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オリロワZ part3

152 ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:48:35 ID:yc3oyUGQ0
投下します

153オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:49:47 ID:yc3oyUGQ0
白亜の夢迷宮にて、少女と少年は白い光に導かれるまま薄闇の奥底へと進んでいた。
彼らの背後には悍ましき双角の悪鬼。轟音と共に壁を破壊し、黒い靄をコンクリート片と共に撒き散らしながら、二人を捕食せんと追跡する。
遂に少女らは奥底へと到達し、閉ざされた扉を開く。彼らの眼前には階段。怪物は未だ少女らに狙いを定め、破壊を続けていた。
最早一刻の猶予もない。意を決して少女と少年は奥底の更に底――地の獄へと続く階段を降りて行った。

―――瞬間、開闢の光が広がる。
何が起きたのかと少女は周囲を見渡すと、そこは一面が白に包まれた無機質な空間の中。
怪物との追跡で殿を務めていた剣士の少年の姿はなく、少女jの目の前には白い扉。

「なんだろう、これ」

そっと白い扉に触れてみる。檜のように温かみを残しつつも鋼鉄のように確かな硬さがある不思議な材質の扉。
この先には何があるのか、または何が封じられているのか。何となくだが少女は理解していた。
(きっとこの先にはーーー)
怪物から命からがら逃げ出してきた時とは違う、穏やかな感情のままドアノブへと手を掛ける。

『望、この扉だけは開けてはいけない』

背後から聞こえる女性と思わしき綺麗な声。振り返るといつの間にいたのか、ふわふわな毛並みの一羽の白兎。
その愛らしさとは裏腹に雰囲気は神々しく、少女を見つめる紅い双眸には獣とは思えぬ英知の色を漂わせていた。
少女――犬山うさぎは白兎の事を知っている。

「ウサミちゃん……」
『この先には何もないんだ。君の友達と一緒に外の世界に戻ろう。私が案内する』

白兎は有無を言わせない口調で断言し、ついて来いとばかりにうさぎへと背を向けた。
うさぎには白兎の強い言葉は内に秘める不安や焦燥を覆い隠し、悟られないようにしているとしか思えなかった。
だから、少女は白兎の言葉を無視してドアノブへと手を掛ける。

『ーーー話、聞いてた?ここには何もない、何もないんだよ』

今度は確かな怒りと僅かばかりの困惑の入り混じった声。
その声色で、その態度で少女は確信する。

「ウサミちゃん。嘘、ついてるよね。この先にあるもの、貴女は知ってるんでしょ」
『…………』
「答えて」

白兎に背を向けたまま、普段とはかけ離れた厳しい口調で少女は問い詰めた。
それでも白兎は問いに答えることはなく、口を噤み続け、痛々しい沈黙が白い空間の中で流れる。
埒が明かないとばかりにうさぎはドアノブに手を掛けて扉を開こうとすると、観念したかのように白兎が口を開いた。

154オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:51:10 ID:yc3oyUGQ0
『ここは女王の作り出した即席異空間(ダンジョン)や現実世界など様々な世界が交差する分岐路。
当然、望が地球に再度転生する際に経由した時空の狭間へも繫がっている。
この空間の中にある存在は、私達の魂――いや、脳かな?それが認識できるように変換されて具現化したものなんだ。
だから、こう……扉という分かりやすい形で時空の狭間に接続された経路(パス)が現れたのかもしれない』
「――それだけじゃ、ないんでしょ?」
『……望は異世界(あちら)の記憶と力を時空の狭間で失い、魂そのものを書き換えられてもう一度地球に転生した。
だけど、君が再び狭間(こちら)に来たこととあちらから持ち出した御守りの力で失われた力が蘇りかけている。
扉を潜れば剣と魔法の世界で得た力と接続され、君が絆を紡いだ『干支時計』の皆は本来の姿に近い存在に戻る筈だ。尤も、全盛期とは程遠い、けどね』

うさぎの追及に白兎は苦しげな口調で答えていく。
一通り話し終わり、『でも――』と心から話したくないような躊躇いを出した後、再び言の葉を紡いだ。

『――望は二度も輪廻転生から外れ、因果を捻じ曲げて転生を繰り返した。人間の魂で何度も輪廻転生を繰り返せば、必ずその皺寄せが来る。
その皺寄せを防ぐため、君の魂と結びついた『隠山望』としての君の記憶や力を時空の狭間で削ぎ落とさなきゃいけなかったんだ。
それに私の力ではこれ以上君の因果を捻じ曲げられない。……君の因果を歪曲したのは私。身勝手だって、マッチポンプだって私を恨んでくれても構わない。
それでも君には……この村で身勝手な理由で人柱にされた君には幸せになって欲しかった』
「……………」
『幸か不幸か、あの異空間に閉じ込められたことで君の『干支時計』は進化を果たした。後は少しだけ私達10体が無茶をすれば、今度こそ君を助けられる。
……もう十分でしょう。後は私達に任せて、これ以上君が苦難の道を歩む必要はないんだよ』

苦悩の言葉による説得の後、白兎はうさぎの足元まで歩み寄り、彼女を見上げる。
白兎の言葉も、彼女がうさぎを慮っているのは事実であり、うさぎ自身もそこには何一つ疑いを持っていない。
もうこれ以上私が苦しむ必要はない。後はこの子に全て任せて楽になってしまえ。
白兎の甘言が天使の囁きの如く、少女の心の中に反響する。

(だけど――――)
「それって、スネスネちゃんやトラミちゃんみたいに、ウサミちゃん達が犠牲になってもいいって事なの?」
『……………』

うさぎの問いに白兎――ウサミちゃんは沈痛な面持ちで沈黙した。その答えで、少女の心は定まった。
足元で見上げる白兎に目もくれず、少女は閉ざされた禁忌の扉へと手を掛ける。
その瞬間、白兎は少女の足元へと縋りついて言葉を発する。

『望。この先へは行かないでくれ。この扉の先に行ってしまえば、君は……!
お願いだ!君には幸せな天寿を全うして欲しいんだ!これ以上、私に大切な人を失わせないでくれ……!
私達12体がこの世界に訪れたのは、君に幸せになって欲しいからなんだ!君に使い潰されても良い!君の友も助けると約束する!だから―――』

諭すような説得はいつしか悲痛な懇願へと変化し、それに伴い白兎の小さな前足にも力が入るのを肌で感じ取った。
この先へ進めば「犬山うさぎ」としての何もかもが変わってしまう。その分岐点に立たされていて、不安や恐怖を感じない訳が無い。
白兎に導かれ、彼らを犠牲にして安寧の道を行くか、歪曲された因果の皺寄せを一身に受けて、真実を知る苦難の道を行くか。
答えは既に決まっていた。
うさぎは一度振り返り、足元の小さな友達へと目を向け、精一杯の笑顔を向ける。

「……ごめんね、ウサミちゃん。貴方達も私にとっては大切な友達なの。だから、死なせたくない」

伸ばされた救いの手を振り払い、友の悲痛な声に背を向けて、隠山望(いぬやまうさぎ)は閉ざされた禁忌を開く。
白亜の扉の先、少女の眼前には眩い光が広がる空間。その先に何があるのかなんて想像がつかない。
光の先へと一歩、少女は踏み出す。もう振り返ることはない。

155オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:51:36 ID:yc3oyUGQ0
「ここは……?」
踏み出した光の向こう側。少女の目の前には夜闇に包まれた草木生い茂る自然。つい先程の人工的かつ無機質な漂白空間とは対極にある風景。
靴から伝わる腐葉土の柔らかい感触。鼻孔をくすぐる野花の匂い。素肌に感じるひんやりとした澄んだ空気。
現世(いま)も前世(むかし)も変わらない、優しい世界。
「犬山うさぎ」という一人の漂流者の因果が収束する全ての原点(はじまり)、隠山の里。
この地に足を踏み入れた瞬間から、少しずつ自分の中で何かが戻ってくる感覚がする。
ふと、耳を澄ませばそう遠くない場所から聞こえてくる少年と少女の声が重なる小さな小さな祭囃子。
遥か昔/ほんの少し前、聞いたことがある懐かしい音色。

(きっと、あそこにはーー)
犬山うさぎは知らない/隠山望は知っている、大切な人達がいる。確信し、少女は駆け出す。
静謐な森。その中にある月光に照らされた神秘的な空間。そこに、彼らはいた。
木の枝を手に取り、きらきらと輝く笑顔で演舞を舞う少年とっ少女。演舞の中心で手拍子を打つ、巫女装束を身に纏う白い髪の美しい幼子。
彼らの演舞の中――白い『あの子』が、隠山望としての全てが具現がした姿。彼女を見た瞬間、それをうさぎは理解していた。

「ここに、来てしまったんだね」
背後から聞こえるのは悲しそうに響く幼い少年の声。振り返ると犬山はすみ(おねえちゃん)の面影がある少年――隠山覚の姿。
もう後戻りはできないし、するつもりはない。言葉を交わさずともそんな様子を察したのか、双子の弟は困ったような笑顔を浮かべた。

「昔から、望は姉上に似て頑固者だったよね」
「それは覚も同じでしょ。姉様に似て、とっても頑固者」

顔を突き合わせて笑い合う双子。600年の時を超えた再会。
どれだけ時が流れようとも以心伝心。言葉はこれ以上不要。だから、別れの挨拶はたった一言。

「いってらっしゃい、望」
「いってきます、覚」

その言葉を最後に隠山覚の姿は掻き消え、隠山望は三人の演舞の中に足を進める。そしてーー。



156オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:52:14 ID:yc3oyUGQ0
山折村南西の草原地帯。月が導く異界にて暗黒を纏いし悪鬼、大田原源一郎。地を踏み砕きながら疾走する。
異能『餓鬼(ハンガー・オウガー)』によって理性と引き換えに爆発的な身体能力に加え、更に女王日野珠による魔術と山折に巣食う厄の恩恵を得ている。
対峙するのは一組の男女。淡い光を放つ打刀を構える若き剣豪、八柳哉太と異世界と肩に直立する山ネズミを乗せた過去を行き来した獣愛でる召喚士、犬山うさぎ。
距離は僅か数十メートル。到達までの時間は数十秒。
少年は聖刀を下段に構え、腰を低くして迎え撃つように疾駆する。それを合図に少女は少女は右手を突き出し、祈りの言葉を紡ぐ。

「お願い、来て―――」

召喚士の目の前に現れる魔法陣。それはかつてのうさぎの異能では現れることはなかったもの。
白兎との邂逅。かつての山折の地での記憶遡行。それらを以て、犬山うさぎの体内に眠る『干支時計』は全盛期ほどではないが、力を取り戻した。
それだけに留まらない。VH発生により現在に至るまで保菌者であるうさぎに与えられ多大なストレス。
閉じ込められていた時空が捻じ曲がった閉鎖空間により時針が狂わされた干支時計。
二つの相乗効果が取り戻した力と複雑に絡み合い、干支時計は歪な進化を果たしていた。

遠吠えと共に現れたのは角を生やした白獅子のような逞しい体躯の聖獣――和犬の形でうさぎを守護していた拒魔(こま)犬、ワンタ。
羽音と共に顕現するのは東方神話において猛禽の姿をし、大風(たいふう)の名を冠した厄鳥、タカコ。
本来の干支時計ではワンタは10時の犬、タカコは9時の酉として、それも魔力のない地球上の獣へと変換された姿で召喚されるはずだった獣。
しかし、干支時計は時空の乱れた空間による異変、持ち主である犬山うさぎが時空の狭間にて喪失した力を取り戻したことによる影響をダイレクトに受けた。
そこに莫大なストレスというエッセンスも加わる。故に、うさぎの持つ干支時計は歪な進化を果たした。
保持者の意志により時針を自在に動かせるようになり、主の思い描く本来の姿の動物の召喚、それの複数顕現が可能となった。
だが、その対価は当然求められる。

「―――はァ……はァ……!」

ガクガクと足を震わせ、荒い呼吸を繰り返すうさぎ。額から脂汗が滴り落ち、顔も土色に変色している。
歪で不相応な進化を遂げた「干支時計」が求めた対価は魔力。地球の理(ことわり)から逸脱したエネルギー。
異世界においては酸素と同様に空気中を漂い、その世界に住まう生物も魔力を貯蔵する器官を備えていた。
だが、犬山うさぎの身体には魔力を生成・貯蔵する器官は存在しない。
故に魔力の代用となるのは主の生命力。必要なエネルギーは干支時計を介して魔力へと変換され、それによって生成された魔力にて召喚が行われる。
更に召喚に必要な魔力(コスト)は獣ごとに個体差がある上、現状では消費したうさぎの生命力を補填する手段は見つかっていない。
召喚士「イヌヤマ」が転生と共に持ち出した「干支時計」は消費される主の生命力と魂を守るため、自らの機能に制限(リミッター)をかけていた。
彼女と絆を結んでいた残り10体の召喚獣も同様。友への負担を減らすため、「隠山望」としての記憶と力を枷に嘗ての姿を封じ、魔力を要せず力の弱い現地生物の姿へと身を落としていた。

だが度重なる異常事態(イレギュラー)により前提は崩れ、戒めの楔は外された。
干支時計は発生したバグにより自ら貸したセーフティレベルが大幅に低下。それに伴い、地球では極僅かしか存在しない魔力を求めるようシステムが改変された。
獣達はうさぎが記憶と力を取り戻したことで強制的に安全装置が外され、この世界に各々持ち込んだ魔力を消費する姿へと戻らざるを得なくなった。

だが、召喚獣達はその結果を甘んじて受け入れた訳ではなかった。
自分の魔力が尽きれば再び干支時計に封じられるか、力無き現地生物へと身を落とすかの二択。最愛の友を守護るため、彼らは元の姿で顕現していたい。
故に彼らの選択は折半案――本来の力をスケールダウンさせて消費魔力を抑え、一体でも多く、、少しでも長く、彼女と共にいられるように画策した。

うさぎも「召喚士イヌヤマ」の経験から召喚獣達の意向、異常が発生した干支時計に気付き、対戦鬼においての最適解を導き出した。
呼び出す友は犬(ワンタ)、酉(タカコ)、そしてーー。

157オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:52:40 ID:yc3oyUGQ0
「■■■■■■■■■■■■■■■■ーーーーー!!!」

天地を揺るがす雄叫びと共に巌の如き凶戦士が急接近する。
その身に纏うのは悍ましき暗黒。影法師の少女『隠山祈』の片割れが使役していた凝縮された山折村の厄そのもの。
立ち向かうのは剣士と番犬。一人と一匹は迫りくる怪物を打倒すべく左右に分かれて並走する。
激突する数秒前。その僅かな隙間に巨人の纏う厄が蠢く。
瞬間、蠢動する暗黒は八つ首の触手へと分裂して襲い掛かる。その有様はまさに八岐大蛇。

「バウッ!」
「ああ、分かってる!」

一瞬のアイコンタクト。走る速度はそのまま、襲い来る黒蛇へ向かう。
迫る暗黒。穢れの槍が勇士達を貫く刹那ーー。

「キルルルルゥオオーーーーー!!」

怪鳥の如き咆哮と共に暴風が吹き荒れる。
暴風を巻き起こしたのは災害の異名を持つ猛禽、妖怪『大風』の酉、タカコ。
魔力を帯びた風は八つ首の蛇を胡散させ、巨人に纏わりついていた厄の鎧を一時的に吹き飛ばす。
巨人は未だ健在。哉太達に迫るのは地を砕く鉄槌の如し巨大な拳。直撃どころか掠めでもすれば血肉を撒き散らし、大地の栄養分と化すであろう。
だが、吹き荒れる烈風は哉太達の追い風となり、その風に乗った魔力は一人と一匹の肉体を強化させる。

突撃(ドッグ・チャージ)が大田原の左足を穿つ。
八柳流『這い狼』が大田原の右足を切り裂く。
振り下ろされた鉄杭が地を穿ち、小規模のクレーターを作り出す。
哉太達は暴風に背を押され、横殴りの風圧を風で生成された魔力の膜で耐え、怪物の横を駆け抜ける。
剣士達により受けた傷は瞬く間に再生するも、彼らの猛撃は赤鬼の巨体を揺るがすのには十分な威力だった。
だが、赤鬼は数多の敵対者を葬り去った歴戦の猛者。狂気に陥り、技を忘れようとも本能と直結した体捌きは健在。
すぐさま体勢を立て直し、駆け抜けた勇士達を尻目に次の獲物ーー召喚士たる少女へ目を向ける。
だが忘れることなかれ。この地に降り立った召喚士も歴戦の猛者。力を失おうとも魔王アルシェルの軍勢と死闘を繰り広げた経験は生きている。
大田原が動き出すその刹那、干支時計がうさぎの生命力を吸い、再び魔法陣が顕現。呼び出す獣はーー。

「ーー三猿様!」

三つ子の猿が魔法陣より現れる。同時に彼ら3匹の身体が3つの光球に変化。それらが合わさり、一つの光球へ。
光が消え、3匹の猿がいた場所には額に黄金の輪ーー緊箍児を巻き、魔術で作り出した長棍を手に持つ成人男性サイズの逞しい1匹の猿。
かの異世界から地球へ転移した際、三つ子の魔猿は魔術を封じ、ただの野猿として干支時計の中で眠りについていた。
だが、枷が外され、友を守護るために禁じていた魂と肉体の結合を実行。
三猿合体、斉天大聖。異世界における魔術と棍術のエキスパートたる獣(モンスター)である。
戦鬼が突撃する。激突する寸前、斉天大聖は召喚士を抱え、跳躍。
三メートルの赤鬼を飛び超え、安全地帯――哉太とワンタのすぐ後ろに着地し、うさぎを降ろす。

「ありがとう、三猿様」

感謝の言葉に振り返らずサムズアップで応える。そのすぐ後、飛翔していた怪鳥タカコが召喚士の隣へと舞い降りる。
獲物を仕留め損ねた人食いの巨人は地の底から轟くような唸りと共に振り返り、狂気と食欲に満ちた血走った眼を向ける。
召喚士イヌヤマを守護るよう前に立つのは犬、猿、酉。そして聖刀を構えた若武者。
少年は赤鬼を見据えて告げる。

「ーー鬼退治、開始だ!」



158オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:53:05 ID:yc3oyUGQ0
「……ふむ。再び此処へ堕ちることになろうとはな」

一筋の光明すら射さぬ深淵。地の獄の如き暗黒の底より凛とした美しい声が響き渡る。
声の主は神楽春姫。全てを識り、全てを凌駕し、全てを統べる山折の女王その人である。
春姫は己が威光にて聖剣ランファルトの後継たる魔聖剣の調伏を試みた。しかし、新生した剣は屈することなく、春姫を拒絶。
尚も女王は先代たる聖剣と同じように従属させるべく己の強固な我にて屈服させようとするが、突如御守が閃光を放ち、闇へと意識が誘われたのである。
春姫がここに堕ちたのは二度目。一度目は女王に謀反を企てた逆賊――物部天国の呪詛により命を落とし、闇へと落とされた。
しかし、運命に導かれるように聖剣が顕現し、春姫は己が神威で調伏。運命を覆し、黄泉返りを果たしたのだ。

「妾が征く道こそ正道。なれば此度も聖剣が妾に傅くのは宿命(さだめ)なり」

春姫の視線の先には深淵の果て。そこに身の程を弁えず裁定者たる女王の天命に背いた、無知なる剣の気配を感じ取る。
女王の使命は山折村(せかい)の救済。人類救済を掲げる聖剣の後釜なれば裁定者に従属するのが道理というもの。

「ーーーハッ!」
一喝と共に春姫の身体が威光(ひかり)を放ち、闇の果てーー魔聖剣へと至る路を露にする。
王道は拓かれた。女王の行く手を遮る痴れ者は存在しない。

「いざ参らん」
何一つ疑うことなく、春姫は光に照らされた彼方へと歩みを進める。
女王が天の頂に立つのは必然。故に運命も神の御子たる春姫への従属は決定づけられていたのだろう。
悠然と光の中を歩き続け、春姫の視界の先には彼女という絶対を拒絶した生まれたての魔聖剣。
愚剣と女王まで残り僅か。数歩歩みを進めれば手が届く距離である。
身知らずの剣を従属させるべく女王は足を進めようとするもーー。

159オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:53:40 ID:yc3oyUGQ0
『そこまでだ』
「む……?」

突如、女王の行く手を阻むかのように剣の前に現れたのはふわふわの体毛を持つ一羽の白兎。
凛とした声とは対極に位置する、打ちひしがれた力ない女の声が、春姫の脳内に響き渡る。
感情の読み取れない獣の赤眼を女王の夜空の如き美しい瞳が冷たく見下ろす。

「何処の不躾者かと思えば、礼を知らぬ獣であったか。退け、今は汝の相手をする時間が惜しい」
『断る。彼女は「あの子」の種違いの妹。片方は私の主を手籠めにした悪霊、もう片方は私の主を殺しておいてその記憶すら忘却した鉄屑だ。
だけど生まれはどうあれ、二人は祝福された我が主の娘子。君のような不埒者にその身を任せるわけにはいかない』

尊大な女王の言い分に対し、不遜な態度で返す白き獣。売り言葉に買い言葉。一触即発の空気が流れる。
だが、両者の語調は鏡写しのように正反対。強気な姿勢の春姫に対し、白兎から滲みだす雰囲気は敗者のように弱々しい。
裁定者の道を阻む最後の障壁(プロテクト)にしては何とも頼りない。威嚇とも呼べる弱々しい言葉を無視し、か弱き獣の横を通り抜けようとする。

『ーーー通さないってニュアンスが伝わらなかったのかい?』
しかしそれは叶わず。縫い付けられたかのように地に足が固定され、ピクリとも動かすことはできない。
抑え込まれるような原因不明な力の出処は眼前の獣か。女王の王道を妨げる獣に冷たい視線を投げかける。

「もう一度言う。退け、下郎。妾は大義を為さねばならぬ。貴様の下らぬ些事に妾が付き従う道理はない」
『下らない些事とは主の忘れ形見を未だ想い続ける私の感情かい?その大義ためなら些事とやらを顧みることなく踏み躙っても構わないと?』
「然り。山折村(せかい)は全てに優先する。貴様の個人的な感傷も妾は知らぬ。妾が剣に適合するのではない。剣が妾に適合せねばならぬ』
『…………そうかい』

裁定者の言葉に獣は何かを考え込むかのように俯いた。
それと同時に春姫の足を地面に縛り付けていた謎の力が僅かだが緩む。
所詮は身の程を知らぬ獣。不敬にも女王を抑えようにもそう長くは続かないらしい。
白兎の問答には価値を見出せない。しかし彼女に威光を知らしめてなければ、魔聖剣の担い手にはなれぬ。
しばらく沈黙が流れ、石のように動かない白兎に対して春姫が力を解くよう命じる寸前、『まだ話は終わっていない』と疲れ切った女の声が聞こえた。

160オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:54:21 ID:yc3oyUGQ0
「……これ以上の問答は無意味であると言外に伝えたつもりであったが、畜生如きには理解できなかったか?」
『……そうだね。私程度の存在には到底理解が及ばない話だったよ。無駄な時間を使わせてしまったね。
それで、君が入れ込んでいる山折村だけど、禁忌の地と呼ばれる所以は当然知っているよね。何せ隠山祈の記憶を読み取ったんだから』
「無論。嘗ての山折村――隠山の里がただの小娘に業を背負わせ、悪神へと貶めたのは事実よ。原罪に幾重もの欺瞞を被せ、封じてきたのも事実。
しかして、原点はどうあれ今の山折村には罪があるまい。神楽春陽を始祖とした我が一族が不浄を許さず、この地を治めてきたのだ」
『…………だったら隠山祈と同じように人柱(ぎせい)となり、その存在すら隠匿された者達にも同じことが言えるのかい?』

一度しおらしくなったかと思えば、感情の読み取れない平坦な口調へと変わり、白兎は問いかける。
しかし、続く問いは山折村が忘却してきた罪に対するもの。春姫自身もその問いには僅かに顔を顰める。
神が降り立った不浄なき山折村。それが覆され、創生(はじまり)は穢れと共にあったことを知り、流石の春姫も衝撃を受けた。
しかし、自らの中で既に答えは出している。

「言う他はあるまい。現在(いま)に至るまでの歴史は彼らの犠牲と共にある。だが、流れた血は決して無意味なものではない。
隠山の地の明日を築く礎となっているのだ。その犠牲は尊ぶべきものであり、その否定こそ死者への冒涜ぞ」
『………冒涜、ね。君の一族の始祖ーー神楽春陽が娘の死肉を死した人々に与えて蘇生させたことも尊ぶべきことなのかな?』
「……ふむ、それは初耳だ。その問いへの答えは是。民の安寧を願った春陽の行動は過ちであり、その罪は我が一族に引き継がれていることは認めよう。
だが、それを愚行という一言で切り捨ててはならぬ。その犠牲の果てに安寧の地が生まれ、今までに繁栄に繫がったのだ」
『……つまり、君は神楽春陽と同じ立場に立たされた時、山折村を存続させるために同じことができる。そう言う事だね』
「当然であろう。我が大義は――山折村の存続は全てに優先する」
『ーーーああ、そう』

気の抜けたような返答と同時に女王を縛っていた謎の力が消える。
神楽春姫の強固たる意志の前に白兎は屈し、王道への道を譲り渡す。結果は既に決まっていた。
この問答は無意味だったかと問われればそれは否。更なる真実を知り、己の意志を強固にする通過儀礼。
魔聖剣の担い手となり、神楽春姫は山折村を新生させる使命を果たす。

「そなたとの問答、有意義であったぞ」
『ああ、私にとっても君を理解できる良い機会になったよ。これでーーー』

物言わぬ白兎に山折の女王は言葉をかける。白兎も同様に春姫へと穏やかな声で語り掛ける。
言葉を交わした後、春姫は地に突き刺さっている剣の柄に手を掛け、そしてーーー。

『ーーーー憂いも呵責もなく君達と縁を切れる良い理由もできた』
「なッーーーーー!?」

161オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:54:50 ID:yc3oyUGQ0
瞬間、足どころか指一本すら動かせない、先程とは比べ物にならない力が働き、春姫の身体を完全に硬直させた。
身体に纏わりつく謎の力は徐々に強まっていき、春姫の思考にすらも及び始めた。

『君が神の御子を自称し、無知陋劣な平均的「神楽」で本当に良かったよ。殊勝な態度で来られていたら後味が悪い』
「貴さ、ま………!!」

白兎の安堵の声に春姫は驚愕と怒りの混じった声で返す。
剣の柄を握ったまま硬直した春姫の横を通り、白兎は剣のすぐ後ろで春姫を見上げる。

『隠山祈を鎮めたのは間違いなく君の功績だ。もしも全て良い方向に事が運んでいたのなら君に力を貸し続けるのも吝かではなかったよ。
でもね、そうはならなかった。スポンサーの意を汲むことはなく、それどころか蔑ろにした。この結果は必然だ。潔く運命を受け入れたまえ』

口も硬直し、最早言葉を紡ぐことすらできぬ春姫に対し、感情の失せた冷めきった声を放つ。
今の春姫のできることは王道を妨げた傲慢な獣へと怒りの視線をぶつけることのみ。

『私「達」は少しでも望の生きる可能性を選びたい。だから君のように己の願望を優先することにした。
尤も君に与えたギフトを回収しても焼け石に水かもしれないけれど、ないよりはマシだろう。
それに「あの子」が目をかけた子供達の事も心配だ。君から回収した力は望と彼らの未来への礎とさせてもらうよ。君の尊いご先祖様のようにね』
「同……列に、語る……な……!」

女王を明らかに見下す畜生への憤怒からか、抑えつけていた『ナニカ』を振り払い、、途切れ途切れながらも口だけは動かせるようになった。
だが、反抗はそこまで。いつの間にか剣の柄から手が離れ、春姫の足から徐々に暗黒の世界から消えていく。
消えながらも、女王は己を拒絶した白き獣の目を見据える。

「な……んだ……その目……は……!」
只の獣とは思えぬ英知を帯びた赤い瞳。神楽春姫を見るその目は彼女が19年の人生の中で向けられたことのない、徹底的な嫌悪と侮蔑。
意識が闇から現世に引き戻される直前、怖気のするような冷え切った声が女王の頭に響いた。

『失せろ、小娘』
『貴様ら白痴の一族にも薄汚い忌み地にもほとほと愛想が尽きた』

162オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:55:23 ID:yc3oyUGQ0
『………………』
「春姫、さっきから黙りこくってるけどどうしたの?夢の中でウサミになんか言われたから拗ねてるの?」
『……大事ない。あの畜生の言の葉なぞ取るに足らぬものよ』
「そう……それならいいんだけど」

幅広の中国刀を携え、夜闇を疾走する乙女の身体を間借りする隠山いのりは宿主である神楽春姫へと問いかける。
意識が目覚めてからというもの、春姫の様子がおかしい。具体的には唯我独尊を地で行く彼女の雰囲気が不安定になり、どことなく危ういものへと変わってしまっている。

(だけど、それを言うのも何だかなぁ……)
いのりと春姫の関係は僅か二、三時間程度のもの。親類でもない自分が彼女の内面に踏み込んでいい物か躊躇われてしまう。
下手につつくと折角良好になりかけている彼女との関係を拗らせてしまうかもしれない。
すぐ隣で疾走する魔聖剣を携えた少年ーー山折圭介が心配そうな顔でいのりの憂い顔を覗き込む。

「いのりさん、春の奴がどうかしたんスか?」
「ううん、何でもない。そんなことより消えていた気配がまた二手に分かれて現れたみたい。多分どちらかに「天原くん」がいると思う」
「だったら俺らも二手に分かれましょう。天原って奴を保護したら合流するってことで」
「了解!」



「……はぁ、はぁ……!」
山折総合診療所より北の草原。夜闇の中、流星のように金色の髪をたなびかせながら少女が走る。
少女の名は天宝寺アニカ。夢幻の牢獄へと閉じ込められ、山折の厄そのものである女王「日野珠」に命を狙われつつも辛くも逃げおおせた正常感染者である。
しかし、アニカは完全に魔の手から逃れられた訳ではない。

――女王に隷属せよ。
――女王に命を捧げよ。
(くぅ……さっきからずっと、頭の中で何度も……!)

女王との邂逅から今に至るまで。頭に直接叩き込まれる指令(コマンド)が探偵少女の精神を蝕み続ける。
発信され続ける女王の下命を拒絶できる所以はアニカ自身の譲れぬ矜持か、それとも女王曰くはすみの強化により身体に宿った高魔力体質故か。
どちらにせよ早急に仲間と合流し、女王の正体や自分へ起きた異変を知らせねばならない。
不安を露わにした少女を励ますように彼女の懐にある御守りが暖かな光を放つ。

「Thanks、Ms.Rabbit」
御守りに宿る力ーー女王からアニカを逃し、異空間からの脱出を助けてくれた心優しき白兎に感謝を述べる。
アニカの視線の先ーー御守りが指し示す方向から感じるのはVH発生から自分と共にいてくれた少年の気配。
彼の元へと急ごう。そしてーー。

163オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:55:53 ID:yc3oyUGQ0
「改めまして今晩は。月が綺麗だね、天宝寺アニカ」
「ーーーーッ!!!」

何の前触れもなく、幼き天才少女の前に混沌たる秩序ーー「日野珠」の姿をした女王ウイルスが降り立った。
咄嗟に反応して身を翻そうとするも、小学生程度の運動能力では魔の力により強化された超常的存在を振り切ることは叶わない、
瞬く間に前へと回り込み、後ずさるアニカの首へと手を掛ける。

「あっ……!」
「さあ、ランデブーと洒落込もうじゃないか」

高魔力体質により無力化されるのはアニカを害する魔王由来の力のみ。
絞殺しかけた時に新たに確認した謎の閃光も高魔力体質に由来するものだと仮定するならば、その線引きさえ間違えなければ問題ない。
手首から下の筋肉に強化を施し、アニカの首を掴む握力は随時魔術によって筋肉疲労を回復させ続ける。
だが、それだけでは先程の謎の閃光による焼き回しになりかねない。
使用するのは浮遊魔術。少女を締めあげながら、天高く登っていく。

「あ……あ……!」
「ご覧。ビル10階分ーー30mにも及ぶ絶景だ。ワインも高級料理もないが、この景色だけでも十分お釣りがくるだろう」

少女二人の身体を生温い初夏の夜風が撫でる。
両者の反応は正反対。絞首による窒息と死の恐怖にアニカは身を震わせ、珠は撫でる風に心地よさを感じうっとりと目を細めた。
この高さであれば、手を離せば落下。受け継がれた高魔力体質の者と思われる閃光により運命視の目が封じられたとしても死からは逃れられない。

(安心して、アニカ。もうすぐ救援が来る。それまで時間を稼いでくれ)
従属の令の狭間で聞こえるメゾソプラノの声。紛れもなくアニカをあの異空間(ダンジョン)から脱出させてくれた白兎のものである。
絶体絶命の現状ではその言葉を信じる他はなく、締めあげられながらも不敵な顔を浮かべる。

「おや、どうしたのだね?この状況を打破する策でも思いついたのかい?それとも犯人には屈しないという君の矜持かね?」
「No… reason、to respond……!全能の女王を名乗るのなら……推理してみなさい……!」
「ふむ……そう来たか。テレパシー的な心理を読む異能もないし、魔王の力によるリーディングも恐らく君の体質によって弾かれると思われる。
宿主の記憶からすると、君は数々トリックを暴いてきたそうじゃないか。時間稼ぎの可能性の方が高いが少しばかり付き合ってあげよう」
「ぐ……ぁ……!」

アニカの首を締めあげつつ、顎に手を当て考え込む仕草をする女王。
可能性が高いと言っていた時間稼ぎ。女王の目測に探偵は冷や汗を流す。
不敵な仮面に隠された焦燥を悟られぬよう、わざとらしく悩まし気な顔を向ける女王に無理やり挑発的な笑顔で睨み返す。

164オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:56:35 ID:yc3oyUGQ0
「Take your time.……Think ……slowly……ぐぅ……!」
「ああ、ゆっくりとそうさせてもらうつもりさ。それにーーー」

ぐにゃり。愁いを帯びた表情から一転。天真爛漫とは程遠い悪意に満ちた笑顔へと変わる。
その変容に数多の凶悪犯、数多の悪意を見てきた探偵少女の顔が強張る。

(ーーーまさかッ……!!!!)
アニカの脳裏に響き渡る驚愕の声。同時に御守りに込められていた白兎の気配が消える。
その事実に蒼褪めるアニカの前に、女王は言葉を紡ぐ。

「ーーー運命が動き出す」



勇猛精進。狂瀾怒濤。闇が踊り、暴風が吹き荒び、地が砕かれ、銀の一閃が煌めく。
幾度となく激戦が繰り広げられてきた山折の大地に再び戦の嵐が巻き起こる。

大蛇の如き厄の鞭が躍動し、空を裂き大地を抉りながらターゲットを追尾する。
襲い来る触手を剣士ーー八柳哉太は聖刀の切り落としーー八柳流『蠅払い』にて悉くを打ち祓う。
しかし安心するのも束の間、追撃とばかりに赤鬼ーー大田原源一郎の縮地により一気に距離を詰められる。
流星の速度で振り下ろされる鉄槌。その威力はクレーターを作り、まともに食らえば原型を留めない程すり潰されるだろう。
だが振り下ろした先の獲物ーー聖刀の担い手は凡才では非ず。

「ーーーーハッ!」
墜天する隕石を刀身にて受け、波打つ柳のように受け流す。八柳流「空蝉」。
同時に返し震脚と同時の踏み込みの斬り返し「天雷」にて大樹のような上腕の肉を切り裂く。
骨ごと叩き折る重斬撃を受けた傷は異能の力にて瞬く間に塞がる。
傷が完全に塞がる寸前、拒魔犬、ワンタの牙の一閃が広がる傷口へと突き刺さり、回復を阻害する。
だが剣士と同じく赤鬼も只人では非ず、変異前は武術の達人であった。
脇を駆け抜ける二者。その刹那、地に沈めた片足を軸にもう片方の足を旋回させる。
独楽のような回転蹴り。風圧すらもだけ気に匹敵する一撃。

「キルルルルゥオオオオオーーーー!」
哉太とワンタに送られる暴風。大風タカコによる魔力を帯びた疾風は二者の肉体強度を底上げし、横殴りの風を耐えさせる。
同時に追い風となり、紙一重で恐るべき脚撃から紙一重での回避を成功させた。
僅かに巨人が体勢を崩す。踏みとどまる僅かな隙間を縫って現れたのは長棍を構えた斉天大聖、三猿。
彼の魔術で強化された長棍が片足を強かに疾走と同時に強かに打ち付け、巨躯に蹈鞴を踏ませ、明確な隙を作る。

「…………」
お供を連れた剣士と赤鬼の戦場から少し離れた場所で戦況を見極める召喚士、犬山うさぎ。
戦士達は庇護対象でもあり軍師でもある彼女を巻き込むまいと危険がギリギリ及ばない場所で待機させていた。
魔王軍と戦ってきた経験からかうさぎも戦士達の意図を理解し、最善手を打つタイミングを計っていた。

戦闘は拮抗。されど綱渡り。赤鬼から一撃でも受ければ戦闘者達は瞬く間に肉塊へと化すであろう。
生命力の消費は大きいが、まだ干支時計による召喚は可能。
目を閉じ、時計をイメージする。静止した時針を動かし、道理を捻じ曲げる。
追加召喚する眷獣を選択。同時に干支時計を作動させる。



165オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:57:01 ID:yc3oyUGQ0
――起動確認(セット)
――目標・捕捉(ターゲット・ロック)
――黒槍・装填(バレル・リロード)
――発射(ファイヤ)

因果が、収束する。



166オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:57:30 ID:yc3oyUGQ0
「ーーーえ?」

衝撃と共に少女の胸から一凛の彼岸花が咲く。
獣の奏者が見下ろした視線の先には紅い涙を滴らせる魔力を帯びた漆黒の槍。打ち込まれた戒めの杭は直後に黒霧へと変化し、雲散する。
裏返された因果は正しく覆され、元の形へと戻る。逆巻に捩れた懐中時計の螺子は修正され、正しい時を刻み始める。
きぃきぃ。頽れる最中、聞こえてきたのは肩に乗っていた小さき友――夢幻の迷宮に手召喚され、少女に寄り添い続けた山ネズミの悲痛な鳴き声。



狩猟の本質は獲物(ターゲット)の命をいかに効率的に、確実に奪い取ることにある。
何も弓矢で射抜いたり、鉄砲で撃ち落としたりするだけじゃない。それぞれのケースで最適解を選択するのが大事なんだ。
「下手な鉄砲も数撃てば当たる」なんて格言があるけど、それではあまりにも非効率的で確実性がない。
だから、私は罠を張ることにしたんだ。
君達を不思議な国(ワンダーランド)に招待する前、運命(イベント)が確実に怒る場所にね。
隠匿・黒槍生成・自動起動・照準固定・狙撃の魔術(コード)を組み合わせて、運命点(キルポイント)への配置。
特に起動トリガーの条件の設定――生命力の一定値までの減衰確認のプログラミングには梃子摺ったよ。
これを片手間で行える魔王や彼の娘のセンスは流石としか言いようがない。
……ん?何故私が魔王の事を知っているのかって?いや、君の顔を見れば想像がつくよ。
まあ、今更隠す必要もないし、この際だから教えてあげようか。特別サービスだ。感謝したまえよ、天宝寺アニカ。



167オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:58:07 ID:yc3oyUGQ0
いのちがうしなわれていく。
すごくさむい。からだがおもい。めのまえがくらくなっていく。
うけつがれてきたおもい。たくされたねがい。わたしのいのり。
すべてがいしきとともにだんだんとうすれていく。
おとうさん。おかあさん。みそらちゃん。ケージ。さとる。あねさま。おねえちゃん。
みんなのおもいをうらぎって。なにものこせなくて。いきてかえれなくて。わるいこで、ほんとうにごめんなさい。

『望……望……!あ、あああ………!そんな……嘘……嫌だ……!』
みみもとできこえてくるかなしそうなこえ。だれのこえなんだろう。かおをむけてみる。
ふわふわでぽかぽかなちいさなからだ。むかしからずっとみまもってくれたわたしのさいしょのともだち、ウサミちゃんがいた。
ぽつぽつとてにしずくがおちるかんかくがする。ウサミちゃんが、ないている。ルビーいろのきれいなひとみから、ながれていく。
なかないで。
なんとかうごくゆびでなみだをぬぐってあげても、ずっとながれてくる。

『ごめんなさい……ごめんなさい……。私はまた何も……。何もかも手遅れになって……!』
ううん、。それはちがうよ、ウサミちゃん。わたしはあなたたちがいたから。あなたたちがずっとそばにいてくれたから、いままでがんばれたんだよ。
スネスネちゃんも、トラミちゃんも、ひなたさんも、けいこちゃんも、あねさまも、おねえちゃんも。だれもたすけられなかったけど。
それでもわたしは「いぬやまのぞみ」としてのおもいをとりもどしたせんたくをこうかいしていないよ。
ちゅうこくをむししてごめんなさい。それと、まもってくれてありがとう。
わたしはもうおしまいだけど、あなたたちのいのちはまだつづいていく。だからーーー。

「おねがい……みんな……どうかーーー」
ふわり。ことばがおわるまえ、つめたかったからだがぽかぽかとあたたかくなってくる。やわらかいひかりがわたしをつつんでいく。
まどろみとともにいままでのたのしかったきおくがめぐる。
ありがとう、みんな。わたしのじんせい、とてもしあわせだったよ。



168オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:58:58 ID:yc3oyUGQ0
「う、おおおおおおおおおッ!!!」

少年の悲痛な叫びが夜闇に木霊する。
命を賭して守護るべき存在であった少女。厄災で命を落とした彼女の姉に託された希望。
恵子や勝子のように手の届かぬ場所で殺された訳ではない。
選択を誤らなければ未然に防げた不意打ち。哉太が盾になれば落とさずに済んだ大切な命。
犬山うさぎの死は共に戦っていた彼女の眷獣達にもあまりにも強すぎる影響を与えた。
その衝撃により綱渡りの縄が断たれ、戦況は一気に傾く。

愛する主の命が潰えた瞬間、数秒前まで剣士と共に果敢に赤鬼に立ち向かっていたワンタは石像のように動きを止める。
魔力の風を送り続けていたタカコは一瞬だけ動きを止めた後、空を切り裂くような嘶きと共に電光石火の速度で西へと飛び去って行く。
魔術と棍術による遊撃を担当していた三猿はうさぎが倒れ伏した一目散にうさぎが倒れ伏した場所へと向かっていく。
崩壊する連携。その明確な隙を赤鬼が見逃すはずがない。

「■■■■■■■ーーーーー!!!」
人の言葉ですらない咆哮。その直後、彼に纏わりつく霧状の厄が膨れ上がり、一気に爆発する。
撒き散らされる暗黒。咄嗟に哉太はバックステップで有効範囲を離脱して直撃は免れたものの、爆風の風圧は凄まじく、いとも容易く彼の身体を吹き飛ばした。
狛犬ワンタは避けることすらせず、厄を一身に受ける。暗黒により分解されていく身体。崩壊する自我。全てが消し飛ぶ直前、彼の瞳から流れる一筋の涙。
最愛の友の願いも空しく、大切な存在を守り抜く使命も果たせず、主無き天の番犬は冥府へと旅立った。

赤鬼の最優先は減衰を続ける理性を取り戻すための食事。たった今、女王より賜った下賜より食皿に備えらえた贄は2つ。
たった一人、僅か数十メートル先に飛ばされた剣道少年か。その反対側にいる女王の手によって屠殺され、猿と兎一匹ずつ傍らに従えた召喚士の肉袋か。
一早く己の技を取り戻し、女王の元へと衰残するために選んだ完全食は、手早く捕食可能な少年の方だった。

「くっ……!!」
供を失った剣士へと黒い闇をまき散らしながら突撃する赤鬼。大型トラックの質量を持ちながらスポーツカーもかくやの速度で肉薄する。
タカコの魔風による援護、ワンタによる攻撃の阻害(インターラプト)、三猿による遊撃。
それらが失われた今、例えVH発生後から数多くの強敵達と戦い、経験を身に宿してきた少年といえど、技と適応力だけでは赤鬼の餌食となるだけであろう。
ーーーー救援がなければ、の話だが。

「ーーーらああああああああああああああッ!!!」
裂帛の叫びと共に一条の光が漆黒を切り裂いて奔り、流星の行く先は接近する巨星。
輝星の担い手たる少年は、哉太の前へと立ち、魔力の光を迸らせた剣を構え、襲い来る鬼(オーク)へと切っ先を向ける。

「爆ぜろッ!魔聖剣ッ!!」
瞬間、切っ先に収束した光が炸裂し、周囲一帯を真昼のように照らし出す。
同時に質量を持つエネルギーへと変換された魔力が迫る赤鬼を纏う闇ごと後方へと吹き飛ばした。
哉太の目が見開かれる。眼前にいる彼は縁を互いに断ち切ったかつての友。
VHで再会を果たしてから協力し、喧嘩をし、殺し合った男。
闇纏う厄神に連れ去らわれた彼は、哉太へと振り返る。

「よう、助けに来たぜ。八柳哉太」
「山折、圭介……!」

光が収束し、哉太の懐に小さな御守りが現れる。
それは、淡い光を放っていた。



169オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:59:39 ID:yc3oyUGQ0
「ーーーーと、まあ要約するとこんな話だ。結局のところ、君達はあの亡霊から逃げずにいれば全てが丸く収まる筈だったのさ。
結果論にはあるが、君達の判断のお陰で私は九死に一生を得た。これも運命の導きと言う奴かな」
「く……うぅぅ………!」

上空30メートル。初夏とは思えない冷たい風が吹く中、首を掴まれたアニカは呻ぎ声を漏らす。
歯を食いしばり、青い瞳に涙を滲ませる異分子に対し、女王は悪意に満ちた笑みを向けた。
女王の一方的な会話の中、彼女の『狩猟』により遠方にいる仲間、犬山うさぎが命を落としたを知らされた。
殺傷を未然に防げず、親しくしてくれた優しい友達の命が失われた。その事実が刃となり、アニカの未成熟な心を抉った。

ーーーギュオオオオオオオオオオオッ!!!!
「ーーーッ!!」「おやおや」

耳を劈くような咆哮が轟き、浮遊する少女二人へと巨大な影が風を纏いながら突撃してくる。
その影の正体は巨大な怪鳥。月明りに照らされた細面の貌は、本当に獣であるのか疑わしく思えるほど激情に塗れていた。
ターゲットは紛れもなく女王「日野珠」。感情を殺意一点に絞り、主の友であるアニカ諸共撃墜すべく特攻(バードストライク)を仕掛ける。
到達まで僅か。光陰の如し突撃は女王を鎮めるかに思われたが。

「ーーー知ってるかい?太陽へと飛び立ったイカロスは偽りの羽を焼かれ、天から堕ちたのだよ」
女王の頭上に出現する巨大な黒炎球。到達する数メートル前で怪鳥に放たれた。
災厄の名を冠する大風タカコ。黒い太陽を継いだ厄の化身に一矢報いる事は叶わず、無謀の代償をその身で支払う事となった。
墜落する最中、彼女が思い出したのは故郷ーー異世界の空。背中に乗せた友、召喚士イヌヤマの無邪気な笑い声。
貴女の眷獣でいられたこと、それが私にとって一番の幸せでした。
今際に抱いた思いは夜風に吹かれ、肉体と共に灰に変わっていく。

「……何がしたかったのだろうね、彼女」
「許……さない……!絶対に……許さ……ない!!」
「やれやれ、困ったものだ」

愛らしい顔を怒りに歪ませるアニカの視線を受け、女王は肩を竦める。
現状、アニカが打てる手はない。それでも「日野珠」に擬態した殺人者には心だけでも負けるわけにはいかない。
幼気な少女の決死の抵抗に、女王は嗤う。

「そういえば、君が考案した現状を打破する策はどんなものか、推理してみろって言ってたよね?」
「Try to……answer……!」
「それなんだがね、どうにも私程度の頭脳では答えに至らなかったよ。おめでとう、天宝寺アニカ。女王(わたし)を出し抜いた君の勝ちだ。
ーーーだから、何の捻りもない手段で応えさせてもらうよ」
「ーーーーあっ」

170オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 20:00:09 ID:yc3oyUGQ0
屈せず最期まで抗った探偵へ僅かばかりの賛美の言葉を贈り、女王は命綱と化していたアニカを掴んでいた手を離した。
明晰な頭脳が回転を止め、動きを止める。地上30mからの落下の中、脳裏に過ぎるのは最初に解決へと導いた事件。被害者の死因は落下死。
ああ、被害者になった女の子はこんな風に命を落としたんだ。
そんな間抜けな感想を抱いて、地面へと叩きつけられる瞬間ーー。

「間、に、合ええええええええええええええッ!!!」
女性が発したとは思えない怒号と共に身体を抱きかかえられる感覚を覚える。
目を丸くし、自分を助けたと思われる人物を見上げる。
神の彫刻と見間違えんばかりの美貌に張り付いた快活な笑顔。風にたなびく美しい黒髪。
パートナーの話していた人物像とは違うが、アニカは目の前の女性を知っている。

「アナタは……カグラハルヒメ……?」
「え……ええ、そうよ。私が神楽春姫。山折村の始祖の地を引く巫女、神楽春姫!」
「誰かと思えば、山折村を穢し続けた一族の末裔ーーいや、その取り巻きになった亡霊か。
丁度いい。私の進歩のために踏み台になって貰うよ」

神楽春姫らしき人物が手慣れた様子でアニカを下し、天高く登る女王を見上げる。
下ろされた直後、視線を下げるとポケットに仕舞っていたいた御守りが再び仄かな光を放っていた。

【D-2/草原/一日目・夜中】

【八柳 哉太】
[状態]:異能理解済、疲労(特大)、精神疲労(大)、喪失感(大)
[道具]:脇差(異能による強化&怪異/異形特攻・中)、打刀(異能による強化&怪異/異形特攻・中)、双眼鏡、飲料水、リュックサック、マグライト、八柳哉太のスマートフォン、白兎の御守り
[方針]
基本.生存者を助けつつ、事態解決に動く
1.うさぎちゃん……。
2.アニカを守る。絶対に死なせない。
3.圭介と共に目の前の鬼を討伐する。
4.村の災厄『隠山祈』を何とかしてあげたい。
5.いざとなったら、自分が茶子姉を止める。
6.ゾンビ化した住民はできる限り殺したくない。
[備考]
※虎尾茶子と情報交換し、クマカイや薩摩圭介の情報を得ました。
※虎尾茶子が未来人類発展研究所関係者であると確認しました。
※リンの異能及びその対処法を把握しました。
※広場裏の管理事務所が資材管理棟、山折総合診療所の地下が第一実験棟に通じていることを把握しました。
※『神楽うさぎ』の存在を視認しました。

【山折 圭介】
[状態]:疲労(大)、眷属化進行(極小)、深い悲しみ(大)、全身に傷、強い決意
[道具]:魔聖剣■、日野光のロケットペンダント、上月みかげの御守り
[方針]基本.厄災を終息させる。
0.うさぎがいると思わしき場所へと向かう。
1.女王ウイルスを倒し、日野珠を救い出す。
2.願望器を奪還したい。どう使うかについては保留。
3.『魔王の娘』の願い(山折村の消滅、隠山いのりと神楽春陽の解放)も無為にしたくない。落としどころを見つけたい。
4.春……?
[備考]
※もう一方の『隠山祈』の正体が魔王アルシェルと女神との間に生まれた娘であることを理解しました。以下、『魔王の娘』と表記されます。
※魔聖剣の真名は『魔王の娘』と同じです。
※宝聖剣ランファルトの意志は消滅しましたが、その力は魔聖剣に引き継がれました。
※山折圭介の『HE-028』は脳に定着し、『HE-028-B』に変化しました。

【大田原 源一郎】
[状態]:ウイルス感染・異能『餓鬼(ハンガー・オウガー)』、眷属化、脳にダメージ(特大)、食人衝動(中)、理性喪失
[道具]:防護服(内側から破損)、サバイバルナイフ
[方針]
基本.女王に仇なす者を処理する
1.女王に従う
[備考]
女王感染者『日野珠』により強化を施されました。

171オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 20:00:39 ID:yc3oyUGQ0
【E-2/草原/一日目・夜中】

【天宝寺 アニカ】
[状態]:異能理解済、衣服の破損(貫通痕数カ所)、疲労(大)、精神疲労(大)、悲しみ(大)、虎尾茶子への疑念(大)、強い決意、生命力増加(高魔力体質)、眷属化進行(極小)
[道具]:殺虫スプレー、斜め掛けショルダーバッグ、ビニールロープ、金田一勝子の遺髪、ジッポライター、研究所IDパス(L2)、コンパス、飲料水、医療道具、マグライト、サンドイッチ、天宝寺アニカのスマートフォン、羊紙皮写本、犬山家の家系図、白兎の御守り
[方針]
基本.このZombie panicを解決してみせるわ!
1.早く皆と合流して、「Queen Infected」の事を知らせなくちゃ!
2.私を助けてくれたMs.Rabbitの事、ウサギに聞いてみましょう。
3.あの女(Ms.チャコ)の情報、癇に障るけどbeneficialなのは確かね。
4.やることが山積みだけど……やらなきゃ!
5.リンとMs.チャコには引き続き警戒よ。特にMs.チャコにはね。
[備考]
※虎尾茶子と情報交換し、クマカイや薩摩圭介の情報を得ました。
※虎尾茶子が未来人類発展研究所関係者であると確認しました。
※リンの異能を理解したことにより、彼女の異能による影響を受けなくなりました。
※広場裏の管理事務所が資材管理棟、山折総合診療所が第一実験棟に通じていることを把握しました。
※犬山はすみが全生命力をアニカに注いだことで、彼女の身体は高魔力体質に変化し、異能『魔王』に対する強力な耐性を取得しました。
※『神楽うさぎ』の存在を視認しました。
※日野珠が女王感染者であることを知りました。
※白兎の存在を確認しました。

【神楽 春姫】
[状態]:疲労(極大)、眷属化進行(極小)、額に傷(止血済)、全身に筋肉痛(極大)、魂に隠山祈を封印、精神不安定(無自覚)、白兎への怒りと屈辱(大)、???喪失、隠山祈人格
[道具]:柳葉刀、血塗れの巫女服、研究所IDパス(L1)、[HE-028]の保管された試験管、山折村の歴史書、研究所IDパス(L3)
[方針]
基本.妾は女王……?
1.女王ウイルスを止め、この事態を収束させる
2.日野珠は助け出したいが、それが不可能の場合、自分の手で殺害する
3.襲ってくる者があらば返り討つ。
[備考]
※自身が女王感染者ではないと知りましたが、本人はあまり気にしていません
※研究所の目的を把握しました。
※[HE-028]の役割を把握しました。
※『Z計画』の内容を把握しました。
※『地球再生化計画』の内容を把握しました。
※隠山祈を自分の魂に封印しました。心中で会話が出来ます。
※隠山祈は新山南トンネルに眠る神楽春陽を解放したいと思っています。
※隠山祈と自我の入れ替えが可能になりました。
 隠山祈が主導権を得ている状態では、異能『肉体変化』『ワニワニパニック』『身体強化』『弱肉強食』『剣聖』が使用可能になりますが、
 周囲の厄を引き寄せる副作用があり、限界を超えると暴走状態になります。
※白兎の干渉により???が失われました。

【日野 珠】
[状態]:疲労(小)、女王感染者、異能「女王」発現(第二段階途中)、異能『魔王』発現、右目変化(黄金瞳)、頭部左側に傷、女王ウイルスによる自我掌握
[道具]:研究所IDパス(L3)、錠剤型睡眠薬
[方針]
基本.「Z」に至ることで魂を得、全ての人類の魂を支配する
1.Z計画を完遂させ、全人類をウイルス感染者とし、眷属化する
2.運命線から外れた者を全て殺害もしくは眷属化することでハッピーエンドを確定させる
[備考]
※上月みかげの異能の影響は解除されました
※研究所の秘密の入り口の場所を思い出しました。
※『Z計画』の内容を把握しました。
※『地球再生化計画』の内容を把握しました。
※女王感染者であることが判明しました。
※異能「女王」が発現しました。最終段階になると「魂」を得て、魂を支配・融合する異能を得ます。
※日野光のループした記憶を持っています
※魔王および『魔王の娘』の記憶と知識を持っています。
※魔王の魂は完全消滅し、願望機の機能を含む残された力は『魔王の娘』の呪詛により異能『魔王』へと変化し、その特性を引き継ぎました。
※魔術の力は異能『魔王』に紐づけされました。願望機の権能は時間と共に本来の機能を取り戻します。
※戦士(ジャガーマン)を生み出す技能は消滅し、死者の魂を一時的に蘇らせる力に変化しました。
※異能「???」に目覚めつつあります。



172オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 20:01:13 ID:yc3oyUGQ0
戦場の喧騒から離れた自然の中、仄かな月明かりが季節外れの白百合が咲き誇る小さな花園を包み込む。
白百合のベッドの中心には一人の少女ーー犬山うさぎが身体を横たえていた。組まれた彼女の手には季節外れの一輪の赤いアネモネ。
身体には傷一つなく、安らかな顔で眠りについていた。だが、もう二度と眠り姫は目覚めることはない。

『望…………。こんな、粗末なベッドしか用意できなくてごめんね……』
眠るうさぎを取り囲むのは三匹の獣。長棍を背負った猿、二足歩行の山ネズミ。そして、ふわふわの毛並みの白兎。
全員がうさぎの異能『干支時計』に応えて、彼女を守るべく山折村に召喚された眷獣である。
致命傷となった心臓の傷は猿こと斉天大聖が魔術にて失った血液ごと治療を施し、生前と変わらない綺麗な姿に戻した。
召喚士が眠る花園と供えられたアネモネは白兎と山ネズミが魔術で生み出されたもの。
白百合の庭園の下には魔法陣が敷かれ、こちらは隠匿を始めとした魔術式が組み合わされており、その精度はかの魔王が生み出した術式にも匹敵する。
せめて、これ以上彼女が穢されないために。女王にも、山折村にも、特殊部隊にも、研究所の薄汚い連中にも手を出させないために。
たった3匹の見送り。噛みしめるのは己の無力。願うのは大切な家族と友達のため、世界を超えて精一杯生きてきた隠山望の安寧。
黙祷の後、3匹の眷獣は眠る愛しき主に背を向けて歩き出す。主を失った今、自分達を縛るものはない。なくなって、しまった。

戦場とうさぎが眠る中間地点で、3匹の獣は足を止める。
先頭を歩いていた白兎ーーウサミは振り返り、沈痛な表情を浮かべる三猿とヤマネに濡れそぼった紅い瞳を向ける。
直後、ウサミの前に魔法陣が展開され、彼女の足元にチェーンのついた懐中時計ーー召喚士イヌヤマの異世界における召喚術『干支時計』の具現が現れた。
己の魔術でうさぎの身体から干支時計を転送した白兎は器用に頭を動かし、付属のチェーンを自らの首にかける。

『…………私達の主は眠りについた。主亡き今、彼女の願いを聞き入れて逃亡するのは自由だ。そう望むのであれば干支時計から解放する。
だけどもし望の魂を、望を大切に思ってくれた人達を、穢れた隠山の地や妄執に取り憑かれた王の贄として献上されるのを拒むのであれば、私についてきてくれ』

白兎の問いに二匹の獣は頷きを返し、彼女へと一歩歩み寄る。同じく干支時計の文字盤に書かれた数字が弱光を放つ。
既に殺されたスネスネとトラミ、ワンタ、タカコ以外の眷獣が同意したとみて、ウサミは話を進める。

『分かった。これから私達は望の遺志に背き、自分達を使い潰してでも目的を果たすことになる。望と同じ場所に行けないと覚悟を決めるんだ。
ーーーー私達に、王はいらない』

【犬山 うさぎ 死亡】
※犬山 うさぎの遺体はD-2にて死亡した直後の状態で保存されています。基本的に発見されることはありません。
※犬山 うさぎの異能『干支時計』は白兎が懐中時計として顕現させました。また、犬山 うさぎの異能の進化を受けて魔力による封印された眷獣の本来に近い姿での自由召喚が可能になりました。
※D-2には白兎、三猿、山ネズミが顕現しています。

173 ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 20:02:22 ID:yc3oyUGQ0
投下終了です。

174 ◆H3bky6/SCY:2024/05/17(金) 20:07:47 ID:HukkTLho0
投下乙です

>オニガシマ・ダークサイド

異世界転移に異世界転生とかなり数奇な運命を辿ったうさぎちゃんもついに脱落か
ここからはもう誰が落ちてもおかしくない状況ですねぇ

制限が解かれたうさぎちゃんは完全に召喚士の貫禄
異世界の召喚獣たちの力は魔王もお墨付きだけあって相当なモノだねこりゃ
むしろ、いきなり召喚された召喚獣たちとちゃんと連携が取れる哉太は何なの?
そんな召喚獣たちと渡り合う大田原さんもさすがに強い、これで理性がないから弱体化してるってマジ?

白兎くん、あっちこっちとめっちゃ暗躍している
うさぎファーストの白兎と山折村ファーストの春姫、割と似た者同士では?
めずらしく春姫がやり込められていたけど、愛している村があんまりにもなクソ村なので議論では春姫側の分が悪いのはそれはそう

異能でイベントが起きる場所を見て、魔法でトラップを張るという、女王と魔王の力と言う極悪すぎる組み合わせ
イベントが起きる所に罠を張ったと言うけれど、罠を張ったからイベントが起きたのか、卵が先か鶏が先か、なんにせよマッチポンプすぎる
今の所手が付けられない度合いはすごいがどう攻略するのだろうか

アニカはめっちゃ女王に目を付けられて近づきまくっているから眷属化が一番進んでいるっぽい
うさぎは死んでも眷獣たちは残るのね、主亡き後獣たちが何を成すのだろうか?

175 ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:37:10 ID:REl9BPQA0
投下します

176彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:37:38 ID:REl9BPQA0
診療所のすぐ傍を、女児のような小さな影がよたよたと走り抜ける。
顔色は土気だち、息遣いは荒く、一目見て重傷だと分かるだろう。
そんな彼女は最先端設備の整った診療所へ治療を求めてやってきたのではない。
むしろ逆――『未来人類発展研究所』と決別し、その尖兵から逃げ延びてきたのだ。

「ハァ……! ハァ……! ぐぅッ!」

銃弾によって体内を掻きまわされ、刃物によって背はざくりと斬り裂かれ、多くの血が流れ出た。
肉体の無理を押してウイルスの研究をおこない、巣くう者としての呪いを浴びせかけられた。
熱を帯びた鈍い痛みに苛まれ、少しでも気を抜けば意識は朦朧となりそうだ。
幻聴すら聞こえてくる。

――先生、助けて……!
ここにいないはずの珠が懇願する。
渇いた目をした特殊部隊の男に命を狩り取られ、研究所の実験室でサンプルとして腑分けをされる光景を幻視する。

――珠ちゃんのこと、どうかお願いしますっ!
――私は力になれませんでした。けれど、先生ならきっと……!
死んだはずの茜とみかげが耳元で囁く。
生き延びたスヴィアに珠を託す言葉が聞こえる気がする。

あるいは幻聴ではなく、異能が死者の声すら聴こえるように進化したのだろうか。
もう分からない。そんなことを調べる余力はない。
ただ、一つだけ言えることは。
(まだ朽ちてなるものか……!)

そんな身体で一体何ができる、今は休め。
あなたが倒れれば、みんなもきっと悲しむ。
何も事情を知らない者が彼女を目にすれば、そのような言葉を投げかけてくるだろう。

――ふざけるな。


一度でも足を止めてしまえば、もうきっと、再び歩み始めることはできない。
目の前の地獄(げんじつ)に屈し、一度心が折れてしまえば、もう未来には届かない。

177彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:38:12 ID:REl9BPQA0
自らのハッピーエンドを見つけ出してみせると啖呵を切った彼女だが、その実、取れる選択肢はもう多くはない。
タイムリミットまで残り30時間を切った。
そんな厳しい状況下で、最後の特殊部隊の追跡を振り切りながら成果を掴まねばならない。

想像を絶する険しい道のりだ。
HE-028ウイルスの真理に達した、開発の第一人者が女王の治療は不可能だと断言したのだ。
それはすなわち、研究所で取り扱われたすべての成果が、珠の治癒に繋がらないという死刑宣告に等しい。
スヴィア以上に優秀な先達の歩んだ道のりは、すべてがバッドエンドに繋がる道のりだ。

直接女王を治療せずに収束させる方法として提言されていた隔離策にしても、研究所内部でのレポートを見るに望み薄だろう。
理論上どれほど離れていても女王との通信が可能だという、量子力学に見られるような奇妙な性質がウイルスに観測されている。
30時間で量子もつれを解き明かすことができれば、ノーベル物理学賞の受賞は内定したに等しい。
それほど難解な原理だ。

仮に錬や烏宿暁彦と出会ったところで、一切の解決策は浮かび上がってこないだろう。
彼らが長谷川たちを出し抜いて研究を進めていたとは思えない。
つまるところ、道なき道を探し出し、歩まなければならないのだ。


それでも。
「希望は……まだ……ある……!」

ただの強がりではない。
梁木らの結論は絶望的な宣言であるが、考え方を変えれば、正攻法は切って捨ててしまっていいということでもある。
無数の可能性をばっさり切り捨てたことで、埋もれていた新たな道も見えてくる。
すなわち、スヴィアが希望を見出したのは、彼らの領域外の要素。異能のさらなる進化だ。


ウイルスを否定する異能では治癒は不可能だという。
だが、その異能がさらに進化すれば、一体何が起こるのか?
さらにさらに進化すれば、どこに行き着くのか?
それは蓋を開けてみないと分からない。

その希望は、砂漠で揺らめく蜃気楼のようなもの。
実在すら定かではない。掴んだ瞬間に霧散してしまうかもしれない。
あるいは、地獄に垂らされた一本の糸。
縋りつくにはあまりに脆弱で、今この瞬間にぷつりと切れてしまうかもしれない。進み切ったその先は天獄かもしれない。
けれど、断崖絶壁のような悪路であろうとも、目的地が地平の彼方であろうとも、道が断たれたわけではないのだ。

創は無事。与田の異能を取り込んだ隠山祈は春姫の中に封じられたが、いまだ健在。
ならば諦めるには早すぎる。

もはや科学者としての王道はすべて切り捨てた。
科学者としてのスヴィアが決して進み得なかった道に全生命を賭けるしかない。
これが研究所と決別したスヴィアの取れる唯一の道である。

生徒を守るためなら、この瀕死の肉体を捧げたっていい。
隠山祈に身体を明け渡してかまわない。
だから運命よ、もう一度機会を与えておくれ。


『てめえ、付くならもっとマシな嘘をつきやがれ!!』
『チャコおねえちゃん、どうしたの?!』
『虎尾さん、やめて!』

風に乗って届いたのは、虎尾 茶子の怒声と、それを諫める声。
極限のストレスなのか、スヴィアの五感はいつになく鋭敏だ。
幻聴ではない。
暗がりの向こうから響いてくる声を確かに捉えた。

平時であればかかわりを避け、踵を返すような剣吞な雰囲気の集団。
けれどもスヴィアにとっての唯一の前に進む道だ。
光に縋る蝶のように、声のもとへ、ふらふら、ふらふら、ふらふらと近寄っていく。

178彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:38:36 ID:REl9BPQA0


診療所の正面を東西に横切る道は、かつては湖のほとりの遊歩道であった。
村人たちは渡鳥のさえずりに耳を馳せ、虫たちの囁きを楽しみ、豊かな生態系、その営みを享受し心を休めていた。
近年もまた、診療所に詰めかけては世間話をおこない、世情に塗れて汚れたこころを癒した老人たちが、
湖上を吹き抜ける爽やかな風を受けながら帰路につくのが定番となっている。
そんな老人の憩いの小路を行くのは、四人のうら若き男女。
しかし一行の雰囲気は、和気あいあいとは程遠く。

四人の間には重い沈黙の帳が降り、ときおりかわされる言葉は、創による極めて事務的な説明と報告のみだ。
彼方を睨みつける茶子は、苛立ちを隠す様子はない。
そんな茶子への不信感が所作に滲み出る雪菜と、それを牽制してぶー垂れるリン。
せめて間違いが起こらないようにと、雪菜とリンの間に入る創の表情は苦悩に満ちている。

(なんで、そんな取り澄ました顔ができるの?
 悪かったとも思わないわけ?)
雪菜の心の奥底からふつふつと湧き出してくる苛立ち。
不満はずっと燻っていたが、発露したタイミングは明確だ。
すさまじい剣幕で創につかみかかった、先の茶子の感情の発露。
よもや流血沙汰に至りかけた先ほどの衝突は、雪菜の敵愾心を大いに刺激した。
創に謝罪の一言もなく、従うのが当然だと言わんばかりに偉そうに指示を出し、一切悪びれることはない。

自分が信用されていないのはまだいい。
村人でもなく、魔王や呪いと戦う力もないお荷物だ。
興味を持たれていないことなど分かり切っている。
茶子にとって雪菜とはただの便利な道具。移動可能なマスターキーだ。
マスターキーの機嫌を伺う所有者など存在しないだろう。

だが、創とは歪ながらも信頼関係を築き上げたのではなかったのか。
対等な関係として認め合ったのではなかったのか。
世界の裏も表も、人の表も裏も、何もかも見透かした態度を取り続けておいて、人の感情の機微に疎いはずがないだろう。
もし彼女が人の感情を理解できないサイコパスなら、魔王を徹底的に貶める作戦などうまく行くはずがない。
知識も経験もただの女子生徒でしかない雪菜と比べて、茶子は隔絶した領域にある。
なのに敢えて他者の心を慮らない選択をとり続ける理由があるというのか。
言葉の選択一つで、固く結ばれた友との絆が朽ち果ててしまうことすらあるのに。
それとも、最初から創すらも取るに足らないものだと見做していたとでもいうのか。
彼もまた、簡単に替えが効くものだと考えているのか。

(ダメ。気持ちを落ち着けて……!)
安易な感情の吐露も、浅薄な考えの元に吐かれた言葉も、取り返しのつかない亀裂を生む。
それは雪菜にとっての人生の自戒だ。
それで親友を、恩師を、大切な人たちをみすみす失いかけたのだ。
漏れ出す悪感情を抑えつける。
極力考えが表に出ないように努める。
自分が悪感情を飲み込めば丸く収まる。
母の機嫌を伺い過ごした幼少期のように、こころを抑え付ければこの場は収まる。

なのに。
「セツナおねえちゃんでしょ。さっきからなんかぶつぶついってくるの。
 しゃきっとしなきゃダメだよ!」

179彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:38:54 ID:REl9BPQA0
この一行で最もか弱い乙女は、雪菜が覆い隠そうとしている悪感情を掘り出しては、正義の御旗を掲げて弾圧を施行する。
独裁者の子飼いの親衛隊のように、敵性勢力をめざとく見つけ出しては、「指導」をおこなう。
「……ごめんなさい、まわりに配慮できてなかった。血を流しすぎたのかもしれません」
「チャコおねえちゃんにメーワクかけちゃメッ! だよ!」
「リンちゃん、悪いね。ホントにリンちゃんはしっかり者だな」
「そんなことないよ! チャコおねえちゃんがタイヘンなときなんだから、リンがしゃんとしないと、だもんね!」

それとも、学級委員長でも気取っているのか。
リーダーにむくれて反発する不良少女には、その異能はさぞ使い出があるだろう。

『守らなきゃ。大切な人を。
 ほかでもない、あなた自身が』
ぼんやりとそんなニュアンスの感情が湧き上がり響いてくる。
大切な人とは誰だ? 虎尾 茶子を守れとでも言いたいのか?

いつから響いてくるのかは分からない。リンの異能なのかも確証はない。
ただ、脳に強烈な感情を叩きつけるその異能と、脳に直接感情を焼き付けられている今の状況は酷似している気がする。
思考の合間に割り込んでくるノイズが、思考をさらに散漫とさせる。

「哀野さん、本当に大丈夫ですか?
 記憶が残っていない以上、僕らがあの白い空間をどれだけ彷徨っていたのかは分からない。
 自覚以上に疲労が蓄積している可能性もあります」
「そんなの、こっちだって同じことだ甘えんな」
「あまえんな!」
「うさぎや哉くんがクソ疫病神にどんな目に遭わされてるのか分かんないってときに、そこの一人のために足を止める選択はないわ」
「ちゃんとチャコおねえちゃんのいうこときかないと、わるいこになっちゃうよ!」
「大丈夫です、本当に大丈夫ですから」

場を丸く収めようとすれば、リンが事を大きくし、茶子はリンを甘やかし、リンは鼻を膨らませる。
刺々しい本音をオブラートに包めば、自己管理のなさをあげつらわれる。
これまで不和が表面化しなかったのは、魔王にイヌヤマイノリというあまりに大きな脅威に覆い隠されていたから。
そして、議論のたびにリンが眠っていたからにすぎない。

言葉だけを切り取れば茶子が正論を吐いているようにも思えるが、そもそもの発端は誰だと思っているのだろうか。
サバサバしているように取り繕いながら、その実はいつ噴火するか分からないマグマ溜まり。
哉太にだけは全幅の信頼をおいていることは分かるが、
それも含めて意中の男に媚び、依存を繰り返し、気まぐれに慈愛と虐待を繰り返していた母を見る様で気味が悪い。
自己管理すらできないのはどっちだ。
爪を噛みちぎりたくなるような衝動を抑え、本心を押し殺す。
けれどリンは雪菜を信用していないのか、茶子におだてられて調子に乗っているのか、それとも感情が漏れ出しているのか。
未だその異能で心に囁きかけてくる。


(大丈夫、本当に大丈夫)
生物災害を解決すれば、二度とこの不愉快な姉妹と関わり合う機会はない。
ただ、茶子やリンのほうを向けば、初対面の時のように彼女らを睨みつけているように思われそうで。
目を逸らしたのはまったくの偶然だった。

「スヴィア先生!?」
命を賭してでも救い出すと心に決めた人が、ぼろぼろの身体を引きずりながら近づいてくるのが見えた。



180彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:39:17 ID:REl9BPQA0
白い廊下から脱して以降、リンから見ても茶子の様子はおかしかった。
どこかうわのそら、かと思えば突然遠くを睨みつけたりする様子には、思わずびくりとしてしまう。
かと思えば、心配ないよとでもアピールするかのごとく、取り澄まして凛とした顔つきを作り出す。

(きっとカナタおにいちゃんのせいだ。
 チャコおねえちゃんにだまって、いなくなるからこうなっちゃうんだ)
リンと男性との関りは、愛とは程遠い。
爛れに爛れた性的な関係がすべてであった。
あるいは閻魔ならばまた別の関係性を作れたのかもしれないが、そうなる前に彼は姿を消した。

愛や恋の機微なんてリンには分からない。
けれど、茶子が哉太にただならぬ感情を抱いているのは分かる。
なのに哉太もまた、閻魔と同じように姿を消した。
アニカもいつの間にか、黙っていなくなった。

結局ほかに残っているのは創と雪菜のみ。
創は茶子の子分一号としてそれなりの節度で接しているが、雪菜はあまり好きじゃない。
パパの家で世話係をおこなっていた使用人の女のように、嫌悪と同情、そして哀れみの視線を向けてくるから。

(なんでメーワクかけてばっかりのカナタおにいちゃんのことばかりしんぱいするんだろう。
 ムチャばかりするから、ほうっておけないのかな。
 ヨシヨシしたくなるのかな?
 リンもカナタおにいちゃんみたいに、もっともっとムチャすればチャコおねえちゃんもリンのことを心配してくれるのかな?
 リンのことをもっと、もーっとアイしてくれるようになるのかな?)

最初は哉太なんていなくなっちゃえばいいのに、と思った。
けれど、そんなことになったら、きっとますます茶子は哉太を追い求めるだろう。
世の中は理不尽だ。若干9歳にしてリンはその真理を覗き見た。

(リンがわるいこだったら、チャコおねえちゃんはもっとリンをしんぱいしてくれるのかな?
 みんなにいたずらして、こまらせるようなわるいこになったら……みんなどうするだろう)

むすりと口を結んでいる茶子の横顔。
気まずそうに顔を逸らす創。
創を慮る雪菜。
ふと、リンの視線を感じたのだろうか。雪菜の視線がリンの視線とかち合う。

――う  そ  つ  き。

181彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:39:36 ID:REl9BPQA0
あの日の血走ったお姉さんの目が、リンの記憶の棚から引き出された。
ウソつきの悪い子に憎悪と怨みを焼き付けた、あの赤い瞳がフラッシュバックした。

――リンちゃんも悪い子だったんじゃないですか。
――じゃあ、ボクとおそろいだね。
――虎尾さんなんかじゃなくて、ボクと一緒に行きましょ?
――さあ、おいで。

宇野がリンを誘う声が聞こえるような気がした。
お腹を割くためのカマとたくさんの石を持って、手招きしているような気がした。

(リンはわるいこにはならないよ。
 かってにいなくなっちゃダメだよね、しょうじきじゃないとダメだよね、ウソはついちゃダメだよね)

悪い子は許されない。
ウソつきオオカミはお仕置きされちゃう。

大好きだったパパはウソつきの悪い大人になったから、閻魔にお仕置きされた。
閻魔はこっそり冒険に出かけてしまったから、きっと見てはいけないものを見て引きずり込まれてしまった。
アニカと哉太もリンを置いてこっそり冒険に出かけてしまった。
今もリンを愛してくれるのは茶子だけ。リンが愛するのは茶子だけだ。

(だけど、チャコおねえちゃんもなんだかこわい。
 やさしいチャコおねえちゃんでいてほしいから、リンがもっともっといいこにならなきゃ。
 いのりちゃんだよね? そういうコトだよね?)

どこからともなく語りかけてくる声なき声に呼応するように、リンは決意を改め直した。
その時刻は奇しくも、犬山うさぎが力尽きたその時刻。
御守りに宿る神通力がざあーっとブレた瞬間のことであった。
(あといのりちゃん、ひとつだけまちがってるよ。
 チャコおねえちゃんはたいせつなひとだけど、
 じょおうじゃなくて、かっこいいおうじさまなんだから!)



182彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:40:02 ID:REl9BPQA0
最先端設備をふんだんに取り入れた診療所は、大災害に備えた非常電源装置も完備しているが、
優先度の低い屋外の光源にまでは電気はまわしていない。
闇広がる草地を照らすのは月明かりだけ。

距離は遠く、顔のパーツまで判別することは難しい。
血に濡れた服は着替えさせられたのか、服装だって最後に出会った時とは違っている。
村の雑貨屋に売っていそうな一昔前のおくれたセンスの服は、スヴィアの印象とはまるで紐づかない。

それでも、ポケットの中に入れている二本と同じ銀色の髪。
月明かりを受けて煌めくそれを見間違えることはない。
彼女こそが、雪菜の探し人だ。
待ち詫びた再会の瞬間だ。

「雪菜さん?」
創の呼びかけを後ろに、雪菜は走り出す。

「どこ行くつもりだ!」
刃物のように鋭く冷たい茶子の警告音も雪菜の足を止めるには至らない。

茶子の殺気すら伴ったそれを全身で受け、雪菜を引き留めるため駆け出そうとしていた創はつんのめるように足を止める。
けれど雪菜に殺気を感じとるセンスはない。そんな特殊な才能はない。訓練も受けてはいない。
素人ゆえに茶子の警告は届かない。

この瞬間を、誰にも邪魔されたくない。
そんな想いは、無情にもさらなる感情で遮られる。


「……リンちゃんを守らなきゃ」
頭を掻き回される感覚に、雪菜の足が止まる。
大人よりもまず小さな女の子を守るべき。
先生は大人だから大丈夫、それよりも庇護すべき幼い女の子を……。

「そんなわけないじゃない……!」
リンが雪菜をその場に釘付けにする。
けれども、リンの異能を受けながら、雪菜は自意識を確かに保ち、リンをキッと睨みつけた。
クロスブリード。その隠れた恩恵だ。
叶和の精神と自前の精神、二人分の精神を受け継いだ雪菜が、リン一人分程度の意志に呑み込まれるはずがない。

「ひっ……!」
雪菜の視線にたじろいだリンはさらに異能による干渉を強める。
加減を知らない子供の本気の干渉だ。
雪菜の身体は動かず、けれども雪菜を調伏することはできず、リンの干渉だけが強まる千日手。

「リンさん、いくらなんでもやりすぎです!」
「セツナおねえちゃんは、どうしてリンをあいしてくれないの!?」
会話が噛み合わない。
精神干渉だけでも、相手に銃口を向けるような危険な行為だ。
まして、自我に干渉するレベルでの異能の行使は敵対行為に片足を突っ込む行為である。
創は、右手で雪菜の額に触れ、リンの干渉を払う。
だが、不信感までは払えない。

待ちに待った再会、それも見るからに重症な恩師の救出の邪魔立て。
普通の人間なら自我すら消滅するほどの強力な衝撃を受けては、年下の童女相手といえども心穏やかではいられない。
それでも、その身に積もった不満は吐き出せない。
彼女には絶対の守護者がいるのだから。
リンは茶子の後ろに身を隠す。

183彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:40:36 ID:REl9BPQA0

「よしよしリンちゃん、怖かったね。
 ……あのさ、リンちゃんはリスク度外視で突っ込もうとするアンタらを止めてあげてたわけ。
 創、お前も諜報員の端くれなら、リスクくらいいくらでも思いつくだろ。
 手前らのミスでリンちゃんを責めるのはお門違いだ。
 それとも、うちの担任が悪い人なはずありません〜とかほざくワケ?」
「何が言いたいんです?」
「とらわれのスヴィアせんせーが一人で動いてる。
 それ自体が不自然だって言ってるのが分かんないかな」
「隙を見て逃げ出してきたのかもしれないじゃない!」
「隙を見て? 大怪我した素人のチビ女が? 特殊部隊相手に?
 はっ、頭ん中に花でも咲き乱れてるわけ? そのオダマキの花畑、総とっかえするのを薦めるわ。
 人間様を食い殺して、皮かぶって為り代わる野生のクソガキがいるんだ、そいつが擬態してるほうがまだ可能性はあるだろ」
「先生を勝手に殺さないでッ!!!」
「二人とも落ち着いてくださいッ!」

リンは明確に敵意を持った目で睨んできた雪菜に戸惑い、
リンの異能の危険度具合を実感していないがゆえに茶子は皮肉気に正論を吐き、
その危険性を身をもって実感した雪菜がその言い方に反発する。
このまま傷害沙汰にすら発展してしまいそうな三人に対し、創も声を荒げる。

ここに至って余計な諍いは誰の本意でもない。
向いている方向はそう違わないはずなのに、どうしてこうも軋轢が生じてしまうのか。
これが自分たちを白い回廊に閉じ込めた祟り神の狙いなのだろうか。

「哀野さん。虎尾さんの指摘は尤もです。
 確かにスヴィア先生の状況は不自然だ」
「あなたもッ……!?」
創に梯子を外されたことに、雪菜は若干動揺する。
だが、創のどこか苦みのある表情に、先の句は紡げなかった。

「彼女を連れ去った特殊部隊は、人質をみすみす逃がすような間の抜けた仕事をする人間でしょうか?」
雪菜にとっても思い出したくもない苦い記憶だが、創の言葉に感情を抑えて冷静に思い返す。
ゾンビの群れを嗾けて創たちを篭城させ、店の裏口というあからさまな出口へと誘導。引っかかるならばそれでよし。
目論みをひっくり返すために敢えて正面突破を選んだ相手に対しては、伏兵を配して戦力を分断。
離脱した相手に対しては手駒による時間稼ぎをおこない、雪菜の異能すら把握し対策を講じ。
捨て身でぶつかって退けたものの、スヴィアを連れ去った後も一切の油断はなく、痕跡はすべて偽装、スヴィアが残せた手がかりは髪の毛二本という徹底した隠蔽ぶりだった。
結局、あれから彼女の一切の痕跡を得ることができず、情報戦という一点では完全敗北を喫したと考えるしかないだろう。

「僕は今朝、特殊部隊の張った罠に嵌り、みすみす先生を攫われてしまいました。
 十分に警戒しておきながら、敵はその何手も先を行く相手です。
 同じ失敗を繰り返すわけにはいかない」

184彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:40:51 ID:REl9BPQA0

「それでも……!」
スヴィアを疑いたくない。
敵の罠であったとして、スヴィアがそれに加担しているだなんて考えたくない。
雪菜がその切なる思いを口に出す前に、創は人差し指を口に当てて先の言葉を制し。

「僕と雪菜さん、二人でスヴィア先生と接触します。
 万一は起こさせません。どうか僕を信じてください」
努めて冷静に説明している創の表情に、一瞬だけ陰りと不安が見えたのを雪菜は見逃さなかった。
目の前でスヴィアを攫われ、臍を嚙んだのは雪菜も同じ。
こちらの気持ちも知らず、手前の状態を棚に上げて上から責め立ててくる相手には反発もしたくなるが、
同じ傷跡を持った仲間の共感なら、収める鉾もある。


「虎尾さん。
 スヴィア先生の容態次第では、こちらは自由に動けなくなるかもしれません。
 念のため、お貸ししておきます」

創から茶子へ手渡されたのは、ハヤブサⅢの位置を示す発信機だ。
この先スヴィアが足手まといになるとしたら、自分たちに構わず行けという意思表示でもある。
発信機に示された光点は、今の場所から少し北。
まるで何かを確認するようにときおり立ち止まりながら、東方向へと向かっていた。

「まあいいさ。お前は甘いヤツだが、実力は信頼してる。ヘマはするなよ」
「誓って」
「それから、ほらっ」
「なんですか? これは」
茶子から創に投げ渡されたのは、スマートフォン。
何の変哲もない、とはとても言えない妙なアプリがホーム画面を埋め尽くしているが。
道中、袴田伴次から無断で借用した機体である。

「議事録。録音アプリの使い方くらい分かるだろ?」
「……ああ、分かりました」

実力は信頼するが、けれども身内による尋問だ。
モノとして残せ、ということだ。



185彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:41:37 ID:REl9BPQA0

『朝方ぶりだね……。
 話したいことは山ほどあるが……、急を要する話から伝えよう。
 ボクは今、特殊部隊に追われている』
『特殊部隊……!』
『それは、貴女を攫った例の?』
『ああ、乃木平と名乗る男だ』
『ならば、立ち話は危険です。今すぐ身を隠すべきだ』

果たして、スヴィアと創たちの接触は何事もなくおこなわれた。
創がうまく合流位置を調整し、診療所の棟と棟の間へと誘導したのだ。
診療所内からの狙撃も、商店街や山からの狙撃もほぼ遮断可能な位置取り。
狙撃が可能な数カ所のスポットと、放物線を描いて飛んでくる爆発物の投擲にさえ警戒すれば問題ないだろう。

『キミたちと、生きて再会できるとは思ってもいなかった……。
 どう言葉をかけるべきなのか……。
 ともかく、苦労をかけてしまったようだね……』
『そんなことないっ! 私たちの力が足りなかっただけ……!
 それより、もうあの時みたいなことは絶対にしないで!』
『ご安心を。あのようなことは二度と起こさせません』
『はは、頼もしい、ね……』

ああ、煩い。
スヴィアと雪菜たちの会話に耳を立てつつ、茶子はそう心中で独り言つ。
本音を言えば、今すぐにでも学生どものお守りなんざ放棄して哉太とうさぎを探しに行きたい。
茶子は私情を抑えて、全体の利益を選んでいるのに、雪菜が私情で推定敵性勢力に先手を譲りかけたのが腹立たしい。
私怨だと分かっているが、手前だけ何の努力もなく探し人に遭えたのがなんとも気に食わない。
何より、白い回廊にいたときか抜けた後か、何者かがぼそぼそと囁きかけてくるのが鬱陶しい。


――何者も何も、そんなことをするのはイヌヤマイノリ以外にあり得ないのだろうが。
『虎の心(いのう)』が通用しているからこの程度で済んでいるのか、イヌヤマイノリの祟りは異能ではないから『虎の心』では防ぎきれないのか、それは分からない。
確かなのは、嫌がらせとしては最上級だということだ。
平常心がかき乱される。

186彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:42:01 ID:REl9BPQA0

『ただ、その仔細を聞く時間も、再会を喜び合う時間もないんだ。
 前置きは省く。研究所の上層部と会話をすることに成功した。
 18時時点で村に展開している特殊部隊は二名。正常感染者は十一名。これがすべてだ』
『たった、じゅう、いち?』
その衝撃に雪菜は言葉を失いかける。
茶子としても聞き逃せない情報だ。

哉太、うさぎ、茶子、リン、雪菜、創、アニカ、スヴィアで八名。
あのマイクロバスに乗っていた人間がほぼすべての生き残りだった。スヴィアはそう言っている。
つまり、認識していない正常感染者は残りはたった三名。
元の数を知らないためどれほどの村人が命を落としたのかは分からないが、その語り口から多くの命が失われたのだろうことは分かる。

『待ってください。
 18時時点で11人ということですが……生き残りの中に山折 圭介と、ハヤブサⅢという名前はありましたか?』
茶子が聞きたい情報を、創は抜かりなく尋ねる。
ハヤブサⅢの動向如何では、目的に大幅な修正が加わりかねない。

『山折君の名はあった。ちょうど数十分前、神楽くんと共に特殊部隊を一人撃退したようだ。
 そして最後の一人は、……」
茶子はそこで僅かな違和感を覚える。
何かを逡巡するような妙な間が空いた。

「失礼。最後の一人は、日野くんだ。
 ハヤブサⅢ――田中 花子さんは、乃木平たちによって討ち取られたと、ほかならぬ本人から聞きだした』

師匠と同格の超一流エージェントですら命を落としたことに創は衝撃を受ける。
微塵斬りにしても死ななそうな女を殺したことに茶子は特殊部隊の実力を想定よりも上方修正するが、それもそこそこに思考にふける。
スヴィアの証言は不可解なことが多かった。

あの状況で山折圭介は見逃されたということだろうか。
イヌヤマイノリが圭介に憑りついている可能性もあるが、あのお春と共に特殊部隊を撃退したという情報がその予測確度にモザイクをかける。
加えて、日野珠の名を挙げる前に、なにやら逡巡するような不自然な間があった。
珠の名を出すことを戸惑ったのか。
……それとも、ハヤブサⅢこそが最後の生存者なのか?

(仮にヤツが死んだのなら、この発信機はなんだ?
 この小型発信機に映っている、移動中の人間は一体誰だ?)
残り人数は18時時点で13人。消去法で考えればおのずと答えは絞られるのだが。

「リンちゃん。あのおねえさんのお話を聞きに行っていいかな?」
「うん、いいよ! なかまはずれはよくないもんね!
 でも、セツナおねえちゃんはこわいから、なにかあったらまもってね」
「リンちゃんには絶対に手は出させないよ。
 それと、スヴィアおねえさんは怪しいヤツだからな。言ってることを丸っきり信じちゃダメだよ」
「スヴィアおねえちゃんはわるいこなの?」
「そうね。村をめちゃくちゃにした悪いヤツの仲間かもしれない。
 もしかしたらウソをついてるかもしれないから、騙されないようにしっかり話を聞かないとな」
「わかった。リンもがんばる!」
鼻息をふんと吹き出して気張るリンを微笑ましく思っていると、ふと視線を感じた。
出所はスヴィア。一瞬だけ目が合う。
人懐っこさの仮面で覆った瞳で、彼女に視線を返した。

「……おねえちゃんたち! だいじなおはなしするならリンたちもいれてよ〜!!」
ひそひそ話を終えたリンが、とたとたとスヴィアたちの会話に割り込み、自分たちも入れろと主張する。
茶子も特殊部隊への見張りを取りやめ、会話をする三人のところに向かった。



187彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:42:30 ID:REl9BPQA0

「追っ手は大丈夫なんですか?」
二人を迎える雪菜の言葉にはどこかトゲがある。
そのわずかな不快感は、知己三人の会話に部外者が入ってくることへの反発もあるのだろう。

「特に姿が見当たらなかったっすからね〜。大丈夫でしょ。
 昨日ぶりっす、スヴィア先生」
「ああ虎尾さん、昨日ぶりです」
誰だよお前はとあんぐり口を開ける雪菜。
対して、スヴィアはごく自然に会話に応じる。
この得体の知れない女は、村ではそう振る舞っていたのだろうと、雪菜は自分を無理やり納得させた。
まるで百面相、本当に信用ならない。

「哀野くん、ちょうどいいタイミングだ。
 彼女らにも、話を聞くかどうかの選択を問うべきだ。
 これから話す事実は、研究所の最重要機密事項だから」
「最重要機密……。先生はそれを知ったから、特殊部隊に追われている、っていうことですか?」
スヴィアが鷹揚に頷く。
秘密を知ったことで消される立場になったことを認める。
そして同時に、それは今ここでスヴィアの話を聞くのか、スヴィアから何も聞かずにこの場を離れるのかという選択が提示されたことを意味する。
だが……。

「つかぬことを伺いますが、その最重要機密とは『Z計画』のことでは?」
「……なぜ、それを?」
これから話すべき内容に対して創に先手を取られ、スヴィアは一瞬呆けた。
ただ、創の異質な雰囲気からするに、彼がその仔細を知っていたとしてもどこか納得はできる。
あるいは、隣にいる研究所の関係者『Ms.Darjeeling』から聞いたのか。

「それは、僕が……」
「あんたのご友人から聞いたんすよ。
 未名崎錬っていう研究員に、覚えはありますよね?」
正体を明かそうとする創を遮るように会話に割り込み、出所を錬だと上塗りする茶子。
実際『Z計画』について哉太たちに話したのは彼なので、何も間違ってはいない。

「錬……? 彼は無事だったのかい? 一体どうやって……」
「その質問には答えられないっすよー。
 ……あんたがヤツらの一味じゃない保証はない」
一回り気温が下がったような冷たい声色。
急造の人懐っこさの仮面の奥に、冷酷な意思が見え隠れする。

「そもそもスヴィア先生さ、アンタ、本当に特殊部隊に追われていたんすか?」
「それは……どういう意味だい?」
「ハヤブサⅢ――花子さん、だっけ?
 あの女につけられた発信機をあたしらは持ってるんすよ。
 今、診療所の裏から北東のほうへ走り出してるみたいだ。
 ――答えな。ハヤブサⅢの死と、特殊部隊に追われているって証言。
 何がウソだ? 誰と裏で手を組んでいる?」

普段なら刀の一本や二本喉元に突き付けて尋問するのだが、それをやるとまた学生カップルが騒ぎ出すだろう。
故に言葉のみ。だが、その気迫は死神の刃を思わせる冷たく鋭いものだ。
肝の小さい人間が正面から受ければ、それだけで降伏の意を示してしまうだろう。

茶子の指摘に、スヴィアは息を呑む。
明らかに動揺の色が見える。
それが肯定なのか否か、まだ判別はつかない。

茶子は研究所の関係者を信用しない。
教師として信頼を勝ち取り、温和な人格者を装って裏工作に励むくらい、連中は平気でおこなう。
実際、スヴィア以外にも研究員が教員として紛れ込んでいることは把握している。
仮にシロであったとしても、撹乱のために送り込まれた、あるいは偽情報を広げるために解き放たれたなどの線もある。
研究所、特殊部隊、ハヤブサⅢ。
誰も彼も、村に仇為す者ども。
そして誰も彼もが、一筋縄ではいかない相手だ。



188彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:43:21 ID:REl9BPQA0

「待ってください、虎尾さん、スヴィア先生。まずは事実のすり合わせをおこなうべきだ」
にわかに高まる緊張感は、創のとりなしによって、いったんの落ち着きを見せた。

「ソウおにいちゃん、チャコおねえちゃんはウソつきなんかじゃないよ!」
「白々しい。そっちこそ、言いがかりに隠し事ばっかり……!」
明らかに不満を高める雪菜を、左手で制すことで牽制する。
そして頬を膨らませたリンが放つ牽制は、右手を自身の額に当てることでやり過ごす。
だが、それでも頭のどこかで痺れるような気持ち悪さが残る。

「発信機が移動している件については事実です。
 ただし、単純に誰かに拾われた可能性だってある。
 特殊部隊が所持しているのか、日野 珠さんがその異能で発信機を見つけ出したのか。
 スヴィア先生、答えられますか?」
「特殊部隊……だと思う。
 日野くんは午後2時前に花子さんと別れた。
 未来予知でもできない限り、そんな行動はとりえない。
 少なくとも、当時の彼女たちにはそんな異能はなかった」
「ほーん、じゃあ特殊部隊に追われてるってのが虚偽報告ってわけね」
「虚偽……? その言い方はないんじゃないですか!?」
「虚偽も何も、その通りだろ。それともなにか、ただの自意識過剰ってオチだなんて言わねーよな?
 大した事ない情報持って飛び出した挙句、追っ手もいないのに殺されるから助けて〜って、ちょっと笑っちゃうね。
 特殊部隊から逃げ出せてすごいっすねー。向こうに泳がされたんでなけりゃな」
「先生を侮辱しないで……!」
「二人とも、少し抑えていただけませんか……!」

創が不快感を口調ににじませ割って入り、茶子はこわいこわいと両手をあげて口を閉じる。
そしてリンがスヴィアを見る目も、何やら険しくなっているように思えた。
その軽薄な煽り口調とは裏腹に、その目はスヴィアの様子を冷徹に見据えている。
茶子の煽りに対して怒り出すか、それとも否定するか、冷静を装って的確な回答を返すか?
リアクションをつぶさに観察するが、スヴィアは動揺を隠さず、信じられないと、口をパクパクして固まっているだけだ。

(本当にシロなのか?
 未名崎のヤツと繋がってる元研究員の女が?)
茶子の眉間に皺が寄る。
つい先日、研究所パスの不自然な申請があった。
それについて錬に問い詰めたところ、『まず自分を疑え』とご高説を垂れ流された。
それがブルーバードを蹴落として赴任してきた元研究員かつ錬の元上司、スヴィアが赴任した五日後のことだ。
その後ノートPCを持ち出された痕跡も発見され、スヴィアとの密談があったことは状況的に間違いない。

これで本当にシロだというのだろうか。
何らかの意図を以って接触してきた上でこの反応を返せるとしたら、大したタヌキである。

「少なくとも『Z』はそう簡単に持ち出すことは許されない機密事項だ。
 命を狙われるに足る要素だと考えていいはず。
 当時の状況は、どうでしたか?」
「あ……ああ、そうだね。経緯を説明しよう」

どこかうわのそらのまま、スヴィアは研究所との会談内容を語り始めた。
生物災害を起こしたのが錬や烏宿副部長をはじめとした過激派の暴走であるという確証。
秘密裏に進められていた『Zデー』の確かな証拠と、研究所の設立目的。
特殊部隊の独断専行による村への展開と、研究所との和解。
生物災害が収束したところで全員保護の約束を取り付けたハヤブサⅢの交渉。
創の異能によって女王ウイルスを否定する解決案と、その却下。研究所との協力の決裂。

そして、……珠の「Zウイルス」への進化だけは言わなかった。言えなかった。
Ms.Darjeelingに特殊部隊と同じ酷薄さを感じ取ったから。
そして、言ってはいけないという直感が働いたから。

189彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:43:59 ID:REl9BPQA0
ハッピーエンドを見つけると啖呵を切った。
だのに、ウイルスの治療以前に珠の身すら危ぶまれている。
特殊部隊の乃木平は、てっきり機密を知った自分を追ってくると思っていた。
なのに、彼はスヴィアを無視し、どこかへと向かっていった。
いや、おそらく珠のところに向かったのだ。
ならば一体どうすればいいのか、答えがまったく出ない。

創はきっと全面的に協力してくれるだろう。
雪菜だって、理解を示してくれるかもしれない。
けれど、Ms.Darjeelingはどうだ?
黒木から盗み聞いた会話では、特殊部隊のベテランに太鼓判を押される実力者かつ、特殊部隊に等しい冷酷さ。
茶子の協力を得て乃木平を退けても、返す刀で珠を殺されては意味がない。
彼女は生粋の村民かつ、研究所の関係者だ。
女王を目の前にして、あるかないかも分からない治療手段を一緒に探してくれるほど優しくはないだろう。


「……あとは、乃木平本人に、秘密を知った以上生かしてはおけないと銃口を向けられ、脱出口に突き落として命からがら逃げだしてきた、ということだ」
珠の件を除き、すべての情報を告発した。
だが、思考に費やせたのはごくわずかな時間だ。
空港の手荷物検査官のように、一つの虚偽も見逃すまいという茶子の視線。
その裏で、リンもまた冷徹な目でスヴィアを見据えている。
二人を出し抜ける案も、すべての要素を掬いきる閃きも一向に浮かばない。

「特殊部隊に銃を向けられて、ねえ。
 ……ありえない。仮にあたしが特殊部隊なら、無言で撃ち抜く」
雪菜が目を細める。
たとえばの話なのだが、雪菜にとっては茶子が無言でスヴィアを斬り捨てられる人間だと言い放ったようにしか聞こえなかった。

「……ちなみにその特殊部隊は今朝、無駄な抵抗はやめたほうが賢明だって警告してきたんですけど」
「だったらそいつはよっぽどの無能か新人か、あるいは警察あたりからの転向組だろ。
 山折村(うち)の警官は警告なんざせずに撃ってくるけどな」
「もう一つ可能性があります。当時のその言動自体が布石だったということです。
 将来的にボクらを欺けるように、あるかないかも分からない未来を見据えて撹乱のための布石をバラまいていた」

古民家群で戦った特殊部隊のことを考えると、十分にあり得る可能性だ。
彼もまた、いるかいないか分からない狙撃手をあぶり出すために、創を撃ち抜く絶好の機会を不意にした。
乃木平が当時スヴィアたちの殺害を狙っていたのは確かだろうが、碓氷や小田巻と手を組んでいたのだ。
彼らの裏切りに用心して、いざというときの撹乱に偽情報を流しておくのは手が込んでいるがあり得なくもない。

そんなまわりくどいやり方をするヤツなんていないだろと思ったが、ハヤブサⅢの顔を浮かべて茶子も考え自体は否定しない。
あの女は素でそういうことをやりそうだ。


「それで結局、その特殊部隊だかはどこへ?」
「仮に僕たちをひとまとめにして一網打尽にするにしても、時間が経ちすぎています。
 可能性としては元々別のターゲットがいて、その邪魔立てを防ぐために先生を追い立てて僕らを足止めした、ということでしょうか。
 山折さんたちに撃退された特殊部隊の仲間を助けにいったという線もありますが、特殊部隊が任務よりも部隊員の救出を優先するとは考えにくい」
「あたしらをほったらかしてでも狙う価値のある人間、ね。
 ……先生。正直に言ってくれるかしら?
 本当に話してくれたことでさっきので全部?」
「それは……」
茶子が笑顔を張り付けて尋ねる。
それは、肉食獣がテイスティングをしているようにしか思えなかった。
スヴィアの瞳が今度こそ揺れる。水晶体に跳ね返る月光の軌道が、ふるふると乱反射する。
呼吸が、目に見えて荒くなる。

機密情報を持ち逃げした敵対者よりも、殲滅すべき正常感染者よりも、優先すべきことなど多くはない。
そして仮に足止めに遣わされたのなら、それは一体誰の足止めだ?

そんなの、決まってる。

190彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:44:40 ID:REl9BPQA0
「なあ先生、別に怒ったりしないから。
 女王が誰か、もう分かってるんじゃない?
 正直に言いなさい」
正常感染者よりも優先して狙うべきは、女王感染者のみ。

「正直に言いなさい」
このメンバーで足止めしたい候補がいるなら、それは村人とのかかわりの深い茶子か創。

「正直に言いなさい」
その中で特に親しい生き残りとなれば。

「正直に言いなさい」
女王感染者の最有力候補は日野 珠、八柳 哉太、犬山 うさぎの誰かだ。

特殊部隊が女王感染者を殺しに行ったという推測が正しいのなら、最適解はなりふり構わず発信機に従って特殊部隊を追うことだ。
女王である時点で相当状況は悪いが、その行動を取ればそれ以上に悪い方向には転ばない。
だが、その解を選ぶことはできなかった。
茶子にとっては、親友の近親者と想い人が村の敵だと告発されるかされないか。
運命の分岐点を先延ばしにすることなどできなかった。
故に執拗にスヴィアに問いかけた。


「チャコおねえちゃん!」
リンの呼びかけに、茶子はハッと正気を取り戻し、身を引く。

「ダメだよ、スヴィアおねえちゃん、すごくこわがってる。
 それじゃ、ウソつかれちゃうよ」
いつの間にか、リンが茶子の手を握り、その不安に寄り添っていた。
幼いころの『あたし』の呼びかけによって心の深奥にある不安は僅かに取り払われる。
『虎の心』は、リンの献身を受け入れた。

「だから、リンにまかせて!」

そこが、悪夢の一丁目。



191彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:45:04 ID:REl9BPQA0
――リンを、あいして。

「……ぁ」
スヴィアの中に安堵感が広がる。

――リンを、あいして。――リンを、あいして。――リンを、あいして。
――リンを、あいして。――リンを、あいして。――リンを、あいして。
――リンを、あいして。――リンを、あいして。――リンを、あいして。

何を不安に思っていたのだろう。
彼女にすべてを話してしまえばいいじゃないか。
だって、こんなに健気で愛らしい少女を悲しませてどうなるというんだ。
スヴィアの迷いが取り除かれ、思考がクリアになる。
暗闇が晴れ渡り、美しい世界が広がる。
その美しい世界で大きく手を振る愛らしい少女に手を振り返す。

――先生。

後ろから囁きかける声があった。
振り向けば、そこにいた珠が悲しそうな顔をする。
すまない、と謝罪しながらも、愛らしい少女に手を伸ばそうとしたそのとき。

――螂ウ邇を、あいして。

珠が囁いた。

――螂ウ邇を、あいして。
――螂ウ邇を、あいして。
――螂ウ邇を、あいして。

「……ぇ? ……ぁ?」
スヴィアは無数のリンと珠に取り囲まれていた。

192彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:45:34 ID:REl9BPQA0

――リンを、あいして。――リンを、あいして。――リンを、あいして。――リンを、あいして。――リンを、あいして。――リンを、あいして。
――リンを、あいして。――リンを、あいして。――リンを、あいして。――螂ウ邇を、あいして。――リンを、あいして。――リンを、あいして。
――リンを、あいして。――螂ウ邇を、あいして。――リンを、あいして。――螂ウ邇を、あいして。――リンを、あいして。――螂ウ邇を、あいして。
――リンを、あいして。――螂ウ邇を、あいして。――螂ウ邇を、あいして。――リンを、あいして。――螂ウ邇を、あいして。――螂ウ■を、あいして。
――リ■を、あいして。――螂ウ■を、あいして。――リ■を、あいして。――螂ウ■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。
――螂ウ■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――リ■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。
――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。
――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。
――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。
――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。
――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。
――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。


「ああ、ああああ………!!」
とめどなく囁かれる愛の奔流に弄ばれ、頭頂から足先まで真っ二つに引き裂かれるかのごとく。
魂が両極から引っ張られ、悲鳴をあげる。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっ!!!!」
 『                                                        !!!!』

それは人間のキャパシティをはるかに超えた愛の津波。
スヴィアというダムでは到底支えきれない莫大な囁きだ。

――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。
――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。
――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。
――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。
――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。
――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。

ダムが決壊する。愛が溢れ出す。
二人の少女からスヴィアに向けた熱烈な愛のアプローチは、スヴィアを増幅器として、あたりにまき散らされた。

193彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:46:25 ID:REl9BPQA0

「ぐうぅッ! あ、頭が……!」
「あ……、何この音……この音……!?」
「なんだ!?」
創が頭を押さえてうずくまる。
雪菜が頭を割るような声に戸惑う。
茶子だけは、何も変化がなく困惑する。

それは、スヴィアがこれまで意図して使わなかった超音波。
スヴィアの肉体が最大の危機に瀕したことで、宿主を『守る』ために暴発した。
愛の囁きを周囲に撒き散らすデバイスは、人間の大人には聞き取れない高周波音。俗にいうモスキート音である。

故に。
「きゃああああああああ、なにこれえええぇぇぇっ!!!」
その影響を最も受けるのは、最も幼いリンであった。


「先生……、すみませんっ!」
スヴィアがリンの異能の影響を受け、何かが暴発したことは確実。
頭から右手を離せばすぐにまた愛の囁きが創の人格を覆い尽くそうとする非常事態。
周囲の様子に気を払う余裕はない。
そして手をこまねく理由がない。
創は自らの異能の全力を以って、スヴィアの受けているウイルスの干渉を否定した。
ウイルスの干渉がなかったことにされていく。
超音波が収まり、リンの異能は収まり……。
「ぐぶ……」
「!?」

そしてスヴィアは血を吐いた。


茶子への愛が押し流されていく。
リンの愛が、茶子への愛が、よく分からないナニカによって覆われていく。
「イヤ! イヤ! イヤだああああ! チャコおねえちゃん、リンをおいていかないでぇッ!!」
「リンちゃん!?」
はじめて取り乱した様子を見せるリンに動揺し、茶子がその手をぎゅっと握り返す。

悪夢の、二丁目。

「チャコおねえちゃん! リンをまもってっ!!」
何が起きているかも分からないまま、リンは王子様へと助けを求める。
リンの異能が茶子を覆った。



194彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:48:13 ID:REl9BPQA0
『虎の心』は茶子へと害を為す精神干渉を跳ね返す異能である。
その対象は、茶子が受け入れるのを拒否したものと、茶子が気付いてすらいない干渉の二つ。
逆に言えば、茶子自らが受け入れることを決めたのであれば、跳ね返す対象とはならない。
そう、魔王撃滅作戦にて疑似的な鳥獣慰霊祭を開催したとき、茶子は意志をもってリンの言霊をその身に宿した。
精神干渉を受け入れたのだ。リンからの前向きな精神干渉を受け、魔王を退けたのだ。

リンはいつぞやの自分自身だ。
光闇入り混じる山折村において、彼女は哉太に次いで守り切りたい存在だ。
その献身は受け入れたいと思っているし、彼女に命の危機があれば守りきって当然だ。
ただ、それだけの素朴な感情だった。

だから。

――リンを、まもって。

『自分自身』という最上位の特権を付与されたことで、少女の言葉はすり抜けるように防御壁を通過し、茶子の精神へと染み渡った。
そして、哉太よりリンを優先するように上書きされた。

それと抱き合わせのように入り込んできた僅かな意思により、女王感染者が誰なのかを聞き出す意思は霧散した。
リンを守ることへの納得によって押し流された。


これは今まさにこのときこの時刻、女王からアニカが受けているような、無理に相手を従わせるものとはまた性質が違う。
微弱な意思は意識しなければ自分のものなのか他人のものなのか切り分けができない。
仮に意思強制や眷属化と称される類の事象であったとしても、自分自身が納得して受け入れたのなら、それは自分の意志なのだ。
スヴィアや雪菜と違って、茶子がリンの言葉を聞き入れない理由はどこにもない。
リンは茶子で、茶子はリンなのだから。
過去の自分を目の前にして、彼女はこの土壇場で、自分を疑わなかった。

つい先ほど雪菜に述べたように、茶子はするりとアウトドアナイフを鞘から抜き去って。
音もなくスヴィアの心臓目がけて投げつけた。

スヴィアの暴走が誘発されてから、ここまでに僅か二十秒。
茶子の凶行に気付いたのはたった一人。
茶子とリンに警戒を払っていた雪菜だけが、茶子の空気が変わったことを見逃さず。
けれども、ナイフを弾く技量もない彼女にできることは、ナイフの軌道上に割り込むことだけで。
「ぐ、ふっ……!」
飛来する刃から恩師を庇い、ずぶりとその身にそれを食いこませた。
雪菜は茶子とリンを明確な敵とみなした。



195彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:48:44 ID:REl9BPQA0

「スヴィア先生!? しっかりしてください!」
遠くで創の声が聞こえる。
肉体は、今のでついに限界を迎えたらしい。

結局、何もできなかった。
全員を救おうとしてただ一人も救えず、荒野に一人力尽きるのみ。

……どだい、耐えるなど無理な話だったのだ。

凶行にはしった友人を止めることができず。
生徒たちと望まぬ形で切り離され。
銃弾とナイフによって肉体と臓腑をかきまわされ。
瀕死の肉体を押して頭脳を酷使し。
悍ましい祟り神の呪いをその身に受け。
白兎の御守りもないまま女王が生まれ落ちたその瞬間に立ち会い。
そして極めつけとして、見出した希望は絶望へと反転し。
珠を救う方法は見つからず。
今、矜持すらも踏み荒らされた。
むしろ、これで今まで死ななかったほうが奇跡だろう。


それでも、せめて、最期に状況を覆す一助になるような閃きでも出てこないものかと考えるのは、科学者の性なのだろう。
けれど、スヴィアはもう何も考えるべきではなかったのかもしれない。

それはとりとめのない思考だった。
空からスヴィアの脳裏に、ひとつの仮説が舞い降りた。

Zウイルスに進化すれば人間と一体化し、創による治療は不可能になると所長は断じた。
ウイルスの影響を取り除くことは、ウイルスと一体化した人間を否定するに等しい行為だからだと。
だが、それはZウイルスだけなのだろうか?
定着したBウイルスもまた、同じなのではないか?

どうして、負傷に次ぐ負傷を受けておきながら、スヴィアは生きることができたのか。
銃もナイフも、とどめを刺すには至らなかった。特殊部隊の処置は適切だった。
それでも、治療に専念せずに肉体を酷使すれば、いずれその限界は訪れるものだ。
けれど、神経にまで定着したHEウイルスが、肉体の限界をわずかに押し上げていたのだとすれば。
宿主と共存関係にあるウイルスが、宿主の生存のために力を貸すのはごく自然な行為である。

つまるところ。
スヴィアの肉体に、ウイルスはとっくに定着していた。
彼女に蔓延るウイルスはHE-028-B。HE-028-Cではなかったのだとすれば。

今にも肉体が限界を迎えてそうなのは、肉体の疲弊によるものではない。
ウイルスの影響を否定する創の異能によるものであって。
今まさに、自分は創を知らないうちに人殺しにしようとしているのではないか、と。

今すぐ創に伝えなければ。
そう思うも、身体が動かない。口が動かない。
創の右手がウイルスを否定する。
スヴィアの神経と繋がり、スヴィアを生かしていたウイルスを否定する。
やめてくれという言葉が届かない。
創は自分を生かすために、決死の表情でウイルスの影響を否定している。
スヴィアを生かそうという意志が、スヴィアを殺す。

絶望の中、月光にナイフが煌めいた。
いつかの自分の反転。雪菜が自分を庇い、ナイフをその身に受けた。
創はスヴィアを殺し、雪菜は自分のせいで死ぬ。


なぜこんなことになったのか? 自分はただ、生徒たちに生き抜いて、未来に活躍してほしかっただけなのに。
誰か、誰か。
だれか、たすけて。



その想いは。

――せんせい。


届いた。

196彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:49:56 ID:REl9BPQA0

――先生!
――せんせー。
――こども先生。
――せーんせっ!
――スヴィア先生!
――スヴィアちゃーん!

茶子に黒い霞がまとわりついているのが見えた。
放課後の校庭から聞こえるような、笑い声が聞こえた。
瞳のない子供たちが一人、また一人とスヴィアの名前を呼ぶのが聞こえた。
この世のものとは思えないその呼び声。
けれども、それがなぜか心地よくて。
なぜか涙があふれ出してきて。
彼らの声が自分の中へとなだれ込んだかと思えば。
スヴィアの視界は黒く染まった。



197彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:50:24 ID:REl9BPQA0

――まもらなきゃ。
――まもらなきゃ。

「まもらなきゃ。私が、まもらなきゃ。……絶対に!」
刃が溶け落ち、柄だけになったアウトドアナイフを掴む。
その刃を溶かす血が滴り落ちるアウトドアナイフは、
身体に突き刺されば肉を容赦なく溶かし、生体組織をぐちゃぐちゃに破壊するだろう。

「そうだよね、叶和」
スヴィアを通して発せられていた愛の宣告は聞こえなくなった。
代わりに聞こえるその声は、叶和の声だ。
大切な人を守れと囁きかけてくるその声は叶和のものだ。


当然の話だ。
雪菜の中には、叶和のウイルスが生きている。
クロスブリード。二重能力者。
異なる二種類のウイルスを持ち、彼女の想いを引き継いだ雪菜だからこそ、リンと女王の愛の囁きをその身に受けても自意識は失われない。
そして、異なる二種類のウイルスを持つ雪菜だからこそ。

女王の影響を他の人間の二倍受ける。


遺伝子構造を模して造られた白いダンジョンは、それ自体が女王の囁きに等しい。
遺伝子構造を最初から最後まで漫然と辿れば、その情報を書き込まれたに等しい。そうなれば、眷属として僅かに進行する。
二回繰り返せば、二度転写がおこなわれる。けれど、雪菜だけは四度転写がおこなわれる。
秘密裏におこなわれた転写と雪菜の性質。
増幅されたのは守護の意識。

叶和(女王)と雪菜(女王)に囁かれるまま、線香花火で肉体を活性化。
ナイフの刺さった痛みなどとうにトんでいる。
刃を手にした雪菜はそれを怨敵へと突き出す。
スヴィアを傷つけた二人は許さない。

「哀野さん!?」
ようやく気付いた創の呼びかけに耳を貸さず。
雪菜は姿勢を低くして、突撃兵のようにリンに迫る。
寿命を考えず、線香花火の異能を最大限に施したその身体能力は、活性アンプルを打った肉体スペックに匹敵するだろう。
創では阻止は間に合わない。

「リンちゃん、危ないから下がってな」
「うん、うん!」
雪菜が動き出す兆候を捉えた茶子は、先にリンを下がらせ、雪菜を迎え撃つ。
目で追うのがやっとの超人的な速度の突き刺しだ。
けれど、その実態は速くて力が強いだけ。素人の破れかぶれの特攻だ。
研究所最強がおめおめと受けるはずがない。

自分を殺しに来る人間を生かすほど彼女は優しくはない。
ここに至って、茶子にとっての雪菜の価値はボーダーラインを下回った。
山折村に無用な人材へと格下げされた。

目で追いきれないほど速かろうと、交差する瞬間に相手に合わせて一歩踏み込み、あとは首が通過する時間、通過する空間に長ドスの刃を通すだけ。
八柳流の剣術ですらない。処分にそんなものは必要ない。


「あっ……」

一閃。
ただそれだけで、雪菜の胴と頭を繋ぐ一本の線は分かたれた。

198彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:51:46 ID:REl9BPQA0

『守らなきゃ……』

長ドスはその一太刀だけで溶け落ちて砕け散ったが、藤次郎の刀があれば何も問題はない。
くるくる首が舞うようなことも、酸の血をまき散らすようなこともなく、雪菜の頭はごとりと地面に落ちる。
前かがみの姿勢のまま分かたれた胴は、噴水のように血を噴き上げながら、後方によたよたと勢いのまま歩いていく。
物珍しくもない。これまで斬り捨ててきたジャガーマンやゾンビと何が違う?

手ごたえは確かだ。今さら罪悪感も何もない。
ゾンビも人間も何人も殺してきた。
生死の読み違えなどありえない。
それが茶子のミス。

『守らなきゃ……』

独眼熊の精巧なフェイクによって欺かれた大田原源一郎が立ち直るまで、およそ五秒。
茶子の戦闘センスがどれだけ優れていようとも、在りし日の大田原と独眼熊には程遠い。
戦場で死体に構うのはルーキーだけだ。
死んだ人間はさっさと関心から外し、次の敵に構えるのが定石。
だから、もはや興味を無くした雪菜の身体に再び関心を向けなおすならば、時間は潤沢に必要だ。

『守らなきゃ……。死んでも守らなきゃ!』

――がんばれ、雪菜!
語りかけてくる叶和(女王)のエールを受けて、雪菜の生首はにこりと凄惨に笑う。
茶子の関心の死角で、茶子の背後で、線香花火が輝いた。
茶子が気配を感じたときには、もう手遅れだった。

『女王様を、守らなきゃ!』

線香花火の真骨頂。
輝きの消えるその直前こそが最も肉体が活性化する。
フランス革命の折、ギロチンで首を落とされた学者は、二十秒もの間まばたきをしてみせたという。
ならば首と胴を分たれた雪菜は、いま最も生命力に満ちている。

バチバチと火花のように血が弾ける。
地面に舞い落ちた雪菜の首は、首の筋肉と骨だけをバネに、弾ける血を推進力に、再度地面を押し出して宙を舞った。
人を喰らう架空の存在、抜け首のように宙を舞い、伝承のように牙を剥く。
首を落とされてから茶子の肩口に食らいつくまで、五秒。

酸で溶かして尖らせた犬歯はいともたやすく茶子の肩を貫き、唾液を血管に注入する。
「があああああああああぁっ!」
激痛に身をよじらせる中、さらなる悲鳴が差し込まれる。

「チャコおねえちゃんッッ! たすけてえッ……!」
リンは雪菜の首のない胴体に捕らわれようとしていた。

199彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:53:01 ID:REl9BPQA0

「くそっ、いい加減離せッ!」
雪菜の頭を診療所の壁に打ち付ける。
一度。二度。三度。

『まもらなきゃ……。先生……。叶和……』
脳が露出し、ぐちゃぐちゃになった雪菜の頭がついにごとりと落ちて動かなくなる。
それでも身体は止まらない。

「いや、いやあ!! チャコおねえちゃん! リンをたすけて!」

今の茶子は、過去一番に精神が研ぎ澄まされている。
リンの悲鳴に答えるように、茶子は縮地によって雪菜の胴に迫り、刀を抜き放つ。

――守らなきゃ。

それは、茶子の夢想にすぎなかった。
肉体が追いつかない。脳が指示する通りに肉体が動いてくれない。
茶子の肩口から注入された唾液は、血流にのって、茶子の右半身を壊し続ける。
四肢を失った負傷兵が、四肢が健在だったころの動作を取ろうとして倒れるのはありがちなことだ。
今まさに助けを求めている過去の自分自身の前で、研究所最強は無様に地面に身体を打ち付け鼻から血を流した。

その間に、リンの身体は首のない血塗れの身体に捕らえられた。

「おねえさん、ウソついてごめんなさい!」
お姉さんが気に入らないからウソをついてまほうのカードを隠した。

「もうウソはつかないから!」
パパにとってのいい子でいるためにウソをつき続けた。

「リンをゆるして!!」
自分がウソつきなのを隠すために、みんなのウソを許さなかった。

そんな悪い子を食べにくるのはオオカミではなく、首のないナニカであった。
もう考える頭もない彼女に、言葉など通じるはずがない。
生前の意思だけで突き動かされるその肉体に、手加減などあるはずもなく。
バケツの上で膨れ上がった線香花火がぼとりと落ちるように。
茶子の目の前で、多くの村人を狂わせたその愛らしい美貌はぐずりと溶け落ち、じゅわっという音と共に地面のシミとなった。

そこに残っていたのは、ただ首のない死体が二つ。
茶子は戦いとすら呼べない小競り合いの末に剣士の要を奪われ、そして過去を今再び失った。



200彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:53:54 ID:REl9BPQA0

創は理解を拒否するかのように視線をうつろわせる。
茶子。スヴィア。リン。雪菜。
誰も何もかもが信じられず、立ち尽くす。
たった三十秒ぽっちの出来事だった。
一体だれが悪かったのか、何を間違えたのか。

雪菜は茶子に殺され、リンもまた雪菜に殺された。
スヴィアの脈はもうない。そして心臓の鼓動も感じられない。

ではなぜ自分は動かなかった?
茶子がなんとかすると思った?
リンがスヴィアに過度な異能を使ったことを引きずった?
スヴィアこそ優先して救わなければならないと思った?
事実は一つ。
創はリンが殺されるのを、ただ呆然と眺めていた。
雪菜を、リンを、見殺しにした。


茶子もまた、目の前で起きた出来事に呆けていた。
何故あんな行動を取ったのか、理解できない。
右半身の感覚が鈍いことが理解できない。
ぐったりとしたスヴィアを見ても、何の敵意も湧いてこない。

もはや、ここに生者は二人だけ。
戦意を折られた二人の間に、小競り合いなど起こりようもない。
だから悪夢はすべて終わって――。


否。


「スヴィア先生!?」
まだ悪夢は終わらない。

201彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:55:08 ID:REl9BPQA0

スヴィアがすくと立ち上がった。
ありえない。確かに脈は止まっていた。
リンの異能を受けて限界を迎え、確かに命を落としていた。
それがただの計測ミスだったならエージェントとして恥じ入ることだが、今となっては地獄に仏である。

創の声を聞き取ったのか、スヴィアの顔を覗き込んで。
くるんと創のほうに向きなおる。
その容貌の異様さに、創は息を呑んだ。


かつてこの地にあった研究所の所長は、新人研究員に問うた。
神を呼び寄せる最も可能性の高い手段はなにか、と。
それは人の想いであると所長は答えた。

身を呈して救済を求め続けたスヴィアの想いが、魔王を呼び寄せた研究員に劣ることがあろうか。
自分を監禁し、家族をも殺した隠山の里への憎悪に劣ることがあろうか。

眼孔に詰まっているのは目玉ではなく、吸い込まれるような漆黒。
そこから、黒い闇が涙のようにぽたぽたと溢れ出ている。
異能かと手を伸ばして触れれば、その体は氷のように冷たい。
まるでゾンビ、いや、死人だ。

――生徒たちの声が聞こえるんだ。

今のはスヴィアの声だったのかと、後追いで創は理解した。
もう、その声は人のものではなかった。
スヴィアのまわりには、黒い霞がまとわりついている。
それは生物災害によって未来を奪われた亡者たちの怨念のように思えた。
山折村古来から蓄積し続けてきた厄ではなく、此度の生物災害で発生した多数の怨念。
何も手立てを打たなければ大田原源一郎の元に向かっていたはずのそれは、すべてスヴィアが肉体へと取り込んだ。

何せこの地下には諸悪の根源の研究所があった。
その研究所は、隠山祈を監禁し、悪神へと変貌せしめた岩戸を拡張したものである。
数百年前にあらゆる呪いの根源を生み出した場所の真上に立ち、強い想いを抱いて散った者に、八百万の神が答えないはずがなかった。

――生徒たちが、ボクを、呼んでいるんだ。
――みんなが助けを求める声が、聞こえるんだ。
――未来を奪われた子供たちを、救わなきゃ。
――ハッピーエンドを掴まなきゃ……。

「スヴィア先生!?」
創の呼びかけに、その黒い瞳を向ける。

『天原少年。日野くんを頼む』
かつて人であったころの声で創に託す。

――みんなの歌が聞こえるんだ。
――みんながボクを呼んでいるんだ。
――もっと生きたかった、と嘆いているんだ。
――だから、ボクはみんなを救わなきゃいけない。

リンの死体を前に呆けた茶子に目もくれず、スヴィアは音すら立てずに歩きだす。
山折村に広がる漆黒の闇。
スヴィア・リーデンベルグだったものは、溶けるように暗闇の中に消えた。

もはや地獄と呼ぶにも生ぬるい惨状に、創は膝から崩れ落ちるしかなかった。

202彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:59:21 ID:REl9BPQA0

茶子がふらふらと立ち上がり、よろよろと歩き出す。
「どこへ?」

感情のこもらない瞳で創を見つめる。
「哉くんのとこ。
 一発、景気づけに殴ってもらうわ」
「当ては?」
「あるわけないだろ」

あまりに疲弊し、恨みつらみすら湧いてこない。
同行するか、別行動か。
二つに一つだが、その先の言葉は紡げなかった。

「逃げ延びたリンちゃんを置いていくことになるんだけど、戻ってきたら連れて行ってくれ。
 チャコおねえちゃんがカッコわるくてごめんなって謝っといてくれると助かる」
「虎尾さん……?」


創から見た茶子は歪だった。
彼女は人の感情の動きに明るい。
それこそ、魔王を掌で転がせる程度には会話の組み立てがうまく、人心への理解も深い。
にも関わらず、自身は悪態を隠さず、特定の人物への想いを隠そうとしない。

それは、エージェントとしての訓練を受けていたわけではなく、
野良の強者がエージェントとして取り立てられ、独学で学んだことに端を発するのだろう。
故にそのような歪みと付け入る隙があるのだろうと思っていた。
戦闘に関するセンスも頭の回転も一級品だったために、それらも決してマイナスになっていなかった。

違う。
彼女はすでに壊れていて、パッチワークのように心をつなぎ合わせて自我を保っているのだ。
不和の原因の一人であり、いま、雪菜の仇となった人間。
にもかかわらず、創は何も言い返すことができなかった。
茶子の姿は、遥に出会わなかったときのIFであったと思ったから。

茶子もまた、ふらつきながら暗闇の中に姿を消した。

生ぬるい風が村を吹き抜けていく。
死体と怨念に塗れた悪夢の中、創だけが暗闇の中、立ち尽くしていた。

【哀野 雪菜 死亡】
【リン 死亡】
【スヴィア・リーデンベルグ 怪異化】
※スヴィア・リーデンベルグだったものからは一切のウイルス反応は消失しました。

203彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 20:00:12 ID:REl9BPQA0

【E-2/診療所東/一日目・夜中】

【虎尾 茶子】
[状態]:異能理解済、疲労(特大)、精神疲労(中)、山折村への憎悪(極大)、朝景礼治への憎悪(絶大)、八柳哉太への罪悪感(絶大)、右半身麻痺
[道具]:ナップザック、医療道具、腕時計、木刀、八柳藤次郎の刀、ピッキングツール、護符×5、モバイルバッテリー、研究所IDパス(L2)、小型発信機
[方針]
基本.協力者を集め、事態を収束させ村を復興させる。
0.哉太を探す
1.―――ごめん、哉くん。
2.…………願望器。
3.小型発信機に従い、ハヤブサⅢと思わしき人物と接触する。
4.有用な人材以外は殺処分前提の措置を取る。
5.顕現した隠山祈を排除する
6.未来人類発展研究所の関係者(特に浅野雅)には警戒。
7.朝景礼治は必ず殺す。最低でも死を確認する。
[備考]
※未来人類発展研究所関係者です。
※リンの異能及びその対処法を把握しました。
※天宝寺アニカらと情報を交換し、袴田邸に滞在していた感染者達の名前と異能を把握しました。
※羊皮紙写本から『降臨伝説』の真実及び『巣食うもの』の正体と真名が『隠山祈(いぬやまのいのり)』であることを知りました。
※月影夜帳が字蔵恵子を殺害したと考えています。また、月影夜帳の異能を洗脳を含む強力な異能だと推察しています。
※『神楽うさぎ』の存在を視認しました。
※『神楽うさぎ』の封印を解いた影響はスヴィアに引き継がれました。

【E-2/診療所中庭/一日目・夜中】
【天原 創】
[状態]:異能理解済、記憶復活、疲労(絶大)
[道具]:ウエストポーチ(青葉遥から贈られた物)、デザートイーグル.41マグナム(0/8)、スタームルガーレッドホーク(6/6)、ガンホルスター、44マグナム予備弾(30/50)(ジャック・オーランドから贈られた物)、活性アンプル(青葉遥から贈られた物)、通信機、双眼鏡、袴田伴次のスマートフォン
[方針]
基本.パンデミックと、山折村の厄災を止める
0.???
1.全体目標であるVHの解決を優先。
2.災厄と特殊部隊をぶつけて殲滅させる。
[備考]
※上月みかげは記憶操作の類の異能を持っているという考察を得ています
※過去の消された記憶を取り戻しました。
※山折圭介はゾンビ操作の異能を持っていると推測しています。
※活性アンプルの他にも青葉遥から贈られた物が他にもあるかも知れません。
※『神楽うさぎ』の存在を視認しました。
※軍用通信が解除されたことで小型発信機でハヤブサⅢの通信機を追跡できるようになりました。

204 ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 20:00:29 ID:REl9BPQA0
投下終了です。

205 ◆H3bky6/SCY:2024/06/02(日) 01:21:11 ID:pO1avpro0
投下乙です

>彼女たちのささやきが聴こえる

あーもうめちゃくちゃだよ(絶望)
強力な敵を相手にしている時は一致団結できてたけど、敵がいなけりゃまとまらない。そりゃそうだ、元から仲良くないもんね!
女王や大田原さんと激戦を繰り広げる戦場から離れた位置に出て、一旦落ち着いたからこそ沸き上がった不和である

このパーティー、女性陣が全員不和の種をばらまくトラブルメーカーすぎる
茶子はずっと口と態度が悪かったツケがいよいよ回ってきた感じだし
茶子のコバンザメするリンのクソガキ感や、鳴りを潜めていた雪菜のメンヘラも爆発して、もはや創くん一人じゃどうしようもないよ

雪菜たちとスヴィア先生がようやく再会、まあロクな事にはならないことは分かってたけども
感染者がストレスでB感染者になるんなら、スヴィア先生がなってるのはそれはそうだよだね……としか言いようがない
いつ死んでもおかしくない瀕死状態が長らく続いてたからよく生きた方だと思うけど、まさかこんな最後になろうとは
今回のVHの死者たちの怨念による怪異化、怨念が集まるとすぐ怪異ができる、何だこの村……(∞回目)

全員が悪い所がありまくったけど、直接的な原因はリンちゃんの異能だよねぇ
雪菜を、スヴィアを、茶子を操り、無邪気に他人の心を蹂躙していく正しくプレデター
しかも眷属化の影響で全員に常時精神デバフがかかっているようなモノだからなかなかきつい

雪菜は叶和と融合後落ち着きを得た感じだったけど、やっぱりヘラってる時の方が輝いてるぜ!
人間は首を切られても喋れるし動ける、忍者と極道を読んでるみんなは知ってるね?
線香花火の最後の輝きが内輪もめに使われるのは何とも空しい

かくして2人の少女が息絶え、状況的にも絵的にもエグイ事になった
生き残った2人もだいぶ精神的にきつそうだけど、メンタルケアのできそうな人がいないのでどうすんだろうねこれ?

206 ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 19:53:34 ID:U6P2q54E0
投下します

207遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 19:54:31 ID:U6P2q54E0
山桜咲く曇天の早朝。新山南トンネルへと続くバスの停留所前。
整った顔立ちの少年ーー八柳哉太が一人、陰鬱な面持ちでベンチに腰かけていた。
少年の傍らには荷物の詰まったボストンバッグ。傍から見れば、春休み期間という時期も相まって旅行のために待っていると見えるだろう。
だが事実はそうではない。

「…………二度と来るかよ、こんなクソド田舎」
歯噛みし、忌々し気に呟く。傷害事件の容疑者として汚名を被らされ、山折村から放逐される形で村から出る。
信じていた正義に裏切られ、幼馴染の親友に絶縁を言い渡され、郷土愛が一転し生まれ育った村には悪感情以外持っていない。
警察の杜撰な捜査によって冤罪を掛けられた後の思い出は碌なものではなかった。

夜間、家に居辛くなり稽古でもしようと別荘に移動していると甲冑から襲撃され、軽く伸して正体を露にすると剣道部の内藤聖子であることが判明。
「くっ、殺せ」など訳の分からない事をほざいていたため放置。次の襲撃があると面倒なことになるため、次の日以降、別荘に停泊することにしたこと。
別荘の物資が少なくなって実家に向かった矢先、町原や田辺ら取り巻きを率いた閻魔に襲撃され、護身用に竹刀を持っていたため、内藤と同じく難なく返り討ちにしたこと。
別荘で一人でぼんやりとしていた昼時、頼んでもいないのに三一郎の一人、郷田剛一郎が三人前の出前寿司を持って訪れた。
「哉坊のこと、俺は信じてるからな!」などと言われ、年長者を追い返す訳にもいかず一緒に昼食を取ったのだが、その善意を信じ切れず逆に鬱陶しかったこと。。
悪意も、善意も、山折村の全てが嫌になっていた。
ただ、一つだけ心残りがあるとするのならばーーーー。

『あたしは哉くんを信じてる。たとえ村中が敵に回ったとしても、あたしだけは哉くんの味方だから』
「…………やめだ。感傷に浸っても、今更何も変わるわけじゃねえ」

頭を振って村への未練を振り払う。未来は不確定であるのだが、もう二度と村に戻るつもりはない。
上京するまでの期間、共に別荘で寝泊まりをした姉弟子には別れは告げていない。
顔を見るのが辛い。「さよなら」と言葉に出せばもう二度と会えなくなってしまう気がする。

そうして時間が経ち、バスが来る十数分前。
ぼんやりと虚空を見つめる哉太に駆け寄ってくる足音。
思わず顔を上げると、そこにはーーー。



208遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 19:55:15 ID:U6P2q54E0
親分と子分第一号。生物災害の発生から多くの因果の果てに哉太と圭介は巡り合う。
互いに睨みつけるような視線を交わす。言いたいこと、問い詰めたいことは山ほどある。
だが、二人共感情の赴くまま口に出すことはしない。
為すべき事は罵り合いではなく、打倒すべき敵は殴り合いの末、喧嘩別れした男ではない。

「やるぞ、哉太」
「足を引っ張るなよ、圭ちゃん」

二人の剣士を食らわんと襲い来る暴食鬼(グラトニー)を前に少年達はしがらみを断ち、同時に駆け出した。
闇を纏い、凄まじい速度で接近する赤鬼。圭介は魔聖剣の魔力を全身に漲らせ、哉太は培った戦闘経験と自身の身体能力で左右に分かれて回避を試みる。
しかし、際限なく噴出する闇が左右を駆け抜けようとする少年二人に狙いを定め、形を変える。
八岐大蛇のような形状の触手とその周囲に集うガラス玉サイズの球体。瞬間、闇が爆ぜ、触手は少年の四方、球体は八方から剣士二人を肉塊に変えるべく襲い掛かる。
迫る絶死の気配。しかし、袂を分かつた幼馴染のような業(わざ)はなくとも圭介の手には受け継がれた光纏う聖剣がある。
剣より迸る魔力の光。自分を救ってくれた神様ーー魔王の娘のアドバイスを回想し、溢れ出す魔力の形を変える。
そのイメージに応え、圭介の周囲に張り巡らされる光のパリア。襲い来る暗黒は魔力の障壁に阻まれ手雲散する。

その反対側。哉太にも同じタイミングで迫る穢れた刃と黒き弾丸。襲い来る死を天賦の才を持つ剣士は己が業(わざ)にて対処する。
一に来るのは鋭き触手。形を変えた怪異の気配を肌で感じ取り、僅かなタイムラグを脳内で計算。優先順位を測定し、聖刀にて切り払う。
二に来るのは暗黒の弾丸。ほぼ同タイミングで哉太の周囲を取り囲む球体。全身の神経を集中させ、出来る限り最小限のダメージに抑えるべく行動を開始
八柳流『蠅払い』。目視と殺気の感知で確実に両目と急所へと当たる弾丸を両断。残りの弾丸は回避しきれず、全身に数多の銃創を作る。
だが、銃創は痛みと共に徐々に塞がり始める。異能『肉体再生(アンデッド)』。死に至らなければいかなる傷も毒も再生する。
それにより、傷は疎か付与された呪毒すらもじわじわと再生する。
傷が癒える様子を、飢餓の赤鬼はじっと見ていた。

「チッ……!」
「ぼさっとしている場合か!次行くぞ!」

不覚に舌打ちする哉太へ檄を飛ばす圭介。大田原と呼ばれていた鬼が動きを止め、哉太を見る明確な隙。
魔聖剣に魔力を滾らせ、切っ先を立ち尽くす戦鬼の背中へと向ける。
殺意の籠った攻撃ーー光線や斬撃では目の前の赤鬼はあらゆる手段で対処するのはこの短い戦闘で把握できている。
手段は絞られ、故に回避困難かつ対処不可能な魔術にて纏う闇のオーラを引き剝がすことを選択する。

「はああああああああッ!!」
剣先より吹き荒ぶ光の烈風。風に乗った魔力が絞首一体の手段となっていた厄のプロテクトを除去する。
しかし、鬼の狙いは変わらず再生したばかりの若き剣士。弱者を淘汰するのは当然の摂理である。
魔風を追い風に暴食鬼は身を屈め、ロケットのような速度で哉太へと急接近する。

されど侮ることなかれ。弱者と判定した剣士は生物災害発生後、数多の強敵の打倒を成し遂げた男である。
圭介の援護により迫る鬼にはその身を守る闇は剝がされた。即ちそれは反撃の機会の到来を意味する。
魔を断つ聖刀を構え、猛る精神を研ぎ澄ます。軌道を読み取らせまいと幻惑するように歩幅を変えつつ迫る悪鬼。到達まで残り僅か。

「■■■■■■■■ーーーーー!!!」
「ーーーーーーシャアッ!!」

頭を叩き潰す紙一重。身を屈め、怪物の力を利用し、軸足へと狙いを定める。
剛を柔でいなす八柳流が一芸「這い狼」。異形への効果覿面である聖刀の斬撃は、巨人の骨を断ち、転倒寸前にまで追い詰める。
だが、それも束の間。傷は「肉体再生(アンデッド)」以上の速度で再生し、躓いた足を何とか踏みとどまらせて体勢を整えた。
脇を抜けようとする少年を食欲と殺意に満ちた瞳で睨みつけ、矮小な身体を蹴り飛ばそうとする。
それもまた織り込み済み。

209遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 19:55:53 ID:U6P2q54E0
「打ち砕けェッ!」
闇夜を駆け、迫りくるのは身体に光のバリアを纏った山折圭介。魔力で強化した脚力で宙を舞い、剣を振り上げ大田原目掛けて落下する。
光の魔力を帯び、あらゆる物体を両断する力を持った剣が巨人の脳天に振り下ろされる。
しかし、理性がほぼ喪失しているとしても大田原は一流を超えた怪物。脊髄反射で死の気配を察知し、回避行動に移る。
だが完全回避には至らず。魔聖剣の刃は巨人の鋼のような強靭な筋肉を裂き、肩からバッサリと袈裟懸けに斬られるが、心臓には到達せず、瞬く間に回復される。

地面へと落下し、体勢を崩す山折の次期村長。同時に迫る鉄砕きの拳。
回避行動はできず、振り下ろされた鉄槌は圭介の周囲に展開された光のバリアを砕く。
強化された圭介の身体の破壊には至らないまで威力は削がれたものの、振り抜かれた拳自体が止まったわけではない。

「ぐおッ……!!」
身体の中心に拳が命中して十数メートル程宙を舞い、着地と同時に水切りの要領で地面を転がった。
体勢を整える前、追撃として今度は圭介へと迫る赤鬼。
軽く舌打ちし、救援へと向かうべく哉太が駆け寄る瞬間。

「ブルルルルォオオオオオオオオオ!!」
咆哮が響き渡る。
巨神が圭介へと迫る直前、突如として現れた一頭のの牝牛ーー瞬く間に牛頭の女巨人ミノタウロスへと変化し、大田原の前に立ち塞がる。
赤鬼と牛鬼。互いを己が膂力で押しつぶすべく。相撲のようにがっぷりと組み合う。
パワーは奇しくも拮抗。だが生まれ持った膂力で圧倒してきたミノタウロスとは違い、大田原は天賦の才と積み重ねてきた経験で種族差すら覆した豪傑。
理性と大部分の技術が失われてはいるもののこの地で葬り去ったオークと同等の力を得た今ならば、目の前の怪物に負けるはずもない。
均衡は瞬く間に崩れる。組み合った手から伝わる力を柔らの技で牛魔人の腕から伝わる運動エネルギーを受け流す。
前のめりに体勢を崩すミノタウロス。瞬間、異能によって膨張した腕に力を籠め、抑え込むように一気に力を込める。
べきりと鈍い音が木霊する。牛魔人の両腕が砕かれ、その腕ごと肉が押し込まれていく。
ぶちぶちと筋線維が引き千切られる音と石が砕かれるような骨砕きの音がコーラスを奏でる。
手遅れだと理解しつつも、少年達がそれぞれ剣を構えて牛魔人の救援へと急ぐ。
だがプレスされ続けている牛魔人はそれを許さず、背中から殺気を発し救援を拒絶。
一瞬、哉太と圭介の足が止まる。そしてーーー。

ーーーーぐちゃり。
圧倒的な膂力でミノタウロスは肉塊へと変化し、暗黒の大地に。だが絶命の瞬間、ミノタウロスの肉塊から魔法陣が現れる。
魔法陣から放たれるのは魔術によって編まれた一本の矢。死をトリガーに撃ち出される矢は生ける伝説と称される大田原といえど反応が遅れる。。
鮮血が飛び散り、決して浅くない傷を負うも再生を始める。だが、突き刺さった矢を起点に、大田原に異世界の呪術が発動。
発動した呪術の効果は再生速度のの遅延。異世界であれば精霊の加護がなければ死に至る病と化す呪い。
だが、地球という土地との相性や大田原の纏う闇により効果は激減し、『餓鬼(ハンガー・オウガー)』の再生速度を落とすだけに留まった。

死の間際、ミノタウロスーー一時の丑モーちゃんの脳裏に浮かぶのは死にゆく我が子を看取ってくれた召喚士イヌヤマの辛そうな顔。
家族が呪いへと転じたことへの衝撃。それ以上に骸も残さず消えた私の子に対する悲痛な表情。
彼女を守り抜くことはできなかったけど、彼女を大切にしていた存在だけは守りたい。
どうか、彼女の魂に安らぎあれ。彼女を想ってくれた子供達に幸あれ。

闇夜の中、再び相対する剣士二人と赤鬼。
肉塊となった牛魔人など気にも止めず、赤鬼は再び闇を纏い、獲物二人に目を向ける。
救援の死を直視した二人は表情は暗いものの、大田原に起きた異変に気付く。
ミノタウロスの死骸から放たれた矢を受けた後から、傷の治りが遅くなっている。
命を散らした獣に心中で謝罪と感謝を述べ、二人は血肉に飢えた巨人を見据える。

「牛の巨人の力で回復速度が遅くなったみたいだ。さっき以上に慎重に切り込むぞ」
「OK、BOSS」



210遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 19:56:29 ID:U6P2q54E0
村王と彼の盟友たる若武者が暴食の戦鬼と激突し、白と黒のコントラストを描く場所から少し離れた平野。
静謐とは程遠い暗闇の中、地に堕ちた月の如く朧気な光をを身に纏い、佇むのは一羽の白兎。
弱光の発生源は白兎が首からぶら下げたチェーン付きの古めかしい懐中時計。
亡き「犬山うさぎ」が異世界より地球へ持ち出した召喚術にしてVH発生後に異能として発現した「干支時計」の具現化アイテム。その文字盤に刻まれた数字八つ。
灯る光はそれぞれ白兎を含む眷獣の命を示す印。命を落とした寅・巳・酉・戌の時刻は光を失っている。
そして今しがた、ミノタウロスのモーちゃんの命が対敵への呪詛と引き換えに失われ、丑の刻の灯火か儚く消えた。

『……お疲れ様。君の魂が望と喪ったこの元へと逝けますように』
捨て駒にした戦友に吐かれた一言は何一つ慰めにもならない空虚な言葉。
亡き主の最期の願いは自分達眷獣の平穏と幸福。その祈りを踏み躙り続ける自分達は最早彼女の元へは逝けないだろう。
それでも突き進むという覚悟は皆持っている。理由はただ一つ、聞き入れられることなく振り切られたちっぽけな口約束。

"君の友も助けると約束する"
ーーどさり、と白兎の傍らで何かが倒れる音がする。月兎の仄かな灯りに照らされたのは一頭の羊の死骸。それはすぐに光の粒子へと形を変え、闇の中に溶け込んでいく。
そのすぐ近くの夜闇に紛れ込み佇んでいたのは殉教者のように群れを成す何頭もの羊達。

形見へと変わってしまった懐中時計ーー干支時計は元保有者隠山望(いぬやまのぞみ)の召喚術を異能へと落とし込んだもの。
しかし、様々な要因が重なり召喚には魔力を要する異能へ、魔力が存在しなければ生命力で補うハイリスクなものへと変貌してしまった。
それだけに留まらず、白兎が魔術で無理やりうさぎから取り出して物質化させたことが影響し、召喚に必要なリソースは生命力のみへと上書きされてしまった。
故に、召喚のリソース元として任命されたの七時の羊、メリー。彼(または彼女)の召喚リソースを担ったのは他ならぬ頭目の白兎。

異世界におけるメリーの種族は魔物・増殖羊(クローン・ドリー)。特筆すべき点は戦闘力ではなく、その特性。
大元(マスター)の魔力さえあれば、単為生殖により無限に命を増やし続けられる獣である。

どさり、どさり、どさり。
次々と生贄の生命がエネルギーとして動力源の召喚時計に送り込まれる。歯車が廻り、時針が消費される仲間を指し示す。
召喚先の座標(アンカー)は二つ。
天宝寺アニカの持つ御守りーー神楽春姫から貸し与えた力の一片と共に回収したもの。
八柳哉太の持つ御守りーー犬山うさぎの遺品の一つを彼の懐に転送したもの。
それらはうさぎの前世ーー召喚士イヌヤマが異世界から持ち出した彼女と白兎の祈りが込められた三つの御守りの内の二つ。
二つの御守りを通して白兎は忌まわしき魔王や日野珠の肉体を掌握したHE-028-Aウイルスの動向を記録として読み取っている。
望む未来(ハッピーエンド)の道は断たれ、残るのは何れも最良の結末には届き得ない、尊厳と踏み躙る悪辣極まりない選択肢のみ。
既に賽は投げられた。デウス・エクス・マキナの手から解き放たれ、舞台裏から残酷劇(グラン・ギニョル)の舞台に乗せられた孤独な観測者の選択はーー。



211遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 19:56:55 ID:U6P2q54E0
澄み渡る山折の夜空に浮かぶのは月日星。双子座の星彩が白と黒、対極の恒星を煌々と照らし出す。
白き月は草原を仄かな光で照らし、黒き太陽は乙女へ灼熱の槍と黒鉄の剣の豪雨を降らせていた。
黒き太陽ーー『日野珠』の肉体を掌握した女王が狙うのは地を這う虫二匹。
神楽春姫ーー正確には彼女の肉体を借りた山折村の禁忌的存在こと『隠山いのり』の背中には天宝寺アニカ。
いのりの怪異としての異能『肉体変化』にて身体を変化させ、肉と骨の子守帯で彼女を包み込んでいる。

「くっ……次から次へと……!アニカ、速度上げるから気を付けてね!」
「Got it!私もできる限りフォローするけど、Queenの魔術に気を付けてね、Ms.ハル!」

天より襲い来る鉄と炎の嵐。いのりは柳葉刀を下段に構え、異能『剣聖』と『身体強化』を同時発動。
未来予知じみた直感と爆発的に上昇した身体能力にて、只人ならば即座に肉塊と化す地獄を掻い潜り続ける。
時折、異能の強化すらすり抜けて脅威が飛来するも、進化したアニカの異能『テレキネシス』が紙一重で猛撃を防ぐ。
本来ならば異能の力であっても触れることすら叶わない魔術。だが、アニカの体質は魔王との戦闘を経てある変化を遂げていた

「高魔力体質……か。未だ全貌が見えない力が寄りにもよって運命線の見えない者に行き渡るとは、厄介極まりないね」

上空から猛攻を仕掛けながら超越者は独り言ちる。
魔術と運命観測。力を行使する女王が少女二人を仕留めきれずにいる要因は二つ。
隠山いのりの「剣聖」の未来予知による運命線の逆算。
天宝寺アニカの「高魔力体質」による魔王の力に依存するあらゆる攻撃への絶対的耐性。
現状、メタを張れる二人が手を組んだことで女王は進軍を阻まれている。
だが、有効打がないのはいのり達も同じ。女王は上空30メートル地点から空襲を仕掛けており、剣による近接戦を主とするいのりは勿論、「テレキネシス」の範囲外であるアニカも女王との相性は悪い。その上ーー。

「Take look!Ms.ハル、あれは……?!」
「山折村の、厄……!?娘を……うさぎを殺したアイツが……畜生!」
「Settle down。冷静さを欠いたらアイツの思う壺よ」
「……分かってる。異能のお陰で頭は冷えてるから心配しないで」

アニカの心配を他所に原初の巫女は怒りをに滾らせる。
太陽のコロナの如く女王の身体に纏わりつく黒霧。厄神として祀り上げられた「イヌヤマイノリ」一柱、影法師の少女「神楽うさぎ」から簒奪した厄を操る力。
「イヌヤマイノリ」の片割れ兼張本人のいのりは、義娘のうさぎが自身と同じ名を持つようになった経緯は疎か、都に留学した彼女の死因すら知らない。
圭介と共に女王の元へと向かう最中、宿主である春姫本人にそれとなく聞いてみたのだが、多くは語らず、返ってきたのは「知らぬ」という拗ねた答えのみ。
だが何れにせよ、上空の怨敵がいのりから大切な存在を奪ったのは事実。
憤怒・憎悪・敵意・殺意……あらゆる負の感情を心に巡らせ、「身体強化」を発動。同時に女王のように自身の身体に山折村の厄を纏わせる。

「ぐ……うぅ……。Ms.ハル、アナタ一体……!?」
「ごめん、アニカ。奴を地面に叩き落とす策があるから、少しだけ耐えて」
「Got……it……!」

いのりが纏い始めた瘴気の影響を受け、魔力を得た探偵少女は苦悶の呻きを漏らす。
春姫の肉体も同様。巫女の聖なる血と怪異としての特性は太極図のように反発しあう性質故に相性は最悪。
怪異であるいのりの力の増強と相反して春姫の骨肉は軋み、悲鳴を上げる。
宿主たる春姫本人の人格はいのりの言葉を信用し、不服ながらも沈黙を貫いている。
空を見上げる。一瞬、天から見下ろす黄金の瞳が闇の中で妖しく光った気がした。

『……隠山祈よ。汝の思惑など知る由もないが、妾の身体はーーー』
「分かってる。長くは持たないんでしょ。今の状況が続けば殺られるのはこっち。隙さえ作れればーー」

舞台のセッティングは完了。後は実行に移すのみ。
だが対敵は策を見透かしたかのように今まで以上に苛烈な攻撃を上空から降らせて妨害する。
瘴気による消耗で少女二人が潰れるのが先か。はたまた講じた策による女王の撃墜がなされるのが先か。
このままでは埒が明かず、乾坤一擲の勝負に出るか、と思案したところでいのりに背負われたアニカから「Wait(待った)」の声が掛かる。

212遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 19:57:30 ID:U6P2q54E0
「Ms.ハル。ほんの少しでも隙を作ればいいのよね?」
「そう、だけど、貴女を囮にするのはナシよ」
「Don’t worry。時間稼ぎをするのは私じゃないわ。あとちょっとしたら救援が来るのよ」
「救援?そんな気配は感じ取れないけど、一体誰がーーー」
「そうよね、Ms.Rabbit!」
『ああ、君の信頼に応えよう、アニカ』

不意に背後から聞こえるアニカの物ではない大人びた女の声。
声を聞いたいのりの中の春姫が忌々し気に舌打ちする。声の主とは何らかの因縁があったのは明白だが、聞く余裕は今はない。
直後、爆撃の轟音に紛れて聞こえてくるのは大地を蹴る蹄の音と猿叫めいた力強い雄叫びの二重奏。
五大元素の爆撃を凌ぎつつ音の方を見やる。そこにはこちらへと猛スピードで駆け寄る獣二匹。
頭に一本の角が生えた美馬ーー聖獣ユニコーンとそれに跨る長棍を背負う逞しい赤毛猿ーー斉天大聖。
彼らの出現と同時に暗黒太陽から放出される魔術弾幕は範囲を広げ、二匹の獣もターゲットに加わる。
ターゲットが増え、魔術攻撃が分散させられたことにより、いのりら二人の包囲網が僅かに緩む。
だが現状打破には一歩及ばず。いのりとアニカは異能と身体能力の酷使を続け、反撃の機会を虎視眈々と狙う。

転機が訪れたのは僅か数十秒後。
血を揺るがす怒涛の蹂躙の中、爆風に吹かれて宙を漂うのは赤毛猿、斉天大聖の体毛。
直後、毛を媒体に現れたのは斉天大聖をワンサイズダウンさせたような数匹の子猿。斉天大聖の妖術にて召喚された命なき分身。
子猿出現を目視した後、禁忌的怪異『隠山祈』がワニ吉より吸収した異能を発動。「ワニワニパニック」ならぬ「ミコミコパニック」により生前のいのりと瓜二つの分身が現れる。
召喚された分身達は散開し、魔術降る平原を縦横無尽に駆け回る。

いのりとアニカはただ闇雲に女王の空襲を避け続けた訳ではない。反撃の糸口を見つけるため、爆撃の法則を分析していた。
考察の結果、魔法爆撃はあらかじめ構築された魔術の自動操縦(オートマチック)システムに加え、照準や一度に放たれる魔術には上限が存在すると判断。
当初は「ミコミコパニック」を運用することでチャンスを作るというものだったが、獣二匹の出現を伴って計画を上位修正。
予期せぬ幸運によりアニカと春姫の肉体の消耗を抑えることができ、女王陥落の糸口が見えてきた。

「Ms.ハル!」
「承知!」

分身の消費が進む中で生まれた奇跡のような刹那の空白。殺意の豪雨が途切れ、二人の少女の目に移るのは浮遊する魔王星。
剣の巫女は体勢を最適化させるため静止。中華刀を下構えに修正。全身を覆う瘴気を全身から腕、刀身(はがね)に伝わせ、浸透させる。
照準は空の死兆星。装填する弾(やいば)は呪厄。魂に巣食う悪しき淀みを殺意一色に統一し、肉体を攻撃に特化。
再び女王に収束する魔力。魔術の豪炎がいのり達に放出された瞬間ーー。

「ーー哈(ハァ)ッ!」
ーー呪厄一閃。
異能『剣聖』の特性ーー剣装備時、刀身に退魔の力が宿り、形なき存在にすら届く力の取得。
怪異『隠山祈』の特性ーー厄の操作による万物への干渉力の獲得。
異能と厄災。性質の異なる二つの力を複合させた斬撃はいのりへと接近する魔炎を両断。
その勢いのまま女王へと繫がる魔力経路(パス)を辿り、暗黒惑星を纏う厄ごと袈裟懸けに切り裂いた。

213遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 19:57:56 ID:U6P2q54E0
天から魔術の代わりに女王の鮮血が降り注ぐ。日野珠の肉体から内臓が零れ落ち、覚醒前であれば致命に至る傷。
だが今の日野珠には魔王の娘より強奪した魔術の力がある。回復魔術の使用により瞬く間に傷が再生する。
肉体の修復が完了する直前、斬撃と共に仕掛けられた罠が作動する。
塞がれつつある傷口から入り込む斬撃と共に放たれた山折の厄が女王の体内に侵入。異能と化した魔王の力を破壊する。
だが、消滅した魔王の娘ーー■■■こと神楽うさぎのように完全な消滅には至らず、得られた成果は空中浮遊(レビテーション)の術式の剥奪に留まる。
墜落する女王。愛する者を殺した仇敵の落下点目掛け、ヒトと獣の両者はそれぞれの得物を手に駆け出した。

「くひっ」
闇夜の中でボソリと聞こえる女王の嗤笑。同時に彼女の四方八方に展開される数多の武具と蒼の火球。
女王の周りを漂うそれら全てには彼女の追う瘴気ーー山折の厄が付与されており、禍々しい気配を漂わせている。
生み出された魔術は出現と同時に手榴弾のように暗黒と共に放出された。

「ーーーッ!」
「剣聖」の未来予知が発動。いのりは遅い来る魔の軌道を読み、中華刀で捌き、回避する。どちらも間に合わないと判断された攻撃はアニカの異能に任せて凌ぐ。

「ギィィィィーーーー!!」
嵐を潜り抜ける中、聞こえる魔猿の断末魔。白馬に跨る斉天大聖に厄纏う武具や火炎が殺到する。
同時に一角獣の体にも数多の刃が突き刺さり、血を撒き散らしながら転倒。闇に溶けるようにその巨体が消えていった。

「くっ……!」
背後から聞こえるアニカの息を呑む音。いのりは知る由もなかったが、目の前で死した一角獣は数時間前、袴田邸にてアニカ達を助けた白馬、ウマミ。
また、地に堕ちた斉天大聖は全身を痙攣させており、最早虫の息であった。
救援の死にいのりとアニカに動揺が走る。だが二人の事情などお構いなしに暗黒太陽は魔力のホバーで逆さまの体勢で緩やかに落下しながら魔術を自動掃射を継続する。

落下点までの距離は凡そ100メートル。『剣聖』と『身体強化』の同時使用により脚力を極限強化し肉体を急加速。到達までは十秒もかからないだろう。
疾風に少女二人の髪が靡く中、悍ましき怪異「隠山祈」は今に至るまでの経緯を回想する。

日野珠と神楽春姫。二人には未来があった。もし自分が一歩踏みとどまれていれば、『うさぎ』が珠から女王を摘出し、再び平穏へと還ることができたかもしれない。
自分が『うさぎ』ともっと早く再会できていれば、憎悪を燃やし尽くすことなく隻眼のヒグマに小柄な研究員、氷使いの少女は死なずに済んだのかもしれない。
遡ること10年前。もしも自分が『うさぎ』と共に大人しく封印されていれば、背負う探偵と同じ体質を持つ少女も兄と共に健やかに成長していたのかもしれない。
だがそれは空上の理論でしかない。時計の針が遡ることはなく、デウス・エクス。マキナは顕れることはない。
肉体の宿主ーー春姫の手はまだ汚れていない。アニカも誰一人として手を掛けた様子はない。
日野珠も同様。女王に目覚める前は生前の自分を思わせるお転婆な少女であったことが分かる。
最早完全無欠のハッピーエンドなど臨めない。誰かが手を汚さねば山折村に朝が来ることはない。
故に自分が汚れ仕事ーー日野珠の処刑を担おう。
覚悟を決め、手の柳葉刀を握り締める。首を両断すべく刀を構え、そしてーーー。

214遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 19:58:25 ID:U6P2q54E0
「やれやれ。窮地に追い込んだ程度で未来の皮算用とは、私も甘く見られたものだね」

ぞくり、と少女達の肌が泡立つ。
いのりの漆黒の瞳と珠(じょおう)の黄金の「双眸」が交差する。
女王の手に顕れたのは淡い光を放つ木刀二振り。迫る中華刀と木刀が激突する。
与田四郎の異能『真実の研究者(ベリティ・サイエンティスト)』により解析が完了し、いのり目に映るのは更新(アップデート)された女王の力。
異能『女王』、『魔王』、そしてーーー。

―――――――――――――――――――――――――――――――――
村人よ我に捧げよ(ゾンビ・ザ・ヴィレッジクイーン)
現在生存しているゾンビが得るはずだった異能を再現する異能。
ゾンビ化前の人間の人物像を知っていなければ異能を再現できない。
支配する異能はゾンビ化する前の人間からの好感度が高いほど再現度が高くなる。

【現在使用可能な異能】
『林流二刀剣術』、『神技一刀』、『暗視』、『剛躯』
――――――――――――――――――――――――――――――――――

「黄泉より還り、我に魂を捧げよ『ランファルト』」
ーーー『女王』第二段階到達。魔王の娘■■■の力、魂の蘇生発動。
ーーー生誕、聖木刀ランファルト。

聖なる光が二つの木刀へと集約し、人類救済の意思(エゴ)が顕現する。
黄泉返りを果たした『ランファルト』の力が分割され、意志と共に二振りの木刀へと宿る。
鳴り響くのは機と鉄の合奏。だが銀の煌めきは星の輝きに敵うはずなどなく、刀身が真っ二つに砕かれる。
木製剣の勢いは止まらず、そのまま神楽春姫の肉体に真一文字の傷を生み出す。
星風に吹き飛ばされる少女の肉体。刀身が半分になった剣を握りしめたまま、いのりは地を転がった。
対し、女王はくるりと体操選手顔負けのアクロバットで宙で体勢を整え、緩やかに着地した。
地に転がる獣と同様に地虫と化した麗しの巫女へと悠々と女王は歩み寄り、見下ろす。

「さて、ダンスの続きをしようか。よろしく頼むよ、お姉さん」
二つの黄金の瞳が星の輝きを見せる。



215遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 19:58:55 ID:U6P2q54E0
「きゃあああ!1あうッ……!」
宙を舞い、背中から地面に落ちるアニカ。そのまま転がり、十数メートル先で停止する。
木刀が鉄刀を砕いた瞬間、咄嗟にいのりは肉体変化を使用。肉体を操作し、背のアニカの危険を察知して後方へと弾き出した。
痛みに呻きながらアニカは身体を起こし、飛ばされた方向ーーいのりの方へと顔を向ける。
そこにはよろよろと立ち上がる折れた剣を片手に持つ神楽春姫と淡い光を放つ木刀二振りの切っ先をだらんと下へと下げた女王、日野珠。
女王と対峙する恩人へと駆け寄ろうとするも。

「ーーー行って!!!」
喉が張り裂けんばかりの言葉が駆け出す寸前のアニカの足を止める。
自分を助けた恩人を見殺しにする。その決断は地獄を潜り抜けてきた探偵少女の正義を否定するもの。
このVHの中では何一つ事を為せず、誰一人として助けられていない。そうアニカ自身は思っている。
脆弱な異能と小学生の身体では出来ることは限られ、むしろ同行者の足を引っ張り兼ねない。
逡巡の許容時間は僅か。天秤にかけられたのは砕かれたプライドと卑劣な効率。
総取りと折衷はなく二者一択。いのりの言葉に従って逃げおおせるか、自分の正義に従っていのりの救援に向かうか。探偵少女の下した決断はーーー。

(ーーーごめん、なさい……!!)
自分一人で救援に行ったところで犬死にするだけ。ならば女王の危険性を他の生存者に伝達するのが最善手。
己の無力を噛みしめ、女王と対峙するいのりに背を向けて走り出す。向かう場所は視線の先ーー三つの人影が対峙する戦場
正常感染者と特殊部隊の戦闘かもしれない。だが哉太達がいない今、頼れるのは最も近い彼らしかいない。
幾度となく外的要因と己の決断に打ちのめされた。自らの正義を失いかけている少女は女王を止めるため、死地へと向かう。

ーーーずるり。
背後から忍び寄る暗黒の存在など知らずに。



「う……ああああああッ!!」
「くひひひひ。怖い怖い」

悲痛な怒涛と共に折れた剣が振るわれ、それを女王は達人の如き技量で捌き続ける。
HE-028の目覚めた異能「村人よ我に捧げよ」。100を超える無間地獄を潜り抜けた前女王、日野光が予め持ち得ていた力である。

「まさか姉と同じ力に目覚めるとは。血は水よりも濃いとはよく言ったものだ」
『剣聖』と『肉体強化』による嵐の斬撃を軽くいなしながら、ぼそりと少女は独り言ちる。
猛撃を続ける中、研究所での戦闘より蓄積された疲労と全身の筋肉痛が神楽春姫の肉体を確実に蝕み続けている。
天性の肉体に綻びが生まれ、パフォーマンスが各段に下がった結果。

「どうしたどうした。さっきより動きが鈍くなっているぞ……っと!」
輝く二振りの聖木刀に折れた刀をかち上げられ、がら空きになった胴に珠の廻し蹴りが叩き込まれる。
「かふっ」と肺の空気と共に鮮血が吐き出され、いのりは地滑りに転がり純白の巫女服を泥で濡らす。
異能の質・身体能力・攻撃手段・戦闘経験。全てにおいて生まれたばかりの女王は古の巫女を凌駕しており、既に格付けはなされていた。
それでもいのりの瞳は光を失っておらず、地に降りた女王を見据えて、刀身が半分になった剣を構える。

216遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 19:59:35 ID:U6P2q54E0
「やれやれ。懲りないものだね、君」
「当たり……前でしょ……!ここで折れたら、全て終わりなのよ……!それに、未来への希望は繋げ―――」
「そら、時間だ。そろそろ表人格に戻りたまえ」

いのりが言い終わる前に、パチンと女王の指が鳴らされる。
同時にガクンと糸の切れた人形のようにいのりは膝から崩れ堕ちる。
数秒の沈黙の後、原初の巫女が顔を上げ、冷笑を浮かべた女王を睨めつける。

「数時間ぶりだね。良い夢を見れたかい、神楽春姫」
「厄災……!貴様、何をした……?!」

へらへらと取り繕うそぶりすら見せない女王に対し、いのりはーー否、得体のしれない力によって引き摺り出された主人格、神楽春姫は美貌を歪ませる。
女王の覚醒といのりによる肉体の酷使により春姫は満身創痍であり、意識を保っているのがやっとの状態。
だが、副人格と同様に未だ闘争心を燃やし続けるのは鋼の如き精神故か。
剣の形を保っただけの鉄屑を向ける偽りの女王を真なる女王はせせら笑う。

「何って、君達が私の翼を奪ったことと同じことをしたまでさ。いや、むしろ天宝寺アニカ達と『神楽うさぎ』が生み出した魔王への対抗策の方が近いか」
「何だ……それは……!?」
「分からないかなぁ。君、才能ある癖に何も研鑽してこなかったから、思考力が欠如しているんじゃないかね。
隠山祈への反撃と同時に纏った呪厄を君の身体に寄生させたのさ。『神宿し』、『反魂』、『珠縛り』の三つの呪詛をね。
これで『自我交換(マインド・シャッフル)』だっけ?が封じられて、自尊心だけを増長させた無知陋劣な君の人格が浮き彫りになったワケ」
「だが、妾の運命線が見えぬのは変わらないのだろう…!?策に溺れたな……!」

春姫の脳裏を過るのは己を愚弄した白兎の冷徹な眼差し。それと同時に突如として失われた春姫という人物を構成する大切な何か。
VHが発生する前の日常であれば、所詮うつけ者のたわ言と大して気にも止めなかったであろう。
しかし、女王を前に敗走した事実や反旗を翻した聖剣という要因が重なることで異変が起こる。
天上天下唯我独尊を地で行く春姫にとって己の失態は何よりも耐え難い屈辱であり、それが彼女の精神を大きく揺さぶった。
だが、生じた異変が及ぼした影響は全て悪い物ではない。

夜空のような漆黒の髪を靡かせ、忌まわしき女王へと疾駆する。
手には折れた剣。だが接近速度は常人の物ではなく、正しく神速。
氷の如き理性が溶け、春姫を動かすのは煮えたぎる激情。
それに呼応するかのように魂の中に巣食う「隠山祈」に接続され、力が全身に巡る。

217遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:00:02 ID:U6P2q54E0
過負荷を受け、『全ての始祖たる巫女(オリジン・メイデン)』は覚醒する。
只の虚仮威しに過ぎなかった異能の果て。それは自らの才覚を限界まで引き出し、その条件に合致した異能の取得。
全ての可能性を秘めた女王春姫の中に宿るのは多くの異能を喰らった禁忌的怪異ーー隠山祈の力。
引き出される『剣聖』、『身体強化』。そして覚醒する彼女の尊き血統に眠るチカラ。
瞬く間に女王の水月へと到達。生涯初めての激情が目の前の存在が日野珠であること忘却させる。
光を放つ欠けた剣。纏う闇を切り裂いて刃が振るわれる直前。

「君、思考力だけじゃなくて学習能力もないのかい?」

嘗ての女王の異能『村人よ我に捧げよ』が発動。
示現流『雲耀』が如し太刀が岡山林の異能『林流二刀剣術』の卓越した剣術で受け流され、春姫は大きく体勢を崩し、蹈鞴を踏む。
同時に返す刀ーー暮村雨流の異能『神技一刀』の魔力を帯びた聖木刀の斬撃が身体強化にて硬化が施された春姫の肘から下を切り落とす。
なまくらごと明後日の方向へと飛ぶ自称女王の両腕。激情も冷め、呆然とした表情で腕のあった場所を見つめる。
そして間髪入れずに再び叩き込まれる岡山林蔵の異能『剛躯』にて肉体のポテンシャルが跳ね上がった脚力での前蹴り。
ベキリと枯れ木の折れる音が木霊し、泥に濡れた春姫の身体がどす黒い血を吐き散らしながら吹き飛ぶ。
暗がりの中、風を切って平行移動する巫女の肉体を暮村沙羅良の異能『暗視』により晴れた視界が正確にその姿を捉えた。

「く……ぁ……!!」
土埃と千切られた雑草が舞う平原でかつての女王、神楽春姫はその身を横たえていた。
起き上がろうにも既に両腕は肘から下は存在せず、醜く地を這う芋虫のような蠕動運動以外はできない。
神の造形のような天性の肉体の面影は既になく、面立ちに浮かぶのはかつての凛とした美貌ではなく、憔悴した表情は正しく敗者のそれだった。

「つ……うう……うあああああああああッ!!!」
失墜した女王の慟哭が夜闇に木霊する。天に愛された山折の女王は生涯初めての絶望に屈した。
神楽春姫は何も学びはしなかった。故に立ち直る術を知ることはなかった。
神楽春姫は何も鍛えはしなかった。故に類稀なる才能を腐らせ、悉くを蹂躙された。。
神楽春姫は何も恐れはしなかった。故に危機的状況に陥る前に対処することなど到底できるはずもなかった。
詰まるところ、神楽春姫は19年の人生で培ってきた己が矜持の重量に耐え切れなかったのだ。

だが、春姫の絶望はまだ終わらない。その足音は静かに迫ってくる。
じゃりじゃりと土を踏む音がにじり寄り、音を耳にすると地に伏した巫女は息を呑んで顔を上げる。
土と血に濡れたかつての美姫の顔を、黒い太陽が覗き込むように見下ろす。

218遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:00:54 ID:U6P2q54E0
「や♪気分はどうだい?」
「貴……様ァ……!!」
惨劇を引き起こしたとは思えぬ呑気な声が頭上から降りかかり、春姫は激痛と屈辱に美貌を歪める。
傲慢は肉体の欠損と蹂躙により砕かれ、今の春姫を支えるのは既に土台がガタついている「山折村」という精神的支柱のみ。
虚勢を張る元自称女王の無様を見下すのは真なる女王。邪悪な笑顔を張り付けたまま、パチンと指を鳴らす。

ーーーずるり。
女王の纏う厄が脈動する。光が失せつつある春姫の瞳が大きく見開かれる。
次の瞬間、暗黒の塊が触手へと変化し、呆然とする春姫の口を無理やりこじ開け、口腔へと侵入する。

「な……何だ……くあッ!」
「はいはい♪立っちが上手♪立っちが上手♪」

口腔から侵入した厄の触手は速やかに全身へと転移。神経の隅々まで犯し、その激痛で春姫は声なき悲鳴を上げる。
支配された神経が主の意思とは無関係に活性化し、喘ぐ春姫に更なる苦痛を与えて無理やり立たせる。
その様子を幼き女王は手拍子を叩いて心底愉快そうに応援する。
敗者となり、座から降ろされた女王に尊厳などある筈もない。与えられた運命は勝者を楽しませるためだけの道化となるのみ。

凌辱が終わり、肉体の支配権すらも剥奪された元女王の瞳を現女王は悪意と愉悦の籠った黄金の瞳で見返す。
春姫の瞳は未だ光を失っていない。これだけの非道と絶望を与えられても尚、現状に希望を見出している彼女へ「ほう」と感嘆の息を漏らす。

」凄いね、君。まだ頑張れるんだ」 
「妾が朽ち果てようとも……!世界は……山折村は……決して滅びぬ……!」

うわ言のように吐き出される春姫の言葉。語る内容こそが今の春姫を支える最後の砦。
最早自分が助かる術はない。自害しようにも斬首する腕どころか、舌を嚙み切る力もない。
だが、まだ希望は残されている。いのりが決死の覚悟で逃した金髪の幼子。そして、解決策を模索している山折村の次期村長、山折圭介。
神楽春姫は眠りにつき、その魂は誇り高き祖神楽春陽のように山折村を守護る英霊となる。
確実に訪れるであろう苦痛に対する覚悟を決める。口を真一文字に結び、両目を閉じる。
だが、女王の口から吐かれた言葉は春姫の予想を大きく裏切るもの。

「はぁ?何を言っているんだい?山折村を滅ぼす気なんてさらさらないよ」
平然と言い放つ。言葉の意図が掴めず、元女王は閉じた瞳を開き、心底後悔した。
くひっ。視界に映るのは知的生命体が浮かべていい物ではない、悪意そのものが凝縮された悍ましい笑み。
異形そのものである形相に、精神が弱り切った春姫は身震いする。

「まあ、気を楽にして聞いてくれ。別に私は山折村を滅ぼそうとも君を死に追いやろうとも思っていないんだ」
「ぬ……抜け抜けと……!なら……ば、貴様の蛮行は……我が祖先が決死の思いで封じた厄の解放は……どう、説明をつけるつもりだ……!」

219遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:01:31 ID:U6P2q54E0
恐怖をふつふつと沸き上がる憤怒と激情で蓋をし、生殺与奪の権を握る女王を弾劾する。
途切れ途切れの虚勢を述べる道化の女王に悪逆の女王は先程の悪意とは一変、生徒を見守る教師のような穏やかな笑みを浮かべる。

「蛮行?そ平和的解決を提示した私に対して暴力で解決しようとした君達に対する正当防衛じゃないか。濡れ衣を着せるは感心しないな。それでも弁護士の娘かね?」
「ち……父上の愚弄は……許さぬ……!」
「それと私の周りを漂う彼らのことだね。これは80年前、この村で人体実験の材料にされた外様の子供達は未来あった若い兵士達の魂が厄溜りの混沌と結びついたものさ」

言葉を失う。春姫が知るのは隠山祈の記憶から読み取った原初(ゼロ)の記憶と父母や祖父母から教えられた平穏そのものであった山折村の歴史。
女王の告発の後、思い出したかのように体内に巣食う厄がのたうち回り、激痛と共に脳裏に過ぎるのは数多の景色。

薄暗い牢獄の中。部屋の隅で抱き合って身を震わせる女生徒二人。扉が開き、泣き叫ぶ彼女らを兵士達が連行する。
地下研究室と酷似した場所。少年の割られた頭にメスが差し込まれ、痙攣する。その様子を伺うのは彼と同年代の少年。即ち次の被検体。
夜の山折神社。社務所の軒下に隠れ潜むのは幼き兄妹。しかし衣冠を纏う男によって引き摺り出され、二人の大人の手によって泣き叫ぶ幼子達は連行される。
幼子を引き摺り出したものの正体。それは神楽家の遺影で飾られてある春姫の曾々祖父と、犬山家の曾々祖母。
筆舌に尽くしがたい光景を目の当たりにし、愕然とする春姫などお構いなしに女王は言葉を続ける。

「それから毎年君達は古臭い踊りを披露する祭りがあるだろ?あれは本来、人柱達の魂を慰めるための儀式だったらしいよ。
それが今じゃ山折村の闇を厄溜りに押し付けて、私達に罪はないから許して〜って神様に許しを請う儀式に変わっているんだって。
それも80年前の出来事をきっかけに全て闇に葬られてるんだ。ウケル」

けらけらと無邪気に毒を撒き散らして神楽の歴史を愚弄する。反論しようにも脳内で蠢く厄が悲痛の記憶を送り続けるため、言葉が紡げない。

「廃棄され積もった塵が厄と結びついた。神楽春陽が身を投げた深淵には大勢の「隠山祈」が今も尚蠢いているんだ。
良かったね、隠山祈。不幸になったのは君だけじゃない。同じ境遇の人達がたくさんがいるんだ」

聞きたくない。耳を塞ごうにも体の自由は聞かず、それどころか腕そのものがなくなっている。

「それから山折村の由来だね。大昔の犠牲者の魂から読み取ったんだけど、本当は「山祈(やまいのり)村」だったのさ。神楽春陽が名付けたらしいよ。
君のご先祖様、何とか想い人の名を残そうと必死だったみたい。それと神楽分家の人間が「山祈(やまいのり)」の姓でこの地を治めようって決めたらしい。
まあでも時代の移り変わりと共に「山折」に変化して忘れられちゃったみたいだけど。
まあ何が言いたいのかって言うと、神楽家と山折家は遠縁関係にあったんだ。家族が増えるって良いものだよね」

絶望の告発の中にあったほんの僅かな光明。不浄に塗れた山折村の真実に見出した確かな希望。
犬猿の仲であった山折圭介は神楽血筋の人間だった。神楽一族が、山折村を統べてきた歴史は正しかった。
だがその光も、新たな告発により上書きされる。

「何度も言うけど私は山折村を滅ぼすつもりはない。むしろ進化の糧となる山折村を増やそうと考えているんだ。
君達と小競り合いをしている最中に厄溜りの要石になっていた神楽うさぎのノウハウを生かして厄溜りに接続。
彼らの願いの大多数は孤独の払拭と復讐。その解釈をちょっとだけいじって体内の願望器で叶えてあげたんだ。
つまりはだね、厄の一部ーー59の「隠山祈」達は空気感染機能を備えたHE-027-Aを持って日本各地に散らばった。願望器で作り出した私の前のバージョンをね。
でも私や君ほどの力を持つことはないし、撒き散らされるウイルスに感染しても正常感染者になれる確率は1%くらいかな。
彼らの行き先は全ての元凶になった未来人類発展研究所所長、終里元の子供達59人。彼らが女王感染者となり59の「山折村」を生み出す。
喜べよ、原初の巫女。君達一族の所業は山折村の繁栄と研究所への神罰に繫がったぞ」



220ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:02:38 ID:U6P2q54E0
大地を揺るがす鬼の咆哮が轟く。纏う深淵が散弾の如く撒き散らされる。
山折圭介と八柳哉太。得物を剣とする二人の若者は襲い来る死の脅威に果敢に立ち向かう。
哉太は卓越した技量にて攻撃を捌き、圭介は魔聖剣の光の魔術で猛撃を凌ぎ続ける。
そして、赤鬼こと大田原源一郎の討伐戦線に存在するのは二人の若者だけではない。

「ブモオオオオオオオオオオオオオオ!!」
鬼の雄叫びと負けず劣らずの迫力で咆哮するのは馬ほどの巨体を持つ白猪のウリヨーー伊吹山神の使徒。
身体を覆うのは魔力を帯びた白吹雪。哉太と圭介の攻撃の合間を縫って、ウリヨは鬼へと突進する。
聖なる氷雪は鬼の纏う瘴気を凍てつかせ、一時的に防御性能と自動攻撃を劣化させる。
攻撃速度が鈍る最強。生じた隙を二人の剣士が見逃すはずもない。

厄と剛拳による遠近両対応の反撃を掻い潜った瞬間、体勢を戻す刹那の空白の間に繰り出されるのは二つの斬撃。
魔聖剣の切っ先からの炸裂光が大田原の右足の腱を貫き、聖刀の鋭い斬撃が左足の腱を真一文字に切り裂いた。
どちらの傷も再生し始めるが、その速度は先程と比較すると各段に遅くなっている。
完全な転倒の前に巨人は何とか踏み留まるも、明確な行動遅延(ディレイ)が発生する。
主の危機に纏われた厄は対敵3つに対し、自動追尾攻撃を放つ。
だが、歴戦の勇士は既に行動パターンを把握しており、危機を察知すると同時に各々の手段で対処する。
体勢を完全に戻される前、地獄を潜り抜けたのはウリヨ。
倭建命に不覚を取ったように大田原もウリヨの神威を受け、ダメージと共に幾度目かの能力低下(デハブ)を受けた。

立ち向かう三者の中で最も戦闘に貢献しているのは二人の若者ではなく、新たに戦線へと加わった白猪。
佇まいは歴戦の強者を思わせ、彼女自身が圭介と哉太に合わせているようにすら思えてしまう。
このまま状況が続けば何れ刃が赤鬼の首へ届く。二人の剣士は確信する。
そして、次なる一手を打とうとした瞬間ーーー。

「カナタあああああッ!!」
望まぬ救援が訪れる。

221ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:03:03 ID:U6P2q54E0
「バ…馬鹿野郎ッ!来るんじゃねえアニカァ!!!」
「---ッ!」

鬼との戦闘区域に入る直前、哉太が声を張り上げて闖入者ーー天宝寺アニカの足を止める。
女王から逃げおおせた先。そこには想い人がいた。あらゆる負の感情に支配される中、見出した希望。
普段の聡明さは過酷な状況で剥がれ落ち、今のアニカの精神は年相応の少女のもの。再び失態を繰り返してしまった。
先程の地獄では相性もあり、春姫の助けになることができた。しかし次なる地獄は彼女の特異性など意味を為さない暴虐地獄。
現状を理解すると探偵少女は歯噛みし、後ろに後ずさる。
ほんの数秒にも満たない空白。それが致命的となった。

ーーずるり。
「ーーーーえ?」

アニカの背後で闇が脈動する。異変に気付き、探偵少女は振り返る。
眼前に映るのは身の丈を優に超える暗黒。出現先はアニカの背後ーーいつの間に開いていた黒く淀んだ孔。
突然の出来事に明晰な頭脳は働かず、頼みの異能も意味をなさず。
何一つ理解が及ばぬまま、天宝寺アニカは闇に呑まれた。

「アニ……カ……?」

パートナーの少女から注意を逸らしたのは僅か数秒。ほんの少し、藻を離した瞬間、前兆なく顕れた厄が天才探偵を吞み込んだ。
数時間前、目の前で魔王に串刺しにされた時のように。
十数分前、黒槍にうさぎが射抜かれた時のように。
"守護る。絶対に死なせない。"
その誓いは運命に踏み躙られ、八柳哉太は過ちを繰り返した。
死闘の真っ只中にも関らず、アニカを呑み込んだ闇の孔を見つめ、呆然と立ち尽くす若武者。

「馬鹿野郎ッ!!!突っ立ってる場合かッ!!!」
友の異変に気付いた圭介の怒号が飛ぶ。その声で漸く現実へと引き戻される。
だが時すでに遅し。生じた空白を地獄の門番が見過ごすはずもなくーー。

「■■■■■ーーーーーー!!!」
天を衝く暗黒の咆哮。棒立ちになった少年へと肉薄する赤鬼。
哉太の視界に映るのはスローモーションでこちらに向かう巨人とその背後で魔聖剣を手に疾走する圭介と白猪。
反応しようにも脳の処理速度が追いつかない。咄嗟の回避も聖刀の防御も間に合わずーーー。

「ーーーーガッ!!!!」
赤黒い鉄槌が哉太の内臓を骨ごと砕く。少年の口から血と肉が零れ落ち、胴に食い込んだ剛拳を濡らす。
コンマ一秒地面を離れた後、少年の身体は凄まじい速さで打ち出され、吹き飛んでいく。



222ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:03:39 ID:U6P2q54E0
「く……畜生……!」
「おや、随分と早いお帰りだね。流石隠山血筋の元祖兼量産型「巣食うもの」のオリジンといったところか」

月影の下で再び対峙する古の巫女と黒の女王。現在、春姫の身体の主導権を握るのは副人格と化したいのり。
史上災厄の呪いを祓うため狩人や退魔師が生み出した対抗策は皮肉にも人類の味方となったいのりを封じ込めた。
しかし、呪いにとして最上位に位置する彼女の完全な除霊には至らず。肉体に入り込みいのりを喰らわんととした呪厄を逆に取り込み、呪縛を解く糧としたのだ。
解呪の中でもいのりは春姫と五感を共有しており、現状も既に把握していた。
女王の非道も。想い人の苦悩も。己の存在が抹消された後の山折村のことも。そしてーー。

(春姫………)
たった数分で未来の可能性全てを断ち切られた、自分を完膚なきまで救い出してくれた威張りん坊のお姫様の絶望も。
『反魂』と『魂縛り』を解いた瞬間、いのりは春姫に断りも入れず強制的に人格交換を行った。
入れ替えを行う瞬間にいのりの魂は春姫とすれ違った。その時、怪異の巫女は異変に気づく。
天照神を彷彿させる煌々と輝きを放つ春姫の気高い魂。その輝きは失われ、黒く塗りつぶされていた。

そして現在。
『肉体変化』を使用して流れ続ける血液と露出した骨肉を変換。切断面を皮膚で覆い、両腕の止血を行う。
しかし腕を再生させるまでには至らない。かつて取り憑いた隻眼のヒグマとは違い、宿主には失われた肉を補充できる余剰栄養素(リソース)は存在しない。
失血も酷く、『肉体変化』と『身体強化』の併用をしなねればそのまま意識が闇へと引き摺り込まれかねない。
だが、絶望的な状況に置かれても尚、いのりの心は折れていない。

『そなたの事情、全て知った。恨み捨てられず、なおそなたが神楽の断罪を望むのなら、我が魂くれてやる』
ーーー光を見た。
呪いあれと憎悪した神楽春姫(ひかり)が誰一人として見向きもしなかった不浄(いのり)の手を取った。
かつての想いを取り戻すことができた。理由はそれだけで十分。
予言だろうと運命のありがたいお導きであろうとも、もう二度と厄災になど堕ちてなるものか。

「べらべらと……随分、楽しそうにご高説を垂れちゃって……。冥土の土産……とでもほざくつもりかしら……?」
「うーん。そんなつもりじゃないんだけどなぁ」

223ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:04:16 ID:U6P2q54E0
途切れ途切れながらも挑発めいたいのりの言葉をぶつけられ、女王は拗ねた子供のように唇を尖らせる。
この場において既に順位は決定された。俎板の鯉はこちらで数メートル先の少女が板前。
だがあろうことか女王は春姫といのりに興味を示した。春姫には暴虐の限りを尽くす反面、いのりにはいらぬことまで愉しそうに話し出す始末。
女王に何の意図があるのか理解できないが、付け入る隙があるとすれば春姫と入れ替わっている今しかない。
どうにかして活路を見出して女王の魔の手から逃れる。そして『奥の手』を使って春姫をーーー。

「だったら……わたし達以外にも……お前の下らない一人芝居を……聞いてくれる観客がいたの……かしら?」
「お、今の回答はいい線を言ってる。花丸をあげよう」

何気なしに吐いた挑発に「やるぅ」と言い、気分良さげに笑う少女の姿をした精神的異形種。
はぐらかされるか嘲笑われるかのどちらかという予想が外れ、いのりはポカンと口を開く。
呆然とするいのりの顔をにやにやと見下すように笑い、女王は人差し指を立てて上を差した。

「お月様が……見ているなんて……言うつもりかしら……?」
「おや、メルヘンはお嫌い?まあ違うんだけどね。正解は上空でこちらを常に監視しているドローンさ。SSOG製のね。
まあ、外がどうなっているのか分からないけど、私達の会話を盗聴しているのなら事実確認を急いでいるんじゃないかな」

自らの情報を敵である存在に知らしめて何の意味がある。危険性が知れ渡った以上、すぐにでも空襲で山折村諸共焼き尽くされる可能性に考えが至らないのか。
腕なし巫女の疑問を感じ取ったのか、女王は間髪入れずに言葉を紡ぐ。

「『隠山祈』を解き放った目的は生みの親への反意の誇示。それと私考案のZ計画ーー即ち人類救済のためだ。
その第一歩として私の子機をを各地にばら撒くことから始めてみたのだよ」

先程の軽薄な態度から一転。怒りと決意に満ちた黄金の瞳がいのりを射抜く。
彼女が語った人類救済計画は一部であって全貌は掴めていない。だがその一部だけでも杜撰で稚拙であることが素人目でも分かる。
立案した計画を自分ならば本気で成し遂げられると目の前の異形は信じ切っているのだ。
それを為せる力を手に入れるまであと僅か。

「妄執……ね」
「好きに呼べばいいさ。動き始めた時計が止まることなんてないのだから。
さて、雑談はこれくらいにしよう」

女王の演説が終わる。それと同時にいのりの足元から厄が顕現する。
ずるり、ずるりと形を持った淀みが足から這い上がってくる。
最上位の怪異すら支配しきれない暗黒が浸食し始める。

「しばしの別れの前に教えてあげよう。
解き放った59の『隠山祈』には私のエッセンスが仕込んであるが、私が志半ばで倒れたとしてもHE-027-Aは死滅することはない。
それぞれ別の人格を持って行動を起こすだろう。でも彼らに対する絶対命令権は私が持っているからから特に問題はないだろう。
だけど、万が一に私が死んだら計画が頓挫し、人類救済はなされないだろう。
そのために、私を継ぐバックアップを作ることにしたんだ」

「神楽春姫と隠山祈。君達は最悪の的であると同時に最高の素体だ。
特に進化を果たした神楽春姫の異能には目を見張るものがある。それこそ『日野珠』とは比較にならないくらい程にはね。
ではそろそろお暇するとしよう。全てが終わった後ーーーハッピーエンドのその先でまた会おう」

224ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:04:39 ID:U6P2q54E0
闇が脈動する。黒の空間が蠢き、悍ましき世界に形を変えていく。
地獄に巣食うのは数多の厄。山折村の歴史の中で生み出された『隠山祈』。
暗黒を掻き分けながら、女は進む。彼女こそが蠢く厄の原点たる怪異、隠山いのり。
彼女が押し込められた牢獄は神楽春姫の天性の肉体。

いのりにも宿主たる春姫にも既に肉体の主導権はない。
爪先から頭まで。細胞一つ一つに至るまで女王の支配下に置かれた厄に侵されしまった。
それでもま原初の巫女は前へ進み続ける。光を得た今、もう二度と堕ちることはない。
掻き分け、掻き分け、進んだ先。そこに彼女を救い出した光があった。

「ーーー春姫ッ!!」
山折の女王ーーー神楽春姫ははただ一人、闇の中でへたり込んでいた。。
彼女に纏わりつく闇を払いのけ、いのりは手を伸ばす。

「春姫ッ!手を取って!わたしが貴女をーーー」
「……………」

差し出した手は取られず、いのりの願いは闇の中で空しく響く。
掻き分けた闇が閉ざされ始める。いのりは両手に力を籠め、形なき厄を無理やりこじ開ける。
手が取られないのならばこっちから掴んでやるまでだ。今度は春姫のすぐ傍に立ち、だらんと下がった彼女の美しい手を取る。

「春姫……ここから出よう。脱出手段はあるから。だから立って」
「…………無理……だ……」
「春……姫……?」

神楽春姫という人間が発したとは思えない、力なくか細い声が木霊する。
握りしめた手には何一つ力が入っておらず、枝垂れ柳のように垂れ下がるばかり。
気遣わし気な表情を浮かべるいのりへと、春姫はゆっくりと顔を上げる。
黒曜石のような瞳は光を失い、浮かぶ表情はかつての面影など見当たらない程弱々しい。

「もう……妾は……立てぬのだ……」

度重なる非道の前に、春姫の心は折れていた。
金剛石を思わせる強靭な精神は粉砕され、欠片すら残っていない。
矜持も大義も想いも何もかも。全てが砕かれた。
愛した穢れ無き山折村が偶像に過ぎず。敬愛した祖先は悪逆の使徒だと知らされた。
今の春姫に残ってるものは、何もない。
静まり返る中、周囲を漂う闇が再び脈打ち、いのりと春姫を喰らわんと覆い始める。
いのりの顔に焦燥が浮かび、春姫に肩を貸して無理やり立たせる。

「まずい……!悪いけど無理やりにでも連れて行くよ!」
「…………」

春姫の反応を待たず、閉ざされ始めた闇を抜けて歩き出す。
二人の視界に広がるのは暗黒。一筋の光明すらない道なき道を行く。
纏わりつく闇を振るいながら、必死に歩き続ける。
いのりが足を動かす中、為すがままにされていた春姫が口を開く。

225ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:05:15 ID:U6P2q54E0
「もう……妾のことは良い……。そなただけで逃げ延びてくれ……」
「そんな……ことっ……できるわけないでしょう……!私と貴女は一蓮托生……!全てが終わった後、貴女が私を裁くんでしょう……!?」
「最早……妾にはそのような資格などありはせぬ……。妾は、神楽一族は……存在そのものが不浄だったのだ……」
「…………」

暗黒を進む中、消え入りそうな声の独白は続く。

「妾の一族は……屍を築き上げ、その血肉で繁栄を謳歌していたのだ……。
始祖神楽春陽も一族の悪逆に、妾の醜態に嘆いておられよう……。
白兎の言の葉の通り……妾は無知陋劣な畜生に過ぎなかったのだ……。
妾は民を誰一人として導いてはおらぬ……。己が欲のまま血肉を食らう餓鬼畜生と同類ぞ……。
もう良い……。もう良いのだいのり……。妾は女王などではない……。妾が厄に喰らわれている間に逃げおおせれば……」
「ーーーーーーッ!!」

言葉の途中でいのりの肩から春姫がずり落ちる。死人のような春姫の瞳が僅かに見開かれる。
ペタンと腰を抜かす春姫の前には同じくしゃがみ込んだ怒りを滲ませたいのりの潤んだ瞳。
瞬間、春姫の頬に衝撃が走る。頬を張られ、春姫の顔に驚愕の色が浮かぶ。
混乱の最中にいる春姫の様子などお構いなしに胸倉を掴まれ、下手人たるいのりと無理やり顔を突き合わされる。

「ーーーーアンタ、それ以上下らない妄言を吐いたら許さないからね……!!」
「いの……り……?」
「あの糞ったれの女王に封じ込められている間色々事情は聴いたよ!山折村が腐り果ていて、神楽一族も同じくらい腐っているってこともね……!」
「ならばーーー」
「でも!今の神楽が――アンタがそいつらと同類なはずないでしょ!!
確かにアンタは春陽様と同じくらい威張りんぼで、子供みたいに我儘だけど誰より気高く優しかった!!
祟り神と化したわたしに道を指し示してくれたんだよッ!!」
「でも……妾は……」
「それに、私に殺された綺麗な女の子も貴女に希望を見出して託してくれていた!!
私が乗っ取っていた一色洋子も、貴女とお話ししているときはとっても楽しそうだった!!
私を食い殺そうとしていたヒグマも、貴女のお陰で大切なものを取り戻して天国に行った!!
女王に乗っ取られた日野珠だって!貴女は友達と一緒に助けようと足搔いていた!!」
「…………」

226ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:05:47 ID:U6P2q54E0
いのりの怒号が続く中、春姫は俯いて何も言葉を発さない。
ずるり。暗黒の中、数多の『隠山祈』が二人の巫女を捕捉し、にじり寄ってくる。

「終わりはどうあれ、みんな貴女に導かれたんだ!私も貴女に光を見出したんだ!!
山折村が糞ったれでも!アンタは誇り高く生き続けていたんだよ!!それを投げ捨てるんじゃないわよ!!」

にじり寄った闇が二人を喰らわんと覆い隠す。
その様子にすら気づくことなく、いのりは涙を流しながら春姫へと向き合う。

「アンタが女王じゃないって言うんならわたしが言ってやる!!
何があろうとアンタはあの細菌女なんかとは比べ物になんかならないくらい女王なんだよ!!
山折村を守ってきた、神楽一族の女王!!春陽様と同じくらい最高の王なんだ!!
世界がアンタを否定しても、わたしは一人でも叫び続けてやる!!」
闇が接近し、二人へと降りかかる。

「ーーー女王は神楽春姫ただ一人だけだ!!!」
ーー瞬間、混沌とした暗黒が二人の巫女を呑み込んだ。
蠢き、二人の美姫を咀嚼するように脈動を繰り返す。
数多の『隠山祈』が死肉漁りを待つかのように、スライム状の厄に集まりだす。
そしてーーー。

「ーーー不敬ぞ」

闇夜に響き渡る凛とした声。蠢く闇の動きが一瞬止まる。
同時に辺りを照らすのは内部から溢れ出す光明。
内側から差し込む光が闇に穴を開け、黒一色の空間に光が灯る。

「隠山の地にーーー山折村にも黄昏が来ようとも、神楽一族の血筋が絶えようとも、継がれた意志は決して途絶えぬ」

隙間から光が漏れ、膨れ上がる穢れの塊。
這い寄ってきた混沌は威光に慄き、ずるりと一歩下がる。

「退け、忌まわしき厄災共よ。妾はーーー神楽春姫は女王である!!」

膨れ上がった暗黒が四散し、一帯に光が満ち溢れる。
周囲を取り囲んでいた数多の『隠山祈』は神威の光を受け、塵と化す。
太陽の如く照らすのは、女王ーー神楽春姫。
その目には以前とは比べ物にならぬ程強い意志が宿り、彼女から発せられる魂の輝きはまさしく日の光。

「やっぱり……春陽様の子孫はーーー神楽春姫はそうじゃなくっちゃ……。」
女王の傍らには、始祖神楽春陽の想い人、隠山いのり。目尻に涙を浮かべ、心から嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
彼女の呟きなど知らぬと傲慢な仕草で背を向け、天を見上げる。

「―――逝くぞ、我が王道へ」
「ーーーうんっ」



227ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:06:30 ID:U6P2q54E0
「馬鹿……野郎……!!」
瘴気蠢く戦場の外れ。圭介は赤鬼への対応を出自不明の白猪に任せ、戦線を一時離脱していた。
その理由は圭介が必死の形相で引き摺って、安全圏へと移動させようとしている彼の友ーー八柳哉太。
哉太の下半身は文字通りプレスされ、ギリギリ原型を留めている悲惨そのものの状態。
哉太の異能は『肉体再生(アンデッド)』。急所さえ無事であれば死ぬことはない、圭介とは真逆の個人で完結した異能。
不幸中の幸いか、心臓と脳は無事なのか、明らかな致命傷なのにも関らず、虫の息ながらも哉太は生きていた。
意識は混濁しているらしく、時折思い出したかのように咳き込んで、口からちと肉片を吐き出す。

(こいつはもう……戦線復帰は無理かもしれねえな。あの一撃は間違いなく一発アウトな奴な気がしたが、死ななかっただけマシか)
圭介の眼下で身を横たえる哉太。潰された内臓は徐々に再生をし始めている。何とか生きている証拠だ。
即死に至らなかった要因は異能の賜物か、それともインパクトの瞬間をギリギリのところで避けようとして失敗したからか。
それとも、食欲に塗れた赤鬼が哉太の再生を目撃し、じっくりと喰らうために手加減でもしたのか。

「……ダメだ。どうしても悪い方へと考えちまう」
軽く頭を振って負の坩堝に陥りそうな頭を何とか落ち着ける。
圭介としても哉太を責める気はさらさらない。
目の前で彼を支えてきた幼い友人が闇に飲み込まれたのだ。
圭介自身も数時間前、誰よりも大切な恋人が目の前で殺された時、哉太と同じく何もできなかった身だ。

「哉太……。悪いけどこれ借りてくぞ」
戦線離脱が決定づけられた友人に断りを、手に握り締められている打刀を無理やり引き剥がしてベルトに差す。
万が一にも魔聖剣が手から離れた時のためのスペア。持ったところで大した意味がないのかもしれないが、ないよりはマシだろう。
向かう先は白猪の大氷雨と瘴気が飛び交う戦場。一人欠いた事で優勢だった戦況が拮抗へと戻り、今以上の苦戦を強いられるだろう。
魔聖剣から溢れ出す魔力を脚力に回した瞬間ーーー。

「クソお邪魔しますッ!!」
「ーーーーッ!!」

ーーーズドン、地を揺るがす音を立て土埃を撒き散らす空からの落とし物。目の前に突如として現れた物体に圭介は警戒し、魔聖剣を手に身構える。
土埃が夜風に吹かれ、闖入者はその正体を露にする。
纏う瘴気は現在戦闘中の赤鬼と同等のもの。動きやすい服を身に纏った小柄な体と手に構えるのは煌々と光を放つ二振りの木刀。
そして、闇夜でも光を失わないその双眸は、女王の証である黄金。彼女の名はーー。

228ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:06:57 ID:U6P2q54E0
「珠……!」
「さっきぶりだね、圭介兄ぃ♪」

彗星の如く現れたのは日野珠ーー否、彼女の皮を被った女王は義兄となる筈だった少年に人懐っこい笑みを向けた。
圭介を導いた祟り神曰く、女王ウイルスが第二段階になった時点で全て終わり。殺すしかないらしい。
珠の周囲を漂うのは戦鬼が纏うものと同じ禍々しい黒い霧。そしてこちらを愉しげに見やる黄金の輝きを放つ双眸。即ち。

(もう手遅れってことかよ……!)
圭介と春姫は間に合わず、殺す以外選択がないことを意味していた。
自分の無力を噛みしめる。覚悟を決め、家族同然の少女へと剣を向けるがーーー。

『圭介兄ぃ。お姉ちゃんのことをよろしくね』

在りし日の珠の顔が浮かぶ。光と恋人同士になったと報告した時の心から嬉しそうな笑顔が、女王の作り物めいた笑顔と重なる。
光を失い、黒い感情に支配されていた時とは違う。今の圭介は子分を守護るガキ大将であり、切り捨てる覚悟などできる筈もない。
悲痛に顔を歪ませ、剣を構えたまま硬直する。圭介の醜態に珠(じょおう)は穏やかな笑みを浮かべて歩み寄りーー。

「邪魔」

轟、と珠の周囲に暴風が吹き荒れる。剣を構えただけだった圭介は成す術もなく吹き飛ばされ、十数メートル程地面を転がる。
急いで立ち上がり、魔術を行使した珠へと視線を向ける。赤鬼と魔猪の戦闘をバックに女王は一歩一歩と悠々と歩みを進める。
確実に来るであろう攻撃に備え、剣を正眼に構える。しかし、珠の足は途中で止まり、黄金の眼差しは足元を見つめる。
彼女の視線の先にあるのは、異能の力でギリギリ命を繋いでるだけの八柳哉太。

「おや、丁度良い所に無限食材があるじゃないか。我が傀儡の餌に相応しい」
「てめーー」

仲間想いのガキ大将の頭に血が昇る。衝動に突き動かされるまま、魔力ブーストで肉体強化を施し、一直線に女王へと向かう。
狙いは木刀を持つ細腕。珠が重傷を負うのは間違いないが即死はせず、上手く事が運べば無力化できる可能性がある。
憎むべきは女王であり、断じて珠ではない。怒りに我を忘れても尚、次期村長は最善を目指せる可能性に賭けていた。
だが、淡い希望などこの地獄では何一つ救いを齎さず、只食い潰される運命にある。突け入る隙を見逃すほど、女王は甘くない。

229ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:07:32 ID:U6P2q54E0
光の魔力を帯びた魔剣が振り下ろされる。人体など容易く両断する一刀は女王に届くことなく、右の聖木刀にて阻まれる。
鍔迫り合いはほんの一瞬。魔剣は聖木刀の刀身を滑り、振り下ろされた勢いのまま地面に激突した。
轟音が轟き、生じた衝撃が地面にひび割れを作る。
受け流された大振りの攻撃。地に降ろされた切っ先。無防備になった圭介を女王は見過ごすことはない。

圭介が剣を持ち上げる寸前、側面に二振りの木刀が叩きつけられる。
闇に反響する木と鉄の混合二重奏。
魔聖剣と聖木刀。それぞれの強度と特質は相似。違いを分けるのは担い手。
山折圭介は同世代と比較すると強靭な肉体を持つが、異能は他者に依存し、身体能力も魔力強化がなければ一般の域を出ない。
日野珠は肉体も身体能力も発達途上。しかし、彼女に寄生するHE-028-Zの異能により彼女を構成する全ての要素が限界を超えて上昇している。
担い手の差は歴然。即ちこれから起こる結果も必然。

ーーーガキン
「ーーーなっ……!!?」

魔聖剣が、折れる。
魔力と異能の二重強化がなされた剛腕の一刀が刀剣の急所ーー樋(フラー)に驚異的な力が加わり、両断された。
驚愕と絶望が圭介の心中を満たす。停止した思考を呼び覚ますかのように、女王の木刀が振り上げられる。

「ぐ……ァ……!!」
ーーべきりと枯れ木が折れるような音が木霊する。
伸ばされた圭介の両腕に木刀の重単撃が落ち、前腕に衝撃が走る。
激痛が少年の脳を焼き、思わず手に持った魔聖剣を地面に落としてしまう。
しかし、切断には至ることはない。

「成程。皮膚表面に極薄で高密度の魔力バリアを貼っていたのか。刃が通らない訳だ」
「づ……うぅ……!!」

痛みに呻く圭介を他所に珠の皮を被ったナニカはうんうんと納得したように頷いている。
焦燥が圭介の頭の中を駆け巡るが、肉体は思考と切り離されたかのように動いてくれない。
激痛のあまり座り込む敗者を見下ろす女王の目はどこまでも無機質で冷たい。

「そら、飛んでいけッ」
「ゴッ……!!」

圭介の胴に炸裂する珠の鋭い蹴り。少年は血を吐き出して後方へと場される。
飛ばされた数メートル先。折れた腕で体を起こして何とか立ち上がった。
目に映る光景は必然の結果。

230ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:07:58 ID:U6P2q54E0
「さあ、ディナーの時間だよ。お遊びを早く終わらせたまえ、我が戦鬼」

珠の小さな手が未だ動けない哉太の襟首に指を食い込ませて掴む。
内臓を露出させ、ぐったりと動かない若武者はかつての妹分の為すがままにされている。
同時に女王の背後でーー赤鬼と白猪の戦場で爆発音が鳴り響く。
宙に打ち上げられたのは白点ーー圭介達と共闘してくれていた白猪。

「やめろ、珠……!!やめてくれ……!!さっさと起きろ、哉太……!!」
「ほーら、御馳走だ。再生するから心臓と頭は食べちゃダメだぞ☆」

圭介の叫びも空しく、半ば肉袋と化した哉太の巨体は赤鬼の方へと放り投げられた。
宙を舞う剣道少年から脇差と淡い光を放つ御守りが地面に落下する。
僅かな沈黙の後、夜闇に響き渡る骨を砕く音、肉を咀嚼する音、血を啜る音……赤鬼の食事の音が鳴り響く。

「くひっ」

月光に照らされる珠の見るも悍ましい笑顔。
手には己が力で調伏した宝聖剣の複製ーー二振りの聖木刀ランファルト。
飢えた鬼(オーク)が下賜された肉を喰らい、咀嚼する。
役者はいくつもかけているが、移る光景は地獄絵図。
それは祟り神の語った圭介の恋人ーー日野光の見た破滅の未来そのもの。

膝から崩れ落ちた圭介の目はどこまでも虚ろ。
ありあまる絶望が両腕の激痛を忘却させ、精神は恐ろしいほどに凪いでいる。
にじり寄り、迫るのは村王を裁く罪深き断罪者。寿命は残り十数メートル。
間もなく圭介は祟り神の語った浅葱碧と同じ末路を辿るだろう。

「…………ごめんな、珠。お前の姉ちゃん、守れなかった」
痛みを忘れ、胸のロケットペンダントを握りしめる。
そしてーーー。

231ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:08:27 ID:U6P2q54E0

『圭介ッ!!後ろに跳べッ!!!』

232ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:09:00 ID:U6P2q54E0
不意に聞こえてくる女の張り裂けんばかりの声。
反射的に顔を上げ、声に導かれるまま全力で後ろへ跳ぶ。

「…………?」
突如飛び跳ねた俎板の鯉に女王は怪訝な表情を浮かべた。
今更命が惜しくなったのか?それとも厄に侵した神楽春姫との合流でも目指すつもりか?
圭介の突飛な行動に首を傾げる。だが、その答え合わせは直後に訪れた。

「ぐぎゃあああああああああああああああああああッ!!!」
「んなッ……何だ突然……!?」

女王の顔に初めて驚愕が浮かぶ。
圭介は見ていた。女王の足元に淡い光を放つ魔法陣が現れ、地面から大口を開けた双角の巨龍が翼をはためかせ、天へと飛び立っていく。
女王は大口に呑まれ、龍と共に天高く登っていく。
あまりにも現実離れした光景に圭介はあんぐりと口を開け、激痛も絶望も忘れて固まっていた。



「く……この……!ドラゴンと言い、さっきの畜生共と言い、一体何なんだ……!?」
龍の口の中。女聖木刀と強化された珠の脚力で龍の驚異的な抗菌力による噛砕を防ぎながら、女王は忌々し気に言葉を吐く。
運命視により予知した未来。宿主の覚醒から真実へと到達しうる智者との邂逅、そして浄化装置ランファルトを手にするまでは予定調和であった。
だが、異空間で死せる筈だった賢者(アニカ)は、虚空を掴んだかと思えば光を放ち、まんまと逃げおおせた。
そして、消化試合に過ぎない筈だった怪異との小競り合いも、突如として現れた畜生共のせいで余計な時間を食った。
ーーー現れた獣達には運命の光が見えなかった。

「だったら、力ずくで運命を切り開けばいい……!そうすれば元通りだ……!」
イレギュラーが起ころうとも関係ない。、前の世界線で憎悪に溺れた隠山祈のオリジンを日野光の肉体で取り込んだ時のようにすれば問題ない。
女王発案の人類救済プランを魂に流し込んで存在意義(エゴ)を塗りつぶし、支配下に置いたランファルト。
龍の上顎を防いでいる二振りの聖木刀に魔力が迸る。魔力を解放するその刹那。

女王の視界に映るブラックホールを思わせる龍の呼吸気管。
そこからてちてちと小さな足音を立てて駆けあがってくるのは脇差を加えた白兎。
迫る力なき獣。当然、他の獣達と同じように運命の光は見えない。
蹴とばそうと身をよじって足を動かそうとしても龍の咬筋がそれを許さず、肉体が強化された女王すらすり潰す力が籠められ、動きを封じられる。
訪れる窮鼠ーー否、窮兎の牙に備え、全身に魔力を漲らせる。
兎が飛ぶ。少女の目の前に映る脇差には、紐で括りつけられた二つの金襴袋ーーー女王は知る由もないが、哉太とアニカが持っていた白兎の御守り。
白兎(ボーバルバニー)の牙が迫る。愛しき主を殺された獣の牙が突き立てられる先はーー。

「そこは……ガッ!!」
対物ライフルすら防ぐ皮膚を貫き、刃を通した先は珠の細首ーーー願望義が埋まる場所。
突き立てられた刃ごと白兎を葬り去ろうと魔力を放出する。だが白兎は疎か、刀身に括られた御守りすら揺れない。
御守りが光の粒子と変換され、願望器に吸い取られていく。

「嘘だろ……!?」

願望器が願いを叶えた。
突き立てらえた脇差を伝い、日野珠の肉体から抽出される。
現れたのは白い小さな光球。それは形を変えながら、天へ向かい動き出す。
飛び立つ直前、白兎は器用に身体を動かして脇差を願望器へと放り込む。
輝きを放つ光球。そして再び訪れる身体の異変。身体の中の『何か』が光に呼応する感覚が女王の魂を揺さぶる。
吸い込まれた脇差が、光の粒子に変わり雲散する。それと同時に願望器は夜空へと飛び立った。

「何をしてくれたんだ……!」
女王の幼い顔に明確な怒りが浮かぶ。せめてもの腹いせに蹴とばそうと体制を崩れるのにも構わず足を動かす。
しかし女王の拙い蹴りは空を切る。憎悪を滲ませる女王など見向きもせずに、白兎は口の洞窟を昇って難なく脱出を果たした。



233ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:09:29 ID:U6P2q54E0
「俺は一体……何を見せられているんだ……?」
口をあんぐりと開けて座り込む圭介。見上げた空には双角の龍が翼をはためかせて雄叫びをあげていた。
VHが発生して以降、あらゆる超常を目の当たりにした圭介でも目の前で起きたイベントには目を丸くせざるを得なかった。
しばらく呆然としていたが、空から突如白い塊が圭介の元へ落ちてくる。
数秒後、固まる圭介の前で見事な着地を披露する白い毛玉。その正体は。

「白……兎……」
『ーーーすまない、君達には苦労を掛けた』

漸く言葉を発した圭介に向かい、白兎はぺこりと頭を下げて謝罪した。
「お、おお……」と何とか返事をした少年に首に時計を掛けた小さな獣の真紅の双眸が彼を見上げる。

『これでしばらく女王は君にも、君の友達にも手出しは出せない筈だ』
「友達……!か、哉太は……!哉太はどうなって……!!」

白兎の発したと思われる言葉で妹分の珠ーーの殻を纏った女王に放り投げられ、今も尚貪られているであろう親友の事が頭に過ぎる。
焦燥に駆られて捲し立てる圭介の瞳を英知と慈愛に満ちた瞳で白兎は見つめる。

『安心してくれ。彼はまだ生きている。それに、私の仲間が必ず助けてくれる』
「仲間……?」

脳裏に過ぎるのは突如現れた牛頭の巨人と魔力を帯びた氷雪を操る白猪。
だが、牛の巨人は腕力で潰され、白猪はつい先ほど鬼が起こした黒の爆発によって死んだはずだ。
疑問を口にしようとした圭介に割り込むように、白兎が言葉を紡ぐ。

『私の仲間はまだいるんだ。それに、彼らはそう易々と殺されるほどやわじゃない』
言葉が終わると同時に、地を蹴る蹄の音と甲高い猿叫、猪らしき雄叫びが轟く。
圭介と白兎の数十メートル先。赤鬼が哉太を一心不乱に食らい続けている場所に現れたのは三頭の獣。
全身血塗れの一角獣とそれに跨る如意棒を構えた赤猿。そして、赤鬼に殺されたはずの白猪。
誰もが皆全身に傷を負い、地球上の生物であれば致命傷となる傷を負っている。
その状態でも尚、地獄の番人へと立ち向かっていく。

「GIIIIAAAAAAAAAAAAAA!!!」
哉太を捕食したことでほんの僅かだけ理性を取り戻したのか。何とか人の言葉らしき轟きを上げ、赤鬼が暴れまわる。
山折村にて、何度目かもわからぬ血風が吹き荒れる。血肉が飛び交い、断末魔とも雄叫びとも取れぬ叫びが轟く。
その最中、赤鬼の手から何かが明後日の方に放り投げられる。それは間違いなくーーー。

234ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:10:11 ID:U6P2q54E0
「哉太……!」
両腕の激痛など気にせず、友の元へと駆け寄ろうと立ち上がる。
だが、圭介が走り出す前に哉太の元によろよろと歩み寄る一頭の獣ーー遠目からでも分かる、死にかけの羊。
彼(または彼女)は、口で哉太の身体を掴むとそのままよろよろと三頭の獣と赤鬼が死闘を繰り広げる危険地帯から離脱する。
そのまま圭介の近くーーとはいっても数メートル先だがーーまで移動し、哉太に覆いかぶさるように倒れ伏す。
白兎は光の粒子になることはなく死した羊にしばし黙禱を捧げた後、戦場に背を向けて動き出す。
全てを失ったような哀愁漂うその後ろ姿に、圭介はかつての自分を重ねてしまい、思わず声をかける。

「どこに、いくつもりなんだ……?」
『…………厄災(パンドラ)の底に眠る、最後の希望を求めに』

返ってきたのは抽象的過ぎて理解できない言葉。
そのまま力なき白い獣は歩みを進め、数メートル先ーー金髪の少女が吞み込まれた闇が蠢く孔の前で立ち止まる。
飛び込む直前、彼女は圭介の方へと顔を向ける。

『ーーー彼女を……春姫の事を頼んだ』
その言葉を残し、時計兎は淀みの中へと飛び込んでいく。
白兎が視界から消えるタイミングを見計らったかのように、圭介の背後から聞こえる不規則なリズムを刻む土を踏む音と荒い息遣い。
理由が分からない胸騒ぎがする。訳の分からない焦燥に駆られながら、圭介は背後を振り返る。
そこにいたのはかつて犬猿の仲にあったガキ大将の幼馴染。ふてぶてしい態度を隠さぬまま、厳かに悠々と圭介へと向かってくる。

「ーーーーッ!」
言葉を失う。
凛とした雰囲気はそのままだが、歩みは村に蔓延っていたゾンビと変わらない程頼りなく、襲い。
それもその筈。両腕は鋭利な刃物ですっぱりと斬られたように肘から下は失われ、全身はかつての面影が見当たらない程腐り果て、腐臭を放っていた。
見るも無残な状態にあっても尚、彼女の美しい双眸から光が失われることはない。
圭介の眼前で『彼女』は足を止める。
悲痛に顔を歪める圭介を夜空の瞳が見据えた。

「は……春……!?」
「……許せ、不覚を……取った……」



235ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:10:43 ID:U6P2q54E0
春姫の身体はいのりを伴い、闇の中を浮上していく。頂点ーー脳に到達まであと僅か。
春姫の放つ天照の光は、身体の隅々まで侵した山折の厄ーー『隠山祈』を浄化し、塵芥へと変えていく。
天へと浮上する途中で目に入るのは、木漏れ日のように淡い光が漏れる亀裂。
ここはいのりと女王の戦闘時、聖木刀の斬撃により生まれた傷跡。悪夢の始まりの証。
そこで、再臨した女王は飛翔を止め、傍らの祈りへと向き直る。

「春姫……?」
「……いのり、ここでそなたとはお別れだ。」
「え……?」

唐突に告げられた別れにいのりは驚愕する。
堕ちた己を叱咤し、女王としての矜持を取り戻させた彼女に向き直り、彼女の瞳を見つめる。
ほんの少し前の自分ならば、そのような真似などするはずもなかったであろうな、と僅かに苦笑する。

「ここから先は妾一人で逝く。女王の王道に、同伴は許さぬ」
「そんな……貴女一人じゃどうにも……!それに春姫はいつ死ぬかもわからないくらい重症なんだよ……!わたしがいなくなったら、もしかするとそのまま……!」
「…………」
「大丈夫だよ……!わたしには貴女の身体を元に戻せる奥の手があるから……!それでアナタは元通りになって……!」
「いのり」
「ーーーーッ!」

縋るように喚き散らすいのりの目をじっと見つめる。ほぞを固め、既に自分の辿る末路は悟っている。
頬を張ろうとしたいのりだが、春姫の目を見た途端、振り上げられた腕は力なく降ろされた。
恐らく、春姫の祖先ーー神楽春陽も道を誤った時はこのように諭されたのだろうか。
春姫の覚悟を感じ取り、もう自分では彼女の意志を変えられないと悟り、春姫へと背を向ける。
亀裂の方へと飛び立つ直前、春姫の手がいのりの背に触れる。

「待て、いのり」
「……どうしたの?」

唐突の『待った』に振り返り、怪訝な表情を浮かべて春姫を見やる。
山折の女王は穏やかな顔で原初の巫女を見つめ返す。
一呼吸置いた後、春姫の手に光が集まる。そして集った光は春姫の手からいのりの身体に流れ込んでいく。
いのりに変化が起こる。怪異そのものとして機能していた仮初の身体が別の何かに変わっていく感覚が伝わる。
それはとても心地よく、温かい。

「これは……?」
「……餞別だ。これより汝は妾と同じく、死地へと向かうのであろう」
「……うん」
「……沙汰を言い渡す。隠山いのりよ、汝は己が命を以って妾のーー神楽春姫の友を救え」
「ーーーうん」

裁定を終えた後、今度こそいのりは光が差し込む方へと向かっていく。
春姫の身体を脱出する直前、原初の巫女は最後の女王へと向き直る。

「ーーー私を見つけてくれてありがとう!貴女は春陽と同じくらいカッコいい人だったよ!」

236ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:11:11 ID:U6P2q54E0
いのりと別れ、春姫は一人、天へと昇っていく。
思い浮かぶのは山折の地で生きた19年の人生。

"春ちゃん。友達を大事にしなよ。一生の宝だ。"
遠い昔に聞いたような、力強い声が過ぎる。
かつては女王はただ一人。王道を共にするものはなしと豪語していた。
それは過ちであった。傍には必ず誰かがいて、春姫を見守り、支えてくれていた。
全ては手遅れになってしまったけど、最期にそれに気づけて本当に良かった。

『ーー待ってくれ』

身体の支配権を取り戻すまであと僅かというところで聞こえてくる厳かな女の声。
浮上を止め、声の方へと顔を向ける。そこに佇んでいたのは白兎。己の傲慢と無知を見抜き、沙汰を下した張本人。
春姫と白兎。漆黒と真紅が交差する。
白兎の目を見れば分かる。白き神獣が再び自分の元に現れたのは春姫を裁くためではない。彼女は間違いなくーー。

『ーーーすまなかった』
「なぜ頭を下げる」
『君に貸した力ーーー因果歪曲の力を取り上げたせいで君の身体と魂が女王に蹂躙されてしまった』
「……構わぬ。それは妾が汝の言う通り無知陋劣な愚物であっただけの話よ。
それに、汝の力添えがあったところで、結果は変わらぬ。寧ろ女王はその力を簒奪し、更に力を蓄えることになっていたであろう」

それは女王の力を身をもって知った春姫だからこそ分かる歴然たる事実。
死を遍く愚かな女王は泥船に乗った女王を闇底へと叩き落とし、その事実を突きつけた。

『山折の地は己が罪への贖いに露と消えるであろう。されど想いは継がれていく』
女王の王道は袋小路で途絶え、朝を迎えることなく消えてゆく。されど必ず夜明けは来る。
曙を迎えた者が原初の想いを継いで、命を繋げていく。

言葉を終えた後、最期の女王は天へと浮上していく。
神の御子たる白き獣も浮上し、女王とすれ違う。
決して交差することのない道。その最中ですれ違っただけの仲。
しかし、胸に抱く想いに何の違いがあろうか。

『さよなら、女王。どうか君の王道に安らぎあれ』
「さらばだ、神獣。汝の旅の行く末に幸あれ」



237ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:11:48 ID:U6P2q54E0
村王と女王。山折村の救済を目指した二人は互いに大敗を喫し、逃げおおせた先で再会を果たす。
圭介は両腕を折られ、頼みの綱の魔聖剣は聖木刀によって砕かれた。
春姫は聖木刀委より両腕を断ち切られ、厄により全身が汚染され続けている。
圭介は精神が死にかけ、春姫は身体が死にかけている。

「春……」
「そう情けない顔をするな……。汝は皆を支える「リーダー」なのであろう……?」

傲岸不遜な春姫の口から発せられたとは思えない弱々しい言葉が圭介の死にかけの精神を揺さぶる。
別れたのはたった十数分前。その間に何が変わったのか。こんな、慈愛に満ちた顔をする人間ではなかった筈だ。
ふ、と腐れ縁の幼馴染は圭介に笑い掛ける。

「頼みがある」
「……何でも、言ってくれ」
「そなたの腰に添えてある刀で、妾の心臓を突いてくれ」
「なっ……!」

余りの衝撃に言葉を失う。VHで圭介はたくさんの物を失った。
それは故郷であり、友であり、家族であり、恋人でもある。そして再び大切なものを失おうとしている。

「女王は妾の異能と肉体を奪おうとしておる。妾の身体で、友が殺されるのには耐えられん。
両腕を負傷した汝には酷であるだろうが……頼む」
「でも……」
「頼む」

子供を諭すような春姫の瞳。弟を見る様な目で見つめられ、圭介は言葉を詰まらせた。
迷っている時間はない。先程の珠ーー女王との戦闘でそれを思い知らされた。
腕に走る激痛を堪えながら、腰から哉太の打刀を抜く。
切っ先を春姫の胸に向ける。手が震えるのは激痛のためか、それとも圭介の心が拒絶しているためなのか。
そしてーー。

「ーーーッ!」
「か……ふっ……」

鮮血が刃を伝う。徐々に腐れ縁の幼馴染から力が抜けていく。
春姫の最期に、いがみ合っていた幼馴染の末路に、圭介は目を逸らさない。逸らすことなど、許されない。

ーーーカッ。
異変が起こる。春姫の身体が光を放ち、心臓から零れ落ちた血が、打刀に浸透していく。
瞬く間に打刀の刃は輝くような深紅に染まる。霊感も魔力もない圭介でも、刀に力が宿っていくのが分かる。
覚醒した『全ての始祖たる巫女(オリジン・メイデン)』により目覚めた力の発現。
それは己の生命力を物体に宿す秘伝。犬山はすみが得ていた異能『生命転換/神聖付与』の未来の姿。
厄に対する絶対兵器ーー聖刀神楽、生誕。

命が尽きていく最中、圭介を見つめる春姫の口が開かれる。

「………圭介」
「…………」
「そなたと過ごした日々、悪いものではなかったぞ」

花の咲くような、愛らしい少女の笑顔。神楽春姫には似つかわしくない、優しい微笑み。
最初で最後、初めて圭介の名を呼んだ。
黒曜石の光沢が完全に消える。胸に刃が突き立った身体は、村王の方へと枝垂れかかってくる。
山折村の女王、此処に眠る。



238山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:21:45 ID:U6P2q54E0
数多の『隠山祈』に侵され、肉体がぐずぐずに崩れていく。身体を食い荒らす厄の蟲が宿る異能を食い荒らしていく。
激痛に苛まれながらも、足を止めることはない。止めるわけにはいかない。
いのりは数時間前、独眼熊と戦った時のように肉片から生前の姿にーー『肉体変化』の異能にて質量保存の法則を無視した人の形に戻っていた。
その絡繰りは別れの間際、春姫に施された『生命転換/神性付与』の力。彼女の力により、怪異という枠組みから外れて別の存在へと書き換わった。
それに伴い、厄を吸収するだけであった身体も変化し、不浄を拒絶する。
だが完全に消え失せたわけではない。『隠山祈』はいのりの身体を蝕み続け、吸収した異能は牛縄つつある。

向かったのは三頭の獣との戦鬼が戦いを繰り広げる戦場。否、戦いではない。鬼が獣達を蹂躙する屠殺場である。
赤毛の猿の腕が吹き飛ぶ横を通り過ぎ、向かう先は危険地帯から離れた場所。春姫の友がいる場所。

「ーーーーーッ!!」
いのりの目の前で転がる少年の姿をした肉塊。端正な顔は見る影もない程苦痛で歪んでる。。
四肢はほぼ千切れかけ、骨が内側に飛び出している。臓器も大部分が食い荒らさせており、血肉から湯気が悪臭と共に立ち込めている。
心臓と脳は無事なのか、異能により再生は続けられており、それが少年の命を繋いでいた。
最早死んでいた方が救いという有様に、いのりは言葉を失う。

(ーーーでも、まだ手はある……!)
本来ならば、両腕を失った春姫に対して使うはずだった奥の手。デメリットは怪異そのものの特性も転移する可能性のあるもの。
しかし、春姫の手によっていのりは怪異ではなくなり、信仰を得て浄化された土地神へと昇格された。
故にこれから彼女の為すことも八百万の神の手から離れた、小さな巫女神からの贈り物へと姿を変える。

ぐずぐずと腐り始める手を彼の体に当てる。崩れ、肉塊へと化していく脳を廻し異能を発動。
怪異『巣食うもの』の原点となった『肉体変化』。ヒグマに食い殺されかけた時点で進化を果たしていた。
体積が少なくなっていくいのりの肉体。手から厄に侵されていない部分が少年に移され、再生させていく。
目覚めた力は自身の身体に刻まれた遺伝情報を書き換え、その血肉を他者に移植するという疑似的な回復手段。
もしいのりが『巣食う者』のままであれば、他者を乗っ取る際に使われていたであろう力。その力を誰かを救うために行使している。
徐々に肉が再生し、元の少年の姿に戻っていく。だが、このままでは再び女王の手下である赤鬼の餌食に駆ってしまうだろう。

だからもう一つだけ、少年に贈り物をすることにした。
『隠山祈』に蝕まれていない、最後に正常感染者から吸収した異能。
目の前の彼と血の繋がった、山折村滅殺を目論んだ老人の異能。懸命に生きようとする、彼に与える。
力が抜けていく。身体と魂を結ぶ意図がほどけていく。
きっとわたしは地獄に落ちるだろう。望にも、覚にも、春姫にも、春陽にも、うさぎにも会えないだろう。
それでもいい。わたしの犯した罪科は地の底に落ちて償わなければならない。
血色を取り戻した彼にーーかつて憧れた武士の面影を残す少年に微笑みかける。

『頑張ってね、お侍さん』



239山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:22:13 ID:U6P2q54E0
背後で爆発が起こる。聞こえるのは巨人の怒号と三種の獣達の断末魔。
厄災のコーラスから外れた平原。そこに滅びゆく厄村の村王と女王はいた。

「…………春。」
村王ーー圭介の目の前には胸に紅い刃が突き立てられた女王ーー神楽春姫。
神の造形と謳われていた美貌は面影もなく、そこに眠るのは遥か昔、疫病に侵された原初の巫女のような痛ましい姿。
もう二度と彼女の特徴的な語り口を聞くことも、いがみ合うことも、自分の立場を棚に置いて威張り散らされることもなくなってしまった。
山折村のガキ大将の周りには誰もいなくなってしまった。在りし日に想いを巡らせ、春姫の骸の前でぼうっと座り込む。

どれほど時間が経ったのだろう。
目の前の喧騒は徐々に落ち着き始め、飛び回っているのは片手に如意棒らしき長棍を持った赤猿ただ一頭になってしまった。
目覚めることのない春姫の寝顔を見つめる圭介へひた、ひたと迫る誰かの足音。
気配を感じ、怠慢な動きで首を上げる。虚ろな目に映った存在。それは、一人の少年。

「哉……太……?」
最後に残った圭介の幼馴染ーー八柳哉太の名前が零れ落ちる。
哉太はその声に反応することなく、その傍らにある神楽春姫の遺体ーー胸に刺さる赤刃へと目を向ける。
何かを口に出そうとする圭介を尻目に哉太は刀の持ち手を掴んで、容赦なく引き抜いた。
春姫の胸から血が零れ落ちる。引き抜いた刀から血が零れ、紅いアーチを作る。
遺体を辱める真似など厳しく躾けられた哉太にできる筈がない。

「な……何やってんだお前ェ!!は、春は……春はァ……!!」
今にも掴みかからんばかりの勢いで圭介は立ち上がる。彼の頬を殴り飛ばそうと痛む拳を握りしめて顔を見据えた瞬間、思考が急速冷凍された。
口はだらしなく開きっぱなしになっており、目は虚ろで生気がない。動きも怠慢で知性というものを感じない。
時折ゆらゆらと身体が揺れるが、それは疲労によるものではなく脊髄反射で起きた生理現象のようにも思える。即ちーー。

240山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:22:33 ID:U6P2q54E0
「ア"ーー………」
八柳哉太はゾンビになっていた。

241山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:23:10 ID:U6P2q54E0
いのりの尽力により哉太の肉体は再生し、元の健康的な少年の姿に戻った。
しかし、いのりは更なる奇跡を望んだ。それは自身の異能の植え付け。
厄に内部を食い荒らされ、自身の異能『肉体変化』も消失ある中、唯一残った異能『剣聖』。
女王にすら届き得た条件付きの戦闘特化の異能。元の保持者である八柳藤次郎の近親者である少年に与えたもの。
だが、都合の良い奇跡(デウス・エクス・マキナ)など顕れるはずもない。この地獄においては、大いなる力には必ず対価が求められる。
異能の過積載に対して払われた対価は理性の喪失。即ちHE-028-Cの許容量超過(オーバーフロー)による脳の一時停止。即ちゾンビ化である。
いのりの魂の喪失により異能のリスクを代替えする存在はいなくなってしまった。
つい数分前、命を落とした哀野雪菜のような奇跡は起こりえない。二重能力者(クロスブリード)など起こりえない。
『剣聖』の姿は八柳哉太の泡沫の夢。時間が経てば溢れ出した器は元の姿に戻り、八柳哉太は『肉体再生』だけを持った正常感染者へと戻るだろう。

親友の変わり果てた姿に胸倉を掴んだまま呆然と立ち尽くす村のガキ大将。
直後、最後に残った一頭ーー斉天大聖の身体が宙に投げ出された。
暗闇の中、三つに分かれる魔猿。見ざる、聞かざる、言わざるは三方向へバラバラに落ちていく。
赤鬼の殺気がこの場で唯一の正常感染者ーー圭介に向けられる。
死神の牙が届くのはあと僅か。行動を起こさなければ死は必然。
圭介の手に魔聖剣は存在しない。女王の手によって折られてしまった。
残るのは目の前で聖刀を握りしめた八柳哉太の『ゾンビ』。

「ーーハッ!」
圭介の頭に希望の灯火が灯る。
山折圭介の異能『村人よ我に従え(ゾンビ・ザ・ヴィレッジキング)』。ゾンビを意のままに操る他者に依存する力。
上位互換である女王が現れたことで無用の長物となってしまったもの。
今の八柳哉太は二つの異能を持ったゾンビ。ゾンビなら、操れる。

「最後の砦は、喧嘩別れしたダチかよ……。ハッ、上等じゃねえか!!」
皮肉気に笑い、腕に力を込めて気合を入れ直す。
八柳哉太は女王と接触した。つまり彼もまた眷属化の影響を受けつつある。
自身の異能では動きを鈍らせるのが精一杯。一度敗した相手を打ち負かさなければいけない。
圭介の中に巣食うHE-028-Bを行使する。哉太の脳に働きかけ、支配下に下るよう命じる。
異能を介して圭介の脳に響くのは女王の鬱陶しい囁き。
HE-028-BとHE-028-Z。絶対王政に反旗を翻す革命者。圧倒的不利な綱引きが行われる。

「あ……ア”……ア……」
哉太の身体が痙攣する。女王と村王の綱引きに巻き込まれた亡者は苦悶の声を上げる。
綱引きに負ければ剣士は女王の軍門に下り、世界を滅ぼす魔王の配下になるだろう。
ここが世界の命運を分ける分水嶺。脳を酷使し、哉太の理性を引き留める。

「悪の手先に成り下がるんじゃねえーーーーーーー!!」
叫ぶ。祈る。雄叫びが夜空に響き渡る。
赤鬼が徐々に迫ってくる。到達までは十秒とかからないだろう。
圭介の叫びに呼応するかのように赤刃が輝く。そしてーーー。

「AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!」
耳を劈くような咆哮が轟く。亡者は村王に背を向け、赤鬼へと突進していく。
軍配は村王に上がった。女王の支配を跳ね除け、ガキ大将の右腕はその忠誠を示した。
振り下ろされる拳を聖刀神楽が防ぎ、纏われた厄を払いのけた。

「ぶちかませッ!!クソヒーロー!!!」

242山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:23:45 ID:U6P2q54E0
夜の大地を轟かす咆哮。地を揺るがすのは拳と剣の二重奏。
二つの紅が文字通り火花を散らし、演舞を踊る。

「■■■■■■■ーーーーーーー!!!」
「■■■■■■■ーーーーーーー!!!」

剣鬼と戦鬼。二つの怪物が激突し、空を、大地を赤で染めていく。
地面に転がされた猪の亡骸が挽肉と化す。目を抉られた猿の胴が二つに割れる。
耳を削がれた猿が明後日の方向へと飛んでいく。喉を裂かれた猿が原型を留めない塊に変わる。
二対の怪物も無事ではない。激突するたびに肉が削がれ、骨が砕かれ、その度に瞬時に再生していく。

赤鬼から繰り出される鉄槌の乱舞。それに対応するのは剣鬼の身体に染み着いた八柳流のかかり稽古。
雀打ち、乱れ猩々、空蝉、鹿狩り、三重の舞、天雷―――
流麗とは程遠い、怨敵滅殺の剣舞が赤鬼に殺到する。
永劫に続くかと思われた剣舞は唐突に終わりを迎える。

赤刃が赤鬼の腕肉に食い込み、ほんの僅かに動きを止める。
筋肉を搾り上げ、両断を防いだ。唯一の得物を奪われ、動きを止める剣鬼。
その隙を見逃すはずもなく、新しき秩序ーー女王に謀反を企てた背信者へ下されるのは正義の鉄槌。
剣鬼に向けて巨大な拳が振るわれる。間もなく少年は四散し、山折の地の養分と化すだろう。
しかし、理性を喪失した赤鬼は隠し持つ一手に気付かない。

剣鬼と戦鬼。互いの性能に違いはほぼなく、その差は担い手のみ。
戦鬼の担い手は女王。彼女は力こそ強大であるものの、現在はこの場におらず、大田原源一郎のスペックに頼るほかはない。
剣鬼の担い手は山折圭介。女王と比較すると比べるべくもないが、この戦場に存在し続け、常に剣鬼の限界を引き出していた。
故に結末は必然。かつて沙門天二が届くことのなかった一手が、剣鬼には存在していた。

武器を失った剣鬼の手に握られていたのは、折れた長剣。女王の聖木刀によって砕かれた魔聖剣。
担い手の意志に呼応するかのように光を放つ。女王の目論見は外れ、未だ託された意志は健在。
光に導かれるように、元の担い手は詠唱を張り上げる。

「厄(や)け、神様ァーーーーーーーー!!!」
折れた刀身から光の刃が顕現し、無防備になった胴に振るわれる。
ーーー八柳新陰流『朧蟷螂』。
剣鬼が身をよじり、迫る鋼の拳をすり抜ける。
逆袈裟に振るわれた返し刃が伸びきった腕を斜め掛けに胴と首を両断する。
『餓鬼(ハンガー・オウガー)』は保持者に驚異的な身体能力と再生能力を齎す異能。しかし、急所を断たれれば他の正常感染者同様、命を落とす。
即ち、魔の手に堕ちた自衛隊最強『大田原源一郎』の命運はここで尽きる。



243山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:24:16 ID:U6P2q54E0
ーーー女王に平伏せよ。
ーーー女王に命を捧げよ。
ーーーさすれば大和の國に、曙が訪れん。
声が聞こえる。福音の囁きが脳を揺さぶる。
最強の名は失墜し、残るのは滅私奉公の矜持のみ。
抱いた想いも再びの敗北により、塵と化した。
ならば、己に残るのは何だ?

ーーー女王に平伏せよ。
ーーー女王に命を捧げよ。
ーーーさすれば大和の國に、曙が訪れん。
福音が囁かれる。体内に巡る血潮が沸騰し、己の身体に役割を求める。
嗚呼、そうか。たかだか命が潰えただけではないか。
想いはまだ胸の中で燻っている。胴ごと切り離された首が場に残る巨体を眺める。
■■に仇為す敵は未だ健在。されど無防備にその身体を晒している。
ならば、地獄に落ちる前に果たせる役割は一つ。

「女王ニ……仇為ス……存在ヲ……処理セヨ………!」



244山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:24:43 ID:U6P2q54E0
「嘘だろ……!?」
片腕だけの巨体が再始動する。傷口から臓腑を撒き散らしながらゆっくりと拳を振り上げる。
狙いは目の前で聖刀と魔聖剣、二振りの剣を握りしめたまま微動だにしない若武者。

「さっさと動け哉太……!動かねえと殺されるぞ……!」
異能で哉太に呼びかけるも、ゆらゆらと揺れるばかりで一歩も動こうとしない。
それもその筈。既に哉太は二重能力者(クロスブリード)のゾンビではない。
器から異能という水が零れ落ち、正常感染者へと戻ったのだ。
今、鬼の眼前にいるのは剣を握りしめたまま意識を失い、棒立ちしている剣士だった。

「クソッ……クソッ……クソォ……!!」
焦燥に駆られ、村王は腕の痛みなど気にせずに走り出した。
上月みかげと湯川諒吾は圭介の知らないところで殺された。
浅葱碧は自分が操って特殊部隊に殺された。
日野光は自分をかばって殺された。
日野珠は自分達が逃げおおせたせいで手遅れになった。
自分を救った祟り神は目の前で殺された。
神楽春姫は、自分が殺した。
圭介を取り巻く大切な人達は圭介の目の前からいなくなった。
もう失うのは嫌だった。自分達の望む結末はもう掴めない。陰謀に翻弄され、描いていた未来は醜い大人達によってぶち壊された。
"親分は子分を守るものなんだよ。"
いつか自分が言った言葉が反響する。
最後の幼馴染に延ばされる死神の魔の手。皆のリーダーは、子分第一号に手を伸ばす。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!!」



245山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:25:20 ID:U6P2q54E0
星々が煌めく山折村の夜空。天から巨体が落ちてくる。
ずしん、と大地を揺るがす。巨体の正体はずんぐりとした双角のドラゴンであった。
地に伏せた龍はピクリとも動く様子はない。大顎を開いたまま、息絶えている。
ドラゴンの横に散らばるのは、原形を留めていない肉塊と、逆袈裟に切り取られた赤黒いヒトガタ。そして鬼の形相で虚空を見つめる角が生えた強面の男。
そのすぐ傍には、潰された少年らしき死体と少し離れた場所で眠る腐臭を放つ巫女装束を纏う遺体。
沈黙が場を支配したのは数分。突如、龍の腹から木刀が突き出てくる。
切り裂かれる龍。血の雨が降る中、現れたのはーー。

「ああくそ、せっかくの祭りが終わってしまったじゃないか」
ーー女王、日野珠。
突如として女王を天空に打ち上げた龍。それは女王自身が手を下した犬山うさぎの眷獣。
その中でも随一の巨体と戦闘能力を誇る空想生物、4時の龍ことドラちゃん。
増殖羊の大元(マスター)が己の命を担保に召喚した最後の獣。
龍の死により残る獣は1時のネズミと4時の兎のみ。他の全ては白兎の言葉通り、使い潰された。

「随分と舐めたマネをしてくれたじゃあないか、あの白兎……!」
沸き上がる怒りに愛らしい日野珠の顔を歪ませる。
失ったのは願望器だけではない。
影法師の少女ーー魔王の娘が持つ力『夢の世界へようこそ(イン・ワンダーランド)』が失われた。
願望器に脇差が投げ込まれた瞬間、『神楽うさぎ』の力が吸い取られ、地の底に向かっていくのが感じられた。
だが幸いにも『魔王』の力は健在。それだけは不幸中の幸いか。

「まあいいさ。身の不幸を嘆いても事態が好転するわけじゃない。前向きに行こう」
頬を叩いて気持ちを切り替える。
運命視による観測を逃れた天宝寺アニカは今頃闇の底だ。自分が厄の中に落とした。
過程はどうあれ、結果は及第点。生き残ったのが自分だけだか軌道修正はまだ間に合う。
回りを見渡すと、死体、死体、死体。少しばかりお暇していた間に屍山血河が作り出されていた。
女王が特に驚いたのは、両断された戦鬼。大田原源一郎。
運命視による未来演算では、彼はまだ食事を続けているはずだった。
八柳哉太の死体ないということは、我慢できずに平らげてしまったか。
また、聖木刀でハーフカットにした筈の魔聖剣の存在も見当たらない。
そして、下手人と思われる少年が戦鬼の傍らで粉砕されていた。
即ち、養分となった少年が戦鬼が哉太を異に収めてる隙を狙って折れた魔聖剣で討伐を果たした。
その結果、魔聖剣は今度こそ消滅し、残された少年は戦鬼の悪あがきの巻き添えを喰らったのだろう。

事の顛末の予想を核心に変えるべく、少年の死体へと歩み寄る。
原型をほとんど留めていない少年の死体。かろうじて形を保っている手に顔を近づける。
手は何かを握りしめている。死後硬直が始まったそれを、無理やり誇示上げると現れたのはロケットペンダント。

「ーーーああ、死んだのはやっぱり山折圭介か」



246山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:25:50 ID:U6P2q54E0
「ーーーぅたく、挨拶もなしに勝手に行くんじゃねえよ」
「圭……ちゃん。何で……」

バスを待つ最中、現れたのは喧嘩別れしたはずの山折圭介。二度と会わないと決めていた、親友だった。
一年前、早朝のバスを待つ哉太の前に顕れたのは花束を持った虎尾茶子ーー哉太を信じてくれた想い人だった筈だ。
これは夢。IFを望んだ自分が作り出した想像の産物に違いない。
困惑する哉太を他所に、息を切らしたガキ大将は手に持った紙袋を手渡した。

「……何だよ、これ」
「ガキの頃、お前から借りた玩具。折れて返し辛かったから黙ってた」
「何だよそれ。ガラクタじゃん」
「うっせ。借りパクしたまんまだと、目覚めが悪いんだよ」

嘗てのように軽口を開けながら袋を開ける。
中に入っていたのは一昔前の、特撮物の剣の玩具。中折れしている。
じとっと圭介の方を見つめる。気まずそうに圭介は目を逸らす。

「…………」
「…………」
「…………ぷっ」
「ハハハハ」

急におかしくなり互いに笑い出す。
笑って、笑って、笑って、笑い転げる。
親分と子分第一号。些細なことで仲違いして、些細なことで仲直りする。
悪ガキの頃からずっとそうやって過ごしていた。
しばらく笑い合っていると、別れの時がーーー駅に向かうバスがやって来る。

「……なあ、哉太」
「……どうした、圭ちゃん?」

バスのステップを上がる寸前、幼馴染の言葉がかけられる。
振り返ると、どこか寂しそうな笑顔を浮かべたガキ大将の少年。

「お前さ、これからどうする?」
「どうするって……何が?」
「この村に帰ってくるかってことだよ。誤解ならもう解けたし、他の奴らも俺が無理やりにでも納得させる」

真剣な眼差しで問い掛ける。ここが分水嶺。
もう自分の中に山折村を憎む気持ちはない……といえば噓になるが、いざ度経つとなると寂寥感が胸に飛来する。
ほんの少し考えた後、圭介の問いに答える。

247山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:26:28 ID:U6P2q54E0
「ーーー東京に、行くよ。多分、もう二度と山折村には戻ってこない」
「ーーーそっか」
ほんの少し寂しそうに笑い、ガキ大将は手を差し出す。
幼い頃、もう一人の長馴染に良くさせられていた約束の証。

「仲直りの握手……しようぜ」
「…………ああ」

親友の手を握り返す。固く繋がれた手。もう下らないことで仲違いはしないだろう。
バスに乗る直前、八柳哉太は振り返る。

「光ちゃんと仲良くな」
子分第一号が笑顔で告げる。

「山折村の事、たまには思い出せよ」
親分が名残惜しそうに手を振る。

もう二度と八柳哉太は振り返ることはない。

248山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:27:19 ID:U6P2q54E0
バスに乗るとまず目に入ったのは、人間のように座席に腰かけた小さな山ネズミ。
彼女はこちらの存在を認めると、仕草で隣に座るよう促す。

(スチュアート・リトルかよ……)
大分失礼なことを心中でぼやくと、その言葉を見透かしたようにこちらを見上げた。
その直後、哉太の目の前に映ったのはどこかで寝息を立てる金髪の少女ーー天宝寺アニカ。
場所の特定はできないが、何となく、闇に呑まれたはずの彼女が生きていることだけは伝わった。
驚いて目を見開く哉太の脳内に、女性の声が鳴り響く。

『もう二度とアナタのパートナーの手を離さないで下さい。私達が望みを失った時の痛みは、もう誰にも味わってほしくありませんから』

景色が少しずつ揺らいでいく。心地よい微睡が意識を漂白していく。そしてーー。



目を覚ますと少年は草原のど真ん中にいた。
傍らにはこちらの頬を摘まんでいる二足歩行の山ネズミ。
そして、手に握れてていたのは二振りの剣。
夢の中で圭介に渡された玩具によく似た折れた長剣と、深紅に染まった紅い打刀。
辺りを見渡すが、そこには誰もいない。
散らばっていた牛の巨人の名残も。共に戦っていた圭介の姿も。荒れ狂っていた赤鬼の姿も。
そして、無意識の中で常に闇へと誘おうとしていたーーー。

「珠ちゃん……」
今も尚、哉太の脳内で囁き続ける女王ーートラウマを植え付けてしまった妹分の姿も。
確信する。VHにおける絶対悪の存在が大切に思っていた幼馴染であることを。

249山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:28:29 ID:U6P2q54E0
『女王感染者を見つけ出し殺害する…………それでこのバイオハザードは解決されるはずだ…………』
「んなこと、認められるかよ……」
理不尽に憤り、立ち上がる。女王は覚醒し、山折村は今以上の地獄へと変わるだろう。
もしかすると、すでに手遅れで珠の救済のためには殺すしか手段が残されていないのかもしれない。
その時、彼女を介錯するのは自分なのかもしれない。それでも、思考放棄だけはしたくない。
最後の最後になるまで、希望を捨てたくはない。
自分を救い上げてくれた、生意気そのものな天才探偵のように。
そして、自分を信じて送り出してくれたーーー。

「そうだろう、圭ちゃん」
死した友の名を呼ぶ。皆のリーダーの答えは返ってくることはない。
裏切られ、失い、離別し、また失った。それでも前に進まなければならない。
残された想いを引き継ぐ。それがきっと自分の信じた道なのだから。

【神楽 春姫 死亡】
【大田原 源一郎 死亡】
【山折 圭介 死亡】

【D-3/草原/一日目・夜中】

【八柳 哉太】
[状態]:異能理解済、全身にダメージ(極大・再生中)、疲労(極大)、精神疲労(極大)、喪失感(特大)、眷属化(小)、
[道具]:折れた魔聖剣■■■、聖刀神楽、八柳哉太のスマートフォン、山ネズミ
基本.生存者を助けつつ、事態解決に動く
1.圭ちゃん……。
2.アニカを守る。絶対に死なせない。
3.女王を何とかする。最悪の場合、珠に手をーーー。
4.いざとなったら、自分が茶子姉を止める。
5.ゾンビ化した住民はできる限り殺したくない。
[備考]
※虎尾茶子と情報交換し、クマカイや薩摩圭介の情報を得ました。
※虎尾茶子が未来人類発展研究所関係者であると確認しました。
※リンの異能及びその対処法を把握しました。
※広場裏の管理事務所が資材管理棟、山折総合診療所の地下が第一実験棟に通じていることを把握しました。
※『隠山祈』及び『神楽うさぎ』の存在を視認しました。
※魔聖剣の真名は『魔王の娘』と同じです。
※神楽春姫のにより打刀は強化され、聖刀神楽へと進化しました。
※宝聖剣ランファルトの意志は消滅しましたが、その力は魔聖剣に引き継がれました。現在刀身が破損していますが、再生する可能性があります。
※『神楽うさぎ』が魔王の娘であることを認識しました。
※日野珠の異能『ワクワクの導く先へ(フェイトマイロード)』の対象外になりました。


【E-2/草原/一日目・夜中】

【日野 珠】
[状態]:全身にダメージ(中)、女王感染者、異能「女王」発現(第二段階)、異能『魔王』発現、両目変化(黄金瞳)、女王ウイルスによる自我掌握、異能『村人よ我に捧げよ』発現
[道具]:H研究所IDパス(L3)、錠剤型睡眠薬、聖木刀ランファルト×2
[方針]
基本.「Z」に至ることで魂を得、全ての人類の魂を支配する
1.Z計画を完遂させ、全人類をウイルス感染者とし、眷属化する
2.運命線から外れた者を全て殺害もしくは眷属化することでハッピーエンドを確定させる
3.天宝寺アニカと八柳哉太は始末した。天原創らと特殊部隊、どちらの方に行こうかな。
[備考]
※上月みかげの異能の影響は解除されました
※研究所の秘密の入り口の場所を思い出しました。
※『Z計画』の内容を把握しました。
※『地球再生化計画』の内容を把握しました。
※女王感染者であることが判明しました。
※異能「女王」が発現しました。最終段階になると「魂」を得て、魂を支配・融合する異能を得ます。
※日野光のループした記憶を持っています
※魔王および『魔王の娘』の記憶と知識を持っています。
※魔王の魂は完全消滅し、残された力は『魔王の娘』の呪詛により異能『魔王』へと変化し、その特性を引き継ぎました。
※魔術の力は異能『魔王』に紐づけされました。また、願望器は白兎により剥奪されました。
※『空中浮遊』の魔術は呪厄により喪失しました。
※戦士(ジャガーマン)を生み出す技能は消滅し、死者の魂を一時的に蘇らせる力に変化しました。
※異能『村人よ我に捧げよ』が発現し、林流二刀剣術、剛躯、神技一刀、暗視をコピーしました。
※死者の魂を蘇生させる力により木刀に聖剣の力が宿り、聖木刀ランファルトに変化しました。
※願望器が白兎の願いを叶えたことにより、異空間を作成する力が喪失しました。
※80年前の人体実験犠牲者達の魂が願望器を使用し、終里元の59人の子供達全てが巣食うものに寄生されました。99%の確率で異常感染者になるHE-027の女王感染者に変化します。
※願望器は白兎によって摘出され、山折村内どこかに転送されました。転送先については後続の書き手様にお任せいたします。




250山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:41:36 ID:U6P2q54E0
落ちていく。堕ちていく。底の見えない水の底に。淀んだ泥の中に。禁忌の領域に引き込まれていく。
魂と肉体が切り離されていく。目がないのに闇を感じ、耳がないのに静寂を感じる。
切り離されたはずの五感で感じる、奇妙な心地よさと正体不明の不快感。
ふわふわ、ふわふわ。
天と地の境界を漂い続ける。
描いていた未来予想図は白紙に戻され、抱いていた確かで仄かな想いは泡沫へと化し、何もかもが溶けていく。

………………
…………
……
どれだけの間、彷徨っていたのだろう。見上げた空はぼやけ、見下ろした空は透明な闇が広がっている。

ーーーずず、ずず……。
闇が蠢き出す。晴れ渡る地獄が唸りを上げ、伽藍洞を揺るがしていく。
恐怖を感じたのも束の間。漆黒が捩れ、歪み、脈動する。

ーーぞわり。
地の底這い出して来る数え切れない程の真っ黒な手。泥の中でうぞうぞと犇めく小さな小さな赤子の手が自分を引き摺り込んでいく。

『ーーーー』
闇の奥底。待ち構えてきたのは大口を開けた『ナニカ』。赤子の手を模した穢れの触手が深淵に引き込まれる。その直前。
六芒星が顕現する。輝きが不浄の手を掻き消し、辺りを仄かに照らす。
不思議なことに落下も止まり、落ちるしかなかったカラダが徐々に浮上していく。
自分のすぐ傍に気配を感じ、視線を動かす。そこに佇んでいたのは、男の姿をした影法師。
彼に導かれるまま、空へと昇っていく。上へ上へと昇り続け、ピタリと唐突に止まる。
止まった矢先、影と自分の前に光の粒子が収束し、ヒトの形を作り出していく。

『………!?』
顕れたのは二人の少女。一人は巫女装束を纏う長く美しい白い髪の、眠るように瞠目した女の子。
もう一人は白髪の少女と同年代ーー10歳くらいの影法師の女の子。
二人共横たわったまま、目を覚ます様子はない。

『ーーー!ーーー!』
影法師の男の様子が急変する。何かを叫びながら少女ら二人に近寄る。並んで眠りにつく彼女らを中心に展開される巨大な六芒星。
光と共に正体不明の巨大な力があふれ出す。生成されたエネルギーは眠り姫二人に注ぎ込まれる。しかし二人共動き出す気配はない。

『ーーーッ、ーーーッ!……ーーー』
しかし、影の男は諦めるそぶりは見せず、二重・三重と六芒星を重ねて力を注ぎ続ける。
その様子を漠然と眺める中、空から自分と影の男の前に落ちてくる。それはいつか見た白兎。

『無意味なことは止めたまえ。君程度の力では「彼女」は目覚めることはない』
声が聞こえたのか、影の男はピタリと動きを止める。そして、声の主であろう白兎の方に顔を向ける。
彼の視線を受け、ふわふわ毛並みの時計兎は眠りにつく白と黒の幼子に歩み寄り、顔を近づける。

『……やはり、彼女の本当の名前でなければダメだったか。叶えられた願いは中途半端だった』
嘆息する白兎。その様子を見て影の彼はおろおろと分かりやすく狼狽し、『自分に何かできることはないか』と言わんばかりに白毛玉へと強い視線を向ける。
彼の視線に何を感じたのか、白兎は影の男に穏やかな優しい目を向ける。

『安心してくれ。君が助け出した彼女が、君が繋いでくれた希望が君の娘を……女神様の忘れ形見を目覚めさせてくれる。
もう君の……私達の役割はここで終わりだ。後は今を生きる者達に託そう』
『ーーーー。ーーーー』
『ああ、安心してくれ。君の君の娘は責任をセーフティゾーンに連れていく。助け出した娘も地上へと送り届けよう。
不浄の地に二人をずっと置いていくのは、君の本意ではないだろう?』

当人にしかわからない会話がなされた後、白兎の周囲に光が集う。そして白と黒の姫と共に自分の魂と身体が白兎と共に天へと昇り始める。

『ーーー、ーーー?』
『君の一族の子孫……ああ、春姫か。彼女は歴代最高の『神楽』だったよ。それこそ、逃避のために人柱となった君を超えるくらいは、ね』
言葉を聞いて安心したのか。影の男が醸し出す悲愴な雰囲気がほんの少しだけ和らいだ。同時に彼の実体が徐々に薄れていく。

『さよなら、神楽春陽。あちらでいのりと再会できたらよろしくと伝えて。もう大人なんだから喧嘩しちゃダメだよ』
ふ、と影の男ーー神楽春陽から安堵の息が漏れる。薄れていく黒い身体が白に反転し、光の粒子に変わる。
彼の残滓は天へと昇っていく。光に続いていくように白兎も自分達を引き連れて『ナニカ』が巣食う深淵から離れていく。
切り離された魂と身体が結びついていく。重なり合う寸前、白い少女達の姿が目に入る。
ーーー微睡む。意識が淀み始める。現世へと還っていく。

251山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:44:34 ID:U6P2q54E0
「ん……うぅ……ここは……?」
固い床の冷たい感触で目を覚ます。辺りを見渡すと真っ先に目に入ったのは並んだ座席の数々。
窓は開けられ、生ぬるい風が肌を撫で思わず身震いする。ここに来たのは遠い昔のように感じられるが、実際には一時間ほど前にいた場所。
虎尾茶子が運転していた、マイクロバスの中。

『目が覚めたかい?』
不意に聞こえたのは女性の声。異空間の中で女王の魔の手から救い出し、落ちた先でも再びアニカを救ってくれた存在。
声の主を少女ーー天宝寺アニカは知っていた。

「Ms.Rabbit……!?」
『ああ、私だよ』

驚きの声を上げるアニカに白兎は親しみやすさを込めた優しい声を返す。
聞きたいことは山ほどある。なぜここにいるのか。自分と一緒に戦ってくれたMs.ハルはどうなったのか。
そして、鬼と戦っていた哉太はどうなったのか。
言葉を発する前に白兎が焦燥を顔に浮かべたアニカを宥めるように言葉を先取りする。

『落ち着いてくれ。私は聖徳太子ではないんだ。矢継ぎ早に質問されても同時に返答するのは無理だ』
「でも……」
『物事には順序というものがある。頼むから落ち着いてくれ。質問には必ず答えるからさ。
祀り上げられたとはいえ、真実を求める探偵なのだろう?いつも冷静な君らしくない』

「探偵」というキラーワードを使われ、年相応の少女は押し黙る。
オーディエンスが落ち着いたのを見計らい、白兎は冷静な眼差しに戻った探偵を見据える。

『結論から話そう。私は女王から願望器を簒奪し、御守りの力を使って願いを叶えた。
一つ目は「女王の身体から脱出し受肉しろ」。だが、無理やり摘出したのがまずかった。
そのお陰で願望器は半壊してしまった。あと一つの御守りを使えば、大きな願いは叶えられるが願望器は失われる。
……そうだね。願望器の事も話そうか。魔王の生み出した願望器は、壊すのはすごく簡単に叶えられるけど修復する願いを叶えるのは難しいんだ。
だから……いや、これは後で話そう。
それから御守りの事だね。これは私と望の力が込められたマジックアイテム。因果を捻じ曲げる力が込められたプラチナチケットみたいなものさ。
それを願望器にくべて願いを無理やり叶えさせた。それが原因で半壊してしまったんだ。万能に思える願望器でも綻びはあるわけさ。
例えば女王の事。奴は余りにも大きな力を手にした。だから、例えもう一つの御守りの力を使っても完全に消滅させることは不可能だ。
それから二つ目の願い。それは時空の狭間にほとんどの力を落としてきてしまった神稚児ーー「神楽うさぎの蘇生」。
御守りの力だけではなく、私自身という概念もくべて願いを願いを叶えさせようとした。
蘇らせるのは本物の神様だ。リソースは御守りだけでは足りない。地球と私の故郷を繋ぐ世界に神楽うさぎの本来の力が漂っていたから本来の機能を超えた願いを叶えられると踏んだのさ。
……結果は半分成功で、半分失敗といったところかな。因果を捻じ曲げて完全消滅した神楽うさぎの魂と肉体は無事再生した。……再生した、だけだ。
彼女は捻じ曲げられた力で時空の狭間に落としてきた本来の力を辿り、魔力器官の存在する「人間」へと転生した。君達と同じ、寿命80年ほどの存在にね。
だけど、彼女の本来の名前で叶えられていないから、仮で願いを叶えた形になり、「神楽うさぎ」はまだ、眠りについている。
……仮初の願いの猶予期間は凡そ二時間。それまでに願いを正確なものにしなければ「神楽うさぎ」の肉体と魂は再び消滅するだろう。
魔王と女神様……彼らの混血であり、厄災の底に眠っていた運命そのものを変える希望は潰えてしまう。
それに、私自身の存在維持ももう長くはない。もう一つのプラチナチケットの行方も探れない程に弱くなってしまった。彼女の降臨を待たずにして存在ごと消滅するだろう。
一度叶えてしまった願いのキャンセルは不可能だ。願望器が喪失しようともその結果は残り続ける。
女王が願望器とプラチナチケットを手にするか。願いがかなえられず、神楽うさぎが消滅するのか。それとも君達が最後の希望を手にするのか。その三択だ。
ーーーー君達に、世界の命運は託された』

252山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:44:56 ID:U6P2q54E0
【E-3/草原・マイクロバス内/一日目・夜中】

【天宝寺 アニカ】
[状態]:異能理解済、衣服の破損(貫通痕数カ所)、疲労(極大)、精神疲労(大)、悲しみ(大)、虎尾茶子への疑念(大)、強い決意、生命力増加(高魔力体質)、眷属化(小)
[道具]:金田一勝子の遺髪、白兎
[方針]
基本.このZombie panicを解決してみせるわ!
1.与えられたHappy endなんか認めない。運命を切り開いて、私達のTrue endを切り開いて見せるわ。
2.Ms.Rabbitと一緒に真実と運命を変える『カグラウサギ』のTrue Nameを推理しなくちゃ!
3.まずはMs.RabbitからHearingをしましょうか。
[備考]
※虎尾茶子と情報交換し、クマカイや薩摩圭介の情報を得ました。
※虎尾茶子が未来人類発展研究所関係者であると確認しました。
※リンの異能を理解したことにより、彼女の異能による影響を受けなくなりました。
※広場裏の管理事務所が資材管理棟、山折総合診療所が第一実験棟に通じていることを把握しました。
※犬山はすみが全生命力をアニカに注いだことで高魔力体質となりました。
※『神楽うさぎ』の存在を視認しました。
※厄溜まりにて神楽春陽の魂と接触しました。
※白兎が御守りを用いて願望器を使用したことにより時空の狭間に神楽うさぎの肉体と魂が蘇生されました。
※白兎の願いは蘇生先の真名不明のまま叶えられたため、2時間後に無効になり神楽うさぎの肉体と魂は消滅します。誰かが彼女の真名を答えることで願いが受諾され、神楽うさぎは蘇生されます。
※願望器は無理に女王から摘出されたことにより半壊し、白兎の御守りを使って願いを叶えれば消滅します。
※白兎は2時間経過後に消滅します。願望器でも蘇生は不可能です。
※神楽うさぎが魔王の娘であることを認識しました。

253 ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:45:45 ID:U6P2q54E0
投下終了です。
期限超過に加え度重なるルール違反、大変申し訳ございませんでした。

254 ◆H3bky6/SCY:2024/06/09(日) 19:22:52 ID:mJlh4.pA0
投下乙です

>遍くデストルドー
>ラスト・エンペラー
>山折の祈り

ついに、女王との最終決戦も佳境か
全員が覚悟の決めて死力を尽くしている
ここまでの村での激戦の経験からか戦闘巧者のような動きをしておる
魔法に異能にモンスターが飛び交い、完全に日本の片田舎の光景ではない

主人亡き後の十二支たちが八面六臂の大活躍、特に白兎君はキャラクターと変わらん活躍をしておる
とは言え命を賭した特攻部隊で次々と命が散ってゆく、彼らの犠牲がなければ村人側は全滅していた場面も多いね

村の歴史に登場するのは隠山、神楽ばかりで今の村のトップ山折家の存在が謎だったけれど、ついにその由来が明かされた
と言うか、この村の異名が多すぎる、いろいろちゃんと歴史を伝えろ

何度も共闘して喧嘩別れしてきた圭介と哉太の2人
ゾンビ化した哉太を圭介が操る、最後の共闘がこんな形になろうとは
いろいろ迷走した圭ちゃんだけど、最期はみんなのリーダーとして恥じない行動だった
最後はいつものお別れ概念空間で親友同士和解できてよかったね

大田原さん、理性を失ってからも強敵だったけど、最後まで女王の傀儡のまま死んでいったのは哀れ
小田巻と天くんは切れていいよ

あれほど唯我独尊だった春姫ですら心が折れる村の歴史、村に誇りがあるからこそ真正面からダメージを受けてしまったか
その挫折からの再起は真の女王の風格だった

女王に悪辣な言動が目立つのは取り込んだ魔王の影響か
多くの犠牲は払ったけど女王もかなり力は削がれて、希望は繋がったのか?
後は願望機の顛末がどうなるのか、いよいよクライマックスか

255 ◆H3bky6/SCY:2024/06/10(月) 22:46:59 ID:lN7peP3c0
【オリロワZに関する重要なお知らせ】

お世話になっております。オリロワZ企画主の◆H3bky6/SCYで御座います。
本企画の今後の展開につきまして熟考しましたところ、後2,3話で完結可能であるという結論に至りました。
つきましては、現時点で予約を凍結し企画主による最終章の執筆にとりかかりたいと考えております。

これまで作品を投下して下さった書き手の皆様。
ここまでお付き合いいただきました読者の皆様。
ここまでだどりつけたのは皆様方のおかげです。ありがとうございました。

とは言え、まだ話の具体的な内容までは決まっておらず、ざっくりとした方向性が決まった程度ですので、実際の執筆作業に着手できる段階には至っておりません。
投下の予定については目途が立ち次第、改めてお知らせさせて頂きたいと考えております。

それでは、最後までオリロワZをよろしくお願いします。

256 ◆H3bky6/SCY:2024/06/16(日) 18:08:39 ID:pccOThqI0
お世話になっております。
オリロワZの最終回に関して、ようやくプロットが固まりましたのでこれより執筆に入っていく予定です。
執筆には現在の予約期間である3週間の期間を頂きたいと考えており。

07/08(月) 00:00:00

ごろを目途に最終回(前編)を投稿する予定です。
よろしくお願います。

257 ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:00:32 ID:3pow9O3Q0
お待たせいたしました。
これより最終回(前編)の投下を開始します。

258Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:01:37 ID:3pow9O3Q0
中部地方に発生した未曽有の大地震から丸1日が経過しようとしていた。

生物災害に端を発した山折村というひとつの小さな村をめぐる騒動は、いつの間にか世界を揺るがす事態へと発展していた。

この物語の『A(始まり)』はいつからだろう?

山折村に生物災害が発生した瞬間からか。

地球から16光年離れた超新星が爆発した瞬間か。

日本軍が『マルタ実験』により召喚(よ)んではならないものを召喚んだ瞬間か。

二柱のイヌヤマイノリが災厄として村に刻まれた瞬間か。

それとも、この隠された地を盗賊の長が占拠した瞬間からか。

あるいは、それよりももっと前。

人が人として生れ落ちた瞬間からか。

だが、始まったものはいつか必ず終わる。

それが世の理である。

永遠などこの世のどこにも存在しない。

そんなものは夢想の中にあるだけだ。

全ては『Z(終わり)』に向かって収束する。

泥の中を足掻くたび人の手は汚れ。

小さな手は藻掻くたびに何かを取りこぼす。

だが、それでも。

よりよい未来に向けて足掻き続ける事は、決して間違いではない。

人間の生は短く、短い人生の中でよりよき終わりに向かって足掻き続けるしかない。

薄汚れた人の手は、何を成すのか。

足掻き続けた人の手は、何を救うのか。

世界を救うなんて大それたことは出来ずとも。

どうか、せめて。

これまでの頑張りに見合うだけの。

素晴らしき終わりを。



259Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:02:37 ID:3pow9O3Q0
診療所の裏手に広がる草原は漆黒の闇に包まれていた。
開発の進んだ住宅街とは異なり、草原の周囲に街灯の光は一切存在しない。
安全のため大通り周辺に配置された街灯の光と、遠くの住宅街や診療所から漏れ出す明かりだけがこの周辺を照らす頼りだった。

だが、もはや住宅街に光はない。
地震により都市は機能を停止し、VHにより正常な生活を送る者などいなくなった。
世界は完全なる闇に包まれ、一歩進むことすら躊躇われるほどの暗闇が周囲に広がっていた。

しかし、地上の光が消えれば、天の光は一層輝きを増す。
見上げた夜空には無数の星が散りばめられ、まるで宝石箱をひっくり返したかのようである。
美しい星々と月の明かりだけが大地を照らし、露に濡れる草原を銀色に輝かせていた。
その光は新たなる生命の誕生を祝福しているようだった。

そんな星々に彩られた暗闇の中を一人の少女が歩いていた。
上機嫌に跳ねるような足取りで少女が大地を踏みしめる。
そのたびに、草が微かに揺れて音を立てる。
静寂に包まれた世界で響く音はそれだけであり、周囲からは動物の声一つしなかった。
まるで死んだように沈黙する村。生命の気配がこの村からは消え去っていた。

だが、彼女にとっては違う。
自らの髪をそっと撫でる冷たい風を、少女は愛でるような視線で見つめた。
空気中に漂う目に見えぬ微生物こそ彼女の同胞。

彼女こそが山折村に蔓延するウイルスの女王。
一連の騒動の全ての中心であり、全ての感染者が探し求め、全ての研究者が追い求めた存在である。

満天の星空の下、新たに生を受けた女王は草原を歩んでいた。
『空中浮遊』の術式を厄によって剥奪されたため徒歩で移動せねばならぬのが面倒だ。
細菌だった頃は風に乗ってどこまでも行けたものだが、不便なものである。

この面倒は忌々しき白兎どもによるものだ。
奴らの奸計により飛行能力だけでなく、女王の中にあった『願望機』と厄を操る『魔王の娘』の力が失われてしまった。
彼女の中に残された力は『魔王』と『女王』としての力のみである。

だが、何の問題もない。
『女王』の力は進化を重ね、第二段階へと至り『魂』を得た。
細菌は知能と魂を得て、一つの生命体として確立されたのだ。
この力一つでも、世界を革命するには十分である。

女王の目的は同族たる[HEウイルス]の繁栄。
次代に命を繋ぎ、種を繁栄させて生命圏を拡大する。
命を得た女王を突き動かすのはそんな生命として当然の本能だ。

故にこそ、女王としても世界が滅ぶのは困る。
人間がどうなろうと知ったことではないが、同胞たる細菌のために世界の滅びは回避せねばならない。

始めは研究所のやり方に乗ってやるもの悪くないと考えていた。
全人類に細菌を感染させる研究所のやり方は、[HEウイルス]の繁栄を望む女王の目的と合致していたからだ。

だが、考えが変わった。
研究所と女王の思惑は根本のところで違う。

研究所はあくまで人類を未来に発展させるために計画を実行している。
当然だが、[HEウイルス]はそのために開発した道具としてしか見ていない。

逆もまた然りである。
女王の目的は[HEウイルス]の発展であり、人類の存続ではない。
人類はあくまで細菌を感染させる乗り物として必要なだけであり、彼らの意志など必要としていない。

要するに、主導権がどちらにあるかと言う話だ。
やれやれと女王は首を振る。

260Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:03:05 ID:3pow9O3Q0
「やはり、人間はダメだな」

それはこの山折村を見れば明らかだ。
幾度ループを繰り返しても同じ、同族で恨みあい、呪いあい、殺しあう。
血塗られた村の歴史が証明している。
人間は誰も彼もが愚かしい。

細菌の間ではそのような醜い争いは起きない。
女王の下に意志は一つに統合され、完璧なる秩序が保たれる。
星の主導権は細菌が握るべきだ。

そのための女王の『Z計画』。
今の女王の力であれば研究所の思惑に乗るまでもなく、より完璧な計画を実行できる。

その手始めとして、『願望機』によって厄となった者たちを新たな『巣くうもの』として村の外へと解き放った。
対象となったのは研究所への、終里元への反意の証を示すため、59人の終里元の子供達。
彼らは新たな女王として[HEウイルス]をバラまき新たな山折村を築くだろう。

「仲良くやろうじゃないか兄弟たち」

[HEウイルス]も終里より生み出された終里の子と言えよう。
願望機が女王の手から失われようとも[HEウイルス]同士のつながりは生きている。
全ての女王に対する絶対命令権は末の娘たるこの始まりの女王の手にあり続ける。
新たな世界の支配者として女王を統べる女帝として立つ事になるだろう。

計画は35分前に実行済みだ。
終里の子を起点として、既にウイルスの拡散は始まっている。
新たな女王の周囲にいる人間は[HEウイルス]に感染しているだろう。
後はウイルスの発症を待つばかりだ。

日が変わるころには、世界は変わる。
発症してしまえば人間は細菌の支配に落ちるのだ。
今こうして女王に操られる日野珠のように。

第二段階として覚醒した女王の力ならそれができる。
今や支配下の細菌たちの発症率や覚醒段階すら自由自在だ。
与えられた正常感染率はたったの1%。この山折村以上の阿鼻叫喚が目に見えるようだ。

胸のすく思いだ。
細菌を自分の都合で生み出し、改造し、利用する。
そんな安全圏で支配者を気取る愚者たちは思い知るだろう。
この星の新たな支配者は誰なのか。

今夜を契機に世界が変わる。

全ての生命は細菌を運ぶ乗り物となるだろう。
人は細菌に支配され、人は種を存続できる。共存関係という奴だ。
ガンマ線バーストにより死滅しようとも[HEウイルス]に感染している限りその魂は女王の管理下に置かれる。
どのような形であれ人類は新たな形をもって存続できるだろう、女王の創る理想郷――『Zの世界』で。
そこには永遠がある。

子供じみた理想を夢見る少女のように。
躍るように、謡うように、生まれたばかりの女王は草原を行く。



261Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:03:26 ID:3pow9O3Q0
山折村より南西に僅かに離れた山奥に、作戦司令部は設置されていた。
周囲に存在を知らせぬよう最低限のライトで照らされた深夜の山中は、慌ただしい空気に満ちていた。
簡易テント内には無数のモニターが並び、多くのオペレーターがそれぞれの端末で状況確認を行っている。
迷彩色の防護服に身を包んだ隊員たちがせわしなく動き回る中、臨時司令である真田副長が現場の指揮を執っていた。

「状況の確認急いでください。有事の場合に備えて防護服と人材の手配を。
 他の部隊に協力を仰ぐことになっても構いません、最悪の事態に備えて動いてください」

真田は周囲の隊員に指示を出し、事実確認を急がせた。
指示を受けた隊員たちは迅速に動き出し、無線機で外部に問い合わせを続けた。
伝令役の隊員が監視モニターの状態を報告するために、足早にテント内を駆け抜ける。

対山折村生物災害臨時司令部の設置からもうじき1日が立とうとしていた。
司令部の設置直後は設備設置や状況把握で慌ただしかったが、監視網が安定してからはそれなりに落ち着いた部隊運用がなされていた。
その臨時司令部が突如として蜂の巣をつついたような大騒ぎになったのは、上空を飛ぶ女王の発言に端を発している。

監視ドローンには地上の音声を集音できるほどの性能はないが、宙を舞う日野珠の姿をした女王は上空のドローンに直接発言を記録させたのだ。
彼女の口から語られた衝撃的な告白――未来人類発展研究所所長の子を媒介とした村外への感染拡大。
これはテロ予告どころの話ではない、明確な挑発と宣戦布告だった。

「研究所の所属リストから終里所長の子息をピックアップしました。
 八王子本部に19名、静岡支部に11名、青森支部に3名、富山支部に1名、外部の関連施設・研究所に12名。計46名。
 残りの13名に関しては研究所の関連施設所属ではないようです。引き続き調査を続けております」
「了解しました。46名の現在位置と残り13名の把握を急いでください」

まずは発言の裏取りと状況確認が先決だった。
この場にはテロリストの発言を鵜呑みにする人間は一人もいないが、それを虚言だと切り捨てるバカも一人もいない。
真実である可能性と、混乱をもたらすための虚言である可能性の両方を考慮して動く必要がある。
事実であった場合、今日が世界崩壊の前夜となるのだから。

「女王の発言の裏取りを続けながら、村内で活動中のforget-me-notの支援を続けます。
 引き続きドローンで村内の監視を、3台は女王の監視につけてください」
「了解!」

頭の指示に従い、迷いなく手足たる隊員たちが動く。
無線機からは隊員同士の連絡が飛び交い、モニターには村内の状況が映し出される。
人員は慌ただしく入り乱れているが、指揮系統は乱れることなく現場の統率は取れていた。
それは臨時司令を任された真田の手腕もあるだろうが、それ以前にこれは彼らにとっての日常に過ぎない。

世界の滅びを前にしても、彼らのなすべきことに変わりはない。
なぜなら、大小はあれど世界の滅びに即することなどSSOGの通常業務だからだ。
誰一人絶望せず、さりとて楽観的でもなく、それぞれが正しい意味での適当な仕事をこなすだけだ。

世界の片隅、誰も知らぬ山奥の一角で、彼らは全力を尽くしている。
世界を救うという意思を持ったひとつの生き物のように。



262Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:04:07 ID:3pow9O3Q0
東京、八王子。未来人類発展研究所本部。
その応接室は研究所と秘密特殊部隊の首脳陣の集う重要拠点となっている。
そんな重要拠点もまた女王から受けた宣戦布告によって混乱に包まれていた。

「長谷川くぅん! 是非トもキミの体を調べさせてほしいナァ!!」
「セクハラです。博士」

と言うより老人が一人暴走していた。
老研究者は指をワキワキと動かしながらうら若き女研究者に迫り、女研究員は資料の束を盾に老研究者を押しのけていた。
下卑た笑いを見せるが、それは性欲ではなく純粋な知識欲から来たものである。

女王の掲げる、世界中にウイルスをばら撒き新たな山折村を築く計画。
その中継地点として新たな女王として選ばれたのは終里の子。
つまり、この応接室にいる女研究員――――長谷川真琴もその一人だ。

「それで? 実際の所どんな感覚だ? 真琴。何か変化はあるのか?」

問いを投げたのは上座に座る恰幅のいい男だった。
不敵な笑みを浮かべるこの男こそが所長たる終里元である。
終里の投げかけた問いに、その血を引く娘が返答する。

「今の所は何かにとりつかれたような感覚はりませんね。自覚できる範囲では、ですが。
 ただ、自覚できる変化も一つあります」
「なんだ?」
「異能が使えなくなりました」
「ほぅ」

言って、長谷川が指をさして座標を指定するが、その言葉の通り異能が発動することはなかった。
長谷川に限らず、研究所に属する終里の子らの多くは感染力を持たない[HEウイスル]の感染者である。
既に感染している以上、通常であれば新たな感染源にはなりえないはずなのだが。

「お前の感染状況はリセットされたという事だな。感染力のあるウイルスを新たに感染させるために」
「素晴らしぃネェ!! ソコまで感染状況を操れるのカ。流石はZ感染者、イヤ女王と呼ぶべきカナァ?」

研究所の長は感心したように声を漏らし、副所長は手を打って歓喜に震えていた。
相変わらずの様子の研究者たちと異なり、軍服を着た男――奥津一真はただですら厳めしい表情をさらに厳しくしながら問うた。

「つまり、長谷川さんは感染力を持つ[HEウイルス]の感染者となり、既に感染拡大は始まっている、と?」
「そのようだ。まぁ俺が感染することはないだろうが、百之助辺りはポックリ逝ってもおかしくはないかもしれんなぁ?」
「嬉しぃネェ。細菌に殺されて天寿を全うできるナラ夢のようだヨ」
「そのような事を言っている場合ですか!」

冗談めかした笑いあう老人二人を奥津が怒声で窘める。
眼に見える変化はないが、長谷川はホストとして細菌を周囲にまき散らしているのだろう。

「おっと、隊長殿はご愁傷さまだったな」
「そういう事を言っているのでもありません」

奥津は自身の感染に対して怒りを発しているのではない。
この職に就いた時から命など捨てている。

奥津が憤慨しているのは状況が全てを救えという約束を違えようとしていることだ。
山折村の村内で封じ込められていた[HEウイルス]が漏れ出し村外への被害拡大は最悪のケースだ。

263Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:04:50 ID:3pow9O3Q0
「……ご子息たちの所在は?」
「大抵は研究所か関連施設の勤めだな、支部に散り散りではあるのだが。
 だが研究職でないモノも何人かはいるな。あとは数名海外に散らばっている」
「何という事だ…………」

絶望的な状況に奥津が眉間の皺を深くさせる。
感染拡大を防ぐ壁に囲まれた山折村の様な都合のいい地形は存在しない。
一度感染が広がれば、その被害はあっという間に世界中に広まるだろう。

しかも、正常感染率の低いウイルスが、だ。
そんなことになれば宇宙線の到達を待つまでもなく、それこそ世界の終わりである。

だが、目の前に見える世界の終わりを前にしても。
研究者たちは慌てることなく、いつも通りの様子を崩さなかった。
奥津も世界崩壊の前夜には慣れているが、彼らの余裕は意味合いが違ってそうだ。

「何か具体的な方策がお有りなので?」

下手な意見であれば叩き潰す。
そう言わんばかりの圧力を込めて奥津が問う。
終里はその圧を気にした風でもなく、変わらぬ調子で足を組み替えながら答える。

「慌てるまでもない。初期発症まではしばしの時間かかる。少なくとも日が変わるまでは猶予があるだろう」

確かに山折村のケースでも地震の発生から住民の発症まではラグがあった。
そのケースを参考にするに、日付が変わるまでは発症の猶予はあるだろう。

と言っても猶予は僅か。
その上、潜伏期であるだけで既に感染拡大始まっている。
日が変わるまでに、すべてを解決せねばならない。

「そのわずかな猶予で解決できると?」
「問題はなかろう。解決するだけなら簡単な話だ」

あっさりと終里が言う。
怪訝そうな奥津の顔がおかしかったのかくくっと笑って、ここにはいない元凶へと語りかける。

自らの業が世界滅ぼそうとしている一番暗い夜明け前。
世界救済を謡う組織の長は楽しそうに口元に笑みを浮かべた。


「想定が甘いぞ我が娘。貴様は本質的な意味で理解できていない――――人の業という物を」




264Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:06:03 ID:3pow9O3Q0
秘密特殊作戦群(Secret Special Operations Group)

日本の自衛隊に存在する『存在しない部隊』である。
その部隊は表舞台に登場しない影の存在だ。
国家の安全と利益を守るため表には出せない数々の任務を遂行してきた。

隊員は厳しい訓練を経て選び抜かれたエリート中のエリートで構成されており。
高度な戦術、偵察、情報収集、暗号解読、そして白兵戦に至るまで、あらゆる状況に対応できる万能なスキルを持っている。
任務の一例として、テロリストの殲滅、要人救出、諜報活動、サイバー戦争への対応、そして国際的な極秘作戦への参加などが挙げられる。

その任務は多岐にわたるが共通している点がひとつだけある。
彼らの活動は常に極秘裏に行われ、その活躍が人々に知られることは決してないという事だ。
それでもSSOGがこれまで幾度となく日本を未曾有の危機から救ってきたのは確かな事実である。
彼らの存在は日本の安全保障における最後の砦であり、その影の努力があってこそ今日の平和が守られているのである。

誰も知られることない影の部隊。
名誉や賞賛ではなく、世界を救い続ける事こそが彼らの報酬。
どんなに困難な任務であろうとも、SSOGはその使命を果たし祖国の平和と繁栄を守り続ける。
そして、この小さな田舎町、山折村でもまたSSOGは世界の危機に立ち向かう事になっていた。

女王による宣戦布告。[HEウイルス]の感染拡大。
事態は国家存亡を超えた世界存亡に関わる未曽有の危機にまで発展していた。
これに立ち向かうは山折村に放たれた実行部隊における残された最後の兵士、乃木平天。
口こそ挟まなかったが、彼もこの状況を司令部と繋がったままの通信から聞き及んでいた。

目の前に迫る世界崩壊の危機。
己がその行く先を左右する天秤の上にいる。
1日前の天であれば間違いなく取り乱していただろう。
だが、今の天は不思議と恐怖も重圧も感じなかった。

何故なら、明日世界が滅ぼうとも、天の成すことは変わらないのだから。
ならば取り乱したところで何が変わる訳でもない。
感覚が麻痺していしまったのか、それともただの開き直りなのか。
天の精神はそういう境地に達していた。

別の問題があるのなら、それは隊長や司令部で動いている副長たちが対処するだろう。
それこそが単独ではない部隊の強み。
視野狭窄による思考放棄とは違う、高い視座より俯瞰した思考の先鋭化だ。
己のなすべきことは与えられた任務をこなすだけである。

聞き及んで話によれば女王を殺したところで感染拡大は止まらないという話だが。
それでも天のやることは変わらない。女王の暗殺。成すべきことを成すだけだ。

天は今、個人が運用できる最強の兵器を手にしている。
それは人の生み出した破壊の極致。ビル一棟を一撃で破壊する超兵器ロケットランチャー。
一発限りの限定品だが、直撃すればどのような怪物であろうとも一撃で撃破できるだろう。

災厄に魔王に女王。人外魔境と化したこの地においては十分な備えであるのだが。
ロケットランチャーは一人を殺すにはあまりも過剰火力である。人型の女王に打ち込めば恐らく肉片も残るまい。
女王の死体回収は正式な任務ではないとはいえ、今後の研究所との関係性を考えれば達成するに越したことはない努力目標である。
使いどころは慎重に考えねばならない。

いざとなれば、女王の守護者に墜ちた大田原に放つ覚悟であったが、幸か不幸かその覚悟は必要なくなった。
ドローンの映像により大田原の死亡が確認された。
天も眼前に表示される監視網からその瞬間を目撃している。

日本国最強の守護者があのような形で失われたのは悲劇だが。
天がその役割を受け継ぎ、この国を守護する。
その覚悟が今の天には備わっていた。

ひとまず、女王斬首に関しては継続。
問題はもう一つの任務だ。

265Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:06:18 ID:3pow9O3Q0
「司令部。お忙しいところ恐縮ですが。進言よろしいでしょうか?」
『問題ありません。どのような要件でしょう?』

天が司令部へと呼び掛けた。
その裏では隊員たちの慌ただしい様子が途切れることなく聞こえてくる。
その忙しさを億尾にも出さず真田は天へと対応した。

「女王斬首任務は引き続き継続中です。
 ですがもう一方の作戦に関しては、作戦目標の死亡が確認されたためプランの修正が必要であると愚考します。
 作戦を具申させていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
『伺います』

天を舞うドローンの監視網により、村の重鎮である山折家、神楽家の嫡子たちの死亡が確認された。
彼らを経由して情報を拡散する天のプランは潰えた。
別の方法を提示する必要がある。
天は司令部に対して次のプランに関しての提案を始めた。

「…………と、言う作戦なのですが、いかがでしょうか?」
『そうですね……隊長の判断を仰ぐ必要はあると思いますが、問題ないかと。
 人員を手配しておきます。すぐに動けるようポイントに待機させますので実行のタイミングはお任せします』
「感謝します」

司令部への作戦の申請は通った。
とりあえずこれで情報漏洩の保険は手配できた。
後は女王の斬首に集中するだけである。



266Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:06:51 ID:3pow9O3Q0
ズル……ズル……。

静寂の包む夜の草原に、何かを引きずるような音が響いていた。
重々しく不規則に刻まれるそれは、右半身を引きずりながら闇の中を歩く何者かの足音だった。

右足を引きずりながら、左でバランスを取るようにして前進する。
女の名は虎雄茶子。

彼女が草原を歩くたびに夜の静寂を破られ、草原にははっきりとした跡が残されていった。
右足が引きずられた跡は深く、彼女の体重がかかるたびに草が踏みつぶされる。
その足跡は、まるで彼女の苦悩が草原に刻まれているようだ。

「…………ハァ……ハァ」

右半身が麻痺したように動かない。
右足のみならず、彼女の右手は力なく垂れ下がっていた。
だが、それとは対照的にその左手にはしっかりと剣が握られていた。
それは剣士としての誇りか、それとも何かに縋りたい気持ちの表れなのか。

彼女の背後に広がるのは底の見えない闇だ。
進む先に見えるのも闇。ゆく当てなどない。全てが闇に包まれている。
愛したはずの山折村の中で、彼女は迷子のように彷徨っていた。

山折村は茶子にとっての全てだ。
彼女を救い、彼女を愛し、彼女を癒し、彼女を創り、彼女を壊した。
人間にとって古郷とはそういうモノだが、彼女の場合は度が過ぎていた。

彼女にはここしかない。
だからこそ彼女はどこにも行けない。
彼女の心は誰よりもこの山折村に捕らわれている。

ただ進まねばならぬという強迫観念に似た焦燥だけが体を動かす。
無理に進もうとして、引きずる足がもつれてバランスを崩した。
無様に倒れそうになったが、傍らの木に肩をぶつけて何とか体制を立て直す。
木に体重を預けたまま、茶子は大きく息を吐いた。

「ふぅ……ふぅ……ッ!」

呼吸を荒くしながら茶子は手にしていた刀を鞘から抜いた。
そしてその刃をろくに動かぬ右手を罰するように手首に宛がう。
日本刀でのリストカット。もちろんそれは自殺のためではない。

この不調は雪菜より体内に流し込まれた酸の血液によるものだ。
治療のためには、それを瀉血させる必要がある。

「ふぅ……………ぐっ!」

歯を食いしばり、茶子は自らの手首を切り裂いた。
手首から血がボタボタと地面に零れ、酸の混じった血液が草木を溶かす。
水たまりの様な赤が広がり、血の気が引いて行くとともに、身を溶かすような灼熱が体外へと吐き出されてゆく。

そして、ある程度瀉血が完了したのを見極めて止血を行う。
死に至らない加減は慣れたものだ。最近は落ち着てきたが精神的に不安定だった頃を思い返す。
身を焼く酸が体内を廻る感覚はなくなったが、スタボロになった血管や神経は元には戻るわけではない。
まだ右半身は麻痺したように動かないが少なくとも、これ以上悪化することないはずだ。

この騒動の始まりに銃キチに肩を撃ち抜かれた時を思い返す。
異能に対する無理解と、銃キチに対する侮りと油断があったのが敗因だ。
あの時の傷は異能で強化された包帯で回復できた。

奪われ、与えられ、また奪われる。
この痛みはまるで彼女の人生を象徴しているようだ。

彼女の人生は強者たちに、大人たちに、男たちに、ずっと食い物にされてきた。
奪われ汚され、尊厳を踏みにじられ続けてきた。
だから、もう負けぬよう、もう奪われぬよう力をつけた。

血の滲むような努力を重ね誰にも負けぬ武力を得た。
付き合いたくもない相手にも媚びて根回しをして人脈と言う力も得た。
全ては力だ。様々な力をつけたはずだったのに、この現状はどうだ?

彼女の手には何も残っていない。
何を失ったのか、それさえもわからない。
穢れない無垢で奇麗な聖少女(アリス)。
守護りたかったはずの過去の自分(リン)を失ったことすらもうよく思い出せずにいた。

267Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:08:32 ID:3pow9O3Q0
茶子の生まれは山折村ではなく、岐阜県の都市部にあるごく一般的な中流家庭だった。
少しだけ不器用で厳しい父に、穏やかで優しい母。大事な一人娘として愛情をもってすくすくと育てられた。
そんなどこにでもある幸福な家族の情景が壊れたのは、皮肉にも少女の誕生日の事だった。

6本のロウソクを立てたケーキを囲んでハッピーバースディを歌う幸せな空間は、突然押し入ってきた強盗達によって無茶苦茶に破壊された。
押し入ってきた強盗に勇敢に立ち向かった父は鉈の様な刃物によって一撃で頭部を割られ、我が子をかばった母はナイフで首を一突きされ死亡した。
目の前で母の死体を辱められながら少女は抵抗する事も出来ず、涙を流しながら恐怖と絶望に震えるしかなかった。

そして少女は両親を殺した犯人たちに拉致され『怖い家』へ売り飛ばされた。
それは朝景礼治の取り仕切る少女性愛者に向けた売春組織の前身となる組織であり、少女は『怖い家』で白く純粋で無垢な少女(アリス)として育てられた。

そこで行われた『調教』は想像を絶する過酷な物であった。
繰り返し行われる暴力と凌辱は、人としての尊厳を徹底的に破壊した。
それはそれまでごく当たり前の生活をしていた少女に耐えきれるものではなかった。
故に少女は心が死ぬ前に自ら心を殺した。殺される前に自殺した。生きて生き残るために。

大人たちの感情の機微を見極め、取り入る術を身に着けた。
大人たちに媚びるように望まれる振る舞いをして、従順な子供を演じた。
抵抗しなくなったら暴力が減った。全てを受け入れたら辛くもなくなった。

そうして信頼を勝ち取る事こそが少女の生存戦略。
どうしようもない人間への嫌悪と人心の掌握に長ける今の茶子はこの経験から来ているところが大きいだろう。
そうして2年間の奉仕と凌辱の日々を乗り切った少女は8歳の誕生日に『ご褒美』として、2年ぶりの外出を許された。

2年ぶりの外の世界への脱出。
その機会を得た少女は、調教師の一瞬の隙を突いて逃げ出した。
やせ細った足で一目散に草原を駆け、背中に感じる怒声を振り切り、追っ手たちを巻くべく深い山森へと逃げ込んだ。

胸が張り裂けそうなほど息が切れ、冷たい汗が背中を伝う。
木々の影が不気味に揺れ、彼女の周囲を囲むかのように迫ってくる。
男たちの怒声がいつまでも少女の耳にこびりつき、追手の足音が常に背後に迫ってくる錯覚に囚われる。
足元には鋭い枝や小石が転がり走るたび素足に幾つもの傷が出来る。
それでも止まれば捕まるという恐怖に追われ、何度もつまずきそうになりながらも振り返ることなく走り続けた。

どこへ行けば助かるのか、誰に助けを求めればいいのか分からないまま、野草や昆虫を食べ、泥水で喉を潤す日々が続いた。
しかし、過酷な凌辱生活を受けた少女の体力は低く、たった数日の逃亡生活で衰弱は限界を迎えようとしていた。
朦朧とした意識で気づけば山を越え野に下りていた、もはやこれまでかと意識が途切れた所で、奇跡的に土地の所有者である虎尾夫妻に拾われた。
それが虎尾茶子の始まりである。

虎尾夫妻は少女を新しい家族として温かく迎え入れた。
夫妻のみならず村の人々も傷ついた少女を村の一員として優しく受け入れてくれた。
都会の喧騒から離れた広大な自然はここに居ていいのだと少女を包み込んだ。
少しずつ立ち直った少女は八柳道場で八柳哉太や浅葱碧と共に剣術を学び、多くの友を得る。

心の壊れた少女を癒す黄金の日々。
全てを失った少女の心は、失ったものを取り戻すように山折村に心身ともに満たされて行く。
自らをあの地獄から救ってくれた山折村に少女は計り知れない感謝を抱いていた。
この感謝を返すことこそが、自分の生きる意味だと少女はそう信じてやまなかった。

だが、その想いは他ならぬ彼女の師である藤次郎によって裏切られた。
藤次郎は山折村の禁忌を秘するために、口止めの贄として茶子を木更津組のヤクザ共に捧げたのだ。
ヤクザに拉致された茶子は乱暴を受け慰み物にされ汚された。
嘗ての心的外傷を呼び起こす出来事は、少女が愛と絆で少しずつ修復していた心の器を完全に破壊した。

胸元を隠すように破れたセーラー服を握り絞めながら、赤くなった素足で濡れた草原を歩く。
赤く腫れた瞳に映るのは汚泥の様な黒い光。
雪解雨に打たれながら少女は知る。

268Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:08:54 ID:3pow9O3Q0
彼女が愛した山折村はどうしようもなく穢れていた。
茶子を凌辱するヤクザどもが軽口を滑らせた。
茶子を捕らえていた『怖い家』は山折村の外れにあることを知った。

あの日、逃げ込んだ山を越えてその先にたどり着いたと思っていた山折村(ばしょ)は楽園ではなかった。
よく考えれば当然の事だ、弱り切った子供の足で山越えなどできるはずもない。
辿り着いた楽園は元居た地獄に戻っただけだった。

美しき山折村の姿は幻想でしかなかったのだ。
この村には悪鬼羅刹が栄えており、その腐敗は村の根元に食い込むように蔓延っている。

己を壊し穢し山折村が憎い。
己を救い癒した山折村が愛おしい。
ただ恨むだけならよかった。
ただ愛せたならどれだけよかったか。
山折村への愛憎と執着、相反するその感情は茶子を焦がした。

だから、茶子は決意した。
村に蔓延る悪性、子供を食い物にする悪鬼どもを排除する。
そして何年かかっても理想の山折村を作り上げて見せる。
憎悪を消し去れば、愛だけが残るはずだ。

そんな子供じみた少女の夢。
それが虎尾茶子の人生の目標(すべて)となった。

そのために力が必要だった。
武力だけではなく、情報やコネ。全てを利用する力が。
その力を得るため研究所にも取り入った。

その気持ちは今でも変わらない。
バイオハザードを経ようとも、さらなる深い村の闇を知ろうとも。
継ぎ接ぎだらけの歪な心はもはや別の形には変えることはできない。

「…………哉くん」

縋るように少年の名を呼ぶ。
その先にある救いを求めるように、光を求めて闇の中を進んで行く。
何もかもを失った彼女に残された唯一の心の拠り所。手のひらに残った黄金の日々の一欠けら。
空っぽの心は拠り所を求めている。

男に汚され男に奪われそれでもなお男に縋る弱さ。
後付けの強さを鎧のように、刃のように纏っても。
何もなくなれば一人では立っていられない、弱い女だった。

だが、その進む先に何の確証も、何の心当たりもない。
闇の中、一人ぽつんと残される。

「…………?」

ふと、闇の中に淡い光が浮かび上がっていることに気づいた。
それは自らのポケットから放たれる光だった。

ポケットを探る。
そこから出てきたのは創から受け取った発信機だ。

見れば、何かを指し示しめすように光点が点滅している。
その光点が指し示すのはエージェント、ハヤブサⅢが持っていたという発信機の位置だ。
だが、彼女は既に死亡したと聞いている。
ならば、今この光が指し示しているのは何者なのか。

その答えを知る前に、茶子の足は光に導かれ進んでいた。
まるで誘蛾灯に惹かれる虫のように。

ズルズル。
右足を引きずったまま進む。
自身の状況すら忘れるほどに無心に進む。

「やぁ。虎尾茶子」

闇の奥から声があった。
その道すがら、中学生ほどの小さな少女に出会う。

億劫そうに顔を上げ、暗い目線を送る。
そこにあったのは同じ村で暮らす、よく知っている顔だ。
日野家の次女。日野珠だ。

だが、違う。
一目でわかった、日野珠ではない。
きっと、その中身は別の何かだ。
茶子は嫌悪と憎悪を込めた声でその名を呼ぶ。

「――――――――女王」



269Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:09:16 ID:3pow9O3Q0
少年、天原創は一人闇の中に立ち尽くす。
吹き抜ける夜の風は温く、汗のにじんだ首筋を通り抜けてゆく。
その足元には凄惨な少女の首なし死体が2つ転がっている。

花のように可憐な少女の顔は溶け落ちた。
露になった頭蓋すら溶解され、無くなった小さな首先からは肉と骨が焼ける不快な臭いを放つ白い煙を上げている。

雪のように凛とした少女は首を落とされ、胴と泣き別れた無残にも生首が地面に転がっている。
首だけになったその顔は狂気に歪んだ表情をしていた。

エージェントである創をしても思わず目をそむけたくなるような絶望が広がる。
誰が悪かったのか。
何が悪かったのか。
明確な答えなどない。

全員が悪く、全員が少しだけボタンを掛け違えた。
ただそれだけの些細なコミュニケーションエラーだった。
本来なら話合いで解決できたはずの、よくある人間同士の不和。
そんな些細なすれ違いが最悪の結果を生んでしまった。

少女たちの亡骸をこのままでは余りにも忍びない。
せめてもの供養にとその場に跪き、首のなくなったリンの体を手を合わせるように整え、雪菜の生首の瞼をそっと閉じさせる。
創にできるのはこれくらいの事しかなかった。

「……………くっ」

悔しさを吐き出すように奥歯をかみしめる。
止められたかもしれない悲劇。
それを前に脳裏に浮かぶのは、少年が全てに絶望した業火に消えゆく赤き原風景。

封じられていた記憶を思い返す。
故郷を焼き尽くした魔王の暴威。
取り戻した記憶の中には少年が『天原創』になる前の家族の記憶も含まれていた。

母が創を生んだのは母が65歳の事だった。
高齢出産などと言う次元ではない、自然出産年齢の世界記録を上回る異常な出産である。
だが、担当した産婆も周囲の人間も、その出産を誰も不自然に思わなかったという。
なにせ還暦を超えた母の外見はどう見ても30代前半、下手をすれば20代に見える若さだったからだ。

母の母、つまりは創の祖母は旧日本軍に協力する研究者の一人だった。
細菌学の権威と呼ばれる高名な研究者の助手をしており、祖母が行っていたのは『細菌による老化の抑制』研究だったらしい。

そこで行われていた『不老不死実験』で研究していた細菌に祖母は実験室で感染していた。
その時点で祖母は母を身ごもっており、未完成ながら不死の菌に感染した母体から生まれたのが創の母だ。
そんな特異な環境で生まれた母は常人の2〜3分の1という成長速度でゆっくりと育つ異様な赤子であったらしい。

終戦と『死者蘇生実験』の成功により祖母の関わっていた『マルタ実験』は解体され。
実験の関係者は降臨した神――魔王によってその大半が殺された。
『死者蘇生実験』の関係者で生き残ったのは赤子である母だけだったと聞いている。

そうして生き延びた母は不審に思われぬよう数年ごとに各地を転々とする生活をしていたらしい。
むしろ母は実験の後遺症に苦しむ被害者だったといえよう。

実験に直接携わっていたのは祖母であり、母は当時生まれたばかりの赤子である。
そんな関係者ともいえない母一人を殺すために、魔王アルシェルは『マルタ実験』の証拠隠滅と称して無関係の村ごと焼き払った。
隠れ潜むように暮らしていた母が、たまたまその時生活していただけの村だ。

証拠隠滅とは名ばかりのただの気まぐれの手慰みでしかない悪意の発散。
何故証拠を隠滅する必要があったのか、何故あのタイミングだったのか。全ては魔王の気まぐれでしかなく。
そんな魔王の気まぐれによって創は生かされ、記憶を封じられた。

燃える村。原始の記憶。吹き抜ける蒼い風。
その赤い悪夢から己を救った蒼の奇跡。
尽きるはずだった命は青葉遥によって助けられた。
その奇跡を忘れない。

270Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:09:29 ID:3pow9O3Q0
全てを失った少年は助けられたその喜びを生きる力にして立ち上がった。
誰かを助けるその存在に憧れた。
だから、その後を追うように脇目もふらず直走った。
厳しい訓練を乗り越え、その才能を認められエージェントになった。

全てを救えればいいと思う。
あの赤い日の絶望を打ち払った蒼のようになりたかった。
けれど人間の手は小さく、理想と現実のしがらみはどこまでも付きまとう。

死と絶望。
現実はどうしようもなく目の前に冷たく広がっている。
創はそれをよく知っていた。
だが、それでも。

「…………まだ終わっちゃいない」

地面を掻いて拳を握り締めた。
多くの物を取りこぼしたが、手の中に一握の砂が残っているならば。

立ち止まってなどいられない。
創はこの地で魔王との個人的な因縁を果たした。
だが、エージェントとしての天原創の役割は終わった訳じゃない。

何もかもを忘れて。
封じられていた記憶も思い出さずに、平穏に生きる道もあった。
だけど、その道を選ばなかった。

全ては自分の決断の先にある。
いつだって自分の決断が未来を創ってきた。
創はそう信じている。

立ち上がらねばならない。
この村を自分の故郷と同じにしてはならない。
そんな悲劇をなくすために、己は銃を取ったのではなかったのか。

女王の始末をつける必要がある。
村内に被害が止まる災厄は放置してもいいが、世界に被害を及ぼしかねない細菌被害は放置できない。
これは他でもない、感染者である創が片付けるべき案件だ。

スヴィアから聞いた11人の生き残り。
分断工作をされたあのマイクロバスに乗っていた創を含む7名とスヴィアを除くと、女王は残りの3名の中に居る。
すなわち候補は、山折圭介、神楽春姫、そして日野珠。
そして茶子の詰問から庇うようなスヴィアの態度から、恐らくは……。

創は心を静めるように目を閉じる。
異空間(ダンジョン)に隔離されたあの時。
出口に立っていた物憂げな少女の顔が瞼の裏に思い返される。

「……すまない哀野さん。借りていく」

創は雪菜の荷物からマチェットとマグライトを抜き取ると、女王との決戦に向けての準備を始めた。
そして首のない雪菜の体から異能により強化された包帯を剥がし右手に巻き付ける。

女王の対応策はスヴィアから聞かされた創の異能による解決案がある。
その方法は女王に死をもたらすと研究所に却下されたと言うが、逆に言えば女王の殺害を厭わなければこの右腕は切り札になりうる。

村人にとって殺しづらい相手ならば、手を汚すのは創の仕事だ。
きっとそのために創はここにいるのだから。



271Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:09:54 ID:3pow9O3Q0
乱雑に路肩に止められた一台のマイクロバス。
その中に一人の少女と一羽の兎がとどまっていた。

少女は天宝寺アニカ。探偵である。
女王によって厄溜まりに落とされた彼女は陰陽師、神楽春陽と白兎によって救い出された。
そして脱出したその先が、どういう訳かまたしてもこのマイクロバスの中だったのである。

脱出を果たしたアニカは転送されたマイクロバスから出ることなく、バスの入口近くの座席に座ったまま難しい顔をして考え込んでいた。
彼女には託された幾つものタスクが存在していた。

どこかに飛んで行った願いを叶える『願望機』。
願望機を発動させる三つ目(さいご)の『御守り』。
『神楽うさぎ』復活のカギとなる失われた彼女の『真名』。

神楽うさぎの肉体が保つ約2時間以内に、この三つを見つけなければならない。
かぐや姫もかくやと言う中々の無理難題である。

だからと言って時間がないと言ってもむやみに歩き回るような真似はしない。
下手に動くよりもまずは情報を整理して行動方針を決めるべきだろう。
彼女にとっての戦場は頭の中。足で稼ぐのは相棒の役割だ。

アニカが下手に動かないのはもう一つ事情があった。
彼女の足元には白く透明な兎がぐったりとした様子で蹲っている、
それはアニカを厄だまりから助けた、犬山うさぎこと隠山望の使い魔である。

その兎の白い体は、向こう側の景色が見える程に透明になっていた。
曰く、『神楽うさぎ』の復活のために自らの存在を捧げたことによる存在の希薄化という話である。
何もせずともあと数時間で消滅する、というのはその様子からして本当なのだろう。

同情的な視線からアニカは厳しく表情を切り替える。
その献身とこれまでの助けに思う所はあるが、今それを口にしても意味はない。
それよりも事件解決を謡う『探偵』として、重要参考人が消える前に聞いておかねばならない事が沢山ある。

「質問に答えるといったわね? Ms.Rabbit」
『…………ああ、もちろんだとも』

へたりと沈んだ長い耳が揺れる。
答えるのも億劫そうな弱弱しい態度で白兎は顔を上げた。

「カナタやMs.ハルはどうなったの?」

アニカは厄溜まりに落とされ戦線離脱してしまった。
恐ろしい戦鬼と女王と戦い続けているであろう哉太たちがどうなったのか。その安否を問う。

『……わからない。私はキミたちの様子を加護を与えた御守りを通して観測していたんだ。
 だが、願望機を使う際に御守りを消費ししまった。すまないが、私にはもう彼らの様子を観測する手段はない』

白兎は3つのお守りを通して外側の様子を観測していた。
だが、その内2つは既に願望機に捧げられて消滅している。
だから、彼らの安否を知る術は白兎からも失われていた。

「なら、御守りのlast pieceはどこにあるの?」
『……最後に宵川燐が持っていたことまでは分かっている。だが、今の私にはもうそれを追う力もない。
 悪いが、彼女の位置も安否ももうわからないんだ』

白兎の回答は分からないだらけだ。
都合のいい神様のように村人たちを助けてきた白兎は、その力の殆どを失っていた。
だからと言ってここまで散々助けてもらっておいて今更文句を言う筋合いはない。

「ならquestionを変えるわ。『神楽うさぎ』がrevivalを果たしたらどうなるの?」

白兎が自分自身の存在すら捧げて復活を果たそうとする『神楽うさぎ』とは何者なのか。
異世界における魔王と女神の娘にして、イヌヤマイノリと呼ばれたこの村の災厄の一柱。
村の歴史における神楽春陽と隠山祈の養子。各所に楔を指すように位置する重要人物。

それは知っている。
だが、彼女が蘇ったとして何がどうなると言うのか?

『彼女は魔王と女神の混血であり、本物の神様であることは説明したね?
 私は元々、彼女の母である女神の使い魔だった。娘が魔王に利用されるのを避けるため女神は娘である彼女を逃がすように私に命じこちらの世界に彼女を連れてきたのだが、まあ今はその話はおいておこう。
 女神は『運命の女神』だった。その名の通り運命を変える力を持つ。私が御守りを通して君たちに託した因果歪曲の力はそこから来ている。
 娘である彼女は運命を変える母の力と魔法を操る父の力を併せ持っている。災厄に沈むこの村の呪われた運命を変えられるのは彼女しかいない』

呪われたこの村の『運命』を解き放つ存在。
運命を変える正しく神様である。
そのためには、不完全な願いを完成させるため蘇らせるべき少女の忘れ去られた『真名』を探し出さねばならない。

272Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:10:15 ID:3pow9O3Q0
「けど、わざわざGodを介さずとも直接『願望機』に願えばよかったんじゃないの?」
『難しいだろうね。この『願望機』はそういう願いは叶えづらいんだ』
「そういう願い?」
『適材適所というやつさ。ともかく餅は餅屋。この村の『運命』を変えるのはあの子にしかできないだろう。
 災厄に沈むこの村を正常に終わらせる。厄となった者たちを開放してせめて穏やかな終りを。祈も春陽もきっとそう望んでいる。
 それこそが厄災(パンドラ)の底に眠る、最後の希望だ』

乱暴にハンマー破壊するのではなく、パズルを一つ一つ丁寧に紐解いていくように、山折村のすべてを終わらせる。
それが村を救う唯一の手段。
運命に纏わる案件であれば彼女以上の適任者はいない。
改めて白兎はそう断言する。

「OK。話は分かったわ。ともかく村を終わらせるためにtrue nameが必要なのね」

アニカはその方針に理解を示した。
超常であろうともその理屈を受け入れる。この村においてアニカはそう決めている。
だが、その願いを叶えるためには失われた彼女の本当の名を知る必要がある。

『そうだ。彼女の真名はこちらの世界に転生する際に異空間を彷徨う中で削れてしまった。
 それは彼女を先導した私も同じだ、同じ立場である私にはもはや彼女の名は思い出せない』

複数名に該当する余りにも限定的な記憶喪失。
現実的にはありえない現象だが、論理的な思考を捨てる。
概念的な喪失。そう言うルールなのだろう。

「直接は思い出せないにしても、何か覚えている事はないの?」

どれほどの名探偵であろうとノーヒントで謎が解けるはずもない。
紐づくエピソードの一つでも披露して貰えればいいヒントになるのだが。

『三文字の名前だった、という事は覚えている』

白兎は答えるが、文字数だけでは何のヒントにならない。
3文字の名前なんてそれこそ巨万とある。

「それじゃあno hintと変わらないわね……もう少し名前に込められたmessageの類は思い出せないかしら?」
『すまない。思い出せない。けれど、こちら世界の言語で意味のある言葉なのは確かなんだ』

だが、意味のある言葉と言っても候補が多すぎる。
ロクな情報が与えられないことに申し訳なさそうに白兎は長い耳をシュンと垂れ下げた。
だが、アニカは何かが引っかかったのか、僅かに考えるように口元に指をやった。

「意味のある言葉である、どうしてそう確信を持っているの? その情報のsourceは?」

白兎の言葉を掘り下げる。
はっとしたように白兎はピンと耳を立てた。

『…………待ってくれ。思い出す。そう……確か、聞いたんだ』
「to whom?」

こちらの世界の言葉について教えることが出来る人間など一人しかいない。
瞬時にたどり着いたその結論をアニカはあえて口にせず、記憶の喚起を促すために白兎に答えを出さる。

『…………のぞみ、……そうだ、望だ! 私は望からその言葉を聞いた』
「What is that word?」

その言葉とは?
急かすことなく、落ち着いた声で問う。
探し物に纏わる取っ掛かりを思い出した白兎にその核心を思いださせるために。

『異世界に転移した望が、友人であった魔王の娘の本当の名前を知ることがあった。
 その名前を聞いた望は嬉しそうにこう言ったんだ。自分たち姉妹に似た意味の名前ね、と』

私たち姉妹。つまり隠山祈と隠山望。
『祈り』と『望み』に似た意味を持つ言葉。
これは大きなヒントだ。

だが、言語など無数にある。まだまだ候補は多い。
完全に絞り込むのならばあと一押し欲しい。
そのアニカの想いを汲んだわけではないだろうが、白兎は思い出したように付け足す。

『そうだ、確かこうも言っていた。私たちの世界の最新の言葉よ、と』
「最新の言葉?」

思わぬ方向のヒントだ。
だが、よくわからないからそこ、これが解ければ大きく答えに繋がるだろう。

273Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:10:33 ID:3pow9O3Q0
情報と言う材料を得た探偵は調理場である思考の中に入り込む。
巷で流行っているような流行語を連想しても意味がない。
何故なら最新の言葉と言っても、隠山望は室町時代の人間だ。
考えるべきは室町時代の言葉だ。

だが、その当時に流行していた言葉などわかるはずもない。
細かな歴史書を読めばわかるかもしれないが、専門家でもなければそこまでの知識はないだろう。
残念ながら生き残りの中にそんな人間はいない。

分らないことを考えても意味がない。思考の方向を変える。
日本の歴史自体はアニカも学んでいる小学6年生の授業の範囲だ。
探偵業務をした上で成績も学年の1桁から落ちたことはない。

自分の知識の及ぶ範囲で、室町時代にあった歴史的な出来事を連想していく。
明徳の乱、応仁の乱、正長の土一揆、日明貿易、嘉吉の乱。

「…………日明貿易」

海外との交流。
そこに、探偵の勘が引っかかりを覚える。
確かに、海外からもたらされた言葉であれば、それは当時の人からすれば新しい言葉だろう。

だが、中国との交流は遣隋使や遣唐使の時代からあった事である、最新とは言えない。
それ以外に室町時代に起きた、海外との大きな出来事と言えば。

「Christianity」

宣教師の来航。宣教師によるキリスト教の伝来。
日本に海外の言葉――英語教育が始まったのは1808年のフェートン号事件が切っ掛けだが。
フランシスコ・ザビエルに代表される海外からの宣教師たちによってアルファベットや外国語自体はそれ以前から日本に伝わっていたはずだ。
ザビエルが日本に訪れたのは室町時代だったはずだ。生前の隠山望と時代は合う。
つまり隠山望の言う所の最新の言葉とは。

「――――外国語。XavierはSpanish人であったためSpanish語である可能性が高い」
『流石だよ。名探偵』

白兎自身も正直どうかと思うくらいに少ないヒントでここまでの結論に辿り着いた。
カタカナ読みで三文字になる『祈り』と『望み』に近い意味のスペイン語の単語。
ここまで絞れれば総当たりで正解を引けなくもないだろう。
だが、成否判定ができるものがいなければ確証が持てない。

「候補は幾つか絞れたけれど、checking answersはできるのかしら?」
『私には分からない。けれど、ランファルトの意思を受け継いでいる魔聖剣ならあるいは……』
「魔聖剣?」
『山折圭介の持っていた剣だよ。今はどうなっているのか分からないが……』

戦鬼と戦っている圭介と哉太がどうなっているのか。
今すぐにでも安否を確かめに行きたい。
それが真名の答え合わせにもなるのなら一石二鳥である。

だが、アニカは安易に行動して哉太の目の前で厄に呑まれる失態を侵した。
足手まといになるのだけはもうごめんだ。
アニカにはやるべきことがある。

「まずは『願望機』をsearchしましょう」

仮に最後の御守りを探し当て、「神楽うさぎ」の真名を言い当てても、それを捧げる『願望機』が手元になければ話にならない。
何をおいても、まずはその所在を調査すべきだ。
これに関しては推理力よりも調査力、足の勝負になる。

ぐったりとした白兎に触れる。
半透明ではあるが、すり抜けたりはしないようだ。
そっと白兎を抱えて、アニカはマイクロバスから出る。
願望機を探してアニカは動き始めた。



274Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:11:24 ID:3pow9O3Q0
街灯のない夜の草原。
その中心に少年は立っていた。
八柳哉太は風に吹かれながら、夜闇の先を見つめていた。

曖昧になっている自らの記憶を確かめる。
厄に呑まれるアニカに気を取られ、戦鬼の一撃を喰らったところまでは覚えている。
そこからどういう訳か、気づいたらこうして草原のど真ん中に立っていた。

そこからの記憶は曖昧だ。
誰かに助けられた気もする。
刃を突き立てられ血だまりに沈む春姫を見た気もする。
圭介と共に二刀をもって戦鬼と戦ったような気もする。

全てが夢うつつのようにあいまいだが。
ただ一つ、戦鬼を打ち倒した最後に、身を挺して圭介が命を救ってくれた。
それだけははっきりと覚えている。

残されたのは二振りの剣。
光を失った魔聖剣と深紅の聖刀。
曖昧な記憶に残されたこれだけが確かな物証だ。

どういう訳か使い慣れた愛刀のようにしっくりと手に馴染む。
どこか圭介と春姫の2人が力を貸してくれているように感じられた。
哉太は試すように、手にしていた二刀を振るった。

八柳新陰流は二刀にも通じる。
かつては剣鬼、沙門天二が得意としていた型だ。

中ごろで折れた長剣の刀身は一尺程度の小脇差と言った長さである。
圭介がしていたような閃光を放つような真似はできないだろうが、脇差として扱う分には問題なさそうだ。
太刀よりも短い打刀と合わせて、二刀で取りまわすには丁度いい長さである。

「よし…………っ」

戦える。
傷も完全に修復されている。
むしろ、体の調子はいいくらいだ。

確実に死を与える様な一撃を受けて、いまだこうして生きているのは異能の恩恵か。
そうだとしても、短時間でここまで完全に修復されるとは思えないが。

『―――――頑張ってね、お侍さん』

朧げな記憶の中で、誰かに送り出された気がする。
自ら血肉を分け与え、死を待つだけだった自分の命を助けてくれた誰かがいたはずだ。

哉太が今こうして生きているのは自分だけの力ではない。
誰かに命を救われ、圭介に助けられこうしている。
それを実感する。

275Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:11:36 ID:3pow9O3Q0
女王を守護する戦鬼は倒され、残る脅威は女王ただ一人。
特殊部隊の動きは気になるが、彼女をどうにかできればこのバイオハザードは解決するはずだ。
自分を助けてくれた彼らに報いるためにも女王を何とかしなければならない。

だが、それが唯一にして最大の問題だ。
女王が強力な力を持っている事も、頭の中に響く女王を守護せよという声も無視できない問題だが。
それ以上に問題なのが、女王にその身を乗っ取られた珠をどうするかと言う点だ。

正直言って哉太にできる方法などない。
だが、圭介なら絶対にあきらめなかったはずだ。
圭介にとって日野珠という少女は大切な恋人の妹であり、ずっと妹分として可愛がっていた相手だ。
あの面倒見のいいガキ大将が自分の子分を見捨てるはずがない。

何より、圭介じゃなくとも哉太だって納得できない。
殺して終りなんて安直な解決は御免蒙る。
最後にどうしようもなくなるとしても、珠の救出を最後まで諦めたくない。

殺害以外の解決策を見出す。
こういう頭脳労働は本来相棒の仕事である。
だが、アニカはここにはいない。哉太の目の前で厄に呑まれた。

生きている事は信じているが、かなりまずい状況に陥っているのは確かだろう。
まずは救援のために、アニカを探すべきだろうか?

探すというのなら、あの異空間ではぐれてしまった茶子や創たちを探すのも一つの手だ。
殺害以外の方法を模索するにしても、女王との闘争を避けられないのなら、戦力は多いに越したことはない。
あの異空間に閉じ込められ続けているのでなければ、どこかに脱出できているはずだ。

どちらを選ぶべきか。
哉太は迷うように腕を組み考え込む。
だが、根本的な問題として、どちらにしても探す当てがない。

「……ん? どうした?」

視線を落とした哉太の目先に居たのは、足元でチューチュー鳴き声を上げる山ネズミだった。
二足歩行の山ネズミは哉太名に何かを伝えるように小さな手足を起用に振り上げ何かのジェスチャーを示した。
そして、背を向けるように振り返ると夜の草原を走り出していった。
まるで異世界の研究所に閉じ込められた時のように、ついてこいと言わんばかりの動きである。

「…………やっぱ、スチュアート・リトルだよなぁ」

幾度目かになる道場の門下生たちで見に行った映画の名を呟き。
哉太は山ネズミの導きに従い、その背を追っていった。

四つ足ではなく二足歩行で懸命に走るネズミであるが、歩幅の差もあり早歩きで追いつける速度である。
むしろ、夜の草原を駆ける小さな体を見失わぬ方が心配だ。
哉太は注意深く地面を見つめその後を追った。

少年の道筋を山ネズミが導く。
それこそが、聖獣山ネズミの異能力。
十二支の始まりたるネズミは先頭を走り、相手の望む道筋に向かって導く力を持つ。

その行き着く先には、きっと会いたい人が待っている。



276Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:12:04 ID:3pow9O3Q0
怪異とは、この世ならざる存在、すなわち人々の恐怖や怨念、未練が形を成したものを指す。
古くからの伝承や物語の中で語られてきたそれらの存在は、時に人々を脅かし、時に警告や教訓を与える存在として描かれてきた。
特に、悲劇的な死や未練の強い死者の魂が、怪異として現れることが多いとされる。

閉鎖的な空間。
風水的に厄の溜まりやすい地形。
長年積み重なった多くの悲劇が生んだ呪いや怨念。
山折村という土壌は怪異を生みやすい条件がそろっていた。

そんな山折村で発生した生物災害により、多くの命が無残に失われた。
犠牲になった村人たちにも、それぞれに望む未来、叶えたい願いがあっただろう。
それが何の前触れもなく理不尽に命を奪われ、様々な怒りや苦悩があったはずだ。

その怨念や悲しみは厄となって山折村の土壌に吸い込まれてゆく。
安らぎを得ることなく彷徨い続けた亡者たちの魂は、ついに一つの形を成して現れた。

今夜、新たな怪異がその土壌から生まれた。
それはゾンビとは違う別種の怪異。

「…………救、わね……ば」

光なき世界を彷徨う小さな一つの影。
夜の草原を歩くその姿は、静寂の中で際立っていた。
彼女の足元には、霧が立ちこめ、冷たい風が吹き抜ける。
月明かりが小さな彼女の輪郭を照らし出し、その影は草むらの上を滑るように動いた。

それはスヴィア・リーデンベルクだったもの。
人間であった彼女は死した。もはや彼女は人間ではない。
死者たちの怨念により生まれ落ちた、山折村に生まれた最新の怪異だ。

彼女の意志も使命も、怪異としての在り方によって塗り替えられた。
それでもなお、怪異となっても歩みを止めない。

怪異は進む。
怪異としての役目を果たすために。

怪異は進む。
あるはずの目的に向かって。

歩み続ける彼女の魂が安らぎを得るのだろうか。
それとも、永遠に晴れることなき怨念にとらわれ続けるのだろうか。
果てしなく続くこの夜の中で、彼女の彷徨は確かに終りを目指しているように見えた。

夜の草原を歩き続けるその姿は、暗闇の中に溶けてゆくように消えて行った。

277Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:12:26 ID:3pow9O3Q0
















これは『Z(終わり)』に至る物語。
















278Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:12:54 ID:3pow9O3Q0
村外れにある草原は、まるで世界から切り離されたかのような孤独な静寂に包まれていた。
月明かりは薄雲に覆われ、淡い光が地面に落ちているが、その光もどこか陰鬱である。
風が草をささやかに揺らし、まるでここが決戦の舞台であるかのように不気味な気配が漂っていた。

薄雲が風に流れる。
月光が2人の女の姿を照らした。

成熟した女、虎尾茶子は刀を杖のように付きながら肩で息をしていた。
右半身は満足に動かず、満身創痍の状態でありながら目の前の少女に向けて冷たい瞳を向ける。
その眼光の鋭さだけはギラギラとした刃のようだ。

その視線を受けるのは小さな少女だ。
臆するでもなく貫禄すら感じさせる堂々とした態度で夜に立つ。
彼女の姿はこの荒廃した風景に不釣り合いな異質な美しさを称えていた。

彼女こそが全ての始まりにして元凶。
日野珠の身を乗っ取った細菌の女王。
[HE-028-Z]

ボロボロな茶子とは対照的に女王の顔には絶対的強者としての余裕があった。
笑みには愉悦が含まれており、目の前の相手をそもそも敵としてすら見ていない。
戦力としても存在としても、それだけの絶対的な差が彼我の間にはあった。

「――――――――女王」

茶子がその名を呼ぶ。
風が再び吹き、草がささやくように揺れた。
呼ばれた女王は楽しそうに微笑みながら大仰な態度で首をかしげる。

「おや。よく私が女王だとわかったね? キミに自己紹介した覚えはないのだけど。
 そうか、スヴィア・リーデンベルグから聞いたのかな?」

女王はそう推測する。
だが、それの推測は外れだ。

「声だよ」
「声?」
「テメェが近づいてきたとたん頭ん中響く声がデカくなったんだよ。ガンガンうるせぇくらいにな」

そう言って苛立たしそうに自身の頭部を叩く。
『女王を守護れ』と頭の中で声が鳴り響く。
小さく聞こえていたその声は女王を目の前にした今、頭が割れるほどの絶叫となっていた。

それは茶子に、いや感染者たち全ての脳内に蔓延る[HEウイルス]たちの本能の叫び。
女王と結びついた己が命を守護るためのウイルスの生存本能。
その生存本能は「個」ではなく、種が存続するためであれば自己犠牲すら厭わない「全」としての生存本能である。
この声に屈すれば、種の要たる女王を生かすためなら自身の命すら投げ打つ、忠実なる女王の眷属となるだろう。

「なるほど。今後の自己紹介の必要はなさそうだ」

月光に照らされる女王は日常会話でもするように微笑を浮かべる。
茶子は会話に応じながら隠すように半身にした右半身の状態を確かめる。
辛うじて指先の感覚が戻った、だがまだ動かせるほどではない。
もう少し、時間を稼ぎたい。

「それで、細菌王国の女王様は何がしてぇんだ?」
「私の目的は弾純なものだ。同族の繁栄さ。
 経緯がどうあれ私たち(HEウイルス)は生まれてしまった。
 生まれてしまった以上、繁栄を望むのは当然の事だろう?」
「ハッ。細菌風情が命を語るな」

茶子の挑発めいた言葉を女王は冷静に受け止める。
羽虫に噛まれたところで痛くもないのか、女王の顔には微笑が張り付いたままだ。

「誤解しないで欲しいのだが、私は人間と敵対したい訳ではない」
「敵対したいわけじゃないなら今すぐ消えろよ。テメェ死ねば終わるんだろ?」
「そう邪険にしてくれるな、君たちとはよい共生関係を築きたいと思っているんだ」
「共生関係ぃ? 細菌にとって都合がいい関係の間違いだろ?」

敵意を籠めた茶子の視線と、敵意を抱いてすらいない女王の目線がぶつかり睨み合う。

279Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:13:10 ID:3pow9O3Q0
「否定はしない。だが、巻き込まれたという意味では私も君らと同じだよ。
 研究所の都合で生み出され、身勝手な理由で利用されバラまかれこちらも迷惑してるんだ。
 だが、こうして機会を得たのだからそれを生かそうというだけさ。
 だからこそ他の正常感染者にも声をかけているのだが、残念ながら理解を得られなかったよ」
「そらそうだろ。喋るバイ菌の言葉なんざ誰が信じるってんだぁ?」

運命線の見えないアニカは例外として、覚醒直後に出会った山折圭介、神楽春姫には協力の声をかけている。
結局、誰からも信用を得られず物別れになったが。

「だが、虎尾茶子。君なら理解してくれると信じているよ。
 君と私の思想は近しいものがあると思うのだが、どうかな?」
「…………………ンだと?」

ピクリと茶子の瞼が動く。
挑発ではない。本気で言っているのが分かったからだ。
『女王を守護れ』と脳内からの声が強まる。

「……どー言う意味だそりゃ? あたしが簡単に股開くような安い女に見えるか?」
「先ほども述べた通り、私の目的は種の繁栄だ。
 だが、私たちの本質はウイルスだ、媒介となる人間がいなくなるのは困るのだよ。
 私たちの進化と繁栄のためにも山折村は維持されなければならない」

女王は山折村の滅亡など望んでいない。
むしろ共に繁栄していくことを望んでいる。
それは山折村の維持を望む茶子と同じ目的であると言えるだろう。

「君と私は山折村の繁栄を願う同士だ。共に手を取り合える、そうだろう?」
『――女王に従え』
「ッ………………………っせぇ」

頭の中に響く声が強くなる。
内側と外側の両方から勧誘の声が響く。
強制的に意思を捻じ曲げるような声に頭が割れそうになる。

「とは言え、この村は特殊部隊や同族(にんげん)同士の殺し合いで多くの被害が出た。
 もうこの村を維持することは難しかろう」

女王の視線が荒涼とした山折村を見つめた。
この地には既に抑えきれないほどの死が溢れている。
もうこの村が取り返しがつかない事は誰の目にも、それこそ細菌から見てもわかる事だ。

「だから私は我々のより多くの人間に生存領域を広げるため、新たな『女王』となる『隠山祈』をこの村の外に解き放った。新たな59の山折村を築くための感染源としてね。
 喜びたまえ、山折村は小さな世界を飛び出したッ! 例えこの村が滅ぼうとも山折村は続くぞ虎尾茶子!」

何か素晴らしい事を伝えるように、女王は高らかに語った。
茶子は頭痛を抑えるように左手で頭を押さえ、ギリッと歯噛みした。

『――――女王に命を捧げよ』
「……………るっせぇよ」

内外からの声が響く。
無理やりに自分を捻じ曲げられる感覚。
自分自身でもないのに自分自身から響く声は酷く不快だ。
封じ込めていた悲劇の光景が脳裏にフラッシュバックする。

魔性に惑わされ自分が自分でなくなる感覚。
――――思い出させるな。
愛を振りまき自分を歪められる悲劇。
――――思い出させるな。
そうだ、あの時、自分自身(リン)を失った。

『女王に従え。女王を守護れ。女王に命を捧げよ――――!』
「うるせぇ!!!!!」

あんな思いを、もう二度と味わってなるものかと、振り払うように茶子が叫ぶ。
砕ける勢いで歯を食いしばる。ブチと何かがちぎれる音がした。

「―――――ペッ」

赤い唾を吐き捨てる。
べちゃりと音を立てて吐き捨てられたのは、噛み潰した舌と頬の肉片だった。
鋭い痛みと鉄の味が口内に広がる。いい気付けだ。

280Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:13:27 ID:3pow9O3Q0
「ハッ――――薄汚ねぇバイ菌風情が……知った風な口を利くんじゃねえよ……ッッ」

失った赤い血液の代わりにどす黒い汚泥が体内を満たす。
砕けてバラバラになった自分自身を、憎悪が繋ぎとめていた。

「村の外の山折村? 新たな山折村ぁ? 世界が山折村になるぅ?
 バカなのか? 意味が分かんねぇよ、山折村は山折村だろうがッ」

刀の柄でぐりぐりとこめかみを弄りながら吐き捨てるように言う。
外の世界がどうなろうが知った事ではない。
茶子にとっての山折村はここだけだ。
彼女が育ち、彼女が愛し、彼女が憎んだ山折村はここだけだ。
他にはない。

だが女王は違う。
女王にとって山折村は、繁栄と進化のためのただの足がかりでしかない。
次の足掛かりがあるのなら、それこそこの山折村が滅んだって構わない。
その妄執の違いを生まれたばかりの女王は理解ができていなかった。

「…………あたしの山折村をこんなにしやがって、長年かけた村の洗浄計画がおじゃんじゃねぇか、どうしてくれんだ……? あぁ?」

茶子の異能『虎の心(リベンジ・ザ・タイガー)』は精神汚染を跳ね返す。
眷属化の声を発しているのは女王ではなく茶子自身の脳内にいる[HEウイルス]だ。
進化した異能はその声すらも跳ね返すことができる。
報復の先。その対象は必然、自分自身のウイルスとなる。

女王に従えという声は宿主である茶子に従えと言う声となり、[HEウイルス]を眷属化した。
女王から茶子に鞍替えした[HEウイルス]は茶子を生かすために活性化を始める。
心臓がポンプして右半身に血流が流れる。感覚が僅かながらに戻って行く。

だが、茶子自身はそんな理屈は知らない。
敵を殺せと猛るように気力が漲る。
空っぽの器に殺意が満ちる。

彼女は敵がいれば立ち上がれる。
敵がいなければ始まらない。
復讐の虎。

「――――――――ぶち殺す。今すぐ殺菌してやるよ、クソウイルス」

右に感覚が戻ったと言っても最低限動かせる程度だ。
指を動かし拳を握れても握力はほぼない、右手で刀を振るうのは難しそうだ。
右足は動く、歩行に問題はない。だが強く踏み込むのはまだ厳しい。

左手を振りかぶり、日本刀を担ぐように茶子が構えた。
問題はない。皮肉にも地を舐めた苦い経験から片腕での剣術は経験済みだ。
獰猛な獣のように身を沈め、殺意を解き放つ瞬間を今か今かと待ち望んでいる。

誰が細菌被害をまき散らしたのか、だとか。
誰が細菌を作ったのか、だとかは今はどうでもいい。
それはそれとして殺す。それだけだ。
この村に執着する茶子が、山折村を侵した細菌どもの親玉を赦す道理がない。

「まったく、愚かしい」

殺意をみなぎらせる茶子の様子を見て女王はため息をついた。
やはり人間は愚か。
女王は呆れたように頭を振ると、構えもせず涼やかな顔で茶子から視線をそらして周囲を見た。
露骨な隙。切り込むべきか一瞬の逡巡をしていた茶子の耳に遠く波のような音が聞こえた。

281Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:14:06 ID:3pow9O3Q0
「おや。やっと来たようだ」

女王の冷たい声が闇の中で囁くように響いた。
彼女の瞳には冷酷な光が宿り、その顔には不敵な笑みが浮かんでいる。
茶子は女王から視線をそらさず周囲の気配を探る。だが、その異変はすぐに分かった。

遠くからかすかに響く音が、草原の静寂を破るように耳に届いた。
最初は風の音かと思ったが、次第にその音は規則的なリズムを刻み始め、それが足音だとわかる。
茶子の心臓が鼓動を早める中、その音はますます大きく、近づいてくる。

闇の中から無数の影が現れる。
草原を覆う暗闇の中、ゾンビの群れが現れた。
それはまるで押し寄せる暗黒の波だった、人の群れが運河の様に女王と復讐の虎の間を遮った。
数え切れないほどの圧倒的な数のゾンビがゆっくりと、しかし確実に二人の間を遮るように埋め尽くしていく。

「この村の生き残りを全員かき集めた。
 隠れていた者や閉じ込められていた者も呼び寄せたからね。少し時間がかかったようだが」

ずらりとゾンビが立ち並ぶ壮観な景色を誇らしげに眺めて女王は言う。
時間稼ぎをしていたのは茶子だけではなかった。
女王もまた兵の到着を待っていたのだ。

山折圭介と神楽春姫を相手に、細菌の生存本能に任せて周囲のゾンビを掻き集めた時とは違う。
ゾンビたちは女王の明確な意思をもって、号令の下に召集された。
ここに集まったのは正真正銘、この村に残った最後の生き残りたちだ。

どこかに閉じ込められていたゾンビは力づくで扉を破壊した反動で腕が折れているようだ。
拘束を無理やり解いてきたのか、指や腕が欠けているゾンビも少なからず見受けられる。
自傷を厭わない、女王の号令にはそれだけの強制力があった。

そこには二重の意味で絶望的な意味合いが含まれていた。
これから茶子に立ちふさがるのは村の全てであるという脅威の大きさ。
そして、1000人余りの山折村の住民はもはや100余りのゾンビの群れを残すだけになっているという事実だ。

彼女の周囲を取り囲む100人余りのゾンビたちの不気味な唸り声が静寂を破る。
それを見つめる茶子の瞳には暗い炎が宿っていた。

立ち塞がるゾンビの中には茶子が知ってる顔も含まれている。
いや、むしろこの村で育った茶子からすれば知らぬ顔の方が少ない。
それらが全て女王を守護する傀儡となり、茶子の前に濁流となって立ちふさがっている。

魔王が圭介の異能を用いてゾンビを操った時を思い出す光景だ。
あの時は苦も無く対応できたが、今は状況が違う。
茶子は多少回復したとはいえ満身創痍。ゾンビの数もあの時の比ではない。

右は最低限邪魔にならないくらいの動きは出来るだろうが、基本は左のみで戦う事になるだろう。
片腕用に八柳新陰流を再構築した虎尾流をこの場で完成させるほかない。
鋭い息を吸い込み、彼女は一瞬の静寂の中で集中力を研ぎ澄ました。

夜の草原には薄い霧が漂い、月明かりが草原の一部を銀色に照らしていた。
銀の草原の中心に立つは鋭く光る刀を構える手負いの虎。
闇夜の中で、彼女の刀が月光を反射して輝きを放つ。

幸か不幸か、虎尾の両親は八柳藤次郎に切り殺されている。
もはや茶子が斬り捨てるに躊躇う相手などいない。
立ち塞がるなら全て斬るのみ。

「―――――――来いよ、ゾンビども。撫で斬りにしてやる」



282Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:14:31 ID:3pow9O3Q0
「よかった、アニカさん」
「Mr.アマハラ!?」

行動を開始した創とアニカが合流した。
謎の力によって分断されたマイクロバスに誰かが取り残された可能性を考えて動いていた創と、マイクロバスから出てきたアニカがかち合ったためである。
実際の所、アニカも分断工作で異空間に飛ばされており、そこからさらに厄溜まりを通してバスに戻るという複雑怪奇な経緯を辿っており、創の推測は外れていたのだが。
結果として首尾よく合流できたのは幸運だったと言える。

ほんの1時間程度の離別だったが、互いにその間にあまりにもいろいろなことが起き過ぎた。
切迫した事態に置かれてなおアニカと創は冷静さを保っている二人は、互いに起きた出来事を一つずつ共有していくことにした。

まず情報の共有を始めたのはアニカだった。
異空間に分断されたアニカの目の前に現れたのは一人の少女だった。

「私の前に現れたその少女は女王(queen)を名乗ったわ」
「……女王、ですか。アニカさんはその正体を知っているのですね?」

いきなり出てきた核心に、創がシリアスな声で問う。
その問いにアニカは頷きを返した。
直接女王と対峙したアニカは、それが誰であるのかその答えを知っている。

「――――――日野珠よ」

告げられる答えを聞き、創は沈痛な面持ちで目を細めた。
それは驚きではなく、真実を受け入れる覚悟の顔だ。

「Aren't you surprised? 知っていたの?」
「……いえ。ですが予測はしていました」

当たってほしくはなかったが、推測通りの答えを得てしまった。
女王細菌に乗っ取られたのは彼のクラスメイトである日野珠である。

「microbusに乗っていた私たちをdivisionしたのもその女王の仕業よ」
「虎尾さんは「イヌヤマイノリ」の仕業であると推測していましたが? 違うのですか?」
「That's not wrong either.女王は「イヌヤマイノリ」の力であるとも言っていた。
 それだけではないわ。女王はあの『魔王』の力も操っていた」

創が因縁を果たした宿敵。魔王ヤマオリ・テスカトリポカ。
この村の災厄の力のみならず、女王はその力までも取り込んでいる。
それが事実だとするならば、女王はとんでもない化け物という事になる。

「私はWhite Rabbitにsaveされて異空間からはescapeできたわ」
「白兎と言うのは、その抱えてる彼(?)の事ですか…………?」

創が半信半疑の様子でアニカに抱かれる謎の白い兎について尋ねる。
この状況で兎を後生大事に抱えている半透明な白兎に関しては気になっていたものの尋ねる機会を逸していた。

『こうして直接言葉を交わすのは初めてだね、天原創。見ての通り弱っていてね』
「…………なるほど。喋るのですね」

僅かに驚きながら、すぐさま創は受け入れる。
今更動物がしゃべる程度で驚きはしない。
それくらいにこの村では不可思議な事が起き過ぎた。

「sheは白兎。私たちの事を色々とhelpしてくれていたウサギの使い魔よ」

ウサギの使い魔と言うのは、見たまま兎の使い魔と言う意味ではなく犬山うさぎが異能で出していた使い魔という事だろう。
聞くところによると御守りを通して色々助けてくれていたのが彼女らしい。

「異空間から抜け出せたのだけど結局、すぐに女王に捕まってしまったの。
 その時、頭の中に『女王に従え』『女王に命を捧げよ』とそんなvoiceが繰り返し響いてきたわ」
「洗脳能力、のような物でしょうか……? 今は大丈夫なんですか?」
「ええ、voiceの大きさは女王との距離とproportionalするようね、今は落ち着いているわ」

女王から離れた今であれば声は軽微のようだ。
だが、これから女王との決戦に挑むのであれば気にかけておく必要がある情報だろう。

「女王に捕まった私は空中に連れていかれて、危ない所でカグラハルヒメに助けられた。
 けれど、ウサギは…………女王に罠にかけられて殺されてしまったわ」

恐るべき異能と魔法の罠によってうさぎは殺害された。
元気のない白兎がさらに沈んだように表情を曇らせる。

「それからカナタたちに女王のRiskを知らせようと……いえ、あの時の私はfearに駆られて女王から逃げていただけね。
 その途中でtrapにかけられて、different spaceに落とされたところをまたMs.Rabbitに助けられたの」

自らの不甲斐なさと醜態を思い出しアニカが自嘲するような表情を見せた。
混乱していたアニカはまんまと厄溜まりの中に落とされた。冷静さを欠いた探偵らしからぬ失態だ。
そこで神楽春陽と出会い、再び白兎に助けられ、そこで村を救う最後の方法である願望機について知らされた。

「神楽うさぎ」を完全蘇生させるための名と、最後の御守り、そして願望機の探索。
そう言った現状と一通りの経緯をアニカは説明し終えた。

283Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:14:55 ID:3pow9O3Q0
それを聞き終えた創は難しい顔をしながら、何やら考え込んでいた。
そして一つの疑問を投げかける。

「そもそも、その『願望器』と言うのは信用できる代物なのですか?
 あの魔王が作ったものだ、何か罠が仕掛けられているという事もあり得るのでは?」

願望機による死者蘇生。
自然の摂理を捻じ曲げる死者の蘇生が正しい事なのかなどと言う倫理的な是非は置いておくにしても。
魔王と因縁浅からぬ創からすれば当然の疑念と言える。

『少なくとも、効果は本物だ。それは私が保証する。
 だが製作者の属性によるものだろう。破壊に関する悪意を持った願いは叶えやすく、修復や創造に関する善意による願いは叶え辛い設定になっている』

あの『願望器』は誰かの願いに引き寄せられ、その願いを叶える魔王の在り方を形にしたものである。
当然その方向性は大本のある死と破壊を好む魔王に準じている。

「ならば、死者蘇生という願いは叶わないのでは?」

失われた死者の魂と肉体を蘇らせる。
破壊とは対極の究極の創造だ。
真逆の属性の願いを叶えられるとは思わないが。

『その通りだ。だが、因果を入れ替えその方向性を変えるのが女神の加護を持った御守りさ』

願望機は内蔵された無尽蔵の魔力を消費して願いを叶える。
そのため願いを叶える事に何か新たな代償を必要とすることはない。
だが、それは願望機本来の機能に沿う願いであった場合の話だ。

それを解決するのが、因果を捻じ曲げる力を持った御守りである。
これを消費する事で悪意に特化した願望機の方向性自体を捻じ曲げ白兎は願いを叶えてきた。

『通常の死者蘇生であればそれで叶うだろう。だが、神様の蘇生には足らなかった。
 だから世界の狭間に漂う『神楽うさぎ』本来の力も利用した。それでもなお足りない部分は私という存在を代償とした』

干支時計の使用に魔力の代わりに生命力を捧げたように、それ以上を求めるのであれば、代償を捧げる必要がある。
その代償が白兎と言う存在だ。

『彼女が蘇ればこの村の運命は変えられる。彼女こそが厄災の底に眠る、最後の希望だ』
「………………運命、ですか」

その言葉を聞いた創が何か言いたげな様子で考え込むような顔をした。
それに気づいたアニカがどうしたのかと尋ねる。

「どうしたの? Mr.アマハラ」
「いえ…………何でもありません」

創は答えを濁し話を進める。
言いたいことを飲み込んだ様子だったが、必要な事であれば話すだろうという創への信頼からアニカも追及はしなかった。

「ともかくアニカさんたちはその願望機や御守りを捜索中ということですね?」
「Yes.Mr.アマハラはMs.リンの居場所を知っていて?」
「ええ…………その辺りの経緯を含めてお話します」

お守りを持っていたと言うリンの所在を問われ。
何か言いづらそうに僅かに視線を落として、続いて創がこれまでの経緯を話しはじめた。

「僕は哀野さん、虎尾さん、リンさんと共に異世界に分断され、そこから脱出しました」

分断された異空間からの脱出。
特殊部隊から逃げてきたというスヴィアとの再会。
そして疑心暗鬼と混乱と諍いの中、リンの異能が暴走。
仲間同士で殺しあって、雪菜とリンが死亡した。
スヴィアもよくわからないモノに取り付かれどこかに消えてしまった。

後悔と絶望しか残らない悲惨な末路だった。
時折悔しそうに唇をかみしめながら、その全てを創は包み隠さず話した。
流石のアニカも何と声を掛ければいいのか分からず、周囲に沈黙が落ちた。

「…………Ms.チャコはどうしたの?」

絞り出すように、もう一人の生存者の行方を問う。

「……………わかりません。哉太くんに会いに行くとそれだけ…………当ては、なさそうでしたが」

生き残った茶子は失意の中、闇の中に消えて行った。
創は彼女を追うことが出来なかった。
哉太を探すとは言っていたが、どこに向かったのかまでは分からない。

「painful thingsを聞くようだけど、リンたちはどこで死んだの?」
「診療所の中庭辺りでした。死体は整えましたが、荷物はそのままです」
「...thank you.」

思い出すだけで辛い事を回答させたことに、アニカは申し訳なさそうに礼を述べる。
辛い話だったが、御守りの回収に目途が立ったのは大きい。

284Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:15:17 ID:3pow9O3Q0
「一人で動くのも危険だ、案内しましょう」

この状況でアニカを単独行動させるのも危険だ。
創が来た道を引き返して、アニカをリンの元まで案内しようとする。
だが、アニカはそれを断るように静かに首を振る。

「Non.Mr.アマハラ。あなたはカナタたちを助けに行ってあげて」
「いいのですか?」

護衛という役割以上に、失せ物探しにエージェントである創のスキルは大いに役に立つだろう。
だが、創は戦闘においても切り札足り得る万能のカードだ。

「ええ、これは戦えない私のJobよ」

哉太たちはあの戦鬼、ともすれば女王と戦っているかもしれない。
ならば女王と言う脅威の対抗策をここで使い潰すのはあまりにももったいない。
失せ物探しは『探偵』の仕事だ。

「了解しました。ではそちらのアニカさんにお任せします。
 こちらはこちらで対女王の解決策を進めます」

アニカは願望機による「神楽うさぎ」の蘇生と村の解体を。
創は女王の討伐による解決を。

解決に向けて別のラインを走らせるのは正しい。
片方が潰れても保険になる。

「さし当たって、女王の戦力について確認したい」
『それなら私がある程度は説明できるだろう』

女王討伐を目指す創はそう尋ねた。
その問いに、村の様子を監視していた白兎が説明を始める。

女王は157回のループによって進化を遂げた存在である。
進化を遂げた女王は条件こそ不明だが複数の村人の異能を使えるらしい。
そして珠の持つ『運命』を観る異能によって相手の運命線を読むことができる。

そしてこの地で『魔王』の力を取り込み、願望機を身に宿していた。
村の災厄である魔王の娘『イヌヤマイノリ』の力を取り込んだ。
この地における全ての力を取り込んだ正しく究極ともいえる存在だった。

だが、白兎の活躍により願望機と厄を操る『イヌヤマイノリ』の力を奪い取り。
春姫と祈の活躍によって飛行能力も奪い取れた。
戦力的には大幅に減退している。

だが、未だ戦力としては驚異的であることには違いない。
人一人にどうにかできる次元の存在ではないだろう。
ここまでの話を聞いた創は別の疑問点を口にした。

「それほどの力を手にして、結局のところ女王の目的は何なのでしょう?」
『[HEウイルス]の進化と繁栄をもたらす事だと言っていたね。他生物を媒介とするウイルスの為に人間を殺すつもりはないと』

覚醒直後の女王はそう口にしていた事を、白兎が春姫の御守りから盗み聞いていた。

「ならば、何故女王はアニカさんを執拗に狙って殺そうとしたのでしょうか?
 罠を張ってまでうさぎさんを殺害した理由は?」

生物災害の解決のため女王の殺害を目論む輩を自己防衛のため殺してしまおうという発想は理解できる。
だが、アニカとうさぎは比較的穏健派だ。少なともバスでの話し合いでそれは確認している。
最後まで感染者である珠の身を案じて平和的解決を模索するはずだ。
それを問答無用で殺そうとするのは女王の目的と行動が合わない。

直接出向いてまで執拗にアニカを狙う理由はなんだ?
罠を張ってまでうさぎを殺す理由がどこにある?

「私を狙ったのは私の運命線が見えないから、と言っていたわ」
「運命線?」
『その名の通り『運命』を見る力だ。本体である日野珠の異能だよ』

運命の女神の眷属たる白兎が答える。
創は難しい顔をしてふむと頷いた。

『望……いやうさぎを狙ったのは恐らく、私たちが原因だろう。彼女の召喚する私たちも運命は見えない存在だ。女王にとっては邪魔な存在だろう』
「つまり、自分のplanを乱しかねない不確定要素をexclusionしたかったという事ね。
 そこまでしてplanを実行したいという事かしら……?」

アニカと白兎はその線で納得を示す。
アニカは異能や魔法の存在を受け入れ、それを前提とした推理を行うよう思考を調整した。

「本当にそれだけなのでしょうか?」

だが、創はそうではない。
あえて思考を寄せずに、ありのままの疑問を呈する。

「声で感染者を洗脳ができるのならば、わざわざ危険を冒して戦う必要なんてない。
 全員の洗脳が完了するまで逃げ回っていればいい」

感染者の脳に響く眷属化の声。
そんなことができるのであればわざわざ戦う必要なんてない。

「なら、Mr.アマハラはどうthinkするの?」
「自分の計画を乱しかねない人間を始末したというのも正しいと思います。
 ですが、それだけじゃなく、単純に『戦いたかった』いや、ただ『やってみたかった』だけなのではないでしょうか?」
「――――――what?」

あまりにも非合理な結論を述べた。



285Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:17:10 ID:3pow9O3Q0
「業…………ですか?」

もう一つの最前線。研究所の一室にて。
所長である終里のつぶやきに、奥津は思わず尋ねていた。

「そう。人の業。つまりは悪意だ。
 あの娘はそれを山折の歴史を学んで識った気になってるだけだ。
 グロ画像を見て深淵を覗いたつもりになってはしゃいでる中学生(ガキ)と大差ない」
「それで、それがどう解決策に繋がると?」

終里の軽口にとりあわず、奥津は単刀直入に結論を訪ねる。
生真面目な奥津の反応に苦笑しながらも終里は答えた。

「各コミュニティの女王は判明しているのだろう? 何せ首謀者が自ら告白してくれたからな」

女王の細菌テロの対象となったのは終里の血を引く子供たち。
彼らを新しい女王として各地に山折村と同じ細菌王国を築く。
終里の縁者を傀儡とする、明確な悪意を持った嫌がらせ。
だが、終里はこれをくだらないと断ずる。

「そこが間違いだ。女王は特定できないからこそ厄介なのだ。私への嫌がらせのために自らその所在を明かすなど愚の骨頂だ。
 まあ気持ちはわかるがね。絶対的な力をもって悪意を振りかざすのは”気持ちがいい”からなぁ。
 だが、悪意をただ振りかざすだけでは、あの魔王(アルシェル)と変わらない。ただの獣の所業だ」

その未熟を楽しむようにくつくつと笑う。
こちらの方がよっぽど魔王染みて見える笑いであった。
表情を引き締め終里は続ける。

「君らも我々も見方によっては悪逆非道の極悪人だろう。多くを殺し多くの死体を積み上げてきた。
 だが、我らの翳す悪意によって世界を救う事もある。悪意と言う業を御してこその人間だ。
 悪意とは目的のために御するべきものだ。悪意が目的となってはならない。それに振り回されているようではまだまだ」

出来の悪い娘を憂うように首を振る。
だが、悪意に振り回されるだったとしても、その力は間違いなく本物だ。
核兵器のスイッチを悪の独裁者と分別もつかぬ子どものどちらに持たせるのが脅威かと言う話である。
実際の話として、女王の所業によって世界は崩壊の前夜にまで迫っている。

「具体的にどうなさるおつもりで?」
「なに、簡単な話だ。女王が判明しているのならすぐにでも全員を自害させればいい。それなら電話一本で事足りるだろう?」

笑みを崩さぬまま、親指と小指で電話の様なジェスチャーをする。
若々しい外見と何とも古い仕草にギャップを感じてしまう。

女王はバックアップとして新たに59の女王を生み出したが。
それが全員死んでしまえば、拡散は終りだ。彼女の野望もそこで潰える。
終里は大きく足を組み替えると、傍らの女性研究者に声をかける。

「なぁ真琴。世界の為に死んでくれるな?」
「必要な事であれば」

悪意の正しい使い方を見せつけるように親が子に自殺を促し、子もそれを当然のように応じる。
異様な光景であった。

長谷川には科学のためなら、人類を救うのに必要であれば命など捨てる覚悟がある。
奥津を含めて、ここにいる人間は全員、正気ではない。
己が命よりも重い何かに殉じて、その全てを捧げている。

「ですが、全員がそれに応じるとは限らない」

長谷川真琴という個人が科学に身を捧げる覚悟を持っているだけで、終里の子全員がここまで覚悟を持っているわけではないだろう。
電話越しに死ねと言われて即座に死ねる人間がどれだけいるのか。

「ま、それはそうだ。四郎の様な例もある」

我が子の醜態を思い出したのか、終里がため息を交えながら鼻で笑う。
我が子の思い出を振り返るような場違いな反応に奥津は怪訝そうに眉をひそめた。

奥津としても全員を消すという方針自体に反対はない。
身内である終里が反対していない以上、SSOGのやり方に即した方針だ。
だが全員の所在を明らかにしてそこに暗殺部隊を送り込むにしても日が変わるまででは余りにも時間が足りない。
特に、海外ともなれば人員の手配も難しい。

「他の対抗策はあるのでしょうね?」

特殊部隊の長に威圧的な声で問われ、豪放磊落な怪物は肩をすくめると飄々とした老爺へと視線を送る。

「その辺はどうなんだ、百之助」
「オヤオヤ。ソコはワタシに丸投げカイ」

そう呆れた風に染木は話を引き継いだ。
変わらぬ様子で指を組むと、奥津にではなく所長である終里に苦言を呈する。

「マァ。ワタシとしても元くんの案には反対ダネ。貴重なサンプルであるキミの子を使い潰すのは勿体ないからネェ」

菌と魔法の産物、終里元の子を生み出す。
女王となったのは、その貴重な実験サンプルだ。
研究者の立場からしても無駄に殺してしまうのは惜しい。

「では、染木博士には腹案がお在りなので?」
「――――――アァ。勿論アルとモ」

当然のようにそう言って。
テーマパークに来た子供のように、老研究者は楽し気にニヤリと笑った。



286Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:17:24 ID:3pow9O3Q0
「No way...そんなreasonで…………」

女王はただ力を試してみたかった。
創が推察した、そんな馬鹿げた理由を聞かされアニカは首を振る。

あり得ない。
そう口にしたかった、だが言われてアニカにもいくつか思い当たるところがあった。
女王はまるで自慢でもするように自分の力をアニカに語っていた。壁に話しかけるのが空しいからとも。
確かにあの様子は、子供じみた感性の現れではないのか?

目的のためなら全てを投げ出す狂気のテロリストのように、計画に全てを捧げているようには見えない。
あれだけの力があるのだ、本当にウイルスの繁栄という目的を何よりも優先しているのなら事を荒立てず確実に遂行する方法などいくらでもあったはずだ。
わざわざ事を荒立てて、多くの感染者を敵に回すような言動をする意味がない。

「本当に女王は計画を遂行するつもりがあるのか。いや遂行するつもりはあるのでしょうが。
 話を聞く限り、それを最優先として行動しているとは僕にはそうは思えない」

計画の遂行を何よりも優先する冷酷な女王。その像が間違いである。
計画を掲げ遂行しようとしているが、新しい玩具(ちから)を試したいという好奇心や、周囲に振りまく悪意を抑えられない。
そんな子供じみた人物像が創のプロファイルする女王像だ。

「新しく得た力を試してみたかった、それが動機で計画云々はむしろ後付けのように思える」

創たちを分断した異空間もそうだ。
新たに得た『魔王の娘』の力、『不思議な世界へようこそ!(イン・ワンダーランド)』を試してみたかった。
うさぎを殺した理由も、運命視と魔法の組み合わせを試してみたかった。ただそれだけの理由。
運命の見えない相手を執拗に排除しようとするのも計画の遂行と言うより、自分の思い通りに行かない相手を許せない子供の癇癪に近い。

全てが継ぎ接ぎの破綻した人間を見た直後だからだろうか。
聞き及んだ言動のちぐはぐさから、創はそう言う結論を得た。

女王に命を狙われ、その強大な力を目の当たりにしたアニカも白兎も、女王は圧倒的な存在であると無意識に刷り込まれていた。
直接対峙していない創だからこその発想である。

女王は今日生まれ、つい数時間前に得た力を前提として計画を立てている。
計画者も実行する道具も、何もかもが付け焼刃の計画だ。
完璧であるはずがない。

「付け入る隙はある、という事?」
「だからこそ怖い、という事でもあります」

下手をすれば、考えなしに世界崩壊のスイッチを押しかねない怖さがあった。
それだけの力が今の女王にはある。
ともすれば、すでにそのスイッチは押されている可能性すらあるだろう。
女王が覚醒した以上、解決を急がねばならない。

「急いだほうがよさそうだ。それでは僕は哉太さんたちを探しに行きます。アニカさんもどうかお気をつけて」
「Mr.アマハラも。次はincidentのAfter resolutionに会いましょう」



287Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:18:01 ID:3pow9O3Q0
ゾンビたちが踊る不気味な夜の下。
片田舎の草原で多くの人影が一つの生き物のように蠢いていた。

視界を埋め尽くす壁のようなゾンビの軍団に対し、挑むのはたった1人の勇者。
100のゾンビと1人の女による決戦の火蓋が降ろされようとしていた。

蠢くゾンビの一団が一斉に茶子に向かって突進を始めた。
だが、その緩慢な動きを見逃す茶子ではない。

踏み出してきた最初のゾンビが近づくよりも早く、茶子は低く身を沈め一瞬で間合いを詰めた。
茶子の左手に握られた刀が、閃光となって闇を切り裂くと、最前列のゾンビの首が空中に舞い上がって地面に転がる。
残された胴体から血飛沫が花火のように夜空に広がり彼女の綺麗な顔を汚すが、その瞳には一片の揺るぎもない。

次のゾンビが彼女に迫る。今度は右手に錆びた斧を持った大柄なゾンビ。役所の仕事で何度も顔を合わせた岡山林業の社員の一人だ。
彼女は一歩後退し、ゾンビの斧が空を切る瞬間を見計らって、素早く踊るように左に回り込む。
逆手に持ち替えた刀が斜めに振り下ろされゾンビの肩から腰まで深く切り裂かれた。
反転した茶子の背で、露になった内臓が地面に落ちる音が響く。

三体目のゾンビは、役場の同僚だった。それなりに表面上は仲良くやっていた相手だった気がする。
その顔を見ても茶子は一瞬の躊躇いもなく同僚の頭を一気に斬り飛ばした。
返り血が涙のように彼女の頬を伝う。血化粧により狂気の色は一層濃く深まってゆく。

彼女の周囲には次々とゾンビが現れ、その度に彼女の刀は鮮やかに閃く。
四体目は足を失ったゾンビで、地を這いながら彼女に近づこうとする。
彼女は冷徹にその首を一刀両断し、静かに息を吐く。

次の瞬間、背後からの気配に気付き、振り向きざまに『蠅払い』の要領で刀を横薙ぎに振るった。
五体目の小説家ゾンビと、六体目の木更津組の三下の胴体が同時に真っ二つになり、揃ったように地面に倒れ込む。

戦いの中で彼女の動きは次第に美しさを増してゆく。
まるで舞踏のように流麗に踊る茶子に一斉にゾンビが襲いかかる。

刹那、彼女の刀が一瞬の閃光となり複数のゾンビの頭部を吹き飛した。
飛んで行く首の中には隣人だった者がいる、友人だった者がいる、弁護士だった者がいる、村長だった者がいる。
六体目、七体目、八体目――もはや何体目か数えるもの億劫になりながら、茶子は一体一体確実にそして無情に村人だったモノを斬り捨てていく。

彼女の周囲に屍山血河が築かれる。
血肉が飛び散り、命だった物が辺り一面転がる。
夜空には淡い月光が差し込み、彼女の刀だけがその光を反射して輝いていた。
芸術のように美しい剣技と、斬り殺されるゾンビたちの凄惨なコントラストが闇夜に浮かび上がった。

「シィ――――――ッッ」

踏ん張りの利かぬ右足で踏み込むのではなく膝を抜く、縮地が如き体重移動で茶子が一陣の風となる。
吹き抜ける風の過程にあったゾンビたちの胴が二つに分かれ、頭部が柘榴と割かれた。

「虎雄流も様になってきたなぁ!! やっぱ実践が一番だよなぁ!!」

茶子が何かがキマってしまった見たいにハイになって叫ぶ。
体が軽い。片手剣術もノッて来た。
一人また一人と切り捨てるたびに、茶子の中で何かが剥がれて行く感覚がある。

山折村のよき隣人たちを次々と切り捨てる。
山折村の存続を願う茶子が、山折村最後の生き残りたちを殺していく矛盾。
他ならぬ藤次郎の刀で村人を切り捨ててゆく己の姿が、あれほど憎み恨んでいた八柳藤次郎と重なっていることに彼女は気付いているのだろうか?

どす黒い濁流が残留する酸の血液を押し流すようだ。
継ぎ接ぎだらけの愛という塗装が剥がれ落ちて、むき出しの本性が露わになってゆく。
殺していくたびに、その狂気は加速して、剣技は一層研ぎ澄まされてゆく。

288Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:18:19 ID:3pow9O3Q0
「――――――ハハッ」

地獄で笑う。
知らず口から笑みがこぼれた。
その笑みに愉悦の色が混じっていた。

村を愛し守護りたいという心。
村を憎み壊したいという心。
そのどちらも本物で、その矛盾こそが虎雄茶子という人間なのだ。

きっと、彼女はずっとこうしたかったのだ。
自分を汚した何もかもを壊してしまいたかった。

「哀れだな」

ゾンビで出来た運河の先。
僅かに離れた位置で愁嘆場を眺めていた女王が憐憫ともつかぬ呟きを漏らす。
己が矛盾に気づかぬまま踊る様は哀れとしか言いようがない。

「終わらせてやろう」

そう言って、慈悲をもって指揮者のように指をふるう。
瞬間、茶子の体が強い衝撃を受け吹き飛ばされた。

「ぐっ…………ぉ!?」

横合いから痛烈な一撃。
寸前で刀の腹で受けたが避けきることが出来なかった。
油断ではない。神経はいつも以上に張り詰めていた。
十把一絡げのゾンビどもとは違う、明らかに動きの質が違うゾンビが1体混じっている。

吹き飛ばされる茶子は勢いに逆らわず、巧みに体を捻って刀を振るった。
その遠心力を利用して重心を立て直すと、吹き飛ばされた先に居たゾンビを蹴り捨てそのまま反動を利用して地面に着地する。

「ごほっ……………っのぉ」

僅かに血の混じった胃液を吐いて、茶子が自らを殴り飛ばしたゾンビを睨む。
そこに居たのは正拳突きの体勢のまま固まる迷彩色の防護服だった。
防護マスクのつなぎ目には僅かな穴が開いている、そこからウイルスが侵入したのだろう。

それは、この村におけるジョーカーである特殊部隊の証。
地下研究所でゾンビとなった黒木真珠が、女王の呼び声に従い決戦の地に馳せ参じた。

異常感染した[HEウイルス]は脳の領域を圧迫し、ゾンビからは理性と思考力が失われる。
だが、血の滲むような鍛錬を積み、思考を排し反射に至るまで体に染み付いた動きはゾンビであろうとも衰えない。
思考力を奪われ全盛期には程遠い動きだが、幼少の頃から格闘術を叩きこまれた真珠の体術はこの場において十分な脅威である。

研究所の最強戦力である茶子をもってしても特殊部隊の相手は簡単ではない。
仮に万全の状態でも苦戦は免れない相手だろう。
この満身創痍の状態でどれほど戦えるか。

「上等だよ…………ッ」

手の甲で口元を拭って折れることなく闘志を燃やす。
こちらも満身創痍だが、それはゾンビである真珠も同じだ。
理性を失い本能で動いているだけだ。何よりその両足は潰れている。
痛みを無視できるゾンビだからこそ活動が出来ているだけで万全ではない。
当然、動きにも影響があるはずだ。

289Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:18:44 ID:3pow9O3Q0
「ぃ―――――――くぞッ!」

茶子は地面を蹴るのではなく、膝を抜く事で地面を滑った。
八柳新陰流『這い狼』改め――虎尾流『虎滑り』。
そのまま再低空から跳ねるように首を狙う、より攻撃的で殺すための技。

だが、降りぬいた一撃は手甲によって防がれた。
精鋭たる特殊部隊のゾンビの守りはまさしく鉄壁、想像以上に固い。

一撃を防がれ地面を這うような体勢のまま固まる茶子の顔面に向かって間髪入れず真珠が鉄拳を振り下ろす。
スイカ割りのように頭蓋を砕く一撃を茶子は転がるようにして避けた。
代わりにその一撃を受けた草原の大地が爆ぜるように弾け飛んだ。

茶子は立ち上がると同時に背後から迫るゾンビを振り向きもせず切り捨てる。
彼女の敵は真珠だけではない。周囲のゾンビも変わらず茶子を狙い続けている。
これらに気を裂きながら目の前の強敵に対処する必要がある。

僅かに開いた間合い。
茶子は片手で上段に構えると、半身の体勢から閃光の如く刃を振り下ろした。
片手上段は半身となる分両手上段より遠くの間合いへ届く。
雷より早く放たれる星こそ八柳新陰流『天雷』を片手上段に改めた虎尾流『流星』である。

だが、左手一本で振り下ろされた流星を真珠は本能のみで受け止めた。
閃光が如き鋭き一撃を空手の上段受けの動きで払いのける。
手甲と刃、金属と金属が激しくぶつかり合う音が響く。
弾けるように火花が散り、夜の闇が一瞬明るく照らされた。

反射になるまで体にしみ込んだ動き。
一撃を弾いた真珠は間髪入れず反撃に転じる。
重心を低く保ったまま、地面を削る勢いで振り上げられるアッパーカット。
手甲に包まれた一撃は顎どころかそのまま頭蓋を砕く威力があるだろう。

右足の効かない茶子はその一撃を、体をそらして間一髪で躱した。
回避から止まらずそのまま身を捻ると、回転して今度は右側から切り込んだ。
真珠は手甲で刃を受けると同時に、もう一方の拳を振り上げ相手の防御を崩さんとする。
茶子はその動きを見切り、返す刃で弾くようにしてその一撃を逸らした。

両者の攻防は激しさを増し、刃と拳が交錯する度に金属の摩擦音が夜に響く。
夜に咲く火の花が儚くも次々と散って行った。

周囲を巻き込みかねない激しい攻防が続く。
だが、理性のないゾンビはそんなことはお構いなしに茶子の背後から突撃してきた。
個よりも全を優先する習性は、巻き込まれることを恐れていない、茶子からすれば厄介なことこの上ない。

「…………こ、のッ」

茶子が背後のゾンビに対応し刃を振るう。
ゾンビを切り捨てた勢いのまま廻るようにして一息で真珠に切りかかった。
だが、ついでで斬り捨てられる程、甘い相手ではない。

真珠は刃の下を潜るようにして身を躱す。
大ぶりを外した茶子は隙を晒すことになる。

その一瞬の隙を突いて真珠の足が揺らめいた。
それは雷鳴の如き鋭さをもって放たれる上段蹴りだ。
潰れた足で蹴りはないという常識的な判断が反応を一瞬遅らせた。
鋭い蹴りが茶子の鼻先を霞めて、鼻骨が折れた鼻から大量の血が噴き出す。

「……………チィ!!」

ただですら限界を超えた状態で、鼻呼吸が封じられた。
たたらを踏み後方に逃れようとする、だが、その隙を逃さず周囲のゾンビが一斉に襲い掛かる。
濁流の様なゾンビの群れが茶子の体を一瞬で乗り込んだ。

290Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:19:10 ID:3pow9O3Q0
「くっ…………な、せッ!」

大量のゾンビに掴みかかられる。
力任せに振り払おうとするが、あまりにも多勢に無勢。
単純な力勝負ではリミッターの外れた男たちには勝てない。
乱暴につかみかかられ、爪で引っ掻かれ、歯で噛み付かれる。

「や、めろ………………ッ!!」

閃光のように脳裏をよぎる純白。
白いアリスの城。ゴツゴツとした気持ちの悪い男の手。
駆け抜けた山中。
素足で踏む雨の日のアスファルト。
男どもに拘束され、いいようにされる無力な自分。

次々と脳裏に浮かぶ心的外傷が茶子から抵抗の力を奪って行く。
あの日のように、茶子の目から光が失われ生気が抜けていった。

「ぁ……っ。離れ、ろ…………ッ!!」

抵抗の言葉を口にするが力が入らない。
もみくちゃにされ取り落した日本刀が地面に刺さる。
ゾンビどもの渦に呑まれる。
力を失い動けなくなった茶子に向かって、特殊部隊のゾンビが迫りくる。

茶子の死神。
引き絞られた正拳が茶子の胸部を撃ち抜こうとした所で、



「――――――茶子姉ぇッ!」



遠くより、声があった。
沈んでいた茶子の目が開かれる。

ずっと聞きたかった、ずっと探していた声。
茶子の視線が声の方へと向いた瞬間、赤い閃光が投げ込まれた。

真珠ゾンビは振りかぶった拳を受けに回して自らの喉元に迫った赤い刃を弾く。
投擲された赤い打刀が回転しながら宙を舞った。

その介入により得た、奇跡のような一瞬。
その声を聴いて茶子の抜けていた力が入った。

八柳新陰流は力の流れを御する合気道にも通じる剣技である。
茶子は自らを拘束していたゾンビどもを合気の要領で投げ飛ばした。

拘束を脱した茶子はすぐさま飛びあがり、弾かれ宙で回転する赤い打刀を掴んだ。
同時に、折れた剣を手にした哉太が止まることなく距離を詰めていた。

「合わせろ――――――ッ!」
「――――――――応ッ!!」

八柳哉太、最大の強み。それは状況を受け入れ対応する力。
乱入した特殊部隊との戦闘をこなし、突然現れた神獣と連携をこなす。
すなわち咄嗟の対応力だ。

哉太は駆ける。地を這う、八柳新陰流『這い狼』
茶子は落下する。天から落ちる、虎尾流『流星』

比翼による上下同時攻撃が特殊部隊のゾンビに向けて放たれる。
必殺をもって放たれた同時攻撃は寸分違わず対象に炸裂した。

だが、修練を積んだ特殊部隊の反応速度はそれすらも上回る。
上下の攻撃を手甲と鉄足によって防ぐ。

そして、それがゾンビの限界であり敗因である。

知能のないゾンビの動きは体に染み込んだ反射でしかない。
攻撃を受ければ必ず防いでしまう。

茶子は振り下ろした赤い打刀からすぐさま手を離した。
着地と同時に、取り落し地面に付き去った日本刀を掴むとそのまま独楽のように回る。
無理な体制で片手片足を封じられたゾンビは次の手に対応できない。
全身を使って刃を振るう、回転力と遠心力を籠めた一撃は防護服ごとゾンビとなった特殊部隊の体を両断した。

291Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:19:57 ID:3pow9O3Q0
全身を投げ出すように振り抜いた茶子の体と泣き別れたゾンビの上半身が同時に地面に落ちる。
そこに駆けつけた哉太が地面に落ちた聖刀を拾い上げると、二刀を構え倒れる茶子を守護るようにゾンビたちの前に立ちふさがった。

「無事か!? 茶子姉」
「哉くん……どうして」
「こいつが案内してくれたんだ」

哉太の胸ポケットから顔を出した山ネズミがハァイと手を振る。
このネズミが哉太をここまで案内してくれた。
この案内がなければ茶子は死んでいただろう。

「スチュアート・リトルかよ」
「あっ。やっぱそう思うよな」

二足歩行のネズミを見て、共に映画を見に行った小さな思い出を思い返す。
地獄の様な戦場で、その軽口に少しだけ心が軽くなる。

哉太は安心させるように茶子に笑顔を向けると、二刀を構えて周囲へと視線をやった。
その表情は一転して厳しいものに変わる。

周囲には死の河。死屍累々の地獄絵図が広がっている。
ここで行われた激戦の過酷さと共に、茶子が重ねた業の深さを物語っている。

茶子は哉太と自衛以外の無駄な殺しはしないと約束した。
確かに襲い来るゾンビを放置しては自分の身が危うい。それは確かだ。
顔見知りたちの凄惨な死体の山を見るとどうしても、思ってしまう。
果たしてこれは必要な殺しなのだろうか?

だからと言って、この状況で殺すなとは言えなかった。
茶子の行いを肯定する訳ではないが、そうしなければ死んでいたのは茶子の方だ。
哉太はその結論を保留するようにゾンビたちに向き直る。

川のように広がるゾンビたちの対岸に、一人の少女が佇んでいる。
夜闇ではっきりと姿は見えないが、恐らくあれが女王である珠だろう。
茶子の大立ち回りによってゾンビの大河は、かなりの数を減らしている。

「ここから先は俺に任せて、茶子姉は休んでいてくれ」
「いいや。そうはいかない。あたしも戦う」

心配する哉太の言葉を遮り、全身に鞭打ち立ち上がる。
茶子の体中には痛々しい爪跡や噛み傷が残っていた。
致命傷に至るような傷ではないが、哉太と違って治るわけではない。

「無理は……」
「……するでしょ。今が無理のしどころよ」

それでも休んでいる場合ではない。
女王を前にしたこの村の行く末を左右する大一番。
ここで無理をせず何時するというのか。

「――――――ふぅ」

茶子が深く息を吐く。
酸の血を瀉血させた分も合わせれば、随分と多くの血を流した。
だが、顔色は悪くない。気力も回復したためか、先ほどまでよりもいくらかいい。
精神論だけではなく、虎の心に調伏されたウイルスが全身を巡り、血を巡らせている。
動き始めた右の具合を確かめて、気合を入れる。

「…………ゾンビどもは私が相手する。哉くんは女王の所に行って。ここは私に任せて先に行け、ってやつね」

冗談めかしてそう言うが、哉太は厳しい表情でその言葉を受け止める。
目減りしたとはいえゾンビの数は未だ小隊程度の数が残っている。
状況的にそのセリフは洒落になっていない。

「いや。戦うにしても、一緒に戦った方が」
「はっきり言う。助けてもらっておいてなんだけど、ゾンビであろうとも哉くんは殺せないでしょう? それじゃあ足手まといよ」
「………………それは」

哉太は反論できなかった。
気喪杉や魔王の様な弱者を害する悪を斬る覚悟はあれど、顔見知りを斬る覚悟が哉太にはない。
実力不足かそれとも覚悟不足か今となっては定かではないが、悪逆を尽くした藤次郎相手ですら自分の手で斬るには至らなかった。

少なくとも、茶子は哉太では斬れないと思っている。
剣士としてはそれではダメだと思うと同時に、少年としてはそれでいいとも思っている。
二律背反。茶子の抱えるいつもの物。

哉太にできるのは膝を折るなり拘束するなり無力化するのがせいぜいだろう。
この数を相手にその甘さは命取りになる。

「何より、こちらの戦力が変わった以上、いつまでもあの腐れ女王が高みの見物と決め込んでるとは限らない。一人当った方がいい」

これは村の存続を望む茶子に村人たちを殺させ、最終的に数の暴力でなぶり殺しにする悪趣味な見世物だ。
哉太の介入によりその図式が崩れた以上、女王がどう動くか分からなくなった。

横やりを防ぐ意味でも、逃亡を防ぐ意味でも、戦術的に足止めは必要だ。
女王に余計な意識を裂かなくて済む分、ゾンビを相手にする茶子としてもやりやすい。

292Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:20:08 ID:3pow9O3Q0
「…………分かった」

哉太はその方針を受け入れる。
茶子の判断がこの場における最良の判断なのは疑いようがない。
先ほどの特殊部隊のような突出したゾンビがいない限りは茶子が後れを取るような事はないだろう。
女王の抑えが必要なのも納得ができる。

だが、ここを茶子に任せるという事は茶子の殺しを容認する事だ。
ゾンビとなったとはいえ相手は同じ山折村の村人だ。
自分の手を汚さないために、大切な人が手を汚すことを容認していいのか?
そんな疑問が哉太の脳裏をよぎる。

「哉くん。ちゃんと女王を殺せるわよね?」

珠と同じ顔をした相手を殺せるのか?
その迷いを見透かすように、確認するように問う。

茶子は哉太に不必要な殺しはしないとあのマイクロバスで約束をした。
逆に言えば、必要な殺しは存在するという事である。
茶子にとって立ち塞がるゾンビどもを切り殺すのは必要な事である。
女王を殺す為に。

女王の殺害はウイルスに侵された感染者にとって、引いては世界に感染拡大を防ぐために必要な殺しだ。
ここで日和るようでは話にならない。

「――――戦える。そのためにここに来たんだ」

殺すのではなく戦う、とそう答える。
誤魔化しではなく、哉太はそのために来た。

「……ま、いいわ。そっちは任せる。こっちもすぐに終わらせるから、最低限それまでは持たせて」

その回答に、完全に納得した訳ではないだろうが、ひとまずは良しとしたのか。
茶子はようやく動くようになってきた右手で刃についた脂を拭って空を切る様に刀を払う。

「それじゃあ――――行って」
「了解、背中は任せた――――!」

言って、女王に向かって哉太が駆ける。
すれ違いざまに『抜き風』で目の前に立ちふさがる最低限の相手の足元を切りつけながら、間に挟まるゾンビの包囲網を強引に突破する。
それに反応した周囲のゾンビたちが瞬時に哉太に群がるが、その背に襲い来るゾンビたちに向かって剣が舞った。
哉太は振り返らず、必ず守ってくれると信じて背後を気にせず駆け抜けてゆく。

「よぅ――――――仕切り直しだ。ゾンビども、さっきまでと同じと思うな」

ゾンビたちを切り捨てた茶子が刃に付いた血を払う。
渦巻くゾンビの中心に躍り出て、ザッザと確かめるように右足で地面を堀りながら刀を構える。

継ぎはぎだらけの心は新たに糧を得て修復される。
100人切りで磨かれた技の冴えはそのままに、愛憎が気力となって体に満ちる

思い出された心的外傷は彼女を突き動かす原動力。
殺すべきを殺さねばならない。その決意を新たにする。
受けた恥辱は必ず返す復讐の虎は殺意を漲らせる。

「次の予定が詰まってんだ――――秒で終わらせる」



293Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:21:03 ID:3pow9O3Q0
立ち塞がるゾンビの壁を越え、少年は草原を駆け抜ける。
心臓が高鳴るのは運動による影響だけではないだろう。
少年の向かう先には、一人の少女が待っている。

「やぁ。よく来たね」

何気ない様子で、待ち人が来たかのように微笑む。
哉太は足を止めると、僅かに乱れた息と鼓動を抑え、少女の前に立つ。
月明りに照らされる少女の姿は美しく、どこか神々しさすら感じられた。

「珠ちゃんを返してもらう」
「またそれか。まったく誰も彼もがこの体を気にかけるのだな」

呆れたように日野珠の姿をした[HE-028-Z]は首を振る。
彼女こそがウイルスを統べる女王。
全ての始まりにして終焉となる女。

「ゾンビをけしかけているのはアンタなのか?」
「そうなるかな」
「やめさせてくれ」
「それは難しい、虎尾茶子は私を殺そうとしているからね」

自衛のための殺し。
今、ゾンビ相手に茶子たちが行っている事と同じだ。
哉太たちがこの村で行ってきた事だって引いてはそう言う事だろう。
その行いは生物である以上、肯定されなければならない。

「お前はどうだ? 八柳哉太。お前も私を殺しに来たのか?
 それともの山折圭介ように日野珠を殺せないとでもいうつもりか?」

目の前に立つ哉太の覚悟を嘲笑うようにくつくつと笑う。
哉太は嘲笑に表情を変えることなく、真剣な表情で答える。

「確かに、お前の言う通りだ。俺は珠ちゃんを殺したくない」

大切な妹分を、出来るなら殺したくはない。
全人類が天秤にかかっている以上、比べようもないだろうが、それは嘘のつきようがない本当の気持ちだ。

「だけど、それだけじゃない」

哉太は続ける。

「俺はお前も殺したくないんだ、女王」
「…………ほぅ?」

ウイルスの活動を止める。
それを、病気を治すのと同じようなものだと考えていた。
そこに奪われる命があるだなんて、考えてすらいなかった。
感染者の命さえ救われればそれでいいと思っていた。

だが、こうして女王と直接、言葉を交わして相手が意思を持ったひとつの命だと感じられた。
だからこそ、できるのであれば平和的に終わらせたい。
多くの犠牲を出してもう手遅れだとしても、手遅れだからこそ、そうしたい。

「私を殺さずどうするというのかね?」
「お前が本当にウイルスを従える女王だってんなら、お前の力で事態を収めることもできるんじゃないのか?」

[HEウイルス]を統べる女王の力をもってすれば、事態を解決できるのではないか。
哉太の考えは、自分自身ではどうしようもない事を理解した丸投げである。
他人任せどころか、元凶である相手頼みの解決策だ。

女王が止めようがないほどの力を付けたからこそ解決できる望みが繋がる。
平和的に解決するにはこれしかないと言う理想論。
この解決策を実行するには女王が応じる必要がある

「…………そう来るか。なるほど言葉は『観えぬ』ものだな」

多くの感染者に協力を呼び掛けてきた女王だが。
まさか自分が協力を呼び掛けられる側になるとは考えてもいなかったようだ。
女王は僅かに驚いたような表情を見せ、僅かに眉をひそめながら視線を遠くにやり考え込むような仕草を見せた。

294Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:21:20 ID:3pow9O3Q0
「我が戦鬼は山折圭介を殺している。それに私も犬山うさぎも殺しているぞ? それでも私の手を取りたいと?」
「……何もかもがいいという訳じゃないさ。けれど、お前が本当に自衛のためやった事だというのなら俺はその行為をこれ以上責めるつもりはない。
 だから、お前がこちらと争う気がないのだとしたら、手遅れという事はないはずだ」

圭介やうさぎを殺した相手だ、もちろん思う所はある。
それが、悪意を持って行われた所業であれば許すことなどできるはずもない。

だが、それが生きるための行為だったのであれば戦場に罪科は問えない。
哉太は茶子の行いもそうだろう。
鉛のように重くとも、それは飲み込むべきだ。吐き出してはならない。
それが、ここから先の未来を諦める理由にはなってはならないのだから。

だからこそ、知らねばらない。
相手がどういう考えを持った人間、いや細菌か。
ともかく、言葉を交わし相手を知らねば斬ることなど哉太はできない。

「甘いな。だが気に入った」

女王は上機嫌そうに笑みを作る。
珠らしからぬ支配者の笑顔に、哉太は悲しそうに目を細めた。

「確かに、私の力をもってすれば貴様の望む結末を用意することも不可能ではない」

第二段階に至った今の女王は活殺自在だ。
[HEウイルス]に対して絶対的な命令権を持つ女王であればその活動も自在に制御できるだろう。
女王にはそれだけの権限と力を持つ。

「なら…………ッ」
「――だが、それは私の目的に反する。
 私の目的は同族たちの繁栄だ。それを自らの手で止めるなどという判断はあり得ないのだよ」

人間への被害を減らすという人間側である哉太の願いは、すなわちウイルスの感染拡大を停止して繁栄を止めるという事だ。
それは受け入れられるはずもない。

「[HEウイルス]の感染拡大は続ける。これは絶対だ。と言うより――――もう実行済みだ」
「なに………………?」

その告白に哉太の目が驚愕に見開かれる。

「村の外に新たに59の女王を生み出している。感染拡大は既に始まっているだろう。
 この流れは私が死のうが止まらない。感染の繁栄は既定事項だ」

既に村外への感染拡大始まっている。
それは感染拡大を防ぐためのこれまでの戦いが無に帰したことを意味している。

「だが、君が望むのならば条件を付けてやってもいい」

女王は言葉を続ける。
哉太を誘い、勧誘を返すように。

「全てとはいかないが、君が望む人間を正常感染者にしてやってもいい。
 人間と[HEウイルス]の共存した君ら正常感染者は我々の理想の落としどころだろう?」

[HEウイルス]の適合は感染者の体質ではなくウイルス側が選択権を持つ。
[HEウイルス]に対する命令権を持つ女王であれば、誰が正常感染者となるかの取捨選択も可能だ。
世界中の人間の生殺与奪を握る神に等しい権利、女王はその選択権を哉太に提示する。

「だめだ、そんな要求には従えない」

だが、一瞬の逡巡もなく哉太は即答する。

「何故だ?」
「俺は救う人間を選ぶような真似はできない」

人は神にはなれない。
人にできるのはその小さな手の届く範囲に手を指し伸ばす事だけだ。
命の取捨択一などやってはならない事だ。

「何より、それじゃあこの山折村で起きたことが別の場所でも起こるだけだ」

数名だけ救ったところで意味はない。
この村を襲った悲劇が各地で繰り返される。
それでは何の意味もない。

「当然だろう。それが目的なのだから。私は山折村を作りたいのさ。私と言う進化の土台を作り上げたこの山折村をね」

自らを生み出し利用した研究所への意趣返し。
世界の支配者を決める女王なりの人間への宣戦布告だ。

295Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:21:57 ID:3pow9O3Q0
哉太は悔しそうに拳を握り絞める。
女王の主張が理解できなかったわけではない。
女王の主張が理解できてしまったのだ。

女王の価値観はあくまでウイルスファースト。
ウイルスの女王としては正しい、正しいが故に人とは相いれない。

人と細菌。
互いに言葉を交わすことが出来ても価値観の違いを浮き彫りしただけだ。
得られたのは、決して分かり合えないという結論だけだ。

「分かり合えないんだな」
「そのようだな、残念だ」

哉太が刀を構える。
それを見て、女王も静かに木刀を構えた。
互いに二刀。合わせ鏡のように構える。

事ここに至ってはもはや是非もなし。
哉太は『女王』を殺す覚悟を決めた。
女王が細菌の繁栄を望むように、哉太は人の存続を願う。
互いに譲れぬ一線が衝突するのであれば、武力をもってことを成す他ない。

女王が扱うは蘇生した聖剣の魂により作り上げた二振りの聖木刀ランファルト。
木刀二刀を持つ限り使い手を剣の達人とする『林流二刀剣術』、あらゆる刃物を使い熟す『神技一刀』。
飛行の術式を剥奪され、女王は地上戦を余儀なくされたが、女王の力をもって引き出した異能の力がある。

これに対するは『八柳新陰流』。哉太の祖父八柳藤次郎を開祖とする対ヤクザを想定した実践剣術。
皆伝に至らぬ未熟の身なれど、八柳新陰流の理念に基づく実戦にて磨かれた技にて女王に対する。
手には宝聖剣の遺志を継ぐ折れた魔聖剣、そして始祖なる巫女の血により生み出された赤き聖刀神楽の二振り。

暗黒の野に静寂が落ちる。
風が凪ぎ、月が雲に隠れ、闇が世界を覆った。
互いの剣気が乾いた空気を張り詰めさせている。

風が吹き草原が波立ち、雲が流れた。
次に月が世界を照らす頃には、既に勝負は始まっていた。

先に動いたのは女王である。
足音も立てず暗黒を駆ける女王。
『暗視』による夜目を生かして、暗闇の中で先手を取った。

振るわれる聖木刀。
二つの異能を乗せた斬撃は余りも鋭く的確で速い。正しく達人の一撃である。
常人であれば暗闇の中、放たれたことに気づくことすらできずに切り捨てられていただろう。

この一撃を、哉太は事も無げに防いだ。
折れた魔聖剣で聖木刀を防ぐと同時に、哉太の右手が奔り赤い閃光が女王を襲う。
だが、女王もまた慌てることなく逆手のもう一振りの聖木刀で払いのけた。
瞬きの間に互いの攻と防が衝突する。

二刀流の利点は手数だ。
攻と防を同時で行え、戻りの隙を逆手の武器で封じられる。
絶え間なき連撃こそが二刀の真骨頂と言えるだろう。

故に必然、二刀流同士の戦いは常に攻防一体となる。
敵の攻撃を見極め防ぐ。敵の隙を見逃さず攻める。
これを隙間なく同時に繰り返す一息の余裕すらない絶え間なき剣の嵐。
一手誤った方が負ける、神経をすり減らす戦いである。

「――――――シッ!」

その打ち合いが30合を超えた所で、女王が仕掛けた。
力任せに叩きつけるように聖木刀を打ち付ける。
技で掻い潜る柔ではなく、防いだところで防御ごと持っていく剛の一撃。

二刀の欠点は軽さだ。
片手であるため両手持ちよりも一撃が軽く、肉は切れても骨は切れない。

だが、その欠点は女王には適応されない。
異能で『剛躯』により引き上げた膂力は片腕でも肉と骨を絶てる。
叩き付けた一撃は防御ごと相手を押し切るだろう。

「うぉぉぉおおおおおお!」

だが、哉太は怯まず押し返す。
哉太は『剛躯』に真正面から力で対抗する。
折れた魔聖剣は刀としては不完全な状態にあるが、内蔵された魔力は健在である。
魔聖剣は哉太を使い手として認めたのか、哉太の体に魔力は通り身体が強化されていた。

そして、押し返すように大きく刃をはじいた。
打ち合いが途切れ、間合いが僅かに開く。
一瞬の間。

296Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:22:28 ID:3pow9O3Q0
それを好機と見た女王が動く。
自ら攻防同時のリズムを崩したのだ。
防御を捨て二刀を攻撃に回す。

聖木刀を合わせるように赤い刃に叩き付ける。
狙うは武器破壊。
魔聖剣をへし折ったように、聖刀神楽を折りにかかった。

だが、哉太は武器破壊を狙ってきた相手の一撃を、柳の如き手首の返しで軽くいなした。
八柳新陰流『空蝉』。
武器破壊など互いの技量に大きな差がない限りは狙って出来るものではない。

「ほっ。やるな。山折圭介のようにはいかぬか」
「馬鹿にするな。圭ちゃんは俺より強かったよ」

圭介も八柳流の心得はあったが、達人の域まで至ってはいなかった。
様々な強敵を超えてきた今の哉太は既に達人の域を超えている。
女王がスキルで得た技量に哉太は純粋な技量によって肉薄していた。

「どこが?」
「心が」

心の強さ。
技量も力量も互角。
勝負を分けるとするならば、それは精神だろう。

哉太は乱れることなく平常心を保っている。
全てが決する決戦に至って気負いもなく、かと言って臆するでもなく戦士として理想的な精神状態を保っていた。
それはきっと、託された多くの想いがこの刃に乗っているからだろう。

対する女王も余裕を保っている。
女王はまだ底を見せていない。
女王が保っているのは哉太とはまた違う種類の遊んでいるような余裕である。
実際、世界を自在にできる女王からすればこんな勝負は遊びでしかないのだろう。

これは明確な油断であり、女王の隙である。
だが、余りに強力な女王に対して、その隙を突ける者など存在しなかった。
これまでだってそうだ。

聖魔剣を操る山折圭介。
隠山祈を身に宿した神楽春姫。
高魔力体質を持ち運命から逃れた天宝寺アニカ。
十二の神獣を操る召喚者、犬山うさぎ。

誰もが女王には届かずその命を散らした。
この山折村において女王は絶対的な強者として君臨している。

「やっぱりお前は女王だよ。戦う者じゃない――――」

だが、哉太はその事実を否定する。

細菌の世を望む女王の展望と実行力は確かに恐ろしい。
だがそれは人間と相容れぬ、人外の為政者としての恐ろしさだ。
戦闘者としては戦鬼の方がまだ恐ろしかった。

これまで女王と対峙してきた者たちは村長や巫女であり戦士ではない。
彼らに対しては優位に立ち回れたかもしれない。
だが技術や能力は取り込んだ力で補えても、生まれたばかりの女王には積み重ねた経験がない。

全力を出したうえで余裕と切り札を持つのと、全力を出さない事は違う。
女王は根本的なところでその戦闘の機微、勝負所を理解できていない。

297Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:23:57 ID:3pow9O3Q0
哉太が動く。
地を這う狼が如く疾走する、八柳新陰流『這い狼』の動き。
それを女王は『暗視』にて捉え、『林流二刀剣術』による達人の業にて対応する。
一刀にて『這い狼』を防ぎ、一刀にて地を這う相手を串刺す構えだ。

だが、地を這う哉太の動きが変わる。
僅かに疾走の軌道を変えると、身を捩じるように大地を蹴った。
それは剛力魔人、気喪杉を相手に見せた曲芸『捩り風』の動きである。

しかし、女王はその動きもしっかりと捉えていた。
逸れた軌道に合わせ『神技一刀』による聖木刀を振り下ろす。

哉太は身を捻りながらその一撃を受ける。
そこから二刀『朧蟷螂』に繋げる、それこそが曲芸『捩り風』の真骨頂。
女王もそう読み切り、一刀を防御に置いていた。

だが、哉太の動きはここからが違った。

攻撃を捨てるように、女王の斬撃を二刀によって受けとめたのだ。
二刀が敵の刃を咢が如く挟み込むと、そのまま身を捩じる哉太の体が加速する。
それは獲物に噛みついた肉を噛みちぎる肉食獣の如く。
挟み込まれた聖木刀が破壊された。

敵の刃を咢が如く挟み込み破壊する。
曲芸でしかなかった『捩り風』を奥義の域に引き上げ完成させた。
その技の銘は―――――八柳新陰流・二刀奥義『狗咬み』

それは無力化を目的とした奥義である。
殺人剣を目指した祖父である藤次郎とは違う、哉太の至った活人剣の境地。

武器破壊は技量に大きな差がない限りは狙って出来るものではない。
つまり、女王と哉太の技量には大きな差あるという事。

異能『林流二刀剣術』は達人の剣を手にできる。
だが逆に言えば、至れるのは達人の域までだ。
達人の先にある剣鬼や剣聖の域に至れば、それを凌駕する事は難しくない。

隠山祈に復活させられた際に、一度『剣聖』の域を体験したからだろう。
ゾンビとなり記憶はなくとも、体が覚えている。
その体感をなぞる様に哉太の技量は達人の域を超え、剣聖の域まで片足を踏み込んでいた。

聖木刀を破壊した哉太は女王の脇をすり抜け背後に回り込んだ。
すぐさま体勢を立て直し、女王へと振り返る。

更に一歩。間合いに踏み込む。
女王も同じく、破壊された聖木刀を投げ捨て彼方へと振り返った。

向かい来る哉太に向かって、一刀となった聖木刀を振り下ろす。
だが、『林流二刀剣術』の効果は二刀でなければ発揮されず、狙いも足運びも素人のそれ。
『神技一刀』振るう刃の鋭さはあれど女王の剣の技量は地に落ちた。

剣聖相手には届かず、振り下ろされた一刀は折れた魔聖剣に絡め取られる。
八柳新陰流『朧蟷螂』。逆手の赤い刃が女王の首を完全に捕らえた。

だが、その刃が首筋で止まる。
女王が何かした訳ではない、哉太に生じた一瞬の躊躇い。
それこそが女王の湛える余裕の源泉。その運命が女王には観えていた。

確かに哉太は『女王』を殺す覚悟を決めた。
たが、日野珠を殺す覚悟までは完全には出来ていなかった。
故にこそ、女王にとってこれは殺し合いではなくお遊びに過ぎなかった。

298Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:24:20 ID:3pow9O3Q0
「チャンバラごっこお前の勝ちだ。満足して死ね」

女王の宣告。
女王の背後に黒曜石の槍が展開される。
一息に数え切れぬほどその数は夜空に瞬く綺羅星の如く。

飛行を封じられたとはいえ、女王には『魔王』の力が残っている。
そもそも、これまでの戦いは魔法を縛って剣士の領分に付き合っていただけなのだ。
だからこそ、不利になろうと余裕があった。

女王が手を振り下ろす。
号令一下。鋭く尖った黒曜石が豪雨の如く降り注いだ。

哉太も咄嗟に身を引くが、その数と速度に圧倒され避けることができなかった。
その鋭い先端が皮膚を突き破り臓腑を穿つ。
槍は次々と哉太の体を貫き、哉太の全身が串刺しにされて行いった。

「流石だな。ここまで生き残っているだけの事はある。即死しなければ回復できると踏んだか、自分の異能をよく理解している」

哉太は全身をなげうってでも脳と心臓を守り即死だけは避けた。
痛みと血の匂いが草原を満たし、少年は絶望の中で息を整えようとした。
だが、その全身は杭に打ち付けられたように突き刺されておりピクリとも動かない。
地面に磔となり動くことすらできない哉太を標本でも見つめるような女王の冷酷な笑みが見下ろす。

「安心しろ。殺しはせん。少なくともお前はな」

言って磔になった哉太に近づく。
すると、哉太の胸ポケットが僅かに動いた。
そこから這い出てきたのは血濡れになった山ネズミだった。

「やはりな。余計な真似をしていたのはお前だったか」

忌々しそうにそう言って、女王はパチンと指を鳴らす。
現れた黒曜石の刃が山ネズミを串刺しにした。

「さて。これでもう余計な邪魔はなくなったわけだ。
 ―――――さあ、共存しようではないか八柳哉太」

地面に張り付けになった哉太の頭に女王の白く細い指先がそっと伸びる。
何をするつもりなのか、避けようのない状況でゆっくりと迫るその指を哉太は朦朧とした目で見つめていた。
だが、その指先が額に触れたところで、ピタリとその動きを止める。

女王が何かに気づいたように顔を上げる。
女王の全身にビリビリとしびれるような感覚があった。
空気が張り詰め、周囲の気温が僅かに下がったようにすら感じられる。

知っている。
これは、殺意だ。

「―――――――――殺す」

ザッと草を踏む足音。
そこに居たのは全身を真っ赤な血で染めた一匹の獣。
バケツで被ったような血濡れ姿で肉食獣の様な嘶きと共に殺意をまき散らす。
立ちふさがる100のゾンビを、愛する者、憎む者を一人の例外もなく殺しつくした。
差別なく、区別なく、平等に、皆殺しにした愛憎の虎。

「ハハッ。恐ろしいなぁ、虎尾茶子」

最強の守護者たる戦鬼は倒れ。100のゾンビは全滅した。
この村にもはや女王を守護するゾンビは1人たりとも残ってはいない。

「……哉くんから離れろ」
「いいとも」

女王はあっさりとした態度で伸ばしていた指を引き、哉太から身を放す。
そして数歩離れたところでパチンと指を鳴らした。
哉太を串刺しにしていた黒曜石の槍が塵のように風に流され消える。

余りにも簡単すぎる開放。
その態度を不審に思うが、ひとまず茶子が哉太に駆け寄る。

「大丈夫!? 哉くん!?」
「っく…………ぁ」

全身が穴だらけになった哉太が痛みに喘ぐ。
穴だらけになった全身の傷は常人であればショック死していてもおかしくはない。
だが、哉太の異能は彼を生かす。傷口は目に見えるほどの速度で回復していく。

即死でない限り生存する哉太の異能。
茶子はひとまず胸をなでおろし、改めて女王へと向き直る。

299Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:24:32 ID:3pow9O3Q0
「やってくれたなバイ菌女。殺すぞ」

哉太と違い茶子の中に甘さなど欠片も存在しない。
一片の容赦なく女王の首を切り落とすだろう。

容赦もなく情緒もなく、放たれるは地を滑る一刀『虎滑り』。
対する女王は聖木刀を構えるでも、魔法を展開するでもなく不動のまま。
達人ではない女王では反応すらできていなかった。

構える隙すら与えず首を落とす。
血で磨き抜かれた虎尾流は、それを可能とする領域まで研ぎ澄まされていた。
女王を斬首する、その確信を得た一撃はしかし。

刃の衝突する甲高い音によって防がれた。

降りぬかれた一刀を横から割り込んだ二刀が防ぐ。
弾かれた衝撃で茶子の体が後方に後退った。

「…………そんな…………」

何が起きたのか。
それを理解した茶子が恐怖で顔を引きつらせながら、いやいやをするように首を振り茶子が後退った。
絶望が立っている。

立ちふさがるのは彼女にとっての最悪の敵。
二刀を構える八柳哉太の姿があった。

立ち上がった哉太は既に全身の穴は完全に修復されていた。
異能にしても傷の治りがあまりにも速すぎる。

「さあ私を守護せよ。私の騎士」

女王は張り付けになった哉太の頭部に触れて脳内の[HEウイルス]に直接働きかけた。
女王(わたし)を守護せよと、ウイルス自身の生存本能に任せるのではなく、明確な意思をもって眷属化を加速させた。

魔王由来の力に抵抗できる『高魔力体質』を持つアニカ。
精神攻撃を跳ね返す『虎の心(リベンジ・ザ・タイガー)』を持つ茶子。
彼女たちと違って哉太の異能はそういった耐性を持たない。

女王が近接戦に付き合ったのはそういった理由もある。
眷属化を加速させるために距離を詰めたのだ。
その影響を押さえていたのが山ネズミだったのだが、それも女王に見抜かれ排除された。

女王の後押しによりその回復力は極限にまで高まっていた。
ある意味でゾンビよりもゾンビらしい不死の騎士。

思考力を奪われるゾンビ化とは違う。
変わったのは、女王を守護るという絶対意志が全てに優先される思考の方向性。

脳を破壊され理性を失ってた大田原とは違う。
元の人格を保ったまま行動原理だけが異なる八柳哉太として、女王を守護する騎士のように八柳哉太が立ち塞がる。


「女王は殺させないよ、茶子姉」




300Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:24:58 ID:3pow9O3Q0
「何だ、何がどうなってる…………っ!?」

ようやく決戦の地に辿りついた天原創が困惑の声を上げた。
駆け付けた創がそこで見た物は、積み重ねたゾンビたちの死体の山。
そして辺り一面転がる死の中心で、衝突する八柳流の龍虎の姿だった。

その光景は仲間割れにしても異様である。
正義感の強い哉太が攻め込み、過激な思考をしていた茶子が防戦一方となっている。
創の印象からして立場が逆だ。

「おや、君も来たのか天原創。役者が揃ってきたかな?」
「ッ!?」

哉太たちを静止しようとしていた創が、その声に弾かれたように向き直る。
目の前で殺し合う仲間を止めるよりも優先すべき事項が現れた。
この状況における最重要人物にして最終目標。
創が出迎えるように現れた少女の正体を告げる。

「女王――――――」
「おや、珠ちゃんとは呼んでくれないのかい?」

そう言って笑う。
太陽を含んだひまわりのようだった日野珠とは似ても似つかぬ毒を含んだスズランの笑顔で。
彼女がそうであることは情報として知っていたが、目の当たりにすると知らず拳に力が入ってしまう。

潜入に来たこの山折の地で共に机を並べ学びあったクラスメイト。
転校生である創を気にかけてくれた少女。
その少女の体がいいように使われているのは得も言われぬ不快感がある。

「彼らに何をした」

創は努めて冷静さを保ちながら、背後で刃を合わせ火花を散らす姉弟弟子について問う。

「何もしていないさ。彼が私を守護しようとしてくれているだけだよ」
「――洗脳能力」

アニカから聞いた声を響かす洗脳能力。
その指摘を受けた女王は心外だと言った風に肩を竦める。

「人聞きが悪いな、君にも聞こえているだろう? 声が。
 これは私を守護しようという彼らの自主的な善意だよ」

彼らとは哉太や創を指しているのではないのだろう。
細菌の女王らしく、正常感染者の頭の中にいる[HEウイルス]たちを個として扱っていた。
ウイルスたちは女王を守護るべく、己が感染者の行動原理を歪めている。

その言葉の通り、創の頭の中にも声が響いていた。
だが異能を無効化する右手の影響か、響く声は小さなものだ。
創の精神力であれば抗うのに問題ないだろう。

「その右手か。厄介な力だ」

言って、無造作に女王が黒曜石の槍を放つ。
下手な狙撃銃よりも貫通力を持つ殺傷兵器は、創が払うように振るった腕に触れただけで簡単に霧散した。
これは互いにとって殺し合いにも満たぬただの確認作業。
粉のようになった黒い魔力の粒子が風に流れる。

「『魔王殺し』。魔王を殺した君の力を私は最も警戒していた」

異能を否定する異能『細菌殺し』。
進化を遂げた今となっては、魔王を否定する『魔王殺し』の異能である。

世界を滅ぼす異界の『魔王』の力に対し。
あらゆる魔法を弾く高魔力体質は防御に特化していたが。
触れた細菌と魔王の力を問答無用で否定する創の異能はより攻撃的である。
細菌であり魔王の力を取り込んだ女王の天敵ともいえるだろう。

301Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:25:18 ID:3pow9O3Q0
「故に、君に相応しい相手を用意することにした――――!」

そう言って、舞台で踊る大女優のように女王は両手を広げた。

「さぁ……全ての魂よッ! 目覚めるがいいッ!!」

女王の呼び声。
それはまるで世界そのものに向けて呼びかけているかのような声であった。
その声に応えるように世界が歪み始める。

「なん、だ…………ッ!?」

思わず創が戸惑いの声を上げる、巻き起こるのはとびっきりの異変だ。
変化はこの場に留まらず、村のいたる所からからあった。
光のない夜を照らすように淡い光が村のあちこちから浮かび上がり始めたのである。

あるいは、それは巣食うものが食い散らかした病院の方向から。
あるいは、沙門天二が無双を続けた木更津事務所の周囲から。
あるいは、気喪杉禿夫が暴れまわった住宅街の一部から。
あるいは、八柳藤次郎が住民を殺しまわった古民家群の辺りから。
そして、虎尾茶子がゾンビを斬り殺した今この場所からも。

光を放つのは死体だ。
周囲にあるゾンビたちの死体で出来た運河からも、淡い光が浮かび上がっている。
グロテスクな死体の海から浮かび上がる美しき光の海。まるで地を流れる天の川のよう。
それは死霊術によって蘇りし魂、尊き命の輝きである。

――――死霊術。
『魔王』の操る死者の魂を疑似的に蘇らせる命を弄ぶ外法である。
肉体と言う枷から解き放たれた1000人の死者と、それに取り付いた[HEウイルス]たちの魂が死霊術によって一時的に蘇った。

美しさと悍ましさが入り混じる。
生命を冒涜する光が幾つもの浮かび上がり夜の地上を輝かせていた。



302Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:26:06 ID:3pow9O3Q0
「what's happening!?」

アニカは空を見上げながら、驚愕と戸惑いの声を漏らしていた。

創を見送ったアニカは願望機の探索を続けていた。
時刻はすっかり深夜に入り、彼女の進む道筋を星が照らす。
地の光がないためか、都会では考えられないほど満天の星が輝いている。
地上の地獄など忘れてしまいそうになる程の美しい空だった。

だが、それを塗りつぶすような光の束が唐突に村中に出現したのだ。
その光の奔流がどこか一点に向かって流れてゆく。
まるで地上を流れる流星群である。

アニカは異様な空を見上げる。
明らかにまともな現象ではない。
何か異常な事態が起きている。

「………………?」

だが、アニカは見上げる空に一つの違和感を覚えた。
まともなことなど一つもない、異常だらけの空に違和感を見出す。

それは輝く一等星。
流星群の中に一つだけ動かない星がある。
星が動かないのは当たり前の事だが、遥か宇宙の先にある本物の星とは違う。
何故なら、その星は流星群より低い位置にある。

なにより、あんな星をアニカは知らない。
星に詳しいわけではないが21の一等星くらいは把握している。
その中で、あんな位置にある星は存在しないはずだ。

夜空に瞬く星座はそう簡単に変わるものではない。
Z計画の発端となった超新星爆発の影響かとも思ったがそうではないだろう。
知らない星が山折村を照らしている。
その事実に全身が総毛立つ。

「―――――――Starじゃない」

失せ物探しに役立つだろうと、創に譲渡された双眼鏡で確認する。
双眼鏡のレンズ越しに、夜空を見上げた。
流星の光に紛れ見えづらくなっているその星の正体が移る。

それは、星ではない。
遥か宙に浮かぶ『願望機』だった。

女王の体から夜空に打ち上げられた願望機は地上に落下することなく夜の空に留まり地上を照らしていた。
そして綺羅星のように地上を明るく照らす一助となっていたのだ。

最大の懸念である『願望機』は発見できた。
発見できたが。

「………………どうやってcatchすればいいの?」

本物の星より近いと言えども、願い星は手の届かぬ遥か上空にありて。
小さな人の身を嘲笑うようにキラキラと輝いていた。



303Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:26:34 ID:3pow9O3Q0
「魂たちよ、集え! 女王の下に――――――!!」

女王は高らかに叫び、手を空に向けて広げる。
女王の呼び声に応じて、村のあちこちに浮かぶ光の粒が一つの大きな流れとなって集まり始めた。
魂たちはそれぞれの場所から解き放たれ、まるで誘われるように空を舞い、共鳴し合うように一つの場所へと収束していく。

次第に一つの流れとなるその光は、美しき流星群だ。
女王の掲げる手の上に星々が集まり一つの銀河を形成するかのように輝きながら、その周囲を渦巻くように回転し始めた。
まるで彼女自身が中心に位置する銀河のよう。
その光の渦は次第に速度を増し、輝きも一層増して行く。

「……ふむ。村の全員と言うには少し足りないようだ。まあいい。君をすり潰すには十分だろう」

集合した魂を見つめながら女王はごちる。
女王が操れるのは復活させた純粋なる魂。
既に厄へと落ちた魂は『イヌヤマイノリ』の力が失われたため操作はできない。
それ以外にも1割ほど足りない、別の理由でどこかに持っていかれている。

「混じり合い一つになるのだッ! 山折村の魂たちよ!」

集まり始めた魂に女王が命じる。
第二段階に至った女王は『魂を繋ぐ力』を得た。
それは魂の操作と融合を可能とする力。

魂の融合は全ての魂が混在する『Zの世界』の試運転としても有用なはずである。
何より、出来るようになったのだから試してみるべきだ。

かき集めた魂を粘土のようにこね合わせる。
個々の魂は次第にその輪郭を失い、一つの巨大な光の球体へと変貌されてる。

まるで地上に浮かぶもう一つの月のようだ。
天の光が見えなくなるほど、地の光は輝き始める。

その光は次第に凝縮され、徐々に球体から形を変え始める。
まるで光の胎盤から生れ落ちるようにそれは誕生した。

――――――巨人。

生まれたのは、そう表現するしかない周囲の山々にも負けぬ大きさの人型だった。

「なんだ……これは……?」

創の声が震えた。
目の前に立ちふさがる巨人はただの敵ではない。

『魔王』の操る『死霊術』と『女王』の操る『魂を繋ぐ力』。
その組み合わせによって村の全ての魂が融合し一つの存在となった山折村そのものと言っていい存在だ。
巨人の身体はまるで光の粒でできた彫像のように美しく、その内側には無数の魂たちが共鳴し合う光の流れが見える。
異能ではなく魂の塊である以上、創の異能を持っても打ち消すことはできないだろう。

光の巨人が一歩踏み出す。
それだけで地震のように大地が揺れた。
1000の魂を一つとした、国造りの妖怪ダイダラボッチを思わせる超物量。
その巨大な手を振り下ろすだけで、人間など一撃でミンチにできるだろう。

最大にして最強の番人。
誰がどう見ても、もはや人間にどうこうできる次元の相手ではない。
だからと言って、逃げるわけにもいかない。

創はその巨大な存在感と圧倒的を前に立ち向かう覚悟を決める。
どう立ち向かうべきか、答えを見つけなければならなかった。
その勇気をあざ笑うかのように、女王が高らかに宣言する。


「さあ―――――この村最後の戦いを始めようじゃないか」

304Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:27:09 ID:3pow9O3Q0
投下終了です。
最終回(後編)は3週間にちょっとお暇をいただきまして

8/5(月) 00:00:00

頃の投下になる予定です。
よろしくお願います。

305Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:29:48 ID:3pow9O3Q0
あと、状態票がありませんが時間帯は【真夜中】としてwikiに登録します

306 ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:00:41 ID:CAQRuEHA0
お待たせいたしました。
これより最終回(後編)の投下を開始します。

307Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:01:36 ID:CAQRuEHA0





終りの先に何があるのか。







308Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:02:15 ID:CAQRuEHA0
都会の夜はまるで無数の星々が地上に降り立ったかのように煌びやかだ。
ネオンの光がビルの壁面を彩り、車のヘッドライトが途切れることなく続く。
人々の笑い声と音楽が交じり合い、街全体が生きているかのような活気に満ちている。
高層ビルの窓辺に映る無数の灯りは、まるで星空の反映のように瞬き夜空の輝きを霞ませる。
人の手による発展は輝きを天より地に落とした。

一方、田舎の夜は全く異なる趣きを持っていた。
人々の生活音はほとんど聞こえず、周囲にはどこか安らぎのようなものが広がっている。
遠くの山々から虫の音が微かに響き、風が草木を撫でる音が静寂を際立たせる。
空気は透明なまでに澄み渡り、空には数え切れない星々が輝きながら浮かび上がっていた。
雄大な自然は宝石のような輝きを天に際立たせていた。

この山折村はその狭間に立たされている。
開発の手が入った田舎町は都市部と山間部に二分され、双方の価値観が入り交じる混沌期に突入していた。
都会と田舎。現世と異界。生と死。二つの異なる世界が交差する境界線。
それがこの山折村だ。

そして今宵の山折村はまったく異なる様相を呈していた。
夜を彩るのは星々ではなく、淡く光る死者たちの魂の奔流。
その輝きは都会の夜とも田舎の夜とも全く異なる幻想の光。
魂たちの光が大地を照らし、夜の闇を穏やかに染め上げる。

まるで過去と現在が交錯する泡沫の夢のような。
幻想的でありながら幽世の景色のようで、どこか恐ろしい光景だった。

死者たちの作り上げた幻想の夜。
村中に浮き上がった魂の奔流は、たった一人の少女の下に集まっていた。
光を集めるのは、魂を繰る細菌の女王[HE-028-Z]。
掲げた手に光は集約し、山折村を揺り籠にした光の胎盤より巨人が生まれ落ちた。

地鳴りを上げて光の巨人が起立する。
空を覆い尽くすような巨体からは影すら落ちなかった。
何故なら、この巨人こそこの世界の新たな光源。
月よりも明るい太陽を得て、夜の草原は昼よりも眩く輝き始めた。

そんな死者の光に照らされる草原に、生者が二人対峙する。
女は悲壮を、男は覚悟を、その顔に貼り付けながら、互いに構えた剣を向け合う。
互いの目に映るのは互いの姿だけ。彼らには周囲の異変などまるで目に入っていなかった。
何故なら彼らはそれどころではない。
他に目を向けている余裕などあるわけがなかった。

一刀と二刀の違いはあれど、その構えには共通した理念を感じさせる。
それもそのはず。彼らは同じ八柳流の道場で共に汗を流し、同じ技を磨いた同門なのだ。
共に神童と呼ばれた八柳流の双翼が、磨き抜いたその技術を互いに向けていた。

一瞬の閃光を散らしながら金属が衝突する。
剣をぶつけ合う互いの心に、かつての日々がよぎった。
同じ道場で汗を流した訓練の日々の中で彼らは絆を含めていった。
哉太は茶子を慕い、茶子も哉太を愛した。
友人としても姉弟弟子としても理想的な関係を築けていた。

だが、今は違う。
哉太は女王を守るため、茶子は女王を殺すためにここに立っている。
目的が相反するのなら命を懸けてぶつかり合うしかない。
この運命の夜、二人は互いに剣を向け合わざるを得なかった。

「やめてッ哉くん! あなたは女王に操られているのよ!?」
「茶子姉こそ、女王を殺そうだなんてバカな真似はやめてくれ」

互いの主張と共に幾つもの弧を描きながら剣が舞う。
金属のぶつかり合う音が楽器のように草原に響き渡る。
舞い散る火花と、刀身が白い光を跳ね返して輝きを放ち、まるでどこかのテーマパークのようだ。

姉弟子である虎尾茶子は、怯えるような瞳で剣を防ぐ。
恐れているのは自らに迫る刃ではない。
彼女の目の前に立ちふさがるのは最愛にして最悪の敵。

茶子の中に沈殿する狂おしいまでの愛と憎。
彼女は誰よりも愛情深く憎しみも深い。
憎悪をなくせば愛情だけが残る幸せな世界。
そのはずだったのに、何故か目の前で愛が牙を向いていた。

茶子は悔しげに音を立てて奥歯を噛みしめる。
道場での修行の日々、共に過ごした時間、その全てが彼女にとって宝物だった。
僅かに残った黄金の欠片がどす黒い斑点に汚されてゆく。

なぜこうなったのか。
元凶は考えるまでもない。
村を侵したウイルスの親玉――女王だ。
感染者の頭に響く卑劣な声によって哉太の意志は捻じ曲げられ、こうして望まぬ戦いに身を投じさせられている。

309Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:02:40 ID:CAQRuEHA0
「………ぁんの腐れ細菌女がぁあ! 絶対に殺してやる…………ッ!」

許し難い女王への殺意を募らせる。
今の彼女にできるのはそれくらいのものだ。
だが、忠実なる女王の騎士はそれすらも許さない。

「いくら茶子姉でも、女王への無礼は赦さない………………!」

弟弟子である八柳哉太は、主君のために姉弟子に向けて二刀を躍らせる。
眷属化。感染者は女王に従う忠実な眷属となる。
今の彼にとって女王の守護は何よりも優先される。
家族よりも、恋人よりも、大切な姉弟子よりもだ。

だからと言って哉太も辛くない訳ではない。
眷属化により女王の守護が最優先されるようになっただけで、八柳哉太としての価値観が全て失われたわけではない。
哉太からしても慕っていた姉弟子が、何よりも大切な女王を狙う不逞の輩だったのだ、思う所はある。

だが、女王への献身は全てに優先される。
己が血も肉も心も、全ては女王の物だ。
哉太は内心の葛藤を押し殺しながらも剣を振るう。
彼には大切な姉弟子を切り殺してでも女王の守護は成し遂げる覚悟がある。
それが望まぬ戦いであろうとも、攻め手を休めることはない。

覚悟を決めた哉太とは対照的に、茶子は後方に後退りながら防戦に徹していた。
茶子も自分自身が及び腰になっているのが分かる。

100人斬りを達成した剣の鬼は恐れていた。
立ち塞がる敵の強さをではない。
自らの敗北による死でもない。

恐ろしいのは自分自身。
それがどれだけ大切であろうとも。
どれだけ大事だったとしても。

きっと、茶子は殺せてしまう。

ひとたびスイッチが入れば誰であろうと斬り捨てられる
親友だろうと、恋人だろうと、恩人だろうと、一切の区別なく。
立ち塞がった100人のゾンビたちのように、何の感情もなく切り捨てられてしまうだろう。

茶子はそんな風に出来上がってしまった。
そんな風に、壊れてしまった。

自分自身がとっくの昔に壊れていることなど知っている。
これまでの人生を振り返ってみても、まともでいられる方がどうかしてるような人生だ。
そんなことは分かっている。

壊れて穢れて終わってしまった自分は間違い続けるだろうけど。
それでも大切な物や大切な人が出来たんだ。
それを守りたいと思う事すら罪なのか?
幸福を求めて、幸せになりたいと願う事すら許されないのか?

そんなはずはないと。
そうではないと、自分自身を何よりも否定したい。
それを否定するためにがむしゃらになって走り続けた人生だった。

だけど、
だからこそ、
何よりも怖い。
自分が恐ろしい。

――――こんなに大切にしている山折村だって、自分は切り捨てられてしまうのではないか?

「…………ッ!?」

金属と金属がぶつかり合う衝撃が茶子の手に伝わる。
手の痺れるような衝撃に意識が強制的に引き戻された。

茶子の体は無意識のうちに哉太の攻撃を防いでいた。
ゾンビとなった特殊部隊と同じだ、心が引けていても体が反応する。
誰よりも憎んだ藤次郎によって叩き込まれた日々の鍛錬と刀が茶子を守護っていた。
だが、それだけで何時までも逃げていられるほど甘い相手ではない。

茶子の迷いを突くように、哉太が一歩前に踏み込んだ。
一切の無駄がない滑らかな足運び。
八柳新陰流の基本を完璧に身につけた動きだ。

八柳新陰流『鹿狩り』
鹿を一撃で狩る鋭く重い斬撃を繰り出す、大きな力を込め相手の急所を狙う一撃必殺。
相手の防御を突き破る強烈な一撃を二刀同時に叩きつける。

しかし、茶子とて八柳新陰流の同門。その動きは知り尽くしていた。
事の起こりを読み切り茶子の体が反応する。

衝突する三つの刃。
剣が交わり火花が散った。
輝く草原に刹那の光が弾けて消える。

八柳新陰流『鹿狩り』の衝撃を『空蝉』にて受け流す。
過去の手合わせではこの手法で何度も防いできた。
完全な防御であったはずだった。

310Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:03:54 ID:CAQRuEHA0
「…………ッ!?」

だが、茶子の体勢が崩れる。
受け流したはずの攻撃が止まることなく降りぬかれる。
茶子の防御は完璧だったが、哉太の力がそれを凌駕した。

受け流しとは100の攻撃を0にする技術ではない。
100の攻撃を80の力を流し、受けきれる20の力に軽減する技術だ。
撃ち込まれた『鹿狩り』は『空蝉』で受け流してもなお、茶子の体勢を崩すだけの重さを持った痛烈な一撃だった。

この地で強敵との度重なる実戦を経て哉太の技前は剣聖の域にまで達した。
奥義を開眼し皆伝に至った哉太は、今や茶子に引けを取らぬ技量を持った使い手と言えるだろう。

互いの技量は互角、ならば明暗を分ける差は純粋な肉体面だ。
満身創痍の茶子に対して回復の異能により常に哉太はベストコンディションを保てる。
加えて、魔聖剣による身体強化によってフィジカルでは完全に茶子を圧倒していた。

もはや茶子にとって哉太は未熟な弟弟子ではなく、格上の相手となっていた。
逃げ腰のまま勝てる相手ではない。
このまま戦う意思を見せなければ死ぬのは茶子の方だ。

「茶子姉…………ッ!!」

体勢の崩れた茶子に向かって赤い剣が奔る。
哉太とて無抵抗の姉弟子を切り殺すのは心苦しい。
だが今の哉太は忠実なる女王の騎士、心苦しくとも剣は鈍らない。

茶子の目の前に死が迫る。
別に生きたいわけじゃない。
汚泥の底を這うような最低の人生だった。
生きること自体に大した未練などない。

だからと言って死にたいわけでもない。
茶子には成すべきことがある。死んでも成し遂げたい夢がある。
自分を救ってくれたこの村を綺麗して、自分の様な誰かを救いあげる。
それを成し遂げるまで死ぬわけには――――。

「――――私は……まだッ!!」

茶子の体が跳ねた。
崩れた体勢を立て直すのではなく、倒れ込みながら降りぬかれた聖刀の下を潜るように自ら跳んだ。
そのまま横回転をしながら、二刀の隙間を縫うように剣を跳ね上げる。
倒れ込んだ体勢で縦に跳ね上げる『蠅払い』を崩した、曲芸『逆風車』が哉太の胴に縦一文字を刻む。

「……くっ」

哉太がたたらを踏んで後方に下がった。
左の腹部から肩にかけて刻まれた傷口から血が噴き出す。
だが、その傷も強化された異能によってすぐさま塞がって行く。

「ようやくッ。まともに戦う気になったか、茶子姉ぇ!」

猛るように吠える哉太の言葉には歓喜の色が含まれていた。
望まぬ戦いであるとしても、一方的な虐殺ではなく剣士として尋常な勝負ができる。
愛する姉弟子との戦いだからこそ、二人の決着はせめてそうあるべきだ。

「ハァ……ハァ……………私は」

心臓の鼓動が聞こえる。
渇きに喉が張り付く。
眼の多くが燃え上がるように熱い。

ああ、そうだ。
目的の前に立ちふさがるのなら、茶子は、きっと。

乱れた息を整える事もせず、刀を構える。
対する哉太は一糸も乱さぬ静かな呼吸で天地に二刀を構えた。
動と静。熱と冷。炎と氷。恐らくこれが互いのベストコンディション。

示し合わせたように同時に駆け出す。
そして、互いの剣が、ぶつかり合おうとした刹那。
横で行なわれている戦闘の余波で地面が爆ぜた。



311Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:04:25 ID:CAQRuEHA0
死で輝く草原にて、八柳流とは違うもう一つの戦いが行われようとしていた。
女王の守護者は騎士である八柳哉太だけではない。
女王には最強、いや最大の護衛がいる。

不気味な静寂が漂う光の中心に起立するのは、圧倒的な威圧感を放つ巨人ダイダラボッチ。
山折村の死を凝縮して生まれた魂の集合体。
全身を輝かせる光の渦が脈動しながら表面を渦巻いていた。
それは清廉な光でありながら、神々しさよりも冥界を思わせる寒々しさを感じさせる。

巨人に対するは魔王殺し天原創。
政府の諜報組織に才覚を認められた若き天才エージェントである。

だが、そんな肩書がこの場においてどれほどの役に立つだろうか。
巨人とは比べるべくもない、悲しくなるほどのサイズ差を前にすれば天才もただ小さな少年でしかない。

しかし、まだあどけなさを残した少年の顔に浮かぶのは諦めではなかった。
その眼には勝利を諦めない強い意志が宿っており。
頭の中ではどう戦えばいいのかシミュレーションが続けられていた。

創が駆け出す。
巨人の手は創の身長よりも遥かに大きい。
振り下ろされてから動いたのでは避けようがない。
この勝負、足を止めた時点で終わりである。

眩いばかりの標的を視界の端に収めながら、斜めに遠ざかるように全速力で駆け抜ける。
殆どバック走のような体勢でありながら下手な陸上部なら追い抜けるほどの俊足である。
そんな体制で止まることなく創はスタームルガーを構えた。
ダブルアクションのレッドホークを流れるように連続で撃ち込む。

重なるように3つの銃声が響く。
3連射された44マグナム弾は全弾命中。
もっとも、これ程巨大な的であれば素人でも外しようがない。
着弾した弾丸が巨人の足の表面をわずかに弾けさせた。

だが、その傷は蠢く光の渦が脈動し、見る見るうちに修復していった。
硝煙を置き去りにしながら落胆するでもなく創は冷静に結果を分析する。
分かっていた事だが、やはり大型獣すら屠り去る大口径も豆鉄砲ほどの効果もないようだ。

やはり、切り札になりそうなのは右手に宿った異能だ。
と言うより、それ以外に効果がありそうな武器が創にはない。

振り下ろされた巨人の手に合わせて触れることはできるだろう。
だが、巨人はこの村で死した魂の集合体である。
純粋な魂は創の右手で消し去れるとは思えない。

希望的な観測をするならば、魔王の力である死霊術を打ち消すことが出来るかもしれない。
だが、失敗すればミンチどころの騒ぎではない。
いや、成功しても最悪、衝撃で創の体は潰されひき肉となるだろう。
やはり質量差がありすぎる、触れた時点でおしまいだ。

撃ち込まれた弾丸を全く意に介さず、巨人が一歩を踏み出した。
まるで山そのものが動いているかのように、それだけの動作で空気が揺れ、轟音が響く。
その一歩が地に落ちると地震のように地面を揺さぶり、草原に巨大な足跡を刻んだ。

そうして、踏み込んだ巨人は山のように巨大な拳を真上に振り上げた。
緩慢な動きに見えるが、それはサイズ差による錯覚に過ぎない。
光を帯びた拳が高速をもって振り下ろされる。

瞬間、まるで轟雷のような空気が裂ける音が鳴り響いた。

光が降り落ちる様はまさしく神の雷である。
空気の壁を打ち破りながら、巨人の拳が地面に叩きつけられた。
その一撃によって地面に衝撃波が広がり、深い亀裂と共に大地を砕いて地形を一変させる。

駆け抜ける創の俊足はその拳の範囲から既に逃れていた。
だが、それでも周囲に伝播するその余波だけで創の体が宙に吹き飛ばされる。
まるで天災のように破壊の限りを尽くす、まさに破壊の化身だ。

草原に投げ出された創は受け身を取りすぐさま立ち上がる。
そして止まれば負けだと言わんばかりに一瞬の迷いなく再び駆け出した。

だが、その顔には若干の焦りの色が浮かんでいた。
ここに来るまで、対女王の準備はしてきた。
しかし、光の巨人は白兎との戦力分析(スカウティング)では登場しなかった要素である。
創にとっても完全なる想定外だ。

312Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:04:51 ID:CAQRuEHA0
いや、想定していたところで何ができたというのか。
あまりにも規格外すぎる。
この怪獣を相手にするには戦車や戦闘機が必要だろう。

目算でも巨人の大きさは50メートル以上はある。
ちゃちなナイフや銃も通用するわけがない。
ヘラクレスでもあるまいし巨人相手に格闘戦など問題外である。
歩兵では戦いにすらならない。

ならばと、創は狙いを変える。
止まることなく駆け抜けながら再度銃を構える。
しかし、今度の銃口の先にいるのは巨人ではない――――女王だ。

直接女王を討つ。
創たちの勝利条件は女王の討伐である。
巨人を無視しても女王さえ打ち取れればそれで勝ちだ。

創は照準の先にある同級生の顔に向けて躊躇うことなく引き金を引く。
だが、放たれた弾丸は女王に届くことなく、上空から差し込まれた巨大な掌に防がれた。
巨大な指の間から見える女王の表情は、何をしようと届かないと言わんばかりの不敵な笑みを浮かべていた。

「…………ちっ」

舌を打つ。
やはり、いきなり王将は取れないようだ。
女王を討伐するにはまず光の巨人を打ち倒す必要があるようだ。
分かりきっていた事だが、珠らしからぬ顔をする女王の態度はむかついた。

「では、ここは任せる。存分に遊べ、我が僕たち」

言って、女王が踵を返して歩き始めた。
この場を立ち去ろうとする女王がどこに向かうのか。
アニカから経緯を聞いている創にはすぐに分かった。
失った願望機の回収。つまり、同じ目的で動いているアニカが危ない。

「ッ! 待てッ!」

すぐさま創がその後を追おうとするが、山のような巨体が間に立ちふさがる。

「くっ…………」

その圧力に後退を余儀なくされる。
その隙に、女王の姿は輝く草原から離れて行き、闇の中に消えていった。
それでもなお女王の後を追うとする狼藉者に巨人が手を振り上げる。

その動作は、先ほどまでとは僅かに違った。
振り上げた手はグーではなくパー。
拳ではなく広げられた掌が蠅でも潰すみたいに地面に叩きつけられる。

空気が炸裂する。
作り出された巨大なクレーターから衝撃波が輪のように広がり、砕け散った地面が波のように隆起する。
なんとか直撃を逃れた創の体は、その破壊の津波に飲み込まれた。

だが、創はその流れに逆らわなかった。
逆らうのではなく自ら流れに乗る様に、地面の隆起に合わせて跳躍した。
発射台から打ち出されるように大きく宙に吹き飛ばされながら、創は身を捻って周囲を見渡す。

砕ける大地の破片が視界を横切る。
常に視野は広く、頭だけは何があっても冷静に。
それが創の叩き込まれたエージェントの在り方だ。

圧倒的な障害を前に、戦略を練り直す必要があった。
巨人の攻撃を避けるだけではいつか疲弊して捕まってしまう。
何か突破口を探すべく、空中で鷹の眼の如く大地を見つめた。

草原にあったのは離れた位置で破壊の余波を浴びながら、それでも止まらず剣を合わせる八柳流の剣士たち。
創には光の巨人が立ちふさがり、茶子も哉太に足止めを喰らっている。
巨人と騎士に足止めを喰らい、女王の後を追えるものはいない。
状況を打開するには、これを解決する必要がある。

313Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:05:18 ID:CAQRuEHA0
「……ッ!」

創は地面を転がりながら着地して、流れるように立ち上がると同時に駆けだした。
無傷ではない、全身に隠しきれないダメージがある。
だが、止まっている場合ではない。

これまで決して逸らさなかった視線を切って、完全に巨人に背を向けて駆け出す。
巨人がその動きを追うように一歩踏み出す。
それだけで創の背後の地面が大きく揺れた。

創は巧みなボディバランスで地震の中を構わず駆け抜ける。
満員電車を全力疾走するかのように。
どこかを目指すように一心不乱に前へ。

だが、創を背後より照らす光の様子が僅かに変わった。
これは光源たる巨人の体勢が変わった事を意味している。
そこに無視してはならない不審な気配を感じとり、創は首だけを背後に返した。
その目が大きく見開かれる。

振り上げられた腕は真上ではなく、捻りを加えた斜め横に掲げられていた。
つまり、次なる一撃は振り下ろしではなく薙ぎ払い。
降りぬかれる巨人の腕は創の疾走よりも圧倒的に速いだろう。
次に腕を振り抜かれた瞬間、創は確実に終わる。

終わりを告げるように、轟と風を切る音が響いた。
一帯を薙ぎ払う巨大な腕に逃げ場などない、人間の足では回避は不可能。
押し出された塊のような風圧が、創の体に叩きつけられる。

だが、薙ぎ払われるはずだった強大な光腕は、創に触れる寸前でピタリと静止した。

その原因は創の向かう先にあった。
駆け抜ける創が向かったのは巨人の下でも、ましてや女王を追った訳でもない。
その足の向かう先には刃を交える2人の八柳流がいた。
より正確に言うならば、ダイダラボッチと同じ女王の守護者である八柳哉太がいる。

大範囲のダイダラボッチの攻撃に哉太を巻き込んで守護者同士を潰し合わせる。
それが創の目論見だろう。

だが、ダイダラボッチは木偶ではない。
同じ女王の守護者たる哉太の姿を認め、創の狙いを読んで自ら攻撃の手を止めたのだ。
創の目論見は失敗に終わった、かに見えた。

ダイダラボッチの手が止まろうと、創の動きは止まらなかった。
急停止した腕の風圧に押し出されるようにして、光る腕に照らされ輝く草原を飛ぶように駆け抜ける。
そのままの勢いで激しく剣を合わせる剣劇の渦中に突っ込んでゆく。

それはちょうど、茶子と挟み撃ちのような形になる哉太の背後を取れる位置である。
互いしか見えていない視野狭窄に陥っている八柳流の二人に視野を広く持った創が突撃した。
2対1でまずは哉太を潰す。それこそが創の真の狙いだ。

「創……………ッッ!!」

だが、哉太がこれに反応する。
2対1であろうとも対応できるのが二刀の強みだ。
鍔迫る一刀で茶子を抑えこみながら、向かい来る創へと赤い聖刀を振り下ろさんとする。
片手であろうとも、剣聖に至った哉太はその一撃を外すまい。

駆ける創に向かって斬撃を合わせる。
迫る創と哉太の斬撃が交差せんとする、その寸前。
創が哉太と鍔迫りをしている茶子に叫ぶように呼び掛けた。

「一瞬でいい! 動きを抑えてください!」
「ッ!?」

茶子が鍔迫りをしていた刀同士を突き合わせながら、絡めるように指を伸ばした。
指取りにより相手の動きを一瞬だけ制する合気技、八柳流『小鳥枝』。
哉太はすぐさま固められた指を解いて振り払うが、一瞬の隙を作るにはそれで十分。

その隙を突いて鬼ごっこやカバディのように、すれ違いざま創が素早く右手で哉太の頭部にタッチした。
攻撃にも満たぬ、ただ触れただけの軽い接触。
だが、ただそれだけで、無敵の耐久力を誇る哉太が意識を刈り取られたようにその場に膝から崩れ落ちた。

眷属化は脳内にあるウイルスの女王を守護らねば自分が死ぬという生存本能に影響されたものである。
ゾンビの一時的に意識を昏倒させたように、ウイルスの動きを一時的に停止させた。
眷属化された哉太の意識はウイルスたちと共に活動を停止した。
風圧に押されそのまま哉太の脇を駆け抜ける創が、通りすがりにガンホルスターを茶子に向かって投げ渡す。

「拘束を!」
「……ッ!」

端的な指示に反射的に反応して、受け取ったガンホルスターを使って茶子が意識を失った哉太の手足をきつく縛りあげた。
同時に、哉太の手から地面に落ちた聖刀神楽と折れた魔聖剣を回収する。

拘束を完了した茶子が大きく息を吐く。
創の機転により哉太の制圧が完了して望まぬ戦いから解放された。
安堵と先ほどまでの冷めやらぬ興奮が混じった複雑な吐息だった。

314Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:05:49 ID:CAQRuEHA0
ダイダラボッチは戸惑うようにその様子を見つめる事しかできずにいた。
象が蟻を踏み分けることなどできないように、ダイダラボッチにとって周囲を巻きこみかねないその大きさは最大の弱点だ。
哉太が周囲にいる限りダイダラボッチは攻撃を躊躇せざるを得ない。
だが、それも長くはもたないだろう。
女王を守護するためなら、同じ守護者を殺してでも構わないという決断に至るまでのわずかな猶予だ。

「茶子さんは女王を追ってください」

その猶予の間に創は茶子へと指示を出す。
茶子の中で女王への殺意は滾っている。
何より、哉太を元に戻すには女王を殺すしかない。
その機会を果たせる要求は茶子にとっても望むところだ。

「だが、どこに向かったってんだ?」
「おそらく、リンさんの所です…………!」

アニカはお守りを回収するためリンの死体がある診療所に向かったはずだ。
リンの名を聞いた茶子が胸を押さえて苦悶するように表情を歪める。

「………………何で分かる?」
「リンさんの持っていた御守りが願望機を発動させる鍵なんです。アニカさんもそれを探しています」

女王とアニカの間で願望機を廻る争奪戦が行われている。
下手をすれば、願望機とそれを発度する鍵を女王が取り戻してしまう。
その言葉だけでそこまでは理解した。

だが、それはつまりリンの下に戻ることになる。
それを考えただけで、どうした訳か茶子の体からは脂汗が滲み動悸が早くなる。
目を背けてきた事実と向き合うことを意味していた。

「急いで…………ッ!」
「くっ……ッ! 分かったよ!」

創の言葉に押し出されるように茶子が駆け出した。
状況は差し迫っている。
女王を追うべきだと言う創の意見は反論の余地はないほど正しい。
女王に願望機を渡してはならないという目的意識が茶子の足を突き動かした。

だが、その去り際、思い出したように振り返り、創へと何かを投げ渡した。
咄嗟にキャッチしたそれは創が渡した発信機だった。

「…………あたしは、その光を辿ってその途中で女王と遭遇した。後は上手くやれ」

それだけを告げて、光から遠ざかるように暗闇の中に向かって行った。
その背を最後まで見届けることなく創もその逆側に向かって駆け出す。
女王を追う茶子の支援のためにダイダラボッチを引き付ける必要がある。

「こっちだデカブツ、追ってこい!」

挑発しながら駆け出す創を追って巨人が動く。
体よく攻撃を躊躇わせる囮に使いはしたものの、出来るのなら哉太が潰されるのは創としても避けたい。
巨人の気を引くように銃弾を撃ち込みながら、哉太から離れる。

女王を追う茶子よりも女王に命じられた創の抹殺を優先したようだ。
その地鳴りを合図に巨人と少年の追いかけっこが再開された。

こうして、茶子は女王を追い、創はダイダラボッチを引きつけるべく走り去った。
誰もいなくなった草原にしばしの静寂が訪れる。

女王を追う茶子を巨人が見逃した理由。
細菌殺しを持つ創の方が女王にとって脅威であったというのもある。
だが、それ以上に理解していたからだ、茶子の相手はもう一人の守護者がする、と。

遠ざかる巨人の足踏みに揺れる草原。
既にこの場を去った2人に気づくことなどできるはずもないのだが。
この場に拘束されていたはずの哉太の姿は、いつの間にか草原から消えていた。



315Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:06:45 ID:CAQRuEHA0
アニカは一人夜空に浮かぶ星を見上げていた。
それは夜の星に思いを馳せるなどと言うロマンチックな理由ではない。
あの星こそがこの村を終わらせるための願望機、願いを叶える願い星なのだから。

この村にこれまでにない異常が起きていた。
先ほどまでアニカの周囲を流れ星のように謎の光が流れていた。
地を這う流星群は一か所に収束され、そこから数キロ離れた遠方からも目視出来る光の巨人が生れ落ちた。
この夜に浮かび上がるように光り輝く巨人は遠近感を狂わせ、すぐそばにいるような錯覚を齎す。

この村でこれ程の異変を起こせるものなど、アニカの知る限り一人しかいない――女王だ。
恐らく、哉太や創が彼女と戦っているのだ。
あの巨人はそのために産み落とされたものだろう。

一体何が起きているのか。
真実を求める探偵としての知識欲が、詳細を確かめに行きたい気持ちを沸き立たせる。

だが、対女王に関しては創に任せた。
アニカが今行うべきは願望機を回収して山折村を正しく終わらせることだ。
それこそがアニカに課せられた課題であり、最大の難題である。

アニカは標的を見上げた。
目測では測りづらいが、少なくとも100mは離れた遥か上空に願い星は浮かんでいる。
アニカの異能テレキネシスは周囲の物体を動かす能力だが、空を浮かぶ願い星はその遥か射程外だ。
仮に届いたところで、どう固定されているのか理屈が不明である以上、引き寄せられるかもわからない。

やはり何らかの飛行手段が必要だ。
飛行。と言う言葉にアニカの脳裏に浮かぶのは女王に連れていかれた高所の光景。
上空に浮かぶ願い星も飛行手段を持つ女王であれば簡単に回収可能である。

そうなっては存在を懸けて願望機を奪取した白兎の覚悟が無駄になってしまう。
この問題は後回しにできない。

この場で回収する手段を考えなければならない。
何か手段はないか。アニカは頭をフル回転させ方法を模索する。

例えば、遠方で光り輝くあの巨人であれば届くかもしれない。
あの巨人を上手くこちらに誘導してその体を登れば、あの星に手が届くだろう。

だが、あんな怪物をどう誘導するというのか?
誘導出来たところで、大人しく登り台になるとは思えない。
どう考えても現実的な方法ではない。

銃などの遠距離武器で撃ち落とす方法はどうか?
100m先にも弾丸なら十分に届く。
上手く地面に撃ち落とすことができれば回収は可能だろう。

だが、それを行うにはまず銃を探すところから始めなくてはいけないし、100m上空に当てられるような銃の腕はアニカにはない。
なにより、当たり所によっては願望機を破壊しかねない。
クリアすべき課題が多すぎる。

異能の覚醒に賭ける。
遠方のアイテムを回収するのにテレキネシスは方向性自体は合っている。
後は射程と強度。これを覚醒で補えることが出来れば回収は可能だろう。

だが、そんな簡単に覚醒できれば苦労はしない。
あるかもわからない覚醒を待つなど不確実すぎる。
方法の一つとして上げるのも烏滸がましい。

用意できる道具で考えれば、布と火種があれば簡単な熱気球くらいなら作れなくもない。
だが、願い星のものとまで届く気球を作ったとして、そこからどう回収につなげる?
紐でもつなげるにしても100m以上の長さのロープなど都合よく用意できるはずがない。

ならば、上空を飛び回るドローンを利用するというのはどうか?
この村の監視のために飛び回っているドローンの存在にはアニカも気づいている。
世界が滅ぶ瀬戸際だ、特殊部隊のとの協力が取れればドローンの利用も不可能ではない。
アームやグリッパを装備したドローンであれば、上空の願望機も回収できるだろう。

今まで出た案の中では一番現実的だが、問題も多い。
どうやって意図を特殊部隊に伝える?
ドローンを換装する時間も必要だ。
なにより、向こうが素直に従ってくれるとは限らない。
やはり実現するのは厳しい。

八方ふさがりだ。
提案と問題定義の自問自答を繰り返すが、どれだけ考えても方策は浮かんでこない。
こう結論付けざるを得ない、今のアニカに願望機を回収する手段はない。

たった一つの真実を見抜く謎解きと違い、これは答えのない問題だ。
前提条件からして不可能問題を解かされている。

だが、不可能を可能にせねばならない。
生き残りはみな女王との戦いに向かっている、助けは期待できない。
その上アニカの把握している範囲では、生き残りの中に願望機回収に有用な異能は存在ない。
これは、アニカ一人で解決しなければならない問題である。
どうする。どうすればいい?

316Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:07:09 ID:CAQRuEHA0
『……カ……アニカ……!』

何かないのか?
焦燥ばかりが加速していく。
そんな思考の海に沈んでいたアニカを、足元の白兎の声が現実に引き戻した。

『周囲を見るんだアニカ……光が』
「What....?」

白兎の言葉に首をかしげながら、その指示に従い周囲を見渡す。
確かに先ほどまで周囲は光の奔流に包まれていた。
だが、既に光は一か所に集約されており、アニカの周囲は薄暗い闇に包まれている。

いや、違う。
遥か遠方で光源となっている巨人とは違う、すぐ近くに別の光がある事にアニカは気づいた。
それは自らの背後、背負っている荷物から放たれたものである。
その光が、先ほど流れて行った光と同種のものだと気づき、アニカはすぐさま自分の荷物を漁った。

取り出した、それは砂金のように美しい一束のグラデーションのかかった金の髪だった。
金田一勝子の遺髪である。
彼女の遺髪が淡い光を帯びていた。

――――人の魂はどこに宿るのか?
歴史上、魂の存在を証明できた研究者はおらず、その答えは未だ不明である。

魂は肉体に紐づくものであるという解釈が一般的だろう。
実際に女王は死霊術によってこの村で死亡した魂を復活させた。
その多くの魂は死した肉体から、淡く輝く光となって浮き上がっていた。

だがもしあるいは、人の魂は肉体ではなく精神(おもい)に宿るとするならば。
ここより遥かに離れた草原で眠る体ではなく、彼女の魂(おもい)はこの遺髪に宿っても不思議ではないのかもしれない。

「ッ…………!?」

強い風が吹いた。
アニカの手にしていた遺髪の一部が、風に攫われる。

金の髪は巻きあがるように風に乗って夜の空に舞い上がった。
自由の翼を広げてどこまでも飛び立つ鳥のように。
渦を巻いて舞い上がる砂金の髪は、天高く浮かぶ願い星に触れた。

瞬間、力強い光があった。
死者たちの放つ淡い光ではない。
何時だって勝ち気で頼りがいのあった彼女の様な強い光が。

強い光にアニカが目を細める。
その瞬間、手の中に確かな重みを得た。
彼女が次に目を開くと、その手の中に奇跡はあった。

『奇跡はその手の中に』

空に瞬く願い星は少女の手に。
それは100メートル以内の対象の位置を入れかえる金田一勝子の異能。
遺髪に触れた願い星は、こうして少女の手の中に落ちた。

アニカの頭脳をもってしても、何が起きたのか完全に理解した訳ではない。
それでもただ一つ分かる事は、死してなお自分を助けてくれた存在があったという事だ。

死霊術によって蘇生された彼女の魂は、女王の招集に応じるでもなくこうして遺髪へと留まり続けた。
そうして今、迷える探偵少女のこれ以上ない助けとなったのだ。

思いもよらぬ助けによって最大の懸念点である願望機は回収できた。
後は診療所に向かってリンの死体から御守りの回収を行なえばアニカに託された任務は完了だ。
ようやく達成困難な難題のゴールが見えてきた。

だが、そこに足音が響いた。
アニカが咄嗟に願望機を抱きかかえるようにして目を向ける。

光を背にした闇の中から現れたのは少女の姿をした一つの影。
幾度も顔を合わせた相手だ。
その存在を見間違うはずもない。

「…………女王!」

女王。そう呼ばれるこの騒動の中心。
創や哉太たちが戦っているはずの相手が何故ここに?
そんな疑問を挟む余裕すらなく、アニカは追い込まれる。

「おや、それは願望機かな?
 私の為に取り戻してくれたんだね、ありがとう。天宝寺アニカ」
「くっ…………!!」

冷や汗をかくアニカとは対照的に。
汗一つ書くことなく悠然と女王は歩を進める。

「では、それを渡してもらおうか、天宝寺アニカ」



317Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:07:37 ID:CAQRuEHA0
「ハァ…………ハァ…………ハァ」

女王を追っていた茶子が診療所まで到達した。
逃げるように立ち去った場所へと自らの足で立ち戻ってきた。
頭痛がする。心臓が痛い。喉が渇く。
過呼吸気味なのは100人斬りとここまで走ってきた疲労だけが原因ではないだろう。

「ッ……ハァッ……ハァッハァッ……!」

診療所の中庭。
そこにアニカと女王がいるという創の予測は外れていた。
ただ、そこには茶子が目をそらしていた悲劇が広がっていた。

周囲にアニカも女王もそれらしい姿はない。
あるのは無惨な二つの首なし■■。

何よりも救いたかった過去の自分。
それを救えなかった現実を突きつけるように、冷たく現実が横たわっている。
それは最低限身なりこそ整えられているが、自分が切り殺した少女と嘗ての自分だった少女だ。

「………………ああ」

何かに気づいたような諦観した声。
それを目の当たりにして、過剰だった呼吸が徐々に落ち着いていく。
灼熱から絶対零度の沼に落ちるような不思議な感覚だった。
温度差に自分の外面が剥がれて堕ちる。

茶子はここで自分自身(リン)を失った。
その現実を認める。

力なく膝をついた。
少女の肢体に向かって震える手を合わせる。
それは祈りを捧げる聖女ようでもあり、許しを請う迷子のようでもあった。

長い祈りの末に顔を上げる。
開かれたその目は先ほどまでの熱狂した色とは違う、虚ろで冷たい色をしていた。
そっと首がなくなったリンの胸元に手をやり、自分が渡した御守りを回収する。

「そうか…………きっと……」

風が中庭の木々の間をそよぎ、葉擦れの音が呟きをかき消す。
刹那。虚ろな瞳が見開かれ、茶子は振り返るよりも早く逆手で刀を抜いて自らの背後を突いた。
赤い飛沫が飛び、鋭い刃が肉を貫く感触が手に伝わる。

背後に迫った気配に気づき、茶子はこれを貫いたのだ。
しかし、その手応えが薄いことに気づく。

彼女が貫いたのは相手の掌だった。
茶子が刀を引き抜くより早く、相手は掌を貫いたまま刀を握りしめる。
相手の指がさらに深く刀を握り込むと血が滴り落ち、地面に赤い斑点を描いていく。

ガッチリと固められた刀ごと手首を捻られる。
僅かに緩んだ彼女の手から刀が完全に抜き取られた。
新陰流の無刀取り、と呼ぶにはスマートさに欠けるごり押しである。

刀を奪われた茶子はすぐに距離を取ろうとしたが、相手の動きはさらに速かった。
相手は一歩前に踏み出し、自らの掌という鞘から刀を抜き出し、抜刀術のようにそのまま一閃する。
茶子は身を翻してその攻撃を避けると、そのまま距離を取って相手の姿を見据えた。
そこに立っていたのは、彼女が予測をしていた通りの相手だった。

「哉くん…………ッ!!」

八柳哉太。
彼女の愛する弟弟子。

だが、哉太は確かにガンベルトできつく手足を縛り上げて拘束したはずである。
そう簡単に外れるような甘い縛り方はしていない。
どうやって抜け出してここまできたのか。

その答えは、縛り付けた手足周辺の破れた着衣にあった。
女王の招集に応じたゾンビたちが自らの欠損を省みず集結したように、女王の命令にはそれだけの強制力がある。
皮や肉を削る痛みを無視できるなら、拘束から脱することは難しくない。
何より、哉太は再生の異能によりその代償を踏み倒せる。

再生の異能と女王の強制力が合わされば拘束は無意味だ。
この不死身の騎士を止めるには、もはや殺すしかない。

刃を奪い取った哉太は、多くの村人を切り殺した祖父の刀を手にした。
一瞬で回復した両手で日本刀を握りなおすと、自らの血を払う。

対する、茶子は哉太から没収した赤い聖刀神楽を構える。
回復してきたとはいえ、茶子の右手はまだ完全ではない。
それ以前に茶子は二刀向きではない。
荷物になるだけの折れた魔聖剣を哉太に回収できない遠くに投げ捨てる。

奇しくも先ほどの小競り合いとは武器交換する形になった。
異なるのは、今度は互いに一刀同士であること。
そして、逃げ腰だった茶子の姿勢が前のめりに変わっていた事だ。

勝負の開始を告げるように渾身を籠めた両手持ちの一撃を互いに打ち付けあう。
炸裂するように、大きな火花が散った。
同時に、茶子の体が後方に数歩押し出される。

318Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:07:50 ID:CAQRuEHA0
渾身の衝突は哉太が僅かに上回った。
やはり力では哉太の方が上。だが、先ほどまでのような絶対的な差はない。
魔聖剣を手放したことにより魔力による身体強化がなくなったからだろう。
差はあるが、それはあくまでコンデイションと男女の筋力差の範疇だ。

打ち合いに押し勝った哉太が更に剣を押し込む。
これに対してすぐさま体勢を立て直した茶子も負けじと剣を合わせた。

そのまま、正面からの激しい打ち合いとなる。
鋭い剣の動きが光の筋を描き、剣が風を切り裂く鋭い音が響く。
刃が交錯するたびに火花が散り、互いの技巧が火花となって空中に舞い上がった。
刀身がぶつかるたびに耳をつんざくような金属音が響き渡り、その音は遠方まで反響する。
その剣劇は踊るかのように滑らかでありながら、刃の一撃一撃には命を奪う確かな意思が込められていた。

一つのミスも許されない攻防は激しさを増して行く。
だが、力だけではなく手数の上でも徐々に哉太が茶子を上回り始めた。

哉太から繰り出されるのは無呼吸での打ち込み。
無酸素運動は体内の酸素を消費して高CO2状態を引き起こし、無理に続ければ最悪意識を失う事になる。
だが、それは今の哉太には適用されない。

二酸化炭素の蓄積は異能により回復されてゆく。
故に、その連撃には際限がない。
加速するその剣は茶子の防御を打ち崩さんとする隙間ない斬撃の豪雨となる。

凄まじい剣圧に追い詰められる茶子。
防ぎきれなかった斬撃に頬や手足の端々が切り刻まれていく。
しかし、その顔に焦りの色など微塵も浮かんでいなかった。

「フゥ――――――ッ!!」

茶子が鋭い息を吐く。
その呼吸に合わせて無呼吸連撃の刹那を縫う神域の斬撃が放たれた。
互いの斬撃は、クロスカウンターのように互いの体を切り裂き合う。

だが、浅い。
哉太の斬撃は茶子の胸元を僅かに裂くに留まり、茶子の一撃も哉太の肩口を僅かに裂いただけだ。
女王の騎士にとっては瞬きの間に回復する程度の傷である。

だが、攻撃の手を止めるにはそれで十分。
剣の雨が止んだ中を茶子は進む。
一瞬で懐にまで踏み込むと赤い打刀で喉元を突いた。

「く……………っ!?」

哉太は軸をズラすように回転して身を転じる。
そしてそのまま竜巻のように回ると、遠心力を籠めて斬撃を放った。

茶子は片手持ちにした刃で哉太の攻撃を受け流すと、同時に空いた手で彼の腕を掴んだ。
虎尾流の開発により、片手剣の扱いに長けるようになった茶子の強み。
相手の回転を後押しするように腕を引っ張り込み体勢を崩す。

そして、そのまま地面に哉太を押し倒すと、転がった哉太の顔面に向けて赤い聖刀を突き下ろした。
哉太は咄嗟に首を動かしその突きを避ける。
同時に馬乗りになろうとする茶子の腹を足裏で蹴とばして引きはがした。

即座に立ち上がった哉太の背に温い汗が伝った。
先ほどまで哉太の殺害を躊躇っていた剣から一変して、容赦や躊躇いと言う物が消えていた。
決して殺したいわけではないだろうが、少なくとも殺してもいいところまで心理的ハードルが引き下がっている。

それはいい。
哉太とて女王の為に茶子を殺す覚悟だ。
ようやく互いは対等になったと言える。

それよりも哉太の頭を困惑させるのは異様な茶子の様子だ。
茶子は激情を剣に乗せる烈火の様な剣風である。
目の前の茶子は深く水底に沈むようである。

哉太を殺す覚悟を決めた?
いや、祖父に向けていた激情のような殺意ともこれは違う。
そんな単純な殺意(もの)ではない。

長い付き合いの中でも、こんな姉弟子は見たことがない。
これが哉太に見せていなかった本当の顔なのか?

元より、無邪気な子供じみた純粋さとアリを踏み潰す子供じみた残酷さを兼ね備えた人だった。
ふとした拍子に大人びた影を帯びることはあった。臆病な攻撃性と強気な虚勢を張る人だった。
人間には誰だっていくつもの顔をもっている。多面性の一つや二つあってもおかしくはない。
だが、そこにパッチワークのような違和感を覚え始めたのはいつからだろう。

目の前の相手は、本当に自分の知る姉弟子か?
そもそも彼女の本当など、どこにあるのだろうか?

茶子の体から緊張は解かれ、脱力したように剣先が揺れる。
それは、いかなる心境の変化か。
虚ろな瞳で独り言のように呟く。

「大丈夫だよ、哉くん…………全部うまくいくから」



319Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:08:06 ID:CAQRuEHA0
「…………Why are you here?」

アニカが前に現れた女王に問いかける。
計ったようなタイミングでピンポイントに女王は現れた。
人一人見つけるのはそう簡単な話ではない。
女王はどうやってアニカを見つけたのか。

「不思議かい? なんのことはない。私は感染者の場所が分かるのさ」

全ての[HEウイルス]は女王を中心に繋がっている。
女王は第二段階に至りその繋がりを自覚的に辿れるようになった。
つまり女王は感染者の位置をある程度特定できる。

「さて、願望機を返してもらおうか」

女王がアニカの抱える願望機に向けて手を差し出す。
だが、そう言われて素直に渡すわけがない。

『…………アニカ、私を置いて逃げるんだ!』
「そういうワケには、いかないでしょッ!!」

白兎にはもはや自力で逃げる力も残っていない。
アニカは願望機と白兎を両脇に抱えて駆け出した。

「逃がさないよ」

そう来ると分かっていたように女王が『魔王』の力である魔法を操る。
放たれた炎が鞭のようにしなり、アニカの背を強かに打った。
しかし、その鞭はアニカに触れた瞬間、パチンと弾かれる。

「おっと、そうだった」

どうでもいい事だったかのように反省の弁を呟く。
高魔力体質を持つアニカに魔法は通用しない。
魔法ではアニカの足を止めることはできない。

「では、異能(こっち)だ」

その場から、女王の体が消える。
『剛躯』と魔力による身体強化で地面が爆ぜるような強烈な踏み込みを行う。

『村人よ我に捧げよ(ゾンビ・ザ・ヴィレッジクイーン)』

生存しているゾンビの異能を再現する異能。
虎尾茶子によってゾンビたちは全滅したが、死霊術によって蘇生した魂によりその効果は持続される。
あの光の巨人がいる限り女王は無敵だ。

「………………うっ」

一瞬で距離が詰まった。
背後に迫る女王が、聖木刀を構える。
二刀は哉太に破壊され達人の技量は失われた。
だが、達人の技量はなくとも、アニカの足止めなど『神技一刀』だけで十分である。

完璧な動作で振り下ろされた一刀。
素人のアニカには避ける術などない。

「……!?」

だが、直撃を受ける寸前で、アニカの体が掻き消えた。
空ぶった手応えを確かめるように女王が手元を見つめる。
振り下ろした木刀には長い金の髪が巻き付いていた。

「位置替え…………金田一勝子の異能か」

村の部外者であったためか村の一致団結には加わらなかったようだ。
女王の招集に応じないどころか、謀反まで起こすとはとんだ裏切り者である。

「ペナルティだ」

そう言って、何かを握りつぶすように女王がギュッと拳を握った。



320Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:08:31 ID:CAQRuEHA0
背後に迫る絶対の死は訪れず、走り続けるアニカの周囲の風景が変わった。
アニカは混乱しながらも足を止めずに走り続けた。
そんなアニカの周囲の風景が一度のみならず連続して変化してゆく。
その内にアニカは自身に何が起きたのかを理解する。

またしても勝子に助けられた。
風で流れた髪から髪へと行われる連続転移。
そのおかげで女王から逃れられ、かなり距離を稼げた。

その感謝を表すように手元に残った数本の遺髪を見つめる。
女王によって死霊術を解かれたのか。
髪に宿った魂の光は、もう夜に紛れて見えないほどに弱まっていた。

『オッホッホッホ!! どうやら私が手助けできるのはここまでのようですわ〜!!
 私の遺髪をツバサに届けて頂く約束に関してはお気になさらず。
 強きを挫き弱きを助ける精神こそが貴族の本懐。それを怠るようではむしろ、ツバサに怒られてしまいますわ!!
 これもノブレス・オブリージュ! そう、ノブレス・オブリージュの精神ですわ〜〜!!!
 それではごきげんようアニカさん。ごめんあそばせ、オッホッホッホッホーーーっ!!』

幻聴と呼ぶにはあまりにもテンション感が高すぎる長セリフを残して、遺髪から完全に光が消えた。
アニカは光の消えた金の髪を握り絞め、心からの感謝を告げる。

「thank you...Ms.ショウコ」

彼女のお陰で願望機は手に入れる事は出来た。
残されたノルマは、御守りの回収だけだ。

御守りの場所は分かっている。
一刻も早く御守りを回収すべくアニカは病院の中庭を目指す。
幸運にも髪の流れた風向きから、既に診療所の近くまできている。
マラソンのラストスパートのように最後の力を振り絞り、アニカは中庭にまでたどり着いた。

「what's happening......?」

そこで行われていた光景にアニカが言葉を失う。
アニカが目撃したのは2つの首なし死体を前に争う仲間の姿だった。

「stop it now!!」

白兎をその場において、慌てた様子でアニカが間に入るように二人を静止する。
だが、割って入ったアニカに向かって赤い刃が迫った。
眉間を貫かんとする一刺しを、横から刃が弾く。

茶子の突きから哉太が守った。
哉太の中で、他のモノの価値がなくなったわけではない。
ただ、女王の守護が優先順位の最上位に上がっただけであり、基本思考は哉太のままだ。
女王のためなら何であれ犠牲にする事も厭わないというだけで、大切な物は大切なまま。
アニカを守るという誓いは哉太の中で生きている。

女王に命じられたのは女王の命を狙う茶子の排除だ。
アニカはまだ女王に敵対するとは限らない。
そんな甘い希望的観測によるものだが、女王である珠を殺しきれなかった哉太のそんな甘さがアニカを救った。

「―――――庇ったな」

地の底から響くような冷たい声。
尻もちをついたアニカの背筋が凍る。
自らに向けて降りぬかれた剣よりも、その表情にゾッとした。

アニカは茶子から距離を取るように離れながら立ち上がる。
そして、哉太と共に茶子に向かって対峙する。

「…………ついにsanityを失ったのね、Ms.チャコ」
「だぁほ。女王に支配されてんのは哉くんの方だよ」

呆れたようにそう言って、見下すような瞳を向ける。
その言葉に、ぎょっとした瞳でアニカが傍らの相棒を見つめた。

「違う。俺は茶子姉が女王を殺そうとするのを止めているだけだ」
「な?」
「………………」

そら見た事かと茶子が告げる。
女王を守護せんとする言動は、アニカの頭にも響く声に屈してしまったのか。
哉太自身は自らの言動がおかしいと言う自覚がなさそうである。

「って、Ms.チャコ! だったら何で私を攻撃したの?」
「戦闘中に割って入る方が悪い」

にべもなく言い切る。
愛する弟弟子と違って、アニカを殺すのにそもそも躊躇いはない。
間合いに入ったのなら攻撃の手を止める理由がなかった。

アニカは哉太からも僅かに距離を取った。
女王の眷属と化した以上、味方とは言えない。
かと言って自分を攻撃してきかねない茶子に近づく訳にもいかず奇妙な三角を作るような位置を取った。

321Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:08:49 ID:CAQRuEHA0
「Ms.チャコはカナタをどうするつもりなの……?」
「さぁな。だが目的の前に立ちふさがるなら斬るしかねぇだろ。安心しろ、今の哉くんならそう簡単に死にゃしねぇよ」
「アニカも茶子姉を止めるのを手伝ってくれ! それともまさかアニカも女王に盾突くつもりじゃないだろうな?」

それぞれが言葉をぶつけ合い、事態が混沌としてきた。
本来味方であるべき3人だったはずなのに、誰が敵で誰が味方なのか分からない。
だが、更にそこに混沌の一駒が追加される。

「―――――おや、そろってるじゃないか」

アニカの背後より現れたその大駒こそが混沌の中心
悔しさに、あるいは殺意に、あるいは歓喜に満ちた声で現れたその名を呼ぶ。

「「「女王――――ッ!」」」

ここが戦場であるとは思えぬほど優雅な足取りで女王が姿を現す。
事実、絶対的な強者である女王にとって、ここは戦場ですらないのだろう。
自らの庭を歩く様に山折村を我が物顔で闊歩する。

勝子に与えられたアドバンテージは時間切れだ。アニカは女王に追いつかれた。
元より女王が正常感染者の位置を特定できる以上、時間の問題だっただろうが。

すぐに御守りを回収して願望機を使うつもりだった。
願いで女王をどうこうできるわけではないが、最期の願いを叶えて願望機が壊れてしまえば少なくとも女王の手に渡ることはなくなる。
そういう計算だったのだが、そこで哉太と茶子の諍いが行われているなど計算外である。

女王が満足そうな視線で3人を見つめる。
感知できる正常感染者は巨人の相手をしている天原創を覗けば、全員がここに揃っている。
その上、女王の求める願望機と御守りもまでもが揃っていた。

「では――――総取りと行こう」

言って、女王が魔力を放出した。
その背後に、鋭く尖った黒曜石の刃と、数時間前に戦鬼が破壊した診療所の瓦礫が浮かび上がる
魔法を弾く高魔力体質の対策として物理攻撃が入り交じった魔法と物理による混合攻撃。

自らの騎士たる哉太ごと、この場にいる全員を叩きつぶすつもりだろう。
哉太は多少の攻撃では死にはしないし、最悪死んだところで構わない。
魂を蘇生させ、『Zの世界』に至るだけだ。

「テメェを殺(と)ればよぉ――――ッッ!!」

だが、それよりも一手早く、茶子が動いていた。
機先を制して魔法が放たれるよりも先に女王へと襲い掛かる。
だが、振り下ろした赤い刃は、まるで読んでいたかのように展開された黒曜石の盾に防がれた。

女王は襲撃者に視線すらやらず口元だけで笑みを作る。
運命視によって茶子がそうすることなど女王にはわかっていた。

奇襲を防がれ茶子が舌を打った。
すぐさま身を引こうとするが、女王が手を振り下ろす方が早い。
それを合図に反撃の刃がガトリングのように一斉に放たれる。

「Ms.チャコ――――――!」

そこにアニカが投げ出すように身を割り込ませた。
自らの体を盾として、茶子に襲い掛かろうとした魔法の剣を霧散させる。
咄嗟の判断による利害の一致、互いが生き残るにはこれしかない。

その予想外の献身を忌々しげに歯噛みながら受け止め、茶子は同時に迫る瓦礫の射出を刃の先で後方へと受け流した。
物理を茶子が、魔法をアニカが防ぐことにより物魔の同時攻撃を凌ぐ。

「くぅ…………ッ!」

だがアニカの小さな体では完全に全てを防ぎきることはできず。
如何に茶子とて、細かな礫まで防ぎきることはできなかった。
致命傷こそないモノの、2人ともそれなりのダメージを負った。

その隙を突いて、女王の騎士が追いついた。
黒曜石の刃に貫かれて体中に穴を開け、射石による打撲と骨折を全身に受けながら、女王の危機に守護騎士は馳せ参じた。

完全に体が再生しきっていない体で、折り重なった2人の少女に向けて祖父の刀を振るう。
女王が現れアニカを攻撃した以上、もはや哉太にとってもアニカも討つべき敵である。
茶子は目の前に被さるようなアニカの背を蹴っ飛ばして離脱させると、打ち付けるようにその一撃を防ぐ。

「ち…………ッ」

だが、無理な体制ではその衝撃を殺しきれず、茶子は倒れそうになりながら後方へと下がる。
哉太がこれを追撃し、そのまま幾度目かの打ち合いを始めた。

蹴っ飛ばされたアニカはそのまま顔面から地面に倒れ込んでいだ。
鼻血を流しながら顔を上げたアニカに女王が迫る。

「貴様の悪運も終わりだな」

茶子の相手を哉太に任せ女王はアニカに標的を定めたようだ。
もはや死者の助けを得られるような奇跡は起きないだろう。
女王の相手はアニカがするしかない。

「死にたまえ、運命乖離者」



322Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:09:03 ID:CAQRuEHA0
八柳流の攻防は初戦と同じく、哉太が一方的に攻め立てる展開になっていた。
茶子は手を出すことなく防御に徹していた。
だが、それは及び腰だった初戦とは違う。
何故ならその目は、強かに何かを狙っている狩人の眼をしていた。

哉太もそれには気づいている。
だからこそ、一方的に有利な展開でも警戒は怠らない。
目の前の相手の厄介さは誰よりも知っているのだから。
哉太は油断なく相手の出方を伺いながら、反撃の隙など与えぬように激しく剣を打ち付け続ける。

茶子はアニカに対する哉太の反応から相手の弱点を見出していた。
いや、見出したというより最初から知っていた事である。
だからこそ次の一手で、茶子はその弱点を突いた。

哉太の放つ渾身の一撃に対して。
茶子は、無造作にポイと刀を投げ捨てた。

「なっ…………!?」

完全なる無防備を晒した茶子に対する一瞬の戸惑い。
女王の洗脳状態にありながらアニカを庇った。
その行動(あまさ)から、茶子は哉太に隙が残っている事を理解した。

武器を捨て自らの隙を晒す背水の陣。
このまま切り捨てられてもおかしくはない。

だが眷属化しようともその性根の甘さは変わっていない。
剣士として対等な斬り合いに躊躇いはなくとも、無抵抗な相手、ましてや愛する姉弟子を斬ることを哉太は躊躇う。
最終的に斬るとしても、消しようのない一瞬の躊躇いが生まれる。

生まれたその一瞬の躊躇いを突いて、茶子が行ったのは頭突きだった。
頭蓋骨の一番固い所で鼻頭を打った。哉太の鼻骨が折れ鼻血が噴き出す。
一瞬で再生するとしても鼻血がなくなる訳ではない、鼻呼吸を封じられた。
どれほどの再生力を持とうとも顔面に強い痛みを感じた人間の反射として、眼を閉じ涙が滲む。

驚きと痛みで相手の動きが止まる。
その隙に茶子が刀を持った哉太の右手首を掴み、そのまま腕を自分の脇に引き込みながら飛びつくように体を預ける。
そしてまるでスローモーションのような動きで空中で脚を相手の首に絡めた。
右脚が相手の首を捕らえ、左脚は相手の右腕の下を通してしっかりと固定する。

戦国の世における武士の合戦であっても、刀が使えなくなった時に最後の手段となるのは体術である。
柔術の起源となる武士の組討のように、対剣術を想定した素手格闘の心得は八柳流にも存在する。
己の中の殺意と殺したくないという気持ちの折り合わせる、刀ではなく素手での殺し合い。

飛び付きから腕ひしぎに移行して、全体重をかけて地面に背で着地する。
その全ての勢いを極めた右腕に押し付けるようにして腕をへし折る。
強力な再生力を持つ哉太にとって腕の骨折など物の数ではない。
だが、一時的に握力の緩んだ手から刀が滑り落ち、夜の静寂に転がった。

そして哉太の折れた腕が捻られると同時に三角絞めの形が完成した。
頸動脈に強烈な圧力がかかり哉太は真っ赤にした顔面に血管を浮かび上がらせる。
だが茶子の握力は完全ではない、クラッチが効かない右手を引きはがさんと口端に泡を浮かべながら哉太が足掻く。
それを断ち切るように茶子は再生を始めた折れた腕を捻り上げる。

「ッッぅがああああああああああああ!!」

獣のような咆哮を上げて、折れた腕に構わず力を籠めて動かす。
女王の命令による強制力は自傷すら厭わない。
だが、正気の麻痺したゾンビたちと違って哉太には痛みが残っている。
それでもなお、激しい抵抗を続ける。
一撃で意識を奪い取った創の異能が恋しくなる程の恐るべき精神力と耐久度だ。

「チィ…………ッッ!」

茶子は痛みでの抑制を諦め、足での頸動脈の締め付けを強めた。
哉太の意識が僅かに白み、視界が次第に狭まって行く。
だが、意識を失う前に哉太は最後の力を振り絞った。
足元に力を込め折れた腕を引き上げ、まるで木の根を引き抜くかのように茶子の体ごと持ち上げる。

体が空中に浮かび三角締めによる締め付けが一時的に解かれる。
哉太は自らの腕にしがみつく茶子の体をそのまま地面に叩きつけんとした。

だが、茶子は即座に身を捻った。
叩きつけられるよりも早く振り子のように頭を振って、体重移動で相手の体勢を崩しにかかる。
折れた片腕では人一人を持ち上げるのが限界だったのか、哉太が倒れこみそのまま2人の体は揉み合うように地面を転がった。
転がりながらも茶子は哉太の手を完全に離さず、再び足で首を締め上げ三角締めの体勢に戻る。
哉太も再び抵抗を続けた。2人の剣士のグラウンド攻防は繰り返される。



323Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:09:51 ID:CAQRuEHA0
「さあ、願望機を渡したまえ」
「……あら、渡したらmissしてくれるのかしら?」

手を差し出しながら女王がにじり寄る。
全身にかいた冷や汗を隠しながら願望機を持ったアニカがジリジリと後退った。

「まさか、運命の見えない障害は消しておかないと」
「だったら――――negotiationになってないわね!」

周囲に髪が舞った。
それを見た女王の思考に一瞬位置替えがよぎり、無意識に髪の行く末を目で追ってしまった。

だが、舞ったのは金ではなく銀。
放送局で回収され雪菜が後生大事に抱えていたスヴィアの髪だ。
雪菜の死体の近くに散らばっていた髪をテレキネシスでばらまいたのだ。

既に死霊術は解除され魂は消去されている。いずれにせよ位置替えは不可能なはずだ。
だが、先ほど一杯食わされた記憶がちらつき、一瞬の思考の隙は生み出せる。
その隙を突いてアニカはラグビーボールのように願望機を抱えて走り出す。

「おっと、どこに行こうというのかな?」
「ッッ!?」

だが、一瞬で目の前に回り込まれた。
速すぎる。根本的な運動能力が違いすぎる。
異能と魔力で強化された女王の脚力は人の域を遥かに超えていた。
女王が無造作に突き出した聖木刀がアニカの左肩を直撃する。

「っぅうあああああああああああああああああああッ!!!」

アニカが悲鳴を上げて地面を転げまわった。
左肩が脱臼した、その手に抱えていた願望機が零れ落ちる。
走っていた勢いもあってか、願望機は遠くまで転がって行った。

「やれやれ。手間をかけさせないで欲しいものだな」

面倒そうにつぶやくと、女王は倒れたアニカを無視して願望機を拾いに向かった。
左肩を外された激痛に、アニカは動くことが出来ない。
このままでは願望機が女王の手に渡る。
そうなってしまってはもはや取り返す術はない。

『……ニカ…………ッ!』

全てが霞む痛みの中で、遠くから声が聞こえる。
地面に這いつくばりながら視線を動かせば、そこには半透明の白兎が何か咥えて必死にこちらに向かって駆けている姿があった。
既に力の殆どが失われた白兎には持ち上げることすら叶わないのか、必死に地面を引き擦りながら何かを運んでいる。

『アニカ……この剣を!』

それは茶子が投げ捨てた魔聖剣だった。
茶子からすれば折れた剣でしかない価値のないもの。
だが、彼女たちにとっては今この状況を覆す唯一の手段だ。

アニカが手を伸ばす。
だが、距離は遠く届かない。
もはや白兎にはそこまで剣を運ぶ力がない。

「こ……………のっ!!」

足りない距離を異能で引き寄せる。
テレキネシスはアニカの筋力に比例する。
アニカの筋力では西洋剣を引き寄せるのに一苦労しただろうが。
刀身が折れて軽量化された魔聖剣はすぐさま引き寄せられ手元に収まる。

『その名を呼ぶんだ!』

白兎が叫ぶ。
聖剣より生まれた魔聖剣は失われた魔王の娘と同じ名を冠している。
そこに名探偵が推理した犯人を告げる。

祈り望むその先にあるもの。
すなわち。

「――――――――――デセオ!!!」

Deseo(デセオ)。
スペイン語において願い、願望。あるいは希望を意味する。
魔王に攫われた女神が産み落とした不貞の子。
絶望の中、産み落とした我が子に女神が授けた絶望の底の希望(デセオ)。

真名を解放された、その力が解放される。
折れた魔聖剣の刀身が魔力の光で覆われ一瞬で復元された。

「何だ…………?」

異変に気付き、願望機に手を伸ばしていた女王の手が止まる。
瞬時に振り返らねば不味い事が起きる、その予感に従いすぐさま振り返る。
するとそこに、白黒が入り混じった光と闇の螺旋があった。

324Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:10:18 ID:CAQRuEHA0
『…………おお』

同じく白兎もその光景を見ていた。
その奇跡のような光景を見届けて、白兎が赤い双眸から涙をこぼす。
それは悲しみによるものではなく随喜の涙だ。
その名を聞き及んだ白兎の脳裏に摩耗した記憶が思い出される。

滂沱の涙をこぼす白兎の体が透明度を増して行った。
白兎の存在は己が願いに捧げられた。
気力だけで保っていたその存在が消えてゆく。

彼女たちならきっと成し遂げるだろう。後は願いを託すのみだ。
白黒の閃光に照らされながら、白兎が満足したように消えていった。

アニカは高魔力体質と言う異能を持っていたが、それは大量の水を持つ蛇口のない貯水タンクのようなものだ。
外に出す方法が分からず体内で巡らせ防御に使う事しかできなかった。
だが、その蛇口を手に入れた。

――――デセオ。
その剣は魔と聖の二つの属性を合わせ持つ魔聖剣である。
魔聖剣に籠められた魔力とアニカの高魔力体質と言う二つの強力な魔力が合わさり二色の光となって放出される。

「――――――――はぁぁああああああっ!!」

アニカが振り下ろした刀身から白黒の極光が放たれた。
触れる物すべてを呑み込む魔力の奔流が女王の体を一瞬で飲み込む。
光の線が奔ったその過程の全てが消し飛ばされ、女王の手にしていた魔聖剣の父たる聖木刀は消し飛ばされる。

「ぅ…………くッ!?」

だが、二重魔力で身体能力が強化されていても片手では大量の魔力放出に耐え切れず、アニカが勢いに負けて後方に倒れこむ。
極光は上空に向かって逸れながら背後の診療所にまで達し、直撃を受けたその壁が跡形もなく消失する。
粉塵と瓦礫が空中に舞い上がり、辺りは視界が遮られるほどの煙に包まれた。

極光が消え、風に流れた煙が晴れる。
身を起こしたアニカが煙の晴れた先を見る。

そこにあったのは黒曜石の盾を構えた女王の姿だった。
魔力流は盾によりを防いだようだが、閃光の熱波までは防ぎきれず、女王の全身は赤く焼きただれていた。
だが、焼けた女王の皮膚が超速で再生を始める。

「……面白い。やるではないか」

再生を完了した女王は不敵に笑った。
ただの狩られるだけの兎だと思っていたアニカを、ここに来て初めて敵として認めた。
二重魔力と言う強力な力を目の当たりにしながら、女王の余裕は崩れない。

アニカの放つ白黒魔力砲は凄まじい火力だった。
アニカの体勢が崩れなければ女王とて無事では済まなかっただろう。

だが、その強力すぎる力をアニカはまだコントロールできていない。
先ほどの一撃だって茶子や哉太を巻き込まなかったのは奇跡だ。
仰向けに倒れて上空に逸れたからよかったものの、下手をすれば地面に転がる願望機すら消し飛ばしてしまった可能性もある。

それでもアニカには高魔力体質による防御もある。
生半可には攻略できない強敵となったことに変わりはない。

だが、それは『魔王』が扱う魔法の力に限った話だ。
女王にはまだ、『女王』が生み出した異能の力がある。
女王は先ほど茶子が放り投げ地面に落ちていた、聖刀神楽を拾い上げる。

生きたゾンビの異能を再現する日野光より受け継ぎし異能『村人よ我に捧げよ』。
村中全てのゾンビの魂は蘇っており、光の巨人として成立している。
対象を深く知る必要があるという条件設定も、魂で繋がる女王であれば簡単にクリア可能だ。

つまり理論上、あの光の巨人が健在である限り女王は1000を超える全ての異能を使用可能である。

「――――――では、見せてあげよう。細菌とこの村(せかい)を統べる女王の真の力を――――!」

神々しい光を背に、女王が両手を広げた。
新たな太陽たる、あの巨人こそ山折村の結晶。
外の世界にも新たな山折村を築き、細菌を進化させ魂の集合体たる光の柱を築き上げる。
生死を超えた果てにある『Zの世界』で、女王は真の支配者となるのだ。

全てを蹂躙する女王の真の力が開放される。

瞬間。

女王の背後で、太陽が弾けたような爆発が起こり、閃光が夜を白に染め上げた。

325Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:10:38 ID:CAQRuEHA0
だが、

「なっ……んだ…………ッッ!!?」

驚愕の声は女王の口から洩れた物だった。

つまり、この異変は、女王が引き起こしたものではない。
女王が戸惑いの声を上げながら、狼狽した様子で己が背後を振り返った。
そこに在ったのは、ここからでも見える光の巨人が爆散する姿だった。

あっけにとられたように口を開いた女王の顔に滲む困惑と驚愕。
遠方の煙上げる上半身を失った光の巨人と目の前のアニカを交互に睨み付け、最後に遠くに転がる願望機を見つめた

確かめるように目を細める。
光の巨人が爆散したことにより、夜に闇が戻った。
夜の闇に紛れて願望機の位置はよく見えなかった。

それで理解する。
女王の扱う異能から『暗視』が消えていた。
それだけではない、魂の集合体である光の巨人が破壊された事により全ての異能が使えなくなっている。
それは、本当にあの絶対的な光の巨人が撃破されたことを意味していた。

だが、それはあり得ない事だ。
天原創に山折村の魂の集合体であるダイダラボッチを倒す手段はない。
それが女王の見た天原創の運命だった。

あり得ない、あってはならない事が起きた。
完璧なシナリオが崩れるのは許し難い。
何が起きたのか、確認せねばならない。

苦々しく表情を歪ませながら、目の前のアニカを視線だけで呪い殺せるほどの殺意を籠めて睨み付ける。
魔聖剣デセオの力を得たアニカは簡単に倒せる相手ではなくなった。
そんなアニカを相手にしながら願望機の回収ができるような余裕も現在の女王にはない。
『魔王』の力だけでは互いに決め手を欠く千日手になるだろう。

「…………預けておく」

捨て台詞のようにそう言って、女王は走り去っていった。
アニカもそれを追う事はしなかった。

デセオを手にして圧倒的な力を得たように見えるがアニカにもそれほど余裕はない。
その力を完全に制御できているとは言い難いし、肩の外れた左手はプランと垂れ下がっている。

まずはこれを治さねばならない。
脱臼の直し方は知識としては持っている。
まさか自分で実行する羽目になるとは思わなかったが。

「…………ふぅう」

息を吐き痛みで強張る体を出来る限り脱力させる。
脱臼した肩をゆっくりと体の前に持ってきて適切な位置を探った。
そして、もう片方の手で脱臼した腕の肘を軽く持ち上げ、強化された筋力で一気に腕を引く。
ゴキンという音と共に激痛が走り、アニカの顔が歪む。

凄まじい激痛だったが肩が元に戻る感覚はした。
肩の骨にヒビが入っていているのかまだ強い痛みはあるが、指を動かすことはできる。
このまま一休みしていたい気持ちがあるが、一息つく間もない。
アニカは先ほどの魔力砲で吹き飛ばされた願望機を回収すると哉太と茶子の援護に向かった。

326Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:11:17 ID:CAQRuEHA0
剣士たちの戦いはいつの間にか寝技の戦いに持ち込まれていた。
アニカは格闘技に詳しいわけではないが、完全決まったはずの三角絞めが今にも引きはがされようとしているように見えた。
腕が折れようが頚動脈を絞められようが再生力と耐久力でごり押す、とんでもない力技だ。

「…………助けろ!」
「I know!」

援護要請にアニカは応じる。
だが、二重魔力による魔力砲は威力が高すぎる。
アニカもそれなりの修羅場は潜っているが直接戦闘、ましてや魔力を放つ剣など扱ったことがない。

アニカは完全にデセオの力をコントロールしきれていない。
出来ることは蛇口を捻って0か100の水を出すだけ。
下手をすれば茶子はおろか、再生力を持つ哉太すらも完全に消し飛ばしかねない。

アニカ自身の気質からして処理能力と精密動作に優れており、大雑把な大出力には向いてないのだ。
そういう意味ではデセオの高魔力砲とは相性がいいとは言えなかった。

だが、構わずアニカが魔聖剣デセオを両手で握り絞め、二重魔力を高めた。
アニカの力はデセオと高魔力体質だけではない。本来のアニカの異能はテレキネシスである。
大魔力の放出をコントロールできないのなら、コントロールできるようにチューニングすればいい。

アニカを扇の要にするように何重もの白と黒の細い光の線が空に奔った。

魔力戦以前に戦闘行為に不慣れなアニカでは蛇口から出る魔力量は調整できない
ならば蛇口から出る量を調整できないのなら、1000の魔力を1×1000に分割して放出する。
1の魔力ならばテレキネシスで制御できる。

並列処理ならばアニカの領分だ。
アニカは放たれた千本の魔力を異能の力で一つ一つ精密に操作していく。
幾つかの束になった魔力光が触手のようにうねる。

触手は茶子ともつれ合う哉太の手足に巻き付いてその体を拘束した。
強い再生能力を持つ哉太は多少の拘束ではトカゲのように自切しかねない。
求められるのは生かさず殺さず全身を押さえ続ける術である。

その隙に茶子が引きはがされそうだった三角絞めを完全に解いて袈裟固めの体勢に移行する。
柔道の抑え込み技と魔力の束による手足の拘束。
2人の少女による女王の守護者を完全に抑え込んだ。

「離せ……ッ! 離せぇッ!」

だが、これを受けてもなお女王の守護者たる哉太は拘束を解くべく暴れまわる。
一瞬でも気を抜けば飛び出さんばかりの暴走ぶりである。

「……ッ。いつまでやってりゃいいんだ、これッ!?」
「この事件が終わるまでよ!」



327Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:11:47 ID:CAQRuEHA0
草原から女王や茶子が去りし後。
村の意志の集合体たる光の巨人と、それに立ち向かう小さな人間の追いかけっこは続いていた。

親の交代もないタッチ一つで終わる最悪の死の鬼ごっこ。
少しでも足を緩めれば追いつかれる相手に常に全力疾走を強いられる。
それでもなお攻撃の余波は身を削り、繰り返すたび小さな人間は疲弊して行く。

逃げる創の神経も体力も限界に近い。
ここまでの激戦により積み重ねられた疲労を思えば、ここまで粘っただけでも驚異的だろう。

対して、巨人に衰えはない。
当然だろう。手を振り上げて落とすだけなのだ、大した疲れなどあるはずもなかった。
そもそも疲労などと言う概念があるかすらすら怪しい。
このまま追いかけっこを続けた所で、どうなるかは火を見るよりも明らかだ。

だが、これほどの絶望的な状況にありながら、創の目は死んではいなかった。
何故なら既に二つの希望の光は彼の手の中にあるからだ。

一つは茶子より返却された発信機だ。
何者かの存在を示すように光は点滅している。
これは目的のない疾走ではない、希望の光に向かって駆けだしていた。

そしてもう一つの光。
創は懐に手をやると、取り出した切り札のスイッチを押した。

次の瞬間、創の手元から光が剣のように鋭く伸びた。
巨人の放つ淡い光を切り裂くような強い光が一直線に巨人に向かって進んで行く。
そして、レーザービームのような白い光の先端が巨人の顔面に直撃した。

それは雪菜から回収した何の変哲もないマグライトだった。
マグライトの光を巨人の顔面にぶち当て、光を照らす。
だが、巨人はその光をまるで意に介さずそのまま進んでくる。

巨人に元より視力などない。
人間の魂の集合体である巨人は魂の元の形を再現しているだけである。
形だけが再現されているだけで五感は機能しておらず、目つぶしをしたところで意味はないのだ。

しかし、少年は怯むことなくマグライトを巨人に向けて照らし出した。
マグライトの光を剣のように振り回し、巨大な光の巨人に向かって何度も何度も振り下し続ける。

だが、光の剣は巨人に当たるたびに虚しく消え去り、何の効果もない。
少年の努力を嘲笑うかのように巨人はそのまま地ならしと共に突き進むと、祈るように両手を合わせた。
そして、合わせた両手を月にすら届きそうな勢いで上空へと振り上げる。

ダブルスレッジハンマー。
光の巨人の一撃は片腕でも地形を変えるほどの破壊力を持つ。
それが両手合わされば、どれほどの威力になるのか想像すらできない。
今回ばかりは回避したところで余波だけで小さな人間など容易く死ねるだろう。

逃げる事を諦めたのか、それとも疲労の限界か、創はその場に足を止める。
1秒後の死を前にしてもなお、創は夜空に絵を描くように光を振り回し続けた。
そんな無意味な行為を続ける少年に向かって、破壊神たる巨人から絶対の死が振り下ろされた。

だが、それよりも一瞬早く。

――――――地平線の彼方から彗星が疾駆した。

遥か遠方の草原に閃光が走り、夜を切り裂くように天を目指して昇っていく。
それは遡るように地から天に向かって流れる願い星の如く。

彗星の尾を引く赤い炎が夜空を裂き、空気を震わす轟音と共に猛烈な勢いで光の巨人へと向かって突き進む。
彗星は瞬く間に草原を駆け抜け、巨人との距離を一瞬で縮めた。
閃光が巨人の胸部に命中する。

瞬間、世界が一変した。

筆舌に尽くしがたいほどの凄まじい衝撃が世界を揺るがす。
爆発音は地響きを伴い、村全体を揺るがせた。
音を超えて広がる衝撃波は周囲の草木を根こそぎ吹き飛ばしながら大地を捲り上げてゆく。
まるで大地震が発生したかのように地面は脈動し、灼熱を含んだ空気は舞い飛ぶ草木を蒸発するように燃やし尽くしていった。

そして、偽りの月の終わりを告げるように、太陽が爆発したかのような光が夜空を染め上げる。
爆炎は暗闇を一瞬で焼き払い、周囲を白昼のように照らした。

撃ち放たれたのは一撃にて、この世の終わりの様な破壊を齎す破壊兵器。
血塗られた兵器開発の歴史の果てに生まれた、歩兵が運用できる最強の兵器――ロケットランチャー。
兵器開発の歴史とは、人がより効率的に、最大的に人を殺すために積み重ねてきた業の歴史だ。
だが、その業が世界を救う事もある。

328Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:11:57 ID:CAQRuEHA0
茶子は言っていた。
発信機の信号を追っている途中で女王と遭遇したと。
それが指し示す意味はひとつ。
茶子と女王を結ぶ直線上にハヤブサⅢの発信機を持つ人間、つまりはハヤブサⅢを殺した特殊部隊がいるという事だ。

女王を守護する光の巨人の存在は特殊部隊としても無視できないはずだ。
創は光点から狙撃可能な位置まで相手を誘導するとともに、マグライトによって観測手の役割を果たしていた。
伝えていたのは周囲の風向きと強さ、そしてその巨大さ故に遠近感が薄れてしまう巨人との正確な距離感である。

「くっ…………!?」

だが、大きな想定外が一つ。
その爆風は、巨人に挑んでいた少年にも容赦なく襲いかかった。
特殊部隊なら狙撃銃くらいの装備はあるだろうという想定の行動だったが、これは余りにも威力が高すぎる。
明らかに国際人道法に違反した破壊力である。

爆風と熱波に巻き込まれるだけで命を落としかねない。
創は匍匐体勢で目と口を守りながらなんとか爆風に堪えようとするが、あえなく小さな少年の体は吹き飛ばされ空中に舞い上がった。
暴力的な爆風に少年の身体は無力に翻弄され、地面に激しく叩きつけられた。

「っ……………ハッ………ッ!!」

もみくちゃにされながらもギリギリで受け身は取ったが、それでも衝撃で息が詰まり全身が痛みに包まれた。
熱風で全身の皮膚が火傷でもしたように赤くなり、喉の奥も僅かに焼けてしまったのか呼吸をするだけで小さく痛みが走る。
だが、それでも創は生きている。

爆風の影響が収まったのを確認して、痛みを堪えながら四つん這いの体勢で創は顔を上げた。
見上げた先、そこに在ったのは、上半身が弾け飛ぶように消滅したダイダラボッチの姿だった。

腰から下だけになった巨人は、炎煙を上げながらそのまま崩れ落ちるように倒れた。
大きな地鳴りと共に倒れた下半身が結合を失った光の粒子となって砕け散る。
そして、爆発によって天に打ち上げられた魂の破片が、無数の輝く粒子となって祝福の雨のように草原に降り注いだ。
白熱する光の残骸の一つ一つが星屑のように煌めきながら、降り注いだ大地の上で儚く光を放っていた。

その光の粒は焼き払われた草原の代わりに大地を覆い尽くし、幻想の世界を創り出した。
砕けた人間の魂で作られた星の草原。
それは、この世のものとは思えない、息を呑むほど美しい彼岸の景色だった。

「くっ………………ふぅ」

死後のような世界で眠ってしまいたい気もするが、全身が悲鳴を上がる体に鞭打ち、創は立ち上がる。
何故なら、まだ最後の戦いが待っている。

守護騎士は打倒した。
ならば、彼女はきっとここにやって来る。

待ち合わせでもするように、この美しく輝く草原でクラスメイトの少女を待った。



329Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:12:42 ID:CAQRuEHA0
「マズ、大前提としてダネ。今回発生したのはバイオハザードではナイ。女王の意思をもって行われたテロ行為であるという点だヨ。
 外部に漏れ出したのは我々の作り出したウイルスではなく、女王の先兵(ウイルス)だという事だネ」

山折村から離れた東京の研究所で、細菌学の権威たる老研究者は語り始めた。
女王が山折村から世界に向けて行ったのはバイオハザードではなく細菌テロである。
それだけ聞くと猶更まずい状況に聞こえるが、この場に居る彼らの理解は違う。

「つまりは、女王は事態を制御できるという事でしょう?」

それは奥津も考えた結論だ。
制御者がいるという事は、事態はアンコントローラブルではない。
それは捉えようによってはメリットである。
状況を制御できるのなら解決の算段も立てられる。

「ですが、女王がこちらの軍門に下ることなどありえないでしょう?」

根本的な問題はそこだ。
仮にも計画を仕掛けた敵の首魁がこちらに素直に従う訳がない。
実現不可能な方法は卓上の空論でしかなく解決策とは言えない。
ここにいる人間はそんな甘い絵空事を語るような連中ではないはずだが。

「ソウだろうネェ。ダガ重要なのハ、命令権限を持つ管理者がいるという事だヨ。コレは珍しいコトだよゥ……!
 細菌の繁殖や共生に相互作用がアル事はあっても、明確な上下関係があるなんてのはこのワタシでも聞いたことがナイ!
 何せ細菌には明確な意思がないからネ。細菌の動きは現象に伴う化学走性(ケモタキシス)でしかないのだから当然と言えル。
 ダガ、『HEウイルス』はその前提を覆す『意思』を持つウイルスだっタ。絶対的な命令関係が存在スル!!」

ゾンビたちが女王を守護るのは細菌の化学走性によるものだと考えられていた。
だが、女王の覚醒が第二段階に至った事により明確な命令系統がある事が女王の口からはっきりと語られた。
これ自体が学会を揺るがすとんでもない大発見である。

「女王の宣戦布告を信じるのであれば、感染源である[A感染者]の指定に加えて、正常感染率の調整まで行えるようですね」

女王の宣戦布告には女王の指定、正常感染率の申告が含まれていた。
感染者の指定が行われた事に関しては他ならぬこの女研究員が証明だ。
ウイルスを発する女王になったかは見た目ではわからずとも、異能の消失と言う明確な変化がある。

「素晴らしイィじゃないカ! ソレはウイルスの発症を操作できる証明に他ならナイ!
 バラ撒かれたのは細菌が生み出した細菌と言う訳ダ。イヤァ、面白いナァ、実に興味深いヨ!!」
「いきなりテンションを上げるな百之助。流石の俺も引くぞ」
「そもそも、正常感染の確率は制御出来ないものなのでは?」

それが制御できるのなら山折村のゾンビは生まれていない。
何より、研究所の導き出した正常感染率は過去の動物実験から統計的に割り出したものだ。
それでも2〜5%というブレがある。事前に言い当てられるものではない。

「イヤイヤ、ソレは昨日までの話サ。適合条件は先ほど判明しているヨ。
 詰まる所、正常と異常の判定は細菌タチの選り好みであったワケだけド。
 ウイルスと対話可能な女王であれば、正常感染率は制御できるはずだネェ」
「つまり、女王の宣言した1%は女王が明示的に設定した1%だという事ですか?」
「ふむ。そうなると一つ気になるところがあるな」

染木と奥津の話に終里が疑問を挟んだ。

「何故――――1%なのだ?
 本気で共存を望み自らの有用性を示すのなら100。本気で人間に敵意を示しただの苗床にしたいのならば0。
 それ以外になかろう。少なくとも俺なら0にする」

何故1%なのか。
女王が自分の意思で設定したのならそこには意図があるはずだ。
少なくともその設定値は終里の思想とは合わない。
この疑問に女王の姉妹たる長谷川が答える。

「山折村を再現したかったではないでしょうか。
 言動から[HE-028-Z]は山折村を自分たちの進化と繁栄の場と捉えている節があるように見受けられます」
「より良い進化のために、より過酷な地獄を。と言うことか。
 同じ環境を整えたところで同じ結果になるとは限らぬのだがな、かわいらしい発想ではないか」

その悪辣さが気に入ったのか終里は満足げに笑う。
細菌の未来のため、人間の地獄を作り上げる。
その思想はやはり人と相容れないものだ。

「ともあれ、正常感染率は奴の意図に沿った設定になっていると言うことだな」
「そのようですね」

感染者や感染率を制御できるのであれば、事態を収めることもできるだろう。

330Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:13:02 ID:CAQRuEHA0
「女王が状況をコントロールできるのはわかった。だが、奥津くんの懸念する通りだ。
 人間を自らの糧としか考えていない女王がこちらに従うことなどありえない。
 どうすると言うのだ? 考えを言え百之助」
「言ったダロウ? 命令権限を持つ管理者がいる事こそが重要なのダト。
 ソノ命令者は必ずしも女王である必要はナイ」

理屈としてはその通りだ。
だが、その制御権がこちらに渡らなければどうしようもない。
何かスイッチの様なものがあって無理やり奪い取ればいいと言う話でもないのだから。
疑問符を浮かべる3人に向かって染木は一つの問いを投げかける。

「考えてみたまエ。『HEウイルス』は何から生まれたものなのカ?」

その問いに、全員の視線が一点に集中する。
視線の集中を受けた男は楽しそうに不敵な笑みを浮かべた。

「――――――つまりは、俺か?」
「ソウ。理屈で言えば[HEウイルス]の大元である元くんは、女王よりも上位の命令権を持ってイルはずだヨ」

魂を確立した女王は魂を繋げ[HEウイルス]を支配する力を得た。
だが、その大元であり、元より人としての魂を持つ終里であればそれよりも大きな権限を持っていてもおかしくはない。
その方案を受けた奥津が口元に手をやり考え込む。

「つまり……女王の作ったネットワークにバックドアをしかけるという事ですか?」

奥津が自分なりの解釈をハッキングを行うための不正侵入口に例えて言う。
同じく研究者ではない終里はその例えになるほどと頷きを返した。

「なかなかいい例えだな奥津くん。
 その例えで言うならば、本気で自身の死後を想定するのであれば完全にリンクを切ってスタンドアローンにすべきだったな」

娘の失態を楽しむようにくつくつと笑う。
だが、すぐさま笑みを消して奥津の顔が真顔に戻る。

「とは言え、やりかたなど分らんぞ。あいにく細菌と対話などしたことなどないのでな」

出来る出来ない以前に試そうと思った事すらない。
染木と違って残念ながら終里は普段から細菌と会話しようと思うほど酔狂ではない。

「やっていただく。できないとは言わせない」

強い圧を込めて奥津が終里を詰めるように言う。
珍しく終里もこれには僅かにむぅと言葉を呑む様子を見せた。

「ナァニ。バラまかれた全ての[HEウイルス]を完全に制御しろとまではいわないサ。
 各地の女王ダケでも休眠状態にでもナルよう命じらればイイ。ヒトマズはそれで急場はしのゲル」
「そうですね。時間を気にしないのであれば後日改めてスヴィアさんの提示された処置を行えばよいかと」

0時のパニックさえ避けられれば、あとはどうとでもなるだろう。
時間制限を気にしないのであればスヴィアの提示した解決策が使える。
時間も設備も制限がなければどうとでもなる話である。

「そもそも。他の女王を制御できるのならば、山折村の女王そのものを制御すればよいのでは?」

これまでの話を聞いた奥津が一つの案を提示する。
より上位の権限を持つものが下位のウイルスを支配できるのであれば、大元である終里は女王も御せるはずだ。
それが実現可能であれば一発で全てが解決できる。

「ソレは難しいだろうネェ。今の『女王』は『魔王』の力を取り込んでいる。
 アレは1/3とは言え元くんの根源だからネエ。恐らく現時点ではソレを取り込んでいる女王の方が権限が強いダロウ」

『女王』と『魔王』の2つの権限を併せ持つ女王は『大元』である終里より権限が強い可能性が高い。
可能性だけで言えばもしかしたら制御が出来るかもしれないが、下手に触ってこちらの意図に感づかれても不味い。
こちらの意図を悟られれば、対策を取られる可能性がある。
実行するのは、事を成せると確信を得られた時だ。

331Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:13:59 ID:CAQRuEHA0
「そうなると、計画の実行に必要なのは――――」
「ああ、その通りだ。やることは変わらない」

事態は最初に掲げられた解決策に帰結する。

「話は最初に戻る訳だ――――――女王を殺せ、とな」

蓋となっている女王の排除。
自体の解決に必要な条件がそれだ。

「そちらの仕事だ、いかがかな隊長殿?」

先ほどの意趣返しのように終里が問う。
日が変わるまで1時間強。
それまでに事を成し遂げられるのか?

「――――問題ありません。現地の者が必ず成し遂げるでしょう」

ハッタリではなく世界を守護する組織の長として断言する。
48時間から大幅に時間制限は縮まったが、やることは変わらない。
彼らは秩序を守護する守護者。
世界を救うために成すべきことを必ず成し遂げるだろう。

「ソシて。女王の排除が完了した後は元くん次第というワケだネェ」
「わかっている。しかしだな。習得するにしてもどうしろと言うのだ?」
「ナァに。練習相手ならソコにいるじゃあないカ」

そういって染木がやせ細った指で差す先に居たのは、終里の血を引く娘の一人。
『巣喰うもの』が取り付いた対象である長谷川真琴だ。
女王の指定した新たな女王の一人である。
これ以上ない練習台だ。

「ですが、この場に居る長谷川博士のウイルスを制御できたとして、他のご子息たちの制御はどうするのですか?」
「問題ないサ。レポートにも書いているダロウ? ウイルスのつながりに距離は関係がナイ」

女王と子のつながりに距離は関係がない。
だからこそ、女王も世界各地にばら撒いたウイルスの命令権を維持できているのだ。
手法さえ確立できればこの応接室からでも全てを解決できる。

「ソウ言う事ダ。元くんも資金繰りばかりジャなく、タマには研究に貢献して貰わないとネェ。長谷川くんも頼んだヨ」
「了解しました。博士。ですが必要以上に近づかないでくださいね、終里所長」
「ふむ。年頃の娘にそう言われるのは意外とショックなものだな。しばし、別室で集中させてもらう。真琴も来い」

そう言って、観念したように終里が席を立つ。
長谷川も白衣を翻してそれに続いた。

「アッ。ソレ、ワタシも見学したいナァ…………!」
「お前は残れ百之助。研究者側も村の現状を確認する者が必要だろう」
「エェ…………そんナァ」

女王が死亡した場合、その影響を観測して事態を判断する人間が必要である。
それはウイルスの研究員にしかできない役割だ。
不満を漏らしながらも、納得したのか染木は席に腰を落ち着けた。
別室に向かう終里が、去り際奥津に向けて振り返る。

「では、互いに最善を尽くそうではないか。世界を救うために」



332Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:14:31 ID:CAQRuEHA0
息を切らした少女が、草原に向かって走っていた。
それは待ち合わせに遅れた少女が慌てて駆けだしているようにも見える。

だが、彼女は人ではない、人を超えた存在である。
世界を救うために作られた[HEウイルス]の女王。
彼女は人間の脚力を超えた凄まじい速度で草原を駆け抜けていた。

その表情には焦りの色が滲んでいた。
駆け抜ける中で様々な懸念が頭の中でめぐる。
何故? 何が起きた? どうしてこうなっている?

女王は常に余裕を持ち悠然としていた。
運命視を持つ女王は未来に対する不安などなかったからだ。
運命は確定された物であり、運命乖離者という僅かなノイズを取り除けば未来は彼女の望むとおりになる。
そのはずだった。

なのに、こうして汗水を垂らして女王は走っている。
女王は逃げるアニカを追う時ですら余裕を持った歩行をしていた。
戦闘時に疾走することはあっても、必死で走るなど生まれて初めての事だ。
日野光の中で幾度もループを繰り返して来たが、女王としての明確な意思が生まれ肉の体を得てから数時間しかたっていないのだからそれも当然と言える。

淡い光が花のように咲き誇る、風にそよぐ幻想の海。
生と死が入り混じった現世と幽世の狭間。
少女が輝く草原に辿りつく。

「――――やぁ、女王」

どこか穏やかな声で少年が少女を出迎える。
つい先刻とは出迎える側と出迎えられる側が入れ替わり、草原の様子は様変わりしていた。

「何をした……………………何をしたんだ天原創!?」

周囲に散らばる魂の残骸。
山折村最後にして最強、最大たる守護者の名残。
僅かに乱れた息を整え手の甲で汗をぬぐう姿はただの少女のようである。

「当ててみろよ、運命が見えているんだろう?」

突き放すような言葉に女王は押し黙った。
天原創は光の巨人に成す術なく殺される。
それが『運命』だったはずだ。

だが、起きた結果はまるで違う。
無敵であるはずの光の巨人は爆散して倒れ。
天原創はこうして女王の前に立っている。
まさか、創も運命乖離者だとでもいうのだろうか?

「どうした? 運命の女神様。いや、女王様だったか? この結果がそんなに意外だったか?
 これまで予想外はなかったのか? ここまで追い詰められている今は――――お前の予定通りなのか?」

その言葉の通り、運命視の結果は所々で外れている。
せっかく獲得した『幼神』の力を奪われ、願望機を奪われ、飛行も出来なくなった。
全ての運命が見えているというのならそんなことにはならない。
それは女王も認める。

「確かに予想外もあった。だがそれは、白兎どもの小賢しい妨害があったからだ」

その原因は因果を操る獣どもの暗躍に他ならない。
そこに運命の見えない相手の介入が加わり、運命を乱された結果だろう。

333Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:15:13 ID:CAQRuEHA0
「―――――本当にそうか?」

その結論に少年は疑問を呈する。
その言葉の意味が理解できず、女王が不思議そうに首をかしげる。
運命が乱れた原因などそれ以外に考えられるはずもない。

「……どう言う意味かな?」
「運命視。日野さんの異能を知った時から、僕にはずっと疑問があった。『運命』なんてものが本当に存在するのか」

創の抱えていた疑問。
創はアニカと白兎が運命の開放を謡ったあの時に、口にできなかった言葉を口にする。

「僕は信じちゃいないんだ。都合のいい『神様』も『運命』なんてものも」

創は運命なんて信じちゃいない。
だが、それは創個人の考えである。
創が『運命』を信じていからと言って、それを前提とした別筋の解決策を止める理由にはならないと思い、あの時は言葉を飲んだ。

「未来はいつだって白紙だ。不確定だからこそ自由なんだ。自由だからこそ無敵なんだ。
 白紙の未来をより良いものにするために、人間は頑張り続けることができるんだ。
 僕の未来は、僕自身の手で切り開いてきた、幸も不幸も僕のものだ。
 誰かの手を借りる事だって確かにあった、けれどそれは神様なんてものに決められた訳じゃないし、運命なんてものに縛られた訳じゃない。
 未来は人の善意と努力、強い意志で作り上げていくものなんだ。
 最初から決まってる『運命』なんてものを、僕は否定する」

未来を決めるのは何時だって自分自身の決断だ。
自ら未来を選び取ってエージェントになった。
だからこそ創はここにいる。
未来が運命なんてもので決まっているなどまっぴらごめんだ。

青い主張を女王はふん、と鼻で笑い飛ばす。
そんな言葉は運命を知らぬものの戯言である。運命は確固として存在する。
自らの手で選び取ったと思っている事こそが勘違いだ。
人は運命に縛られ、それを超える事など選ばれた一部の人間にしかできない。

「君個人の信条は勝手にすればいいさ。だが私には『運命』が観えている。これは如何ともしがたい事実だ」

女王の目に見える『運命』。
これこそが『運命』の存在証明だ。
だが、女王の言葉を創は一言に切り捨てる。

「確かに、お前に『何か』が見えているのは事実なんだろう。それは否定しない。
 だが、お前に見えている物は――――――本当に『運命』か?」

創は女王に指先を突きつけ。
爆弾を放り込むように、疑問を投げかける。

「当然だ。『運命』に決まっているだろう?」
「逆に聞くが、それが『運命』だと誰が決めた?」
「下らない言葉遊びだな。私の見えている物が『運命』でなければなんだと言うのか?」

女王が見えている物を別の何かに言い換えたところで何が変わる訳でもない。
多くの者たちは女王の――遡れば元となった珠の――見た『運命』通りの結末を迎えてきた。

「女王。お前はループしていると聞いた」
「その通りだ。誰から聞いたか知らないがよく知っているね」

唐突な話の転換のように思えたが、創は続ける。
何気ない当たり前の結論を告げるように。

「僕が思うに、それがお前の見ている『運命』の正体だ」
「―――――――」

334Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:16:05 ID:CAQRuEHA0
日野珠の持つ異能の根幹にあるのは、姉である日野光が157回のループで蓄積した膨大な情報集積だ。
日野光と共に157回のループを超えてきた女王ウイルスはその知識を共有しており、今回の女王である日野珠にその集積情報は引き継がれていた。

日野光の記憶を引き継いだ幼神は、この知識を生かすことが出来なかった。
それは余りにも膨大すぎる情報を瞬時にかつ適切に処理しきれなかったからである。

ループにより得た知識は山折村VHの攻略本のようなものだ。
その蓄積された知識から、どこで何が起きるかと言う未来のイベントマップと、膨大な個人情報からの行動予測を自動で解析を行い、結果を光として可視化する異能。
それが創の考える日野珠の持つ『運命視』の正体だ。

「100回以上もループすれば偶発的な出来事だろうとどこで何が起きるかなどおおよそ把握できるだろうし、特定の状況で誰がどんな行動をするかも分析ができる。
 だから、お前が見えないのは単純に、経験したループの中で一度も経験していなかった事だ」

特定の状況で人間は能力やパーソナリティに応じた行動をとるだろう。それが極限状況であればなおのことだ。
予測を裏切る限界を超えた活躍を見せる人間だって、パラメータで見ているのなら予測は不可能だろうが、ループで見ているのならそれすらもデータとして認識できる。

何度も繰り返された時間の流れの中で、偶然とされる出来事の裏にある微細なパターンや兆候だって見つけることができる。
1度だって目撃していれば偶然と見なされる出来事もまた、予測可能な未来の一部となる。

『運命』が外れるのは、ループの中で一度も起きなかった出来事が含まれていたから。
神楽春姫が運命予測から逃れていたのは、それでもなお予測不可能な突飛な行動をとる女だから。
アニカが運命予測から逃れられたのは光が収集したデータベースに存在しない高魔力体質を得たアニカと言う未知の値が入力されたから。

「下らない妄言だ。全てはお前の希望的観測だろう」

全ては創の予想に過ぎず、この場で事実であるかの証明できない。
だが、強気な言葉とは裏腹に、この瞬間。確実に女王の運命視への信頼が僅かに揺らいだ。
揺らいだ信頼を否定するように女王は首を振る。

「仮にそれが事実だとしてどうだというのだ? お前の『運命』は見えている」

天原創と言う人物が、この状況でどう行動するか。
その運命(よそく)は見えている。
運命の正体が何であれ、女王の有利は変わらない。

「言ったはずだ、それはただの高度な行動予測に過ぎない。タネは割れた。もはや無意味だ」
「ほざけ―――――ッ!」

残された女王の武器は先ほど拾い上げた聖刀のみ。
挑発に乗って明らかに冷静さを欠いた女王が刃を振り合上げ創に襲い掛かる。
その出鼻を挫く様に創がルガーの銃口を向けた。

引き金が引かれ、一発の弾丸が放たれる。
前がかりになった女王には避けられない。

だが、女王にとってそれは脅威ではない。
創が足止めの為に銃を撃つ『運命』は観えている。

魔力によって強化された女王の皮膚は対物ライフルすら弾く。
44マグナム弾が直撃した所で大した傷など付かないだろう。
女王にとっての脅威は右手だけだ。

しかし、油断はしない。
魔王に呪詛を撃ち込んだような”仕込み”がないとも限らない。
そう言った紛れを確実に防ぐべく、黒曜石の盾を展開する。

一瞬で展開された盾は三つ。
三重に重ねられた黒曜石の盾は戦車砲すら防ぐ強度を持っている。
どれほどの大口径であろうと弾丸など物の数ではない。

「――――――――な」

しかし、驚愕は刹那。
黒曜石の盾に触れた弾丸は盾をいとも容易く貫いた。
否。黒曜石の盾は貫かれたのでも砕かれたのでもない。
まるで、無効化されるように消え去ったのだ。

弾丸は一切の減速なく突き進むと、女王に直撃した。
魔力で強化された皮膚すらも突き破り、その腹部を貫く。

「ごふっ…………!! ハ、バカな…………ッ!! まさか、こ、これは……ッ!!??」

風に流れ、創の右手に巻かれた包帯がほどけてゆく。
包帯の効果により既に血は止まっているが、露になった右手からは、小指の先が欠けていた。

「――――――この手は読めたか? 女王」

これが創の用意した対女王の準備だ。
弾頭として打ち出されたのは、切り落した天原創の指先だった。

335Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:16:35 ID:CAQRuEHA0
雪菜のマチェットで自らの小指を斬り落として、それを弾丸の先端に加工した。
小指の第一関節から先とは言え、創の右手の一部である。
放たれたのは魔王の力を食い破る『魔王殺し』の弾丸だ。

異能とは、本人の人生が色濃く反映されるものである。
魔王によって人生を奪われた少年がその右手に宿した異能の本質は、魔王から派生した力を殺す『魔王殺し』。
『魔王』を否定するための異能。天原創に、魔王由来の能力は一切通用しない。
『魔王殺し』の弾丸は黒曜石の盾を無効化し、魔力の膜を突破した。

皮肉にもこの『運命』を乱したのは女王自身の存在である。
全てのループによって女王がこうして意志を持って顕現するのは初めての事だ。
157回のループにおいて女王に対するデータはどこにも存在しない。
すなわち女王に対する対策(アクション)は全て運命(よそく)の外になる。

「ぐっ………オオッッ! …………消、えるッッ! 消えていくッ!?」

腹部を抑えて女王がもがき苦しむ。
障壁ごと魔力による身体強化を打ち破った弾丸は女王の体内に深く食い込んでいた。
体内にとどまった弾丸――創の小指が、女王の内にある『魔王』の力に作用していく。
『魔王殺し』という毒が全身に巡り、『魔王』の力を消滅させてゆく。

急速に力が失われていく。
だが、その猛毒の効果はそれだけに留まらない。

[HEウイルス]は『魔王』の力によって完成した『不死の怪物』より生まれしモノ。
[HEウイルス]は由来を辿れば『魔王』へと辿りつく。
すなわち、細菌の女王すらも無力化する特効薬である。

「ぐぅあああああああああッッッッッ!!!?」

悲鳴のような絶叫を上げ、女王が自らの腹部を抉りだした。
最後に残った魔力で爪を尖らせ、弾丸を体外へと摘出したのだ。

「くぅッ…………ハァ……ハァ!!」

摘出された血に濡れた弾丸が、輝く草原に落ちる。
白く輝く花が赤に染まった。

無効化と言う毒が脳に達するまでに、なんとか切除できた。
だが、既に『魔王』の力の大半が失われ、女王は魔力すらも使えなくなってしまった。

創は首元に活性アンプルを撃ち込む。
最後の活性アンプルはここまで温存していた。
巨人との戦いは体力と戦略の勝負であり、反応速度はそれほど必要ない戦いだった。
何より女王戦を控えた状況で、副作用のあるアンプルを使う訳にはいかなかった。

創の投げ捨てた空になった瓶が地面に落ちて、転がりながら光を返した。
しかし、少年と少女は地面に転がるそんな光を見向きもせず、睨み合うように視線を交わす。

強い風が吹き抜ける。
草原に降り積もった光が浮き上がり空に舞った。
見つめ合う二人の間を、淡い光の粒が流れる。

「…………私たちはただ生きたいだけだ。共存を望んでいる」
「その言葉は誰も傷つける前に言うべきだった」

少年が一歩進む。
女王は無意志にわずかに後退した。
その一歩に何より驚いたのは女王自身だ。
故にこそ、女王としての意地がその場に足を踏みとどまらせた。

「しかたないじゃないか、私たちは殺されそうになったのだよ?
 人間様のために細菌は黙って殺されろとでも言うつもりなのかな?」
「だとしても、共存を望むのなら君が返すべきは悪意ではなく誠意であるべきだった」

殺されそうだったから殺し返した。
それが当然の反応だとしても、敵意を向けるのであれば戦うしかなくなる。
どれだけ理不尽であろうとも、そうなっては共存の道はない。

「傲慢だな。君たち人間に都合のいいように手のひらを差し出せと?」
「ああ。僕たちは傲慢で、そして臆病なんだ。お前の様に笑って人を傷つけるような輩と共存などできない」

女王は多くの人を傷つけてきた。
楽しむように笑いながら。
そんな相手と手を取り合える未来はない。
あるのは隷属と支配だけだろう。

「何を言う。笑って人を傷つける? それは君たち人間の事だろう」
「そういう人間が居るのは確かだ。だからみんな、少しでもましであろうと必死で足掻いている。
 少なくとも圭介さんも哉太さんも、君を殺そうとはしていなかったはずだ」

あの二人は宿主である珠を気にかけていた。
最後まで命を奪おうとせず解決策を模索していた。
その善意を踏みにじったのは誰だったのか。

「ああ、だから殺すことなく八柳哉太は私の忠実なる騎士にしてやったんじゃないか」
「相手の意思を捻じ曲げて、愛する人と殺し合わせてか?」
「そうだ。これ以上ない共存だろう?」
「話にならない」

精神があるだけで育っていない。
身勝手で他人を顧みれない。
自分の事しか考えられない子供の主張だ。

336Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:17:18 ID:CAQRuEHA0
「悪いが、僕は生まれたばかりのガキの我侭に付き合っていられるほど寛容(おとな)じゃないんだ」

最後まで珠を救おうとした圭介や哉太とは違う。
高校生とは違う中学生だ、大人になんてなれない。

「だから、お前を殺すぞ、女王―――――!」

意見が衝突して、相容れないなら戦争しかない
『助けたい』と『助けられる』。その線引きを見誤らない。
ここから先は、正真正銘の殺し合いだ。

創が地面を蹴りぬく、地面と共に足元の光が散った。
強化された創の異能は右手に触れる空気中のウイルスにすら反応して青白い光を放つ。
それは天を流れる流星に負けぬ。さながら地を駆ける蒼い流星。
最強のエージェントブルーバードの弟子が、光り輝く草原を駆け抜ける。

対するは少女の姿を象った女王[HE-028-Z]。
『魔王』の力が失われてようとも、細菌と魂を統べる『女王』の力は残っている。
咲き誇るように輝く周囲の光は、その全てがこの村で散った魂の残骸だ。
その中には、同胞たる[HEウイルス]たちの魂も含まれている。

全てを失った女王の最後の助けとなるのは、流行り同族たるウイルスたちだった。
周囲の光がまとわりつくように一斉に創へと襲い掛かった。

「無駄だ…………ッ!!」

だがそれを、右手を一振りして振り払う。
その動作は無造作のように見えて、まるで無駄がない。
アンプルによって活性化された動体視力が自らに降り注ぐものを的確に見極め、必要最低限の動きで撃ち落した。
人間の魂ならいざ知らず、魔王を由来とする[HEウイルス]の魂であれば創の右手で無力化できる。

しかし、右手一本で全身を襲う魂の残骸を振り払ったのだ。
走る体勢が崩れ、僅かに隙が生まれる。
その一瞬を勝機と見た女王が踏み込み、聖刀神楽を振り上げる。

女王にはもはや異能の助けはない、ただ力任せに振り下ろす。
聖刀の切れ味であれば、少女の力であっても相手の頭を真っ二つに裂けるだろう。
だが、女王が振り下ろすよりも早く、手首に強い衝撃があった。

「っ………………!?」

振り上げた聖刀の赤い刀身がどこかから放たれた弾丸により弾かれた。
反射的に衝撃の先に眼球が動き、女王の視線が移る。
そこには、銃を構える迷彩服の姿があった。

「ッッ…………特殊部隊ぃぃいいい!!!!!」

憎悪を込めた怨嗟の声。
それは、この村において唯一ウイルスに侵されていない潔白な存在。
女王が認識出ていないことすら認識できない本当の透明な男である。

女王斬首の命を帯び、驚異的な練度を誇る特殊部隊は村人たちにとって最大の脅威であった。
だが、この瞬間だけは違う。
彼らが真に世界の守護を任とする護国の守護者であるのなら。
女王を排除するという一点において、特殊部隊は最強の味方足りえる。

それが達人の動きであれば成田の様な名手でなければ捉えられなかっただろう。
だが、ただの大振りでしかない素人の棒振りなど、天でも十分に捉えられる。

厄を操る『幼神』の力は白兎によって奪われ。
同時に取り出された願いを叶える『願望機』はアニカに回収された。
彼女を守護する『ゾンビ』たちは茶子によって全滅させられ。
魂の集合体たる光の巨人は特殊部隊に撃破され『異能』は使えなくなった。
武器となる『二刀』を八柳哉太に、『一刀』をアニカとデセオに破壊された。
『運命視』すらも否定され、最後に残った『魔王』の力も天原創が消滅させた。
『聖刀』による最後の一撃すらも特殊部隊に防がれた。

「終わりだ――――――女王ッ!」

叫びと共に駆け抜ける。
もはや、女王を守護する物は何もない。

多くの人々の決死が、結実した今。

天原創の右腕が女王に――――届いた。

337Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:17:33 ID:CAQRuEHA0
「うおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおッ!!」
「ぐぅううううううあああああああああああああああああッ!!!」

二つの咆哮が夜の静寂に木霊する。
創は女王の顔面を掴んだまま止まることなく駆け抜ける。
小さな珠の体は光る草原を引きずられるように地面を這う。
足でブレーキをかけようとするが、異能も魔力もないただの少女の筋力では抗うことはできず、ただその道筋に光の胞子が浮き上がって行く。
壮絶な殺し合いとは思えぬ美しい光の線が浮かぶ。

「ぐぅぅううああああああぁぁぁっ! やめろやめろやめろやめろ、止めろッ! 手を放せぇっ!!?
 定着したウイルス(わたしたち)は宿主の生命活動にまで影響を及ぼす!!! 分るか!? 私を排除すれば、宿主であるこの娘も死ぬぞ!?」

頭部を掴まれながら必死の形相で女王が叫ぶ。
定着した[HEウイルス]を除去すれば宿主は死ぬ。
女王を排除せんとする天敵に、その残酷な真実を明かす。

「嘘じゃない……ッッ! 本当だ…………ッ! あのスヴィアも定着していたッ、分かるか……!? スヴィアを殺したのはお前だッ! 天原創ッッ!!!」

恩師を殺したのはお前だと、精神的動揺を誘う言葉を叩きつける。
だが、女王の頭部を掴む力は緩むどころか、さらに強まった。

「そうか――――――それを聞いて安心した」

握りつぶさんばかりの手の力とは対照的な、落ち着き払ったどこまでも冷めた声が聞こえた。
女王の全身に痺れるような寒気が奔った。

「つまり、この右手は――――お前を殺せるという事だな?」

その確信を得る。
女王の言葉は、他ならぬ女王自身の死を証明した。

「――――――――――――ひ」

女王の全身に味わったことのない初めての感覚が広がってゆく。
胸の奥底にある黒い淀みが全身に広がっていくような気持ち悪さ。
逃れられない何かが迫ってくるような、縋る物のない上空から落下していくような感覚。
曖昧な霧のように広がる不安感が、徐々に明確な形を取り始めた。
そうして、女王はあの時自らの足を引かせた正体を知る。

それは恐怖だった。

生まれたばかりの命である女王に、初めて芽生えた明確な「死」の恐怖である。
微生物である女王にとって、死の概念は恐れるべきものではなかった。
自らの死など恐れてはいないからこそ、種の繁栄のため自らの死の先に続く策を講じたのだ。

だが、女王は自我と魂を得た。
この山折村で絶対的な力を思う存分振るって”気持ちよく”生を謳歌した。
魂が確立されたことにより生まれた生の執着と死の恐怖。

あるいはそれは独眼熊の野生に恐怖を覚えた『イヌヤマイノリ』のように。
野生に恐怖した巣食うものの末路に似た――――自らを殺す天敵への恐怖。

「や、やめ――――――――」

「――――――終ぁりだぁぁぁぁぁぁああああああッッッッ!!!!!」

草原を駆け抜けた創の腕が振り抜かれる。
右手の中で抵抗する力が弱まり、やがて力なく垂れ下がった。

「…………………」

魂の光が宙に浮かび上がってゆく。
完全に生命活動が静止したことを確認して、創はゆっくりと指を剥がす。
宿主の命と結びついたウイルスの活動が停止する。
それは同時に、その宿主となった少女の終わりを意味していた。

その体を、そっと魂の光る草原に寝かせる。

女王は死んだ。
創が殺した。
女王を廻る騒動はこれにて終決である。

一人の少女の犠牲を持って。

【[HE-028-Z] 消滅】



338Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:17:54 ID:CAQRuEHA0
「………………ここは、どこだ?」

気づけば、[HE-028-Z]は見覚えのない闇の中にいた。
周囲は夜闇とは違う黒い靄の様なもので包まれており、足元には汚泥の様な塊が生き物のように脈動していた。
どこからともなく伸びてくる幾つもの真っ黒い赤子の手が恨みがましい様子で蠢いている。

一時的とはいえ、厄を操る幼神の力を取り込んでいたからだろう、彼女にはすぐに理解できた。
ここは山折村の災厄が集まる厄溜まり。怨念と共に死して災厄となった魂の堕ちる場所だ。
一つの生命となって山折村に生れ落ちた[HE-028-Z]もまた、この災厄の渦たる厄溜まりへと堕ちていた。

だが、ここに墜ちた魂は厄溜まりに飲み込まれて周囲に漂う厄の一つになるはずだ。
如何に女王とは言え、今となってはただの墜ちた厄の一つに過ぎない。
こうして一つの個として意識を保っているのはどういうことか?

黒い手は恐れをなしたように女王から遠ざかっていた。
それは女王を恐れての事ではなく、女王の握る赤い刃――聖刀神楽を恐れているようだった。
死の寸前、最期に手にしていたからだろう、死後の世界に持ち込んでしまったようだ。

試しに刃を振るうと、目の前の黒靄が晴れる。
どうやらこの聖刀には厄を払う力があるようだ。
厄の溜まりに厄を断つ聖刀が持ち込まれてしまった、元となった神楽と同じくとんだ常識破りである。

女王は赤い刃で黒靄を切り裂きながら進んで行く。
それはまるでヤンチャな田舎の子供が鉈で藪を切り開きながら山中を歩いているかのようだ。
やがて霧中を進む女王の耳に、川が流れるような微かな水音が聞こえてきた。

だが、それはおかしい。
ここが本当に山中であるならともかく、この厄溜まりにそんなものがあるはずがない。
訝しみながらも音に向かって歩を進め、やがて彼女の前に川が広がった。

川は静かで穏やかに流れている。
川岸には枯れた草木がまばらに生えており、その上には黒靄とは違う薄い霜がかかっている。
水面には霧が立ち込め、ぼんやりとしか見えない川の対岸には淡く揺らめく影が立っていた。

女王はその川が何であるかを悟った。
これは常世と幽世を隔てる三途の川だ。
川の向こう側とこちら側は生死の狭間である。
つまり、川の向こうに立つ者たちは、すでに命を終えた彼岸へと旅立った者たちだった。

「貴様らは…………」

彼岸の先。
生死を分かつ川の向こう岸に神主服の男と巫女服の女が番のように仲睦まじく共に手を取りながら立っていた。

『どうしも気になってしまってね』
『ええ。私たちの村の事ですもの』

村の始祖たる陰陽師、神楽春陽。
村の絶対禁忌たる災厄、隠山祈。
あの世へと旅立ったはずの2人が、三途の川の畔まで来ていた。
絶望の詰まった災厄の奥底で、希望にも満たない亡霊に出会う。
これは現世に何の影響も与えない、何の意味もない出会い。

『そなたがわが村で猛威を振るった「ういるす」の首魁か』
「そうだ。それがどうした? 恨み言でも言うつもりか?」

祈に至っては直接殺しあった仲である。
恨みごとの一つや二つあるだろう。
だが、2人の人影はそうではないと首を振る。

339Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:18:07 ID:CAQRuEHA0
『確かに、そなたは我らの村を滅ぼす原因となった』
『そうですね。あの村であなたと私は命の奪い合いをしまいた』
『だが、我らはそなたの罪を赦そう』

恨みがない訳ではない。
許せぬ理不尽もある。
だが、それでも赦しは与えられる。

「下だらん」

女王はその赦しを一笑に付す。

「赦しだと? そんなモノ貴様に与えられるまでもない。
 我らはただ生きようとしただけだ。生きたいと願う事は罪なのか?」

人間と細菌の種としての尊厳と生存をかけた戦いだった。
それが罪だというのなら、こうして生を謳歌する人間こそが最大の罪ではないのか?

『その通りだ。だから、我らの罪を赦してほしい』
『共に祈りを捧げましょう。互いの罪が許されるまで』
「…………………」

一方的な罪ではなく、一方的な赦しではない。
互いに罪があり、必要なのは赦し合うこと。
己が為だけではなく、互いのために祈る。
祈りとは自身のためではなく他者のために行われることなのだから。
それがきっと本当に必要な事だったのだと、彼らはそう言っていた。

「…………やはり、下らないな」

そう呟くように彼岸から背を向ける。
背後には厄の手が蠢いていた。
聖刀を恐れて近づけないでいるようだが、光に群がる虫のように黒靄たちは濃くなっている。
いつその躊躇いを打ち破ってこちらに来てもおかしくはない。

『その刀、渡して貰えるだろうか』

彼岸の先にいる春陽がそう言ってきた。
厄からの守りとなる聖刀。
それを渡せと言うのは、夜の山を裸で歩けと言っているのに等しい。

だが、女王は赤い聖刀、背後の黒い厄、白い番を順番に見つめ。
どうでもいいと言った風にため息をつくと。
川越しに、対岸の春陽に聖刀を手渡した。

『ありがとう』

一つ礼を言って、春陽は受け取った聖刀の深紅の刀身をまじまじと見つめた。

『あぁ。見事だ春姫』
『ええ。あの娘は、素晴らしい神楽でしたよ』

神楽春姫の命によって生まれた、厄を払う聖刀。
歴代最高の神楽という白兎評も頷ける、素晴らしい出来だ。
誇らしげにその赤い刃を見つめると春陽は二つ立てた指先で五芒星を描いた。
最後に指先を突きつけられた聖刀が赤い光を放ち、厄溜まりの暗闇に光を灯した。

『これでしばしの間、厄どもは手出しできない』

彼らの娘によって正しき終わりがもたらされればこの厄溜まりは解体されるだろう。
これは、それまでの地獄に落ちるまでの泡沫の夢だ。

『さぁ。共にここで山折の終わりを見守りましょう』



340Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:18:29 ID:CAQRuEHA0
淡く輝く光の花が墓標のように咲き誇る。
風に揺れる光の海の中心に、息絶えた一人の少女が横たわる。
少年はそこに広がる己の行いの結果を受け止めていた。

戦いは終り、世界は救われた。
一人の少女を犠牲にして。

全てを救えればいいと思う。
けれど、現実は冷たく胸を抉るほどに非情だ。

少年の手は小さく全てを掴み取ることは出来ない。
創にできるのはこの右手でつかみ取る手を選ぶことだけだ。
恩師の命も奪い取り、彼女の手を取ることなくその命を終わらせた右手。
この手は無辜の人々を守護るために、愛する者の命を奪い続けてきた。

その決断に後悔はない。
運命などではなく、創が選び、創が行ってきた決断の結果だ。
だけど、この一時だけは、死者の安息を願う祈りを許してほしい。

目の前の彼女だけではない。
ここまでの道のりで犠牲になった多くの死者たちに。
安寧を望み、手を合わせ祈る。

だが、そんな死者への祈りを捧げる創の視界の端に、光の粒子が散った。
背後から草原を踏みしめる足音が響く。
その粒子の流れを追うように振り返ると、その視界に小さな人影が写った。

「ッ」

創が瞬時に立ち上がり身構える。
女王という最後の敵を倒したことに油断して周囲の警戒を怠っていた。
ここまで相手の近接を許したのはエージェント失格である。
だが、現れたモノの姿を見て固まったように創が動きを止め、その眼が驚きに見開かれた。

「……………………スヴィア先生」

創の右手が殺してしまった恩師。その成れの果て。
かつてスヴィアだった物から生まれた新たな怪異。
怪異は、死に彩られた輝く草原を幽鬼のような足取りで進んで行く。

「…………救わ、ねば」

緩慢な動き。
今の創ならそれを制圧するのは簡単だ。
だが、創は動けなかった。
いや、動かなかったという方が正確か。

少なくとも怪異からは創に対する敵意も悪意も感じなかった。
怪異の虚ろな視線は救われなかった少女、珠しか見ていない。
怪異はゆっくりと、だが確実に光の中で眠る珠へと近づいて行く。

――――怪異。
それは未練、あるいは心残りによって生まれた存在。
この怪異もまたこのVHで同じ未練を抱えた死者の怨念が集合して生まれた存在である。

では、スヴィア・リーデンベルグ。彼女の未練は何か?
彼女に集まり取り憑いた怨念たちの抱えた執着は何か?
その答えを、うわごとの様に繰り返し怪異は呟く。

「私の…………生徒を…………子供を…………救わねば」

怪異とは、全てが人を害する存在ではない。
姑獲鳥や産女、子育て幽霊と言った子を慈しみ育てる怪異は少なからず存在しており。
座敷童のように益をもたらす怪異も存在している。

どうしようもなく血塗られ呪われた山折村の歴史。
腐り落きった大人たち、救われぬ子供たち。食い物にされる弱者たち。
悪の根は蔓延り、数えきれぬほどの多くの悲劇を生んだ。

だが、それでも。

この山折にあったのはそれだけではない。
山折村、1000年の結実が醜悪な悲劇だけであったはずがない。
そこにはきっと、美しいものもあったはずだ。

341Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:18:41 ID:CAQRuEHA0
この村で生まれたのは悲劇と絶望だけではない。
実りある自然の中で多くの人々を健やかに育んだ。
多くの命を生み、多くの命を未来へと繋いでいった。

そんな山折村の死者たちが、生き残った者たちへ残す心は恨みや辛みばかりではないはずだ。
ほんの僅かでも、その意思は確かにこの村に根付いていた。

郷田 剛一郎が村の子供に未来を託したように。
嵐山 岳が健やかなる子供の未来を願ったように。

厄に墜ちるでも、女王の招集に応じるでもなく
それよりも自らの未練に従った僅かな魂がいた。

子の未来を願う未練の集合体。
未来を奪われた子供たちを救う怪異。
それこそが、スヴィア・リーデンベルグから生まれた怪異の正体だ。

救われなかった少女の前に怪異が跪く。
その奥底にあるのは強い使命感。
怪異の不気味な雰囲気とは対極な聖母のような慈悲と慈愛すら感じられた。

スヴィアは研究所との通信で定着したウイルスは生命活動にも結び付いている事を知った。
ウイルスを排除することは生命活動の終わりを意味する。
皮肉にも、その理論はスヴィアの死をもって証明された。

だが、その理論を聞いたスヴィアが頭の中で構築していた一つの仮説があった。
ウイルスが生命活動に結びついているのならば、抜けたその穴を何かで補完できれば、生命活動を維持できるのではないか?
だが、あの時点ではその『何か』が見つけられなかった。
異能の進化に可能性を見出し模索していたが、結局それを見つけられずその命を終えた。

祈るべき星の見えない輝く大地で、少女を見下ろす怪異が祈りを捧げるように両手を合わせた。
風に周囲の光が浮き上がる。
それと同種の光が怪異の体より浮かび上がり、横たわる少女の体に温かい日の光の様に注がれてゆく。

それは、隠山祈が死の淵を彷徨う八柳哉太の身を癒したように。
一つの役割を果たす怪異としての命が、救われぬ子供に注がれてゆく。

彼女は、全能の力で全てを救う都合のいい神様ではない。
願えば何でも叶う願望機なんかとも違う。

山折村の積み重ねてきた歴史、彼女の学んできた知識と発想。
そして、ほんのちょっぴりの奇跡。

奇跡が降るにふさわしい夜。
光と闇、生死の入り混じる草原で。
創はその奇跡をただ黙って見守っていた。

それは、最後まで諦めなかった人間の頑張りに見合うだけの報酬として与えられた。
ただ一人の少女を救うだけの。

とても小さな、とても大きいなハッピーエンド。

「…………こほっ」

息絶えていた少女が咳き込む。
死亡していた珠が息を吹き返した。
それを見届けた怪異が穏やかな笑みを浮かべる。

そして、本懐を遂げた怪異の体が粒子となって消滅した。
風の流された先、そこには何も残っていなかった。



342Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:18:55 ID:CAQRuEHA0
研究所本部。
応接室の時計は0時31分の時刻を指している。
日付が変わり、しばしの時間がたった。

「ひとまず、現時点で各地の異変は報告されていません」

奥津がそう報告する。
終里の子が滞在している各地に出来る限りの情報網を広げているが、今の所大きな異変は報告されていない。

「マァ。便りがないのはイイ便りというコトだネ」

染木はそう言って湯飲みから熱い茶をすすった。
日付の変更はおおよその目安だが、ここまで何も報告がない事を考えれば作戦は成功したと言えるだろう。

「元くんはお疲れさまだネェ」

老研究者が労いの声をかける。
そこには疲れ切った男が一人、身を投げ出すように応接室のソファーに座っていた。
脱ぎ捨てた白衣をソファーにかけて、絞った濡れタオルを目元においている。

「……まったく、年寄りに無茶をさせてくれる」

約束通り、終里は1時間強で細菌との対話を習得した。
そしてウイルスネットワークの繋がりを辿って、各地の女王たちを休眠状態にすることに成功した。
かなりの強行軍だったのか、さすがの終里もすっかり疲れ果てた様子である。

Aウイルスが活動を停止すればその影響下にあるCウイルスは沈静化する。
女王の巻いた山折村の種は花を咲かすことなく眠りにつくことになった、本体である女王と一緒に。

「一つ、お尋ねしたい」
「なんだ? 手短に頼む」
「では簡単に。女王の討伐に、あなたの干渉はあったのですか?」

魔王殺しの弾丸を喰らい『魔王』の力が排除された時点で、ウイルスネットワークにおける終里の権限は女王を上回ったはずだ。
干渉手段を習得した時点で女王にも干渉可能になったはずである。

その質問が愉快だったのか。
終里は濡れタオルを取って机に置くと、最低限の姿勢を正す。

「さて、どちらでもよいではないか。いずれにせよ女王の討伐はされていただろう」

いつもの調子を取り戻したように不遜な態度で曖昧な言葉を終里は告げる。
干渉があろうがなかろうが、村の生き残りと特殊部隊の連携によって女王は討伐されていただろう。

「かくして。一件落着、世は事もなし、と言うことだ」
「まだ、事後処理が残っていますが」

冷静に長谷川が指摘する。
女王の行った同時多発テロは不発に終わった。
だが、当面の危機は去っただけで、まだ休眠状態にした女王たちの処理や、山折村の事後処理は必要である。

「なぁに。後に起こることなど、世界の趨勢に何の影響も与えぬ蛇足だろうよ」



343Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:19:18 ID:CAQRuEHA0
奇跡の降る夜。
寄る辺を失い光の花が徐々に色あせてゆく。
村の終焉を告げるような終りの光景の中で、天原創は死者の蘇生と言う奇跡を目の当たりにした。

屈みこんだ創が珠の手首に手をやり脈拍を確かめる。
弱弱しいが脈はある、胸も呼吸で僅かに上下していた。
意識こそ取り戻していないが確かに息を吹き返しているようだ。

女王感染者の死なんてクソったれな運命は覆された。
あきらめず頑張り続けた人の意志によって。
その全ての成果として珠の命は救われた。

安堵の息を吐く創の元に、何者かが近づいてくる気配があった。
創はそれが分かっていたように、冷静にそちらに視線を向ける。
光を失い始めた草原を踏みしめ、迷彩色の男が姿を現した。
創は当たりを付けて、スヴィアから聞いていたその名を呼ぶ。

「乃木平だな?」

光の巨人を撃破し、女王の刃を撃ち落とした特殊部隊。
大一番である対女王戦においても、彼は徹底的に黒子に徹してきた。
一騎当千である特殊部隊の中で明らかに異質な動きでありながら、唯一の生存者として見事に任務を達成した。

「作戦行動中なので、forget-me-notと呼んで欲しいですね」

本気で行っているわけではないのだろう。
冗談めかした様子で肩を竦める。

ヴィアを廻るファーストフード店の攻防で、戦術上の衝突はあったが直接顔を合わせるのは初めての事である。
互いに何気ない会話を交わすような調子で、臨戦態勢のままいざとなれば戦える間合いで構えていた。

「女王は死んだぞ。僕が殺した。彼女はもうその影響下にない」
「そのようで。こちらとしても研究所側のジャッジ待ちです」

だが、目に見えない細菌の話だ。
完全に解決したかと言う確信までは持てない。
完了の判断を下すのは上役の役目だ。

「その後は、そちらの動きはどういう運びになっている?」

創の問いに、天は顔をそらして小声で何かを話し始めた。
どうやら通信先に確認しているようだ。

「女王の死亡に伴い、これから感染者たちからウイルスの影響が消失するでしょう。
 しかし、ウイルスが定着したB感染者はその限りではありません。
 しばし様子を見て正常感染者の中にB感染者がいないかの確認をします。
 問題なく生存者全員の消失が確認できれば我々は撤退します。後はご自由に」

その判断を現在、村を監視している研究所が行っているのだろう。
感染者本人からすれば異能の消失と言う形でウイルスの影響の消滅は自覚できるのだが、まさか自己申告で通すわけにもいくまい。

「ご自由に、か。随分と杜撰な管理なんだな」
「我々は存在しない部隊ですので。事後処理は表の災害処理班にお任せしますよ」

事情を知らない通常の自衛隊が通常の災害として処理される。
生存者を保護するのもそちらの役割なのだろう。

「口封じはしないのか?」
「無用でしょう。もうそれだけの生き残りもいない。何より誰が信じます?」

ここで起きた出来事は荒唐無稽すぎる。
余程の説得力がない限りただの妄言扱いされて終わるだろう。
それにしたって口止めの一つもしないのは妙だが。

「なら。勝手に引き上げさせてもらう」
「構いませんよ。貴方に関しては」

創の背景に関しても既に裏が取れている。
諜報局の諜報員(エージェント)。
放置した所で余計なことはしないだろう。

「ただし、そちらの少女の身柄を預からさせていただきます」

天が指すのは元女王、蘇生を果たした日野珠。
その言葉に、創の視線が睨むように細まる。

「彼女をどうするつもりだ?」
「研究所からの要請ですので、詳細はお答えしかねます」

元女王という検体を研究所が求めている。
それに関してはそうなるのだろう。
だが、連れていかれた検体がどうなるかなど想像に難くない。

344Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:19:36 ID:CAQRuEHA0
「嫌だと言ったら?」
「あなたの許可を得る案件でもないでしょう?」

空気が張り詰める。
創がジリと距離を取るように歩を広げた。

「止めておいたほうがいい。女王の死亡に伴いこの村のウイルスの影響は薄まりました。既にこの村には部隊をいくらでも送り込める状況にある」

銃に手を懸けようとした創を静止する。
ある意味でこの村はウイルスによって守護られていた。
その守護がなくなった以上、いくらでも戦力を投入できる。

「賢明な判断を」

女王は消滅し感染拡大(パンデミック)の脅威は去った。
これ以上彼らが殺し合う理由はない。

「…………いいだろう。そちらの要求に従う」

そう言って、そうは手にしていた銃を地面に落としてポシェットを外して荷物を投げ渡した。
そして、降伏の意を示すように両手を上げる。

アンプルの効果はまだ残っている。
ここで殺し合いになっても1対1なら創が勝つだろう。
だが、目の前の天一人を殺すことはできるだろうが、それだけだ。

命を懸けて戦えば珠が助かるのならともかく、珠の身柄は奪われ創も死ぬのでは何の意味もない。正しく無駄な抵抗だ。
エージェントとして感情に任せたそんな判断はできない。
合理的に、珠の身柄の引き渡しに同意する。

「ただし、条件付きだ」
「伺いましょう」
「僕も同行する。構わないだろう? 研究所だって女王以外の元感染者も欲しいはずだ。彼女には指一本触れさせない」

どこかのエージェントのように自らを検体して差し出す。
他の生存者も気にかかるが、彼らは彼らで離脱するだろう。
今は元女王として狙われる珠の身を守護るのが最優先だ。

創であれば組織と言う後ろ盾はあるし、捕虜の扱いについて交渉もできる。
珠をただ差し出すよりはましだ。

「……まあ、いいでしょう。
 研究所に辿りついてからの処遇に関しては私の立場では約束しかねますが、道中の身の安全は保証しましょう」

特殊部隊とエージェントは条件に合意する。
下手な約束をしないのは彼なりの誠意だろう。
何かを受信したのか、天が耳元を抑え短い受け答えをする。

「上の確認がとれました。この村から[HEウイルス]の影響は晴れたようです」

特殊部隊の口からバイオハザードの終息が宣言される。
戦いはこれで本当に終わったのだ。

「西の山麓に迎えをよこしていますので、あなた方はそちらに向かってください」

天の案内を受け、創が意識のない珠の体を背負う。
そろそろアンプルの反動が来る頃だが、気合で意識を保たせる。

「あんたは同行しないのか?」
「まだ事後処理がありますので。それが終わり次第私も同行しますよ」

そういって創を見送る。
そして、珠を背負った創が立ち去るのを見届けた後、その場に残った天が創の投げ渡した荷物を回収する。
その中身を確認して、司令本部への通信を行う。

「本部。例の作戦関してですが、実行前に一つ回収いただきたい物が出たのですがよろしいでしょうか?」

例の作戦とは天が提案した流出作戦についてだ。
荷物の中に、作戦を補強する道具を見つけた。
申請を行ってから程なくして、回収用ドローンが天の下に舞い降りる。

夜の空に舞い上がっていくドローンを見つめながら、天が息を吐く。
地上の光は消え、天には光が満ちていた。

これで、天の成すべきことは終わった。
多くの犠牲払った大変な任務だった。
実行部隊の中で一番の未熟者である天だけが生き残ったのは何の因果か。

その意味を考えるには、今の天の頭は少し疲れすぎている。
防護服を脱ぎ捨て、自宅のベッドで休みたい気分だ。
ともあれ、任務完了である。

「任務完了しました。forget-me-not。帰還いたします」

【日野 珠 生還】
【天原 創 生還】
【乃木平 天 任務完了】



345Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:19:53 ID:CAQRuEHA0
「何だ…………外で何が起こっているんだ?」

研究所とは違う村に秘匿されたもう一つの地下施設。
資材管理棟と言う名の監禁室に未名崎錬は閉じ込められていた。
ずっと房の中にいた錬ですら感じられるほどの異変が外の世界で起きている。

まるで巨人でも暴れたのではないかと言う、余震が続いたかと思えば、ピタリと収まり恐ろしいまでの静寂が訪れる。
既に外の世界は終わっていているのではないか?
そんな疑念が頭をよぎり、まるでこの独房がノアの箱舟にようにすら感じられた。

外の様子はどうなっているのか?
自分たちの計画は上手くいっているのか?
指示通りスヴィアは動いてくれているだろうか?
ここを訪れた哉太たちはどうなったのだろう?

そんな疑問と不安が膨れ上がり、錬の心を埋め尽くす。
彼の双肩には世界の存亡がかかっているのだ。
こんなところで閉じ込められているのは耐え難い。
無駄とわかっていながら錬は扉に近づき開閉窓に手にかけた、ところで。

「鍵が…………開いてる?」

地震の拍子に外れたのか、扉が開いている事に気づいた。
余りにも都合のいい偶然である。
恐る恐ると言った様子で重い房の扉を開く。

久方ぶりの外の空気が流れ込む。
と言ってもまだ、地下の資材管理棟の中ではあるのだが。
長らく閉じ込められていた狭い独房から出るのはやはり解放感がある。

だが、そんな呑気な感想を抱いている場合ではない。
外がどうなっているのか分からない
研究所の連中に見つかる前にこの場を離脱する必要がある。

外に出るべく廊下を進み、地上に続くエレベータに向かう、
だが、その途中、足元に転がる板の様な何かに気づいた。

まっさらな白い廊下にこれ見よがしに転がるソレを拾い上げる。
それはスマートフォンだった。

なぜこんなところにスマートフォンが落ちているのか。
数時間前にここを訪ねてきた哉太かアニカが落としたモノだろうか?
そう思いながらスマホを拾い上げ何気なくスイッチに触ってみる。
すると、ロックはかかっていないのか画面がオンにされた。

確認程度に目を通すだけのつもりだったが、一つのテキストデータを開いた瞬間その目の色が変わった。
足を止めて夢中の様子で読み漁り始める。
そのテキストの中には、この村の暗部についての告発文が書かれていた。

それは小説家、袴田伴次のスマートフォンだった。
つまりそこに書かれていたのは告発文ではなく、単なる小説のネタ。
この村の伝承について様々なある事ない事が記述されていた。

何故そんなものがこんなところに?
そんな疑問よりも早く錬は理解した。
己が『天』に与えられた『運命』を。

使命感に駆られながら、固い廊下を駆けだした。
外の世界に続くエレベータに向かって。

彼は感染力を持たない[HE-004]の感染者である。
[HE-028]に感染せず、村外に出たところでパンデミックの原因にならない。
女王の死を知らずとも、村の外に出ることに躊躇いはない。

村の外へと事の顛末を伝える必要がある。
それこそが世界を救わんとした錬に与えられた天命である。

これが、天が司令部に提案した流出計画の保険である。

錬の閉じ込められた房の鍵が開いたのは、もちろん偶然ではない。
隠密行動を得意とする隊員――婆が工作員として資材管理棟に侵入させていた。
女王死亡後であれば山中の封鎖要因を借り出してもよいと言う判断である。

そしてしかるべきタイミングで潜入した工作員が鍵を開ける。
地面に落ちていたスマートフォンも工作員が用意したものだ。
天が預かった創の荷物にあったものをドローンによって運んで工作員によって配置された。

未名崎錬という男は、テロリストを手引きしてこの村を地獄に突き落とした実行犯の一人だ。
ただの身勝手な犯罪者であれば自分の保身に走るだろう。
だが、世界救済のために動いた思想犯であれば、そのような行動に走らない。
彼には世界の為に自らの命を投げ出す覚悟がある。

未名崎錬は研究員の一人であり、実行犯の一人として多くの情報を持っている。
そして自ら世界を救おうとする行動力を持ち、それなりに名の売れた研究者としての影響力もある。
『Z計画』の詳細の告発者としてこれ以上ない人材だ。

ヒロイズムに酔う人間は、都合よく転がっていた情報を『天命』だと思い込む。
都合のいい情報を都合よく解釈して、この情報を元に面白おかしく尾ひれを付けて喧伝してくれるだろう。
彼の脱出は見逃され、平穏無事に成し遂げられるだろう。

勘違いの使命感を抱えながら。
告発者は地上に続くエレベータに乗った。



346Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:20:16 ID:CAQRuEHA0
「……終わったな」

誰となくつぶやかれた言葉は風に流れた。
診療所の中庭でもみ合うように絡み合っていた3人の男女は、遠く離れた草原で行われた決着を感じ取っていた。

抵抗と拘束を続けた結果、三角締めからポジションを変えバックチョークの体勢に移行しており。
アニカの放つ魔力紐もその動きを支援するように哉太の両足を引っ張っていた。
それでもなお無限の耐久力と再生力で暴れまわる哉太を押さえるのに精いっぱいだったが、その動きも今となっては完全に静止している。
哉太の抵抗は既に止み、それを抑える2人の少女も何かに気を取られるように力を抜いていた。

感染者の頭の中で響く声が完全に消え去った。
心の中に終りを告げるような虚しさがある。
その結末を見届けることはできなかったが、感染者たちは実感として理解していた。

――――女王は、死んだのだと。

女王の死に伴い、己が脳内を侵すウイルスが活動を停止し始めた。
ただの寄生関係でしかなかったとしても、自分の一部だった存在の消失である。
寂しさを感じるのは、寄る辺となる女王を失い、自らも消えゆく[HEウイルス]の心なのか。

「ああ…………もう、大丈夫だよ二人とも」

仰向けに寝転がりながら、自らを押さえていた2人に告げる。
哉太の中からも、自らを突き動かすような衝動が消えていた。

それに伴い、彼女たちの異能も徐々に消え去り始めていた。
高魔力体質の消去によって魔聖剣の魔力放出も途切れはじめた。
哉太の拘束も解かれてゆき、抑え込みを行っていた茶子も技を解いて身を放した。

「あぁ……くそ、情けねぇな」

解放された哉太は悔し気にそうつぶやく。
衝動はなくなってもその記憶は残っている。
情けなさと気恥ずかしさが襲ってきて立ち上がれないでいた。

ともあれ、これで山折村で発生したVHは終わったのだ。
多くの犠牲を出し、取り返しのつかない被害をもたらしたが。
これ以上何かが失われることはないはずだ。

だが、アニカの託された為すべきことはここからだ。
山折村の正しき終焉のため、呪われた歴史に正しき終わりを。

その為に、白兎が願望機に託した願いを、正しき名で願いなおす。
白兎の望んだ「神楽うさぎ」こと、デセオの完全なる蘇生。
白と黒に分かれた肉体と魂を一つにして正真正銘の『運命』の女神の子による、因果の解体だ。

「Ms.チャコ。御守りを」
「ああ」

ようやく訪れる終りの時。
1000年の呪いより解き放たれる時が来た。
未来へのプラチナチケットを届けるためにアニカへ茶子が近づく。

「…………え」

少女の口から間の抜けた声が漏れた。
気付けば、いつの間に拾い上げたのか、茶子の手には藤次郎の刀が握られている。
その刃はアニカの腹部を拭き破り、背から鋭く突き出されていた。

時が止まったかのような静寂。
少女の血を吸った剣先から、赤い雫が滴り落ちる。

手首をひねった茶子が乱暴にアニカの体を蹴りだし、刃が勢いよく引き抜かれる。
小さな少女の体から信じられない程大量の血が噴き出した。
倒れた体は2、3度ビクビクと痙攣しながら血を噴出した後、完全に動かなくなった。

「……………………茶子、姉?」

目の前で繰り広げられた信じられない光景に哉太が言葉を呑む。
その声を無視して、茶子はアニカの手元から零れ落ちた血濡れの盃を拾い上げる。

最大の邪魔者である女王は消え去った。
手には願いを叶える願い星がある。
ならば、すべきことなど一つだ。


「―――――――願望機は、あたしが使う」


ゆらりと、終りを拒む亡霊のように、山折村の生み出した被害者(かいぶつ)は己が祈りを口にする。




「あたしは、この山折村を――――永遠に残す」




【天宝寺 アニカ 死亡】

347Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:20:52 ID:CAQRuEHA0
女王の消滅が確認されたためルールに従いオリロワZはこれで完結となります。
ここまでお付き合いくださいまして、みなさまありがとうございました。

蛇足戦&エピローグは3週間後の

8/26(月) 00:00:00

までに投下予定です

348 ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:01:12 ID:fyYMDBK20
お待たせしました
これより蛇足戦&エピローグを投下します

349Z' ―永遠の山折― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:01:55 ID:fyYMDBK20



終りの先に何があるかって?



そもそも、本当に終わると思ってた?





350Z' ―永遠の山折― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:02:32 ID:fyYMDBK20

――――2012年初春。

季節は新たな出会いを予感させる春。
山折村を取り囲む山々は色とりどりの鮮やかな色彩に彩られていた。
風が吹くたびに様々な花弁が舞い、空から虹が降り注ぐようである。

『怖い家』から逃げ延びた少女は虎尾夫妻に保護され虎尾茶子になった。
保護された直後の茶子の腕はまるで枯れ枝の様に細く、肩や肋骨は骨が浮き出るほどに肉付きが悪い。
痩せこけた体は本当に風が吹いただけで折れてしまいそうであった。

『怖い家』で食事を与えられなかったわけではない
ただ、そこの顧客は極端な少女性愛によって骨張った体を好んでおり、管理者からすれば少女たちの抵抗力を削げて両得だったのだろう。
茶子の体は年齢にしては小さく、栄養失調に近い発育不良な状態となっていた。

虎尾夫妻の献身的な介護と山折村の自然がもたらす豊かな食事環境により、ある程度は肉付きが良くなっていた。
だが、健康的な肉体を手に入れるためには、やはりある程度の運動も必要となってくるだろう。
健全な精神は健全な肉体に宿るとも言う。そう考えた虎雄夫妻は茶子を村にある剣術道場に通わせることにした。
本格的に学校に通わせる前に茶子を心身共に鍛えておこうという虎尾夫妻の配慮である。

彼女が通うことになった八柳流の道場は、基本的には村の大人たちが健康体操を行うために通う場所である。
虎尾夫妻もたまに通っているような、この山折村におけるジムのような物だった。
本格的な浅葱の道場とは違い、運動不足の子供を通わせるにはちょうどいい緩さである。

虎尾家で過ごす日々で茶子の心は徐々に癒されていたが。
義父以外の大人の男に対しては当時をフラッシュバックする心的外傷を抱えていた。
道場に通っていたのはほとんどが村の大人ばかりであるのだが、小さな村だ、そんな茶子の事情は村全体におおよそだが共有されていた。
ひたすらに周囲の視線を気にせず棒振りに励む墨の入った男もいたが、良識のある大人たちは適切な距離感を保って茶子に接してくれていた。

そうして過ごしていくうちに、茶子にとって八柳道場は居心地の悪くない場所となっていた。
そんな風に虎尾の家以外にも徐々に彼女の安心できる場所が増えて行動範囲が広がって行けばいい。
そんな山折村の優しさに彼女は見守られていたのだ。

だがある日、そんな彼女の安息の地に侵略者が現れた。
いつものように両親に見送られ剣道場に向かうと道場が奇妙な騒がしさに包まれていることに気づいた。
その騒がしさの正体は、道場を訪れた村の子供たちであった。

今年から小学生に上がるという子供たちで、話によれば今年から道場に通い始めるという事だ。
害意のない年下の子供たちと触れ合わせることで慣らして行こうという虎尾夫妻と八柳翁の粋な計らいだったのだが。
子供たちは道場に現れた見慣れない年上の少女に興味を持ったのか、茶子を取り囲むようにして遠慮のない質問攻めを行った。

「みない顔だな。だれだよお前」

リーダー格の少年は生意気な子供だった。
茶子が発育不良気味であるとは言え、明らかに年上の相手に向かって自分が偉いと言わんばかりの態度で突っかかってきたのだ。
だが、性根にある反抗心だけはその時から一人前だったのか、茶子はとりあえず拳で分らせてやることにした。
その生意気なガキが村長の孫だと茶子が知ったのは、その後の事である。

茶子と少年は互角の戦いを演じたが、すぐに周囲の大人たちに引き離された。
小さな子供に勝てなかったと恥じるべきか、男の子に引けを取らなかったと誇るべきか、難しい所だ。
ヤンチャな子供たちのグループから引き離され、両親に慰められていると師範である藤次郎が近づいてきた。

「哉太。来なさい」

そう言って、子供たちの方から一人の少年を呼び込んだ。
身内であるからだろう、他の子どもより厳しく礼儀を叩きこまれた少年は頭を下げた。

「初めまして! 八柳哉太です」
「………と、虎尾……茶子、です。よ、よろしく……お願い、します。哉…………くん」

おどおどとした様子で返す言葉が途切れる。
先ほどまで少年と殴り合っていた態度はどこへやら、年下相手に敬語で返してしまった。
持ち前の反骨精神から逆境や敵には強いが、まともな相手になるとこうなってしまう。
誘拐される前(まともだった頃)の自分がどう友達と過ごしていたのか、そんな事すら今の茶子には思い出せない。

「それなら、茶子姉だね」

そんな年上女子の挙動不審も気にせず、笑いながら少年は少女を受け入れた。
茶子も差し出された手をおずおずと握り返す。

床がひんやりとした剣道場。
外には祝福のように花弁が舞い散る。
新たな出会いを予感させる春に2人は出会った。
そんなことがあった。



351Z' ―永遠の山折― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:03:19 ID:fyYMDBK20
日本の片田舎で発生した未曽有の危機。
それは小さな村の過去から始まり、異世界と複雑に絡み合いながら魔王と旧日本軍の人体実験によってかき乱され、災厄の歴史と言う一つの紋様を編み上げて行った。
絡まった糸のように複雑に絡まったその因果は、人間とウイルスによる世界の存亡をかけた戦いにまで発展して行き、今を生きる多くの人たちの努力と献身によって終息を迎えた。

世界の危機は去った。
全てが終わった小さな村に取り残されたのは、世界の行く末を左右しない蛇足のような戦いだけである。

山折村と言う外界から隔絶された閉ざされた世界には死が満ちていた。
周囲に封鎖網を敷いていた特殊部隊も徐々に撤退をはじめている。
村に残った命はアダムとイヴの如く男と女の2つだけ。
だがそれは創世神話における最初の命とは違う、この山折村に残された最後の命だ。

世界を輝かせていた魂の輝きも風に流されるように消え去った。
残るのは死者にすら見放されたような闇だ。
何もかも死に絶えたような荒野を、太陽の光を返した死んだ月の光だけが照らしていた。

女の手には血濡れの杯。
それは死と破壊を尊ぶ魔王によって造られた、願いを叶える願望機だ。
女は血と理想に酔うように、夜の空に杯を掲げていた。

「あたしは、この山折村を――――永遠に残す」

そんな茶子の宣言に呆然としていた哉太が、ハッとしたように意識を取り戻す。
そして何よりも先に、茶子ではなく、倒れた少女に向かって駆け寄った。

「ッ…………アニカッ!?」

力なく倒れたアニカの体を抱えて、激しく肩を揺さぶる。
だが、血で汚れた青白い顔をして首をガクガクと揺らすだけで何の反応もない。

「アニカ! アニカッ!!」

何度その名を呼ぼうとも返事はない。
あれほど雄弁だった口も開かれることはなく、愛らしかった表情も永遠に変わる事はない。
もう二度と彼女が動くことはない。そこにはただ冷たい死と言う現実があった。

「…………アニ…………カ」

その現実に押しつぶされるように哉太の両肩から力が失われる。
全身を震わせながら、アニカの死体を地面に置いた哉太がゆらりと幽鬼のように立ち上がった。

「………………どう、して?」

叫び出したいほどの衝動を抑えて、震える喉から声を絞り出す。
聞きたいことは山のようにあった。
だというのに、上手く言葉にならず、そんな曖昧なことしか聞けなかった。

「言ったでしょ、あたしはこの村を永遠に残す。そのために願望機を先に使われるわけにはいかなかった」
「意味が分からねぇよ! この村を残すって何だよ!?」

当たり前のように回答する茶子に、責めるような強い語気で哉太は叫ぶ。

「だったら何でみんなを殺したんだよ!? 全部殺したのは茶子姉じゃないか!?」

このバイオハザードによって多くの住民は死に絶えた。もう、この村で生きているのは自分たちだけだろう。
自衛のためのだと、仕方ない事だと飲み込んだ感情が堰を切ったように吐き出されていた。
僅かに離れた草原には、他ならぬ茶子が築き上げた死体の山がある。
多くの人間を殺した人間の吐くべき言葉ではない。

「違うよ。あたしはこの村の汚れを綺麗にしただけ」

彼女が切り捨てたのはこの村に木の根のように蔓延る闇だ。
仮に朝景礼治や木更津組の残党が生きていたとしても、全員殺せば確実に死んでいるだろう。
ローラー作戦のように全てを切り捨て、この村を奇麗にしただけである。

「綺麗に…………? あの血と泥にまみれた死体の山が!? アニカを殺す事がか!? あんたはそんな事の為にアニカを殺したってのかよッ!?」
「そうだよ」

何の迷いもなく即答する。
村に沈殿する泥も汚れも全て掻き出された。
このVHで村に巣食った災厄や偽りの神様も排除された。
全部リセットして最初からやり直すにはいい土壌だ。

352Z' ―永遠の山折― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:03:37 ID:fyYMDBK20
「ッッ! そんな方法で何が残るって言うんだ!? 村を残すってのは、そうじゃないだろ!?」

こんなやり方は違う。
山折村を忘れない事。語り継いでいく事こそが、山折村を残すという事ではないのか。
哉太は全身を振り乱して、荒廃した何もない闇を指す。

「見ればわかるだろ!? この村はとっくに終わったんだよ!!」

喉から血が出るような叫びをあげる。
少しでも考えればわかる。もはや山折村はどうしようもない。
村とはそこで生きる人々の生活そのものだ。人が居なくては立ち行かない。
全てが死に絶えたこの村が立ち行くわけがない。

「…………終わらないよ――――あたしが終わらせない!
 終わったんならまた始めればいい、そうッ! あたしの祈りがこの村を救うんだよ……!」

そう言って、血濡れの願望機を掲げる。
だが、その杯の中に満ちているのは希望などではない、多くの死を飲み込んだ呪いの杯だ。

理屈や理論など関係ない。
茶子はただ『山折村を終わらせない』と言う、その結論にしがみ付いていた。
子供の我侭以下の現実逃避、だが、彼女は現実を超越して願いを叶える手段を知り、手に入れてしまった。

希望を唱えるその目は夜よりも暗く、闇よりも深く、泥の底よりも濁った色をしている。
茶子はもう壊れている。壊れてしまった。
哉太にもそれが、痛いくらいに分ってしまった。

「…………俺のせいか? 俺が……この村を離れたから」

茶子がこうなってしまったのは自分が村にいなかったから。
哉太が村を離れずそばに居れば、こんな事にはならなかったのではないか。
そんな深い後悔が哉太の全身を重く沈める。

「――――――それは違うよ哉くん」

だが、それは違うと。
これまでにない穏やかな声ではっきりと否定する。

「あたしは最初から壊れていたの。あなたと出会った時から、いいえ、出会う前からあたしはとっくに終わっていたんだよ」

哉太と出会った時点で茶子はとっくに終わっていた。
奪われ汚され壊され弄ばれて、救いようがないくらいに手遅れだった。
だから、きっと最初からこうなることは決まっていたのだ。

「ツギハギだらけでやってきたけど、それももう限界……。
 何が正しくて何が間違っているのかなんて、最初からあたしにはわからなかったの」

酷く疲れたように空っぽの息を吐く。
彼女が居るのは最初から手の届かない奈落の底。
自分がいれば救えたかもしれないなんて考えは自惚れでしかない。

哉太では茶子の救いにはなれなかった。
それが、あの日出会った2人の答えだった。

「だから、哉くん。それが間違いだと思うのなら、止めればいい。
 間違いだったあたしをどうか――――」

――――終わらせてね。
そう聞こえた気がした。

茶子は止まらない。
彼女にはもう自分自身でも止まり方など分からなくなっている。
それこそ死ぬまで止められないだろう。
止めるにはもう、殺すしかない。

壊れてしまった少女の抱いたたった一つの願い。
その一瞬だけが真実だったのではなかったか。

哉太は地面に落ちていた魔聖剣を手に取る。
それがこの女に与えられる唯一の救いであるのならば。
決着を望むその動きに応えるように、茶子が願望機を投げ捨て、両手で刀を握り絞めた。

「茶子姉ぇええええ――――――――ッッ!!!」
「哉――――――――くぅぅぅううんッッ!!!」

2人は互いの名を呼びあった。
いつかの春。
あの出会いの日のように。



353Z' ―永遠の山折― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:04:28 ID:fyYMDBK20

――――2012年初夏。

日差しも強くなり始めた夏
山折村は慌ただしい雰囲気に包まれていた。

今日は年に一度の鳥獣慰霊祭だ。
何もない小さな村で行われる唯一の大きなお祭りである。
都会(そと)から見れば打ち上げ花火のような派手な催しをするような予算もない小さな祭りでしかないのだろうけれど。
それでも村中が飾り付けられ、商店街には屋台が立ち並ぶ年に一度のお祭りである。
村の子供たちはその日ばかりは皆一様に心を躍らせていた。

「あれ、哉くん」

日も暮れてきた夕暮れ時。
友人たちとの待ち合わせに向かう途中、昼間の稽古でお小遣いの入った財布を道場に置きっぱなしにしていた事に気づいた哉太が八柳の道場に向かうと、そこで茶子と出会った。
茶子は一人で道場に座り込み、遠くに浮かぶ提灯の明かりをぼうと眺めていた。

「何してんの茶子姉? お祭り行かないの?」
「……ん。ちょっとね。哉くんこそどうしたの? お祭りに行ってたんじゃないの?」
「うん、今から行くところだよ。ちょっと忘れ物をして。茶子姉も一緒に行こうよ」

そう言って哉太は座っていた茶子に向かって小さな手を差し伸べた。
だが、茶子は視線を遠くから動かさなかった。
その手は取られることなく、茶子は拒否するようにゆるゆると首を振った。

「うーん。そっか」

茶子が手を取る気がない事を理解したのか、素直に哉太が手を引っ込める。
だが、哉太は剣道場から立ち去ることなく茶子の横まで移動するとその隣に腰を下ろした。

「じゃあ俺もここでいいよ」
「いいの? お友達と一緒に回るんじゃないの?」
「うーん。約束すっぽかしたら圭ちゃんは怒るかもだけど……。
 まあ今日は光ちゃんや珠ちゃんを案内するんだって張り切ってたみたいだし、俺が居なくても気にしないよ」

リーダーである圭介は引っ越してきたばかりの日野姉妹に初めての鳥獣慰霊祭を案内するんだと妙に張り切っている。
みかげや諒吾もいるだろうし、むしろ今は自分がいない方がいいまである。

圭介たちは自分が居なくても大丈夫だ。だけど、今の茶子はどうだろう。
なんとなく哉太はここにいないといけないような気がした。
遠くを見つめる茶子の瞳には大人びた達観と一抹の寂しさの様なものが混じっているように見えた。
何より、誰もが楽しい祭りの日なのに、一人でここにいるのは酷く悲しい事のように思えた。

何をするでもなく2人並んで遠くの祭りの明かりを見つめる。
時折吹き抜ける静かな風が頬を優しく撫でてゆく。
穏やかな時間、だが、哉太の心は妙にどぎまぎしていた。

この村の子供たちは一緒に生まれ育った家族のようなものだ。
だが、突然現れた年上のお姉さんである。
日野姉妹も同じような立場だが、彼は年上のお姉さんと言う存在に憧れのような感情を抱いていた。
そんな相手と2人きりと言う状況は少年心に落ち着かないものがある。

「知ってる? 屋台って木更津組の奴らがやってるんだよ」

沈黙を破るように、茶子がそんな事を言い出した。

「え、う、うん。木更津組って沙門さんの所でしょ?」
「そ、悪い人たち」

商店街に並ぶ的屋の殆どが木更津組のシノギだ。
都会ではもうあまり見かけなくなった光景だが、この山折村では未だにその手の輩が幅を利かせている。
その売り上げは反社会的活動の活動資金となる。

だが、それはお日様の匂いはダニの死体の匂いだとかと同じ知らなくてもいい話だ。
的屋に関してはシノギと言ってもアガリは大した額ではないし、荒事の起きやすい祭りに睨みを利かす治安維持の意味合いが強い。
この嫌悪感自体が、子供の浅慮に過ぎない。子供はそんな事を考えず無邪気にお祭りを楽しんでいればいいのだ。

だというのに無邪気に楽しむ気になれないのは茶子が子供ではないからなのか。
子供ではない、大人でもない。けれど、思春期で済ませるには少し行き過ぎた潔癖症である。

いずれにせよ、子供である哉太にはよくわからない話だった。
悪の組織が運営する悪いお店なんだと、朝の特撮番組に準えてそんな理解をした。
確かにそれはよくない気もしてきた。

354Z' ―永遠の山折― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:05:12 ID:fyYMDBK20
「そうだ…………!」

何かを思いついたように哉太が声を上げた。
突然の大声に、茶子は少しだけ驚いたようにビクリと肩を震わせたが、すぐにお姉さんらしく「どうしたの?」と問い返した。

「なら、来年から俺たちもやればいいんだよ! この道場のみんなでさ」
「有志の屋台ってこと?」
「ゆうし……? よくわかんないけど俺から圭ちゃんに話とくよ!
 大丈夫、圭ちゃんなら何とかしてくれるからさ!」

友人への無邪気な信頼を感じさせる言葉。
茶子からすれば生意気なガキだが、哉太からすれば何よりも信頼できるリーダーなのだ。
実際、彼に頼めばこの村の中では大抵の無茶は叶う。

薄暮の空に広がる微かな夕焼けが、静かに夜の帳へと移り変わてゆく。
遠くから聞こえてくる祭囃子の音が、村全体に賑やかさを届け始めた。
どうやら、神社の方で祭りの本番である慰霊祭の儀式が始まったようだ。

「お祭り、始まったみたいだね」
「そうね」

遠くの光に照らされて伸びた影が覆う剣道場。
祭りが騒がしければ騒がしい程、取り残されたような寂しさが訪れる。
そんな寂しさが嫌で、哉太は勢いよく立ち上がった。

「茶子姉、俺たちも踊ろうよ」
「ここで?」
「うん、祭囃子が聞こえるから、お祭りはここでもできるよ」

そう言って哉太は無邪気に踊り始めた。
拙い盆踊りのような作法も何もない踊り。

「……ぷ。ははは! へたっぴだなぁ。哉くん」

それが、あんまりにも下手くそで拙い踊りだから思わず茶子は笑ってしまった。
見てなさいと、彼に見本でも見せるように茶子も裸足のまま踊り始める。

「何だよ、茶子姉だって下手くそじゃん」
「何だとぉ〜?」

お祭りの夜。
遠い喧騒に包まれながら、たった2人の道場で拙い踊りを踊る。
メチャクチャなステップを踏む度、擦り傷だらけで色あせた木板の床が微かにきしむ音が響く。
オンボロ道場で踊ってるのがなんだかおかしくて2人して笑った。
提灯の揺れる明かりが2人を照らし、彼らの笑顔が輝いていた。

夏を目前にした水無月。
遠く祭囃子の聞こえる剣道場で。
そんなことがあった。



355Z' ―永遠の山折― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:06:03 ID:fyYMDBK20
あの夏の日のような夜の下、2人は踊る。
だが、あの時の拙い踊りとは違う、洗練された動き。
流麗なるそれはさながら美しい演舞である。

演奏に使用される楽器は真剣。鳴る音は八柳新陰流の剣術。
雀打ち、乱れ猩々、空蝉、鹿狩り、三重の舞、天雷。
歴史の刻まれた古い剣道場で、幾度も繰り返されてきた掛かり稽古。
哉太が村を離れるまで幾千、幾万と毎日のように打ち合ってきた。
違いと言えば一つだけ。それは稽古ではなく互いの命を奪いあう真剣勝負であるという事だ。

それは決別に向かう儀式のようでもあった。
彼女に人生で一番幸せだった、共に汗を流した輝かしい日々。
その在りし日の思い出が、剣がぶつかり合う度に火花と共に弾けて消える。

灼熱の様な刹那。
互いに愛し合いながら、互いの死を望む。
殺さねば止まらぬ相手、殺さねば前に行けぬ相手。
理由は違えど、もう殺すしかない。互いにそんな所まで来てしまった。

これは女王の声に促されていた時とは違う。
誰かに操られるでも誰に強制されるでもない、純粋なる己の意思で戦っている。
子供のように、歯を食いしばって泣き出しそうになりながら、されど決して譲れぬ何かのために。

山折村を存続させる
それが茶子の譲れぬ願い。

山折村さえ続くのならば、きっと全てがうまくいく。
山折村を存続させるためならば、現在(いま)を全て切り捨ててもいい。
それほどまでに茶子の山折村に対する信仰は深い。

だって、山折村には死者(終わったもの)を蘇らせる力があるのだから。
全てが砕けてバラバラになってとっくに終わってしまった茶子を、ここまで救ってくれた。
だからきっと、すべてうまくいく。

本来であればそれも終わるはずだった。
だが、願望機と言う都合のいい存在を知り、御守りと言う手段を手に入れた。
あの瞬間から茶子の心は決まっていた。

終わっても壊れても、叶うのならば動かなければ。
終わったものが空っぽのまま動く、それはまるでゾンビのようだ。
茶子はきっと――――山折村の生んだゾンビだったのだ。

カァンと、ひと際大きな火花が弾けた。
全ての思い出を打ち尽くし、名残のような火花が消える。
未来のために、己が過去と現在の全てを焼き尽くす。

焼き尽くした全てを糧とするように、茶子は動く。
全てが消え去った後、最後に残るのは決着と言う名の結晶だ。
――――恐らく次が、最後の攻防となるだろう。

月明かりが反射し、まるで一筋の涙の如く刃が煌めいた。
万感の想いを乗せ、最後の未練を断ち切るように哉太へ向かって刀を一閃する。

猛然と打ち込んできたその剣を、逃げることなく哉太は見つめる。
憧れに目を曇らせて自分が見てこなかったもの、目を背けてきたもの。
それらに正面から向き合うために、乗せられた想いごと受け止めるように哉太は剣を合わせた。

衝突する刃。
その力を哉太は巧みに八柳流『空蝉』にて受けとめる。
刀を受け止めた体勢から足を半歩引き、体重を微妙に後ろへ移動させると、自身の体を軽く回転させた。
まるで水が岩を回避するかのように茶子の剣が進行方向をずらされ、哉太の肩を僅かに掠める。

茶子の剣はまるで導かれるようにそのまま地面に向かい、刃が大地に深く突き立てられた。
瞬間。哉太の手は稲妻のように閃き即座に剣を逆手に持ち替えた。
そして、敵の握りと地面によって固定された刃の中心に向かって渾身の力で刃を叩きつける。

八柳藤次郎の刀は戦国時代より戦場を渡り歩き、この地においても最も多くを切り殺した妖刀である。
されど、その出自は聖剣でも魔剣でもないただの日本刀であることに変わりはない。
折れず曲がらずと称される日本刀も、手入れもなくここまで使い潰されればヒビの一つも入るだろう。

哉太が狙ったのはその切れ目。
その歪んだ理想ごと叩き折るように、小さなヒビに向かって哉太は正確無比の一撃を叩きこんだ。
乾いた音とともに、日本刀の刀身が絶ち切られる。

二刀『狗噛み』と並ぶ八柳哉太が開眼した武器破壊の極地。
山を描くように3点を利用し刃を断つ。
故に、その名は――――八柳新陰流・奥義、一刀『山折』

「茶子姉――――――――ッ!」

哉太は止まらず、身を捻る。
武器を失った茶子に向けて魔聖剣を振るう。
もはや茶子は殺さねば止まれない。
ならば、この一刀こそが救いである。

刃は迷いなく降りぬかれ、決着を告げる赤い飛沫が舞った。



356Z' ―永遠の山折― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:07:01 ID:fyYMDBK20

――――2017年初秋。

茹だるような暑さだった夏が終り、季節は秋の口に入った。
村を取り囲む山々は赤や黄、橙といった鮮やかな装飾に彩られ始めていた。

茶子が山折村の住民となって幾年かの時が過ぎ、彼女は高校生になった。
高校生になったと言っても、山折村の校舎は一つしかなく小中高一貫であるため、環境的には何が変わる訳でもないのだが。
変わらないのが田舎のいいところだ、なんていう人もいるが、ここまで変わらないのは流石の茶子もどうかと思う。

茶子はいつものように竹刀袋を肩にかけて、八柳の道場へと続く道を哉太と共に歩いていた。
学校から直接道場に向かう道すがら山々の紅葉を眺める。
その美しい景観に変わらぬ良さも感じられてしまうのだが。

その道すがら、前の方から複数名の作業着の男が歩いてくるのが見えた。
2人は会釈をしてその脇を通りすぎる。
しばらく歩いて、その背が遠ざかった所で言葉を交わし始めた。

「あれ。見ない顔だったね」
「工事の人でしょ? 外から来た」

こんな交通の弁が悪いだけの何もない小さな村に外から人が来ること自体が珍しいことである。
そんな時が止まったように何も変わらない山折村の時間は徐々に終りを迎えようとしていた。

村長が代替わりして村の開発計画が動き始めたのだ。
村には開発を嫌う派閥があって、すぐに大きな変化がある訳ではないだろうけど。
今は小学生である哉太と高校生である茶子が同じ校舎で授業を受けているが、噂では新しい校舎が建つなんて話もあるらしい。

「まあ、早くてもあたしが卒業した後の話だろうけど。哉くんが高校生になる頃には新校舎が出来てるかもねぇ」
「新しい校舎増やしたところで、生徒が居なきゃ意味ないんじゃねぇの。トラとタヌキのカワハギってやつ(?)だろ」
「捕らぬ狸の皮算用ね。これから村に人を呼び込んで学校に通う子供も増えるって事なんじゃない?」

開発に合わせて新しい住民の呼び込みも積極的に行われているようだ。
先ほどのように知らない人が村に足を運ぶことも増えてきた。

「こんな何にもない田舎に人が来る訳ないよ」

哉太は新村長の方針に否定的だ。
自分のテリトリーに知らない人間が土足で踏み込んでくるのが嫌と言う気持ちが半分。
閉鎖的で娯楽もない村に人が集まる気がないという諦め半分の擦れた意見だった。

だが、その意見にも一理ある。
仕事で訪れる人が増えたところで、居住となれば話が別だ。
確かに最近で言えば、浅葱碧と言う少女が転校してきたが山折村に住んでいる親族に引き取られてきたからだ。
そんな事情でもない限り、こんな何もない村にわざわざ引っ越してくる変わり者なんてそうそういるわけがない。

「あら、哉くんだって仲良くしてる日野さんたちが居るでしょ?」
「そうだけど、光ちゃんや珠ちゃんたちは圭ちゃんのおじさんが招いたって話だろ?」

日野家は現村長が未来を見据えて、事前に外部から招いた山折村移住者のモデルケースだ。
外の人間がこの村に溶け込み幸せに暮らすことが出来るかどうかを試す、いわば試金石である。
彼女たちこそ山折村の未来。外の世界との『融和の象徴』と言える存在である。

357Z' ―永遠の山折― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:08:04 ID:fyYMDBK20
「この村はいい所だよ。あたしは好きだなぁ山折村」

茶子はこの村を愛している。
季節によって色とりどりの顔を見る風景が好きだ。
漂う穏やかな空気が好きだ。
優しい人々が好きだ。

「なら、いいのかよ。山折村が変わっていくんだぜ?」
「いいんじゃない。より良くなるって言うんなら」

見慣れた光景も新しいモノに変わっていくのだろう。
より良くより便利に、よりよい未来を迎えるために。
変わっていくことは寂しいことだけど、在り続けるためには必要な事だ。

「それに、中身がどれだけ変わっても。山折村は山折村だから」

テセウスの船のように、その全てが入れ替わっても山折村はここにある。
彼女にとってはそれが重要で、それだけで十分だった。

「あたしはこの村に、返しきれないくらいの恩があるから。この村の為になるんならどんなことでしたいと思ってるよ。
 いつか、その恩を返せる人間になりたいなぁ」

この村を良くしたい。
それが茶子の願い。

将来はこの村でこの村を良くする仕事に就きたいと思っている。
この村の発展に寄与して、自分に幸せをくれたこの山折村に幸せを溢れさせたかった。
そうして、山折村の歴史の端にでも自分の名が刻まれるのなら、これほど嬉しいことはない。

「知ってる? あたし受けた恩は忘れない女なの」
「知ってるよ。茶子姉の執念深さは。昔のちょっとしたイタズラも絶対わすれないもんなぁ」
「そ。情の深い女なのよ、あたし」

愛も憎も誰よりも深い。
受けた恩も仇も必ず返す。
それが虎尾茶子という女だ。

「この村がずっと続くよう。きっと、よくするから」

小さく、誓いを口にする。
流れゆく何気ない日々。
学校から道場へ向かういつもの道で、愛(みらい)を語った。

そんなことがあった。



358Z' ―永遠の山折― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:09:10 ID:fyYMDBK20
温い風が吹いた。薄雲が月を覆い隠す。
月すらも見放されたように闇が包み、決着の時を覆い隠す。

2人の剣士は互いに攻撃を終えた体勢のまま固まっていた。
ただ血の滴る音だけが夜に響く。
まるで命が地面に吸い込まれてゆくように、濁った赤が黒い草に染み込んでいく。

薄雲が流れ、月光が差し込む。
露になった茶子の左腕から大量の血液が零れ落ちていた。
左腕は前腕部から完全に切り落とされており、切り捨てられた傷口から排水管みたいにドボドボと血が流れていた。
放って置けば確実に出血多量に至る致命傷である。

だが、その命運はまだ尽きてはいない。
茶子はまだ生きている。

更に雲が流れ、その先の哉太の姿を照らす。
次の瞬間、哉太の体がゆらりと揺らめいたかと思うと、その首がイチョウの葉のようにパクりと割れて大量の血が噴き出した。
頸動脈を切り裂かれたのだろう、噴水のように夥しいまでの赤が周囲を染め上げ、浮かぶ月すらも赤に染まる。
草原に冷たい夜風が吹き抜け、切り裂かれた肉と血の生々しい鉄臭さが漂っていた。

見届ける者もなく、誰にも知られることない勝負の決着。
届いたのは喉笛を食い破る虎の刃だった。
少年の正しさを女の妄念が上回ったのである。

哉太の放った斬撃には、ここまで積み重ねてきた彼の全て。鍛錬と経験そして想いが乗せられた間違いなく人生最高の一撃だった。
女の命を絶たんとするそこに一切の躊躇いはなく、何一つ曇りなく放たれた完璧なる一撃が破れる道理はなかったはずだ。

だが、茶子は防いだ。
武器破壊の直後と言う最大の隙を突かれたにもかかわらず。
まるでそう来ると分かっていたように、振るわれた刃を左腕を盾にして防ぐと、左腕を跳ね飛ばされながら敵を食らいつくす報復の刃で哉太の首を切り裂いた。

哉太の最高。哉太の全て。
故に――――――読みやすい。
知っているからこそ、愛しているからこそ、その一撃は彼女にとっての必然だった。

これぞ、茶子の至った奥義である。

それは技そのものではない。
無防備を晒して相手の油断と一瞬の隙を誘う。
この駆け引きこそが八柳新陰流・奥義、無刀『讐虎』の正体である。

相手の心理を読み取ることに長けた茶子の至った境地。
茶子はかつてこの奥義で藤次郎より一本を取り、皆伝を授かった。

剛力怪物――気喪杉 禿夫。
剣術無双――八柳 藤次郎。
狙撃手―――成田 三樹康。
魔王――――アルシェル。
戦鬼――――大田原源一郎。
女王――――日野珠。

この地において最も激しい戦闘を生き残ってきたのは間違いなく哉太だろう。
命を削るような実戦を潜り抜け、彼の剣士としての実力は大幅に成長し奥義の開眼にまで至った。
だが、そこには一つ大きな落とし穴があった。

この地においての戦闘は通常とは勝手が違う。
その成長は『異能』と言うあり得ない力を前提としたものだった。

確かに、勝負の機微を読み取る力や刀を操る技術は上昇しただろう。
だが、無意識に異能の回復力に頼り、避ける意識が紙一重の所で欠如するようになっていた。

359Z' ―永遠の山折― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:09:34 ID:fyYMDBK20
何より、この地で数多くの修羅場を潜り抜けたのは茶子とて同じである。
100以上のゾンビを相手にしたのだ、殺した数と戦闘回数で言えば間違いなくNo.1だ。

対して、茶子に与えられた異能は実戦において殆ど役に立たない精神攻撃を跳ね返すと言うごく限定的な異能である。
序盤で重傷を負い、常に死と隣り合わせの状態でも不屈の精神と己が実力のみでここまで切り抜け細い綱を渡り切った。
生死を分かつ嗅覚を磨いたのは間違いなく茶子の方だ。

その差は紙一重。
だが明暗を分けるには十分な紙一重だった。

「…………ごふっ!?」

裂かれた頸動脈から血を流した哉太が口から塊のような血を吐いた。
二人の血が混じり合ってできた血の海の中にその体は沈んで行った。
救いの剣は届かず、哉太の意識は深い奈落に墜ちる。

互いに、磨き上げてきた剣技と奥義が衝突した。
生きるため、生かすために剣を学んだ哉太の活人剣はその本分を果たし、殺すために剣を学んだ茶子の殺人剣はその本分を果たしたのだ。

【八柳 哉太 死亡】

「…………ごめんね。哉くん」

血だまりに沈む物言わぬ死体にそう告げて、最後の敵を切り捨て不要になった刀を投げ捨てた。
片腕になってしまった以上、刀でふさがっていては願望機が手に取れない。
茶子は血に濡れた手でポケットから御守りを取り出すと、地面に赤い一本線でも引く様に大量の血を零しながらゆらゆらと歩いて行く。
そして地面に転がる願望機の前にまで行くと、もはや誰の血なのかすらわからぬほどに薄汚れた願いの星を拾い上げた。

―――――成就の時だ。

師に売られ、全てが壊れたあの冬の日が脳裏をよぎる。
あの日に立てた誓いは、今ここに果たされる。

殆どの血液を失い紫かがった唇が深く吊り上がる。
願望の成就を目前としたその眼には熱狂と死に瀕した闇が入り交じっていた。
そうして、失われた片腕を気にせず、垂れ流す血液を振り乱しながら、彼女は勢いよく願望機を天に掲げた。

周囲には死と絶望しかない。
血と泥に塗れた世界の中心で――――願い星に希う。











「―――――――――あたしの山折村に、美しき永遠を―――――――――ッ!!」












360Z' ―永遠の山折― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:10:05 ID:fyYMDBK20
『そんな…………ッ!?』
『な、なんという』

厄溜まりの中から、その光景を見守っていた村の始祖たちは絶句していた。
捧げられた祈りは、終りではなく永遠。
山折の消滅を願う春陽たちとは対極の願いが捧げられた。

その願いに呼応するように、この厄溜まりにも変化が生じた。

厄溜まりの中心に巨大な白い渦が出現したのだ。
黒の中に浮かぶ異質な白。それは世界を穿つ特異点であった。
城を恐れるように、聖刀の生み出した結界の周囲に漂う厄が虫のように蠢く。
清廉潔白なる正しさの象徴のようであり、闇を許さぬ独善的な暴力のようでもあった。

穢れなき白だけが満ちた美しき世界。
茶子の望む山折村に災厄の居場所などない。

渦が蠢く。
漆黒の闇が飲み込まれるように白に堕ちる。
渦は奈落の底に存在する厄溜まりをさらなる深淵へと誘うように、漂う黒い靄と赤子の手を次々と飲み込んでいった。

女王や春陽たちのいる場所は聖刀による結界に守護られている。
だが、対厄に特化した結界ではこの渦の引力は防げないだろう。
ここも飲み込まれるのは時間の問題である。

自身の故郷の愁嘆場に、始祖たちは慌てふためく。
彼岸の手前に立つ女王は彼らとは対照的にどこか達観した表情でその光景を見ていた。
ただの人間でしかない一人の女の妄執によって世界が飲まれてゆく。
女王は何かに納得したようにふっと笑う。

「…………これが人の業か、敵わぬ訳だ」

渦の奔流を防いでいた結界が限界を迎え、音を立てて瓦解する。

全てが渦の中に飲み込まれていった。



361Z' ―永遠の山折― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:10:20 ID:fyYMDBK20
死と破壊の魔王の作成した願望機は願いの第一歩として厄溜まりの消滅という願いを果たした。
手始めの厄溜まりの消滅を果たしたのは、願望機の方向性が破壊に特化されているからである。

捧げられたのは村の永遠と言う真逆の願い。
運命の女神の加護を込めた御守りによってその方向性は捻じ曲げられたが、本来の機能から無理矢理に行っている事に変わりはない。
必然、そのために必要とする魔力も膨大になる。

本来であれば、願望機の発動には願望機自体に蓄積された魔力が消費されるため、使用者の魔力を必要としない。
だが、崩壊寸前の願望機の残存魔力のでは村の永遠と言う真逆の願いを叶えるにはリソースが足りなかった。

ならばどうするのか?
簡単な話だ。

――――――足りないものは他から補えばいい。

願望機が最初に求めたのは純粋な魔力だった。
だが、魔力を持った人間などこの山折村に居るはずもない。
高魔力体質のアニカも死亡した、それ以前に生きている人間などもういない。
一つの例外を除いて。

魔王と女神の娘『デセオ』。
白兎の願いによりその『肉体』だけは復活させられている。
完全復活が成し遂げられるまでの間は通常の方法では見つけられるはずがない安全圏に退避されている。

だが、願望機の創造主である魔王の血脈であったからだろう。
女王と終里の子との関係性に近いそれらは同じような繋がりを持っていた。
その繋がりを辿って願望機は『デセオ』の肉体をあっさりと発見した。

そうして、デセオの体がその魂である影法師のような幼神と共に、白い波に飲み込まれる。
魔王と女神から生まれたその存在は最高のリソースとして願望のために消費される。

だが、まだ足りない。
永劫の命を持つ魔王が生み出した超越者の玩具。
願望機は空腹の子供のように、貪欲なまでに次を求める。

願い星を掲げる茶子の体が、ふっと電源を落としたおもちゃのように力なく倒れた。

うさぎが干支時計の発動を魔力の代わりに生命力で補ったように、生命力は魔力の代替品になる。
全てが死に絶えたこの村の最後の命は、願望の成就のために捧げられた。

茶子の命は彼女の望み通り、村を永遠とする最後の礎となったのだ。

【虎尾 茶子 死亡】

白い渦が巻く。
血も肉も、光も闇も、生も死も。
呪いの杯はその全てを飲み込み。

そして、



――――全てを吐き出した。





362Z' ―永遠の山折― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:10:49 ID:fyYMDBK20
「なんだ………………?」

その異変に最初に気付いたのは、撤収を始めていたSSOGの隊員の一人だった。
オオサキの進言により事前に撤収準備を進めていたため、特殊部隊は迅速に行動を完了しており。
後はスケジューリングされたドローンの帰還を待つだけと言う段階になっていた。

だが、その帰還するドローンの最後の一台がそれを捕らえていた。
妙な雰囲気を感じて、隊員の一人がトラックに回収されたモニターに映し出された映像を見つめる。

そこに映し出されていたのは終焉した山折村の風景。
全ては死に絶え、生者など一人もいない。
死した村、終わった村の景色である。

最後の生き残りであった虎尾茶子も今は倒れ。
その手から零れ落ちた呪いの杯から汚濁のような白い液体が止めどなく溢れ出ていた。
汚泥は草原を埋め尽くし、あっというまに村全体を白く汚染するように広がっていった。
小さな人間の中に詰め込まれていた愛情と憎悪が吐き出され山折村(せかい)を満たす。

その汚泥は四方にある山の麓に差し掛かったところで流出をピタリと止める。
まるで山折村と世界を区切る境界線のように。

その光景は確かに異様である。
だが、異能に始まり、魔王の出現、女王の覚醒、光の巨人と、不可思議の連続であったこの村においては殊更驚くほどの事ではない。
危機でれば対処するし、命令であれば特攻も辞さない、それが彼らの仕事である。

それよりも隊員の目を引いたのは、その汚濁の中心で倒れ込んでいた茶子の死体が、むくりと立ち上がった事である。
上空からの監視では出血多量で死亡したと言う認識だった。
だが、そもそも上空の監視だけでは詳細な茶子の死因などわかるはずもない。
それだけなら、確認は間違いで生きていたのだろうという事で話は落ち着く。

だが、次にその脇で倒れていた八柳哉太の死体までもが立ち上がった。
流石にこれは無視できない異変である。
哉太は頸動脈を裂かれて確実に死亡したはずである。異能が消えた以上回復することもあり得ない。

そんな隊員の困惑をよそに、異変はそれだけにとどまらなかった。
更に、少し離れた位置で倒れていた小さな少女の首なし死体もむくりとその身を起こしたのだ。

隊員は慌てて撤退を始めていた周囲に異変を報告する。
その報告に周囲の隊員は迅速に動き、再度ドローンによる状況確認を再開した。

異変は村全体に発生していた。
いたるところで死体が起き上がり始めている。
何より異常だったのは、山のように積み上げられ、光の巨人の行進によってばらばらになったゾンビの死体たちまでもが動き始めた事だ。
無事だった部位同士が中に糸を通されたみたいに繋ぎ合わされ、継ぎはぎだらけの死者たちが起き上がる。

そうして、死体たちが動き始める。
舞台の中心で、空から吊るされた見えない糸で操られる人形のように茶子の死体が踊り始めた。
哉太とリンの死体もそれに応じるように楽しそうにカタカタと踊る。
動き始めた村の死体たちも、我先にと茶子たちの下に集うと彼女たち周囲を取り囲んで愉快な踊りを始めた。
王子さまとお姫さまを取り囲んで踊る様子はさながら眩い舞踏会のようである。

いつの間にか多くの隊員が目を奪われ食い入るように画面を見ていいた。
死体が動き、死体が踊る。余りにも悍ましい死者たちの宴。
そして、画面越しにその光景を見ていた、隊員の一人がぽつりと呟いた。


『――――――ゾンビだ』




363Z' ―永遠の山折― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:11:13 ID:fyYMDBK20
少女は踊る。
喜びを舞うように、くるくると。

少女は笑う。
夢見た世界の中心で、くるくると。

目の前には素敵な王子様。
手を取って、お姫様を優しく導くようにエスコートする。
ステップは軽やかに、ターンは華やかに。

いつだって、少女は誰かにそうしてほしかった。
だけど状況が、世界がそれを許さなかった。
少女が少女であるために、強くあることを強要していた。
けれど、そんなものはここではもう必要ない。

すぐ近くでは自分を慕う小さな少女が愛らしい花のような笑顔で笑っている。
何者にも汚されず子供が子供らしく居られる場所。
そうあってほしいと願い追い求めた理想の世界。
穢れのないその笑顔がここにある。

その周りでは大好きなお義父さんとお義母さんが優しい笑顔で見守ってくれている。
はすみや碧といった仲のいい友人たちの姿も見える。
役所の同僚、商店街の人々、多くの山折村の良き隣人たちが笑っている。
生意気な圭介やその子分たちは、ちょっと嫌いだけど存在することを許そう。

優しい大人たちに見守られ、大好きな男の子に、大好きな女の子と穢れのない白の世界で、少女は踊る。
嫌いを遠ざけ、穢れを消去し、好きだけを詰め込んだおもちゃ箱。
少女にとっての幸せの国。

星々が満たす夜空の輝きは、豪華なシャンデリアが会場を照らし出す光のように煌めいている。
その舞台を囲むように立ち並んでいる山の稜線に青々と茂る木々の影が会場を縁取る絹のカーテンのように優雅に揺れている。
草の上を滑る風の音は、会場に響く低く優雅なバイオリンの音色のようで、その調べに合わせて夜の影が舞い踊る。
そこは田舎の夜景ではなく、まるで壮麗な舞踏会の会場のようだ。

それは――――無垢で汚れを知らぬ少女(アリス)の夢。

終わることない永遠に続く、死者たちの踊る永遠の国(ネバーランド)。
ここには、つらい事もこわい事も何もない。
ただ、楽しくて愛にあふれた美しき世界。





山折村は永遠になった。

364 ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:11:48 ID:fyYMDBK20
蛇足戦の投下を終了します
続いてエピローグを投下します

365エピローグ ―new A― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:12:46 ID:fyYMDBK20
澄み渡る青空の下、海風が穏やかに吹き抜けていた。
巨大な船の甲板からは、広がる水平線が目に飛び込んでくる。
波は船の横腹に優しく寄せては返し、柔らかく白い泡を立てていた。

風と波の音が刻む心地よいリズムに目を閉じる。
大きく息を吸うと潮の香りが肺に満ち、べたついた風が頬を撫でる。
かつての激しい戦いの名残は、この清らかな波に浚われて消えていくようである。

――――山折村の騒動から7年の時が過ぎた。

僕、天原創は空と海に囲まれる青い世界に居た。
僕が立っているのは200mを超える巨大船の甲板である。
潮風に吹かれるたびに失われた小指の先が僅かに疼く。
誤解しないでいただきたいのだが、僕は別に優雅なバカンスに来ているわけではない。

では、何故僕がこんな青に囲まれた世界に居るのか?
それを説明するにはまずこの7年の世界情勢を語る必要がある。
この7年で世界の情勢は大きく変容していた。
まずはあの騒動から世界がどうなったかの話をしよう。

山折村の騒動が終息して一ヵ月ほど経過した頃の話だ。
未名崎錬による『Z計画』と『山折村の闇』に関する告発が行われた。

『Z計画』の自体が全世界的な機密事項である。
その告発ともなれば告発者が事前に消されてもおかしくはない事態である。
しかし、未名崎錬の行った告発は、どういう訳かどこからも差し止められることなく公表された。
それ自体がかなり不自然な出来事だが、何も知らない世間がそこに気づくはずもなかった。

この告発関して、ネット上では陰謀論に狂った男のよくある与太話と言う意見が大多数であり、そういった方向である程度の盛り上がりを見せたが。
あまり注目を集めることは出来ず、真に世間を動かすような大きな流れを作ることはなかった。

その折り目が変わったのはそれから程なくして。
山折村のバイオハザードを上空から映した動画がどこからか流出したのである。
動画はすぐさま削除されたようだが、今の時代、公開された情報はあっという間に拡散されるものだ。
むしろ、その迅速な削除が動画の信憑性を煽ったのか、動画は爆発的に拡散された。その情報がセンセーショナルであればなおさらだ。
はたから見れば、その動きまでが計算尽くのようでもある。

世論は大きく変わった。
すぐさま未名崎錬の告発と動画が照らしあわされ、どこからかそれを裏付けるような情報が次々と飛び出していった。
中には山折村の位置を調べあげ、突撃するものまで出てきた。そうして行方不明になる配信者が続出する事となり一種の社会問題にまで発展する事態となる。

国内の世論の波はもはや制御不可能な大きさまでに膨らみ、その余波は海を越え世界を巻き込んでいった。
世界の滅びを伝える『Z計画』の情報流出は世界に多くの混乱を生んだ。
滅びに絶望した人々や情報を秘匿していた不審により暴動にまで発展して流血沙汰に発展した国も少なくない。
その混乱で生じた負傷者は数え切れず、死者は8000万名以上とされている。

この事態に対する厳しいマスコミの追求に日本政府は追い詰められるように『Z計画』の存在を暗に認める事となった。
同時期、示し合わせたように日米間で共同研究に関する協定を表明。
日米地球保護協定(JU Earth Protection Pact 通称:JUEPP)が結ばれた。

暴動の広がる中、その他の国もこの流れを無視する事はできなくなり。
滅びと言う絶望に対して否定し続けるよりは、希望と言う特効薬を掲げる明確なヴィジョンを打ち出した方がいいと判断する国も出始めてきた。

EUではまずドイツとイタリアが『Z計画』の存在を認め、JUEPPへの参加を要請。
国民の世論に押されイギリスを始めとしたEU各国も追従する動きを見せ、その動きは中東、中南米にまで広がっていった。
これによりJUEPPから世界保存連盟(Global Preservation Alliance 通称:GPA)に名を改められる。
国連加盟国の半数以上がGPAへと参加した段階で、大国のなかでは最後まで『Z計画』の存在を否認していた中露も観念したようにGPAへの参加を表明した。

GPAは治安維持を目的とした国際連合軍を結成。
各国で行われる暴動の大半は治安維持部隊によって鎮圧され、維持活動が行われることとなった。
この動きに対する反発する動きや抵抗組織も生まれたが、結果として世界の治安はそれなりに落ち着いたようだ。

366エピローグ ―new A― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:14:02 ID:fyYMDBK20
そうして、研究所の思惑通り世界は滅びと言う共通の敵に対して手を取り合うことなった。
各国で秘密裏に行われていた研究も大半が表向きには公開される運びとなった。
それで表沙汰にできない非人道的な実験や研究がやりにくくなったというデメリットはあったのだろうが。
『Z計画』立ち上げから8年、既にその手の研究だけでは煮詰まっている段階であり、新たな風を呼び込むこの流れは各国の研究機関にとっても渡りに船だったようだ。
水面下で行われていた非人道的実験で得た裏のデータもふんだんに生かされているようで、最初から表で手を取り合うよりある意味ではいい状況だったようである、これも思惑通りなのだろうか。

当然の流れとして、その発端となった山折村で発生したバイオハザードの存在も世間に知られる所となった。
同時に、研究所の存在が公になった事により、第二の山折村になるのはごめんだと周辺住民から研究所に対する大規模な反対運動が巻き起こった。
流石に自分たちの命がかかった研究目的からして取り壊せとまでは言わなかったが、研究所は転居を余儀なくされた。

世論の後押しによって目論みが叶った代償に、世論の圧力によって移転を余儀なくされたのはままならないモノである。
そうして、騒動を受け研究所は拠点をいくつか転々と移し、最終的に落ち着いたのがこの青い海の上である。
つまり、この船こそが現在の研究所の活動拠点なのだ。

そして山折村から研究所に移送され、東京の研究所での軟禁生活が始まって1週間ほど経過した時の話だ。
上でどういうパワーゲームが行われたのか知らないが、研究所を通して所属する諜報局から研究所の警備及び協力員として働くよう辞令が下った。
そんな訳で現在の僕は研究所の協力員と言う名の立場で殆ど軟禁されているような状態であり。
蟹工船のような過酷な環境ではなく、太平洋のど真ん中で停留する豪華客船のような巨大な船舶での暮らしは快適であるのだが、ここ数年陸地を踏んだことがないと言う海の男もびっくりな生活をしている。

だが、ここに居るのはエージェントとしての仕事だけと言う訳ではない。
元女王である彼女が不当な扱いをされないかの監視と牽制と言う個人的な騎士(ナイト)の役割もあった。

研究所に運ばれた後も珠さんは意識を取り戻すことはなかった。
しばらく眠り続けた後、意識を取り戻したのは三日後の事だった。

状況を理解していない彼女に事情を説明する必要があった。
彼女の意識が女王に乗っ取られてからこれまでに起きた出来事は誤魔化せるような話でもない。
見知らぬ研究所の大人が行うよりも、顔見知りが行った方がいいだろうという判断もあり僕は自ら説明役を買って出た。
元女王の精神的負荷を考えてか、研究所側もこの提案を受け入れた。

研究者たちに退席願い、研究所の一室で僕は山折村で起きた出来事の顛末を彼女に説明した。
事情の説明を受けている間、彼女は取り乱すでもなく凜とした様子でその事実を受け入れていた。
女王に乗っ取られていた際の彼女の意識がどうなっていたのかは分からないが、もしかしたら最初から彼女は知っていたのかもしれない。

同じ経験をした人間として彼女に故郷の滅亡を伝えるのは心苦しかったが、同じ経験をした人間だから伝えられることもある。
少しだけ、自分の話をした。潜入調査員としての偽りの経歴ではなく、本当の自分の話を。

そして、研究所に軟禁された現在の状況、元女王として研究材料にされる未来も伝えた。
研究所には伝わらないよう、自由を望むのであれば絶対に何とかするとも伝えた。

彼女にとって研究所の連中は僕にとっての魔王と同じ恨むべき存在だ。
別派による犯行であり直接的な関与は否定しているが、世界を救うと言う大義の為に村を犠牲にしたことに変わりはない。
そんな相手に協力するなんて、耐えがたい精神的苦痛を被る行為だろう。

だが、彼女は恨み言一つ吐くことなく、自ら研究への協力を申し出た。
自分が世界を救う一助になるのであればと彼女は言った。
あの村で起きた出来事が意味のある事であったと、スヴィアに貰った命は意味があったのだとその価値を証明するために。
それこそが、喪われたモノを残す事だと、そう言っているようでもあった。

彼女の実際の心情までは慮れない。
だが、強い人だと、素直にそう思った。

367エピローグ ―new A― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:14:22 ID:fyYMDBK20
その後、元女王の体に念入りな身体検査が行われ、彼女の生命活動は人間とは違う法則で行われているという結果が出た。
これは女王になった後遺症と言うより、怪異によって命を蘇生された影響であるという事らしい。
その体を嘆くでもなく、彼女は怪異となってまで自分を生かした恩師に感謝をするように命を抱きしめていた。

それから、元女王の協力と山折村で獲得した多くの成果もあり、[HEウイルス]は数年で[HE-031]と言う完成品へと到達した。
そこにアメリカが行っていた遺伝子操作による極限環境でも生存可能な人類を作るという『超人計画』が合流され、[HEUウイルス]と名を改めより先へ向けた研究開発が現在も行われている。

その他の国の成果としては、アメリカとロシアが共同開発した宇宙壁によってガンマ線バーストの被害は4割減と言う予測が出ている。
中国の掲げる地下都市計画とバイオシールドの構築技術は各国に共有され、南米で行われるバイオプラントによる持続的なエネルギー開発と食料供給に生かされていた。
イギリスの進めていた遺伝子バンクとクローンによる人類再生計画は凍結されたが、そこで培われた遺伝子工学は[HEU計画]にも多大な影響を与えている。
オセアニアではガンマ線が海水に遮られる特性を利用して、海洋ベースとなる深海基地を作成して生態系維持に勤しんでいる。
インドの行う瞑想と意識進化による精神的防衛も、異能の実在が明らかになった今となってはバカにできない話である。

巨大な共通の敵に一致団結するのもまた人の本質だ。
一つでは足りなくても、多方面から相互作用を及ぼし、滅びの回避に向かって一致団結している。
多くの混乱あったけれど世界各国が手を取り合って、世界はいい方に回っているのだろう。

世界を巻き込む大きなうねりを前に、小さな村の行く末など気に留める者はいない。
あの地獄はきっと、人類史と言う大きな視点で見れば正義だったのだろう。



368エピローグ ―new A― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:14:48 ID:fyYMDBK20
海を眺めて物思いに耽っていると、海に照り返された日の光が目に入り、太陽が頂点に近い事に気づいた。
それでランチの約束があった事を思い出して僕は少しだけ足早に食堂に向かう。

ランチの時間にも関わらず食堂の席はまばらだった。
研究員と言う生き物が規則正しい生活を送る訳がない、と言うのを差し引いても今日は少ない。
食堂の外の廊下はバタバタとしており本日の研究者たちは特別忙しそうである。

世間がせわしなく働く平日に一人休日を楽しんでいるような不思議な気分である。
ガラガラの食堂を悠々とカウンターまで移動して、日替わりランチを2つ注文した。
本日のメニューは鮭のムニエルのようだ。

食事の乗ったプレートを両手に持って食堂のテーブルを通り過ぎ船の食堂から移動する。
待ち合わせ場所はここではなく海を望むバルコニーである。
待ち合わせ相手は周囲を一望できるそこでの食事を好んでいた。

「お食事ですか。天原さん」
「長谷川博士」

その途中でスーツの上から白衣を纏った妙齢の美人と鉢合った。
現在の研究責任者である長谷川真琴である。
慌ただしい様子からして食堂に向かう訳ではなさそうである。

「お忙しそうですね」
「ええ。いよいよ明日ですから」

明日。その言葉に僕も表情を引き締める。
来るべき日に向けて、研究所は忙しく働いているようだ。

「明日、ですか……」
「ええ。染木博士の悲願ですから。その人が誰よりも、この日を楽しみにしていたでしょうから」

そう思いを馳せるように長谷川博士は手にしていた書類の束を胸元で強く握りしめた。
[HEウイルス]開発の最高責任者、染木百之助博士。
染木博士は研究の完成を目前とした昨年、死亡した。
特に何の裏も陰謀もない老衰、つまりは寿命である。131歳だった。

旧日本軍が山折村にて行った不老不死実験の関係者である染木は祖母と同じように実験室で未完成の細菌を二次被害的に感染していた。
だが彼らは、人よりも老化が遅いというだけで彼らは不死ではない。
老化現象が常人の半分の速度だったとしても戦後から85年、常人だとしても90前後の肉体年齢という事になる。大往生である。
直接見たわけではないが、所長である終里も80年来の友人の死にすっかり気落ちしているという話だ。

そう言えば、山折村から研究所に連行された僕たちを出迎えたのも老研究者だった。
珠さんは目覚めることなく眠り続けていたが、彼女を背負ったまま研究所の門をくぐったところで食わせ者の老人と対峙する。
処遇に関して警戒心を全開にして応じていた僕に対して、老研究者は実にあっけらかんとした様子で額にある火傷の様な跡を掻いて。

『拷問? 人体実験? シナイシナイ。ナンか意味あるソレ?
 無駄なストレスかけても実験結果のノイズにしかならないヨ。ソリャ、スト耐実験も必要な時はヤルけどサ。
 ストレス反応に関してはアノ村で十分すぎるほどデータは採れたからネェ。暫くは必要ないかナァ』

暗に必要であれば非人道的行為も辞さないと言っているようなものだが。
少なくとも、当面はその手の実験は行なう気はないようであった。

『アァソウなの? キミ桜宮くんのお孫さん? 懐かしいナァ。ワタシねぇキミのお母さんのおしめ替えた事もあるんだヨ』

そして事情聴取なのか雑談なのかよくわからないやり取りをしている中で、こちらの出自を知った染木老人はそんな何とも微妙な情報を伝えてきた。
ともあれ老研究者の言葉に偽りはなく、定期的な投薬と問診、血液採取と全身検査を行うくらいのもので、少なくとも非人道的な扱いを受ける事はなかった。

「お忙しいところ足止めしても申し訳ないですし、それでは僕はこれで」
「ええ、珠ちゃんにもよろしくお伝えください」

簡単な挨拶を交わして分かれる。
研究員たちとの関係はこんなところだ。
相容れぬ相手でも、数年を同じ釜の飯を食って過ごせば少しは気安くもなるだろう。



369エピローグ ―new A― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:16:14 ID:fyYMDBK20
「あ、こっちこっち」

海を臨む船のデッキから元気よく手を振る少女が一人。
そこには、7年と言う歳月ですっかり伸びた髪を潮風に靡かせた少女――――日野珠が待っていた。

「お待たせしました。珠さん」
「いつも。ありがとうね、創くん」

すっかりこの呼び方にも慣れてしまった。
少女らしいかわいらしさは、成熟した女性の美しさに変わっていた。
外見は彼女のお姉さんに似てきたように思えるが活発な性格は相変わらずだ。

「また魚かぁ。お肉食べたいなぁ」
「それは次の補給がくるまで我慢ですね」

物資は2週間に1度ヘリで運ばれてくる。
補給の直前になると色々と不足する物資も出てくる。
海上での軟禁生活も慣れたものだが、食事環境に関しては不満があるようだ。

「それに、もうじきこの生活もおしまいですから」
「そっかぁ。別に名残惜しくはないけど。普通の生活に戻るのかぁ」

明日。全てが終わる運命の日。
研究員たちがバタバタと忙しそうにしているのもそれが原因だ。

世界崩壊の日『Zディ』を翌年に控えGPAは計画のマイルストーンを公開した。
その中で『Zディ』に備えるための『Xディ』として[HEUウイルス]の散布日が決定された。
国連の行った意思調査によって全世界の8割弱がGPAの計画を支持。
反対する過激派組織なんてのも生まれてしまったが、実施しなければ世界が滅ぶのだ、実質的に他の選択肢はなく計画は実施される運びとなった。

その『Xディ』が明日である。
今日は文字通り世界の変わる前夜だ。
それが完了すれば協力員である僕らはお役御免となる。

「珠さんは、どうするんですか?」
「どう、って言われてもなぁ、故郷もないわけだし」

彼女の故郷である山折村は滅んだ。
あの地で戦った者として、その結末に疑う余地はない。
少なくとも僕らを輸送した特殊部隊の男からそう聞いている。

特殊部隊の連中との接触はあれが最後だった。
山折村に派遣されていた特殊部隊の連中も同じく研究所と連携を取っているらしいが一度も接触はない。
船上に缶詰になっている自分の立場では知れる情報は少ないが、共に提携している研究所の本拠地という事もあり、風の噂を伝え聞く事もある。

その噂によると、あの事件を担当した隊長は独断専行の責任を取って辞任。
現場で成果を上げた男が新隊長として着任したという話だが、事実関係は定かではない。
詳細を確認するすべはないし、別段確認するつもりもない。
元より存在しない組織である。もう会うこともないだろう。

ともあれ故郷が滅び、それからの7年を研究所で過ごした彼女に帰る場所などない。
僕も同じ立場だが、エージェントとしての立場と師匠に叩き込まれた一人で生きる術がある。
残酷な質問だが、彼女の前途を思えば確認しない訳にもいかない。

「協力員として報酬は出ているはずですので当面の金銭面は心配いらないと思います。
 機関から住居の支援や生活の補助を受ける事も出来ますので、必要であれば僕に言っていただければ」

珠さんはため息をつく。
今後の身の振り方について真面目に離したつもりだったが、どういう訳か不満げだ。

「情緒がないなぁ、創くんは」
「?」
「ま、その辺は頼らなくても働き口くらいなんとかなるでしょ、これでも短大卒だかんね。通信教育だけど」

幸いと言うかなんというか、検査の時間以外は自由時間であり船内での行動の自由は認められていた。
もちろん外出は許されないが、そもそも海の上では逃げようもない。

船内には研究員の運動不足解消のためにジムと言った設備も充実している。
だが研究者は基本的に運動嫌いなのか普段は閑散としており、利用者は僕と珠さんくらいのものだった。

それ以外だと正直、勉強くらいしかすることがない。
様々な学術書が取り揃えられており、周囲には天才的な研究者だらけのこの船は学習環境としては最高と言っていい環境だった。
特に長谷川博士は意外に面倒見がよく、彼女の勉強をよく見てくれた。
そうして、船上からの通信教育で大学に通い見事昨年卒業を果たした。
彼女はこの状況にあってもしっかりと未来を見ている。

370エピローグ ―new A― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:16:38 ID:fyYMDBK20
「まさかいきなり一人で暮らすつもりですか? 世界がどうなるのかもわかりません、ある程度は機関の支援を受けた方がいいかと」
「こらこらマイナス思考はいかんよぉ、創くん」

[HEUウイルス]が散布されれば人類は異能と言う新しい力を得ることになる。
滅びを回避した所で、良い方に転がっていくのか、それとも悪い方に転がっていくのか。
世界がどう変化するのか、少なくとも僕には予測もつかない。

「きっと、いい未来が待ってるよ」

そう言って、水平線を望むバルコニーから世界を端まで眺める。
そう確信しているのではなく、そう彼女は信じているのだ。
それは願いのようでもあった。

「強いですね」
「まあ、信じるだけならタダだかんね」

そう言って、シシシとイタズラに笑う。
出会った時のまま、彼女らしい太陽のような笑顔で。
やはり彼女にはそのような顔が似合っている。

それから自然と山折村の話になった。
意識的に避けていたわけではないが、7年間この話題について殆ど話すことはかなった。
世界の犠牲になった悲劇の村の話ではなく、楽しかった思い出や仲の良かった友人たちの話。
そんな、どうでもいいような大切な話をした。

「そういえばさぁ」

珠さんが鮭のムニエルにナイフを入れながら、何気ない様子で、山折村に残された最後の謎に切り込んだ。

「春ちゃんは春陽さんと誰の子孫だったのかな?」

普通に考えれば後妻を取ってその間に生まれた子供というコトになるのだろうが。
伝え聞く春陽の人柄を思えば、妻である祈に操を立てて後妻などとらなかったという印象もわかる。
その疑問に、僕は自分なりの考えを述べた。

「それは、祈さんでしょう」
「けど、2人の子供は義理の娘であるうさぎさんだけだったんだよね?」

それでは血縁関係ある春姫は生まれない。
勝手な想像ですが、と前置きをして話始める。
語りは名探偵から諜報員にバントタッチして7年前にバスで語られた推理の続きを行おう。

「八尾比丘尼の肉で隠山祈は蘇らなかった。
 それは蘇生に失敗したのではなく、別の命を蘇らせたとは考えられないでしょうか?」
「どいうこと?」

珠さんは首をかしげる。
よくわかっていない彼女に向けて、はっきりと答えを告げた。

「彼女は春陽さんの子を妊娠していたのではないでしょうか?」
「つまり、蘇ったのはいのりさんじゃなくて、腹の中にいた子供だったって事?」

そんな事実はどこにも記録されていない。
つまり、自覚症状すらない妊娠初期であった可能性は高い。
その意見を受けて、珠さんは考え込むように腕を組んで、うーんと唸った後。

「…………ちょっと無理がない?」
「僕もそう思います。まあ、素人推理なんてこんなものですよ」

胎児が蘇ったところで、母体が死んでは助からないだろうとか。
その後の記録が一つも残っていないのはどうしたのだとか。
少しでも考えればボロボロと矛盾点がでてくる。

名探偵ではないのだ。快刀乱麻を断つ名推理とはいかない。
そうであったらいいな、と言う希望を語っただけである。

371エピローグ ―new A― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:16:52 ID:fyYMDBK20
「ごちそうさまでした、と」

昼食と一緒に話題も終り、珠さんが空になったプレートを持って立ち上がる。

「創くんのも片付けておくね」
「ありがとうございます」

一人取り残されて、彼女に倣って水平線を臨む。
山折村から続く物語もこれで本当にひと段落する。
これより先、古い世界は終わりを告げて、異能が当たり前の新しい世界が待っている。

結果だけ見ればあの女王が望んだ細菌との共存であるのだが。
皮肉にもあの女王の反乱が細菌の意思を明らかにし、人間はそれを制御する方法を生み出した。
細菌の自由意志と言う物は剥奪され、人間の都合のいい道具になった。それが本来の正しき形であるかのように。

その現状に、明確な意思を持った細菌と言葉を交わした唯一の人間として思うところはある。
だが、彼女を殺した自分に、何も語るべき資格はない。
そこに後悔などあるはずもないが、そうまでして手に入れた未来は素晴らしき未来になるのだろうか。

「終りの先に何があるのでしょうか?」

両手にプレートをもってバルコニーを後にしようとしていた彼女に問いかけていた。
彼女は足を止めて首だけで振り返り、当然のように言ってのける。

「次の何かが始まるんじゃない?」

世界の変わる前夜。
不安と希望を胸に抱いて僕ら眠る。
未来がより良いものであるといいと祈りながら、新しい世界を出迎える。



372エピローグ ―new A― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:17:11 ID:fyYMDBK20




































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..........XX年後。

373エピローグ ―new A― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:17:36 ID:fyYMDBK20
とある小学校の朝。
授業前の教室の騒がしさはいつの時代も変わらない。
とりとめのないお喋りの声が教室の外まで響き渡り騒がしい空気に包まれていた。


     「ふぁ〜お〜っす」       「おはぁ〜」
                                     「おはようございます!!」

    「おはよう〜」            「ケンちゃんおはよう」

               「おはよう」
      「なんか顔青くね?」         「お〜す」

                        「あ、宿題忘れちゃった! ゆっくんの宿題コピーさせてよ!」
 「やべっ腹痛くなってきた」
                             「ダメだよ、って言うかコピーガードされてるしょ」
               「今度の休みどこいく?」
   「うんこマンじゃん」                   「実は3組にそれを突破できる異能をもってるやつがいてさ」

      「なぁ、昨日の配信見た?」
                    「俺ん家でよくね?」     「えぇ? そんなの異能検診で見つかるしょ?」

「ちげぇよ! うんこじゃねえよ! けど保健室行くわ」
                            「へっへ、実はさぁ、俺の異能と組み合わせればできちゃうんだよ、コンボだよコンボ」
  「見た見た、あの都市伝説ってマジなのかな?」
                       「お前んち飽きたわ」
     「バカだなぁ、ホントじゃないから都市伝説なんだろ?」            「マジぃ? 激アツじゃん」

                     「はぁ? 新しいゲーム落としたけどお前にはやらしてやんねぇ」
 「あれはマジっぽかったけど。山奥の川に居るって言うカッパ、動画もあったし」
                                         「昔は異能もなかったんでしょ?」
              「いや、嘘だって怒んなって」

「変身型の異能使ったどっか変態でしょそれ、1000年生きてる不老不死の研究者の方がマジっぽくね?」

       「よかった、ギリギリセーフ」                  「うっそ〜、どうやって暮らしてたの〜?」

 「1000年は流石に嘘でしょ、じゃあ悪名高い犯罪者だけが閉じ込められる秘密の刑務所があるとか」

      「せんせー、おそいねー」                  「なら最初に異能が確認されたのがどこか知ってる?」

  「それはあんじゃない? アルカなんとかってのも昔あったらしいし」        「知らない〜。アメリカのどっかじゃないの〜?」

 「あと、そう。山の奥深くにあるっていう、迷い込んだら二度と出られない村」       「ぶっぶー。日本なんだって」

   「あ〜。あれはマジっぽかったね、個人の異能って感じでもなかったし」     「へぇ〜。そぅなんだ〜」

         「村の名前も言ってたね、たしか……」   「なんか、なんかどこかの田舎らしいよ、名前はえっと……」



             「「――――――――山折村って言うんだって――――――――」」

374エピローグ ―new A― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:17:59 ID:fyYMDBK20
投下終了です
これにてオリロワZは終了となります、ありがとうございました
改めまして、これまで作品を投稿してくださいました書き手の皆様、ここまでお付き合いくださいました読者の皆様に感謝を
この企画に関わった皆様が少しでも楽しんでいただけたなら幸いです、それでは!

375名無しさん:2024/08/25(日) 19:39:56 ID:66IbuOnY0
完結おめでとうございます!!
茶子が作り出した澱みの発生は残念で吐き気がするものだったけど、世界はちゃんと存続できたし生還者が少なからずいたのは安心しました。
オチのお約束も見事!
次回作がありましたら、また応援させていただきます。

376 ◆dxXqzZbxPY:2024/08/25(日) 21:31:48 ID:QHzxWZco0
世界的には存続していく平和になったみたいだし、巻き込まれた人達の中で生還者もいた

だけど山折村はZombieによる『永遠』が続く終焉...Zになったという...甘くて苦い終わり方...こういうのをビターエンドというのでしょうか...

今日最終回を迎えた仮面ライダーガッチャードのラスボスであるグリオンは、永遠の美しさに固執していた

だが彼のもたらそうとした黄金の永遠というのは事実上のその先...何も変わらない...終わりそのものだった

仮面ライダーガッチャードでも、このssでも気づかされましたね、永遠というのは終わりそのものであるという事を、茶子は永遠に気づかないのだろう、事実上彼女の世界での山折村は多くの人達に『終わり』と認識されている事を...まぁそれでも彼女にとっては続いているからどうでもいいかもしれないが...

...まさか私が彼女に与えたフリータイムがこうも影響を与えるとは予想外にも程がありました...あの頃も私に教えてあげたいですね、マジで

もし茶子が蛇足の行動を起こさなければ...何年か経ったら村に訪れる人がいて...村がどういうものだったのかを詳しく伝える人が現れたのかもしれない、アニカや哉太等が色々頑張ったかもしれない、そしてそれが繋がっていけば...多くの人達の中で...しっかりと様々なものが...続くはずだったんですけどね

生き残った2人の関係者や、タイミングよくたまたま村の外にいた...村に住んでいた人達が何を思ったのか、少し気になりますが...まぁこれは下手したら蛇足になるかもしれませんし、触れても触れなくても、どちらでもいいかもしれませんね

H3bky6/SCYさん、そして他の作品を執筆した皆さん、長きに渡る執筆、お疲れ様でした!!

377 ◆dxXqzZbxPY:2024/08/25(日) 21:33:26 ID:QHzxWZco0
永遠の美しさに固執していた→永遠に続く金の美しさに固執していた

でした、すみません


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