>>習近平は部下同士をわざと競わせる
──昨年、中国共産党の党大会が行われたあとで、あなたは「習近平の新体制はすぐに内部分裂を起こすのではないか」と指摘しました。このように分析した理由や根拠についてお話しいただけますか。昨年12月に「The China Leadership Monitor」に寄せた文章(“New Faces of Leaders, New Factional Dynamics: CCP Leadership Politics Following the 20th Party Congress“)の中で、そうした考えを示しました。主な論点は、「中国共産党第二十回全国代表大会が閉幕し、習近平に近しい人物を除いて、古い中共幹部の派閥は基本的にすべて排除された。しかし、習近平に近しい人たちは、新たにそれぞれの派閥を形成し、その派閥同士で新たに争いが生じることは避けられないのではないか」というものです。
たとえば、国務院の新しい指導層には、李強首相、丁薛祥副首相、さらに経済・金融担当として何立峰副首相が任命されるものと見られています。彼らはみな習近平に重用されていますが、この3人には異なる背景、経歴、人脈がそれぞれあります。彼らは今後、実務にあたるなかで必ず自分自身がよく知っている人脈を使うはずです。それが派閥の“原型”を形成します。そこへいったん権力闘争や政策論争が生じれば、これらの原型はすぐに本物の派閥へと変化するのです。習近平の特徴に、権力を持った部下同士をわざと牽制させ合うというのがあります。そうすることで、習近平本人が強い権威と権力を保持できるだけでなく、部下の権力や地位が高まって習近平の地位を脅かすことを防げるのです。国務院の新しい人事は、当然、習近平が主導して取り決めます。彼が選んだ部下たちは、それぞれが横のつながりが強い仲間同士なのではなく、1人1人が習近平に責任を負っているのです。
さらに、中国共産党の政治の特徴の1つに、「ルールに則らずに物事を行う」ことがあげられます。特に、習近平はこの傾向が顕著です。昨年の党大会の人事でも、これまでにあった多くの慣例が破られました。たとえば、68歳以上は引退するという慣例(“七上八下”)があったにもかかわらず、69歳の習近平自身が続投を決めました。一方で、比較的若い官僚であっても指導部から退出させられたりもしました。これまでの慣例がほとんど機能しないのであれば、指導部のメンバーたちはなおさら自身の人脈を強化することで、安心感を得ようとするはずです。それが彼らにとって自身の権力基盤を保つことになるのですから。
これらに加えて、もうひとつ忘れてはいけないことがあります。習近平体制は3期目に突入しますが、「習近平以後」という問題が、これから時間の流れとともにどんどん顕在化し、重みを増していくということです。特に習近平に近しいメンバーたちは、この問題に向き合わざるを得なくなります。そこでも必ず力の争いが生じますし、そのなかを生き残るためには、やはりそれぞれの人脈が重要となってきます。そこから、人脈同士の争いか、あるいは人脈同士の結託が生じるでしょう。私が言う“内部分裂”とは、指導部の各メンバーの人脈が顕在化することで、派閥同士の争いが生じることを指すのです。
COURRiER Japon
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●ロシア正教会に急接近したプーチン──戦争勃発の背景にあった、キリスト教宗派の対立
3/8(水) 18:03配信
<冷戦後、ロシア正教会が政治と一体化していった。他方、ウクライナでもナショナリズム傾向の強い教会とモスクワ寄り教会との間で分裂が生じていた。『アステイオン』97号「ウクライナ戦争が映し出す宗教と政治」より>【松本佐保(日本大学国際関係学部教授)】
>>政教分離が当然の原則とされている今日の日本だが、伝統的に宗教と政治の関係は複雑で、和解とともに対立の要因ともなる。ロシアの対ウクライナ侵攻について、その背景にあるキリスト教の宗派間の入り組んだ関係を見てみよう。
東欧や南欧で支配的な宗教組織であるキリスト教会は、カトリック教会を率いるローマ教皇と、東ローマ(ビザンツ)帝国の首都コンスタンティノープルの総主教が、相互に破門した11世紀の東西教会の分裂に起源を求められる。しかし、ロシア・ウクライナ正教会の起源は、ビザンツ帝国からキリスト教を導入したルーシが九世紀に創設した、キエフ総主教だった。このキエフ・ルーシ大公国が13世紀にタタール人の侵攻を受けると、その中心はモスクワに移され、モスクワ総主教庁系ウクライナ正教会として、ロシア正教会の管轄下に置かれる。また正教会の総本山のコンスタンティノープルが、15世紀にオスマン帝国の手に落ちると、最古の歴史と伝統を踏まえたキリスト教の正教会の中心はモスクワとなる。モスクワはここで「第三のローマ」と呼ばれるようになり、ロシア人はこれを自負するようになった。
冷戦終結後もモスクワは「第三のローマ」として、特にプーチン出現後は、冷戦後不安定化するロシア治世の安定化を図るために、ロシア正教会が人々の精神的な拠り所として政治と一体的に活動する傾向が高まる。他方でウクライナでは、91年に独立すると、典礼をウクライナ語で行うなどウクライナ・ナショナリズムの傾向の強い教会と、モスクワ総主教寄りの立場を取る教会との間で分裂が生じた。2014年のロシアによるクリミア半島の一方的併合が起こると、その傾向が一挙に加速した。
そのため、当時のポロシェンコ大統領が直々にコンスタンティノープル総主教に働きかけて承認を得た結果、多数の信者を抱えるキエフ総主教庁も、モスクワ正教会からの独立を果たした。他方、キリルやプーチンにとって、ロシア正教会に従属していたウクライナ正教会の多数派が分離独立することは、ロシア正教会、さらにはロシア世界の解体に繋がりかねないと見なし、それを阻止しようとしたことが今回の戦争の背景と考えられる。
本来なら共産主義は宗教を否定するはずである。しかし、現実にはソ連時代も宗教活動はある程度許容されたし、必要な場合には利用すらされたこともあった。戦場では死と隣り合わせになる兵士にとっては、宗教の役割は大きい。そのため例えば第二次世界大戦の転回点となったスターリングラードでの激戦では、スターリンはロシア正教会の典礼を一部復活させた。
冷戦後のプーチン政権になると、宗教と政治の関係は緊密さの度合いを増した。現在の対ウクライナ戦争でも、キリルは、兵士だけではなく戦車などの兵器にも祝福を与える儀礼を実行している。もともとプーチン政権が長期化し、反発が強まった2012年に、ロシアで反プーチンデモが起きたことに起因する。
こういった不満を懐柔するために、ロシア教会に急接近したという経緯がある。キリルは大統領選挙で自らプーチンの応援演説を行い、プーチン側はロシア正教会の主張に沿って同性愛宣伝禁止法を成立させるなど、相身互いの関係にある。
キリルがKGBの工作員であったことは、陰謀論ではなく「ミトロヒン文書」によって立証されている。KGBの幹部要員だったミトロヒン(Vasili Nikitich Mitrokhin)は、1992年に大量の旧KGBの極秘文書をもって英国に亡命。この文書は、現代史の専門家で英国の情報部(MI5)の公式歴史家クリストファー・アンドリューらによって分析され、その一部はミトロヒン文書(Mitrokhlin Archives)として発表された。(註Christopher Andrew and Vasili Mitrokhin, The Mitrokhin Archive: The KGB in Europe and the West, Penguin, 28 Jun. 2018)