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オリロワZ part3

153オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:49:47 ID:yc3oyUGQ0
白亜の夢迷宮にて、少女と少年は白い光に導かれるまま薄闇の奥底へと進んでいた。
彼らの背後には悍ましき双角の悪鬼。轟音と共に壁を破壊し、黒い靄をコンクリート片と共に撒き散らしながら、二人を捕食せんと追跡する。
遂に少女らは奥底へと到達し、閉ざされた扉を開く。彼らの眼前には階段。怪物は未だ少女らに狙いを定め、破壊を続けていた。
最早一刻の猶予もない。意を決して少女と少年は奥底の更に底――地の獄へと続く階段を降りて行った。

―――瞬間、開闢の光が広がる。
何が起きたのかと少女は周囲を見渡すと、そこは一面が白に包まれた無機質な空間の中。
怪物との追跡で殿を務めていた剣士の少年の姿はなく、少女jの目の前には白い扉。

「なんだろう、これ」

そっと白い扉に触れてみる。檜のように温かみを残しつつも鋼鉄のように確かな硬さがある不思議な材質の扉。
この先には何があるのか、または何が封じられているのか。何となくだが少女は理解していた。
(きっとこの先にはーーー)
怪物から命からがら逃げ出してきた時とは違う、穏やかな感情のままドアノブへと手を掛ける。

『望、この扉だけは開けてはいけない』

背後から聞こえる女性と思わしき綺麗な声。振り返るといつの間にいたのか、ふわふわな毛並みの一羽の白兎。
その愛らしさとは裏腹に雰囲気は神々しく、少女を見つめる紅い双眸には獣とは思えぬ英知の色を漂わせていた。
少女――犬山うさぎは白兎の事を知っている。

「ウサミちゃん……」
『この先には何もないんだ。君の友達と一緒に外の世界に戻ろう。私が案内する』

白兎は有無を言わせない口調で断言し、ついて来いとばかりにうさぎへと背を向けた。
うさぎには白兎の強い言葉は内に秘める不安や焦燥を覆い隠し、悟られないようにしているとしか思えなかった。
だから、少女は白兎の言葉を無視してドアノブへと手を掛ける。

『ーーー話、聞いてた?ここには何もない、何もないんだよ』

今度は確かな怒りと僅かばかりの困惑の入り混じった声。
その声色で、その態度で少女は確信する。

「ウサミちゃん。嘘、ついてるよね。この先にあるもの、貴女は知ってるんでしょ」
『…………』
「答えて」

白兎に背を向けたまま、普段とはかけ離れた厳しい口調で少女は問い詰めた。
それでも白兎は問いに答えることはなく、口を噤み続け、痛々しい沈黙が白い空間の中で流れる。
埒が明かないとばかりにうさぎはドアノブに手を掛けて扉を開こうとすると、観念したかのように白兎が口を開いた。

154オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:51:10 ID:yc3oyUGQ0
『ここは女王の作り出した即席異空間(ダンジョン)や現実世界など様々な世界が交差する分岐路。
当然、望が地球に再度転生する際に経由した時空の狭間へも繫がっている。
この空間の中にある存在は、私達の魂――いや、脳かな?それが認識できるように変換されて具現化したものなんだ。
だから、こう……扉という分かりやすい形で時空の狭間に接続された経路(パス)が現れたのかもしれない』
「――それだけじゃ、ないんでしょ?」
『……望は異世界(あちら)の記憶と力を時空の狭間で失い、魂そのものを書き換えられてもう一度地球に転生した。
だけど、君が再び狭間(こちら)に来たこととあちらから持ち出した御守りの力で失われた力が蘇りかけている。
扉を潜れば剣と魔法の世界で得た力と接続され、君が絆を紡いだ『干支時計』の皆は本来の姿に近い存在に戻る筈だ。尤も、全盛期とは程遠い、けどね』

うさぎの追及に白兎は苦しげな口調で答えていく。
一通り話し終わり、『でも――』と心から話したくないような躊躇いを出した後、再び言の葉を紡いだ。

『――望は二度も輪廻転生から外れ、因果を捻じ曲げて転生を繰り返した。人間の魂で何度も輪廻転生を繰り返せば、必ずその皺寄せが来る。
その皺寄せを防ぐため、君の魂と結びついた『隠山望』としての君の記憶や力を時空の狭間で削ぎ落とさなきゃいけなかったんだ。
それに私の力ではこれ以上君の因果を捻じ曲げられない。……君の因果を歪曲したのは私。身勝手だって、マッチポンプだって私を恨んでくれても構わない。
それでも君には……この村で身勝手な理由で人柱にされた君には幸せになって欲しかった』
「……………」
『幸か不幸か、あの異空間に閉じ込められたことで君の『干支時計』は進化を果たした。後は少しだけ私達10体が無茶をすれば、今度こそ君を助けられる。
……もう十分でしょう。後は私達に任せて、これ以上君が苦難の道を歩む必要はないんだよ』

苦悩の言葉による説得の後、白兎はうさぎの足元まで歩み寄り、彼女を見上げる。
白兎の言葉も、彼女がうさぎを慮っているのは事実であり、うさぎ自身もそこには何一つ疑いを持っていない。
もうこれ以上私が苦しむ必要はない。後はこの子に全て任せて楽になってしまえ。
白兎の甘言が天使の囁きの如く、少女の心の中に反響する。

(だけど――――)
「それって、スネスネちゃんやトラミちゃんみたいに、ウサミちゃん達が犠牲になってもいいって事なの?」
『……………』

うさぎの問いに白兎――ウサミちゃんは沈痛な面持ちで沈黙した。その答えで、少女の心は定まった。
足元で見上げる白兎に目もくれず、少女は閉ざされた禁忌の扉へと手を掛ける。
その瞬間、白兎は少女の足元へと縋りついて言葉を発する。

『望。この先へは行かないでくれ。この扉の先に行ってしまえば、君は……!
お願いだ!君には幸せな天寿を全うして欲しいんだ!これ以上、私に大切な人を失わせないでくれ……!
私達12体がこの世界に訪れたのは、君に幸せになって欲しいからなんだ!君に使い潰されても良い!君の友も助けると約束する!だから―――』

諭すような説得はいつしか悲痛な懇願へと変化し、それに伴い白兎の小さな前足にも力が入るのを肌で感じ取った。
この先へ進めば「犬山うさぎ」としての何もかもが変わってしまう。その分岐点に立たされていて、不安や恐怖を感じない訳が無い。
白兎に導かれ、彼らを犠牲にして安寧の道を行くか、歪曲された因果の皺寄せを一身に受けて、真実を知る苦難の道を行くか。
答えは既に決まっていた。
うさぎは一度振り返り、足元の小さな友達へと目を向け、精一杯の笑顔を向ける。

「……ごめんね、ウサミちゃん。貴方達も私にとっては大切な友達なの。だから、死なせたくない」

伸ばされた救いの手を振り払い、友の悲痛な声に背を向けて、隠山望(いぬやまうさぎ)は閉ざされた禁忌を開く。
白亜の扉の先、少女の眼前には眩い光が広がる空間。その先に何があるのかなんて想像がつかない。
光の先へと一歩、少女は踏み出す。もう振り返ることはない。

155オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:51:36 ID:yc3oyUGQ0
「ここは……?」
踏み出した光の向こう側。少女の目の前には夜闇に包まれた草木生い茂る自然。つい先程の人工的かつ無機質な漂白空間とは対極にある風景。
靴から伝わる腐葉土の柔らかい感触。鼻孔をくすぐる野花の匂い。素肌に感じるひんやりとした澄んだ空気。
現世(いま)も前世(むかし)も変わらない、優しい世界。
「犬山うさぎ」という一人の漂流者の因果が収束する全ての原点(はじまり)、隠山の里。
この地に足を踏み入れた瞬間から、少しずつ自分の中で何かが戻ってくる感覚がする。
ふと、耳を澄ませばそう遠くない場所から聞こえてくる少年と少女の声が重なる小さな小さな祭囃子。
遥か昔/ほんの少し前、聞いたことがある懐かしい音色。

(きっと、あそこにはーー)
犬山うさぎは知らない/隠山望は知っている、大切な人達がいる。確信し、少女は駆け出す。
静謐な森。その中にある月光に照らされた神秘的な空間。そこに、彼らはいた。
木の枝を手に取り、きらきらと輝く笑顔で演舞を舞う少年とっ少女。演舞の中心で手拍子を打つ、巫女装束を身に纏う白い髪の美しい幼子。
彼らの演舞の中――白い『あの子』が、隠山望としての全てが具現がした姿。彼女を見た瞬間、それをうさぎは理解していた。

「ここに、来てしまったんだね」
背後から聞こえるのは悲しそうに響く幼い少年の声。振り返ると犬山はすみ(おねえちゃん)の面影がある少年――隠山覚の姿。
もう後戻りはできないし、するつもりはない。言葉を交わさずともそんな様子を察したのか、双子の弟は困ったような笑顔を浮かべた。

「昔から、望は姉上に似て頑固者だったよね」
「それは覚も同じでしょ。姉様に似て、とっても頑固者」

顔を突き合わせて笑い合う双子。600年の時を超えた再会。
どれだけ時が流れようとも以心伝心。言葉はこれ以上不要。だから、別れの挨拶はたった一言。

「いってらっしゃい、望」
「いってきます、覚」

その言葉を最後に隠山覚の姿は掻き消え、隠山望は三人の演舞の中に足を進める。そしてーー。



156オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:52:14 ID:yc3oyUGQ0
山折村南西の草原地帯。月が導く異界にて暗黒を纏いし悪鬼、大田原源一郎。地を踏み砕きながら疾走する。
異能『餓鬼(ハンガー・オウガー)』によって理性と引き換えに爆発的な身体能力に加え、更に女王日野珠による魔術と山折に巣食う厄の恩恵を得ている。
対峙するのは一組の男女。淡い光を放つ打刀を構える若き剣豪、八柳哉太と異世界と肩に直立する山ネズミを乗せた過去を行き来した獣愛でる召喚士、犬山うさぎ。
距離は僅か数十メートル。到達までの時間は数十秒。
少年は聖刀を下段に構え、腰を低くして迎え撃つように疾駆する。それを合図に少女は少女は右手を突き出し、祈りの言葉を紡ぐ。

「お願い、来て―――」

召喚士の目の前に現れる魔法陣。それはかつてのうさぎの異能では現れることはなかったもの。
白兎との邂逅。かつての山折の地での記憶遡行。それらを以て、犬山うさぎの体内に眠る『干支時計』は全盛期ほどではないが、力を取り戻した。
それだけに留まらない。VH発生により現在に至るまで保菌者であるうさぎに与えられ多大なストレス。
閉じ込められていた時空が捻じ曲がった閉鎖空間により時針が狂わされた干支時計。
二つの相乗効果が取り戻した力と複雑に絡み合い、干支時計は歪な進化を果たしていた。

遠吠えと共に現れたのは角を生やした白獅子のような逞しい体躯の聖獣――和犬の形でうさぎを守護していた拒魔(こま)犬、ワンタ。
羽音と共に顕現するのは東方神話において猛禽の姿をし、大風(たいふう)の名を冠した厄鳥、タカコ。
本来の干支時計ではワンタは10時の犬、タカコは9時の酉として、それも魔力のない地球上の獣へと変換された姿で召喚されるはずだった獣。
しかし、干支時計は時空の乱れた空間による異変、持ち主である犬山うさぎが時空の狭間にて喪失した力を取り戻したことによる影響をダイレクトに受けた。
そこに莫大なストレスというエッセンスも加わる。故に、うさぎの持つ干支時計は歪な進化を果たした。
保持者の意志により時針を自在に動かせるようになり、主の思い描く本来の姿の動物の召喚、それの複数顕現が可能となった。
だが、その対価は当然求められる。

「―――はァ……はァ……!」

ガクガクと足を震わせ、荒い呼吸を繰り返すうさぎ。額から脂汗が滴り落ち、顔も土色に変色している。
歪で不相応な進化を遂げた「干支時計」が求めた対価は魔力。地球の理(ことわり)から逸脱したエネルギー。
異世界においては酸素と同様に空気中を漂い、その世界に住まう生物も魔力を貯蔵する器官を備えていた。
だが、犬山うさぎの身体には魔力を生成・貯蔵する器官は存在しない。
故に魔力の代用となるのは主の生命力。必要なエネルギーは干支時計を介して魔力へと変換され、それによって生成された魔力にて召喚が行われる。
更に召喚に必要な魔力(コスト)は獣ごとに個体差がある上、現状では消費したうさぎの生命力を補填する手段は見つかっていない。
召喚士「イヌヤマ」が転生と共に持ち出した「干支時計」は消費される主の生命力と魂を守るため、自らの機能に制限(リミッター)をかけていた。
彼女と絆を結んでいた残り10体の召喚獣も同様。友への負担を減らすため、「隠山望」としての記憶と力を枷に嘗ての姿を封じ、魔力を要せず力の弱い現地生物の姿へと身を落としていた。

だが度重なる異常事態(イレギュラー)により前提は崩れ、戒めの楔は外された。
干支時計は発生したバグにより自ら貸したセーフティレベルが大幅に低下。それに伴い、地球では極僅かしか存在しない魔力を求めるようシステムが改変された。
獣達はうさぎが記憶と力を取り戻したことで強制的に安全装置が外され、この世界に各々持ち込んだ魔力を消費する姿へと戻らざるを得なくなった。

だが、召喚獣達はその結果を甘んじて受け入れた訳ではなかった。
自分の魔力が尽きれば再び干支時計に封じられるか、力無き現地生物へと身を落とすかの二択。最愛の友を守護るため、彼らは元の姿で顕現していたい。
故に彼らの選択は折半案――本来の力をスケールダウンさせて消費魔力を抑え、一体でも多く、、少しでも長く、彼女と共にいられるように画策した。

うさぎも「召喚士イヌヤマ」の経験から召喚獣達の意向、異常が発生した干支時計に気付き、対戦鬼においての最適解を導き出した。
呼び出す友は犬(ワンタ)、酉(タカコ)、そしてーー。

157オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:52:40 ID:yc3oyUGQ0
「■■■■■■■■■■■■■■■■ーーーーー!!!」

天地を揺るがす雄叫びと共に巌の如き凶戦士が急接近する。
その身に纏うのは悍ましき暗黒。影法師の少女『隠山祈』の片割れが使役していた凝縮された山折村の厄そのもの。
立ち向かうのは剣士と番犬。一人と一匹は迫りくる怪物を打倒すべく左右に分かれて並走する。
激突する数秒前。その僅かな隙間に巨人の纏う厄が蠢く。
瞬間、蠢動する暗黒は八つ首の触手へと分裂して襲い掛かる。その有様はまさに八岐大蛇。

「バウッ!」
「ああ、分かってる!」

一瞬のアイコンタクト。走る速度はそのまま、襲い来る黒蛇へ向かう。
迫る暗黒。穢れの槍が勇士達を貫く刹那ーー。

「キルルルルゥオオーーーーー!!」

怪鳥の如き咆哮と共に暴風が吹き荒れる。
暴風を巻き起こしたのは災害の異名を持つ猛禽、妖怪『大風』の酉、タカコ。
魔力を帯びた風は八つ首の蛇を胡散させ、巨人に纏わりついていた厄の鎧を一時的に吹き飛ばす。
巨人は未だ健在。哉太達に迫るのは地を砕く鉄槌の如し巨大な拳。直撃どころか掠めでもすれば血肉を撒き散らし、大地の栄養分と化すであろう。
だが、吹き荒れる烈風は哉太達の追い風となり、その風に乗った魔力は一人と一匹の肉体を強化させる。

突撃(ドッグ・チャージ)が大田原の左足を穿つ。
八柳流『這い狼』が大田原の右足を切り裂く。
振り下ろされた鉄杭が地を穿ち、小規模のクレーターを作り出す。
哉太達は暴風に背を押され、横殴りの風圧を風で生成された魔力の膜で耐え、怪物の横を駆け抜ける。
剣士達により受けた傷は瞬く間に再生するも、彼らの猛撃は赤鬼の巨体を揺るがすのには十分な威力だった。
だが、赤鬼は数多の敵対者を葬り去った歴戦の猛者。狂気に陥り、技を忘れようとも本能と直結した体捌きは健在。
すぐさま体勢を立て直し、駆け抜けた勇士達を尻目に次の獲物ーー召喚士たる少女へ目を向ける。
だが忘れることなかれ。この地に降り立った召喚士も歴戦の猛者。力を失おうとも魔王アルシェルの軍勢と死闘を繰り広げた経験は生きている。
大田原が動き出すその刹那、干支時計がうさぎの生命力を吸い、再び魔法陣が顕現。呼び出す獣はーー。

「ーー三猿様!」

三つ子の猿が魔法陣より現れる。同時に彼ら3匹の身体が3つの光球に変化。それらが合わさり、一つの光球へ。
光が消え、3匹の猿がいた場所には額に黄金の輪ーー緊箍児を巻き、魔術で作り出した長棍を手に持つ成人男性サイズの逞しい1匹の猿。
かの異世界から地球へ転移した際、三つ子の魔猿は魔術を封じ、ただの野猿として干支時計の中で眠りについていた。
だが、枷が外され、友を守護るために禁じていた魂と肉体の結合を実行。
三猿合体、斉天大聖。異世界における魔術と棍術のエキスパートたる獣(モンスター)である。
戦鬼が突撃する。激突する寸前、斉天大聖は召喚士を抱え、跳躍。
三メートルの赤鬼を飛び超え、安全地帯――哉太とワンタのすぐ後ろに着地し、うさぎを降ろす。

「ありがとう、三猿様」

感謝の言葉に振り返らずサムズアップで応える。そのすぐ後、飛翔していた怪鳥タカコが召喚士の隣へと舞い降りる。
獲物を仕留め損ねた人食いの巨人は地の底から轟くような唸りと共に振り返り、狂気と食欲に満ちた血走った眼を向ける。
召喚士イヌヤマを守護るよう前に立つのは犬、猿、酉。そして聖刀を構えた若武者。
少年は赤鬼を見据えて告げる。

「ーー鬼退治、開始だ!」



158オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:53:05 ID:yc3oyUGQ0
「……ふむ。再び此処へ堕ちることになろうとはな」

一筋の光明すら射さぬ深淵。地の獄の如き暗黒の底より凛とした美しい声が響き渡る。
声の主は神楽春姫。全てを識り、全てを凌駕し、全てを統べる山折の女王その人である。
春姫は己が威光にて聖剣ランファルトの後継たる魔聖剣の調伏を試みた。しかし、新生した剣は屈することなく、春姫を拒絶。
尚も女王は先代たる聖剣と同じように従属させるべく己の強固な我にて屈服させようとするが、突如御守が閃光を放ち、闇へと意識が誘われたのである。
春姫がここに堕ちたのは二度目。一度目は女王に謀反を企てた逆賊――物部天国の呪詛により命を落とし、闇へと落とされた。
しかし、運命に導かれるように聖剣が顕現し、春姫は己が神威で調伏。運命を覆し、黄泉返りを果たしたのだ。

「妾が征く道こそ正道。なれば此度も聖剣が妾に傅くのは宿命(さだめ)なり」

春姫の視線の先には深淵の果て。そこに身の程を弁えず裁定者たる女王の天命に背いた、無知なる剣の気配を感じ取る。
女王の使命は山折村(せかい)の救済。人類救済を掲げる聖剣の後釜なれば裁定者に従属するのが道理というもの。

「ーーーハッ!」
一喝と共に春姫の身体が威光(ひかり)を放ち、闇の果てーー魔聖剣へと至る路を露にする。
王道は拓かれた。女王の行く手を遮る痴れ者は存在しない。

「いざ参らん」
何一つ疑うことなく、春姫は光に照らされた彼方へと歩みを進める。
女王が天の頂に立つのは必然。故に運命も神の御子たる春姫への従属は決定づけられていたのだろう。
悠然と光の中を歩き続け、春姫の視界の先には彼女という絶対を拒絶した生まれたての魔聖剣。
愚剣と女王まで残り僅か。数歩歩みを進めれば手が届く距離である。
身知らずの剣を従属させるべく女王は足を進めようとするもーー。

159オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:53:40 ID:yc3oyUGQ0
『そこまでだ』
「む……?」

突如、女王の行く手を阻むかのように剣の前に現れたのはふわふわの体毛を持つ一羽の白兎。
凛とした声とは対極に位置する、打ちひしがれた力ない女の声が、春姫の脳内に響き渡る。
感情の読み取れない獣の赤眼を女王の夜空の如き美しい瞳が冷たく見下ろす。

「何処の不躾者かと思えば、礼を知らぬ獣であったか。退け、今は汝の相手をする時間が惜しい」
『断る。彼女は「あの子」の種違いの妹。片方は私の主を手籠めにした悪霊、もう片方は私の主を殺しておいてその記憶すら忘却した鉄屑だ。
だけど生まれはどうあれ、二人は祝福された我が主の娘子。君のような不埒者にその身を任せるわけにはいかない』

尊大な女王の言い分に対し、不遜な態度で返す白き獣。売り言葉に買い言葉。一触即発の空気が流れる。
だが、両者の語調は鏡写しのように正反対。強気な姿勢の春姫に対し、白兎から滲みだす雰囲気は敗者のように弱々しい。
裁定者の道を阻む最後の障壁(プロテクト)にしては何とも頼りない。威嚇とも呼べる弱々しい言葉を無視し、か弱き獣の横を通り抜けようとする。

『ーーー通さないってニュアンスが伝わらなかったのかい?』
しかしそれは叶わず。縫い付けられたかのように地に足が固定され、ピクリとも動かすことはできない。
抑え込まれるような原因不明な力の出処は眼前の獣か。女王の王道を妨げる獣に冷たい視線を投げかける。

「もう一度言う。退け、下郎。妾は大義を為さねばならぬ。貴様の下らぬ些事に妾が付き従う道理はない」
『下らない些事とは主の忘れ形見を未だ想い続ける私の感情かい?その大義ためなら些事とやらを顧みることなく踏み躙っても構わないと?』
「然り。山折村(せかい)は全てに優先する。貴様の個人的な感傷も妾は知らぬ。妾が剣に適合するのではない。剣が妾に適合せねばならぬ』
『…………そうかい』

裁定者の言葉に獣は何かを考え込むかのように俯いた。
それと同時に春姫の足を地面に縛り付けていた謎の力が僅かだが緩む。
所詮は身の程を知らぬ獣。不敬にも女王を抑えようにもそう長くは続かないらしい。
白兎の問答には価値を見出せない。しかし彼女に威光を知らしめてなければ、魔聖剣の担い手にはなれぬ。
しばらく沈黙が流れ、石のように動かない白兎に対して春姫が力を解くよう命じる寸前、『まだ話は終わっていない』と疲れ切った女の声が聞こえた。

160オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:54:21 ID:yc3oyUGQ0
「……これ以上の問答は無意味であると言外に伝えたつもりであったが、畜生如きには理解できなかったか?」
『……そうだね。私程度の存在には到底理解が及ばない話だったよ。無駄な時間を使わせてしまったね。
それで、君が入れ込んでいる山折村だけど、禁忌の地と呼ばれる所以は当然知っているよね。何せ隠山祈の記憶を読み取ったんだから』
「無論。嘗ての山折村――隠山の里がただの小娘に業を背負わせ、悪神へと貶めたのは事実よ。原罪に幾重もの欺瞞を被せ、封じてきたのも事実。
しかして、原点はどうあれ今の山折村には罪があるまい。神楽春陽を始祖とした我が一族が不浄を許さず、この地を治めてきたのだ」
『…………だったら隠山祈と同じように人柱(ぎせい)となり、その存在すら隠匿された者達にも同じことが言えるのかい?』

一度しおらしくなったかと思えば、感情の読み取れない平坦な口調へと変わり、白兎は問いかける。
しかし、続く問いは山折村が忘却してきた罪に対するもの。春姫自身もその問いには僅かに顔を顰める。
神が降り立った不浄なき山折村。それが覆され、創生(はじまり)は穢れと共にあったことを知り、流石の春姫も衝撃を受けた。
しかし、自らの中で既に答えは出している。

「言う他はあるまい。現在(いま)に至るまでの歴史は彼らの犠牲と共にある。だが、流れた血は決して無意味なものではない。
隠山の地の明日を築く礎となっているのだ。その犠牲は尊ぶべきものであり、その否定こそ死者への冒涜ぞ」
『………冒涜、ね。君の一族の始祖ーー神楽春陽が娘の死肉を死した人々に与えて蘇生させたことも尊ぶべきことなのかな?』
「……ふむ、それは初耳だ。その問いへの答えは是。民の安寧を願った春陽の行動は過ちであり、その罪は我が一族に引き継がれていることは認めよう。
だが、それを愚行という一言で切り捨ててはならぬ。その犠牲の果てに安寧の地が生まれ、今までに繁栄に繫がったのだ」
『……つまり、君は神楽春陽と同じ立場に立たされた時、山折村を存続させるために同じことができる。そう言う事だね』
「当然であろう。我が大義は――山折村の存続は全てに優先する」
『ーーーああ、そう』

気の抜けたような返答と同時に女王を縛っていた謎の力が消える。
神楽春姫の強固たる意志の前に白兎は屈し、王道への道を譲り渡す。結果は既に決まっていた。
この問答は無意味だったかと問われればそれは否。更なる真実を知り、己の意志を強固にする通過儀礼。
魔聖剣の担い手となり、神楽春姫は山折村を新生させる使命を果たす。

「そなたとの問答、有意義であったぞ」
『ああ、私にとっても君を理解できる良い機会になったよ。これでーーー』

物言わぬ白兎に山折の女王は言葉をかける。白兎も同様に春姫へと穏やかな声で語り掛ける。
言葉を交わした後、春姫は地に突き刺さっている剣の柄に手を掛け、そしてーーー。

『ーーーー憂いも呵責もなく君達と縁を切れる良い理由もできた』
「なッーーーーー!?」

161オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:54:50 ID:yc3oyUGQ0
瞬間、足どころか指一本すら動かせない、先程とは比べ物にならない力が働き、春姫の身体を完全に硬直させた。
身体に纏わりつく謎の力は徐々に強まっていき、春姫の思考にすらも及び始めた。

『君が神の御子を自称し、無知陋劣な平均的「神楽」で本当に良かったよ。殊勝な態度で来られていたら後味が悪い』
「貴さ、ま………!!」

白兎の安堵の声に春姫は驚愕と怒りの混じった声で返す。
剣の柄を握ったまま硬直した春姫の横を通り、白兎は剣のすぐ後ろで春姫を見上げる。

『隠山祈を鎮めたのは間違いなく君の功績だ。もしも全て良い方向に事が運んでいたのなら君に力を貸し続けるのも吝かではなかったよ。
でもね、そうはならなかった。スポンサーの意を汲むことはなく、それどころか蔑ろにした。この結果は必然だ。潔く運命を受け入れたまえ』

口も硬直し、最早言葉を紡ぐことすらできぬ春姫に対し、感情の失せた冷めきった声を放つ。
今の春姫のできることは王道を妨げた傲慢な獣へと怒りの視線をぶつけることのみ。

『私「達」は少しでも望の生きる可能性を選びたい。だから君のように己の願望を優先することにした。
尤も君に与えたギフトを回収しても焼け石に水かもしれないけれど、ないよりはマシだろう。
それに「あの子」が目をかけた子供達の事も心配だ。君から回収した力は望と彼らの未来への礎とさせてもらうよ。君の尊いご先祖様のようにね』
「同……列に、語る……な……!」

女王を明らかに見下す畜生への憤怒からか、抑えつけていた『ナニカ』を振り払い、、途切れ途切れながらも口だけは動かせるようになった。
だが、反抗はそこまで。いつの間にか剣の柄から手が離れ、春姫の足から徐々に暗黒の世界から消えていく。
消えながらも、女王は己を拒絶した白き獣の目を見据える。

「な……んだ……その目……は……!」
只の獣とは思えぬ英知を帯びた赤い瞳。神楽春姫を見るその目は彼女が19年の人生の中で向けられたことのない、徹底的な嫌悪と侮蔑。
意識が闇から現世に引き戻される直前、怖気のするような冷え切った声が女王の頭に響いた。

『失せろ、小娘』
『貴様ら白痴の一族にも薄汚い忌み地にもほとほと愛想が尽きた』

162オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:55:23 ID:yc3oyUGQ0
『………………』
「春姫、さっきから黙りこくってるけどどうしたの?夢の中でウサミになんか言われたから拗ねてるの?」
『……大事ない。あの畜生の言の葉なぞ取るに足らぬものよ』
「そう……それならいいんだけど」

幅広の中国刀を携え、夜闇を疾走する乙女の身体を間借りする隠山いのりは宿主である神楽春姫へと問いかける。
意識が目覚めてからというもの、春姫の様子がおかしい。具体的には唯我独尊を地で行く彼女の雰囲気が不安定になり、どことなく危ういものへと変わってしまっている。

(だけど、それを言うのも何だかなぁ……)
いのりと春姫の関係は僅か二、三時間程度のもの。親類でもない自分が彼女の内面に踏み込んでいい物か躊躇われてしまう。
下手につつくと折角良好になりかけている彼女との関係を拗らせてしまうかもしれない。
すぐ隣で疾走する魔聖剣を携えた少年ーー山折圭介が心配そうな顔でいのりの憂い顔を覗き込む。

「いのりさん、春の奴がどうかしたんスか?」
「ううん、何でもない。そんなことより消えていた気配がまた二手に分かれて現れたみたい。多分どちらかに「天原くん」がいると思う」
「だったら俺らも二手に分かれましょう。天原って奴を保護したら合流するってことで」
「了解!」



「……はぁ、はぁ……!」
山折総合診療所より北の草原。夜闇の中、流星のように金色の髪をたなびかせながら少女が走る。
少女の名は天宝寺アニカ。夢幻の牢獄へと閉じ込められ、山折の厄そのものである女王「日野珠」に命を狙われつつも辛くも逃げおおせた正常感染者である。
しかし、アニカは完全に魔の手から逃れられた訳ではない。

――女王に隷属せよ。
――女王に命を捧げよ。
(くぅ……さっきからずっと、頭の中で何度も……!)

女王との邂逅から今に至るまで。頭に直接叩き込まれる指令(コマンド)が探偵少女の精神を蝕み続ける。
発信され続ける女王の下命を拒絶できる所以はアニカ自身の譲れぬ矜持か、それとも女王曰くはすみの強化により身体に宿った高魔力体質故か。
どちらにせよ早急に仲間と合流し、女王の正体や自分へ起きた異変を知らせねばならない。
不安を露わにした少女を励ますように彼女の懐にある御守りが暖かな光を放つ。

「Thanks、Ms.Rabbit」
御守りに宿る力ーー女王からアニカを逃し、異空間からの脱出を助けてくれた心優しき白兎に感謝を述べる。
アニカの視線の先ーー御守りが指し示す方向から感じるのはVH発生から自分と共にいてくれた少年の気配。
彼の元へと急ごう。そしてーー。

163オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:55:53 ID:yc3oyUGQ0
「改めまして今晩は。月が綺麗だね、天宝寺アニカ」
「ーーーーッ!!!」

何の前触れもなく、幼き天才少女の前に混沌たる秩序ーー「日野珠」の姿をした女王ウイルスが降り立った。
咄嗟に反応して身を翻そうとするも、小学生程度の運動能力では魔の力により強化された超常的存在を振り切ることは叶わない、
瞬く間に前へと回り込み、後ずさるアニカの首へと手を掛ける。

「あっ……!」
「さあ、ランデブーと洒落込もうじゃないか」

高魔力体質により無力化されるのはアニカを害する魔王由来の力のみ。
絞殺しかけた時に新たに確認した謎の閃光も高魔力体質に由来するものだと仮定するならば、その線引きさえ間違えなければ問題ない。
手首から下の筋肉に強化を施し、アニカの首を掴む握力は随時魔術によって筋肉疲労を回復させ続ける。
だが、それだけでは先程の謎の閃光による焼き回しになりかねない。
使用するのは浮遊魔術。少女を締めあげながら、天高く登っていく。

「あ……あ……!」
「ご覧。ビル10階分ーー30mにも及ぶ絶景だ。ワインも高級料理もないが、この景色だけでも十分お釣りがくるだろう」

少女二人の身体を生温い初夏の夜風が撫でる。
両者の反応は正反対。絞首による窒息と死の恐怖にアニカは身を震わせ、珠は撫でる風に心地よさを感じうっとりと目を細めた。
この高さであれば、手を離せば落下。受け継がれた高魔力体質の者と思われる閃光により運命視の目が封じられたとしても死からは逃れられない。

(安心して、アニカ。もうすぐ救援が来る。それまで時間を稼いでくれ)
従属の令の狭間で聞こえるメゾソプラノの声。紛れもなくアニカをあの異空間(ダンジョン)から脱出させてくれた白兎のものである。
絶体絶命の現状ではその言葉を信じる他はなく、締めあげられながらも不敵な顔を浮かべる。

「おや、どうしたのだね?この状況を打破する策でも思いついたのかい?それとも犯人には屈しないという君の矜持かね?」
「No… reason、to respond……!全能の女王を名乗るのなら……推理してみなさい……!」
「ふむ……そう来たか。テレパシー的な心理を読む異能もないし、魔王の力によるリーディングも恐らく君の体質によって弾かれると思われる。
宿主の記憶からすると、君は数々トリックを暴いてきたそうじゃないか。時間稼ぎの可能性の方が高いが少しばかり付き合ってあげよう」
「ぐ……ぁ……!」

アニカの首を締めあげつつ、顎に手を当て考え込む仕草をする女王。
可能性が高いと言っていた時間稼ぎ。女王の目測に探偵は冷や汗を流す。
不敵な仮面に隠された焦燥を悟られぬよう、わざとらしく悩まし気な顔を向ける女王に無理やり挑発的な笑顔で睨み返す。

164オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:56:35 ID:yc3oyUGQ0
「Take your time.……Think ……slowly……ぐぅ……!」
「ああ、ゆっくりとそうさせてもらうつもりさ。それにーーー」

ぐにゃり。愁いを帯びた表情から一転。天真爛漫とは程遠い悪意に満ちた笑顔へと変わる。
その変容に数多の凶悪犯、数多の悪意を見てきた探偵少女の顔が強張る。

(ーーーまさかッ……!!!!)
アニカの脳裏に響き渡る驚愕の声。同時に御守りに込められていた白兎の気配が消える。
その事実に蒼褪めるアニカの前に、女王は言葉を紡ぐ。

「ーーー運命が動き出す」



勇猛精進。狂瀾怒濤。闇が踊り、暴風が吹き荒び、地が砕かれ、銀の一閃が煌めく。
幾度となく激戦が繰り広げられてきた山折の大地に再び戦の嵐が巻き起こる。

大蛇の如き厄の鞭が躍動し、空を裂き大地を抉りながらターゲットを追尾する。
襲い来る触手を剣士ーー八柳哉太は聖刀の切り落としーー八柳流『蠅払い』にて悉くを打ち祓う。
しかし安心するのも束の間、追撃とばかりに赤鬼ーー大田原源一郎の縮地により一気に距離を詰められる。
流星の速度で振り下ろされる鉄槌。その威力はクレーターを作り、まともに食らえば原型を留めない程すり潰されるだろう。
だが振り下ろした先の獲物ーー聖刀の担い手は凡才では非ず。

「ーーーーハッ!」
墜天する隕石を刀身にて受け、波打つ柳のように受け流す。八柳流「空蝉」。
同時に返し震脚と同時の踏み込みの斬り返し「天雷」にて大樹のような上腕の肉を切り裂く。
骨ごと叩き折る重斬撃を受けた傷は異能の力にて瞬く間に塞がる。
傷が完全に塞がる寸前、拒魔犬、ワンタの牙の一閃が広がる傷口へと突き刺さり、回復を阻害する。
だが剣士と同じく赤鬼も只人では非ず、変異前は武術の達人であった。
脇を駆け抜ける二者。その刹那、地に沈めた片足を軸にもう片方の足を旋回させる。
独楽のような回転蹴り。風圧すらもだけ気に匹敵する一撃。

「キルルルルゥオオオオオーーーー!」
哉太とワンタに送られる暴風。大風タカコによる魔力を帯びた疾風は二者の肉体強度を底上げし、横殴りの風を耐えさせる。
同時に追い風となり、紙一重で恐るべき脚撃から紙一重での回避を成功させた。
僅かに巨人が体勢を崩す。踏みとどまる僅かな隙間を縫って現れたのは長棍を構えた斉天大聖、三猿。
彼の魔術で強化された長棍が片足を強かに疾走と同時に強かに打ち付け、巨躯に蹈鞴を踏ませ、明確な隙を作る。

「…………」
お供を連れた剣士と赤鬼の戦場から少し離れた場所で戦況を見極める召喚士、犬山うさぎ。
戦士達は庇護対象でもあり軍師でもある彼女を巻き込むまいと危険がギリギリ及ばない場所で待機させていた。
魔王軍と戦ってきた経験からかうさぎも戦士達の意図を理解し、最善手を打つタイミングを計っていた。

戦闘は拮抗。されど綱渡り。赤鬼から一撃でも受ければ戦闘者達は瞬く間に肉塊へと化すであろう。
生命力の消費は大きいが、まだ干支時計による召喚は可能。
目を閉じ、時計をイメージする。静止した時針を動かし、道理を捻じ曲げる。
追加召喚する眷獣を選択。同時に干支時計を作動させる。



165オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:57:01 ID:yc3oyUGQ0
――起動確認(セット)
――目標・捕捉(ターゲット・ロック)
――黒槍・装填(バレル・リロード)
――発射(ファイヤ)

因果が、収束する。



166オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:57:30 ID:yc3oyUGQ0
「ーーーえ?」

衝撃と共に少女の胸から一凛の彼岸花が咲く。
獣の奏者が見下ろした視線の先には紅い涙を滴らせる魔力を帯びた漆黒の槍。打ち込まれた戒めの杭は直後に黒霧へと変化し、雲散する。
裏返された因果は正しく覆され、元の形へと戻る。逆巻に捩れた懐中時計の螺子は修正され、正しい時を刻み始める。
きぃきぃ。頽れる最中、聞こえてきたのは肩に乗っていた小さき友――夢幻の迷宮に手召喚され、少女に寄り添い続けた山ネズミの悲痛な鳴き声。



狩猟の本質は獲物(ターゲット)の命をいかに効率的に、確実に奪い取ることにある。
何も弓矢で射抜いたり、鉄砲で撃ち落としたりするだけじゃない。それぞれのケースで最適解を選択するのが大事なんだ。
「下手な鉄砲も数撃てば当たる」なんて格言があるけど、それではあまりにも非効率的で確実性がない。
だから、私は罠を張ることにしたんだ。
君達を不思議な国(ワンダーランド)に招待する前、運命(イベント)が確実に怒る場所にね。
隠匿・黒槍生成・自動起動・照準固定・狙撃の魔術(コード)を組み合わせて、運命点(キルポイント)への配置。
特に起動トリガーの条件の設定――生命力の一定値までの減衰確認のプログラミングには梃子摺ったよ。
これを片手間で行える魔王や彼の娘のセンスは流石としか言いようがない。
……ん?何故私が魔王の事を知っているのかって?いや、君の顔を見れば想像がつくよ。
まあ、今更隠す必要もないし、この際だから教えてあげようか。特別サービスだ。感謝したまえよ、天宝寺アニカ。



167オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:58:07 ID:yc3oyUGQ0
いのちがうしなわれていく。
すごくさむい。からだがおもい。めのまえがくらくなっていく。
うけつがれてきたおもい。たくされたねがい。わたしのいのり。
すべてがいしきとともにだんだんとうすれていく。
おとうさん。おかあさん。みそらちゃん。ケージ。さとる。あねさま。おねえちゃん。
みんなのおもいをうらぎって。なにものこせなくて。いきてかえれなくて。わるいこで、ほんとうにごめんなさい。

『望……望……!あ、あああ………!そんな……嘘……嫌だ……!』
みみもとできこえてくるかなしそうなこえ。だれのこえなんだろう。かおをむけてみる。
ふわふわでぽかぽかなちいさなからだ。むかしからずっとみまもってくれたわたしのさいしょのともだち、ウサミちゃんがいた。
ぽつぽつとてにしずくがおちるかんかくがする。ウサミちゃんが、ないている。ルビーいろのきれいなひとみから、ながれていく。
なかないで。
なんとかうごくゆびでなみだをぬぐってあげても、ずっとながれてくる。

『ごめんなさい……ごめんなさい……。私はまた何も……。何もかも手遅れになって……!』
ううん、。それはちがうよ、ウサミちゃん。わたしはあなたたちがいたから。あなたたちがずっとそばにいてくれたから、いままでがんばれたんだよ。
スネスネちゃんも、トラミちゃんも、ひなたさんも、けいこちゃんも、あねさまも、おねえちゃんも。だれもたすけられなかったけど。
それでもわたしは「いぬやまのぞみ」としてのおもいをとりもどしたせんたくをこうかいしていないよ。
ちゅうこくをむししてごめんなさい。それと、まもってくれてありがとう。
わたしはもうおしまいだけど、あなたたちのいのちはまだつづいていく。だからーーー。

「おねがい……みんな……どうかーーー」
ふわり。ことばがおわるまえ、つめたかったからだがぽかぽかとあたたかくなってくる。やわらかいひかりがわたしをつつんでいく。
まどろみとともにいままでのたのしかったきおくがめぐる。
ありがとう、みんな。わたしのじんせい、とてもしあわせだったよ。



168オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:58:58 ID:yc3oyUGQ0
「う、おおおおおおおおおッ!!!」

少年の悲痛な叫びが夜闇に木霊する。
命を賭して守護るべき存在であった少女。厄災で命を落とした彼女の姉に託された希望。
恵子や勝子のように手の届かぬ場所で殺された訳ではない。
選択を誤らなければ未然に防げた不意打ち。哉太が盾になれば落とさずに済んだ大切な命。
犬山うさぎの死は共に戦っていた彼女の眷獣達にもあまりにも強すぎる影響を与えた。
その衝撃により綱渡りの縄が断たれ、戦況は一気に傾く。

愛する主の命が潰えた瞬間、数秒前まで剣士と共に果敢に赤鬼に立ち向かっていたワンタは石像のように動きを止める。
魔力の風を送り続けていたタカコは一瞬だけ動きを止めた後、空を切り裂くような嘶きと共に電光石火の速度で西へと飛び去って行く。
魔術と棍術による遊撃を担当していた三猿はうさぎが倒れ伏した一目散にうさぎが倒れ伏した場所へと向かっていく。
崩壊する連携。その明確な隙を赤鬼が見逃すはずがない。

「■■■■■■■ーーーーー!!!」
人の言葉ですらない咆哮。その直後、彼に纏わりつく霧状の厄が膨れ上がり、一気に爆発する。
撒き散らされる暗黒。咄嗟に哉太はバックステップで有効範囲を離脱して直撃は免れたものの、爆風の風圧は凄まじく、いとも容易く彼の身体を吹き飛ばした。
狛犬ワンタは避けることすらせず、厄を一身に受ける。暗黒により分解されていく身体。崩壊する自我。全てが消し飛ぶ直前、彼の瞳から流れる一筋の涙。
最愛の友の願いも空しく、大切な存在を守り抜く使命も果たせず、主無き天の番犬は冥府へと旅立った。

赤鬼の最優先は減衰を続ける理性を取り戻すための食事。たった今、女王より賜った下賜より食皿に備えらえた贄は2つ。
たった一人、僅か数十メートル先に飛ばされた剣道少年か。その反対側にいる女王の手によって屠殺され、猿と兎一匹ずつ傍らに従えた召喚士の肉袋か。
一早く己の技を取り戻し、女王の元へと衰残するために選んだ完全食は、手早く捕食可能な少年の方だった。

「くっ……!!」
供を失った剣士へと黒い闇をまき散らしながら突撃する赤鬼。大型トラックの質量を持ちながらスポーツカーもかくやの速度で肉薄する。
タカコの魔風による援護、ワンタによる攻撃の阻害(インターラプト)、三猿による遊撃。
それらが失われた今、例えVH発生後から数多くの強敵達と戦い、経験を身に宿してきた少年といえど、技と適応力だけでは赤鬼の餌食となるだけであろう。
ーーーー救援がなければ、の話だが。

「ーーーらああああああああああああああッ!!!」
裂帛の叫びと共に一条の光が漆黒を切り裂いて奔り、流星の行く先は接近する巨星。
輝星の担い手たる少年は、哉太の前へと立ち、魔力の光を迸らせた剣を構え、襲い来る鬼(オーク)へと切っ先を向ける。

「爆ぜろッ!魔聖剣ッ!!」
瞬間、切っ先に収束した光が炸裂し、周囲一帯を真昼のように照らし出す。
同時に質量を持つエネルギーへと変換された魔力が迫る赤鬼を纏う闇ごと後方へと吹き飛ばした。
哉太の目が見開かれる。眼前にいる彼は縁を互いに断ち切ったかつての友。
VHで再会を果たしてから協力し、喧嘩をし、殺し合った男。
闇纏う厄神に連れ去らわれた彼は、哉太へと振り返る。

「よう、助けに来たぜ。八柳哉太」
「山折、圭介……!」

光が収束し、哉太の懐に小さな御守りが現れる。
それは、淡い光を放っていた。



169オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:59:39 ID:yc3oyUGQ0
「ーーーーと、まあ要約するとこんな話だ。結局のところ、君達はあの亡霊から逃げずにいれば全てが丸く収まる筈だったのさ。
結果論にはあるが、君達の判断のお陰で私は九死に一生を得た。これも運命の導きと言う奴かな」
「く……うぅぅ………!」

上空30メートル。初夏とは思えない冷たい風が吹く中、首を掴まれたアニカは呻ぎ声を漏らす。
歯を食いしばり、青い瞳に涙を滲ませる異分子に対し、女王は悪意に満ちた笑みを向けた。
女王の一方的な会話の中、彼女の『狩猟』により遠方にいる仲間、犬山うさぎが命を落としたを知らされた。
殺傷を未然に防げず、親しくしてくれた優しい友達の命が失われた。その事実が刃となり、アニカの未成熟な心を抉った。

ーーーギュオオオオオオオオオオオッ!!!!
「ーーーッ!!」「おやおや」

耳を劈くような咆哮が轟き、浮遊する少女二人へと巨大な影が風を纏いながら突撃してくる。
その影の正体は巨大な怪鳥。月明りに照らされた細面の貌は、本当に獣であるのか疑わしく思えるほど激情に塗れていた。
ターゲットは紛れもなく女王「日野珠」。感情を殺意一点に絞り、主の友であるアニカ諸共撃墜すべく特攻(バードストライク)を仕掛ける。
到達まで僅か。光陰の如し突撃は女王を鎮めるかに思われたが。

「ーーー知ってるかい?太陽へと飛び立ったイカロスは偽りの羽を焼かれ、天から堕ちたのだよ」
女王の頭上に出現する巨大な黒炎球。到達する数メートル前で怪鳥に放たれた。
災厄の名を冠する大風タカコ。黒い太陽を継いだ厄の化身に一矢報いる事は叶わず、無謀の代償をその身で支払う事となった。
墜落する最中、彼女が思い出したのは故郷ーー異世界の空。背中に乗せた友、召喚士イヌヤマの無邪気な笑い声。
貴女の眷獣でいられたこと、それが私にとって一番の幸せでした。
今際に抱いた思いは夜風に吹かれ、肉体と共に灰に変わっていく。

「……何がしたかったのだろうね、彼女」
「許……さない……!絶対に……許さ……ない!!」
「やれやれ、困ったものだ」

愛らしい顔を怒りに歪ませるアニカの視線を受け、女王は肩を竦める。
現状、アニカが打てる手はない。それでも「日野珠」に擬態した殺人者には心だけでも負けるわけにはいかない。
幼気な少女の決死の抵抗に、女王は嗤う。

「そういえば、君が考案した現状を打破する策はどんなものか、推理してみろって言ってたよね?」
「Try to……answer……!」
「それなんだがね、どうにも私程度の頭脳では答えに至らなかったよ。おめでとう、天宝寺アニカ。女王(わたし)を出し抜いた君の勝ちだ。
ーーーだから、何の捻りもない手段で応えさせてもらうよ」
「ーーーーあっ」

170オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 20:00:09 ID:yc3oyUGQ0
屈せず最期まで抗った探偵へ僅かばかりの賛美の言葉を贈り、女王は命綱と化していたアニカを掴んでいた手を離した。
明晰な頭脳が回転を止め、動きを止める。地上30mからの落下の中、脳裏に過ぎるのは最初に解決へと導いた事件。被害者の死因は落下死。
ああ、被害者になった女の子はこんな風に命を落としたんだ。
そんな間抜けな感想を抱いて、地面へと叩きつけられる瞬間ーー。

「間、に、合ええええええええええええええッ!!!」
女性が発したとは思えない怒号と共に身体を抱きかかえられる感覚を覚える。
目を丸くし、自分を助けたと思われる人物を見上げる。
神の彫刻と見間違えんばかりの美貌に張り付いた快活な笑顔。風にたなびく美しい黒髪。
パートナーの話していた人物像とは違うが、アニカは目の前の女性を知っている。

「アナタは……カグラハルヒメ……?」
「え……ええ、そうよ。私が神楽春姫。山折村の始祖の地を引く巫女、神楽春姫!」
「誰かと思えば、山折村を穢し続けた一族の末裔ーーいや、その取り巻きになった亡霊か。
丁度いい。私の進歩のために踏み台になって貰うよ」

神楽春姫らしき人物が手慣れた様子でアニカを下し、天高く登る女王を見上げる。
下ろされた直後、視線を下げるとポケットに仕舞っていたいた御守りが再び仄かな光を放っていた。

【D-2/草原/一日目・夜中】

【八柳 哉太】
[状態]:異能理解済、疲労(特大)、精神疲労(大)、喪失感(大)
[道具]:脇差(異能による強化&怪異/異形特攻・中)、打刀(異能による強化&怪異/異形特攻・中)、双眼鏡、飲料水、リュックサック、マグライト、八柳哉太のスマートフォン、白兎の御守り
[方針]
基本.生存者を助けつつ、事態解決に動く
1.うさぎちゃん……。
2.アニカを守る。絶対に死なせない。
3.圭介と共に目の前の鬼を討伐する。
4.村の災厄『隠山祈』を何とかしてあげたい。
5.いざとなったら、自分が茶子姉を止める。
6.ゾンビ化した住民はできる限り殺したくない。
[備考]
※虎尾茶子と情報交換し、クマカイや薩摩圭介の情報を得ました。
※虎尾茶子が未来人類発展研究所関係者であると確認しました。
※リンの異能及びその対処法を把握しました。
※広場裏の管理事務所が資材管理棟、山折総合診療所の地下が第一実験棟に通じていることを把握しました。
※『神楽うさぎ』の存在を視認しました。

【山折 圭介】
[状態]:疲労(大)、眷属化進行(極小)、深い悲しみ(大)、全身に傷、強い決意
[道具]:魔聖剣■、日野光のロケットペンダント、上月みかげの御守り
[方針]基本.厄災を終息させる。
0.うさぎがいると思わしき場所へと向かう。
1.女王ウイルスを倒し、日野珠を救い出す。
2.願望器を奪還したい。どう使うかについては保留。
3.『魔王の娘』の願い(山折村の消滅、隠山いのりと神楽春陽の解放)も無為にしたくない。落としどころを見つけたい。
4.春……?
[備考]
※もう一方の『隠山祈』の正体が魔王アルシェルと女神との間に生まれた娘であることを理解しました。以下、『魔王の娘』と表記されます。
※魔聖剣の真名は『魔王の娘』と同じです。
※宝聖剣ランファルトの意志は消滅しましたが、その力は魔聖剣に引き継がれました。
※山折圭介の『HE-028』は脳に定着し、『HE-028-B』に変化しました。

【大田原 源一郎】
[状態]:ウイルス感染・異能『餓鬼(ハンガー・オウガー)』、眷属化、脳にダメージ(特大)、食人衝動(中)、理性喪失
[道具]:防護服(内側から破損)、サバイバルナイフ
[方針]
基本.女王に仇なす者を処理する
1.女王に従う
[備考]
女王感染者『日野珠』により強化を施されました。

171オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 20:00:39 ID:yc3oyUGQ0
【E-2/草原/一日目・夜中】

【天宝寺 アニカ】
[状態]:異能理解済、衣服の破損(貫通痕数カ所)、疲労(大)、精神疲労(大)、悲しみ(大)、虎尾茶子への疑念(大)、強い決意、生命力増加(高魔力体質)、眷属化進行(極小)
[道具]:殺虫スプレー、斜め掛けショルダーバッグ、ビニールロープ、金田一勝子の遺髪、ジッポライター、研究所IDパス(L2)、コンパス、飲料水、医療道具、マグライト、サンドイッチ、天宝寺アニカのスマートフォン、羊紙皮写本、犬山家の家系図、白兎の御守り
[方針]
基本.このZombie panicを解決してみせるわ!
1.早く皆と合流して、「Queen Infected」の事を知らせなくちゃ!
2.私を助けてくれたMs.Rabbitの事、ウサギに聞いてみましょう。
3.あの女(Ms.チャコ)の情報、癇に障るけどbeneficialなのは確かね。
4.やることが山積みだけど……やらなきゃ!
5.リンとMs.チャコには引き続き警戒よ。特にMs.チャコにはね。
[備考]
※虎尾茶子と情報交換し、クマカイや薩摩圭介の情報を得ました。
※虎尾茶子が未来人類発展研究所関係者であると確認しました。
※リンの異能を理解したことにより、彼女の異能による影響を受けなくなりました。
※広場裏の管理事務所が資材管理棟、山折総合診療所が第一実験棟に通じていることを把握しました。
※犬山はすみが全生命力をアニカに注いだことで、彼女の身体は高魔力体質に変化し、異能『魔王』に対する強力な耐性を取得しました。
※『神楽うさぎ』の存在を視認しました。
※日野珠が女王感染者であることを知りました。
※白兎の存在を確認しました。

【神楽 春姫】
[状態]:疲労(極大)、眷属化進行(極小)、額に傷(止血済)、全身に筋肉痛(極大)、魂に隠山祈を封印、精神不安定(無自覚)、白兎への怒りと屈辱(大)、???喪失、隠山祈人格
[道具]:柳葉刀、血塗れの巫女服、研究所IDパス(L1)、[HE-028]の保管された試験管、山折村の歴史書、研究所IDパス(L3)
[方針]
基本.妾は女王……?
1.女王ウイルスを止め、この事態を収束させる
2.日野珠は助け出したいが、それが不可能の場合、自分の手で殺害する
3.襲ってくる者があらば返り討つ。
[備考]
※自身が女王感染者ではないと知りましたが、本人はあまり気にしていません
※研究所の目的を把握しました。
※[HE-028]の役割を把握しました。
※『Z計画』の内容を把握しました。
※『地球再生化計画』の内容を把握しました。
※隠山祈を自分の魂に封印しました。心中で会話が出来ます。
※隠山祈は新山南トンネルに眠る神楽春陽を解放したいと思っています。
※隠山祈と自我の入れ替えが可能になりました。
 隠山祈が主導権を得ている状態では、異能『肉体変化』『ワニワニパニック』『身体強化』『弱肉強食』『剣聖』が使用可能になりますが、
 周囲の厄を引き寄せる副作用があり、限界を超えると暴走状態になります。
※白兎の干渉により???が失われました。

【日野 珠】
[状態]:疲労(小)、女王感染者、異能「女王」発現(第二段階途中)、異能『魔王』発現、右目変化(黄金瞳)、頭部左側に傷、女王ウイルスによる自我掌握
[道具]:研究所IDパス(L3)、錠剤型睡眠薬
[方針]
基本.「Z」に至ることで魂を得、全ての人類の魂を支配する
1.Z計画を完遂させ、全人類をウイルス感染者とし、眷属化する
2.運命線から外れた者を全て殺害もしくは眷属化することでハッピーエンドを確定させる
[備考]
※上月みかげの異能の影響は解除されました
※研究所の秘密の入り口の場所を思い出しました。
※『Z計画』の内容を把握しました。
※『地球再生化計画』の内容を把握しました。
※女王感染者であることが判明しました。
※異能「女王」が発現しました。最終段階になると「魂」を得て、魂を支配・融合する異能を得ます。
※日野光のループした記憶を持っています
※魔王および『魔王の娘』の記憶と知識を持っています。
※魔王の魂は完全消滅し、願望機の機能を含む残された力は『魔王の娘』の呪詛により異能『魔王』へと変化し、その特性を引き継ぎました。
※魔術の力は異能『魔王』に紐づけされました。願望機の権能は時間と共に本来の機能を取り戻します。
※戦士(ジャガーマン)を生み出す技能は消滅し、死者の魂を一時的に蘇らせる力に変化しました。
※異能「???」に目覚めつつあります。



172オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 20:01:13 ID:yc3oyUGQ0
戦場の喧騒から離れた自然の中、仄かな月明かりが季節外れの白百合が咲き誇る小さな花園を包み込む。
白百合のベッドの中心には一人の少女ーー犬山うさぎが身体を横たえていた。組まれた彼女の手には季節外れの一輪の赤いアネモネ。
身体には傷一つなく、安らかな顔で眠りについていた。だが、もう二度と眠り姫は目覚めることはない。

『望…………。こんな、粗末なベッドしか用意できなくてごめんね……』
眠るうさぎを取り囲むのは三匹の獣。長棍を背負った猿、二足歩行の山ネズミ。そして、ふわふわの毛並みの白兎。
全員がうさぎの異能『干支時計』に応えて、彼女を守るべく山折村に召喚された眷獣である。
致命傷となった心臓の傷は猿こと斉天大聖が魔術にて失った血液ごと治療を施し、生前と変わらない綺麗な姿に戻した。
召喚士が眠る花園と供えられたアネモネは白兎と山ネズミが魔術で生み出されたもの。
白百合の庭園の下には魔法陣が敷かれ、こちらは隠匿を始めとした魔術式が組み合わされており、その精度はかの魔王が生み出した術式にも匹敵する。
せめて、これ以上彼女が穢されないために。女王にも、山折村にも、特殊部隊にも、研究所の薄汚い連中にも手を出させないために。
たった3匹の見送り。噛みしめるのは己の無力。願うのは大切な家族と友達のため、世界を超えて精一杯生きてきた隠山望の安寧。
黙祷の後、3匹の眷獣は眠る愛しき主に背を向けて歩き出す。主を失った今、自分達を縛るものはない。なくなって、しまった。

戦場とうさぎが眠る中間地点で、3匹の獣は足を止める。
先頭を歩いていた白兎ーーウサミは振り返り、沈痛な表情を浮かべる三猿とヤマネに濡れそぼった紅い瞳を向ける。
直後、ウサミの前に魔法陣が展開され、彼女の足元にチェーンのついた懐中時計ーー召喚士イヌヤマの異世界における召喚術『干支時計』の具現が現れた。
己の魔術でうさぎの身体から干支時計を転送した白兎は器用に頭を動かし、付属のチェーンを自らの首にかける。

『…………私達の主は眠りについた。主亡き今、彼女の願いを聞き入れて逃亡するのは自由だ。そう望むのであれば干支時計から解放する。
だけどもし望の魂を、望を大切に思ってくれた人達を、穢れた隠山の地や妄執に取り憑かれた王の贄として献上されるのを拒むのであれば、私についてきてくれ』

白兎の問いに二匹の獣は頷きを返し、彼女へと一歩歩み寄る。同じく干支時計の文字盤に書かれた数字が弱光を放つ。
既に殺されたスネスネとトラミ、ワンタ、タカコ以外の眷獣が同意したとみて、ウサミは話を進める。

『分かった。これから私達は望の遺志に背き、自分達を使い潰してでも目的を果たすことになる。望と同じ場所に行けないと覚悟を決めるんだ。
ーーーー私達に、王はいらない』

【犬山 うさぎ 死亡】
※犬山 うさぎの遺体はD-2にて死亡した直後の状態で保存されています。基本的に発見されることはありません。
※犬山 うさぎの異能『干支時計』は白兎が懐中時計として顕現させました。また、犬山 うさぎの異能の進化を受けて魔力による封印された眷獣の本来に近い姿での自由召喚が可能になりました。
※D-2には白兎、三猿、山ネズミが顕現しています。

173 ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 20:02:22 ID:yc3oyUGQ0
投下終了です。

174 ◆H3bky6/SCY:2024/05/17(金) 20:07:47 ID:HukkTLho0
投下乙です

>オニガシマ・ダークサイド

異世界転移に異世界転生とかなり数奇な運命を辿ったうさぎちゃんもついに脱落か
ここからはもう誰が落ちてもおかしくない状況ですねぇ

制限が解かれたうさぎちゃんは完全に召喚士の貫禄
異世界の召喚獣たちの力は魔王もお墨付きだけあって相当なモノだねこりゃ
むしろ、いきなり召喚された召喚獣たちとちゃんと連携が取れる哉太は何なの?
そんな召喚獣たちと渡り合う大田原さんもさすがに強い、これで理性がないから弱体化してるってマジ?

白兎くん、あっちこっちとめっちゃ暗躍している
うさぎファーストの白兎と山折村ファーストの春姫、割と似た者同士では?
めずらしく春姫がやり込められていたけど、愛している村があんまりにもなクソ村なので議論では春姫側の分が悪いのはそれはそう

異能でイベントが起きる場所を見て、魔法でトラップを張るという、女王と魔王の力と言う極悪すぎる組み合わせ
イベントが起きる所に罠を張ったと言うけれど、罠を張ったからイベントが起きたのか、卵が先か鶏が先か、なんにせよマッチポンプすぎる
今の所手が付けられない度合いはすごいがどう攻略するのだろうか

アニカはめっちゃ女王に目を付けられて近づきまくっているから眷属化が一番進んでいるっぽい
うさぎは死んでも眷獣たちは残るのね、主亡き後獣たちが何を成すのだろうか?

175 ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:37:10 ID:REl9BPQA0
投下します

176彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:37:38 ID:REl9BPQA0
診療所のすぐ傍を、女児のような小さな影がよたよたと走り抜ける。
顔色は土気だち、息遣いは荒く、一目見て重傷だと分かるだろう。
そんな彼女は最先端設備の整った診療所へ治療を求めてやってきたのではない。
むしろ逆――『未来人類発展研究所』と決別し、その尖兵から逃げ延びてきたのだ。

「ハァ……! ハァ……! ぐぅッ!」

銃弾によって体内を掻きまわされ、刃物によって背はざくりと斬り裂かれ、多くの血が流れ出た。
肉体の無理を押してウイルスの研究をおこない、巣くう者としての呪いを浴びせかけられた。
熱を帯びた鈍い痛みに苛まれ、少しでも気を抜けば意識は朦朧となりそうだ。
幻聴すら聞こえてくる。

――先生、助けて……!
ここにいないはずの珠が懇願する。
渇いた目をした特殊部隊の男に命を狩り取られ、研究所の実験室でサンプルとして腑分けをされる光景を幻視する。

――珠ちゃんのこと、どうかお願いしますっ!
――私は力になれませんでした。けれど、先生ならきっと……!
死んだはずの茜とみかげが耳元で囁く。
生き延びたスヴィアに珠を託す言葉が聞こえる気がする。

あるいは幻聴ではなく、異能が死者の声すら聴こえるように進化したのだろうか。
もう分からない。そんなことを調べる余力はない。
ただ、一つだけ言えることは。
(まだ朽ちてなるものか……!)

そんな身体で一体何ができる、今は休め。
あなたが倒れれば、みんなもきっと悲しむ。
何も事情を知らない者が彼女を目にすれば、そのような言葉を投げかけてくるだろう。

――ふざけるな。


一度でも足を止めてしまえば、もうきっと、再び歩み始めることはできない。
目の前の地獄(げんじつ)に屈し、一度心が折れてしまえば、もう未来には届かない。

177彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:38:12 ID:REl9BPQA0
自らのハッピーエンドを見つけ出してみせると啖呵を切った彼女だが、その実、取れる選択肢はもう多くはない。
タイムリミットまで残り30時間を切った。
そんな厳しい状況下で、最後の特殊部隊の追跡を振り切りながら成果を掴まねばならない。

想像を絶する険しい道のりだ。
HE-028ウイルスの真理に達した、開発の第一人者が女王の治療は不可能だと断言したのだ。
それはすなわち、研究所で取り扱われたすべての成果が、珠の治癒に繋がらないという死刑宣告に等しい。
スヴィア以上に優秀な先達の歩んだ道のりは、すべてがバッドエンドに繋がる道のりだ。

直接女王を治療せずに収束させる方法として提言されていた隔離策にしても、研究所内部でのレポートを見るに望み薄だろう。
理論上どれほど離れていても女王との通信が可能だという、量子力学に見られるような奇妙な性質がウイルスに観測されている。
30時間で量子もつれを解き明かすことができれば、ノーベル物理学賞の受賞は内定したに等しい。
それほど難解な原理だ。

仮に錬や烏宿暁彦と出会ったところで、一切の解決策は浮かび上がってこないだろう。
彼らが長谷川たちを出し抜いて研究を進めていたとは思えない。
つまるところ、道なき道を探し出し、歩まなければならないのだ。


それでも。
「希望は……まだ……ある……!」

ただの強がりではない。
梁木らの結論は絶望的な宣言であるが、考え方を変えれば、正攻法は切って捨ててしまっていいということでもある。
無数の可能性をばっさり切り捨てたことで、埋もれていた新たな道も見えてくる。
すなわち、スヴィアが希望を見出したのは、彼らの領域外の要素。異能のさらなる進化だ。


ウイルスを否定する異能では治癒は不可能だという。
だが、その異能がさらに進化すれば、一体何が起こるのか?
さらにさらに進化すれば、どこに行き着くのか?
それは蓋を開けてみないと分からない。

その希望は、砂漠で揺らめく蜃気楼のようなもの。
実在すら定かではない。掴んだ瞬間に霧散してしまうかもしれない。
あるいは、地獄に垂らされた一本の糸。
縋りつくにはあまりに脆弱で、今この瞬間にぷつりと切れてしまうかもしれない。進み切ったその先は天獄かもしれない。
けれど、断崖絶壁のような悪路であろうとも、目的地が地平の彼方であろうとも、道が断たれたわけではないのだ。

創は無事。与田の異能を取り込んだ隠山祈は春姫の中に封じられたが、いまだ健在。
ならば諦めるには早すぎる。

もはや科学者としての王道はすべて切り捨てた。
科学者としてのスヴィアが決して進み得なかった道に全生命を賭けるしかない。
これが研究所と決別したスヴィアの取れる唯一の道である。

生徒を守るためなら、この瀕死の肉体を捧げたっていい。
隠山祈に身体を明け渡してかまわない。
だから運命よ、もう一度機会を与えておくれ。


『てめえ、付くならもっとマシな嘘をつきやがれ!!』
『チャコおねえちゃん、どうしたの?!』
『虎尾さん、やめて!』

風に乗って届いたのは、虎尾 茶子の怒声と、それを諫める声。
極限のストレスなのか、スヴィアの五感はいつになく鋭敏だ。
幻聴ではない。
暗がりの向こうから響いてくる声を確かに捉えた。

平時であればかかわりを避け、踵を返すような剣吞な雰囲気の集団。
けれどもスヴィアにとっての唯一の前に進む道だ。
光に縋る蝶のように、声のもとへ、ふらふら、ふらふら、ふらふらと近寄っていく。

178彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:38:36 ID:REl9BPQA0


診療所の正面を東西に横切る道は、かつては湖のほとりの遊歩道であった。
村人たちは渡鳥のさえずりに耳を馳せ、虫たちの囁きを楽しみ、豊かな生態系、その営みを享受し心を休めていた。
近年もまた、診療所に詰めかけては世間話をおこない、世情に塗れて汚れたこころを癒した老人たちが、
湖上を吹き抜ける爽やかな風を受けながら帰路につくのが定番となっている。
そんな老人の憩いの小路を行くのは、四人のうら若き男女。
しかし一行の雰囲気は、和気あいあいとは程遠く。

四人の間には重い沈黙の帳が降り、ときおりかわされる言葉は、創による極めて事務的な説明と報告のみだ。
彼方を睨みつける茶子は、苛立ちを隠す様子はない。
そんな茶子への不信感が所作に滲み出る雪菜と、それを牽制してぶー垂れるリン。
せめて間違いが起こらないようにと、雪菜とリンの間に入る創の表情は苦悩に満ちている。

(なんで、そんな取り澄ました顔ができるの?
 悪かったとも思わないわけ?)
雪菜の心の奥底からふつふつと湧き出してくる苛立ち。
不満はずっと燻っていたが、発露したタイミングは明確だ。
すさまじい剣幕で創につかみかかった、先の茶子の感情の発露。
よもや流血沙汰に至りかけた先ほどの衝突は、雪菜の敵愾心を大いに刺激した。
創に謝罪の一言もなく、従うのが当然だと言わんばかりに偉そうに指示を出し、一切悪びれることはない。

自分が信用されていないのはまだいい。
村人でもなく、魔王や呪いと戦う力もないお荷物だ。
興味を持たれていないことなど分かり切っている。
茶子にとって雪菜とはただの便利な道具。移動可能なマスターキーだ。
マスターキーの機嫌を伺う所有者など存在しないだろう。

だが、創とは歪ながらも信頼関係を築き上げたのではなかったのか。
対等な関係として認め合ったのではなかったのか。
世界の裏も表も、人の表も裏も、何もかも見透かした態度を取り続けておいて、人の感情の機微に疎いはずがないだろう。
もし彼女が人の感情を理解できないサイコパスなら、魔王を徹底的に貶める作戦などうまく行くはずがない。
知識も経験もただの女子生徒でしかない雪菜と比べて、茶子は隔絶した領域にある。
なのに敢えて他者の心を慮らない選択をとり続ける理由があるというのか。
言葉の選択一つで、固く結ばれた友との絆が朽ち果ててしまうことすらあるのに。
それとも、最初から創すらも取るに足らないものだと見做していたとでもいうのか。
彼もまた、簡単に替えが効くものだと考えているのか。

(ダメ。気持ちを落ち着けて……!)
安易な感情の吐露も、浅薄な考えの元に吐かれた言葉も、取り返しのつかない亀裂を生む。
それは雪菜にとっての人生の自戒だ。
それで親友を、恩師を、大切な人たちをみすみす失いかけたのだ。
漏れ出す悪感情を抑えつける。
極力考えが表に出ないように努める。
自分が悪感情を飲み込めば丸く収まる。
母の機嫌を伺い過ごした幼少期のように、こころを抑え付ければこの場は収まる。

なのに。
「セツナおねえちゃんでしょ。さっきからなんかぶつぶついってくるの。
 しゃきっとしなきゃダメだよ!」

179彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:38:54 ID:REl9BPQA0
この一行で最もか弱い乙女は、雪菜が覆い隠そうとしている悪感情を掘り出しては、正義の御旗を掲げて弾圧を施行する。
独裁者の子飼いの親衛隊のように、敵性勢力をめざとく見つけ出しては、「指導」をおこなう。
「……ごめんなさい、まわりに配慮できてなかった。血を流しすぎたのかもしれません」
「チャコおねえちゃんにメーワクかけちゃメッ! だよ!」
「リンちゃん、悪いね。ホントにリンちゃんはしっかり者だな」
「そんなことないよ! チャコおねえちゃんがタイヘンなときなんだから、リンがしゃんとしないと、だもんね!」

それとも、学級委員長でも気取っているのか。
リーダーにむくれて反発する不良少女には、その異能はさぞ使い出があるだろう。

『守らなきゃ。大切な人を。
 ほかでもない、あなた自身が』
ぼんやりとそんなニュアンスの感情が湧き上がり響いてくる。
大切な人とは誰だ? 虎尾 茶子を守れとでも言いたいのか?

いつから響いてくるのかは分からない。リンの異能なのかも確証はない。
ただ、脳に強烈な感情を叩きつけるその異能と、脳に直接感情を焼き付けられている今の状況は酷似している気がする。
思考の合間に割り込んでくるノイズが、思考をさらに散漫とさせる。

「哀野さん、本当に大丈夫ですか?
 記憶が残っていない以上、僕らがあの白い空間をどれだけ彷徨っていたのかは分からない。
 自覚以上に疲労が蓄積している可能性もあります」
「そんなの、こっちだって同じことだ甘えんな」
「あまえんな!」
「うさぎや哉くんがクソ疫病神にどんな目に遭わされてるのか分かんないってときに、そこの一人のために足を止める選択はないわ」
「ちゃんとチャコおねえちゃんのいうこときかないと、わるいこになっちゃうよ!」
「大丈夫です、本当に大丈夫ですから」

場を丸く収めようとすれば、リンが事を大きくし、茶子はリンを甘やかし、リンは鼻を膨らませる。
刺々しい本音をオブラートに包めば、自己管理のなさをあげつらわれる。
これまで不和が表面化しなかったのは、魔王にイヌヤマイノリというあまりに大きな脅威に覆い隠されていたから。
そして、議論のたびにリンが眠っていたからにすぎない。

言葉だけを切り取れば茶子が正論を吐いているようにも思えるが、そもそもの発端は誰だと思っているのだろうか。
サバサバしているように取り繕いながら、その実はいつ噴火するか分からないマグマ溜まり。
哉太にだけは全幅の信頼をおいていることは分かるが、
それも含めて意中の男に媚び、依存を繰り返し、気まぐれに慈愛と虐待を繰り返していた母を見る様で気味が悪い。
自己管理すらできないのはどっちだ。
爪を噛みちぎりたくなるような衝動を抑え、本心を押し殺す。
けれどリンは雪菜を信用していないのか、茶子におだてられて調子に乗っているのか、それとも感情が漏れ出しているのか。
未だその異能で心に囁きかけてくる。


(大丈夫、本当に大丈夫)
生物災害を解決すれば、二度とこの不愉快な姉妹と関わり合う機会はない。
ただ、茶子やリンのほうを向けば、初対面の時のように彼女らを睨みつけているように思われそうで。
目を逸らしたのはまったくの偶然だった。

「スヴィア先生!?」
命を賭してでも救い出すと心に決めた人が、ぼろぼろの身体を引きずりながら近づいてくるのが見えた。



180彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:39:17 ID:REl9BPQA0
白い廊下から脱して以降、リンから見ても茶子の様子はおかしかった。
どこかうわのそら、かと思えば突然遠くを睨みつけたりする様子には、思わずびくりとしてしまう。
かと思えば、心配ないよとでもアピールするかのごとく、取り澄まして凛とした顔つきを作り出す。

(きっとカナタおにいちゃんのせいだ。
 チャコおねえちゃんにだまって、いなくなるからこうなっちゃうんだ)
リンと男性との関りは、愛とは程遠い。
爛れに爛れた性的な関係がすべてであった。
あるいは閻魔ならばまた別の関係性を作れたのかもしれないが、そうなる前に彼は姿を消した。

愛や恋の機微なんてリンには分からない。
けれど、茶子が哉太にただならぬ感情を抱いているのは分かる。
なのに哉太もまた、閻魔と同じように姿を消した。
アニカもいつの間にか、黙っていなくなった。

結局ほかに残っているのは創と雪菜のみ。
創は茶子の子分一号としてそれなりの節度で接しているが、雪菜はあまり好きじゃない。
パパの家で世話係をおこなっていた使用人の女のように、嫌悪と同情、そして哀れみの視線を向けてくるから。

(なんでメーワクかけてばっかりのカナタおにいちゃんのことばかりしんぱいするんだろう。
 ムチャばかりするから、ほうっておけないのかな。
 ヨシヨシしたくなるのかな?
 リンもカナタおにいちゃんみたいに、もっともっとムチャすればチャコおねえちゃんもリンのことを心配してくれるのかな?
 リンのことをもっと、もーっとアイしてくれるようになるのかな?)

最初は哉太なんていなくなっちゃえばいいのに、と思った。
けれど、そんなことになったら、きっとますます茶子は哉太を追い求めるだろう。
世の中は理不尽だ。若干9歳にしてリンはその真理を覗き見た。

(リンがわるいこだったら、チャコおねえちゃんはもっとリンをしんぱいしてくれるのかな?
 みんなにいたずらして、こまらせるようなわるいこになったら……みんなどうするだろう)

むすりと口を結んでいる茶子の横顔。
気まずそうに顔を逸らす創。
創を慮る雪菜。
ふと、リンの視線を感じたのだろうか。雪菜の視線がリンの視線とかち合う。

――う  そ  つ  き。

181彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:39:36 ID:REl9BPQA0
あの日の血走ったお姉さんの目が、リンの記憶の棚から引き出された。
ウソつきの悪い子に憎悪と怨みを焼き付けた、あの赤い瞳がフラッシュバックした。

――リンちゃんも悪い子だったんじゃないですか。
――じゃあ、ボクとおそろいだね。
――虎尾さんなんかじゃなくて、ボクと一緒に行きましょ?
――さあ、おいで。

宇野がリンを誘う声が聞こえるような気がした。
お腹を割くためのカマとたくさんの石を持って、手招きしているような気がした。

(リンはわるいこにはならないよ。
 かってにいなくなっちゃダメだよね、しょうじきじゃないとダメだよね、ウソはついちゃダメだよね)

悪い子は許されない。
ウソつきオオカミはお仕置きされちゃう。

大好きだったパパはウソつきの悪い大人になったから、閻魔にお仕置きされた。
閻魔はこっそり冒険に出かけてしまったから、きっと見てはいけないものを見て引きずり込まれてしまった。
アニカと哉太もリンを置いてこっそり冒険に出かけてしまった。
今もリンを愛してくれるのは茶子だけ。リンが愛するのは茶子だけだ。

(だけど、チャコおねえちゃんもなんだかこわい。
 やさしいチャコおねえちゃんでいてほしいから、リンがもっともっといいこにならなきゃ。
 いのりちゃんだよね? そういうコトだよね?)

どこからともなく語りかけてくる声なき声に呼応するように、リンは決意を改め直した。
その時刻は奇しくも、犬山うさぎが力尽きたその時刻。
御守りに宿る神通力がざあーっとブレた瞬間のことであった。
(あといのりちゃん、ひとつだけまちがってるよ。
 チャコおねえちゃんはたいせつなひとだけど、
 じょおうじゃなくて、かっこいいおうじさまなんだから!)



182彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:40:02 ID:REl9BPQA0
最先端設備をふんだんに取り入れた診療所は、大災害に備えた非常電源装置も完備しているが、
優先度の低い屋外の光源にまでは電気はまわしていない。
闇広がる草地を照らすのは月明かりだけ。

距離は遠く、顔のパーツまで判別することは難しい。
血に濡れた服は着替えさせられたのか、服装だって最後に出会った時とは違っている。
村の雑貨屋に売っていそうな一昔前のおくれたセンスの服は、スヴィアの印象とはまるで紐づかない。

それでも、ポケットの中に入れている二本と同じ銀色の髪。
月明かりを受けて煌めくそれを見間違えることはない。
彼女こそが、雪菜の探し人だ。
待ち詫びた再会の瞬間だ。

「雪菜さん?」
創の呼びかけを後ろに、雪菜は走り出す。

「どこ行くつもりだ!」
刃物のように鋭く冷たい茶子の警告音も雪菜の足を止めるには至らない。

茶子の殺気すら伴ったそれを全身で受け、雪菜を引き留めるため駆け出そうとしていた創はつんのめるように足を止める。
けれど雪菜に殺気を感じとるセンスはない。そんな特殊な才能はない。訓練も受けてはいない。
素人ゆえに茶子の警告は届かない。

この瞬間を、誰にも邪魔されたくない。
そんな想いは、無情にもさらなる感情で遮られる。


「……リンちゃんを守らなきゃ」
頭を掻き回される感覚に、雪菜の足が止まる。
大人よりもまず小さな女の子を守るべき。
先生は大人だから大丈夫、それよりも庇護すべき幼い女の子を……。

「そんなわけないじゃない……!」
リンが雪菜をその場に釘付けにする。
けれども、リンの異能を受けながら、雪菜は自意識を確かに保ち、リンをキッと睨みつけた。
クロスブリード。その隠れた恩恵だ。
叶和の精神と自前の精神、二人分の精神を受け継いだ雪菜が、リン一人分程度の意志に呑み込まれるはずがない。

「ひっ……!」
雪菜の視線にたじろいだリンはさらに異能による干渉を強める。
加減を知らない子供の本気の干渉だ。
雪菜の身体は動かず、けれども雪菜を調伏することはできず、リンの干渉だけが強まる千日手。

「リンさん、いくらなんでもやりすぎです!」
「セツナおねえちゃんは、どうしてリンをあいしてくれないの!?」
会話が噛み合わない。
精神干渉だけでも、相手に銃口を向けるような危険な行為だ。
まして、自我に干渉するレベルでの異能の行使は敵対行為に片足を突っ込む行為である。
創は、右手で雪菜の額に触れ、リンの干渉を払う。
だが、不信感までは払えない。

待ちに待った再会、それも見るからに重症な恩師の救出の邪魔立て。
普通の人間なら自我すら消滅するほどの強力な衝撃を受けては、年下の童女相手といえども心穏やかではいられない。
それでも、その身に積もった不満は吐き出せない。
彼女には絶対の守護者がいるのだから。
リンは茶子の後ろに身を隠す。

183彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:40:36 ID:REl9BPQA0

「よしよしリンちゃん、怖かったね。
 ……あのさ、リンちゃんはリスク度外視で突っ込もうとするアンタらを止めてあげてたわけ。
 創、お前も諜報員の端くれなら、リスクくらいいくらでも思いつくだろ。
 手前らのミスでリンちゃんを責めるのはお門違いだ。
 それとも、うちの担任が悪い人なはずありません〜とかほざくワケ?」
「何が言いたいんです?」
「とらわれのスヴィアせんせーが一人で動いてる。
 それ自体が不自然だって言ってるのが分かんないかな」
「隙を見て逃げ出してきたのかもしれないじゃない!」
「隙を見て? 大怪我した素人のチビ女が? 特殊部隊相手に?
 はっ、頭ん中に花でも咲き乱れてるわけ? そのオダマキの花畑、総とっかえするのを薦めるわ。
 人間様を食い殺して、皮かぶって為り代わる野生のクソガキがいるんだ、そいつが擬態してるほうがまだ可能性はあるだろ」
「先生を勝手に殺さないでッ!!!」
「二人とも落ち着いてくださいッ!」

リンは明確に敵意を持った目で睨んできた雪菜に戸惑い、
リンの異能の危険度具合を実感していないがゆえに茶子は皮肉気に正論を吐き、
その危険性を身をもって実感した雪菜がその言い方に反発する。
このまま傷害沙汰にすら発展してしまいそうな三人に対し、創も声を荒げる。

ここに至って余計な諍いは誰の本意でもない。
向いている方向はそう違わないはずなのに、どうしてこうも軋轢が生じてしまうのか。
これが自分たちを白い回廊に閉じ込めた祟り神の狙いなのだろうか。

「哀野さん。虎尾さんの指摘は尤もです。
 確かにスヴィア先生の状況は不自然だ」
「あなたもッ……!?」
創に梯子を外されたことに、雪菜は若干動揺する。
だが、創のどこか苦みのある表情に、先の句は紡げなかった。

「彼女を連れ去った特殊部隊は、人質をみすみす逃がすような間の抜けた仕事をする人間でしょうか?」
雪菜にとっても思い出したくもない苦い記憶だが、創の言葉に感情を抑えて冷静に思い返す。
ゾンビの群れを嗾けて創たちを篭城させ、店の裏口というあからさまな出口へと誘導。引っかかるならばそれでよし。
目論みをひっくり返すために敢えて正面突破を選んだ相手に対しては、伏兵を配して戦力を分断。
離脱した相手に対しては手駒による時間稼ぎをおこない、雪菜の異能すら把握し対策を講じ。
捨て身でぶつかって退けたものの、スヴィアを連れ去った後も一切の油断はなく、痕跡はすべて偽装、スヴィアが残せた手がかりは髪の毛二本という徹底した隠蔽ぶりだった。
結局、あれから彼女の一切の痕跡を得ることができず、情報戦という一点では完全敗北を喫したと考えるしかないだろう。

「僕は今朝、特殊部隊の張った罠に嵌り、みすみす先生を攫われてしまいました。
 十分に警戒しておきながら、敵はその何手も先を行く相手です。
 同じ失敗を繰り返すわけにはいかない」

184彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:40:51 ID:REl9BPQA0

「それでも……!」
スヴィアを疑いたくない。
敵の罠であったとして、スヴィアがそれに加担しているだなんて考えたくない。
雪菜がその切なる思いを口に出す前に、創は人差し指を口に当てて先の言葉を制し。

「僕と雪菜さん、二人でスヴィア先生と接触します。
 万一は起こさせません。どうか僕を信じてください」
努めて冷静に説明している創の表情に、一瞬だけ陰りと不安が見えたのを雪菜は見逃さなかった。
目の前でスヴィアを攫われ、臍を嚙んだのは雪菜も同じ。
こちらの気持ちも知らず、手前の状態を棚に上げて上から責め立ててくる相手には反発もしたくなるが、
同じ傷跡を持った仲間の共感なら、収める鉾もある。


「虎尾さん。
 スヴィア先生の容態次第では、こちらは自由に動けなくなるかもしれません。
 念のため、お貸ししておきます」

創から茶子へ手渡されたのは、ハヤブサⅢの位置を示す発信機だ。
この先スヴィアが足手まといになるとしたら、自分たちに構わず行けという意思表示でもある。
発信機に示された光点は、今の場所から少し北。
まるで何かを確認するようにときおり立ち止まりながら、東方向へと向かっていた。

「まあいいさ。お前は甘いヤツだが、実力は信頼してる。ヘマはするなよ」
「誓って」
「それから、ほらっ」
「なんですか? これは」
茶子から創に投げ渡されたのは、スマートフォン。
何の変哲もない、とはとても言えない妙なアプリがホーム画面を埋め尽くしているが。
道中、袴田伴次から無断で借用した機体である。

「議事録。録音アプリの使い方くらい分かるだろ?」
「……ああ、分かりました」

実力は信頼するが、けれども身内による尋問だ。
モノとして残せ、ということだ。



185彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:41:37 ID:REl9BPQA0

『朝方ぶりだね……。
 話したいことは山ほどあるが……、急を要する話から伝えよう。
 ボクは今、特殊部隊に追われている』
『特殊部隊……!』
『それは、貴女を攫った例の?』
『ああ、乃木平と名乗る男だ』
『ならば、立ち話は危険です。今すぐ身を隠すべきだ』

果たして、スヴィアと創たちの接触は何事もなくおこなわれた。
創がうまく合流位置を調整し、診療所の棟と棟の間へと誘導したのだ。
診療所内からの狙撃も、商店街や山からの狙撃もほぼ遮断可能な位置取り。
狙撃が可能な数カ所のスポットと、放物線を描いて飛んでくる爆発物の投擲にさえ警戒すれば問題ないだろう。

『キミたちと、生きて再会できるとは思ってもいなかった……。
 どう言葉をかけるべきなのか……。
 ともかく、苦労をかけてしまったようだね……』
『そんなことないっ! 私たちの力が足りなかっただけ……!
 それより、もうあの時みたいなことは絶対にしないで!』
『ご安心を。あのようなことは二度と起こさせません』
『はは、頼もしい、ね……』

ああ、煩い。
スヴィアと雪菜たちの会話に耳を立てつつ、茶子はそう心中で独り言つ。
本音を言えば、今すぐにでも学生どものお守りなんざ放棄して哉太とうさぎを探しに行きたい。
茶子は私情を抑えて、全体の利益を選んでいるのに、雪菜が私情で推定敵性勢力に先手を譲りかけたのが腹立たしい。
私怨だと分かっているが、手前だけ何の努力もなく探し人に遭えたのがなんとも気に食わない。
何より、白い回廊にいたときか抜けた後か、何者かがぼそぼそと囁きかけてくるのが鬱陶しい。


――何者も何も、そんなことをするのはイヌヤマイノリ以外にあり得ないのだろうが。
『虎の心(いのう)』が通用しているからこの程度で済んでいるのか、イヌヤマイノリの祟りは異能ではないから『虎の心』では防ぎきれないのか、それは分からない。
確かなのは、嫌がらせとしては最上級だということだ。
平常心がかき乱される。

186彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:42:01 ID:REl9BPQA0

『ただ、その仔細を聞く時間も、再会を喜び合う時間もないんだ。
 前置きは省く。研究所の上層部と会話をすることに成功した。
 18時時点で村に展開している特殊部隊は二名。正常感染者は十一名。これがすべてだ』
『たった、じゅう、いち?』
その衝撃に雪菜は言葉を失いかける。
茶子としても聞き逃せない情報だ。

哉太、うさぎ、茶子、リン、雪菜、創、アニカ、スヴィアで八名。
あのマイクロバスに乗っていた人間がほぼすべての生き残りだった。スヴィアはそう言っている。
つまり、認識していない正常感染者は残りはたった三名。
元の数を知らないためどれほどの村人が命を落としたのかは分からないが、その語り口から多くの命が失われたのだろうことは分かる。

『待ってください。
 18時時点で11人ということですが……生き残りの中に山折 圭介と、ハヤブサⅢという名前はありましたか?』
茶子が聞きたい情報を、創は抜かりなく尋ねる。
ハヤブサⅢの動向如何では、目的に大幅な修正が加わりかねない。

『山折君の名はあった。ちょうど数十分前、神楽くんと共に特殊部隊を一人撃退したようだ。
 そして最後の一人は、……」
茶子はそこで僅かな違和感を覚える。
何かを逡巡するような妙な間が空いた。

「失礼。最後の一人は、日野くんだ。
 ハヤブサⅢ――田中 花子さんは、乃木平たちによって討ち取られたと、ほかならぬ本人から聞きだした』

師匠と同格の超一流エージェントですら命を落としたことに創は衝撃を受ける。
微塵斬りにしても死ななそうな女を殺したことに茶子は特殊部隊の実力を想定よりも上方修正するが、それもそこそこに思考にふける。
スヴィアの証言は不可解なことが多かった。

あの状況で山折圭介は見逃されたということだろうか。
イヌヤマイノリが圭介に憑りついている可能性もあるが、あのお春と共に特殊部隊を撃退したという情報がその予測確度にモザイクをかける。
加えて、日野珠の名を挙げる前に、なにやら逡巡するような不自然な間があった。
珠の名を出すことを戸惑ったのか。
……それとも、ハヤブサⅢこそが最後の生存者なのか?

(仮にヤツが死んだのなら、この発信機はなんだ?
 この小型発信機に映っている、移動中の人間は一体誰だ?)
残り人数は18時時点で13人。消去法で考えればおのずと答えは絞られるのだが。

「リンちゃん。あのおねえさんのお話を聞きに行っていいかな?」
「うん、いいよ! なかまはずれはよくないもんね!
 でも、セツナおねえちゃんはこわいから、なにかあったらまもってね」
「リンちゃんには絶対に手は出させないよ。
 それと、スヴィアおねえさんは怪しいヤツだからな。言ってることを丸っきり信じちゃダメだよ」
「スヴィアおねえちゃんはわるいこなの?」
「そうね。村をめちゃくちゃにした悪いヤツの仲間かもしれない。
 もしかしたらウソをついてるかもしれないから、騙されないようにしっかり話を聞かないとな」
「わかった。リンもがんばる!」
鼻息をふんと吹き出して気張るリンを微笑ましく思っていると、ふと視線を感じた。
出所はスヴィア。一瞬だけ目が合う。
人懐っこさの仮面で覆った瞳で、彼女に視線を返した。

「……おねえちゃんたち! だいじなおはなしするならリンたちもいれてよ〜!!」
ひそひそ話を終えたリンが、とたとたとスヴィアたちの会話に割り込み、自分たちも入れろと主張する。
茶子も特殊部隊への見張りを取りやめ、会話をする三人のところに向かった。



187彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:42:30 ID:REl9BPQA0

「追っ手は大丈夫なんですか?」
二人を迎える雪菜の言葉にはどこかトゲがある。
そのわずかな不快感は、知己三人の会話に部外者が入ってくることへの反発もあるのだろう。

「特に姿が見当たらなかったっすからね〜。大丈夫でしょ。
 昨日ぶりっす、スヴィア先生」
「ああ虎尾さん、昨日ぶりです」
誰だよお前はとあんぐり口を開ける雪菜。
対して、スヴィアはごく自然に会話に応じる。
この得体の知れない女は、村ではそう振る舞っていたのだろうと、雪菜は自分を無理やり納得させた。
まるで百面相、本当に信用ならない。

「哀野くん、ちょうどいいタイミングだ。
 彼女らにも、話を聞くかどうかの選択を問うべきだ。
 これから話す事実は、研究所の最重要機密事項だから」
「最重要機密……。先生はそれを知ったから、特殊部隊に追われている、っていうことですか?」
スヴィアが鷹揚に頷く。
秘密を知ったことで消される立場になったことを認める。
そして同時に、それは今ここでスヴィアの話を聞くのか、スヴィアから何も聞かずにこの場を離れるのかという選択が提示されたことを意味する。
だが……。

「つかぬことを伺いますが、その最重要機密とは『Z計画』のことでは?」
「……なぜ、それを?」
これから話すべき内容に対して創に先手を取られ、スヴィアは一瞬呆けた。
ただ、創の異質な雰囲気からするに、彼がその仔細を知っていたとしてもどこか納得はできる。
あるいは、隣にいる研究所の関係者『Ms.Darjeeling』から聞いたのか。

「それは、僕が……」
「あんたのご友人から聞いたんすよ。
 未名崎錬っていう研究員に、覚えはありますよね?」
正体を明かそうとする創を遮るように会話に割り込み、出所を錬だと上塗りする茶子。
実際『Z計画』について哉太たちに話したのは彼なので、何も間違ってはいない。

「錬……? 彼は無事だったのかい? 一体どうやって……」
「その質問には答えられないっすよー。
 ……あんたがヤツらの一味じゃない保証はない」
一回り気温が下がったような冷たい声色。
急造の人懐っこさの仮面の奥に、冷酷な意思が見え隠れする。

「そもそもスヴィア先生さ、アンタ、本当に特殊部隊に追われていたんすか?」
「それは……どういう意味だい?」
「ハヤブサⅢ――花子さん、だっけ?
 あの女につけられた発信機をあたしらは持ってるんすよ。
 今、診療所の裏から北東のほうへ走り出してるみたいだ。
 ――答えな。ハヤブサⅢの死と、特殊部隊に追われているって証言。
 何がウソだ? 誰と裏で手を組んでいる?」

普段なら刀の一本や二本喉元に突き付けて尋問するのだが、それをやるとまた学生カップルが騒ぎ出すだろう。
故に言葉のみ。だが、その気迫は死神の刃を思わせる冷たく鋭いものだ。
肝の小さい人間が正面から受ければ、それだけで降伏の意を示してしまうだろう。

茶子の指摘に、スヴィアは息を呑む。
明らかに動揺の色が見える。
それが肯定なのか否か、まだ判別はつかない。

茶子は研究所の関係者を信用しない。
教師として信頼を勝ち取り、温和な人格者を装って裏工作に励むくらい、連中は平気でおこなう。
実際、スヴィア以外にも研究員が教員として紛れ込んでいることは把握している。
仮にシロであったとしても、撹乱のために送り込まれた、あるいは偽情報を広げるために解き放たれたなどの線もある。
研究所、特殊部隊、ハヤブサⅢ。
誰も彼も、村に仇為す者ども。
そして誰も彼もが、一筋縄ではいかない相手だ。



188彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:43:21 ID:REl9BPQA0

「待ってください、虎尾さん、スヴィア先生。まずは事実のすり合わせをおこなうべきだ」
にわかに高まる緊張感は、創のとりなしによって、いったんの落ち着きを見せた。

「ソウおにいちゃん、チャコおねえちゃんはウソつきなんかじゃないよ!」
「白々しい。そっちこそ、言いがかりに隠し事ばっかり……!」
明らかに不満を高める雪菜を、左手で制すことで牽制する。
そして頬を膨らませたリンが放つ牽制は、右手を自身の額に当てることでやり過ごす。
だが、それでも頭のどこかで痺れるような気持ち悪さが残る。

「発信機が移動している件については事実です。
 ただし、単純に誰かに拾われた可能性だってある。
 特殊部隊が所持しているのか、日野 珠さんがその異能で発信機を見つけ出したのか。
 スヴィア先生、答えられますか?」
「特殊部隊……だと思う。
 日野くんは午後2時前に花子さんと別れた。
 未来予知でもできない限り、そんな行動はとりえない。
 少なくとも、当時の彼女たちにはそんな異能はなかった」
「ほーん、じゃあ特殊部隊に追われてるってのが虚偽報告ってわけね」
「虚偽……? その言い方はないんじゃないですか!?」
「虚偽も何も、その通りだろ。それともなにか、ただの自意識過剰ってオチだなんて言わねーよな?
 大した事ない情報持って飛び出した挙句、追っ手もいないのに殺されるから助けて〜って、ちょっと笑っちゃうね。
 特殊部隊から逃げ出せてすごいっすねー。向こうに泳がされたんでなけりゃな」
「先生を侮辱しないで……!」
「二人とも、少し抑えていただけませんか……!」

創が不快感を口調ににじませ割って入り、茶子はこわいこわいと両手をあげて口を閉じる。
そしてリンがスヴィアを見る目も、何やら険しくなっているように思えた。
その軽薄な煽り口調とは裏腹に、その目はスヴィアの様子を冷徹に見据えている。
茶子の煽りに対して怒り出すか、それとも否定するか、冷静を装って的確な回答を返すか?
リアクションをつぶさに観察するが、スヴィアは動揺を隠さず、信じられないと、口をパクパクして固まっているだけだ。

(本当にシロなのか?
 未名崎のヤツと繋がってる元研究員の女が?)
茶子の眉間に皺が寄る。
つい先日、研究所パスの不自然な申請があった。
それについて錬に問い詰めたところ、『まず自分を疑え』とご高説を垂れ流された。
それがブルーバードを蹴落として赴任してきた元研究員かつ錬の元上司、スヴィアが赴任した五日後のことだ。
その後ノートPCを持ち出された痕跡も発見され、スヴィアとの密談があったことは状況的に間違いない。

これで本当にシロだというのだろうか。
何らかの意図を以って接触してきた上でこの反応を返せるとしたら、大したタヌキである。

「少なくとも『Z』はそう簡単に持ち出すことは許されない機密事項だ。
 命を狙われるに足る要素だと考えていいはず。
 当時の状況は、どうでしたか?」
「あ……ああ、そうだね。経緯を説明しよう」

どこかうわのそらのまま、スヴィアは研究所との会談内容を語り始めた。
生物災害を起こしたのが錬や烏宿副部長をはじめとした過激派の暴走であるという確証。
秘密裏に進められていた『Zデー』の確かな証拠と、研究所の設立目的。
特殊部隊の独断専行による村への展開と、研究所との和解。
生物災害が収束したところで全員保護の約束を取り付けたハヤブサⅢの交渉。
創の異能によって女王ウイルスを否定する解決案と、その却下。研究所との協力の決裂。

そして、……珠の「Zウイルス」への進化だけは言わなかった。言えなかった。
Ms.Darjeelingに特殊部隊と同じ酷薄さを感じ取ったから。
そして、言ってはいけないという直感が働いたから。

189彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:43:59 ID:REl9BPQA0
ハッピーエンドを見つけると啖呵を切った。
だのに、ウイルスの治療以前に珠の身すら危ぶまれている。
特殊部隊の乃木平は、てっきり機密を知った自分を追ってくると思っていた。
なのに、彼はスヴィアを無視し、どこかへと向かっていった。
いや、おそらく珠のところに向かったのだ。
ならば一体どうすればいいのか、答えがまったく出ない。

創はきっと全面的に協力してくれるだろう。
雪菜だって、理解を示してくれるかもしれない。
けれど、Ms.Darjeelingはどうだ?
黒木から盗み聞いた会話では、特殊部隊のベテランに太鼓判を押される実力者かつ、特殊部隊に等しい冷酷さ。
茶子の協力を得て乃木平を退けても、返す刀で珠を殺されては意味がない。
彼女は生粋の村民かつ、研究所の関係者だ。
女王を目の前にして、あるかないかも分からない治療手段を一緒に探してくれるほど優しくはないだろう。


「……あとは、乃木平本人に、秘密を知った以上生かしてはおけないと銃口を向けられ、脱出口に突き落として命からがら逃げだしてきた、ということだ」
珠の件を除き、すべての情報を告発した。
だが、思考に費やせたのはごくわずかな時間だ。
空港の手荷物検査官のように、一つの虚偽も見逃すまいという茶子の視線。
その裏で、リンもまた冷徹な目でスヴィアを見据えている。
二人を出し抜ける案も、すべての要素を掬いきる閃きも一向に浮かばない。

「特殊部隊に銃を向けられて、ねえ。
 ……ありえない。仮にあたしが特殊部隊なら、無言で撃ち抜く」
雪菜が目を細める。
たとえばの話なのだが、雪菜にとっては茶子が無言でスヴィアを斬り捨てられる人間だと言い放ったようにしか聞こえなかった。

「……ちなみにその特殊部隊は今朝、無駄な抵抗はやめたほうが賢明だって警告してきたんですけど」
「だったらそいつはよっぽどの無能か新人か、あるいは警察あたりからの転向組だろ。
 山折村(うち)の警官は警告なんざせずに撃ってくるけどな」
「もう一つ可能性があります。当時のその言動自体が布石だったということです。
 将来的にボクらを欺けるように、あるかないかも分からない未来を見据えて撹乱のための布石をバラまいていた」

古民家群で戦った特殊部隊のことを考えると、十分にあり得る可能性だ。
彼もまた、いるかいないか分からない狙撃手をあぶり出すために、創を撃ち抜く絶好の機会を不意にした。
乃木平が当時スヴィアたちの殺害を狙っていたのは確かだろうが、碓氷や小田巻と手を組んでいたのだ。
彼らの裏切りに用心して、いざというときの撹乱に偽情報を流しておくのは手が込んでいるがあり得なくもない。

そんなまわりくどいやり方をするヤツなんていないだろと思ったが、ハヤブサⅢの顔を浮かべて茶子も考え自体は否定しない。
あの女は素でそういうことをやりそうだ。


「それで結局、その特殊部隊だかはどこへ?」
「仮に僕たちをひとまとめにして一網打尽にするにしても、時間が経ちすぎています。
 可能性としては元々別のターゲットがいて、その邪魔立てを防ぐために先生を追い立てて僕らを足止めした、ということでしょうか。
 山折さんたちに撃退された特殊部隊の仲間を助けにいったという線もありますが、特殊部隊が任務よりも部隊員の救出を優先するとは考えにくい」
「あたしらをほったらかしてでも狙う価値のある人間、ね。
 ……先生。正直に言ってくれるかしら?
 本当に話してくれたことでさっきので全部?」
「それは……」
茶子が笑顔を張り付けて尋ねる。
それは、肉食獣がテイスティングをしているようにしか思えなかった。
スヴィアの瞳が今度こそ揺れる。水晶体に跳ね返る月光の軌道が、ふるふると乱反射する。
呼吸が、目に見えて荒くなる。

機密情報を持ち逃げした敵対者よりも、殲滅すべき正常感染者よりも、優先すべきことなど多くはない。
そして仮に足止めに遣わされたのなら、それは一体誰の足止めだ?

そんなの、決まってる。

190彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:44:40 ID:REl9BPQA0
「なあ先生、別に怒ったりしないから。
 女王が誰か、もう分かってるんじゃない?
 正直に言いなさい」
正常感染者よりも優先して狙うべきは、女王感染者のみ。

「正直に言いなさい」
このメンバーで足止めしたい候補がいるなら、それは村人とのかかわりの深い茶子か創。

「正直に言いなさい」
その中で特に親しい生き残りとなれば。

「正直に言いなさい」
女王感染者の最有力候補は日野 珠、八柳 哉太、犬山 うさぎの誰かだ。

特殊部隊が女王感染者を殺しに行ったという推測が正しいのなら、最適解はなりふり構わず発信機に従って特殊部隊を追うことだ。
女王である時点で相当状況は悪いが、その行動を取ればそれ以上に悪い方向には転ばない。
だが、その解を選ぶことはできなかった。
茶子にとっては、親友の近親者と想い人が村の敵だと告発されるかされないか。
運命の分岐点を先延ばしにすることなどできなかった。
故に執拗にスヴィアに問いかけた。


「チャコおねえちゃん!」
リンの呼びかけに、茶子はハッと正気を取り戻し、身を引く。

「ダメだよ、スヴィアおねえちゃん、すごくこわがってる。
 それじゃ、ウソつかれちゃうよ」
いつの間にか、リンが茶子の手を握り、その不安に寄り添っていた。
幼いころの『あたし』の呼びかけによって心の深奥にある不安は僅かに取り払われる。
『虎の心』は、リンの献身を受け入れた。

「だから、リンにまかせて!」

そこが、悪夢の一丁目。



191彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:45:04 ID:REl9BPQA0
――リンを、あいして。

「……ぁ」
スヴィアの中に安堵感が広がる。

――リンを、あいして。――リンを、あいして。――リンを、あいして。
――リンを、あいして。――リンを、あいして。――リンを、あいして。
――リンを、あいして。――リンを、あいして。――リンを、あいして。

何を不安に思っていたのだろう。
彼女にすべてを話してしまえばいいじゃないか。
だって、こんなに健気で愛らしい少女を悲しませてどうなるというんだ。
スヴィアの迷いが取り除かれ、思考がクリアになる。
暗闇が晴れ渡り、美しい世界が広がる。
その美しい世界で大きく手を振る愛らしい少女に手を振り返す。

――先生。

後ろから囁きかける声があった。
振り向けば、そこにいた珠が悲しそうな顔をする。
すまない、と謝罪しながらも、愛らしい少女に手を伸ばそうとしたそのとき。

――螂ウ邇を、あいして。

珠が囁いた。

――螂ウ邇を、あいして。
――螂ウ邇を、あいして。
――螂ウ邇を、あいして。

「……ぇ? ……ぁ?」
スヴィアは無数のリンと珠に取り囲まれていた。

192彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:45:34 ID:REl9BPQA0

――リンを、あいして。――リンを、あいして。――リンを、あいして。――リンを、あいして。――リンを、あいして。――リンを、あいして。
――リンを、あいして。――リンを、あいして。――リンを、あいして。――螂ウ邇を、あいして。――リンを、あいして。――リンを、あいして。
――リンを、あいして。――螂ウ邇を、あいして。――リンを、あいして。――螂ウ邇を、あいして。――リンを、あいして。――螂ウ邇を、あいして。
――リンを、あいして。――螂ウ邇を、あいして。――螂ウ邇を、あいして。――リンを、あいして。――螂ウ邇を、あいして。――螂ウ■を、あいして。
――リ■を、あいして。――螂ウ■を、あいして。――リ■を、あいして。――螂ウ■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。
――螂ウ■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――リ■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。
――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。
――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。
――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。
――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。
――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。
――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。


「ああ、ああああ………!!」
とめどなく囁かれる愛の奔流に弄ばれ、頭頂から足先まで真っ二つに引き裂かれるかのごとく。
魂が両極から引っ張られ、悲鳴をあげる。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっ!!!!」
 『                                                        !!!!』

それは人間のキャパシティをはるかに超えた愛の津波。
スヴィアというダムでは到底支えきれない莫大な囁きだ。

――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。
――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。
――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。
――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。
――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。
――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。

ダムが決壊する。愛が溢れ出す。
二人の少女からスヴィアに向けた熱烈な愛のアプローチは、スヴィアを増幅器として、あたりにまき散らされた。

193彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:46:25 ID:REl9BPQA0

「ぐうぅッ! あ、頭が……!」
「あ……、何この音……この音……!?」
「なんだ!?」
創が頭を押さえてうずくまる。
雪菜が頭を割るような声に戸惑う。
茶子だけは、何も変化がなく困惑する。

それは、スヴィアがこれまで意図して使わなかった超音波。
スヴィアの肉体が最大の危機に瀕したことで、宿主を『守る』ために暴発した。
愛の囁きを周囲に撒き散らすデバイスは、人間の大人には聞き取れない高周波音。俗にいうモスキート音である。

故に。
「きゃああああああああ、なにこれえええぇぇぇっ!!!」
その影響を最も受けるのは、最も幼いリンであった。


「先生……、すみませんっ!」
スヴィアがリンの異能の影響を受け、何かが暴発したことは確実。
頭から右手を離せばすぐにまた愛の囁きが創の人格を覆い尽くそうとする非常事態。
周囲の様子に気を払う余裕はない。
そして手をこまねく理由がない。
創は自らの異能の全力を以って、スヴィアの受けているウイルスの干渉を否定した。
ウイルスの干渉がなかったことにされていく。
超音波が収まり、リンの異能は収まり……。
「ぐぶ……」
「!?」

そしてスヴィアは血を吐いた。


茶子への愛が押し流されていく。
リンの愛が、茶子への愛が、よく分からないナニカによって覆われていく。
「イヤ! イヤ! イヤだああああ! チャコおねえちゃん、リンをおいていかないでぇッ!!」
「リンちゃん!?」
はじめて取り乱した様子を見せるリンに動揺し、茶子がその手をぎゅっと握り返す。

悪夢の、二丁目。

「チャコおねえちゃん! リンをまもってっ!!」
何が起きているかも分からないまま、リンは王子様へと助けを求める。
リンの異能が茶子を覆った。



194彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:48:13 ID:REl9BPQA0
『虎の心』は茶子へと害を為す精神干渉を跳ね返す異能である。
その対象は、茶子が受け入れるのを拒否したものと、茶子が気付いてすらいない干渉の二つ。
逆に言えば、茶子自らが受け入れることを決めたのであれば、跳ね返す対象とはならない。
そう、魔王撃滅作戦にて疑似的な鳥獣慰霊祭を開催したとき、茶子は意志をもってリンの言霊をその身に宿した。
精神干渉を受け入れたのだ。リンからの前向きな精神干渉を受け、魔王を退けたのだ。

リンはいつぞやの自分自身だ。
光闇入り混じる山折村において、彼女は哉太に次いで守り切りたい存在だ。
その献身は受け入れたいと思っているし、彼女に命の危機があれば守りきって当然だ。
ただ、それだけの素朴な感情だった。

だから。

――リンを、まもって。

『自分自身』という最上位の特権を付与されたことで、少女の言葉はすり抜けるように防御壁を通過し、茶子の精神へと染み渡った。
そして、哉太よりリンを優先するように上書きされた。

それと抱き合わせのように入り込んできた僅かな意思により、女王感染者が誰なのかを聞き出す意思は霧散した。
リンを守ることへの納得によって押し流された。


これは今まさにこのときこの時刻、女王からアニカが受けているような、無理に相手を従わせるものとはまた性質が違う。
微弱な意思は意識しなければ自分のものなのか他人のものなのか切り分けができない。
仮に意思強制や眷属化と称される類の事象であったとしても、自分自身が納得して受け入れたのなら、それは自分の意志なのだ。
スヴィアや雪菜と違って、茶子がリンの言葉を聞き入れない理由はどこにもない。
リンは茶子で、茶子はリンなのだから。
過去の自分を目の前にして、彼女はこの土壇場で、自分を疑わなかった。

つい先ほど雪菜に述べたように、茶子はするりとアウトドアナイフを鞘から抜き去って。
音もなくスヴィアの心臓目がけて投げつけた。

スヴィアの暴走が誘発されてから、ここまでに僅か二十秒。
茶子の凶行に気付いたのはたった一人。
茶子とリンに警戒を払っていた雪菜だけが、茶子の空気が変わったことを見逃さず。
けれども、ナイフを弾く技量もない彼女にできることは、ナイフの軌道上に割り込むことだけで。
「ぐ、ふっ……!」
飛来する刃から恩師を庇い、ずぶりとその身にそれを食いこませた。
雪菜は茶子とリンを明確な敵とみなした。



195彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:48:44 ID:REl9BPQA0

「スヴィア先生!? しっかりしてください!」
遠くで創の声が聞こえる。
肉体は、今のでついに限界を迎えたらしい。

結局、何もできなかった。
全員を救おうとしてただ一人も救えず、荒野に一人力尽きるのみ。

……どだい、耐えるなど無理な話だったのだ。

凶行にはしった友人を止めることができず。
生徒たちと望まぬ形で切り離され。
銃弾とナイフによって肉体と臓腑をかきまわされ。
瀕死の肉体を押して頭脳を酷使し。
悍ましい祟り神の呪いをその身に受け。
白兎の御守りもないまま女王が生まれ落ちたその瞬間に立ち会い。
そして極めつけとして、見出した希望は絶望へと反転し。
珠を救う方法は見つからず。
今、矜持すらも踏み荒らされた。
むしろ、これで今まで死ななかったほうが奇跡だろう。


それでも、せめて、最期に状況を覆す一助になるような閃きでも出てこないものかと考えるのは、科学者の性なのだろう。
けれど、スヴィアはもう何も考えるべきではなかったのかもしれない。

それはとりとめのない思考だった。
空からスヴィアの脳裏に、ひとつの仮説が舞い降りた。

Zウイルスに進化すれば人間と一体化し、創による治療は不可能になると所長は断じた。
ウイルスの影響を取り除くことは、ウイルスと一体化した人間を否定するに等しい行為だからだと。
だが、それはZウイルスだけなのだろうか?
定着したBウイルスもまた、同じなのではないか?

どうして、負傷に次ぐ負傷を受けておきながら、スヴィアは生きることができたのか。
銃もナイフも、とどめを刺すには至らなかった。特殊部隊の処置は適切だった。
それでも、治療に専念せずに肉体を酷使すれば、いずれその限界は訪れるものだ。
けれど、神経にまで定着したHEウイルスが、肉体の限界をわずかに押し上げていたのだとすれば。
宿主と共存関係にあるウイルスが、宿主の生存のために力を貸すのはごく自然な行為である。

つまるところ。
スヴィアの肉体に、ウイルスはとっくに定着していた。
彼女に蔓延るウイルスはHE-028-B。HE-028-Cではなかったのだとすれば。

今にも肉体が限界を迎えてそうなのは、肉体の疲弊によるものではない。
ウイルスの影響を否定する創の異能によるものであって。
今まさに、自分は創を知らないうちに人殺しにしようとしているのではないか、と。

今すぐ創に伝えなければ。
そう思うも、身体が動かない。口が動かない。
創の右手がウイルスを否定する。
スヴィアの神経と繋がり、スヴィアを生かしていたウイルスを否定する。
やめてくれという言葉が届かない。
創は自分を生かすために、決死の表情でウイルスの影響を否定している。
スヴィアを生かそうという意志が、スヴィアを殺す。

絶望の中、月光にナイフが煌めいた。
いつかの自分の反転。雪菜が自分を庇い、ナイフをその身に受けた。
創はスヴィアを殺し、雪菜は自分のせいで死ぬ。


なぜこんなことになったのか? 自分はただ、生徒たちに生き抜いて、未来に活躍してほしかっただけなのに。
誰か、誰か。
だれか、たすけて。



その想いは。

――せんせい。


届いた。

196彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:49:56 ID:REl9BPQA0

――先生!
――せんせー。
――こども先生。
――せーんせっ!
――スヴィア先生!
――スヴィアちゃーん!

茶子に黒い霞がまとわりついているのが見えた。
放課後の校庭から聞こえるような、笑い声が聞こえた。
瞳のない子供たちが一人、また一人とスヴィアの名前を呼ぶのが聞こえた。
この世のものとは思えないその呼び声。
けれども、それがなぜか心地よくて。
なぜか涙があふれ出してきて。
彼らの声が自分の中へとなだれ込んだかと思えば。
スヴィアの視界は黒く染まった。



197彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:50:24 ID:REl9BPQA0

――まもらなきゃ。
――まもらなきゃ。

「まもらなきゃ。私が、まもらなきゃ。……絶対に!」
刃が溶け落ち、柄だけになったアウトドアナイフを掴む。
その刃を溶かす血が滴り落ちるアウトドアナイフは、
身体に突き刺されば肉を容赦なく溶かし、生体組織をぐちゃぐちゃに破壊するだろう。

「そうだよね、叶和」
スヴィアを通して発せられていた愛の宣告は聞こえなくなった。
代わりに聞こえるその声は、叶和の声だ。
大切な人を守れと囁きかけてくるその声は叶和のものだ。


当然の話だ。
雪菜の中には、叶和のウイルスが生きている。
クロスブリード。二重能力者。
異なる二種類のウイルスを持ち、彼女の想いを引き継いだ雪菜だからこそ、リンと女王の愛の囁きをその身に受けても自意識は失われない。
そして、異なる二種類のウイルスを持つ雪菜だからこそ。

女王の影響を他の人間の二倍受ける。


遺伝子構造を模して造られた白いダンジョンは、それ自体が女王の囁きに等しい。
遺伝子構造を最初から最後まで漫然と辿れば、その情報を書き込まれたに等しい。そうなれば、眷属として僅かに進行する。
二回繰り返せば、二度転写がおこなわれる。けれど、雪菜だけは四度転写がおこなわれる。
秘密裏におこなわれた転写と雪菜の性質。
増幅されたのは守護の意識。

叶和(女王)と雪菜(女王)に囁かれるまま、線香花火で肉体を活性化。
ナイフの刺さった痛みなどとうにトんでいる。
刃を手にした雪菜はそれを怨敵へと突き出す。
スヴィアを傷つけた二人は許さない。

「哀野さん!?」
ようやく気付いた創の呼びかけに耳を貸さず。
雪菜は姿勢を低くして、突撃兵のようにリンに迫る。
寿命を考えず、線香花火の異能を最大限に施したその身体能力は、活性アンプルを打った肉体スペックに匹敵するだろう。
創では阻止は間に合わない。

「リンちゃん、危ないから下がってな」
「うん、うん!」
雪菜が動き出す兆候を捉えた茶子は、先にリンを下がらせ、雪菜を迎え撃つ。
目で追うのがやっとの超人的な速度の突き刺しだ。
けれど、その実態は速くて力が強いだけ。素人の破れかぶれの特攻だ。
研究所最強がおめおめと受けるはずがない。

自分を殺しに来る人間を生かすほど彼女は優しくはない。
ここに至って、茶子にとっての雪菜の価値はボーダーラインを下回った。
山折村に無用な人材へと格下げされた。

目で追いきれないほど速かろうと、交差する瞬間に相手に合わせて一歩踏み込み、あとは首が通過する時間、通過する空間に長ドスの刃を通すだけ。
八柳流の剣術ですらない。処分にそんなものは必要ない。


「あっ……」

一閃。
ただそれだけで、雪菜の胴と頭を繋ぐ一本の線は分かたれた。

198彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:51:46 ID:REl9BPQA0

『守らなきゃ……』

長ドスはその一太刀だけで溶け落ちて砕け散ったが、藤次郎の刀があれば何も問題はない。
くるくる首が舞うようなことも、酸の血をまき散らすようなこともなく、雪菜の頭はごとりと地面に落ちる。
前かがみの姿勢のまま分かたれた胴は、噴水のように血を噴き上げながら、後方によたよたと勢いのまま歩いていく。
物珍しくもない。これまで斬り捨ててきたジャガーマンやゾンビと何が違う?

手ごたえは確かだ。今さら罪悪感も何もない。
ゾンビも人間も何人も殺してきた。
生死の読み違えなどありえない。
それが茶子のミス。

『守らなきゃ……』

独眼熊の精巧なフェイクによって欺かれた大田原源一郎が立ち直るまで、およそ五秒。
茶子の戦闘センスがどれだけ優れていようとも、在りし日の大田原と独眼熊には程遠い。
戦場で死体に構うのはルーキーだけだ。
死んだ人間はさっさと関心から外し、次の敵に構えるのが定石。
だから、もはや興味を無くした雪菜の身体に再び関心を向けなおすならば、時間は潤沢に必要だ。

『守らなきゃ……。死んでも守らなきゃ!』

――がんばれ、雪菜!
語りかけてくる叶和(女王)のエールを受けて、雪菜の生首はにこりと凄惨に笑う。
茶子の関心の死角で、茶子の背後で、線香花火が輝いた。
茶子が気配を感じたときには、もう手遅れだった。

『女王様を、守らなきゃ!』

線香花火の真骨頂。
輝きの消えるその直前こそが最も肉体が活性化する。
フランス革命の折、ギロチンで首を落とされた学者は、二十秒もの間まばたきをしてみせたという。
ならば首と胴を分たれた雪菜は、いま最も生命力に満ちている。

バチバチと火花のように血が弾ける。
地面に舞い落ちた雪菜の首は、首の筋肉と骨だけをバネに、弾ける血を推進力に、再度地面を押し出して宙を舞った。
人を喰らう架空の存在、抜け首のように宙を舞い、伝承のように牙を剥く。
首を落とされてから茶子の肩口に食らいつくまで、五秒。

酸で溶かして尖らせた犬歯はいともたやすく茶子の肩を貫き、唾液を血管に注入する。
「があああああああああぁっ!」
激痛に身をよじらせる中、さらなる悲鳴が差し込まれる。

「チャコおねえちゃんッッ! たすけてえッ……!」
リンは雪菜の首のない胴体に捕らわれようとしていた。

199彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:53:01 ID:REl9BPQA0

「くそっ、いい加減離せッ!」
雪菜の頭を診療所の壁に打ち付ける。
一度。二度。三度。

『まもらなきゃ……。先生……。叶和……』
脳が露出し、ぐちゃぐちゃになった雪菜の頭がついにごとりと落ちて動かなくなる。
それでも身体は止まらない。

「いや、いやあ!! チャコおねえちゃん! リンをたすけて!」

今の茶子は、過去一番に精神が研ぎ澄まされている。
リンの悲鳴に答えるように、茶子は縮地によって雪菜の胴に迫り、刀を抜き放つ。

――守らなきゃ。

それは、茶子の夢想にすぎなかった。
肉体が追いつかない。脳が指示する通りに肉体が動いてくれない。
茶子の肩口から注入された唾液は、血流にのって、茶子の右半身を壊し続ける。
四肢を失った負傷兵が、四肢が健在だったころの動作を取ろうとして倒れるのはありがちなことだ。
今まさに助けを求めている過去の自分自身の前で、研究所最強は無様に地面に身体を打ち付け鼻から血を流した。

その間に、リンの身体は首のない血塗れの身体に捕らえられた。

「おねえさん、ウソついてごめんなさい!」
お姉さんが気に入らないからウソをついてまほうのカードを隠した。

「もうウソはつかないから!」
パパにとってのいい子でいるためにウソをつき続けた。

「リンをゆるして!!」
自分がウソつきなのを隠すために、みんなのウソを許さなかった。

そんな悪い子を食べにくるのはオオカミではなく、首のないナニカであった。
もう考える頭もない彼女に、言葉など通じるはずがない。
生前の意思だけで突き動かされるその肉体に、手加減などあるはずもなく。
バケツの上で膨れ上がった線香花火がぼとりと落ちるように。
茶子の目の前で、多くの村人を狂わせたその愛らしい美貌はぐずりと溶け落ち、じゅわっという音と共に地面のシミとなった。

そこに残っていたのは、ただ首のない死体が二つ。
茶子は戦いとすら呼べない小競り合いの末に剣士の要を奪われ、そして過去を今再び失った。



200彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:53:54 ID:REl9BPQA0

創は理解を拒否するかのように視線をうつろわせる。
茶子。スヴィア。リン。雪菜。
誰も何もかもが信じられず、立ち尽くす。
たった三十秒ぽっちの出来事だった。
一体だれが悪かったのか、何を間違えたのか。

雪菜は茶子に殺され、リンもまた雪菜に殺された。
スヴィアの脈はもうない。そして心臓の鼓動も感じられない。

ではなぜ自分は動かなかった?
茶子がなんとかすると思った?
リンがスヴィアに過度な異能を使ったことを引きずった?
スヴィアこそ優先して救わなければならないと思った?
事実は一つ。
創はリンが殺されるのを、ただ呆然と眺めていた。
雪菜を、リンを、見殺しにした。


茶子もまた、目の前で起きた出来事に呆けていた。
何故あんな行動を取ったのか、理解できない。
右半身の感覚が鈍いことが理解できない。
ぐったりとしたスヴィアを見ても、何の敵意も湧いてこない。

もはや、ここに生者は二人だけ。
戦意を折られた二人の間に、小競り合いなど起こりようもない。
だから悪夢はすべて終わって――。


否。


「スヴィア先生!?」
まだ悪夢は終わらない。

201彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:55:08 ID:REl9BPQA0

スヴィアがすくと立ち上がった。
ありえない。確かに脈は止まっていた。
リンの異能を受けて限界を迎え、確かに命を落としていた。
それがただの計測ミスだったならエージェントとして恥じ入ることだが、今となっては地獄に仏である。

創の声を聞き取ったのか、スヴィアの顔を覗き込んで。
くるんと創のほうに向きなおる。
その容貌の異様さに、創は息を呑んだ。


かつてこの地にあった研究所の所長は、新人研究員に問うた。
神を呼び寄せる最も可能性の高い手段はなにか、と。
それは人の想いであると所長は答えた。

身を呈して救済を求め続けたスヴィアの想いが、魔王を呼び寄せた研究員に劣ることがあろうか。
自分を監禁し、家族をも殺した隠山の里への憎悪に劣ることがあろうか。

眼孔に詰まっているのは目玉ではなく、吸い込まれるような漆黒。
そこから、黒い闇が涙のようにぽたぽたと溢れ出ている。
異能かと手を伸ばして触れれば、その体は氷のように冷たい。
まるでゾンビ、いや、死人だ。

――生徒たちの声が聞こえるんだ。

今のはスヴィアの声だったのかと、後追いで創は理解した。
もう、その声は人のものではなかった。
スヴィアのまわりには、黒い霞がまとわりついている。
それは生物災害によって未来を奪われた亡者たちの怨念のように思えた。
山折村古来から蓄積し続けてきた厄ではなく、此度の生物災害で発生した多数の怨念。
何も手立てを打たなければ大田原源一郎の元に向かっていたはずのそれは、すべてスヴィアが肉体へと取り込んだ。

何せこの地下には諸悪の根源の研究所があった。
その研究所は、隠山祈を監禁し、悪神へと変貌せしめた岩戸を拡張したものである。
数百年前にあらゆる呪いの根源を生み出した場所の真上に立ち、強い想いを抱いて散った者に、八百万の神が答えないはずがなかった。

――生徒たちが、ボクを、呼んでいるんだ。
――みんなが助けを求める声が、聞こえるんだ。
――未来を奪われた子供たちを、救わなきゃ。
――ハッピーエンドを掴まなきゃ……。

「スヴィア先生!?」
創の呼びかけに、その黒い瞳を向ける。

『天原少年。日野くんを頼む』
かつて人であったころの声で創に託す。

――みんなの歌が聞こえるんだ。
――みんながボクを呼んでいるんだ。
――もっと生きたかった、と嘆いているんだ。
――だから、ボクはみんなを救わなきゃいけない。

リンの死体を前に呆けた茶子に目もくれず、スヴィアは音すら立てずに歩きだす。
山折村に広がる漆黒の闇。
スヴィア・リーデンベルグだったものは、溶けるように暗闇の中に消えた。

もはや地獄と呼ぶにも生ぬるい惨状に、創は膝から崩れ落ちるしかなかった。

202彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:59:21 ID:REl9BPQA0

茶子がふらふらと立ち上がり、よろよろと歩き出す。
「どこへ?」

感情のこもらない瞳で創を見つめる。
「哉くんのとこ。
 一発、景気づけに殴ってもらうわ」
「当ては?」
「あるわけないだろ」

あまりに疲弊し、恨みつらみすら湧いてこない。
同行するか、別行動か。
二つに一つだが、その先の言葉は紡げなかった。

「逃げ延びたリンちゃんを置いていくことになるんだけど、戻ってきたら連れて行ってくれ。
 チャコおねえちゃんがカッコわるくてごめんなって謝っといてくれると助かる」
「虎尾さん……?」


創から見た茶子は歪だった。
彼女は人の感情の動きに明るい。
それこそ、魔王を掌で転がせる程度には会話の組み立てがうまく、人心への理解も深い。
にも関わらず、自身は悪態を隠さず、特定の人物への想いを隠そうとしない。

それは、エージェントとしての訓練を受けていたわけではなく、
野良の強者がエージェントとして取り立てられ、独学で学んだことに端を発するのだろう。
故にそのような歪みと付け入る隙があるのだろうと思っていた。
戦闘に関するセンスも頭の回転も一級品だったために、それらも決してマイナスになっていなかった。

違う。
彼女はすでに壊れていて、パッチワークのように心をつなぎ合わせて自我を保っているのだ。
不和の原因の一人であり、いま、雪菜の仇となった人間。
にもかかわらず、創は何も言い返すことができなかった。
茶子の姿は、遥に出会わなかったときのIFであったと思ったから。

茶子もまた、ふらつきながら暗闇の中に姿を消した。

生ぬるい風が村を吹き抜けていく。
死体と怨念に塗れた悪夢の中、創だけが暗闇の中、立ち尽くしていた。

【哀野 雪菜 死亡】
【リン 死亡】
【スヴィア・リーデンベルグ 怪異化】
※スヴィア・リーデンベルグだったものからは一切のウイルス反応は消失しました。

203彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 20:00:12 ID:REl9BPQA0

【E-2/診療所東/一日目・夜中】

【虎尾 茶子】
[状態]:異能理解済、疲労(特大)、精神疲労(中)、山折村への憎悪(極大)、朝景礼治への憎悪(絶大)、八柳哉太への罪悪感(絶大)、右半身麻痺
[道具]:ナップザック、医療道具、腕時計、木刀、八柳藤次郎の刀、ピッキングツール、護符×5、モバイルバッテリー、研究所IDパス(L2)、小型発信機
[方針]
基本.協力者を集め、事態を収束させ村を復興させる。
0.哉太を探す
1.―――ごめん、哉くん。
2.…………願望器。
3.小型発信機に従い、ハヤブサⅢと思わしき人物と接触する。
4.有用な人材以外は殺処分前提の措置を取る。
5.顕現した隠山祈を排除する
6.未来人類発展研究所の関係者(特に浅野雅)には警戒。
7.朝景礼治は必ず殺す。最低でも死を確認する。
[備考]
※未来人類発展研究所関係者です。
※リンの異能及びその対処法を把握しました。
※天宝寺アニカらと情報を交換し、袴田邸に滞在していた感染者達の名前と異能を把握しました。
※羊皮紙写本から『降臨伝説』の真実及び『巣食うもの』の正体と真名が『隠山祈(いぬやまのいのり)』であることを知りました。
※月影夜帳が字蔵恵子を殺害したと考えています。また、月影夜帳の異能を洗脳を含む強力な異能だと推察しています。
※『神楽うさぎ』の存在を視認しました。
※『神楽うさぎ』の封印を解いた影響はスヴィアに引き継がれました。

【E-2/診療所中庭/一日目・夜中】
【天原 創】
[状態]:異能理解済、記憶復活、疲労(絶大)
[道具]:ウエストポーチ(青葉遥から贈られた物)、デザートイーグル.41マグナム(0/8)、スタームルガーレッドホーク(6/6)、ガンホルスター、44マグナム予備弾(30/50)(ジャック・オーランドから贈られた物)、活性アンプル(青葉遥から贈られた物)、通信機、双眼鏡、袴田伴次のスマートフォン
[方針]
基本.パンデミックと、山折村の厄災を止める
0.???
1.全体目標であるVHの解決を優先。
2.災厄と特殊部隊をぶつけて殲滅させる。
[備考]
※上月みかげは記憶操作の類の異能を持っているという考察を得ています
※過去の消された記憶を取り戻しました。
※山折圭介はゾンビ操作の異能を持っていると推測しています。
※活性アンプルの他にも青葉遥から贈られた物が他にもあるかも知れません。
※『神楽うさぎ』の存在を視認しました。
※軍用通信が解除されたことで小型発信機でハヤブサⅢの通信機を追跡できるようになりました。

204 ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 20:00:29 ID:REl9BPQA0
投下終了です。

205 ◆H3bky6/SCY:2024/06/02(日) 01:21:11 ID:pO1avpro0
投下乙です

>彼女たちのささやきが聴こえる

あーもうめちゃくちゃだよ(絶望)
強力な敵を相手にしている時は一致団結できてたけど、敵がいなけりゃまとまらない。そりゃそうだ、元から仲良くないもんね!
女王や大田原さんと激戦を繰り広げる戦場から離れた位置に出て、一旦落ち着いたからこそ沸き上がった不和である

このパーティー、女性陣が全員不和の種をばらまくトラブルメーカーすぎる
茶子はずっと口と態度が悪かったツケがいよいよ回ってきた感じだし
茶子のコバンザメするリンのクソガキ感や、鳴りを潜めていた雪菜のメンヘラも爆発して、もはや創くん一人じゃどうしようもないよ

雪菜たちとスヴィア先生がようやく再会、まあロクな事にはならないことは分かってたけども
感染者がストレスでB感染者になるんなら、スヴィア先生がなってるのはそれはそうだよだね……としか言いようがない
いつ死んでもおかしくない瀕死状態が長らく続いてたからよく生きた方だと思うけど、まさかこんな最後になろうとは
今回のVHの死者たちの怨念による怪異化、怨念が集まるとすぐ怪異ができる、何だこの村……(∞回目)

全員が悪い所がありまくったけど、直接的な原因はリンちゃんの異能だよねぇ
雪菜を、スヴィアを、茶子を操り、無邪気に他人の心を蹂躙していく正しくプレデター
しかも眷属化の影響で全員に常時精神デバフがかかっているようなモノだからなかなかきつい

雪菜は叶和と融合後落ち着きを得た感じだったけど、やっぱりヘラってる時の方が輝いてるぜ!
人間は首を切られても喋れるし動ける、忍者と極道を読んでるみんなは知ってるね?
線香花火の最後の輝きが内輪もめに使われるのは何とも空しい

かくして2人の少女が息絶え、状況的にも絵的にもエグイ事になった
生き残った2人もだいぶ精神的にきつそうだけど、メンタルケアのできそうな人がいないのでどうすんだろうねこれ?

206 ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 19:53:34 ID:U6P2q54E0
投下します

207遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 19:54:31 ID:U6P2q54E0
山桜咲く曇天の早朝。新山南トンネルへと続くバスの停留所前。
整った顔立ちの少年ーー八柳哉太が一人、陰鬱な面持ちでベンチに腰かけていた。
少年の傍らには荷物の詰まったボストンバッグ。傍から見れば、春休み期間という時期も相まって旅行のために待っていると見えるだろう。
だが事実はそうではない。

「…………二度と来るかよ、こんなクソド田舎」
歯噛みし、忌々し気に呟く。傷害事件の容疑者として汚名を被らされ、山折村から放逐される形で村から出る。
信じていた正義に裏切られ、幼馴染の親友に絶縁を言い渡され、郷土愛が一転し生まれ育った村には悪感情以外持っていない。
警察の杜撰な捜査によって冤罪を掛けられた後の思い出は碌なものではなかった。

夜間、家に居辛くなり稽古でもしようと別荘に移動していると甲冑から襲撃され、軽く伸して正体を露にすると剣道部の内藤聖子であることが判明。
「くっ、殺せ」など訳の分からない事をほざいていたため放置。次の襲撃があると面倒なことになるため、次の日以降、別荘に停泊することにしたこと。
別荘の物資が少なくなって実家に向かった矢先、町原や田辺ら取り巻きを率いた閻魔に襲撃され、護身用に竹刀を持っていたため、内藤と同じく難なく返り討ちにしたこと。
別荘で一人でぼんやりとしていた昼時、頼んでもいないのに三一郎の一人、郷田剛一郎が三人前の出前寿司を持って訪れた。
「哉坊のこと、俺は信じてるからな!」などと言われ、年長者を追い返す訳にもいかず一緒に昼食を取ったのだが、その善意を信じ切れず逆に鬱陶しかったこと。。
悪意も、善意も、山折村の全てが嫌になっていた。
ただ、一つだけ心残りがあるとするのならばーーーー。

『あたしは哉くんを信じてる。たとえ村中が敵に回ったとしても、あたしだけは哉くんの味方だから』
「…………やめだ。感傷に浸っても、今更何も変わるわけじゃねえ」

頭を振って村への未練を振り払う。未来は不確定であるのだが、もう二度と村に戻るつもりはない。
上京するまでの期間、共に別荘で寝泊まりをした姉弟子には別れは告げていない。
顔を見るのが辛い。「さよなら」と言葉に出せばもう二度と会えなくなってしまう気がする。

そうして時間が経ち、バスが来る十数分前。
ぼんやりと虚空を見つめる哉太に駆け寄ってくる足音。
思わず顔を上げると、そこにはーーー。



208遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 19:55:15 ID:U6P2q54E0
親分と子分第一号。生物災害の発生から多くの因果の果てに哉太と圭介は巡り合う。
互いに睨みつけるような視線を交わす。言いたいこと、問い詰めたいことは山ほどある。
だが、二人共感情の赴くまま口に出すことはしない。
為すべき事は罵り合いではなく、打倒すべき敵は殴り合いの末、喧嘩別れした男ではない。

「やるぞ、哉太」
「足を引っ張るなよ、圭ちゃん」

二人の剣士を食らわんと襲い来る暴食鬼(グラトニー)を前に少年達はしがらみを断ち、同時に駆け出した。
闇を纏い、凄まじい速度で接近する赤鬼。圭介は魔聖剣の魔力を全身に漲らせ、哉太は培った戦闘経験と自身の身体能力で左右に分かれて回避を試みる。
しかし、際限なく噴出する闇が左右を駆け抜けようとする少年二人に狙いを定め、形を変える。
八岐大蛇のような形状の触手とその周囲に集うガラス玉サイズの球体。瞬間、闇が爆ぜ、触手は少年の四方、球体は八方から剣士二人を肉塊に変えるべく襲い掛かる。
迫る絶死の気配。しかし、袂を分かつた幼馴染のような業(わざ)はなくとも圭介の手には受け継がれた光纏う聖剣がある。
剣より迸る魔力の光。自分を救ってくれた神様ーー魔王の娘のアドバイスを回想し、溢れ出す魔力の形を変える。
そのイメージに応え、圭介の周囲に張り巡らされる光のパリア。襲い来る暗黒は魔力の障壁に阻まれ手雲散する。

その反対側。哉太にも同じタイミングで迫る穢れた刃と黒き弾丸。襲い来る死を天賦の才を持つ剣士は己が業(わざ)にて対処する。
一に来るのは鋭き触手。形を変えた怪異の気配を肌で感じ取り、僅かなタイムラグを脳内で計算。優先順位を測定し、聖刀にて切り払う。
二に来るのは暗黒の弾丸。ほぼ同タイミングで哉太の周囲を取り囲む球体。全身の神経を集中させ、出来る限り最小限のダメージに抑えるべく行動を開始
八柳流『蠅払い』。目視と殺気の感知で確実に両目と急所へと当たる弾丸を両断。残りの弾丸は回避しきれず、全身に数多の銃創を作る。
だが、銃創は痛みと共に徐々に塞がり始める。異能『肉体再生(アンデッド)』。死に至らなければいかなる傷も毒も再生する。
それにより、傷は疎か付与された呪毒すらもじわじわと再生する。
傷が癒える様子を、飢餓の赤鬼はじっと見ていた。

「チッ……!」
「ぼさっとしている場合か!次行くぞ!」

不覚に舌打ちする哉太へ檄を飛ばす圭介。大田原と呼ばれていた鬼が動きを止め、哉太を見る明確な隙。
魔聖剣に魔力を滾らせ、切っ先を立ち尽くす戦鬼の背中へと向ける。
殺意の籠った攻撃ーー光線や斬撃では目の前の赤鬼はあらゆる手段で対処するのはこの短い戦闘で把握できている。
手段は絞られ、故に回避困難かつ対処不可能な魔術にて纏う闇のオーラを引き剝がすことを選択する。

「はああああああああッ!!」
剣先より吹き荒ぶ光の烈風。風に乗った魔力が絞首一体の手段となっていた厄のプロテクトを除去する。
しかし、鬼の狙いは変わらず再生したばかりの若き剣士。弱者を淘汰するのは当然の摂理である。
魔風を追い風に暴食鬼は身を屈め、ロケットのような速度で哉太へと急接近する。

されど侮ることなかれ。弱者と判定した剣士は生物災害発生後、数多の強敵の打倒を成し遂げた男である。
圭介の援護により迫る鬼にはその身を守る闇は剝がされた。即ちそれは反撃の機会の到来を意味する。
魔を断つ聖刀を構え、猛る精神を研ぎ澄ます。軌道を読み取らせまいと幻惑するように歩幅を変えつつ迫る悪鬼。到達まで残り僅か。

「■■■■■■■■ーーーーー!!!」
「ーーーーーーシャアッ!!」

頭を叩き潰す紙一重。身を屈め、怪物の力を利用し、軸足へと狙いを定める。
剛を柔でいなす八柳流が一芸「這い狼」。異形への効果覿面である聖刀の斬撃は、巨人の骨を断ち、転倒寸前にまで追い詰める。
だが、それも束の間。傷は「肉体再生(アンデッド)」以上の速度で再生し、躓いた足を何とか踏みとどまらせて体勢を整えた。
脇を抜けようとする少年を食欲と殺意に満ちた瞳で睨みつけ、矮小な身体を蹴り飛ばそうとする。
それもまた織り込み済み。

209遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 19:55:53 ID:U6P2q54E0
「打ち砕けェッ!」
闇夜を駆け、迫りくるのは身体に光のバリアを纏った山折圭介。魔力で強化した脚力で宙を舞い、剣を振り上げ大田原目掛けて落下する。
光の魔力を帯び、あらゆる物体を両断する力を持った剣が巨人の脳天に振り下ろされる。
しかし、理性がほぼ喪失しているとしても大田原は一流を超えた怪物。脊髄反射で死の気配を察知し、回避行動に移る。
だが完全回避には至らず。魔聖剣の刃は巨人の鋼のような強靭な筋肉を裂き、肩からバッサリと袈裟懸けに斬られるが、心臓には到達せず、瞬く間に回復される。

地面へと落下し、体勢を崩す山折の次期村長。同時に迫る鉄砕きの拳。
回避行動はできず、振り下ろされた鉄槌は圭介の周囲に展開された光のバリアを砕く。
強化された圭介の身体の破壊には至らないまで威力は削がれたものの、振り抜かれた拳自体が止まったわけではない。

「ぐおッ……!!」
身体の中心に拳が命中して十数メートル程宙を舞い、着地と同時に水切りの要領で地面を転がった。
体勢を整える前、追撃として今度は圭介へと迫る赤鬼。
軽く舌打ちし、救援へと向かうべく哉太が駆け寄る瞬間。

「ブルルルルォオオオオオオオオオ!!」
咆哮が響き渡る。
巨神が圭介へと迫る直前、突如として現れた一頭のの牝牛ーー瞬く間に牛頭の女巨人ミノタウロスへと変化し、大田原の前に立ち塞がる。
赤鬼と牛鬼。互いを己が膂力で押しつぶすべく。相撲のようにがっぷりと組み合う。
パワーは奇しくも拮抗。だが生まれ持った膂力で圧倒してきたミノタウロスとは違い、大田原は天賦の才と積み重ねてきた経験で種族差すら覆した豪傑。
理性と大部分の技術が失われてはいるもののこの地で葬り去ったオークと同等の力を得た今ならば、目の前の怪物に負けるはずもない。
均衡は瞬く間に崩れる。組み合った手から伝わる力を柔らの技で牛魔人の腕から伝わる運動エネルギーを受け流す。
前のめりに体勢を崩すミノタウロス。瞬間、異能によって膨張した腕に力を籠め、抑え込むように一気に力を込める。
べきりと鈍い音が木霊する。牛魔人の両腕が砕かれ、その腕ごと肉が押し込まれていく。
ぶちぶちと筋線維が引き千切られる音と石が砕かれるような骨砕きの音がコーラスを奏でる。
手遅れだと理解しつつも、少年達がそれぞれ剣を構えて牛魔人の救援へと急ぐ。
だがプレスされ続けている牛魔人はそれを許さず、背中から殺気を発し救援を拒絶。
一瞬、哉太と圭介の足が止まる。そしてーーー。

ーーーーぐちゃり。
圧倒的な膂力でミノタウロスは肉塊へと変化し、暗黒の大地に。だが絶命の瞬間、ミノタウロスの肉塊から魔法陣が現れる。
魔法陣から放たれるのは魔術によって編まれた一本の矢。死をトリガーに撃ち出される矢は生ける伝説と称される大田原といえど反応が遅れる。。
鮮血が飛び散り、決して浅くない傷を負うも再生を始める。だが、突き刺さった矢を起点に、大田原に異世界の呪術が発動。
発動した呪術の効果は再生速度のの遅延。異世界であれば精霊の加護がなければ死に至る病と化す呪い。
だが、地球という土地との相性や大田原の纏う闇により効果は激減し、『餓鬼(ハンガー・オウガー)』の再生速度を落とすだけに留まった。

死の間際、ミノタウロスーー一時の丑モーちゃんの脳裏に浮かぶのは死にゆく我が子を看取ってくれた召喚士イヌヤマの辛そうな顔。
家族が呪いへと転じたことへの衝撃。それ以上に骸も残さず消えた私の子に対する悲痛な表情。
彼女を守り抜くことはできなかったけど、彼女を大切にしていた存在だけは守りたい。
どうか、彼女の魂に安らぎあれ。彼女を想ってくれた子供達に幸あれ。

闇夜の中、再び相対する剣士二人と赤鬼。
肉塊となった牛魔人など気にも止めず、赤鬼は再び闇を纏い、獲物二人に目を向ける。
救援の死を直視した二人は表情は暗いものの、大田原に起きた異変に気付く。
ミノタウロスの死骸から放たれた矢を受けた後から、傷の治りが遅くなっている。
命を散らした獣に心中で謝罪と感謝を述べ、二人は血肉に飢えた巨人を見据える。

「牛の巨人の力で回復速度が遅くなったみたいだ。さっき以上に慎重に切り込むぞ」
「OK、BOSS」



210遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 19:56:29 ID:U6P2q54E0
村王と彼の盟友たる若武者が暴食の戦鬼と激突し、白と黒のコントラストを描く場所から少し離れた平野。
静謐とは程遠い暗闇の中、地に堕ちた月の如く朧気な光をを身に纏い、佇むのは一羽の白兎。
弱光の発生源は白兎が首からぶら下げたチェーン付きの古めかしい懐中時計。
亡き「犬山うさぎ」が異世界より地球へ持ち出した召喚術にしてVH発生後に異能として発現した「干支時計」の具現化アイテム。その文字盤に刻まれた数字八つ。
灯る光はそれぞれ白兎を含む眷獣の命を示す印。命を落とした寅・巳・酉・戌の時刻は光を失っている。
そして今しがた、ミノタウロスのモーちゃんの命が対敵への呪詛と引き換えに失われ、丑の刻の灯火か儚く消えた。

『……お疲れ様。君の魂が望と喪ったこの元へと逝けますように』
捨て駒にした戦友に吐かれた一言は何一つ慰めにもならない空虚な言葉。
亡き主の最期の願いは自分達眷獣の平穏と幸福。その祈りを踏み躙り続ける自分達は最早彼女の元へは逝けないだろう。
それでも突き進むという覚悟は皆持っている。理由はただ一つ、聞き入れられることなく振り切られたちっぽけな口約束。

"君の友も助けると約束する"
ーーどさり、と白兎の傍らで何かが倒れる音がする。月兎の仄かな灯りに照らされたのは一頭の羊の死骸。それはすぐに光の粒子へと形を変え、闇の中に溶け込んでいく。
そのすぐ近くの夜闇に紛れ込み佇んでいたのは殉教者のように群れを成す何頭もの羊達。

形見へと変わってしまった懐中時計ーー干支時計は元保有者隠山望(いぬやまのぞみ)の召喚術を異能へと落とし込んだもの。
しかし、様々な要因が重なり召喚には魔力を要する異能へ、魔力が存在しなければ生命力で補うハイリスクなものへと変貌してしまった。
それだけに留まらず、白兎が魔術で無理やりうさぎから取り出して物質化させたことが影響し、召喚に必要なリソースは生命力のみへと上書きされてしまった。
故に、召喚のリソース元として任命されたの七時の羊、メリー。彼(または彼女)の召喚リソースを担ったのは他ならぬ頭目の白兎。

異世界におけるメリーの種族は魔物・増殖羊(クローン・ドリー)。特筆すべき点は戦闘力ではなく、その特性。
大元(マスター)の魔力さえあれば、単為生殖により無限に命を増やし続けられる獣である。

どさり、どさり、どさり。
次々と生贄の生命がエネルギーとして動力源の召喚時計に送り込まれる。歯車が廻り、時針が消費される仲間を指し示す。
召喚先の座標(アンカー)は二つ。
天宝寺アニカの持つ御守りーー神楽春姫から貸し与えた力の一片と共に回収したもの。
八柳哉太の持つ御守りーー犬山うさぎの遺品の一つを彼の懐に転送したもの。
それらはうさぎの前世ーー召喚士イヌヤマが異世界から持ち出した彼女と白兎の祈りが込められた三つの御守りの内の二つ。
二つの御守りを通して白兎は忌まわしき魔王や日野珠の肉体を掌握したHE-028-Aウイルスの動向を記録として読み取っている。
望む未来(ハッピーエンド)の道は断たれ、残るのは何れも最良の結末には届き得ない、尊厳と踏み躙る悪辣極まりない選択肢のみ。
既に賽は投げられた。デウス・エクス・マキナの手から解き放たれ、舞台裏から残酷劇(グラン・ギニョル)の舞台に乗せられた孤独な観測者の選択はーー。



211遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 19:56:55 ID:U6P2q54E0
澄み渡る山折の夜空に浮かぶのは月日星。双子座の星彩が白と黒、対極の恒星を煌々と照らし出す。
白き月は草原を仄かな光で照らし、黒き太陽は乙女へ灼熱の槍と黒鉄の剣の豪雨を降らせていた。
黒き太陽ーー『日野珠』の肉体を掌握した女王が狙うのは地を這う虫二匹。
神楽春姫ーー正確には彼女の肉体を借りた山折村の禁忌的存在こと『隠山いのり』の背中には天宝寺アニカ。
いのりの怪異としての異能『肉体変化』にて身体を変化させ、肉と骨の子守帯で彼女を包み込んでいる。

「くっ……次から次へと……!アニカ、速度上げるから気を付けてね!」
「Got it!私もできる限りフォローするけど、Queenの魔術に気を付けてね、Ms.ハル!」

天より襲い来る鉄と炎の嵐。いのりは柳葉刀を下段に構え、異能『剣聖』と『身体強化』を同時発動。
未来予知じみた直感と爆発的に上昇した身体能力にて、只人ならば即座に肉塊と化す地獄を掻い潜り続ける。
時折、異能の強化すらすり抜けて脅威が飛来するも、進化したアニカの異能『テレキネシス』が紙一重で猛撃を防ぐ。
本来ならば異能の力であっても触れることすら叶わない魔術。だが、アニカの体質は魔王との戦闘を経てある変化を遂げていた

「高魔力体質……か。未だ全貌が見えない力が寄りにもよって運命線の見えない者に行き渡るとは、厄介極まりないね」

上空から猛攻を仕掛けながら超越者は独り言ちる。
魔術と運命観測。力を行使する女王が少女二人を仕留めきれずにいる要因は二つ。
隠山いのりの「剣聖」の未来予知による運命線の逆算。
天宝寺アニカの「高魔力体質」による魔王の力に依存するあらゆる攻撃への絶対的耐性。
現状、メタを張れる二人が手を組んだことで女王は進軍を阻まれている。
だが、有効打がないのはいのり達も同じ。女王は上空30メートル地点から空襲を仕掛けており、剣による近接戦を主とするいのりは勿論、「テレキネシス」の範囲外であるアニカも女王との相性は悪い。その上ーー。

「Take look!Ms.ハル、あれは……?!」
「山折村の、厄……!?娘を……うさぎを殺したアイツが……畜生!」
「Settle down。冷静さを欠いたらアイツの思う壺よ」
「……分かってる。異能のお陰で頭は冷えてるから心配しないで」

アニカの心配を他所に原初の巫女は怒りをに滾らせる。
太陽のコロナの如く女王の身体に纏わりつく黒霧。厄神として祀り上げられた「イヌヤマイノリ」一柱、影法師の少女「神楽うさぎ」から簒奪した厄を操る力。
「イヌヤマイノリ」の片割れ兼張本人のいのりは、義娘のうさぎが自身と同じ名を持つようになった経緯は疎か、都に留学した彼女の死因すら知らない。
圭介と共に女王の元へと向かう最中、宿主である春姫本人にそれとなく聞いてみたのだが、多くは語らず、返ってきたのは「知らぬ」という拗ねた答えのみ。
だが何れにせよ、上空の怨敵がいのりから大切な存在を奪ったのは事実。
憤怒・憎悪・敵意・殺意……あらゆる負の感情を心に巡らせ、「身体強化」を発動。同時に女王のように自身の身体に山折村の厄を纏わせる。

「ぐ……うぅ……。Ms.ハル、アナタ一体……!?」
「ごめん、アニカ。奴を地面に叩き落とす策があるから、少しだけ耐えて」
「Got……it……!」

いのりが纏い始めた瘴気の影響を受け、魔力を得た探偵少女は苦悶の呻きを漏らす。
春姫の肉体も同様。巫女の聖なる血と怪異としての特性は太極図のように反発しあう性質故に相性は最悪。
怪異であるいのりの力の増強と相反して春姫の骨肉は軋み、悲鳴を上げる。
宿主たる春姫本人の人格はいのりの言葉を信用し、不服ながらも沈黙を貫いている。
空を見上げる。一瞬、天から見下ろす黄金の瞳が闇の中で妖しく光った気がした。

『……隠山祈よ。汝の思惑など知る由もないが、妾の身体はーーー』
「分かってる。長くは持たないんでしょ。今の状況が続けば殺られるのはこっち。隙さえ作れればーー」

舞台のセッティングは完了。後は実行に移すのみ。
だが対敵は策を見透かしたかのように今まで以上に苛烈な攻撃を上空から降らせて妨害する。
瘴気による消耗で少女二人が潰れるのが先か。はたまた講じた策による女王の撃墜がなされるのが先か。
このままでは埒が明かず、乾坤一擲の勝負に出るか、と思案したところでいのりに背負われたアニカから「Wait(待った)」の声が掛かる。

212遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 19:57:30 ID:U6P2q54E0
「Ms.ハル。ほんの少しでも隙を作ればいいのよね?」
「そう、だけど、貴女を囮にするのはナシよ」
「Don’t worry。時間稼ぎをするのは私じゃないわ。あとちょっとしたら救援が来るのよ」
「救援?そんな気配は感じ取れないけど、一体誰がーーー」
「そうよね、Ms.Rabbit!」
『ああ、君の信頼に応えよう、アニカ』

不意に背後から聞こえるアニカの物ではない大人びた女の声。
声を聞いたいのりの中の春姫が忌々し気に舌打ちする。声の主とは何らかの因縁があったのは明白だが、聞く余裕は今はない。
直後、爆撃の轟音に紛れて聞こえてくるのは大地を蹴る蹄の音と猿叫めいた力強い雄叫びの二重奏。
五大元素の爆撃を凌ぎつつ音の方を見やる。そこにはこちらへと猛スピードで駆け寄る獣二匹。
頭に一本の角が生えた美馬ーー聖獣ユニコーンとそれに跨る長棍を背負う逞しい赤毛猿ーー斉天大聖。
彼らの出現と同時に暗黒太陽から放出される魔術弾幕は範囲を広げ、二匹の獣もターゲットに加わる。
ターゲットが増え、魔術攻撃が分散させられたことにより、いのりら二人の包囲網が僅かに緩む。
だが現状打破には一歩及ばず。いのりとアニカは異能と身体能力の酷使を続け、反撃の機会を虎視眈々と狙う。

転機が訪れたのは僅か数十秒後。
血を揺るがす怒涛の蹂躙の中、爆風に吹かれて宙を漂うのは赤毛猿、斉天大聖の体毛。
直後、毛を媒体に現れたのは斉天大聖をワンサイズダウンさせたような数匹の子猿。斉天大聖の妖術にて召喚された命なき分身。
子猿出現を目視した後、禁忌的怪異『隠山祈』がワニ吉より吸収した異能を発動。「ワニワニパニック」ならぬ「ミコミコパニック」により生前のいのりと瓜二つの分身が現れる。
召喚された分身達は散開し、魔術降る平原を縦横無尽に駆け回る。

いのりとアニカはただ闇雲に女王の空襲を避け続けた訳ではない。反撃の糸口を見つけるため、爆撃の法則を分析していた。
考察の結果、魔法爆撃はあらかじめ構築された魔術の自動操縦(オートマチック)システムに加え、照準や一度に放たれる魔術には上限が存在すると判断。
当初は「ミコミコパニック」を運用することでチャンスを作るというものだったが、獣二匹の出現を伴って計画を上位修正。
予期せぬ幸運によりアニカと春姫の肉体の消耗を抑えることができ、女王陥落の糸口が見えてきた。

「Ms.ハル!」
「承知!」

分身の消費が進む中で生まれた奇跡のような刹那の空白。殺意の豪雨が途切れ、二人の少女の目に移るのは浮遊する魔王星。
剣の巫女は体勢を最適化させるため静止。中華刀を下構えに修正。全身を覆う瘴気を全身から腕、刀身(はがね)に伝わせ、浸透させる。
照準は空の死兆星。装填する弾(やいば)は呪厄。魂に巣食う悪しき淀みを殺意一色に統一し、肉体を攻撃に特化。
再び女王に収束する魔力。魔術の豪炎がいのり達に放出された瞬間ーー。

「ーー哈(ハァ)ッ!」
ーー呪厄一閃。
異能『剣聖』の特性ーー剣装備時、刀身に退魔の力が宿り、形なき存在にすら届く力の取得。
怪異『隠山祈』の特性ーー厄の操作による万物への干渉力の獲得。
異能と厄災。性質の異なる二つの力を複合させた斬撃はいのりへと接近する魔炎を両断。
その勢いのまま女王へと繫がる魔力経路(パス)を辿り、暗黒惑星を纏う厄ごと袈裟懸けに切り裂いた。

213遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 19:57:56 ID:U6P2q54E0
天から魔術の代わりに女王の鮮血が降り注ぐ。日野珠の肉体から内臓が零れ落ち、覚醒前であれば致命に至る傷。
だが今の日野珠には魔王の娘より強奪した魔術の力がある。回復魔術の使用により瞬く間に傷が再生する。
肉体の修復が完了する直前、斬撃と共に仕掛けられた罠が作動する。
塞がれつつある傷口から入り込む斬撃と共に放たれた山折の厄が女王の体内に侵入。異能と化した魔王の力を破壊する。
だが、消滅した魔王の娘ーー■■■こと神楽うさぎのように完全な消滅には至らず、得られた成果は空中浮遊(レビテーション)の術式の剥奪に留まる。
墜落する女王。愛する者を殺した仇敵の落下点目掛け、ヒトと獣の両者はそれぞれの得物を手に駆け出した。

「くひっ」
闇夜の中でボソリと聞こえる女王の嗤笑。同時に彼女の四方八方に展開される数多の武具と蒼の火球。
女王の周りを漂うそれら全てには彼女の追う瘴気ーー山折の厄が付与されており、禍々しい気配を漂わせている。
生み出された魔術は出現と同時に手榴弾のように暗黒と共に放出された。

「ーーーッ!」
「剣聖」の未来予知が発動。いのりは遅い来る魔の軌道を読み、中華刀で捌き、回避する。どちらも間に合わないと判断された攻撃はアニカの異能に任せて凌ぐ。

「ギィィィィーーーー!!」
嵐を潜り抜ける中、聞こえる魔猿の断末魔。白馬に跨る斉天大聖に厄纏う武具や火炎が殺到する。
同時に一角獣の体にも数多の刃が突き刺さり、血を撒き散らしながら転倒。闇に溶けるようにその巨体が消えていった。

「くっ……!」
背後から聞こえるアニカの息を呑む音。いのりは知る由もなかったが、目の前で死した一角獣は数時間前、袴田邸にてアニカ達を助けた白馬、ウマミ。
また、地に堕ちた斉天大聖は全身を痙攣させており、最早虫の息であった。
救援の死にいのりとアニカに動揺が走る。だが二人の事情などお構いなしに暗黒太陽は魔力のホバーで逆さまの体勢で緩やかに落下しながら魔術を自動掃射を継続する。

落下点までの距離は凡そ100メートル。『剣聖』と『身体強化』の同時使用により脚力を極限強化し肉体を急加速。到達までは十秒もかからないだろう。
疾風に少女二人の髪が靡く中、悍ましき怪異「隠山祈」は今に至るまでの経緯を回想する。

日野珠と神楽春姫。二人には未来があった。もし自分が一歩踏みとどまれていれば、『うさぎ』が珠から女王を摘出し、再び平穏へと還ることができたかもしれない。
自分が『うさぎ』ともっと早く再会できていれば、憎悪を燃やし尽くすことなく隻眼のヒグマに小柄な研究員、氷使いの少女は死なずに済んだのかもしれない。
遡ること10年前。もしも自分が『うさぎ』と共に大人しく封印されていれば、背負う探偵と同じ体質を持つ少女も兄と共に健やかに成長していたのかもしれない。
だがそれは空上の理論でしかない。時計の針が遡ることはなく、デウス・エクス。マキナは顕れることはない。
肉体の宿主ーー春姫の手はまだ汚れていない。アニカも誰一人として手を掛けた様子はない。
日野珠も同様。女王に目覚める前は生前の自分を思わせるお転婆な少女であったことが分かる。
最早完全無欠のハッピーエンドなど臨めない。誰かが手を汚さねば山折村に朝が来ることはない。
故に自分が汚れ仕事ーー日野珠の処刑を担おう。
覚悟を決め、手の柳葉刀を握り締める。首を両断すべく刀を構え、そしてーーー。

214遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 19:58:25 ID:U6P2q54E0
「やれやれ。窮地に追い込んだ程度で未来の皮算用とは、私も甘く見られたものだね」

ぞくり、と少女達の肌が泡立つ。
いのりの漆黒の瞳と珠(じょおう)の黄金の「双眸」が交差する。
女王の手に顕れたのは淡い光を放つ木刀二振り。迫る中華刀と木刀が激突する。
与田四郎の異能『真実の研究者(ベリティ・サイエンティスト)』により解析が完了し、いのり目に映るのは更新(アップデート)された女王の力。
異能『女王』、『魔王』、そしてーーー。

―――――――――――――――――――――――――――――――――
村人よ我に捧げよ(ゾンビ・ザ・ヴィレッジクイーン)
現在生存しているゾンビが得るはずだった異能を再現する異能。
ゾンビ化前の人間の人物像を知っていなければ異能を再現できない。
支配する異能はゾンビ化する前の人間からの好感度が高いほど再現度が高くなる。

【現在使用可能な異能】
『林流二刀剣術』、『神技一刀』、『暗視』、『剛躯』
――――――――――――――――――――――――――――――――――

「黄泉より還り、我に魂を捧げよ『ランファルト』」
ーーー『女王』第二段階到達。魔王の娘■■■の力、魂の蘇生発動。
ーーー生誕、聖木刀ランファルト。

聖なる光が二つの木刀へと集約し、人類救済の意思(エゴ)が顕現する。
黄泉返りを果たした『ランファルト』の力が分割され、意志と共に二振りの木刀へと宿る。
鳴り響くのは機と鉄の合奏。だが銀の煌めきは星の輝きに敵うはずなどなく、刀身が真っ二つに砕かれる。
木製剣の勢いは止まらず、そのまま神楽春姫の肉体に真一文字の傷を生み出す。
星風に吹き飛ばされる少女の肉体。刀身が半分になった剣を握りしめたまま、いのりは地を転がった。
対し、女王はくるりと体操選手顔負けのアクロバットで宙で体勢を整え、緩やかに着地した。
地に転がる獣と同様に地虫と化した麗しの巫女へと悠々と女王は歩み寄り、見下ろす。

「さて、ダンスの続きをしようか。よろしく頼むよ、お姉さん」
二つの黄金の瞳が星の輝きを見せる。



215遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 19:58:55 ID:U6P2q54E0
「きゃあああ!1あうッ……!」
宙を舞い、背中から地面に落ちるアニカ。そのまま転がり、十数メートル先で停止する。
木刀が鉄刀を砕いた瞬間、咄嗟にいのりは肉体変化を使用。肉体を操作し、背のアニカの危険を察知して後方へと弾き出した。
痛みに呻きながらアニカは身体を起こし、飛ばされた方向ーーいのりの方へと顔を向ける。
そこにはよろよろと立ち上がる折れた剣を片手に持つ神楽春姫と淡い光を放つ木刀二振りの切っ先をだらんと下へと下げた女王、日野珠。
女王と対峙する恩人へと駆け寄ろうとするも。

「ーーー行って!!!」
喉が張り裂けんばかりの言葉が駆け出す寸前のアニカの足を止める。
自分を助けた恩人を見殺しにする。その決断は地獄を潜り抜けてきた探偵少女の正義を否定するもの。
このVHの中では何一つ事を為せず、誰一人として助けられていない。そうアニカ自身は思っている。
脆弱な異能と小学生の身体では出来ることは限られ、むしろ同行者の足を引っ張り兼ねない。
逡巡の許容時間は僅か。天秤にかけられたのは砕かれたプライドと卑劣な効率。
総取りと折衷はなく二者一択。いのりの言葉に従って逃げおおせるか、自分の正義に従っていのりの救援に向かうか。探偵少女の下した決断はーーー。

(ーーーごめん、なさい……!!)
自分一人で救援に行ったところで犬死にするだけ。ならば女王の危険性を他の生存者に伝達するのが最善手。
己の無力を噛みしめ、女王と対峙するいのりに背を向けて走り出す。向かう場所は視線の先ーー三つの人影が対峙する戦場
正常感染者と特殊部隊の戦闘かもしれない。だが哉太達がいない今、頼れるのは最も近い彼らしかいない。
幾度となく外的要因と己の決断に打ちのめされた。自らの正義を失いかけている少女は女王を止めるため、死地へと向かう。

ーーーずるり。
背後から忍び寄る暗黒の存在など知らずに。



「う……ああああああッ!!」
「くひひひひ。怖い怖い」

悲痛な怒涛と共に折れた剣が振るわれ、それを女王は達人の如き技量で捌き続ける。
HE-028の目覚めた異能「村人よ我に捧げよ」。100を超える無間地獄を潜り抜けた前女王、日野光が予め持ち得ていた力である。

「まさか姉と同じ力に目覚めるとは。血は水よりも濃いとはよく言ったものだ」
『剣聖』と『肉体強化』による嵐の斬撃を軽くいなしながら、ぼそりと少女は独り言ちる。
猛撃を続ける中、研究所での戦闘より蓄積された疲労と全身の筋肉痛が神楽春姫の肉体を確実に蝕み続けている。
天性の肉体に綻びが生まれ、パフォーマンスが各段に下がった結果。

「どうしたどうした。さっきより動きが鈍くなっているぞ……っと!」
輝く二振りの聖木刀に折れた刀をかち上げられ、がら空きになった胴に珠の廻し蹴りが叩き込まれる。
「かふっ」と肺の空気と共に鮮血が吐き出され、いのりは地滑りに転がり純白の巫女服を泥で濡らす。
異能の質・身体能力・攻撃手段・戦闘経験。全てにおいて生まれたばかりの女王は古の巫女を凌駕しており、既に格付けはなされていた。
それでもいのりの瞳は光を失っておらず、地に降りた女王を見据えて、刀身が半分になった剣を構える。

216遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 19:59:35 ID:U6P2q54E0
「やれやれ。懲りないものだね、君」
「当たり……前でしょ……!ここで折れたら、全て終わりなのよ……!それに、未来への希望は繋げ―――」
「そら、時間だ。そろそろ表人格に戻りたまえ」

いのりが言い終わる前に、パチンと女王の指が鳴らされる。
同時にガクンと糸の切れた人形のようにいのりは膝から崩れ堕ちる。
数秒の沈黙の後、原初の巫女が顔を上げ、冷笑を浮かべた女王を睨めつける。

「数時間ぶりだね。良い夢を見れたかい、神楽春姫」
「厄災……!貴様、何をした……?!」

へらへらと取り繕うそぶりすら見せない女王に対し、いのりはーー否、得体のしれない力によって引き摺り出された主人格、神楽春姫は美貌を歪ませる。
女王の覚醒といのりによる肉体の酷使により春姫は満身創痍であり、意識を保っているのがやっとの状態。
だが、副人格と同様に未だ闘争心を燃やし続けるのは鋼の如き精神故か。
剣の形を保っただけの鉄屑を向ける偽りの女王を真なる女王はせせら笑う。

「何って、君達が私の翼を奪ったことと同じことをしたまでさ。いや、むしろ天宝寺アニカ達と『神楽うさぎ』が生み出した魔王への対抗策の方が近いか」
「何だ……それは……!?」
「分からないかなぁ。君、才能ある癖に何も研鑽してこなかったから、思考力が欠如しているんじゃないかね。
隠山祈への反撃と同時に纏った呪厄を君の身体に寄生させたのさ。『神宿し』、『反魂』、『珠縛り』の三つの呪詛をね。
これで『自我交換(マインド・シャッフル)』だっけ?が封じられて、自尊心だけを増長させた無知陋劣な君の人格が浮き彫りになったワケ」
「だが、妾の運命線が見えぬのは変わらないのだろう…!?策に溺れたな……!」

春姫の脳裏を過るのは己を愚弄した白兎の冷徹な眼差し。それと同時に突如として失われた春姫という人物を構成する大切な何か。
VHが発生する前の日常であれば、所詮うつけ者のたわ言と大して気にも止めなかったであろう。
しかし、女王を前に敗走した事実や反旗を翻した聖剣という要因が重なることで異変が起こる。
天上天下唯我独尊を地で行く春姫にとって己の失態は何よりも耐え難い屈辱であり、それが彼女の精神を大きく揺さぶった。
だが、生じた異変が及ぼした影響は全て悪い物ではない。

夜空のような漆黒の髪を靡かせ、忌まわしき女王へと疾駆する。
手には折れた剣。だが接近速度は常人の物ではなく、正しく神速。
氷の如き理性が溶け、春姫を動かすのは煮えたぎる激情。
それに呼応するかのように魂の中に巣食う「隠山祈」に接続され、力が全身に巡る。

217遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:00:02 ID:U6P2q54E0
過負荷を受け、『全ての始祖たる巫女(オリジン・メイデン)』は覚醒する。
只の虚仮威しに過ぎなかった異能の果て。それは自らの才覚を限界まで引き出し、その条件に合致した異能の取得。
全ての可能性を秘めた女王春姫の中に宿るのは多くの異能を喰らった禁忌的怪異ーー隠山祈の力。
引き出される『剣聖』、『身体強化』。そして覚醒する彼女の尊き血統に眠るチカラ。
瞬く間に女王の水月へと到達。生涯初めての激情が目の前の存在が日野珠であること忘却させる。
光を放つ欠けた剣。纏う闇を切り裂いて刃が振るわれる直前。

「君、思考力だけじゃなくて学習能力もないのかい?」

嘗ての女王の異能『村人よ我に捧げよ』が発動。
示現流『雲耀』が如し太刀が岡山林の異能『林流二刀剣術』の卓越した剣術で受け流され、春姫は大きく体勢を崩し、蹈鞴を踏む。
同時に返す刀ーー暮村雨流の異能『神技一刀』の魔力を帯びた聖木刀の斬撃が身体強化にて硬化が施された春姫の肘から下を切り落とす。
なまくらごと明後日の方向へと飛ぶ自称女王の両腕。激情も冷め、呆然とした表情で腕のあった場所を見つめる。
そして間髪入れずに再び叩き込まれる岡山林蔵の異能『剛躯』にて肉体のポテンシャルが跳ね上がった脚力での前蹴り。
ベキリと枯れ木の折れる音が木霊し、泥に濡れた春姫の身体がどす黒い血を吐き散らしながら吹き飛ぶ。
暗がりの中、風を切って平行移動する巫女の肉体を暮村沙羅良の異能『暗視』により晴れた視界が正確にその姿を捉えた。

「く……ぁ……!!」
土埃と千切られた雑草が舞う平原でかつての女王、神楽春姫はその身を横たえていた。
起き上がろうにも既に両腕は肘から下は存在せず、醜く地を這う芋虫のような蠕動運動以外はできない。
神の造形のような天性の肉体の面影は既になく、面立ちに浮かぶのはかつての凛とした美貌ではなく、憔悴した表情は正しく敗者のそれだった。

「つ……うう……うあああああああああッ!!!」
失墜した女王の慟哭が夜闇に木霊する。天に愛された山折の女王は生涯初めての絶望に屈した。
神楽春姫は何も学びはしなかった。故に立ち直る術を知ることはなかった。
神楽春姫は何も鍛えはしなかった。故に類稀なる才能を腐らせ、悉くを蹂躙された。。
神楽春姫は何も恐れはしなかった。故に危機的状況に陥る前に対処することなど到底できるはずもなかった。
詰まるところ、神楽春姫は19年の人生で培ってきた己が矜持の重量に耐え切れなかったのだ。

だが、春姫の絶望はまだ終わらない。その足音は静かに迫ってくる。
じゃりじゃりと土を踏む音がにじり寄り、音を耳にすると地に伏した巫女は息を呑んで顔を上げる。
土と血に濡れたかつての美姫の顔を、黒い太陽が覗き込むように見下ろす。

218遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:00:54 ID:U6P2q54E0
「や♪気分はどうだい?」
「貴……様ァ……!!」
惨劇を引き起こしたとは思えぬ呑気な声が頭上から降りかかり、春姫は激痛と屈辱に美貌を歪める。
傲慢は肉体の欠損と蹂躙により砕かれ、今の春姫を支えるのは既に土台がガタついている「山折村」という精神的支柱のみ。
虚勢を張る元自称女王の無様を見下すのは真なる女王。邪悪な笑顔を張り付けたまま、パチンと指を鳴らす。

ーーーずるり。
女王の纏う厄が脈動する。光が失せつつある春姫の瞳が大きく見開かれる。
次の瞬間、暗黒の塊が触手へと変化し、呆然とする春姫の口を無理やりこじ開け、口腔へと侵入する。

「な……何だ……くあッ!」
「はいはい♪立っちが上手♪立っちが上手♪」

口腔から侵入した厄の触手は速やかに全身へと転移。神経の隅々まで犯し、その激痛で春姫は声なき悲鳴を上げる。
支配された神経が主の意思とは無関係に活性化し、喘ぐ春姫に更なる苦痛を与えて無理やり立たせる。
その様子を幼き女王は手拍子を叩いて心底愉快そうに応援する。
敗者となり、座から降ろされた女王に尊厳などある筈もない。与えられた運命は勝者を楽しませるためだけの道化となるのみ。

凌辱が終わり、肉体の支配権すらも剥奪された元女王の瞳を現女王は悪意と愉悦の籠った黄金の瞳で見返す。
春姫の瞳は未だ光を失っていない。これだけの非道と絶望を与えられても尚、現状に希望を見出している彼女へ「ほう」と感嘆の息を漏らす。

」凄いね、君。まだ頑張れるんだ」 
「妾が朽ち果てようとも……!世界は……山折村は……決して滅びぬ……!」

うわ言のように吐き出される春姫の言葉。語る内容こそが今の春姫を支える最後の砦。
最早自分が助かる術はない。自害しようにも斬首する腕どころか、舌を嚙み切る力もない。
だが、まだ希望は残されている。いのりが決死の覚悟で逃した金髪の幼子。そして、解決策を模索している山折村の次期村長、山折圭介。
神楽春姫は眠りにつき、その魂は誇り高き祖神楽春陽のように山折村を守護る英霊となる。
確実に訪れるであろう苦痛に対する覚悟を決める。口を真一文字に結び、両目を閉じる。
だが、女王の口から吐かれた言葉は春姫の予想を大きく裏切るもの。

「はぁ?何を言っているんだい?山折村を滅ぼす気なんてさらさらないよ」
平然と言い放つ。言葉の意図が掴めず、元女王は閉じた瞳を開き、心底後悔した。
くひっ。視界に映るのは知的生命体が浮かべていい物ではない、悪意そのものが凝縮された悍ましい笑み。
異形そのものである形相に、精神が弱り切った春姫は身震いする。

「まあ、気を楽にして聞いてくれ。別に私は山折村を滅ぼそうとも君を死に追いやろうとも思っていないんだ」
「ぬ……抜け抜けと……!なら……ば、貴様の蛮行は……我が祖先が決死の思いで封じた厄の解放は……どう、説明をつけるつもりだ……!」

219遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:01:31 ID:U6P2q54E0
恐怖をふつふつと沸き上がる憤怒と激情で蓋をし、生殺与奪の権を握る女王を弾劾する。
途切れ途切れの虚勢を述べる道化の女王に悪逆の女王は先程の悪意とは一変、生徒を見守る教師のような穏やかな笑みを浮かべる。

「蛮行?そ平和的解決を提示した私に対して暴力で解決しようとした君達に対する正当防衛じゃないか。濡れ衣を着せるは感心しないな。それでも弁護士の娘かね?」
「ち……父上の愚弄は……許さぬ……!」
「それと私の周りを漂う彼らのことだね。これは80年前、この村で人体実験の材料にされた外様の子供達は未来あった若い兵士達の魂が厄溜りの混沌と結びついたものさ」

言葉を失う。春姫が知るのは隠山祈の記憶から読み取った原初(ゼロ)の記憶と父母や祖父母から教えられた平穏そのものであった山折村の歴史。
女王の告発の後、思い出したかのように体内に巣食う厄がのたうち回り、激痛と共に脳裏に過ぎるのは数多の景色。

薄暗い牢獄の中。部屋の隅で抱き合って身を震わせる女生徒二人。扉が開き、泣き叫ぶ彼女らを兵士達が連行する。
地下研究室と酷似した場所。少年の割られた頭にメスが差し込まれ、痙攣する。その様子を伺うのは彼と同年代の少年。即ち次の被検体。
夜の山折神社。社務所の軒下に隠れ潜むのは幼き兄妹。しかし衣冠を纏う男によって引き摺り出され、二人の大人の手によって泣き叫ぶ幼子達は連行される。
幼子を引き摺り出したものの正体。それは神楽家の遺影で飾られてある春姫の曾々祖父と、犬山家の曾々祖母。
筆舌に尽くしがたい光景を目の当たりにし、愕然とする春姫などお構いなしに女王は言葉を続ける。

「それから毎年君達は古臭い踊りを披露する祭りがあるだろ?あれは本来、人柱達の魂を慰めるための儀式だったらしいよ。
それが今じゃ山折村の闇を厄溜りに押し付けて、私達に罪はないから許して〜って神様に許しを請う儀式に変わっているんだって。
それも80年前の出来事をきっかけに全て闇に葬られてるんだ。ウケル」

けらけらと無邪気に毒を撒き散らして神楽の歴史を愚弄する。反論しようにも脳内で蠢く厄が悲痛の記憶を送り続けるため、言葉が紡げない。

「廃棄され積もった塵が厄と結びついた。神楽春陽が身を投げた深淵には大勢の「隠山祈」が今も尚蠢いているんだ。
良かったね、隠山祈。不幸になったのは君だけじゃない。同じ境遇の人達がたくさんがいるんだ」

聞きたくない。耳を塞ごうにも体の自由は聞かず、それどころか腕そのものがなくなっている。

「それから山折村の由来だね。大昔の犠牲者の魂から読み取ったんだけど、本当は「山祈(やまいのり)村」だったのさ。神楽春陽が名付けたらしいよ。
君のご先祖様、何とか想い人の名を残そうと必死だったみたい。それと神楽分家の人間が「山祈(やまいのり)」の姓でこの地を治めようって決めたらしい。
まあでも時代の移り変わりと共に「山折」に変化して忘れられちゃったみたいだけど。
まあ何が言いたいのかって言うと、神楽家と山折家は遠縁関係にあったんだ。家族が増えるって良いものだよね」

絶望の告発の中にあったほんの僅かな光明。不浄に塗れた山折村の真実に見出した確かな希望。
犬猿の仲であった山折圭介は神楽血筋の人間だった。神楽一族が、山折村を統べてきた歴史は正しかった。
だがその光も、新たな告発により上書きされる。

「何度も言うけど私は山折村を滅ぼすつもりはない。むしろ進化の糧となる山折村を増やそうと考えているんだ。
君達と小競り合いをしている最中に厄溜りの要石になっていた神楽うさぎのノウハウを生かして厄溜りに接続。
彼らの願いの大多数は孤独の払拭と復讐。その解釈をちょっとだけいじって体内の願望器で叶えてあげたんだ。
つまりはだね、厄の一部ーー59の「隠山祈」達は空気感染機能を備えたHE-027-Aを持って日本各地に散らばった。願望器で作り出した私の前のバージョンをね。
でも私や君ほどの力を持つことはないし、撒き散らされるウイルスに感染しても正常感染者になれる確率は1%くらいかな。
彼らの行き先は全ての元凶になった未来人類発展研究所所長、終里元の子供達59人。彼らが女王感染者となり59の「山折村」を生み出す。
喜べよ、原初の巫女。君達一族の所業は山折村の繁栄と研究所への神罰に繫がったぞ」



220ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:02:38 ID:U6P2q54E0
大地を揺るがす鬼の咆哮が轟く。纏う深淵が散弾の如く撒き散らされる。
山折圭介と八柳哉太。得物を剣とする二人の若者は襲い来る死の脅威に果敢に立ち向かう。
哉太は卓越した技量にて攻撃を捌き、圭介は魔聖剣の光の魔術で猛撃を凌ぎ続ける。
そして、赤鬼こと大田原源一郎の討伐戦線に存在するのは二人の若者だけではない。

「ブモオオオオオオオオオオオオオオ!!」
鬼の雄叫びと負けず劣らずの迫力で咆哮するのは馬ほどの巨体を持つ白猪のウリヨーー伊吹山神の使徒。
身体を覆うのは魔力を帯びた白吹雪。哉太と圭介の攻撃の合間を縫って、ウリヨは鬼へと突進する。
聖なる氷雪は鬼の纏う瘴気を凍てつかせ、一時的に防御性能と自動攻撃を劣化させる。
攻撃速度が鈍る最強。生じた隙を二人の剣士が見逃すはずもない。

厄と剛拳による遠近両対応の反撃を掻い潜った瞬間、体勢を戻す刹那の空白の間に繰り出されるのは二つの斬撃。
魔聖剣の切っ先からの炸裂光が大田原の右足の腱を貫き、聖刀の鋭い斬撃が左足の腱を真一文字に切り裂いた。
どちらの傷も再生し始めるが、その速度は先程と比較すると各段に遅くなっている。
完全な転倒の前に巨人は何とか踏み留まるも、明確な行動遅延(ディレイ)が発生する。
主の危機に纏われた厄は対敵3つに対し、自動追尾攻撃を放つ。
だが、歴戦の勇士は既に行動パターンを把握しており、危機を察知すると同時に各々の手段で対処する。
体勢を完全に戻される前、地獄を潜り抜けたのはウリヨ。
倭建命に不覚を取ったように大田原もウリヨの神威を受け、ダメージと共に幾度目かの能力低下(デハブ)を受けた。

立ち向かう三者の中で最も戦闘に貢献しているのは二人の若者ではなく、新たに戦線へと加わった白猪。
佇まいは歴戦の強者を思わせ、彼女自身が圭介と哉太に合わせているようにすら思えてしまう。
このまま状況が続けば何れ刃が赤鬼の首へ届く。二人の剣士は確信する。
そして、次なる一手を打とうとした瞬間ーーー。

「カナタあああああッ!!」
望まぬ救援が訪れる。

221ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:03:03 ID:U6P2q54E0
「バ…馬鹿野郎ッ!来るんじゃねえアニカァ!!!」
「---ッ!」

鬼との戦闘区域に入る直前、哉太が声を張り上げて闖入者ーー天宝寺アニカの足を止める。
女王から逃げおおせた先。そこには想い人がいた。あらゆる負の感情に支配される中、見出した希望。
普段の聡明さは過酷な状況で剥がれ落ち、今のアニカの精神は年相応の少女のもの。再び失態を繰り返してしまった。
先程の地獄では相性もあり、春姫の助けになることができた。しかし次なる地獄は彼女の特異性など意味を為さない暴虐地獄。
現状を理解すると探偵少女は歯噛みし、後ろに後ずさる。
ほんの数秒にも満たない空白。それが致命的となった。

ーーずるり。
「ーーーーえ?」

アニカの背後で闇が脈動する。異変に気付き、探偵少女は振り返る。
眼前に映るのは身の丈を優に超える暗黒。出現先はアニカの背後ーーいつの間に開いていた黒く淀んだ孔。
突然の出来事に明晰な頭脳は働かず、頼みの異能も意味をなさず。
何一つ理解が及ばぬまま、天宝寺アニカは闇に呑まれた。

「アニ……カ……?」

パートナーの少女から注意を逸らしたのは僅か数秒。ほんの少し、藻を離した瞬間、前兆なく顕れた厄が天才探偵を吞み込んだ。
数時間前、目の前で魔王に串刺しにされた時のように。
十数分前、黒槍にうさぎが射抜かれた時のように。
"守護る。絶対に死なせない。"
その誓いは運命に踏み躙られ、八柳哉太は過ちを繰り返した。
死闘の真っ只中にも関らず、アニカを呑み込んだ闇の孔を見つめ、呆然と立ち尽くす若武者。

「馬鹿野郎ッ!!!突っ立ってる場合かッ!!!」
友の異変に気付いた圭介の怒号が飛ぶ。その声で漸く現実へと引き戻される。
だが時すでに遅し。生じた空白を地獄の門番が見過ごすはずもなくーー。

「■■■■■ーーーーーー!!!」
天を衝く暗黒の咆哮。棒立ちになった少年へと肉薄する赤鬼。
哉太の視界に映るのはスローモーションでこちらに向かう巨人とその背後で魔聖剣を手に疾走する圭介と白猪。
反応しようにも脳の処理速度が追いつかない。咄嗟の回避も聖刀の防御も間に合わずーーー。

「ーーーーガッ!!!!」
赤黒い鉄槌が哉太の内臓を骨ごと砕く。少年の口から血と肉が零れ落ち、胴に食い込んだ剛拳を濡らす。
コンマ一秒地面を離れた後、少年の身体は凄まじい速さで打ち出され、吹き飛んでいく。



222ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:03:39 ID:U6P2q54E0
「く……畜生……!」
「おや、随分と早いお帰りだね。流石隠山血筋の元祖兼量産型「巣食うもの」のオリジンといったところか」

月影の下で再び対峙する古の巫女と黒の女王。現在、春姫の身体の主導権を握るのは副人格と化したいのり。
史上災厄の呪いを祓うため狩人や退魔師が生み出した対抗策は皮肉にも人類の味方となったいのりを封じ込めた。
しかし、呪いにとして最上位に位置する彼女の完全な除霊には至らず。肉体に入り込みいのりを喰らわんととした呪厄を逆に取り込み、呪縛を解く糧としたのだ。
解呪の中でもいのりは春姫と五感を共有しており、現状も既に把握していた。
女王の非道も。想い人の苦悩も。己の存在が抹消された後の山折村のことも。そしてーー。

(春姫………)
たった数分で未来の可能性全てを断ち切られた、自分を完膚なきまで救い出してくれた威張りん坊のお姫様の絶望も。
『反魂』と『魂縛り』を解いた瞬間、いのりは春姫に断りも入れず強制的に人格交換を行った。
入れ替えを行う瞬間にいのりの魂は春姫とすれ違った。その時、怪異の巫女は異変に気づく。
天照神を彷彿させる煌々と輝きを放つ春姫の気高い魂。その輝きは失われ、黒く塗りつぶされていた。

そして現在。
『肉体変化』を使用して流れ続ける血液と露出した骨肉を変換。切断面を皮膚で覆い、両腕の止血を行う。
しかし腕を再生させるまでには至らない。かつて取り憑いた隻眼のヒグマとは違い、宿主には失われた肉を補充できる余剰栄養素(リソース)は存在しない。
失血も酷く、『肉体変化』と『身体強化』の併用をしなねればそのまま意識が闇へと引き摺り込まれかねない。
だが、絶望的な状況に置かれても尚、いのりの心は折れていない。

『そなたの事情、全て知った。恨み捨てられず、なおそなたが神楽の断罪を望むのなら、我が魂くれてやる』
ーーー光を見た。
呪いあれと憎悪した神楽春姫(ひかり)が誰一人として見向きもしなかった不浄(いのり)の手を取った。
かつての想いを取り戻すことができた。理由はそれだけで十分。
予言だろうと運命のありがたいお導きであろうとも、もう二度と厄災になど堕ちてなるものか。

「べらべらと……随分、楽しそうにご高説を垂れちゃって……。冥土の土産……とでもほざくつもりかしら……?」
「うーん。そんなつもりじゃないんだけどなぁ」

223ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:04:16 ID:U6P2q54E0
途切れ途切れながらも挑発めいたいのりの言葉をぶつけられ、女王は拗ねた子供のように唇を尖らせる。
この場において既に順位は決定された。俎板の鯉はこちらで数メートル先の少女が板前。
だがあろうことか女王は春姫といのりに興味を示した。春姫には暴虐の限りを尽くす反面、いのりにはいらぬことまで愉しそうに話し出す始末。
女王に何の意図があるのか理解できないが、付け入る隙があるとすれば春姫と入れ替わっている今しかない。
どうにかして活路を見出して女王の魔の手から逃れる。そして『奥の手』を使って春姫をーーー。

「だったら……わたし達以外にも……お前の下らない一人芝居を……聞いてくれる観客がいたの……かしら?」
「お、今の回答はいい線を言ってる。花丸をあげよう」

何気なしに吐いた挑発に「やるぅ」と言い、気分良さげに笑う少女の姿をした精神的異形種。
はぐらかされるか嘲笑われるかのどちらかという予想が外れ、いのりはポカンと口を開く。
呆然とするいのりの顔をにやにやと見下すように笑い、女王は人差し指を立てて上を差した。

「お月様が……見ているなんて……言うつもりかしら……?」
「おや、メルヘンはお嫌い?まあ違うんだけどね。正解は上空でこちらを常に監視しているドローンさ。SSOG製のね。
まあ、外がどうなっているのか分からないけど、私達の会話を盗聴しているのなら事実確認を急いでいるんじゃないかな」

自らの情報を敵である存在に知らしめて何の意味がある。危険性が知れ渡った以上、すぐにでも空襲で山折村諸共焼き尽くされる可能性に考えが至らないのか。
腕なし巫女の疑問を感じ取ったのか、女王は間髪入れずに言葉を紡ぐ。

「『隠山祈』を解き放った目的は生みの親への反意の誇示。それと私考案のZ計画ーー即ち人類救済のためだ。
その第一歩として私の子機をを各地にばら撒くことから始めてみたのだよ」

先程の軽薄な態度から一転。怒りと決意に満ちた黄金の瞳がいのりを射抜く。
彼女が語った人類救済計画は一部であって全貌は掴めていない。だがその一部だけでも杜撰で稚拙であることが素人目でも分かる。
立案した計画を自分ならば本気で成し遂げられると目の前の異形は信じ切っているのだ。
それを為せる力を手に入れるまであと僅か。

「妄執……ね」
「好きに呼べばいいさ。動き始めた時計が止まることなんてないのだから。
さて、雑談はこれくらいにしよう」

女王の演説が終わる。それと同時にいのりの足元から厄が顕現する。
ずるり、ずるりと形を持った淀みが足から這い上がってくる。
最上位の怪異すら支配しきれない暗黒が浸食し始める。

「しばしの別れの前に教えてあげよう。
解き放った59の『隠山祈』には私のエッセンスが仕込んであるが、私が志半ばで倒れたとしてもHE-027-Aは死滅することはない。
それぞれ別の人格を持って行動を起こすだろう。でも彼らに対する絶対命令権は私が持っているからから特に問題はないだろう。
だけど、万が一に私が死んだら計画が頓挫し、人類救済はなされないだろう。
そのために、私を継ぐバックアップを作ることにしたんだ」

「神楽春姫と隠山祈。君達は最悪の的であると同時に最高の素体だ。
特に進化を果たした神楽春姫の異能には目を見張るものがある。それこそ『日野珠』とは比較にならないくらい程にはね。
ではそろそろお暇するとしよう。全てが終わった後ーーーハッピーエンドのその先でまた会おう」

224ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:04:39 ID:U6P2q54E0
闇が脈動する。黒の空間が蠢き、悍ましき世界に形を変えていく。
地獄に巣食うのは数多の厄。山折村の歴史の中で生み出された『隠山祈』。
暗黒を掻き分けながら、女は進む。彼女こそが蠢く厄の原点たる怪異、隠山いのり。
彼女が押し込められた牢獄は神楽春姫の天性の肉体。

いのりにも宿主たる春姫にも既に肉体の主導権はない。
爪先から頭まで。細胞一つ一つに至るまで女王の支配下に置かれた厄に侵されしまった。
それでもま原初の巫女は前へ進み続ける。光を得た今、もう二度と堕ちることはない。
掻き分け、掻き分け、進んだ先。そこに彼女を救い出した光があった。

「ーーー春姫ッ!!」
山折の女王ーーー神楽春姫ははただ一人、闇の中でへたり込んでいた。。
彼女に纏わりつく闇を払いのけ、いのりは手を伸ばす。

「春姫ッ!手を取って!わたしが貴女をーーー」
「……………」

差し出した手は取られず、いのりの願いは闇の中で空しく響く。
掻き分けた闇が閉ざされ始める。いのりは両手に力を籠め、形なき厄を無理やりこじ開ける。
手が取られないのならばこっちから掴んでやるまでだ。今度は春姫のすぐ傍に立ち、だらんと下がった彼女の美しい手を取る。

「春姫……ここから出よう。脱出手段はあるから。だから立って」
「…………無理……だ……」
「春……姫……?」

神楽春姫という人間が発したとは思えない、力なくか細い声が木霊する。
握りしめた手には何一つ力が入っておらず、枝垂れ柳のように垂れ下がるばかり。
気遣わし気な表情を浮かべるいのりへと、春姫はゆっくりと顔を上げる。
黒曜石のような瞳は光を失い、浮かぶ表情はかつての面影など見当たらない程弱々しい。

「もう……妾は……立てぬのだ……」

度重なる非道の前に、春姫の心は折れていた。
金剛石を思わせる強靭な精神は粉砕され、欠片すら残っていない。
矜持も大義も想いも何もかも。全てが砕かれた。
愛した穢れ無き山折村が偶像に過ぎず。敬愛した祖先は悪逆の使徒だと知らされた。
今の春姫に残ってるものは、何もない。
静まり返る中、周囲を漂う闇が再び脈打ち、いのりと春姫を喰らわんと覆い始める。
いのりの顔に焦燥が浮かび、春姫に肩を貸して無理やり立たせる。

「まずい……!悪いけど無理やりにでも連れて行くよ!」
「…………」

春姫の反応を待たず、閉ざされ始めた闇を抜けて歩き出す。
二人の視界に広がるのは暗黒。一筋の光明すらない道なき道を行く。
纏わりつく闇を振るいながら、必死に歩き続ける。
いのりが足を動かす中、為すがままにされていた春姫が口を開く。

225ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:05:15 ID:U6P2q54E0
「もう……妾のことは良い……。そなただけで逃げ延びてくれ……」
「そんな……ことっ……できるわけないでしょう……!私と貴女は一蓮托生……!全てが終わった後、貴女が私を裁くんでしょう……!?」
「最早……妾にはそのような資格などありはせぬ……。妾は、神楽一族は……存在そのものが不浄だったのだ……」
「…………」

暗黒を進む中、消え入りそうな声の独白は続く。

「妾の一族は……屍を築き上げ、その血肉で繁栄を謳歌していたのだ……。
始祖神楽春陽も一族の悪逆に、妾の醜態に嘆いておられよう……。
白兎の言の葉の通り……妾は無知陋劣な畜生に過ぎなかったのだ……。
妾は民を誰一人として導いてはおらぬ……。己が欲のまま血肉を食らう餓鬼畜生と同類ぞ……。
もう良い……。もう良いのだいのり……。妾は女王などではない……。妾が厄に喰らわれている間に逃げおおせれば……」
「ーーーーーーッ!!」

言葉の途中でいのりの肩から春姫がずり落ちる。死人のような春姫の瞳が僅かに見開かれる。
ペタンと腰を抜かす春姫の前には同じくしゃがみ込んだ怒りを滲ませたいのりの潤んだ瞳。
瞬間、春姫の頬に衝撃が走る。頬を張られ、春姫の顔に驚愕の色が浮かぶ。
混乱の最中にいる春姫の様子などお構いなしに胸倉を掴まれ、下手人たるいのりと無理やり顔を突き合わされる。

「ーーーーアンタ、それ以上下らない妄言を吐いたら許さないからね……!!」
「いの……り……?」
「あの糞ったれの女王に封じ込められている間色々事情は聴いたよ!山折村が腐り果ていて、神楽一族も同じくらい腐っているってこともね……!」
「ならばーーー」
「でも!今の神楽が――アンタがそいつらと同類なはずないでしょ!!
確かにアンタは春陽様と同じくらい威張りんぼで、子供みたいに我儘だけど誰より気高く優しかった!!
祟り神と化したわたしに道を指し示してくれたんだよッ!!」
「でも……妾は……」
「それに、私に殺された綺麗な女の子も貴女に希望を見出して託してくれていた!!
私が乗っ取っていた一色洋子も、貴女とお話ししているときはとっても楽しそうだった!!
私を食い殺そうとしていたヒグマも、貴女のお陰で大切なものを取り戻して天国に行った!!
女王に乗っ取られた日野珠だって!貴女は友達と一緒に助けようと足搔いていた!!」
「…………」

226ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:05:47 ID:U6P2q54E0
いのりの怒号が続く中、春姫は俯いて何も言葉を発さない。
ずるり。暗黒の中、数多の『隠山祈』が二人の巫女を捕捉し、にじり寄ってくる。

「終わりはどうあれ、みんな貴女に導かれたんだ!私も貴女に光を見出したんだ!!
山折村が糞ったれでも!アンタは誇り高く生き続けていたんだよ!!それを投げ捨てるんじゃないわよ!!」

にじり寄った闇が二人を喰らわんと覆い隠す。
その様子にすら気づくことなく、いのりは涙を流しながら春姫へと向き合う。

「アンタが女王じゃないって言うんならわたしが言ってやる!!
何があろうとアンタはあの細菌女なんかとは比べ物になんかならないくらい女王なんだよ!!
山折村を守ってきた、神楽一族の女王!!春陽様と同じくらい最高の王なんだ!!
世界がアンタを否定しても、わたしは一人でも叫び続けてやる!!」
闇が接近し、二人へと降りかかる。

「ーーー女王は神楽春姫ただ一人だけだ!!!」
ーー瞬間、混沌とした暗黒が二人の巫女を呑み込んだ。
蠢き、二人の美姫を咀嚼するように脈動を繰り返す。
数多の『隠山祈』が死肉漁りを待つかのように、スライム状の厄に集まりだす。
そしてーーー。

「ーーー不敬ぞ」

闇夜に響き渡る凛とした声。蠢く闇の動きが一瞬止まる。
同時に辺りを照らすのは内部から溢れ出す光明。
内側から差し込む光が闇に穴を開け、黒一色の空間に光が灯る。

「隠山の地にーーー山折村にも黄昏が来ようとも、神楽一族の血筋が絶えようとも、継がれた意志は決して途絶えぬ」

隙間から光が漏れ、膨れ上がる穢れの塊。
這い寄ってきた混沌は威光に慄き、ずるりと一歩下がる。

「退け、忌まわしき厄災共よ。妾はーーー神楽春姫は女王である!!」

膨れ上がった暗黒が四散し、一帯に光が満ち溢れる。
周囲を取り囲んでいた数多の『隠山祈』は神威の光を受け、塵と化す。
太陽の如く照らすのは、女王ーー神楽春姫。
その目には以前とは比べ物にならぬ程強い意志が宿り、彼女から発せられる魂の輝きはまさしく日の光。

「やっぱり……春陽様の子孫はーーー神楽春姫はそうじゃなくっちゃ……。」
女王の傍らには、始祖神楽春陽の想い人、隠山いのり。目尻に涙を浮かべ、心から嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
彼女の呟きなど知らぬと傲慢な仕草で背を向け、天を見上げる。

「―――逝くぞ、我が王道へ」
「ーーーうんっ」



227ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:06:30 ID:U6P2q54E0
「馬鹿……野郎……!!」
瘴気蠢く戦場の外れ。圭介は赤鬼への対応を出自不明の白猪に任せ、戦線を一時離脱していた。
その理由は圭介が必死の形相で引き摺って、安全圏へと移動させようとしている彼の友ーー八柳哉太。
哉太の下半身は文字通りプレスされ、ギリギリ原型を留めている悲惨そのものの状態。
哉太の異能は『肉体再生(アンデッド)』。急所さえ無事であれば死ぬことはない、圭介とは真逆の個人で完結した異能。
不幸中の幸いか、心臓と脳は無事なのか、明らかな致命傷なのにも関らず、虫の息ながらも哉太は生きていた。
意識は混濁しているらしく、時折思い出したかのように咳き込んで、口からちと肉片を吐き出す。

(こいつはもう……戦線復帰は無理かもしれねえな。あの一撃は間違いなく一発アウトな奴な気がしたが、死ななかっただけマシか)
圭介の眼下で身を横たえる哉太。潰された内臓は徐々に再生をし始めている。何とか生きている証拠だ。
即死に至らなかった要因は異能の賜物か、それともインパクトの瞬間をギリギリのところで避けようとして失敗したからか。
それとも、食欲に塗れた赤鬼が哉太の再生を目撃し、じっくりと喰らうために手加減でもしたのか。

「……ダメだ。どうしても悪い方へと考えちまう」
軽く頭を振って負の坩堝に陥りそうな頭を何とか落ち着ける。
圭介としても哉太を責める気はさらさらない。
目の前で彼を支えてきた幼い友人が闇に飲み込まれたのだ。
圭介自身も数時間前、誰よりも大切な恋人が目の前で殺された時、哉太と同じく何もできなかった身だ。

「哉太……。悪いけどこれ借りてくぞ」
戦線離脱が決定づけられた友人に断りを、手に握り締められている打刀を無理やり引き剥がしてベルトに差す。
万が一にも魔聖剣が手から離れた時のためのスペア。持ったところで大した意味がないのかもしれないが、ないよりはマシだろう。
向かう先は白猪の大氷雨と瘴気が飛び交う戦場。一人欠いた事で優勢だった戦況が拮抗へと戻り、今以上の苦戦を強いられるだろう。
魔聖剣から溢れ出す魔力を脚力に回した瞬間ーーー。

「クソお邪魔しますッ!!」
「ーーーーッ!!」

ーーーズドン、地を揺るがす音を立て土埃を撒き散らす空からの落とし物。目の前に突如として現れた物体に圭介は警戒し、魔聖剣を手に身構える。
土埃が夜風に吹かれ、闖入者はその正体を露にする。
纏う瘴気は現在戦闘中の赤鬼と同等のもの。動きやすい服を身に纏った小柄な体と手に構えるのは煌々と光を放つ二振りの木刀。
そして、闇夜でも光を失わないその双眸は、女王の証である黄金。彼女の名はーー。

228ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:06:57 ID:U6P2q54E0
「珠……!」
「さっきぶりだね、圭介兄ぃ♪」

彗星の如く現れたのは日野珠ーー否、彼女の皮を被った女王は義兄となる筈だった少年に人懐っこい笑みを向けた。
圭介を導いた祟り神曰く、女王ウイルスが第二段階になった時点で全て終わり。殺すしかないらしい。
珠の周囲を漂うのは戦鬼が纏うものと同じ禍々しい黒い霧。そしてこちらを愉しげに見やる黄金の輝きを放つ双眸。即ち。

(もう手遅れってことかよ……!)
圭介と春姫は間に合わず、殺す以外選択がないことを意味していた。
自分の無力を噛みしめる。覚悟を決め、家族同然の少女へと剣を向けるがーーー。

『圭介兄ぃ。お姉ちゃんのことをよろしくね』

在りし日の珠の顔が浮かぶ。光と恋人同士になったと報告した時の心から嬉しそうな笑顔が、女王の作り物めいた笑顔と重なる。
光を失い、黒い感情に支配されていた時とは違う。今の圭介は子分を守護るガキ大将であり、切り捨てる覚悟などできる筈もない。
悲痛に顔を歪ませ、剣を構えたまま硬直する。圭介の醜態に珠(じょおう)は穏やかな笑みを浮かべて歩み寄りーー。

「邪魔」

轟、と珠の周囲に暴風が吹き荒れる。剣を構えただけだった圭介は成す術もなく吹き飛ばされ、十数メートル程地面を転がる。
急いで立ち上がり、魔術を行使した珠へと視線を向ける。赤鬼と魔猪の戦闘をバックに女王は一歩一歩と悠々と歩みを進める。
確実に来るであろう攻撃に備え、剣を正眼に構える。しかし、珠の足は途中で止まり、黄金の眼差しは足元を見つめる。
彼女の視線の先にあるのは、異能の力でギリギリ命を繋いでるだけの八柳哉太。

「おや、丁度良い所に無限食材があるじゃないか。我が傀儡の餌に相応しい」
「てめーー」

仲間想いのガキ大将の頭に血が昇る。衝動に突き動かされるまま、魔力ブーストで肉体強化を施し、一直線に女王へと向かう。
狙いは木刀を持つ細腕。珠が重傷を負うのは間違いないが即死はせず、上手く事が運べば無力化できる可能性がある。
憎むべきは女王であり、断じて珠ではない。怒りに我を忘れても尚、次期村長は最善を目指せる可能性に賭けていた。
だが、淡い希望などこの地獄では何一つ救いを齎さず、只食い潰される運命にある。突け入る隙を見逃すほど、女王は甘くない。

229ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:07:32 ID:U6P2q54E0
光の魔力を帯びた魔剣が振り下ろされる。人体など容易く両断する一刀は女王に届くことなく、右の聖木刀にて阻まれる。
鍔迫り合いはほんの一瞬。魔剣は聖木刀の刀身を滑り、振り下ろされた勢いのまま地面に激突した。
轟音が轟き、生じた衝撃が地面にひび割れを作る。
受け流された大振りの攻撃。地に降ろされた切っ先。無防備になった圭介を女王は見過ごすことはない。

圭介が剣を持ち上げる寸前、側面に二振りの木刀が叩きつけられる。
闇に反響する木と鉄の混合二重奏。
魔聖剣と聖木刀。それぞれの強度と特質は相似。違いを分けるのは担い手。
山折圭介は同世代と比較すると強靭な肉体を持つが、異能は他者に依存し、身体能力も魔力強化がなければ一般の域を出ない。
日野珠は肉体も身体能力も発達途上。しかし、彼女に寄生するHE-028-Zの異能により彼女を構成する全ての要素が限界を超えて上昇している。
担い手の差は歴然。即ちこれから起こる結果も必然。

ーーーガキン
「ーーーなっ……!!?」

魔聖剣が、折れる。
魔力と異能の二重強化がなされた剛腕の一刀が刀剣の急所ーー樋(フラー)に驚異的な力が加わり、両断された。
驚愕と絶望が圭介の心中を満たす。停止した思考を呼び覚ますかのように、女王の木刀が振り上げられる。

「ぐ……ァ……!!」
ーーべきりと枯れ木が折れるような音が木霊する。
伸ばされた圭介の両腕に木刀の重単撃が落ち、前腕に衝撃が走る。
激痛が少年の脳を焼き、思わず手に持った魔聖剣を地面に落としてしまう。
しかし、切断には至ることはない。

「成程。皮膚表面に極薄で高密度の魔力バリアを貼っていたのか。刃が通らない訳だ」
「づ……うぅ……!!」

痛みに呻く圭介を他所に珠の皮を被ったナニカはうんうんと納得したように頷いている。
焦燥が圭介の頭の中を駆け巡るが、肉体は思考と切り離されたかのように動いてくれない。
激痛のあまり座り込む敗者を見下ろす女王の目はどこまでも無機質で冷たい。

「そら、飛んでいけッ」
「ゴッ……!!」

圭介の胴に炸裂する珠の鋭い蹴り。少年は血を吐き出して後方へと場される。
飛ばされた数メートル先。折れた腕で体を起こして何とか立ち上がった。
目に映る光景は必然の結果。

230ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:07:58 ID:U6P2q54E0
「さあ、ディナーの時間だよ。お遊びを早く終わらせたまえ、我が戦鬼」

珠の小さな手が未だ動けない哉太の襟首に指を食い込ませて掴む。
内臓を露出させ、ぐったりと動かない若武者はかつての妹分の為すがままにされている。
同時に女王の背後でーー赤鬼と白猪の戦場で爆発音が鳴り響く。
宙に打ち上げられたのは白点ーー圭介達と共闘してくれていた白猪。

「やめろ、珠……!!やめてくれ……!!さっさと起きろ、哉太……!!」
「ほーら、御馳走だ。再生するから心臓と頭は食べちゃダメだぞ☆」

圭介の叫びも空しく、半ば肉袋と化した哉太の巨体は赤鬼の方へと放り投げられた。
宙を舞う剣道少年から脇差と淡い光を放つ御守りが地面に落下する。
僅かな沈黙の後、夜闇に響き渡る骨を砕く音、肉を咀嚼する音、血を啜る音……赤鬼の食事の音が鳴り響く。

「くひっ」

月光に照らされる珠の見るも悍ましい笑顔。
手には己が力で調伏した宝聖剣の複製ーー二振りの聖木刀ランファルト。
飢えた鬼(オーク)が下賜された肉を喰らい、咀嚼する。
役者はいくつもかけているが、移る光景は地獄絵図。
それは祟り神の語った圭介の恋人ーー日野光の見た破滅の未来そのもの。

膝から崩れ落ちた圭介の目はどこまでも虚ろ。
ありあまる絶望が両腕の激痛を忘却させ、精神は恐ろしいほどに凪いでいる。
にじり寄り、迫るのは村王を裁く罪深き断罪者。寿命は残り十数メートル。
間もなく圭介は祟り神の語った浅葱碧と同じ末路を辿るだろう。

「…………ごめんな、珠。お前の姉ちゃん、守れなかった」
痛みを忘れ、胸のロケットペンダントを握りしめる。
そしてーーー。

231ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:08:27 ID:U6P2q54E0

『圭介ッ!!後ろに跳べッ!!!』

232ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:09:00 ID:U6P2q54E0
不意に聞こえてくる女の張り裂けんばかりの声。
反射的に顔を上げ、声に導かれるまま全力で後ろへ跳ぶ。

「…………?」
突如飛び跳ねた俎板の鯉に女王は怪訝な表情を浮かべた。
今更命が惜しくなったのか?それとも厄に侵した神楽春姫との合流でも目指すつもりか?
圭介の突飛な行動に首を傾げる。だが、その答え合わせは直後に訪れた。

「ぐぎゃあああああああああああああああああああッ!!!」
「んなッ……何だ突然……!?」

女王の顔に初めて驚愕が浮かぶ。
圭介は見ていた。女王の足元に淡い光を放つ魔法陣が現れ、地面から大口を開けた双角の巨龍が翼をはためかせ、天へと飛び立っていく。
女王は大口に呑まれ、龍と共に天高く登っていく。
あまりにも現実離れした光景に圭介はあんぐりと口を開け、激痛も絶望も忘れて固まっていた。



「く……この……!ドラゴンと言い、さっきの畜生共と言い、一体何なんだ……!?」
龍の口の中。女聖木刀と強化された珠の脚力で龍の驚異的な抗菌力による噛砕を防ぎながら、女王は忌々し気に言葉を吐く。
運命視により予知した未来。宿主の覚醒から真実へと到達しうる智者との邂逅、そして浄化装置ランファルトを手にするまでは予定調和であった。
だが、異空間で死せる筈だった賢者(アニカ)は、虚空を掴んだかと思えば光を放ち、まんまと逃げおおせた。
そして、消化試合に過ぎない筈だった怪異との小競り合いも、突如として現れた畜生共のせいで余計な時間を食った。
ーーー現れた獣達には運命の光が見えなかった。

「だったら、力ずくで運命を切り開けばいい……!そうすれば元通りだ……!」
イレギュラーが起ころうとも関係ない。、前の世界線で憎悪に溺れた隠山祈のオリジンを日野光の肉体で取り込んだ時のようにすれば問題ない。
女王発案の人類救済プランを魂に流し込んで存在意義(エゴ)を塗りつぶし、支配下に置いたランファルト。
龍の上顎を防いでいる二振りの聖木刀に魔力が迸る。魔力を解放するその刹那。

女王の視界に映るブラックホールを思わせる龍の呼吸気管。
そこからてちてちと小さな足音を立てて駆けあがってくるのは脇差を加えた白兎。
迫る力なき獣。当然、他の獣達と同じように運命の光は見えない。
蹴とばそうと身をよじって足を動かそうとしても龍の咬筋がそれを許さず、肉体が強化された女王すらすり潰す力が籠められ、動きを封じられる。
訪れる窮鼠ーー否、窮兎の牙に備え、全身に魔力を漲らせる。
兎が飛ぶ。少女の目の前に映る脇差には、紐で括りつけられた二つの金襴袋ーーー女王は知る由もないが、哉太とアニカが持っていた白兎の御守り。
白兎(ボーバルバニー)の牙が迫る。愛しき主を殺された獣の牙が突き立てられる先はーー。

「そこは……ガッ!!」
対物ライフルすら防ぐ皮膚を貫き、刃を通した先は珠の細首ーーー願望義が埋まる場所。
突き立てられた刃ごと白兎を葬り去ろうと魔力を放出する。だが白兎は疎か、刀身に括られた御守りすら揺れない。
御守りが光の粒子と変換され、願望器に吸い取られていく。

「嘘だろ……!?」

願望器が願いを叶えた。
突き立てらえた脇差を伝い、日野珠の肉体から抽出される。
現れたのは白い小さな光球。それは形を変えながら、天へ向かい動き出す。
飛び立つ直前、白兎は器用に身体を動かして脇差を願望器へと放り込む。
輝きを放つ光球。そして再び訪れる身体の異変。身体の中の『何か』が光に呼応する感覚が女王の魂を揺さぶる。
吸い込まれた脇差が、光の粒子に変わり雲散する。それと同時に願望器は夜空へと飛び立った。

「何をしてくれたんだ……!」
女王の幼い顔に明確な怒りが浮かぶ。せめてもの腹いせに蹴とばそうと体制を崩れるのにも構わず足を動かす。
しかし女王の拙い蹴りは空を切る。憎悪を滲ませる女王など見向きもせずに、白兎は口の洞窟を昇って難なく脱出を果たした。



233ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:09:29 ID:U6P2q54E0
「俺は一体……何を見せられているんだ……?」
口をあんぐりと開けて座り込む圭介。見上げた空には双角の龍が翼をはためかせて雄叫びをあげていた。
VHが発生して以降、あらゆる超常を目の当たりにした圭介でも目の前で起きたイベントには目を丸くせざるを得なかった。
しばらく呆然としていたが、空から突如白い塊が圭介の元へ落ちてくる。
数秒後、固まる圭介の前で見事な着地を披露する白い毛玉。その正体は。

「白……兎……」
『ーーーすまない、君達には苦労を掛けた』

漸く言葉を発した圭介に向かい、白兎はぺこりと頭を下げて謝罪した。
「お、おお……」と何とか返事をした少年に首に時計を掛けた小さな獣の真紅の双眸が彼を見上げる。

『これでしばらく女王は君にも、君の友達にも手出しは出せない筈だ』
「友達……!か、哉太は……!哉太はどうなって……!!」

白兎の発したと思われる言葉で妹分の珠ーーの殻を纏った女王に放り投げられ、今も尚貪られているであろう親友の事が頭に過ぎる。
焦燥に駆られて捲し立てる圭介の瞳を英知と慈愛に満ちた瞳で白兎は見つめる。

『安心してくれ。彼はまだ生きている。それに、私の仲間が必ず助けてくれる』
「仲間……?」

脳裏に過ぎるのは突如現れた牛頭の巨人と魔力を帯びた氷雪を操る白猪。
だが、牛の巨人は腕力で潰され、白猪はつい先ほど鬼が起こした黒の爆発によって死んだはずだ。
疑問を口にしようとした圭介に割り込むように、白兎が言葉を紡ぐ。

『私の仲間はまだいるんだ。それに、彼らはそう易々と殺されるほどやわじゃない』
言葉が終わると同時に、地を蹴る蹄の音と甲高い猿叫、猪らしき雄叫びが轟く。
圭介と白兎の数十メートル先。赤鬼が哉太を一心不乱に食らい続けている場所に現れたのは三頭の獣。
全身血塗れの一角獣とそれに跨る如意棒を構えた赤猿。そして、赤鬼に殺されたはずの白猪。
誰もが皆全身に傷を負い、地球上の生物であれば致命傷となる傷を負っている。
その状態でも尚、地獄の番人へと立ち向かっていく。

「GIIIIAAAAAAAAAAAAAA!!!」
哉太を捕食したことでほんの僅かだけ理性を取り戻したのか。何とか人の言葉らしき轟きを上げ、赤鬼が暴れまわる。
山折村にて、何度目かもわからぬ血風が吹き荒れる。血肉が飛び交い、断末魔とも雄叫びとも取れぬ叫びが轟く。
その最中、赤鬼の手から何かが明後日の方に放り投げられる。それは間違いなくーーー。

234ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:10:11 ID:U6P2q54E0
「哉太……!」
両腕の激痛など気にせず、友の元へと駆け寄ろうと立ち上がる。
だが、圭介が走り出す前に哉太の元によろよろと歩み寄る一頭の獣ーー遠目からでも分かる、死にかけの羊。
彼(または彼女)は、口で哉太の身体を掴むとそのままよろよろと三頭の獣と赤鬼が死闘を繰り広げる危険地帯から離脱する。
そのまま圭介の近くーーとはいっても数メートル先だがーーまで移動し、哉太に覆いかぶさるように倒れ伏す。
白兎は光の粒子になることはなく死した羊にしばし黙禱を捧げた後、戦場に背を向けて動き出す。
全てを失ったような哀愁漂うその後ろ姿に、圭介はかつての自分を重ねてしまい、思わず声をかける。

「どこに、いくつもりなんだ……?」
『…………厄災(パンドラ)の底に眠る、最後の希望を求めに』

返ってきたのは抽象的過ぎて理解できない言葉。
そのまま力なき白い獣は歩みを進め、数メートル先ーー金髪の少女が吞み込まれた闇が蠢く孔の前で立ち止まる。
飛び込む直前、彼女は圭介の方へと顔を向ける。

『ーーー彼女を……春姫の事を頼んだ』
その言葉を残し、時計兎は淀みの中へと飛び込んでいく。
白兎が視界から消えるタイミングを見計らったかのように、圭介の背後から聞こえる不規則なリズムを刻む土を踏む音と荒い息遣い。
理由が分からない胸騒ぎがする。訳の分からない焦燥に駆られながら、圭介は背後を振り返る。
そこにいたのはかつて犬猿の仲にあったガキ大将の幼馴染。ふてぶてしい態度を隠さぬまま、厳かに悠々と圭介へと向かってくる。

「ーーーーッ!」
言葉を失う。
凛とした雰囲気はそのままだが、歩みは村に蔓延っていたゾンビと変わらない程頼りなく、襲い。
それもその筈。両腕は鋭利な刃物ですっぱりと斬られたように肘から下は失われ、全身はかつての面影が見当たらない程腐り果て、腐臭を放っていた。
見るも無残な状態にあっても尚、彼女の美しい双眸から光が失われることはない。
圭介の眼前で『彼女』は足を止める。
悲痛に顔を歪める圭介を夜空の瞳が見据えた。

「は……春……!?」
「……許せ、不覚を……取った……」



235ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:10:43 ID:U6P2q54E0
春姫の身体はいのりを伴い、闇の中を浮上していく。頂点ーー脳に到達まであと僅か。
春姫の放つ天照の光は、身体の隅々まで侵した山折の厄ーー『隠山祈』を浄化し、塵芥へと変えていく。
天へと浮上する途中で目に入るのは、木漏れ日のように淡い光が漏れる亀裂。
ここはいのりと女王の戦闘時、聖木刀の斬撃により生まれた傷跡。悪夢の始まりの証。
そこで、再臨した女王は飛翔を止め、傍らの祈りへと向き直る。

「春姫……?」
「……いのり、ここでそなたとはお別れだ。」
「え……?」

唐突に告げられた別れにいのりは驚愕する。
堕ちた己を叱咤し、女王としての矜持を取り戻させた彼女に向き直り、彼女の瞳を見つめる。
ほんの少し前の自分ならば、そのような真似などするはずもなかったであろうな、と僅かに苦笑する。

「ここから先は妾一人で逝く。女王の王道に、同伴は許さぬ」
「そんな……貴女一人じゃどうにも……!それに春姫はいつ死ぬかもわからないくらい重症なんだよ……!わたしがいなくなったら、もしかするとそのまま……!」
「…………」
「大丈夫だよ……!わたしには貴女の身体を元に戻せる奥の手があるから……!それでアナタは元通りになって……!」
「いのり」
「ーーーーッ!」

縋るように喚き散らすいのりの目をじっと見つめる。ほぞを固め、既に自分の辿る末路は悟っている。
頬を張ろうとしたいのりだが、春姫の目を見た途端、振り上げられた腕は力なく降ろされた。
恐らく、春姫の祖先ーー神楽春陽も道を誤った時はこのように諭されたのだろうか。
春姫の覚悟を感じ取り、もう自分では彼女の意志を変えられないと悟り、春姫へと背を向ける。
亀裂の方へと飛び立つ直前、春姫の手がいのりの背に触れる。

「待て、いのり」
「……どうしたの?」

唐突の『待った』に振り返り、怪訝な表情を浮かべて春姫を見やる。
山折の女王は穏やかな顔で原初の巫女を見つめ返す。
一呼吸置いた後、春姫の手に光が集まる。そして集った光は春姫の手からいのりの身体に流れ込んでいく。
いのりに変化が起こる。怪異そのものとして機能していた仮初の身体が別の何かに変わっていく感覚が伝わる。
それはとても心地よく、温かい。

「これは……?」
「……餞別だ。これより汝は妾と同じく、死地へと向かうのであろう」
「……うん」
「……沙汰を言い渡す。隠山いのりよ、汝は己が命を以って妾のーー神楽春姫の友を救え」
「ーーーうん」

裁定を終えた後、今度こそいのりは光が差し込む方へと向かっていく。
春姫の身体を脱出する直前、原初の巫女は最後の女王へと向き直る。

「ーーー私を見つけてくれてありがとう!貴女は春陽と同じくらいカッコいい人だったよ!」

236ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:11:11 ID:U6P2q54E0
いのりと別れ、春姫は一人、天へと昇っていく。
思い浮かぶのは山折の地で生きた19年の人生。

"春ちゃん。友達を大事にしなよ。一生の宝だ。"
遠い昔に聞いたような、力強い声が過ぎる。
かつては女王はただ一人。王道を共にするものはなしと豪語していた。
それは過ちであった。傍には必ず誰かがいて、春姫を見守り、支えてくれていた。
全ては手遅れになってしまったけど、最期にそれに気づけて本当に良かった。

『ーー待ってくれ』

身体の支配権を取り戻すまであと僅かというところで聞こえてくる厳かな女の声。
浮上を止め、声の方へと顔を向ける。そこに佇んでいたのは白兎。己の傲慢と無知を見抜き、沙汰を下した張本人。
春姫と白兎。漆黒と真紅が交差する。
白兎の目を見れば分かる。白き神獣が再び自分の元に現れたのは春姫を裁くためではない。彼女は間違いなくーー。

『ーーーすまなかった』
「なぜ頭を下げる」
『君に貸した力ーーー因果歪曲の力を取り上げたせいで君の身体と魂が女王に蹂躙されてしまった』
「……構わぬ。それは妾が汝の言う通り無知陋劣な愚物であっただけの話よ。
それに、汝の力添えがあったところで、結果は変わらぬ。寧ろ女王はその力を簒奪し、更に力を蓄えることになっていたであろう」

それは女王の力を身をもって知った春姫だからこそ分かる歴然たる事実。
死を遍く愚かな女王は泥船に乗った女王を闇底へと叩き落とし、その事実を突きつけた。

『山折の地は己が罪への贖いに露と消えるであろう。されど想いは継がれていく』
女王の王道は袋小路で途絶え、朝を迎えることなく消えてゆく。されど必ず夜明けは来る。
曙を迎えた者が原初の想いを継いで、命を繋げていく。

言葉を終えた後、最期の女王は天へと浮上していく。
神の御子たる白き獣も浮上し、女王とすれ違う。
決して交差することのない道。その最中ですれ違っただけの仲。
しかし、胸に抱く想いに何の違いがあろうか。

『さよなら、女王。どうか君の王道に安らぎあれ』
「さらばだ、神獣。汝の旅の行く末に幸あれ」



237ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:11:48 ID:U6P2q54E0
村王と女王。山折村の救済を目指した二人は互いに大敗を喫し、逃げおおせた先で再会を果たす。
圭介は両腕を折られ、頼みの綱の魔聖剣は聖木刀によって砕かれた。
春姫は聖木刀委より両腕を断ち切られ、厄により全身が汚染され続けている。
圭介は精神が死にかけ、春姫は身体が死にかけている。

「春……」
「そう情けない顔をするな……。汝は皆を支える「リーダー」なのであろう……?」

傲岸不遜な春姫の口から発せられたとは思えない弱々しい言葉が圭介の死にかけの精神を揺さぶる。
別れたのはたった十数分前。その間に何が変わったのか。こんな、慈愛に満ちた顔をする人間ではなかった筈だ。
ふ、と腐れ縁の幼馴染は圭介に笑い掛ける。

「頼みがある」
「……何でも、言ってくれ」
「そなたの腰に添えてある刀で、妾の心臓を突いてくれ」
「なっ……!」

余りの衝撃に言葉を失う。VHで圭介はたくさんの物を失った。
それは故郷であり、友であり、家族であり、恋人でもある。そして再び大切なものを失おうとしている。

「女王は妾の異能と肉体を奪おうとしておる。妾の身体で、友が殺されるのには耐えられん。
両腕を負傷した汝には酷であるだろうが……頼む」
「でも……」
「頼む」

子供を諭すような春姫の瞳。弟を見る様な目で見つめられ、圭介は言葉を詰まらせた。
迷っている時間はない。先程の珠ーー女王との戦闘でそれを思い知らされた。
腕に走る激痛を堪えながら、腰から哉太の打刀を抜く。
切っ先を春姫の胸に向ける。手が震えるのは激痛のためか、それとも圭介の心が拒絶しているためなのか。
そしてーー。

「ーーーッ!」
「か……ふっ……」

鮮血が刃を伝う。徐々に腐れ縁の幼馴染から力が抜けていく。
春姫の最期に、いがみ合っていた幼馴染の末路に、圭介は目を逸らさない。逸らすことなど、許されない。

ーーーカッ。
異変が起こる。春姫の身体が光を放ち、心臓から零れ落ちた血が、打刀に浸透していく。
瞬く間に打刀の刃は輝くような深紅に染まる。霊感も魔力もない圭介でも、刀に力が宿っていくのが分かる。
覚醒した『全ての始祖たる巫女(オリジン・メイデン)』により目覚めた力の発現。
それは己の生命力を物体に宿す秘伝。犬山はすみが得ていた異能『生命転換/神聖付与』の未来の姿。
厄に対する絶対兵器ーー聖刀神楽、生誕。

命が尽きていく最中、圭介を見つめる春姫の口が開かれる。

「………圭介」
「…………」
「そなたと過ごした日々、悪いものではなかったぞ」

花の咲くような、愛らしい少女の笑顔。神楽春姫には似つかわしくない、優しい微笑み。
最初で最後、初めて圭介の名を呼んだ。
黒曜石の光沢が完全に消える。胸に刃が突き立った身体は、村王の方へと枝垂れかかってくる。
山折村の女王、此処に眠る。



238山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:21:45 ID:U6P2q54E0
数多の『隠山祈』に侵され、肉体がぐずぐずに崩れていく。身体を食い荒らす厄の蟲が宿る異能を食い荒らしていく。
激痛に苛まれながらも、足を止めることはない。止めるわけにはいかない。
いのりは数時間前、独眼熊と戦った時のように肉片から生前の姿にーー『肉体変化』の異能にて質量保存の法則を無視した人の形に戻っていた。
その絡繰りは別れの間際、春姫に施された『生命転換/神性付与』の力。彼女の力により、怪異という枠組みから外れて別の存在へと書き換わった。
それに伴い、厄を吸収するだけであった身体も変化し、不浄を拒絶する。
だが完全に消え失せたわけではない。『隠山祈』はいのりの身体を蝕み続け、吸収した異能は牛縄つつある。

向かったのは三頭の獣との戦鬼が戦いを繰り広げる戦場。否、戦いではない。鬼が獣達を蹂躙する屠殺場である。
赤毛の猿の腕が吹き飛ぶ横を通り過ぎ、向かう先は危険地帯から離れた場所。春姫の友がいる場所。

「ーーーーーッ!!」
いのりの目の前で転がる少年の姿をした肉塊。端正な顔は見る影もない程苦痛で歪んでる。。
四肢はほぼ千切れかけ、骨が内側に飛び出している。臓器も大部分が食い荒らさせており、血肉から湯気が悪臭と共に立ち込めている。
心臓と脳は無事なのか、異能により再生は続けられており、それが少年の命を繋いでいた。
最早死んでいた方が救いという有様に、いのりは言葉を失う。

(ーーーでも、まだ手はある……!)
本来ならば、両腕を失った春姫に対して使うはずだった奥の手。デメリットは怪異そのものの特性も転移する可能性のあるもの。
しかし、春姫の手によっていのりは怪異ではなくなり、信仰を得て浄化された土地神へと昇格された。
故にこれから彼女の為すことも八百万の神の手から離れた、小さな巫女神からの贈り物へと姿を変える。

ぐずぐずと腐り始める手を彼の体に当てる。崩れ、肉塊へと化していく脳を廻し異能を発動。
怪異『巣食うもの』の原点となった『肉体変化』。ヒグマに食い殺されかけた時点で進化を果たしていた。
体積が少なくなっていくいのりの肉体。手から厄に侵されていない部分が少年に移され、再生させていく。
目覚めた力は自身の身体に刻まれた遺伝情報を書き換え、その血肉を他者に移植するという疑似的な回復手段。
もしいのりが『巣食う者』のままであれば、他者を乗っ取る際に使われていたであろう力。その力を誰かを救うために行使している。
徐々に肉が再生し、元の少年の姿に戻っていく。だが、このままでは再び女王の手下である赤鬼の餌食に駆ってしまうだろう。

だからもう一つだけ、少年に贈り物をすることにした。
『隠山祈』に蝕まれていない、最後に正常感染者から吸収した異能。
目の前の彼と血の繋がった、山折村滅殺を目論んだ老人の異能。懸命に生きようとする、彼に与える。
力が抜けていく。身体と魂を結ぶ意図がほどけていく。
きっとわたしは地獄に落ちるだろう。望にも、覚にも、春姫にも、春陽にも、うさぎにも会えないだろう。
それでもいい。わたしの犯した罪科は地の底に落ちて償わなければならない。
血色を取り戻した彼にーーかつて憧れた武士の面影を残す少年に微笑みかける。

『頑張ってね、お侍さん』



239山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:22:13 ID:U6P2q54E0
背後で爆発が起こる。聞こえるのは巨人の怒号と三種の獣達の断末魔。
厄災のコーラスから外れた平原。そこに滅びゆく厄村の村王と女王はいた。

「…………春。」
村王ーー圭介の目の前には胸に紅い刃が突き立てられた女王ーー神楽春姫。
神の造形と謳われていた美貌は面影もなく、そこに眠るのは遥か昔、疫病に侵された原初の巫女のような痛ましい姿。
もう二度と彼女の特徴的な語り口を聞くことも、いがみ合うことも、自分の立場を棚に置いて威張り散らされることもなくなってしまった。
山折村のガキ大将の周りには誰もいなくなってしまった。在りし日に想いを巡らせ、春姫の骸の前でぼうっと座り込む。

どれほど時間が経ったのだろう。
目の前の喧騒は徐々に落ち着き始め、飛び回っているのは片手に如意棒らしき長棍を持った赤猿ただ一頭になってしまった。
目覚めることのない春姫の寝顔を見つめる圭介へひた、ひたと迫る誰かの足音。
気配を感じ、怠慢な動きで首を上げる。虚ろな目に映った存在。それは、一人の少年。

「哉……太……?」
最後に残った圭介の幼馴染ーー八柳哉太の名前が零れ落ちる。
哉太はその声に反応することなく、その傍らにある神楽春姫の遺体ーー胸に刺さる赤刃へと目を向ける。
何かを口に出そうとする圭介を尻目に哉太は刀の持ち手を掴んで、容赦なく引き抜いた。
春姫の胸から血が零れ落ちる。引き抜いた刀から血が零れ、紅いアーチを作る。
遺体を辱める真似など厳しく躾けられた哉太にできる筈がない。

「な……何やってんだお前ェ!!は、春は……春はァ……!!」
今にも掴みかからんばかりの勢いで圭介は立ち上がる。彼の頬を殴り飛ばそうと痛む拳を握りしめて顔を見据えた瞬間、思考が急速冷凍された。
口はだらしなく開きっぱなしになっており、目は虚ろで生気がない。動きも怠慢で知性というものを感じない。
時折ゆらゆらと身体が揺れるが、それは疲労によるものではなく脊髄反射で起きた生理現象のようにも思える。即ちーー。

240山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:22:33 ID:U6P2q54E0
「ア"ーー………」
八柳哉太はゾンビになっていた。

241山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:23:10 ID:U6P2q54E0
いのりの尽力により哉太の肉体は再生し、元の健康的な少年の姿に戻った。
しかし、いのりは更なる奇跡を望んだ。それは自身の異能の植え付け。
厄に内部を食い荒らされ、自身の異能『肉体変化』も消失ある中、唯一残った異能『剣聖』。
女王にすら届き得た条件付きの戦闘特化の異能。元の保持者である八柳藤次郎の近親者である少年に与えたもの。
だが、都合の良い奇跡(デウス・エクス・マキナ)など顕れるはずもない。この地獄においては、大いなる力には必ず対価が求められる。
異能の過積載に対して払われた対価は理性の喪失。即ちHE-028-Cの許容量超過(オーバーフロー)による脳の一時停止。即ちゾンビ化である。
いのりの魂の喪失により異能のリスクを代替えする存在はいなくなってしまった。
つい数分前、命を落とした哀野雪菜のような奇跡は起こりえない。二重能力者(クロスブリード)など起こりえない。
『剣聖』の姿は八柳哉太の泡沫の夢。時間が経てば溢れ出した器は元の姿に戻り、八柳哉太は『肉体再生』だけを持った正常感染者へと戻るだろう。

親友の変わり果てた姿に胸倉を掴んだまま呆然と立ち尽くす村のガキ大将。
直後、最後に残った一頭ーー斉天大聖の身体が宙に投げ出された。
暗闇の中、三つに分かれる魔猿。見ざる、聞かざる、言わざるは三方向へバラバラに落ちていく。
赤鬼の殺気がこの場で唯一の正常感染者ーー圭介に向けられる。
死神の牙が届くのはあと僅か。行動を起こさなければ死は必然。
圭介の手に魔聖剣は存在しない。女王の手によって折られてしまった。
残るのは目の前で聖刀を握りしめた八柳哉太の『ゾンビ』。

「ーーハッ!」
圭介の頭に希望の灯火が灯る。
山折圭介の異能『村人よ我に従え(ゾンビ・ザ・ヴィレッジキング)』。ゾンビを意のままに操る他者に依存する力。
上位互換である女王が現れたことで無用の長物となってしまったもの。
今の八柳哉太は二つの異能を持ったゾンビ。ゾンビなら、操れる。

「最後の砦は、喧嘩別れしたダチかよ……。ハッ、上等じゃねえか!!」
皮肉気に笑い、腕に力を込めて気合を入れ直す。
八柳哉太は女王と接触した。つまり彼もまた眷属化の影響を受けつつある。
自身の異能では動きを鈍らせるのが精一杯。一度敗した相手を打ち負かさなければいけない。
圭介の中に巣食うHE-028-Bを行使する。哉太の脳に働きかけ、支配下に下るよう命じる。
異能を介して圭介の脳に響くのは女王の鬱陶しい囁き。
HE-028-BとHE-028-Z。絶対王政に反旗を翻す革命者。圧倒的不利な綱引きが行われる。

「あ……ア”……ア……」
哉太の身体が痙攣する。女王と村王の綱引きに巻き込まれた亡者は苦悶の声を上げる。
綱引きに負ければ剣士は女王の軍門に下り、世界を滅ぼす魔王の配下になるだろう。
ここが世界の命運を分ける分水嶺。脳を酷使し、哉太の理性を引き留める。

「悪の手先に成り下がるんじゃねえーーーーーーー!!」
叫ぶ。祈る。雄叫びが夜空に響き渡る。
赤鬼が徐々に迫ってくる。到達までは十秒とかからないだろう。
圭介の叫びに呼応するかのように赤刃が輝く。そしてーーー。

「AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!」
耳を劈くような咆哮が轟く。亡者は村王に背を向け、赤鬼へと突進していく。
軍配は村王に上がった。女王の支配を跳ね除け、ガキ大将の右腕はその忠誠を示した。
振り下ろされる拳を聖刀神楽が防ぎ、纏われた厄を払いのけた。

「ぶちかませッ!!クソヒーロー!!!」

242山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:23:45 ID:U6P2q54E0
夜の大地を轟かす咆哮。地を揺るがすのは拳と剣の二重奏。
二つの紅が文字通り火花を散らし、演舞を踊る。

「■■■■■■■ーーーーーーー!!!」
「■■■■■■■ーーーーーーー!!!」

剣鬼と戦鬼。二つの怪物が激突し、空を、大地を赤で染めていく。
地面に転がされた猪の亡骸が挽肉と化す。目を抉られた猿の胴が二つに割れる。
耳を削がれた猿が明後日の方向へと飛んでいく。喉を裂かれた猿が原型を留めない塊に変わる。
二対の怪物も無事ではない。激突するたびに肉が削がれ、骨が砕かれ、その度に瞬時に再生していく。

赤鬼から繰り出される鉄槌の乱舞。それに対応するのは剣鬼の身体に染み着いた八柳流のかかり稽古。
雀打ち、乱れ猩々、空蝉、鹿狩り、三重の舞、天雷―――
流麗とは程遠い、怨敵滅殺の剣舞が赤鬼に殺到する。
永劫に続くかと思われた剣舞は唐突に終わりを迎える。

赤刃が赤鬼の腕肉に食い込み、ほんの僅かに動きを止める。
筋肉を搾り上げ、両断を防いだ。唯一の得物を奪われ、動きを止める剣鬼。
その隙を見逃すはずもなく、新しき秩序ーー女王に謀反を企てた背信者へ下されるのは正義の鉄槌。
剣鬼に向けて巨大な拳が振るわれる。間もなく少年は四散し、山折の地の養分と化すだろう。
しかし、理性を喪失した赤鬼は隠し持つ一手に気付かない。

剣鬼と戦鬼。互いの性能に違いはほぼなく、その差は担い手のみ。
戦鬼の担い手は女王。彼女は力こそ強大であるものの、現在はこの場におらず、大田原源一郎のスペックに頼るほかはない。
剣鬼の担い手は山折圭介。女王と比較すると比べるべくもないが、この戦場に存在し続け、常に剣鬼の限界を引き出していた。
故に結末は必然。かつて沙門天二が届くことのなかった一手が、剣鬼には存在していた。

武器を失った剣鬼の手に握られていたのは、折れた長剣。女王の聖木刀によって砕かれた魔聖剣。
担い手の意志に呼応するかのように光を放つ。女王の目論見は外れ、未だ託された意志は健在。
光に導かれるように、元の担い手は詠唱を張り上げる。

「厄(や)け、神様ァーーーーーーーー!!!」
折れた刀身から光の刃が顕現し、無防備になった胴に振るわれる。
ーーー八柳新陰流『朧蟷螂』。
剣鬼が身をよじり、迫る鋼の拳をすり抜ける。
逆袈裟に振るわれた返し刃が伸びきった腕を斜め掛けに胴と首を両断する。
『餓鬼(ハンガー・オウガー)』は保持者に驚異的な身体能力と再生能力を齎す異能。しかし、急所を断たれれば他の正常感染者同様、命を落とす。
即ち、魔の手に堕ちた自衛隊最強『大田原源一郎』の命運はここで尽きる。



243山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:24:16 ID:U6P2q54E0
ーーー女王に平伏せよ。
ーーー女王に命を捧げよ。
ーーーさすれば大和の國に、曙が訪れん。
声が聞こえる。福音の囁きが脳を揺さぶる。
最強の名は失墜し、残るのは滅私奉公の矜持のみ。
抱いた想いも再びの敗北により、塵と化した。
ならば、己に残るのは何だ?

ーーー女王に平伏せよ。
ーーー女王に命を捧げよ。
ーーーさすれば大和の國に、曙が訪れん。
福音が囁かれる。体内に巡る血潮が沸騰し、己の身体に役割を求める。
嗚呼、そうか。たかだか命が潰えただけではないか。
想いはまだ胸の中で燻っている。胴ごと切り離された首が場に残る巨体を眺める。
■■に仇為す敵は未だ健在。されど無防備にその身体を晒している。
ならば、地獄に落ちる前に果たせる役割は一つ。

「女王ニ……仇為ス……存在ヲ……処理セヨ………!」



244山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:24:43 ID:U6P2q54E0
「嘘だろ……!?」
片腕だけの巨体が再始動する。傷口から臓腑を撒き散らしながらゆっくりと拳を振り上げる。
狙いは目の前で聖刀と魔聖剣、二振りの剣を握りしめたまま微動だにしない若武者。

「さっさと動け哉太……!動かねえと殺されるぞ……!」
異能で哉太に呼びかけるも、ゆらゆらと揺れるばかりで一歩も動こうとしない。
それもその筈。既に哉太は二重能力者(クロスブリード)のゾンビではない。
器から異能という水が零れ落ち、正常感染者へと戻ったのだ。
今、鬼の眼前にいるのは剣を握りしめたまま意識を失い、棒立ちしている剣士だった。

「クソッ……クソッ……クソォ……!!」
焦燥に駆られ、村王は腕の痛みなど気にせずに走り出した。
上月みかげと湯川諒吾は圭介の知らないところで殺された。
浅葱碧は自分が操って特殊部隊に殺された。
日野光は自分をかばって殺された。
日野珠は自分達が逃げおおせたせいで手遅れになった。
自分を救った祟り神は目の前で殺された。
神楽春姫は、自分が殺した。
圭介を取り巻く大切な人達は圭介の目の前からいなくなった。
もう失うのは嫌だった。自分達の望む結末はもう掴めない。陰謀に翻弄され、描いていた未来は醜い大人達によってぶち壊された。
"親分は子分を守るものなんだよ。"
いつか自分が言った言葉が反響する。
最後の幼馴染に延ばされる死神の魔の手。皆のリーダーは、子分第一号に手を伸ばす。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!!」



245山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:25:20 ID:U6P2q54E0
星々が煌めく山折村の夜空。天から巨体が落ちてくる。
ずしん、と大地を揺るがす。巨体の正体はずんぐりとした双角のドラゴンであった。
地に伏せた龍はピクリとも動く様子はない。大顎を開いたまま、息絶えている。
ドラゴンの横に散らばるのは、原形を留めていない肉塊と、逆袈裟に切り取られた赤黒いヒトガタ。そして鬼の形相で虚空を見つめる角が生えた強面の男。
そのすぐ傍には、潰された少年らしき死体と少し離れた場所で眠る腐臭を放つ巫女装束を纏う遺体。
沈黙が場を支配したのは数分。突如、龍の腹から木刀が突き出てくる。
切り裂かれる龍。血の雨が降る中、現れたのはーー。

「ああくそ、せっかくの祭りが終わってしまったじゃないか」
ーー女王、日野珠。
突如として女王を天空に打ち上げた龍。それは女王自身が手を下した犬山うさぎの眷獣。
その中でも随一の巨体と戦闘能力を誇る空想生物、4時の龍ことドラちゃん。
増殖羊の大元(マスター)が己の命を担保に召喚した最後の獣。
龍の死により残る獣は1時のネズミと4時の兎のみ。他の全ては白兎の言葉通り、使い潰された。

「随分と舐めたマネをしてくれたじゃあないか、あの白兎……!」
沸き上がる怒りに愛らしい日野珠の顔を歪ませる。
失ったのは願望器だけではない。
影法師の少女ーー魔王の娘が持つ力『夢の世界へようこそ(イン・ワンダーランド)』が失われた。
願望器に脇差が投げ込まれた瞬間、『神楽うさぎ』の力が吸い取られ、地の底に向かっていくのが感じられた。
だが幸いにも『魔王』の力は健在。それだけは不幸中の幸いか。

「まあいいさ。身の不幸を嘆いても事態が好転するわけじゃない。前向きに行こう」
頬を叩いて気持ちを切り替える。
運命視による観測を逃れた天宝寺アニカは今頃闇の底だ。自分が厄の中に落とした。
過程はどうあれ、結果は及第点。生き残ったのが自分だけだか軌道修正はまだ間に合う。
回りを見渡すと、死体、死体、死体。少しばかりお暇していた間に屍山血河が作り出されていた。
女王が特に驚いたのは、両断された戦鬼。大田原源一郎。
運命視による未来演算では、彼はまだ食事を続けているはずだった。
八柳哉太の死体ないということは、我慢できずに平らげてしまったか。
また、聖木刀でハーフカットにした筈の魔聖剣の存在も見当たらない。
そして、下手人と思われる少年が戦鬼の傍らで粉砕されていた。
即ち、養分となった少年が戦鬼が哉太を異に収めてる隙を狙って折れた魔聖剣で討伐を果たした。
その結果、魔聖剣は今度こそ消滅し、残された少年は戦鬼の悪あがきの巻き添えを喰らったのだろう。

事の顛末の予想を核心に変えるべく、少年の死体へと歩み寄る。
原型をほとんど留めていない少年の死体。かろうじて形を保っている手に顔を近づける。
手は何かを握りしめている。死後硬直が始まったそれを、無理やり誇示上げると現れたのはロケットペンダント。

「ーーーああ、死んだのはやっぱり山折圭介か」



246山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:25:50 ID:U6P2q54E0
「ーーーぅたく、挨拶もなしに勝手に行くんじゃねえよ」
「圭……ちゃん。何で……」

バスを待つ最中、現れたのは喧嘩別れしたはずの山折圭介。二度と会わないと決めていた、親友だった。
一年前、早朝のバスを待つ哉太の前に顕れたのは花束を持った虎尾茶子ーー哉太を信じてくれた想い人だった筈だ。
これは夢。IFを望んだ自分が作り出した想像の産物に違いない。
困惑する哉太を他所に、息を切らしたガキ大将は手に持った紙袋を手渡した。

「……何だよ、これ」
「ガキの頃、お前から借りた玩具。折れて返し辛かったから黙ってた」
「何だよそれ。ガラクタじゃん」
「うっせ。借りパクしたまんまだと、目覚めが悪いんだよ」

嘗てのように軽口を開けながら袋を開ける。
中に入っていたのは一昔前の、特撮物の剣の玩具。中折れしている。
じとっと圭介の方を見つめる。気まずそうに圭介は目を逸らす。

「…………」
「…………」
「…………ぷっ」
「ハハハハ」

急におかしくなり互いに笑い出す。
笑って、笑って、笑って、笑い転げる。
親分と子分第一号。些細なことで仲違いして、些細なことで仲直りする。
悪ガキの頃からずっとそうやって過ごしていた。
しばらく笑い合っていると、別れの時がーーー駅に向かうバスがやって来る。

「……なあ、哉太」
「……どうした、圭ちゃん?」

バスのステップを上がる寸前、幼馴染の言葉がかけられる。
振り返ると、どこか寂しそうな笑顔を浮かべたガキ大将の少年。

「お前さ、これからどうする?」
「どうするって……何が?」
「この村に帰ってくるかってことだよ。誤解ならもう解けたし、他の奴らも俺が無理やりにでも納得させる」

真剣な眼差しで問い掛ける。ここが分水嶺。
もう自分の中に山折村を憎む気持ちはない……といえば噓になるが、いざ度経つとなると寂寥感が胸に飛来する。
ほんの少し考えた後、圭介の問いに答える。

247山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:26:28 ID:U6P2q54E0
「ーーー東京に、行くよ。多分、もう二度と山折村には戻ってこない」
「ーーーそっか」
ほんの少し寂しそうに笑い、ガキ大将は手を差し出す。
幼い頃、もう一人の長馴染に良くさせられていた約束の証。

「仲直りの握手……しようぜ」
「…………ああ」

親友の手を握り返す。固く繋がれた手。もう下らないことで仲違いはしないだろう。
バスに乗る直前、八柳哉太は振り返る。

「光ちゃんと仲良くな」
子分第一号が笑顔で告げる。

「山折村の事、たまには思い出せよ」
親分が名残惜しそうに手を振る。

もう二度と八柳哉太は振り返ることはない。

248山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:27:19 ID:U6P2q54E0
バスに乗るとまず目に入ったのは、人間のように座席に腰かけた小さな山ネズミ。
彼女はこちらの存在を認めると、仕草で隣に座るよう促す。

(スチュアート・リトルかよ……)
大分失礼なことを心中でぼやくと、その言葉を見透かしたようにこちらを見上げた。
その直後、哉太の目の前に映ったのはどこかで寝息を立てる金髪の少女ーー天宝寺アニカ。
場所の特定はできないが、何となく、闇に呑まれたはずの彼女が生きていることだけは伝わった。
驚いて目を見開く哉太の脳内に、女性の声が鳴り響く。

『もう二度とアナタのパートナーの手を離さないで下さい。私達が望みを失った時の痛みは、もう誰にも味わってほしくありませんから』

景色が少しずつ揺らいでいく。心地よい微睡が意識を漂白していく。そしてーー。



目を覚ますと少年は草原のど真ん中にいた。
傍らにはこちらの頬を摘まんでいる二足歩行の山ネズミ。
そして、手に握れてていたのは二振りの剣。
夢の中で圭介に渡された玩具によく似た折れた長剣と、深紅に染まった紅い打刀。
辺りを見渡すが、そこには誰もいない。
散らばっていた牛の巨人の名残も。共に戦っていた圭介の姿も。荒れ狂っていた赤鬼の姿も。
そして、無意識の中で常に闇へと誘おうとしていたーーー。

「珠ちゃん……」
今も尚、哉太の脳内で囁き続ける女王ーートラウマを植え付けてしまった妹分の姿も。
確信する。VHにおける絶対悪の存在が大切に思っていた幼馴染であることを。

249山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:28:29 ID:U6P2q54E0
『女王感染者を見つけ出し殺害する…………それでこのバイオハザードは解決されるはずだ…………』
「んなこと、認められるかよ……」
理不尽に憤り、立ち上がる。女王は覚醒し、山折村は今以上の地獄へと変わるだろう。
もしかすると、すでに手遅れで珠の救済のためには殺すしか手段が残されていないのかもしれない。
その時、彼女を介錯するのは自分なのかもしれない。それでも、思考放棄だけはしたくない。
最後の最後になるまで、希望を捨てたくはない。
自分を救い上げてくれた、生意気そのものな天才探偵のように。
そして、自分を信じて送り出してくれたーーー。

「そうだろう、圭ちゃん」
死した友の名を呼ぶ。皆のリーダーの答えは返ってくることはない。
裏切られ、失い、離別し、また失った。それでも前に進まなければならない。
残された想いを引き継ぐ。それがきっと自分の信じた道なのだから。

【神楽 春姫 死亡】
【大田原 源一郎 死亡】
【山折 圭介 死亡】

【D-3/草原/一日目・夜中】

【八柳 哉太】
[状態]:異能理解済、全身にダメージ(極大・再生中)、疲労(極大)、精神疲労(極大)、喪失感(特大)、眷属化(小)、
[道具]:折れた魔聖剣■■■、聖刀神楽、八柳哉太のスマートフォン、山ネズミ
基本.生存者を助けつつ、事態解決に動く
1.圭ちゃん……。
2.アニカを守る。絶対に死なせない。
3.女王を何とかする。最悪の場合、珠に手をーーー。
4.いざとなったら、自分が茶子姉を止める。
5.ゾンビ化した住民はできる限り殺したくない。
[備考]
※虎尾茶子と情報交換し、クマカイや薩摩圭介の情報を得ました。
※虎尾茶子が未来人類発展研究所関係者であると確認しました。
※リンの異能及びその対処法を把握しました。
※広場裏の管理事務所が資材管理棟、山折総合診療所の地下が第一実験棟に通じていることを把握しました。
※『隠山祈』及び『神楽うさぎ』の存在を視認しました。
※魔聖剣の真名は『魔王の娘』と同じです。
※神楽春姫のにより打刀は強化され、聖刀神楽へと進化しました。
※宝聖剣ランファルトの意志は消滅しましたが、その力は魔聖剣に引き継がれました。現在刀身が破損していますが、再生する可能性があります。
※『神楽うさぎ』が魔王の娘であることを認識しました。
※日野珠の異能『ワクワクの導く先へ(フェイトマイロード)』の対象外になりました。


【E-2/草原/一日目・夜中】

【日野 珠】
[状態]:全身にダメージ(中)、女王感染者、異能「女王」発現(第二段階)、異能『魔王』発現、両目変化(黄金瞳)、女王ウイルスによる自我掌握、異能『村人よ我に捧げよ』発現
[道具]:H研究所IDパス(L3)、錠剤型睡眠薬、聖木刀ランファルト×2
[方針]
基本.「Z」に至ることで魂を得、全ての人類の魂を支配する
1.Z計画を完遂させ、全人類をウイルス感染者とし、眷属化する
2.運命線から外れた者を全て殺害もしくは眷属化することでハッピーエンドを確定させる
3.天宝寺アニカと八柳哉太は始末した。天原創らと特殊部隊、どちらの方に行こうかな。
[備考]
※上月みかげの異能の影響は解除されました
※研究所の秘密の入り口の場所を思い出しました。
※『Z計画』の内容を把握しました。
※『地球再生化計画』の内容を把握しました。
※女王感染者であることが判明しました。
※異能「女王」が発現しました。最終段階になると「魂」を得て、魂を支配・融合する異能を得ます。
※日野光のループした記憶を持っています
※魔王および『魔王の娘』の記憶と知識を持っています。
※魔王の魂は完全消滅し、残された力は『魔王の娘』の呪詛により異能『魔王』へと変化し、その特性を引き継ぎました。
※魔術の力は異能『魔王』に紐づけされました。また、願望器は白兎により剥奪されました。
※『空中浮遊』の魔術は呪厄により喪失しました。
※戦士(ジャガーマン)を生み出す技能は消滅し、死者の魂を一時的に蘇らせる力に変化しました。
※異能『村人よ我に捧げよ』が発現し、林流二刀剣術、剛躯、神技一刀、暗視をコピーしました。
※死者の魂を蘇生させる力により木刀に聖剣の力が宿り、聖木刀ランファルトに変化しました。
※願望器が白兎の願いを叶えたことにより、異空間を作成する力が喪失しました。
※80年前の人体実験犠牲者達の魂が願望器を使用し、終里元の59人の子供達全てが巣食うものに寄生されました。99%の確率で異常感染者になるHE-027の女王感染者に変化します。
※願望器は白兎によって摘出され、山折村内どこかに転送されました。転送先については後続の書き手様にお任せいたします。




250山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:41:36 ID:U6P2q54E0
落ちていく。堕ちていく。底の見えない水の底に。淀んだ泥の中に。禁忌の領域に引き込まれていく。
魂と肉体が切り離されていく。目がないのに闇を感じ、耳がないのに静寂を感じる。
切り離されたはずの五感で感じる、奇妙な心地よさと正体不明の不快感。
ふわふわ、ふわふわ。
天と地の境界を漂い続ける。
描いていた未来予想図は白紙に戻され、抱いていた確かで仄かな想いは泡沫へと化し、何もかもが溶けていく。

………………
…………
……
どれだけの間、彷徨っていたのだろう。見上げた空はぼやけ、見下ろした空は透明な闇が広がっている。

ーーーずず、ずず……。
闇が蠢き出す。晴れ渡る地獄が唸りを上げ、伽藍洞を揺るがしていく。
恐怖を感じたのも束の間。漆黒が捩れ、歪み、脈動する。

ーーぞわり。
地の底這い出して来る数え切れない程の真っ黒な手。泥の中でうぞうぞと犇めく小さな小さな赤子の手が自分を引き摺り込んでいく。

『ーーーー』
闇の奥底。待ち構えてきたのは大口を開けた『ナニカ』。赤子の手を模した穢れの触手が深淵に引き込まれる。その直前。
六芒星が顕現する。輝きが不浄の手を掻き消し、辺りを仄かに照らす。
不思議なことに落下も止まり、落ちるしかなかったカラダが徐々に浮上していく。
自分のすぐ傍に気配を感じ、視線を動かす。そこに佇んでいたのは、男の姿をした影法師。
彼に導かれるまま、空へと昇っていく。上へ上へと昇り続け、ピタリと唐突に止まる。
止まった矢先、影と自分の前に光の粒子が収束し、ヒトの形を作り出していく。

『………!?』
顕れたのは二人の少女。一人は巫女装束を纏う長く美しい白い髪の、眠るように瞠目した女の子。
もう一人は白髪の少女と同年代ーー10歳くらいの影法師の女の子。
二人共横たわったまま、目を覚ます様子はない。

『ーーー!ーーー!』
影法師の男の様子が急変する。何かを叫びながら少女ら二人に近寄る。並んで眠りにつく彼女らを中心に展開される巨大な六芒星。
光と共に正体不明の巨大な力があふれ出す。生成されたエネルギーは眠り姫二人に注ぎ込まれる。しかし二人共動き出す気配はない。

『ーーーッ、ーーーッ!……ーーー』
しかし、影の男は諦めるそぶりは見せず、二重・三重と六芒星を重ねて力を注ぎ続ける。
その様子を漠然と眺める中、空から自分と影の男の前に落ちてくる。それはいつか見た白兎。

『無意味なことは止めたまえ。君程度の力では「彼女」は目覚めることはない』
声が聞こえたのか、影の男はピタリと動きを止める。そして、声の主であろう白兎の方に顔を向ける。
彼の視線を受け、ふわふわ毛並みの時計兎は眠りにつく白と黒の幼子に歩み寄り、顔を近づける。

『……やはり、彼女の本当の名前でなければダメだったか。叶えられた願いは中途半端だった』
嘆息する白兎。その様子を見て影の彼はおろおろと分かりやすく狼狽し、『自分に何かできることはないか』と言わんばかりに白毛玉へと強い視線を向ける。
彼の視線に何を感じたのか、白兎は影の男に穏やかな優しい目を向ける。

『安心してくれ。君が助け出した彼女が、君が繋いでくれた希望が君の娘を……女神様の忘れ形見を目覚めさせてくれる。
もう君の……私達の役割はここで終わりだ。後は今を生きる者達に託そう』
『ーーーー。ーーーー』
『ああ、安心してくれ。君の君の娘は責任をセーフティゾーンに連れていく。助け出した娘も地上へと送り届けよう。
不浄の地に二人をずっと置いていくのは、君の本意ではないだろう?』

当人にしかわからない会話がなされた後、白兎の周囲に光が集う。そして白と黒の姫と共に自分の魂と身体が白兎と共に天へと昇り始める。

『ーーー、ーーー?』
『君の一族の子孫……ああ、春姫か。彼女は歴代最高の『神楽』だったよ。それこそ、逃避のために人柱となった君を超えるくらいは、ね』
言葉を聞いて安心したのか。影の男が醸し出す悲愴な雰囲気がほんの少しだけ和らいだ。同時に彼の実体が徐々に薄れていく。

『さよなら、神楽春陽。あちらでいのりと再会できたらよろしくと伝えて。もう大人なんだから喧嘩しちゃダメだよ』
ふ、と影の男ーー神楽春陽から安堵の息が漏れる。薄れていく黒い身体が白に反転し、光の粒子に変わる。
彼の残滓は天へと昇っていく。光に続いていくように白兎も自分達を引き連れて『ナニカ』が巣食う深淵から離れていく。
切り離された魂と身体が結びついていく。重なり合う寸前、白い少女達の姿が目に入る。
ーーー微睡む。意識が淀み始める。現世へと還っていく。

251山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:44:34 ID:U6P2q54E0
「ん……うぅ……ここは……?」
固い床の冷たい感触で目を覚ます。辺りを見渡すと真っ先に目に入ったのは並んだ座席の数々。
窓は開けられ、生ぬるい風が肌を撫で思わず身震いする。ここに来たのは遠い昔のように感じられるが、実際には一時間ほど前にいた場所。
虎尾茶子が運転していた、マイクロバスの中。

『目が覚めたかい?』
不意に聞こえたのは女性の声。異空間の中で女王の魔の手から救い出し、落ちた先でも再びアニカを救ってくれた存在。
声の主を少女ーー天宝寺アニカは知っていた。

「Ms.Rabbit……!?」
『ああ、私だよ』

驚きの声を上げるアニカに白兎は親しみやすさを込めた優しい声を返す。
聞きたいことは山ほどある。なぜここにいるのか。自分と一緒に戦ってくれたMs.ハルはどうなったのか。
そして、鬼と戦っていた哉太はどうなったのか。
言葉を発する前に白兎が焦燥を顔に浮かべたアニカを宥めるように言葉を先取りする。

『落ち着いてくれ。私は聖徳太子ではないんだ。矢継ぎ早に質問されても同時に返答するのは無理だ』
「でも……」
『物事には順序というものがある。頼むから落ち着いてくれ。質問には必ず答えるからさ。
祀り上げられたとはいえ、真実を求める探偵なのだろう?いつも冷静な君らしくない』

「探偵」というキラーワードを使われ、年相応の少女は押し黙る。
オーディエンスが落ち着いたのを見計らい、白兎は冷静な眼差しに戻った探偵を見据える。

『結論から話そう。私は女王から願望器を簒奪し、御守りの力を使って願いを叶えた。
一つ目は「女王の身体から脱出し受肉しろ」。だが、無理やり摘出したのがまずかった。
そのお陰で願望器は半壊してしまった。あと一つの御守りを使えば、大きな願いは叶えられるが願望器は失われる。
……そうだね。願望器の事も話そうか。魔王の生み出した願望器は、壊すのはすごく簡単に叶えられるけど修復する願いを叶えるのは難しいんだ。
だから……いや、これは後で話そう。
それから御守りの事だね。これは私と望の力が込められたマジックアイテム。因果を捻じ曲げる力が込められたプラチナチケットみたいなものさ。
それを願望器にくべて願いを無理やり叶えさせた。それが原因で半壊してしまったんだ。万能に思える願望器でも綻びはあるわけさ。
例えば女王の事。奴は余りにも大きな力を手にした。だから、例えもう一つの御守りの力を使っても完全に消滅させることは不可能だ。
それから二つ目の願い。それは時空の狭間にほとんどの力を落としてきてしまった神稚児ーー「神楽うさぎの蘇生」。
御守りの力だけではなく、私自身という概念もくべて願いを願いを叶えさせようとした。
蘇らせるのは本物の神様だ。リソースは御守りだけでは足りない。地球と私の故郷を繋ぐ世界に神楽うさぎの本来の力が漂っていたから本来の機能を超えた願いを叶えられると踏んだのさ。
……結果は半分成功で、半分失敗といったところかな。因果を捻じ曲げて完全消滅した神楽うさぎの魂と肉体は無事再生した。……再生した、だけだ。
彼女は捻じ曲げられた力で時空の狭間に落としてきた本来の力を辿り、魔力器官の存在する「人間」へと転生した。君達と同じ、寿命80年ほどの存在にね。
だけど、彼女の本来の名前で叶えられていないから、仮で願いを叶えた形になり、「神楽うさぎ」はまだ、眠りについている。
……仮初の願いの猶予期間は凡そ二時間。それまでに願いを正確なものにしなければ「神楽うさぎ」の肉体と魂は再び消滅するだろう。
魔王と女神様……彼らの混血であり、厄災の底に眠っていた運命そのものを変える希望は潰えてしまう。
それに、私自身の存在維持ももう長くはない。もう一つのプラチナチケットの行方も探れない程に弱くなってしまった。彼女の降臨を待たずにして存在ごと消滅するだろう。
一度叶えてしまった願いのキャンセルは不可能だ。願望器が喪失しようともその結果は残り続ける。
女王が願望器とプラチナチケットを手にするか。願いがかなえられず、神楽うさぎが消滅するのか。それとも君達が最後の希望を手にするのか。その三択だ。
ーーーー君達に、世界の命運は託された』

252山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:44:56 ID:U6P2q54E0
【E-3/草原・マイクロバス内/一日目・夜中】

【天宝寺 アニカ】
[状態]:異能理解済、衣服の破損(貫通痕数カ所)、疲労(極大)、精神疲労(大)、悲しみ(大)、虎尾茶子への疑念(大)、強い決意、生命力増加(高魔力体質)、眷属化(小)
[道具]:金田一勝子の遺髪、白兎
[方針]
基本.このZombie panicを解決してみせるわ!
1.与えられたHappy endなんか認めない。運命を切り開いて、私達のTrue endを切り開いて見せるわ。
2.Ms.Rabbitと一緒に真実と運命を変える『カグラウサギ』のTrue Nameを推理しなくちゃ!
3.まずはMs.RabbitからHearingをしましょうか。
[備考]
※虎尾茶子と情報交換し、クマカイや薩摩圭介の情報を得ました。
※虎尾茶子が未来人類発展研究所関係者であると確認しました。
※リンの異能を理解したことにより、彼女の異能による影響を受けなくなりました。
※広場裏の管理事務所が資材管理棟、山折総合診療所が第一実験棟に通じていることを把握しました。
※犬山はすみが全生命力をアニカに注いだことで高魔力体質となりました。
※『神楽うさぎ』の存在を視認しました。
※厄溜まりにて神楽春陽の魂と接触しました。
※白兎が御守りを用いて願望器を使用したことにより時空の狭間に神楽うさぎの肉体と魂が蘇生されました。
※白兎の願いは蘇生先の真名不明のまま叶えられたため、2時間後に無効になり神楽うさぎの肉体と魂は消滅します。誰かが彼女の真名を答えることで願いが受諾され、神楽うさぎは蘇生されます。
※願望器は無理に女王から摘出されたことにより半壊し、白兎の御守りを使って願いを叶えれば消滅します。
※白兎は2時間経過後に消滅します。願望器でも蘇生は不可能です。
※神楽うさぎが魔王の娘であることを認識しました。


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