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2024年10月1日〜

900名無しさん:2025/01/02(木) 15:58:39
201 : 名無しさん 2022/04/17(日) 14:15:09
●日露戦争「日本海海戦」のwikiから〜
※高い識字率[編集]
当時の日本国民の識字率は75%前後と欧米諸国より高かった。識字率の高さは、「自己ノ氏名ヲ書シ得ザル者」は兵役に就くことを不可能とすることができ、複雑な兵器の取り扱い方法が紙の説明書による伝達で可能であったため、訓練の効率化をもたらした[要出典]。
一方のロシア側は、日露戦争で捕虜となったロシア人の中で自分の名前すらも書くことのできない者が過半数はいる状況であった。これは、貴族への教育制度しかない当時の欧米の識字率の低さ(20%前後)がもたらした結果であった。このため、日本各地のロシア人捕虜収容所では、ロシア語の読み書き教育が行われた[要出典]。


捕虜にとったロシア軍兵士に読み書きを教えるなんて、昔から日本人は世話焼きで母性的な人たちだったか…と笑ってしまった。日本人は他の民族よりも共感能力が高くて相手の気持ちや境遇を察して読み取ってしまう。そして自分の気持ちよりも相手の気持ちを優先させる。だから非道になりきれない。
ウクライナの首相がアメリカに向かったというから停戦が成立するかもしれない。
日露戦争は局地の戦闘で勝ったが、陸戦で長期になれば日本には勝機がなかった。日本は日露戦争で開国以来育ててきた中堅の軍人や人材を亡くした。
父方の高祖父は農民だが、日露戦争で陸軍に徴兵されて満州で下働きみたいなの(輜重兵)で明治政府から一番下の勲章を貰った。それが何を意味するかも誰にも話さずしまいこんでいた。だから勲章の意味を知らない若い頃の祖父が服に「きれいな飾り」としてつけて外出したら、銀行で平身低頭されて、その「飾り」の効用に驚き迂闊につけたことを反省したという。
日露戦争に出征した高祖父の話で印象に残っているのは、祖父が自宅に庭を作ると言った時「多少小金が貯まったからといって分不相応な贅沢をするな。どうしても庭を作るなら俺が死んでからにしろ」と怒ったという話。昭和3年生まれの祖父が徴兵が始り戦況が激しくなってからも、満州に送られず、内地の軍馬管理係にとどまれたのは高祖父のお陰かもしれない。母方祖父は大正15年(昭和元年)生まれで徴兵され甲種合格したが、海軍の横須賀にある通信兵訓練施設で研修している間に終戦を迎えられたお陰で生き残れた。幸運に幸運が重なったから今の私がいる。だから「ロシアの味方をするのか?非国民!」と言われようが、一般のウクライナ人もロシア人もこれ以上むだな戦争で、愚かな為政者に命がけで尽くして無駄死にする必要はない、一度戦争で死んだつもりで生きて傾いた国を新たに作り直して…と思ってしまう。
ミサイルで撃沈した「巡洋艦モスクワ」が出したSOS信号を拾って、黒海にいたトルコの貨物船が50人以上のロシア軍乗組員を助けたという。貨物船にいて、(海に投げ出されたロシア軍兵士を助けたのが)一般の船員を装った西側の軍人・NATO軍所属の救助専門家でも驚かない。それぐらい今回の戦争は各国軍人の方が辟易している。プーチン大統領の個人的な妄想から始まった、大義のない戦争だ。


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