したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

文 化

85NAME:2014/08/04(月) 18:51:17
 初版本は昭和37年だが、巻頭グラビアは「関谷ひさし」(注3)、「マンガ映画ができるまで……」(取り上げられているのは、『シンドバッドの冒険』〈東映〉)、「手塚治虫」というラインナップだ。 一方、私が初めて読んだ昭和53年発行の版(図3)では、「手塚治虫」、「テレビマンガができるまで」(『鉄腕アトム』)となっている。

⇒【画像】はコチラ http://nikkan-spa.jp/?attachment_id=689677

 また、「にがおマンガの、かきかた」という項目は初版では「長嶋茂雄と力道山(鶴瓶似/図4)」を取り上げ、昭和53年発行の版は「長嶋茂雄と植木等」という具合に、時代を反映した物になっており、本文でもかなりの点数の図版が差し替えられ(図5、図6)、文章も変化している。

⇒【画像】はコチラ http://nikkan-spa.jp/?attachment_id=690533

 この本がどれ位版を重ね、何パターン位の種類があるのか、ひょっとして今も売られているのか?等の謎の解明については今後の研究が待たれる所だが、……えっ? それ俺がやるの? ま、そりゃそうだわ。行きがかり上、分りました、発行元の秋田書店さんに問い合わせれば分るかもしれませんね。ついでと言っては何ですが、この本の発行を遡る事6年前の昭和31年発行の手塚治虫『漫画のかきかた』(図7)を見ると、『マンガのかきかた』と同じ図版や文章が散見される。恐らく、この本が下敷きとなっているのだろう、同じく秋田書店発行なので多分そうだろうと、この場で言い切っても学会が紛糾したりはしないだろう。それも合わせていずれ伺って参るか。

⇒【画像】はコチラ http://nikkan-spa.jp/?attachment_id=690530

 また、今では考えられないが、この時代の本や雑誌の欄外等でもお馴染みでしたが、巻末に漫画家の住所録が掲載されていて、大好きな作家の自宅にファンレターを出す事はもちろん直接、訪ねて行く事さえ出来た。のどかで良いなとも思うが、時代が移り変わるにつれ、なくなってしまい、若干の残念さは感じるものの、「あの作家うちの近所に住んでいたのか!」等住所を眺めるだけでも味わい深いものはありましょう。また「今も居る!」という可能性もあるので油断は禁物です。もしかしたらあなたの隣に漫画家が住んでいるかも知れないのですから。

つづく

(注1)坂本牙城:1895〜1973年。岡本一平のすすめでマンガを描き始める。漫画家、水墨画家。代表作に1934年より「幼年倶楽部」に掲載された『タンク・タンクロー』がある。 (注2)岡本一平:1886〜1948年。漫画家、作詞家。朝日新聞に入社して漫画記者となり、漫画漫文という独自のスタイルを生みだす。岡本かの子との間にできた長男は岡本太郎。 (注3)関谷ひさし:1928〜2008年。漫画家。「冒険王」連載の『ジャジャ馬くん』がヒットしてメジャーに。『ストップ!にいちゃん』『ファイト先生』で第9回小学館漫画賞受賞。

文責/上野顕太郎 上野顕太郎/1963年、東京都出身。マンガ家。『月刊コミックビーム』にて『夜は千の眼を持つ』連載中。著書に『さよならもいわずに』『ギャグにもほどがある』(共にエンターブレイン)などがある。近年は『英国一家、日本を食べる』シリーズ(亜紀書房)の装画なども担当。「週刊アスキー」連載の煩悩ギャグ『いちマルはち』の単行本が10月末発売予定。 ※第二回は8月中旬すぎに掲載の予定です。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板