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2018

704名無しさん:2020/12/14(月) 11:05:39
>>今の時代は仮想通貨の登場によって、お金が国に縛られないというひとつの転換点を迎えています。でも、僕はこの資本主義社会から抜け出すのは無理だと思っていて、だからこそ、そこから無理に抜け出すことを考えるのではなくて、お金を使った交換のなかに縄文的な尊敬みたいなものを少しでも乗せられないかということを考えているんです。
どうやったらそれができるようになると思いますか?
望月:一人ひとりの考え方ひとつではないでしょうか。気持ちをのせてお金を使うということは、実は今もみんなが何気なくやっていることでもあります。
たとえば、すごくお世話になったあの人のためなら損してもいいとか、あいつのためだったら何かをやってあげてもいいとか、あいつはしょうがないやつだけど応援してあげようとか、そういう感覚って誰しもあるはずで。
望月:それがどうしてもお金が介在しちゃうと見えにくくなるというか、忘れられちゃうというか、すぐに「それって儲かんの?」みたいな話にもなる。儲けるというのはひとつのテクニックです。でも、それが尊敬に値するかといったら話は違ってきますよね。
たとえば儲けるために、現代ではお金をお金で買うというようなこともしますが、それははたして尊敬に価することなのかどうか。結局、お金というのは、ただ儲けるためというようなドライな扱い方を極めていけばいくほど、ほんとにおもしろくない方向に行きがちなメディアなんですよ。
でも一方で、ウェットすぎるとそれはそれでわずらわしいと感じるところもあるのが現代人です。ドライだからこそ便利な部分もあるし、その恩恵もそれなりに受けている。
大切なのは、ドライもウェットも両方の良さをわかった上で、お金との自分なりの向き合い方を築くことだと思うんです。現代の縄文人には必要なのは、きっとそういうバランス感覚なんでしょうね。
ttps://www.watch.impress.co.jp/owlly/articles/1100070.html
「地縁・血縁」を旧態依然たるしがらみ、抑圧とリベラル学者たちが非難し、「相続権を一人が独占する代わりに親を介護をして弱者を守る家父長制」を廃止した後で訪れたのは、誰にも責任がない代わりに誰にも権利がある不思議な社会。そして老人や子供の社会からの廃棄。東北の狭い社会ではお金があっても付き合いがなければ生きていけない。金持ちすぎると仲良くするのは金目当てだと思われたくないと敬遠される。誰かを助けるのは金目当てじゃない、俗物と一緒にするなという感覚。それが「誇り」。お金があっても心配してくれたり気にかけてくれる人がいない、大金を持ったせいで他人を疑うようになり孤独に亡くなる…を見てから「お金の意味」がわからなくなった。


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