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2021年12月〜
9
:
名無しさん
:2021/12/19(日) 19:00:03
●現代人をむしばむ「愛着障害」という死に至る病
体と心を冒す悲劇の正体とは何か?
2019/10/09 5:25
>>「死に至る病とは、絶望のことである」と、かつて哲学者キルケゴールは書いた。キルケゴールにとって、絶望とは、神を信じられないことを意味した。だが、今日、「死に至る病」とは愛着障害にほかならない。愛着障害とは、神どころか、親の愛さえも信じられないことである。そして、キルケゴール自身も、愛着障害を抱えていた――。合理的な考えによれば、親の愛などなくても、適度な栄養と世話さえあれば、人は元気に生きていけるはずだった。だが、そこに致命的な誤算があった。特別な存在との絆である「愛着という仕組み」がうまく働かないと、生存にも、種の保存にも、重大な支障が生じるのである。全身傷だらけになりながら、自傷や自殺企図を繰り返すのも、稼いだ金の大半を、吐くための食品を買うためや、飲み代やホスト通いに費やすのも、物や金の管理ができず、捜し物と借金に追われ、混乱した人生に沈むのも、原因のよくわからない慢性の痛みや体の不調に苦しむのも……、そこには共通する原因があった。
>>「死に至る病」である愛着障害とは何か?
その原因とは、愛着障害であり、愛着障害とは、生存と種の維持に困難を生じ、生きづらさと絶望をもたらし、慢性的に死の危険を増やすという意味で、「死に至る病」なのである。いま、この国に、いや世界のいたるところで、経済的豊かさを追求する合理主義や、個人の利益を優先する功利的個人主義の代償として、「死に至る病」が広がっている。「死に至る病」は、キルケゴールが述べたような単なる絶望ではない。精神的な救いが得られない精神的な死を意味することにはとどまらない。「死に至る病」は、生きる希望や意味を失わせ、精神的な空虚と自己否定の奈落に人を突き落とし、心を病ませるだけでなく、不安やストレスに対する抵抗力や、トラウマに対する心の免疫を弱らせることで、体をも病魔に冒されやすくする。現代社会に蔓延する、医学にも手に負えない奇病の数々は、その結果にほかならない。
かろうじて病気になることを免れたとしても、傷つきやすさや苦痛から、すっかり免れることは難しい。せっかくの人生は、喜びよりも、不快さばかりが多いものになってしまう。その不快さを和らげるために、生きる苦痛を忘れるために、人々は、神経や心を麻痺させるものを日常的に必要とする。それに依存することで、かろうじて生き延びようとするのだ。だが、それは、ときには慢性的な自殺につながってしまう。いま、「生きるのがつらい」「毎日が苦痛なだけ」「生きることに意味が感じられない」という言葉が、この国のいたるところから聞こえてくる。生活に疲れ、過労気味の中高年から聞かれるのならまだしも、最も幸福な年代といわれる30代からも、元気盛りの20代からも、そして、10代の中高生や、ときには小学生の口からさえ聞かれるのである。彼らはたいてい暗い顔をして、うつむき加減になり、無理に笑おうとした笑顔さえ、ひきつってしまう。彼らは、医学的にみて明らかにうつ状態という場合もあるが、必ずしも、そうした診断が当てはまらないときもある。とても冷静に、落ち着いた口調で、「私なんか、いてもいなくても同じなんです」「まだ生きないといけませんか」と、自分が抱えている空虚感や生きることの虚しさを語ることもある。「死にたい」「全部消し去りたい」と、その優しい表情からは想像もできないような激しい言葉がほとばしり出ることもある。
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