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2023年8月6日〜
55
:
名無しさん
:2023/08/08(火) 19:04:45
365 : 名無しさん 2020/09/02(水) 19:23:40
>>ところが『旋風二十年』がベストセラーになったことで、日本人の多くは自分たちの責任を忘れた。いや、無意識のうちに忘却したかったのかもしれない。人々は、太平洋戦争が政治家や軍人の無知と無謀と野望のためだったと思うようになり、「戦争は軍が勝手に引き起こしたことだ」といった言論がまかり通っていく。自分たちの戦争への加担はそうして忘れ去られていった。「私たちはだまされていた」「私たちはずっと戦争には反対だったのに、みんな軍が悪い」という思い込みだけが膨れ上がったのだ。
敗戦翌年の春、映画監督の伊丹万作は「戦争責任者の問題」というコラムを雑誌「映画春秋」の創刊号に書いている。戦争翼賛の映画をつくっていた監督やプロデューサーを告発する風潮が映画業界でも高まり、同じ映画業界の人たちが急先鋒になっていたことに、伊丹は痛烈な批判を加えた。
「みんな、今度の戦争でだまされたと言ってる。みんなが口をそろえてる。でも私の知ってる限り、『おれがだました』って言ってる人はひとりもいないな」
一般国民は口をそろえて「軍と官僚にだまされた」と言い、軍と官僚は口をそろえて「上司にだまされた」と言う。その上司に聞くと、口をそろえて「もっと上の者にだまされた」と言う。そうやって突き詰めていくと、最後はひとりかふたりになってしまう。しかしそんなひとりやふたりの知恵で、一億人がだませるわけはないのではないか?
そして伊丹はこう指摘する。戦争で誰が自分たちを苦しめたのかと思い出すときに、真っ先に記憶からよみがえってくるのは近所の商店主や町内会長や郊外のお百姓さんや、あるいは区役所や郵便局の役人たちではないだろうか。ありとあらゆる身近な人たちが、自分たちをいちばん苦しめていたではないか、と。つまりは悪人とは自分たち平凡な人々だったのだ。
しかし伊丹のような声は戦後の空気の中で少数で、「われわれは被害者だった」「騙されていた」という大合唱に日本は呑み込まれた。無謀な戦争に突入してしまったのはひとえに軍部という「加害者=悪」の責任であって、自分たちには責任がなかったのだという認識が世論として定着した。
>>マスメディアは「悪」「加害者」に対峙していればいいという構図
開戦前の国民の熱狂はすっかり忘れ去られたようだった。ただ指摘しておかなければならないのは、国民が戦争を支持したのは、必ずしも当時の日本人が好戦的だったという単純な話ではないということだ。たとえば吉見義明氏は『草の根のファシズム 日本民衆の戦争体験』(東京大学出版会、1987年)で、その理由のひとつとして、長引く日中戦争によるインフレや物資不足を挙げている。戦争による窮乏に対して、都市生活者からは反戦の声ではなく「その解決を『強力政治』の実現によるすみやかな『事変解決』に求める声が多くなった」という。
「速戦即決」を求める世論が高まり、その内容は「それは『政党でも独裁者でも何でも良い、全国民を引き摺る様な力強いものが欲しい』というようなナチズムやヒトラーを羨ましく思うタイプと、日本にヒトラーを期待するのではなく『協力一致、一丸として当たる』べきだとするタイプに分かれ、速やかに中国と講和すべきだという者は殆どいなかった」(『草の根のファシズム』)
だが日本にはヒトラーはいなかった。ドイツのように独裁政権が暴走して戦争への道が開かれたのではなく、リーダーシップ不在の政治だったからこそ、日本は暴走してしまったと言える。
ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/news/6446/1517587808/270-369
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