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2023年8月6日〜
744
:
名無しさん
:2023/10/02(月) 10:17:21
プラトン
編集
紀元前4世紀、プラトンは著作『国家』で、国家の寡頭制の次の段階は民主制だが、行き過ぎた自由により崩壊して僭主制になるとし、理想を「哲人政治」と記した[26]。自由の風潮がその極みに至ると無政府状態がはびこり、民衆指導者の中から独裁者が生まれる[27]。
(民主制国家の)人々は自由であり、その国家は行動の自由と言論の自由に満ちている。そこでは何人(なんぴと)も、自分のしたい放題のことをすることが許されている、ということになるのではないか。(中略)あまりに行き過ぎた自由は、個人と国家を問わず、行き過ぎた隷属以外のどこへも変化しない。僭主制とは、民主制以外の国制から生まれてくるものではないようだ。思うに、極端な自由から、最も大きく最も激しい隷属があらわれてくるようだ。
— プラトン『国家』第八巻[26]
プラトンの「各人の自由が行き過ぎた時、人を抑圧して支配する独裁政体が出てくる」という考察は、ナチスで証明されている。アレントが考察した恐ろしい全体主義〜がナチスや昔の日本のような「全体主義」が生まれるきっかけは「自由主義の暴走」にある。
個人の自由を重視する自由主義が行き過ぎると、管理や統制を重視する集団主義・全体主義が台頭する→全体主義のしめつけが行き過ぎると、個人の自由を主張する自由主義が台頭する。過激な主義・主張は、社会の中で「管理と自由のバランス」が崩れて偏った時〜自由主義も統制主義もどちらも行き過ぎた時〜に起きる自然現象。自由と統制、どちらにも長所と短所がある。本人に任せる自由主義は均一な宗教・思想だとうまく機能するが、思想が違う異教徒や異民族がいる場合は、管理と統制の覇道の方が喧嘩やトラブルが少ない(社会が安定する)。
ユリイカ。これはコロンブスのたまご。
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