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オリロワZ part3

1 ◆H3bky6/SCY:2024/03/13(水) 00:16:49 ID:QzrhQns60
【この企画について】
ゾンビだらけの村を舞台にしたオリジナルキャラクターによるバトルロワイアルです。

【wiki】
ttps://w.atwiki.jp/orirowaz/

【したらば】
ttp://jbbs.shitaraba.net/otaku/16903/

【予約スレ】
ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/16903/1669810644/l50

【地図】
ttps://w.atwiki.jp/orirowaz/pages/10.html

【過去スレ】
初代
ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/12648/1669975499/l50

part2
ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/12648/1676547808/l50

2 ◆H3bky6/SCY:2024/03/13(水) 00:17:47 ID:QzrhQns60
【舞台について】
・山に囲まれた田舎町、山折村が舞台となります
・唯一の出入り口であるトンネルは地震で倒壊しているため通り抜けはできません
・地震の起きた直後であるため他の建物も倒壊している可能性があります
・周囲は山々は特殊部隊によって封鎖されているため山越えを行おうとした場合メタ的な都合で確実に処理され死亡します
・妨害電波が展開されているため通信機器はスタンドアローンでしか使用できません、これは特殊部隊員も同様です
・電話回線やインターネット回線といった外部への連絡手段は全て遮断されています
・上記設定は物語の進行によって変更される可能性があります

【地図について】
・施設はキャラシートに合わせて追加する予定です
・施設の要望があれば参考にしますのでキャラシートのついでに書き込んでください

【異常感染者[ゾンビ]について】
・参加者以外の村民はゾンビとなって村内を徘徊しています
・ゾンビは正気を失っており攻撃的な人格を持ち本能に従った行動をとります
・どの程度の攻撃性なのかは元の人格に依存します
・事態の解決後に回復の見込みがあるため、あまり殺さない方がいいかもしれません

【女王感染者[A感染者]について】
・参加者の誰か1名がA感染者となります
・誰がA感染者であるかはメタ的な都合で後付けで決定されます
・死亡者がA感染者であるかどうかは監視映像を解析した研究員が判断するため定例会議パートで裁決されます
・A感染者の死亡が確認されると本ロワは終了します

【支給品について】
・特殊部隊員は防護服、拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフが固定初期装備となります
・村民に支給品はありませんが、元から持っていた物を初期アイテムとして持たせることは可能です
・そのキャラが持っていて不自然なものでなければ特に制限は設けませんが度を過ぎた物や数だった場合、企画主判断でNGを出す可能性があります
・無限容量を持つ不思議ディパックはありません

【定時パートについて】
・参加者向けの放送は基本的にはありませんが、放送設備はあるため後の展開次第では行われる可能性があります
・6時間ごとに特殊部隊隊員と研究所所員の定例会議が行われ、定例会議パートが投下されます
・このパートは企画主である私が書きますので募集などは行いません

3 ◆H3bky6/SCY:2024/03/13(水) 00:18:05 ID:QzrhQns60
【予約について】
・予約を行う際にはトリップをつけてください
・予約は必須ではありません
・予約期間は予約開始から7日とします
・1作以上投下している書き手のみ予約延長が可能となります
・延長期間は7日とします
・分割投下は無しです
・自己リレーとなるキャラを含む予約は作品の投稿から48時間は禁止します(投下は可)
・トリップ変更などでこれらルールを回避しようとした場合は悪質とみなし1発アウトとします(管理人からは分かりますので)
・上記ルールは進行状況によって変更される場合があります

【作中での時間表記】(深夜0時スタート)
深夜:0〜2
黎明:2〜4
早朝:4〜6
朝:6〜8
午前:8〜10
昼:10〜12
日中:12〜14
午後:14〜16
夕方:16〜18
夜:18〜20
夜中:20〜22
真夜中:22〜24

【状態表テンプレート】
各話の最後に以下のテンプレに従って表記してください。

【現在エリア/詳細位置/日付・時間】

【キャラクター名】
[状態]:
[道具]:
[方針]
基本.
1.
2.

4 ◆drDspUGTV6:2024/03/17(日) 23:03:18 ID:.N.kjibw0
投下します。

5幼神レクイエム ◆drDspUGTV6:2024/03/17(日) 23:06:10 ID:.N.kjibw0
これは、とある少女の前日痰(プロローグ)。

折れた街灯に照らされるのは死肉を貪る亡者。
鳴り響く音楽は呻き声と悲鳴、咀嚼音の入り混じったハーモニー。
地獄と化した深夜の住宅街を少女は一人、息を切らせながら駆け抜ける。

「……くっ……つぅ……!」

苦悶の声が漏れる。乱雑に包帯が巻かれた左腕に今一度強烈な痛みが走り、思わず足が止まる。
立ち止まって破裂しそうな肺を落ち着かせながら、少女は右手に持つ救急箱に目を向ける。
早く彼の元へと急がなきゃ。でないと私の家族みたいに手遅れになる。

思い返されるのはほんの僅か十数分前の出来事。
大地震が起こった後、幼馴染の恋人の無事を互いに喜んだのも束の間、
避難所の学校へと向かう最中、彼の容体が急変。強がる彼を物陰で休ませて救急箱を取りに自宅に戻った。
しかし、そこにあったのは――。

「二人共……?。何を……しているの……?」

月明り以外の光源のないリビングで、妹と父親が母親を貪り食っていた。
声に二人が振り向く。薄闇の中で濁った四つの瞳が少女(えもの)へと向けられる。
少女が後退り、逃げ出そうとするも間に合わず。二体のゾンビはかつての家族へと襲い掛かった。

「づ…ああああああッ!!」

思わず身構えた左腕に妹が齧り付き、肉が食い千切られる。
血が湧き水のように流れ出す。白い腕が歯形に抉り取られ、ピンク色の筋肉の隙間から白い何かが露わになる。
姉の肉を咀嚼する妹。次いで父が歯を剥いて愛娘へと迫る。
迫りくる死。少女の脳裏を過るのは今まで生きてきた僅か十八年の記憶。
両親との思い出。妹との思い出。幼馴染の親友たちとの思い出。
そして、強がりで威張りんぼな、大切な彼の顔。
瞬間、自分の中で『何か』が生まれたような直感。それに従い、襲い来る二人の家族に命じる。

『止まって!』


そうして少女は窮地を脱した。二人の家族は今、鍵をかけた両親の寝室に閉じ込めておいた。
じくじくと痛む左腕の肉が蠢くような感触がする。同時になぜか思い浮かぶのはもう一人の幼馴染の少年。
ノイズ交じりの放送が事実だとしたら、誰も彼も――。
不安が不安を呼び、少女の心の中に暗雲が立ち込める。

「……急がなきゃ……!」

少女の目に映るのは強い光。それを追うために少女は夜の街を駆け、『最悪』を目の当たりにする。

「う……そ……!?」

呆然と少女は絶望の言葉を呟く。右手から救急箱が落ち、地べたに医療物資をまき散らした。。
物陰で休ませていた最愛の恋人。意地っ張りで、誰よりも優しい幼馴染の男の子。
目の前の彼が浮かべる表情は快活な笑顔ではなく虚ろな表情に。
きらきらと星のように輝いていた眼差しは白濁した瞳に。
少女の家族と同じように、恋人は食屍鬼(ゾンビ)になっていた。
だが、無防備になった少女を少年が襲う気配は微塵もない。

「……………」
「………え?」

生ける屍と化した少年がか細い声で何かを呟く。
少女は正気を取り戻して聞き返すが、返ってくる言葉は意味のない呻き声だけ。
ふと、少女の頭にノイズ交じりの放送の内容が蘇る。

『……ウイルスには全ての大本となる女王ウイルスが存在する。
女王は1人にしか感染せず、周囲のウイルスを活性化させ増殖を促す役割を持っている……。
これを消滅させれば……自然と全てのウイルスは沈静化して死滅する。
正気を失い怪物となった住民も……多少の後遺症は残るだろうが…………適切な処置を受ければいずれ元に戻るはずだ……』
まだ、希望はある。女王ウイルスをどうにかすれば、恋人とまた笑い合える日々が戻る。
少女の胸に決意の炎が灯る。身体の奥底から力が沸き上がってくる。
恋人の笑顔を思い浮かべながら、『異能』を発動させる。
少女の差し出した手に少年の手が重ねられる。

「圭ちゃん。私が貴方を絶対に助ける。だからついてきて」



6幼神レクイエム ◆drDspUGTV6:2024/03/17(日) 23:06:37 ID:.N.kjibw0
暮れの日と夜闇が混じり合い、空のキャンパスを相反する色彩で染め上げる黄昏どき。
神道において人の世が神域へと繫がる端境は時間と空間の両方にあるとされており、黄昏は時間に該当する。
空間も同様。御霊代を擁する神奈備や神社を取り囲む鎮守の森などヒトと自然が曖昧な場所が神域へ誘う端境とされている。
時間と空間。両方の端境にある山折村。コンクリートで塗装された道に映されるのは、手を繋いだ二人の少年少女。

「づぅ……何だ、これ……?」
「……圭ちゃん、本当に大丈夫?」

『あの子』が待つと言われている山折総合診療所に向かう途中、少年――山折圭介は突き刺すような頭痛に顔を顰める。
その様子を感じ取り、圭介の恋人である少女――日野光は足を止め、片手で頭を抑える彼を心配そうに見やる。
自分を見つめる恋人に「大丈夫だ。心配すんな」と声をかけようとして彼女の顔を見た瞬間、言葉を失う。
胸元まで伸びたふんわりとしたセミロングの黒髪。
垢抜けていないが思わず見惚れてしまうしまうような愛らしい顔。
そして、闇夜の中でも輝く『金色の瞳』。
姿も、声も、繋いだ手の温かさも圭介の心は目の前の『ナニカ』が日野光だと告げている。
しかし、山折圭介の中の何かが否定している。

『やっぱり、気づいちゃうか』

光の穏やかなソプラノボイスから一〇歳ほどの感情の読み取れない幼い少女の甲高い声に変化する。
圭介の心情を読み取ったのか。目の前の『光』は気遣わしげな顔からどこか諦めたような表情に変わった。
そして、目の前の少女は圭介から顔を逸らすと、彼の手を引いて診療所までの道を歩き始める。

「な……何なんだよ……!?夢……?まだ俺は夢の中に……ぐぅ……!!」

再び起こる激しい頭痛。ズキズキと脳を搔き回されるような激痛に圭介は額を押さえ、目を閉じる。
何が何だかわからない。どこからが夢でどこからが現実なのか。そもそもつい先ほど見ていた夢すらもおかしい。
同年代の哉太とは幼い頃から幾度となく喧嘩をし、その度に光に「喧嘩両成敗」と仲裁されてきた。
だけども、自分は一度も光に暴力を振るったことはないし、哉太を病院送りになるまで怪我させたことはない。
まるで自分の記憶を元に作られた物語。山折圭介という人間の人格を貶めるための二次創作ようだった。
痛みがほんの少しだけ和らぎ、目を開ける。
霞む視界に霞む視界に映る地面は罅割れたコンクリート製の道路ではなく、白いリノリウム――山折高校の床。

「は……?え……?」

困惑が脳を支配し、周りを見渡す。
白い石膏ボードの壁。
画鋲で張り付けられたオープンキャンパス案内のポスター。
真新しい窓に映る夕暮れの空。
そして、圭介の手を引くどす黒い靄に包まれた薄汚れた小さな手。
彼の手を引き、診療所までの道のりを先導していた存在。それは圭介が愛する日野光ではなく。

「――――ひっ!」

か細い悲鳴が喉の奥から漏れ、少年の表情が強張る。
黒い手を振り払おうとする。しかし黒い靄が腕に纏わりつき、脱力したように力が奪われ、腕の力が抜ける。

くすくすくすくす。

圭介の腕に纏わりついた黒い靄と少女らしき存在から溢れ出す黒い靄。その両方からくすくす笑いが校舎の廊下に響き渡る。
カチカチと圭介の頭の歯車が逆巻きに巻き戻る。違和感を鍵に封じられた記憶の扉が開かれた。

7幼神レクイエム ◆drDspUGTV6:2024/03/17(日) 23:07:06 ID:.N.kjibw0
『お前の願いはオレに届いた』
『ざまぁみろ、哉太』
『てめえの不幸に酔いしれて悲劇の王子気取るんじゃねえクソガキ!!』

『別れましょう』
『裏切者は、許さない』

「あ、ああ、ああああ………!!」

思い出した。思い出して、しまった。
魔王から与えられた力で『山折圭介』という人間が積み上げてきたものを全て否定したことを。
自らの所業で。自らの業で。全てを失ったことを。
沸き上がる自らの存在否定。もう片方の手で首に爪を立て、ガリガリと掻く。
痒い。痒い。痒い。痒い。痒い。痒い。痒い。痒い。
首だけじゃない。舌の先も痒い。早く。早く噛み千切ってしまわなければ。

くすくすくすくす。
圭介への福音のように。少女の身体から、腕に纏わりついた黒い靄から忍び笑いが漏れる。
衝動と『ナニカ』からのせせら笑いに少年は誘われ、そして―――。

『少し黙って』

少女の言葉にピタリと闇からの笑い声は止まる。
同時に圭介の中から沸き上がってきた自殺衝動も何かの力で無理やり沈静化させられた。
そのまま影法師の少女は困惑と自責の念を残したままの圭介の手を引いて廊下を歩き続ける。

『アナタが無辜の人々を使い捨て、たくさんの友達を切り捨てた『裏切者』には変わらない。
だけど、使い方を間違っていたとしてもたった一人の大切な人のために力を使っていたのを知っている。
それに、わたしの故郷――地球にとっては異世界かな?そこの侵略者である『余所者』の魔王に心を付け込まれた。
力を与えると同時に人格を捻じ曲げて、願いを叶えた後で正気に戻し、肉体から依代の魂を追い出す。
それが奴の手法。あのまま魔王が討伐されなかったら、アナタはいつか最悪の結末を迎えていた。
だから、わたしと『彼女』は魔王がアナタに興味をなくすため……願いを持てなくするために徹底的に追い込む必要があった。
……結論。山折圭介……アナタには情状酌量の余地がある。それに、わたしも『彼女』もやり過ぎた事に罪悪感を感じている』

圭介に背を向けながら語られる言葉の雰囲気は幼さを感じさせながらも穏やかかつ厳格。
どことなく知り合いの女王気取りを思わせる口調だが、最後だけは彼女が決して口にしないような懺悔を述べていた。
一呼吸置いた後、影法師の少女は再び言葉を紡ぐ。

『……アナタを想う「彼女」の魂は完全に消滅した。こちらの世界に干渉することは普通なら二度とできない。
普通なら、ね。だから普通じゃない方法を使って彼女を呼び出して、こちらから会いに行く』

少女の言葉に困惑しながらも、圭介はもう一度辺りを見渡す。
茜色に照らされる白い壁。カツカツと二つの足音が響く廊下。木材とプラスチックが混じったような校舎独特の匂い。
圭介の五感全てが少女に手を引かれながら歩いている場所が山折高校だと告げている。
自責の念に苛まれながらも困惑を隠せない圭介の様子など気にも止めず、少女は言葉を続ける。

『わたしが元々持っていた力――思いや記憶を元に異界として具現化させ、願いを叶えるための過程を作り出すもの。
願いを叶えるためにはこの中で自分で行動しなきゃいけない。ホラー映画に出てくる謎の異空間みたいなものだと思って欲しい。
でも、今のわたしの力は大部分が失われている。不完全でも何とか疑似再現できた「これ」は表面を真似ただけのハリボテ。
ただ、お散歩するための空間にしかならない。だけど『異世界』だから現実を無視してこちらには無理やり呼び出せる。
魔王が持っていた死体を疑似蘇生する死霊術。それを応用する。
亡骸になった『彼女』の脳から生前の人格と記憶の情報を得て、消滅した魂を魔王の死霊術で強制的に『彼女』を蘇生する。
でも、生命活動が停止した器に魂を映してもそれは死体に変わりない。所謂ゾンビになってしまう。
魔王は個性を奪った上で魔力を流し込んで兵士に仕立てあげてたけど、魔力を失ったわたしにはそこまで。
だから、わたしは魂を蘇生させるだけに留めた。脳が死んでいる以上、魂を宿しても食欲だけで動くゾンビにしかならない』

そこまで言うと不意に影法師の少女は足を止める。
地球の法則が成立しないような事象の数々。情報の波に晒された圭介は困惑一色であった。
少女が繋いでいた手を放し、彼女のすぐ隣を指差す。何も理解できぬまま圭介は指し示した方向へと顔を向けた。

8幼神レクイエム ◆drDspUGTV6:2024/03/17(日) 23:07:28 ID:.N.kjibw0
「……ここは、俺のクラスの教室……?」
『うん。蘇生した人間の魂は元の身体へと向かう習性がある。わたしが「彼女」の遺体に乗り移って動かしていたのはそのため。
だけど「彼女」はアナタに合わせる顔がないらしい。遠目でこちらを伺っていただけで接触する気配はなかった。
だから、魔王の力とわたしの力を使って仮初の肉体と存在できる場所を作ってあげた。
この異界の中に限り、彼女は生きていた頃と同じ姿に戻ることができる。
……魔王みたいな事をしなくちゃいけなかったのは業腹だけど、わたしの好き嫌いで決めていちゃ誰も救われない』

「魔王」という言葉に心底の嫌悪感を露わにして少女は話を終え、教室のドアの取っ手に黒い小さな手を当てる

「ちょ……ちょっと待ってくれよ。お前の話、突飛過ぎて何も分からねえよ!
お前は一体何者なんだ?俺をどうするつもりなんだ?!」
『どうもしない。少なくとも今はアナタの敵ではないよ、山折圭介』

困惑と恐怖が入り混じった表情を浮かべながら、眼前の幼い少女に問い掛ける圭介。
そんな彼の様子に少女はぶっきらぼうだが、少しだけ優しさを感じさせる声で答える。

「だったら、お前が何度も繰り返している「彼女」って誰のことなんだ?!」
『………「彼女」はアナタが良く知る人物。その子は、この扉の先にいる』

ぼかされた様な答えに少年は不安を感じ、影法師の少女への不信感と恐怖を募らせる。
圭介が口を挟む前に影法師の少女は取っ手を引いて教室の扉を開いた。
誰もいない校舎の中にガラガラと音が鳴り響く。そのまま少女は遠慮なしに教室の中へと足を進めた。
影の少女に続くように圭介も恐る恐る教室へと足を運ぶ。

夕日に照らされる誰もいない筈の教室。教壇と三十の机が立ち並ぶ小さな空間。
その中心にある机に座るのは、顔を俯かせた高校生くらいの一人の少女。
圭介と実体を持った影法師。二人の存在に気付くと少女はゆっくりと顔を上げる。
愛らしい柔らかな笑みを浮かべていた顔――その面影は見る影もなく、やつれ切っている。
大きく見開かれた綺麗な瞳――暗く淀み、頬には涙の跡がくっきりと残っている。

「な……え……?」
「う……そ………?」

山折圭介は/■■■は、その顔を知っている。
誰よりも大切に思っていた彼女/彼。激情に任せて裏切り、絆を自ら断ち切った二人。

「圭……ちゃん……?」

圭介が言葉を発する前に、少女――日野光が先に口を開いた。



9幼神レクイエム ◆drDspUGTV6:2024/03/17(日) 23:08:05 ID:.N.kjibw0
……あんな別れ方をした以上、そう簡単に元鞘に戻るわけないか。何となく想像はできていたよ。
でも二人共、気持ちは分からなくもないと思うけど、再会直後のあのやり取りは酷いと思う。

山折圭介。戸惑いながら一歩歩み寄った日野光に対して怯えた顔で「日野……」って返すのはちょっとないかな。
もう一度言うけど気持ちは分からなくもない。でも、本心では彼女との関係を元に戻したいんでしょう?
心が弱っている今、酷だとは思うけれどアナタ自身も踏み出さなきゃ何も変わらない。

日野光。脳から記憶を読み取ったからアナタの事情も、アナタの気持ちもわたしに伝わっている。
関係修復のために自ら歩み寄ったことは評価できる。でもね、怯えられたからと言って引き下がるのはまずいと思う。
彼を同じように追い込んだ以上、わたしが言う資格はないと思うけど、弁明する前に謝らなくちゃ。

…………これ以上待っていても埒が明かない。先にわたしが山折圭介にアナタの事情を説明するね。
少し待って?だったらアナタ自身で彼に話す?無理でしょ。今のアナタの精神状態じゃ、お茶を濁すのが精一杯な筈。
山折圭介。今から話す内容は聞くアナタにとっても罪を他人(わたし)に話される日野光にとっても辛いと思う。
それでも山折圭介は知らなきゃいけないし、日野光は死者として山折圭介に色々なものを託さなきゃいけない。

じゃあ、話を始めるね。
まずは前提から話そう。何故わたしが日野光の事情を知っていたか。
それは山折神社の封印が解かれて最初に出会ったものが、肉体から離れて彷徨っていた日野光の霊魂だったから。
そこで彼女の霊魂から事情を聞いた。まさかその最中に幼馴染二人の喧嘩が始まって彼女が止めに走ったのは予想外だったけどね。
別に怒ってはいないよ。こっちが話を聞くためにを呼び止めたんだし、事情は人それぞれだ。

……話を戻そう。日野光はわたしに今の山折村の惨状や異能、未来人類発展研究所について教えて。
まるで予め全て知っているかのようで、つい十数時間前に巻き込まれた人間とは思えない情報量だったんだ。
理由をすぐに問いただした。わたしの想像では日野光の両親が研究所に関わっているんじゃないかっ思ってた。
でも、推測は違っていた。帰ってきた答えはあまりにも荒唐無稽、でもそうじゃなきゃ説明がつかない。

日野光はアナタがゾンビに変わる筈の6月19日午前0時13分7秒から何度も2日間を繰り返してきた。
所謂並行世界の記憶をリレーしながら、並行世界を渡り歩いて、今の世界へと辿り着いた。
渡り歩いていたどの世界でも日野光が女王感染者で、アナタはゾンビ。二人揃って正常感染者になる世界はなかった。



10幼神レクイエム ◆drDspUGTV6:2024/03/17(日) 23:08:26 ID:.N.kjibw0
「死……ねェ!!死ね!!死ね!!死んでしまえええええええええ!!!!!!」

燃え盛る古民家群。炎熱地獄の中で、少女はナイフを幾度となく振り下ろす。
彼女の眼下には白髪交じりのぼうぼう頭の老人――満足そうな表情で息絶えている六紋兵衛。
『人狩り』となった彼の最初の犠牲者は帰省してきた幼馴染の少年――八柳哉太のゾンビ。
次いでゾンビ化した親友の上月みかげ、正常感染者になっていた湯川諒吾も殺された事を知った。

「ぅああああああああああああああああああああッ!!!!

絶叫。六紋の死体には数多の刺傷が刻まれ、光の行為は老人の死を冒涜する以外の意味を持たない。
それを理解していても尚、光の身体は止まらない。止める気すらもない。
理由は数メートル先。そこには頭を撃ち抜かれ、風穴からピンクの脳を零れさせた少年――山折圭介の骸。

「ひ……光姉ちゃん!もう止めろよ!!そいつはもう死んでいるんだぞ!!」
「五月蠅い!!離せェ!!」

光の狂乱を見兼ね、スパイキーヘアの少年、九条和雄が腕を掴むも振り払い、彼の矮躯を突き飛ばす。
痛みに呻く彼の様子など気にせず、再び六紋老人への復讐を続けるべく刃を振り下ろそうとする。
しかし、光の腕が振り下ろされることはなかった。誰かにナイフを持つ手を掴まれ、そのまま頬に衝撃が走る。

「え……雨流、くん……?」
「正気に戻れよ、光さん。リーダーのアンタが取り乱してどうするんだ」

目の前には腰に日本刀を携えた中性的な少年、暮村雨流。見兼ねた彼が光の頬を張り、正気を取り戻させたのだ。
恋人を失い、呆然と涙を流す光。そんな彼女を包み込むように抱きしめるのは雨流の姉、暮村沙羅良。
慈しむような抱擁。喪失感や無力感を自覚し、光は彼女の胸で子供のように泣きじゃくった。

「ありがとう、沙羅良さん。それからごめんね、皆。取り乱しちゃって」

未だ燃え盛る古民家群をバックに光は仲間達三人に頭を下げる。
沙羅良と和雄は気丈に振舞う光を心配そうな目で見やり、雨流は腕を組んで醜態を晒した光に鋭い視線を投げかけている。

「これから、診療所に向かおうと思うの。そこにVH解決のための糸口があると思う」
「アンタの言ってたイベントが光として可視化される異能。そいつが診療所を指し示していたのか?」

光の提案に雨流は鋭い視線を向けたまま問いかける。沙羅良と和雄は納得していたが、雨流には引っかかるところがあったらしい。
その問いに首肯する。雨流は何かを考えこむかのように少しの間だけ考え込んだ後、再び口を開いた。

「……光さん。VHが起こる前、泊まる所がなかったオレと姉ちゃんを家に泊めてくれたよな。
アンタの善性は信頼できる。でも、今のアンタはどこか危うい感じがするんだ」
「ちょっと、雨流くん。光さんはさっき恋人を失ったばかりなのよ。そんな言い方――」
「姉ちゃん悪い。だからこそ言わなきゃいけないんだ」

弟の不遜な言い方を姉は咎めるために口を挟もうとするが、彼の言葉がそれを制する。
姉思いの弟は、光の目をまっすぐ見据えて言葉を紡ぐ。

「オレ達三人はこれからも変わらずアンタについていくつもりだ。
でも従属するってわけじゃない。さっきみたいな事があったらオレは力ずくでもアンタを止める」

診療所へと続く一本道。光を先頭に暮村姉弟と九条和雄は夜闇の中を進む。
暮村雨流は危惧していた。光は自分達に何かを隠しており、最後には自分達を裏切るのではないかと。
その推察は間違ってはいない。気丈に振舞ってみせていたのは、どす黒い感情を覆い隠すためのもの。
圭介が殺され絶望に沈む中、『HE-028-A』は希望を見出し、光は己の余分を切り捨てる覚悟を決めた。

『転生保証 (クリア・ボーナス)』。診療所の一室でゾンビ化した山路フジが得るはずだった異能。
つい一週間前のボランティア活動でフジと知り合い、彼女からの信頼を得ていた。
光の異能であれば『転生保証』の再現が可能。それを知ったのも進化した彼女の異能の力。
今は亡き東大の異能。彼と最初に遭遇したお陰で自身の異能について知ることができた。

―――――――――――――――――――――――――――――――――
村人よ我に捧げよ(ゾンビ・ザ・ヴィレッジクイーン)
現在生存しているゾンビが得るはずだった異能を再現する異能。
ゾンビ化前の人間の人物像を知っていなければ異能を再現できない。
支配する異能はゾンビ化する前の人間からの好感度が高いほど再現度が高くなる。
――――――――――――――――――――――――――――――――――



11幼神レクイエム ◆drDspUGTV6:2024/03/17(日) 23:08:59 ID:.N.kjibw0
日野光にとっての最初の幕引きは48時間の時間切れ。爆撃でゾンビ諸共山折村は焼き尽くされて終わった。
でも、日野光は斉藤拓臣の異能で資材管理棟まで避難して終わりを乗り切って生き延びたんだ。
……三人の仲間は診療所で待ち構えていた特殊部隊に皆殺しにされたよ。分かりやすいスケープゴートとして使い潰された。
診療所で日野光がやりたかった事は、異能の持ち主である山路フジの安全確保。それは、地下研究室の一室に隔離された。

目的を達成した女王感染者は、60時間後に再現される山路フジの異能に祈りを込めた。
『次こそ山折圭介を生き残らせたい。もう一度チャンスが欲しい』ってね。
日野光はこの時、空腹とストレスで脳が回っていなかった。それ故に願い事に具体性がかけてしまっていた。
……それが、日野光の最大の過ちで彼女にとっての無間地獄の始まり。

日野光の異能はあくまで再現。完全に再現するには山折圭介や日野珠くらい関係性が深くなければいけない。
山路フジとそこまで親しくない以上、『理想の世界へと作り変える』だなんて大それた事は実現不可能だった。
60時間後、日野光はアナタがゾンビ化した時間――6月19日午前0時13分7秒へと記憶を持ったまま巻き戻らされた。
その時、彼女は絶望した。でも、前の記憶があるんだから今度こそうまくやれる筈って自らを奮い立たせた。

だけど、またしても彼女の思い通りにはならなかった。
正常感染者と化した山折村の住民も、現れた特殊部隊も、挙句の果てには地下研究所の場所すらも変わっていた。
それでも諦めきれずに必死で彼女は足搔いた。でも、山折圭介の死は変えられず、自らが女王感染者であることも変わらなかった。
48時間を繰り返す間に、日野光は幾度となく山折圭介の死を目撃し、時には志半ばで日野光自身が死ぬこともあった。
日野光は死んだとしても劣化コピーした『転生保証』から逃れられることはできなかった。
50回目を超えた辺りでもう日野光の心は擦り切れ、ただ当初の目的を達成するために手段を選ばなくなっていったんだ。

157回目のリトライ――前の周回で漸く日野光が山折圭介と共に無間地獄を乗り越えられる最大のチャンスが訪れた。
一週間前に山折村に赴任してきた教師、未名崎錬。彼が女王ウイルスを無効化できる手段を発見した。
青葉遥の右手に宿る異能『細菌殺し(ウイルスブレイカー)』。
この異能で日野光の『HE-028-A』を沈静化させれば、VHが収束する。日野光は山折圭介との明日を迎えられるはずだった。

……日野光が女王感染者だと言うことは山折村を封鎖した特殊部隊員達にも伝わっていた。
後はアナタの思っている通り。特殊部隊員――五十嵐藤枝の襲撃から日野光を庇って山折圭介が死んだ。
その瞬間、ただでさえガタガタだった日野光の精神が限界を迎え、壊れた。
膨大なストレスで自我が芽生え始めた『HE-028-A』が覚醒。もう取り返しのつかない『第二段階』になってしまったんだ。



かつて山折村の経済を支えていた商店街。辺り一帯に散在するのは地震によって倒壊した建物だけではない。
若い女の死体。幼い子供の死体。壮年の男の死体。老若男女問わず多種多様な屍が肉片を散らしながら転がっていた。
転がる死体の中心にいるのは三メートル程の巨大な餓鬼――かつて黒之江和真と呼ばれていた地獄の使者が一人。
餓鬼道に堕ちた好青年は共に戦っていた浅黒い肌の少女――ホアンを一心不乱に食らい続けている。

餓鬼畜生が食事を続ける先には長い青髪の美女の死体。右手と下半身がすっぱりと切り取られている。
そのすぐ傍には同様に引き千切られた斑模様の防護服。中には特殊部隊員の血肉が詰まっている。

それらの更に向こう側。死体の山が築かれているその先には二人の生者。
一人は白い骨を全身に身に纏う赤髪の少女――浅葱碧。
身体の所々が欠け、溶かされたその姿は満身創痍。罅割れた骨剣を杖代わりにして立っている有様。
もう一人は光を放つ宝聖剣ランファルトを片手に持つ女王。その名は――。

「くひっ」

――日野光。

12幼神レクイエム ◆drDspUGTV6:2024/03/17(日) 23:11:16 ID:.N.kjibw0
「――――――」

たった一人生き残った赤髪の剣士。喉は焼かれ、内臓をいくつか潰され、意識を保つのがやっとの状態。
それでも、碧の目から闘志が消えることはない。やっとの思いで剣を持ち上げ、半ば砕けた足で水月へ踏み込まんとする。
しかし、奇跡が起きることはない。

振り下ろされた骨剣は聖剣によって砕かれ、剣の形を失う。
間を置かずに聖剣が碧の腹部へと突き刺さった。
刺さった聖剣を抜こうと、赤髪の少女は指の欠けた両手で忌まわしき聖剣の刀身に手をかける。

「厄(や)け、ランファルト」

たった一言の詠唱。高熱を帯びた聖なる光が剣士を細胞ごと焼き尽くした。
後に残るのは塵芥。浅葱碧の生きた証は風に吹かれて跡形もなく消し飛んだ。

生者の蹂躙を終えた後、日野光は最後の仕上げをすることにした。
彼女の視線の先には、自身の肉体から弾き出された元の宿主である『日野光』。
腰を抜かし、恐怖に震える日野光(ぼうれい)へと日野光(じょうおう)が一歩一歩と迫る。
逃げ出したところで最早意味はない。ただ数秒だけ寿命が延びるだけ。
そして最後の一歩が踏み出される。亡霊の目の前に映るのは女王の醜悪な笑顔。
剣を振り下ろされ、そして――――。

運命のターニングポイント。6月19日午前0時13分7秒へと巻き戻り、記憶を受け継いだ直後に日野光はゾンビとなった。



――ここまでが日野光の顛末。彼女が全てに絶望したところで劣化『転生保証』が終わり、今の時間軸に至った。
158回目の今、ようやく彼女は地獄から解放されたんだ。……少しだけ待って。話していたわたしも辛くなってきた。

…………話を再開するよ。彼女曰く、今回の正常感染者は一人を除いてどこの時間軸にも現れてなかったんだって。
その一人は誰かって。…………神楽の末裔。一度として挫折を経験していないお子様。
精神の上に立つ土台がしっかりしているから我が強く見えるだけ。土台が崩れれば一気に崩壊するタイプっぽい。
……前例があるんだよ。鴨出真麻。我欲でわたしの友達が立てた小さな祠を壊した痴れ者。

……話を脱線させるのはわたしの悪い癖。反省しなきゃ。
アナタが魔王に乗っ取られた直後、彼女の狼狽は酷いものだった。
よりにもよって一番大切な存在が女王感染者だと思い込んでいたんだよ。
あまりにも酷いから、魔王の仕業だって教えたよ。そこから先は察しが付くでしょ。
『転生保証』から解放された時のように逃げ場を全て断って、絶望させること。
アナタにあそこまで怒りをぶつけたのは、かつての自分の所業を思い出したからなんだ。
「別れる」って口に出したとき、日野光はアナタと同じくらい苦しかったんだと思う。
だって正気を失わずに地獄巡りをしてきたのは、アナタへの想いが支えになっていたんだから。

――悪いお知らせ。ついさっき女王感染者が自我に目覚めて宿主を乗っ取り始めた。
わたしが魔王の力を取り込んでいた時、宿主に気付かれないよう、下品な笑い声をあげていたよ。
でも、まだ時間はある。アナタの友達の集団の中には、何らかのきっかけで九条和雄にそっくりな力に目覚めた子がいる。
その子ともう一人。あの集団の中には女王感染者の運命測定から逃れられた子がいる。
……空気読めなくてごめん。そんな事言ってる場合じゃなかったよね。

……この世界を維持できるのは今のわたしじゃあと僅か。わたしは一足先に出ていく。
日野光。
山折圭介。
月並みな言葉しか言えないけど、残された時間を大切にね。



13幼神レクイエム ◆drDspUGTV6:2024/03/17(日) 23:11:41 ID:.N.kjibw0
徐々に空が夜闇に染まっていく。
この空間が漆黒に染まった時、山折圭介は生者として現世に残り、日野光は死者として黄泉へと旅立つ。
二人並んで、ガラスをに寄りかかる。床に置いた少年の手に少女の手が重ねられた。
二人で過ごす時間はこれが最期。別れの言葉も慰めの言葉も思い浮かばず、沈黙だけが夕暮れの教室を支配する。

「……俺達のファーストキスは、事故……だったよな」
「…………そうだね」

漸く絞れ出せた言葉は、何の変哲もない日常の思い出。
そこからぽつぽつと二人は会話を続ける。

「去年の郷土史のレポート……山の生態系を調べようって、二人で山の探索をしたよね」
「ああ。あの時は俺、完全に小学生に戻っていたな」
「…………野生返り?」
「そうかも。レポート用の写真撮ってるお前をほっぽいてカブトとかクワガタ追ってた」
「それで、二人して迷っちゃっんだよね」
「暗くなってきてさ。俺、本気で野宿を考えてたよ」
「最終的に猟友会の嵐山先生に助けられたんだよね。その後二人して滅茶苦茶怒られたけど」
「まあ、遭難しかけた甲斐があってできたレポートもそれなりの出来に仕上がっていたよな」
「…………今年のゴールデンウイーク、二人で沖縄旅行に行ったよね」
「…………だな」
「計画を立てたのは去年の冬頃で、二人でバイトして旅行費貯めたよね」
「俺は岡山林業で木材運び、光はモクドナルドでだっけ。学校に許可貰って放課後とか土曜とか二人で働いたよな」
「でも、結局お金が足りなくなって、両親に援助してもらったんだよね」
「大人の財力って奴を見せつけられたな」

ありふれた日常の会話。何も起こらなければ、この思い出は甘酸っぱい青春の一部となる筈だった。
だけど、二人が揃って大人になることはない。日常を失った今、アルバムは遺品へと変わる。

もうじき夜が来る。胡蝶の夢は現実に押しのけられ、二人の時間に終わりが近づく。
語る言葉が付き、包み込む夜に静寂が満ちる。
不意に、圭介の胸に光の頭が押し付けられる。

「圭ちゃんが何度も死んだ事も、私が死んだ事も、何もかも全部夢だったら良かったのにね」
「光…………」

身体にすっぽりと収まる小さな想い人の身体をそっと抱きしめる。
別れの時が近づく。慰める言葉も送る言葉も何も思いつかない。

「…………やっぱり、やだ」

大切な少女の絞り出すような声。声が詰まり、少年は強く抱きしめる

「やっぱりやだ……やだよぅ……!死にたくない……死にたくない………!!」
「光………!!」

堰を切ったように溢れ出す光の涙が、圭介の服を濡らす。

「まだ死にたくない……!!圭ちゃんと一緒にいたい……!!ずっとずっと一緒に……うううううううううう………!!」
「ごめん………ごめん光……!!俺、お前を守り切れなくて……お前を悲しませて……!!」

おっとりしていてしっかり者。だけど少しだけ嫉妬深い普通の女の子。
威張りんぼで頑固者。だけど正義感の強い普通の男の子。
現世と幽世。二人の世界はもう交わることはない。
暗闇が近づく中、二人は抱き合って子供のように泣き喚く。
別れの言葉も残さず。爽やかとは程遠く、みっともなく。
泣いて、泣いて、泣いて、泣いて。

―――胡蝶の夢が終わり、現実が訪れる。



14幼神レクイエム ◆drDspUGTV6:2024/03/17(日) 23:12:25 ID:.N.kjibw0
夢が終わり、吹いた水無月の夜風が座り込んでいた少年の身体を撫でる。
少年の目の前には目的地であった診療所。想い人の面影は影も形もなくなっていた。

「光……」

想い人の名を呟く。彼女との邂逅は夢に過ぎなかったのか。
違う。彼女のぬくもりがまだ残っている。彼女の声も覚えている。
不意に視線を落とすと、地面にはロケットペンダント。
幸運を呼び込み、運命を切り開くという意味が込められたアイテム。
沖縄旅行で圭介が光にプレゼントした御守り。手に取り、ペンダントの扉を開く。
圭介と光のツーショット。扉の向こうで満面の笑みで少年を見つめている。

「あぁ……ああああああ………!」

掌にぼつぽつと大粒の涙が零れ落ちる。
憎悪で誤魔化していた深い悲しみが胸を突き刺す。
幸せだったあの頃はもう二度と戻ってこない。

『…………悪いお知らせがある』

背後から聞こえるのは光を失った圭介を追い詰めて壊した祟り神。
振り返ることなく悲しみに暮れる少年の反応を待たずに淡々と告げる。

『魔王アルシェルとわたしの干渉。そして、暴対なストレスがアナタの脳に与えられた。
それによって、アナタの『HE-028』ウイルスは48時間を待たずに脳に定着した。
端的に言うと、人類にとってアナタは女王ウイルスと変わらないくらい危険な存在になった』

祟り神は座り込む少年の目の前まで近づき、目線を合わせるために腰を下ろす。
ゆっくりと圭介は顔を上げ、封印されていた祟り神を見つめ返す。

『山折圭介。アナタはこれからどうするの?
憎悪に任せて友達を裏切るなら、わたしはアナタの身体を抜け出す。元あった異能は残しておくから好きにすると良い。
衝動に任せて自殺したいのなら、今ここでわたしがアナタの魂を殺してわたしの着ぐるみにしてあげる。
何もかも嫌になって逃避したいのなら、わたしの力で異能と記憶を奪ってゾンビにしてあげる』

少女の姿に似つかわしくない厳かで厳しい声色。
目の前の存在が人間とはかけ離れた途方もない存在なのだと、改めて認識させられる。
圭介の返答をじっと待つ黒い影法師。彼女に対し、口を開く

「一つ、良いか?」
『どうぞ』
「最初、光は俺だけじゃなくって他の奴らも、哉太やみかげ達も助けようとしたんだよな』
『うん。助けられなかったをずっと後悔していて、受け継いだ記憶で何度も助けようとしていた』
「そっか」

思い出と変わった大切な恋人。彼女はずっと強がり続け、守ろうと足搔き続けていた。
答えは得た。涙を拭い、握りしめた光の遺品をつける。そして黒い靄のかかった幼神の顔を見据えた。

15幼神レクイエム ◆drDspUGTV6:2024/03/17(日) 23:13:06 ID:.N.kjibw0
「VHが起きてから、俺はずっと罪を犯し続けていた。それでも、光と笑い合えるならって自分の心に嘘つき続けていた。
全部失って漸く気付いたんだ。結局中途半端だって。俺に、役は向いていないんだって。
もう次期村長なんて名乗る資格もないし、あいつらリーダーなんて口が裂けても言えない。
足搔くよ。光みたいに。もう何もかも手遅れだけど、最後くらいはヒーローの真似事をしてみせるさ」
『―――そう』

圭介の答えを聞き、祟り神はゆっくりと頷く。
少女は圭介の手を取ると、彼の掌に何かを置いた。
訝し気に少年は掌を見ると、そこには文字がところどころ途切れ、無理やり繋ぎ合わせた木製のプレート。
『山折圭介』と書かれたそれは、少年が虎尾茶子との戦闘の中、踏み砕いた上月みかげの御守り。

『これ、今のアナタに必要なものでしょ。魔王に乗っ取られていた時、背を向けたあの子達は泣いてたよ』
「あいつら………」
『もう壊さないでね』

その言葉の後祟り神は立ち上がり、圭介にも立つように視線で促す。
催促に従い、少年も立ち上がる。自然に少女の頭を見下ろす形となった。
不意に沸き上がる疑問。小康を得た今、祟り神へと問いかける。

「なあ、今更だけどアンタって一体何者なんだ?」

問いに歩き始めようとした少女の動きが止まる。
「地雷だったか」と思い直し、謝罪する前に少女が口を開く。

『―――かつて山折村には時空の裂け目から現れた小さな幼子がいた。
白い髪に金色の瞳の物心がついたばかりの女の子。異空間を彷徨う中でたった三文字の名前すら失ってしまった。
そんな彼女は剣舞を舞う陰陽師と巫女に拾われ、育てられた。彼らは幼子を愛し、幼子も彼らを愛した。
名無しの幼子には巫女が名前を付けられた。白くてふわふわな兎と共に現れたから、その名前を。
…………かつての名前が、転生した私の友達に着けられたっていうのは何だか奇妙な縁を感じたよ。

でも、そんな幸せな日々はそう長くは続かなかった。
白い髪。金色の瞳。奇異な姿から噂を聞きつけた飛騨の役人がその幼子を「八尾比丘尼」と呼んで、留学という名目で拐かした。
不老不死の肉。万病の妙薬。そんな事をほざいて泣き叫ぶ幼子を生きたまま解体した』

そこまで言うと、幼神は口を閉ざした。
意識を彼女に間借りさせているからだろうか。どす黒い感情が渦巻いているのを感じる。

「人間を、憎んでいるのか?」
『当たり前だよ。身体をバラバラにされたんだから。
安心して。憎悪に身を任せる様な真似はしない。そんな事をしたら春陽に合わせる顔がない』

言い放つと、コホンと咳払いし、たった一人のオーディエンスが耳を傾けている事を確認し、話を続ける。

16幼神レクイエム ◆drDspUGTV6:2024/03/17(日) 23:13:46 ID:.N.kjibw0
『憎悪と嫌悪は同じ意味じゃない。憎悪は相手の存在を認めているから生まれるんだ。まだ改善の余地はある。
人間を憎んでいるわたしでも今生きている人間で明確に好意を持っている存在がいるんだ。
魔王に立ち向かったあの七人。無事を確認にいったら逃げられちゃった。原因は想像がついている。
わたしに纏わりついている黒い靄は山折村が長年蓄積され、凝縮された厄の塊。

話を戻すよ。嫌悪はその存在に対しての徹底的な拒絶。和解の余地はない。
……わたしは山折村の存在自体が許せない。わたしだけを存在を存続させるための歯車に変えたのはまだ許せる。
でも、それだけじゃない。わたしが眠りについてから何世紀も、過ちを犯し続けている……!』

少女の口から吐き出されるのは矮躯に似つかわしくない憤怒。
彼女と同調している圭介さえもその黒い感情に呑まれそうになる。

「ちょ……ちょっと、落ち着けよ。ええと、神様?」
『……好きに呼ぶと良い』

そうぼやき、幼神は圭介に背を向けて歩き出す。
少年もそれに続こうと足を進めるが、少女はピタリと足を止める。

「神様……?」
『そうだ、わたしの正体を言ってなかったね』

足を止めた少女は振り返り、圭介の顔を見上げる。
変人として有名な圭介の犬猿の仲である女性を思い出させるようなマイペースな立ち振る舞い。
その危うさに辟易しながらも、彼女の言葉を待つ。

『山折村の歴史の闇に葬られた禁忌の存在『隠山祈』。わたしはそれに紐づけられ同一視されていた存在。
封印が緩む水無月の末に鳥獣慰霊祭でわたしを祟り神として役割を押し付けられて自我を封じられてきた。
でも、今は違う。嘗ての信仰で解放され、一時的に自我を取り戻したんだ。
遅くなったけど自己紹介。わたしは異世界で魔王アルシェルが浚った女神との間に生まれた娘。
お母さんの使い魔である白兎に導かれてこの世界にやってきた漂流者
異界への扉を生身で渡ると色んなものを失う。わたしは自分の名前を。この村に召喚された聖剣は、殺し損ねた魔王の娘の名前を』

『わたしの願いは山折村という概念を願望器を以て終わらせること。そうして未だ山折村に縛り付けられているいのりと春陽を解放する。
山折圭介。魔王から奪った器は自分で使うことができない。それにアナタにリソースを裂いている以上、戦う力もない。
戦闘はアナタ頼みだけど、奪い取った知識とこの地で得た存在へ干渉する力があるから、女王ウイルスへの対処はある程度可能。
取引だ。女王ウイルスによる厄災を止めるから、アナタはわたしの願いを叶えて』


【E-1/診療所前/一日目・夕方】

【山折 圭介】
[状態]:『魔王の娘(???)』共生、異能『魔王』発現、虎尾茶子、八柳哉太、天原創に対する抵抗弱化(大)、虎尾茶子、八柳哉太、天原創、天宝寺アニカ、哀野雪菜、犬山うさぎ、リンへの好意(特大)、人間への憎悪(極大)、山折村への嫌悪感(絶大)、深い悲しみ(特大)、魔王の娘への信頼(大)、山折圭介への信頼(小)、決意
[道具]:魔王の娘(???)、日野光のロケットペンダント、上月みかげの御守り
[方針]基本.厄災を収束させる。
1.光……。
2.『神様』と共に女王感染者を止める。
3.『神様』の願いについては一旦保留。
4.『女王ウイルスが「第二段階」になる前に機能を停止させる。最悪、女王感染者ごと女王ウイルスを抹殺する』
5.『全て終わったら山折圭介に「山折村の終焉」を願わせていのりや春陽達を呪縛から解き放つ』
[備考]
※もう一方の『隠山祈』の正体が魔王アルシェルと女神との間に生まれた娘であることを理解しました。以下、『魔王の娘』と表記されます。
※『魔王の娘』の真名は彼女自身にも分かりません。
※魔王の魂は完全消滅し、願望機の機能を含む残された力は『魔王の娘』の呪詛により異能『魔王』へと変化し、その特性を引き継ぎました。
※魔術の力は異能『魔王』に紐づけされました。願望機の権能は時間と共に本来の機能を取り戻します。
※魔王から烏宿暁彦だった頃の記憶を読み取り、彼の記憶と現代科学の知識を得ました。
※戦士(ジャガーマン)を生み出す技能は消滅し、死者の魂を一時的に蘇らせる力に変化しました。
※山折圭介の『HE-028』は脳に定着し、『HE-028-B』に変化しました。
※『魔王の娘』は実体を持った影響で物理干渉が可能になりました。

17幼神レクイエム ◆drDspUGTV6:2024/03/17(日) 23:14:08 ID:.N.kjibw0












 ―――魔王(■■■)は、絶対禁忌たるイヌヤマイノリに取り込まれて真なる厄災と化さん。
 ―――厄災は鬼(オーク)の大戦士と共にイヌヤマの地を女王(かみ)に献ずるであろう。

18幼神レクイエム ◆drDspUGTV6:2024/03/17(日) 23:15:10 ID:.N.kjibw0
投下終了です。
期限超過、大変申し訳ありませんでした。

19 ◆H3bky6/SCY:2024/03/18(月) 01:40:58 ID:ETTAu5Tw0
>幼神レクイエム

光ちゃん、まさかコピー能力によって転生ループするループ主人公だったのかお前!
小さな村のお話が、異世界や宇宙に並行世界と規模が大きくなったもんだなぁ
ゾンビとして死んでしまった光ちゃんが掘り下げられるのは嬉しいですね

並行世界で別の参加者たちによるいろんなパターンVH騒ぎ
感染者も異なって現在とリンクする部分もあり面白い
そして、滅び続ける村、爆撃される世界もある

以前魔王の気にしていた娘ってそっちかー
この村滅ぼした方がいいってのは、うん……まぁ、それはそう

光の頑張り物語の果てにたどり着いた世界
全てを託された圭介はどうするのか
村をめぐる物語を締めくくるのはやはり次期村長である圭介になるのだろうか

■連絡事項

全生存者の時間帯が夕方に到達し、話も切りよいところまで進みましたので、第三回定例会議を投下したいと考えております。
定例会議前に投下したい作品のある方は

3/19(火) 00:00:00

までに予約を行うようお願いします。
期限までに予約がない場合は『第三回定例会議』を投下いたします。
それでは、よろしくお願いします。

20 ◆H3bky6/SCY:2024/03/19(火) 00:01:16 ID:8B2by6yc0
新規の予約はありませんでしたので、それではこれより第三回定例会議を投下します。

21第三回定例会議 ◆H3bky6/SCY:2024/03/19(火) 00:02:41 ID:8B2by6yc0
事件の発生から約18時間。
時刻は昼と夜の境、逢魔が時という名の魔に逢う時に差し掛かろうとしていた。

山折村から僅かに離れた山林地帯。
そこに迷彩色の簡易テントから成る臨時作戦指令室が設置されている。
そのテントの中では、防護服を着た小柄な隊員が臨時司令官の真田・H・宗太郎に報告を行っていた。
隊長である奥津が東京へ向かったため、現場の指揮は副官である真田に一任されていた。

「ケンキュウジョからのエイゾウデータをカクニンしました」

少し訛った日本語で報告を行っているのは新人隊員であるオオサキ=ヴァン=ユンである。
ベトナムの紛争地で育ち、戦場での実践経験も持つ元少年兵という異色の経歴の持ち主だ。

彼が行っているのは研究所から提供された監視映像についての報告であった。
事後処理以上の協力関係を結ぶ証としてSSOGはドローンで撮影した未編集の映像を提供し、それに対する見返りとして研究所側も山折村の地下研究所内の監視映像を提供してきた。
SSOGの張った情報規制の網を掻い潜り、こんな映像を保持していたとは、やはり一筋縄ではいかない相手である。

監視映像について、まず確認されたのは事件の発生についてだ。
現地の天から報告が上がっている人為的な破壊工作の疑いに関して。
映像にその破壊行為の瞬間が映っていれば、その裏が取れるのだが。

「ジシンのゼンゴに3カイのカンシカメラのホトンどがハカイされていていたので、テロをシカけたってレンチュウのスガタはカクニンできなかったっすね」

細菌保管室のある3階の監視カメラは破壊されており、その瞬間の映像は生憎残されていなかった。
その報告を受けた真田は一つ頷き、考えを巡らせる。

「なるほど。つまり逆に言えばその時間に監視カメラを壊す必要のある人間がいたという事ですね」

単純に地震の影響で壊れたという可能性もあるだろう。
だが、都合よく地下3階のカメラだけが連続して壊れるなんて偶然は考えにくい。

事件が人為的に引き起こされたという天の報告ともタイミングは一致する。
確証までは取れずとも信憑性は高まったと言える。

「オオサキくん。一つ尋ねてもいいですか?」
「なんっすか?」

真田が報告を終えテントから出ようとするオオサキを呼び止める。

「雑談程度に聞いてほしいのですが。君の目から見て、村の状況についてどう見えますか?」

真田がそう尋ねた。
幼少の頃から紛争地で生き延びたオオサキは危機に対する嗅覚が隊内でも飛びぬけている。
そんな彼から見て、今の戦況はどう映るのか。

「そうっすね。ニンムでもあのムラにはチカづきたくないってのがショウジキなとこっす。
 あそこはシのニオイがプンプンしている。そのゲンインがひとつやふたつじゃない。
 このあたりはイマのトコロはダイジョウブっすけど、そろそろアヤういキもするっすね」

紛争時育ちのオオサキをして、任務でも近づきたくないと言わしめる危険地帯。
元より地獄のような有様であったが、村の不穏さが加速しているのは明らかだ。

精鋭であるSSOG隊員の相次ぐ脱落
SSOG最強の大田原源一郎の敗北と暴走。
山折圭介の変質と異能を超える何かへの覚醒。
そして村に出現した怪奇現象としか思えない少女の影。

ここから先、何が起きるのかはもはや誰にも予測できないだろう。
現場からいくらか離れたここも安全であるとは断言できない。

「そうか……ありがとう参考になった。
 念のため仮設司令部の場所を移す準備をしておくよう皆に伝えてください」
「Vâng」

一考の後、真田は最悪の事態に備えてそう指示を出した。
慎重な性格の真田に指揮権が移ったのは幸運だったのかもしれない。
指示を受けたオオサキがテントから出て行った。

22第三回定例会議 ◆H3bky6/SCY:2024/03/19(火) 00:03:05 ID:8B2by6yc0
「指令代理ぃ。急ぎで報告が一つあるんですが」

オオサキと入れ替わりに特殊部隊員らしからぬ軽い調子の男が仮設テントに入ってきた。
現れたのは、仮面の下に笑顔を張り付かせた剽軽者、蘭木境である。

「どうしました?」
「先ほど回収したドローンを解析した所、乃木平くんから黒木さんの任務を引き継ぎ達成したとの報告がありました」

黒木真珠に課した特殊任務の達成。
蘭木からもたらされたのは司令部が待ち望んだ報告である。
それの意味する所は一つ、軍用通信の解除だ。

「了解しました。報告ありがとうございます。
 この件は私から隊長に報告しますので、通信制限の解除準備をしておくよう工作班に伝令をお願いします」
「了解で〜す」

軽い調子で受け答え、テントから蘭木が退室する。
これで現地との情報共有もリアルタイムで行えるようになった。
まともに通信可能な隊員が乃木平しかいない状況だが、確実に状況は変わるだろう。

巻き起こる村の異変に合わせるように、特殊部隊の状況も動いた。
時は逢魔が時を超え、2度目の宵闇が村を包み始める。
事態が終わりに向かって動こうとしていた。



23第三回定例会議 ◆H3bky6/SCY:2024/03/19(火) 00:03:42 ID:8B2by6yc0
厳つい足音が大学病院の廊下に響いていた。
白い廊下に靴音を響かせるのは軍服姿の男である。
自衛隊の暗部を担う公には存在しない部隊、秘密特殊部隊(SSOG)の隊長を務める男、興津一真だ。

岐阜からヘリで東京へとんぼ返りした興津は、地震対策に追われる幕僚監部に直接乗り込んでいった。
そこで『Z計画』について問い正し、回答を渋る上官を締め上げ、机を叩き割るなどの交渉の結果、半ば強引に情報を吐き出させた。

今は一線を退き、立場に据えられた事で相応に落ち着いているが、現役時代は命令無視の独断専行も厭わない手の付けられない『ヤンチャ者』として知られていた。
空挺部隊所属のエリートであったにもかかわらず、裏の部隊に流れ着いたのはその気質が所以だろう。
彼自身、部隊を仕切る立場になって厄介な隊員を抱えた上官の苦労を偲べるようにもなったが、根本は変わっていないようだ。

もちろん暴力で脅されて機密を話すような立場の人間でもない。
何らかの根回しがあったのは確実だろう。
その心当たりと言えば一つだ。

そうして一息つく間もなくおっとり刀で訪れていたのが2度目の来訪となるこの大学病院だ。
未来人類発展研究所の研究者たちと対面したあの時と同じ場所だが、状況はあの時とまるで変わっていた。

地形を頭に叩き込むのは特殊部隊の基本技能である。
興津は勝手知ったる院内を迷うことなく進んで行き、応接室へと辿りつく。
扉をノックすると「どうぞ」と言う、聞き覚えのない元気のよい男の声が返った。

扉を開くと昨夜と同じく、ソファーに座る研究者然とした老人と研究者らしからぬ美女が興津を出迎えた。
だが、あの時とは違う、初めて見る顔が一つそこにあった。
初めてと言っても、直接面識を持つのはこれが初めてと言うだけで、当然奥津も資料で確認した顔である。

「やぁやぁ、ようこそ。初めまして」

興津の入室に気づくと上座に座っていた男がソファーから勢いよく立ち上がった。
立ち上がったのは自衛官である奥津にも負けぬ大柄な体格の若い男だった。
年若い男は大げさに両手を開いて、奥津の下まで近づくと、握手を求めるように大きな手を差し出した。

「私が『未来人類発展研究所』所長の終里 元(おわり はじめ)だ」

所長を名乗っているが、外見からして30代、下手をすれば20代後半に見える。若々しく生気に満ち溢れた外見をしていた。
胸板は分厚く、肌は日に焼けたように浅黒い。申し訳程度に白衣を着ているが研究者と言うよりスポーツマンのような印象を受ける。
そして何より目につくのは、燃えるように輝く黄金の瞳。

「初にお目にかかります。奥津3等陸尉です」

興津も名乗りを返し、差し出された手を握り返す。
鍛え上げられた強い手がガッチリと繋がれた。

掌から圧と熱が伝わる。
達人ともなれば握手をするだけで相手の力量がある程度は分かると言う。
興津もまた、軍人としてその域にある人間である。
机仕事ばかりの研究者(インテリ)とは程遠い、印象としては大田原や吉田に近い豪傑だ。

「研究者には見えない、かな?」

値踏みするような視線に気づいたのか。
終里は不敵な笑みを浮かべ、握手の手に力を籠めた。

「――――よく言われる。実際、研究云々は門外漢でね。研究に関しては百乃介に丸投げしている」

にこやかに笑いながら万力が如き握力で握る手を締め付ける。
常人であれば苦痛に顔を歪める所だろう。
だが、興津はまるで怯む様子を見せずこれを真正面から受け止めた。

興津はSSOGの隊長として様々な相手をしてきた海千山千の強者だ。
この手の曲者には慣れている。握力で威圧してくる手合いなど、幾らでもあしらってきた。
ビクともしない興津の様子に、終里は満足そうに笑って手を離した。

「いや、失礼をした。流石に現役の自衛官には敵わんか」

そう言ってハハハと豪快に笑うと、先ほどまで力を籠めていた手首を振る。
奥のソファーでその様子を見ていた老人が呆れた様子でため息を零した。

「全く。元くんも所長と言う立場なンだからソロソロ落ち着いて欲しいモノだネ」
「言ってくれるな百乃介。性分はそう簡単に変わるものではない」

いくら所長と副所長という上下関係があるとはいえ、祖父と孫どころか曾孫くらいの年の差にもかかわらず対等の軽口を叩きあっていた。
随分と気やすい昵懇の仲のようだが、傍から見ると奇妙な関係に見える。

24第三回定例会議 ◆H3bky6/SCY:2024/03/19(火) 00:04:10 ID:8B2by6yc0
「随分とお二人は親しい間柄のようですが」
「ああ。百乃介とは80年近い付き合いになるのでな」
「…………80年」

軽く探りを入れてみると、ありえない数字が返ってきた。
だが、興津はそれを冗談と笑い捨てることはできなかった。
それが冗談ではない可能性について、前回の会議で他ならぬ目の前の老人から聞いているのだから。

「ああ、お察しの通り私はマルタ実験の被験者だ」

興津の疑念を察したのか、終里は胸に手を当て自ら正体を明かした。
やましい事などないと言わんばかりの堂々たる態度で。

「つまり、貴方がレポートにあった成功例、亜紀彦軍曹という事ですか?」

ヤマオリ・レポートの最後に記されていた名字の掠れた名前。
成功例だというのなら、必然的に=で結びつくはずだ。
だが、終里は不満そうに僅かに口を尖らせ、うーむと唸る。

「いいや、それは違う。何故なら私は『死者蘇生』実験の成功例ではなく、『不老不死』実験の成功例だからだ」
「不老不死……成功、していたのですか?」

ヤマオリ・レポートにも記述されていたのは『死者蘇生』実験の成功に関してだ。
確かに『不老不死』実験も行われていたようだが、そちらの成功に関しての記述はどこにもなったはずである。
そして、『不老不死』実験に関して言えば、前回の会議で少し出た話題のはずだ。

「『不老不死』実験……確か染木博士が担当してらしたと言うお話でしたね。テーマは『細菌による老化の抑制』」
「アア。ソウだヨ。ヨク覚えていたネェ」

自分の成果を覚えていたことが単純に喜ばしかったのか。
優秀な生徒を褒めたたえる教師のように老人はニヤリと口元に笑みを浮かべる。

「確かニ、山折村でのマルタ実験は大半が志半ばで打ち切られタ。終戦で軍部主導の研究所自体が立ち消えてしまったからネ。
 ダガ、半端に終わった実験や研究を引き継ぎたいという声もそれなりにあったのサ」
「つまりは軍部の実験ではなく、研究は民間に引き継がれた、と?」

この問いに染木は頷く。
つまり、民間に引き継いで研究を完成させたという事だろうか。
とはいえ、国家主導の実験からは予算的にも権限的にも規模は確実に縮小するはずだ。
潤沢な状態で成功できなかった実験を、そこから成功させられるとは思えないが。

「設備は軍部の研究所とは比べるべくもなかったガ。協力者がいたからネ」
「協力者? 誰なのです?」

設備や資金の不利を覆す協力者。
そのような都合のいい存在がどこから湧いて出てきたというのか。
その答を、終里が告げる。

「『死者蘇生』実験の成功例、烏宿亜紀彦軍曹。正確に言えば―――――アルシェルと言う名の異世界の魔王だ」

死者蘇生にとどまらず、異世界の魔王。
余りにもファンタジーな答えに興津が怪訝そうに眉を顰めた。

「…………烏宿? いや、それよりも異世界の魔王とは?」
「『死者蘇生』班の連中が行ってイタ実験の中には、降霊術のようなモノも含まれていてネ」

それ自体は真田からの報告で聞いている。
あの村の実験は魔術や降霊と言った非科学(オカルト)に傾倒していたという話だったか。

「『死者蘇生』班の連中は戦死した兵士の死者にアノ村に伝わる『土着の神』を降ろすつもりダッタ、らしいのだがネ」
「だが…………?」
「実際に降りてきた中身は別物だったのサ。
 如何ヤラ、第二棟で行ってイタ『異世界』研究の影響もあったようでネ、軍曹の死体に降りてキタのは神ではなく異世界の魔王ナル者だっタのサ」

とても現実の話とは思えない、荒唐無稽な言葉が次々と並んで行く。
その全てを飲み込む覚悟が必要だろう。

「では、『不老不死』研究にその魔王――アルシェルでしたか?――の協力を得た、と?」
「アア。コチラの世界での戸籍と身分、あとは当面の住処を用意する事を条件にネ。
 カレは確かに我々にとって未知の力を扱う強力な力を持った存在であったケド、コチラの世界については無知でもあっタ。カレとしても我々の提案は渡りに船だったと思うヨ」

此方の世界での生活を引き換えにした魔王の協力。
そうして成功したのが――――。

「―――『不老不死』実験」
「ソウサ。ワタシの細菌学と烏宿くんの魔法の力。ドチラが欠けても実現不可能な成果だっただろうネ」
「つまり、私の体は半分以上が魔と菌で出来ている。魔法と科学の産物という訳だ」

何が愉快なのか。
魔法と科学によって生まれた不死の成功例は喉を鳴らして笑う。

25第三回定例会議 ◆H3bky6/SCY:2024/03/19(火) 00:04:41 ID:8B2by6yc0
「しかし、魔法ですか…………」

余りにも非科学的すぎる魔法と言う力に興津が呟く。
懐疑的な様子に、研究者が科学を説いた。

「言っただろう。魔法であろうト呪いやオカルトであろうト同一条件において確実な「再現性」があるのナラそれは「科学」だと言えルとネ。
 原理が解明されていないだけサ。宇宙なんかと同じダネ」

前回の会議でも聞いた言葉だ。確実な再現性があるのなら非科学であろうと利用するのが「科学」である。
研究者とって「魔法」はまだ法則が分かっていないだけの現象に過ぎない。

「ソレに、キミもあの村で見ているダロウ? ――――異能の力を」

山折村で跋扈する常識を超越した超常の力。
確かに、あのような超常現象は魔法でもなければ説明がつかない。

「異能は魔法による産物という事ですか?」
「ソウだネ。より正確に言うナラ、[HEウイルス]自体が元くんの体細胞を元に精製したモノだ」
「なんと…………」

菌と魔法で出来た不老不死。
そこから生まれたのが[HEウイルス]もまた科学と魔法の産物である。
それこそが山折村を襲ったモノの正体だ。

「少し長くなってしまったか。自己紹介はこの辺にしておこうか」

[HEウイルス]も含めた自己であると、ウイルスの大本となった菌と魔法の怪物は言う。
出会い頭の挨拶にしては随分とパンチの効いた話題だったが、終里は上座のソファーに戻ってゆく。
それに従い、奥津も下座のソファー横まで移動する。

「そろそろ本題に入りましょうか、立ち話もなんですし奥津殿も、どうぞお掛け下さい」

有無を言わせぬ圧で促され奥津も素直に席に着く。
こうして、三度目となる定例会議が改めて開始されようとしていた。

「スマないネ。会議を始める前に一つ謝っておくことがアル」

始まってすぐ、染木が染みの広がる額を掻きながら歩く奥津に頭を下げた。

「なんでしょう?」
「前回の会議でこちらで烏宿くんを事情聴取してオクという話になっていたが、失敗しタ」
「失敗、ですか?」

失敗とはどういうことか?
不穏を感じ取った容疑者に逃亡でもされたのかと思ったが、その先を長谷川が引き継ぐ。

「先ほど、研究室で烏宿副部長の死亡が確認されました」
「……死亡した? それは地震の影響か何かで?」

容疑者の死亡。穏やかではない話だ。
昨晩の地震は中部地方を震源としているが、東京にもそれなりの被害はあった。
それによる事故も可能性としてはありうるだろう。

だが、事情聴取をしようと言う容疑者がピンポイントに死亡したのだ。
何らかの意図を感じてしまうのは無駄な勘繰りではないだろう。
この図ったようなタイミングを考えれば別の可能性も浮かび上がってくる。

「まさか、他殺でしょうか?」
「うーン。他殺と言えば他殺ナンだけド、ちょっと違うかナァ」

何らかの口封じである可能性を危惧したが、煮え切らない染木の反応からして別の事情がありそうである。
何故地獄と化した山折村ではなく、この東京の研究所で人が死ぬような事態が起きたというのか。

「それに、死亡した烏宿暁彦と言うのは、その……」

確証がないためか、興津が口を濁す。
だが、先ほどの話で判明したレポート内では掠れて読めなかった成功例の名。烏宿亜紀彦。
同音異字の名前だけなら単なる偶然で片づけられるが、苗字まで一致したとなると偶然では片づけづらいものがある。

「アア。『死者蘇生』実験の被験体(マルタ)だヨ」

隠すでもなくあっさりと認める。
死亡していた烏宿暁彦こそが、『死者蘇生』実験の成功例であると。

「ならば、魔王が死亡していたという事ですか?」

これまでの話をつなげるとそうなる。
だが、話を聞く限りではそう簡単に死ぬような存在には思えないが。
その疑問を否定するように染木老人が首を横に振った。

「イイや、死亡したのは烏宿暁彦くんだヨ」
「? どう言う事でしょう?」

興津が僅かに首をかしげる。
烏宿暁彦と異世界の魔王はイコールであるはずだ。
烏宿暁彦が死亡したにも関わらず魔王が死亡していないとはどういう事なのか。

26第三回定例会議 ◆H3bky6/SCY:2024/03/19(火) 00:05:01 ID:8B2by6yc0
「言っただろウ? 『死者蘇生』実験で行われていたのは降霊だったト。
 魔王の正体は、死体に取り憑いた幽霊のヨウな精神体でネ。
 外身(にくたい)が死んでいたからと言って、中身(せいしん)が死んだとは限らないのサ」

異世界の魔王について染木が説明を行う。
死んでいたのは器となった烏宿暁彦の肉体であり、中身の生死はまた別の話であるという事らしい。
それは興津にも理解できた。
ならば、必然的に一つの疑問が生まれる。

「――――では、魔王(なかみ)はどこに?」

その中身――魔王と言う飛びっきりの厄ネタはどこに行ったのか?
すぐにその答えは研究者の口から帰ってきた。

「山折村さ」
「山折村!?」

聞き違えるはずもない。
つい数時間前まで興津がいた村の名だ。
全ての中心にある、現在も作戦行動が続けられている今回の事件現場。

「キミらから送られてきタ村の映像を確認した所。
 アルシェルは山折村に居ル山折圭介に乗り移ったようだネ」
「……確かに、こちらでも山折圭介の異様な変質については確認しております。それが魔王の影響だと?」

老人は頷きを返す。
村で起きた出来事に関しては現地の真田から随時報告は送られている。
その報告から山折圭介に異変が起きたことは確認していた。
だが、テキストでの報告であるためそれがどのようなものなのか、現場の熱までは伝わっていなかった。

消えた魔王が渦中の山折村に出現した。
これは偶然ではないだろう。何らかの必然がある。
まるで全ての因果が山折村に集結しているよう。
ならばそれは、誰の用意した何の必然だ?

「魔王とはずっと協力関係を続けていたのですか?」
「イヤ。ナンでも探し物―イヤ探し人だったカナ?――がアルらしくてネ。『不老不死』研究の完了後に袂を分かったヨ。
 ドウいう訳カ、山折村に固執してイタようだからネ、ワザワザ軍医中将殿の伝手を頼っテ山折村の住民としての戸籍を用意して頂いたガ、ソノ後に烏宿くんがドウシタのかはまでは知らないネ」
「では、何故この研究所の研究員に?」

烏宿暁彦は研究所本部の副部長として登録されている。
袂を分かったというのなら何故そんなことになっているのか。

「4年ほど前に向こうからコチラに接触があってネ。研究所に所属したいとの申し出があったのサ」
「向こうから? 魔王はどこで研究所の存在を?」

長らく没交渉であったにもかかわらず向こうから接触してきたという事は、研究所の動向を把握していたという事だ。
どのような方法で研究所の動きを探ったのか。

「恐らく、山折村に支部を作る動きを察したのだろうな」

山折支部が設立したのは4年前。
山折村で暮らしていた魔王が支部作成の動きを捉えて接触してきたと考えれば、タイミングも一致する。

「それで、採用したのですか? 魔王を?」
「アア。『不老不死』実験の協力をして貰った時に基本的な知識は学んでいたようだからネ。
 能力的に問題なしとして職員として採用したヨ。主任待遇でネ」
「…………問題あるでしょう」

そんな理由で魔王を採用したというのなら無謀が過ぎる。
内側に爆弾を抱える様なものだ。

「もちろん、奴に何か良からぬ企みをしているのだろうと言う事くらいは理解していたさ。
 だが、相手が相手だ、断りきれるようなものでもない」

気まぐれ一つで人の命など消し飛ばせる存在だ。
下手に刺激するよりは、内側に取り込み利用する方がいいと考えたのか。

「なるほど。魔王がこの研究所に所属していた経緯は理解できました。
 それに容疑者が死亡した、いや本当の容疑者は逃亡して山折村にいる、でしたか? そちらの事情も把握しました。
 ともかく聴取はできなかったという事ですね?」

魔王どうこうという前置きはともかく、結論としては事情聴取はできなかったという話である。
出来ればここで裏を取っておきたがったがそうもいかないようだ。

「ソウだネ。だがマァ。事情を聞くまでもなく犯人は烏宿くんだろうけどネェ」

だが、何か確信めいた口調で老人は呟いた。

「何か確証でも?」

興津の知らない証拠でも持っているのか。
そう尋ねた興津に、所長と副所長は互いにやれやれと言った風に呆れ笑顔を浮かべながら首を振った。

「いいや。証拠はないさ。だが、奴はそういう奴だ。と言うよりそういう存在(もの)だ」
「それは、どういう意味でしょう?」
「ともかく、事件を起こした黒幕がアルシェルであると考えていいという事だ。証拠は後から付いてくるさ」
「マァ。コチラからは以上ダヨ」

いまいち要領を得ない妙な言い回しだ。
だが、所長も副所長も話は終わりだと言わんばかりに話を打ち切る。

これ以上説明するつもりはなさそうだ。
こうなっては追及したところで仕方がなかろう。
研究所から報告は終わり、続いて特殊部隊側からの報告へと移る。

27第三回定例会議 ◆H3bky6/SCY:2024/03/19(火) 00:05:33 ID:8B2by6yc0
「では続いて此方からの報告をします」

定例となった死亡者の報告が行われる。
前回までの報告者であった真田はこの場にいないため、現地から送られてきたデータを興津が読み上げる。

「まずは、現地で活動しているSSOG隊員についてですが。

 成田 三樹康が死亡。
 大田原 源一郎、黒木 真珠がウイルスに感染しました。
 黒木は適合できず異常感染を発症。大田原は適合して正常感染者として活動しています」

これまで秘密裏に行動していた特殊部隊だったが、その存在が研究所側に明らかになった。
秘匿する理由もなくなったため彼らについて報告を行う。

「ナカナカに酷い状況のようだネ」
「返す言葉もありません」

精鋭である隊員も1名が死亡し、特殊任務を担った1名がゾンビ化したというのは隊長としては手痛い損失である。
まともに動ける隊員はもはや1名だけ。
精鋭部隊の名が泣くような散々たるありさまだ。

「ダガ、大田原クンとやらが適応できたというのは偶然にしてもオモシロいネェ。生還出来たなら是非体を調べさせてくれたまへヨ」
「は、はぁ…………」

興津は言葉を濁しながら、仕切りなおすように一つ咳払いを入れる。

「続いて正常感染者について報告します。

 烏宿 ひなた
 月影 夜帳
 犬山 はすみ
 碓氷 誠吾
 小田巻 真理
 田中 花子
 与田 四郎
 氷月 海衣
 独眼熊

 以上9名の正常感染者の活動停止を確認しました。
 報告は以上となります」

興津が報告を負える。
その報告を聞き終えた所長が頬杖を突きながら深くため息をついた。

「……四郎が死んだか、出来の悪い息子だった」
「ご子息がいらっしゃったので?」

所長の子供が山折村にいた。
現地の隊員からも届いていない寝耳に水の情報である。

「ああ、与田四郎。私の44人目の子だ。ちなみに、そこの真琴も私の娘にあたる」
「長谷川博士も…………?」

これには奥津も流石に驚きを隠せなかった。
子沢山などと言う次元ではない子の数もそうだが、目の前で座る研究員までもが実子であるとは想定すらしていないところから殴られた気分である。
だが奥津の驚きに反して、話題の矛先を向けられた当事者である長谷川は無表情のまま、指先で眼鏡を上げる。

「遺伝子上はそうであることは否定しません。ですが私の両親は長谷川の父と母ですので」
「ふっ。嫌われたものだ」

終里は反抗期の娘に手こずる父のように大げさに肩をすくめる。
長谷川はそんな終里の様子を無視するようにカップを取ってコーヒーを啜った。
そんな2人の様子を怪訝そうに見つめる奥津に弁明するように終里はクツクツと笑う。

「そんな目で見てくれるな、英雄色を好むと言う訳ではないさ。まあ色を好むのは否定せんがね」

娘の視線が冷たくなったのを感じ「おっと」と気を取りなおす。

「子と言っても大半は人工授精の代理母と言う奴だ。生まれた子はその価値のわかる協力者――主に研究者だな――の下に養子として送り出した。
 何分少し特殊な体なモノでね。元は生殖能力が残っているか実験的な意味合いが強かったのだが、少し別の意味合いも出てきてな」

つまりは長谷川の言葉通り、遺伝子上の繋がりはあるが、親子の絆といったモノはなさそうである。
親としての義務を果たしていないのだから、長谷川の冷たい態度も頷ける。

「失礼ながらお尋ねしたい。何故、そこまで子を増やす必要が?」

女好きの色狂いと言うのならまだわかる。
だが、人工授精まで使っているという事は何か子を増やす明確な目的があるはずだ。
この疑問には当事者ではなく、隣の老人が回答する。

「元くんの遺伝子を持つ人間は、ソノ特性を受け継ぐのだヨ」
「特性と言いますと、それは」
「―――――菌と魔法だ」

菌と魔法で出来た不老不死の成功例。
そこから生まれるのは魔法と言うこの世界にない法則を操る、新人類ともいえる存在である。
つまり彼らは、それを秘密裏に増やしていたと言うことだ。

28第三回定例会議 ◆H3bky6/SCY:2024/03/19(火) 00:05:53 ID:8B2by6yc0
「受け継ぐと言っても、子に受け継がれたのはアルシェルは愚か私にすら遠く及ばぬ微々たるものだ。
 子を増やしたのも魔法という新たな法則解明のため検証と実験に役立てば、と言う程度の物だったのだが……」
「だが、なんでしょう?」

意味深に言葉を切った終わりの先を促す。
食いついてきた興津の言葉に終里は口端を吊り上げると楽し気に口を開いた。

「その風向きが変わったのは8年前だ。
 『Z計画』が始動し、この研究を始めたことで思わぬ副産物が生まれた」
「副産物、ですか?」
「――――適正だ。
 私の遺伝子を継ぐ子らは[HEウイルス]に対して100%の適合率を持ってることが判明した。
 まぁ、両方とも私から生まれた兄弟のようなものなのだから、当然とも言えるがね」

山折村を彷徨うゾンビたちと違い、全員が正常感染者に成れる。
確かに、これはウイルスの開発を始めなければ判明しない特性だ。

「その特性を生かして、カナリヤ役を各支部に配置してある。四郎もその一人という訳だ。
 何分、人材には困らぬほど子沢山なものでね」

そう冗談めかして笑う。
奥津は愛想笑いすら浮かべず厳しい表情のまま尋ねる。

「適性がある。それを、どうやって知ったのです?」

終里から生み出されたウイルスへの適正を終里の子が持つ。
それを推測はできるだろうが、確証を得られるものではない。
その結論に至るには必要な過程があるはずだ。

「マァ。ソレは見せた方が早いダロウ」

そう言って染木が向かいに座る長谷川に合図を出す。
その合図を受けた長谷川はため息を一つ零すと、口につけていたコーヒーカップから手を離した。
カップが中の液体をぶちまけながら重力に従い落下する。

だが、地面に叩きつけられるはずのカップがピタリと静止した。

空間ごと固定されたように液体ごと空中に止まっている。
原理不明の超常現象。
興津はこの現象を知っている。

「異能…………!?」

弾かれるように興津が立ち上がり、機敏な動きで距離を取る。
それは異能者への警戒と言う意味合いもあるが、それ以上にウイルス感染への警戒だ。

自身が感染した疑いもそうだが、この研究所は郊外とはいえ人口密集度が世界一の都市、東京の一角にある。
生物災害(バイオハザード)が発生すれば、被害は僻地である山折村の比ではない。

「安心したまえ。本来、[HEウイルス]に感染力はない」

言って。異能によって固定されたカップを終里が受け止めた。
そして、空間固定が解かれ落下を始めた液体を一滴残らずカップで掬い上げると机の上に戻す。
異能ではなく超人的技術による曲芸(パフォーマンス)であった。

「ムシロ。[HEウイルス]に感染力を付与するのが我々の役割でネ。ソコに関しては我々が改良を加えた後付けだヨ」

老研究者が説明を補足する。
元は人間の細胞から精製した細菌である、感染力など持ちえない。
奥津は席に戻りながら質問を返す。

「つまり、感染力のない段階のウイルスを、終里所長の子供たちに感染させたと?」
「アァ。初期の段階でネ」

子のウイルス適正100%と言う結論は、それにより得られた実験結果であり。
そういう意味でも彼らは安全確認のカナリヤ役だったという事だろう。
己の子を実験材料として差し出すことに躊躇いを見せていない。

「[HEウイルス]の感染力は後付けダ。ソノ感染力の強化と、正常に感染する条件の特定が今後の課題だネ。
 ダガ、後者に関しては今回のVHのお陰でだいぶ適合サンプルが洗い出せタ。
 山折支部がダメになって2年は研究が後退したガ、コノ解析結果で2年は前進したダロウ。マァ、現状は総じてトントンと言ったところだネ」

研究所は現在テロによる負債の回収の真っ最中であり、成果を回収するために村での騒ぎを引き伸ばしたかった。
48時間はそのための猶予である。
興津もそう理解している。

「そう。その先を目指すなら、これ以上の成果が必要だ。来るべき『Zデー』の為に」
「…………『Zデー』」

終里の言葉を、ぽつりと興津が反復する。
その先にある『Z』。興津が現場から離れ、東京を訪れた理由だ。
互いの報告が終わり話題も本題に入ろうとしていた。

29第三回定例会議 ◆H3bky6/SCY:2024/03/19(火) 00:06:29 ID:8B2by6yc0
「サテ。本題に入る前に、マズ確認しておこうカ。『Z計画』についてキミはどの程度把握しているンだい?」
「大まかな概要程度は」

山折村から東京への移動、上官への恫喝、そこから大学病院までたどり着いてのこの定例会議だ。
この全てを6時間で行う強行軍であったため詳細を把握する時間がなかった。
東京に向かうヘリの中で真田から共有されたヤマオリ・レポートには目を通したが、『Z計画』に関してはまだ概要を聞いた程度である。

「そうカイ。では既に知っている情報も含まれているだろうが改めて説明しようカ」
「お手数ですが、お願いします」

そう言って奥津が頭を下げる。
老人はいいよいいよと軽い調子で手を振って、終わりの説明を始めた。

「端的に言うとだネ、人類は滅びる」

衝撃的な語り出しから始まった。
だが、そこに関して驚きはない。
流石にこの概要くらいは既に上官から聞き及んでいる。

「超新星爆発が起きたのサ。しかも距離にして5パーセクと言うかなりの近距離でネ。所謂、近地球超新星爆発という奴だネ」
「……失礼。5パーセクとはどの程度の距離の事でしょうか?」
「約16光年になります」

スケールの大きすぎる話だ。
16光年が近距離と言われてもピンとこない。
まさに天文学的数字というやつだろう。

「念のため確認しますが、それは事実なのですか?」
「サァ? 星見は門外漢なのでネ。確かなのはNASAやJAXAはそう言っていて、各国の首脳陣もそう信じてるってことサ。
 だから我々もソノ前提で動いているという事だヨ」

事実であるかよりも、それを事実として世界は動いていることの方が重要である。
確かめようがない以上は正しいスタンスだろう。

「それで、近距離で超新星爆発が起きるとどうなります?」

なんとなく地球がヤバいくらいのイメージはできるが。
それ以上の具体的に何が起きるのかまでは知識がないとわかりようがない所だ。

「地球環境は激変するだろうネ。具体的な事に関しては長谷川くん、ヨロシク頼むヨ」
「はい。了解しました博士」

名を呼ばれた長谷川が、素直に詳細説明を引き継ぐ。
所長と違って副所長には悪感情はないようである。

「近地球超新星爆発が発生した場合、極めて強力なガンマ線バーストが地球に到達します。
 このガンマ線は大気中のオゾン層を分解して破壊するため地表に有害な紫外線を通すことになり、紫外線の増加は生物に多大な悪影響を及ぼす可能性があります。
 また、高エネルギーの放射線であるガンマ線自体も直接生物に被曝するリスクがあります。高線量の放射線被爆は細胞やDNAに損傷を与え、癌・白血病・不妊などの健康被害、被爆量によっては即死の危険もあります。
 海洋プランクトンが放射線で死滅すれば、海洋生態系全体が崩壊し、水産資源が枯渇する恐れがあります。
 大気中の窒素酸化物の増加により、降水量の変化や酸性雨の発生が予想されます。さらに、海水温・海水準の上昇も起こり得ます。その結果、農作物の被害、森林減少などの影響が考えられます。
 また、大気中の電離により、地球が雲に覆われ、太陽光が遮られて氷河期に突入する可能性も指摘されています。
 加えて、雷の発生頻度が上がるなど、天変地異による災害が多発し、人類に深刻な影響を及ぼすと考えられています」

近地球超新星爆発がもたらす影響についてレポートを読み上げるような冷静な口調で長谷川は淡々と説明した。

「ま。つまり地球環境は壊れ、人類の文明は完膚なきまでに破壊されるという事だ。
 生存できるのはシェルターなどに避難した一部の人間だけで、10年後には全人類の99.98%が死亡しているとの予測だね」

長々とした長谷川の説明を、終里が要約する。
数多くの修羅場を乗り越えてきた奥津をして目の前が暗くなるような絶望的な未来だ。
だが。話はそこで終わりではない。むしろこれまでは前置き、ここからが本題だろう。

30第三回定例会議 ◆H3bky6/SCY:2024/03/19(火) 00:07:18 ID:8B2by6yc0
「だから、それを回避するための計画が立ち上がった。それが『Z計画』だ。
 研究は世界各国で行われている。それぞれのアプローチでね」
「例えばそうだナァ、正攻法で言えば破壊されたオゾン層や海洋プランクトンの復元を研究している国もあるシ。
 宇宙上に盾のようなモノを敷いて飛来するガンマ線バーストを軽減するなんて試みもあるネェ。
 後は人類の生活領域を地下シェルターに移ソウとしている国や、別の星に移住するなんてのもあったかナァ。まあガンマ線バーストの影響内の星では意味がないだろうケド」

老研究者は楽しそうに語る。
その笑みは悪意によるものではなく純粋な研究意欲によるものだろう。
他国の研究内容を把握しているあたり、この研究所の情報網も侮れない。

「16光年離れタ超新星爆発の影響が地球に到達するのが爆発ヨリ16年後。
 ソレが観測されたのが8年前だカラ、残り時間は約8年という事にナル。マァ多少の前後はするだろうけどネ」

8年。それが人類に残された制限時間だ。
その砂時計が落ちるまでに、人類は解決策を用意しなければならない。

「そして『Z』に対して我ら『未来人類発展研究所』の用意した計画(こたえ)が、[HEウイルス]による『地球再生化計画(リ・テラフォーミング)』だ」

言って、紙束の資料を差し出す。
全人類の脳を使って地球再生を成し遂げる。
これこそが[HEウイルス]の本来の目的。
異能は人間の脳を世界に拡張させる上で起きる副産物に過ぎない。

「ですが、このやり方では地球再生が行われるまでに人類が死滅するのでは?」

奥津が資料に目を通しながら、疑問点を問う。
人類を材料としている以上、人類が絶滅しては実行不可能な計画である。

「何も全員が即死する訳じゃない。環境の再生が完了するまで持てばいい」
「環境の復元まではどの程度の期間がかかると想定されていますか?」
「人類が最低限生存可能な領域まで復元すルのに80億で上手くいけば1週間。
 だガ、そう上手くはいかないだろうネ。ある程度の死者も出るだろうし1か月程度はかかる見込みだヨ」

環境の激変した地球で1か月。
とても常人が生存できるとは思えない。

「その為に開発したのが、今君たちの使用している防護服ではあるのだがね」

極限環境に対応した防護服。
確かにあの防護服であれば、地球環境が激変しようがある程度は生存可能だろう。

「だが、数が足りないでしょう」

防護服を全人類80億に配備するのは現実的ではない。
生産も配備もどう考えても追いつかないだろう。

「それはそうだ。だが限られた人間であればどうだ?」
「限られた人間…………女王ですか?」
「女王? ああ。A感染者はそう呼んでるのだったか、名付け親は百乃介か」

防護服で女王だけを保護する。
そうだとしても世界の総人口約80億の中から800万である。
これも現実的とは言えない。

「イイや、山折村が特別小さなコミュニティでアッタというだけデ、女王は最大で10万程度のコミュニティを築ける見込みだヨ」

10万であれば女王は世界中に約8万。
数だけで言うならば用意できる可能性のある範囲にはなってきた。

だが、生産が追いついたところで問題はそれだけではない。
8万の防護服を仮に用意した所で、それをどう配備する?

何より、女王だけが生き残ってどうなる?
働き蜂がいなければ意味がない計画だというのに。

「先ほど、研究は世界各国で行われているとおっしゃられていましたが。他国との協力関係などはどうなっています?」

事は国内で収まる話ではない、惑星単位の話である。
防護服もそうだが、完成したウイルスの散布にしたって全世界的な協力は不可欠だ。
だが、世界の裏で汚れ仕事を請け負ってきた奥津は世界がそう簡単ではないことを知っている。

「まぁ。懸念は理解する。防護服に関しては我々としても苦肉のサブプランだ。
 君らに国家間のパワーゲームについて説くのは釈迦に説法と言うものだろうが、お察しの通りうまくはいっていない」

世界の危機に仲良く世界が手を取り合うなんて夢物語はあり得ない。
だが、その夢物語を実現しなくては乗り越えられない危機であるのも事実である。

31第三回定例会議 ◆H3bky6/SCY:2024/03/19(火) 00:07:52 ID:8B2by6yc0
「各国は水面下で牽制しあっている。世界を救うという成果の奪い合いで協力なんてもっての他だ。
 この研究所にも他国のスパイが紛れ込んでいるだろう。それらも煩わしくってね。
 研究の邪魔になるそれらを排するため、君らにご協力願いたい」

前回の会議で老人の口から出てきたのと同じ口説き文句である。
国家間ではやはり足の引っ張り合いが行われているようだ。
それを解決するためにSSOGの力を借りたい。

「足の引っ張り合いをヤメて手を取り合うニは、ワタシの予測ではあと3年はかかるだろうネぇ」

3年とだけ聞けば短いように思えるが、世界のタイムリミットまで8年と言う中の3年だ。
しかも計画自体は8年前から始まっているのだから、16年の内11年掛かってようやくという事になる。
そこから手を取り合ったところで間に合うという保証はない。
ほとんど首の締まりきる直前に至るまで、手を取り合えないと言うのは。

「なんとも、馬鹿らしいとは思わないかい?」
「はあ…………」

終里に問われるが、奥津は言葉を濁す。
奥津の立場では意見し辛い話である。
終里は構わず話を続けた。

「世界を救わんとする行為が、権力者の手柄奪い合いによって邪魔されるなどあってはならない。
 我々はこの現状を変えたいんだよ、奥津くん」

距離感を詰めてきた。
ここからが本題だろうと奥津は察する。

「変えるとは、どうやって?」
「当然の事だが、情報の隠匿も妨害工作も、その判断は下しているのは世界各国の指導者や権力者たちだ。
 ならば、その判断を変えるには、より力を持った相手に働きかければいい」

言うは易しだが、そのような存在がどこにいるというのか。
三百人委員会のような世界を裏で操る組織の存在など都市伝説だ。
誰かに働きかけるだけで世界を動かせるような存在など、この世に存在するはずもない。
権力者を動かせる者がいるとするならば、それは……。

「…………まさか」

興津が何かに気づいたように目を見開いて口元に手をやった。
研究所の真意。これからやろうとしている事。
その全てを解決できる一つの答えに行き当たったのだ。

「――――――公表しようと言うのですか? この事実を」

秘匿された真実の公表。
世界が滅ぶと、この村の悲劇をきっかけに世界に喧伝するのだ。
つまり、働きかけるのは権力者を上回る大衆という名の民意だ。

「オヤオヤ。メッタな事を言うものジャないヨ」
「そうだな。秘匿された情報を公開するなど世界に混乱をもたらす所業ではないか」

二人が冗談でも笑い飛ばすように仲良く声を揃えて笑う。
顔に笑顔を張り付ける二人を興津は無言のまま睨み付けるように見つめる。
終里が大きく広げた手をパンと鳴らし、空気を換えた。

「だが――――――事故ならば仕方がない」

笑い声が止まり静寂が応接室を包む。
話が見えてきた。
ここまで事情を事細かに興津に明かしてきたのかも、全てはこのため。

「しかし、事が明るみになれば、取り潰しということにも成りかねないのでは?」
「ならないね」

奥津の懸念を終里は迷いなく即座に断ずる。

「世界の滅びを前にして、世界の救済を誰が止めるというのだ?
 何より、我々は哀れなテロの被害者だ。そうだろう?」

眼前で指を組み、被害者とは思えぬ堂々とした態度で研究所の長は告げる。
興津も、彼らの言う他国からのスパイや干渉を何とかしたいという意味合いを取り違えていた。
研究所は警備や防衛戦力としてSSOGを求めているのではない、
研究所が求めているのはもっと根本的な解決だ。

32第三回定例会議 ◆H3bky6/SCY:2024/03/19(火) 00:08:14 ID:8B2by6yc0
「……なるほど。我々を取り込もうというのはそのためか」
「流石だな。理解が早くて助かるよ」

感心したように終里が特殊部隊を率いる隊長を称える。
研究所に対して諜報活動や妨害工作が行われているのは、言うなれば研究を行っている事が誰にも知られていない秘匿された物だからだ。
ならば、それを表に出してしまえばいい。
研究を公然の事実としてしまえば水面下の妨害工作などできなくなる。
なにせ世界を救う研究だ。表立ってそんな事をすれば世界の敵だ。
それどころか、世論に後押しされ国の枠を超えた協力も出来るようになるかもしれない。

「そのために我々に情報の漏洩を見逃せという事ですね」

世界を救う計画と魔王の悪意によって山折村で発生したバイオハザード。
この未曽有の事件は、全てをなかったことにされる宿命だ。他ならぬSSOGの手によって。
だが、その掃除役がグルになって目溢しすれば話は別だ。

確かにこれは記録の残る通信上では話せない話題だろう。
つまり、これは報告会などではなく、談合の場。
世界中が手を取り合い世界救済を行うための。

「我々の介入を嫌った理由もそう言う事ですか」

事件発生直後に行われたSSOGと研究所との初になる会合。
あの時、研究所はSSOGに事後処理のみを任せ、渦中の村に関しては介入を不要とした。
この判断は当時から疑問だったが、研究所が『Z計画』の情報流出を狙っていたとするならば、その理由も見えてくる。

この計画には、事件を喧伝する『語り部』の存在と、『掃除役』であるSSOGの協力は必須だ。
生き残りである『語り部』から特殊部隊の連中が研究所と手を組んで殺しまわっていたなどと言う悪評が広まってはまずい。
世論を味方につけるのならば研究所は卑劣なテロリストによって加害された被害者でなければならない。

「計画が始まった時点でキミらの介入は避けられなかっタ。研究所を立ち上げた時点で交わされた国との契約があったからネ。
 カと言って、あのタイミングで目溢しを求めたところでキミらは聞き入れなかったダロウ?」

それはその通りだ。
今であれば従うという訳ではないが、交渉材料もない状態では聞く耳すら持たなかっただろう。

研究所はSSOGの雇い主ではない。
事後処理を行うという契約の下、動かされている実行部隊に過ぎない。
故に、彼らは研究所の意向を無視して己が任務達成の最善である選択肢を選び、現場に隊員を派遣したのだ。

「それに何より、世論を動かすには事後直後に解決されては少々弱い。
 より煮詰まった――――地獄でなかれば大衆の心を動かせない。この悲劇は無駄にはならんさ」

SSGOの介入を避け、早期解決を目指さなかった理由はこんなところだ。
山折村の悲劇は世界が手を取り合うために必要な犠牲である。
真に世界を救うための贄として捧げられた。

「マァ、キミらの介入も、シナリオはマダ修正可能な範囲サ。キミらの協力があればネ」
「多少の泥を被ってもらう事にはなるだろうが、気にすることはない。
 責任はすべてアレに押し付けてしまえばいい。そのための魔王(かがいしゃ)だ。
 アレを秘匿してきた上の連中も文句は言えまい。なにより古今東西の物語において魔王とはそう言うモノだろう?」

戦争開始の最初の一発を敵に撃たせるようなものだ。
その役割を担う者こそが、魔王。
諸悪の根源として全ての悪を押し付けられる者。

「もっとも、烏宿副部長が諸悪の根源であるのは事実のようですが」

メガネを上げながらこの場における紅一点が冷静な声で言う。
押し付けるも何も、彼がこの事態を引き起こしたのは紛れもない事実である。

「つまり、あなた方はそれを知りながら放置していたという事か」

そうすると知りながら、都合がいいから放置していた。
むしろ、こうなることを期待した節がある。

33第三回定例会議 ◆H3bky6/SCY:2024/03/19(火) 00:08:30 ID:8B2by6yc0
「誤解があるようだから言っておくが、我々もアルシェルが裏でやっていることに関しては把握していなかった。
 出来るはずもない。なにせ相手は超常の魔王なのだから」
「ソウだネ。烏宿くんの仕業だと気づいタのは前回の定例会議でキミら名が出た時の話だヨ。
 人間如きにドウコウできる相手ではないサ」

人の域を超えた力を持つ魔王。
制御不能の超越者である。
それは事実なのだろう。

「直接的に制御できずとも、与える情報を調整すれば間接的にその方向性を操作することは可能でしょう」

だが、だからと言って、何もできないわけではない。
奥津は数多の作戦行動において指揮を預かる特殊部隊の隊長である。
戦術、謀略はお手の物。文官が軍官を謀ろうなどそれこそ100年早い。

「ま、否定しない。魔法は万能ではない。特に機械類との相性が悪くてね。
 だからと言ってアルシェルが機械音痴なんてベタな属性だった訳ではないが、コンピュータの扱いはまあ一般的な研究者と言った程度さ。
 これがどういう意味か分かるかね?」
「魔王はネットワーク上の機密情報にはアクセスはできない」

即座に帰ってきた望む答えに然りと頷く。

「そうだ。奴が閲覧できるのは正当にアクセスできる情報に限られる。
 まあ人を使って間接的には可能だろうが、その手のやり方は奴の矜持が許すまい」

所長という立場を使えば与える情報の取捨択一が可能だ。
相手の人格を理解して、与える情報を制御すれば、必然的に行動もある程度は制御ができる。

「だから『Z計画』の情報を与えるために昇進させたのですか?」
「流石にそうはいかんさ。アルシェルに悟られるような露骨なことはできん。昇進に足る実績が必要だった」

この計画はあくまで魔王自身の意志で行われなければならない。
誘導に気づけば、魔王はその意図に従う事はなくなるだろう。

「そこに、ちょうどよくスヴィアくんの件が起きた」
「スヴィア…………? スヴィア・リーデンベルグの事ですか?」

スヴィア・リーデンベルグ。
『未来人類発展研究所』の元研究員にして山折村に居る正常感染者の一人だ。

「そうだ。アルシェル自身も上位の権限を欲していたようでね。
 当時もっとも実績を上げていた部下である彼女を研究所から追放するよう画策したのさ、功績を奪うためにね。
 我々もその意図に従い彼女を解雇した」

魔王も上位の権限を欲していた、研究所も彼を昇進させたかった。
互いの利害が一致した。スヴィア一人を犠牲にすることで。

「かくして、スヴィアくんの成果は班長である彼の功績となり。私もそれを理解した上で昇進させた。そういった人事は私の仕事なのでね」
「ソウいう人事は私にも知らせて欲しかったネェ」
「告知はしたぞ。お前は研究以外にも興味を持つべきだな百乃助。他部署の事とは言え2か月以上も気づかぬお前が悪い」

染木の苦言を終里があしらう。
細菌学の重鎮にこのような口を叩けるのはもはやこの男だけなのだろう。

「とは言え、餌を与えたところで奴が何時、何をするかは予測不可能だった。
 あのタイミングで山折支部が狙われたのは我々としても寝耳に水だ。
 だが、どのような形にせよロクなことはしないのだけは分かっていた、だから我々はそれに備えてきた」

害意と悪意をバラまく最悪の災厄。
それだけ分かっていれば十分である。
想定あらゆる場所に保険を配置し、念のためを散りばめた。
そうして実った成果が、山折村を襲った悲劇だ。

「懸念していたのは我々に踊らされたことを理解したアルシェルの出方だが。奴が村の呪いに飲まれたのは嬉しい誤算だった。
 死人に口なしと言う奴だ。全てを押し付けたところで問題はあるまいよ」

より多くを救うため少数の犠牲を切り捨て、その責任をスケープゴートに押し付ける。
今更その手法に異議を唱えるほど、奥津は青くない。
むしろ、それ以上に汚い手段を取ってきた汚れ役が彼ら秘密特殊部隊だ。

今更それを咎められるような立場でもないし、特に気にしてもいない。
それよりも気にかかるのはその成果。

「仮に計画が成功したとして、世界の混乱はどうなります?」

政府が情報をひた隠しにしているのは世界の混乱を避けるためだ。
興津の問いに、資料に目を落とした長谷川が眼鏡を上げながら答える。

「この情報が開示されれば混乱により2億人ほどの死者が出るとの予測です」
「総人口の2.5%。99.98%が死滅する未来に比べれば実に少ない犠牲だヨ」

彼らは研究員らしく、救う人間を数字で見ている。
小さな村の1000人など、それこそ誤差のような小さな犠牲だろう。
少数を切り捨て多くを救う。その価値観はSSOGも同じ、いやそれらを突き詰めたのが彼らである。

34第三回定例会議 ◆H3bky6/SCY:2024/03/19(火) 00:09:16 ID:8B2by6yc0
「そうだとしても、これ以上の感染拡大(パンデミック)は看過できない」

情報漏洩についての回答は保留し、ひとまず奥津は感染拡大の問題にフォーカスする。
この先はどうあれ、この問題は解決せねばならない。

「ソレには同意するヨ。感染拡大は我々も望むところではない。
 [HEウイルス]は、マダ表に出せる完成度ではないからネ」

パンデミックの防止。
この一点においては研究所、特殊部隊、そして村民、全員の意思は共通している。
被害の拡大を望むのは世界に悪意を持った者のみだ。

「ならば、その点に関してだけでもご協力いただきたいですね。本当に、女王特定の手段はないのでしょうか?」
「勿論アルよ。肉眼では判別できないと言うダケで、研究所の設備を使えば特定は可能ダヨ。
 電子顕微鏡か何かで脳内の細菌を観察すれば特定は可能ダ。モチロン相応の知識は必要になるだろうがネ」

既に何名かの村人が地下研究所にたどり着ているという報告は受けている。
下手をすれば村人たちの中では既に女王は特定できている可能性はあるだろう。
そうなると特殊部隊は情報戦で大きな遅れをとることになる。

「もっと分かりやすい、目視できるような違いはないのでしょうか?」
「ないネェ…………イヤ、今はないがアルと言えばアルか」
「それはどう言う意味で?」

何か思い至ったのか。
染木は説明を始める。

「48時間が経過するとウイルスが定着スルという話は覚えているカナ?」
「ええ。覚えています」

48時間と言うタイムリミットの基準となった話だ。忘れるはずもない。

「コレは子株である[HE-028-C]が[HE-028-B]に変質スル事で起こりうる変化なのだがネ。
 デハ、親株である[HE-028-A]が人体に定着するとどうナルと思うカナ?」

クイズでも出すように楽しげに問うてくるが分かるはずもない。
回答を待たず、老人は続ける。

「答えハ、同じく定着と共に変質すル。
 我々はソレを[HE-028-Z]と呼称している。マァただの言葉遊びだがネ」

A(はじめ)からZ(おわり)へ。
命名自体は研究所が行っているのだから意味はないだろう。
だが『Z計画』を終わらせる『Zウイルス』と言うは中々に皮肉が効いている。

「ウイルスが[HE-028-Z]になると、どうなるのです?」
「まず、外見的変化が現れる。具体的に言えば瞳が黄金に輝き始めるのだ」

答えたのは研究所所長の終里である。
言われて、終里を見れば、そこにあるのは燦々と輝く金色の瞳。

「これはウイルスの元である私に、と言うより大元である魔法の力、つまりはアルシェルの特徴に近づくのためだろう」
「なるほど。外見の変化は分かりました、では内面、能力などはどう変化します?」

奥津が結論を問う。
いつものように、すぐさま答えが返ってくるものだと思っていたが、どういう訳か研究員たちはしばし押し黙った。
そうして斜視の瞳を天井にやりながら染木が口を開く。

「…………分からない」
「分からない?」

まさかの答えに思わずオウム返しで問い返していた。
ここにきてまさかそのような答えが返ってこようとは思わなかった。

「『第二段階』としての仮説はアル。
 ダガ、実証に関してはマダ影響力の乏しい小動物での実験しか行っていない段階だったンだヨ。
 今だソコに至った被検体はイナイのサ」

そこに至るには臨床実験。つまり人体実験が必要だった。
そして山折村で行われたテロこそがその人体実験に他ならない。

「一応、仮説をお聞かせ願っても?」
「[HE-028-A]ウイルスを起点とする細菌同士の繋がりに関しては前回説明したネ?」
「ええ、なんでも縁のような概念でつながっているというお話でしたか」
「ソウ。[HE-028-Z]に至るとその縁が別領域に繋がるのではないカ、と言う仮説だネ」
「別の領域?」

よくわからない概念だ。
理解できないのは奥津が科学者ではないからか。

35第三回定例会議 ◆H3bky6/SCY:2024/03/19(火) 00:09:47 ID:8B2by6yc0
「ですが、それが発生するのは人体に定着する48時間後の事でしょう?」

制限時間に達すれば殲滅作戦が実行される。
その時点で今更女王が判別できたところで意味がない。

「イヤ、ソコまで待つ必要はないサ。コレに関しては君らのお蔭だ。
 極限状況においてウイルスの定着は加速してイル」

神経細胞(ニューロン)を流れる電気信号(インパルス)によって脳内の[HEウイルス]は活性化する。
つまり、ウイルスの成長速度は脳内を流れる感情量に比例する。
村に送り込まれた特殊部隊の活躍は極限状況を作り上げ、ウイルスの進化と定着速度を加速させた。

「イヤ。コレは欲ダナ。本来ソコに至る予定は今回の計画にはなかったのダガ。君らのお蔭で手が届きそうだヨ。
 『Z』に至った時、ドウなるのか、ワタシはソレが見たい」

これまでにない歪んだ顔で研究者が笑う。
手が届きそうな所に答えがある。
これでは研究者としての欲が鎌首を擡げると言うモノ。

「だとしても、感染拡大のリスクは冒せない。女王暗殺の方針はこれまで通りに遂行させて頂きますよ」
「……マァ。ソウだネ。順調に研究を続ければ5年後にはワカる予定の結論ダ。ソコまで固執する程のものでもないサ」

言葉とは裏腹に名残し気に老人は肩をすくめる。
観測できれば研究成果を大幅に短縮する事になるが、感染拡大のリスクには変えられない。
女王は見つけ次第殺害する。その方針に変わりはない。

「デハ、女王の死亡が確認された後の兵の動きについて話そうカ」

女王の死亡後。感染拡大の危機が去ったあと事態をどう収拾するか。
これまではSSOGの独断専行であったが研究所と連携を取るのであれば必要な議題だ。

「異常感染者に関しては放置してイイ。回収は村から[HEウイルス]の影響は大方消え去った24時間後にでもすればイイサ。
 後遺症は残るダロウが、ソレはこちらで引き取って処置しよう」

記憶も残らないゾンビたちはSSOGとしても放置しても問題はない。
問題は正常感染者の扱いである。
SSOGの方針としては最重要タスクである女王の暗殺を完了後、正常感染者は皆殺しにする予定だった。
実に特殊部隊らしい、手っ取り早くて確実な方法だ。

「女王の死亡が確認されタ場合、正常感染者に関してハ、殺害ではなく保護に切り替えて頂きタイ。
 不要な虐殺は『採算が合わない』のでネェ、中々言いエテ妙ダ。彼女ドコまで分かっていたんだカ」

だが、研究所の方針は異なる。
なかったことにするのではなく、公表を目的とする以上、生存は必要である。
研究所が卑劣なテロリストによって妨害工作を成された被害者の立場でありたいのなら。
無為な虐殺ととられるような行為を続けるのは採算が合わない。

「彼女とは誰の事でしょう?」
「コチラに交渉を仕掛けてきた娘サ。残念ながら先ほど脱落者の中に名前がったようだがネ」

ハヤブサⅢか。
奥津は内心で通信者の名に確信を持つ。
具体的な通信なようまでは把握していないが、通信室で動きがあったことは報告を受けている。

「まぁ、保護と言っても現地での悪評が広まっているキミらでは厳しかろうが、まぁ手段は問わない」
「ソノ娘と女王殺害後の正常感染者もコチラで保護すると言う交渉はしてアル。コノ事実を上手く利用するとイイ」

これまで敵対していた外部の人間から救いの手を差し伸べるより、内部の人間であるハヤブサⅢが得た成果とした方が理解は得やすいだろう。
結果としては村人は助かるのだから、言動を利用された所で利害の一致だろう。
むしろ彼女は自身の行動を利用されることを想定していた節すらあるように感じる。

「ダガ、例外がアル。先ほどの言った通り定着の速度は加速していル。
 ソノため既にB変異している正常感染者がいてもおかしくはナイ。ソレに関しては処理せねばならナイ」

既にウイルスの定着したB感染者に関しては女王が死亡しようと感染拡大の感染源足りえる危険な存在である。
女王と同じく放置はできない。

「それはどう判別すればよいのでしょう?」
「女王の死後おおよそ1時間から6時間の間にウイルスの影響は薄れ異能も喪失していく。つまりその段階になっても異能が使える奴がいるならそれがB感染者だ」

女王の死後のロスタイムと言ったところか。
その選別が完了すれば少なくともVH騒ぎは収束する。

36第三回定例会議 ◆H3bky6/SCY:2024/03/19(火) 00:09:57 ID:8B2by6yc0
事態の終わりについて明確になってきた、ちょうどそのタイミングで奥津のポケットが振動を始めた。
ポケットからスマートフォンを取り出し、発信者の表示された画面に目を落とす。

「失礼。緊急の連絡のようだ」
「構わんよ。ここで受けたまえ」

手を差し出し席に着いたままでいるよう終里が促す。
それは、ここで受けてもいいというより、ここで話せという圧である。
奥津は観念して画面をスワイプして通話を始めた。

「私だ。どうした?」
『隊長。ハヤブサⅢの排除、および通信機の破壊任務の達成を確認しました。
 通信制限の限定解除が可能となりましたがいかがいたしましょう?』
「ああ、構わない、実行してくれ」
『了解しました』

短い報告と許可を経て通話を切る。

「それで? 何かあったのかね?」

奥津が携帯を収めると同時に終里が問う。
山折村の事案にかかわる話だ、答えないわけにもいかない。

「現地の障害が一つクリアされ、軍用通信が可能となりました」
「ホゥ。イイじゃなカ。現地の隊員と直接話をできるという事だネ?」

方針の変更を打診していたタイミングでの事だ。
研究所としてはこれ以上ない好機であり、奥津としてあまりよくない状況となった。

「この方針を受け入れ、現地に伝えて頂きたいのだが。どうかな?」

研究所の長が問う。
女王殺害を契機に殺害から保護へ。
真逆と言ってもいい、大幅な方針変更である。

現地の村民に悪感情を持たれているSSOGでは難しかろうが。
救出を裏の事情を知らぬ自衛隊の別部隊に任せる手もある。
SSOGは悪役として泥をかぶる事になるが、救出任務自体は達成できるだろう。
だが、それ以前の問題として。

「希望はお聞きします。ですが、我々はあなた方の方針に賛同したわけではない。
 何の理由があってあなた方に協力する必要があると言うのです?」

研究所は政府の方針に反している。
これに従うのは明確な裏切りだ。
それをするだけの理由がどこに。

「―――――世界を救える」

端的で明確な答え。
これ以上ない報酬である。

軍人は任務に疑問を持ってはならない。
だが、そもそも国そのものが消えるとするならば?

この決断は世界の存亡が文字通りの意味でかかっている。
隊を預かる将として。
真に祖国の守護者たるならば、何を選ぶのが正解なのか?
その決断を迫られていた。

37第三回定例会議 ◆H3bky6/SCY:2024/03/19(火) 00:10:21 ID:8B2by6yc0
投下終了です。

予約の再開は

3/20(水) 00:00:00

からとなります。
それでは最後までよろしくお願いします。

38<削除>:<削除>
<削除>

39◆qYC2c3Cg8o:2024/04/04(木) 23:00:26 ID:???0
投下します

40◆qYC2c3Cg8o:2024/04/04(木) 23:01:43 ID:???0
診療所駐車場の真ん中で、大田原源一郎は静かに佇んでいた。
異能『餓鬼(ハンガー・オウガー)』によって理性は既に食い尽くされ、
今や残るは乃木平天に全てを託すという一念のみ。
瞑想により精神を無に落とし、彼が己に命令を下すのを、ただひたすら待ち続けていた。

どのくらい時間が経っただろうか。
闇の中で眠る大田原の心。永劫に続くかと思えた沈黙の世界に、突如、一条の光が差し込んだ。
この光はなんだ。その疑問を抱いた直後、
大田原の心の奥底から、今まで久しく忘れ果てていた巨大な感情が沸き上がってきた。

「ぅ…………」

それは安らぎだった。
兵士としての精神の極北まで至った大田原ですら抗い得ぬ、
生物としての本能の根から沸き上がる衝動。
それが、大田原に、己が為すべきことを思い起こさせた。

「……じ……ぅ……」

思考がクリアになっていく。
餓鬼によって蝕まれる自我の苦痛が消えていく。
何故自分は忘れてしまっていたのか。
滅私の精神も、秩序の守護も、そして、最強の称号も。
全ては■■の為にあったのではなかったのか。

そうだ。自分は、守らなければならない。■■を。

「……じょ……おぅ……」

大田原源一郎はゆっくりと立ち上がると、何かに導かれるように、どこかへ向かって歩き始めた。



41◆qYC2c3Cg8o:2024/04/04(木) 23:02:18 ID:???0

山折総合診療所に近づく2つの人影があった。
一つは少年、山折圭介。もう一つは『魔王の娘』を名乗る影法師の少女。

2人は一見親しげに並び立って歩いているが、
圭介はいかにも困ったという表情を浮かべており、
魔王の娘の方はというと、機嫌を損ねた様子を隠そうともせず、ぷいと彼から顔を背けている。

魔王の娘から持ちかけられた取引。
女王感染者を止める手助けをする見返りとして、圭介の中に存在する願望器を使い、
山折村を消滅させ、隠山いのりと神楽春陽を解放する。
それに対する圭介の回答は、『保留』だった。

圭介の肉体に埋め込まれた願望器。その使い道として、圭介がすぐ考えつくのは次の二つだ。
『このVHで死んだ者全員を生き返らせる』、もしくは『このVHそのものを無かったことにする』

圭介は、魔王の娘の願いを無碍にしたくないと思っている。それは事実だ。
それに、死者蘇生など死者への冒涜だ、過去改変など許されるべきでない、そういう考えもあるかもしれない。
そうであっても、今回のVHで失われたものはあまりにも多すぎた。
今の段階でこれらの選択肢を捨て去ることは、圭介にはとてもできなかった。
だが、山折村という概念そのものに対し徹底的な嫌悪を抱き、
ごく一部の例外を除いた人間についても憎悪の感情を向けている魔王の娘にとっては受け入れ難い選択である。

(なんとか、落としどころを見つけられねえかな……)
玉虫色の選択肢がない以上、どこかで妥協点を見つけなければならない。圭介は頭を悩ませていた。


「圭介。気を付けて。近い」

影法師の少女に声を掛けられ、圭介は我に返る。
自分達の目的地は山折総合診療所と聞かされていた。そこで誰かが魔王の娘を待っているらしい。
だが、診療所まではあと50m程離れている。

「ん? 診療所の中行くんじゃなかったのか?」
「その筈だったんだけど、ちょっと予想外のことが起こったみたい。
 …………あの子、よりによって何であんなところにいるの。
 また何かしでかしたの、神楽め……」

影法師の少女が何やらぶつくさ呟いているのを横目に、
圭介は周囲を警戒する。

そして、気付いた。
北の方向から、2人の少女がこちらへ近づいてくるのを。
幼き頃から見知った相手だ。影を見ただけでそれが何者なのか、圭介は察した。

「……圭介兄ぃ」
「珠、春……」

神楽春姫・日野珠の2人と山折圭介。2人の女王と村の王の再会だった。



42◆qYC2c3Cg8o:2024/04/04(木) 23:03:15 ID:???0
見たところ、春姫も珠も、荒事は避けられなかったようであった。
特に春姫の巫女服は血塗れで、額には新しい傷が痛々しく覗いている。
だが不幸中の幸いとでも言うべきか、普通に動く分には支障がないようで、圭介は安堵した。

しかし、珠の右眼には、日野光の影姿と同じく黄金の光が輝いていた。
それが意味するところは、あまりにも明らかだった。
圭介はそれを認めながらも、警戒するそぶりも見せず、ゆっくりと彼女に近付いていく。

「ちょっと待って、圭介。あの小さい子の方は……」
「分かってる。けど、悪い。これだけはさせてくれ」

幼神の警告を、圭介は手で静止する。
例え珠が、己の討つべき相手であったとしても。
それ以上にやらなければならないことが、圭介にはあった。

圭介は改めて2人に向き直ると、地面に腰を下ろした。
そして。

「すまねえ、珠」

頭を地につけながら、圭介は、

「俺、光を守れなかった」

己の最大の過ちを告白した。


「光が、死んだのか」
「…………光姉が」
春姫と珠が、ぽつりと呟く。

「全て、俺の責任だ。許してくれなんて言わねえ。一生恨んでくれていい。
 すまねえとしか言えねえ。申し訳ねえ!!」

圭介は叫んだ。
救えなかった想い人の妹に、心の底から、詫びた。

43◆qYC2c3Cg8o:2024/04/04(木) 23:04:07 ID:???0
「――――――」

珠が意識を失い、ゆっくりと後ろに倒れていく。
それを見た春姫が彼女を抱きかかえた。

「お、おい珠……?」
「案ずるな。息に乱れはない。まず休ませてやらねばならぬ」

春姫は眠る珠を地面に横たわせると、圭介に対し再び向き直った。

「ふむ。顔は死んでおらぬな」
「……いつもの憎まれ口、言わねえのな。
 何言われても仕方ないと思ってたんだけど」
「何があったのかは知らぬゆえ、責めはせぬ。
 問い詰めたところで、今はさして意味ある事でもなし。
 それに、妾とて全てを守れたわけではない」
 
春姫の眼に、物憂げな光が差していた。
圭介はこんな眼をした彼女を見たことが無かった。
 
「そっちでも誰か、死んだのか」
「氷月の娘が、妾や珠を守る為、災厄に立ち向かい倒れた。
 妾はその場に居合わせなかったが、そなたに親しい者の中では、
 朝顔家の養い子もやはり仲間を守って逝ったと聞く」
「……海衣と、茜か。あいつらまで……」

同年代の少女2人の死を告げられ、圭介は天を仰いだ。
同時に、自分が背負った死は、春姫が背負うそれとは重みの質が違うのだと思い知らされた。
海衣と茜は、他人を守って死んだといった。
最後まで自分の意志で戦って死んだのだろう。
だから、春姫は前を向くことが出来る。
2人の死を無駄にしないためにも、その死を受け入れ、前に歩む力に変えることが出来る。
だが、自分は違う。自分はもっと最低な死なせ方を……

「圭介」

自罰意識に再び囚われかけた圭介に、魔王の娘が釘を刺す。

――そうだ。今は足を止めるわけにはいかない。
自分は償うことのできない罪を背負った。
だが、想い人の想いを知り、その決意を受け継ぎ、この悲劇を終わらせると誓ったのではなかったか。

春姫は真っ直ぐにこちらを見つめている。
眼をそらすことは出来ない。山折圭介の決意を示す時だ。

「春。詳しいことは後で話すけど、俺はいろいろ許されないことをしちまった。
 これが終わったら、どんな罰を受けても仕方ない、と思う。
 でも、今抱いている、この事態を収束させたいという気持ちだけは、嘘じゃない」
「…………」
春姫の視線は微動にしない。

「俺は、まだ生きている奴も救いたいし、もう死んじまった奴の想いも無駄にしたくない。
 その為なら、村のリーダーって立場だって捨ててやる。
 頼む、春。この事件を終わらせる為に、俺が一緒に戦うことを許してくれ」

そう言って、圭介は頭を下げた。
春姫はしばらく黙っていたが、

「顔を上げよ、山折の」

そう言って、改めて圭介の瞳を覗き込んだ、
その色を見て、裁きは決まった。

「そなたの許されざる所業とは何か気にはなるが、
 今のそなたの眼に自棄や悪意は見られぬゆえ、今は不問とする。
 山折圭介はこれより事態収拾の為戦う。
 そなた自身が己を許せぬのなら、全てが終わったのち、改めて裁きを行う。それでよいな」

神楽の女王が、山折の王に、温情を示した。

「済まねえ、春」

圭介は純粋に感謝して、礼を言った。
圭介がこの犬猿の仲の相手に向かって、素直に頭を下げるのは初めてだった。

やるべきことは決まった。
だが、問題なのはここからだ。

44◆qYC2c3Cg8o:2024/04/04(木) 23:04:36 ID:???0
「じゃあ、聞かせてくれ、春。お前らこれから何をしようとしてたんだ?
 それと、女王のことだけど…… まさかとは思うけど、珠が」
「察しておるか。なら、隠しても仕方あるまい。
 そう、日野のが、女王感染者だ」
「……マジかよ……」

感づいていたとはいえ、決意を示した直後にいきなり梯子を外された格好だ。
VHを終息させるには、恋人であった光の妹を殺さねばならないとは。

「案ずるな。日野のを殺さずとも事態を収束させる術は見つけておる。
 山折高校のリーデンベルクという教師は知っているな?」

そして春姫は、スヴィア=リーデンベルクが立案した収拾策を語った。
天原創の異能で女王ウイルスを非活性化させた上で、脳内のウイルスを除去する。
それはまさに、光が157回目のループで見つけたという解決方法だった。
春姫達は、右も左も分からないゼロからの状況から、自分達の力でそこまで辿り着いたのだ。

「リーデンベルク先生が…… そっか……」

珠を殺さなくてもVHを終わらせられる手段がある。
もちろん、天原創の無事が確認できていない以上、失敗に終わる恐れがあることは分かっている。
それでも、珠の生存の可能性がつながったことに、圭介は安堵した。

「……情けねえな。俺なんて、自分じゃ何も見つけられなかった。
 いつもリーダー風吹かせておきながら、このザマだったか」

無論、圭介が今まで全く何もできていなかった訳ではない。
圭介は間接的な戦果も含めると3人もの特殊部隊を倒しており、
それが他の村人の生存に繋がったということはできる。
だがその過程で失われたものは余りにも多く、今の圭介にとっては誇れる成果ではなかった。

「巡り合わせだ。仕方あるまい。
 では、山折の。そなたについてはこれで手打ちとする」

女王が閉廷を告げた。
山折圭介への裁きは、とりあえず終わりだ。
だが、今までの話はあくまで前座に過ぎないことは、
この場にいる全員が感じ取っていた。


「それでは、本題に移ろうか」

そういって、春姫が眼を移す。
今まで、敢えて目を向けていなかった、
圭介の後ろに控える影法師の少女に向け、その視線をぶつけた。

「……聞こう。そなたは何者だ」



45◆qYC2c3Cg8o:2024/04/04(木) 23:05:06 ID:???0
圭介に背筋に緊張が走った。
問題はここからだ。
これまでの流れはほぼ想定内、いや想定より遥かに穏当に済んだ。順当過ぎたと言ってもいい。
春姫も色々あったようで、厳罰を命ずることも無く、こちらの心情を慮って応対してくれていた。
しかしここからは話がどう転んでいくか全く見当が付かない。

魔王の娘も、バイオハザード終息に力を貸すと言ってくれてはいる。
だが、それも願望器を使って山折村という存在を消し去るという条件付きでだ。
山折村を守ろうとするであろう春姫とは、目的の根幹レベルで相容れない。
しかも、両者とも圭介ではコントロールできそうにない気まぐれ者同士。
話が拗れてしまった場合、せっかく得た春姫からの信用も失うことになりかねないし、
魔王の娘が山折村への明確な敵対を決意し、強硬手段に出たりなどしたら何が起きるか想像も付かない。


「神楽春姫ね。あなた、隠山いのりをどうしたの」
魔王の娘は、名乗りもせずいきなり単刀直入に切り込んだ。
「あの娘も、そなたも、礼儀を知らぬな」
春姫もいかにも呆れたという様子で応じる。

「その身に纏いし厄。隠山祈を厄災に変じたのはそなたで違い無いな」
「そうよ。でも私のような存在を引き寄せる程の憎しみと絶望を彼女に与えたのは山折の民。あなた達よ」
「それは妾も知ることだ。妾の誇りに掛け、知らぬ存ぜぬで済ませるつもりはない。
 だが、そなたに山折の地を裁く権利がどこにある。神でも気取るつもりか」
「いいこと言うね。
 そう、私は祟り神。人の身であるあなたには、
 私が見てきた積もり積もりし呪いと恨みの系譜など、分かるはずがない。
 山折の地に染み込んだ呪いは、人間なんかに払えるものじゃない。
 だから私が裁く。そして呪いに縛られた隠山いのりと神楽春陽を解放する」
「だから妾らは死んで当然、とでもいうか。なるほど、神らしき傲慢さよな。
 だが、氷月のが何をした。与田めが何をした。
 妾らが過ちを犯していたことは認めよう。然れども贖罪とは、己の罪を知り、己の手で償ってこそ意味がある!
 神の裁きなど、要らぬ!!」
 
「おいおいおいおい!! 二人ともちょっと待て! お前も春も、少し落ち着け!!」

激しく火花を散らす2人を見て、たまらず圭介が止めに入った。
やはり話は平行線。魔王の娘と神楽春姫はどちらも妥協を知らず、話はエスカレートしていく一方だ。
このままでは物別れどころか実力行使にまで至りかねない。
そうなればこの場の誰の得にもならない、最悪の結末に至ってしまう。
どうすればいいんだよ、と圭介は内心頭を抱えた。


だが、幸い。
幼神と村の女王の橋渡しができる存在が、この場には一人いた。


『待って、春姫。私が話す』
「…………へ?」
春姫の声が突然、全く別の少女のものに変じ、圭介は間抜けな声を上げた。
そして気付いた。神楽春姫がその身に纏う雰囲気が一変していくのを。

数秒の静寂ののち、春姫の身体を借りた少女が、幼神に向かって口を開いた。

46◆qYC2c3Cg8o:2024/04/04(木) 23:05:28 ID:???0


「……えっと、久しぶりって言うのかな」
「…………いのり」

あの岩戸の闇の中での出会いから、一体何年経っただろうか。
片や呪いと恨みの中で死を迎え、死後も名を奪われて怪異に身を堕とされた挙句、厄災と化した隠山いのり。
片や異界で魔王と女神との間に生を受け、八尾比丘尼とされて私欲のために殺され、人間そのものを憎悪する祟り神に変じた少女。
数百年を経た、再会であった。

「いのり。まず私は謝らなくちゃいけない。
 私はあなたを救いたかった。でも私にできることは限られていた。
 あなたの魂を存在させ続けるには、あなたのその他者を呪い、憎悪する意志を使うしかなかった。
 けど、その為にあなたを憎悪に駆り立てられた厄災に成り果てさせてしまった」
「……そうね。あの時の私は恨みしかなかった。村の人間も、朝廷も、春陽も、世界の全てが敵だと本気で思ってた。
 でも、嬉しかったんだ。ああいう形であれ、こんな私に手を差し伸べてくれた人がいたってことが。
 その支えがなければ、名もなき厄災でいた時に、意志を擦り切らせて消滅してたと思う。
 ……ありがとう」

そう言っていのりは、深々と頭を下げた。

「……いのり」
その幼神のつぶやきには、一体どれほどの感情が込められているだろうか。

「山折圭介君は、初めましてだね。私は隠山いのり」
「お、おう…… は、初めまして。
 付かぬこと聞くけど、イヌヤマって名字、神社と何か関係ある?」
「うん。一応、この村の神社の巫女として育てられたの。正直、なる気は無かったんだけどね」
「そ、そうか。とりあえずよろしく」

言われてみれば、彼女にはどこか犬山姉妹に似た雰囲気を感じた。


「ところでいのり。
 私は、あなたは憎悪に呑まれた厄災のままだと思ってて、
 まずそれを止める為にここに来たんだけど、何があったの?
 例え聖剣を使ったとしても、素人の神楽春姫にあなたを止めることはできない筈」
 ……ちょっと記憶を読ませて」

魔王の娘がそう言って隠山いのりの額に指を当て、記憶を辿っていく。
隠山いのりが敗北したという相手は、魔王の娘にとって全く予想外の相手だった。
独眼熊。山の王。
厄災・隠山いのりは、一介の熊一匹に後れを取ったのだ。
何故魔王の娘はこの結果を見通すことが出来なかったのか。
何故隠山いのりは畜生一匹などに負けたのか。
それは、幼神と隠山いのりという少女の、いわば自然観の相違によるものだった。

魔王の娘は、人間の想いに寄り添う存在だ。
好意を抱いた人間にはその力を貸す反面、気に入らぬ者は徹底的に拒絶する。
人間の愛憎と怨恨を力にする、祟り神である。

だが、隠山いのりにとっての世界は人間だけではない。
山の神を祀る巫女としての教えを受け、幼き頃より野山を駆け回って育った。
巫女としての生き方をなぞることは嫌がっていたものの、
いのり個人としては山に対して強い信仰を抱いていた。

山は恐ろしい。山を軽んずる者に対しては必ずその牙を剥く。
その威の前には人間の感情、喜怒哀楽全てが無力だ。
ゆえに、山に生きる者は、山を畏れる。
米や野菜を育てる農民が太陽や雨に、獣を狩るマタギがイノシシやクマに神性を見出すように。
幼神や魔王などとは比較にならぬほど無力で、あまりにも原始的な、素朴で野蛮な神。
だがそれゆえに、人の生活に根付いた結びつきという面において、並ぶものはない。

畏れとは、己の限界を認めることから始まる。
それ故、独眼熊によって己の「山への畏れ」を思い起こされた隠山いのりは、
いまだ山折村や朝廷の人間への恨みは抱きつつも、現在は小康状態にある。
もしかしたら、あの敗北こそ、山の神からの隠山いのりへの救済だったのかもしれない

魔王の娘としては、自分がやろうと思っていた彼女の救済役を別の者に取られてしまい、
気に入らないところがあるのも正直なところだが。
何にせよ、やろうとしていた仕事の一つは終わった。もう一つの仕事に映るとしよう。

「とりあえず、分かったわ。
 それじゃ、いのり。あなたに教えてあげたいことがあるの」
「………なに?」

そう、これこそが本題。
隠山いのりだけなく己の願いにも関わる、最重要事項。それは。

「――神楽春陽の居場所」
「春陽様!?」

隠山いのりの驚愕の叫びが響いた。



47◆qYC2c3Cg8o:2024/04/04(木) 23:05:56 ID:???0
「春陽様がどうしたか、知ってるの!?
 あの人はなんで私のところに来れなかったの!?」

求め続けてきた想い人にして憎み人である神楽春陽の消息。
それを知っていると聞かされた隠山いのりは、堪らず幼神に縋りついた。

「落ち着いて。一つ一つ話していくから。
 まず、春陽の居場所だけど、この村の南にある龍脈の穴。神楽春陽はそこで眠っている」
「龍脈の穴? 春陽が開こうとしてた、あれ?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。2人だけで話を進めないでくれよ。
 その龍脈ってのは、どこなんだ?」

いのりと春陽の因縁を知らず、状況を掴めていない圭介が、堪らず説明を求めた。

「現在の名前は、新山南トンネル」

魔王の娘は答えた。
村外への事実上唯一の出入り口である新山南トンネル。神楽春陽はそこにいる。

「神楽春陽は、山折村をその厄から救うために、龍脈を開こうとしたの。
 でも、その為の工事は困難を極めた。昔のことだし、工事技術も未熟だったうえ、
 こんな辺鄙な村を救うために金や人を出そうなんて物好きもほとんどいなかった
 それでも何とか工事は完了させたんだけど、想定を大幅に超える犠牲者が出て、
 その結果、厄を通すはずの穴に彼らの怨念が溜まってしまい、その機能を果たせなくなった。お笑いだよね。
 だから春陽は最期に、その責を取った。
 龍脈を完成させる為、自らを人柱として捧げた」
 
幼神の語りを、圭介といのりは黙って聞いている。

「あと、いのり。神楽春陽は、ずっと貴女を探し続けてたの。
 村の者達から貴女をどこに閉じ込めたのか聞き出そうと、金や暴力まで使った。それでも村人たちは頑として口を割らなかったんだ。
 自分達が棄てた者達の霊から名を奪い、記録にも残さず、『無かったこと』にすることで、
 怪異から目をそらし続けるのが彼らの生き方。山折という地に住む人間の生存戦略だった。
 貴女のような犠牲者の存在を認めてしまうことは、自分達が呪われるべき、祟られるべき民であるという事実の受容に繋がるから。
 ……反吐が出るけどね」 
「…………」
「間に合わなかったことは彼に代わって私が謝るわ。
 けど、神楽春陽は決して貴女を見捨てたわけじゃなかった。その想いだけは、信じてあげて」
「…………春陽様」
いのりは、万感の想いとともにぽつりと呟いた。

『いのり。そなたは少し休んでおれ。
 妾も少し聞きたいことがあるゆえ身体は返させてもらうぞ』
春姫の声が本来のそれに戻り、自我が入れ替わる。

「聞きたいことってなに? 神楽春姫」
「分からぬことがある。
 神楽家が龍脈を開くのに力を尽くしたことは知っておる。
 だが、当時の当主が人柱になったなど、村の記録にも神楽の歴史書にも書かれておらぬ」

春姫は将来神楽家を継ぐ者として、山折村と神楽家の歴史を知り尽くしたと自負している。
だが、その春姫ですら、神楽春陽が人柱となった事実を知らなかった。
それは一体何を意味するのか。

「……これはあくまで私の想像でしかないんだけど」
そう前置きして、魔王の娘は語り出した。

「己の身を犠牲にして龍脈を完成させた人間がいるなんて記録に残したら、
 村の人間は、当然、彼を英雄として祭るよね。
 でも、春陽は誇り高かった。
 何人もの犠牲者を出して、作り上げた龍脈も不完全で。
 そして何より、隠山いのりを結果として見捨てた自分が、
 称えられるべき者として名を残すなんて、彼自身が許せなかったんだと、私はそう思う」

「ふむ…… そういうことか」

そう言って、春姫は頷いた。

「そして、彼はいまだ地の底で苦しみ続けてる。
 犠牲になった者達の怨念と、龍脈を通る山折という地の厄の流れの板挟みになって」

「……そうか。ようやく分かったぜ。だからそいつを救いたいってんだな」

遅くなったが、圭介もようやくその辺りの事情を掴め、魔王の娘の目的とその背景も理解できた。
問題は、そこをどうやって解決するかだ。

48◆qYC2c3Cg8o:2024/04/04(木) 23:06:25 ID:???0

「何とかなんねえのか?
 素人考えだけど、トンネルの中に社を立てて慰霊するとか」

圭介の提案に対し、魔王の娘は首を振る。

「やらないよりはマシ、くらいね。彼は数百年以上に渡り苦しみ続けてきた。
 そんなやり方じゃそれと同じか、それ以上の月日が必要。時間が掛かりすぎる」
「ん〜〜……」

『…………』
2人の会話を聞きながら、隠山いのりは思案していた。
神楽春陽の魂を縛り付ける山折村の呪い。
自分自身が長きに渡り呪いを溜め込んだ存在であることから、
その解放が簡単に行くものではないことは理解している。
だが、いのりは、先の研究所での戦いで、ある信じ難い光景を目にしていた。
それは、自分を打ち負かした山の王の姿。
独眼熊は、山の王者としての誇りを取り戻したことで、
その超越した自我を以て、己に課せられた呪縛の鎖を断ち切ってみせた。
あれが春陽を救う、何らかの鍵にならないだろうか。


(…………ダメだ、他の案なんて出ねえ)
圭介も彼なりに考えているが、呪いや祭祀といったことについては自分は門外漢だ。
うまい手などさっぱり思い当たらない。
そもそも、自分が思いつくことなど魔王の娘はとっくに考慮済みだろう。
わざわさ願望器を使えと言うのも、恐らく、それ以外に有効な手が無いと考えているから。
では、どうすべきか。春に意見を聞くべきか…… と考えていたその時。


頭の中に黄金の光が走った。
そして、己の口から自然に、次の言葉が出てきた。

「じゃあ、女王に聞いてみたらどうだ?」

空気が凍った。
「…………山折の。今そなた、何と言った」
常に余裕を崩さぬ春姫が、目を見開いて圭介を見ている。

「………え? いやだから、女王に聞こうって」
そこまで言って、ようやく圭介も気付いた。

「――え? え? いや待て。今俺何て言った。なんでそんなこと言ったんだ?」
何でそんなことを口走ったのか、自分でも理解できなかった。
極めて自然に、女王に従うべきという感情が沸き上がってきたのだ。

「……そんな。早すぎる。前のループだと、確か2日目の……」
表情は見えないが、魔王の娘も戦慄していた。

「まずい、圭介。あの子を今すぐ殺して」

最も恐れていたことが起ころうとしている。それを感じ取った幼神が叫ぶ。
春姫の手の中で、聖剣も幼神の意見に同調するかのように鳴動している。

圭介と春姫は思わず、『彼女』がいた方を向いた。
そして、時既に遅しことを知った。


「欠席裁判は止めてもらいたいですね」

そう言って、『彼女』は立ち上がっていた。
右眼に黄金の輝きを灯し、微笑をその表情に湛えながら、こちらをじっと見つめている。

「お前、誰だ……?」

圭介が、思わず、目の前の『日野珠』に向かって問いかけた。
だが、分かっていた。目の前にいるのが一体何者なのか。
山折圭介の、神楽春姫の脳内に巣くうHE-028ウイルスが、彼の者の覚醒を感じ取っていた。

「――ええ。察しの通りです。
 私は日野珠ではありません。
 私はHE-028-Aウイルス。あなた達の言う、『女王ウイルス』です。はじめまして」

そう言って女王は彼らに向かい、うやうやしく一礼した。



49◆qYC2c3Cg8o:2024/04/04(木) 23:06:50 ID:???0
「一体、何が起こったの……? なんでこんなに早いの……!?」
女王ウイルスの『第二段階』。日野光のループを終わらせた、終焉の始まり。
魔王の娘は、日野光の最後のループの記憶から、時間的にはもう少し余裕があるものと認識していた。
だから、日野珠と会った時も、圭介に決断は迫らなかった。
日野光の妹を殺すことについて、思うところも実際あった。
手短に済むなら、『細菌殺し』の異能を使った解決策を試しても良いとも思っていた。

こと今回の事態において、情報という側面で最も優位に立っていたのは、間違いなく幼神だった。
日野光による158回のループ。その記憶から情報を得たことによって、
正常感染者ほぼ全員の異能や、未来人類発展研究所の計画といった重要情報は全て手に入れていたし、
春姫やスヴィアらが必死になって辿り着いたVH終息策すら、既にその手中にあった。
そして、自らに欠けた最大のピースである科学知識を魔王から奪ったことで、今回の事態の盤面をほぼ掌握した。

その筈だった。
だが、そこに、驕りがあった。
知識や情報は確かに得ていた。だが、物事を推論する能力については、彼女は欠けていた。
魔王の娘は、自分が『日野光の主観を通した情報』しか手に入れていないという事実に気付かなかった。
そして、それは日野光も同じだ。いくらループを繰り返したとて、彼女は科学や推理のプロではない。
情報は持っていても、『それが何を意味するか、どういう結果に繋がるか』という検討は、不十分だったのだ。
例えば、スヴィア=リーデンベルクや天宝寺アニカが日野光のループがした事実とその結果を知ったなら、
恐らくは『その可能性』に思い至っていただろう。

「早い……? 君はもしかして、日野光の魂から何か聞いたのか?
 そういえば、あの時私が覚醒したのは2日目の夕方だったな。
 なるほど、だからもう少し時間があると考えたのか」
「どういう、意味……?」
「日野光は女王感染者として、2日間のループを繰り返してきた。
 そして私はその事実を知っている。ここまで言えば分かるだろう?」
「あなた、まさか……」
「そういうことだ。
 女王ウイルスである私も日野光の脳の中で、157回のループを繰り返していた」

驚くべき告白だった。そして、重大なのは単にループしたという事実だけではない。
HE-028ウイルスは、感染者の感情量に比例して成長する。
今回のVHにおいて研究所が観察しようとしていたのは、
最大48時間継続する混乱状態に感染者を置いた場合のウイルスの進化だ。
だが、この女王ウイルスは、日野光の158回のタイムリープというイレギュラーを潜り抜けたことで、
恐らくは、研究所の想定を大幅に上回る進化を果たした。
今の女王ウイルスが如何なる領域に至ったのかは、この世の誰も知る由は無い。

「……そうだとして。
 あなたは何が目的なの? 前回と同様に、日野珠も含めた皆殺しでもしようっていうの?」
「何か勘違いしているな。私があの魔王と同じような存在だとでも?
 そもそも我々ウイルスは、人間や他の生物に感染することで初めて活動できる存在だ。
 その人間を滅ぼしてどうする?」

ウイルスとは何か。
ウイルスが生物に含まれるかについては議論があるが、生物ではないという学説が主流だ。
何故なら、ウイルスは単独では一切の活動を行うことが出来ないからだ。
宿主にとなる他の生物に感染することで、初めて自己複製などの生命活動を行うことが出来る。
すなわち、宿主となる生物の死亡は、ウイルス自身の生存権の縮小に直結する。

「私の目的は極めて単純だ。女王とその一族の繁栄。これだけだ。
 具体的には、正常感染者の可能な限りの生還。そしてZ計画の完遂。
 つまり、感染者である君達とも、未来人類発展研究所とも、利害が一致していると言える」

正常感染者とは、ウイルスに抗体を持った、いわばHE-028ウイルスと共存可能な人間であり、
そしてZ計画とは、全人類を正常感染者にすることが一つの目的だ。
確かに女王の言う通り、Z計画を完遂すれば、人間と共にウイルスも繁栄を謳歌することになる。

50◆qYC2c3Cg8o:2024/04/04(木) 23:07:16 ID:???0


「じゃあ、なんでお前は光を殺したんだ。碧もだ」

圭介が詰め寄るが、女王は何故分からないんだとも言いたげな、やや呆れた表情で応える。

「そんなに難しい理由じゃない…… 157回目のループで彼女の心が限界を迎えたことは知っているだろう。
 もう彼女に先は無いことは明らかだった。だから殺すしかなかった。
 それとも君は、日野光は心を壊したまま、永遠にあの2日間を繰り返していた方が良かったとでも言うのか?」
「んなことは…… ねえけど……」
「……まあ、私自身に、そんなループに囚われるのは御免だという私心があったことは素直に認めるがね。
 浅葱碧は…… 純粋過ぎた。半ば廃人となったと知りながら、日野光を最後まで守ろうとした。
 彼女の殺害については確かに謝ってもいい」

圭介は黙って女王を睨みつけている。

「……いずれにせよ、日野光を殺害したことは私にとっても賭けだった。
 タイムリープが上手く機能するのか、
 私自身も女王からただのウイルスに成り下がるのではないか、
 ループで得た記憶も全て無に帰してしまうのではないか、
 この辺りはまるで見当も付かなかったのだからね。
 なんにせよ、今回の世界線において、私は気が付けば日野珠の身体の中にいた。
 日野家の血縁が影響したのか、それとも本当にただの偶然なのか、
 それは私自身にも分からないが」

女王の語りが終わったところで、今度は春姫が前に出た。

「では聞くが、そなたはこれから何をしようとしている。
 そなたと日野のは、一体どんな運命を見ているというのだ」

そう、女王は一体何を企んでいるのか。核心を言え、そう春姫は迫った。

「いいだろう。話すとしよう。
 私は、君たちはこれから一体どうするべきか」

女王は、軽く咳払いをしたのち、語り出した。
 
「私と日野珠が見た運命線によれば、間もなく特殊部隊に大きな動きが2つ起こる。
 1つは、女王感染者以外の生存者に対する、『殺害』から『保護』への方針転換。
 もう1つは、軍用通信の復活」

「……保護? ……なんだよ、その保護って」
圭介が口を挟んだ。彼にとって、聞き捨てならない言葉があった。

「言葉の通りだ。女王感染者は殺害するが、
 他の正常感染者については、女王でないことが確認できた段階で身の安全を保障する、ということだ」
「……なんだよ、それ。なんなんだよそれ!!!」

圭介の脳裏に、自分達を無慈悲に殺そうとした特殊部隊隊員と、
彼らとの戦いで命を落とした村人達の姿が蘇る。
圭介の感情が一気に噴き出した。

「俺達を問答無用で殺しに来ておいて、
 今更やっぱり止めますとか、ふっざけんじゃねえよ!!
 何人死んだと思ってるんだよこの野郎!!
 止められるんならもっと早く止めやがれ!」
「山折の、落ち着け!」
「これが落ち着いていられるか!!
 俺達をオモチャか何かだとでも思ってんのかよアイツらは!!」
「良く聞け、山折の! これは、妾の仲間が力を尽くした成果だ!!」

春姫の言葉に、圭介は一旦落ち着きを取り戻す。
「春の、仲間……?」
「落ち着いて聞け。山折の。
 先刻、妾の同行者であった花ちゃんが研究所との交渉を試みていた。
 恐らく、その交渉が功を奏したのだ。ならば妾もそれを無為にすることは出来ぬ」
「…………」
「案ずるな。妾らを弄んだ研究所や特殊部隊を誅すべきと考えているのは、妾も同じこと。
 ここは妾に免じ、抑えよ」
「…………ああ、分かった」

これが、村人の意向を無視した研究所や特殊部隊による一方的な方針転換であったのなら、
圭介の怒りは治まらなかっただろう。
だが、春姫の仲間による交渉の結果なら話は別だ。
春姫の説得を受け入れ、なんとか自分を抑え込んだ。
その花ちゃんという人間が誰かなのかは分からないが。

51◆qYC2c3Cg8o:2024/04/04(木) 23:11:07 ID:???0

圭介が落ち着いたのを見て、女王が話を再開する。

「……さて、方針転換が決定し、軍用通信が復活したら特殊部隊はどう動くか。
 まずドローンを使って、生存している特殊部隊員に通信機を送るだろう。
 そして、その隊員に対し、現場との通信状態の確認も兼ねて、現状の報告を求めるはずだ。
 そこで司令部は、生き残りの特殊部隊員と行動を共にしているスヴィア=リーデンベルクを通して、
 天原創の異能を用いた事態収拾策を知ることになる。
 
 ドローンの映像から、司令部は天原創の生存を確認している。
 しかも生存者に対する方針転換を行ったばかりだ。
 この事実を無下にすることはできず、研究所に報告を入れる」

女王の話は続く。

「そして、未来人類発展研究所の方だが、
 彼ら今回の事件で、生きた女王ウイルスが手に入るとまでは予測していない。
 惜しいとは思いながら、パンデミックに発展することを恐れ、
 女王感染者を村人か特殊部隊に殺害させ、死滅させるしかない、と考えていたはずだ。
 逆に言えば、女王を生かしたまま確保する手段があると知ったなら、
 是が非でも私を手に入れようとする筈だ。
 ――――何せ、『世界を救う鍵』なのだからな」

「つまり、この解決策を、飲むと……?」
圭介は息を呑んだ。

「それでも彼らが渋るようなら、私が158回のループを繰り返し、
 急速な進化を遂げたウイルスであると伝えればいい。
 彼らは涎を垂らして飛びつくさ」

そこで、女王の話は終わった。

圭介は迷っていた。
話を聞く限り、確かに女王の計画通りに進めれば、これ以上の犠牲者を出すことなくVHは終息する。
自分も、珠も、哉太達他の生存者も、生きて帰れる。
今の段階ではこれ以上ないハッピーエンドだ。
だが、例え理由があったとしても、目の前の相手は光を殺した相手だ。
その感情が、山折圭介を決断に踏み切れさせない。

だが、これはやはり、自分の個人的な感情にすぎないのではないかとも思う。
村のリーダーであるなら、今生きている村人を一人でも多く救うための選択をすべきなのではないか。
自分が感情に振り回され、無駄な犠牲者を出すことなんて、光だって望まないのではないか。
この悲劇を終わらせ、ハッピーエンドを齎す為に降臨したデウス・エクス・マキナ。
女王がそれであることを、ただ自分が認めたがっていないだけではないか?
自分は、一体、何を選択すべきなのか?

「……でも、あなたの見ている未来も絶対ではない」

今まで黙っていた魔王の娘が、口を開いた。
彼女が示したのは、女王の選択した運命線が、必ずしも絶対ではないという事実。
その言葉を受けて、女王は肩をすくめ、再び語り出した。

「君がいる以上、隠しても無駄だな。
 人間は、いや、生きとし生けるものは、すべからく運命を変える力を持っている。
 しかし並の人間のそれは、あまりにもささやか。誤差以下の影響しか与えることが出来ない。
 だが、極々稀に、世界をねじ伏せる程の強烈な自我を以て運命線を己に引き寄せる力を持った者がいる。
 例えば、神楽春姫、君のように」

そう言って、女王は巫女を見つめた。

春姫自身は疑問にも思っていないが、
第三者の視点から今回のVHに於ける彼女の行動を俯瞰した場合、
運に恵まれたという一言ではとても済まないほどに、彼女の動きはあまりにも異常だった。

VHの研究施設が診療所にあるとドンピシャで当てた。
郷田剛一郎が盾になってくれたとはいえ、最強の特殊部隊員である大田原源一郎との遭遇を無傷で切り抜けた。
物部天国の呪いを受けて自分で心臓を貫きながら、聖剣を己の自我で従えて復活し、狂ったテロリストを返り討ちにした。
VH始まりの地である診療所地下3階に、研究員やエージェント、特殊部隊員といった面々よりも早く到着した。
研究所地下3階における厄災との死闘も潜り抜けた。
日野光が繰り返したループにおいても、春姫のみ正常感染者である回数が多かった。

「そして、私や日野珠に神楽春姫の運命が見えるのは、
 この瞳に映る運命と、君が為そうとする未来が同じである時だけだ。
 つまり、魔王の娘が言った通り。神楽春姫やそれと同質の力を持った者の影響で、
 私の計画になんらかの綻びが出る可能性もゼロじゃない」
「春と同質って…… 運命を変えられるなんてのがまだ何人かいるのかよ」
「そうだな。例えば、先ほど隠山祈を下した山の王も、最期にその境地に至ったのだろう。
 そうでもなければ、ただの動物でしかない彼が、厄災たる隠山祈に勝てる訳がない」

(……そういえばさっきアイツも、哉太達の中に女王の運命測定から逃れた奴がいるって言ってたな)
圭介は、先ほど魔王の娘の言葉を思い出していた。

52◆qYC2c3Cg8o:2024/04/04(木) 23:11:44 ID:???0

なお、この場にいる者は誰も知らぬことではあるが、
かつて吉田無量大数から大田原源一郎に引き継がれた
『最強』の自負による神憑りも、或いはこれと同質のものだったのかもしれない。

「だから、神楽春姫。君のような力を持つ者には、私を信用してほしいんだ。
 君達のような者が、私の意図からあまりにも離れた行動をしてしまった時、
 私の視ている未来も変わってしまう恐れがある。
 君もこれ以上の犠牲は出したくないはずだ。
 是非とも協力してほしい。そう、ハッピーエンドを迎える為に」

そういって、女王は春姫に手を差し出した。

運命の選択の時だ。
女王の指し示すハッピーエンドを選ぶか。
それとも。

圭介と魔王の娘は、固唾をのんで見守っている。
女王が差し出した手を前に、春姫はしばしの沈黙ののち、口を開いた。

「……なるほど。話を聞く限り、そなたの計画は、妾らにとっても都合がいいようだ。
 その計画に乗っても構わん、とは思う。
 ――だが、条件がある」
「ふむ。条件とは?」
「その身体の主導権を日野のに返せ。そしてそなたは二度と外に出ず、妾らに今後一切の干渉をしないことを誓え」
「理由は」
「信用できん」

春姫は一刀両断に斬って捨てた。その態度に、女王は苦笑する。

「残念だ。ここまで長々と話したのは。
 是が非でも私を信用してもらいたかったからなのだが」

春姫は厳しい表情を崩さない。
「……信用か。
 運命など下らぬが、それを見ているのが日野のならば、信じても良いと思っていた。
 日野の人となりは妾もよく知っておる。軽率で考え無しではあるが、最後には正しい選択をする娘だ。
 だが、そなたのような者が表に出てくるのならば話は別だ。
 ……それに、なにより、これだ」

春姫が、己の額を指さした。

「先ほどから何かが妾の自我に侵食してきておる。そなたを守れ、そなたに従えとな。
 あまりに自然、あまりに穏やかで、不覚にも今まで妾も気づかなんだ。助かったぞ、駄剣」

聖剣が春姫に応えるように鳴動する。
女王はその様子を見て、ああこうなってしまったか、とでも言うように、長々と溜息を付いた

「まだよく分からねえとこもあるけど……」

今度は圭介が女王に向かって言う。

「確かに、春の言った通りだな。今すぐ珠の心と身体を返すんなら、俺も考えてやってもいい。
 けど、それができねえってことは、やっぱ何か企んでるってことでいいのかい?」

形勢は変わった。女王は自分を睨みつける2人を、静かな瞳で見つめ返しながら呟く。

「……ウイルスは己の生存の為、女王に従おうと働く。
 私の意志に関わらず、君達の脳内に巣くうウイルスは、本能的にそう動こうとするもの……
 そんな言い訳をしたところで、もう君達は私の言うことなど聞かないだろうな」

女王の言葉が終わるのと、圭介と春姫が戦闘態勢に入ったのは同時だった。

53◆qYC2c3Cg8o:2024/04/04(木) 23:12:52 ID:???0

「日野のを返せぬ理由は話せぬか。では、交渉は決裂か」
「受け入れていれば、幸せに終われたものを。
 では、君たちはこれから私をどうするつもりかな?」
「決まってる。お前をとっ捕まえて、
 天原って奴の力を借りて、珠の身体から出てってもらう。
 研究所の連中には、このウイルスは問答無用で焼き殺せと言っておくよ」
「できるかな? と、言いたいところだが……」

女王は、改めて目の前にいる相手を眺めると

「相手は魔王の力を持つ少年に魔王の娘、聖剣の巫女に厄災ときたか。
 そしてこちらの身体は特に力を持たない女の子のもの、と。
 やれやれ、厳しいものだ」

そう言って、肩をすくめた。

「でも、できなくはない、ってな言い草だな、この野郎」
「さて、どうかな」
「ま、お前のことはどうでもいいや。珠は返してもらうぜ」
「………圭介。気を付けて。相手は女王だけじゃない」

魔王の娘が警告する。
いつの間に集まったのか。女王に呼ばれたのであろう百人近くのゾンビが、こちらを取り囲んでいた。

「さすがに相手が悪いのでな。こちらは数を使わせてもらうよ」
「やり方がセコいんだよ。今までの全部、コイツらが来るまでの時間稼ぎかよ」
「用意周到、と言ってもらおうか。君達が味方に付いてくれた方が、私としてはずっと楽だし好ましかった」

そう言いながら、女王はゾンビの兵士達に命令を下すように、右腕を上げた。

「女王に仇なす者たちだ。殺せ」

号令一下、ゾンビ達が圭介達に襲い掛かる。
その動きは今までの、理性を失い本能のままに彷徨っていた時のような、
ゆったりとしたものではなかった。

「……なんだ!? こいつら、今までと違う!?」

圭介は思わず叫んでいた。
正気の時とほぼ変わらない様子で走ってくる者もいる。
明らかにこちらの殺傷を目的に、石や鈍器を手にしている者もいる。
ゾンビ達は、明確にこちらを『敵』と認識し、行動していた。

「先頭の連中! 足を止めろ! そこを動くな!!」
これ程の人数に襲い掛かられたらまずい。
そう判断した圭介が『村人よ我に従え(ゾンビ・ザ・ヴィレッジキング)』の異能を使う。
今までの経験からして、20人くらいなら動きを止められるはずだった。だが。

「「「オォォォォォッ……!」」」

異能を受けたゾンビ達は、その影響で速度こそ落としたものの、
圭介の命令に抗うかのように、ゆっくりと前進を続けている。

「異能の利きが悪い!?」
「控えいっ!!!」

今度は春姫が異能『全ての始祖たる巫女(オリジン・メイデン)』を言霊に乗せ、ゾンビ達を一喝する。
ゾンビ達は一旦足を止めたものの、数秒後には再び進行を開始する。
舌打ちする春姫。魔王の娘は、それを見て何が起きているのか悟った。

54◆qYC2c3Cg8o:2024/04/04(木) 23:13:20 ID:???0
「圭介。気を付けて。
 多分、ウイルス達は、女王を殺せば自分達も死ぬって分かってるんだ。
 だから、女王の敵である私達に全力で対抗する。
 ゾンビ達に私達を敵と認識させて、襲い掛からせてる」
「……マジか。異能もあまり効かねえし、この数相手じゃやべえぞ」

そう言っている間にもゾンビ達は続々と向かってきている。
女王はこの包囲網の向うだ。
女王を倒し、珠を救う為には、このゾンビの肉壁を超えねばならない。

「圭介。魔王の力…… 魔力を使って」
「ま、魔力って…… 俺の中に在るコレか!? でも、どうすりゃいいんだよ!?」
「重要なのはイメージ。『自分が何をしたいか』に精神を集中して、力を開放するの。
 魔王に自我を奪われたとき使ってたんだから、身体が覚えてるはず。大丈夫、細かい補助は私がする」
「集中っつても……」

ゾンビは既に目の前に迫っていた。このままではあと数秒で乱戦が始まってしまう。そんな時間は……

「目を閉じろ、山折の!」
春姫の手にした聖剣が輝き、熱光が放たれた。周囲のゾンビ達の眼が焼かれ、視力を失う。
その一撃が、圭介が集中するために必要な時間を作り出した。
「妾に構うな! 行け!!」
「……済まねえ!!」

圭介は魔王の娘と共に、魔力で作り出した気流に乗り飛翔、一気にゾンビの群れを飛び越えていく。
その先には、10体ほどの護衛ゾンビを連れ、後退する女王の姿。

「逃がさねえぞ、この野郎!!」
「空まで飛ぶか。勘弁してくれ」
女王はH&K MP5を手に取り、瞳に映る運命線に沿って引鉄を引いた。
その銃弾の軌道は、嫌みなまでに正確に圭介を捉えている。

「うっ…… 盾!!」
寸前で黒曜石の盾が現れ、銃弾を防いだ。

「魔王の力を得たはいいが、肉体は人間のままのようだな。
 下手に突っ込んで撃ち落されたらまずいんじゃないか?」
「うるせえ、黙ってろ」

圭介は高速で飛行しながら、何とか女王の迎撃を潜り抜けようと試みるが、
運命の可視化を併用した女王の射撃は正確無比だ。
フェイントを掛けたり、あるいは盾を構えて強行突破を狙ってみても、
こちらの手はことごとく見透かされており、距離が詰まらない。

「ああくそ、セコい動きばかりしやがって!!」
「力は君達の方がずっと上だろう。ただの女の子の身体で魔王の相手をするこっちの身にもなってくれ」
「圭介、あんな挑発には――」
「大丈夫だ」

そう言われて、魔王の娘は気付いた。
頭に血が上っているかの口調だが、圭介の眼は冷静なままだった。
精神を落ち着けようと、深く、ゆっくりと呼吸をしていた。

軽口を叩き余裕を見せ、こちらを挑発しながら己のペースに引き込む。そういう相手との戦いを圭介は思い出していた。
成田三樹康との死闘。圧倒的戦力を有しながら、相手に徹頭徹尾手玉に取られ、日野光と浅葱碧を失うことになった、己の最も忌むべき記憶。
今の圭介に同じことを繰り返すつもりはない。そんなことをすればそれこそ2人に合わせる顔などない。
攻撃は苛烈に、されど頭は冷静に。そして珠を取り返す。圭介は相手の挑発に惑わされることなく、己が目的に集中していた。

55◆qYC2c3Cg8o:2024/04/04(木) 23:13:50 ID:???0
「なるほどね。ちょっと、見直した」
「でも、正直どうすればいいのか思いつかねえ! 何か手はないのか!?」

大雑把な攻撃では下手をすると珠まで殺してしまう。
珠を出来るだけ傷つけず、女王だけを捉える。そんな繊細な魔力操作を行うにはそれなりの集中時間が必要だが、
隙を見せたとたん、女王はそんな時間など与えぬと言わんばかりに嫌らしく発砲してくる。
無論、大局を考えるなら珠ごと女王を殺すのがベストだと、圭介も分かってはいるが。

「あれは光の妹だぜ。そのまま殺してもいいとはお前も思ってねえだろ」
「…………そうね」

魔王の娘は少し思案したのちに答えた。

「あいつの運命を見る異能は、日野珠の本来の異能の進化形。つまり、あくまで目を使って見ている」
「……てことは、視界を防げばいいんだな」
「それと、あいつは多分、あなたと同じように魔力を使った経験は浅い。だから……」

そう言って、圭介に『あること』を伝える。
圭介はそれを聞いてにやりと笑った。

「……よし、じゃあこの手で行くか」

そう言うと、圭介は両腕に魔力を込めた。
イメージに従い、両腕から強力な風が発し始める。圭介はその身に旋風を纏った。

「……何か考えたな」

それと見た女王は牽制に数発発砲したが、
圭介が纏う魔力の風によって弾道が逸らされ、圭介本人には当たらない。

「さて、何を仕掛けてくるつもりか」


「――――行けえっ!!!」

圭介は気合一閃、溜め込んだ風の力を思い切り地面に向けて放ち、巨大な上昇気流を発生させた。
だが、人間を吹き飛ばすほどの勢いではない。つまり、攻撃が目的ではない。

「……なるほど。私の目を潰そうというのか」

女王は圭介の狙いに気付いた。この風によって地面の砂が巻き上げられたことにより、
周囲一帯が砂塵で包まれた。上下左右どの方向もまともに前が見えない。

「兵士達よ、私を守れ」

女王は指示を出し、己の周囲をゾンビで固めた。
視界が塞がれ、運命の可視化に頼ることは出来なくなった。
では、圭介達はここからどう動いてくるか。
この状況では圭介達からもこちらは見えないはず。
まさか本気で周りのゾンビごと自分を焼き尽くすとでもいうのか。
万が一にでも攻撃を受けることを警戒し、女王とその一団は砂煙の中をゆっくりと後退していく。
その時だった。

「私が貴女を感知できるとは、予想できなかったみたいね」
「何……?」

幼神の声が耳元で響いた。
気付いた時にはもう遅い。
突如足元に出現した黒蛇が、女王に躍りかかった。


風が吹き、砂塵が晴れ、戦場の姿が再び露になった時、
女王は、黒蛇の姿に変じた幼神によって、その身をぎりぎりと締め上げられていた。

圭介達の作戦はこうだ。
魔力で砂嵐を発生させ、女王の視界を塞ぐ。
その間に身体を変化させた幼神が、女王の黄金瞳から発せられている魔力を感知しつつ、密かに接近し、女王を拘束する。
幼神の予想通り、女王ウイルスはその黄金瞳が象徴するように魔法の力を秘めた存在だが、
直接魔力を行使したのは、前回のループで日野光を殺害する際に聖剣を使用した程度であり、
絶対的に理解と経験が足りなかった。
幼神ほどの魔力の使い手ならば、視界を塞がれた状態でも女王の位置を探知できる、とまでは予想できなかった。
今の幼神は圭介の魔力コントロールにリソースを割いているため、戦う為の力はわずかしかない。
だが、物理的干渉が出来る以上、少女一人を気絶させるくらいは充分に可能であった。

「ぐ、ぬ……」
女王は力任せに幼神を引きはがそうとするが、日野珠の腕力は非力すぎた。まるで歯が立たない。
護衛のゾンビに救援を指示しようとしたが、そうはさせじと圭介が突風を放ち、ゾンビ達を吹き飛ばした。

日野珠の力が抜けていくのが、傍から見ていても分かる。顔色が徐々に白くなり、四肢が痙攣し始めた。
「よし! そのまま気絶させろ!!」
圭介は勝利を確信して叫んだ。

56◆qYC2c3Cg8o:2024/04/04(木) 23:14:24 ID:???0

「さようなら、女王様。手に入らないハッピーエンドを夢見たまま、逝きなさい」
幼神は、息も絶え絶えな哀れな女王に無感情な眼差しを向けたまま、その意識を刈り取ろうとしていた。
幼神から見れば、女王もあの魔王と大差なかった。
運命を可視化したことで世界を想うがまま動かせると思い上がった道化者。
人間に寄生しなければ増えることもできない、魂すら持たない下等な生命。

「……幼、神よ……」
「ん?」
女王は、締め付けられている気道に、残った僅かな力を込めて隙間を開け、かろうじて声を絞り出している。
「私は、ただの、ウイルスだ……
 君のような、存在、に、比べれば…… あまりにも脆弱で、下等な、存在だ……」
「…………それで?」
「君に、手が届かないのは、当然だ……
 神殺しの、手段など…… まるで、検討も、つかない……」
「今更、負け惜しみなんかっ…………!?」

ここに及んで、幼神は気付いた。
女王は笑っていた。
全身の筋肉は痙攣し、顔色は能面のように白く、口角からは泡が吹き出し、意識を保っていられるのもせめてあと数秒といった状態で。
それでも女王は笑っていた。

「だから、さ……。
 私に、自分を殺せはしないと、高を括って、いたん、だろう……?」
「どういう、意味……?」
幼神は分からない。だが、恐ろしい予感が己の魂をよぎった。
女王はなお、笑っていた。
黄金瞳を不気味に光らせながら。日野光を殺したときとそっくりな、醜悪な表情を浮かべて。
直後、黄金の瞳を、幼神の魂を貫くが如く、細く、鋭く輝せながら、女王はこう言った。







「――――だから死ぬのだよ、お前はここで」

57◆qYC2c3Cg8o:2024/04/04(木) 23:14:59 ID:???0
「なんだ!? どうしたんだ、おい!」
圭介は困惑の叫び声を上げていた。

女王を締め上げていたはずの黒蛇が、突如力を失い、女王の身体からずり落ちた。
そのまま人形に戻った影法師の少女は、立ち上がることもできず、地面に突っ伏し、全身を痙攣させている。

幼神は、己の身体に何が起きたか気付いた。
何かの異物が、実体化した己の身体の中に入り込んでいた。
それが、己の記憶を少しずつ消滅させていくとともに、
それとは別の何かが自分の自我を食い荒らしている。

「じょぉ、う…… なに、を…………」
「実体を持ったのは失敗だったな」

女王は手にしていたものは、黒い粉末だった。
研究所地下3階、感染実験室で日野珠が見つけた、魔法鉱物。
短期記憶を消去する効果を持つとともに、吸引した者にゾンビ化の再抽選を行う副次的効果がある。


女王/日野光はかつて、とあるループである存在と遭遇していた。
その名は『八重垣』。『八尺様』という怪異が『正常感染者』となった存在。
そう、HE-028ウイルスは、怪異にすら感染するのだ。

魔王の娘は山折圭介、隠山祈は一色洋子という正常感染者の肉体を媒体にしてこの世に具現していた為、
今まではウイルスの影響を免れてきた。
だが、これから魔王の娘に行われるのは、短期記憶が消去され、その影響がリセットされることによって生じる、
ゾンビ化の再抽選だ。

「……ぅ………ぁぁ…………」

魔王の娘の、至近の記憶が消えていく。ウイルス抗体が一時的に無効化される。
「絶望するにはまだ早いんじゃないか、幼き神よ。10%の当たり籤を引けば君の勝ちだ。
 君という存在に対し私が打てる手は、正真正銘これしかないのだから」
「……ァ、ァ…………」

運命の籤が無慈悲に引かれる。
天運は幼神に微笑まなかった。
幼神の自我が、ウイルスに貪り食われていく。
魔王と女神の娘との間に生まれた、人知の及ばぬ祟り神が、哀れなゾンビに身を堕とされていく。

女王が、ゾンビと化した幼神に命じた。

「幼神よ。お前とその父の力を女王に捧げよ」

圭介は、己の身体から力が抜けていくのを感じた。
魔王の娘の力により、圭介の肉体に紐付けされていた魔王の力と願望器が、
女王の身体に移行されているのだ。
抵抗する術も無く、圭介の肉体から魔力が消滅する。
それを確認した女王が、幼神に最期の命令を下した。

「女王の名に於いて命ずる。魔王の娘よ、消滅せよ」
「っ、待て―――」

圭介が静止しようとしたが、全ては遅い。
今の女王に幼神を殺す術は無い。
だが、ゾンビ化させることで精神に干渉することはできた。
己の意志による自己否定、自我消滅からは、例え神とて逃れることは出来ない。
幼神という存在は、この世界から消え去る。
そして。

「魔王とその娘の力、そして願望器。確かに頂いた」

女王の勝利宣言が、夜の空に低く響いた。



「嘘、だろ……」

圭介は、目の前で起こったことが受け入れられず、呆然としていた。
またしても、何もできなかった。
魔王の力に奢ることなく、慎重に戦ったつもりだった。
だが、この結果がこれだ。
やはり、女王に逆らった自分達が愚かだったのだろうか。
これが、ハッピーエンドに逆らった報いなのだろうか。

女王は、魔王の娘と、魔王の力を失い、ただの一感染者に戻った圭介に向けて、
黙って人差し指を向けた。
それを合図に、数十体のゾンビが津波の様に圭介に向って押し寄せた。

「う、うわ、うわあああああああああああっ!!!!」

山折圭介は成す術もなく、悲鳴と共に、無数のゾンビの群れの中に呑まれていった。



58◆qYC2c3Cg8o:2024/04/04(木) 23:15:20 ID:???0
「やれやれ、なんとか上手くいったか」
圭介の姿が見えなくなったことを確認し、女王は純粋に安堵した。
自分にとって最大の脅威はあの幼神だった。
あの黒粉末が無ければ、残されたこちらの武器は、華奢な腕力に銃にゾンビ、それにわずかな魔力だけ。幼神を殺す手段は本当に全くなかった。
それ以外にも、綱渡りに綱渡りを重ねた勝利だった。
例えば、山折圭介が周りのゾンビもろとも己を焼き尽くすという手を取っていたら、
自分に最早打つ手は無かったのだから。

だが、まだ戦いは終わっていない。
幼神より力は大幅に劣るが、何をしでかすか分からない、
運命を覆す巫女が残っている。

「……むっ!?」

その時突然、爆発のような轟音が響くとともに、巨大な砂埃が舞い上がった。
次の瞬間、砂煙の中から、巫女服の少女が姿を現した。

「神楽春姫、いや……」

それは、人間の業ではなかった。
砲弾かと見まがう勢いで空を裂き、距離を一気に迫ってくる。
神楽春姫にそんなことが出来るはずがない。すなわち……

「隠山祈!!」

少女は既に己と数メートルほどの距離に迫っていた。
女王を守るべく数体のゾンビが厄災に向かうが、瞬時に薙ぎ払われる。
隠山祈は左腕を『肉体変化』の異能によって、巨大ワニの尾に変じさせていた。
続けざま、それを目にも止まらぬ速度で、女王に向けて振るった。

「ぐぬっ!!」

女王はすんでのところで躱したが、
女王の眼端に映る運命線が新たなレッドアラートを告げる。
もう一人の『隠山祈』が、音も無く己の背後に出現していた。

(分身の異能……!)

「くっ!!」

今度は羆のそれに変じた右手の突きが迫る。
日野珠の華奢な身体など簡単に破壊するであろう一撃。
女王は受け身を取る暇もなく、地面に激突するのを覚悟で身を投げ出し、紙一重で命を繋いだ。
それでも、完全には回避しきれておらず、こめかみが削られ血が噴き出す。反応が半瞬遅れたらやられていた。

だが、女王もただでは転ばない。地面を転がりながらも砂利を掴み、分身体に向かって投げつけていた。
小石の一つが分身体の頭に当たり、分身が消滅する。

女王は即座に立ち上がり、運命線を視るため、黄金瞳を厄災に向けた。
だが。

「!?」
その瞳には、何も映らなかった。
これが意味するところとは、すなわち。

「――――妾の運命線は、見えないのであったな」

今、目の前にいるのは『隠山祈』ではない。今度は『神楽春姫』に入れ替わっていた。

59◆qYC2c3Cg8o:2024/04/04(木) 23:16:20 ID:???0
これが春姫と隠山祈が編み出した女王攻略法・『自我交換(マインド・シャッフル)』
運命線を視ることが出来ない『神楽春姫』の自我を盾にすることでギリギリまでこちらの意図を隠し、
攻撃の瞬間、『隠山祈』に切り替える。
魔王の力が女王に紐づけされ直したことで、『隠山祈』の魔力や神力の行使は不可能になった。
だが、怪異として得た数々の異能と、厄災としての力は健在。
例え女王に運命線が見えていたとしても、その怪物的なパワーとスピードに物を言わされ、
いわば『詰み』の状態に追い込まれてしまう恐れがある。

「やはり君は怖い相手だ、神楽春姫。何をしてくるか読めたものではない。
 それに今、君達は、日野珠の身体を完全に殺しに来ていたね」
「想い人の妹までも手に掛ける。山折のが背負うには重すぎよう。
 それが避けられぬ業ならば、その責を担い、業を負う。それもまた女王の務め」
「ふむ、なるほど。
 ……隠山祈。君の方は、魔王の娘の仇討ちかな。
 彼女は気まぐれな祟り神だ。人間を、山折村を嫌悪していた。
 白兎と幼神は相容れない。彼女が生きていたなら、君はいつか辛い選択をしなければならなかった筈だ」
『そうかもしれない。
 でも、何であれ、憎悪と絶望の底にあった私に、あの子は手を差し伸べてくれた。
 そのせいで厄災と化したとしても、それでも、私は救われたんだ。
 あの子は、私の友達になってくれた。あの子を奪ったあなたのことを、私は絶対に許さない』

「そうか。なら掛かってきなさい…… と言いたいところだが、
 君達の相手は別にいる」
「何……?」
『―――春姫っ!!』
「っ!?」

隠山いのりが突如叫び、肉体の主導権を強引に奪った。
春姫もそこで気付いた。
いま自分達の立っている場所に、何かが凄まじい勢いで飛んできていた。

それは車だった。
誰かが、それを投げつけたのだ。
白いワンボックスカーを、まるで砲弾のようなスピードで。

ワンボックスカーが地面に激突した。同時にガソリンが引火し、爆発を起こした。
炎上する車体。その炎が戦場を紅く照らす。まるで、これからこの地が血に染まることを暗示するかのように。
隠山祈は、地面に伏せて熱と爆風を凌ぐと、立ち上がって新たな敵を睨みつけた。
炎に身を照らされながら姿を見せたモノ、それは、鬼だった。

「ようやく来てくれたようだね、私の戦鬼」

女王の呼び声に導かれるように、戦鬼・大田原源一郎が、その姿を現していた。

60◆qYC2c3Cg8o:2024/04/04(木) 23:16:48 ID:???0
「大田原源一郎に命ずる。女王の敵を処理せよ。
 あと、それはもう要らない。外せ」

女王が戦鬼に命を下す。
大田原は女王の意を受け、自決用の爆弾を組み込んだ首輪を鷲掴みにすると、強引に引き剥がし始めた。
異能の飢餓にも屈せず、己が生き方を貫くべく、最期まで秩序の守り手たらんとした、大田原源一郎の信念の証。
その最後の楔が、外される。

「グワアアアアアアアアアアアアアアアアーーーーッッ!!!」

野獣のような咆哮とともに、秩序の首輪が遂に引き千切られる。
大田原はそれを、一瞥もせず投げ捨てた。
大田原源一郎は、ここに、忠実なる女王の戦鬼と化す。

「じゃあ、せいぜい頑張ってくれ、厄災。彼の相手は君でもかなり厳しいと思うよ」
「待てっ……!」

追おうとしたいのりの前に、戦鬼が立ちはだかる。その陰に隠れ、女王の姿は宵闇の中に消えていく。

「じょぉ王の、敵……」
「……邪魔するな……」

対峙する両者。そして。

「処ぉぅ理するゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!!!」
「どぉけェェェェェェェェェ!!!」

2つの咆哮と共に、戦鬼と厄災、山折村の頂点に君臨する怪物同士の死闘の幕が上がった。



「くそっ、くそっ、くそおっ!!!」
山折圭介は情けなくも、ゾンビの群れの中をひたすら逃げまどっていた。
前後左右を幾体ものゾンビに囲まれ、既に方向感覚は失われている。
なんとか異能でコントロール可能な数人のゾンビを肉壁にすることで
ギリギリのところで凌いでいるか、ジリ貧なのは明らかだ。

珠の肉体を奪った女王がどこに向かったのも分からない。
春姫が今、何かとんでもない相手と戦っているのだけは、辛うじてわかる。
ただただ、押し寄せるゾンビから身を守るのが精一杯だ。
息が上がる。集中力が失われていく。絶望が自分の思考を塗りつぶしていく。

そして。

(あ……)

側溝に踵を取られた。足が思い切り前に滑る。前を向いていたはずの視界が、真上の夜空を映す。自分の身体が宙に浮いたのが分かった。

(――――やべえ、死ぬ)

圭介の脳裏に浮かんだのは、そんな言葉だった。
背中が地面に着くまでのわずか1秒足らずの時間が、やたらと長く感じられた。


背中に衝撃が走った後。
まるで、ゾンビ映画のクライマックスシーンのように。
倒れた自分に向かって、ゾンビたちが一斉に群がってきた。



61◆qYC2c3Cg8o:2024/04/04(木) 23:17:16 ID:???0

厄災と戦鬼の死闘は続いていた。
2つの拳が正面から激突し、両者は弾けるように離れた。

「支障、為し……っ! 任務、継ぞくっ………!!!!」
「――――はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ!」

今のところ互角の戦いであるが、隠山祈に疲労の色が見えてきた。
その原因は、肉体の差だ。
互いに肉体強化の類の異能を使用しているが、神楽春姫と大田原源一郎では肉体のスペックに天と地ほどの差がある。
今は異能『肉体変化』と『身体強化』の二重掛けにより何とか渡り合っているが、
神楽春姫の華奢な肉体ではその反動にいつまでも耐えられない。いずれ限界が来るのは目に見えている。

しかも、魔王の娘が纏っていた黒い厄の靄が、いわば同類である隠山祈に向かって再び集まってきていた。
彼女の心に、かつて抱いていた呪いと憎悪が再び湧き上がってくる。
彼女がまた狂気に堕ち、春姫のコントロールを外れてしまえば、もはや絶望だ。

『隠山の! もうよい! 妾に代われ!!』
「何言ってるの! こんなの相手にしたらあなたじゃ一瞬で殺されるって分かるでしょ!!」
『しかし、このままではそなたが持たん……!』

女王は完全に見失った。逃げる手段も見当たらないし、応援が来る見込みもない。
圭介はどこにいるかすら分からない。
それに、例え今の彼が来たところで、戦況が変わるとは思えない。
聖剣は、敵対する厄そのものである隠山祈では握ることすらできない為、
やむを得ず手放してしまっている。
だが、仮に聖剣があったとしても、春姫ではその力を振るう間もなく殺されるだろう。

(もう、届かぬか……!?)
唯我独尊、傲岸不遜、全ての道は己に通ずの確信を以て人生を歩み続けてきた少女、神楽春姫。
その彼女が、心中で、生涯初めての弱音を吐いた。



これも自分への罰なのか。
山折圭介の脳裏に浮かんだのは、そんな言葉だった。
異能を使って守るべき村人を戦う道具にして。
浅はかにも特殊部隊に戦いを挑んで、光や碧や六紋の爺さんを死なせて。
幼馴染達の想いを裏切って、魔王なんかになって。それでも負けて、底の底まで堕ちて。

んで、光の想いを知って、魔王の娘に支えられて、
ようやく自分の足で立てるか、と思った矢先に、これだ。
そもそも、罪を犯した自分がヒーローになろうとなど思ったのが、間違いだったのか。

ゾンビ達が襲い来る。
圭介は、遂に観念した。その眼を、ゆっくりと閉じた。

そうだ。もう、終わりにしよう。
殺されるのを待って、それで、終わりだ。
後のことなんかどうでもいい。
村の人間に殺されるなら仕方ない…………





………




……









“仕方ないわけ……………………ないでしょっ!!!!!!!!!!”
「っ!!!???」

62◆qYC2c3Cg8o:2024/04/04(木) 23:17:43 ID:???0
圭介は、飛び跳ねるように立ち上がった。
本気で怒った顔をした想い人と、その親友の姿が、瞼の裏に浮かんでいた。
いつの間にか自分は、光のロケットペンダントと、上月みかげの御守を、握りしめていた。

光とみかげが助けてくれたのか。
いや、2人は死んだ。光に至っては、その魂まで消滅した。
だから、立ち上がったのは、自分の意志だ。
自分はまだ、生きようとしている。

視界が広がる。少し離れたところに、神楽春姫が持っていた剣が落ちていた。
何故春姫が落としたのかは分からない。
理由なんか何でもよかった。武器なら、力になるなら何でもいい。

ゾンビは次々と押し寄せる。ゾンビの歯や爪が、圭介の身体を傷つける。
それでも、圭介は生きようとした。ロケットペンダントと、御守を握りしめながら。
一体のゾンビが、手にした石で圭介の頭を殴りつけた。
これには堪らず、圭介も膝を付く。この機とばかりにゾンビ達が圭介を包囲していく。
だが、圭介の心はまだ折れていなかった。


(――――だよな。負けらんねえよな。だから、助けてやるよ)
「……え?」


圭介の耳に、そんな声が聞こえた、気がした。
彼の、みっともなくも生にしがみ付こうとする意志が、異能を発動させ、『彼』を呼んていだ。

圭介の目の前で、ゾンビ達が宙を舞った。何者かが自分の眼の前に颯爽と現れ、ゾンビ達をなぎ倒していた。
それは、少年だった。彼はやはり、ゾンビと化していた。
だが、ゾンビ化により理性を失ってもなお、その身にどこか、雄々しき気を纏っていた
年齢は自分と同じくらいだろうか。
顔は、知らない。この村の同年代の人間なら、自分が知らない筈はないのに。村外の学生だろうか。
服装もおかしかった。なんでマントなんか着けてるのか、さっぱり分からない。
そして、彼の顔は、血がつながっているかのように、自分に似ていた。

少年が、圭介を守るようにゾンビの群れに立ちはだかる。
その背中が、圭介に語っていた。「行けよ」と。

「……済まねえ!」

圭介は、少年に礼を言って走り出した。
体力の余裕はもうない。あの少年も強いが、いつまでもは持たないだろう。
これが最後のチャンスだ。圭介は聖剣に向かって駆けた。

少年がその大半を引き付けてくれているとはいえ、
残るゾンビはまだ多く、彼らは圭介を阻止しようと襲い掛かる。
だが圭介は残る力を振り絞り、ゾンビを殴りつけ、蹴り飛ばし、飛び越えながら、
ひたすらに前進し続けた。




63◆qYC2c3Cg8o:2024/04/04(木) 23:18:50 ID:???0

――だから、すぐに女王を殺しておけばよかったのだ。
聖剣は悔やんでいた。
女王討つべしとした己の進言を聞かず、
その結果、今や死の淵に立たされている先の使い手・神楽春姫と、その同行者の姿を見ながら。

山折圭介の後方では、かつての相棒が戦い続けていた。
だが、いかんせん多勢に無勢。更に脳内のウイルスが女王の眷属との戦いを拒否せんと働き、
徐々に動きの切れが悪くなってきている。

……そういえば、お前も我の言うことなどさっぱり聞かなかったな。
魔王の娘も、裏切りの召喚士も、我が忠告を聞き捨て、お前は見逃した。
どちらも、お前が本気で止めようとすれば止められたにも関わらず、だ。

だが、だからこそ、言い切ることが出来る。
魔王アルシェルは、聖剣や運命の導きなどではなく、
勇者ケージと、その仲間達の意志によって倒されたと。
そして、そんなお前たちに、私は友情を感じていたと。

付け加えれば、私の指し示す道も、また間違っていたかもしれないのだ。
白兎の召喚士を殺していたら、厄災の少女がこの場にいることも無く、
神楽春姫は為すすべなく戦鬼に殺されていただろう。
魔王の娘を殺していたら、山折圭介はいまだ絶望に沈み、
魔王として世界の敵となっていたかもしれない。

ケージの負う傷は徐々に多くなっている。ゾンビが振るった鉄棒で額が割られた。
左手首の骨が折れている。それでも彼は戦い続ける。
例え理性を失っても。彼は勇者ケージとしての、いや、山折圭二としての生き方を貫き続ける。


――――そう、意味はあったのだ。
例えその先で、苦しみや悲しみが生まれたとしても、
それでも決断することで、人は前に進んだのだ。
だから、私は信じたい。運命に逆らい、己の生き方を貫き、日野珠を救い出そうとする彼らの意志を。
いや、信じるだけでは駄目だ。私も私なりに、運命に逆らうとしよう。

日野光のループとやらでは、女王が我を以て日野光や浅葱碧を殺害したと聞く。
すなわち、我は女王の自我に屈し、その武器として使われる運命なのだろう。
だが、女王よ。見るがいい。
その運命を破壊する術は、今、この手の中にある。



64◆qYC2c3Cg8o:2024/04/04(木) 23:19:32 ID:???0

「なっ!? お、おいっ!?」

それを手にしようとした圭介の目前で、聖剣の光が消えていく。
刀身の光沢が消え、石と化していく。
続けて剣全体にヒビが入り、崩れ去り始めた。聖剣は、砂となって消えていく。
呆然となる圭介。
だがその直後、圭介の手の中に光が生まれた。

聖剣が消失したと同時に、勇者ケージも限界を迎えた。
女のゾンビが彼の首に齧り付き、遂に、その頸動脈が噛み千切られる。

お主の生き様、しかと見届けたぞ、我が相棒よ。
あとは、この世界の若者に全てを託そう。
運命に屈し、敗北者となるのでもなく、
運命の操り人形と化すでもなく
彼らなりのハッピーエンドを掴み取ることを信じよう。

……そういえば、ケージよ。お主は、あの魔王の娘の名を覚えているか?
彼女自身は気に入らぬかもしれぬが、せめて、その名だけでも残してやりたい。
彼女が好意を抱いた者達への手向けとして。

……ありがとう、我が友よ。
――――では、逝くとしようか。



勇者ケージの命が尽きると同時に、聖剣ランファルトの意志も霧散した。
だが、彼らの残した力は、山折圭介の手の中の光に宿る。

「この、光……」

圭介は落ち着いていた。この光は味方だと、直感的に理解した。
光が徐々に収束していく。そして、一本の剣を形作った。

それは、いわば聖剣の『娘』であった。
もはや進むべき道を記すことはない。
倒すべき敵を示すこともない。
ただひたすらに持ち主の意志に寄り添い、魔剣にも聖剣にも成り得る力。
魔王の娘と同じ真名を持つ一振りの剣、魔聖剣。

その柄を握りしめると、魔王の力を宿していた時と同じ様に
己の身体に魔力の波動が満ちるのを感じた。

「ぅぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおっっっ!!!!!」

咆哮と共に振るわれる魔聖剣。
その刃から衝撃波が走り、圭介の周囲にいたゾンビ達を、まとめて吹き飛ばした。
圭介は、春姫と戦鬼の戦いの場へ走る。

『山折の!?』
「春! 伏せろぉぉぉっっ!!!」

魔聖剣に光が集中し、圭介が発した気合と共に、二条の稲光が走った。
勇者ケージが得意としていた光属性の攻撃魔法だ。
雷が、大田原源一郎の、2つの眼球を焼き尽くす。
「グゥアアアアアアアアアアアアアアアーーーーーーーッ!!!」
戦鬼が苦悶の叫びを上げ、地響きを立てて倒れた。

「逃げるぞ、春!」
そう言いながら、圭介は春を助け起こした。

ここで戦鬼を倒す選択肢もあったが、
かつて勇者ケージと共に死線を潜り抜け、魔王すら討伐した聖剣ランファルトが巨鳥なら、
魔聖剣はいわば雛鳥。戦鬼を倒すまでの余力があるかは不明瞭、圭介自体の体力もほぼ残っていない。
仮に倒せたとしても、力を使い果たしてしまう恐れがある。
今の段階で最も優先すべきは、女王の拘束だ。
そう判断した圭介は、撤退を選択した。

「しっかりしろ! 立てるか!?」
「済まんが、無理をし過ぎた。身体がバラバラになりそうだ。とても動けん」
「……仕方ねえな」
圭介は春姫を背負い、走り出した。

「済まぬ、山折の。今日ばかりは、素直に礼を言っておく」
「何か今日はお互い素直だな俺ら。ま、お互いめっちゃ頑張ってことは分かってるから、な!」

追いすがるゾンビ達を、魔聖剣の魔力で追い払いつつ、ひたすら走る。
そして、2人は遂に、ゾンビの群れを振り切ることに成功した。



65◆qYC2c3Cg8o:2024/04/04(木) 23:21:59 ID:???0
「なんとか、振り切った見てえだな……」
追手が来ないと見た圭介は、一旦春姫を背から下ろした。
流石に息が切れた。体力も限界だ。休息が必要だった。

「とにかく、天原とやらを探さねばならぬな.
 恐らく、女王もそやつを確保しようと動くはず」
「ああ、そうだけど…… ところで、その天原って、どこにいるんだ?」
「妾らは日野のの異能で探すつもりだった」
「……え?」

春姫の言葉を聞いた圭介の顔色が、みるみる青ざめていく。

「じょ、冗談だろ? ……知らねえの?」
「そうだ。だが案ずるな。妾が指し示す方向へ向かえ」
「……は? 今知らないって言ったろ。なんか根拠でもあんのか?」
「忘れたのか山折の。妾は運命をも従わせる人間ぞ。根拠なぞ不要。妾を信じよ」
「当て勘かよ! 冗談じゃねえぞ! どうすんだよおい!!」

ドヤ顔の春姫とは正反対に、圭介は本気で焦り出した。

『ねえ、ちょっといいかな』
隠山いのりが、春姫の身体を借りて口を挟む。

「ん? 春、じゃなくて、いのりさん?」
『もしかしてその天原って人、神社に縁がある人と一緒にいない?』
「……神社? あー、確かにいるな。
 うさ公…… 犬山うさぎって奴が多分一緒にいるはずだけど」
『じゃあ、多分あっちだと思う』
「え? わ、分かんのか?」

隠山いのりは、いまだ人に仇する怪異の身である。
だがそれ故に、己と相反する神社の巫女の存在を感じ取れる、という訳だ。
今はそれを信じるしかない。
圭介はいのりの指示に従うことにした。

しばらく歩いたのち、圭介がまた口を開いた。
「…………ところで、春、気付いてるか」
「うむ。頭に響く女王の声。それがさっきから徐々に強くなってきておる」
「天原って奴とか、哉太達とかは、大丈夫なんだろうな」
『女王が近づいてきたら、安全とは言えないかも。
 さっきの鬼は、異能を使ってたことから見て正常感染者だろうけど、
 あれは完全に女王に支配されてたみたいだった』
「じゃあ、コントロールが利く奴と、利きにくい奴がいるってことなのか?」

圭介たち3人は、簡単に検討を試みた。
自分と春姫の異能は、両方ともゾンビをコントロールする、
すなわちウイルスを己の意志でコントロールする類の異能である。
その異能が、女王の支配力に対する耐性になっているのかもしれない。
だが、そういった異能を持っていない生存者に、どれほどの影響が出るのかは分からない。

66◆qYC2c3Cg8o:2024/04/04(木) 23:22:58 ID:???0
「となると、最悪の場合、哉太達まで敵になるって言うのかよ。クソッ」
『不幸中の幸いなのは、多分天原君って子は、
 異能の性質からして、耐性を持ってる可能性は高いってことかな』
「……何にせよ、時間が無い。一刻も早く天原とやらと合流し、
 日野のを取り返さねばならぬ」
春姫の言葉に、圭介は頷いた。

村の王と女王、そして厄災は行く。
女王を打倒し、日野珠を取り戻し、自分達なりの結末を掴み取る為に。
自分達の意志を貫くことそのものに、何か意味があることを信じて。
例えその先で、どんな犠牲を払うことになったとしても。

【D-3/道路/一日目・夜】
【山折 圭介】
[状態]:疲労(大)、眷属化進行(極小)、深い悲しみ(大)、全身に傷、強い決意
[道具]:魔聖剣■、日野光のロケットペンダント、上月みかげの御守り
[方針]基本.厄災を終息させる。
1.女王ウイルスを倒し、日野珠を救い出す
2.願望器を奪還したい。どう使うかについては保留。
3.『魔王の娘』の願い(山折村の消滅、隠山いのりと神楽春陽の解放)も無為にしたくない。落としどころを見つけたい。
[備考]
※もう一方の『隠山祈』の正体が魔王アルシェルと女神との間に生まれた娘であることを理解しました。以下、『魔王の娘』と表記されます。
※魔聖剣の真名は『魔王の娘』と同じです。
※宝聖剣ランファルトの意志は消滅しましたが、その力は魔聖剣に引き継がれました。
※山折圭介の『HE-028』は脳に定着し、『HE-028-B』に変化しました。

【神楽 春姫】
[状態]:疲労(極大)、眷属化進行(極小)、額に傷(止血済)、全身に筋肉痛(極大)、魂に隠山祈を封印
[道具]:血塗れの巫女服、御守、研究所IDパス(L1)、[HE-028]の保管された試験管、山折村の歴史書、研究所IDパス(L3)
[方針]
基本.妾は女王
1.女王ウイルスを止め、この事態を収束させる
2.日野珠は助け出したいが、それが不可能の場合、自分の手で殺害する
3.襲ってくる者があらば返り討つ
[備考]
※自身が女王感染者ではないと知りましたが、本人はあまり気にしていません
※研究所の目的を把握しました。
※[HE-028]の役割を把握しました。
※『Z計画』の内容を把握しました。
※『地球再生化計画』の内容を把握しました。
※隠山祈を自分の魂に封印しました。心中で会話が出来ます。
※隠山祈は新山南トンネルに眠る神楽春陽を解放したいと思っています。
※隠山祈と自我の入れ替えが可能になりました。
 隠山祈が主導権を得ている状態では、異能『肉体変化』『ワニワニパニック』『身体強化』『弱肉強食』『剣聖』が使用可能になりますが、
 周囲の厄を引き寄せる副作用があり、限界を超えると暴走状態になります。




不覚を取った。
大田原源一郎は、そう思いながら、眼のダメージの回復を待っていた。
幸い、『餓鬼(ハンガー・オウガー)』の異能で網膜も再生を始めている。
だが、視力が完全に回復するにはもう少し時間が掛かる。
それまで、女王の敵の追跡は不可能だ。

必ずやこの屈辱は晴らす。そして、女王は己の身に代えても守り切る。
その決意を胸に、戦鬼は、再起の時を待つ。


【E-2/草原/一日目・夜】
【大田原 源一郎】
[状態]:ウイルス感染・異能『餓鬼(ハンガー・オウガー)』、眷属化、脳にダメージ(特大)、食人衝動(中)、網膜損傷(再生中)、理性減退
[道具]:防護服(内側から破損)、サバイバルナイフ
[方針]
基本.女王に仇なす者を処理する
1.女王に従う



67◆qYC2c3Cg8o:2024/04/04(木) 23:23:35 ID:???0
「ふむ、慣れてきたかな」
女王は、圭介から奪った魔王の力を試しながらそう呟いた。
「では、天原創君を確保しに行くか。彼は分かってくれるといいが」
早速、魔力による飛行を試す。日野珠の小柄な身体が、商店街の上空を舞った。

心地よい風を顔に受けながら、
女王は己の望むハッピーエンドに思いを馳せていた。

HE-028ウイルスには、魂と魂を繋ぐ力がある。
哀野雪菜と愛原叶和が、独眼熊とクマカイが、
ウイルスの作り出した胡蝶の夢の中でつかの間の再会を果たしたように。
だが、今の段階では、自分たちは単なるその媒体に過ぎない。
自分達の自我はまだ不完全だ。女王である自分ですら、日野珠のそれを利用し、疑似的に再現しているだけに過ぎない。
だが、もう少しだ。己の中で魂の卵とでもいうべきものが生まれつつある。
『第二段階』は、己に「魂」が生まれた、その時に完成するのだ。

魂を得たその時、自分は魂と魂を己の意志で自由につなぐことが可能になる。
そして、今回魔王とその娘の力を得たことで、死者の魂を一時的に蘇らせることが可能になった。
つまり、死者の魂ですら、己はコントロールできるようになる。
そして、己が魂を得て、全人類にウイルスが行き渡った時、生まれるのだ。
女王の名の下に、あらゆる生者と死者の魂が統合された理想郷――『Zの世界』が。

「ああ、楽しみだ」

女王は、そう呟くと、穏やかに微笑みながら、夜の空を滑るように飛んで行った。


【E-4/商店街上空(飛行中)/一日目・夜】
【日野 珠】
[状態]:疲労(小)、女王感染者、異能「女王」発現(第二段階途中)、異能『魔王』発現、右目変化(黄金瞳)、頭部左側に傷、女王ウイルスによる自我掌握
[道具]:H&K MP5(18/30)、研究所IDパス(L3)、錠剤型睡眠薬
[方針]
基本.「Z」に至ることで魂を得、全ての人類の魂を支配する
1.Z計画を完遂させ、全人類をウイルス感染者とし、眷属化する
2.運命線から外れた者を全て殺害もしくは眷属化することでハッピーエンドを確定させる
[備考]
※上月みかげの異能の影響は解除されました
※研究所の秘密の入り口の場所を思い出しました。
※『Z計画』の内容を把握しました。
※『地球再生化計画』の内容を把握しました。
※女王感染者であることが判明しました。
※異能「女王」が発現しました。最終段階になると「魂」を得て、魂を支配・融合する異能を得ます。
※日野光のループした記憶を持っています
※魔王および『魔王の娘』の記憶と知識を持っています。
※魔王の魂は完全消滅し、願望機の機能を含む残された力は『魔王の娘』の呪詛により異能『魔王』へと変化し、その特性を引き継ぎました。
※魔術の力は異能『魔王』に紐づけされました。願望機の権能は時間と共に本来の機能を取り戻します。
※戦士(ジャガーマン)を生み出す技能は消滅し、死者の魂を一時的に蘇らせる力に変化しました。


※女王ウイルスに自我が目覚めたことにより、女王に接近した正常感染者に「眷属化進行」の症状が発生するようになりました。
 行動・思考パターンが女王を守るように変化します。進行度が低い段階では強い意志を持つことで対抗できますが、限界を超えると完全に眷属化します。
 なお、異能の特性や自我の強さ、女王に対する対抗心の有無などによって進行の速さは左右されます。
 誰にどの程度の耐性があるのかは次の書き手に一任しますが、完全な耐性を持つことは出来ません。
 どんなに耐性が強くとも、VH発生から48時間経過した時点で、例外なく完全に眷属化するものとします。

68◆qYC2c3Cg8o:2024/04/04(木) 23:26:48 ID:???0
投下終了します。
タイトルは、
>>40-57:女王覚醒
>>58-67:Z(終わり)を目指して
です

69 ◆H3bky6/SCY:2024/04/05(金) 00:44:08 ID:llZ7tjQw0
投下乙です

>女王覚醒
>Z(終わり)を目指して

女王が覚醒って感染者じゃなくウイスルの方かい!
女王ウイルスさんめっちゃ意志持ってらっしゃる、珠の意識もすっかり乗っ取られてまぁ
ウイルスからすれば女王が死ねば自分も死ぬので当然守護る、ウイルス自体の生存本能で眷属化という観点は面白い
正常感染者はもれなく感染者なので全員に特攻が入るようなもの、感染者じゃないのもう天くんくらいしかいないので最終的に彼以外は敵対すらできなくなるのは怖いですねぇ

ついに村の王と女王が遭遇する
普段からそりが合わなさそうな2人だけど、いろいろありすぎた圭ちゃんがすっかり丸くなったおかげで、割と大丈夫そう
あれほど敵視していた圭介を受け入れる辺り、春姫もなんやかんやで成長しているのか……してるのか?
だけど2人とも王らしくゾンビを操る系スキルなので、ウイルスそのものである女王が上位互換すぎて相性的にきつそう

そして2人にとりついた祈と魔王の娘も再会
ようやく言葉を交わせて春陽様の誤解も解けて呪いたちもすっかり浄化されておる
春姫と祈も思った以上に上手く共生している。いや、連携もばっちりで本当にどういう関係だこいつら

ゾンビ再抽選をまさかこう使うとは思わなんだ、実態を持った弊害か、幼神ちゃんもここで消滅してしまうかぁ
そんな窮地を助ける異世界の勇者と聖剣、異世界設定を持ち込んだある意味で元凶
そういや圭ちゃんの叔父でしたねあなた

大田原さんは予言通り女王の眷属となってしまう、敗北を知ってから踏んだり蹴ったりね
あれほど苛烈だった正義の体現者がその矜持すら投げ捨てしまうのは悲しい話だ
それでもハチャメチャに強いのでただひたすらに厄介

ループ経験による仮想的な未来予測や運命の目を持つ女王を相手に運命を変える戦いになってきましたね

70 ◆H3bky6/SCY:2024/04/10(水) 21:14:43 ID:iRBAVS420
投下します

71山折村歴史巡りバスツアーズ ◆H3bky6/SCY:2024/04/10(水) 21:15:34 ID:iRBAVS420
日が沈み始め夜の帳が落ちるとともに、片田舎の田舎道はさらに静寂を増していった。
マイクロバスのヘッドライトが唯一の光源となり、細い道を照らしながら、未知の闇を切り裂いて進む。
夜の帳が全てを覆う中、バスの進む音とエンジンの唸り声だけが、この静かな田舎町に響き渡っていた。

車体を揺らしながら整備の甘い地面を進むバスに乗り合わせるのは7人の勇者たちである。
運転席で苛立たしそうに歯噛みしながらハンドルを握ってるのは茶子だ。
彼女の操るバスの最後尾には体調を崩したうさぎが寝転がっており、雪菜が彼女のそばでその体調を看ている。
中央付近の座席に座るリンは、窓を全開にして風を受けながら、きれいに整えられた髪を風にはためかせ、外の景色を楽しんでいた。
その様子を見たアニカはリンが外に落ちないよう、急いで後ろからその体を支えていた。
そして2人の少年、創と哉太はバスの出入口付近でそれぞれが周囲を警戒し続けていた。
哉太はバスから身を乗り出すようにして影法師の立っていたバスの後方を睨み付けるように凝視しており。
創は身を低くしながら視線を絶えず動かし、周囲全体をくまなく警戒していた。

生物災害に端を発した片田舎にある小さな村の騒動は、気づけば異世界の魔王を呼び込み世界の存亡をかけた大事態にまで発展していた。
放置すれば世界を滅ぼしかねない残忍で強大な魔王に対して、彼らは知恵と勇気を振り絞り立ち向かった。
そして辛くもそれを退けた7名の勇者たちであったが、そんな彼らが行っているのは勝利の凱旋ではなく、敗走に近い逃亡であった。

「……ひとまず、追手はないようです。目視できる範囲は、ですか」

ある程度南にひた走ったところで創が区切りをつけるように報告する。
少なくともバスを追ってくるような影はない。
そもそも目視できるような相手かすらもわからないが、そうだったら諦めるしかない。

哉太も自身の目で安全を見渡し、ようやく緊張を解く。
深海から海面に出たようにプハァと止まっていた息を吐きだすと、堰を切ったように全身から汗が噴き出した。
僅かに呼吸を整えた後、哉太が端的な疑問を口にする。

「――――――アレは、何だ?」

小さな少女の影法師。
あらゆる災厄を凝縮したような、見るだけで祟られるようなナニカ。
霊感のない哉太ですらわかる。
あれは最悪の悪霊だ。

この世に存在してはならないような存在が何故こんな村に存在するのか。
哉太の発したその疑問に、運転席の茶子が振り返ることなく答える。

「アレが、――――イヌヤマイノリよ」
「…………イヌヤマ?」

哉太は告げられたその名を呟き、最後尾で寝転ぶうさぎを見つめる。

「うさぎとは字は違うけどね。隠すに山で隠山。ま、先祖筋ではあるみたいだけど」
「それって確か、茶子姉が魔王の弱体化に利用した、この村の絶対禁忌だとかなんとかの事だよな?」

あの時は緊急事態という事もあり詳細までは聞けていなかったが。
魔王討伐の鍵となった、村の絶対禁忌と呼ばれる者の名だ。

「結局何なんだ、その絶対禁忌って? 何であんな呪いがこんな村に」

自分たちの暮らしてきた足元に、あんなものが眠っていたのだとしたらぞっとしない話だ。
その正体を問う哉太の疑問に同意する声があった。

「…………それは私も、知りたい」

最後尾で寝転んでいたうさぎが上体を起こし話に加わる。

「犬山さん、無理は……」
「ありがとう、雪菜さん……私は、大丈夫だから」

顔色が悪いままのうさぎの様子を雪菜が気遣うが、やんわりとそれを制してうさぎは続ける。

72山折村歴史巡りバスツアーズ ◆H3bky6/SCY:2024/04/10(水) 21:15:53 ID:iRBAVS420
「私はあの影を……知ってる気がする。それに。魔王も…………私を知ってるみたいに呼んでいた」

魔王はうさぎの顔を見てイヌヤマと呼んだ。
絶対禁忌と同じにして、うさぎの姓である。
何よりあの影を見てから焦燥のような胸騒ぎが止まらない。その原因をどうしても知らねばならなかった。
そんな必死なうさぎの様子を運転席からバックミラー越しに見て、茶子は仕方ないと言った風に鼻息を吐く。

「そうね。少し早いけれどそこも含めて話をしましょう。確かにこれはうさぎちゃんにも関わる事よ」

言って、茶子は道筋から逸れた草むらに向かってハンドルを切った。
路肩から飛び出し、タイヤが草原を巻き込みながら車体を大きく揺らす。
そして、ゆっくりとブレーキを踏んでマイクロバスを停車させた。

「アニカちゃん。私の渡した羊皮紙写本は解読できたかしら?」
「……Perfectではないけれどそれなりには」
「いいわ。ならアニカちゃんは解読を続けながら聞いて頂戴。
 どちらにせよ『巣食うもの』ことイヌヤマイノリと対峙するのなら知る必要がある。
 そして、あの呪いを知るという事は、この村の歴史を知るという事。そのために全員のカードを出し合いましょう。
 隠し事はなしよ、いいわね?」

茶子は運転席から振り返り、バスの全員に向けて声をかける。
だが、それは全員と言うより主に創に向けられた言葉であった。

茶子は研究所に雇われた諜報員として、村に潜入した創の正体も把握している。
おいそれと機密を話せる立場ではないエージェントとしての制限も理解している。
その相手に対して、情報交換を申し出ているのだ。

「いいでしょう。その取引に応じます」

創はその意図を理解した上で、これに応じる。
既に状況はその段階を超えていた。
最強のエージェントである師も命を落とす地獄だ。
機密を超えて超法規的措置が必要な状況である。

創の了承に続き、全員が了解を示す言葉を投げた。
こうして全員の持つ情報を共有する報告会が開始された。

■進行者:虎尾 茶子

「ならまずは私から、『ヤマオリ・レポート』についてお話ししようかしら。
 哉くんたちには説明済みだけど、全員に共有するため改めて説明するわ」

そう言って、運転席から立ち上がった茶子の口から『ヤマオリ・レポート』の内容が改めて語られた。
第二次大戦中にこの村で行われた人体実験『マルタ実験』。
第一実験棟で行われていた『不死の兵隊』の研究。
第二実験棟で行われていた『異世界』の研究。

自身の暮らしてきた村で行われていた非人道的な闇の歴史。
既に説明を受けている哉太とアニカは改めて聞かされる村の醜聞を神妙な面持ちで噛みしめ。
相変わらずよくわかっていないリンは茶子の声を絵本の読み聞かせのように嬉しそうに聞ていた。

うさぎと雪菜は初めて聞く衝撃的な事実に、驚愕と困惑で言葉を失っていた。
特にうさぎにとっては自分の祖父や祖母が関わっていたかもしれない話だ、他人事ではない。

同じく初耳ではあるモノの、少女たちとは対照的に創は落ち着いた様子で話を受け止めていた。
彼が外から訪れた村の部外者と言うのもあるだろうが、元よりある程度は察しがつくだけの情報を持っていたのだろう。
とは言え、魔王戦を経た今となっては、魔王をこちらの世界に呼び込んだ実験である。
彼にとっては間接的に故郷を滅ぼした原因となった実験である、思う所はあるだろうがその心理を表に出すことはないだろう。

「『ヤマオリ・レポート』についての説明はこんな所ね。イヌヤマイノリとは直接関係ないかもだけど、村の歴史として参考程度に覚えておいて」

茶子が参考程度と言うには闇が深すぎる村の暗部を語り終えた。
全員が重い沈黙を返すばかりで拍手も返事もない。
当然とも言えるその反応を僅かな笑みで流して、茶子は役所仕事で慣れた議事進行役へと立ち位置を変える。

「それじゃあ、次の話に移りましょう」

73山折村歴史巡りバスツアーズ ◆H3bky6/SCY:2024/04/10(水) 21:16:27 ID:iRBAVS420
■報告者:八柳 哉太

「じゃあ次は哉くん。報告をお願い」
「え、俺?」

話を振られ哉太が首をかしげる。
いきなり報告をしろと言われてもどうすればいいのか。

「未名崎錬から聞いた情報を教えて頂戴」
「あぁ…………あれね」

茶子の提案により哉太とアニカは資材管理棟まで未名崎錬の話を聞きに行った。
求めているのはその報告である。

「未名崎錬?」

登場した未名崎の名に創が反応を示す。

「ええ、この村の高校裏にある資材管理棟に研究所の研究員である彼を『保護』していたの。
 哉くんとアニカちゃんには、彼の話を聞きに行って貰ったのよ」
「『保護』ですか…………」

創はそこに含まれる意味を飲み込み、ひとまず納得を示す。
今そこを問い詰めたところで意味はないだろう。

「OK.ならexplanationは私から」

未名崎から得た情報はかなり取扱注意な代物だった。
話し方次第ではいらぬ問題や不和を生みかねない。
アニカがやや強引に説明を始めようとするが、そこに待ったがかけられる。

「待って。説明は哉くんから聞かせて、アニカちゃんは羊皮紙写本の解読を進めておいてくれるかしら?」

聞いた話を伝えるだけなら哉太でも出来る事である。
別の役割を任されているアニカがここで強く自分を推すのも不自然だ。

「いや、いいよ。アニカ。俺から話す」

アニカを宥めるように哉太が声をかける。
信じろ、と言う視線を向けられアニカは肩をすくめてため息をこぼす。

「got it.任せるわ」

アニカも哉太を信じて任せることにした。
とは言え、人前での演説や説明に慣れてない哉太は、何から話したモノかと、頭の中を整理しながらあーと唸る。
何かの本で読んだ記憶のあるプレゼンの仕方を思い返し、とりあえず一番重要な結論から話すことにした。

「結論から話す。と言っても、すでに聞いちまってる人もいるだろうけど。
 なんでも――――もうじき世界が滅びるらしい」

世界が滅びる。
哉太の説明はそんな衝撃的な語り出しから始まった。

だが、荒唐無稽な内容に哉太の語り口もあるのだろう。
周囲は驚きよりも、何か心当たりがあるような反応を見せた。

「そう言えば……あの魔王も口にしてましたね『世界の滅び』って」

雪菜が思い出したように口にする。
あの場面では致し方ないことかもしれないが。
周囲への伝え方は考えるつもりだったが、元凶と思しき魔王相手に思わずアニカが問いただしていた。

74山折村歴史巡りバスツアーズ ◆H3bky6/SCY:2024/04/10(水) 21:16:43 ID:iRBAVS420
「ああ。この情報を未名崎錬に伝えたのは烏宿さんのお父さん、つまりはあの魔王らしい」

哉太たちが未名崎錬から聞かされた世界の滅び。
情報の大本は魔王の依り代となった烏宿暁彦からだった。
魔王の人となりを知った今となってはその事実から受ける印象も変わってくる。

「研究所の目的はその滅びの回避にあって、未名崎錬たちは……そのっ……」

そこで哉太は言いづらそうに、口をもごつかせる。
アニカであれば滑らかに説明できただろうが、ここから先は伝え方を考えなければならない。

「――――そう、そう言う事」

だが、哉太が言葉を選ぶより茶子が察する方が早かった。
幼いころから見てきた少年の事だ。
言葉を詰まらせるその様子だけで何かを察したのか、聞くだけで凍るような冷たい声で納得したように呟く。

「ど、どういう事?」

理解が追いついていないうさぎが問う。
その問いに哉太ではなくその先を察した茶子が答える。

「このVHは地震で起こった事故じゃなくて、慎重な研究所の方針に反対した未名崎たち過激派が引き起こしたテロ事件だったって事。そうでしょ哉くん?」
「………………」

哉太は無言のままだが、その沈黙こそが答えだった。
世界を救う研究を進めるため、大規模な人体実験の場として山折村でのVHを引き起こした。
この悲劇が、事故ではなく人の悪意によってもたらされたモノであると言う事実にうさぎたちもショックを受けていた。

やはりこうなったかと、アニカが頭を抱える。
これは伝えるべきではない情報だった。
ショックを受けているうさぎたちもそうだが、それ以上に。

「つまりは、テクノクラートのテロもそうだったって事ね。知ってて伝えなかったなあのアマ……」

不機嫌そうに舌を撃って茶子が殺気を滲ませる。
その殺意は実行犯である未名崎と、その管理を茶子に任せた研究所実行部隊の長に向けられていた。
今すぐにも殺しに向かいかねない勢いだ。

「茶子姉」
「大丈夫よ。落ち着いてる。今ここにいない人間に殺意を向けたところで意味がない」
「今でも後でもダメだ。これ以上誰も殺さないでくれ」

殺気を放つ茶子を小さな声で哉太が咎める。
祖父を殺すべく悪鬼羅刹と化す、あんな姿はもう見たくない。

茶子はそれには答えず無言のまま視線をフロントガラスへと移した。
返事のない茶子の態度に哉太が僅かに語気を荒げた。

「……茶子姉っ」
「わかってるわよ」
「ちゃんと約束してくれ。こんな状況だ戦うなとは言わない。自衛以上の事はしないと」

視線を逸らす茶子を哉太は目をそらすことなくじっと見つめる。

「………………わかった。約束する。無駄な殺しはしない」

根負けしたようにため息とともに茶子がそう言った。
無駄な殺しと、だいぶ誤魔化したようなこの口約束がどれだけ信用できるかはわからないが、アニカのやり方では引き出せなかった言葉だろう。
誤魔化し伝えないのではなく、誤魔化さず伝えた上で相手を信じる。
哉太にとって信じるとはそういう事だ。

「……未名崎って人は、魔王の虚言に踊らされたって事なのかな?」

自らの村を滅ぼした男を憐れむようにうさぎが呟いた。
世界の滅びなど魔王の虚言だとするならば、ありもしない虚言に踊らされ世界を救うつもりで村一つ滅ぼしたという事だ。
あの魔王らしい実に悪趣味な嗜好である。

「確かに、そうかもしれないな」

未名崎より話を聞いた哉太も世界の滅びなど半信半疑だった。
その情報のソースが悪意を具現化したあの愉快犯であるとなると、話の信憑性は一気になくなってきた。
流れとして、この話は与太話として片づけられそうになるが。

75山折村歴史巡りバスツアーズ ◆H3bky6/SCY:2024/04/10(水) 21:16:56 ID:iRBAVS420
「いいえ。それは事実です。世界は滅ぶ。8年後の未来に」

だが、魔王の虚言を肯定する声があった。
肯定するのは魔王に因縁を持ち、その決着をつけた少年、天原創である。
創の言葉に、羊皮紙の解析の手を止めアニカが口をはさんだ。

「そうaffirmationできる理由は?」
「それは、僕が政府直属の諜報局に所属する諜報員(エージェント)だからです」

根拠を示すべく、創は自らの正体を明かす。
国家の目と耳たる情報のスペシャリスト。
諜報局に属する天才エージェントがこの少年である。

この告白に対して、周囲からは驚きのような反応はなかった。
返ったのは、むしろ何かに納得したような反応である。
これまでの彼の活躍を想えば、ただの中学生で通る状況はとっくに過ぎていた。

「Mr.アマハラ。それ事実であると認識している人間はこの村にどれだけいたのかしら?」
「そうですね……哉太さんの話に出たテロリストたちを除くなら。
 研究所の上級以上の研究員。研究所を誘致した村長、研究所に施設を提供した院長。
 後は僕の同僚であるジャックさんに、この村に潜入している僕の師匠とその相棒くらいだと思います」
「そう。certain number of peopleは居たって事ね」

これだけいたのなら、その中から正常感染者が出る可能性は高い。
エージェントである創たちはともかく、そうじゃない連中の口から機密が洩れる可能性はある。
研究所としてもこの情報が漏れるのは看過できないはずだ。それを放置するのは少し解せない。
通信妨害で十分と考えたのだろうか?

「けど、世界が滅ぶって話が本当なら……それを避けようとする研究所は正しかったって事なのかな?」

村の地下で怪しげな研究を行う悪の研究所が諸悪の根源だとばかり思っていた。
だが、研究所が世界を救うために行っていたものならば話は180度変わってくる。
それに、この村でテロを起こしたのも魔王に誑かされた別派の犯行という事なら、彼らは被害者とも言える立場ではないのか。

「正しいかどうかなんて知ったことか、よ。奴らのせいで村に被害が起きたのは事実。そのケジメは取らせる、何としてもね」

だが、茶子の意見は違った。
どれだけ崇高な目的があろうとも、テロに見舞われた被害者であろうとも、そんなことは知ったことではない。
村をこんなにした遠因はこの村で研究を始めた奴らに確実にある。村の人間としてその責任は取らせる。

「それ、春ちゃんも言いそう」
「えぇ……お春と一緒にされるのはさすがに……」

膨れ上がりそうになっていた茶子の殺気が一気に萎える。
暗い顔の続いていたうさぎも不遜な友人の顔を思い浮かべて苦笑した。

「それで……未名崎って人はどうなったの?」

ここにいない情報源の安否を雪菜が問う。

「今も資材管理棟の牢にいる。鍵は……茶子姉が持ってんだろ?」
「そうね。流石に今は手元にはないけど」
「まぁ、あそこならゾンビに襲われることもないだろうし、VHが解決してから向かいに行けばいいさ、いざとなれば避難所にもなる」

村をめちゃくちゃにした切欠を作った一味とは言え、見殺しにするのは本意ではない。
このVHは最大でも48時間。飢えはするだろうが2日程度なら餓死はしないだろう。
その程度は罰として甘んじて受け入れてほしい所だ。
もっとも、哉太たちが全滅すればそうもいかなくなるのだが。

「まあ、ともかく俺が聞いた話はこんなところだ。次頼むぜ」

76山折村歴史巡りバスツアーズ ◆H3bky6/SCY:2024/04/10(水) 21:17:14 ID:iRBAVS420
■報告者:天原 創

「改めて自己紹介を、僕は天原創。
 この村を調査に来た政府直属の諜報局に所属する諜報員(エージェント)です」

創はバスの出入口から中に居る全員へと向き直ると、改めて自らの所属と目的を明かした。

「この村……って事は、研究所を調べに来たってことか?」

傍らの哉太が疑問を尋ねる。
山折村は何の変哲もない片田舎にある寂れた村だ。
わざわざ諜報員なんて大仰なモノがくる理由があるとするならば、それは秘密裏に作られた研究所くらいの物だろう。
だが、創はこれを否定するように静かに首を振った。

「いいえ、違います。僕が調査に来たのは研究所ではなく、この村、山折村についてです。
 研究所以前の問題として、この村はおかしい」

天原創は研究所ではなく、山折村そのものを調査に来たエージェントである。
山林にはあり得ない生態系が蔓延り、北の山には明らかに異様な大空洞が存在している。
当たり前に町内で連続殺人が起きており、多くの犯罪者たちが楽園の如く謳歌している。
この時代に代紋を掲げたヤクザが堂々と事務所を構え、そこいらを掘り返せば武器が出てくる。

何より、これだけの異常を抱えながら、当人たちはこの村を何の変哲もない田舎町であると認識している。
このおかしさは異常に浸りきった村民たちにも、異常を目の当たりにすることのない一見の観光客にもわからない。
外部から深くこの村にかかわる転校生のような存在でなければ見て取れない異常である。

「で? 調査していたってことは結論があるんだろう?」

村を侮辱されたように感じたからか、やや不機嫌な声で茶子が問う。
これに対して表情を変えず創は頷いた。

「まだ調査途中ではありますが、ざっくりとした結論であれば」

仕切りなおすように僅かに間を取って、創は報告を開始する。

「この村で起きている多くの問題には、地形的な要素が大きく関わっています」
「……地形的な問題? まさか山によって隔離された陸の孤島は犯罪者の逃亡先に適してるって話か?」

言われるまでもなく村民だって、特殊な地形であることくらいは認識している。
山折村は山に囲まれた檻のような村だと、そう揶揄されることは少なくはない。

「それもあります。だが、地形的な問題と言うのはそれだけではない。
 調査の結果。この村は立地的に犯罪が起きやすく、風土的に怪奇現象が起きやすく、認知の歪みを引き起こしやすい閉鎖された環境である。
 偶然そうなったのか、意図的な物かはわかりませんが、そういう風にこの村はデザインされている」
「それって、まさか風水とかそういう話?」

怪訝そうな顔をする茶子にアニカが横からフォローを入れる。

「Ms.チャコ。feng shui(風水)やpractice superstition(縁起担ぎ)も馬鹿にできないわよ。
 街灯のcolorで犯罪率が減増するなんて話はよく知られているでしょうし。
 Houseのfurnitureのshapeやangleひとつで住民の気が狂うこともあるわ」
「別に馬鹿にしたわけじゃないわよ。ちょっと気になっただけ」

止めて悪かったという風に茶子は話の続きを促す。

「この村は細かなところで淀みの様な流れがあって、厄が底に吹き溜まるようになっています」
「それは知ってる。神楽のおじ様やお春が喧伝してる村の歴史書にも書かれてる。
 神楽の先祖が厄の吹き溜まりである厄檻村に龍脈を通した、そのために作られたのが新山南トンネルだった、って話でしょう?」
「ええ。その通りです」

この辺の歴史に関しては周知の事実だ。
正しき歴史を喧伝するべく自ら進んで提供してくる神楽家の存在は、調査員からすればありがたい存在である。
もちろん鵜呑みにするのではなく、情報の精査は必要であるのだが。

77山折村歴史巡りバスツアーズ ◆H3bky6/SCY:2024/04/10(水) 21:17:35 ID:iRBAVS420
「ですが、そうだとするならおかしいんです」
「おかしいって、何が?」

創は僅かに場所を移し、運転席の背後に張り出されていた山折村の案内図を指さす。
そして、トントンと地図上の2点を指先で叩いた。

「いいですか。厄の抜け道を作るのであれば、入口だけ開けても意味がない。
 開けるべきは『入口』と『出口』の2か所でなければいけない。そうでなければむしろ厄が入りやすくなるだけで逆効果だ。
 位置で言うのなら南のトンネルに対となる北側に厄の出口が作られていないとおかしいんです」

厄の通り道である龍脈。
通り道なのだから穴がひとつでは通らない。
ひとつではむしろ、空気は淀み詰まるモノである。

「そういうものなのか? 随分と詳しいんだな」
「まあ僕の専門ではないですが心霊案件も扱う部署でしたので。それなりの知識は」

創が所属しているのは、ジャック・オーランドの様な怪異退治専門が所属している部署である。
創もまたその手の基礎知識程度は有していた。

「つまり、龍脈を作ろうって言いだした輩は、そんなこともわからねぇボンクラだったって事か?」
「いや、それはないでしょう。これだけ大規模な工事を打ち出せる立場の人間が無能であるとは考えづらい」

これを見出したのは当時においては天才的な陰陽師だったのだろう。
だが、偉大な先人たる天才の知識も後の世では一般的な知識に劣ることもある。
当時は存在しなかった正確な地図を元にすれば、この程度の結論は容易に出せた。

「けど、北と言っても、北の山を越えた先にあるのはただの山岳地帯だよ……?」

村の地形を思い返しながら雪菜が疑問を投げかける。
創はこれを否定するでもなく、頷きを返した。

「そう。そこにトンネルを開けたところで交通の便が良くなるわけでも経済的に発展する訳でもない。
 何の意味もない。だからこそ、誰に顧みられることなく放置されていた」

北にトンネルを作ったところで風水的な意味合いを除けば何の意味もない。
もし何か別の意味のあったのなら龍脈と関係なく開通されていただろう。

「だけど、なんでそんなことに?」
「工事が行わたのは約600年前。日本でトンネル工事が始まる遥か以前の話だ。工事はまさしく命懸けだったでしょう。
 死者が発生して新たな呪いを乱すようなことになっては本末転倒だ。工事は片方を完了した時点で中止するほかなかった。
 いやあるいは、南トンネルの時点で既に立ち行かない程の死者が出ていた可能性もあるでしょう」

トンネル工事にかかる時間も費用も現代とは比べ物になるまい。
当時の人たちは南トンネルを作った時点で限界であり、それ以上の無理を強いる事が出来なかった。
故に、工事の責任者は「龍脈は通った」と嘘の報告を記録した。

「けど、それは推測だろ?」
「そうですね。状況から考えた僕の推測であることは否定しません」

工事が未完成であると言うのは創の知識と村の現状からの推測である。
今のところ、何か文献のような証拠があるわけでもない。

「constructionがinterruptionされたのだとするなら何かtraceがあるのかもしれないわね」
「北って言うと…………神社の下にある大空洞の事か?」
「いえ、忘れたの哉くん。あれは異世界実験の事故で出来た空洞よ。あの空洞は人為的なものではないわ」

北の大空洞が生まれた経緯は『ヤマオリ・レポート』にて共有された。
あれは戦時の第二実験棟で行われていた異世界研究によりできた物だ。
より正確に言えば、魔王の出現と共に消滅した空洞である。

78山折村歴史巡りバスツアーズ ◆H3bky6/SCY:2024/04/10(水) 21:17:57 ID:iRBAVS420
「perhaps.それであってるわ。研究棟自体は元からそこにあったのでしょう?
 わざわざmountainsを掘り進めてIn the mountainsに研究棟を建てたというのもおかしな話よ。
 なら、そのhole自体は最初から在ったと考えるべきじゃないかしら?」

鉱物が採掘できるわけでもない山に開かれた人為的な横穴。
研究所のためにそこにわざわざ穴を掘ったと考えるよりも、元からあった穴を利用したと考えた方が自然である。
ならば、それは何のための穴だったのか?

「なら、それが…………」
「北トンネル掘削跡、ではないかと推測されます」

推測込みではあるが工事が未完成であると言う物証である。

「だけど、歴史書によればトンネルの開通後、多くの災厄は収まったはずよ?
 未完成だって言うのならこれはおかしいんじゃない?」

茶子が創の推測に疑問を呈する。
龍脈の工事が半端に終わったことで村の歪みを生み出すこととなったと言うが、龍脈は開かれ災厄は治まったと村の歴史にはそう記録されている。
実際、様々な文献で疫病や災害などの不幸は収まったと記録されている。
この村がそのような地獄の窯の底であるのならそもそも数百年の時を永らえるとは思えない。

「ええ。それもおかしな点の一つです。確かに厄をため込む村の構造を思えば歴史上に表立った被害が少なすぎる。
 細かな歪みはあれど、トンネルの開通後に大きく爆発したのは僕の調べた限りだと戦時中と今回の2回だけだ」

熊害、殺人、変態、誘拐、性被害、極道。個人単位の小さな不幸はあれど。
山折村の存続を揺るがしかねない大きな災厄は魔王の出現と、研究所の生物災害この2つだけである。

「そのため、僕はため込まれた厄を引き受ける避雷針の様な存在があるのではないか、と推測していました。
 まだ詳細を調べられてはいませんが、僕の推測が正しければ北と南にそれらしきものがあるはずだ」

言われて茶子が何か思い至ったようにああと呟く。

「確かに、北の山折神社の奥に即身仏があったわね。それか……」
「え、家の奥にそんなのあったの…………?」
「なら、南のトンネルにも何かあるって事なのかな?」

不完全となった龍脈の変わりとして、即身仏が村の厄を吸収していた自己犠牲の人柱。
それが呪いを掻き集める集約機のようなものだとするならばいろいろと説明はつく。

「そうだとしても、前回から随分と周期が短くないですか?」

雪菜の疑問ももっともである。
魔王の出現が600年の蓄積の爆発だとしても、2度目はそこから80年である。
前回に比べて余りにも限界が早すぎる。

「それは都市開発の影響でしょう。ここ数年、山折村はかつてないほど外から多くの人や物を呼び込んでいましたから」

厄を呼び込み溜める地獄の釜。
その歪みは近年の外からの多くを呼び込む都市開発により加速した。
この事態の元凶である研究所も、言うなれば外から呼び込んだ厄そのものである。

「じゃあ、逆に言えば北の山に厄の逃げ道となる穴を開ければその……龍脈? というのが通って村の呪いや怪異が消えるってことですか?」

当時と違い現代の技術であれば人的犠牲を出すことなく工事は可能だろう。
龍脈を正しく『通り道』に出来るのであれば村の災厄に対抗できるかもしれない。

「どうでしょう…………あくまで流れを変えるための物なので、そこまで即効性があるかどうかは」
「それにtunnel constructionなんて一朝一夕で出来る事ではないわ。少なくともOpeningには数年はかかるはずよ」
「うーん……そっか」

長年こびりついた汚れを川の流れで洗い流すようなものだ。
不可能ではないにしても、目の前の問題の解決策としては長期的すぎる。
あくまで淀みが溜まらぬようにする処置でしかない。
だが、話を聞いていた茶子は上機嫌にふんと笑い飛ばす。

「だがまぁ、悪くない。呪いが発生する事もなくなるってのは今後を思えば有用な話だ」
「…………今後? それは、どういう」
「Mr.アマハラ」

アニカがその先の言葉を制するように首を振る。
それを見た創も全ては分からずとも何かしらの事情を察して口を噤んだ。

「ともかく、調査結果はこんなところです。僕からは以上となります」

79山折村歴史巡りバスツアーズ ◆H3bky6/SCY:2024/04/10(水) 21:18:30 ID:iRBAVS420
■報告者:天宝寺 アニカ

「これで大体持ってる情報は共有できたみたいだけど、アニカちゃん。そちらの進捗はいかがかしら?」
「ちょうど一通りのDocumentを読み終えたところよ。あなたたちから聞いたStoryも併せて少し頭の中で情報をまとめたいわね」

羊紙皮写本、犬山家の家系図、そして全員から共有された情報。
今揃えられる村の歴史を知るための情報は揃ったと言える。
後はこの情報を頭の中で整理して再編するだけだ。

「なら、頭で整理しながらでいいのでお話ししてほしい事があるんだけど。
 アニカちゃん。あなた『怪談使い』について調べていたはずよね? それについて聞かせてほしいの」
「What is...『怪談使い』ですって…………?」

アニカが意外な話題を振られたという風なリアクションを返した。

「えっと……『怪談使い』って?」

もしかしたら知らないのは自分だけなのかと思いながらも、雪菜がおずおずと手を上げながら疑問を尋ねる。
同じ疑問を抱いたのか、その横でうさぎも同意するように頷いていていた。
そんな2人の疑問に答えたのは、哉太である。

「どの学校にも『七つの怪談』ってのがあるだろ? その『怪談』を操る『怪談』がいるって『怪談』さ」
「なんかややこしいね……。そう言えば伊藤くんが校内新聞でそんな事を書いてた事があったようななかったような…………」
「まあ、東京の一部の学校で噂になってる程度の話だからな。うさぎちゃんが知らなくても無理はないさ」

ネットのある時代だ。ど田舎に東京の怪談が届いていてもおかしくはない。
だが、今このタイミングでその話題が出るのはどういう事なのか。

確かにアニカはクラスメイトの依頼で『怪談使い』について調べていた。
だが、それを茶子に話したことはない。
何故、茶子がその事情を知っているのか、その理由をアニカはすぐに察した。

「Ms.チャコ。あなた、私のスマホを見たのね…………?
 ……claimを入れたいところだけど、今はそれどころではないしno questionsとしましょう」

アニカのスマホを拾ったのは茶子だ。アニカに返す前にその中身を見たのだろう。
それに関して言いたいことは大いにあるが、今はそんな所に目くじらを立てているような状況ではない。

「けど、どうして今『怪談使い』を……? chatってtimingでもないでしょう?」

『怪談使い』はアニカの通う小学校、つまりは東京で発生した怪異である。
300km以上離れた岐阜県の山折村の話とは無関係に思えるが。

「実は関係あるのよ。『怪談使い』は、元はこの村の伝承で、『巣くうもの』によって生み出されたものなの」
「That's absurd...いや、そうか…………」

名探偵の脳に新たな情報がインプットされる。
茶子の一言でアニカの中で何かが結びついたようだ。

「そうね……まずはbackgroundから説明しておきましょうか。
 私のClassmateのナナシコウタロウが『怪談使い』に乗り移られて、別のClassmateであるクジョウカズオが『怪談』に巻き込まれたの。
 それで『怪談』に巻き込まれたClassmateであるカズオに調査を依頼された。その時は怪談なんて信じていなかったけどね」

クラスメイトの七紙光太郎が怪談使い『七不思議のナナシ』となり、その怪談に九条和雄が巻き込まれた。
アニカの通う小学校で過去にそういう事件があったのだ。

当時のアニカは超常現象やオカルトには否定的な立場だったためこれを怪奇現象であると信じず、科学的に説明のつく話であると思っていた。
しかし、今となっては宗旨替えせざるを得ない。
この世に怪奇現象は存在する。

80山折村歴史巡りバスツアーズ ◆H3bky6/SCY:2024/04/10(水) 21:18:52 ID:iRBAVS420
「私は番組で共演したOccultistたちに話を伺って、ある程度のknowledgeを得た。
 曰く『怪談使いは外から来た災厄である』。
 曰く『怪談使いは大きな災厄の一部である』。
 曰く『怪談使いとは被害者が加害者である現象である』との事よ」
「どういう意味だ?」
「『怪談使い』を発生させるfactorは『怪談使い』と成った者ではなく、『怪談』に巻き込まれた側が持っているという事よ」

重要なのは巻き込んだ側ではなく、巻き込まれた側。
つまり、七不思議のナナシとなった七紙光太郎ではなく、九条和雄に原因があったという事である。

「私はそれを依頼者であり被害者であるカズオに直接伝えた。
 本人も心当たりはない風だったし、私もその時はoccultなんて信じていなかったから話はそこで終わった。けれど、」

ひとまず専門家からの話を九条和雄に伝え、その上でアニカなりの科学的に筋の通った虚構推理で納得させた。
だが、今は違う。
心当たりが生まれた、生まれてしまった。

「Ms.チャコの言う通り『怪談使い』が『巣くうもの』によって生み出されたものだとするならば……。
 カズオは山折村にrelationshipがあり、そこから呪いを持ってきた可能性がある」

『巣くうもの』が『怪談使い』を生み出し。
『怪談使い』を生み出す原因が被害者である九条和雄にあるならば。
彼は『巣くうもの』に近い位置にいたことになる。

「と言っても、東京のクラスメイトなんだろ? この村とどう関係があるってんだ?」
「…………実はね、カズオのmamはこの山折村出身だったのよ」

山折村出身者の血筋。
東京の少年はこの村に大いに関わりがあった。

「けど、よく知ってたなそんな事。クラスメイトの母親の実家なんて普通は知らねぇぞ」
「普通はね。けど、きっかけはアナタの話題よ。話の流れでカナタとカズオの母親が同郷だってわかったの」

何で哉太の話題になったのかは置いておくとして。
知り合い同士の故郷が地方の片田舎と言うのは珍しい偶然であったため印象に残っている。

「そして、よそ様のfamily circumstancesを勝手に話すのは憚られるけど
 カズオのご両親はdivorceしていて。カズオはdaddyに引き取られ、mamはlittle sisterを連れて山折村に帰郷しているはずよ」
「じゃあ、別居している母親と妹に会いに行ったときに呪いを受けた?」
「あるいは、母親か妹が強い呪いを受けて、血縁であるカズオくんが影響を受けたか、ですね」

創が呪術的な観点からの意見を差し込む。
強い呪い。すなわちそれは『怪談使い』を生み出す『巣くうもの』に他ならない。

「つまり、お母さんか妹さんのどちらかが『巣くうもの』に取り憑れていたってことですか?」
「けど、誰かに取り憑いたってんなら何で人を経由するなんてそんなまどろっこしい事を?」
「『巣くうもの』はこの山折村に根付いた地縛霊に近い性質を持っている。
 だからこそ、外の世界に災厄をもたらすために『怪談使い』なんてものを使って中継しているんじゃないの?」
「なら、『怪談使い』は呪いを外に持っていくための運び屋って事か?」

『怪談使い』はこの土地に縛られた呪いが、外に領域を広げるため種子。
九条和雄は花の種子を運ぶ虫や風のように呪いを村の外に運ぶ『運び屋』の役割を担っていた。

「そうかしら? どちらかと言うとgas releasingのように思えるけれど」
「僕もアニカさんの意見に同意ですね。出口のない山折村の厄を外に出すための手段だったんじゃないかと」

アニカと創が支持するのは、凝縮された爆発寸前の呪いを少しでも外に逃がすためのガス抜きという説だ。
祟り神と言えども地縛霊であれば村自体が滅びるのは避けるだろうという考えである。

「どっちにせよ傍迷惑すぎんだろ…………」
「祟り神にせよ土地神にせよ神様ってそう言うものでしょう」

外への悪意か、中への善意か。
どちらにせよ、迷惑な話である。

81山折村歴史巡りバスツアーズ ◆H3bky6/SCY:2024/04/10(水) 21:19:07 ID:iRBAVS420
「ちなみに、そのカズオと言う子供の母親と妹の名前は?」
「mamの方は聞いてない。お母さんとしか呼んでなかったしね。little sisterの方は母方の姓になって、確か名前は『一色 洋子』」
「え、洋子ちゃん!?」

その名にうさぎが反応する。
よく知る少女だったというのもあるが、何より、うさぎには『巣くうもの』と洋子を結びつける心当たりがあった。

「袴田さんのお家を襲った熊ワニの怪異が語りかけてきたの、洋子ちゃんの声で……」
「なら、決まりね。『巣くうもの』は一色洋子に取り憑いていた」

茶子はそう結論付ける。
少なくとも、このVHが始まる以前の寄生先は推察できた。
そしてこの騒ぎに生じて熊ワニに転移したのだ。
問題は、今はどこいるのかだが。

「さっき出てきた影法師がそうなのかな?」
「それはたぶん違う。イヌヤマイノリには違いないでしょうけど、言ったでしょイヌヤマイノリは分割され2つに分かたれた存在だって」

一色洋子に取り憑いていたイヌヤマイノリは宿主を転移して、今も何者かに取り憑いているはずだ。
魔王を呪うべく商店街に出現したイヌヤマイノリは別だろう。

「けど2つに分かれたって、どういう事なの? 茶子ちゃん」
「どういう事かは、これからアニカちゃんが答えてくれるわ」

言って、茶子が視線をアニカに向ける。
アニカもその視線を、目を細めて見つめ返す。

「そろそろ推理はまとまったかしら?」
「Yeah...そうね」

『怪談使い』について説明しながらまとめていた、アニカの考えも形になってきた。
ついに話は村の歴史の核心について迫ろうとしていた。

「その前に一ついいか? そもそも何なんだその古紙は?」

アニカが話し始める前に哉太が尋ねる。
今から語られる情報の大本であろう、羊紙皮写本は何なのか。
答えるのは羊紙皮写本を持ち出してきた女、茶子である。

「この手記は山折神社の奥に眠る即身仏。
 つまり、山折神社の初代宮司であり隠山祈の弟である隠山覚(いぬやま さとり)によって記されたモノよ」
「それって…………」
「そ。はすみとうさぎのご先祖様ね」

その名はうさぎも知っている。
犬山家の家系図は初代宮司である犬山覚から始まっているのだから。

「この手記には『降臨伝説』の真実が書かれている」
「『降臨伝説』って主に春ちゃんがいつも言ってる村の伝説だよね?」

山中に降臨した神が疫病に苦しむ村を救ったという村の始祖たる神楽の始まりの伝承。
神楽家の啓蒙活動により村の誰もが知っている話だ。

「そうね。けど、お春の話と違って、これは他ならぬ当事者の手で書かれた手記よ。信憑性は高いでしょう?」

『降臨伝説』の真実。
語り手であるアニカがこれから始まる長い話の前に、一つ咳払いをした。
そして、すべてを明かす探偵の手によって村の歴史が紐解かれようとしていた。

話は室町時代にさかのぼる。
隠れ里の巫女、隠山祈と京より派遣された陰陽師、神楽春陽の出会いより始まる。
出会いより互いに惹かれ合った2人は人目を憚り山中での逢瀬を重ねていた。
そして幾度目かの逢瀬の最中に、2人は山中で幼子を拾った。
その幼子こそ、降臨伝説における降臨者に当たる存在だった。

82山折村歴史巡りバスツアーズ ◆H3bky6/SCY:2024/04/10(水) 21:19:23 ID:iRBAVS420
「それはただの捨て子だったのでは?」
「いや、地面に落ちていたのではなく。彼らの目の前で空が裂け、その裂け目から白い兎とともに現れたと書かれている。
 よっぽど話を盛ってるんじゃなければこうは書かない」

羊皮紙の序章には目を通していた茶子が答える。
過剰演出の小説のような表現だが、異世界の存在が明らかになった今となっては異世界の裂け目だったのだろうと推測できる。

「なんか、かぐや姫みたいな話だね」

竹の中に赤子が居て、その正体は月からやってきた宇宙人だったという昔物語。
宇宙ではなく異世界だが、お伽噺めいた話である。

「幼子は神楽春陽に引き取られ、隠山祈によって名を与えられた。その名を神楽うさぎと言う」
「…………うさぎ」

自らと同じ名にうさぎが反応する。
それが友の名字と結びつくのはどうにも妙な気分である。

「神楽春陽は隠山祈と共に子を育み、愛を育んだ」
「素敵なお話だね」

疑似家族だが、そこから生まれる愛もあるだろう。
村の絶対禁忌となる災厄の話だと忘れてしまいそうになる。

「――――――だが、蜜月はそこまで」

元より春陽は都より隠れ里の調査に来た役人である。
調査を終えた春陽は里の構造的な欠陥を見抜き、近しい未来に訪れる災厄を予見した。
そして厄の抜け道である龍脈を必要があると考え、その施工を手配するため一時的に京へと帰京する事となった。

「第一のmisfortuneは、春陽不在の隙をついて神楽うさぎが留学という名目で飛騨の役人に拐かされた事」
「……誘拐されたって事? けど、どうして?」
「うさぎが『八尾比丘尼』である、とされたからよ」
「やおびくにって?」
「人魚の肉を食べて不老不死になった尼の事よ。確か、室町時代にこの辺を訪れたって伝承があったはずね」

室町時代に八尾比丘尼が飛騨国周辺を訪れたという記録がある。
不老不死たる八尾比丘尼の血肉は死者を甦らせ、生者に不死を与える万病の妙薬とされていた。
当時の飛騨国の役人たちも八尾比丘尼の噂を聞きつけた血眼になってこれを探したと言う。
そして、山中に現れた白髪。金色の瞳を持つ奇異な幼子の噂を聞きつけた彼らは彼女を『八尾比丘尼』であるとした。

役人と言う立場から言えば当然の義務ともいえるが、幼子の存在を報告したのが他ならぬ春陽だ。
飛騨の役人が京へと送られるはずだった文を盗み見てその存在を知る事となった。

娘が拐わかされたことを知った春陽はすぐさま京を離れ、その救出に向かったが、時すでに遅し。
神楽うさぎは生きたまま解体されており、妙薬と言う名の肉片となっていた。
怒り狂った春陽は役人たちを呪い殺し、恐るべき執念で権力者たちにバラまかれた娘の遺体を回収していった。

「そして、第二のmisfortuneは、疫病が里に蔓延した事」

天然痘と呼ばれる流行病が村へと蔓延したのだ。
元より春陽はこれを災厄として予期していたが、最悪なことに春陽が村を離れてうさぎの遺体を回収している間に病は蔓延してしまった。
そして疫病を恐れた村人は疫病に侵された人間を山の岩戸に隔離して閉じ込めていった。
不吉や災厄に蓋をしてなかった事にする、それが当時の村の信仰だった。

春陽がバラバラになった娘の死体を回収して里に帰ったのは約1月後の事だった。
その頃には全てが終わっていた。里は疫病によって半壊しており、生き残った村人から隠山祈の居場所を行き来だそうとしたが村人は頑なに口を割らなかった。
春陽は自力で岩戸に閉じ込められた隠山祈を発見したが、時には既に祈は事切れており、その妹と弟と共に岩戸の中で死亡していた。
全てに遅い、男だった。

83山折村歴史巡りバスツアーズ ◆H3bky6/SCY:2024/04/10(水) 21:19:43 ID:iRBAVS420
「いや。待って下さい、それはおかしい」

アニカの語りに創が待ったをかける。

「この手記を書いたのは隠山祈の弟だったはずだ。それが死亡しているのは話が合わない」
「それは……弟さんが2人いたとかじゃないかな?」
「いいや、隠山祈には弟と妹が1人だけだ」
「弟である覚さんが後に宮司となっているのなら……死亡していたという記録が間違いだったんじゃないかな?」

そうでなければ、子孫であるうさぎが存在しないことになってしまう。

「それに関して具体的なdescriptionはないわ。だからここからは私のReasoningになるのだけど……」

少しだけ躊躇うようにアニカが言葉を切った。
だが意を決するように、たどり着いた結論を口にする。

「確かに春陽がたどり着いた時にはすでに隠山祈を含む多くの人間は死亡していた。
 but...春陽の手にはcollectした神楽うさぎの肉片があった。生者に不死を与え、死者を甦らせると言う妙薬が」

その言葉の意味を理解して、全員の背筋にゾワリと悪寒が走る。

「まさか…………それを使ったってのか!? 義理とは言え娘の遺体だぞ?」
「ただのReasoningよ。証拠は何もない。けれど、もう取り戻せないモノと、取り戻せるかもしれないモノ。
 どちらも大切で取り戻す手段が手の中にあったとするなら、そのjudgmentは責められるものではないと思うわ」

神楽春陽はバラバラになった己が陰陽道と娘の死肉を使い、岩戸の中に打ち捨てられた疫病で死亡した人間を蘇生させた。
血を吐くような辛い決断であったのは違いあるまい。

「……待ってくれ。じゃあ何か? 俺たちは最初から死の淵から蘇ったゾンビの子孫だったって事か?」

顔を青くしながら哉太が問う。
この村の先祖は死者蘇生したゾンビのようなものだった。
このVHより以前からこの村はゾンビの村だった。これが絶対禁忌だと言うのだろか。

「言ったでしょ、これは私のReasoningであって確証はないわ。
 ただ、戦時にこの村で『マルタ実験』が行われていたのは、この村にそういう死者蘇生のanecdoteがあったからなのでしょうね」

時の権力者である山折軍丞も故郷に伝わるその伝承を知っていたからこそ、『不死の軍勢』研究に自身の村を提供したのだろう。

「確か……春ちゃんがよく話してる『降臨伝説』の内容って。
 山中に突如として君臨した『神』が自らの血肉で疫病に苦しむ村民を救った、だったっけ」

異世界より現れた神楽うさぎがその死肉で疫病で死亡した村人と蘇らせた。
確かに大筋としてはあってると言えばあってる。
どの神楽がどういう手段をもって救ったか、と言う肝心な点が抜けているのだが。

「じゃあ、それで隠山祈も蘇ったのでしょうか?」

八尾比丘尼の肉で死者を蘇えらせたというのなら、そこに隠山祈も含まれているはずである。
だが、これにアニカはかすかに首を横に振った。

「Non...これ以降のrecordに隠山祈は登場しないわ」

これに関して詳細は不明だ。
岩戸の奥で世界を呪いながら死を迎えた隠山祈はその呪詛により既に怪異に身を堕としていたのか。
それとも、母である隠山祈だけはバラバラになった娘の血肉による蘇生を拒んだのか。
むしろその事実に世界への恨みを更に強め、蘇りの力を使って呪詛と怨嗟をまき散らす悪神へと転生をせしめたのかもしれない。

「かくして、疫病騒ぎは終息したって事ね。まぁ一度疫病で死亡した人間には抗体もついてただろうしね」

これにより隠れ里は疫病騒ぎを乗り越えた。
1人の少女の犠牲によってウイルスに苦しめられた状況を救うというのは今の状況の暗示めいている。

だが、疫病から逃れていた村人からすれば、打ち捨てなかった事にした疫病患者たちが復活したのだ。
それは彼らにとっては信仰、教義に反する不都合な奇跡である。

春陽は復活した村人に真実を言い出せなかった。
当然だろう。まさか娘の死肉を使ってあなたたち甦らせましたなんて言えるはずもない。

それ故に村人たちは勝手な想像を膨らましこの、不都合な奇跡を引き起こした存在を自分たちがなかった事にした『隠山祈』であると考えた。
彼らは彼女を全ての悪を引き起こした名もなき祟り神として祀り、その役割を押し付けた。それが鳥獣慰霊祭の始まり。
だが、ここに一つの歪みが生じた。

84山折村歴史巡りバスツアーズ ◆H3bky6/SCY:2024/04/10(水) 21:19:56 ID:iRBAVS420
「歪み…………?」
「信仰と事実の違い、ですね」
「そっか…………実際は疫病患者を救ったのは『神楽うさぎ』だったわけだもんね」

本物の『隠山祈』は恨みによって悪神に転じており。
実際に村人に祟り神として信仰の対象となったのは『神楽うさぎ』である。
この歪みにより同じ名を持つ2柱の『イヌヤマイノリ』が生まれたのである。
これが村の災厄誕生の真実。

村の災厄。絶対禁忌『イヌヤマイノリ』誕生の経緯は分かった。
だが、まだ一つ疑問が残っている。

「…………妹は? 妹はどうなったの?」

拳を握り締め、妙に力の入った声でうさぎ尋ねる。
神楽うさぎは祟り神となり、隠山祈は悪神と転じた。
隠山覚は死の淵から蘇り犬山と名を改め初代宮司となった。
では、妹はどうなったのか?

「I don't know.イノリと同じく、以後の記述には何の記録も残っていないわ」
「けど、アニカちゃんなら推理は出来るはずでしょう…………?
 確証がなくてもいい……推理を聞かせて…………!」

うさぎが懇願するように頼み込む。
彼女の言う通り、非合理で飛躍しすぎた内容だが、推理はある。

「隠山祈のlittle sisterである隠山 望(いぬやま のぞみ)は『Spirited away(神隠し)』にあったのではないかしら?」

推理によってたどり着いた結論を告げる。

「どういう事だ?」
「異世界の魔王がこっちに来てるんだもの。こっちの人間がむこうに行っててもおかしくはないでしょう?」
「いやぁ……理屈で言えば…………確かにそう、なのか?」

戦時に異世界研究がなされていた事から、この村は異世界と違い位置にあるのは確かだ。
特に山折神社付近は異世界に近い場所である
昔から神隠しと言う名の異世界転移や異世界転生が起こっていた可能性は高い。
そして、その転移者の中にうさぎの先祖である隠山祈の妹がいたとしてもおかしくはないだろう。

「魔王はウサギの顔を見てイヌヤマと呼んだ。たまたま似た顔をした人間を知っていたとういpossibilityはあるでしょうけど、顔だけならともかく名前まで一緒っていうのは流石にありえない」

魔王の言動は意味不明なものが多かったが、特にうさぎに対する反応は意味深だった。
明らかにうさぎを知ってる風な反応を示していた。
ならば魔王が知っていたイヌヤマは異世界転移した隠山祈の妹なのではないのか。

「そして、ここからはさらに荒唐無稽な話になるのだけど……。
 ウサギはその異世界のイヌヤマのRelated partiesなのではないかしら?」

異世界や転生を前提とした推理ともいえない推理もどき。
だが、恐らくこの荒唐無稽な推理は正しいのだろうと、探偵として勘がそう告げていた。

「推理と言っても無根拠ってわけじゃないだろ? そう思う根拠は?」
「このfamily tree(家系図)よ」

言ってアニカが提示したのは犬山家の家系図である。
それは、神楽うさぎの死肉より蘇りを果たしたことによる呪詛なのか。
犬山覚を頂点とする家系図は奇妙なことに女児が一人しか生まれない一子の呪いにかかっていた。

「犬山家にはgirl childが1人しか生まれない。そのruleから外れたウサキは別のruleによって生まれた存在だと推測できる。
 そして、異世界より白兎とともに現れた神楽うさぎ。それと同じ名を持つウサギは同じOriginによって名付けられたのではないか? と言うのが私のReasoningよ」

本人の危惧した通り、名探偵らしからぬ荒唐無稽で穴だらけの推理である。
名前が同じになるなんてただの偶然の可能性の方が高いだろう。
女児が1人しか生まれなかったのだって、呪いなんかじゃなくてただ偶然が続いただけだったのかもしれない。

だが、当人であるうさぎの中でああそうなのかという納得があった。
知らずうさぎの頬を涙が伝う。
自身が何者であるのか思い出したような、暖かな涙だった。

85山折村歴史巡りバスツアーズ ◆H3bky6/SCY:2024/04/10(水) 21:20:20 ID:iRBAVS420
■総括:今後の対応について

「村の歴史のお勉強はこれで終わり。あの呪いがどういうものか分ったでしょう?」

アニカが推理を語り終え、進行役だった茶子が聴衆にそう投げかける。
これで絶対禁忌をめぐる村の歴史は明らかになった。
後は、この情報を元にあの呪いをどう攻略するかだが。

「私は……助けたい」

最初に口を開いたのは自らの正体を知った少女、犬山うさぎだった。
だが、その言葉に茶子が冷ややかな反応を示す。

「…………助けたい?」
「そうだよ……! 助けなきゃいけない、私はきっとそのために…………っ」

ぐっと決意を込めたこぶしを握り、うさぎが声を震わせる。
使命感のようなものが彼女を突き動かしていた。

「ダメようさぎ。どちらのイヌヤマイノリであろうとも排除する」

だが、返るのは刃のように冷たい瞳と声だった。
村の存続を求める茶子は神殺しを宣言する。

「祟り神や悪神に墜ちた存在はこの村にとって害でしかない。哉くんも村の害になる祟り神まで殺すなとは言わないわよね?」

不要な人殺しはしないと約束したが、神までは約束していない。
何より、これは村の『未来』を思うのならば必要な事である。

「私はこの村を綺麗にする、私の山折村に神はいらない」
「そんな、ダメだよ茶子ちゃん……!」

これだけの集団になると祖語も出てくる。ともすれば、目的同士がぶつかることもあるだろう。
イヌヤマイノリの処遇を巡り2人はヒートアップする。

「待った。まだ方針の確認している途中だ。衝突も擦り合わせはその後にしましょう」

その間に創が入り衝突しかけた2人をとりなした。
創の言葉に、気づけば立ち上がっていたうさぎは頭を冷やしたのか黙って座席に座りなおす。
茶子も落ち着いた様子だが、睨み付けるように創に視線を向ける。

「そういうお前はどっちの意見なんだ、創?」

排除が救済か。
村の災厄に対するスタンスを問われ、創は回答する。

「そうですね。僕は村の呪いに関しては、そもそも解決する必要がない、と考えています」

これまでの議論のちゃぶ台をひっくり返す意見だった。
突然の暴論に慌てた様子で哉太が突っ込む。

「おいおい、そりゃないだろ。あれは放ってはおけない」
「ええ。そうですね。失礼しました。では言い方を変えましょう。あの問題を――我々が解決する必要はない」

生物災害は解決せねばならない。
そうしないと生き残れないからだ。
だが、あれは完全に生物災害とは別の事案だ。
解決せずとも巻き込まれさえしなければ生き残れる。

「あの怨霊は土地に根付いた地縛霊に近い性質と言う話だったはずだ。
 ならば、あそこで止めなければ世界に害を漏らしかねない魔王と違って積極的に戦う理由がない。なら放置すればいい」

悪意を持って攻撃してくる相手ならば、自衛のために倒さねばならないが、あの呪いはそうではない。
そこに在り、特定の禁忌を侵した者だけを呪うシステムだ。
VHを解決してこの土地から離れてしまえば逃げ切れる相手である。

「けど、そうじゃない可能性もあるだろ? あれが外に害をもたらすかもしれない」
「確かに地縛霊であるというのはただの希望的な推測だ。だが、それが本当に世界の危機ならば然るべき部隊が派遣される」

彼らはただの村人だ、世界を救う義務など無い。
世界を救う義務を担った存在は別にいる。
その存在を、彼らは実感をもって知っていた。

「――――特殊部隊」

村の蹂躙者にして秩序の守護者。
世界を守護る特殊部隊だ。

86山折村歴史巡りバスツアーズ ◆H3bky6/SCY:2024/04/10(水) 21:20:50 ID:iRBAVS420
「だが、相手は魔王を呪うような手合いよ。奴らで勝てるのかしら?」

異能には異能を。超常には超常を。
村の呪いに対処するのなら異能者となった正常感染者たちの方が適任ではないのか?
茶子は懐疑的な様子でそんな疑問をぶつけた。

「それは少し特殊部隊を侮りすぎだ。実の所、あのまま魔王を放置しても彼らが倒していたと僕は思います」

確かに、魔王は圧倒的な存在だった。
怪異殺しの呪詛に、村の呪いを利用して弱体化に弱体化を重ねてようやく勝てた相手である。
その手段を持たない特殊部隊など鎧袖一触にしてしまえる実力はあったように思えるが。
茶子はこの地でもテクノクラートでも自衛隊の精鋭たる秘密特殊部隊を接触したことがない。彼らを知らない。
故に、両者を知る者に問う。

「哉太さん。あなたは出現直後、弱体化前の魔王に一太刀入れている。そして燃える古民家で特殊部隊とも戦ったはずだ。
 両者と戦った実感として、特殊部隊が魔王に勝てないと思いますか…………?」

弱体化前の魔王は確かに圧倒的だったが、一撃も与えられないような相手ではなかった。
出現直後の魔王はアニカの異能を乗せた哉太の一太刀で手傷を負った。
物理的に傷を負う相手である。

哉太は燃え盛る炎の中で戦った特殊部隊の男を思い返す。
狙撃手としての本領を発揮するでもなく創、哉太、圭介の操る遥の3人を相手取った強者。
もちろんその実力は魔王に及ぶべくもないが、あの実力を基準に考えれば、すぐに結論は出た。

「勝てる、と思う。もちろん1人じゃ話ならないだろうけど、装備を整えた特殊部隊が一個分隊もいれば十分に殲滅できたはずだ」

10名前後からなる分隊であれば魔王相手でも問題なく殲滅できた。
哉太として、哉太はそう分析する。

「つまり、顕現した隠山祈が魔王に近しい力を持っていたとしても、特殊部隊なら対処できるという算段か?」
「ええ。特殊部隊側も相応の被害を被るでしょうが、それが彼らの本来の仕事のはずだ、そこは全うして頂けばいい」

自分で殺すのではなく、殺せる状況を作る。
師匠の相棒が得意とするエージェントとしてのやり口である。

結果として殺せるのなら、茶子としても文句はない。
だが、散々村を蹂躙した特殊部隊の連中に、これ以上の介入を許すと言うのも気に食わない。

「アニカちゃんの意見は?」
「村の呪い(イヌヤマイノリ)の排除に関してはpassive approvalって所かしら。
 私のpurposeはあくまでこのVHの解決。災厄は私たちのhindranceになるなら対処する。そうじゃないならMr.アマハラの意見に近いわね。放置するのもありだと思うわ」

アニカはイヌヤマイノリが来るのなら対処するが、そうでないなら関わらない。
そう言う消極的なスタンスである。

「哉くんはどう?」
「俺は…………村の災厄、隠山祈に関しては事情も知っちまったし、倒すっていうより何とかしてやりたいとは思う。
 けどよ。それより……やっぱり俺は圭ちゃんを助けにきたい」

災厄の下に残してきた圭介の救助。
災厄を倒すかどうかよりも哉太の目標はそちらが優先される。

「すでに手遅れだと思うけど」
「それでも。最後まで諦めきれないんだ。直接この目で見るまでは」

恐らく最も困難な道だろう。
だが、それでも、目の前の友達の方が大事だ。

「私も、災厄の対処よりもスヴィア先生の救出を優先したい」

哉太の意見に雪菜も続く。
はるか昔より続く村の因縁や災厄の解決よりも、危機にある知り合いを助けたい。
そんなごくごく個人的な要望だが、彼女にとっては何よりも優先される大事なことだ。
茶子は冷ややかな視線を送るが、衝突もすり合わせも後ですべきと言う創の意見を受けての事か、何も言う事はなかった。

「んんぅ……おはなし……おわった?」

くぁぁと大きなあくびをしながら、いつの間にか眠っていたリンがよ目を覚ました。

「そうね。一応リンちゃんにも聞いておこうかしら」
「なんのおはなし?」
「イヌヤマイノリをどうするかってお話しよ」
「いのりちゃん?」

寝起きのリンはかわいらしく首をかしげる。

「なかよくできるんならいっしょに遊びたいな。
 けどチャコおねえちゃんがしたいようにするのがリンはいちばんうれしいな」

そういって毒を含んだ白い花のように笑う。

「ありがとうリンちゃん。これで一通りの意見は出そろったかしら」

87山折村歴史巡りバスツアーズ ◆H3bky6/SCY:2024/04/10(水) 21:21:07 ID:iRBAVS420
ひとまず全員が意見を出し終えた。
災厄に対するスタンスをまとめると。

・排除派

茶子:村の災厄はすべて排除する。
リン:茶子の意見と同じ。

・放置派

創:村の災厄は放置。特殊部隊に処理させる。
アニカ:VHの解決を優先。向こうから来ない限り村の災厄は放置。
雪菜:村の災厄の対処よりもスヴィアの救出を優先したい。

・救出派

哉太:村の災厄はなんとかしたい。だがそれよりも山折圭介の救出を優先したい。
うさぎ:災厄である隠山祈を助けたい。

「…………見事にOpinionsがバラバラね」

方針が同じなのは茶子とリンくらいの物だが、これに関しては幼子であるリンが茶子に付和雷同しているだけなので参考にならない。
特に問題なのはうさぎと茶子の意見が真っ向から対立している事だ。
下手をすれば物別れになりかねない。

「ではこうしましょう。個別の目標ではなく全員の共通目標を確認しましょう」

創が提案する。
個別の目標ではなく、全体としての共通目標を洗い出す。

「そうね。意見がまとまらずFarewellになるよりは、まずは全員でClearすべきtaskを処理していきましょう。
 災厄への対処はそれから。みんなもそれでいいかしら?」

村の災厄に対する方針が対立している以上、村の災厄の対処は後回しにして別の優先事項をこなすのがベストだ。
問題の先送りでしかないが、対立するにしてもその後でいい。

「俺は…………」

哉太は返答に詰まる。
哉太が望む、災厄の足元に残してきた圭介の救出は他の目的に比べて緊急性が高い。
出来るのならば一刻も早く助けに向かいたい。

「哉太さん。言い方は悪いですが、殺されてるなら置き去りにした時点で殺されている。
 生きていることを信じたなら、その場から逃げ延びたと信じるべきだ」
「ああ。そう、だな」

哉太は圭介が生きていることに賭けた。
ならば、あとはガキ大将のしぶとさを信じるしかない。

「……わかった。俺もそれでいい」

哉太も納得を示したことによりひとまず、全員が共通する目標に向かって動く事に同意した。

「事後処理に関しては置いておくとして。バイオハザードの解決。村を封鎖している特殊部隊への対処。当面の目標はこれでいいですね?」
「確認するまでもねぇな」

そこに関しては最初から変わっていない。
VHに巻き込まれた全員が乗り越えるべき共通目標だ。

88山折村歴史巡りバスツアーズ ◆H3bky6/SCY:2024/04/10(水) 21:21:21 ID:iRBAVS420
「VHのsolutionに関しては研究所に向かうしかないでしょうね。そこでMethodを見つけるしかない」
「研究所の入り口は把握しているんですか?」
「診療所裏に緊急脱出口がある。地下研究所にはそこから侵入できるはずよ」
「鍵(キー)は?」
「L2のIDパスがある。今はアニカちゃんに預けてあるわ」
「実際に使用したことは?」
「ないね。連絡は仲介役を介してたんでね、緊急脱出口については聞かされていただけで直接訪ねたことはない」
「なら、緊急脱出口には別の鍵(ロック)がかかっている可能性もありますね、まぁ行ってみないと分からないか……」

一応の懸念はあるが、ひとまずは侵入に問題はなさそうだ。
問題は研究所にたどり着いてからである。
そこから解決策が見つかるかは、出たとこ勝負だ。

「それなら、スヴィア先生の助けが必要だと思います、先生がいればきっと……!」

研究所に辿り着いた所で知識がなければ解決策も見いだせない。
アニカや創も工作員や探偵としてある程度の知識はあるが、やはり専門家である研究員であるスヴィアの力は欲しい。
スヴィアの救出も念頭に置く必要はあるだろう。雪菜からすれば個人目標とも一致して願ったり叶ったりだ。

「特殊部隊に関してですが、奴らは倒したところで意味がない。今の部隊がダメなら目的達成まで次が送り込まれるだけだ」
「根元から絶たないとってことだね……」

出会ったら終りと言える強さな上に無限湧き。
まともに相手にするだけ無駄だ。

「そのためにnegotiationが必要よ」
「一応、研究所には伝手がある。場があれば掛け合えるとは思う。だが、交渉しようにも通信妨害が邪魔だ」
「そうですね。通信妨害を乗り越える手段はこの村にはない」

特殊部隊の張った通信妨害を超える手段は村内にない。
あるとするならば、村の物ではない施設にあると、一縷の望みを託すしかない。
すなわち地下に広がる研究所である。

「どっちにせよ、研究所か……」

彼らの目的はそこに集約される。
村の地下に眠る未来人類発展研究所。
全てはそこに在るはずだ。

「なら、さっさと向かいましょう」

茶子がエンジンをかけなおし、アクセルを踏む。
ハンドルを回して大きくUターンすると、バスが走り出した。
目標は山折総合診療所裏にある非常出口。

闇を切り裂きバスが進む。
全員が前を向いて一つの目標に向かっていく。
そんな中一人、状況のよくわかっていないリンだけが窓から流れゆく景色を眺めていた。

「あ、ながれ星」

幼子の瞳は商店街に向かい、夜を飛ぶ流星を見た。

89山折村歴史巡りバスツアーズ ◆H3bky6/SCY:2024/04/10(水) 21:21:35 ID:iRBAVS420
【F-3/草原・マイクロバス内/一日目・夜】

[全体]
※『ヤマオリ・レポート』の内容を共有しました
※『世界の滅び』及びそれを回避しようとする『研究所の方針』について把握しました。
※過去に行われた『龍脈』の工事は未完成である事を把握しました。南トンネルに北の即身仏に対を成す厄を吸収する何かがあると推測しています。
※羊皮紙写本から『降臨伝説』の真実を知りました。

【虎尾 茶子】
[状態]:異能理解済、疲労(特大)、精神疲労(中)、山折村への憎悪(極大)、朝景礼治への憎悪(絶大)、八柳哉太への罪悪感(大)、隠山祈に対する恐怖(小)
[道具]:ナップザック、木刀、長ドス、マチェット、医療道具、腕時計、八柳藤次郎の刀、包帯(異能による最大強化)、ピッキングツール、アウトドアナイフ、護符×5、モバイルバッテリー、袴田伴次のスマートフォン
[方針]
基本.協力者を集め、事態を収束させ村を復興させる。
1.有用な人材以外は殺処分前提の措置を取る。
2.顕現した隠山祈を排除する
4.リンを保護・監視する。彼女の異能を利用することも考える。
5.未来人類発展研究所の関係者(特に浅野雅)には警戒。
6.朝景礼治は必ず殺す。最低でも死を確認する。
7.―――ごめん、哉くん。
[備考]
※未来人類発展研究所関係者です。
※リンの異能及びその対処法を把握しました。
※天宝寺アニカらと情報を交換し、袴田邸に滞在していた感染者達の名前と異能を把握しました。
※羊皮紙写本から『降臨伝説』の真実及び『巣食うもの』の正体と真名が『隠山祈(いぬやまのいのり)』であることを知りました。
※月影夜帳が字蔵恵子を殺害したと考えています。また、月影夜帳の異能を洗脳を含む強力な異能だと推察しています。
※『隠山祈』の存在を視認しました。
※『隠山祈』の封印を解いた影響で■■■■になりました。

【リン】
[状態]:異能理解済、健康、虎尾茶子への依存(極大)、マイクロバス乗車中
[道具]:メッセンジャーバッグ、化粧品多数、双眼鏡、缶ジュース、お菓子、虎尾茶子お下がりの服、御守り、サンドイッチ、飲料水(残り半分)
[方針]
基本.チャコおねえちゃんのそばにいる。
1.ずっといっしょだよ、チャコおねえちゃん。
2.またあおうね、アニカおねえちゃん。
3.チャコおねえちゃんのいちばんはリンだからね、カナタおにいちゃん。
4.いのりちゃんにまたあえるかな?
[備考]
※VHが発生していることを理解しました。
※天宝寺アニカの指導により異能を使えるようになりました。
※『隠山祈』の存在を視認しました。

【八柳 哉太】
[状態]:異能理解済、疲労(特大)、精神疲労(大)、喪失感(大)、隠山祈に対する恐怖(小)、マイクロバス乗車中
[道具]:脇差(異能による強化&怪異/異形特攻・中)、打刀(異能による強化&怪異/異形特攻・中)、双眼鏡、飲料水、リュックサック、マグライト、八柳哉太のスマートフォン
[方針]
基本.生存者を助けつつ、事態解決に動く
1.アニカを守る。絶対に死なせない。
2.村の災厄『隠山祈』の下に残してきた圭介を救出したい。
3.村の災厄『隠山祈』を何とかしてあげたい。
4.いざとなったら、自分が茶子姉を止める。
5.ゾンビ化した住民はできる限り殺したくない。
[備考]
※虎尾茶子と情報交換し、クマカイや薩摩圭介の情報を得ました。
※虎尾茶子が未来人類発展研究所関係者であると確認しました。
※リンの異能及びその対処法を把握しました。
※広場裏の管理事務所が資材管理棟、山折総合診療所の地下が第一実験棟に通じていることを把握しました。
※『隠山祈』の存在を視認しました。

90山折村歴史巡りバスツアーズ ◆H3bky6/SCY:2024/04/10(水) 21:21:46 ID:iRBAVS420
【天宝寺 アニカ】
[状態]:異能理解済、衣服の破損(貫通痕数カ所)、疲労(大)、精神疲労(大)、悲しみ(大)、虎尾茶子への疑念(大)、強い決意、生命力増加(???)、隠山祈に対する恐怖(大)、マイクロバス乗車中
[道具]:殺虫スプレー、スタンガン、斜め掛けショルダーバッグ、スケートボード、ビニールロープ、金田一勝子の遺髪、ジッポライター、研究所IDパス(L2)、コンパス、飲料水、医療道具、マグライト、サンドイッチ、天宝寺アニカのスマートフォン、羊紙皮写本、犬山家の家系図
[方針]
基本.このZombie panicを解決してみせるわ!
1.『あれ』をどうにかする方法を考えないと……But can you really do anything?
2.「Mr.ミナサキ」から得た情報をどう生かそうかしら?
3.negotiationの席をどう用意しましょう?
4.あの女(Ms.チャコ)の情報、癇に障るけどbeneficialなのは確かね。
5.やることが山積みだけど……やらなきゃ!
6.リンとMs.チャコには引き続き警戒よ。特にMs.チャコにはね。
[備考]
※虎尾茶子と情報交換し、クマカイや薩摩圭介の情報を得ました。
※虎尾茶子が未来人類発展研究所関係者であると確認しました。
※リンの異能を理解したことにより、彼女の異能による影響を受けなくなりました。
※広場裏の管理事務所が資材管理棟、山折総合診療所が第一実験棟に通じていることを把握しました。
※犬山はすみが全生命力をアニカに注いだため、彼女の身体に何かしらの変化が生じる可能性があります。
※『隠山祈』の存在を視認しました。

【犬山 うさぎ】
[状態]:感電による熱傷(軽度)、蛇・虎再召喚不可、深い悲しみ(大)、疲労(大)、精神疲労(極大)、隠山祈に対する恐怖(絶大)、マイクロバス乗車中
[道具]:ヘルメット、御守、ロシア製のマカノフ(残弾なし)
[方針]
基本.少しでも多くの人を助けたい
1.村の災厄となってしまった隠山祈を助けたい
[備考]
※『隠山祈』の存在を視認しました。
※自身が『隠山祈』の妹『隠山望』であることを自覚しました

【天原 創】
[状態]:異能理解済、記憶復活、疲労(特大)、虎尾茶子への警戒(中)、隠山祈に対する恐怖(小)、マイクロバス乗車中
[道具]:???(青葉遥から贈られた物)、ウエストポーチ(青葉遥から贈られた物)、デザートイーグル.41マグナム(0/8)、スタームルガーレッドホーク(6/6)、ガンホルスター、44マグナム予備弾(30/50)(ジャック・オーランドから贈られた物)、活性アンプル(青葉遥から贈られた物)、他にもあるかも?
[方針]
基本.パンデミックと、山折村の厄災を止める
1.全体目標であるVHの解決を優先。
2.災厄と特殊部隊をぶつけて殲滅させる。
3.スヴィア先生を探して取り戻す。
4.珠さん達のことが心配。再会できたら圭介さんや光さんのことを話す。
5.虎尾茶子に警戒。
[備考]
※上月みかげは記憶操作の類の異能を持っているという考察を得ています
※過去の消された記憶を取り戻しました。
※山折圭介はゾンビ操作の異能を持っていると推測しています。
※活性アンプルの他にも青葉遥から贈られた物が他にもあるかも知れません。
※『隠山祈』の存在を視認しました。

【哀野 雪菜】
[状態]:異能理解済、強い決意、肩と腹部に銃創(簡易処置済)、全身にガラス片による傷(簡易処置済)、二重能力者化、骨折(中・数本程・修復中)、異能『線香花火』使用による消耗(中)、疲労(大)、虎尾茶子への警戒(中)、隠山祈への恐怖(大)、マイクロバス乗車中
[道具]:ガラス片、バール、スヴィア・リーデンベルグの銀髪、替えの服
[方針]
基本.女王感染者を探す、そして止める。
1.絶対にスヴィア先生を取り戻す、絶対に死なせない。絶対に。
2.虎尾茶子は信頼できないけれど、信用はできそう。
[備考]
※叶和の魂との対話の結果、噛まれた際に流し込まれていた愛原叶和の血液と適合し、本来愛原叶和の異能となるはずだった『線香花火(せんこうはなび)』を取得しました。
※制服から着替えました。どのような服装かは後続の書き手様にお任せします。
※『隠山祈』の存在を視認しました。

91山折村歴史巡りバスツアーズ ◆H3bky6/SCY:2024/04/10(水) 21:22:58 ID:iRBAVS420
投下終了です
前話投下前に考えていたプロットを修正したモノなので何か矛盾点などありましたらご指摘ください

92 ◆m6cv8cymIY:2024/04/14(日) 13:17:48 ID:9AiKCq460
投下します

93『救え』 ◆m6cv8cymIY:2024/04/14(日) 13:19:42 ID:9AiKCq460
重圧が押し寄せてくる。
護国の重さが確かな圧力として奥津の心にのしかかってくる。

20年以上にわたり、奥津は軍務に携わってきた。
本当にこれでよかったのか、この決断は正しかったのか?
そんな葛藤に見舞われた機会も数知れず。
けれども、此度突き付けられた選択の重大性は、その経験が児戯に等しく思えるほどのものだ。
背負う責任の大きさ然り、選択による影響範囲の広さ然り、決断までのリミット然り。

過ぎゆく時間に長短はない。
だが奥津にとって、今この瞬間の一秒一秒は、42年の生涯で最も長大な秒間隔と化した。


迅速に下さねばならない判断だ。そんなことは分かっている。
同時に、世界の命運を左右する判断をおいそれとは下せない。


政府の方針に逆らうという点も戸惑うに値する要素だが、さらにもう一つ、奥津を惑わせるに足る要素がある。

SSOGは秩序の守護者。
しかし終里から求められた、情報の漏洩を見過ごせという要求がその正反対に位置するものであることだ。
祖国の秩序を守るためにありとあらゆることをおこなう組織に対して、祖国に混沌をもたらすことを見逃せと研究所は要求しているのだ。
文字に起こせば方針転換と一言で表すことができる内容。
その実はSSOGの存在意義への問いかけである。


これは解のない問いだ。
結果が分かる未来の人間が過去を振り返ってはじめて、その判断が正解だったのか不正解だったのかが分かる類の問いなのだ。
そんな問いに取り掛かるという行為は、己自身を説き伏せることに他ならない。

血も涙もない特殊部隊であっても、
……いや、非情な任務に携わるからこそ、信念に、誇りといった決して揺るがない芯を持つ。
それを動かすのは、他人から見ればくだらないことかもしれないが、本人にとっては並大抵の事態ではない。


国防の意志とSSOGとしての信念が脳を戦場に激しくぶつかり合う。
ひとたびぶつかり合うごとに、脳に深い渓谷が刻まれ、脳皮質が削れ、ニューロンが擦り切れていく。
その負荷の強さはどれほどのものだろう。
仮に奥津がHE-028-Aに感染していたなら、今この場で瞳が金色に輝きだしていたことだろう。

日本最先端の研究所に所属する脳科学のエキスパートであっても、他人の信念までもを支配できようはずがない。
元々寡黙な長谷川のみならず、饒舌な終里も、梁木ですら、この場においてはただ静かに奥津の結論を待つ。



94『救え』 ◆m6cv8cymIY:2024/04/14(日) 13:20:44 ID:9AiKCq460
時計の長針がたった二度、刻まれただけ。
だが奥津の体感では数時間にも及ぶ葛藤と熟考であった。
それでも結論を出すにはまだピースが足りない。

「結論を出すにあたり、所長殿に確認したいことが二つほど」
「何かね? 話してみるといい。
 我々としても、君たちが自発的に協力してくれるのが理想だからね。
 そのために助力は惜しまんよ」
「ありがとうございます」

助力を惜しまない。その言葉は終里の偽りなき本心だ。
謀はいくらでも張り巡らせるが、最後は奥津の一声で決定する。
魔王と違って、終里もまた一個人でしかないのだから。


「それではまず一つ目。
 『Z計画』の政府側におけるトップは、与党の野倍議員で間違いないでしょうか?」
奥津の口から出た名。与党元幹事長、野倍義雄。
山折村を含む岐阜六区から出馬し、当選回数は二桁超えの超大物議員。
彼は40年以上前に、岐阜のすべての村を繋ぐという公約を掲げて当選した。
そこから現在まで政界に君臨し、今や与党最大派閥を牛耳る永田町の妖怪である。

「ああ、その通りだ。資金面をはじめとして、彼には様々な方面で助力いただいている」
あっさりと終里はこれを認める。
多少頭のまわる人間であれば奥津と同じ答えにたどり着くだろう。
山折村を地盤に含み、様々な公共事業を呼び込んで村々の発展に尽力し、選挙区民からは神のように崇められる男だ。
それほどの男が、ここに及んで研究所とまったく関係ありませんでしたは考えにくい。

「今回のような事態に備え、我々と仔細を取り交わしたのも彼だな。
 ひとたび封鎖が始まれば、48時間の猶予を設けたのち、キミたちの手で村ごと抹消することを了承いただいたよ。
 悩みに悩んだ末の結論だったようだがね」


終里の回答に、やはりか、と奥津は納得する。
証拠こそないが、彼が関わっている心当たりもある。
たとえば、近年与党を揺るがした大事件、通称裏金問題。
野倍派では3500億円もの献金不記載が発覚して大問題になったが、SSOGですらその資金の流れは追えなかった。
『Z計画』を知った今となっては、その使い道は想像に難くないだろう。

「山折村の公民館にて、彼もまたゾンビとなっていることを確認しています。
 まさに政府側の最高責任者が不在の状況、ということですね?」
「見方によってはそう取ることもできるね。
 だが、政府にはほかにも大勢の議員がいる。
 トップが不在になったところで、そうそう瓦解はせんよ」

確かに『Z計画』の大枠は揺るがないだろう。
ただし、野倍の下では、巷で野倍派五人衆と括られる有力議員たちがしのぎを削っている。

平時ならば集団指導体制のような形式もまた一長一短だ。
だが、この緊急時に意図せず指揮系統が複数に分散する状況は非常によくない。
世界各国がZを前にパワーゲームに勤しむのと同じく、足の引っ張り合いと手柄の奪い合い、不祥事の押し付け合いが始まりかねない。

なるほど、幕僚本部の歯切れが悪かったわけである。
最高責任者不在で突きつけられたうえに、上からの回答が曖昧で、聞く先によって指示が変わる重大案件。
これほど触れたくない案件はない。

95『救え』 ◆m6cv8cymIY:2024/04/14(日) 13:21:28 ID:9AiKCq460
「それともう一つ。
 『Z計画』については、所長殿から幕僚本部に直接根回しがあったと理解している。
 貴方が今回初めて会議の席に着いたのは、政府との連携が一段落ついたからだと考えていますが、まずここまでに相違は?」
「ああ、確かに私は先ほどまで災害対策本部に顔を出していた。
 その後、幕僚本部に赴いて、『Z』の件が君たちの知るところになったかもしれないと報告したさ。
 まさに針の筵だったな。議員のセンセイ方にも君らの上官にも、ずいぶんと突き上げられたよ」
「おお、怖イ怖イ。
 ワタシなら頭を下げられてモ、足を運びたくはないネ」
「所長がそれを意に介するような繊細な心の持ち主だとは思えませんが」
イヤそうに顔を歪めて身を震わせる梁木と対称的に、終里は薄ら笑いを浮かべ、堪えたような様子は一切ない。
もっとも、大袈裟に身を震わせる梁木とて、糾弾を恐れているのではなく、貴重な時間の浪費を嫌がっているだけなのだろう。
長谷川の言う通り、所詮は彼らの半分程度しか生きていない若造の無責任な戯言にすぎないのだ。


「所長殿のお気苦労はしのばれますが、結論として、その場で何かしらの手ごたえを得られたのでは?」
奥津の指摘に終里は口元を僅かに歪める。

この老獪極まる曲者が、中央にパンデミックの現状を報告するためだけにわざわざ足を運ぶだろうか。
これは理屈ではなく、直感だ。
彼は何かしらの勝算を得たからこそ、この会議の席に着いたのだ。


幕僚本部に殴り込んだ当時の奥津は、確かにいささか逸った。
僅かに違和を感じつつも、それは研究所の暗躍によるものだろうと、そちらに理由を結び付けた。
だが、後々思い返せば、上官たちの態度が不可解なのだ。

自衛隊が建前を大切にしている組織であることは理解している。
国防軍ではなく自衛隊と名乗り出したその成り立ちからして、建前だらけの組織だ。
だが実態として、自衛隊という組織は戦時や災害時という緊急時にこそフル稼働を求められる国防の要である。

そんな組織の最高幹部が、一分一秒を争うような緊急時に、殺気だった部下を相手にのらりくらりと時間を稼ぐ態度を取るだろうか。
むしろ上官らは奥津の性格を熟知したうえで、奥津がしびれを切らし、強行手段に出るのを待っている節すらあった。

今回の漏洩は我々の意図するところではない。
意図せざる不運と不幸、すれ違いが積み重なった結果なのだ。
そんな『ポーズ』を欲していたかのようであった。
ちょうど、研究所が『Z計画』の漏洩を事故として片付けようとしているように。

96『救え』 ◆m6cv8cymIY:2024/04/14(日) 13:23:20 ID:9AiKCq460
「所長殿。貴方は政府に何を進言したのです?」
奥津の問いは、実際のところ『進言』ではなく『吹き込む』という言葉のほうが正しいのだろう。
語らないことも多いのだろうが、聞けるべき箇所は終里の口から直接聞いておくべきだ。
目を細める奥津に対し、終里は肩をすくめて苦笑する。

「そう睨みつけずともいい。やましいことは一切していないと天に誓おう。
 ……そうだね。今回のバイオハザードが発生した際に、キミたちの介入がなければ何を観測する予定だったのか。
 説明は受けているかね?」
「正式には……」

首を振る奥津。
終里は横目で長谷川に視線を流しながら、顎をあげる。
眼鏡をくいとあげながら長谷川が解説を引き継ぐ。
「『Z計画』本番を見据えたシミュレーションです。
 コミュニティの滅亡が告知され、そこに異能という超常現象が加わった時、人々はどのような行動を取るのか?
 山折村という一つのコミュニティを日本に見立て、課題点の洗い出しをおこなう予定でした」

世界の滅びに直面した人類たちの縮図、それこそが今日の山折村であると長谷川は解説した。

すなわち。
深夜の放送は世界滅亡の情報漏洩。
48時間のタイムリミットはガンマ線が地球に降り注ぐ終末の日までのカウントダウン。
SSOGによる山折村の空爆はガンマ線の到達によるコミュニティの滅亡。
そして本番さながらの異能の蔓延るコミュニティ、そこに女王を殺せば全員助かるという悪辣な煽動がおこなわれれば、パニックは最高潮に達する。
限りなくリアルな未来の終末空間を再現し、観察することこそが当初の目的だった。


「キミらが映像をうまく編集していたからネエ。
 なかなかどうして、そちらのほうは難航していたんだケド……。
 生データを入手したことで、こちらもまとまった報告が可能となったのサ」
「そのタイミングで、私から政府に経過を報告したということだ。
 怪しい談合などは一切おこなっていないとあらためて誓おう」

第一回でもなく収束後でもない、第三回といういささか半端なタイミングでの会議参加はそういうことだ。
思えば、二回目の会議でSSOGが村にいることを見抜いてきた理由も、
当初の予測からはあまりに大きく外れた結果が観測されたことを怪しんだからなのだろう。


「穢れの溜まりやすい地形なのか、異世界と繋がる土地柄なのか、はたまた魔王本人がひそかに呼び集めていたのかもしれないが。
 山折村は厄の溜まり場とでも言おうか、日本国において特に問題人物が集まりやすい場所でね」
「銃キチくんみたいにサ、何を考えているのか分からない人って怖いよネエ。
 烏宿くんを前に拳銃を触りながら職務質問を始めたときはワタシも肝を冷やしたヨ」

問題人物が集まりやすいというのは初耳。
だが、真田から山折村の成り立ちとして、似たような調査報告を受けているので驚きはない。
実際、ゾンビ相手に暴力を振るう老人やヤクザ、警官など、ワケの分からない行動を取っている者は幾人かいた。
……銃どころか世界滅亡の引き金に手をかける高レベルの問題行動には軽く眩暈を覚えたが。

「だが、それほどの環境下においても、村民の方々――一般的な国民の大半は実に理性的だったと断言していいだろう。
 これにはセンセイ方も結果には幾分安堵していたようだ」
「第二支部に限らず、各支部では地元の人間を雇用し、万が一に備えて要注意人物を探らせリスト化しています。
 呪いや魔王の介入までは予測しきれませんでしたが、村人という範囲において埒外の変数はほぼ存在しなかったかと」

第二回の定例会議までの犠牲者を俯瞰すれば、特殊部隊による直接的・間接的な犠牲者と返り討ちに遭った部隊員で約半数。
異能に適応した野生動物に殺害された人物が1/6ほど。そして前科者やすでにマークされていた異常者による殺害が1/3ほどである。

極限状態に陥ったことで市井の人間がパニックを起こし、暴動に発展する。
そのような類の被害は、ゼロではなくとも当初の想定よりも随分少なかった。
女王殺害を狙う強硬策に出る村人もごくわずかにとどまった。
本当に要注意人物のリストから外れていたのは、約二十年にわたり前科を隠し続けた宇野くらいであろう。

97『救え』 ◆m6cv8cymIY:2024/04/14(日) 13:24:22 ID:9AiKCq460
「テクノクラート新島の件でもやはり同等の傾向にあったようですね。
 巻き込まれた一般人によるパニックや暴動はほぼ起こらなかった、との調査結果が出ています」
国内外を揺るがした一大テロ事件において、やはり大多数の国民は実に理性的に行動していた。

自衛等により犠牲となったゾンビは多いものの、そちらはウイルスに感染しない限りゾンビは発生しようがない。
少なくとも、『Z計画』を公表することで引き起こされる混乱は、ゾンビとは無縁だ。

もちろん、物流やエネルギー問題などの国際間の混乱は別枠で対処する必要はあるのだが。
国内間においては、混乱は制御が効く。
研究所はそういう結論をまとめあげ、報告したのだ。



「所長殿と政府間の交渉については、理解しました。
 そして、上官殿の煮え切らない態度についてもある程度合点がいった」
「結論を出す一助になったかね?」

各国政府が真実を秘匿しているのは、民衆に公表したことで引き起こされるパニックを恐れてのこと。
その犠牲者は世界で二億人と見込まれる。
途方もない数値ゆえ、それがどれほどのものか実感しにくいが、ちょうど近年起こった世界的パンデミックの感染者数が六億強だ。
これを踏まえれば、リスクを承知で踏み切るには二の足を踏む規模だが……。
当初予測よりもその被害が小さいと分かったならば?


すなわち、終里が中央に囁いた甘言は。


『Z計画』と世界滅亡の事実は、いずれ民衆も知るところとなる。
だが幸い、日本国ではパニックによる被害は最小限に抑えられる試算が出ている。
復興は他国に先駆けておこなえる可能性が高い、と。

この裏の意味はすなわち。
被害を最小限に抑え、復興が早まれば早まるほど、日本はこれからZデーまでの8年間、世界のイニシアティブをとることができる。
ここで他国に差をつけられれば、世界の救済を我が国主導でおこなえる可能性が非常に高まる、ということだ。


これが意味するのは、国際間のパワーゲームで我が国がトップに躍り出るということであり。
強いリーダーシップを取って、混乱からの復旧を速やかに成し遂げた指導者は英雄になる道が確約されているということである。
今、政府の上層部では誰が泥を被り、誰が英雄となるかで爆弾と果実のパスまわしが繰り広げられているのだろう。


『Z計画』の公表後には、中立的な国際機関による調査団が国内に派遣されてくるだろう。
だが総責任者は生物災害そのものに巻き込まれて不在、代理責任者は立てられておらず、集団指導体制により権限もなにもかもが曖昧。
元凶は人智を超えた魔王、実行部隊は国際指名手配を受けたテロリスト、そして後処理の実行部隊は存在しない裏の部隊だ。
謀略の痕跡はどこにも見つからず、不幸による連鎖だという結論に至らざるを得ないだろう。

そうなれば他国は日本を表立って排除することはできない。
世界的パンデミックの発祥となった隣国が、その発端が自然界における事故であったがために国際関係からはじき出されることはなかったのと同じだ。


そして、幕僚本部は奥津に『Z計画』について渋りながらも話した。
口を堅く結ぶでもなく、嬉々として話すでもなく、渋りながらも最後には話したのだ。

研究所が魔王にバイオハザードの引き金を引かせ、スケープゴートにしたのと同じように。
SSOGを『Z計画』漏洩の1ピースとして活用し、万一の時のためのスケープゴートとする目論見が上層部にあるのだろう。

政府は清廉潔白を貫き通さなければならない。
この件について、遠巻きに徹することは必須事項だ。
だから、『Z計画』の漏洩は、憂国の士による告発か事故でなければならないのである。
上層部はこれに明快な回答を寄越してくることは絶対にないだろうが。



98『救え』 ◆m6cv8cymIY:2024/04/14(日) 13:25:25 ID:9AiKCq460
(……研究所が外国から目を付けられるわけだ)
ハヤブサⅢにブルーバードという大物が送られてきたのも合点がいく。

終里という男はその快活な見た目にそぐわず、情報を意のままに操り、甘言を囁き、ターゲットを掌の上で都合よく踊らせる実に狡猾極まりない男だ。
もし奥津が海外の特殊部隊か機関の所属であれば、この男の抹殺指令を受け取っていたに違いないが、
暗殺を阻止するだけの諜報力と警戒心も兼ね備えているのだろう。

たとえば、長谷川の異能を奥津の目の前で公開したこともそうだ。
あれは、仮に奥津が暗殺などの強硬策を手段の一つとして持っていたとして、それを躊躇させる意味合いがあった。
そのように大胆かつ緻密な策を幾重にも張り巡らせているのが終里という男なのだ。


「そろそろ、質問も打ち止めかな?
 答えを聞かせていただきたいのだが」
一通り奥津からの問いに答えたところで、終里が待ちきれぬと催促をおこなう。

「仮に君らが引き受けてくれないのだとすれば、それも一つの結果だ。潔く断念するとしよう。
 一枚岩になれないリスクは計り知れないからね」
足並みのそろわない謀略などリスクでしかない。
奥津が断れば、その言葉通り終里はそれを受け入れるだろう。

だが。
「……申し訳ないが、もう一つ、貴方に聞いておかなければならないことができた」

まだ結論にはピースが足りない。
矢継ぎ早に質問を投げかけて会議を引き延ばすのは、あまり褒められた取り組み方ではない。
苦言を呈される言動であることは承知の上だ。

ただ、終里は奥津から有無を言わせぬ迫力を、絶対に答えてもらうぞという圧を感じ取った。
無言で、言葉を続けるように促す。


「仮に我々があなた方への協力を拒んだとしましょう。
 そうなれば、あなた方も『Z計画』の公表を断念するとのことですが」
「ああ、つい先ほど回答したとおりだな。疑っているのかね?」
「そこには疑いはない。ですが。
 『その次』は、どこへ共謀を持ち掛けるのです?」

一体何度目であろうか。
今ふたたび、応接室の空間が瞬間的に凍ったように、沈黙の帳が降りる。

終里の今回の企みが不発に終わっても。
魔王や政府に対して巧みに情報を出し分け、自在に躍らせてきたその手腕をもって。
まったく別の組織に対して再びアプローチを起こすのだと。

奥津はそう言いのけた。

99『救え』 ◆m6cv8cymIY:2024/04/14(日) 13:28:27 ID:9AiKCq460
「ハハハ……」
「ふふふ……」
「……」

梁木が笑う。
終里が笑う。
長谷川は無言で男たちを見つめ。

「はっはっは……」

そして奥津もまた笑う。
応接室に乾いた笑いのアンサンブルが響き渡る。


「ふふふははは……!!」
「はっはっはっはっ!!」


冗談を言ってはいけないヨとの意味を込めて、からから笑っていた梁木は、
他二人のひときわ大きくなった笑声を受け、自らの笑いを止めた。
これは自分の介入する領域ではないと悟った。


「ははは は は は は は は は は は は は は!!」
「はっはっはっはっはっはっはっはっはっ!!」


笑顔は威嚇をルーツにしているという説がある。
その説に従うなら、顔をしわくちゃに歪めて、腹の底から相手を笑い飛ばす二人のオスは、疑いなく相手を威嚇しているのだ。


「ふふふはははははははは は は は は は は は は は は は は は は は は は は っ!!!!」
「はーっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!!!!」


声を張り上げて二人の豪傑が笑う。
大口を開けてそこに声圧を乗せ、真正面から殴り合う。
真正面から声圧を受けきる。

仮に『Zデー』が観測ミスで、世界の滅亡が早とちりだったと判明したら、奥津はこの場で終里の頭を撃ち抜いているだろう。
終里という男は、それに足る人間だった。
だが、今は手を出してはならない。
その代わりに、たっぷり三十秒、体中の二酸化炭素をすべて吐き出す勢いで、応接室に笑声が響き渡った。



100『救え』 ◆m6cv8cymIY:2024/04/14(日) 13:30:08 ID:9AiKCq460
応接室を震わす咆哮が落ち着き、室内は再び静寂に包まれた。

「ふぅぅうう〜〜〜〜……」
奥津は白い天井を仰ぎ、愛煙家が身体に染み込ませた煙を放出するように、迷いを体外に放出すべく大きく息を吐き出した。


秩序を壊し、混沌へと叩き込む目論見が研究所から提示された。
その引き金を引くか引かないか。そんな二択問題ではなかったのだ。

いつ、誰が、その引き金を引くのか。
その引き金を引くのはSSOGなのか否か。
SSOGがこれから秩序ある虐殺を引き起こすのか、それとも永遠に蚊帳の外で終末の日を迎えるのか、である。


引き金を引かなければ、以後、二度と核心には立ち入ることはない。
その場合、いずれ来たる終末の日に、何も知らされない国民と共に、SSOGもまた右往左往しながら審判を待ちわびることになる。
果たしてそれは己たちが望む姿か?

そんなもの、答えは一つだ。
腹を括る。

「良いでしょう。あなた方の提案を飲みましょう」

奥津は研究所の手を取った。



101『救え』 ◆m6cv8cymIY:2024/04/14(日) 13:31:53 ID:9AiKCq460
「奥津くん、君は正しい選択をしたようだ。
 全責任をもって、『Z計画』を完遂してご覧にいれよう。
 これより我々はパートナーだ。よろしく頼むよ」

秩序の守護者と混沌の体現者。
平時であれば決して混じり合わない性質の二人が手を結ぶ。
それは、世界の危機を前にすべての人類が手を取り合わなければならない状況下における、理想の先例である。
これほど象徴的で相応しい人選はあるまい。

「現場に方針の変更を伝え、現地の隊員とのホットラインを繋ぐよう手配しましょう。
 また、ちょうど山折村に滞在し、正常感染者となったジャーナリストが残した記録を回収している。
 精査の後、こちらも引き渡しましょう」
「いいネ。ドローンや監視カメラの映像ばかりでは訴求力に些か欠けル。
 至近距離で撮られたリアルな映像があれば、世論をより動かしやすくなるだろうネ」


「ただし」
終里と梁木の含み笑いをぴしゃりと遮る。
一通り譲歩を提供した後に、返す刀で差しだされるのはその埋め合わせの要求だ。

「手を組む以上、我々からも要求がある」
研究所のトップ二人に対し、奥津は要求を迫る。

「それは、何かね?」
どんな無理難題が提示されるのか。
身構える終里に対し、奥津が突き付けた要求はたった一語だった。


「 救え 」

102『救え』 ◆m6cv8cymIY:2024/04/14(日) 13:33:48 ID:9AiKCq460
奥津の声がいやにはっきりと聞こえた。
彼の声だけが切り取られ、全ての音を上書きしたかのように。
鮮明に。
クリアに。
言葉が届いた。


『 救え 』


たった一語、たった三文字。
それだけの言葉に、途方もない圧が込められていることが分かる。
奥津に常に降りかかる祖国の守護という重みが、その言葉を通して、同席している三人にも浴びせられているのだ。

「何度も言っているように、我々の研究は世界を救うものダ。
 世界の他に、何を救えというんだイ?」
「先の未来、『Zデー』を迎えたすべての民を。
 一人たりとも取りこぼすことなく」
困惑しながら問いを返す梁木に対し、奥津は言い淀むことなく即答する。

「Zデー当日にゾンビが出るなど論外だ。
 確実に生き残れる人間が女王しかいない結果は落第だ。
 世界を救うだけなど赤点だ。

 救え。
 救え!!
 『救え』!!!!

 Zデーを迎えたすべての国民を救いきってみせろ。
 大都市も、地方の村も、山中も、離島も。
 老若男女、日本という国土に定住するすべての民を救い切れ!」

秩序を守る組織に混沌への引き金を引かせるのだ。
SSOGの存在意義を根底から揺るがすような行為を見逃させるのだ。
ならば研究所にも同等の覚悟でZデーを迎えてもらわねばならない。

「協力するからには、小細工も汚れ仕事も、裏の仕事の一切を引き受けましょう。
 矢面に立つのも結構。
 悪党を引き受けるのも結構。
 思うがままに使い潰してくださって結構。
 あなた方研究者はくだらん陰謀などに一切思考のリソースを割くな」

終里の謀略。長谷川の私設部隊を率いた暗躍。
それらの本来の研究とは関係がない些事である。
これらはすべてSSOGが受け持つゆえ、研究に専念しろと言っているのだ。

「時間という有限のリソースはすべて研究につぎ込んでもらう。
 研究にすべてを賭けろ。当初の見込みを超える結果を出して見せろ。
 Zデーの予測を、さらなる成果で塗り替えてみせろ!
 これが、我々があなた方に協力するにあたって、あなた方に求める条件だ」

103『救え』 ◆m6cv8cymIY:2024/04/14(日) 13:37:18 ID:9AiKCq460
しばしの沈黙が降りる。
『地球再生化計画』は種族単位の救済を見越している。
世界中の協力を取り付け、研究が進めばある程度取りこぼしも減るだろうが、
そもそも個々の人間一人一人の救済までは勘定に入れていないのが現状だ。


「一人たりとも取りこぼすな、と来たカ。
 高い要求をぶちあげられたものだネ。
 コレについてハ、構想がナイわけではないガ……」

異能の指向性を操作し、『Zデー』に有効な異能を大量に生産する構想。
あるいは魔王が生まれた異世界へのゲートを意図的に開き、別世界へ一時避難をする構想。

時間のなさや、『地球再生化計画』との噛み合わなさ、あるいは未知すぎることから見送られた構想たち。
海外の研究との併せ技もあるだろうが、こちらもまだまだ未知数。
まさに無理難題、梁木は難色を示そうとするが……。

「百乃助、いい。その先は私が答える」
開発のトップである梁木がこの場で返答を出してしまえば、その言葉に縛られてしまいかねない。
故に、終里が梁木の言葉を手で制す。

「ここでそれは出来ないといえば、パートナーは解消だな」
けれども、SSOGへ課した要求のように、その存在意義を問うようなものではない。
むしろ逆。研究所の存在意義そのものを突き詰めた要求だ。
ならば臆することは何もない。

「いいだろう。
 すべてを救い切る成果を出して御覧に入れよう。
 それこそが我々の存在意義なのだから」
終里はそう言い切った。
ここで小細工にはしらず、そう言い切る胆力こそ、研究所を預かる所長に求められる資質の一つである。

奥津と終里が互いに手を差し出す。
ここに今、それぞれの立場を乗り越え、研究所とSSOGの同盟が相成った。

しかし現場ではHE-028-Zが彼らの思惑をはるかに超えた進化を遂げようとしている。
想像を超えた事態に彼らがどう対処するのか。
未来はいまだ見通せない。

104 ◆m6cv8cymIY:2024/04/14(日) 13:37:38 ID:9AiKCq460
投下終了です。

105 ◆H3bky6/SCY:2024/04/14(日) 19:23:07 ID:pHV4nAEc0
投下乙です

>『救え』

まさかの首脳陣のお話
定時以外にもこの人たちが見れるとは思わなんだ

当然、Zの政治的なかじ取りをしていた議員もいるんだろうけど、そこも村の出身者で、しかもゾンビ化していると言う
元幹事長とか何気にメチャクチャ大物排出してますねこの村
所長の登場が遅れたのもその辺の交渉絡みなのは納得である

特殊部隊の介入がなければどうなっていたかわからないけど、確かに死者は特殊部隊と元からやべー奴の被害がほとんどなのよね
と言うか、シミュレーションするにしてもやべー奴だらけのこの村ですな

笑うという行為は本来攻撃的なものであり以下略
世界の滅びに蚊帳の外になるよりも、どんな汚れ役を背負っても関わりたい
奥津さんの秩序の守護者としての「救う」と言う強い意志が感じられる

ついに研究所とSSOGと言う正式に手を結ぶことに
黒幕側の組織が手を結ぶのに、村人側としても悪い話ではないのは不思議なところだ

106 ◆drDspUGTV6:2024/04/28(日) 20:07:23 ID:FgfZwVME0
投下します。

107地下3番出口 ◆drDspUGTV6:2024/04/28(日) 20:17:47 ID:FgfZwVME0
夜闇が山折の地を包む暮六つ。現代の産業革命とも呼ぶべき目覚ましい発展を遂げていた山折村は今や夢の後。
生者は疎か生ける屍と化した食人鬼すらも大多数が動かぬ肉袋と化し、既に村は打ち捨てられた死体も同然の有様であった。
現在進行形で跡地と化しつつある山折村の南西部の草原。そこに巌とも呼ぶべき巨大な山が一つ。
否、山ではない。頭には天を突くように生えた象牙のような双角。悍ましいほど隆起する赤黒く変色した筋肉。
それは巨人。かつて日本最強と謡われていた軍人、大田原源一郎の残滓。成れの果ての姿であった。

「グ……ウウウウ………!」

暗黒の中で響く怨嗟の唸り。矛先は主君への反逆者である元次期村長である少年と始祖の女王を自称する少女、そして己自身。
天よりの福音を得て、護国の誇りは主君への忠誠へと変わっても尚、大田原のストイックな性格は微塵も変化しない。
魔聖剣の閃光に焼かれた目を異能『餓鬼(ハンガー・オウガー)』で回復させている中、天より降り立つの一人の少女。

Tシャツとスパッツというスポーティーな格好の成長期真っ盛りの小柄な体躯。
かつては快活な表情を浮かべていた幼さを残す姉に似た愛らしい顔立ち。
そして、漆黒の中でも一際美しく輝く黄金の右目。
彼女の名は女王。かつては日野珠と呼ばれていた少女の残骸。成れの果ての姿であった。

「やあやあ、私の愛しい戦鬼(くぐつ)。随分と派手にやられたみたいじゃないか」

少女は呑気な声と足取りで恐るべき悪鬼へと歩みを進める。
まともな神経の持ち主であるのならば生存本能が危険信号を発し、今の大田原に近づくことを躊躇うであろう。
だが、女王は臆さない。なぜなら眼前の悪鬼こそが自らが生み出した最初の眷属であるからだ。
女王の権能『眷属化』。『HE-028』感染者であれば、いかな異能を持っていようと逃れられる事は叶わず。
強靭な精神及び精神耐性系の異能であれば抵抗(レジスト)自体は可能だが、それは一時凌ぎにしかならない。
48時間が経てば例外なく女王の傀儡と化す運命にある。

「どれ、物の試しに魔王の力で治してあげるとしよう。傅きたまえ」

女王の福音に従い、自らの半分ほどもない小さな主君に対して騎士のように跪く。
珠の華奢な手が大田原の強面に当てられ、淡い光を放つ。早戻しのように見る見るうちに網膜の火傷が癒え、元の形に復元された。

「申し……ワけ……ありませ……ン……。我が……女王……ヨ……!」
「いやいや、そんな畏まるのは止してくれ。息が詰まりそうだ。もっとフランクに接してくれたまえよ」

108地下3番出口 ◆drDspUGTV6:2024/04/28(日) 20:18:17 ID:FgfZwVME0
機械人形のようにぎこちないながらも頭を下げて礼節を尽くす悪鬼に向かい、女王は面倒そうに左手を左右に振って答えた。
それでも尚、大田原は自らを諫めるかのように下げた頭を上げることはない。珠の殻を被った女王はその様子にため息を大きく溜め息をついた。

「まあいいさ。それが君の個性というのならば尊重しよう。そろそろ未来の話をしようか」
「……ト……申シ……ますと……?」

女王の言葉にゆっくりと顔を上げ、呆けた凶相を麗しき主君へと向けて問うた。
知性を失いつつある現人鬼に対し、悪戯っ子のような笑みを浮かべ、鈴を転がすような声で女王は言葉を紡ぐ。

「あの亡霊から奪い取った力の性能試験をしようと思ってね。思念世界――異世界においてはダンジョンだったかな?の構築と魔力による深層心理への干渉のテストだ。
幸いにもうってつけの被検体(ラット)が7人。飛んで火にいるなんとやら。うち2人は私の障害になりうる存在だ。」



階段を降りる。
階段を降りる。
降りた先には仄暗い廊下が続いていた。

未来人類発展研究所山折支部第一実験棟地下3階にて。
不気味なほど静まり返った純白空間の中で、コツコツと断続的に響き渡る複数の足音。
その集団は4人。現状における最高戦力である虎尾茶子を先頭にリン、哀野雪菜と続き、隊列の最後尾には特務機関の若きエージェント、天原創。

「……妙ね。特殊部隊の連中は疎か感染した職員の気配すらしないなんて」
「……それどころか死体や人がいた痕跡すらも見当たらない。作り物じみていてあまりにも不自然です」

得物すら構えず、自然体のまま気を張り巡らせて気配を探る茶子の言葉。当初のような少し乱暴な男口調から打って変わり。作り物じみた女言葉に変わっている。
創はホルスターから取り出したリボルバーを手にかけ、奇襲を警戒しつつ返答する。
茶子と創。立場を超えた二人の戦闘者に挟まれた少女二人――リンは不安創は表情を浮かべ、茶子にくっついて歩き、雪菜はガラス片代わりの刃物として茶子に手渡されたマチェットを構え、視線を左右に動かしながら慎重に足を進めていた。

「雪菜ちゃん、身体はどう?そろそろ良くなった?」
「……ええ。貸してくれた包帯のお陰で、大分」

109地下3番出口 ◆drDspUGTV6:2024/04/28(日) 20:26:32 ID:FgfZwVME0
雪菜へ体調を尋ねる茶子。言葉とは裏腹にその口調は冷徹さを感じさせるほど事務的でこちらを慮っているようには微塵も感じられない。
影法師の少女と開講する前、破れた制服から着替えている最中に茶子が回復機能のある包帯を貸してくれたのだ。
彼女を導いてくれた恩師、スヴィア・リーデンベルグのように善意でというわけではないと断言できる。
虎尾茶子は哀野雪菜に価値を見出している。

「取り敢えず、この部屋から調べてみましょうか」

不意に足を止め、一同へ振り返る茶子に雪菜と創は訝し気な視線を向ける。
茶子自身が言葉には出していないものの、創と似た雰囲気や内情を知り尽くしたような立ち振る舞い。
しかし、雪菜の背後で周囲に気を配る創や危ういと感じるほど使命感に駆られていたスヴィアとは違い、信用はできても信頼などできない。
常日頃人の顔色を伺ってきた経験から、雪菜は茶子が研究所の関係者ではないかと肌で感じ取っていた。

「……虎尾さん、この部屋の名称は?」
「少なくとも人間ぶっ殺しゾーンや死体隠しルームではないから安心なさい」

創の疑問に曖昧な軽口で返答し、推定研究所関係者は演劇少女へと視線を向ける。
茶子の目の前には白く塗装された鉄扉とドアノブ。
ああ成程。
気遣うように目配せする創へアイコンタクトを交わし、手に持ったマチェットを掌に当てた。


「天原くん。貴方のお姉さんのプレゼントはあの薬物だけではないのでしょう?」

怪談部屋の手前。地下3階の部屋の探索を粗方終えた後、「隠し事はなしといったはずよ」と創へと冷たい口調で問いかけた。
ほんの僅かだけ逡巡するも、素直に少年はウエストポーチからスマートフォンらしきデバイスと液晶画面のついた小さな機材を取り出した。

「スマホと、ポケットWiFi……?」
「いいえ、こいつらは上手く偽装された無線通信機と小型発信機ね。規格から見るに軍事目的で使用されるかしら?」

首を傾げる雪菜の問いに創が答える前に、虎尾茶子こと研究所施設特殊部隊最強『Ms.Darjeeling』が答えを言い当てる。
ブルーバードこと青葉遥は、目の前の『最強』や研究所そのものとの対決に備え、活性アンプルを含めて様々な準備をしてきたのであろう。

「貴女のおっしゃる通りです、虎尾さん。ですが、妨害電波が山折村に展開されている以上、無用の長物に過ぎません」
「でしょうね。奴なら私との戦闘を見越してこれくらいはやるでしょう。ハヤブサⅢとの害鳥コンビで厄介事を引き起こそうとしていたのは容易想像がつくわ」

イラついた口調で忌々し気にぼやく茶子。リンのいる手前か、汚い言葉や舌打ちを抑えているのが理解できた。
ハヤブサⅢ。裏の世界(アンダーグラウンド)においてはかの日本最強である大田原源一郎と並ぶ生ける伝説と化した凄腕の工作員。
創も一度、一度仕事でかち合ったことがあるが、その技能は一流を超えた一流であった。
であるならば、即ち――。

「彼女と、協力関係を結ぶという事で?」
「業腹だけど、そうね。即ぶち殺してやりたくなるくらいムカつく奴だけど、今は抑えるわ。
あのクソ女ならば、終里所長や梁木副所長との交渉も相当上手くやるでしょう」

過去にハヤブサⅢとの因縁があったのだろう。苛立ちと殺意を滲ませながら茶子はここにいない麗人を罵倒する。
そして、他の階層へ移動すべく、階段部屋の扉へ手をかけようとしたその時。

「――ねえ、チャコおねえちゃん」
「ん?リンちゃん、どうしたの?」

幼い声と共に服の裾を引っ張られ、茶子は動きを止め、創や雪菜への態度が嘘のような穏やかで優しい声色で答える。
視線を落とすと困惑と不安がない混ぜになった表情を浮かべるリンが茶子を見上げていた。
思えばこの階層に来てからずっとリンは以前の快活さが嘘のように大人しい。
リンは救われることのなかった過去の自分の生き写しだ。
あの「怖い家」のような空間を探索していくうちにトラウマが呼び起こされたのかもしれない。
しゃがみこんで視線を合わせ、努めて柔らかな笑顔と口調で幼子に語りかける。

「疲れちゃったのかしら?少し休む?」
「ううん。リンはまだつかれてないよ。でも――」
「大丈夫よ。お姉ちゃんは絶対に怒らないから。何でも言って」

愛する王子様の優しい口調に安心したのか、幼い姫君は表情を和らげて言葉を紡いだ。

「あのね、リンたちはなんかいもこのかいにきておなじおへやをさがしてるよ?
それに、リンたちはいつからまっしろなおへやにいたのかな?」

幼子の短パンのポケットから――正確には茶子に手渡された御守りが淡い光を放っていた。



110地下3番出口 ◆drDspUGTV6:2024/04/28(日) 20:34:45 ID:FgfZwVME0
階段を降りる。
階段を降りる。
降りた先には仄暗い廊下が続いていた。

「一体どうなっているんだ……?」

薄闇に包まれた白亜空間の中、腰に二振りの刀を携えた少年――八柳哉太は一人、怪訝な表情で立ち尽くしていた。
彼の手には自身のスマートフォン。薄暗い周囲を照らすため、いつの間にか喪失していたマグライトの代用にライドアプリを起動しようとして、異変に気づいた。

(時間表示が信じられない早さで変化し続けている。それだけじゃない、日付表示も文字化けしている。何が起こっていやがるんだ……!?)

山折村には現在、妨害電波が展開され、スマホなどの通信機器は常時圏外になっており、外部への通信は不可能になっている。
しかし、録音アプリの音声再生やLINEなどのチャットアプリののメッセージ履歴の閲覧などのオフラインでも利用可能な機能には制限はかかっていない。
ホーム画面の日時表示もその一つだ。僅か数十分前まではオフラインでも正確な表示をしていた。
そして、哉太の懸念はもう一つ。

(それに、アニカ達は今どこにいるんだ……?)

『ここ』を共に訪れた筈のアニカ達6人の仲間が行方知れずになっている。
何故か哉太一人で単独行動をする羽目になったせいか、一人で考え込んでいるうちに違和感に素早く気づくことができた。
ハウダニットーーどのようにしてここに迷い込んだのか。バスに乗っていた他のメンバーはどうしていないのか。
相棒の天才探偵の真似をして原因を探ろうとしても脳に霞みがかったような錯覚に陥り、自身の思考が強制的に中断される。
得体のしれない『ナニカ』の力によって深層意識を誘導・改変されているように思えてしまう。
何者かの異能による影響――それもリンの魅了(チャーム)のように意識下を改変してしまう精神干渉系ではないかと考えられる。
その容疑者の第一候補は、見えざる力――呪詛により魔王を破滅へと追い込んだ山折村の祟り神の一柱、『隠山祈』。

「何にせよ、俺一人じゃ解決の糸口が見つけられない。他の誰か、できれば仲間と合流できればいいんだが……」

思慮深い仲間達六人の顔を思い浮かべながらスマホのライトを起動させ、手始めに薄暗い足元を照らす。
「キィ」と小さな鳴き声が聞こえる。足元に目を凝らすと、そこには直立する20センチほどの淡褐色の体毛の小動物が一匹。

「実験動物のネズミ……?立ってるし、スチュアート・リトル的なヤツか……?」

視線を受けた山ネズミは二足歩行で哉太の前に出ると、「ついて来い」と器用に右前足を動かして、誘導しようとする。
「やっぱりスチュアート・リトルじゃねえか」という内心を口には出さず、彼(または彼女)の後をついていく。
曲がり角の手前で山ネズミは静止し、小さな前足の指で「見てみろ」とばかりに指差す。
ジェスチャーに従い、警戒を怠らずに覗き込む。視線の先にはやつれ切った表情を浮かべた長い黒髪の少女――かつて哉太が在籍していた山折高校の飼育委員長の姿。

「え……うさぎちゃん……?」
「また、哉太くん……なんだ……」

疲弊しきった様子のうさぎ。ブラウスの胸ポケットからひょっこりと金襴袋の御守りが顔を出していた。


「つまり、うさぎちゃんは階段を降りる度にここの反対側に出て、俺と何度もかち合わせになっていたってことか」
「うん。これで多分四回目。二人で一緒に階段を上り下りしても、反対側に出ちゃってる」

様々な種類の謎機材が立ち並ぶ部屋の中、少年と少女は床で向かい合うように腰を掛ける。
たまたま扉が開いていた曲がり角近くの部屋――細菌保管室というらしい――に入り、情報交換をすることになった。
哉太曰く、自分達は時間が歪曲された異空間にいるらしく、更に何者かの異能らしき力で潜在意識に干渉が行われていると考えた。
うさぎ曰く、時間だけでなく、空間さえも捻じ曲げられていると考えており、哉太と再会するのはこれで4度目。
階段を上り下りすると、いつの間にか哉太と離れ離れにになり、再び曲がり角で哉太と再会することを繰り返していたとのこと。
そして、二人共、バスを下車した記憶も地下研究所を訪れた記憶が存在せず、他の5人の仲間が行方知れずなのが共通していた。

111地下3番出口 ◆drDspUGTV6:2024/04/28(日) 20:44:30 ID:FgfZwVME0
「それに、私の異能もなんだかおかしくなってるみたい……。」
「確か、君の異能は時間帯で十二支の動物を召喚できるヤツだっけ?」
「うん。バスに乗ってた時はだいたい夜7時か8時くらいだったから、羊のメリーちゃんか三猿様が来てくれるって思ったの。
でも、来てくれたのはネズミのヤマネちゃん。どうなっちゃんだろう、私……」

憔悴した様子のうさぎ。
最愛の姉、犬山はすみの死。顕現した祟り神『隠山祈』との邂逅。友人である虎尾茶子との対立。そして、知らされた自らの出自。
犬山うさぎは宮司の娘という少し特殊な生まれでも、本質は普通の高校生。立て続けに起きた出来事に心が参ってしまうのも無理はない。
そんなうさぎを労わるかのように、山ネズミのヤマネちゃんが彼女の肩に飛び乗って頬を摺り寄せ、寄り添う。

うさぎの異能に怒っている事態は何なのか。それを探るべく、探偵の助手たる少年は思考を巡らせる。
時空が歪曲された空間による弊害か。それとも短時間で受けた莫大なストレスの影響か。
それとも、うさぎの前世――隠山望であることを自覚したことが関係しているのか。
いずれにせよ、心優しい少女に何らかの異変が起きていることに違いない。
それと、懸念はもう一つ。

「なあ、うさぎちゃん。さっきから気になっているんだが、君の御守り、何か光ってないか?」
「え……?あ、ホントだ。見てなかったら気づかなかった」

指摘を受け、うさぎは胸ポケットから御守り――住まいである山折神社から持ってきた――を取り出す。
哉太の言葉がなければ気づかない程の淡い光を放つ御守り。友人である春姫や同行者であるリンもそれぞれ一つずつ持っていると聞いた。
御守りを見ていると、何かが引っかかる。天才探偵の推理を間近で見てきた経験か、少年の直感がそう告げている。
相談する相手は目の前にいるのだが、彼女の疲弊しきった様子を見ると、心労をかけてしまうようで気が引ける。

「……少し休憩しよう。情報をまとめる時間が欲しい」
「……うん、そうだね。私も色々考えたいことがある」
「時間は15分くらいにしよう。時計は使えないけど、タイマーは使えるみたいだし、時間が経ったらもう一度話し合おう」
「分かった」

提案にうさぎは小さく頷きを返し、寄り添う山ネズミを撫でた後、壁に寄りかかって目を閉じる。
哉太もうさぎ同様、頭をリフレッシュさせるために警戒を怠らないよう気を張りつつ、小休止に入ることにした。

(ん……?なんでこんなに水減ってるんだ?飲んだ覚えはねえぞ)

サックから取り出した半分以上減ったミネラルウォーターのボトルを前に、少年は首を傾げる。
哉太が飲食したのはアニカ達と別荘での休憩が最後。それ以降は何も口にしていない。無論、茶子に渡された水にも口をつけてない。

『うん。これで多分四回目。二人で一緒に階段を上り下りしても、反対側に出ちゃってる』
不意にリフレインされるうさぎの言葉。もし、うさぎが何度も哉太と遭遇していたのなら、一緒に休憩したこともあったかもしれない。
新たな前提が付け加えられ、少年は再び思考を巡らせる。

(あ……!)
そこで、思い至る。
何者かの異能による潜在意識への干渉。
時空が捻じ曲がった空間で繰り返されるうさぎとの再会。
異変が起きたうさぎの異能と残量が減ったボトルの水。
そして――繰り返された記憶を保持するうさぎと保持できていない自分。
そこに、オカルトという要素が加わり、ピースが揃う。
自身のパートナーほどではないが、哉太なりに結論を導き出す。
解決の糸口となるのは、うさぎちゃんの御守りでないのか。
その推理を伝えるべく、多少の申し訳なさを感じつつもうさぎを起こすため、立ち上がるが――。

112地下3番出口 ◆drDspUGTV6:2024/04/28(日) 20:45:05 ID:FgfZwVME0
「え……ウサミちゃん!?他に誰かいるの!?」
「うおっ……!いきなりどうした?」

哉太が話しかける前にうさぎが飛び起き、きょろきょろと辺りを見渡す。
その勢いに押され、哉太は喉元まで出かかっていた言葉を飲み込んでしまう。
うさぎの肩に止まっていた山ネズミも驚き、床に落ちてしまった。

「あ……ごめんね、ヤマネちゃん。ウサミちゃんがそばにいた気がするんだけど、知らないかな?」

うさぎの問いに、「キイキイ」と鳴き声を上げながら、山ネズミは左右に首を振る。
小さな友達の反応に「そっか」と少しだけ悲しそうな表情を浮かべた後、うさぎは哉太へと向き直る。

「哉太くん。女の人の声が聞こえた気がしたんだけど、誰か来てなかった?」
「いや、俺ら以外ここにはいないぞ。それに俺には声どころか人の気配も感じない。
というか何かあったんだ?状況が掴めないんだが」
「あ、そっか。ごめん、少し混乱してた」

山ネズミの友達へと同じようにうさぎは哉太に謝る。
彼女にとって人間の友達も獣の友達も優劣がなく、どちらも大切に思っている。

「すぐ近くでヤマネちゃんの他に、白兎のウサミちゃんがいるような私を見つめている気がしたの。
それから、頭の中に『望、早く起きて。キミに危険が迫っている』って女の人の声がして。ごめん、ちょっと眠ってたから夢見てたのかも」
「望って、確かアニカ達が言うにはうさぎちゃんの前世?の名前だよな」
「そう、だと思う。それがどうかしたの?」

哉太の言葉に対してうさぎは怪訝な表情を浮かべて答えると、じっと彼の反応を待つ。

「休憩中、俺も情報整理して考えをまとめていたんだ。それで脱出の鍵になるっぽいものが浮かんできたんだ」
「え?それじゃあ……」
「ああ、少し早いけど、休憩を切り上げて情報に鮮度がある内に話し合おう。それで――」

哉太の言葉が止まり、うさぎの表情が強張る。
見えかけてきた希望を打ち消すかのような轟音が鳴り響く。

ずしゃ。
ずしゃ。
ずしゃ。

鉄杭を打ち付けるかのような轟音が断続的に響き渡る
明確な死の気配の接近を、扉越しに察知する。
忘却の彼方にいる主の正気を取り戻そうと、肩に乗った山ネズミが彼女の手を甘噛みする。
正気を取り戻した少女は、「新薬開発室」と書かれた部屋の扉も前まで移動し、いつでも脱出できるよう身構える。
若き天才剣士は刀を抜いて、廊下への入り口に陣取り、接近する強者との戦闘に備えて身構える。
そのまま、二人と一匹は息を殺して待ち続ける。

ずしゃ!
ずしゃ!!
ずしゃ!
ずしゃ。
ずしゃ……。

廊下に響き渡る足音は徐々に小さくなっていく。
幸いにも、こちらに気づくことなく、死の気配は遠ざかっていったようだ。
音で悟られぬよう哉太はドアノブに手をかけ、慎重に扉を開いて足音の正体を確かめる。

「………!?」

思わず息を呑む。
特撮の怪人のような3メートルを優に超える巨体。
隆起した岩山を彷彿させるような赤黒く変色し、盛り上がった筋肉。
頭蓋を突き破って出てきた天を突く角。
その体に纏わりつく生理的嫌悪を催す黒い靄のような『ナニカ』。
哉太の目に飛び込んできたものは、紛れもなく『鬼』であった。



113地下3番出口 ◆drDspUGTV6:2024/04/28(日) 20:45:31 ID:FgfZwVME0
「急がぬか、山折の。でなければ山折村は手遅れになるぞ」
「んなこたぁ分かってらぁ!ごれが俺の出せる限界値なんだよッ!」


闇夜に染め上げられた山折村にて、一筋の閃光が尾を引く。
少年、山折圭介が目麗しい少女巫女、神楽春姫を背負いながら疾走する。
彼の腰には光輝く一振りの剣。女王の覚醒を機に宝聖剣ランファルトより新生した幼神の失われた名を冠する魔聖剣■■■。
剣から迸る魔力により圭介の脚力は強化され、一人の少女を背負っているとは思えぬ豪速で駆け抜ける。
かたや愛する想い人の意思。かたや神に愛された山折村の未来。
与えられた結末のためではなく、自らが掴み取る未来のため。王と女王は共に征く。

「うおッ!?」
「くっ……!足元に気をつけぬか、戯け」

足元の何かに躓き、勢いよく転倒する圭介。それに伴い春姫も地面に落とされ、少年の不注意に怒りをぶつける。
大田原との激突により、春姫の持つ天性の肉体は彼女自身が体験したことのない痛み――筋肉痛に苛まれており、満足に動くことのできないのが現状だ。
しかし、事態は火急を要する。故に魔力で肉体を強化された圭介が背負って移動をすることになった。

「真っ暗なんだから気を付けようがねえだろ。文句あるなら一人で歩けよ」

文句を言いつつも立ち上がり、ずり落ちた春姫に手を差し伸べようとする。
春姫もそれに応え、圭介の手を取ろうと差し伸ばし、手を止める。

「ん?どうした春」
「急かすな。足元を見よ」
「そこがどうかしたのか?」
「何かがそこにあるのだ」

圭介の躓いた先を指で指し示し、春姫は目線で彼に調べるよう命じる。
「少しくらい自分で動けっての」とぶつくさ文句を言いつつも、圭介は素直に応じた。
指し示した場所まで移動して視線を落とすと、割れた地面から生えた龍の装飾が施された柄。
掘り起こすと、現れたのは歪曲した幅広な片刃の中国刀、柳葉刀。

「……いつから俺らの村は剣が自生する危険地帯になっちまったんだ?」
「しかして、そのお陰で我らも助かっているのは事実であろう。喜べ、山折の。これで汝の武装も手に入ったわけだ」
「それってどういう――」

剣を掘り起こした圭介につかつかと春姫は歩み寄ると、止める間もなく彼の腰のベルトから宝聖剣の後釜にあたる魔聖剣を引っ張り出した。

「いきなり奪い取るのはなしだろ!」
「元はといえば山折神社に奉納されていた儀式剣よ。駄剣の後継でああるのならば妾の所有物に違いはあるまい」
「今ジャイアニズムを発揮してる場合じゃ……ああもう、好きにしろよ!」
「元よりそのつもりだ」

犬猿の仲ではあるが、圭介と春姫は幼少期より長い付き合いのある間柄である。
傲岸不遜な言い回しも謎の威圧感も慣れ親しんだものであり、止めようとしても無駄だという事は十年以上の経験で身に染みて理解している。
故に渋い顔をしながらも彼女の蛮行を止めることはしなかった。
圭介の様子など気にも止めず、全ての始祖たる巫女は新生した聖剣の柄を手に取り、高らかに宣言する。

114地下3番出口 ◆drDspUGTV6:2024/04/28(日) 20:46:12 ID:FgfZwVME0
「聞け、新たに生誕せし聖剣よ!今より汝の担い手はこの神楽春姫である!」

聖剣の魔力が流動する。しかし、生れ出た魔力は春姫に反発するかのように風の衝撃を放つ。
その勢いに押され、圭介は思わず後退り、たたらを踏んだ。

「おい!手を放せ春ッ!!理由は分かんねえけど、そいつはお前を拒絶してるッ!!このままじゃ……!」
「騒々しい……!主が何者か理解できぬか駄剣ッ!!その力は山折村(せかい)救済のためにある……!
故に、父と同じく妾に仕えるのが道理である……!妾に従え、聖け―――!」

瞬間、春姫の身体から眩い光が鼻たれ、周囲一帯を真昼の如く照らす。燦然たる閃光に呑まれ、圭介じは思わず目を閉じてしまう。
瞼が閉じられるその刹那、少年の視界には転倒する春姫。そして突如として顕現した――。

(白兎……?)

次第に光が弱まり、辺りは元の夜闇に包まれた草原へと戻る。
目を開けると、そこには倒れた始祖の巫女とその隣で地に伏せる一振りの聖剣があった。
聖剣に光は灯っておらず、代わりに弱い光を放つのは春姫の巫女服の袂の中の御守り。直感だが、子の御守りが強烈な光を放ったかのように思えた。
圭介が名を呼びながら圭介は倒れた春姫の元へと駆け寄り、彼女の容体を確認する。

「うう……」
「春ッ……!おい春!しっかりしろ!目を覚ませ!」

呼吸は止まっておらず、脈も安定おり、圭介は一先ず胸をなでおろす。
しかし、どれだけ身体を揺すっても起きる気配はなく、次第に心中に焦りが生じ出す。
「無理やりにでも止めるべきだったか」と悪態をつきながら揺すっていると不意に春姫の身体が起き上がる。

「ったく、やっと起きたか。心配かけさせんな……ってその雰囲気はいのりさん?」
「――大春姫は気絶してるだけっぽいから安心して。ごめんね、圭介君、あの子に変わって謝るわ」

柔らかな表情を浮かべた春姫――否、彼女と人格が入れ替わった厄災の権化、『隠山祈』が圭介へと頭を下げる。
紆余曲折の果てに、隠山祈は神楽春姫に救済され、その魂を春姫の中に封じられた。結果、いのりは春姫の肉体を間借りし、村人の味方として行動を共にしている。
春姫が意識を失った今、肉体の主導権はいのりにあり、今まで取り込んできた数々の異能を使えるのようになっている。

「いのりさん、哉太達――天原って子の行き先はどんな感じになんだ?」
「望……いや、今は犬山うさぎの気配ね。今は二つに分かれているみたい」
「あの7人の中にもう一人、春みたいな神社関係者がいたってことか?」
「多分そう、みたい」

隠山祈は怪異である。そのため怪異と相反する存在――神職関係者の気配を察知することが可能である。
スヴィア・リーデンベルグらにより事態収束の鍵を握るのは、若きエージェント『天原創』の異能だと彼らは推察している。

「二つに分かれたってことは、あいつらに何かあったのか?分断されたとか、グループ分けして行動することになったとかそんな感じか?」
「……一分断されたというのが一番あり得そうね。怪異としての感覚では少し離れたところにいるって感じがするけど、マタギとしての感覚だと彼らの気配を感じない」
「つまり、どういうことなんスか?」
「言語化するのは難しいけど、地下深くとかここにあってここにはない、こことリンクした別の次元に彼らが飛ばされたって感じかな?」

春姫が聞いていたなら罵倒していたであろういのりの回答。
首を傾げながら答えるいのりに、圭介もまた彼女と同じように首を傾げる。
頭を絞りつつ、いのりの抽象的なふわっとした言葉から、伝えたいエッセンスを抜き出す。

「つまり、あいつらは分断されて異空間に放り込まれたってことなんスかね」
「かなり無理やりな推理だけど、端的に言ってしまえばそうなるかな。心当たりがあるの?」
「あります。影の女の子――俺は神様って呼んでる子が、俺と俺の彼女を再会させるため、異空間を生み出していました」
「あの子が……うさぎが貴方達を……!」

115地下3番出口 ◆drDspUGTV6:2024/04/28(日) 20:46:45 ID:FgfZwVME0
女王の手により消滅させられた影法師の少女の事を聞いたいのりが悲痛な声を漏らす。
何故、影法師の少女を知り合いの飼育委員長の名で呼んだのかは気になるが、それを問い詰める時間はない。
哉太達7人の手掛かりはないか。周囲を見渡すと北の道路にマイクロバスが見える。
確か「あれはデイケア施設で送迎用に使われていたバス。集団の移動手段として使われていた可能性が高い。

「いのりさん、北にあいつらの移動手段に使ってたって思われるバスがありました。行きましょう」
「そうね。そこを調べれば何か見つかるかもしれないし、行きましょうか」

散らばる食べかけのサンドイッチ。壁に立てかけてあるスケートボード。床に転がるマグライト。座席に無造作に置かれているガラス片。
人がいた面影が残る車内は、夜闇に包まれ静謐を保っていた。
創達7人の手掛かりを探すべく、圭介といのりは人の痕跡が残るマイクロバスの中を手分けして調査していた。

「座席とかにはまだ体温が残ってる……。あいつら、神隠しにでもあったのか?いのりさん、どう思います?」
「……………」
「いのりさん?」
「……ああ、ごめんね。少し考え事してた」

呆けていた神楽春姫の姿を借りた怪異の女は、圭介の声ではっと我に返る。
彼女が想うのは想い人、神楽春陽か。それとも彼女を慕っている様子だった影法師の少女か。あるいは両方か。
いのりの様子を見る限り、春姫の意識が戻る様子はない。思わぬ所に手がかりがあるのかもしないから、少し話を聞いてみよう。

「いのりさん、そういえばついさっき神様のことをうさぎって呼んでましたよね。
俺の知り合いにも「犬山うさぎ」っていう名前が似たヤツがいるんスけど、関係があるんスか?」
「ああ、わたしと記憶を共有している春姫はともかく、圭介君には話してなかったね。それは――」

曰く、影法師の少女は神楽春陽の養子として引き取られ、いのりが彼女の名付け親であり、その名は「神楽うさぎ」でること。
曰く、神楽うさぎは祈の隠山望とは同い年の同性という事もあり、親友といっても良い間柄であったこと。
曰く、神楽うさぎの傍らには常に白兎が見守っており、彼女が悪戯をすれば白兎がいのりや春陽を呼んで叱らせ、彼女が落ち込んでいるときは慰めるように寄り添っていたこと。
曰く、神楽うさぎは春陽が不在の間、留守を任された神楽一族や隠山の里の民の推薦で、貴族としての教育を受けるために都へ留学したこと。
曰く、神楽うさぎが留学した数日後、何本もの鉄矢が突き刺さった白兎が山中で見つかり、可愛がっていた望が悲愴に暮れていたこと。

「それから、春姫から聖剣の記憶を読み取ったんだけど望はもう一度この世界で「犬山うさぎ」って覚の子孫として生まれ変わったみたいなの」
「つまり、うさ公の前世は「隠山望」って名前で、神様の友達だったってことでいいんスか?」
「そうなるのかな。他に何か気になることある?」

春姫が決してしない、穏やかな表情を浮かべて圭介へと問いかけるいのり。
別人だと分かっていても性悪な女王気取りと同じ顔ではなすため、どうも調子が狂い、自然と変な敬語が出てしまう。

「そういえば、話の中に白兎がいましたよね。春の奴が気絶した時に見た気がしたんスけど、そいつと関係あります?」
「……ウサミも、なんだね。確証はないけど、多分関係あると思う」
「名前、あったんですね。名付け親はいのりさんですか?」
「ううん、わたしじゃない。名前を付けたのはまだ小さかった頃の妹の望。神楽うさぎと同い年の子」
「そいつのこと、いのりさんは何か知りませんか?神様と一緒に空から降ってきた以外で」
「そうね……。ウサミは言葉は話せないけど、わたし達人間以上に知性を感じさせる存在だったわ。
わたしや春陽様よりも大人びた感じをしていたし、それに争い事を好まない優しい雰囲気をしていた。
まるで、わたし達を見守る神様みたいだった……」

かつての思い出を懐かしむような憂いを帯びた表情で言葉を紡ぐいのり。
ほんの数時間前は呪いを振りまく存在だったと春姫から聞いていたが、今の様子を見る限りそれが嘘のように思えてしまう。

116地下3番出口 ◆drDspUGTV6:2024/04/28(日) 20:47:57 ID:FgfZwVME0
「――――それは否。白兎は礼儀を知らぬ傲慢な獣ぞ」

突如、いのりの柔らかな雰囲気が掻き消え、天性の肉体に現れたのは高圧的な雰囲気の巫女、神楽春姫の人格。
穏やかな表情は跡形もなく消え去り、代わりに現れたのは美貌に似合わぬ厳めしい表情。

「うわっ、急に出てくるなよ。それになんでキレてんだ?」
「泡沫の夢幻にて、彼奴と相対したのだ。己が立場を弁えぬ傲岸不遜な在り様、所詮は獣であった」

美しい柳眉を吊り上げて怒りを露わにする春姫に圭介は気後れする。
十数年の付き合いの中で、ここまで感情を表に出す春姫を見たことがない。
始祖の巫女は慄く少年へとずんずんと足を進め、つい十数分前と同じように彼の腰から聖剣を引き抜いて目を閉じる。
その挙動で先程の出来事を思い出して思わず息を呑むが、聖剣はうんともすんとも反応しない。
良く見ると、巫女装束の袂から覗いていた御守りが光の粒子へと変わり、瞬きの後には跡形もなくなっていた。

「――やはり、何も起きぬか」
「何一人で納得してんだよ!さっきみたいなことが起こったらどうするつもりなんだ!」
「知らぬ」

春姫は圭介の叱咤など存ぜぬとばかりに受け流す。
無言で取り上げた聖剣を返すと、その代わりと言わんばかりに反対側に差した中国刀を鞘ごと手に取った。
この異常事態でも変わらない唯我独尊にある種の安心感を覚えてしまう。。
だが、長年の付き合いだからこそ気づいてしまう。

「妾はどのくらい意識を失っていた?」
「そうだな。大体30分くらいか?」
「成程。余計な時間を食ってしまったな」

唯我独尊を体現したその在り様も、傲慢さから見え隠れする知性にも陰りはない。
負傷はあれど、天性の肉体にも依然として変わらない。
しかし、直感で感じ取ってしまう。神楽春姫から言語化できない何かーー

「おい、春!窓の外見てみろ!ここから少し離れた場所に人が浮いている!多分あれは―――」
「おそらく日野珠であろうな。彼奴が此方へと向かわぬうちに天原とやらと……何?」
「春、どうした?」
「いのりが彼処から聖なる気配を察知した。急がねばならぬ。……何?代われとな?不服だが、背に腹は代えられぬ」
「応、少し休んでろ。いのりさん、さっきみたいに全力で走るぞ」
「了解!圭介君、魔力を自分の足に回して全力で走るのよ!でないと置いてくからね!」

――彼女を構成する大切な要素が永劫に失われてしまった。そう思えてしまうのだ。

【E-3/草原・マイクロバス前/一日目・夜】

【山折 圭介】
[状態]:疲労(大)、眷属化進行(極小)、深い悲しみ(大)、全身に傷、強い決意
[道具]:魔聖剣■、日野光のロケットペンダント、上月みかげの御守り
[方針]基本.厄災を終息させる。
0.うさぎがいると思わしき場所へと向かう。
1.女王ウイルスを倒し、日野珠を救い出す。
2.願望器を奪還したい。どう使うかについては保留。
3.『魔王の娘』の願い(山折村の消滅、隠山いのりと神楽春陽の解放)も無為にしたくない。落としどころを見つけたい。
4.春……?
[備考]
※もう一方の『隠山祈』の正体が魔王アルシェルと女神との間に生まれた娘であることを理解しました。以下、『魔王の娘』と表記されます。
※魔聖剣の真名は『魔王の娘』と同じです。
※宝聖剣ランファルトの意志は消滅しましたが、その力は魔聖剣に引き継がれました。
※山折圭介の『HE-028』は脳に定着し、『HE-028-B』に変化しました。

【神楽 春姫】
[状態]:疲労(極大)、眷属化進行(極小)、額に傷(止血済)、全身に筋肉痛(極大)、魂に隠山祈を封印、???喪失
[道具]:血塗れの巫女服、研究所IDパス(L1)、[HE-028]の保管された試験管、山折村の歴史書、研究所IDパス(L3)
[方針]
基本.妾は女王
0.うさぎがいると思わしき場所へと向かう。
1.女王ウイルスを止め、この事態を収束させる
2.日野珠は助け出したいが、それが不可能の場合、自分の手で殺害する
3.襲ってくる者があらば返り討つ。
[備考]
※自身が女王感染者ではないと知りましたが、本人はあまり気にしていません
※研究所の目的を把握しました。
※[HE-028]の役割を把握しました。
※『Z計画』の内容を把握しました。
※『地球再生化計画』の内容を把握しました。
※隠山祈を自分の魂に封印しました。心中で会話が出来ます。
※隠山祈は新山南トンネルに眠る神楽春陽を解放したいと思っています。
※隠山祈と自我の入れ替えが可能になりました。
 隠山祈が主導権を得ている状態では、異能『肉体変化』『ワニワニパニック』『身体強化』『弱肉強食』『剣聖』が使用可能になりますが、
 周囲の厄を引き寄せる副作用があり、限界を超えると暴走状態になります。
※神楽春姫から???が失われました。

117地下3番出口 ◆drDspUGTV6:2024/04/28(日) 20:48:28 ID:FgfZwVME0


階段を降りる。
階段を降りる。
降りた先には仄暗い廊下が続いていた。

「ううう……くうう……!」

無機質な白で満たされた空間にて、一人の美しい少女が額に脂汗を滲ませて、苦痛に呻きながら歩みを進めていた。
少女の名は天宝寺アニカ。明晰な頭脳で数多の凶悪犯罪を解決し、このVHにおいてもブレーンとして収束の糸口を探し続けた金髪碧眼の天才探偵である。
そんな彼女は現在、突如として襲ってきた全身の痛みを堪えながら歩みを進めていた。

(バスに乗っていたと思ってたら、Laboratoryと思わしき場所にいて……。かと思ったら急に全身が痛くなって……。
それに、何度階段を上り下りしても同じ場所に出てる……。カナタ達もいない……。What is happening……?)

思考を回そうとするも途端に万力で締めあげられるような強烈な頭痛が襲い、思わずへたり込んでしまう。
何とか立ち上がろうと壁に手を着くも、バランスを崩して転倒してしまう。
この異空間に閉じ込められたことによる影響か。それとも単に疲労が積み重なったことによる発熱か。

(いえ、恐らくEnigmatic spaceに閉じ込められた影響ね。突然Fever due to headacheが起きるなんておかしいもの。
それに、持ち物も色々なものがいつの間にかなくなってるし、スマホのClockにも異常が出てる。
多分、だけどこの異常事態を引き起こしたMain culpritはMs.チャコの言っていたイヌヤマイノリ……かしら?)

しかし、可能性は低いながら単なる風邪の可能性も捨てきれない。むしろ、そうであってくれた方がありがたい。
ショルダーバッグの中から鎮痛剤を見つけ出し、飲料水で流し込む。少なくとも、気休め程度にはなるだろう。
それに、先程から頭の中で蟲の這いずるような奇妙な感覚が訪れている。

(女王を、守れ?女王に命を捧げよ?いったい何のことなの?Auditory hallucination?)

意味の分からない謎の暗示。自分の意思を無視しして操られるような、リンの魅了(チャーム)を彷彿させる言葉が何度も頭を過ぎる。
この異空間に迷い込んだのは自分だけなのか。それとも他の6人もどこか別の場所に転移させられたのか。
考えるべきことは山ほどある。やるべきこともたくさんある。しかし、謎の苦痛がアニカを襲っている現状で必要なのは薬が効くまでの一時の休息。

(First of all、この部屋で休みましょう……。少し楽になったら、カナタ達を探して、それで……)

ふらつく足に力を込めてを無理やり立ち上がり、手短にあった部屋――新薬開発室というらしい――のカードリーダーにL2パスを遠し、キーロックを解除する。
カチリと無機質な音が響き、ドアの解錠を確認してからノブを回し、音をたてぬよう、ゆっくりと鉄扉を開くと――。

118地下3番出口 ◆drDspUGTV6:2024/04/28(日) 20:49:12 ID:FgfZwVME0
「ふむ、成程。キミが運命線の見えぬ感染者か」

優雅に椅子に腰を掛けた少女が視界に映りこんだ。
アニカと少しだけ年の離れた少女は見た目にそぐわぬ大人びた仕草で語り掛けてきた。

「私の名は女王。キミたちが躍起になって探し求めていた存在だ。
肉体は日野珠という少女のものを拝借しているがね。よろしく頼むよ、天宝寺アニカ」

椅子から立ち上がり、歓迎するように少女は手を広げる。
淡褐色と黄金の色彩(オッドアイ)が覗き込む。
脳に巣食い出した蟲が蠢き、隷属(ほんのう)と謀叛(りせい)がせめぎ合う。
視界に入れた瞬間、体調不良で半ば酩酊しかけていた意識が急激に覚醒する。
五感から発せられる極大の危険信号が、生物としての本能を叩き起こす。

「くっ……!」

反射的に探偵少女は動き出す。
異能により肩のバッグから殺虫剤を取り出し、目の前の少女に向けて噴射する。
相手の無力化を図った、アニカらしくない短絡的な行動。
しかし、眼前の少女は目の前に黒曜石の盾を作り、放射された毒霧から身を守る。

(魔法!?なんで魔王のSkillを……!?)
「やれやれ、物騒な挨拶だ」

やんちゃな子供に手を焼いた大人のように、肩を竦めて苦笑する『女王』。
直後に霧を防いだ壁が崩れ、アニカの目の前には短機関銃を構えた少女の姿。

「ハロー、そしてグッバイ♪」

少女は死者を送るとは思えぬにこやかな声で引き金に手をかける。
銃弾が発射されるその刹那、アニカの異能が発動する。
自身の失態。魔王により失いかけた命。イヌヤマイノリと思わしき怪異との邂逅。
数多の要因による多大なストレス。それが重なり、「テレキネシス」が進化を果たす。
異能の範囲は変わらない。持ち上げられる重量にも変化はない。
だが、操作の精密性が格段に上昇した。その結果。

――ガシャン、と少女の手にあったサブマシンガンが握ったグリップを残し、パーツを床に散らばせた。

「ほう、ほう。土壇場で異能が進化を果たしたということか。
それに、銃もここまで綺麗に解体されるとは。テロリスト養成塾にでも通塾経験があるのかね?」
「No need ……to, answer……!」

余裕たっぷりの表情で問う女王に対し、息を切らせながら探偵少女は答える。
二か月前。大規模テロ事件に巻き込まれた際、突如現れた青髪の美女が「念のため」と言い、アニカと剣道少年に半ば強引に教えたのだ。
「まさかこんな場面で役に立つなんて」とハルカと名乗った彼女へと心中で感謝を述べる。
しかし、安心したのも束の間。目の前には未だ底を見せない女王。そして、アニカの周囲には切っ先を向けた黒曜石の長剣が展開されていた。
魔王との対決時、全身を串刺しにされた記憶が蘇り、アニカの明晰な頭脳に刻み込まれた恐怖と絶望がリフレインし、身を竦ませる。

119地下3番出口 ◆drDspUGTV6:2024/04/28(日) 20:50:16 ID:FgfZwVME0
「さようなら、良いチュートリアルになったよ。ハッピーエンドの先でまた会おう」
「……………カナタ……」

迫る絶命の剣。脳裏を過るのは自分に寄り添ってくれたパートナーの存在。
絶望し、目を瞑る探偵少女へと無慈悲にも死の刃が迫る。しかし――。

―――パリン。
「……え?」

ガラスが割れる様な音が密室に響き、閉ざした瞼を開く。
目の前で制止する形を失いつつある剣――切っ先から光の粒子へと変わり続けている。
そのすぐ後ろで軽く手を突き出した『女王』少女ーー余裕のある表情から一変、驚いて瞠目している。

『まもってあげて。あのこを、ひとりにしないであげて』
幻聴か、幻覚か。アニカのすぐ傍で、死に別れた筈の犬山はすみの気配を感じた。

「……成程。キミが九条和雄と同じ力を持つ存在か。少しだけ厄介だな」

ほんの少し、興味深そうな表情を浮かべて語り掛ける女王。
何故、今ここでクラスメートの名前が出てくるのか理解できない。
矢継ぎ早に女王はアニカの頭上から獄炎の塊を降らせる。
しかし、黒の剣と同じようにアニカを焼き尽くす前に、破裂音と共にその痕跡が掻き消えた。

(Perhaps、Mr.アマハラみたいに異能を無力する力なの?)

突如目覚めたとしか思えない「テレキネシス」に次ぐ異能。その要因は理屈ではなく心で察しはついている。
魔王との最初の対峙で命を落とした犬山はすみ。アニカ自身の殺されかけ、今際の際で感じた温かみと共に力が宿るのを感じた事を覚えている。
死に瀕したはすみが祈りを託した、と探偵少女は感じ取った。

ほんの僅かだけ、眉を潜めて考えこむ日野珠の殻を被った女王。
現状では魔王の力らしき異能を持つ彼女を無力化できる術をアニカは持たない。
導き出される最適解は逃げの一手。機を失わせて、この場から離脱し、何とか哉太ら仲間と合流する。

再び異能でバッグから高出力のスタンガンを取り出し、スイッチを解除して電流を走らせる。
狙うは脳に近く、皮膚が露出した首筋。考え込んで意識が此方に向いてない内に攻撃する。
顎に手を当てて考え込む仕草をする女王はまだ思考の最中にいるように思える。
ゆっくりと彼女の視界に入らぬように死角へと移動させる。
そして、首筋目掛けて迅速に飛ばすもーーー。

「気づいていないとでも思ったかい?」

届く直前に叩き落とすように少女の拳が振られ、頑強な特注スタンガンが粉々に砕かれ、その破片を床に散らばらせる。
奇襲に失敗し、アニカの背中に冷たい汗が流れる。すぐに気を取り直し、殺虫剤を取り出して視界を奪おうとする。

「――残念だが、むざむざと同じ手を食らうつもりはないよ」

拳を握りしめ、アニカの懐へと肉薄する女王。咄嗟に反応して後ろへと下がって回避を試みる。
しかし、探偵少女は格闘技は疎か喧嘩をした経験はない。思考が反射神経に追い付かず、振り抜かれた拳はアニカの腹部を強かに打った。

「が、ハッ……!」

衝撃により臓器が圧迫され、訪れた強烈な痛みでアニカは思わず膝を付いた。
咳き込み続けるアニカを『女王』日野珠は見下ろす。

120地下3番出口 ◆drDspUGTV6:2024/04/28(日) 20:50:47 ID:FgfZwVME0
「魔力付与(エンチャント)した打撃は、本来ならば鋼鉄をも砕くほど強化したつもりだったのだかねだが、これで漸く九条和雄の力の一片を理解できた。
ーーー異能と魔術問わず己の直接的に危害を加える『魔王』の力に対する絶対的な耐性。ふむ、実に厄介だが、素晴らしい力だ」


「天宝寺アニカ。お察しのとおり、君達が迷い込んだ異空間(ダンジョン)を作り出したのは紛れもなくもう一方の『イヌヤマイノリ』の力だ。
この研究所地下三階を模した空間は記憶を元に時空が切り離された異界。しかし、時間の流れは滅茶苦茶だが移動した距離は外部とリンクしている不思議空間。
尤も彼女の肉体が失った後に目覚めた力だかね。どうやら彼女自身が自覚してはいないが、次元の間とやら大部分の力を落としてきたらしい。
名前は……そうだな。彼女の名前は知らないが『不思議な世界へようこそ!(イン・ワンダーランド)とでも名づけようか」
「が……ァ……!」

密室の中、14歳の中学生が12歳の小学生の首を片手で締めあげ、宙に持ち上げる。
宙吊りになった探偵少女は女王の腕に爪を立て、必死に苦しみから逃れようとするも、その力が弱まることはない。
女王が強化したのは手首から下の腕力。アニカの首を締めあげてる握力は日野珠のものだ。
そこまで強い力ではないからこそ安易な絶命は許されず、徒にアニカを苦しめる羽目になっている。

「目的は君達集団の分断。完全には覚醒していない以上、まだ天原創の力で元の魂を追い出してもらうわけにはいかないからね。
ついでに私の傀儡も放っておいた。吸収した『イヌヤマイノリ』の一柱の厄を集める力と魔王の力、少しだけ強化を施しておいたのさ。
それと時空が歪み、意識が誘導されてたのが気になっていただろう?ガワだけの伽藍洞に魔王の力と私の精神干渉を合わせてみたんだ。
結果はまあ、そこそこ上手くいったと思うよ。キミの様子を見る限り、宵川燐(よいかわりん)の異能と同じ効力を発揮しているみたいだ」
「……ぅ……ぐ……」

頸動脈が圧迫され、徐々に意識が白み始める。
探偵としての矜持か。その状態でも尚天宝寺アニカの脳は女王が語り出す真相を聞き逃していない。

「欠点といえば、巻き込んだ私自身も巻き込まれた君達も出る場所はランダムだってことだ。
本当はキミともう一人の運命線が見えない感染者を一緒くたにして私が傀儡の元に送り込もうと画策していたがね。
ま、実用には程遠いが一先ず及第点だ。君と残りの雑多を分断できただけでも良しとしよう。
何故君に話したのか疑問に思った顔だね。ただの情報整理さ。口に出した方が効率よく考えを纏められる。壁に向かって話すのは空しいんだ」
「……ぁ……」

言葉の終わり、更に強い力で首を締めあげられる。
逃れようと必死に動かしていた手足の力も既にうしなわつつある。
肉体から魂が乖離していく奇妙な感覚が訪れる。
少しずつ狭まってくる視界。その端に映るのは淡い光球(オーブ)

『まだ、諦めてはいけない。生きたいと願うのならば手を伸ばすんだ』

光の中から聞こえるのは穏やかな女性のソプラノボイス
光球(オーブ)はアニカのすぐ近くまで迫ってきている。
自分を絞殺しようとしている女王はその光に気付いている様子はない。
身体に残る最後の力を込めて、手元まで迫った光球(オーブ)に手を伸ばし、掴んだ。
瞬間、密室で目を眩ます強烈な閃光が炸裂した。

「なーーーー!?」

女王の驚愕の声が聞こえ、アニカの首を掴んでいた力が緩む。
振り落とされたアニカは地面に尻餅をつき、臀部に痛みを感じた。
先程まで首を絞められていたはずなのに不思議と苦しみはない。
目を丸くするアニカの前にはいつの間にか現れ、こちらをじっと見つめる白兎。
ふと、何かを握りしめていることに気が付き、掌を見る。
そこには金襴袋の小さな御守り。意志を持っているかのように淡い光を放っていた。

「ーーーく、目が……!?」
「一体、何が……?!」

膝を付いて両手で目を覆い、悶える『女王』日野珠。
呆然とするアニカの足にに何か小さい物が当たったような感覚。
視線を下げると、ふわふわの毛並みの白兎が、アニカをじっと見つめている。
そして、再び聞こえる女性の綺麗な声
『ここから出よう。私が君を導いてあげる』

121地下3番出口 ◆drDspUGTV6:2024/04/28(日) 20:51:12 ID:FgfZwVME0
(このWhite Rabbitは一体どこから出てきたの?Experimental animal?)

未だ全身を襲う痛みを堪えながら逃れた探偵少女は疾走する。
彼女の前方には駆ける白兎――思い浮かぶのは仲間の犬山うさぎが召喚した動物達のような雰囲気。
駆け出した先は階段部屋。女王感染者と遭遇する前、階段を上り下りして何度も同じ場所に舞い戻ってしまった場所。

『大丈夫、心配しないで。必ず君も、君の友達も助けるから』

アニカの不安を感じ取ったかのように、白兎(のものと思われる)声が聞こえる。
脱出の糸口が見つからない以上、目下の白兎を信じるほかはない。
L意を決して2パスを使用して鉄扉を開き、無機質な階段を下る。

―――瞬間、辺りに再び眩い光が広がる。

目を開けると、そこは夜闇に包まれた草原のど真ん中。
研究所の面影はどこにもなく、柔らかな夜風が幼い少女の身体を撫でる。
いつの間にか、全身の痛みもなくなっている。

「戻って、きたんだ……!Thank you!Ms.Rabbit…あれ?」

導いてくれた白兎に感謝の言葉を述べようとするが、その姿はいつの間にか掻き消えていた。
返答代わりに、アニカの手にあった御守りが「どういたしまして」と答えるようにほんのりと熱を帯びた。

「とにかく、カナタ達に今あったことを伝えなくちゃ…!」

女王との邂逅。はすみの決死の行動によって付与された『九条和雄』と同じ力。そして、白兎の存在。
伝えなければいけないことが山ほどある。それに、仲間達の行方も分からない。
決意を新たにし、天才探偵、天宝寺アニカは夜に駆ける。

【E-2/草原/一日目・夜中】

【天宝寺 アニカ】
[状態]:異能理解済、衣服の破損(貫通痕数カ所)、疲労(大)、精神疲労(大)、悲しみ(大)、虎尾茶子への疑念(大)、強い決意、生命力増加(高魔力体質)眷属化進行(極小)
[道具]:殺虫スプレー、斜め掛けショルダーバッグ、ビニールロープ、金田一勝子の遺髪、ジッポライター、研究所IDパス(L2)、コンパス、飲料水、医療道具、マグライト、サンドイッチ、天宝寺アニカのスマートフォン、羊紙皮写本、犬山家の家系図、白兎の御守り
[方針]
基本.このZombie panicを解決してみせるわ!
1.早く皆と合流して、「Queen Infected」の事を知らせなくちゃ!
2.私を助けてくれたMs.Rabbitの事、ウサギに聞いてみましょう。
3.あの女(Ms.チャコ)の情報、癇に障るけどbeneficialなのは確かね。
4.やることが山積みだけど……やらなきゃ!
5.リンとMs.チャコには引き続き警戒よ。特にMs.チャコにはね。
[備考]
※虎尾茶子と情報交換し、クマカイや薩摩圭介の情報を得ました。
※虎尾茶子が未来人類発展研究所関係者であると確認しました。
※リンの異能を理解したことにより、彼女の異能による影響を受けなくなりました。
※広場裏の管理事務所が資材管理棟、山折総合診療所が第一実験棟に通じていることを把握しました。
※犬山はすみが全生命力をアニカに注いだことで、彼女の身体は高魔力体質に変化し、異能『魔王』に対する強力な耐性を取得しました。
※『神楽うさぎ』の存在を視認しました。
※日野珠が女王感染者であることを知りました。
※白兎の存在を確認しました。



122地下3番出口 ◆drDspUGTV6:2024/04/28(日) 20:52:01 ID:FgfZwVME0
薄暗い廊下の中、4人の男女が階段部屋の前で一塊になっていた。

「つまり、今まで私達は何度も階段を上り下りして、その度にお部屋を調べたことを忘れちゃってたってことなの?」
「うん。はじめはチャコおねえちゃんにもなにかかんがえがあるんじゃないかっておもってたんだけど、おなじことをなんかいもくりかえしていたの。だいたい4かいくらい。
それで、なんかへんだなあっておもったんだけど、リンおかしいこといってないよね?」
「ううん。むしろその逆でお姉ちゃんとっても助かったわ。教えてくれてありがとうね、リンちゃん」

勇気を出して報告してくれたリンに感謝の言葉を述べ、茶子は幼い功労者を抱きしめた。
幸せを顔いっぱいに浮かべた幼子と彼女の勇気を褒める研究所関係者を尻目に、若きエージェントと演劇少女は共に怪訝な表情を浮かべる。

「つまり、今僕達がいる研究所を模したこの空間は何者かの異能で作られた場所である可能性が高い……ということですか」
「仮にそうだとしたら、天原さんの異能を無効化する右手で触れた瞬間に私達は外に出られるはずよ。でも、天原さんが壁に触れてもそうはならなかった」

雪菜の言葉に可能性を否定され、創は頭を悩ませる。
自身の右手は異能で構築された者を現実に返す「細菌殺し(ウイルスブレイカー)。それは化の強大な魔王ですらも例外ではない。
だとするのならば、バスに乗車している最中に何者かの異能により催眠状態で研究所まで移動させられた?
だとしたなら、何故ここまで回りくどいやり方をした?下手人の目的は何だ?
一つ一つ情報を整理しながら、早熟の天才は頭を回し続ける。

「ーーー恐らく、下手人は『イヌヤマイノリ』だ」

不意に、それぞれ施行を巡らせている創と雪菜の耳に澄んだ女性の声が届く。
視線を向けるとリンの肩に手を置いた茶子が二人を見据えていた。

「――九条和雄と対峙した怪談使い『七不思議のナナシ』。彼は異空間にクラスメートを閉じ込めて殺し合いを画策したらしい」

ぞっとするような冷たい声で淡々と述べる茶子。バスの中で話し合いをしていた時、茶子の口から出てきた怪談使い。
九条和雄を起点に発生した、現代科学では説明のつかない摩訶不思議な超常現象。
息を呑む創と雪菜の前で、茶子は言葉を続ける。

「情報源によれば、九条和雄達は元凶である七紙光太郎の本当の願望を叶えた後、出口を探し出して異空間を消し去ったと書いてあった」

情報源とやらは仲間の天才探偵、天宝寺アニカの持つスマートフォンの事だろう。
無断でプライバシーを覗き見たことについては一先ず置いておく。

「……ですが、僕がこの空間の物体に右手で触れても何も起きませんでした。異能と違う、怪異には聞かないという事でしょうか?」
「半分正解で半分外れだと思っているわ。私の推理にはなるけど貴方が右手で触れた瞬間、認識できない早さで無力化された壁が再生していると思えるの。
それに脳に干渉が行われて認識を操作されている考えられている今、空間の揺らぎにはきづけなかったんじゃない?
他には九条和雄が出口になっていた屋上への階段を上った際、何か白い塊のようなものを見たらしいの。
それに和雄が触れると辺りに光が広がって、気づいたら屋上じゃなくって正面玄関の前に他のクラスメート達と一緒にいた。
恐らく、出口らしき場所から出る際に現れた白い塊とやらが怪異の『核』なんじゃないかしら?」

アニカのスマートフォンから調べた情報から一つの解を導き出し、茶子はリンを伴って、鉄扉の前に立つ。
茶子の視線を受けて、雪菜はマチェットを手に取り、刃を掌に当てた。
白い手から溢れ出す鮮血。傷は体に巻き付けた包帯の力で少しずつ塞がっていく。
手の上に溜まった酸性の血液を、ノブに零して無理やり扉を開いた。
茶子とリンが階段部屋に入り、傷が治った雪菜に続いて創も扉の中へと入る。

「天原さん、後はお願いします」

目の前に現れた出口と思わしき上階と下階へと続く階段。その手前で相を信頼する雪菜の言葉と視線。
雪菜の反対側では茶子とリンが腕を組んで創を待っていた。

「ーーーよし」

意を決して一人、階段を上る。

123地下3番出口 ◆drDspUGTV6:2024/04/28(日) 20:52:51 ID:FgfZwVME0
徐々に白み始める視界。薄れていく感覚。意識を何とか保ちながら階段を上り続ける。
そして創の視界に映る一人の少女の後ろ姿。それに手を伸ばす。
ふと、少女が振り返る。
ショートカットの黒髪。
動きやすそうな服装。
そして――普段の快活さとは違う、物憂い気な感情を宿した双眸。

「ーーーー珠さん?」
ーーーパリン。
彼女の肩に手を触れた瞬間、ガラスが割れたような音が耳に届く。


白い視界が開けると、そこは割れた道路の前であった。
冷たい風が4人の身体を撫でつける。
視線を北に向けると、何故か草原のど真ん中に放置してあった。

「もどって……これたの?」

沈黙を破ったのは異空間脱出の鍵となった幼い少女、リン。
それに答えるように、保護者である茶子が安心させるよう優しく彼女の肩へと手を置いた。
謎の異空間からの脱出は成功した。しかし、一同に喜びはない。
八柳哉太、犬山うさぎ、天宝寺アニカ。分断された仲間3人は未だ行方知れず。
哉太、うさぎ両名と親交があった茶子はここにはいない祟り神「隠山」を睨むように遠方へと視線を向けていた。
何気なしに、ウエストポーチから通信不能と思われている発信機を取り出し、スイッチを入れる。
驚愕に創は思わず目を見張る。ディスプレイに点群が灯る。即ち――
創の様子を察したのか、肩に雪菜の手が置かれる。

「天原さん、どうかしました?」
「通信が、復活した…?」
「ーーーは?」

創の言葉に茶子が驚愕の声を上げ、懐からスマートフォンを取り出す。
しかし、すぐに肩を落とす。その直後、怒りの表情を浮かべたまま創へと歩み寄り、胸倉を掴んだ。

「てめえ、付くならもっとマシな嘘をつきやがれ!!」
「チャコおねえちゃん、どうしたの?!」
「虎尾さん、やめて!」

怒りを察知した雪菜とリンは茶子を宥めようと駆け寄る。
少女二人の慌ただしい様子など気にせず、茶子は創に罵声を浴びせる。
憤怒の形相を浮かべる茶子を見据え、創は言葉を紡ぐ。

「く……復活したのは軍用通信みたいです……!恐らく、特殊部隊に何らかの動きがあったんだと思います……!」
「……チッ。だったら安易に言うんじゃねえよクソ中坊」

舌打ちと共に手を放し、若きエージェントへと毒づく研究所関係者である剣姫。
リンは不安そうな顔で茶子に抱き着き、「怖い所見せてごめんね」と申し訳なさそうに言う保護者に頭を撫でられる。
雪菜は茶子へと怒りの一瞥をくれた後、創に駆け寄って心配そうに見つめる。

「ーーー次は、ハヤブサⅢとの合流を目指しましょう」

痛々しい沈黙の中、最初に口を開いたのは不和の元凶になった虎尾茶子。
「他の仲間達はどうするのか」と聞こうとしたが、血が滲むほど拳を握りしめた彼女の様子を見て、やめた。
仲間を捨て置く判断をするのは、茶子としても苦渋の判断だったらしい。
創とて哉太ら3人の安否が心配だ。傍らにいる雪菜も、茶子の傍で不安そうな表情を浮かべるリンも同じだろう。
創を先頭に4人は歩き出す。

「…………願望器……か……」

夜風に運ばれてきた耳に届いた昏くか細い声。
先程まで怒りをあらわにしていた茶子の言葉。
理由は分からないが、その言葉に創は不安を掻き立てられていた。

【F-2/道路/一日目・夜中】

【虎尾 茶子】
[状態]:異能理解済、疲労(特大)、精神疲労(中)、山折村への憎悪(極大)、朝景礼治への憎悪(絶大)、八柳哉太への罪悪感(大)、????化
[道具]:ナップザック、医療道具、腕時計、木刀、長ドス、八柳藤次郎の刀、ピッキングツール、アウトドアナイフ、護符×5、モバイルバッテリー、袴田伴次のスマートフォン、研究所IDパス(L2)
[方針]
基本.協力者を集め、事態を収束させ村を復興させる。
0.創の持つ小型発信機に従い、ハヤブサⅢと思わしき人物と接触する。
1.有用な人材以外は殺処分前提の措置を取る。
2.顕現した隠山祈を排除する
3.リンを保護・監視する。彼女の異能を利用することも考える。
4.未来人類発展研究所の関係者(特に浅野雅)には警戒。
5.朝景礼治は必ず殺す。最低でも死を確認する。
6.―――ごめん、哉くん。
7.…………願望器、ねえ。
[備考]
※未来人類発展研究所関係者です。
※リンの異能及びその対処法を把握しました。
※天宝寺アニカらと情報を交換し、袴田邸に滞在していた感染者達の名前と異能を把握しました。
※羊皮紙写本から『降臨伝説』の真実及び『巣食うもの』の正体と真名が『隠山祈(いぬやまのいのり)』であることを知りました。
※月影夜帳が字蔵恵子を殺害したと考えています。また、月影夜帳の異能を洗脳を含む強力な異能だと推察しています。
※『神楽うさぎ』の存在を視認しました。
※『神楽うさぎ』の封印を解いた影響で■■■■になりました。

124地下3番出口 ◆drDspUGTV6:2024/04/28(日) 20:53:36 ID:FgfZwVME0
【リン】
[状態]:異能理解済、健康、虎尾茶子への依存(極大)、不安
[道具]:メッセンジャーバッグ、化粧品多数、双眼鏡、缶ジュース、お菓子、虎尾茶子お下がりの服、御守り、飲料水(残り半分)
[方針]
基本.チャコおねえちゃんのそばにいる。
1.ずっといっしょだよ、チャコおねえちゃん。
2.アニカおねえちゃんたち、だいじょうぶかな?
3.チャコおねえちゃんのいちばんはリンだからね、カナタおにいちゃん。
4.いのりちゃんにまたあえるかな?
[備考]
※VHが発生していることを理解しました。
※天宝寺アニカの指導により異能を使えるようになりました。
※『神楽うさぎ』の存在を視認しました。

【天原 創】
[状態]:異能理解済、記憶復活、疲労(特大)、虎尾茶子への警戒(中)
[道具]:ウエストポーチ(青葉遥から贈られた物)、デザートイーグル.41マグナム(0/8)、スタームルガーレッドホーク(6/6)、ガンホルスター、44マグナム予備弾(30/50)(ジャック・オーランドから贈られた物)、活性アンプル(青葉遥から贈られた物)、通信機、小型発信機、双眼鏡
[方針]
基本.パンデミックと、山折村の厄災を止める
0.小型発信機に従い、ハヤブサⅢと思わしき人物と接触する。
1.全体目標であるVHの解決を優先。
2.災厄と特殊部隊をぶつけて殲滅させる。
3.スヴィア先生を探して取り戻す。
4.あれは、珠さん……?
5.虎尾茶子に警戒。
[備考]
※上月みかげは記憶操作の類の異能を持っているという考察を得ています
※過去の消された記憶を取り戻しました。
※山折圭介はゾンビ操作の異能を持っていると推測しています。
※活性アンプルの他にも青葉遥から贈られた物が他にもあるかも知れません。
※『神楽うさぎ』の存在を視認しました。
※軍用通信が解除されたことで小型発信機でハヤブサⅢの通信機を追跡できるようになりました。

【哀野 雪菜】
[状態]:異能理解済、強い決意、二重能力者化、異能『線香花火』使用による消耗(中)、疲労(大)、虎尾茶子への警戒(中)
[道具]:バール、スヴィア・リーデンベルグの銀髪、替えの服、包帯(異能による最大強化)、マグライト、マチェット
[方針]
基本.女王感染者を探す、そして止める。
0.小型発信機に従い、ハヤブサⅢと思わしき人物と接触する。
1.絶対にスヴィア先生を取り戻す、絶対に死なせない。絶対に。
2.虎尾茶子は信頼できないけれど、信用はできそう。
[備考]
※叶和の魂との対話の結果、噛まれた際に流し込まれていた愛原叶和の血液と適合し、本来愛原叶和の異能となるはずだった『線香花火(せんこうはなび)』を取得しました。
※制服から着替えました。どのような服装かは後続の書き手様にお任せします。
※『神楽うさぎ』の存在を視認しました。



125地下3番出口 ◆drDspUGTV6:2024/04/28(日) 20:55:54 ID:FgfZwVME0
轟音が轟く。破壊音が鳴り響く。
白い空間の中、黒い靄を纏った巨人が壁を破壊しながら、視界に入った獲物を追い続ける。
獲物は男女二人。聖刀を手に持つ剣士、八柳哉太と肩に山ネズミを乗せた少女、犬山うさぎ。
二人は息を切らせながら背後から襲い来る脅威から逃れるため、白亜の廊下を疾走していた。

(クソ、閉所じゃまともに剣を振るえそうにない!それどころか回避も難しい……!)

斬撃を無効化する特異な体質と驚異的な身体能力を持つ魔人『気喪杉禿夫』。
未来予知に近い直感を持ち、恐るべき剣術にて村人の鏖殺を企てた血に飢えた剣鬼『八柳藤次郎』。
天原創、山折圭介、八柳哉太の3人を同時に相手取り、死に際に大暴れした特殊部隊員。
山折圭介を依代にして世界の支配を目論み、魔法という未知の力を以て暴虐の限りを尽くした『魔王ヤマオリ・テスカトリポカ』
いずれも哉太がこれまで対峙してきた相手。彼らを打倒した経験を余すことなくその身に還元した天才剣士は、襲い来る『鬼』との戦闘は不利だと判断。
最悪、自分どころか庇護対象であるうさぎを巻き込んで死なせかねない。
故に、取った決断は逃げの一択。

「哉…太くん、この先は階段部屋……!行き止まり……だよ!」
「でも今のところ、そこしか奴から隠れられそうな場所はない!」

息を切らせて問いかけるうさぎに事実を突きつける。
うさぎが言うには、階段部屋の扉は鍵が掛かっていない。上り下りさえしなければ、背後の脅威から逃れられる可能性が高い。
『異変』は記録した媒体には適応されない。万が一、逃げるために階段を使用したとしても残した記録を見れば記憶が消えていても状況を把握できるはずだ。

「じょ……おう……敵……、排除……!」

黒い靄をまき散らしながら、赤鬼は哉太達を追走する。
最早一刻の猶予もない。哉太の前で全力疾走するうさぎは意を決して階段部屋の扉を開き、中に飛び込んだ。
哉太もうさぎに続いて部屋へダイブし、ドアを閉める。怪物の勢いは止まらず、迫りくる死の気配。
怪物はこちらを抹殺すべく、壁をぶち破るに違いない。記憶が消えるのを承知で階段を降りるほかはない。
哉太と同様にうさぎも覚悟を決め、下り階段へと足を運ぶ。

「ーーーあ」
「く―――」

漂白が始まる意識。薄れゆく記憶。視界が閉ざされる瞬間、の目の前に飛び込んできたのは哉太に背を向け、扉の前に立つうさぎと彼女に縋りつく白兎。

『ーーー望。この先へは行かないでくれ。この扉の先に行ってしまえば、君は……!』
「…………」
『お願いだ!君には幸せな天寿を全うして欲しいんだ!これ以上、私に大切な人を失わせないでくれ……!』
「…………」
『私達12体がこの世界に訪れたのは、君に幸せになって欲しいからなんだ!君に使い潰されても良い!君の友も助けると約束する!だから―――』
「……ごめんね、ウサミちゃん。貴方達も私にとっては大切な友達なの。だから、死なせたくない』
『ああ……ああああ……!!』

薄れゆく意識の中、哉太の目に映ったのはm悲愴な声を上げる白兎と扉の先へと足を進める犬山うさぎ―――隠山望の姿。

目を開けると、そこは夜闇に包まれた草原に哉太とうさぎは立ち尽くしていた。
哉太の手には淡い光を放つ聖刀。研究所らしき空間にいた記憶も存在している。
十数メートル先には、つい先程まで襲い掛かってきた黒い霧を纏う鬼。
そして、哉太の傍らには―――。

126地下3番出口 ◆drDspUGTV6:2024/04/28(日) 20:56:20 ID:FgfZwVME0
「うさぎ……ちゃん……?」
「うん。私だよ、哉太くん」

肩に山ネズミを乗せた纏う雰囲気がガラリと変わった少女――犬山うさぎの姿。
こちらに気付いた途端、全力で向かってくる戦鬼。
哉太が身構えると同時に、うさぎも手をかざす。

「お願い、来て――――」

【D-2/草原/一日目・夜中】

【八柳 哉太】
[状態]:異能理解済、疲労(特大)、精神疲労(大)、喪失感(大)
[道具]:脇差(異能による強化&怪異/異形特攻・中)、打刀(異能による強化&怪異/異形特攻・中)、双眼鏡、飲料水、リュックサック、マグライト、八柳哉太のスマートフォン
[方針]
基本.生存者を助けつつ、事態解決に動く
0.うさぎちゃんと共に鬼を討伐する
1.アニカを守る。絶対に死なせない。
2.村の災厄『隠山祈』の下に残してきた圭介を救出したい。
3.村の災厄『隠山祈』を何とかしてあげたい。
4.いざとなったら、自分が茶子姉を止める。
5.ゾンビ化した住民はできる限り殺したくない。
[備考]
※虎尾茶子と情報交換し、クマカイや薩摩圭介の情報を得ました。
※虎尾茶子が未来人類発展研究所関係者であると確認しました。
※リンの異能及びその対処法を把握しました。
※広場裏の管理事務所が資材管理棟、山折総合診療所の地下が第一実験棟に通じていることを把握しました。
※『神楽うさぎ』の存在を視認しました。

【犬山 うさぎ】
[状態]:感電による熱傷(軽度)、蛇・虎再召喚不可、深い悲しみ(大)、疲労(大)、精神疲労(極大)、???
[道具]:ヘルメット、御守、ロシア製のマカノフ(残弾なし)
[方針]
基本.少しでも多くの人を助けたい
1.村の災厄となってしまった隠山祈を助けたい
[備考]
※『隠山祈』の存在を視認しました。
※自身が『隠山祈』の妹『隠山望』であることを自覚しました
※異空間に閉じ込められたことにより、異能「干支時計」に変化があります。
※白い空間の中で、白兎と対話しました。

【大田原 源一郎】
[状態]:ウイルス感染・異能『餓鬼(ハンガー・オウガー)』、眷属化、脳にダメージ(特大)、食人衝動(中)、網膜損傷(再生中)、理性減退
[道具]:防護服(内側から破損)、サバイバルナイフ
[方針]
基本.女王に仇なす者を処理する
1.女王に従う
[備考]
女王感染者『日野珠』により強化を施されました。



127地下3番出口 ◆drDspUGTV6:2024/04/28(日) 20:57:43 ID:FgfZwVME0
「まったく、してやられたな」

草原の上空にて。日野珠は腕を組んで下界を見下ろしていた。
取り逃した天宝寺アニカ。絞殺する直前で彼女は何もない虚空に手を伸ばていた。
その瞬間、突如炸裂した閃光が運命視を持つ眼を封じ、魔王としての力を失わせた。

「だが、良い傾向だ。少しずつではあるが、私自身も進化しつつある」

しかし、取り逃がしはしたものの天宝寺アニカとの対峙で、得たものもある。
体感する己の進化。奪い取った魔王の力だけではない、新たな異能も目覚めつつある。

「おや?マイクロバスから誰かが……ああ、誰かと思えば尻尾を巻いて逃げた二人じゃないか」

下界を見下ろすと目視できる二つの点群。ダンジョンの中にいた時は未だ敗走を続けていたと記憶している。
山折圭介と神楽春姫。二人は草原に向けて驚異的な速さで疾走している。

「飛んで火にいるなんとやら……ってところか。ついでだ、脳に負荷を与えて異能の覚醒を早めるか」

夜闇の中、女王は不敵に嗤う。
彼女の右目に映る未来―――誰もが満ち足りた世界(ハッピーエンド)。

「さて、私が望む『Z』を始めよう。

【E-2/草原上空(飛行中) /一日目・夜中】
【日野 珠】
[状態]:疲労(小)、女王感染者、異能「女王」発現(第二段階途中)、異能『魔王』発現、右目変化(黄金瞳)、頭部左側に傷、女王ウイルスによる自我掌握
[道具]:研究所IDパス(L3)、錠剤型睡眠薬
[方針]
基本.「Z」に至ることで魂を得、全ての人類の魂を支配する
1.Z計画を完遂させ、全人類をウイルス感染者とし、眷属化する
2.運命線から外れた者を全て殺害もしくは眷属化することでハッピーエンドを確定させる
[備考]
※上月みかげの異能の影響は解除されました
※研究所の秘密の入り口の場所を思い出しました。
※『Z計画』の内容を把握しました。
※『地球再生化計画』の内容を把握しました。
※女王感染者であることが判明しました。
※異能「女王」が発現しました。最終段階になると「魂」を得て、魂を支配・融合する異能を得ます。
※日野光のループした記憶を持っています
※魔王および『魔王の娘』の記憶と知識を持っています。
※魔王の魂は完全消滅し、願望機の機能を含む残された力は『魔王の娘』の呪詛により異能『魔王』へと変化し、その特性を引き継ぎました。
※魔術の力は異能『魔王』に紐づけされました。願望機の権能は時間と共に本来の機能を取り戻します。
※戦士(ジャガーマン)を生み出す技能は消滅し、死者の魂を一時的に蘇らせる力に変化しました。
※異能「???」に目覚めつつあります。

128地下3番出口 ◆drDspUGTV6:2024/04/28(日) 20:58:27 ID:FgfZwVME0
投下終了です。

129 ◆H3bky6/SCY:2024/04/29(月) 13:03:30 ID:C3lnI8AU0
投下乙です

>地下3番出口

あっさり研究所に辿り着けたけど何の異変もないし何かおかしいと思ったら
気付けば異変を見つけないと脱出できない系の脱出ゲームが始まっていた
それぞれの攻略法で脱出はできたけど見事に分断されてしまった、女王ちゃん能力が万能すぎる

女王の運命眼から逃れたのはアニカだったのか
九条君の異能を受け継いだのはまさかのはすみで、これもアニカに引き継がれ全盛りのアニカ
異能ひとつでやっていくには厳しい環境になってきた

すっかり傀儡と化した大田原さんお労しや
異空間に分断して大田原さん送り込むのは即死トラップすぎる
即逃げの判断をした哉太はGJ、このVHで一番戦闘経験を重ねているのは哉太かもしれない
うさぎの召喚獣が異世界の獣という考察はあったけど、ウサミが=で白兎だっただったってのは驚きだった

創くんも持ってた通信機、まあそらそうよ
害鳥コンビが目立ちすぎてるのか、割と特殊部隊から見落とされているよね創くん
ちょっとしたコミュニケーションミスで茶子はキレすぎ、口調と言い精神が安定してなさすぎる
花子を探そうという方針だけど、花子はすでに死んでるんだよなぁ、その死を切欠として解かれた軍事通信がどう生きるか

付き合いの長いからかなんかやんや上手くやってる圭介春姫コンビ
暴走気味の春姫のブレーキ役にいのりがなっている、なんで災厄がブレーキ役になるってなんだよ
春姫から失われた何かって何なんだろう?

130 ◆H3bky6/SCY:2024/05/07(火) 22:02:08 ID:TA66qW7U0
投下します

131ミーティング『Z』 ◆H3bky6/SCY:2024/05/07(火) 22:05:21 ID:TA66qW7U0
「生憎ですが。通信室は使えません。まともに機能するとは思えない」

隠された地下研究所に繋がるマンホールのような脱出口。
その緊急脱出口のすぐ近くにそこから出てきた防護服に身を包んだ男と幼い外見をした女が立っていた。
男、乃木平天から述べられたのは、研究所との通信を要求するスヴィアに対しする回答である。

「…………何故だい?」
「あなた方の呼ぶ所の、田中花子氏と我々の戦闘が行われたためです」

対ハヤブサⅢ戦。
たった一人のエージェントを仕留めるために4名の特殊部隊が投入された地下決戦。
認知神経科学研究室と、その壁をぶち抜いた先の通信室を戦場として激しい乱戦となったため、通信機器が破損している可能性は高い。
もちろん、生きている可能性もあるが、天はこれを体よく断る文言として使用した。

「……本当に? 動作を確認したのかい?」
「試してはいません」
「なら、試せばいい」

可能性があるのなら確認すべきだ。
諦めるにしても確認してからでも遅くはないだろう。
だが、天は首を横に振る。

「それはできません」
「…………何故だい?」
「しばらくここで待機する必要があるからです」
「何故だい?」

同じ問いを繰り返す。
その問いに対して、天は正直に言葉にした。

「それは、――――――ここに通信機が届くからです」

真珠に課せられ、天が引き継いだハヤブサⅢの討伐及び通信機の回収任務の完了。
これが齎す恩恵は軍事通信解禁である。
研究所が秘密裏に地下に敷いていた専用回線を利用せずとも、軍用回線を用いれば通信は可能となった。
だが、通信制限が解かれたとしても通信機材がなければ通信はできない。

それを受け取る必要がある。
通信制限が解かれた以上、通信機は司令部から手配されるはずだ。
地下に向かってしまえば、これを受け取れなくなってしまう。

もちろん司令部からの通信機を受け取らずとも、通信機は手元にあると言えばある。
ハヤブサⅢから託されたであろう氷月海衣の遺品から回収した通信機だ。
この通信機が通信制限の元凶であるが、逆に言えばこの通信機にも軍事通信の機能があるという事である。

だが、スマートフォンに偽装された通信機には暗証番号でロックがされていた。
このスマホを託された海衣なら聞いていたかもしれないし、あるいは番号に心当たりがあったかもしれない。
あるいは、真珠ならば研究所入口のパスワードを言い当てたスヴィアのように、暗証番号を推測することも可能だったかもしれないが、関係性のない天ではハヤブサⅢの思考を推察するのは難しかろう。
この通信機は使用できない、そう判断を下すしかない。

スマホと言えば、隊員から受け取った山折村の住民データの入ったスマホもあるが、受け取った段階で内容は一通り確認している。
軍用回線を使用した通信以前に、SIMの抜かれた白ロムには通信機能自体がない。
つまり、司令部との通信を行うにはドローンで送られてくるであろう通信機を受け取るしかないのだ。

その場合に、問題となるのはスヴィアの存在だ。
ドローンで通信機が送られてきては、当然スヴィアに説明を求められるだろう。
無視することもできるだろうが、黙っていてもこのタイミングで通信機が送られてきては通信解除がされたと言っているのも同じ事である。
軍用回線の解除を知られてしまえば村人が此方の把握していない通信手段を持っていた場合、外部への連絡を取られるリスクを負う事になる。

そのリスクを承知でスヴィアの目の前で司令部との通信を行うか、司令部との通信を控えるか。
選択肢はそのどちらかしかなかった。
ならば、考えるまでもない。
ようやく手に入れた成果を不意にする選択肢はありえない。

通信は行う。それはこの先の方針として大前提である。
選択すべきは、秘密裏にやるか堂々とやるかの選択である。
だが、超聴力の異能を持つスヴィアの目ならぬ耳を盗んで秘密裏に通信するというのも難しかろう。
故に、天は堂々と情報を公開することにした。

「通信機の到着…………? 待ってくれ…………通信が、可能なのかい?」
「説明が必要ですか?」

その言葉だけで、スヴィアは通信が可能『だった』のではなく、限定的に通信が可能に『なった』のだと理解した。
恐らくそれは、彼女の死に起因するものだという事も。

「もちろん通信先は研究所ではなく司令部になりますが。研究所には司令部を経由して繋げてもらう事になると思いますが、構いませんね?」
「………………ああ。構わない」

スヴィアは研究所との通信を、天は司令部との通信を行いたい。
研究所の意向を確認するにしても天としては司令部を通すのが命令系統的な筋である。

132ミーティング『Z』 ◆H3bky6/SCY:2024/05/07(火) 22:06:25 ID:TA66qW7U0
司令部を介するとなると『Z』という大きな情報に動揺している間に要求を通すというスヴィアの目論みは崩れる。
だが、応じるしかない。

冷静であるのではなく、冷静でないことを認め判断を投げられる。
これはこれで厄介な性質だ。

双方の納得を得て通信機の到着を待つ。
すると程なくして夜に合わせた黒いドローンが上空に到着した。
事前に準備していたのか、手際がいい迅速な配達である。

静かに降りてきたドローンから天は通信機を受け取る。
それは手のひらサイズの最新型の通信機だ。
側面にあるボタンを押すと、機器が生き返るように起動を始めた。
液晶画面が淡く輝き、登録された接続先を選択すると、セキュアな通信ネットワークを使用した仮設司令部との接続を開始する。
電話機などの現代の通信機器の発達は目覚ましいが、独自規格の通信プロトコルを使用した軍用通信は機密性に関してそれらとは一線を画していた。

「こちらforget-me-not。司令部、応答願う」
『こちらreed。司令部、感度良好。Mr.forget-me-not。現状を報告されたし』

通信に応じたのは副長である真田であった。
古いイメージにある旧式の無線機と違い、電話のように双方向に話せるため通信完了(オーバー)などと言う必要もない。
ようやく通じた司令部との通信に、感動を覚えるでもなく天は冷静に報告を開始する。

「山折村村内で作戦活動中。現地協力員としてスヴィア・リーデンベルグ博士と同行しています。
 現在は潜入していた山折村内の研究所から離脱した所です」
『司令部了解。こちらでも映像で確認しています』

当事者として現場の詳細を理解しているのは天だが、現場の全体を俯瞰で把握しているのは司令部の真田である。
細かなやり取りまでは追えないが、大まかな動きはドローンからの映像で確認済みだ。
天が真珠と共にスヴィアたちを引き連れ研究所に突入したことも把握している。

「正常感染(ひょうてき)の生存状況について、共有いただけますでしょうか?」

まず、天は標的の生存状況を確認する。
現地にいる隊員では知りようのない情報であり任務の進行状況に直結する重要情報だ。

『了解しました。1800現在、こちらで生存を確認している正常感染者は11名。
 そちらに同行されているスヴィア・リーデンベルグを除くと。
 日野 珠、山折 圭介、神楽 春姫、虎尾 茶子、宵川 燐、八柳 哉太、天宝寺 アニカ、天原創、哀野 雪菜、犬山 うさぎ。
 以上となります』
「なるほど。必然的に女王はこの中にいるという事ですね」

1000人いた村人の中でまともな生き残りは、たったの11名。
天の横でその報告を聞いていたスヴィアも同時に多くの死を知った。
研究所との交渉に向かった花子に珠が生存を信じていたみかげ。
名を呼ばれなかったものは既に生きていないという事である。

双方にとっての吉報は天原創の生存が確認できたことである。
少なくともスヴィアの計画の実行は可能なようだ。

「研究所内での調査によりスヴィア博士がVHの解決策を発見しました。ウイルスの動きを無効化する天原創の異能を用いた解決策です。
 その実行の為に、天原創の現在位置を確認したいのですが、よろしいでしょうか?」
『確認します、少々お待ちを。…………。
 確認しました。商店街から複数名でマイクロバスに乗って移動しており、作戦区域F-3に移動したところまでは確認が取れています』

ドローンの回収周期の問題で、司令部も村人の動きをリアルタイムで追えている訳ではないが、最終的に確認できた時点で創はF-3に居た。
現在E-1にいる天たちからそこまで遠いわけではないが、バスに乗っているというのは厄介だ。
バスで明後日の方向に離れられては徒歩では追いつくのは難しくなる。

「現地に突入した他の隊員はどうなっていますか?」

スヴィアは全滅したと言っていたが、頭から信じたわけではない。
その裏を取るべく司令部にも確認を行う。
僅かな間の後、変わらぬ声色で報告がされる。

『現在現地で活動可能な隊員はMr.forget-me-not以外ではMr.Oakのみです』

スヴィアの証言通りの答えが返ってきた。
任務を続行しているのは先ほど別行動をとった大田原のみである。

「Mr.Oakは現在、私の指揮下で行動しています。
 別所から研究所を離脱させ待機を命じていますが、合流して以後の活動はチームで行う予定です」

残りの標的は11名。こちらの戦力は2名。
ばらけてローラー作戦する段階は終りだ。
戦力を集中して各個撃破、あるいは一網打尽にする段階である。
その方針を伝えるが、それに対する司令部からの反応は思わぬものだった。

『その報告はこちらで確認した映像と一致しません』
「…………なんですって?」

思わず問い返す。

133ミーティング『Z』 ◆H3bky6/SCY:2024/05/07(火) 22:08:12 ID:TA66qW7U0
『待機を命じている、という話ですが、Mr.Oakが診療所から出てしばらく駐車場で待機しましたが、現在はその場を移動しています』

大田原が待機命令を無視して動き出した。
自意識を失ったあの状態を考えればありうる話だが。
正気を失おうとも秩序と言う名の狂気で動くあの大田原源一郎が、仮にも上官である天の命令を無視するだろうか?
それを上回る秩序(なにか)が入力されたとでも言うのだろうか。

「Mr.Oakは正気を失っている状態にありました。小康状態にあったのですが、症状が再発した可能性はありますが……現在はどこに?」
『日野珠と交戦中の山折圭介、神楽春姫の戦闘に乱入したようです』
「ッ…………!?」

無線を漏れ聞いていたスヴィアが思わず声を上げた。
地下研究所で一緒だった日野珠の名に反応したのだろう。
天としても気になる報告である。

「正常感染者同士の戦闘に乱入したという事でしょうか?」
『そのようですね』

今の大田原が再び暴走状態になっているとするならば、正常感染者を殺すべく戦闘に突入した光景は想像に難くない。

『Mr.Oakは山折圭介、神楽春姫と交戦。山折圭介の持つ剣から放たれた光によって撃退されています。
 日野珠は異能と思しき力で空を飛行してその場を離脱しています』

かなり無茶苦茶な内容を大真面目な声で報告される。
だが、今更この村でそんなところに引っかかったりしない。
天は引っかかったのは別のところだ。

「……飛行ですか? 日野珠の異能について、こちらの認識と異なりますね」

今度は天が報告に異議を唱える。
上空からの監視では分からなかったのか、天の持つスマホのデータバンクには日野珠の異能は不明とある。
だが、スヴィアから聞いた話では『運命(イベント)を観る眼』だったはずだ。

仮に異能が進化したのだとしても、眼の異能が空を飛ぶような類の異能になるとは思えない。
とは言え、司令部が嘘を報告する理由もない、飛行しているのも事実なのだろう。

『複数の異能を持つ村人は確認されています。彼女もその類である可能性は考えられるでしょう』

哀野雪菜、月影夜帳、そして独眼熊。
上空からの監視だけでは獲得した経緯までは分からないが、複数の異能を操る村人事態は司令部も確認している。

彼らは異能という超常の力については理解できているとは言えない。
そもそもが異能は一人に一つという原則自体が誤りだったのかもしれない。

天は異能者の一人であるスヴィアに視線を向ける。
顔色を悪くしているのは傷のせいだけではないだろう。
何か知っていそうだが、あえてここでは追求せず通信先との話を進める。

「Mr.Oakの行動については了解しました。接触できた場合、再度説得を試みてみます」

J(ジャック)を切ってまで手に入れた鬼札(ジョーカー)だ。
生かす前に無くしてしまったでは、切り捨てられた小田巻が浮かばれない。
ともかく、おおよその状況は理解できた。話は次の申請に移る。

「研究所の意向を確認するため、できればスヴィア博士を交え、直接話をしたいと考えています。
 研究所との通信許可を隊長に頂きたいのですが、隊長に直接ご報告したいこともありますし、取り次いでいただけますでしょうか?」

不躾な申請だったためだろうか、返答に僅かな間が開く。
思案するような間の後、何事もなかったようないつも通りの冷静な声で真田が応答する。

『隊長は現在、別件にて現場を外しておられるためすぐにはお繋ぎできません』
「外している? どちらに?」

現場で指揮を執るため出世を断るような男である。
あの奥津がこの状況で現場を離れる別件など、そうあるとは思えないが。

『隊長は現在、東京の研究所に向かわれています』

東京の研究所。すなわち人類未来発展研究所本部。
この村とは違う、もう一つの最前線に直接出向いているという事である。

研究所の意向を伺いたいのは現場のスヴィアや天だけではない。
特殊部隊を率いる隊長がその意向を探るのもよく考えれば当然だろう。

『どちらの件にせよ隊長に判断を仰ぐ必要はあると存じます。
 ひとまずこちらで隊長に対応を伺いますので、いったん通信を切ります。少々お待ちください』

そう言って真田が無線機を切り、一旦通信が途切れた。
1対1の通話を前提とした携帯電話と違い、通信機は多人数での通信が想定されている。
技術的には現在の通信に奥津を加える事だって可能なはずだ。

わざわざ通信を切るという事は、上のやり取りは聞かせられないという事だ。
それは天に対してと言うよりは、同行者であるスヴィアに対する警戒だろう。
天としてもそう言った配慮の為にスヴィアの同行を伝えたのである。

134ミーティング『Z』 ◆H3bky6/SCY:2024/05/07(火) 22:10:01 ID:TA66qW7U0
無言のまま応答を待つ。
裏では真田から研究所の奥津に通信が行われているのだろう。
時間がかかる分にはスヴィアとしても都合がいい。
下手に藪蛇をつつくような真似はせず、黙ったまま待機を続ける。

数分後。
協議が終ったのか、天の持つ通信機が電波を受信する。
結果を報告する副長である真田からの通信か。あるいは直接隊長である奥津からの通信かのどちらかだろう。
そう考えて天は通信に応じた。

「こちらforget-me-not。応答願います」

だが、通信機の向こうから聞こえてきたのはそのどちらでもない、想定外の声であった。

『……オヤ? コレで現場に繋がっているかナ?』

嗄れているにもかかわらずどこか飄々とした軽さを感じさせる外れた声。
無線機の先から響いたのは、天が聞いたことのない老人の声だった。

『染木博士。まずは私が応対しますので……』
『そうだぞ百之助。いい歳なんだからがっつくな、はしたない』

その向こうから騒がしい様子が聞こえてくる。
どうやら通信先に研究所の上層部と同席しているようだ。
期せずスヴィアの願いもかなえられた事になる。

『騒がしくしてすまないな。forget-me-not』
「い、いえ」

こうして軍事衛星を中継して岐阜-東京間が接続される。
あるいは地獄の現場とそれを俯瞰する研究者たちに。

『報告はreedから聞いている。スヴィア博士と同行中だという話だな?』
「はい。私の現場判断でしたが、勝手な判断でしたでしょうか?」
『いや、問題ない。むしろ今となっては妙手だったかもしれん』

伺うように尋ねるが、SSOGをまとめる隊長はそれを咎める事はなく意味深な肯定をする。
天も疑問に思うが、その疑問は飲み込み口に出すことはなかった。
それよりも天は奥津に尋ねたかった事項を問う。

「同行しているスヴィア博士が研究所内で『Z計画』について書かれたレポート発見しました。
 隊長はこの計画を把握しておられるのでしょうか?」

この事実について隊長も知らないのか。知っていて説明しなかったのか。
どちらにせよその判断に意見するつもりはないが、どちらなのかだけは知っておきたかった。
それによってこの件に対する動きも変わってくる。

『ああ、計画に関してはこちらも先ほど確認した所だ。reedへの共有も後でこちらで行う、回答はこれでいいか?』
「――――では」
『真実であるという前提で進めてくれ』

話し口からして奥津も先ほど事実確認をしたようである。
だが、彼が直接裏を取った以上、それは真実なのだろう。

世界は滅ぶ。
8年後の未来に。

『あとは、研究所と話がしたいと言う申請だったか』
「ええ。同行しているスヴィア博士からの要望です。ですが隊長がお話ししているのであれば私としては……」

研究所への通信許可を研究所から通信している奥津に問うのもおかしな話である。
奥津がすでに話していると言うのなら、天としては改めて話すこともない。
後ほど奥津からの報告を聞けばいいだけの話だ。

「待ってくれ、それは、」

だが、それはスヴィアとしては困る。
時間稼ぎ以前に研究所の上層部にはいくつも聞きたいことがあった。
これを逃せば上層部と話せるこんな機会はもうないだろう。

『――――そろそろ少しいいカナ?』

スヴィアの抗議より僅かに早く、待ちきれないと言った風の老人の声が割り込んだ。

『スヴィアくんが居るのダロウ。話がしたいネ』

スヴィアが望むまでもなく、向こうから後押しが掛かる。
そこから何やら通信機の向こうでやり取りがあって、通信機の使用権が奥津から研究所の面々に譲られたようだ。
それに伴い天も通信をスヴィアに譲る事になった。
勿論通信内容は天にも聞こえる形で共有される。

135ミーティング『Z』 ◆H3bky6/SCY:2024/05/07(火) 22:12:43 ID:TA66qW7U0
『ヤァヤァ。キミが研究所を去って以来だネェ。スヴィアくん』
「…………お久しぶりです。染木副所長」

一研究員でしかなかった当時のスヴィアからすれば所長や副所長は雲の上の存在だ。
久しぶりと言っても染木とは直接話したことなど殆どない。
彼女が研究所で主に話していた相手と言えば、それは。

『長谷川です。お久しぶりですね。スヴィアさん』
「長谷川部長……」

透き通る氷のような不純物のない平坦な声。
彼女の所属していた脳科学部門のトップ。直属の上司である長谷川真琴。
彼女とは若い女研究員と言う立場的な共通点もあり、それなりに言葉を交わす機会もあった。
こうして彼女と話すのも、クビを言い渡され去り際に挨拶をした以来である。

『スヴィアくん。キミは当事者として多くの事ヲ見聞きしてきたはずダ。ソノ話を聞かせてほしいナァ』

研究所でマクロな視点から事態を俯瞰する彼らと違い、当事者としてのミクロな視点を持った研究員だ。
それは奇しくもこのテロを引き起こしたモノたちが望んだ存在であり、研究所からしても値千金の証言者である。

「…………待ってください。その前にあなた達に答えほしい。
 何故、このような事件が発生したのか。あなた方は説明するべきだ」

だが、スヴィアは質問には答えず、自らの意見を通した。
研究所にはこの事態を引き起こした説明責任がある。
それが為されない以上は話も進まない。

『そうだネ。その言い分は正しいダロウ』
『ならば、俺が話すべきだな』

老人の声と入れ替わるのは、張りと活気のある若々しい声だった。
その声には聞くだけで竦むような威厳が含まれている。

『初めましてと言うのもおかしな話だが、自己紹介は必要か?』
「いえ……もちろん存じていますよ、終里所長」

割り込んできたのは研究所における最高責任者。
人類未来発展研究所本部所長。終里元。
遠目から一方的に話を聞くことはあっても直接言葉を交わすのは初めての事である。

『元職員である君にわざわざ説明するでもないだろうが、我が研究所はその名の通り人類を未来に発展させるために設立された研究所だ。
 それは理解しているね?』

研究所の設立理由は一般職員や外部にはそう説明されている。
スヴィアもそう理解していた。

「……だが、それは全てではないでしょう?」

嘘ではないが実際のところは違う。
『Z』を知った今となってはわかる。
研究所には『Z』と言う終わりを超えて、未来に人類を存続し発展させると言う明確な目的があった。

『そう。研究所は『Z』の回避のために立ち上げられた組織だ。
 言うまでもなく決して間違いの許されない研究だからね、慎重に慎重を重ねて研究をしていた』
「それでこの事態ですか……」
『言ってくれるな。君も研究者だったのなら新薬開発の危険性はわかるだろう?』

薬も使い方次第で毒になるのは常識である。
莫大なエネルギーを生む原子力だって扱い一つで、世界を滅ぼすような被害をもたらす事もあるだろう。
研究者であったスヴィアがそれを分からぬはずもない。
ましてや開発中の新薬ともなれば安全性は担保されていない。

『それに如何に万全を重ねても、悪意ある人為的な破壊工作に対処は難しい。言い訳と言われればそこまでだがね』
「…………人為的な……破壊」

と言葉を切り、通信越しにも聞こえるようにこれ見よがしにため息をつく。

『ああ、研究員の中には性急に事を運ぼうとする一派も居てね。
 その焦りが彼らを凶行に走らせたようだ。それがどのようなものであったかは語るまでもないだろうが。
 そう言った輩を生み出さないため情報は統制していたのだが、これを漏らした人間が居たようだ』
「……烏宿主任…………ですか?」
『ああ、今は副部長だがね』

最悪の推測に回答が与えられる。

「つまり……研究所の上層部はこの件に関与していないと?」
『誓って』

その誓いを頭から信じるほどおめでたくもないが、嘘と断ずる理由もない。
何よりスヴィアには錬の不審な動きについて心当たりがある。

136ミーティング『Z』 ◆H3bky6/SCY:2024/05/07(火) 22:15:52 ID:TA66qW7U0
数年後に世界が滅びるなどと言うあまりにも大きすぎる事実。
スヴィアだって、現実感がないから受け入れられているだけだ。
だが、その問題に現実感をもって向き合っている研究者はそうではない。
所長や副所長のような超越者が例外でまともでいられる人間の方がどうかしている。

「だとしても……あなたたちの管理責任がなかった訳じゃない」
『それはそうだ。まったくもって慚愧の念に堪えないよ。
 だが、責任と言う意味なら君はどうだ、スヴィア・リーデンベルグ?』

突然、返す刃のように追及の矛先が向けられる。

「……どういう意味でしょう」
『今回の件、烏宿の奴に担ぎ出された面子の中には君の友人もいたようだ、知らぬわけでもあるまい?』
「それは…………」

知っている。
この事件が起きる前から彼らがこの村に居る事を知っていた。

「随分と……お詳しいのですね……?」
『そうでもないさ。その勢力をきっちり把握していれば事前に止められたのかもしれないのだから。
 そうだな、これは私の想像でしかないが、君にもそのお声がかかったのではないか?』

声がかかったのはその通りだ。
だが、実際は詳しい話を聞く前に感情のまま突っぱねてしまった。

『ああ。誤解がないように言っておくと、別に君を疑っているわけではない。
 だが、止める機会はあったのではないか、と思ってね』

終里はそう言うが、実際はそんなことはないだろう。
錬たちはスヴィアの意見など聞かなかっただろうし、仮に聞いたところで端役でしかない錬を止めたところで何の影響もない。
スヴィアがどうしようと変わらず、この山折村でのテロは行われ、生物災害は村を侵す。
だが、スヴィア自身がどう考えているかはまた別の話だ。

あの時、ちゃんと話を聞いていれば、あるいは彼らを止められたかもしれない。
そんな責任感がスヴィアを動かす暗い情動となっている。

『脛に傷ある者同士、共に手を取って責任を取っていこうではないか。なぁスヴィアくん』

彼女に負うべき責任などどこにもない。
それを理解した上でスヴィアを巻き込むべく、この男は言っている。

この男と対峙するのであれば奥津のような強い精神を持たねばすぐさま飲み込まれる。
大波に飲み込まれぬようスヴィアは踏ん張るようにぐっと力を籠めた。

「責任を取る、と言いましたね。あなた達は私たちをどうするつもりなのですか?」
『どう、とは?』

問い返され、スヴィアは持っているカードを切り出す。

「田中花子と言う女性からも研究所に接触があったはずだ。
 ……そこで出た結論を聞かせてほしい。彼女の通信を受けたのは……」
『ワタシだネ』

ハイハイと、名乗りを上げたのは副所長である染木百之助だ。

「……どのような交渉がされたのですか?」
『そうだネェ。細かい話は置いておくとしテ、彼女の気にしてきたのは事態の解決後のキミらの身の安全だネ。
 それ以上の特殊部隊の介入を避ける代わりに、生存者の身柄は我々が保護する事になっタ。
 無論、キミらが受け入れればと言う話だがネ』

特殊部隊に口封じで殺されない代わりに、研究所からの保護と言う名の軟禁を受け入れる。
そういう落としどころになったようだ。
研究所に捕らわれ実験材料になるのだろうが、最悪の状況から考えればまだマシだろう。
生きてさえいればその先の光も見えてくる。

「ですが…………本当に特殊部隊を止められるのですか?」

重要なのはそこだ。
研究所に、特殊部隊を止める権限があるのか。
すぐ横で天がそば耳を立てている状況でこの言葉を発するには勇気がいるが、意を決して言葉にする。

137ミーティング『Z』 ◆H3bky6/SCY:2024/05/07(火) 22:19:20 ID:TA66qW7U0
「はっきり聞きます。特殊部隊の動きは研究所の意向に反するものだったのはないですか……?」

ふむ。と感心したように終里が呟く。
天の気配がざわつくのを感じる。

『何故そう思ったのか、理由を聞こう』
「…………48時間と言うルール。これはデータを回収するためのルールだ。
 このルールがある以上……あなた達は出来る限り引き事態を伸ばしたかったはずだ。
 早期解決を図る特殊部隊の動きとは異なる」

最終的に事態の収束を目指すと言う一点は同じでも。
出来る限り自体を引き延ばしたい研究所の意向と、早期解決を目指す特殊部隊の意向は異なる。

『なるほど。その通りだ。彼らの動きはこちらの意図したものではない』
「…………随分と、あっさり認めるのですね」
『そこまで察しのついている相手に誤魔化した所で仕方あるまい』

上層部同士の意識の祖語はつけ入る隙になりかねない。
にもかかわらず研究所の長は特殊部隊との不和を認める。
その横では特殊部隊の長が聞いているだろうに。

そう、既に特殊部隊の隊長が研究所を訪れているのだ。
直接膝を突き合わせている以上は何らかの擦り合わせが行われているはずだ。
特殊部隊の独断専行に対する追及は既に終わっている可能性は高い。

『だが、それも先ほどまでの話だ。ここにいる彼ら(SSOG)と話はついている』

その予測を裏付けるように、終里が言う。
横でその報告を聞く天も真珠からその可能性は聞いていたため驚きはしなかった。
スヴィアとしては付け入る隙がなくなったことになるが、特殊部隊が研究所と一枚岩になったと言うのならそれはそれで都合がいいこともある。

「では、今すぐに特殊部隊を引かせてください」
『それは無理だ。わかるだろう? VHは解決せねばならない。A感染者を始末するには彼らの力は有用だろう』

A感染者つまり女王の始末。
結局の所、当初より設定されたその条件に帰結する。
女王の暗殺のために送り込まれた特殊部隊。ここまで来たら彼らを引かせる理由がない。
だが、それについてはスヴィアも意見がある。

「……女王の件に関してだが、提案がある。
 と言うより……第一人者であるあなた達に尋ねたい」

そう切り出しスヴィアは自らの考えた解決策の説明を始めた。
ウイルスの動きを否定して異能を無効かする天原創の異能。
この効果を利用すれば、生きたままウイルスの影響を排することができるのではないか?

「…………これが私の考えた解決策だ。この方法は実現可能だと思いますか?」

所長と言うよりは、通信の先にいる2名の研究者に問う。
考え込むような息遣いが通信越しに感じられた。

『確かに、仮死状態にすればウイルスの影響はなくなるのではないか、と言う仮定はありました。
 ですが、そのためには脳の機能を完全に停止する必要があり後遺症は免れないという予測でした』
『ソウだネェ。麻酔なんかでも完全に脳機能が停止する訳ではナイ。修道士が用意する都合のイイ仮死薬など現実には存在しナイからネェ。
 生きながらにしてウイルスだけの機能を止める、都合のいい方法などナイと思っていたのダガ』

研究者の思いつく常識的な方法では不可能だった。
可能とするのは常識から外れた異常な方法でなければならない。

『イヤ、異能を使うという発想は面白い、現地に居たからコソの発想だネェ』

何が出るかがわからないカオスは数値を入れようがない。
そもそも個人に依存する属人化した方法など研究者からすれば問題外だ。
だが、この場、この一度を解決する方法としてはこれ以上ない方法である。

『ダガ、女王の特定はどうするのダネ? まさか手当たり次第にやるつもりカイ?』

当然の疑問だ。
だが、スヴィアには心当たりがあった。
変質した日野珠。スヴィアはその心当たりを話すべきか迷う。

花子が既に落とし所を決めていてくれたおかげで、交渉はスムーズにいった。
スヴィアの提案した方法が可能であることは研究を主導する開発者たちのお墨付きを得た。
研究所と特殊部隊の関係も見直された、この方法が共有されれば特殊部隊も強硬策には出ないだろう。
終息後の安全が約束されているのなら、これ以上の犠牲を出すことなく平和的に解決できる。

だが、それは事件解決のために彼女を差し出すことになる。
それは正しい事なのか?

スヴィアはどうすべきか思考を巡らせ迷宮に陥る。
だが、その逡巡の間にスヴィアより先に横に居た防護服の男、天が口を開いた。

「それであれば私に心当たりがあります。
 女王は――――日野珠ではないか、そう考えています」

その告発に、スヴィアの心臓が跳ねる。

138ミーティング『Z』 ◆H3bky6/SCY:2024/05/07(火) 22:22:02 ID:TA66qW7U0
「そうでしょう? スヴィア博士」

すぐさまその矛先をスヴィアに向ける。
それは同意を求めるようで、スヴィアが分かっていることをわかっているぞと言う牽制であった。

『ふむゥ。根拠を聞こうカ』
「私の方には確証があるわけではありません、ただの推測です。
 ですが、彼女にはこちらの把握と全く別の異能が覚醒していたとの報告があります」
『別の異能ネェ。女王の特性とも言えナイし、確かとは言えないナァ』

がっかりとした様子で老研究者は声を落とす。
複数の異能に関しては他にも事例がある事は報告に挙げられている。
根拠であるとは言い難い。

『スヴィアくんの方はどうダイ? その日野珠という少女が女王である心当たりハあるカナ?』

当然、話題はスヴィアに振られる。
突っぱねることもできただろうが、それが逡巡していた最後の後押しになった。
こうなっては答えるしかない。

「…………ええ。ウイルスを観る異能者がそう認めたのを聞きました」
『ナルホド。異能カァ』

やや呆れたような研究者の呟き。
元は終里の子たる与田四郎の異能だ。
それを取り込んだ独眼熊がこれを認めた。

『それで、君の目から見た日野と言う娘はどうだったのだ? 何か君の目にもわかるような変化はったのかな?』

研究者ではない所長が本質を問う。

「確かに日野くんの様子はいろいろとおかしかったですが…………。
 印象に残ったのはあの瞳…………黄金に輝いていた事ですか」

珠の様子は明らかにおかしかったが。
その中でも何より印象に焼き付いたのは、あの黄金の瞳だ。
内部ではなく、明確な外見の変化はあれくらいだった。

『…………ナンだっテ?』

その言葉を聞いた染木が、これまでの掴みどころのない飄々とした様子から一転した。
通信先の緊張感が伝わるような不自然な間の後、ただ一言、シリアスな口調で呟く。


『――――――早過ぎル』


「…………それは、どういう意味でしょう?」

スヴィアの疑問には答えず、通信中であることも忘れ、研究者たちは夢中の様子で議論を始めた。

『BならともかくZに至るにはあまりにも早いナァ』
『やはり……何か異能の絡みでしょうか?』
『だろうネェ。ワレワレの把握していない何らかの数値が掛けられたのダロウ』
『やはり、無視をするには影響が大きすぎるのでは?』
『カと言って計算に組み込むには不確定な要素ダ』
『今回の件で僅かですがサンプリングはできました。発現する異能の傾向やカテゴライズは可能かと』

誰にどういう異能が覚醒するかは個人の資質に依るものだ。
不確定な要素として計算に入れてこなかった。と言うより計算に入れようがなかった。

だが、スヴィアが解決策として提示した方法も、女王の特定も異能によるものである。
科学を超えた結果を残しているとなれば、無視をするには影響が大きすぎるだろう。
それが分かっただけでもこの事件はシミュレートとして有用だったと言える。

「失礼……議論は、後回しにして説明願えますでしょうか?」
『オット、すまないネ。悪い癖だヨ』

このままだと延々と続けそうな2人にスヴィアが口を挟む。
説明自体も好きなのか、染木は気分を害した様子もなく説明を始める。

『時間経過と共にウイルスは人体に定着を始めル。コレは知っているネ?
 定着したHEウイルスは変質を行い、CウイルスはBウイスルに、女王たるAウイルスはZウイルスへとその性質を変化させるんだガ。
 CからBへの変質は比較的容易でアリ、単独繁殖外の性質的な違いもない。ダガ――Zは違う。
 発症すれば外見的な変化が現れる。それが――――』
「――――黄金の、瞳」

女王たる珠に生じた変化の理由。

「ですが…………定着するのは48時間後の話でしょう? まだ24時間も経過していない」
『ソウだね。だが、事実としてそうなっている』

感情値によって定着の速度は前後する。
それを考慮しても24時間以内にZに至るのはあまりにも早い。
だからこその、早すぎると言う呟きか。

139ミーティング『Z』 ◆H3bky6/SCY:2024/05/07(火) 22:26:21 ID:TA66qW7U0
『原因は、おそらく誰かの異能でしょう。現状ではそれだけしかわかりませんが』

淡々とした様子で女研究員がそうまとめる。
異能と言う原因追及すらも難しい不確定要素。
現状でこれ以上追求の仕様がないだろう。

「ウイルスがZになるとどうなるのです……?」
『ソレはコチラが聞きたいねぇ。女王はどんな様子だったカナ?』

問い返され、スヴィアは去り際の珠の様子を思い返す。

「…………言動に変化が見られたように思います。それに……」
『ソレに?』

スヴィアが発言を躊躇うように息を飲んだ。
彼女が気にかけているのは死者を救うような珠の発言だ。
この疑問を確認せねばならない。

「……博士は、死者の蘇生は可能だと思いますか?」
『面白い質問だネェ』

本当にそう思っているような楽しげな声。
観測不能であると思われたZの出現に老研究者はいつになく上機嫌だ。

『ソレは蘇生の定義によるネ。『完全なる死者蘇生』は不可能だと私は考えているガ』

妙な言い回しだ。
スヴィアは詳細を問う。

「完全なる死者蘇生の定義とは、どのような物でしょう…………?」
『器とナル『肉体』。『精神』つまりは記憶ダネ。そして存在を定義する『魂』、科学的には証明されていないがココではアルと仮定しよう。
 人間はコノ3つの要素で構成されてイル。
 蘇生とはこのイズれかを復元する行為でアリ、コノ全てを復元する事は不可能でアル、というのが私の持論ダネ』
「では……全てでなければ復元可能だと……?」

染木の言葉に従うならば、逆説的にそう言う事になる。

『ソウだネェ。復元と言うより代替ダネ。ソレでアレば死亡した人間の体を再び動かすだけであれば可能ダロウ。
 旧日本軍では死体に別の精神体を入れ込むことにより死者蘇生を実現しようとしてイタ』
「別の精神体…………」

別の精神と魂を埋め込み肉体のみを復活させる。限定的な死者蘇生。
これは旧日本軍が戦力的な補充を目的としていたため用いられた方法だ。
これにより異世界の魔王を呼び込むことになったのだが、それはまた別の話である。
死体に別の意識や魂を埋め込めば、それは死者蘇生と言えるのか?

「…………ウイルスに意思はあるのでしょうか?」
『ふムゥ。どういう意味かね……?』

スヴィアの疑問にウイルスの専門家が興味深そうに食いついた。

「…………日野くんの言動の変化は、彼女が変わったというより別人のようでした。
 おかしなことを言うようですけが……印象でしかないのにそれを見た私女王であると言う確証があった。
 それこそ…………女王という何かに意識を乗っ取られたような様にすら感じられた」

あの村ではそういった事象がいくつか見受けられる。
寄生生物のようなナニカが存在し居ているのだろう。
それは村の歴史を調査した時点で研究所も把握していた。
だが、その対象が目覚めた女王であると言うのなら話は違ってくる。

『ウイルスの様な微生物に意識は存在しナイ。脳や神経系を持たない単純生物だからネ。あるのは外部刺激に対する反応だけサ。
 意識がアルように見たのならソレは…………ンン? 意識………………イヤ、ダとするとあるいハ……そうカ、ソレなら計算も…………ッ!』

何かに気づいたのか、ぶつぶつと老人がうわごとのように呟き始める。
そして、掠れた老人の声が徐々に弾むように生気を帯びていった。

『確かに、ウイルスに感染した検体には行動や意識の変質は認められタ。
 だが、それはウイルスによって検体の脳構造が変化した影響によるものだと考えられていタ。
 乗っ取られたように人格そのものが変わるような変化は本来ではありえナイ。
 ナラば! それが発生したと言うのならばそれは何の意識カ? 
 ソウ考えれば答えも見えてくるジャないカ…………!?』

老人が嘗てないほどのテンションでまくしたてた。
全員がその熱量についていけないが、老人はそんなことはまるで構っていない。
空白だった値が代入され、答えが見えてくる。

『――――――[HEウイルス]には『精神(いしき)』がある』

HEウイルスは終里元という不老不死の怪物から精製されたウイルスである。
研究所が着目し利用していたのは細菌の感染力と、現実を塗り替える魔法の力だ。
だが、一点。研究者たちが見落としていた要素がある。

終里元を形成するのは『細菌』と『魔法』、そして元となった『人間』と言う3要素だ。
その要素が全て引き継がれているとするならば、HEウイルスには人間としての『精神』がある。
そしてあるいは――――『魂』、その素となる要素が含まれているかもしれない。
女王に発現した意識がウイルスの意識だったとするならば。

140ミーティング『Z』 ◆H3bky6/SCY:2024/05/07(火) 22:28:08 ID:TA66qW7U0
『ソウ考えればこれまで分からなかった適合条件も見えてクル!
 逆だったんだヨ! 被験者側の体質ではナク、ウイルス側の問題だと考えればドウダ!?』

唾を飛ばす勢いで捲し立てる。
マウス実験では同一のDNA情報を持つ一卵性双生児であっても、同一の結果になるとは限らなかった。
下手をすれば同一人物であったとしても、確実性はない可能性すらあった。
それ故に適合条件の特定に難航していたのだが、ウイルスが意志を持っているのなら全てはひっくり返る。

ウイルスが自らの意思をもって適合するかを選んでいるのだとしたら。
生物的な反射ではなく、人間的な判断であれば、気まぐれも起きよう。
そう考えれば、終里の子を贔屓するのは必然だろう。自身の兄弟なのだから。
ならば、研究のアプローチは根本から変わってくる。

『アリガトウ! スヴィアくぅん! この情報のお陰で、研究が5年は進んだヨ…………ッ!』

老研究者は興奮を抑えきれない様子で喜々として叫んだ。
研究者からすれば待望の新発見である。
こんな所はほっぽり出して研究室に駆け込みたい気分である。

『―――だが、こうなると話は変わってくるな』

そこに、舞い上がる老人とは対照的な重々しい声が刃のように差し込まれた。
所長である終里だ。
彼は待望の成果に沸き立つでもなく、冷静に話の流れを読んで要点を指す。
その言葉に冷や水を差し込まれたのか、興奮していた老研究者もいくらか落ち着きを取り戻したようだ。

『ン? アア、確かにそうなるネェ』
『そのようですね』

終里の言葉に研究者2人は納得を示した。
だが、それが何を指しているのか、特殊部隊の2人は元より、スヴィアも分っていない。

「変わったとは、どういう意味ですか……?」
『先ほどのスヴィアさんの提示された解決策が、使えなくなった、という事です』
「なっ。何故だい…………!?」

長谷川の言葉に困惑するスヴィア。
その疑問に落ち着き払った様子の研究所の長が答える。

『君の発見は素晴らしかった、天才的な着眼点だ。だが、しかし、前提が変わった』
「前提…………?」
『そう、つまりは女王にウイルスが定着した。こうなったら除去は不可能だ。殺すしかない』
「なっ…………!?」

スヴィアの報告で得た希望が、スヴィアの報告により絶望に反転する。

「それでも……何か別の方法が…………ッ!」

指先からこぼれる希望に縋りつくようにスヴィアが言う。
研究者たちが異能を計算に入れられていなかったように、思いもよらぬ解決策があるかもしれない。

『それは難しいかと思います。定着したHEウイルスは脳のみならず神経にも、排除すれば生命活動を維持できなくなります』
「…………つまり、殺してウイルスを除去するのではなく。
 そもそも定着したウイルスを除去すれば死ぬ…………という事なのか?」
『その通りです』

除去できないのではなく。
そもそも除去する行為が死につながる。
それが事実なら絶望的だ。

『まあ標的が明確になったのならば、仕事も容易かろう。
 勿論、スヴィアくんもご協力いただけるだろう?』

殺害すべき女王(ひょうてき)は明確になった。
もう特殊部隊による無差別な虐殺は起きないだろう。
後は彼女を殺せば最小の犠牲で全てが解決する。

これ以上ない最適解。
研究者としては受け入れるのが正しいのだろう。
だが、

「――――協力はできない。
 今の私は研究者ではなくこの村の教師だ。生徒を切り捨てる様な提案には乗れない」

叩きつけるようにはっきりと告げる。
珠を犠牲するような提案に乗る訳にはいかない。

『交渉決裂、という事でいいのかな?』
「ああ。私は必ず別の解決策を見つけ出して見せる。私は私のハッピーエンドを目指す」

他の誰でもないスヴィアの目指すハッピーエンドだ。
もうすでに手遅れだったとしても、目指すことだけは諦めたくない。
通信の先で口をゆがめて笑ったような気配がした。

141ミーティング『Z』 ◆H3bky6/SCY:2024/05/07(火) 22:29:21 ID:TA66qW7U0
『ならば、好きにするといい。我々も好きにするまでだ』

訣別ともとれる言葉。
その声は楽し気ですらあるというのに、聞くだけで怖気がするような圧力があった。
だが、もう吐いた唾は呑めない。

『我々からは以上だ。特殊部隊(そちら)は何かあるかな?』
『エェ……マダマダ聞きたい事があるんだけどナァ……』

老人の抗議を無視して隣の特殊部隊の隊長へと問う。
通信を変わった奥津が部下へと声をかけた。

『forget-me-not。苦労を掛けるな』
「いえ」
『厳しい任務だと思うが、任務完了後には鳩山を南口に迎えによこす、それまで堪えてくれ』
「はっ、お心遣いありがとうございます」

現場で激務をこなす部下に上官からの労いの言葉が掛けられ、通信が終わる。
通信機からの声が消え、その場には静寂と共に天とスヴィアが取り残された。
2人の間にはピリピリと張り詰めた空気が漂っていた。

「スヴィア博士」
「…………なんだい?」

気軽な様子で声を掛け合いながら。
ジリと、互いにポジションを変えながら互いに向きあう。

「協力を断るという意味を理解していないわけではないでしょう?
 あれだけ内情を知ったあなたを生かしておくとでも?」

言って天が手にした銃のスライドを引く。
先ほどの通信はいわば上層部との密談である。
協力関係を断った以上、あれだけ機密を知った相手を生かしてはおくわけがない。
研究所と特殊部隊が一枚岩になった以上、当然こういう展開も予想していた。

「ああ、それくらいわかっているさ…………けれど」

コンディションは最悪。相手は強大。
それでも、と決意を力にするようにぐっと足に力を籠める。

「私はまだ死ぬわけにはいかないんだ!!」
「なっ…………!?」

スヴィアが地面を蹴った。
全身を投げ出すような決死のタックルを放った。
余りにも意外な行動に意表を突かれたのか、天は避ける事も出来ず、そのタックルの直撃を喰らう。
だが、軽量級のスヴィアのタックルなど、直撃を受けたところで精々一歩引かせる程度の効果しかないだろう。

しかし、その一歩が致命傷になることもある。
天は咄嗟にバランスを整えるべく地面を踏みしめようとするが、運悪く、そこには丸く刳り貫かれたような穴があった。
それは地下研究所における緊急脱出口である。

その傍らに立っていた天は足を踏み外して、そのまま穴底へ落下していった。
それを確認して、スヴィアはボロボロの体を押して駆け出す。

天とて精鋭たる特殊部隊だ、これで死ぬほど軟ではないだろう。
すぐに穴底から這いあがって追ってくるはずだ。
スヴィアはそれから逃げ切り、事実を伝えねばならない。
生き残った仲間たちへ。

【E-1・E-2の中間/草原/一日目・夜】

【スヴィア・リーデンベルグ】
[状態]:重症(処置中)、背中に切り傷(処置済み)、右肩に銃痕による貫通傷(処置済み)、眩暈、日野珠に対する安堵(大)及び違和感(中)
[道具]:研究所IDパス(L1)、[HE-028]のレポート
[方針]
基本.VHを何としても止めたい。
1.天から逃げて生存者と合流する
2.珠を女王から解き放つ新しい解決策を見出す
[備考]
※黒幕についての発言は真実であるとは限りません
※日野珠が女王であることを知りました。
※女王の異能が最終的に死者を蘇らせるものと推測しています。真実であるとは限りません。
※『Z計画』の内容を把握しました。死者蘇生の力を使わなければ計画は実行不能と考えています。
※1800時点の生存者を把握しました

142ミーティング『Z』 ◆H3bky6/SCY:2024/05/07(火) 22:30:21 ID:TA66qW7U0



防護服に身を包んだ天の体が深い穴底を落下する。
天は落下しながら足裏で壁をこすり、片手を梯子にぶつけながら減速すると、身を捻って余裕をもって両足で着地した。
腐っても精鋭。不意を突かれたのならともかく、心身共に準備ができていれば天でもこの程度は容易い事である。

着地した天は何事もなかったように手にしていた通信機を防護服に接続すると、通信を内部のイヤホンスピーカーに切り替える。
地下で行われるイヤホン越しの会話はスヴィアの異能であろうとも聞き取れまい。

「内部通信に切り替えました。先ほどの指令、完了しました」
『よくやってくれた。forget-me-not』

天の報告を奥津が労う。
天に与えられた任務。それは通信の最後に奥津から与えられた言葉である。

『鳩山』を『南口』に迎えによこす。
飲食店が害虫を太郎と呼ぶように、特殊部隊にも他者から聞かれても分らぬように言葉を置き換える符丁が存在する。
SSOGにおいて『鳩』とは人質、そして『南』は逃亡、退避を意味する暗号符丁だ。

つまり、あれは『人質を逃がせ』という暗号指令である。
その指令を、天は理由を尋ねることなく忠実に実行した。

本当に殺すつもりなら黙って撃てばいいだけの話である。
わざわざ標的に警告してから撃つような甘い男はもういない。
あえて穴の近くに立ち位置を調整して、これ見よがしにスライドを引いたのは隙を見せるためだ。
そうでなければ、満身創痍のスヴィアのタックルなど喰らわないし、喰らったところでビクともしなかっただろう。

『では改めて、これから先の任務を伝える』

通信が司令部へと繋がれ副長である真田も通信に交えられる。
隊長の口から、真の任務が伝えられた。



143ミーティング『Z』 ◆H3bky6/SCY:2024/05/07(火) 22:31:42 ID:TA66qW7U0
「つまり、スヴィア博士は告発役と言う事でしょうか?」

研究所へと続く地下深く、非常出口の奥底。
奥津、真田、天。それぞれが別所に居る特殊部隊の3名は通信越しのブリーフィングを行っていた。

『聞く限り、告発者がスヴィア博士本人である必要はないでしょう。
 彼女が生き残りと合流を果たして見聞きした情報を伝えさえすれば、生き残りは誰でもいい』
『そうだな。彼女は少し聡すぎる。もっと感情的で、拡散力のある人間に伝わるのが理想的だな』

Zの裏付け、研究所の潔白、テロの首謀者、特殊部隊の独断専行。
先ほどの通信で与えるべき餌(じょうほう)は与えた。
後は魚をうまく泳がせればいい。

だが、スヴィアは要らぬ意図まで察しかねない。
彼女が生き残りと合流して、今しがた知った情報を拡散してくれるのが理想的な展開だ。
独断専行を告発されればSSOGは泥をかぶる事になるだろうが、その為の公の記録に存在しない秘密部隊である。

『forget-me-not。お前には、引き続き女王の暗殺と自然な形で情報が漏洩するよう誘導と調整を行ってほしい。
 その過程で汚れ役を担ってもらう事になるだろうが』
「お気になさらず。元よりその覚悟です」

真実をぶちまけてやるという悪感情を抱かせる必要がある。
その為にどうすべきかは天に一任された。

『ドローンの装備換えも完了しました。これ以降は村の様子もリアルタイムで共有できます』

司令部の真田が報告する。
電波の受信口が開けられた事によって、ドローンの映像もリアルタイムで監視が可能となった。
飛ばせるドローンの数には限りがあるため、常時村の全域をカバーできる訳ではないが十分すぎる成果である。

「通信機のバッテリーはどの程度持つのでしょうか?」
『通信を繋ぎっぱなしでも24時間以上は持ちます。本作戦の終了までは問題ないかと。
 通信機には小型のカメラも搭載されていますので、そちらの映像もリアルタイムで確認できます』

過去や未来を見通すような真似はできないが、現在という一点において天は全てを見通す千里眼を得たに等しい。
魔法や異能でもなく科学と組織の力によって。

『一言いいかな?』

いざ、作戦開始と行こうとした所で、奥津の背後から声がかかった。

『なんでしょう? 終里所長』
『プロの話し合いに口を挟むのもなんだと思っていたのだが、一言激励がしたくてね。勿忘草くん』
「…………私ですか?」

終里が呼びかけたのは現地で働く天に向けてだった。

『ああ、女王とやらが意志を持った俺の子だというのなら、何をするつもりなのか凡その意図は読める。
 恐らく、彼の地において君が天敵たりうるだろう、勿忘草くん』
『アト、女王暗殺が為ったのなら死体でもいいから、持ち帰ってくれないかナァ……!?』
「は、はぁ。了解しました」

そのまた背後から便乗した要求が追加される。
天は戸惑いながらも了承を返した。

「では、作戦行動を開始します」

万全の支援を受け。
事件の終わりに向けて、最後の特殊部隊は行動を開始した。

【E-1/地下研究所緊急脱出口地下底/一日目・夜】

【乃木平 天】
[状態]:疲労(大)、ダメージ(大)、精神疲労(大)
[道具]:拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ、ポケットピストル(種類不明)、着火機具、研究所IDパス(L3)、謎のカードキー、村民名簿入り白ロム、ほかにもあるかも?、大田原の爆破スイッチ、長谷川真琴の論文×2、ハヤブサⅢの通信機、司令部からの通信機
[方針]
基本.仕事自体は真面目に。ただ必要ないゾンビの始末はできる範囲で避ける。
1.判明した女王(日野珠)を殺害する。
2.『Z計画』が住民の手によって漏洩するよう誘導する。
3.大田原を従えて任務を遂行する。
4.犠牲者たちの名は忘れない。
5.可能であれば女王の死体を持ち帰る。
[備考]
※ゾンビが強い音に反応することを認識しています。
※診療所や各商店、浅野雑貨店から何か持ち出したかもしれません。
※ポケットピストルの種類は後続の書き手にお任せします
※村民名簿には午前までの生死と、カメラ経由で判断可能な異能が記載されています。
※司令部が把握する村の全体状況がリアルタイムで共有されるようになりました

144ミーティング『Z』 ◆H3bky6/SCY:2024/05/07(火) 22:31:56 ID:TA66qW7U0
投下終了です

145 ◆m6cv8cymIY:2024/05/12(日) 18:45:55 ID:1hyUfZAc0
無予約で投下します

146机上の最適解 ◆m6cv8cymIY:2024/05/12(日) 18:49:51 ID:1hyUfZAc0
「では、作戦行動を開始します」
司令部にそう宣言し、天はまず司令部からの情報更新に取り掛かった。

科学の粋を集めた防護服には、外部デバイスを接続可能だ。
通信機のボタン一つで司令部を通したドローンの画面を視界に共有できる。
また、この通信機はテザリングの親機として用いることも可能だ。
所持している白ロムを司令部と通信機を介して接続することで、村人の異能情報をアップデートすることもできる。
もし異能の情報が更新されたのであれば、それを確認しておくべきだろうとの考えであったが……。

(……魔王の力に村の呪い!?)
山折 圭介と神楽 春姫に追記されていた内容に、自分の目を疑わざるを得なかった。
司令部として確認を取っている以上、真実として扱うしかないのだが。
その能力は多岐にわたるが、一つだけ確実に言えることがある。
今後、村人から何が飛び出すのかは分からないということだ。


気持ちを切り替えて、正常感染者の動向を確認する。
研究所の秘密出入口から去っていくスヴィア・リーデンベルグの姿を、ドローンは確かに捉えた。
今すぐ追跡する予定はないが、他の感染者に遭う前にゾンビの集団に突っ込めば不都合であるため、一応気を回す必要はあるだろう。

(山折 圭介と神楽 春姫は作戦行動区域E-3からF-3へと移動中ですか。
 ほかの正常感染者に関しては、所在位置不明……?
 これは一体……?)
正常感染者の動向を確認しようとしたところ、行方の分かる人間が三人しかいない。
大田原源一郎すら、神隠しに遭ったようにあらゆる画面から消え失せていた。


「司令部。応答願います。
 現在、ドローンにおいて山折 圭介と神楽 春姫、スヴィア・リーデンベルグを除く反応が存在しません。
 私へ画面共有を開始した19:40。
 それまでの期間に、村人たちの痕跡がドローンの映像アーカイブに残っていませんか?」
通信機を受け取ってから最初の通信で天原 創の位置を確認したが、当時の情報にはタイムラグが存在している。
リアルタイムで情報を受信した今現在までの間に、何か動きがあったはずだ。

『司令部応答します。
 マイクロバスにて、F-3からE-3へと移動していた、天原 創、哀野 雪菜、犬山 うさぎ、八柳 哉太、天宝寺 アニカ、虎尾 茶子、宵川 燐の七人。
 正常感染者に撃退され、E-2に移動していたMr.Oakと、彼に接触した女王感染者日野 珠。
 この九人は19:00過ぎ、いずれも同時刻に、反応が消失しました』
「消失、ですか? 見失った、ではなく、追うことができなかった、と?」
『正常感染者たちの乗車していたマイクロバスはE-3に放置。
 乗客のみが消失している状況を確認しています。
 異能により、走行中に強引に転移したものだと推測されます。
 念のため、哨戒の範囲を規定より拡大しています』

人間の消失。そのようなことが可能な異能も存在することは確認済みだ。
すでに命こそ落としているが、村人の一人、宇野 和義の異能が人間を神隠しのように消し去る異能であると確認が取れている。
ただし、走行中のバスから消えたとなれば、やはり真田の言うようにテレポートの類が最も可能性が高いだろう。

『それから消失の直前、Mr.Oakは女王に跪くような行為を見せていたことも判明しています。
 十分な警戒を推奨します』
「了解しました。forget-me-not、引き続き作戦行動を継続します。
 ところで、二点ほど司令部に要請が……。
 こちらの人物の動向を……。
 それから、例の物資は……。
 ……了解しました。ありがとうございます」

147机上の最適解 ◆m6cv8cymIY:2024/05/12(日) 18:55:22 ID:1hyUfZAc0
天は司令部との通信を一時的にスリープし、思考を整理する。
飛行といい、転移といい、どうやら村内ではSSOGの包囲網を食い破りかねない無法な異能が跋扈しているらしい。
今となっては異能が一人に一種という前提もだいぶ崩れてきたが、それでも集団テレポートが可能な異能をマイクロバスの七人が持っているとは考えづらい。
仮にそれほど強力な異能を持っていたのなら、既に使っていて然るべきだ。
大田原のように取り返しのつかないリスクを内包していた可能性もあるが、ならば敵に遭遇したでもない状況で利用するのも不自然である。

故に術者はスヴィア・リーデンベルグを含む八人ではなく、離れた場所にいる別の人物の仕業だろう。
共に消えた女王感染者の日野 珠か、別の場所にいる山折 圭介・神楽 春姫のどちらかか。
言い換えるなら、女王ウイルスの力か、魔王の力か、村の呪いか。
スペックや印象だけで論ずるならば、いずれも可能性はありそうだ。
ただ、圭介と春姫が同行している状況からして、後者の二人が原因である可能性は幾分低く思える。
神隠しを起こした最有力候補は女王ととらえるべきであろう。


さて、天に与えられた任務は多々あるが、それでも最優先事項は女王の排除となる。
ただし、痕跡の消えた標的を当てもなく探すのは、考えるまでもなく時間の無駄だ。

女王が消えた場所へと直接向かう手もあるが……。
「山折 圭介と神楽 春姫。まずは彼らに接触することにしましょうか」

消去法にはなるが、所在地の確認できる二人と接触することを天は選んだ。
何より、彼らは任務達成において実に都合がいい。
それは誰を告発役とするかという命題に関わることだ。


告発役としてふさわしいのは、一定の影響力を持ち、なおかつ聡すぎない人間である。

生存している村人のうち、研究所のエージェントであるMs.Darjeelingに、おそらくどこかの組織に属し訓練を受けていると思われる天原 創。
彼女らは裏の世界を知っていると思われる。
そして一世を風靡する天才探偵、天宝寺 アニカに至っては、裏の意図を探り当ててきかねない。
彼女らは告発役にはいたって不適格であろう。

宵川 燐はメディア受けこそいいだろう。
ただし、感情的に喚くならばともかく、告発というロジカルな行為が可能なのかといえば疑問符がつく。
そして汚く老獪な大人が無垢な子供を神輿にして裏から操り、要求を通そうとするのはどの国家においても王道の政治活動である。
古くは摂政政治、近年でも若きフレッシュな活動家集団を老舗政党がバックアップしていたなどの話は枚挙に暇がない。
もちろんほかの人間でも多かれ少なかれ裏を探られるのだろうが、探られて痛い腹があることをわざわざアピールするのは悪手であろう。
何より、リンの人となりを天は知らない。故に彼女も比較的に不適格である。


ならば、その他の村の少年少女。あるいは哀野 雪菜ということになるが……。

ここで一つ、天は思考の転換をおこなった。
必ずしも正常感染者が表に立って告発をおこなう必要はないのだ。
たとえば、ゾンビから戻った村人が生き残った正常感染者から仔細を聞き、義憤に駆られて告発をおこなう形でも何ら問題はない。
その点、重鎮の血縁である山折 圭介と神楽 春姫は条件として実に理想的なのだ。

大田原や成田、美羽と違い、天は作戦前に村の主要人物の特徴程度は頭に入れている。
それは情というより、実力不足を少しでも情報で補うための下準備であった。
その過程で山折村の村長は山折 厳一郎であることと、村の重鎮に神楽 総一郎という弁護士が名を連ねていることは確認している。
ならば、家族からの必死の訴えを受けて、村長と弁護士が手を組むことは十分に考えられる未来だろう。
そして村長自体が被害者であり、なおかつ加害者側であるという微妙な立場だ。
今回の件がテロリストによるどうしようもない事故であるという事実は、山折家の立場としては見過ごしきれない事実であろう。


天から司令部へ要請した一つ目。それは彼らの父親たる村の重鎮、山折 厳一郎と神楽 総一郎の行方の調査だ。
司令部から返ってきた情報によれば、二人はゾンビとなったものの、公民館で生存の確認が取れている。
異能によって監禁がおこなわれ、ゾンビの身では侵入も脱出も絶望的であるとのことだ。
ガソリンをぶちまけられて公民館ごと燃やされでもしない限り、VH終了まで彼らは生き延びるだろう。

確かな権力を通した行政からのアプローチと、法に則ったアプローチの二段構えは実に理想的な組み合わせだ。
故に彼ら一家こそ、告発メンバーの第一候補である。
できればスヴィアの口から『真実』を伝えてほしいし、そのためにスヴィアと接触できるように誘導したいのは確かだ。
だが、もしうまくいかないようならば直接話をする手もあるだろう。
そこは実際に接触してからの話となろう。

148机上の最適解 ◆m6cv8cymIY:2024/05/12(日) 19:00:46 ID:1hyUfZAc0
考えをまとめながら梯子を上りきり、
地上へと舞い戻った天の目の前に再び、星の輝く夜空から黒いドローンが慎重に舞い降りてくる。

運ばれてきたそれは最新規格の携帯可能な破壊兵器であった。
儀礼で使われる武器とは違い、装飾などは一切かなぐり捨てた、素朴で武骨なレアメタル合金の大筒。
製造資金の一切を破壊力と耐久性、ユーザビリティなどといった機能美に割り振ったそれは、
たった一発の弾頭を発射するために作られたぜいたくな使い捨て品だ。
仮に、この製造資金を慈善団体にでも寄付すれば、それだけで5桁人の貧しい子供たちに一カ月食事を提供できるだろう。
大筒から撃ち出される巨大な弾頭はたとえダマスカス鋼の刃物であっても傷一つ付けられないものの、
着弾すれば村人全員の警戒心をMAXレベルに高めるであろう、今作戦には極めて不向きなものである。
まさに無駄撃ち厳禁の超高級品。
司令部への二つ目の要請は、SSOGならば誰もが可能な、物資支援の要請である。
天は圧倒的に足りない殺傷力を補うために、この兵器を要請した。


過去、確かな記録として、実戦にて使用された例はたった一例。
この兵器を開発した研究所を有するアメリカの某都市。そこにおいて起きたバイオハザード、その一件のみ。
ビリー・T・エルグラントという男がこの兵器を使い、突然変異の強大な生物兵器を一撃で葬ったという記録がCIAにあげられているようだ。

この兵器は使い捨てでありながら、現地活動隊員全員に配れるほどの数はSSOGですら保有していない。
当然、初期装備としては候補にも挙がらなかったが、この局面で天はこれを要請した。
大田原が最後に目撃されたその場面が決断の最後の後押しとなった。
それは、彼が何らかの手段で、彼が女王の手駒とされてしまった可能性を考慮しなければならないということである。
最悪の事態を考慮し、必殺の一撃を投入すべき局面であると天は判断したのだ。

人間相手に撃ち出すにはあまりにオーバースペック、あまりに役不足。相応しい相手がいるとなれば、それこそ魔王であった。
というより、魔王の出現を確認したことで、投入計画が一度俎上に乗ったために迅速な配達が為されたのだ。
陸上生物最大であるアフリカゾウをも一撃で屠るそれは、今の大田原 源一郎に対しても十分に通用するだろう。


この兵器はSSOGと同じく、公には存在しない兵器だ。故に名前はなく、内部構造等も一切公開されていない。
そして、仮にハヤブサⅢに鹵獲されても、分解すら困難な代物である。
この公に存在しない兵器を、SSOG内部では、その形状から『ロケットランチャー』と呼んでいる。


時刻は19時59分、間もなく戌三つ時をまわり、ダンジョンから女王と共に各村民が各地に開放される。
近くドローンによって、その姿は再び捉えられるだろう。
その未来をまだ知らない天は、このバイオハザードにおける最強の兵器を携え、自身の考えるベストに向かって夜闇を進んでいく。


【E-1/地下研究所緊急脱出口地下前/一日目・夜 19時59分】

【乃木平 天】
[状態]:疲労(大)、ダメージ(大)、精神疲労(小)
[道具]:拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ、ポケットピストル(種類不明)、着火機具、研究所IDパス(L3)、謎のカードキー、村民名簿入り白ロム、ほかにもあるかも?、大田原の爆破スイッチ、長谷川真琴の論文×2、ハヤブサⅢの通信機、司令部からの通信機、『ロケットランチャー』
[方針]
基本.仕事自体は真面目に。ただ必要ないゾンビの始末はできる範囲で避ける。
1.判明した女王(日野珠)を殺害する。
2.『Z計画』が住民の手によって漏洩するよう誘導する。第一候補は山折家と神楽家。
3.大田原を従えて任務を遂行する。
4.可能であれば女王の死体を持ち帰る。
5.犠牲者たちの名は忘れない。
[備考]
※ゾンビが強い音に反応することを認識しています。
※診療所や各商店、浅野雑貨店から何か持ち出したかもしれません。
※ポケットピストルの種類は後続の書き手にお任せします
※村民名簿には19:50までの生死と、カメラ経由で判断可能な異能が記載されています。
※司令部が把握する村の全体状況がリアルタイムで共有されるようになりました。

149 ◆m6cv8cymIY:2024/05/12(日) 19:01:04 ID:1hyUfZAc0
投下終了です。

150 ◆m6cv8cymIY:2024/05/12(日) 19:22:48 ID:1hyUfZAc0
>>148
現在位置の表記ミスがあったので修正します
収録のほうは修正済みです

【E-1/地下研究所緊急脱出口地下前/一日目・夜 19時59分】

【E-1/地下研究所緊急脱出口前/一日目・夜 19時59分】

151 ◆H3bky6/SCY:2024/05/13(月) 20:55:16 ID:9KNv3HuU0
投下乙です

>机上の最適解

視界共有までできるとか本当に高性能すぎるこの防護服
追加任務も加わり、まともな特殊部隊が1人なので天のタスクがコンビニ店員のように多い
しかし、逐一ホウレンソウもできるし追加の装備も申請できる状況の強みもある、特殊部隊の粋が天に集中しているようだ

ついに出てきたロケットランチャー。まあバイオハザードと言えばこれよね
弾数は無限ではなく1発きり、女王か大田原か、それとも別の誰かか、果たして誰に使われるのか

天が目を付けたのは村の重鎮を親に持つ七光りコンビ
ゾンビは死にまくっているけど、村の重鎮は最初に閉じ込めれらたのが幸いしている
ただ春姫を思い通りの方向に操れるかと言うと……めんどくさそう

152 ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:48:35 ID:yc3oyUGQ0
投下します

153オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:49:47 ID:yc3oyUGQ0
白亜の夢迷宮にて、少女と少年は白い光に導かれるまま薄闇の奥底へと進んでいた。
彼らの背後には悍ましき双角の悪鬼。轟音と共に壁を破壊し、黒い靄をコンクリート片と共に撒き散らしながら、二人を捕食せんと追跡する。
遂に少女らは奥底へと到達し、閉ざされた扉を開く。彼らの眼前には階段。怪物は未だ少女らに狙いを定め、破壊を続けていた。
最早一刻の猶予もない。意を決して少女と少年は奥底の更に底――地の獄へと続く階段を降りて行った。

―――瞬間、開闢の光が広がる。
何が起きたのかと少女は周囲を見渡すと、そこは一面が白に包まれた無機質な空間の中。
怪物との追跡で殿を務めていた剣士の少年の姿はなく、少女jの目の前には白い扉。

「なんだろう、これ」

そっと白い扉に触れてみる。檜のように温かみを残しつつも鋼鉄のように確かな硬さがある不思議な材質の扉。
この先には何があるのか、または何が封じられているのか。何となくだが少女は理解していた。
(きっとこの先にはーーー)
怪物から命からがら逃げ出してきた時とは違う、穏やかな感情のままドアノブへと手を掛ける。

『望、この扉だけは開けてはいけない』

背後から聞こえる女性と思わしき綺麗な声。振り返るといつの間にいたのか、ふわふわな毛並みの一羽の白兎。
その愛らしさとは裏腹に雰囲気は神々しく、少女を見つめる紅い双眸には獣とは思えぬ英知の色を漂わせていた。
少女――犬山うさぎは白兎の事を知っている。

「ウサミちゃん……」
『この先には何もないんだ。君の友達と一緒に外の世界に戻ろう。私が案内する』

白兎は有無を言わせない口調で断言し、ついて来いとばかりにうさぎへと背を向けた。
うさぎには白兎の強い言葉は内に秘める不安や焦燥を覆い隠し、悟られないようにしているとしか思えなかった。
だから、少女は白兎の言葉を無視してドアノブへと手を掛ける。

『ーーー話、聞いてた?ここには何もない、何もないんだよ』

今度は確かな怒りと僅かばかりの困惑の入り混じった声。
その声色で、その態度で少女は確信する。

「ウサミちゃん。嘘、ついてるよね。この先にあるもの、貴女は知ってるんでしょ」
『…………』
「答えて」

白兎に背を向けたまま、普段とはかけ離れた厳しい口調で少女は問い詰めた。
それでも白兎は問いに答えることはなく、口を噤み続け、痛々しい沈黙が白い空間の中で流れる。
埒が明かないとばかりにうさぎはドアノブに手を掛けて扉を開こうとすると、観念したかのように白兎が口を開いた。

154オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:51:10 ID:yc3oyUGQ0
『ここは女王の作り出した即席異空間(ダンジョン)や現実世界など様々な世界が交差する分岐路。
当然、望が地球に再度転生する際に経由した時空の狭間へも繫がっている。
この空間の中にある存在は、私達の魂――いや、脳かな?それが認識できるように変換されて具現化したものなんだ。
だから、こう……扉という分かりやすい形で時空の狭間に接続された経路(パス)が現れたのかもしれない』
「――それだけじゃ、ないんでしょ?」
『……望は異世界(あちら)の記憶と力を時空の狭間で失い、魂そのものを書き換えられてもう一度地球に転生した。
だけど、君が再び狭間(こちら)に来たこととあちらから持ち出した御守りの力で失われた力が蘇りかけている。
扉を潜れば剣と魔法の世界で得た力と接続され、君が絆を紡いだ『干支時計』の皆は本来の姿に近い存在に戻る筈だ。尤も、全盛期とは程遠い、けどね』

うさぎの追及に白兎は苦しげな口調で答えていく。
一通り話し終わり、『でも――』と心から話したくないような躊躇いを出した後、再び言の葉を紡いだ。

『――望は二度も輪廻転生から外れ、因果を捻じ曲げて転生を繰り返した。人間の魂で何度も輪廻転生を繰り返せば、必ずその皺寄せが来る。
その皺寄せを防ぐため、君の魂と結びついた『隠山望』としての君の記憶や力を時空の狭間で削ぎ落とさなきゃいけなかったんだ。
それに私の力ではこれ以上君の因果を捻じ曲げられない。……君の因果を歪曲したのは私。身勝手だって、マッチポンプだって私を恨んでくれても構わない。
それでも君には……この村で身勝手な理由で人柱にされた君には幸せになって欲しかった』
「……………」
『幸か不幸か、あの異空間に閉じ込められたことで君の『干支時計』は進化を果たした。後は少しだけ私達10体が無茶をすれば、今度こそ君を助けられる。
……もう十分でしょう。後は私達に任せて、これ以上君が苦難の道を歩む必要はないんだよ』

苦悩の言葉による説得の後、白兎はうさぎの足元まで歩み寄り、彼女を見上げる。
白兎の言葉も、彼女がうさぎを慮っているのは事実であり、うさぎ自身もそこには何一つ疑いを持っていない。
もうこれ以上私が苦しむ必要はない。後はこの子に全て任せて楽になってしまえ。
白兎の甘言が天使の囁きの如く、少女の心の中に反響する。

(だけど――――)
「それって、スネスネちゃんやトラミちゃんみたいに、ウサミちゃん達が犠牲になってもいいって事なの?」
『……………』

うさぎの問いに白兎――ウサミちゃんは沈痛な面持ちで沈黙した。その答えで、少女の心は定まった。
足元で見上げる白兎に目もくれず、少女は閉ざされた禁忌の扉へと手を掛ける。
その瞬間、白兎は少女の足元へと縋りついて言葉を発する。

『望。この先へは行かないでくれ。この扉の先に行ってしまえば、君は……!
お願いだ!君には幸せな天寿を全うして欲しいんだ!これ以上、私に大切な人を失わせないでくれ……!
私達12体がこの世界に訪れたのは、君に幸せになって欲しいからなんだ!君に使い潰されても良い!君の友も助けると約束する!だから―――』

諭すような説得はいつしか悲痛な懇願へと変化し、それに伴い白兎の小さな前足にも力が入るのを肌で感じ取った。
この先へ進めば「犬山うさぎ」としての何もかもが変わってしまう。その分岐点に立たされていて、不安や恐怖を感じない訳が無い。
白兎に導かれ、彼らを犠牲にして安寧の道を行くか、歪曲された因果の皺寄せを一身に受けて、真実を知る苦難の道を行くか。
答えは既に決まっていた。
うさぎは一度振り返り、足元の小さな友達へと目を向け、精一杯の笑顔を向ける。

「……ごめんね、ウサミちゃん。貴方達も私にとっては大切な友達なの。だから、死なせたくない」

伸ばされた救いの手を振り払い、友の悲痛な声に背を向けて、隠山望(いぬやまうさぎ)は閉ざされた禁忌を開く。
白亜の扉の先、少女の眼前には眩い光が広がる空間。その先に何があるのかなんて想像がつかない。
光の先へと一歩、少女は踏み出す。もう振り返ることはない。

155オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:51:36 ID:yc3oyUGQ0
「ここは……?」
踏み出した光の向こう側。少女の目の前には夜闇に包まれた草木生い茂る自然。つい先程の人工的かつ無機質な漂白空間とは対極にある風景。
靴から伝わる腐葉土の柔らかい感触。鼻孔をくすぐる野花の匂い。素肌に感じるひんやりとした澄んだ空気。
現世(いま)も前世(むかし)も変わらない、優しい世界。
「犬山うさぎ」という一人の漂流者の因果が収束する全ての原点(はじまり)、隠山の里。
この地に足を踏み入れた瞬間から、少しずつ自分の中で何かが戻ってくる感覚がする。
ふと、耳を澄ませばそう遠くない場所から聞こえてくる少年と少女の声が重なる小さな小さな祭囃子。
遥か昔/ほんの少し前、聞いたことがある懐かしい音色。

(きっと、あそこにはーー)
犬山うさぎは知らない/隠山望は知っている、大切な人達がいる。確信し、少女は駆け出す。
静謐な森。その中にある月光に照らされた神秘的な空間。そこに、彼らはいた。
木の枝を手に取り、きらきらと輝く笑顔で演舞を舞う少年とっ少女。演舞の中心で手拍子を打つ、巫女装束を身に纏う白い髪の美しい幼子。
彼らの演舞の中――白い『あの子』が、隠山望としての全てが具現がした姿。彼女を見た瞬間、それをうさぎは理解していた。

「ここに、来てしまったんだね」
背後から聞こえるのは悲しそうに響く幼い少年の声。振り返ると犬山はすみ(おねえちゃん)の面影がある少年――隠山覚の姿。
もう後戻りはできないし、するつもりはない。言葉を交わさずともそんな様子を察したのか、双子の弟は困ったような笑顔を浮かべた。

「昔から、望は姉上に似て頑固者だったよね」
「それは覚も同じでしょ。姉様に似て、とっても頑固者」

顔を突き合わせて笑い合う双子。600年の時を超えた再会。
どれだけ時が流れようとも以心伝心。言葉はこれ以上不要。だから、別れの挨拶はたった一言。

「いってらっしゃい、望」
「いってきます、覚」

その言葉を最後に隠山覚の姿は掻き消え、隠山望は三人の演舞の中に足を進める。そしてーー。



156オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:52:14 ID:yc3oyUGQ0
山折村南西の草原地帯。月が導く異界にて暗黒を纏いし悪鬼、大田原源一郎。地を踏み砕きながら疾走する。
異能『餓鬼(ハンガー・オウガー)』によって理性と引き換えに爆発的な身体能力に加え、更に女王日野珠による魔術と山折に巣食う厄の恩恵を得ている。
対峙するのは一組の男女。淡い光を放つ打刀を構える若き剣豪、八柳哉太と異世界と肩に直立する山ネズミを乗せた過去を行き来した獣愛でる召喚士、犬山うさぎ。
距離は僅か数十メートル。到達までの時間は数十秒。
少年は聖刀を下段に構え、腰を低くして迎え撃つように疾駆する。それを合図に少女は少女は右手を突き出し、祈りの言葉を紡ぐ。

「お願い、来て―――」

召喚士の目の前に現れる魔法陣。それはかつてのうさぎの異能では現れることはなかったもの。
白兎との邂逅。かつての山折の地での記憶遡行。それらを以て、犬山うさぎの体内に眠る『干支時計』は全盛期ほどではないが、力を取り戻した。
それだけに留まらない。VH発生により現在に至るまで保菌者であるうさぎに与えられ多大なストレス。
閉じ込められていた時空が捻じ曲がった閉鎖空間により時針が狂わされた干支時計。
二つの相乗効果が取り戻した力と複雑に絡み合い、干支時計は歪な進化を果たしていた。

遠吠えと共に現れたのは角を生やした白獅子のような逞しい体躯の聖獣――和犬の形でうさぎを守護していた拒魔(こま)犬、ワンタ。
羽音と共に顕現するのは東方神話において猛禽の姿をし、大風(たいふう)の名を冠した厄鳥、タカコ。
本来の干支時計ではワンタは10時の犬、タカコは9時の酉として、それも魔力のない地球上の獣へと変換された姿で召喚されるはずだった獣。
しかし、干支時計は時空の乱れた空間による異変、持ち主である犬山うさぎが時空の狭間にて喪失した力を取り戻したことによる影響をダイレクトに受けた。
そこに莫大なストレスというエッセンスも加わる。故に、うさぎの持つ干支時計は歪な進化を果たした。
保持者の意志により時針を自在に動かせるようになり、主の思い描く本来の姿の動物の召喚、それの複数顕現が可能となった。
だが、その対価は当然求められる。

「―――はァ……はァ……!」

ガクガクと足を震わせ、荒い呼吸を繰り返すうさぎ。額から脂汗が滴り落ち、顔も土色に変色している。
歪で不相応な進化を遂げた「干支時計」が求めた対価は魔力。地球の理(ことわり)から逸脱したエネルギー。
異世界においては酸素と同様に空気中を漂い、その世界に住まう生物も魔力を貯蔵する器官を備えていた。
だが、犬山うさぎの身体には魔力を生成・貯蔵する器官は存在しない。
故に魔力の代用となるのは主の生命力。必要なエネルギーは干支時計を介して魔力へと変換され、それによって生成された魔力にて召喚が行われる。
更に召喚に必要な魔力(コスト)は獣ごとに個体差がある上、現状では消費したうさぎの生命力を補填する手段は見つかっていない。
召喚士「イヌヤマ」が転生と共に持ち出した「干支時計」は消費される主の生命力と魂を守るため、自らの機能に制限(リミッター)をかけていた。
彼女と絆を結んでいた残り10体の召喚獣も同様。友への負担を減らすため、「隠山望」としての記憶と力を枷に嘗ての姿を封じ、魔力を要せず力の弱い現地生物の姿へと身を落としていた。

だが度重なる異常事態(イレギュラー)により前提は崩れ、戒めの楔は外された。
干支時計は発生したバグにより自ら貸したセーフティレベルが大幅に低下。それに伴い、地球では極僅かしか存在しない魔力を求めるようシステムが改変された。
獣達はうさぎが記憶と力を取り戻したことで強制的に安全装置が外され、この世界に各々持ち込んだ魔力を消費する姿へと戻らざるを得なくなった。

だが、召喚獣達はその結果を甘んじて受け入れた訳ではなかった。
自分の魔力が尽きれば再び干支時計に封じられるか、力無き現地生物へと身を落とすかの二択。最愛の友を守護るため、彼らは元の姿で顕現していたい。
故に彼らの選択は折半案――本来の力をスケールダウンさせて消費魔力を抑え、一体でも多く、、少しでも長く、彼女と共にいられるように画策した。

うさぎも「召喚士イヌヤマ」の経験から召喚獣達の意向、異常が発生した干支時計に気付き、対戦鬼においての最適解を導き出した。
呼び出す友は犬(ワンタ)、酉(タカコ)、そしてーー。

157オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:52:40 ID:yc3oyUGQ0
「■■■■■■■■■■■■■■■■ーーーーー!!!」

天地を揺るがす雄叫びと共に巌の如き凶戦士が急接近する。
その身に纏うのは悍ましき暗黒。影法師の少女『隠山祈』の片割れが使役していた凝縮された山折村の厄そのもの。
立ち向かうのは剣士と番犬。一人と一匹は迫りくる怪物を打倒すべく左右に分かれて並走する。
激突する数秒前。その僅かな隙間に巨人の纏う厄が蠢く。
瞬間、蠢動する暗黒は八つ首の触手へと分裂して襲い掛かる。その有様はまさに八岐大蛇。

「バウッ!」
「ああ、分かってる!」

一瞬のアイコンタクト。走る速度はそのまま、襲い来る黒蛇へ向かう。
迫る暗黒。穢れの槍が勇士達を貫く刹那ーー。

「キルルルルゥオオーーーーー!!」

怪鳥の如き咆哮と共に暴風が吹き荒れる。
暴風を巻き起こしたのは災害の異名を持つ猛禽、妖怪『大風』の酉、タカコ。
魔力を帯びた風は八つ首の蛇を胡散させ、巨人に纏わりついていた厄の鎧を一時的に吹き飛ばす。
巨人は未だ健在。哉太達に迫るのは地を砕く鉄槌の如し巨大な拳。直撃どころか掠めでもすれば血肉を撒き散らし、大地の栄養分と化すであろう。
だが、吹き荒れる烈風は哉太達の追い風となり、その風に乗った魔力は一人と一匹の肉体を強化させる。

突撃(ドッグ・チャージ)が大田原の左足を穿つ。
八柳流『這い狼』が大田原の右足を切り裂く。
振り下ろされた鉄杭が地を穿ち、小規模のクレーターを作り出す。
哉太達は暴風に背を押され、横殴りの風圧を風で生成された魔力の膜で耐え、怪物の横を駆け抜ける。
剣士達により受けた傷は瞬く間に再生するも、彼らの猛撃は赤鬼の巨体を揺るがすのには十分な威力だった。
だが、赤鬼は数多の敵対者を葬り去った歴戦の猛者。狂気に陥り、技を忘れようとも本能と直結した体捌きは健在。
すぐさま体勢を立て直し、駆け抜けた勇士達を尻目に次の獲物ーー召喚士たる少女へ目を向ける。
だが忘れることなかれ。この地に降り立った召喚士も歴戦の猛者。力を失おうとも魔王アルシェルの軍勢と死闘を繰り広げた経験は生きている。
大田原が動き出すその刹那、干支時計がうさぎの生命力を吸い、再び魔法陣が顕現。呼び出す獣はーー。

「ーー三猿様!」

三つ子の猿が魔法陣より現れる。同時に彼ら3匹の身体が3つの光球に変化。それらが合わさり、一つの光球へ。
光が消え、3匹の猿がいた場所には額に黄金の輪ーー緊箍児を巻き、魔術で作り出した長棍を手に持つ成人男性サイズの逞しい1匹の猿。
かの異世界から地球へ転移した際、三つ子の魔猿は魔術を封じ、ただの野猿として干支時計の中で眠りについていた。
だが、枷が外され、友を守護るために禁じていた魂と肉体の結合を実行。
三猿合体、斉天大聖。異世界における魔術と棍術のエキスパートたる獣(モンスター)である。
戦鬼が突撃する。激突する寸前、斉天大聖は召喚士を抱え、跳躍。
三メートルの赤鬼を飛び超え、安全地帯――哉太とワンタのすぐ後ろに着地し、うさぎを降ろす。

「ありがとう、三猿様」

感謝の言葉に振り返らずサムズアップで応える。そのすぐ後、飛翔していた怪鳥タカコが召喚士の隣へと舞い降りる。
獲物を仕留め損ねた人食いの巨人は地の底から轟くような唸りと共に振り返り、狂気と食欲に満ちた血走った眼を向ける。
召喚士イヌヤマを守護るよう前に立つのは犬、猿、酉。そして聖刀を構えた若武者。
少年は赤鬼を見据えて告げる。

「ーー鬼退治、開始だ!」



158オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:53:05 ID:yc3oyUGQ0
「……ふむ。再び此処へ堕ちることになろうとはな」

一筋の光明すら射さぬ深淵。地の獄の如き暗黒の底より凛とした美しい声が響き渡る。
声の主は神楽春姫。全てを識り、全てを凌駕し、全てを統べる山折の女王その人である。
春姫は己が威光にて聖剣ランファルトの後継たる魔聖剣の調伏を試みた。しかし、新生した剣は屈することなく、春姫を拒絶。
尚も女王は先代たる聖剣と同じように従属させるべく己の強固な我にて屈服させようとするが、突如御守が閃光を放ち、闇へと意識が誘われたのである。
春姫がここに堕ちたのは二度目。一度目は女王に謀反を企てた逆賊――物部天国の呪詛により命を落とし、闇へと落とされた。
しかし、運命に導かれるように聖剣が顕現し、春姫は己が神威で調伏。運命を覆し、黄泉返りを果たしたのだ。

「妾が征く道こそ正道。なれば此度も聖剣が妾に傅くのは宿命(さだめ)なり」

春姫の視線の先には深淵の果て。そこに身の程を弁えず裁定者たる女王の天命に背いた、無知なる剣の気配を感じ取る。
女王の使命は山折村(せかい)の救済。人類救済を掲げる聖剣の後釜なれば裁定者に従属するのが道理というもの。

「ーーーハッ!」
一喝と共に春姫の身体が威光(ひかり)を放ち、闇の果てーー魔聖剣へと至る路を露にする。
王道は拓かれた。女王の行く手を遮る痴れ者は存在しない。

「いざ参らん」
何一つ疑うことなく、春姫は光に照らされた彼方へと歩みを進める。
女王が天の頂に立つのは必然。故に運命も神の御子たる春姫への従属は決定づけられていたのだろう。
悠然と光の中を歩き続け、春姫の視界の先には彼女という絶対を拒絶した生まれたての魔聖剣。
愚剣と女王まで残り僅か。数歩歩みを進めれば手が届く距離である。
身知らずの剣を従属させるべく女王は足を進めようとするもーー。

159オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:53:40 ID:yc3oyUGQ0
『そこまでだ』
「む……?」

突如、女王の行く手を阻むかのように剣の前に現れたのはふわふわの体毛を持つ一羽の白兎。
凛とした声とは対極に位置する、打ちひしがれた力ない女の声が、春姫の脳内に響き渡る。
感情の読み取れない獣の赤眼を女王の夜空の如き美しい瞳が冷たく見下ろす。

「何処の不躾者かと思えば、礼を知らぬ獣であったか。退け、今は汝の相手をする時間が惜しい」
『断る。彼女は「あの子」の種違いの妹。片方は私の主を手籠めにした悪霊、もう片方は私の主を殺しておいてその記憶すら忘却した鉄屑だ。
だけど生まれはどうあれ、二人は祝福された我が主の娘子。君のような不埒者にその身を任せるわけにはいかない』

尊大な女王の言い分に対し、不遜な態度で返す白き獣。売り言葉に買い言葉。一触即発の空気が流れる。
だが、両者の語調は鏡写しのように正反対。強気な姿勢の春姫に対し、白兎から滲みだす雰囲気は敗者のように弱々しい。
裁定者の道を阻む最後の障壁(プロテクト)にしては何とも頼りない。威嚇とも呼べる弱々しい言葉を無視し、か弱き獣の横を通り抜けようとする。

『ーーー通さないってニュアンスが伝わらなかったのかい?』
しかしそれは叶わず。縫い付けられたかのように地に足が固定され、ピクリとも動かすことはできない。
抑え込まれるような原因不明な力の出処は眼前の獣か。女王の王道を妨げる獣に冷たい視線を投げかける。

「もう一度言う。退け、下郎。妾は大義を為さねばならぬ。貴様の下らぬ些事に妾が付き従う道理はない」
『下らない些事とは主の忘れ形見を未だ想い続ける私の感情かい?その大義ためなら些事とやらを顧みることなく踏み躙っても構わないと?』
「然り。山折村(せかい)は全てに優先する。貴様の個人的な感傷も妾は知らぬ。妾が剣に適合するのではない。剣が妾に適合せねばならぬ』
『…………そうかい』

裁定者の言葉に獣は何かを考え込むかのように俯いた。
それと同時に春姫の足を地面に縛り付けていた謎の力が僅かだが緩む。
所詮は身の程を知らぬ獣。不敬にも女王を抑えようにもそう長くは続かないらしい。
白兎の問答には価値を見出せない。しかし彼女に威光を知らしめてなければ、魔聖剣の担い手にはなれぬ。
しばらく沈黙が流れ、石のように動かない白兎に対して春姫が力を解くよう命じる寸前、『まだ話は終わっていない』と疲れ切った女の声が聞こえた。

160オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:54:21 ID:yc3oyUGQ0
「……これ以上の問答は無意味であると言外に伝えたつもりであったが、畜生如きには理解できなかったか?」
『……そうだね。私程度の存在には到底理解が及ばない話だったよ。無駄な時間を使わせてしまったね。
それで、君が入れ込んでいる山折村だけど、禁忌の地と呼ばれる所以は当然知っているよね。何せ隠山祈の記憶を読み取ったんだから』
「無論。嘗ての山折村――隠山の里がただの小娘に業を背負わせ、悪神へと貶めたのは事実よ。原罪に幾重もの欺瞞を被せ、封じてきたのも事実。
しかして、原点はどうあれ今の山折村には罪があるまい。神楽春陽を始祖とした我が一族が不浄を許さず、この地を治めてきたのだ」
『…………だったら隠山祈と同じように人柱(ぎせい)となり、その存在すら隠匿された者達にも同じことが言えるのかい?』

一度しおらしくなったかと思えば、感情の読み取れない平坦な口調へと変わり、白兎は問いかける。
しかし、続く問いは山折村が忘却してきた罪に対するもの。春姫自身もその問いには僅かに顔を顰める。
神が降り立った不浄なき山折村。それが覆され、創生(はじまり)は穢れと共にあったことを知り、流石の春姫も衝撃を受けた。
しかし、自らの中で既に答えは出している。

「言う他はあるまい。現在(いま)に至るまでの歴史は彼らの犠牲と共にある。だが、流れた血は決して無意味なものではない。
隠山の地の明日を築く礎となっているのだ。その犠牲は尊ぶべきものであり、その否定こそ死者への冒涜ぞ」
『………冒涜、ね。君の一族の始祖ーー神楽春陽が娘の死肉を死した人々に与えて蘇生させたことも尊ぶべきことなのかな?』
「……ふむ、それは初耳だ。その問いへの答えは是。民の安寧を願った春陽の行動は過ちであり、その罪は我が一族に引き継がれていることは認めよう。
だが、それを愚行という一言で切り捨ててはならぬ。その犠牲の果てに安寧の地が生まれ、今までに繁栄に繫がったのだ」
『……つまり、君は神楽春陽と同じ立場に立たされた時、山折村を存続させるために同じことができる。そう言う事だね』
「当然であろう。我が大義は――山折村の存続は全てに優先する」
『ーーーああ、そう』

気の抜けたような返答と同時に女王を縛っていた謎の力が消える。
神楽春姫の強固たる意志の前に白兎は屈し、王道への道を譲り渡す。結果は既に決まっていた。
この問答は無意味だったかと問われればそれは否。更なる真実を知り、己の意志を強固にする通過儀礼。
魔聖剣の担い手となり、神楽春姫は山折村を新生させる使命を果たす。

「そなたとの問答、有意義であったぞ」
『ああ、私にとっても君を理解できる良い機会になったよ。これでーーー』

物言わぬ白兎に山折の女王は言葉をかける。白兎も同様に春姫へと穏やかな声で語り掛ける。
言葉を交わした後、春姫は地に突き刺さっている剣の柄に手を掛け、そしてーーー。

『ーーーー憂いも呵責もなく君達と縁を切れる良い理由もできた』
「なッーーーーー!?」

161オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:54:50 ID:yc3oyUGQ0
瞬間、足どころか指一本すら動かせない、先程とは比べ物にならない力が働き、春姫の身体を完全に硬直させた。
身体に纏わりつく謎の力は徐々に強まっていき、春姫の思考にすらも及び始めた。

『君が神の御子を自称し、無知陋劣な平均的「神楽」で本当に良かったよ。殊勝な態度で来られていたら後味が悪い』
「貴さ、ま………!!」

白兎の安堵の声に春姫は驚愕と怒りの混じった声で返す。
剣の柄を握ったまま硬直した春姫の横を通り、白兎は剣のすぐ後ろで春姫を見上げる。

『隠山祈を鎮めたのは間違いなく君の功績だ。もしも全て良い方向に事が運んでいたのなら君に力を貸し続けるのも吝かではなかったよ。
でもね、そうはならなかった。スポンサーの意を汲むことはなく、それどころか蔑ろにした。この結果は必然だ。潔く運命を受け入れたまえ』

口も硬直し、最早言葉を紡ぐことすらできぬ春姫に対し、感情の失せた冷めきった声を放つ。
今の春姫のできることは王道を妨げた傲慢な獣へと怒りの視線をぶつけることのみ。

『私「達」は少しでも望の生きる可能性を選びたい。だから君のように己の願望を優先することにした。
尤も君に与えたギフトを回収しても焼け石に水かもしれないけれど、ないよりはマシだろう。
それに「あの子」が目をかけた子供達の事も心配だ。君から回収した力は望と彼らの未来への礎とさせてもらうよ。君の尊いご先祖様のようにね』
「同……列に、語る……な……!」

女王を明らかに見下す畜生への憤怒からか、抑えつけていた『ナニカ』を振り払い、、途切れ途切れながらも口だけは動かせるようになった。
だが、反抗はそこまで。いつの間にか剣の柄から手が離れ、春姫の足から徐々に暗黒の世界から消えていく。
消えながらも、女王は己を拒絶した白き獣の目を見据える。

「な……んだ……その目……は……!」
只の獣とは思えぬ英知を帯びた赤い瞳。神楽春姫を見るその目は彼女が19年の人生の中で向けられたことのない、徹底的な嫌悪と侮蔑。
意識が闇から現世に引き戻される直前、怖気のするような冷え切った声が女王の頭に響いた。

『失せろ、小娘』
『貴様ら白痴の一族にも薄汚い忌み地にもほとほと愛想が尽きた』

162オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:55:23 ID:yc3oyUGQ0
『………………』
「春姫、さっきから黙りこくってるけどどうしたの?夢の中でウサミになんか言われたから拗ねてるの?」
『……大事ない。あの畜生の言の葉なぞ取るに足らぬものよ』
「そう……それならいいんだけど」

幅広の中国刀を携え、夜闇を疾走する乙女の身体を間借りする隠山いのりは宿主である神楽春姫へと問いかける。
意識が目覚めてからというもの、春姫の様子がおかしい。具体的には唯我独尊を地で行く彼女の雰囲気が不安定になり、どことなく危ういものへと変わってしまっている。

(だけど、それを言うのも何だかなぁ……)
いのりと春姫の関係は僅か二、三時間程度のもの。親類でもない自分が彼女の内面に踏み込んでいい物か躊躇われてしまう。
下手につつくと折角良好になりかけている彼女との関係を拗らせてしまうかもしれない。
すぐ隣で疾走する魔聖剣を携えた少年ーー山折圭介が心配そうな顔でいのりの憂い顔を覗き込む。

「いのりさん、春の奴がどうかしたんスか?」
「ううん、何でもない。そんなことより消えていた気配がまた二手に分かれて現れたみたい。多分どちらかに「天原くん」がいると思う」
「だったら俺らも二手に分かれましょう。天原って奴を保護したら合流するってことで」
「了解!」



「……はぁ、はぁ……!」
山折総合診療所より北の草原。夜闇の中、流星のように金色の髪をたなびかせながら少女が走る。
少女の名は天宝寺アニカ。夢幻の牢獄へと閉じ込められ、山折の厄そのものである女王「日野珠」に命を狙われつつも辛くも逃げおおせた正常感染者である。
しかし、アニカは完全に魔の手から逃れられた訳ではない。

――女王に隷属せよ。
――女王に命を捧げよ。
(くぅ……さっきからずっと、頭の中で何度も……!)

女王との邂逅から今に至るまで。頭に直接叩き込まれる指令(コマンド)が探偵少女の精神を蝕み続ける。
発信され続ける女王の下命を拒絶できる所以はアニカ自身の譲れぬ矜持か、それとも女王曰くはすみの強化により身体に宿った高魔力体質故か。
どちらにせよ早急に仲間と合流し、女王の正体や自分へ起きた異変を知らせねばならない。
不安を露わにした少女を励ますように彼女の懐にある御守りが暖かな光を放つ。

「Thanks、Ms.Rabbit」
御守りに宿る力ーー女王からアニカを逃し、異空間からの脱出を助けてくれた心優しき白兎に感謝を述べる。
アニカの視線の先ーー御守りが指し示す方向から感じるのはVH発生から自分と共にいてくれた少年の気配。
彼の元へと急ごう。そしてーー。

163オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:55:53 ID:yc3oyUGQ0
「改めまして今晩は。月が綺麗だね、天宝寺アニカ」
「ーーーーッ!!!」

何の前触れもなく、幼き天才少女の前に混沌たる秩序ーー「日野珠」の姿をした女王ウイルスが降り立った。
咄嗟に反応して身を翻そうとするも、小学生程度の運動能力では魔の力により強化された超常的存在を振り切ることは叶わない、
瞬く間に前へと回り込み、後ずさるアニカの首へと手を掛ける。

「あっ……!」
「さあ、ランデブーと洒落込もうじゃないか」

高魔力体質により無力化されるのはアニカを害する魔王由来の力のみ。
絞殺しかけた時に新たに確認した謎の閃光も高魔力体質に由来するものだと仮定するならば、その線引きさえ間違えなければ問題ない。
手首から下の筋肉に強化を施し、アニカの首を掴む握力は随時魔術によって筋肉疲労を回復させ続ける。
だが、それだけでは先程の謎の閃光による焼き回しになりかねない。
使用するのは浮遊魔術。少女を締めあげながら、天高く登っていく。

「あ……あ……!」
「ご覧。ビル10階分ーー30mにも及ぶ絶景だ。ワインも高級料理もないが、この景色だけでも十分お釣りがくるだろう」

少女二人の身体を生温い初夏の夜風が撫でる。
両者の反応は正反対。絞首による窒息と死の恐怖にアニカは身を震わせ、珠は撫でる風に心地よさを感じうっとりと目を細めた。
この高さであれば、手を離せば落下。受け継がれた高魔力体質の者と思われる閃光により運命視の目が封じられたとしても死からは逃れられない。

(安心して、アニカ。もうすぐ救援が来る。それまで時間を稼いでくれ)
従属の令の狭間で聞こえるメゾソプラノの声。紛れもなくアニカをあの異空間(ダンジョン)から脱出させてくれた白兎のものである。
絶体絶命の現状ではその言葉を信じる他はなく、締めあげられながらも不敵な顔を浮かべる。

「おや、どうしたのだね?この状況を打破する策でも思いついたのかい?それとも犯人には屈しないという君の矜持かね?」
「No… reason、to respond……!全能の女王を名乗るのなら……推理してみなさい……!」
「ふむ……そう来たか。テレパシー的な心理を読む異能もないし、魔王の力によるリーディングも恐らく君の体質によって弾かれると思われる。
宿主の記憶からすると、君は数々トリックを暴いてきたそうじゃないか。時間稼ぎの可能性の方が高いが少しばかり付き合ってあげよう」
「ぐ……ぁ……!」

アニカの首を締めあげつつ、顎に手を当て考え込む仕草をする女王。
可能性が高いと言っていた時間稼ぎ。女王の目測に探偵は冷や汗を流す。
不敵な仮面に隠された焦燥を悟られぬよう、わざとらしく悩まし気な顔を向ける女王に無理やり挑発的な笑顔で睨み返す。

164オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:56:35 ID:yc3oyUGQ0
「Take your time.……Think ……slowly……ぐぅ……!」
「ああ、ゆっくりとそうさせてもらうつもりさ。それにーーー」

ぐにゃり。愁いを帯びた表情から一転。天真爛漫とは程遠い悪意に満ちた笑顔へと変わる。
その変容に数多の凶悪犯、数多の悪意を見てきた探偵少女の顔が強張る。

(ーーーまさかッ……!!!!)
アニカの脳裏に響き渡る驚愕の声。同時に御守りに込められていた白兎の気配が消える。
その事実に蒼褪めるアニカの前に、女王は言葉を紡ぐ。

「ーーー運命が動き出す」



勇猛精進。狂瀾怒濤。闇が踊り、暴風が吹き荒び、地が砕かれ、銀の一閃が煌めく。
幾度となく激戦が繰り広げられてきた山折の大地に再び戦の嵐が巻き起こる。

大蛇の如き厄の鞭が躍動し、空を裂き大地を抉りながらターゲットを追尾する。
襲い来る触手を剣士ーー八柳哉太は聖刀の切り落としーー八柳流『蠅払い』にて悉くを打ち祓う。
しかし安心するのも束の間、追撃とばかりに赤鬼ーー大田原源一郎の縮地により一気に距離を詰められる。
流星の速度で振り下ろされる鉄槌。その威力はクレーターを作り、まともに食らえば原型を留めない程すり潰されるだろう。
だが振り下ろした先の獲物ーー聖刀の担い手は凡才では非ず。

「ーーーーハッ!」
墜天する隕石を刀身にて受け、波打つ柳のように受け流す。八柳流「空蝉」。
同時に返し震脚と同時の踏み込みの斬り返し「天雷」にて大樹のような上腕の肉を切り裂く。
骨ごと叩き折る重斬撃を受けた傷は異能の力にて瞬く間に塞がる。
傷が完全に塞がる寸前、拒魔犬、ワンタの牙の一閃が広がる傷口へと突き刺さり、回復を阻害する。
だが剣士と同じく赤鬼も只人では非ず、変異前は武術の達人であった。
脇を駆け抜ける二者。その刹那、地に沈めた片足を軸にもう片方の足を旋回させる。
独楽のような回転蹴り。風圧すらもだけ気に匹敵する一撃。

「キルルルルゥオオオオオーーーー!」
哉太とワンタに送られる暴風。大風タカコによる魔力を帯びた疾風は二者の肉体強度を底上げし、横殴りの風を耐えさせる。
同時に追い風となり、紙一重で恐るべき脚撃から紙一重での回避を成功させた。
僅かに巨人が体勢を崩す。踏みとどまる僅かな隙間を縫って現れたのは長棍を構えた斉天大聖、三猿。
彼の魔術で強化された長棍が片足を強かに疾走と同時に強かに打ち付け、巨躯に蹈鞴を踏ませ、明確な隙を作る。

「…………」
お供を連れた剣士と赤鬼の戦場から少し離れた場所で戦況を見極める召喚士、犬山うさぎ。
戦士達は庇護対象でもあり軍師でもある彼女を巻き込むまいと危険がギリギリ及ばない場所で待機させていた。
魔王軍と戦ってきた経験からかうさぎも戦士達の意図を理解し、最善手を打つタイミングを計っていた。

戦闘は拮抗。されど綱渡り。赤鬼から一撃でも受ければ戦闘者達は瞬く間に肉塊へと化すであろう。
生命力の消費は大きいが、まだ干支時計による召喚は可能。
目を閉じ、時計をイメージする。静止した時針を動かし、道理を捻じ曲げる。
追加召喚する眷獣を選択。同時に干支時計を作動させる。



165オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:57:01 ID:yc3oyUGQ0
――起動確認(セット)
――目標・捕捉(ターゲット・ロック)
――黒槍・装填(バレル・リロード)
――発射(ファイヤ)

因果が、収束する。



166オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:57:30 ID:yc3oyUGQ0
「ーーーえ?」

衝撃と共に少女の胸から一凛の彼岸花が咲く。
獣の奏者が見下ろした視線の先には紅い涙を滴らせる魔力を帯びた漆黒の槍。打ち込まれた戒めの杭は直後に黒霧へと変化し、雲散する。
裏返された因果は正しく覆され、元の形へと戻る。逆巻に捩れた懐中時計の螺子は修正され、正しい時を刻み始める。
きぃきぃ。頽れる最中、聞こえてきたのは肩に乗っていた小さき友――夢幻の迷宮に手召喚され、少女に寄り添い続けた山ネズミの悲痛な鳴き声。



狩猟の本質は獲物(ターゲット)の命をいかに効率的に、確実に奪い取ることにある。
何も弓矢で射抜いたり、鉄砲で撃ち落としたりするだけじゃない。それぞれのケースで最適解を選択するのが大事なんだ。
「下手な鉄砲も数撃てば当たる」なんて格言があるけど、それではあまりにも非効率的で確実性がない。
だから、私は罠を張ることにしたんだ。
君達を不思議な国(ワンダーランド)に招待する前、運命(イベント)が確実に怒る場所にね。
隠匿・黒槍生成・自動起動・照準固定・狙撃の魔術(コード)を組み合わせて、運命点(キルポイント)への配置。
特に起動トリガーの条件の設定――生命力の一定値までの減衰確認のプログラミングには梃子摺ったよ。
これを片手間で行える魔王や彼の娘のセンスは流石としか言いようがない。
……ん?何故私が魔王の事を知っているのかって?いや、君の顔を見れば想像がつくよ。
まあ、今更隠す必要もないし、この際だから教えてあげようか。特別サービスだ。感謝したまえよ、天宝寺アニカ。



167オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:58:07 ID:yc3oyUGQ0
いのちがうしなわれていく。
すごくさむい。からだがおもい。めのまえがくらくなっていく。
うけつがれてきたおもい。たくされたねがい。わたしのいのり。
すべてがいしきとともにだんだんとうすれていく。
おとうさん。おかあさん。みそらちゃん。ケージ。さとる。あねさま。おねえちゃん。
みんなのおもいをうらぎって。なにものこせなくて。いきてかえれなくて。わるいこで、ほんとうにごめんなさい。

『望……望……!あ、あああ………!そんな……嘘……嫌だ……!』
みみもとできこえてくるかなしそうなこえ。だれのこえなんだろう。かおをむけてみる。
ふわふわでぽかぽかなちいさなからだ。むかしからずっとみまもってくれたわたしのさいしょのともだち、ウサミちゃんがいた。
ぽつぽつとてにしずくがおちるかんかくがする。ウサミちゃんが、ないている。ルビーいろのきれいなひとみから、ながれていく。
なかないで。
なんとかうごくゆびでなみだをぬぐってあげても、ずっとながれてくる。

『ごめんなさい……ごめんなさい……。私はまた何も……。何もかも手遅れになって……!』
ううん、。それはちがうよ、ウサミちゃん。わたしはあなたたちがいたから。あなたたちがずっとそばにいてくれたから、いままでがんばれたんだよ。
スネスネちゃんも、トラミちゃんも、ひなたさんも、けいこちゃんも、あねさまも、おねえちゃんも。だれもたすけられなかったけど。
それでもわたしは「いぬやまのぞみ」としてのおもいをとりもどしたせんたくをこうかいしていないよ。
ちゅうこくをむししてごめんなさい。それと、まもってくれてありがとう。
わたしはもうおしまいだけど、あなたたちのいのちはまだつづいていく。だからーーー。

「おねがい……みんな……どうかーーー」
ふわり。ことばがおわるまえ、つめたかったからだがぽかぽかとあたたかくなってくる。やわらかいひかりがわたしをつつんでいく。
まどろみとともにいままでのたのしかったきおくがめぐる。
ありがとう、みんな。わたしのじんせい、とてもしあわせだったよ。



168オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:58:58 ID:yc3oyUGQ0
「う、おおおおおおおおおッ!!!」

少年の悲痛な叫びが夜闇に木霊する。
命を賭して守護るべき存在であった少女。厄災で命を落とした彼女の姉に託された希望。
恵子や勝子のように手の届かぬ場所で殺された訳ではない。
選択を誤らなければ未然に防げた不意打ち。哉太が盾になれば落とさずに済んだ大切な命。
犬山うさぎの死は共に戦っていた彼女の眷獣達にもあまりにも強すぎる影響を与えた。
その衝撃により綱渡りの縄が断たれ、戦況は一気に傾く。

愛する主の命が潰えた瞬間、数秒前まで剣士と共に果敢に赤鬼に立ち向かっていたワンタは石像のように動きを止める。
魔力の風を送り続けていたタカコは一瞬だけ動きを止めた後、空を切り裂くような嘶きと共に電光石火の速度で西へと飛び去って行く。
魔術と棍術による遊撃を担当していた三猿はうさぎが倒れ伏した一目散にうさぎが倒れ伏した場所へと向かっていく。
崩壊する連携。その明確な隙を赤鬼が見逃すはずがない。

「■■■■■■■ーーーーー!!!」
人の言葉ですらない咆哮。その直後、彼に纏わりつく霧状の厄が膨れ上がり、一気に爆発する。
撒き散らされる暗黒。咄嗟に哉太はバックステップで有効範囲を離脱して直撃は免れたものの、爆風の風圧は凄まじく、いとも容易く彼の身体を吹き飛ばした。
狛犬ワンタは避けることすらせず、厄を一身に受ける。暗黒により分解されていく身体。崩壊する自我。全てが消し飛ぶ直前、彼の瞳から流れる一筋の涙。
最愛の友の願いも空しく、大切な存在を守り抜く使命も果たせず、主無き天の番犬は冥府へと旅立った。

赤鬼の最優先は減衰を続ける理性を取り戻すための食事。たった今、女王より賜った下賜より食皿に備えらえた贄は2つ。
たった一人、僅か数十メートル先に飛ばされた剣道少年か。その反対側にいる女王の手によって屠殺され、猿と兎一匹ずつ傍らに従えた召喚士の肉袋か。
一早く己の技を取り戻し、女王の元へと衰残するために選んだ完全食は、手早く捕食可能な少年の方だった。

「くっ……!!」
供を失った剣士へと黒い闇をまき散らしながら突撃する赤鬼。大型トラックの質量を持ちながらスポーツカーもかくやの速度で肉薄する。
タカコの魔風による援護、ワンタによる攻撃の阻害(インターラプト)、三猿による遊撃。
それらが失われた今、例えVH発生後から数多くの強敵達と戦い、経験を身に宿してきた少年といえど、技と適応力だけでは赤鬼の餌食となるだけであろう。
ーーーー救援がなければ、の話だが。

「ーーーらああああああああああああああッ!!!」
裂帛の叫びと共に一条の光が漆黒を切り裂いて奔り、流星の行く先は接近する巨星。
輝星の担い手たる少年は、哉太の前へと立ち、魔力の光を迸らせた剣を構え、襲い来る鬼(オーク)へと切っ先を向ける。

「爆ぜろッ!魔聖剣ッ!!」
瞬間、切っ先に収束した光が炸裂し、周囲一帯を真昼のように照らし出す。
同時に質量を持つエネルギーへと変換された魔力が迫る赤鬼を纏う闇ごと後方へと吹き飛ばした。
哉太の目が見開かれる。眼前にいる彼は縁を互いに断ち切ったかつての友。
VHで再会を果たしてから協力し、喧嘩をし、殺し合った男。
闇纏う厄神に連れ去らわれた彼は、哉太へと振り返る。

「よう、助けに来たぜ。八柳哉太」
「山折、圭介……!」

光が収束し、哉太の懐に小さな御守りが現れる。
それは、淡い光を放っていた。



169オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 19:59:39 ID:yc3oyUGQ0
「ーーーーと、まあ要約するとこんな話だ。結局のところ、君達はあの亡霊から逃げずにいれば全てが丸く収まる筈だったのさ。
結果論にはあるが、君達の判断のお陰で私は九死に一生を得た。これも運命の導きと言う奴かな」
「く……うぅぅ………!」

上空30メートル。初夏とは思えない冷たい風が吹く中、首を掴まれたアニカは呻ぎ声を漏らす。
歯を食いしばり、青い瞳に涙を滲ませる異分子に対し、女王は悪意に満ちた笑みを向けた。
女王の一方的な会話の中、彼女の『狩猟』により遠方にいる仲間、犬山うさぎが命を落としたを知らされた。
殺傷を未然に防げず、親しくしてくれた優しい友達の命が失われた。その事実が刃となり、アニカの未成熟な心を抉った。

ーーーギュオオオオオオオオオオオッ!!!!
「ーーーッ!!」「おやおや」

耳を劈くような咆哮が轟き、浮遊する少女二人へと巨大な影が風を纏いながら突撃してくる。
その影の正体は巨大な怪鳥。月明りに照らされた細面の貌は、本当に獣であるのか疑わしく思えるほど激情に塗れていた。
ターゲットは紛れもなく女王「日野珠」。感情を殺意一点に絞り、主の友であるアニカ諸共撃墜すべく特攻(バードストライク)を仕掛ける。
到達まで僅か。光陰の如し突撃は女王を鎮めるかに思われたが。

「ーーー知ってるかい?太陽へと飛び立ったイカロスは偽りの羽を焼かれ、天から堕ちたのだよ」
女王の頭上に出現する巨大な黒炎球。到達する数メートル前で怪鳥に放たれた。
災厄の名を冠する大風タカコ。黒い太陽を継いだ厄の化身に一矢報いる事は叶わず、無謀の代償をその身で支払う事となった。
墜落する最中、彼女が思い出したのは故郷ーー異世界の空。背中に乗せた友、召喚士イヌヤマの無邪気な笑い声。
貴女の眷獣でいられたこと、それが私にとって一番の幸せでした。
今際に抱いた思いは夜風に吹かれ、肉体と共に灰に変わっていく。

「……何がしたかったのだろうね、彼女」
「許……さない……!絶対に……許さ……ない!!」
「やれやれ、困ったものだ」

愛らしい顔を怒りに歪ませるアニカの視線を受け、女王は肩を竦める。
現状、アニカが打てる手はない。それでも「日野珠」に擬態した殺人者には心だけでも負けるわけにはいかない。
幼気な少女の決死の抵抗に、女王は嗤う。

「そういえば、君が考案した現状を打破する策はどんなものか、推理してみろって言ってたよね?」
「Try to……answer……!」
「それなんだがね、どうにも私程度の頭脳では答えに至らなかったよ。おめでとう、天宝寺アニカ。女王(わたし)を出し抜いた君の勝ちだ。
ーーーだから、何の捻りもない手段で応えさせてもらうよ」
「ーーーーあっ」

170オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 20:00:09 ID:yc3oyUGQ0
屈せず最期まで抗った探偵へ僅かばかりの賛美の言葉を贈り、女王は命綱と化していたアニカを掴んでいた手を離した。
明晰な頭脳が回転を止め、動きを止める。地上30mからの落下の中、脳裏に過ぎるのは最初に解決へと導いた事件。被害者の死因は落下死。
ああ、被害者になった女の子はこんな風に命を落としたんだ。
そんな間抜けな感想を抱いて、地面へと叩きつけられる瞬間ーー。

「間、に、合ええええええええええええええッ!!!」
女性が発したとは思えない怒号と共に身体を抱きかかえられる感覚を覚える。
目を丸くし、自分を助けたと思われる人物を見上げる。
神の彫刻と見間違えんばかりの美貌に張り付いた快活な笑顔。風にたなびく美しい黒髪。
パートナーの話していた人物像とは違うが、アニカは目の前の女性を知っている。

「アナタは……カグラハルヒメ……?」
「え……ええ、そうよ。私が神楽春姫。山折村の始祖の地を引く巫女、神楽春姫!」
「誰かと思えば、山折村を穢し続けた一族の末裔ーーいや、その取り巻きになった亡霊か。
丁度いい。私の進歩のために踏み台になって貰うよ」

神楽春姫らしき人物が手慣れた様子でアニカを下し、天高く登る女王を見上げる。
下ろされた直後、視線を下げるとポケットに仕舞っていたいた御守りが再び仄かな光を放っていた。

【D-2/草原/一日目・夜中】

【八柳 哉太】
[状態]:異能理解済、疲労(特大)、精神疲労(大)、喪失感(大)
[道具]:脇差(異能による強化&怪異/異形特攻・中)、打刀(異能による強化&怪異/異形特攻・中)、双眼鏡、飲料水、リュックサック、マグライト、八柳哉太のスマートフォン、白兎の御守り
[方針]
基本.生存者を助けつつ、事態解決に動く
1.うさぎちゃん……。
2.アニカを守る。絶対に死なせない。
3.圭介と共に目の前の鬼を討伐する。
4.村の災厄『隠山祈』を何とかしてあげたい。
5.いざとなったら、自分が茶子姉を止める。
6.ゾンビ化した住民はできる限り殺したくない。
[備考]
※虎尾茶子と情報交換し、クマカイや薩摩圭介の情報を得ました。
※虎尾茶子が未来人類発展研究所関係者であると確認しました。
※リンの異能及びその対処法を把握しました。
※広場裏の管理事務所が資材管理棟、山折総合診療所の地下が第一実験棟に通じていることを把握しました。
※『神楽うさぎ』の存在を視認しました。

【山折 圭介】
[状態]:疲労(大)、眷属化進行(極小)、深い悲しみ(大)、全身に傷、強い決意
[道具]:魔聖剣■、日野光のロケットペンダント、上月みかげの御守り
[方針]基本.厄災を終息させる。
0.うさぎがいると思わしき場所へと向かう。
1.女王ウイルスを倒し、日野珠を救い出す。
2.願望器を奪還したい。どう使うかについては保留。
3.『魔王の娘』の願い(山折村の消滅、隠山いのりと神楽春陽の解放)も無為にしたくない。落としどころを見つけたい。
4.春……?
[備考]
※もう一方の『隠山祈』の正体が魔王アルシェルと女神との間に生まれた娘であることを理解しました。以下、『魔王の娘』と表記されます。
※魔聖剣の真名は『魔王の娘』と同じです。
※宝聖剣ランファルトの意志は消滅しましたが、その力は魔聖剣に引き継がれました。
※山折圭介の『HE-028』は脳に定着し、『HE-028-B』に変化しました。

【大田原 源一郎】
[状態]:ウイルス感染・異能『餓鬼(ハンガー・オウガー)』、眷属化、脳にダメージ(特大)、食人衝動(中)、理性喪失
[道具]:防護服(内側から破損)、サバイバルナイフ
[方針]
基本.女王に仇なす者を処理する
1.女王に従う
[備考]
女王感染者『日野珠』により強化を施されました。

171オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 20:00:39 ID:yc3oyUGQ0
【E-2/草原/一日目・夜中】

【天宝寺 アニカ】
[状態]:異能理解済、衣服の破損(貫通痕数カ所)、疲労(大)、精神疲労(大)、悲しみ(大)、虎尾茶子への疑念(大)、強い決意、生命力増加(高魔力体質)、眷属化進行(極小)
[道具]:殺虫スプレー、斜め掛けショルダーバッグ、ビニールロープ、金田一勝子の遺髪、ジッポライター、研究所IDパス(L2)、コンパス、飲料水、医療道具、マグライト、サンドイッチ、天宝寺アニカのスマートフォン、羊紙皮写本、犬山家の家系図、白兎の御守り
[方針]
基本.このZombie panicを解決してみせるわ!
1.早く皆と合流して、「Queen Infected」の事を知らせなくちゃ!
2.私を助けてくれたMs.Rabbitの事、ウサギに聞いてみましょう。
3.あの女(Ms.チャコ)の情報、癇に障るけどbeneficialなのは確かね。
4.やることが山積みだけど……やらなきゃ!
5.リンとMs.チャコには引き続き警戒よ。特にMs.チャコにはね。
[備考]
※虎尾茶子と情報交換し、クマカイや薩摩圭介の情報を得ました。
※虎尾茶子が未来人類発展研究所関係者であると確認しました。
※リンの異能を理解したことにより、彼女の異能による影響を受けなくなりました。
※広場裏の管理事務所が資材管理棟、山折総合診療所が第一実験棟に通じていることを把握しました。
※犬山はすみが全生命力をアニカに注いだことで、彼女の身体は高魔力体質に変化し、異能『魔王』に対する強力な耐性を取得しました。
※『神楽うさぎ』の存在を視認しました。
※日野珠が女王感染者であることを知りました。
※白兎の存在を確認しました。

【神楽 春姫】
[状態]:疲労(極大)、眷属化進行(極小)、額に傷(止血済)、全身に筋肉痛(極大)、魂に隠山祈を封印、精神不安定(無自覚)、白兎への怒りと屈辱(大)、???喪失、隠山祈人格
[道具]:柳葉刀、血塗れの巫女服、研究所IDパス(L1)、[HE-028]の保管された試験管、山折村の歴史書、研究所IDパス(L3)
[方針]
基本.妾は女王……?
1.女王ウイルスを止め、この事態を収束させる
2.日野珠は助け出したいが、それが不可能の場合、自分の手で殺害する
3.襲ってくる者があらば返り討つ。
[備考]
※自身が女王感染者ではないと知りましたが、本人はあまり気にしていません
※研究所の目的を把握しました。
※[HE-028]の役割を把握しました。
※『Z計画』の内容を把握しました。
※『地球再生化計画』の内容を把握しました。
※隠山祈を自分の魂に封印しました。心中で会話が出来ます。
※隠山祈は新山南トンネルに眠る神楽春陽を解放したいと思っています。
※隠山祈と自我の入れ替えが可能になりました。
 隠山祈が主導権を得ている状態では、異能『肉体変化』『ワニワニパニック』『身体強化』『弱肉強食』『剣聖』が使用可能になりますが、
 周囲の厄を引き寄せる副作用があり、限界を超えると暴走状態になります。
※白兎の干渉により???が失われました。

【日野 珠】
[状態]:疲労(小)、女王感染者、異能「女王」発現(第二段階途中)、異能『魔王』発現、右目変化(黄金瞳)、頭部左側に傷、女王ウイルスによる自我掌握
[道具]:研究所IDパス(L3)、錠剤型睡眠薬
[方針]
基本.「Z」に至ることで魂を得、全ての人類の魂を支配する
1.Z計画を完遂させ、全人類をウイルス感染者とし、眷属化する
2.運命線から外れた者を全て殺害もしくは眷属化することでハッピーエンドを確定させる
[備考]
※上月みかげの異能の影響は解除されました
※研究所の秘密の入り口の場所を思い出しました。
※『Z計画』の内容を把握しました。
※『地球再生化計画』の内容を把握しました。
※女王感染者であることが判明しました。
※異能「女王」が発現しました。最終段階になると「魂」を得て、魂を支配・融合する異能を得ます。
※日野光のループした記憶を持っています
※魔王および『魔王の娘』の記憶と知識を持っています。
※魔王の魂は完全消滅し、願望機の機能を含む残された力は『魔王の娘』の呪詛により異能『魔王』へと変化し、その特性を引き継ぎました。
※魔術の力は異能『魔王』に紐づけされました。願望機の権能は時間と共に本来の機能を取り戻します。
※戦士(ジャガーマン)を生み出す技能は消滅し、死者の魂を一時的に蘇らせる力に変化しました。
※異能「???」に目覚めつつあります。



172オニガシマ・ダークサイド ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 20:01:13 ID:yc3oyUGQ0
戦場の喧騒から離れた自然の中、仄かな月明かりが季節外れの白百合が咲き誇る小さな花園を包み込む。
白百合のベッドの中心には一人の少女ーー犬山うさぎが身体を横たえていた。組まれた彼女の手には季節外れの一輪の赤いアネモネ。
身体には傷一つなく、安らかな顔で眠りについていた。だが、もう二度と眠り姫は目覚めることはない。

『望…………。こんな、粗末なベッドしか用意できなくてごめんね……』
眠るうさぎを取り囲むのは三匹の獣。長棍を背負った猿、二足歩行の山ネズミ。そして、ふわふわの毛並みの白兎。
全員がうさぎの異能『干支時計』に応えて、彼女を守るべく山折村に召喚された眷獣である。
致命傷となった心臓の傷は猿こと斉天大聖が魔術にて失った血液ごと治療を施し、生前と変わらない綺麗な姿に戻した。
召喚士が眠る花園と供えられたアネモネは白兎と山ネズミが魔術で生み出されたもの。
白百合の庭園の下には魔法陣が敷かれ、こちらは隠匿を始めとした魔術式が組み合わされており、その精度はかの魔王が生み出した術式にも匹敵する。
せめて、これ以上彼女が穢されないために。女王にも、山折村にも、特殊部隊にも、研究所の薄汚い連中にも手を出させないために。
たった3匹の見送り。噛みしめるのは己の無力。願うのは大切な家族と友達のため、世界を超えて精一杯生きてきた隠山望の安寧。
黙祷の後、3匹の眷獣は眠る愛しき主に背を向けて歩き出す。主を失った今、自分達を縛るものはない。なくなって、しまった。

戦場とうさぎが眠る中間地点で、3匹の獣は足を止める。
先頭を歩いていた白兎ーーウサミは振り返り、沈痛な表情を浮かべる三猿とヤマネに濡れそぼった紅い瞳を向ける。
直後、ウサミの前に魔法陣が展開され、彼女の足元にチェーンのついた懐中時計ーー召喚士イヌヤマの異世界における召喚術『干支時計』の具現が現れた。
己の魔術でうさぎの身体から干支時計を転送した白兎は器用に頭を動かし、付属のチェーンを自らの首にかける。

『…………私達の主は眠りについた。主亡き今、彼女の願いを聞き入れて逃亡するのは自由だ。そう望むのであれば干支時計から解放する。
だけどもし望の魂を、望を大切に思ってくれた人達を、穢れた隠山の地や妄執に取り憑かれた王の贄として献上されるのを拒むのであれば、私についてきてくれ』

白兎の問いに二匹の獣は頷きを返し、彼女へと一歩歩み寄る。同じく干支時計の文字盤に書かれた数字が弱光を放つ。
既に殺されたスネスネとトラミ、ワンタ、タカコ以外の眷獣が同意したとみて、ウサミは話を進める。

『分かった。これから私達は望の遺志に背き、自分達を使い潰してでも目的を果たすことになる。望と同じ場所に行けないと覚悟を決めるんだ。
ーーーー私達に、王はいらない』

【犬山 うさぎ 死亡】
※犬山 うさぎの遺体はD-2にて死亡した直後の状態で保存されています。基本的に発見されることはありません。
※犬山 うさぎの異能『干支時計』は白兎が懐中時計として顕現させました。また、犬山 うさぎの異能の進化を受けて魔力による封印された眷獣の本来に近い姿での自由召喚が可能になりました。
※D-2には白兎、三猿、山ネズミが顕現しています。

173 ◆drDspUGTV6:2024/05/16(木) 20:02:22 ID:yc3oyUGQ0
投下終了です。

174 ◆H3bky6/SCY:2024/05/17(金) 20:07:47 ID:HukkTLho0
投下乙です

>オニガシマ・ダークサイド

異世界転移に異世界転生とかなり数奇な運命を辿ったうさぎちゃんもついに脱落か
ここからはもう誰が落ちてもおかしくない状況ですねぇ

制限が解かれたうさぎちゃんは完全に召喚士の貫禄
異世界の召喚獣たちの力は魔王もお墨付きだけあって相当なモノだねこりゃ
むしろ、いきなり召喚された召喚獣たちとちゃんと連携が取れる哉太は何なの?
そんな召喚獣たちと渡り合う大田原さんもさすがに強い、これで理性がないから弱体化してるってマジ?

白兎くん、あっちこっちとめっちゃ暗躍している
うさぎファーストの白兎と山折村ファーストの春姫、割と似た者同士では?
めずらしく春姫がやり込められていたけど、愛している村があんまりにもなクソ村なので議論では春姫側の分が悪いのはそれはそう

異能でイベントが起きる場所を見て、魔法でトラップを張るという、女王と魔王の力と言う極悪すぎる組み合わせ
イベントが起きる所に罠を張ったと言うけれど、罠を張ったからイベントが起きたのか、卵が先か鶏が先か、なんにせよマッチポンプすぎる
今の所手が付けられない度合いはすごいがどう攻略するのだろうか

アニカはめっちゃ女王に目を付けられて近づきまくっているから眷属化が一番進んでいるっぽい
うさぎは死んでも眷獣たちは残るのね、主亡き後獣たちが何を成すのだろうか?

175 ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:37:10 ID:REl9BPQA0
投下します

176彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:37:38 ID:REl9BPQA0
診療所のすぐ傍を、女児のような小さな影がよたよたと走り抜ける。
顔色は土気だち、息遣いは荒く、一目見て重傷だと分かるだろう。
そんな彼女は最先端設備の整った診療所へ治療を求めてやってきたのではない。
むしろ逆――『未来人類発展研究所』と決別し、その尖兵から逃げ延びてきたのだ。

「ハァ……! ハァ……! ぐぅッ!」

銃弾によって体内を掻きまわされ、刃物によって背はざくりと斬り裂かれ、多くの血が流れ出た。
肉体の無理を押してウイルスの研究をおこない、巣くう者としての呪いを浴びせかけられた。
熱を帯びた鈍い痛みに苛まれ、少しでも気を抜けば意識は朦朧となりそうだ。
幻聴すら聞こえてくる。

――先生、助けて……!
ここにいないはずの珠が懇願する。
渇いた目をした特殊部隊の男に命を狩り取られ、研究所の実験室でサンプルとして腑分けをされる光景を幻視する。

――珠ちゃんのこと、どうかお願いしますっ!
――私は力になれませんでした。けれど、先生ならきっと……!
死んだはずの茜とみかげが耳元で囁く。
生き延びたスヴィアに珠を託す言葉が聞こえる気がする。

あるいは幻聴ではなく、異能が死者の声すら聴こえるように進化したのだろうか。
もう分からない。そんなことを調べる余力はない。
ただ、一つだけ言えることは。
(まだ朽ちてなるものか……!)

そんな身体で一体何ができる、今は休め。
あなたが倒れれば、みんなもきっと悲しむ。
何も事情を知らない者が彼女を目にすれば、そのような言葉を投げかけてくるだろう。

――ふざけるな。


一度でも足を止めてしまえば、もうきっと、再び歩み始めることはできない。
目の前の地獄(げんじつ)に屈し、一度心が折れてしまえば、もう未来には届かない。

177彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:38:12 ID:REl9BPQA0
自らのハッピーエンドを見つけ出してみせると啖呵を切った彼女だが、その実、取れる選択肢はもう多くはない。
タイムリミットまで残り30時間を切った。
そんな厳しい状況下で、最後の特殊部隊の追跡を振り切りながら成果を掴まねばならない。

想像を絶する険しい道のりだ。
HE-028ウイルスの真理に達した、開発の第一人者が女王の治療は不可能だと断言したのだ。
それはすなわち、研究所で取り扱われたすべての成果が、珠の治癒に繋がらないという死刑宣告に等しい。
スヴィア以上に優秀な先達の歩んだ道のりは、すべてがバッドエンドに繋がる道のりだ。

直接女王を治療せずに収束させる方法として提言されていた隔離策にしても、研究所内部でのレポートを見るに望み薄だろう。
理論上どれほど離れていても女王との通信が可能だという、量子力学に見られるような奇妙な性質がウイルスに観測されている。
30時間で量子もつれを解き明かすことができれば、ノーベル物理学賞の受賞は内定したに等しい。
それほど難解な原理だ。

仮に錬や烏宿暁彦と出会ったところで、一切の解決策は浮かび上がってこないだろう。
彼らが長谷川たちを出し抜いて研究を進めていたとは思えない。
つまるところ、道なき道を探し出し、歩まなければならないのだ。


それでも。
「希望は……まだ……ある……!」

ただの強がりではない。
梁木らの結論は絶望的な宣言であるが、考え方を変えれば、正攻法は切って捨ててしまっていいということでもある。
無数の可能性をばっさり切り捨てたことで、埋もれていた新たな道も見えてくる。
すなわち、スヴィアが希望を見出したのは、彼らの領域外の要素。異能のさらなる進化だ。


ウイルスを否定する異能では治癒は不可能だという。
だが、その異能がさらに進化すれば、一体何が起こるのか?
さらにさらに進化すれば、どこに行き着くのか?
それは蓋を開けてみないと分からない。

その希望は、砂漠で揺らめく蜃気楼のようなもの。
実在すら定かではない。掴んだ瞬間に霧散してしまうかもしれない。
あるいは、地獄に垂らされた一本の糸。
縋りつくにはあまりに脆弱で、今この瞬間にぷつりと切れてしまうかもしれない。進み切ったその先は天獄かもしれない。
けれど、断崖絶壁のような悪路であろうとも、目的地が地平の彼方であろうとも、道が断たれたわけではないのだ。

創は無事。与田の異能を取り込んだ隠山祈は春姫の中に封じられたが、いまだ健在。
ならば諦めるには早すぎる。

もはや科学者としての王道はすべて切り捨てた。
科学者としてのスヴィアが決して進み得なかった道に全生命を賭けるしかない。
これが研究所と決別したスヴィアの取れる唯一の道である。

生徒を守るためなら、この瀕死の肉体を捧げたっていい。
隠山祈に身体を明け渡してかまわない。
だから運命よ、もう一度機会を与えておくれ。


『てめえ、付くならもっとマシな嘘をつきやがれ!!』
『チャコおねえちゃん、どうしたの?!』
『虎尾さん、やめて!』

風に乗って届いたのは、虎尾 茶子の怒声と、それを諫める声。
極限のストレスなのか、スヴィアの五感はいつになく鋭敏だ。
幻聴ではない。
暗がりの向こうから響いてくる声を確かに捉えた。

平時であればかかわりを避け、踵を返すような剣吞な雰囲気の集団。
けれどもスヴィアにとっての唯一の前に進む道だ。
光に縋る蝶のように、声のもとへ、ふらふら、ふらふら、ふらふらと近寄っていく。

178彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:38:36 ID:REl9BPQA0


診療所の正面を東西に横切る道は、かつては湖のほとりの遊歩道であった。
村人たちは渡鳥のさえずりに耳を馳せ、虫たちの囁きを楽しみ、豊かな生態系、その営みを享受し心を休めていた。
近年もまた、診療所に詰めかけては世間話をおこない、世情に塗れて汚れたこころを癒した老人たちが、
湖上を吹き抜ける爽やかな風を受けながら帰路につくのが定番となっている。
そんな老人の憩いの小路を行くのは、四人のうら若き男女。
しかし一行の雰囲気は、和気あいあいとは程遠く。

四人の間には重い沈黙の帳が降り、ときおりかわされる言葉は、創による極めて事務的な説明と報告のみだ。
彼方を睨みつける茶子は、苛立ちを隠す様子はない。
そんな茶子への不信感が所作に滲み出る雪菜と、それを牽制してぶー垂れるリン。
せめて間違いが起こらないようにと、雪菜とリンの間に入る創の表情は苦悩に満ちている。

(なんで、そんな取り澄ました顔ができるの?
 悪かったとも思わないわけ?)
雪菜の心の奥底からふつふつと湧き出してくる苛立ち。
不満はずっと燻っていたが、発露したタイミングは明確だ。
すさまじい剣幕で創につかみかかった、先の茶子の感情の発露。
よもや流血沙汰に至りかけた先ほどの衝突は、雪菜の敵愾心を大いに刺激した。
創に謝罪の一言もなく、従うのが当然だと言わんばかりに偉そうに指示を出し、一切悪びれることはない。

自分が信用されていないのはまだいい。
村人でもなく、魔王や呪いと戦う力もないお荷物だ。
興味を持たれていないことなど分かり切っている。
茶子にとって雪菜とはただの便利な道具。移動可能なマスターキーだ。
マスターキーの機嫌を伺う所有者など存在しないだろう。

だが、創とは歪ながらも信頼関係を築き上げたのではなかったのか。
対等な関係として認め合ったのではなかったのか。
世界の裏も表も、人の表も裏も、何もかも見透かした態度を取り続けておいて、人の感情の機微に疎いはずがないだろう。
もし彼女が人の感情を理解できないサイコパスなら、魔王を徹底的に貶める作戦などうまく行くはずがない。
知識も経験もただの女子生徒でしかない雪菜と比べて、茶子は隔絶した領域にある。
なのに敢えて他者の心を慮らない選択をとり続ける理由があるというのか。
言葉の選択一つで、固く結ばれた友との絆が朽ち果ててしまうことすらあるのに。
それとも、最初から創すらも取るに足らないものだと見做していたとでもいうのか。
彼もまた、簡単に替えが効くものだと考えているのか。

(ダメ。気持ちを落ち着けて……!)
安易な感情の吐露も、浅薄な考えの元に吐かれた言葉も、取り返しのつかない亀裂を生む。
それは雪菜にとっての人生の自戒だ。
それで親友を、恩師を、大切な人たちをみすみす失いかけたのだ。
漏れ出す悪感情を抑えつける。
極力考えが表に出ないように努める。
自分が悪感情を飲み込めば丸く収まる。
母の機嫌を伺い過ごした幼少期のように、こころを抑え付ければこの場は収まる。

なのに。
「セツナおねえちゃんでしょ。さっきからなんかぶつぶついってくるの。
 しゃきっとしなきゃダメだよ!」

179彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:38:54 ID:REl9BPQA0
この一行で最もか弱い乙女は、雪菜が覆い隠そうとしている悪感情を掘り出しては、正義の御旗を掲げて弾圧を施行する。
独裁者の子飼いの親衛隊のように、敵性勢力をめざとく見つけ出しては、「指導」をおこなう。
「……ごめんなさい、まわりに配慮できてなかった。血を流しすぎたのかもしれません」
「チャコおねえちゃんにメーワクかけちゃメッ! だよ!」
「リンちゃん、悪いね。ホントにリンちゃんはしっかり者だな」
「そんなことないよ! チャコおねえちゃんがタイヘンなときなんだから、リンがしゃんとしないと、だもんね!」

それとも、学級委員長でも気取っているのか。
リーダーにむくれて反発する不良少女には、その異能はさぞ使い出があるだろう。

『守らなきゃ。大切な人を。
 ほかでもない、あなた自身が』
ぼんやりとそんなニュアンスの感情が湧き上がり響いてくる。
大切な人とは誰だ? 虎尾 茶子を守れとでも言いたいのか?

いつから響いてくるのかは分からない。リンの異能なのかも確証はない。
ただ、脳に強烈な感情を叩きつけるその異能と、脳に直接感情を焼き付けられている今の状況は酷似している気がする。
思考の合間に割り込んでくるノイズが、思考をさらに散漫とさせる。

「哀野さん、本当に大丈夫ですか?
 記憶が残っていない以上、僕らがあの白い空間をどれだけ彷徨っていたのかは分からない。
 自覚以上に疲労が蓄積している可能性もあります」
「そんなの、こっちだって同じことだ甘えんな」
「あまえんな!」
「うさぎや哉くんがクソ疫病神にどんな目に遭わされてるのか分かんないってときに、そこの一人のために足を止める選択はないわ」
「ちゃんとチャコおねえちゃんのいうこときかないと、わるいこになっちゃうよ!」
「大丈夫です、本当に大丈夫ですから」

場を丸く収めようとすれば、リンが事を大きくし、茶子はリンを甘やかし、リンは鼻を膨らませる。
刺々しい本音をオブラートに包めば、自己管理のなさをあげつらわれる。
これまで不和が表面化しなかったのは、魔王にイヌヤマイノリというあまりに大きな脅威に覆い隠されていたから。
そして、議論のたびにリンが眠っていたからにすぎない。

言葉だけを切り取れば茶子が正論を吐いているようにも思えるが、そもそもの発端は誰だと思っているのだろうか。
サバサバしているように取り繕いながら、その実はいつ噴火するか分からないマグマ溜まり。
哉太にだけは全幅の信頼をおいていることは分かるが、
それも含めて意中の男に媚び、依存を繰り返し、気まぐれに慈愛と虐待を繰り返していた母を見る様で気味が悪い。
自己管理すらできないのはどっちだ。
爪を噛みちぎりたくなるような衝動を抑え、本心を押し殺す。
けれどリンは雪菜を信用していないのか、茶子におだてられて調子に乗っているのか、それとも感情が漏れ出しているのか。
未だその異能で心に囁きかけてくる。


(大丈夫、本当に大丈夫)
生物災害を解決すれば、二度とこの不愉快な姉妹と関わり合う機会はない。
ただ、茶子やリンのほうを向けば、初対面の時のように彼女らを睨みつけているように思われそうで。
目を逸らしたのはまったくの偶然だった。

「スヴィア先生!?」
命を賭してでも救い出すと心に決めた人が、ぼろぼろの身体を引きずりながら近づいてくるのが見えた。



180彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:39:17 ID:REl9BPQA0
白い廊下から脱して以降、リンから見ても茶子の様子はおかしかった。
どこかうわのそら、かと思えば突然遠くを睨みつけたりする様子には、思わずびくりとしてしまう。
かと思えば、心配ないよとでもアピールするかのごとく、取り澄まして凛とした顔つきを作り出す。

(きっとカナタおにいちゃんのせいだ。
 チャコおねえちゃんにだまって、いなくなるからこうなっちゃうんだ)
リンと男性との関りは、愛とは程遠い。
爛れに爛れた性的な関係がすべてであった。
あるいは閻魔ならばまた別の関係性を作れたのかもしれないが、そうなる前に彼は姿を消した。

愛や恋の機微なんてリンには分からない。
けれど、茶子が哉太にただならぬ感情を抱いているのは分かる。
なのに哉太もまた、閻魔と同じように姿を消した。
アニカもいつの間にか、黙っていなくなった。

結局ほかに残っているのは創と雪菜のみ。
創は茶子の子分一号としてそれなりの節度で接しているが、雪菜はあまり好きじゃない。
パパの家で世話係をおこなっていた使用人の女のように、嫌悪と同情、そして哀れみの視線を向けてくるから。

(なんでメーワクかけてばっかりのカナタおにいちゃんのことばかりしんぱいするんだろう。
 ムチャばかりするから、ほうっておけないのかな。
 ヨシヨシしたくなるのかな?
 リンもカナタおにいちゃんみたいに、もっともっとムチャすればチャコおねえちゃんもリンのことを心配してくれるのかな?
 リンのことをもっと、もーっとアイしてくれるようになるのかな?)

最初は哉太なんていなくなっちゃえばいいのに、と思った。
けれど、そんなことになったら、きっとますます茶子は哉太を追い求めるだろう。
世の中は理不尽だ。若干9歳にしてリンはその真理を覗き見た。

(リンがわるいこだったら、チャコおねえちゃんはもっとリンをしんぱいしてくれるのかな?
 みんなにいたずらして、こまらせるようなわるいこになったら……みんなどうするだろう)

むすりと口を結んでいる茶子の横顔。
気まずそうに顔を逸らす創。
創を慮る雪菜。
ふと、リンの視線を感じたのだろうか。雪菜の視線がリンの視線とかち合う。

――う  そ  つ  き。

181彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:39:36 ID:REl9BPQA0
あの日の血走ったお姉さんの目が、リンの記憶の棚から引き出された。
ウソつきの悪い子に憎悪と怨みを焼き付けた、あの赤い瞳がフラッシュバックした。

――リンちゃんも悪い子だったんじゃないですか。
――じゃあ、ボクとおそろいだね。
――虎尾さんなんかじゃなくて、ボクと一緒に行きましょ?
――さあ、おいで。

宇野がリンを誘う声が聞こえるような気がした。
お腹を割くためのカマとたくさんの石を持って、手招きしているような気がした。

(リンはわるいこにはならないよ。
 かってにいなくなっちゃダメだよね、しょうじきじゃないとダメだよね、ウソはついちゃダメだよね)

悪い子は許されない。
ウソつきオオカミはお仕置きされちゃう。

大好きだったパパはウソつきの悪い大人になったから、閻魔にお仕置きされた。
閻魔はこっそり冒険に出かけてしまったから、きっと見てはいけないものを見て引きずり込まれてしまった。
アニカと哉太もリンを置いてこっそり冒険に出かけてしまった。
今もリンを愛してくれるのは茶子だけ。リンが愛するのは茶子だけだ。

(だけど、チャコおねえちゃんもなんだかこわい。
 やさしいチャコおねえちゃんでいてほしいから、リンがもっともっといいこにならなきゃ。
 いのりちゃんだよね? そういうコトだよね?)

どこからともなく語りかけてくる声なき声に呼応するように、リンは決意を改め直した。
その時刻は奇しくも、犬山うさぎが力尽きたその時刻。
御守りに宿る神通力がざあーっとブレた瞬間のことであった。
(あといのりちゃん、ひとつだけまちがってるよ。
 チャコおねえちゃんはたいせつなひとだけど、
 じょおうじゃなくて、かっこいいおうじさまなんだから!)



182彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:40:02 ID:REl9BPQA0
最先端設備をふんだんに取り入れた診療所は、大災害に備えた非常電源装置も完備しているが、
優先度の低い屋外の光源にまでは電気はまわしていない。
闇広がる草地を照らすのは月明かりだけ。

距離は遠く、顔のパーツまで判別することは難しい。
血に濡れた服は着替えさせられたのか、服装だって最後に出会った時とは違っている。
村の雑貨屋に売っていそうな一昔前のおくれたセンスの服は、スヴィアの印象とはまるで紐づかない。

それでも、ポケットの中に入れている二本と同じ銀色の髪。
月明かりを受けて煌めくそれを見間違えることはない。
彼女こそが、雪菜の探し人だ。
待ち詫びた再会の瞬間だ。

「雪菜さん?」
創の呼びかけを後ろに、雪菜は走り出す。

「どこ行くつもりだ!」
刃物のように鋭く冷たい茶子の警告音も雪菜の足を止めるには至らない。

茶子の殺気すら伴ったそれを全身で受け、雪菜を引き留めるため駆け出そうとしていた創はつんのめるように足を止める。
けれど雪菜に殺気を感じとるセンスはない。そんな特殊な才能はない。訓練も受けてはいない。
素人ゆえに茶子の警告は届かない。

この瞬間を、誰にも邪魔されたくない。
そんな想いは、無情にもさらなる感情で遮られる。


「……リンちゃんを守らなきゃ」
頭を掻き回される感覚に、雪菜の足が止まる。
大人よりもまず小さな女の子を守るべき。
先生は大人だから大丈夫、それよりも庇護すべき幼い女の子を……。

「そんなわけないじゃない……!」
リンが雪菜をその場に釘付けにする。
けれども、リンの異能を受けながら、雪菜は自意識を確かに保ち、リンをキッと睨みつけた。
クロスブリード。その隠れた恩恵だ。
叶和の精神と自前の精神、二人分の精神を受け継いだ雪菜が、リン一人分程度の意志に呑み込まれるはずがない。

「ひっ……!」
雪菜の視線にたじろいだリンはさらに異能による干渉を強める。
加減を知らない子供の本気の干渉だ。
雪菜の身体は動かず、けれども雪菜を調伏することはできず、リンの干渉だけが強まる千日手。

「リンさん、いくらなんでもやりすぎです!」
「セツナおねえちゃんは、どうしてリンをあいしてくれないの!?」
会話が噛み合わない。
精神干渉だけでも、相手に銃口を向けるような危険な行為だ。
まして、自我に干渉するレベルでの異能の行使は敵対行為に片足を突っ込む行為である。
創は、右手で雪菜の額に触れ、リンの干渉を払う。
だが、不信感までは払えない。

待ちに待った再会、それも見るからに重症な恩師の救出の邪魔立て。
普通の人間なら自我すら消滅するほどの強力な衝撃を受けては、年下の童女相手といえども心穏やかではいられない。
それでも、その身に積もった不満は吐き出せない。
彼女には絶対の守護者がいるのだから。
リンは茶子の後ろに身を隠す。

183彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:40:36 ID:REl9BPQA0

「よしよしリンちゃん、怖かったね。
 ……あのさ、リンちゃんはリスク度外視で突っ込もうとするアンタらを止めてあげてたわけ。
 創、お前も諜報員の端くれなら、リスクくらいいくらでも思いつくだろ。
 手前らのミスでリンちゃんを責めるのはお門違いだ。
 それとも、うちの担任が悪い人なはずありません〜とかほざくワケ?」
「何が言いたいんです?」
「とらわれのスヴィアせんせーが一人で動いてる。
 それ自体が不自然だって言ってるのが分かんないかな」
「隙を見て逃げ出してきたのかもしれないじゃない!」
「隙を見て? 大怪我した素人のチビ女が? 特殊部隊相手に?
 はっ、頭ん中に花でも咲き乱れてるわけ? そのオダマキの花畑、総とっかえするのを薦めるわ。
 人間様を食い殺して、皮かぶって為り代わる野生のクソガキがいるんだ、そいつが擬態してるほうがまだ可能性はあるだろ」
「先生を勝手に殺さないでッ!!!」
「二人とも落ち着いてくださいッ!」

リンは明確に敵意を持った目で睨んできた雪菜に戸惑い、
リンの異能の危険度具合を実感していないがゆえに茶子は皮肉気に正論を吐き、
その危険性を身をもって実感した雪菜がその言い方に反発する。
このまま傷害沙汰にすら発展してしまいそうな三人に対し、創も声を荒げる。

ここに至って余計な諍いは誰の本意でもない。
向いている方向はそう違わないはずなのに、どうしてこうも軋轢が生じてしまうのか。
これが自分たちを白い回廊に閉じ込めた祟り神の狙いなのだろうか。

「哀野さん。虎尾さんの指摘は尤もです。
 確かにスヴィア先生の状況は不自然だ」
「あなたもッ……!?」
創に梯子を外されたことに、雪菜は若干動揺する。
だが、創のどこか苦みのある表情に、先の句は紡げなかった。

「彼女を連れ去った特殊部隊は、人質をみすみす逃がすような間の抜けた仕事をする人間でしょうか?」
雪菜にとっても思い出したくもない苦い記憶だが、創の言葉に感情を抑えて冷静に思い返す。
ゾンビの群れを嗾けて創たちを篭城させ、店の裏口というあからさまな出口へと誘導。引っかかるならばそれでよし。
目論みをひっくり返すために敢えて正面突破を選んだ相手に対しては、伏兵を配して戦力を分断。
離脱した相手に対しては手駒による時間稼ぎをおこない、雪菜の異能すら把握し対策を講じ。
捨て身でぶつかって退けたものの、スヴィアを連れ去った後も一切の油断はなく、痕跡はすべて偽装、スヴィアが残せた手がかりは髪の毛二本という徹底した隠蔽ぶりだった。
結局、あれから彼女の一切の痕跡を得ることができず、情報戦という一点では完全敗北を喫したと考えるしかないだろう。

「僕は今朝、特殊部隊の張った罠に嵌り、みすみす先生を攫われてしまいました。
 十分に警戒しておきながら、敵はその何手も先を行く相手です。
 同じ失敗を繰り返すわけにはいかない」

184彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:40:51 ID:REl9BPQA0

「それでも……!」
スヴィアを疑いたくない。
敵の罠であったとして、スヴィアがそれに加担しているだなんて考えたくない。
雪菜がその切なる思いを口に出す前に、創は人差し指を口に当てて先の言葉を制し。

「僕と雪菜さん、二人でスヴィア先生と接触します。
 万一は起こさせません。どうか僕を信じてください」
努めて冷静に説明している創の表情に、一瞬だけ陰りと不安が見えたのを雪菜は見逃さなかった。
目の前でスヴィアを攫われ、臍を嚙んだのは雪菜も同じ。
こちらの気持ちも知らず、手前の状態を棚に上げて上から責め立ててくる相手には反発もしたくなるが、
同じ傷跡を持った仲間の共感なら、収める鉾もある。


「虎尾さん。
 スヴィア先生の容態次第では、こちらは自由に動けなくなるかもしれません。
 念のため、お貸ししておきます」

創から茶子へ手渡されたのは、ハヤブサⅢの位置を示す発信機だ。
この先スヴィアが足手まといになるとしたら、自分たちに構わず行けという意思表示でもある。
発信機に示された光点は、今の場所から少し北。
まるで何かを確認するようにときおり立ち止まりながら、東方向へと向かっていた。

「まあいいさ。お前は甘いヤツだが、実力は信頼してる。ヘマはするなよ」
「誓って」
「それから、ほらっ」
「なんですか? これは」
茶子から創に投げ渡されたのは、スマートフォン。
何の変哲もない、とはとても言えない妙なアプリがホーム画面を埋め尽くしているが。
道中、袴田伴次から無断で借用した機体である。

「議事録。録音アプリの使い方くらい分かるだろ?」
「……ああ、分かりました」

実力は信頼するが、けれども身内による尋問だ。
モノとして残せ、ということだ。



185彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:41:37 ID:REl9BPQA0

『朝方ぶりだね……。
 話したいことは山ほどあるが……、急を要する話から伝えよう。
 ボクは今、特殊部隊に追われている』
『特殊部隊……!』
『それは、貴女を攫った例の?』
『ああ、乃木平と名乗る男だ』
『ならば、立ち話は危険です。今すぐ身を隠すべきだ』

果たして、スヴィアと創たちの接触は何事もなくおこなわれた。
創がうまく合流位置を調整し、診療所の棟と棟の間へと誘導したのだ。
診療所内からの狙撃も、商店街や山からの狙撃もほぼ遮断可能な位置取り。
狙撃が可能な数カ所のスポットと、放物線を描いて飛んでくる爆発物の投擲にさえ警戒すれば問題ないだろう。

『キミたちと、生きて再会できるとは思ってもいなかった……。
 どう言葉をかけるべきなのか……。
 ともかく、苦労をかけてしまったようだね……』
『そんなことないっ! 私たちの力が足りなかっただけ……!
 それより、もうあの時みたいなことは絶対にしないで!』
『ご安心を。あのようなことは二度と起こさせません』
『はは、頼もしい、ね……』

ああ、煩い。
スヴィアと雪菜たちの会話に耳を立てつつ、茶子はそう心中で独り言つ。
本音を言えば、今すぐにでも学生どものお守りなんざ放棄して哉太とうさぎを探しに行きたい。
茶子は私情を抑えて、全体の利益を選んでいるのに、雪菜が私情で推定敵性勢力に先手を譲りかけたのが腹立たしい。
私怨だと分かっているが、手前だけ何の努力もなく探し人に遭えたのがなんとも気に食わない。
何より、白い回廊にいたときか抜けた後か、何者かがぼそぼそと囁きかけてくるのが鬱陶しい。


――何者も何も、そんなことをするのはイヌヤマイノリ以外にあり得ないのだろうが。
『虎の心(いのう)』が通用しているからこの程度で済んでいるのか、イヌヤマイノリの祟りは異能ではないから『虎の心』では防ぎきれないのか、それは分からない。
確かなのは、嫌がらせとしては最上級だということだ。
平常心がかき乱される。

186彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:42:01 ID:REl9BPQA0

『ただ、その仔細を聞く時間も、再会を喜び合う時間もないんだ。
 前置きは省く。研究所の上層部と会話をすることに成功した。
 18時時点で村に展開している特殊部隊は二名。正常感染者は十一名。これがすべてだ』
『たった、じゅう、いち?』
その衝撃に雪菜は言葉を失いかける。
茶子としても聞き逃せない情報だ。

哉太、うさぎ、茶子、リン、雪菜、創、アニカ、スヴィアで八名。
あのマイクロバスに乗っていた人間がほぼすべての生き残りだった。スヴィアはそう言っている。
つまり、認識していない正常感染者は残りはたった三名。
元の数を知らないためどれほどの村人が命を落としたのかは分からないが、その語り口から多くの命が失われたのだろうことは分かる。

『待ってください。
 18時時点で11人ということですが……生き残りの中に山折 圭介と、ハヤブサⅢという名前はありましたか?』
茶子が聞きたい情報を、創は抜かりなく尋ねる。
ハヤブサⅢの動向如何では、目的に大幅な修正が加わりかねない。

『山折君の名はあった。ちょうど数十分前、神楽くんと共に特殊部隊を一人撃退したようだ。
 そして最後の一人は、……」
茶子はそこで僅かな違和感を覚える。
何かを逡巡するような妙な間が空いた。

「失礼。最後の一人は、日野くんだ。
 ハヤブサⅢ――田中 花子さんは、乃木平たちによって討ち取られたと、ほかならぬ本人から聞きだした』

師匠と同格の超一流エージェントですら命を落としたことに創は衝撃を受ける。
微塵斬りにしても死ななそうな女を殺したことに茶子は特殊部隊の実力を想定よりも上方修正するが、それもそこそこに思考にふける。
スヴィアの証言は不可解なことが多かった。

あの状況で山折圭介は見逃されたということだろうか。
イヌヤマイノリが圭介に憑りついている可能性もあるが、あのお春と共に特殊部隊を撃退したという情報がその予測確度にモザイクをかける。
加えて、日野珠の名を挙げる前に、なにやら逡巡するような不自然な間があった。
珠の名を出すことを戸惑ったのか。
……それとも、ハヤブサⅢこそが最後の生存者なのか?

(仮にヤツが死んだのなら、この発信機はなんだ?
 この小型発信機に映っている、移動中の人間は一体誰だ?)
残り人数は18時時点で13人。消去法で考えればおのずと答えは絞られるのだが。

「リンちゃん。あのおねえさんのお話を聞きに行っていいかな?」
「うん、いいよ! なかまはずれはよくないもんね!
 でも、セツナおねえちゃんはこわいから、なにかあったらまもってね」
「リンちゃんには絶対に手は出させないよ。
 それと、スヴィアおねえさんは怪しいヤツだからな。言ってることを丸っきり信じちゃダメだよ」
「スヴィアおねえちゃんはわるいこなの?」
「そうね。村をめちゃくちゃにした悪いヤツの仲間かもしれない。
 もしかしたらウソをついてるかもしれないから、騙されないようにしっかり話を聞かないとな」
「わかった。リンもがんばる!」
鼻息をふんと吹き出して気張るリンを微笑ましく思っていると、ふと視線を感じた。
出所はスヴィア。一瞬だけ目が合う。
人懐っこさの仮面で覆った瞳で、彼女に視線を返した。

「……おねえちゃんたち! だいじなおはなしするならリンたちもいれてよ〜!!」
ひそひそ話を終えたリンが、とたとたとスヴィアたちの会話に割り込み、自分たちも入れろと主張する。
茶子も特殊部隊への見張りを取りやめ、会話をする三人のところに向かった。



187彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:42:30 ID:REl9BPQA0

「追っ手は大丈夫なんですか?」
二人を迎える雪菜の言葉にはどこかトゲがある。
そのわずかな不快感は、知己三人の会話に部外者が入ってくることへの反発もあるのだろう。

「特に姿が見当たらなかったっすからね〜。大丈夫でしょ。
 昨日ぶりっす、スヴィア先生」
「ああ虎尾さん、昨日ぶりです」
誰だよお前はとあんぐり口を開ける雪菜。
対して、スヴィアはごく自然に会話に応じる。
この得体の知れない女は、村ではそう振る舞っていたのだろうと、雪菜は自分を無理やり納得させた。
まるで百面相、本当に信用ならない。

「哀野くん、ちょうどいいタイミングだ。
 彼女らにも、話を聞くかどうかの選択を問うべきだ。
 これから話す事実は、研究所の最重要機密事項だから」
「最重要機密……。先生はそれを知ったから、特殊部隊に追われている、っていうことですか?」
スヴィアが鷹揚に頷く。
秘密を知ったことで消される立場になったことを認める。
そして同時に、それは今ここでスヴィアの話を聞くのか、スヴィアから何も聞かずにこの場を離れるのかという選択が提示されたことを意味する。
だが……。

「つかぬことを伺いますが、その最重要機密とは『Z計画』のことでは?」
「……なぜ、それを?」
これから話すべき内容に対して創に先手を取られ、スヴィアは一瞬呆けた。
ただ、創の異質な雰囲気からするに、彼がその仔細を知っていたとしてもどこか納得はできる。
あるいは、隣にいる研究所の関係者『Ms.Darjeeling』から聞いたのか。

「それは、僕が……」
「あんたのご友人から聞いたんすよ。
 未名崎錬っていう研究員に、覚えはありますよね?」
正体を明かそうとする創を遮るように会話に割り込み、出所を錬だと上塗りする茶子。
実際『Z計画』について哉太たちに話したのは彼なので、何も間違ってはいない。

「錬……? 彼は無事だったのかい? 一体どうやって……」
「その質問には答えられないっすよー。
 ……あんたがヤツらの一味じゃない保証はない」
一回り気温が下がったような冷たい声色。
急造の人懐っこさの仮面の奥に、冷酷な意思が見え隠れする。

「そもそもスヴィア先生さ、アンタ、本当に特殊部隊に追われていたんすか?」
「それは……どういう意味だい?」
「ハヤブサⅢ――花子さん、だっけ?
 あの女につけられた発信機をあたしらは持ってるんすよ。
 今、診療所の裏から北東のほうへ走り出してるみたいだ。
 ――答えな。ハヤブサⅢの死と、特殊部隊に追われているって証言。
 何がウソだ? 誰と裏で手を組んでいる?」

普段なら刀の一本や二本喉元に突き付けて尋問するのだが、それをやるとまた学生カップルが騒ぎ出すだろう。
故に言葉のみ。だが、その気迫は死神の刃を思わせる冷たく鋭いものだ。
肝の小さい人間が正面から受ければ、それだけで降伏の意を示してしまうだろう。

茶子の指摘に、スヴィアは息を呑む。
明らかに動揺の色が見える。
それが肯定なのか否か、まだ判別はつかない。

茶子は研究所の関係者を信用しない。
教師として信頼を勝ち取り、温和な人格者を装って裏工作に励むくらい、連中は平気でおこなう。
実際、スヴィア以外にも研究員が教員として紛れ込んでいることは把握している。
仮にシロであったとしても、撹乱のために送り込まれた、あるいは偽情報を広げるために解き放たれたなどの線もある。
研究所、特殊部隊、ハヤブサⅢ。
誰も彼も、村に仇為す者ども。
そして誰も彼もが、一筋縄ではいかない相手だ。



188彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:43:21 ID:REl9BPQA0

「待ってください、虎尾さん、スヴィア先生。まずは事実のすり合わせをおこなうべきだ」
にわかに高まる緊張感は、創のとりなしによって、いったんの落ち着きを見せた。

「ソウおにいちゃん、チャコおねえちゃんはウソつきなんかじゃないよ!」
「白々しい。そっちこそ、言いがかりに隠し事ばっかり……!」
明らかに不満を高める雪菜を、左手で制すことで牽制する。
そして頬を膨らませたリンが放つ牽制は、右手を自身の額に当てることでやり過ごす。
だが、それでも頭のどこかで痺れるような気持ち悪さが残る。

「発信機が移動している件については事実です。
 ただし、単純に誰かに拾われた可能性だってある。
 特殊部隊が所持しているのか、日野 珠さんがその異能で発信機を見つけ出したのか。
 スヴィア先生、答えられますか?」
「特殊部隊……だと思う。
 日野くんは午後2時前に花子さんと別れた。
 未来予知でもできない限り、そんな行動はとりえない。
 少なくとも、当時の彼女たちにはそんな異能はなかった」
「ほーん、じゃあ特殊部隊に追われてるってのが虚偽報告ってわけね」
「虚偽……? その言い方はないんじゃないですか!?」
「虚偽も何も、その通りだろ。それともなにか、ただの自意識過剰ってオチだなんて言わねーよな?
 大した事ない情報持って飛び出した挙句、追っ手もいないのに殺されるから助けて〜って、ちょっと笑っちゃうね。
 特殊部隊から逃げ出せてすごいっすねー。向こうに泳がされたんでなけりゃな」
「先生を侮辱しないで……!」
「二人とも、少し抑えていただけませんか……!」

創が不快感を口調ににじませ割って入り、茶子はこわいこわいと両手をあげて口を閉じる。
そしてリンがスヴィアを見る目も、何やら険しくなっているように思えた。
その軽薄な煽り口調とは裏腹に、その目はスヴィアの様子を冷徹に見据えている。
茶子の煽りに対して怒り出すか、それとも否定するか、冷静を装って的確な回答を返すか?
リアクションをつぶさに観察するが、スヴィアは動揺を隠さず、信じられないと、口をパクパクして固まっているだけだ。

(本当にシロなのか?
 未名崎のヤツと繋がってる元研究員の女が?)
茶子の眉間に皺が寄る。
つい先日、研究所パスの不自然な申請があった。
それについて錬に問い詰めたところ、『まず自分を疑え』とご高説を垂れ流された。
それがブルーバードを蹴落として赴任してきた元研究員かつ錬の元上司、スヴィアが赴任した五日後のことだ。
その後ノートPCを持ち出された痕跡も発見され、スヴィアとの密談があったことは状況的に間違いない。

これで本当にシロだというのだろうか。
何らかの意図を以って接触してきた上でこの反応を返せるとしたら、大したタヌキである。

「少なくとも『Z』はそう簡単に持ち出すことは許されない機密事項だ。
 命を狙われるに足る要素だと考えていいはず。
 当時の状況は、どうでしたか?」
「あ……ああ、そうだね。経緯を説明しよう」

どこかうわのそらのまま、スヴィアは研究所との会談内容を語り始めた。
生物災害を起こしたのが錬や烏宿副部長をはじめとした過激派の暴走であるという確証。
秘密裏に進められていた『Zデー』の確かな証拠と、研究所の設立目的。
特殊部隊の独断専行による村への展開と、研究所との和解。
生物災害が収束したところで全員保護の約束を取り付けたハヤブサⅢの交渉。
創の異能によって女王ウイルスを否定する解決案と、その却下。研究所との協力の決裂。

そして、……珠の「Zウイルス」への進化だけは言わなかった。言えなかった。
Ms.Darjeelingに特殊部隊と同じ酷薄さを感じ取ったから。
そして、言ってはいけないという直感が働いたから。

189彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:43:59 ID:REl9BPQA0
ハッピーエンドを見つけると啖呵を切った。
だのに、ウイルスの治療以前に珠の身すら危ぶまれている。
特殊部隊の乃木平は、てっきり機密を知った自分を追ってくると思っていた。
なのに、彼はスヴィアを無視し、どこかへと向かっていった。
いや、おそらく珠のところに向かったのだ。
ならば一体どうすればいいのか、答えがまったく出ない。

創はきっと全面的に協力してくれるだろう。
雪菜だって、理解を示してくれるかもしれない。
けれど、Ms.Darjeelingはどうだ?
黒木から盗み聞いた会話では、特殊部隊のベテランに太鼓判を押される実力者かつ、特殊部隊に等しい冷酷さ。
茶子の協力を得て乃木平を退けても、返す刀で珠を殺されては意味がない。
彼女は生粋の村民かつ、研究所の関係者だ。
女王を目の前にして、あるかないかも分からない治療手段を一緒に探してくれるほど優しくはないだろう。


「……あとは、乃木平本人に、秘密を知った以上生かしてはおけないと銃口を向けられ、脱出口に突き落として命からがら逃げだしてきた、ということだ」
珠の件を除き、すべての情報を告発した。
だが、思考に費やせたのはごくわずかな時間だ。
空港の手荷物検査官のように、一つの虚偽も見逃すまいという茶子の視線。
その裏で、リンもまた冷徹な目でスヴィアを見据えている。
二人を出し抜ける案も、すべての要素を掬いきる閃きも一向に浮かばない。

「特殊部隊に銃を向けられて、ねえ。
 ……ありえない。仮にあたしが特殊部隊なら、無言で撃ち抜く」
雪菜が目を細める。
たとえばの話なのだが、雪菜にとっては茶子が無言でスヴィアを斬り捨てられる人間だと言い放ったようにしか聞こえなかった。

「……ちなみにその特殊部隊は今朝、無駄な抵抗はやめたほうが賢明だって警告してきたんですけど」
「だったらそいつはよっぽどの無能か新人か、あるいは警察あたりからの転向組だろ。
 山折村(うち)の警官は警告なんざせずに撃ってくるけどな」
「もう一つ可能性があります。当時のその言動自体が布石だったということです。
 将来的にボクらを欺けるように、あるかないかも分からない未来を見据えて撹乱のための布石をバラまいていた」

古民家群で戦った特殊部隊のことを考えると、十分にあり得る可能性だ。
彼もまた、いるかいないか分からない狙撃手をあぶり出すために、創を撃ち抜く絶好の機会を不意にした。
乃木平が当時スヴィアたちの殺害を狙っていたのは確かだろうが、碓氷や小田巻と手を組んでいたのだ。
彼らの裏切りに用心して、いざというときの撹乱に偽情報を流しておくのは手が込んでいるがあり得なくもない。

そんなまわりくどいやり方をするヤツなんていないだろと思ったが、ハヤブサⅢの顔を浮かべて茶子も考え自体は否定しない。
あの女は素でそういうことをやりそうだ。


「それで結局、その特殊部隊だかはどこへ?」
「仮に僕たちをひとまとめにして一網打尽にするにしても、時間が経ちすぎています。
 可能性としては元々別のターゲットがいて、その邪魔立てを防ぐために先生を追い立てて僕らを足止めした、ということでしょうか。
 山折さんたちに撃退された特殊部隊の仲間を助けにいったという線もありますが、特殊部隊が任務よりも部隊員の救出を優先するとは考えにくい」
「あたしらをほったらかしてでも狙う価値のある人間、ね。
 ……先生。正直に言ってくれるかしら?
 本当に話してくれたことでさっきので全部?」
「それは……」
茶子が笑顔を張り付けて尋ねる。
それは、肉食獣がテイスティングをしているようにしか思えなかった。
スヴィアの瞳が今度こそ揺れる。水晶体に跳ね返る月光の軌道が、ふるふると乱反射する。
呼吸が、目に見えて荒くなる。

機密情報を持ち逃げした敵対者よりも、殲滅すべき正常感染者よりも、優先すべきことなど多くはない。
そして仮に足止めに遣わされたのなら、それは一体誰の足止めだ?

そんなの、決まってる。

190彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:44:40 ID:REl9BPQA0
「なあ先生、別に怒ったりしないから。
 女王が誰か、もう分かってるんじゃない?
 正直に言いなさい」
正常感染者よりも優先して狙うべきは、女王感染者のみ。

「正直に言いなさい」
このメンバーで足止めしたい候補がいるなら、それは村人とのかかわりの深い茶子か創。

「正直に言いなさい」
その中で特に親しい生き残りとなれば。

「正直に言いなさい」
女王感染者の最有力候補は日野 珠、八柳 哉太、犬山 うさぎの誰かだ。

特殊部隊が女王感染者を殺しに行ったという推測が正しいのなら、最適解はなりふり構わず発信機に従って特殊部隊を追うことだ。
女王である時点で相当状況は悪いが、その行動を取ればそれ以上に悪い方向には転ばない。
だが、その解を選ぶことはできなかった。
茶子にとっては、親友の近親者と想い人が村の敵だと告発されるかされないか。
運命の分岐点を先延ばしにすることなどできなかった。
故に執拗にスヴィアに問いかけた。


「チャコおねえちゃん!」
リンの呼びかけに、茶子はハッと正気を取り戻し、身を引く。

「ダメだよ、スヴィアおねえちゃん、すごくこわがってる。
 それじゃ、ウソつかれちゃうよ」
いつの間にか、リンが茶子の手を握り、その不安に寄り添っていた。
幼いころの『あたし』の呼びかけによって心の深奥にある不安は僅かに取り払われる。
『虎の心』は、リンの献身を受け入れた。

「だから、リンにまかせて!」

そこが、悪夢の一丁目。



191彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:45:04 ID:REl9BPQA0
――リンを、あいして。

「……ぁ」
スヴィアの中に安堵感が広がる。

――リンを、あいして。――リンを、あいして。――リンを、あいして。
――リンを、あいして。――リンを、あいして。――リンを、あいして。
――リンを、あいして。――リンを、あいして。――リンを、あいして。

何を不安に思っていたのだろう。
彼女にすべてを話してしまえばいいじゃないか。
だって、こんなに健気で愛らしい少女を悲しませてどうなるというんだ。
スヴィアの迷いが取り除かれ、思考がクリアになる。
暗闇が晴れ渡り、美しい世界が広がる。
その美しい世界で大きく手を振る愛らしい少女に手を振り返す。

――先生。

後ろから囁きかける声があった。
振り向けば、そこにいた珠が悲しそうな顔をする。
すまない、と謝罪しながらも、愛らしい少女に手を伸ばそうとしたそのとき。

――螂ウ邇を、あいして。

珠が囁いた。

――螂ウ邇を、あいして。
――螂ウ邇を、あいして。
――螂ウ邇を、あいして。

「……ぇ? ……ぁ?」
スヴィアは無数のリンと珠に取り囲まれていた。

192彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:45:34 ID:REl9BPQA0

――リンを、あいして。――リンを、あいして。――リンを、あいして。――リンを、あいして。――リンを、あいして。――リンを、あいして。
――リンを、あいして。――リンを、あいして。――リンを、あいして。――螂ウ邇を、あいして。――リンを、あいして。――リンを、あいして。
――リンを、あいして。――螂ウ邇を、あいして。――リンを、あいして。――螂ウ邇を、あいして。――リンを、あいして。――螂ウ邇を、あいして。
――リンを、あいして。――螂ウ邇を、あいして。――螂ウ邇を、あいして。――リンを、あいして。――螂ウ邇を、あいして。――螂ウ■を、あいして。
――リ■を、あいして。――螂ウ■を、あいして。――リ■を、あいして。――螂ウ■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。
――螂ウ■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――リ■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。
――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。
――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。
――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。
――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。
――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。
――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。


「ああ、ああああ………!!」
とめどなく囁かれる愛の奔流に弄ばれ、頭頂から足先まで真っ二つに引き裂かれるかのごとく。
魂が両極から引っ張られ、悲鳴をあげる。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっ!!!!」
 『                                                        !!!!』

それは人間のキャパシティをはるかに超えた愛の津波。
スヴィアというダムでは到底支えきれない莫大な囁きだ。

――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。
――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。
――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。
――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。
――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。
――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。――■■を、あいして。

ダムが決壊する。愛が溢れ出す。
二人の少女からスヴィアに向けた熱烈な愛のアプローチは、スヴィアを増幅器として、あたりにまき散らされた。

193彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:46:25 ID:REl9BPQA0

「ぐうぅッ! あ、頭が……!」
「あ……、何この音……この音……!?」
「なんだ!?」
創が頭を押さえてうずくまる。
雪菜が頭を割るような声に戸惑う。
茶子だけは、何も変化がなく困惑する。

それは、スヴィアがこれまで意図して使わなかった超音波。
スヴィアの肉体が最大の危機に瀕したことで、宿主を『守る』ために暴発した。
愛の囁きを周囲に撒き散らすデバイスは、人間の大人には聞き取れない高周波音。俗にいうモスキート音である。

故に。
「きゃああああああああ、なにこれえええぇぇぇっ!!!」
その影響を最も受けるのは、最も幼いリンであった。


「先生……、すみませんっ!」
スヴィアがリンの異能の影響を受け、何かが暴発したことは確実。
頭から右手を離せばすぐにまた愛の囁きが創の人格を覆い尽くそうとする非常事態。
周囲の様子に気を払う余裕はない。
そして手をこまねく理由がない。
創は自らの異能の全力を以って、スヴィアの受けているウイルスの干渉を否定した。
ウイルスの干渉がなかったことにされていく。
超音波が収まり、リンの異能は収まり……。
「ぐぶ……」
「!?」

そしてスヴィアは血を吐いた。


茶子への愛が押し流されていく。
リンの愛が、茶子への愛が、よく分からないナニカによって覆われていく。
「イヤ! イヤ! イヤだああああ! チャコおねえちゃん、リンをおいていかないでぇッ!!」
「リンちゃん!?」
はじめて取り乱した様子を見せるリンに動揺し、茶子がその手をぎゅっと握り返す。

悪夢の、二丁目。

「チャコおねえちゃん! リンをまもってっ!!」
何が起きているかも分からないまま、リンは王子様へと助けを求める。
リンの異能が茶子を覆った。



194彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:48:13 ID:REl9BPQA0
『虎の心』は茶子へと害を為す精神干渉を跳ね返す異能である。
その対象は、茶子が受け入れるのを拒否したものと、茶子が気付いてすらいない干渉の二つ。
逆に言えば、茶子自らが受け入れることを決めたのであれば、跳ね返す対象とはならない。
そう、魔王撃滅作戦にて疑似的な鳥獣慰霊祭を開催したとき、茶子は意志をもってリンの言霊をその身に宿した。
精神干渉を受け入れたのだ。リンからの前向きな精神干渉を受け、魔王を退けたのだ。

リンはいつぞやの自分自身だ。
光闇入り混じる山折村において、彼女は哉太に次いで守り切りたい存在だ。
その献身は受け入れたいと思っているし、彼女に命の危機があれば守りきって当然だ。
ただ、それだけの素朴な感情だった。

だから。

――リンを、まもって。

『自分自身』という最上位の特権を付与されたことで、少女の言葉はすり抜けるように防御壁を通過し、茶子の精神へと染み渡った。
そして、哉太よりリンを優先するように上書きされた。

それと抱き合わせのように入り込んできた僅かな意思により、女王感染者が誰なのかを聞き出す意思は霧散した。
リンを守ることへの納得によって押し流された。


これは今まさにこのときこの時刻、女王からアニカが受けているような、無理に相手を従わせるものとはまた性質が違う。
微弱な意思は意識しなければ自分のものなのか他人のものなのか切り分けができない。
仮に意思強制や眷属化と称される類の事象であったとしても、自分自身が納得して受け入れたのなら、それは自分の意志なのだ。
スヴィアや雪菜と違って、茶子がリンの言葉を聞き入れない理由はどこにもない。
リンは茶子で、茶子はリンなのだから。
過去の自分を目の前にして、彼女はこの土壇場で、自分を疑わなかった。

つい先ほど雪菜に述べたように、茶子はするりとアウトドアナイフを鞘から抜き去って。
音もなくスヴィアの心臓目がけて投げつけた。

スヴィアの暴走が誘発されてから、ここまでに僅か二十秒。
茶子の凶行に気付いたのはたった一人。
茶子とリンに警戒を払っていた雪菜だけが、茶子の空気が変わったことを見逃さず。
けれども、ナイフを弾く技量もない彼女にできることは、ナイフの軌道上に割り込むことだけで。
「ぐ、ふっ……!」
飛来する刃から恩師を庇い、ずぶりとその身にそれを食いこませた。
雪菜は茶子とリンを明確な敵とみなした。



195彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:48:44 ID:REl9BPQA0

「スヴィア先生!? しっかりしてください!」
遠くで創の声が聞こえる。
肉体は、今のでついに限界を迎えたらしい。

結局、何もできなかった。
全員を救おうとしてただ一人も救えず、荒野に一人力尽きるのみ。

……どだい、耐えるなど無理な話だったのだ。

凶行にはしった友人を止めることができず。
生徒たちと望まぬ形で切り離され。
銃弾とナイフによって肉体と臓腑をかきまわされ。
瀕死の肉体を押して頭脳を酷使し。
悍ましい祟り神の呪いをその身に受け。
白兎の御守りもないまま女王が生まれ落ちたその瞬間に立ち会い。
そして極めつけとして、見出した希望は絶望へと反転し。
珠を救う方法は見つからず。
今、矜持すらも踏み荒らされた。
むしろ、これで今まで死ななかったほうが奇跡だろう。


それでも、せめて、最期に状況を覆す一助になるような閃きでも出てこないものかと考えるのは、科学者の性なのだろう。
けれど、スヴィアはもう何も考えるべきではなかったのかもしれない。

それはとりとめのない思考だった。
空からスヴィアの脳裏に、ひとつの仮説が舞い降りた。

Zウイルスに進化すれば人間と一体化し、創による治療は不可能になると所長は断じた。
ウイルスの影響を取り除くことは、ウイルスと一体化した人間を否定するに等しい行為だからだと。
だが、それはZウイルスだけなのだろうか?
定着したBウイルスもまた、同じなのではないか?

どうして、負傷に次ぐ負傷を受けておきながら、スヴィアは生きることができたのか。
銃もナイフも、とどめを刺すには至らなかった。特殊部隊の処置は適切だった。
それでも、治療に専念せずに肉体を酷使すれば、いずれその限界は訪れるものだ。
けれど、神経にまで定着したHEウイルスが、肉体の限界をわずかに押し上げていたのだとすれば。
宿主と共存関係にあるウイルスが、宿主の生存のために力を貸すのはごく自然な行為である。

つまるところ。
スヴィアの肉体に、ウイルスはとっくに定着していた。
彼女に蔓延るウイルスはHE-028-B。HE-028-Cではなかったのだとすれば。

今にも肉体が限界を迎えてそうなのは、肉体の疲弊によるものではない。
ウイルスの影響を否定する創の異能によるものであって。
今まさに、自分は創を知らないうちに人殺しにしようとしているのではないか、と。

今すぐ創に伝えなければ。
そう思うも、身体が動かない。口が動かない。
創の右手がウイルスを否定する。
スヴィアの神経と繋がり、スヴィアを生かしていたウイルスを否定する。
やめてくれという言葉が届かない。
創は自分を生かすために、決死の表情でウイルスの影響を否定している。
スヴィアを生かそうという意志が、スヴィアを殺す。

絶望の中、月光にナイフが煌めいた。
いつかの自分の反転。雪菜が自分を庇い、ナイフをその身に受けた。
創はスヴィアを殺し、雪菜は自分のせいで死ぬ。


なぜこんなことになったのか? 自分はただ、生徒たちに生き抜いて、未来に活躍してほしかっただけなのに。
誰か、誰か。
だれか、たすけて。



その想いは。

――せんせい。


届いた。

196彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:49:56 ID:REl9BPQA0

――先生!
――せんせー。
――こども先生。
――せーんせっ!
――スヴィア先生!
――スヴィアちゃーん!

茶子に黒い霞がまとわりついているのが見えた。
放課後の校庭から聞こえるような、笑い声が聞こえた。
瞳のない子供たちが一人、また一人とスヴィアの名前を呼ぶのが聞こえた。
この世のものとは思えないその呼び声。
けれども、それがなぜか心地よくて。
なぜか涙があふれ出してきて。
彼らの声が自分の中へとなだれ込んだかと思えば。
スヴィアの視界は黒く染まった。



197彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:50:24 ID:REl9BPQA0

――まもらなきゃ。
――まもらなきゃ。

「まもらなきゃ。私が、まもらなきゃ。……絶対に!」
刃が溶け落ち、柄だけになったアウトドアナイフを掴む。
その刃を溶かす血が滴り落ちるアウトドアナイフは、
身体に突き刺されば肉を容赦なく溶かし、生体組織をぐちゃぐちゃに破壊するだろう。

「そうだよね、叶和」
スヴィアを通して発せられていた愛の宣告は聞こえなくなった。
代わりに聞こえるその声は、叶和の声だ。
大切な人を守れと囁きかけてくるその声は叶和のものだ。


当然の話だ。
雪菜の中には、叶和のウイルスが生きている。
クロスブリード。二重能力者。
異なる二種類のウイルスを持ち、彼女の想いを引き継いだ雪菜だからこそ、リンと女王の愛の囁きをその身に受けても自意識は失われない。
そして、異なる二種類のウイルスを持つ雪菜だからこそ。

女王の影響を他の人間の二倍受ける。


遺伝子構造を模して造られた白いダンジョンは、それ自体が女王の囁きに等しい。
遺伝子構造を最初から最後まで漫然と辿れば、その情報を書き込まれたに等しい。そうなれば、眷属として僅かに進行する。
二回繰り返せば、二度転写がおこなわれる。けれど、雪菜だけは四度転写がおこなわれる。
秘密裏におこなわれた転写と雪菜の性質。
増幅されたのは守護の意識。

叶和(女王)と雪菜(女王)に囁かれるまま、線香花火で肉体を活性化。
ナイフの刺さった痛みなどとうにトんでいる。
刃を手にした雪菜はそれを怨敵へと突き出す。
スヴィアを傷つけた二人は許さない。

「哀野さん!?」
ようやく気付いた創の呼びかけに耳を貸さず。
雪菜は姿勢を低くして、突撃兵のようにリンに迫る。
寿命を考えず、線香花火の異能を最大限に施したその身体能力は、活性アンプルを打った肉体スペックに匹敵するだろう。
創では阻止は間に合わない。

「リンちゃん、危ないから下がってな」
「うん、うん!」
雪菜が動き出す兆候を捉えた茶子は、先にリンを下がらせ、雪菜を迎え撃つ。
目で追うのがやっとの超人的な速度の突き刺しだ。
けれど、その実態は速くて力が強いだけ。素人の破れかぶれの特攻だ。
研究所最強がおめおめと受けるはずがない。

自分を殺しに来る人間を生かすほど彼女は優しくはない。
ここに至って、茶子にとっての雪菜の価値はボーダーラインを下回った。
山折村に無用な人材へと格下げされた。

目で追いきれないほど速かろうと、交差する瞬間に相手に合わせて一歩踏み込み、あとは首が通過する時間、通過する空間に長ドスの刃を通すだけ。
八柳流の剣術ですらない。処分にそんなものは必要ない。


「あっ……」

一閃。
ただそれだけで、雪菜の胴と頭を繋ぐ一本の線は分かたれた。

198彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:51:46 ID:REl9BPQA0

『守らなきゃ……』

長ドスはその一太刀だけで溶け落ちて砕け散ったが、藤次郎の刀があれば何も問題はない。
くるくる首が舞うようなことも、酸の血をまき散らすようなこともなく、雪菜の頭はごとりと地面に落ちる。
前かがみの姿勢のまま分かたれた胴は、噴水のように血を噴き上げながら、後方によたよたと勢いのまま歩いていく。
物珍しくもない。これまで斬り捨ててきたジャガーマンやゾンビと何が違う?

手ごたえは確かだ。今さら罪悪感も何もない。
ゾンビも人間も何人も殺してきた。
生死の読み違えなどありえない。
それが茶子のミス。

『守らなきゃ……』

独眼熊の精巧なフェイクによって欺かれた大田原源一郎が立ち直るまで、およそ五秒。
茶子の戦闘センスがどれだけ優れていようとも、在りし日の大田原と独眼熊には程遠い。
戦場で死体に構うのはルーキーだけだ。
死んだ人間はさっさと関心から外し、次の敵に構えるのが定石。
だから、もはや興味を無くした雪菜の身体に再び関心を向けなおすならば、時間は潤沢に必要だ。

『守らなきゃ……。死んでも守らなきゃ!』

――がんばれ、雪菜!
語りかけてくる叶和(女王)のエールを受けて、雪菜の生首はにこりと凄惨に笑う。
茶子の関心の死角で、茶子の背後で、線香花火が輝いた。
茶子が気配を感じたときには、もう手遅れだった。

『女王様を、守らなきゃ!』

線香花火の真骨頂。
輝きの消えるその直前こそが最も肉体が活性化する。
フランス革命の折、ギロチンで首を落とされた学者は、二十秒もの間まばたきをしてみせたという。
ならば首と胴を分たれた雪菜は、いま最も生命力に満ちている。

バチバチと火花のように血が弾ける。
地面に舞い落ちた雪菜の首は、首の筋肉と骨だけをバネに、弾ける血を推進力に、再度地面を押し出して宙を舞った。
人を喰らう架空の存在、抜け首のように宙を舞い、伝承のように牙を剥く。
首を落とされてから茶子の肩口に食らいつくまで、五秒。

酸で溶かして尖らせた犬歯はいともたやすく茶子の肩を貫き、唾液を血管に注入する。
「があああああああああぁっ!」
激痛に身をよじらせる中、さらなる悲鳴が差し込まれる。

「チャコおねえちゃんッッ! たすけてえッ……!」
リンは雪菜の首のない胴体に捕らわれようとしていた。

199彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:53:01 ID:REl9BPQA0

「くそっ、いい加減離せッ!」
雪菜の頭を診療所の壁に打ち付ける。
一度。二度。三度。

『まもらなきゃ……。先生……。叶和……』
脳が露出し、ぐちゃぐちゃになった雪菜の頭がついにごとりと落ちて動かなくなる。
それでも身体は止まらない。

「いや、いやあ!! チャコおねえちゃん! リンをたすけて!」

今の茶子は、過去一番に精神が研ぎ澄まされている。
リンの悲鳴に答えるように、茶子は縮地によって雪菜の胴に迫り、刀を抜き放つ。

――守らなきゃ。

それは、茶子の夢想にすぎなかった。
肉体が追いつかない。脳が指示する通りに肉体が動いてくれない。
茶子の肩口から注入された唾液は、血流にのって、茶子の右半身を壊し続ける。
四肢を失った負傷兵が、四肢が健在だったころの動作を取ろうとして倒れるのはありがちなことだ。
今まさに助けを求めている過去の自分自身の前で、研究所最強は無様に地面に身体を打ち付け鼻から血を流した。

その間に、リンの身体は首のない血塗れの身体に捕らえられた。

「おねえさん、ウソついてごめんなさい!」
お姉さんが気に入らないからウソをついてまほうのカードを隠した。

「もうウソはつかないから!」
パパにとってのいい子でいるためにウソをつき続けた。

「リンをゆるして!!」
自分がウソつきなのを隠すために、みんなのウソを許さなかった。

そんな悪い子を食べにくるのはオオカミではなく、首のないナニカであった。
もう考える頭もない彼女に、言葉など通じるはずがない。
生前の意思だけで突き動かされるその肉体に、手加減などあるはずもなく。
バケツの上で膨れ上がった線香花火がぼとりと落ちるように。
茶子の目の前で、多くの村人を狂わせたその愛らしい美貌はぐずりと溶け落ち、じゅわっという音と共に地面のシミとなった。

そこに残っていたのは、ただ首のない死体が二つ。
茶子は戦いとすら呼べない小競り合いの末に剣士の要を奪われ、そして過去を今再び失った。



200彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:53:54 ID:REl9BPQA0

創は理解を拒否するかのように視線をうつろわせる。
茶子。スヴィア。リン。雪菜。
誰も何もかもが信じられず、立ち尽くす。
たった三十秒ぽっちの出来事だった。
一体だれが悪かったのか、何を間違えたのか。

雪菜は茶子に殺され、リンもまた雪菜に殺された。
スヴィアの脈はもうない。そして心臓の鼓動も感じられない。

ではなぜ自分は動かなかった?
茶子がなんとかすると思った?
リンがスヴィアに過度な異能を使ったことを引きずった?
スヴィアこそ優先して救わなければならないと思った?
事実は一つ。
創はリンが殺されるのを、ただ呆然と眺めていた。
雪菜を、リンを、見殺しにした。


茶子もまた、目の前で起きた出来事に呆けていた。
何故あんな行動を取ったのか、理解できない。
右半身の感覚が鈍いことが理解できない。
ぐったりとしたスヴィアを見ても、何の敵意も湧いてこない。

もはや、ここに生者は二人だけ。
戦意を折られた二人の間に、小競り合いなど起こりようもない。
だから悪夢はすべて終わって――。


否。


「スヴィア先生!?」
まだ悪夢は終わらない。

201彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:55:08 ID:REl9BPQA0

スヴィアがすくと立ち上がった。
ありえない。確かに脈は止まっていた。
リンの異能を受けて限界を迎え、確かに命を落としていた。
それがただの計測ミスだったならエージェントとして恥じ入ることだが、今となっては地獄に仏である。

創の声を聞き取ったのか、スヴィアの顔を覗き込んで。
くるんと創のほうに向きなおる。
その容貌の異様さに、創は息を呑んだ。


かつてこの地にあった研究所の所長は、新人研究員に問うた。
神を呼び寄せる最も可能性の高い手段はなにか、と。
それは人の想いであると所長は答えた。

身を呈して救済を求め続けたスヴィアの想いが、魔王を呼び寄せた研究員に劣ることがあろうか。
自分を監禁し、家族をも殺した隠山の里への憎悪に劣ることがあろうか。

眼孔に詰まっているのは目玉ではなく、吸い込まれるような漆黒。
そこから、黒い闇が涙のようにぽたぽたと溢れ出ている。
異能かと手を伸ばして触れれば、その体は氷のように冷たい。
まるでゾンビ、いや、死人だ。

――生徒たちの声が聞こえるんだ。

今のはスヴィアの声だったのかと、後追いで創は理解した。
もう、その声は人のものではなかった。
スヴィアのまわりには、黒い霞がまとわりついている。
それは生物災害によって未来を奪われた亡者たちの怨念のように思えた。
山折村古来から蓄積し続けてきた厄ではなく、此度の生物災害で発生した多数の怨念。
何も手立てを打たなければ大田原源一郎の元に向かっていたはずのそれは、すべてスヴィアが肉体へと取り込んだ。

何せこの地下には諸悪の根源の研究所があった。
その研究所は、隠山祈を監禁し、悪神へと変貌せしめた岩戸を拡張したものである。
数百年前にあらゆる呪いの根源を生み出した場所の真上に立ち、強い想いを抱いて散った者に、八百万の神が答えないはずがなかった。

――生徒たちが、ボクを、呼んでいるんだ。
――みんなが助けを求める声が、聞こえるんだ。
――未来を奪われた子供たちを、救わなきゃ。
――ハッピーエンドを掴まなきゃ……。

「スヴィア先生!?」
創の呼びかけに、その黒い瞳を向ける。

『天原少年。日野くんを頼む』
かつて人であったころの声で創に託す。

――みんなの歌が聞こえるんだ。
――みんながボクを呼んでいるんだ。
――もっと生きたかった、と嘆いているんだ。
――だから、ボクはみんなを救わなきゃいけない。

リンの死体を前に呆けた茶子に目もくれず、スヴィアは音すら立てずに歩きだす。
山折村に広がる漆黒の闇。
スヴィア・リーデンベルグだったものは、溶けるように暗闇の中に消えた。

もはや地獄と呼ぶにも生ぬるい惨状に、創は膝から崩れ落ちるしかなかった。

202彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 19:59:21 ID:REl9BPQA0

茶子がふらふらと立ち上がり、よろよろと歩き出す。
「どこへ?」

感情のこもらない瞳で創を見つめる。
「哉くんのとこ。
 一発、景気づけに殴ってもらうわ」
「当ては?」
「あるわけないだろ」

あまりに疲弊し、恨みつらみすら湧いてこない。
同行するか、別行動か。
二つに一つだが、その先の言葉は紡げなかった。

「逃げ延びたリンちゃんを置いていくことになるんだけど、戻ってきたら連れて行ってくれ。
 チャコおねえちゃんがカッコわるくてごめんなって謝っといてくれると助かる」
「虎尾さん……?」


創から見た茶子は歪だった。
彼女は人の感情の動きに明るい。
それこそ、魔王を掌で転がせる程度には会話の組み立てがうまく、人心への理解も深い。
にも関わらず、自身は悪態を隠さず、特定の人物への想いを隠そうとしない。

それは、エージェントとしての訓練を受けていたわけではなく、
野良の強者がエージェントとして取り立てられ、独学で学んだことに端を発するのだろう。
故にそのような歪みと付け入る隙があるのだろうと思っていた。
戦闘に関するセンスも頭の回転も一級品だったために、それらも決してマイナスになっていなかった。

違う。
彼女はすでに壊れていて、パッチワークのように心をつなぎ合わせて自我を保っているのだ。
不和の原因の一人であり、いま、雪菜の仇となった人間。
にもかかわらず、創は何も言い返すことができなかった。
茶子の姿は、遥に出会わなかったときのIFであったと思ったから。

茶子もまた、ふらつきながら暗闇の中に姿を消した。

生ぬるい風が村を吹き抜けていく。
死体と怨念に塗れた悪夢の中、創だけが暗闇の中、立ち尽くしていた。

【哀野 雪菜 死亡】
【リン 死亡】
【スヴィア・リーデンベルグ 怪異化】
※スヴィア・リーデンベルグだったものからは一切のウイルス反応は消失しました。

203彼女たちのささやきが聴こえる ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 20:00:12 ID:REl9BPQA0

【E-2/診療所東/一日目・夜中】

【虎尾 茶子】
[状態]:異能理解済、疲労(特大)、精神疲労(中)、山折村への憎悪(極大)、朝景礼治への憎悪(絶大)、八柳哉太への罪悪感(絶大)、右半身麻痺
[道具]:ナップザック、医療道具、腕時計、木刀、八柳藤次郎の刀、ピッキングツール、護符×5、モバイルバッテリー、研究所IDパス(L2)、小型発信機
[方針]
基本.協力者を集め、事態を収束させ村を復興させる。
0.哉太を探す
1.―――ごめん、哉くん。
2.…………願望器。
3.小型発信機に従い、ハヤブサⅢと思わしき人物と接触する。
4.有用な人材以外は殺処分前提の措置を取る。
5.顕現した隠山祈を排除する
6.未来人類発展研究所の関係者(特に浅野雅)には警戒。
7.朝景礼治は必ず殺す。最低でも死を確認する。
[備考]
※未来人類発展研究所関係者です。
※リンの異能及びその対処法を把握しました。
※天宝寺アニカらと情報を交換し、袴田邸に滞在していた感染者達の名前と異能を把握しました。
※羊皮紙写本から『降臨伝説』の真実及び『巣食うもの』の正体と真名が『隠山祈(いぬやまのいのり)』であることを知りました。
※月影夜帳が字蔵恵子を殺害したと考えています。また、月影夜帳の異能を洗脳を含む強力な異能だと推察しています。
※『神楽うさぎ』の存在を視認しました。
※『神楽うさぎ』の封印を解いた影響はスヴィアに引き継がれました。

【E-2/診療所中庭/一日目・夜中】
【天原 創】
[状態]:異能理解済、記憶復活、疲労(絶大)
[道具]:ウエストポーチ(青葉遥から贈られた物)、デザートイーグル.41マグナム(0/8)、スタームルガーレッドホーク(6/6)、ガンホルスター、44マグナム予備弾(30/50)(ジャック・オーランドから贈られた物)、活性アンプル(青葉遥から贈られた物)、通信機、双眼鏡、袴田伴次のスマートフォン
[方針]
基本.パンデミックと、山折村の厄災を止める
0.???
1.全体目標であるVHの解決を優先。
2.災厄と特殊部隊をぶつけて殲滅させる。
[備考]
※上月みかげは記憶操作の類の異能を持っているという考察を得ています
※過去の消された記憶を取り戻しました。
※山折圭介はゾンビ操作の異能を持っていると推測しています。
※活性アンプルの他にも青葉遥から贈られた物が他にもあるかも知れません。
※『神楽うさぎ』の存在を視認しました。
※軍用通信が解除されたことで小型発信機でハヤブサⅢの通信機を追跡できるようになりました。

204 ◆m6cv8cymIY:2024/06/01(土) 20:00:29 ID:REl9BPQA0
投下終了です。

205 ◆H3bky6/SCY:2024/06/02(日) 01:21:11 ID:pO1avpro0
投下乙です

>彼女たちのささやきが聴こえる

あーもうめちゃくちゃだよ(絶望)
強力な敵を相手にしている時は一致団結できてたけど、敵がいなけりゃまとまらない。そりゃそうだ、元から仲良くないもんね!
女王や大田原さんと激戦を繰り広げる戦場から離れた位置に出て、一旦落ち着いたからこそ沸き上がった不和である

このパーティー、女性陣が全員不和の種をばらまくトラブルメーカーすぎる
茶子はずっと口と態度が悪かったツケがいよいよ回ってきた感じだし
茶子のコバンザメするリンのクソガキ感や、鳴りを潜めていた雪菜のメンヘラも爆発して、もはや創くん一人じゃどうしようもないよ

雪菜たちとスヴィア先生がようやく再会、まあロクな事にはならないことは分かってたけども
感染者がストレスでB感染者になるんなら、スヴィア先生がなってるのはそれはそうだよだね……としか言いようがない
いつ死んでもおかしくない瀕死状態が長らく続いてたからよく生きた方だと思うけど、まさかこんな最後になろうとは
今回のVHの死者たちの怨念による怪異化、怨念が集まるとすぐ怪異ができる、何だこの村……(∞回目)

全員が悪い所がありまくったけど、直接的な原因はリンちゃんの異能だよねぇ
雪菜を、スヴィアを、茶子を操り、無邪気に他人の心を蹂躙していく正しくプレデター
しかも眷属化の影響で全員に常時精神デバフがかかっているようなモノだからなかなかきつい

雪菜は叶和と融合後落ち着きを得た感じだったけど、やっぱりヘラってる時の方が輝いてるぜ!
人間は首を切られても喋れるし動ける、忍者と極道を読んでるみんなは知ってるね?
線香花火の最後の輝きが内輪もめに使われるのは何とも空しい

かくして2人の少女が息絶え、状況的にも絵的にもエグイ事になった
生き残った2人もだいぶ精神的にきつそうだけど、メンタルケアのできそうな人がいないのでどうすんだろうねこれ?

206 ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 19:53:34 ID:U6P2q54E0
投下します

207遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 19:54:31 ID:U6P2q54E0
山桜咲く曇天の早朝。新山南トンネルへと続くバスの停留所前。
整った顔立ちの少年ーー八柳哉太が一人、陰鬱な面持ちでベンチに腰かけていた。
少年の傍らには荷物の詰まったボストンバッグ。傍から見れば、春休み期間という時期も相まって旅行のために待っていると見えるだろう。
だが事実はそうではない。

「…………二度と来るかよ、こんなクソド田舎」
歯噛みし、忌々し気に呟く。傷害事件の容疑者として汚名を被らされ、山折村から放逐される形で村から出る。
信じていた正義に裏切られ、幼馴染の親友に絶縁を言い渡され、郷土愛が一転し生まれ育った村には悪感情以外持っていない。
警察の杜撰な捜査によって冤罪を掛けられた後の思い出は碌なものではなかった。

夜間、家に居辛くなり稽古でもしようと別荘に移動していると甲冑から襲撃され、軽く伸して正体を露にすると剣道部の内藤聖子であることが判明。
「くっ、殺せ」など訳の分からない事をほざいていたため放置。次の襲撃があると面倒なことになるため、次の日以降、別荘に停泊することにしたこと。
別荘の物資が少なくなって実家に向かった矢先、町原や田辺ら取り巻きを率いた閻魔に襲撃され、護身用に竹刀を持っていたため、内藤と同じく難なく返り討ちにしたこと。
別荘で一人でぼんやりとしていた昼時、頼んでもいないのに三一郎の一人、郷田剛一郎が三人前の出前寿司を持って訪れた。
「哉坊のこと、俺は信じてるからな!」などと言われ、年長者を追い返す訳にもいかず一緒に昼食を取ったのだが、その善意を信じ切れず逆に鬱陶しかったこと。。
悪意も、善意も、山折村の全てが嫌になっていた。
ただ、一つだけ心残りがあるとするのならばーーーー。

『あたしは哉くんを信じてる。たとえ村中が敵に回ったとしても、あたしだけは哉くんの味方だから』
「…………やめだ。感傷に浸っても、今更何も変わるわけじゃねえ」

頭を振って村への未練を振り払う。未来は不確定であるのだが、もう二度と村に戻るつもりはない。
上京するまでの期間、共に別荘で寝泊まりをした姉弟子には別れは告げていない。
顔を見るのが辛い。「さよなら」と言葉に出せばもう二度と会えなくなってしまう気がする。

そうして時間が経ち、バスが来る十数分前。
ぼんやりと虚空を見つめる哉太に駆け寄ってくる足音。
思わず顔を上げると、そこにはーーー。



208遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 19:55:15 ID:U6P2q54E0
親分と子分第一号。生物災害の発生から多くの因果の果てに哉太と圭介は巡り合う。
互いに睨みつけるような視線を交わす。言いたいこと、問い詰めたいことは山ほどある。
だが、二人共感情の赴くまま口に出すことはしない。
為すべき事は罵り合いではなく、打倒すべき敵は殴り合いの末、喧嘩別れした男ではない。

「やるぞ、哉太」
「足を引っ張るなよ、圭ちゃん」

二人の剣士を食らわんと襲い来る暴食鬼(グラトニー)を前に少年達はしがらみを断ち、同時に駆け出した。
闇を纏い、凄まじい速度で接近する赤鬼。圭介は魔聖剣の魔力を全身に漲らせ、哉太は培った戦闘経験と自身の身体能力で左右に分かれて回避を試みる。
しかし、際限なく噴出する闇が左右を駆け抜けようとする少年二人に狙いを定め、形を変える。
八岐大蛇のような形状の触手とその周囲に集うガラス玉サイズの球体。瞬間、闇が爆ぜ、触手は少年の四方、球体は八方から剣士二人を肉塊に変えるべく襲い掛かる。
迫る絶死の気配。しかし、袂を分かつた幼馴染のような業(わざ)はなくとも圭介の手には受け継がれた光纏う聖剣がある。
剣より迸る魔力の光。自分を救ってくれた神様ーー魔王の娘のアドバイスを回想し、溢れ出す魔力の形を変える。
そのイメージに応え、圭介の周囲に張り巡らされる光のパリア。襲い来る暗黒は魔力の障壁に阻まれ手雲散する。

その反対側。哉太にも同じタイミングで迫る穢れた刃と黒き弾丸。襲い来る死を天賦の才を持つ剣士は己が業(わざ)にて対処する。
一に来るのは鋭き触手。形を変えた怪異の気配を肌で感じ取り、僅かなタイムラグを脳内で計算。優先順位を測定し、聖刀にて切り払う。
二に来るのは暗黒の弾丸。ほぼ同タイミングで哉太の周囲を取り囲む球体。全身の神経を集中させ、出来る限り最小限のダメージに抑えるべく行動を開始
八柳流『蠅払い』。目視と殺気の感知で確実に両目と急所へと当たる弾丸を両断。残りの弾丸は回避しきれず、全身に数多の銃創を作る。
だが、銃創は痛みと共に徐々に塞がり始める。異能『肉体再生(アンデッド)』。死に至らなければいかなる傷も毒も再生する。
それにより、傷は疎か付与された呪毒すらもじわじわと再生する。
傷が癒える様子を、飢餓の赤鬼はじっと見ていた。

「チッ……!」
「ぼさっとしている場合か!次行くぞ!」

不覚に舌打ちする哉太へ檄を飛ばす圭介。大田原と呼ばれていた鬼が動きを止め、哉太を見る明確な隙。
魔聖剣に魔力を滾らせ、切っ先を立ち尽くす戦鬼の背中へと向ける。
殺意の籠った攻撃ーー光線や斬撃では目の前の赤鬼はあらゆる手段で対処するのはこの短い戦闘で把握できている。
手段は絞られ、故に回避困難かつ対処不可能な魔術にて纏う闇のオーラを引き剝がすことを選択する。

「はああああああああッ!!」
剣先より吹き荒ぶ光の烈風。風に乗った魔力が絞首一体の手段となっていた厄のプロテクトを除去する。
しかし、鬼の狙いは変わらず再生したばかりの若き剣士。弱者を淘汰するのは当然の摂理である。
魔風を追い風に暴食鬼は身を屈め、ロケットのような速度で哉太へと急接近する。

されど侮ることなかれ。弱者と判定した剣士は生物災害発生後、数多の強敵の打倒を成し遂げた男である。
圭介の援護により迫る鬼にはその身を守る闇は剝がされた。即ちそれは反撃の機会の到来を意味する。
魔を断つ聖刀を構え、猛る精神を研ぎ澄ます。軌道を読み取らせまいと幻惑するように歩幅を変えつつ迫る悪鬼。到達まで残り僅か。

「■■■■■■■■ーーーーー!!!」
「ーーーーーーシャアッ!!」

頭を叩き潰す紙一重。身を屈め、怪物の力を利用し、軸足へと狙いを定める。
剛を柔でいなす八柳流が一芸「這い狼」。異形への効果覿面である聖刀の斬撃は、巨人の骨を断ち、転倒寸前にまで追い詰める。
だが、それも束の間。傷は「肉体再生(アンデッド)」以上の速度で再生し、躓いた足を何とか踏みとどまらせて体勢を整えた。
脇を抜けようとする少年を食欲と殺意に満ちた瞳で睨みつけ、矮小な身体を蹴り飛ばそうとする。
それもまた織り込み済み。

209遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 19:55:53 ID:U6P2q54E0
「打ち砕けェッ!」
闇夜を駆け、迫りくるのは身体に光のバリアを纏った山折圭介。魔力で強化した脚力で宙を舞い、剣を振り上げ大田原目掛けて落下する。
光の魔力を帯び、あらゆる物体を両断する力を持った剣が巨人の脳天に振り下ろされる。
しかし、理性がほぼ喪失しているとしても大田原は一流を超えた怪物。脊髄反射で死の気配を察知し、回避行動に移る。
だが完全回避には至らず。魔聖剣の刃は巨人の鋼のような強靭な筋肉を裂き、肩からバッサリと袈裟懸けに斬られるが、心臓には到達せず、瞬く間に回復される。

地面へと落下し、体勢を崩す山折の次期村長。同時に迫る鉄砕きの拳。
回避行動はできず、振り下ろされた鉄槌は圭介の周囲に展開された光のバリアを砕く。
強化された圭介の身体の破壊には至らないまで威力は削がれたものの、振り抜かれた拳自体が止まったわけではない。

「ぐおッ……!!」
身体の中心に拳が命中して十数メートル程宙を舞い、着地と同時に水切りの要領で地面を転がった。
体勢を整える前、追撃として今度は圭介へと迫る赤鬼。
軽く舌打ちし、救援へと向かうべく哉太が駆け寄る瞬間。

「ブルルルルォオオオオオオオオオ!!」
咆哮が響き渡る。
巨神が圭介へと迫る直前、突如として現れた一頭のの牝牛ーー瞬く間に牛頭の女巨人ミノタウロスへと変化し、大田原の前に立ち塞がる。
赤鬼と牛鬼。互いを己が膂力で押しつぶすべく。相撲のようにがっぷりと組み合う。
パワーは奇しくも拮抗。だが生まれ持った膂力で圧倒してきたミノタウロスとは違い、大田原は天賦の才と積み重ねてきた経験で種族差すら覆した豪傑。
理性と大部分の技術が失われてはいるもののこの地で葬り去ったオークと同等の力を得た今ならば、目の前の怪物に負けるはずもない。
均衡は瞬く間に崩れる。組み合った手から伝わる力を柔らの技で牛魔人の腕から伝わる運動エネルギーを受け流す。
前のめりに体勢を崩すミノタウロス。瞬間、異能によって膨張した腕に力を籠め、抑え込むように一気に力を込める。
べきりと鈍い音が木霊する。牛魔人の両腕が砕かれ、その腕ごと肉が押し込まれていく。
ぶちぶちと筋線維が引き千切られる音と石が砕かれるような骨砕きの音がコーラスを奏でる。
手遅れだと理解しつつも、少年達がそれぞれ剣を構えて牛魔人の救援へと急ぐ。
だがプレスされ続けている牛魔人はそれを許さず、背中から殺気を発し救援を拒絶。
一瞬、哉太と圭介の足が止まる。そしてーーー。

ーーーーぐちゃり。
圧倒的な膂力でミノタウロスは肉塊へと変化し、暗黒の大地に。だが絶命の瞬間、ミノタウロスの肉塊から魔法陣が現れる。
魔法陣から放たれるのは魔術によって編まれた一本の矢。死をトリガーに撃ち出される矢は生ける伝説と称される大田原といえど反応が遅れる。。
鮮血が飛び散り、決して浅くない傷を負うも再生を始める。だが、突き刺さった矢を起点に、大田原に異世界の呪術が発動。
発動した呪術の効果は再生速度のの遅延。異世界であれば精霊の加護がなければ死に至る病と化す呪い。
だが、地球という土地との相性や大田原の纏う闇により効果は激減し、『餓鬼(ハンガー・オウガー)』の再生速度を落とすだけに留まった。

死の間際、ミノタウロスーー一時の丑モーちゃんの脳裏に浮かぶのは死にゆく我が子を看取ってくれた召喚士イヌヤマの辛そうな顔。
家族が呪いへと転じたことへの衝撃。それ以上に骸も残さず消えた私の子に対する悲痛な表情。
彼女を守り抜くことはできなかったけど、彼女を大切にしていた存在だけは守りたい。
どうか、彼女の魂に安らぎあれ。彼女を想ってくれた子供達に幸あれ。

闇夜の中、再び相対する剣士二人と赤鬼。
肉塊となった牛魔人など気にも止めず、赤鬼は再び闇を纏い、獲物二人に目を向ける。
救援の死を直視した二人は表情は暗いものの、大田原に起きた異変に気付く。
ミノタウロスの死骸から放たれた矢を受けた後から、傷の治りが遅くなっている。
命を散らした獣に心中で謝罪と感謝を述べ、二人は血肉に飢えた巨人を見据える。

「牛の巨人の力で回復速度が遅くなったみたいだ。さっき以上に慎重に切り込むぞ」
「OK、BOSS」



210遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 19:56:29 ID:U6P2q54E0
村王と彼の盟友たる若武者が暴食の戦鬼と激突し、白と黒のコントラストを描く場所から少し離れた平野。
静謐とは程遠い暗闇の中、地に堕ちた月の如く朧気な光をを身に纏い、佇むのは一羽の白兎。
弱光の発生源は白兎が首からぶら下げたチェーン付きの古めかしい懐中時計。
亡き「犬山うさぎ」が異世界より地球へ持ち出した召喚術にしてVH発生後に異能として発現した「干支時計」の具現化アイテム。その文字盤に刻まれた数字八つ。
灯る光はそれぞれ白兎を含む眷獣の命を示す印。命を落とした寅・巳・酉・戌の時刻は光を失っている。
そして今しがた、ミノタウロスのモーちゃんの命が対敵への呪詛と引き換えに失われ、丑の刻の灯火か儚く消えた。

『……お疲れ様。君の魂が望と喪ったこの元へと逝けますように』
捨て駒にした戦友に吐かれた一言は何一つ慰めにもならない空虚な言葉。
亡き主の最期の願いは自分達眷獣の平穏と幸福。その祈りを踏み躙り続ける自分達は最早彼女の元へは逝けないだろう。
それでも突き進むという覚悟は皆持っている。理由はただ一つ、聞き入れられることなく振り切られたちっぽけな口約束。

"君の友も助けると約束する"
ーーどさり、と白兎の傍らで何かが倒れる音がする。月兎の仄かな灯りに照らされたのは一頭の羊の死骸。それはすぐに光の粒子へと形を変え、闇の中に溶け込んでいく。
そのすぐ近くの夜闇に紛れ込み佇んでいたのは殉教者のように群れを成す何頭もの羊達。

形見へと変わってしまった懐中時計ーー干支時計は元保有者隠山望(いぬやまのぞみ)の召喚術を異能へと落とし込んだもの。
しかし、様々な要因が重なり召喚には魔力を要する異能へ、魔力が存在しなければ生命力で補うハイリスクなものへと変貌してしまった。
それだけに留まらず、白兎が魔術で無理やりうさぎから取り出して物質化させたことが影響し、召喚に必要なリソースは生命力のみへと上書きされてしまった。
故に、召喚のリソース元として任命されたの七時の羊、メリー。彼(または彼女)の召喚リソースを担ったのは他ならぬ頭目の白兎。

異世界におけるメリーの種族は魔物・増殖羊(クローン・ドリー)。特筆すべき点は戦闘力ではなく、その特性。
大元(マスター)の魔力さえあれば、単為生殖により無限に命を増やし続けられる獣である。

どさり、どさり、どさり。
次々と生贄の生命がエネルギーとして動力源の召喚時計に送り込まれる。歯車が廻り、時針が消費される仲間を指し示す。
召喚先の座標(アンカー)は二つ。
天宝寺アニカの持つ御守りーー神楽春姫から貸し与えた力の一片と共に回収したもの。
八柳哉太の持つ御守りーー犬山うさぎの遺品の一つを彼の懐に転送したもの。
それらはうさぎの前世ーー召喚士イヌヤマが異世界から持ち出した彼女と白兎の祈りが込められた三つの御守りの内の二つ。
二つの御守りを通して白兎は忌まわしき魔王や日野珠の肉体を掌握したHE-028-Aウイルスの動向を記録として読み取っている。
望む未来(ハッピーエンド)の道は断たれ、残るのは何れも最良の結末には届き得ない、尊厳と踏み躙る悪辣極まりない選択肢のみ。
既に賽は投げられた。デウス・エクス・マキナの手から解き放たれ、舞台裏から残酷劇(グラン・ギニョル)の舞台に乗せられた孤独な観測者の選択はーー。



211遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 19:56:55 ID:U6P2q54E0
澄み渡る山折の夜空に浮かぶのは月日星。双子座の星彩が白と黒、対極の恒星を煌々と照らし出す。
白き月は草原を仄かな光で照らし、黒き太陽は乙女へ灼熱の槍と黒鉄の剣の豪雨を降らせていた。
黒き太陽ーー『日野珠』の肉体を掌握した女王が狙うのは地を這う虫二匹。
神楽春姫ーー正確には彼女の肉体を借りた山折村の禁忌的存在こと『隠山いのり』の背中には天宝寺アニカ。
いのりの怪異としての異能『肉体変化』にて身体を変化させ、肉と骨の子守帯で彼女を包み込んでいる。

「くっ……次から次へと……!アニカ、速度上げるから気を付けてね!」
「Got it!私もできる限りフォローするけど、Queenの魔術に気を付けてね、Ms.ハル!」

天より襲い来る鉄と炎の嵐。いのりは柳葉刀を下段に構え、異能『剣聖』と『身体強化』を同時発動。
未来予知じみた直感と爆発的に上昇した身体能力にて、只人ならば即座に肉塊と化す地獄を掻い潜り続ける。
時折、異能の強化すらすり抜けて脅威が飛来するも、進化したアニカの異能『テレキネシス』が紙一重で猛撃を防ぐ。
本来ならば異能の力であっても触れることすら叶わない魔術。だが、アニカの体質は魔王との戦闘を経てある変化を遂げていた

「高魔力体質……か。未だ全貌が見えない力が寄りにもよって運命線の見えない者に行き渡るとは、厄介極まりないね」

上空から猛攻を仕掛けながら超越者は独り言ちる。
魔術と運命観測。力を行使する女王が少女二人を仕留めきれずにいる要因は二つ。
隠山いのりの「剣聖」の未来予知による運命線の逆算。
天宝寺アニカの「高魔力体質」による魔王の力に依存するあらゆる攻撃への絶対的耐性。
現状、メタを張れる二人が手を組んだことで女王は進軍を阻まれている。
だが、有効打がないのはいのり達も同じ。女王は上空30メートル地点から空襲を仕掛けており、剣による近接戦を主とするいのりは勿論、「テレキネシス」の範囲外であるアニカも女王との相性は悪い。その上ーー。

「Take look!Ms.ハル、あれは……?!」
「山折村の、厄……!?娘を……うさぎを殺したアイツが……畜生!」
「Settle down。冷静さを欠いたらアイツの思う壺よ」
「……分かってる。異能のお陰で頭は冷えてるから心配しないで」

アニカの心配を他所に原初の巫女は怒りをに滾らせる。
太陽のコロナの如く女王の身体に纏わりつく黒霧。厄神として祀り上げられた「イヌヤマイノリ」一柱、影法師の少女「神楽うさぎ」から簒奪した厄を操る力。
「イヌヤマイノリ」の片割れ兼張本人のいのりは、義娘のうさぎが自身と同じ名を持つようになった経緯は疎か、都に留学した彼女の死因すら知らない。
圭介と共に女王の元へと向かう最中、宿主である春姫本人にそれとなく聞いてみたのだが、多くは語らず、返ってきたのは「知らぬ」という拗ねた答えのみ。
だが何れにせよ、上空の怨敵がいのりから大切な存在を奪ったのは事実。
憤怒・憎悪・敵意・殺意……あらゆる負の感情を心に巡らせ、「身体強化」を発動。同時に女王のように自身の身体に山折村の厄を纏わせる。

「ぐ……うぅ……。Ms.ハル、アナタ一体……!?」
「ごめん、アニカ。奴を地面に叩き落とす策があるから、少しだけ耐えて」
「Got……it……!」

いのりが纏い始めた瘴気の影響を受け、魔力を得た探偵少女は苦悶の呻きを漏らす。
春姫の肉体も同様。巫女の聖なる血と怪異としての特性は太極図のように反発しあう性質故に相性は最悪。
怪異であるいのりの力の増強と相反して春姫の骨肉は軋み、悲鳴を上げる。
宿主たる春姫本人の人格はいのりの言葉を信用し、不服ながらも沈黙を貫いている。
空を見上げる。一瞬、天から見下ろす黄金の瞳が闇の中で妖しく光った気がした。

『……隠山祈よ。汝の思惑など知る由もないが、妾の身体はーーー』
「分かってる。長くは持たないんでしょ。今の状況が続けば殺られるのはこっち。隙さえ作れればーー」

舞台のセッティングは完了。後は実行に移すのみ。
だが対敵は策を見透かしたかのように今まで以上に苛烈な攻撃を上空から降らせて妨害する。
瘴気による消耗で少女二人が潰れるのが先か。はたまた講じた策による女王の撃墜がなされるのが先か。
このままでは埒が明かず、乾坤一擲の勝負に出るか、と思案したところでいのりに背負われたアニカから「Wait(待った)」の声が掛かる。

212遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 19:57:30 ID:U6P2q54E0
「Ms.ハル。ほんの少しでも隙を作ればいいのよね?」
「そう、だけど、貴女を囮にするのはナシよ」
「Don’t worry。時間稼ぎをするのは私じゃないわ。あとちょっとしたら救援が来るのよ」
「救援?そんな気配は感じ取れないけど、一体誰がーーー」
「そうよね、Ms.Rabbit!」
『ああ、君の信頼に応えよう、アニカ』

不意に背後から聞こえるアニカの物ではない大人びた女の声。
声を聞いたいのりの中の春姫が忌々し気に舌打ちする。声の主とは何らかの因縁があったのは明白だが、聞く余裕は今はない。
直後、爆撃の轟音に紛れて聞こえてくるのは大地を蹴る蹄の音と猿叫めいた力強い雄叫びの二重奏。
五大元素の爆撃を凌ぎつつ音の方を見やる。そこにはこちらへと猛スピードで駆け寄る獣二匹。
頭に一本の角が生えた美馬ーー聖獣ユニコーンとそれに跨る長棍を背負う逞しい赤毛猿ーー斉天大聖。
彼らの出現と同時に暗黒太陽から放出される魔術弾幕は範囲を広げ、二匹の獣もターゲットに加わる。
ターゲットが増え、魔術攻撃が分散させられたことにより、いのりら二人の包囲網が僅かに緩む。
だが現状打破には一歩及ばず。いのりとアニカは異能と身体能力の酷使を続け、反撃の機会を虎視眈々と狙う。

転機が訪れたのは僅か数十秒後。
血を揺るがす怒涛の蹂躙の中、爆風に吹かれて宙を漂うのは赤毛猿、斉天大聖の体毛。
直後、毛を媒体に現れたのは斉天大聖をワンサイズダウンさせたような数匹の子猿。斉天大聖の妖術にて召喚された命なき分身。
子猿出現を目視した後、禁忌的怪異『隠山祈』がワニ吉より吸収した異能を発動。「ワニワニパニック」ならぬ「ミコミコパニック」により生前のいのりと瓜二つの分身が現れる。
召喚された分身達は散開し、魔術降る平原を縦横無尽に駆け回る。

いのりとアニカはただ闇雲に女王の空襲を避け続けた訳ではない。反撃の糸口を見つけるため、爆撃の法則を分析していた。
考察の結果、魔法爆撃はあらかじめ構築された魔術の自動操縦(オートマチック)システムに加え、照準や一度に放たれる魔術には上限が存在すると判断。
当初は「ミコミコパニック」を運用することでチャンスを作るというものだったが、獣二匹の出現を伴って計画を上位修正。
予期せぬ幸運によりアニカと春姫の肉体の消耗を抑えることができ、女王陥落の糸口が見えてきた。

「Ms.ハル!」
「承知!」

分身の消費が進む中で生まれた奇跡のような刹那の空白。殺意の豪雨が途切れ、二人の少女の目に移るのは浮遊する魔王星。
剣の巫女は体勢を最適化させるため静止。中華刀を下構えに修正。全身を覆う瘴気を全身から腕、刀身(はがね)に伝わせ、浸透させる。
照準は空の死兆星。装填する弾(やいば)は呪厄。魂に巣食う悪しき淀みを殺意一色に統一し、肉体を攻撃に特化。
再び女王に収束する魔力。魔術の豪炎がいのり達に放出された瞬間ーー。

「ーー哈(ハァ)ッ!」
ーー呪厄一閃。
異能『剣聖』の特性ーー剣装備時、刀身に退魔の力が宿り、形なき存在にすら届く力の取得。
怪異『隠山祈』の特性ーー厄の操作による万物への干渉力の獲得。
異能と厄災。性質の異なる二つの力を複合させた斬撃はいのりへと接近する魔炎を両断。
その勢いのまま女王へと繫がる魔力経路(パス)を辿り、暗黒惑星を纏う厄ごと袈裟懸けに切り裂いた。

213遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 19:57:56 ID:U6P2q54E0
天から魔術の代わりに女王の鮮血が降り注ぐ。日野珠の肉体から内臓が零れ落ち、覚醒前であれば致命に至る傷。
だが今の日野珠には魔王の娘より強奪した魔術の力がある。回復魔術の使用により瞬く間に傷が再生する。
肉体の修復が完了する直前、斬撃と共に仕掛けられた罠が作動する。
塞がれつつある傷口から入り込む斬撃と共に放たれた山折の厄が女王の体内に侵入。異能と化した魔王の力を破壊する。
だが、消滅した魔王の娘ーー■■■こと神楽うさぎのように完全な消滅には至らず、得られた成果は空中浮遊(レビテーション)の術式の剥奪に留まる。
墜落する女王。愛する者を殺した仇敵の落下点目掛け、ヒトと獣の両者はそれぞれの得物を手に駆け出した。

「くひっ」
闇夜の中でボソリと聞こえる女王の嗤笑。同時に彼女の四方八方に展開される数多の武具と蒼の火球。
女王の周りを漂うそれら全てには彼女の追う瘴気ーー山折の厄が付与されており、禍々しい気配を漂わせている。
生み出された魔術は出現と同時に手榴弾のように暗黒と共に放出された。

「ーーーッ!」
「剣聖」の未来予知が発動。いのりは遅い来る魔の軌道を読み、中華刀で捌き、回避する。どちらも間に合わないと判断された攻撃はアニカの異能に任せて凌ぐ。

「ギィィィィーーーー!!」
嵐を潜り抜ける中、聞こえる魔猿の断末魔。白馬に跨る斉天大聖に厄纏う武具や火炎が殺到する。
同時に一角獣の体にも数多の刃が突き刺さり、血を撒き散らしながら転倒。闇に溶けるようにその巨体が消えていった。

「くっ……!」
背後から聞こえるアニカの息を呑む音。いのりは知る由もなかったが、目の前で死した一角獣は数時間前、袴田邸にてアニカ達を助けた白馬、ウマミ。
また、地に堕ちた斉天大聖は全身を痙攣させており、最早虫の息であった。
救援の死にいのりとアニカに動揺が走る。だが二人の事情などお構いなしに暗黒太陽は魔力のホバーで逆さまの体勢で緩やかに落下しながら魔術を自動掃射を継続する。

落下点までの距離は凡そ100メートル。『剣聖』と『身体強化』の同時使用により脚力を極限強化し肉体を急加速。到達までは十秒もかからないだろう。
疾風に少女二人の髪が靡く中、悍ましき怪異「隠山祈」は今に至るまでの経緯を回想する。

日野珠と神楽春姫。二人には未来があった。もし自分が一歩踏みとどまれていれば、『うさぎ』が珠から女王を摘出し、再び平穏へと還ることができたかもしれない。
自分が『うさぎ』ともっと早く再会できていれば、憎悪を燃やし尽くすことなく隻眼のヒグマに小柄な研究員、氷使いの少女は死なずに済んだのかもしれない。
遡ること10年前。もしも自分が『うさぎ』と共に大人しく封印されていれば、背負う探偵と同じ体質を持つ少女も兄と共に健やかに成長していたのかもしれない。
だがそれは空上の理論でしかない。時計の針が遡ることはなく、デウス・エクス。マキナは顕れることはない。
肉体の宿主ーー春姫の手はまだ汚れていない。アニカも誰一人として手を掛けた様子はない。
日野珠も同様。女王に目覚める前は生前の自分を思わせるお転婆な少女であったことが分かる。
最早完全無欠のハッピーエンドなど臨めない。誰かが手を汚さねば山折村に朝が来ることはない。
故に自分が汚れ仕事ーー日野珠の処刑を担おう。
覚悟を決め、手の柳葉刀を握り締める。首を両断すべく刀を構え、そしてーーー。

214遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 19:58:25 ID:U6P2q54E0
「やれやれ。窮地に追い込んだ程度で未来の皮算用とは、私も甘く見られたものだね」

ぞくり、と少女達の肌が泡立つ。
いのりの漆黒の瞳と珠(じょおう)の黄金の「双眸」が交差する。
女王の手に顕れたのは淡い光を放つ木刀二振り。迫る中華刀と木刀が激突する。
与田四郎の異能『真実の研究者(ベリティ・サイエンティスト)』により解析が完了し、いのり目に映るのは更新(アップデート)された女王の力。
異能『女王』、『魔王』、そしてーーー。

―――――――――――――――――――――――――――――――――
村人よ我に捧げよ(ゾンビ・ザ・ヴィレッジクイーン)
現在生存しているゾンビが得るはずだった異能を再現する異能。
ゾンビ化前の人間の人物像を知っていなければ異能を再現できない。
支配する異能はゾンビ化する前の人間からの好感度が高いほど再現度が高くなる。

【現在使用可能な異能】
『林流二刀剣術』、『神技一刀』、『暗視』、『剛躯』
――――――――――――――――――――――――――――――――――

「黄泉より還り、我に魂を捧げよ『ランファルト』」
ーーー『女王』第二段階到達。魔王の娘■■■の力、魂の蘇生発動。
ーーー生誕、聖木刀ランファルト。

聖なる光が二つの木刀へと集約し、人類救済の意思(エゴ)が顕現する。
黄泉返りを果たした『ランファルト』の力が分割され、意志と共に二振りの木刀へと宿る。
鳴り響くのは機と鉄の合奏。だが銀の煌めきは星の輝きに敵うはずなどなく、刀身が真っ二つに砕かれる。
木製剣の勢いは止まらず、そのまま神楽春姫の肉体に真一文字の傷を生み出す。
星風に吹き飛ばされる少女の肉体。刀身が半分になった剣を握りしめたまま、いのりは地を転がった。
対し、女王はくるりと体操選手顔負けのアクロバットで宙で体勢を整え、緩やかに着地した。
地に転がる獣と同様に地虫と化した麗しの巫女へと悠々と女王は歩み寄り、見下ろす。

「さて、ダンスの続きをしようか。よろしく頼むよ、お姉さん」
二つの黄金の瞳が星の輝きを見せる。



215遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 19:58:55 ID:U6P2q54E0
「きゃあああ!1あうッ……!」
宙を舞い、背中から地面に落ちるアニカ。そのまま転がり、十数メートル先で停止する。
木刀が鉄刀を砕いた瞬間、咄嗟にいのりは肉体変化を使用。肉体を操作し、背のアニカの危険を察知して後方へと弾き出した。
痛みに呻きながらアニカは身体を起こし、飛ばされた方向ーーいのりの方へと顔を向ける。
そこにはよろよろと立ち上がる折れた剣を片手に持つ神楽春姫と淡い光を放つ木刀二振りの切っ先をだらんと下へと下げた女王、日野珠。
女王と対峙する恩人へと駆け寄ろうとするも。

「ーーー行って!!!」
喉が張り裂けんばかりの言葉が駆け出す寸前のアニカの足を止める。
自分を助けた恩人を見殺しにする。その決断は地獄を潜り抜けてきた探偵少女の正義を否定するもの。
このVHの中では何一つ事を為せず、誰一人として助けられていない。そうアニカ自身は思っている。
脆弱な異能と小学生の身体では出来ることは限られ、むしろ同行者の足を引っ張り兼ねない。
逡巡の許容時間は僅か。天秤にかけられたのは砕かれたプライドと卑劣な効率。
総取りと折衷はなく二者一択。いのりの言葉に従って逃げおおせるか、自分の正義に従っていのりの救援に向かうか。探偵少女の下した決断はーーー。

(ーーーごめん、なさい……!!)
自分一人で救援に行ったところで犬死にするだけ。ならば女王の危険性を他の生存者に伝達するのが最善手。
己の無力を噛みしめ、女王と対峙するいのりに背を向けて走り出す。向かう場所は視線の先ーー三つの人影が対峙する戦場
正常感染者と特殊部隊の戦闘かもしれない。だが哉太達がいない今、頼れるのは最も近い彼らしかいない。
幾度となく外的要因と己の決断に打ちのめされた。自らの正義を失いかけている少女は女王を止めるため、死地へと向かう。

ーーーずるり。
背後から忍び寄る暗黒の存在など知らずに。



「う……ああああああッ!!」
「くひひひひ。怖い怖い」

悲痛な怒涛と共に折れた剣が振るわれ、それを女王は達人の如き技量で捌き続ける。
HE-028の目覚めた異能「村人よ我に捧げよ」。100を超える無間地獄を潜り抜けた前女王、日野光が予め持ち得ていた力である。

「まさか姉と同じ力に目覚めるとは。血は水よりも濃いとはよく言ったものだ」
『剣聖』と『肉体強化』による嵐の斬撃を軽くいなしながら、ぼそりと少女は独り言ちる。
猛撃を続ける中、研究所での戦闘より蓄積された疲労と全身の筋肉痛が神楽春姫の肉体を確実に蝕み続けている。
天性の肉体に綻びが生まれ、パフォーマンスが各段に下がった結果。

「どうしたどうした。さっきより動きが鈍くなっているぞ……っと!」
輝く二振りの聖木刀に折れた刀をかち上げられ、がら空きになった胴に珠の廻し蹴りが叩き込まれる。
「かふっ」と肺の空気と共に鮮血が吐き出され、いのりは地滑りに転がり純白の巫女服を泥で濡らす。
異能の質・身体能力・攻撃手段・戦闘経験。全てにおいて生まれたばかりの女王は古の巫女を凌駕しており、既に格付けはなされていた。
それでもいのりの瞳は光を失っておらず、地に降りた女王を見据えて、刀身が半分になった剣を構える。

216遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 19:59:35 ID:U6P2q54E0
「やれやれ。懲りないものだね、君」
「当たり……前でしょ……!ここで折れたら、全て終わりなのよ……!それに、未来への希望は繋げ―――」
「そら、時間だ。そろそろ表人格に戻りたまえ」

いのりが言い終わる前に、パチンと女王の指が鳴らされる。
同時にガクンと糸の切れた人形のようにいのりは膝から崩れ堕ちる。
数秒の沈黙の後、原初の巫女が顔を上げ、冷笑を浮かべた女王を睨めつける。

「数時間ぶりだね。良い夢を見れたかい、神楽春姫」
「厄災……!貴様、何をした……?!」

へらへらと取り繕うそぶりすら見せない女王に対し、いのりはーー否、得体のしれない力によって引き摺り出された主人格、神楽春姫は美貌を歪ませる。
女王の覚醒といのりによる肉体の酷使により春姫は満身創痍であり、意識を保っているのがやっとの状態。
だが、副人格と同様に未だ闘争心を燃やし続けるのは鋼の如き精神故か。
剣の形を保っただけの鉄屑を向ける偽りの女王を真なる女王はせせら笑う。

「何って、君達が私の翼を奪ったことと同じことをしたまでさ。いや、むしろ天宝寺アニカ達と『神楽うさぎ』が生み出した魔王への対抗策の方が近いか」
「何だ……それは……!?」
「分からないかなぁ。君、才能ある癖に何も研鑽してこなかったから、思考力が欠如しているんじゃないかね。
隠山祈への反撃と同時に纏った呪厄を君の身体に寄生させたのさ。『神宿し』、『反魂』、『珠縛り』の三つの呪詛をね。
これで『自我交換(マインド・シャッフル)』だっけ?が封じられて、自尊心だけを増長させた無知陋劣な君の人格が浮き彫りになったワケ」
「だが、妾の運命線が見えぬのは変わらないのだろう…!?策に溺れたな……!」

春姫の脳裏を過るのは己を愚弄した白兎の冷徹な眼差し。それと同時に突如として失われた春姫という人物を構成する大切な何か。
VHが発生する前の日常であれば、所詮うつけ者のたわ言と大して気にも止めなかったであろう。
しかし、女王を前に敗走した事実や反旗を翻した聖剣という要因が重なることで異変が起こる。
天上天下唯我独尊を地で行く春姫にとって己の失態は何よりも耐え難い屈辱であり、それが彼女の精神を大きく揺さぶった。
だが、生じた異変が及ぼした影響は全て悪い物ではない。

夜空のような漆黒の髪を靡かせ、忌まわしき女王へと疾駆する。
手には折れた剣。だが接近速度は常人の物ではなく、正しく神速。
氷の如き理性が溶け、春姫を動かすのは煮えたぎる激情。
それに呼応するかのように魂の中に巣食う「隠山祈」に接続され、力が全身に巡る。

217遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:00:02 ID:U6P2q54E0
過負荷を受け、『全ての始祖たる巫女(オリジン・メイデン)』は覚醒する。
只の虚仮威しに過ぎなかった異能の果て。それは自らの才覚を限界まで引き出し、その条件に合致した異能の取得。
全ての可能性を秘めた女王春姫の中に宿るのは多くの異能を喰らった禁忌的怪異ーー隠山祈の力。
引き出される『剣聖』、『身体強化』。そして覚醒する彼女の尊き血統に眠るチカラ。
瞬く間に女王の水月へと到達。生涯初めての激情が目の前の存在が日野珠であること忘却させる。
光を放つ欠けた剣。纏う闇を切り裂いて刃が振るわれる直前。

「君、思考力だけじゃなくて学習能力もないのかい?」

嘗ての女王の異能『村人よ我に捧げよ』が発動。
示現流『雲耀』が如し太刀が岡山林の異能『林流二刀剣術』の卓越した剣術で受け流され、春姫は大きく体勢を崩し、蹈鞴を踏む。
同時に返す刀ーー暮村雨流の異能『神技一刀』の魔力を帯びた聖木刀の斬撃が身体強化にて硬化が施された春姫の肘から下を切り落とす。
なまくらごと明後日の方向へと飛ぶ自称女王の両腕。激情も冷め、呆然とした表情で腕のあった場所を見つめる。
そして間髪入れずに再び叩き込まれる岡山林蔵の異能『剛躯』にて肉体のポテンシャルが跳ね上がった脚力での前蹴り。
ベキリと枯れ木の折れる音が木霊し、泥に濡れた春姫の身体がどす黒い血を吐き散らしながら吹き飛ぶ。
暗がりの中、風を切って平行移動する巫女の肉体を暮村沙羅良の異能『暗視』により晴れた視界が正確にその姿を捉えた。

「く……ぁ……!!」
土埃と千切られた雑草が舞う平原でかつての女王、神楽春姫はその身を横たえていた。
起き上がろうにも既に両腕は肘から下は存在せず、醜く地を這う芋虫のような蠕動運動以外はできない。
神の造形のような天性の肉体の面影は既になく、面立ちに浮かぶのはかつての凛とした美貌ではなく、憔悴した表情は正しく敗者のそれだった。

「つ……うう……うあああああああああッ!!!」
失墜した女王の慟哭が夜闇に木霊する。天に愛された山折の女王は生涯初めての絶望に屈した。
神楽春姫は何も学びはしなかった。故に立ち直る術を知ることはなかった。
神楽春姫は何も鍛えはしなかった。故に類稀なる才能を腐らせ、悉くを蹂躙された。。
神楽春姫は何も恐れはしなかった。故に危機的状況に陥る前に対処することなど到底できるはずもなかった。
詰まるところ、神楽春姫は19年の人生で培ってきた己が矜持の重量に耐え切れなかったのだ。

だが、春姫の絶望はまだ終わらない。その足音は静かに迫ってくる。
じゃりじゃりと土を踏む音がにじり寄り、音を耳にすると地に伏した巫女は息を呑んで顔を上げる。
土と血に濡れたかつての美姫の顔を、黒い太陽が覗き込むように見下ろす。

218遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:00:54 ID:U6P2q54E0
「や♪気分はどうだい?」
「貴……様ァ……!!」
惨劇を引き起こしたとは思えぬ呑気な声が頭上から降りかかり、春姫は激痛と屈辱に美貌を歪める。
傲慢は肉体の欠損と蹂躙により砕かれ、今の春姫を支えるのは既に土台がガタついている「山折村」という精神的支柱のみ。
虚勢を張る元自称女王の無様を見下すのは真なる女王。邪悪な笑顔を張り付けたまま、パチンと指を鳴らす。

ーーーずるり。
女王の纏う厄が脈動する。光が失せつつある春姫の瞳が大きく見開かれる。
次の瞬間、暗黒の塊が触手へと変化し、呆然とする春姫の口を無理やりこじ開け、口腔へと侵入する。

「な……何だ……くあッ!」
「はいはい♪立っちが上手♪立っちが上手♪」

口腔から侵入した厄の触手は速やかに全身へと転移。神経の隅々まで犯し、その激痛で春姫は声なき悲鳴を上げる。
支配された神経が主の意思とは無関係に活性化し、喘ぐ春姫に更なる苦痛を与えて無理やり立たせる。
その様子を幼き女王は手拍子を叩いて心底愉快そうに応援する。
敗者となり、座から降ろされた女王に尊厳などある筈もない。与えられた運命は勝者を楽しませるためだけの道化となるのみ。

凌辱が終わり、肉体の支配権すらも剥奪された元女王の瞳を現女王は悪意と愉悦の籠った黄金の瞳で見返す。
春姫の瞳は未だ光を失っていない。これだけの非道と絶望を与えられても尚、現状に希望を見出している彼女へ「ほう」と感嘆の息を漏らす。

」凄いね、君。まだ頑張れるんだ」 
「妾が朽ち果てようとも……!世界は……山折村は……決して滅びぬ……!」

うわ言のように吐き出される春姫の言葉。語る内容こそが今の春姫を支える最後の砦。
最早自分が助かる術はない。自害しようにも斬首する腕どころか、舌を嚙み切る力もない。
だが、まだ希望は残されている。いのりが決死の覚悟で逃した金髪の幼子。そして、解決策を模索している山折村の次期村長、山折圭介。
神楽春姫は眠りにつき、その魂は誇り高き祖神楽春陽のように山折村を守護る英霊となる。
確実に訪れるであろう苦痛に対する覚悟を決める。口を真一文字に結び、両目を閉じる。
だが、女王の口から吐かれた言葉は春姫の予想を大きく裏切るもの。

「はぁ?何を言っているんだい?山折村を滅ぼす気なんてさらさらないよ」
平然と言い放つ。言葉の意図が掴めず、元女王は閉じた瞳を開き、心底後悔した。
くひっ。視界に映るのは知的生命体が浮かべていい物ではない、悪意そのものが凝縮された悍ましい笑み。
異形そのものである形相に、精神が弱り切った春姫は身震いする。

「まあ、気を楽にして聞いてくれ。別に私は山折村を滅ぼそうとも君を死に追いやろうとも思っていないんだ」
「ぬ……抜け抜けと……!なら……ば、貴様の蛮行は……我が祖先が決死の思いで封じた厄の解放は……どう、説明をつけるつもりだ……!」

219遍くデストルドー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:01:31 ID:U6P2q54E0
恐怖をふつふつと沸き上がる憤怒と激情で蓋をし、生殺与奪の権を握る女王を弾劾する。
途切れ途切れの虚勢を述べる道化の女王に悪逆の女王は先程の悪意とは一変、生徒を見守る教師のような穏やかな笑みを浮かべる。

「蛮行?そ平和的解決を提示した私に対して暴力で解決しようとした君達に対する正当防衛じゃないか。濡れ衣を着せるは感心しないな。それでも弁護士の娘かね?」
「ち……父上の愚弄は……許さぬ……!」
「それと私の周りを漂う彼らのことだね。これは80年前、この村で人体実験の材料にされた外様の子供達は未来あった若い兵士達の魂が厄溜りの混沌と結びついたものさ」

言葉を失う。春姫が知るのは隠山祈の記憶から読み取った原初(ゼロ)の記憶と父母や祖父母から教えられた平穏そのものであった山折村の歴史。
女王の告発の後、思い出したかのように体内に巣食う厄がのたうち回り、激痛と共に脳裏に過ぎるのは数多の景色。

薄暗い牢獄の中。部屋の隅で抱き合って身を震わせる女生徒二人。扉が開き、泣き叫ぶ彼女らを兵士達が連行する。
地下研究室と酷似した場所。少年の割られた頭にメスが差し込まれ、痙攣する。その様子を伺うのは彼と同年代の少年。即ち次の被検体。
夜の山折神社。社務所の軒下に隠れ潜むのは幼き兄妹。しかし衣冠を纏う男によって引き摺り出され、二人の大人の手によって泣き叫ぶ幼子達は連行される。
幼子を引き摺り出したものの正体。それは神楽家の遺影で飾られてある春姫の曾々祖父と、犬山家の曾々祖母。
筆舌に尽くしがたい光景を目の当たりにし、愕然とする春姫などお構いなしに女王は言葉を続ける。

「それから毎年君達は古臭い踊りを披露する祭りがあるだろ?あれは本来、人柱達の魂を慰めるための儀式だったらしいよ。
それが今じゃ山折村の闇を厄溜りに押し付けて、私達に罪はないから許して〜って神様に許しを請う儀式に変わっているんだって。
それも80年前の出来事をきっかけに全て闇に葬られてるんだ。ウケル」

けらけらと無邪気に毒を撒き散らして神楽の歴史を愚弄する。反論しようにも脳内で蠢く厄が悲痛の記憶を送り続けるため、言葉が紡げない。

「廃棄され積もった塵が厄と結びついた。神楽春陽が身を投げた深淵には大勢の「隠山祈」が今も尚蠢いているんだ。
良かったね、隠山祈。不幸になったのは君だけじゃない。同じ境遇の人達がたくさんがいるんだ」

聞きたくない。耳を塞ごうにも体の自由は聞かず、それどころか腕そのものがなくなっている。

「それから山折村の由来だね。大昔の犠牲者の魂から読み取ったんだけど、本当は「山祈(やまいのり)村」だったのさ。神楽春陽が名付けたらしいよ。
君のご先祖様、何とか想い人の名を残そうと必死だったみたい。それと神楽分家の人間が「山祈(やまいのり)」の姓でこの地を治めようって決めたらしい。
まあでも時代の移り変わりと共に「山折」に変化して忘れられちゃったみたいだけど。
まあ何が言いたいのかって言うと、神楽家と山折家は遠縁関係にあったんだ。家族が増えるって良いものだよね」

絶望の告発の中にあったほんの僅かな光明。不浄に塗れた山折村の真実に見出した確かな希望。
犬猿の仲であった山折圭介は神楽血筋の人間だった。神楽一族が、山折村を統べてきた歴史は正しかった。
だがその光も、新たな告発により上書きされる。

「何度も言うけど私は山折村を滅ぼすつもりはない。むしろ進化の糧となる山折村を増やそうと考えているんだ。
君達と小競り合いをしている最中に厄溜りの要石になっていた神楽うさぎのノウハウを生かして厄溜りに接続。
彼らの願いの大多数は孤独の払拭と復讐。その解釈をちょっとだけいじって体内の願望器で叶えてあげたんだ。
つまりはだね、厄の一部ーー59の「隠山祈」達は空気感染機能を備えたHE-027-Aを持って日本各地に散らばった。願望器で作り出した私の前のバージョンをね。
でも私や君ほどの力を持つことはないし、撒き散らされるウイルスに感染しても正常感染者になれる確率は1%くらいかな。
彼らの行き先は全ての元凶になった未来人類発展研究所所長、終里元の子供達59人。彼らが女王感染者となり59の「山折村」を生み出す。
喜べよ、原初の巫女。君達一族の所業は山折村の繁栄と研究所への神罰に繫がったぞ」



220ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:02:38 ID:U6P2q54E0
大地を揺るがす鬼の咆哮が轟く。纏う深淵が散弾の如く撒き散らされる。
山折圭介と八柳哉太。得物を剣とする二人の若者は襲い来る死の脅威に果敢に立ち向かう。
哉太は卓越した技量にて攻撃を捌き、圭介は魔聖剣の光の魔術で猛撃を凌ぎ続ける。
そして、赤鬼こと大田原源一郎の討伐戦線に存在するのは二人の若者だけではない。

「ブモオオオオオオオオオオオオオオ!!」
鬼の雄叫びと負けず劣らずの迫力で咆哮するのは馬ほどの巨体を持つ白猪のウリヨーー伊吹山神の使徒。
身体を覆うのは魔力を帯びた白吹雪。哉太と圭介の攻撃の合間を縫って、ウリヨは鬼へと突進する。
聖なる氷雪は鬼の纏う瘴気を凍てつかせ、一時的に防御性能と自動攻撃を劣化させる。
攻撃速度が鈍る最強。生じた隙を二人の剣士が見逃すはずもない。

厄と剛拳による遠近両対応の反撃を掻い潜った瞬間、体勢を戻す刹那の空白の間に繰り出されるのは二つの斬撃。
魔聖剣の切っ先からの炸裂光が大田原の右足の腱を貫き、聖刀の鋭い斬撃が左足の腱を真一文字に切り裂いた。
どちらの傷も再生し始めるが、その速度は先程と比較すると各段に遅くなっている。
完全な転倒の前に巨人は何とか踏み留まるも、明確な行動遅延(ディレイ)が発生する。
主の危機に纏われた厄は対敵3つに対し、自動追尾攻撃を放つ。
だが、歴戦の勇士は既に行動パターンを把握しており、危機を察知すると同時に各々の手段で対処する。
体勢を完全に戻される前、地獄を潜り抜けたのはウリヨ。
倭建命に不覚を取ったように大田原もウリヨの神威を受け、ダメージと共に幾度目かの能力低下(デハブ)を受けた。

立ち向かう三者の中で最も戦闘に貢献しているのは二人の若者ではなく、新たに戦線へと加わった白猪。
佇まいは歴戦の強者を思わせ、彼女自身が圭介と哉太に合わせているようにすら思えてしまう。
このまま状況が続けば何れ刃が赤鬼の首へ届く。二人の剣士は確信する。
そして、次なる一手を打とうとした瞬間ーーー。

「カナタあああああッ!!」
望まぬ救援が訪れる。

221ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:03:03 ID:U6P2q54E0
「バ…馬鹿野郎ッ!来るんじゃねえアニカァ!!!」
「---ッ!」

鬼との戦闘区域に入る直前、哉太が声を張り上げて闖入者ーー天宝寺アニカの足を止める。
女王から逃げおおせた先。そこには想い人がいた。あらゆる負の感情に支配される中、見出した希望。
普段の聡明さは過酷な状況で剥がれ落ち、今のアニカの精神は年相応の少女のもの。再び失態を繰り返してしまった。
先程の地獄では相性もあり、春姫の助けになることができた。しかし次なる地獄は彼女の特異性など意味を為さない暴虐地獄。
現状を理解すると探偵少女は歯噛みし、後ろに後ずさる。
ほんの数秒にも満たない空白。それが致命的となった。

ーーずるり。
「ーーーーえ?」

アニカの背後で闇が脈動する。異変に気付き、探偵少女は振り返る。
眼前に映るのは身の丈を優に超える暗黒。出現先はアニカの背後ーーいつの間に開いていた黒く淀んだ孔。
突然の出来事に明晰な頭脳は働かず、頼みの異能も意味をなさず。
何一つ理解が及ばぬまま、天宝寺アニカは闇に呑まれた。

「アニ……カ……?」

パートナーの少女から注意を逸らしたのは僅か数秒。ほんの少し、藻を離した瞬間、前兆なく顕れた厄が天才探偵を吞み込んだ。
数時間前、目の前で魔王に串刺しにされた時のように。
十数分前、黒槍にうさぎが射抜かれた時のように。
"守護る。絶対に死なせない。"
その誓いは運命に踏み躙られ、八柳哉太は過ちを繰り返した。
死闘の真っ只中にも関らず、アニカを呑み込んだ闇の孔を見つめ、呆然と立ち尽くす若武者。

「馬鹿野郎ッ!!!突っ立ってる場合かッ!!!」
友の異変に気付いた圭介の怒号が飛ぶ。その声で漸く現実へと引き戻される。
だが時すでに遅し。生じた空白を地獄の門番が見過ごすはずもなくーー。

「■■■■■ーーーーーー!!!」
天を衝く暗黒の咆哮。棒立ちになった少年へと肉薄する赤鬼。
哉太の視界に映るのはスローモーションでこちらに向かう巨人とその背後で魔聖剣を手に疾走する圭介と白猪。
反応しようにも脳の処理速度が追いつかない。咄嗟の回避も聖刀の防御も間に合わずーーー。

「ーーーーガッ!!!!」
赤黒い鉄槌が哉太の内臓を骨ごと砕く。少年の口から血と肉が零れ落ち、胴に食い込んだ剛拳を濡らす。
コンマ一秒地面を離れた後、少年の身体は凄まじい速さで打ち出され、吹き飛んでいく。



222ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:03:39 ID:U6P2q54E0
「く……畜生……!」
「おや、随分と早いお帰りだね。流石隠山血筋の元祖兼量産型「巣食うもの」のオリジンといったところか」

月影の下で再び対峙する古の巫女と黒の女王。現在、春姫の身体の主導権を握るのは副人格と化したいのり。
史上災厄の呪いを祓うため狩人や退魔師が生み出した対抗策は皮肉にも人類の味方となったいのりを封じ込めた。
しかし、呪いにとして最上位に位置する彼女の完全な除霊には至らず。肉体に入り込みいのりを喰らわんととした呪厄を逆に取り込み、呪縛を解く糧としたのだ。
解呪の中でもいのりは春姫と五感を共有しており、現状も既に把握していた。
女王の非道も。想い人の苦悩も。己の存在が抹消された後の山折村のことも。そしてーー。

(春姫………)
たった数分で未来の可能性全てを断ち切られた、自分を完膚なきまで救い出してくれた威張りん坊のお姫様の絶望も。
『反魂』と『魂縛り』を解いた瞬間、いのりは春姫に断りも入れず強制的に人格交換を行った。
入れ替えを行う瞬間にいのりの魂は春姫とすれ違った。その時、怪異の巫女は異変に気づく。
天照神を彷彿させる煌々と輝きを放つ春姫の気高い魂。その輝きは失われ、黒く塗りつぶされていた。

そして現在。
『肉体変化』を使用して流れ続ける血液と露出した骨肉を変換。切断面を皮膚で覆い、両腕の止血を行う。
しかし腕を再生させるまでには至らない。かつて取り憑いた隻眼のヒグマとは違い、宿主には失われた肉を補充できる余剰栄養素(リソース)は存在しない。
失血も酷く、『肉体変化』と『身体強化』の併用をしなねればそのまま意識が闇へと引き摺り込まれかねない。
だが、絶望的な状況に置かれても尚、いのりの心は折れていない。

『そなたの事情、全て知った。恨み捨てられず、なおそなたが神楽の断罪を望むのなら、我が魂くれてやる』
ーーー光を見た。
呪いあれと憎悪した神楽春姫(ひかり)が誰一人として見向きもしなかった不浄(いのり)の手を取った。
かつての想いを取り戻すことができた。理由はそれだけで十分。
予言だろうと運命のありがたいお導きであろうとも、もう二度と厄災になど堕ちてなるものか。

「べらべらと……随分、楽しそうにご高説を垂れちゃって……。冥土の土産……とでもほざくつもりかしら……?」
「うーん。そんなつもりじゃないんだけどなぁ」

223ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:04:16 ID:U6P2q54E0
途切れ途切れながらも挑発めいたいのりの言葉をぶつけられ、女王は拗ねた子供のように唇を尖らせる。
この場において既に順位は決定された。俎板の鯉はこちらで数メートル先の少女が板前。
だがあろうことか女王は春姫といのりに興味を示した。春姫には暴虐の限りを尽くす反面、いのりにはいらぬことまで愉しそうに話し出す始末。
女王に何の意図があるのか理解できないが、付け入る隙があるとすれば春姫と入れ替わっている今しかない。
どうにかして活路を見出して女王の魔の手から逃れる。そして『奥の手』を使って春姫をーーー。

「だったら……わたし達以外にも……お前の下らない一人芝居を……聞いてくれる観客がいたの……かしら?」
「お、今の回答はいい線を言ってる。花丸をあげよう」

何気なしに吐いた挑発に「やるぅ」と言い、気分良さげに笑う少女の姿をした精神的異形種。
はぐらかされるか嘲笑われるかのどちらかという予想が外れ、いのりはポカンと口を開く。
呆然とするいのりの顔をにやにやと見下すように笑い、女王は人差し指を立てて上を差した。

「お月様が……見ているなんて……言うつもりかしら……?」
「おや、メルヘンはお嫌い?まあ違うんだけどね。正解は上空でこちらを常に監視しているドローンさ。SSOG製のね。
まあ、外がどうなっているのか分からないけど、私達の会話を盗聴しているのなら事実確認を急いでいるんじゃないかな」

自らの情報を敵である存在に知らしめて何の意味がある。危険性が知れ渡った以上、すぐにでも空襲で山折村諸共焼き尽くされる可能性に考えが至らないのか。
腕なし巫女の疑問を感じ取ったのか、女王は間髪入れずに言葉を紡ぐ。

「『隠山祈』を解き放った目的は生みの親への反意の誇示。それと私考案のZ計画ーー即ち人類救済のためだ。
その第一歩として私の子機をを各地にばら撒くことから始めてみたのだよ」

先程の軽薄な態度から一転。怒りと決意に満ちた黄金の瞳がいのりを射抜く。
彼女が語った人類救済計画は一部であって全貌は掴めていない。だがその一部だけでも杜撰で稚拙であることが素人目でも分かる。
立案した計画を自分ならば本気で成し遂げられると目の前の異形は信じ切っているのだ。
それを為せる力を手に入れるまであと僅か。

「妄執……ね」
「好きに呼べばいいさ。動き始めた時計が止まることなんてないのだから。
さて、雑談はこれくらいにしよう」

女王の演説が終わる。それと同時にいのりの足元から厄が顕現する。
ずるり、ずるりと形を持った淀みが足から這い上がってくる。
最上位の怪異すら支配しきれない暗黒が浸食し始める。

「しばしの別れの前に教えてあげよう。
解き放った59の『隠山祈』には私のエッセンスが仕込んであるが、私が志半ばで倒れたとしてもHE-027-Aは死滅することはない。
それぞれ別の人格を持って行動を起こすだろう。でも彼らに対する絶対命令権は私が持っているからから特に問題はないだろう。
だけど、万が一に私が死んだら計画が頓挫し、人類救済はなされないだろう。
そのために、私を継ぐバックアップを作ることにしたんだ」

「神楽春姫と隠山祈。君達は最悪の的であると同時に最高の素体だ。
特に進化を果たした神楽春姫の異能には目を見張るものがある。それこそ『日野珠』とは比較にならないくらい程にはね。
ではそろそろお暇するとしよう。全てが終わった後ーーーハッピーエンドのその先でまた会おう」

224ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:04:39 ID:U6P2q54E0
闇が脈動する。黒の空間が蠢き、悍ましき世界に形を変えていく。
地獄に巣食うのは数多の厄。山折村の歴史の中で生み出された『隠山祈』。
暗黒を掻き分けながら、女は進む。彼女こそが蠢く厄の原点たる怪異、隠山いのり。
彼女が押し込められた牢獄は神楽春姫の天性の肉体。

いのりにも宿主たる春姫にも既に肉体の主導権はない。
爪先から頭まで。細胞一つ一つに至るまで女王の支配下に置かれた厄に侵されしまった。
それでもま原初の巫女は前へ進み続ける。光を得た今、もう二度と堕ちることはない。
掻き分け、掻き分け、進んだ先。そこに彼女を救い出した光があった。

「ーーー春姫ッ!!」
山折の女王ーーー神楽春姫ははただ一人、闇の中でへたり込んでいた。。
彼女に纏わりつく闇を払いのけ、いのりは手を伸ばす。

「春姫ッ!手を取って!わたしが貴女をーーー」
「……………」

差し出した手は取られず、いのりの願いは闇の中で空しく響く。
掻き分けた闇が閉ざされ始める。いのりは両手に力を籠め、形なき厄を無理やりこじ開ける。
手が取られないのならばこっちから掴んでやるまでだ。今度は春姫のすぐ傍に立ち、だらんと下がった彼女の美しい手を取る。

「春姫……ここから出よう。脱出手段はあるから。だから立って」
「…………無理……だ……」
「春……姫……?」

神楽春姫という人間が発したとは思えない、力なくか細い声が木霊する。
握りしめた手には何一つ力が入っておらず、枝垂れ柳のように垂れ下がるばかり。
気遣わし気な表情を浮かべるいのりへと、春姫はゆっくりと顔を上げる。
黒曜石のような瞳は光を失い、浮かぶ表情はかつての面影など見当たらない程弱々しい。

「もう……妾は……立てぬのだ……」

度重なる非道の前に、春姫の心は折れていた。
金剛石を思わせる強靭な精神は粉砕され、欠片すら残っていない。
矜持も大義も想いも何もかも。全てが砕かれた。
愛した穢れ無き山折村が偶像に過ぎず。敬愛した祖先は悪逆の使徒だと知らされた。
今の春姫に残ってるものは、何もない。
静まり返る中、周囲を漂う闇が再び脈打ち、いのりと春姫を喰らわんと覆い始める。
いのりの顔に焦燥が浮かび、春姫に肩を貸して無理やり立たせる。

「まずい……!悪いけど無理やりにでも連れて行くよ!」
「…………」

春姫の反応を待たず、閉ざされ始めた闇を抜けて歩き出す。
二人の視界に広がるのは暗黒。一筋の光明すらない道なき道を行く。
纏わりつく闇を振るいながら、必死に歩き続ける。
いのりが足を動かす中、為すがままにされていた春姫が口を開く。

225ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:05:15 ID:U6P2q54E0
「もう……妾のことは良い……。そなただけで逃げ延びてくれ……」
「そんな……ことっ……できるわけないでしょう……!私と貴女は一蓮托生……!全てが終わった後、貴女が私を裁くんでしょう……!?」
「最早……妾にはそのような資格などありはせぬ……。妾は、神楽一族は……存在そのものが不浄だったのだ……」
「…………」

暗黒を進む中、消え入りそうな声の独白は続く。

「妾の一族は……屍を築き上げ、その血肉で繁栄を謳歌していたのだ……。
始祖神楽春陽も一族の悪逆に、妾の醜態に嘆いておられよう……。
白兎の言の葉の通り……妾は無知陋劣な畜生に過ぎなかったのだ……。
妾は民を誰一人として導いてはおらぬ……。己が欲のまま血肉を食らう餓鬼畜生と同類ぞ……。
もう良い……。もう良いのだいのり……。妾は女王などではない……。妾が厄に喰らわれている間に逃げおおせれば……」
「ーーーーーーッ!!」

言葉の途中でいのりの肩から春姫がずり落ちる。死人のような春姫の瞳が僅かに見開かれる。
ペタンと腰を抜かす春姫の前には同じくしゃがみ込んだ怒りを滲ませたいのりの潤んだ瞳。
瞬間、春姫の頬に衝撃が走る。頬を張られ、春姫の顔に驚愕の色が浮かぶ。
混乱の最中にいる春姫の様子などお構いなしに胸倉を掴まれ、下手人たるいのりと無理やり顔を突き合わされる。

「ーーーーアンタ、それ以上下らない妄言を吐いたら許さないからね……!!」
「いの……り……?」
「あの糞ったれの女王に封じ込められている間色々事情は聴いたよ!山折村が腐り果ていて、神楽一族も同じくらい腐っているってこともね……!」
「ならばーーー」
「でも!今の神楽が――アンタがそいつらと同類なはずないでしょ!!
確かにアンタは春陽様と同じくらい威張りんぼで、子供みたいに我儘だけど誰より気高く優しかった!!
祟り神と化したわたしに道を指し示してくれたんだよッ!!」
「でも……妾は……」
「それに、私に殺された綺麗な女の子も貴女に希望を見出して託してくれていた!!
私が乗っ取っていた一色洋子も、貴女とお話ししているときはとっても楽しそうだった!!
私を食い殺そうとしていたヒグマも、貴女のお陰で大切なものを取り戻して天国に行った!!
女王に乗っ取られた日野珠だって!貴女は友達と一緒に助けようと足搔いていた!!」
「…………」

226ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:05:47 ID:U6P2q54E0
いのりの怒号が続く中、春姫は俯いて何も言葉を発さない。
ずるり。暗黒の中、数多の『隠山祈』が二人の巫女を捕捉し、にじり寄ってくる。

「終わりはどうあれ、みんな貴女に導かれたんだ!私も貴女に光を見出したんだ!!
山折村が糞ったれでも!アンタは誇り高く生き続けていたんだよ!!それを投げ捨てるんじゃないわよ!!」

にじり寄った闇が二人を喰らわんと覆い隠す。
その様子にすら気づくことなく、いのりは涙を流しながら春姫へと向き合う。

「アンタが女王じゃないって言うんならわたしが言ってやる!!
何があろうとアンタはあの細菌女なんかとは比べ物になんかならないくらい女王なんだよ!!
山折村を守ってきた、神楽一族の女王!!春陽様と同じくらい最高の王なんだ!!
世界がアンタを否定しても、わたしは一人でも叫び続けてやる!!」
闇が接近し、二人へと降りかかる。

「ーーー女王は神楽春姫ただ一人だけだ!!!」
ーー瞬間、混沌とした暗黒が二人の巫女を呑み込んだ。
蠢き、二人の美姫を咀嚼するように脈動を繰り返す。
数多の『隠山祈』が死肉漁りを待つかのように、スライム状の厄に集まりだす。
そしてーーー。

「ーーー不敬ぞ」

闇夜に響き渡る凛とした声。蠢く闇の動きが一瞬止まる。
同時に辺りを照らすのは内部から溢れ出す光明。
内側から差し込む光が闇に穴を開け、黒一色の空間に光が灯る。

「隠山の地にーーー山折村にも黄昏が来ようとも、神楽一族の血筋が絶えようとも、継がれた意志は決して途絶えぬ」

隙間から光が漏れ、膨れ上がる穢れの塊。
這い寄ってきた混沌は威光に慄き、ずるりと一歩下がる。

「退け、忌まわしき厄災共よ。妾はーーー神楽春姫は女王である!!」

膨れ上がった暗黒が四散し、一帯に光が満ち溢れる。
周囲を取り囲んでいた数多の『隠山祈』は神威の光を受け、塵と化す。
太陽の如く照らすのは、女王ーー神楽春姫。
その目には以前とは比べ物にならぬ程強い意志が宿り、彼女から発せられる魂の輝きはまさしく日の光。

「やっぱり……春陽様の子孫はーーー神楽春姫はそうじゃなくっちゃ……。」
女王の傍らには、始祖神楽春陽の想い人、隠山いのり。目尻に涙を浮かべ、心から嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
彼女の呟きなど知らぬと傲慢な仕草で背を向け、天を見上げる。

「―――逝くぞ、我が王道へ」
「ーーーうんっ」



227ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:06:30 ID:U6P2q54E0
「馬鹿……野郎……!!」
瘴気蠢く戦場の外れ。圭介は赤鬼への対応を出自不明の白猪に任せ、戦線を一時離脱していた。
その理由は圭介が必死の形相で引き摺って、安全圏へと移動させようとしている彼の友ーー八柳哉太。
哉太の下半身は文字通りプレスされ、ギリギリ原型を留めている悲惨そのものの状態。
哉太の異能は『肉体再生(アンデッド)』。急所さえ無事であれば死ぬことはない、圭介とは真逆の個人で完結した異能。
不幸中の幸いか、心臓と脳は無事なのか、明らかな致命傷なのにも関らず、虫の息ながらも哉太は生きていた。
意識は混濁しているらしく、時折思い出したかのように咳き込んで、口からちと肉片を吐き出す。

(こいつはもう……戦線復帰は無理かもしれねえな。あの一撃は間違いなく一発アウトな奴な気がしたが、死ななかっただけマシか)
圭介の眼下で身を横たえる哉太。潰された内臓は徐々に再生をし始めている。何とか生きている証拠だ。
即死に至らなかった要因は異能の賜物か、それともインパクトの瞬間をギリギリのところで避けようとして失敗したからか。
それとも、食欲に塗れた赤鬼が哉太の再生を目撃し、じっくりと喰らうために手加減でもしたのか。

「……ダメだ。どうしても悪い方へと考えちまう」
軽く頭を振って負の坩堝に陥りそうな頭を何とか落ち着ける。
圭介としても哉太を責める気はさらさらない。
目の前で彼を支えてきた幼い友人が闇に飲み込まれたのだ。
圭介自身も数時間前、誰よりも大切な恋人が目の前で殺された時、哉太と同じく何もできなかった身だ。

「哉太……。悪いけどこれ借りてくぞ」
戦線離脱が決定づけられた友人に断りを、手に握り締められている打刀を無理やり引き剥がしてベルトに差す。
万が一にも魔聖剣が手から離れた時のためのスペア。持ったところで大した意味がないのかもしれないが、ないよりはマシだろう。
向かう先は白猪の大氷雨と瘴気が飛び交う戦場。一人欠いた事で優勢だった戦況が拮抗へと戻り、今以上の苦戦を強いられるだろう。
魔聖剣から溢れ出す魔力を脚力に回した瞬間ーーー。

「クソお邪魔しますッ!!」
「ーーーーッ!!」

ーーーズドン、地を揺るがす音を立て土埃を撒き散らす空からの落とし物。目の前に突如として現れた物体に圭介は警戒し、魔聖剣を手に身構える。
土埃が夜風に吹かれ、闖入者はその正体を露にする。
纏う瘴気は現在戦闘中の赤鬼と同等のもの。動きやすい服を身に纏った小柄な体と手に構えるのは煌々と光を放つ二振りの木刀。
そして、闇夜でも光を失わないその双眸は、女王の証である黄金。彼女の名はーー。

228ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:06:57 ID:U6P2q54E0
「珠……!」
「さっきぶりだね、圭介兄ぃ♪」

彗星の如く現れたのは日野珠ーー否、彼女の皮を被った女王は義兄となる筈だった少年に人懐っこい笑みを向けた。
圭介を導いた祟り神曰く、女王ウイルスが第二段階になった時点で全て終わり。殺すしかないらしい。
珠の周囲を漂うのは戦鬼が纏うものと同じ禍々しい黒い霧。そしてこちらを愉しげに見やる黄金の輝きを放つ双眸。即ち。

(もう手遅れってことかよ……!)
圭介と春姫は間に合わず、殺す以外選択がないことを意味していた。
自分の無力を噛みしめる。覚悟を決め、家族同然の少女へと剣を向けるがーーー。

『圭介兄ぃ。お姉ちゃんのことをよろしくね』

在りし日の珠の顔が浮かぶ。光と恋人同士になったと報告した時の心から嬉しそうな笑顔が、女王の作り物めいた笑顔と重なる。
光を失い、黒い感情に支配されていた時とは違う。今の圭介は子分を守護るガキ大将であり、切り捨てる覚悟などできる筈もない。
悲痛に顔を歪ませ、剣を構えたまま硬直する。圭介の醜態に珠(じょおう)は穏やかな笑みを浮かべて歩み寄りーー。

「邪魔」

轟、と珠の周囲に暴風が吹き荒れる。剣を構えただけだった圭介は成す術もなく吹き飛ばされ、十数メートル程地面を転がる。
急いで立ち上がり、魔術を行使した珠へと視線を向ける。赤鬼と魔猪の戦闘をバックに女王は一歩一歩と悠々と歩みを進める。
確実に来るであろう攻撃に備え、剣を正眼に構える。しかし、珠の足は途中で止まり、黄金の眼差しは足元を見つめる。
彼女の視線の先にあるのは、異能の力でギリギリ命を繋いでるだけの八柳哉太。

「おや、丁度良い所に無限食材があるじゃないか。我が傀儡の餌に相応しい」
「てめーー」

仲間想いのガキ大将の頭に血が昇る。衝動に突き動かされるまま、魔力ブーストで肉体強化を施し、一直線に女王へと向かう。
狙いは木刀を持つ細腕。珠が重傷を負うのは間違いないが即死はせず、上手く事が運べば無力化できる可能性がある。
憎むべきは女王であり、断じて珠ではない。怒りに我を忘れても尚、次期村長は最善を目指せる可能性に賭けていた。
だが、淡い希望などこの地獄では何一つ救いを齎さず、只食い潰される運命にある。突け入る隙を見逃すほど、女王は甘くない。

229ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:07:32 ID:U6P2q54E0
光の魔力を帯びた魔剣が振り下ろされる。人体など容易く両断する一刀は女王に届くことなく、右の聖木刀にて阻まれる。
鍔迫り合いはほんの一瞬。魔剣は聖木刀の刀身を滑り、振り下ろされた勢いのまま地面に激突した。
轟音が轟き、生じた衝撃が地面にひび割れを作る。
受け流された大振りの攻撃。地に降ろされた切っ先。無防備になった圭介を女王は見過ごすことはない。

圭介が剣を持ち上げる寸前、側面に二振りの木刀が叩きつけられる。
闇に反響する木と鉄の混合二重奏。
魔聖剣と聖木刀。それぞれの強度と特質は相似。違いを分けるのは担い手。
山折圭介は同世代と比較すると強靭な肉体を持つが、異能は他者に依存し、身体能力も魔力強化がなければ一般の域を出ない。
日野珠は肉体も身体能力も発達途上。しかし、彼女に寄生するHE-028-Zの異能により彼女を構成する全ての要素が限界を超えて上昇している。
担い手の差は歴然。即ちこれから起こる結果も必然。

ーーーガキン
「ーーーなっ……!!?」

魔聖剣が、折れる。
魔力と異能の二重強化がなされた剛腕の一刀が刀剣の急所ーー樋(フラー)に驚異的な力が加わり、両断された。
驚愕と絶望が圭介の心中を満たす。停止した思考を呼び覚ますかのように、女王の木刀が振り上げられる。

「ぐ……ァ……!!」
ーーべきりと枯れ木が折れるような音が木霊する。
伸ばされた圭介の両腕に木刀の重単撃が落ち、前腕に衝撃が走る。
激痛が少年の脳を焼き、思わず手に持った魔聖剣を地面に落としてしまう。
しかし、切断には至ることはない。

「成程。皮膚表面に極薄で高密度の魔力バリアを貼っていたのか。刃が通らない訳だ」
「づ……うぅ……!!」

痛みに呻く圭介を他所に珠の皮を被ったナニカはうんうんと納得したように頷いている。
焦燥が圭介の頭の中を駆け巡るが、肉体は思考と切り離されたかのように動いてくれない。
激痛のあまり座り込む敗者を見下ろす女王の目はどこまでも無機質で冷たい。

「そら、飛んでいけッ」
「ゴッ……!!」

圭介の胴に炸裂する珠の鋭い蹴り。少年は血を吐き出して後方へと場される。
飛ばされた数メートル先。折れた腕で体を起こして何とか立ち上がった。
目に映る光景は必然の結果。

230ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:07:58 ID:U6P2q54E0
「さあ、ディナーの時間だよ。お遊びを早く終わらせたまえ、我が戦鬼」

珠の小さな手が未だ動けない哉太の襟首に指を食い込ませて掴む。
内臓を露出させ、ぐったりと動かない若武者はかつての妹分の為すがままにされている。
同時に女王の背後でーー赤鬼と白猪の戦場で爆発音が鳴り響く。
宙に打ち上げられたのは白点ーー圭介達と共闘してくれていた白猪。

「やめろ、珠……!!やめてくれ……!!さっさと起きろ、哉太……!!」
「ほーら、御馳走だ。再生するから心臓と頭は食べちゃダメだぞ☆」

圭介の叫びも空しく、半ば肉袋と化した哉太の巨体は赤鬼の方へと放り投げられた。
宙を舞う剣道少年から脇差と淡い光を放つ御守りが地面に落下する。
僅かな沈黙の後、夜闇に響き渡る骨を砕く音、肉を咀嚼する音、血を啜る音……赤鬼の食事の音が鳴り響く。

「くひっ」

月光に照らされる珠の見るも悍ましい笑顔。
手には己が力で調伏した宝聖剣の複製ーー二振りの聖木刀ランファルト。
飢えた鬼(オーク)が下賜された肉を喰らい、咀嚼する。
役者はいくつもかけているが、移る光景は地獄絵図。
それは祟り神の語った圭介の恋人ーー日野光の見た破滅の未来そのもの。

膝から崩れ落ちた圭介の目はどこまでも虚ろ。
ありあまる絶望が両腕の激痛を忘却させ、精神は恐ろしいほどに凪いでいる。
にじり寄り、迫るのは村王を裁く罪深き断罪者。寿命は残り十数メートル。
間もなく圭介は祟り神の語った浅葱碧と同じ末路を辿るだろう。

「…………ごめんな、珠。お前の姉ちゃん、守れなかった」
痛みを忘れ、胸のロケットペンダントを握りしめる。
そしてーーー。

231ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:08:27 ID:U6P2q54E0

『圭介ッ!!後ろに跳べッ!!!』

232ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:09:00 ID:U6P2q54E0
不意に聞こえてくる女の張り裂けんばかりの声。
反射的に顔を上げ、声に導かれるまま全力で後ろへ跳ぶ。

「…………?」
突如飛び跳ねた俎板の鯉に女王は怪訝な表情を浮かべた。
今更命が惜しくなったのか?それとも厄に侵した神楽春姫との合流でも目指すつもりか?
圭介の突飛な行動に首を傾げる。だが、その答え合わせは直後に訪れた。

「ぐぎゃあああああああああああああああああああッ!!!」
「んなッ……何だ突然……!?」

女王の顔に初めて驚愕が浮かぶ。
圭介は見ていた。女王の足元に淡い光を放つ魔法陣が現れ、地面から大口を開けた双角の巨龍が翼をはためかせ、天へと飛び立っていく。
女王は大口に呑まれ、龍と共に天高く登っていく。
あまりにも現実離れした光景に圭介はあんぐりと口を開け、激痛も絶望も忘れて固まっていた。



「く……この……!ドラゴンと言い、さっきの畜生共と言い、一体何なんだ……!?」
龍の口の中。女聖木刀と強化された珠の脚力で龍の驚異的な抗菌力による噛砕を防ぎながら、女王は忌々し気に言葉を吐く。
運命視により予知した未来。宿主の覚醒から真実へと到達しうる智者との邂逅、そして浄化装置ランファルトを手にするまでは予定調和であった。
だが、異空間で死せる筈だった賢者(アニカ)は、虚空を掴んだかと思えば光を放ち、まんまと逃げおおせた。
そして、消化試合に過ぎない筈だった怪異との小競り合いも、突如として現れた畜生共のせいで余計な時間を食った。
ーーー現れた獣達には運命の光が見えなかった。

「だったら、力ずくで運命を切り開けばいい……!そうすれば元通りだ……!」
イレギュラーが起ころうとも関係ない。、前の世界線で憎悪に溺れた隠山祈のオリジンを日野光の肉体で取り込んだ時のようにすれば問題ない。
女王発案の人類救済プランを魂に流し込んで存在意義(エゴ)を塗りつぶし、支配下に置いたランファルト。
龍の上顎を防いでいる二振りの聖木刀に魔力が迸る。魔力を解放するその刹那。

女王の視界に映るブラックホールを思わせる龍の呼吸気管。
そこからてちてちと小さな足音を立てて駆けあがってくるのは脇差を加えた白兎。
迫る力なき獣。当然、他の獣達と同じように運命の光は見えない。
蹴とばそうと身をよじって足を動かそうとしても龍の咬筋がそれを許さず、肉体が強化された女王すらすり潰す力が籠められ、動きを封じられる。
訪れる窮鼠ーー否、窮兎の牙に備え、全身に魔力を漲らせる。
兎が飛ぶ。少女の目の前に映る脇差には、紐で括りつけられた二つの金襴袋ーーー女王は知る由もないが、哉太とアニカが持っていた白兎の御守り。
白兎(ボーバルバニー)の牙が迫る。愛しき主を殺された獣の牙が突き立てられる先はーー。

「そこは……ガッ!!」
対物ライフルすら防ぐ皮膚を貫き、刃を通した先は珠の細首ーーー願望義が埋まる場所。
突き立てられた刃ごと白兎を葬り去ろうと魔力を放出する。だが白兎は疎か、刀身に括られた御守りすら揺れない。
御守りが光の粒子と変換され、願望器に吸い取られていく。

「嘘だろ……!?」

願望器が願いを叶えた。
突き立てらえた脇差を伝い、日野珠の肉体から抽出される。
現れたのは白い小さな光球。それは形を変えながら、天へ向かい動き出す。
飛び立つ直前、白兎は器用に身体を動かして脇差を願望器へと放り込む。
輝きを放つ光球。そして再び訪れる身体の異変。身体の中の『何か』が光に呼応する感覚が女王の魂を揺さぶる。
吸い込まれた脇差が、光の粒子に変わり雲散する。それと同時に願望器は夜空へと飛び立った。

「何をしてくれたんだ……!」
女王の幼い顔に明確な怒りが浮かぶ。せめてもの腹いせに蹴とばそうと体制を崩れるのにも構わず足を動かす。
しかし女王の拙い蹴りは空を切る。憎悪を滲ませる女王など見向きもせずに、白兎は口の洞窟を昇って難なく脱出を果たした。



233ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:09:29 ID:U6P2q54E0
「俺は一体……何を見せられているんだ……?」
口をあんぐりと開けて座り込む圭介。見上げた空には双角の龍が翼をはためかせて雄叫びをあげていた。
VHが発生して以降、あらゆる超常を目の当たりにした圭介でも目の前で起きたイベントには目を丸くせざるを得なかった。
しばらく呆然としていたが、空から突如白い塊が圭介の元へ落ちてくる。
数秒後、固まる圭介の前で見事な着地を披露する白い毛玉。その正体は。

「白……兎……」
『ーーーすまない、君達には苦労を掛けた』

漸く言葉を発した圭介に向かい、白兎はぺこりと頭を下げて謝罪した。
「お、おお……」と何とか返事をした少年に首に時計を掛けた小さな獣の真紅の双眸が彼を見上げる。

『これでしばらく女王は君にも、君の友達にも手出しは出せない筈だ』
「友達……!か、哉太は……!哉太はどうなって……!!」

白兎の発したと思われる言葉で妹分の珠ーーの殻を纏った女王に放り投げられ、今も尚貪られているであろう親友の事が頭に過ぎる。
焦燥に駆られて捲し立てる圭介の瞳を英知と慈愛に満ちた瞳で白兎は見つめる。

『安心してくれ。彼はまだ生きている。それに、私の仲間が必ず助けてくれる』
「仲間……?」

脳裏に過ぎるのは突如現れた牛頭の巨人と魔力を帯びた氷雪を操る白猪。
だが、牛の巨人は腕力で潰され、白猪はつい先ほど鬼が起こした黒の爆発によって死んだはずだ。
疑問を口にしようとした圭介に割り込むように、白兎が言葉を紡ぐ。

『私の仲間はまだいるんだ。それに、彼らはそう易々と殺されるほどやわじゃない』
言葉が終わると同時に、地を蹴る蹄の音と甲高い猿叫、猪らしき雄叫びが轟く。
圭介と白兎の数十メートル先。赤鬼が哉太を一心不乱に食らい続けている場所に現れたのは三頭の獣。
全身血塗れの一角獣とそれに跨る如意棒を構えた赤猿。そして、赤鬼に殺されたはずの白猪。
誰もが皆全身に傷を負い、地球上の生物であれば致命傷となる傷を負っている。
その状態でも尚、地獄の番人へと立ち向かっていく。

「GIIIIAAAAAAAAAAAAAA!!!」
哉太を捕食したことでほんの僅かだけ理性を取り戻したのか。何とか人の言葉らしき轟きを上げ、赤鬼が暴れまわる。
山折村にて、何度目かもわからぬ血風が吹き荒れる。血肉が飛び交い、断末魔とも雄叫びとも取れぬ叫びが轟く。
その最中、赤鬼の手から何かが明後日の方に放り投げられる。それは間違いなくーーー。

234ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:10:11 ID:U6P2q54E0
「哉太……!」
両腕の激痛など気にせず、友の元へと駆け寄ろうと立ち上がる。
だが、圭介が走り出す前に哉太の元によろよろと歩み寄る一頭の獣ーー遠目からでも分かる、死にかけの羊。
彼(または彼女)は、口で哉太の身体を掴むとそのままよろよろと三頭の獣と赤鬼が死闘を繰り広げる危険地帯から離脱する。
そのまま圭介の近くーーとはいっても数メートル先だがーーまで移動し、哉太に覆いかぶさるように倒れ伏す。
白兎は光の粒子になることはなく死した羊にしばし黙禱を捧げた後、戦場に背を向けて動き出す。
全てを失ったような哀愁漂うその後ろ姿に、圭介はかつての自分を重ねてしまい、思わず声をかける。

「どこに、いくつもりなんだ……?」
『…………厄災(パンドラ)の底に眠る、最後の希望を求めに』

返ってきたのは抽象的過ぎて理解できない言葉。
そのまま力なき白い獣は歩みを進め、数メートル先ーー金髪の少女が吞み込まれた闇が蠢く孔の前で立ち止まる。
飛び込む直前、彼女は圭介の方へと顔を向ける。

『ーーー彼女を……春姫の事を頼んだ』
その言葉を残し、時計兎は淀みの中へと飛び込んでいく。
白兎が視界から消えるタイミングを見計らったかのように、圭介の背後から聞こえる不規則なリズムを刻む土を踏む音と荒い息遣い。
理由が分からない胸騒ぎがする。訳の分からない焦燥に駆られながら、圭介は背後を振り返る。
そこにいたのはかつて犬猿の仲にあったガキ大将の幼馴染。ふてぶてしい態度を隠さぬまま、厳かに悠々と圭介へと向かってくる。

「ーーーーッ!」
言葉を失う。
凛とした雰囲気はそのままだが、歩みは村に蔓延っていたゾンビと変わらない程頼りなく、襲い。
それもその筈。両腕は鋭利な刃物ですっぱりと斬られたように肘から下は失われ、全身はかつての面影が見当たらない程腐り果て、腐臭を放っていた。
見るも無残な状態にあっても尚、彼女の美しい双眸から光が失われることはない。
圭介の眼前で『彼女』は足を止める。
悲痛に顔を歪める圭介を夜空の瞳が見据えた。

「は……春……!?」
「……許せ、不覚を……取った……」



235ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:10:43 ID:U6P2q54E0
春姫の身体はいのりを伴い、闇の中を浮上していく。頂点ーー脳に到達まであと僅か。
春姫の放つ天照の光は、身体の隅々まで侵した山折の厄ーー『隠山祈』を浄化し、塵芥へと変えていく。
天へと浮上する途中で目に入るのは、木漏れ日のように淡い光が漏れる亀裂。
ここはいのりと女王の戦闘時、聖木刀の斬撃により生まれた傷跡。悪夢の始まりの証。
そこで、再臨した女王は飛翔を止め、傍らの祈りへと向き直る。

「春姫……?」
「……いのり、ここでそなたとはお別れだ。」
「え……?」

唐突に告げられた別れにいのりは驚愕する。
堕ちた己を叱咤し、女王としての矜持を取り戻させた彼女に向き直り、彼女の瞳を見つめる。
ほんの少し前の自分ならば、そのような真似などするはずもなかったであろうな、と僅かに苦笑する。

「ここから先は妾一人で逝く。女王の王道に、同伴は許さぬ」
「そんな……貴女一人じゃどうにも……!それに春姫はいつ死ぬかもわからないくらい重症なんだよ……!わたしがいなくなったら、もしかするとそのまま……!」
「…………」
「大丈夫だよ……!わたしには貴女の身体を元に戻せる奥の手があるから……!それでアナタは元通りになって……!」
「いのり」
「ーーーーッ!」

縋るように喚き散らすいのりの目をじっと見つめる。ほぞを固め、既に自分の辿る末路は悟っている。
頬を張ろうとしたいのりだが、春姫の目を見た途端、振り上げられた腕は力なく降ろされた。
恐らく、春姫の祖先ーー神楽春陽も道を誤った時はこのように諭されたのだろうか。
春姫の覚悟を感じ取り、もう自分では彼女の意志を変えられないと悟り、春姫へと背を向ける。
亀裂の方へと飛び立つ直前、春姫の手がいのりの背に触れる。

「待て、いのり」
「……どうしたの?」

唐突の『待った』に振り返り、怪訝な表情を浮かべて春姫を見やる。
山折の女王は穏やかな顔で原初の巫女を見つめ返す。
一呼吸置いた後、春姫の手に光が集まる。そして集った光は春姫の手からいのりの身体に流れ込んでいく。
いのりに変化が起こる。怪異そのものとして機能していた仮初の身体が別の何かに変わっていく感覚が伝わる。
それはとても心地よく、温かい。

「これは……?」
「……餞別だ。これより汝は妾と同じく、死地へと向かうのであろう」
「……うん」
「……沙汰を言い渡す。隠山いのりよ、汝は己が命を以って妾のーー神楽春姫の友を救え」
「ーーーうん」

裁定を終えた後、今度こそいのりは光が差し込む方へと向かっていく。
春姫の身体を脱出する直前、原初の巫女は最後の女王へと向き直る。

「ーーー私を見つけてくれてありがとう!貴女は春陽と同じくらいカッコいい人だったよ!」

236ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:11:11 ID:U6P2q54E0
いのりと別れ、春姫は一人、天へと昇っていく。
思い浮かぶのは山折の地で生きた19年の人生。

"春ちゃん。友達を大事にしなよ。一生の宝だ。"
遠い昔に聞いたような、力強い声が過ぎる。
かつては女王はただ一人。王道を共にするものはなしと豪語していた。
それは過ちであった。傍には必ず誰かがいて、春姫を見守り、支えてくれていた。
全ては手遅れになってしまったけど、最期にそれに気づけて本当に良かった。

『ーー待ってくれ』

身体の支配権を取り戻すまであと僅かというところで聞こえてくる厳かな女の声。
浮上を止め、声の方へと顔を向ける。そこに佇んでいたのは白兎。己の傲慢と無知を見抜き、沙汰を下した張本人。
春姫と白兎。漆黒と真紅が交差する。
白兎の目を見れば分かる。白き神獣が再び自分の元に現れたのは春姫を裁くためではない。彼女は間違いなくーー。

『ーーーすまなかった』
「なぜ頭を下げる」
『君に貸した力ーーー因果歪曲の力を取り上げたせいで君の身体と魂が女王に蹂躙されてしまった』
「……構わぬ。それは妾が汝の言う通り無知陋劣な愚物であっただけの話よ。
それに、汝の力添えがあったところで、結果は変わらぬ。寧ろ女王はその力を簒奪し、更に力を蓄えることになっていたであろう」

それは女王の力を身をもって知った春姫だからこそ分かる歴然たる事実。
死を遍く愚かな女王は泥船に乗った女王を闇底へと叩き落とし、その事実を突きつけた。

『山折の地は己が罪への贖いに露と消えるであろう。されど想いは継がれていく』
女王の王道は袋小路で途絶え、朝を迎えることなく消えてゆく。されど必ず夜明けは来る。
曙を迎えた者が原初の想いを継いで、命を繋げていく。

言葉を終えた後、最期の女王は天へと浮上していく。
神の御子たる白き獣も浮上し、女王とすれ違う。
決して交差することのない道。その最中ですれ違っただけの仲。
しかし、胸に抱く想いに何の違いがあろうか。

『さよなら、女王。どうか君の王道に安らぎあれ』
「さらばだ、神獣。汝の旅の行く末に幸あれ」



237ラスト・エンペラー ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:11:48 ID:U6P2q54E0
村王と女王。山折村の救済を目指した二人は互いに大敗を喫し、逃げおおせた先で再会を果たす。
圭介は両腕を折られ、頼みの綱の魔聖剣は聖木刀によって砕かれた。
春姫は聖木刀委より両腕を断ち切られ、厄により全身が汚染され続けている。
圭介は精神が死にかけ、春姫は身体が死にかけている。

「春……」
「そう情けない顔をするな……。汝は皆を支える「リーダー」なのであろう……?」

傲岸不遜な春姫の口から発せられたとは思えない弱々しい言葉が圭介の死にかけの精神を揺さぶる。
別れたのはたった十数分前。その間に何が変わったのか。こんな、慈愛に満ちた顔をする人間ではなかった筈だ。
ふ、と腐れ縁の幼馴染は圭介に笑い掛ける。

「頼みがある」
「……何でも、言ってくれ」
「そなたの腰に添えてある刀で、妾の心臓を突いてくれ」
「なっ……!」

余りの衝撃に言葉を失う。VHで圭介はたくさんの物を失った。
それは故郷であり、友であり、家族であり、恋人でもある。そして再び大切なものを失おうとしている。

「女王は妾の異能と肉体を奪おうとしておる。妾の身体で、友が殺されるのには耐えられん。
両腕を負傷した汝には酷であるだろうが……頼む」
「でも……」
「頼む」

子供を諭すような春姫の瞳。弟を見る様な目で見つめられ、圭介は言葉を詰まらせた。
迷っている時間はない。先程の珠ーー女王との戦闘でそれを思い知らされた。
腕に走る激痛を堪えながら、腰から哉太の打刀を抜く。
切っ先を春姫の胸に向ける。手が震えるのは激痛のためか、それとも圭介の心が拒絶しているためなのか。
そしてーー。

「ーーーッ!」
「か……ふっ……」

鮮血が刃を伝う。徐々に腐れ縁の幼馴染から力が抜けていく。
春姫の最期に、いがみ合っていた幼馴染の末路に、圭介は目を逸らさない。逸らすことなど、許されない。

ーーーカッ。
異変が起こる。春姫の身体が光を放ち、心臓から零れ落ちた血が、打刀に浸透していく。
瞬く間に打刀の刃は輝くような深紅に染まる。霊感も魔力もない圭介でも、刀に力が宿っていくのが分かる。
覚醒した『全ての始祖たる巫女(オリジン・メイデン)』により目覚めた力の発現。
それは己の生命力を物体に宿す秘伝。犬山はすみが得ていた異能『生命転換/神聖付与』の未来の姿。
厄に対する絶対兵器ーー聖刀神楽、生誕。

命が尽きていく最中、圭介を見つめる春姫の口が開かれる。

「………圭介」
「…………」
「そなたと過ごした日々、悪いものではなかったぞ」

花の咲くような、愛らしい少女の笑顔。神楽春姫には似つかわしくない、優しい微笑み。
最初で最後、初めて圭介の名を呼んだ。
黒曜石の光沢が完全に消える。胸に刃が突き立った身体は、村王の方へと枝垂れかかってくる。
山折村の女王、此処に眠る。



238山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:21:45 ID:U6P2q54E0
数多の『隠山祈』に侵され、肉体がぐずぐずに崩れていく。身体を食い荒らす厄の蟲が宿る異能を食い荒らしていく。
激痛に苛まれながらも、足を止めることはない。止めるわけにはいかない。
いのりは数時間前、独眼熊と戦った時のように肉片から生前の姿にーー『肉体変化』の異能にて質量保存の法則を無視した人の形に戻っていた。
その絡繰りは別れの間際、春姫に施された『生命転換/神性付与』の力。彼女の力により、怪異という枠組みから外れて別の存在へと書き換わった。
それに伴い、厄を吸収するだけであった身体も変化し、不浄を拒絶する。
だが完全に消え失せたわけではない。『隠山祈』はいのりの身体を蝕み続け、吸収した異能は牛縄つつある。

向かったのは三頭の獣との戦鬼が戦いを繰り広げる戦場。否、戦いではない。鬼が獣達を蹂躙する屠殺場である。
赤毛の猿の腕が吹き飛ぶ横を通り過ぎ、向かう先は危険地帯から離れた場所。春姫の友がいる場所。

「ーーーーーッ!!」
いのりの目の前で転がる少年の姿をした肉塊。端正な顔は見る影もない程苦痛で歪んでる。。
四肢はほぼ千切れかけ、骨が内側に飛び出している。臓器も大部分が食い荒らさせており、血肉から湯気が悪臭と共に立ち込めている。
心臓と脳は無事なのか、異能により再生は続けられており、それが少年の命を繋いでいた。
最早死んでいた方が救いという有様に、いのりは言葉を失う。

(ーーーでも、まだ手はある……!)
本来ならば、両腕を失った春姫に対して使うはずだった奥の手。デメリットは怪異そのものの特性も転移する可能性のあるもの。
しかし、春姫の手によっていのりは怪異ではなくなり、信仰を得て浄化された土地神へと昇格された。
故にこれから彼女の為すことも八百万の神の手から離れた、小さな巫女神からの贈り物へと姿を変える。

ぐずぐずと腐り始める手を彼の体に当てる。崩れ、肉塊へと化していく脳を廻し異能を発動。
怪異『巣食うもの』の原点となった『肉体変化』。ヒグマに食い殺されかけた時点で進化を果たしていた。
体積が少なくなっていくいのりの肉体。手から厄に侵されていない部分が少年に移され、再生させていく。
目覚めた力は自身の身体に刻まれた遺伝情報を書き換え、その血肉を他者に移植するという疑似的な回復手段。
もしいのりが『巣食う者』のままであれば、他者を乗っ取る際に使われていたであろう力。その力を誰かを救うために行使している。
徐々に肉が再生し、元の少年の姿に戻っていく。だが、このままでは再び女王の手下である赤鬼の餌食に駆ってしまうだろう。

だからもう一つだけ、少年に贈り物をすることにした。
『隠山祈』に蝕まれていない、最後に正常感染者から吸収した異能。
目の前の彼と血の繋がった、山折村滅殺を目論んだ老人の異能。懸命に生きようとする、彼に与える。
力が抜けていく。身体と魂を結ぶ意図がほどけていく。
きっとわたしは地獄に落ちるだろう。望にも、覚にも、春姫にも、春陽にも、うさぎにも会えないだろう。
それでもいい。わたしの犯した罪科は地の底に落ちて償わなければならない。
血色を取り戻した彼にーーかつて憧れた武士の面影を残す少年に微笑みかける。

『頑張ってね、お侍さん』



239山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:22:13 ID:U6P2q54E0
背後で爆発が起こる。聞こえるのは巨人の怒号と三種の獣達の断末魔。
厄災のコーラスから外れた平原。そこに滅びゆく厄村の村王と女王はいた。

「…………春。」
村王ーー圭介の目の前には胸に紅い刃が突き立てられた女王ーー神楽春姫。
神の造形と謳われていた美貌は面影もなく、そこに眠るのは遥か昔、疫病に侵された原初の巫女のような痛ましい姿。
もう二度と彼女の特徴的な語り口を聞くことも、いがみ合うことも、自分の立場を棚に置いて威張り散らされることもなくなってしまった。
山折村のガキ大将の周りには誰もいなくなってしまった。在りし日に想いを巡らせ、春姫の骸の前でぼうっと座り込む。

どれほど時間が経ったのだろう。
目の前の喧騒は徐々に落ち着き始め、飛び回っているのは片手に如意棒らしき長棍を持った赤猿ただ一頭になってしまった。
目覚めることのない春姫の寝顔を見つめる圭介へひた、ひたと迫る誰かの足音。
気配を感じ、怠慢な動きで首を上げる。虚ろな目に映った存在。それは、一人の少年。

「哉……太……?」
最後に残った圭介の幼馴染ーー八柳哉太の名前が零れ落ちる。
哉太はその声に反応することなく、その傍らにある神楽春姫の遺体ーー胸に刺さる赤刃へと目を向ける。
何かを口に出そうとする圭介を尻目に哉太は刀の持ち手を掴んで、容赦なく引き抜いた。
春姫の胸から血が零れ落ちる。引き抜いた刀から血が零れ、紅いアーチを作る。
遺体を辱める真似など厳しく躾けられた哉太にできる筈がない。

「な……何やってんだお前ェ!!は、春は……春はァ……!!」
今にも掴みかからんばかりの勢いで圭介は立ち上がる。彼の頬を殴り飛ばそうと痛む拳を握りしめて顔を見据えた瞬間、思考が急速冷凍された。
口はだらしなく開きっぱなしになっており、目は虚ろで生気がない。動きも怠慢で知性というものを感じない。
時折ゆらゆらと身体が揺れるが、それは疲労によるものではなく脊髄反射で起きた生理現象のようにも思える。即ちーー。

240山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:22:33 ID:U6P2q54E0
「ア"ーー………」
八柳哉太はゾンビになっていた。

241山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:23:10 ID:U6P2q54E0
いのりの尽力により哉太の肉体は再生し、元の健康的な少年の姿に戻った。
しかし、いのりは更なる奇跡を望んだ。それは自身の異能の植え付け。
厄に内部を食い荒らされ、自身の異能『肉体変化』も消失ある中、唯一残った異能『剣聖』。
女王にすら届き得た条件付きの戦闘特化の異能。元の保持者である八柳藤次郎の近親者である少年に与えたもの。
だが、都合の良い奇跡(デウス・エクス・マキナ)など顕れるはずもない。この地獄においては、大いなる力には必ず対価が求められる。
異能の過積載に対して払われた対価は理性の喪失。即ちHE-028-Cの許容量超過(オーバーフロー)による脳の一時停止。即ちゾンビ化である。
いのりの魂の喪失により異能のリスクを代替えする存在はいなくなってしまった。
つい数分前、命を落とした哀野雪菜のような奇跡は起こりえない。二重能力者(クロスブリード)など起こりえない。
『剣聖』の姿は八柳哉太の泡沫の夢。時間が経てば溢れ出した器は元の姿に戻り、八柳哉太は『肉体再生』だけを持った正常感染者へと戻るだろう。

親友の変わり果てた姿に胸倉を掴んだまま呆然と立ち尽くす村のガキ大将。
直後、最後に残った一頭ーー斉天大聖の身体が宙に投げ出された。
暗闇の中、三つに分かれる魔猿。見ざる、聞かざる、言わざるは三方向へバラバラに落ちていく。
赤鬼の殺気がこの場で唯一の正常感染者ーー圭介に向けられる。
死神の牙が届くのはあと僅か。行動を起こさなければ死は必然。
圭介の手に魔聖剣は存在しない。女王の手によって折られてしまった。
残るのは目の前で聖刀を握りしめた八柳哉太の『ゾンビ』。

「ーーハッ!」
圭介の頭に希望の灯火が灯る。
山折圭介の異能『村人よ我に従え(ゾンビ・ザ・ヴィレッジキング)』。ゾンビを意のままに操る他者に依存する力。
上位互換である女王が現れたことで無用の長物となってしまったもの。
今の八柳哉太は二つの異能を持ったゾンビ。ゾンビなら、操れる。

「最後の砦は、喧嘩別れしたダチかよ……。ハッ、上等じゃねえか!!」
皮肉気に笑い、腕に力を込めて気合を入れ直す。
八柳哉太は女王と接触した。つまり彼もまた眷属化の影響を受けつつある。
自身の異能では動きを鈍らせるのが精一杯。一度敗した相手を打ち負かさなければいけない。
圭介の中に巣食うHE-028-Bを行使する。哉太の脳に働きかけ、支配下に下るよう命じる。
異能を介して圭介の脳に響くのは女王の鬱陶しい囁き。
HE-028-BとHE-028-Z。絶対王政に反旗を翻す革命者。圧倒的不利な綱引きが行われる。

「あ……ア”……ア……」
哉太の身体が痙攣する。女王と村王の綱引きに巻き込まれた亡者は苦悶の声を上げる。
綱引きに負ければ剣士は女王の軍門に下り、世界を滅ぼす魔王の配下になるだろう。
ここが世界の命運を分ける分水嶺。脳を酷使し、哉太の理性を引き留める。

「悪の手先に成り下がるんじゃねえーーーーーーー!!」
叫ぶ。祈る。雄叫びが夜空に響き渡る。
赤鬼が徐々に迫ってくる。到達までは十秒とかからないだろう。
圭介の叫びに呼応するかのように赤刃が輝く。そしてーーー。

「AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!」
耳を劈くような咆哮が轟く。亡者は村王に背を向け、赤鬼へと突進していく。
軍配は村王に上がった。女王の支配を跳ね除け、ガキ大将の右腕はその忠誠を示した。
振り下ろされる拳を聖刀神楽が防ぎ、纏われた厄を払いのけた。

「ぶちかませッ!!クソヒーロー!!!」

242山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:23:45 ID:U6P2q54E0
夜の大地を轟かす咆哮。地を揺るがすのは拳と剣の二重奏。
二つの紅が文字通り火花を散らし、演舞を踊る。

「■■■■■■■ーーーーーーー!!!」
「■■■■■■■ーーーーーーー!!!」

剣鬼と戦鬼。二つの怪物が激突し、空を、大地を赤で染めていく。
地面に転がされた猪の亡骸が挽肉と化す。目を抉られた猿の胴が二つに割れる。
耳を削がれた猿が明後日の方向へと飛んでいく。喉を裂かれた猿が原型を留めない塊に変わる。
二対の怪物も無事ではない。激突するたびに肉が削がれ、骨が砕かれ、その度に瞬時に再生していく。

赤鬼から繰り出される鉄槌の乱舞。それに対応するのは剣鬼の身体に染み着いた八柳流のかかり稽古。
雀打ち、乱れ猩々、空蝉、鹿狩り、三重の舞、天雷―――
流麗とは程遠い、怨敵滅殺の剣舞が赤鬼に殺到する。
永劫に続くかと思われた剣舞は唐突に終わりを迎える。

赤刃が赤鬼の腕肉に食い込み、ほんの僅かに動きを止める。
筋肉を搾り上げ、両断を防いだ。唯一の得物を奪われ、動きを止める剣鬼。
その隙を見逃すはずもなく、新しき秩序ーー女王に謀反を企てた背信者へ下されるのは正義の鉄槌。
剣鬼に向けて巨大な拳が振るわれる。間もなく少年は四散し、山折の地の養分と化すだろう。
しかし、理性を喪失した赤鬼は隠し持つ一手に気付かない。

剣鬼と戦鬼。互いの性能に違いはほぼなく、その差は担い手のみ。
戦鬼の担い手は女王。彼女は力こそ強大であるものの、現在はこの場におらず、大田原源一郎のスペックに頼るほかはない。
剣鬼の担い手は山折圭介。女王と比較すると比べるべくもないが、この戦場に存在し続け、常に剣鬼の限界を引き出していた。
故に結末は必然。かつて沙門天二が届くことのなかった一手が、剣鬼には存在していた。

武器を失った剣鬼の手に握られていたのは、折れた長剣。女王の聖木刀によって砕かれた魔聖剣。
担い手の意志に呼応するかのように光を放つ。女王の目論見は外れ、未だ託された意志は健在。
光に導かれるように、元の担い手は詠唱を張り上げる。

「厄(や)け、神様ァーーーーーーーー!!!」
折れた刀身から光の刃が顕現し、無防備になった胴に振るわれる。
ーーー八柳新陰流『朧蟷螂』。
剣鬼が身をよじり、迫る鋼の拳をすり抜ける。
逆袈裟に振るわれた返し刃が伸びきった腕を斜め掛けに胴と首を両断する。
『餓鬼(ハンガー・オウガー)』は保持者に驚異的な身体能力と再生能力を齎す異能。しかし、急所を断たれれば他の正常感染者同様、命を落とす。
即ち、魔の手に堕ちた自衛隊最強『大田原源一郎』の命運はここで尽きる。



243山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:24:16 ID:U6P2q54E0
ーーー女王に平伏せよ。
ーーー女王に命を捧げよ。
ーーーさすれば大和の國に、曙が訪れん。
声が聞こえる。福音の囁きが脳を揺さぶる。
最強の名は失墜し、残るのは滅私奉公の矜持のみ。
抱いた想いも再びの敗北により、塵と化した。
ならば、己に残るのは何だ?

ーーー女王に平伏せよ。
ーーー女王に命を捧げよ。
ーーーさすれば大和の國に、曙が訪れん。
福音が囁かれる。体内に巡る血潮が沸騰し、己の身体に役割を求める。
嗚呼、そうか。たかだか命が潰えただけではないか。
想いはまだ胸の中で燻っている。胴ごと切り離された首が場に残る巨体を眺める。
■■に仇為す敵は未だ健在。されど無防備にその身体を晒している。
ならば、地獄に落ちる前に果たせる役割は一つ。

「女王ニ……仇為ス……存在ヲ……処理セヨ………!」



244山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:24:43 ID:U6P2q54E0
「嘘だろ……!?」
片腕だけの巨体が再始動する。傷口から臓腑を撒き散らしながらゆっくりと拳を振り上げる。
狙いは目の前で聖刀と魔聖剣、二振りの剣を握りしめたまま微動だにしない若武者。

「さっさと動け哉太……!動かねえと殺されるぞ……!」
異能で哉太に呼びかけるも、ゆらゆらと揺れるばかりで一歩も動こうとしない。
それもその筈。既に哉太は二重能力者(クロスブリード)のゾンビではない。
器から異能という水が零れ落ち、正常感染者へと戻ったのだ。
今、鬼の眼前にいるのは剣を握りしめたまま意識を失い、棒立ちしている剣士だった。

「クソッ……クソッ……クソォ……!!」
焦燥に駆られ、村王は腕の痛みなど気にせずに走り出した。
上月みかげと湯川諒吾は圭介の知らないところで殺された。
浅葱碧は自分が操って特殊部隊に殺された。
日野光は自分をかばって殺された。
日野珠は自分達が逃げおおせたせいで手遅れになった。
自分を救った祟り神は目の前で殺された。
神楽春姫は、自分が殺した。
圭介を取り巻く大切な人達は圭介の目の前からいなくなった。
もう失うのは嫌だった。自分達の望む結末はもう掴めない。陰謀に翻弄され、描いていた未来は醜い大人達によってぶち壊された。
"親分は子分を守るものなんだよ。"
いつか自分が言った言葉が反響する。
最後の幼馴染に延ばされる死神の魔の手。皆のリーダーは、子分第一号に手を伸ばす。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!!」



245山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:25:20 ID:U6P2q54E0
星々が煌めく山折村の夜空。天から巨体が落ちてくる。
ずしん、と大地を揺るがす。巨体の正体はずんぐりとした双角のドラゴンであった。
地に伏せた龍はピクリとも動く様子はない。大顎を開いたまま、息絶えている。
ドラゴンの横に散らばるのは、原形を留めていない肉塊と、逆袈裟に切り取られた赤黒いヒトガタ。そして鬼の形相で虚空を見つめる角が生えた強面の男。
そのすぐ傍には、潰された少年らしき死体と少し離れた場所で眠る腐臭を放つ巫女装束を纏う遺体。
沈黙が場を支配したのは数分。突如、龍の腹から木刀が突き出てくる。
切り裂かれる龍。血の雨が降る中、現れたのはーー。

「ああくそ、せっかくの祭りが終わってしまったじゃないか」
ーー女王、日野珠。
突如として女王を天空に打ち上げた龍。それは女王自身が手を下した犬山うさぎの眷獣。
その中でも随一の巨体と戦闘能力を誇る空想生物、4時の龍ことドラちゃん。
増殖羊の大元(マスター)が己の命を担保に召喚した最後の獣。
龍の死により残る獣は1時のネズミと4時の兎のみ。他の全ては白兎の言葉通り、使い潰された。

「随分と舐めたマネをしてくれたじゃあないか、あの白兎……!」
沸き上がる怒りに愛らしい日野珠の顔を歪ませる。
失ったのは願望器だけではない。
影法師の少女ーー魔王の娘が持つ力『夢の世界へようこそ(イン・ワンダーランド)』が失われた。
願望器に脇差が投げ込まれた瞬間、『神楽うさぎ』の力が吸い取られ、地の底に向かっていくのが感じられた。
だが幸いにも『魔王』の力は健在。それだけは不幸中の幸いか。

「まあいいさ。身の不幸を嘆いても事態が好転するわけじゃない。前向きに行こう」
頬を叩いて気持ちを切り替える。
運命視による観測を逃れた天宝寺アニカは今頃闇の底だ。自分が厄の中に落とした。
過程はどうあれ、結果は及第点。生き残ったのが自分だけだか軌道修正はまだ間に合う。
回りを見渡すと、死体、死体、死体。少しばかりお暇していた間に屍山血河が作り出されていた。
女王が特に驚いたのは、両断された戦鬼。大田原源一郎。
運命視による未来演算では、彼はまだ食事を続けているはずだった。
八柳哉太の死体ないということは、我慢できずに平らげてしまったか。
また、聖木刀でハーフカットにした筈の魔聖剣の存在も見当たらない。
そして、下手人と思われる少年が戦鬼の傍らで粉砕されていた。
即ち、養分となった少年が戦鬼が哉太を異に収めてる隙を狙って折れた魔聖剣で討伐を果たした。
その結果、魔聖剣は今度こそ消滅し、残された少年は戦鬼の悪あがきの巻き添えを喰らったのだろう。

事の顛末の予想を核心に変えるべく、少年の死体へと歩み寄る。
原型をほとんど留めていない少年の死体。かろうじて形を保っている手に顔を近づける。
手は何かを握りしめている。死後硬直が始まったそれを、無理やり誇示上げると現れたのはロケットペンダント。

「ーーーああ、死んだのはやっぱり山折圭介か」



246山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:25:50 ID:U6P2q54E0
「ーーーぅたく、挨拶もなしに勝手に行くんじゃねえよ」
「圭……ちゃん。何で……」

バスを待つ最中、現れたのは喧嘩別れしたはずの山折圭介。二度と会わないと決めていた、親友だった。
一年前、早朝のバスを待つ哉太の前に顕れたのは花束を持った虎尾茶子ーー哉太を信じてくれた想い人だった筈だ。
これは夢。IFを望んだ自分が作り出した想像の産物に違いない。
困惑する哉太を他所に、息を切らしたガキ大将は手に持った紙袋を手渡した。

「……何だよ、これ」
「ガキの頃、お前から借りた玩具。折れて返し辛かったから黙ってた」
「何だよそれ。ガラクタじゃん」
「うっせ。借りパクしたまんまだと、目覚めが悪いんだよ」

嘗てのように軽口を開けながら袋を開ける。
中に入っていたのは一昔前の、特撮物の剣の玩具。中折れしている。
じとっと圭介の方を見つめる。気まずそうに圭介は目を逸らす。

「…………」
「…………」
「…………ぷっ」
「ハハハハ」

急におかしくなり互いに笑い出す。
笑って、笑って、笑って、笑い転げる。
親分と子分第一号。些細なことで仲違いして、些細なことで仲直りする。
悪ガキの頃からずっとそうやって過ごしていた。
しばらく笑い合っていると、別れの時がーーー駅に向かうバスがやって来る。

「……なあ、哉太」
「……どうした、圭ちゃん?」

バスのステップを上がる寸前、幼馴染の言葉がかけられる。
振り返ると、どこか寂しそうな笑顔を浮かべたガキ大将の少年。

「お前さ、これからどうする?」
「どうするって……何が?」
「この村に帰ってくるかってことだよ。誤解ならもう解けたし、他の奴らも俺が無理やりにでも納得させる」

真剣な眼差しで問い掛ける。ここが分水嶺。
もう自分の中に山折村を憎む気持ちはない……といえば噓になるが、いざ度経つとなると寂寥感が胸に飛来する。
ほんの少し考えた後、圭介の問いに答える。

247山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:26:28 ID:U6P2q54E0
「ーーー東京に、行くよ。多分、もう二度と山折村には戻ってこない」
「ーーーそっか」
ほんの少し寂しそうに笑い、ガキ大将は手を差し出す。
幼い頃、もう一人の長馴染に良くさせられていた約束の証。

「仲直りの握手……しようぜ」
「…………ああ」

親友の手を握り返す。固く繋がれた手。もう下らないことで仲違いはしないだろう。
バスに乗る直前、八柳哉太は振り返る。

「光ちゃんと仲良くな」
子分第一号が笑顔で告げる。

「山折村の事、たまには思い出せよ」
親分が名残惜しそうに手を振る。

もう二度と八柳哉太は振り返ることはない。

248山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:27:19 ID:U6P2q54E0
バスに乗るとまず目に入ったのは、人間のように座席に腰かけた小さな山ネズミ。
彼女はこちらの存在を認めると、仕草で隣に座るよう促す。

(スチュアート・リトルかよ……)
大分失礼なことを心中でぼやくと、その言葉を見透かしたようにこちらを見上げた。
その直後、哉太の目の前に映ったのはどこかで寝息を立てる金髪の少女ーー天宝寺アニカ。
場所の特定はできないが、何となく、闇に呑まれたはずの彼女が生きていることだけは伝わった。
驚いて目を見開く哉太の脳内に、女性の声が鳴り響く。

『もう二度とアナタのパートナーの手を離さないで下さい。私達が望みを失った時の痛みは、もう誰にも味わってほしくありませんから』

景色が少しずつ揺らいでいく。心地よい微睡が意識を漂白していく。そしてーー。



目を覚ますと少年は草原のど真ん中にいた。
傍らにはこちらの頬を摘まんでいる二足歩行の山ネズミ。
そして、手に握れてていたのは二振りの剣。
夢の中で圭介に渡された玩具によく似た折れた長剣と、深紅に染まった紅い打刀。
辺りを見渡すが、そこには誰もいない。
散らばっていた牛の巨人の名残も。共に戦っていた圭介の姿も。荒れ狂っていた赤鬼の姿も。
そして、無意識の中で常に闇へと誘おうとしていたーーー。

「珠ちゃん……」
今も尚、哉太の脳内で囁き続ける女王ーートラウマを植え付けてしまった妹分の姿も。
確信する。VHにおける絶対悪の存在が大切に思っていた幼馴染であることを。

249山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:28:29 ID:U6P2q54E0
『女王感染者を見つけ出し殺害する…………それでこのバイオハザードは解決されるはずだ…………』
「んなこと、認められるかよ……」
理不尽に憤り、立ち上がる。女王は覚醒し、山折村は今以上の地獄へと変わるだろう。
もしかすると、すでに手遅れで珠の救済のためには殺すしか手段が残されていないのかもしれない。
その時、彼女を介錯するのは自分なのかもしれない。それでも、思考放棄だけはしたくない。
最後の最後になるまで、希望を捨てたくはない。
自分を救い上げてくれた、生意気そのものな天才探偵のように。
そして、自分を信じて送り出してくれたーーー。

「そうだろう、圭ちゃん」
死した友の名を呼ぶ。皆のリーダーの答えは返ってくることはない。
裏切られ、失い、離別し、また失った。それでも前に進まなければならない。
残された想いを引き継ぐ。それがきっと自分の信じた道なのだから。

【神楽 春姫 死亡】
【大田原 源一郎 死亡】
【山折 圭介 死亡】

【D-3/草原/一日目・夜中】

【八柳 哉太】
[状態]:異能理解済、全身にダメージ(極大・再生中)、疲労(極大)、精神疲労(極大)、喪失感(特大)、眷属化(小)、
[道具]:折れた魔聖剣■■■、聖刀神楽、八柳哉太のスマートフォン、山ネズミ
基本.生存者を助けつつ、事態解決に動く
1.圭ちゃん……。
2.アニカを守る。絶対に死なせない。
3.女王を何とかする。最悪の場合、珠に手をーーー。
4.いざとなったら、自分が茶子姉を止める。
5.ゾンビ化した住民はできる限り殺したくない。
[備考]
※虎尾茶子と情報交換し、クマカイや薩摩圭介の情報を得ました。
※虎尾茶子が未来人類発展研究所関係者であると確認しました。
※リンの異能及びその対処法を把握しました。
※広場裏の管理事務所が資材管理棟、山折総合診療所の地下が第一実験棟に通じていることを把握しました。
※『隠山祈』及び『神楽うさぎ』の存在を視認しました。
※魔聖剣の真名は『魔王の娘』と同じです。
※神楽春姫のにより打刀は強化され、聖刀神楽へと進化しました。
※宝聖剣ランファルトの意志は消滅しましたが、その力は魔聖剣に引き継がれました。現在刀身が破損していますが、再生する可能性があります。
※『神楽うさぎ』が魔王の娘であることを認識しました。
※日野珠の異能『ワクワクの導く先へ(フェイトマイロード)』の対象外になりました。


【E-2/草原/一日目・夜中】

【日野 珠】
[状態]:全身にダメージ(中)、女王感染者、異能「女王」発現(第二段階)、異能『魔王』発現、両目変化(黄金瞳)、女王ウイルスによる自我掌握、異能『村人よ我に捧げよ』発現
[道具]:H研究所IDパス(L3)、錠剤型睡眠薬、聖木刀ランファルト×2
[方針]
基本.「Z」に至ることで魂を得、全ての人類の魂を支配する
1.Z計画を完遂させ、全人類をウイルス感染者とし、眷属化する
2.運命線から外れた者を全て殺害もしくは眷属化することでハッピーエンドを確定させる
3.天宝寺アニカと八柳哉太は始末した。天原創らと特殊部隊、どちらの方に行こうかな。
[備考]
※上月みかげの異能の影響は解除されました
※研究所の秘密の入り口の場所を思い出しました。
※『Z計画』の内容を把握しました。
※『地球再生化計画』の内容を把握しました。
※女王感染者であることが判明しました。
※異能「女王」が発現しました。最終段階になると「魂」を得て、魂を支配・融合する異能を得ます。
※日野光のループした記憶を持っています
※魔王および『魔王の娘』の記憶と知識を持っています。
※魔王の魂は完全消滅し、残された力は『魔王の娘』の呪詛により異能『魔王』へと変化し、その特性を引き継ぎました。
※魔術の力は異能『魔王』に紐づけされました。また、願望器は白兎により剥奪されました。
※『空中浮遊』の魔術は呪厄により喪失しました。
※戦士(ジャガーマン)を生み出す技能は消滅し、死者の魂を一時的に蘇らせる力に変化しました。
※異能『村人よ我に捧げよ』が発現し、林流二刀剣術、剛躯、神技一刀、暗視をコピーしました。
※死者の魂を蘇生させる力により木刀に聖剣の力が宿り、聖木刀ランファルトに変化しました。
※願望器が白兎の願いを叶えたことにより、異空間を作成する力が喪失しました。
※80年前の人体実験犠牲者達の魂が願望器を使用し、終里元の59人の子供達全てが巣食うものに寄生されました。99%の確率で異常感染者になるHE-027の女王感染者に変化します。
※願望器は白兎によって摘出され、山折村内どこかに転送されました。転送先については後続の書き手様にお任せいたします。




250山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:41:36 ID:U6P2q54E0
落ちていく。堕ちていく。底の見えない水の底に。淀んだ泥の中に。禁忌の領域に引き込まれていく。
魂と肉体が切り離されていく。目がないのに闇を感じ、耳がないのに静寂を感じる。
切り離されたはずの五感で感じる、奇妙な心地よさと正体不明の不快感。
ふわふわ、ふわふわ。
天と地の境界を漂い続ける。
描いていた未来予想図は白紙に戻され、抱いていた確かで仄かな想いは泡沫へと化し、何もかもが溶けていく。

………………
…………
……
どれだけの間、彷徨っていたのだろう。見上げた空はぼやけ、見下ろした空は透明な闇が広がっている。

ーーーずず、ずず……。
闇が蠢き出す。晴れ渡る地獄が唸りを上げ、伽藍洞を揺るがしていく。
恐怖を感じたのも束の間。漆黒が捩れ、歪み、脈動する。

ーーぞわり。
地の底這い出して来る数え切れない程の真っ黒な手。泥の中でうぞうぞと犇めく小さな小さな赤子の手が自分を引き摺り込んでいく。

『ーーーー』
闇の奥底。待ち構えてきたのは大口を開けた『ナニカ』。赤子の手を模した穢れの触手が深淵に引き込まれる。その直前。
六芒星が顕現する。輝きが不浄の手を掻き消し、辺りを仄かに照らす。
不思議なことに落下も止まり、落ちるしかなかったカラダが徐々に浮上していく。
自分のすぐ傍に気配を感じ、視線を動かす。そこに佇んでいたのは、男の姿をした影法師。
彼に導かれるまま、空へと昇っていく。上へ上へと昇り続け、ピタリと唐突に止まる。
止まった矢先、影と自分の前に光の粒子が収束し、ヒトの形を作り出していく。

『………!?』
顕れたのは二人の少女。一人は巫女装束を纏う長く美しい白い髪の、眠るように瞠目した女の子。
もう一人は白髪の少女と同年代ーー10歳くらいの影法師の女の子。
二人共横たわったまま、目を覚ます様子はない。

『ーーー!ーーー!』
影法師の男の様子が急変する。何かを叫びながら少女ら二人に近寄る。並んで眠りにつく彼女らを中心に展開される巨大な六芒星。
光と共に正体不明の巨大な力があふれ出す。生成されたエネルギーは眠り姫二人に注ぎ込まれる。しかし二人共動き出す気配はない。

『ーーーッ、ーーーッ!……ーーー』
しかし、影の男は諦めるそぶりは見せず、二重・三重と六芒星を重ねて力を注ぎ続ける。
その様子を漠然と眺める中、空から自分と影の男の前に落ちてくる。それはいつか見た白兎。

『無意味なことは止めたまえ。君程度の力では「彼女」は目覚めることはない』
声が聞こえたのか、影の男はピタリと動きを止める。そして、声の主であろう白兎の方に顔を向ける。
彼の視線を受け、ふわふわ毛並みの時計兎は眠りにつく白と黒の幼子に歩み寄り、顔を近づける。

『……やはり、彼女の本当の名前でなければダメだったか。叶えられた願いは中途半端だった』
嘆息する白兎。その様子を見て影の彼はおろおろと分かりやすく狼狽し、『自分に何かできることはないか』と言わんばかりに白毛玉へと強い視線を向ける。
彼の視線に何を感じたのか、白兎は影の男に穏やかな優しい目を向ける。

『安心してくれ。君が助け出した彼女が、君が繋いでくれた希望が君の娘を……女神様の忘れ形見を目覚めさせてくれる。
もう君の……私達の役割はここで終わりだ。後は今を生きる者達に託そう』
『ーーーー。ーーーー』
『ああ、安心してくれ。君の君の娘は責任をセーフティゾーンに連れていく。助け出した娘も地上へと送り届けよう。
不浄の地に二人をずっと置いていくのは、君の本意ではないだろう?』

当人にしかわからない会話がなされた後、白兎の周囲に光が集う。そして白と黒の姫と共に自分の魂と身体が白兎と共に天へと昇り始める。

『ーーー、ーーー?』
『君の一族の子孫……ああ、春姫か。彼女は歴代最高の『神楽』だったよ。それこそ、逃避のために人柱となった君を超えるくらいは、ね』
言葉を聞いて安心したのか。影の男が醸し出す悲愴な雰囲気がほんの少しだけ和らいだ。同時に彼の実体が徐々に薄れていく。

『さよなら、神楽春陽。あちらでいのりと再会できたらよろしくと伝えて。もう大人なんだから喧嘩しちゃダメだよ』
ふ、と影の男ーー神楽春陽から安堵の息が漏れる。薄れていく黒い身体が白に反転し、光の粒子に変わる。
彼の残滓は天へと昇っていく。光に続いていくように白兎も自分達を引き連れて『ナニカ』が巣食う深淵から離れていく。
切り離された魂と身体が結びついていく。重なり合う寸前、白い少女達の姿が目に入る。
ーーー微睡む。意識が淀み始める。現世へと還っていく。

251山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:44:34 ID:U6P2q54E0
「ん……うぅ……ここは……?」
固い床の冷たい感触で目を覚ます。辺りを見渡すと真っ先に目に入ったのは並んだ座席の数々。
窓は開けられ、生ぬるい風が肌を撫で思わず身震いする。ここに来たのは遠い昔のように感じられるが、実際には一時間ほど前にいた場所。
虎尾茶子が運転していた、マイクロバスの中。

『目が覚めたかい?』
不意に聞こえたのは女性の声。異空間の中で女王の魔の手から救い出し、落ちた先でも再びアニカを救ってくれた存在。
声の主を少女ーー天宝寺アニカは知っていた。

「Ms.Rabbit……!?」
『ああ、私だよ』

驚きの声を上げるアニカに白兎は親しみやすさを込めた優しい声を返す。
聞きたいことは山ほどある。なぜここにいるのか。自分と一緒に戦ってくれたMs.ハルはどうなったのか。
そして、鬼と戦っていた哉太はどうなったのか。
言葉を発する前に白兎が焦燥を顔に浮かべたアニカを宥めるように言葉を先取りする。

『落ち着いてくれ。私は聖徳太子ではないんだ。矢継ぎ早に質問されても同時に返答するのは無理だ』
「でも……」
『物事には順序というものがある。頼むから落ち着いてくれ。質問には必ず答えるからさ。
祀り上げられたとはいえ、真実を求める探偵なのだろう?いつも冷静な君らしくない』

「探偵」というキラーワードを使われ、年相応の少女は押し黙る。
オーディエンスが落ち着いたのを見計らい、白兎は冷静な眼差しに戻った探偵を見据える。

『結論から話そう。私は女王から願望器を簒奪し、御守りの力を使って願いを叶えた。
一つ目は「女王の身体から脱出し受肉しろ」。だが、無理やり摘出したのがまずかった。
そのお陰で願望器は半壊してしまった。あと一つの御守りを使えば、大きな願いは叶えられるが願望器は失われる。
……そうだね。願望器の事も話そうか。魔王の生み出した願望器は、壊すのはすごく簡単に叶えられるけど修復する願いを叶えるのは難しいんだ。
だから……いや、これは後で話そう。
それから御守りの事だね。これは私と望の力が込められたマジックアイテム。因果を捻じ曲げる力が込められたプラチナチケットみたいなものさ。
それを願望器にくべて願いを無理やり叶えさせた。それが原因で半壊してしまったんだ。万能に思える願望器でも綻びはあるわけさ。
例えば女王の事。奴は余りにも大きな力を手にした。だから、例えもう一つの御守りの力を使っても完全に消滅させることは不可能だ。
それから二つ目の願い。それは時空の狭間にほとんどの力を落としてきてしまった神稚児ーー「神楽うさぎの蘇生」。
御守りの力だけではなく、私自身という概念もくべて願いを願いを叶えさせようとした。
蘇らせるのは本物の神様だ。リソースは御守りだけでは足りない。地球と私の故郷を繋ぐ世界に神楽うさぎの本来の力が漂っていたから本来の機能を超えた願いを叶えられると踏んだのさ。
……結果は半分成功で、半分失敗といったところかな。因果を捻じ曲げて完全消滅した神楽うさぎの魂と肉体は無事再生した。……再生した、だけだ。
彼女は捻じ曲げられた力で時空の狭間に落としてきた本来の力を辿り、魔力器官の存在する「人間」へと転生した。君達と同じ、寿命80年ほどの存在にね。
だけど、彼女の本来の名前で叶えられていないから、仮で願いを叶えた形になり、「神楽うさぎ」はまだ、眠りについている。
……仮初の願いの猶予期間は凡そ二時間。それまでに願いを正確なものにしなければ「神楽うさぎ」の肉体と魂は再び消滅するだろう。
魔王と女神様……彼らの混血であり、厄災の底に眠っていた運命そのものを変える希望は潰えてしまう。
それに、私自身の存在維持ももう長くはない。もう一つのプラチナチケットの行方も探れない程に弱くなってしまった。彼女の降臨を待たずにして存在ごと消滅するだろう。
一度叶えてしまった願いのキャンセルは不可能だ。願望器が喪失しようともその結果は残り続ける。
女王が願望器とプラチナチケットを手にするか。願いがかなえられず、神楽うさぎが消滅するのか。それとも君達が最後の希望を手にするのか。その三択だ。
ーーーー君達に、世界の命運は託された』

252山折の祈り ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:44:56 ID:U6P2q54E0
【E-3/草原・マイクロバス内/一日目・夜中】

【天宝寺 アニカ】
[状態]:異能理解済、衣服の破損(貫通痕数カ所)、疲労(極大)、精神疲労(大)、悲しみ(大)、虎尾茶子への疑念(大)、強い決意、生命力増加(高魔力体質)、眷属化(小)
[道具]:金田一勝子の遺髪、白兎
[方針]
基本.このZombie panicを解決してみせるわ!
1.与えられたHappy endなんか認めない。運命を切り開いて、私達のTrue endを切り開いて見せるわ。
2.Ms.Rabbitと一緒に真実と運命を変える『カグラウサギ』のTrue Nameを推理しなくちゃ!
3.まずはMs.RabbitからHearingをしましょうか。
[備考]
※虎尾茶子と情報交換し、クマカイや薩摩圭介の情報を得ました。
※虎尾茶子が未来人類発展研究所関係者であると確認しました。
※リンの異能を理解したことにより、彼女の異能による影響を受けなくなりました。
※広場裏の管理事務所が資材管理棟、山折総合診療所が第一実験棟に通じていることを把握しました。
※犬山はすみが全生命力をアニカに注いだことで高魔力体質となりました。
※『神楽うさぎ』の存在を視認しました。
※厄溜まりにて神楽春陽の魂と接触しました。
※白兎が御守りを用いて願望器を使用したことにより時空の狭間に神楽うさぎの肉体と魂が蘇生されました。
※白兎の願いは蘇生先の真名不明のまま叶えられたため、2時間後に無効になり神楽うさぎの肉体と魂は消滅します。誰かが彼女の真名を答えることで願いが受諾され、神楽うさぎは蘇生されます。
※願望器は無理に女王から摘出されたことにより半壊し、白兎の御守りを使って願いを叶えれば消滅します。
※白兎は2時間経過後に消滅します。願望器でも蘇生は不可能です。
※神楽うさぎが魔王の娘であることを認識しました。

253 ◆drDspUGTV6:2024/06/08(土) 20:45:45 ID:U6P2q54E0
投下終了です。
期限超過に加え度重なるルール違反、大変申し訳ございませんでした。

254 ◆H3bky6/SCY:2024/06/09(日) 19:22:52 ID:mJlh4.pA0
投下乙です

>遍くデストルドー
>ラスト・エンペラー
>山折の祈り

ついに、女王との最終決戦も佳境か
全員が覚悟の決めて死力を尽くしている
ここまでの村での激戦の経験からか戦闘巧者のような動きをしておる
魔法に異能にモンスターが飛び交い、完全に日本の片田舎の光景ではない

主人亡き後の十二支たちが八面六臂の大活躍、特に白兎君はキャラクターと変わらん活躍をしておる
とは言え命を賭した特攻部隊で次々と命が散ってゆく、彼らの犠牲がなければ村人側は全滅していた場面も多いね

村の歴史に登場するのは隠山、神楽ばかりで今の村のトップ山折家の存在が謎だったけれど、ついにその由来が明かされた
と言うか、この村の異名が多すぎる、いろいろちゃんと歴史を伝えろ

何度も共闘して喧嘩別れしてきた圭介と哉太の2人
ゾンビ化した哉太を圭介が操る、最後の共闘がこんな形になろうとは
いろいろ迷走した圭ちゃんだけど、最期はみんなのリーダーとして恥じない行動だった
最後はいつものお別れ概念空間で親友同士和解できてよかったね

大田原さん、理性を失ってからも強敵だったけど、最後まで女王の傀儡のまま死んでいったのは哀れ
小田巻と天くんは切れていいよ

あれほど唯我独尊だった春姫ですら心が折れる村の歴史、村に誇りがあるからこそ真正面からダメージを受けてしまったか
その挫折からの再起は真の女王の風格だった

女王に悪辣な言動が目立つのは取り込んだ魔王の影響か
多くの犠牲は払ったけど女王もかなり力は削がれて、希望は繋がったのか?
後は願望機の顛末がどうなるのか、いよいよクライマックスか

255 ◆H3bky6/SCY:2024/06/10(月) 22:46:59 ID:lN7peP3c0
【オリロワZに関する重要なお知らせ】

お世話になっております。オリロワZ企画主の◆H3bky6/SCYで御座います。
本企画の今後の展開につきまして熟考しましたところ、後2,3話で完結可能であるという結論に至りました。
つきましては、現時点で予約を凍結し企画主による最終章の執筆にとりかかりたいと考えております。

これまで作品を投下して下さった書き手の皆様。
ここまでお付き合いいただきました読者の皆様。
ここまでだどりつけたのは皆様方のおかげです。ありがとうございました。

とは言え、まだ話の具体的な内容までは決まっておらず、ざっくりとした方向性が決まった程度ですので、実際の執筆作業に着手できる段階には至っておりません。
投下の予定については目途が立ち次第、改めてお知らせさせて頂きたいと考えております。

それでは、最後までオリロワZをよろしくお願いします。

256 ◆H3bky6/SCY:2024/06/16(日) 18:08:39 ID:pccOThqI0
お世話になっております。
オリロワZの最終回に関して、ようやくプロットが固まりましたのでこれより執筆に入っていく予定です。
執筆には現在の予約期間である3週間の期間を頂きたいと考えており。

07/08(月) 00:00:00

ごろを目途に最終回(前編)を投稿する予定です。
よろしくお願います。

257 ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:00:32 ID:3pow9O3Q0
お待たせいたしました。
これより最終回(前編)の投下を開始します。

258Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:01:37 ID:3pow9O3Q0
中部地方に発生した未曽有の大地震から丸1日が経過しようとしていた。

生物災害に端を発した山折村というひとつの小さな村をめぐる騒動は、いつの間にか世界を揺るがす事態へと発展していた。

この物語の『A(始まり)』はいつからだろう?

山折村に生物災害が発生した瞬間からか。

地球から16光年離れた超新星が爆発した瞬間か。

日本軍が『マルタ実験』により召喚(よ)んではならないものを召喚んだ瞬間か。

二柱のイヌヤマイノリが災厄として村に刻まれた瞬間か。

それとも、この隠された地を盗賊の長が占拠した瞬間からか。

あるいは、それよりももっと前。

人が人として生れ落ちた瞬間からか。

だが、始まったものはいつか必ず終わる。

それが世の理である。

永遠などこの世のどこにも存在しない。

そんなものは夢想の中にあるだけだ。

全ては『Z(終わり)』に向かって収束する。

泥の中を足掻くたび人の手は汚れ。

小さな手は藻掻くたびに何かを取りこぼす。

だが、それでも。

よりよい未来に向けて足掻き続ける事は、決して間違いではない。

人間の生は短く、短い人生の中でよりよき終わりに向かって足掻き続けるしかない。

薄汚れた人の手は、何を成すのか。

足掻き続けた人の手は、何を救うのか。

世界を救うなんて大それたことは出来ずとも。

どうか、せめて。

これまでの頑張りに見合うだけの。

素晴らしき終わりを。



259Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:02:37 ID:3pow9O3Q0
診療所の裏手に広がる草原は漆黒の闇に包まれていた。
開発の進んだ住宅街とは異なり、草原の周囲に街灯の光は一切存在しない。
安全のため大通り周辺に配置された街灯の光と、遠くの住宅街や診療所から漏れ出す明かりだけがこの周辺を照らす頼りだった。

だが、もはや住宅街に光はない。
地震により都市は機能を停止し、VHにより正常な生活を送る者などいなくなった。
世界は完全なる闇に包まれ、一歩進むことすら躊躇われるほどの暗闇が周囲に広がっていた。

しかし、地上の光が消えれば、天の光は一層輝きを増す。
見上げた夜空には無数の星が散りばめられ、まるで宝石箱をひっくり返したかのようである。
美しい星々と月の明かりだけが大地を照らし、露に濡れる草原を銀色に輝かせていた。
その光は新たなる生命の誕生を祝福しているようだった。

そんな星々に彩られた暗闇の中を一人の少女が歩いていた。
上機嫌に跳ねるような足取りで少女が大地を踏みしめる。
そのたびに、草が微かに揺れて音を立てる。
静寂に包まれた世界で響く音はそれだけであり、周囲からは動物の声一つしなかった。
まるで死んだように沈黙する村。生命の気配がこの村からは消え去っていた。

だが、彼女にとっては違う。
自らの髪をそっと撫でる冷たい風を、少女は愛でるような視線で見つめた。
空気中に漂う目に見えぬ微生物こそ彼女の同胞。

彼女こそが山折村に蔓延するウイルスの女王。
一連の騒動の全ての中心であり、全ての感染者が探し求め、全ての研究者が追い求めた存在である。

満天の星空の下、新たに生を受けた女王は草原を歩んでいた。
『空中浮遊』の術式を厄によって剥奪されたため徒歩で移動せねばならぬのが面倒だ。
細菌だった頃は風に乗ってどこまでも行けたものだが、不便なものである。

この面倒は忌々しき白兎どもによるものだ。
奴らの奸計により飛行能力だけでなく、女王の中にあった『願望機』と厄を操る『魔王の娘』の力が失われてしまった。
彼女の中に残された力は『魔王』と『女王』としての力のみである。

だが、何の問題もない。
『女王』の力は進化を重ね、第二段階へと至り『魂』を得た。
細菌は知能と魂を得て、一つの生命体として確立されたのだ。
この力一つでも、世界を革命するには十分である。

女王の目的は同族たる[HEウイルス]の繁栄。
次代に命を繋ぎ、種を繁栄させて生命圏を拡大する。
命を得た女王を突き動かすのはそんな生命として当然の本能だ。

故にこそ、女王としても世界が滅ぶのは困る。
人間がどうなろうと知ったことではないが、同胞たる細菌のために世界の滅びは回避せねばならない。

始めは研究所のやり方に乗ってやるもの悪くないと考えていた。
全人類に細菌を感染させる研究所のやり方は、[HEウイルス]の繁栄を望む女王の目的と合致していたからだ。

だが、考えが変わった。
研究所と女王の思惑は根本のところで違う。

研究所はあくまで人類を未来に発展させるために計画を実行している。
当然だが、[HEウイルス]はそのために開発した道具としてしか見ていない。

逆もまた然りである。
女王の目的は[HEウイルス]の発展であり、人類の存続ではない。
人類はあくまで細菌を感染させる乗り物として必要なだけであり、彼らの意志など必要としていない。

要するに、主導権がどちらにあるかと言う話だ。
やれやれと女王は首を振る。

260Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:03:05 ID:3pow9O3Q0
「やはり、人間はダメだな」

それはこの山折村を見れば明らかだ。
幾度ループを繰り返しても同じ、同族で恨みあい、呪いあい、殺しあう。
血塗られた村の歴史が証明している。
人間は誰も彼もが愚かしい。

細菌の間ではそのような醜い争いは起きない。
女王の下に意志は一つに統合され、完璧なる秩序が保たれる。
星の主導権は細菌が握るべきだ。

そのための女王の『Z計画』。
今の女王の力であれば研究所の思惑に乗るまでもなく、より完璧な計画を実行できる。

その手始めとして、『願望機』によって厄となった者たちを新たな『巣くうもの』として村の外へと解き放った。
対象となったのは研究所への、終里元への反意の証を示すため、59人の終里元の子供達。
彼らは新たな女王として[HEウイルス]をバラまき新たな山折村を築くだろう。

「仲良くやろうじゃないか兄弟たち」

[HEウイルス]も終里より生み出された終里の子と言えよう。
願望機が女王の手から失われようとも[HEウイルス]同士のつながりは生きている。
全ての女王に対する絶対命令権は末の娘たるこの始まりの女王の手にあり続ける。
新たな世界の支配者として女王を統べる女帝として立つ事になるだろう。

計画は35分前に実行済みだ。
終里の子を起点として、既にウイルスの拡散は始まっている。
新たな女王の周囲にいる人間は[HEウイルス]に感染しているだろう。
後はウイルスの発症を待つばかりだ。

日が変わるころには、世界は変わる。
発症してしまえば人間は細菌の支配に落ちるのだ。
今こうして女王に操られる日野珠のように。

第二段階として覚醒した女王の力ならそれができる。
今や支配下の細菌たちの発症率や覚醒段階すら自由自在だ。
与えられた正常感染率はたったの1%。この山折村以上の阿鼻叫喚が目に見えるようだ。

胸のすく思いだ。
細菌を自分の都合で生み出し、改造し、利用する。
そんな安全圏で支配者を気取る愚者たちは思い知るだろう。
この星の新たな支配者は誰なのか。

今夜を契機に世界が変わる。

全ての生命は細菌を運ぶ乗り物となるだろう。
人は細菌に支配され、人は種を存続できる。共存関係という奴だ。
ガンマ線バーストにより死滅しようとも[HEウイルス]に感染している限りその魂は女王の管理下に置かれる。
どのような形であれ人類は新たな形をもって存続できるだろう、女王の創る理想郷――『Zの世界』で。
そこには永遠がある。

子供じみた理想を夢見る少女のように。
躍るように、謡うように、生まれたばかりの女王は草原を行く。



261Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:03:26 ID:3pow9O3Q0
山折村より南西に僅かに離れた山奥に、作戦司令部は設置されていた。
周囲に存在を知らせぬよう最低限のライトで照らされた深夜の山中は、慌ただしい空気に満ちていた。
簡易テント内には無数のモニターが並び、多くのオペレーターがそれぞれの端末で状況確認を行っている。
迷彩色の防護服に身を包んだ隊員たちがせわしなく動き回る中、臨時司令である真田副長が現場の指揮を執っていた。

「状況の確認急いでください。有事の場合に備えて防護服と人材の手配を。
 他の部隊に協力を仰ぐことになっても構いません、最悪の事態に備えて動いてください」

真田は周囲の隊員に指示を出し、事実確認を急がせた。
指示を受けた隊員たちは迅速に動き出し、無線機で外部に問い合わせを続けた。
伝令役の隊員が監視モニターの状態を報告するために、足早にテント内を駆け抜ける。

対山折村生物災害臨時司令部の設置からもうじき1日が立とうとしていた。
司令部の設置直後は設備設置や状況把握で慌ただしかったが、監視網が安定してからはそれなりに落ち着いた部隊運用がなされていた。
その臨時司令部が突如として蜂の巣をつついたような大騒ぎになったのは、上空を飛ぶ女王の発言に端を発している。

監視ドローンには地上の音声を集音できるほどの性能はないが、宙を舞う日野珠の姿をした女王は上空のドローンに直接発言を記録させたのだ。
彼女の口から語られた衝撃的な告白――未来人類発展研究所所長の子を媒介とした村外への感染拡大。
これはテロ予告どころの話ではない、明確な挑発と宣戦布告だった。

「研究所の所属リストから終里所長の子息をピックアップしました。
 八王子本部に19名、静岡支部に11名、青森支部に3名、富山支部に1名、外部の関連施設・研究所に12名。計46名。
 残りの13名に関しては研究所の関連施設所属ではないようです。引き続き調査を続けております」
「了解しました。46名の現在位置と残り13名の把握を急いでください」

まずは発言の裏取りと状況確認が先決だった。
この場にはテロリストの発言を鵜呑みにする人間は一人もいないが、それを虚言だと切り捨てるバカも一人もいない。
真実である可能性と、混乱をもたらすための虚言である可能性の両方を考慮して動く必要がある。
事実であった場合、今日が世界崩壊の前夜となるのだから。

「女王の発言の裏取りを続けながら、村内で活動中のforget-me-notの支援を続けます。
 引き続きドローンで村内の監視を、3台は女王の監視につけてください」
「了解!」

頭の指示に従い、迷いなく手足たる隊員たちが動く。
無線機からは隊員同士の連絡が飛び交い、モニターには村内の状況が映し出される。
人員は慌ただしく入り乱れているが、指揮系統は乱れることなく現場の統率は取れていた。
それは臨時司令を任された真田の手腕もあるだろうが、それ以前にこれは彼らにとっての日常に過ぎない。

世界の滅びを前にしても、彼らのなすべきことに変わりはない。
なぜなら、大小はあれど世界の滅びに即することなどSSOGの通常業務だからだ。
誰一人絶望せず、さりとて楽観的でもなく、それぞれが正しい意味での適当な仕事をこなすだけだ。

世界の片隅、誰も知らぬ山奥の一角で、彼らは全力を尽くしている。
世界を救うという意思を持ったひとつの生き物のように。



262Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:04:07 ID:3pow9O3Q0
東京、八王子。未来人類発展研究所本部。
その応接室は研究所と秘密特殊部隊の首脳陣の集う重要拠点となっている。
そんな重要拠点もまた女王から受けた宣戦布告によって混乱に包まれていた。

「長谷川くぅん! 是非トもキミの体を調べさせてほしいナァ!!」
「セクハラです。博士」

と言うより老人が一人暴走していた。
老研究者は指をワキワキと動かしながらうら若き女研究者に迫り、女研究員は資料の束を盾に老研究者を押しのけていた。
下卑た笑いを見せるが、それは性欲ではなく純粋な知識欲から来たものである。

女王の掲げる、世界中にウイルスをばら撒き新たな山折村を築く計画。
その中継地点として新たな女王として選ばれたのは終里の子。
つまり、この応接室にいる女研究員――――長谷川真琴もその一人だ。

「それで? 実際の所どんな感覚だ? 真琴。何か変化はあるのか?」

問いを投げたのは上座に座る恰幅のいい男だった。
不敵な笑みを浮かべるこの男こそが所長たる終里元である。
終里の投げかけた問いに、その血を引く娘が返答する。

「今の所は何かにとりつかれたような感覚はりませんね。自覚できる範囲では、ですが。
 ただ、自覚できる変化も一つあります」
「なんだ?」
「異能が使えなくなりました」
「ほぅ」

言って、長谷川が指をさして座標を指定するが、その言葉の通り異能が発動することはなかった。
長谷川に限らず、研究所に属する終里の子らの多くは感染力を持たない[HEウイスル]の感染者である。
既に感染している以上、通常であれば新たな感染源にはなりえないはずなのだが。

「お前の感染状況はリセットされたという事だな。感染力のあるウイルスを新たに感染させるために」
「素晴らしぃネェ!! ソコまで感染状況を操れるのカ。流石はZ感染者、イヤ女王と呼ぶべきカナァ?」

研究所の長は感心したように声を漏らし、副所長は手を打って歓喜に震えていた。
相変わらずの様子の研究者たちと異なり、軍服を着た男――奥津一真はただですら厳めしい表情をさらに厳しくしながら問うた。

「つまり、長谷川さんは感染力を持つ[HEウイルス]の感染者となり、既に感染拡大は始まっている、と?」
「そのようだ。まぁ俺が感染することはないだろうが、百之助辺りはポックリ逝ってもおかしくはないかもしれんなぁ?」
「嬉しぃネェ。細菌に殺されて天寿を全うできるナラ夢のようだヨ」
「そのような事を言っている場合ですか!」

冗談めかした笑いあう老人二人を奥津が怒声で窘める。
眼に見える変化はないが、長谷川はホストとして細菌を周囲にまき散らしているのだろう。

「おっと、隊長殿はご愁傷さまだったな」
「そういう事を言っているのでもありません」

奥津は自身の感染に対して怒りを発しているのではない。
この職に就いた時から命など捨てている。

奥津が憤慨しているのは状況が全てを救えという約束を違えようとしていることだ。
山折村の村内で封じ込められていた[HEウイルス]が漏れ出し村外への被害拡大は最悪のケースだ。

263Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:04:50 ID:3pow9O3Q0
「……ご子息たちの所在は?」
「大抵は研究所か関連施設の勤めだな、支部に散り散りではあるのだが。
 だが研究職でないモノも何人かはいるな。あとは数名海外に散らばっている」
「何という事だ…………」

絶望的な状況に奥津が眉間の皺を深くさせる。
感染拡大を防ぐ壁に囲まれた山折村の様な都合のいい地形は存在しない。
一度感染が広がれば、その被害はあっという間に世界中に広まるだろう。

しかも、正常感染率の低いウイルスが、だ。
そんなことになれば宇宙線の到達を待つまでもなく、それこそ世界の終わりである。

だが、目の前に見える世界の終わりを前にしても。
研究者たちは慌てることなく、いつも通りの様子を崩さなかった。
奥津も世界崩壊の前夜には慣れているが、彼らの余裕は意味合いが違ってそうだ。

「何か具体的な方策がお有りなので?」

下手な意見であれば叩き潰す。
そう言わんばかりの圧力を込めて奥津が問う。
終里はその圧を気にした風でもなく、変わらぬ調子で足を組み替えながら答える。

「慌てるまでもない。初期発症まではしばしの時間かかる。少なくとも日が変わるまでは猶予があるだろう」

確かに山折村のケースでも地震の発生から住民の発症まではラグがあった。
そのケースを参考にするに、日付が変わるまでは発症の猶予はあるだろう。

と言っても猶予は僅か。
その上、潜伏期であるだけで既に感染拡大始まっている。
日が変わるまでに、すべてを解決せねばならない。

「そのわずかな猶予で解決できると?」
「問題はなかろう。解決するだけなら簡単な話だ」

あっさりと終里が言う。
怪訝そうな奥津の顔がおかしかったのかくくっと笑って、ここにはいない元凶へと語りかける。

自らの業が世界滅ぼそうとしている一番暗い夜明け前。
世界救済を謡う組織の長は楽しそうに口元に笑みを浮かべた。


「想定が甘いぞ我が娘。貴様は本質的な意味で理解できていない――――人の業という物を」




264Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:06:03 ID:3pow9O3Q0
秘密特殊作戦群(Secret Special Operations Group)

日本の自衛隊に存在する『存在しない部隊』である。
その部隊は表舞台に登場しない影の存在だ。
国家の安全と利益を守るため表には出せない数々の任務を遂行してきた。

隊員は厳しい訓練を経て選び抜かれたエリート中のエリートで構成されており。
高度な戦術、偵察、情報収集、暗号解読、そして白兵戦に至るまで、あらゆる状況に対応できる万能なスキルを持っている。
任務の一例として、テロリストの殲滅、要人救出、諜報活動、サイバー戦争への対応、そして国際的な極秘作戦への参加などが挙げられる。

その任務は多岐にわたるが共通している点がひとつだけある。
彼らの活動は常に極秘裏に行われ、その活躍が人々に知られることは決してないという事だ。
それでもSSOGがこれまで幾度となく日本を未曾有の危機から救ってきたのは確かな事実である。
彼らの存在は日本の安全保障における最後の砦であり、その影の努力があってこそ今日の平和が守られているのである。

誰も知られることない影の部隊。
名誉や賞賛ではなく、世界を救い続ける事こそが彼らの報酬。
どんなに困難な任務であろうとも、SSOGはその使命を果たし祖国の平和と繁栄を守り続ける。
そして、この小さな田舎町、山折村でもまたSSOGは世界の危機に立ち向かう事になっていた。

女王による宣戦布告。[HEウイルス]の感染拡大。
事態は国家存亡を超えた世界存亡に関わる未曽有の危機にまで発展していた。
これに立ち向かうは山折村に放たれた実行部隊における残された最後の兵士、乃木平天。
口こそ挟まなかったが、彼もこの状況を司令部と繋がったままの通信から聞き及んでいた。

目の前に迫る世界崩壊の危機。
己がその行く先を左右する天秤の上にいる。
1日前の天であれば間違いなく取り乱していただろう。
だが、今の天は不思議と恐怖も重圧も感じなかった。

何故なら、明日世界が滅ぼうとも、天の成すことは変わらないのだから。
ならば取り乱したところで何が変わる訳でもない。
感覚が麻痺していしまったのか、それともただの開き直りなのか。
天の精神はそういう境地に達していた。

別の問題があるのなら、それは隊長や司令部で動いている副長たちが対処するだろう。
それこそが単独ではない部隊の強み。
視野狭窄による思考放棄とは違う、高い視座より俯瞰した思考の先鋭化だ。
己のなすべきことは与えられた任務をこなすだけである。

聞き及んで話によれば女王を殺したところで感染拡大は止まらないという話だが。
それでも天のやることは変わらない。女王の暗殺。成すべきことを成すだけだ。

天は今、個人が運用できる最強の兵器を手にしている。
それは人の生み出した破壊の極致。ビル一棟を一撃で破壊する超兵器ロケットランチャー。
一発限りの限定品だが、直撃すればどのような怪物であろうとも一撃で撃破できるだろう。

災厄に魔王に女王。人外魔境と化したこの地においては十分な備えであるのだが。
ロケットランチャーは一人を殺すにはあまりも過剰火力である。人型の女王に打ち込めば恐らく肉片も残るまい。
女王の死体回収は正式な任務ではないとはいえ、今後の研究所との関係性を考えれば達成するに越したことはない努力目標である。
使いどころは慎重に考えねばならない。

いざとなれば、女王の守護者に墜ちた大田原に放つ覚悟であったが、幸か不幸かその覚悟は必要なくなった。
ドローンの映像により大田原の死亡が確認された。
天も眼前に表示される監視網からその瞬間を目撃している。

日本国最強の守護者があのような形で失われたのは悲劇だが。
天がその役割を受け継ぎ、この国を守護する。
その覚悟が今の天には備わっていた。

ひとまず、女王斬首に関しては継続。
問題はもう一つの任務だ。

265Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:06:18 ID:3pow9O3Q0
「司令部。お忙しいところ恐縮ですが。進言よろしいでしょうか?」
『問題ありません。どのような要件でしょう?』

天が司令部へと呼び掛けた。
その裏では隊員たちの慌ただしい様子が途切れることなく聞こえてくる。
その忙しさを億尾にも出さず真田は天へと対応した。

「女王斬首任務は引き続き継続中です。
 ですがもう一方の作戦に関しては、作戦目標の死亡が確認されたためプランの修正が必要であると愚考します。
 作戦を具申させていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
『伺います』

天を舞うドローンの監視網により、村の重鎮である山折家、神楽家の嫡子たちの死亡が確認された。
彼らを経由して情報を拡散する天のプランは潰えた。
別の方法を提示する必要がある。
天は司令部に対して次のプランに関しての提案を始めた。

「…………と、言う作戦なのですが、いかがでしょうか?」
『そうですね……隊長の判断を仰ぐ必要はあると思いますが、問題ないかと。
 人員を手配しておきます。すぐに動けるようポイントに待機させますので実行のタイミングはお任せします』
「感謝します」

司令部への作戦の申請は通った。
とりあえずこれで情報漏洩の保険は手配できた。
後は女王の斬首に集中するだけである。



266Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:06:51 ID:3pow9O3Q0
ズル……ズル……。

静寂の包む夜の草原に、何かを引きずるような音が響いていた。
重々しく不規則に刻まれるそれは、右半身を引きずりながら闇の中を歩く何者かの足音だった。

右足を引きずりながら、左でバランスを取るようにして前進する。
女の名は虎雄茶子。

彼女が草原を歩くたびに夜の静寂を破られ、草原にははっきりとした跡が残されていった。
右足が引きずられた跡は深く、彼女の体重がかかるたびに草が踏みつぶされる。
その足跡は、まるで彼女の苦悩が草原に刻まれているようだ。

「…………ハァ……ハァ」

右半身が麻痺したように動かない。
右足のみならず、彼女の右手は力なく垂れ下がっていた。
だが、それとは対照的にその左手にはしっかりと剣が握られていた。
それは剣士としての誇りか、それとも何かに縋りたい気持ちの表れなのか。

彼女の背後に広がるのは底の見えない闇だ。
進む先に見えるのも闇。ゆく当てなどない。全てが闇に包まれている。
愛したはずの山折村の中で、彼女は迷子のように彷徨っていた。

山折村は茶子にとっての全てだ。
彼女を救い、彼女を愛し、彼女を癒し、彼女を創り、彼女を壊した。
人間にとって古郷とはそういうモノだが、彼女の場合は度が過ぎていた。

彼女にはここしかない。
だからこそ彼女はどこにも行けない。
彼女の心は誰よりもこの山折村に捕らわれている。

ただ進まねばならぬという強迫観念に似た焦燥だけが体を動かす。
無理に進もうとして、引きずる足がもつれてバランスを崩した。
無様に倒れそうになったが、傍らの木に肩をぶつけて何とか体制を立て直す。
木に体重を預けたまま、茶子は大きく息を吐いた。

「ふぅ……ふぅ……ッ!」

呼吸を荒くしながら茶子は手にしていた刀を鞘から抜いた。
そしてその刃をろくに動かぬ右手を罰するように手首に宛がう。
日本刀でのリストカット。もちろんそれは自殺のためではない。

この不調は雪菜より体内に流し込まれた酸の血液によるものだ。
治療のためには、それを瀉血させる必要がある。

「ふぅ……………ぐっ!」

歯を食いしばり、茶子は自らの手首を切り裂いた。
手首から血がボタボタと地面に零れ、酸の混じった血液が草木を溶かす。
水たまりの様な赤が広がり、血の気が引いて行くとともに、身を溶かすような灼熱が体外へと吐き出されてゆく。

そして、ある程度瀉血が完了したのを見極めて止血を行う。
死に至らない加減は慣れたものだ。最近は落ち着てきたが精神的に不安定だった頃を思い返す。
身を焼く酸が体内を廻る感覚はなくなったが、スタボロになった血管や神経は元には戻るわけではない。
まだ右半身は麻痺したように動かないが少なくとも、これ以上悪化することないはずだ。

この騒動の始まりに銃キチに肩を撃ち抜かれた時を思い返す。
異能に対する無理解と、銃キチに対する侮りと油断があったのが敗因だ。
あの時の傷は異能で強化された包帯で回復できた。

奪われ、与えられ、また奪われる。
この痛みはまるで彼女の人生を象徴しているようだ。

彼女の人生は強者たちに、大人たちに、男たちに、ずっと食い物にされてきた。
奪われ汚され、尊厳を踏みにじられ続けてきた。
だから、もう負けぬよう、もう奪われぬよう力をつけた。

血の滲むような努力を重ね誰にも負けぬ武力を得た。
付き合いたくもない相手にも媚びて根回しをして人脈と言う力も得た。
全ては力だ。様々な力をつけたはずだったのに、この現状はどうだ?

彼女の手には何も残っていない。
何を失ったのか、それさえもわからない。
穢れない無垢で奇麗な聖少女(アリス)。
守護りたかったはずの過去の自分(リン)を失ったことすらもうよく思い出せずにいた。

267Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:08:32 ID:3pow9O3Q0
茶子の生まれは山折村ではなく、岐阜県の都市部にあるごく一般的な中流家庭だった。
少しだけ不器用で厳しい父に、穏やかで優しい母。大事な一人娘として愛情をもってすくすくと育てられた。
そんなどこにでもある幸福な家族の情景が壊れたのは、皮肉にも少女の誕生日の事だった。

6本のロウソクを立てたケーキを囲んでハッピーバースディを歌う幸せな空間は、突然押し入ってきた強盗達によって無茶苦茶に破壊された。
押し入ってきた強盗に勇敢に立ち向かった父は鉈の様な刃物によって一撃で頭部を割られ、我が子をかばった母はナイフで首を一突きされ死亡した。
目の前で母の死体を辱められながら少女は抵抗する事も出来ず、涙を流しながら恐怖と絶望に震えるしかなかった。

そして少女は両親を殺した犯人たちに拉致され『怖い家』へ売り飛ばされた。
それは朝景礼治の取り仕切る少女性愛者に向けた売春組織の前身となる組織であり、少女は『怖い家』で白く純粋で無垢な少女(アリス)として育てられた。

そこで行われた『調教』は想像を絶する過酷な物であった。
繰り返し行われる暴力と凌辱は、人としての尊厳を徹底的に破壊した。
それはそれまでごく当たり前の生活をしていた少女に耐えきれるものではなかった。
故に少女は心が死ぬ前に自ら心を殺した。殺される前に自殺した。生きて生き残るために。

大人たちの感情の機微を見極め、取り入る術を身に着けた。
大人たちに媚びるように望まれる振る舞いをして、従順な子供を演じた。
抵抗しなくなったら暴力が減った。全てを受け入れたら辛くもなくなった。

そうして信頼を勝ち取る事こそが少女の生存戦略。
どうしようもない人間への嫌悪と人心の掌握に長ける今の茶子はこの経験から来ているところが大きいだろう。
そうして2年間の奉仕と凌辱の日々を乗り切った少女は8歳の誕生日に『ご褒美』として、2年ぶりの外出を許された。

2年ぶりの外の世界への脱出。
その機会を得た少女は、調教師の一瞬の隙を突いて逃げ出した。
やせ細った足で一目散に草原を駆け、背中に感じる怒声を振り切り、追っ手たちを巻くべく深い山森へと逃げ込んだ。

胸が張り裂けそうなほど息が切れ、冷たい汗が背中を伝う。
木々の影が不気味に揺れ、彼女の周囲を囲むかのように迫ってくる。
男たちの怒声がいつまでも少女の耳にこびりつき、追手の足音が常に背後に迫ってくる錯覚に囚われる。
足元には鋭い枝や小石が転がり走るたび素足に幾つもの傷が出来る。
それでも止まれば捕まるという恐怖に追われ、何度もつまずきそうになりながらも振り返ることなく走り続けた。

どこへ行けば助かるのか、誰に助けを求めればいいのか分からないまま、野草や昆虫を食べ、泥水で喉を潤す日々が続いた。
しかし、過酷な凌辱生活を受けた少女の体力は低く、たった数日の逃亡生活で衰弱は限界を迎えようとしていた。
朦朧とした意識で気づけば山を越え野に下りていた、もはやこれまでかと意識が途切れた所で、奇跡的に土地の所有者である虎尾夫妻に拾われた。
それが虎尾茶子の始まりである。

虎尾夫妻は少女を新しい家族として温かく迎え入れた。
夫妻のみならず村の人々も傷ついた少女を村の一員として優しく受け入れてくれた。
都会の喧騒から離れた広大な自然はここに居ていいのだと少女を包み込んだ。
少しずつ立ち直った少女は八柳道場で八柳哉太や浅葱碧と共に剣術を学び、多くの友を得る。

心の壊れた少女を癒す黄金の日々。
全てを失った少女の心は、失ったものを取り戻すように山折村に心身ともに満たされて行く。
自らをあの地獄から救ってくれた山折村に少女は計り知れない感謝を抱いていた。
この感謝を返すことこそが、自分の生きる意味だと少女はそう信じてやまなかった。

だが、その想いは他ならぬ彼女の師である藤次郎によって裏切られた。
藤次郎は山折村の禁忌を秘するために、口止めの贄として茶子を木更津組のヤクザ共に捧げたのだ。
ヤクザに拉致された茶子は乱暴を受け慰み物にされ汚された。
嘗ての心的外傷を呼び起こす出来事は、少女が愛と絆で少しずつ修復していた心の器を完全に破壊した。

胸元を隠すように破れたセーラー服を握り絞めながら、赤くなった素足で濡れた草原を歩く。
赤く腫れた瞳に映るのは汚泥の様な黒い光。
雪解雨に打たれながら少女は知る。

268Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:08:54 ID:3pow9O3Q0
彼女が愛した山折村はどうしようもなく穢れていた。
茶子を凌辱するヤクザどもが軽口を滑らせた。
茶子を捕らえていた『怖い家』は山折村の外れにあることを知った。

あの日、逃げ込んだ山を越えてその先にたどり着いたと思っていた山折村(ばしょ)は楽園ではなかった。
よく考えれば当然の事だ、弱り切った子供の足で山越えなどできるはずもない。
辿り着いた楽園は元居た地獄に戻っただけだった。

美しき山折村の姿は幻想でしかなかったのだ。
この村には悪鬼羅刹が栄えており、その腐敗は村の根元に食い込むように蔓延っている。

己を壊し穢し山折村が憎い。
己を救い癒した山折村が愛おしい。
ただ恨むだけならよかった。
ただ愛せたならどれだけよかったか。
山折村への愛憎と執着、相反するその感情は茶子を焦がした。

だから、茶子は決意した。
村に蔓延る悪性、子供を食い物にする悪鬼どもを排除する。
そして何年かかっても理想の山折村を作り上げて見せる。
憎悪を消し去れば、愛だけが残るはずだ。

そんな子供じみた少女の夢。
それが虎尾茶子の人生の目標(すべて)となった。

そのために力が必要だった。
武力だけではなく、情報やコネ。全てを利用する力が。
その力を得るため研究所にも取り入った。

その気持ちは今でも変わらない。
バイオハザードを経ようとも、さらなる深い村の闇を知ろうとも。
継ぎ接ぎだらけの歪な心はもはや別の形には変えることはできない。

「…………哉くん」

縋るように少年の名を呼ぶ。
その先にある救いを求めるように、光を求めて闇の中を進んで行く。
何もかもを失った彼女に残された唯一の心の拠り所。手のひらに残った黄金の日々の一欠けら。
空っぽの心は拠り所を求めている。

男に汚され男に奪われそれでもなお男に縋る弱さ。
後付けの強さを鎧のように、刃のように纏っても。
何もなくなれば一人では立っていられない、弱い女だった。

だが、その進む先に何の確証も、何の心当たりもない。
闇の中、一人ぽつんと残される。

「…………?」

ふと、闇の中に淡い光が浮かび上がっていることに気づいた。
それは自らのポケットから放たれる光だった。

ポケットを探る。
そこから出てきたのは創から受け取った発信機だ。

見れば、何かを指し示しめすように光点が点滅している。
その光点が指し示すのはエージェント、ハヤブサⅢが持っていたという発信機の位置だ。
だが、彼女は既に死亡したと聞いている。
ならば、今この光が指し示しているのは何者なのか。

その答えを知る前に、茶子の足は光に導かれ進んでいた。
まるで誘蛾灯に惹かれる虫のように。

ズルズル。
右足を引きずったまま進む。
自身の状況すら忘れるほどに無心に進む。

「やぁ。虎尾茶子」

闇の奥から声があった。
その道すがら、中学生ほどの小さな少女に出会う。

億劫そうに顔を上げ、暗い目線を送る。
そこにあったのは同じ村で暮らす、よく知っている顔だ。
日野家の次女。日野珠だ。

だが、違う。
一目でわかった、日野珠ではない。
きっと、その中身は別の何かだ。
茶子は嫌悪と憎悪を込めた声でその名を呼ぶ。

「――――――――女王」



269Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:09:16 ID:3pow9O3Q0
少年、天原創は一人闇の中に立ち尽くす。
吹き抜ける夜の風は温く、汗のにじんだ首筋を通り抜けてゆく。
その足元には凄惨な少女の首なし死体が2つ転がっている。

花のように可憐な少女の顔は溶け落ちた。
露になった頭蓋すら溶解され、無くなった小さな首先からは肉と骨が焼ける不快な臭いを放つ白い煙を上げている。

雪のように凛とした少女は首を落とされ、胴と泣き別れた無残にも生首が地面に転がっている。
首だけになったその顔は狂気に歪んだ表情をしていた。

エージェントである創をしても思わず目をそむけたくなるような絶望が広がる。
誰が悪かったのか。
何が悪かったのか。
明確な答えなどない。

全員が悪く、全員が少しだけボタンを掛け違えた。
ただそれだけの些細なコミュニケーションエラーだった。
本来なら話合いで解決できたはずの、よくある人間同士の不和。
そんな些細なすれ違いが最悪の結果を生んでしまった。

少女たちの亡骸をこのままでは余りにも忍びない。
せめてもの供養にとその場に跪き、首のなくなったリンの体を手を合わせるように整え、雪菜の生首の瞼をそっと閉じさせる。
創にできるのはこれくらいの事しかなかった。

「……………くっ」

悔しさを吐き出すように奥歯をかみしめる。
止められたかもしれない悲劇。
それを前に脳裏に浮かぶのは、少年が全てに絶望した業火に消えゆく赤き原風景。

封じられていた記憶を思い返す。
故郷を焼き尽くした魔王の暴威。
取り戻した記憶の中には少年が『天原創』になる前の家族の記憶も含まれていた。

母が創を生んだのは母が65歳の事だった。
高齢出産などと言う次元ではない、自然出産年齢の世界記録を上回る異常な出産である。
だが、担当した産婆も周囲の人間も、その出産を誰も不自然に思わなかったという。
なにせ還暦を超えた母の外見はどう見ても30代前半、下手をすれば20代に見える若さだったからだ。

母の母、つまりは創の祖母は旧日本軍に協力する研究者の一人だった。
細菌学の権威と呼ばれる高名な研究者の助手をしており、祖母が行っていたのは『細菌による老化の抑制』研究だったらしい。

そこで行われていた『不老不死実験』で研究していた細菌に祖母は実験室で感染していた。
その時点で祖母は母を身ごもっており、未完成ながら不死の菌に感染した母体から生まれたのが創の母だ。
そんな特異な環境で生まれた母は常人の2〜3分の1という成長速度でゆっくりと育つ異様な赤子であったらしい。

終戦と『死者蘇生実験』の成功により祖母の関わっていた『マルタ実験』は解体され。
実験の関係者は降臨した神――魔王によってその大半が殺された。
『死者蘇生実験』の関係者で生き残ったのは赤子である母だけだったと聞いている。

そうして生き延びた母は不審に思われぬよう数年ごとに各地を転々とする生活をしていたらしい。
むしろ母は実験の後遺症に苦しむ被害者だったといえよう。

実験に直接携わっていたのは祖母であり、母は当時生まれたばかりの赤子である。
そんな関係者ともいえない母一人を殺すために、魔王アルシェルは『マルタ実験』の証拠隠滅と称して無関係の村ごと焼き払った。
隠れ潜むように暮らしていた母が、たまたまその時生活していただけの村だ。

証拠隠滅とは名ばかりのただの気まぐれの手慰みでしかない悪意の発散。
何故証拠を隠滅する必要があったのか、何故あのタイミングだったのか。全ては魔王の気まぐれでしかなく。
そんな魔王の気まぐれによって創は生かされ、記憶を封じられた。

燃える村。原始の記憶。吹き抜ける蒼い風。
その赤い悪夢から己を救った蒼の奇跡。
尽きるはずだった命は青葉遥によって助けられた。
その奇跡を忘れない。

270Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:09:29 ID:3pow9O3Q0
全てを失った少年は助けられたその喜びを生きる力にして立ち上がった。
誰かを助けるその存在に憧れた。
だから、その後を追うように脇目もふらず直走った。
厳しい訓練を乗り越え、その才能を認められエージェントになった。

全てを救えればいいと思う。
あの赤い日の絶望を打ち払った蒼のようになりたかった。
けれど人間の手は小さく、理想と現実のしがらみはどこまでも付きまとう。

死と絶望。
現実はどうしようもなく目の前に冷たく広がっている。
創はそれをよく知っていた。
だが、それでも。

「…………まだ終わっちゃいない」

地面を掻いて拳を握り締めた。
多くの物を取りこぼしたが、手の中に一握の砂が残っているならば。

立ち止まってなどいられない。
創はこの地で魔王との個人的な因縁を果たした。
だが、エージェントとしての天原創の役割は終わった訳じゃない。

何もかもを忘れて。
封じられていた記憶も思い出さずに、平穏に生きる道もあった。
だけど、その道を選ばなかった。

全ては自分の決断の先にある。
いつだって自分の決断が未来を創ってきた。
創はそう信じている。

立ち上がらねばならない。
この村を自分の故郷と同じにしてはならない。
そんな悲劇をなくすために、己は銃を取ったのではなかったのか。

女王の始末をつける必要がある。
村内に被害が止まる災厄は放置してもいいが、世界に被害を及ぼしかねない細菌被害は放置できない。
これは他でもない、感染者である創が片付けるべき案件だ。

スヴィアから聞いた11人の生き残り。
分断工作をされたあのマイクロバスに乗っていた創を含む7名とスヴィアを除くと、女王は残りの3名の中に居る。
すなわち候補は、山折圭介、神楽春姫、そして日野珠。
そして茶子の詰問から庇うようなスヴィアの態度から、恐らくは……。

創は心を静めるように目を閉じる。
異空間(ダンジョン)に隔離されたあの時。
出口に立っていた物憂げな少女の顔が瞼の裏に思い返される。

「……すまない哀野さん。借りていく」

創は雪菜の荷物からマチェットとマグライトを抜き取ると、女王との決戦に向けての準備を始めた。
そして首のない雪菜の体から異能により強化された包帯を剥がし右手に巻き付ける。

女王の対応策はスヴィアから聞かされた創の異能による解決案がある。
その方法は女王に死をもたらすと研究所に却下されたと言うが、逆に言えば女王の殺害を厭わなければこの右腕は切り札になりうる。

村人にとって殺しづらい相手ならば、手を汚すのは創の仕事だ。
きっとそのために創はここにいるのだから。



271Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:09:54 ID:3pow9O3Q0
乱雑に路肩に止められた一台のマイクロバス。
その中に一人の少女と一羽の兎がとどまっていた。

少女は天宝寺アニカ。探偵である。
女王によって厄溜まりに落とされた彼女は陰陽師、神楽春陽と白兎によって救い出された。
そして脱出したその先が、どういう訳かまたしてもこのマイクロバスの中だったのである。

脱出を果たしたアニカは転送されたマイクロバスから出ることなく、バスの入口近くの座席に座ったまま難しい顔をして考え込んでいた。
彼女には託された幾つものタスクが存在していた。

どこかに飛んで行った願いを叶える『願望機』。
願望機を発動させる三つ目(さいご)の『御守り』。
『神楽うさぎ』復活のカギとなる失われた彼女の『真名』。

神楽うさぎの肉体が保つ約2時間以内に、この三つを見つけなければならない。
かぐや姫もかくやと言う中々の無理難題である。

だからと言って時間がないと言ってもむやみに歩き回るような真似はしない。
下手に動くよりもまずは情報を整理して行動方針を決めるべきだろう。
彼女にとっての戦場は頭の中。足で稼ぐのは相棒の役割だ。

アニカが下手に動かないのはもう一つ事情があった。
彼女の足元には白く透明な兎がぐったりとした様子で蹲っている、
それはアニカを厄だまりから助けた、犬山うさぎこと隠山望の使い魔である。

その兎の白い体は、向こう側の景色が見える程に透明になっていた。
曰く、『神楽うさぎ』の復活のために自らの存在を捧げたことによる存在の希薄化という話である。
何もせずともあと数時間で消滅する、というのはその様子からして本当なのだろう。

同情的な視線からアニカは厳しく表情を切り替える。
その献身とこれまでの助けに思う所はあるが、今それを口にしても意味はない。
それよりも事件解決を謡う『探偵』として、重要参考人が消える前に聞いておかねばならない事が沢山ある。

「質問に答えるといったわね? Ms.Rabbit」
『…………ああ、もちろんだとも』

へたりと沈んだ長い耳が揺れる。
答えるのも億劫そうな弱弱しい態度で白兎は顔を上げた。

「カナタやMs.ハルはどうなったの?」

アニカは厄溜まりに落とされ戦線離脱してしまった。
恐ろしい戦鬼と女王と戦い続けているであろう哉太たちがどうなったのか。その安否を問う。

『……わからない。私はキミたちの様子を加護を与えた御守りを通して観測していたんだ。
 だが、願望機を使う際に御守りを消費ししまった。すまないが、私にはもう彼らの様子を観測する手段はない』

白兎は3つのお守りを通して外側の様子を観測していた。
だが、その内2つは既に願望機に捧げられて消滅している。
だから、彼らの安否を知る術は白兎からも失われていた。

「なら、御守りのlast pieceはどこにあるの?」
『……最後に宵川燐が持っていたことまでは分かっている。だが、今の私にはもうそれを追う力もない。
 悪いが、彼女の位置も安否ももうわからないんだ』

白兎の回答は分からないだらけだ。
都合のいい神様のように村人たちを助けてきた白兎は、その力の殆どを失っていた。
だからと言ってここまで散々助けてもらっておいて今更文句を言う筋合いはない。

「ならquestionを変えるわ。『神楽うさぎ』がrevivalを果たしたらどうなるの?」

白兎が自分自身の存在すら捧げて復活を果たそうとする『神楽うさぎ』とは何者なのか。
異世界における魔王と女神の娘にして、イヌヤマイノリと呼ばれたこの村の災厄の一柱。
村の歴史における神楽春陽と隠山祈の養子。各所に楔を指すように位置する重要人物。

それは知っている。
だが、彼女が蘇ったとして何がどうなると言うのか?

『彼女は魔王と女神の混血であり、本物の神様であることは説明したね?
 私は元々、彼女の母である女神の使い魔だった。娘が魔王に利用されるのを避けるため女神は娘である彼女を逃がすように私に命じこちらの世界に彼女を連れてきたのだが、まあ今はその話はおいておこう。
 女神は『運命の女神』だった。その名の通り運命を変える力を持つ。私が御守りを通して君たちに託した因果歪曲の力はそこから来ている。
 娘である彼女は運命を変える母の力と魔法を操る父の力を併せ持っている。災厄に沈むこの村の呪われた運命を変えられるのは彼女しかいない』

呪われたこの村の『運命』を解き放つ存在。
運命を変える正しく神様である。
そのためには、不完全な願いを完成させるため蘇らせるべき少女の忘れ去られた『真名』を探し出さねばならない。

272Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:10:15 ID:3pow9O3Q0
「けど、わざわざGodを介さずとも直接『願望機』に願えばよかったんじゃないの?」
『難しいだろうね。この『願望機』はそういう願いは叶えづらいんだ』
「そういう願い?」
『適材適所というやつさ。ともかく餅は餅屋。この村の『運命』を変えるのはあの子にしかできないだろう。
 災厄に沈むこの村を正常に終わらせる。厄となった者たちを開放してせめて穏やかな終りを。祈も春陽もきっとそう望んでいる。
 それこそが厄災(パンドラ)の底に眠る、最後の希望だ』

乱暴にハンマー破壊するのではなく、パズルを一つ一つ丁寧に紐解いていくように、山折村のすべてを終わらせる。
それが村を救う唯一の手段。
運命に纏わる案件であれば彼女以上の適任者はいない。
改めて白兎はそう断言する。

「OK。話は分かったわ。ともかく村を終わらせるためにtrue nameが必要なのね」

アニカはその方針に理解を示した。
超常であろうともその理屈を受け入れる。この村においてアニカはそう決めている。
だが、その願いを叶えるためには失われた彼女の本当の名を知る必要がある。

『そうだ。彼女の真名はこちらの世界に転生する際に異空間を彷徨う中で削れてしまった。
 それは彼女を先導した私も同じだ、同じ立場である私にはもはや彼女の名は思い出せない』

複数名に該当する余りにも限定的な記憶喪失。
現実的にはありえない現象だが、論理的な思考を捨てる。
概念的な喪失。そう言うルールなのだろう。

「直接は思い出せないにしても、何か覚えている事はないの?」

どれほどの名探偵であろうとノーヒントで謎が解けるはずもない。
紐づくエピソードの一つでも披露して貰えればいいヒントになるのだが。

『三文字の名前だった、という事は覚えている』

白兎は答えるが、文字数だけでは何のヒントにならない。
3文字の名前なんてそれこそ巨万とある。

「それじゃあno hintと変わらないわね……もう少し名前に込められたmessageの類は思い出せないかしら?」
『すまない。思い出せない。けれど、こちら世界の言語で意味のある言葉なのは確かなんだ』

だが、意味のある言葉と言っても候補が多すぎる。
ロクな情報が与えられないことに申し訳なさそうに白兎は長い耳をシュンと垂れ下げた。
だが、アニカは何かが引っかかったのか、僅かに考えるように口元に指をやった。

「意味のある言葉である、どうしてそう確信を持っているの? その情報のsourceは?」

白兎の言葉を掘り下げる。
はっとしたように白兎はピンと耳を立てた。

『…………待ってくれ。思い出す。そう……確か、聞いたんだ』
「to whom?」

こちらの世界の言葉について教えることが出来る人間など一人しかいない。
瞬時にたどり着いたその結論をアニカはあえて口にせず、記憶の喚起を促すために白兎に答えを出さる。

『…………のぞみ、……そうだ、望だ! 私は望からその言葉を聞いた』
「What is that word?」

その言葉とは?
急かすことなく、落ち着いた声で問う。
探し物に纏わる取っ掛かりを思い出した白兎にその核心を思いださせるために。

『異世界に転移した望が、友人であった魔王の娘の本当の名前を知ることがあった。
 その名前を聞いた望は嬉しそうにこう言ったんだ。自分たち姉妹に似た意味の名前ね、と』

私たち姉妹。つまり隠山祈と隠山望。
『祈り』と『望み』に似た意味を持つ言葉。
これは大きなヒントだ。

だが、言語など無数にある。まだまだ候補は多い。
完全に絞り込むのならばあと一押し欲しい。
そのアニカの想いを汲んだわけではないだろうが、白兎は思い出したように付け足す。

『そうだ、確かこうも言っていた。私たちの世界の最新の言葉よ、と』
「最新の言葉?」

思わぬ方向のヒントだ。
だが、よくわからないからそこ、これが解ければ大きく答えに繋がるだろう。

273Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:10:33 ID:3pow9O3Q0
情報と言う材料を得た探偵は調理場である思考の中に入り込む。
巷で流行っているような流行語を連想しても意味がない。
何故なら最新の言葉と言っても、隠山望は室町時代の人間だ。
考えるべきは室町時代の言葉だ。

だが、その当時に流行していた言葉などわかるはずもない。
細かな歴史書を読めばわかるかもしれないが、専門家でもなければそこまでの知識はないだろう。
残念ながら生き残りの中にそんな人間はいない。

分らないことを考えても意味がない。思考の方向を変える。
日本の歴史自体はアニカも学んでいる小学6年生の授業の範囲だ。
探偵業務をした上で成績も学年の1桁から落ちたことはない。

自分の知識の及ぶ範囲で、室町時代にあった歴史的な出来事を連想していく。
明徳の乱、応仁の乱、正長の土一揆、日明貿易、嘉吉の乱。

「…………日明貿易」

海外との交流。
そこに、探偵の勘が引っかかりを覚える。
確かに、海外からもたらされた言葉であれば、それは当時の人からすれば新しい言葉だろう。

だが、中国との交流は遣隋使や遣唐使の時代からあった事である、最新とは言えない。
それ以外に室町時代に起きた、海外との大きな出来事と言えば。

「Christianity」

宣教師の来航。宣教師によるキリスト教の伝来。
日本に海外の言葉――英語教育が始まったのは1808年のフェートン号事件が切っ掛けだが。
フランシスコ・ザビエルに代表される海外からの宣教師たちによってアルファベットや外国語自体はそれ以前から日本に伝わっていたはずだ。
ザビエルが日本に訪れたのは室町時代だったはずだ。生前の隠山望と時代は合う。
つまり隠山望の言う所の最新の言葉とは。

「――――外国語。XavierはSpanish人であったためSpanish語である可能性が高い」
『流石だよ。名探偵』

白兎自身も正直どうかと思うくらいに少ないヒントでここまでの結論に辿り着いた。
カタカナ読みで三文字になる『祈り』と『望み』に近い意味のスペイン語の単語。
ここまで絞れれば総当たりで正解を引けなくもないだろう。
だが、成否判定ができるものがいなければ確証が持てない。

「候補は幾つか絞れたけれど、checking answersはできるのかしら?」
『私には分からない。けれど、ランファルトの意思を受け継いでいる魔聖剣ならあるいは……』
「魔聖剣?」
『山折圭介の持っていた剣だよ。今はどうなっているのか分からないが……』

戦鬼と戦っている圭介と哉太がどうなっているのか。
今すぐにでも安否を確かめに行きたい。
それが真名の答え合わせにもなるのなら一石二鳥である。

だが、アニカは安易に行動して哉太の目の前で厄に呑まれる失態を侵した。
足手まといになるのだけはもうごめんだ。
アニカにはやるべきことがある。

「まずは『願望機』をsearchしましょう」

仮に最後の御守りを探し当て、「神楽うさぎ」の真名を言い当てても、それを捧げる『願望機』が手元になければ話にならない。
何をおいても、まずはその所在を調査すべきだ。
これに関しては推理力よりも調査力、足の勝負になる。

ぐったりとした白兎に触れる。
半透明ではあるが、すり抜けたりはしないようだ。
そっと白兎を抱えて、アニカはマイクロバスから出る。
願望機を探してアニカは動き始めた。



274Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:11:24 ID:3pow9O3Q0
街灯のない夜の草原。
その中心に少年は立っていた。
八柳哉太は風に吹かれながら、夜闇の先を見つめていた。

曖昧になっている自らの記憶を確かめる。
厄に呑まれるアニカに気を取られ、戦鬼の一撃を喰らったところまでは覚えている。
そこからどういう訳か、気づいたらこうして草原のど真ん中に立っていた。

そこからの記憶は曖昧だ。
誰かに助けられた気もする。
刃を突き立てられ血だまりに沈む春姫を見た気もする。
圭介と共に二刀をもって戦鬼と戦ったような気もする。

全てが夢うつつのようにあいまいだが。
ただ一つ、戦鬼を打ち倒した最後に、身を挺して圭介が命を救ってくれた。
それだけははっきりと覚えている。

残されたのは二振りの剣。
光を失った魔聖剣と深紅の聖刀。
曖昧な記憶に残されたこれだけが確かな物証だ。

どういう訳か使い慣れた愛刀のようにしっくりと手に馴染む。
どこか圭介と春姫の2人が力を貸してくれているように感じられた。
哉太は試すように、手にしていた二刀を振るった。

八柳新陰流は二刀にも通じる。
かつては剣鬼、沙門天二が得意としていた型だ。

中ごろで折れた長剣の刀身は一尺程度の小脇差と言った長さである。
圭介がしていたような閃光を放つような真似はできないだろうが、脇差として扱う分には問題なさそうだ。
太刀よりも短い打刀と合わせて、二刀で取りまわすには丁度いい長さである。

「よし…………っ」

戦える。
傷も完全に修復されている。
むしろ、体の調子はいいくらいだ。

確実に死を与える様な一撃を受けて、いまだこうして生きているのは異能の恩恵か。
そうだとしても、短時間でここまで完全に修復されるとは思えないが。

『―――――頑張ってね、お侍さん』

朧げな記憶の中で、誰かに送り出された気がする。
自ら血肉を分け与え、死を待つだけだった自分の命を助けてくれた誰かがいたはずだ。

哉太が今こうして生きているのは自分だけの力ではない。
誰かに命を救われ、圭介に助けられこうしている。
それを実感する。

275Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:11:36 ID:3pow9O3Q0
女王を守護する戦鬼は倒され、残る脅威は女王ただ一人。
特殊部隊の動きは気になるが、彼女をどうにかできればこのバイオハザードは解決するはずだ。
自分を助けてくれた彼らに報いるためにも女王を何とかしなければならない。

だが、それが唯一にして最大の問題だ。
女王が強力な力を持っている事も、頭の中に響く女王を守護せよという声も無視できない問題だが。
それ以上に問題なのが、女王にその身を乗っ取られた珠をどうするかと言う点だ。

正直言って哉太にできる方法などない。
だが、圭介なら絶対にあきらめなかったはずだ。
圭介にとって日野珠という少女は大切な恋人の妹であり、ずっと妹分として可愛がっていた相手だ。
あの面倒見のいいガキ大将が自分の子分を見捨てるはずがない。

何より、圭介じゃなくとも哉太だって納得できない。
殺して終りなんて安直な解決は御免蒙る。
最後にどうしようもなくなるとしても、珠の救出を最後まで諦めたくない。

殺害以外の解決策を見出す。
こういう頭脳労働は本来相棒の仕事である。
だが、アニカはここにはいない。哉太の目の前で厄に呑まれた。

生きている事は信じているが、かなりまずい状況に陥っているのは確かだろう。
まずは救援のために、アニカを探すべきだろうか?

探すというのなら、あの異空間ではぐれてしまった茶子や創たちを探すのも一つの手だ。
殺害以外の方法を模索するにしても、女王との闘争を避けられないのなら、戦力は多いに越したことはない。
あの異空間に閉じ込められ続けているのでなければ、どこかに脱出できているはずだ。

どちらを選ぶべきか。
哉太は迷うように腕を組み考え込む。
だが、根本的な問題として、どちらにしても探す当てがない。

「……ん? どうした?」

視線を落とした哉太の目先に居たのは、足元でチューチュー鳴き声を上げる山ネズミだった。
二足歩行の山ネズミは哉太名に何かを伝えるように小さな手足を起用に振り上げ何かのジェスチャーを示した。
そして、背を向けるように振り返ると夜の草原を走り出していった。
まるで異世界の研究所に閉じ込められた時のように、ついてこいと言わんばかりの動きである。

「…………やっぱ、スチュアート・リトルだよなぁ」

幾度目かになる道場の門下生たちで見に行った映画の名を呟き。
哉太は山ネズミの導きに従い、その背を追っていった。

四つ足ではなく二足歩行で懸命に走るネズミであるが、歩幅の差もあり早歩きで追いつける速度である。
むしろ、夜の草原を駆ける小さな体を見失わぬ方が心配だ。
哉太は注意深く地面を見つめその後を追った。

少年の道筋を山ネズミが導く。
それこそが、聖獣山ネズミの異能力。
十二支の始まりたるネズミは先頭を走り、相手の望む道筋に向かって導く力を持つ。

その行き着く先には、きっと会いたい人が待っている。



276Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:12:04 ID:3pow9O3Q0
怪異とは、この世ならざる存在、すなわち人々の恐怖や怨念、未練が形を成したものを指す。
古くからの伝承や物語の中で語られてきたそれらの存在は、時に人々を脅かし、時に警告や教訓を与える存在として描かれてきた。
特に、悲劇的な死や未練の強い死者の魂が、怪異として現れることが多いとされる。

閉鎖的な空間。
風水的に厄の溜まりやすい地形。
長年積み重なった多くの悲劇が生んだ呪いや怨念。
山折村という土壌は怪異を生みやすい条件がそろっていた。

そんな山折村で発生した生物災害により、多くの命が無残に失われた。
犠牲になった村人たちにも、それぞれに望む未来、叶えたい願いがあっただろう。
それが何の前触れもなく理不尽に命を奪われ、様々な怒りや苦悩があったはずだ。

その怨念や悲しみは厄となって山折村の土壌に吸い込まれてゆく。
安らぎを得ることなく彷徨い続けた亡者たちの魂は、ついに一つの形を成して現れた。

今夜、新たな怪異がその土壌から生まれた。
それはゾンビとは違う別種の怪異。

「…………救、わね……ば」

光なき世界を彷徨う小さな一つの影。
夜の草原を歩くその姿は、静寂の中で際立っていた。
彼女の足元には、霧が立ちこめ、冷たい風が吹き抜ける。
月明かりが小さな彼女の輪郭を照らし出し、その影は草むらの上を滑るように動いた。

それはスヴィア・リーデンベルクだったもの。
人間であった彼女は死した。もはや彼女は人間ではない。
死者たちの怨念により生まれ落ちた、山折村に生まれた最新の怪異だ。

彼女の意志も使命も、怪異としての在り方によって塗り替えられた。
それでもなお、怪異となっても歩みを止めない。

怪異は進む。
怪異としての役目を果たすために。

怪異は進む。
あるはずの目的に向かって。

歩み続ける彼女の魂が安らぎを得るのだろうか。
それとも、永遠に晴れることなき怨念にとらわれ続けるのだろうか。
果てしなく続くこの夜の中で、彼女の彷徨は確かに終りを目指しているように見えた。

夜の草原を歩き続けるその姿は、暗闇の中に溶けてゆくように消えて行った。

277Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:12:26 ID:3pow9O3Q0
















これは『Z(終わり)』に至る物語。
















278Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:12:54 ID:3pow9O3Q0
村外れにある草原は、まるで世界から切り離されたかのような孤独な静寂に包まれていた。
月明かりは薄雲に覆われ、淡い光が地面に落ちているが、その光もどこか陰鬱である。
風が草をささやかに揺らし、まるでここが決戦の舞台であるかのように不気味な気配が漂っていた。

薄雲が風に流れる。
月光が2人の女の姿を照らした。

成熟した女、虎尾茶子は刀を杖のように付きながら肩で息をしていた。
右半身は満足に動かず、満身創痍の状態でありながら目の前の少女に向けて冷たい瞳を向ける。
その眼光の鋭さだけはギラギラとした刃のようだ。

その視線を受けるのは小さな少女だ。
臆するでもなく貫禄すら感じさせる堂々とした態度で夜に立つ。
彼女の姿はこの荒廃した風景に不釣り合いな異質な美しさを称えていた。

彼女こそが全ての始まりにして元凶。
日野珠の身を乗っ取った細菌の女王。
[HE-028-Z]

ボロボロな茶子とは対照的に女王の顔には絶対的強者としての余裕があった。
笑みには愉悦が含まれており、目の前の相手をそもそも敵としてすら見ていない。
戦力としても存在としても、それだけの絶対的な差が彼我の間にはあった。

「――――――――女王」

茶子がその名を呼ぶ。
風が再び吹き、草がささやくように揺れた。
呼ばれた女王は楽しそうに微笑みながら大仰な態度で首をかしげる。

「おや。よく私が女王だとわかったね? キミに自己紹介した覚えはないのだけど。
 そうか、スヴィア・リーデンベルグから聞いたのかな?」

女王はそう推測する。
だが、それの推測は外れだ。

「声だよ」
「声?」
「テメェが近づいてきたとたん頭ん中響く声がデカくなったんだよ。ガンガンうるせぇくらいにな」

そう言って苛立たしそうに自身の頭部を叩く。
『女王を守護れ』と頭の中で声が鳴り響く。
小さく聞こえていたその声は女王を目の前にした今、頭が割れるほどの絶叫となっていた。

それは茶子に、いや感染者たち全ての脳内に蔓延る[HEウイルス]たちの本能の叫び。
女王と結びついた己が命を守護るためのウイルスの生存本能。
その生存本能は「個」ではなく、種が存続するためであれば自己犠牲すら厭わない「全」としての生存本能である。
この声に屈すれば、種の要たる女王を生かすためなら自身の命すら投げ打つ、忠実なる女王の眷属となるだろう。

「なるほど。今後の自己紹介の必要はなさそうだ」

月光に照らされる女王は日常会話でもするように微笑を浮かべる。
茶子は会話に応じながら隠すように半身にした右半身の状態を確かめる。
辛うじて指先の感覚が戻った、だがまだ動かせるほどではない。
もう少し、時間を稼ぎたい。

「それで、細菌王国の女王様は何がしてぇんだ?」
「私の目的は弾純なものだ。同族の繁栄さ。
 経緯がどうあれ私たち(HEウイルス)は生まれてしまった。
 生まれてしまった以上、繁栄を望むのは当然の事だろう?」
「ハッ。細菌風情が命を語るな」

茶子の挑発めいた言葉を女王は冷静に受け止める。
羽虫に噛まれたところで痛くもないのか、女王の顔には微笑が張り付いたままだ。

「誤解しないで欲しいのだが、私は人間と敵対したい訳ではない」
「敵対したいわけじゃないなら今すぐ消えろよ。テメェ死ねば終わるんだろ?」
「そう邪険にしてくれるな、君たちとはよい共生関係を築きたいと思っているんだ」
「共生関係ぃ? 細菌にとって都合がいい関係の間違いだろ?」

敵意を籠めた茶子の視線と、敵意を抱いてすらいない女王の目線がぶつかり睨み合う。

279Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:13:10 ID:3pow9O3Q0
「否定はしない。だが、巻き込まれたという意味では私も君らと同じだよ。
 研究所の都合で生み出され、身勝手な理由で利用されバラまかれこちらも迷惑してるんだ。
 だが、こうして機会を得たのだからそれを生かそうというだけさ。
 だからこそ他の正常感染者にも声をかけているのだが、残念ながら理解を得られなかったよ」
「そらそうだろ。喋るバイ菌の言葉なんざ誰が信じるってんだぁ?」

運命線の見えないアニカは例外として、覚醒直後に出会った山折圭介、神楽春姫には協力の声をかけている。
結局、誰からも信用を得られず物別れになったが。

「だが、虎尾茶子。君なら理解してくれると信じているよ。
 君と私の思想は近しいものがあると思うのだが、どうかな?」
「…………………ンだと?」

ピクリと茶子の瞼が動く。
挑発ではない。本気で言っているのが分かったからだ。
『女王を守護れ』と脳内からの声が強まる。

「……どー言う意味だそりゃ? あたしが簡単に股開くような安い女に見えるか?」
「先ほども述べた通り、私の目的は種の繁栄だ。
 だが、私たちの本質はウイルスだ、媒介となる人間がいなくなるのは困るのだよ。
 私たちの進化と繁栄のためにも山折村は維持されなければならない」

女王は山折村の滅亡など望んでいない。
むしろ共に繁栄していくことを望んでいる。
それは山折村の維持を望む茶子と同じ目的であると言えるだろう。

「君と私は山折村の繁栄を願う同士だ。共に手を取り合える、そうだろう?」
『――女王に従え』
「ッ………………………っせぇ」

頭の中に響く声が強くなる。
内側と外側の両方から勧誘の声が響く。
強制的に意思を捻じ曲げるような声に頭が割れそうになる。

「とは言え、この村は特殊部隊や同族(にんげん)同士の殺し合いで多くの被害が出た。
 もうこの村を維持することは難しかろう」

女王の視線が荒涼とした山折村を見つめた。
この地には既に抑えきれないほどの死が溢れている。
もうこの村が取り返しがつかない事は誰の目にも、それこそ細菌から見てもわかる事だ。

「だから私は我々のより多くの人間に生存領域を広げるため、新たな『女王』となる『隠山祈』をこの村の外に解き放った。新たな59の山折村を築くための感染源としてね。
 喜びたまえ、山折村は小さな世界を飛び出したッ! 例えこの村が滅ぼうとも山折村は続くぞ虎尾茶子!」

何か素晴らしい事を伝えるように、女王は高らかに語った。
茶子は頭痛を抑えるように左手で頭を押さえ、ギリッと歯噛みした。

『――――女王に命を捧げよ』
「……………るっせぇよ」

内外からの声が響く。
無理やりに自分を捻じ曲げられる感覚。
自分自身でもないのに自分自身から響く声は酷く不快だ。
封じ込めていた悲劇の光景が脳裏にフラッシュバックする。

魔性に惑わされ自分が自分でなくなる感覚。
――――思い出させるな。
愛を振りまき自分を歪められる悲劇。
――――思い出させるな。
そうだ、あの時、自分自身(リン)を失った。

『女王に従え。女王を守護れ。女王に命を捧げよ――――!』
「うるせぇ!!!!!」

あんな思いを、もう二度と味わってなるものかと、振り払うように茶子が叫ぶ。
砕ける勢いで歯を食いしばる。ブチと何かがちぎれる音がした。

「―――――ペッ」

赤い唾を吐き捨てる。
べちゃりと音を立てて吐き捨てられたのは、噛み潰した舌と頬の肉片だった。
鋭い痛みと鉄の味が口内に広がる。いい気付けだ。

280Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:13:27 ID:3pow9O3Q0
「ハッ――――薄汚ねぇバイ菌風情が……知った風な口を利くんじゃねえよ……ッッ」

失った赤い血液の代わりにどす黒い汚泥が体内を満たす。
砕けてバラバラになった自分自身を、憎悪が繋ぎとめていた。

「村の外の山折村? 新たな山折村ぁ? 世界が山折村になるぅ?
 バカなのか? 意味が分かんねぇよ、山折村は山折村だろうがッ」

刀の柄でぐりぐりとこめかみを弄りながら吐き捨てるように言う。
外の世界がどうなろうが知った事ではない。
茶子にとっての山折村はここだけだ。
彼女が育ち、彼女が愛し、彼女が憎んだ山折村はここだけだ。
他にはない。

だが女王は違う。
女王にとって山折村は、繁栄と進化のためのただの足がかりでしかない。
次の足掛かりがあるのなら、それこそこの山折村が滅んだって構わない。
その妄執の違いを生まれたばかりの女王は理解ができていなかった。

「…………あたしの山折村をこんなにしやがって、長年かけた村の洗浄計画がおじゃんじゃねぇか、どうしてくれんだ……? あぁ?」

茶子の異能『虎の心(リベンジ・ザ・タイガー)』は精神汚染を跳ね返す。
眷属化の声を発しているのは女王ではなく茶子自身の脳内にいる[HEウイルス]だ。
進化した異能はその声すらも跳ね返すことができる。
報復の先。その対象は必然、自分自身のウイルスとなる。

女王に従えという声は宿主である茶子に従えと言う声となり、[HEウイルス]を眷属化した。
女王から茶子に鞍替えした[HEウイルス]は茶子を生かすために活性化を始める。
心臓がポンプして右半身に血流が流れる。感覚が僅かながらに戻って行く。

だが、茶子自身はそんな理屈は知らない。
敵を殺せと猛るように気力が漲る。
空っぽの器に殺意が満ちる。

彼女は敵がいれば立ち上がれる。
敵がいなければ始まらない。
復讐の虎。

「――――――――ぶち殺す。今すぐ殺菌してやるよ、クソウイルス」

右に感覚が戻ったと言っても最低限動かせる程度だ。
指を動かし拳を握れても握力はほぼない、右手で刀を振るうのは難しそうだ。
右足は動く、歩行に問題はない。だが強く踏み込むのはまだ厳しい。

左手を振りかぶり、日本刀を担ぐように茶子が構えた。
問題はない。皮肉にも地を舐めた苦い経験から片腕での剣術は経験済みだ。
獰猛な獣のように身を沈め、殺意を解き放つ瞬間を今か今かと待ち望んでいる。

誰が細菌被害をまき散らしたのか、だとか。
誰が細菌を作ったのか、だとかは今はどうでもいい。
それはそれとして殺す。それだけだ。
この村に執着する茶子が、山折村を侵した細菌どもの親玉を赦す道理がない。

「まったく、愚かしい」

殺意をみなぎらせる茶子の様子を見て女王はため息をついた。
やはり人間は愚か。
女王は呆れたように頭を振ると、構えもせず涼やかな顔で茶子から視線をそらして周囲を見た。
露骨な隙。切り込むべきか一瞬の逡巡をしていた茶子の耳に遠く波のような音が聞こえた。

281Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:14:06 ID:3pow9O3Q0
「おや。やっと来たようだ」

女王の冷たい声が闇の中で囁くように響いた。
彼女の瞳には冷酷な光が宿り、その顔には不敵な笑みが浮かんでいる。
茶子は女王から視線をそらさず周囲の気配を探る。だが、その異変はすぐに分かった。

遠くからかすかに響く音が、草原の静寂を破るように耳に届いた。
最初は風の音かと思ったが、次第にその音は規則的なリズムを刻み始め、それが足音だとわかる。
茶子の心臓が鼓動を早める中、その音はますます大きく、近づいてくる。

闇の中から無数の影が現れる。
草原を覆う暗闇の中、ゾンビの群れが現れた。
それはまるで押し寄せる暗黒の波だった、人の群れが運河の様に女王と復讐の虎の間を遮った。
数え切れないほどの圧倒的な数のゾンビがゆっくりと、しかし確実に二人の間を遮るように埋め尽くしていく。

「この村の生き残りを全員かき集めた。
 隠れていた者や閉じ込められていた者も呼び寄せたからね。少し時間がかかったようだが」

ずらりとゾンビが立ち並ぶ壮観な景色を誇らしげに眺めて女王は言う。
時間稼ぎをしていたのは茶子だけではなかった。
女王もまた兵の到着を待っていたのだ。

山折圭介と神楽春姫を相手に、細菌の生存本能に任せて周囲のゾンビを掻き集めた時とは違う。
ゾンビたちは女王の明確な意思をもって、号令の下に召集された。
ここに集まったのは正真正銘、この村に残った最後の生き残りたちだ。

どこかに閉じ込められていたゾンビは力づくで扉を破壊した反動で腕が折れているようだ。
拘束を無理やり解いてきたのか、指や腕が欠けているゾンビも少なからず見受けられる。
自傷を厭わない、女王の号令にはそれだけの強制力があった。

そこには二重の意味で絶望的な意味合いが含まれていた。
これから茶子に立ちふさがるのは村の全てであるという脅威の大きさ。
そして、1000人余りの山折村の住民はもはや100余りのゾンビの群れを残すだけになっているという事実だ。

彼女の周囲を取り囲む100人余りのゾンビたちの不気味な唸り声が静寂を破る。
それを見つめる茶子の瞳には暗い炎が宿っていた。

立ち塞がるゾンビの中には茶子が知ってる顔も含まれている。
いや、むしろこの村で育った茶子からすれば知らぬ顔の方が少ない。
それらが全て女王を守護する傀儡となり、茶子の前に濁流となって立ちふさがっている。

魔王が圭介の異能を用いてゾンビを操った時を思い出す光景だ。
あの時は苦も無く対応できたが、今は状況が違う。
茶子は多少回復したとはいえ満身創痍。ゾンビの数もあの時の比ではない。

右は最低限邪魔にならないくらいの動きは出来るだろうが、基本は左のみで戦う事になるだろう。
片腕用に八柳新陰流を再構築した虎尾流をこの場で完成させるほかない。
鋭い息を吸い込み、彼女は一瞬の静寂の中で集中力を研ぎ澄ました。

夜の草原には薄い霧が漂い、月明かりが草原の一部を銀色に照らしていた。
銀の草原の中心に立つは鋭く光る刀を構える手負いの虎。
闇夜の中で、彼女の刀が月光を反射して輝きを放つ。

幸か不幸か、虎尾の両親は八柳藤次郎に切り殺されている。
もはや茶子が斬り捨てるに躊躇う相手などいない。
立ち塞がるなら全て斬るのみ。

「―――――――来いよ、ゾンビども。撫で斬りにしてやる」



282Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:14:31 ID:3pow9O3Q0
「よかった、アニカさん」
「Mr.アマハラ!?」

行動を開始した創とアニカが合流した。
謎の力によって分断されたマイクロバスに誰かが取り残された可能性を考えて動いていた創と、マイクロバスから出てきたアニカがかち合ったためである。
実際の所、アニカも分断工作で異空間に飛ばされており、そこからさらに厄溜まりを通してバスに戻るという複雑怪奇な経緯を辿っており、創の推測は外れていたのだが。
結果として首尾よく合流できたのは幸運だったと言える。

ほんの1時間程度の離別だったが、互いにその間にあまりにもいろいろなことが起き過ぎた。
切迫した事態に置かれてなおアニカと創は冷静さを保っている二人は、互いに起きた出来事を一つずつ共有していくことにした。

まず情報の共有を始めたのはアニカだった。
異空間に分断されたアニカの目の前に現れたのは一人の少女だった。

「私の前に現れたその少女は女王(queen)を名乗ったわ」
「……女王、ですか。アニカさんはその正体を知っているのですね?」

いきなり出てきた核心に、創がシリアスな声で問う。
その問いにアニカは頷きを返した。
直接女王と対峙したアニカは、それが誰であるのかその答えを知っている。

「――――――日野珠よ」

告げられる答えを聞き、創は沈痛な面持ちで目を細めた。
それは驚きではなく、真実を受け入れる覚悟の顔だ。

「Aren't you surprised? 知っていたの?」
「……いえ。ですが予測はしていました」

当たってほしくはなかったが、推測通りの答えを得てしまった。
女王細菌に乗っ取られたのは彼のクラスメイトである日野珠である。

「microbusに乗っていた私たちをdivisionしたのもその女王の仕業よ」
「虎尾さんは「イヌヤマイノリ」の仕業であると推測していましたが? 違うのですか?」
「That's not wrong either.女王は「イヌヤマイノリ」の力であるとも言っていた。
 それだけではないわ。女王はあの『魔王』の力も操っていた」

創が因縁を果たした宿敵。魔王ヤマオリ・テスカトリポカ。
この村の災厄の力のみならず、女王はその力までも取り込んでいる。
それが事実だとするならば、女王はとんでもない化け物という事になる。

「私はWhite Rabbitにsaveされて異空間からはescapeできたわ」
「白兎と言うのは、その抱えてる彼(?)の事ですか…………?」

創が半信半疑の様子でアニカに抱かれる謎の白い兎について尋ねる。
この状況で兎を後生大事に抱えている半透明な白兎に関しては気になっていたものの尋ねる機会を逸していた。

『こうして直接言葉を交わすのは初めてだね、天原創。見ての通り弱っていてね』
「…………なるほど。喋るのですね」

僅かに驚きながら、すぐさま創は受け入れる。
今更動物がしゃべる程度で驚きはしない。
それくらいにこの村では不可思議な事が起き過ぎた。

「sheは白兎。私たちの事を色々とhelpしてくれていたウサギの使い魔よ」

ウサギの使い魔と言うのは、見たまま兎の使い魔と言う意味ではなく犬山うさぎが異能で出していた使い魔という事だろう。
聞くところによると御守りを通して色々助けてくれていたのが彼女らしい。

「異空間から抜け出せたのだけど結局、すぐに女王に捕まってしまったの。
 その時、頭の中に『女王に従え』『女王に命を捧げよ』とそんなvoiceが繰り返し響いてきたわ」
「洗脳能力、のような物でしょうか……? 今は大丈夫なんですか?」
「ええ、voiceの大きさは女王との距離とproportionalするようね、今は落ち着いているわ」

女王から離れた今であれば声は軽微のようだ。
だが、これから女王との決戦に挑むのであれば気にかけておく必要がある情報だろう。

「女王に捕まった私は空中に連れていかれて、危ない所でカグラハルヒメに助けられた。
 けれど、ウサギは…………女王に罠にかけられて殺されてしまったわ」

恐るべき異能と魔法の罠によってうさぎは殺害された。
元気のない白兎がさらに沈んだように表情を曇らせる。

「それからカナタたちに女王のRiskを知らせようと……いえ、あの時の私はfearに駆られて女王から逃げていただけね。
 その途中でtrapにかけられて、different spaceに落とされたところをまたMs.Rabbitに助けられたの」

自らの不甲斐なさと醜態を思い出しアニカが自嘲するような表情を見せた。
混乱していたアニカはまんまと厄溜まりの中に落とされた。冷静さを欠いた探偵らしからぬ失態だ。
そこで神楽春陽と出会い、再び白兎に助けられ、そこで村を救う最後の方法である願望機について知らされた。

「神楽うさぎ」を完全蘇生させるための名と、最後の御守り、そして願望機の探索。
そう言った現状と一通りの経緯をアニカは説明し終えた。

283Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:14:55 ID:3pow9O3Q0
それを聞き終えた創は難しい顔をしながら、何やら考え込んでいた。
そして一つの疑問を投げかける。

「そもそも、その『願望器』と言うのは信用できる代物なのですか?
 あの魔王が作ったものだ、何か罠が仕掛けられているという事もあり得るのでは?」

願望機による死者蘇生。
自然の摂理を捻じ曲げる死者の蘇生が正しい事なのかなどと言う倫理的な是非は置いておくにしても。
魔王と因縁浅からぬ創からすれば当然の疑念と言える。

『少なくとも、効果は本物だ。それは私が保証する。
 だが製作者の属性によるものだろう。破壊に関する悪意を持った願いは叶えやすく、修復や創造に関する善意による願いは叶え辛い設定になっている』

あの『願望器』は誰かの願いに引き寄せられ、その願いを叶える魔王の在り方を形にしたものである。
当然その方向性は大本のある死と破壊を好む魔王に準じている。

「ならば、死者蘇生という願いは叶わないのでは?」

失われた死者の魂と肉体を蘇らせる。
破壊とは対極の究極の創造だ。
真逆の属性の願いを叶えられるとは思わないが。

『その通りだ。だが、因果を入れ替えその方向性を変えるのが女神の加護を持った御守りさ』

願望機は内蔵された無尽蔵の魔力を消費して願いを叶える。
そのため願いを叶える事に何か新たな代償を必要とすることはない。
だが、それは願望機本来の機能に沿う願いであった場合の話だ。

それを解決するのが、因果を捻じ曲げる力を持った御守りである。
これを消費する事で悪意に特化した願望機の方向性自体を捻じ曲げ白兎は願いを叶えてきた。

『通常の死者蘇生であればそれで叶うだろう。だが、神様の蘇生には足らなかった。
 だから世界の狭間に漂う『神楽うさぎ』本来の力も利用した。それでもなお足りない部分は私という存在を代償とした』

干支時計の使用に魔力の代わりに生命力を捧げたように、それ以上を求めるのであれば、代償を捧げる必要がある。
その代償が白兎と言う存在だ。

『彼女が蘇ればこの村の運命は変えられる。彼女こそが厄災の底に眠る、最後の希望だ』
「………………運命、ですか」

その言葉を聞いた創が何か言いたげな様子で考え込むような顔をした。
それに気づいたアニカがどうしたのかと尋ねる。

「どうしたの? Mr.アマハラ」
「いえ…………何でもありません」

創は答えを濁し話を進める。
言いたいことを飲み込んだ様子だったが、必要な事であれば話すだろうという創への信頼からアニカも追及はしなかった。

「ともかくアニカさんたちはその願望機や御守りを捜索中ということですね?」
「Yes.Mr.アマハラはMs.リンの居場所を知っていて?」
「ええ…………その辺りの経緯を含めてお話します」

お守りを持っていたと言うリンの所在を問われ。
何か言いづらそうに僅かに視線を落として、続いて創がこれまでの経緯を話しはじめた。

「僕は哀野さん、虎尾さん、リンさんと共に異世界に分断され、そこから脱出しました」

分断された異空間からの脱出。
特殊部隊から逃げてきたというスヴィアとの再会。
そして疑心暗鬼と混乱と諍いの中、リンの異能が暴走。
仲間同士で殺しあって、雪菜とリンが死亡した。
スヴィアもよくわからないモノに取り付かれどこかに消えてしまった。

後悔と絶望しか残らない悲惨な末路だった。
時折悔しそうに唇をかみしめながら、その全てを創は包み隠さず話した。
流石のアニカも何と声を掛ければいいのか分からず、周囲に沈黙が落ちた。

「…………Ms.チャコはどうしたの?」

絞り出すように、もう一人の生存者の行方を問う。

「……………わかりません。哉太くんに会いに行くとそれだけ…………当ては、なさそうでしたが」

生き残った茶子は失意の中、闇の中に消えて行った。
創は彼女を追うことが出来なかった。
哉太を探すとは言っていたが、どこに向かったのかまでは分からない。

「painful thingsを聞くようだけど、リンたちはどこで死んだの?」
「診療所の中庭辺りでした。死体は整えましたが、荷物はそのままです」
「...thank you.」

思い出すだけで辛い事を回答させたことに、アニカは申し訳なさそうに礼を述べる。
辛い話だったが、御守りの回収に目途が立ったのは大きい。

284Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:15:17 ID:3pow9O3Q0
「一人で動くのも危険だ、案内しましょう」

この状況でアニカを単独行動させるのも危険だ。
創が来た道を引き返して、アニカをリンの元まで案内しようとする。
だが、アニカはそれを断るように静かに首を振る。

「Non.Mr.アマハラ。あなたはカナタたちを助けに行ってあげて」
「いいのですか?」

護衛という役割以上に、失せ物探しにエージェントである創のスキルは大いに役に立つだろう。
だが、創は戦闘においても切り札足り得る万能のカードだ。

「ええ、これは戦えない私のJobよ」

哉太たちはあの戦鬼、ともすれば女王と戦っているかもしれない。
ならば女王と言う脅威の対抗策をここで使い潰すのはあまりにももったいない。
失せ物探しは『探偵』の仕事だ。

「了解しました。ではそちらのアニカさんにお任せします。
 こちらはこちらで対女王の解決策を進めます」

アニカは願望機による「神楽うさぎ」の蘇生と村の解体を。
創は女王の討伐による解決を。

解決に向けて別のラインを走らせるのは正しい。
片方が潰れても保険になる。

「さし当たって、女王の戦力について確認したい」
『それなら私がある程度は説明できるだろう』

女王討伐を目指す創はそう尋ねた。
その問いに、村の様子を監視していた白兎が説明を始める。

女王は157回のループによって進化を遂げた存在である。
進化を遂げた女王は条件こそ不明だが複数の村人の異能を使えるらしい。
そして珠の持つ『運命』を観る異能によって相手の運命線を読むことができる。

そしてこの地で『魔王』の力を取り込み、願望機を身に宿していた。
村の災厄である魔王の娘『イヌヤマイノリ』の力を取り込んだ。
この地における全ての力を取り込んだ正しく究極ともいえる存在だった。

だが、白兎の活躍により願望機と厄を操る『イヌヤマイノリ』の力を奪い取り。
春姫と祈の活躍によって飛行能力も奪い取れた。
戦力的には大幅に減退している。

だが、未だ戦力としては驚異的であることには違いない。
人一人にどうにかできる次元の存在ではないだろう。
ここまでの話を聞いた創は別の疑問点を口にした。

「それほどの力を手にして、結局のところ女王の目的は何なのでしょう?」
『[HEウイルス]の進化と繁栄をもたらす事だと言っていたね。他生物を媒介とするウイルスの為に人間を殺すつもりはないと』

覚醒直後の女王はそう口にしていた事を、白兎が春姫の御守りから盗み聞いていた。

「ならば、何故女王はアニカさんを執拗に狙って殺そうとしたのでしょうか?
 罠を張ってまでうさぎさんを殺害した理由は?」

生物災害の解決のため女王の殺害を目論む輩を自己防衛のため殺してしまおうという発想は理解できる。
だが、アニカとうさぎは比較的穏健派だ。少なともバスでの話し合いでそれは確認している。
最後まで感染者である珠の身を案じて平和的解決を模索するはずだ。
それを問答無用で殺そうとするのは女王の目的と行動が合わない。

直接出向いてまで執拗にアニカを狙う理由はなんだ?
罠を張ってまでうさぎを殺す理由がどこにある?

「私を狙ったのは私の運命線が見えないから、と言っていたわ」
「運命線?」
『その名の通り『運命』を見る力だ。本体である日野珠の異能だよ』

運命の女神の眷属たる白兎が答える。
創は難しい顔をしてふむと頷いた。

『望……いやうさぎを狙ったのは恐らく、私たちが原因だろう。彼女の召喚する私たちも運命は見えない存在だ。女王にとっては邪魔な存在だろう』
「つまり、自分のplanを乱しかねない不確定要素をexclusionしたかったという事ね。
 そこまでしてplanを実行したいという事かしら……?」

アニカと白兎はその線で納得を示す。
アニカは異能や魔法の存在を受け入れ、それを前提とした推理を行うよう思考を調整した。

「本当にそれだけなのでしょうか?」

だが、創はそうではない。
あえて思考を寄せずに、ありのままの疑問を呈する。

「声で感染者を洗脳ができるのならば、わざわざ危険を冒して戦う必要なんてない。
 全員の洗脳が完了するまで逃げ回っていればいい」

感染者の脳に響く眷属化の声。
そんなことができるのであればわざわざ戦う必要なんてない。

「なら、Mr.アマハラはどうthinkするの?」
「自分の計画を乱しかねない人間を始末したというのも正しいと思います。
 ですが、それだけじゃなく、単純に『戦いたかった』いや、ただ『やってみたかった』だけなのではないでしょうか?」
「――――――what?」

あまりにも非合理な結論を述べた。



285Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:17:10 ID:3pow9O3Q0
「業…………ですか?」

もう一つの最前線。研究所の一室にて。
所長である終里のつぶやきに、奥津は思わず尋ねていた。

「そう。人の業。つまりは悪意だ。
 あの娘はそれを山折の歴史を学んで識った気になってるだけだ。
 グロ画像を見て深淵を覗いたつもりになってはしゃいでる中学生(ガキ)と大差ない」
「それで、それがどう解決策に繋がると?」

終里の軽口にとりあわず、奥津は単刀直入に結論を訪ねる。
生真面目な奥津の反応に苦笑しながらも終里は答えた。

「各コミュニティの女王は判明しているのだろう? 何せ首謀者が自ら告白してくれたからな」

女王の細菌テロの対象となったのは終里の血を引く子供たち。
彼らを新しい女王として各地に山折村と同じ細菌王国を築く。
終里の縁者を傀儡とする、明確な悪意を持った嫌がらせ。
だが、終里はこれをくだらないと断ずる。

「そこが間違いだ。女王は特定できないからこそ厄介なのだ。私への嫌がらせのために自らその所在を明かすなど愚の骨頂だ。
 まあ気持ちはわかるがね。絶対的な力をもって悪意を振りかざすのは”気持ちがいい”からなぁ。
 だが、悪意をただ振りかざすだけでは、あの魔王(アルシェル)と変わらない。ただの獣の所業だ」

その未熟を楽しむようにくつくつと笑う。
こちらの方がよっぽど魔王染みて見える笑いであった。
表情を引き締め終里は続ける。

「君らも我々も見方によっては悪逆非道の極悪人だろう。多くを殺し多くの死体を積み上げてきた。
 だが、我らの翳す悪意によって世界を救う事もある。悪意と言う業を御してこその人間だ。
 悪意とは目的のために御するべきものだ。悪意が目的となってはならない。それに振り回されているようではまだまだ」

出来の悪い娘を憂うように首を振る。
だが、悪意に振り回されるだったとしても、その力は間違いなく本物だ。
核兵器のスイッチを悪の独裁者と分別もつかぬ子どものどちらに持たせるのが脅威かと言う話である。
実際の話として、女王の所業によって世界は崩壊の前夜にまで迫っている。

「具体的にどうなさるおつもりで?」
「なに、簡単な話だ。女王が判明しているのならすぐにでも全員を自害させればいい。それなら電話一本で事足りるだろう?」

笑みを崩さぬまま、親指と小指で電話の様なジェスチャーをする。
若々しい外見と何とも古い仕草にギャップを感じてしまう。

女王はバックアップとして新たに59の女王を生み出したが。
それが全員死んでしまえば、拡散は終りだ。彼女の野望もそこで潰える。
終里は大きく足を組み替えると、傍らの女性研究者に声をかける。

「なぁ真琴。世界の為に死んでくれるな?」
「必要な事であれば」

悪意の正しい使い方を見せつけるように親が子に自殺を促し、子もそれを当然のように応じる。
異様な光景であった。

長谷川には科学のためなら、人類を救うのに必要であれば命など捨てる覚悟がある。
奥津を含めて、ここにいる人間は全員、正気ではない。
己が命よりも重い何かに殉じて、その全てを捧げている。

「ですが、全員がそれに応じるとは限らない」

長谷川真琴という個人が科学に身を捧げる覚悟を持っているだけで、終里の子全員がここまで覚悟を持っているわけではないだろう。
電話越しに死ねと言われて即座に死ねる人間がどれだけいるのか。

「ま、それはそうだ。四郎の様な例もある」

我が子の醜態を思い出したのか、終里がため息を交えながら鼻で笑う。
我が子の思い出を振り返るような場違いな反応に奥津は怪訝そうに眉をひそめた。

奥津としても全員を消すという方針自体に反対はない。
身内である終里が反対していない以上、SSOGのやり方に即した方針だ。
だが全員の所在を明らかにしてそこに暗殺部隊を送り込むにしても日が変わるまででは余りにも時間が足りない。
特に、海外ともなれば人員の手配も難しい。

「他の対抗策はあるのでしょうね?」

特殊部隊の長に威圧的な声で問われ、豪放磊落な怪物は肩をすくめると飄々とした老爺へと視線を送る。

「その辺はどうなんだ、百之助」
「オヤオヤ。ソコはワタシに丸投げカイ」

そう呆れた風に染木は話を引き継いだ。
変わらぬ様子で指を組むと、奥津にではなく所長である終里に苦言を呈する。

「マァ。ワタシとしても元くんの案には反対ダネ。貴重なサンプルであるキミの子を使い潰すのは勿体ないからネェ」

菌と魔法の産物、終里元の子を生み出す。
女王となったのは、その貴重な実験サンプルだ。
研究者の立場からしても無駄に殺してしまうのは惜しい。

「では、染木博士には腹案がお在りなので?」
「――――――アァ。勿論アルとモ」

当然のようにそう言って。
テーマパークに来た子供のように、老研究者は楽し気にニヤリと笑った。



286Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:17:24 ID:3pow9O3Q0
「No way...そんなreasonで…………」

女王はただ力を試してみたかった。
創が推察した、そんな馬鹿げた理由を聞かされアニカは首を振る。

あり得ない。
そう口にしたかった、だが言われてアニカにもいくつか思い当たるところがあった。
女王はまるで自慢でもするように自分の力をアニカに語っていた。壁に話しかけるのが空しいからとも。
確かにあの様子は、子供じみた感性の現れではないのか?

目的のためなら全てを投げ出す狂気のテロリストのように、計画に全てを捧げているようには見えない。
あれだけの力があるのだ、本当にウイルスの繁栄という目的を何よりも優先しているのなら事を荒立てず確実に遂行する方法などいくらでもあったはずだ。
わざわざ事を荒立てて、多くの感染者を敵に回すような言動をする意味がない。

「本当に女王は計画を遂行するつもりがあるのか。いや遂行するつもりはあるのでしょうが。
 話を聞く限り、それを最優先として行動しているとは僕にはそうは思えない」

計画の遂行を何よりも優先する冷酷な女王。その像が間違いである。
計画を掲げ遂行しようとしているが、新しい玩具(ちから)を試したいという好奇心や、周囲に振りまく悪意を抑えられない。
そんな子供じみた人物像が創のプロファイルする女王像だ。

「新しく得た力を試してみたかった、それが動機で計画云々はむしろ後付けのように思える」

創たちを分断した異空間もそうだ。
新たに得た『魔王の娘』の力、『不思議な世界へようこそ!(イン・ワンダーランド)』を試してみたかった。
うさぎを殺した理由も、運命視と魔法の組み合わせを試してみたかった。ただそれだけの理由。
運命の見えない相手を執拗に排除しようとするのも計画の遂行と言うより、自分の思い通りに行かない相手を許せない子供の癇癪に近い。

全てが継ぎ接ぎの破綻した人間を見た直後だからだろうか。
聞き及んだ言動のちぐはぐさから、創はそう言う結論を得た。

女王に命を狙われ、その強大な力を目の当たりにしたアニカも白兎も、女王は圧倒的な存在であると無意識に刷り込まれていた。
直接対峙していない創だからこその発想である。

女王は今日生まれ、つい数時間前に得た力を前提として計画を立てている。
計画者も実行する道具も、何もかもが付け焼刃の計画だ。
完璧であるはずがない。

「付け入る隙はある、という事?」
「だからこそ怖い、という事でもあります」

下手をすれば、考えなしに世界崩壊のスイッチを押しかねない怖さがあった。
それだけの力が今の女王にはある。
ともすれば、すでにそのスイッチは押されている可能性すらあるだろう。
女王が覚醒した以上、解決を急がねばならない。

「急いだほうがよさそうだ。それでは僕は哉太さんたちを探しに行きます。アニカさんもどうかお気をつけて」
「Mr.アマハラも。次はincidentのAfter resolutionに会いましょう」



287Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:18:01 ID:3pow9O3Q0
ゾンビたちが踊る不気味な夜の下。
片田舎の草原で多くの人影が一つの生き物のように蠢いていた。

視界を埋め尽くす壁のようなゾンビの軍団に対し、挑むのはたった1人の勇者。
100のゾンビと1人の女による決戦の火蓋が降ろされようとしていた。

蠢くゾンビの一団が一斉に茶子に向かって突進を始めた。
だが、その緩慢な動きを見逃す茶子ではない。

踏み出してきた最初のゾンビが近づくよりも早く、茶子は低く身を沈め一瞬で間合いを詰めた。
茶子の左手に握られた刀が、閃光となって闇を切り裂くと、最前列のゾンビの首が空中に舞い上がって地面に転がる。
残された胴体から血飛沫が花火のように夜空に広がり彼女の綺麗な顔を汚すが、その瞳には一片の揺るぎもない。

次のゾンビが彼女に迫る。今度は右手に錆びた斧を持った大柄なゾンビ。役所の仕事で何度も顔を合わせた岡山林業の社員の一人だ。
彼女は一歩後退し、ゾンビの斧が空を切る瞬間を見計らって、素早く踊るように左に回り込む。
逆手に持ち替えた刀が斜めに振り下ろされゾンビの肩から腰まで深く切り裂かれた。
反転した茶子の背で、露になった内臓が地面に落ちる音が響く。

三体目のゾンビは、役場の同僚だった。それなりに表面上は仲良くやっていた相手だった気がする。
その顔を見ても茶子は一瞬の躊躇いもなく同僚の頭を一気に斬り飛ばした。
返り血が涙のように彼女の頬を伝う。血化粧により狂気の色は一層濃く深まってゆく。

彼女の周囲には次々とゾンビが現れ、その度に彼女の刀は鮮やかに閃く。
四体目は足を失ったゾンビで、地を這いながら彼女に近づこうとする。
彼女は冷徹にその首を一刀両断し、静かに息を吐く。

次の瞬間、背後からの気配に気付き、振り向きざまに『蠅払い』の要領で刀を横薙ぎに振るった。
五体目の小説家ゾンビと、六体目の木更津組の三下の胴体が同時に真っ二つになり、揃ったように地面に倒れ込む。

戦いの中で彼女の動きは次第に美しさを増してゆく。
まるで舞踏のように流麗に踊る茶子に一斉にゾンビが襲いかかる。

刹那、彼女の刀が一瞬の閃光となり複数のゾンビの頭部を吹き飛した。
飛んで行く首の中には隣人だった者がいる、友人だった者がいる、弁護士だった者がいる、村長だった者がいる。
六体目、七体目、八体目――もはや何体目か数えるもの億劫になりながら、茶子は一体一体確実にそして無情に村人だったモノを斬り捨てていく。

彼女の周囲に屍山血河が築かれる。
血肉が飛び散り、命だった物が辺り一面転がる。
夜空には淡い月光が差し込み、彼女の刀だけがその光を反射して輝いていた。
芸術のように美しい剣技と、斬り殺されるゾンビたちの凄惨なコントラストが闇夜に浮かび上がった。

「シィ――――――ッッ」

踏ん張りの利かぬ右足で踏み込むのではなく膝を抜く、縮地が如き体重移動で茶子が一陣の風となる。
吹き抜ける風の過程にあったゾンビたちの胴が二つに分かれ、頭部が柘榴と割かれた。

「虎雄流も様になってきたなぁ!! やっぱ実践が一番だよなぁ!!」

茶子が何かがキマってしまった見たいにハイになって叫ぶ。
体が軽い。片手剣術もノッて来た。
一人また一人と切り捨てるたびに、茶子の中で何かが剥がれて行く感覚がある。

山折村のよき隣人たちを次々と切り捨てる。
山折村の存続を願う茶子が、山折村最後の生き残りたちを殺していく矛盾。
他ならぬ藤次郎の刀で村人を切り捨ててゆく己の姿が、あれほど憎み恨んでいた八柳藤次郎と重なっていることに彼女は気付いているのだろうか?

どす黒い濁流が残留する酸の血液を押し流すようだ。
継ぎ接ぎだらけの愛という塗装が剥がれ落ちて、むき出しの本性が露わになってゆく。
殺していくたびに、その狂気は加速して、剣技は一層研ぎ澄まされてゆく。

288Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:18:19 ID:3pow9O3Q0
「――――――ハハッ」

地獄で笑う。
知らず口から笑みがこぼれた。
その笑みに愉悦の色が混じっていた。

村を愛し守護りたいという心。
村を憎み壊したいという心。
そのどちらも本物で、その矛盾こそが虎雄茶子という人間なのだ。

きっと、彼女はずっとこうしたかったのだ。
自分を汚した何もかもを壊してしまいたかった。

「哀れだな」

ゾンビで出来た運河の先。
僅かに離れた位置で愁嘆場を眺めていた女王が憐憫ともつかぬ呟きを漏らす。
己が矛盾に気づかぬまま踊る様は哀れとしか言いようがない。

「終わらせてやろう」

そう言って、慈悲をもって指揮者のように指をふるう。
瞬間、茶子の体が強い衝撃を受け吹き飛ばされた。

「ぐっ…………ぉ!?」

横合いから痛烈な一撃。
寸前で刀の腹で受けたが避けきることが出来なかった。
油断ではない。神経はいつも以上に張り詰めていた。
十把一絡げのゾンビどもとは違う、明らかに動きの質が違うゾンビが1体混じっている。

吹き飛ばされる茶子は勢いに逆らわず、巧みに体を捻って刀を振るった。
その遠心力を利用して重心を立て直すと、吹き飛ばされた先に居たゾンビを蹴り捨てそのまま反動を利用して地面に着地する。

「ごほっ……………っのぉ」

僅かに血の混じった胃液を吐いて、茶子が自らを殴り飛ばしたゾンビを睨む。
そこに居たのは正拳突きの体勢のまま固まる迷彩色の防護服だった。
防護マスクのつなぎ目には僅かな穴が開いている、そこからウイルスが侵入したのだろう。

それは、この村におけるジョーカーである特殊部隊の証。
地下研究所でゾンビとなった黒木真珠が、女王の呼び声に従い決戦の地に馳せ参じた。

異常感染した[HEウイルス]は脳の領域を圧迫し、ゾンビからは理性と思考力が失われる。
だが、血の滲むような鍛錬を積み、思考を排し反射に至るまで体に染み付いた動きはゾンビであろうとも衰えない。
思考力を奪われ全盛期には程遠い動きだが、幼少の頃から格闘術を叩きこまれた真珠の体術はこの場において十分な脅威である。

研究所の最強戦力である茶子をもってしても特殊部隊の相手は簡単ではない。
仮に万全の状態でも苦戦は免れない相手だろう。
この満身創痍の状態でどれほど戦えるか。

「上等だよ…………ッ」

手の甲で口元を拭って折れることなく闘志を燃やす。
こちらも満身創痍だが、それはゾンビである真珠も同じだ。
理性を失い本能で動いているだけだ。何よりその両足は潰れている。
痛みを無視できるゾンビだからこそ活動が出来ているだけで万全ではない。
当然、動きにも影響があるはずだ。

289Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:18:44 ID:3pow9O3Q0
「ぃ―――――――くぞッ!」

茶子は地面を蹴るのではなく、膝を抜く事で地面を滑った。
八柳新陰流『這い狼』改め――虎尾流『虎滑り』。
そのまま再低空から跳ねるように首を狙う、より攻撃的で殺すための技。

だが、降りぬいた一撃は手甲によって防がれた。
精鋭たる特殊部隊のゾンビの守りはまさしく鉄壁、想像以上に固い。

一撃を防がれ地面を這うような体勢のまま固まる茶子の顔面に向かって間髪入れず真珠が鉄拳を振り下ろす。
スイカ割りのように頭蓋を砕く一撃を茶子は転がるようにして避けた。
代わりにその一撃を受けた草原の大地が爆ぜるように弾け飛んだ。

茶子は立ち上がると同時に背後から迫るゾンビを振り向きもせず切り捨てる。
彼女の敵は真珠だけではない。周囲のゾンビも変わらず茶子を狙い続けている。
これらに気を裂きながら目の前の強敵に対処する必要がある。

僅かに開いた間合い。
茶子は片手で上段に構えると、半身の体勢から閃光の如く刃を振り下ろした。
片手上段は半身となる分両手上段より遠くの間合いへ届く。
雷より早く放たれる星こそ八柳新陰流『天雷』を片手上段に改めた虎尾流『流星』である。

だが、左手一本で振り下ろされた流星を真珠は本能のみで受け止めた。
閃光が如き鋭き一撃を空手の上段受けの動きで払いのける。
手甲と刃、金属と金属が激しくぶつかり合う音が響く。
弾けるように火花が散り、夜の闇が一瞬明るく照らされた。

反射になるまで体にしみ込んだ動き。
一撃を弾いた真珠は間髪入れず反撃に転じる。
重心を低く保ったまま、地面を削る勢いで振り上げられるアッパーカット。
手甲に包まれた一撃は顎どころかそのまま頭蓋を砕く威力があるだろう。

右足の効かない茶子はその一撃を、体をそらして間一髪で躱した。
回避から止まらずそのまま身を捻ると、回転して今度は右側から切り込んだ。
真珠は手甲で刃を受けると同時に、もう一方の拳を振り上げ相手の防御を崩さんとする。
茶子はその動きを見切り、返す刃で弾くようにしてその一撃を逸らした。

両者の攻防は激しさを増し、刃と拳が交錯する度に金属の摩擦音が夜に響く。
夜に咲く火の花が儚くも次々と散って行った。

周囲を巻き込みかねない激しい攻防が続く。
だが、理性のないゾンビはそんなことはお構いなしに茶子の背後から突撃してきた。
個よりも全を優先する習性は、巻き込まれることを恐れていない、茶子からすれば厄介なことこの上ない。

「…………こ、のッ」

茶子が背後のゾンビに対応し刃を振るう。
ゾンビを切り捨てた勢いのまま廻るようにして一息で真珠に切りかかった。
だが、ついでで斬り捨てられる程、甘い相手ではない。

真珠は刃の下を潜るようにして身を躱す。
大ぶりを外した茶子は隙を晒すことになる。

その一瞬の隙を突いて真珠の足が揺らめいた。
それは雷鳴の如き鋭さをもって放たれる上段蹴りだ。
潰れた足で蹴りはないという常識的な判断が反応を一瞬遅らせた。
鋭い蹴りが茶子の鼻先を霞めて、鼻骨が折れた鼻から大量の血が噴き出す。

「……………チィ!!」

ただですら限界を超えた状態で、鼻呼吸が封じられた。
たたらを踏み後方に逃れようとする、だが、その隙を逃さず周囲のゾンビが一斉に襲い掛かる。
濁流の様なゾンビの群れが茶子の体を一瞬で乗り込んだ。

290Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:19:10 ID:3pow9O3Q0
「くっ…………な、せッ!」

大量のゾンビに掴みかかられる。
力任せに振り払おうとするが、あまりにも多勢に無勢。
単純な力勝負ではリミッターの外れた男たちには勝てない。
乱暴につかみかかられ、爪で引っ掻かれ、歯で噛み付かれる。

「や、めろ………………ッ!!」

閃光のように脳裏をよぎる純白。
白いアリスの城。ゴツゴツとした気持ちの悪い男の手。
駆け抜けた山中。
素足で踏む雨の日のアスファルト。
男どもに拘束され、いいようにされる無力な自分。

次々と脳裏に浮かぶ心的外傷が茶子から抵抗の力を奪って行く。
あの日のように、茶子の目から光が失われ生気が抜けていった。

「ぁ……っ。離れ、ろ…………ッ!!」

抵抗の言葉を口にするが力が入らない。
もみくちゃにされ取り落した日本刀が地面に刺さる。
ゾンビどもの渦に呑まれる。
力を失い動けなくなった茶子に向かって、特殊部隊のゾンビが迫りくる。

茶子の死神。
引き絞られた正拳が茶子の胸部を撃ち抜こうとした所で、



「――――――茶子姉ぇッ!」



遠くより、声があった。
沈んでいた茶子の目が開かれる。

ずっと聞きたかった、ずっと探していた声。
茶子の視線が声の方へと向いた瞬間、赤い閃光が投げ込まれた。

真珠ゾンビは振りかぶった拳を受けに回して自らの喉元に迫った赤い刃を弾く。
投擲された赤い打刀が回転しながら宙を舞った。

その介入により得た、奇跡のような一瞬。
その声を聴いて茶子の抜けていた力が入った。

八柳新陰流は力の流れを御する合気道にも通じる剣技である。
茶子は自らを拘束していたゾンビどもを合気の要領で投げ飛ばした。

拘束を脱した茶子はすぐさま飛びあがり、弾かれ宙で回転する赤い打刀を掴んだ。
同時に、折れた剣を手にした哉太が止まることなく距離を詰めていた。

「合わせろ――――――ッ!」
「――――――――応ッ!!」

八柳哉太、最大の強み。それは状況を受け入れ対応する力。
乱入した特殊部隊との戦闘をこなし、突然現れた神獣と連携をこなす。
すなわち咄嗟の対応力だ。

哉太は駆ける。地を這う、八柳新陰流『這い狼』
茶子は落下する。天から落ちる、虎尾流『流星』

比翼による上下同時攻撃が特殊部隊のゾンビに向けて放たれる。
必殺をもって放たれた同時攻撃は寸分違わず対象に炸裂した。

だが、修練を積んだ特殊部隊の反応速度はそれすらも上回る。
上下の攻撃を手甲と鉄足によって防ぐ。

そして、それがゾンビの限界であり敗因である。

知能のないゾンビの動きは体に染み込んだ反射でしかない。
攻撃を受ければ必ず防いでしまう。

茶子は振り下ろした赤い打刀からすぐさま手を離した。
着地と同時に、取り落し地面に付き去った日本刀を掴むとそのまま独楽のように回る。
無理な体制で片手片足を封じられたゾンビは次の手に対応できない。
全身を使って刃を振るう、回転力と遠心力を籠めた一撃は防護服ごとゾンビとなった特殊部隊の体を両断した。

291Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:19:57 ID:3pow9O3Q0
全身を投げ出すように振り抜いた茶子の体と泣き別れたゾンビの上半身が同時に地面に落ちる。
そこに駆けつけた哉太が地面に落ちた聖刀を拾い上げると、二刀を構え倒れる茶子を守護るようにゾンビたちの前に立ちふさがった。

「無事か!? 茶子姉」
「哉くん……どうして」
「こいつが案内してくれたんだ」

哉太の胸ポケットから顔を出した山ネズミがハァイと手を振る。
このネズミが哉太をここまで案内してくれた。
この案内がなければ茶子は死んでいただろう。

「スチュアート・リトルかよ」
「あっ。やっぱそう思うよな」

二足歩行のネズミを見て、共に映画を見に行った小さな思い出を思い返す。
地獄の様な戦場で、その軽口に少しだけ心が軽くなる。

哉太は安心させるように茶子に笑顔を向けると、二刀を構えて周囲へと視線をやった。
その表情は一転して厳しいものに変わる。

周囲には死の河。死屍累々の地獄絵図が広がっている。
ここで行われた激戦の過酷さと共に、茶子が重ねた業の深さを物語っている。

茶子は哉太と自衛以外の無駄な殺しはしないと約束した。
確かに襲い来るゾンビを放置しては自分の身が危うい。それは確かだ。
顔見知りたちの凄惨な死体の山を見るとどうしても、思ってしまう。
果たしてこれは必要な殺しなのだろうか?

だからと言って、この状況で殺すなとは言えなかった。
茶子の行いを肯定する訳ではないが、そうしなければ死んでいたのは茶子の方だ。
哉太はその結論を保留するようにゾンビたちに向き直る。

川のように広がるゾンビたちの対岸に、一人の少女が佇んでいる。
夜闇ではっきりと姿は見えないが、恐らくあれが女王である珠だろう。
茶子の大立ち回りによってゾンビの大河は、かなりの数を減らしている。

「ここから先は俺に任せて、茶子姉は休んでいてくれ」
「いいや。そうはいかない。あたしも戦う」

心配する哉太の言葉を遮り、全身に鞭打ち立ち上がる。
茶子の体中には痛々しい爪跡や噛み傷が残っていた。
致命傷に至るような傷ではないが、哉太と違って治るわけではない。

「無理は……」
「……するでしょ。今が無理のしどころよ」

それでも休んでいる場合ではない。
女王を前にしたこの村の行く末を左右する大一番。
ここで無理をせず何時するというのか。

「――――――ふぅ」

茶子が深く息を吐く。
酸の血を瀉血させた分も合わせれば、随分と多くの血を流した。
だが、顔色は悪くない。気力も回復したためか、先ほどまでよりもいくらかいい。
精神論だけではなく、虎の心に調伏されたウイルスが全身を巡り、血を巡らせている。
動き始めた右の具合を確かめて、気合を入れる。

「…………ゾンビどもは私が相手する。哉くんは女王の所に行って。ここは私に任せて先に行け、ってやつね」

冗談めかしてそう言うが、哉太は厳しい表情でその言葉を受け止める。
目減りしたとはいえゾンビの数は未だ小隊程度の数が残っている。
状況的にそのセリフは洒落になっていない。

「いや。戦うにしても、一緒に戦った方が」
「はっきり言う。助けてもらっておいてなんだけど、ゾンビであろうとも哉くんは殺せないでしょう? それじゃあ足手まといよ」
「………………それは」

哉太は反論できなかった。
気喪杉や魔王の様な弱者を害する悪を斬る覚悟はあれど、顔見知りを斬る覚悟が哉太にはない。
実力不足かそれとも覚悟不足か今となっては定かではないが、悪逆を尽くした藤次郎相手ですら自分の手で斬るには至らなかった。

少なくとも、茶子は哉太では斬れないと思っている。
剣士としてはそれではダメだと思うと同時に、少年としてはそれでいいとも思っている。
二律背反。茶子の抱えるいつもの物。

哉太にできるのは膝を折るなり拘束するなり無力化するのがせいぜいだろう。
この数を相手にその甘さは命取りになる。

「何より、こちらの戦力が変わった以上、いつまでもあの腐れ女王が高みの見物と決め込んでるとは限らない。一人当った方がいい」

これは村の存続を望む茶子に村人たちを殺させ、最終的に数の暴力でなぶり殺しにする悪趣味な見世物だ。
哉太の介入によりその図式が崩れた以上、女王がどう動くか分からなくなった。

横やりを防ぐ意味でも、逃亡を防ぐ意味でも、戦術的に足止めは必要だ。
女王に余計な意識を裂かなくて済む分、ゾンビを相手にする茶子としてもやりやすい。

292Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:20:08 ID:3pow9O3Q0
「…………分かった」

哉太はその方針を受け入れる。
茶子の判断がこの場における最良の判断なのは疑いようがない。
先ほどの特殊部隊のような突出したゾンビがいない限りは茶子が後れを取るような事はないだろう。
女王の抑えが必要なのも納得ができる。

だが、ここを茶子に任せるという事は茶子の殺しを容認する事だ。
ゾンビとなったとはいえ相手は同じ山折村の村人だ。
自分の手を汚さないために、大切な人が手を汚すことを容認していいのか?
そんな疑問が哉太の脳裏をよぎる。

「哉くん。ちゃんと女王を殺せるわよね?」

珠と同じ顔をした相手を殺せるのか?
その迷いを見透かすように、確認するように問う。

茶子は哉太に不必要な殺しはしないとあのマイクロバスで約束をした。
逆に言えば、必要な殺しは存在するという事である。
茶子にとって立ち塞がるゾンビどもを切り殺すのは必要な事である。
女王を殺す為に。

女王の殺害はウイルスに侵された感染者にとって、引いては世界に感染拡大を防ぐために必要な殺しだ。
ここで日和るようでは話にならない。

「――――戦える。そのためにここに来たんだ」

殺すのではなく戦う、とそう答える。
誤魔化しではなく、哉太はそのために来た。

「……ま、いいわ。そっちは任せる。こっちもすぐに終わらせるから、最低限それまでは持たせて」

その回答に、完全に納得した訳ではないだろうが、ひとまずは良しとしたのか。
茶子はようやく動くようになってきた右手で刃についた脂を拭って空を切る様に刀を払う。

「それじゃあ――――行って」
「了解、背中は任せた――――!」

言って、女王に向かって哉太が駆ける。
すれ違いざまに『抜き風』で目の前に立ちふさがる最低限の相手の足元を切りつけながら、間に挟まるゾンビの包囲網を強引に突破する。
それに反応した周囲のゾンビたちが瞬時に哉太に群がるが、その背に襲い来るゾンビたちに向かって剣が舞った。
哉太は振り返らず、必ず守ってくれると信じて背後を気にせず駆け抜けてゆく。

「よぅ――――――仕切り直しだ。ゾンビども、さっきまでと同じと思うな」

ゾンビたちを切り捨てた茶子が刃に付いた血を払う。
渦巻くゾンビの中心に躍り出て、ザッザと確かめるように右足で地面を堀りながら刀を構える。

継ぎはぎだらけの心は新たに糧を得て修復される。
100人切りで磨かれた技の冴えはそのままに、愛憎が気力となって体に満ちる

思い出された心的外傷は彼女を突き動かす原動力。
殺すべきを殺さねばならない。その決意を新たにする。
受けた恥辱は必ず返す復讐の虎は殺意を漲らせる。

「次の予定が詰まってんだ――――秒で終わらせる」



293Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:21:03 ID:3pow9O3Q0
立ち塞がるゾンビの壁を越え、少年は草原を駆け抜ける。
心臓が高鳴るのは運動による影響だけではないだろう。
少年の向かう先には、一人の少女が待っている。

「やぁ。よく来たね」

何気ない様子で、待ち人が来たかのように微笑む。
哉太は足を止めると、僅かに乱れた息と鼓動を抑え、少女の前に立つ。
月明りに照らされる少女の姿は美しく、どこか神々しさすら感じられた。

「珠ちゃんを返してもらう」
「またそれか。まったく誰も彼もがこの体を気にかけるのだな」

呆れたように日野珠の姿をした[HE-028-Z]は首を振る。
彼女こそがウイルスを統べる女王。
全ての始まりにして終焉となる女。

「ゾンビをけしかけているのはアンタなのか?」
「そうなるかな」
「やめさせてくれ」
「それは難しい、虎尾茶子は私を殺そうとしているからね」

自衛のための殺し。
今、ゾンビ相手に茶子たちが行っている事と同じだ。
哉太たちがこの村で行ってきた事だって引いてはそう言う事だろう。
その行いは生物である以上、肯定されなければならない。

「お前はどうだ? 八柳哉太。お前も私を殺しに来たのか?
 それともの山折圭介ように日野珠を殺せないとでもいうつもりか?」

目の前に立つ哉太の覚悟を嘲笑うようにくつくつと笑う。
哉太は嘲笑に表情を変えることなく、真剣な表情で答える。

「確かに、お前の言う通りだ。俺は珠ちゃんを殺したくない」

大切な妹分を、出来るなら殺したくはない。
全人類が天秤にかかっている以上、比べようもないだろうが、それは嘘のつきようがない本当の気持ちだ。

「だけど、それだけじゃない」

哉太は続ける。

「俺はお前も殺したくないんだ、女王」
「…………ほぅ?」

ウイルスの活動を止める。
それを、病気を治すのと同じようなものだと考えていた。
そこに奪われる命があるだなんて、考えてすらいなかった。
感染者の命さえ救われればそれでいいと思っていた。

だが、こうして女王と直接、言葉を交わして相手が意思を持ったひとつの命だと感じられた。
だからこそ、できるのであれば平和的に終わらせたい。
多くの犠牲を出してもう手遅れだとしても、手遅れだからこそ、そうしたい。

「私を殺さずどうするというのかね?」
「お前が本当にウイルスを従える女王だってんなら、お前の力で事態を収めることもできるんじゃないのか?」

[HEウイルス]を統べる女王の力をもってすれば、事態を解決できるのではないか。
哉太の考えは、自分自身ではどうしようもない事を理解した丸投げである。
他人任せどころか、元凶である相手頼みの解決策だ。

女王が止めようがないほどの力を付けたからこそ解決できる望みが繋がる。
平和的に解決するにはこれしかないと言う理想論。
この解決策を実行するには女王が応じる必要がある

「…………そう来るか。なるほど言葉は『観えぬ』ものだな」

多くの感染者に協力を呼び掛けてきた女王だが。
まさか自分が協力を呼び掛けられる側になるとは考えてもいなかったようだ。
女王は僅かに驚いたような表情を見せ、僅かに眉をひそめながら視線を遠くにやり考え込むような仕草を見せた。

294Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:21:20 ID:3pow9O3Q0
「我が戦鬼は山折圭介を殺している。それに私も犬山うさぎも殺しているぞ? それでも私の手を取りたいと?」
「……何もかもがいいという訳じゃないさ。けれど、お前が本当に自衛のためやった事だというのなら俺はその行為をこれ以上責めるつもりはない。
 だから、お前がこちらと争う気がないのだとしたら、手遅れという事はないはずだ」

圭介やうさぎを殺した相手だ、もちろん思う所はある。
それが、悪意を持って行われた所業であれば許すことなどできるはずもない。

だが、それが生きるための行為だったのであれば戦場に罪科は問えない。
哉太は茶子の行いもそうだろう。
鉛のように重くとも、それは飲み込むべきだ。吐き出してはならない。
それが、ここから先の未来を諦める理由にはなってはならないのだから。

だからこそ、知らねばらない。
相手がどういう考えを持った人間、いや細菌か。
ともかく、言葉を交わし相手を知らねば斬ることなど哉太はできない。

「甘いな。だが気に入った」

女王は上機嫌そうに笑みを作る。
珠らしからぬ支配者の笑顔に、哉太は悲しそうに目を細めた。

「確かに、私の力をもってすれば貴様の望む結末を用意することも不可能ではない」

第二段階に至った今の女王は活殺自在だ。
[HEウイルス]に対して絶対的な命令権を持つ女王であればその活動も自在に制御できるだろう。
女王にはそれだけの権限と力を持つ。

「なら…………ッ」
「――だが、それは私の目的に反する。
 私の目的は同族たちの繁栄だ。それを自らの手で止めるなどという判断はあり得ないのだよ」

人間への被害を減らすという人間側である哉太の願いは、すなわちウイルスの感染拡大を停止して繁栄を止めるという事だ。
それは受け入れられるはずもない。

「[HEウイルス]の感染拡大は続ける。これは絶対だ。と言うより――――もう実行済みだ」
「なに………………?」

その告白に哉太の目が驚愕に見開かれる。

「村の外に新たに59の女王を生み出している。感染拡大は既に始まっているだろう。
 この流れは私が死のうが止まらない。感染の繁栄は既定事項だ」

既に村外への感染拡大始まっている。
それは感染拡大を防ぐためのこれまでの戦いが無に帰したことを意味している。

「だが、君が望むのならば条件を付けてやってもいい」

女王は言葉を続ける。
哉太を誘い、勧誘を返すように。

「全てとはいかないが、君が望む人間を正常感染者にしてやってもいい。
 人間と[HEウイルス]の共存した君ら正常感染者は我々の理想の落としどころだろう?」

[HEウイルス]の適合は感染者の体質ではなくウイルス側が選択権を持つ。
[HEウイルス]に対する命令権を持つ女王であれば、誰が正常感染者となるかの取捨選択も可能だ。
世界中の人間の生殺与奪を握る神に等しい権利、女王はその選択権を哉太に提示する。

「だめだ、そんな要求には従えない」

だが、一瞬の逡巡もなく哉太は即答する。

「何故だ?」
「俺は救う人間を選ぶような真似はできない」

人は神にはなれない。
人にできるのはその小さな手の届く範囲に手を指し伸ばす事だけだ。
命の取捨択一などやってはならない事だ。

「何より、それじゃあこの山折村で起きたことが別の場所でも起こるだけだ」

数名だけ救ったところで意味はない。
この村を襲った悲劇が各地で繰り返される。
それでは何の意味もない。

「当然だろう。それが目的なのだから。私は山折村を作りたいのさ。私と言う進化の土台を作り上げたこの山折村をね」

自らを生み出し利用した研究所への意趣返し。
世界の支配者を決める女王なりの人間への宣戦布告だ。

295Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:21:57 ID:3pow9O3Q0
哉太は悔しそうに拳を握り絞める。
女王の主張が理解できなかったわけではない。
女王の主張が理解できてしまったのだ。

女王の価値観はあくまでウイルスファースト。
ウイルスの女王としては正しい、正しいが故に人とは相いれない。

人と細菌。
互いに言葉を交わすことが出来ても価値観の違いを浮き彫りしただけだ。
得られたのは、決して分かり合えないという結論だけだ。

「分かり合えないんだな」
「そのようだな、残念だ」

哉太が刀を構える。
それを見て、女王も静かに木刀を構えた。
互いに二刀。合わせ鏡のように構える。

事ここに至ってはもはや是非もなし。
哉太は『女王』を殺す覚悟を決めた。
女王が細菌の繁栄を望むように、哉太は人の存続を願う。
互いに譲れぬ一線が衝突するのであれば、武力をもってことを成す他ない。

女王が扱うは蘇生した聖剣の魂により作り上げた二振りの聖木刀ランファルト。
木刀二刀を持つ限り使い手を剣の達人とする『林流二刀剣術』、あらゆる刃物を使い熟す『神技一刀』。
飛行の術式を剥奪され、女王は地上戦を余儀なくされたが、女王の力をもって引き出した異能の力がある。

これに対するは『八柳新陰流』。哉太の祖父八柳藤次郎を開祖とする対ヤクザを想定した実践剣術。
皆伝に至らぬ未熟の身なれど、八柳新陰流の理念に基づく実戦にて磨かれた技にて女王に対する。
手には宝聖剣の遺志を継ぐ折れた魔聖剣、そして始祖なる巫女の血により生み出された赤き聖刀神楽の二振り。

暗黒の野に静寂が落ちる。
風が凪ぎ、月が雲に隠れ、闇が世界を覆った。
互いの剣気が乾いた空気を張り詰めさせている。

風が吹き草原が波立ち、雲が流れた。
次に月が世界を照らす頃には、既に勝負は始まっていた。

先に動いたのは女王である。
足音も立てず暗黒を駆ける女王。
『暗視』による夜目を生かして、暗闇の中で先手を取った。

振るわれる聖木刀。
二つの異能を乗せた斬撃は余りも鋭く的確で速い。正しく達人の一撃である。
常人であれば暗闇の中、放たれたことに気づくことすらできずに切り捨てられていただろう。

この一撃を、哉太は事も無げに防いだ。
折れた魔聖剣で聖木刀を防ぐと同時に、哉太の右手が奔り赤い閃光が女王を襲う。
だが、女王もまた慌てることなく逆手のもう一振りの聖木刀で払いのけた。
瞬きの間に互いの攻と防が衝突する。

二刀流の利点は手数だ。
攻と防を同時で行え、戻りの隙を逆手の武器で封じられる。
絶え間なき連撃こそが二刀の真骨頂と言えるだろう。

故に必然、二刀流同士の戦いは常に攻防一体となる。
敵の攻撃を見極め防ぐ。敵の隙を見逃さず攻める。
これを隙間なく同時に繰り返す一息の余裕すらない絶え間なき剣の嵐。
一手誤った方が負ける、神経をすり減らす戦いである。

「――――――シッ!」

その打ち合いが30合を超えた所で、女王が仕掛けた。
力任せに叩きつけるように聖木刀を打ち付ける。
技で掻い潜る柔ではなく、防いだところで防御ごと持っていく剛の一撃。

二刀の欠点は軽さだ。
片手であるため両手持ちよりも一撃が軽く、肉は切れても骨は切れない。

だが、その欠点は女王には適応されない。
異能で『剛躯』により引き上げた膂力は片腕でも肉と骨を絶てる。
叩き付けた一撃は防御ごと相手を押し切るだろう。

「うぉぉぉおおおおおお!」

だが、哉太は怯まず押し返す。
哉太は『剛躯』に真正面から力で対抗する。
折れた魔聖剣は刀としては不完全な状態にあるが、内蔵された魔力は健在である。
魔聖剣は哉太を使い手として認めたのか、哉太の体に魔力は通り身体が強化されていた。

そして、押し返すように大きく刃をはじいた。
打ち合いが途切れ、間合いが僅かに開く。
一瞬の間。

296Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:22:28 ID:3pow9O3Q0
それを好機と見た女王が動く。
自ら攻防同時のリズムを崩したのだ。
防御を捨て二刀を攻撃に回す。

聖木刀を合わせるように赤い刃に叩き付ける。
狙うは武器破壊。
魔聖剣をへし折ったように、聖刀神楽を折りにかかった。

だが、哉太は武器破壊を狙ってきた相手の一撃を、柳の如き手首の返しで軽くいなした。
八柳新陰流『空蝉』。
武器破壊など互いの技量に大きな差がない限りは狙って出来るものではない。

「ほっ。やるな。山折圭介のようにはいかぬか」
「馬鹿にするな。圭ちゃんは俺より強かったよ」

圭介も八柳流の心得はあったが、達人の域まで至ってはいなかった。
様々な強敵を超えてきた今の哉太は既に達人の域を超えている。
女王がスキルで得た技量に哉太は純粋な技量によって肉薄していた。

「どこが?」
「心が」

心の強さ。
技量も力量も互角。
勝負を分けるとするならば、それは精神だろう。

哉太は乱れることなく平常心を保っている。
全てが決する決戦に至って気負いもなく、かと言って臆するでもなく戦士として理想的な精神状態を保っていた。
それはきっと、託された多くの想いがこの刃に乗っているからだろう。

対する女王も余裕を保っている。
女王はまだ底を見せていない。
女王が保っているのは哉太とはまた違う種類の遊んでいるような余裕である。
実際、世界を自在にできる女王からすればこんな勝負は遊びでしかないのだろう。

これは明確な油断であり、女王の隙である。
だが、余りに強力な女王に対して、その隙を突ける者など存在しなかった。
これまでだってそうだ。

聖魔剣を操る山折圭介。
隠山祈を身に宿した神楽春姫。
高魔力体質を持ち運命から逃れた天宝寺アニカ。
十二の神獣を操る召喚者、犬山うさぎ。

誰もが女王には届かずその命を散らした。
この山折村において女王は絶対的な強者として君臨している。

「やっぱりお前は女王だよ。戦う者じゃない――――」

だが、哉太はその事実を否定する。

細菌の世を望む女王の展望と実行力は確かに恐ろしい。
だがそれは人間と相容れぬ、人外の為政者としての恐ろしさだ。
戦闘者としては戦鬼の方がまだ恐ろしかった。

これまで女王と対峙してきた者たちは村長や巫女であり戦士ではない。
彼らに対しては優位に立ち回れたかもしれない。
だが技術や能力は取り込んだ力で補えても、生まれたばかりの女王には積み重ねた経験がない。

全力を出したうえで余裕と切り札を持つのと、全力を出さない事は違う。
女王は根本的なところでその戦闘の機微、勝負所を理解できていない。

297Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:23:57 ID:3pow9O3Q0
哉太が動く。
地を這う狼が如く疾走する、八柳新陰流『這い狼』の動き。
それを女王は『暗視』にて捉え、『林流二刀剣術』による達人の業にて対応する。
一刀にて『這い狼』を防ぎ、一刀にて地を這う相手を串刺す構えだ。

だが、地を這う哉太の動きが変わる。
僅かに疾走の軌道を変えると、身を捩じるように大地を蹴った。
それは剛力魔人、気喪杉を相手に見せた曲芸『捩り風』の動きである。

しかし、女王はその動きもしっかりと捉えていた。
逸れた軌道に合わせ『神技一刀』による聖木刀を振り下ろす。

哉太は身を捻りながらその一撃を受ける。
そこから二刀『朧蟷螂』に繋げる、それこそが曲芸『捩り風』の真骨頂。
女王もそう読み切り、一刀を防御に置いていた。

だが、哉太の動きはここからが違った。

攻撃を捨てるように、女王の斬撃を二刀によって受けとめたのだ。
二刀が敵の刃を咢が如く挟み込むと、そのまま身を捩じる哉太の体が加速する。
それは獲物に噛みついた肉を噛みちぎる肉食獣の如く。
挟み込まれた聖木刀が破壊された。

敵の刃を咢が如く挟み込み破壊する。
曲芸でしかなかった『捩り風』を奥義の域に引き上げ完成させた。
その技の銘は―――――八柳新陰流・二刀奥義『狗咬み』

それは無力化を目的とした奥義である。
殺人剣を目指した祖父である藤次郎とは違う、哉太の至った活人剣の境地。

武器破壊は技量に大きな差がない限りは狙って出来るものではない。
つまり、女王と哉太の技量には大きな差あるという事。

異能『林流二刀剣術』は達人の剣を手にできる。
だが逆に言えば、至れるのは達人の域までだ。
達人の先にある剣鬼や剣聖の域に至れば、それを凌駕する事は難しくない。

隠山祈に復活させられた際に、一度『剣聖』の域を体験したからだろう。
ゾンビとなり記憶はなくとも、体が覚えている。
その体感をなぞる様に哉太の技量は達人の域を超え、剣聖の域まで片足を踏み込んでいた。

聖木刀を破壊した哉太は女王の脇をすり抜け背後に回り込んだ。
すぐさま体勢を立て直し、女王へと振り返る。

更に一歩。間合いに踏み込む。
女王も同じく、破壊された聖木刀を投げ捨て彼方へと振り返った。

向かい来る哉太に向かって、一刀となった聖木刀を振り下ろす。
だが、『林流二刀剣術』の効果は二刀でなければ発揮されず、狙いも足運びも素人のそれ。
『神技一刀』振るう刃の鋭さはあれど女王の剣の技量は地に落ちた。

剣聖相手には届かず、振り下ろされた一刀は折れた魔聖剣に絡め取られる。
八柳新陰流『朧蟷螂』。逆手の赤い刃が女王の首を完全に捕らえた。

だが、その刃が首筋で止まる。
女王が何かした訳ではない、哉太に生じた一瞬の躊躇い。
それこそが女王の湛える余裕の源泉。その運命が女王には観えていた。

確かに哉太は『女王』を殺す覚悟を決めた。
たが、日野珠を殺す覚悟までは完全には出来ていなかった。
故にこそ、女王にとってこれは殺し合いではなくお遊びに過ぎなかった。

298Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:24:20 ID:3pow9O3Q0
「チャンバラごっこお前の勝ちだ。満足して死ね」

女王の宣告。
女王の背後に黒曜石の槍が展開される。
一息に数え切れぬほどその数は夜空に瞬く綺羅星の如く。

飛行を封じられたとはいえ、女王には『魔王』の力が残っている。
そもそも、これまでの戦いは魔法を縛って剣士の領分に付き合っていただけなのだ。
だからこそ、不利になろうと余裕があった。

女王が手を振り下ろす。
号令一下。鋭く尖った黒曜石が豪雨の如く降り注いだ。

哉太も咄嗟に身を引くが、その数と速度に圧倒され避けることができなかった。
その鋭い先端が皮膚を突き破り臓腑を穿つ。
槍は次々と哉太の体を貫き、哉太の全身が串刺しにされて行いった。

「流石だな。ここまで生き残っているだけの事はある。即死しなければ回復できると踏んだか、自分の異能をよく理解している」

哉太は全身をなげうってでも脳と心臓を守り即死だけは避けた。
痛みと血の匂いが草原を満たし、少年は絶望の中で息を整えようとした。
だが、その全身は杭に打ち付けられたように突き刺されておりピクリとも動かない。
地面に磔となり動くことすらできない哉太を標本でも見つめるような女王の冷酷な笑みが見下ろす。

「安心しろ。殺しはせん。少なくともお前はな」

言って磔になった哉太に近づく。
すると、哉太の胸ポケットが僅かに動いた。
そこから這い出てきたのは血濡れになった山ネズミだった。

「やはりな。余計な真似をしていたのはお前だったか」

忌々しそうにそう言って、女王はパチンと指を鳴らす。
現れた黒曜石の刃が山ネズミを串刺しにした。

「さて。これでもう余計な邪魔はなくなったわけだ。
 ―――――さあ、共存しようではないか八柳哉太」

地面に張り付けになった哉太の頭に女王の白く細い指先がそっと伸びる。
何をするつもりなのか、避けようのない状況でゆっくりと迫るその指を哉太は朦朧とした目で見つめていた。
だが、その指先が額に触れたところで、ピタリとその動きを止める。

女王が何かに気づいたように顔を上げる。
女王の全身にビリビリとしびれるような感覚があった。
空気が張り詰め、周囲の気温が僅かに下がったようにすら感じられる。

知っている。
これは、殺意だ。

「―――――――――殺す」

ザッと草を踏む足音。
そこに居たのは全身を真っ赤な血で染めた一匹の獣。
バケツで被ったような血濡れ姿で肉食獣の様な嘶きと共に殺意をまき散らす。
立ちふさがる100のゾンビを、愛する者、憎む者を一人の例外もなく殺しつくした。
差別なく、区別なく、平等に、皆殺しにした愛憎の虎。

「ハハッ。恐ろしいなぁ、虎尾茶子」

最強の守護者たる戦鬼は倒れ。100のゾンビは全滅した。
この村にもはや女王を守護するゾンビは1人たりとも残ってはいない。

「……哉くんから離れろ」
「いいとも」

女王はあっさりとした態度で伸ばしていた指を引き、哉太から身を放す。
そして数歩離れたところでパチンと指を鳴らした。
哉太を串刺しにしていた黒曜石の槍が塵のように風に流され消える。

余りにも簡単すぎる開放。
その態度を不審に思うが、ひとまず茶子が哉太に駆け寄る。

「大丈夫!? 哉くん!?」
「っく…………ぁ」

全身が穴だらけになった哉太が痛みに喘ぐ。
穴だらけになった全身の傷は常人であればショック死していてもおかしくはない。
だが、哉太の異能は彼を生かす。傷口は目に見えるほどの速度で回復していく。

即死でない限り生存する哉太の異能。
茶子はひとまず胸をなでおろし、改めて女王へと向き直る。

299Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:24:32 ID:3pow9O3Q0
「やってくれたなバイ菌女。殺すぞ」

哉太と違い茶子の中に甘さなど欠片も存在しない。
一片の容赦なく女王の首を切り落とすだろう。

容赦もなく情緒もなく、放たれるは地を滑る一刀『虎滑り』。
対する女王は聖木刀を構えるでも、魔法を展開するでもなく不動のまま。
達人ではない女王では反応すらできていなかった。

構える隙すら与えず首を落とす。
血で磨き抜かれた虎尾流は、それを可能とする領域まで研ぎ澄まされていた。
女王を斬首する、その確信を得た一撃はしかし。

刃の衝突する甲高い音によって防がれた。

降りぬかれた一刀を横から割り込んだ二刀が防ぐ。
弾かれた衝撃で茶子の体が後方に後退った。

「…………そんな…………」

何が起きたのか。
それを理解した茶子が恐怖で顔を引きつらせながら、いやいやをするように首を振り茶子が後退った。
絶望が立っている。

立ちふさがるのは彼女にとっての最悪の敵。
二刀を構える八柳哉太の姿があった。

立ち上がった哉太は既に全身の穴は完全に修復されていた。
異能にしても傷の治りがあまりにも速すぎる。

「さあ私を守護せよ。私の騎士」

女王は張り付けになった哉太の頭部に触れて脳内の[HEウイルス]に直接働きかけた。
女王(わたし)を守護せよと、ウイルス自身の生存本能に任せるのではなく、明確な意思をもって眷属化を加速させた。

魔王由来の力に抵抗できる『高魔力体質』を持つアニカ。
精神攻撃を跳ね返す『虎の心(リベンジ・ザ・タイガー)』を持つ茶子。
彼女たちと違って哉太の異能はそういった耐性を持たない。

女王が近接戦に付き合ったのはそういった理由もある。
眷属化を加速させるために距離を詰めたのだ。
その影響を押さえていたのが山ネズミだったのだが、それも女王に見抜かれ排除された。

女王の後押しによりその回復力は極限にまで高まっていた。
ある意味でゾンビよりもゾンビらしい不死の騎士。

思考力を奪われるゾンビ化とは違う。
変わったのは、女王を守護るという絶対意志が全てに優先される思考の方向性。

脳を破壊され理性を失ってた大田原とは違う。
元の人格を保ったまま行動原理だけが異なる八柳哉太として、女王を守護する騎士のように八柳哉太が立ち塞がる。


「女王は殺させないよ、茶子姉」




300Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:24:58 ID:3pow9O3Q0
「何だ、何がどうなってる…………っ!?」

ようやく決戦の地に辿りついた天原創が困惑の声を上げた。
駆け付けた創がそこで見た物は、積み重ねたゾンビたちの死体の山。
そして辺り一面転がる死の中心で、衝突する八柳流の龍虎の姿だった。

その光景は仲間割れにしても異様である。
正義感の強い哉太が攻め込み、過激な思考をしていた茶子が防戦一方となっている。
創の印象からして立場が逆だ。

「おや、君も来たのか天原創。役者が揃ってきたかな?」
「ッ!?」

哉太たちを静止しようとしていた創が、その声に弾かれたように向き直る。
目の前で殺し合う仲間を止めるよりも優先すべき事項が現れた。
この状況における最重要人物にして最終目標。
創が出迎えるように現れた少女の正体を告げる。

「女王――――――」
「おや、珠ちゃんとは呼んでくれないのかい?」

そう言って笑う。
太陽を含んだひまわりのようだった日野珠とは似ても似つかぬ毒を含んだスズランの笑顔で。
彼女がそうであることは情報として知っていたが、目の当たりにすると知らず拳に力が入ってしまう。

潜入に来たこの山折の地で共に机を並べ学びあったクラスメイト。
転校生である創を気にかけてくれた少女。
その少女の体がいいように使われているのは得も言われぬ不快感がある。

「彼らに何をした」

創は努めて冷静さを保ちながら、背後で刃を合わせ火花を散らす姉弟弟子について問う。

「何もしていないさ。彼が私を守護しようとしてくれているだけだよ」
「――洗脳能力」

アニカから聞いた声を響かす洗脳能力。
その指摘を受けた女王は心外だと言った風に肩を竦める。

「人聞きが悪いな、君にも聞こえているだろう? 声が。
 これは私を守護しようという彼らの自主的な善意だよ」

彼らとは哉太や創を指しているのではないのだろう。
細菌の女王らしく、正常感染者の頭の中にいる[HEウイルス]たちを個として扱っていた。
ウイルスたちは女王を守護るべく、己が感染者の行動原理を歪めている。

その言葉の通り、創の頭の中にも声が響いていた。
だが異能を無効化する右手の影響か、響く声は小さなものだ。
創の精神力であれば抗うのに問題ないだろう。

「その右手か。厄介な力だ」

言って、無造作に女王が黒曜石の槍を放つ。
下手な狙撃銃よりも貫通力を持つ殺傷兵器は、創が払うように振るった腕に触れただけで簡単に霧散した。
これは互いにとって殺し合いにも満たぬただの確認作業。
粉のようになった黒い魔力の粒子が風に流れる。

「『魔王殺し』。魔王を殺した君の力を私は最も警戒していた」

異能を否定する異能『細菌殺し』。
進化を遂げた今となっては、魔王を否定する『魔王殺し』の異能である。

世界を滅ぼす異界の『魔王』の力に対し。
あらゆる魔法を弾く高魔力体質は防御に特化していたが。
触れた細菌と魔王の力を問答無用で否定する創の異能はより攻撃的である。
細菌であり魔王の力を取り込んだ女王の天敵ともいえるだろう。

301Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:25:18 ID:3pow9O3Q0
「故に、君に相応しい相手を用意することにした――――!」

そう言って、舞台で踊る大女優のように女王は両手を広げた。

「さぁ……全ての魂よッ! 目覚めるがいいッ!!」

女王の呼び声。
それはまるで世界そのものに向けて呼びかけているかのような声であった。
その声に応えるように世界が歪み始める。

「なん、だ…………ッ!?」

思わず創が戸惑いの声を上げる、巻き起こるのはとびっきりの異変だ。
変化はこの場に留まらず、村のいたる所からからあった。
光のない夜を照らすように淡い光が村のあちこちから浮かび上がり始めたのである。

あるいは、それは巣食うものが食い散らかした病院の方向から。
あるいは、沙門天二が無双を続けた木更津事務所の周囲から。
あるいは、気喪杉禿夫が暴れまわった住宅街の一部から。
あるいは、八柳藤次郎が住民を殺しまわった古民家群の辺りから。
そして、虎尾茶子がゾンビを斬り殺した今この場所からも。

光を放つのは死体だ。
周囲にあるゾンビたちの死体で出来た運河からも、淡い光が浮かび上がっている。
グロテスクな死体の海から浮かび上がる美しき光の海。まるで地を流れる天の川のよう。
それは死霊術によって蘇りし魂、尊き命の輝きである。

――――死霊術。
『魔王』の操る死者の魂を疑似的に蘇らせる命を弄ぶ外法である。
肉体と言う枷から解き放たれた1000人の死者と、それに取り付いた[HEウイルス]たちの魂が死霊術によって一時的に蘇った。

美しさと悍ましさが入り混じる。
生命を冒涜する光が幾つもの浮かび上がり夜の地上を輝かせていた。



302Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:26:06 ID:3pow9O3Q0
「what's happening!?」

アニカは空を見上げながら、驚愕と戸惑いの声を漏らしていた。

創を見送ったアニカは願望機の探索を続けていた。
時刻はすっかり深夜に入り、彼女の進む道筋を星が照らす。
地の光がないためか、都会では考えられないほど満天の星が輝いている。
地上の地獄など忘れてしまいそうになる程の美しい空だった。

だが、それを塗りつぶすような光の束が唐突に村中に出現したのだ。
その光の奔流がどこか一点に向かって流れてゆく。
まるで地上を流れる流星群である。

アニカは異様な空を見上げる。
明らかにまともな現象ではない。
何か異常な事態が起きている。

「………………?」

だが、アニカは見上げる空に一つの違和感を覚えた。
まともなことなど一つもない、異常だらけの空に違和感を見出す。

それは輝く一等星。
流星群の中に一つだけ動かない星がある。
星が動かないのは当たり前の事だが、遥か宇宙の先にある本物の星とは違う。
何故なら、その星は流星群より低い位置にある。

なにより、あんな星をアニカは知らない。
星に詳しいわけではないが21の一等星くらいは把握している。
その中で、あんな位置にある星は存在しないはずだ。

夜空に瞬く星座はそう簡単に変わるものではない。
Z計画の発端となった超新星爆発の影響かとも思ったがそうではないだろう。
知らない星が山折村を照らしている。
その事実に全身が総毛立つ。

「―――――――Starじゃない」

失せ物探しに役立つだろうと、創に譲渡された双眼鏡で確認する。
双眼鏡のレンズ越しに、夜空を見上げた。
流星の光に紛れ見えづらくなっているその星の正体が移る。

それは、星ではない。
遥か宙に浮かぶ『願望機』だった。

女王の体から夜空に打ち上げられた願望機は地上に落下することなく夜の空に留まり地上を照らしていた。
そして綺羅星のように地上を明るく照らす一助となっていたのだ。

最大の懸念である『願望機』は発見できた。
発見できたが。

「………………どうやってcatchすればいいの?」

本物の星より近いと言えども、願い星は手の届かぬ遥か上空にありて。
小さな人の身を嘲笑うようにキラキラと輝いていた。



303Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:26:34 ID:3pow9O3Q0
「魂たちよ、集え! 女王の下に――――――!!」

女王は高らかに叫び、手を空に向けて広げる。
女王の呼び声に応じて、村のあちこちに浮かぶ光の粒が一つの大きな流れとなって集まり始めた。
魂たちはそれぞれの場所から解き放たれ、まるで誘われるように空を舞い、共鳴し合うように一つの場所へと収束していく。

次第に一つの流れとなるその光は、美しき流星群だ。
女王の掲げる手の上に星々が集まり一つの銀河を形成するかのように輝きながら、その周囲を渦巻くように回転し始めた。
まるで彼女自身が中心に位置する銀河のよう。
その光の渦は次第に速度を増し、輝きも一層増して行く。

「……ふむ。村の全員と言うには少し足りないようだ。まあいい。君をすり潰すには十分だろう」

集合した魂を見つめながら女王はごちる。
女王が操れるのは復活させた純粋なる魂。
既に厄へと落ちた魂は『イヌヤマイノリ』の力が失われたため操作はできない。
それ以外にも1割ほど足りない、別の理由でどこかに持っていかれている。

「混じり合い一つになるのだッ! 山折村の魂たちよ!」

集まり始めた魂に女王が命じる。
第二段階に至った女王は『魂を繋ぐ力』を得た。
それは魂の操作と融合を可能とする力。

魂の融合は全ての魂が混在する『Zの世界』の試運転としても有用なはずである。
何より、出来るようになったのだから試してみるべきだ。

かき集めた魂を粘土のようにこね合わせる。
個々の魂は次第にその輪郭を失い、一つの巨大な光の球体へと変貌されてる。

まるで地上に浮かぶもう一つの月のようだ。
天の光が見えなくなるほど、地の光は輝き始める。

その光は次第に凝縮され、徐々に球体から形を変え始める。
まるで光の胎盤から生れ落ちるようにそれは誕生した。

――――――巨人。

生まれたのは、そう表現するしかない周囲の山々にも負けぬ大きさの人型だった。

「なんだ……これは……?」

創の声が震えた。
目の前に立ちふさがる巨人はただの敵ではない。

『魔王』の操る『死霊術』と『女王』の操る『魂を繋ぐ力』。
その組み合わせによって村の全ての魂が融合し一つの存在となった山折村そのものと言っていい存在だ。
巨人の身体はまるで光の粒でできた彫像のように美しく、その内側には無数の魂たちが共鳴し合う光の流れが見える。
異能ではなく魂の塊である以上、創の異能を持っても打ち消すことはできないだろう。

光の巨人が一歩踏み出す。
それだけで地震のように大地が揺れた。
1000の魂を一つとした、国造りの妖怪ダイダラボッチを思わせる超物量。
その巨大な手を振り下ろすだけで、人間など一撃でミンチにできるだろう。

最大にして最強の番人。
誰がどう見ても、もはや人間にどうこうできる次元の相手ではない。
だからと言って、逃げるわけにもいかない。

創はその巨大な存在感と圧倒的を前に立ち向かう覚悟を決める。
どう立ち向かうべきか、答えを見つけなければならなかった。
その勇気をあざ笑うかのように、女王が高らかに宣言する。


「さあ―――――この村最後の戦いを始めようじゃないか」

304Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:27:09 ID:3pow9O3Q0
投下終了です。
最終回(後編)は3週間にちょっとお暇をいただきまして

8/5(月) 00:00:00

頃の投下になる予定です。
よろしくお願います。

305Z ―地上の流星群― ◆H3bky6/SCY:2024/07/07(日) 19:29:48 ID:3pow9O3Q0
あと、状態票がありませんが時間帯は【真夜中】としてwikiに登録します

306 ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:00:41 ID:CAQRuEHA0
お待たせいたしました。
これより最終回(後編)の投下を開始します。

307Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:01:36 ID:CAQRuEHA0





終りの先に何があるのか。







308Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:02:15 ID:CAQRuEHA0
都会の夜はまるで無数の星々が地上に降り立ったかのように煌びやかだ。
ネオンの光がビルの壁面を彩り、車のヘッドライトが途切れることなく続く。
人々の笑い声と音楽が交じり合い、街全体が生きているかのような活気に満ちている。
高層ビルの窓辺に映る無数の灯りは、まるで星空の反映のように瞬き夜空の輝きを霞ませる。
人の手による発展は輝きを天より地に落とした。

一方、田舎の夜は全く異なる趣きを持っていた。
人々の生活音はほとんど聞こえず、周囲にはどこか安らぎのようなものが広がっている。
遠くの山々から虫の音が微かに響き、風が草木を撫でる音が静寂を際立たせる。
空気は透明なまでに澄み渡り、空には数え切れない星々が輝きながら浮かび上がっていた。
雄大な自然は宝石のような輝きを天に際立たせていた。

この山折村はその狭間に立たされている。
開発の手が入った田舎町は都市部と山間部に二分され、双方の価値観が入り交じる混沌期に突入していた。
都会と田舎。現世と異界。生と死。二つの異なる世界が交差する境界線。
それがこの山折村だ。

そして今宵の山折村はまったく異なる様相を呈していた。
夜を彩るのは星々ではなく、淡く光る死者たちの魂の奔流。
その輝きは都会の夜とも田舎の夜とも全く異なる幻想の光。
魂たちの光が大地を照らし、夜の闇を穏やかに染め上げる。

まるで過去と現在が交錯する泡沫の夢のような。
幻想的でありながら幽世の景色のようで、どこか恐ろしい光景だった。

死者たちの作り上げた幻想の夜。
村中に浮き上がった魂の奔流は、たった一人の少女の下に集まっていた。
光を集めるのは、魂を繰る細菌の女王[HE-028-Z]。
掲げた手に光は集約し、山折村を揺り籠にした光の胎盤より巨人が生まれ落ちた。

地鳴りを上げて光の巨人が起立する。
空を覆い尽くすような巨体からは影すら落ちなかった。
何故なら、この巨人こそこの世界の新たな光源。
月よりも明るい太陽を得て、夜の草原は昼よりも眩く輝き始めた。

そんな死者の光に照らされる草原に、生者が二人対峙する。
女は悲壮を、男は覚悟を、その顔に貼り付けながら、互いに構えた剣を向け合う。
互いの目に映るのは互いの姿だけ。彼らには周囲の異変などまるで目に入っていなかった。
何故なら彼らはそれどころではない。
他に目を向けている余裕などあるわけがなかった。

一刀と二刀の違いはあれど、その構えには共通した理念を感じさせる。
それもそのはず。彼らは同じ八柳流の道場で共に汗を流し、同じ技を磨いた同門なのだ。
共に神童と呼ばれた八柳流の双翼が、磨き抜いたその技術を互いに向けていた。

一瞬の閃光を散らしながら金属が衝突する。
剣をぶつけ合う互いの心に、かつての日々がよぎった。
同じ道場で汗を流した訓練の日々の中で彼らは絆を含めていった。
哉太は茶子を慕い、茶子も哉太を愛した。
友人としても姉弟弟子としても理想的な関係を築けていた。

だが、今は違う。
哉太は女王を守るため、茶子は女王を殺すためにここに立っている。
目的が相反するのなら命を懸けてぶつかり合うしかない。
この運命の夜、二人は互いに剣を向け合わざるを得なかった。

「やめてッ哉くん! あなたは女王に操られているのよ!?」
「茶子姉こそ、女王を殺そうだなんてバカな真似はやめてくれ」

互いの主張と共に幾つもの弧を描きながら剣が舞う。
金属のぶつかり合う音が楽器のように草原に響き渡る。
舞い散る火花と、刀身が白い光を跳ね返して輝きを放ち、まるでどこかのテーマパークのようだ。

姉弟子である虎尾茶子は、怯えるような瞳で剣を防ぐ。
恐れているのは自らに迫る刃ではない。
彼女の目の前に立ちふさがるのは最愛にして最悪の敵。

茶子の中に沈殿する狂おしいまでの愛と憎。
彼女は誰よりも愛情深く憎しみも深い。
憎悪をなくせば愛情だけが残る幸せな世界。
そのはずだったのに、何故か目の前で愛が牙を向いていた。

茶子は悔しげに音を立てて奥歯を噛みしめる。
道場での修行の日々、共に過ごした時間、その全てが彼女にとって宝物だった。
僅かに残った黄金の欠片がどす黒い斑点に汚されてゆく。

なぜこうなったのか。
元凶は考えるまでもない。
村を侵したウイルスの親玉――女王だ。
感染者の頭に響く卑劣な声によって哉太の意志は捻じ曲げられ、こうして望まぬ戦いに身を投じさせられている。

309Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:02:40 ID:CAQRuEHA0
「………ぁんの腐れ細菌女がぁあ! 絶対に殺してやる…………ッ!」

許し難い女王への殺意を募らせる。
今の彼女にできるのはそれくらいのものだ。
だが、忠実なる女王の騎士はそれすらも許さない。

「いくら茶子姉でも、女王への無礼は赦さない………………!」

弟弟子である八柳哉太は、主君のために姉弟子に向けて二刀を躍らせる。
眷属化。感染者は女王に従う忠実な眷属となる。
今の彼にとって女王の守護は何よりも優先される。
家族よりも、恋人よりも、大切な姉弟子よりもだ。

だからと言って哉太も辛くない訳ではない。
眷属化により女王の守護が最優先されるようになっただけで、八柳哉太としての価値観が全て失われたわけではない。
哉太からしても慕っていた姉弟子が、何よりも大切な女王を狙う不逞の輩だったのだ、思う所はある。

だが、女王への献身は全てに優先される。
己が血も肉も心も、全ては女王の物だ。
哉太は内心の葛藤を押し殺しながらも剣を振るう。
彼には大切な姉弟子を切り殺してでも女王の守護は成し遂げる覚悟がある。
それが望まぬ戦いであろうとも、攻め手を休めることはない。

覚悟を決めた哉太とは対照的に、茶子は後方に後退りながら防戦に徹していた。
茶子も自分自身が及び腰になっているのが分かる。

100人斬りを達成した剣の鬼は恐れていた。
立ち塞がる敵の強さをではない。
自らの敗北による死でもない。

恐ろしいのは自分自身。
それがどれだけ大切であろうとも。
どれだけ大事だったとしても。

きっと、茶子は殺せてしまう。

ひとたびスイッチが入れば誰であろうと斬り捨てられる
親友だろうと、恋人だろうと、恩人だろうと、一切の区別なく。
立ち塞がった100人のゾンビたちのように、何の感情もなく切り捨てられてしまうだろう。

茶子はそんな風に出来上がってしまった。
そんな風に、壊れてしまった。

自分自身がとっくの昔に壊れていることなど知っている。
これまでの人生を振り返ってみても、まともでいられる方がどうかしてるような人生だ。
そんなことは分かっている。

壊れて穢れて終わってしまった自分は間違い続けるだろうけど。
それでも大切な物や大切な人が出来たんだ。
それを守りたいと思う事すら罪なのか?
幸福を求めて、幸せになりたいと願う事すら許されないのか?

そんなはずはないと。
そうではないと、自分自身を何よりも否定したい。
それを否定するためにがむしゃらになって走り続けた人生だった。

だけど、
だからこそ、
何よりも怖い。
自分が恐ろしい。

――――こんなに大切にしている山折村だって、自分は切り捨てられてしまうのではないか?

「…………ッ!?」

金属と金属がぶつかり合う衝撃が茶子の手に伝わる。
手の痺れるような衝撃に意識が強制的に引き戻された。

茶子の体は無意識のうちに哉太の攻撃を防いでいた。
ゾンビとなった特殊部隊と同じだ、心が引けていても体が反応する。
誰よりも憎んだ藤次郎によって叩き込まれた日々の鍛錬と刀が茶子を守護っていた。
だが、それだけで何時までも逃げていられるほど甘い相手ではない。

茶子の迷いを突くように、哉太が一歩前に踏み込んだ。
一切の無駄がない滑らかな足運び。
八柳新陰流の基本を完璧に身につけた動きだ。

八柳新陰流『鹿狩り』
鹿を一撃で狩る鋭く重い斬撃を繰り出す、大きな力を込め相手の急所を狙う一撃必殺。
相手の防御を突き破る強烈な一撃を二刀同時に叩きつける。

しかし、茶子とて八柳新陰流の同門。その動きは知り尽くしていた。
事の起こりを読み切り茶子の体が反応する。

衝突する三つの刃。
剣が交わり火花が散った。
輝く草原に刹那の光が弾けて消える。

八柳新陰流『鹿狩り』の衝撃を『空蝉』にて受け流す。
過去の手合わせではこの手法で何度も防いできた。
完全な防御であったはずだった。

310Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:03:54 ID:CAQRuEHA0
「…………ッ!?」

だが、茶子の体勢が崩れる。
受け流したはずの攻撃が止まることなく降りぬかれる。
茶子の防御は完璧だったが、哉太の力がそれを凌駕した。

受け流しとは100の攻撃を0にする技術ではない。
100の攻撃を80の力を流し、受けきれる20の力に軽減する技術だ。
撃ち込まれた『鹿狩り』は『空蝉』で受け流してもなお、茶子の体勢を崩すだけの重さを持った痛烈な一撃だった。

この地で強敵との度重なる実戦を経て哉太の技前は剣聖の域にまで達した。
奥義を開眼し皆伝に至った哉太は、今や茶子に引けを取らぬ技量を持った使い手と言えるだろう。

互いの技量は互角、ならば明暗を分ける差は純粋な肉体面だ。
満身創痍の茶子に対して回復の異能により常に哉太はベストコンディションを保てる。
加えて、魔聖剣による身体強化によってフィジカルでは完全に茶子を圧倒していた。

もはや茶子にとって哉太は未熟な弟弟子ではなく、格上の相手となっていた。
逃げ腰のまま勝てる相手ではない。
このまま戦う意思を見せなければ死ぬのは茶子の方だ。

「茶子姉…………ッ!!」

体勢の崩れた茶子に向かって赤い剣が奔る。
哉太とて無抵抗の姉弟子を切り殺すのは心苦しい。
だが今の哉太は忠実なる女王の騎士、心苦しくとも剣は鈍らない。

茶子の目の前に死が迫る。
別に生きたいわけじゃない。
汚泥の底を這うような最低の人生だった。
生きること自体に大した未練などない。

だからと言って死にたいわけでもない。
茶子には成すべきことがある。死んでも成し遂げたい夢がある。
自分を救ってくれたこの村を綺麗して、自分の様な誰かを救いあげる。
それを成し遂げるまで死ぬわけには――――。

「――――私は……まだッ!!」

茶子の体が跳ねた。
崩れた体勢を立て直すのではなく、倒れ込みながら降りぬかれた聖刀の下を潜るように自ら跳んだ。
そのまま横回転をしながら、二刀の隙間を縫うように剣を跳ね上げる。
倒れ込んだ体勢で縦に跳ね上げる『蠅払い』を崩した、曲芸『逆風車』が哉太の胴に縦一文字を刻む。

「……くっ」

哉太がたたらを踏んで後方に下がった。
左の腹部から肩にかけて刻まれた傷口から血が噴き出す。
だが、その傷も強化された異能によってすぐさま塞がって行く。

「ようやくッ。まともに戦う気になったか、茶子姉ぇ!」

猛るように吠える哉太の言葉には歓喜の色が含まれていた。
望まぬ戦いであるとしても、一方的な虐殺ではなく剣士として尋常な勝負ができる。
愛する姉弟子との戦いだからこそ、二人の決着はせめてそうあるべきだ。

「ハァ……ハァ……………私は」

心臓の鼓動が聞こえる。
渇きに喉が張り付く。
眼の多くが燃え上がるように熱い。

ああ、そうだ。
目的の前に立ちふさがるのなら、茶子は、きっと。

乱れた息を整える事もせず、刀を構える。
対する哉太は一糸も乱さぬ静かな呼吸で天地に二刀を構えた。
動と静。熱と冷。炎と氷。恐らくこれが互いのベストコンディション。

示し合わせたように同時に駆け出す。
そして、互いの剣が、ぶつかり合おうとした刹那。
横で行なわれている戦闘の余波で地面が爆ぜた。



311Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:04:25 ID:CAQRuEHA0
死で輝く草原にて、八柳流とは違うもう一つの戦いが行われようとしていた。
女王の守護者は騎士である八柳哉太だけではない。
女王には最強、いや最大の護衛がいる。

不気味な静寂が漂う光の中心に起立するのは、圧倒的な威圧感を放つ巨人ダイダラボッチ。
山折村の死を凝縮して生まれた魂の集合体。
全身を輝かせる光の渦が脈動しながら表面を渦巻いていた。
それは清廉な光でありながら、神々しさよりも冥界を思わせる寒々しさを感じさせる。

巨人に対するは魔王殺し天原創。
政府の諜報組織に才覚を認められた若き天才エージェントである。

だが、そんな肩書がこの場においてどれほどの役に立つだろうか。
巨人とは比べるべくもない、悲しくなるほどのサイズ差を前にすれば天才もただ小さな少年でしかない。

しかし、まだあどけなさを残した少年の顔に浮かぶのは諦めではなかった。
その眼には勝利を諦めない強い意志が宿っており。
頭の中ではどう戦えばいいのかシミュレーションが続けられていた。

創が駆け出す。
巨人の手は創の身長よりも遥かに大きい。
振り下ろされてから動いたのでは避けようがない。
この勝負、足を止めた時点で終わりである。

眩いばかりの標的を視界の端に収めながら、斜めに遠ざかるように全速力で駆け抜ける。
殆どバック走のような体勢でありながら下手な陸上部なら追い抜けるほどの俊足である。
そんな体制で止まることなく創はスタームルガーを構えた。
ダブルアクションのレッドホークを流れるように連続で撃ち込む。

重なるように3つの銃声が響く。
3連射された44マグナム弾は全弾命中。
もっとも、これ程巨大な的であれば素人でも外しようがない。
着弾した弾丸が巨人の足の表面をわずかに弾けさせた。

だが、その傷は蠢く光の渦が脈動し、見る見るうちに修復していった。
硝煙を置き去りにしながら落胆するでもなく創は冷静に結果を分析する。
分かっていた事だが、やはり大型獣すら屠り去る大口径も豆鉄砲ほどの効果もないようだ。

やはり、切り札になりそうなのは右手に宿った異能だ。
と言うより、それ以外に効果がありそうな武器が創にはない。

振り下ろされた巨人の手に合わせて触れることはできるだろう。
だが、巨人はこの村で死した魂の集合体である。
純粋な魂は創の右手で消し去れるとは思えない。

希望的な観測をするならば、魔王の力である死霊術を打ち消すことが出来るかもしれない。
だが、失敗すればミンチどころの騒ぎではない。
いや、成功しても最悪、衝撃で創の体は潰されひき肉となるだろう。
やはり質量差がありすぎる、触れた時点でおしまいだ。

撃ち込まれた弾丸を全く意に介さず、巨人が一歩を踏み出した。
まるで山そのものが動いているかのように、それだけの動作で空気が揺れ、轟音が響く。
その一歩が地に落ちると地震のように地面を揺さぶり、草原に巨大な足跡を刻んだ。

そうして、踏み込んだ巨人は山のように巨大な拳を真上に振り上げた。
緩慢な動きに見えるが、それはサイズ差による錯覚に過ぎない。
光を帯びた拳が高速をもって振り下ろされる。

瞬間、まるで轟雷のような空気が裂ける音が鳴り響いた。

光が降り落ちる様はまさしく神の雷である。
空気の壁を打ち破りながら、巨人の拳が地面に叩きつけられた。
その一撃によって地面に衝撃波が広がり、深い亀裂と共に大地を砕いて地形を一変させる。

駆け抜ける創の俊足はその拳の範囲から既に逃れていた。
だが、それでも周囲に伝播するその余波だけで創の体が宙に吹き飛ばされる。
まるで天災のように破壊の限りを尽くす、まさに破壊の化身だ。

草原に投げ出された創は受け身を取りすぐさま立ち上がる。
そして止まれば負けだと言わんばかりに一瞬の迷いなく再び駆け出した。

だが、その顔には若干の焦りの色が浮かんでいた。
ここに来るまで、対女王の準備はしてきた。
しかし、光の巨人は白兎との戦力分析(スカウティング)では登場しなかった要素である。
創にとっても完全なる想定外だ。

312Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:04:51 ID:CAQRuEHA0
いや、想定していたところで何ができたというのか。
あまりにも規格外すぎる。
この怪獣を相手にするには戦車や戦闘機が必要だろう。

目算でも巨人の大きさは50メートル以上はある。
ちゃちなナイフや銃も通用するわけがない。
ヘラクレスでもあるまいし巨人相手に格闘戦など問題外である。
歩兵では戦いにすらならない。

ならばと、創は狙いを変える。
止まることなく駆け抜けながら再度銃を構える。
しかし、今度の銃口の先にいるのは巨人ではない――――女王だ。

直接女王を討つ。
創たちの勝利条件は女王の討伐である。
巨人を無視しても女王さえ打ち取れればそれで勝ちだ。

創は照準の先にある同級生の顔に向けて躊躇うことなく引き金を引く。
だが、放たれた弾丸は女王に届くことなく、上空から差し込まれた巨大な掌に防がれた。
巨大な指の間から見える女王の表情は、何をしようと届かないと言わんばかりの不敵な笑みを浮かべていた。

「…………ちっ」

舌を打つ。
やはり、いきなり王将は取れないようだ。
女王を討伐するにはまず光の巨人を打ち倒す必要があるようだ。
分かりきっていた事だが、珠らしからぬ顔をする女王の態度はむかついた。

「では、ここは任せる。存分に遊べ、我が僕たち」

言って、女王が踵を返して歩き始めた。
この場を立ち去ろうとする女王がどこに向かうのか。
アニカから経緯を聞いている創にはすぐに分かった。
失った願望機の回収。つまり、同じ目的で動いているアニカが危ない。

「ッ! 待てッ!」

すぐさま創がその後を追おうとするが、山のような巨体が間に立ちふさがる。

「くっ…………」

その圧力に後退を余儀なくされる。
その隙に、女王の姿は輝く草原から離れて行き、闇の中に消えていった。
それでもなお女王の後を追うとする狼藉者に巨人が手を振り上げる。

その動作は、先ほどまでとは僅かに違った。
振り上げた手はグーではなくパー。
拳ではなく広げられた掌が蠅でも潰すみたいに地面に叩きつけられる。

空気が炸裂する。
作り出された巨大なクレーターから衝撃波が輪のように広がり、砕け散った地面が波のように隆起する。
なんとか直撃を逃れた創の体は、その破壊の津波に飲み込まれた。

だが、創はその流れに逆らわなかった。
逆らうのではなく自ら流れに乗る様に、地面の隆起に合わせて跳躍した。
発射台から打ち出されるように大きく宙に吹き飛ばされながら、創は身を捻って周囲を見渡す。

砕ける大地の破片が視界を横切る。
常に視野は広く、頭だけは何があっても冷静に。
それが創の叩き込まれたエージェントの在り方だ。

圧倒的な障害を前に、戦略を練り直す必要があった。
巨人の攻撃を避けるだけではいつか疲弊して捕まってしまう。
何か突破口を探すべく、空中で鷹の眼の如く大地を見つめた。

草原にあったのは離れた位置で破壊の余波を浴びながら、それでも止まらず剣を合わせる八柳流の剣士たち。
創には光の巨人が立ちふさがり、茶子も哉太に足止めを喰らっている。
巨人と騎士に足止めを喰らい、女王の後を追えるものはいない。
状況を打開するには、これを解決する必要がある。

313Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:05:18 ID:CAQRuEHA0
「……ッ!」

創は地面を転がりながら着地して、流れるように立ち上がると同時に駆けだした。
無傷ではない、全身に隠しきれないダメージがある。
だが、止まっている場合ではない。

これまで決して逸らさなかった視線を切って、完全に巨人に背を向けて駆け出す。
巨人がその動きを追うように一歩踏み出す。
それだけで創の背後の地面が大きく揺れた。

創は巧みなボディバランスで地震の中を構わず駆け抜ける。
満員電車を全力疾走するかのように。
どこかを目指すように一心不乱に前へ。

だが、創を背後より照らす光の様子が僅かに変わった。
これは光源たる巨人の体勢が変わった事を意味している。
そこに無視してはならない不審な気配を感じとり、創は首だけを背後に返した。
その目が大きく見開かれる。

振り上げられた腕は真上ではなく、捻りを加えた斜め横に掲げられていた。
つまり、次なる一撃は振り下ろしではなく薙ぎ払い。
降りぬかれる巨人の腕は創の疾走よりも圧倒的に速いだろう。
次に腕を振り抜かれた瞬間、創は確実に終わる。

終わりを告げるように、轟と風を切る音が響いた。
一帯を薙ぎ払う巨大な腕に逃げ場などない、人間の足では回避は不可能。
押し出された塊のような風圧が、創の体に叩きつけられる。

だが、薙ぎ払われるはずだった強大な光腕は、創に触れる寸前でピタリと静止した。

その原因は創の向かう先にあった。
駆け抜ける創が向かったのは巨人の下でも、ましてや女王を追った訳でもない。
その足の向かう先には刃を交える2人の八柳流がいた。
より正確に言うならば、ダイダラボッチと同じ女王の守護者である八柳哉太がいる。

大範囲のダイダラボッチの攻撃に哉太を巻き込んで守護者同士を潰し合わせる。
それが創の目論見だろう。

だが、ダイダラボッチは木偶ではない。
同じ女王の守護者たる哉太の姿を認め、創の狙いを読んで自ら攻撃の手を止めたのだ。
創の目論見は失敗に終わった、かに見えた。

ダイダラボッチの手が止まろうと、創の動きは止まらなかった。
急停止した腕の風圧に押し出されるようにして、光る腕に照らされ輝く草原を飛ぶように駆け抜ける。
そのままの勢いで激しく剣を合わせる剣劇の渦中に突っ込んでゆく。

それはちょうど、茶子と挟み撃ちのような形になる哉太の背後を取れる位置である。
互いしか見えていない視野狭窄に陥っている八柳流の二人に視野を広く持った創が突撃した。
2対1でまずは哉太を潰す。それこそが創の真の狙いだ。

「創……………ッッ!!」

だが、哉太がこれに反応する。
2対1であろうとも対応できるのが二刀の強みだ。
鍔迫る一刀で茶子を抑えこみながら、向かい来る創へと赤い聖刀を振り下ろさんとする。
片手であろうとも、剣聖に至った哉太はその一撃を外すまい。

駆ける創に向かって斬撃を合わせる。
迫る創と哉太の斬撃が交差せんとする、その寸前。
創が哉太と鍔迫りをしている茶子に叫ぶように呼び掛けた。

「一瞬でいい! 動きを抑えてください!」
「ッ!?」

茶子が鍔迫りをしていた刀同士を突き合わせながら、絡めるように指を伸ばした。
指取りにより相手の動きを一瞬だけ制する合気技、八柳流『小鳥枝』。
哉太はすぐさま固められた指を解いて振り払うが、一瞬の隙を作るにはそれで十分。

その隙を突いて鬼ごっこやカバディのように、すれ違いざま創が素早く右手で哉太の頭部にタッチした。
攻撃にも満たぬ、ただ触れただけの軽い接触。
だが、ただそれだけで、無敵の耐久力を誇る哉太が意識を刈り取られたようにその場に膝から崩れ落ちた。

眷属化は脳内にあるウイルスの女王を守護らねば自分が死ぬという生存本能に影響されたものである。
ゾンビの一時的に意識を昏倒させたように、ウイルスの動きを一時的に停止させた。
眷属化された哉太の意識はウイルスたちと共に活動を停止した。
風圧に押されそのまま哉太の脇を駆け抜ける創が、通りすがりにガンホルスターを茶子に向かって投げ渡す。

「拘束を!」
「……ッ!」

端的な指示に反射的に反応して、受け取ったガンホルスターを使って茶子が意識を失った哉太の手足をきつく縛りあげた。
同時に、哉太の手から地面に落ちた聖刀神楽と折れた魔聖剣を回収する。

拘束を完了した茶子が大きく息を吐く。
創の機転により哉太の制圧が完了して望まぬ戦いから解放された。
安堵と先ほどまでの冷めやらぬ興奮が混じった複雑な吐息だった。

314Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:05:49 ID:CAQRuEHA0
ダイダラボッチは戸惑うようにその様子を見つめる事しかできずにいた。
象が蟻を踏み分けることなどできないように、ダイダラボッチにとって周囲を巻きこみかねないその大きさは最大の弱点だ。
哉太が周囲にいる限りダイダラボッチは攻撃を躊躇せざるを得ない。
だが、それも長くはもたないだろう。
女王を守護するためなら、同じ守護者を殺してでも構わないという決断に至るまでのわずかな猶予だ。

「茶子さんは女王を追ってください」

その猶予の間に創は茶子へと指示を出す。
茶子の中で女王への殺意は滾っている。
何より、哉太を元に戻すには女王を殺すしかない。
その機会を果たせる要求は茶子にとっても望むところだ。

「だが、どこに向かったってんだ?」
「おそらく、リンさんの所です…………!」

アニカはお守りを回収するためリンの死体がある診療所に向かったはずだ。
リンの名を聞いた茶子が胸を押さえて苦悶するように表情を歪める。

「………………何で分かる?」
「リンさんの持っていた御守りが願望機を発動させる鍵なんです。アニカさんもそれを探しています」

女王とアニカの間で願望機を廻る争奪戦が行われている。
下手をすれば、願望機とそれを発度する鍵を女王が取り戻してしまう。
その言葉だけでそこまでは理解した。

だが、それはつまりリンの下に戻ることになる。
それを考えただけで、どうした訳か茶子の体からは脂汗が滲み動悸が早くなる。
目を背けてきた事実と向き合うことを意味していた。

「急いで…………ッ!」
「くっ……ッ! 分かったよ!」

創の言葉に押し出されるように茶子が駆け出した。
状況は差し迫っている。
女王を追うべきだと言う創の意見は反論の余地はないほど正しい。
女王に願望機を渡してはならないという目的意識が茶子の足を突き動かした。

だが、その去り際、思い出したように振り返り、創へと何かを投げ渡した。
咄嗟にキャッチしたそれは創が渡した発信機だった。

「…………あたしは、その光を辿ってその途中で女王と遭遇した。後は上手くやれ」

それだけを告げて、光から遠ざかるように暗闇の中に向かって行った。
その背を最後まで見届けることなく創もその逆側に向かって駆け出す。
女王を追う茶子の支援のためにダイダラボッチを引き付ける必要がある。

「こっちだデカブツ、追ってこい!」

挑発しながら駆け出す創を追って巨人が動く。
体よく攻撃を躊躇わせる囮に使いはしたものの、出来るのなら哉太が潰されるのは創としても避けたい。
巨人の気を引くように銃弾を撃ち込みながら、哉太から離れる。

女王を追う茶子よりも女王に命じられた創の抹殺を優先したようだ。
その地鳴りを合図に巨人と少年の追いかけっこが再開された。

こうして、茶子は女王を追い、創はダイダラボッチを引きつけるべく走り去った。
誰もいなくなった草原にしばしの静寂が訪れる。

女王を追う茶子を巨人が見逃した理由。
細菌殺しを持つ創の方が女王にとって脅威であったというのもある。
だが、それ以上に理解していたからだ、茶子の相手はもう一人の守護者がする、と。

遠ざかる巨人の足踏みに揺れる草原。
既にこの場を去った2人に気づくことなどできるはずもないのだが。
この場に拘束されていたはずの哉太の姿は、いつの間にか草原から消えていた。



315Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:06:45 ID:CAQRuEHA0
アニカは一人夜空に浮かぶ星を見上げていた。
それは夜の星に思いを馳せるなどと言うロマンチックな理由ではない。
あの星こそがこの村を終わらせるための願望機、願いを叶える願い星なのだから。

この村にこれまでにない異常が起きていた。
先ほどまでアニカの周囲を流れ星のように謎の光が流れていた。
地を這う流星群は一か所に収束され、そこから数キロ離れた遠方からも目視出来る光の巨人が生れ落ちた。
この夜に浮かび上がるように光り輝く巨人は遠近感を狂わせ、すぐそばにいるような錯覚を齎す。

この村でこれ程の異変を起こせるものなど、アニカの知る限り一人しかいない――女王だ。
恐らく、哉太や創が彼女と戦っているのだ。
あの巨人はそのために産み落とされたものだろう。

一体何が起きているのか。
真実を求める探偵としての知識欲が、詳細を確かめに行きたい気持ちを沸き立たせる。

だが、対女王に関しては創に任せた。
アニカが今行うべきは願望機を回収して山折村を正しく終わらせることだ。
それこそがアニカに課せられた課題であり、最大の難題である。

アニカは標的を見上げた。
目測では測りづらいが、少なくとも100mは離れた遥か上空に願い星は浮かんでいる。
アニカの異能テレキネシスは周囲の物体を動かす能力だが、空を浮かぶ願い星はその遥か射程外だ。
仮に届いたところで、どう固定されているのか理屈が不明である以上、引き寄せられるかもわからない。

やはり何らかの飛行手段が必要だ。
飛行。と言う言葉にアニカの脳裏に浮かぶのは女王に連れていかれた高所の光景。
上空に浮かぶ願い星も飛行手段を持つ女王であれば簡単に回収可能である。

そうなっては存在を懸けて願望機を奪取した白兎の覚悟が無駄になってしまう。
この問題は後回しにできない。

この場で回収する手段を考えなければならない。
何か手段はないか。アニカは頭をフル回転させ方法を模索する。

例えば、遠方で光り輝くあの巨人であれば届くかもしれない。
あの巨人を上手くこちらに誘導してその体を登れば、あの星に手が届くだろう。

だが、あんな怪物をどう誘導するというのか?
誘導出来たところで、大人しく登り台になるとは思えない。
どう考えても現実的な方法ではない。

銃などの遠距離武器で撃ち落とす方法はどうか?
100m先にも弾丸なら十分に届く。
上手く地面に撃ち落とすことができれば回収は可能だろう。

だが、それを行うにはまず銃を探すところから始めなくてはいけないし、100m上空に当てられるような銃の腕はアニカにはない。
なにより、当たり所によっては願望機を破壊しかねない。
クリアすべき課題が多すぎる。

異能の覚醒に賭ける。
遠方のアイテムを回収するのにテレキネシスは方向性自体は合っている。
後は射程と強度。これを覚醒で補えることが出来れば回収は可能だろう。

だが、そんな簡単に覚醒できれば苦労はしない。
あるかもわからない覚醒を待つなど不確実すぎる。
方法の一つとして上げるのも烏滸がましい。

用意できる道具で考えれば、布と火種があれば簡単な熱気球くらいなら作れなくもない。
だが、願い星のものとまで届く気球を作ったとして、そこからどう回収につなげる?
紐でもつなげるにしても100m以上の長さのロープなど都合よく用意できるはずがない。

ならば、上空を飛び回るドローンを利用するというのはどうか?
この村の監視のために飛び回っているドローンの存在にはアニカも気づいている。
世界が滅ぶ瀬戸際だ、特殊部隊のとの協力が取れればドローンの利用も不可能ではない。
アームやグリッパを装備したドローンであれば、上空の願望機も回収できるだろう。

今まで出た案の中では一番現実的だが、問題も多い。
どうやって意図を特殊部隊に伝える?
ドローンを換装する時間も必要だ。
なにより、向こうが素直に従ってくれるとは限らない。
やはり実現するのは厳しい。

八方ふさがりだ。
提案と問題定義の自問自答を繰り返すが、どれだけ考えても方策は浮かんでこない。
こう結論付けざるを得ない、今のアニカに願望機を回収する手段はない。

たった一つの真実を見抜く謎解きと違い、これは答えのない問題だ。
前提条件からして不可能問題を解かされている。

だが、不可能を可能にせねばならない。
生き残りはみな女王との戦いに向かっている、助けは期待できない。
その上アニカの把握している範囲では、生き残りの中に願望機回収に有用な異能は存在ない。
これは、アニカ一人で解決しなければならない問題である。
どうする。どうすればいい?

316Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:07:09 ID:CAQRuEHA0
『……カ……アニカ……!』

何かないのか?
焦燥ばかりが加速していく。
そんな思考の海に沈んでいたアニカを、足元の白兎の声が現実に引き戻した。

『周囲を見るんだアニカ……光が』
「What....?」

白兎の言葉に首をかしげながら、その指示に従い周囲を見渡す。
確かに先ほどまで周囲は光の奔流に包まれていた。
だが、既に光は一か所に集約されており、アニカの周囲は薄暗い闇に包まれている。

いや、違う。
遥か遠方で光源となっている巨人とは違う、すぐ近くに別の光がある事にアニカは気づいた。
それは自らの背後、背負っている荷物から放たれたものである。
その光が、先ほど流れて行った光と同種のものだと気づき、アニカはすぐさま自分の荷物を漁った。

取り出した、それは砂金のように美しい一束のグラデーションのかかった金の髪だった。
金田一勝子の遺髪である。
彼女の遺髪が淡い光を帯びていた。

――――人の魂はどこに宿るのか?
歴史上、魂の存在を証明できた研究者はおらず、その答えは未だ不明である。

魂は肉体に紐づくものであるという解釈が一般的だろう。
実際に女王は死霊術によってこの村で死亡した魂を復活させた。
その多くの魂は死した肉体から、淡く輝く光となって浮き上がっていた。

だがもしあるいは、人の魂は肉体ではなく精神(おもい)に宿るとするならば。
ここより遥かに離れた草原で眠る体ではなく、彼女の魂(おもい)はこの遺髪に宿っても不思議ではないのかもしれない。

「ッ…………!?」

強い風が吹いた。
アニカの手にしていた遺髪の一部が、風に攫われる。

金の髪は巻きあがるように風に乗って夜の空に舞い上がった。
自由の翼を広げてどこまでも飛び立つ鳥のように。
渦を巻いて舞い上がる砂金の髪は、天高く浮かぶ願い星に触れた。

瞬間、力強い光があった。
死者たちの放つ淡い光ではない。
何時だって勝ち気で頼りがいのあった彼女の様な強い光が。

強い光にアニカが目を細める。
その瞬間、手の中に確かな重みを得た。
彼女が次に目を開くと、その手の中に奇跡はあった。

『奇跡はその手の中に』

空に瞬く願い星は少女の手に。
それは100メートル以内の対象の位置を入れかえる金田一勝子の異能。
遺髪に触れた願い星は、こうして少女の手の中に落ちた。

アニカの頭脳をもってしても、何が起きたのか完全に理解した訳ではない。
それでもただ一つ分かる事は、死してなお自分を助けてくれた存在があったという事だ。

死霊術によって蘇生された彼女の魂は、女王の招集に応じるでもなくこうして遺髪へと留まり続けた。
そうして今、迷える探偵少女のこれ以上ない助けとなったのだ。

思いもよらぬ助けによって最大の懸念点である願望機は回収できた。
後は診療所に向かってリンの死体から御守りの回収を行なえばアニカに託された任務は完了だ。
ようやく達成困難な難題のゴールが見えてきた。

だが、そこに足音が響いた。
アニカが咄嗟に願望機を抱きかかえるようにして目を向ける。

光を背にした闇の中から現れたのは少女の姿をした一つの影。
幾度も顔を合わせた相手だ。
その存在を見間違うはずもない。

「…………女王!」

女王。そう呼ばれるこの騒動の中心。
創や哉太たちが戦っているはずの相手が何故ここに?
そんな疑問を挟む余裕すらなく、アニカは追い込まれる。

「おや、それは願望機かな?
 私の為に取り戻してくれたんだね、ありがとう。天宝寺アニカ」
「くっ…………!!」

冷や汗をかくアニカとは対照的に。
汗一つ書くことなく悠然と女王は歩を進める。

「では、それを渡してもらおうか、天宝寺アニカ」



317Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:07:37 ID:CAQRuEHA0
「ハァ…………ハァ…………ハァ」

女王を追っていた茶子が診療所まで到達した。
逃げるように立ち去った場所へと自らの足で立ち戻ってきた。
頭痛がする。心臓が痛い。喉が渇く。
過呼吸気味なのは100人斬りとここまで走ってきた疲労だけが原因ではないだろう。

「ッ……ハァッ……ハァッハァッ……!」

診療所の中庭。
そこにアニカと女王がいるという創の予測は外れていた。
ただ、そこには茶子が目をそらしていた悲劇が広がっていた。

周囲にアニカも女王もそれらしい姿はない。
あるのは無惨な二つの首なし■■。

何よりも救いたかった過去の自分。
それを救えなかった現実を突きつけるように、冷たく現実が横たわっている。
それは最低限身なりこそ整えられているが、自分が切り殺した少女と嘗ての自分だった少女だ。

「………………ああ」

何かに気づいたような諦観した声。
それを目の当たりにして、過剰だった呼吸が徐々に落ち着いていく。
灼熱から絶対零度の沼に落ちるような不思議な感覚だった。
温度差に自分の外面が剥がれて堕ちる。

茶子はここで自分自身(リン)を失った。
その現実を認める。

力なく膝をついた。
少女の肢体に向かって震える手を合わせる。
それは祈りを捧げる聖女ようでもあり、許しを請う迷子のようでもあった。

長い祈りの末に顔を上げる。
開かれたその目は先ほどまでの熱狂した色とは違う、虚ろで冷たい色をしていた。
そっと首がなくなったリンの胸元に手をやり、自分が渡した御守りを回収する。

「そうか…………きっと……」

風が中庭の木々の間をそよぎ、葉擦れの音が呟きをかき消す。
刹那。虚ろな瞳が見開かれ、茶子は振り返るよりも早く逆手で刀を抜いて自らの背後を突いた。
赤い飛沫が飛び、鋭い刃が肉を貫く感触が手に伝わる。

背後に迫った気配に気づき、茶子はこれを貫いたのだ。
しかし、その手応えが薄いことに気づく。

彼女が貫いたのは相手の掌だった。
茶子が刀を引き抜くより早く、相手は掌を貫いたまま刀を握りしめる。
相手の指がさらに深く刀を握り込むと血が滴り落ち、地面に赤い斑点を描いていく。

ガッチリと固められた刀ごと手首を捻られる。
僅かに緩んだ彼女の手から刀が完全に抜き取られた。
新陰流の無刀取り、と呼ぶにはスマートさに欠けるごり押しである。

刀を奪われた茶子はすぐに距離を取ろうとしたが、相手の動きはさらに速かった。
相手は一歩前に踏み出し、自らの掌という鞘から刀を抜き出し、抜刀術のようにそのまま一閃する。
茶子は身を翻してその攻撃を避けると、そのまま距離を取って相手の姿を見据えた。
そこに立っていたのは、彼女が予測をしていた通りの相手だった。

「哉くん…………ッ!!」

八柳哉太。
彼女の愛する弟弟子。

だが、哉太は確かにガンベルトできつく手足を縛り上げて拘束したはずである。
そう簡単に外れるような甘い縛り方はしていない。
どうやって抜け出してここまできたのか。

その答えは、縛り付けた手足周辺の破れた着衣にあった。
女王の招集に応じたゾンビたちが自らの欠損を省みず集結したように、女王の命令にはそれだけの強制力がある。
皮や肉を削る痛みを無視できるなら、拘束から脱することは難しくない。
何より、哉太は再生の異能によりその代償を踏み倒せる。

再生の異能と女王の強制力が合わされば拘束は無意味だ。
この不死身の騎士を止めるには、もはや殺すしかない。

刃を奪い取った哉太は、多くの村人を切り殺した祖父の刀を手にした。
一瞬で回復した両手で日本刀を握りなおすと、自らの血を払う。

対する、茶子は哉太から没収した赤い聖刀神楽を構える。
回復してきたとはいえ、茶子の右手はまだ完全ではない。
それ以前に茶子は二刀向きではない。
荷物になるだけの折れた魔聖剣を哉太に回収できない遠くに投げ捨てる。

奇しくも先ほどの小競り合いとは武器交換する形になった。
異なるのは、今度は互いに一刀同士であること。
そして、逃げ腰だった茶子の姿勢が前のめりに変わっていた事だ。

勝負の開始を告げるように渾身を籠めた両手持ちの一撃を互いに打ち付けあう。
炸裂するように、大きな火花が散った。
同時に、茶子の体が後方に数歩押し出される。

318Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:07:50 ID:CAQRuEHA0
渾身の衝突は哉太が僅かに上回った。
やはり力では哉太の方が上。だが、先ほどまでのような絶対的な差はない。
魔聖剣を手放したことにより魔力による身体強化がなくなったからだろう。
差はあるが、それはあくまでコンデイションと男女の筋力差の範疇だ。

打ち合いに押し勝った哉太が更に剣を押し込む。
これに対してすぐさま体勢を立て直した茶子も負けじと剣を合わせた。

そのまま、正面からの激しい打ち合いとなる。
鋭い剣の動きが光の筋を描き、剣が風を切り裂く鋭い音が響く。
刃が交錯するたびに火花が散り、互いの技巧が火花となって空中に舞い上がった。
刀身がぶつかるたびに耳をつんざくような金属音が響き渡り、その音は遠方まで反響する。
その剣劇は踊るかのように滑らかでありながら、刃の一撃一撃には命を奪う確かな意思が込められていた。

一つのミスも許されない攻防は激しさを増して行く。
だが、力だけではなく手数の上でも徐々に哉太が茶子を上回り始めた。

哉太から繰り出されるのは無呼吸での打ち込み。
無酸素運動は体内の酸素を消費して高CO2状態を引き起こし、無理に続ければ最悪意識を失う事になる。
だが、それは今の哉太には適用されない。

二酸化炭素の蓄積は異能により回復されてゆく。
故に、その連撃には際限がない。
加速するその剣は茶子の防御を打ち崩さんとする隙間ない斬撃の豪雨となる。

凄まじい剣圧に追い詰められる茶子。
防ぎきれなかった斬撃に頬や手足の端々が切り刻まれていく。
しかし、その顔に焦りの色など微塵も浮かんでいなかった。

「フゥ――――――ッ!!」

茶子が鋭い息を吐く。
その呼吸に合わせて無呼吸連撃の刹那を縫う神域の斬撃が放たれた。
互いの斬撃は、クロスカウンターのように互いの体を切り裂き合う。

だが、浅い。
哉太の斬撃は茶子の胸元を僅かに裂くに留まり、茶子の一撃も哉太の肩口を僅かに裂いただけだ。
女王の騎士にとっては瞬きの間に回復する程度の傷である。

だが、攻撃の手を止めるにはそれで十分。
剣の雨が止んだ中を茶子は進む。
一瞬で懐にまで踏み込むと赤い打刀で喉元を突いた。

「く……………っ!?」

哉太は軸をズラすように回転して身を転じる。
そしてそのまま竜巻のように回ると、遠心力を籠めて斬撃を放った。

茶子は片手持ちにした刃で哉太の攻撃を受け流すと、同時に空いた手で彼の腕を掴んだ。
虎尾流の開発により、片手剣の扱いに長けるようになった茶子の強み。
相手の回転を後押しするように腕を引っ張り込み体勢を崩す。

そして、そのまま地面に哉太を押し倒すと、転がった哉太の顔面に向けて赤い聖刀を突き下ろした。
哉太は咄嗟に首を動かしその突きを避ける。
同時に馬乗りになろうとする茶子の腹を足裏で蹴とばして引きはがした。

即座に立ち上がった哉太の背に温い汗が伝った。
先ほどまで哉太の殺害を躊躇っていた剣から一変して、容赦や躊躇いと言う物が消えていた。
決して殺したいわけではないだろうが、少なくとも殺してもいいところまで心理的ハードルが引き下がっている。

それはいい。
哉太とて女王の為に茶子を殺す覚悟だ。
ようやく互いは対等になったと言える。

それよりも哉太の頭を困惑させるのは異様な茶子の様子だ。
茶子は激情を剣に乗せる烈火の様な剣風である。
目の前の茶子は深く水底に沈むようである。

哉太を殺す覚悟を決めた?
いや、祖父に向けていた激情のような殺意ともこれは違う。
そんな単純な殺意(もの)ではない。

長い付き合いの中でも、こんな姉弟子は見たことがない。
これが哉太に見せていなかった本当の顔なのか?

元より、無邪気な子供じみた純粋さとアリを踏み潰す子供じみた残酷さを兼ね備えた人だった。
ふとした拍子に大人びた影を帯びることはあった。臆病な攻撃性と強気な虚勢を張る人だった。
人間には誰だっていくつもの顔をもっている。多面性の一つや二つあってもおかしくはない。
だが、そこにパッチワークのような違和感を覚え始めたのはいつからだろう。

目の前の相手は、本当に自分の知る姉弟子か?
そもそも彼女の本当など、どこにあるのだろうか?

茶子の体から緊張は解かれ、脱力したように剣先が揺れる。
それは、いかなる心境の変化か。
虚ろな瞳で独り言のように呟く。

「大丈夫だよ、哉くん…………全部うまくいくから」



319Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:08:06 ID:CAQRuEHA0
「…………Why are you here?」

アニカが前に現れた女王に問いかける。
計ったようなタイミングでピンポイントに女王は現れた。
人一人見つけるのはそう簡単な話ではない。
女王はどうやってアニカを見つけたのか。

「不思議かい? なんのことはない。私は感染者の場所が分かるのさ」

全ての[HEウイルス]は女王を中心に繋がっている。
女王は第二段階に至りその繋がりを自覚的に辿れるようになった。
つまり女王は感染者の位置をある程度特定できる。

「さて、願望機を返してもらおうか」

女王がアニカの抱える願望機に向けて手を差し出す。
だが、そう言われて素直に渡すわけがない。

『…………アニカ、私を置いて逃げるんだ!』
「そういうワケには、いかないでしょッ!!」

白兎にはもはや自力で逃げる力も残っていない。
アニカは願望機と白兎を両脇に抱えて駆け出した。

「逃がさないよ」

そう来ると分かっていたように女王が『魔王』の力である魔法を操る。
放たれた炎が鞭のようにしなり、アニカの背を強かに打った。
しかし、その鞭はアニカに触れた瞬間、パチンと弾かれる。

「おっと、そうだった」

どうでもいい事だったかのように反省の弁を呟く。
高魔力体質を持つアニカに魔法は通用しない。
魔法ではアニカの足を止めることはできない。

「では、異能(こっち)だ」

その場から、女王の体が消える。
『剛躯』と魔力による身体強化で地面が爆ぜるような強烈な踏み込みを行う。

『村人よ我に捧げよ(ゾンビ・ザ・ヴィレッジクイーン)』

生存しているゾンビの異能を再現する異能。
虎尾茶子によってゾンビたちは全滅したが、死霊術によって蘇生した魂によりその効果は持続される。
あの光の巨人がいる限り女王は無敵だ。

「………………うっ」

一瞬で距離が詰まった。
背後に迫る女王が、聖木刀を構える。
二刀は哉太に破壊され達人の技量は失われた。
だが、達人の技量はなくとも、アニカの足止めなど『神技一刀』だけで十分である。

完璧な動作で振り下ろされた一刀。
素人のアニカには避ける術などない。

「……!?」

だが、直撃を受ける寸前で、アニカの体が掻き消えた。
空ぶった手応えを確かめるように女王が手元を見つめる。
振り下ろした木刀には長い金の髪が巻き付いていた。

「位置替え…………金田一勝子の異能か」

村の部外者であったためか村の一致団結には加わらなかったようだ。
女王の招集に応じないどころか、謀反まで起こすとはとんだ裏切り者である。

「ペナルティだ」

そう言って、何かを握りつぶすように女王がギュッと拳を握った。



320Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:08:31 ID:CAQRuEHA0
背後に迫る絶対の死は訪れず、走り続けるアニカの周囲の風景が変わった。
アニカは混乱しながらも足を止めずに走り続けた。
そんなアニカの周囲の風景が一度のみならず連続して変化してゆく。
その内にアニカは自身に何が起きたのかを理解する。

またしても勝子に助けられた。
風で流れた髪から髪へと行われる連続転移。
そのおかげで女王から逃れられ、かなり距離を稼げた。

その感謝を表すように手元に残った数本の遺髪を見つめる。
女王によって死霊術を解かれたのか。
髪に宿った魂の光は、もう夜に紛れて見えないほどに弱まっていた。

『オッホッホッホ!! どうやら私が手助けできるのはここまでのようですわ〜!!
 私の遺髪をツバサに届けて頂く約束に関してはお気になさらず。
 強きを挫き弱きを助ける精神こそが貴族の本懐。それを怠るようではむしろ、ツバサに怒られてしまいますわ!!
 これもノブレス・オブリージュ! そう、ノブレス・オブリージュの精神ですわ〜〜!!!
 それではごきげんようアニカさん。ごめんあそばせ、オッホッホッホッホーーーっ!!』

幻聴と呼ぶにはあまりにもテンション感が高すぎる長セリフを残して、遺髪から完全に光が消えた。
アニカは光の消えた金の髪を握り絞め、心からの感謝を告げる。

「thank you...Ms.ショウコ」

彼女のお陰で願望機は手に入れる事は出来た。
残されたノルマは、御守りの回収だけだ。

御守りの場所は分かっている。
一刻も早く御守りを回収すべくアニカは病院の中庭を目指す。
幸運にも髪の流れた風向きから、既に診療所の近くまできている。
マラソンのラストスパートのように最後の力を振り絞り、アニカは中庭にまでたどり着いた。

「what's happening......?」

そこで行われていた光景にアニカが言葉を失う。
アニカが目撃したのは2つの首なし死体を前に争う仲間の姿だった。

「stop it now!!」

白兎をその場において、慌てた様子でアニカが間に入るように二人を静止する。
だが、割って入ったアニカに向かって赤い刃が迫った。
眉間を貫かんとする一刺しを、横から刃が弾く。

茶子の突きから哉太が守った。
哉太の中で、他のモノの価値がなくなったわけではない。
ただ、女王の守護が優先順位の最上位に上がっただけであり、基本思考は哉太のままだ。
女王のためなら何であれ犠牲にする事も厭わないというだけで、大切な物は大切なまま。
アニカを守るという誓いは哉太の中で生きている。

女王に命じられたのは女王の命を狙う茶子の排除だ。
アニカはまだ女王に敵対するとは限らない。
そんな甘い希望的観測によるものだが、女王である珠を殺しきれなかった哉太のそんな甘さがアニカを救った。

「―――――庇ったな」

地の底から響くような冷たい声。
尻もちをついたアニカの背筋が凍る。
自らに向けて降りぬかれた剣よりも、その表情にゾッとした。

アニカは茶子から距離を取るように離れながら立ち上がる。
そして、哉太と共に茶子に向かって対峙する。

「…………ついにsanityを失ったのね、Ms.チャコ」
「だぁほ。女王に支配されてんのは哉くんの方だよ」

呆れたようにそう言って、見下すような瞳を向ける。
その言葉に、ぎょっとした瞳でアニカが傍らの相棒を見つめた。

「違う。俺は茶子姉が女王を殺そうとするのを止めているだけだ」
「な?」
「………………」

そら見た事かと茶子が告げる。
女王を守護せんとする言動は、アニカの頭にも響く声に屈してしまったのか。
哉太自身は自らの言動がおかしいと言う自覚がなさそうである。

「って、Ms.チャコ! だったら何で私を攻撃したの?」
「戦闘中に割って入る方が悪い」

にべもなく言い切る。
愛する弟弟子と違って、アニカを殺すのにそもそも躊躇いはない。
間合いに入ったのなら攻撃の手を止める理由がなかった。

アニカは哉太からも僅かに距離を取った。
女王の眷属と化した以上、味方とは言えない。
かと言って自分を攻撃してきかねない茶子に近づく訳にもいかず奇妙な三角を作るような位置を取った。

321Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:08:49 ID:CAQRuEHA0
「Ms.チャコはカナタをどうするつもりなの……?」
「さぁな。だが目的の前に立ちふさがるなら斬るしかねぇだろ。安心しろ、今の哉くんならそう簡単に死にゃしねぇよ」
「アニカも茶子姉を止めるのを手伝ってくれ! それともまさかアニカも女王に盾突くつもりじゃないだろうな?」

それぞれが言葉をぶつけ合い、事態が混沌としてきた。
本来味方であるべき3人だったはずなのに、誰が敵で誰が味方なのか分からない。
だが、更にそこに混沌の一駒が追加される。

「―――――おや、そろってるじゃないか」

アニカの背後より現れたその大駒こそが混沌の中心
悔しさに、あるいは殺意に、あるいは歓喜に満ちた声で現れたその名を呼ぶ。

「「「女王――――ッ!」」」

ここが戦場であるとは思えぬほど優雅な足取りで女王が姿を現す。
事実、絶対的な強者である女王にとって、ここは戦場ですらないのだろう。
自らの庭を歩く様に山折村を我が物顔で闊歩する。

勝子に与えられたアドバンテージは時間切れだ。アニカは女王に追いつかれた。
元より女王が正常感染者の位置を特定できる以上、時間の問題だっただろうが。

すぐに御守りを回収して願望機を使うつもりだった。
願いで女王をどうこうできるわけではないが、最期の願いを叶えて願望機が壊れてしまえば少なくとも女王の手に渡ることはなくなる。
そういう計算だったのだが、そこで哉太と茶子の諍いが行われているなど計算外である。

女王が満足そうな視線で3人を見つめる。
感知できる正常感染者は巨人の相手をしている天原創を覗けば、全員がここに揃っている。
その上、女王の求める願望機と御守りもまでもが揃っていた。

「では――――総取りと行こう」

言って、女王が魔力を放出した。
その背後に、鋭く尖った黒曜石の刃と、数時間前に戦鬼が破壊した診療所の瓦礫が浮かび上がる
魔法を弾く高魔力体質の対策として物理攻撃が入り交じった魔法と物理による混合攻撃。

自らの騎士たる哉太ごと、この場にいる全員を叩きつぶすつもりだろう。
哉太は多少の攻撃では死にはしないし、最悪死んだところで構わない。
魂を蘇生させ、『Zの世界』に至るだけだ。

「テメェを殺(と)ればよぉ――――ッッ!!」

だが、それよりも一手早く、茶子が動いていた。
機先を制して魔法が放たれるよりも先に女王へと襲い掛かる。
だが、振り下ろした赤い刃は、まるで読んでいたかのように展開された黒曜石の盾に防がれた。

女王は襲撃者に視線すらやらず口元だけで笑みを作る。
運命視によって茶子がそうすることなど女王にはわかっていた。

奇襲を防がれ茶子が舌を打った。
すぐさま身を引こうとするが、女王が手を振り下ろす方が早い。
それを合図に反撃の刃がガトリングのように一斉に放たれる。

「Ms.チャコ――――――!」

そこにアニカが投げ出すように身を割り込ませた。
自らの体を盾として、茶子に襲い掛かろうとした魔法の剣を霧散させる。
咄嗟の判断による利害の一致、互いが生き残るにはこれしかない。

その予想外の献身を忌々しげに歯噛みながら受け止め、茶子は同時に迫る瓦礫の射出を刃の先で後方へと受け流した。
物理を茶子が、魔法をアニカが防ぐことにより物魔の同時攻撃を凌ぐ。

「くぅ…………ッ!」

だがアニカの小さな体では完全に全てを防ぎきることはできず。
如何に茶子とて、細かな礫まで防ぎきることはできなかった。
致命傷こそないモノの、2人ともそれなりのダメージを負った。

その隙を突いて、女王の騎士が追いついた。
黒曜石の刃に貫かれて体中に穴を開け、射石による打撲と骨折を全身に受けながら、女王の危機に守護騎士は馳せ参じた。

完全に体が再生しきっていない体で、折り重なった2人の少女に向けて祖父の刀を振るう。
女王が現れアニカを攻撃した以上、もはや哉太にとってもアニカも討つべき敵である。
茶子は目の前に被さるようなアニカの背を蹴っ飛ばして離脱させると、打ち付けるようにその一撃を防ぐ。

「ち…………ッ」

だが、無理な体制ではその衝撃を殺しきれず、茶子は倒れそうになりながら後方へと下がる。
哉太がこれを追撃し、そのまま幾度目かの打ち合いを始めた。

蹴っ飛ばされたアニカはそのまま顔面から地面に倒れ込んでいだ。
鼻血を流しながら顔を上げたアニカに女王が迫る。

「貴様の悪運も終わりだな」

茶子の相手を哉太に任せ女王はアニカに標的を定めたようだ。
もはや死者の助けを得られるような奇跡は起きないだろう。
女王の相手はアニカがするしかない。

「死にたまえ、運命乖離者」



322Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:09:03 ID:CAQRuEHA0
八柳流の攻防は初戦と同じく、哉太が一方的に攻め立てる展開になっていた。
茶子は手を出すことなく防御に徹していた。
だが、それは及び腰だった初戦とは違う。
何故ならその目は、強かに何かを狙っている狩人の眼をしていた。

哉太もそれには気づいている。
だからこそ、一方的に有利な展開でも警戒は怠らない。
目の前の相手の厄介さは誰よりも知っているのだから。
哉太は油断なく相手の出方を伺いながら、反撃の隙など与えぬように激しく剣を打ち付け続ける。

茶子はアニカに対する哉太の反応から相手の弱点を見出していた。
いや、見出したというより最初から知っていた事である。
だからこそ次の一手で、茶子はその弱点を突いた。

哉太の放つ渾身の一撃に対して。
茶子は、無造作にポイと刀を投げ捨てた。

「なっ…………!?」

完全なる無防備を晒した茶子に対する一瞬の戸惑い。
女王の洗脳状態にありながらアニカを庇った。
その行動(あまさ)から、茶子は哉太に隙が残っている事を理解した。

武器を捨て自らの隙を晒す背水の陣。
このまま切り捨てられてもおかしくはない。

だが眷属化しようともその性根の甘さは変わっていない。
剣士として対等な斬り合いに躊躇いはなくとも、無抵抗な相手、ましてや愛する姉弟子を斬ることを哉太は躊躇う。
最終的に斬るとしても、消しようのない一瞬の躊躇いが生まれる。

生まれたその一瞬の躊躇いを突いて、茶子が行ったのは頭突きだった。
頭蓋骨の一番固い所で鼻頭を打った。哉太の鼻骨が折れ鼻血が噴き出す。
一瞬で再生するとしても鼻血がなくなる訳ではない、鼻呼吸を封じられた。
どれほどの再生力を持とうとも顔面に強い痛みを感じた人間の反射として、眼を閉じ涙が滲む。

驚きと痛みで相手の動きが止まる。
その隙に茶子が刀を持った哉太の右手首を掴み、そのまま腕を自分の脇に引き込みながら飛びつくように体を預ける。
そしてまるでスローモーションのような動きで空中で脚を相手の首に絡めた。
右脚が相手の首を捕らえ、左脚は相手の右腕の下を通してしっかりと固定する。

戦国の世における武士の合戦であっても、刀が使えなくなった時に最後の手段となるのは体術である。
柔術の起源となる武士の組討のように、対剣術を想定した素手格闘の心得は八柳流にも存在する。
己の中の殺意と殺したくないという気持ちの折り合わせる、刀ではなく素手での殺し合い。

飛び付きから腕ひしぎに移行して、全体重をかけて地面に背で着地する。
その全ての勢いを極めた右腕に押し付けるようにして腕をへし折る。
強力な再生力を持つ哉太にとって腕の骨折など物の数ではない。
だが、一時的に握力の緩んだ手から刀が滑り落ち、夜の静寂に転がった。

そして哉太の折れた腕が捻られると同時に三角絞めの形が完成した。
頸動脈に強烈な圧力がかかり哉太は真っ赤にした顔面に血管を浮かび上がらせる。
だが茶子の握力は完全ではない、クラッチが効かない右手を引きはがさんと口端に泡を浮かべながら哉太が足掻く。
それを断ち切るように茶子は再生を始めた折れた腕を捻り上げる。

「ッッぅがああああああああああああ!!」

獣のような咆哮を上げて、折れた腕に構わず力を籠めて動かす。
女王の命令による強制力は自傷すら厭わない。
だが、正気の麻痺したゾンビたちと違って哉太には痛みが残っている。
それでもなお、激しい抵抗を続ける。
一撃で意識を奪い取った創の異能が恋しくなる程の恐るべき精神力と耐久度だ。

「チィ…………ッッ!」

茶子は痛みでの抑制を諦め、足での頸動脈の締め付けを強めた。
哉太の意識が僅かに白み、視界が次第に狭まって行く。
だが、意識を失う前に哉太は最後の力を振り絞った。
足元に力を込め折れた腕を引き上げ、まるで木の根を引き抜くかのように茶子の体ごと持ち上げる。

体が空中に浮かび三角締めによる締め付けが一時的に解かれる。
哉太は自らの腕にしがみつく茶子の体をそのまま地面に叩きつけんとした。

だが、茶子は即座に身を捻った。
叩きつけられるよりも早く振り子のように頭を振って、体重移動で相手の体勢を崩しにかかる。
折れた片腕では人一人を持ち上げるのが限界だったのか、哉太が倒れこみそのまま2人の体は揉み合うように地面を転がった。
転がりながらも茶子は哉太の手を完全に離さず、再び足で首を締め上げ三角締めの体勢に戻る。
哉太も再び抵抗を続けた。2人の剣士のグラウンド攻防は繰り返される。



323Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:09:51 ID:CAQRuEHA0
「さあ、願望機を渡したまえ」
「……あら、渡したらmissしてくれるのかしら?」

手を差し出しながら女王がにじり寄る。
全身にかいた冷や汗を隠しながら願望機を持ったアニカがジリジリと後退った。

「まさか、運命の見えない障害は消しておかないと」
「だったら――――negotiationになってないわね!」

周囲に髪が舞った。
それを見た女王の思考に一瞬位置替えがよぎり、無意識に髪の行く末を目で追ってしまった。

だが、舞ったのは金ではなく銀。
放送局で回収され雪菜が後生大事に抱えていたスヴィアの髪だ。
雪菜の死体の近くに散らばっていた髪をテレキネシスでばらまいたのだ。

既に死霊術は解除され魂は消去されている。いずれにせよ位置替えは不可能なはずだ。
だが、先ほど一杯食わされた記憶がちらつき、一瞬の思考の隙は生み出せる。
その隙を突いてアニカはラグビーボールのように願望機を抱えて走り出す。

「おっと、どこに行こうというのかな?」
「ッッ!?」

だが、一瞬で目の前に回り込まれた。
速すぎる。根本的な運動能力が違いすぎる。
異能と魔力で強化された女王の脚力は人の域を遥かに超えていた。
女王が無造作に突き出した聖木刀がアニカの左肩を直撃する。

「っぅうあああああああああああああああああああッ!!!」

アニカが悲鳴を上げて地面を転げまわった。
左肩が脱臼した、その手に抱えていた願望機が零れ落ちる。
走っていた勢いもあってか、願望機は遠くまで転がって行った。

「やれやれ。手間をかけさせないで欲しいものだな」

面倒そうにつぶやくと、女王は倒れたアニカを無視して願望機を拾いに向かった。
左肩を外された激痛に、アニカは動くことが出来ない。
このままでは願望機が女王の手に渡る。
そうなってしまってはもはや取り返す術はない。

『……ニカ…………ッ!』

全てが霞む痛みの中で、遠くから声が聞こえる。
地面に這いつくばりながら視線を動かせば、そこには半透明の白兎が何か咥えて必死にこちらに向かって駆けている姿があった。
既に力の殆どが失われた白兎には持ち上げることすら叶わないのか、必死に地面を引き擦りながら何かを運んでいる。

『アニカ……この剣を!』

それは茶子が投げ捨てた魔聖剣だった。
茶子からすれば折れた剣でしかない価値のないもの。
だが、彼女たちにとっては今この状況を覆す唯一の手段だ。

アニカが手を伸ばす。
だが、距離は遠く届かない。
もはや白兎にはそこまで剣を運ぶ力がない。

「こ……………のっ!!」

足りない距離を異能で引き寄せる。
テレキネシスはアニカの筋力に比例する。
アニカの筋力では西洋剣を引き寄せるのに一苦労しただろうが。
刀身が折れて軽量化された魔聖剣はすぐさま引き寄せられ手元に収まる。

『その名を呼ぶんだ!』

白兎が叫ぶ。
聖剣より生まれた魔聖剣は失われた魔王の娘と同じ名を冠している。
そこに名探偵が推理した犯人を告げる。

祈り望むその先にあるもの。
すなわち。

「――――――――――デセオ!!!」

Deseo(デセオ)。
スペイン語において願い、願望。あるいは希望を意味する。
魔王に攫われた女神が産み落とした不貞の子。
絶望の中、産み落とした我が子に女神が授けた絶望の底の希望(デセオ)。

真名を解放された、その力が解放される。
折れた魔聖剣の刀身が魔力の光で覆われ一瞬で復元された。

「何だ…………?」

異変に気付き、願望機に手を伸ばしていた女王の手が止まる。
瞬時に振り返らねば不味い事が起きる、その予感に従いすぐさま振り返る。
するとそこに、白黒が入り混じった光と闇の螺旋があった。

324Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:10:18 ID:CAQRuEHA0
『…………おお』

同じく白兎もその光景を見ていた。
その奇跡のような光景を見届けて、白兎が赤い双眸から涙をこぼす。
それは悲しみによるものではなく随喜の涙だ。
その名を聞き及んだ白兎の脳裏に摩耗した記憶が思い出される。

滂沱の涙をこぼす白兎の体が透明度を増して行った。
白兎の存在は己が願いに捧げられた。
気力だけで保っていたその存在が消えてゆく。

彼女たちならきっと成し遂げるだろう。後は願いを託すのみだ。
白黒の閃光に照らされながら、白兎が満足したように消えていった。

アニカは高魔力体質と言う異能を持っていたが、それは大量の水を持つ蛇口のない貯水タンクのようなものだ。
外に出す方法が分からず体内で巡らせ防御に使う事しかできなかった。
だが、その蛇口を手に入れた。

――――デセオ。
その剣は魔と聖の二つの属性を合わせ持つ魔聖剣である。
魔聖剣に籠められた魔力とアニカの高魔力体質と言う二つの強力な魔力が合わさり二色の光となって放出される。

「――――――――はぁぁああああああっ!!」

アニカが振り下ろした刀身から白黒の極光が放たれた。
触れる物すべてを呑み込む魔力の奔流が女王の体を一瞬で飲み込む。
光の線が奔ったその過程の全てが消し飛ばされ、女王の手にしていた魔聖剣の父たる聖木刀は消し飛ばされる。

「ぅ…………くッ!?」

だが、二重魔力で身体能力が強化されていても片手では大量の魔力放出に耐え切れず、アニカが勢いに負けて後方に倒れこむ。
極光は上空に向かって逸れながら背後の診療所にまで達し、直撃を受けたその壁が跡形もなく消失する。
粉塵と瓦礫が空中に舞い上がり、辺りは視界が遮られるほどの煙に包まれた。

極光が消え、風に流れた煙が晴れる。
身を起こしたアニカが煙の晴れた先を見る。

そこにあったのは黒曜石の盾を構えた女王の姿だった。
魔力流は盾によりを防いだようだが、閃光の熱波までは防ぎきれず、女王の全身は赤く焼きただれていた。
だが、焼けた女王の皮膚が超速で再生を始める。

「……面白い。やるではないか」

再生を完了した女王は不敵に笑った。
ただの狩られるだけの兎だと思っていたアニカを、ここに来て初めて敵として認めた。
二重魔力と言う強力な力を目の当たりにしながら、女王の余裕は崩れない。

アニカの放つ白黒魔力砲は凄まじい火力だった。
アニカの体勢が崩れなければ女王とて無事では済まなかっただろう。

だが、その強力すぎる力をアニカはまだコントロールできていない。
先ほどの一撃だって茶子や哉太を巻き込まなかったのは奇跡だ。
仰向けに倒れて上空に逸れたからよかったものの、下手をすれば地面に転がる願望機すら消し飛ばしてしまった可能性もある。

それでもアニカには高魔力体質による防御もある。
生半可には攻略できない強敵となったことに変わりはない。

だが、それは『魔王』が扱う魔法の力に限った話だ。
女王にはまだ、『女王』が生み出した異能の力がある。
女王は先ほど茶子が放り投げ地面に落ちていた、聖刀神楽を拾い上げる。

生きたゾンビの異能を再現する日野光より受け継ぎし異能『村人よ我に捧げよ』。
村中全てのゾンビの魂は蘇っており、光の巨人として成立している。
対象を深く知る必要があるという条件設定も、魂で繋がる女王であれば簡単にクリア可能だ。

つまり理論上、あの光の巨人が健在である限り女王は1000を超える全ての異能を使用可能である。

「――――――では、見せてあげよう。細菌とこの村(せかい)を統べる女王の真の力を――――!」

神々しい光を背に、女王が両手を広げた。
新たな太陽たる、あの巨人こそ山折村の結晶。
外の世界にも新たな山折村を築き、細菌を進化させ魂の集合体たる光の柱を築き上げる。
生死を超えた果てにある『Zの世界』で、女王は真の支配者となるのだ。

全てを蹂躙する女王の真の力が開放される。

瞬間。

女王の背後で、太陽が弾けたような爆発が起こり、閃光が夜を白に染め上げた。

325Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:10:38 ID:CAQRuEHA0
だが、

「なっ……んだ…………ッッ!!?」

驚愕の声は女王の口から洩れた物だった。

つまり、この異変は、女王が引き起こしたものではない。
女王が戸惑いの声を上げながら、狼狽した様子で己が背後を振り返った。
そこに在ったのは、ここからでも見える光の巨人が爆散する姿だった。

あっけにとられたように口を開いた女王の顔に滲む困惑と驚愕。
遠方の煙上げる上半身を失った光の巨人と目の前のアニカを交互に睨み付け、最後に遠くに転がる願望機を見つめた

確かめるように目を細める。
光の巨人が爆散したことにより、夜に闇が戻った。
夜の闇に紛れて願望機の位置はよく見えなかった。

それで理解する。
女王の扱う異能から『暗視』が消えていた。
それだけではない、魂の集合体である光の巨人が破壊された事により全ての異能が使えなくなっている。
それは、本当にあの絶対的な光の巨人が撃破されたことを意味していた。

だが、それはあり得ない事だ。
天原創に山折村の魂の集合体であるダイダラボッチを倒す手段はない。
それが女王の見た天原創の運命だった。

あり得ない、あってはならない事が起きた。
完璧なシナリオが崩れるのは許し難い。
何が起きたのか、確認せねばならない。

苦々しく表情を歪ませながら、目の前のアニカを視線だけで呪い殺せるほどの殺意を籠めて睨み付ける。
魔聖剣デセオの力を得たアニカは簡単に倒せる相手ではなくなった。
そんなアニカを相手にしながら願望機の回収ができるような余裕も現在の女王にはない。
『魔王』の力だけでは互いに決め手を欠く千日手になるだろう。

「…………預けておく」

捨て台詞のようにそう言って、女王は走り去っていった。
アニカもそれを追う事はしなかった。

デセオを手にして圧倒的な力を得たように見えるがアニカにもそれほど余裕はない。
その力を完全に制御できているとは言い難いし、肩の外れた左手はプランと垂れ下がっている。

まずはこれを治さねばならない。
脱臼の直し方は知識としては持っている。
まさか自分で実行する羽目になるとは思わなかったが。

「…………ふぅう」

息を吐き痛みで強張る体を出来る限り脱力させる。
脱臼した肩をゆっくりと体の前に持ってきて適切な位置を探った。
そして、もう片方の手で脱臼した腕の肘を軽く持ち上げ、強化された筋力で一気に腕を引く。
ゴキンという音と共に激痛が走り、アニカの顔が歪む。

凄まじい激痛だったが肩が元に戻る感覚はした。
肩の骨にヒビが入っていているのかまだ強い痛みはあるが、指を動かすことはできる。
このまま一休みしていたい気持ちがあるが、一息つく間もない。
アニカは先ほどの魔力砲で吹き飛ばされた願望機を回収すると哉太と茶子の援護に向かった。

326Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:11:17 ID:CAQRuEHA0
剣士たちの戦いはいつの間にか寝技の戦いに持ち込まれていた。
アニカは格闘技に詳しいわけではないが、完全決まったはずの三角絞めが今にも引きはがされようとしているように見えた。
腕が折れようが頚動脈を絞められようが再生力と耐久力でごり押す、とんでもない力技だ。

「…………助けろ!」
「I know!」

援護要請にアニカは応じる。
だが、二重魔力による魔力砲は威力が高すぎる。
アニカもそれなりの修羅場は潜っているが直接戦闘、ましてや魔力を放つ剣など扱ったことがない。

アニカは完全にデセオの力をコントロールしきれていない。
出来ることは蛇口を捻って0か100の水を出すだけ。
下手をすれば茶子はおろか、再生力を持つ哉太すらも完全に消し飛ばしかねない。

アニカ自身の気質からして処理能力と精密動作に優れており、大雑把な大出力には向いてないのだ。
そういう意味ではデセオの高魔力砲とは相性がいいとは言えなかった。

だが、構わずアニカが魔聖剣デセオを両手で握り絞め、二重魔力を高めた。
アニカの力はデセオと高魔力体質だけではない。本来のアニカの異能はテレキネシスである。
大魔力の放出をコントロールできないのなら、コントロールできるようにチューニングすればいい。

アニカを扇の要にするように何重もの白と黒の細い光の線が空に奔った。

魔力戦以前に戦闘行為に不慣れなアニカでは蛇口から出る魔力量は調整できない
ならば蛇口から出る量を調整できないのなら、1000の魔力を1×1000に分割して放出する。
1の魔力ならばテレキネシスで制御できる。

並列処理ならばアニカの領分だ。
アニカは放たれた千本の魔力を異能の力で一つ一つ精密に操作していく。
幾つかの束になった魔力光が触手のようにうねる。

触手は茶子ともつれ合う哉太の手足に巻き付いてその体を拘束した。
強い再生能力を持つ哉太は多少の拘束ではトカゲのように自切しかねない。
求められるのは生かさず殺さず全身を押さえ続ける術である。

その隙に茶子が引きはがされそうだった三角絞めを完全に解いて袈裟固めの体勢に移行する。
柔道の抑え込み技と魔力の束による手足の拘束。
2人の少女による女王の守護者を完全に抑え込んだ。

「離せ……ッ! 離せぇッ!」

だが、これを受けてもなお女王の守護者たる哉太は拘束を解くべく暴れまわる。
一瞬でも気を抜けば飛び出さんばかりの暴走ぶりである。

「……ッ。いつまでやってりゃいいんだ、これッ!?」
「この事件が終わるまでよ!」



327Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:11:47 ID:CAQRuEHA0
草原から女王や茶子が去りし後。
村の意志の集合体たる光の巨人と、それに立ち向かう小さな人間の追いかけっこは続いていた。

親の交代もないタッチ一つで終わる最悪の死の鬼ごっこ。
少しでも足を緩めれば追いつかれる相手に常に全力疾走を強いられる。
それでもなお攻撃の余波は身を削り、繰り返すたび小さな人間は疲弊して行く。

逃げる創の神経も体力も限界に近い。
ここまでの激戦により積み重ねられた疲労を思えば、ここまで粘っただけでも驚異的だろう。

対して、巨人に衰えはない。
当然だろう。手を振り上げて落とすだけなのだ、大した疲れなどあるはずもなかった。
そもそも疲労などと言う概念があるかすらすら怪しい。
このまま追いかけっこを続けた所で、どうなるかは火を見るよりも明らかだ。

だが、これほどの絶望的な状況にありながら、創の目は死んではいなかった。
何故なら既に二つの希望の光は彼の手の中にあるからだ。

一つは茶子より返却された発信機だ。
何者かの存在を示すように光は点滅している。
これは目的のない疾走ではない、希望の光に向かって駆けだしていた。

そしてもう一つの光。
創は懐に手をやると、取り出した切り札のスイッチを押した。

次の瞬間、創の手元から光が剣のように鋭く伸びた。
巨人の放つ淡い光を切り裂くような強い光が一直線に巨人に向かって進んで行く。
そして、レーザービームのような白い光の先端が巨人の顔面に直撃した。

それは雪菜から回収した何の変哲もないマグライトだった。
マグライトの光を巨人の顔面にぶち当て、光を照らす。
だが、巨人はその光をまるで意に介さずそのまま進んでくる。

巨人に元より視力などない。
人間の魂の集合体である巨人は魂の元の形を再現しているだけである。
形だけが再現されているだけで五感は機能しておらず、目つぶしをしたところで意味はないのだ。

しかし、少年は怯むことなくマグライトを巨人に向けて照らし出した。
マグライトの光を剣のように振り回し、巨大な光の巨人に向かって何度も何度も振り下し続ける。

だが、光の剣は巨人に当たるたびに虚しく消え去り、何の効果もない。
少年の努力を嘲笑うかのように巨人はそのまま地ならしと共に突き進むと、祈るように両手を合わせた。
そして、合わせた両手を月にすら届きそうな勢いで上空へと振り上げる。

ダブルスレッジハンマー。
光の巨人の一撃は片腕でも地形を変えるほどの破壊力を持つ。
それが両手合わされば、どれほどの威力になるのか想像すらできない。
今回ばかりは回避したところで余波だけで小さな人間など容易く死ねるだろう。

逃げる事を諦めたのか、それとも疲労の限界か、創はその場に足を止める。
1秒後の死を前にしてもなお、創は夜空に絵を描くように光を振り回し続けた。
そんな無意味な行為を続ける少年に向かって、破壊神たる巨人から絶対の死が振り下ろされた。

だが、それよりも一瞬早く。

――――――地平線の彼方から彗星が疾駆した。

遥か遠方の草原に閃光が走り、夜を切り裂くように天を目指して昇っていく。
それは遡るように地から天に向かって流れる願い星の如く。

彗星の尾を引く赤い炎が夜空を裂き、空気を震わす轟音と共に猛烈な勢いで光の巨人へと向かって突き進む。
彗星は瞬く間に草原を駆け抜け、巨人との距離を一瞬で縮めた。
閃光が巨人の胸部に命中する。

瞬間、世界が一変した。

筆舌に尽くしがたいほどの凄まじい衝撃が世界を揺るがす。
爆発音は地響きを伴い、村全体を揺るがせた。
音を超えて広がる衝撃波は周囲の草木を根こそぎ吹き飛ばしながら大地を捲り上げてゆく。
まるで大地震が発生したかのように地面は脈動し、灼熱を含んだ空気は舞い飛ぶ草木を蒸発するように燃やし尽くしていった。

そして、偽りの月の終わりを告げるように、太陽が爆発したかのような光が夜空を染め上げる。
爆炎は暗闇を一瞬で焼き払い、周囲を白昼のように照らした。

撃ち放たれたのは一撃にて、この世の終わりの様な破壊を齎す破壊兵器。
血塗られた兵器開発の歴史の果てに生まれた、歩兵が運用できる最強の兵器――ロケットランチャー。
兵器開発の歴史とは、人がより効率的に、最大的に人を殺すために積み重ねてきた業の歴史だ。
だが、その業が世界を救う事もある。

328Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:11:57 ID:CAQRuEHA0
茶子は言っていた。
発信機の信号を追っている途中で女王と遭遇したと。
それが指し示す意味はひとつ。
茶子と女王を結ぶ直線上にハヤブサⅢの発信機を持つ人間、つまりはハヤブサⅢを殺した特殊部隊がいるという事だ。

女王を守護する光の巨人の存在は特殊部隊としても無視できないはずだ。
創は光点から狙撃可能な位置まで相手を誘導するとともに、マグライトによって観測手の役割を果たしていた。
伝えていたのは周囲の風向きと強さ、そしてその巨大さ故に遠近感が薄れてしまう巨人との正確な距離感である。

「くっ…………!?」

だが、大きな想定外が一つ。
その爆風は、巨人に挑んでいた少年にも容赦なく襲いかかった。
特殊部隊なら狙撃銃くらいの装備はあるだろうという想定の行動だったが、これは余りにも威力が高すぎる。
明らかに国際人道法に違反した破壊力である。

爆風と熱波に巻き込まれるだけで命を落としかねない。
創は匍匐体勢で目と口を守りながらなんとか爆風に堪えようとするが、あえなく小さな少年の体は吹き飛ばされ空中に舞い上がった。
暴力的な爆風に少年の身体は無力に翻弄され、地面に激しく叩きつけられた。

「っ……………ハッ………ッ!!」

もみくちゃにされながらもギリギリで受け身は取ったが、それでも衝撃で息が詰まり全身が痛みに包まれた。
熱風で全身の皮膚が火傷でもしたように赤くなり、喉の奥も僅かに焼けてしまったのか呼吸をするだけで小さく痛みが走る。
だが、それでも創は生きている。

爆風の影響が収まったのを確認して、痛みを堪えながら四つん這いの体勢で創は顔を上げた。
見上げた先、そこに在ったのは、上半身が弾け飛ぶように消滅したダイダラボッチの姿だった。

腰から下だけになった巨人は、炎煙を上げながらそのまま崩れ落ちるように倒れた。
大きな地鳴りと共に倒れた下半身が結合を失った光の粒子となって砕け散る。
そして、爆発によって天に打ち上げられた魂の破片が、無数の輝く粒子となって祝福の雨のように草原に降り注いだ。
白熱する光の残骸の一つ一つが星屑のように煌めきながら、降り注いだ大地の上で儚く光を放っていた。

その光の粒は焼き払われた草原の代わりに大地を覆い尽くし、幻想の世界を創り出した。
砕けた人間の魂で作られた星の草原。
それは、この世のものとは思えない、息を呑むほど美しい彼岸の景色だった。

「くっ………………ふぅ」

死後のような世界で眠ってしまいたい気もするが、全身が悲鳴を上がる体に鞭打ち、創は立ち上がる。
何故なら、まだ最後の戦いが待っている。

守護騎士は打倒した。
ならば、彼女はきっとここにやって来る。

待ち合わせでもするように、この美しく輝く草原でクラスメイトの少女を待った。



329Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:12:42 ID:CAQRuEHA0
「マズ、大前提としてダネ。今回発生したのはバイオハザードではナイ。女王の意思をもって行われたテロ行為であるという点だヨ。
 外部に漏れ出したのは我々の作り出したウイルスではなく、女王の先兵(ウイルス)だという事だネ」

山折村から離れた東京の研究所で、細菌学の権威たる老研究者は語り始めた。
女王が山折村から世界に向けて行ったのはバイオハザードではなく細菌テロである。
それだけ聞くと猶更まずい状況に聞こえるが、この場に居る彼らの理解は違う。

「つまりは、女王は事態を制御できるという事でしょう?」

それは奥津も考えた結論だ。
制御者がいるという事は、事態はアンコントローラブルではない。
それは捉えようによってはメリットである。
状況を制御できるのなら解決の算段も立てられる。

「ですが、女王がこちらの軍門に下ることなどありえないでしょう?」

根本的な問題はそこだ。
仮にも計画を仕掛けた敵の首魁がこちらに素直に従う訳がない。
実現不可能な方法は卓上の空論でしかなく解決策とは言えない。
ここにいる人間はそんな甘い絵空事を語るような連中ではないはずだが。

「ソウだろうネェ。ダガ重要なのハ、命令権限を持つ管理者がいるという事だヨ。コレは珍しいコトだよゥ……!
 細菌の繁殖や共生に相互作用がアル事はあっても、明確な上下関係があるなんてのはこのワタシでも聞いたことがナイ!
 何せ細菌には明確な意思がないからネ。細菌の動きは現象に伴う化学走性(ケモタキシス)でしかないのだから当然と言えル。
 ダガ、『HEウイルス』はその前提を覆す『意思』を持つウイルスだっタ。絶対的な命令関係が存在スル!!」

ゾンビたちが女王を守護るのは細菌の化学走性によるものだと考えられていた。
だが、女王の覚醒が第二段階に至った事により明確な命令系統がある事が女王の口からはっきりと語られた。
これ自体が学会を揺るがすとんでもない大発見である。

「女王の宣戦布告を信じるのであれば、感染源である[A感染者]の指定に加えて、正常感染率の調整まで行えるようですね」

女王の宣戦布告には女王の指定、正常感染率の申告が含まれていた。
感染者の指定が行われた事に関しては他ならぬこの女研究員が証明だ。
ウイルスを発する女王になったかは見た目ではわからずとも、異能の消失と言う明確な変化がある。

「素晴らしイィじゃないカ! ソレはウイルスの発症を操作できる証明に他ならナイ!
 バラ撒かれたのは細菌が生み出した細菌と言う訳ダ。イヤァ、面白いナァ、実に興味深いヨ!!」
「いきなりテンションを上げるな百之助。流石の俺も引くぞ」
「そもそも、正常感染の確率は制御出来ないものなのでは?」

それが制御できるのなら山折村のゾンビは生まれていない。
何より、研究所の導き出した正常感染率は過去の動物実験から統計的に割り出したものだ。
それでも2〜5%というブレがある。事前に言い当てられるものではない。

「イヤイヤ、ソレは昨日までの話サ。適合条件は先ほど判明しているヨ。
 詰まる所、正常と異常の判定は細菌タチの選り好みであったワケだけド。
 ウイルスと対話可能な女王であれば、正常感染率は制御できるはずだネェ」
「つまり、女王の宣言した1%は女王が明示的に設定した1%だという事ですか?」
「ふむ。そうなると一つ気になるところがあるな」

染木と奥津の話に終里が疑問を挟んだ。

「何故――――1%なのだ?
 本気で共存を望み自らの有用性を示すのなら100。本気で人間に敵意を示しただの苗床にしたいのならば0。
 それ以外になかろう。少なくとも俺なら0にする」

何故1%なのか。
女王が自分の意思で設定したのならそこには意図があるはずだ。
少なくともその設定値は終里の思想とは合わない。
この疑問に女王の姉妹たる長谷川が答える。

「山折村を再現したかったではないでしょうか。
 言動から[HE-028-Z]は山折村を自分たちの進化と繁栄の場と捉えている節があるように見受けられます」
「より良い進化のために、より過酷な地獄を。と言うことか。
 同じ環境を整えたところで同じ結果になるとは限らぬのだがな、かわいらしい発想ではないか」

その悪辣さが気に入ったのか終里は満足げに笑う。
細菌の未来のため、人間の地獄を作り上げる。
その思想はやはり人と相容れないものだ。

「ともあれ、正常感染率は奴の意図に沿った設定になっていると言うことだな」
「そのようですね」

感染者や感染率を制御できるのであれば、事態を収めることもできるだろう。

330Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:13:02 ID:CAQRuEHA0
「女王が状況をコントロールできるのはわかった。だが、奥津くんの懸念する通りだ。
 人間を自らの糧としか考えていない女王がこちらに従うことなどありえない。
 どうすると言うのだ? 考えを言え百之助」
「言ったダロウ? 命令権限を持つ管理者がいる事こそが重要なのダト。
 ソノ命令者は必ずしも女王である必要はナイ」

理屈としてはその通りだ。
だが、その制御権がこちらに渡らなければどうしようもない。
何かスイッチの様なものがあって無理やり奪い取ればいいと言う話でもないのだから。
疑問符を浮かべる3人に向かって染木は一つの問いを投げかける。

「考えてみたまエ。『HEウイルス』は何から生まれたものなのカ?」

その問いに、全員の視線が一点に集中する。
視線の集中を受けた男は楽しそうに不敵な笑みを浮かべた。

「――――――つまりは、俺か?」
「ソウ。理屈で言えば[HEウイルス]の大元である元くんは、女王よりも上位の命令権を持ってイルはずだヨ」

魂を確立した女王は魂を繋げ[HEウイルス]を支配する力を得た。
だが、その大元であり、元より人としての魂を持つ終里であればそれよりも大きな権限を持っていてもおかしくはない。
その方案を受けた奥津が口元に手をやり考え込む。

「つまり……女王の作ったネットワークにバックドアをしかけるという事ですか?」

奥津が自分なりの解釈をハッキングを行うための不正侵入口に例えて言う。
同じく研究者ではない終里はその例えになるほどと頷きを返した。

「なかなかいい例えだな奥津くん。
 その例えで言うならば、本気で自身の死後を想定するのであれば完全にリンクを切ってスタンドアローンにすべきだったな」

娘の失態を楽しむようにくつくつと笑う。
だが、すぐさま笑みを消して奥津の顔が真顔に戻る。

「とは言え、やりかたなど分らんぞ。あいにく細菌と対話などしたことなどないのでな」

出来る出来ない以前に試そうと思った事すらない。
染木と違って残念ながら終里は普段から細菌と会話しようと思うほど酔狂ではない。

「やっていただく。できないとは言わせない」

強い圧を込めて奥津が終里を詰めるように言う。
珍しく終里もこれには僅かにむぅと言葉を呑む様子を見せた。

「ナァニ。バラまかれた全ての[HEウイルス]を完全に制御しろとまではいわないサ。
 各地の女王ダケでも休眠状態にでもナルよう命じらればイイ。ヒトマズはそれで急場はしのゲル」
「そうですね。時間を気にしないのであれば後日改めてスヴィアさんの提示された処置を行えばよいかと」

0時のパニックさえ避けられれば、あとはどうとでもなるだろう。
時間制限を気にしないのであればスヴィアの提示した解決策が使える。
時間も設備も制限がなければどうとでもなる話である。

「そもそも。他の女王を制御できるのならば、山折村の女王そのものを制御すればよいのでは?」

これまでの話を聞いた奥津が一つの案を提示する。
より上位の権限を持つものが下位のウイルスを支配できるのであれば、大元である終里は女王も御せるはずだ。
それが実現可能であれば一発で全てが解決できる。

「ソレは難しいだろうネェ。今の『女王』は『魔王』の力を取り込んでいる。
 アレは1/3とは言え元くんの根源だからネエ。恐らく現時点ではソレを取り込んでいる女王の方が権限が強いダロウ」

『女王』と『魔王』の2つの権限を併せ持つ女王は『大元』である終里より権限が強い可能性が高い。
可能性だけで言えばもしかしたら制御が出来るかもしれないが、下手に触ってこちらの意図に感づかれても不味い。
こちらの意図を悟られれば、対策を取られる可能性がある。
実行するのは、事を成せると確信を得られた時だ。

331Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:13:59 ID:CAQRuEHA0
「そうなると、計画の実行に必要なのは――――」
「ああ、その通りだ。やることは変わらない」

事態は最初に掲げられた解決策に帰結する。

「話は最初に戻る訳だ――――――女王を殺せ、とな」

蓋となっている女王の排除。
自体の解決に必要な条件がそれだ。

「そちらの仕事だ、いかがかな隊長殿?」

先ほどの意趣返しのように終里が問う。
日が変わるまで1時間強。
それまでに事を成し遂げられるのか?

「――――問題ありません。現地の者が必ず成し遂げるでしょう」

ハッタリではなく世界を守護する組織の長として断言する。
48時間から大幅に時間制限は縮まったが、やることは変わらない。
彼らは秩序を守護する守護者。
世界を救うために成すべきことを必ず成し遂げるだろう。

「ソシて。女王の排除が完了した後は元くん次第というワケだネェ」
「わかっている。しかしだな。習得するにしてもどうしろと言うのだ?」
「ナァに。練習相手ならソコにいるじゃあないカ」

そういって染木がやせ細った指で差す先に居たのは、終里の血を引く娘の一人。
『巣喰うもの』が取り付いた対象である長谷川真琴だ。
女王の指定した新たな女王の一人である。
これ以上ない練習台だ。

「ですが、この場に居る長谷川博士のウイルスを制御できたとして、他のご子息たちの制御はどうするのですか?」
「問題ないサ。レポートにも書いているダロウ? ウイルスのつながりに距離は関係がナイ」

女王と子のつながりに距離は関係がない。
だからこそ、女王も世界各地にばら撒いたウイルスの命令権を維持できているのだ。
手法さえ確立できればこの応接室からでも全てを解決できる。

「ソウ言う事ダ。元くんも資金繰りばかりジャなく、タマには研究に貢献して貰わないとネェ。長谷川くんも頼んだヨ」
「了解しました。博士。ですが必要以上に近づかないでくださいね、終里所長」
「ふむ。年頃の娘にそう言われるのは意外とショックなものだな。しばし、別室で集中させてもらう。真琴も来い」

そう言って、観念したように終里が席を立つ。
長谷川も白衣を翻してそれに続いた。

「アッ。ソレ、ワタシも見学したいナァ…………!」
「お前は残れ百之助。研究者側も村の現状を確認する者が必要だろう」
「エェ…………そんナァ」

女王が死亡した場合、その影響を観測して事態を判断する人間が必要である。
それはウイルスの研究員にしかできない役割だ。
不満を漏らしながらも、納得したのか染木は席に腰を落ち着けた。
別室に向かう終里が、去り際奥津に向けて振り返る。

「では、互いに最善を尽くそうではないか。世界を救うために」



332Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:14:31 ID:CAQRuEHA0
息を切らした少女が、草原に向かって走っていた。
それは待ち合わせに遅れた少女が慌てて駆けだしているようにも見える。

だが、彼女は人ではない、人を超えた存在である。
世界を救うために作られた[HEウイルス]の女王。
彼女は人間の脚力を超えた凄まじい速度で草原を駆け抜けていた。

その表情には焦りの色が滲んでいた。
駆け抜ける中で様々な懸念が頭の中でめぐる。
何故? 何が起きた? どうしてこうなっている?

女王は常に余裕を持ち悠然としていた。
運命視を持つ女王は未来に対する不安などなかったからだ。
運命は確定された物であり、運命乖離者という僅かなノイズを取り除けば未来は彼女の望むとおりになる。
そのはずだった。

なのに、こうして汗水を垂らして女王は走っている。
女王は逃げるアニカを追う時ですら余裕を持った歩行をしていた。
戦闘時に疾走することはあっても、必死で走るなど生まれて初めての事だ。
日野光の中で幾度もループを繰り返して来たが、女王としての明確な意思が生まれ肉の体を得てから数時間しかたっていないのだからそれも当然と言える。

淡い光が花のように咲き誇る、風にそよぐ幻想の海。
生と死が入り混じった現世と幽世の狭間。
少女が輝く草原に辿りつく。

「――――やぁ、女王」

どこか穏やかな声で少年が少女を出迎える。
つい先刻とは出迎える側と出迎えられる側が入れ替わり、草原の様子は様変わりしていた。

「何をした……………………何をしたんだ天原創!?」

周囲に散らばる魂の残骸。
山折村最後にして最強、最大たる守護者の名残。
僅かに乱れた息を整え手の甲で汗をぬぐう姿はただの少女のようである。

「当ててみろよ、運命が見えているんだろう?」

突き放すような言葉に女王は押し黙った。
天原創は光の巨人に成す術なく殺される。
それが『運命』だったはずだ。

だが、起きた結果はまるで違う。
無敵であるはずの光の巨人は爆散して倒れ。
天原創はこうして女王の前に立っている。
まさか、創も運命乖離者だとでもいうのだろうか?

「どうした? 運命の女神様。いや、女王様だったか? この結果がそんなに意外だったか?
 これまで予想外はなかったのか? ここまで追い詰められている今は――――お前の予定通りなのか?」

その言葉の通り、運命視の結果は所々で外れている。
せっかく獲得した『幼神』の力を奪われ、願望機を奪われ、飛行も出来なくなった。
全ての運命が見えているというのならそんなことにはならない。
それは女王も認める。

「確かに予想外もあった。だがそれは、白兎どもの小賢しい妨害があったからだ」

その原因は因果を操る獣どもの暗躍に他ならない。
そこに運命の見えない相手の介入が加わり、運命を乱された結果だろう。

333Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:15:13 ID:CAQRuEHA0
「―――――本当にそうか?」

その結論に少年は疑問を呈する。
その言葉の意味が理解できず、女王が不思議そうに首をかしげる。
運命が乱れた原因などそれ以外に考えられるはずもない。

「……どう言う意味かな?」
「運命視。日野さんの異能を知った時から、僕にはずっと疑問があった。『運命』なんてものが本当に存在するのか」

創の抱えていた疑問。
創はアニカと白兎が運命の開放を謡ったあの時に、口にできなかった言葉を口にする。

「僕は信じちゃいないんだ。都合のいい『神様』も『運命』なんてものも」

創は運命なんて信じちゃいない。
だが、それは創個人の考えである。
創が『運命』を信じていからと言って、それを前提とした別筋の解決策を止める理由にはならないと思い、あの時は言葉を飲んだ。

「未来はいつだって白紙だ。不確定だからこそ自由なんだ。自由だからこそ無敵なんだ。
 白紙の未来をより良いものにするために、人間は頑張り続けることができるんだ。
 僕の未来は、僕自身の手で切り開いてきた、幸も不幸も僕のものだ。
 誰かの手を借りる事だって確かにあった、けれどそれは神様なんてものに決められた訳じゃないし、運命なんてものに縛られた訳じゃない。
 未来は人の善意と努力、強い意志で作り上げていくものなんだ。
 最初から決まってる『運命』なんてものを、僕は否定する」

未来を決めるのは何時だって自分自身の決断だ。
自ら未来を選び取ってエージェントになった。
だからこそ創はここにいる。
未来が運命なんてもので決まっているなどまっぴらごめんだ。

青い主張を女王はふん、と鼻で笑い飛ばす。
そんな言葉は運命を知らぬものの戯言である。運命は確固として存在する。
自らの手で選び取ったと思っている事こそが勘違いだ。
人は運命に縛られ、それを超える事など選ばれた一部の人間にしかできない。

「君個人の信条は勝手にすればいいさ。だが私には『運命』が観えている。これは如何ともしがたい事実だ」

女王の目に見える『運命』。
これこそが『運命』の存在証明だ。
だが、女王の言葉を創は一言に切り捨てる。

「確かに、お前に『何か』が見えているのは事実なんだろう。それは否定しない。
 だが、お前に見えている物は――――――本当に『運命』か?」

創は女王に指先を突きつけ。
爆弾を放り込むように、疑問を投げかける。

「当然だ。『運命』に決まっているだろう?」
「逆に聞くが、それが『運命』だと誰が決めた?」
「下らない言葉遊びだな。私の見えている物が『運命』でなければなんだと言うのか?」

女王が見えている物を別の何かに言い換えたところで何が変わる訳でもない。
多くの者たちは女王の――遡れば元となった珠の――見た『運命』通りの結末を迎えてきた。

「女王。お前はループしていると聞いた」
「その通りだ。誰から聞いたか知らないがよく知っているね」

唐突な話の転換のように思えたが、創は続ける。
何気ない当たり前の結論を告げるように。

「僕が思うに、それがお前の見ている『運命』の正体だ」
「―――――――」

334Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:16:05 ID:CAQRuEHA0
日野珠の持つ異能の根幹にあるのは、姉である日野光が157回のループで蓄積した膨大な情報集積だ。
日野光と共に157回のループを超えてきた女王ウイルスはその知識を共有しており、今回の女王である日野珠にその集積情報は引き継がれていた。

日野光の記憶を引き継いだ幼神は、この知識を生かすことが出来なかった。
それは余りにも膨大すぎる情報を瞬時にかつ適切に処理しきれなかったからである。

ループにより得た知識は山折村VHの攻略本のようなものだ。
その蓄積された知識から、どこで何が起きるかと言う未来のイベントマップと、膨大な個人情報からの行動予測を自動で解析を行い、結果を光として可視化する異能。
それが創の考える日野珠の持つ『運命視』の正体だ。

「100回以上もループすれば偶発的な出来事だろうとどこで何が起きるかなどおおよそ把握できるだろうし、特定の状況で誰がどんな行動をするかも分析ができる。
 だから、お前が見えないのは単純に、経験したループの中で一度も経験していなかった事だ」

特定の状況で人間は能力やパーソナリティに応じた行動をとるだろう。それが極限状況であればなおのことだ。
予測を裏切る限界を超えた活躍を見せる人間だって、パラメータで見ているのなら予測は不可能だろうが、ループで見ているのならそれすらもデータとして認識できる。

何度も繰り返された時間の流れの中で、偶然とされる出来事の裏にある微細なパターンや兆候だって見つけることができる。
1度だって目撃していれば偶然と見なされる出来事もまた、予測可能な未来の一部となる。

『運命』が外れるのは、ループの中で一度も起きなかった出来事が含まれていたから。
神楽春姫が運命予測から逃れていたのは、それでもなお予測不可能な突飛な行動をとる女だから。
アニカが運命予測から逃れられたのは光が収集したデータベースに存在しない高魔力体質を得たアニカと言う未知の値が入力されたから。

「下らない妄言だ。全てはお前の希望的観測だろう」

全ては創の予想に過ぎず、この場で事実であるかの証明できない。
だが、強気な言葉とは裏腹に、この瞬間。確実に女王の運命視への信頼が僅かに揺らいだ。
揺らいだ信頼を否定するように女王は首を振る。

「仮にそれが事実だとしてどうだというのだ? お前の『運命』は見えている」

天原創と言う人物が、この状況でどう行動するか。
その運命(よそく)は見えている。
運命の正体が何であれ、女王の有利は変わらない。

「言ったはずだ、それはただの高度な行動予測に過ぎない。タネは割れた。もはや無意味だ」
「ほざけ―――――ッ!」

残された女王の武器は先ほど拾い上げた聖刀のみ。
挑発に乗って明らかに冷静さを欠いた女王が刃を振り合上げ創に襲い掛かる。
その出鼻を挫く様に創がルガーの銃口を向けた。

引き金が引かれ、一発の弾丸が放たれる。
前がかりになった女王には避けられない。

だが、女王にとってそれは脅威ではない。
創が足止めの為に銃を撃つ『運命』は観えている。

魔力によって強化された女王の皮膚は対物ライフルすら弾く。
44マグナム弾が直撃した所で大した傷など付かないだろう。
女王にとっての脅威は右手だけだ。

しかし、油断はしない。
魔王に呪詛を撃ち込んだような”仕込み”がないとも限らない。
そう言った紛れを確実に防ぐべく、黒曜石の盾を展開する。

一瞬で展開された盾は三つ。
三重に重ねられた黒曜石の盾は戦車砲すら防ぐ強度を持っている。
どれほどの大口径であろうと弾丸など物の数ではない。

「――――――――な」

しかし、驚愕は刹那。
黒曜石の盾に触れた弾丸は盾をいとも容易く貫いた。
否。黒曜石の盾は貫かれたのでも砕かれたのでもない。
まるで、無効化されるように消え去ったのだ。

弾丸は一切の減速なく突き進むと、女王に直撃した。
魔力で強化された皮膚すらも突き破り、その腹部を貫く。

「ごふっ…………!! ハ、バカな…………ッ!! まさか、こ、これは……ッ!!??」

風に流れ、創の右手に巻かれた包帯がほどけてゆく。
包帯の効果により既に血は止まっているが、露になった右手からは、小指の先が欠けていた。

「――――――この手は読めたか? 女王」

これが創の用意した対女王の準備だ。
弾頭として打ち出されたのは、切り落した天原創の指先だった。

335Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:16:35 ID:CAQRuEHA0
雪菜のマチェットで自らの小指を斬り落として、それを弾丸の先端に加工した。
小指の第一関節から先とは言え、創の右手の一部である。
放たれたのは魔王の力を食い破る『魔王殺し』の弾丸だ。

異能とは、本人の人生が色濃く反映されるものである。
魔王によって人生を奪われた少年がその右手に宿した異能の本質は、魔王から派生した力を殺す『魔王殺し』。
『魔王』を否定するための異能。天原創に、魔王由来の能力は一切通用しない。
『魔王殺し』の弾丸は黒曜石の盾を無効化し、魔力の膜を突破した。

皮肉にもこの『運命』を乱したのは女王自身の存在である。
全てのループによって女王がこうして意志を持って顕現するのは初めての事だ。
157回のループにおいて女王に対するデータはどこにも存在しない。
すなわち女王に対する対策(アクション)は全て運命(よそく)の外になる。

「ぐっ………オオッッ! …………消、えるッッ! 消えていくッ!?」

腹部を抑えて女王がもがき苦しむ。
障壁ごと魔力による身体強化を打ち破った弾丸は女王の体内に深く食い込んでいた。
体内にとどまった弾丸――創の小指が、女王の内にある『魔王』の力に作用していく。
『魔王殺し』という毒が全身に巡り、『魔王』の力を消滅させてゆく。

急速に力が失われていく。
だが、その猛毒の効果はそれだけに留まらない。

[HEウイルス]は『魔王』の力によって完成した『不死の怪物』より生まれしモノ。
[HEウイルス]は由来を辿れば『魔王』へと辿りつく。
すなわち、細菌の女王すらも無力化する特効薬である。

「ぐぅあああああああああッッッッッ!!!?」

悲鳴のような絶叫を上げ、女王が自らの腹部を抉りだした。
最後に残った魔力で爪を尖らせ、弾丸を体外へと摘出したのだ。

「くぅッ…………ハァ……ハァ!!」

摘出された血に濡れた弾丸が、輝く草原に落ちる。
白く輝く花が赤に染まった。

無効化と言う毒が脳に達するまでに、なんとか切除できた。
だが、既に『魔王』の力の大半が失われ、女王は魔力すらも使えなくなってしまった。

創は首元に活性アンプルを撃ち込む。
最後の活性アンプルはここまで温存していた。
巨人との戦いは体力と戦略の勝負であり、反応速度はそれほど必要ない戦いだった。
何より女王戦を控えた状況で、副作用のあるアンプルを使う訳にはいかなかった。

創の投げ捨てた空になった瓶が地面に落ちて、転がりながら光を返した。
しかし、少年と少女は地面に転がるそんな光を見向きもせず、睨み合うように視線を交わす。

強い風が吹き抜ける。
草原に降り積もった光が浮き上がり空に舞った。
見つめ合う二人の間を、淡い光の粒が流れる。

「…………私たちはただ生きたいだけだ。共存を望んでいる」
「その言葉は誰も傷つける前に言うべきだった」

少年が一歩進む。
女王は無意志にわずかに後退した。
その一歩に何より驚いたのは女王自身だ。
故にこそ、女王としての意地がその場に足を踏みとどまらせた。

「しかたないじゃないか、私たちは殺されそうになったのだよ?
 人間様のために細菌は黙って殺されろとでも言うつもりなのかな?」
「だとしても、共存を望むのなら君が返すべきは悪意ではなく誠意であるべきだった」

殺されそうだったから殺し返した。
それが当然の反応だとしても、敵意を向けるのであれば戦うしかなくなる。
どれだけ理不尽であろうとも、そうなっては共存の道はない。

「傲慢だな。君たち人間に都合のいいように手のひらを差し出せと?」
「ああ。僕たちは傲慢で、そして臆病なんだ。お前の様に笑って人を傷つけるような輩と共存などできない」

女王は多くの人を傷つけてきた。
楽しむように笑いながら。
そんな相手と手を取り合える未来はない。
あるのは隷属と支配だけだろう。

「何を言う。笑って人を傷つける? それは君たち人間の事だろう」
「そういう人間が居るのは確かだ。だからみんな、少しでもましであろうと必死で足掻いている。
 少なくとも圭介さんも哉太さんも、君を殺そうとはしていなかったはずだ」

あの二人は宿主である珠を気にかけていた。
最後まで命を奪おうとせず解決策を模索していた。
その善意を踏みにじったのは誰だったのか。

「ああ、だから殺すことなく八柳哉太は私の忠実なる騎士にしてやったんじゃないか」
「相手の意思を捻じ曲げて、愛する人と殺し合わせてか?」
「そうだ。これ以上ない共存だろう?」
「話にならない」

精神があるだけで育っていない。
身勝手で他人を顧みれない。
自分の事しか考えられない子供の主張だ。

336Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:17:18 ID:CAQRuEHA0
「悪いが、僕は生まれたばかりのガキの我侭に付き合っていられるほど寛容(おとな)じゃないんだ」

最後まで珠を救おうとした圭介や哉太とは違う。
高校生とは違う中学生だ、大人になんてなれない。

「だから、お前を殺すぞ、女王―――――!」

意見が衝突して、相容れないなら戦争しかない
『助けたい』と『助けられる』。その線引きを見誤らない。
ここから先は、正真正銘の殺し合いだ。

創が地面を蹴りぬく、地面と共に足元の光が散った。
強化された創の異能は右手に触れる空気中のウイルスにすら反応して青白い光を放つ。
それは天を流れる流星に負けぬ。さながら地を駆ける蒼い流星。
最強のエージェントブルーバードの弟子が、光り輝く草原を駆け抜ける。

対するは少女の姿を象った女王[HE-028-Z]。
『魔王』の力が失われてようとも、細菌と魂を統べる『女王』の力は残っている。
咲き誇るように輝く周囲の光は、その全てがこの村で散った魂の残骸だ。
その中には、同胞たる[HEウイルス]たちの魂も含まれている。

全てを失った女王の最後の助けとなるのは、流行り同族たるウイルスたちだった。
周囲の光がまとわりつくように一斉に創へと襲い掛かった。

「無駄だ…………ッ!!」

だがそれを、右手を一振りして振り払う。
その動作は無造作のように見えて、まるで無駄がない。
アンプルによって活性化された動体視力が自らに降り注ぐものを的確に見極め、必要最低限の動きで撃ち落した。
人間の魂ならいざ知らず、魔王を由来とする[HEウイルス]の魂であれば創の右手で無力化できる。

しかし、右手一本で全身を襲う魂の残骸を振り払ったのだ。
走る体勢が崩れ、僅かに隙が生まれる。
その一瞬を勝機と見た女王が踏み込み、聖刀神楽を振り上げる。

女王にはもはや異能の助けはない、ただ力任せに振り下ろす。
聖刀の切れ味であれば、少女の力であっても相手の頭を真っ二つに裂けるだろう。
だが、女王が振り下ろすよりも早く、手首に強い衝撃があった。

「っ………………!?」

振り上げた聖刀の赤い刀身がどこかから放たれた弾丸により弾かれた。
反射的に衝撃の先に眼球が動き、女王の視線が移る。
そこには、銃を構える迷彩服の姿があった。

「ッッ…………特殊部隊ぃぃいいい!!!!!」

憎悪を込めた怨嗟の声。
それは、この村において唯一ウイルスに侵されていない潔白な存在。
女王が認識出ていないことすら認識できない本当の透明な男である。

女王斬首の命を帯び、驚異的な練度を誇る特殊部隊は村人たちにとって最大の脅威であった。
だが、この瞬間だけは違う。
彼らが真に世界の守護を任とする護国の守護者であるのなら。
女王を排除するという一点において、特殊部隊は最強の味方足りえる。

それが達人の動きであれば成田の様な名手でなければ捉えられなかっただろう。
だが、ただの大振りでしかない素人の棒振りなど、天でも十分に捉えられる。

厄を操る『幼神』の力は白兎によって奪われ。
同時に取り出された願いを叶える『願望機』はアニカに回収された。
彼女を守護する『ゾンビ』たちは茶子によって全滅させられ。
魂の集合体たる光の巨人は特殊部隊に撃破され『異能』は使えなくなった。
武器となる『二刀』を八柳哉太に、『一刀』をアニカとデセオに破壊された。
『運命視』すらも否定され、最後に残った『魔王』の力も天原創が消滅させた。
『聖刀』による最後の一撃すらも特殊部隊に防がれた。

「終わりだ――――――女王ッ!」

叫びと共に駆け抜ける。
もはや、女王を守護する物は何もない。

多くの人々の決死が、結実した今。

天原創の右腕が女王に――――届いた。

337Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:17:33 ID:CAQRuEHA0
「うおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおッ!!」
「ぐぅううううううあああああああああああああああああッ!!!」

二つの咆哮が夜の静寂に木霊する。
創は女王の顔面を掴んだまま止まることなく駆け抜ける。
小さな珠の体は光る草原を引きずられるように地面を這う。
足でブレーキをかけようとするが、異能も魔力もないただの少女の筋力では抗うことはできず、ただその道筋に光の胞子が浮き上がって行く。
壮絶な殺し合いとは思えぬ美しい光の線が浮かぶ。

「ぐぅぅううああああああぁぁぁっ! やめろやめろやめろやめろ、止めろッ! 手を放せぇっ!!?
 定着したウイルス(わたしたち)は宿主の生命活動にまで影響を及ぼす!!! 分るか!? 私を排除すれば、宿主であるこの娘も死ぬぞ!?」

頭部を掴まれながら必死の形相で女王が叫ぶ。
定着した[HEウイルス]を除去すれば宿主は死ぬ。
女王を排除せんとする天敵に、その残酷な真実を明かす。

「嘘じゃない……ッッ! 本当だ…………ッ! あのスヴィアも定着していたッ、分かるか……!? スヴィアを殺したのはお前だッ! 天原創ッッ!!!」

恩師を殺したのはお前だと、精神的動揺を誘う言葉を叩きつける。
だが、女王の頭部を掴む力は緩むどころか、さらに強まった。

「そうか――――――それを聞いて安心した」

握りつぶさんばかりの手の力とは対照的な、落ち着き払ったどこまでも冷めた声が聞こえた。
女王の全身に痺れるような寒気が奔った。

「つまり、この右手は――――お前を殺せるという事だな?」

その確信を得る。
女王の言葉は、他ならぬ女王自身の死を証明した。

「――――――――――――ひ」

女王の全身に味わったことのない初めての感覚が広がってゆく。
胸の奥底にある黒い淀みが全身に広がっていくような気持ち悪さ。
逃れられない何かが迫ってくるような、縋る物のない上空から落下していくような感覚。
曖昧な霧のように広がる不安感が、徐々に明確な形を取り始めた。
そうして、女王はあの時自らの足を引かせた正体を知る。

それは恐怖だった。

生まれたばかりの命である女王に、初めて芽生えた明確な「死」の恐怖である。
微生物である女王にとって、死の概念は恐れるべきものではなかった。
自らの死など恐れてはいないからこそ、種の繁栄のため自らの死の先に続く策を講じたのだ。

だが、女王は自我と魂を得た。
この山折村で絶対的な力を思う存分振るって”気持ちよく”生を謳歌した。
魂が確立されたことにより生まれた生の執着と死の恐怖。

あるいはそれは独眼熊の野生に恐怖を覚えた『イヌヤマイノリ』のように。
野生に恐怖した巣食うものの末路に似た――――自らを殺す天敵への恐怖。

「や、やめ――――――――」

「――――――終ぁりだぁぁぁぁぁぁああああああッッッッ!!!!!」

草原を駆け抜けた創の腕が振り抜かれる。
右手の中で抵抗する力が弱まり、やがて力なく垂れ下がった。

「…………………」

魂の光が宙に浮かび上がってゆく。
完全に生命活動が静止したことを確認して、創はゆっくりと指を剥がす。
宿主の命と結びついたウイルスの活動が停止する。
それは同時に、その宿主となった少女の終わりを意味していた。

その体を、そっと魂の光る草原に寝かせる。

女王は死んだ。
創が殺した。
女王を廻る騒動はこれにて終決である。

一人の少女の犠牲を持って。

【[HE-028-Z] 消滅】



338Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:17:54 ID:CAQRuEHA0
「………………ここは、どこだ?」

気づけば、[HE-028-Z]は見覚えのない闇の中にいた。
周囲は夜闇とは違う黒い靄の様なもので包まれており、足元には汚泥の様な塊が生き物のように脈動していた。
どこからともなく伸びてくる幾つもの真っ黒い赤子の手が恨みがましい様子で蠢いている。

一時的とはいえ、厄を操る幼神の力を取り込んでいたからだろう、彼女にはすぐに理解できた。
ここは山折村の災厄が集まる厄溜まり。怨念と共に死して災厄となった魂の堕ちる場所だ。
一つの生命となって山折村に生れ落ちた[HE-028-Z]もまた、この災厄の渦たる厄溜まりへと堕ちていた。

だが、ここに墜ちた魂は厄溜まりに飲み込まれて周囲に漂う厄の一つになるはずだ。
如何に女王とは言え、今となってはただの墜ちた厄の一つに過ぎない。
こうして一つの個として意識を保っているのはどういうことか?

黒い手は恐れをなしたように女王から遠ざかっていた。
それは女王を恐れての事ではなく、女王の握る赤い刃――聖刀神楽を恐れているようだった。
死の寸前、最期に手にしていたからだろう、死後の世界に持ち込んでしまったようだ。

試しに刃を振るうと、目の前の黒靄が晴れる。
どうやらこの聖刀には厄を払う力があるようだ。
厄の溜まりに厄を断つ聖刀が持ち込まれてしまった、元となった神楽と同じくとんだ常識破りである。

女王は赤い刃で黒靄を切り裂きながら進んで行く。
それはまるでヤンチャな田舎の子供が鉈で藪を切り開きながら山中を歩いているかのようだ。
やがて霧中を進む女王の耳に、川が流れるような微かな水音が聞こえてきた。

だが、それはおかしい。
ここが本当に山中であるならともかく、この厄溜まりにそんなものがあるはずがない。
訝しみながらも音に向かって歩を進め、やがて彼女の前に川が広がった。

川は静かで穏やかに流れている。
川岸には枯れた草木がまばらに生えており、その上には黒靄とは違う薄い霜がかかっている。
水面には霧が立ち込め、ぼんやりとしか見えない川の対岸には淡く揺らめく影が立っていた。

女王はその川が何であるかを悟った。
これは常世と幽世を隔てる三途の川だ。
川の向こう側とこちら側は生死の狭間である。
つまり、川の向こうに立つ者たちは、すでに命を終えた彼岸へと旅立った者たちだった。

「貴様らは…………」

彼岸の先。
生死を分かつ川の向こう岸に神主服の男と巫女服の女が番のように仲睦まじく共に手を取りながら立っていた。

『どうしも気になってしまってね』
『ええ。私たちの村の事ですもの』

村の始祖たる陰陽師、神楽春陽。
村の絶対禁忌たる災厄、隠山祈。
あの世へと旅立ったはずの2人が、三途の川の畔まで来ていた。
絶望の詰まった災厄の奥底で、希望にも満たない亡霊に出会う。
これは現世に何の影響も与えない、何の意味もない出会い。

『そなたがわが村で猛威を振るった「ういるす」の首魁か』
「そうだ。それがどうした? 恨み言でも言うつもりか?」

祈に至っては直接殺しあった仲である。
恨みごとの一つや二つあるだろう。
だが、2人の人影はそうではないと首を振る。

339Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:18:07 ID:CAQRuEHA0
『確かに、そなたは我らの村を滅ぼす原因となった』
『そうですね。あの村であなたと私は命の奪い合いをしまいた』
『だが、我らはそなたの罪を赦そう』

恨みがない訳ではない。
許せぬ理不尽もある。
だが、それでも赦しは与えられる。

「下だらん」

女王はその赦しを一笑に付す。

「赦しだと? そんなモノ貴様に与えられるまでもない。
 我らはただ生きようとしただけだ。生きたいと願う事は罪なのか?」

人間と細菌の種としての尊厳と生存をかけた戦いだった。
それが罪だというのなら、こうして生を謳歌する人間こそが最大の罪ではないのか?

『その通りだ。だから、我らの罪を赦してほしい』
『共に祈りを捧げましょう。互いの罪が許されるまで』
「…………………」

一方的な罪ではなく、一方的な赦しではない。
互いに罪があり、必要なのは赦し合うこと。
己が為だけではなく、互いのために祈る。
祈りとは自身のためではなく他者のために行われることなのだから。
それがきっと本当に必要な事だったのだと、彼らはそう言っていた。

「…………やはり、下らないな」

そう呟くように彼岸から背を向ける。
背後には厄の手が蠢いていた。
聖刀を恐れて近づけないでいるようだが、光に群がる虫のように黒靄たちは濃くなっている。
いつその躊躇いを打ち破ってこちらに来てもおかしくはない。

『その刀、渡して貰えるだろうか』

彼岸の先にいる春陽がそう言ってきた。
厄からの守りとなる聖刀。
それを渡せと言うのは、夜の山を裸で歩けと言っているのに等しい。

だが、女王は赤い聖刀、背後の黒い厄、白い番を順番に見つめ。
どうでもいいと言った風にため息をつくと。
川越しに、対岸の春陽に聖刀を手渡した。

『ありがとう』

一つ礼を言って、春陽は受け取った聖刀の深紅の刀身をまじまじと見つめた。

『あぁ。見事だ春姫』
『ええ。あの娘は、素晴らしい神楽でしたよ』

神楽春姫の命によって生まれた、厄を払う聖刀。
歴代最高の神楽という白兎評も頷ける、素晴らしい出来だ。
誇らしげにその赤い刃を見つめると春陽は二つ立てた指先で五芒星を描いた。
最後に指先を突きつけられた聖刀が赤い光を放ち、厄溜まりの暗闇に光を灯した。

『これでしばしの間、厄どもは手出しできない』

彼らの娘によって正しき終わりがもたらされればこの厄溜まりは解体されるだろう。
これは、それまでの地獄に落ちるまでの泡沫の夢だ。

『さぁ。共にここで山折の終わりを見守りましょう』



340Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:18:29 ID:CAQRuEHA0
淡く輝く光の花が墓標のように咲き誇る。
風に揺れる光の海の中心に、息絶えた一人の少女が横たわる。
少年はそこに広がる己の行いの結果を受け止めていた。

戦いは終り、世界は救われた。
一人の少女を犠牲にして。

全てを救えればいいと思う。
けれど、現実は冷たく胸を抉るほどに非情だ。

少年の手は小さく全てを掴み取ることは出来ない。
創にできるのはこの右手でつかみ取る手を選ぶことだけだ。
恩師の命も奪い取り、彼女の手を取ることなくその命を終わらせた右手。
この手は無辜の人々を守護るために、愛する者の命を奪い続けてきた。

その決断に後悔はない。
運命などではなく、創が選び、創が行ってきた決断の結果だ。
だけど、この一時だけは、死者の安息を願う祈りを許してほしい。

目の前の彼女だけではない。
ここまでの道のりで犠牲になった多くの死者たちに。
安寧を望み、手を合わせ祈る。

だが、そんな死者への祈りを捧げる創の視界の端に、光の粒子が散った。
背後から草原を踏みしめる足音が響く。
その粒子の流れを追うように振り返ると、その視界に小さな人影が写った。

「ッ」

創が瞬時に立ち上がり身構える。
女王という最後の敵を倒したことに油断して周囲の警戒を怠っていた。
ここまで相手の近接を許したのはエージェント失格である。
だが、現れたモノの姿を見て固まったように創が動きを止め、その眼が驚きに見開かれた。

「……………………スヴィア先生」

創の右手が殺してしまった恩師。その成れの果て。
かつてスヴィアだった物から生まれた新たな怪異。
怪異は、死に彩られた輝く草原を幽鬼のような足取りで進んで行く。

「…………救わ、ねば」

緩慢な動き。
今の創ならそれを制圧するのは簡単だ。
だが、創は動けなかった。
いや、動かなかったという方が正確か。

少なくとも怪異からは創に対する敵意も悪意も感じなかった。
怪異の虚ろな視線は救われなかった少女、珠しか見ていない。
怪異はゆっくりと、だが確実に光の中で眠る珠へと近づいて行く。

――――怪異。
それは未練、あるいは心残りによって生まれた存在。
この怪異もまたこのVHで同じ未練を抱えた死者の怨念が集合して生まれた存在である。

では、スヴィア・リーデンベルグ。彼女の未練は何か?
彼女に集まり取り憑いた怨念たちの抱えた執着は何か?
その答えを、うわごとの様に繰り返し怪異は呟く。

「私の…………生徒を…………子供を…………救わねば」

怪異とは、全てが人を害する存在ではない。
姑獲鳥や産女、子育て幽霊と言った子を慈しみ育てる怪異は少なからず存在しており。
座敷童のように益をもたらす怪異も存在している。

どうしようもなく血塗られ呪われた山折村の歴史。
腐り落きった大人たち、救われぬ子供たち。食い物にされる弱者たち。
悪の根は蔓延り、数えきれぬほどの多くの悲劇を生んだ。

だが、それでも。

この山折にあったのはそれだけではない。
山折村、1000年の結実が醜悪な悲劇だけであったはずがない。
そこにはきっと、美しいものもあったはずだ。

341Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:18:41 ID:CAQRuEHA0
この村で生まれたのは悲劇と絶望だけではない。
実りある自然の中で多くの人々を健やかに育んだ。
多くの命を生み、多くの命を未来へと繋いでいった。

そんな山折村の死者たちが、生き残った者たちへ残す心は恨みや辛みばかりではないはずだ。
ほんの僅かでも、その意思は確かにこの村に根付いていた。

郷田 剛一郎が村の子供に未来を託したように。
嵐山 岳が健やかなる子供の未来を願ったように。

厄に墜ちるでも、女王の招集に応じるでもなく
それよりも自らの未練に従った僅かな魂がいた。

子の未来を願う未練の集合体。
未来を奪われた子供たちを救う怪異。
それこそが、スヴィア・リーデンベルグから生まれた怪異の正体だ。

救われなかった少女の前に怪異が跪く。
その奥底にあるのは強い使命感。
怪異の不気味な雰囲気とは対極な聖母のような慈悲と慈愛すら感じられた。

スヴィアは研究所との通信で定着したウイルスは生命活動にも結び付いている事を知った。
ウイルスを排除することは生命活動の終わりを意味する。
皮肉にも、その理論はスヴィアの死をもって証明された。

だが、その理論を聞いたスヴィアが頭の中で構築していた一つの仮説があった。
ウイルスが生命活動に結びついているのならば、抜けたその穴を何かで補完できれば、生命活動を維持できるのではないか?
だが、あの時点ではその『何か』が見つけられなかった。
異能の進化に可能性を見出し模索していたが、結局それを見つけられずその命を終えた。

祈るべき星の見えない輝く大地で、少女を見下ろす怪異が祈りを捧げるように両手を合わせた。
風に周囲の光が浮き上がる。
それと同種の光が怪異の体より浮かび上がり、横たわる少女の体に温かい日の光の様に注がれてゆく。

それは、隠山祈が死の淵を彷徨う八柳哉太の身を癒したように。
一つの役割を果たす怪異としての命が、救われぬ子供に注がれてゆく。

彼女は、全能の力で全てを救う都合のいい神様ではない。
願えば何でも叶う願望機なんかとも違う。

山折村の積み重ねてきた歴史、彼女の学んできた知識と発想。
そして、ほんのちょっぴりの奇跡。

奇跡が降るにふさわしい夜。
光と闇、生死の入り混じる草原で。
創はその奇跡をただ黙って見守っていた。

それは、最後まで諦めなかった人間の頑張りに見合うだけの報酬として与えられた。
ただ一人の少女を救うだけの。

とても小さな、とても大きいなハッピーエンド。

「…………こほっ」

息絶えていた少女が咳き込む。
死亡していた珠が息を吹き返した。
それを見届けた怪異が穏やかな笑みを浮かべる。

そして、本懐を遂げた怪異の体が粒子となって消滅した。
風の流された先、そこには何も残っていなかった。



342Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:18:55 ID:CAQRuEHA0
研究所本部。
応接室の時計は0時31分の時刻を指している。
日付が変わり、しばしの時間がたった。

「ひとまず、現時点で各地の異変は報告されていません」

奥津がそう報告する。
終里の子が滞在している各地に出来る限りの情報網を広げているが、今の所大きな異変は報告されていない。

「マァ。便りがないのはイイ便りというコトだネ」

染木はそう言って湯飲みから熱い茶をすすった。
日付の変更はおおよその目安だが、ここまで何も報告がない事を考えれば作戦は成功したと言えるだろう。

「元くんはお疲れさまだネェ」

老研究者が労いの声をかける。
そこには疲れ切った男が一人、身を投げ出すように応接室のソファーに座っていた。
脱ぎ捨てた白衣をソファーにかけて、絞った濡れタオルを目元においている。

「……まったく、年寄りに無茶をさせてくれる」

約束通り、終里は1時間強で細菌との対話を習得した。
そしてウイルスネットワークの繋がりを辿って、各地の女王たちを休眠状態にすることに成功した。
かなりの強行軍だったのか、さすがの終里もすっかり疲れ果てた様子である。

Aウイルスが活動を停止すればその影響下にあるCウイルスは沈静化する。
女王の巻いた山折村の種は花を咲かすことなく眠りにつくことになった、本体である女王と一緒に。

「一つ、お尋ねしたい」
「なんだ? 手短に頼む」
「では簡単に。女王の討伐に、あなたの干渉はあったのですか?」

魔王殺しの弾丸を喰らい『魔王』の力が排除された時点で、ウイルスネットワークにおける終里の権限は女王を上回ったはずだ。
干渉手段を習得した時点で女王にも干渉可能になったはずである。

その質問が愉快だったのか。
終里は濡れタオルを取って机に置くと、最低限の姿勢を正す。

「さて、どちらでもよいではないか。いずれにせよ女王の討伐はされていただろう」

いつもの調子を取り戻したように不遜な態度で曖昧な言葉を終里は告げる。
干渉があろうがなかろうが、村の生き残りと特殊部隊の連携によって女王は討伐されていただろう。

「かくして。一件落着、世は事もなし、と言うことだ」
「まだ、事後処理が残っていますが」

冷静に長谷川が指摘する。
女王の行った同時多発テロは不発に終わった。
だが、当面の危機は去っただけで、まだ休眠状態にした女王たちの処理や、山折村の事後処理は必要である。

「なぁに。後に起こることなど、世界の趨勢に何の影響も与えぬ蛇足だろうよ」



343Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:19:18 ID:CAQRuEHA0
奇跡の降る夜。
寄る辺を失い光の花が徐々に色あせてゆく。
村の終焉を告げるような終りの光景の中で、天原創は死者の蘇生と言う奇跡を目の当たりにした。

屈みこんだ創が珠の手首に手をやり脈拍を確かめる。
弱弱しいが脈はある、胸も呼吸で僅かに上下していた。
意識こそ取り戻していないが確かに息を吹き返しているようだ。

女王感染者の死なんてクソったれな運命は覆された。
あきらめず頑張り続けた人の意志によって。
その全ての成果として珠の命は救われた。

安堵の息を吐く創の元に、何者かが近づいてくる気配があった。
創はそれが分かっていたように、冷静にそちらに視線を向ける。
光を失い始めた草原を踏みしめ、迷彩色の男が姿を現した。
創は当たりを付けて、スヴィアから聞いていたその名を呼ぶ。

「乃木平だな?」

光の巨人を撃破し、女王の刃を撃ち落とした特殊部隊。
大一番である対女王戦においても、彼は徹底的に黒子に徹してきた。
一騎当千である特殊部隊の中で明らかに異質な動きでありながら、唯一の生存者として見事に任務を達成した。

「作戦行動中なので、forget-me-notと呼んで欲しいですね」

本気で行っているわけではないのだろう。
冗談めかした様子で肩を竦める。

ヴィアを廻るファーストフード店の攻防で、戦術上の衝突はあったが直接顔を合わせるのは初めての事である。
互いに何気ない会話を交わすような調子で、臨戦態勢のままいざとなれば戦える間合いで構えていた。

「女王は死んだぞ。僕が殺した。彼女はもうその影響下にない」
「そのようで。こちらとしても研究所側のジャッジ待ちです」

だが、目に見えない細菌の話だ。
完全に解決したかと言う確信までは持てない。
完了の判断を下すのは上役の役目だ。

「その後は、そちらの動きはどういう運びになっている?」

創の問いに、天は顔をそらして小声で何かを話し始めた。
どうやら通信先に確認しているようだ。

「女王の死亡に伴い、これから感染者たちからウイルスの影響が消失するでしょう。
 しかし、ウイルスが定着したB感染者はその限りではありません。
 しばし様子を見て正常感染者の中にB感染者がいないかの確認をします。
 問題なく生存者全員の消失が確認できれば我々は撤退します。後はご自由に」

その判断を現在、村を監視している研究所が行っているのだろう。
感染者本人からすれば異能の消失と言う形でウイルスの影響の消滅は自覚できるのだが、まさか自己申告で通すわけにもいくまい。

「ご自由に、か。随分と杜撰な管理なんだな」
「我々は存在しない部隊ですので。事後処理は表の災害処理班にお任せしますよ」

事情を知らない通常の自衛隊が通常の災害として処理される。
生存者を保護するのもそちらの役割なのだろう。

「口封じはしないのか?」
「無用でしょう。もうそれだけの生き残りもいない。何より誰が信じます?」

ここで起きた出来事は荒唐無稽すぎる。
余程の説得力がない限りただの妄言扱いされて終わるだろう。
それにしたって口止めの一つもしないのは妙だが。

「なら。勝手に引き上げさせてもらう」
「構いませんよ。貴方に関しては」

創の背景に関しても既に裏が取れている。
諜報局の諜報員(エージェント)。
放置した所で余計なことはしないだろう。

「ただし、そちらの少女の身柄を預からさせていただきます」

天が指すのは元女王、蘇生を果たした日野珠。
その言葉に、創の視線が睨むように細まる。

「彼女をどうするつもりだ?」
「研究所からの要請ですので、詳細はお答えしかねます」

元女王という検体を研究所が求めている。
それに関してはそうなるのだろう。
だが、連れていかれた検体がどうなるかなど想像に難くない。

344Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:19:36 ID:CAQRuEHA0
「嫌だと言ったら?」
「あなたの許可を得る案件でもないでしょう?」

空気が張り詰める。
創がジリと距離を取るように歩を広げた。

「止めておいたほうがいい。女王の死亡に伴いこの村のウイルスの影響は薄まりました。既にこの村には部隊をいくらでも送り込める状況にある」

銃に手を懸けようとした創を静止する。
ある意味でこの村はウイルスによって守護られていた。
その守護がなくなった以上、いくらでも戦力を投入できる。

「賢明な判断を」

女王は消滅し感染拡大(パンデミック)の脅威は去った。
これ以上彼らが殺し合う理由はない。

「…………いいだろう。そちらの要求に従う」

そう言って、そうは手にしていた銃を地面に落としてポシェットを外して荷物を投げ渡した。
そして、降伏の意を示すように両手を上げる。

アンプルの効果はまだ残っている。
ここで殺し合いになっても1対1なら創が勝つだろう。
だが、目の前の天一人を殺すことはできるだろうが、それだけだ。

命を懸けて戦えば珠が助かるのならともかく、珠の身柄は奪われ創も死ぬのでは何の意味もない。正しく無駄な抵抗だ。
エージェントとして感情に任せたそんな判断はできない。
合理的に、珠の身柄の引き渡しに同意する。

「ただし、条件付きだ」
「伺いましょう」
「僕も同行する。構わないだろう? 研究所だって女王以外の元感染者も欲しいはずだ。彼女には指一本触れさせない」

どこかのエージェントのように自らを検体して差し出す。
他の生存者も気にかかるが、彼らは彼らで離脱するだろう。
今は元女王として狙われる珠の身を守護るのが最優先だ。

創であれば組織と言う後ろ盾はあるし、捕虜の扱いについて交渉もできる。
珠をただ差し出すよりはましだ。

「……まあ、いいでしょう。
 研究所に辿りついてからの処遇に関しては私の立場では約束しかねますが、道中の身の安全は保証しましょう」

特殊部隊とエージェントは条件に合意する。
下手な約束をしないのは彼なりの誠意だろう。
何かを受信したのか、天が耳元を抑え短い受け答えをする。

「上の確認がとれました。この村から[HEウイルス]の影響は晴れたようです」

特殊部隊の口からバイオハザードの終息が宣言される。
戦いはこれで本当に終わったのだ。

「西の山麓に迎えをよこしていますので、あなた方はそちらに向かってください」

天の案内を受け、創が意識のない珠の体を背負う。
そろそろアンプルの反動が来る頃だが、気合で意識を保たせる。

「あんたは同行しないのか?」
「まだ事後処理がありますので。それが終わり次第私も同行しますよ」

そういって創を見送る。
そして、珠を背負った創が立ち去るのを見届けた後、その場に残った天が創の投げ渡した荷物を回収する。
その中身を確認して、司令本部への通信を行う。

「本部。例の作戦関してですが、実行前に一つ回収いただきたい物が出たのですがよろしいでしょうか?」

例の作戦とは天が提案した流出作戦についてだ。
荷物の中に、作戦を補強する道具を見つけた。
申請を行ってから程なくして、回収用ドローンが天の下に舞い降りる。

夜の空に舞い上がっていくドローンを見つめながら、天が息を吐く。
地上の光は消え、天には光が満ちていた。

これで、天の成すべきことは終わった。
多くの犠牲払った大変な任務だった。
実行部隊の中で一番の未熟者である天だけが生き残ったのは何の因果か。

その意味を考えるには、今の天の頭は少し疲れすぎている。
防護服を脱ぎ捨て、自宅のベッドで休みたい気分だ。
ともあれ、任務完了である。

「任務完了しました。forget-me-not。帰還いたします」

【日野 珠 生還】
【天原 創 生還】
【乃木平 天 任務完了】



345Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:19:53 ID:CAQRuEHA0
「何だ…………外で何が起こっているんだ?」

研究所とは違う村に秘匿されたもう一つの地下施設。
資材管理棟と言う名の監禁室に未名崎錬は閉じ込められていた。
ずっと房の中にいた錬ですら感じられるほどの異変が外の世界で起きている。

まるで巨人でも暴れたのではないかと言う、余震が続いたかと思えば、ピタリと収まり恐ろしいまでの静寂が訪れる。
既に外の世界は終わっていているのではないか?
そんな疑念が頭をよぎり、まるでこの独房がノアの箱舟にようにすら感じられた。

外の様子はどうなっているのか?
自分たちの計画は上手くいっているのか?
指示通りスヴィアは動いてくれているだろうか?
ここを訪れた哉太たちはどうなったのだろう?

そんな疑問と不安が膨れ上がり、錬の心を埋め尽くす。
彼の双肩には世界の存亡がかかっているのだ。
こんなところで閉じ込められているのは耐え難い。
無駄とわかっていながら錬は扉に近づき開閉窓に手にかけた、ところで。

「鍵が…………開いてる?」

地震の拍子に外れたのか、扉が開いている事に気づいた。
余りにも都合のいい偶然である。
恐る恐ると言った様子で重い房の扉を開く。

久方ぶりの外の空気が流れ込む。
と言ってもまだ、地下の資材管理棟の中ではあるのだが。
長らく閉じ込められていた狭い独房から出るのはやはり解放感がある。

だが、そんな呑気な感想を抱いている場合ではない。
外がどうなっているのか分からない
研究所の連中に見つかる前にこの場を離脱する必要がある。

外に出るべく廊下を進み、地上に続くエレベータに向かう、
だが、その途中、足元に転がる板の様な何かに気づいた。

まっさらな白い廊下にこれ見よがしに転がるソレを拾い上げる。
それはスマートフォンだった。

なぜこんなところにスマートフォンが落ちているのか。
数時間前にここを訪ねてきた哉太かアニカが落としたモノだろうか?
そう思いながらスマホを拾い上げ何気なくスイッチに触ってみる。
すると、ロックはかかっていないのか画面がオンにされた。

確認程度に目を通すだけのつもりだったが、一つのテキストデータを開いた瞬間その目の色が変わった。
足を止めて夢中の様子で読み漁り始める。
そのテキストの中には、この村の暗部についての告発文が書かれていた。

それは小説家、袴田伴次のスマートフォンだった。
つまりそこに書かれていたのは告発文ではなく、単なる小説のネタ。
この村の伝承について様々なある事ない事が記述されていた。

何故そんなものがこんなところに?
そんな疑問よりも早く錬は理解した。
己が『天』に与えられた『運命』を。

使命感に駆られながら、固い廊下を駆けだした。
外の世界に続くエレベータに向かって。

彼は感染力を持たない[HE-004]の感染者である。
[HE-028]に感染せず、村外に出たところでパンデミックの原因にならない。
女王の死を知らずとも、村の外に出ることに躊躇いはない。

村の外へと事の顛末を伝える必要がある。
それこそが世界を救わんとした錬に与えられた天命である。

これが、天が司令部に提案した流出計画の保険である。

錬の閉じ込められた房の鍵が開いたのは、もちろん偶然ではない。
隠密行動を得意とする隊員――婆が工作員として資材管理棟に侵入させていた。
女王死亡後であれば山中の封鎖要因を借り出してもよいと言う判断である。

そしてしかるべきタイミングで潜入した工作員が鍵を開ける。
地面に落ちていたスマートフォンも工作員が用意したものだ。
天が預かった創の荷物にあったものをドローンによって運んで工作員によって配置された。

未名崎錬という男は、テロリストを手引きしてこの村を地獄に突き落とした実行犯の一人だ。
ただの身勝手な犯罪者であれば自分の保身に走るだろう。
だが、世界救済のために動いた思想犯であれば、そのような行動に走らない。
彼には世界の為に自らの命を投げ出す覚悟がある。

未名崎錬は研究員の一人であり、実行犯の一人として多くの情報を持っている。
そして自ら世界を救おうとする行動力を持ち、それなりに名の売れた研究者としての影響力もある。
『Z計画』の詳細の告発者としてこれ以上ない人材だ。

ヒロイズムに酔う人間は、都合よく転がっていた情報を『天命』だと思い込む。
都合のいい情報を都合よく解釈して、この情報を元に面白おかしく尾ひれを付けて喧伝してくれるだろう。
彼の脱出は見逃され、平穏無事に成し遂げられるだろう。

勘違いの使命感を抱えながら。
告発者は地上に続くエレベータに乗った。



346Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:20:16 ID:CAQRuEHA0
「……終わったな」

誰となくつぶやかれた言葉は風に流れた。
診療所の中庭でもみ合うように絡み合っていた3人の男女は、遠く離れた草原で行われた決着を感じ取っていた。

抵抗と拘束を続けた結果、三角締めからポジションを変えバックチョークの体勢に移行しており。
アニカの放つ魔力紐もその動きを支援するように哉太の両足を引っ張っていた。
それでもなお無限の耐久力と再生力で暴れまわる哉太を押さえるのに精いっぱいだったが、その動きも今となっては完全に静止している。
哉太の抵抗は既に止み、それを抑える2人の少女も何かに気を取られるように力を抜いていた。

感染者の頭の中で響く声が完全に消え去った。
心の中に終りを告げるような虚しさがある。
その結末を見届けることはできなかったが、感染者たちは実感として理解していた。

――――女王は、死んだのだと。

女王の死に伴い、己が脳内を侵すウイルスが活動を停止し始めた。
ただの寄生関係でしかなかったとしても、自分の一部だった存在の消失である。
寂しさを感じるのは、寄る辺となる女王を失い、自らも消えゆく[HEウイルス]の心なのか。

「ああ…………もう、大丈夫だよ二人とも」

仰向けに寝転がりながら、自らを押さえていた2人に告げる。
哉太の中からも、自らを突き動かすような衝動が消えていた。

それに伴い、彼女たちの異能も徐々に消え去り始めていた。
高魔力体質の消去によって魔聖剣の魔力放出も途切れはじめた。
哉太の拘束も解かれてゆき、抑え込みを行っていた茶子も技を解いて身を放した。

「あぁ……くそ、情けねぇな」

解放された哉太は悔し気にそうつぶやく。
衝動はなくなってもその記憶は残っている。
情けなさと気恥ずかしさが襲ってきて立ち上がれないでいた。

ともあれ、これで山折村で発生したVHは終わったのだ。
多くの犠牲を出し、取り返しのつかない被害をもたらしたが。
これ以上何かが失われることはないはずだ。

だが、アニカの託された為すべきことはここからだ。
山折村の正しき終焉のため、呪われた歴史に正しき終わりを。

その為に、白兎が願望機に託した願いを、正しき名で願いなおす。
白兎の望んだ「神楽うさぎ」こと、デセオの完全なる蘇生。
白と黒に分かれた肉体と魂を一つにして正真正銘の『運命』の女神の子による、因果の解体だ。

「Ms.チャコ。御守りを」
「ああ」

ようやく訪れる終りの時。
1000年の呪いより解き放たれる時が来た。
未来へのプラチナチケットを届けるためにアニカへ茶子が近づく。

「…………え」

少女の口から間の抜けた声が漏れた。
気付けば、いつの間に拾い上げたのか、茶子の手には藤次郎の刀が握られている。
その刃はアニカの腹部を拭き破り、背から鋭く突き出されていた。

時が止まったかのような静寂。
少女の血を吸った剣先から、赤い雫が滴り落ちる。

手首をひねった茶子が乱暴にアニカの体を蹴りだし、刃が勢いよく引き抜かれる。
小さな少女の体から信じられない程大量の血が噴き出した。
倒れた体は2、3度ビクビクと痙攣しながら血を噴出した後、完全に動かなくなった。

「……………………茶子、姉?」

目の前で繰り広げられた信じられない光景に哉太が言葉を呑む。
その声を無視して、茶子はアニカの手元から零れ落ちた血濡れの盃を拾い上げる。

最大の邪魔者である女王は消え去った。
手には願いを叶える願い星がある。
ならば、すべきことなど一つだ。


「―――――――願望機は、あたしが使う」


ゆらりと、終りを拒む亡霊のように、山折村の生み出した被害者(かいぶつ)は己が祈りを口にする。




「あたしは、この山折村を――――永遠に残す」




【天宝寺 アニカ 死亡】

347Z ―望み願い祈る― ◆H3bky6/SCY:2024/08/04(日) 12:20:52 ID:CAQRuEHA0
女王の消滅が確認されたためルールに従いオリロワZはこれで完結となります。
ここまでお付き合いくださいまして、みなさまありがとうございました。

蛇足戦&エピローグは3週間後の

8/26(月) 00:00:00

までに投下予定です

348 ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:01:12 ID:fyYMDBK20
お待たせしました
これより蛇足戦&エピローグを投下します

349Z' ―永遠の山折― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:01:55 ID:fyYMDBK20



終りの先に何があるかって?



そもそも、本当に終わると思ってた?





350Z' ―永遠の山折― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:02:32 ID:fyYMDBK20

――――2012年初春。

季節は新たな出会いを予感させる春。
山折村を取り囲む山々は色とりどりの鮮やかな色彩に彩られていた。
風が吹くたびに様々な花弁が舞い、空から虹が降り注ぐようである。

『怖い家』から逃げ延びた少女は虎尾夫妻に保護され虎尾茶子になった。
保護された直後の茶子の腕はまるで枯れ枝の様に細く、肩や肋骨は骨が浮き出るほどに肉付きが悪い。
痩せこけた体は本当に風が吹いただけで折れてしまいそうであった。

『怖い家』で食事を与えられなかったわけではない
ただ、そこの顧客は極端な少女性愛によって骨張った体を好んでおり、管理者からすれば少女たちの抵抗力を削げて両得だったのだろう。
茶子の体は年齢にしては小さく、栄養失調に近い発育不良な状態となっていた。

虎尾夫妻の献身的な介護と山折村の自然がもたらす豊かな食事環境により、ある程度は肉付きが良くなっていた。
だが、健康的な肉体を手に入れるためには、やはりある程度の運動も必要となってくるだろう。
健全な精神は健全な肉体に宿るとも言う。そう考えた虎雄夫妻は茶子を村にある剣術道場に通わせることにした。
本格的に学校に通わせる前に茶子を心身共に鍛えておこうという虎尾夫妻の配慮である。

彼女が通うことになった八柳流の道場は、基本的には村の大人たちが健康体操を行うために通う場所である。
虎尾夫妻もたまに通っているような、この山折村におけるジムのような物だった。
本格的な浅葱の道場とは違い、運動不足の子供を通わせるにはちょうどいい緩さである。

虎尾家で過ごす日々で茶子の心は徐々に癒されていたが。
義父以外の大人の男に対しては当時をフラッシュバックする心的外傷を抱えていた。
道場に通っていたのはほとんどが村の大人ばかりであるのだが、小さな村だ、そんな茶子の事情は村全体におおよそだが共有されていた。
ひたすらに周囲の視線を気にせず棒振りに励む墨の入った男もいたが、良識のある大人たちは適切な距離感を保って茶子に接してくれていた。

そうして過ごしていくうちに、茶子にとって八柳道場は居心地の悪くない場所となっていた。
そんな風に虎尾の家以外にも徐々に彼女の安心できる場所が増えて行動範囲が広がって行けばいい。
そんな山折村の優しさに彼女は見守られていたのだ。

だがある日、そんな彼女の安息の地に侵略者が現れた。
いつものように両親に見送られ剣道場に向かうと道場が奇妙な騒がしさに包まれていることに気づいた。
その騒がしさの正体は、道場を訪れた村の子供たちであった。

今年から小学生に上がるという子供たちで、話によれば今年から道場に通い始めるという事だ。
害意のない年下の子供たちと触れ合わせることで慣らして行こうという虎尾夫妻と八柳翁の粋な計らいだったのだが。
子供たちは道場に現れた見慣れない年上の少女に興味を持ったのか、茶子を取り囲むようにして遠慮のない質問攻めを行った。

「みない顔だな。だれだよお前」

リーダー格の少年は生意気な子供だった。
茶子が発育不良気味であるとは言え、明らかに年上の相手に向かって自分が偉いと言わんばかりの態度で突っかかってきたのだ。
だが、性根にある反抗心だけはその時から一人前だったのか、茶子はとりあえず拳で分らせてやることにした。
その生意気なガキが村長の孫だと茶子が知ったのは、その後の事である。

茶子と少年は互角の戦いを演じたが、すぐに周囲の大人たちに引き離された。
小さな子供に勝てなかったと恥じるべきか、男の子に引けを取らなかったと誇るべきか、難しい所だ。
ヤンチャな子供たちのグループから引き離され、両親に慰められていると師範である藤次郎が近づいてきた。

「哉太。来なさい」

そう言って、子供たちの方から一人の少年を呼び込んだ。
身内であるからだろう、他の子どもより厳しく礼儀を叩きこまれた少年は頭を下げた。

「初めまして! 八柳哉太です」
「………と、虎尾……茶子、です。よ、よろしく……お願い、します。哉…………くん」

おどおどとした様子で返す言葉が途切れる。
先ほどまで少年と殴り合っていた態度はどこへやら、年下相手に敬語で返してしまった。
持ち前の反骨精神から逆境や敵には強いが、まともな相手になるとこうなってしまう。
誘拐される前(まともだった頃)の自分がどう友達と過ごしていたのか、そんな事すら今の茶子には思い出せない。

「それなら、茶子姉だね」

そんな年上女子の挙動不審も気にせず、笑いながら少年は少女を受け入れた。
茶子も差し出された手をおずおずと握り返す。

床がひんやりとした剣道場。
外には祝福のように花弁が舞い散る。
新たな出会いを予感させる春に2人は出会った。
そんなことがあった。



351Z' ―永遠の山折― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:03:19 ID:fyYMDBK20
日本の片田舎で発生した未曽有の危機。
それは小さな村の過去から始まり、異世界と複雑に絡み合いながら魔王と旧日本軍の人体実験によってかき乱され、災厄の歴史と言う一つの紋様を編み上げて行った。
絡まった糸のように複雑に絡まったその因果は、人間とウイルスによる世界の存亡をかけた戦いにまで発展して行き、今を生きる多くの人たちの努力と献身によって終息を迎えた。

世界の危機は去った。
全てが終わった小さな村に取り残されたのは、世界の行く末を左右しない蛇足のような戦いだけである。

山折村と言う外界から隔絶された閉ざされた世界には死が満ちていた。
周囲に封鎖網を敷いていた特殊部隊も徐々に撤退をはじめている。
村に残った命はアダムとイヴの如く男と女の2つだけ。
だがそれは創世神話における最初の命とは違う、この山折村に残された最後の命だ。

世界を輝かせていた魂の輝きも風に流されるように消え去った。
残るのは死者にすら見放されたような闇だ。
何もかも死に絶えたような荒野を、太陽の光を返した死んだ月の光だけが照らしていた。

女の手には血濡れの杯。
それは死と破壊を尊ぶ魔王によって造られた、願いを叶える願望機だ。
女は血と理想に酔うように、夜の空に杯を掲げていた。

「あたしは、この山折村を――――永遠に残す」

そんな茶子の宣言に呆然としていた哉太が、ハッとしたように意識を取り戻す。
そして何よりも先に、茶子ではなく、倒れた少女に向かって駆け寄った。

「ッ…………アニカッ!?」

力なく倒れたアニカの体を抱えて、激しく肩を揺さぶる。
だが、血で汚れた青白い顔をして首をガクガクと揺らすだけで何の反応もない。

「アニカ! アニカッ!!」

何度その名を呼ぼうとも返事はない。
あれほど雄弁だった口も開かれることはなく、愛らしかった表情も永遠に変わる事はない。
もう二度と彼女が動くことはない。そこにはただ冷たい死と言う現実があった。

「…………アニ…………カ」

その現実に押しつぶされるように哉太の両肩から力が失われる。
全身を震わせながら、アニカの死体を地面に置いた哉太がゆらりと幽鬼のように立ち上がった。

「………………どう、して?」

叫び出したいほどの衝動を抑えて、震える喉から声を絞り出す。
聞きたいことは山のようにあった。
だというのに、上手く言葉にならず、そんな曖昧なことしか聞けなかった。

「言ったでしょ、あたしはこの村を永遠に残す。そのために願望機を先に使われるわけにはいかなかった」
「意味が分からねぇよ! この村を残すって何だよ!?」

当たり前のように回答する茶子に、責めるような強い語気で哉太は叫ぶ。

「だったら何でみんなを殺したんだよ!? 全部殺したのは茶子姉じゃないか!?」

このバイオハザードによって多くの住民は死に絶えた。もう、この村で生きているのは自分たちだけだろう。
自衛のためのだと、仕方ない事だと飲み込んだ感情が堰を切ったように吐き出されていた。
僅かに離れた草原には、他ならぬ茶子が築き上げた死体の山がある。
多くの人間を殺した人間の吐くべき言葉ではない。

「違うよ。あたしはこの村の汚れを綺麗にしただけ」

彼女が切り捨てたのはこの村に木の根のように蔓延る闇だ。
仮に朝景礼治や木更津組の残党が生きていたとしても、全員殺せば確実に死んでいるだろう。
ローラー作戦のように全てを切り捨て、この村を奇麗にしただけである。

「綺麗に…………? あの血と泥にまみれた死体の山が!? アニカを殺す事がか!? あんたはそんな事の為にアニカを殺したってのかよッ!?」
「そうだよ」

何の迷いもなく即答する。
村に沈殿する泥も汚れも全て掻き出された。
このVHで村に巣食った災厄や偽りの神様も排除された。
全部リセットして最初からやり直すにはいい土壌だ。

352Z' ―永遠の山折― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:03:37 ID:fyYMDBK20
「ッッ! そんな方法で何が残るって言うんだ!? 村を残すってのは、そうじゃないだろ!?」

こんなやり方は違う。
山折村を忘れない事。語り継いでいく事こそが、山折村を残すという事ではないのか。
哉太は全身を振り乱して、荒廃した何もない闇を指す。

「見ればわかるだろ!? この村はとっくに終わったんだよ!!」

喉から血が出るような叫びをあげる。
少しでも考えればわかる。もはや山折村はどうしようもない。
村とはそこで生きる人々の生活そのものだ。人が居なくては立ち行かない。
全てが死に絶えたこの村が立ち行くわけがない。

「…………終わらないよ――――あたしが終わらせない!
 終わったんならまた始めればいい、そうッ! あたしの祈りがこの村を救うんだよ……!」

そう言って、血濡れの願望機を掲げる。
だが、その杯の中に満ちているのは希望などではない、多くの死を飲み込んだ呪いの杯だ。

理屈や理論など関係ない。
茶子はただ『山折村を終わらせない』と言う、その結論にしがみ付いていた。
子供の我侭以下の現実逃避、だが、彼女は現実を超越して願いを叶える手段を知り、手に入れてしまった。

希望を唱えるその目は夜よりも暗く、闇よりも深く、泥の底よりも濁った色をしている。
茶子はもう壊れている。壊れてしまった。
哉太にもそれが、痛いくらいに分ってしまった。

「…………俺のせいか? 俺が……この村を離れたから」

茶子がこうなってしまったのは自分が村にいなかったから。
哉太が村を離れずそばに居れば、こんな事にはならなかったのではないか。
そんな深い後悔が哉太の全身を重く沈める。

「――――――それは違うよ哉くん」

だが、それは違うと。
これまでにない穏やかな声ではっきりと否定する。

「あたしは最初から壊れていたの。あなたと出会った時から、いいえ、出会う前からあたしはとっくに終わっていたんだよ」

哉太と出会った時点で茶子はとっくに終わっていた。
奪われ汚され壊され弄ばれて、救いようがないくらいに手遅れだった。
だから、きっと最初からこうなることは決まっていたのだ。

「ツギハギだらけでやってきたけど、それももう限界……。
 何が正しくて何が間違っているのかなんて、最初からあたしにはわからなかったの」

酷く疲れたように空っぽの息を吐く。
彼女が居るのは最初から手の届かない奈落の底。
自分がいれば救えたかもしれないなんて考えは自惚れでしかない。

哉太では茶子の救いにはなれなかった。
それが、あの日出会った2人の答えだった。

「だから、哉くん。それが間違いだと思うのなら、止めればいい。
 間違いだったあたしをどうか――――」

――――終わらせてね。
そう聞こえた気がした。

茶子は止まらない。
彼女にはもう自分自身でも止まり方など分からなくなっている。
それこそ死ぬまで止められないだろう。
止めるにはもう、殺すしかない。

壊れてしまった少女の抱いたたった一つの願い。
その一瞬だけが真実だったのではなかったか。

哉太は地面に落ちていた魔聖剣を手に取る。
それがこの女に与えられる唯一の救いであるのならば。
決着を望むその動きに応えるように、茶子が願望機を投げ捨て、両手で刀を握り絞めた。

「茶子姉ぇええええ――――――――ッッ!!!」
「哉――――――――くぅぅぅううんッッ!!!」

2人は互いの名を呼びあった。
いつかの春。
あの出会いの日のように。



353Z' ―永遠の山折― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:04:28 ID:fyYMDBK20

――――2012年初夏。

日差しも強くなり始めた夏
山折村は慌ただしい雰囲気に包まれていた。

今日は年に一度の鳥獣慰霊祭だ。
何もない小さな村で行われる唯一の大きなお祭りである。
都会(そと)から見れば打ち上げ花火のような派手な催しをするような予算もない小さな祭りでしかないのだろうけれど。
それでも村中が飾り付けられ、商店街には屋台が立ち並ぶ年に一度のお祭りである。
村の子供たちはその日ばかりは皆一様に心を躍らせていた。

「あれ、哉くん」

日も暮れてきた夕暮れ時。
友人たちとの待ち合わせに向かう途中、昼間の稽古でお小遣いの入った財布を道場に置きっぱなしにしていた事に気づいた哉太が八柳の道場に向かうと、そこで茶子と出会った。
茶子は一人で道場に座り込み、遠くに浮かぶ提灯の明かりをぼうと眺めていた。

「何してんの茶子姉? お祭り行かないの?」
「……ん。ちょっとね。哉くんこそどうしたの? お祭りに行ってたんじゃないの?」
「うん、今から行くところだよ。ちょっと忘れ物をして。茶子姉も一緒に行こうよ」

そう言って哉太は座っていた茶子に向かって小さな手を差し伸べた。
だが、茶子は視線を遠くから動かさなかった。
その手は取られることなく、茶子は拒否するようにゆるゆると首を振った。

「うーん。そっか」

茶子が手を取る気がない事を理解したのか、素直に哉太が手を引っ込める。
だが、哉太は剣道場から立ち去ることなく茶子の横まで移動するとその隣に腰を下ろした。

「じゃあ俺もここでいいよ」
「いいの? お友達と一緒に回るんじゃないの?」
「うーん。約束すっぽかしたら圭ちゃんは怒るかもだけど……。
 まあ今日は光ちゃんや珠ちゃんを案内するんだって張り切ってたみたいだし、俺が居なくても気にしないよ」

リーダーである圭介は引っ越してきたばかりの日野姉妹に初めての鳥獣慰霊祭を案内するんだと妙に張り切っている。
みかげや諒吾もいるだろうし、むしろ今は自分がいない方がいいまである。

圭介たちは自分が居なくても大丈夫だ。だけど、今の茶子はどうだろう。
なんとなく哉太はここにいないといけないような気がした。
遠くを見つめる茶子の瞳には大人びた達観と一抹の寂しさの様なものが混じっているように見えた。
何より、誰もが楽しい祭りの日なのに、一人でここにいるのは酷く悲しい事のように思えた。

何をするでもなく2人並んで遠くの祭りの明かりを見つめる。
時折吹き抜ける静かな風が頬を優しく撫でてゆく。
穏やかな時間、だが、哉太の心は妙にどぎまぎしていた。

この村の子供たちは一緒に生まれ育った家族のようなものだ。
だが、突然現れた年上のお姉さんである。
日野姉妹も同じような立場だが、彼は年上のお姉さんと言う存在に憧れのような感情を抱いていた。
そんな相手と2人きりと言う状況は少年心に落ち着かないものがある。

「知ってる? 屋台って木更津組の奴らがやってるんだよ」

沈黙を破るように、茶子がそんな事を言い出した。

「え、う、うん。木更津組って沙門さんの所でしょ?」
「そ、悪い人たち」

商店街に並ぶ的屋の殆どが木更津組のシノギだ。
都会ではもうあまり見かけなくなった光景だが、この山折村では未だにその手の輩が幅を利かせている。
その売り上げは反社会的活動の活動資金となる。

だが、それはお日様の匂いはダニの死体の匂いだとかと同じ知らなくてもいい話だ。
的屋に関してはシノギと言ってもアガリは大した額ではないし、荒事の起きやすい祭りに睨みを利かす治安維持の意味合いが強い。
この嫌悪感自体が、子供の浅慮に過ぎない。子供はそんな事を考えず無邪気にお祭りを楽しんでいればいいのだ。

だというのに無邪気に楽しむ気になれないのは茶子が子供ではないからなのか。
子供ではない、大人でもない。けれど、思春期で済ませるには少し行き過ぎた潔癖症である。

いずれにせよ、子供である哉太にはよくわからない話だった。
悪の組織が運営する悪いお店なんだと、朝の特撮番組に準えてそんな理解をした。
確かにそれはよくない気もしてきた。

354Z' ―永遠の山折― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:05:12 ID:fyYMDBK20
「そうだ…………!」

何かを思いついたように哉太が声を上げた。
突然の大声に、茶子は少しだけ驚いたようにビクリと肩を震わせたが、すぐにお姉さんらしく「どうしたの?」と問い返した。

「なら、来年から俺たちもやればいいんだよ! この道場のみんなでさ」
「有志の屋台ってこと?」
「ゆうし……? よくわかんないけど俺から圭ちゃんに話とくよ!
 大丈夫、圭ちゃんなら何とかしてくれるからさ!」

友人への無邪気な信頼を感じさせる言葉。
茶子からすれば生意気なガキだが、哉太からすれば何よりも信頼できるリーダーなのだ。
実際、彼に頼めばこの村の中では大抵の無茶は叶う。

薄暮の空に広がる微かな夕焼けが、静かに夜の帳へと移り変わてゆく。
遠くから聞こえてくる祭囃子の音が、村全体に賑やかさを届け始めた。
どうやら、神社の方で祭りの本番である慰霊祭の儀式が始まったようだ。

「お祭り、始まったみたいだね」
「そうね」

遠くの光に照らされて伸びた影が覆う剣道場。
祭りが騒がしければ騒がしい程、取り残されたような寂しさが訪れる。
そんな寂しさが嫌で、哉太は勢いよく立ち上がった。

「茶子姉、俺たちも踊ろうよ」
「ここで?」
「うん、祭囃子が聞こえるから、お祭りはここでもできるよ」

そう言って哉太は無邪気に踊り始めた。
拙い盆踊りのような作法も何もない踊り。

「……ぷ。ははは! へたっぴだなぁ。哉くん」

それが、あんまりにも下手くそで拙い踊りだから思わず茶子は笑ってしまった。
見てなさいと、彼に見本でも見せるように茶子も裸足のまま踊り始める。

「何だよ、茶子姉だって下手くそじゃん」
「何だとぉ〜?」

お祭りの夜。
遠い喧騒に包まれながら、たった2人の道場で拙い踊りを踊る。
メチャクチャなステップを踏む度、擦り傷だらけで色あせた木板の床が微かにきしむ音が響く。
オンボロ道場で踊ってるのがなんだかおかしくて2人して笑った。
提灯の揺れる明かりが2人を照らし、彼らの笑顔が輝いていた。

夏を目前にした水無月。
遠く祭囃子の聞こえる剣道場で。
そんなことがあった。



355Z' ―永遠の山折― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:06:03 ID:fyYMDBK20
あの夏の日のような夜の下、2人は踊る。
だが、あの時の拙い踊りとは違う、洗練された動き。
流麗なるそれはさながら美しい演舞である。

演奏に使用される楽器は真剣。鳴る音は八柳新陰流の剣術。
雀打ち、乱れ猩々、空蝉、鹿狩り、三重の舞、天雷。
歴史の刻まれた古い剣道場で、幾度も繰り返されてきた掛かり稽古。
哉太が村を離れるまで幾千、幾万と毎日のように打ち合ってきた。
違いと言えば一つだけ。それは稽古ではなく互いの命を奪いあう真剣勝負であるという事だ。

それは決別に向かう儀式のようでもあった。
彼女に人生で一番幸せだった、共に汗を流した輝かしい日々。
その在りし日の思い出が、剣がぶつかり合う度に火花と共に弾けて消える。

灼熱の様な刹那。
互いに愛し合いながら、互いの死を望む。
殺さねば止まらぬ相手、殺さねば前に行けぬ相手。
理由は違えど、もう殺すしかない。互いにそんな所まで来てしまった。

これは女王の声に促されていた時とは違う。
誰かに操られるでも誰に強制されるでもない、純粋なる己の意思で戦っている。
子供のように、歯を食いしばって泣き出しそうになりながら、されど決して譲れぬ何かのために。

山折村を存続させる
それが茶子の譲れぬ願い。

山折村さえ続くのならば、きっと全てがうまくいく。
山折村を存続させるためならば、現在(いま)を全て切り捨ててもいい。
それほどまでに茶子の山折村に対する信仰は深い。

だって、山折村には死者(終わったもの)を蘇らせる力があるのだから。
全てが砕けてバラバラになってとっくに終わってしまった茶子を、ここまで救ってくれた。
だからきっと、すべてうまくいく。

本来であればそれも終わるはずだった。
だが、願望機と言う都合のいい存在を知り、御守りと言う手段を手に入れた。
あの瞬間から茶子の心は決まっていた。

終わっても壊れても、叶うのならば動かなければ。
終わったものが空っぽのまま動く、それはまるでゾンビのようだ。
茶子はきっと――――山折村の生んだゾンビだったのだ。

カァンと、ひと際大きな火花が弾けた。
全ての思い出を打ち尽くし、名残のような火花が消える。
未来のために、己が過去と現在の全てを焼き尽くす。

焼き尽くした全てを糧とするように、茶子は動く。
全てが消え去った後、最後に残るのは決着と言う名の結晶だ。
――――恐らく次が、最後の攻防となるだろう。

月明かりが反射し、まるで一筋の涙の如く刃が煌めいた。
万感の想いを乗せ、最後の未練を断ち切るように哉太へ向かって刀を一閃する。

猛然と打ち込んできたその剣を、逃げることなく哉太は見つめる。
憧れに目を曇らせて自分が見てこなかったもの、目を背けてきたもの。
それらに正面から向き合うために、乗せられた想いごと受け止めるように哉太は剣を合わせた。

衝突する刃。
その力を哉太は巧みに八柳流『空蝉』にて受けとめる。
刀を受け止めた体勢から足を半歩引き、体重を微妙に後ろへ移動させると、自身の体を軽く回転させた。
まるで水が岩を回避するかのように茶子の剣が進行方向をずらされ、哉太の肩を僅かに掠める。

茶子の剣はまるで導かれるようにそのまま地面に向かい、刃が大地に深く突き立てられた。
瞬間。哉太の手は稲妻のように閃き即座に剣を逆手に持ち替えた。
そして、敵の握りと地面によって固定された刃の中心に向かって渾身の力で刃を叩きつける。

八柳藤次郎の刀は戦国時代より戦場を渡り歩き、この地においても最も多くを切り殺した妖刀である。
されど、その出自は聖剣でも魔剣でもないただの日本刀であることに変わりはない。
折れず曲がらずと称される日本刀も、手入れもなくここまで使い潰されればヒビの一つも入るだろう。

哉太が狙ったのはその切れ目。
その歪んだ理想ごと叩き折るように、小さなヒビに向かって哉太は正確無比の一撃を叩きこんだ。
乾いた音とともに、日本刀の刀身が絶ち切られる。

二刀『狗噛み』と並ぶ八柳哉太が開眼した武器破壊の極地。
山を描くように3点を利用し刃を断つ。
故に、その名は――――八柳新陰流・奥義、一刀『山折』

「茶子姉――――――――ッ!」

哉太は止まらず、身を捻る。
武器を失った茶子に向けて魔聖剣を振るう。
もはや茶子は殺さねば止まれない。
ならば、この一刀こそが救いである。

刃は迷いなく降りぬかれ、決着を告げる赤い飛沫が舞った。



356Z' ―永遠の山折― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:07:01 ID:fyYMDBK20

――――2017年初秋。

茹だるような暑さだった夏が終り、季節は秋の口に入った。
村を取り囲む山々は赤や黄、橙といった鮮やかな装飾に彩られ始めていた。

茶子が山折村の住民となって幾年かの時が過ぎ、彼女は高校生になった。
高校生になったと言っても、山折村の校舎は一つしかなく小中高一貫であるため、環境的には何が変わる訳でもないのだが。
変わらないのが田舎のいいところだ、なんていう人もいるが、ここまで変わらないのは流石の茶子もどうかと思う。

茶子はいつものように竹刀袋を肩にかけて、八柳の道場へと続く道を哉太と共に歩いていた。
学校から直接道場に向かう道すがら山々の紅葉を眺める。
その美しい景観に変わらぬ良さも感じられてしまうのだが。

その道すがら、前の方から複数名の作業着の男が歩いてくるのが見えた。
2人は会釈をしてその脇を通りすぎる。
しばらく歩いて、その背が遠ざかった所で言葉を交わし始めた。

「あれ。見ない顔だったね」
「工事の人でしょ? 外から来た」

こんな交通の弁が悪いだけの何もない小さな村に外から人が来ること自体が珍しいことである。
そんな時が止まったように何も変わらない山折村の時間は徐々に終りを迎えようとしていた。

村長が代替わりして村の開発計画が動き始めたのだ。
村には開発を嫌う派閥があって、すぐに大きな変化がある訳ではないだろうけど。
今は小学生である哉太と高校生である茶子が同じ校舎で授業を受けているが、噂では新しい校舎が建つなんて話もあるらしい。

「まあ、早くてもあたしが卒業した後の話だろうけど。哉くんが高校生になる頃には新校舎が出来てるかもねぇ」
「新しい校舎増やしたところで、生徒が居なきゃ意味ないんじゃねぇの。トラとタヌキのカワハギってやつ(?)だろ」
「捕らぬ狸の皮算用ね。これから村に人を呼び込んで学校に通う子供も増えるって事なんじゃない?」

開発に合わせて新しい住民の呼び込みも積極的に行われているようだ。
先ほどのように知らない人が村に足を運ぶことも増えてきた。

「こんな何にもない田舎に人が来る訳ないよ」

哉太は新村長の方針に否定的だ。
自分のテリトリーに知らない人間が土足で踏み込んでくるのが嫌と言う気持ちが半分。
閉鎖的で娯楽もない村に人が集まる気がないという諦め半分の擦れた意見だった。

だが、その意見にも一理ある。
仕事で訪れる人が増えたところで、居住となれば話が別だ。
確かに最近で言えば、浅葱碧と言う少女が転校してきたが山折村に住んでいる親族に引き取られてきたからだ。
そんな事情でもない限り、こんな何もない村にわざわざ引っ越してくる変わり者なんてそうそういるわけがない。

「あら、哉くんだって仲良くしてる日野さんたちが居るでしょ?」
「そうだけど、光ちゃんや珠ちゃんたちは圭ちゃんのおじさんが招いたって話だろ?」

日野家は現村長が未来を見据えて、事前に外部から招いた山折村移住者のモデルケースだ。
外の人間がこの村に溶け込み幸せに暮らすことが出来るかどうかを試す、いわば試金石である。
彼女たちこそ山折村の未来。外の世界との『融和の象徴』と言える存在である。

357Z' ―永遠の山折― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:08:04 ID:fyYMDBK20
「この村はいい所だよ。あたしは好きだなぁ山折村」

茶子はこの村を愛している。
季節によって色とりどりの顔を見る風景が好きだ。
漂う穏やかな空気が好きだ。
優しい人々が好きだ。

「なら、いいのかよ。山折村が変わっていくんだぜ?」
「いいんじゃない。より良くなるって言うんなら」

見慣れた光景も新しいモノに変わっていくのだろう。
より良くより便利に、よりよい未来を迎えるために。
変わっていくことは寂しいことだけど、在り続けるためには必要な事だ。

「それに、中身がどれだけ変わっても。山折村は山折村だから」

テセウスの船のように、その全てが入れ替わっても山折村はここにある。
彼女にとってはそれが重要で、それだけで十分だった。

「あたしはこの村に、返しきれないくらいの恩があるから。この村の為になるんならどんなことでしたいと思ってるよ。
 いつか、その恩を返せる人間になりたいなぁ」

この村を良くしたい。
それが茶子の願い。

将来はこの村でこの村を良くする仕事に就きたいと思っている。
この村の発展に寄与して、自分に幸せをくれたこの山折村に幸せを溢れさせたかった。
そうして、山折村の歴史の端にでも自分の名が刻まれるのなら、これほど嬉しいことはない。

「知ってる? あたし受けた恩は忘れない女なの」
「知ってるよ。茶子姉の執念深さは。昔のちょっとしたイタズラも絶対わすれないもんなぁ」
「そ。情の深い女なのよ、あたし」

愛も憎も誰よりも深い。
受けた恩も仇も必ず返す。
それが虎尾茶子という女だ。

「この村がずっと続くよう。きっと、よくするから」

小さく、誓いを口にする。
流れゆく何気ない日々。
学校から道場へ向かういつもの道で、愛(みらい)を語った。

そんなことがあった。



358Z' ―永遠の山折― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:09:10 ID:fyYMDBK20
温い風が吹いた。薄雲が月を覆い隠す。
月すらも見放されたように闇が包み、決着の時を覆い隠す。

2人の剣士は互いに攻撃を終えた体勢のまま固まっていた。
ただ血の滴る音だけが夜に響く。
まるで命が地面に吸い込まれてゆくように、濁った赤が黒い草に染み込んでいく。

薄雲が流れ、月光が差し込む。
露になった茶子の左腕から大量の血液が零れ落ちていた。
左腕は前腕部から完全に切り落とされており、切り捨てられた傷口から排水管みたいにドボドボと血が流れていた。
放って置けば確実に出血多量に至る致命傷である。

だが、その命運はまだ尽きてはいない。
茶子はまだ生きている。

更に雲が流れ、その先の哉太の姿を照らす。
次の瞬間、哉太の体がゆらりと揺らめいたかと思うと、その首がイチョウの葉のようにパクりと割れて大量の血が噴き出した。
頸動脈を切り裂かれたのだろう、噴水のように夥しいまでの赤が周囲を染め上げ、浮かぶ月すらも赤に染まる。
草原に冷たい夜風が吹き抜け、切り裂かれた肉と血の生々しい鉄臭さが漂っていた。

見届ける者もなく、誰にも知られることない勝負の決着。
届いたのは喉笛を食い破る虎の刃だった。
少年の正しさを女の妄念が上回ったのである。

哉太の放った斬撃には、ここまで積み重ねてきた彼の全て。鍛錬と経験そして想いが乗せられた間違いなく人生最高の一撃だった。
女の命を絶たんとするそこに一切の躊躇いはなく、何一つ曇りなく放たれた完璧なる一撃が破れる道理はなかったはずだ。

だが、茶子は防いだ。
武器破壊の直後と言う最大の隙を突かれたにもかかわらず。
まるでそう来ると分かっていたように、振るわれた刃を左腕を盾にして防ぐと、左腕を跳ね飛ばされながら敵を食らいつくす報復の刃で哉太の首を切り裂いた。

哉太の最高。哉太の全て。
故に――――――読みやすい。
知っているからこそ、愛しているからこそ、その一撃は彼女にとっての必然だった。

これぞ、茶子の至った奥義である。

それは技そのものではない。
無防備を晒して相手の油断と一瞬の隙を誘う。
この駆け引きこそが八柳新陰流・奥義、無刀『讐虎』の正体である。

相手の心理を読み取ることに長けた茶子の至った境地。
茶子はかつてこの奥義で藤次郎より一本を取り、皆伝を授かった。

剛力怪物――気喪杉 禿夫。
剣術無双――八柳 藤次郎。
狙撃手―――成田 三樹康。
魔王――――アルシェル。
戦鬼――――大田原源一郎。
女王――――日野珠。

この地において最も激しい戦闘を生き残ってきたのは間違いなく哉太だろう。
命を削るような実戦を潜り抜け、彼の剣士としての実力は大幅に成長し奥義の開眼にまで至った。
だが、そこには一つ大きな落とし穴があった。

この地においての戦闘は通常とは勝手が違う。
その成長は『異能』と言うあり得ない力を前提としたものだった。

確かに、勝負の機微を読み取る力や刀を操る技術は上昇しただろう。
だが、無意識に異能の回復力に頼り、避ける意識が紙一重の所で欠如するようになっていた。

359Z' ―永遠の山折― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:09:34 ID:fyYMDBK20
何より、この地で数多くの修羅場を潜り抜けたのは茶子とて同じである。
100以上のゾンビを相手にしたのだ、殺した数と戦闘回数で言えば間違いなくNo.1だ。

対して、茶子に与えられた異能は実戦において殆ど役に立たない精神攻撃を跳ね返すと言うごく限定的な異能である。
序盤で重傷を負い、常に死と隣り合わせの状態でも不屈の精神と己が実力のみでここまで切り抜け細い綱を渡り切った。
生死を分かつ嗅覚を磨いたのは間違いなく茶子の方だ。

その差は紙一重。
だが明暗を分けるには十分な紙一重だった。

「…………ごふっ!?」

裂かれた頸動脈から血を流した哉太が口から塊のような血を吐いた。
二人の血が混じり合ってできた血の海の中にその体は沈んで行った。
救いの剣は届かず、哉太の意識は深い奈落に墜ちる。

互いに、磨き上げてきた剣技と奥義が衝突した。
生きるため、生かすために剣を学んだ哉太の活人剣はその本分を果たし、殺すために剣を学んだ茶子の殺人剣はその本分を果たしたのだ。

【八柳 哉太 死亡】

「…………ごめんね。哉くん」

血だまりに沈む物言わぬ死体にそう告げて、最後の敵を切り捨て不要になった刀を投げ捨てた。
片腕になってしまった以上、刀でふさがっていては願望機が手に取れない。
茶子は血に濡れた手でポケットから御守りを取り出すと、地面に赤い一本線でも引く様に大量の血を零しながらゆらゆらと歩いて行く。
そして地面に転がる願望機の前にまで行くと、もはや誰の血なのかすらわからぬほどに薄汚れた願いの星を拾い上げた。

―――――成就の時だ。

師に売られ、全てが壊れたあの冬の日が脳裏をよぎる。
あの日に立てた誓いは、今ここに果たされる。

殆どの血液を失い紫かがった唇が深く吊り上がる。
願望の成就を目前としたその眼には熱狂と死に瀕した闇が入り交じっていた。
そうして、失われた片腕を気にせず、垂れ流す血液を振り乱しながら、彼女は勢いよく願望機を天に掲げた。

周囲には死と絶望しかない。
血と泥に塗れた世界の中心で――――願い星に希う。











「―――――――――あたしの山折村に、美しき永遠を―――――――――ッ!!」












360Z' ―永遠の山折― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:10:05 ID:fyYMDBK20
『そんな…………ッ!?』
『な、なんという』

厄溜まりの中から、その光景を見守っていた村の始祖たちは絶句していた。
捧げられた祈りは、終りではなく永遠。
山折の消滅を願う春陽たちとは対極の願いが捧げられた。

その願いに呼応するように、この厄溜まりにも変化が生じた。

厄溜まりの中心に巨大な白い渦が出現したのだ。
黒の中に浮かぶ異質な白。それは世界を穿つ特異点であった。
城を恐れるように、聖刀の生み出した結界の周囲に漂う厄が虫のように蠢く。
清廉潔白なる正しさの象徴のようであり、闇を許さぬ独善的な暴力のようでもあった。

穢れなき白だけが満ちた美しき世界。
茶子の望む山折村に災厄の居場所などない。

渦が蠢く。
漆黒の闇が飲み込まれるように白に堕ちる。
渦は奈落の底に存在する厄溜まりをさらなる深淵へと誘うように、漂う黒い靄と赤子の手を次々と飲み込んでいった。

女王や春陽たちのいる場所は聖刀による結界に守護られている。
だが、対厄に特化した結界ではこの渦の引力は防げないだろう。
ここも飲み込まれるのは時間の問題である。

自身の故郷の愁嘆場に、始祖たちは慌てふためく。
彼岸の手前に立つ女王は彼らとは対照的にどこか達観した表情でその光景を見ていた。
ただの人間でしかない一人の女の妄執によって世界が飲まれてゆく。
女王は何かに納得したようにふっと笑う。

「…………これが人の業か、敵わぬ訳だ」

渦の奔流を防いでいた結界が限界を迎え、音を立てて瓦解する。

全てが渦の中に飲み込まれていった。



361Z' ―永遠の山折― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:10:20 ID:fyYMDBK20
死と破壊の魔王の作成した願望機は願いの第一歩として厄溜まりの消滅という願いを果たした。
手始めの厄溜まりの消滅を果たしたのは、願望機の方向性が破壊に特化されているからである。

捧げられたのは村の永遠と言う真逆の願い。
運命の女神の加護を込めた御守りによってその方向性は捻じ曲げられたが、本来の機能から無理矢理に行っている事に変わりはない。
必然、そのために必要とする魔力も膨大になる。

本来であれば、願望機の発動には願望機自体に蓄積された魔力が消費されるため、使用者の魔力を必要としない。
だが、崩壊寸前の願望機の残存魔力のでは村の永遠と言う真逆の願いを叶えるにはリソースが足りなかった。

ならばどうするのか?
簡単な話だ。

――――――足りないものは他から補えばいい。

願望機が最初に求めたのは純粋な魔力だった。
だが、魔力を持った人間などこの山折村に居るはずもない。
高魔力体質のアニカも死亡した、それ以前に生きている人間などもういない。
一つの例外を除いて。

魔王と女神の娘『デセオ』。
白兎の願いによりその『肉体』だけは復活させられている。
完全復活が成し遂げられるまでの間は通常の方法では見つけられるはずがない安全圏に退避されている。

だが、願望機の創造主である魔王の血脈であったからだろう。
女王と終里の子との関係性に近いそれらは同じような繋がりを持っていた。
その繋がりを辿って願望機は『デセオ』の肉体をあっさりと発見した。

そうして、デセオの体がその魂である影法師のような幼神と共に、白い波に飲み込まれる。
魔王と女神から生まれたその存在は最高のリソースとして願望のために消費される。

だが、まだ足りない。
永劫の命を持つ魔王が生み出した超越者の玩具。
願望機は空腹の子供のように、貪欲なまでに次を求める。

願い星を掲げる茶子の体が、ふっと電源を落としたおもちゃのように力なく倒れた。

うさぎが干支時計の発動を魔力の代わりに生命力で補ったように、生命力は魔力の代替品になる。
全てが死に絶えたこの村の最後の命は、願望の成就のために捧げられた。

茶子の命は彼女の望み通り、村を永遠とする最後の礎となったのだ。

【虎尾 茶子 死亡】

白い渦が巻く。
血も肉も、光も闇も、生も死も。
呪いの杯はその全てを飲み込み。

そして、



――――全てを吐き出した。





362Z' ―永遠の山折― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:10:49 ID:fyYMDBK20
「なんだ………………?」

その異変に最初に気付いたのは、撤収を始めていたSSOGの隊員の一人だった。
オオサキの進言により事前に撤収準備を進めていたため、特殊部隊は迅速に行動を完了しており。
後はスケジューリングされたドローンの帰還を待つだけと言う段階になっていた。

だが、その帰還するドローンの最後の一台がそれを捕らえていた。
妙な雰囲気を感じて、隊員の一人がトラックに回収されたモニターに映し出された映像を見つめる。

そこに映し出されていたのは終焉した山折村の風景。
全ては死に絶え、生者など一人もいない。
死した村、終わった村の景色である。

最後の生き残りであった虎尾茶子も今は倒れ。
その手から零れ落ちた呪いの杯から汚濁のような白い液体が止めどなく溢れ出ていた。
汚泥は草原を埋め尽くし、あっというまに村全体を白く汚染するように広がっていった。
小さな人間の中に詰め込まれていた愛情と憎悪が吐き出され山折村(せかい)を満たす。

その汚泥は四方にある山の麓に差し掛かったところで流出をピタリと止める。
まるで山折村と世界を区切る境界線のように。

その光景は確かに異様である。
だが、異能に始まり、魔王の出現、女王の覚醒、光の巨人と、不可思議の連続であったこの村においては殊更驚くほどの事ではない。
危機でれば対処するし、命令であれば特攻も辞さない、それが彼らの仕事である。

それよりも隊員の目を引いたのは、その汚濁の中心で倒れ込んでいた茶子の死体が、むくりと立ち上がった事である。
上空からの監視では出血多量で死亡したと言う認識だった。
だが、そもそも上空の監視だけでは詳細な茶子の死因などわかるはずもない。
それだけなら、確認は間違いで生きていたのだろうという事で話は落ち着く。

だが、次にその脇で倒れていた八柳哉太の死体までもが立ち上がった。
流石にこれは無視できない異変である。
哉太は頸動脈を裂かれて確実に死亡したはずである。異能が消えた以上回復することもあり得ない。

そんな隊員の困惑をよそに、異変はそれだけにとどまらなかった。
更に、少し離れた位置で倒れていた小さな少女の首なし死体もむくりとその身を起こしたのだ。

隊員は慌てて撤退を始めていた周囲に異変を報告する。
その報告に周囲の隊員は迅速に動き、再度ドローンによる状況確認を再開した。

異変は村全体に発生していた。
いたるところで死体が起き上がり始めている。
何より異常だったのは、山のように積み上げられ、光の巨人の行進によってばらばらになったゾンビの死体たちまでもが動き始めた事だ。
無事だった部位同士が中に糸を通されたみたいに繋ぎ合わされ、継ぎはぎだらけの死者たちが起き上がる。

そうして、死体たちが動き始める。
舞台の中心で、空から吊るされた見えない糸で操られる人形のように茶子の死体が踊り始めた。
哉太とリンの死体もそれに応じるように楽しそうにカタカタと踊る。
動き始めた村の死体たちも、我先にと茶子たちの下に集うと彼女たち周囲を取り囲んで愉快な踊りを始めた。
王子さまとお姫さまを取り囲んで踊る様子はさながら眩い舞踏会のようである。

いつの間にか多くの隊員が目を奪われ食い入るように画面を見ていいた。
死体が動き、死体が踊る。余りにも悍ましい死者たちの宴。
そして、画面越しにその光景を見ていた、隊員の一人がぽつりと呟いた。


『――――――ゾンビだ』




363Z' ―永遠の山折― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:11:13 ID:fyYMDBK20
少女は踊る。
喜びを舞うように、くるくると。

少女は笑う。
夢見た世界の中心で、くるくると。

目の前には素敵な王子様。
手を取って、お姫様を優しく導くようにエスコートする。
ステップは軽やかに、ターンは華やかに。

いつだって、少女は誰かにそうしてほしかった。
だけど状況が、世界がそれを許さなかった。
少女が少女であるために、強くあることを強要していた。
けれど、そんなものはここではもう必要ない。

すぐ近くでは自分を慕う小さな少女が愛らしい花のような笑顔で笑っている。
何者にも汚されず子供が子供らしく居られる場所。
そうあってほしいと願い追い求めた理想の世界。
穢れのないその笑顔がここにある。

その周りでは大好きなお義父さんとお義母さんが優しい笑顔で見守ってくれている。
はすみや碧といった仲のいい友人たちの姿も見える。
役所の同僚、商店街の人々、多くの山折村の良き隣人たちが笑っている。
生意気な圭介やその子分たちは、ちょっと嫌いだけど存在することを許そう。

優しい大人たちに見守られ、大好きな男の子に、大好きな女の子と穢れのない白の世界で、少女は踊る。
嫌いを遠ざけ、穢れを消去し、好きだけを詰め込んだおもちゃ箱。
少女にとっての幸せの国。

星々が満たす夜空の輝きは、豪華なシャンデリアが会場を照らし出す光のように煌めいている。
その舞台を囲むように立ち並んでいる山の稜線に青々と茂る木々の影が会場を縁取る絹のカーテンのように優雅に揺れている。
草の上を滑る風の音は、会場に響く低く優雅なバイオリンの音色のようで、その調べに合わせて夜の影が舞い踊る。
そこは田舎の夜景ではなく、まるで壮麗な舞踏会の会場のようだ。

それは――――無垢で汚れを知らぬ少女(アリス)の夢。

終わることない永遠に続く、死者たちの踊る永遠の国(ネバーランド)。
ここには、つらい事もこわい事も何もない。
ただ、楽しくて愛にあふれた美しき世界。





山折村は永遠になった。

364 ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:11:48 ID:fyYMDBK20
蛇足戦の投下を終了します
続いてエピローグを投下します

365エピローグ ―new A― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:12:46 ID:fyYMDBK20
澄み渡る青空の下、海風が穏やかに吹き抜けていた。
巨大な船の甲板からは、広がる水平線が目に飛び込んでくる。
波は船の横腹に優しく寄せては返し、柔らかく白い泡を立てていた。

風と波の音が刻む心地よいリズムに目を閉じる。
大きく息を吸うと潮の香りが肺に満ち、べたついた風が頬を撫でる。
かつての激しい戦いの名残は、この清らかな波に浚われて消えていくようである。

――――山折村の騒動から7年の時が過ぎた。

僕、天原創は空と海に囲まれる青い世界に居た。
僕が立っているのは200mを超える巨大船の甲板である。
潮風に吹かれるたびに失われた小指の先が僅かに疼く。
誤解しないでいただきたいのだが、僕は別に優雅なバカンスに来ているわけではない。

では、何故僕がこんな青に囲まれた世界に居るのか?
それを説明するにはまずこの7年の世界情勢を語る必要がある。
この7年で世界の情勢は大きく変容していた。
まずはあの騒動から世界がどうなったかの話をしよう。

山折村の騒動が終息して一ヵ月ほど経過した頃の話だ。
未名崎錬による『Z計画』と『山折村の闇』に関する告発が行われた。

『Z計画』の自体が全世界的な機密事項である。
その告発ともなれば告発者が事前に消されてもおかしくはない事態である。
しかし、未名崎錬の行った告発は、どういう訳かどこからも差し止められることなく公表された。
それ自体がかなり不自然な出来事だが、何も知らない世間がそこに気づくはずもなかった。

この告発関して、ネット上では陰謀論に狂った男のよくある与太話と言う意見が大多数であり、そういった方向である程度の盛り上がりを見せたが。
あまり注目を集めることは出来ず、真に世間を動かすような大きな流れを作ることはなかった。

その折り目が変わったのはそれから程なくして。
山折村のバイオハザードを上空から映した動画がどこからか流出したのである。
動画はすぐさま削除されたようだが、今の時代、公開された情報はあっという間に拡散されるものだ。
むしろ、その迅速な削除が動画の信憑性を煽ったのか、動画は爆発的に拡散された。その情報がセンセーショナルであればなおさらだ。
はたから見れば、その動きまでが計算尽くのようでもある。

世論は大きく変わった。
すぐさま未名崎錬の告発と動画が照らしあわされ、どこからかそれを裏付けるような情報が次々と飛び出していった。
中には山折村の位置を調べあげ、突撃するものまで出てきた。そうして行方不明になる配信者が続出する事となり一種の社会問題にまで発展する事態となる。

国内の世論の波はもはや制御不可能な大きさまでに膨らみ、その余波は海を越え世界を巻き込んでいった。
世界の滅びを伝える『Z計画』の情報流出は世界に多くの混乱を生んだ。
滅びに絶望した人々や情報を秘匿していた不審により暴動にまで発展して流血沙汰に発展した国も少なくない。
その混乱で生じた負傷者は数え切れず、死者は8000万名以上とされている。

この事態に対する厳しいマスコミの追求に日本政府は追い詰められるように『Z計画』の存在を暗に認める事となった。
同時期、示し合わせたように日米間で共同研究に関する協定を表明。
日米地球保護協定(JU Earth Protection Pact 通称:JUEPP)が結ばれた。

暴動の広がる中、その他の国もこの流れを無視する事はできなくなり。
滅びと言う絶望に対して否定し続けるよりは、希望と言う特効薬を掲げる明確なヴィジョンを打ち出した方がいいと判断する国も出始めてきた。

EUではまずドイツとイタリアが『Z計画』の存在を認め、JUEPPへの参加を要請。
国民の世論に押されイギリスを始めとしたEU各国も追従する動きを見せ、その動きは中東、中南米にまで広がっていった。
これによりJUEPPから世界保存連盟(Global Preservation Alliance 通称:GPA)に名を改められる。
国連加盟国の半数以上がGPAへと参加した段階で、大国のなかでは最後まで『Z計画』の存在を否認していた中露も観念したようにGPAへの参加を表明した。

GPAは治安維持を目的とした国際連合軍を結成。
各国で行われる暴動の大半は治安維持部隊によって鎮圧され、維持活動が行われることとなった。
この動きに対する反発する動きや抵抗組織も生まれたが、結果として世界の治安はそれなりに落ち着いたようだ。

366エピローグ ―new A― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:14:02 ID:fyYMDBK20
そうして、研究所の思惑通り世界は滅びと言う共通の敵に対して手を取り合うことなった。
各国で秘密裏に行われていた研究も大半が表向きには公開される運びとなった。
それで表沙汰にできない非人道的な実験や研究がやりにくくなったというデメリットはあったのだろうが。
『Z計画』立ち上げから8年、既にその手の研究だけでは煮詰まっている段階であり、新たな風を呼び込むこの流れは各国の研究機関にとっても渡りに船だったようだ。
水面下で行われていた非人道的実験で得た裏のデータもふんだんに生かされているようで、最初から表で手を取り合うよりある意味ではいい状況だったようである、これも思惑通りなのだろうか。

当然の流れとして、その発端となった山折村で発生したバイオハザードの存在も世間に知られる所となった。
同時に、研究所の存在が公になった事により、第二の山折村になるのはごめんだと周辺住民から研究所に対する大規模な反対運動が巻き起こった。
流石に自分たちの命がかかった研究目的からして取り壊せとまでは言わなかったが、研究所は転居を余儀なくされた。

世論の後押しによって目論みが叶った代償に、世論の圧力によって移転を余儀なくされたのはままならないモノである。
そうして、騒動を受け研究所は拠点をいくつか転々と移し、最終的に落ち着いたのがこの青い海の上である。
つまり、この船こそが現在の研究所の活動拠点なのだ。

そして山折村から研究所に移送され、東京の研究所での軟禁生活が始まって1週間ほど経過した時の話だ。
上でどういうパワーゲームが行われたのか知らないが、研究所を通して所属する諜報局から研究所の警備及び協力員として働くよう辞令が下った。
そんな訳で現在の僕は研究所の協力員と言う名の立場で殆ど軟禁されているような状態であり。
蟹工船のような過酷な環境ではなく、太平洋のど真ん中で停留する豪華客船のような巨大な船舶での暮らしは快適であるのだが、ここ数年陸地を踏んだことがないと言う海の男もびっくりな生活をしている。

だが、ここに居るのはエージェントとしての仕事だけと言う訳ではない。
元女王である彼女が不当な扱いをされないかの監視と牽制と言う個人的な騎士(ナイト)の役割もあった。

研究所に運ばれた後も珠さんは意識を取り戻すことはなかった。
しばらく眠り続けた後、意識を取り戻したのは三日後の事だった。

状況を理解していない彼女に事情を説明する必要があった。
彼女の意識が女王に乗っ取られてからこれまでに起きた出来事は誤魔化せるような話でもない。
見知らぬ研究所の大人が行うよりも、顔見知りが行った方がいいだろうという判断もあり僕は自ら説明役を買って出た。
元女王の精神的負荷を考えてか、研究所側もこの提案を受け入れた。

研究者たちに退席願い、研究所の一室で僕は山折村で起きた出来事の顛末を彼女に説明した。
事情の説明を受けている間、彼女は取り乱すでもなく凜とした様子でその事実を受け入れていた。
女王に乗っ取られていた際の彼女の意識がどうなっていたのかは分からないが、もしかしたら最初から彼女は知っていたのかもしれない。

同じ経験をした人間として彼女に故郷の滅亡を伝えるのは心苦しかったが、同じ経験をした人間だから伝えられることもある。
少しだけ、自分の話をした。潜入調査員としての偽りの経歴ではなく、本当の自分の話を。

そして、研究所に軟禁された現在の状況、元女王として研究材料にされる未来も伝えた。
研究所には伝わらないよう、自由を望むのであれば絶対に何とかするとも伝えた。

彼女にとって研究所の連中は僕にとっての魔王と同じ恨むべき存在だ。
別派による犯行であり直接的な関与は否定しているが、世界を救うと言う大義の為に村を犠牲にしたことに変わりはない。
そんな相手に協力するなんて、耐えがたい精神的苦痛を被る行為だろう。

だが、彼女は恨み言一つ吐くことなく、自ら研究への協力を申し出た。
自分が世界を救う一助になるのであればと彼女は言った。
あの村で起きた出来事が意味のある事であったと、スヴィアに貰った命は意味があったのだとその価値を証明するために。
それこそが、喪われたモノを残す事だと、そう言っているようでもあった。

彼女の実際の心情までは慮れない。
だが、強い人だと、素直にそう思った。

367エピローグ ―new A― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:14:22 ID:fyYMDBK20
その後、元女王の体に念入りな身体検査が行われ、彼女の生命活動は人間とは違う法則で行われているという結果が出た。
これは女王になった後遺症と言うより、怪異によって命を蘇生された影響であるという事らしい。
その体を嘆くでもなく、彼女は怪異となってまで自分を生かした恩師に感謝をするように命を抱きしめていた。

それから、元女王の協力と山折村で獲得した多くの成果もあり、[HEウイルス]は数年で[HE-031]と言う完成品へと到達した。
そこにアメリカが行っていた遺伝子操作による極限環境でも生存可能な人類を作るという『超人計画』が合流され、[HEUウイルス]と名を改めより先へ向けた研究開発が現在も行われている。

その他の国の成果としては、アメリカとロシアが共同開発した宇宙壁によってガンマ線バーストの被害は4割減と言う予測が出ている。
中国の掲げる地下都市計画とバイオシールドの構築技術は各国に共有され、南米で行われるバイオプラントによる持続的なエネルギー開発と食料供給に生かされていた。
イギリスの進めていた遺伝子バンクとクローンによる人類再生計画は凍結されたが、そこで培われた遺伝子工学は[HEU計画]にも多大な影響を与えている。
オセアニアではガンマ線が海水に遮られる特性を利用して、海洋ベースとなる深海基地を作成して生態系維持に勤しんでいる。
インドの行う瞑想と意識進化による精神的防衛も、異能の実在が明らかになった今となってはバカにできない話である。

巨大な共通の敵に一致団結するのもまた人の本質だ。
一つでは足りなくても、多方面から相互作用を及ぼし、滅びの回避に向かって一致団結している。
多くの混乱あったけれど世界各国が手を取り合って、世界はいい方に回っているのだろう。

世界を巻き込む大きなうねりを前に、小さな村の行く末など気に留める者はいない。
あの地獄はきっと、人類史と言う大きな視点で見れば正義だったのだろう。



368エピローグ ―new A― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:14:48 ID:fyYMDBK20
海を眺めて物思いに耽っていると、海に照り返された日の光が目に入り、太陽が頂点に近い事に気づいた。
それでランチの約束があった事を思い出して僕は少しだけ足早に食堂に向かう。

ランチの時間にも関わらず食堂の席はまばらだった。
研究員と言う生き物が規則正しい生活を送る訳がない、と言うのを差し引いても今日は少ない。
食堂の外の廊下はバタバタとしており本日の研究者たちは特別忙しそうである。

世間がせわしなく働く平日に一人休日を楽しんでいるような不思議な気分である。
ガラガラの食堂を悠々とカウンターまで移動して、日替わりランチを2つ注文した。
本日のメニューは鮭のムニエルのようだ。

食事の乗ったプレートを両手に持って食堂のテーブルを通り過ぎ船の食堂から移動する。
待ち合わせ場所はここではなく海を望むバルコニーである。
待ち合わせ相手は周囲を一望できるそこでの食事を好んでいた。

「お食事ですか。天原さん」
「長谷川博士」

その途中でスーツの上から白衣を纏った妙齢の美人と鉢合った。
現在の研究責任者である長谷川真琴である。
慌ただしい様子からして食堂に向かう訳ではなさそうである。

「お忙しそうですね」
「ええ。いよいよ明日ですから」

明日。その言葉に僕も表情を引き締める。
来るべき日に向けて、研究所は忙しく働いているようだ。

「明日、ですか……」
「ええ。染木博士の悲願ですから。その人が誰よりも、この日を楽しみにしていたでしょうから」

そう思いを馳せるように長谷川博士は手にしていた書類の束を胸元で強く握りしめた。
[HEウイルス]開発の最高責任者、染木百之助博士。
染木博士は研究の完成を目前とした昨年、死亡した。
特に何の裏も陰謀もない老衰、つまりは寿命である。131歳だった。

旧日本軍が山折村にて行った不老不死実験の関係者である染木は祖母と同じように実験室で未完成の細菌を二次被害的に感染していた。
だが彼らは、人よりも老化が遅いというだけで彼らは不死ではない。
老化現象が常人の半分の速度だったとしても戦後から85年、常人だとしても90前後の肉体年齢という事になる。大往生である。
直接見たわけではないが、所長である終里も80年来の友人の死にすっかり気落ちしているという話だ。

そう言えば、山折村から研究所に連行された僕たちを出迎えたのも老研究者だった。
珠さんは目覚めることなく眠り続けていたが、彼女を背負ったまま研究所の門をくぐったところで食わせ者の老人と対峙する。
処遇に関して警戒心を全開にして応じていた僕に対して、老研究者は実にあっけらかんとした様子で額にある火傷の様な跡を掻いて。

『拷問? 人体実験? シナイシナイ。ナンか意味あるソレ?
 無駄なストレスかけても実験結果のノイズにしかならないヨ。ソリャ、スト耐実験も必要な時はヤルけどサ。
 ストレス反応に関してはアノ村で十分すぎるほどデータは採れたからネェ。暫くは必要ないかナァ』

暗に必要であれば非人道的行為も辞さないと言っているようなものだが。
少なくとも、当面はその手の実験は行なう気はないようであった。

『アァソウなの? キミ桜宮くんのお孫さん? 懐かしいナァ。ワタシねぇキミのお母さんのおしめ替えた事もあるんだヨ』

そして事情聴取なのか雑談なのかよくわからないやり取りをしている中で、こちらの出自を知った染木老人はそんな何とも微妙な情報を伝えてきた。
ともあれ老研究者の言葉に偽りはなく、定期的な投薬と問診、血液採取と全身検査を行うくらいのもので、少なくとも非人道的な扱いを受ける事はなかった。

「お忙しいところ足止めしても申し訳ないですし、それでは僕はこれで」
「ええ、珠ちゃんにもよろしくお伝えください」

簡単な挨拶を交わして分かれる。
研究員たちとの関係はこんなところだ。
相容れぬ相手でも、数年を同じ釜の飯を食って過ごせば少しは気安くもなるだろう。



369エピローグ ―new A― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:16:14 ID:fyYMDBK20
「あ、こっちこっち」

海を臨む船のデッキから元気よく手を振る少女が一人。
そこには、7年と言う歳月ですっかり伸びた髪を潮風に靡かせた少女――――日野珠が待っていた。

「お待たせしました。珠さん」
「いつも。ありがとうね、創くん」

すっかりこの呼び方にも慣れてしまった。
少女らしいかわいらしさは、成熟した女性の美しさに変わっていた。
外見は彼女のお姉さんに似てきたように思えるが活発な性格は相変わらずだ。

「また魚かぁ。お肉食べたいなぁ」
「それは次の補給がくるまで我慢ですね」

物資は2週間に1度ヘリで運ばれてくる。
補給の直前になると色々と不足する物資も出てくる。
海上での軟禁生活も慣れたものだが、食事環境に関しては不満があるようだ。

「それに、もうじきこの生活もおしまいですから」
「そっかぁ。別に名残惜しくはないけど。普通の生活に戻るのかぁ」

明日。全てが終わる運命の日。
研究員たちがバタバタと忙しそうにしているのもそれが原因だ。

世界崩壊の日『Zディ』を翌年に控えGPAは計画のマイルストーンを公開した。
その中で『Zディ』に備えるための『Xディ』として[HEUウイルス]の散布日が決定された。
国連の行った意思調査によって全世界の8割弱がGPAの計画を支持。
反対する過激派組織なんてのも生まれてしまったが、実施しなければ世界が滅ぶのだ、実質的に他の選択肢はなく計画は実施される運びとなった。

その『Xディ』が明日である。
今日は文字通り世界の変わる前夜だ。
それが完了すれば協力員である僕らはお役御免となる。

「珠さんは、どうするんですか?」
「どう、って言われてもなぁ、故郷もないわけだし」

彼女の故郷である山折村は滅んだ。
あの地で戦った者として、その結末に疑う余地はない。
少なくとも僕らを輸送した特殊部隊の男からそう聞いている。

特殊部隊の連中との接触はあれが最後だった。
山折村に派遣されていた特殊部隊の連中も同じく研究所と連携を取っているらしいが一度も接触はない。
船上に缶詰になっている自分の立場では知れる情報は少ないが、共に提携している研究所の本拠地という事もあり、風の噂を伝え聞く事もある。

その噂によると、あの事件を担当した隊長は独断専行の責任を取って辞任。
現場で成果を上げた男が新隊長として着任したという話だが、事実関係は定かではない。
詳細を確認するすべはないし、別段確認するつもりもない。
元より存在しない組織である。もう会うこともないだろう。

ともあれ故郷が滅び、それからの7年を研究所で過ごした彼女に帰る場所などない。
僕も同じ立場だが、エージェントとしての立場と師匠に叩き込まれた一人で生きる術がある。
残酷な質問だが、彼女の前途を思えば確認しない訳にもいかない。

「協力員として報酬は出ているはずですので当面の金銭面は心配いらないと思います。
 機関から住居の支援や生活の補助を受ける事も出来ますので、必要であれば僕に言っていただければ」

珠さんはため息をつく。
今後の身の振り方について真面目に離したつもりだったが、どういう訳か不満げだ。

「情緒がないなぁ、創くんは」
「?」
「ま、その辺は頼らなくても働き口くらいなんとかなるでしょ、これでも短大卒だかんね。通信教育だけど」

幸いと言うかなんというか、検査の時間以外は自由時間であり船内での行動の自由は認められていた。
もちろん外出は許されないが、そもそも海の上では逃げようもない。

船内には研究員の運動不足解消のためにジムと言った設備も充実している。
だが研究者は基本的に運動嫌いなのか普段は閑散としており、利用者は僕と珠さんくらいのものだった。

それ以外だと正直、勉強くらいしかすることがない。
様々な学術書が取り揃えられており、周囲には天才的な研究者だらけのこの船は学習環境としては最高と言っていい環境だった。
特に長谷川博士は意外に面倒見がよく、彼女の勉強をよく見てくれた。
そうして、船上からの通信教育で大学に通い見事昨年卒業を果たした。
彼女はこの状況にあってもしっかりと未来を見ている。

370エピローグ ―new A― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:16:38 ID:fyYMDBK20
「まさかいきなり一人で暮らすつもりですか? 世界がどうなるのかもわかりません、ある程度は機関の支援を受けた方がいいかと」
「こらこらマイナス思考はいかんよぉ、創くん」

[HEUウイルス]が散布されれば人類は異能と言う新しい力を得ることになる。
滅びを回避した所で、良い方に転がっていくのか、それとも悪い方に転がっていくのか。
世界がどう変化するのか、少なくとも僕には予測もつかない。

「きっと、いい未来が待ってるよ」

そう言って、水平線を望むバルコニーから世界を端まで眺める。
そう確信しているのではなく、そう彼女は信じているのだ。
それは願いのようでもあった。

「強いですね」
「まあ、信じるだけならタダだかんね」

そう言って、シシシとイタズラに笑う。
出会った時のまま、彼女らしい太陽のような笑顔で。
やはり彼女にはそのような顔が似合っている。

それから自然と山折村の話になった。
意識的に避けていたわけではないが、7年間この話題について殆ど話すことはかなった。
世界の犠牲になった悲劇の村の話ではなく、楽しかった思い出や仲の良かった友人たちの話。
そんな、どうでもいいような大切な話をした。

「そういえばさぁ」

珠さんが鮭のムニエルにナイフを入れながら、何気ない様子で、山折村に残された最後の謎に切り込んだ。

「春ちゃんは春陽さんと誰の子孫だったのかな?」

普通に考えれば後妻を取ってその間に生まれた子供というコトになるのだろうが。
伝え聞く春陽の人柄を思えば、妻である祈に操を立てて後妻などとらなかったという印象もわかる。
その疑問に、僕は自分なりの考えを述べた。

「それは、祈さんでしょう」
「けど、2人の子供は義理の娘であるうさぎさんだけだったんだよね?」

それでは血縁関係ある春姫は生まれない。
勝手な想像ですが、と前置きをして話始める。
語りは名探偵から諜報員にバントタッチして7年前にバスで語られた推理の続きを行おう。

「八尾比丘尼の肉で隠山祈は蘇らなかった。
 それは蘇生に失敗したのではなく、別の命を蘇らせたとは考えられないでしょうか?」
「どいうこと?」

珠さんは首をかしげる。
よくわかっていない彼女に向けて、はっきりと答えを告げた。

「彼女は春陽さんの子を妊娠していたのではないでしょうか?」
「つまり、蘇ったのはいのりさんじゃなくて、腹の中にいた子供だったって事?」

そんな事実はどこにも記録されていない。
つまり、自覚症状すらない妊娠初期であった可能性は高い。
その意見を受けて、珠さんは考え込むように腕を組んで、うーんと唸った後。

「…………ちょっと無理がない?」
「僕もそう思います。まあ、素人推理なんてこんなものですよ」

胎児が蘇ったところで、母体が死んでは助からないだろうとか。
その後の記録が一つも残っていないのはどうしたのだとか。
少しでも考えればボロボロと矛盾点がでてくる。

名探偵ではないのだ。快刀乱麻を断つ名推理とはいかない。
そうであったらいいな、と言う希望を語っただけである。

371エピローグ ―new A― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:16:52 ID:fyYMDBK20
「ごちそうさまでした、と」

昼食と一緒に話題も終り、珠さんが空になったプレートを持って立ち上がる。

「創くんのも片付けておくね」
「ありがとうございます」

一人取り残されて、彼女に倣って水平線を臨む。
山折村から続く物語もこれで本当にひと段落する。
これより先、古い世界は終わりを告げて、異能が当たり前の新しい世界が待っている。

結果だけ見ればあの女王が望んだ細菌との共存であるのだが。
皮肉にもあの女王の反乱が細菌の意思を明らかにし、人間はそれを制御する方法を生み出した。
細菌の自由意志と言う物は剥奪され、人間の都合のいい道具になった。それが本来の正しき形であるかのように。

その現状に、明確な意思を持った細菌と言葉を交わした唯一の人間として思うところはある。
だが、彼女を殺した自分に、何も語るべき資格はない。
そこに後悔などあるはずもないが、そうまでして手に入れた未来は素晴らしき未来になるのだろうか。

「終りの先に何があるのでしょうか?」

両手にプレートをもってバルコニーを後にしようとしていた彼女に問いかけていた。
彼女は足を止めて首だけで振り返り、当然のように言ってのける。

「次の何かが始まるんじゃない?」

世界の変わる前夜。
不安と希望を胸に抱いて僕ら眠る。
未来がより良いものであるといいと祈りながら、新しい世界を出迎える。



372エピローグ ―new A― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:17:11 ID:fyYMDBK20




































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...
.....
..........XX年後。

373エピローグ ―new A― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:17:36 ID:fyYMDBK20
とある小学校の朝。
授業前の教室の騒がしさはいつの時代も変わらない。
とりとめのないお喋りの声が教室の外まで響き渡り騒がしい空気に包まれていた。


     「ふぁ〜お〜っす」       「おはぁ〜」
                                     「おはようございます!!」

    「おはよう〜」            「ケンちゃんおはよう」

               「おはよう」
      「なんか顔青くね?」         「お〜す」

                        「あ、宿題忘れちゃった! ゆっくんの宿題コピーさせてよ!」
 「やべっ腹痛くなってきた」
                             「ダメだよ、って言うかコピーガードされてるしょ」
               「今度の休みどこいく?」
   「うんこマンじゃん」                   「実は3組にそれを突破できる異能をもってるやつがいてさ」

      「なぁ、昨日の配信見た?」
                    「俺ん家でよくね?」     「えぇ? そんなの異能検診で見つかるしょ?」

「ちげぇよ! うんこじゃねえよ! けど保健室行くわ」
                            「へっへ、実はさぁ、俺の異能と組み合わせればできちゃうんだよ、コンボだよコンボ」
  「見た見た、あの都市伝説ってマジなのかな?」
                       「お前んち飽きたわ」
     「バカだなぁ、ホントじゃないから都市伝説なんだろ?」            「マジぃ? 激アツじゃん」

                     「はぁ? 新しいゲーム落としたけどお前にはやらしてやんねぇ」
 「あれはマジっぽかったけど。山奥の川に居るって言うカッパ、動画もあったし」
                                         「昔は異能もなかったんでしょ?」
              「いや、嘘だって怒んなって」

「変身型の異能使ったどっか変態でしょそれ、1000年生きてる不老不死の研究者の方がマジっぽくね?」

       「よかった、ギリギリセーフ」                  「うっそ〜、どうやって暮らしてたの〜?」

 「1000年は流石に嘘でしょ、じゃあ悪名高い犯罪者だけが閉じ込められる秘密の刑務所があるとか」

      「せんせー、おそいねー」                  「なら最初に異能が確認されたのがどこか知ってる?」

  「それはあんじゃない? アルカなんとかってのも昔あったらしいし」        「知らない〜。アメリカのどっかじゃないの〜?」

 「あと、そう。山の奥深くにあるっていう、迷い込んだら二度と出られない村」       「ぶっぶー。日本なんだって」

   「あ〜。あれはマジっぽかったね、個人の異能って感じでもなかったし」     「へぇ〜。そぅなんだ〜」

         「村の名前も言ってたね、たしか……」   「なんか、なんかどこかの田舎らしいよ、名前はえっと……」



             「「――――――――山折村って言うんだって――――――――」」

374エピローグ ―new A― ◆H3bky6/SCY:2024/08/25(日) 19:17:59 ID:fyYMDBK20
投下終了です
これにてオリロワZは終了となります、ありがとうございました
改めまして、これまで作品を投稿してくださいました書き手の皆様、ここまでお付き合いくださいました読者の皆様に感謝を
この企画に関わった皆様が少しでも楽しんでいただけたなら幸いです、それでは!

375名無しさん:2024/08/25(日) 19:39:56 ID:66IbuOnY0
完結おめでとうございます!!
茶子が作り出した澱みの発生は残念で吐き気がするものだったけど、世界はちゃんと存続できたし生還者が少なからずいたのは安心しました。
オチのお約束も見事!
次回作がありましたら、また応援させていただきます。

376 ◆dxXqzZbxPY:2024/08/25(日) 21:31:48 ID:QHzxWZco0
世界的には存続していく平和になったみたいだし、巻き込まれた人達の中で生還者もいた

だけど山折村はZombieによる『永遠』が続く終焉...Zになったという...甘くて苦い終わり方...こういうのをビターエンドというのでしょうか...

今日最終回を迎えた仮面ライダーガッチャードのラスボスであるグリオンは、永遠の美しさに固執していた

だが彼のもたらそうとした黄金の永遠というのは事実上のその先...何も変わらない...終わりそのものだった

仮面ライダーガッチャードでも、このssでも気づかされましたね、永遠というのは終わりそのものであるという事を、茶子は永遠に気づかないのだろう、事実上彼女の世界での山折村は多くの人達に『終わり』と認識されている事を...まぁそれでも彼女にとっては続いているからどうでもいいかもしれないが...

...まさか私が彼女に与えたフリータイムがこうも影響を与えるとは予想外にも程がありました...あの頃も私に教えてあげたいですね、マジで

もし茶子が蛇足の行動を起こさなければ...何年か経ったら村に訪れる人がいて...村がどういうものだったのかを詳しく伝える人が現れたのかもしれない、アニカや哉太等が色々頑張ったかもしれない、そしてそれが繋がっていけば...多くの人達の中で...しっかりと様々なものが...続くはずだったんですけどね

生き残った2人の関係者や、タイミングよくたまたま村の外にいた...村に住んでいた人達が何を思ったのか、少し気になりますが...まぁこれは下手したら蛇足になるかもしれませんし、触れても触れなくても、どちらでもいいかもしれませんね

H3bky6/SCYさん、そして他の作品を執筆した皆さん、長きに渡る執筆、お疲れ様でした!!

377 ◆dxXqzZbxPY:2024/08/25(日) 21:33:26 ID:QHzxWZco0
永遠の美しさに固執していた→永遠に続く金の美しさに固執していた

でした、すみません


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