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2023年8月6日〜
57
:
名無しさん
:2023/08/08(火) 19:15:19
367 : 名無しさん 2020/09/02(水) 19:32:58
>>元厚生労働省官僚の中野雅至氏は『政治主導はなぜ失敗するのか?』(光文社新書、2010年)でこう書いている。「14年の在職中に『自分たちが主導して政策をつくっている』『思い通りに国家を動かしている』という実感などほとんど持てませんでした。どんな分野の仕事をやるにしても、自民党を中心に与党政治家の了解を得なければいけなかったからです。そんなこともあって、局長のような幹部でさえ自民党の政治家には平身低頭していました」
リーダーシップがないという意味では、政治家も同様だったという。「自民党の政治が政策を決めているという感覚も、ほとんどありませんでした。首相や大臣がリーダーシップをもって、『厚労省は何が何でも年金制度改革をやるんだ。俺が責任を持って進めるからがんばれ!』などと宣言するのを聞いたこともなかったからです」
政治家や官僚が明確に方針を決めてものごとを進めていくようなケースは皆無に近かったのだという。ではどうやって政策は決まっていたのかというと、「誰かが明確に責任を負うこともなく、ダンゴレースのように物事が決まっていくのが大半だったような気がします」と中野氏は解説している。何ということはない、戦前の「しらす」的な政治システムが戦後も続いていたのである。
「しらす」政治においては、何か悪い判断が結果として行われたとしても、明白な悪は単体では存在しない。システム全体に悪がうっすらと広まっているというイメージで捉える方が現実に近い。だから「しらす」政治の問題を解決しようとするならば、悪の糾弾ではなく、システム全体の構図を変更することが必要になる。
しかしこういう認識をメディアは持っていなかった。それなのに無理矢理に「悪」「加害者」を設定し、糾弾してきた。単一では存在しない悪を敵にしつらえているのだから、これはあまりにも空虚な報道姿勢だというしかない。どんなに悪を糾弾してもいつまで経っても問題は解決せず、放置されたままになってしまったのだ。
このように空虚であったからこそ、マスメディアの報道は問題解決にはつながらず、単なるエンターテインメントとして消費されるだけで終わってしまったとも言える。戦前の「しらす」政治がなぜうまくいかず、無謀な戦争に陥っていったのかを分析し反省することなく、ただ軍部に「悪」「加害者」を押し付け、根本的なシステムの改修や変更をしないまま、流されていったのだ。「水戸黄門」のような悪を糾弾するドラマを求めるエンタメ性が、問題解決からますますメディアを遠ざけていったのだ。
これこそが戦後日本メディアの根源的な問題に他ならない。この根深い問題を、21世紀の今も日本のメディアは引きずっている。事件や事故が起き、善なる被害者がいれば、そこには必ず加害者がいると考える。その悪=加害者を批判することが、ジャーナリズムの使命だと考えてしまうのだ。21世紀のいまも記者たちは決して、社会のシステムを改修して問題を解決するという方向には向かわない。
ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/news/6446/1517587808/270-369
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