だが、それはおかしい。
ここが本当に山中であるならともかく、この厄溜まりにそんなものがあるはずがない。
訝しみながらも音に向かって歩を進め、やがて彼女の前に川が広がった。

川は静かで穏やかに流れている。
川岸には枯れた草木がまばらに生えており、その上には黒靄とは違う薄い霜がかかっている。
水面には霧が立ち込め、ぼんやりとしか見えない川の対岸には淡く揺らめく影が立っていた。

女王はその川が何であるかを悟った。
これは常世と幽世を隔てる三途の川だ。
川の向こう側とこちら側は生死の狭間である。
つまり、川の向こうに立つ者たちは、すでに命を終えた彼岸へと旅立った者たちだった。

「貴様らは…………」

彼岸の先。
生死を分かつ川の向こう岸に神主服の男と巫女服の女が番のように仲睦まじく共に手を取りながら立っていた。

『どうしも気になってしまってね』
『ええ。私たちの村の事ですもの』

村の始祖たる陰陽師、神楽春陽。
村の絶対禁忌たる災厄、隠山祈。
あの世へと旅立ったはずの2人が、三途の川の畔まで来ていた。
絶望の詰まった災厄の奥底で、希望にも満たない亡霊に出会う。
これは現世に何の影響も与えない、何の意味もない出会い。

『そなたがわが村で猛威を振るった「ういるす」の首魁か』
「そうだ。それがどうした? 恨み言でも言うつもりか?」

祈に至っては直接殺しあった仲である。
恨みごとの一つや二つあるだろう。
だが、2人の人影はそうではないと首を振る。

339Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:18:07 ID:CAQRuEHA0
『確かに、そなたは我らの村を滅ぼす原因となった』
『そうですね。あの村であなたと私は命の奪い合いをしまいた』
『だが、我らはそなたの罪を赦そう』

恨みがない訳ではない。
許せぬ理不尽もある。
だが、それでも赦しは与えられる。

「下だらん」

女王はその赦しを一笑に付す。

「赦しだと? そんなモノ貴様に与えられるまでもない。
 我らはただ生きようとしただけだ。生きたいと願う事は罪なのか?」

人間と細菌の種としての尊厳と生存をかけた戦いだった。
それが罪だというのなら、こうして生を謳歌する人間こそが最大の罪ではないのか?

『その通りだ。だから、我らの罪を赦してほしい』
『共に祈りを捧げましょう。互いの罪が許されるまで』
「…………………」

一方的な罪ではなく、一方的な赦しではない。
互いに罪があり、必要なのは赦し合うこと。
己が為だけではなく、互いのために祈る。
祈りとは自身のためではなく他者のために行われることなのだから。
それがきっと本当に必要な事だったのだと、彼らはそう言っていた。

「…………やはり、下らないな」

そう呟くように彼岸から背を向ける。
背後には厄の手が蠢いていた。
聖刀を恐れて近づけないでいるようだが、光に群がる虫のように黒靄たちは濃くなっている。
いつその躊躇いを打ち破ってこちらに来てもおかしくはない。

『その刀、渡して貰えるだろうか』

彼岸の先にいる春陽がそう言ってきた。
厄からの守りとなる聖刀。
それを渡せと言うのは、夜の山を裸で歩けと言っているのに等しい。

だが、女王は赤い聖刀、背後の黒い厄、白い番を順番に見つめ。
どうでもいいと言った風にため息をつくと。
川越しに、対岸の春陽に聖刀を手渡した。

『ありがとう』

一つ礼を言って、春陽は受け取った聖刀の深紅の刀身をまじまじと見つめた。

『あぁ。見事だ春姫』
『ええ。あの娘は、素晴らしい神楽でしたよ』

神楽春姫の命によって生まれた、厄を払う聖刀。
歴代最高の神楽という白兎評も頷ける、素晴らしい出来だ。
誇らしげにその赤い刃を見つめると春陽は二つ立てた指先で五芒星を描いた。
最後に指先を突きつけられた聖刀が赤い光を放ち、厄溜まりの暗闇に光を灯した。

『これでしばしの間、厄どもは手出しできない』

彼らの娘によって正しき終わりがもたらされればこの厄溜まりは解体されるだろう。
これは、それまでの地獄に落ちるまでの泡沫の夢だ。

『さぁ。共にここで山折の終わりを見守りましょう』



340Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:18:29 ID:CAQRuEHA0
淡く輝く光の花が墓標のように咲き誇る。
風に揺れる光の海の中心に、息絶えた一人の少女が横たわる。
少年はそこに広がる己の行いの結果を受け止めていた。

戦いは終り、世界は救われた。
一人の少女を犠牲にして。

全てを救えればいいと思う。
けれど、現実は冷たく胸を抉るほどに非情だ。

少年の手は小さく全てを掴み取ることは出来ない。
創にできるのはこの右手でつかみ取る手を選ぶことだけだ。
恩師の命も奪い取り、彼女の手を取ることなくその命を終わらせた右手。
この手は無辜の人々を守護るために、愛する者の命を奪い続けてきた。

その決断に後悔はない。
運命などではなく、創が選び、創が行ってきた決断の結果だ。
だけど、この一時だけは、死者の安息を願う祈りを許してほしい。

目の前の彼女だけではない。
ここまでの道のりで犠牲になった多くの死者たちに。
安寧を望み、手を合わせ祈る。

だが、そんな死者への祈りを捧げる創の視界の端に、光の粒子が散った。
背後から草原を踏みしめる足音が響く。
その粒子の流れを追うように振り返ると、その視界に小さな人影が写った。

「ッ」

創が瞬時に立ち上がり身構える。
女王という最後の敵を倒したことに油断して周囲の警戒を怠っていた。
ここまで相手の近接を許したのはエージェント失格である。
だが、現れたモノの姿を見て固まったように創が動きを止め、その眼が驚きに見開かれた。

「……………………スヴィア先生」

創の右手が殺してしまった恩師。その成れの果て。
かつてスヴィアだった物から生まれた新たな怪異。
怪異は、死に彩られた輝く草原を幽鬼のような足取りで進んで行く。

「…………救わ、ねば」

緩慢な動き。
今の創ならそれを制圧するのは簡単だ。
だが、創は動けなかった。
いや、動かなかったという方が正確か。

少なくとも怪異からは創に対する敵意も悪意も感じなかった。
怪異の虚ろな視線は救われなかった少女、珠しか見ていない。
怪異はゆっくりと、だが確実に光の中で眠る珠へと近づいて行く。

――――怪異。
それは未練、あるいは心残りによって生まれた存在。
この怪異もまたこのVHで同じ未練を抱えた死者の怨念が集合して生まれた存在である。

では、スヴィア・リーデンベルグ。彼女の未練は何か?
彼女に集まり取り憑いた怨念たちの抱えた執着は何か?
その答えを、うわごとの様に繰り返し怪異は呟く。

「私の…………生徒を…………子供を…………救わねば」

怪異とは、全てが人を害する存在ではない。
姑獲鳥や産女、子育て幽霊と言った子を慈しみ育てる怪異は少なからず存在しており。
座敷童のように益をもたらす怪異も存在している。

どうしようもなく血塗られ呪われた山折村の歴史。
腐り落きった大人たち、救われぬ子供たち。食い物にされる弱者たち。
悪の根は蔓延り、数えきれぬほどの多くの悲劇を生んだ。

だが、それでも。

この山折にあったのはそれだけではない。
山折村、1000年の結実が醜悪な悲劇だけであったはずがない。
そこにはきっと、美しいものもあったはずだ。

341Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:18:41 ID:CAQRuEHA0
この村で生まれたのは悲劇と絶望だけではない。
実りある自然の中で多くの人々を健やかに育んだ。
多くの命を生み、多くの命を未来へと繋いでいった。

そんな山折村の死者たちが、生き残った者たちへ残す心は恨みや辛みばかりではないはずだ。
ほんの僅かでも、その意思は確かにこの村に根付いていた。

郷田 剛一郎が村の子供に未来を託したように。
嵐山 岳が健やかなる子供の未来を願ったように。

厄に墜ちるでも、女王の招集に応じるでもなく
それよりも自らの未練に従った僅かな魂がいた。

子の未来を願う未練の集合体。
未来を奪われた子供たちを救う怪異。
それこそが、スヴィア・リーデンベルグから生まれた怪異の正体だ。

救われなかった少女の前に怪異が跪く。
その奥底にあるのは強い使命感。
怪異の不気味な雰囲気とは対極な聖母のような慈悲と慈愛すら感じられた。

スヴィアは研究所との通信で定着したウイルスは生命活動にも結び付いている事を知った。
ウイルスを排除することは生命活動の終わりを意味する。
皮肉にも、その理論はスヴィアの死をもって証明された。

だが、その理論を聞いたスヴィアが頭の中で構築していた一つの仮説があった。
ウイルスが生命活動に結びついているのならば、抜けたその穴を何かで補完できれば、生命活動を維持できるのではないか?
だが、あの時点ではその『何か』が見つけられなかった。
異能の進化に可能性を見出し模索していたが、結局それを見つけられずその命を終えた。

祈るべき星の見えない輝く大地で、少女を見下ろす怪異が祈りを捧げるように両手を合わせた。
風に周囲の光が浮き上がる。
それと同種の光が怪異の体より浮かび上がり、横たわる少女の体に温かい日の光の様に注がれてゆく。

それは、隠山祈が死の淵を彷徨う八柳哉太の身を癒したように。
一つの役割を果たす怪異としての命が、救われぬ子供に注がれてゆく。

彼女は、全能の力で全てを救う都合のいい神様ではない。
願えば何でも叶う願望機なんかとも違う。

山折村の積み重ねてきた歴史、彼女の学んできた知識と発想。
そして、ほんのちょっぴりの奇跡。

奇跡が降るにふさわしい夜。
光と闇、生死の入り混じる草原で。
創はその奇跡をただ黙って見守っていた。

それは、最後まで諦めなかった人間の頑張りに見合うだけの報酬として与えられた。
ただ一人の少女を救うだけの。

とても小さな、とても大きいなハッピーエンド。

「…………こほっ」

息絶えていた少女が咳き込む。
死亡していた珠が息を吹き返した。
それを見届けた怪異が穏やかな笑みを浮かべる。

そして、本懐を遂げた怪異の体が粒子となって消滅した。
風の流された先、そこには何も残っていなかった。



342Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:18:55 ID:CAQRuEHA0
研究所本部。
応接室の時計は0時31分の時刻を指している。
日付が変わり、しばしの時間がたった。

「ひとまず、現時点で各地の異変は報告されていません」

奥津がそう報告する。
終里の子が滞在している各地に出来る限りの情報網を広げているが、今の所大きな異変は報告されていない。

「マァ。便りがないのはイイ便りというコトだネ」

染木はそう言って湯飲みから熱い茶をすすった。
日付の変更はおおよその目安だが、ここまで何も報告がない事を考えれば作戦は成功したと言えるだろう。

「元くんはお疲れさまだネェ」

老研究者が労いの声をかける。
そこには疲れ切った男が一人、身を投げ出すように応接室のソファーに座っていた。
脱ぎ捨てた白衣をソファーにかけて、絞った濡れタオルを目元においている。

「……まったく、年寄りに無茶をさせてくれる」

約束通り、終里は1時間強で細菌との対話を習得した。
そしてウイルスネットワークの繋がりを辿って、各地の女王たちを休眠状態にすることに成功した。
かなりの強行軍だったのか、さすがの終里もすっかり疲れ果てた様子である。

Aウイルスが活動を停止すればその影響下にあるCウイルスは沈静化する。
女王の巻いた山折村の種は花を咲かすことなく眠りにつくことになった、本体である女王と一緒に。

「一つ、お尋ねしたい」
「なんだ? 手短に頼む」
「では簡単に。女王の討伐に、あなたの干渉はあったのですか?」

魔王殺しの弾丸を喰らい『魔王』の力が排除された時点で、ウイルスネットワークにおける終里の権限は女王を上回ったはずだ。
干渉手段を習得した時点で女王にも干渉可能になったはずである。

その質問が愉快だったのか。
終里は濡れタオルを取って机に置くと、最低限の姿勢を正す。

「さて、どちらでもよいではないか。いずれにせよ女王の討伐はされていただろう」

いつもの調子を取り戻したように不遜な態度で曖昧な言葉を終里は告げる。
干渉があろうがなかろうが、村の生き残りと特殊部隊の連携によって女王は討伐されていただろう。

「かくして。一件落着、世は事もなし、と言うことだ」
「まだ、事後処理が残っていますが」

冷静に長谷川が指摘する。
女王の行った同時多発テロは不発に終わった。
だが、当面の危機は去っただけで、まだ休眠状態にした女王たちの処理や、山折村の事後処理は必要である。

「なぁに。後に起こることなど、世界の趨勢に何の影響も与えぬ蛇足だろうよ」



343Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:19:18 ID:CAQRuEHA0
奇跡の降る夜。
寄る辺を失い光の花が徐々に色あせてゆく。
村の終焉を告げるような終りの光景の中で、天原創は死者の蘇生と言う奇跡を目の当たりにした。

屈みこんだ創が珠の手首に手をやり脈拍を確かめる。
弱弱しいが脈はある、胸も呼吸で僅かに上下していた。
意識こそ取り戻していないが確かに息を吹き返しているようだ。

女王感染者の死なんてクソったれな運命は覆された。
あきらめず頑張り続けた人の意志によって。
その全ての成果として珠の命は救われた。

安堵の息を吐く創の元に、何者かが近づいてくる気配があった。
創はそれが分かっていたように、冷静にそちらに視線を向ける。
光を失い始めた草原を踏みしめ、迷彩色の男が姿を現した。
創は当たりを付けて、スヴィアから聞いていたその名を呼ぶ。

「乃木平だな?」

光の巨人を撃破し、女王の刃を撃ち落とした特殊部隊。
大一番である対女王戦においても、彼は徹底的に黒子に徹してきた。
一騎当千である特殊部隊の中で明らかに異質な動きでありながら、唯一の生存者として見事に任務を達成した。

「作戦行動中なので、forget-me-notと呼んで欲しいですね」

本気で行っているわけではないのだろう。
冗談めかした様子で肩を竦める。

ヴィアを廻るファーストフード店の攻防で、戦術上の衝突はあったが直接顔を合わせるのは初めての事である。
互いに何気ない会話を交わすような調子で、臨戦態勢のままいざとなれば戦える間合いで構えていた。

「女王は死んだぞ。僕が殺した。彼女はもうその影響下にない」
「そのようで。こちらとしても研究所側のジャッジ待ちです」

だが、目に見えない細菌の話だ。
完全に解決したかと言う確信までは持てない。
完了の判断を下すのは上役の役目だ。

「その後は、そちらの動きはどういう運びになっている?」

創の問いに、天は顔をそらして小声で何かを話し始めた。
どうやら通信先に確認しているようだ。

「女王の死亡に伴い、これから感染者たちからウイルスの影響が消失するでしょう。
 しかし、ウイルスが定着したB感染者はその限りではありません。
 しばし様子を見て正常感染者の中にB感染者がいないかの確認をします。
 問題なく生存者全員の消失が確認できれば我々は撤退します。後はご自由に」

その判断を現在、村を監視している研究所が行っているのだろう。
感染者本人からすれば異能の消失と言う形でウイルスの影響の消滅は自覚できるのだが、まさか自己申告で通すわけにもいくまい。

「ご自由に、か。随分と杜撰な管理なんだな」
「我々は存在しない部隊ですので。事後処理は表の災害処理班にお任せしますよ」

事情を知らない通常の自衛隊が通常の災害として処理される。
生存者を保護するのもそちらの役割なのだろう。

「口封じはしないのか?」
「無用でしょう。もうそれだけの生き残りもいない。何より誰が信じます?」

ここで起きた出来事は荒唐無稽すぎる。
余程の説得力がない限りただの妄言扱いされて終わるだろう。
それにしたって口止めの一つもしないのは妙だが。

「なら。勝手に引き上げさせてもらう」
「構いませんよ。貴方に関しては」

創の背景に関しても既に裏が取れている。
諜報局の諜報員(エージェント)。
放置した所で余計なことはしないだろう。

「ただし、そちらの少女の身柄を預からさせていただきます」

天が指すのは元女王、蘇生を果たした日野珠。
その言葉に、創の視線が睨むように細まる。

「彼女をどうするつもりだ?」
「研究所からの要請ですので、詳細はお答えしかねます」

元女王という検体を研究所が求めている。
それに関してはそうなるのだろう。
だが、連れていかれた検体がどうなるかなど想像に難くない。

344Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:19:36 ID:CAQRuEHA0
「嫌だと言ったら?」
「あなたの許可を得る案件でもないでしょう?」

空気が張り詰める。
創がジリと距離を取るように歩を広げた。

「止めておいたほうがいい。女王の死亡に伴いこの村のウイルスの影響は薄まりました。既にこの村には部隊をいくらでも送り込める状況にある」

銃に手を懸けようとした創を静止する。
ある意味でこの村はウイルスによって守護られていた。
その守護がなくなった以上、いくらでも戦力を投入できる。

「賢明な判断を」

女王は消滅し感染拡大(パンデミック)の脅威は去った。
これ以上彼らが殺し合う理由はない。

「…………いいだろう。そちらの要求に従う」

そう言って、そうは手にしていた銃を地面に落としてポシェットを外して荷物を投げ渡した。
そして、降伏の意を示すように両手を上げる。

アンプルの効果はまだ残っている。
ここで殺し合いになっても1対1なら創が勝つだろう。
だが、目の前の天一人を殺すことはできるだろうが、それだけだ。

命を懸けて戦えば珠が助かるのならともかく、珠の身柄は奪われ創も死ぬのでは何の意味もない。正しく無駄な抵抗だ。
エージェントとして感情に任せたそんな判断はできない。
合理的に、珠の身柄の引き渡しに同意する。

「ただし、条件付きだ」
「伺いましょう」
「僕も同行する。構わないだろう? 研究所だって女王以外の元感染者も欲しいはずだ。彼女には指一本触れさせない」

どこかのエージェントのように自らを検体して差し出す。
他の生存者も気にかかるが、彼らは彼らで離脱するだろう。
今は元女王として狙われる珠の身を守護るのが最優先だ。

創であれば組織と言う後ろ盾はあるし、捕虜の扱いについて交渉もできる。
珠をただ差し出すよりはましだ。

「……まあ、いいでしょう。
 研究所に辿りついてからの処遇に関しては私の立場では約束しかねますが、道中の身の安全は保証しましょう」

特殊部隊とエージェントは条件に合意する。
下手な約束をしないのは彼なりの誠意だろう。
何かを受信したのか、天が耳元を抑え短い受け答えをする。

「上の確認がとれました。この村から[HEウイルス]の影響は晴れたようです」

特殊部隊の口からバイオハザードの終息が宣言される。
戦いはこれで本当に終わったのだ。

「西の山麓に迎えをよこしていますので、あなた方はそちらに向かってください」

天の案内を受け、創が意識のない珠の体を背負う。
そろそろアンプルの反動が来る頃だが、気合で意識を保たせる。

「あんたは同行しないのか?」
「まだ事後処理がありますので。それが終わり次第私も同行しますよ」

そういって創を見送る。
そして、珠を背負った創が立ち去るのを見届けた後、その場に残った天が創の投げ渡した荷物を回収する。
その中身を確認して、司令本部への通信を行う。

「本部。例の作戦関してですが、実行前に一つ回収いただきたい物が出たのですがよろしいでしょうか?」

例の作戦とは天が提案した流出作戦についてだ。
荷物の中に、作戦を補強する道具を見つけた。
申請を行ってから程なくして、回収用ドローンが天の下に舞い降りる。

夜の空に舞い上がっていくドローンを見つめながら、天が息を吐く。
地上の光は消え、天には光が満ちていた。

これで、天の成すべきことは終わった。
多くの犠牲払った大変な任務だった。
実行部隊の中で一番の未熟者である天だけが生き残ったのは何の因果か。

その意味を考えるには、今の天の頭は少し疲れすぎている。
防護服を脱ぎ捨て、自宅のベッドで休みたい気分だ。
ともあれ、任務完了である。

「任務完了しました。forget-me-not。帰還いたします」

【日野 珠 生還】
【天原 創 生還】
【乃木平 天 任務完了】



345Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:19:53 ID:CAQRuEHA0
「何だ…………外で何が起こっているんだ?」

研究所とは違う村に秘匿されたもう一つの地下施設。
資材管理棟と言う名の監禁室に未名崎錬は閉じ込められていた。
ずっと房の中にいた錬ですら感じられるほどの異変が外の世界で起きている。

まるで巨人でも暴れたのではないかと言う、余震が続いたかと思えば、ピタリと収まり恐ろしいまでの静寂が訪れる。
既に外の世界は終わっていているのではないか?
そんな疑念が頭をよぎり、まるでこの独房がノアの箱舟にようにすら感じられた。

外の様子はどうなっているのか?
自分たちの計画は上手くいっているのか?
指示通りスヴィアは動いてくれているだろうか?
ここを訪れた哉太たちはどうなったのだろう?

そんな疑問と不安が膨れ上がり、錬の心を埋め尽くす。
彼の双肩には世界の存亡がかかっているのだ。
こんなところで閉じ込められているのは耐え難い。
無駄とわかっていながら錬は扉に近づき開閉窓に手にかけた、ところで。

「鍵が…………開いてる?」

地震の拍子に外れたのか、扉が開いている事に気づいた。
余りにも都合のいい偶然である。
恐る恐ると言った様子で重い房の扉を開く。

久方ぶりの外の空気が流れ込む。
と言ってもまだ、地下の資材管理棟の中ではあるのだが。
長らく閉じ込められていた狭い独房から出るのはやはり解放感がある。

だが、そんな呑気な感想を抱いている場合ではない。
外がどうなっているのか分からない
研究所の連中に見つかる前にこの場を離脱する必要がある。

外に出るべく廊下を進み、地上に続くエレベータに向かう、
だが、その途中、足元に転がる板の様な何かに気づいた。

まっさらな白い廊下にこれ見よがしに転がるソレを拾い上げる。
それはスマートフォンだった。

なぜこんなところにスマートフォンが落ちているのか。
数時間前にここを訪ねてきた哉太かアニカが落としたモノだろうか?
そう思いながらスマホを拾い上げ何気なくスイッチに触ってみる。
すると、ロックはかかっていないのか画面がオンにされた。

確認程度に目を通すだけのつもりだったが、一つのテキストデータを開いた瞬間その目の色が変わった。
足を止めて夢中の様子で読み漁り始める。
そのテキストの中には、この村の暗部についての告発文が書かれていた。

それは小説家、袴田伴次のスマートフォンだった。
つまりそこに書かれていたのは告発文ではなく、単なる小説のネタ。
この村の伝承について様々なある事ない事が記述されていた。

何故そんなものがこんなところに?
そんな疑問よりも早く錬は理解した。
己が『天』に与えられた『運命』を。

使命感に駆られながら、固い廊下を駆けだした。
外の世界に続くエレベータに向かって。

彼は感染力を持たない[HE-004]の感染者である。
[HE-028]に感染せず、村外に出たところでパンデミックの原因にならない。
女王の死を知らずとも、村の外に出ることに躊躇いはない。

村の外へと事の顛末を伝える必要がある。
それこそが世界を救わんとした錬に与えられた天命である。

これが、天が司令部に提案した流出計画の保険である。

錬の閉じ込められた房の鍵が開いたのは、もちろん偶然ではない。
隠密行動を得意とする隊員――婆が工作員として資材管理棟に侵入させていた。
女王死亡後であれば山中の封鎖要因を借り出してもよいと言う判断である。

そしてしかるべきタイミングで潜入した工作員が鍵を開ける。
地面に落ちていたスマートフォンも工作員が用意したものだ。
天が預かった創の荷物にあったものをドローンによって運んで工作員によって配置された。

未名崎錬という男は、テロリストを手引きしてこの村を地獄に突き落とした実行犯の一人だ。
ただの身勝手な犯罪者であれば自分の保身に走るだろう。
だが、世界救済のために動いた思想犯であれば、そのような行動に走らない。
彼には世界の為に自らの命を投げ出す覚悟がある。

未名崎錬は研究員の一人であり、実行犯の一人として多くの情報を持っている。
そして自ら世界を救おうとする行動力を持ち、それなりに名の売れた研究者としての影響力もある。
『Z計画』の詳細の告発者としてこれ以上ない人材だ。

ヒロイズムに酔う人間は、都合よく転がっていた情報を『天命』だと思い込む。
都合のいい情報を都合よく解釈して、この情報を元に面白おかしく尾ひれを付けて喧伝してくれるだろう。
彼の脱出は見逃され、平穏無事に成し遂げられるだろう。

勘違いの使命感を抱えながら。
告発者は地上に続くエレベータに乗った。



346Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:20:16 ID:CAQRuEHA0
「……終わったな」

誰となくつぶやかれた言葉は風に流れた。
診療所の中庭でもみ合うように絡み合っていた3人の男女は、遠く離れた草原で行われた決着を感じ取っていた。

抵抗と拘束を続けた結果、三角締めからポジションを変えバックチョークの体勢に移行しており。
アニカの放つ魔力紐もその動きを支援するように哉太の両足を引っ張っていた。
それでもなお無限の耐久力と再生力で暴れまわる哉太を押さえるのに精いっぱいだったが、その動きも今となっては完全に静止している。
哉太の抵抗は既に止み、それを抑える2人の少女も何かに気を取られるように力を抜いていた。

感染者の頭の中で響く声が完全に消え去った。
心の中に終りを告げるような虚しさがある。
その結末を見届けることはできなかったが、感染者たちは実感として理解していた。

――――女王は、死んだのだと。

女王の死に伴い、己が脳内を侵すウイルスが活動を停止し始めた。
ただの寄生関係でしかなかったとしても、自分の一部だった存在の消失である。
寂しさを感じるのは、寄る辺となる女王を失い、自らも消えゆく[HEウイルス]の心なのか。

「ああ…………もう、大丈夫だよ二人とも」

仰向けに寝転がりながら、自らを押さえていた2人に告げる。
哉太の中からも、自らを突き動かすような衝動が消えていた。

それに伴い、彼女たちの異能も徐々に消え去り始めていた。
高魔力体質の消去によって魔聖剣の魔力放出も途切れはじめた。
哉太の拘束も解かれてゆき、抑え込みを行っていた茶子も技を解いて身を放した。

「あぁ……くそ、情けねぇな」

解放された哉太は悔し気にそうつぶやく。
衝動はなくなってもその記憶は残っている。
情けなさと気恥ずかしさが襲ってきて立ち上がれないでいた。

ともあれ、これで山折村で発生したVHは終わったのだ。
多くの犠牲を出し、取り返しのつかない被害をもたらしたが。
これ以上何かが失われることはないはずだ。

だが、アニカの託された為すべきことはここからだ。
山折村の正しき終焉のため、呪われた歴史に正しき終わりを。

その為に、白兎が願望機に託した願いを、正しき名で願いなおす。
白兎の望んだ「神楽うさぎ」こと、デセオの完全なる蘇生。
白と黒に分かれた肉体と魂を一つにして正真正銘の『運命』の女神の子による、因果の解体だ。

「Ms.チャコ。御守りを」
「ああ」

ようやく訪れる終りの時。
1000年の呪いより解き放たれる時が来た。
未来へのプラチナチケットを届けるためにアニカへ茶子が近づく。

「…………え」

少女の口から間の抜けた声が漏れた。
気付けば、いつの間に拾い上げたのか、茶子の手には藤次郎の刀が握られている。
その刃はアニカの腹部を拭き破り、背から鋭く突き出されていた。

時が止まったかのような静寂。
少女の血を吸った剣先から、赤い雫が滴り落ちる。

手首をひねった茶子が乱暴にアニカの体を蹴りだし、刃が勢いよく引き抜かれる。
小さな少女の体から信じられない程大量の血が噴き出した。
倒れた体は2、3度ビクビクと痙攣しながら血を噴出した後、完全に動かなくなった。

「……………………茶子、姉?」

目の前で繰り広げられた信じられない光景に哉太が言葉を呑む。
その声を無視して、茶子はアニカの手元から零れ落ちた血濡れの盃を拾い上げる。

最大の邪魔者である女王は消え去った。
手には願いを叶える願い星がある。
ならば、すべきことなど一つだ。


「―――――――願望機は、あたしが使う」


ゆらりと、終りを拒む亡霊のように、山折村の生み出した被害者(かいぶつ)は己が祈りを口にする。




「あたしは、この山折村を――――永遠に残す」




【天宝寺 アニカ 死亡】

347Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:20:52 ID:CAQRuEHA0
女王の消滅が確認されたためルールに従いオリロワZはこれで完結となります。
ここまでお付き合いくださいまして、みなさまありがとうございました。

蛇足戦&エピローグは3週間後の

8/26(月) 00:00:00

までに投下予定です

348 ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:01:12 ID:fyYMDBK20
お待たせしました
これより蛇足戦&エピローグを投下します

349Z' ―永遠の山折― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:01:55 ID:fyYMDBK20



終りの先に何があるかって?



そもそも、本当に終わると思ってた?





350Z' ―永遠の山折― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:02:32 ID:fyYMDBK20

――――2012年初春。

季節は新たな出会いを予感させる春。
山折村を取り囲む山々は色とりどりの鮮やかな色彩に彩られていた。
風が吹くたびに様々な花弁が舞い、空から虹が降り注ぐようである。

『怖い家』から逃げ延びた少女は虎尾夫妻に保護され虎尾茶子になった。
保護された直後の茶子の腕はまるで枯れ枝の様に細く、肩や肋骨は骨が浮き出るほどに肉付きが悪い。
痩せこけた体は本当に風が吹いただけで折れてしまいそうであった。

『怖い家』で食事を与えられなかったわけではない
ただ、そこの顧客は極端な少女性愛によって骨張った体を好んでおり、管理者からすれば少女たちの抵抗力を削げて両得だったのだろう。
茶子の体は年齢にしては小さく、栄養失調に近い発育不良な状態となっていた。

虎尾夫妻の献身的な介護と山折村の自然がもたらす豊かな食事環境により、ある程度は肉付きが良くなっていた。
だが、健康的な肉体を手に入れるためには、やはりある程度の運動も必要となってくるだろう。
健全な精神は健全な肉体に宿るとも言う。そう考えた虎雄夫妻は茶子を村にある剣術道場に通わせることにした。
本格的に学校に通わせる前に茶子を心身共に鍛えておこうという虎尾夫妻の配慮である。

彼女が通うことになった八柳流の道場は、基本的には村の大人たちが健康体操を行うために通う場所である。
虎尾夫妻もたまに通っているような、この山折村におけるジムのような物だった。
本格的な浅葱の道場とは違い、運動不足の子供を通わせるにはちょうどいい緩さである。

虎尾家で過ごす日々で茶子の心は徐々に癒されていたが。
義父以外の大人の男に対しては当時をフラッシュバックする心的外傷を抱えていた。
道場に通っていたのはほとんどが村の大人ばかりであるのだが、小さな村だ、そんな茶子の事情は村全体におおよそだが共有されていた。
ひたすらに周囲の視線を気にせず棒振りに励む墨の入った男もいたが、良識のある大人たちは適切な距離感を保って茶子に接してくれていた。

そうして過ごしていくうちに、茶子にとって八柳道場は居心地の悪くない場所となっていた。
そんな風に虎尾の家以外にも徐々に彼女の安心できる場所が増えて行動範囲が広がって行けばいい。
そんな山折村の優しさに彼女は見守られていたのだ。

だがある日、そんな彼女の安息の地に侵略者が現れた。
いつものように両親に見送られ剣道場に向かうと道場が奇妙な騒がしさに包まれていることに気づいた。
その騒がしさの正体は、道場を訪れた村の子供たちであった。

今年から小学生に上がるという子供たちで、話によれば今年から道場に通い始めるという事だ。
害意のない年下の子供たちと触れ合わせることで慣らして行こうという虎尾夫妻と八柳翁の粋な計らいだったのだが。
子供たちは道場に現れた見慣れない年上の少女に興味を持ったのか、茶子を取り囲むようにして遠慮のない質問攻めを行った。

「みない顔だな。だれだよお前」

リーダー格の少年は生意気な子供だった。
茶子が発育不良気味であるとは言え、明らかに年上の相手に向かって自分が偉いと言わんばかりの態度で突っかかってきたのだ。
だが、性根にある反抗心だけはその時から一人前だったのか、茶子はとりあえず拳で分らせてやることにした。
その生意気なガキが村長の孫だと茶子が知ったのは、その後の事である。

茶子と少年は互角の戦いを演じたが、すぐに周囲の大人たちに引き離された。
小さな子供に勝てなかったと恥じるべきか、男の子に引けを取らなかったと誇るべきか、難しい所だ。
ヤンチャな子供たちのグループから引き離され、両親に慰められていると師範である藤次郎が近づいてきた。

「哉太。来なさい」

そう言って、子供たちの方から一人の少年を呼び込んだ。
身内であるからだろう、他の子どもより厳しく礼儀を叩きこまれた少年は頭を下げた。

「初めまして! 八柳哉太です」
「………と、虎尾……茶子、です。よ、よろしく……お願い、します。哉…………くん」

おどおどとした様子で返す言葉が途切れる。
先ほどまで少年と殴り合っていた態度はどこへやら、年下相手に敬語で返してしまった。
持ち前の反骨精神から逆境や敵には強いが、まともな相手になるとこうなってしまう。
誘拐される前(まともだった頃)の自分がどう友達と過ごしていたのか、そんな事すら今の茶子には思い出せない。

「それなら、茶子姉だね」

そんな年上女子の挙動不審も気にせず、笑いながら少年は少女を受け入れた。
茶子も差し出された手をおずおずと握り返す。

床がひんやりとした剣道場。
外には祝福のように花弁が舞い散る。
新たな出会いを予感させる春に2人は出会った。
そんなことがあった。



351Z' ―永遠の山折― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:03:19 ID:fyYMDBK20
日本の片田舎で発生した未曽有の危機。
それは小さな村の過去から始まり、異世界と複雑に絡み合いながら魔王と旧日本軍の人体実験によってかき乱され、災厄の歴史と言う一つの紋様を編み上げて行った。
絡まった糸のように複雑に絡まったその因果は、人間とウイルスによる世界の存亡をかけた戦いにまで発展して行き、今を生きる多くの人たちの努力と献身によって終息を迎えた。

世界の危機は去った。
全てが終わった小さな村に取り残されたのは、世界の行く末を左右しない蛇足のような戦いだけである。

山折村と言う外界から隔絶された閉ざされた世界には死が満ちていた。
周囲に封鎖網を敷いていた特殊部隊も徐々に撤退をはじめている。
村に残った命はアダムとイヴの如く男と女の2つだけ。
だがそれは創世神話における最初の命とは違う、この山折村に残された最後の命だ。

世界を輝かせていた魂の輝きも風に流されるように消え去った。
残るのは死者にすら見放されたような闇だ。
何もかも死に絶えたような荒野を、太陽の光を返した死んだ月の光だけが照らしていた。

女の手には血濡れの杯。
それは死と破壊を尊ぶ魔王によって造られた、願いを叶える願望機だ。
女は血と理想に酔うように、夜の空に杯を掲げていた。

「あたしは、この山折村を――――永遠に残す」

そんな茶子の宣言に呆然としていた哉太が、ハッとしたように意識を取り戻す。
そして何よりも先に、茶子ではなく、倒れた少女に向かって駆け寄った。

「ッ…………アニカッ!?」

力なく倒れたアニカの体を抱えて、激しく肩を揺さぶる。
だが、血で汚れた青白い顔をして首をガクガクと揺らすだけで何の反応もない。

「アニカ! アニカッ!!」

何度その名を呼ぼうとも返事はない。
あれほど雄弁だった口も開かれることはなく、愛らしかった表情も永遠に変わる事はない。
もう二度と彼女が動くことはない。そこにはただ冷たい死と言う現実があった。

「…………アニ…………カ」

その現実に押しつぶされるように哉太の両肩から力が失われる。
全身を震わせながら、アニカの死体を地面に置いた哉太がゆらりと幽鬼のように立ち上がった。

「………………どう、して?」

叫び出したいほどの衝動を抑えて、震える喉から声を絞り出す。
聞きたいことは山のようにあった。
だというのに、上手く言葉にならず、そんな曖昧なことしか聞けなかった。

「言ったでしょ、あたしはこの村を永遠に残す。そのために願望機を先に使われるわけにはいかなかった」
「意味が分からねぇよ! この村を残すって何だよ!?」

当たり前のように回答する茶子に、責めるような強い語気で哉太は叫ぶ。

「だったら何でみんなを殺したんだよ!? 全部殺したのは茶子姉じゃないか!?」

このバイオハザードによって多くの住民は死に絶えた。もう、この村で生きているのは自分たちだけだろう。
自衛のためのだと、仕方ない事だと飲み込んだ感情が堰を切ったように吐き出されていた。
僅かに離れた草原には、他ならぬ茶子が築き上げた死体の山がある。
多くの人間を殺した人間の吐くべき言葉ではない。

「違うよ。あたしはこの村の汚れを綺麗にしただけ」

彼女が切り捨てたのはこの村に木の根のように蔓延る闇だ。
仮に朝景礼治や木更津組の残党が生きていたとしても、全員殺せば確実に死んでいるだろう。
ローラー作戦のように全てを切り捨て、この村を奇麗にしただけである。

「綺麗に…………? あの血と泥にまみれた死体の山が!? アニカを殺す事がか!? あんたはそんな事の為にアニカを殺したってのかよッ!?」
「そうだよ」

何の迷いもなく即答する。
村に沈殿する泥も汚れも全て掻き出された。
このVHで村に巣食った災厄や偽りの神様も排除された。
全部リセットして最初からやり直すにはいい土壌だ。

352Z' ―永遠の山折― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:03:37 ID:fyYMDBK20
「ッッ! そんな方法で何が残るって言うんだ!? 村を残すってのは、そうじゃないだろ!?」

こんなやり方は違う。
山折村を忘れない事。語り継いでいく事こそが、山折村を残すという事ではないのか。
哉太は全身を振り乱して、荒廃した何もない闇を指す。

「見ればわかるだろ!? この村はとっくに終わったんだよ!!」

喉から血が出るような叫びをあげる。
少しでも考えればわかる。もはや山折村はどうしようもない。
村とはそこで生きる人々の生活そのものだ。人が居なくては立ち行かない。
全てが死に絶えたこの村が立ち行くわけがない。

「…………終わらないよ――――あたしが終わらせない!
 終わったんならまた始めればいい、そうッ! あたしの祈りがこの村を救うんだよ……!」

そう言って、血濡れの願望機を掲げる。
だが、その杯の中に満ちているのは希望などではない、多くの死を飲み込んだ呪いの杯だ。

理屈や理論など関係ない。
茶子はただ『山折村を終わらせない』と言う、その結論にしがみ付いていた。
子供の我侭以下の現実逃避、だが、彼女は現実を超越して願いを叶える手段を知り、手に入れてしまった。

希望を唱えるその目は夜よりも暗く、闇よりも深く、泥の底よりも濁った色をしている。
茶子はもう壊れている。壊れてしまった。
哉太にもそれが、痛いくらいに分ってしまった。

「…………俺のせいか? 俺が……この村を離れたから」

茶子がこうなってしまったのは自分が村にいなかったから。
哉太が村を離れずそばに居れば、こんな事にはならなかったのではないか。
そんな深い後悔が哉太の全身を重く沈める。

「――――――それは違うよ哉くん」

だが、それは違うと。
これまでにない穏やかな声ではっきりと否定する。

「あたしは最初から壊れていたの。あなたと出会った時から、いいえ、出会う前からあたしはとっくに終わっていたんだよ」

哉太と出会った時点で茶子はとっくに終わっていた。
奪われ汚され壊され弄ばれて、救いようがないくらいに手遅れだった。
だから、きっと最初からこうなることは決まっていたのだ。

「ツギハギだらけでやってきたけど、それももう限界……。
 何が正しくて何が間違っているのかなんて、最初からあたしにはわからなかったの」

酷く疲れたように空っぽの息を吐く。
彼女が居るのは最初から手の届かない奈落の底。
自分がいれば救えたかもしれないなんて考えは自惚れでしかない。

哉太では茶子の救いにはなれなかった。
それが、あの日出会った2人の答えだった。

「だから、哉くん。それが間違いだと思うのなら、止めればいい。
 間違いだったあたしをどうか――――」

――――終わらせてね。
そう聞こえた気がした。

茶子は止まらない。
彼女にはもう自分自身でも止まり方など分からなくなっている。
それこそ死ぬまで止められないだろう。
止めるにはもう、殺すしかない。

壊れてしまった少女の抱いたたった一つの願い。
その一瞬だけが真実だったのではなかったか。

哉太は地面に落ちていた魔聖剣を手に取る。
それがこの女に与えられる唯一の救いであるのならば。
決着を望むその動きに応えるように、茶子が願望機を投げ捨て、両手で刀を握り絞めた。

「茶子姉ぇええええ――――――――ッッ!!!」
「哉――――――――くぅぅぅううんッッ!!!」

2人は互いの名を呼びあった。
いつかの春。
あの出会いの日のように。




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