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2024年4月19日〜

99名無しさん:2024/04/28(日) 11:41:29
本当のキリスト教徒なら「イエスは、一切の私有を許さなかった」とわかるはず。
エッセネ派に生まれたイエスはすべては「太陽神というエネルギー」(共同体)から生まれてくる→人間は死ねばまた人間を作り出した神(親)のもとに戻るから、この世ではなにひとつ所有してはならない、と個人による富の所有を否定した。
だからパリサイ派の金持ち(ユダヤ教徒)に反発され、殺された。
イエスキリストの唱えた説は「個人全員が共同体に献身する→社会が豊かになる→社会が豊かで平和になれば、後の子孫も幸福になる」「利他は最終的に自己の利益になる」だった。
イエスは「何も持たないこと=所有に伴う責任からの解放=自由」と知っていた。
「欲と執着を断ち切る=魂の自由」をはじめに唱えた釈迦と同じ。

偉人たちの肉体は残っていない。
だが彼らの生きた期間の業績は「本」「口伝」という記憶を繋ぐ媒体に刻まれ、違う時代、違う地域の人間の脳内へと伝わり、記憶が編まれていく。
歴史を知り、本を読むことで、生きた国や地域が違っても、人間の普遍的な感情は同じで、生き続ける概念と死ぬ概念と気づく。
『国富論』で自由主義に誤解されてきたアダム・スミスの『道徳感情論』は今、見直されるべき概念だ。
ルソーの「人間は本来自由な存在である」という思想は「自由権の行使に伴う責任」という自由に伴う片輪(ブレーキ)がなかったから無秩序な状態をもたらしてしまい、脱抑制・無秩序に驚いた人々は「テロリズム」「恐怖政治」に賛成した。
ソ連崩壊による完全自由化・民主化に伴い、治安の崩壊を経験したロシア国民が、混乱への恐怖心から、今のような「管理と統制」を求めるようになったのは必然だった。


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